4/19・八大神社

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『御祭神:素盞鳴尊・稲田姫命・八王子命 1294年、祇園八坂神社と御同神に座し古来より北天王(北の祇園)と称し、皇居守護神12社中の1にして、都の東北隅に位置し、方除・厄除・縁結び・学業の神として世の信仰厚く、後水尾天皇・霊元天皇・光格天皇、修学院離宮御幸のお立ち寄り、白銀などご奉納あり。因みに剣聖宮本武蔵が、吉岡一族と決闘せし当時の「下り松」の古木は、本殿西に保存してある』

稲田姫は、奇稲田姫の別名で、素盞鳴尊が稲田姫を櫛に変えて髪に刺してヤマタノオロチと闘いました。
八王子命というのはわからなかったので調べました。
神仏習合下、仏教の守り神・牛頭天王には8人の子がいるとされた。
明治の神仏分離令により、牛頭天王と習合していたスサノオが主祭神になり、5男3女の神に変えられた。
八王子には、そういう由来があったのですね。
東京の八王子もこの由来に基づき命名されたそうです。

因みに、牛頭天王社の総本社は、京都八坂神社と播磨広峰山で、広峰山社家だった黒田官兵衛の祖父が自家製目薬を、広峰山牛頭天王信仰をバックに売って富を得た。
それが宗家・小寺家最高の軍事力を養う元になりました。

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映画「中村錦之助主演・一乗寺の決斗」のポスター、その数々のシーンの写真がパネルに貼ってあります。
お通・入江若葉、お杉・浪花千栄子、吉岡伝七郎・平幹二朗、「野望燃える一乗寺下り松!眼下の敵73人、武蔵、生死一路に起つ!」
・・・なかなか、いいじゃないか・・・過去、何度映像化されたか、名シーンですね。

『平成15年のNHK大河ドラマ「武蔵」に選ばれ、剣聖・宮本武蔵の生涯に改めて多くの方々の眼差しが注がれるようになりました。洛北・一乗寺は、吉岡道場数十名の門弟たちと武蔵の戦いの地であり、吉川英治の名作「宮本武蔵」の中でも重要な場面の舞台となった所です。壮絶な戦いが展開されたのは、一乗寺下り松。
現在は4代目となっていますが、古より、京の町と比叡山の境に立つ銘木です。そして、いかに剣聖といえど1人で多勢と闘いに挑む心に、瞬間恐怖が宿ったのでしょうか。決闘の地へと向かう武蔵が祈りを捧げようとした社が、当社であり、境内には今も下り松の小木が残っております』

『武蔵が一乗寺下リ松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝の暗いうちに、彼は死を期したこの危地へ来る途中で、八大神社の前で足を止めて、「勝たせたまえ。今日こそは武蔵が一生の大事」と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。拝殿の鰐口まで手を触れかけたが、その時彼のどん底からむくむく湧いた彼の本質が、その気持を一蹴して鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下り松の決戦の場所へ駆け向かったという。武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに、「我れ神仏を尊んで神仏にたのまず」と書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったに違いない。武蔵にこの開悟を与えたことに依って、一乗寺下り松の果たし合いは、ただの意趣喧嘩と違う1つの意味を持ったものと僕はそう解釈する。 吉川英治 随筆・宮本武蔵』

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しめ縄に飾られた武蔵と吉岡一門の決闘を見届けた下り松小木が、保存展示されていました。
ここの家紋も木瓜紋でした。
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境内に立砂・・・
まさか、ここで宮本武蔵に会えるとは思っていませんでした。
確かにここは一乗寺です。

車に戻っても料金徴収の人がいません、ラッキー。
車で道を下り、「一乗寺道」との交差点で車を停め、4代目下り松を激写しました。
住所は、「一乗寺下り松町」でした。

今宮神社・建勲神社・大田神社・鷺森神社・八大神社 3/3
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