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7/15・生野千ヶ峰林道ツーリング1

家内がデパートにお中元申込みに行くというので、僕はツーリングに出ることにしました。
1週間前、映画を観た後お中元でデパートに行くと言って別れたのに、ウインドウショッピングだけで帰ってきたんだって。
デパート好きの家内なので、僕が横にいない気ままな時間も大切ですね。

「千ヶ峰」「笠形山」周辺の舗装林道探索することにしました。
どんな道かわからないので、安全のため「里山VTR250」の出動です。
4時に目を覚ましましたがまだ真っ暗なので1時間ゴソゴソ。
4:30には明るくなってきましたが、30分も無駄しました。
朝の気温が上がらない時間帯により探索したかったのに・・・

日曜日の早朝でしたが、近所の陸上自衛隊基地に、2機のヘリコプターが相次いで着陸していきました。
豪雨災害以来、また自衛隊活動が活発になっています。
広島県・岡山県はここの総監が管轄しているので、「災害派遣」の横断幕を下げた車両が行き交っています。
実に頼もしい。

5:22、「エネオスR176宝塚山本SS」で給油。
263km/9.66L=27.2km/L。
長尾山トンネルを抜け北摂里山地帯に突入します。
r325~r33で北に向かい、r68にチェンジして西に方向を変え、JR新三田駅下をくぐり、r141~r92経由で、三田西ICから舞鶴若狭道に乗りました。

若狭道に乗る手前に「モリタ三田工場」があります。
国内消防車50%のシェアを持つトップメーカーで、この工場で生産出荷している。
横目で消防車を見ながら通過。

「西紀SA」で最初の休憩をします。
トイレを拝借し、高速道路ツーリングの定番「朝カレー」を食べました。
海水浴に行くのか、数組の家族連れが「おはようございます」と挨拶していました。
ここを待ち合わせ場所にしていたのでしょう。

子供たちがチビの時、日本海の海水浴場によく行きました。
海が圧倒的に綺麗で、瀬戸内海の海水浴場に行く気にならなくなりました。
シュノーケル・ゴーグル・ライフジャケットが家族の海水浴定番で、家族4人出てをつなぎ海にプカプカ浮かびながら、海中の自然水族館を泳ぐ魚やタコ・イカを眺め楽しみました。
カナヅチの家内でも沈まないので、ライジャケの安心感は抜群でした。

春日ICで下車し、無料の高速道路「春日和田山道路」に乗り換えました。
この道路、70km/h制限ですが1車線なので高速四輪が追いついてくるので気を使います。
「どかんかい」と言わんばかりに車間距離を詰めてくる四輪が必ずおり、安全そうな広い路肩があれば左ウインカーで抜いてもらいます。
追い越し車線を短くていいから数多くして欲しいな。
低速者からのお願いです。

青垣ICで下車し、r7~R427で西に向かっていると、7:13良い感じの石鳥居と鎮守の森が見えてきたので寄り道します。
20180715IkunoS0006s.jpg 「延喜式内社・佐地神社」
20180715IkunoS0034s.jpg 水堀に囲まれた由緒の有りそうな神社です。
社頭の謂れ板は経年劣化が激しく、文字判別不能でしたので、帰宅後調べた情報を載せておきます。

20180715IkunoS0020s.jpg 『傳へいふ天明天皇和銅3年7月、坂上田村磨神勅を奉じ其子刈田磨をして社殿を造営せしめたるに創まる。往古は田地五十石・山林等を所有せしも、現今民有に歸し僅に土地の字に神樂田、宮ケ谷として其面影を傳ふるのみ。聖武天皇の御代五畿七道の諸國に中臣齊部両氏を分遺して天神地祇3132座に幣を班ち給ひし時の一社なりと云、初め宮ケ谷の中腹に鎭座す。 /兵庫県神社史』

20180715IkunoS0023s.jpg 『神楽大明神、延喜式内社、佐治の神社なり。神楽谷九ヶ村の産土神にして小倉村森に建つ。3社は2間に3間半、末社多し。北西に御手洗池の泉流あり。神前に欄干橋、大鳥居あリ。境内およそ1町四方、除地に斎田あり。村老曰く、この神、但馬境の大稗、小稗の峯に鎮座。ここを恩ヶ嶽(岳)または天ヶ嶽(岳)といい、峯に御神体の石あり。惣持村の猟師に託して背負い奉りて山より下るに御神体は重く、両村の尾の上の「鍵掛」で休み、更に小稗口の「下り松」で休んで神楽谷を下る。檜倉村の口の田の中に少しの森あり。これらを古跡とするが、それより小倉村に下りて後は動き給わず。この所に奉斎す。神楽谷9ヶ村は、檜倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文至、稲土、市原、森。 /社頭掲示板』

『佐地神社の創建は和銅3年(710)、当時の丹波守坂上田村磨が神勅を受け勧請し子息である刈田麻呂が社殿を造営したのが始まりとされます。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社で、神楽谷9ヶ村(檜倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文室、稲土、市原、森)の総社として信仰されました。
明治5年に郷社、明治45年に神饌幣帛料供進社に指定、大正11年に県社に列しました。 丹波市観光旅行見所ナビ』

20180715IkunoS0016s.jpg 蟇股は力士が持ち上げている彫刻で、鳳凰や龍の彫刻も素晴らしい。
本殿の木鼻彫刻も細かく、屋根を支える柱の木鼻に獅子?の彫刻がありなかなかのものでした。
本殿裏にまわると、本殿は砂岩の上に建立されているようで、神が宿る磐に見えていたのかも?なんて想像の翼を広げてみました。

バイクに戻り、道標に書いてある「浄丸の滝」が気になり、また寄り道します。
加古川を渡り、「稲土川」沿いの枝道を遡って行きます。
山際に気になる鳥居と大木に惹かれ「八幡神社」に寄り道。
バイクに戻り更に遡ると、浄丸神社の大幟が道の左右に立っていました。
期待大。
20180715IkunoS0044s.jpg 横に「ほたるの里・清流館」というのがあり、ヒメホタルが6月下旬から7月上旬に乱舞するそうです。

更に進むと、獣ゲートがありました。
いつものように開閉し山側に侵入。
道が悪くなりだしましたが、一応舗装されています。

20180715IkunoS0048s.jpg 7:46「浄丸神社」。
20180715IkunoS0050s.jpg 「浄丸の滝」があり、東屋・お不動さんが祀ってありました。
水がとても綺麗で、顔を洗い頭からザブンと被りたい。

奥に続く林道はまだ舗装されており、地図でチェックすると粟鹿山(950m)山頂直下まで道が続いています。
探索しましょう。
沢道を登っていくと、釣り人がいてドキリ。
獣避け扉開閉林道で人に会うのは稀です。
つづら折れで高度を上げ登って行くと、路面落石が多くなりオンロードバイクでの限界が見えてきたので、Uターンしました。
帰宅後調べたら、もう少し登ったとこでNTTゲートがありそれ以上登ることが出来ないようです。

r276を経てR427に戻り、西に向かいます。
8:19「常瀧寺」。
20180715IkunoS0065s.jpg 石段を上り境内に上がり謂れ板を読んでいると、ご住職の奥様かお母様か、80才を越えていそうな女性がゴミ袋を持ち、「お早いですね、どちらからお越しですか?」と声を掛けてくださいました。
「兵庫県伊丹市、大阪空港の近くからです」と答えると、「遠くから・・・お車で?」「いえ、バイクで・・・」。
癌封じになるから本尊に詣って行くよう勧められた。

『常瀧寺は、養老年間(717~724)に法道仙人が開基した寺です。当時の寺は現在の寺の裏山(愛宕山)の中腹にあり、七堂伽藍を完備していましたが、明智光秀の丹波攻めで堂宇ことごとく焼失しました。しかし大公孫樹だけは戦火を免れ今も枯れずに残っています。
現在の寺は、天和年間(1681~1683)に光覚法印が中興しました。光覚法印は法験に優れ、紀州家殿様の側室の病気平癒の命を受け8千万枚の護摩を修法してこれに応じました。その功績により、側室の念持仏であった大日如来坐像を下賜されます。江戸時代初期の優美なお姿で、台座に葵の紋が散りばめてあり、以来常瀧寺の本尊として大切に祀られてきました。現在の本堂は明治2年焼失し、明治7年再建されました。
大公孫樹 法道仙人お手植え 樹齢1300年 兵庫県天然記念物 数本の木が生えているように見えるが、全て1本の木です。枝から垂れた瘤が地中に潜りまた新しい幹を形成しています。全国的に珍しい貴重な公孫樹です』

『「愛宕権現」と「錫杖岩」伝説 この岩の後方に流れる谷川の上流、堰堤の向こうの南の山中に、錫杖岩と云われる大きな岩があります。江戸時代に、この岩の上に鎮守愛宕権現の社が祀られていました。
京都の愛宕社へ運上物を差じ出していましたが、何時の頃からか中断となっていたのです。それで京都より使者が来て御神体を持ち帰ることとなりました。社の扉を開けて御神体を出そうとすると強い光が射し、忽ちに辺りが見えなくなったので、神罰を恐れた使者は京都へ引き返し、以来運上は中止となりました。その御神体は、鎧兜を着けた白馬に乗った高さ8寸程と云われています。
また、これより4丁上った所に、鳥居と毘沙門堂があったと云われます』

鐘楼があったので、鐘をゴーン。
本堂に向かいます。
『うなずき地蔵の由来 このお地蔵さんはお賃銭を入れるとうなずくので、うなずき地蔵と呼ばれています。
江戸時代のからくり人形を作っていた仏師が作ったもので、日本に3体しかないめずらしいお地蔵さんです。最近はお疲れのようで、ちょっとうなずきが悪いようです。お顔を見ながら祈願してお賽銭を入れてみてください。一瞬ですが、うなずけば運があります。うなずかなくてもご利益がないわけではありませんので悪しからず・・・合掌』

20180715IkunoS0076s.jpg お賽銭を入れると、小さくうなずいてくれた。
2回目もうなずいてくれた。
ご利益間違いなしです。
大銀杏を観に行きたいが、旧境内まで徒歩しないといけないのでパス。

バイクに戻り、山を下りR429に入ります。
センターラインのある道から、勾配を増すとセンターラインが消え林道区間に入ります。

8:41「青垣峠」。
丹波市から朝来市へ。
「黒川温泉」への枝道に入る。
20180715IkunoS0091s.jpg 正面に見えてきた「黒川ダム」は、好きなロックフィル式ダムでした。
「黒川ダム湖」周回道路に入ります。
20180715IkunoS0097s.jpg 堤に上がると、「通行止め」の拝み看板で道の半分がクローズされていました。
更に進むと全面バリケート・クローズになっており、「多々良木ダム」方面に下れませんでした。







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7/16・ご両親帰国

長男のお嫁さんからLINEが入りました。
次男の娘すみれちゃん1才の女の子らしいビデオ・写真に、お人形さんなどに見向きもしない息子たちとの違いを感じ羨ましがっていました。

とうとうご両親が日本に帰国したそうです。
アメリカでの出産のために1ヶ月も滞在してくれました。
有り難いことです。
まだルーカスくんは3時間毎に授乳するので、お嫁さんが一家の大黒柱です。
長男はブランチの責任者で帰宅が遅くなることもあるし、出張で世界中を飛び回っているので、お嫁さが悲鳴を上げたら次は我が家が行かなくては・・・

ルーカスくんは1ヶ月検診で4500グラムになっており、順調に成長しているようです。
「でも赤ちゃんってやっぱり可愛くて可愛くて、毎日癒されて頑張れています」とのこと。
母親の関心を引くために可愛くのでしょうね。

前日日曜日、帰国していなければ受け取れないので、お嫁さんお実家へのお中元だけ残しました。
帰国したので、早速本日手配しました。
新潟なので大阪よりはマシでしょうが、1ヶ月の外国生活でお疲れでしょうし、いろいろやることが山積みでしょう。
送った「麺つゆ付き素麺揖保乃糸」でも食べて、暑い日本の夏を乗り越えてもらいましょう。

7/12・町内会寄り合い

19時から町内会の寄り合いがあった。
家内が出席しました。
いつもなら1時間ほどで終了ですが、来月の町内会盆踊り大会の段取りの打ち合わせがあるので遅くなるかも?とのことだった。
しかし、30分ほどで帰ってきた。

何故かと言うと、日程が1週間後にずれたからです。
定時になっても4人ほどしか集まらず、近所の公園内にある公民館が開かないので、部会長さんに連絡を取ると、「岡山県にいるという」。
電話連絡網で延期を会員さんに流したのだけれど、何処かで途切れたらしい。

なぜ岡山県にいるかというと、去年交代した会長さんは自衛隊員さんで、復興支援に入っているからでした。
町内にある基地は岐阜県から山口県までを統括する日本最大範囲の守備する本部で、陸自No4司令官がいます。
ここの総監をされた方が、将来陸自トップの幕僚長、全軍トップの統合幕僚長に出世していかれます。

毎朝黒塗りにクラウンが総監官舎を往復しています。
10年ほど前に過激派が官舎に火を放ち、総監自身が消火する事件がありました。
新聞では「ボヤ騒ぎ」と公表されましたが、ドカンという大きな爆発音がして、その日の仕事帰りに官舎前を通ったら大騒ぎになっていました。
以来、朝晩2回自衛隊の消防車両が定期訪問しています。

大雨大災害の被災地・岡山・広島が管区なので、近所の自衛隊は大忙しです。
年末年始に続き、毎日数機のヘリコプターが飛来しています。
政治家と違い、自衛隊は行動する実力実行組織なので、近所に住んでいるだけで日本の有事が敏感に伝わります。
年末年始のヘリコプター飛来数は例年になく多く、米朝戦争勃発が秒読みに入ったことを感じました。

阪神淡路大震災の朝、大きな揺れに飛び起き、自宅の片付けを家族に任せ職場や借家などの被害をバイクで確認しに行きました。
まだ暗い1月の6時台、阪急伊丹駅前を通った時、違和感を感じました。
自衛隊のジープが停まっており隊員が見ています。
何を見ているのか視線を向けると、そこにあったはずの駅舎が崩れていました。
「ええ~」、我が家でもなんとか持ちこたえたのに、まさか鉄筋コンクリートの3階建て駅が崩れて傾き、上に停まっていた電車車両が今にも落ちそうになっています。

自衛隊は、首相や県知事の救助要請がないと出動できない縛りのある組織でしたが、自主的に行動していたのです。
あまりの光景に呆然としていると、警察や救急車両がやってきました。
自衛隊の組織力・命令系統の迅速さを垣間見た瞬間でした。

即自衛隊に救助要請していれば、神戸長田で倒壊家屋に挟まれながら救助を待っていた方が広がってきた火災に飲み込まれることがなかったのではないか?
少しでも多くの方を助けられたのではないか?
と村山社会党政権に非難が集まり、自衛隊の救助行動が大幅に緩和され、それ以降の災害救助で自衛隊の力が国民生活に迅速に貢献出来るようになりました。

町内会に多くの隊員さんが住んでいます。
よって部会長さんになることがあります。
立候補者がなく手詰まり状態になると、「では私で良ければ、精一杯やらせていただきます」と手を挙げられます。
憲法9条で否定されている組織故か、その立場をよく教育されておられ、「出しゃばらず、でも精一杯市民生活に貢献する縁の下の力持ち」に徹しておられます。
入隊数年の基地内宿舎に住む独身青年兵とて同じで、バスに乗っても徒歩ですれ違っても、軽い会話をしてもその誠実さ・純朴さに好感が持てます。

ここらに住む方は皆、隊員さんが好きだと思います。
日本人がガラリと性格が変わることはないのと同様、日本軍が戦前と戦後で市民に対する態度が変わることは考えられません。
これからの季節、終戦日に向けていろんな映画やドラマがTVに登場し、軍人の横暴・市民を虐げる軍隊、沖縄は特にひどく「捨て石にされた」とか「食料を奪っていった」などの描写があります。
あれを見るたび、祖父の兵士に対する畏敬・母から聞いた兵隊さんの姿・従軍した父から聞いた体験談・・・と大きく違い違和感を感じる。

戦前コミンテルンの日本赤化計画に乗った共産運動に抗してきた国が破れ、その反動で在日朝鮮人が何故か戦争勝者として行動し、駅前一等地を武力奪取してパチンコ店になっている。
左翼運動化が公職追放された役職の後釜に入り、各方面の戦後左翼化が進んだ結果の思想・映画・ドラマです。

破壊し国を転覆させ、過度のし権力・富の集中集中で私利に走る共産一党独裁主義者が多い。
こんな国に日本がなってはいけない。
太古から続く美しい国を子孫に残さなければ・・・目に見える形で行動してくれているのが自衛隊員です。
ご苦労さまです、部会長さん。

7/8・ままごと遊び

次男のお嫁さんからLINEが届きました。
写真やビデオも。
「川の博物館」という所に行ったそうで、すみれちゃん1才がすべり台を滑り、浅い水たまりで遊んでいます。
笑顔が愛らしく、お母さん譲りの可愛らしさ120点です。

「家でのままごと」ビデオもありました。
すみれちゃんがおもちゃの乳母車にお人形を載せ、次男に「こちらにお座りください」「ミッキーマウスに会いに行きましょう」と連れ回っている。

S__48128004s.jpg 女の子と男の子の遊びは違いますね。
僕はこういう遊びを子供としたことがない。
何も教えていないのに遺伝子レベルで生まれた時から遊び方を分けているのか、女の子は「お世話遊び」をします。

S__48128005s.jpg 小学生の頃、何故か近所の同学年の女の子に気に入られ、放課後は毎日のように一緒に帰り、家に誘われ、「ままごと遊び」をさせられました。
小2で引っ越したので、この遊びはそれで終わったが、今も忘れない思い出になっている。
大学時代、この娘の母親からうちの母親に電話が入り、2人で会わないかと誘われたことがある。
GFさんがいたので断った。

S__48128006s.jpg 就職して東京で働いていた時、また誘われた。
なんと家族で東京に引っ越しており、寮暮らしなら会わないかと・・・
家内と結婚の約束をしていたので断りたかったが断れず、2人で会った。
「何故僕に・・・」と思うような美人さんになっていたが、僕から連絡を取ることはなく、1度だけのデートに終わった。
小1のチビの記憶なのに、ずっと僕を想ってくれていたのかな?
それとも単なる幼馴染のその後の成長を見たかっただけだったのかな?
僕には、前者であることが伝わって来たけど、真面目人間なので器用なことは出来ないし、そんな自分が嫌だった。

S__48128007s.jpg
この娘は、たった一度のデートの時、シュッとしたスポーティーファッションではなく、お嬢様ファッションだった。
スポーツ系ではなくインドア派のようでした。
お喋りではなく、ゆっくり喋り、目を見ていつまでも聞いてくれ居心地が良かった。

S__48128012s.jpg 家内もインドア派でスポーツとは無縁です。
初めて会った大学1年の時は、腰まである超ロングヘアーにワンピースで通学していた。
4回生の頃は、ふんわりヘアーに清楚なワンピースが多かった。
Gパン姿は見たことがなく、スラックスさえ履くことは稀だった。
家内も聞き上手さんで、一緒にいて居心地が良い。
なんだかんだ言って、僕はこういう雰囲気の女性が好きなようだ。

小1の時のおままごと遊びは、「ご飯どうぞ」「いっぱい食べてね」と空のおもちゃお茶碗から食べなければなりません。
これが退屈で仕方なく、段々と男の子と遊ぶようになりました。

結婚した時、「絶対に男の子がいい」と思い「産み分けの本」を数冊買いました。
「旦那はお肉系・奥さんは野菜系の食事」
「基礎体温を毎朝測り、排卵日を特定する」
「男子になるX染色体を持つ精子は寿命1日で、女の子になるY染色体を持つ精子は寿命3日」
「X染色体精子は泳ぎが速いけど、寿命が短い。Y染色体精子はその反対」
などのデータが書かれており、排卵日に精子が侵入すると男の子が生まれる確率が上がると学んだ。

その通り実行した。
家内に基礎体温を毎日測ってもらい、「今日だよ」「よっしゃ~」とその日に挑み、目論もどおり男の子2人生まれた。
これで「娘とのままごと遊び」を経験せずに済んだ。
長男も男ばかりなので同じですが、次男は「ままごと遊び」の相手をこれから5年はさせられそうだ。
孫娘はとっても可愛いのだけど、僕は女の子の遊びはゴメンだ。
外で走り回る遊びがしたい。

次男のお嫁さんは大学では体育会ではなかったけど、小学生の時はソフトテニスで神奈川県代表になり全国大会に進んでいる。
中学でも高校でも、テニス部の部長さん。
スポーツウーマンで、孫娘も歩き出してすぐからバランス感覚がよく、あまり転ばないし、真っ直ぐ走れるので運動神経は良さそうです。
次男も日本代表として国際レースに出場した選手です。
孫娘は、スポーツウーマンになるかもしれない。

次男と孫娘のおままごとビデオを見ながら、遠い過去を思い出しました。

7/8・北摂里山エリアは通行止めだらけ

家内はお中元でデパートに行くので、ここでお別れしました。
電車で川西能勢口に行き、阪急デパートで手続きするそうです。
僕は近所の自転車屋さんにバイクの修理を頼み、自宅に戻りました。

バイク置き場から、「里山VTR250」を出して北摂ツーリングに出ます。
夕方バイクを引き取りに行きます。
「通勤リード110」の修理は、右ブレーキ一式を交換したことで、前輪ブレーキの効き始め位置が随分手前になり、危ない感じがするのでその調整です。

20180708HokuS0002s.jpg 長尾山トンネル~r325~r33で、13:33波豆川口「八坂神社定点観測ポイント」で休憩。
アオサギが田んぼ上空を飛び、いつもの広い空が広がっています。
途中の県道は、水が出ている場所があるが、地震と大雨の被害は無さそうです。

r323~r37で、13:58「羽束川・小柿渓谷」で激写タイム。
思った通り、羽束川が道路に溢れた跡があり、山側から流れる清水が道路横断しています。
20180708HokuS0007s.jpg 「後川奥」から永澤寺に向け後川奥林道を上がろうとすると、14:03後川の対岸が「がけ崩れ」していました。
20180708HokuS0008s.jpg 14:06「母子方面車両通行止め」バリケードで、後川奥林道が封鎖されていました。

「バイカーズカフェ虎亀」で遅い昼食を取ろうと思っていたのに・・・。
篠山に出て、r49を北から永澤寺に登ることにしました。
後川奥から近道「曽地奥林道」で曽地に抜けようと思いましたが、大雨で地盤が緩んでいるので自重しました。
交通量皆無に近い道なので、自損してもヘルプされないかも・・・と。

「後川」からr12で、「城東トンネル」を抜けR372旧道(旧山陰道)に出ました。
14:24「伊能忠敬篠山領測量の道石碑」。
『文化11年(1814)2月11日曇 伊能忠敬測量隊10名は、早朝より131人の労役村民を従えて、篠山城下下二階町から京都街道を八上新村まで測量。大庄屋波部六兵衛宅で昼食。右に入り込んだ』
20180708HokuS0011s.jpg 下が板塀で上がベンガラ入りなのでしょうピンクのかぶき武士風土塀が囲む建物でした。

R372現道に出て西進し、「木枕」交差点を左折しr49に乗ろうとしたら、「住民以外通行禁止」の拝み看板で半分道路が封鎖されています。
バイクなので永沢寺まで上がれそうですが、道標に従って自重。

更にR372を西進し、道標に誘われ栗栖野地区に入り、14:39「若林寺」。
「不許葷酒入山門」の山門前に書かれていたので、禅宗のお寺のようです。
20180708HokuS0022s.jpg 神宮寺なのか、守護宮なのか「大歳神社」が山側にあった。
苔むした石鳥居に架かる扁額が素敵です。
鎮守の森には、苔むした巨木が林立し、石灯籠も貫禄十分の大きさで自然石をあまり削らず作った篠山でよく見かける形式でした。
狛犬は新しいが雰囲気がある。
20180708HokuS0034s.jpg 摂社がいくつも境内にあり、それなりの歴史を感じるが謂れ板がないので残念。
「栗栖野の残石」と書かれたパンフレットがビニールシートに挟まれ掲示されていたが判別不能の部分があり残念。

20180708HokuS0043s.jpg R372に戻り更に西進し、14:50「栗栖野城公園」。
『この石垣は、篠山城の石垣構築の残石を利用して造られており、一部の角石を除き、全て来栖野地範より採石したものです。来栖野集落は築城・慶長14年(1609)時の採石地で矢印で指している山上(標高500m強)がその場所です。地質系統調査によれば岩体質は、火山性の流紋岩で、丹波層群(古代ペルム紀・石炭紀)に属し中生代白亜紀の篠山層群より古く、ここより南西方面当野・波賀野・波賀野新田古市・油井・古森・草野へ延びておりこれら一帯から篠山城石垣構築石材が供されました。
搬石ルート及び方法はほぼこの公園前の国道372号線(通称デカンショ街道)を北上”コロ”又は”特殊な搬石車”によったものと想定されますが、一説には向い谷の国道176号線(通称丹波の森街道)に添って南北に貫通している武庫川~田松川~篠山川の水路により運搬されたともいわれているが、何れも物的証拠もなく推論で定かではありません。
さて、この石垣には15個の石に次の8種類の符号が刻印されております。広場の2個の石のうち1個の石に2ヶ所の同符号があります。従って当公園内には、合計17ヶの符号がありこの符号の推定所属藩侯の絵解きを試みておりますが解明しておりません。ちなみに篠山城は西国15ヶ国・大名数20侯に扶役が命ぜられ、8万人が工事に参画した壮大な規模の徳川天下普請で、1年足らずで完成されたと伝えられています。5万坪の面積に、総数約6万個の石が使われ、約250種類約2000個の符号石を確認、大坂城・名古屋城は別格として、日本一と言われています。篠山城見学の際、旧本丸の石垣を探索していただけでは、ここと同じ符号を数多く見ることができます。
来栖野地範には符号付残石がこの石垣を含め23種類56個現在、貯水池の堤防や平地化の石垣・灰小屋・庭石・神社の灯籠・各種構築物の礎石等多岐な用途に使われています。一文字一星二、蛇の目、一文字一星等の○印のついた符号が56個のうち半数以上占めており、大大名の毛利の家紋が一文字三ツ星であるところから推定の域は出ないが栗栖野は毛利の関与が大きかったのではないかと、郷土史家は推量しています。如何なる理由で符号が刻まれたか諸説があるが、何れにせよ小さく浅く刻まれているものの400年近くの歳月を経ても読みとることができます。何を吾々に伝えようとしているのかいささか感動を覚えます。縁あって栗栖野の残石の一部が篠山町西野々・原山口の国道372号交差点横の公園に使われています』

武庫川沿いのフェバリット・ロードでR176に抜け、南下し~JR藍本を通過し、「波田橋」で左折しこれまたフェバリット・ロードr310で新三田方面に下り、r308で「青野ダム」。
ダム堤上を走り、千丈寺湖南岸道路~r49~r68~「西谷農協大池」交差点~r33~r325~長尾山トンネルを抜けて帰宅しました。

家内は既に帰宅しており、通勤リード110を引き取り、お昼ご飯としてプレーン・ヨーグルト(400g)を食べ、昼寝タイムになりました。
20時になり、ヨット部コーチングで見れなかった「西郷どん」を見ようと思ったら、特別番組が始まっちゃいました。
これから登場する西郷隆盛を囲む面々の紹介番組でした。
その番組を見終えて風呂に入り「おやすみなさい」。

7/8・映画「ハン・ソロ」

今週末は、大学ヨット部のコーチ業はお休みです。
前日は連日の豪雨で練習が取りやめになり、本日はAM1回生のクラス分け試乗会・PMマネージャー感謝デーです。
1回生は入部後2ヶ月、1人乗りヨットでヨットの動きを学び、先週末のレースに出ました。
スナイプ級・470級、更にスキッパー・クルーと4つの部門に分かれて行きます。
2ヶ月ヨットに乗り、自らの特性や得意なことを感じ、更に本日乗り比べて自らの希望でいずれかのポジションを選びます。

マネージャー感謝デーは何をするのか把握していませんが、マネージャードライブでヨットに乗りレースをするのかもしれません。
日頃マネージャーが担当するレスキュードライブや食事作りをプレイヤーが担当し、マネージャーに感謝する日です。

次男のお嫁さんから、父の日にシネマギフトカードをもらったので、家内と映画を観に行くことにしました。
明け方まで雨が続いていました。
梅雨前線が日本海に北上し、典型的な梅雨の終わりを感じていた先々週、関東に「梅雨開け宣言」が出たのにおかしいな?と思っていたら、九州北部をかすめ日本海で温帯低気圧になった台風が梅雨前線と合体し、最後の長雨をもたらしました。
九州北部・四国・中国・近畿・中部に記録的な大雨をもたらし、死者100人以上の甚大な被害を置き土産にしました。
雨量の多い日本列島は、自然被害の大きな国ですが、同時に素晴らしく豊かな自然と豊富な魚介類に恵まれた国でもあります。
助け合って乗り越えねば・・・

9:15頃、「通勤リード110」タンデムで出発し、ショッピングセンターに着きました。
最上階のシネマに上がろうと外エスカレーターに向かうと、先日の震度5弱の地震で1~2階が故障していました。

9:40「ハン・ソロ」。
スター・ウォーズのサイドストーリーです。
スターウォーズ第1作で主人公ルーク・スカイウォーカーを助けるアウトローな存在として登場するハン・ソロの少年時代から、奴隷・脱出・宇宙飛行船パイロットへの道が描かれている。

奴隷として働きながら、機転を利かせ高価な燃料を盗んで、恋人キーラとともに奴隷から脱出しようとする。
宇宙船港で、その燃料を賄賂にして脱出しようとするが失敗し、キーラが兵士に捉えられ、「必ず迎えに来る」と言って1人で逃亡し、宇宙船パイロットになろうと帝国軍の兵士になる。
しかし兵隊としてこき使われながら、なかなかパイロットになれない。
兵隊の上官が盗賊団の首領だと知り、パイロットとして雇わないかと自薦してなんとか仲間に加わることが出来た。

が、いきなり裏切られ「野獣に食わせてしまえ」と牢屋に放り込まれる。
その野獣こそ力持ちのチューバッカで、死闘を演じながら、一緒に脱走しようと仲間に引き入れ、脱出に成功した。

舞い戻ってきたハン・ソロの根性に脱帽し、盗賊団に入ることが出来脱出する。
盗賊団とともに燃料を盗み出す寸前まで行ったが、宿敵盗賊団に盗まれそうになり燃料を失ってしまう。

盗賊団の雇い主に詫びを入れに行ったら、そこで奴隷時代の恋人で一緒に逃亡中、「必ず迎えに来るから」と離れてしまった恋人・キーラと再会する。
キーラは雇い主の副官になっていた。
燃料採掘所を襲い、奪った燃料原料を精製して渡すことでチャラにするという条件で、最後のチャンスをもらう。

この計画にお目付け役としてキーラが付けられ、盗賊団+キーラの盗賊作戦が始まる。
まず燃料運搬のため宇宙最速の宇宙船を得るべく、イカサマ賭博師ランド・ガルシアに会いにゆく。
ここで、ガルシアが精魂込めて改造した宇宙最速船「ミレニアム・ファルコン号」と出会う。

ファルコン号を得て、採掘所を襲い燃料原料を手に入れることができた。
しかしそこで働かされていたチューバッカと同じ種族を助けるため、チューバッカと別れる時が来た。
しかしハン・ソロがピンチの時、チューバッカが現れ救われる。

ハン・ソロは奴隷だったのでただ「ハン」と呼ばれていただけだった。
奴隷星から脱出する時フルネームが必要になり、自分が誰から生まれたさえもわからない天涯孤独だったので「ハン・ソロ」と命名された。

精製所で燃料が完成した時、また宿敵盗賊団が現れまた戦いが始まると思われたが、盗賊団のボスが仮面を取ると、なんと女だった。
数々の盗賊団の元締めをコントロールしているのが帝国軍で、宇宙制覇を狙っている。
自分たちはレジスタンスに燃料を提供しようとしていると大義を説明し燃料を引き渡せと要求してき
た。

盗賊団元締めに燃料を渡さず、副官のキーラを元締めから取り戻す作戦が始まった。
元締めボスを殺しキーラを取り戻したと思ったが、帝国軍の恐ろしさを知っているキーラは副官として残り、帝国軍トップと連絡を取り、元締め宇宙船に乗って去っていった。

宿敵盗賊団は燃料を手に入れ、ハン・ソロとチューバッカは、既に去りアジトに戻っていた博打打ちランドの元に急ぎ、手に入れていた燃料の一部とミレニアム・ファルコン号を賭けて勝負する。
そして勝負に勝ち、ファルコン号を手に入れチューバッカを相棒に密輸業を始める。

スターウォーズファンにはたまらなく楽しいストーリーが展開されました。
上映終了後、「めちゃ、面白かったね~」と家内に振ると、「何のことかさっぱりわからなかった」と不満顔です。
家内はこういう早い展開のストーリーに付いて来れません。
まして男の子でないのでそれほど興味のない戦闘物・宇宙物なので半分予想していましたが、バッサリ切り捨てられました。
まあ、スターウォーズ全作観ている僕に免じて許してください。

そして、今年生まれた4人目の孫が、アメリカ生まれなのでミドルネームがあり、スターウォーズ好きの長男が、ルーカスと命名しました。
スター・ウォーズ第1作の主人公「ルーク」と、プロデューサー「ジョージ・ルーカス」から拝借しました。

7/1・大学ヨット部練習

部員みんなに挨拶し、桟橋に行って「助六寿司」の朝食を取ります。
9時にミーティング後出艇しました。
1回生マネ2・マネ2・選手2とともにコーチボートに乗りました。
SW(南西)の予報でしたが、N(北)からの風で練習開始。
だんだん風速が上がり気持ち良く練習出来ます。

風が落ち、SEから新たな風が入ってきました。
S級はマークを打って回航練習に移り、470はスタート練習します。
短めラインに続き、長めラインでスタートし、みな早めにスタートラインに並び、前後艇との駆け引きを楽しんでいます。

12時にハーバーバックし、合宿所に帰って美味しい昼食です。
マネージャーさん、ありがとう。
1回生選手は、シーホッパーとレーザーで初レースに挑んでいます。
草津ヨットクラブ主催「サマーカップレース」です。

こちらはまだ沖で練習していた1レース目、ひっくり返ってる1回生艇をケアしたりしながら練習していました。
ひっくり返ってる他の艇もケアし、レスキュー艇が出ていないD社下級生470にアドバイスして起こさせました。

風が強くなり、しっかりハイクアウト出来ずにセイルから風を抜き気味に走ってる1回生に、「それ~」と2回大声を上げ激励しました。
ヨットはバランスのスポーツで、横に吹き倒そうとする風の力と、倒れないように風上に身体を出す左右バランスが大切です。
風が強くなればなるほど、風上に身体を出さなければなりません。
やじろべえ同様、左右の力が大きいほど左右に伸びた腕が長いことになり安定します。
風を怖がって身体を船の外に出さず中に入れれば、やじろべえの腕が短くなりバランスが悪くなりひっくり返りやすくなります。
だから「それ~(ハイクアウトせよ)」と身体をより風上に出すことをさせます。
そうすると風上にひっくり返ってしまうのでよりセイルを引いて風のパワーを増しバランスを取ろうとします。
結果的にバランスも良くなり、速くなります。

食べながら湖面を見ていると、更に風が上がっており8m/sを越えるブローが入っているようで、流石に1回生では厳しそうです。
食べ終わった者からハーバーに戻り、レスキューにいつでも行ける体制を取りました。
僕がハーバーに戻ると、コーチボートが出ていく時でした。
1回生のレスキューしてる2回生インフレータブルボートからヘルプが来たようです。

15時からD社大と合同練習予定です。
コーチボートがレースに出ていた1回生を乗せて桟橋に戻って来ました。
1レース目はフィニッシュできたが、2レース目は全4艇何度も沈したので、2回生レスキューからの指示でリタイヤし離れないようまとまり湖上でヘルプを待っていたようです。

上がってきた選手たちに体調や怪我の有無など聞いたが、みな「大丈夫です」とケロッとしていました。
ヨット部に入ってから、みんなもう10回ぐらいはひっくり返っているから慣れてます。
1人でレース艇に乗りながらも、サポート体制がしっかりしていたので不安がなかったのでしょう。
ホッとしました。

それから上回生の練習艇が出艇して行きます。
波が静かな琵琶湖のヨットハーバー故防波堤が無く、SE側に開いています。
琵琶湖では珍しいSEの風で波が直接出艇スロープに入るので、1艇ずつ出艇して行きます。
少々全艇出艇に時間が掛かりましたが、沖に出て練習開始。
ウォーミングアップを終え、D社が練習している海面に向かい、レース練習に混ぜてもらいます。

470・S級が3分ごとにスタートを繰り返すスピーディーな練習でした。
僕も風が強くない時はこれをしていましたが、まだハンドリングが不安な2回生スキッパーもいるので風が上がってくると5分毎に落としていました。
D社はこのインターバルについて来れない艇は、もう1挺のレスキューがついて排除していました。
上に合わせるスタイルを感じました。

スタート練習を3回して、次3回レース練習して16:30になり合同練習が終わりました。
最初にD社本部船に「お願いします」、そして最後に「ありがとうございました」の挨拶をしました。
僕がジュニアヨットクラブでヨットのヨの字から教えたD社監督が乗っていました。
レースの合間などではプライベートな会話をしますが、それぞれの大学を代表しているので、公式な挨拶のみです。
2週間前は大阪のホテルでのパーティーで、同じテーブルを囲みあ~だこ~だやってたけど・・・ね。

D社はハーバーバックして行きましたが、当方は良い風が入っているので、あと30分練習してハーバーバックしました。
午後の練習で2艇トラブりました。
8~10m/sの風が吹いているので、早くメインセイルも下ろしてマストへの負担を下げ、インフレータブルボートで引っ張るようにしました。
コーチボートをドライブしてる4回生Fマネージャーがしっかりしているので、僕のアドバイスを的確にマイクで伝え事なきを得ました。
マスト折ったら大変な出費です。

合宿所に帰ると、ハチ駆除業者が来ており4回生Wマネさんと話していました。
アシナガバチとススメバチの巣が出来ていました。
昼間は活動が活発で、今駆除しても出先から帰ってきた働きバチがこの周囲を屯するので、駆除は夜が良いようです。
ハチの目は良すぎて夜盲症気味なので、夜は外に出ないそうです。
次の週末合宿までの夜に、一網打尽駆除するそうです。

ミーティングで気づいたことを話します。
1回生は良い経験になったでしょう。
やはり他校との合同練習は緊張感があり、良い勉強になります。
僕の話がいつも以上に長くなり、8時から夕食になりました。
自分の夕食を持ってそれぞれの場所に座り始めた時、女子マネさんがデザート的なものを持って来ました。

「お誕生日、おめでとう」。
今月の誕生日は3人のようです。
「因みに、僕明日です」とG君が大喜びしています。
買ってきたケーキとかではなく、食材をケーキ風にデコレートした手作りでした。
マネージャーの愛情たっぷりだね。

美味しく夕食を食べ、帰路に着きます。
湖西道路~名神に乗り、20:56「桂川PA」で「バニラソフト140円」を食べて糖分補給しました。
21時半頃帰宅しましたが、家内は夢の中で風呂に入りヨーグルト持って自室に上がりオヤスミ~。
楽しい1日でした。

7/1・大山崎・若山神社

西国街道でJR山崎駅の方に少し戻り、水無瀬川を渡って左折し、JR東海道線をくぐりr734へ。
水無瀬川沿いを上り、橋で右岸に渡り直し、6:29「若山神社」。

20180701ShiioS0077s.jpg 大宝元年(701)僧行基の創建とされ、素蘆噫尊を祀っています、社伝によると、「古木が繁り、鶴が巣を作っている清らかな地があり、そこの巨木で神体を刻んで祀れ」との御託宣があり、この地の巨木を切り御神体を彫り社殿を建てたと伝えられます。
当社は西八王子社・牛頭天王社・西天王社・上の宮・広瀬神社とも呼ばれ、明治時代になり若山神社と改められました。社宝として聖徳太子の座像があります。
作者は不明ですが、貞観時代(859~877)の非常に優秀な作品の1つです』

20180701ShiioS0082s.jpg 長い石段を上がっていくと左に分岐する道があり、その先に「小鳥神社」が見えます。
20180701ShiioS0084s.jpg 境内郭に上がると、左右に摂社が並んでいる。

『若山神社大阪府自然環境保全地域 大阪に残された貴重な自然を大阪府自然環境保全条例に基づいて指定し守るものです。
この森林は樹齢200年を越すツブラジイを主体とする府下でも有数のシイ林です。
このシイ林の周囲をカシ林が取り巻くように生育しています。これは土壌・地形などの立地条件によって、シイ林とカシ林が棲み分けた結果と考えられます。都市近郊にあってこのように立派なシイ林がみられることは珍しく、府民にとって貴重な自然とのふれあいの場となっています』

20180701ShiioS0091s.jpg 『太閤道ハイキングコース 3河川合流 淀川・男山・宇治方面パノラマ 西天王山・若山神社~40分~四ツ辻~45分~金龍寺跡~25分~高槻市磐手橋成合 悠久1300年超の森 ツブラジイ巨木(天然記念物)所要時間2時間』

『若山神社の境内にはツブラジイの巨樹か自生しています。幹周りが2.5mを超える42本が大阪府により平成14年1月天然記念物に指定されました。大阪府自然環境保全地域に指定された当社の西側に広がるツブラジイ林は、自然林であるため幹周りが2mを超えるものは余り見られません。これに対し境内の天然記念物に指定されたものは、人の手によって大切に守り育てられ大きく生育したものと
思われ、保全地域のそれと対比できる貴重なものです。
また、このほか境内の池では梅雨の頃にモリアオガエルの卵がたくさん見られるなど、豊かな自然が残されています。この貴重な環境を後世まで大切に守り伝えていきましよう』

『島本町指定文化財第2号平成22年 神像(伝聖徳太子7歳像) 平安時代後期・有形文化財・美術工芸品(彫刻) 本町の鎮守社として、住民の厚い信仰を集めてきた若山神社に「聖徳太子像」として祀られてきました。首をすくめた拱手の姿勢、大振りの衣文は平安時代前期的ですが、彫りは浅く、製作は平安時代後期と思われます。町の最古級の神像として非常に貴重です』

20180701ShiioS0102s.jpg 『厄除祈祷ご案内(厄年祓の方には神矢・身体お守を授与します) 男は42才・25才、女は33才・19才の厄年を中にして、その前の年を前厄、後の年を後厄と申しそれぞれ3ヶ年厄年が続きます。この厄年には病気やわずらわしいことが起って心身ともに苦労の多い時期とされていますので特に言動をつつしみ、神様にご加護を祈って災難をのがれ、後厄の翌年には感謝の気持ちでお礼参りをするのが古くからのならわしになっています。
当神社では、厄年に当られる皆様のために、厄除安全のご祈祷を執行いたしております。何卒ご参詣下さって厄祓いをなさいますようご案内申し上げます』

20180701ShiioS0103s.jpg 『夏越祭(夏越の大祓)6月30日 「茅の輪神事」 みな月のなごしの祓 する人は千年の命 のぶといふなり 「茅の輪を腰に着けて疫病の難を免れよ」と御祭神・素盞嗚命の故事により、茅の輪を3回(左・右・左)8の字にくぐり無病息災を祈る神事です。参拝後、茅の輪を持ち帰り、軒先に吊るし、1年後お納めください。参列は自由にお詣り出来ます』

20180701ShiioS0108s.jpg 拝殿に参ると、ここにもサントリー樽が奉納されていた。
寺社に日本酒が奉納されているのは定番ですが、ウイスキー樽は珍しい。
サントリーさんは地域の自然に感謝し、欠かさず奉納しているのでしょう。
社務所が開いており、御守を物色しました。
パンフレットがあったので頂いて来ました。

20180701ShiioS0107s.jpg 『御祭神:素蓋嗚尊(スサノオノミコト)別名(牛頭天王) 当社は、西天王山(若山)の中腹に位置し、地元島本町の広瀬・東大寺・桜井の各地区、高槻市の神内地区を含む4ヶ郷の氏神として、「天王さん」の通称で知られ、篤い崇敬をうけております。
20180701ShiioS0118s.jpg 当神社の創建は古く、文武天皇の御代・大宝元年(701)に行基僧正が勅命にて勧請したのが始まりであります。22社の1社にも数えられ、官幣の制にも連なったと伝えられます。
社伝によると、南北朝時代、桜井の里にて楠木正成が子の正行との訣別の際に代参を遣わしたとあり、その後、戦乱の時代を経て近世には江戸幕府より社領安堵状を受ける。明治に入り神仏分離令により西八王子社・牛頭天王社の名を若山の地名をとり若山神社と称し今日に至る。
境内より3河川(木津川・宇治川・桂川)を合流す淀川を隔て、向かいに男山(八幡)笠置方面を望む景勝の地で、神域は1000年以上森の中にあり、「みどりの百選」に選ばれ、保全地域とされ、中でもツブラジイの大樹42本は府の天然記念物に指定。社有地は山林約4万坪を有す。
御社殿の創建年代は詳しい資料が残っておらず不詳。現在の御本殿は文化4年(1807)の改築と記録に記されてあり、6年の造営になるものです。
宝物には、聖徳太子7歳像(貞観時代・9世紀中期)・御神体4体(鎌倉・室町期)・絵馬(江戸期後期)3枚のうち天保2年(1831)のお蔭踊り図絵馬は府内でも珍しく貴重なもので、府の登録文化財に指定。他に江戸期の神輿2基と獅子頭や古文書も多数保存す』

20180701ShiioS0121s.jpg 淀川3川合流部・男山が眺望でき、少し霞んでいたがナイスでした。
20180701ShiioS0122s.jpg バイクに戻り、山を下ってR171に出て京都方面へ。
「大山崎IC」から名神高速に乗り、「京都東IC」で下車し、湖西道路を経て7:29ヨットハーバー着。


7/1・大山崎・水無瀬神宮

20180701ShiioS0038s.jpg 西国街道に戻り、6:05「水無瀬神宮」。
神社ではなく神宮なので、格上の官幣大社と思われる。
誰が祀られ、どんな謂れがあるのだろう?楽しみ。

『水無瀬神宮が造営されたのは、後鳥羽上皇を弔うため、生前こよなく愛された水無瀬離宮の跡に建てられた御影堂が始まり。当神宮には似絵の名手・藤原信実による国宝「後鳥羽天皇像」をはしめ、数多くの絵画・文書類が所蔵されている。
建造物では、豊臣秀吉が家臣・福島正則に造営を命じ寄進した客殿や、後水尾天皇が愛好された茶室が国の重要文化財に指定されている。
また、境内より湧き出る「離宮の水」は、全国名水百選として大阪府下唯一環境庁より選ばれています』

『島本町指定文化財第一号 水無瀬駒関連資料 小将棋「八十二才」銘漆書一揃、中将棋「八十六才」銘墨書一揃、中将棋(残欠四枚)漆書、象戯圖(二巻)、将暴馬日記一冊。
後鳥羽上皇・土御門天皇・順徳天皇を祭る水無瀬神宮に能書家と知られた13代水無瀬兼成(1514~1602)の優雅な筆跡を「水無瀬駒」「象戯圖」に見ることができます』

20180701ShiioS0042s.jpg 『水無瀬駒について 島本町においては、長い歴史の中で受け継がれてきた数多くの文化財を保存し、後世に伝えるために島本町文化財保護条例が、平成20年7月1日に施行されました。その記念すべき第1号に「水無瀬駒」が指定されました。
「水無瀬駒」は、水無瀬家で作られた将棋駒の呼び方で、約400年以上前安土桃山時代の水無瀬家13代能筆であった水無瀬兼成卿が駒の文字を書き、89才で亡くなるまでに、中象戯(駒数92枚)・大象戯(駒数108枚)・摩可大々象戯(駒数192枚)の他に、駒数実に354枚に及ぶ大将泰等々737組の駒を製作しました。
駒の譲渡先には後陽成天皇、正親町上皇、関白豊臣秀次、将軍足利義昭、公家、大名、高名な武将など、徳川家康には53組もの駒が納められました。
駒は高級材質で知られる黄楊で作られ、先が細く薄く、手前が肉厚幅広な現在の駒の形のルーツとして兼成卿が確立させ、作者と製作年が特定できる最古の将棋駒であり、以後高級な駒の形はこれに倣っています。
その後何時の頃にか、これらの将棋を取捨整理して創案されたのが小将棋と呼ばれ、今日愛好されている将棋であります。 31代・水無瀬忠成』

境内に入ろうと思ったら、お参りをされて出てこられた女性が「あらあら」と地面でハサミを広げているザリガニを持ち、細い水堀に帰しておられた。
久しぶりのザリガニでした。
さすがお年を召した女性はたくましく、平気でザリガニを持っておられた。
持ち方もソツがなく、子供の頃よく川で遊んだのでしょう。

『当宮は、御祭神後鳥羽上皇が御造営になった水無瀬離宮の跡で、往時は桜・山吹・菊の名所として知られ、上皇もたびたび行幸、歌合せ・蹴鞠・狩猟・刀剣鍛作等も行われた。
その後承久の変により、後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は土佐(後に阿波)に遷御、それぞれの地で崩御。後鳥羽上皇は崩御になる前、この離宮をお守りしてひたすらその還幸の日をお待ちしていた水無瀬信成・親成父子に左右の御手掌を捺した御置文を下され、永く後生の菩提を弔うべく仰せ下されたので、この離宮跡に聖廟を建て、上皇の御影を奉安して、御慰霊申し上げた。
世に「水無瀬御影堂」と称し、明治の初年迄仏式混淆の行事が行われていたが明治6年改めて、三上皇を合祀、官幣中社に列せられ、昭和14年官幣大社に昇格、神宮号を賜った。戦後は神社本庁所属の別表神社として今日に至る。
例祭:12月7日 後鳥羽天皇祭:4月4日 土御門天皇祭:11月13日 順徳天皇祭:10月14日 秋季講社大祭:10月第3日曜 月次祭:毎月1日・22日』

20180701ShiioS0051s.jpg 『水無瀬神宮の御神水』というのがあり、ポリタンクを持って並んでおられた。
汲みやすいように蛇口ひねれば良いようになっていた。
願い事が書かれた短冊が下がる風鈴が多数下がっている。

20180701ShiioS0053s.jpg 『風鈴のお願い 日本夏の風物詩風鈴が街中で見かけなくなり、風鈴を知らない子供も増えているように聞きます。さわやかな風鈴の音も街中では生活騒音といわれることがあり、日本の古き良き伝統がまた一つ無くなってしまうかもしれません。
是非ご自宅でも風鈴を出してみてください。出せなかったり、使わない風鈴がありましたら是非ご奉納ください。神社で保管し、毎年夏の時期に掛けさせていただいます。(破損などは処分しますがご了承ください)』

『水無瀬神宮は島本町に所在し、後鳥羽上皇の造宮した水無瀬離宮の跡地に境内を構える神社です。客殿と茶室は大正15年に重要文化財に指定されています。境内に残る歴史的な建物5件が新たに国の登録有形文化財に登録されました。
本殿(江戸前期) 明生天皇の内待所を移築した。簡素ながら風格のある意匠を備える社殿です。江戸前期に遡る宮殿建築に由来する建物として登録基準「造形の規範となっているもの」に該当すると評価された。
拝殿及び幣殿(昭和4年) 官幣大社昇格を機に昭和4年に造営された。雄大で落ち着いた雰囲気の入母屋造の拝殿に、独特な意匠の木鼻と伸びやかな曲線の蟇股を飾り、設計者である内務省技師・角南隆の特徴が表れています。登録基準「造形の規範となっているもの」に該当すると評価された。
神庫(大正期) 寄棟造2階建の土蔵。大正期に建てられたもので、境内景観に寄与するものとして、登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当すると評価された。
手水舎(大正期) 入母屋造の本格的な形式をもつ建物です。大正期に建てられたもので、境内景観に寄与するものとして、登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当するものと評価されました。
神門及び築地塀(江戸前期) 神門は参道の突き当たりに構えた門で、門の両脇に築地塀を備えています。本殿と同様江戸前期に遡る、離宮跡地に相応しい格式を示すものとして、登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当するものと評価されました』

20180701ShiioS0060s.jpg 『夏越しの大祓 境内にある茅野輪をくぐり、「人形」(人の形に切り抜いた紙)に自分自身・ご家族の氏名を記入しお祓いすることにより「厄除招福」「無病息災」「健康長寿」のご利益がある神事です。毎年多くの方が参加され、賑やかに行われております。人形は社務所受付にあります』

20180701ShiioS0063s.jpg 『御神塩 初穂料200円 この御神塩は毎朝御神前にお供えされた御塩のお下がりです。神様の御神徳が込められた御神塩を受けられてお清めや盛塩、食事などにお使い頂き、神様とのご縁をお結びください。初穂料は、お賽銭箱にお納めください』

20180701ShiioS0064s.jpg 本殿内に、清酒「英勲」が奉納さられていた。
『都忘れの菊 順徳天皇は承久の変にて佐渡に遷され、こよなく水無瀬の里を愛され殊の外菊花を好まれた父君・後鳥羽上皇を偲び、行在所に咲く可憐な野菊を「都忘れの菊」と命名し佐渡より移植したものです。 いかにして 契りおきけん白菊を 都忘れと名づくるもうし』

白い紫陽花が咲いていた。
社務所はまだ開いていませんが、窓越しにいろんな御守を物色した。

『風鈴短冊500円(2枚まで) 感謝の思いを短冊へ 恋人同士・夫婦・家族など相手への感謝、自分への感謝、自然や食べ物など感謝の気持ちで癒やされてください。ご記入後はご自身で好きな場所の風鈴へ掛けてください』

茶室絵馬(500円)という良い感じの絵馬があった。
社務所が開いていたら初穂料をお納めしたでしょう。
僕は絵馬は好きで、庭の木の枝にぶら下げたり、屋敷祠に下げたりしている。

『ご祈祷(7000円~)お宮参り・安産・厄除・家内安全・交通安全など。地鎮祭・清祓・結婚式などはご相談ください。燈心席(重要文化財)事前ご予約5名以上500円(1人)』
重文の茶室を2500円で拝観できるようです。

7/1・大山崎・椎尾神社

大学ヨット部コーチング日です。
8時出艇なので、短いけどそれまでの時間歴史探索すべく、京都大山崎町エリアの寺社・史跡をピックアップしナビ登録しました。

3時過ぎに目を覚まし、あまりに早いので二度寝したら寝坊してしまい、4:30に目が覚めました。
速攻で着替え、天王山の急坂を考え「里山VTR250」で出発しました。
4:56ローソンで、「助六寿司399円+ローソンセレクト麦茶100円=499円」購入。

R171~中央縦貫~豊中ICから中国道に乗り、名神に乗り換え、「大山崎IC」で下車し、R171で戻り旧西国街道で旧石清水八幡宮「離宮八幡宮」横を通り、JR山崎駅。
5:35「山崎院跡」。

20180701ShiioS0001s.jpg 『行基と山崎院 奈良時代の高僧行基は聖武天皇の命で東大寺の建立に尽力しました。また、畿内に49の寺院を建立し、橋を架けたり堤を築いたり池を穿ったりしたといわれます。行基は神亀2(725)年に大山崎に至り、淀川に山崎橋を架橋、その後、橋を管理し行基の教えを広める道場として天平3(731)年に山崎院を建立しました。
1989年・1999年に行った発掘調査で、奈良時代の唐草文彩色壁画片、半丈6(8尺)の如来形などの塑肴片、せん仏、人名を刻んだ瓦、緑釉陶器火舎と釜など、院に係わる多くの遺物が出土しました。
とりわけ唐草文彩色壁画片は、発掘調査出土品としては米子市の上淀廃寺に次ぎ国内2例目のもので、山崎院の堂内が色鮮やかな壁画で装飾されていたことを物語る貴重な資料となりました』

続いてサントリー山崎工場の上にある神社を目指したが、JRを渡ると道を挟んで左右にサントリー工場があるので、中央の道は入れない。
ならば迂回路を探しながら当たりをウロウロするが無理で、最後の手段ナビに案内をお願いした。
なんと、サントリー工場の中央の道を案内する。
「いいのか?」と思いながら「工場正門?」と思われる所でストップすると、「この道は一般道」と書いてある。
20180701ShiioS0005s.jpg そのまま突っ込むと、5:49その道の正面に「椎尾神社」神社があった。

20180701ShiioS0006s.jpg 『天平18(746)年聖武天皇の帰依仏である観音像を奉じて行基により開かれた。
寛弘年間に焼失し、仁平4(1154)年、河内の豪族八戸重忠によって再興されました。江戸時代の初めには、JR西谷踏切までのこの谷一帯が寺域でたくさんの伽藍を有していましたが次第に衰退していきました。
明治時代になると政府の神仏分離令により、椎尾大明神として寺院より神社となり現在に至っています。現在の椎尾神社の祭神は、素盞嗚命・聖武天皇・後鳥羽天皇となっています』

20180701ShiioS0013s.jpg 天王山の森に鎮座し、とても雰囲気が良い。
20180701ShiioS0023s.jpg 横を流れる小川の水を見て、サントリー山崎蒸溜所を立ち上げ、ニッカウイスキーを創業した竹鶴政孝は、「ここだ」と思ったのでしょう。
20180701ShiioS0028s.jpg 本殿に参り中を覗くと、「WHISKY DISTILLERY YAMAZAKI POT STILL PURE MALT WHISKY 1995」と書かれた樽が奉納されていた。
「長龍」銘柄の日本酒樽も奉納されていた。

20180701ShiioS0030s.jpg 『カエンタケに注意 赤色もしくは少し茶色かかった、人の指のような形をしたキノコです。猛毒をもっており、食べると危険であることはもちろんですが、触るだけでも炎症などの症状が出るとされています。見かけても食べたり、触ったりしないようご注意<ださい』

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昨夜、家内が自治会の所属部会の会合に参加してきた。
老人会・地域の清掃・地域の花壇の手入れ維持・子供会・催し物・・・いろんな部会があります。
子供会に始まり、家内がいろんな部会に入り参加してきました。
基本、すべての自治会員がいずれかの部会に参加し、いろんな部会を渡り歩きます。
子供会は子供のいる家庭、老人会は老人で、それ以外は割当で回ってきます。

今年入った部会は催し物部会で、最大の行事が盆踊りの模擬店出店です。
部会長さんは、立候補してくださった自衛隊員さんで、かき氷と焼きそばのお店を出します。
自衛隊は、「桜まつり」や「秋の創立記念」で基地を一般開放する時、隊員が模擬店を出しているのでノウハウが有り、「焼きそば焼き役」を部下の隊員を手配してくださるとのことで楽勝でした。

ところが、先日の大雨被害で部会長さんが、災害派遣部隊として岡山県に入りっぱなしで、会合に出席出来ませんでした。
自衛隊員さんは自治体活動にも熱心で、進んで役に立候補してくださり、先頭になって行動してくださいます。
我が家の2軒お隣も自衛隊員夫婦で、迷彩服で出勤されるので挨拶しています。
明るい人懐っこいご夫婦です。

定年の早い自衛隊員は、定年が近づくと勤務地の希望が出来、定年まで移動がないので、その基地に通勤できる範囲に終の棲家を持たれます。
そうした方が、自治会に入ってこられます。
近所の基地内にある兵舎には、独身の部下がたくさんいるので、オフのものを見つけて自治会活動を手伝ってくれます。
独身の若い自衛隊員さんも、地域との交流の場になるし、盆踊りにはオフの隊員も参加するので、喜んで参加されます。

部会長のいない会合は、いつもより決定に時間がかかり、最悪焼きそばを焼く係がいないかもしれないので、家内の役割も増えました。
2日間、朝からキャベツ切ったり下準備をしなければならず、会合中に「8月最初の土曜日、行ける?」と電話が掛かってきました。
その日は、コーチしてる大学ヨット部のファミリーデイで、部員の親御さん達が日本各地から琵琶湖にやってくる日で、僕はそちらに行かねばなりません。
琵琶湖が終わったら速攻で帰宅し、盆踊り手伝いをすることになりました。
都合の悪い方もいるので、なんとか出来る家庭は協力せねば・・・

この盆踊り、父がずっと主催役員だったので、小学生の時から駆り出されました。
昼過ぎから近所の公園に行き、近所の友だちと一緒に提灯ぶら下げに始まり、16時頃から始まる1曲目の踊り始めまで手伝いました。
櫓の上で太鼓叩くのが友達のお父さんで、その子といつもつるんでいました。
曲が流れ太鼓が始まりますが、お客さんがいても恥ずかしがって誰も踊り出しません。
父から「行け」と言われ、友達と踊り出し、「さのよいよい!」と大声で掛け声を出し、場を盛り上げます。
段々と踊り始める方が出始め、7時頃になるとお揃いの着物着た「踊り方」さんが参加しはじめ、お役御免です。

本部テントにいる父や他の役員さんから、「これでアイスでも買えや」とお小遣いが貰え、裕福な盆踊り期間が過ごせました。
町内会では僕らを知らない人がいなくなり、遊んでいると「お腹空いていないか?」と近所の家に上がり込みおやつもらったり、公園の池の貸しボート屋さんはウィークデイの放課後行くと、「乗ってくか?」とタダでボートに乗せてくれました。
これでローボートの漕ぎ方を覚えました。

現在は、昔の地域有志主催盆踊りから、自治会主催に変更になり、昔はプロのテキ屋さん屋台が沢山出たのに、テキ屋を呼ばなくなり、自治会自主運営になりました。
今年も寄付しました。
その代り、模擬店で使える金券をもらい、我が家の提灯がいくつか下がります。
またこの季節が来ました。

6/30・りょうくん5才卒業式

長男のお嫁さんから「家族LINE」に着信がありました。
写真・スマホビデオ付きです。

りょうくんのプリスクール卒業式でした。
ちょうどお嫁さんが3人目・ルーカス君の出産をしたばかりで、その手伝いにご両親がいるので、大成くんを預けてお嫁さんも出席したようです。
こういう節目に両親が出席できると、我が子の成長が見れて嬉しいものです。
本人も両親揃った姿を見ると、自分に自信が付きます。

僕が小学生の時、両親共稼ぎだったので、運動会に来れない時もありました。
クラスメイトが親子でお昼ご飯食べてるシートに呼ばれて食べながらも、無意識に親を探したりしていました。
参観日になると、後ろを振り返ったものです。
僕ら夫婦も共稼ぎだったけど、仕事を休んでどちらかが行くようにしていたし、爺ちゃん婆ちゃんにも声を掛け行ってもらいました。
「大切なわが子」と口に出さなくても、行動で伝わります。

出し物のセリフもしっかり言え、将来の夢スーパーマンも堂々と発表していました。
写真を見ると、お友達と公民館のような舞台に立ち衣装を着て何かやってる。
校長先生の衣装が素晴らしい。
20180629遼くん卒業式_180702_0003s 成長に感動しつつも、なんだかさみしくもあり、色んな感情が溢れて涙したようです。
お嫁さん以上に涙もろい長男も横で涙していたでしょう。

控室の様子がビデオに映っていました。
椅子に座り、「Say goodby to you・・・」とかみんなより大きな声でお喋りし踊っています。
出し物のセリフだったのかもしれません。

先生からダンキンドーナツを配られ、食べようとして口を開けた所で思いとどまり、「Can I eat it?」と先生に質問し、「Wait・・・」と先生から返って来たら、もうひとくち食べちゃったお隣の男の子と目と口を大きく開けて驚き合い、「Jack eat it」なんて笑い合っています。

日本にいる時も、公園で年齢が上の子でも平気で「遊ぼう」と声を掛ける子なので、英語の世界に行ってもすぐ慣れるだろうと思っていましたが、クラスの中心です。
「シャイな日本人」はりょうくんには当てはまりません。
長男は、クラスに1人はいる「何でもやりたがり屋」「なんでも立候補するやつ」で、チビの頃からどこでもリーダーやってたので、父親似ということです。
お友達もたくさんでき、皆から慕われて、お嫁さんも安心しています。
というより英語力の上達が凄まじく、頼もしささえ感じています。

長男が撮った長いビデオは、長男がドロップボックスにアップし共有してくれました。
20180629遼くん卒業式_180702_0006s ソロで舞台に立ち、自分で描いたスーパーマンの絵のボードを持ち、先生にマイクを向けられスピーチしていました。
「Hi I'm Ryo ・・・. I hope I wanna besuperman.」なんてマイクに向かってしっかり言ってました。

20180629遼くん卒業式_180702_0035s りょうくんの次に舞台に上がったのがSofiaさんで、よく一緒に写真に収まるりょうくんを気に入ってくれている子でした。
卒業生30名ほどの中に、白人が最も多いですが、インド系や黄色人種、ブラウンも1人おり肌の色に対するハードルが低いので、楽しい子・気の合う子が人気者になるようです。

Sofiaさんは、ブロンドの髪でとても可愛くクラスメイトの中で一番の美少女さん。
僕・長男・次男に続き、りょうくんも美人さん好きのようです。
これ、とっても重要で、美人さんは見ているだけでウキウキします。
そのためには、優しさ・清潔さ・頼もしさ・誠実さ・・・いろいろ磨いて、モテる男子にならなきゃ。
女性に人気があるだけで、人生大きく違います。

20180629遼くん卒業式_180702_0012s
美人さんはハンサムボーイ同様それほどモテるわけではなく、自分が美しいとは自覚していません。
ハードルは外見と関係なく低いものです。
僕は今まで一度もファーストアタックで避けられたことはなく、仲良くなれました。

保母さんの中に、女優さん?モデルさん?かと思う美人先生がいました。
去年園を訪問した時に、「Hi Ryo」と朝挨拶してくれた方です。
ビデオは動きがあるし声も聞けるし大いに楽しみました。
ただ、ビデオでの音声劣化やお喋りスピードについていけず、いまいち聞き取れません。
お嫁さんや長男が、他の子の言葉に笑ったり反応しているのが羨ましかったです。

りょうくんは活発で、悪く言えば落ち着きなく楽しんでいました。
自分の持ち場ではしっかりセリフを言いダンスをしますが、お友達の時間になると長男のビデオ目線で変顔したり縦横無尽でした。
長男の子供の頃にとても似ています。
私や次男はもっと落ち着いていたように思うのですが、血は争えないな。
この性格ゆえ、どこに行っても自然にグループの中心で楽しそうにしてたので、良い性格だな~と思いました。
少しシャイな僕にはちょっと羨ましい。

20180629遼くん卒業式_180702_0020s 女の子は赤いマニキュアをしてお洒落だし、こうちゃんも2才ながらネクタイを結んでもらい一人前のフォーマル紳士です。
20180629遼くん卒業式_180702_0017s
こうちゃんはルーカスくんが生まれたと同時にイヤイヤ期?に突入し、何でも「やーだ!」が続いているようで、甘えているのかな?
でも「たいしぇいくんかわいいー」と毎日毎日可愛がってくれているようです。
まだまだ夜寝不足の日々ですが、3人の子供たちに囲まれて、日々幸せを感じているそうな。
お嫁さんの幸せな様子ほど旦那の値打ちを決めるものはありません。

20180629遼くん卒業式_180702_0043s 「CONGRATULATIONS GODDARD GRADUATE!」の拝み看板を家の前で持った家族写真があったので、「学校からもらってきたの?」「生徒全員にもらえるの?」と質問してみました。
すると、「卒業ボードが式の前日に家の前にサプライズで設置してありました!」との返事でした。
卒業生全員の家をまわって設置したようで、こういう話は聞いたことがないので、アメリカの習慣ではなくスクール独自でやっていると思うとのことでした。

20180629遼くん卒業式_180702_0001s 式典での男性校長先生の衣装がピエロのようで式典に臨むスクールの姿勢が伺えます。
女性の先生方も思い思いの衣装で素敵です。
りょうくんは日本で3年保育幼稚園に通う予定をキャンセルし、初めての集団生活がいきなりアメリカでした。

20180629遼くん卒業式_180702_0024s 私も家内と伺いましたが、この2年間とても良くしてもらいました。
お嫁さん主体ながた長男夫婦で決めたプリスクールですが、大正解だったようです。
9月からは日本で言う年長組ですが、アメリカでは義務教育になっており、小学校併設幼稚園に通います。
週1ですが、日本語学校とサッカースクールにも通っています。
大いにアメリカを楽しんで欲しい。

6/25・ルーカス君・生後10日検診順調

長男のお嫁さんから、LINE連絡がありました。
20180611_180625_0080s.jpg ルーカスくんはおっぱいをぐんぐん飲み、生後10日検診では体重が3200gになったそうです。
220gの体重アップです。

20180611_180625_0081s.jpg
りょうくん5才・こうちゃん2才ともに可愛がってくれるのですが、初めて弟が生まれる体験のこうちゃんはちょっと複雑で荒れ気味だそうです。
穏やかな性格の子だから、「荒れ気味」がどんなか興味があります。

20180611_180625_0085s.jpg 3人の子育ては想像以上に大変で、両親がいてくれる1ヶ月の間に体力を回復させペースを掴まなきゃと思っているそうです。
20180611_180625_0082s.jpg
ルーカスたいせいくんのアメリカ社会保障番号が発行されました。
その写真を見ると、「Social Security number」と「USA」の文字が書かれ、なんだかカッコいい。

6/24・三田篠山寺社ツーリング 2/2

更に東に走り、JR福知山線を渡る。
20180624SandaS0105s.jpg 14:38、かつての交通の要衝「古市」地区に入ってみる。
20180624SandaS0107s.jpg 『右はりま道・左大坂はりま』と彫られた道標が立っている。
「古市」の名の通り、古くから「市」が立っていたのでしょう。
「市場」は人々の生活に無くてはならない場所で、それぞれの生産物を持ち寄りよりよい生活のために交換していました。

「不破数右衛門ゆかりの地・宗玄寺」の案内板を見つけ見学することにする。
20180624SandaS0115s.jpg 境内に上がる石段横に「蛭子神社」があった。
20180624SandaS0123s.jpg 続いて「不破数右衛門ゆかりの地・宗玄寺 全国忠臣蔵サミット加入」に上がってみる。

『源義経が京から鸚越に向かう途中に古市を通ったという伝承が残されるように、古来より交通の要衝でした。古市は宿場町として、最盛期は宿屋6軒を始め、馬宿・米屋・酒造屋などほとんどの業種が集まり、にぎやかに栄えていました。
街道のほぼ中央にある宗玄寺は、赤穂浪士四十七士のひとり不破数右衛門ゆかりのお寺で、毎年12月14日には義士祭が行われます』

20180624SandaS0126s.jpg 写真を撮っていると、裏で庭仕事をされていたのかご住職が出てこられ、「どちらからですか?」と会話が始まった。
「伊丹から」だと言うと、ご住職もかつて伊丹に住んでおられたようで、しかも「御願塚」という僕も4才から小1まで住んだ地名がお住まいだったようで、一気に話が盛り上がった。

不破数右衛門さんとの縁をお聞きし、昭和の時代のかつての古市の賑わいもお聞きした。
古市駅を中心に街道沿いのここらは商店街で、あらゆる商店が軒を連ねたようです。
30分ほど本殿の階段に腰掛けてお話し、写真を撮った。
貴重なお話を聞かせてもらいお礼を含めてお賽銭を奮発しようかと思ったが賽銭箱がありません。
奥にあった「日限地蔵尊」を覗くと絵馬が置いてあったので、それを授かることにした。
ご住職に声を掛けそこの賽銭箱に500円チャリン。
「心願成就・日限地蔵尊・丹波古市」と焼印されていた。

20180624SandaS0136s.jpg 『当初、丹波の酒井荘として4つの城で統治されていたが、明智光秀の丹波責めにより次々と落城していった中に、油井城主酒井秀正の子である酒井秀朝が後に仏門に入り誓珍と称し、1597年に草案を創設。その後、1676年(延宝4年)に、真宗大谷派に属し宗玄寺と改称した。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士の中に、「不破数右衛門正種」という武士がいました。
数右衛門の父は播州の人で、岡野治太夫といい、治太夫の妹「熊」が古市の大庄屋であった「鍵屋」へ嫁に来ていました。年老いた治太夫夫婦は鍵屋の縁寺であるこの宗玄寺に身を寄せていた。
数右衛門は槍の名手として元赤穂藩馬廻り役百石で浅野内匠頭に仕えていたが、故あって主家を去り、浪々の身となっていた時、松の廊下の刀情事件が起こりました。いよいよ吉良邸に討ち入りが決まり、三々五々江戸へ下向する際、数右衛門は不来坂峠に立ち寄り、長男長女を母に託し、母との永別をしました。
母は討ち入り決行を悟り、「母とともに本懐を遂げるよう」と自分の長襦袢を託しました。女物の襦袢を着る数右衛門からその訳を聞いた大高源吾が、武士の心として墨跡鮮やかに白居易の詩の一節を襦袢の背中に記しました。
「松樹千年遂是朽 槿花(きんか)一朝自為栄」
数右衛門切腹後、遺品として2人の遺児に刀と襦袢が届けられましたが、明治になって鍵屋の没落による混乱に当たって行方がわからなくなりました。現在はそのレプリカが保存されています。
長男大五郎は、父の冥福追善のため出家し大雄と称し、下野国古河城下の禅宗永昌寺に入りました。長女の鶴女は御影の照明寺へ嫁しました。また治太夫夫婦は宗玄寺で亡くなり、宗玄寺墓地にお祀りされています。境内の大きな碑は討ち入り230年を記念して昭和7年に多くの人の寄付で建てられたものです。毎年12月14日は義士祭が行われ、子供義士行列が街中を練り歩きます』

『赤穂義士の一人、不破正種の実の父、岡野治太夫は共に赤穂藩士であったが、赤穂藩藩主の浅野長矩が高家旗本の吉良義央に対し遺恨から殿中刃傷に及び、後に切腹処分となり家臣たちの離散後、一時播州亀山(現・姫路市)に居住していたが、治太夫の妹のおさよ(通称:熊)が古市の鍵屋という酒造家の酒井三郎右衛門に嫁いでいたことから、治太夫は正種の子2人(大五郎とお鶴)を連れ妻とともに、熊の嫁ぎ先に一時身を寄せ、しばらくして宗玄寺に寄寓することとなった。不破正種は江戸での刃傷事件が起こった時にはすでに事情があって赤穂藩を浪人しており江戸に浪々の身を置いていたという。しかし、同志に加えられる事が許され、討ち入り(赤穂事件)を前にして、正種は密かに両親や子供に別れの言葉をかけるため宗玄寺に立ち寄った。正種の母はこの時、自分の白無垢の下着の裾を切り取り、男の襦袢に縫いなおして餞別にしたが、討ち入り決行の夜には大高忠雄がその襦袢に白居易の詩(浄頼光跡目論 五 白居易放言の一部)である「松樹千年遂是朽、僅花一朝自為栄」と書き記した。赤穂義士47名は、1702年(元禄15)12月14日夜半に吉良邸に突入、本懐を遂げたが、後に正種の短刀や襦袢等の遺品は篠山城主松平氏を通して、宗玄寺に返送されたという。 大五郎は篠山の禅宗大膳寺にて仏門に入り、26歳になって三河の国の永昌寺へ移ったがその後の消息は不明ある。娘「つる」は長じて神戸東灘の真宗寺院に嫁ぎ、後年、その娘が宗玄寺に嫁してきた。
境内には正種の大きな顕彰碑が建つほか、少し離れた宗玄寺墓地には治太夫夫妻の墓石が、また境内の一部には、期限までに願いをかなえるとされる村の「日限地蔵」が祀られ、寺院のすぐ脇の蛭子神社には精緻な彫刻を楽しむことができる』

この女物襦袢の下りは、忠臣蔵で読んだことがある。映画やドラマでもお涙頂戴な場面として取り上げられているような・・・。ご住職の話では、この子供義士行列も地域の子供の減少によりあと3年の継続が決まっているだけだそうです。
20180624SandaS0138s.jpg 先程見た道標と同じものが立っていた。
平成25年に交通事故で壊れた道標を修復したもので、現在道路に立っているのはレプリカだそうです。

20180624SandaS0142s.jpg 『古市の日限地蔵様は、別名延命地蔵様とも呼ばれ、日限を切って願掛けをすると願いが叶うと、遠方からも口伝てに聞く方のお参りが絶えません。
天保14年(1843)頃には、久しく村の蛭子神社は廃絶され、町の賑わいも衰えていました。同年、旧7月24日に、当時の村役であった横屋休兵衛・加茂屋長三郎・磯志屋太助・住屋治左衛門の4人が、播州吉川熊谷村(現・三木市吉川町富岡)に鎮座まします日限地蔵尊を勧請して、古市にお祀りすることにしました。
以後毎年7月24日には、町内会が競い合って「造り物」(一式飾り)を造り、その出来映えを競い合い、「古市の地蔵盆」として大層な評判を得て、町の経済も大いに潤いました。祭りの当日の街道筋は、人混みで歩く事もままならなかったのは昭和30年頃まで続きました。
昭和40年代に入り、社会の経済の仕組みも大きく変わり、今では開店するお店も極めて少なくなりました。家族の形態も変わり、少子高齢化の波に飲み込まれて、「古市の地蔵盆」も往時の姿を見ることはなくなりましたが、日限地蔵尊への信仰は今もたくさんの方に伝わっています。そして細々ながら地蔵盆は今も街道筋で続けられています』

R372に出て東へ。
r49へ右折し南下開始。
20180624SandaS0145s.jpg 「美濃坂峠」を越え、「永澤寺」横を通り「永澤寺峠」を越えて、15:44「バイカーズカフェ虎亀」。
16:41お店を出て帰路に着きます。
r49を南下し、r68に乗り換え東進。
~r33~r325~長尾山トンネルを通って、17:34帰宅。

修理に預けた「通勤リード110」を引き取りに、近所の自転車屋さんに向かいます。
小学生時代からの遊び友達がやってるので気楽です。
修理費は、ブレーキ部品代が22000円もしたそうで、工賃3000円プラスで25000円でした。
意外に高額になってしまいがっかりです。
スクリーン本体セット14000円だったのに、折れたボルトを交換するのに25000円とは・・・

後日談・・・
翌日少し走ったら、スクリーンの揺れがあり、また5年ほどしたらボルトが折れるかもしれないので、車載カメラセット用部品を外し、「アドレスV125」と同じようにバイク本体に直接ポン付けすることにしました。
ところがこのボルト、バックミラー穴ピッチと違いポン付けできません。
アドレスV125でホームセンターにボルトを買いに行ったのですが、バイクミラー用ネジピッチは一般用とは違うようで合うのがありません。
ならばバイク用品店と思い「バイクワールド」に行ったが、なんと「棚卸し」で「夕方から営業します」だって。

帰宅し仕方なく「MonotaRO」でネット注文しました。
「大阪魂/六角ボルト全ねじ(ステンレス) M8×60・1.25ピッチ 1パック(10個)¥529」。
更に翌日ボルトが配送され、めでたくガッチリスクリーンで復活しました。

6/24・三田篠山寺社ツーリング 1/2

家内がお出かけしてしまいました。
つまらないので、近所の自転車屋さんに向かいます。
「通勤リード110」の後付カウル(デイトナ・エアロショートスクリーン)の右のジョイント・ボルトが折れてしまい、修理の相談をしていました。
折れたボルトを買おうとデイトナに電話すると、「不良品」かもといろいろ質問されました。
もう7年も使ってるし、車載カメラセットのために部品を噛ませているのでボルトがバイク本体のバックミラーネジ穴に入る長さが短くしたので経年劣化です。
それでも無料で2本送ってくれました。

これの交換だけなら、元々自分でセットしたので簡単なのですが、折れたボルトの下部がバックミラーネジ穴に入ったままで取れないんです。
しかもネジ入れ不足から水が入ったのかサビが進んで癒着しています。
プロでもどうしようもなく、右ブレーキごと全取っ替えになってしまいました。

昨日、ブレーキは入荷した連絡を受けたので、ボルトとバイク持って行きます。
バックミラーがないので押して行きました。
100mほどですけどね。
組み上がりが14時以降ということで、夕方まで走りに行くことにしました。

倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、11:52「セルフ北村SS」で給油。
237km/9.44L=25.1km/L。
僕のホームグランド北摂里山地帯に向かいます。
長尾山トンネルを抜け、r325~r33、川下川沿いの林道を走り、川下川ダム横から武庫川に向け降下。
r327で武庫川沿いを走ります。
上空を新名神高速道路が通り、車が走っているのが見えます。

この工事が始まる前は、鷲の営巣地がありバズーカ一眼レフが上空を狙っていました。
早朝や夕方走るとうり坊に時々出くわしました。
狸だったりキジだったり、時には山鳥など何度もびっくりしました。
2頭のうり坊に追いかけられた時が一番ケッサクでした。
そんな野生動物あふれる道は遠い昔になってしまいました。

JR道場横を抜け、R176に出て、r17~r141で立杭に向かって北上開始。
13:07鳥居が見えたので寄り道しました。
20180624SandaS0001s.jpg 「大歳神社」というお宮で拝殿には、『敬神生活の綱領 1.神の恵みと先祖の恩とに感謝し、明るき清き誠を以て祭祀に勤しむこと 1.世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして、世をつくり固め成すこと 1.大恩心をいただきて、むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること』の額が下がっていた。
20180624SandaS0010s.jpg 教育勅語のエッセンスですね。
20180624SandaS0023s.jpg こういう戦前の道徳教育が復活し、神道を中心に置いた日本人の心の芯を再び立てて欲しい。

r141を北上し、JR相野駅を過ぎr75へ。
13:29道標に導かれ「観音寺」に寄り道。
墓地も探索したが、区画整理されており、これといっためぼしい物はなかった。

20180624SandaS0033s.jpg 13:41「住吉神社」。
境内に登る石段手前に「重文・住吉神社本殿」の石碑が立っている。
期待が膨らみます。
20180624SandaS0066s.jpg 境内に上がると、檜皮葺の拝殿が正面にあり、その奥に同じく檜皮葺が美しい本殿が建っている。
20180624SandaS0063s.jpg 境内右手前に茅葺きの能舞台が、瓦葺きの渡り廊下を伴ってある。
これはなかなかの掘り出し物です。

20180624SandaS0051s.jpg 『住吉神社 本殿:国指定重要文化財 舞殿:県指定重要文化財
社殿は、三間社流造、屋根は檜皮葺の伝統的なエ法で、鎌倉期の建策様式を残しています。建築後いくたびかの補修再建が繰返されてきました。昭和47年(1972)に半解体修理が行なわれました。その時社殿の基壇石組は創建当初に復元されました。
建築された年代は、大工日原氏が建てたとする棟札写などによって、文永2年(1265)の建立である考えられていました。文化財の修理工事の調査報告では、古文書に見える貞治4年(1365)の上棟をとるべきであるとの見解が示されました。
三田市内に現存する最古の神社本殿の建築であるとともに、14世紀中ごろの流造の遺構としても全国的にみても貴重な本殿である。
舞殿は近世初期のもので、今は能楽堂となっているが、北来は拝殿であったものをこのように改造されたものである。
舞殿は、桁行1間、梁間2間の入母屋づくリ茅葺である。寛文頃(1661~)から毎年奉納能が行なわれ、折々に藩主たちが観能に訪れました。現代は10年毎に能楽を奉納しています』

ナイスな神社でした。
神社横の道を北に走ります。
参拝からバイクに帰ってきた時、バイクが1台奥に向かって走って行ったので、どこからに通じているのかもしれません。
地図では、東条川の大瀬川ダム湖の右岸道路です。
途中左岸に渡る橋があり、そちらがメインのようですが、あえて左岸にこだわりましょう。

道が細くなり林道になりました。
いつ未舗装路になり、ジエンドになるかわからないけど突っ込みます。
勾配がゆるい「梅木峠」という峠を北に抜け、民家が見えてきました。

東西に走るr311に抜けました。
右折し走っていると鎮守の森を発見し突っ込むが民家でした。
素晴らしい。

r311に戻ると鳥居発見。
20180624SandaS0075s.jpg 14:08「木津住吉神社」。
「津」は港のことだから、「木津」は木の斬り出し港があった名残の地名です。
住吉神は水の神様なので、林業の守り神として祀ったのでしょう。
20180624SandaS0074s.jpg 『木津(こつ)住吉神社の田楽
10月9日の宵宮と10日の昼振舞の後、神社の舞堂で行われる。昭和36年までは9月に奉納されていたが、昭和37年以降途絶え、昭和56年に木津住吉神社田楽踊り保存会が結成され復活した。
20180624SandaS0088s.jpg 田楽には、幣(しで)かたげ・ササラ・太鼓・笛の役があり、保存会の手により演じられている。踊り子は浅葱(あさねぎ)色の裃(かみしも)に仙台平の袴・白足袋の装束で踊り、巫女の舞・田楽・跳び(トートイチ)の順番で奉納される。
20180624SandaS0096s.jpg 木津住吉神社の田楽の由来等については、資料・伝承がないため明かでないが、天明4年(1784)の宮当規式定書には「踊りならし」という記載がみられることから、この時期にはすでに行われていたことがわかる』

20180624SandaS0098s.jpg バイクに戻り、r311~r141~R372で東進し篠山方面へ。
今田町に入り国道沿いに鳥居を見つけた。
帰宅後調べると、ここも「住吉神社」でした。
この地域に住吉神社が集中しすぎているので、八幡さまを守り神とする源氏の荘園のように、住吉の神様を守り神とする豪族の影響かな?なんて思い更に調べてみた。
今田の住吉神社の謂れを見つけた。

『古市の町並みから西へ約500メートルで国道372号は不来坂峠にかかる。頂きは丹南町と今田町の境に当たる。坂道を下った右手のこんもりとした「蛙の森」に鳥居が見え、急な石段を登ると住吉神社がある。右に春日神社、左には八幡神社と稲荷神社が相殿として祭られている。
現在の今田町域は古くは住吉大社の播磨国賀茂郡椅鹿(はしか)山神領に含まれる御杣(おそま)山(用材供給の山)であり、平安初期には大社の小野原荘となった。
「東大寺文書」の天喜3(1055)年の文中には「多紀郡西県住吉御領小野原御庄」とあり、国役が免除されていた。その後、御獄山清水寺との境界論争もあったが、荘園が成立するとともに建てられた小野原住吉神社は終始、地域の総氏神であった。
境内西の山林の中に「かくれ杉」という神木がある。その昔、住吉神がお越しになった時、杉の木の後ろにお隠れになったので、その名がついたという。この杉の木の下には盤座(神が鎮座するところ)として使った石組みの遺構が残っている。それを「かくれ宮」と呼ぶことから、杉の大木と磐座が住吉神社の始まりだろう。
この神社は通称「蛙の宮さん」と言われている。10月4・5日の例祭の神舞には鶴と亀を白く染め抜いた素袍(すおう)を着た踊り手が、5人がビンザサラ(竹製の打楽器)、3人は締め太鼓を持って登場する。互いに跳び交う時に、足拍子を合わすための「ヘイッ、ヘイッ、カエロ、カエロ」という掛け声からとも、跳ぶ姿が蛙に似ているからとも、また、森が蛙のように見えるからともいう。
この祭りは中世より荘官の下司(一般事務)、公文(収納、訴訟)、田所(田畑の管理)の3職を中心に当人(世話役)たちが奉納し治めた一種の田楽である。
奇祭として多数の参けい者でにぎわう』

平安時代、住吉大社の荘園だった名残りのようだ。

6/23・ヨットレース

r102~r18~R161で、8:25「セブンイレブン大津松山町店」で、「助六寿司398円」を購入しヨットハーバ着。
早朝ツーリング終了。

インカレ個人戦予選のコーチングです。
9:30に出艇し、North3~4m/sで1レースしました。
上マークが近く、トップ艇フィニッシュが30分以内の短いレースでした。
各クラストップ6艇が全日本に進めます。
当方は3/12艇がトップ6に入りこれからです。

AP(延期)フラッグで上マークを遠くに移動させている間に、雨が落ちだすとともに風が落ち、AP/Hフラッグが揚がりハーバーバックになりました。
ここから延々風待ちになりました。
1回生の男子選手・女子選手・女子マネージャーの4人でお喋りしていました。
これから始まる大学生活のいろんなことも話しました。
女子選手は、2~9才までオーストラリア・メルボルンに住んだ帰国子女なので、アメリカ生活中の孫たちのこともありいろいろ聞かせてもらいました。

雨は降っているものの弱いですが風があるので、僕がレース委員長ならレースするな~と思いながら待ちました。
14時を過ぎAP/Aフラッグ揚がり、本日のレースは終了になっちゃいました。
なんじゃそりゃ、雨だから出るのが嫌だっただけじゃないの?レースは面白いから、どんどんやろうよ。

合宿所に戻り、全体ミーティングです。
気づいたことを話しました。
レースに関しては、ペナルティー履行場所や、レースストラテジー、混んだ状況での上マークへのアプローチなどを話しました。
1回生の超ポジティブ練習、2回生の半年後に迫ったインカレ団体戦予選本番への取り組みも話しました。

クラス別ミーティング後、美味しい夕食を頂き帰路に着きました。
湖西道路~名神高速~中国道~R171で、19:41「エッソ伊丹北村SS」で給油。
263km/8.97L=29.4km/L。 

コーチボート上で、4回生の子と3回生の女子マネさんに、「色白保ってるね~」と軽口を叩いたら、「コーチも綺麗な顔されていますよ。ツヤツヤしてるよね~」と嬉しいことを言ってくれました。
単に脂ぎってるだけだろうけど・・・




6/23・精華町ツーリング

コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
インカレ個人戦予選です。
2つのクラスの上位6艇のみがインカレ個人戦に挑戦できます。
大学ヨット部の最終目標はインカレ団体戦ですが、全国の速い学生レーサーの実力を肌で感じることが出来ます。
卒業後の思い出にもなるので、レギュラー3艇×2クラス=6艇が予選通過できたら最高です。
最低各2艇、当面の目標各2艇です。

9時に出艇のようなので、早朝ツーリング出来そうです。
天気予報は日中雨だけど、~AM10+PM4~=曇りという最低限のバイクツーリング可なので、四輪で行く選択を消し、「里山VTR250」で出発しました。

4:33、近所のローソンで、「キリン小岩井ミルクトコーヒー162円」を購入。
R171~中央縦貫~近畿道側道r2~r14~r19で淀川を渡る。
R1で北上を開始し、R307で東進しr71で南下。

20180623SeikaS0001s.jpg 5:42木津川沿いにある「祝園(ほうその)神社」着。
20180623SeikaS0013s.jpg 『御祭神/天児屋根命・武御雷命・経津主命
延喜式内社で、48代修徳天皇の勅命により悪病平癒・家内安全・農商工業の発展を祈願するため神護景雲4年1月21日に創祀されたお宮。
1月いごもり祭/無形民族文化財・11/3例祭・12月御神祭』

r71に戻り、木津川を東に渡り、R24からJR奈良線の東にある「大塚山古墳」横を通り、6:02「松尾神社」。
20180623SeikaS0031s.jpg 横に「TK Race Way」という小さなサーキットがあった。
カートの練習場かな?個人が持っていそう。

20180623SeikaS0049s.jpg 『京都府登録文化財/松尾神社拝殿・表門・境内社御霊神社本殿(桃山江戸時代)天武天皇が吉野山より東国へ向かう時、この地で大山祇神の化身であるという樺井翁と軍議を談じ、翁が姿を消したあとに残された宝珠をこの地の後の鎮めとし、のち大宝元年(701)に秦都理が霊夢によってこの宝珠を得て、これを神体として宮殿を創建したのがはじまり。
近世以前は、御霊神社が「下の宮」と呼ばれたのに対し、「上の宮」と呼ばれ、ともに椿井から上狛にかけての人々の信仰を集めていた。拝殿棟木に墨書銘があり、現在の拝殿が慶長15年(1610)に再建されたこととともに、有力農民の代表である。「十二番頭」や、南村(上狛)と北村(椿井)の宮座一老・松尾社・御霊社の神主などの名が記されている。また宮座に残されていた遷宮神事を行う時の絵図にも、狛野荘の荘官である下司・公文・トネの席や、有力名主によって構成されていた中老座・ばく老座の席、能や狂言を演ずる舞台や楽座、はしがかりなどが描かれていて、これらから中世の村政を司った組織と松尾神社との関わりが伺える。なを表門も拝殿とほぼ同時期の桃山時代の造立である。本殿は文化5年(1808)に奈良春日社若宮本殿を移築したものであり、東隣の御霊神社本殿は、春日社三ノ宮を文政6年(1823)に「下の宮」に移築し、さらに明治13年に神社併合により、ここに移築されたものである。中世村落における神社の面影を留める建物群である』

6:16「玉台寺」。
『狛弁財天社 弁財天は元来インドにおいて川を神格化したもので、日本でも竹生島など水に関係する地によく祭られている。
狛弁財天は、室町時代初め頃に上狛から椿井にかけて広がっていた興福寺領狛野荘の利水や水害に関連して創建されたものと考えられています。15世紀中頃から後年には、興福寺大乗院や一乗院から門跡が参詣し、拝殿造営のための奉加帳が興福寺内で回覧されている記録が確認されている。
狛弁財天社は、狛氏の守護神であるとされ、狛山城守秀はその当時狛野荘の荘官(下司)を勤めていたことから、互いの密接なつながりが伺えます。その後、16世紀後半頃に大規模な再建がなされたと考えられ、天正6年(1578)に木造弁財天坐像及びその眷属(けんぞく)である十五童子像が南都寺院の宿院仏師・源三郎らによって製作され、天正8年には拝殿が再建されています。こうした一連の事業は西福寺に肖像画を残す狛左馬進秀綱が中心で実施したと考えられている。
なお現在の本殿や拝殿は近世後期に再建されたもので、隣接する玉台寺は弁財天社の宮寺として建立されたものと考えられている』

この地は、興福寺領庄官だった「狛氏」が支配した地で、狛氏が領したからか、「狛」という地名ゆえ「狛氏」と名乗ったからかどちらが先かわからない。
たぶん他の多くと同じように後者だと思う。
「狛」という氏名は珍しい。
狛犬の「狛」であり、現在多くの神社の正面を守護する狛犬の起源は、エジプトのスフィンクスやインドのライオンで、中国や朝鮮半島を経て琉球や日本本土に伝わった。
琉球ではよりライオンに近い「シーサー」となり各戸の玄関を守護し、日本本土では日本の想像上の動物「狛犬」として神社正面にいる。

「狛」の語源は、「高麗」から来ており、日本本土へは高麗人が伝えたと容易に推察できる。
この地の地名「狛」も「高麗」が起源のように思われ、朝鮮半島「高麗」からの渡来人が住み着いた地と想像する。
狛氏自体も、渡来人の末かもしれない。
いろんな想像をしながら、狛氏の守護神である狛弁財天やその神宮寺である玉台寺を、そんな謂れがないかと探したが見つからなかった。

ずっと以前から「狛」という日本離れした地名の不思議が気になっており、高麗からの渡来人の痕跡や朝鮮式のお墓の存在が見つかるのでは?と思って来た。
それもあり、「大塚山古墳」を狛最初の訪問地にしたが、あまりに道が細い傾斜地ゆえバイクが停められなかったのが残念。
近くに「高麗寺跡」があるので、高麗渡来人が住んだ地には違いないと思うが・・・

弁財天があるのかも?と玉台寺の境内に入って行ったが、弁財天は境内内の下の方にあった。
弁財天は水の神様なので、地形的に川ではなく湧水水源を守っているのでしょう。
境内を突き当たりまで行くと、狛の地を見下ろせる景色の良い所に出た。
ここに鳥居が立っており、神仏習合の痕跡を感じた。

バイクに戻り、JR奈良線「上狛」駅からR163に出ました。
20180623SeikaS0092s.jpg 木津川に沿う道で、6:40「恭仁宮太極殿跡」。
トイレを拝借しました。

20180623SeikaS0099s.jpg 『史跡・恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。当時、たびたび疫病や戦乱に見舞われ、世情不安の中、こうした事態を打開するためか、聖武天皇は、奈良の平城宮を離れ、各地を転々とした後、天平12年(740)に現在の加茂町瓶原の地を中心に新都を定めました。しかし、恭仁京は天平16年(744)にわずか4年あまりで廃都されてしまう。
その後、宮域は大極殿を中心に、山城国分寺跡は、恭仁宮の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北三町(330m)東西二町半(275m)の広大な寺域を持つ寺でした。山城国分寺跡(恭仁宮跡)には、現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残されています。皆さんの立っている場所は、塔跡の正面になります。周囲を塀に囲まれた塔は、残されている基壇跡や礎石跡から考えて七重塔であったと推定されます』

横には、「山城国分寺跡」の広大な芝地があった。
国有地でしょう。
こういう史跡を民間によって乱開発されないよう国として管理し後世に伝えていく姿勢に敬意を表する。
教科書には出てくるが、ほとんど観光客も訪れない地がこういう形でしっかり遺されているから、僕のような歴史好きが生まれるのだと思う。
歴史好きは郷土好きで、家族好き・親族好き・国家好きに繋がるように思う。

R163に戻る。
「海住山寺」への案内板があった。
拝観時間前なのでパス。
r5に入り、高級宇治茶生産地「和束町」のど真ん中を走る。
20180623SeikaS0101s.jpg 7:02「弥勒磨崖仏」。

20180623SeikaS0106s.jpg r62にチェンジし、7:07「安積親王陵墓」。
「聖武天皇皇子・安積親王和束墓」。
聖武天皇の第2皇子で、長男が死去したので皇太子最有力候補だったが、聖武天皇内親王(母・光明皇后)安倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)が立太子された。
その後、17才の若さで死去した。
20180623SeikaS0110s.jpg その死があまりに急であったため藤原仲麻呂による毒殺説があるそうだ。

20180623SeikaS0111s.jpg r62を進むと道がいきなり細くなり山道になりました。7:19「八王子神社」。
八王子は、天照大神と素盞嗚命が誓約を行った時、素盞嗚命が天照大神の首飾りを頬張り吹き出した5王子と、天照大神が素盞嗚命の剣を飲み吹き出した3女神。
祭神の起源を頭に描き、日本の長い長い歴史に思いを馳せる。
天皇家は、現代日本人の祖先を辿ると必ず何処かでつながる祖先の本家。

母方の先祖は室町時代まで遡れる城持ち菅家党の武士。
その数代前、平安時代に美作守として京都より赴任した菅原道真の末。
先祖を探索する旅で、戦に破れ討死した先祖が、神社の祭神として祀られており心に熱いものを感じた。
頭の宮・胴の宮など、3つに別れた遺体を葬った場所にそれぞれの神社が建っていた。
その宮を勧請し、我が家の庭に祠をこしらえ毎日手を合わせている。
菅原道真を祀る天満宮を見つけると参るようにしている。

現代日本人の総本家・天皇家が現在でも続いているのを身近に感じる国民は、世界ひろしと言えど日本人ぐらいじゃないだろうか。
同じ列島を同じ民族が脈々と支配・住み続けてきた日本民族に生まれ、僕は幸せものです。

期待していたほど大きくなく、歴史がありそうになくこんなもんかな。
瀬田川に突き当たり、r3になり瀬田川沿いを大津に向かいます。
道なりにR422になりました。




6/22・三田/藍丸山砦跡ツーリング

3:30に目を覚ましたので少々ゴソゴソし、明るくなりだすのを待って、春秋用バイク装束に着替えました。
4:29出発。
長尾山トンネル~r325~r33~r68~r49から千丈寺湖畔を走りr309。
「須磨田」交差点からr310。
この道は広くて交通量が少なく、家内のバイク練習道No1お気に入りです。

右折してR176を北上開始します。
宝塚からR176でも来れるのですが、佐曽利カルデラが作った北摂里山地帯を走った方がすっと楽しいから、いつもこちらのルートを利用します。

R176を北上し、JR藍本駅横を走り、5:28「藍丸山砦」。
R176から丘の上にある東屋が見えていましたのですぐ見つかりました。
バイクを置き、砦攻めです。
20180622AiS0008s.jpg 標高差もちょっとなので走れば30秒で山頂です。
20180622AiS0109s.jpg 砦風東屋があり、内部に謂れ・動植物・砦建築などの写真があり、訪問帳に感想など書きました。

『日出坂・丸山四方山話 日出坂は古くから開けた村で、摂津名所図会によると大阪天満橋から日出坂峠まで13里15町余り(52km)とあり「国を出る時涙が出たが、藍の日出坂唄で越す」と唄われ、峠の途中には茶店が軒を連ね、こんにゃくに味噌をつけて焼いた田楽が旅人に好評で、日出坂名物が藍の名物となった。
この地、丸山には応仁の乱(1464年)には既に砦が築かれており、その後赤松教康の子・千童丸が軍功により義尚将軍に仕え、藍氏を名乗り藍岡山城を築きました。初代城主伊勢守康則となり、丸山は出城(砦)として使われました。2代目が加賀守、3代目が出雲守で、出雲守の頃は戦いに明け暮れる戦国時代で、三田地方でも戦いがありました。摂津・丹波国境を固めていた出雲守の軍勢も、一国一城の主を目指した伊丹の有岡城主・荒木村重の軍門に屈し、天正7年春、丸山出城も消失しました。
西前方の山は虚空蔵山で、日本三体の1つとされている。山麓は古くから桜の名所として知られ、西山桜と呼ばれ天然記念物に指定されていました。このヤマザクラは明治32年の阪鶴鉄道の開通時には樹齢300年にたっし、日出坂トンネルを通過する汽車と桜を楽しむため多くの人がここを訪れました。
藍村小唄にも「北は日出坂、さくらが丘よ、花のトンネル、国境よいとこ美里の藍村よ・・・」と唄われている。
このヤマザクラも、昭和のはじめ営林署により老木数本が伐採されるに至り、日出坂部落民全戸署名による中止申請で中止されました。その後戦時中の燃料不足から伐採され、炭として焼かれ、数本が昭和30年後半まで名残りをとどめていましたが、40年には消滅しました。
私は、自然保護のさきがけとなった日出坂の先人達の思いに感銘し、場所は違いますが日出坂の中央に位置するこの丸山に桜を植樹しました。頂上の祠には水の神様である弁財天女神が祀られています。この弁財天にまつわる話に「丁子源蔵物語」があります。
落ち武者・丁子源蔵は、藍に来て武を誇りに勢力を張った。もと今田城主であった三村但馬守は、清水寺の戦いで油井の酒井氏に敗れ、藍本庄に来て三村と名乗り土着帰農した。その時より何かと武を誇る源蔵と対立し、ついに2人の大決闘となったが源蔵はこの決闘に敗れ、それを恥じて武庫川の淵に一夜の雨に散っていった哀れな物語である。
時は慶長9年3月で、以後この淵を誰言うこともなく「丁子淵」「源蔵が淵」と言うようになったと言われる。その後、日出坂は年間幾度となく洪水に襲われることとなり、村人たちは多量に流れた土砂を取り除き「おどり場」といわれた所に運び上げ築山となし、その上に水の神様をお祀りした。同時に丁子源蔵の供養石碑も丁子淵に祀られた。
明治28年、県道建設(現R176)により弁財天や供養碑は移され、この地に祀られるようになった。
参考文献:「三田史話」児玉尊臣著、「駅路・藍の里」橋上清著、「郷土の城ものがたり」兵庫県学校厚生会、「有馬郡誌」 文責:谷口誠司』

20180622AiS0114s.jpg 朝霧の薄い雲を通して朝日の輪郭が見える。
これが好きなんですよね。
20180622AiS0121s.jpg 「ハリボテ砦」の横に「弁財天」があった。
バイクに戻り、枝道を南下する。
武庫川を渡る細い橋上に止まり川面を激写。
川の草の生え具合が、「ホタルがいそう」。
更に進むと未舗装農道になり、ここから国道に繋がっていそうになく、時のUターン。

R176に出て、JR藍本駅の方に入ってみる。
横を通過し、「酒滴神社」前も通り、r75に出て、6:24「藍岡山城跡」。
城攻めに入ると、村落の墓地があり、「天明年間(1781~88)・文化4年(1807)」のたぶんご夫婦のお墓があった。
とっくに無縁仏になっているだろうに、利用価値のない山懐なのでそのまま健在になっている。
中世の山城要素は、江戸時代以降の利用により喪失しており、堀切跡と思われる場所を特定できる程度だった。
道に戻ると、田んぼの奥に続いていく舗装路が気になった。
西の低山の峠を越え次の集落に続いているのかも?地図では、r75は更に南に向かい、虚空蔵山の裾野を迂回するようにして東の東条川に抜けている。
峠越えの道かもしれない。

バイクに戻り、早速峠越え出来るかチャレンジするが、あっけなく未舗装路になり、Uターン。
r75に戻り、あぜ道を走りR176に出て南下します。
「波田」の武庫川蛇行地に入ります。
「藍丸山砦」の謂れ板に書いてあった「堀相模守館跡」があったようです。
20180622AiS0170s.jpg 山城ではありませんが、天然の水堀が三方を囲み守るのに易い地だったのでしょう。

20180622AiS0172s.jpg 周囲を探り、6:50地蔵祠を見つけ、バイクを置きここから突入。
20180622AiS0173s.jpg 突入してすぐ、キツネに遭遇した。
鹿や狸はよく見かけるし、イノシシにもたまに出会うが、キツネは珍しい。
「堀相模守館」の守り神なのかもしれない。
一家族生息しているのかな?
僕の不審な物音に気づいて、オスが偵察に出てきたのかも?
キツネを追ってゆっくり道を歩いていくと、右手に墓地があり、更にその奥に入ろうとすると、上空からギャアギャアと鳥の鳴く声が聞こえてきました。
どうやら、サギのねぐらがあるようです。
カメラで下から巣を捉えるのは難しいが、墓地の方に入り上空をカメラで狙うが、幼鳥?成鳥?が羽ばたくのがちらちら見えるだけで、聞こえるのは鳴き声だけでした。

館跡の痕跡を見つけたかったが、藪こぎ必須になってきたので諦めてバイクに戻った。
武庫川沿いの道を走り、R176を渡りr310。「須磨田」からr309、千丈寺湖を渡る橋で、いつものように鷲と野鳥を狙う一眼レフ大砲持ちの方が2人構えておられました。
水鳥も狙え、ナイスなポイントです。

r308~千丈寺湖沿い~r49、「志手原」交差点からr37~r323、「波豆川口」から南に入り、r68を渡りr33~r325~長尾山トンネルを抜けて、8:11帰宅しました。




6/17・ヨット部同期パーティー/リーガロイヤルホテル

16時まで「そこまで言って委員会」見ながら昼寝し、学生時代のヨット部ライバル校D社同期H君がやってるレストランの30周年パーティー(17~20時)に出発するまでゴロゴロ。
気のおけない友人でドレスコードもないので何でも良さそうですが、「リーガロイヤルホテル大阪」開催なので、ジャケット+コーチしてる大学ヨット部公式ヨットネクタイにします。
バイクPもあると確認しているので、「通勤リード110」に乗り出発。
r13~R2で16:29ホテル着。

20180617FruitS0103s.jpg 20180617FruitS0104s.jpg 20180617FruitS0112s.jpg ロビーなどの写真を撮りながら、2F「ペリドット」へ。
受付が始まっており会費1万円を払いG席とのこと。
受付にはお若い女性2人・男性1人いました。
娘さんたちと旦那さんかな?
Hくんとこは女の子2人だったはず。
受付を終えるとHくんの和服の似合う奥さんが「Hの家内です」と挨拶してくださいました。
「うちは女ばかりで肩身が狭いわ」なんてHくんは日頃こぼしていたけど、あれは嘘だね。
綺麗な奥様なので、お嬢さんたちも綺麗。

20180617FruitS0115s.jpg 16:52、席に着きました。
10人ほどの円卓で、D社ヨット部関係者席でアウェー感たっぷりでした。
周りのあと2つのテーブルがヨット関係者で、1つのテーブルがH君家族+従業員席でした。
僕のテーブルがD社ヨット部OB内で若い者からの席のようで、最年少はD社OBじゃないけど、D社OBと組んでロンドンオリンピックに出称したU君で、次がD社現監督S君でした。
S君とは先週まで3週連続レースだったので、毎週顔を合わせていました。

春にコーチしてる大学ヨット部の西宮遠征でお世話になった大阪大ヨット部GMさんの司会でパーティーが始まりました。
Hくんが挨拶します。
40名ほどのパーティーを予定していたのが、130名になっちゃったそうです。
趣味の詩吟関係、かつてやってたダンス関係、ビジネス街にあるのでお客さん電通や富士通のエライサン・・・それぞれの挨拶や詩吟・ダンス・ピアノ演奏・・・で楽しい時間になりました。

左隣が、D社ヨット部運営委員長Yさん(H2卒)。
よく琵琶湖のレースでレース委員長をしておられます。
その隣が西宮YHでうちの先輩とクルーザーに乗っておられる方夫婦。
息子さんが僕の母校KG卒だって。
右隣が僕と同期のD社OBのO君。
学生以来で全くわかりませんでした。
僕が自己紹介したら、「あれ~同期じゃん、Kくんか~顔は忘れたけど名前は覚えてるよ~」僕と同じ状態です。
その隣が僕の1回生下が2人。
当時の話で盛り上がりました。

S監督隣にUくんが座っていたのでその席に行き3人であ~だこ~だ。
Uくんはオリンピック出場後、西宮の酒造メーカーの娘さんと結婚し西宮に住んでいます。
ちょうどこの日このホテルで、奥さんの妹さんの結婚式があったそうで、向こうを中座してきたようです。
なんという掛け持ち。
ヨットには乗っていないようなので、コーチしてる大学ヨット部へのコーチングを依頼しました。「いやいや、まずはD社に来てよ」とSくんが。
Uさんと組んでたM君は、次男がお世話になった中高ヨット部の先輩で、息子が中学生の時高校生でした。
そんな関係で息子のこともレースで何度も一緒になってるので、反対に「息子さん、どうしてますか?」と聞かれました。

次男が中高ヨット部時代にお世話になった僕の3回生上のD社OB先生に挨拶しに行き、僕含め地元伊丹市出身KGヨット部OBで作ったジュニアヨット部から先生の高校に上がった子が2人今年の1回生としてD社・KG・早稲田ヨット部に進学したので、彼らそれぞれの将来性などを聞きました。

プロセーラーとして紹介され挨拶したこれまたオリンピック選手Hさんに挨拶しました。
D社コーチでもあり、去年何度もハーバーで会いました。
膳所高ヨット部OBで、スナイプ協会や滋賀県ヨット連盟でも中心人物です。
今年春D社ウィーク前に、コーチしてる大学ヨット部の練習に混じってくれました。
Hさんにも「・・君どうしてます?」と琵琶湖水域で対戦相手としてよく走った息子のことを覚えていてくれ気にかけてくれていました。
ありがたいことです。

締めの時間になりました。
20:03、D社ヨット部応援歌とエールを、僕の1回生下のエール係Y君の指揮にて。
さすがエール係、振り付けを覚えていますね。
現役時代何回やったのだろう。
その後も近い代の結婚式などで駆り出されたのだろうな。

Hくん家族が前に出て、Hくんがお礼の挨拶を短く。
「いつまで出来るかわからないけど、お客さんが来ていただける間は続けようと思いますんで来てや」。
20180617FruitS0118s.jpg 続いて長女さんの挨拶。女性なのに弁が立ち、おじさんたちの笑いを取っています。
Hくんはパパなんて呼ばれていました。
「家では最低なパパでしたが、今日ちょっとパパの株が上がりました」
「フライパンを毎日振っていたパパのおかげで、私達はここまで成長出来ました」
「明日もレストランは営業しますのでご贔屓に」
・・・お母さんは花束を、Hくんは記念品をお子さんたちからもらっていました。

お開きになり、テーブルの皆さんに挨拶します。
出口で挨拶してるH君一家への挨拶行列ができていたので、D社監督S君とあ~だこ~だ話します。
S君は僕らKGOBが作った伊丹ジュニアヨットクラブに入部した子で、ヨットのヨの字から教えました。
教えてた小学生低学年だった子が昨年全国制覇した大学ヨット部の監督だって・・・僕はもう生きる化石になってきたね。

「ジュニアヨット協会50週年誌が立派で、過去成績データが充実してる」と驚いていたので、現理事長は僕が理事を辞める時、次に出てもらった人だよと教えてやりました。
Sくん後輩のお母さんです。
僕が協会理事だった頃、広報委員長や全日本選手権・世界選手権選考会で事務局長などしてた時、手伝ってもらいました。
最初はクラブ主催レースのアシスタントをしてもらいましたが、仕事が早く熱心で出来る女性でした。
大学ヨット部OGでもありうってつけの人材です。

僕が持ってた過去成績データもみな提供しました。
「50周年記念パーティー」も今日でした。
昼間なので誘われていましたが、会場が東京だったのでパスしました。
H君レストランパーティーに先に誘われており、残念でした。
日程がずれていればな~

D社OB連中は、これから夜の街に繰り出すのか、ホテルで飲むのか、適当に分かれて過ごすのでしょう。
僕は帰路に着きます。
「なにわ筋」~R176~十三筋。加島交差点からr10に乗り換え、阪神高速下を北上し、21:13「セルフ北村SS」で給油。
180km/3.85L=46.8km/L。

6/17・家内と「道の駅・神戸フルーツ・フラワーパーク大沢」

「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」へ家内と一緒に行きます。
お盆に次男一家が帰省した時、一緒に行く場所候補に家内が上げたので、2日前の早朝ツーリングで下見に行きました。
果樹園があり、桃・ぶどう・なし・などの果物狩りが出来ます。
お盆なので、アクセスや混み具合・2才の子が楽しめるか?などが気になりました。
駐車場が広く、遊園地があり、道の駅とは思えないほど敷地が広い。
ホテル・プール・芝生広場など、遊ぶところは充実しています。

駐車場は24hオープンで、奥のホテルも24hオープンだからいつでも行けますが、遊園地オープンが10時なので、その時間到着予定で、9時頃家を出ようと予定していました。
4時頃目を覚まし自室でゴソゴソし、8時前に階下に降りると家内がお化粧中でした。
着替えも終えており、「もう行けるよ」とのこと。
お腹が空いたのでバターごはんを食べ、着替えて8時過ぎに出発しました。

R176で宝塚中心部を抜け、r51ワインディングロードで有馬温泉に入りました。
時間があるので、前回買えなかった「有馬サイダー」を購入しようと。
温泉街の朝は遅いので、路上駐車して「銀泉」前のサイダー専門店に行こうと思っていましたが、9時では遅すぎました。
前回6時はガラガラだったのですが、日曜日朝9時は多くの人です。
目ざとく「サイダー」の幟を見つけ、家内が買ってきてくれました。
今用に1本と、次男夫婦用に2本。

r506~r82~r78で、フルーツフラワーパークの果樹園に車を入れます。
観光果樹園には入れなさそうですが、ゴーカートが数台走っています。
楽しそう。
10:15「フルーツフラワーパーク」到着。
駐車場は1/2以上車で埋まっていました。
神戸市の後押しで「KK神戸ワイン」が運営していたけど、お客さんの入りがイマイチだったのでしょう運営が変わったテーマパークなので、平日はガラガラ、日曜日だって駐車場は満車にならないと予想していたのですが大人気のようです。
お盆は駐車場待ち行列ができそう。

「ファームサーカス」を見て、入園料が無料なので「遊園地・神戸おとぎの国」に入りました。
20180617FruitS0008s.jpg 「空中散歩スワンサイクル」「観覧車」「メリーゴーランド」「ジェットコースター」「水の上をボールに入って散歩するアクアボール」「ミニトレイン」・・・2才児が乗れる乗り物調査です。
いろんな表示が薄くなり少しくたびれていますが、小さな子~小学生が楽しめる遊具が多くGood!

ホテルに向かいます。
向かって右側の回廊を歩きましょう。
20180617FruitS0027s.jpg 売店で、「果実バー」と言う棒アイス発見。
1本320円という観光地価格ですが、お盆には食べようかな。
BBQテラスを見て、左右回廊の中に広がる噴水庭園で家内を激写。
すでにBBQを始めているお客さんがいます。

「わんぱく広場」から果樹園の方に下って行きましたが、結局今回も果樹園入口が見つけられませんでした。
その季節になったらわかるでしょう。
長い滑り台を滑ろうと思っていましたが、「ペンキ塗りたて」なのかクローズでした。
20180617FruitS0049s.jpg 10:49「ゴーカート乗り場」。
混んではいませんが、ぼつぼつゴーカートが出発して行きます。
コースが長いので楽しそう。

20180617FruitS0060s.jpg ホテル裏側に、SLルックな園内バスが置いてあり、「観光農園」営業中乗せていってくれそうです。
こちらもペンキがハゲ気味で、やつれ感が昭和しています。
前進は1993年(平成5年)開業だけど。JR三田駅行き送迎バスが出発していきました。
20180617FruitS0072s.jpg ホテルに入ります。
20180617FruitS0074s.jpg 売店一番人気のお土産は、「ぶどうクレープケーキ」でした。

お昼を食べましょう。
ホテルレストランのバイキングは2000円ですが、それほどお腹が空いていないので元が取れそうになくパス。
20180617FruitS0079s.jpg 中華のお店は、ラーメンやチャーハンの単品もあり良かったが、「サンフラワーカフェ」に入りました。
僕は「クリームパスタードパスタ690円+ドリンクセット150円」、家内は「シーフードパスタ840円+ドリンクセット150円」。
11:29に精算して出ます。
入口にパンが陳列されており、それとドリンクのお客さんも多かった。
パフェなどもメニューに有りGood!
お昼の時間でもBBQは空いていました。

「神戸モンキーズ劇場」をじっくり見ました。
冷暖房完備で、入場料は無料です。
ギャランティー(投げ銭)システムで、所属12チームで上位4位までが出演できるそうです。
11時に開演しており、次が13時で入りませんでした。
所属チームのお猿さんたちが出演したTVや映画の宣伝がされていました。

家内も「何あの木?」って「けむりの木」に気づきました。
20180617FruitS0095s.jpg 赤い哺乳瓶ブラシのような「ブラシの木」が咲いていました。
20180617FruitS0099s.jpg 「ファームサーカス」まで戻り、観光バスのお客さんが入っており混雑していた売店に入ります。
「神戸サイダー」が売っていました。

12:30道の駅を後にして、「大沢IC」から「神戸北有料道路」に乗り、「神戸北JCT」で山陽道~中国道・宝塚ICで下車し帰宅。

6/16・鷲峰山林道~大宮神社~琴平神社~ヨット部練習

「いざ、林道へ」と思いその道を登って行きましたが、山は見えているのに下ったり民家が増えてきたりで、ロストしちゃった。
途中に「鷲峰山」と書かれた枝道もありましたが未舗装で入れませんでした。
地図を見ると、「大道寺」前の分岐が正解だったようで、もう一本の道に行くことにします。
これもロストしちゃった。

R307に下り、また「大道寺」への枝道に入り、今度は林道への枝道に入れました。
キジのメスを前方に発見し、飛んでいくまで待機。
森の中の道になり、「鷲峰林道」に入ったようです。
20180616WashiP0738s.jpg 「林道・御林山線」との分岐がありました。

20180616WashiP0747s.jpg 6:37「地福谷」。
「鷲峰山ハイキングコース」になっているようで、案内地図が立っていました。
「密漁禁止・メジロを取らないで」の表示も。

コンクリート舗装のガタゴト道になり、しばらく登っていくとバリケードが道の中央に出現し、少し広い舗装林道に突き当たりました。
走ってきた道は、車が入らないよう封鎖されていたようです。
20180616WashiP0762s.jpg 舗装林道を少し走ると、金胎寺入山口があり、300mで鷲峰山山頂との表示がされていました。
山頂の山寺ですね。

鷲峰山林道を、北から登ってきたので、東向きに下ります。
南向きに下る道もあり、この山は舗装林道で山頂直下までいろいろなルートで上下できます。
東に下りながら、北に下っていく舗装林道の分岐もありました。
この分岐にはバリケートはなく広く、登ってきた道が最も道の悪いルートだったようです。

交通量のない舗装林道を気持ち良く走りました。
木々の切れ間がたまにあるものの、外界を見下ろせほどでもなくサイトシーイングはイマイチでした。

r283に出ました。
ここは「穀池峠」で、和束町と宇治田原町との境の峠です。
r283を北に下り、R307に出ました。
R307を東に走り、長いトンネルを抜け、左折してR422を北上します。
旧道への入口があちこちに開いているので、GPSの鳥居マークに惹かれ適当に入ると枝道を入り、20180616WashiP0772s.jpg 7:32「大宮神社」。
境内を守る鎮守の森に巨大杉が林立し、社殿の手入れはイマイチですが、雰囲気があります。

R422に復帰し、旧道に入ったり戻ったりして、7:43「琴平神社」。
境内に入るところにロープが張られ社殿は朽ち果てそうですが、大杉は半端なく霊気さえ感じるお宮でした。

R422に戻り北上し、「富川磨崖仏」に寄り道しましたが、山を登っていかねばならず時間切れ断念。
R422~r29で瀬田川左岸を走り、「瀬田の唐橋」で右岸に荷りR422。
道なりにr102~r18で浜大津~R161でヨットハーバー着。

コーチしてる大学ヨット部員みんなに挨拶し、桟橋に行って「助六寿司」で朝食にします。
9時になりブリーフィング後出艇し、帆走練習・マーク回航練習。
20180616WashiP0797s.jpg ブームセンターの位置・メインセイルリーチの開き・リーチリボンの流れ・ジブリーチの開き・下マーク回航の詰め方・・・気づいたことをアドバイスしました。

午後の練習は、全艇でスタート練習したり、強制的に半数をスタート3分前にラインに入らせたり、本番のレーススタート同様の混んだ状況を作りました。
北からの良い風にも恵まれ、良い練習になったと思います。

17:30にハーバーバックし、先に合宿所に戻ります。
夕食を作り終えた女子マネさん達が、PCであれやこれややっていました。
持参したタブレットを出し、ヨット部LINEに登録してもらいました。
前週、「私とお友達になり、私が招待しますよ」と言ってくれた2回生Nさんがいなかったので、4回生のSさんが「私とお友達でいいですか?」と、サクサク登録してくれました。

ミーティング前、横にいた3回生Nくんがバッグから雪肌精(コーセーのお化粧水)を出して顔にパタパタしていました。
シャワーで日焼け止めを落としさっぱりした後のお手入れです。
「雪肌精か、良いのを使ってるね」と言うと、「実家に帰ると、母親から「汚い顔して」と言われ「お手入れしなさい」と渡されるんです。僕はマメに手入れしていますよ」
「そうか、うちの家内も同じで、息子には3000円の日焼け止めを帰省するたびに渡していたんだ。僕には何もないのに・・・」
「僕もですよ、ほら」と、資生堂アネッサの日焼け止めが出てきました。
どこのご家庭も、母親にとっては息子が一番の恋人ですね。

気づいたことをミーティングで話し、美味しい夕食をみんなと食べ、帰路に着きました。
いつものように男子部員にも女子部員にも、背中を叩いたりお礼を言ったりしながら出口に向かい、湖西道路~名神高速~中央縦貫~R171。
20:48「エッソセルフ北村」で給油。
174km/7.49L=23.2km/L。






6/16・宇治田原町/御栗栖神社~大道神社

コーチしてる大学ヨット部の練習に参加します。
先週は前日雨で早朝ツーリングを諦めましたが、今週はGO!です。
前回走った「大峰山林道」の南にある「鷲峰山林道」を探索します。

3:30に目を覚まし、「里山VTR250」に乗り出発。
4:05近所の「ローソン」で「キリン小岩井ミルクコーヒー162円+助六寿司399円=561円」購入。
御用達GSで満タンにしようと思ったらまだ開店前でした。
セルフなのに朝閉まっているんだ。

R171~中央縦貫道で、4:20「エッソ中環豊中SS」で給油。
150km/4.72L=31.8km/L。

吹田ICから名神に乗り、大山崎JCTで京滋バイパスに乗り換えます。
宇治西ICで下車し、r241で宇治川土手を走ります。
r3にチェンジし、世界遺産「宇治平等院」横を通り、宇治川渓谷を気持ち良く走ります。
「天ヶ瀬ダム」横を通り、r62にチェンジし宇治川沿いを離れ支流沿いを遡ります。

20180616WashiP0693s.jpg R307にチェンジし、枝道でショートカットして再びr62に合流し、5:25「御栗栖神社」。
『御栗栖神社(みくるすじんじゃ) 「御栗栖神社の大杉」が天然記念物。 南地区に鎮座する旧郷社で、祭神は天津彦根命、現在は南地域の氏神「一の宮」として「田原祭(三社祭)」を構成する三社のひとつです。
弘安6年(1283年)6月、荒木の大宮神社から分祀されたのを起こりとされていますが、それより古い時代に豪族が土地を寄進した記録もあり、正確な創建年代は定かではありません。周辺の栗林から産する栗は、古来より、その光沢と味の良さによって知られており、「宇治拾遺物語」に登場する天武天皇の煮栗焼栗伝承に由来するといわれます。その栗は、毎年11月15日禁裏御所に献上する習わしで、明治20年まで続けられました。社名である御栗栖は、こうした朝献の栗林が、次第に人々の信仰を集めるうちに定着したものではないかと言われていますが、この栗林も現在は茶畑にかわり、昔日の面影はありません。
20180616WashiP0696s.jpg 社殿は一間社流れ造りで、末社として天照大神、天満宮、皇森社の三社があります。境内はスギ・カシ・カエデなどを中心に多くの樹木が生い茂り、大木も多いため、野生動物も多く見られるなど、良好な自然環境が保全されています。境内でもひときわ大きな杉の神木は、町内でも最大級の樹木で、町指定文化財(天然記念物)に指定されています』

R307まで戻り、「鷲峰林道」に続く枝道に入ります。
5:48「大道寺」。
『奈良時代に山岳修験の道場として開かれた金胎寺の北側登山口として、早くから聞かれた地に天平勝宝8年(756)大納言三品湯原王(施表皇子の御子)の発願により、鷲峰山中興の越知泰澄大師が開基。大伽藍も配置されていたが、その後衰退していたのを嘉承元年(1106年)11月、藤原忠実の帰依により再興し、それより大御堂と称したという。その後にその子頼長に伝領されたが保元の乱後、没宮領として田原庄など諸国の頼長領と共に後院領に入れられた。その後、平治の乱で殺された信西の所領となっていた。大道寺の南端にこの信西を供養した宝篋印塔が立つ。信西は俗名を藤原通憲と称し、「本朝世紀」「法曹頻林」などが著した学者であったが、平清盛と結んで権勢を誇った。清盛の熊野参詣中、対立者の源義朝は兵を挙げ、信西は信楽に逃れようとして宇冶田原まで来たが、この地で自害したと言われている。いわゆにる平治の乱である。
「百錬抄」平治元年(1159)12月17日に「少納言入道信西首、廷尉於川原請取、波大路懸西獄門前樹、件信面於志加良木山自害、前出雲守光保所尋出也」とある。「平治物語」古活字本には都を追われた折に「宇治路にかかり、田原が奥、大道寺といふ所領にぞゆきにける」と記されている。一説には、自害した屍は胴のみ近くの寺に納めて胴塚として祀られ、首は都でさらされていたのを大道寺の領民がもらいうけて、この地に塚を築いたといわれ、近くに信西首洗いの池と称する小池もある。大道寺はその後も修験系の寺院として栄えたが、以後400年もの間興亡を繰り返し、ついに戦国末期に、織田信長による寺領没収に会って滅亡に近い寺院になったと伝えられる。とくに昭和28年の山城水害には裏山より土砂が崩れ落ち、寺は潰滅した5体の仏橡のみかろうじて難と逃れ、以前書庫とされていた御堂に安置されていたがその建物も近年老巧化はげしく、平成16年10月に現在の建物を新築し、本尊不動明王をばじめとする仏像を安置する』

20180616WashiP0710s.jpg 近くに「大道神社」があった。
扁額には「天神社」と掲げられている。
20180616WashiP0720s.jpg 神仏習合時代、大道寺の守護宮だったのかな?石段を上がり境内へ。
「本殿」と「木造男神立像」は、宇治田原町文化財に指定されているようです。
20180616WashiP0724s.jpg 彩色された綺麗な本殿でした。
20180616WashiP0729s.jpg 道路に戻り、「信西入道塚」がありました。

『宇治田原町指定文化財・信西入道塚 藤原信西(通憲)は平治元年(11599 )、源義朝らのクーデターを知り、田原の領地に逃げ込んだが追ってきた源氏の軍兵に殺害される。大道寺の領民はこの場所に塚を築いてその菩提を弔ったと言われている。大正5年8月に有志により供養塔が建てられ今に至る』


6/14・早朝ツーリング「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」

4時前に目が覚め、天気も良さそうなので、「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」を下見に行くことにしました。
遊園地・ホテル・果樹園なども併設され、道の駅なので24hオープンで駐車できるそうです。
お盆休みに次男一家が帰省するので、ぶどう狩りとか出来ればいいなと思っています。
家内がパンフレット持って来て、「ここどうかな?」と言ってきたので実現させてあげたい。

夏用プロテクターメッシュ上下+DAIWAフィッシングスーツという春秋用装束に着替え、4:31「里山VTR250」で出発。
R176で宝塚を通過し、r51で蓬莱峡ルートから「有馬温泉」に向かいます。

20180614FruitS0003s.jpg 4:59「有馬温泉」。
最近の炭酸水ブームに乗り、天然炭酸泉(銀の湯)が湧く有馬温泉では、各種炭酸水が商品化されています。
その自販機があるとの情報を得、自販機なら24hいつでも買えるだろうと探しに来ました。
しかし、メインストリートには炭酸水自販機がありませんでした。
ならば有馬温泉駅にあるだろうと、バイクでゆっくり流しましたが見つかりません。

諦めて帰宅後調べたら、「金の湯」前の「有馬炭酸力」というお店前に自販機があるそうです。
店舗内には多くの変わり種炭酸水が置いてあるのだとか。
次の機会でゲットし、昔懐かし「ラムネ」との違いを体験してみたいと思っています。

我が家の近隣市を含め天然炭酸水の湧泉が多く、宝塚市に「ウイルキンソン」・川西市に「三ツ矢サイダー」が起こった。
我が家のお隣奥さんは三ツ矢サイダー創業家の出で、小学生時代息子さんとよく遊んだので、奥さんにいつも三ツ矢サイダーを飲ませてくれた。

r51を有馬口方面に下り、r15にチェンジします。
r506~r38~r82~r73と田舎道をチェンジし、5:29「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」。
20180614FruitS0013s.jpg 道の駅とは思えないテーマパーク的な門にお出迎えされました。
門をくぐる時、入場券受付があったので、かつては有料だったのかもしれない。

帰宅後調べると、神戸市の委託を受け「株式会社神戸ワイン」が営業していた農業テーマパークだったようです。
20180614FruitS0020s.jpg 神戸ワインの債務超過により道の駅として生まれ変わり、FARM CIRCUSが誕生したそうです。
630台駐車可能な巨大道の駅でした。

駐車場にバイクを置き、探索開始です。
20180614FruitS0019s.jpg まず小規模な遊園地があり、幼児~小学生低学年が喜びそうです。
20180614FruitS0014s.jpg 階段を上がり、お城の入口のようなウェルカムゲートをくぐります。
20180614FruitS0034s.jpg お役所がバックに付いた採算度外視の豪華建物が並び、平日の集客が望めそうにないのでペイしないように感じる。
20180614FruitS0048s.jpg だから経営主体が変わったのでしょうね。

屋根付きのBBQエリアがある。
20180614FruitS0069s.jpg その席数はものすごく、こんな大きなBBQ施設は見たことがない。
20180614FruitS0060s.jpg BBQ食材持ち込み不可で、食材を購入するお店があった。
「黒毛和牛セット1900円」他いろいろなセットもある。

20180614FruitS0055s.jpg 手入れされた西洋風庭園を回廊が囲み、奥に宮殿のようなホテルが見える。
ホテルに近づくと、「ホテルバイキング」の幟が立っていた。
ホテル宿泊のお客様のレストランがバイキング形式になっているようです。
「ランチ・ディナーバイキング」「デザートバイキング」・・・。

20180614FruitS0093s.jpg ロビーカフェにウェディングコーナー、一般的なホテル洋式ですが、正面のインパクトに比べると奥行きが無いように感じる。
横長設計のホテルのようです。
「バーデハウス大沢温泉」という温泉がホテル2Fにあるようです。

ホテル内を横に歩いていたら外に出た。
そこはホテル駐車場で、JR三田駅への送迎バスが出ているようです。
ホテルの更に奥に「ホースランド」という施設があるようです。
帰宅後調べたら、「ホースセラピー」施設だそうです。
乗馬もできるのかな?

中庭を戻ります。
20180614FruitS0104s.jpg 夏になると営業するのであろうプールが2面ありました。
20180614FruitS0111s.jpg 「モンキーズシアター」という建物があった。
20180614FruitS0114s.jpg 猿の曲芸などを観せるのかな?と思ったが、トミーズ健さんや間寛平さんの写真や、映画「パンク侍」のポスターが貼ってある。
お猿の出張日記が掲示されていたり、ようわからん施設です。
お猿の曲芸を見せるだけなら、建物が立派すぎるぞ。

20180614FruitS0120s.jpg 「Brides House」・・・結婚式場かな?とホテルと似た設計の建物に向かうとビンゴでした。
ホテルと離れている贅沢な設計ですが、一緒にしてホテルをもっと大きくした方が使い勝手が良いように思うし、投資額も削減できそう。
門の所にチャペルがあったけど、あそこで式を挙げるのかな?必然的に中庭を歩くことになるので、人前結婚式になるね。

20180614FruitS0126s.jpg 触り心地の良さそうなフワフワな葉?枝?の変わった木があった。
「スモークツリー」だって、まさにそうですね。
中庭を横切り、バーベキューテラスの向こうに、「ゴーカート」「パターゴルフ」「フルーツガーデン」があるようなので向かう。

20180614FruitS0135s.jpg BBQテラスの向こうが坂で下っており、斜面をあじさいが覆っている。
多目的広場の向こうに広大な果樹園が広がっているようです。
果物狩りメニューから、ぶどう・もも・ナシ・りんごが栽培されているのはわかるが、広すぎて見通せない。

ゴーカートは1周1200mのロングコースだそうです。
レールゴーカートなので身長130cm以上あれば運転可です。
20180614FruitS0138s.jpg 「パターゴルフ」は9ホール400円・18ホール700円。

20180614FruitS0141s.jpg 「ちびっこ広場」があり、ロングすべり台と幼児でも安全なジャングルジムがありました。
果樹園にだいぶ近づきましたが、丘の向こうまで果樹園が広がってエンドが見えません。
「神戸ワイン」が営業していた経緯をみると、ぶどう畑が広いスペースを占めているのでしょう。

6:34バイクに戻り、帰路につきます。
「芋掘り」看板があったので寄り道。
r73に戻り、往路で見つけた「ぶどう畑」への道に入ってみる。
道の駅Pからだとかなりの距離歩かないといけないから、近くにPがあるとラッキーなんだけど・・・

6:39「ぶどう畑」。
予想通りかなり広い。
こちらはワイン用ぶどう畑のようで、フェンス内にあるのが観光ぶどう畑のようです。
20180614FruitS0159s.jpg その周囲をゴーカートレールが3本走っていた。
長い直線があり、これは1.2kmあるね。

r73を三田方面に走り、「プレミアムアウトレット」「イオンモール」横を走る。
前方のバスに追いついたら、「親和女子中学・高校」のスクールバスだった。
学校は神戸六甲山の南側にあるのに、六甲山北側の三田からスクールバスを走らせているとはびっくりした。

バスについていったら、神戸電鉄道場駅のターミナルに入ってしまい、更に東には道がなかった。
GPS地図見て軌道修正し、少々迷いながらR176に出ました。
ここでまたミスし、北向きに曲がってしまった。
「r327~JR道場の裏道ルート」を考えており、r327の分岐が北にあると思ってました。
R176を走りながら間違いに気づき、武庫川を渡るところで右折し、右岸土手道を下りました。
この「元国鉄福知山線軌道」を走るのが好きです。
r327に合流し、JR道場駅横を走り、武庫川沿いの道に出ます。

20180614FruitS0164s.jpg 7:16バイクを止め、新名神を激写。
武庫川を渡るお気に入りスポットでまた激写。
分断県道r327のエンドまで走り、「川下川ダム」に急坂を上がり、r33に合流します。
直進するとr327になり、JR武田尾駅に向かい、武田尾を過ぎた所までr327で行けます。
あと1km伸びれば分断県道は繋がります。
r325~長尾山トンネルを抜け大阪平野へ。

8:00に帰宅しました。
NHK朝ドラを見ながら朝食を取り、通勤の人になりました。
春から始まった朝ドラ「半分、青い」は、主人公が可愛く、脇を固める出演女優さんも美人を揃えており、脚本がラブストーリーの北川悦吏子さんで楽しく見させて頂いています。

6/10・法事

法事の日です。
家内の父親の23回忌・母親の13回忌です。
うちも再来年父の13回忌になります。
月日の経つのは早いです。
家内の姉がメインとして動きました。
家内の実家のお墓の横に、兄の実家の神様の墓を移設し、1週間前に開眼供養したところです。

ご仏前に供える果物の調達を家内が頼まれました。
川西阪急百貨店に入っている果物屋さんに注文し、金曜日に僕が取りに行きました。
アメリカに住む長男・関東の次男は参列しませんが、彼らそれぞれのご仏前(コーヒーとお茶)も家内が注文しました。
姉・姉の子3人と被らないように、姉妹でやり取りしていました。

11時に実家近くのお寺さんで法要があり、10:30にそのお寺さんが「位牌堂」を建立したそうで、それを見学します。
兄の家は神道で、家内の家は浄土宗でした。
姉妹2人でともにお嫁に出ているので、先祖から続いた家内の実家は絶えます。
姉が実家の墓・位牌を守ってきましたが、姉が亡くなれば跡継ぎがいないので、位牌をこの位牌堂に預け、永代供養してもらいます。
お墓は神道の墓を守っていく姉の長男が、隣という気楽さもあり引き続き守っていきます。
家内も両親や先祖の位牌が眠る場所を見たいので、10:30までに到着せねば。

8:30に家を出ました。
「宝塚IC」から中国道に乗りました。
これまでの日曜日のこの時間帯なら「宝塚東トンネル・西行渋滞」が発生しているのですが、新名神
が開通したおかげで、交通量は多いものの渋滞なしでした。
「こりゃ、早く着いちゃうな」

阪神高速7号に入ります。
「FARM CIRCUS」書かれた観光バスに追いつきました。
リアに、稲穂・酒などの絵が書かれ、中央にサーカスのテントが書かれています。
観光バス会社にしては変だし~と考えながら追い抜くと、「フルーツパーク大沢」とサイドに書いてありました。
神戸北区大沢町にある道の駅で、遊園地や果樹園・ホテル・プールも併設している施設です。
今年の夏、次男一家が帰省したら「みんなで行きたい」と家内が希望している施設です。
神戸駅~フルーツパーク間を結ぶバスのようです。
帰りに下調べに寄ってみることにしました。
天気予報では台風の影響で雨が降ることになってるけど、天気が持ってくれたら良いな。

第二神明~加古川バイパス経由でr718(旧R250)に乗り、加古川の家内の実家跡へ。
家を取り壊し駐車場になっています。
子どもたちがチビの時、毎月のように来ていた頃、2軒隣の散髪屋さんで散髪するのが恒例でした。
目の前の病院がなくなっていました。
息子さんを家内が家庭教師していましたが、医学部に進学しなかったのかな?

10:07、長年お世話になってる「長田寺」さん到着。
Pには車がなく、うちが一番のようです。
本堂の扉が開いており奥さんが掃除している感じなので、積んできた果物などを運ぶことにしました。
リアゲートを上げて作業していると、お兄さん夫婦の車が入ってきました。
ほぼ同時ですね。
面倒見が良くおしゃべりのお姉さんと家内は喋っていますが、僕は挨拶後黙々と荷物運びに往復します。

お兄さん夫婦もお寺に入ってきました。
僕は境内の謂れ板を写そうと車に戻ると、そこにお兄さんの家を継ぐ甥一家の車が入ってきました。
境内の写真を写します。

『尾上構居址 長田寺付近は、中世の城館である尾上構居跡と考えられています。
構居とは、中世の土豪の居館のことで、城と比べ規模の小さいものを意味しています。尾上構居について詳しいことはわかりませんが、三木合戦(1578~80)のときに三木城方についたことが伝えられています。
尾上構居址 長田庄 領主八尾上丹波守 別所ノ幕下(播磨鑑)
尾上構主 加古瀧十郎盈斎(赤松氏範末孫なり)居す
居尾上丹波守三木落亡武功あり(播諸城交替連綿記)』

本堂裏の「位牌堂」を奥さんに見せてもらいました。
姉が嫁ぎ、妹である家内が跡取り娘になったのに、僕が取っちゃった。
「私、家の跡を取らないと・・・」と言っていたが、僕のプロポーズに「うん、いいよ」と即答してくれた。
僕は長男だから家を継ぐのを当たり前のように育ってきたけど、弟がいるので家内の実家に入ってもいいかな~とも思っていた。
僕の決断で、1つの家が消えちゃう・・・。

家内の実家は、播磨の戦国が描かれたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも登場する志方城内にあった。
黒田官兵衛の正室の実家です。
その跡取りだった家内のお父さんが、尾上に引っ越してきた。
だから姉の代になるまでは、志方城近くにお墓があり、毎年お参りに行っていた。
昭和の時代まで元城内に家があったということは、家老などそれなりの身分の武士だったのでしょう。

お父さんは家業?である職業軍人になり、大東亜戦争では部隊を率い中国戦線に奮戦した。
戦後数年シベリア抑留を経て舞鶴に帰国した。
「加古川・・(家内実家の苗字)部隊」として播州一勇猛な部隊として何度も新聞を賑わせていたようです。
戦後すぐ帰国していたら戦犯になっていたかもしれません。
その部隊の帰国が新聞に載り、「独身」だということを知り、姫路の名家だったお母さんの実家を継ぐお爺さんがお見合いを申し込み家内姉妹が生まれた。

人生いろいろ、歴史好きの僕には、家内の実家が絶えてしまうのは残念だけど・・・。
このお寺の家も、滅んだ土豪の子孫でしょう。
宗教法人で無税なので、相続が発生しても代々継いで来たのだと思う。
今まで何度も訪問しているのに、謂れ板に気づいたのは初めてでした。
豪族の城跡だと播州の歴史本で知ってはいたけど、その面影は家の前に小川が流れていることぐらいで、うちの父の実家のように土塁も皆消滅している。

20180610KakoS0007s.jpg 長女一家・次女一家もやってきて賑やかになり、11時からの法事も無事終えました。
現住職は、姉と兄が知り合った京都の大学の後輩です。
市民病院に勤めながら住職を継いでいます。
楽しみにしている法事後のお話も、なかなか良かった。
仏壇前に置いた果物やなんだかんだ、皆が持ち寄ったご仏前を全部うちの車に運びます。
ワンボックスワゴンはリアゲートを上げたらたくさんはいるので楽でいいです。

12:09、お兄さん夫婦の職場を見に行きました。
外装を塗り直したそうです。
絵が上手な次女の美的センスに従って、「クリーム色の壁」に「オレンジ入りのアクセント」、そして「ライトグリーンの屋根」で可愛い。
内装もやり替え、玄関を入った所に飛行機の壁紙の評判が良いそうです。

続いてお墓参りです。
先頭がお兄さん車で最後尾が僕の車なので、前3台がお兄さん職場駐車場を出た後、甥の車がが出るのを待っていましたが、1才の子がいるので遅れナビ設定しているようで更に遅れ、待っていた前3台は先に行っちゃいました。

甥に続き2台で前3台とは反対方向に出ます。
ナビ誘導ならこちらのあのですが、地元のお兄さんはなぜ反対方向に行ったのだろう。
加古川土手左岸道路r18を北上し、右岸に渡り土手から下って日光山墓苑に向かいます。
土手から下る道はいくつかあるのですが、ナビ誘導運転を間違ったようで、狭い道をきついVターンするために躊躇しています。
後ろの窓が開き、奥さんが「ここ行くの~」って目で見ています。
「行けると思うけど」「え~ほんとに~」という車内夫婦間会話が聞こえるようです。
もっと先の道でも行けるので、車を降りて「前へ」とジェスチャーしました。

12:40頃お墓について参ります。
てっきり僕ら2台の方が早いと思っていたのに、既にお墓を掃除していました。
加古川に新しい南北縦断道が出来たそうです。
お花を入れ替え、お線香を・・・。

隣にお兄さん実家の真新しい神道式お墓が立っています。
お兄さんは次男なので本来跡取りではないのですが、長男さんが東京に出たまま、お嫁さんとお母さんとの不仲ゆえ里帰りもしなくなり、お兄さんの結婚式・姪甥の結婚式にも姿を見せません。
会社の経営者で裕福なのに、なんだかな~と思っちゃいます。
お嫁さんとお母さんの仲が悪く、お兄さん一家が帰省しなくなり疎遠になっちゃった。
僕は、社会人になった子供にいろいろ意見する親は「老害」だと思って、「老いては子に従い」がスムーズに墓守を継いでいく肝だと思っています。
それで、お兄さんが自分の実家と2つの家のお墓の面倒を見てきました。

お兄さんは妹さんとは仲が良いですが、義理とはいえ男兄弟は僕だけみたいになり、実の兄弟のように何かと良くしてくれます。
子どもたちがチビの時、キャンプ・海水浴・スキー・果物狩りなど、2家族でよく行動したので、そのまま子どもたちの仲が続いています。

小宴のため、近所の「白雲谷温泉ゆぴか」に移動しました。
姉夫婦は低山登りが趣味で、ここの駐車場に車を置き、「小野アルプス」を歩いています。
帰りに風呂に入ったり、食事したりお茶して帰るそうです。

13時から「特別室」というのを2時間借り切ったそうで、軽い懐石料理を和気あいあいお喋りしながら食べました。
長男のLINE乗っ取られ事件の詳細を話し、姪たちに対処法を聞き、家内のスマホを預けみんなやってもらいました。
姉も姪達もスマホで連絡しあってるそうで、家内もそれに加えてもらいました。
姉のスマホも「貸して、やったげる」と姪は頼もしいです。
子供の頃、4人の両親・5人の子という感じで遊んでいたので、自分の親のように僕らに接してくれます。

20180610KakoS0017s.jpg 15時になりタイムアップで特別室から出て、地元産品を売ってる施設に、「珈琲飲んでいこか」と促され入りました。
甥の息子1才もみんなに慣れ、小中学生の従兄弟たちと遊び始めました。
「お金あるよ」と兄が小銭をたくさん出して来て、自販機珈琲や自販機アイスを口にしながら1時間ぐらい駄弁りました。

駐車場でそれぞれの車に別れる時、「そういえば写真撮ってないな」と兄が言い出し、カメラと三脚を車から出してきました。
駐車場で集合写真を撮りました。

特別室で食事後、家内と姉・銘がご仏前などを分けました。
家内が大きめの袋を人数分持ってきておりスムーズでした。
それで出たダンボールや包紙などのゴミは、我が家が持って帰ることになり、それらを車に載せ「さようなら」。
次は帰省する次男一家を交えお盆かな?

「三木小野IC」から山陽道に乗り、「三木SA」でトイレ休憩しました。
「道の駅フルーツパーク大沢」目指して走り出すと雨が落ちてきました。
降りるICを間違えスルーしてしまい、フルーツパークの下調べもパスしちゃいました。

そのまま帰宅し、後片付けをしてから自室に上がったら、そのまま寝てしまいました。
次に起きたのは夜中24時前、風呂に入っていないけど面倒なのでパスし、面倒でないヨーグルトを食べて至福の時間を過ごし、そのまま寝てしまいました。

6/9・レース2 & 湖西道路事故

バイクで合宿所に戻り、夕食を作り終え、成績表制作に余念のない女子マネさんたちとあ~だこ~だやっていました。
お若い女の子と喋っているのはとても楽しい。

コーチボートでは、本部線からの無線情報、陸上本部にスタンバイしているマネージャーからの情報、そしてこの合宿所でのPC作業などの情報を駆使し、フィニッシュ後戻ってくる選手たちに色んな情報を提供している。
集計した途中経過をボードに書き、各選手のフィニッシュ順位・総合成績などを伝えていますが、写真を取りLINEにも流し、OBたちとも共有しています。

そのことをマネージャーさんたちに聞くと、「息子さんも入られているので、コーチも入ってくださいよ~」と2回生マネNさんに誘われ、その気になっちゃいました。
「私とお友達になり、ヨット部LINEに私が招待しますよ」と微笑まれると、男なんてコロリですね。
スマホを持っていないのでタブレットでも良いのですが、タイミングの悪いことに忘れていました。
次回持っていこう。

その流れで、2日前家内のスマホLINEに「なりすまし長男」から「オレオレ詐欺メッセージが届いた事件」のことを話しました。
「え~、初めて聞きました~」と驚いていました。
長男がLINEアカウントを乗っ取られ、なりすましLINEが、ほうぼうに発信されたようです。
「今時間ある?」「ちょっと手伝って欲しいんだけど」「コンビニに行って、5万円のweb moneyを買って、裏の番号を写真にとって送って」と家内宛に届きました。
家内は長男が困っていると慌て、僕に買ってきてと。

「怪しいな~」と思いながら家内のスマホを持ちコンビニに急ぎ、駐車場で長男にLINE電話しようとしましたがどうやって使うかわからず、gmailしようとしましたがこちらもわからず、帰宅し自分のPCから真意を問い合わせることにしました。
コンビニに入り、店員さんに経過を伝えると、最近はやってる詐欺だそうで、このコンビニでも1件あったそうです。
「息子さんに別の手段で問い合わせた方が良いですよ」とアドバイスをいただきました。

家内に詐欺である旨を伝え、帰宅してPCメールで長男に問い合わせました。
長男はアメリカに住んでおり、時差の関係で真夜中なので即返信は期待できません。
LINEをチェックすると、次男から「お兄ちゃんのLINEアドレス乗っ取られているようなので、騙されないように注意してね」とのメッセージと、届いたLINE画面のハードコピーが添付されていました。
次男からも長男にメッセージを送ったようです。
若者の次男からのメッセージは説得力があるはずです。

夜20時(長男現地時間7時)に、長男から「LINEアドレス乗っ取られた~、友人に同じなりすましメッセージが届いたみたい」とのメッセージが届き、LINEの長男アドレスへの対処が書かれていました。
一件落着です。

ミーティングが始まり、気づいたことを話しました。
470の王者D社と比べたクローズボートスピードとランニングボートスピードについて。
マネージャーにトップ艇のラインの横を維持し、ラインと共に上マークに近づいて行きました。
ビデオを回したので、トップ艇ライン上での各艇の動きがクリアに見えます。
タックのタイミングと考え方、ミート艇が来た時の対処法を喋りました。

美味しい夕食時間です。
僕が例題として挙げた艇の2人が同じテーブルに座り、ホワイトボードに書いた図を見ながら、食べながらバズりました。
より具体的に話せてとても良かった。

夕食を終え、バズも一段落し、19時を過ぎたので帰路に着きました。
大部屋で食器洗い順が回ってくるまでくつろいでいる部員の肩を叩きながら、「今日はありがとうね」「帰るわ」「ご飯美味しかったよ」など言いながら踊り場に向かい、そこでバイク装束を着ます。
部の運営は上下関係が弱く、みんな自分の食器は自分で洗います。
毎日決められた掃除時間に、ルーレットで掃除場所を決め、それに従い全員で掃除してから、クラス別個別ミーティングしてからフリータイム~就寝へと向かいます。

湖西道路に乗りました。
いつもこの時間帯になると空いているので、快調に名神高速京都東ICに向け走っていました。
バックミラーに映る後続のライトは遠く、前方にも車が走っていません。
元有料道路で自動車専用道路並に道が良く気持ち良く走れるので、制限速度は70km/hです。
終点前の大きなRに差し掛かり前方遠くが見えなくなったところで、なんかいつもと違う違和感がありました。
Rの外側の壁がなんだか赤いような・・・

Rが終わり直線になるあたりで、前方に事故車両が見えだしました。
走行車線に1台、追い越し車線にまたがってもう1台。
アクセルを戻し、ゆっくりブレーキを掛けました。
追い越し車線にバンパーが落ちています。
その横をすり抜けると、次に走行車線側に止まっている車。
右前方がへしゃげている。
続いて車線をまたがって斜めに止まっている車で、前輪がパンクしバンパーが落ち、動けそうにな
い。

直線の先で、右車線は名神高速とR1京都へ、左車線はR1大津方面に別れます。
僕もそうですが、走行車線を走ってきた車の多くが、この直進区間で追い越し車線に移動します。
この移動中の事故のように思いました。
両者ともクラウンタイプの高級セダンで、社外に出て携帯電話してる方々は若く、スピードオーバーだったのではないかと思いました。

僕はバイクなので難なくクリアできましたが、後続の四輪は相当スピードを落とさないとクリアは無理でしょう。
発生したばかりの事故で、警察も救急車も来ていません。
僕も70~80km/hで走る区間で、追い越す車より数倍追い越される車が多い高速区間なので、カーブで前方が見えにくい状況での渋滞に突っ込む二次災害が気になりました。

湖西道路~名神高速~中央縦貫道~R171の定番コースで帰宅しました。
家内が夕食中で、「ただいま~」。
風呂に入り、翌日の法事の出発時間を決めヨーグルト持って2F自室に上がり「おやすみタイム」となりました。

翌日は法事で僕は行けませんでしたが、2日間トータルで470級3位・S級優勝・総合2位でした。
とうとう片クラスだけですが、昨年全国制覇のD社に勝利することが出来ました。
新人戦以外で勝ったことがなかったので、みんなの喜びはひとしおでしょう。
これで練習に更に熱が入りそう。

6/9・レース

コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
これで3週連続レースです。
今回は、学連の公式レースで、インカレ団体戦予選の前哨戦です。
9月のインカレ団体戦予選に向け、12月と6月に団体戦があります。
その他に個人戦もあり、対抗戦などの定期戦、そして各クラス全日本予選・国体予選などのインカレの縛りのない一般レースがあります。

大学ヨット部としてのレース活動はたくさんありますが、全国の大学ヨット部員が一番に目指すのは「インカレ団体戦」で、9月の予選前の前哨戦だからとても重要です。
9月の予選本番同様、各大学1チーム(3艇)×2クラスで争うのが本来ですが、多くのヨット部員を抱える大学もあり、下級生の実力アップや楽しみを増やす目的で、BチームやCチームの参加も認められています。
昨年参加した全日本インカレで最大部員数を誇った当方は、今年も近畿北陸ブロックで最大数なの
で、470はA・B6艇、S級はA・B・C9艇エントリーしました。

9:30第1レース・8:30出艇ということなので、先週に続き早朝ツーリングで「鷲峰山林道」を中心に、宇治田原町・和束町界隈を探索しようと計画しました。
しかし前日金曜日にしっかりした雨が振り、朝まで残る予報だったのでパスしました。
朝4時に目を覚ましゴソゴソしてから、下着の上に涼感スパッツ・zhikショートパンツ・涼感アイスアーマー、その上からバイク用メッシュプロテクター上下を着て、「招き猫CB400SB」で出発しました。

6:21、近所のローソンで、「キリン小岩井ミルクコーヒー500ml162円+助六寿司399円」を朝昼食用に購入。
R171~中央縦貫~豊中ICから中国道~名神高速に乗り、7:03「桂川PA」でトイレ休憩し、「いちごチョコ大福540円」を買いました。

「京都東IC」で下車し、湖西道路を経て7:30ヨットハーバー着。
まず大会本部に上がって、規則変更などないかチェックします。
当方・他校関係なく、多くの部員から挨拶され、こちらからも挨拶します。
気持ちの良い朝です。
Cチームまで出ている大学は当方のみで、Bチームも3艇フルエントリーしているチームは、470のD社・S級Ritsだけでした。

レース運営・ジュリー審判要員として当方OBが数人来ていました。
ジュニア時代に海外レースを引率した他大出身のNくんも来ていました。
僕を見つけ「おはようございます」と寄ってきて、近況を話してくれました。
京都の老舗菓子屋さんを支えている縁の下の力持ち的な仕事を代々されています。
上賀茂神社近所の家に住んでいるそうで、京都好きの僕にはとても羨ましい。
ヨットの方は、クルーザーレース活動を僕のホームポートを中心にやっており、そちらで会ったこともあります。

運営会議が始まり、そのまま聞いてから艇庫前に戻りました。
みんなに挨拶し、コーチボートに荷物を置き、桟橋に座って助六寿司を半分食べました。
体操ストレッチ・出艇前ブリーフィング後、8:30円陣を組み気合を入れ出艇。
コーチボートは先に出艇したので、1回生のエールは聞けませんでした。
今年&昨年卒業したコーチ陣が3名・女子マネージャーが各学年1人計4名・交代プレイヤーが1名と僕が乗り込みました。

20180609PreP0637s.jpg 9:30に470がスタートし、S級は1回ゼネリコ後スタートして行きました。
このタイミングで、女子寮住まいの1回生マネージャー1名を桟橋に迎えに戻ります。
この日は振れはあるものの北寄りの安定した3~4m/sの風が入り、6レース消化できました。

20180609PreP0655s.jpg 当方は安定して走り、上位で多くフィニッシュできたものの、トップホーンがS級キャプテンに1回だけで少々不満でした。
両クラスで3回ぐらいを期待していました。
着順だけ比較すると、両Aクラスは2位でしたが、470に2回ルール違反失格が出たので4位でした。
初日の成績は、4位+2位で総合2位です。
フライング失格した艇もフィニッシュ後はコーチボートに寄ってきて、コーチ陣と話し気持ちを切り替えリラックスしてレースに臨めたと思います。
トップホーン艇乗員にポーズを取らせ、上位フィニッシュした下級生に拍手し、終始笑顔でレース出来ました。

20180609PreP0664s.jpg 昨年全国制覇した覇者D社は相変わらず強く、今一歩というところです。
しかしながら、470で2レース、S級で1レース3艇合計で勝つことが出来、射程距離内です。
レギュラー6艇で、ジュニア上がりのスーパールーキー1人を除き、5名は大学からヨットを始めた子ばかりなので、スポーツセレクションでジュニアからや高校ヨット部で全国区選手が経常的にいる私立強豪校に対抗している当方はよくやっています。

「16時以降のスタートをしない規定」で16時過ぎにハーバーバックしました。
マネージャーの1人が、「逆光の中走るヨットは綺麗ですね。私好きです」と言っていましたが、絵になります。
僕もこの光景が好きで、この日も写真に残しました。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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