6/30・りょうくん5才卒業式

長男のお嫁さんから「家族LINE」に着信がありました。
写真・スマホビデオ付きです。

りょうくんのプリスクール卒業式でした。
ちょうどお嫁さんが3人目・ルーカス君の出産をしたばかりで、その手伝いにご両親がいるので、大成くんを預けてお嫁さんも出席したようです。
こういう節目に両親が出席できると、我が子の成長が見れて嬉しいものです。
本人も両親揃った姿を見ると、自分に自信が付きます。

僕が小学生の時、両親共稼ぎだったので、運動会に来れない時もありました。
クラスメイトが親子でお昼ご飯食べてるシートに呼ばれて食べながらも、無意識に親を探したりしていました。
参観日になると、後ろを振り返ったものです。
僕ら夫婦も共稼ぎだったけど、仕事を休んでどちらかが行くようにしていたし、爺ちゃん婆ちゃんにも声を掛け行ってもらいました。
「大切なわが子」と口に出さなくても、行動で伝わります。

出し物のセリフもしっかり言え、将来の夢スーパーマンも堂々と発表していました。
写真を見ると、お友達と公民館のような舞台に立ち衣装を着て何かやってる。
校長先生の衣装が素晴らしい。
20180629遼くん卒業式_180702_0003s 成長に感動しつつも、なんだかさみしくもあり、色んな感情が溢れて涙したようです。
お嫁さん以上に涙もろい長男も横で涙していたでしょう。

控室の様子がビデオに映っていました。
椅子に座り、「Say goodby to you・・・」とかみんなより大きな声でお喋りし踊っています。
出し物のセリフだったのかもしれません。

先生からダンキンドーナツを配られ、食べようとして口を開けた所で思いとどまり、「Can I eat it?」と先生に質問し、「Wait・・・」と先生から返って来たら、もうひとくち食べちゃったお隣の男の子と目と口を大きく開けて驚き合い、「Jack eat it」なんて笑い合っています。

日本にいる時も、公園で年齢が上の子でも平気で「遊ぼう」と声を掛ける子なので、英語の世界に行ってもすぐ慣れるだろうと思っていましたが、クラスの中心です。
「シャイな日本人」はりょうくんには当てはまりません。
長男は、クラスに1人はいる「何でもやりたがり屋」「なんでも立候補するやつ」で、チビの頃からどこでもリーダーやってたので、父親似ということです。
お友達もたくさんでき、皆から慕われて、お嫁さんも安心しています。
というより英語力の上達が凄まじく、頼もしささえ感じています。

長男が撮った長いビデオは、長男がドロップボックスにアップし共有してくれました。
20180629遼くん卒業式_180702_0006s ソロで舞台に立ち、自分で描いたスーパーマンの絵のボードを持ち、先生にマイクを向けられスピーチしていました。
「Hi I'm Ryo ・・・. I hope I wanna besuperman.」なんてマイクに向かってしっかり言ってました。

20180629遼くん卒業式_180702_0035s りょうくんの次に舞台に上がったのがSofiaさんで、よく一緒に写真に収まるりょうくんを気に入ってくれている子でした。
卒業生30名ほどの中に、白人が最も多いですが、インド系や黄色人種、ブラウンも1人おり肌の色に対するハードルが低いので、楽しい子・気の合う子が人気者になるようです。

Sofiaさんは、ブロンドの髪でとても可愛くクラスメイトの中で一番の美少女さん。
僕・長男・次男に続き、りょうくんも美人さん好きのようです。
これ、とっても重要で、美人さんは見ているだけでウキウキします。
そのためには、優しさ・清潔さ・頼もしさ・誠実さ・・・いろいろ磨いて、モテる男子にならなきゃ。
女性に人気があるだけで、人生大きく違います。

20180629遼くん卒業式_180702_0012s
美人さんはハンサムボーイ同様それほどモテるわけではなく、自分が美しいとは自覚していません。
ハードルは外見と関係なく低いものです。
僕は今まで一度もファーストアタックで避けられたことはなく、仲良くなれました。

保母さんの中に、女優さん?モデルさん?かと思う美人先生がいました。
去年園を訪問した時に、「Hi Ryo」と朝挨拶してくれた方です。
ビデオは動きがあるし声も聞けるし大いに楽しみました。
ただ、ビデオでの音声劣化やお喋りスピードについていけず、いまいち聞き取れません。
お嫁さんや長男が、他の子の言葉に笑ったり反応しているのが羨ましかったです。

りょうくんは活発で、悪く言えば落ち着きなく楽しんでいました。
自分の持ち場ではしっかりセリフを言いダンスをしますが、お友達の時間になると長男のビデオ目線で変顔したり縦横無尽でした。
長男の子供の頃にとても似ています。
私や次男はもっと落ち着いていたように思うのですが、血は争えないな。
この性格ゆえ、どこに行っても自然にグループの中心で楽しそうにしてたので、良い性格だな~と思いました。
少しシャイな僕にはちょっと羨ましい。

20180629遼くん卒業式_180702_0020s 女の子は赤いマニキュアをしてお洒落だし、こうちゃんも2才ながらネクタイを結んでもらい一人前のフォーマル紳士です。
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こうちゃんはルーカスくんが生まれたと同時にイヤイヤ期?に突入し、何でも「やーだ!」が続いているようで、甘えているのかな?
でも「たいしぇいくんかわいいー」と毎日毎日可愛がってくれているようです。
まだまだ夜寝不足の日々ですが、3人の子供たちに囲まれて、日々幸せを感じているそうな。
お嫁さんの幸せな様子ほど旦那の値打ちを決めるものはありません。

20180629遼くん卒業式_180702_0043s 「CONGRATULATIONS GODDARD GRADUATE!」の拝み看板を家の前で持った家族写真があったので、「学校からもらってきたの?」「生徒全員にもらえるの?」と質問してみました。
すると、「卒業ボードが式の前日に家の前にサプライズで設置してありました!」との返事でした。
卒業生全員の家をまわって設置したようで、こういう話は聞いたことがないので、アメリカの習慣ではなくスクール独自でやっていると思うとのことでした。

20180629遼くん卒業式_180702_0001s 式典での男性校長先生の衣装がピエロのようで式典に臨むスクールの姿勢が伺えます。
女性の先生方も思い思いの衣装で素敵です。
りょうくんは日本で3年保育幼稚園に通う予定をキャンセルし、初めての集団生活がいきなりアメリカでした。

20180629遼くん卒業式_180702_0024s 私も家内と伺いましたが、この2年間とても良くしてもらいました。
お嫁さん主体ながた長男夫婦で決めたプリスクールですが、大正解だったようです。
9月からは日本で言う年長組ですが、アメリカでは義務教育になっており、小学校併設幼稚園に通います。
週1ですが、日本語学校とサッカースクールにも通っています。
大いにアメリカを楽しんで欲しい。
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6/25・ルーカス君・生後10日検診順調

長男のお嫁さんから、LINE連絡がありました。
20180611_180625_0080s.jpg ルーカスくんはおっぱいをぐんぐん飲み、生後10日検診では体重が3200gになったそうです。
220gの体重アップです。

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りょうくん5才・こうちゃん2才ともに可愛がってくれるのですが、初めて弟が生まれる体験のこうちゃんはちょっと複雑で荒れ気味だそうです。
穏やかな性格の子だから、「荒れ気味」がどんなか興味があります。

20180611_180625_0085s.jpg 3人の子育ては想像以上に大変で、両親がいてくれる1ヶ月の間に体力を回復させペースを掴まなきゃと思っているそうです。
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ルーカスたいせいくんのアメリカ社会保障番号が発行されました。
その写真を見ると、「Social Security number」と「USA」の文字が書かれ、なんだかカッコいい。

6/24・三田篠山寺社ツーリング 2/2

更に東に走り、JR福知山線を渡る。
20180624SandaS0105s.jpg 14:38、かつての交通の要衝「古市」地区に入ってみる。
20180624SandaS0107s.jpg 『右はりま道・左大坂はりま』と彫られた道標が立っている。
「古市」の名の通り、古くから「市」が立っていたのでしょう。
「市場」は人々の生活に無くてはならない場所で、それぞれの生産物を持ち寄りよりよい生活のために交換していました。

「不破数右衛門ゆかりの地・宗玄寺」の案内板を見つけ見学することにする。
20180624SandaS0115s.jpg 境内に上がる石段横に「蛭子神社」があった。
20180624SandaS0123s.jpg 続いて「不破数右衛門ゆかりの地・宗玄寺 全国忠臣蔵サミット加入」に上がってみる。

『源義経が京から鸚越に向かう途中に古市を通ったという伝承が残されるように、古来より交通の要衝でした。古市は宿場町として、最盛期は宿屋6軒を始め、馬宿・米屋・酒造屋などほとんどの業種が集まり、にぎやかに栄えていました。
街道のほぼ中央にある宗玄寺は、赤穂浪士四十七士のひとり不破数右衛門ゆかりのお寺で、毎年12月14日には義士祭が行われます』

20180624SandaS0126s.jpg 写真を撮っていると、裏で庭仕事をされていたのかご住職が出てこられ、「どちらからですか?」と会話が始まった。
「伊丹から」だと言うと、ご住職もかつて伊丹に住んでおられたようで、しかも「御願塚」という僕も4才から小1まで住んだ地名がお住まいだったようで、一気に話が盛り上がった。

不破数右衛門さんとの縁をお聞きし、昭和の時代のかつての古市の賑わいもお聞きした。
古市駅を中心に街道沿いのここらは商店街で、あらゆる商店が軒を連ねたようです。
30分ほど本殿の階段に腰掛けてお話し、写真を撮った。
貴重なお話を聞かせてもらいお礼を含めてお賽銭を奮発しようかと思ったが賽銭箱がありません。
奥にあった「日限地蔵尊」を覗くと絵馬が置いてあったので、それを授かることにした。
ご住職に声を掛けそこの賽銭箱に500円チャリン。
「心願成就・日限地蔵尊・丹波古市」と焼印されていた。

20180624SandaS0136s.jpg 『当初、丹波の酒井荘として4つの城で統治されていたが、明智光秀の丹波責めにより次々と落城していった中に、油井城主酒井秀正の子である酒井秀朝が後に仏門に入り誓珍と称し、1597年に草案を創設。その後、1676年(延宝4年)に、真宗大谷派に属し宗玄寺と改称した。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士の中に、「不破数右衛門正種」という武士がいました。
数右衛門の父は播州の人で、岡野治太夫といい、治太夫の妹「熊」が古市の大庄屋であった「鍵屋」へ嫁に来ていました。年老いた治太夫夫婦は鍵屋の縁寺であるこの宗玄寺に身を寄せていた。
数右衛門は槍の名手として元赤穂藩馬廻り役百石で浅野内匠頭に仕えていたが、故あって主家を去り、浪々の身となっていた時、松の廊下の刀情事件が起こりました。いよいよ吉良邸に討ち入りが決まり、三々五々江戸へ下向する際、数右衛門は不来坂峠に立ち寄り、長男長女を母に託し、母との永別をしました。
母は討ち入り決行を悟り、「母とともに本懐を遂げるよう」と自分の長襦袢を託しました。女物の襦袢を着る数右衛門からその訳を聞いた大高源吾が、武士の心として墨跡鮮やかに白居易の詩の一節を襦袢の背中に記しました。
「松樹千年遂是朽 槿花(きんか)一朝自為栄」
数右衛門切腹後、遺品として2人の遺児に刀と襦袢が届けられましたが、明治になって鍵屋の没落による混乱に当たって行方がわからなくなりました。現在はそのレプリカが保存されています。
長男大五郎は、父の冥福追善のため出家し大雄と称し、下野国古河城下の禅宗永昌寺に入りました。長女の鶴女は御影の照明寺へ嫁しました。また治太夫夫婦は宗玄寺で亡くなり、宗玄寺墓地にお祀りされています。境内の大きな碑は討ち入り230年を記念して昭和7年に多くの人の寄付で建てられたものです。毎年12月14日は義士祭が行われ、子供義士行列が街中を練り歩きます』

『赤穂義士の一人、不破正種の実の父、岡野治太夫は共に赤穂藩士であったが、赤穂藩藩主の浅野長矩が高家旗本の吉良義央に対し遺恨から殿中刃傷に及び、後に切腹処分となり家臣たちの離散後、一時播州亀山(現・姫路市)に居住していたが、治太夫の妹のおさよ(通称:熊)が古市の鍵屋という酒造家の酒井三郎右衛門に嫁いでいたことから、治太夫は正種の子2人(大五郎とお鶴)を連れ妻とともに、熊の嫁ぎ先に一時身を寄せ、しばらくして宗玄寺に寄寓することとなった。不破正種は江戸での刃傷事件が起こった時にはすでに事情があって赤穂藩を浪人しており江戸に浪々の身を置いていたという。しかし、同志に加えられる事が許され、討ち入り(赤穂事件)を前にして、正種は密かに両親や子供に別れの言葉をかけるため宗玄寺に立ち寄った。正種の母はこの時、自分の白無垢の下着の裾を切り取り、男の襦袢に縫いなおして餞別にしたが、討ち入り決行の夜には大高忠雄がその襦袢に白居易の詩(浄頼光跡目論 五 白居易放言の一部)である「松樹千年遂是朽、僅花一朝自為栄」と書き記した。赤穂義士47名は、1702年(元禄15)12月14日夜半に吉良邸に突入、本懐を遂げたが、後に正種の短刀や襦袢等の遺品は篠山城主松平氏を通して、宗玄寺に返送されたという。 大五郎は篠山の禅宗大膳寺にて仏門に入り、26歳になって三河の国の永昌寺へ移ったがその後の消息は不明ある。娘「つる」は長じて神戸東灘の真宗寺院に嫁ぎ、後年、その娘が宗玄寺に嫁してきた。
境内には正種の大きな顕彰碑が建つほか、少し離れた宗玄寺墓地には治太夫夫妻の墓石が、また境内の一部には、期限までに願いをかなえるとされる村の「日限地蔵」が祀られ、寺院のすぐ脇の蛭子神社には精緻な彫刻を楽しむことができる』

この女物襦袢の下りは、忠臣蔵で読んだことがある。映画やドラマでもお涙頂戴な場面として取り上げられているような・・・。ご住職の話では、この子供義士行列も地域の子供の減少によりあと3年の継続が決まっているだけだそうです。
20180624SandaS0138s.jpg 先程見た道標と同じものが立っていた。
平成25年に交通事故で壊れた道標を修復したもので、現在道路に立っているのはレプリカだそうです。

20180624SandaS0142s.jpg 『古市の日限地蔵様は、別名延命地蔵様とも呼ばれ、日限を切って願掛けをすると願いが叶うと、遠方からも口伝てに聞く方のお参りが絶えません。
天保14年(1843)頃には、久しく村の蛭子神社は廃絶され、町の賑わいも衰えていました。同年、旧7月24日に、当時の村役であった横屋休兵衛・加茂屋長三郎・磯志屋太助・住屋治左衛門の4人が、播州吉川熊谷村(現・三木市吉川町富岡)に鎮座まします日限地蔵尊を勧請して、古市にお祀りすることにしました。
以後毎年7月24日には、町内会が競い合って「造り物」(一式飾り)を造り、その出来映えを競い合い、「古市の地蔵盆」として大層な評判を得て、町の経済も大いに潤いました。祭りの当日の街道筋は、人混みで歩く事もままならなかったのは昭和30年頃まで続きました。
昭和40年代に入り、社会の経済の仕組みも大きく変わり、今では開店するお店も極めて少なくなりました。家族の形態も変わり、少子高齢化の波に飲み込まれて、「古市の地蔵盆」も往時の姿を見ることはなくなりましたが、日限地蔵尊への信仰は今もたくさんの方に伝わっています。そして細々ながら地蔵盆は今も街道筋で続けられています』

R372に出て東へ。
r49へ右折し南下開始。
20180624SandaS0145s.jpg 「美濃坂峠」を越え、「永澤寺」横を通り「永澤寺峠」を越えて、15:44「バイカーズカフェ虎亀」。
16:41お店を出て帰路に着きます。
r49を南下し、r68に乗り換え東進。
~r33~r325~長尾山トンネルを通って、17:34帰宅。

修理に預けた「通勤リード110」を引き取りに、近所の自転車屋さんに向かいます。
小学生時代からの遊び友達がやってるので気楽です。
修理費は、ブレーキ部品代が22000円もしたそうで、工賃3000円プラスで25000円でした。
意外に高額になってしまいがっかりです。
スクリーン本体セット14000円だったのに、折れたボルトを交換するのに25000円とは・・・

後日談・・・
翌日少し走ったら、スクリーンの揺れがあり、また5年ほどしたらボルトが折れるかもしれないので、車載カメラセット用部品を外し、「アドレスV125」と同じようにバイク本体に直接ポン付けすることにしました。
ところがこのボルト、バックミラー穴ピッチと違いポン付けできません。
アドレスV125でホームセンターにボルトを買いに行ったのですが、バイクミラー用ネジピッチは一般用とは違うようで合うのがありません。
ならばバイク用品店と思い「バイクワールド」に行ったが、なんと「棚卸し」で「夕方から営業します」だって。

帰宅し仕方なく「MonotaRO」でネット注文しました。
「大阪魂/六角ボルト全ねじ(ステンレス) M8×60・1.25ピッチ 1パック(10個)¥529」。
更に翌日ボルトが配送され、めでたくガッチリスクリーンで復活しました。

6/24・三田篠山寺社ツーリング 1/2

家内がお出かけしてしまいました。
つまらないので、近所の自転車屋さんに向かいます。
「通勤リード110」の後付カウル(デイトナ・エアロショートスクリーン)の右のジョイント・ボルトが折れてしまい、修理の相談をしていました。
折れたボルトを買おうとデイトナに電話すると、「不良品」かもといろいろ質問されました。
もう7年も使ってるし、車載カメラセットのために部品を噛ませているのでボルトがバイク本体のバックミラーネジ穴に入る長さが短くしたので経年劣化です。
それでも無料で2本送ってくれました。

これの交換だけなら、元々自分でセットしたので簡単なのですが、折れたボルトの下部がバックミラーネジ穴に入ったままで取れないんです。
しかもネジ入れ不足から水が入ったのかサビが進んで癒着しています。
プロでもどうしようもなく、右ブレーキごと全取っ替えになってしまいました。

昨日、ブレーキは入荷した連絡を受けたので、ボルトとバイク持って行きます。
バックミラーがないので押して行きました。
100mほどですけどね。
組み上がりが14時以降ということで、夕方まで走りに行くことにしました。

倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、11:52「セルフ北村SS」で給油。
237km/9.44L=25.1km/L。
僕のホームグランド北摂里山地帯に向かいます。
長尾山トンネルを抜け、r325~r33、川下川沿いの林道を走り、川下川ダム横から武庫川に向け降下。
r327で武庫川沿いを走ります。
上空を新名神高速道路が通り、車が走っているのが見えます。

この工事が始まる前は、鷲の営巣地がありバズーカ一眼レフが上空を狙っていました。
早朝や夕方走るとうり坊に時々出くわしました。
狸だったりキジだったり、時には山鳥など何度もびっくりしました。
2頭のうり坊に追いかけられた時が一番ケッサクでした。
そんな野生動物あふれる道は遠い昔になってしまいました。

JR道場横を抜け、R176に出て、r17~r141で立杭に向かって北上開始。
13:07鳥居が見えたので寄り道しました。
20180624SandaS0001s.jpg 「大歳神社」というお宮で拝殿には、『敬神生活の綱領 1.神の恵みと先祖の恩とに感謝し、明るき清き誠を以て祭祀に勤しむこと 1.世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして、世をつくり固め成すこと 1.大恩心をいただきて、むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること』の額が下がっていた。
20180624SandaS0010s.jpg 教育勅語のエッセンスですね。
20180624SandaS0023s.jpg こういう戦前の道徳教育が復活し、神道を中心に置いた日本人の心の芯を再び立てて欲しい。

r141を北上し、JR相野駅を過ぎr75へ。
13:29道標に導かれ「観音寺」に寄り道。
墓地も探索したが、区画整理されており、これといっためぼしい物はなかった。

20180624SandaS0033s.jpg 13:41「住吉神社」。
境内に登る石段手前に「重文・住吉神社本殿」の石碑が立っている。
期待が膨らみます。
20180624SandaS0066s.jpg 境内に上がると、檜皮葺の拝殿が正面にあり、その奥に同じく檜皮葺が美しい本殿が建っている。
20180624SandaS0063s.jpg 境内右手前に茅葺きの能舞台が、瓦葺きの渡り廊下を伴ってある。
これはなかなかの掘り出し物です。

20180624SandaS0051s.jpg 『住吉神社 本殿:国指定重要文化財 舞殿:県指定重要文化財
社殿は、三間社流造、屋根は檜皮葺の伝統的なエ法で、鎌倉期の建策様式を残しています。建築後いくたびかの補修再建が繰返されてきました。昭和47年(1972)に半解体修理が行なわれました。その時社殿の基壇石組は創建当初に復元されました。
建築された年代は、大工日原氏が建てたとする棟札写などによって、文永2年(1265)の建立である考えられていました。文化財の修理工事の調査報告では、古文書に見える貞治4年(1365)の上棟をとるべきであるとの見解が示されました。
三田市内に現存する最古の神社本殿の建築であるとともに、14世紀中ごろの流造の遺構としても全国的にみても貴重な本殿である。
舞殿は近世初期のもので、今は能楽堂となっているが、北来は拝殿であったものをこのように改造されたものである。
舞殿は、桁行1間、梁間2間の入母屋づくリ茅葺である。寛文頃(1661~)から毎年奉納能が行なわれ、折々に藩主たちが観能に訪れました。現代は10年毎に能楽を奉納しています』

ナイスな神社でした。
神社横の道を北に走ります。
参拝からバイクに帰ってきた時、バイクが1台奥に向かって走って行ったので、どこからに通じているのかもしれません。
地図では、東条川の大瀬川ダム湖の右岸道路です。
途中左岸に渡る橋があり、そちらがメインのようですが、あえて左岸にこだわりましょう。

道が細くなり林道になりました。
いつ未舗装路になり、ジエンドになるかわからないけど突っ込みます。
勾配がゆるい「梅木峠」という峠を北に抜け、民家が見えてきました。

東西に走るr311に抜けました。
右折し走っていると鎮守の森を発見し突っ込むが民家でした。
素晴らしい。

r311に戻ると鳥居発見。
20180624SandaS0075s.jpg 14:08「木津住吉神社」。
「津」は港のことだから、「木津」は木の斬り出し港があった名残の地名です。
住吉神は水の神様なので、林業の守り神として祀ったのでしょう。
20180624SandaS0074s.jpg 『木津(こつ)住吉神社の田楽
10月9日の宵宮と10日の昼振舞の後、神社の舞堂で行われる。昭和36年までは9月に奉納されていたが、昭和37年以降途絶え、昭和56年に木津住吉神社田楽踊り保存会が結成され復活した。
20180624SandaS0088s.jpg 田楽には、幣(しで)かたげ・ササラ・太鼓・笛の役があり、保存会の手により演じられている。踊り子は浅葱(あさねぎ)色の裃(かみしも)に仙台平の袴・白足袋の装束で踊り、巫女の舞・田楽・跳び(トートイチ)の順番で奉納される。
20180624SandaS0096s.jpg 木津住吉神社の田楽の由来等については、資料・伝承がないため明かでないが、天明4年(1784)の宮当規式定書には「踊りならし」という記載がみられることから、この時期にはすでに行われていたことがわかる』

20180624SandaS0098s.jpg バイクに戻り、r311~r141~R372で東進し篠山方面へ。
今田町に入り国道沿いに鳥居を見つけた。
帰宅後調べると、ここも「住吉神社」でした。
この地域に住吉神社が集中しすぎているので、八幡さまを守り神とする源氏の荘園のように、住吉の神様を守り神とする豪族の影響かな?なんて思い更に調べてみた。
今田の住吉神社の謂れを見つけた。

『古市の町並みから西へ約500メートルで国道372号は不来坂峠にかかる。頂きは丹南町と今田町の境に当たる。坂道を下った右手のこんもりとした「蛙の森」に鳥居が見え、急な石段を登ると住吉神社がある。右に春日神社、左には八幡神社と稲荷神社が相殿として祭られている。
現在の今田町域は古くは住吉大社の播磨国賀茂郡椅鹿(はしか)山神領に含まれる御杣(おそま)山(用材供給の山)であり、平安初期には大社の小野原荘となった。
「東大寺文書」の天喜3(1055)年の文中には「多紀郡西県住吉御領小野原御庄」とあり、国役が免除されていた。その後、御獄山清水寺との境界論争もあったが、荘園が成立するとともに建てられた小野原住吉神社は終始、地域の総氏神であった。
境内西の山林の中に「かくれ杉」という神木がある。その昔、住吉神がお越しになった時、杉の木の後ろにお隠れになったので、その名がついたという。この杉の木の下には盤座(神が鎮座するところ)として使った石組みの遺構が残っている。それを「かくれ宮」と呼ぶことから、杉の大木と磐座が住吉神社の始まりだろう。
この神社は通称「蛙の宮さん」と言われている。10月4・5日の例祭の神舞には鶴と亀を白く染め抜いた素袍(すおう)を着た踊り手が、5人がビンザサラ(竹製の打楽器)、3人は締め太鼓を持って登場する。互いに跳び交う時に、足拍子を合わすための「ヘイッ、ヘイッ、カエロ、カエロ」という掛け声からとも、跳ぶ姿が蛙に似ているからとも、また、森が蛙のように見えるからともいう。
この祭りは中世より荘官の下司(一般事務)、公文(収納、訴訟)、田所(田畑の管理)の3職を中心に当人(世話役)たちが奉納し治めた一種の田楽である。
奇祭として多数の参けい者でにぎわう』

平安時代、住吉大社の荘園だった名残りのようだ。

6/23・ヨットレース

r102~r18~R161で、8:25「セブンイレブン大津松山町店」で、「助六寿司398円」を購入しヨットハーバ着。
早朝ツーリング終了。

インカレ個人戦予選のコーチングです。
9:30に出艇し、North3~4m/sで1レースしました。
上マークが近く、トップ艇フィニッシュが30分以内の短いレースでした。
各クラストップ6艇が全日本に進めます。
当方は3/12艇がトップ6に入りこれからです。

AP(延期)フラッグで上マークを遠くに移動させている間に、雨が落ちだすとともに風が落ち、AP/Hフラッグが揚がりハーバーバックになりました。
ここから延々風待ちになりました。
1回生の男子選手・女子選手・女子マネージャーの4人でお喋りしていました。
これから始まる大学生活のいろんなことも話しました。
女子選手は、2~9才までオーストラリア・メルボルンに住んだ帰国子女なので、アメリカ生活中の孫たちのこともありいろいろ聞かせてもらいました。

雨は降っているものの弱いですが風があるので、僕がレース委員長ならレースするな~と思いながら待ちました。
14時を過ぎAP/Aフラッグ揚がり、本日のレースは終了になっちゃいました。
なんじゃそりゃ、雨だから出るのが嫌だっただけじゃないの?レースは面白いから、どんどんやろうよ。

合宿所に戻り、全体ミーティングです。
気づいたことを話しました。
レースに関しては、ペナルティー履行場所や、レースストラテジー、混んだ状況での上マークへのアプローチなどを話しました。
1回生の超ポジティブ練習、2回生の半年後に迫ったインカレ団体戦予選本番への取り組みも話しました。

クラス別ミーティング後、美味しい夕食を頂き帰路に着きました。
湖西道路~名神高速~中国道~R171で、19:41「エッソ伊丹北村SS」で給油。
263km/8.97L=29.4km/L。 

コーチボート上で、4回生の子と3回生の女子マネさんに、「色白保ってるね~」と軽口を叩いたら、「コーチも綺麗な顔されていますよ。ツヤツヤしてるよね~」と嬉しいことを言ってくれました。
単に脂ぎってるだけだろうけど・・・




6/23・精華町ツーリング

コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
インカレ個人戦予選です。
2つのクラスの上位6艇のみがインカレ個人戦に挑戦できます。
大学ヨット部の最終目標はインカレ団体戦ですが、全国の速い学生レーサーの実力を肌で感じることが出来ます。
卒業後の思い出にもなるので、レギュラー3艇×2クラス=6艇が予選通過できたら最高です。
最低各2艇、当面の目標各2艇です。

9時に出艇のようなので、早朝ツーリング出来そうです。
天気予報は日中雨だけど、~AM10+PM4~=曇りという最低限のバイクツーリング可なので、四輪で行く選択を消し、「里山VTR250」で出発しました。

4:33、近所のローソンで、「キリン小岩井ミルクトコーヒー162円」を購入。
R171~中央縦貫~近畿道側道r2~r14~r19で淀川を渡る。
R1で北上を開始し、R307で東進しr71で南下。

20180623SeikaS0001s.jpg 5:42木津川沿いにある「祝園(ほうその)神社」着。
20180623SeikaS0013s.jpg 『御祭神/天児屋根命・武御雷命・経津主命
延喜式内社で、48代修徳天皇の勅命により悪病平癒・家内安全・農商工業の発展を祈願するため神護景雲4年1月21日に創祀されたお宮。
1月いごもり祭/無形民族文化財・11/3例祭・12月御神祭』

r71に戻り、木津川を東に渡り、R24からJR奈良線の東にある「大塚山古墳」横を通り、6:02「松尾神社」。
20180623SeikaS0031s.jpg 横に「TK Race Way」という小さなサーキットがあった。
カートの練習場かな?個人が持っていそう。

20180623SeikaS0049s.jpg 『京都府登録文化財/松尾神社拝殿・表門・境内社御霊神社本殿(桃山江戸時代)天武天皇が吉野山より東国へ向かう時、この地で大山祇神の化身であるという樺井翁と軍議を談じ、翁が姿を消したあとに残された宝珠をこの地の後の鎮めとし、のち大宝元年(701)に秦都理が霊夢によってこの宝珠を得て、これを神体として宮殿を創建したのがはじまり。
近世以前は、御霊神社が「下の宮」と呼ばれたのに対し、「上の宮」と呼ばれ、ともに椿井から上狛にかけての人々の信仰を集めていた。拝殿棟木に墨書銘があり、現在の拝殿が慶長15年(1610)に再建されたこととともに、有力農民の代表である。「十二番頭」や、南村(上狛)と北村(椿井)の宮座一老・松尾社・御霊社の神主などの名が記されている。また宮座に残されていた遷宮神事を行う時の絵図にも、狛野荘の荘官である下司・公文・トネの席や、有力名主によって構成されていた中老座・ばく老座の席、能や狂言を演ずる舞台や楽座、はしがかりなどが描かれていて、これらから中世の村政を司った組織と松尾神社との関わりが伺える。なを表門も拝殿とほぼ同時期の桃山時代の造立である。本殿は文化5年(1808)に奈良春日社若宮本殿を移築したものであり、東隣の御霊神社本殿は、春日社三ノ宮を文政6年(1823)に「下の宮」に移築し、さらに明治13年に神社併合により、ここに移築されたものである。中世村落における神社の面影を留める建物群である』

6:16「玉台寺」。
『狛弁財天社 弁財天は元来インドにおいて川を神格化したもので、日本でも竹生島など水に関係する地によく祭られている。
狛弁財天は、室町時代初め頃に上狛から椿井にかけて広がっていた興福寺領狛野荘の利水や水害に関連して創建されたものと考えられています。15世紀中頃から後年には、興福寺大乗院や一乗院から門跡が参詣し、拝殿造営のための奉加帳が興福寺内で回覧されている記録が確認されている。
狛弁財天社は、狛氏の守護神であるとされ、狛山城守秀はその当時狛野荘の荘官(下司)を勤めていたことから、互いの密接なつながりが伺えます。その後、16世紀後半頃に大規模な再建がなされたと考えられ、天正6年(1578)に木造弁財天坐像及びその眷属(けんぞく)である十五童子像が南都寺院の宿院仏師・源三郎らによって製作され、天正8年には拝殿が再建されています。こうした一連の事業は西福寺に肖像画を残す狛左馬進秀綱が中心で実施したと考えられている。
なお現在の本殿や拝殿は近世後期に再建されたもので、隣接する玉台寺は弁財天社の宮寺として建立されたものと考えられている』

この地は、興福寺領庄官だった「狛氏」が支配した地で、狛氏が領したからか、「狛」という地名ゆえ「狛氏」と名乗ったからかどちらが先かわからない。
たぶん他の多くと同じように後者だと思う。
「狛」という氏名は珍しい。
狛犬の「狛」であり、現在多くの神社の正面を守護する狛犬の起源は、エジプトのスフィンクスやインドのライオンで、中国や朝鮮半島を経て琉球や日本本土に伝わった。
琉球ではよりライオンに近い「シーサー」となり各戸の玄関を守護し、日本本土では日本の想像上の動物「狛犬」として神社正面にいる。

「狛」の語源は、「高麗」から来ており、日本本土へは高麗人が伝えたと容易に推察できる。
この地の地名「狛」も「高麗」が起源のように思われ、朝鮮半島「高麗」からの渡来人が住み着いた地と想像する。
狛氏自体も、渡来人の末かもしれない。
いろんな想像をしながら、狛氏の守護神である狛弁財天やその神宮寺である玉台寺を、そんな謂れがないかと探したが見つからなかった。

ずっと以前から「狛」という日本離れした地名の不思議が気になっており、高麗からの渡来人の痕跡や朝鮮式のお墓の存在が見つかるのでは?と思って来た。
それもあり、「大塚山古墳」を狛最初の訪問地にしたが、あまりに道が細い傾斜地ゆえバイクが停められなかったのが残念。
近くに「高麗寺跡」があるので、高麗渡来人が住んだ地には違いないと思うが・・・

弁財天があるのかも?と玉台寺の境内に入って行ったが、弁財天は境内内の下の方にあった。
弁財天は水の神様なので、地形的に川ではなく湧水水源を守っているのでしょう。
境内を突き当たりまで行くと、狛の地を見下ろせる景色の良い所に出た。
ここに鳥居が立っており、神仏習合の痕跡を感じた。

バイクに戻り、JR奈良線「上狛」駅からR163に出ました。
20180623SeikaS0092s.jpg 木津川に沿う道で、6:40「恭仁宮太極殿跡」。
トイレを拝借しました。

20180623SeikaS0099s.jpg 『史跡・恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。当時、たびたび疫病や戦乱に見舞われ、世情不安の中、こうした事態を打開するためか、聖武天皇は、奈良の平城宮を離れ、各地を転々とした後、天平12年(740)に現在の加茂町瓶原の地を中心に新都を定めました。しかし、恭仁京は天平16年(744)にわずか4年あまりで廃都されてしまう。
その後、宮域は大極殿を中心に、山城国分寺跡は、恭仁宮の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北三町(330m)東西二町半(275m)の広大な寺域を持つ寺でした。山城国分寺跡(恭仁宮跡)には、現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残されています。皆さんの立っている場所は、塔跡の正面になります。周囲を塀に囲まれた塔は、残されている基壇跡や礎石跡から考えて七重塔であったと推定されます』

横には、「山城国分寺跡」の広大な芝地があった。
国有地でしょう。
こういう史跡を民間によって乱開発されないよう国として管理し後世に伝えていく姿勢に敬意を表する。
教科書には出てくるが、ほとんど観光客も訪れない地がこういう形でしっかり遺されているから、僕のような歴史好きが生まれるのだと思う。
歴史好きは郷土好きで、家族好き・親族好き・国家好きに繋がるように思う。

R163に戻る。
「海住山寺」への案内板があった。
拝観時間前なのでパス。
r5に入り、高級宇治茶生産地「和束町」のど真ん中を走る。
20180623SeikaS0101s.jpg 7:02「弥勒磨崖仏」。

20180623SeikaS0106s.jpg r62にチェンジし、7:07「安積親王陵墓」。
「聖武天皇皇子・安積親王和束墓」。
聖武天皇の第2皇子で、長男が死去したので皇太子最有力候補だったが、聖武天皇内親王(母・光明皇后)安倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)が立太子された。
その後、17才の若さで死去した。
20180623SeikaS0110s.jpg その死があまりに急であったため藤原仲麻呂による毒殺説があるそうだ。

20180623SeikaS0111s.jpg r62を進むと道がいきなり細くなり山道になりました。7:19「八王子神社」。
八王子は、天照大神と素盞嗚命が誓約を行った時、素盞嗚命が天照大神の首飾りを頬張り吹き出した5王子と、天照大神が素盞嗚命の剣を飲み吹き出した3女神。
祭神の起源を頭に描き、日本の長い長い歴史に思いを馳せる。
天皇家は、現代日本人の祖先を辿ると必ず何処かでつながる祖先の本家。

母方の先祖は室町時代まで遡れる城持ち菅家党の武士。
その数代前、平安時代に美作守として京都より赴任した菅原道真の末。
先祖を探索する旅で、戦に破れ討死した先祖が、神社の祭神として祀られており心に熱いものを感じた。
頭の宮・胴の宮など、3つに別れた遺体を葬った場所にそれぞれの神社が建っていた。
その宮を勧請し、我が家の庭に祠をこしらえ毎日手を合わせている。
菅原道真を祀る天満宮を見つけると参るようにしている。

現代日本人の総本家・天皇家が現在でも続いているのを身近に感じる国民は、世界ひろしと言えど日本人ぐらいじゃないだろうか。
同じ列島を同じ民族が脈々と支配・住み続けてきた日本民族に生まれ、僕は幸せものです。

期待していたほど大きくなく、歴史がありそうになくこんなもんかな。
瀬田川に突き当たり、r3になり瀬田川沿いを大津に向かいます。
道なりにR422になりました。




6/22・三田/藍丸山砦跡ツーリング

3:30に目を覚ましたので少々ゴソゴソし、明るくなりだすのを待って、春秋用バイク装束に着替えました。
4:29出発。
長尾山トンネル~r325~r33~r68~r49から千丈寺湖畔を走りr309。
「須磨田」交差点からr310。
この道は広くて交通量が少なく、家内のバイク練習道No1お気に入りです。

右折してR176を北上開始します。
宝塚からR176でも来れるのですが、佐曽利カルデラが作った北摂里山地帯を走った方がすっと楽しいから、いつもこちらのルートを利用します。

R176を北上し、JR藍本駅横を走り、5:28「藍丸山砦」。
R176から丘の上にある東屋が見えていましたのですぐ見つかりました。
バイクを置き、砦攻めです。
20180622AiS0008s.jpg 標高差もちょっとなので走れば30秒で山頂です。
20180622AiS0109s.jpg 砦風東屋があり、内部に謂れ・動植物・砦建築などの写真があり、訪問帳に感想など書きました。

『日出坂・丸山四方山話 日出坂は古くから開けた村で、摂津名所図会によると大阪天満橋から日出坂峠まで13里15町余り(52km)とあり「国を出る時涙が出たが、藍の日出坂唄で越す」と唄われ、峠の途中には茶店が軒を連ね、こんにゃくに味噌をつけて焼いた田楽が旅人に好評で、日出坂名物が藍の名物となった。
この地、丸山には応仁の乱(1464年)には既に砦が築かれており、その後赤松教康の子・千童丸が軍功により義尚将軍に仕え、藍氏を名乗り藍岡山城を築きました。初代城主伊勢守康則となり、丸山は出城(砦)として使われました。2代目が加賀守、3代目が出雲守で、出雲守の頃は戦いに明け暮れる戦国時代で、三田地方でも戦いがありました。摂津・丹波国境を固めていた出雲守の軍勢も、一国一城の主を目指した伊丹の有岡城主・荒木村重の軍門に屈し、天正7年春、丸山出城も消失しました。
西前方の山は虚空蔵山で、日本三体の1つとされている。山麓は古くから桜の名所として知られ、西山桜と呼ばれ天然記念物に指定されていました。このヤマザクラは明治32年の阪鶴鉄道の開通時には樹齢300年にたっし、日出坂トンネルを通過する汽車と桜を楽しむため多くの人がここを訪れました。
藍村小唄にも「北は日出坂、さくらが丘よ、花のトンネル、国境よいとこ美里の藍村よ・・・」と唄われている。
このヤマザクラも、昭和のはじめ営林署により老木数本が伐採されるに至り、日出坂部落民全戸署名による中止申請で中止されました。その後戦時中の燃料不足から伐採され、炭として焼かれ、数本が昭和30年後半まで名残りをとどめていましたが、40年には消滅しました。
私は、自然保護のさきがけとなった日出坂の先人達の思いに感銘し、場所は違いますが日出坂の中央に位置するこの丸山に桜を植樹しました。頂上の祠には水の神様である弁財天女神が祀られています。この弁財天にまつわる話に「丁子源蔵物語」があります。
落ち武者・丁子源蔵は、藍に来て武を誇りに勢力を張った。もと今田城主であった三村但馬守は、清水寺の戦いで油井の酒井氏に敗れ、藍本庄に来て三村と名乗り土着帰農した。その時より何かと武を誇る源蔵と対立し、ついに2人の大決闘となったが源蔵はこの決闘に敗れ、それを恥じて武庫川の淵に一夜の雨に散っていった哀れな物語である。
時は慶長9年3月で、以後この淵を誰言うこともなく「丁子淵」「源蔵が淵」と言うようになったと言われる。その後、日出坂は年間幾度となく洪水に襲われることとなり、村人たちは多量に流れた土砂を取り除き「おどり場」といわれた所に運び上げ築山となし、その上に水の神様をお祀りした。同時に丁子源蔵の供養石碑も丁子淵に祀られた。
明治28年、県道建設(現R176)により弁財天や供養碑は移され、この地に祀られるようになった。
参考文献:「三田史話」児玉尊臣著、「駅路・藍の里」橋上清著、「郷土の城ものがたり」兵庫県学校厚生会、「有馬郡誌」 文責:谷口誠司』

20180622AiS0114s.jpg 朝霧の薄い雲を通して朝日の輪郭が見える。
これが好きなんですよね。
20180622AiS0121s.jpg 「ハリボテ砦」の横に「弁財天」があった。
バイクに戻り、枝道を南下する。
武庫川を渡る細い橋上に止まり川面を激写。
川の草の生え具合が、「ホタルがいそう」。
更に進むと未舗装農道になり、ここから国道に繋がっていそうになく、時のUターン。

R176に出て、JR藍本駅の方に入ってみる。
横を通過し、「酒滴神社」前も通り、r75に出て、6:24「藍岡山城跡」。
城攻めに入ると、村落の墓地があり、「天明年間(1781~88)・文化4年(1807)」のたぶんご夫婦のお墓があった。
とっくに無縁仏になっているだろうに、利用価値のない山懐なのでそのまま健在になっている。
中世の山城要素は、江戸時代以降の利用により喪失しており、堀切跡と思われる場所を特定できる程度だった。
道に戻ると、田んぼの奥に続いていく舗装路が気になった。
西の低山の峠を越え次の集落に続いているのかも?地図では、r75は更に南に向かい、虚空蔵山の裾野を迂回するようにして東の東条川に抜けている。
峠越えの道かもしれない。

バイクに戻り、早速峠越え出来るかチャレンジするが、あっけなく未舗装路になり、Uターン。
r75に戻り、あぜ道を走りR176に出て南下します。
「波田」の武庫川蛇行地に入ります。
「藍丸山砦」の謂れ板に書いてあった「堀相模守館跡」があったようです。
20180622AiS0170s.jpg 山城ではありませんが、天然の水堀が三方を囲み守るのに易い地だったのでしょう。

20180622AiS0172s.jpg 周囲を探り、6:50地蔵祠を見つけ、バイクを置きここから突入。
20180622AiS0173s.jpg 突入してすぐ、キツネに遭遇した。
鹿や狸はよく見かけるし、イノシシにもたまに出会うが、キツネは珍しい。
「堀相模守館」の守り神なのかもしれない。
一家族生息しているのかな?
僕の不審な物音に気づいて、オスが偵察に出てきたのかも?
キツネを追ってゆっくり道を歩いていくと、右手に墓地があり、更にその奥に入ろうとすると、上空からギャアギャアと鳥の鳴く声が聞こえてきました。
どうやら、サギのねぐらがあるようです。
カメラで下から巣を捉えるのは難しいが、墓地の方に入り上空をカメラで狙うが、幼鳥?成鳥?が羽ばたくのがちらちら見えるだけで、聞こえるのは鳴き声だけでした。

館跡の痕跡を見つけたかったが、藪こぎ必須になってきたので諦めてバイクに戻った。
武庫川沿いの道を走り、R176を渡りr310。「須磨田」からr309、千丈寺湖を渡る橋で、いつものように鷲と野鳥を狙う一眼レフ大砲持ちの方が2人構えておられました。
水鳥も狙え、ナイスなポイントです。

r308~千丈寺湖沿い~r49、「志手原」交差点からr37~r323、「波豆川口」から南に入り、r68を渡りr33~r325~長尾山トンネルを抜けて、8:11帰宅しました。




6/17・ヨット部同期パーティー/リーガロイヤルホテル

16時まで「そこまで言って委員会」見ながら昼寝し、学生時代のヨット部ライバル校D社同期H君がやってるレストランの30周年パーティー(17~20時)に出発するまでゴロゴロ。
気のおけない友人でドレスコードもないので何でも良さそうですが、「リーガロイヤルホテル大阪」開催なので、ジャケット+コーチしてる大学ヨット部公式ヨットネクタイにします。
バイクPもあると確認しているので、「通勤リード110」に乗り出発。
r13~R2で16:29ホテル着。

20180617FruitS0103s.jpg 20180617FruitS0104s.jpg 20180617FruitS0112s.jpg ロビーなどの写真を撮りながら、2F「ペリドット」へ。
受付が始まっており会費1万円を払いG席とのこと。
受付にはお若い女性2人・男性1人いました。
娘さんたちと旦那さんかな?
Hくんとこは女の子2人だったはず。
受付を終えるとHくんの和服の似合う奥さんが「Hの家内です」と挨拶してくださいました。
「うちは女ばかりで肩身が狭いわ」なんてHくんは日頃こぼしていたけど、あれは嘘だね。
綺麗な奥様なので、お嬢さんたちも綺麗。

20180617FruitS0115s.jpg 16:52、席に着きました。
10人ほどの円卓で、D社ヨット部関係者席でアウェー感たっぷりでした。
周りのあと2つのテーブルがヨット関係者で、1つのテーブルがH君家族+従業員席でした。
僕のテーブルがD社ヨット部OB内で若い者からの席のようで、最年少はD社OBじゃないけど、D社OBと組んでロンドンオリンピックに出称したU君で、次がD社現監督S君でした。
S君とは先週まで3週連続レースだったので、毎週顔を合わせていました。

春にコーチしてる大学ヨット部の西宮遠征でお世話になった大阪大ヨット部GMさんの司会でパーティーが始まりました。
Hくんが挨拶します。
40名ほどのパーティーを予定していたのが、130名になっちゃったそうです。
趣味の詩吟関係、かつてやってたダンス関係、ビジネス街にあるのでお客さん電通や富士通のエライサン・・・それぞれの挨拶や詩吟・ダンス・ピアノ演奏・・・で楽しい時間になりました。

左隣が、D社ヨット部運営委員長Yさん(H2卒)。
よく琵琶湖のレースでレース委員長をしておられます。
その隣が西宮YHでうちの先輩とクルーザーに乗っておられる方夫婦。
息子さんが僕の母校KG卒だって。
右隣が僕と同期のD社OBのO君。
学生以来で全くわかりませんでした。
僕が自己紹介したら、「あれ~同期じゃん、Kくんか~顔は忘れたけど名前は覚えてるよ~」僕と同じ状態です。
その隣が僕の1回生下が2人。
当時の話で盛り上がりました。

S監督隣にUくんが座っていたのでその席に行き3人であ~だこ~だ。
Uくんはオリンピック出場後、西宮の酒造メーカーの娘さんと結婚し西宮に住んでいます。
ちょうどこの日このホテルで、奥さんの妹さんの結婚式があったそうで、向こうを中座してきたようです。
なんという掛け持ち。
ヨットには乗っていないようなので、コーチしてる大学ヨット部へのコーチングを依頼しました。「いやいや、まずはD社に来てよ」とSくんが。
Uさんと組んでたM君は、次男がお世話になった中高ヨット部の先輩で、息子が中学生の時高校生でした。
そんな関係で息子のこともレースで何度も一緒になってるので、反対に「息子さん、どうしてますか?」と聞かれました。

次男が中高ヨット部時代にお世話になった僕の3回生上のD社OB先生に挨拶しに行き、僕含め地元伊丹市出身KGヨット部OBで作ったジュニアヨット部から先生の高校に上がった子が2人今年の1回生としてD社・KG・早稲田ヨット部に進学したので、彼らそれぞれの将来性などを聞きました。

プロセーラーとして紹介され挨拶したこれまたオリンピック選手Hさんに挨拶しました。
D社コーチでもあり、去年何度もハーバーで会いました。
膳所高ヨット部OBで、スナイプ協会や滋賀県ヨット連盟でも中心人物です。
今年春D社ウィーク前に、コーチしてる大学ヨット部の練習に混じってくれました。
Hさんにも「・・君どうしてます?」と琵琶湖水域で対戦相手としてよく走った息子のことを覚えていてくれ気にかけてくれていました。
ありがたいことです。

締めの時間になりました。
20:03、D社ヨット部応援歌とエールを、僕の1回生下のエール係Y君の指揮にて。
さすがエール係、振り付けを覚えていますね。
現役時代何回やったのだろう。
その後も近い代の結婚式などで駆り出されたのだろうな。

Hくん家族が前に出て、Hくんがお礼の挨拶を短く。
「いつまで出来るかわからないけど、お客さんが来ていただける間は続けようと思いますんで来てや」。
20180617FruitS0118s.jpg 続いて長女さんの挨拶。女性なのに弁が立ち、おじさんたちの笑いを取っています。
Hくんはパパなんて呼ばれていました。
「家では最低なパパでしたが、今日ちょっとパパの株が上がりました」
「フライパンを毎日振っていたパパのおかげで、私達はここまで成長出来ました」
「明日もレストランは営業しますのでご贔屓に」
・・・お母さんは花束を、Hくんは記念品をお子さんたちからもらっていました。

お開きになり、テーブルの皆さんに挨拶します。
出口で挨拶してるH君一家への挨拶行列ができていたので、D社監督S君とあ~だこ~だ話します。
S君は僕らKGOBが作った伊丹ジュニアヨットクラブに入部した子で、ヨットのヨの字から教えました。
教えてた小学生低学年だった子が昨年全国制覇した大学ヨット部の監督だって・・・僕はもう生きる化石になってきたね。

「ジュニアヨット協会50週年誌が立派で、過去成績データが充実してる」と驚いていたので、現理事長は僕が理事を辞める時、次に出てもらった人だよと教えてやりました。
Sくん後輩のお母さんです。
僕が協会理事だった頃、広報委員長や全日本選手権・世界選手権選考会で事務局長などしてた時、手伝ってもらいました。
最初はクラブ主催レースのアシスタントをしてもらいましたが、仕事が早く熱心で出来る女性でした。
大学ヨット部OGでもありうってつけの人材です。

僕が持ってた過去成績データもみな提供しました。
「50周年記念パーティー」も今日でした。
昼間なので誘われていましたが、会場が東京だったのでパスしました。
H君レストランパーティーに先に誘われており、残念でした。
日程がずれていればな~

D社OB連中は、これから夜の街に繰り出すのか、ホテルで飲むのか、適当に分かれて過ごすのでしょう。
僕は帰路に着きます。
「なにわ筋」~R176~十三筋。加島交差点からr10に乗り換え、阪神高速下を北上し、21:13「セルフ北村SS」で給油。
180km/3.85L=46.8km/L。

6/17・家内と「道の駅・神戸フルーツ・フラワーパーク大沢」

「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」へ家内と一緒に行きます。
お盆に次男一家が帰省した時、一緒に行く場所候補に家内が上げたので、2日前の早朝ツーリングで下見に行きました。
果樹園があり、桃・ぶどう・なし・などの果物狩りが出来ます。
お盆なので、アクセスや混み具合・2才の子が楽しめるか?などが気になりました。
駐車場が広く、遊園地があり、道の駅とは思えないほど敷地が広い。
ホテル・プール・芝生広場など、遊ぶところは充実しています。

駐車場は24hオープンで、奥のホテルも24hオープンだからいつでも行けますが、遊園地オープンが10時なので、その時間到着予定で、9時頃家を出ようと予定していました。
4時頃目を覚まし自室でゴソゴソし、8時前に階下に降りると家内がお化粧中でした。
着替えも終えており、「もう行けるよ」とのこと。
お腹が空いたのでバターごはんを食べ、着替えて8時過ぎに出発しました。

R176で宝塚中心部を抜け、r51ワインディングロードで有馬温泉に入りました。
時間があるので、前回買えなかった「有馬サイダー」を購入しようと。
温泉街の朝は遅いので、路上駐車して「銀泉」前のサイダー専門店に行こうと思っていましたが、9時では遅すぎました。
前回6時はガラガラだったのですが、日曜日朝9時は多くの人です。
目ざとく「サイダー」の幟を見つけ、家内が買ってきてくれました。
今用に1本と、次男夫婦用に2本。

r506~r82~r78で、フルーツフラワーパークの果樹園に車を入れます。
観光果樹園には入れなさそうですが、ゴーカートが数台走っています。
楽しそう。
10:15「フルーツフラワーパーク」到着。
駐車場は1/2以上車で埋まっていました。
神戸市の後押しで「KK神戸ワイン」が運営していたけど、お客さんの入りがイマイチだったのでしょう運営が変わったテーマパークなので、平日はガラガラ、日曜日だって駐車場は満車にならないと予想していたのですが大人気のようです。
お盆は駐車場待ち行列ができそう。

「ファームサーカス」を見て、入園料が無料なので「遊園地・神戸おとぎの国」に入りました。
20180617FruitS0008s.jpg 「空中散歩スワンサイクル」「観覧車」「メリーゴーランド」「ジェットコースター」「水の上をボールに入って散歩するアクアボール」「ミニトレイン」・・・2才児が乗れる乗り物調査です。
いろんな表示が薄くなり少しくたびれていますが、小さな子~小学生が楽しめる遊具が多くGood!

ホテルに向かいます。
向かって右側の回廊を歩きましょう。
20180617FruitS0027s.jpg 売店で、「果実バー」と言う棒アイス発見。
1本320円という観光地価格ですが、お盆には食べようかな。
BBQテラスを見て、左右回廊の中に広がる噴水庭園で家内を激写。
すでにBBQを始めているお客さんがいます。

「わんぱく広場」から果樹園の方に下って行きましたが、結局今回も果樹園入口が見つけられませんでした。
その季節になったらわかるでしょう。
長い滑り台を滑ろうと思っていましたが、「ペンキ塗りたて」なのかクローズでした。
20180617FruitS0049s.jpg 10:49「ゴーカート乗り場」。
混んではいませんが、ぼつぼつゴーカートが出発して行きます。
コースが長いので楽しそう。

20180617FruitS0060s.jpg ホテル裏側に、SLルックな園内バスが置いてあり、「観光農園」営業中乗せていってくれそうです。
こちらもペンキがハゲ気味で、やつれ感が昭和しています。
前進は1993年(平成5年)開業だけど。JR三田駅行き送迎バスが出発していきました。
20180617FruitS0072s.jpg ホテルに入ります。
20180617FruitS0074s.jpg 売店一番人気のお土産は、「ぶどうクレープケーキ」でした。

お昼を食べましょう。
ホテルレストランのバイキングは2000円ですが、それほどお腹が空いていないので元が取れそうになくパス。
20180617FruitS0079s.jpg 中華のお店は、ラーメンやチャーハンの単品もあり良かったが、「サンフラワーカフェ」に入りました。
僕は「クリームパスタードパスタ690円+ドリンクセット150円」、家内は「シーフードパスタ840円+ドリンクセット150円」。
11:29に精算して出ます。
入口にパンが陳列されており、それとドリンクのお客さんも多かった。
パフェなどもメニューに有りGood!
お昼の時間でもBBQは空いていました。

「神戸モンキーズ劇場」をじっくり見ました。
冷暖房完備で、入場料は無料です。
ギャランティー(投げ銭)システムで、所属12チームで上位4位までが出演できるそうです。
11時に開演しており、次が13時で入りませんでした。
所属チームのお猿さんたちが出演したTVや映画の宣伝がされていました。

家内も「何あの木?」って「けむりの木」に気づきました。
20180617FruitS0095s.jpg 赤い哺乳瓶ブラシのような「ブラシの木」が咲いていました。
20180617FruitS0099s.jpg 「ファームサーカス」まで戻り、観光バスのお客さんが入っており混雑していた売店に入ります。
「神戸サイダー」が売っていました。

12:30道の駅を後にして、「大沢IC」から「神戸北有料道路」に乗り、「神戸北JCT」で山陽道~中国道・宝塚ICで下車し帰宅。

6/16・鷲峰山林道~大宮神社~琴平神社~ヨット部練習

「いざ、林道へ」と思いその道を登って行きましたが、山は見えているのに下ったり民家が増えてきたりで、ロストしちゃった。
途中に「鷲峰山」と書かれた枝道もありましたが未舗装で入れませんでした。
地図を見ると、「大道寺」前の分岐が正解だったようで、もう一本の道に行くことにします。
これもロストしちゃった。

R307に下り、また「大道寺」への枝道に入り、今度は林道への枝道に入れました。
キジのメスを前方に発見し、飛んでいくまで待機。
森の中の道になり、「鷲峰林道」に入ったようです。
20180616WashiP0738s.jpg 「林道・御林山線」との分岐がありました。

20180616WashiP0747s.jpg 6:37「地福谷」。
「鷲峰山ハイキングコース」になっているようで、案内地図が立っていました。
「密漁禁止・メジロを取らないで」の表示も。

コンクリート舗装のガタゴト道になり、しばらく登っていくとバリケードが道の中央に出現し、少し広い舗装林道に突き当たりました。
走ってきた道は、車が入らないよう封鎖されていたようです。
20180616WashiP0762s.jpg 舗装林道を少し走ると、金胎寺入山口があり、300mで鷲峰山山頂との表示がされていました。
山頂の山寺ですね。

鷲峰山林道を、北から登ってきたので、東向きに下ります。
南向きに下る道もあり、この山は舗装林道で山頂直下までいろいろなルートで上下できます。
東に下りながら、北に下っていく舗装林道の分岐もありました。
この分岐にはバリケートはなく広く、登ってきた道が最も道の悪いルートだったようです。

交通量のない舗装林道を気持ち良く走りました。
木々の切れ間がたまにあるものの、外界を見下ろせほどでもなくサイトシーイングはイマイチでした。

r283に出ました。
ここは「穀池峠」で、和束町と宇治田原町との境の峠です。
r283を北に下り、R307に出ました。
R307を東に走り、長いトンネルを抜け、左折してR422を北上します。
旧道への入口があちこちに開いているので、GPSの鳥居マークに惹かれ適当に入ると枝道を入り、20180616WashiP0772s.jpg 7:32「大宮神社」。
境内を守る鎮守の森に巨大杉が林立し、社殿の手入れはイマイチですが、雰囲気があります。

R422に復帰し、旧道に入ったり戻ったりして、7:43「琴平神社」。
境内に入るところにロープが張られ社殿は朽ち果てそうですが、大杉は半端なく霊気さえ感じるお宮でした。

R422に戻り北上し、「富川磨崖仏」に寄り道しましたが、山を登っていかねばならず時間切れ断念。
R422~r29で瀬田川左岸を走り、「瀬田の唐橋」で右岸に荷りR422。
道なりにr102~r18で浜大津~R161でヨットハーバー着。

コーチしてる大学ヨット部員みんなに挨拶し、桟橋に行って「助六寿司」で朝食にします。
9時になりブリーフィング後出艇し、帆走練習・マーク回航練習。
20180616WashiP0797s.jpg ブームセンターの位置・メインセイルリーチの開き・リーチリボンの流れ・ジブリーチの開き・下マーク回航の詰め方・・・気づいたことをアドバイスしました。

午後の練習は、全艇でスタート練習したり、強制的に半数をスタート3分前にラインに入らせたり、本番のレーススタート同様の混んだ状況を作りました。
北からの良い風にも恵まれ、良い練習になったと思います。

17:30にハーバーバックし、先に合宿所に戻ります。
夕食を作り終えた女子マネさん達が、PCであれやこれややっていました。
持参したタブレットを出し、ヨット部LINEに登録してもらいました。
前週、「私とお友達になり、私が招待しますよ」と言ってくれた2回生Nさんがいなかったので、4回生のSさんが「私とお友達でいいですか?」と、サクサク登録してくれました。

ミーティング前、横にいた3回生Nくんがバッグから雪肌精(コーセーのお化粧水)を出して顔にパタパタしていました。
シャワーで日焼け止めを落としさっぱりした後のお手入れです。
「雪肌精か、良いのを使ってるね」と言うと、「実家に帰ると、母親から「汚い顔して」と言われ「お手入れしなさい」と渡されるんです。僕はマメに手入れしていますよ」
「そうか、うちの家内も同じで、息子には3000円の日焼け止めを帰省するたびに渡していたんだ。僕には何もないのに・・・」
「僕もですよ、ほら」と、資生堂アネッサの日焼け止めが出てきました。
どこのご家庭も、母親にとっては息子が一番の恋人ですね。

気づいたことをミーティングで話し、美味しい夕食をみんなと食べ、帰路に着きました。
いつものように男子部員にも女子部員にも、背中を叩いたりお礼を言ったりしながら出口に向かい、湖西道路~名神高速~中央縦貫~R171。
20:48「エッソセルフ北村」で給油。
174km/7.49L=23.2km/L。






6/16・宇治田原町/御栗栖神社~大道神社

コーチしてる大学ヨット部の練習に参加します。
先週は前日雨で早朝ツーリングを諦めましたが、今週はGO!です。
前回走った「大峰山林道」の南にある「鷲峰山林道」を探索します。

3:30に目を覚まし、「里山VTR250」に乗り出発。
4:05近所の「ローソン」で「キリン小岩井ミルクコーヒー162円+助六寿司399円=561円」購入。
御用達GSで満タンにしようと思ったらまだ開店前でした。
セルフなのに朝閉まっているんだ。

R171~中央縦貫道で、4:20「エッソ中環豊中SS」で給油。
150km/4.72L=31.8km/L。

吹田ICから名神に乗り、大山崎JCTで京滋バイパスに乗り換えます。
宇治西ICで下車し、r241で宇治川土手を走ります。
r3にチェンジし、世界遺産「宇治平等院」横を通り、宇治川渓谷を気持ち良く走ります。
「天ヶ瀬ダム」横を通り、r62にチェンジし宇治川沿いを離れ支流沿いを遡ります。

20180616WashiP0693s.jpg R307にチェンジし、枝道でショートカットして再びr62に合流し、5:25「御栗栖神社」。
『御栗栖神社(みくるすじんじゃ) 「御栗栖神社の大杉」が天然記念物。 南地区に鎮座する旧郷社で、祭神は天津彦根命、現在は南地域の氏神「一の宮」として「田原祭(三社祭)」を構成する三社のひとつです。
弘安6年(1283年)6月、荒木の大宮神社から分祀されたのを起こりとされていますが、それより古い時代に豪族が土地を寄進した記録もあり、正確な創建年代は定かではありません。周辺の栗林から産する栗は、古来より、その光沢と味の良さによって知られており、「宇治拾遺物語」に登場する天武天皇の煮栗焼栗伝承に由来するといわれます。その栗は、毎年11月15日禁裏御所に献上する習わしで、明治20年まで続けられました。社名である御栗栖は、こうした朝献の栗林が、次第に人々の信仰を集めるうちに定着したものではないかと言われていますが、この栗林も現在は茶畑にかわり、昔日の面影はありません。
20180616WashiP0696s.jpg 社殿は一間社流れ造りで、末社として天照大神、天満宮、皇森社の三社があります。境内はスギ・カシ・カエデなどを中心に多くの樹木が生い茂り、大木も多いため、野生動物も多く見られるなど、良好な自然環境が保全されています。境内でもひときわ大きな杉の神木は、町内でも最大級の樹木で、町指定文化財(天然記念物)に指定されています』

R307まで戻り、「鷲峰林道」に続く枝道に入ります。
5:48「大道寺」。
『奈良時代に山岳修験の道場として開かれた金胎寺の北側登山口として、早くから聞かれた地に天平勝宝8年(756)大納言三品湯原王(施表皇子の御子)の発願により、鷲峰山中興の越知泰澄大師が開基。大伽藍も配置されていたが、その後衰退していたのを嘉承元年(1106年)11月、藤原忠実の帰依により再興し、それより大御堂と称したという。その後にその子頼長に伝領されたが保元の乱後、没宮領として田原庄など諸国の頼長領と共に後院領に入れられた。その後、平治の乱で殺された信西の所領となっていた。大道寺の南端にこの信西を供養した宝篋印塔が立つ。信西は俗名を藤原通憲と称し、「本朝世紀」「法曹頻林」などが著した学者であったが、平清盛と結んで権勢を誇った。清盛の熊野参詣中、対立者の源義朝は兵を挙げ、信西は信楽に逃れようとして宇冶田原まで来たが、この地で自害したと言われている。いわゆにる平治の乱である。
「百錬抄」平治元年(1159)12月17日に「少納言入道信西首、廷尉於川原請取、波大路懸西獄門前樹、件信面於志加良木山自害、前出雲守光保所尋出也」とある。「平治物語」古活字本には都を追われた折に「宇治路にかかり、田原が奥、大道寺といふ所領にぞゆきにける」と記されている。一説には、自害した屍は胴のみ近くの寺に納めて胴塚として祀られ、首は都でさらされていたのを大道寺の領民がもらいうけて、この地に塚を築いたといわれ、近くに信西首洗いの池と称する小池もある。大道寺はその後も修験系の寺院として栄えたが、以後400年もの間興亡を繰り返し、ついに戦国末期に、織田信長による寺領没収に会って滅亡に近い寺院になったと伝えられる。とくに昭和28年の山城水害には裏山より土砂が崩れ落ち、寺は潰滅した5体の仏橡のみかろうじて難と逃れ、以前書庫とされていた御堂に安置されていたがその建物も近年老巧化はげしく、平成16年10月に現在の建物を新築し、本尊不動明王をばじめとする仏像を安置する』

20180616WashiP0710s.jpg 近くに「大道神社」があった。
扁額には「天神社」と掲げられている。
20180616WashiP0720s.jpg 神仏習合時代、大道寺の守護宮だったのかな?石段を上がり境内へ。
「本殿」と「木造男神立像」は、宇治田原町文化財に指定されているようです。
20180616WashiP0724s.jpg 彩色された綺麗な本殿でした。
20180616WashiP0729s.jpg 道路に戻り、「信西入道塚」がありました。

『宇治田原町指定文化財・信西入道塚 藤原信西(通憲)は平治元年(11599 )、源義朝らのクーデターを知り、田原の領地に逃げ込んだが追ってきた源氏の軍兵に殺害される。大道寺の領民はこの場所に塚を築いてその菩提を弔ったと言われている。大正5年8月に有志により供養塔が建てられ今に至る』


6/14・早朝ツーリング「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」

4時前に目が覚め、天気も良さそうなので、「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」を下見に行くことにしました。
遊園地・ホテル・果樹園なども併設され、道の駅なので24hオープンで駐車できるそうです。
お盆休みに次男一家が帰省するので、ぶどう狩りとか出来ればいいなと思っています。
家内がパンフレット持って来て、「ここどうかな?」と言ってきたので実現させてあげたい。

夏用プロテクターメッシュ上下+DAIWAフィッシングスーツという春秋用装束に着替え、4:31「里山VTR250」で出発。
R176で宝塚を通過し、r51で蓬莱峡ルートから「有馬温泉」に向かいます。

20180614FruitS0003s.jpg 4:59「有馬温泉」。
最近の炭酸水ブームに乗り、天然炭酸泉(銀の湯)が湧く有馬温泉では、各種炭酸水が商品化されています。
その自販機があるとの情報を得、自販機なら24hいつでも買えるだろうと探しに来ました。
しかし、メインストリートには炭酸水自販機がありませんでした。
ならば有馬温泉駅にあるだろうと、バイクでゆっくり流しましたが見つかりません。

諦めて帰宅後調べたら、「金の湯」前の「有馬炭酸力」というお店前に自販機があるそうです。
店舗内には多くの変わり種炭酸水が置いてあるのだとか。
次の機会でゲットし、昔懐かし「ラムネ」との違いを体験してみたいと思っています。

我が家の近隣市を含め天然炭酸水の湧泉が多く、宝塚市に「ウイルキンソン」・川西市に「三ツ矢サイダー」が起こった。
我が家のお隣奥さんは三ツ矢サイダー創業家の出で、小学生時代息子さんとよく遊んだので、奥さんにいつも三ツ矢サイダーを飲ませてくれた。

r51を有馬口方面に下り、r15にチェンジします。
r506~r38~r82~r73と田舎道をチェンジし、5:29「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」。
20180614FruitS0013s.jpg 道の駅とは思えないテーマパーク的な門にお出迎えされました。
門をくぐる時、入場券受付があったので、かつては有料だったのかもしれない。

帰宅後調べると、神戸市の委託を受け「株式会社神戸ワイン」が営業していた農業テーマパークだったようです。
20180614FruitS0020s.jpg 神戸ワインの債務超過により道の駅として生まれ変わり、FARM CIRCUSが誕生したそうです。
630台駐車可能な巨大道の駅でした。

駐車場にバイクを置き、探索開始です。
20180614FruitS0019s.jpg まず小規模な遊園地があり、幼児~小学生低学年が喜びそうです。
20180614FruitS0014s.jpg 階段を上がり、お城の入口のようなウェルカムゲートをくぐります。
20180614FruitS0034s.jpg お役所がバックに付いた採算度外視の豪華建物が並び、平日の集客が望めそうにないのでペイしないように感じる。
20180614FruitS0048s.jpg だから経営主体が変わったのでしょうね。

屋根付きのBBQエリアがある。
20180614FruitS0069s.jpg その席数はものすごく、こんな大きなBBQ施設は見たことがない。
20180614FruitS0060s.jpg BBQ食材持ち込み不可で、食材を購入するお店があった。
「黒毛和牛セット1900円」他いろいろなセットもある。

20180614FruitS0055s.jpg 手入れされた西洋風庭園を回廊が囲み、奥に宮殿のようなホテルが見える。
ホテルに近づくと、「ホテルバイキング」の幟が立っていた。
ホテル宿泊のお客様のレストランがバイキング形式になっているようです。
「ランチ・ディナーバイキング」「デザートバイキング」・・・。

20180614FruitS0093s.jpg ロビーカフェにウェディングコーナー、一般的なホテル洋式ですが、正面のインパクトに比べると奥行きが無いように感じる。
横長設計のホテルのようです。
「バーデハウス大沢温泉」という温泉がホテル2Fにあるようです。

ホテル内を横に歩いていたら外に出た。
そこはホテル駐車場で、JR三田駅への送迎バスが出ているようです。
ホテルの更に奥に「ホースランド」という施設があるようです。
帰宅後調べたら、「ホースセラピー」施設だそうです。
乗馬もできるのかな?

中庭を戻ります。
20180614FruitS0104s.jpg 夏になると営業するのであろうプールが2面ありました。
20180614FruitS0111s.jpg 「モンキーズシアター」という建物があった。
20180614FruitS0114s.jpg 猿の曲芸などを観せるのかな?と思ったが、トミーズ健さんや間寛平さんの写真や、映画「パンク侍」のポスターが貼ってある。
お猿の出張日記が掲示されていたり、ようわからん施設です。
お猿の曲芸を見せるだけなら、建物が立派すぎるぞ。

20180614FruitS0120s.jpg 「Brides House」・・・結婚式場かな?とホテルと似た設計の建物に向かうとビンゴでした。
ホテルと離れている贅沢な設計ですが、一緒にしてホテルをもっと大きくした方が使い勝手が良いように思うし、投資額も削減できそう。
門の所にチャペルがあったけど、あそこで式を挙げるのかな?必然的に中庭を歩くことになるので、人前結婚式になるね。

20180614FruitS0126s.jpg 触り心地の良さそうなフワフワな葉?枝?の変わった木があった。
「スモークツリー」だって、まさにそうですね。
中庭を横切り、バーベキューテラスの向こうに、「ゴーカート」「パターゴルフ」「フルーツガーデン」があるようなので向かう。

20180614FruitS0135s.jpg BBQテラスの向こうが坂で下っており、斜面をあじさいが覆っている。
多目的広場の向こうに広大な果樹園が広がっているようです。
果物狩りメニューから、ぶどう・もも・ナシ・りんごが栽培されているのはわかるが、広すぎて見通せない。

ゴーカートは1周1200mのロングコースだそうです。
レールゴーカートなので身長130cm以上あれば運転可です。
20180614FruitS0138s.jpg 「パターゴルフ」は9ホール400円・18ホール700円。

20180614FruitS0141s.jpg 「ちびっこ広場」があり、ロングすべり台と幼児でも安全なジャングルジムがありました。
果樹園にだいぶ近づきましたが、丘の向こうまで果樹園が広がってエンドが見えません。
「神戸ワイン」が営業していた経緯をみると、ぶどう畑が広いスペースを占めているのでしょう。

6:34バイクに戻り、帰路につきます。
「芋掘り」看板があったので寄り道。
r73に戻り、往路で見つけた「ぶどう畑」への道に入ってみる。
道の駅Pからだとかなりの距離歩かないといけないから、近くにPがあるとラッキーなんだけど・・・

6:39「ぶどう畑」。
予想通りかなり広い。
こちらはワイン用ぶどう畑のようで、フェンス内にあるのが観光ぶどう畑のようです。
20180614FruitS0159s.jpg その周囲をゴーカートレールが3本走っていた。
長い直線があり、これは1.2kmあるね。

r73を三田方面に走り、「プレミアムアウトレット」「イオンモール」横を走る。
前方のバスに追いついたら、「親和女子中学・高校」のスクールバスだった。
学校は神戸六甲山の南側にあるのに、六甲山北側の三田からスクールバスを走らせているとはびっくりした。

バスについていったら、神戸電鉄道場駅のターミナルに入ってしまい、更に東には道がなかった。
GPS地図見て軌道修正し、少々迷いながらR176に出ました。
ここでまたミスし、北向きに曲がってしまった。
「r327~JR道場の裏道ルート」を考えており、r327の分岐が北にあると思ってました。
R176を走りながら間違いに気づき、武庫川を渡るところで右折し、右岸土手道を下りました。
この「元国鉄福知山線軌道」を走るのが好きです。
r327に合流し、JR道場駅横を走り、武庫川沿いの道に出ます。

20180614FruitS0164s.jpg 7:16バイクを止め、新名神を激写。
武庫川を渡るお気に入りスポットでまた激写。
分断県道r327のエンドまで走り、「川下川ダム」に急坂を上がり、r33に合流します。
直進するとr327になり、JR武田尾駅に向かい、武田尾を過ぎた所までr327で行けます。
あと1km伸びれば分断県道は繋がります。
r325~長尾山トンネルを抜け大阪平野へ。

8:00に帰宅しました。
NHK朝ドラを見ながら朝食を取り、通勤の人になりました。
春から始まった朝ドラ「半分、青い」は、主人公が可愛く、脇を固める出演女優さんも美人を揃えており、脚本がラブストーリーの北川悦吏子さんで楽しく見させて頂いています。

6/10・法事

法事の日です。
家内の父親の23回忌・母親の13回忌です。
うちも再来年父の13回忌になります。
月日の経つのは早いです。
家内の姉がメインとして動きました。
家内の実家のお墓の横に、兄の実家の神様の墓を移設し、1週間前に開眼供養したところです。

ご仏前に供える果物の調達を家内が頼まれました。
川西阪急百貨店に入っている果物屋さんに注文し、金曜日に僕が取りに行きました。
アメリカに住む長男・関東の次男は参列しませんが、彼らそれぞれのご仏前(コーヒーとお茶)も家内が注文しました。
姉・姉の子3人と被らないように、姉妹でやり取りしていました。

11時に実家近くのお寺さんで法要があり、10:30にそのお寺さんが「位牌堂」を建立したそうで、それを見学します。
兄の家は神道で、家内の家は浄土宗でした。
姉妹2人でともにお嫁に出ているので、先祖から続いた家内の実家は絶えます。
姉が実家の墓・位牌を守ってきましたが、姉が亡くなれば跡継ぎがいないので、位牌をこの位牌堂に預け、永代供養してもらいます。
お墓は神道の墓を守っていく姉の長男が、隣という気楽さもあり引き続き守っていきます。
家内も両親や先祖の位牌が眠る場所を見たいので、10:30までに到着せねば。

8:30に家を出ました。
「宝塚IC」から中国道に乗りました。
これまでの日曜日のこの時間帯なら「宝塚東トンネル・西行渋滞」が発生しているのですが、新名神
が開通したおかげで、交通量は多いものの渋滞なしでした。
「こりゃ、早く着いちゃうな」

阪神高速7号に入ります。
「FARM CIRCUS」書かれた観光バスに追いつきました。
リアに、稲穂・酒などの絵が書かれ、中央にサーカスのテントが書かれています。
観光バス会社にしては変だし~と考えながら追い抜くと、「フルーツパーク大沢」とサイドに書いてありました。
神戸北区大沢町にある道の駅で、遊園地や果樹園・ホテル・プールも併設している施設です。
今年の夏、次男一家が帰省したら「みんなで行きたい」と家内が希望している施設です。
神戸駅~フルーツパーク間を結ぶバスのようです。
帰りに下調べに寄ってみることにしました。
天気予報では台風の影響で雨が降ることになってるけど、天気が持ってくれたら良いな。

第二神明~加古川バイパス経由でr718(旧R250)に乗り、加古川の家内の実家跡へ。
家を取り壊し駐車場になっています。
子どもたちがチビの時、毎月のように来ていた頃、2軒隣の散髪屋さんで散髪するのが恒例でした。
目の前の病院がなくなっていました。
息子さんを家内が家庭教師していましたが、医学部に進学しなかったのかな?

10:07、長年お世話になってる「長田寺」さん到着。
Pには車がなく、うちが一番のようです。
本堂の扉が開いており奥さんが掃除している感じなので、積んできた果物などを運ぶことにしました。
リアゲートを上げて作業していると、お兄さん夫婦の車が入ってきました。
ほぼ同時ですね。
面倒見が良くおしゃべりのお姉さんと家内は喋っていますが、僕は挨拶後黙々と荷物運びに往復します。

お兄さん夫婦もお寺に入ってきました。
僕は境内の謂れ板を写そうと車に戻ると、そこにお兄さんの家を継ぐ甥一家の車が入ってきました。
境内の写真を写します。

『尾上構居址 長田寺付近は、中世の城館である尾上構居跡と考えられています。
構居とは、中世の土豪の居館のことで、城と比べ規模の小さいものを意味しています。尾上構居について詳しいことはわかりませんが、三木合戦(1578~80)のときに三木城方についたことが伝えられています。
尾上構居址 長田庄 領主八尾上丹波守 別所ノ幕下(播磨鑑)
尾上構主 加古瀧十郎盈斎(赤松氏範末孫なり)居す
居尾上丹波守三木落亡武功あり(播諸城交替連綿記)』

本堂裏の「位牌堂」を奥さんに見せてもらいました。
姉が嫁ぎ、妹である家内が跡取り娘になったのに、僕が取っちゃった。
「私、家の跡を取らないと・・・」と言っていたが、僕のプロポーズに「うん、いいよ」と即答してくれた。
僕は長男だから家を継ぐのを当たり前のように育ってきたけど、弟がいるので家内の実家に入ってもいいかな~とも思っていた。
僕の決断で、1つの家が消えちゃう・・・。

家内の実家は、播磨の戦国が描かれたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも登場する志方城内にあった。
黒田官兵衛の正室の実家です。
その跡取りだった家内のお父さんが、尾上に引っ越してきた。
だから姉の代になるまでは、志方城近くにお墓があり、毎年お参りに行っていた。
昭和の時代まで元城内に家があったということは、家老などそれなりの身分の武士だったのでしょう。

お父さんは家業?である職業軍人になり、大東亜戦争では部隊を率い中国戦線に奮戦した。
戦後数年シベリア抑留を経て舞鶴に帰国した。
「加古川・・(家内実家の苗字)部隊」として播州一勇猛な部隊として何度も新聞を賑わせていたようです。
戦後すぐ帰国していたら戦犯になっていたかもしれません。
その部隊の帰国が新聞に載り、「独身」だということを知り、姫路の名家だったお母さんの実家を継ぐお爺さんがお見合いを申し込み家内姉妹が生まれた。

人生いろいろ、歴史好きの僕には、家内の実家が絶えてしまうのは残念だけど・・・。
このお寺の家も、滅んだ土豪の子孫でしょう。
宗教法人で無税なので、相続が発生しても代々継いで来たのだと思う。
今まで何度も訪問しているのに、謂れ板に気づいたのは初めてでした。
豪族の城跡だと播州の歴史本で知ってはいたけど、その面影は家の前に小川が流れていることぐらいで、うちの父の実家のように土塁も皆消滅している。

20180610KakoS0007s.jpg 長女一家・次女一家もやってきて賑やかになり、11時からの法事も無事終えました。
現住職は、姉と兄が知り合った京都の大学の後輩です。
市民病院に勤めながら住職を継いでいます。
楽しみにしている法事後のお話も、なかなか良かった。
仏壇前に置いた果物やなんだかんだ、皆が持ち寄ったご仏前を全部うちの車に運びます。
ワンボックスワゴンはリアゲートを上げたらたくさんはいるので楽でいいです。

12:09、お兄さん夫婦の職場を見に行きました。
外装を塗り直したそうです。
絵が上手な次女の美的センスに従って、「クリーム色の壁」に「オレンジ入りのアクセント」、そして「ライトグリーンの屋根」で可愛い。
内装もやり替え、玄関を入った所に飛行機の壁紙の評判が良いそうです。

続いてお墓参りです。
先頭がお兄さん車で最後尾が僕の車なので、前3台がお兄さん職場駐車場を出た後、甥の車がが出るのを待っていましたが、1才の子がいるので遅れナビ設定しているようで更に遅れ、待っていた前3台は先に行っちゃいました。

甥に続き2台で前3台とは反対方向に出ます。
ナビ誘導ならこちらのあのですが、地元のお兄さんはなぜ反対方向に行ったのだろう。
加古川土手左岸道路r18を北上し、右岸に渡り土手から下って日光山墓苑に向かいます。
土手から下る道はいくつかあるのですが、ナビ誘導運転を間違ったようで、狭い道をきついVターンするために躊躇しています。
後ろの窓が開き、奥さんが「ここ行くの~」って目で見ています。
「行けると思うけど」「え~ほんとに~」という車内夫婦間会話が聞こえるようです。
もっと先の道でも行けるので、車を降りて「前へ」とジェスチャーしました。

12:40頃お墓について参ります。
てっきり僕ら2台の方が早いと思っていたのに、既にお墓を掃除していました。
加古川に新しい南北縦断道が出来たそうです。
お花を入れ替え、お線香を・・・。

隣にお兄さん実家の真新しい神道式お墓が立っています。
お兄さんは次男なので本来跡取りではないのですが、長男さんが東京に出たまま、お嫁さんとお母さんとの不仲ゆえ里帰りもしなくなり、お兄さんの結婚式・姪甥の結婚式にも姿を見せません。
会社の経営者で裕福なのに、なんだかな~と思っちゃいます。
お嫁さんとお母さんの仲が悪く、お兄さん一家が帰省しなくなり疎遠になっちゃった。
僕は、社会人になった子供にいろいろ意見する親は「老害」だと思って、「老いては子に従い」がスムーズに墓守を継いでいく肝だと思っています。
それで、お兄さんが自分の実家と2つの家のお墓の面倒を見てきました。

お兄さんは妹さんとは仲が良いですが、義理とはいえ男兄弟は僕だけみたいになり、実の兄弟のように何かと良くしてくれます。
子どもたちがチビの時、キャンプ・海水浴・スキー・果物狩りなど、2家族でよく行動したので、そのまま子どもたちの仲が続いています。

小宴のため、近所の「白雲谷温泉ゆぴか」に移動しました。
姉夫婦は低山登りが趣味で、ここの駐車場に車を置き、「小野アルプス」を歩いています。
帰りに風呂に入ったり、食事したりお茶して帰るそうです。

13時から「特別室」というのを2時間借り切ったそうで、軽い懐石料理を和気あいあいお喋りしながら食べました。
長男のLINE乗っ取られ事件の詳細を話し、姪たちに対処法を聞き、家内のスマホを預けみんなやってもらいました。
姉も姪達もスマホで連絡しあってるそうで、家内もそれに加えてもらいました。
姉のスマホも「貸して、やったげる」と姪は頼もしいです。
子供の頃、4人の両親・5人の子という感じで遊んでいたので、自分の親のように僕らに接してくれます。

20180610KakoS0017s.jpg 15時になりタイムアップで特別室から出て、地元産品を売ってる施設に、「珈琲飲んでいこか」と促され入りました。
甥の息子1才もみんなに慣れ、小中学生の従兄弟たちと遊び始めました。
「お金あるよ」と兄が小銭をたくさん出して来て、自販機珈琲や自販機アイスを口にしながら1時間ぐらい駄弁りました。

駐車場でそれぞれの車に別れる時、「そういえば写真撮ってないな」と兄が言い出し、カメラと三脚を車から出してきました。
駐車場で集合写真を撮りました。

特別室で食事後、家内と姉・銘がご仏前などを分けました。
家内が大きめの袋を人数分持ってきておりスムーズでした。
それで出たダンボールや包紙などのゴミは、我が家が持って帰ることになり、それらを車に載せ「さようなら」。
次は帰省する次男一家を交えお盆かな?

「三木小野IC」から山陽道に乗り、「三木SA」でトイレ休憩しました。
「道の駅フルーツパーク大沢」目指して走り出すと雨が落ちてきました。
降りるICを間違えスルーしてしまい、フルーツパークの下調べもパスしちゃいました。

そのまま帰宅し、後片付けをしてから自室に上がったら、そのまま寝てしまいました。
次に起きたのは夜中24時前、風呂に入っていないけど面倒なのでパスし、面倒でないヨーグルトを食べて至福の時間を過ごし、そのまま寝てしまいました。

6/9・レース2 & 湖西道路事故

バイクで合宿所に戻り、夕食を作り終え、成績表制作に余念のない女子マネさんたちとあ~だこ~だやっていました。
お若い女の子と喋っているのはとても楽しい。

コーチボートでは、本部線からの無線情報、陸上本部にスタンバイしているマネージャーからの情報、そしてこの合宿所でのPC作業などの情報を駆使し、フィニッシュ後戻ってくる選手たちに色んな情報を提供している。
集計した途中経過をボードに書き、各選手のフィニッシュ順位・総合成績などを伝えていますが、写真を取りLINEにも流し、OBたちとも共有しています。

そのことをマネージャーさんたちに聞くと、「息子さんも入られているので、コーチも入ってくださいよ~」と2回生マネNさんに誘われ、その気になっちゃいました。
「私とお友達になり、ヨット部LINEに私が招待しますよ」と微笑まれると、男なんてコロリですね。
スマホを持っていないのでタブレットでも良いのですが、タイミングの悪いことに忘れていました。
次回持っていこう。

その流れで、2日前家内のスマホLINEに「なりすまし長男」から「オレオレ詐欺メッセージが届いた事件」のことを話しました。
「え~、初めて聞きました~」と驚いていました。
長男がLINEアカウントを乗っ取られ、なりすましLINEが、ほうぼうに発信されたようです。
「今時間ある?」「ちょっと手伝って欲しいんだけど」「コンビニに行って、5万円のweb moneyを買って、裏の番号を写真にとって送って」と家内宛に届きました。
家内は長男が困っていると慌て、僕に買ってきてと。

「怪しいな~」と思いながら家内のスマホを持ちコンビニに急ぎ、駐車場で長男にLINE電話しようとしましたがどうやって使うかわからず、gmailしようとしましたがこちらもわからず、帰宅し自分のPCから真意を問い合わせることにしました。
コンビニに入り、店員さんに経過を伝えると、最近はやってる詐欺だそうで、このコンビニでも1件あったそうです。
「息子さんに別の手段で問い合わせた方が良いですよ」とアドバイスをいただきました。

家内に詐欺である旨を伝え、帰宅してPCメールで長男に問い合わせました。
長男はアメリカに住んでおり、時差の関係で真夜中なので即返信は期待できません。
LINEをチェックすると、次男から「お兄ちゃんのLINEアドレス乗っ取られているようなので、騙されないように注意してね」とのメッセージと、届いたLINE画面のハードコピーが添付されていました。
次男からも長男にメッセージを送ったようです。
若者の次男からのメッセージは説得力があるはずです。

夜20時(長男現地時間7時)に、長男から「LINEアドレス乗っ取られた~、友人に同じなりすましメッセージが届いたみたい」とのメッセージが届き、LINEの長男アドレスへの対処が書かれていました。
一件落着です。

ミーティングが始まり、気づいたことを話しました。
470の王者D社と比べたクローズボートスピードとランニングボートスピードについて。
マネージャーにトップ艇のラインの横を維持し、ラインと共に上マークに近づいて行きました。
ビデオを回したので、トップ艇ライン上での各艇の動きがクリアに見えます。
タックのタイミングと考え方、ミート艇が来た時の対処法を喋りました。

美味しい夕食時間です。
僕が例題として挙げた艇の2人が同じテーブルに座り、ホワイトボードに書いた図を見ながら、食べながらバズりました。
より具体的に話せてとても良かった。

夕食を終え、バズも一段落し、19時を過ぎたので帰路に着きました。
大部屋で食器洗い順が回ってくるまでくつろいでいる部員の肩を叩きながら、「今日はありがとうね」「帰るわ」「ご飯美味しかったよ」など言いながら踊り場に向かい、そこでバイク装束を着ます。
部の運営は上下関係が弱く、みんな自分の食器は自分で洗います。
毎日決められた掃除時間に、ルーレットで掃除場所を決め、それに従い全員で掃除してから、クラス別個別ミーティングしてからフリータイム~就寝へと向かいます。

湖西道路に乗りました。
いつもこの時間帯になると空いているので、快調に名神高速京都東ICに向け走っていました。
バックミラーに映る後続のライトは遠く、前方にも車が走っていません。
元有料道路で自動車専用道路並に道が良く気持ち良く走れるので、制限速度は70km/hです。
終点前の大きなRに差し掛かり前方遠くが見えなくなったところで、なんかいつもと違う違和感がありました。
Rの外側の壁がなんだか赤いような・・・

Rが終わり直線になるあたりで、前方に事故車両が見えだしました。
走行車線に1台、追い越し車線にまたがってもう1台。
アクセルを戻し、ゆっくりブレーキを掛けました。
追い越し車線にバンパーが落ちています。
その横をすり抜けると、次に走行車線側に止まっている車。
右前方がへしゃげている。
続いて車線をまたがって斜めに止まっている車で、前輪がパンクしバンパーが落ち、動けそうにな
い。

直線の先で、右車線は名神高速とR1京都へ、左車線はR1大津方面に別れます。
僕もそうですが、走行車線を走ってきた車の多くが、この直進区間で追い越し車線に移動します。
この移動中の事故のように思いました。
両者ともクラウンタイプの高級セダンで、社外に出て携帯電話してる方々は若く、スピードオーバーだったのではないかと思いました。

僕はバイクなので難なくクリアできましたが、後続の四輪は相当スピードを落とさないとクリアは無理でしょう。
発生したばかりの事故で、警察も救急車も来ていません。
僕も70~80km/hで走る区間で、追い越す車より数倍追い越される車が多い高速区間なので、カーブで前方が見えにくい状況での渋滞に突っ込む二次災害が気になりました。

湖西道路~名神高速~中央縦貫道~R171の定番コースで帰宅しました。
家内が夕食中で、「ただいま~」。
風呂に入り、翌日の法事の出発時間を決めヨーグルト持って2F自室に上がり「おやすみタイム」となりました。

翌日は法事で僕は行けませんでしたが、2日間トータルで470級3位・S級優勝・総合2位でした。
とうとう片クラスだけですが、昨年全国制覇のD社に勝利することが出来ました。
新人戦以外で勝ったことがなかったので、みんなの喜びはひとしおでしょう。
これで練習に更に熱が入りそう。

6/9・レース

コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
これで3週連続レースです。
今回は、学連の公式レースで、インカレ団体戦予選の前哨戦です。
9月のインカレ団体戦予選に向け、12月と6月に団体戦があります。
その他に個人戦もあり、対抗戦などの定期戦、そして各クラス全日本予選・国体予選などのインカレの縛りのない一般レースがあります。

大学ヨット部としてのレース活動はたくさんありますが、全国の大学ヨット部員が一番に目指すのは「インカレ団体戦」で、9月の予選前の前哨戦だからとても重要です。
9月の予選本番同様、各大学1チーム(3艇)×2クラスで争うのが本来ですが、多くのヨット部員を抱える大学もあり、下級生の実力アップや楽しみを増やす目的で、BチームやCチームの参加も認められています。
昨年参加した全日本インカレで最大部員数を誇った当方は、今年も近畿北陸ブロックで最大数なの
で、470はA・B6艇、S級はA・B・C9艇エントリーしました。

9:30第1レース・8:30出艇ということなので、先週に続き早朝ツーリングで「鷲峰山林道」を中心に、宇治田原町・和束町界隈を探索しようと計画しました。
しかし前日金曜日にしっかりした雨が振り、朝まで残る予報だったのでパスしました。
朝4時に目を覚ましゴソゴソしてから、下着の上に涼感スパッツ・zhikショートパンツ・涼感アイスアーマー、その上からバイク用メッシュプロテクター上下を着て、「招き猫CB400SB」で出発しました。

6:21、近所のローソンで、「キリン小岩井ミルクコーヒー500ml162円+助六寿司399円」を朝昼食用に購入。
R171~中央縦貫~豊中ICから中国道~名神高速に乗り、7:03「桂川PA」でトイレ休憩し、「いちごチョコ大福540円」を買いました。

「京都東IC」で下車し、湖西道路を経て7:30ヨットハーバー着。
まず大会本部に上がって、規則変更などないかチェックします。
当方・他校関係なく、多くの部員から挨拶され、こちらからも挨拶します。
気持ちの良い朝です。
Cチームまで出ている大学は当方のみで、Bチームも3艇フルエントリーしているチームは、470のD社・S級Ritsだけでした。

レース運営・ジュリー審判要員として当方OBが数人来ていました。
ジュニア時代に海外レースを引率した他大出身のNくんも来ていました。
僕を見つけ「おはようございます」と寄ってきて、近況を話してくれました。
京都の老舗菓子屋さんを支えている縁の下の力持ち的な仕事を代々されています。
上賀茂神社近所の家に住んでいるそうで、京都好きの僕にはとても羨ましい。
ヨットの方は、クルーザーレース活動を僕のホームポートを中心にやっており、そちらで会ったこともあります。

運営会議が始まり、そのまま聞いてから艇庫前に戻りました。
みんなに挨拶し、コーチボートに荷物を置き、桟橋に座って助六寿司を半分食べました。
体操ストレッチ・出艇前ブリーフィング後、8:30円陣を組み気合を入れ出艇。
コーチボートは先に出艇したので、1回生のエールは聞けませんでした。
今年&昨年卒業したコーチ陣が3名・女子マネージャーが各学年1人計4名・交代プレイヤーが1名と僕が乗り込みました。

20180609PreP0637s.jpg 9:30に470がスタートし、S級は1回ゼネリコ後スタートして行きました。
このタイミングで、女子寮住まいの1回生マネージャー1名を桟橋に迎えに戻ります。
この日は振れはあるものの北寄りの安定した3~4m/sの風が入り、6レース消化できました。

20180609PreP0655s.jpg 当方は安定して走り、上位で多くフィニッシュできたものの、トップホーンがS級キャプテンに1回だけで少々不満でした。
両クラスで3回ぐらいを期待していました。
着順だけ比較すると、両Aクラスは2位でしたが、470に2回ルール違反失格が出たので4位でした。
初日の成績は、4位+2位で総合2位です。
フライング失格した艇もフィニッシュ後はコーチボートに寄ってきて、コーチ陣と話し気持ちを切り替えリラックスしてレースに臨めたと思います。
トップホーン艇乗員にポーズを取らせ、上位フィニッシュした下級生に拍手し、終始笑顔でレース出来ました。

20180609PreP0664s.jpg 昨年全国制覇した覇者D社は相変わらず強く、今一歩というところです。
しかしながら、470で2レース、S級で1レース3艇合計で勝つことが出来、射程距離内です。
レギュラー6艇で、ジュニア上がりのスーパールーキー1人を除き、5名は大学からヨットを始めた子ばかりなので、スポーツセレクションでジュニアからや高校ヨット部で全国区選手が経常的にいる私立強豪校に対抗している当方はよくやっています。

「16時以降のスタートをしない規定」で16時過ぎにハーバーバックしました。
マネージャーの1人が、「逆光の中走るヨットは綺麗ですね。私好きです」と言っていましたが、絵になります。
僕もこの光景が好きで、この日も写真に残しました。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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