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6/8・LINE詐欺

帰宅して昼食を食べていると、電話が鳴った。
出ても本当に必要な用事の場合はほとんどなく、勧誘か無言電話の場合ばかり。
だから何時も通り無視した。
すぐにまた電話が鳴った。
「家内からかも?」・・・

家内のところに行くと、「あ~良かった~」ととても慌てていた。
「電話鳴らなかった」「鳴ったけど・・・切れてから電話したら繋がらなかったし・・・」
「何度も電話したのに」「だって、昼の電話はいつも碌な電話じゃないから出ないって言ってるじゃん」

「も~」と言いながら、「・・君が大変なの~」とスマホ画面を見せられた。
いつも「私達夫婦・長男夫婦・次男夫婦」の6人でグループを作っている家族LINEで連絡を取り合っているのですが、何故か家内に長男からダイレクトでLINEが届いていた。

『長男「忙しい?」、家内「大丈夫、何?」
長男「手伝って欲しいんだ。近くのコンビニで、web moneyのプリペイドカード5万円分を買ってくれる?」、家内「今すぐ?」
長男「行ける?」、家内「行けるよ」
長男「買ったら、裏側のコードを写真で撮ってLINEで送って」』
というやり取りが、LINEには長男の顔スタンプの後にメッセージが書かれている。

「日本に帰国してるのかな?」「何に使うのかな?」「急いでいるみたいだから、お父さんすぐコンビニ行って買ってきて」と一方的に言われ、5万円渡された。
とにかく家内は長男に頼まれ、一刻も早くと。

「なんだか変だな~」、「日本に帰国してるなら自分で買いに行くだろうに・・・」「アメリカにはweb moneyというのがなくて、これで決済しないといけないものでも買ったのかな~」「第一、長男が住む地の現在時はAM1時だぞ~」なんて思いながら、通勤リード110に乗りコンビニに向かった。

家内の慌てっぷりの前で、冷静に考えることが出来なかったが、1人になり思考が働いた。
「やはり何か変だ」との結論に至っており、コンビニ前で家内のスマホを取り出し、長男に連絡を取ることにした。

LINEで電話出来るということだったので、その機能を使おうと思ったけど、初めてなのでどうやって良いかわからない。
gmailしてみることにしました。
gmailを開いたが長男のアドレスが見つからない。
長男のアドレスは僕が入力したけど、何処に入ってるのか不明。
「どうするんだっけ~」
面倒なので帰宅し自分のPCから連絡することにした。

コンビニに入り、「これで何が買えるんだ?何に使うんだ?」と思ってた回転棚に下がったチケットみたいなものを探した。
「web money」と書かれているチケットがあった。
5万円のはなかったけど1万円のがあった。
それを手に持ち、レジに行き店員さんに尋ねた。

「これって、何に使うんですか?」
「アメリカに住む長男からこれを買い、裏を写真で写し送るようにとのLINEが入ったのですが?なんだか怪しくて」
この言葉を言い終わらないうちに、「LINEでのその手の詐欺が横行しています。先日このお店でもありました。長男さんにLINE以外で問い合わされた方が良いと思います」
「やっぱりな~、ありがとうございました」

詐欺だと確信し、店から出て家内の元に戻りました。
「あった?買ってきてくれた?」「あのさ~これオレオレ詐欺だよ。長男のLINEアドレス乗っ取られてるみたい。コンビニの店員さんも数日前にあったと言ってたよ」
「え、そうなの?じゃあLINEで聞かなきゃ」「LINEで聞いても、犯人に繋がるだけじゃん。メールで問い合わせてみるから」僕に任せて。

PCで長男に、「変なLINEが届いたよ」と内容を記し、「お母さんのスマホに数日前にウイルスが入ったから、そこから盗まれちゃのかな?」とメールした。

その後、PCで「LINE web money 詐欺」を検索したら、たくさんヒットした。
事例は家内に届いたものと全く文面が同じで、詐欺だとのこと。
対策など、いろいろ参考になった。

そのことを家内に話すと、もう冷静になっており、「5万円ぐらいなら、なくなっても惜しくないと思った」なんて言ってる。
母親のわが子への愛情の深さを今更ながら感じた。
直後、次男から家族LINEにメッセージが入りました。
「長男のLINEアドレスが乗っ取られたみたい。同じようなメッセージが届いたら嘘だから気をつけて」と、次男に届いたLINE画面が添付されていた。
LINE画面を見ると、まさに家内のスマホに届いたのと同じでした。
次男も長男からだと思って「何か用事?」って応対してたけど、「webmoney買って」の書き込みを見て無視していた。

後日談で、僕と次男からのメールで「乗っ取られた」ことに気づいた長男からメールが来て、「LINEアカウントを取り消し、新しくした」とのことでした。
知り合いに1人詐欺にひっかちゃった人がいたようで、大変な迷惑を掛けました。

僕ら夫婦は「オレオレ詐欺」に引っかかる世代になりました。
未遂に終わったけど、実際に引っかかりそうになり気持ちが新たになりました。

こういう事する人、させられる人って可愛そうです。
人は騙せても、自分は騙せません。
生涯記憶の中に留まっているでしょう。
そんな記憶を持ちながら、家族に正義を語れないだろう。我が子に胸を張れないだろう。
親戚にも見放され、悪事の仲間にも本当の意味で信用されません。
孤独な死が想像されます。
貧乏だって歯を食いしばってまっとうな生活をし続けていると、必ず日の目を見る時が来るし、もし自分が駄目でも子孫をつないでいればいつかそんな日が来ます。
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6/3・映画「恋は雨上がりのように」&新名神「宝塚北SA」ウェルカムゲート

家内の用事は、デパートに行って法事のお使い物を用意することだけなので、映画~宝塚北SA~デパートコースで移動することになりました。
朝4時前に目が覚めたので、ゴソゴソ。
前日の「宇治田原町の大峰山林道~琵琶湖」の日記を書きました。

8時から朝食に前日の残りのバナナを食べ、着替え、8:45に「通勤リード110」にタンデムし、映画館に向かいました。
9:30上映開始「恋は雨上がりのように」。
1週間前、家内と吉田羊さん主演の「ラブ×ドック」を観た時予告編でやっていて家内からのリクエストです。
僕も良さそうだなと思っていました。

高校陸上部100mで11.45の記録を出した女子高生(小松菜奈さん)が、練習中アキレス腱断裂してしまい失意のどん底に落ち、楽しかった陸上競技をやめてしまい根無し草になってしまう。
松葉杖をついていた病院帰りの雨の日、雨宿りに立ち寄ったファミレスで、店長(大泉洋さん)の1杯のコーヒーとともに発した言葉「もうすぐ雨が止みますよ」の優しさに触れ、そのファミレスでバイトすることにした。
お客様に謝ってばかりの店長、スタッフの冴えないと言われている店長に恋をしてしまった。

女子高生から恋を打ち明けられ、45才バツ1店長はドギマギし戸惑ってしまう。
胸に飛び込んでくる女子高生の背中に躊躇しながら手を回すシーンで、隣で観ている家内の背中の柔らかさを思い出した。
ゆっくり首を横に向け家内の表情を見たが、スクリーンに集中していました。
横顔が素敵です。

女子高生に恋をされ、店長は夢である小説家への道をまた歩みだす。
やんわり「バイトではなく、再び輝いていた陸上への道に戻るよう勧める」店長の優しさや、自分を破ることを目標に中学から上がってきたライバルからの「なんで走らへんのですか?」という挑戦状、そして一緒の陸上部で楽しんでいた幼馴染からの「いつもでも待ってる」によって、再び陸上部に戻っていく女子高生。
そんなベストセラー漫画の映画でした。

小松菜奈さんを観た前回作品は「坂道のアポロン」で、その時も今回も好演でした。
外観のクールなイメージが、この作品の主人公女子高生にぴったりでした。
走るシーンが綺麗で、陸上競技をやっていたのかな?と思いました。
そのシーンを観ながら、高校生のある日を思い出した。

国体選手に選ばれると、兵庫県大会の開会式の行進に参加しなければならず、嫌々ながら神戸王子の陸上競技場に足を運んだ。
お勤めを終え、スタンドで食べながら何気なくフィールドを見ていると、女子の陸上競技が始まった。
長田高校?の女子選手の走る姿、フィニッシュして歩いている姿も綺麗で、声を掛けたくなり背番号を覚えた。
結局声を掛ける勇気がなかったけど、数ヶ月後にまで、いや今でも心の片隅に「一歩踏み出さなかった後悔」が残っている。
どんな声だったのかな?
どんな性格だったんだろう?

そういえば、大学1回生の春、初めて学生会館前で腰まで伸びた髪を緩やかに揺らしながら歩いていた女子大生の歩く姿の優美さに恋をした。
それから、昼休みに食べに来る彼女を観るのが楽しみになった。
ヨット部同期から、彼女の学部も聞いてわかっていたけど声を掛ける勇気がなかった。
もう忘れかけていた4回生の夏、資格試験の講習会で会ってしまった。

「あっ、あの時の・・・」とドキドキしながら、「声を掛け断られる方」が「声を掛けずずっと後悔する」よりマシと勇気が出て、「一緒にお昼食べない?」と声を掛けたのが家内です。
魅力的な歩く姿は、お茶とお華を子供の頃から習い免許皆伝者になった故とわかった。
僕は走ったり歩いたりする姿に惚れちゃうみたい。

もうひとり惹かれる人が出演していた。
「清野菜名」さんで、女子高生の幼なじみ役を演じていた。
NHK朝ドラ「半分、青い」にも出演しており、主人公が勤める漫画家のアシスタント仲間の役です。
清原果耶さんとともに、「清」若手女優として注目している。
清原さんより清野さんの方が表情が豊かで、芸幅が広いように感じる。
ついでに書けば「飯豊まりえ」さんにも注目している。
いつか大ブレイクすると思っているんだけど・・・

大泉洋さんの映画は、いつも外れがありません。
家内は大泉さんのファンで、こういうマッチョではない外観、押しの強くない人が好きです。
グイグイ引っ張るマッチョさんは、怖いそうです。
ちょっと頼りないけど、表裏なく誠実で女性に優しく、いつも隣を歩き疲れて腰掛けたら気の済むまで横で馬鹿言ってる人が、一緒にいて疲れないので好きなのだそうです。
僕もそういうタイプなのかも・・・

バイクで「宝塚北SA」に向かいます。
TVでこのSAの特集紹介を見たようで、これも家内からのリクエストです。
阪急山本駅をくぐり、長尾山トンネル~r33で12:36着。
ホタルが飛び、「新宝塚CC」に向かう車程度しか交通量のない切畑~武田尾の道が2車線道路になり風情がなくなってしまっていた。
SAウェルカムゲート狙いのバイクや車が走っていた。

r33からのアプローチ道で、四輪がP待ちで10台ほど渋滞していた。
バイクなのでパスし、また数台待ちが出来ていたP前でもスルーし、ウェルカムゲートPに入れた。
10台程度と思っていたウェルカムPは意外に広く50台分はありそうです。

20180603TakaraS0001s.jpg SAに入っていくと、ウェルカムゲート側にロードバイクを停めるバーが設置されており、市場調査されているなと思いました。
r33は里山アップダウンを楽しむローダーが多いです。

建物は、宝塚大劇場と同じ色合いで、僕ら夫婦の母校KGとも似ているので、竹中工務店の設計施工かもしれません。
20180603TakaraS0005s.jpg 建物の中はさすが最新鋭SAだけあって、綺麗で機能的な配置になっている。
家内が「まずトイレを見に行く」というので、僕もトイレに行こうと思ったら、女性用トイレの方に入ってしまった。
「これはおかしい」とUターンしましたが、とても広く仕切りありの個鏡がずらりと並ぶパウダールームが素敵でした。
独立した多機能トイレエリアがあり、他にファミリートイレエリアもありました。

20180603TakaraS0012s.jpg 食べようと思ってたフードコートは満席で、待ち行列が出来ていました。
20180603TakaraS0015s.jpg 20180603TakaraS0016s.jpg タリーズコーヒーや友人がやってるパン屋さんがありました。
20180603TakaraS0020s.jpg 20180603TakaraS0023s.jpg 宝塚らしく、手塚治虫原作の「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」フィギュア、宝塚歌劇を想像させる展示がありました。

12:56「柿の葉すしMIX5個・800円」を買って外に出ました。
外にある多数のテーブルベンチはなんとなくふさがっており、広いサブトイレ棟を覗くと、トイレ前のベンチがガラガラでした。
そこに座って食べました。

高速道路案内が電光掲示されており、トンネル内照明が、トンネル火災などで入ると危険な時は赤い照明になり、落下物などで危険な時は黄色になるそうです。
トンネルに突っ込む時トンネル入口が赤く見えたり黄色に見えたりしてわかりやすいなと思いました。

20180603TakaraS0027s.jpg 外にはカレー屋・ケバブー屋などの屋台カーが数台並んでおり、他のSA同様にファストフードショップもあります。
20180603TakaraS0033s.jpg おさるの曲芸ショーをやるようで、お兄さんとお猿さんがスタンバイしていました。

20180603TakaraS0037s.jpg 電光掲示されている「パンケーキ食べたいな」というので、13:04「タリーズコーヒー宝塚北SA店」に入りました。
席が空いてないので、家内は「エッグサラダサンド350円」、僕は「ブラウニーウィルナッツドーナツ260円+モチ大麦のシュガードーナツ260円=870円」を買い、またサブトイレベンチに座って食べました。

電光掲示で、各店舗の夜の営業時間が出ていて、麺処などは24H営業でした。
パン屋は7~21時、屋内のその他のお店は、10~22、11~23時営業でした。

13:26、SAを後にしました。
r33で大阪平野に戻り、家内を「川西阪急百貨店」に下ろしました。
来週は家内の母親の13回忌法要です。
息子たちの名でコーヒーとお漬物をご仏前に供えるそうです。
うちから何をするのか知りませんが、姉から果物も頼まれているそうです。
週末前に僕が車で取りに来ることになるんだって。
なんだかんだ、姉と電話で決めています。

14:54「ワークマン川西加茂店」で、「涼快メッシュ先丸ソックス・4足780円+ICE ARMOURパンツ・980円+S-THREE長袖シャツ・1500円+Gニュー匠の手ウレタン手袋・99円=3359円」を購入しました。
夏用のクール素材ばかりです。
ヨットコーチング時、少しでも快適に過ごしましょう。

そのまま、近所のESSOに向かいます。
前回給油した時、スピードパスよりさらにお安くなるスピードパスプラス+ESSOカードを勧められサインしてしまいました。
新しいスピードパスプラススティックに、2000円チャージしてもらい、ガソリン軽油10円引き/Lチケットを6枚ももらっちゃいました。
期限無制限なので、四輪給油の時使いましょう。
JCBシナジーカードが届いたので、スピードパスプラススティックと繋げてもらいに行きました。
これで使えます。
使っていたスピードパススティックは、半年使わなければブロックされるそうですが、廃止手続きも
簡単だそうです。
請われて作らされた家内用シナジーカードは即廃止するので、その手続方法も聞きました。

帰宅しウダウダやってると家内が帰宅しました。
しばらくすると、「あ~直して~」とスマホを持って来ました。
「ウイルスが入ったかも」と困り顔です。
見ると、「危険です」とウイルスアプリをインストールせよとなっていました。
あれこれ、LINEスタンプアプリをインストールしてたら、「メモリが足らない、クリーナーアプリをインストールせよ」となり、インストールしてから「ウイルスが入ってる」とかいろいろなメッセージが頻繁に出るようになり、LINE画面にしてもロック解除画面に切り替わって使えなくなっちゃったようです。

現在画面は、「ハングアウトアプリをインストールせよ」となっています。
僕も知識がないので、PCで同じ症状の対処法を探し、あれやこれややってみました。
インストールしたアプリを1つ1つ削除し、知らないうちに掛かってしまった「LINEパスコードロック」と「アンドロイドパスコードロック」を解除しました。
1時間以上掛かりましたが、元の状態に戻りラッキーでした。

修復調べで知った「余計なアプリはインストールしないこと」、「メモリ足らない・ウイルスが入った」メッセージは嘘のことがほとんどで、まるでグーグルが検索したように表示されるのに騙されずウイルスプロテクターアプリをインストールしないことを家内に話しました。

家内は壊したとがっかりしていましたが、こういうことは誰でもやっちゃうことで、僕もPC触りはじめの頃いろいろやらかしました。
そんなこんな話をすると、少し表情が明るくなりました。
ちょっと点数を稼げたようです。
NHK大河ドラマ「西郷どん」を見て、おやすみ~。

6/2・全日本予選

r783から瀬田川に出て、瀬田川に沿ってr3を大津に向かう。
R422で左岸に渡ってr29。
山を越え、瀬田川左岸道路になり、京滋バイパス・名神高速をくぐり、瀬田唐橋を右岸に渡り、R422に乗る。

道なりにr102~r18と走り浜大津へ。
r18に入ると、前からも後ろからも赤色灯を回したパトカーが走り、「何かあったのかな?」と思いながら走った。
帰宅後、家内から「安倍さんに会った?」と聞かれ、「???」。
安倍首相が、大津プリンスホテルに来てたんだって。
精力的ですね。

第一次安倍政権の時、「美しい日本を取り戻す」をキャッチフレーズに応援してたけど、体を壊して腰砕けになってしまった。
でも、「ゆとり教育」からの脱却を図り、大きな仕事をした。
「ゆとり教育」で教科書を薄くし、授業時間を削り、国は何を考えているんだと思った。
週休2日なんて、小学生に必要か?
体力有り余ってるし、授業時間が少なくなれば、じっくり教えられない。
勉強の取っ掛かりの小学生で、公立小学校は特に、理解の遅い子が理解できるよう時間を掛けなきゃ。
息子たちが小学生の頃だったので、僕や家内同様私立中学に退避しなきゃと思いました。
進学した中学高校は、もちろん土曜日授業があり大満足でした。

明治維新も大東亜戦争後の急速な復活も皆日本人の教育水準が高かったことがベースにあった。
その強みを削って、「日本を沈没させたいのか」と義憤に感じた。
その政策をもとに戻したのは大きい。
そして今回、一度失敗した総理の座だからと守りに入らず、好きなように積極的に動いているように思う。
それぞれの政策には賛成できない所もあるが、世界に誇れるリーダーだと思う。
頑張ってもらいたい。
首相車とすれ違えれば良かったな。

道なりにR161になり、8:55「ESSO浜大津SS」で給油。
228km/7.15L=31.9km/L。
9:02「セブンイレブン大津松山町店」で、「ブレンディ挽きたてカフェオレ500ml・169円+プレミアムフレッシュバナナ・213円=382円」を朝昼食用として購入。

9時前にヨットハーバーに着くと、A級全日本参加艇が出艇して行くところでした。
先輩が来ているかな?と見に行くが、母校艇は既にレース海面に向かったようで見つからなかった。
大学艇庫前に行き、みんなに挨拶。
風がないので、APレース延期濃厚です。

しばらく始まりそうにないので、2人いた1回生女子マネージャーさんのレスキュー艇ドライブ講習をすることにして、レスキューだけ出艇。
一度もドライブしたことがないKさんは、だんだん慣れて良い感じでした。
全艇練習のために出艇するというので一旦ハーバーバックし、再度出艇しました。
僕と4・3・2回生マネージャー各1人+1回生マネージャー2人のコーチボートの陣容でした。

N2m/sほどの弱い風だったので、1回生マネージャーSさんドライブ練習しました。
練習艇との間隔を詰めさせたり、別の艇の真後ろに位置を変えたりいろいろ指示して、ビデオ撮りしながらドライブ練習しました。

陸上から、「10:30AP降下した」情報が入り、ここからレースモードです。
上回生マネージャーにドライブを交代し、各艇にAP降下情報を伝えます。
運営艇が出てきてレースモードに入りました。
天気予報は風向SW予報で、一旦風が落ち、またAPスタート延期になりましたが、SWの風が入りだし、470級2・S級1レース消化できました。
S級はゼネラルリコールを3連発したので、1レース少なくなりました。

470の2レース目、1上マーク1・2・3位で回航しました。
素晴らしい。
ところが上~下レグで風が落ち、ノーレースになると勿体無いなと思っていると、トップ艇のみに風が入り動き出す。
トップホーンはうちでした。
タイムリミット20分内にフィニッシュできたのは12艇のみで、残り26艇はDNFが付いてしまいました。
39点は痛いです。
当方は5艇フィニッシュ出来、この5艇は有利になりました。
このレースの470級トップ10が、全日本470選手権の出場権を得ます。
S級は5艇がS級全日本に出場できます。

ハーバーバックします。
当方は全17艇なので、まず半分引っ張って帰りました。
沖に戻り次を引っ張ろうと思ったら、レース運営艇が引っ張り始めていました。
残った3艇は少し出てきた風に乗り、自力帆走し始めています。
運営艇からレース艇の曳航を変わろうと後ろに回ると、運営艇から白い煙が出ています・・・エンジンがやばいかも?
運営艇が止まり、レース艇の曳航を代わり、運営艇を曳航しにもう一度出てくると告げてハーバーバックしました。

またハーバー手前で曳航を離し、運営艇を引っ張りに戻ります。
曳航ロープを受け取り、ハーバーバックします。
2回生マネNさんドライブで、こんなの初めてで緊張しているようです。
何処の桟橋に係留するのか後ろの艇に聞き、ハーバーに電話させ部員を桟橋に待機させます。

桟橋かなり手前から減速し、この艇との間隔が詰まらないようにします。
後ろのボートはエンジンが逝かれているので減速も出来ません。
最悪なのは惰性でこの船を追い抜いて行くことです。
後ろもしっかり減速させて、ゆっくり桟橋に近づき、上手く桟橋に後ろのボートを横付けさせる事ができました。

ドライバーNさんは上手くボートをコントロール出来ました。
思わず拍手しちゃいました。
Nさんは「涙が出そうです」と上手く行った自分に100点満点を上げているようでした。
また自信をつけたね。

合宿所に戻ります。
いつもなら部員たちより早いのに、第1・2陣で戻った艇は片付けを終えており、最後に戻った3艇を皆で改装しているので早いです。
みんなと同じぐらいになりました。

ミーティングで、軽風のきつい上~サイドのコース取りとスピン・ランチャーワークで気づいたことを話しました。
これは強い潮の海面でのレースに共通することなので、そのことも交えて話しました。

みんな楽しみ夕食時間になり、この日も美味しく頂きました。
19:20から掃除なのでその時間まで、久しぶりのOBイガラシくんを交えた4人で話しました。
就職が決まり、気持ちも楽にヨットに乗れたそうです。

プロテクターメッシュ上下を着込んで、湖西道路~名神~中央縦貫~R171で帰宅しました。
家内がまだ起きており、翌日の予定を決めました。
朝一上映時間の映画を観に行き、新しく出来た新名神「宝塚北SA」でお昼ご飯を食べます。
楽しみだな。

6/2・宇治田原寺社探索

大学ヨット部のレースコーチングです。
470・S級両クラスの全日本選手権予選です。
上位6位まで全日本に行ける切符を獲得できます。
10:30スタートなので、9:30出艇だそうで、それまでに琵琶湖に行けばいいです。

この日は、A級全日本も琵琶湖の同じヨットハーバー開催です。
先輩から「出場しないか?考えといて」とLINEで打診されていましたが、あえてスルーしていました。
A級は僕が高校生になる前年にFJ級に変更され、翌年大学生の種目から消え470級にかわりました。
遊びや練習で乗ったことはありますが、レースで乗ったことがなく、カッコいいとは思わないので正式オファーが来なければいいのに・・・と思ってました。
幸いメンバーが揃ったようで、声が掛かりませんでした。

早朝ツーリングの目的地を南山城・琵琶湖の南・宇治田原町界隈にしました。
宇治川の南に「大峰山」という修験道の山を想像させるネーミングの山があります。
この山中に林道が走っているので、絶景が堪能できるかもしれません。

5時前に、怪しい林道に突っ込むかもしれないので、「里山VTR250」で出発します。
上はラッシュガード&半袖、下はレギンス&半ズボン、その上に夏用プロテクターメッシュジャケット・パンツの装束です。
リアボックスには、レース観戦用品のアメリカ沿岸警備隊仕様7倍双眼鏡&ソニーNEXミラーレスカメラ&パナソニックG2望遠レンズ装着一眼レフを入れました。

R171~中央縦貫道。
いつものように吹田から名神に乗ろうと思ったら、なんと工事封鎖されており乗れません。
「聞いてないよ~、中国豊中ICから乗れば良かった~」
仕方なく近畿道側道r2に乗り、摂津北ICから近畿道に乗り、第2京阪道にチェンジします。
枚方学園ICで下車し、R1を少し走り、右折してR307に乗ります。
木津川を渡り、宇治田原町に入りr62を経て「大峰林道」に乗りました。

地図では枝道があり迷いそうでしたが、一本道の舗装路で、中央グリーン苔ラインはなく落葉落枝道でもなく、四輪離合に気を使う細道ですがバイクにはナイスな林道でした。
20180602SnipeS0003s.jpg ぐんぐん標高を稼ぎ、阿弥陀寺付近を通過し、6:12外界の見通しが良くなった所で激写タイムにしました。

「神明神社」に寄り道しました。
標高のある山に渡ってくるホトトギスが囀っていました。
恋の季節のようです。
20180602SnipeS0014s.jpg 「近畿スポーツランド」がありました。
ミニバイク専用サーキットのようです。

更に登っていくと、山頂への分岐がありました。
ここの標高が475m。
山頂が507mなので行きたかったが、チェーンバリケードされていました。
ここから下りです。

20180602SnipeS0024s.jpg 6:48「猿丸神社」
『平安時代の末期、既に山城国綴喜郡・曾束荘(現在の滋賀県大津市大石曾東町)に狼丸大夫の墓があったとされ、永年の山境の境界論争により、江戸時代初期にほぼ現在地に近い場所に遷し祀ったものと思われ、その霊廟の上に神社を創建したのが起源です。
鎌倉時代前期の歌人・鴨長明は、『無名抄』に「田上のしもの曾束といふ所に、猿丸大夫の墓があり、庄のさかひにて、そこの券に書きのせたれば、みな知るところなり」と記し、また著名な随筆『方丈記』には「気分が良く遠出をもよおすときは、炭山・笠取を経て岩間寺や石山寺に詣で、「田上河をわたりて狼丸大夫が墓をたづぬ」と書き留めています。
神社に残された正保二年(1645)の絵馬には、禅定寺の氏子中が社殿を建立したとあります。その頃、当社を拝した伏見・深草の日蓮宗の高僧・元政上人は、『扶桑隠逸伝』に「有猿丸祠。此亦大夫遊處之地。而村民奉祠也」と、村人の尊信を今に伝えています。
猿丸大夫は古来、歌道の神として崇められ、その徳を慕う多くの文人墨客がこの地を尋ねています。
また近世に入ってからは、瘤・でき物や身体の腫物の病気を癒やす霊験があるとして、「こぶ取りの神」と篤く信仰されるようになりました。明治21年の由来記には、「今来神功大ニ顕レ殊ニ瘤症・瘍症・カサ・オコリノ類ノ如キハ其神願成就セズト伝フコトナク、神験オ蒙リタル者多数アリ」とあって、多くの人々が霊験を授かり、その御神徳の近在に及んでいたことを知ることができます。
御本殿に供えられている本のコブは、瘤を取って癒していただいた人や種々の病気が治っておかげを受けた人々が、御礼の意味で奉納したものです。今日では、南山城地方を中心に遠方よりも広く篤い信仰を集め、家内安全・無病息災・交通安全・厄除け、更に勉学・受験合格の守護神として、親しみを込めて、「猿丸さん」の呼称で信仰されて、毎月13日の月次祭にはその霊験を慕う人々の参詣で賑
わいます。
猿丸大神(猿丸大夫) 狼丸神社の御祭神・猿丸大夫は、その出生来歴については不詳ながら、早くは『古今和歌集』の「真名序」にその名が見え、平安時代中期には36歌仙の1人に数えられ、その後藤原定家の『小倉百人一首』にも撰ばれて広く世に知られるようになりました。
「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋はかなしき」』

20180602SnipeS0033s.jpg 宮司さんが境内の掃除をされており、謂れ板がなかったので、神社の由来を聞いてみました。
20180602SnipeS0035s.jpg 丁寧に教えて頂き、社務所から謂れが載ったパンフレットを出してくださいました。

r738に出て、7:20「禅定寺」
『東大寺別当であった平崇上人が平安時代中期に建立した華厳宗寺院で、藤原摂関家の庇護を受け発展しました。戦国時代に荒廃しましたが、江戸時代前期・延宝8年(1680)月舟禅師によって曹洞宗寺院として中興された。藤原時代の木造十一面観音立像をはじめ9体の仏像や禅定寺文書など、国指定重要文化財がある』

20180602SnipeS0046s.jpg 仁王門をくぐると、南北朝時代の五輪塔があった。
20180602SnipeS0054s.jpg 本殿は重厚な茅葺屋根の建物で、境内に小さな池がある。
手入れの行き届いたナイスな寺院でした。
仏像も見てみたかったが、拝観時間前でしたので次に向かいます。

帰ろうとした時、ご住職が出てこられ、「拝観前です。出て行ってください」と怒られました。
確かにそうで、山門にも拝観時間が書かれていましたが、それは仏像など堂塔内部の見学時間だと理解しました。
山門も開いていたし、境内に入ってもいけないのか納得出来ませんでした。
「すいません」と出ましたが、宗教法人は基本無税です。
お坊さんや神主さんは、地域の人々の精神面や教育面を長年支えて来られ、地域の和の中心でした。
歴史遺産の宝庫で、私のような一般庶民のように所得税が掛かれば維持管理の費用が出ないし、相続税が掛かれば数代で霧散してしまいます。
だから宗教法人の無税には賛成ですが、「地域への奉仕」があって故だと思います。

神社の殆どは、現在でも門などなく24hオープンです。
ところが寺院は山門を閉じている所が多く、まるで住職の個人宅のように思っているところがある勘違い寺院まであります。
なのに、堂塔の修理再建などの費用は、平気で「寄付お願いします」と・・・おかしいんじゃないの?
かつては、旅人の一夜の宿になり、子どもたちの遊び場になっていました。

次の機会に拝観料払って堂内見学しようかな~と思っていましたが、二度とこのお寺には来ません。
まあ、勘違い住職が増えるのは、文化財に油を掛けたり、仏像を盗むなどの悪さする外国人盗賊の横行からの自衛の面もあると思いますが・・・
そない怒らんでも・・・

r738に戻り、「建藤神社」
本殿(江戸時代)が、京都府登録文化財になっていた。
20180602SnipeS0065s.jpg 本殿の彩色が綺麗で、何度かリメイクされているのでしょう。

20180602SnipeS0078s.jpg r738に戻り、7:41「雙栗(さぐり)天神社」
20180602SnipeS0090s.jpg 謂れ板がなく由緒がわからなかったが、本殿の蟇股の彫刻が牛であるので、社名通り菅原道真公を主祭神とした神社のようです。
20180602SnipeS0088s.jpg 鎮守の森には立派な杉が林立し、地域の信仰を集めているのがわかる。
奥の院参道が山に向かっており、竹の長さの揃った杖が傘立てに挿してあった。

境内を下ると、地元のおじさん2人が草刈り道具を手にだべっていた。
「おはようございます」と挨拶すると、「ようお参り、好きかね~」と声を掛けられた。
伊丹市から来たことや、寺社巡りが趣味であることを話した。
奥の院への参拝を勧められたが、「時間がないのでパスですわ」と答えた。
「またお越し」の声に押されバイクに戻った。

帰宅後調べた。
『宇治田原町大字岩山に鎮座し、祭神は、天穂日尊(あめのほひのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・大蔵命(神)(おおとしのみこと)で、のちに菅原道真を合祀しました。なお、末社として戸隠社、稲荷社、白山社、山王社(日吉神社)、皇大神宮、貴船社を祀っています。
「社伝記」によると、宣化天皇3年(538)9月7日、山城国東県綴喜郡雙栗田原郷の大岩本の頂に瑞祥があって、霊神が岩上に降り、座して光明を放たれたと伝えられています。その時当郷の住人、雙栗忌寸宿祢、和邇部茨彦がこの瑞祥を見て、その大岩の下に宮柱を建て、斎き祀ったといわれ、ここから岩本の地名も起こったとされています。現在も、雙栗天神社の背後の山(大岩獄という)を200m程登った処に7~8m位もある大岩石が在り、岩の下に一祠が祀られており、これが奥の院と称されています。
光仁天皇の宝亀元年(770)6月の勅命によって同年9月9日、荒木の里大宮の地に3神が遷宮され、荒木の産土神として大宮の社を称しました。
平治元年(1159)12月8日、平治の乱が起こり、この戦のために岩本の本宮、大宮神社をはじめ荒木村の全部、山滝寺、雙栗寺、岩本のことごとくが炎上烏有に帰しました。その後、建久4年(1193)に本社を造営しますが、桃園天皇宝暦11年(1761)2月4日、村内より出火(岩本の大火)し、社殿、古記録一切が焼失。
また、孝明天皇の嘉永元年(1848)4月4日、社殿が焼失するが、同年5月再建。
この再建は岩本が生んだ名匠柴田新八郎が行いました。
社殿の構造は一間流れ造りで前面に向拝がつき、極力控えめにした清楚堅実な造りの中に、柱、梁、飾り付けは桃山期あるいはそれ以前を思わせます』

長い歴史のある神社でした。
バイクですぐ近くにある「厳松院」へ。
石鳥居があり、神仏習合時代を感じさせる。
鳥居をくぐらず、案内板に従って横の急坂のコンクリート道を登っていく。
20180602SnipeS0109s.jpg 途中から地道になり、土塀の崩れ加減がいい感じです。
20180602SnipeS0110s.jpg 境内に上がるとご住職さんが庭の手入れをされていた。
仏教では、こういうのが修行なんですね。
20180602SnipeS0115s.jpg 鐘楼に立派な鐘が下がっていた。
20180602SnipeS0123s.jpg ご住職に挨拶して琵琶湖を目指します。






5/27・ヨットレース

コーチしてる大学ヨット部のレースコーチングの日です。
琵琶湖で活動している4つの大学の定期戦です。
この大会の歴史は古く、僕が学生時代も存在していました。
今月、関学日大という大学アメリカンフットボール界の東西両雄が対決する長い歴史のある定期戦で、日大がフェアプレイに反する行為をして問題になっていますが、ライバル校が定期戦をして現在の技量を比べながら本番に向けて練習していきます。
定期戦は、日頃の交流でもあり、特に同学年同士は良い友になっていきます。
僕もライバル校・D社の同学年との交流が始まり、オフはうちが主催するスキーツアーに参加してもらったり、個人的に一緒にスキーに行ったり、ドライブしたり楽しく交流しました。

4時に目を覚まし林道探索も考えましたが、前述のアメリカンフットボール部の事件により、大学体育会指導方法が問題視されているので、前々日の日大学長会見と前日あったKG監督・GM会見をユーチューブで検索しフルバージョンを見ていました。
TVニュースでは一部を切り取りコメンテイターがコメントしますが、世論誘導に繋がりかねず、ノーカット・フルバージョンがアップされるユーチューブの効用は計り知れないです。
ニュートラルな目で見て、耳で聞き自分なりの見解を持ち学生コーチングに役立てねばなりません。

見ていて驚いた。
『月刊FACTA:それで関西学院大学はその大事な試合の前に、聖書を朗読したり、堂々と勝つ、堂々と負けよというような詩を朗読したりしているというのを側聞したことがあるんですが、その意味を教えてください。
小野KGアメリカンフットボール部ディレクター:もうご存じのとおり関西学院大学はキリスト教教育に基づいて、創設者がアメリカのキリスト教の宣教師、プロテスタントの宣教師が建てた大学ですので、われわれの大学の中にそういうことは自然に入っておりまして、われわれの中で試合の直前にはお祈りをするということは普通に入っているということになります。それから今お話しした、この堂
々と勝ち、堂々と負けよというのは、ドイツの哲学者のカールダイムという哲学者で、これはオリンピックが始まるときのクーベルタン男爵の親友である哲学者が書いた詩をわれわれは本当に大きな試合のときに朗読をします。そのうちの一番最初の節でありまして、われわれのチームの在り方を確認をするといいますか、まさしく関学のスピリットと、FIGHTERSのスピリットとしてそれを記してあります。
もともとは関学のヨット部の先輩がドイツに行かれたときに、それを持ってこられて、ヨット部の中に記されていたものを、われわれのクラブも一緒に使わせていただいているという形になります。それでいいでしょうか。
FACTA:ありがとうございます。』

なんと僕が育ったKGヨット部の部訓を紹介されました。
学生時代、総監督をしていただいたK先輩がローマオリンピックの時、ヨーロッパ遠征してヨットクラブに書かれていた言葉に感動して持ち帰りました。
それを和訳したものです。
ヨット部艇庫・合宿所の壁に大書され、ことあるごとにみんなで読みました。
くたびれてくると書き直していましたが、今では艇庫に額に入って壁の一角を占めています。

1週間前、この事件がマスコミを賑わした時、「これは体育会全体にアゲインストの風だ」と感じ、新入生が入部したばかりということもあり、週末の練習に参加し、夜のミーティングで部員全員に「フェアプレイの大切さ」を話しました。
その時、この母校部訓と、皇太子さまがご自身お誕生日に紹介されたドロシー・ロー・ノルトの詩「子は親の鏡」を紹介し、新入生部員全員にコピーして渡しました。

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●関西学院大学ヨット部 部訓
如何なる闘いにもたじろぐなかれ
但し偶然の利益には 如何なるものでも騎士的に潔く棄てよ
最強の相手を求め、彼を汝の友とせよ
威張らず,誇りをもって勝て
言い訳をせず品位をもって負けよ 勝利より大切なのはこの態度なのだ
汝を打ち破った者に最初の幸福を
汝が打ち負かした者には最初の感激を与えよ
汝と汝のチームに対して願うべきはただ一つ 常に最善の者が勝つことを
汝の身体と精神をそして心構えを常に清潔に保て
汝自身の汝のクラブのそして汝の国の名誉をけがすなかれ

●子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト「子は親の鏡」
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
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8月の「ファミリーデイ」にも出席し、親御さんの前でもしゃべらないといけないなと思っています。
大切なお子さんを預かっているのですから、明るく楽しくこれからの長い人生に大きなプラスになる時間を提供したいと思っています。
この問題は、対戦相手に対してだけではありません。
体育会ではどうしても先輩の方が技術的に高いので、後輩との関係が一般的な関係を越える時があります。
これは自分以外の人へのリスペクトが足らない事から起こります。

身近な所で、我が子とのことを話しました。
次男がジュニアヨットを始めてから、大学ヨット部を卒業するまでのことを、ウェブマスターをしていたジュニアヨットクラブのウェブサイトで紹介しています。
ヨットに興味を持った親御さんが読んで、「これなら安心かな?どんな将来があるのかな?」なんて疑問に事実を持って答えるためです。
そんな「親バカエッセイ」をコピーして置いてきました。
興味を持ったら読んだら良いと思って。

小野ディレクターの言葉を聞き、「来た~」と思いました。
KGヨット部の部訓が全国区になるかもしれません。

「招き猫CB400SB」を出し、R171~中央縦貫~名神。
7:42「桂川PA」で「助六寿司389円」を朝食・昼食用に購入。
京都東IC下車し、湖西道路を走りヨットハーバー着。

大会本部に向かい、既に知ってるけど初日・土曜日のレース結果、今日の公告を確認します。
部員がストレッチしている艇庫前に行き、出艇前ブリーフィングをします。
8:30に出艇し、桟橋からは1回生部員達が選手一人ひとりにエールを送ります。
僕も横に立ってエールを送ります。
気持ちの良い学生スポーツです。

20180602SnipeP0629s.jpg SW三井寺の風で本日の第1レースがスタートしました。
20180602SnipeP0614s.jpg 軽~中風で3レース行い、規定の13時を回ったのでレース終了です。
20180602SnipeP0622s.jpg 3艇1チームで、当方は470で2チーム、S級で3チームエントリーしました。
4校で各クラス8チームがエントリーし、3・4位と3・4・6位でした。
早すぎるスタートで失格した艇が多く出て、全チームでトータル2~3回失格してしまいました。
優勝チームはそれがゼロで、改めて失格の総合得点に占めるインパクトの大きさを選手は感じたでしょう。

14時前にハーバーバック後、レース艇をある程度片付けた所でミーティングをしました。
気づいたことを話します。
加えて、コーチボートのトイレがトイレットペーパーの詰まりで使えなかったことを指摘しました。
女子部員も増え、トイレはレース備品でもあります。
ライバルD社の女の子が「トイレ貸してください」と来たのに使えませんでした。

コーチボートに乗ってきたのに、トイレ確認した部員が「すいません、詰まっていて使えないんです」を申し訳なさそう。
再びレース海面に戻っていきました。
彼女は辛いだろうし、他の女子の需要もあるからトイレの詰まりを見に行くと、トイレットペーパーが詰まってるだけみたい。
シュポシュポはないようなので、手を突っ込んでペーパーを引っ張り出し、水流ボタンを押すとちゃんと流れ難なく使えるようになりました。
船から上半身を乗り出し、琵琶湖で手を洗います。

ドライバーのマネさんに直ったことを伝え、練習してるD社470艇に近づき呼びます。
すぐやってきて用を済ませ、スタート前にレース海面に戻すことが出来ました。
良かった~。

「次のレースも頑張りな~」と声を掛けて送り出すと、クルーと2人で「ありがとうございました」、気持ちの良い応対です。
体育会の子達は、明るくさっぱりしていて大好きです。

彼女はライバル校の選手ですが、僕が作ったジュニアヨットクラブ出身で、次男の後輩です。
確かお父さんも高校ヨット部出身だったはず。
小学生でヨットを始め、大学生まで続けている。僕は子どもたちを教えている時、「ヨットを大好き
にさせ、大学卒業までヨット部で楽しめる子にする」を目標に接しました。
この子にはジュニア時代も直接関わっていないけど、嬉しいな。

ミーティングで、単純に手を突っ込んで詰まりを取り除いたら解消したことを話しました。
ペーパー使う時、水をもっと流すようアドバイスしました。

次週のA級ディンギー全日本に向け整備されているOBさんと話しました。
閉会式のエール合戦を見て、帰路に着きました。

湖西道路~名神。
16:35「桂川PA」で定番の「バニラソフト140円」で糖分補給し、帰宅しました。
町内会の掃除に参加した家内が、「竹をノコギリで伐り腰が痛い」と湿布を貼っていました。
「モヤモヤさま~ず」が次男の住む埼玉県だったので見て、「西郷どん」見てお休みしました。
不思議とお腹が空かず、ヨーグルトのみの夕食でした。

5/26・今井町カフェ

R169に出て北上し、今井町。
20180526ImaiS0134s.jpg JR桜井線畝傍駅・近鉄橿原線西畝傍駅近くにあるCafe・Hackberryに11時直前に着きました。
皆さんとの待ち合わせ時間ジャスト。
お店はオープン前で、11時開店と同時に入店し、「Today’s PASTA エビと旬野菜のトマトクリームパスタ980円」を頂きました。
20180526ImaiS0135s.jpg 流行りの古民家改装カフェで、落ち着いた時間を過ごしました。

20180526ImaiS0141s.jpg 12:23精算してから、皆さんと中世の環濠集落・今井町探索をします。
お店のPに入れていたので別の場所に移動し、嵩張るバイクジャケット・パンツはCさんの車に置いてもらいました。
今井町は、一向宗門徒が開いた道場「称念寺」の寺内町で、自治され莫大な富を集めました。

堺などに進出した今井宗久などが有名で、石山本願寺・堺衆とともに織田信長に対抗しました。
奈良には環濠集落がいくつか遺っており、いろいろ訪問しましたが、ここは規模が大きかった。
20180526ImaiS0151s.jpg 町並み保存資金が行政から出ているのだろうが、江戸時代の町並みがよく遺っていました。

20180526ImaiS0158s.jpg 通路に置かれた瓶に亀が飼われていました。
「ミシシッピーアカミミガメ(幼名:ミドリガメ)」
噛みつきそうで怖い亀に成長していました。
20180526ImaiS0162s.jpg お薬屋さんも郵便局も、町並みに溶け込むような外観をしています。
白土塀と灰色の甍が揃った路地は、タイムスリップしているようです。
20180526ImaiS0168s.jpg 豆腐屋さんの横に、豆腐の自販機がありました。
おあげ・こんにゃく・ところてん・わらびもちも自販機に入っていました。

「珈琲さとう」というお店があり、中を覗くと良い感じ。
20180526ImaiS0177s.jpg 20180526ImaiS0189s.jpg 「生流茶庭・ふる伊青」というカフェもありました。
「旧西町生活広場」を見学し、「珈琲さとう」さんに戻りおやつ時間。
僕は「ケーキセット」を頂きました。
あ~だこ~だ、いろんな話で盛り上がり、次の集まりの場所候補がいろいろ出ました。

20180526ImaiS0192s.jpg 「今井まちや館」に入り館内を見ていると、「称念寺」見学を勧められました。
修理解体中で、めったに見られない重要文化財建物構造が見れるのだとか。
20180526ImaiS0209s.jpg 「称念寺」に入ります。
20180526ImaiS0211s.jpg ヘルメットを被り内部見学出来るようになっていますが誰も入らなそう。
20180526ImaiS0216s.jpg めちゃ興味があるので、急いで巡ろうと名前を書いて入場。
20180526ImaiS0220s.jpg 激写しながら駆け足で解体修理(現在は組み上げ中)現場を巡りだすと、女性陣が数人巡りだして落ち着いて見ることが出来ました。

20180526ImaiS0226s.jpg 古材をそのまま使った梁や、新しくした柱など現場を見ながら、修理前の姿がパネル写真で展示されている。
20180526ImaiS0234s.jpg 鬼瓦・飾瓦などが降ろされたままで、間近に見れました。
20180526ImaiS0242s.jpg 今井町はこの寺を中心に発達した。
20180526ImaiS0255s.jpg 宝塚の小浜宿のようだな~と思いました。
小浜も一向宗門徒が城塞化した環濠集落で、見どころいっぱいです。

20180526ImaiS0262s.jpg 「旧米谷家」住宅に入ってみると、天井が竹で珍しい。
夏は涼しそうで、煙が簡単に天井から抜けていきそう。
20180526ImaiS0265s.jpg 4つも大きな釜が炊けるかまどがありました。
使用人が多かったようです。

20180526ImaiS0266s.jpg 「蔵前座敷」という珍しい造りの建物があり、白土塀の蔵にくっついた建物で、「ご隠居さんが住んでいた」との説明がありました。
蔵の見張り番兼用ですね。

20180526ImaiS0278s.jpg ツバメの巣があり、幼鳥が3羽賑やかにしていました。
親鳥がすばやく飛んできて、餌をやっていました。
カエル好き女子Kさんが、熱心に写真を撮っていました。

20180526ImaiS0286s.jpg 15:24「Cafe・Hackberry」まで戻り、解散になりました。
Cさんの車からバイクジャケット・パンツを出しお礼を言いさようなら。
R166~大和高田バイパス~南阪奈道~近畿道~中国道。
豊中ICで下車し、16:48「伊丹産業北村SS」で給油。
344km/13.64L=25.2km/L。


5/26・宇陀川沿い林道~室生古道~千本杉~又兵衛桜

所属している「カフェの会」の集まりの日です。
ランチ後、奈良県橿原市の環濠集落「今井町」を散策します。
他宗や戦国武将などと抗争していた本願寺門徒が周囲に堀を築き自治していた町で、歴史遺産として建物などがたくさん遺っているらしい。
奈良県の環濠集落はいくつか見学しましたが、今井町はダントツに大きいです。

11時に今井町のお店集合なので、それまで周辺を探索しようとツーリングマップルを手に取りました。
1週間前に四輪だったので断念した室生寺~仏隆寺の林道が気になり、そこを走ってみることにしました。

4:30に目覚め活動を開始。倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、5:22近所の「ローソン」で、「キリン小岩井ミルクコーヒー500ml・162円+田辺農園バナナ1本・108円=270円」を朝食用に購入しました。
R171~中央縦貫道~吹田から近畿道~南阪奈道~大和高田バイパスで橿原市今井町。
R165で桜井市~R166~r198で宇陀市。
~R370で榛原。
R369にチェンジし、宇陀川沿いの林道に入りました。
7:14気持ちの良い景色の中を走ります。

20180526ImaiS0009s.jpg 室生ダム湖岸道路になり、7:21「赤人橋」。
バイクを停め、橋の中央部まで歩き、朝食のバナナを食べました。
静寂に包まれ、湖面が鏡になっており気持ち良く食べることが出来ました。
20180526ImaiS0014s.jpg20180526ImaiS0019s.jpg 7:45、「室生ダム」。

室生川沿いを走り、r28に出ました。
並行して走るR165を走るより時間がかかるけど、川沿いの道の方が楽しいな。
室生川沿い・r28を走り「室生寺」横を通り、本日もメインディッシュ・仏隆寺に抜ける「室生古道」に入ります。

林道に入り坂を登って行くと、8:01「西光寺」。
20180526ImaiS0028s.jpg 小さな境内でしたが、「城之山桜(枝垂れ桜)樹齢400年」が緑の葉をたくさん下げていました。
ソメイヨシノは寿命が短いけど、山桜系は長いので老木の威厳があります。

20180526ImaiS0034s.jpg 『西光が天正8年開基。融通念仏宗。本堂は四間四面の入母屋造り。
屋根は茅葺きで、亜鉛並板で覆っている。現存する位牌などには、近亨元年・室町・元禄3年・安永・亨保の年号が刻されている。境内にある城之山枝垂桜は、樹齢400年。4月には薄紅色の美しい花が咲き競います』

融通念仏宗は、大阪平野区「大念仏寺」総本山の踊り念仏の宗派だったはず。
訪問したことがあります。
平野区が本拠地だった坂上田村麻呂の子が建立した寺院が前身です。

20180526ImaiS0041s.jpg 先に進むと、庄屋か豪族の末裔の家を想像させる白土塀の家があり、激写タイムしました。
20180526ImaiS0042s.jpg 獣避けゲートを開閉し先に進みます。
荒れた道を想像していましたが、時折コンクリート舗装になるものの「緑の中央線」にはならず、舗装も及第点でした。

8:22「室生古道」の峠。
標高670。
20180526ImaiS0048s.jpg 古道は舗装路から外れ、山の中に下っていました。
20180526ImaiS0050s.jpg 東屋があったが、眺望はありません。
20180526ImaiS0051s.jpg バイクを置いて「仏隆寺」側に歩いていくと、山並みが広がる眺望が広がっていました。

20180526ImaiS0058s.jpg バイクに戻り、仏隆寺側に下りだしてすぐ、また眺望が広がる場所に出たので激写タイム。
そこに、仏隆寺側からご夫婦が登って来られました。
絶景をおかずに休憩されるようで、ブルーシートを広げ始めました。
お話すると、仏隆寺までタクシーで来られ、歩いて室生寺に抜けるそうです。
そこからはバスで帰るそうで、ナイスなハイキングコースですね。
森の中の室生古道を歩いても良さそう。

8:37「仏隆寺」。
20180526ImaiS0066s.jpg 拝観料300円だったのでパスしました。
前回仏隆寺を訪問した時見つけられなかった「千本杉」を探しに行きましょう。
道標に気をつけながら探しましたが、道を行ったり来たり。
道標がきちんと設置されておらず迷いましたが、とうとう見つけました。

20180526ImaiS0084s.jpg インパクト抜群で、地上1mほどで多数の幹に枝分かれし、それぞれが天目指して伸び、妖怪のような曲がりくねった枝が無数に出ています。
20180526ImaiS0088s.jpg 「ここは屋久島か?」と屋久島千年杉を想像させます。
散々迷った甲斐がありました。

林道を下り、R369を渡ります。
県道や国道をナビは案内しますが、田舎道を走りましょう。
良い感じの田舎道に入ると、「文袮麻呂墓」と書かれた道標が目に入りました。
気になったので寄り道します。

20180526ImaiS0099s.jpg 9:30、枝尾根先に素敵な神社が見えてきました。
「五社神社」。
20180526ImaiS0101s.jpg 『祭神:天照皇大神・天太玉命・天手力男命・天児屋根命・品陀和気命 「天太玉命・手力男命、往古より祭りし所、伊勢国に座す天照皇大神、大和国添上郡春日に座す天児屋根命、豊前国宇佐郡に座す品陀和気命を、この里の氏神として崇め祭り来る」と明治24年「神社明細帳」に記載されている。創祀の時期は明らかではないが、文明6年(1474)の棟札が所蔵されている。
社殿:拝殿の北側に瑞玉垣を巡らした内に、本殿が南面している。東側に社務所、西側に太鼓庫を配する現在の社務所は、元観音堂で神仏集合の時代が伺われる。
古来より伊勢神宮に習い20年毎式年造営事業が氏子の寄進によって執り行われる。
天神祠:祭神菅原道真朝臣命、祓戸之神祠:瀬織津比売神・速開都比売神・気吹主神・速佐須良比売神。
御例祭(秋季大祭)11月3日神賑行事として太鼓台巡行、月次祭毎月中旬
祭神関連説明:天照皇大神を岩戸隠れから出すため、思兼神の策で良いのか太占を行った神が天太玉命と天児屋根命で、天照皇大神を岩戸から引きずり出した神が天手力男命。三神とも天孫降臨の際邇邇藝命に従って天下った神。品陀和気命は応神天皇の別名で八幡さまと呼ばれる』

その先は工事中で、「文祢麻呂墓」まで行けませんでした。
徒歩で向かおうかと思いましたが、地図を見ると1km弱ありそうで断念しました。

9:46「沢城跡」。
20180526ImaiS0117s.jpg 城址は900m北にある里山の山頂のようで、ここは「沢城の館・馬場跡」。
伊勢国司「北畠氏」配下の沢氏の城で、松永久秀によって追われた後、高山氏が入城し、右近が生まれた。
右近は摂津・高槻に移るまで居城にしていた。
高山右近の摂津高山城跡を探索した時、こちらから移ってきた事は知っていたが、ここだったんだ。
高山城跡近くに、母マリアのお墓なども遺っており、キリシタン大名の代表です。

r218に出て、R166にチェンジし、「道の駅・宇陀路大宇陀」前を通過し、枝道に入り10:18「又兵衛桜」。
20180526ImaiS0120s.jpg いつか見に来たかった後藤又兵衛の館跡の枝垂桜の巨樹。
桜の花の季節ではないけど、十分その迫力を感じることが出来ました。
「大坂夏の陣・道明寺の戦い」で討ち死にしたと言われている後藤又兵衛が、ここに隠れ住んだとも言われている。
20180526ImaiS0121s.jpg その屋敷跡の巨大枝垂桜。
又兵衛の子孫が代々ここを耕していたのだろうか?

R166に戻り南下し、道なりにR370になり、右折して林道に入っていきます。
宮奥ダム横を走り、大峠トンネル・八井内トンネルを出るとr37との交差点で、それを渡ってr155に乗ります。
この道は「談山神社」への道です。
飛鳥時代、中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足がクーデター(大化の改新)の密談をした
多武峰にある古代史で大変重要な地です。

談山神社横を通り、峠を越えて明日香側に下ります。
下った所にあるのが、天皇に代わり権勢を振るった蘇我氏再隆盛期を築いた蘇我馬子の墓と推定せれている「石舞台古墳」です。
その横を通り、右に「川原寺跡」左に「橘寺」を見ながら走ります。
橘寺は聖徳太子が生誕した地で、川原寺はかつて明日香4大寺の1つ。

橘寺の命名は、イエス・キリストと同じ時代を生きた11代・垂仁天皇が不老長寿の果実を探しに出した田道間守が大陸から持ち帰った橘に因んだもの。
往古の物語の舞台があちこちにある好きな地です。






6/18・父の日プレゼントと地震

次男のお嫁さんから荷物が届いたと家内が持ってきてくれました。
何かな?と開けたら、「父の日プレゼント」でした。
TOHO CINEMASのシネマカードでした。
家内と映画デートを良くするので、確実に使う・・・有り難い。

息子たちは「母の日プレゼント」をよく贈ってくれましたが、「父の日」に関しては「盆栽」とかギャグみたいなものをたまにもらう程度でした。
ところがお嫁さんたちは律儀に、母の日のおまけのような日にもかかわらずプレゼントしてくれます。
着るものが多く、日頃よく着させてもらっています。

数日前に届いた長男お嫁さんからのLINEで、りょうくん5才の幼稚園での「父の日」パーティーに長男が出向いてはしゃいでいる写真が載っており、「父の日」は日本だけじゃないんだと知りました。

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朝8時前、阪神淡路大震災を思い出させる激しい縦揺れの地震がありました。
家が壊れないよう願いながら身体を固め次の横揺れに備えましたが、横揺れ無しで終わりました。
「お父さん大丈夫?本落ちてない?」と階下から家内の声が飛んできます。
「本落ちて来なかった~」。
阪神淡路の時は、横揺れで本棚の本がガンガン落ちてきて、朝5時台だったこともありまだ布団の中だったので、布団を思いっきり被りました。

着替えながらNHKをつけると地震臨時ニュースが流れており、屋外から地震に関する拡声器の声が流れてきました。
自衛隊からのアナウンスと思っていたら、近所の公園にある公民館からのアナウンスのようでした。
日頃は無人なので、市役所からのアナウンスを流しているのでしょう。
阪神淡路の時はこんなのなかったから、その後整備されたと思われます。
即座に対応でき良いなと思いました。

職場などを見に行き、帰宅後朝食にしました。
自衛隊基地前を通りましたが、東日本や熊本の時のように災害派遣車両がどんどん出ていく気配がないので、自衛隊に救援要請が出るほどの被害は無いのでしょう。
阪神淡路の時は、真っ暗な中バイクで職場を見に行った時駅前を通ったら、自衛隊車両が既にいました。
眼の前の阪急伊丹駅の駅舎が崩れており驚きました。

あの時も北摂を震源に、群発地震が起こっており、その後あの大震災でしたが、今回も数ヶ月前から弱い地震を感じていました。
また大地震が来なければいいがなと思っていたら来ちゃいました。
震源が大阪北部ということで、てっきり北摂の能勢町だと思っていたら、高槻・茨木・枚方という京都と大阪を結ぶ淀川界隈の大動脈の近くでした。
新幹線・JR・阪急・京阪・名神高速が狭い地域にひしめき合い走っている地下10kmです。

NHK見ながら着替えている時、長男から「大きな地震があったようだけど大丈夫?」とのLINEが入りました。
アメリカにいるのにどうして知ったのか不思議です。
日本本社からの緊急連絡網で流れたんじゃないかと想像しました。

仕事場には、取引先や親戚から心配した電話が入りました。
前日の日曜日に、大学ヨット部時代のライバル校の同期のレストラン30周年記念パーティーに伺ったばかりなこともあり、彼の大阪堂島のお店の様子を聞きました。
水道管が破裂しビル内が水浸しで、ガスも止まっているとのこと。
本日は営業中止だそうです。

昼になると、自衛隊車両・特にトラックが多く出ていくように感じました。
TVでは自衛隊員が活躍している様子が映っていないので、予定通りの行動なのかもしれません。
国際情勢が怪しくなるとヘリの飛来が増えたりするので、世の中の流れ・政府の動きを敏感に感じ取れます。

我が家の被害はほぼゼロでしたが、余震を何度か感じ、なんとなくざわついた日になりました。
仕事終わり時間が近づく頃、家内から「高槻にお水を手配する・・・」なんて連絡がありました。
家内の姉の長男が高槻に住んでいるのですが、ミネラルウォーターの在庫が2L×3本だそうです。
1才のちびがいるので不安だから、こちらで手配できるか姉から電話が入ったそうです。

詳しく聞くと、本人たちは「コンビニに水がなくなった」とのんびりしているので、「あの子はのんびり屋だから~」と姉が「どうしよう、どうしよう」と慌てているようです。
「水道の水でいいでしょ。阪神の時だって水道は止まっている間、自衛隊の給水車来たから大丈夫なのに・・・。日本の水道の水飲んだらあかん赤ん坊なんていないよ」なんて言ったけど、「だって~、心配性だから~。コンビニで水がなくなっているようだからネットで注文して2日後に入るから持って行ったけると答えたの」と言う。
「ネット注文するなら、直接高槻から注文したらいいじゃん。コンビニだって、明日には入荷するよ。絶海の孤島じゃなく、高槻駅近くじゃない。じゃあ、今から持っていくわ、そうあ姉さんに言っとき」と言い通勤リード110に乗ってスーパーに水を買いに行きました。

2L×6×2を買い、足元に乗せて帰宅します。
家内はそれを見て「お水あったの?」「うん、山積みされていたよ。じゃあ行ってくるわ、お姉さん安心するでしょ」。

20時頃家を出発し、R171~中央縦貫で名神吹田ICまで走り、r14に乗りR171に出て高槻を目指します。
日頃のこの時間帯の渋滞状況はわからないけど、大渋滞していました。
スクーターの小回りを活かし、渋滞無しで駆け抜けます。

JR高槻駅前まで来て、それらしきビルを探すといくつもあります。
新築マンションの37階に住んでいるので、それ以上ある建物なんて1つだけだろうと高をくくっていました。
僕の携帯電話に甥っ子のナンバーを登録していないので姉に電話しました。
「・・ちゃん(僕)ごめんね」「いえいえ、バイクなので渋滞もなくすぐですから」。
50分でした。
甥っ子に電話して待ち合わせ、無事水を渡すことが出来ました。

「よっちゃんおじちゃんすいません」「ひろくんとこ、どのマンション?」、と甥っ子の住むマンションまでバイクを押して行きました。
「珈琲でも飲んでいってください」と誘われましたが、「いいよ、あかねちゃんも大変だし、けんとくんに手をかけてよ」って、帰路に着きました。
高槻駅前に真四角な同じ形のまるでオフィスビルのような巨大マンションが3棟建っています。
1つで何人住んでるんだ?と思うほどです。
電気止まりエレベーターが使えなくなったら大変そう。
自家発電装置を地下に持ってるのでしょうね。

甥っ子は、電車が全て止まっていたので、大阪からタクシーで帰ってきたそうです。
さっきJRが復旧したから、明日は大丈夫そうとのことでした。
そういえば、群馬県に住む本家の跡取りしてる従兄弟も、東日本大震災の時、東京から群馬までタクシーで帰ったと言ってました。
JR高槻周辺は特に地震の被害が目につかなかったけど、駅の南の方(淀川に近い方)に被害が多かったようです。

同じルートを帰ってきました。
帰宅は22:20、いつもなら寝ている時間帯なのに、家内は起きていました。
「ご苦労さま」と、お風呂のスイッチを入れてくれました。
夕食を食べ、風呂に入り夢の中の人になりました。
翌火曜日の朝まで、何度か余震がありました。
阪神淡路の時もしばらく続いたから、続くかもね。

5/20・大和4ヶ寺巡礼2&映画

中村屋に入り、昼食にします。
家内は「素麺定食温700円」、僕は「素麺定食冷700円」+「アマゴ甘露煮500円」=1950円。
とても美味しかった。
家内と半分こした甘露煮は4日間炊いたそうで、頭から尻尾まで全部食べられた。

外に出ると、あじさいが咲き始めていた。
室生川を渡り、12:42山門をくぐり拝観料600円×2を払って入ります。
受付の方が家内の白装束を見て、「御朱印は仁王門前ですから」と教えてくれた。
「御朱印もらったら帰ろか」と言ったら、「え~」って家内。
僕の冗談を温かく返してくれる家内は最高です。
笑いを取るわけでは無いけど、一緒にいて飽きないし、とても楽しい。
僕には最高の伴侶だなあ。

20180520YamatoS0062s.jpg 御朱印をもらい山門をくぐると、虚無僧装束の方が内側で尺八を吹いていた。
家内は「テープだと思ってた~」。
案内板を見ると、御朱印は数ヶ所でやってるようで13もあるようです。
だから、家内の装束の御朱印場所を教えてくれたんですね。

前回ボロボロだった弥勒堂は修理に入っていました。
29年/8月~31/3まで。
「国宝・金堂」前のベンチで家内は待つそうです。
そうそう、長谷寺から家内と帽子を交換しました。
菅笠が家内の髪飾りに引っかかるようで、僕のハットを被ってもらいました。
僕は菅笠です。

20180520YamatoS0083s.jpg 金堂~国宝・潅頂堂~国宝・五重塔と見て回りました。
20180520YamatoS0086s.jpg 相変わらず女人高野らしく少し小ぶりの五重塔は、日本一美しい。
鎮守の森に囲まれ、陽光の具合も良いです。

北畠親房の墓に参った。
後醍醐天皇を支え、常に南朝方の中心人物として北朝に抗したが、「通った後にはぺんぺん草しか生えない」と言われるほど勇猛な奥州軍団を率い北朝方・足利尊氏さえ西国に追い払った息子・顕家が討ち死にして以降も気持ちが途切れなかったのは何故か。
武将というより公家政治家としての強さを思う。
本当の墓は、吉野さえ圧迫され更に奥の西吉野に逃れ営んだ行宮「賀名生」の墓だろうが、守護の地・伊勢との間にある室生寺にも墓がある。

20180520YamatoS0089s.jpg 家内が待つベンチに戻ろうと、写真撮りながら見ると、ベンチのお隣さんと話をしている。
「きっと声を掛けられ相対しているのだろう」と思ったが、話が途切れるまで激写タイムにする。
何度目かに確認した時、家内がこっちに歩いてきていた。
「僕にヘルプなんだろう」とわかった。
20180520YamatoS0100s.jpg 聞くと「最初別の方と話していたけど、その方が去ってから私に来たの。なかなか話が終わらず、主人が帰ってきたのでと言って逃げてきたわ」って笑ってる。
家内が持ってた御朱印白装束から話が広がったんだって。
次に行く「岡寺は大変だ。私は足が悪いので上の駐車場まで上げてもらった」とのことで、石段が延々続いているのだろうかと覚悟した。

車に戻り、林道を通って「仏隆寺」に出るつもりだったが、いきなり細道でバイクならルンルンなんだけど、家内を乗せた四輪なのでパスすることにした。
ショートカットなんだけどな。

r28~R165で桜井まで戻り、r15を南下し明日香入り。
14:26、石舞台までもう少しの所にある「岡寺P」500円。
家内がP前の売店でソフトクリームを見つけた。
「食べようか」と言うと、「お好みで」と言われた室生寺中村旅館の素麺に付いてた「柚子唐辛子」を全部入れたからのどが渇いたんだって。
拝観後で良いそうです。

20180520YamatoS0108s.jpg さっきのおばさんからの予備知識で、いきなり急な眼の前の階段を見て先が思いやられる。
が、しかしすぐにそれが終わり、右手に「治田神社」左手に山門があった。
拝観料400円×2。

『東光山真珠院龍蓋寺は俗に岡寺と呼ばれる。天智天皇の御代、義淵僧正によって創健されたと伝え、西国観音霊場33ヶ所の第7番の札所として広く信仰されている。本尊如意輪観音像は我が国の塑像中最も大きく、胎内仏と言われる金銅半跏像は白鳳様式を示し、楼門 ・ 書院等と共に重要文化財に指定されている。旧寺跡は隣接する治田神社境内と推定され、附近より美しい葡萄唐草紋軒平瓦など白鳳時代の瓦が出土している』

20180520YamatoS0127s.jpg 境内にはダリアがアチコチに咲いています。
20180520YamatoS0128s.jpg 鐘楼があったので、家内が撞きに行きました。
ゴーン、美しい響きです。
20180520YamatoS0129s.jpg 浮かんだ数輪のダリアの花で水面が見えないタライがアチコチに置かれ、これもなかなか綺麗。

健脚のご利益があるようで、楕円形の下駄を模した絵馬に足型が描かれ「健脚」と書かれている。
木の枝にたくさん実のような球絵馬が下がっている。
「龍玉願い珠」という龍にちなんだ授与品で、龍が持つ願いを叶える珠「如意宝珠」に因み、紙に書いた願い事をたまの中に納め蓋をし、吊り下げて奉納するそうです。
面白いな。
花は終わってるけど、葉の形から石楠花とわかる木がたくさん植えられていた。

20180520YamatoS0123s.jpg 少し高台にある三重塔を見に行ったが、割合新しいようです。
20180520YamatoS0149s.jpg 明日香盆地が眼下に見えています。
14:58帰路に着きます。
r206~大和高田バイパス~南阪奈道~近畿道~名神。
豊中ICで下車し、自宅に向かってR171を走っていて、「映画に行けるかも?」って思い家内に提案しました。

「いいよ~」と返事をもらい、自宅で通勤リード110に乗り換え映画館に急ぎました。
17:10だと思っていたら、17:30上映開始で時間が余り、17:07「ミスタードーナツ・イオンモール伊丹店」で、「ストロベリーリング129円+チョコファッション×2=258円+ココナツチョコレート129円+紅茶のマンナンスティック黒糖シュガー140円+映画チケットでKidsバレンシアオレンジ100%ジュースをプレゼントされました。

17:30「ラブ×ドック」を見ました。
好きな女優さん吉田羊さん主演のラブコメディーを楽しみました。
家内は来週から始まる「恋は雨上がりのように」を観に行きたいそうです。
家内は大泉洋さんがお気に入りです。
夕食はドーナツになったので、帰宅して風呂に入り、久しぶりに「大河ドラマ・西郷どん」を見て1日が終わりました。

5/20・大和4ヶ寺巡礼1

家内とデートです。
先月、安倍文殊院に参った時頂いた「大和4ヶ寺巡礼」装束を御朱印で埋めましょう。
四輪を出し、7:56「セルフ北村SS」で給油。
R171~中央縦貫~近畿道~南阪奈道~大和高田バイパス~R165を経て、r15に右折します。

9:04「安倍文殊院」。
9時から拝観開始でジャストタイミングでした。
P500円。

9:15「西古墳」に入ります。
20180520YamatoS0001s.jpg 家内に江戸時代の石垣以上にピッタリと、現代の風呂のタイル張りみたいに巨石を直線で切り、ピッタリと組まれた石組みの見事さを見せたくて。
2度目ですが、これほど見事な古墳は他にはないでしょう。
古墳時代から現代まで1600年ほどの間に何度地震があったでしょう。
それにもかかわらず一寸の狂いも生じていないのにビックリです。
まあ、こんなとこに感動してる人は少ないだろうから、家内も「ふ~ん」と聞いてる風してたのかも・・・でも他人の歴史好き講釈なんてうんざりな人がほとんどなので、僕の他愛のないお喋りを嫌な顔もせず聞いてくれるだけで有り難い。

「ここで、それ頂いたんだ」と本堂脇の社務所を教えます。
僕は黒の編み目ハットで、家内は四国八十八ヶ所巡り最初の5ヶ寺2人で自転車で回った時買った菅笠です。
それにここで頂いた白装束を羽織っています。
家内は158cmと平均的な身長ですが華奢なので大きく見えます。

本堂だけの拝観料700円×2払います。
20180520YamatoS0008s.jpg 20分毎に本堂の説明があり、次の9:40まで時間があるので向かいの客殿でお茶をよばれます。
抹茶と落雁を頂きました。
お客様用部屋の隣に大きな茶会が開ける部屋があり、「これ茶室ね」とお茶の免許を持ってる家内が楽しそうに見ています。

20180520YamatoS0017s.jpg 40分少し前に本堂に入り、国宝「渡海文殊と4人の脇侍さん」をじっくり見ます。
珍しい獅子に乗った文殊さんなので家内も喜んでいます。
説明を受け、他の寺宝を見ます。

浮御堂前に、90代内閣総理大臣「安倍晋三」と彫られた石灯籠がありました。
総理は、安倍晴明の流れを汲んでいるのでしょう。

この寺院の名物なのか「ぼけ酒」押しされています。
「ぼけ封じ」だと思っていたら、薬膳酒として木瓜の実で作られたお酒だそうです。
境内の植え込み栽培の「木瓜の実」から醸造しているそうです。
木瓜ってどんな植物かな?と思ってたら、目の前の植え込みが木瓜でした。
赤い木瓜の花が咲いていました。

『別名春を告げる花の意で「放春花」と呼ぶ。当山の「大和ぼけ封じ霊場」の由緒に因み、木瓜が植え込まれている。原産地は中国で、品種改良により今では200種に及び、3~5月色とりどりの花を咲かせる。10月頃に「木瓜の実」が成り、それを使って醸造される「ぼけ酒」は、1300年の昔、唐の楊貴妃が食前酒として飲み、美貌と健康を保ったと伝わる薬膳酒で、古来より「高級薬膳酒」として愛飲されている』

9:57車に戻り、r15~R165で「長谷寺」。
「いせ辻駐車場10:21~11:26・500円」。
去年のお盆に次男一家と来たばかりです。
御朱印の目的だけで再訪です。
拝観料500円×2で山門をくぐります。
帰りに気づいたのですが、山門前に拝観料をお支払いする場所があり、その手前を左手に上がって行っても本堂まで上がれます。
20180520YamatoS0023s.jpg そちらの道にある拝観料収め所がクローズされていたので、無料で拝観できます。
そのことを指摘したら、「そんなことしたらバチが当たるよ」と家内に咎められました。

山門には「大観音大画軸大開帳・日本最大16m46cm6mm・3/1~5/31」の案内が下がっていました。
拝観料払う時にも+500円で勧められたけど、どうせ写真写せないし・・・とパスしました。
1人だったら観るでしょう。

山門をくぐり、見どころの1つである長い回廊階段を登ります。
周囲の新緑が綺麗です。
この時期の若い緑が好き。
「蔵王権現三尊像」がある回廊の踊り場で人が溜まっているなと見ると、若いお坊さんが団体観光さんを案内しておられました。
家内と2人の時は、団体バス観光もいいかも・・・。

本堂横の寺務所まで来ました。
20180520YamatoS0033s.jpg お盆でも御朱印に並ばなかったのに、行列が10人ほど出来ていました。
3つある御朱印受付の1つが、団体さんの御朱印帳に掛かりっきりになっており、2つで回しているからのようです。
団体さんは「JTB」の名札を胸にしたスタッフさんが2人で大量の御朱印帳を受け取り乾かしています。
JTBだったら日曜日に何台も長谷寺ツアーをしそうで、御朱印担当専用スタッフが詰めているのかも知れません。

家内の白装束に御朱印してもらいました。
ただ元々寺名などは印刷されているので、朱印を3つスタンプするだけでした。
「スタンプ3つで300円はボロいバイトだな~、僕もやりたいわ」と言うと、「そういう問題じゃないでしょ」という目で家内に見られてしまいました。

本堂脇の入口に、「御本尊大観音特別拝観」となっていました。
1000円だって。
大きな観音様を真横から観れるのかな?
「画軸」の拝観もここからでしょう。

本堂内に入り、本尊の大観音様の大きさに、家内は「大っきい~」とまた驚いていた。
家内は3度目の訪問だと思うが、毎回驚いているように思う。
ちょうど法要が始まりました。
本尊脇の別室前に若いお坊さんが控え、時間になったのか「お願いします」と扉を開き、数人のベテランお坊さんが出てこられました。
若いお坊さんが鐘を鳴らしながら先導し主座に導きます。
ベテランさんの先頭は法主さんかな?と思ったけど、黒髪だったのでまだ40代でしょう。

本堂を下り、11:14山門脇へ。
この道にある拝観料支払い所がクローズだったので、冒頭に書いた無料拝観アイデアが浮かびました。
Pに戻り、R165を東進し、「室生寺」に行くためにr28との交差点で信号待ちしていると、「大野寺」の案内板を見つけました。
「磨崖仏があったはず」と思い出し、r28を室生寺と反対方向に少し走り11:51「大野寺」無料P。

20180520YamatoS0046s.jpg 大野寺の宇陀川を挟んだ対岸に巨大磨崖仏がありました。
大きな一枚岩に仏様が刻まれているのですが、「足の部分はまだしも、あんな高い所にある頭部分はどうやって刻むのだろう?下は河原で足場が悪そうだし」と言うと、「岩の上から綱で下がるんじゃないの?」と家内から。
なる程、その方が安全で簡単だね。

「弥勒大石仏別当・大野寺」と大野寺山門に書かれていたので、磨崖仏は「弥勒大石仏」が正式名かもしれない。

道の先は、宇陀川と岩盤に挟まれた細道になっており、そちらにも磨崖仏がありそうで行ってみることにした。
Uターンできない道にツッコミゆっくり進むとありました。
20180520YamatoS0049s.jpg 「大黒天磨崖仏」と言うそうです。
Uターンできる所まで進もうと先に進むとR165に出ちゃいました。

また先程の交差点に戻り、r28に入ります。
室生川に沿うワインディングは交通量が少なく、良い季節なのに相変わらず室生寺は空いていそう。
門前街に入り、P代をケチろうと、12:16「中村屋旅館」のPに入れます。
女将に告げられたPは細い道で、バイクならどうってこと無いけど四輪では「ほんとにここに入って行くの?」って道でした。

5/19・体育会ヨット部に対する僕の立ち位置を言葉にして部員へ

日大がのらりくらりやってたら、KGや被害者が刑事告訴するよ。
我が子を痛めつけられて黙ってる父親なんていないでしょう。
そんな親の姿を見て子は育ちます。
警察や司法が入らないと自浄できないほど、日大は情けない学校なのかな?

1回生向けに、ルールブックの「公正な帆走」「ルール69」を20部コピーしました。
僕が高校生で入部した時から艇庫壁に貼ってあり、時々全員で唱和したフェアプレイを謳った「KGヨット部部訓」と、皇太子殿下が自らの誕生日の時、病気で苦しむ皇太子殿下を気遣って紹介した詩「ドロシー・ロー・ノルト/子は親の鏡」も20部コピーしました。

相手へのリスペクトのなさが今回の事件の根底にあると思うので、「誰にだって親がいる」ことを再認識してもらおうと、次男が僕の作ったジュニアヨットクラブに入部してきた小3から大学卒業までの軌跡を、親目線で書いたジュニアヨットクラブにアップしてる駄文をコピーしました。
これは、興味のある者が読めばいいかと。
69条違反事例として僕の作ったジュニアクラブが被害者になった事件をコピーしました。
こちらも興味がある者が読めば良い。

6時に倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、リアボックスに資料を詰め込んで出発。
6:51「エッソセルフ北村SS」で給油。
246km/10.3L=23.9km/L。

R171~中央縦貫~名神で、桂PAで休憩しました。
トイレから戻ってくると、BMWの3ボックス旅バイクがいました。
ライダーさんがツーリングマップルを見ています。
テントも積んでありキャンプに行くようです。
リアボックスには北海道やいろんな所のステッカーが貼ってあり、あれやこれや話しました。

「では気をつけて」でお別れし、京都東ICで下車し湖西道路を使って皇子山ランプ下車。
7:58「セブンイレブン大津松山町店」で、「ボスとろけるカフェオレ500ml・161円」を購入し、ヨットハーバーへ。

みんなと挨拶し、キャプテンに「日大アメリカン事件で少し話したい」と伝えておきました。
9時に出艇。
AMの練習は最初三井寺の風4~5m/sでしたが、風速が落ちないまま北風にシフトし、8m/sの良い風に恵まれました。
気づいたことをコーチボートからマイクでアドバイスします。
女子マネさんがノートにしており、僕の言った意味がわからない時は聞きに来るので、音節を切って書いやすいように話します。
夜のクラス別ミーティングの材料になります。

12時にハーバーバックし、合宿所に戻って昼食。
この前の浜から1人乗りに乗って練習している1回生も加わります。
またバーバーに戻り、13:15出艇。

注意点をブリーフィングで話します。
午後の練習は、コース練習です。
来週4大学戦なので、レース型式練習です。
キャプテンに聞くと、両クラス3艇ずつA・B・C3チーム出して、公式戦といえど下級生にもレース経験を積ませるようです。
いいね!
全員で36名もレースに出ます。
1回生の高校ヨット部経験者を含め全員出場ですね。

15:50、コーチボートのみハーバーバックします。
学校の広報誌の取材があり、カメラマンを乗せに帰りました。
ハーバーがわからないようで迷っているらしく10分後に出艇。
監督も乗っているので、主に僕がカメラマンに「良いアングル」をアドバイスし、ヨットに接近するのでドライブをマネさんから監督に交代して、よりエキサイティングな写真が撮れるよう誘導します。

6~8m/sベースで、時折10m/sブローが入るので、ヨットがかっ飛んでいます。
僕が見てもカッコいいなと思います。
愛媛出身のMさんという1回生マネさんが乗っており、上回生マネさんがレース仕事を教えていました。
ヨットが良い風を受け高速で湖面を疾走するので、追いかけるコーチボートの方も波をボンボン飛んでかっとびます。
船酔いが心配でしたが、平気なようで頼もしい。

17時にハーバーバックし、キャプテンはインタビューを受けていました。
僕は気になった選手にアドバイスし、トラブル艇を手伝います。
「・・君、カメラ目線だったよね」とか「意識してたやろ」と軽口を叩きます。
選手たちも強風を楽しんだようで皆笑顔で、「そりゃ意識しますよ」「ボツ写真でもいいから、写真データもらいたいな~」と、すげー高そうなカメラで写してもらった写真が欲しそうです。
僕もカメラ持ってくれば良かった、この日に限って忘れちゃった~。
いつものようにデータをあげられるのに。

合宿所に戻り、1回生の様子を見ます。
みんな楽しかったようで、ひっくり返りもしただろうけど、笑顔です。
女子選手を中心に、今日学んだことをノートしていました。
女子がいると、男の子も真面目にノートするね。

18:10から全体ミーティングです。
トラブルなどあったので、監督コーチの話まで時間を使っちゃいました。
息子と同期だったI監督が話しました。
学校職員なので、卒業・入学シーズンは大忙しで、やっと時間が出来たそうです。
1回生とはほぼ初めてなのでいろいろ。

続いて僕で、本日の練習のことを話す時間がなくカットし、用意して来た資料をもとにフェアプレイとリスペクトについて話します。
ドロシー・ロー・ノルトの詩を読み上げた時は、皆真剣に聞いてくれていました。
笑いを誘うとことでは皆笑ってくれて、暗い話題でも明るく良い話ができたように思います。
漫才師のように笑わせながら話せると、心の奥に届くから。

僕の話が終わり、待ちに待った夕食です。
「いただきます」と同時にお代わりに皆走ります。
和気あいあいとした良いクラブです。
これを続けられたら強くなるよね。

19:20から全員で掃除なので、10分ほど前に帰路に着きます。
大部屋の床に座りリラックスしてる部員の間を「帰るわ」「また来週」、マネさんには「夕食おいしかったわ、ごちそうさま」と肩を叩きながら、ふいに脚で挟んでスキンシップしながら通り抜けます。
みんな「ありがとうございました」って大きな声で応えてくれ、清々しい若者たちです。

湖西道路~名神~中央縦貫~R171で帰宅。21時を回っていましたが、家内がまだ起きていました。
「おかえり~」「まだ起きてたの」「うん、ロイヤルウェディング見てたの」。
「どれどれ~」と言いながらちょっとハードなスキンシップで得意の・・を。
「もう、触らないでよ~」なんて笑ってる。
我が家も気持ちの良い笑い声があります。
風呂入って、ヨーグルト持って自室に上りオヤスミ~。

5/19・日大アメリカン

コーチしてる大学ヨット部のコーチングの日です。
今回は、日大アメリカンフットボール部ディフェンス・ライン選手が、KGファイターズQBに対して行った後方からのレイトタックル事件があったので、資料をいろいろ用意しました。

僕は体育会ヨット部出身で、スポーツ好き大学スポーツ好きなので、アメリカンという別競技だけれど、親も含め学生の体育会への嫌悪感・恐怖感を誘発するのではないかと心配しています。
当方クラブは、お陰様で「楽しそうだね」と他クラブから言われるほど和気あいあいとしているので、そんな懸念はありませんが、コーチを拝命している以上、他山の石とせずタイムリーに学生に話しておかねばなりません。
僕だって聞くも話すのも嫌だけど、我慢してもらいましょう。
ちょうど新1回生が入部したばかりなので、良い機会です。

僕はあのビデオを見て、「これは酷い」と思いました。
僕は中学部からKGで、校技であるアメリカンフットボールを、中高の授業でやっていました。
もちろん素人なのでタックルはナシで、背中にタッチすればボールデッドになる「タッチフットボール」でしたが、その他のルールは同じです。
このボールゲームはとても面白く、4回の攻撃以内で10ヤード進めば、10ヤード進んだ時点からまた4回の攻撃権が与えられます。
ラグビー同様後ろの選手にパスするのは何回してもOKですが、前パスは1回だけです。
1回の攻撃ごとに作戦会議して、「ロングパスするからA君真っすぐ全速で走って3秒で振り向いて」とか「後ろのランニングバックに中央突破させるから、ライン中央の2人はディフェンスラインを左右に開いて走路を開けて」なんて決めます。

ディフェンス側も「左右からQBに突っ込むよ」とか「ロングパスだろうから、後ろを警戒し後ろ警戒の人数を増やすよ」なんて、ディフェンス的攻撃をします。
ディフェンスの予想が当たれば、オフェンスはゲインどころはマイナスヤードになってしまい攻撃権がこちらに移ります。
オフェンスの作戦がディフェンスを欺けば、まんまと独走タッチダウンだって出来ます。
僕は体育の授業でアメリカンになることを最も望んでいました。

走るのが早いけどヒョロヒョロ体重の僕は、タイトエンドが定位置で、いろんな所に走ってQBからのパスを受けたり、RBのオープン攻撃レーンを確保するためにディフェンス選手をブロックしていました。
ある程度レールが判っている僕が見ても、あまりにひどい反則で、一発退場になっても仕方ないし、打ちどころが悪ければ大怪我に繋がるラフプレーです。

大学時代オフシーズンの冬バイトしてた毎日新聞で、一緒にバイトしていた1学年下のS君がQBをしており、中高とアメリカンで高校生の時全国制覇してる子でした。
僕が4回生になった時、3回生S君が僕らの同期QBよりうまく、スターターQBに抜擢されました。
期待していましたが、春のシーズンで後方から背中へのハードタックルで半身不随になってしまいました。
それ以来車椅子生活になりましたが、クラブは辞めずOBになってもコーチとしてクラブに貢献していました。
S君のケースは、レイトヒットではなく、ルール的に反則でないタックルでしたが、同時に前後からタックルを食らったと記憶しています。
防具をつけて、全速力で突っ込んでくるタックルなので、分かっていても命に関わります。

今回の日大選手のタックルは、ボールデッド後のQBがパスミスで気を抜いて天を仰いでいる時に、腰ではなく脚を巻くようにハードヒットしました。
加えてタックルで両足を捕まえ身動きを封じた後一回転しており、脚を強く巻いていたら足を捻って靭帯損傷する大怪我になる悪質な反則行為です。
同世代日本代表に選ばれるほど能力の高いディフェンス選手だからこそ出来た反則技です。
ビデオを見ると、両足の自由を失ったと同時に、KGQBは咄嗟に片足をそこから引き抜いたので、大事には至りませんでした。

もし脊椎にヘルメットからホードヒットしていたら、半身不随以上間違いなしの殺人タックルでした。
アメリカンの選手なら、誰だってわかります。
日大は昨年度全国制覇したチームなので、みんな判っていたはずです。

僕も大学生体育会クラブの指導をしているのでわかりますが、よっぽど対象選手に個人的恨みがないと、こんなの選手が独断でするはずありません。
KG選手はライン外の選手でさえ数人、咄嗟に指さして抗議してるのに、反則を繰り返すのを見ている日大選手が無反応だったのを見ても、監督・コーチ指導者からの指示が明白です。
今の大学生は、自ら判断しこんな悪いことをする選手はいません。
僕らの頃よりずっと優しく紳士の子が多いです。

なのに責任者である監督が、謝りにも行かず、世間の抗議の盛り上がりを受けてコーチと当該選手だけで謝りに行かせ雲隠れなんて、教育者としてありえません。
この監督、日大の理事とのことで、教育機関で働く資格なんてないです。
学校は生きる力を教える場所で、不正・暴力などに手を染めないよう指導管理し、その利のなさを教える場所でもあります。
それが学校経営陣から、不正・暴力してどうするの。

反則を犯した自らの指導する当該選手に罪をなすりつけ知らぬ顔なんてありえません。
自らの命令で当該選手が反則をしたと認め、当該選手の罪を軽減してあげなければ、自死しちゃうよ。
定年近くまで働いたのだから、監督・学校経営陣からも退くのが妥当です。

日大フェニックスの長年の活躍が、日大ブランドを高めました。
スポーツセレクションで優秀な選手のリクルート出来、学校の知名度を上げ受験生を増やし経営に大きくプラスしたと思います。
今回の件で、早期対応しなかったことで、フェニックスのブランドは地に落ちました。

監督が早く謝り、自らの指示を認め当該選手の将来を少しでも守る姿勢を示すことが傷口が少しでも広がりません。
当該選手は同世代ナショナルチームに選ばれるほど優秀だったので、大学卒業後も実業団に引っ張りだこになるだろうし、それなりの一流企業に就職できたでしょう。
それが一瞬で水泡に帰しました。
退部は当然ですし、針のむしろの大学に居座ることもかなりの試練です。
中退するかもしれないなと思います。
最悪は自死です。
親御さんは、我が子が心配でならなでしょう。
お母さんは目を離すと危険と思っているに違いありません。
きっと寄り添っていると思うし、事件のほとぼりが冷めても手元に置いておきたいと思うのが正常な親心です。

今回の事件の落ち着き先としては、監督辞任ではなく解任、当該部員は退部、クラブは1年間対外試合禁止というところでしょうか。
多くの部員が退部するでしょうし、来年度からのリクルートも苦戦するでしょうが、これが最も早く復活するルートに思われます。

関東学連や全国学連の処分が出る前に、日大として自らを処分し謹慎姿勢を見せないと事態は収まらないように思います。
関東リーグの他大学から見れば、日大と試合なんてしたくありません。
オープン戦である春を謹慎しても、本番である秋のリーグ戦に日大フェニックスが出場してきたら、「あれは何だったんだ、ノーペナルティーかよ」という気持ちになります。

ヨットの世界なら「公正な帆走」違反として、「フェアプレイ違反」という競技ルールの一段高いルール違反69条違反で提訴でき、永久追放だってあり得ます。
各国協会がその裁定を下せば、国際協会に報告する義務があり、国際協会は全世界にそれを公表する義務を負います。
故に何処の国に行ってもプレイできません。
アメリカンのルールは知りませんが、アメリカで出来たスポーツなのでこんなルールだってあるんじゃないかと思います。

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追伸・・・本日6/15
関東学連は、スピーディーに処分を決定しました。
ですが、ペナルティーの最大で「1年間対外試合停止」で、体制改善など見られ学連が認めればその時点でペナルティーが解除されるとのこと。
僕から見れば、「甘・甘です」。
TVコメンテイターの多くの意見は、「日大の学生には責任がないので、1年間棒に振らせるのはかわいそう」「当該選手にはアメリカンに復帰して欲しい」という大甘が大半でした。

この案件は、過失ではなく故意です。
ルール違反と知りながら、殺人に至る行為をしてしまった当該選手は、本人が記者会見したようにアメリカンフットボールの世界から去るべきです。それがけじめ。
追い詰められている仲間を、「ほんまにやるかな~」と見ていたチームメイトは、本来「やめろ」と阻止すべきで、監督コーチに文句を言うべきです。
「弱い者いじめ」が大嫌いな僕なら、監督だろうとコーチだろうと文句を言います。
小学生の時、何度いじめっ子と喧嘩したかわかりません。
中学でも高校でも先生に食って掛かり、親は学校に呼び出されたりしましたが改善させました。
高校クラブで下級生を叩いたキャプテンと、ミーティングで口論バトルし、それ以来キャプテンは僕をまともに見れずコソコソしていました。

160名も部員がいるのに、弱い者いじめする監督に文句を言えないなんて、大学生にもなって情けないです。
「報復が・・・」なんてTVコメンテイターが喋っていましたが、「いじめっ子は臆病者で、自分より強い者に対し強く出れません」。
普通に考えれば、どちらが悪かすぐに判断できます。
僕は何度も自分より強いいじめっ子と対決しましたが、一度も報復されたことがありません。
もしされたら、真実を広く語るだけなので、その不屈さを僕に感じるから報復できないのです。

日本政府が、竹島を韓国に占領された時に取った、「日本漁民を近づけないようにする」「自衛隊の通常哨戒活動から除く」・・・
尖閣列島周辺領海を侵犯されている今、日本政府は同じ対応をして中国をつけあがらせています。
「いじめっ子は、相手が弱いと更にイジメます」
「いじめっ子は、相手が弱くても必死で対抗してくる者に対しては引きます」
インドネシアが、違法操業中国船を爆破しても、中国はインドネシアに対して戦闘を仕掛けません。

日大監督コーチは糞だと思うし、見て見ぬふりした部員にも「金玉ついとるんか!」と言いたい。
「第三者委員会」とかお茶を濁して、自ら判断せず逃げ回っている日大執行部は最低です。
ヨット部を中心に、全国の大学体育会のいろんな不祥事をいろいろ見てきましたが、みな大学当局がすぐに当該運動部に活動停止などの処分を下します。
半年間・1年間・・・いろんな処分を知っており、当該部は粛々と処分に復し、謹慎期間が過ぎて復帰しました。

「一度廃部にした方が良い。数年後出直したら良い」との意見をする方がいましたが、見識だと思いました。
確か弁護士だったような・・・

6/14・退院

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5:43(アメリカ東部時間6/13・16:43)、出産を終えたばかりの長男のお嫁さんからLINEが届きました。
お嫁さんとルーカスくんが退院しました。

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アメリカの出産は、2日後退院です。
日本ではお医者さん1人の小さな産婦人科でも出産出来ますが、アメリカでは出産は女性の一大事なので、何かあると大変なので総合病院での出産になります。
その関係もあり、日本より早く出されるのでしょう。
母子ともに「問題なし」ということでありがたい。
健康なお嫁さんさまさまです。

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病室にフォトグラファーが来て写真を撮ってくれたそうです。
20180611_180614_0040s.jpg もちろん購入するそうで、これは日本にはないビジネスだなあと思いました。
観光船に乗ると、勝手にパシャパシャ写真撮って、帰りに「要らんか~」とやるあれみたい。

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2泊で退院だからか、2回経験した日本での出産より待遇が良く、「駐車場まで車椅子で看護師さんに送られる」「入院中も病室内ではほぼ動かなくて良いよう至れり尽くせりで快適」だったそうです。
これからしばらく、お嫁さんのご両親・長男に甘え身体の回復に努めるとのこと。
弟が生まれることを経験しているりょうくん5才は大丈夫でしょうが、初めてのこうちゃん2才のケアをしっかりしなくちゃと書かれていました。
今まで送られてきた写真を見ても、りょうくんはルーカスくんをしっかり見て、心から喜んでいるのを感じるが、こうちゃんは「こいつ誰?」って戸惑ってる感じが見えます。

ルーカスくんを抱っこする長男はニコニコで、2人の息子たちにルーカスくんを抱っこさせ、彼らを腕の中に入れている長男は誇らしげでした。
お嫁さんからまた宝物をプレゼントしてもらいました。
お仕事頑張って、みんなの幸せの金銭的ベースを支えなきゃね。

6/13・Lucas

20180611_180613_0026s.jpg 朝、家内から「ルーカス」と微笑まれました。
ルーカスといえばルーク・・・ルーク・スカイウォーカー・・・スターウォーズ。
スターウォーズのサイドストーリー「ハン・ソロ」が今月日本で封切られます。
昨日TV宣伝を見ました。
必ず観に行こうと思ってるので、「ルーカスではなくハン・ソロでしょう」と思いながら、ルーカスの意を問うと、「お父さんまだ見てないの?」と謎の言葉・・・
すぐにピンときて「ミドルネーム?」「そう」、「ファーストネームは?」「たいせい」。

長男一家の住むアメリカ東海岸は、日本と時差-13時間でちょうど昼夜逆転です。
僕らが寝ている間の向こうの昼間、写真などいろいろLINEで送ってくれたようです。
家内は朝食を食べながらチェックしたようです。

僕は息子たちに、父が授けてくれた一字を通字として授けました。
長男は、その通字を息子3人に全て授けました。
私・長男次男・男孫3名みな同じ漢字が入っています。

アメリカではミドルネームが付けられるので、「何にしようかな~」と長男は考えていました。
本好きで、長男に司馬遼太郎から一文字頂いたので、僕が最初に好きになったアメリカ人作家ヘミングウェイをミドルネームにするんじゃないかと予想したのですが、スターウォーズの主人公ルーク・スカイウォーカーから拝借しLucasにしたそうです。
ルーカスたいせい・・・通称Lukeルーク・・・
家内とどう呼ぶのかあれこれあれこれ、「たいちゃん」「たいくん」・・・「ルーク」じゃないの?・・・なんて。

5才りょうくんは、2才こうちゃんが生まれた時を経験しているので、「ちっちゃ~い、可愛い~」と大喜びですが、こうちゃんはほっぺたを触ったりしながらも、複雑な表情だったそうです。

20180611_180613_0007s.jpg 病院食は、薄味だけどメニューはアメリカンで、毎食好きなものを旦那分も含めて注文できるのがウリだそうです。
20180611_180613_0008s.jpg アイスやケーキだってOKなんだって・・・びっくりです。

20180611_180613_0001s.jpg アメリカでは妊娠中近所の病院で診察を続けるが、出産は地域の総合病院でするので、出産予定日2ヶ月前ぐらいから検診もそちらに移ります。
20180611_180613_0020s.jpg 総合病院は、日本の市民病院の規模を大きく上回り巨大ビルで、病室からNJの森の広がりが見えます。
NJはニューヨークからハドソン川を渡ってすぐですが、「ガーデン・ステイツ」と言われるほど緑の多い州です。
山がどこにも見えず、森の中に家や町が点在する自然豊かなところです。

20180611_180613_0024s.jpg
ちょうどよいタイミングで、国際運転免許取って渡米していたお嫁さんの両親が、新たな孫を抱っこして幸せそうです。
スーパー・幼稚園送り迎え・料理・・・お世話になります。
女の子の親は、こういう楽しみがありますね。

長男の「LINEアカウント」が復活しました。
新たなパスワードなどにしたのでしょう。
長男も家族LINEグループに復活しました。
使用写真が、マチュピチュ遺跡に旅行した時のものに変更されていました。
長男が座った岩越しに遺跡が見えています。
遺跡紹介写真でよく使われているアングルです。

6/12・お誕生

週末の学生レースで、コーチしてる大学ヨット部が2種目のうちS級で近畿北陸ブロックを制しました。
3位と1位で総合2位。
常に後塵を拝していたD社にとうとう一矢報いました。
この地域の覇者は常にD社で、昨年は全国制覇しました。
ずっと「D社に追いつけ」「打倒D社」を合言葉に切磋琢磨してきましたが、跳ね返されてばかりでした。
少しずつ実力を付けて来たので、「今年こそ」と射程距離内に入ってきた実感を持っていましたが、とうとう実現しました。
でも実力的には今一歩及んでいないと感じています。

S級は、最終レースでD社3艇がスタートでフライング失格しての棚ぼた的優勝でした。
470級は、当方に2艇ルール違反失格艇が出て3位になっちゃいました。
それがなければ、優勝D社と競っていたんだけど・・・

どんな形にせよ、一矢報いたことには違いなく、気持ちの良い月曜日を迎えました。
家族LINEで、そのヨット部OBの次男に「勝ったよ」と報告がてら、お嫁さんの妹さんの無事出産と、長男お嫁さんの無事出産を願っていると書いたら、「ゴメン、報告忘れてた。義理妹は6/5に無事男の子を出産し、昨日病院を退院し、実家であるココで1ヶ月一緒に暮らす」と報告を受けました。
180610 誠人すーご対面_180611_0004s すみれちゃんとの初対面写真もアップしてくれ、鼻筋の通った男前君でした。

「さあ、残るは長男とこだなあ」「無痛分娩ってどんなんだろうね?」「自然分娩でもいいのに」なんてお喋りして寝ました。
アメリカでは基本無痛分娩だそうで、お嫁さんは「どんなのか楽しみ」と言ってました。

6/12・4時(アメリカ東部時間6/11・15時)に目を覚ましPC仕事をゴソゴソやってたら、長男からメールが届きました。
「陣痛が来た」という件名のみの短いものが・・・
会社から呼び出され、あれこれ慌ただしく動いているのでしょう。
数日前にお嫁さんのご両親が、出産・産後を手伝うために渡米したので、ちょうど良いタイミングでした。
幼稚園に通ってる5才と、母親べったりの2才がいるので、仕事がある長男だけでは手が回りません。

5時に家内が起きたようで、階下で音がしだしたので、「陣痛が来たんだって」と教えてあげる。
あ~だこ~だ喋ろうとし始めたことで、ピコンとLINE受信が鳴った。
S__14417963s.jpg 6/12・5:02(現地6/11・16:02)お嫁さんのLINEから、赤ちゃんを抱いて寝ているお嫁さんの写真だけ送られてきた。
これは長男がお嫁さんのスマホで撮って送ってくれたのでしょう。
長男のLINEアドレスは、乗っ取られて凍結中なので使えません。

「おめでとう」メッセージを送りました。
6/12・6:04(現地6/11・17:04)、お嫁さんからLINE。
「ありがとうございます!
私も赤ちゃんも元気いっぱいです!
病院に着いて麻酔をしてもらおうと思っていたのに、先生が診察したら、すぐに産まれるから意味ないと言われて結局普通に産みました…
あっという間に産まれてくれて感謝です」
笑顔の長男が赤ちゃんを抱っこしている写真付きです。

1人目の「りょうくん」の時は、出産に備え新潟の実家で陣痛が始まって、連絡を受けた長男が会社を早退し、新幹線に飛び乗って駆けつけたのに、更に24時間後に生まれました。
2人目の「こうちゃん」の時は、アメリカ転勤と重なりました。
出産予定日を過ぎても陣痛が来ず、会社が1週間転勤日時を遅らせてくれ、それも後2日というタイミングで生まれました。

家内は、長男の時は陣痛が来て2時間ほど、次男の時も1時間以内という楽な出産だったので、お嫁さんの物持ちの良さに大変だな~と思っていました。
陣痛が始まってもまだまだと思っていたら、今回はすぐに生まれ良かったです。
出産1時間後に、お嫁さんがLINE打ってるぐらいだから元気なようです。

次男と次男お嫁さんからもメッセージが入り、家族LINEが大賑わいです。
今月は、運気が良いようです。

5/20・お嫁さんたちからのLINE

LINEに、お嫁さんたちから情報がアップされました。
S__14139396s.jpg長男のお嫁さんからは、毎週月曜日図書館の読み聞かせにこうちゃん2才と通っているようです。
図書館員さんが絵本を読んでくださるのですが、時にはシンガーが来援し歌を披露してくれるそうです。
その写真やビデオを載せてくれました。
こうちゃんの日本語は、単語からセンテンスになってきた程度ですが、英語も少し理解できているようでわかることが出てきたようです。
保育園に入れば、朝から夕方まで英語のみの生活なので、一気に英語のボキャブラリーが増えるのでしょうが、英語耳を作るべくいろんなイベントに積極的に母子で参加しています。

僕がLINEにアップした新幹線動画(次男の新居を見に東京に行った時映した)を、りょうくん5才・こうちゃんが大興奮で見てくれたようで良かった。
アメリカは日本にない列車が走っているだろうけど、日本の新幹線は実質世界一早い列車だから、忘れないで欲しいです。

こうちゃんがドライブで馬を見てから、「馬に乗りたい」と言ってるそうです。
長男が中学の頃から競馬好きで、アメリカでも何度か競馬場に家族で出かけています。
りょうくんに続き、こうちゃんも馬を好きになったようです。

S__14139404s.jpg
りょうくんは、アメリカン・ヒーローものにもハマっていて、気がつくと何かを武器に見立てて見えない敵と戦っているそうです。
男の子は必ず一時ハマりますね。
これを経て、正義を覚えますよね。
将来家族を養い守るために男の子は頑張らないとね。

こうちゃんは体力がついて、晴れれば公園、雨でも近くのモールの遊び場で元気よく走り回っているようです。
幼児は外遊びしないと、その日は機嫌が悪くなるよね、機嫌がイマイチになっても外を一周りするだけで、かなり改善されます。
6月に3人目が生まれるので、益々お嫁さんは大変です。

先々週次男の家に行った時、すみれちゃん1才が車のチャイルドシートから降りたくて何度もグズりました。
その時、りょうくんとこうちゃんが遊んでる動画を見せると収まり、自分で何度も何度も再生していました。

同じく、こうちゃんはすみれちゃん動画が好きなようで、次男が撮った「大きな栗の木の下で」すみれちゃん踊り・歌を再生しているようです。
お嫁さんが単身赴任していた長男を追って渡米した時、こうちゃん半年・すいれちゃん1ヶ月のときに会っただけなので、2人のお母さんは同学年の2人の初顔合わせを楽しみにしています。
いつになることやら・・・

りょうくんは、プリスクール外国語も学んでいるようで、スペイン語の1~10を言えるようです。
さすがアメリカ、最初に学ぶ外国語がスペイン語なんだと驚きました。
すみれちゃんの通い始めた保育園では英語の授業があるようで、先生曰く凄く集中して学んでいるようです。
りょうくん・こうちゃんに会った時、英語が出たら面白いなと親ばかを披露していました。

S__45391882s.jpg すみれちゃんは、4月から通い始めた保育園にも慣れてきて、園で作った「母の日」プレゼントをもらったそうです。
僕も小学生の頃、貯金で買った手袋を母にプレゼントしたら、涙をポロポロ流して喜んでくれました。
あの時は、「なぜ泣くの?」と思ったけど、親になりその心境がわかりました。
S__45391885s.jpg 次男お嫁さんも、初めての娘からのプレゼントに感動したんじゃないかな?

親は、親ばかが良いですね。
けなしてダウンサイジングせず、褒めまくって感動しまくっていくつも下駄を履かせ、根拠のない自信を植え付けさせてあげたいものです。
我が家の子育て経験からすれば、この方がずっと親子とも楽しく、ずっと会話の弾むハッピーな家庭になり、世間に対し積極的に行動する子になります。

5/13・次男宅

前回、婚約成った結婚前の親の初顔合わせで訪問させていただいた時は、お寿司や尾頭付きなどで大歓待されましたが、今回はお嫁さんが手作りするそうで、鋭意料理中だそうです。
次男が乗り換えたAudiに初めて乗せてもらいました。
ドイツ車らしくドアの密着度が高い。
標準が扁平タイヤで車高が低く、この点はイマイチかな。
ワゴンスタイルなので、バックドアに重宝しているようです。
ナンバーがすみれちゃんの誕生日で、次男も僕に負けない親ばかだね。
お嫁さんの希望で赤ですが、かなり鮮やかです。

僕も長男が生まれた記念に5ドアバンに乗り換え便利でした。
次男が生まれた記念で両親・弟と一緒には乗れないので、8人乗りワンボックスに乗り換えました。
以来、この便利さから抜けられません。

すみれちゃんのチャイルドシートは、長男からもらったものでした。
アメリカに行く時、車CX7もいる?と言われていましたが、チャイルドシートだけもらっていました。
すぐに家に着きました。
バックギアに入れたら、ナビ画面がバックモニターに変わり安全確認できて便利だそうです。
標準でついてる車が多くなっているのでしょうね。

20180513KawaS0205s.jpg 家は、壁の色まで変わっていました。
でも、次男の表札がまだガムテープでした。
「エクステリア解装がまだなんだ。門も変わるよ」とのことです。
20180513KawaS0207s.jpg 玄関でご両親とお嫁さんが出迎えてくれました。
20180513KawaS0206s.jpg ガレージに赤いバラが咲いており、バラで覆う算段のようです。
次男の自信作のようですが、棘があるから妹さん一家も含めあと10~15年は小さな子供がいるのだから玄関横にバラは危険な感じがしました。

玄関もご両親の領分の1F居間も台所も変わっていました。
設計者の次男の説明では、梁の下に天井を張る従来工法だったのを、梁を出して天井をその横の高さまで上げて天井を高くし、より広く感じるようにしたそうです。
キッチンと居間を一体化させ、部屋の広がりも大きくしたそうです。

20180513KawaS0210s.jpg 20180513KawaS0211s.jpg お風呂はお父さんの希望を最大限生かし、窓を大きく明るくし、壁が木目風になっています。
お父さんの自信作だそうです。
仕事柄次男は色んな素材を知ってるので、タイル壁から脱したようです。
天井も木目で、サウナ風呂のようです。

20180513KawaS0213s.jpg 客間に僕がプレゼントした淡路島七福神掛け軸を下げてくれていました。
気持ちが嬉しいです。
我が家も出来るだけのことをしているつもりですが、お嫁さんたちのご両親は気持ちの優しい方で、付き合っていて気持ちが良いです。

続いて、次男夫婦の新居・2Fに上がります。
20180513KawaS0215s.jpg こちらもリビングとキッチンが一体化されており、1F同様のコンセプトで梁を露出させ天井をその横まで上げて、より広く感じる空間を作っています。

洗面・トイレ。
20180513KawaS0220s.jpg ベッドルームは元お嫁さん姉妹の独立した2部屋を1つにしていました。
2人目が生まれ大きくなったら、また2つにするそうです。
20180513KawaS0223s.jpg 次男の書斎は次男らしくシュッとしています。
長男と違い、男の子なのに整理整頓出来る子で、良いもの使うものだけ置いてゴチャゴチャさせない性格です。
20180513KawaS0224s.jpg 照明はスタジオのように移動・方向変えが簡単なスポット照明になっています。

20180513KawaS0230s.jpg お嫁さんが用意してくれた昼食を、2Fリビングテーブルを皆で囲んで食べました。
うな丼・しじみのお吸い物・香の物などいろいろ。
とても美味しい。

家の話、お父さんの肩の話、妹さんの出産の話(6月中旬予定日でしたが、下がってきているようで5月中かも?)、長男一家のアメリカ生活の話・・・。
もちろん主役のすみれちゃんの話も盛り上がり、あっという間の2時間でした。

14:30になり、すみれちゃんの保育園を見に行きます。
15:13、次男夫婦の勤める会社への通勤途中駅ビル内にあります。
20180513KawaS0240s.jpg 新設企業保育園で、外からガラス張りで中が見えます。

続いて次男が設計した野菜工場併設の野菜販売店舗&ロッカールーム管理業務棟です。
20180513KawaS0255s.jpg 2Fに会社の支店でもありましたが、2週間前に次男設計の東京支店に移動したそうです。
次男も知ってる女子社員さんが1人で店番していました。
ロッカールームの契約者が来られるようです。

最も新しい設計の東京支店も見に行きたかったが、日曜日なので社員がおらずクローズしてるそうです。
職場復帰したお嫁さんの話では、使い勝手が良く、社員の評判が良いそうです。
並行して本社ビル設計もしているので、オープンしたら見に来なきゃ。
保育園併設するので、すみれちゃんは園児第1期生になる予定です。
お父さんの設計した保育園に通うなんていいね。
このために保育士資格まで取っちゃったから、ヘルプでお父さんがやってきたら面白いな。

20180513KawaS0261s.jpg 15:55、以前住んでいた近くのショッピングセンター内の本屋さん(蔦屋)に入ります。
あいにくの雨なので、すみれちゃんは外で遊べません。
いつもここの外にある公園で遊んでいたようです。
ファストフードを注文すれば、棚の本を持って席に座り読んでもOKだそうです。

続いて会長の持ってる農園。
次男は会社の園芸サークルに所属しています。
社員が集まり苗を植えたりしており、何度かその様子を映した写真を見ています。

20180513KawaS0263s.jpg 続いてお勧めのカレー屋さん。
ネパール人のカレー屋さんで、いろんな種類のカレー・辛さも選べます。
僕は辛さ普通のライスセットにしました。
飲み物は飲むヨーグルトみたいなラッシー。

20180513KawaS0264s.jpg 駅まで送ってもらい、19:30東京に戻りました。
20:20新幹線出発まで時間があるので、2000円タダ券がある「東京駅一番街」でお土産を買おうとしたけど、食べ物屋さんが多くお土産屋さんが見つからずパスしました。

新幹線「のぞみ」に乗り、22:07アイスコーヒーをタダ券で飲み新大阪に戻り、23:10発新三田行普通に乗り、23:41北伊丹に戻りました。
たくさん雨が降ったようで、通勤リード110がかなり濡れていました。
タオルで拭いて帰宅しました。
風呂に入って速攻で床に入りました。
いつもより大幅に就寝時間が遅れました。
明日起きられるかな?

次男は、配偶者を持ち子供も出来、借金は出来たけど家を持ち、根無し草から地に根を張った生活になりました。
僕は大学時代から付き合っていた同級生の家内と24才で結婚しました。
売りに出たので親が買った隣の家に住み、結婚即親からローンを引き継ぎ借金15年生活が始まりました。
親父が癌になり働けなくなり、弟のために買った家のローンも僕ら夫婦で返済しました。
ローンは負担ですが、夫婦で力を合わせる事になり、落ち着いた生活にもなります。
お父さんも、お母さんの実家が持ってた土地に借金して家を建て、家族を養って来られました。
気持ちが判ってくれるので、良かったんじゃないでしょうか?

次男夫婦といろいろ話し、会社の現状も知りました。
利益が伸び、東京支店が拡張され、自前土地に新本社がもうすぐ建ちます。
地元トップ企業になり、会社の食堂がすべて無料になったそうです。
結婚式で会った社員達は若く明るく、その輪の中に積極的に入っていく社長、社長を囲んでワイワイやってる様子を見て、良い会社だな~と思いました。
女子社員の容姿はかなり高く、社内結婚が多いそうです。
出産を経て職場復帰する女子社員が多いのも、働きやすさの現れです。
女子社員に残業を強いたりせず、宿泊出張をさせないという方針も、女性を大切にする企業風土を感じます。

こういう所に古来からの日本的な考えを感じます。
「美しい日本を取り戻す」のキャッチフレーズで登場した第一次安倍政権は倒れましたが、現安倍政権にもそれを感じ、経済運営がうまく行きマクロ的に国民の収入が増えています。
靖国神社を訪問し、天皇陛下を中心に長い歴史を持つ日本を、先人は命を掛けて守ろうとしました。
グローバル化の名の下、こんな素晴らしい日本を壊そうとする勢力があります。
乗っ取ろうとする勢力があります。
僕は微力ながら、それを跳ね返し子孫に美しい日本を残すよう行動したいと思っています。

5/13・遊就館4・金鵄勲章 川口コーヒー専門店

20180513KawaS0170s.jpg 館内に「金鵄勲章」が飾られていた。
僕の母方祖父は日露戦争に従軍し、近衛騎馬兵団隊長としてこの勲章を頂きました。
母の実家の宝物として、子供の頃何度か見せてもらい触らせてもらいました。
戦後生まれの僕にはピンと来ませんでしたが、戦前を知る両親は天皇陛下から頂いたのだと恭しく扱い、僕などには及びもしない気持ちでそれを触り、親族の誇りとしていました。

駆け足ですべてを巡り、外に出たら10:08だった。
家内との待ち合わせは10:10。
急いでタクシーを拾うべく道路に向かいます。
ちょうどお客様を下ろしたタクシーがおり、それに乗せてもらった。
20180513KawaS0175s.jpg 右翼街宣車が数台停まっており、それに対応するため警官も出張っていた。
右翼も左翼も、過激思想・行動を伴っており、どうも与したくない。

愛国の多くの一般市民、国に殉じた方々の御霊に手を合わせようとする市民を、左翼は右翼思想として攻撃するが、先程見た戦死なさった方の写真一覧を繰っている方はそのような方ではない。
先祖を肉親を親族を探している風だった。

敗戦後のGHQの日本解体統治下で、当たり前のようにある自らの属する国家に親しみ、それを守ろうとする自然な思考を悪視する教育が施された。
日本は行き過ぎた左傾化に陥り、中央に戻そうと愛国者が若者を中心に増えてきている。

母はゼロ戦の翼を造っていたし、米艦載機の攻撃も受けた。
父はボルネオ島で餓死と戦い、背中と脚に銃槍があり、背中から入った弾の一部がまだ身体の中に残っていると、子供の頃教えてくれた。
そんな両親から、一言も当時の日本を責める言葉を聞かなかった。

地方自治体の首長を長年勤めた祖父は、戦地に赴き生き延びた次男の伯父さんと三男の父を、いつも祖父・長男と同じ主席で飯を食わせた。
僕もその子として他の従兄弟とは別の主席で食事が用意された。
敗戦であったが「立派に戦って日本の面目を保ってくれた」と、僕の前で父を褒めていた。

そんな環境で育ったので、亡き父に習って祝日には日の丸を門扉に掲げている。
今や近隣では我が家のみになったが、死ぬまで続けていこうと思っている。
戦犯の合祀以降天皇陛下が靖国神社に参らなくなったので、それに習って今まで参って来なかったが、先の人生が見えてきたので初訪問した。

僕の次男は、初めての子を授かり、靖国神社で安産祈願してもらったのをきっかけに参ろうと決め、やっと機会を得た。
今回家内は、時間に余裕がないので駆け足で巡る僕の足手まといになると思い駅で待つと言ってくれた。
次は家内と余裕を持って巡ろう。

タクシーを拾い、JR飯田橋駅に戻りました。730円。
20180513KawaS0179s.jpg 予定していた10:15総武線津田沼行には乗れなかったけど、1本遅れだけでした。
JR秋葉原で京浜東北線に乗り換え、11:01川口着。
次男一家と11時に駅で待ち合わせでしたが遅れちゃいました。
秋葉原でLINEしていたから了解済です。

2Fに改札があり、待ち合わせの東口に出たのにいないから1Fに降りたらいない。
電話したらやはり2Fでした。
次男とすみれちゃんが出迎えてくれましたが、こちらのこちらのお爺ちゃん・お婆ちゃんではないのでキョトンとしています。

20180513KawaS0184s.jpg 歩いて、長男が東京勤務時代お世話になた上司の方の開いたコーヒーショップを訪問します。
20180513KawaS0187s.jpg 小さなお店ですが、店内席でケーキセットを頂きました。
次男と家内はコーヒーだけ。
脱サラして好きだったコーヒー専門店を開店されました。
長男がお世話になったお礼を申し上げると、アメリカ勤務のこともみな知っておられ、懇意にして頂いたのがわかります。
次男は、長男からその情報を聞き、以前訪問したそうです。
なんだかんだ、兄弟してるね。

いろんな産地の豆を仕入れておられ、店内でローストされて販売されています。
次々お客様が来られています。
まだ開店1~2年のはずですが、流行っていて何よりです。

次男は建築士と若者らしい発想で、スポットライトの使い方とレジがアイパットで今風の省エネ・低コスト経営だなと感想を述べていました。
新店舗開店の時は、ぜひ次男を使って下さい。
良い仕事しますよ。

20180513KawaS0190s.jpg 12:12「AMBER DROPCOFFEE ROASTERS 川口市幸町 カフェオレ590円+コーヒー540円+ケーキセット900円」でレジを済ませ、車に向かいます。

5/13・遊就館3 インドと占冠島の戦い

頂いたパンフレットに、インドと占冠島の戦いのことが書いてあった。

『インド国民軍退役軍人から 「日本はインドにとっては良い国だと思います。日本はチャンドラ・ホースと共にインドの独立のため戦ってくれました。これは、はっきりいえます。
インドは日本軍の犠牲により独立することが出来たのです。もしあんなに犠牲者を出さず、又INA(インド国民軍)に協力しないでインドに進出した場合、インドの軍(イギリス軍インド部隊)は自分たちの方針を変えなかったでしょう。25万のインドの軍が方針を変え、チャンドラ・ボースの軍になったことによりイギリスから独立することが出来たのです。」
「私たちは常に日本に対し感謝の気持ちを持っています。」
「最後にもう一度、有難うございました。」 ーデロン中佐の言葉-』

『太陽の光がこの地上を照すかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。 P・N・Lekhi(インド最高裁弁護士)』

『われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。 1998年1月20日 於:ニューデリー インド国民軍大尉S.S.ヤダバ(インド国民軍全国在郷軍人会代表)』

『〈占守島の戦いとは〉 日本が終戦を迎えた昭和20年8月15日から3日経った8月18日に、天皇の詔勅に従い武装解除を進めていた、千島列島最北端の島『占守島』の日本軍に対し、ソ連軍が突然上陸、攻撃をかけてきた戦いのことです。
日本軍は一度解除準備を進めていた武装を改めて行い、峻烈な激戦の末にソ連軍を水際に追いっめ、まさに殲滅しようとした時に「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行すべし」との方面軍命令があり、日本軍は命令に従い、軍使の派遣・停戦交渉・武器引渡し交渉の末、再度の武装解除を行い、戦いは21日に終結し、ソ連軍の南下は24日以降になりました。
ソ連は日本のポツダム宣言受諾、降伏を知りながら、なぜ終戦後3日も経ってから戦争を仕掛けてきたのでしょうか?それは当時のソ連の首相であったスターリンの領土拡張方針に基づく北海道北部の占領計画上にあったと思われます。「占守島は一日で占領する」と豪語していたソ連軍を占守島の日本軍は一週間も足止めし、ソ連軍の南下を遅らせ北海道北部の占領計画を阻止した結果にもつながったのです。
わたしたちは、家族と国を思う純粋な心と信念をもって、終戦三日後に戦って逝った占守島の若者たちのご冥福を祈るとともに、彼らのことを決して忘れることは出来ません。

〈占守島の戦いの経過〉 「幌菰海峡周辺地区及び占守島の要域確保」を命じられていた第5方面軍第91師団は、数倍の米軍を想定し、かの敵に強靭・執拗な戦闘を挑むべく、陸海軍あわせて25000名の配備を行っていました。
占守島の電波状態は極めて悪く、8月15日の天皇陛下の終戦の詔勅を多くの部隊では聞くことは出来ませんでしたが、翌16日に師団参謀立会いの下に終戦が伝えられ、17日から日本軍は武装解除の準備に取りかかっていました。
戦車部隊でも車載銃砲や無線機の取り外し、爆砕と車両の海没の準備まで進めていました。
しかし8月18日の未明に、対岸のロパトカ岬のソ連軍から長射程重砲の砲撃が始まり、国端崎の監視所からも「海上にエンジン音聞ゆ」と至急の連絡も入ってきました。降伏に関する軍使ならば夜中に来ることはありません。「これは危ない」と判断した日本軍は、島一面が濃霧に包まれた中、急ぎ戦闘配備を整えました。
その間にも「敵輸送船団らしきものを発見」「敵上陸用舟艇を発見」「敵上陸、兵力数千人」と相次いで急報が入ってきました。
米軍ではなくソ連軍が竹田浜に強襲上陸をして来ました。
敵の上陸を察知した日本軍は国端崎の砲兵、竹田岬と小泊崎の速射砲・大隊砲か協力して反撃し、叉陸海軍航空機の決死の反撃および重砲の活躍などによりソ連軍の指揮系統は大混乱に陥りました。しかしソ連軍の一部は艦砲射撃の支援を受けながら18日の6時ごろには四嶺山に進出して、激しい戦闘が展開されました。
日本軍は戦車連隊の参加もあり、次第に敵ソ連軍を圧迫し海岸付近に釘付けして、一歩も内陸に前進させず、一挙にソ連軍を殲滅する体制を整えました。しかしこの戦闘のなかで戦車連隊長、同連隊指揮班長をけじめとして各中隊長以下多くの戦死者も出ました。その頃に「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行」との第5方面軍からの命令が届き、占守島の第91師団は、ソ連軍の攻撃はまだ続いていましたが軍使派遣、停戦交渉と進め、8月21日に漸く戦いは終わりました。その後、武装解除が23日と24日に行われました。
この激闘で一説には日本軍の死傷者は700~800名におよび、ソ連軍は3000名以上の死傷者を出したと伝えられ、ロシア研究者のボリスースラヅインスキーの著書によれば日本側死傷者は1018名、ソ連側死傷者は1567名となっています。ソ連政府機関紙のイズペスチアは「占守島の戦いは満州、朝鮮における戦闘よりもはるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連人民にとって悲しみの日である」と述べているのです。

〈占守島第91師団の心遣い〉 終戦の時に、占守島には日魯漁業の従業員の方が2500人ほどいました。この大たちは国民の食糧確保の為に悪い戦局を承知で、缶詰工場で働いていましたが、その中には約400人の若い女子工員も混じっていました。終戦を迎え、内地からの迎えの船が来れば真っ先に彼女たちを送り返す手筈を整えているところへのソ連軍の攻撃でした。
参謀長と世話役の大尉は「このままでは必ずソ連軍に陵辱される被害者がでる。
なんとしてもあの娘たちを北海道へ送り返そう」と相談し、当時島にあった独航船20数隻に約400人を分乗させ、霧に覆われた港から北海道に向けて出港させました。ソ連機の爆撃が続く中、日本軍も高射砲の一斉射撃で必死の援護を行い無事に出港させることが出来たのです。
「全員、無事に北海道に着いた」との電報が島に届いたのは、それから5日後でした。
停戦後に上陸してきたソ連軍は女性を捜し回ったそうですが、あとの祭りでした。
もし、彼女たちがいち早く島を出ることが出来なかったことを想像すると、占守島の第91師団の心遣いが人ごとでなく心にしみます。
東京都大田区東椛谷四-三-四  士魂会事務局編
【参考文献】 青木磐著マンガ版「占守島の戦い!!」 中公文庫・中山隆志著「1945年夏・最後の日ソ戦」 ポリス・スラヴィンスキー著・加藤幸廣訳「千島占領・1945年夏」(共同通信社・1993年)』

5/13・遊就館3

20180513KawaS0133s.jpg 『96式25ミリ連装機銃 フランス・ホチキス社が設計し、昭和11年日本が国産化した。陸海軍艦船や陸上基地などで対空防御用として使用された。展示物は昭和43年ブーゲンビル島ファウロ島遺骨収集団全国派遣団がラバウル海軍防空台で収集したもの』

『4年式15センチ榴弾砲の砲弾及び薬筒 この砲弾はサイパン島にて玉砕した野戦重砲兵第9連隊黒木大隊の陣地跡より発見され、祖国に持ち帰られたものである。薬筒は火砲に装填されたまま発見され、現地人の協力のもと火砲を海中に沈め爆薬により火薬を摘出したので、一部変形している』

『92式重機関銃 日露戦争後に機関銃の重要性を認識した日本が、独自開発を進めた陸軍の代表的重機関銃。弾丸の発射速度が比較的遅く、銃本体と専用の銃架を含むと500kgもの重さになり、運搬には4人がかりとなった。しかし命中精度は高く、難点を補って余りある働きで、支那事変・大東亜戦争に活躍し、前線の歩兵を援護する力強い兵器だった』

『重巡洋艦「摩耶」 昭和7年6月、神戸の川崎造船所で竣工。「高雄型」の4番艦で大東亜戦争開戦当時から活躍した。様々な海戦に参加したが.ラバウルで敵機による襲撃を受け、これを機に改装し3番主砲を撤去して、対空兵装の増強に重点を置いた。昭和19年10月のレイテ沖海戦で、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した』

20180513KawaS0146s.jpg 『防空駆逐艦「秋月」 防空駆逐艦「月型」の1番艦として、軽巡洋艦に匹敵する排水量と航続力を持つ。空母を直衛して、高い防空能力を持つ長砲身65口径10センチ高角砲を前後に2群づつ装備し、マリアナからフィリピンにいたる数多くの激戦を戦った』

『防空駆逐艦「初月」 防空駆逐艦「月型」の4番艦で、防空駆逐艦として昭和17年竣工後、空母直衛部隊に編入され、常に空母部隊の直衛にあたった。マリアナ沖海戦では空母「瑞鶴」を直衛して戦ったが、レイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で「瑞鶴」が沈没後、周囲の海面で漂流者を救助しつつ、近づいてきた米艦隊に只1隻で反撃に出た。16対1の奮戦後、遂にフィリピンの海底深く、壮烈なる沈没を遂げた』

20180513KawaS0154s.jpg 『重巡洋艦「青葉」 昭和2年9月、三菱重工長崎造船所で竣工。主砲の20センチ砲は、発射速度や防御の上からも有利な連装砲塔であり、対空兵装も12センチ高角砲を装備した。偵察機用のカタパルトを持つなど近代化巡洋艦の花形であった。
大東亜戦争開戦時は南洋群島を攻略するなど数多くの海戦に参加し、昭和20年7月呉軍港で空襲を受けて被弾し、海底に着底した』

『重巡洋艦「高雄」模型(1/100) 昭和7年5月、横須賀海軍工廠で竣工。「高雄型」の1番艦で大東亜戦争開戦時、第2艦隊の旗艦などを務め、様々な海戦に参加したが特に第3次ソロモン海戦ではアメリカの戦艦「サウスダコタ」を撃破する戦果を挙げた。昭和19年10月のレイテ沖海戦で、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け中破しシンガポールにて終戦を迎えた』

20180513KawaS0156s.jpg 『航空母艦「翔鶴」模型(1/50) 昭和16年8月横須賀海軍工廠で竣工した。
「翔鶴」は大東亜戦争開戦劈頭の真珠湾攻撃を始めとして主要海戦、作戦に参加し勇戦奮闘したが、昭和19年6月のマリアナ沖海戦で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没、約1200人もの乗員が艦と運命を共にした。
この「翔鶴」模型は、東京ソリッド・モデル・クラブが2年間かけて製作。「翔鶴」に乗り組み、祖国に殉じた御祭神を奉慰し、遺徳を顕彰する為に奉納された』

20180513KawaS0161s.jpg 『特殊潜航艇「海龍」 2人乗りの有翼潜航艇で、機首に600kg炸薬を装着し、艇外の可動式発射筒に収納された2本の魚雷を持ち、局地防禦のため本土決戦用に開発された特攻兵器である。この有翼艇は昭和18年3月頃、海軍中佐浅野卯一郎らが飛行磯にヒットを得て考案し、その後昭和19年9月頃から右記の兵装をはじめ内部に大改造を加え兵器として採用されるに至った。艇は初久里浜の工作学校で、さらに昭和20年4月頃から横須賀海軍工廠を中心に全力を挙げて製造され、終戦までの完成艇数は236隻に達した。一方搭乗員・整備員の教育は、横須賀航海学校及び機関学校の施設を用い、また前線基地を油壷・江の浦・下田・小名浜などに設営し、百隻近くの艇を展開したところで終戦を迎えた』

20180513KawaS0163s.jpg 『震洋 昭和19年4月軍令部から戦局の劣勢を挽回する為提案された1~9までの特殊兵器の1つで、6の回天とともに実用されたのが4の震洋である。1人乗りの1型改1は艇首に爆弾250kgを搭載して全速で敵艦船に衝突自爆しようとするモーターボートである。
全長6m・幅1.65m・喫水0.6m・排水量1.35t・速力23ノット・航続距離250海里・12センチ噴進砲2基を装備した。主機関は自動車のエンジン1基を使用した。同年8月、第一次震洋艇隊50隻が長浦(横須賀)での訓練後、父島に配備された。以降九州川棚警備隊と江田島江の浦で訓練を行い、フィリピン・南西諸島・本土各地・伊豆諸島・小笠原諸島・支那沿岸・東南アジアなどに配備され敵の来攻に備えた。
搭乗員は、海軍兵学校や予備学生出身の青年士官が隊長となり各艇隊は予備練出身者であった。なお5型の全長6.5m・幅1.86m・排水量2.4t・速力25ノット・航続距離275海里で、自動車エンジンを2基搭載、乗員数2であった』

『水上特攻艇「震洋」 合板で造られた小型艇で、船首内に250kg炸薬を搭載し、敵艦に体当たり攻撃を加える目的で開発された特攻艇である。昭和19年4月から金物船外機付き衝撃艇として試作が始まり、同年8月震洋と称して正式兵器に採用。その後改良が加えられ、噴進砲を搭載した1型(改1)や2人乗りで機関銃搭載した5型など、6200隻が量産された。
昭和19年から小笠原諸島父島はじめフィリピン方面・沖縄、更に本土決戦に備えて太平洋側の要所を中心に約4000隻の配備が進められ、米国巡洋艦1隻・駆逐艦2隻・輸送船2隻を撃沈破(日本側記録)する戦果を挙げた。
一方、空襲や事故による爆発、あるいは配備される前に輸送船ごと敵の魚雷攻撃によって沈められた艇も多く、多くの搭乗員や整備員の命が失われた。終戦までに震洋隊の戦没者は2500名に上る。
展示している震洋1型(複製)は、広島県呉市の野村哲郎氏(平成19年逝去)が、同士在住のま長田研司氏はじめ地元有志の協力を得て10年の歳月を費やして複製したもの。野村氏は、生前多くの船舶を自作されてきたが、特にこの震洋については尊い命を祖国に捧げられた多くの若者たちの鎮魂のために精魂込めて造り上げ「この震洋が靖国神社遊就館に展示されたらいいな」と周囲の人達に言い残されていた。平成21年3月20日、こうした御尊父の遺志を継承された野村氏のご子息達から、震洋1型の複製が遊就館に奉納された』

『陸軍海上挺進戦隊(連絡艇レ) 昭和19年2月、戦局は米軍のマリアナ諸島・ニューギニア西部への進出によりフィリピンも敵目前にさらされ、沖縄侵攻も予測されるなど極めて日本は憂慮すべき状況にあった。
戦局の劣勢を挽回すべく船舶特別候補生を主体に、全陸軍より選抜された下士官・将校を以て陸軍海上挺身隊が同年9月以降順次編成され、以降フィリピン・沖縄・台湾の各戦場で活躍した。
その任務は予め敵の予想上陸正面に配置し、艇は奇襲によって上陸船団を側背から攻撃するもので、250kg爆雷を後部に装着した長さ5.6m・喫水0.26m・満載排水量1.5t・最大速力20~24ノット・航続時間3.5時間のベニヤ板製モーターボートで、秘匿名称「連絡艇レ」と称した。
陸軍海上挺身隊は、短期間の訓練後、不慣れな海上において無防備の特攻艇を操るという不利な条件下で、戦果を挙げた』

これは展示物の一部で、その他多くの展示場が写真不可となっていた。多くの戦死者のお写真が飾られ、特攻隊員の遺書も展示され、目頭が熱くなる展示もあった。

5/13・遊就館2

ショーウインドウに、軍艦のプラモデルが多数並べられ、解説が付けられていた。
『一等駆逐艦「清霜」 昭和19年5月、新鋭艦として神奈川県の浦賀船渠にて竣工した。竣工後まもなく、レイテ沖海戦の激戦を戦い、戦艦「武蔵」が被弾沈没の際、僚艦「浜風」と共に武蔵乗員救助に活躍、これをマニラに移送した。続いて12月、フィリピンーミンドロ島サンホセ泊地突入の「礼号作戦」に参加、米陸軍機の爆撃により2番煙突に直撃弾を受け、更に魚雷艇の雷撃を受けミンドロ島南方水域にて沈没した』

20180513KawaS0114s.jpg 『伊号第36潜水艦 昭和17年9月横須賀海軍工廠にて竣工。この潜水艦の特徴は、艦橋前の大型格納筒で、そこには小型水上偵察機がおさめられた。そして前甲板の殆どを占めるカタパルトに象徴される航空機搭載能力がある。しかし、大東亜戦争中期に後甲板の備砲を撤去し人間魚雷「回天」4基を搭載、第一次玄作戦ウルシー攻撃を成功させた。後に前甲板の航空施設を撤去し回天2基を増備し、数多くの回天作戦に従事した。戦後、米軍によって長崎県五島列島沖にて爆破処分された。同型艦は20隻が建造されたが本艦を除いて全て戦没した』

20180513KawaS0116s.jpg 『回天1型改1 回天は、世界で初めて日本が開発に成功した酸素魚雷(93式3型魚雷)を活用することから研究が進められた。一撃でも巨艦を轟沈する特攻兵器として開発され、大東亜戦争末期の昭和19年(1944)8月海軍が制式兵器として採用した。
「天を回らし戦局を逆転させる」という意で命名されたこの必死の兵器により、身を挺して祖国を護ろうと百余人の若人達が次々と南冥に散っていった。
ここに展示している回天は、終戦後ハワイの米陸軍博物館で保管されていたが、当局のご好意と回天会の多大なるご尽力により、昭和54年(1979)10月、同博物館から靖國神杜に永久貸与されたものである。
回天上部に装備した水防眼鏡2型改5(潜望鏡)と展示の水防眼鏡2型改6は、平成21年(2009)広島県呉市在住の長田研司氏から奉納されたものである。
全長14.75m・直径1m・重量8.3t・搭乗員1名 頭部炸薬量1.55t・推進装置93式3型魚雷・燃料灯油酸素・出力550馬力
水中速力と航続距離 12ノット(時速約22.3km)- 78km、20ノット(時速約37.0km)-43km、30ノット(時速約55.6km)-23km
※波切りの「菊水の紋」は、一部の艇には記されていたが、実戦用の艇では敵に発見されにくいように殆ど描かれることは無かった。
※1型を改良した改1は、安全性や操作性向上のため一部構造変更がなされた。外観は、波切りと整流板が簡略化した形状となった』

『戦艦「大和」(縮尺200分の1) 艦名の「大和」は、「大和国」に由来し、昭和16年12月16日に呉海軍工廠にて建造された、当時の最先端技術を投じた史上最大の戦艦で、竣工後直ちに連合艦隊に編入された。「大和」の初代艦長には高柳儀八海軍大佐が着任した。
昭和17年2月には、連合艦隊旗艦となり山本五十六連合艦隊司令長官の将旗を掲げ、同年5月のミッドウェー作戦では主力部隊の中核として初陣を飾った。その後は、マリアナ沖海戦、比島沖海戦などの戦いに参加するも、対空戦闘に終始したため、「大和」の主砲46センチ砲3基9門が威力を発揮することはなかった。
しかし唯一、比島沖海戦中、サマール島沖で米護衛空母部隊と交戦した際に敵艦に対して砲撃が行われ、この時が、大和が敵艦に放った最初で最後の主砲攻撃となった。
昭和20年4月5日には、「大和」に沖縄への海上特攻作戦の命令が下り、6日に第2艦隊旗艦として軽巡洋艦「矢矧」率いる第2水雷戦隊を従えて徳山沖を出撃、翌7日には敵機動部隊艦載機による攻撃を受け奮戦するも、伊藤整一司令長官・有賀幸作艦長以下多くの将兵と共に、九州坊の岬沖90浬にて短い生涯を閉じた。
この模型は、沖縄への海上特攻作戦時の勇姿を忠実に縮小、再現したものである』

『海軍3年式8センチ高角砲 在来の3センチ艦砲を改良した日本海軍の対空砲で、大東亜戦争中基地防空の主役として、また対艦船用に広く使用された。ここに展示してある高角砲は、東部ニューギニアのサラモアにおいて基地防空に活躍した火砲である。
昭和44年秋、東部ニューギニア戦友会の遺骨収集において坦現地政府の許可を得て日本へ持ち帰り、昭和46年(1971)4月、同戦友会から靖国神社に奉納された。
口径76.2ミリ・砲身長304.8cm・重量2300kg
最大射程7,200m・最大射高5,400m』

『8式7.5センチ野戦高射砲 折りたたみ式の砲床と車輪を持つ移動式高射砲で、陸軍野戦防空の主力火器として活躍した。この高射砲は東部ニューギニア・ウエワクで活躍した。
東部ニューギニアでは、糧食・弾薬の補給が途絶した中、困苦と病魔を克服して最後まで戦闘を継続した、戦史上稀に見る難戦であった。昭和46年(1971)1月、全戦争受難者慰霊協会が実施した遺骨収集において、現地政府の許可を得て持ち帰り、昭和47年(1972)8月、同協会から靖国神社に奉納された』

20180513KawaS0123s.jpg 『97式中戦車 日本陸軍の代表的戦車。展示してある戦車は、戦車第9連隊に所属し、昭和19年(1944)4月、満州からサイパンに進出し、太平洋の防波堤として米軍の猛攻を迎え撃ったが7月7日玉砕した。
日本軍戦車は道路状況の悪い大陸で、歩兵とともに戦い、その前進を妨害する敵の機関銃などを撲滅することを目的として開発されたもので、小型軽量で米軍のM4戦車との戦いは苦戦を免れなかった。
戦後、連隊の生存者が私費を投じて発掘し故国に持ち帰り、サイパン島戦没戦友の慰霊と戦車兵団戦没者顕彰の象徴として昭和50年(1975)8月12日、靖国神社に奉納された。
重量15.8t・全幅2.32m・全長5.5m・全高2.38m・装甲前面25ミリ・側面20ミリ乗員4名・武装97式57ミリ戦車砲・97式7.7ミリ車載機関銃2
機関空冷V型12気筒170馬力・最高速度38km・行動距離210km』

『41式山砲 日露戦争が終わって明治41年(1908)制式化された砲身後座式の国産山砲。分解して馬に積載するが、人力でも運搬可能であり山岳地や障害の多い地域で使うのに便利であった。砲兵部隊のほか、歩兵部隊の「連隊砲」として広く用いられた。
ここに展示の砲は大東亜戦争において宇都宮の野砲兵第14連隊(基2807部隊)が東部ニューギニアの戦闘で使用した歴戦の火砲で、昭和51年(1976)4月、基07会戦友会から靖国神社に奉納された。
口径75mm・砲身長130cm・重量540kg
最大射程6300m・発射速度10発/分・弾種:榴弾・榴散弾・銑製榴弾』

『95式軽戦車展望塔部分 九五式軽戦車は、昭和10年(皇紀2595)に制式化された3人乗りの戦車で、機動性に富み、被弾時の発火防禦や戦地での冷却水の補充・凍結にも配慮した空冷式ディーゼル・エンジンを積載していた。
硫黄島では西竹一陸軍中佐が指揮した戦車第26連隊の主力として獅子奮迅の活躍をした。この展望塔部分は硫黄島で収集され、平成15年8月13日に財団法人偕行社から奉納されたものである』

『4式20センチ噴進砲 この砲は硫黄島で玉砕した小笠原兵団(兵団長・栗林忠道中将)に配属された噴進砲中隊(長・横山義雄大尉)の装備・4式20センチ噴進砲。
噴進砲中隊は、昭和20年2月19日上陸した敵に対し、甚大な損害を与え一時その侵攻を食い止めた。全弾撃ち尽くした後も、鹵獲した銃によって粘り強く持久戦を続け遂に全員散華された。
噴進砲は、砲と名付けられているが実は噴進榴弾(ロケット)発射装置である。
噴進榴弾は自身の固形燃料で飛翔し、しかも自体の推力調節により飛距離の調整が出来たので、一般の火砲と比べ飛距離・命中精度は落ちるが、簡単な構造で運搬・移動が容易であった。この砲は戦後長期問その戦跡に放置され腐朽寸前であったが、玉砕された硫黄島将兵の慰霊顕彰の象徴とするため、各方面各位の協賛と奉仕により送還・復元され、靖國神社に奉納された。
4式20センチ噴進榴弾:全長1019ミリ・重量83.7kg・最大速度175m/s・最大射程2400m
4式20センチ噴進砲:砲身長1923ミリ・重量95km
噴進砲中隊:編成昭和19年6月陸軍野戦砲兵学校・中隊長横山義雄大尉・隊員130名・装備噴進砲46門・噴進榴弾434発』

5/13・遊就館1

20180513KawaS0055s.jpg 靖国神社遊就館に入り、拝観料1000円。
20180513KawaS0059s.jpg 「零式艦上戦闘機52型」
20180513KawaS0060s.jpg 「泰緬鉄道C56型」
20180513KawaS0062s.jpg 「89式十五センチカノン砲」
「96式15センチ榴弾砲」が最初の部屋に展示されていた。

20180513KawaS0075s.jpg 『零式艦上戦闘機・通称ゼロ戦は、昭和15年(1940)から造られた日本海軍主力戦闘機で、当時最高の性能を保持した日本が世界に誇る歴史遺産である。昭和20年(1945)8月まで1万機造られたが、現存しているゼロ戦は20機に過ぎない。その優れた性能と優美な機体は、現在でも世界中の多くの人々に愛好され、対戦国であったアメリカでもスミソニアン博物館・アメリカ空軍博物館・太平洋航空博物館パールハーバーなどに5機が展示されている。
この機体は、昭和18年(1944)11月に三菱重工名古屋大江工場で製造された後期モデルの52型で、エンジンは1140馬力・最高速度は550キロであった。
戦後、各地に残されたゼロ戦を含む兵器は全て廃棄処分となったが、南洋方面では飛行可能な航空機は連合軍の連絡用として、機体は白色・日の丸は黒十時に塗られて使用された。こうした機体も後に目本の整備兵が帰還し、或いは部品が無くなった時点で次々と解体放棄されていった。
昭和20年、南洋最大の航空基地であったニューギニアーラバウルにおいても飛行可能な機体は4機あったが、そのうちの2機はオーストラリアなどに送られ戦争博物館に保管された。残った2機は解体されて滑走路付近に放置されていたが、昭和49年(1974)に回収され、翌年漸く日本に里帰りした。
昭和55年(1980)、この機体を入手しヤップ島など南洋諸島から回収したエンジンや部品等を揃えて復元を開始したが、機体の劣化は想像以上に著しく、また戦後既に45年が経遇して、ゼロ戦に関係した技術者も少なくなっていた中での復元は困難を極めた。修復を始めて20年の歳月を要して、平成11年(1999)にこの零式艦上戦闘機の復元を完成した。平成14年、靖國神社御創立130年の記念すべき年にあたり、大空に散華された英霊の鎖魂を祈りこの復元機を奉納するものである。 平成14年7月 復元製作者・原田信雄』

『昭和15年すなわち紀元2600年に制式採用された「零式艦上戦闘機11型」は、ゼロ戦の愛称で親しまれる。初陣は昭和15年9月。中国重慶においてソ連製中国軍機との空中戦で、敵の大半を撃墜。味方には損害なしという空前の戦果を上げ、その格闘性能と航続力で世界最強を誇った。
ここに展示されている52型は、初期型より主翼の先端を短く円形に整形されている。発動機の栄21型エンジンに、推力式単排気管を採用して速度がかなり向上し、零式戦闘機の中で最も多く生産された。
兵装:プロペラの回転と機銃の発射間隔との同調装置を備えた96式艦戦以来の97式7.7ミリ機銃(弾倉600発)2挺に加え、99式20ミリ機銃(125発)2挺が、空飛ぶ機銃座としての威力を発揮した。また、燃料の投下式増設タンク(300リットル)を使用すると、零戦の大きな特徴の1つである航続距離は、初期の21型で約3000kmを超えた。
21型 発動機:栄21型・940馬力 全幅12m・全長9.05m・主翼面積22.44平方メートル・重量2421kg 最大速度533km・実用上昇限度10300m・最大航続距離3110km52型 発動機:栄21型・1130馬力 全幅11m・全長9.121m 主翼面積21.3平方メートル・重量2733kg 最大時速565km・実用上昇限度11740m・最大航続距離1920km』

順路に沿って、2F展示室に上がった。
フルの120分コースを駆け足で巡ります。
20180513KawaS0089s.jpg 天井から特攻していく桜花が下がっていた。
一式陸攻に吊られて編隊飛行しているジオラマも展示されていた。

『ロケット特攻機「桜花11型」 大東亜戦争末期において海軍が開発した特攻機。
母機である一式陸上攻撃機の爆弾倉に懸吊された状態で目標近くまで運ばれる。
この間に桜花操縦士は母機搭乗員との打ち合わせを済ませ、桜花に椎乗し待機する。桜花の搭乗席と母機との間にはモールス信号の装置があり、準備完了後「・・・―・」の合図と同時に投下される。
桜花は機首を下げながら暫時加速し、高度が1000m落ちたあたりで、最良滑空速度(最も遠くまで飛べる速度の250~260ノットに達する。その後、飛行距離の延伸・増速などの必要に応じて尾部の火薬ロケットに点火して噴進し(燃焼時間9秒のロケットが3本)、敵艦の吃水線あたりを狙って操縦士もろとも突入する。
弾頭の300kg徹甲弾は戦艦や航空母艦の装甲を貫いて艦体内部で爆発するように極端な遅動信管が装備されており、一発でこれらの大型艦船を撃沈できるとされていた。尚、実戦使用にはいたらなかった「桜花43型」では、ジェットエンジンも採用された』

『熱田21型発動機 この発動機は当時、世界最高水準を誇ったドイツのダイムラーベンツ社の液冷エンジンDB601を、愛知時計電気が国産化したもの。戦局の悪化にともない工作機械の加工精度の低下等の問題があり、技術陣は対処を重ねて、昭和18年12月高速艦上爆撃機「彗星」に搭載して世に送り出した。戦争末期のことで、戦況においてはこの性能を充分に発揮できなかったが、彗星はこの発動機の優れた高速性を誇った』

『回天4型は、回天1型の速度向上と航続距離の延長など、性能改善を目指して造られた特攻兵器である。その外殻は回天1型よりも一回り大きく、横断面の直径で約35cm大型化している。大東亜戦争の終戦時には6艇が完成していたが、実戦で使用される前に終戦を迎えた。戦後、完成した6艇と関係部品は海中投棄や解体を余儀なくされた。この4型胴体も戦後放置されていたが、回天4型勇姿の永久保存の目的を以て、回天関係者から靖國神社に奉納されたものである。
全長76.5m・直径1.35m・重量18.17t・搭乗員1名・頭部炸薬量1.8t
水中速力と航続距離:20ノット(時速約37.0km)-62km、30ノット(時速約55.6km)-38km、40ノット(時速約74.1km)-27km
※水防眼鏡2型改7(潜望鏡)は複製である』

20180513KawaS0076s.jpg 『艦上爆撃機「彗星11型」 昭和18年(1943)12月制式化した日本海軍最後の艦上爆撃機で、終戦までに2157機生産された。戦局の進展から爆撃機として用いられるよりも戦闘機あるいは特攻機として、その多くが失われた。
腱示している「彗星11型」は、昭和47年(1972)中部太平洋西カロリン諸島ヤップ島の旧滑走路脇のジャングルで遠藤信彦氏によって発見され、昭和55年(1980)日本テレビ放送網の協力により日本への里帰りが実現した。
同年「彗星」ゆかりの陸上自衛隊木更津基地で飛行機研究家・田中祥一氏をリーダーとして復元され、昭和56年(1981)4月5日靖國神社に奉納された。
全幅11.5m・全長10.22m・重量2.5t・搭乗員2名・発動機熱田21型・離昇出力1200馬力 最大速度550km/時 武装:7.7ミリ固定機銃2・7.7ミリ旋回機銃1・爆弾250kgまたは500kg×1、30kgまたは50kg×2』

20180513KawaS0102s.jpg 『93式魚雷3型 日本海軍が世界に先駆けて開発した「酸素魚雷」。昭和8年(皇紀2593)に制式化され「93式魚雷」と呼ばれ、主に巡洋艦・駆逐艦に搭載された。
従来の魚雷は圧縮空気を用いていたので航走中に気泡による「雷跡」が発見されやかったが、この酸素魚雷は高速で長い射程と強大な爆発力を持ち、しかも無航跡であり世界水準を超えるものであった。のちに人間魚雷「回天」の動力としてこの魚雷の機関が使用された。
酸素魚雷:エンジンの燃焼力を高め、無航跡を実現する酸素魚雷の研究は各国が行なったが、いずれも純酸素を用いると走行開始直後に大爆発を起こす危険が高く、技術的に困難で実用出来なかった。しかし日本は、始動時に通常空気を使用し徐々に純酸素に切り替える技術を開発し、実用化に成功した。この事は極秘とされた。
全長9m・直径0.61m・全重量2.8t・頭部炸薬量490kg
航続距離36ノット(40,000m)・42ノット(30,000m)・48ノット(22,000m)』

『戦艦陸奥装備副砲・50口径3年式14センチ砲 海軍が研究を重ねて開発し、大正3年(1914)制式化し、「陸奥」の副砲として搭載された。陸奥は昭和18年(1943)6月8日瀬戸内海柱島の艦隊警戒泊地で主砲火薬庫の原因不明の爆発により沈没した。
ここに展示してある副砲は、昭和48年(1973)、遺骨収集の際に引き上げられ、艦とともに殉職した乗組員1122柱の英霊を奉慰し、遺徳を顕彰するために軍艦陸奥引揚促進期成会・同遺族会、同生存者会により、昭和56年(1981)6月8日、靖国神社に奉納された』
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