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8/12・伊丹空港

前日の大学ヨット部の集まりで帰宅が遅くなり、床についたのが1時でした。
いつものように朝4時頃目覚めましたが、すぐに二度寝に入り8時過ぎに起きました。

家内は、次男一家が明日やってくるので隣の家の掃除に余念がありません。
9:26、庭のホースや箒を買い、干した布団をシーツに入れたりの1日になりました。
家内に言われ、スーパーに買い物にも行きました。

19時になり、リニューアルした伊丹空港探索しに、家内とタンデムで出ました。
空港Pの二輪は2時間まで無料でした。
以前はターミナルの北側から、JAL系列到着~JAL系列出発~中央棟~ANA系列出発~ANA系列到着という順番に並んでいましたが、中央棟2FにJAL・ANA混合到着ロビーができました。

それに伴い、入店するお店も変わったそうなので見に行きたいとの家内の要望でした。
14日にやってくる弟一家の子供たちへのプレゼントも買いたいそうです。
13日Pが混んでいると、僕は車で待ち家内だけでお迎えすることになるので、その下調べも兼ねて。

到着ロビー・展望デッキなどウロウロしました。
閉店していましたが、「よしもとショップ」があり、「キッズの遊べる遊具施設」も見つけました。
「チョコレートリー伊丹空港店」というお店で、キットカットクッキーギフトセットを買いました。
弟の子達へのプレゼントも買えました。
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8/11・綾部/上林城址~ヨット部同期会

10:19「上林城址」。
以前より県道の右側に見えていた山城です。

『上林城は、戦国時代の土豪・上林下総守の居城であっt所で、慶長6年(1601)からは藤懸永勝が陣屋を置きました。藤懸氏はこれから明治廃藩(1869)まで、上林地域を中心に何鹿郡内22ヶ村を支配しました。陣屋下には小さい城下町ができ、上林川には大手橋が架けられました。
今回、自然休養村事業の実施にともない、昭和53年から55年にかけ、中世山城遺跡として全面調査を行いました。その結果、建物遺構や石垣・堀などと土師質の皿・陶磁器・石製品・金属製品が数多く出土しました。これらにより、中世山城の様子や当時の暮らしぶりを偲ぶことが出来ます。遺構の大部分は埋め戻されましたが、出土品の一部は管理センターに展示してあります。私達は、文化財を大切にし、永く後世に伝えるように努めましょう』

コンクリート丸材の階段で山頂まで登れました。
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小さな祠・東屋が建ち、比高は小さいながら独立峰なので、周囲を見渡せました。
独立峰故、大軍で攻められると逃げ場がないので、降参が早まりそうです。
次戦の必勝を願って、一時撤退・徹底抗戦は難しそう。

『古城山の名が残るこの丘陵上には、かつて上林氏の居城が築かれていた。上林谷のほぼ中央に位置するこの独立丘陵上に構えられた城は、上林城あるいは生貫山(せいかんさん)城、蝸牛(かたつむり)ヶ城とも呼称される。
上林氏は、丹波氷上郡の土豪赤井氏の一族で、足利尊氏に従って功を立てた赤井秀家がこの地・何鹿郡上林庄に住み、初めて上林姓を称したという。天文2年(1533)の光明寺再建奉加帳には上林氏一族11名が有力施主として名を連ねていることから、この頃までには上林氏が上林城を拠点に上林谷一帯を治める大きな存在となっていたようだ。
上林城跡は昭和53~56年度に発掘調査され、城の規模や構造が明らかになった。城は、丘陵頂部の本丸を中心として東西南北に廓を配している。発掘で検出された石垣など数々の遺構から、この城が高度な築城技術による本格的な居館であったことが判明した。また、多量の出土遺物からは、この城の最盛期が16世紀前半であることもわかった。
16世紀後半、明智光秀勢の上林侵攻などにより、上林氏の勢力は弱まり、天正元年(1573)以降、上林氏一族はその発祥の地・上林からの退転を余儀なくされていく。一族は各地に転出していくが、そのうちの一派は宇治で茶業を始めて成功し、宇治の茶舗・上林家として有名になった。
上林氏退転後、慶長6年(1601)に藤懸永勝が上林に入り6千石を領した。藤懸氏は先の上林城の麓に陣屋を築き、明治になるまでこの地を治めた』

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麓に下ると、城址の館のような長屋門のある家がありました。
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地元の名士でしょう。
r1に戻り、先に進みます。
右折して、沢沿いに「鳥垣渓谷」方面に入っていきます。
美しい渓谷を見たかったのですが、未舗装になり撤退。
地図には白線の道が「シデ山」まで続いており、楽しみにしていたのに・・・

r1に戻ると、往路と別の道を選択したら、10:58「坂尾呂神社」があり寄り道しました。
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ここの彫刻も素晴らしく、綾部の神社は彫刻が良いです。
蟇股に兎の彫刻があり珍しい。
再建した江戸時代の技術者の優秀さを感じます。

『祭神:須佐之男尊 本殿は寛政6年(1789)、領主の許可を受け再建に着手。6年後、若狭日置村の彦兵衛の手によって落成。古文書に、「若狭日置村彦兵衛此人宮宅普請巧者大工故頼被申候 作料高・銀四貫五百匁・米二十石・相極候」と記されている』

「板尾呂の里」というのがあり、丘の上に登って見ると、比高はあまりないが気持ちの良い景色が広がっていた。

バイクに戻り、r51に出ました。
r51「草壁川」沿いを山に登って行きます。
地図の道は点線になりますが、「洞峠」を越えるとR162に繋がります。
開通するといいな。

水が横断したりしていますが、割合綺麗な道が続いています。
気持ち良く走っていると、「車両通行止」看板が現れ、道が半分塞がれています。
ここで踏ん切りが付きUターン。

11:22「大岩の滝」。
『60mほどの天空から流れ落ちる清流は、幾重にも姿を変え草壁川に吸い込まれる。清流は、草壁川から上林川を経て由良川へと導かれ、やがて日本海にたどり着きます。「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」の思いをのせて・・・』

r51を下り、r1に戻り先に進みます。
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小学校廃校?があり寄り道しました。
r1をさらに進み、r771へ右折して田舎県道を楽しみます。
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沢沿いの交通量のない道を、のんびり流していると、穴凹が空いていたり、落石があったりで道が荒れてきました。
12時を過ぎたので、Uターンして帰路に着きます。

r1に戻り、R27にチェンジし、由良川沿いを遡ります。
12:56「道の駅・和」に寄り、牛肉コロッケ250円(コロッケ3個)を昼食にします。
最も暑い時間帯なので、クーラーの部屋でゆっくり食べました。

バイクに戻り、R27を更に進み、r60~R27~R9~r702~r453で「中山峠」を越え、R372を渡りr54で「るり渓」を通過し、R173に出ました。
R173は昨年秋から通行止区間が解消されておらず、細い・交通量が少ない楽しい県道を縫いました。

R173秋の通行止区間はr54との合流点以北だったのに、「はらがたわトンネル」の南でも通行止めになっており、旧道に迂回しました。
R173に合流し、14:27「ファミリーマート能勢町栗栖店」で、「ガリガリ君ソーダ・75円」でクールダウンしました。
R173を南下し15時過ぎに帰宅しました。

バイクを倉庫に片付け、風呂に入り汗を流し、ヨーグルトを食べ、大阪に出かける用意をしました。
17:30に「通勤リード110」で家を出て、北伊丹駅バイクPに200円で停め、JRで大阪に向かいました。
19時「K'sスクエアB1F個室居酒屋辻屋大阪梅田店・遥」に大学ヨット部の1学年上の代5人が集まるので、それに参加します。

30分ほど前にお店に到着しましたが、僕がトップでした。
この日、クルージングに先輩方を誘いましたが、皆さん用事があるようで実現しませんでした。
僕の代2名を加え7名でワイワイやりました。
学生時代の話などいろいろ。
2時間ほどいて、北海道在住で京都帰省ついでに参加したM先輩が宿を取っている新阪急ホテルのバーで、2次会をしました。
ここでもワイワイ、僕はアルコールが飲めないのに楽しい時間を持ちました。

お開きになり、同じ市内に在住するKさんと一緒にJRに乗りました。
Kさんとは小学校が一緒で、中学受験するための家庭教師先生も一緒。
中学に入学しサッカー部に入ったら、そこでも一緒。
高校に進学しヨット部に入ったらまたまた一緒、そして大学ヨット部では2年間コンビを組みました。
何という縁でしょう。
あまりにお喋りに熱中しすぎて、JR尼崎駅を乗り過ごし、JR芦屋駅まで行ってしまいました。
結局12時近くの帰宅になってしまいました。








8/11・綾部/グンゼ本社~山家城跡ツーリング



r709に戻り、綾部駅横でJR山陰線を渡り、8:29「グンゼ本社」前。
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広い駐車場がありました。
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東の高城山山頂に中世の山城「位田城」跡が見える。

20180811AyabeS0204s.jpg『波多野先生遺徳碑 正二位勲一等伯爵清浦奎吾題額 丹波八上城にして従三位を贈らる。波多野君、諱は秀治。尊王事跡として汗青(史書記録)を照らす。其の後裔にして中上林に居る者を鶴堂先生と日う。先生諱は鶴吉、本姓は羽室、波多野氏を冒す。人と為り、誠忽(まごころがあついこと)謹直にして創始の才あり。夙に済世の志を抱き、以て我国富の源は蚕糸貿易に在りと為す。年、未だ壮ならざるに蚕業一筋に志し、其の企画するところを喩ず(変えない)。闇然たれども日に章かとなる。
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明治19年、何鹿郡蚕糸業組合を創めて、其の長となる。31年、蚕糸同業組合と改称し、長と為るは故の如し。又京都府蚕糸同業聯合会組長を兼ぬ。大正5年3月、皆、之を辞して専ら、郡是製糸株式会社を経営す。先生は府郡の蚕業を統ぶること30余年、農家に勧めて、養蚕の法を改め、製糸家を督して治糸の術を究む。伝習所、講習所を設けて、人材を教育し以って指導に任に当らしむ。道徳に経済に
薫化行わるるは此れ其の誠が之を動かす者なり。昭和7年4月、官は法を改め、蚕糸同業組合を廃す。惜しいかな先生の遺業は一隅に、忽ちその名を亡ぜんとす。
20180811AyabeS0211s.jpg然れども、其の実は既に府下に遍く、何ぞ必ずしも区区たる何鹿郡と謂わんや。
先生、那是会社に長たること亦、久し矣。大正6年11月、皇后陛下行啓され功績を嘉賞され、七宝香虚を賜う。宵に光栄と謂うべきなり。7年、2月23日、急に長逝、朝野椀惜(悲しみ惜しむ)す。是より先、緑綬褒章を賜い正六位に叙せられる。
没後、大日本蚕糸会総裁裁仁親王、恩賜賞を追贈するは亦、以って其の誠の感ずる所を見る可し(矣)。
初めに先生、郡是会社を創むるや、曰く、以って何鹿一郡の蚕繭を治むるを得れば則ち足れりと而るに今や、工場は30余を置き、綿として(連なるさま)本土・九州・朝鮮に施及(広く及ぶさま)す。其の生糸は本邦輸出の1/10を優占し以って、国家に貢献す。此の期せずして自ら至りし者は惟うに先生の至誠、能く之を成したるなり。先生、夙にキリスト教を以って会社に訓え、後に川合信水先生に請いて、自ら学びて後に人を治めんと欲し、弟子の礼を執る。天道の説全きを聞くや、面目を新らたにして射を以って範を示めし大事業を教化す。没せんとする日、在郷軍人会に抵りて日本魂の義を論じ、糠慨激越して疾俄かに発して終に立たず。嗚呼、先生の尊王済世の志業は死に至りても口に絶たず。能く先徳に匹敵する者と謂うべきなり。
頃者(近ごろ)前組長小雲君嘉一郎等、碑を建て、以って、先生の遺徳を勒せんと欲し、予に文を請う。囚りて見聞する所を略叙す。銘に曰く。
天の命ずる所、篤く信じて疑わず。師の教うる所楽しみて以って之を行う。道義を根と為し、枝を分ち、滋蔓、四疆す(四つに分れて)。養蚕桑繭絲は斉家の本にして富国の基。扶桑(日本)樺域(朝鮮)遍く光輝を見る。皇后行啓され紫惟に賜す。恩栄、前に光る。遺業は隆として四雄(尾)山麓、由良川の岸に及ぶ。功徳をしるす大いなる石に深く刻む。徳聾以って広まるを。
波多野翁頌徳碑移転の記 この碑は昭和7年8月、何鹿郡蚕糸同業組合が解散の記念に、同組合ならびに郡是製糸株式会社の創設者・波多野鶴吉翁の遺徳を偲び、並松町の波多野記念館(現市民センター)前に建立されたものであります。今回グンゼ創立80周年を機会に波多野翁顕彰公とグンゼ南丘会の要望をもとに関係者の賛同を得て、翁にゆかりのこの地に移設し、永くその偉容をとどめることといたしました。
題額・伯爵:清浦奎吾閣下・内田又一郎先生・小川鶴斉先生
昭和51年11月 綾部市長:羽室清 グンゼ株式公社収締役会長:小林實 元何鹿郡蚕糸連合会会長:山口武右衛門』



バイクに戻り、「J-Quest綾部店」で給油。
218km/6.87L=31.7km/L。
r77からR27に出て、由良川沿いを東に走ります。
20180811AyabeS0214s.jpgr1との分岐を過ぎ、左折して9:21「広瀬八幡宮」。
20180811AyabeS0226s.jpg特に由緒ある神社ではありませんが、彫刻が素晴らしい。
武家が主権していた時代の綾部の経済力の高さを感じます。

20180811AyabeS0236s.jpg9:31「山家城跡」。
『谷出羽守衛友が天正10年秀吉より1万6千石をもって、美濃国から封ぜられた谷藩政中心の地。衛友の父は、大膳亮衛好といい織田信長に仕え、天正4年・大坂本願寺攻めに軍功を上げ家紋「揚羽蝶」を賜るが、天正7年播州三木城別所長治攻めで討死し、三木如意山金剛寺に祀る。
山家初代藩主出羽守衛友は、父・衛好と共に三木城攻めに加わり、父討死の時、その屍を奪い返し仇を討ち取る。この時の勇戦の感状を、秀吉から家紋「五三の桐」を受け本領(山家)加増され、山家に封ぜられた。
城址内の灯籠には、こうした史実を止める「揚羽蝶」と「五三の桐」の紋が残されている。こうした歴史を秘める山家城跡は21300平方メートルを有し、城址内に藩主の祖霊を祀る。「谷霊神社」や背後の山腹には式内社の1つである「伊也神社」がある。この城址は、春は梅と桜、夏は色濃い緑に上林川の瀬音、秋はもみじの紅葉と、広く市民が憩う風光明媚な地として親しまれている』

『この城は、由良川本流と上林川の合流点の突端部の断崖を利用して構築されたものであるが、このあたりは傾斜がゆるやかで、上林川方面からの敵の侵入を招きやすい。そこでこの部分に二重の竪(たて)堀と横堀をめぐらし、さらに内側に石垣を積み上げて侵入を阻止したもので、山城から平城への過渡期の姿をとどめている。
天正10年(1582)、谷衛友がこの地に築城した時期に構築されたものと考えられ、当時の緊張した様子をうかがう事ができる。城内の井戸とともに数少ない近世城郭遺構である。 石垣の高さ:5m 東西の長さ:119m 南北の長さ:70m』

20180811AyabeS0242s.jpg復元城門には、「揚羽蝶」家紋が掲げられていた。
揚羽蝶と言えば平家の家紋で有名です。
平家以外でこの家紋を持つ一族は少ないので嬉しかった。
20180811AyabeS0244s.jpg城跡を一周しました。
立派に整備したようですが、訪問する城好き観光客は少なく、朽ち果てつつあります。
20180811AyabeS0266s.jpg井戸跡がありました。

城門を出て、目の前にある神社への道を登ります。
20180811AyabeS0276s.jpg『延喜式内・伊也神社 鎮座:広瀬町城山 境内:694坪 祭神:大日霊貴尊・素盞嗚命・月夜見尊 縁起:崇神天皇の御代、丹波道主命、この地に先臨し給い、甲ヶ峰の麓に宮を築き祀られたのが初で、後「伊也神社」を勧進し何鹿郡延喜式12座の1に数えられている。
天正年間中、火災により焼失。その跡を御社と呼び、文化7年(1810)10月従二位清原宣光公願成就により、現在地盤座の清地に御本殿を移転・新築された社である。明治3年類焼、翌年再建、昭和55年修復す』

『甲ヶ峯城跡(左衛門屋敷跡)ここより471m 照福寺跡:甲ヶ峯城跡より116m』
伊也神社まで登りましたが、それ以上の城址や山寺跡には登らずバイクに戻りました。
R27に下り、右折してr1に乗り福井県高浜方面に向かいます。
この道は最高に気持ちが良い。

8/11・篠山~綾部/神社・林道ツーリング

19時から、大学ヨット部1回上の大阪梅田での同期会に呼ばれています。
それまでツーリングに出ることにしました。
歴史・寺社・林道探索エリアは綾部~大飯町~南丹町にしました。
京都府道r1・R162につながる山中でエンドになる林道が気になります。

4時前に目覚め、バイク装束に着替え倉庫から「里山VTR250」を出しました。
4:30に出発し、北を目指します。
長尾山トンネルを抜け、r325~r33~r319~r12に入り、「後川」で休憩。
夜明けが遅くなり、5時になって朝の気配がしだし、5:30になって漸く明るくなりました。
ここで、ドライブレコーダーON。

城東トンネルを抜け篠山盆地に下ります。
R372に突き当たり、ガソリン補給しようとGSに寄ろうと近づくが開店前。
R372を西に進み、右折してr304、篠山川を渡ってr305。
20180811AyabeS0002s.jpg田んぼの広がる地帯に入ると、篠山名物の朝霧が濃くなって来たので停車し激写。
更に進むと、「古墳」を想像させる小山と水堀が見えてきたので停車し激写。

登ってみようと寄り道し、小山を一周しました。
適当な場所を見つけ、小山に登ってみましたが、古墳や中世の城の遺構は見つけられませんでした。
r305に戻り先に進みます。
右折してr300に乗り、多岐アルプスを登っていきます。

5:58「大乢」。
20180811AyabeS0024s.jpg「フォレストアドベンチャー丹波篠山」を見て回ります。
バイクに戻り、多岐アルプス北側に下り、r300に合流し左折。
「本郷」でr97を渡り、r710に乗り北上します。



R9に合流し、6:43「ローソン福知山三和町店」により、「牛肉入りコロッケたまごロール150円」をイートインしました。
R9を北上し、右折してr522に入り、7:05「生野神社」。

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『延喜式式内社・生野神社記(御弊神社) 式内社とは、延長5年(927)藤原忠平によって調査され、延喜式目に選上録された中央政府にも相当名の知られた神社のことで、当市内に4座ある。
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祭神は、天鈿女命(あまのうずめのみこと)で平和な舞踊や音楽を愛好されると共に、九州から伊勢まで男神を無事送り届けられたという勇ましい女神様でもある。
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徳川時代の参勤交代には、当地方の領主・綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山・舞鶴・宮津・峰山・豊岡・和田山などの大名が行列美々しくこの道を通る時は、必ず参拝して長途旅行の安全を祈願し、神前の榊の枝葉を戴いて御守とし、帰途これを返納したので以来、旅行・出張・転勤・外遊等の生活と道中安全の神様として有名である。
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社殿は、慶長年間(1600)関ヶ原の頃、社殿の改築があり、更に元禄年間(1700)忠臣蔵討入の頃、神祇管領より正一位を授けられているが社殿は後の山上にあった。
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明治6年(1873)生野神社と改称、昭和4年(1929)拝殿新築、昭和8年(1933)社務所を建てた。
御幣神社、鎌倉時代(1200)から江戸末期(1800)までは、みてぐらはんと称えていた。これは、綾部藩主・九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立てていたが、毎年当神社へ御供米を奉献していたので、御幣(みてぐら)と呼ぶようになったという。
祭日は、春季大祭4月11日で、子供相撲や剣道大会が奉納され、秋季大祭は10月10日で市内随一の重量1125kgで、80人の氏子が奉仕する金色燦然たる御神輿と、子供樽御神輿や御幣太鼓3基が綾部藩奉納の武具行列と共に、勇壮な奴毛槍道中が繰りひろけられるのも名高い。
氏子は、三俣・池田・堀越・正後寺・坂室の約250戸で、全地域を御神輿が巡行し、各区の御旅所で休憩するが、江戸中期には、下六人部学区の多保市の西和田ノ前という所に6m四方位の岩塚があり、その付近が、中六人部学区の一宮神社の御神輿と、上六人部学区の御幣神社の御神輿と、立会祭礼の御旅所であったともいう。
御加護。いづれにしても地域社会の発展と商売繁盛・家内安全・学業成就・歌舞音曲の上達や旅行道中交通安全の神様として、御加護は素晴らしいものがある』
社殿には、素晴らしい彫刻が施されていました。

r522に戻り、「平石峠」を越え、「由良川」に下る予定でしたが、土砂崩れ通行止で得意のUターンになってしまいました。
R9に戻り南下。
左折してr59に乗り東進し、左折してr709に入った所にあった「渋谷神社」に寄り道。
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地域の何処にでもあるような神社ですが、細かな彫刻されており、この地域の特徴かな?と思いました。



r709を北上し峠を登っていくと、「大型車通行止」看板が道路に置かれていました。
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またUターンかも?と思いましたが、「長宮峠」を越えることが出来ました。
この峠にも、先月の大雨土砂崩れの爪痕が何ヶ所も残っていました。
綾部側に下り、8:06「若宮神社」に寄り道しました。

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石段を上り境内に入ると、多くの地元の方がお掃除中でした。
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畳まで干しています。
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こも拝殿の彫刻が見事です。
若宮神社の主祭神は、八幡の神「応神天皇」の若宮「仁徳天皇」。

8/7・サマースクール

アメリカに東海岸に住む長男のお嫁さんから、LINEが入りました。
家内がLINEで、「地域の盆踊りで自治会の「かき氷販売当番」したけど完売しちゃった」と送った返事として、今年の日本の暑さは世界中で話題になっているようで、アメリカ人にも「日本暑いんだね!」と言われることを教えてくれました。
プリンストンも夏の始めはかなり暑かったのですが、最近は落ち着き最高気温で30℃前後のようです。

りょうくん(5才)は、毎週火曜日と金曜日はサマースクール(スイミング・ジム・サッカー各40分)に通っています。
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プリスクールから、みんなでスクールバスでスポーツセンターへ行くそうです。
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送られた写真を見ると、プリスクールでの工作、サマースクールでのポニー乗馬・スイミング・トランポリン・サッカーと楽しそうです。

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ゴーカートを運転している写真もありました。
遊園地のゴーカード場でしょうが、日本によくある子供だまし的なものではなく、本格的なカート場と同じでした。
こんなサマースクールもあるのですね。
こういうのが良いです。

日本はスキーでも、子供用貸しスキーは長靴で履くようなものが用意されていたりしました。
「こんなの余計バランス取れないわ」と、幼児の時からちゃんとした板とブーツを子供たちに買い与えました。
子供をバカにしてはいけません。
大人が一人前に扱ってこそ、子供は甘えをなくし一人前になります。

そんなスキーを幼児の時から与えられて育った長男は、りょうくんに本格的なゴルフパターを買ってあげています。
住宅地から道を隔ててすぐにパブリックのゴルフ場があるので、長男は会員になっています。
アメリカはゴルフは安く、1ラウンド15ドルだそうです。
休日の週末の朝、会社の同僚などとゴルフ場で集合し、1ラウンドして現地解散し、お昼までに帰宅してPMは家族と過ごします。
アメリカ人のお父さんは、日本のように週末1日中家族放ったらかしの習慣がなく、家にいて日曜大工などしながら家族と過ごすのが定番だそうです。
りょうくんは、長男が1ラウンドしている間、お母さん・弟とパブリックゴルフ場のパター練習場でマイグラブ握って遊んでいるそうです。
また、本格的なアイアンも買ってもらい、パター練習場横の打ちっぱなしで打ってるそうです。

それ以外の日も毎日どこかしらにお出かけしており、ミュージカル・遊園地・ウォーターパークとハードな夏を過ごしているようです。
でもりょうくんは楽しくて、元気いっぱいのようです。

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もうすぐ生後2ヶ月になるルーカスくんは、順調に大きくなっており、1ヶ月検診でお医者さんに褒められたそうです。
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写真を見ても、もっと大きく生まれたこうちゃん(2才)の生後すぐより大きく見えます。
1ヶ月間渡米してお世話してくれたお嫁さんご両親の話でも、「重くて・・・」の言葉がありました。

こうちゃんの6ヶ月検診の時は、「少し小さい、ちゃんと食べさせているか」と注意されたぐらい、アメリカ人の子は平均的に大きいです。
アメリカ人平均で大きくなったら、デカすぎのブタになりそう。

穏やかな性格のこうちゃんは、お母さんが世話するルーカスくんにヤキモチやくこともあまりなく、可愛がってくれるそうです。
ルーカスくんが色々分かるようになったらこうちゃんのことが大好きになるだろうなーと感じるそうです。

プリスクールに、フォトグラファーがやってきたそうです。
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テーマのアメリカングラフィティー/エルビス・プレスリーの時代らしく、いろんなポーズのモノクロ写真を撮ってくれたそうです。
アメリカの人物写真の定番で、皆歯を出して笑顔です。

8/5・近江大津/建部神社~ヨット部進水式・OBOGデー

『皇太子殿下・皇太子妃殿下・行啓記念樹』お手植えだそうです。
摂社「日本武尊の御妃・布多遅比売命:藤宮神社」「日本武尊の御子・建部稲依別命:若宮神社」「日本武尊の家臣・弟彦公:弓取神社」「日本武尊の家臣・石占横立・田子之稲置・乳近之稲置:箭取(せんとり)神社」が並んでいました。

『琵琶湖とその水辺景観・祈りと暮らしの水遺産 人々は、琵琶湖の水や山からの湧き水を生活に取り入れ、水を汚さない工夫をしながら生活を営んでいました。
また水を神として敬い、信仰の対象としてきました。湖辺の集落では、湖魚を用いた独自の食生活や伝統的な漁法が育まれ、独自の景観を生み出してきました。
滋賀では、このような水と人との関わりが今も息づき、大切に受け継がれています。
建部大社は1300年の歴史を有し、御祭神は日本武尊をお祀りしています。社宝として平安時代作の木造女神像と、鎌倉時代建立の石灯籠が重要文化財に指定されています。また毎年8月に行われる船幸祭は大津三大祭の1つとして、瀬田川の安全と水の恵みに感謝する祭儀として知られている』

宝物殿(200円)があったが、開館前でした。
少し大きな摂社『諸願成就の神:八柱神社』がありました。
『家内安全・商売繁盛・稲倉魂命:武富稲荷神社』
『結びの神・草野姫命:大野神社』『山の神・大山祇命:桧山神社』

社務所に向かいましたが、まだ開いていないようです。
御守などを覗き込んでいると、何処で気づいたのか「はい、お待たせしました」と神官さんが出てこられました。
「交通安全シール(500円)と絵馬(500円)をいただきたい」と言うと、「絵馬はここにないのであちらでどうぞ」とのこと。
初穂料1000円お渡しし、ステッカーを受け取り絵馬殿に向かい授かりました。

古い使われなくなった祠が置いてありました。
これ頂けないかな~。
Pに戻ります。
周囲に、ここから近いお宮が写真入りパネルになって掲げられていました。
神社好きな僕にはピッタリで、これは良い。
場所を下調べして、ナビに登録しておきましょう。
僕のナビは訪問ポイントが、いくら訪問しても増えるばかりです。

7:42、まだ時間があるけど、YHに向かいます。
r16で瀬田の唐橋を渡り、右折してR422。
瀬田川沿いを北上します。
r102~r18~R161。
8:08「セブンイレブン大津松山町店」で、「プレミアムフレッシュバナナ213円」を購入。

8時にYHに到着し、軽装を持って更衣室で着替えました。
みんなに挨拶し、桟橋で朝食としてバナナを1本食べました。
部員が続々と到着し、ヨットの艤装を始めます。
艇庫前に今日進水式をする新艇が出されました。
4回生Ka君が乗ります。
進水式で出艇するメンバーを聞くと、3回生スキッパーのクルーを務める470リーダーが乗るそうです。

9時を回り、OB・OGさん達が集まりだしました。
僕が作ったジュニアヨットクラブに所属しヨットを続けるNukさん母娘がやってきました。
お母さんはこのクラブ出身で、選手として活躍しました。
他大学ですが、同じくヨット部出身の旦那さんと結婚し、お嬢さん2人ともジュニアヨットをしています。

一緒にやってきたお嬢さんは、ジュニアワールド選手で、高校生になりシングルハンドで国体に出場しています。
妹さんは現在シングルハンドヨットの世界選手権で、スペインにお父さんと共に遠征中です。
2回生2人・1回生3人と、女子選手が2年連続で入部したので、たまにでも良いから選手OGとしてお母さんに話をしてもらいに来て欲しい。
メールでそうお願いしていました。
これをきっかけに来てくれたら。

9:30になり、進水式開始。監督に続き私に挨拶の指名があり、適当に僕が4回生で新艇を入れた時の喜びと、そのレース艇で走りまくった思い出を話しました。
僕の生涯の思い出です。
今年は、S級にも新艇が入り、今年に掛けるものがあります。是非良い結果を・・・

新艇をスロープに出して、4回生マネージャーリーダーYagさんがシャンパンをバウデッキに掛けます。
4回生2人が乗り込み出ていきます。
風が弱いですが、ハーバー前を一周して戻ってきました。

続いて、OB・OGが乗るヨットが出ていきます。
OB・OGさんが着替え、Nukさん母娘を現役女子部員に紹介します。
興味津々でお母さんの大学生時代の思い出やアドバイスを聞いていました。
OGが少なく、練習をコーチングしに来てくれるOGはゼロなので、貴重な時間です。
自分の将来像を描けたらいいな。

前半組・後半組がハーバーに戻ってきて、お昼ご飯を食べに行かれました。
このクラブの現役選手にOBがいる同じハーバー内で練習する高校生ヨット部員が2名参加しています。
このクラブのOBのお孫さんと友達です。
大学生の少し大きなヨットに乗れ、楽しんだようです。

OB・OGさんの試乗が一段落し、部員たちは練習に出ます。
僕は新艇の2ボート・チューニングに付き合うことにしました。
N3~4m/sの良い風に恵まれ、良いチューニングが出来ました。
随時、コーチボート上から見える2ボートの違いをアドバイスしました。
乗っている者が、スピード・アドバンテージを敏感に感じるので、いろんなチューニングを試し、速いボートを作るのも選手の能力です。

17時にハーバーバックし、帰路に着きます。
また更衣室でバイク装束に着替え、湖西道路~名神高速。
交通量が多く、停滞はしないけど、渋滞で10~40km/hが京都南ICの中間ぐらいまで続きました。
17:40「桂川PA」とお決まりの「バニラソフト140円」で糖分補給。
中国道・豊中ICで下車し、18:24御用達の「セルフ北村SS」で給油。
254km/8.93L=28.4km/L。

8/5・近江大津/建部神社

6:58「近江一の宮・建部大社」。
20180805TakebeS0036s.jpg 鳥居前にバイクを止め激写タイムしていると、地元の方に声を掛けられました。
「神戸から来られたのですか?わざわざ遠くから」。
8/17の「納涼船幸祭」について詳しく教えていただきました。
稚児行列、大社から神輿行列、瀬田の唐橋から神輿が船に乗り、南郷洗堰まで往復するそうです。
花火大会も催され、8/7の琵琶湖花火大会ほどの規模ではありませんが、とても綺麗だそうです。
氏子の方でしょうか、建部大社大好きが伝わってきました。

『御神徳 日本武尊:開運・出世・必勝・厄除・災難除 大己貴命(大国主神):緑結び・商売繁栄・家内安全・病気平穏・醸造
景行天皇46年(316)御妃布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が神崎郡建部の郷(御名代の地)に大和武尊の神霊を祀られたのが始まりとされ、天武天皇白鳳4年に、近江国の中心である瀬田の地へと遷し祀られました。
古来、「唐橋(日本三大古橋の一つ)を制する者は天下を制す」といわれてきたように、瀬田川を扶んでの戦が数多く、当社も幾度となく戦火に見舞われていますが、その度に再建され現在にいたっています。
御祭神・日本武尊は九州の熊襲(くまそ)族・東国の蝦夷(えみし)を平定され、日本の基を作られた英雄です。武勇必勝の神・厄除け開運の神として篤い崇敬を集めています』

20180805TakebeS0039s.jpg バイクで鳥居をくぐり参道を少し入ったところにあったPに駐輪。
『景行天皇46年(316)4月神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊の御神火を建部大神としてお祀りしたのが創りである。天武天皇白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地にお遷し、この国の守護神として仰ぎ奉られるようになった。天平勝宝7年(755)には、孝徳天皇の勅により大和一の宮大神神社から大己貴命を勧請し、権殿に奉斎され現在に至る』

20180805TakebeS0048s.jpg 参道を歩いていると、「ヤマトタケル神話」がパネルになって貼られていた。
『1 ヤマトタケルの西征 ヤマトタケルノミコトは、父(12代景行天皇)の御子・小碓命(オウスノミコト)として生まれます。父はオウスノミコトに朝廷に従わない西国の九州(クマソタケル)兄弟を征伐するよう命じました。クマソタケル兄弟の館を見つけたミコトは、女装して宴に紛れ込み、熊襲兄弟が酔ったところで忍ばせていた短剣で熊襲兄弟を討ちました。熊襲兄弟を討ったことから強
者の称号である「タケル」をもらい、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と呼ばれるようになった。
2 日本武尊と草薙の剣 西国征伐から戻ったヤマトタケルノミコトに景行天皇は、東国征伐を命じます。途中、伊勢神宮に立ち寄り叔母のヤマトヒメから神剣・天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と、火打具を授かりました。駿河国に達したミコトに国造(クニノミヤツコ)たちは「沼に住む荒ぶる神に困っております」と、野に誘い出され四方から火を放たれました。退路を断たれたミコトは、ヤマトヒメから授かった神剣で草をなぎ払い、火打具でむかい火を放って野火から脱出します。後に火で焼いたことからこの地を焼津(やいず)/静岡県と言い、草を薙ぎ払った神剣は草薙の剣(クサナギノツルギ)と呼ばれるようになりました。
3 后・オトタチバナヒメの入水 更に東へ進んだヤマトタケルノミコトは、次に相模国から船で海路を進み上総国へ渡ろうとしました。しかし、海が荒れ船を進めることが出来ずにいると、同行していたオトタチバナヒメが、「私が海に入って海の神を鎮めましょう」と言って自ら荒波に身を投じたのです。すると、たちまち荒れ狂っていた海は静まり、無事に対岸に着くことができました。
4 ヤマトタケルと伊吹山の神 東国を平定し尾張国に戻ってくると、今度は伊吹山に悪い神がいると聞きつけたヤマトタケルノミコトは、神剣・草薙の剣をミヤズヒメに預けて征伐に向かいました。伊吹山を登る途中、牛ほどの大きな白い猪に出会い「これは山の神の使いだな!帰り道で相手になってやろう」と大きな声で威嚇してやり過ごしました。すると突然激しく雹(ひょう)が降り出し行く手をはばまれます。実は白い猪は山の神の使いではなく、山の神だったのです。
怒りを買い雹(ひょう)に打たれて衰弱したミコトは、やっとの思いで山を脱出し故郷の大和国を目指します。
5 ヤマトタケルと白鳥伝説 大和国を目指し歩き続けたヤマトタケルノミコトは、「足が三重(みえ)に曲がり固い餅のようだ」と嘆いた事からその地を三重(みえ)といわれるようになりました。更に体調を悪くしたミコトは国しのびの歌を詠みます。「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし」と詠み、伊勢の野褒野(三重県鈴鹿市)でついに力尽き息を引き取ります・・・
妻や子供たちが駆けつけると、ミコトの魂は白鳥となり能褒野から河内の志紀(大阪羽曳野)へと飛び立ちました。今も白鳥伝説として語り継がれています』

社門は檜皮葺で落ち着いています。
『近江一の宮・建部大社を讃う 三杉の神木蒼穹(そうきゅう)に聳(そび)え 千古の宮居(みやい)恵風満つ 太平恩沢悠久のこと 建部の弥栄(いやさか)敬虔(けいけん)崇し 大島紀之(国紀)作』

『大神正盈(まさみつ)翁碑 (解説)官幣大社建部神社宮司、正六位、大神正盈君、明治37年12月4日に歿す。年71。君、大社に奉職するこ29年。功績、顕著に有り。
今茲(ここ)に、大正8年、大社陛格(しょうかく)20周記念祭典を修むるに方(あた)り、有志肯謀(あいはか)り、碑を建て、以て君を不朽に伝えんと欲し、余に文を嘱(しょく)す。因(よ)りて行実(ぎょうじつ)を按ずるに、大神氏の祖、紀是尚、白鳳4年、近江国矢橋八幡宮祠官(しかん)と為(な)り、世々(せぜ)相伝えて君に至ること実に39世なり。
君、幼名は武萬呂、括嚢と号す。少壮にして京師(けいし)に遊学し、博学多才にして、尤も国典に通ず。文久元年、父の後を襲ぎ、鞭寄(むちざき)八幡宮祠官に補せられ、従五位下に叙せられ、土佐守に任せられる。元治・慶応の際、同志の公卿・志士と相交わり、王事に勤労し、匪躬(ひきゅう)の節を尽くす。維新の初め、長谷信篤卿、江・若総督に任ぜられるに、君を抜擢し副参謀とし、新政に参与せしむ。幾ばくも亡くして宮を辞し、専ら神道を講ず。明治9年、職を建部神仕に奉ずるや、君、慨然として力を昇格に尽くす。18年官幣中社となり、32年更に大社に列す。今日の興隆を見ること、実に君の力多きに居る。君、資性温厚、篤実にして苟(いやしく)も名利に従わず。夙(つと)に神道の教職に任じ、遂に推されて滋賀県神道分局長、皇典講究分所長、神官取締役長となる。経営・統督、皆それ宜し。牧氏を配し、三男三女を生む。長・正道、家を嗣ぐ。現に神職と為る。次・正秋、工学士と為る。李・正李、出でて周防氏を嗣ぐ。三女、皆嫁ぐ。子孫、各その志を成す。蓋し積善の余慶なりと謂うべけんや』

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神門に、七五三プランや琵琶湖大津観光ガイドが置いてあった。
20180805TakebeS0075s.jpg 大津市のゆるキャラ「おおつ光君」フィギュアもいた。
20180805TakebeS0083s.jpg 摂社が境内に整然と祀られていた。
20180805TakebeS0087s.jpg 「料理の神:蔵人頭神社」「日本武尊家臣・吉備臣武彦・大伴連武日:行事神社」「日本武尊の御母・皇后・播磨稲日太郎姫命:大政所神社」「日本武尊の御父・景行天皇:聖宮神社」と、他の神社では見かけない珍しい社名の摂社がある。

20180805TakebeS0092s.jpg 「願い石」と「お食い初め石」として、白い石が積まれた一角があった。
「願い石」は願いを書いて奉納する。
『願い石 当社に古くから伝承されている霊験あらたかな白石を持ち帰り、願い事を石に書き朝夕、願掛けをしてください。無事願い事が叶ったならば、石は神様にお返しください。本殿にお供えし貴家の安泰をご祈願させていただきます。初穂料1000円』

『お食初め お子様が一生食べ物に困らないよう生後100日に行われる儀式で、歯固めの石と称し、丈夫な歯が生えてきますようにと言う願いを込めて「お食い初めの石」を添えます。当社では「福石」と称し無料でお分けしております。願い石の周りにございますのでお持ち帰りください』

20180805TakebeS0094s.jpg 本殿横を歩いていると、『特別天然記念物・菊花石 自然の力によって菊の紋様が入った鑑賞石の最高峰。神聖な力を感じさせます』『建部大社伝承古壺・菊紋壺 菊紋入の信楽焼古壺。伝承の由来・年代の記録は残されていませんが、社宝として永く大切にされています』の立て札があった。
20180805TakebeS0102s.jpg 本殿裏に、それらが置いてあり、板玉垣の隙間から見ることが出来ました。
本殿を板玉垣の間から覗き込みます。

脇障子の彫刻が見事です。
20180805TakebeS0108s.jpg 檜皮葺の屋根に見事な彫刻の本殿で下がり灯籠などが金色で日本古来の美意識でナイスでした。

20180805TakebeS0113s.jpg 境内に、瓢箪棚があり、小さな瓢箪が下がっていました。
20180805TakebeS0116s.jpg 鎌倉時代の重文・石灯籠があった。
ヨーロッパ史跡同様、石造のものは永くその姿を保ちますね。
20180805TakebeS0118s.jpg 絵馬掛け殿がありました。
絵馬も無人授与しています。500円。
日本武尊絵馬を授かろうと思うが、社門脇に社務所があったのであちらで授かろう。


8/5・近江大津/佐久奈度神社~大石義民碑

コーチしてる大学ヨット部のOB・OGデーです。
昨日に続き連続の琵琶湖行きです。
9:30新艇進水式なので、9時までに琵琶湖に着けば良いでしょう。

以前からずっと気になっていた大津の「建部大社」に参拝しましょう。
「大社」と名がつく通り、由緒ある神社で、近江一の宮です。
最初に訪問しておかねば行けない神社なのに、琵琶湖に近いからついつい後回しになっていました。

6月の夏至を過ぎ、7月はそれほど気にならなかったけど、8月に入ると「夜明けが遅くなったな~」と感じるようになりました。
4時を過ぎると夜明けの雰囲気が出てきて、4:30はもう夜明けで明るかったのに、最近は30分は遅れました。
夜明けを感じる5時頃活動を開始し、5:30に「招き猫CB400SB」を倉庫から出して出発しました。

R171~中央環状道~吹田ICから名神高速に乗り、大山崎JCTから京滋バイパスにチェンジし、「笠取IC」で下車しました。
r3に出て瀬田川沿いを琵琶湖に向かって走ります。
最初の目的地は「佐久奈度神社」。
R422にチェンジし、すぐr783。
ここで少々迷い、「大石緑地」でトイレ休憩しました。

20180805TakebeS0002s.jpg 6:15「佐久奈度神社」。
20180805TakebeS0010s.jpg 『平成31年 佐久奈度神社御鎮座1350年祭 当、佐久奈度神社は、天智天皇8年(669)勅願により、瀬田川の急流のこの地において祓(はらえ)を行い、社殿を設けて祓戸大神四柱をお祀りしたのが始まりです。爾来、天下の祓所として朝野の崇敬厚く、大七瀬の祓所のひとつとしても著名であります。また現境内地は昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い移転したものであります。
この御鎮座より、来る平成31年に1350年の大きな節目の年を迎えます。また平成26年は御遷座50周年の年にあたります。この正しき由緒と長さ歴史に鑑み、2つの大きな節目の年を記念して、御鎮座1350年祭が斎行されます。今般この大祭を奉祝すべく奉賛会を設立し、本殿拝殿の改修・塗り替え工事をはじめとして境内緒施設の改修を記念事業として奉納し崇敬の誠を捧げるべく奉賛活動を行って
おります。
ご参詣の皆様方におかれましても、ご趣旨ご理解の上、ご協賛賜リますようお願い申し上げます』

20180805TakebeS0012s.jpg 瀬田川の瀬に面しています。
巨岩がゴロゴロしており景勝の地だったかもしれません。
早朝の空が青く、気持ちが良い。
20180805TakebeS0013s.jpg 謂れ板にあるように、旧社地が、下流に天ヶ瀬ダムが建設されるのに伴い移転したとのことですが、目の前の瀬田川はダム湖ではなく、旧地を偲ばせる瀬のままです。
木々に覆われた境内から瀬田川が見えるように小さな展望桟敷が作られており、お祓いの地を感じることが出来ました。

20180805TakebeS0017s.jpg 1350年祭とは悠久の歴史を刻んだ神社でした。
天智天皇が明日香の地から大津京に遷都し、周囲に神の地を整備していくなかで勅命されたのでしょう。
社務所に絵馬や御守・大祓詞などが並んでいた。
20180805TakebeS0021s.jpg 祓戸四神の御札も並んでおり、好きな瀬織津姫の御札800円が欲しかったが、まだ閉まっていたので残念でした。

20180805TakebeS0025s.jpg バイクに戻ると再び鳥居をくぐったら、鳥居の下に盛塩されていた。
入った時はなかったのに、毎朝盛塩される方がいるようです。

20180805TakebeS0026s.jpg r783~R422~r29、6:32「大石義民碑」。
『大石義民=彦治・源吾の史実と背景 1600年代前半の徳川幕府初期、大石村(当時は富川・東・中・淀・竃門の5ヶ村)の統治は、膳所藩(戸田氏)に属していた。当時の大石村村民の暮らしぶりは、これといった生産物のない中、自然の恵みによる山の産品(薪・柴・木炭等)の商いをすることで何とか生計を維持していた。また、これら商品の運搬手段は、人馬で膳所藩が管理するこの地・佐馬野峠(通称・沢野峠・関の津峠)を越え、関の津浜から舟で大津・京都に運ばれていた。佐馬野峠を利用せざる得なかった理由は、関の津浜以下の瀬田川の下流は、水の勢いが激しく舟運の妨げとなっていて、人馬を使った峠越えが唯一の交通として重要な役割を胆っていた。(857年天安の三関の1つ)問題は、この峠を人馬で越すことや、浜を利用するため課税が大変重く、商いは難渋を極めたことである。こうした窮状を藩主にも訴え善処を求めたが、聞き入れられず村民の生活の窮状は、増すばかりで困窮を橿めていた。
こうした状況を憂い、当時富川村庄屋「彦治」と、その弟「源吾」の兄弟が、村民の窮状を救うべく幕府巡検使に直接訴え出たのである(1613年11月)。当時は、幕府への直訴は固く禁じられており、その罪で兄弟はこの地沢野峠において極刑(傑の刑)に処せられたのである(慶長19年1614年2月24日)。これら兄弟の身を挺した必死の訴えが幕府に伝わり、税の減免を含む管理の改善が図られ、大石村村民の生活を救い人生に希望を与えたのである。
私たちは、お二人の尊い行動と犠牲の上に、大石学区民の今日の生活あることを忘れてはならず、感謝と追悼の念を新たにするため、毎年の命日(2月24日)に「大石義民祭」を学区民あげて催行することにしている』

この地・大石は忠臣蔵で有名な大石内蔵助を出した大石家のルーツです。

20180805TakebeS0031s.jpg 峠を北に下り、6:39「諏訪神社」に寄り道。
更に下り、瀬田川沿いを北上し、瀬田の唐橋東詰交差点を右折しr16。


8/4・ヨット部ファミリーデイ

コーチしているヨット部のファミリーデーです。
選手の親御さんたちを招待して、合宿所・艇庫・ヨットハーバーなど日頃暮らしている施設をお見せし、練習海面に出てヨットに乗ってもらいます。
選手たちにとって最もお世話になってるのが家族です。

10:30受付・11時開始というとこで、それまで寺社・歴史探索しようと思いました。
7:30に「招き猫CB400SB」を倉庫から出し、R171~中央縦貫道~吹田から名神高速。
8:15「桂川PA」で「ガリガリ君ソーダ75円」休憩。
相変わらず暑いです。

京都東で下車し、少し戻って山科探索という計画でしたが、京都南IC手前から渋滞していました。
2ヶ所ある登板車線を使って、フルに渋滞に捕まることはありませんでしたが、車が多いです。
歴史探索気分が失せて、京都東IC~湖西道路で9時頃艇庫着。
みんなが掃除しています。

2Fに上がり、クーラーの利いたオープンフロアでくつろぐ。
10時前になったので1Fに降りて、受付準備してるのを見ながらお喋り。
車で来られる方は駐車場がわかりにくいので、ダンボールに書いて道路に出て持っていたらどうだと提案する。
「いいですね、新歓に使うヨット部の幟があるので、それを道路に立てることにします。暇な1回生も確保します」だって。

10:30前になって、親御さん達が来始めました。
父方・母方双方のお爺さんおばあさん4人が来られた愛され度120%の部員もいました。
1・2回生の親御さんがメインで、3・4回生の親御さんもちらほら。
50名ほど集まってくださいました。
参加費大人2000円・高校生以下無料です。
今年初めて参加費を設定しました。
親は2000円で参加を取りやめることなんてしないね。
活動費を稼ごうとする魂胆です。

2Fフロアにテーブルが置かれ、適当に親御さん達が座ります。
該当選手がそのテーブルに着き、その他部員がサポート役で、11時から食事が運ばれてきました。
監督挨拶&キャプテン「今日の献立は」本日の担当マネージャー「カレーライス・?うどん・お野菜です」キャプテン「いただきます」。
で、お食事タイムになりました。

続いてビンゴタイム。
部員が用意した賞品争奪戦です。
「使い捨てカイロ20枚」いつのや~、トイレットペーパー2重12ロール、鼻セレブティッシュペーパー3箱組、ハット、アクエリアス粉、サバスプロテイン粉末缶、低反発枕・・・全13。
何故か最後まで残ったのがハットでした。

2回生がモニターにPC画面を写し、ヨット部紹介をビデオを使いながら話しました。
キャプテン挨拶。そして僕の挨拶です。
20分も時間がありましたが、10分で切り上げました。

13時から半数の方をヨットハーバーに誘導します。ヨットに乗ってもらいます。
僕は合宿所で残りの方と適当に雑談。
4回生マネSさんのお母さんがSさんと共にやってきました。
Sさんは午前中授業だったようです。
15時になり、後半組もヨットハーバーに向かいました。
歩いて5分ですが、部員の車の送迎付きです。

キャプテンの挨拶で、「ヨット部で作ってるセイルバッグなど買ってください」の泣きが利いて多くの親御さんが買ってくださいました。
このタイミングで、帰路に着きます。
湖西道路~名神。
15:26「桂川PA」で「バニラソフト140円」クールダウンタイム。
帰宅し、速攻で風呂に入り、ヨーグルトタイムで至福の時を。

家内が昨日に引き続き「町内会盆踊り」の手伝いに出発しました。
昨夜、仕事後盆踊りに行き、家内から金券もらって「焼きそば200円」と「かき氷100円」を夕食にしました。
寄付してるからタダ券があります。
僕の提灯もぶら下がっています。
親父から続いてる我が家の提灯。
古くなったら何も言わず更新されるので、寄付しないわけには行きません。

家内は、かき氷当番をしていました。
注文聞いて100円お代金精算係です。
かき氷の機械が2台あり、カップに入れる掛かりと、シロップを掛ける掛かりが黙々と働いていました。

8/2・アメリカへ日本からプレゼントを送る

次男からアメリカの長男宅に送ったルーカスくん誕生プレゼントが届いたようです。
はじめての靴を送ったようです。
嫡孫りょうくんの靴はこちらに帰省した時、デパートに行って僕がアシックス製をプレゼントしました。
2人目こうちゃんのは、アメリカでナイキのを買ったようです。

3人目ルーカスくんはお古の予定でしたが、おニューになって良かったね。
アディダスなど他のブランドもあるので、何を送ったのかな?
数ヶ月後ビデオで見れるでしょう。

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ついでに、りょうくんへは日本地図マグネットパズル、こうちゃんへなリュックバッグをプレゼントしたようです。
りょうくんへのリュックをプレゼントしており、プリスクールへ毎日背負っています。
こうちゃんも、「これがあればプリスクールに行けるね」と意気込んでいるようです。

こうちゃんは今2才で、1年後の9月からプリスクール年少組が始まります。
来年4月で長男がアメリカ転勤して3年。
もしかしたらイギリスへ転勤するかもしれません。
こうちゃんのプリスクールデビューは、どの国かな?

お嫁さんに、日本の食品・お菓子も送ったようです。
向こうで手に入らなそうなものを送ったのでしょう。
息子たちのお嫁さんたちが仲が良く、とても嬉しいです。
男兄弟は用事の時以外は、それほど濃く付き合わないのが常で、家族同士の親密な関係はお嫁さんたちに掛かっています。
2人共夫婦仲の良い温和な家庭で育っており、上手にやってくれています。
今回のプレゼントも、お嫁さん主体でプレゼント選びをしたのでしょう。

こうちゃんは相当おしゃべりするようになって、相手するのが大変になってきたようです。
ビデオで次男夫婦にお礼を言っていますが、こうちゃんの方が大きな声で「ありがとう」を言っています。

これに対し次男のお嫁さんからLINEが入りました。
次男夫婦はEMSで送ったようです。
予想より早く長男一家に届き、アメリカを近く感じるのだとか・・・。
りょうくんが連続3回も、都道府県マグネットパズルしたので、すぐに都道府県覚えちゃいそうだと喜んでいます。

相変わらずこうちゃんのおっとりした話し方に優しさを感じ「癒し系」だとの感想をもらしていました。
去年1週間アメリカで遊んだ時、こうちゃんには誕生の時と初宮参りでしか会っていないので、本人にとって私達夫婦は初見のようなものでした。
でも会って2時間ぐらいで、おもちゃを私に渡すようになり、1週間後は「一緒に遊ぼう」と呼びに来るぐらいになりました。
人見知りもあまりしない、積極的ながら穏やかさを感じました。

兄弟なのに、りょうくんとは違います。
むしろすーちゃんの方が、少し強めだと次男お嫁さんは感じているようです。

ルーカスくんにプレゼントした「ファーストシューズ」は、すーちゃんに買ってはかせやすかった同じものを選んだそうです。
という事は、靴下と一体化した靴を贈ったのかな?と思ってたら、その後に買った子供用の革靴の色違いだそうです。
1年後にはこれを履いて、よちよちしだしますね。

7/31・バイク点検

8月はバイクの6ヶ月点検月間です。
「里山VTR250」は年1回点検ですが、他の2台は半年定期点検を続けています。
点検はがきが来てお店からも電話が来たので、少し早いけど7/29「ホンダドリーム」さんに相談に行きました。
そして7/30の予約を取り、「通勤リード110」と「招き猫CB400SB」の6ヶ月点検をしました。

通勤リードは前払い4回点検が2月で終わったので、メンテナンスパック4T(6ヶ月点検2+12ヶ月点検+24ヶ月点検)26800円に入りました。
バイクは問題なく追加整備はありませんでした。
6ヶ月毎のオイル交換も無料でついています。
ただ後輪が、「溝は残ってるがひび割れが目立ってきたので、そろそろ交換を考えたら・・・」とのアドバイスを受けました。
前回交換は4年前でした。
もう少し使いましょう。

「招き猫CB400SB」も機関的な問題はありませんでした。
ギアチェンジが軽く、クラッチレバー握らなくてもコンコン足技だけで入ります。
このバイク、ほんとに素晴らしいバイクです。
もう少し前傾が緩ければ100点満点です。

半年前にバイク知り合いさんに、「もう溝が少ししか残っていないので、そろそろ交換したら」と勧められたけど、ドリームさんには何も言われませんでした。
僕の走行距離からして、「あと半年は大丈夫でしょう」という感じでした。
それが今回は、「溝が殆ど無いです、ひび割れも出てきたので交換ですね」+「前輪も溝がもう少しでなくなります」とセット交換を勧められました。

見積もりしてもらいました。
いろんな種類のタイヤがあるけど、制限速度+10の会員で寺社巡りがバイクを使う目的で、ゆっくり景色を楽しみながらのバイクなので、ツーリングタイヤで見積もってもらいました。

A:ダンロップD204(フロント22000円+工賃3800円+エアバルブ330円+廃タイヤ600円=26730円&リア33800円+工賃4300円+エアバルブ330円+廃タイヤ600円=39030円)=65760円
B:PIRELLI・AngelST(フロント23900円+工賃+エアバルブ+廃タイヤ-キャンペーン割引4780円=23850円&リア36100円+工賃+エアバルブ+廃タイヤ-キャンペーン割引7220円=34110円)=57960円
C:ブリジストンBT023(フロント19400円+工賃+エアバルブ+廃タイヤ=24130円&リア29900円+工賃+エアバルブ+廃タイヤ=35130円)=59260円

半年前にバイクワールドで見積もりしてもらった時はセット交換でタイヤ代3万円弱総額35000円ほどだった記憶があるので、注文せずに帰りました。
タイヤの在庫はないので、注文後交換日を決めて持っていく流れです。

2ヶ月ほど前からリアタイヤの空気の減りが増えました。
フロントは今までどおりですが、リアは新車半年後に釘が刺さってパンク修理してもらいました。
その影響かな~と思います。
いずれにしても、「交換せなあかん」と言われたので今週中にも交換せねば。

ホンダドリームからの帰り、バイクワールドに寄りました。
店頭に、120/60-17ZR17&160/60ZR17セットは、ピレリとダンロップが並んでいました。
日本メーカーが良いので、ダンロップで見積もってもらいました。
ダンロップ・ロードスマート2前後セット26800円+工賃4900円+バルブ463円×2+廃タイヤ300円×2=33226円でした。
ホンダドリームより2万円も安いので、財布にあった1万円を前金として注文し、7/31に交換することにしました。

7/31・10:30開店なので、11時前にお店に行きました。
「1時間半待ちです」「ガ~ン、そんなに混んでいるのか」。
ちょうどタイヤ交換が開店と同時に数台入ったそうです。
むしろ開店直後が混むのかも・・・。
バイクを置いて徒歩で帰りました。
仕事していると昼頃、「出来ました」と電話が入り、引き取りに行きました。

フロントタイヤは前回交換2014/8・13925km、それから4年で通算26045km。
リアは2012/2新車納品されてから初めてのタイヤ交換でした。
フロント13000km・リア26000kmがタイヤ寿命のようです。

ピカピカのタイヤは見た目がグッドです。
バイク屋さんに「最初滑るから気をつけて」と言われましたが、林道でない限り僕の走りではタイヤが滑ったことはありません。
気持ち良く走りますよ。

ホンダドリームで点検待ちしている時、「モンキー125」の試乗しようと思いました。
そしたら入ってないんだって。ドリームさんは、車検のあるバイクメインの取扱店になるようで、ドリーム店以外のホンダ取扱店と棲み分けするようです。
何だか今後値引き幅が少なくなりそう。

「モンキー50」は、高校生の時初めて乗ったバイクで、何処で見かけても「可愛らしさ」に胸キュンしてきました。
免許がないので、ヨット部艇庫前の砂浜でダックスホンダなど大学生が置いていったバイクを借りて、夜中走り回っていました。

同期が1人、公道に出て行き早速警察のお世話になっていました。
彼は大学生になる春休みに僕同様四輪免許を取りに行きましたが、免許交付後即免停という衝撃のデビューをしました。
今でも笑い草です。

そう言えば長男も、大学1回生の四輪免許教習中に大学構内でGFさんの原付50ccに乗ってお縄になりました。
2ケツで乗ったまま正門前のコンビニに行きお縄になりました。
50cc・2ケツ・ヘルメット無しだもの一発だね。
仕事中、「お父さん、身元引受人になってくれる?僕と彼女の・・・」と笑い出しそうなお願いをされました。
喜んで引き受け、菓子折り持って警察署に行ったら、収賄になるらしく受け取り拒否されました。

バイクと2人を車に載せ、彼女の自宅に向かい、親御さんの帰りを待とうとしましたが、「お父さん有り難いけど帰って。ここは1人で謝る」と成長した姿を見せてくれました。
そんな縁のあった彼女が、今や弁護士さんです。
触れて欲しくない汚点でしょう。
人生面白いね。

7/29・誕生日

次男の娘・すみれちゃんの2才の誕生日です。
7/21は次男のお嫁さんの誕生日で、ヨットハーバーのショップでヘリーハンセンのTシャツをプレゼント用に購入しました。
孫には基本絵本をプレゼントしていましたが、今回すみれちゃんには童謡DVDをプレゼントすることにしました。
お盆に帰省する時にプレゼントを渡します。

2018729 すーちゃん2歳_180730_0028s
家族LINEに、ローソクに火が灯されたバースデーケーキとの写真などを載せてくれました。
2018729 すーちゃん2歳_180730_0012s 人生初の美容室に行き、一人前にカット&シャンプー&トリートメントをしてもらったそうです。
2018729 すーちゃん2歳_180730_0020s 2018729 すーちゃん2歳_180730_0023s 遊園地にある遊技の車に座り、横におもちゃが置かれた運転席に座ってカットされていました。
嬉しかったようで、終始ご機嫌でったそうです。

次男も写真に写っていたので、家族3人で伺ったようです。
お嫁さんもカットしたようで、初カット記念で、2人のカットした髪を貼ったカードをもらっていました。
3人の写真も貼られ、年月日と美容師さんの名前も入っていました。
美容室ってこんなサービスがあるのですね。
お若い女性美容師さんは、子供をあやすのも上手で、手際も良くスタジオアリスのようだったそうです。

長男のお嫁さんから、「おめでとうメッセージ」が入りました。
向こうは男の子3人なので、全員お嫁さんがカットしてきたそうです。
最近は長男のカットもしているそうで、随分腕を上げているようです。

長男のお嫁さんも、写真をアップしてくれました。
20180726 野球観戦_180730_0009s 地元野球チームの開幕戦だったので、会社のアメリカ人の方たちと観に行ったそうです。
地元野球チームは、昨年ドジャース・ダルビッシュが先発する試合に連れて行ってもらったフィラデルフィア・フィリーズではなく、独立リーグの野球チームの試合でした。

サマセット・ペイトリオッツというチームで、プリンストンの隣町の野球チームのようです。
20180726 野球観戦_180730_0015sそれでもフィリーズスタジアムには敵わないまでも、立派な野球場で、テラス席で食事しながら観戦していました。
チームマスコットと一緒に家族で写真に収まっていました。
マイナーリーグでもたくさん観客が入るようで、アメリカのベースボールの裾野の広さを感じます。

20180726 野球観戦_180730_0008sりょうくんのプリスクールでは、仲良しだったSaraちゃんとのお別れの日で、カードを渡してハグしていました。
涙を流していたようで、長男同様感動屋さんのようです。
ハグが当たり前の環境なので、りょうくんは弟のこうちゃんやルーカスくんにもハグしたり、ほっぺにキスしたりします。
それが当たり前だと思い帰国後学校でやらかすと白い目で見られそう。
クラスで流行らすぐらいやれる子だったらいいな。

7/29・台風一過/北摂ツーリング

台風一過でした。
前日仕事からの帰りは、風は強くなってきたものの雨は降っていませんでした。
太平洋上に発生した台風が小笠原~伊豆の海上から、関東地方に上陸する予報でした。
偏西風に逆らって、西向きに列島上を山口県に向かうとのこと。
帰宅後TVニュースを見ると、あれれ進路が東向きになり、上陸予想が三重県津になっています。

965hPaと更に勢力を増しており、予想進路は大阪~明石海峡ルートです。
我が家の上を通過するコースで驚きました。
船の台風対策をしていません。
やばいと思いましたが既に夜で、外はポツポツ雨が降り出し、夜中の1人の桟橋作業は危険です。
運を天に任せることにしました。
ハーバー職員さんは全艇チェックしてくれるし・・・

夜中3時に目が覚めました。
雨と風の音に起こされた面もありますが、日頃3~4時に目が覚めるので特に眠くはありません。
天気予報をチェックすると、ちょうど台風が我が家の上空にあり、雨雲の動きを見ると、今がピークのようです。
窓を締め二度寝に入りました。

次に目が覚めたのが6時前、そして3回目が8時過ぎでした。
家内が勉強会にお出かけのようで、「今日遅くなるから」とのことです。
「何時に出発するの?」「着替えたらすぐ」「じゃあ、送っていく」。
速攻で着替え、家内をJRの駅まで送りました。

オシャレな家内のこの日の装束は、オフホワイトと言うのか少し黄色が入った白のスカートスーツです。
膝上丈のスカートにノースリーブ、その上から7分袖のジャケットを着ています。
車の助手席に座っていると、膝上丈が更に上がりミニスカートになってる。
「素敵な眺めだわ」と指差すと、「何言ってるの」を微笑んでる。
朝から良いものを見せてもらい、「僕は幸せだな~」な気分です。

帰宅後、自宅の台風被害をチェックしましたが、特に問題ありません。
朝ごはんを食べ、バイク装束に着替え、倉庫もチェックしましたが問題なし。

「里山VTR250」を倉庫から出し、ヨットハーバーに向かいます。
20180729HokuS0001s.jpg R171を西に走り、10:41ハーバー着。
セキュリティーカードで桟橋に入り、係留艇をチェック。
いつも通り浮かんでおり台風被害なしです。
桟橋の数艇にオーナーさんが来られており、1人の方はホースで船を洗っていました。
夏のONシーズンなのでクルージングに出るのか、女子を伴ってガヤガヤ楽しそうな船もあります。
いいな・・・

コクピットに乗り、ドッグハウスを開け、水漏れチェック。
バッテリーONし、エンジン始動。
冷却水OK。
何も問題なく、今回のセーフ。
北摂の方に走りに行こうと桟橋を戻っていると、ポツポツ雨が落ちてきました。

20180729HokuS0004s.jpg あ~仕方ない、しばらく雨宿りです。
学連ヨット部つながりのKさんが、いつものようにヨットショップの店頭にいます。
台風一過で今日は暇でしょう。

向こうも僕に気づき、「こんにちは」「台風、結構風が強かったよね」に始まり、あ~だこ~だ1時間は喋っていたと思います。
外の雨はしっかりした雨になり、やがて上がり陽が差してきました。
「ありがとうね」「良い話が出来ました。こちらこそありがとうございました」でさようなら。

バイクに乗り北上し、R43~r82で六甲山を登っていきます。
鷲林寺の中央分離帯大岩が健在でした。
この大岩は2つに別れているので夫婦岩とも呼ばれ、少し下った所にある越木岩神社の甑岩同様古代の磐座だったそうです。
道路を通すため取り除こうとしたこと数度、いずれも工事責任者が急死したり急病になったりして、そのまま道路の方が避けて中央分離帯大岩のまま健在です。

甑岩にも同様の言い伝えが残っている。
越木岩神社は、更に下った所にある廣田神社と関係があり、廣田神社は古代六甲全山を境内にする巨大神社で、「西宮」(都から見たら西にある宮)の地名の由来でもある。

西宮北有料道路に入り、六甲山の下をくぐるトンネル突入。
トンネルを抜け、r51を渡る。
「あれれ、料金所がなくなり無料になってる」。
並行して走るr82は、土日祝日はバイク通行禁止なので、強制的に料金を取られるのが嫌で、大きく迂回する時もありました。
r82のこの区間はアップダウンのあるワインディングで、木々の切れ目から大阪平野北部が見下ろせナイスな道です。
夜景を見に来たこともあります。

有馬側を下り、r98有馬川沿いを走ってR176。
有馬川沿いを北上し、r17にチェンジ。
r141にチェンジし北上。

「御霊神社」の案内板を見つけ寄り道しましょう。
枝道に入り、13:20「御霊神社」。
20180729HokuS0008s.jpg 車両通行禁止の参道があったり、意外に大きな神社で謂れが気になる。

20180729HokuS0012s.jpg 『本殿:国指定重要文化財 文明2年(1470)貴志の村人たちによって再建された。このいきさつは旧殿前扉板裏に墨書され当時の様子がわかる。
社殿は三間社入母屋造、屋根は檜皮葺で入母屋の妻側の庇を伸ばし角柱を立て向拝としている。身舎正側面・向拝虹梁上に6つの蟇股を配し、透彫給模様の中に珍しいものがある。身舎上の牡丹に唐獅子・戎大黒他特に見るべきものに当時の神仏習合を表したものとして向拝上の種子キヤ(十一面観音)がある。
尚この地区の神事講は永禄年(1558~)より書き留められて来て巻子本として残り、今もなお続いている』

20180729HokuS0015s.jpg 『夜泣き石 この石は昔から茶臼石と言っていた。いつの時代か九鬼の殿様に献上して庭石としたが、夜になると「貴志へ帰りたい」と泣くので、貴志へ持ち帰った。茶臼石というのは酒船石であって、御霊神社の祭礼に用いる神酒は全て、清浄なこの石によって作られた。これと同じ形の酒船石が大和にも2~3残っており、御霊神社の古いことを物語っている』

近くに古墳群もあり、この地が古くから拓かれ、長い歴史を刻んだ神社のようです。
20180729HokuS0025s.jpg 破風屋根にはいくつもの彫刻が下がり、珍しい造作になっている。
20180729HokuS0028s.jpg 拝殿には『敬神生活の綱領 1.神の恵みと先祖の恩とに感謝し、明き清き誠を以て、祭祀に勤しむこと 1.世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして、世を作り固め成すこと 1.大御心をいただきむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること』が掲げられていた。

20180729HokuS0037s.jpg 教育勅語の要旨ですね。
20180729HokuS0041s.jpg 戦前の修身教育を復活し、教育勅語を諳んじる子を育てるようにすれば、日本国の乱れは止まるように思うし、明治天皇も乱れ始めた教育の立て直そうと勅語された。

20180729HokuS0050s.jpg r141に戻り北上を続けます。
道なりにr92になり、舞鶴道・三田西IC方向に曲がり、13:43「MORITA三田工場」。
20180729HokuS0053s.jpg MORITAは、消化器で事業所や家庭でお馴染みですが、消防自動車のトップメーカーでもあります。
なんと日本国なシェアは50%、ガリバー企業です。
20180729HokuS0060s.jpg その主力工場がここで、人数を集めたらウィークデイに工場見学できたはずです。

r92からr141に下り、更に北上。
右折してr309に乗り、JR相野駅横を東に走りr308。
20180729HokuS0068s.jpg 青野川沿いを北上し、母子でUターンしてr49。
永澤寺横を南下し、永澤寺峠に登って行く時雨が強くなり車載カメラを収納します。
峠を越え、14:30「虎亀」で雨宿り。
いつものピラフセット900円で遅くなったけど、お腹を満たします。

雨が上がり、陽が差して来たので、15:30帰路に着きます。
r49を南下します。
「志手原」で左折し、r37を東進。
r323を東進し、「波豆川」で右折し、僕の定点観測ポイント・八坂神社前を南下し、r68を渡り、西谷農協大池交差点にある「レストラン大池」でかき氷400円を食べクールダウン。

r33~r325~長尾山トンネルを抜けて大阪平野に下ります。
オートバックスに寄り道し、17:06僕の御用達「ワークマン川西加茂店」で、クールストームベンチレーションハーフパンツ780円&ウレタン背抜き手袋99円を購入し帰宅しました。






7/24・スマホ

とうとう僕も「スマホ持ち」になりました。
出歩かない仕事なので、携帯電話を使うのは休日のみです。
日頃はPC・固定電話が手元にあるので困りません。
こうなると電源を入れるのを忘れて、たまに電源ONしたら電池が残り少なく困ったなんて日もあり、結局1ヶ月間全く電源を入れなかったことまでありました。

お泊りツーリングでネットにつながらないのが困る時があるので、タブレット端末を買って、ドコモ携帯&タブレットで運用していました。
両方共最安値契約で、月間2500円ほどでした。

先日家内がスマホが必要になり、家内もあまり使わないので、「格安スマホ」を購入しました。
僕のタブレットと同じ「IIJmio」にしました。
スマホ本体(SonyVAIOPhoneA)とセットの「こみこみセット」を買いしました。
3G/月込で初年度1880円/月・2年目2880円・3年目以降2200円です。

これを使いだして3ヶ月、不具合もなく請求も謳い文句どおりなので、僕もスマホにすることにしました。
ガラケー&タブレットより安くなります。
「コミコミセット」を注文しようと思いましたが、5.7インチ中国ファーウェイ製と5.2インチASUS製本体しか選べませんでした。
少しでも大きい方が良いので5.5インチは欲しい。
ファーウェイは中国共産党軍幹部がトップの企業で、得られるいろんなデータが中国共産党に筒抜けになるので、アメリカでは販売禁止です。
オーストラリアも販売中止になるようで、なぜ尖閣諸島を取られようとしている日本で販売しているのか疑問です。

仕方なく、コミコミセットではありませんが、台湾製ASUSの「ZenFoneMaxPlus(M1)」本体とSIMを買いました。
1・2年目3400円・3年以降2200円。
5.7インチなのでより大きそう。
これでずっとお世話になっていたドコモさんとの縁が切れました。

IIJのタブレットSIMを返還しました。
無事、電話・メールが使えるようになり、文字サイズ拡大出来ました。
電話番号・メールアドレスなどコツコツ入れていきます。

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我が家に、突然浴衣を着た芸能人さんがやってきました。
後にはカメラマンと長い棒のついたマイクを持った方も・・・
「なんだ、なんだ?」と思ったら、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」のような街歩き番組でした。
有名人がぶっつけ本番で街にやってきて一般の方との交流を放送する番組です。

近所の子供の頃からの友達である自転車屋さんの紹介でやってきたそうです。
自転車屋さんが近所の面白いものとして、最寄りの池に浮かぶヨットを紹介したようです。
ウィークデイなのでヨットはやっていないので、そのヨットクラブを作った僕を紹介したようです。

僕が大学4回生の時の国体時に市長さんに頼まれて、大学卒業後に市の水源地の池を無償提供されジュニアヨットクラブを先輩と一緒に作ったことを話しました。
次男が入部してから、当時の部員の親御さんと協力して芦屋の海にも姉妹クラブを作りました。

その次男がジュニア卒業後もヨット競技を続け、南米選手権に出場し、私も日本ジュニアヨット協会の理事として、選手を海外レースに引率したことも話しました。
大学ヨット部に入った次男から声を掛けられ、そのクラブのコーチになり、次男はとっくに卒業したのに私はまだ卒業できずにコーチを続けていることも話しました。
大学名を話すと、この方もそこの卒業生でした。

ヨットの魅力を聞かれたので、「失敗しても海に落ちるだけで、ライフジャケットを着ているので泳げなくても沈む心配がなく、擦り傷さえしない安全性」を話しました。
また「私自身、今でも全日本選手権に出場するなど現役を続けられる息の長いスポーツである」ことも話しました。

「写真ないの?」と聞かれたが、PCにはたくさん入ってるけどプリントしたものがなく困ってると、家内が次男の高校生の時の写真を出してきました。
収録終了後、ヨットの写真やビデオを送ることになりました。
果たして番組でオンエアされるのかな・・・

次男がジュニアヨットクラブ時代は、子供たちを盛り上げるため、全日本選手権や海外レース出場をネタに市長室に売り込みに行ったことがあります。
秘書さんと打ち合わせ、市長さんと子供たちの時間を持ちました。

地域のFM放送に売り込んだこともあります。
キャスターはヨットのことは知らないので、僕がキャスターの質問まで考え番組に関わったことがあります。
子供たちがインタビューを受け、将来の夢を語り、良い時間が持てました。
それが縁で、僕の仕事関係でそのFMから出演依頼を受け出演したり、長男が街角レポーターみたいなことをしたり・・・次男が初詣でインタビューを受けたり・・・

半分忘れていたようなことを、思い出させていただきました。

7/21・バースデー

次男のお嫁さんの誕生日です。
7月は、その子のすみれちゃんも誕生日です。
20180721 浜松旅行_180723_0024s
次男一家は「浜松一泊ドライブ」に行ったようです。

20180721 浜松旅行_180723_0028s お嫁さんからのLINEには、「鉄板焼きをご馳走してもらった」と書かれていましたが、夫婦なんだからお財布は一緒ですね。
20180721 浜松旅行_180723_0026s バースデーケーキでお祝いし、すみれちゃんにはバースデーソングを歌ってもらい幸せな時間を過ごしたようです。
20180721 浜松旅行_180723_0016s この娘を生んだのもお嫁さんだから、自ら家族を作り出しているのに、それを家族への感謝という言葉で表現するお嫁さんは素晴らしい。

20180721 浜松旅行_180723_0008s 写真を見ると、鍾乳洞に入っています。
検索すると、浜名湖の北に「竜ヶ岩洞」という鍾乳洞がありました。
20180721 浜松旅行_180723_0003s 浜名湖定番の「うなぎ屋さん」の写真もあります。

20180721 浜松旅行_180723_0042s
ノースリーブのすみれちゃんが美味しそうにジェラートを食べている写真もあり、可愛くて何度も見返しました。
20180721 浜松旅行_180723_0039s 「ななや」というお店で食べたようです。
「ななや」を検索すると、「抹茶ジェラート」で有名なお菓子のお店のようです。
「世界一濃い抹茶」が売りでした。

20180721 浜松旅行_180723_0038s 「お菓子の森」というお菓子のテーマパーク?にも行ったようで、滋賀県近江八幡の「たねや」がやってる「ラコリーナ近江八幡」のように地元のお菓子のお店がやってるのかな?

20180721 浜松旅行_180723_0004s
鉄板焼き・うなぎの他に、お菓子のお店をはしごし、抹茶ジェラートなど女子好きのお菓子をコースに入れるなんて、さすが次男です。
中高男子校だったのに、常に女の子によくモテていました。
この辺の女子ウケする気遣いが秘訣のようです。

お盆に帰省する日、姉夫婦から一緒に夕食しようと誘われました。
姉夫婦は3人の子供たち一家と神戸で夕食を共にするそうです。
そこに是非、僕らと次男一家も来てほしいとのこと。
すみれちゃんと、姉の長男の子(男の子)が同じ学年なので機会があれば会いたいのでしょう。
なんだかんだ、盆と正月にみんな集まっています。

5人は、チビの時から遊んでいた仲の良い従兄弟なので、その子供たちにも仲良しの輪が広がって欲しい。
お嫁さんから、是非参加したいとの返事がLINEで入りました。

7/22・神戸カフェ・ミーティング

平野で神戸市街地に出て、JR山陽本線をくぐって神戸港西側に入り、川崎造船ドッグ見て、モザイク・エリアへ。
20180722KobeS0065s.jpg 「アンパンマンミュージアム」は開店前でしたが長蛇の列が出来ていました。

20180722KobeS0072s.jpg 「ホテルオークラ」前の「メリケンパーク駐車場」に入れます。
二輪は1回(1日)時間無制限100円です。
四輪は、30分200円(20~8時上限800円)。

P内トイレでバイク装束を着替え、旧居留地に向かって、10:17、2号線を渡ります。
20180722KobeS0078s.jpg 日曜日なのでオフィスのビジネスパーソンは少なく、ディオールなどのブランドショップが点在しており、歩いているだけでも気持ちが良い。

20180722KobeS0088s.jpg そのまま北に歩いて行ったら「神戸南京町」の南門が見えてきました。
20180722KobeS0095s.jpg 目的のレストランは何度か前を歩いた事があるので場所は簡単にわかると思っていたが、「ここから東、2号線より1本北の東西の道」と記憶していただけで、同じような格子状の道が交差しておりわからなくなっちゃった。
20180722KobeS0096s.jpg 携帯電話もタブレットも忘れたから、お店屋さんに入り教えてもらいました。
10:39到着。

20180722KobeS0085s.jpg 『旧神戸居留地十五番館(国指定重要文化財)指定年月日:平成元年5月19日 
慶応3年12月7日(1868.1.1)の兵庫開港により、126区画・25.8haの外国人居留地が開設され、商館を中心として領事館やホテル、教会などがつぎつぎに建てられました。
15番地のこの場所に、明治14年頃に建築されたこの建物は、神戸市内に残された異人館としては最も古い建物で、木骨煉瓦造2階建、寄棟造、桟瓦茸で2階は南側両端にペジメントをつけ、コロニアルスタイルの開放されたベランダを持ち、外観は石造風意匠となっています。
神戸の旧居留地に現存する唯一の遺構として平成元年に重要文化財に指定され、平成2年7月から5年3月にかけて行われた修理工事により明治の面影を取り戻していましたが、平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大地震により全壊してしまいました。
地震により液状化現象が生じた旧居留地内ではこの建物以外にも、20棟を超すビルが全壊しており、いかに激しい地震であったか窺い知ることができます。全壊した十五番館でしたが、震災後部材を回収することからはじまった復旧工事は、約3年の月日と関係者の努力と様々な人々の協力により、震災前の姿を取り戻すことができました。
最新の耐震技術である免震工法を採用したわが国最初の文化財建造物として蘇ったこの十五番館は、今後の地震に対して充分耐えられるだけの耐震性能を持ち、今後も旧居留地の歴史を伝える唯一の建物として私たちに明治の面影の画影を伝えてくれることでしょう』

この重要文化財が、レストラン「ToothTooth15th」として営業しています。
20180722KobeS0098s.jpg 11:00、参加しているカフェクラブの方8人が集まり、お喋りしながらランチをしました。
僕といつも車移動の北摂Kさん以外、皆さん電車でした。
主催者Jさんが駅で待ち合わせ引率して来られました。
いつも車の京都Cさんも電車で、新快速で1時間だったそうです。
奈良Kaさんは相変わらずお喋りが上手。

13時にお店を出て、用事のあるお初のMeさん以外、2次会へ。
カエル趣味のKeさんとMeさんは旦那さんが九州の高校同級生とのことで、驚きました。
単なる趣味の集まりで、遠く離れた関西でこんな関係の人と会うなんてビックリ。

20180722KobeS0105s.jpg 20180722KobeS0106s.jpg ぶらぶら北上していると、「パティシエToothTooth」というお店があり、女性陣がお土産を買っておられました。
20180722KobeS0109s.jpg 20180722KobeS0110s.jpg JR・阪急線を越えて北上し、「GREEN HOUSE silva」というカフェで2次会をしました。
道路に面して雑木が植わり、直接お店が見えません。
20180722KobeS0112s.jpg 3F建てのスクエアなお店で、100%20代中心のお若いグループがお客さんでした。
こんなカフェ、よく知ってるな~。
「神戸・カフェ」で検索すると上位ヒットする人気店だそうです。

15:30で2次会もお開きになり、JR三宮駅に戻り、PさんJさんCさんとバイバイ。
「高架下に行きたい」という希望があり、僕もバイクに戻るついででついていきました。
学生時代はよくこの高架下商店街を利用しました。
掘り出し物があり、米軍流出物があり、かっこいいサングラス・・・一味違う商店街です。
Keさんがご両親を連れて、ゆっくり散策・物色したいと言っていました。

20180722KobeS0114s.jpg JR元町駅に至り、「JRはココから乗れますよ」と伝えると、「せっかくだから南京町にも」とのことで、これまたバイクへの道の途中なので案内しました。
20180722KobeS0117s.jpg 東西のメインストリートをお店に寄りながら歩き、中央広場まで戻った所で皆さんは、豚まん発祥の地「老祥記」の行列に並びました。

僕は「かき氷を食べに行きます」と別れ、メインストリートで目についたお店でクールダウンしました。
台湾風かき氷で、ふわふわです。
バイクに戻りバイク装束に着替え、R43~R171で帰宅しました。

帰路、土曜日に新西宮YHで目にしたTシャツを買おうと思っていましたが、神戸出発が17時になったのでパスしました。
7月は、次男のお嫁さんと娘の誕生日です。
そのプレゼントと思って・・・

2日後の昼休みに買いに行きました。
センターハウス入ってすぐにあったお店がなくなっており、一点鐘でサマーセールで2646円になっていたヘリーハンセンのTシャツ(レディースM)を買いました。
閉店したお店は子供用も売っていたので重宝していました。
お嫁さんと孫娘の誕生日プレゼントを一緒に買おうと思ってたのに残念。
一点鐘に聞くと閉店したお店も一点鐘経営だったそうです。

7/22・神戸市北区ツーリング

「カフェクラブ」の集まりが、神戸中央区の「ToothTooth15th」というカフェレストランであります。
11時からなので、ツーリング散歩してから神戸市街地に突っ込むことにしました。

6時前に倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、あれこれ準備して出発します。
特に探索エリアや目的地は決めていませんが、暑い時期なので少しでも涼しいだろう六甲山の北側・神戸北区を目指すことにしました。

長尾山トンネルを抜け北摂里山地帯に入り、r325~r33を走りながら、気の向くまま「川下川ダム」への沢道へハンドルを切りました。
6:41「玉瀬」
20180722KobeS0001s.jpg 稲の緑に降り注ぐ朝の太陽が気持ち良くで激写。

ゆっくり涼しく沢道を走り、6:49「川下川ダム」
20180722KobeS0002s.jpg 貯水量が減っており、大災害を起こした数日続いた大雨後さっぱり降らなくなった雨がこのままだったら、今度は渇水のニュースが賑わいそうです。

武庫川沿いに下り、r327。
この道は大雨で武庫川が増水すると水没する県道で、少し下流の武田尾温泉付近に被害が出た後走ると、道の脇の木々にビニール袋などがたくさん引っかかっておりビックリします。
道より2mほどの位置に水流があるようです。
20180722KobeS0007s.jpg 6:56激写。

道なりに右岸に渡り、7:06「JR道場駅」。
駅前コンビニで朝ごはんを買おうと思ったけど、めちゃ寂れているのでパス。
山登りスタイルの方が駅前で待ち合わせていました。
千刈ダム~大岩岳、鎌倉峡~百丈岩、2つのコースの拠点です。
JR駅と神戸電鉄駅から集まって来られるみたい。

20180722KobeS0014s.jpg 7:13「春日神社」
20180722KobeS0019s.jpg 藤原氏の荘園だったのかな?
ヤブ蚊が多かったが、彫刻も立派な森に包まれたお社でした。

20180722KobeS0024s.jpg 8:39「鎌倉峡・百丈岩P」
20180722KobeS0027s.jpg 『ようこそ鎌倉峡・百丈川原へいらっしゃいました。美しい大自然に包まれてのんびり楽しい1日をお過ごしください。姜しい自然は、神様からの贈り物です。私達みんなの財産です。私達のちょっとした心使いで美しい自然は守られます。可愛い子や孫たちのために汚さないように大切に守ってゆきましょう』

『江戸時代の「摂津名所図会」には、この鎌倉谷を「かもしか谷」のなまったものだと記するとともに、百丈岩については「高さ数十丈、岩上には百畳を敷けるより名とす」と述べている。室町時代より、有馬温泉を訪れた文人や高僧たちは、競ってこの地を訪れ、奇勝景観の美を絶賛した詩歌や紀行文をものすることを風流とした』

20180722KobeS0031s.jpg 『最明寺入道・北条時頼公遺跡 百丈岩鎌倉大権現参道』

20180722KobeS0033s.jpg 『トイレの使用について ようこそ鎌倉峡へいらっしゃいました。鎌倉峡で楽しい1日を過ごしていただくために、トイレを水洗にしました。しかし、ここには水道がありません。谷川をせいてトイレの水を確保しています。雨が降らなかったり、夏の渇水期になるとトイレが使えなくなります。そのために井戸を掘って、いつでも安心してトイレを使えるようにしたいと考えています。そこで、皆様にお願いがあります。トイレをご使用になられる方は、トイレ基金にご協力ください。お気持ちで結構です。多いほど結構です』

鎌倉幕府5代執権・北条時頼が引退後、この地を愛し滞在した。
「鎌倉峡」の名はその名残りで、北摂には「最明寺川」という名も遺っている。
因みに最明寺は、時頼の出家名です。

r327~r17で、7:54「ファミリーマート鹿の子台店」で「チョコバリ140円」でクールダウンしました。
r17を西に向かって走っていると鳥居発見。

20180722KobeS0040s.jpg 8:08「熊野神社(下上津)」
20180722KobeS0043s.jpg 『創建年月は不詳。天保15年(1844年)11月に再興され、伊邪那岐命・伊邪那美命を祭神として祭り、昭和7年8月7日、拝殿・幣殿・附属建物の改築工事が竣工した。五穀豊穣を祈願しての秋祭りには、江戸時代初期より約300年の伝承を続けている「神楽・獅子舞」が、いまも神楽保存会会員により引き継がれ奉納されています。この神楽・獅子舞は、平成9年10月に神戸市「無形民俗文化財」に認定され、「人と和と協力によって心がかようまちづくり」に貢献しています。 「神楽・獅子舞」奉納 10月体育の日の前日の日曜日』

8:16「大歳神社(上上津)」
『創建年月は不詳だが、永正年間(1504)に社殿を修繕すとの記録が残る。祭神は大歳御祖命、素盞嗚命と大山祗神の娘神との御子神で農耕に関れる神と云われている。
秋祭りには曳きだんじりと子供みこしが練り歩き、景品付き餅まきなどで、その神事を盛り上げている。境内には、素盞嗚命・八幡大神・神明大神・金毘羅宮神・愛宕大神等をお祭りしている』

20180722KobeS0047s.jpg 石段を上がると、境内は予想外に広かった。
20180722KobeS0053s.jpg 秋祭りにだんじりが出るお宮なので、これぐらいのスペースが必要なのでしょう。
20180722KobeS0054s.jpg r17に戻り、西進すると、中国道と六甲北有料道路をくぐった。
そこに「めんたいパーク神戸三田」という施設があったので寄り道しよう。
開店前でスルー。

20180722KobeS0058s.jpg r82~r73で「道の駅フルーツフラワーパーク大沢」でトイレ休憩。
r73~r82~r15で阪神高速7号・五社IC。
横を通り過ぎ、r15で神戸電鉄有馬線に沿って南下します。

R428に合流し、更に南下。






7/21・散骨式

大学ヨット部の先輩の散骨式です。
90才を越えたクラブの大先輩で、去年のOB総会に出席された最年長の先輩が亡くなりました。
10時集合・10:30出艇です。
先輩と共同所有しているクルーザーも出すので、8:45自宅を出発し、9:15ハーバー着。
船の始業をしようと早めに着きましたが、センターハウス内に幹事の先輩がおり、既に別の先輩が船に行っているのでOKとのことで、タイムスケジュール表と配艇表を渡されました。

大体の流れを頭に入れました。
私はうちの船ではなく、母校ヨット部のレスキュー艇です。
82才筆頭に大先輩3名のお守りをするのが仕事です。
「足が上がらんから、現役のレスキュー借りたから、頼むわ」とのことです。

参加OBの中で2番目に若く、最若手はOG7年目の元マネージャーさんです。
10時になり、僕の担当先輩1人キャンセルで、僕の担当先輩1名を除き集合。
電話するとハーバー手前の大橋を歩いて渡ったとのことで、直接学生のディンギーヤードに向かってもらうことにして、先輩とディンギーヤードへ。
レスキュー艇には誰もおらず、母校艇庫に顔を出すと学生が整備中で、一緒に乗る3名はスタンバイしていました。

レスキューに戻ると、学生がかけてきて、遅れていた先輩も到着。
頭から手ぬぐいを被っていた。
いつもスマートな先輩なので、誰かわからなかった。
学生は4回生女子選手2名と男子選手1名でした。
女子2人は、去年全日本女子インカレで同点トップだったが、トップフィニッシュ回数の少なさで2位になったペアです。
今年は最終学年なので、優勝して欲しいな。

沖で、他の2艇を見つけ近づきました。
散骨水域に到着しました。
多くの先輩方の遺骨も散骨されています。
3艇が円になりエンジン停止。
御遺族を代表して長女さんの挨拶。
続いて遺族による散骨。全員で献花します。
菊の花を各自5輪ほど散骨された場所に。
御遺族が、お酒を手向ける。
エンジン始動し、散骨水域をフォグホーンを合図に半時計回りで3周しました。
3周終了後、フォグホーン長音3声を合図に御遺骨に別れを告げ、ハーバーバックしました。

13時から「偲ぶ会」です。
ハーバーセンターハウス会議室を借り、ハーバー内のお店にドリンク飲み放題・バイキング形式お食事を用意してもらいました。
僕の3つ上の先輩が司会になり、御遺族挨拶・82才先輩の献杯・歓談・・・。
僕は他大学のコーチとして春に母校と練習・レースした縁もあり、初めての散骨で居場所が掴めない学生3人と一緒のテーブルに着きました。

若手OGもこのテーブルに来たので、ここだけ華やいでいます。
長女さんの挨拶で、故人が散骨を希望していたので、故人の電話帳から82才の先輩に電話を掛け、生前の希望が実現できた喜びを話されました。
長女さんは僕と同じ年齢で、なんと大学まで同じでした。
僕と彼女と家内が、それぞれ別の学部だったけど、同じ時にキャンパスを闊歩していたということで驚きました。

OB会長である3つ上の先輩が挨拶しました。
学生からもお礼をしたそうですが、御遺族から故人の遺志として、レース艇1セットの寄付のお礼と、生前の交流の話がありました。
数年前のA級全日本に故人が出場を願い、クルーとの合計169才と言う最高齢コンビで出場したそうです。
初日ひっくり返ったので2日目は来られないかと思ったら、「出る」とやってきてレースに出場したそうです。

僕が美女3人を独占してお喋りしていたので、先輩から「お前な~こそっとええポジションに座りやがって」と文句言われたりしながら、楽しい時間を持てました。
お姉さんとは同じ学年ということもあり、いろいろ話しました。

最後に妹さんが挨拶され、全員で校歌「空の翼」を遺影に向かって歌いました。
そして集合写真で解散しました。
僕は仕事があるので帰宅しましたが、船に戻って酒盛りの続きをする先輩が大多数でした。

ハーバーからの帰り、パトカブが追いかけてきて笛を吹かれました。
「横に寄ってください」
一旦停止しなかった容疑とのこと。
「確かに停止線を越えたが、片足ついて停まった。警官の見ていた場所は交差点の右なので、反対側の左足をついたのを確認したのか」と抗議した。
いつも「すんません」とサインするけど、あまりに厳しいので納得できません。
「広い歩道のある見通しの良い交差点で、暑い日中で歩く人もいない一時停止で、停止線をまたいで止まった程度で違反切符切るのはやり過ぎではないか」と譲らないでいると、「今回は警告指導しておきます」と無罪放免になった。
一旦停止していなければ、「すんません」だけど、止まって左右まで確認したのに、やり過ぎだと思いました。

7/14・スポーツ指導者講習会

スポーツ指導者資格更新講習会で神戸に行ってきました。
家内のバイク「アドレスV125」で走り、会場について正面に定番スポンサーの大塚製薬がポカリスウェットを用意してくれており、ありがたくご相伴に預かりました。
「甘いから口の中が粘ったら困るな」と思いながら口にしましたが、「イオンウォーター」なのか、ポカリを思いっきり薄めていたのか、丁度良い感じでした。
講習では3人の先生(大学准教授・大塚製薬・歯科医師)が登壇した。
みっちり4時間勉強になりました。

大塚製薬は、スポーツ時の汗をかく事で水分・塩分減少による事故。
そして主力製品ポカリスウェットの糖分・塩分補給能力を話された。
僕も感じていた「甘すぎる」ことはメーカーも自覚しており、甘さ控えめな「イオンウォーター」にも力を入れています。
でも、スポーツ中失ったエネルギー・塩分・ミネラル分を最短時間で補給するためにはポカリスウェットのような糖分濃度6%前後のドリンクが良く、継続して高いパフォーマンスを維持できる。
ポカリを飲んだ後、お口直しで水を飲むことを勧めていました。

汗をかくと塩分も一緒に排出され体内の塩分濃度が低くなるので、それを補う必要があります。 
汗を大量にかいたとき、水分はよく補給しますが、塩分補給が十分でないと、体内の塩分濃度がさらに低くなります。
体内塩分濃度が低くなると生命維持できないので、その濃度を維持しようと水分をたくさん排出しようとします(自発的脱水)。
すると、汗とともに塩分が更に排出され・・・
つまり体内水分・塩分ともに更に不足し、脱水症状や熱中症などが起こります。

一時期、「水はたくさん飲まなければならない」と医者が言い出し、それに従い喉も乾いていないのに水だけ飲んだ人が病院に担ぎ込まれることが多発しました。
これは水毒というもので、大量の水を飲むと体内塩分濃度が薄くなり生命維持できないので水を排出しようとします。
余分な水分の排出臓器である腎臓に負担がかかり、疲れて病院行き・・・というものです。
これと同じことが、「汗をかくからと言って水だけ飲む」と起こります。

僕も、汗をかく夏のレース中、糖分と水分の補給のためポカリを積んでいきます。
でも口の中が甘く粘るので、それを洗い流したくなりまたポカリを飲む悪循環になりました。
底から自然に、麦茶も持っていき両方飲むようになりました。
コーチしてる大学ヨット部員にも両方持って行きている者がおり、理にかなっていました。

歯科医師さんは、スポーツ時に骨折・切断欠落・陥没・抜歯などの事故が起きた時の応急処置・適切な行動・予後を話された。
実際の事故時・経過・予後写真を見ながらの講義でしたので、リアル感満載でした。

歯を取り巻く事故の予防としてマウスガードの効用を説明されました。
既成品もあるが、自分の歯型に合ったオーダーメイドとの予防率の差が大きく、歯科医師でのオーダーメイドを勧めていました。
5000~2万円が相場のようで、寿命1年だそうです。

大塚製薬さんが帰ったことを確認し、「ポカリ飲んですぐマウスガードすると虫歯になるよ」と教えてくれました。
スポーツ中に飲むドリンクなので、必然的にそうなるから、ポカリ飲んだ後水飲んで洗うと良いと。

自らもソフトボール部の監督をされている准教授さんの話は、日大アメリカンフットボール部で話題になった旧態依然とした上意下達・体罰・罵声方式での指導方法の長期的成長に対する弱点でした。
現在は学校単位でのスクールスポーツが主力ですが、顧問教師のハードスケジュールや短期間(3年)での結果を求めるマイナス面により、いずれ欧米型地域密着スポーツクラブ方式に移っていくだろうと予想されていました。

これは、中学サッカー部・高校ヨット部・大学ヨット部で育った僕も感じていることです。
小さな狭い社会になりがちな学校スポーツ現場では、体罰・罵声が起こりやすく、社会人になってから関わりだしたジュニアヨットでの地域クラブスポーツの体験とは大違いでした。

親が子供のスポーツにより関わるが、親子の楽しみになり、多くの目がありいろんなスポーツへの関わり方があり、体罰や罵声とは無縁でした。
そして、オリンピック選手などまで自分を高めていく子の殆どが、ジュニア経験者ということでその優位性が実証されている。
ヨット競技のオリンピック選手の顔ぶれを見ると、殆どがジュニア出身で、次男の友達や僕が指導した子もいて、親御さんとも顔見知りです。
実に狭い世界になるのは、学校スポーツでは日本国内の学校システム内での切磋琢磨がメインですが、ジュニアなどの地域スポーツクラブでは、大会の頂点に世界選手権があり、その下にアジアやASEANなど地域大会もあるので、ナショナルチームに入って世界のレースに出ていこうという視線が子供の頃からあります。
よって、スポーツに対する見方が長期的になり、短期決戦ではなく受験がある時は1年お休みするのが世界ではノーマルで、長くスポーツを楽しもうとします。

スポーツ時の体温上昇などの体の変化、汗で失われる水分・塩分・ミネラル分補給の大切さの説明もあった。
激しいスポーツでは、休憩中や練習試合後のクールダウンも重要で、氷を入れたプールに入ることで体温を下げパフォーマンスと取り戻すことが広がっている現状が紹介された。
「鈴鹿8耐」では、選手交代後速攻で走り終えた選手は氷水プールに浸かっている光景が見られる。
あれですね。

8/2・日大アメリカンフットボール部

日大アメリカンフットボール部の秋リーグ戦復帰がなくなった。
僕が問題発覚当初解決策として良いと言ってた「今シーズン2018年いっぱいの活動自粛」の形になりました。

関東学連が出した裁定「2018年シーズン対外試合禁止」は良かったが、但書として「日大アメリカンフットボール部の抜本的体質改善策が妥当なら、秋からの対外試合復帰アリ」が必要か疑問を持っていた。

大学アメリカンフットボール部の活動性格として、春リーグは東西大学対抗戦や外国遠征などオープン戦としての性格が強い。
本番は秋リーグ戦で、夏まで対外試合禁止でも、実質的に何のペナルティーもないと感じる。

部を統括する監督の指示での反則強制で、その反則の質が最悪死亡や半身不随を起こしかねない極めて悪質なもの。
僕は学生時代、下半身不随になったQBと同じバイトをしていた。
それをやってのける部員がいて、雰囲気として感じていた者が複数あるだろう他の部員を含め、これは部の体質であり集団責任問題です。
であれば、1シーズン活動自粛が当然と思われる。

他の競技だが、長年大学体育会クラブに携わってきた経験から、このような事件があれば真っ先に対応するのは所属大学本体で、大学から「半年クラブ活動禁止」などの処分が下る。
監督筆頭に粛々と部員はその決定に従い、謹慎明けには晴れやかな顔して活動を開始するのが定番です。

今回は日大自身の自浄作用が働かず、外部機関である関東学連からの処分待ちの姿勢に終始し、自ら体質改善しようとの姿勢がなかった。
本来、自浄処分が出れば、あまりに軽すぎる処分なら外部機関が動くが、妥当・あるいは少し厳しい処分なので、外部機関が動く例を見たことがない。

関東学連が、日大アメリカンフットボール部内の人事に合否を出したり、部の体質改善に手を出したりするのはやり過ぎに見える。
笑顔で練習するクラブもあれば、監督が竹刀を持って指導するクラブもあって良いと思う。
それが部の特性で、試合でルールを守りフェアプレイであれば何も問題ないと思う。

スポーツのルールは単純であるべきで、抜け穴がない方が良い。
各競技特有のルールがあると思うが、僕の知る競技ルールには、その前に「フェアプレイの精神」が謳われ、それに反する行為があれば、永久出場停止など最も重い処分がルールで規定されている。
単純にそれを課せば良いと思うだけで、他大学や学連が当該クラブの監督・やり方に口を出すのはどうかと思う。

今回の関東学連の「秋リーグ戦参加不可」に対して、「4回生がかわいそうだ」と言うコメンテイターがいるが、タックルを受け人生を台無しにする一歩手前まで行きかねなかった被害者KGQBのことを考えているのか?
悪質タックルをしてまで潰そうとされたKGアメリカンフットボール部のことを考えたことがあるのか?
疑問に思った。

「留年してまでアメリカンフットボールを続ける・・・」なんてことを言ってるコメンテイターがいたが、「留年して学生スポーツでプレイできるのか?」素朴な疑問を持った。
僕の携わってる大学ヨットは、選手登録すれば4年間しかプレイできない。
いくら留年しようとも、学連レースには出場資格がない。
もしそれば許されるなら、4年で卒業できない・しない学生も多いので、彼らが翌シーズンも出場していても不思議がないのに、5年生・6年生のプレイヤーをアメリカンフットボール部の試合で見たことがない。

7/15・生野千ヶ峰林道ツーリング3

Aコープから見えた神社で食べよう。
20180715IkunoS0283s.jpg 『荒田神社(あらたじんじゃ)は、兵庫県多可郡多可町加美区的場にある神社。二宮荒田神社とも。御祭神は少彦名命、木花開耶姫命、素盞嗚命。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 多可郡「荒田神社」に比定される式内社(小社)の論社。播磨国二宮で、近代社格では県社。
社伝によれば、天平勝宝元年(749年)5月7日、少彦名命が女体唐人束帯赤衣で村内の福原字神丘に降臨し、その夜、村内に大雨が降った。降臨したのは女神、とも伝わる。村人は雨があがるのを祈ったところ願いがかない、これに感激して村内字野尻に小社を建て、現社号を称したと伝えられている。あるいは、『播磨国風土記』にみえる天目一箇命、道主日女命を祀った社が当社であるともいわれている。
20180715IkunoS0300s.jpg また、平安時代には坂上田村麿の崇敬を受けたと伝えられているのをはじめ、延暦13年(794年)には勅使として大納言道広の参向があり、播州二宮正一位荒田大明神との宣下があったという。播磨国二宮として、多くの崇敬を集めてきた。
しかし、元亀(1570年-1573年)・天正(1573年-1593年)の頃の兵乱で荒廃。慶長年間(1596年-1615年)、安楽田の東端道路北方にあったが、寛文8年(1668年)9月、荒田町大火の際、当社をはじめ別当であった大乗寺などが焼失した。そこで、往古の貝野村氏神大歳神社の境内を拡張して、この地に合祀したと伝えられている。安楽田には現在も当社および式内同名神社があり、式内社「荒田神社」の論社。
江戸期に入り、明石藩主の崇敬などもあって、復興。延宝5年(1677年)の荒田町検地には大歳神社境内社と掲げられている。弘化元年(1844)4月に御鎮座千年祭が行われている。明治7年(1875年)2月に郷社に、大正3年(1914年)12月に県社に昇格した。大正5年(1916年)4月11日、神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。
建物は、檜皮葺流造の本殿と檜皮葺入母屋造の拝殿があり、宝物として剣、古刀、宝鏡などがある。県指定の天然記念物「勅使の杉」があったが、昭和40年(1965年)の台風23号の襲来によって倒伏した。境内社に、八幡神社(太和氣命)、春日神社(天児屋根命)、秋葉神社(迦具土神)、愛宕神社(迦具突智神)、天満神社(菅原道真)、蛭子神社(蛭子命)、太神宮社(豊受大神)がある。
【ご利益】厄除け、身体健全、安産など
荒田神社(多可町) - 少彦名命が降臨して村人を救った式内の古社、坂上田村麻呂ゆかり』

20180715IkunoS0286s.jpg ただ寄り道しただけだが、「播磨二の宮」でした。
20180715IkunoS0290s.jpg 「播磨一の宮」の宍粟市、中国道の北だから、播磨は海のイメージですが、平安時代はもっと山が中心の国だったのかな?

r8に出て西へ。
高坂トンネルの旧道「高坂峠」へ。
トンネル脇に峠道入口があることが多いのでトンネルまで走りましたが、そこには分岐がなく旧道ガードレールがトンネルの上を走っていました。

峠道を戻り、旧道分岐発見。
そこから突っ込みます。
通行止めでないことを願うのみ。
意外に良い道で、道幅はないものの舗装はまだしっかりしていた。
20180715IkunoS0304s.jpg 交通量があるのか、落石・落葉・落枝もあまりなく快適な旧道でした。
20180715IkunoS0306s.jpg 14:13、高坂峠で激写タイムして、トンネルの西側r8に合流した。
こちら側には「獣避けゲート」があり、開閉して通過した。

笠形山周辺を東西に走る数本の県道を尾根伝いに南北に串刺して結ぶ「広域基幹林道・笠形線」を走る予定でしたが、日の長い夏とは言え15時から突っ込むのは危険だと思い次回まわしにして帰路に着くことにしました。
この手の林道は交通量がほぼ無く、トラブったら日のある内に山から出るのが困難です。
君子危うきに近寄らず。

「高坂トンネル」を抜け、湧水「高か井の水」横を通り、「広域基幹林道・笠形線・北工区終点」横を抜けました。
機会を待って、必ずこの林道を走破しよう。

山を下り、右折してr143で南下。
20180715IkunoS0324s.jpg いきなりコンクリート舗装の急勾配枝道に入り、14:44「金蔵寺」。

20180715IkunoS0335s.jpg 『金蔵山金蔵寺 高野山真言宗 本尊:薬師如来 当山は、その昔、笠形山に湧出した一寸八分の黄金仏薬師如来が熊野権現と共に当山に移られ大木の上に止まっておられたのを、役行者が感得し、開山されました。天平2年(730)には行基菩薩が来山、自ら等身大の仏像を刻んで、その胸に黄金仏を安置して本尊とし、仏殿を創建され、その後平安時代になって、慈覚大師が来山再興されたと伝えられています。正徳2年(1712)には宥尊(うそん)上人が堂宇を建立して中興されましたが、そのうち本堂は、天保13年(1842)に焼失。同年、西宮甲山の神呪寺より薬師如来像の寄付を受け、これが現在の本尊となりました。また、現在の本堂は、安政2年(1855)に経勝上人によって再建されたものです。
境内には、本堂・庫裡・鐘楼堂・籠り堂・弁天堂・権現堂・奥の院・八角堂などの建造物のほか、大杉・行場・護摩場・四国八十八ヶ所霊場などがあり、昭和3年に多可八景、昭和26年に多可十景、昭和42年には兵庫県観光百選に選定されています』

古代仏教の流れのまま、山岳修行の地として開かれた山寺、その後も修験道の行者が守ってきたのでしょう。
現代修験道は、天台宗系と真言宗系に分かれているが、明治の神仏分離令以前の神仏習合の形が残る修験道は、これで1つの宗教として独立した方がわかりやすいように思う。
この手の寺院に僕は惹かれる。
本堂などの彫刻が素晴らしく、山岳の巨木に囲まれ、その緑が奥深さを感じる。
きっとここを拠点にする修行場が周囲の深山幽谷に点在しているのだろう。

r143に下り、少し南下し、「ツーリングまっぷる地図」にある「広域基幹林道・笠形線北工区」アプローチ道に入ってみた。
「滝野カントリー倶楽部・八千代コース」への道でした。
道なりに走ると、カントリー倶楽部のゲートに入ってしまった。

その手前に分岐があり、そこを入っていくと獣避けゲートがありました。
開閉できることを確認し、時間も遅いので入るのは自重しました。
20180715IkunoS0345s.jpg カントリークラブのグリーンに鹿がいたので、バイクを止め「飲むヨーグルト」飲みながら小休止し
ました。

r143に下り、r143~r295~R427で西脇市街地。
R175にチェンジし、滝野社ICから中国道に乗りました。
16:01、「中国道社PA・セブンイレブン」で「赤城ガリガリ君梨75円」でクールダウン&糖分補給しました。
宝塚ICで下車し、16:52「エッソセルフ口谷SS」で給油。
285km/9.84L=29.0km/L。

帰宅すると家内が、「お中元の手続きにデパートに行ってくるわ」とのこと。
「じゃあ、車で行こうか?」と、速攻で風呂に入り着替え、四輪に乗り換え「川西阪急デパート」に行き、お中元の手続きをしました。
長男のお嫁さんが3人目をアメリカで生んだので、ご両親が手伝いに行ってくれています。
1ヶ月予定でしたのでそろそろ帰国するはずですがまだなので、他のお中元も伸び伸びにしていました。
お中元が届き出し、長男お嫁さん実家以外お中元手続きをしました。
家内の生まれた「播州素麺・揖保乃糸・麺つゆ付き」で暑い夏を乗り切っていただきましょう。

その帰りに、Cafe「珈乃香」でお茶しました。
家内はサンドウィッチ、僕は今年初の「かき氷」を楽しみました。





7/15・生野千ヶ峰林道ツーリング2

R429に戻り、生野銀山方面に下ります。
枝道分岐に、「平家塚」の案内板があり寄り道することにしました。
こういう行き当たりばったりが出来るのが、ソロツーリングの良いところです。
僕の場合これが多すぎて、訪問予定地コンプリート出来ないのが定番になってますけど。

20180715IkunoS0113s.jpg 沢道をのんびり走っていると、鹿が道の真中に倒れていました。
交通事故でしょう、可哀想に。冬に落ちた角が伸びてきていたオスでした。
舗装が切れる最奥地まで進みましたが、結局「平家塚」は見つけられませんでした。

Uターンして帰り道、往路で気になっていた枝道に入ったとこにある鳥居に寄り道。
「日吉神社」でした。
沢の土手にシマヘビがいました。
20180715IkunoS0117s.jpg 林道に突っ込むと、野生動物に会いますね。

R429に戻り、「日本ハンザキ研究所」前を通過。
この研究所は、オオサンショウウオの研究所です。
銀山湖横を走り、生野ダムで激写タイム。
20180715IkunoS0129s.jpg 「がまかつカップ」開催中のようです。
20180715IkunoS0133s.jpg 道に面した「不動尊」でお祭りの準備をしていました。

生野銀山への分岐を通過し、r367に入りました。
沢道で標高を稼ぎ、10:27白口地区墓地。
以前からあった「熊出没注意」看板が小さくなっていました。
以前より気になっていた「白綾の瀧」を観に行きましょう。

ここからの支流沿いの枝道は未舗装なので徒歩で向かいます。
距離や所要時間が書いてないのがいささか不安。
沢道を歩き出します。
清流が勢いよく流れとても気持ちが良い。
頭からザブンと水を浴びたいが、タオルがないので顔だけ冷たい水で洗う。
暑い季節に最高・・・生き返ります。

更にブラブラ歩いていたら、なんと四輪が入ってきた。
まさかこんな道に入り物好きが僕以外にいるとは・・・。
僕を追い越す時窓が開き、「滝を観に来られたのですか?」「はい」「もう少しですよ」。
あとどのくらい歩くのか不安になっていた時だったので、この一言は助かった。

抜いていった車が数十メートル先で停まった。
その車を僕が追い越す時、「あっちだよ」と前方を指さされた。
ここで橋を渡る道もあったが、荒れているので間違わないと思うけど。
運転手さんは荷物を降ろされていた。
釣り?沢登り?カメラ?

沢横の道は山道となり、足跡が沢沿いと山を登っていくのとに別れている。
僕は沢沿いを選択する。
すぐに支流が右から合流し、その支流の先に滝が見えた。
20180715IkunoS0161s.jpg 予想外の立派な滝で水量も多い。
山側に滝見東屋があり、山に向かっていた道はそこに続いているのでしょう。

支流の対岸に渡り、沢を登って行き「白綾の瀧」直下。
お不動さんが2体、岩盤を削った天然の祠に祀られていた。
修験道修行者が訪問してそう。
東屋の方に四輪の方が来られた。
写真ですね。

下から見上げた写真を撮ったので、沢を渡り東屋に登ってみる。
「写真ですか?」と声を掛けると、「ギターを弾こうかと思って」。
三脚に載っていたのはカメラではなく、リニアPCMレコーダーでした。
傍らにギターもある。
「素敵なBGMをバックに良いですね」。

僕と同年輩or少々上と思われる方で、登山を趣味にされているらしい。
TVクルーの案内をしたり、滝趣味の方に登山者でないと知らない山奥の滝を紹介されたりしているらしい。
僕が「中世の山城」趣味だと言うと、「山城跡は無数にありますね。山歩きしていると突然郭や堀切が見えてきて・・・」中世のロマンに浸るらしい。
「中世の山城本」を購入し、「山城巡り」を趣味にしている友人に教えているようです。

和田山・竹田城の話になり、この方も今のように観光化される前の竹田城をご存知で、お互いもう行かなくなったということで意見が合った。
以前は秋の雲海シーズンになると数回写真を撮りに早朝出かけていたが、山頂までの道路が早朝でも
上がれなくなり難儀なことになりました。

この支流が合流する本流の上流にも数条の滝があるそうです。
またその本流が流れ込む県道脇の沢にある滝も紹介してもらった。
ココに来る時、小さな看板が出ていた所のようです。
県道直下で直接見えるけど、覗き込む滝なので車で走りながらは見れないそうです。

バイクに戻り、r367を少し戻り「乙女の滝」。
夏で植物繁茂激しく、全体像が見れなかった。
r367を先に進みましょう。
「白綾の滝」入口を通過し峠を登っていきます。

峠を越え、越知川に下り、越知川沿いを登り、「不動の滝」ビューポイントで激写タイム。
20180715IkunoS0196s.jpg 11:56「千ヶ峰登山道・水谷コース」への分岐。
ここから標高770mの峠越え「林道水谷線」です。
予想外に路面の荒れていない舗装林道で、四輪離合も問題ない広さです。
この林道を使って植林された杉森が続きます。
間伐され山に放置された木材が目に付きます。
大風で倒れた杉も目に付きました。
20180715IkunoS0202s.jpg 杉は背の高さの割に根が深くなく、横の広がりも少ないので、根こそぎ倒れた杉の根回りはとても薄っぺらい。
これなら山の保水力が小さく、斜面を保持する能力も小さく、土砂崩れしそうです。
土砂崩れで間伐材や大木が流され橋に引っかかりそこから堤防をあふれる災害は人災の面も多いように思います。

20180715IkunoS0209s.jpg 12:12、峠着。
ちょうど下山して着替えておられる男性がいたので、山頂までの所要時間を聞きました。
2km・1時間だそうです。
「僕で1時間だから、普通1.5時間あれば。往復でも休憩入れて4時間かな?」とのこと。
「尾根伝いなので、勾配もゆるそうですね」と聞くと、「2kmで250m上がるかな。山頂直下だけ急で、そこまではなだらかです。木段が入っているので歩きやすいですよ。今日は時間がないからここからだけど、日頃は三谷口から2時間で上がります。山頂は360度展望が広がり、午後になると雲が出てくるけど、午前中なら絶景ですよ」と親切に教えてくれた。
家内を誘ってみよう。

東側に下ります。
林道を出てR427に出る手前、鎮守の森があったので寄り道。
「熊野神社」でした。
謂れ板がなく由緒は不明ですが、なかなか立派なお宮でした。
R427に出て、地図にある「棚田百選・岩座神の棚田」を見るために再び山に登っていく。

12:59「岩座神の棚田」。
20180715IkunoS0255s.jpg 綺麗な石積みの棚田でした。
20180715IkunoS0266s.jpg 「御霊神社」というのがあり寄り道。
20180715IkunoS0277s.jpg 氏子さん3人が文明の利器を使って草刈りしていました。

R427に下り、13:30「Aコープかみ店」でクーラー・クールダウン。
「飲むヨーグルトブルーベリープルーン208円+ほろ甘和み大福餅188円」を購入。




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