日本神道って、宗教なのかな?

日曜日、福知山市の「元伊勢内宮」に参拝後、「天岩戸神社」に歩いて行きました。
その途中に、遥拝所がありました。
神社・遥拝所と言えば、東向きに日の出を望むシチュエーションが想像されますが、そこは西向きでした。
山道の一角の木々が切り払われ、正面に綺麗な円錐型の山が望めました。
天岩戸神社の謂れ板で後にわかったのですが、その「岩戸山」も神社の神域で、ほぼ原生林のまま貴重な自然が残っているそうです。

それを拝みながら、神道は宗教なんだろうか?と疑問が湧いてきました。
日本人の日本神道は、キリスト教や仏教とは、ちょっと違うように思う。
神道=天皇崇拝=軍国主義
太陽崇拝=日の丸・日章旗=軍国主義
太平洋戦争に導いた「悪」の象徴とされた時代があり、現在でもインテリと言われる教職員の一部には、「日の丸」や「君が代」を毛嫌いする人がいる。

でも神道は、八百万の神に感謝する気持ちで、山に対してはそこから流れてくる綺麗な水を飲み、それが育む田畑の食物を食べて生活できている・・・恵みの水を絶えず供給してくれる山に感謝する気持ちが形になっただけのように思う。
自分を取り巻く自然に感謝する自然崇拝でしかなく、それを専門職にする神人がいる。
そのトップが、天皇であるだけのように思う。
アメリカネイティブインディアンが、自然の恵みに感謝して儀式を行うことが宗教と言えるだろうか?
アンデス文明やインカ文明にも、自然崇拝の儀式が存在した。
一神教のキリスト教やイスラム教が、異教徒を滅ぼそうと戦争した歴史のようなものは、神道にはないように思う。

天皇さんの日常生活は、決して表に出ませんが、皇太子妃・雅子さんが心労になるぐらいだから、朝から晩まで大自然に対する祈りの時間を、しきたり通りに繰り返しているのだろう。
東日本大震災の時、東北の海に向かって天皇皇后両陛下が深々と頭を下げている姿を見て、祈り慣れていると感じました。
古代から天皇を頂点に脈々と続いてきた日本神道を、欧米列強の植民地化から日本を守ろうと明治新政府を立ち上げた新政府が、急速に殖産興業するために、中央集権を強めようと、自然な自然崇拝行為だった日本の神道を「国家神道」として体系付け・権威付け国家経営に利用した結果が、欧米との軋轢の中で太平洋戦争に至ったように思う。

太平洋戦争敗戦で、宗教化した国家神道思想は崩れ、悠久の世界から続いてきた自然崇拝・日本神道に戻ったように思う。
家内が遥拝所から岩戸山を見ている後ろ姿を見て、遥拝所から日の出を望んだり、鳥居の背景にある山の頂に手を合わせる姿を想像し、八百万のものに神が宿っていると感じる日本人の感性に素敵なものを感じました。

現在、「神道の心・日本人の美しい暮らし方 葉室頼昭著」という本を読んでいる。
著者は故人になっておられますが、戦前に藤原氏の公家の家系に生まれ、華族御用達・学習院で学び、医学部に進学し、医師として定年退職する年齢まで務め上げた。
その後勉強して宮司の資格を得て、藤原氏の氏宮・春日大社の宮司になったという特異な経歴を持っておられる。
この書から受ける印象は、「政治と宗教の分離」などと目くじら立てる一部の政治家や政治団体の思想とは大きく離れて、自然に生かされていることへの感謝の気持ちでしかない。
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