FC2ブログ

9/16・大山崎カフェ~大山崎山荘~畑山神社

20180916YamaS0118s.jpg
お店のオープン時間11時になったので移動して店内に入ると、Cさん穣とKRさん穣が先に入っておられました。
20180916YamaS0120s.jpg
メニューを見ながら注文を考えていると、KSさん穣が「電車が遅れた」と登場。
これで全員です。

20180916YamaS0122s.jpg
僕はパスタランチを注文し、食後にマンゴージュースを頼みました。
20180916YamaS0123s.jpg
台風の風害のお話、家族のお話、次のこのクラブの集まるカフェのリクエスト・・・いろんなお話を楽しく2時間。
パスタランチセット(前菜・スープ・サラダ)1250円+ドリンク300円=1550円也。

続いて大山崎山荘まで歩きます。
20180916YamaS0124s.jpg
JRの踏切を渡り、ここから急坂です。

20180916YamaS0137s.jpg
13:11「大山崎山荘」。
20180916YamaS0147s.jpg
山荘正面まで来ると、写生されている方が10人ほどおられました。
20180916YamaS0148s.jpg
僕は写真ですが、写生の方がずっとカッコいいな。
数年前、NHK朝ドラに誘発され家内と訪問した時はおられなかったので、グループで来られているのかもしれない?

20180916YamaS0151s.jpg
入館料900円で中へ。
『大山崎山荘の歴史 大山崎山荘は、大正から昭和初期に、実業家・加賀正太郎が別荘として自ら設計した英国風の山荘です。その後、加賀家の手を離れた山荘は、平成に入ってとり壊しの危機にあい、心ある人々からその保存が切に望まれていました。アサヒビール株式会社は、貴重な文化財を後世に伝え、その保全・活用を通じて豊かな社会を創出するため、京都府、大山崎町と協力して山荘の復元整備を行いました。こうして大山崎山荘は、1996年春、「アサヒビール大山崎山荘美術館」としてよみがえりました。
加賀正太郎(1888-1954) 加賀は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家である一方、蘭栽培をてがけ、植物図譜《蘭花譜(らんかふ)》を刊行するなど、趣味人としても大きな業績を遺しました。加賀は、ニッカウヰスキーの創業にも参画し、晩年には同社の株を、深い親交があったアサヒビール初代社長一山本凧三郎に託しました。この縁が、現在の美術館へと受け継がれています。
本館:加賀正太郎設計(監修) 地中館:安藤忠雄設計 山手館:安藤忠雄設計
建築家・安藤忠雄による「地中の宝石箱」は、緑豊かな周囲の景観に溶けこむよう、地中に埋めこまれています。円柱形のギャラリーでは、クロード・モネ《睡蓮》を展示しています』

『山本コレクションと民芸運動 当館所蔵品の中核を成すのが、美術館開館に際して寄贈された、朝日麦酒株式会社(現アサヒビール株式会社)初代社長・山本焉三郎(1893-1966)によるコレクションです。山本は芸術や文化活動に対する理解が深く、とりわけ「民芸運動」を篤く支援しました。民芸運動とは、昭和初期に柳宗悦らによって提唱され、健やかな無事の美を宿す民衆的工芸を再評価し
た芸術運動です。
コレクションには、山本との交友から生まれた河井寛次郎・演田庄司・バーナードリーチ・芹沢鐘介・黒田辰秋らの作品をはじめ、国内外の工芸の名品が含まれています。
庭園の睡蓮池のかたわらにたたずむ地中館「地中の宝石箱」には、印象派の巨匠クロード・モネによる《睡蓮》連作が展示されています。
「三國荘」:三國荘とは、民芸運動初期に御大礼記念国産振興東京博覧会の展示館として、1928年、東京に作られ、のちに大阪の山本鴬三郎邸内に移築された建物です。そこでは、民芸運動がめざす、住宅と器物が一体となった総合的な美が示されました。山本コレクションには、三國荘での生活をいろどった器や調度品が多く含まれています。
黒田辰秋:樫拭漆テーブルセット 青田五良:紬座布団』

「谷崎潤一郎文学の着物を見る」展が開催されており、代表作「細雪」が映像化された時、三姉妹が身につけていた着物が多数展示されていた。
常設の展示物・調度品・ゆったりした山荘内部建築を楽しみ優雅な気分になりました。

2Fに上がり、混んでいるかな?とカフェに早めに入る。
20180916YamaS0154s.jpg
ベランダからの桂川・男山の景色が良い。
1テーブル(4脚)席が空いておりそこを確保しながら、店員さんに「8人です。もう一つテーブルを」とお願いした。
皆さんが来られるまで場所取りします。
Kさん・Jさんが来られ、「もう1テーブルお願いしている」と伝えた。

「ケーキセットモネの庭アイスコーヒー950円」を注文した。
外の1テーブル席が空いたので片付けしだした店員さんにこの席の確保をお願いすると、「予約があります」とのことで確認してもらうと僕の予約のことで確保!ちょうど女性陣が来られたので、クーラーの利いた店内席もあるけど・・・」と言うと、景色が良いのでこちらで良いと。

20180916YamaS0166s.jpg
14:46に精算し、地下の安藤忠雄設計のコンクリート打ちっぱなし美術館に入り、モネの睡蓮を楽しみ、山荘を後にしました。
20180916YamaS0176s.jpg
道に出るとちょうど「山荘無料バス」の時間なのでそれに乗ることにした。
JR大山崎・阪急大山崎とここを結んでいます。
JR駅で降り、「妙喜庵」を訪問しようとしたら、予約が必要でした。
残念。

『妙喜庵 臨済宗束福寺派 開基:春嶽禅師 文化財:(国宝)茶室・(重文)書院
庵は江戸時代末期までこの地にあった地蔵寺の塔頭であったといい、明応年問(1492~1500)に俳人であり連歌師でもあった山崎宗鑑が隠居所として建立したと伝える。
同庵には2棟の国指定文化財があり、1つは千利休が山崎合戦(1582)直後に建立した草庵風茶室の代表的な遺構の待庵である。
その規模は2帖で隅に炉を切り、塗りまわしの洞床を用い、それぞれ異なった大きさの迪子窓、下地窓を開くという変化に富んだ構成を見せている。我国の数奇屋建築の根本と言われる建物で、後の数々の茶屋に多大な影響を与えた。今1つの建物は、茶室から続く書院で、室町末期の文明年問(1469~87)頃に佐立されたものと思われ、桁行2間・梁間3間・一重切妻造・こけら葺という室町期の優美さが漂う建造物である』

振り返るとCさん穣もおられ、JRで帰られました。
僕はバイクに向かい、他の方は皆そのままバスに乗って阪急へ。

r67・西国街道で帰路に着きます。
高槻市に入り、15:38「畑山神社(梶原寺跡)」。

20180916YamaS0185s.jpg
『畑山神社は、天児屋根命と菅原道真を祀る。元亀年間(1570年代)、金仙寺の鎮守である三十番神を合祀して、殿舎や二重宝塔を建て、永福寺と名付けられた。
慶長年間に火災で焼火。宝永3年(1706)、現在の社殿や多宝塔などが再興され、文化4年(1807)編修の「山崎通分間延絵図」には、神社と寺院の混在する様子が描かれている。
明治元年(1868)の神仏分離令により、同5年(1872)、畑山神社と称するようになった。昭和35年に永福寺の名残を伝えていた多宝塔が、埼玉県のユネスコ村に移築されたが、今も神仏習合時代の建物配置を偲ばす童重な神社である。
当社が造営される以前の7世紀後半頃には、この地に、市内最古の寺院の1つである梶原寺が創建されていたとみられ、瓦などが出土している。大門や四方院、末房などの小字名から、山陽道(西国街道)に南面して建てられ、延暦11年(792)には僧寺と尼寺があったことが「類聚国史」(るいじゅうこくし)に記されている。
また山麓の斜面には、7~8世紀頃の瓦窯跡がある。奈良正倉院文書には、天平勝宝8年(756)、東大寺の造営にあたっていた造東大寺司が、梶原寺に6000枚の瓦を発注したとの記録が残っている。当地で焼かれた瓦は、淀川沿岸まで運ばれて舟積みされ、淀川から木津川を経て東大寺に納められたとみられる』

20180916YamaS0191s.jpg
境内は、台風の被害がそこここに残っていた。
大木が根こそぎ倒れている。
幹が折れ、社殿の屋根に被さっている。

『梶原寺跡の礎石 これは白鳳時代(7世紀後半)に創建された梶原寺の礎石です。金堂などの主要建物の柱を支えたとみられ、畑山神社北東側の旧家で見つかりました。
花崗岩で、柱を据える柱坐が上・下二面に彫りだされた、めずらしい礎石です。
上面の柱座は直径約50cm・下面は一回り大きく直径約70cmあり、建て替えの時に再利用されたと推測されます。
梶原寺は、奈良時代の「正倉院文書」や平安時代の「今昔物語」にも登場する著名な寺院です。ここに展示している礎石は、梶原寺の伽藍の実際をいまに伝える、大変貴重な資料です』

『伝・林丹波守の五輪塔 畑山神社の前身・永満寺(永福寺)は、「林丹波守」によって建立されたと伝わります。この人物は、徳川家康の旗本・林正利とみられます。正利は小早川秀秋の家臣として関ヶ原合戦で活躍し、秀秋没後、家康に仕えました。慶長13年(1608)、領地がある美濃(岐阜県)で亡くなり、梶原の永満寺に葬られました。
五輪塔は「寛永13年(1636)」の年紀や正利の法名が彫られていたと記録にあることから、供養塔と推定されます。隣の宝篋印塔の由来は明らかではありません』
スポンサーサイト

9/16・総持寺~疣水磯良神社~新屋坐天照御魂神社~大山崎

20180916YamaS0038s.jpg
『茨木市指定文化財(有形文化財建造物)鐘楼 江戸時代(18世紀)
桁行一間・梁間一間・入母屋造・本瓦葺の建物。江戸時代中期の形式を継承し、当時一般的な方一間吹き放し形式の鐘楼である。現在の梵鐘は平成26年に高野山開創1200年を記念して新造されたものであるが、かつて納められていた永享6年(1434)の銘を有する梵鐘は、片桐且元陣中の鐘と伝えられ、現在は納経所にて展示保存されている』

20180916YamaS0051s.jpg
撞かせていただいた。
開祖・藤原山蔭卿を助けたとされる縁起で亀がいるだろう池を覗いたら、亀は見当たらないが立派な錦鯉が沢山寄ってきた。
餌はないよ・・・。

20180916YamaS0039s.jpg
「不動堂」には、「6月の地震で被災し、不動明王など堂内仏像を本堂に仮安置し、毎月28日の護摩法要を一時休止」との説明が貼られていた。
境内脇にに数社の神様が祀ってある。

20180916YamaS0050s.jpg
『荒神社(如来荒神堂)寛永20年(1643)
一間社春日造、こけら葺の建物で、墓股の無い素木の装飾性を抑えた社殿であるが、中世的な海老虹梁尻の納め方など伝統的な手法を伝えている。このような形式の社殿は摂津地方では数少ない貴重な例である。
昭和60年(1985)の解体修理時、内陣御神体遷座に際して、御神体を納める櫃に「遷宮導師権大僧都法印隆慶 于時寛永廿発未歳三月口口 再興之瑚敬白 以下真言等梵字 (以下略)」と記す墨書が発見された。この墨書により荒神社が寛永20年(1643)に総持寺中興法印隆慶により造営されたことが判明した。建築様式的に見て、現存する社殿の建立年代を、墨書に記される寛永20年と認めることができる。
荒神は台所・竃(かまど)の神として信仰される。また総持寺では仏法僧の三宝を守護する三宝荒神として祀られている。荒神は仏教では如来の姿で表され、「如来荒神」と呼ばれる。当荒神社にも如来荒神が祀られる。頭には宝冠をいただき、6本の手には様々な密教法具や宝塔などを持ち、蓮華座に座する姿で描かれた、「如来荒神画像」が伝来しているが、現在は収蔵庫にて保存されている』

20180916YamaS0070s.jpg
『宝蔵(旧御朱印蔵・経蔵)寛永20年(1643)
方一間・寄棟造・校倉、本瓦葺の建物である。建物の構造が全国でも例の少ない校倉造(あぜくらづくり)で、また我が国最小の木造校倉造とも云われる。総持寺の宝蔵では断面が五角形の校木が正面と側面で交互に組まれており(互組という)、正倉院宝庫に類する古代的な組み方といえる。
20180916YamaS0054s.jpg
古代では校木の断面は六角形であるが、慶長期以降は五角形の断面が見られる。
また入口が正面中央ではなく左に偏していることは他に類例が無い。当宝蔵は近世的な校木を用いつつ、古代的な互組による建築物で、近世的校倉への過渡的遺構といえよう。
宝蔵の建立年代であるが、承応元年(1651)の伽藍絵図には本堂前方に東側に「御朱印蔵」として校倉造の蔵が描かれる。また明治7年(1874)の境内絵図には「宝蔵 寛永廿未年再建現住隆慶」と記される。昭和60年(1985)に宝蔵の解体修理が行われた際、建立年代を判定する資料は発見されなかった。しかし部材の経年度合からみて寛永20年(1643)の建立とみて問題ない。
20180916YamaS0064s.jpg
全国的にも数少ない校倉造の遺構であるが、大阪府下においては大阪市・四天王寺宝蔵(文化7年・1810)が知られるのみである。現在、宝蔵は経典を納める「経蔵」であり、本尊は智慧を司る文殊菩薩である』

バイクに乗り、9:40、R171に戻る間にある「疣水磯良神社」を訪問します。
社名から、イボ取り・癌封じのご利益がある湧水が想像されます。
20180916YamaS0086s.jpg
境内に入ると、「霊水・玉の井」があり、それを汲むためにペットボトルなどを持った数人が並んでおり想像通りでした。

摂社に「稲荷神社」がありました。
農耕の神であるお稲荷信仰は、全国どこにでも広がっているね。
元庄屋だった父の実家の裏庭にも、商家だった母の実家の縁側横にもお稲荷さんの祠があり、帰省する度にお参りさせられた。
父の実家のそれは、広い敷地の林の中にあり昼尚暗くちょっと怖かった。
毎朝お供えを持って行くのが子供の仕事で、同年齢の本家の従兄弟とその役をよくさせられた。
伯母さんに渡されたお供えを置くと、一目散に駆け戻ったことを思い出す。
大人になって見たら、どうってことない林でした。

20180916YamaS0100s.jpg
しめ縄が張られた「御神水・疣水拝受所」と大層な名前が付いた湧水持ち帰り場があります。
人は水なしでは生きられず、清潔で綺麗な湧水はまさに天の恵みです。
その場所を汚染から防ぎ、乱開発や個人所有にならないよう「神様の居られる地」として未来永劫子々孫々にまで伝えて行こうとする知恵が、神域であり禁足地であり、その目印が鳥居であったように想像する。
先人の知恵により、自然災害が多いとは言え多雨で動植物が豊富な列島が残り、現代に生きる日本人は清潔な水に恵まれている。
ありがたいことです。
きっと毎週のように御神水を授かりに並んでおられるのだろうこの方々の行為は、太古からこの地にあった人々の姿に見える。

『御神水「良水」の受け方
・先に手水所(建物右端)で手水をすませる。
・御神水口より持参の容器又は備付のコップに御神水を受ける。御神水で容器・コップを洗わぬこと。コップの洗浄は手水鉢左横の水栓を利用のこと。
・受けた御神水はすべて本殿前の御神水台にふたをあけ供える。初めての祈願の方ぱ受付でご祈祷をお申し込み下さい。
・参拝後御神水を持ち帰る。(いただく)』

R171との交差点に神社があったので参拝。
20180916YamaS0104s.jpg
9:51、境内に入ろうと正面に来てびっくり。
拝殿に続く参道が落枝・落ち幹で見えない。
拝殿さえ見えない。
台風21号の被害なのか、社叢が酷いことになっている。

20180916YamaS0108s.jpg
『新屋坐天照御魂神社 主祭神:天照御魂神(天照国照彦火明命) 祭日:1月1日歳旦祭、5月10日春祭、10月15日例祭
由緒:延喜式神名帳(927成立)に記載された古社である。当地西河原の周辺はその昔新屋郷といわれ、遥か古代やら天照御魂神がお鎮まりになった。名神大社の中でも相嘗祭に朝廷から幣帛を奉られた式内社最高の社格で、府下には数社あるにすぎたい。
天正(1573~92)の頃までは神域広大、神事も盛んに行われ、近隣7ヵ村の産土神として崇敬として崇敬された。しかし戦国争乱等により衰運に傾き、寛文9年(1669)社殿は旧神域の西北隅にあたる今の社地に移り、同12年現社殿が新しく造営された。
現在、本社には主祭神のほか天兒屋根命・建御名方命を相殿に祀り、境内社には八幡神・住吉神・磯良神を祀る東之神社・速素素盞嗚尊を祀る須佐神社、宇賀御魂神を祀る稲荷神社がある』

先程訪問した「疣水磯良神社」も、この社の摂社だったようです。
西宮の地名の起こりである「廣田神社」の摂社「えびす神社」が、今や廣田神社を凌ぐ知名度があるように、神社にも盛衰がつきものです。
参道脇を拝殿に向かうと、崩れた石鳥居が折れ落ちた枝・幹の下に隠れていた。
屋根の瓦も落ちており、こちらは茨木・高槻など大阪北部を震源とした地震に由るものと思われる。

R171で高槻・島本町を通過し、JR大山崎駅へ。
ここらでバイク置き場を考えます。
ちょうどそこに、カフェの集まりでご一緒するKさんが来られた。
JRで来たのかと思ったが阪急で来られ、散策されていたようです。
JR踏切横にあるPに四輪を駐車したことがあったのでそちらに行くと、四輪のみのPでした。
ガードマンさんがおられたので「バイク置き場」を聞くと、「大山崎山荘に行くの?」「カフェで食事してから行きます」「じゃあ、そこに置いておきな」とガードマンさん達のバイクの横に置かせてもらうことになった。
大山崎山荘のガードマンさんかもしれない。

Kさんがタバコを吸い終わり、一緒に阪急大山崎駅前の「ハーミットグリーンカフェ」に向かった。
晴れてきて暑いので、阪急の日陰に移動し話していると、Sさん穣が来られました。
お初の方なので、自己紹介しました。
このクラブのリーダーJさんが来られ、Kさん穣も登場。

9/16・総持寺

カフェ巡りクラブの「大山崎カフェ&大山崎山荘」の日です。
天気予報が曇りなので、途中を「通勤リード110」で寺社巡りしながら向かいましょう。
8時過ぎに家を出て、R171~中央縦貫~大阪府道r14~R171が最短コースですが、r14は混むのでスクーターの気軽さもあり万博周回道を利用してみました。
結局距離が長くなりダメでした。
R171に出て高槻に向けて走っていると、ナビのチェックポイントが画面に現れたので、右折しそこに向かいます。

9:02「総持寺」。
阪急の駅名にもなってる有名な寺院ですが、未訪問でした。
20180916YamaS0005s.jpg
山門前に亀の上に乗る形の石柱があり、寺名の他に「高野山真言宗準別格本山」と「日本包丁道祖藤原山蔭卿菩提寺」と彫られています。
包丁道とは・・・何?

20180916YamaS0006s.jpg
『茨木市指定文化財・建造物第2号 総持寺 (本堂・薬師金堂・仁王門・如来荒神堂・宝蔵・鎮守社・東門・庫裏・鐘楼・附棟札、宮殿形厨子2基)
総持寺は境内に数多くの近世建築物を残す寺院として府内屈指で、「承応元年絵図」(1652)や『摂津名所図会』(1798)等から近世伽藍の移り変わりをたどることができます。
本堂は元禄12年(1699)の再建当初に復元でき、内内陣をもつなど中世的な平面形式を伝え、仁王門は均整のとれた外観の楼門で、周辺では勝尾寺(箕面市)と久安寺(池田市)のみに見られます。
当寺院は古代における天皇行幸や貴族、天台高僧の参詣等があり、江戸時代になると境内で相撲や能興行が行われます。また、明治28年(1895)の大阪府第4尋常中学校(現大阪府立茨木高等学校)の開校は、当寺院の庫裏で行われ本市の近代中等教育においてその舞台となるなど、総持寺の建築物は地域の歴史と文化を語る上で欠くことのできないものとして指定されました』

20180916YamaS0012s.jpg
『茨木市指定文化財(有形文化財建造物) 山門(仁王門) 江戸時代中期(18世紀初頭)
三間一戸、入母屋造、本瓦葺の楼門である。建立年代についてはこれを明らかにする史料は無く、『摂津名所図会』(刊行:1796~1798年)に現在の門と同形式の楼門が描かれており、遅くとも18世紀後半には存在していたことがわかる。建築技法などから18世紀初頭の建立と推測される。仁王門は総持寺では山門とよび、寺の正門として象徴的な建築物である。左右に金剛力士像を祀り、この門から先が聖なる場所であることを表している。楼門形式の門としては、北摂地方ではわずかに勝尾寺(箕面市)、久安寺(池田市)と総持寺の3棟のみが現存する』

「金剛力士像(右:阿形、左:吽形)南北朝時代(14世紀)
阿形像は高さ227.5cm、吽形像は高さ226.7cmで山門内にて左右一対で祀られる金剛力士像である。両像ともヒノキとみられる針葉樹材による寄木造で、目には玉眼を用い、表面には彩色が施されていた痕跡が残る。頭部の大きめなプロポーションや、肩を怒らせ四角張った上半身、分厚い下半身の表現は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての作例の特色である』

20180916YamaS0016s.jpg
『総持寺の定紋 桔梗 竹に雀(仙台笹)
総持寺には定紋(一般家庭においては家紋にあたる)が2つ定められています。
「桔梗」は総持寺を開かれた、従三位中納言藤原山蔭卿の家紋と伝わります。
「竹に雀(仙台笹)」は奥州仙台藩・伊達家の家紋です。
仙台伊達家の初代・伊達朝宗公は藤原山蔭卿の子孫と伝わり、藤原山蔭卿は伊達家において始祖とされています。江戸時代、仙台藩伊達家は始祖・藤原山蔭卿の菩提寺である総持寺に帰依され、仙台藩第3代・綱宗公の代に開山堂に祀られる藤原山蔭卿尊像を寄進されました。またその後も山蔭卿御廟所の修築・堂宇の修繕に、仙台藩より寄進を受けました。
竹に雀(仙台笹)の紋も、伊達家より総持寺に寺の定紋として賜ったもので、本尊厨子の珱珞、飾り金具、仏具、僧侶の袈裟、提灯など様々なところに現在まで大切に使用されています』

20180916YamaS0024s.jpg
立派な歴史のありそうな仁王門をくぐり境内に入ります。
正面の本堂の瓦が一部壊れています。
地震により落ちたのでしょう。
崩れた瓦の下は規制線が張られています。

20180916YamaS0027s.jpg
寺務所に入ってみます。
永代供養永代納骨パンフ・謂れパンフを頂き、絵馬700円を授かりました。
カラフルな薬師如来像・脇侍日光月光像が描かれています。
永代供養は奉安位牌建牌・供養料30万円、永代納骨は永代供養料1霊10万円。

『亀の恩返し
総持寺開山・藤原山蔭卿は幼き日に船から淀川に落ちた際、山蔭卿の父・高房卿が観音様の縁日に助けた大亀に救われたことから、総持寺の建立を発願しました。
総持寺の縁起は、今昔物語集に「亀の報恩」というお話として登場します。この仏縁により総持寺の御本尊は亀の背に乗っておられます。また境内中央の池にいるたくさんの亀は山蔭卿と亀との縁起によるものです。
本尊千于観世音は秘仏で、毎年4月15日から21日までの一週間のみ御開扉されます。また、西国霊場の御砂踏も開壇され、西国巡礼の功徳を授かることが出来ます。

藤原山蔭卿と仙台藩主伊達公
総持寺の開山は中納言・藤原山蔭卿(824~888)です。山蔭卿は総持寺本尊造立の時、仏師に千日間毎日違う料理を饗し、「中納言の千日料理」として知られています。また平安時代に宮中料理の諸作法を整えたことから、山蔭卿は我が国の庖丁道の祖とされ、全国の訓理師から信仰を集めています。仙台藩主伊達政宗公に代表される伊達家は、山蔭卿の末裔とされています。伊達公は江戸時代、一族の祖である山蔭卿ゆかりの総持寺に信仰を寄せ、現在開山堂に奉安されている山蔭卿の尊像は、正保4年(1647)、伊達公により寄進されたものと伝えられています。総持寺の定紋は「桔梗」と「竹に雀」と定められています。「桔梗」は藤原山蔭卿の家紋。「竹に雀」は仙台伊達公の家紋であり、伊達公の総持寺と家祖・山蔭卿への崇敬により、寺紋として賜ったものとされています。

山蔭流庖丁式(毎年4月18日)
藤原山蔭卿が日本庖丁道の祖であることから、毎年4月18日に、古式に則り「山蔭流庖丁式」が執行されています。現在「庖丁道山蔭流」を継承する全国の調理師により、山蔭卿の菩提所である総持寺において、庖丁式が奉納されています。
庖丁式では、山蔭流免許の許し状が総持寺より授与されています』

『茨木市指定文化財 歴史資料第2号 総持寺瓦窯跡
1号窯と2号窯はほぼ同じ構造で、有淋(畦)式平窯である。手前の炊口につづいて燃焼室があり、そこで生じた焔は奥側の3つの分焔孔を介して長方形箱型の焼成室に導かれる。焼成室は燃焼室よりも一段高くなっており、床面には2条の畦(桟道)を設ける。畦と畦、側壁と畦の間に分焔孔が対応しており、熱を導く役割をもつ。この畦の上面の高さに合わせて、両側の側壁に段が作り出しており、畦や段の上に瓦を並べて用いられた。有淋式平窯は奈良時代に登場するが、平安時代以降にしだいに小型化することが知られている。本例は、小型化が進み、畦が2条にまで減少しており、これらの点から室町時代を中心とする時期に位置つけることができる。
平成5~6年にかけて総持寺の納径所建築に伴う事前調査において、室町時代の鋳造遺構などとともにこの瓦窯が発見された。調査後、保存をはかるため、発見された場所から約15m西北西に移して展示している。
1号窯全長2.65m・焼成室幅1.10m(右)、2号窯全長2.80m・焼成室幅0.90m(左)』

『茨木市指定文化財(有形文化財建造物)
金堂(薬師堂)附宮殿形厨子1基・棟札1枚 慶安2年(1649)
正面3間・側面4間・向拝1間、寄棟造、本瓦葺の御堂。総持寺の近世伽藍を知る重要な史料である承応元年(1651)の伽藍絵図には金堂として描かれる。一般的な寺院の総本堂としての金堂ではなく、薬師如来を祀る御堂として金堂と称したと想われる。寺内では薬師堂と称されている。金堂は小規模ながら中世的な密教仏堂の平面形式を伝え、当初材を多く残している。棟札から慶安2年(1649)に四天王寺の大工により建てられたことが判明した。細部の様式から棟札の年代に合致し、様式的編年の指標となる点て重要な建造物である。内陣の宮殿型厨子(くうでんがたずし)も当初のもので、和様を基調とする端正な厨子である。

金堂本尊・薬師如来 木造・彩色・截金・玉眼・像高55.5cm 鎌倉~南北朝時代(14世紀)
金堂(薬師堂)の本尊で、左手に薬壷をとり、右手に施無畏印を結び、左足を上にして結珈践坐ある姿で表される。内陣須弥壇上の厨子内に日光・月光両菩薩を脇侍として安置される。また厨子の左右には薬師如来の巻属である十二神将が安置されるが、両脇侍菩薩と十二神将は江戸時代以降の補作である』

本堂からほら貝の音が流れてきました。
白装束のご夫婦が前後に並んで般若心経を唱えておられました。
西国巡礼中なのでしょう。
この雰囲気は、四国はもちろん全国の空海縁の地巡礼をされておられる感じがします。

9/15・インカレ予選

この日から3日間、大学ヨット部1年の集大成であるインカレ近畿北陸地区予選が始まります。
470クラス上位3校・Sクラス4校のみがインカレ本選に進めます。
それ以下になれば4回生は引退、次世代に代替わりです。
当方も目標は本選での6位入賞ですが、予選を通過しなければお終いです。

琵琶湖は生憎の雨予報だったので、バイクを止め四輪で向かうことにしました。
8時に着けば良いので朝の時間は余裕ですが、四輪では気楽に寺社巡りできないので早朝観光なしにしました。
それでも4時には目が覚めて暇なので、高速利用を止め下道で行くことにしました。

5:47、近所のローソンで「助六寿司・399円」を購入し、2時間かかると思ってナビをオンしたら1.5時間表示でした。
R171~中央縦貫~大阪府道r14~R171。
高槻~大山崎を過ぎて、右折し京都府道r204に乗り桂川を渡り、r13~r79で観月橋~六地蔵~r35で名神京都東手前の山科でR1の乗り、湖西道路に乗りました。
皇子山ランプで下車し、7:39ヨットハーバー着。
途中、京都手前で雨に降られました。

9:55第1レーススタートなので、9:10にはハーバーでD旗が上がり、470級が出艇して行きます。
選手とニューセイルのボートスピード具合を聞いたりします。
皆落ち着いており、良い感じでレースに入れそうです。
横には富山大遠征チームが艤装しており、ハーバー内はレースの雰囲気に染まっています。

キャプテンとレース・スケジュールなどを話し、大学の応援団が来ていることを教えてもらいました。
学ランの応援団部員が太鼓・トランペット2本・スーザホンを持ち込んで来ました。
それ以上に嬉しかったのは、チアリーダーが4人も来てくれたことです。
あのコスキュームは最高だわ。

他校の部員も注目する中、当方部員が艇庫前に並び、それに向かってチアを前列に応援団が整列します。
応援が始まりました。
団長の上げるボードに従って楽曲が変わり、チアの振り付けも揃って華やかな応援です。
「優勝、優勝、・・大」
「フレーフレー・・(選手個人名)」のエールが、団長の指示の下、楽曲の間に挟まりテンポ良い素晴らしい応援でした。

出艇時も本格的な応援をしてくれるということでしたが、あいにく風が上がらず陸上待機です。
11時までスケジュールに余裕があるので待機してくれましたが、11時になり再び向かい合って整列しお礼と激励で別れました。
10時頃からレースできる三井寺の風が入っていたのにな~残念。

11:30、北からの風が入りだし陸上大会本部にD旗が揚がり、当方トップに次々にレース艇がスロープを下りて出艇して行きます。
コーチボートが泊まっている桟橋から、下級生達が選手個人名を叫び整然と応援して送り出します。
選手は船を止め起立して「ありがとうございました!」。
何度見ても気持ちの良い学生の試合です。

ボスマネ1人・若手コーチ・交代選手・私・監督の布陣でコーチボートが出ました。
支援艇が他に2艇おり、風上の風データ収集やOBさんの観戦に使います。
レース海面に着くまで、帆走練習しているレース艇に伴走し、気づいたことを選手に伝えます。

気合十分でしたが、風が落ちてしまい長い風待ちになりました。
やっと北から2m/sの弱い風が入り、13:50、470級第1レーススタート。
3艇とも良いスタートを切って出ていきます。

続いてS級もスタート。
口を酸っぱくして言っていた「横文字(英語)をもらうな」がスタートではクリアです。
早すぎるスタートなどでルール違反して横文字が付くと、ビリ艇+1点の得点になります。
優勝するためには毎レース3艇合計で15点、3位通過の目安はその倍の30点を重ねる必要があります。
3日間全10レースが公示されているので、最終ターゲットはトータル150点です。
失格すると1艇で30点稼いでしまい、優勝はないです。

14:03、風が更に落ちN旗が揚がりノーレースです。
第1マーク直前まで走り、3艇とも5位以内に入っていた470達は皆悔しがっていました。
でも僕は、「4m/s以上の風が吹けば大丈夫、怖いのは微風レースで神様の気まぐれカーム(風のない海面)に捕まってしまうこと」と思っていたので、この微風でこの順位を走るスピードがあるなら穴はないなと安心しました。

14:35、470第1レーススタート。
片手(5位まで)に1、両手(10位まで)1、15位前後1と30点コースでレースが進みフィニッシュ。
優勝候補D社は20点。
S級は当方キャプテンが第1マークよりトップで、フィニッシュは30艇身ほどの差を付けてダントツフィニッシュ。
横綱相撲ですが、個人戦水域6位以内の2枚看板の1枚がスタート時にルール違反した艇に絡まれスタートが遅れ、まさかの18位。
抜擢の2回生スキッパーの3番艇が7位フィニッシュしてくれ30点コースを何とかクリアしました。

16:00、470第2レーススタート。
抜擢の2回生3番艇が2位フィニッシュしましたが、水域個人戦6位以内の2枚看板が共に10番代後半で沈みトータル40点で撃沈しました。
S級の方は、2枚看板が3・4位で、2回生22位をカバーし30点以内をクリア。

470はトータル4位で、2~5位が点差10点内にひしめき合っています。
4校ほぼ横並びの大接戦です。
D社は30点で横綱優勝コース。
S級はD35点・当方55点・3位67点・4位68点で、何とか2位。

コーチボート上に女子マネ1人体制は厳しく、ボートドライブ、マーク回航順位・記録・連絡、各支援艇との連絡、支援艇から次々に入り回航順位・風情報の記録、そしてホワイトボード・画用紙ノートに書く。
それら客観的データを掲示しながら、レースフィニッシュ後選手にコーチがアドバイス・話し合う。
そんな忙しいボート上です。
日頃、マネージャーが手分けしていた作業を若手OBに振り分け、ついレース展開に夢中になってしまう男を冷静にコントロールする女子は、やはりボスマネでないとね。

17:15車をハーバーPより出して合宿所へ。
300円。
帰ってくる若手OBとワイワイ話し、18時からミーティング。
気づいたことを話します。
特に470級メンバーに対しては、日頃見られないようなコース引きがあり、気負い過ぎでリラックスして・・・と話しました。
団体戦は総合力だからレースに出ている者・出ていないもの関係なく自分の持ち場で精一杯やること。
普通にやれば予選通過は出来るので、日頃のように・・・と皆をリラックスさせるよう心がけました。

車に乗り、湖西道路~名神~中央縦貫~R171で20時に帰宅しました。
「どうだった?」と家内から。
「S級は2位だけど、470は2~5位の団子状態で4位」
「またDが1番?」
「うん、まあ」。
7月の水域団体戦前哨戦ではDに勝ったのだけど・・・

9/7・初イエロー・スクールバス

長男のお嫁さんから、家族便りが家族LINEに届きました。
写真・ビデオ付きです。
「我が家の瓦が、台風21号により10枚ほど飛んだ」と報告したので、ビックリしていました。

嫡孫りょうくん5才の新学期がこの日から始まったそうです。
今までは私立プリスクール(年少・年中)に長男が通勤ついでに送って行き、夕方終わりにお嫁さんが迎えに行くルーチーンでしたが、キンダーガーデン(年長)からは公立小学校付属に通います。

日本同様、年少・年中は義務教育ではありません。
それに対し、日本の年長さんの学年に当たるキンダーガーデンは義務教育なので、公立キンダーガーデンが整備されています。
小学校(エレメンタリースクール)付属キンダーガーデンに1年間通い、そのままエレメンタリースクールに上がるのが一般的なようです。

アメリカは広く、週ごとに学制自体が違うので、多くは9~6月が1学年ですが、11~10月という週もありバラバラです。
長男一家の住むNJ州は9~6月です。
6月にPre-K(年中)を卒業しましたが、日本の幼稚園と言う感じではなく保育園に近く、夏休み中も子供を預かってくれます。
アメリカでは、子供だけでお留守番などさせたら親は逮捕されるので、臨時に1日預ける場合でも費用は掛かりますが預けられます。
とても柔軟です。

2年間通ったプリスクールから、別の私立プリスクールに移りました。
通う公立キンダースクール行きのスクールバスが来ないから仕方ないです。
学区があるのかどうか知りませんが、そういうことなのかな?
保育士さんの殆どが学士・修士資格を持つ地域でも評判の良いプリスクールで、楽しい2年間を過ごしました。
りょうくんの人生最初の親を離れての集団生活がここだったことは、大きなプラスになったと思います。
お友達も皆清潔で服装も乱れておらず、貧富の差が大きなアメリカでは育つ環境が日本より重要だと思います。
プリンストンは、大学城下町で学歴の高い方が多く住んでいるので、教育パパママ家庭に人気の高い地だそうです。

普通、キンダースクールは朝から夕方までですが、朝プリスクールに送り、昼プリスクールにやってくるスクールバスに乗りキンダースクールに向かいます。
PMキンダースクールで過ごし、夕方スクールバスで自宅に帰ってきます。
去年長男宅を訪問した時、りょうくんが見つけるたびに声を上げていた「黄色いスクールバス」にいよいよ乗れます。
朝夕、住宅地内道路を走るスクールバスに乗りたそうでした。
停留所はなく、自宅前の道路に出るとスクールバスが止まってくれます。

新学期初日、朝私立幼稚園に送りました。
お嫁さんは、新しい環境になるりょうくんが心配で、こっそり私立幼稚園を見に行ったそうです。
親の心配をよそに平気そうで、昼迎えに来たスクールバスに乗り込むりょうくんに、「いってらっしゃい」をしたそうです。
夕方定刻にスクールバスが住宅地内道路に入ってきて、無事帰宅したそうです。

写真は、私立幼稚園からスクールバスに乗り込むところの集合写真で、インド系女子3・白人女子1がりょうくんを囲んでおりハーレム状態でした。
ビデオは、同じ時とスクールバスで帰宅した時の様子でした。

スクールバスは、アメリカの道交法では特別な存在で、スクールバス停車生徒乗降時、一般車は停車義務があります。
去年、スクールバス横で車が止まってる場面を多く見ました。
目立つよう、スクールバスは黄色に車体色が決められています。

長男夫婦は、1年しか有効期限がない国際免許ではダメなので、アメリカの免許を取りました。
アメリカで運転免許を取るのは、費用も安いし試験も簡単だし問題ないのですが、停車スクールバスがいるところでの徐行運転はうるさく言われるそうです。
罰金も高額らしい。

このスクールバスルールは日本にはなく、日本人には違和感があると思います。
助手席に座っていた僕も、「あれれ、何故動かないの?」と違和感を覚え運転席の長男に質問しました。
ゆっくりでも追い越したら御用だそうです。
反対車線を走る車も止まるので、いきなりそこに横断歩道が出来たようなものです。
中央分離帯があったりすると、停止ではなく徐行などになりそうですが、よく知りません。

長男宅前に止まったイエローバスは、車道側に「STOP」と表示された真っ赤な道路標識ほどの大きさの看板を真横に出しました。
後続車や対向車にその存在を更に明らかにしていました。
この状態は、生徒を乗り下ろししている状態で、このバスを追い越したら違反です。
さらにバスバンパーから前方に向かって、イエローカラーポールが2mほど伸びました。
後方からも出ていそう。

りょうくんは、ニコニコ走りながらお嫁さんの所に走り出てきました。
「おかえり~」とお嫁さんの嬉しそうな声が入っていました。
S__16318497s.jpg
そして初スクールバス記念写真を撮っていました。

長男のアメリカ赴任の目処は一応3年です。
来年春どこかに移動するかもしれません。
日本に帰国するのか、EUに移動するのか・・・世界を飛び回る期間がまだ続きそうです。

9/3・アメリカ3連休/フィラデルフィア大リーグ観戦&ニューヨークUSオープンテニス

長男のお嫁さんが、「家族グループLINE」に投稿してくれました。
久しぶりの3連休だったそうです。
アメリカは、日本のようなハッピーマンデー(振替休日)はありません。
かつての日本のように祝日が飛び石になります。

アメリカは、日本より祝日が少ないです。
全部で年間10日。
因みに日本は17日です。
その他にアメリカでは、クリスマス~元日、子供はイースター休暇。
日本は年末年始休暇・GW・お盆・シルバーウィーク。
アメリカは祝日が少ないけど、ヨーロッパ文化の長期休暇を取ります。

9/3は、「Labor Day」(労働祭)という祝日で、日本の勤労感謝の日に当たるのでしょう。
初日はフィラデルフィアで野球観戦し、2日目はフィラデルフィアの科学博物館、3日目はテニスのUS OPENを観戦したそうです。

0002s.jpg
錦織圭と大坂なおみの4回戦をスタンドで応援し、両方共勝利しました。
0001s.jpg
りょうくんと長男は、 wow wowの中継に映ったようです。
0006s.jpg
昨年も、長男とりょうくんはゴルフの全米女子オープンを観戦し、日本の地上波ゴルフ中継番組に映りました。
0007s.jpg
引退するので全米オープン最後の出場になる宮里藍選手に、握手してもらいました。

0009s.jpg
単身赴任期間だった一昨年夏は、「イチロー日米通算3000本安打」達成を見に行こうとヤンキースタジアムに応援に行き、TV朝日「報道ステーション」のスポーツニュースに映りました。
0014s.jpg
やりたがり屋&目立ちがり屋の彼は、狙っています。
0020s.jpg
こんな性格なので、親は彼の子供時代、大いに楽しませてもらいました。
0028s.jpg
何にでも立候補するので、リーダーばかりやっており、失敗も多かったけど凹凸の激しい対象者は見ていて面白いです。

メジャーリーグ観戦の写真では、長男・お嫁さん・りょうくんが、色違いのフィリーズ応援キャップを被っていました。
去年私達夫婦が連れて行ったもらった時、りょうくん用に2つ目のキャップを買っていました。
今回3つ目を買ったのでしょう。
次の応援の時は、こうちゃんも被っていそう。

0041s.jpg
航ちゃんが写っている写真の半分は変顔でした。
マイブームのようです。
この子は、おどけて面白いので、人に好かれそうです。

0048s.jpg
テニスのUSオープンは、お嫁さんのお父さんが観に行きたいと言っていたゲームで、その期間に渡米すると言っておられました。
でも、ルーカスくんの出産が6月にあったので、それに合わせ前倒ししてご夫婦で渡米し、1ヶ月もアメリカでサポートして下さいました。
感謝!
お父さんは、写真喜んだだろうな。

写真を見ると、錦織と大坂さんのゲームは、4回戦なのに意外に空いています。
対戦相手を含め、アメリカ人プレイヤーでないからでしょうか。
大坂さんのお父さんはアメリカ人なので、戸籍的には二重国籍のはずですが・・・

りょうくんとこうちゃんの被る「USオープン」キャップ姿がカッコいい。
大成くんのよだれかけのキャッチコピーが、「The Ladies Love Me!」で笑っちゃいました。
将来、女子にモテモテになりますように・・・。

9/2・瀬田/八坂神社~YH

20180902SetaS0135s.jpg
バイクに戻り、再びJR東海道線をくぐり、R1に出て少し東進し、6:56「八坂神社」。

20180902SetaS0140s.jpg
『祭神:素盞嗚尊 境内社:多賀大社・稲荷大社・竜王神社・山之神社・開発祖社(開発六人衆) 神紋:祇園木瓜 例大祭:5月3日
20180902SetaS0142s.jpg
月輪は延宝年間に京都在住の六人衆(長野宗兵衛、長野治右衛門、清水平兵衛、長野助右衛門、清水興兵衛、辻吉兵衛)が膳所藩より大萱地先の土地の払い下げを受け、延賓4年(1678)田・畑・屋敷合計33町4反8畝9分(約33.1ha)の新田開発を完了させて、戸数51戸で大萱山内新田村として発足しました。その折氏神は開発者が京都出身者であったので、月輪より西の方角の天神ノ森に、京都祇園社より午頭天王を分身として社を建て氏神として祀りました。
20180902SetaS0143s.jpg
京都の祇園社は古くは神仏習合の思想によって中の座の祭神は午頭天皇またの名は武塔天神とされていましたが、明治元年神仏分離に際して祇園社(または祇園感神院とも称す)は八坂神社と改められ、御祭神も中御座の御祭神は素蓋鴫尊とされました。
20180902SetaS0150s.jpg
明治9年(1876)、当神社も素盞嗚尊を御祭神に八坂神社として村社に列せられました。又この時に稲荷社に他の神々を合祀して境内社としてお祀りしています。
20180902SetaS0155s.jpg
昭和27年(1952)2月29日神社本庁より、宗教法人・八坂神社として承認されて以降、宮司や責任役員を備え、月輪・栗林両自治会の全ての会員が氏子として加わり、氏子総代を選出して八坂神社年間行事をもとに盛大にお祀りしています』

8時出艇予定なのでここでタイムアップ、バイクに戻りYHに向かいます。
7:30にYH着しましたが、部員の自転車やバイクが1台もない。
「おかしいな」と思いながら、桟橋に行ってバイク装束を脱ぎます。
助六寿司を出して朝食。
「本日の風の具合はどうかな?」と思いながらのんびりしていると、部員がやってきてレース艇の艤装を始めました。

女子マネージャーがやってきて、レギュラーチームに帯同して福岡や江ノ島・東京若洲に行っていた時の話をしてくれました。
レースには出ないけど、他大学から「マネージャーが3人も来てるの」と部員が羨ましがられたり、少人数での遠征なので仲がより密になり楽しかった事など、嬉しそうに話してくれました。
ひょっとすると、この遠征がきっかけで生涯の伴侶を得たかもね。
僕はラブストーリー好きなので、時々部員にその手の話を振ります。

選手のところに向かい、2回目の公式戦に臨む1回生選手中心に声を掛け、リラックスさせるように心がけます。
先週土曜日に強風に翻弄され涙した女子Tさんが、翌日日曜日に2位フィニッシュしたことを大いに褒めます。
失いかけた自信を10倍にして取り戻せたでしょう。
成績が容赦なく数字で出るレースなので、自分への自信が最重要です。

3回生次期主将がやってきて、「9時第1レースではなく、10時第1レースのままでした。すいません」。
土曜日、数レース出来たから、その日の最初のレーススタート時間を前倒ししなかったのでしょう。
そんなのよくあることで平気です。

全日本に出場して、今週から部に復帰した選手たちとあ~だこ~だ。
8:30になり、時刻合わせ・柔軟体操。
連絡事項・ブリーフィング。
下級生には、「積極的にレースに臨むこと」。
そして「ヨットレースを楽しむこと」を伝えました。

陸で風待ちになりました。
富山大の子達がいたので話しかけました。
部員数を聞くと、1回生が20人も入部してくれたようです。
2週間後のインカレ団体戦予選に向けて、こちらにレース艇を持ってきて合宿しているそうです。
やる気満々です。
富山はレースに来るだけの部でしたが、これから強くなりそう。

1回生女子マネージャーが1人乗るので、彼女のレスキュー運転練習をします。
桟橋から離れる時と、桟橋に着ける時が難しいので、それを繰り返します。

そしてレース艇出艇。
レース海面で帆走練習していると、本部船・レースコミティーボートが出てきました。
S級がそれを見ながらも、遠くに帆走練習しに行くので、コーチボートで追いかけホイッスル吹いて、本部船にバックさせます。
風なんて水物で、何時なくなるかわかりません。
本日の第1レース予定時刻は過ぎているので、何時スタートマニューバリングが始まるかわかりません。
スタートエリアから離れないようにするのがレースの鉄則です。

15時まで、順調にレースが消化されました。
東寄りの風予報でしたが、北寄りの風2~4m/sでした。
Sクラス3回生がトップ引いたり、3人のSクラススキッパー艇が競うように上位フィニッシュします。
S級優勝は、全日本帰りの当方4回生N/Aコンビでした。
若洲でインカレ個人選手権開催中なので、両クラストップ6がいません。
一般全日本地区予選5位で6位以内に入り、一般全日本に行けたのに、学生だけのインカレ個人戦予選では7位で出場権を得られませんでした。
実力派地区トップクラスなので、横綱相撲ですね。
470の方もD社の「何故行けなかったの?」選手が勝ちました。

交代で乗って行く1回生部員に、レース展開を見ながらレースの鉄則・勝ち方をレクチャーします。
レースの勝ち方をわかっている艇は、僕の予想通りのレース展開をするので面白い。
少しでも、参考になったかな?

全レースが終了しそうな頃、東の草津方面に大雨になりました。
海からもそうですが、水の上は障害物がないので空がとても広いです。
琵琶湖周囲の陸地の上空が広くクリアに見えるので、天気の変化がすぐ分かります。
草津市街地のビルが全く見えないぐらいの夕立です。
「あの雨雲が、来なければ良いがな~」。

北風なので東から雲が流れて来ることはありませんが、雷雲から豪雨が落ちてくる時は雨とともに風もダウンバーストして、雨雲を中心に四方に広がるので、いつ風向が変わってもおかしくないです。
フィニッシュする頃は風が落ち、フィニッシュしたS級艇をコーチボートに次々につなぎ曳航を始めます。

西にあるYHに向かって走っていると、草津の雨雲が湖面に出てきました。
注視していると、だんだん近づいてきます。
東風を感じた所で、ドライバーマネージャーに、「風速が急に上がるかもしれないので、曳航を外します。
風上に船首を向けて」と指示すると、元の北風の風向に船首を向けようとするので、「東に向けて」と指示します。
こういうのは慣れが必要なので、わからないのは仕方ないです。

「急激なブローが入るかもしれないので曳航終了。全艇急いでロープを外せ」とレース艇に伝えます。
選手は心得たもので、ササッと外され、全艇がブローに乗ってガンガン走り出しました。

「豪雨になるかもしれないよ」と言うと、コーチボート上の1回生マネさんがカッパ着て完全武装になりました。
何とか雨の前にハーバーバックでき、僕はバイクに乗って合宿所に引き上げます。
雨に降られずセーフ。

合宿所2Fに上がると、女子マネさん達がラダーケースを新調していました。
鮮やかなブルーのキルティング・クロスをカットし縫い合わせています。
今年進水した新艇2艇を加えた6艇のレース艇用のラダーケースです。
それぞれの艇体ナンバーをカットしたクロスをそれに縫い合わせ、とても格好いい。
女子部屋が開いており、ミシンで別のマネージャーが快調に縫っていました。
「コーチボートに乗るマネージャーが少ないな」と思っていたら、こんな作業をしていたんだ・・・

「インカレ壮行会でサプライズ・プレゼントするんです。内緒ですよ」と念を押されました。
女の子にこんな事されたら、僕なんてイチコロです。
僕は口が軽いから、念押しがなければ喋っちゃうね。
窓の外では雨が降っています。
合宿所前に戻ってきた1・2回生の乗るレース艇が3艇。
選手たちが濡れながら改装しているのに、マネさんたちは平気で作業中です。
選手が上がってくる音がしたら、体を張って見られないようにするそうです。

大部屋に広げていた作業を、少しずつ女子部屋に移動させています。
お喋りしながらその作業を見ていると、突然扉が開き、マネさん達が「ワーワー」。
すぐに目を塞がれ、部屋に入るのを阻止されました。
2回生選手F君が上がってきたようです。
大部屋にある自分の荷物から必要な物を取りに来たようです。
Fくんはマネさんに阻止されているから、必要な物を伝え、マネさんが探して渡しました。
やがて全て女子部屋に撤退し、選手たちがバラバラと戻ってきました。

ミーティング開始。
2週間後は、インカレ団体戦予選です。
ここで3位以内に入らなければ、4回生は引退です。
3・4回生の主力メンバーの半分はいないけど、1・2回生の出来ることを精一杯やるよう僕の4回生の時の経験談を交えながら話します。

クラブは楽しくなければ・・・大いに楽しまなければ・・・と思いますが、クラブに入ることで「どんな楽しみが得られるか」や「自分にどんな得があるか」という受け身・自分本位ではなく、「クラブ全体のために自分が何が出来るか・どんな貢献ができるか」もクラブに入る大切な要素です。
自由に入部・退部できる小さな組織であるクラブだからこそ、自分の働きでクラブの居心地が良くなり、体育会のような組織なら成績という数字評価も出る。
家庭であれ、親戚の間であれ、学校・会社・同業組合・町内会・地域、そして国・・・TVには、「国は・・してくれない」などと外部に対して文句をいう方もいるが、多くの日本人はたとえ自分が家を失った被災者と言う立場でも、「・・してくれてありがたい」とインタビューに答え、「・・改善のために、私は・・ができる」と行動している。
教育勅語の文言にあるように、自分が組織を良くしていくんだという自負を持った大人になって欲しい。
そんな意味を含んだ言葉を皆に伝えたつもりです。

楽しい夕食になりました。
僕の4人テーブルには、4・3・2回生+1回生女子マネさんが1人ずつ座りました。
毎回のようにメンバーが変わり、決まった席などないので楽しい話の輪が広がります。
食べ終わった後も話し、全員掃除予定時間少し前に帰路に着きました。

バイク装束を着て、止んだ雨に濡れたシートを拭き、湖西道路~名神で、19:37「桂川PA」で定番の「バニラソフト140円」で糖分補給。
吹田ICで下車し、中央縦貫~R171で8:30帰宅。
家内はまだ起きていました。
「雨に降られた?」「降ったけど、ギリギリ濡れなかった」。
風呂に入り、アロエヨーグルトとプレーン・ヨーグルト400g持って2F自室に上がり就寝。
楽しい1日が終わりました。


9/2・瀬田/近江国庁跡~御霊神社~若松神社~萱野神社

土日は、コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
1週間前は「近畿北陸ブロック内新人戦」でしたが、今度はハーバー内ショップ主催レースです。
賞品レースのようです。
1週間前、2人乗りレースに初参加した大学からヨットを始めた部員の1人が、1つのレースで2位を取りました。
コーチングした土曜日、風が強すぎてひっくり返り、レース中に僕の指示で同じ1回生男の子に交代してコーチボートに上がってきた女子部員Tさんが、自分の不甲斐なさに涙していました。
そのTさんが翌日2位を取ったのです。
2回生女子部員Oさんと同じように、軽風ではセンス良くスピード良く走れるようです。
将来有望です。

1・2回生のみしか出場資格がないレースであっても、未経験者がヨット歴4ヶ月で5位以内は奇跡に近いです。
他大学にはスポーツセレクションで、高校時代国体やインターハイで活躍した選手が何人もいます。
「雨のち快晴」で、きっと「私にも出来る」と大きな自信を持ったでしょう。
1回生内で最高成績を叩き出しました。
拍手して、褒めてあげなきゃ。
握手してもらおうかな・・・

10時第1レース・8時出艇ということなので、早朝ツーリングしましょう。
3:30に目覚め、天気予報をチェックしました。
琵琶湖南湖の風は、E~SE・4m/sで新人には丁度良い風です。
風向Eは風が安定しないので、まぐれで5位以内でフィニッシュする1回生が出るかもしれません。
12~15時が小雨かもしれませんが、朝は大丈夫そうで早朝ツーリングには支障ありません。

「里山VTR250」のチェーンにオイル差してメンテしたので、雨でバイクが濡れるだろうからこれで行きます。
ラッシュガード上下+バイク用メッシュプロテクター上下で出発。
4:31近所のローソンで、朝昼食用に「助六寿司399円」購入。
R171~中央環状線で東進。
4:45「中環豊中エッソSS」で給油。
166km/4.18L=39.7km/L。

吹田ICから名神に乗り、大山崎JCTから「京滋バイパス」に乗り換え、「石山IC」下車。
ここまで1週間前と同じです。
R422に出て、瀬田川沿いを北上します。
右折してr16・「瀬田の唐橋」で瀬田川を左岸へ。
枝道に入り、近江一の宮「建部大社」鎮守の森を左に見て、5:34「桧山神社」。
謂れ板がなかったので詳細はわかりませんが、近江一の宮「建部大社」に隣接している小丘にある摂社でしょう。

20180902SetaS0021s.jpg5:47「近江国庁跡」。
『史跡・近江国庁跡・「木製外装基壇」遺構 国庁の東側の区域には、築地塀で囲まれた区画があり、その中の中心的な建物が、この場所に建てられていました。発掘調査で確認された建物基壇の痕跡から推定すると、東西23.9m、南北13.3mの範囲に土を積み上げ、その周りに板を立て並べて建物の基壇を築くという、全国的にも類例の少ない工法が用いられています。この「木製外装基壇」の上に、瓦葺きの大型建物が建でられていたようです』

律令制の上国「近江国」の国庁遺跡だけあって、広く国有地化され歴史を時代に伝えています。
20180902SetaS0027s.jpg
築地塀跡が復元され、土塀も復元されていました。

『国庁は律令という中国の法律制度にならって、天皇を中心とする統一国家を作ろうとしたところに、全国68ヶ国にそれぞれ設置された役所で、近江国庁は奈良時代前半(1300年前)に置かれ、平安時代後半(800年前)まで存続した。
ここでは都から派遣された国司(現在の知事のような役職)を中心として、徴税・裁判・軍事など今でいう県庁・警察署・裁判所・税務署として近江国の統治と都との連絡にあたっていました。
国庁は、前殿・後殿と東西の脇殿という建物を中心に、門や築地などからなり、東西2町(約216m)・南北3町(約324m)の区画をいいます。また、その外側には9町(約972m)四方の広がりをもつ規格化された街路が広がっています。これを国府と言い、役所の所在する市街地にあたるものです。
近江国庁は日本で初めて、古代の地方政治の中心地である国庁の全容が明らかになった遺跡です』

20180902SetaS0054s.jpg
6:04「御霊神社」。
20180902SetaS0058s.jpg
『祭神 本殿:弘文天皇(大友皇子命)・相殿:住野大明神・権殿:白髭大明神 境内社:野上神社(国常立尊)・稲荷神社(天龍大明神)
当神社は近江神宮の御祭神である38代天智天皇の御子・大友皇子を主祭神とする由緒あるお宮です。大友皇子は幼少の頃より文武両道に優れ前途を期待されたが、壬申の乱(672年)のため戦死、戦後貴臣・地元の人々が皇子のご遺徳を敬慕し霊を慰めた。彦坐王命野第4世にあたる治田連の子孫が、大友皇子の神霊を祭祀したのが創祀。
古くは御霊ヶ原小字荘山に鎮座されていたが、元和2年(1682)の秋暴風雨のため倒壊し、その後小字七の社の地に遷されたが明和5年(1768)古来からの御旅所住野神社(現在地)に移遷され以来、当地の氏神として崇められている』

20180902SetaS0060s.jpg
6:20「若松神社」。
20180902SetaS0065s.jpg
地域のお社だろうと訪問しましたが、境内は清掃が行き届き、社殿も立派です。
由緒が知りたくて謂れ板を探すが見つからない。
20180902SetaS0069s.jpg
とぐろを巻いた蛇の石像の下に、この縁起が書いてあった。

『白蛇の縁起 今から約950年前、瀬田に江ノ侍従という貧しいけれど心の優しい信仰心の深い女官が住んでいた。
ある夜、嵐が起こり夜中に目を覚ますと、外に神々しい気高い女性が雨に濡れて立っていた。気の毒に思い招き入れ、一夜の宿を貸すと嵐はたちまち止んだ。
その女性が申すには、「私は貴女の好意に感謝し、必ず貴女などを守り子孫7代の幸運を授けましょう。その証は夜が明ければわかります」と言って、たちまち6寸の白蛇となった。夜が明けると庭に1本の若松が生えており、侍従はその白蛇の霊を崇め社殿を建立、以来若松宇賀大明神として祭祀している』

20180902SetaS0074s.jpg
『祭神:若松大明神(経津主神) 創立:第30代・欽明天皇の御代に勧請 祭日:5月5日神輿渡御 今から1000年ほど前に瀬田に江侍従という貧しいけれど心だての優しい信仰心の深い女官が住んでいた。ある夜大嵐が起こり、夜中に目を覚ますと、雨戸の外に神々しいまでに気高い女性が、子供らに傘さしかけ雨に濡れて立っていた。気の毒に思い招き入れ、一夜の宿を貸されると嵐はたちまちに止
んだ。
20180902SetaS0091s.jpg
その女性が申されるには、「私の住居は西北にあるが貴女の行為に感謝し、貴女の父を守り子孫を7代の末まで幸福と富貴を授けましょう。その証は夜が明けたら分かります」と言って6寸の白蛇となった。
夜が明けると庭に緑滴る若松が生えているので、侍従は身を清めて鄭重に拝まれ信仰されると、その父や子孫は次第に栄え、自分も立派な女性歌人として天下に知られるようになりました。
またこれより先、宝亀8年琵琶湖の水が涸れて、国民が喝に苦しんだ時、斎王命が当時の天皇の夢に現れ、満珠を授けて降雨予告し翌年春大雨が降り五穀が穣したので、勅命を降ろして斎王命のために社殿を造営せられた。
若松神社は、かかる尊い由緒により幸福の白蛇の御霊と斎王命をお祀りしてあるので、昔から開運・厄除・商売繁盛・家内安全の守護神としての信仰が厚く、12年に1度の巳年には年間を通じて祈願者が多く、また正月や5月の例祭には遠方より参拝者が絶えない。毎年若松神社で祈祷を受け、また神社から授与している勧請縄・お札・お守りなどを受けると大変ご利益を授かると言われているのも、この尊い神社様の固いお誓いによるものでありましょう』

20180902SetaS0093s.jpg
R1に出て少し東進し、r26で東海道線をくぐり、6:37「萱野神社」。
『祭神:第9代・開化天皇 創立:第21代・雄略天皇6年 社号:萱野神社・旧社号:九帝王宮 祭礼:5月5日 社歴:当社は彦坐王命の第4世に当る治田連が淡海の国造としてこの地に居住し、専ら粟田一円の墾田拓地の事に当り土地の開発と人民の生息の基を開き、治田一族の遠祖となる開化天皇の神霊をこの里の守護神として仰ぎ奉った。その後祭神・開化天皇・彦坐王命(開化天皇皇子)・観松姫命(開化天皇皇女)・武豊葦判別命(開化天皇皇子)・大筒城真若王子命(彦坐王命皇女)の5柱を祀った。社号も古来「九帝王宮」または「九帝王神社」と称せられたが、明治2年「萱野神社」と改称された。
ご紋所・亀は古来長寿の象徴と称せられる目出度い動物であり万年の齢を経たりという。亀卜といって宮廷で重要な行事であった。和銅8年天下旱魃にて作物成長せず、農民皆雨乞祈願をした。その時、里の山中の洞穴より霊亀這い出して大雨沛然と降り作物は蘇生した。この亀は左目白く首赤く背三に分れ、七星の紋ありという、亀のいでたる処を大亀川、又は老上川、現在は狼川という。
当神社は古来より広域に亘る氏子を始め各時代の武将及び代々の膳所城主の崇敬も篤く、境内地一町四方と高五石五反歩の寄進があった。境内地は壱町四方のうっそうとした森林の神域であったが明治21年国鉄東海道本線の設置により境内地を二分に斜断されて参道も半分となり社殿その他の建物を移築した。さらに昭和44年に国鉄復々線の増設と瀬田駅の新設に伴ない末社及び神輿庫などを移築したので益々狭い境内地となり対面の森林も駅前広場となって全く昔の面影を失ってしまった』

20180902SetaS0099s.jpg
『祖霊社 祭神:南大萱開拓祖霊神 例祭:5月5日・御輿渡御の斎行 日本民族は生活習慣に於いて祖先を敬い・偲ぶことが最も大切としてまいりました。祖霊祀は、元来神道信仰の根本要素であり、この信仰なくして日本人の精神生活が成り立たないと思われます。神道では、人は現代身を隠した後の御霊は鎮守の杜に帰るとされています。
20180902SetaS0102s.jpg
南大萱を開村されたご先祖は、琵琶湖の畔を定住の地としてより、代々開拓を成し今の繁栄の基を築かれました。その祖先のご恩に感謝し御霊を鎮め祀る社です』

20180902SetaS0132s.jpg
境内には、「市杵島姫神社」「西浦神社」「天満神社」などの摂社が祀られ、立派な神馬像が空を飛躍する姿を見せていた。
神馬の腹に彫られた神紋は、なんと亀。実に珍しい。初めて見ました。謂れ板に記されていた旱魃を救った亀の故事に因んだ神紋のようです。9代・開化天皇の第3皇子「彦坐王」が臣籍降下し、淡海連としてこの地に住み着き開拓した。
20180902SetaS0134s.jpg
「御霊神社」の謂れにも記されていたように、壬申の乱で破れた天智天皇皇子・大友皇子を祀る神社を建てたり、絶大な地力を長くこの地に保っていたことが伺えた。地元開拓者の先祖を祀る神社であるので、生活者としての視線が目立つ神社で好ましい。


8/31・すみれちゃん

S__51347459s.jpg
次男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。
S__51347468s.jpg
みれちゃんの保育園も、最近手書きの連絡帳からアプリになったようで、毎日保育レポートを写真付きで見られるようになり喜んでいます。
S__51347461s.jpg
大きめの乳母車に数人乗り、お散歩する姿は、我が子の時を思い出します。
S__51347469s.jpgS__51347469s.jpg
最初の集団生活を、楽しんでいるようです。
人は1人では生きていけないので、人付き合いはとても大事です。
変に迎合する必要はないけど、人並みに対応出来るよういろいろ学んで欲しいです。

S__50274306s.jpg
少し前の地元盆踊りの写真も送ってくれました。
S__50274309s.jpg
かき氷を1人で食べられるようになったようです。

8/30・2年間のプリスクール最終日

長男のお嫁さんからLINEが入りました。
S__16154626s.jpg
とうとう、りょうくん5才が2年通ったプリスクールで最後の日でした。
長男も早めに会社を出て、家族総出でお迎えに行ったそうです。
長男も僕同様、自分の仕事スケジュールを調整し、子供の行事にはできるだけ参加します。
ただそこにいるだけで、親の応援を感じ良い子に育ちます。

S__16154630s.jpg
りょうくんは先生やお友達とお別れのハグをしました。
りょうくんは、東京に住んでいる時、3年保育の幼稚園に通うべく、親子面談などの試験をパスし、合格通知を得て意気揚々園の正門で記念写真も撮っていました。
ところが通い出す4月、長男がアメリカ転勤になりました。

年明けに海外赴任の打診が会社からあり、「行くかもしれん。せっかくりょうくんの幼稚園が決まったのに・・・」と連絡もらいましたが、「行くに決まっている」と聞きながら確信していました。
子供の頃から「やりたがり屋さん」で何にでも手を挙げて立候補するタイプだったので、アメリカという未知の世界に行けるチャンスを逃すはずがないと思いました。
世間からの打診は、「この人なら出来るだろう」と自分の脳力のちょっと上です。
「Yes」と答え、何とかそれが出来るよう努力することが、次のステージに上るコツです。
自分より世間様の方が、自分の脳力・潜在性を冷静に判断しているものです。

僕は、毎月のように1~2週間単位で主に米欧出張していたので、日本にいる意味があるのか・・・と近々の海外勤務必須と予想していました。
入社して国内を飛び回って実績を上げた後、海外を飛び回るようになりました。
会社を代表し、日本人ゼロの学会などに行きだした最初の頃は、「2週間も英語の世界にいると、日本語が恋しいねん。仕事が終わったら真っ先に現地のJALカウンターに行き、日本語を話すねん」と笑っていました。

2人目の子・こうちゃんが4月に出産したので、長男だけ8月まで単身赴任していました。
広い家を確保したのに1人でした。
でも家族がいない分気楽なので、南米マチュピチュなど家族では行きにくい治安不安定な観光地を巡っていました。

そして8月に日本出張に引っ掛けて新潟のお嫁さん実家まで迎えに行き、家族を連れてアメリカに戻りました。
その9月からりょうくんはこのプリスクールにお世話になりました。
落ち着いた環境で、設備の整ったスクールで、僕らが訪問して感じたのは、先生の学位が写真入りで廊下に張り出されており、皆さん修士持ちでアメリカの幼稚園の先生の社会的地位の高さを感じました。
幼児教育の大切さへの関心が国として高いなと思いました。

S__16154629s.jpg
2年間スクールバッグとして使ったのは、次男夫婦が贈ったリュックでした。
ちゃんと最終日でバッグを背負うりょうくんの姿の写真いりで「ありがとうメッセージ」もあり、お嫁さんの気遣いを感じました。
こういうところは男はダメで、長男など思いつくはずがありません。
素晴らしいお嫁さんです。
自分の家族はもちろん、次男一家もうまくまとめてくれそうです。

9月からは、AM私立幼稚園で、そこにスクールバスが迎えにきてPM公立幼稚園、スクールバスで家の前まで帰って来る生活になるそうです。
アメリカの幼稚園は、1年だけ義務教育です。
2年間私立幼稚園に通いましたが、年長さんは公立小学校併設幼稚園に転校して通うことになります。
日本語教育が心配なので、土曜日に日本語学校に通い、サッカースクールにも通っています。
ピアノとかやらないのかな?

僕も家内もピアノを習っていました。
僕は学校の転校で、小2で辞めちゃったけど、家内は中学まで習っていました。
長男・次男も近所の先生に習い、ネクタイ・ジャケット着てピアノ発表会にも出ました。
僕は好きで残念ながら辞めちゃったけど、長男・次男は先生が厳しく怒るので辞めちゃいました。
女の先生に、「上達が遅くても良いですから、ピアノで遊ばせる感覚でお願いします」と何度か言ったのですが、「宿題してこない」と厳しくされたので、子供たちはストライキを起こしました。
僕は、「好きになることが、長い目で見て上達の道」と思っているのだけど・・・

8/25・長男一家の夏の休日/プール・ゴルフ

長男のお嫁さんから、LINEが入りました。
ビデオ2本と写真15枚を楽しみました。

ビデオ1は、お昼寝から目を覚ましたルーカスくん・2ヶ月が、ママの声に反応し首を動かしママを見つけ顔がほころびニコニコしてゴニョゴニョ手足を動かします。
彼の世界の50%以上がママなのでしょう。

ビデオ2は、りょうくん5才とこうちゃん2才とパパがプールに入っています。
両腕に浮袋を巻いているりょうくんが泳ぎ始めました。
長辺20mほどのプール(小学校のプールより少し小さめ?)を端まで泳ぎ、プールサイトで映すママが「凄いね~」と声を掛けたので、「また行くね」と往復し始めました。
長男もプール内で見守りながら「凄いね~」と褒めています。

お嫁さんは高校時代水泳部で、りょうくんを日本にいる時2才からスイミングに通わせていました。
でも顔を水に浸けるのが苦手で、少々不満だったんじゃないのかな?
この夏休み期間のサマーキャンプで、昨年に続きスイミングを選択したので、やっと顔を浸けられるようになったと喜んでいました。
顔を水面から上げ、バタ足だけですが20m泳げたので大満足のようです。

こうちゃんは半分プールに浸かりながら、「ママ一緒に入ろう」と誘っています。
プールサイドにルーカスくんがいるのでしょう。
パパと交代してプールに入っているのだと思います。

734169Moment.jpg
このプールは広い広い公園内に独立してある200戸ほどの独立した住宅地専用プールなので、プールサイトにいるのは長男一家の他にビキニのお姉さん2人だけで、ほぼプライベートプールです。
住宅地が管理し、全戸の周りの芝生・樹木・道路・ゴミの管理とともにしてくれています。
グーグル俯瞰地図を見ると、プール付きの家もたくさんある地区ですが、維持管理費を考えると、むしろ住宅地で管理してくれる方が良いような・・・
テニスコート2面・噴水公園・池・児童遊具公園数ヶ所・森と、抜群の住環境です。
鹿・リスが日常出没し、夏はホタルが集団で窓に止まります。

S__16064527s.jpg
長男とりょうくん・こうちゃんの3人でトスバッティングをしている写真がありました。
長男は少年野球をやっており、お嫁さんがスイミングさせようとしているのと同じようにベースボールさせたいのでしょう。
まあ、日本人男の子の親子の定番だけどね。

こうちゃんと日本人と思われる同年代の女の子とが、公園でお弁当を広げている写真もありました。
僕ら夫婦が昨年秋訪問した時会った、この住宅地に住む唯一の日本人夫婦のお子さんかもしれません。

ゴルフをしている写真もありました。
家から住宅地内道路を5分歩くと、道路の向こうはパブリック・ゴルフ場です。
長男はここの会員になっており、1ラウンド15ドルの超安価でいつでもプレイできます。
混むことはなく、日曜日の午前中会社の同僚などとのんびりゴルフを月1~2しているそうです。

道路から芝生が広がり、センターハウスまでは更に徒歩5分ですが、塀など遮るものがない芝生と森の広い広がりです。
「朝夕はグリーンに鹿が来るよ」と長男に聞き、昨秋僕ら夫婦で夜明け頃散歩したら、数頭の鹿がいました。

そこに打ちっぱなしとパター練習施設があります。
打ちっぱなしと言っても日本のそれと違いフェンスなどありません。
広い芝生の向こうに広がる森に向かって打ちます。
森は遠く、あそこまで飛ばす人はいないでしょう。
打ちっぱなし用コンクリートスクエアがあり、その上に人工芝が敷いてあるだけです。

長男は少年野球で4番・ファースト・サブピッチャーでした。
バッティングセンターによく2人で行きましたが、スイングフォームが綺麗で、むしろ教えてもらっていました。
捕球が上手いのでファーストで、打率はそこそこですが当たるとでかいので4番でした。

小6になり中学受験塾を優先するようになり、集大成である6年生の少年野球は不完全燃焼でした。
たまに行ってもコーチは試合に出してくれるので、チームメイトから妬みを受け、小さくなったベースボールシューズを買い換えようと提案するも、本人が「要らない」と言いました。
僕は塾も適当にサボって野球の日を作る方が良いように思いましたが、塾をサボると友達に勉強で負けるのが嫌で、塾を優先しました。
その点、次男は1人乗りヨットという個人競技だったので、マイペースで続けられました。

それで中学では個人競技の陸上競技部に入り、高校は将棋部との兼部になり、大学ではライフル射撃部に入りました。
僕は息子たちに何も強制しないので、彼らの人生の全ては自らの選択によりますが、この野球だけは可愛そうだなと思いました。
僕に出来ることは、バッティングセンターに連れていくことぐらいでした。

S__16064521s.jpg
相変わらず綺麗なスイングでアイアンを振っています。
S__16064520s.jpg
横には子供用の短いアイアンとパターが置いてあり、りょうくんとこうちゃんがパパのスイングを見ています。
交代でアイアン打ったり、パターしたりしているのでしょう。
住環境が充実しているので、たまに遠出するぐらいで、近所で充実した1日を過ごせます。
羨ましい限りです。

8/18・丹後縦貫林道・細川ガラシャ夫人幽閉地・スイス村・碇高原


20180818TangoS0079s.jpg 

20180818TangoS0086s.jpg
バイクに戻り、メインディッシュの「丹後縦貫林道」走破のため県道に向かいます。
R178に下り、右折してr53に乗りました。
林道入口があるはずなので、注意しながら走ります。

右にそれらしき道を見つけGO!
いきなり「通行止」看板が路肩に置かれており、残念な気持ちになりながら、行ける所まで行こうと前進します。
土砂崩れを片付けた土色跡を数ヶ所通過し、標高が上がって下界の素敵な景色が見えてきた所で、道が突然全面土砂に埋まっていました。
20180818TangoS0090s.jpg
道路自体は崩れている感じではないので、土砂を除けば通れそうですが、法面補修しないで一般車両を通す事ができないのでそのままになっているのでしょう。

 Uターンしてr53に戻り、西に進みます。
低い峠を越えてから、気持ちの良い里山の中をゆっくり走ります。
道なりにr75になり、標高を上げていきます。
沢道になり、細い山道になり、「金剛童子山」登山口。

 『役小角(えんのおずぬ)と金剛童子山 役小角は7~8世紀に大和国葛城山にいた実在の人物であるが、後世修験道の祖として信仰を集め、役行者とも呼ばれている。全国各地には役小角が登ったと伝えられている山がたくさんあり、高下駄を履き鬼神を従え、独特の風貌をした像も多数残されている。
 「丹か府志(たんかふし)」によると、役小角が金剛童子山を「業場」として、開いたとされている。また金剛童子山への道筋に「休堂」「かねかけの業場」「御手洗の池」「行者堂」「西の業場」等があるとしている。現在それらの全てを確認することはできないが金剛童子山周辺が、修行の場であったことは確かであろう。地元では金剛童子山を熊野山、行者山ともぎ呼んでおり、往時は七堂伽藍が存在していたと伝えられている。上山寺(京丹後市丹後町上山)は、明法上人開基を伝えるが、「丹か府志」には役小角が金剛童子山を開いた際に、庵を結んだところといわれている』

20180818TangoS0104s.jpg
 登山口から少し入ると、ヌタ場があり「猪檻」が設置されていた。
ヌタ場なので確実に猪は来るだろうが、気持ち良く泥浴出来ないね。

20180818TangoS0115s.jpg
更に少し舗装路を登ると、11:09「細川ガラシャ夫人幽閉地」に着きました。
ずっと前から来たかった場所です。
手入れはされていますが、歴史的遺産なのに四輪で来るのは離合困難な道なので、2020年大河ドラマ「麒麟が来る」で父・明智光秀が脚光を浴びるまで待たねばならないようです。
正式には「味土野女城跡」と言うそうです。
谷を隔てて「男城」があったようで、ガラシャ夫人の警護侍が駐屯していたようです。

 『細川ガラシヤ略伝 細川忠興の妻・玉子(玉)。永禄6年(1563)明智光秀の3女として生まれる。天正6年、16才の時織田信長の命により後に丹後田辺城(現舞鶴市)の城主となる細川幽斎の嫡子忠興に嫁いだ。天正10年6月本能寺の変により、父光秀が信長に謀反を起こした。光秀は忠興を味方に誘ったが、忠興はこれを聞かず玉子を離別幽閉し自分は羽柴秀吉軍として出陣し、光秀と山崎で戦った。玉子の実父光秀の死後、家臣は自害をすすめたが「私は忠興の妻、主人の命を聞かずして事を決することは婦道にそむくことです」とこれを聞き入れず、愁思のうちに2年の月日をこの地で過ごすこととなった。秀吉はこれを憐み忠興は再び妻として玉子を迎えた。
 その後キリスト教に入信し、「ガラシヤ」の洗礼名を受けた玉子は、忠隆・忠秋他三子を授かった。しかし、平穏な日々も束の間、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで、徳川家康に従い東征についた夫・忠興の留守に大阪細川邸にあった玉子は石田三成の軍勢に囲まれ、人質として大阪城へ入城を迫られたが「私が人質として入城すれば堅武士の夫・忠興の足手まといとなります」と自ら邸宅に火を放ち壮烈な最期をとげた。享年38才夏のことである。辞世の句は有名である。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」
 数奇な運命に彩られ、夫・忠興のため殉じて果てた玉子の生涯は戦国の世に咲いた一輪の花として現在に語り伝えられている。
「身をかくす里は吉野の奥ながら 花なき峰に呼子鳥啼く 玉子」』

 
目的地をクリアしたので下ります。
r655~r75で下り、r57で登っていくと「丹後縦貫林道」に突き当たりました。
20180818TangoS0124s.jpg
右折し、11:45「スイス村スキー場」。
更に少し登って「風の学校・京都」と言う施設にお昼ご飯食べようと寄りましたが、車ゼロでお客さんがいなさそうでレストランが3Fで上がるのが面倒でパスしました。
20180818TangoS0129s.jpg
でも丹後半島の最高標高部に近いのでしょう東から北に掛けての海が一望でした。
気持ち良かった。

20180818TangoS0136s.jpg
 林道を北に向かって走り、12:10「碇高原」。
レストランがあったので入ったらステーキハウスでしたのでスルー。
おまけに半島北側に下る林道が全面通行止めになっており、「丹後縦貫林道」は大雨の影響でズタズタのようです。

「世屋高原」まで行けるのかどうかわかりませんが、林道で南下してみましょう。
20180818TangoS0147s.jpg
半島の東側の海への展望が時折開け、ナイスな景色が見下ろせました。

 民家が見えだし、世屋高原に着いたことが分かりました。
r75に突き当たり宮津湾に下ります。
R178に突き当たり、右折して宮津湾を左手に見ながら海岸道路を気持ち良く走ります。

次男が小中学生の時、ジュニアヨットのレースで毎年遠征に来ていました。
親も子も水の綺麗さに感動し、子供たちは風待ちやハーバーバック後ライジャケを着て飛び込んでいました。
懐かしいな。


 13:28「天橋立ワイナリー」。
少し走り、「お菓子の館はしだて」に寄り道しました。
少し走り、右折してr53。

道なりに登って行き、「丹後縦貫林道」の南地区入口発見。
無常にも、「通行止」看板が中央にドカンと立っていたが全面封鎖ではないので、行ける所まで走ろうとGO! 
20180818TangoS0165s.jpg
標高を上げ、「阿蘇海」が見えてきます。
数ヶ所、レッドコーンで囲まれている崩れた場所がありました。
山菜採りの方が数組いましたが、バイクなら平気でした。

 r651と交差し、右折してr651を走ることにしました。
京都縦貫道の下をくぐり、田園が広がる里山の小川にかかる小さな橋の上で小休憩。
アオサギが気持ち良さそうに飛んでいました。
r655に突き当たり、左折し南下すると、R312に突き当り左折。

 R176を渡り、次の林道ターゲットのr16「中ノ峠」に向かおうととしたら、GSを見つけて給油。
14:32「与謝野町石川エネオス」239km/9.5L=25.2km/L。
r16に入り峠を登っていきます。
残念ながらこの峠も通行止でUターン。


R176に下り、「与謝天橋立IC」から「京都縦貫道」に乗ります。
「由良川PA」でトイレ休憩。
「京丹波みずほIC」で下車し、R173に乗ります。

 15:57、R9との交差点にある「ローソン京丹波・和田山店」で、「UCもち食感ロール・295円」購入し、遅い昼食をイートイン。
R173をぐんぐん南下し、「道の駅・瑞穂の里さらびき」横を通過し、篠山市に入り、r702~r543~r12で、R173通行止区間を回避します。
r319~r33~r325~長尾山トンネルを抜け、17:30帰宅しました。


8/18・丹後半島ツーリング/籠神社~成相寺

 丹後半島中心部にある「細川ガラシャ夫人幽閉地」を目的地として、丹後半島の屋根を縦走する「丹後縦貫林道」を走りに行きます。
「里山VTR250」のジャンルなのですが、チェーンオイル切れの感じがするので「招き猫CB400SB」を倉庫から出します。



 5:18出発、長尾山トンネル温度計が18℃でした。
数日前では考えられない気温で、下着+夏用メッシュバイクジャケット・パンツの装束では少々寒いです。
r325~r33に道なりに走り、「検見橋」のところでバイクを停め、カッパの上をジャケットの上から着ました。
これから高速道路にも乗るので、寒いのはいけません。

r319~r12に乗り換え、西峠を越えて篠山盆地へ。

r543~r702でR173に出て北上します。
R173の「天王トンネル」北の土砂崩れは、そろそろ1年になります。
難儀な遠回りです。
7:00「ローソン京丹後和田店」で「セレクトチョコクリームパン5コ100円」を購入し朝食としてイートインしました。

 「京丹波みずほIC」から京都縦貫道に乗り、「綾部JCT」を経て「与謝天橋立IC」で下車し、R176~r2~r615でR178。
8:19「籠神社」。

20180818TangoS0015s.jpg
『籠(この)神社 古称・吉佐宮(よさのみや) 御祭神:彦火明る命 相殿:豊受大神・天照大神・海神・天水分神 神代の昔より、奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りしてきましたが、そのご縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつリになり、之を吉佐宮と申し、豊受大神と共に4年間お祀り致しました。
 その後、天照大神は垂仁天皇の御代に、また豊受大神は雄略天皇の御代に、それぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って当杜は元伊勢と云われております。両大神がおうつりの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社、又丹後国一之宮として朝野の崇敬を集めてきました』

 天照大神の神力の強さを畏れ、大和から丹波丹後はじめ畿内各地を転々と移動しながら最適な地を求めた。
伊勢の次に最適な地は、元伊勢の多い丹波丹後だったのでしょう。
和歌山の元伊勢を参拝したこともあります。
神門内の境内は撮影禁止でした。
来年中学受験する姪用に「合格鉛筆600円」と、「絵馬500円」「淡いピンクの守護800円」、屋敷内祠用に「鈴800円」を授かりました。

20180818TangoS0019s.jpg
 R178を少し戻ります。
枝道を入り、8:48「丹後国分寺跡」。
隣に「丹後郷土資料館」がありました。
国分寺跡が礎石が遺るだけですが、周辺が綺麗に手入れされ、その緩やかな斜面の向こうに天橋立が見えナイスでした。

20180818TangoS0026s.jpg
 『史跡・丹後国分寺跡 天平13年(741)、聖武天皇は国分寺建立の詔(みことのり)を発し、仏教を取り入れて国家の安泰を願いました。これを受け建立された丹後国分寺は、天橋立を一望できる台地上に位置し、まさに詔という国華にふさわしい好処が選ばれました。
 奈良時代の丹後国分寺については、付近に残る地名や採取された瓦片によってその存在をうかがい知る程度で、詳しいことはわかっていません。現在、塔跡・金堂跡・中門跡の3ヶ所に、礎石が整然と並んでいます。これらは建武年間(14世紀前半)再建された伽藍に伴うものとみられます。雪舟筆「天橋立図」には、建武再建の後、約170年を経た丹後国分寺の姿が克明に描き出されています』

 その枝道を更に登っていきます。
成相山成相寺Pで、1人500円拝観料を払う。
地図では、この道が丹波縦貫林道に続いているのでそのことを聞くと、崖くずれで通行止になっているという。
1本西の県道が起点なので、そちらから入れるとのことでした。

20180818TangoS0034s.jpg
 『日本遺産 成相寺(なりあいじ) 慶雲元年(704年)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩である。
 西国33所巡礼の観音霊場28番札所で、平安時代後期の「梁塵秘抄」・「今昔物語」にも登場する。江戸時代の宮津藩は、丹後ちりめんの生産地であるとともに、流通の拠点として商業・港湾都市として多くの人々が訪れたといわれており、この成相寺も民謡「宮津節」にも唄われるほど賑わった』

20180818TangoS0051s.jpg
 『一願一言の地蔵さん この地蔵さんは、唯一願を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられている大変あらたかな地蔵さんです。安楽ぽっくりの往生も叶えられると伝承されています。約620年前に創られた大変古いお地蔵さんです』

 
『鉄湯船 重要文化財(工芸品) 鎌倉時代正応3年(1290) 鋳物師:山河貞清 当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています』

20180818TangoS0074s.jpg
 本堂周りを見学し、下っていくと鐘楼がありました。
『撞かずの鐘由来 慶長14年(1609)、山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。1回・2回と鋳造に失敗し、3回目の寄進を募った時、裕福そうな女房が、「子供は沢山おるがお寺へ寄附するお金はない」と険しい目の色で断った。
 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱いて見物していた。
そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑み児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった』

8/25・新人戦

桟橋で、「助六寿司」を朝食用に半分食べていると、女子マネさん達が来て、開会式が面白いと教えてくれました。
部員が仮装してオープニング・セレモニーに臨むそうです。

艇庫横で着替えていた1回生プレイヤーが出て来ました。
真っ赤なチャイナドレス・ミニスカートメイド・馬の被り物は暑そう・パンツを頭から被ってるやつ・ハート柄の赤パン&赤ブラ・猫耳ついてるパンイチ、脱いだら良いってもんじゃないだろうけど、笑いを誘います。
女子プレイヤー3人は、たまごの被り物を着てて、こちらはとっても可愛い。
本人たちも気に入ってる感じ、写真を撮らせてもらった。
代々受け継がれているコスチュームではなく、その代で用意するらしい。
ドン・キホーテなどで調達するのだとか・・・
体育会の1回生は、何かと余興を強要されるから、もう慣れてしまったのか、裸でパンツを頭から被るというかなり酷い格好を強いられている男の子でさえ堂々としており、カメラを向けるとポーズを取りむしろ楽しんでいるのがわかる。
そう言えば、部員カップルの結婚式に呼ばれた時、余興で「海パン+ピカピカ夜店ライト」で登場した元部員もいたな。

8時「オープニングセレモニー」。
レース委員長は当方の3回生G君がしています。
選手宣誓は当方の1回生M君。
ショッカーの着ぐるみ着てて、語尾にキーって奇声を入れながらの選手宣誓。
面白いな。
恒例なのか、コスチューム全員集合写真に収まっていた。
数年前までは、他校も仮想して臨んでいたのに、現在は当方だけになったそうです。


予定通り、D旗がアガり470から出艇。
続いてS級。
コーチボートに乗って沖に出ます。
20180825OtsuS0222s.jpg
SSWの風・3~4m/s、最も走りやすい風です。
YH到着時は雲がかかり、雨降るかな?と思ってた比叡山の雲が切れています。

Rits ・D社・当方が上位で回航します。
1レース毎乗り換えながら、3レース目の乗り換えの頃から、予報通り8m/sの風が入ってきました。
全面白波のレース海面になってきました。
ここで、AP/H旗が上がり、レース延期/ハーバーバックになりました。

この日は16時までレース時間があるので、6レースぐらいできそうだなと思っていたのですが、新人が出場しているので、レース委員会は安全策を取ったようです。
ハーバーに戻り、昼食を食べ、2時間ほど風が収まるのを待ち、14時前に再出艇。
レース海面に着くまでに1艇沈。
1・2回生だけで11艇出場しているので、コーチボート兼レスキューボートなので目配りが大事。

レースが始まり、一番体の小さな1回生女子選手Tさん470が気になっていましたが、レース中に沈してしまいました。
信頼できる2回生クルーと乗っているのですが、なかなか船が立たず、体力の限界を予想し選手交代を決断しました。
同じく1回生男子スキッパーにI君に交代させました。

レース中支援を受けたのでDNFになり着順は着きませんが、練習だと思ってレースに参加させました。
2回生スキッパーは安定して走っており、練習ではまだまだだな~と見えていた2回生スキッパー艇が、頼もしく見えます。

サングラス掛けてるので表情がよくわかりませんが、放心している感じでレース海面を見ている交代で上がってきたTさんに声を掛けました。
1回生でこの風で、ひっくり返るのは当たり前で、上回生ヨット部員なら笑って終わりなのですが、自信を無くしたらいけないと思い、「怪我はない?寒くない?おトイレ大丈夫?怖かったよね」と声を掛けました。

「いつもWさん(2回生クルー)と組むと迷惑かけるので申し訳なくって・・・」と涙が頬を伝いました。
あ~また女子を泣かせちゃった・・・僕も罪な男です。
「Wくんも1年前は上回生スキッパーに迷惑掛けていたんだから気にしなくていいよ。そんなこと気にする部員はいないから」
「Oさん(2回生女子プレイヤー)も軽風では走るけど、強風になったらいっぺんに遅くなっていたよ。春は強風になると全然走れなかったのに、半年で安心して見られるようになったよ。経験を積めば必ず乗りこなせるようになるから」と、ガンガン走ってるOさんを指さします。
Tさんは高校時代フェンシング部だった子なので、練習を積めば走る子だと予想しています。
体重が軽いので中風以下ならむしろ有利です。

第4レース前、S級M君艇のジブセイルが少し破れ応急処置してレース海面に戻っていきました。
4レース終了で16時を越え、本日のレース終了です。
良い風が吹いたので、良い練習になりました。
S級の1回生女子スキッパーKさんは、先週の練習でも良いセンスのスタートを連発しており、強風でも一生懸命ハイクアウトしてよく走っています。
安定しているね。
2年連続で女子選手が入部し、この2学年の子たちが走ると女子インカレの常連校になれます。

S級M君のジブセイルは何とかフィニッシュまで保ちました。
ジブセイルを巻いて、メインセイルのみで帰るよう指示しました。
16時頃から風が落ちはじめ、4m/sほどでハーバーバックしました。

バイクで合宿所に戻り、キッチンで食事当番女子マネさんたちと話します。
美味しそうな匂いに惹かれるね。
レース成績を陸上PCで集計する担当の4回生マネSさんがお風呂から上がってきて、他愛もないお喋り。
次々に選手が戻ってきて、話の輪が広がります。

18:40ミーティング開始。
19時から僕の話。
気づいたことを話します。
1回生向けの話を多めにします。
スキッパーのお尻の位置、ハイクアウトする時足を揃えること。
1日中、4回生ボスマネージャーYさんがコーチボートを運転していましたが、強風の桟橋への着艇でスクリューを上手に使っていたのでそれを褒め、マネージャーでその技術を共有するようアドバイスしました。

19:30夕食の時間。いつもながら美味しい。
掃除時間前に退散しました。
湖西道路~名神。
20:37「桂川PA」で、「ガリガリ君ソーダ75円」で糖分補給しました。

この日学生に聞いた情報では、YH近所にオープンしたドン・キホーテではガリガリ君が45円で売ってるそうです。
期限近しの非売れ筋品を大量仕入れして安価販売しているんだって。
200円弁当とか、いろいろ掘り出し物があるんだって。

21時に帰宅し、バイクを片付け玄関に入ると、既に家内は夢の中でした。
風呂に入り、ヨーグルト持って2F自室に上がり、食べ終わったらすぐ寝ちゃいました。
翌日、レースの様子が刻々とライブでヨット部共有サイトに伝えられ、楽しい時間を持ちました。

強風で沈して選手交代させた1回生Tさんが、2位フィニッシュしました。
2回生はトップフィニッシュを数回していました。
1回生は他にも2位フィニッシュした子がおり、レベルが高いです。
頼もしいし、将来が楽しみです。

8/25・大津周辺神社早朝ツーリング 勢田橋離宮秀郷社

r16で「瀬田の唐橋」を左岸に渡り、6:54橋のすぐ下流の「勢田橋離宮秀郷社」。
ボート部学生が早朝練習をしている。
20180825OtsuS0155s.jpg
瀬田の唐橋には、俵藤太秀郷のムカデ退治の絵が設置されていた。

『瀬田橋を制するものは天下を制する
古代の瀬田橋 672年:壬申の乱・近江朝廷軍(大友皇子)、大海人皇子軍に瀬田橋の戦いに敗れる。 764年:膝原仲麻呂の乱・仲麻呂軍が近江国府に入るのを防ぐため、孝謙上皇軍が瀬田橋を焼く。 1988年:唐橋下流80mの川底から壬申の乱にまで遡ると思われる橋脚台(基礎)を発見。 940年頃:俵藤太伝説(雲住寺伝承の「俵藤太略縁起」より)膝原秀郷による百足退治中世の瀬田橋 1184年:源範頼・義経軍、瀬田・宇治にて木曾義仲軍と戦う。木曾義仲・今井兼平戦死。 1221年:承久の乱・後烏羽上皇が鎌倉幕府と戦う。 
1582年:本能寺の変・瀬田城主山岡景隆が瀬田橋を焼き、明智光秀の安土城進撃を一時阻止する。
瀬田の唐橋唐金擬宝珠(からがねぎぼし)水に映るは膳所の城』

20180825OtsuS0162s.jpg
『伝説・俵藤太ムカデ退治の勢田橋龍宮秀郷社 祭神:瀬田川龍神・俵藤太秀郷 神代の古から、此の大川に鎮座す龍神で瀬田川と唐橋の守り神です。俵藤太が龍神の頼みにより、大ムカデを平らげた伝説は広く知られています。江戸時代には殿上人の信仰篤く霊験あらたかな龍神であります。
むかで射し昔語りを旅人の、いいつき渡る勢田の長橋/大江匡房』

20180825OtsuS0163s.jpg
『伝説・俵藤太百足退治の瀬田橋龍宮縁起 瀬田川唐橋鎮守・龍宮宮秀郷社 祭神:大神霊龍王・藤原秀郷公
勢多之唐橋・龍宮 古来瀬田川には龍神が御座ると言われて、昔は橋を社とした。
唐橋中央に特殊な橋くいが打ち込んであって、是を龍神の御御代とし舟はこの神坐を通るのを恐れた。唐橋は神橋の転化である。1440年頃、佐々木近江守が鶯谷に在った此の社が設けられた。以来幾度か橋架替え大修理の都度、龍神を権殿に遷座する慣例が行われた。時代の推移はいつしか権殿が本宮になった。
秀郷社 藤原秀郷公を祀る、創祀年代明らかならず。元是より東南数丁字舎人堂に在りたるを、寛永10年蒲生忠知、龍宮の傍に移すとある。
百足退治の伝説 秀郷、京都府宇治田原郷に住し、俵藤太と称す。天資剛勇にして弓術に長す。鎮守将軍・藤原秀郷公、勢多橋を過る時橋上に大蛇横たわる、公恐れず跨ぎ通る。暫し行きたるところ呼び止める者あり、青衣を着せる女人「我は勢田橋水底に棲む龍神である、大蛇の姿になり橋上に横臥せり、未だ御仁ほど豪勇の人を見ず、年来我に仇するムカデあり、願わくば我が為に寇を討て」、秀
郷橋に戻る。
日没し東方より、巨大な両眼を光らせ百足山(三上山)を七巻半する大ムカデ迫りくる。公一矢二矢更に効なし、ムカデは人のツバキをきらうと言う、三射目の矢尻に唾液を附して左眼を射抜き之を討せり。龍神大いに喜び、公に砂金俵・巻絹・鐘・種々宝物を賜う、秀郷衣装身に余り財宝庫に満ちたり。これが広く人口に謳われた伝説である。
伝説の真意 朱雀天皇姜平15年(935)将門の反乱。平将門が関東八州を七州半まで侵し、百官具足ムカデの足ほど多くの軍勢を引き連れ、都(京都)へ攻め上らんとす。秀郷朝命に依り是を討伐、将門の左眼を射抜き誅せり。これ勢多橋龍神の冥祐加護に困ると畏こみ、朝廷より当龍神に貢物を献ぜられたる事は古歌に記されている』

俵藤太秀郷公は、母の遠い先祖が美作の城を新田義貞軍に落とされ、親戚を頼って北関東に落ちた先・佐野家の祖先です。
唐沢山城を本拠とし、後北条家や上杉謙信に対抗しながら、何とか本拠と家名を保ち江戸時代まで生き残った。
子供の頃、唐沢山城に登るたび、母や親戚から話を聞きました。
なんとなく親近感があるので、ここでその名を見つけ嬉しくなりました。

20180825OtsuS0186s.jpg

隣に、「龍光山雲住寺」があった。
お地蔵さんがあった。
『橋守地蔵縁起 御本尊は、昭和51年1月26日に、撤去工事中の唐橋の中央橋脚の基礎の地下から出現された石仏でありまして、同時に真鍮製の花筒と御仏飯の器が揃って出てきました。高さ38cm、彫りの深い立派な石仏で、専門家の鑑定によると、室町末期の作で、腕のよい石工が彫った珍しい石仏だそうであります。何時誰が何のために唐橋の下に安置したものか知る由もないが、400年以上も川底で、唐橋を守り続けて来られた石仏であります。
唐橋下より何か出現されると予言していた霊能者によると、この石仏は実は霊験灼然な薬師如来である、橋守社のところへ唐橋の中央に向け小堂を建て、祀ってあげるとよいというので、県当局にその旨を述べ、一般の人々に解りやすく親しみ易いよう通称を、橋守地蔵としてお祀りすることになりました。
依って有志相謀りこの地に地蔵堂を建立し、唐橋下より出現の26日を縁日としてお祀り申し上げ、永く唐橋の安泰と瀬田川並びに唐橋上の交通安全を祈願する』

7時になったので神社巡りを切り上げ、R422~r102~r18~R161で、7:30ヨットハーバー着。
皆に挨拶し、ずっと福岡遠征に行ってるSチームをサポートしていた4回生女子マネSさんがいたので、家内から「持っていく?」と渡されたクッキーを「女子マネさんへプレゼント」として渡した。
2人乗り初レースになる1回生スキッパーを中心に声を掛けた。
緊張しているだろうけど、レースはゲーム感覚で大いに楽しんで欲しい。


8/25・大津周辺神社早朝ツーリング 戸隠神社・新茂智神社・毛知比神社・新宮神社・御霊神社

25・26日、コーチしている大学ヨット部の新人戦で、そのコーチングで琵琶湖に行きます。
8:50出艇とのことなので、その前に大津周辺の神社巡りをしましょう。
対象の神社は、「近江一の宮・建部神社」縁のお宮です。

4時前に目を覚まし、天気をチェックしました。
概ね曇りで、風向SW・風速6~8m/s。
1回生にとっては、少々厳しいコンディションでしょうが、良い練習になりそう。

倉庫から、「招き猫CB400SB」を出し、4:20近所のローソンで、助六寿司399円購入。
R171を東に向かって走り出します。
中央環状線に乗り換え、4:36エッソSSで給油。
253km/9.51L=26.6km/L。
吹田ICから名神高速に乗り、大山崎JCTから京滋バイパスに乗り換え、「南郷IC」で下車しようと思ったら、乗り専用ICでした。
長い「宇治トンネル」を出てすぐにある「笠取IC」で降りるべきでした。
笠取と南郷で2つで1つのICでした。

20180825OtsuS0004s.jpg
「石山IC」で下車し、5:23「戸隠神社」。
鎮守の森がすぐにそれと分かり、歴史の長い由緒ある神社であることがすぐわかった。

20180825OtsuS0017s.jpg
『祭神:天手力雄命 後冷泉天皇・康平年間(1058~1065)、信濃国上水内郡戸隠山鎮座戸隠大明神を勧請。明応6年(1497)再建・永禄6年(1563)再建・明暦3年(1657)奉改・正徳4年(1714)修造・延了3年(1746)再建・天保14年(1843)立替、現今社殿。
20180825OtsuS0027s.jpg
元和4年(1618)12月膳所城主・本多縫殿助康俊、神領として田1反5畝25歩寄進。
慶安5年(1652)9月本多下総守俊次、神領田の外境内東西60間・南北30間を、更に寄進以来明治初年本多康穣まで、歴代膳所城主神領他の外境内地を寄進。
20180825OtsuS0033s.jpg
創立当時より平津村の産土神として村民篤く尊栄。又明治初年より赤尾村の村民も氏子になる。
大正11年5月6日、指定村社に列せられる。昭和53年12月、神社本庁より第2期モデル神社に指定。祭祀:例祭5月5日。境内神社:多度神社・宇気母智神社(稲荷神社)』
小高い丘の上にある鎮守の森に囲まれた静かな神社でした。

R422に出て、瀬田川を「南郷洗堰」で左岸に渡る。
20180825OtsuS0037s.jpg
r29を下り、5:47「新茂智神社」。
20180825OtsuS0045s.jpg
境内中央の折上格子天井の絵馬殿は、雪を被った富士山の絵馬が掛かっていた。

20180825OtsuS0041s.jpg『天平宝字5年(761)5月創祀で建部神社の若宮である。萬寿2年正一位を授けられ、領主・本多家累代の崇敬篤く社領3石を安堵せらる。明治9年10月村社に列し、明治41年4月29日新撰弊帛料共進神社に指定さらる』

20180825OtsuS0056s.jpg
『御祭神:稲依別命・少彦名命・大巳貴神 御神紋:三本杉 天平宝字五年勅を以て稲依別命並に少彦名命の2神を奉じて田上54嶽下津磐根にご遷座し、新餠大明神と号し、建部若宮と称したことが見える。明治9年村社に列格。明治41年宮幣大社建部神社飛地境内神社となったが、後大正7年分離し村社に復旧する。社宝として社記一巻、神領寄進状十二通、宝暦八年の36歌仙額、薗中納言希尹郷筆、
狩野一門画本殿・境内建物:〔本殿〕三間社流造向拝一間・間口二間・奥行一間三尺 〔拝殿〕入母屋造・間口二間三尺・奥行二間三尺 〔その他〕神門 神輿庫 手水舎 社務所 境内社(摂社・末社):若宮八幡神社 長船神社 十明神社 三十万里神社 西宮神社 金刀毘羅神社 主な祭礼:餠立祭・田植祭・千灯祭・厄除祭』
彫刻が良い感じでした。

20180825OtsuS0061s.jpg
5:52、これまた珍しい社名を持った「毛知比神社」。
20180825OtsuS0062s.jpg
『祭神:日本武尊・保食命(うけもちのみこと) 神事:草木祭1/9・例大祭5/5・早穀祭10/9 近江一の宮・建部神社の別宮として奈良朝の天平宝字元年(757)に造営され、2年にご遷座されたのが創り。日本武尊は武徳・厄除の神として。また保食命は五穀を司る神としてお祀りされており、もちひの宮と称するのは、保食命から名付けられたものと伝えられている。
現在の社殿は、延宝4年(1676)に再建され今日に至っている』

新茂智神社と同じ天平宝字年間の建立でした。
建部神社境内の摂社が、田畑の広がりによりこちらに遷座されてきたのかな?
20180825OtsuS0067s.jpg
建部神社境内に掲げられていた日本武尊の征西・東征・伊吹山の神との戦・白鳥伝説のパネルが設置されていた。

20180825OtsuS0071s.jpg
戦後、戦前の明治維新以来西洋列強に屈さないよう天皇陛下を中心に中央集権・富国強兵していった国造りが全否定された。
戦前の指導者はじめ、各界の思想的支柱がGHQの日本弱体化計画のもと公職追放され、そのポジションに共産主義系の者が着いた。
この結果、どの国にもある愛国心・国旗への敬愛でさえ否定され、日本古来の精神性支柱・行動的規範がぼやけてしまった。
こういう小学校で教えなくなった日本神話や天皇家のことを、いろんな場所で啓蒙して行って欲しいと思います。
全国に地域の崇敬を受けている神社があり、啓蒙する舞台としてとても良いと思います。
近江の神社はナイスです。

「あ~、僕は良い両親に恵まれた」
「近所の人も温かだし、気持ちの良い町に住んでいるな」
「私は、生まれ育ったこの県が好き、日本が好き」
とならないと、その社会を「美しく保とう」「ここで楽しもう」「ここをより良くして行こう」という気持ちにならないし、そういう行動も起こらない。

20180825OtsuS0078s.jpg
本殿を囲う玉垣の扉が開いており、日本武尊を祀る本殿横に、瓊瓊杵尊・大国主命・天照大神を祀る摂社が並んでいた。
これほどオープンな神社は珍しいな。
本殿の彫刻も立派だし、参拝者への信頼を感じ嬉しい。
境内には、水神社・琴平神社・愛宕神社の摂社が祀られていた。
神輿が入っているのか、特徴ある玄関屋根の蔵が建っており、神社の歴史を感じさせる。
20180825OtsuS0091s.jpg
奉納神馬の腹に、揚羽蝶の紋様が入っていた。
20180825OtsuS0104s.jpg 

20180825OtsuS0108s.jpg
r108~r29、R1で瀬田川を渡り、石山IC近くに戻り、6:23「新宮神社」。
20180825OtsuS0120s.jpg
この神社も、本殿玉垣内に入れるようになっていた。

R422に出て、瀬田川沿いを上り、石山寺横を過ぎ、6:42「御霊神社」。
『御祭神:弘文天皇 御神紋:三ツ割の菊 御由緒:壬申の乱後3年目の白鳳4年大友皇子の第2子・興多王の指図により、隠山に皇子の神霊を奉斎し大友宮または御霊宮と称した。これが当社の創祀とされている。その後寿永3年の木曽義仲と源範頼の戦斗・承久3年の鳥羽上皇軍と北条時房軍の戦い、建武3年の後醍醐天皇軍と足利尊氏軍の戦い、応仁の乱などたびたびの戦いの都度社殿および社務所並びに旧記などは兵火に罹り、元禄年間にも社殿を改築し竣工間もなく焼失しているので古い文書等の存するものなく創建鎮座など上代の詳細については不明である。徳川時代には膳所藩よりも格別の崇敬があり神領田を賜わり現在城門が移設されている。又、大友皇子がこの地で崩御された忌日が旧暦の7月23日であったのでこれは新暦の8月24日に当るのでこの日に青年会が中心となり千灯祭を斎行している。
本殿・境内建物:〔本殿〕一間社流造・間口2間4尺・奥行3間 〔拝殿〕入母屋造・間口4間4尺・奥行4間4尺 〔その他〕祝詞殿・神門・神輿庫・手水舎・神饌所・千灯舎・絵馬堂・社務所 境内社(摂社・末社):奥神社・八幡神社・大土神社・綿津見神社・稲荷神社』

境内に「大友宮」の扁額の掛かった石鳥居があった。
壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)軍が大友皇子朝廷軍を、瀬田の戦いで大勝し、大友皇子は自刃したので、それへの弔いの形かな?と感じた。

20180825OtsuS0136s.jpg
『高麗門 構造:両軸袖に頑強なる扉を備え、木造瓦葺古風豊である。間口3間1分・奥行2間6分 明治4年、膳所藩廃止に伴う城解体の際、藩主よりお倉門と呼ばれたものを寄付せられ、ここに移した。 慶長年間、膳所城造営当時の古建築で文化財』


8/19・コーチング

コーチしている大学ヨット部のコーチング日です。
3・4回生の主力チームは、博多と江ノ島に遠征中なので、1・2回生中心の練習です。
4時前に目覚めましたが、前日丹後半島ツーリングに出ていたので、早朝歴史探索ツーリングは止めて、自宅でグズグズしていました。
近江一の宮・瀬田の建部神社周辺の神社探索は次回まわしです。

倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、クラブへの差し入れのお煎餅を積み込みます。
なんとかリアボックスに収まりました。
6時前に出発。
R171~中央環状~吹田ICから名神。
桂PAでトイレ休憩し、京都東ICで下車し、湖西道路経由で7:30頃ヨットハーバー着。

みんなに挨拶し、バイク装束を脱いで軽装になりました。
柔軟体操・ブリーフィング後、出艇しました。
来月に迫ったインカレ団体戦予選に向けての1・2回生の心構えを話しました。
現在遠征中のメンバーを主力に戦いますが、レース当日の体調・セイリングの調子・風の気まぐれ・・・いろんなことで最期のレースになるかもしれない4回生は自信が揺らいだりします。
そんな時、気楽な立場で臨め、実力を積み上げている2回生のスーパーサブがいると、ワンポイントやシリーズ通して大きな活躍が望めます。
チーム総合力は下級生の頑張りに掛かっています。
インカレ予選でも結果を残せる実力を積める時期は、この夏休み期間です。
そんな気持ちで練習に臨んで欲しいと思い、少し長めのブリーフィングを取りました。
1・2回生だけでも、10艇出艇できる人数は嬉しい。

AMは、4回生マネ2・1回生マネ2・3回生・1回生と一緒にコーチボートに乗りました。
3回生スナイパーS君は、前日まで博多遠征していました。
遠征前半を終え、交代で帰ってきました。

「高速バスで帰ってきたの?」と問うと、なんと「ヒッチハイク」だそうです。
1人目で高速道路SAに着き、2人目で一気に今朝京都に着いたそうです。
オドロキ・・・

7月の北海道でのレース後もヒッチハイク帰宅したそうで、「国内旅行はお金要らない」と豪語するヒッチハイカーのプロ級の腕を持つツワモノでした。
これに刺激されてか、前半組3回生3人共別々にヒッチハイク・バックしてきたそうで、皆無事に今朝帰ってきていました。
1人は合宿所で寝ているし、1人は神戸の自宅に帰省したそうです。

ロング帆走練習~スタート練習・レースス練習をしました。
1回生スキッパーの艇はまだまだですが、これからが楽しみです。
12時ハーバーバック。
合宿所に戻り昼食。
オムライスのケチャップで絵が描かれています。
僕のはアンパンマンでした。
美味しい・・・部員が食べている中、ホワイトボードを使って、AM気づいた点をブリーフィングしました。

PMハーバーに戻ると、今年卒業したM君がいました。「アレレ~」、コーチボートに乗ってくれるそうです。
ブリーフィングでM君がとても大切な「ノートすること」を伝えてくれました。
4回生ボスマネ1・3回生マネ1・1回生マネ1・2回生1・1回生1と僕でコーチボートにの乗りました。
ロング帆走練習~スタート練習・レース練習をしました。

1回生は、明らかにAMよりスタートが上達しており将来有望です。
未経験で1年前に入部ながら実力でレギュラースキッパー入りし、現在江ノ島遠征中の選手もいます。
チャンスは無限大です。

17時にハーバーバックし、合宿所に戻ります。
M君・4回生マネFさんと3人で話します。
2人は学連メンバーで、レース運営などクラブ外の仕事をしています。
去年は、全日本インカレが水域内の福井県で行われ、その運営を主力で頑張りました。
そのメンバー内の恋バナなどあれやこれや、楽しい話が聞けました。

18:30から全体ミーティング。
Mくんに続き、話します。
今朝、お煎餅と共に持ってきた2冊のハンドブック「熱中症対策」「スポーツ指導者に求められること」を寄付しました。
7月のスポーツ指導者資格更新講習会で頂いたものです。
夏場や大量に汗をかいた時の栄養補給、日大アメリカンなど一連の運動部指導者の極端な上意下達姿勢への警笛が、文部科学省として書かれています。

改めて、1・2回生の1ヶ月後に迫るインカレ予選に向けての姿勢を話し、PM練習で気づいたことを伝えました。
19:30から夕食。
チーズハムフライが美味しかった。

20:10からの全員掃除前に帰路に着きました。
湖西道路~名神高速で、いつもの桂PAアイスクリームを省略し一気帰りしたら、天王山トンネルを越えてから眠くなってきました。
2日連続のバイクと、船に揺られていたからでしょう。

このまま単調な高速道路ではダメだと思い、吹田ICで下車し、中央環状~R171で21:30頃帰宅しました。
バイクを片付け自宅に入ると、家内は既に夢の中でした。

荷物を片付け、風呂に入り、ヨーグルト持って自室に上がり、TV見ながら至福の時間を持ちました。
以前家内と観に行った「君の膵臓をたべたい」をやっていました。
ヨーグルトを食べ終わり、映画はまだ終わりませんでしたが、布団に横になると一瞬で夢の中に落ちました。

8/16・帰省最終日・大阪空港

次男一家が東京に帰る日です。
4日も帰省してくれてありがたい。
長男一家がアメリカ勤務で、帰省できないので私達親に気を使ってくれているのでしょう。
すみれちゃんはとても可愛く、無邪気によくお喋りし幸せを感じる数日でした。
良い家族に囲まれ、楽しく落ち着いた環境で育っているからでしょう。

「1日は3人で・・・」ということだったので、次男たちとは別行動の予定でしたが、生憎の天気予報で、結局夕方の飛行機まで家で過ごしました。
朝、家内を伊丹市街地にバイクで送りました。
少々仕事場に顔を出し帰宅すると、次男がすみれちゃんと「朝ごはん貰いに来たよ」と勝手口から入ってきました。

家内が作ってくれていた朝食を渡し、TV見ながらグズグズしていると、「神社と公園に行くけど、一緒に行く?」とのお誘いで、4人で歩いて臂岡天満宮に向かいました。
葉っぱを拾い、アリさんを観察し、飛行機の音に「飛行機!」と言いながら空を探し、すみれちゃんは話題を振りまいてくれます。

10:34、2年前初宮参りした「臂岡天満宮」。
大好きな手水でしっかり遊び、お賽銭・ガラガラ・手合わせし、「いつもありがとうございます」としっかりと言えました。
小さな頃から寺社に手を合わせ感謝の言葉が言えるから、立派な日本人になりそうです。
お嫁さんは、姉妹2人での旅を伊勢神宮にする「御朱印帳女子」です。
我が家同様、近所に祖父母が住む環境で育ち、ご顕在のお婆さんは日取りを気にする方。
息子も年4回のお墓参りを欠かさに我が家で育ちました。
狛犬が好きなようで次男に抱っこされながら触っています。
天満宮といえば牛なので、牛さんも触っています。

帰りは、公園経由ルートを取りました。
20180816HijiS0008s.jpg
大きな邸宅の庭から大きな犬に吠えられ、怖かったようで唇を噛んでしまいました。
下池には睡蓮が花を咲かせています。
ここでパラパラと雨が落ちてきました。
小雨ですぐ止みました。

広い公園に出て、滑り台に向かって走り出しました。
低い幼児用の滑り台はラクラクで、高い子供用すべり台も平気で滑ります。
バランス感覚が良く、頭が遅れるようなこともなく、ちゃんと座って高速で滑り降ります。
でもブランコは嫌いなようで、私の膝の上に乗せてもすぐ降りると言います。
私も小さな頃経験がありますが、なんとも言えない振られ感が好きになれないのでしょう。

シーソーにも乗りました。
次男が一方に乗り、私が落ちないように横に付きました。
次男がスピードや衝撃を調整していることもあり、ご機嫌でした。
また雨が落ちてきて、今度は少し大粒なので帰宅することにしました。

そのまま、ママとすみれちゃんはお昼寝。
帰ってきていた家内と、TV見ながらあれやこれや。

13:30になり、17:20の飛行機には早いけど、空港に向かいました。
僕は皆を空港に下ろし、車で帰宅し「通勤リード110」に乗り換えて再び空港に向かいます。
13:42二輪Pへ。

次男に電話して何処にいるのか聞くと、1Fピザ屋さんということで、そちらに向かいました。
車の中で、家内に「適当に僕の文を注文しといて」と言っておきましたが、家が近いのでまだカウンターで注文中でした。
みんなでピザを3枚食べ、4Fに上がりました。

「アクタス」という家具のお店の子供フロアを散策します。
長男がアメリカで使ってる座面を上下出来る子供用木製イスがありました。
北欧家具なのか、木製の子供ベッド・子供机・・・いろいろ楽しいものがありました。
ちょっとお高めです。

20180816HijiS0013s.jpg
14:56「よしもとエンタメショップ」で、次男達がお土産を買っていました。
大阪らしいお土産ですね。
20180816HijiS0014s.jpg
「面白い恋人」が人気のようで、山積みされていました。

20180816HijiS0012s.jpg
「NMB48」のショップが併設されており、NMBは吉本興業所属なのかな?NMBメンバーの等身大パネルがあったので、家内と一緒に写そうと「隣に並んで」と言ったら、「何、見比べるの!」とダメ出しを喰らいました。

隣の「ボーネルンド」に次男一家3人が入ります。
子供本人30分・600円で、準備時間として+5分無料です。
延長料金は10分・100円で、いろんな遊具があります。
20180816HijiS0018s.jpg
靴を脱いで入り、屋外にはジャングルジムや水遊びエリアもありました。
長男の子・りょうくん5才が、誕生日会をするプレイ施設の小型版です。
アメリカでは、お誕生会需要が多く、この手の巨大施設が多数あるそうです。
多くの子が、楽しそうに遊んでいます。

20180816HijiS0020s.jpg
僕らは、「アクタス」の大人家具フロアを探索し、約束の15:45に「ボーネルンド」前に行きましたが、まだ遊んでいるようなので、スカイブリッジに出て飛行機の発着を見ていました。
次男から電話が入り、「既に出て、2Fコクミンドラッグ前にいる」とのこと。
家内と手をつなぎながらぼちぼち歩き、お店を探していると、すみれちゃんが走ってきました。
あ~、お手てつないでを皆に見られちゃった。

お店を散策しましたが、すみれちゃんが眠くなったのか機嫌が悪くなってきたので、早めにボーディングエリアに入り昼寝することになりました。
搭乗口まで行き、ここでお別れ、また今度ね。

僕らは、僕の要望でカフェに入ることにしました。
20180816HijiS0024s.jpg
16:22「HOTDOG STEAK CAFE「NICK STOCK」」と言うお店で、ベリーベリーパンケーキ1180円と苺クリームパフェ680円を半分こしながら食べました。
結局これが夕食になりました。

二輪Pまで歩き、13:42~17:06伊丹空港P200円。
帰宅し、昼寝モードに入っちゃいました。
家内は隣の実家に行き、後片付けを始めたのに。
目を覚まし、少し手伝い、風呂に入り20時に寝てしまいました。

8/15・高野山

7:15、近所の御用達GSで満タンに給油しました。
昨夜、次男と相談し、日本三景「天橋立」に行く予定にしていました。
天気予報がイマイチで、日本三景に行くなら晴れの日が良いと思い、天気に関係ない「高野山」はどうかな?と思い、混雑状況を調べてみました。
夏は避暑も兼ね高野山が最も人気のある季節ですが、「通常通り」とのことです。
普通の日曜日よりマシで、平日並み予想です。
息子たちが帰省するのは、盆と正月のみ。正月は雪で危ないし、お盆しか行く機会がありません。
息子たち一家と一緒に参れる機会はそうないなと思い変更しました。

7:30、出発。
車に次男達が乗ってきてから、「天気がイマイチだから、高野山でも良い?」って提案すると、「世界遺産の高野山?いいよ」と二つ返事で賛成してくれました。
近所のコンビニで、朝食を購入。
ローソンのアイスカフェラテが美味しいとの次男夫婦の勧めで、家内が買ってきました。

R171~豊中ICから中国道~近畿道~南阪奈道路に乗り、羽曳野ICで下車し、R170で南下します。
雨がポツポツ。
R310~R371にチェンジします。
南海高野線に沿うようになると峠越えがもうすぐです。
「紀見峠」を越え、紀の川側に下り、紀の川を渡ってR370へ。

真田昌幸・幸村・大助幸昌3代が幽閉された「九度山」を過ぎて登りに入ります。
高野山・標高800mまで登ります。
普通の日曜日でもここから混みだすので、お盆はさらに・・・と思っていましたが、「高野山混雑予想」サイトの予想通り、「普通」でウィークデイ並でした。

順調に山上に上がり、大門横を通過し、Pを探します。
高野山の多くのPは、無料です。
「金堂・根本中堂」エリアから奥の院まで歩くのが王道のコースだと思いますが、道の混み具合から簡単に見つかると思っていたPが満車でした。
「金剛峰寺」横に停車して、家族を下ろします。
僕だけ車に乗って、Pを探しながら奥の院近くの「中の橋」に向かいます。
「中の橋P」手前の道脇に無料Pが並び、10:30その一角に駐車しました。

家内にLINEフォンするが連絡つかず、次男に電話してそちらに向かって歩いていることを告げます。
「刈萱堂」前にいるそうです。
奥の院参道口を通過すると、家族が見えてきました。
無事合流し、奥の院口から武将さんのお墓を見ながら杉の大木の小道を歩きます。
すみれちゃん・2才が楽しく歩いてくれるので、ただ歩いているだけで笑いがあり楽しい。

20180815KoyaS0020s.jpg
嫡孫命名で長男が一字頂いた「司馬遼太郎文学碑」。
20180815KoyaS0028s.jpg
次男命名の拝借した津山藩祖「森忠政公の墓」、父は森可成で私の名。
20180815KoyaS0060s.jpg
源氏の祖「多田満仲公の墓」。
「武田信玄・勝頼の墓」。
20180815KoyaS0078s.jpg
それを見下ろすように建つ檜皮葺小堂「上杉謙信公の墓」。
20180815KoyaS0095s.jpg
「石田三成公の墓」。
20180815KoyaS0098s.jpg
「明智光秀公の墓」。

20180815KoyaS0137s.jpg
次男命名の時拝借した播州姫路藩主「本多忠政公の墓」、その父・徳川家康四天王「本多忠勝公の墓」。
20180815KoyaS0149s.jpg
「崇源院(徳川2代・秀忠夫人)お江の墓」。
前田利長(前田利家嫡男)とその夫人の墓が参道を挟んで建っている。

20180815KoyaS0178s.jpg
長男命名の時拝借した摂津尼崎藩主「青山幸成公の墓」、因みにその父は徳川家康家臣の切れ者・青山忠成で、丹波篠山藩祖であり、次男命名の時拝借させてもらった。
歴史好きの僕は、私自身父に戦国武将の名をもらったので、息子たちにもそれを贈った。
比叡山焼き討ちし、次のターゲットがここ高野山だったという織田信長の墓は、参道から外れた地に小さくひっそりとしている。

20180815KoyaS0181s.jpg
12:15、撮影禁止の弘法大師御廟前に到着し、御朱印をいただく。
20180815KoyaS0193s.jpg
御廟に参拝し、「中の橋P」前のお土産物屋さんで、昼食にしました。
20180815KoyaS0220s.jpg 
20180815KoyaS0226s.jpg
13:59、食事を終え、帰路に着きます。

すみれちゃんは、石畳の参道をしっかり歩けました。
いっぱい笑ってくれ、笑う時の口が可愛く、「JRクリスマス・エキスプレスCM」の女優さんの口に似ているなと思いました。

僕だけ車に戻り、レストラン前で家族をピックアップし、r53~R480~R370で下ります。
「紀の川フルーツライン」という道が出来ており、九度山をパスして早く紀の川を渡るR371の橋まで行けますが、今回は旧道・九度山経由しました。

R371に乗り、紀の川を渡りました。
「紀見トンネル」を抜け、R170~R309経由で「美原南IC」から阪和道~近畿道経由で帰宅しました。

自宅で休憩し、夕食は皆で近所の回転寿司屋さんに行きました。
家内が支払おうとしたら、「最後の夕食だから、私達が払います」とお嫁さんから提案され、ゴチになりました。
次男夫婦は、いつも最後の夕食をおごってくれます。
僕ら夫婦にとってはいつまでも子供だけど、自分で家族を養い立派に育ちました。








8/14・お盆法要&お墓参り

お寺さんがお盆法要に来られる日です。
11~12時の予定です。
朝暇なので庭の草引きをしていると、次男とすみれちゃんが隣の実家から出てきて、あれやこれや庭でしていました。
家内は昼食の素麺を茹で始めました。
次男一家は、伊丹空港スカイパークに飛行機の離発着を見に行きました。

風呂に入り、10時になったので実家に行き、座椅子を仏壇の部屋に用意したり、ぼんぼりをコンセントに繋ぎ明りを付けます。
以前はクルクル回っていたのに、回転が遅くなりました。

次男一家が帰宅し、ノートPCを持ってきて、弟一家に見せる準備をしていると、弟一家4人が来ました。
甥(大学2年)も久しぶりにやってきました。
前日に京都の下宿から帰ってきたんだって。
浪人してから、来なくなっていました。

11時にお坊さんが来られました。
次男さんが高槻に入学したようで、うちの長男の後輩になりました。
これでお坊さんところも中学受験が終わり、ホット一息ですね。
あとは学校と本人に任せておけば、勝手に育ちます。
今年は時間に余裕があるようで、去年より長めのお経をいただきました。

お寺さんをお見送りして、僕らは昼食にしました。
素麺と焼鳥・コロッケ・・・副食材で満腹になりました。
すみれちゃんが皆の笑顔の元を作ってくれて、笑い声が絶えませんでした。
子供は宝物ですね。

14時前になり、お墓参りに出ました。
先に弟一家が出発し、お花を買っといてもらうことにしました。
r13~r12でお墓到着。
20180814BonS0005s.jpg
すみれちゃんが寝てしまったので、僕が車で待つことにしました。
僕はまた1人でお参りしましょう。

草が伸びていたようで、汗だくになって掃除したそうです。
僕はクーラーの利いた車の中で楽しちゃいました。

霊園で弟一家と解散しました。
今まではずっとお盆ハイキングしていましたが、2年前に弟が心筋梗塞してからハイキングを止めました。
またやりたいな。
弟は以前に増して元気そうなんだけど・・・

帰りに、「道の駅いながわ」に寄り道し、お茶することにしました。
でもすみれちゃんが起きず、また僕が車内で待つことにしました。
気持ち良さそうに眠る寝顔が最高です。
可愛いので、中学生ぐらいになるとモデルさんにスカウトされそう。
次男夫婦はすみれちゃん抜きの時間が久しぶりのようで、3人で1時間近くお喋りしていました。
帰ってきた家内が、「お父さんも、なんか食べておいで」と言ってくれましたが、すみれちゃんの寝顔で満腹なので、そのまま帰宅しました。

夕食は別々にしました。
そのまま1日終了。

8/13・次男一家帰省

朝9:30に次男一家が伊丹空港に降り立ちます。
昨日に続き、家内は隣の実家の準備に余念がありません。
それに引き換え僕は、ぐーたら。9時過ぎに家内と車に乗りお迎えへ。

P満車を覚悟していましたが、少し空いており、9:17にPへ。
ぶらぶら歩いて中央のJAL・ANA到着フロアへ。
以前のように椅子が多く置いておらず、待つのにはイマイチです。
周囲にカフェなどがあるので、そちらでということなのでしょう。

次男一家3人が出てきて、すみれちゃんがキョトンとしています。
飛行機を下りてからも大はしゃぎしていたのに、僕らの顔を見て大人しくなったようです。
もう人見知りという感じではありませんが、はじめから全開がいいな。

9:17~10:09大阪国際空港P400円。
自宅に戻り、荷物を下ろして着替えを待ち、30分後に神戸に向けて出発。
家内の姉一家が神戸の高級シニア住宅に集合するので、僕らも誘われました。
義理兄が姉が1人になった時に住む用に購入しました。
一戸建てと有馬温泉のマンションを売り、明石に自宅マンションとここを購入しました。

R171を西宮に向かいました。
そこまでは順調でしたが、阪神高速神戸線が渋滞15kmなので、側道のR43で神戸に向かいました。
新在家付近から混みだしたので、海側の道を適当に走り、約束の12時に15分遅刻して到着。

受付で兄の名を言い、訪問者ナンバーカードをもらいます。
上階のレストランの場所を聞き、エレベーターで上がります。
レストランで名前を言うと、兄たちの席に案内してもらいました。
20180813SunS0003s.jpg姉夫婦・その長男一家3人・長女一家3人がいました。

長女の旦那さんは仕事だそうです。
次女一家は中学受験なのでお休みです。
和食・洋食・麺類の3種類のメニューだったので、僕は和食を選択しました。
僕以外全員洋食でした。
和食には餃子も入っていました。
餃子って和食か?で盛り上がりました。
20180813SunS0006s.jpgすみれちゃんと同級生のけん君がおり、少しお姉ちゃんのすみれちゃんが興味津々です。

昼食を終え、兄たちの部屋に戻り、お兄さん実家が作ったスイカを食べました。
2つももらったそうで、朝から2人で切っていたようです。
「私ら2人では食べきれないから、みんな食べて」と姉はガンガン皆のお皿に載せていきます。

14時から2時間、カラオケルームを予約したそうで、そちらに移動しました。
カラオケルームが2部屋あり、どちらかな?と予約表を見て、ルーム1の扉を開けると既に姪が歌っていました。
完全防音で全く外には音が漏れません。
カラオケに入ったことないのでわかりませんが、最近のカラオケはこんなのかな?

すみれちゃん用に、ABCの歌・ドラえもん・赤とんぼなどを、姪の長女(中3)が入れてくれました。
20180813SunS0012s.jpg姪・姪の長女・次男が代わる代わる歌います。
お嫁さんも次男に促されデュエットしました。
人数分椅子がなかったので椅子を持ってきてもらい、楽しい2時間が終わりました。
16時ジャストに外に出ると、年配のご夫婦が入っていかれました。

ここは介護付き高齢者マンションで、兄が購入した後に法律で入居基準が変わり、70才以上でしか入居できなくなりました。
兄夫婦はそれに達していないので、最も若い入居者です。
前回兄と勝負したビリヤード、囲碁、将棋、映画シアター、図書ルーム・ダンスフロア・・・いろんな部屋があり、クラブもあるようです。

姪一家は夕食も食べて帰るようですが、僕らは御暇しました。
R43~R171で帰宅しました。
僕は家内に頼まれていた買い物です。
今朝トイレの電球が切れました。

17:45ジョーシン川西店で購入。
LEDもありましたが、従来の蛍光灯電球にしました。
LEDは暗いもの。
更に明日のお素麺用食材を購入するため、家内とスーパーに走りました。
夕食は近所の回転寿司さんに注文したようで、18:30に取りに行きました。
皆で実家で夕食です。
20時に解散し、おやすみ。
main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR