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11/18・丹波篠山・大国寺

家内が勉強会にお出かけしました。
僕も仕事場に行き、あ~だこ~だやってからバイクで三田・篠山をぶらっとすることにしました。
家内からは、「帰りが遅くなるから」と言われています。

11:15、「招き猫CB400SB」で出発します。
今シーズン初めて冬服装にしました。
コミネの冬用プロテクター上下を着ます。
夏用メッシュに比べ重いです。
こんなに重かったっけ?でも着てしまえばあまり重さを感じません。
結局この真冬装備が暑すぎて、冬用でも薄めの方で十分でした。

11:18「出光セルフ宝塚176」で給油。
247km/9.38L=26.3km/L。
阪急山本駅から「長尾山トンネル」を抜け、r325~r33。
「西谷農協大池」交差点から北上し、西谷中学を経て、r68を渡り「波豆川」沿いを北上し、「八坂神社」前の定点観測ポイント」。

激写休憩し、r323で西進。
「半鐘の家」を過ぎ、r37に合流し、右折してr49で北上。
12:23「バイカーズカフェ虎亀」着。
お昼時なので混んでいます。
いつもの「ピラフセット」を頂き、カウンターでご一緒した方々とあ~だこ~だ。
壁に飾ってある銃は、BB弾を発射するモデルガンだって。
マスターさんがハチや蛇をこれで退治するそうで、現役で活躍中のようです。

13:38出発、r49を北上し「永澤寺」前を通過し・・・「カフェ・シュガー」が久しぶりにOPENしていました。
いよいよ虎亀で聞いたがけ崩れ現場です。
「美濃坂峠」手前にバリケードが設置されていますが、「自転車・バイク(車幅1.0m以下)車両通行可」と書かれています。
「美濃坂峠」を越えてゆっくり下ります。

「小枕」交差点で、R372を渡る。
「小枕口」を左折し、右に県道を見ながら西進。
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「岩崎」集落」に入り、14:08「春日神社」。
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境内の銀杏が色づき黄色の絨毯が綺麗。

枝道を西進し、舞鶴道手前でr299を渡り、舞鶴道側道を北上。
左折して舞鶴道をくぐりr94に乗り、R176に突き当たり、それを渡って「味間」地区に入りました。
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14:31「文保寺・二村神社鳥居前」。
紅葉の時期には訪問したことがないので訪問しようかと思ったが、まだたどり着いていない「波多野秀治公の墓」を探しに行くことにする。

「大国寺」まで後少しの枝道で、バス離合渋滞が発生していました。
フルサイズ観光バス同士が離合しようとしています。
訪問したことのある寺院ですが、紅葉狩りの時期になると、こんなにお客さんがいっぱいになるのですね。
バイクなので山門前横の鐘楼のところに駐輪させてくれた。

14:41「大国寺」。
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ご移住職が、鐘楼前で多くの観光客向けに話をされていた。
次々にやってくる観光バス団体さんがいるので、休む暇もなさそう。

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『国重要文化財 安泰山大国寺 当寺は、大化年間(645~650)に、空鉢仙人(法道仙人)が国家安泰を祈願して、自作の薬師如来を安置し開創した。その後、天暦の項(947~956)に兵火で焼失し、正和年間(1312~1317)に花園天皇の帰依により再興され、安泰山大国寺の寺号を賜り、以来広く地域住民に親しまれ崇敬されて今日に至っています。昭和42年(1967)、兵庫県観光百選に指定され、また新丹波七福神大黒天霊場としても、多数の参拝者を迎えています。
文化財 本堂:鎌倉時代末期に建てられた、唐様と和様の折衷様式。国指定重要文化財。 仏像:薬師如来像・大日如来像・阿弥陀如来像・持国天像・増長天像。
5体とも藤原時代作。国指定重要文化財』

『樹木礼讃 森や山の樹木は、私たち人間やこの世に生存する多くの動物や植物たちにとって、大きな役割を果たしているかけがえのない大切なものです。樹木は空気を浄化し、水を蓄え、土を肥やし、動植物の住み家を作ってくれます。さらに、すばらしいことは四季のうつろいに合わせた葉や花の色彩の変化が、私たちに感動とやすらぎを与えるのです。そこから絵画や音楽などの芸術や文学が創造され、潤いのある生活環境を創出してくれます。
ここに、この樹木たちに感謝し、周辺の樹名を表記し、地域の自然環境の保全と意識高揚の一助となるよう念じています。 篠山ロータリークラブ』

「拝観料300円・本堂拝観800円」と書かれていたので、迷わず「本堂拝観、大人1人」と言うと、「え~と、ちょっと待ってくださいよ。案内付きで、住職か奥さんが対応しておりますので、空いてるかな~」。
受付の方が、別の方に奥さんを呼ぶよう対応している間に、「・・・さんですか」と私を呼ぶ声がしました。

「はい」・・・以前数度バイクツーリンググループでご一緒したSさんでした。
「今からですか?」「はい」
「私は、高蔵寺に寄り、こちらに来ました。次「文保寺」に行く予定です」「すぐ拝観して来ませんで、私もご一緒出来ませんか?」「良いですよ」。
受付の方に「300円の拝観の方で良いです」と変更を伝えるが、「本堂拝観出来ますから、少しお待ち下さい」。
「う~ん、どうしよう」「本堂を見てくるので少し時間がかかりますが・・・良いでしょうか?」「良いですよ」「すいません」。

奥さんが来られ、本堂を拝観しました。
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本堂は、鎌倉時代に建てられたもので、室内柱に特徴ある様式が残っていた。
「明智光秀の丹波攻めで兵火に遭わなかったのですか」「はい」。
この寺院裏の山中に、光秀の丹波攻めに対抗し、一度は討ち死寸前まで追い込んだ波多野秀治公のお墓がある地です。
その場所を聞きましたが、「住職は知っているかもしれませんが、私は知らないんです」。

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本尊・薬師如来を中心に5体とも平安時代藤原期作で、重要文化財指定されているそうです。
内陣まで入れて頂き、間近で重文仏像を見ました。
傷みが目立たず、一刀彫の天像2体とも虫食い穴さえありません。
これだけ綺麗な状態で遺っている5体の仏像で平安期作なら国宝でもおかしくないのでそれを聞くと、仏師がわからないので重文止まりだそうです。
いずれ国宝になりそうです。

長い歴史の間には、兵火・落雷、いろんな災が襲ったでしょう。
仏像を担いで避難させたこともあったのではないかな?
そんなことを聞くと、避雷針などで保護しているので本堂に落雷したことは無いそうですが、寺務所などには落雷したことがあり、雷鳴が聞こえると慌ててTVのコンセントやアンテナ線を抜くそうです。

本堂拝観者は僕だけで、マンツーマン拝観させて頂きました。
外から沢山の観光客が中を覗いており、初宮参りのようです。
素晴らしいものを見せて頂き、本尊写真もOKで値打ちがありました。

境内にはコスプレイヤーが数人いました。
住職がコスプレに理解があり、むしろ誘致しているようです。
本堂内で奥様に、これだけの本堂・仏像の維持管理のことを尋ねた時の話の中に、「檀家がいないお寺なので、皆様からの拝観収入で・・・」というのがありました。
無い袖は振れず、試行錯誤されているのでしょう。

本堂拝観を終了し、急いで受付に戻ります。
「まだ待っておられるかな~」と不安な視線を向けると、待っていて下さいました。
僕のわがままに付き合わせてしまい申し訳ない。




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11/17・大津市南部・宇治田原町林道ツーリング&大学ヨット部コーチング

コーチしてる大学ヨット部のコーチングに琵琶湖に向かいます。
11/4の全日本インカレ団体戦最終日をもって、前キャプテンから頼まれた僕のコーチング業も終了いたしました。
翌週の11/10、代交代式に呼ばれ卒業のメッセージをしたのが最後の仕事になりました。

その数日後、新キャプテンからメールが届き、キャプテン、470・S級両リーダー、女子ボスマネさんからの1年間の感謝と、更にもう1年のコーチング依頼がありました。
学生レーシングヨットが好きなので、気持ち良く受けました。
来年11月までまた頑張りましょう。

次男が入部して1年後、当時のキャプテンから依頼を受け、とっくに次男は卒業しているのに、僕は毎年更新を繰り返しもう15年ほどになります。
次男は70代キャプテンでしたが、新しい代は84代です。
頼まれているうちが花です。
精一杯、部員の笑顔を増やせるよう努力しましょう。

コーチング初日です。
4時過ぎに目を覚まし、「里山VTR250」で出発しました。
5:16、近所のローソンで「手巻熟成辛子明太子140円+手巻エビマヨネーズ140円+サントリーボスとろけるカフェオレ500ml162円=442円」購入。

R171~中央環状線~吹田ICから名神高速に乗り、京滋バイパスにチェンジし6:04「笠取IC」で降りました。
この季節の日の出は6:30頃なので6時にならないと明るくならない。
6時に笠取IC下車の予定通りでしたが、まだ暗いです。
朝の気配はありますが、曇っており切れ間が少し明るいだけでした。
これから林道に突っ込むので、森の中は更に暗そう。
動物と衝突しないよう気をつけなきゃ。

高速道路の下を抜け南に出て、京都府道r242。
r3に出て、「曽束大橋」で瀬田川を南に渡ります。
勝手に命名「京阪CC西林道」入口を野生の勘で発見し突入します。
落ち葉いっぱいの道でしたが、バイクなら問題ない道幅があり、ゆっくり走れば平気な舗装状態でした。

やれた穴凹舗装路・時には未舗装路を覚悟して来たので、滋賀県道r783に出た時には、「もう終わり?」って感じでした。
ゴルフ場の工事&メンテナンス道でもあるので、定期的に整備されているのでしょう。
ガードレールが割合続いていたのは予想外でした。

r783を東に走り、次の林道へ。
勝手に命名「宇治田原CC西林道」に突入します。
京阪CCの林道より荒れており、落ち葉に加え小石が多く落ちており、踏んでしまうとハンドルを大きく取られます。
ガードレールなどなく、より林道に雰囲気が出てきました。

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8:48、森から開けた林道交差点に出ました。
地図を見ると、京都府と滋賀県の県境林道交差点でした。
京都府側の森に入っていき二股交差点に着きました。
R307は直進だが、右折していく道が気になり寄り道。
道を登っていくと「南京都変電所」がありました。

三叉路に戻り南下を続けます。
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6:45宇治茶畑が広がった所で激写タイム。
道なりに走り、R307に出ました。
R307を東に進み次の林道へ。

遍照院への交差点過ぎ、「奥山田集落」の枝道に入ります。
裏白峠林道への入口は閉鎖されており、一旦R307に戻り、r283に入り、裏白峠珍道へ。
落ち葉たっぷりでも舗装されているので良いのですが、落ち葉の下に泥が堆積しているところがあり、ここに突っ込むと前輪が取られコケます。
慎重に走ります。

林道交差点で左折し、長い林道でR422に抜ける予定でしたが、誰も走らない不人気林道のようで、落ち葉体積が凄く路面が見えそうにない。
落ち葉の少ない季節に再チャレンジすることにしました。

R307に降りてきて、東進します。
3つの林道で、鹿1頭に遭遇しました。
もう少し遭遇すると思っていたけど。

右折してR422に乗り北上開始。
信楽川沿いの旧道・枝道に入り、お参りしたことがある「大宮神社」横を抜け、再びR422。
2つ目の信楽川沿い道に入り、またR422に戻る。
3つ目の信楽川沿いの枝道は長く、数度R422下をくぐり、あるいは交差して渡り、7:28「春日神社」到着。
集落から離れた信楽川沿いにありました。

境内から独立した立派な宝物蔵?があり、期待が膨らみます。
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本殿は立派な檜皮葺です。
『重要文化財・春日神社本殿
久寿元年(1154)、二条蔵人助藤原重友が奈良春日社の分霊を勧請したと伝えられ、祭神に建御雷神ほか三神を祀る。
現在の本殿は、棟木に「文保3年2月18日奉造之御殿事・・・」(1319)とあり、鎌倉時代後期の作風を示す。形式は二間社に向拝を付け屋根入母屋造の桧皮葺。
後世の改造が少なく、各部の彫刻も優秀で特に柱間の中央に飾られた墓股の輪郭線は美しい。二間社で入母屋造の形式は全国的にも類別が少なく貴重な本殿である』

二条蔵人助・藤原重友なる人物はどのような人物だったのかわからないので、帰宅後調べてみました。
結果「わからず」。
二条藤原家の者で、蔵人助という官職に就いていた者が勧請したことは想像でき、平安時代の当時この地が二条藤原家の所領であったことも想像できる。
この地は自らが頂いた地なのか、官の租税に苦しむ地元民が、その税を逃れるために免税であった公家・二条藤原家に寄進したのもか・・・。
想像の域でしかない。

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春日神社は、藤原氏の祖・中臣鎌足が、大化の改新成った褒美として、天智天皇より過去一例しか無い「大鐵冠」の恩賞とともに「藤原」姓を賜り、その子藤原不比等以降名乗った。
中臣鎌足は、中臣家の本職・神官として鹿島神社宮司をしていた縁で、鹿島神社よりその祭神「建御雷神」を春日神社に勧請した。
以降全国に増えていった藤原氏の荘園に、次々に春日神社が勧請されていった。

信楽川がもたらす豊穣の地とは言え、山間の狭い土地なのにこのような立派な社を建立するこの地の信仰心と経済力を思い知った。
境内に神輿蔵があった。
さぞ立派でしょう。
本殿に手を合わせ、我が人生のこれまでの幸運に感謝し、本殿を激写していたら、「キュイーン」。鹿の警戒声が聞こえた。

R422に戻った。
「県立ライフル射撃場」横を通過した。
長男は大学時代「ライフル射撃部」で、自宅にライフル銃が鍵の掛かった銃保管庫に入っており、毎年警察官が保管状況を確認しに来た。
銃射撃場は少なく、県で1~2箇所が相場です。
きっとこの射撃場にも試合や練習で来たことがあるのだろう。

瀬田川に近づき、r29にチェンジして瀬田川の東の峠を北に越えます。
瀬田川沿いの道になります。
r16「瀬田唐橋」で瀬田川を渡り、京阪電鉄・石山坂本線を「唐橋前駅」横で渡り、r16をトレースして、京阪石山駅&JR石山駅横を抜けてR1に乗りました。
r103~r18~R161で8:18ヨットハーバー着。

みんなに挨拶し、艇庫で夏用バイクプロテクター上下を脱ぎます。
9時出艇予定なので、桟橋で朝ごはんにおにぎりを2つ頬張ります。
体操・ブリーフィング後出艇。

新チーム最初の練習が始まりました。
4回生の顔がなくなり3学年になりましたが、S級9艇・470級6艇の練習が始まりました。
風速に合わせ、基本練習とショートラウンディングマーク練習をしました。
練習後半、風速が4~5m/sに上がった所でホイッスル吹いて、470級に10~15回連続タックを2クールさせました。
特にクルーはヘトヘトになったでしょう。
12時にハーバーバック。

合宿所に戻り、昼食。
13:30に午後の練習開始。
ブリーフィングで午前中気付いたことを話しました。
午前の後半北からの良い風が入っていたので、それが続くと思いきや風が落ちてしまい、2~4m/sの練習になりました。

インフレータブルのレスキュー・ボートが全日本でのエンジンロストで、ハードボート1艇のみでのコーチングになりました。
例年強風が吹き、雪解け水が入り冷たくなる湖水での練習が、少し心配です。
ハードボートではヨットに接触してのレスキュー活動が出来ません。
学校やOB会と相談していると思いますが、早急に改善しなければ最も大切な安全面が手薄です。

16時ハーバーバックで練習終了。
合宿所に戻ると、誰かからの差し入れのクッキーがありました。
「1人1枚」なので、1枚頂きました。

17:30からミーティング、まず私の話です。
全日本インカレで気付いたマテリアル面のことを話しました。
午後の練習で気付いたことなどを話しました。
ミーティング前に僕より2歳下のOB・Mさんが来られていたので、続いてMさんのお話。
12月号のヨット雑誌「舵」の記事のことでした。

続いてクラス別ミーティング。
私はMさんのお相手をしていました。
Mさんが帰られ、クラス別ミーテングに加わり終了。
次がみんな楽しみ夕ご飯ですが、僕は御暇しました。

19時を回っており、バイク装束を着て湖西道路~名神~中央縦貫~R171で20:30帰宅。
家内が夕食中で、ご飯を頂きました。
風呂に入り本日終了。

また1年間のコーチングが始まりました。
来週末は地方ブロックのインカレ新チームのレースです。
自分たちの実力がどんなものか確認できます。
楽しみです。






11/13・バースデー

僕の誕生日です。
数日前までは忘れていました。
家内に言われて思い出したのに、前日「明日何か送られてくるかもね」と言われ、一瞬「?」と思い再び思い出しました。

次男のお嫁さんから荷物が届き、開けると「モンベルのトレーナー」でした。
ちょうどトレーナー買おうかな?と思っていたところなのでラッキーでした。
昨年のプレゼントはお嫁さんのお父さんとお揃いだったそうです。
今年もそうかな?

お父さんは庭の垣根刈りで右腕の筋を痛め、今年の春次男一家と同居を始めた家の完成祝に訪問した時動かせませんでした。
趣味のドライブも出来ず辛そうでした。
だいぶ良くなっていると聞いていますが全快されたのかな?
垣根・芝生の手入れなど庭仕事は、次男に代交代しているでしょう。

お手紙も入っていました。
お嫁さんの綺麗な字で、「お父さん、お誕生日おめでとうございます。お正月帰省するのが楽しみです」と書かれていました。
更にすみれちゃん2才がクレヨンで描いてくれた僕の顔もありました。
丸い顔らしいものと、口付近に赤。
青と緑の髪の毛が上に向かって沢山立っており、こんなにフサフサだったらな~と思いました。

「トレーナー届きました、ありがとう。すみれちゃんの上手な似顔絵もありがとう」とお礼をLINEで返すと、お嫁さんから返信がありました。
すみれちゃんが似顔絵を描いてくれているムービーです。
可愛すぎる美少女が太めのクレヨンを持ち、一心に描いています。
お嫁さんが「じゃあ次は緑ね、赤に交換してみようか」なんてサポートしながら楽しそうに描いています。
次男の声が、「お爺ちゃんの顔だよ」とか「顔は何処?」なんてアドバイスしています。
3人の素敵な家庭が見えて嬉しくなりました。
家族みんながニコニコ暮らしているのが最高のお誕生日プレゼントです。

翌朝起きると、長男のお嫁さんからも家族LINEが入っていました。
ルーカスくん0才を中心に、左右にりょうくん5才・こうちゃん2才がソファーに座り、「お爺ちゃん、お誕生日おめでとう」と言ってくれているビデオ。
アメリカ東海岸は時差の関係で13時間日本より遅れるから、13日の朝撮ってくれたようです。

こうちゃんは、Happy birthday to youの歌を英語で歌ってくれています。
りょうくんは、「November ?」ってお嫁さんに聞いています。
英語と日本語のイントネーションをネイティブに変え、凄いなと思いました。
りょうくんから「アメリカにまた来てね」、こうちゃんから「お爺ちゃんお婆ちゃん、また抱っこして」とリクエストされました。

ルーカスくんは、やっとお座り出来るようになった程度なので、頭が重たそうでりょうくんの方に頭を持たれかけ、ソファーをいじくっています。
みんな元気そうで、何よりのプレゼントです。
「妻を娶り、子を育てる」という大昔から繰り返されてきた人生の幸せは、こういうことなんだなとしみじみ感じます。

11/11・映画「あいあい傘」

4時過ぎに目覚めゴソゴソして7時前、階下の家内から「お父さん、今日は何時に出るの?」。
「何処にも行かないよ」と答えると、「じゃあ映画観に行かない『あいあい傘』9:05に始まるの、間に合う?」。
階下に飛んで降り、「行く、一緒に行こう。カレンダーに予定が書いてあったけど行かないの?」「うん、止めたの」。
「1時間あるかや、余裕だわ」「西宮よ」
「え、そうなの。でも大丈夫、すぐ着替えるから」。

速攻で着替え、ひげそりなども速攻でして、7:10に家を出ました。
R171を走り、8:30過ぎに「西宮ガーデンズ」到着。
通勤リード110にタンデムして来たので速いし、駐車場並びの列もパスしてすぐP出来ました。

最上階に上がり、券売機でチケットをゲット。
家内がトイレに行っている間に、8:46「ホットドッグ500円」を購入し、ロビーの椅子に座り家内と半分こしました。

9:05「あいあい傘」上映開始。
倉科カナ・市原隼人主演。僕の好きな原田知世さんがキーパーソンとして出演しており、素晴らしい映画でした。
今年のベスト級です。

同名小説の映画化で、25年前の企業事件で、「自殺してくれ、妻子の面倒は見るから」と詰め腹を切らされた企業戦士が、死に場所を探して信州の田舎にやってきたことから始まる。
その異様な姿が気になった妊娠中の母・原田知世が彼を助け、何も聞かず一緒に暮らし始める。
原田知世は神社参道の茶屋を経営している女将。
彼は女将の自宅で塾をして暮らしを立てている。

そんな田舎町に、年1回のお祭りの日が近づいてきた。
例年同様、祭りのテキ屋家業の若いもんが集まり、女将の店の2Fに仮住まいし始める。
傘売りテキ屋の市原隼人もそんな1人。
車を止め、女将の主人と電話で話しているところに通りすがったのが主人公・倉科カナ。
大声で話す相手の名前にピンと来た倉科は、「あの~何処かで会ったことありません?」と市原に声を掛ける。

モテたことのない市原は舞い上がってしまい町・神社・祭りの案内を買って出る。
倉科は取材カメラマンとして振る舞うが、門前茶屋の女将や主人のことを聞きたがる。
「恋園神社前の茶屋でおしるこを一緒に食べたら恋が成就する」という伝説があり繁盛してるんや」「伝説の始まりは、女将と主人がおしるこを食べて一緒になったからなんだ。
でも、籍は入れておらず苗字が違うんや。
あの主人はあかんわ」。

倉科は横浜から、父親は25年前に亡くなったと母に言われ続けてきた父親の消息を掴み、どんな暮らしをしているのか、そして連れて帰ろうとやってきたのだ。
描き方によっては、とてもドロドロした展開になりそうな設定ですが、出演者が明るく、皆がとてもハートフルで素敵にストーリーが展開されていく。

僕の好きな俳優の1人である市原隼人の演技が素晴らしく、ハードボイルド物の出演も多いが、こういうストーリーにこそピッタリだなと思いました。
倉科は新しい人生を得て幸福そうに暮らしている父の内面に苦しんでいる姿を見て・・・
実は女将が主人を苦しみから開放すべく、主人の家族に会わせ、家族の元に帰らせようと情報を提供したことで自分がここに導かれたことを知り・・・

置き去りにされた自分たち母娘の苦しんだ生活に比べ、父は自分だけ幸せに暮らしている姿を見て憤りを感じていた。
父の苦しむ姿が見えてきて、そんな心が緩解していく。
父と再開し言葉を交わし、でもそのままにして横浜に帰っていく。

ハッピーエンドの展開が見えてきた時、1つだけ気になったのがいい感じだった「市原と倉科2人のこれから」でした。
エンドロールが近づく最後のカットで、市原が車で駅まで倉科を送り、「じゃあ」ということでダッシュボードの上に置いてあった小さな傘を彼女に渡す。

「ありがとうございました」と手を振り、ふとその傘を見て、幼い頃迷子になり泣いている自分を助けてくれた男の子に同じ傘をもらったことを思い出す。
「あ、待って~」と振り返るが、市原の乗る車は後ろ姿を残したまま遠くに走り去って行った。

何ともお洒落な終わり方ではないか。
劇中で何度も涙が頬を伝ったが、この終わり方に更に心を打たれた。
陽気でハートフルなテキ屋の兄ちゃんと言えば「寅さん」。
渥美清より数倍二枚目な市原の続編が始まったりして・・・。
そんな風にシリーズ化、あるいは続編が見たいと思う映画でした。

映画のエンドロールが流れても誰も立ちませんでした。
エンドロールが流れている間、今観た映画の余韻に浸りながら、「俳優さんの名前」「監督さんは誰なのかな?」「エンドロールに流れる音楽あ?劇中歌は?」「ロケ地は何処かな?」などデータを確認し、気持ちがクールダウンし現実の世界へ戻る作業をします。

それぞれがそんな作業をしている間に、せっかちな方は席を立ち、次の行動を始められます。
いろんな事情があるにせよ、一緒に静かに観ていた「袖擦り合うも多生の縁」の方々の余韻を壊してしまう方がおられます。
年数本ですが映画館で映画を見るのが好きなので、イマイチな映画ほど、そんな方が出没し増えます。

この映画はゼロでした。
日頃観ている地元・伊丹市がせっかちで西宮市が文化的なのかもしれませんが、それがなく皆さんも大きな感動を得られたんだなと思いました。

劇場が明るくなり、身支度する僕らの横を「袖擦り合うも多生の縁」の方々が出ていかれます。
「年齢層が高いね」と家内から、「うん、僕らが若手だ」なんて冗談を交え答えながら、「おじさん1人の方も多いな」と感じました。
僕同様、「男なのにラブストーリー・ハートフル好きな男性も多いな」と仲間を感じました。

劇場を出てロビーに出たところで、「すごく良かったね」と家内から。
「うんとても良かった。誘ってくれる映画はいつもいいわ」と答え、「伊丹より若い子が多いね」と中高生と思われる年齢層の方が多く屯していることを話した。
町が若く、収入の平均が高く、文化都市であるからでしょう。
僕は西宮市で生まれ、小学校以外すべて西宮市に通って学んだので、実感としてそう思う。

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催し物会場で、プラレールが走っていた。
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孫たちがいると喜びそう。
西宮ガーデンズをウインドウショッピングしようかと思っていたが、「お腹がすいた。関学に行って食べる?」との提案を受け、バイクに向かった。
見慣れた阪急今津線沿いを北上し、駅横の踏切を渡りました。

「この駅わかる?」「門戸厄神、私は時々来るよ」「正解」。
家内がお休みで僕が出かけている時の定番訪問先は、ここと中山さん(中山寺)です。
「この駅は何処でしょう」「甲東園」「正解」。
なんて会話をしながら丘を登って行きます。

関学正面の直線道路まで登ってくると、真正面に関学の象徴時計台が見えてきました。
僕らはこの学校で出会い、この学校のチャペルで結婚式を挙げました。
牧師さんは僕の中学校の校長先生の自宅に2人で伺いお願いしました。

正門前を左折し中学部の方に向かい、途中で右折し学生会館の方に向かいます。
駐車場と駐輪場がありますが、自転車か50cc以下しか駐めれません。
ここにも警備員が立っていたので、原付二種スクーターの駐輪場所を尋ねたが、「正門の方に行って聞いてください」とのこと。
正門まで戻り尋ねたが、ここも駄目でした。

この日は資格試験の受験会場になっているようで、一般の警備員さんが沢山いました。
正門詰め所の関学職員の警備員さんなら、「卒業生です」とでも言えば「ここに置いて」なんて便宜を図ってくれたかも・・・。
「私が変なこと言ったからゴメンね」と家内から言葉がありましたが、僕だってこんな映画を観た後は、僕らの出会いの場所で懐かしみたかったよ。

仁川駅に下り、競馬場横を北上し、「丸亀製麺宝塚店」に入りました。
僕は「かけ大390円+メンチカツ190円+野菜かき揚げ130円」、家内は「おろし醤油並380円+れんこん天110円」でお腹を落ち着けました。
お腹パンパンになったのに2人で1200円は安いな。
隣の席に座っていたおじさんから、家内は「うどん札」を貰っていました。
美人は得だな。
「うどん1杯で1枚、3枚でトッピング1つ無料、期限11月末日」と書かれていました。
ぼくらの分2枚あるから3枚貯まりまったけど、期限までに来ることはないかな・・・。

お腹いっぱいになリ過ぎたので、お散歩しようと清荒神に行くことにしました。
宝塚歌劇場横を過ぎた交差点で信号待ちになりました。
横の駐車場には大型バスがたくさん停まっています。
「こんなに多くの方が大劇場に入れるのかな?」と家内と話し見ていると、女性客ばかり降りていたので、やはりヅカファンのバスのようです。

母がヅカファンで、幼少の頃母に連れられ何度レビューを観たことか・・・
僕にはつまらなかったけど、今は良い思い出です。
横の歩道を金髪に近い色に髪をお団子にまとめた美少女が歩いていました。
いかにも劇団員です。

10年も通った今津線の先頭車両は、音楽学校の生徒・劇団員さんの指定席で、必ずこの車両に乗っていました。
制服に身を包み清楚を絵に書いたような生徒さんと、当時若い女性の髪色が黒ばかりだった時代に金髪で異彩を放っていた劇団員さんがこの車両に溢れ、身近でした。
クラスメイトのお姉さんが生徒や劇団員だった子もいました。
規律が厳しく、立ち居振る舞いに清楚と気品が溢れ、見ていて気持ちの良い女性達でした。

清荒神駐車場に到着しました。
久しぶりです。
前回は次男一家と来たかな?家内とサイクリングで駅から参道を登って上がったこともありました。
駅からの参道は門前店が並び、テキ屋が店を広げ楽しいお散歩になります。
テキ屋は暴力団との関係で、お祭りなどから閉め出される傾向にあり、廃業された方も多いと思う。

我が町内会の盆踊りも、子供の頃はテキ屋が店を並べ面白かったのに、最近は自治会開催でイマイチになっちゃいました。
剃り込み入れたお兄ちゃんやド派手な服装のお姉さんが店頭に立ち、これも含めてお祭りだったのにな~。

駐車場からテキ屋さんの店頭を覗きながら歩きました。
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清荒神さんは火の神様・かまどの神様で、相変わらず賑わっていました。
何度もお参りした本堂はパスし、不動滝を観に行きました。
多くの山歩き服装の方がいます。
不動滝に中山への登山口があるのかと思ったけど、滝で行き止まりになっており、別にルートがある
ようでした。

「コーヒー買ってくるわ」と家内が言いましたが、自販機にはプルトップ式缶入りばかりで、開けたら飲み干さねばならずパスしていました。
「家に帰ってでいいわ」
ということで帰路に着きました。

その後昼寝したり、2人でTV見たりして過ごしました。
僕は家内と過ごすのが好きです。
喋りすぎず、穏やかな気持ちになれます。
最高の伴侶を得た喜びに毎回浸れます。
歩く時手をつなぎに行ったり、抱きつきは日常茶飯事なストーカー体質なので家内は大変でしょうが・・・。

11/10・湖南寺社巡り5 ミホ・ミュージアム~大戸川発電所~和田神社~代交代式

バイクに戻り、307に戻り北上し、r16交差点の手前で本日2つ目の林道に突入。
この林道沿いに「ミホ・ミュージアム」があり、その地名が田代だから、勝手に名付けて「田代林道」。
この林道は舗装がイマイチで、穴凹があちこちに開いており注意しないとはまる。
でもそれはまだマシで、峠を越えミュージアム側へ下り出して5~6分未舗装路だった。

突然、中央白線の道路に出て林道が終了し、ミュージアムの方に登って行く。
すぐに駐車場になり、ガードマンに指示され14:36P。
噂に聞いていた山の中のミュージアム。
バス停があり、専用バスが停まっていた。
帝産バスも巡回しているようです。

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レセプション棟があり、ここでチケットを購入するようです。
中に売店やレストランがあります。
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屋外には、展示塔に向かう広い舗装路が出ており、車両進入禁止だから、一度に多くの方が出入りできそう。
案内によると、トンネルを抜け展示棟に至るようだ。
日本・中国・西アジア・南アジア・エジプトなどの教祖が収集した美術品が展示されているようです。

時間がないので下見だけでバイクに戻ります。
林道との交差点を西に下り、r12に出て北上します。
r16との交差点に来たので、左折してr16で西進。
「大戸川」沿いを快調に下っていると、対岸にレンガ造りの建物が見えてきた。
緊急停止し渡ってみる。

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15:01「関西電力・大戸川発電所」。
大戸川本流にダムはなく、発電所上の山の斜面を太いパイプが発電所目掛けて下っている。
上に別のダムが有るのかと地図を見るが、それなりの施設はなさそうです。
発電所から大戸川へは、すこぶる勢いの良い水が流れ出している。
この水は何処から?

どういう仕組で水が流れて来るのが源流が気になって、帰宅後調べました。
『大戸川発電所諸元 歴史 所有:京都電燈(牧発電所)~関西配電~関西電力(現在) 明治44年(1911)1月運用開始
発電の区分 種別:一般水力 発電形式(落差を得る方法):水路式 発電方式(水の利用方法):流込み式
出力 認可最大出力:1600kW 常時出力:1165kW
水量 最大使用水量:2.783立方メートル毎秒
落差 有効落差:74.21m
設備 水車:横軸フランシス水車×2台 総出力2164kW 発電機:横軸三相交流同期発電機×2台 導水路:総延長4096.2m、主要導水路幅3.17m×高2.10m、延長3408.6m 上部水槽:縦22.30m×横12.60m×高3.60m 水圧鉄管:内径1400~762mm、板厚6~10mm、延長150.19m×1条 分岐管:Y分岐 条管:2条 入口弁:バタフライバルブ 放水路:幅4.50m×高3.00m、総延長37.5m
標高 取水位標高:200.30m 放水位標高:123.30m
面積 流域面積:148.0平方キロメートル
河川 取水:大戸川 放水:大戸川』

諸元から読み解くと、江戸川上流標高200mの所から取水し、4km導水して、発電所上部まで引いて、そこから一気に導管で水流に勢いをつけ発電水車を回し、位置エネルギーを電気エネルギーに変換し、標高123mの発電所のあるこの場所で大戸川に水を戻しているようです。
明治44年の土木技術なので、現代のような落差の有る巨大ダム建設が出来ず、人力でも可能なシステムにしたのですね。

他にもこの発電所関連のデータが見つかりました。
このレンガ造り発電所は、明治44年当時のままだそうです。
上流からここに至る水の導線4kmを歩いた方がおられ、写真付きで解説されていた。
多くの導線は当時のままで、導線を渡る数本の見事な石積アーチ橋や隧道橋梁の写真を載せておられた。
魅力的だが、発電所の真上に急勾配で走るパイプ横を歩いておられ、僕には厳しそうでした。

r16を更に下り、瀬田までr16で走りました。
瀬田川を渡り、瀬田川沿いをR422で北上し、道なりにr102。r18との交差点から枝道に入り、5:31「和田神社」。

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『祭神:高おかみの神 創建:白鳳4年5月勧請(紀元675年) 社殿:本殿(重要文化財)一間社流造軒唐破風附 建物:拝殿・神饌殿・収納庫・社務所・表門・石鳥居 境内社:五社ノ社・祭神天照大神・菅原道真公・稲荷社・祭神倉稲魂命(天保5年3月勧請)・山神社・大山祇神 境内:743坪
縁起:特統帝の朱鳥元年頃(686)から八大龍王社と呼ばれ、仁明帝の承和2年(825)から正おかみ天王社と改称され、明治維新の際膳所藩主の令達により、和田神社と改称さる。現在の本殿は、鎌倉時代の建築様式と代表する他に比類稀な特色を誇り、古代建築技術を保存するものとして著名である。明治35年国宝の指定を受け、その後昭和39年文化財保護法第115条の規定により重要文化財となった』

境内に不思議な形の屋根を持った蔵があった。
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レンガの壁があった。
『昭和12年12月建、延長30間 寄進西田久兵衛』と銘板が貼られていた。

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大銀杏があった。
『大津市指定文化財 天然記念物・和田神社のいちょう このイチョウ(公孫樹)は滋賀県下において、他に例を見ないほどの巨木で、樹高24m目通り周囲4.4mあります。樹齢は600年を経ていると推定され、多数の気根(地上の幹から出て空気中に露出した根)を垂れています。樹勢もすこぶる盛んで枝葉が密生し、樹形も均斉のよく取れた美しい姿を保つなど貴重な名木です。
また、このイチョウは和田神社の神木として、更に琵琶湖上から和田の浜の目標樹となっていたと思われます。石田三成が関ヶ原合戦後、捕われて京に護送される途中、休止の際につながれた樹でもあると伝わっています。
昭和51年12月に大津市保護樹木に、昭和53年月に大津市の指定文化財となりました』

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本殿は檜皮葺で、千木・鰹木はなく、棟瓦でした。
唐破風付きの屋根の棟瓦付きでした。
『重要文化財・和田神社本殿 一間社流造の小さな社殿で、東面して建てられ、屋根は檜皮葺です。また正面には軒唐破風をつけるという県内では奇しい建築様式を持っています。この建物には、後世の補修の跡も多く認められますが、側面にあるすっきりとした美しい蟇股などの細部については、鎌倉時代の様式をよく残しています。
檜皮葺の屋根の棟から前後の軒先へ流れるような線は、檜皮の持つ柔らかさと相まって美しく、建物の特色の1つとなっています。明治35年7月31日に国の指定文化財となりました』

15:47「真宗大谷派・春台山響忍寺」。
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特徴は長屋門で、元家老屋敷だったそうです。
黒板塀・白漆喰・瓦屋根の重厚な門で、これを見に来ました。

r18に戻り、R161を経て、16:08「セブンイレブン大津鏡が浜店」で、「明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー138円+Wクリーム&チョコチップのパン138円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円=394円」を購入し、昼食としてイートインしました。

消費税がアップしたら、食料品軽減税率適用で、店内で食べると10%・持ち帰ると8%になるそうだ。
なんか変な苦し紛れ感を感じる。
こういうややこしいのはいずれ抜け道が出来て瓦解するでしょう。
こういう小手先法案を持ち出さないと通らないような消費税アップ法案は、いずれ潰れそうです。

もう一つ、レジ袋をお客様負担にする法案も変な法案だ。
資源消費を減らすのが目的なのに、レジ袋は石油製品の残り滓から作っているという。
元々燃やしていたものを「勿体無い精神」で商品化し利益につなげたもの。
更にレジ袋って単に捨てるだけのものだろうか?
我が家ではレジ袋入れがあり、しょっちゅうそこから出して再利用している。
メインゴミ箱以外の部屋に置いてある小さなゴミ箱にはレジ袋がセットしてあり、ゴミ箱や手が汚れるのを防いでいる。
箱のゴミ箱もレジ袋で、溜まったらそのままポイしている。

さらに言えば、かつてはレジ袋でゴミを捨てていた。
大きなゴミ袋を使うほどではない、あるいはこまめにゴミを出す家庭は利用していた。
レジ袋でのごみ捨て禁止になってから、ゴミ袋の消費量が飛躍的に伸びた。
ゴミ袋はそのためだけの専用品で使い捨てです。
レジ袋のように2次・3次・・・利用後の最後のご奉仕ではない。
どちらが資源を大切にしているのか・・・

イートインしていると、ヨット部2回生女子部員が入ってきた。
女子インカレで4日間一緒に過ごした子達です。
僕か彼女たちの方を向きながら堂々とその動向を見ているのに、彼女たちは僕に気づかずに色んな商品を手に持ち笑い合っている。
レジを終え出ていくときに僕に気づき、「こんにちは」って笑っていた。

17時から「代交代式」が始まった。
僕より少し下の年齢のOB・Mさんが来られていた。
リタイヤされて、ここから車で15分の雄琴に住んでおられる方です。

今年卒業したTくん司会で始まった。
大学院に進学する子が多いので、学部卒業したての若手OB・OGが沢山来ている。
OB・OGが会費3000円で現役慰安の場です。
テーブルには寿司・ビール・ソフトドリンク・フライド・チキン・・・いろいろ並び歓談。

1回生470代表・スナイプ代表・女子マネージャー代表計3人が贈る言葉、2回生代表3人から。
卒業していく4回生が一人ずつ、最後に彼らと最も長く同じ釜の飯を食った3回生が一人ずつ。
休憩を挟みながら、笑いあり涙ありの時間でした。
僕もスピーチさせられました。

最後に卒業生一人ずつに対してエールを切り、応援歌を歌い、恒例の琵琶湖周航の歌を全員で肩を組んで歌い上げます。
応援歌を一番後ろで聞いていましたが、肩を組む時になって前にいた2人のOGが手を広げ「入ってくださいよ」と肩を組まれ、皆と供に唱和しました。
両手に華で役得というもの。
集合写真でお開きとなりました。

21時を回って終了し、多くの部員はそのまま合宿所に泊まるので、これから飲み明かすのでしょう。
監督もOB部屋から日本酒を出してきて、テーブルを回りながら楽しそうでした。

バイク装束を着て帰路につきます。
湖西道路~名神~吹田から中央縦貫道~R171で、22:41「伊丹産業セルフ北村SS」で給油。
198km/6.46L=30.7km/L。
家内は夢の中なのでそっと自宅に忍び込み、風呂入って1日を終えました。
ああ、楽しかった。






11/10・湖南寺社巡り4 遍照院~新宮神社~玉桂寺

遍照院の方に戻ります。
11:57「遍照院」。
『徳川家康が伊賀越えの時休んだ遍照院 天正10年(1572)6月2日未明、京都本能寺に止宿中の織田信長が、家臣・明智光秀に襲われ自刃した(本能寺の変)。この時家康は信長のすすめで堺見物をしていたがそれも終わり引き返そうとしていた矢先、本能寺の変の急報を受けた。驚いた家康は、とにかく本国三河へ帰る事にし、危険は多いが伊賀越えの道を選んだ。
守口・枚方と不眠の行動で尊延寺を経て草内で木津川を渡り郷之口の山口城へ入った。ここで昼食を取り、案内人を得て物見の者と連絡をとりながら進み、街道沿いの遍照院へ着いた。ここで新しい案内人も出来、朝宮を通る頃には日もとっぷり暮れていたが無事多羅尾へ着いた。
ここで夕食を取り一睡の上伊勢の白子浜をめざして出発した。このあたりから守りの人も増え白子浜に安着した。ここから船で三河へ帰った。6月4日であった。
家康が伊賀越えの時立ち寄った真言宗遍照院は元亀元年(1570)の建立である。境内に紅梅の古木があり、花の咲く頃には訪れる人も多く、また境内の上方の墓地の傍に槇の枯木と鎌倉時代の作とも言われている無縫塔(町指定文化財)があり見学者も多い』

梵鐘が下がっていたので、静かにボ~ン。
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墓地に上がって無縫塔を見たら、一般的な無縫塔を違い、五輪塔とミックスされたような初めて見る形だった。
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バイクに戻ろうと坂道をゆっくり下っていると、サワガニは目の前を横断中だった。
小学生の頃は、近所の公園の秘密のスポットに行けばサワガニが必ずいたのに、最近は見かけなくなりました。

R307に戻り、更に東進します。
R422に乗り換え、大津瀬田に向かって北上開始。
この道も交通量が少なく快適です。

「富川橋」を見つけ、「ここかな?」と野生の勘を働かせ加河川沿いの枝道に入っていきます。
「広域基幹林道・牧富川線」。
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少し走ると12:30馬がいました。
小さな牧場があり、緊急激写タイム。

やがて山に入って行き林道になりました。
心配していた舗装は切れずに、これまた心配だった土砂崩れ通行止めもなく走れました。
落ち葉が多く、花吹雪のように降る落ち葉の中を走る場面もあり、嬉しくなりました。
交通量は意外にあり、数台の対向車がありました。

峠を越え東側に下っていると、まだ県道ではないのに、突然中央白破線のある道に突き当たりました。
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右折し、南に下る道を選択して走っていると、ビックリしたことにこんな田舎に「MIHO美学院中等教育学校」がありました。
「MIHOミュージアム」と同じ「MIHO」を冠しており、繋がりが気になりました。

帰宅後調べると、ミュージアムと中等教育学校は、ともに「神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)」という新興宗教団体の経営する施設でした。
隣接地に広大な神域と称する土地を所有する宗教団体代表が所有する美術品を一般開放しているのがミュージアムで、教団の思想を教育方針にした学校が中等教育学校でした。
中高一貫校で、全寮制、1学年48名の生徒数。

教祖が東京の羽仁もと子主催の独立学園で学んだ体験をもとに、同じ全寮制の教育を行っている。
進学実績などは公開されておらず、公開されている中学受験問題は割合簡単で、有名大学へ進学実績の有る私立中高一貫校と比べるべくもなかった。
かつてよく目にしていた駅前で手かざしして「除霊活動」している宗教団体がこの教団です。
税金がかからないし、寄付を得やすい心の問題をネタにしているので、莫大な資金が集まっているのだろう。
かつて、寄付などで得た教団資金を教祖が個人所有としたことで、追徴課税されていました。
これを読み、この日のその後山中の道沿いに点在している巨大な駐車場の存在の意味が解りました。

僕は、羽仁もと子さんが創立されたの「幼児生活団」という当時としては珍しい3年保育の幼稚園に通った。
4才の4月に入学し、5月には園の方針で全員1人で通園していました。
我が家から、徒歩で駅まで歩き、定期を見せ電車に乗り、駅で乗り換え、着いた駅で今度は路線バスに乗り換え最寄りのバス停まで。
親がサポートしてはいけません。

幼児というものは強いもので、心細くもなく泣くこともせず、乗り換えを間違えることもなく3年間通いました。
慣れてくると冒険心が湧き、バスを反対側に乗ったらどこに行くのか、駅のホームに巻き散らかされていた車券(競輪)を拾って道草し、親に捜索願を出されたこともあります。
お陰様で、小学生になると、幼稚園児の弟を連れ、夏休みに入ると、北関東の父の実家まで2人で帰省するのも平気でした。
僕のその後に大きく影響をした幼稚園です。

「婦人之友」という婦人雑誌を創刊され、教育にも熱心で秋田に「独立学園」という全寮制の男女共学中高等学校を、東京に「自由学園」という幼稚園から大学まである一貫校を創設された。

12:55「天満宮」。
僕の先祖であるらしい菅原道真公を祀っているのだろうから参らねば。
参道階段を上がると、境内に神輿が収められていそうな倉庫があった。
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小高い境内から見る景色の広がりは、そこかしこに秋色が点在し、気持ち良く休憩できた。

田舎道になっていたのに、また中央破線の有る道r522に広がった。
13:10「信楽CC」内にある「信楽高原ホテル」。
r522に下り、更に北上したところでr12に突き当たったので右折。

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「今峠」を越えて東側に下り、13:29R307合流手前にあった「新宮神社」。
ここは陶器の里「信楽」です。
「鎮座1300年祭」の立て札が上がる古社です。
『新宮神社御霊木・神鈴柿・樹齢300年』。
柿の木って長生きなんだなあ。
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参道を歩き境内に至ると、本殿横奥に色づいた銀杏の大木が目立つ。
この時期の銀杏の黄色は目立ちますし、僕が一番好きな紅葉は黄葉です。

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『八雲神詠 素盞嗚命御歌 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
御祭神:素盞嗚命・稲田姫命・大山津見神
新宮神社は奈良時代の霊亀元年(715)9月に創建されました。それ以来、信楽町大字長野・神山・江田・小川の「産土神(氏神)」として広く人々から尊び崇められ社号を「新宮大明神」と呼ばれていました。これまでに近衛関白家を始め、近江の守護・佐々貴氏などに篤く信仰され、代々当社に坑内神領などの寄進がありました。
南北朝の戦(1336年)の兵火にて焼失して再建されたが、その後大風の為、本殿が大破し、寛文3年(1663)11月に現在の本殿が再建されました。
明治9年(1876)10月「村社」に、大正2年(1913)4月「神饌幣帛料供進神社」に指定、大正4年(1915)5月、長野字西出と字川東の2箇所に「山神社」として「大山津見神」を祀られていたのを、当社に合祀されました。大正13年(1924)には「郷社」に昇格。現代は「紫香楽一乃宮」として篤く崇敬されております』

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『お陰さま 人は年齢今重ねることで成長していきます。私達が日々を重ね、年齢を重ねられる事は、大神様の目に見えない『お陰』があってこそです。日々の感謝を心静かに祈念しましょう』

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境内に、信楽の代名詞「たぬきの焼き物」がハート型に置かれていました。
インスタ映え目的で置かれたのかな?

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信楽焼き物街を走り、信楽鉄道を渡ってストップ。
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13:49線路を写真に収めます。

13:53「秋葉山玉桂寺」。
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梵鐘が下がっていたので、ぼ~ん。
賽銭箱が置かれていたのでチャリン。
本堂に入り、お参り。
本尊弘法大師を中心に、左右に不動明王と愛染明王。
ボケ封じの護摩堂にも参った。不動明王が中心におられた。
「家内や子供たちに迷惑を掛けないよう、ボケたらさっさとあの世に連れて行って下さいな。そして、新たな生を受け、僕の子孫に生まれさせてくださいな」。

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『今より一千二百年の昔、奈良朝の淳仁天皇が一時、都を平城京から滋賀に移された事があります。その時の保良宮、つまり奈良時代に、滋賀の皇居を造られる間、仮御所として使われたのが玉桂寺の始まりであります。また後に文徳、後花園帝の勅願寺として栄え、江戸時代には三万石の格式を誇り、藤丸の駕を認可されたる名刹で境内は、四丁四万、歴代尊崇のもと弘法大師を本尊と崇め、その信仰を一山に蒐め、歴史の尊厳と規模の広大を天下に誇る寺院です』

20181110IkkyuS0368s.jpg『玉桂寺の文化財
高野山真言宗に属する古刹で、3件の甲賀市指定有形文化財を有する他、境内には滋賀県指定天然記念物の「玉桂寺コウヤマキ」がある。
甲賀市指定・木造阿弥陀如来坐像・平安時代 阿弥陀堂の本尊で、漆箔の像高142cmをはかる半丈六の坐像。穏やかに整った像容は定朝様を示すが、衣紋は深く刻まれ、12世紀もさほど降らぬ時期の造像と考えられる。
甲賀市指定・木造五劫思惟阿弥陀如来坐像・室町時代 阿弥陀堂に祀られる漆箔の像高99.3cmをはかる坐像。巨大な頭髪をいただく特異な姿は、きわめて長い時間思惟をめぐらす間に伸びた頭髪を表す。胎内銘文の書体から室町時代の造像を考えられる。
甲賀市指定・石造五輪塔・鎌倉時代 阿弥陀堂の左手に建つ総高158.4cmの基壇を含めた六尺塔として建立。花崗岩製。各部は梵字を刻まず素面。基壇は反花式の大和様式。基壇側面に「沙弥 正和5年9月日」の刻銘があり、正和5年(1316)の造立で、滋賀県内の在銘五輪塔では5番目に古い』

阿弥陀堂にお参りする。
横には「玉桂寺八十八ヶ所霊場札所めぐり入口」があった。


11/10・湖南寺社巡り3 正寿院

バイクに戻り、次の目的地である加河川沿い林道の入口・R422富川橋にナビをセットします。
R307に戻り東へ。
11:07「ローソン宇治田原工業団地店」で、「セレクトミニクリームパン5個入り100円」を購入し、早めのお昼ご飯。

『徳川家康が伊賀越えの時休んだ遍照院』の案内板に反応し、寄り道することにしました。
枝道に逸れ、急勾配の細道を登って行きます。
GPSが遍照院に近づいて行くと、この道の先にポイントしている「正寿院」が地図に現れてきた。
先に「正寿院」に行こう。

11:30「正寿院」。
僧坊も見当たらない山間の小さななのに、駐車場がありタクシーが数台停まっている。
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駐車場前の僧坊には見えない建物から着物を着たお若いカップルが出てくる。
そこをバックに写真を撮っているのは皆女性。
??。

『ようおまいり まずは本堂横にある拝観受付へお越しください。 正寿院拝観順路 拝観受付~本堂お参り(お茶・お菓子付)~客殿・則天の間(猪目窓・天井画)』に従い、本堂へ。
『宇治田原町指定文化財 正寿院・木造十一面観音菩 薩立像 像高58.7cm 正壽院の御本尊で、50年に1度しかご開帳されていないという秘仏である。本像は、一木割矧造(いちぼくわりはぎづくり)。左手に華瓶を持ち、右手は垂下させる通形の十一面観音菩薩立像。表面に彩色や金箔押しを行わず、素地に截金(きりかね)文様を施す檀像風の作例。引き締まった面相、腰を捻った身の構えも自然で、過不足ない着衣の衣文(襞ひだ)の彫法も賞され、頭上面の表情にも生彩が感じられる。室町時代後期の制作と目され、この時期の作品としては群を抜いた出来映えであり、中世彫刻史上、特筆すべき存在で大変貴重な像である』

境内はそれほど大きくないが、日向ぼっこでも出来るように緋毛氈が敷かれた平長椅子が置かれている。
京都のお茶屋さんのようです。
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瓦葺きの本堂があり、境内に面した縁側に女性たちが座り、茶菓子を食べながら談笑している。
男1人の僕は、完全にアウェイ。

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境内に飾り紐が無数に掛けられた地蔵堂がありました。
『昔から「お地蔵さん」と呼ばれ、地蔵の「地」は大地「蔵」は胎内を意味している。大地のような広い大きな慈悲の心で包み込み、あらゆる苦しみを救うことから「地蔵」と名付けられた。特に水子供養・子育て・子供の成長を願う人々を救って下さることから、「子供の守り仏」として信仰されている』

『本堂・猪目窓・天井画拝観受付 大人(中学生以上)500円・子供300円(お茶・お菓子・散華・叶紐付き)』
本堂玄関に入り、拝観料500円を払うと、ティアドロップ型散華を頂いた。
御本尊は50年に1回の開帳なので、厨子の中におられる。
「厨子から組紐が引かれ、それを持って願いを心の中で唱えると叶う」と受付で教えてもらった。
畳間に上がると、畳の上に敷かれた緋毛氈に案内され、お茶とお菓子が頂けた。

緋毛氈上には、本尊お参りの手順・散華・叶紐のことが書かれたパウチが置かれていた。
『正寿院は、約800年前に創建と伝わります。いま皆様が座ってお茶を飲んで下さっている建物・本堂は約250年前に建てられました。寮銭箱の前に1枚の座布団が敷いてあります。そこに垂れ下がっている紐は「結いの紐」といいます。結いの紐を辿っていきますと正面奥に扉が見えます。この扉の中に、当院のご本尊十一面観音さまという仏さまがおられ、その指(中指と薬指)へと結いの紐が結ばれています。なぜ結いの紐と指が結ばれているかというと、正面奥の扉が開きますのが代々50年に1度と伝わっており、前回は平成2年に開けられました。
ですからお姿が中々見て頂けないかわりに、十一面観音さまとご縁を結ぶ為に結いの紐があります。十一面観音さまは、書いて字のごとくお顔が十一面あります。
これは全ての方向を見て、悩む人や苦しむ人、願いを叶えたい人をすぐに見つける為です。』

カップルや女性グループがお菓子を楽しみながら写真を撮っている。
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御本尊お参りのため女性数人が一列に並んでいる。
この後ろに並ぶのもアウェイ感たっぷりなので遠慮し、靴を履いて客殿に回ります。

先程着物カップルが出てきた駐車場前にある客殿に入ると、受付で散華に日付スタンプをポン。
これが入場券です。
パウチされた冊子を渡されました。

『猪目窓について ハート型のことを「猪目(いのめ)」と言います。猪目とは、1400年前から日本に伝わる伝統文様でハート型に類似しており、昔から災難除けの意として灯龍や柱にある釘隠し、窓や屋根にある懸魚(けぎょ)など建築装飾としてたくさん使われています。寺社仏閣にお参りされましたら、ぜひ猪目(ハート型)を探して見て下さい。
猪目という文様が、なぜハート型なのかは諸説があり、猪の目がハート型に似ているから、また仏教にゆかりがある菩提樹(ぼだいじゅ)の葉がハート型だからとも云われています。
昔から猪や獣の目は災いを除くと信仰され、菩提樹の木はとても縁起が良いとされてきましたので、その教えが建築装飾にも反映されたと云われています。1400年前のモノが無い時代においても、人々の幸せや建物の安全を願う気持ちは現代と変わりません。先人たちの知恵と願いがこの猪目(ハート型)に込められています。当院でも、人々の幸せまたは建物の安全を願うために猪目窓を設けていま
す。
四季によって、春(ピンク)夏(緑)秋(赤)冬(白)へと窓からの景色や色が変化していくので、季節に応じお茶会も催されます。心静かに季節の移ろいを感じると共に、川や鳥の声などの音も愉しみ、五感で自然を感じて下さい。
この部屋は「則天(そくてん)の間」と名付けられています。則天とは、則天去私(そくてんきょし)という言葉のー言で、自然に身を委ね、私たち人間も川や鳥のさえずり、そして木や緑と同じ自然の一部ということに気づき、我を忘れるということです。
※写真撮影可能です。 ※三脚類・飲食は禁止です。
※結界より先へは立札入り厳禁です。
※皆さまお一人お一人が心地よくおまいりできるように、写真撮影や話し声など他の人への譲り合いにご協力お願い致します。
この冊子、お帰りの際、受付にお返し下さい』

『天井画について 花と日本を感じる風景をテーマに描かれた160枚の天井画。20代~70代までの日本画家約90名の協力を得て6年かけて完成しました。画材は杉板と岩絵の具。直接杉板に描かれており、下地には胡粉(ごふん)という貝殻を焼いて作られた白い顔料が塗られています。
この天井画は、本堂にある江戸時代の天井画の復興という形で始まりました。本堂の天井は1枚1枚に梵字と蓮が描かれ、仏さまの世界を表現しています。これを「曼荼羅(マンダラ)」といいます。曼茶羅の教えとは、一人一人は違う存在ですが、それぞれに役割があり、お互いを尊重し、お互いを支え合い、いのちを生かし合うという教えです。
この天井画でも曼荼羅の教えを説くということから、出来る限りたくさんの日本画家の先生方に携わって頂きました。同じ花を描いても年代も性別も違えば色彩も感じ方も違うけど、どれも間違いではないこと、また1枚1枚の画として見ても素晴らしい中で、160枚を1枚の画としても見ることもできる。画がお互いを尊重し、お互いを支え合い、いのちを生かす曼荼羅の教えを160枚の天井画で表現しています。
160枚の中には、京都らしい日本を感じる風景とのことから、春夏秋冬の舞妓画が隠れており、四隅には守護神として、東に青龍・西に白虎・南に朱雀・北に玄武の四神が配されています』

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畳に寝転がって天井画を見上げるのが良いそうで奨励されていました。
若い女性が女友達とキャアキャア言いながら寝転がっているので、僕は遠慮します。
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ハート型の猪目窓から庭の灯籠と紅葉した木々が見えています。
これが大当たりしているのでしょう。
昨今のパワースポット・良縁願いブームに乗って参拝者を増やしているようです。
ここには家内とまた来たいな。


11/10・湖南寺社巡り2 一休寺

9:38「一休寺」。
この寺院訪問のため、拝観時間9:00~合わせ7:30に家を出ました。
いつもの事ながら、寄り道してしまい30分遅れの訪問になりました。

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『酬恩庵・一休寺の沿革 当寺の元の名は「妙勝寺」。臨済宗の高僧・大応国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をこの地に建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、6代の孫に当たる一休禅師が康正年中(1455~6)宗祖の道風を慕って堂宇を再興し、師恩に師恩に酬いる意味で「酬恩庵」と令名した。禅師はここで後半生の生涯を送り81歳で大徳寺住職となった時もこの寺より通われた。文明13年(1481)11月21日、88歳の高齢を以て当寺において示寂され、遺骨を当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称で知られるに至った。
建造物としては、足利義教公寄進の本堂(永享年間)、慶安3年加賀城主・前田利常公の寄進による方丈庫裏・唐門・鐘楼・浴室・東司など、また一休禅師が住まわれた虎丘庵、墓所である御廟所があります。
庭園としては、虎丘庭園(室町時代)方丈庭園(江戸時代)があり、ともに禅院枯山水の庭で名勝指定を受けている。
墓地には、能楽観世流3代・音阿弥、15代・元章、19代・清興、観音寺城主・佐々木承禎、茶人・寸松庵などの墳墓がある。
方丈と方丈枯山水庭園(名勝指定) 当寺方丈は1650年に加賀三代目の大名前田利常公により寄進をされたもので、国の重要文化財に指定されている。正面奥の室中には一休禅師をご本尊としておまつりし、内部襖絵は江戸時代の絵師・狩野探幽の筆による。方丈周囲には庭園がひろがり石川丈山・松花堂昭乗・佐川田喜六昌俊の三名合作といわれる江戸初期の禅院枯山水庭園である。北庭は枯瀧落水の
様子を表現した蓬莱庭園、東庭は十六羅漢の庭、南庭はサツキの刈込と白砂の庭として北・東・南三面の庭よりなる』

一旦山門を出て、正面から見てみる。『薪能・金春芝旧跡』の碑が立っている。
『薪能金春芝跡 京田辺市薪里ノ内 この付近で、金春禅竹(こんぱるぜんちく)が一休禅師に猿楽の能を演じ、観覧に供した。金春禅竹(1405~1470)は、室町時代の能役者・能作者で、大和四座のひとつ円満井座(えんまいざ・金春座)の太夫・金春弥三郎の子である。
能楽の大成者・世阿弥の娘婿となり、世阿弥の能を発展させ、金春流隆盛の基礎を固めた。「六輪一露之記」(1455年成立)などの芸術論がある。
応仁の乱(1467~1477)の際、一休が酬恩庵に難を避けていた間、禅竹も薪の多福庵に移り、2人の間に交流があった。一休も禅竹の影響で能に関心を示し、謡曲の「山姥」「江口」は一休の作と伝えられる』

『一休とんちロード JR「京田辺駅」や近鉄「新田辺駅」と一休寺を結ぶ1.2kmの道の一部を「一休とんちロード」として、道中15ヶ所の電柱に「一休かるた」を活用した案内板を掲げています。
一休さんにまつわるエピソードやとんち話を楽しみながら、ぶらぶら歩いてみませんか?全ての案内板を見つけたら、すっかりとんち王になっているかも!?。
一休さん 一と休みせず 米寿まで』

これらを読んでいたら、一休禅師のとんちは能楽との関係があるように感じてきた。
ここから謡曲のように歌の方に発展したもの、狂言のように笑いの方に発達したもの、能・歌舞伎のように舞踊の方に進んだもの、いろいろな芸能の元であるので、当初はいろんな要素を含んでいた様に想像される。

山門をくぐり直し参道を進んで見る。
もみじが色づき始めており、あと2週間ぐらいが最高でしょう。
『諸悪莫作(しょあくまくさ・諸悪を作すことなかれ)・衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう・衆の善を奉行せよ) これは一休和尚の筆になる七仏通戒(しちぶつつうかい)のげの中の詞白でお釈迦様の弟子である阿難尊者(あなんそんじゃ)の作といわれ、意味は数々の悪行をすることなく、多くの善行をすれば、自然に清く美しくなるというお釈迦様の教えです。(京都真珠庵所蔵墨跡より)』

参道の奥脇に『重要文化財・酬恩庵 浴室・鐘楼 1650年建立』があった。
浴室と鐘楼が兼用になっているようです。

奥に三本杉があった。
『三本杉は、一休禅師手植の杉として500年の緑を湛え、一休寺の名物の1つである。一説には一休禅
師と蜷川新右衛門と蓮如上人とが1本ずつ植えたとも言われている。ところが、次第に寿命尽きて衰色を現したので、惜しくも昭和40年秋にこれを切りとり、跡に二世を植樹した』

参道突き当りに拝観受付があり500円。
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突き当り右に一休禅師の御廟所があった。
『一休禅師は文明13年(1481)11月21日、88歳で当寺で示寂されたが、これに先立ち文明7年ここに寿塔を建立し、平素敬慕されていた宋の慈明・楊岐両禅師の名をとって慈揚塔と名付けられた。
今日の建物は法華堂と改称され、内に卵塔がある。前面の庭は茶祖・村田珠光の作と伝えられ禅院式枯山水の様式で、室町時代の古風をよく存している。
一休禅師は、人皇100代後小松天皇の皇子であるので、この一画は宮内庁の御陵墓として管理している。門扉に菊花の章があるのもこのためです』

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墓所の前を奥に進むと、中央の石畳の外は苔むした細い庭が続いており、緑の地面に紅いもみじが美しい。
『後小松天皇皇子・宗純王墓』が掲示されている。
拝観順路に従って、『方丈庭園(枯山水)』『方丈・庫裏・玄関・東司 1650年建立』へ。
御廟所の横に立つ「虎丘庵」は優しいカーブの檜皮葺で寄棟の大棟が瓦でした。

靴を脱いで方丈に入ります。
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枯山水の庭園があり、お母様がホットパンツを履いた年頃のお嬢さんをモデルに、枯山水をバックに写真を撮っています。
「お見合い写真かな?」なんて、余計な想像を働かせてしまいました。
家内も結婚してからも時々お母さんと神戸でお買い物していたように思う。
母娘って、友達みたいな関係で良いな。
息子に取って父は、倒すべき・超えるべき存在でしかないように思う。

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一休禅師が使用していた輿があった。
81才で大徳寺の住職になった時も、この輿で大徳寺まで通われたのだとか。
狩野派の襖絵が部屋に落ち着きを与えている。

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『「それでは、私が虎を捕まえるので、ここから追い出して下さい」というのは、有名な一休さんのとんちばなし。しかし残念ながら、これは一休さんの死後、江戸時代に作られた創作で、「一休とんち噺」によるもの。今こちらにある屏風の画は、藤井雅一氏によるもの。あなたなら、このとんちにどう答えますか?』

合格守500円を授かりました。
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方丈前の参道に戻り、奥の『重要文化財・酬恩庵本堂・1450年建立』に向かいます。
無料拝観中の『宝物殿』に入ってみます。
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一休さんが使用されていた袈裟や尺八が展示されていた。
とんち絵や室町時代の肖像画も下がっている。

池があり、小川が流れていた。
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『このはし、わたるべからず』の立て札が立っていたので、堂々と中央を渡ることにする。
まだ覚えてるね。
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いろんなお顔の羅漢石仏が、苔むした庭に点在し、大げさで愛嬌あるお顔を見ながら笑みがこぼれた。
ここは家族と来たいな。

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墓標が並ぶ墓地があったが意外に小さい。
ここに期待していた佐々木承禎の墓を見つけた。
『能楽観世流 3代・音阿弥、15代・元章、19代・清興の墓 能楽の発展は、観世流の観阿弥・世阿弥父子と室町幕府3代将軍・足利義満の力によるところが大きい。2代・世阿弥は、6代将軍・足利義教により追放され、義教の寵愛を受けた世阿弥の甥の音阿弥が3代目の観世太夫となった。音阿弥は「稀代の上手」と言われ名人の名が高い。深く一休に帰依していたという。応仁元年(1467)に亡くなった。墓石は19代・清興が文化2年(1815)に建立した。中央に音阿弥、右に元章、左に清興と3基並んでいる。
近江源氏・佐々木承禎の墓 戦国時代の武将で南近江の守護・六角義賢とも云う。観音寺城主。上洛を目指す織田信長の侵攻を受け、永禄11年(1568)観音寺城を退去し流浪の身となった。慶長3年(1598)宇治田原で病死。承禎以外にも息子の義治など一族の墓もある』

室町期の墓石は意外に小さい。
墓石が大きくなったのは平和に成った江戸時代以降で、横に並んでいた茶人・寸松庵之墓は江戸時代没なので数倍大きな墓石だった。

『有漏無漏の路
有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ 帰る一休み
雨ふらば降れ 風ふかば吹け 一休宗純
有漏路は煩悩のこの世をあらわす 無漏路は煩悩のない悟りのあの世をあらわす
人生というものは、この世からあの世へと向かうほんの一休み。
雨が降ろうが風が吹こうが、気にしない気にしない』


11/10・湖南寺社巡り1 甘南備寺・棚倉孫神社・薪神社

17時からコーチしてる大学ヨット部の代交代式です。
それまでバイクで林道を走ることにしました。
先週・全日本学生選手権、先々週・その練習で蒲郡に行っていたので、3週間ぶりのバイクです。
紅葉が進むツーリングの季節ですが、早朝ツーリングにも出ませんでした。

4時頃目覚めましたが、外は真っ暗でグズグズして、6時半頃階下に降り出発準備を始めました。
倉庫から「里山VTR250」を出します。
7:28「伊丹産業セルフ北村SS」で給油。
202km/6.01L=33.6km/L。

R171~中央縦貫道~r2でモノレール沢良宜駅まで走り、r143にチェンジして東進します。
道なりにr15~r16を経て、r19で淀川を渡りました。

R1~R307で東進し、r22で北上して、8:48「甘南備寺(かんなびじ)」。
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『黄檗宗の寺院で山号を医王山と称する。大和吉野下市にあった黄檗僧・鉄堂道融(てつどうどうゆう・1630~1702)が、貞享2年(1685)に山城に行脚した際に薪村庄屋の吉川氏に会い、請われて翌年この地に復興された甘南備寺の開山となった。
鉄堂が没した元禄15年(1702)9月に弟子の南嶺元勲(なんれいげんくん・1666~1735)が更に吉川宗顕の要望を受け住持となった。南嶺は「甘南備南嶺百八道歌」を編んだことが知られ、また南嶺について出家した終南浄寿は著名な江戸の書家・伊藤華岡(かこう)の弟で池大雅(いけたいが)をはじめ多くの文人との交流が知られている。
吉川氏が復興した寺「甘南備寺」の創建は古く、西方に秀麗を見せる甘南備山に鎮座する神南備神社の神宮寺として知られ、平安時代末の「今昔物語集」にこの寺の薬師如来像の物語が登場する古刹であった。しかし時代の変遷とともに衰退し残っていた諸仏がここに移設されたが寺名は継承された。
薬師如来坐像と両脇侍像は旧甘南備寺から移設された尊像であるが、特に薬師如来坐像は、頭と体部は一材で造られていていて平安時代前期10世紀の作と考えられ、「今昔物語集」に登場する像とされ、両脇侍は鎌倉末から南北朝時代の作とみなされる。耳の病に効く「薬師さん」として信仰が続いていて本堂の壁面に穴の開いた石が吊るされている』

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「不許葷酒入山門」・・・禅宗寺院のようです。
特異な寺名を持っているので期待して来たが、独特な寺門にはカーテン柵が引かれており、境内に入る事ができませんでした。
謂れ板に書かれているように禅宗の黄檗宗ですが、真言宗の歴史が長く、西方に位置する甘南備山に長い歴史を刻む延喜式神社「甘南備神社」の神宮寺であったようです。

r22の東に位置する甘南備寺から、ナビで更に東にある鳥居マークに行ってみる。
9:00「棚倉孫(たなくらひこ)神社」。
切通の道の先にバイクを駐め、振り返る位置にある参道の坂を登ると左右に常夜石灯が立っていた。
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丘の左右を川が流れ、切通を人工の天井川が渡っていた。
神社境内が下にあり、川の流れの方がかなり高く不思議な地形です。
人工の水路に見える。

境内へ下る階段を御婦人が掃除されていた。
神主さんの奥様だろう。
「おはようございます」と訪問の挨拶をする。
『鎮座地:京都府京田辺市田辺棚倉49 御祭神:天香古山命(あまのかごやまのみこと、別名:高倉下命(たかくらじのみこと))、神剣・フツノミタマを献上し熊野で荒ぶる神の毒気にあたって気絶
していた神武天皇とその軍勢を救った神。
由緒:相楽郡の棚倉ノ庄から推古天皇31年に勧請したとされる高倉下命を祀ったことによる。
御本殿:京都府登録文化財
絵馬殿:円山派の西村楠亭(なんてい)・長沢盧鳳(ろほう)・岸派の岸岱(がんたい)・淡路出身の白川芝山(しざん)など江戸時代の奉納絵馬を掲示。
長寿に感謝:粘札(88歳)にマスカケを奉納、絵馬殿横に70人分掲示。
田辺小学校発祥の地:明治5年の学制発布により田辺小学校開設準備が始まりその間松寿院(現社務所)が仮校舎として使用される。
瑞饋神輿:展示中。当社の例祭10月15日に合わせてずいき・とうがらし・きんかん・千日紅・白米・豆類等を使用してずいきみこしを製作する。大人用は隔年製作で10月体育の日氏子地域を巡行する。子供用は平成16年から毎年製作』

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『京田辺の未来に継ぐ古木・希木 クロガネモチ(黒鉄稿)モチノキ科 常緑高木 推定樹齢250年 花期は5~6月、果期は11月~12月。葉の腋から花序(かじょ・茎に花がつく状態)を出し、紫がかった小さな花をつける。赤い実が美しい。
葉柄(ようへい・葉と茎をつなぐ部分)が黒いのでクロガネといい、樹皮からトリモチを作ったのでモチという』
小学生の頃、蝉を取るのによく利用したトリモチは、この木の樹皮だったのか・・・今更ながら勉強になりました。

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『棚倉孫(たなくらひこ)神社と瑞饋(ずいき)神輿 京田辺市田辺棚倉49番地
天香古山命(別名高倉下命・手栗彦命(たなくりひこのみこと))をまつる式内社で、大社に位置づけられていた。「日本三代実録」の貞観元年(859)正月従五位上に叙せられた諸神に「棚倉孫神」と記されている。
現在の本殿(京都府登録文化財)は桃山時代の再建で、一間社流造、屋根は檜皮葺である。本殿脇に天正2年(1574)の銘をもつ石灯龍がある。
元禄15年(1702)には、淀藩主・石川憲之から、石鳥居・石段・石橋の奉納があり、毎年御供料の寄進を得た。広い境内には拝殿、絵馬殿、宮寺(現社務所)など江戸時代の建物がよく残り、絵馬殿には多くの絵馬が掲げられている。
瑞饋神輿(京田辺市指定文化財)
秋に収穫される26種類ほどの野菜や穀類で飾られる神輿で、屋根は瑞饋(サトイモの葉柄)で葺かれる。明治時代の中ごろから造られるようになった。昭和4年(1929)で中断していたが、昭和50年(1975)に一部の模型を製作。昭和53年に「瑞饋神輿保存会」結成、以後は隔年で製作、10月体育の日に田辺区域内を巡行する』

『ケヤキ(槻・棒) ニレ科 落葉高木 推定樹齢300年以上 花も実も小さくて目立だない。枝がほうき状に広がり、春の新緑と秋の紅葉が美しく、名は「けやけき木」すなわち顕著に目立つ木という意味に由来していると言われている』

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意外に立派な神社で、社務所横には神宮寺がかつてあったようです。
『松寿院跡 京田辺市田辺棚倉15番地 本寺は天満神社を祀る式内棚倉孫神社・神宮寺として建てられ、真言宗に属し智積院の管下にあった。設立された年代は明らかでないが、寛文年間(1661~1673)あるいは享保年間(1716~1736)の記録が残っている。淀城主の鳥居寄進についての古文書に宛名が社僧松寿院と記録されている。
当時は天満宮を松寿院が管理していたことがわかる。
本院は、天保14年(1843)現在のものに建てかえられた、安政5年(1858)から明治4年(1871)まで寺小屋として子どもの教育の場に使用され、明治5年の学制発布により田辺小学校開設準備が始まり、その間、本院が田辺小学校の仮校舎として使用され、明治6年5月、田辺小学校校舎が田辺島本102番地に新築完成と同時に本院は棚倉孫神社の社務所となった』

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境内にはオープンな社殿があり神輿が展示されていた。
あまりにオープンで不届き者のいたずらが心配になった。
殿舎には「田辺町無形文化財・瑞饋(ずいき)神輿」と書かれていた。
神輿は甘美や芸術的な物ではなく素朴な感じがするが、屋根に鳳凰が載っている。
巡行の写真やまつりに参加した方々の集合写真がたくさん飾られ、盛大な祭のようだ。

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絵馬殿には多くの絵馬が飾られていた。
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本殿は桃山時代のもので、檜皮葺屋根が載っているが、千木や鰹木がのっていない。
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棟に棟瓦が載り、見慣れた神社の屋根様式からすれば、なにか物足りない感じがした。

『ツガ(栂)マツ科常緑高木 推定樹齢270年以上 別名トガ ツガは,マツ科ツガ属に分類される常緑性の針葉樹で、太平洋側の雨量の多い温暖地に多く群生し、枝の先端に2~3cmほどのマツボックリの実をつける。花期は6月、実は秋に熟すと花柄が曲がって下を向く。種子には翼があり、風によって散布される』

『サザンカ(山茶花) ツバキ科 常緑小高木 推定樹齢150年以上 暖地の山地に自生するが、園芸品種が多く庭木や生け垣に利用されている。花期は10~12月。花色は本来は白花だが、園芸品種には赤色やピンク色がある。ツバキと違って花が平開し、雄しべが筒状にならない。また花びらがばらばらに散るのも違いの1つ』

ここの本殿も、檜皮葺屋根に千木・鰹木が載らず、棟瓦でした。
r22に戻ると、そのままr22を渡り西に入ると「一休寺」があった。
お揃いのハッピを着た方々が門前に机を出しておられる前を通り過ぎ、GPSナビにある鳥居マー
クに行ってみる。

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9:21、『薪神社 京田辺市薪里ノ内1番地 明治40年(1907)、この地にあった天神社と南東150mにあった八幡社を合祀し、薪神社とした。このためそれぞれの祭神であった天津彦根命(天照大神の子)と応神天皇を祭神としている。
現在の本殿は東に面する一間社流造の建物で、屋・根は銅板葺である。拝殿の南東側には、かつて甘南備山山頂にあり、月読命が依り付いたと伝えられる影向石(ようごういし)がある。天神社には神宮寺として光通寺があったが、明治初めの神仏分離令により廃寺となり、十一面観音立像などの仏像などは近くの西光寺に移された。 末社:武内神社・住吉神社・金比羅神社・猿田彦神社・くさ神』

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境内に『能楽発祥の碑』が立っている。
能楽は大陸からの渡来人が伝えた日本最古の芸能で、猿楽・狂言・白拍子・歌舞伎へと多岐に分岐し人々を楽しませた。
発祥は山城の秦氏はじめ多くの氏族が関わり、山城から大和にかけていろんな所で「能楽発祥の地」を見てきた。


11/3・アメリカ北東部の紅葉

長男のお嫁さんから、アメリカの紅葉写真が家族LINEに届きました。
東海岸のニューヨークとフィラデルフィアの中間にある田舎町に住んでいるので緯度が仙台市と同じぐらい高い。
よって冬が早く零下20℃になる時もあります。
家はセントラルヒーティングで常に暖房が入りっぱなしで北海道の家のようです。

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この町の中心・プリンストン大学キャンパスを家族で散歩しに行ったようです。
紅葉も早く、11月初めなのにもう秋色真っ盛りです。
みんな笑顔で幸せそうで、見ているこちらの頬が緩んでしまいます。
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家族全員コートに身を包み、オレンジ色の落ち葉の絨毯の上をりょうくんとこうちゃんが飛び跳ねています。

毎週のように神社巡りし、手を合わせ「これまでの人生の幸運に感謝」するのに加え、ここ数年は家内・息子たち・お嫁さん・孫たちの無病息災にも感謝しています。
僕の子供時代のように重い病気や怪我をせず、僕の子孫は皆丈夫です。
これも家内のお陰、有り難いな。

11/4・インカレ4日目

4時過ぎに目を覚ましました。
布団を片付け朝ごはんへ。
4:28「ファミリーマート蒲郡大塚店」で「コッペパンいちご&マーガリン120円+コッペパンハムカツ125円=245円」を購入。
車の中で食べました。
4:52帰路につき、ハーバーPへ。
恒例の海浜公園お散歩&朝のお勤め。

5:17旅館に向かいます。
ロビーでスマホなどチェックしていたら、D社ヘッドコーチのNさんが降りて来られた。
「朝のお散歩は観音様ですか?」と聞くと、数年前のインカレで同じ旅館に泊まった時、朝1人で観音様に散歩したそうです。
翌日の散歩には現役選手が1人ついて来て、彼がその日トップホーンを鳴らしたそうです。
それが縁起担ぎになったそうです。
その翌日、誘っても出て来なかった選手が、最終マークまでトップを走っていたのに、沈して大きく順位を落としてしまい「観音様の呪い」になったという恒例の観音様行事の謂れを教えてくれた。

そこに僕がジュニア時代コーチしたS監督や、次男がジュニア時代好敵手だった琵琶湖ジュニアのN選手の弟Nコーチがやってきて、2日目の連続トップやWとトップ争いしてる当方の話になり、急成長を褒められた。
こそばゆいばかりだ。
D社は優勝を諦め、同じ琵琶湖勢の当方に負けないよう逆転を狙うのだそうです。
まあ点差が開いているので、当方が大叩きしなければ大丈夫なセーフティーリードです。

D社さんが朝のお散歩に出た後、6:29旅館海陽閣で家内へのお土産に「蒲郡みかんしっとり蒸しケーキ・650円」を購入。
美味しいかな?

7:10、部員を乗せてヨットハーバーへ。
いよいよ最終日です。
小松さんが向こうからやってきたので、「総合優勝決まりですね」と挨拶。
学生時代のナショナルチームでのつながり、ヤマハチームに誘っていただいたり、OP協会理事の時はジュニアナショナルチーム合宿担当理事として小松コーチを招聘した。
次男がナショナルチーム当落線上だった頃、何度も他チームコーチとして参加されていた小松さんと会いました。
目標の総合優勝をほぼ手中にし、柔和な顔になっておられました。
「今はどちらで・・・」と聞かれたので、名刺を出しコーチしてる大学名を伝えました。

珍しいNEですが良い風が入っており、レースは出来そうです。
いつものようにレース艇出艇前にレース海面に出て海象データを取ります。
ハーバー沖に戻り、レース艇が出て来るのを待ちます。
D旗が揚がり一斉にレース艇がハーバーから出てきました。
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470を少し追いかけまた戻り、S級が出て来るのを待ち、3艇引っ張ってレース海面に向かいます。

スタートが迫る10時前、風が落ちてしまいました。
「これはAP(延期)旗だな」と予想しましたが、470スタートマニューバリングは予定通り始まりました。
当方はスタートラインの右・左・中央とバラけてスタート。
右(南)海面の風がなくなり、左が良さそうです。

ところが、南から優勢なブローが降りてきて、右に出していた当方3番艇がトップを伺う勢いで走り出しました。
まあ、この大きな振れはノーレースでしょう。
予想通り本部船にN旗が揚がりノーレース。
スタートやり直しです。

本部船にL旗が揚がり移動し出したので、スタートラインから離れている470を曳航します。
小雨が落ちてきて風向NW300°・6ノットで、10:59スタート。
続いてS級スタート。
第8レースは、470が42・49・47位=138点、S級が12・21・5位=38点とまたまた優勝ターゲット得点45点を下回りました。

S級フィニッシュ時N/Aが揚がりこれ以上のスタートはありません。
S級の全日本インカレは終了です。
Wの成績如何ですが、更にトップWに迫ったと思われる。
支援艇・陸上からの連携で、差を32点詰め9点差まで迫りました。

470がフィニッシュした時、もう次のスタートはないと下マーク・フィニッシュ付近にいた支援艇がハーバーバックしました。
マストに掲げていた部旗をコーチボートがもらいました。
逆転優勝すればマストに揚げさせよう。

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2位だったけど、フラッグをスナイプチーム・キャプテン艇に渡し、3艇6人にガッツポーズさせ写真に収めます。
470が10ノットNWコンディションで、最終スタートリミットジャストの12:00にスタートしたので、S級と共にハーバーバックできないのが残念です。
ついて行けたら、マストトップに部旗を掲げてハーバーに凱旋しようと思っていました。
ハーバーに着いたら部旗をマストトップに掲げ、バースまで帰るよう指示しました。

470最終レースは、57・55・34位=146点で後半6レース連続で3ケタ得点で更に順位を下げ、最終クラス別15位でした。
総合は6位から8位に下がり、総合6位入賞の目標は達成できませんでした。
残念。

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470と共にハーバーバックしました。
きっともう少しやれると思っていたはず、僕もクラス入賞争いは出来ると思っていました。
細かい雨が降り続いています。

車に戻り、カッパを脱ぎユニフォームに着替えます。
リアゲートを上げ、その下で昼食用のパンを食べます。
D社同期のHくんがちょうど通り、あ~だこ~だ。
閉会式まで残っているなら一緒に帰ろうかと大会前に話していましたが、先にD社先輩の車に便乗して帰るとのこと。

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ハーバー2Fに上がり、マテリアルの補充用にノースショップを訪問。
学連つながりの知り合いKさんが、毎年開催ハーバーで臨時開店してくれています。
また、あ~だこ~だ。

レース艇のトラックへの積み込みが始まっています。
当方のそれを見ていたら、横で日経チームが積み込んでいました。
自家用車にヒッチメンバーをセットし、ラックを引っ張って移動するお気軽スタイルです。
三船監督がテキパキと指示しています。

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クロージングセレモニーが始まりました。
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当方S級レギュラー6人が、銀メダルを掛けてもらっています。
もちろん僕は写真班です。
写真班を離脱し後方に移動すると、三船さんがいました。

「優勝おめでとうございます」と声を掛け、ニューバージョンの名刺を渡します。
ヨット好きの三船さんだけあり、「お宅んとこの紺色のボートに乗ってる子は乗り方が良いね。
彼がスナイプリーダー艇?」と聞かれたので、「いえ彼はまだ1回生です。ジュニア・高校ヨット部上がりです」「まだ3年あるんだ。将来有望で芯になるね。スナイプ良く走ったよね」。
「いやあまぐれです」と答えると、「ヨットはまぐれじゃ走らないよ。良い練習しているね」と褒められたり、あ~だこ~だ。

インフレータブルRIBをレンタルした会社のU社長さんが、去年同様ハイエースでやってきました。
ノースのKさんと話している所に加わり、当方インフレータブルのエンジンを海中に没してしまったので、「新艇や中古艇を買うかも?よろしく」と声を掛けておきました。
Uさんは次男のジュニアヨットクラブの後輩のお父さんで、脱サラして会社を立ち上げました。
去年の全日本最終日に会い、レンタル費用など聞いて今年のレンタルに繋がりました。

当方部員達に若手OB・OGが加わり、銀メダルを舐めたり噛んだり大騒ぎしていました。
でも最初に、6つのメダルを5人の4回生女子マネージャーの首にかけ、集合写真を撮っています。
こういうのが今年のチームの特徴です。
レースで成績を出すのは選手ですが、サポートチーム、特に女子マネージャーを大切にしています。

全日本インカレ地区予選で、各クラス・総合2位の成績を出した時、表彰状はクラスリーダーだったりキャプテンが受け取りましたが、トロフィーは全て女子マネージャーが受け取りに行きました。
嬉しそうにトロフィーを持ち、女の子たちが並んで艇庫に戻っていたのが印象的でした。

九州大学が4回生を胴上げしています。
それを遠巻きに見ていたエリちゃんのご両親に声を掛けます。
お嬢さんも今年で卒業、きっと胴上げされたのでしょう。

「何処にいてたの、OP(ジュニア)時代お世話になったので挨拶したいと、鹿児島のお母さんが探してたのよ」とお母さんに言われちゃいました。
最後のミーティングを終え、部員全員の帰路を確認し、チームは解散しました。
来週土曜日は、4回生から3回生への代交代式です。

17:10、雨の中帰路につきます。
17:29「オレンジロード蒲郡SS」で10Lガソリン補給。
R23バイパスに乗り西進し、「豊明IC」から伊勢湾岸道に乗り、東名阪に乗り換え、18:44「御在所SA」でトイレ休憩。
「ファミリーマート御在所SA」店で、「Wコーン北海道ミルク194円+バニラクリームサンド108円=302円」を購入し、アイスを食べ糖分補給。

19:12出発し、亀山JCTから新名神に乗り換え、草津JCTから名神。
名神は大津に向かって渋滞しており、「京滋バイパス」に逃れ、大山崎JCTから名神に戻り、中国道にチェンジし、「豊中IC」から中央縦貫~R171で、21:04帰宅。

「ただいま~」、家内がまだ起きていました。
「どうだった?」「2位だったよ」「そう、凄いね」。
いつものように後片付けして、風呂に入りヨーグルト持って自室に上がりおやすみ~。
楽しく充実した4日間でした。

11/3・インカレ3日目

4時半過ぎに目を覚まし、布団を片付け朝ごはん調達に車を走らせます。
4:53「ファミリーマート」で「ブルガリアヨーグルトプレーン168円+ブルガリアヨーグルトブルーベリー137円=305円」を購入し、イートインしました。
ヨットハーバーPに戻り、朝のお散歩に海浜公園に出ます。
ついでに朝のお勤め。

6:31、部員の泊まっている宿に向かい、ロビーでスマホで天気予報・風予報サイト(Windy)をチェックしながら、現在の風向と実際の海面への風の入り方を確認します。
Nの陸地から吹く風なので、地形の影響を受けやすいので要注意です。
ブローポイントを的確に走れるかが勝負の分かれ道です。

D社・KGの選手やコーチ監督が朝の散歩に出ていきます。
僕も学生時代は第1レースに最大のパフォーマンスを発揮すべく、逆算してスケジュール管理していました。
1日の内最高のパフォーマンスを発揮できる時間帯は起床後4時間。
朝起きたら朝日を浴びて睡眠物質を消し、活動物質をみなぎらせます。
10時第1レースなので、6時に朝の散歩に出て身体を目覚めさせるのは、生理学的に理にかなっている。

7:25、部員を乗せハーバーへ。
この日も風・潮の流れを見るため、レース艇出艇前にコーチボートで出る予定でしたが、風が弱くAP(延期)旗が上がりそうなので待機することになりました。
大学ヨット部同期のYくんが、女子インに続き東京から来ていました。
ハーバーで会い、あ~だこ~だ。
3回上の先輩方も来ているはずですが、出身校の応援クルーザーの方で船を出せず屯しているそうです。
「そっちに行かないの?」と問うと、「学生の顔を見ている方がいいから」とのこと。

僕も毎月定期購読しているヨット雑誌「舵」の取材が当方クラブにありました。
昨日の連続トップのインパクトは大したものです。
スナイプリーダーA君 ・トップホーン2連発のKキャプテン・そのクルーN君。
I監督の他に僕までインタビューされました。

高校大学時代は記事に載り、写真が掲載されたこともあります。
大会事務局長をしたジュニアヨット全日本選手権の観戦記を頼まれた時は、数ページ記事で登場しました。
またこの雑誌に登場するかもしれません。
学生時代から毎月定期購読しており、自宅には数十年分積まれています。

続いてヨットウェブ雑誌・「バルクヘッドマガジン」の取材がありました。
カメラマンが、なんと早稲田470スキッパーMちゃん。
次男のジュニアクラブの後輩です。
早稲田の470スキッパー3人の内2人は当クラブ出身です。

「バルクヘッドに就職したの?」と冗談を飛ばすと、「暇なので、アルバイトです」と冗談で笑って返してくれました。
しばらく風が入りそうにないので、完全にリラックスムードです。

九大4回生470スキッパーEちゃんのご両親と話しました。
レース前に沖に出て観測していることを話すと、お父さんから蒲郡沖のカレントサイトを見せてもらった。
コーチボートに行くと、桟橋上で関大監督のTさんに会った。
TさんはWのみさきちゃんのお父さんで、この日はレースがない雰囲気なので、Wが総合優勝に近づいたことを祝福した。
そしたら、前日の当方のスナイプ連続トップの話題が、色んなとこで話されているようで、ノーマークの当方がWに続き2位と大健闘なので驚いているという。

長い待ち時間が続き、タイムリミットが近づく13時過ぎ、ジュニアヨットが練習に出ていったのに続き、大会運営から「運営艇を出します。運営スタッフは集合ください」のアナウンスが流れた。
これを機に各大学が動き出した。
最も早く動いたのが当方で、スロープの先頭にレース艇3艇を並べた。
それに遅れまいと各校が続き、スロープは470レース艇で埋まった。

でも、出艇開始のD旗が揚がらない。
あまりに早い選手の動きに驚いたのか、「5ノット以上の風にならないと、レースはしません」と打ち消すアナウンスが流れました。
再びダラダラ・・・
ついに15時前になりAP/Aが揚がり、本日のレース終了。
片付け時間となりました。

15:21、部員を乗せ宿へ。
レースメンバーミーティング、クラス別ミーティングを終え、この日から増えた若手OBが部員たちを食事に連れて行くという。
部員だけで60人以上いるので、S級と470と別れて出るという。

僕は前日S級のクラス別ミーティングに出たので、この日は470に出た。
その流れで、部員をインド・ネパールレストランまで送っていくことを、車が足らないので頼まれた。
17:55宿を出てレストランに送り、18:10レストランと道を隔てたコンビニ「セブンイレブン蒲郡八百富町店」で、「プレミアムプレーンヨーグルト400g138円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー138円+プレミアムつぶあんパン4個100円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円+味付け海苔エビマヨネーズ130円+手巻おにぎり辛子明太子140円=764円」を購入。

何処かに食べに行く事も考えたが、またここに戻って来ないといけないので、広いPでおにぎりを食べ夕食にした。
スマホを見ると、D社の僕の同期Hくんからの着信履歴が残っており、コールバックした。
「コーチボートで沖に出ることもあるので、電話を車に置いたままで電話あったのわからんかったわ」
「お~、今宴会中や。おまえんとこ凄いやんか。やったな!連続トップと2位が酒の肴になってるで」と嬉しい話が聞けた。

20:11、部員たちを乗せ旅館へ。
監督・コーチ部屋であ~だこ~だ。
21:37、旅館を出てハーバーPへ。
すぐ寝てしまいました。

11/2・インカレ2日目

目を覚まし、3:52「ファミリーマート蒲郡大塚店」で「ブルガリアヨーグルトプレーン168円+ブルガリアヨーグルトブルーベリー137円=307円」購入し、イートインしました。
ハーバーPに戻り、海浜公園を朝の散歩しました。
車に戻り、携帯電源に繋いだPCで天気などの情報を確認しました。
風向NWで8ノット、琵琶湖セイラーの得意な軽風です。
さあ、上位進出しましょう。

6:06、部員の泊まっている宿に向かいます。
6:10同志社チームが朝の散歩に出て行きました。
丘の上の観音像にお参りに行くのでしょう。
ロビーでPC使おうと思ったら、無料無線LANはモバイルのみで繋がりませんでした。

7:36部員を乗せ出発し、7:39ハーバー着。
レース2日目が始まります。
前日同様の動きでコーチボートに乗りハーバー沖で待機していると、D旗が上がり470レース艇が出てきました。
当方3艇が一番にハーバーから出てきて、6m/s(12ノット)の風を受け、スピンランでアビームですっ飛んでいきます。

少しついていきハーバー沖に戻ります。
S級が出てきました。
こちらも当方がトップで、選手の気合を感じます。

10:52、470級この第1レース(第4レース)スタート。
続いてS級スタート。
風速が少し落ち6ノットで、南西にあるブローラインを使った艇の方が良いようです。
470は33・48・5位=86点、やっとノルマの90点を切ることが出来ました。
S級は13・36・3位=52点で上出来です。

11:55、第5レーススタート。
風速は少し上がり9ノット。
470級は40・57・11位=108点、S級は22・11・10位=43点、優勝争いできる低得点です。

13:07、8ノットで第6レーススタート。
470級48・43・21位=112点、S級1・7・16位=24点。
優勝ラインの1レース45点を2回連続でクリアしました。
3・4・5・6レースと4回連続優勝ライン前後の得点が続きました。
他大学の得点にもよりますが、これはかなり上位に上がった模様です。

現役部員やOBが乗る他の2艇の支援艇クルーザーから、上マーク・下マーク回航順位が続々LINEで入り、フィニッシュ暫定データを陸上PCで集計して暫定順位がLINEに入ります。

本来この日も3レースの予定でしたが、明日の風速がイマイチなので、次のレースのマニューバリングに入りました。
14:25、第7レーススタート。
更に風速が落ち6ノットです。
470級33・53・44位=130点、S級1・52・8位=61点。
15:42、N/A旗が揚がりこの日のレース終了。
本日S級は大爆発し、一気にトップ早稲田に急接近し、2位に大躍進しました。
近年にない快挙です。

20181102InterCoLine0438s.jpg
ハーバーに上がると、他校のコーチや監督から「凄かったね~連続トップじゃない」と祝福されました。
「いや~まぐれまぐれ。こんなことないから、コーチボートで大はしゃぎしましたよ。選手とバンザイバンザイですわ」なんて謙遜しながら、選手のお陰で気分上々です。

前日同様の動きでハーバークローズの17時直前に出て、17:20「セブンイレブン蒲郡三谷北通1丁目店」で、「Wクリーム&チョコチップのパン138円+プレミアムフルーツオーレ500ml100円+明治ブルガリアヨーグルトプレーン168円+ワッフルコーンミルクバニラ192円+手巻おにぎりツナマヨネーズ115円+手巻おにぎり辛子明太子140円+ケイエスびっくりどら焼108円+ブルガリアヨーグルトりんご&白桃138円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円×2=236円=1335円」購入。

乗せた女子マネさんのリクエストで、最寄りではないコンビニに来ました。
コピーしたいので、コピー機があるのと、D社・KG・明海と同宿なので最寄りコンビニは品薄気味なのでこちらの方が良いそうです。

17:41宿に戻り、前日同様の動きでミーティングしました。
21:30宿を退散し、21:34ハーバーPにで「おやすみ」。

11/1・インカレ初日

コーチしてる大学ヨット部の今年の集大成・1年間目標にしてきたレース・全日本インカレ団体選手権です。
11/1~4まで愛知県の蒲郡ヨットハーバーで行われます。
全国の大学ヨット部がこの大会を制するために1年間頑張ってきました。
楽しみです。

10/31の仕事を終え、20時に帰宅し、車に乗って出発。
積み込むものは朝積み込んでいました。
20:59近所に新しくオープンした「セブンイレブン」へ。
家内に「これ欲しい」と言われていた食パンが無料でもらえるチラシを持たされました。
「プレミアムひねり揚108円+プレミアムフルーツオーレ500ml100円+厚切ハムカツパン198円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円×2=236円値引き-180円=552円」を購入し、住所氏名を書き込んだチラシと引き換えに食パンを頂きました。
そう言えばそのまま行くから、家内に渡せるのは4日後です。

R171~中央縦貫~吹田ICから名神高速。
大山崎JCTから京滋バイパスに乗ろうかと考えましたが、期間がはっきり見えなかったが「集中工事で通行止め」と案内が出ていたのでそのまま名神で京都を通過し、草津から新名神に乗り換えました。
新名神は路肩が広く走りやすい。
トンネルも大きく広く気持ちが良いです。
トンネル内火災など起きても退避しやすいようにしているのでしょう。
路肩にもう1車線作れそうです。

22:26「甲南PA」でトイレ休憩。
22:34出発し、東名阪道に乗り換えると渋滞しており、四日市まで続くのかとがっくりしましたが、事故渋滞で1車線しか通れなくなっていました。
23:27「御在所SA」に到着し、トイレ拝借後車に戻り2・3列目座席を倒し布団を敷いて「おやすみなさい」。

翌11/1は2時に目覚めました。
2時間半しか寝てないけど出発することにします。
四日市から伊勢湾岸道に乗り換え、豊明ICで下車し、R23バイパスで蒲郡を目指します。
終点・蒲郡ICまで乗り、南下してR247で3:24「海陽YH」着。
再び「おやすみ」。

5:30に目を覚ましました。
これでトータル4時間半睡眠。
大塚海浜緑地公園を散歩がてら朝のお勤め。
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6:16に部員たちが宿泊している旅館に移動し、海の様子を見ます。
大会初日の風向はNW・10ノット・島と本州の間の水道からの風です。

ロビーで部員たちが降りてくるのを待ち、7:24部員を乗せ出発。
ハーバーに着くと、各大学が来ていて艤装・チューニングに盛り上がっている。
学生スポーツのこの一戦に掛ける喧騒が好きです。
バースを一巡りします。

総合優勝候補・早稲田のバースには小松コーチがいる。
470を横倒ししてマストセットし直しています。
ヤスリでマスト下部を削っていました。
今年から学連レースで使用OKになったスーパースパーマストは、ヤマハ製ステップに入りづらいのかな?
日大470も3艇ともスーパースパーマストでした。

僕が3回生の時の全日本470で1上ダントツトップ回航した時、2位回航が小松さんんでした。
30艇身ほど離していたのに、ブローで沈してしまいました。
横を小松艇が抜いて行く時、「頑張れよ」と声を掛けていただきました。
10m/sオーバーで、ボートコントロールに必死だったのに、さすが余裕です。
オリンピック選手で日本トップセイラーだった方に声を掛けて頂き嬉しかった。

このレースで走り、学生で唯一ナショナルチーム入りし、ナショナルチーム合宿でも一緒だった。
その合宿で、小松さんのヤマハチームに来ないかとヤマハに就職することを誘われた。
「午前中仕事して、午後はヨットに乗ってればいいから・・・」
ヨットばかりの人生は違うと思い断り縁がなかったが、あの時ヤマハチームに入っていたらどんな人生だったろう。

その後、ジュニアヨット理事の時、小松さんにコーチングに来ていただいたこともあった。
合宿中、ずっと同じ部屋に泊まり昔話をしました。

470クラス優勝候補・日本経済大のバースには、三船監督がいる。
日経のマストは3艇ともヤマハの世界一硬いマストのままです。
今年から、470学連レースで使用可になったピアソン470の性能も気になる。
KG・同志社など主要チームには1艇以上入っていた。

ナショナルチーム合宿で、同じ選手でありながら丁寧に教えてくれたのが三船さんでした。
小松さんを破りモスクワオリンピック代表になりましたが、日本のオリンピックボイコットにより幻となった方です。

その後、次男がジュニアヨット時代、全日本で「お宅のクラブに、良い女子選手がいるらしいね」と声を掛けてくれました。
日経の監督になり、「オリンピック選手を出したい」という大学理事長の希望により、有望な女子中学生選手を探していた。
次男と同じ学年の子に白羽の矢が当たり、高校から福岡にヨット留学し、ロンドンオリンピック代表になりました。
彼女は次の東京オリンピック目指してまだヨット活動しています。
懐かしいな。

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10:05、470級第1レーススタートで、その40分前9:25にD旗(出艇)に揚がり、一斉にレース艇がハーバーから出ていく。
その後スナイプ級も出艇する。
レース艇出艇中はコーチボートなど支援艇は出艇禁止なので、9時にコーチボートを出しました。
僕は大会期間中ずっとコーチボートです。
ドライバーの女子マネ2名・交代選手2名・若手コーチ2名と一緒です。

ボートはレンタルしたインフレータブルボートのRIBです。
琵琶湖から持ってきたインフレータブルは、1週間前の練習中にエンジンを海に落としてしまい使用不能です。
RIBを借りてて良かった。

当クラブの目標は、6位入賞なので、1レース3艇合計で90点以内です。
コーチボートを出す前のブリーフィングで、横文字失格すると1艇で73点を叩いてしまうのでそれへの注意と、「レースを楽しもう」と話した。
良い成績の時も悪い時も、フィニッシュ後は淡々と次のレースに向けて準備をし、笑顔を絶やさず「この大会に出場できた喜び」を忘れないようにと。
スポーツは真剣に楽しむことが技術を伸ばします。

NW13ノットのコンディションで、第1レースがスタートしました。
470は全72艇中15・36・46位=97点、S級は50・30・32位=112点。
両クラス90点以内は行けると思っていましたがレベルが高く厳しいスタートとなりました。
第2レースは470が23・38・35位=96点、S級が30・29・21位=80点。
やっとS級がノルマの90点以下を出せました。

この日の最終第3レースは、7ノットまで風が落ち得意の風域になりました。
470は39・50・18位=107点、ああ3桁得点しちゃった。
初日クラス別12位です。
でもS級が13・5・9位=27点という驚異の低スコアにまとめ、一気にS旧クラス別6位入賞圏内に入って来ました。

14:11予定通り3レース終了しハーバーバック。
スピーディーに片付けます。
部員が九州大学に続いて多く70名弱なので、少しは楽でしょう。
陸上部隊・女子マネージャー部隊が走り回っています。
ハーバーが17時クローズなので、各大学その直前に門を出ます。

部員を車に乗せ、17:05「ファミリーマート三谷店」で、「コッペパンいちご&マーガリン120円+コッペパンコロッケ&たまご138円+ブルガリアヨーグルト低糖118円+ブルガリアヨーグルトいちご137円+助六寿司398円+窯焚風いなり寿司3個200円=1111円」買い込みました。
1回生女子マネ2人が何も買わないので、「もう明日の分買ってあるの?」と聞くと、旅館でPC使って成績集計作業している同回生女子マネさんがいるので、終わってから皆で行くとのこと。

17:20に宿に戻り、監督部屋に入ってあ~だこ~だ。
レギュラー選手+サブ選手+サポートリーダーのミーティングが4回生部屋で始まりました。
気付いたことを話しました。
キャプテンが、朝も話した「特別なことはしなくていいから、いつものことをいつも通りに」と締めました。
風呂に入り、21:40ハーバーPに戻って布団を敷き夢の中。
1人なので気楽で、静かなので自分の時間で過ごせます。

11/1・ハロウィン

長男のお嫁さんが、家族LINEにハロウィンの写真をアップしてくれました。

日本では渋谷の若者のハロウィン馬鹿騒ぎが話題ですが、あれは巨大都市の一部だけでしょう。
我が在所では、悪魔やドラキュラに仮装している若者を見たことないし、男を悩殺してしまう素晴らしいプロポーションを惜しげもなく露出している女性も見たことありません。

長男一家が住むアメリカはハロウィンの本場で、収穫に感謝し、その糧を子どもたちに振る舞うお祭りです。
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子どもたちが可愛く仮装し、男の子はヒーローに、女の子はお姫様姿になり、かぼちゃルックのバケツを持って家々を巡ります。

りょうくん5才・こうちゃん2才は、揃ってヒーローに変身し、2つのイベントに参加したようです。
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1つは幼稚園年長さんクラスのイベントなので、りょうくんだけ。
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思い思いの衣装に変身した園児が、公園を行進し、親たちの被写体になっています。
先生もドレス姿で素敵です。
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年少・年中さんの時別の幼稚園でお世話になった先生がいます。
幼稚園に送りに行った時、「Hi,Ryo」って声を掛けてくれ、りょうくんとハイタッチ!していました。
幼稚園の先生は皆さん学歴が高く、修士号を持っておられビックリしました。
緑のリボンを髪に飾り、僕が訪問した時ミス幼稚園だと思った美女先生です。

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2018ハロウィン_181105_0042s
孫3人は、日本人家族のパーティーに参加したようで、そのお友達と一緒に家を巡っていました。
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チョコのお家をりょうくん・こうちゃんも手伝って作り、家にでそれを飾りハロウィンデコレーションしていました。

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こうちゃんとルーカスくん0才は、本屋さんのパーティーにも参加し、コンサートをヒーロー衣装で聞いています。
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かぼちゃやお化けカカシで彩られたガレージで、そこのお家の方からお菓子をもらっています。
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こうちゃんはたくさん回ったようで、バケツから戦利品を床に並べて満足そうです。

6月に生まれたルーカスくんは訳が分かっていないでしょうが、お座りの真似事が出来るようになったようで、笑顔のお座り姿を見せてくれています。

本場のハロウィン行事は、日本で言えば秋祭りの境内での「餅まき」に似た行事で、子供相手の行事の方がほのぼのしてて良いなと思いました。
子供のイベントなら、必然的に親も一緒に楽しめるから、家族で共有できます。

10/28・インカレ1週間前・2日目

5時を過ぎて目覚めました。
1日海に出て疲れたのでしょう、いつもより目覚めが遅い。
それに引き換え、エンジン落下という緊急時、ヨットに乗って練習していたのにもかかわらず、勇んで出ていく男の子達には無限の体力を感じました。

RIBドライバーを除いて女子部員達を先に陸上に上げる男の子の強さと優しさを感じました。
決して彼女の責任ではないのに、エンジンを落としてしまいしょげているインフレータブルをドライブしていた女子マネさんを気遣って、笑い話をして笑顔にさせようとする男の子達は、正に女性に優しい体育会系で益々好きになりました。
僕もこうだったのかな?そんなところを感じて、家内は僕を選んでくれたのかな?

5:42、YHを出発し、また「ファミリーマート蒲郡大塚店」で「なめらかクリームパン100円+ブルガリアヨーグルトブルーベリー137円=237円」を購入。
イートインで朝食を取り、YHに戻り公園のトイレへ。
近くの宿に泊まっていたのか、何処かの大学ヨット部員が公園に向かって散歩していました。
海まで行き、体操を始めました。
僕も学生時代はこうでした。
5時起床で、ランニング・体操などして身体を目覚めさせていました。

東の稜線がオレンジ色です。
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朝日が顔を出しとても綺麗。
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車に戻り、6:42「海陽中等教育学校」。
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続いて「天然温泉ラグーナの湯」。
「7:00~22:30 大人1030円 小学生520円 保護者同伴に限り、小学生未満のお子様のご利用は無料。料金にバスタオル・フェイスタオルの貸出料を含みます」

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横で大きなホテルが建設中でした。
「HOTEL LAGUNA HILL」というのがありました。
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更に「casaMediterranean Restaurant & Bar」というお洒落そうなレストランがありました。
「準備中 I wait a second・・・ Lunch 11:00-15:00(Lo/14:00) Dinner17:00-22:00(Lo/21:00)」
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ラグナマリーナより高いので、ハーバーを見下ろす感じで見えます。
レースを終えて、のんびり夕食したいね。

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6:57「フェスティバル・マーケット」着。
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ラグナシアの横にあるショッピング施設です。
「駐車料金 最初の1時間無料 その後20分毎に100円 フェスティバルマーケット内のお買い物2000円以上で合計3時間無料 入庫7:30~21:40まで可能 出庫22:00まで可能」。
トイレを拝借しました。
ウォシュレット完備で素晴らしい。

7:15ヨットハーバーに戻ってきました。
合宿所に行くと朝食中でした。
7:30にハーバーオープンするので、食べ終わった部員からバラバラとハーバーへ。
多くの大学がセッティング中です。
9時になり出艇。6m/s・NWの昨日同様水道から吹く良い風です。

インフレータブルが無くなったので、RIBにマネさん2人乗り交代で運転です。
レース本番まで、このボートの運転に慣れておかないと。
470が1艇、他校のレース艇計測のため出ません。
学連委員はレース運営にも関わるので大変です。

12時にハーバーバックし、タッパウエアお弁当昼食。
午後から当方主催のレースなので、参加校運営員が集まり、コースなど説明を当方キャプテンがします。
ホーンとフラッグの一部を他校から借り、当方が用意したものを差し替えます。
14時スタートです。
7月に北海道大学主催で行われた7大学定期戦が、風がなく1レースも出来ずに流れたので、7大学戦参考大会でもあります。
両クラス全日本に出場して来たのが北海道・九州と当方だけだけど・・・。

13時に出艇し、レース海面に出ます。
当方RIBが本部船なので、スタート中央に位置します。
まずアンカーを打ち、固定しているのを確認しポールにオレンジフラッグを掲げます。
運営艇との連絡はLINEです。
陸上でレースLINEグループを作りました。
左右にスタートラインになる両サイドの運営艇がセットされ、上マークと下マークをセットしました。

レース艇が、バラバラと集まってきて、「・・大です、お願いします」「はい」。
14時になりレーススタートマニューバリング開始。
470スタート5分前・4分前・1分前・スタート&S級スタート5分前・4分前・1分前・スタート。
スタート準備信号はU旗です。

1レース30分のレースを2本して、15時になったので終了。
全体的には法政大学が上位に来ていました。
2レース目のS級で当方は1・2で下マークまで行きましたが、フィニッシュは1・5でした。
470も含めマアマアです。
7大学戦参考の方は、九州と当方同じぐらいかな?
2レース目から参加する大学もあり、「すいません、・・大ですが参加しても良いですか」「いいよ、次・・時スタート、コースはこの図の通り、マークは・・・」とホワイトボードを見せながら説明します。
各クラス10校前後30艇オーバーのレースになりました。

「・・大です、ありがとうございました」、体育会は気持ちが良いね。
ニュースを見ていると、東京新宿はハロウィンで大変なことになっているらしい。
トラックを倒したり、自販機を潰したり、まるで暴動です。
アメリカでは、小学校低学年までの子が仮装してバケツ持って家を回り、お菓子もらうお祭りなのに、日本では若者の馬鹿騒ぎ日になっています。
体育会の若者はこんなことやらない。
上下関係・挨拶・お礼が出来る気持ちの良い若者に育ちます。
就職した時、「君はしっかり挨拶できるね」と入社初日に褒められた記憶があります。
挨拶なんて基本中の基本です。
自分をキチンと持っていない若者が集団になると気持ちが大きくなり、集団心理で「悪いこと」をすることに平気になります。

16時にハーバーバックし、解装して17時過ぎに合宿所でミーティング。
気付いたことを話します。
「優勝は3艇合計で1レース平均45点、6位入賞ならその倍90点なので、決して僕らには高すぎる目標ではない。失格は1艇で73点なので、注意して臨もう。日頃の力を出せれば可能です。4日間全レース終了後、皆で笑おう」

掃除してクラスミーティングして解散です。
明日1日のオフ日に京都に帰る人は半分ぐらいで、他はそのまま来週末のレース終了までここにいるのかな?

僕は帰路につきます。
17:41YH発。
R23~伊勢湾岸道~東名阪道。
19:25「御在所SA」着。

トイレ休憩して、19:41御在所SA出発。
新名神に乗り換え、20:36「名神高速・草津PA」で休憩。
「バニラソフト140円」を購入して糖分補給。
20:58出発して、京滋バイパス~名神高速~吹田ICで下車し、中央縦貫~R171で御用達GSで満タン
にして、22:03自宅着。

家内はもう夢の中のようなので、静かに片付け、風呂に入りヨーグルト食べて夢の中に落ちました。
2日間、ああ楽しかった。

10/27・インカレ1週間前 2/2

脱線した話を元に戻しましょう。
身体が弱かった僕は、お野菜たっぷり・お肉よりお魚食・早寝早起きを強制されている間に習慣になり、大学ヨット部時代の合宿生活(21時消灯・5時起床)がONされ、同じく早寝早起き家内が重なり、今や21~22時就寝・4時ウェイクアップがデフォルトになっています。

更に話を元に戻し、「ヨーグルト」。
幼児から習慣になったヨーグルトを食べないと1日が終わりません。
冷蔵庫には常時ヨーグルトが在庫されており、多い時は15個で、0になると「緊急事態」です。
学生時代から家内と付き合い、僕が訪問する時や泊まる時はお母さんが冷蔵庫に用意してくれていました。
こんなヨーグルトとの長い付き合いのお話でした。

2・3列目をフルフラットにして、布団を敷き中に入ります。
屋根を叩く雨音と、トラックのエンジン音が気になり時々目覚めちゃうかな~と思ったのですが、朝まで起きませんでした。

10/27、3時に目覚めました。
いつものようです。
トイレを拝借し、3:16出発。

新名神から東名阪道に乗り換え、伊勢湾岸道にチェンジし、「豊明IC」下車。
R23バイパスに乗り蒲郡を目指します。
一般道ですが、高架部分が多く信号もなく、高速道路のように走れます。
終点・蒲郡ICで下車し、5:06YH着。

もう少し寝ようかと寝床に入りましたが、眠くなく寝れません。
5:53出発し、女子インカレの時ご贔屓にしていた「サンクス大塚海岸店ファミリーマート」がリニューアル中で、「ファミリーマート蒲郡大塚店」に移動。
「コッペパンWピーナツ120円+チョコクリームパン5個入り100円+とろけるカフェオレ153円=383円」を購入。
コッペパンをイートインしながら、天気や風などチェックします。
外はまだ少し雨が降っており、風が強い。

6:39「ファミリーマート」を出発し、YH駐車場へ。
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眼の前の「変なホテル」に入ってみます。
ホテル前にバス停があり、30分に1本、JR蒲郡駅とシャトルバスで結んでいます。
「STEAK ANDGRILL CHEF'S TRY TABLE」というレストランがあり、朝食(7~9時)・昼食(11~14:30)1800円・夕食(18~21)コース3800円パスタ単品1200円~だって。

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フロントに恐竜がいます。
「変なホテル」はロボットが多用されているホテルです。
声を掛ければ反応するのかな?人は誰もいません。
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ロビー中央に男の子大好きティラノザウルスがいます。
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ハロウィンのかぼちゃや三角ハット・マントがディスプレイされています。
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「日本初!ルームサービスロボットを使ってみませんか?」の案内板が立ってる。
恐竜セットやオリジナル饅頭・オリジナルパンなど、お土産を部屋まで運んでくれるようです。

宿泊客が出ていきます。
全員中国人で、こんなところにも・・・。

車に戻り、お散歩に出ます。
YH横の広い海浜公園「大塚海浜緑地」に歩いていきました。
案内板を見ると、ラグナマリーナの東に「ラグーナの湯」、更に東に「海陽中等教育学校」がありました。
数年前、全寮制中高一貫私立学校として華々しく話題になった学校で、あとで見に行こう。
ランニングコースが明示されており、大会でも開かれそう。

「LAGUNA BEACH 管理事務所」があり、そこのトイレを拝借し朝のお勤め。
ウォシュレットは付いていませんでした。
管理棟横で、業者さんが屋台の準備をしていました。

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「Laguna Beach SEASIDE MAGIC Cafe & Lounge BBQ OPEN MAY-OCTOBER Lunch11:00-15:00 / Dinner 17:00-21:00」がありました。
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オープンエアで座席の上にテントを開閉するシステムで、天気の良い日はここで食事は良さそう。

一旦車に戻り、7:54当方部員たちが借りている艇庫へ。
車が入って来て降りてきたのは当方部員達でした。
5時に琵琶湖を出発してきたんだって。

名工大・名古屋大・名城大・愛知大・南山大・愛知学院大ヨット部の艇庫が並んでいました。
今回合宿所として居候させてもらっています。
まだ綺麗な建物で快適そう。
部屋から海側も山側も見えます。

学生と一緒にYHへ。
見知った母校艇庫隣のK大学T監督さんから声を掛けられました。
「あれ、インカレは来週ですよ、熱心じゃないですか」「熱心だよ、先月女子インにも来たし。K大は今日からですか?」。
お嬢さんがWヨット部選手として来ているので、娘さんの応援でもあるのでしょう。

北海道・慶応・早稲田・金沢・同志社・母校KG・・・主な大学が揃っています。
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早稲田470を見ると、今年から解禁されたマスト・スーパースパーで揃えています。
Wは、Kコーチが選手とチューニングしています。
僕がナショナルチームにいた頃のトップセイラーでオリンピック選手です。
僕がジュニアヨット協会の理事だった頃、コーチに呼んだこともあります。

レスキュー体制は、琵琶湖から持ってきたインフレータブルとレンタルボート(XS RIBS)の2隻体制です。
次男がジュニアヨットクラブ時代、僕ら親は協力して作った姉妹クラブの後輩として入部してきた内田さんが脱サラして開業されたBayTrip社からレンタルしました。
昨年の福井インカレで久しぶりに会いました。

RIBのレンタルボート事業もしており、3艇のボートを各大学にレンタルし引き取りに来られたとのことでした。
そこで、RIB新艇の価格やレンタルボート料金を聞きました。
それを学生に伝えており、今回縁を持ちました。

キーが有る場所・バッテリー・エンジンチルトスイッチ・使用方法など、同じ船を使っている他大学20181027KaiwoS0050s.jpg
学生に聞き、大まかなことを頭に入れてスロープから海に降ろしました。
以前、VSRをドライブしたことがありますが忘れていました。

雨は上がり、良い風が入っています。
NWの風で島との間の水道から吹いており、ここの海面でのデフォルトの風です。
次男が中1の時の全日本OP選手権レース会場がここで、初日4レース終えて4位だった時の風です。
この風が吹くと右海面有利が多く、僕同様本部船寄りスタートが得意だったので、片手フィニッシュを連発し、クラブ全員の「今年はやれる」自信がつきました。
だって、1年前88位だった選手ですから。

中学受験を終え、再び日曜日フルで練習できるようになり、受験を頑張ったご褒美にレース艇一式をプレゼントしました。
受験終了後の冬からの練習で成績が上がり、その集大成の大会でした。

9時になり体操・ブリーフィング後出艇。
沖に出ると、6m/sほど吹いていました。
RIBは快適で、それほど大きなエンジンではないのに船型の良さからか快調に飛ばせます。
ドライブする2回生Tマネさんが楽しそう。
次インフレータブルボートを買う時はこれだね。

12時にハーバーバックすると、陸上食事当番だった2回生マネSさんと4回生マネWさんの作ったお弁当をタッパウエアで配っています。
皆がバースで車座になって食べながらお喋り。
昼食用に買ったパンを取りに車に戻ろうと歩きだすと、「コーチ、お弁当をどうぞ」だって。
僕の分まで作ってくれていました。
タッパウエアには個人名を書いたガムテープが貼られており、今回遠征に来ていない2回生Fくんのでした。
自分の食べたい量に合わせたタッパウエアを渡しているそうです。

13時出艇。
徐々に風が上がり、出艇した頃は8m/sほどでしたが、10m/sオーバーになってきました。
ブローは12m/sオーバーでしょう。
Wは、470はK大と、S級はRitsと合同練習しています。
スピード練習後マークを打ってコース練習始めると、ブローで470の2艇がスピンランのジャイブで沈。
有力大学はそのまま練習していますが、当方はこれぐらいが限界のようで、大会を次週に控えレース艇を壊すリスクも考え、練習中止を決断しました。

マネさんにレース艇前を走らせ、ホイッスル連呼でハーバーバックを伝えます。
470の1艇が起き、ハーバーバックして行きます。
もう1艇は、スピンがマストに絡みつきなかなか起きません。
クルー4回生Yくんがシートを外したので船を起こします。
スピンはマストに絡みついたままですが、問題なくハーバーバックしていきます。

僕らはマークを回収しハーバーバックしている所に緊急事態の連絡が入りました。
先にレース艇と共にハーバーバックしたインフレータブルが、再びハーバーから出てきてこちらが見つけられずハーバーに戻ろうとしたところで、エンジンがトランサムボードから外れて海に落ち、船からぶら下がったままだそうです。
自走できずアンカーを打って浮いている状態です。

最終艇がハーバーに入り、僕らは桟橋に着けて詳しく状況を聞き、インフレータブルの交代要員としてRIBに数人乗せインフレータブルを探しに出ます。
僕は4人がかりでないと上がらないエンジンなので無理だろうと諦め陸上に上がりました。

陸上から双眼鏡で、レスキュー状況を見ます。
RIBがインフレータブルに着けて疲れている部員と交代させ、女子部員などを乗せて帰ってきました。
また元気な男の子部員を乗せ桟橋を離れ現場海面へ。
アンカーでエンジン下を引っ掛け引っ張り上げるという作戦のようです。
双眼鏡で見ていたら、ほどなくインフレータブルボートを引っ張ってRIBが帰りだしました。
「エンジン落ちたね」と直感し、桟橋に行き待ちます。

やはり水没したようで、蛍の光でも歌って送り出したかったね。
出ていっていたキャプテンが、監督に報告すべく事情を各部員に聞いています。

ヨットハーバーは17時クローズなので、17時過ぎに合宿所でミーティング。
キャプテンが皆にエンジン水没状況を説明します。
僕が気付いたことを話し、美味しい夕食時間。
クラス別ミーティングを終え、僕は車に退散しました。

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19:16、合宿所の外に出ると、ラグナシアのルミナリエが綺麗でした。
車で「ファミリーマート」に向かい、19:26「ノアール237円+フルーツミックス100円=337円」を購入。
19:36「ラグーナの湯」着。
「クーポンお持ちですか?」「いいえ」「1080円です」。

ゆっくり温まり天国です。
やはり風呂は良いね。
温泉らしいけど、別に温かく広い湯船ならOKです。

20:05出発。
橋からの夜景が綺麗です。
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月が綺麗で、ラグナマリーナ側を見るとラグナシアの観覧車も綺麗でした。
そのままファミリーマートに向かい、20:06「ブルガリアヨーグルトブルーベリー137円+コッペパンコロッケ&たまご138円=275円」を購入しました。

20:35、YH駐車場着。
布団を敷いて「おやすみ」。


10/27・インカレ1週間前 1/2

コーチしてる大学ヨット部の最終戦「全日本インカレ団体戦」本番1週間前になりました。
「レギュラー+αチーム」は、今月初めからレース海面・「海陽ヨットハーバー」入りして練習しています。
僕は先月このレース海面で行われた「女子インカレ」遠征チームのサポートで、久しぶりのここの海面(風向・風速・ブローの入り具合など)を見ることが出来たので、今月は居残り琵琶湖チームのコーチングに行っていました。

今週末は一泊で海陽遠征チームに合流してコーチングします。
10/26、仕事から帰宅し用意していた一式を車に積み込んで、21:06自宅を出発しました。
R171~中央環状~吹田ICから名神高速に乗ります。
雨が降っています。

21:56、「大津SA」着。
ぶらぶら売店を見ながら休憩。
レストラン・メニューを見ると、ブラックバス料理も健在でした。
家内と食べたことがあり、淡白な白身でアジのフライに似た美味しさでした。
各地で外来魚の大繁殖による在来種の駆逐が心配されていますが、食べちゃえばいいのにと思いました。

陸上での鹿の大繁殖にも言えますが、駆除なんて感覚では減らないように思います。
「駆除」という言葉には「悪者」イメージがあり、きっと太古の昔から食べてきた「食材」としてのイメージを流布しないと・・・と思います。
まあ、鹿肉は猪と違い硬いので、料理方法の工夫をしないといけないでしょうが・・・。

22:12出発し、草津から「新名神」に乗り換え、22:45「新名神土山SA」着。
「セブンイレブン土山SA店」で、「ブルガリアヨーグルト甘橘ミックス180g138円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー138円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円+プレミアムひねり揚108円=502円」を購入。

コンビニは400gプレーンヨーグルトを売ってないお店もあるのでイマイチです。
半分容量の「ブルガリアヨーグルト」では量が少ないし、甘すぎます。
僕は毎晩プレーンヨーグルトにブルーベリージャムを少し入れて、晩酌のように晩ヨーグルトを食べて寝るのを習慣にしています。
僕はお腹が弱く、生後4ヶ月の時、腸重積症という小腸が大腸の中に入り込む大病をしました。
致死率が80%にもなる大病で、緊急手術するという小児科から、医学知識のある母が「手術に成功しても体力が持たない」と強引に僕を引っ張り合って取り戻し、阪神間基幹病院にタクシーで走りました。
その時お医者さんに「人殺し」と罵倒されたそうです。

朝から痛くて泣き続け、泣く力も弱くなって限界に近づいていた僕は、基幹病院に夕方滑り込みました。
幸運にも、仕事を終え帰宅準備していた小児科医長先生がまだ病院におられ、僕を見た小児科医が「これは大事」と医長先生を呼ばれました。

僕の腸重積症は間欠性で、入り込んだままではなく、時々抜けるようでした。
入り込んだままなら、もうとっくに体力の限界を迎えており、既にあの世の人となっていました。
抜けると痛くないので泣くのが止まります。
「これは間欠性なので、手術しないでも治る」と判断した医長先生は、高圧浣腸装置が用意されました。

ブリタニカによると、『太いネラトンカテーテルを直腸内に深く挿入し,約 1mの高さに保持したイリゲータから 300~1000mlの微温生理食塩水を注入する浣腸の方法。小児の腸重積症の初期治療に重要なもので,これだけで整復できることがある。成人でも,大腸検査の前処置,頑固な便秘,軽度の腸閉塞症状などに用いる』とあります。

ここで研修中のインターン学生達を至急呼び集め、珍しい大病「腸重積症」の僕を生きた見本としてお腹を触診させました。
僕が泣き出すと、医長先生が触診し、「今入ってる、触って確認してみろ」とインターン学生達を代わる代わる触らせたそうです。
小腸が大腸の中に入り込むとゴリゴリしこりが出来るそうです。
消化器系未発達で生まれてきた乳児・幼児が患者のほとんどなので腹筋がなく、触診してその存在がわかるそうです。
それを見ている母は、「早くなんとかして~」と心の中で叫び、気が気でなかったそうです。
なんて思いながら、母も僕のお腹を触り、その存在を確認したそうです。

そして、高圧浣腸ドーン。
肛門から高圧浣腸生理食塩液が注入され、盲腸部分で入り込んでいる小腸を上部・胃十二指腸側に押し出します。
抜けると僕は泣き止み、また「ほら、抜けた。触って見て違いを感じろ」と、またインターン学生達が入れ代わり立ち代わり。
入れば高圧浣腸でポンと押し出すこと数回。
その晩含め数日入院しましたが、その日以降腸重積を起こすことがなく現在に至っています。

僕はお腹が弱く、強くしようと牛乳を飲ませようとしましたが、カゼインを上手く消化吸収出来ないようですぐに下します。
そこで母は、宅配牛乳に僕用にヨーグルト注文し、毎日食べさせました。

それ以降もよくお腹が痛くなり、高温40℃以上の熱が出る弱い子でしたが、小学校で出る給食の牛乳1本は飲めるようになりました。
でも体調の悪い日はダメで、よく友達にあげていました。

小学生時代の目標は「1ヶ月皆勤賞」で、よく学校を「お腹痛&発熱」で休みました。
小児科で必ず打たれるブドウ糖注射が嫌でたまりませんでした。
まともな食事が食べれないので、白ごはんがお粥になり、ひどい時は重湯になりました。
重湯やおかゆを何度食べただろう・・・数え切れないほど食べました。
普通の方は、お鍋の後大喜びで白ごはんを入れおかゆにして鍋の締めとして喜んで食べられますが、僕にとって、「おかゆは病気食」でしかありません。
よって今でもおかゆは嫌いです。

3・4年生の時、慢性腎炎になりスポーツは2年間ドクターストップになりました。
体育の時間は見学で、とてもつまらない時間でした。
父は中学の時、剣道と駅伝の選手で、母は小学校~女学校まで、短距離で学校代表として県大会に出るランナーでした。
その遺伝なのか、僕は走るのが早く、小学校時代はサッカー部と家庭科部で楽しみました。

中学受験当日も「お腹痛&高温発熱」になり、母は「休んだら良い」と言いましたが、猛勉強してきたのにチャレンジも出来ないのが嫌で、僕は「受験する」と言い張り試験会場に臨みました。
2日目の体育試験では、垂直ジャンプも遠投も力が入らず全然ダメでショックでした。
でもペーパーテストの方は上手くいき、得意な算数は2日間とも100点満点で、合格出来ました。

中学に入っても身体は弱く、2年1学期終了直後の学校が所有している瀬戸内海の無人島キャンプに参加できませんでした。
楽しみで、枕元に用意したリュック一式を置いて寝たのに、朝目が回っており、またお腹痛と40℃超え高熱発熱で歩くことさえママなりません。
とても残念な思い出です。

今でも中学の仲間と会うと話題に出る無人島キャンプですが、僕は話題に入れません。
大人になって、学校からヨットを教えて欲しいと大学ヨット部OB会に依頼があり、勇んで出かけまし
た。
私語以外の公式会話は全て英語で、朝礼・食事前のお祈り・キャンプファイヤーなど、頑張って英語を使う中学生を頼もしく見ました。

この時は虫垂炎の痛みと熱で、手術することになりました。
夏だったので腹膜炎が併発する危険があり、薬で痛みを散らせました。
9月に入り気温が下がったところで人生初の手術に臨みました。
お医者さんから、「見るかい?」と言われ「はい」。
お腹だけの局部麻酔で頭はしっかりしています。
手術台の上の鏡で切られていく僕のお腹を見ながら手術を受けました。
貴重な体験をしました。

暴れん坊なので、小中学生時代に、目の上・脇の下・スネと3ヶ所も怪我をして縫っています。
スネの時は骨が見えており、うお~と思いました。
それを見た友達は怖くてすぐに帰りましたが、僕は平気で母に「怪我をした、骨が見えてる」と泣きもせず冷静に伝えることが出来ました。

やはり腹膜炎を併発し、1ヶ月の入院になりました。
2週間ベッドから起き上がることも禁止され、歩いてトイレに行って良い許可が出て歩きだそうとした時、足の筋力が落ちて立つことさえできなくなっていることに愕然としました。
毎日僕の病室を見舞い、学校の勉強ノートを置いていってくれた級友Kくんは、今大学教授をしています。
これは助かりました。
復学しても、なんとか勉強についていけたのは、ベッドで勉強出来たからです。
彼には今でも感謝しています。

この虫垂炎手術長期入院が、身体が弱い僕の最終章で、それ以降病気をしない子になりました。
「身体が弱い」が僕の代名詞だったので、大人の会話から「二十歳まで生きられるかな~」「結婚なんて出来るんだろうか?」と漠然と感じていました。
中学のクラスメイトの僕に対するイメージは、「ひょろひょろとしたおとなしい子」です。

スポーツ好きで割合なんでもこなすのですが、虫垂炎腹膜炎併発により、また1年間スポーツをドクターストップさせられました。
入部したサッカー部も退部することになり帰宅部をして過ごしました。

高校でサッカー部に入ろうと思ったけど、中学で一緒に入部した友達は皆上手くなっており、変わったクラブに入ろうと思いピックアップしたのが、馬術部とヨット部です。
最初にヨット部の部室を昼休みに訪問すると、地元のプロテスタント教会で日曜礼拝で一緒になっていた市内の先輩が3人もいました。
小学校の時の家庭教師が一緒だったKさんもいました。

ヨットなんてする子は少なく、次は馬術部の部室を訪ねようと思っていたのに、4時限目終了すぐにヨット部員が僕の教室前に待機しており、僕を拉致してヨット部室行きの毎日になりました。
ヨットが走る原理・ルールなど教えてもらい、授業終了後はまた拉致されバスに乗りヨットハーバー近くで下車し、ハーバーまで走る毎日になりました。

初めて乗ったヨットは、エンジン音もなく滑るように水面を走り出し大感動しました。
こんな僕を、「入部してくれないとクラブの存続が危ない」なんて言われ、必要とされているのが有り難く入部することにしました。

入部届を出し母に報告すると、「あんたは甲子園浜に散歩したら、沖を走る白い帆をずっと見て動かなかったから。三つ子の魂百までもだね」と笑っていました。
僕は甲子園にあった父の勤める会社の社宅で生まれました。
幼児時代のお散歩コースで気に入ったところが2つあり、国鉄甲子園口駅と甲子園浜でした。

甲子園口駅では蒸気機関車がお気に入りで、ポポーの汽笛や、白い蒸気を横に出している姿を見つけると動かなくなったそうです。
幼稚園のマークに選んだのがSLで、母から見ると「やっぱり」だったそうです。
恐ろしや三つ子の魂。

10/21・るり渓BBQ

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10:27「住吉神社」。
『篠山市指定文化財(建造物)住吉神社鐘楼 天正5年(1577)明智光秀の丹波攻めの際に焼失したが、江戸時代に入り、篠山藩4代藩主・松平康信の寄進により再建された。
境内には神仏習合の名残から鐘楼が所在している。鐘楼にかかる梵鐘は寛文2年(1662)の銘があるが、棟札から現在の鐘楼は享和元年(1801)建立であることが分かっている。鐘楼の南側には手水舎があり、建築様式や吊り金具の痕跡から、元の鐘楼が改造されたものであると考えられている』

手を合わせ梵鐘を撞かせてもらった。
「ゴーン」、良い響きです。
摂社を巡ります。
「招魂社 福住校区出身の戦没者の英霊128柱を祀る」。

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銀杏の独特の香りが漂って来ます。
「鰹木殿 伊勢神宮より鰹木を拝領し建立(昭和6年)」
「仮殿 一次避難の仮殿」
「松尾大社 酒造りの神様」
「大神神社 農業振興・商売繁昌の神様」
「稲荷神社 農業振興・商売繁昌の神様」
「貴船神社 水の神様」
「厳島神社 海上安全の神様」
「八幡神社 厄除け開運の神様」
「天神社 学問の神様」。

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ご住職の家と思われる庭に枯山水がありました。
茅葺屋根なのか、銅板の覆屋が厚かった。
江戸時代の再建らしく、本殿の工法が巧妙で素晴らしい。
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屋根の上の千木が左右+中央と3つあり、鰹木も3本でした。

『市指定無形民俗文化財 水無月祭の祭礼と打込囃子
住吉神社 篠山市川原に所在し、永保元年(1081)に、住吉大社の分霊を勧請したことが始まりであると伝わる。氏子は川原・本明谷・福住上・福住中・福住下・袱木・安田の7集落である。
水無月祭 もとは旧暦6月晦日の祭礼であったが、近代になって7月30・31日に変わった。平成28年(2016)時点では、7月最終金曜日に宵宮が、土曜日に本宮が行われている。祭礼では氏子集落による山車の巡行が行われる。山車の創建は江戸時代の後期で、かつては6基の山車があったが、現在は5基の山車が巡行している。
道中囃子と打込囃子 水無月祭では道中囃子と打込囃子という2種類の囃子が行われる。道中囃子は山車巡行の際に乗り子の子どもたちによって鉦(二丁鉦)や太鼓・笛が演奏される。
打込囃子は宮入後に境内で奉納されるもので、締太鼓・小鼓・三味線・胡弓・笛などの楽器が演奏される。打込囃子は、明治30年代に福住村の遠山宗九郎が各集落の山車ごとに作詞作曲したことが始まりであると伝えられている。曲には打込囃子の競演が祭礼の大きな見どころの1つとなっている。
各集落の山車の名称 川原:菊水山 本明谷:鳳凰山 福住上:鶴寿山 福住中:獅子王山 福住下:亀甲山 (うと木:竜水山)』

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拝殿正面左右に、山車の写真が貼られていた。
四輪の立派なものです。
お囃子に乗りながら集落を曳かれて行くのでしょう。

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『住吉神社 平安時代の永保元年(1081)、丹波国司・大江匡房(まさふさ)が堺の住吉神社から御分霊を勧請したものと伝えられ、現在大阪の住吉大社は、国家鎮護・航海守護・和歌の神として広く崇敬されています。
川筋に出来た村の繁栄を水の神に祈り、匡房画家人でもあり、お祀りしたと思われる。都から一品(いっぽん)式部卿邦高親王が参詣したのをはじめ、二木城主・籾井城主や歴代の篠山城主も深く尊崇しました。第4代城主・松平康信は、総欅造りの鐘楼(町指定)を寄進しています』

時間がなくなりました、急ぎましょう。
R372に出て東進し、「天引トンネル」を抜けます。
ベッキーさんは一人旅でこのトンネルの上を走る旧道を歩いていました。
四輪が入れないよう道路を数本の鉄柱で塞いでいますが、二輪なら楽々抜けられます。
以前から走りたいと思っているが、スルーばかりしていたら閉鎖されそう。
走りたかったが、時間がないのでパス。

「るり渓口」からr54で南下開始。
「るり渓」を通過し、標高を稼いでいると、鹿が飛び出しました。
それほど交通量の少ない県道ではないのに、珍しいな。

ワインディングを楽しみ、10:59「るり渓温泉」着。
Pに停めるが、BBQの場所がわからない。
案内板がないのはイマイチだな~。

案内地図を見て目星を付けて歩いて行くと、Cさんの車が前を通り過ぎていった。
僕同様ギリギリの時間だから焦ってそう。
後で聞いたら、通天湖Pに駐めてたんだって。
奥のPに入って行ったので、僕はそのままBBQに向かった。

受付に行くとリーダーさんから声を掛けられた。
「こっち、こっち」、テント下のBBQテーブルに付いていくと、Kさんとお友達、KOAさんがおられた。
すぐにCさんが合流しました。

1人3500円のコースなので、リーダーJさんにお支払い。
係の方が食材セットを持ってきてくれ、炭に火をつけてくれます。
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11:14から網に食材を並べ、焼き始めます。
僕は初めてのBBQです。
家内にはしっかり体験し、息子一家といつか出来るように・・・とのお達しを受けています。

Kさんのお友達Aさんが、お野菜から網の上に置いて行きます。
火を通さないと危ないお肉から焼くのかな?と思ってたので意外でした。
お肉はすぐに焼けるから後からでも良いそうです。
この集まりに初めて参加のmさんとお友達が少し遅れるそうです。

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途中で僕が焼き役を変わります。
自分でやってみないとね。
お喋りが弾みます。

遅れてmさんお二人が到着。
交通違反でPさんに止められたんだって。
でも女子力×2の魅力か、セーフしてもらったんだって。
Aさんが単品でマシュマロを買いに行きました。
炭火で炙って食べられ「美味しい」、皆さんに一口ずつプレゼントして下さいました。

場所代や炭台は無料で、食材だけ買えば良いんだって。
後片付けをする必要もなく、楽ちんBBQです。
制限時間は2時間です。
ここで第一時解散。
集合写真パチリ。
mさんとお友達は記念写真を撮っておられます。

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6人でベーカリカフェに向かいます。
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「モンキーパズルの木」というのがありました。
初めて見る木です。
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池には、蓮に似せたオブジェ。

ベーカリカフェで「ケーキセット702円」を食べました。
話が弾みます。14:19終了。
Pに戻ります。
Jさんはかつて釣りキチだったらしく、イワナ釣りの話を聞かせていただきました。

この日はJさんと僕だけが男で、女性6人でした。
「参加どうしようかな~」と申込み最終日数日前に見たら男はJさんのみだったので、参加申請しました。

14:39、バイク装束を着て出発。
r54~r104~r4~r602でr12に出て南下開始。
r319~r33~r325~長尾山トンネルを抜け、16:06帰宅。

倉庫にバイクを片付け、玄関を開けると家内が既に帰っていました。
「映画良かった~」「観なかった、17:50からも上映するから」
「え~、一緒に行ってくれるの」「うん、いいよ」。

一気にテンションが上がりました。
急いで装束を着替え、持っていったものを片付けます。
「通勤リード110」に乗り換え、タンデムで映画館に向かいます。
チケットを次男一家から頂いた「映画ギフトカード」で購入しました。

17:50「コーヒーが冷めないうちに」上映開始。
4回泣けるというオムニバス風映画でしたが、泣き虫の僕を泣かすことは出来ませんでした。
20時に上映終了し帰宅。
僕はBBQでお腹いっぱいなので夕食をパスしました。
家内の夕食中入浴し、映画の話をあれやこれや話し21時過ぎにおやすみ~。


10/21・R173天王トンネル以北開通してた

11時から「カフェの会」のBBQの日です。
家内のカレンダーに用事が書いてあったので申し込んだのですが、キャンセルになったんだって。
1人にして悪いから、BBQから帰宅後映画でも観ようかと思い、「早く帰れると思うから、映画に行く?」と提案しました。
「今から映画に行こうと思ってたの」「なに観に行くの?」
「コーヒーが冷めないうちに」「僕もそれが良いかな~と思ってたんだ。面白そうだから楽しんできてね」「うん」。

8:31、倉庫から「招き猫CB400SB」を出して出発。
長尾山トンネル~r325~r33~r319~r12~9:31我が家の墓到着。
秋のお彼岸に家内の実家のお墓のお参りはしましたが、うちの方にお参りする機会を逃してしまいました。
家内だけは参ったのですが僕がまだだったので気になっていました。
年4回のお墓参りをずっと続けていたので、もう習慣化されています。

私立巨大霊園なので墓守さんがおられ、枯れたお花は片付けてくれるし最悪の状態になりませんが、やはり両親の眠っているお墓は自分で手入れしたい。
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いつも咲いている彼岸花はもちろん茎だけになっていました。
隣の弟一家の墓には彼岸花の茎が2本。いつも弟の方が元気なんだよね。
これも母が真っ赤な彼岸花が嫌いだったからかな~。
お水を掛け掃除して、お線香あげてお終い。

メンテナンスの業者さんが入っており、たくさんのお花を持って墓石を掃除されていました。
更に管理費を積めば、盆正月・お彼岸のお花まで備えてくれます。
でも、お墓に子孫が来る事で、それについてくる子供が身体で先祖のことを学び、家族を国を大切にする心を育むことが出来ると思うので、なんかちょっと違うな~と思っちゃいます。

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雲ひとつない空でとても気持ちが良い。
ここまで、春秋装束(夏用メッシュプロテクター上下+ダイワフィッシングスーツ)で来ましたが、暑くなったのでフィッシングスーツをPで脱ぎました。

r12で西峠を越え、「後川」からr309で「篭坊温泉」。
羽束川沿いの道で気持ちが良いので、ゆっくり走ります。
交通量が少ないから好きです。
鄙びた篠山の隠れ家「篭坊温泉」を通り過ぎ、道なりにr601。
早朝走ると鹿と出会う確率の高い県道です。

「天王」交差点からR173にチェンジして北上。
南下し県道に入ればすぐ目的地の「るり渓」ですが、早すぎます。
昨年秋から土砂崩れで通行止になっていたR173「天王峠」・・・ここまで何処にもその案内が出ておらず開通しているのかな?

「天王トンネル」手前の旧道への分岐に、ローディーが3台休憩していました。
バリケードが開いており、「里山VTR250」なら突っ込んでもいいけど、CBは厳しそう。
ほぼ廃道状態だからね。
天王トンネルを抜けた所ががけ崩れ現場でした。
借り復旧しており、すぐにもう1ヶ所土砂止めされて仮復旧された箇所がありました。
今年に入ってまた崩れたからね。

福住交差点から「山陰道R372旧道」に入ります。
数日前の「NHK篠山旅」でベッキーさんが1人旅で紹介されていました。
僕はベッキーさんが好きです。
目が大きくお肌が綺麗で色白、さらにちょっとブルーアイ。
日本人にちょっとハーフっぽいところがプラスされています。
僕はお肌の綺麗な女性が好きで、今まで会った女性の中で最も綺麗だったのが家内です。

大学1回生の時一目惚れして、彼女と同じ学部に学ぶ同期ヨット部員から学部情報を得、ヨット部マネージャーが彼女と同じ英語クラスであることを知りました。
学部生活の最後4回生になり学校外の資格試験講習会で彼女と一緒になり、やっと声を掛けることが出来ました。
「一緒にお昼ご飯食べない?」

今でこそ若い子のヘアカラーが盛んですが、当時「ヘアカラーは白髪染め」の時代で、彼女の明るい髪色は目立っていました。
髪色の明るいのはタカラジェンヌぐらいでした。
色素が薄いようで色白でブラウンアイ。
「絶対ハーフかクォーター」だと思っていたので聞くと、「よく聞かれるけど純和製」との答えでした。
女子中学時代は先生に何度も注意されたそうです。
彼女を最初に家に連れて帰った時、母は「フランス人形さんみたい」とその美しさに驚いていました。
学部一の美人さんでした。

ベッキーさんはそんな外見にプラスしてとても明るいキャラクターで、「いいな」とずっと思っていました。
昨年妻子持ちミュージシャンとの不倫騒動でマスコミに叩かれTV画面から消えました。
人気者だったので、ベッキーさんの方が叩かれましたが、「男なら自分が全面に出て、女性を守り切れよ」と思いました。
家内に話すと、「そんなカッコいい男の人ばかりじゃないよ」と一蹴されましたが、たとえ自分の家庭が崩壊しようとも、そうする方がプラスに働き高感度が上がります。
ベッキーさんへのアゲインストの風を少しでも遮ったら、奥様だって頼もしく思うかも知れない。
僕には、有名人女性を表に出して逃げ回っているだけの男に見え、「カッコ悪~」としか見えなかった。
そんなこんなのベッキーさん好きで、2日連続の「ベッキーさん篠山一人旅」軌跡巡りになりました。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
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から引っ越してきました。

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