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4/8・京都/原谷苑

コーチしてる大学ヨット部の新人勧誘月間が始まりました。
毎週末、ヨット試乗会が行われます。
京都の学校から琵琶湖の艇庫まで新入生を運ぶ車が足らず、例年日曜日に手伝っているのですが、お声が掛かりませんでした。
部員が増え、車が足りているようです。

そこで家内に「京都に桜を見に行こう」と前日誘ったのですが、「寒いから~」と断られました。
朝4時前に目覚め、バイクで1人で行こうとリストアップしていました。
6時頃家内から「やっぱり桜観に行く」と嬉しい知らせが。

ご近所の奥様から勧められた桜の穴場「原谷苑」をリストアップしていました。
近所に桜が綺麗な公園があり、そこに続く小川沿いの桜並木も綺麗です。
その小路に面した家に住んでおられ、ソメイヨシノが満開の時、家から桜に向けてライトアップされご近所さんに喜ばれています。

ご主人が僕ら夫婦の先輩KG出身で、奥様が神戸女学院出身のカップルです。
学校の最寄り駅が隣の駅で、両方共ヴォーリス設計校舎という縁もあり、僕の中学からの友人やその子にも両校のカップルが多いです。
僕も中学の時朝の通学でお喋りする子がいましたが、振られました。

そんな関係もあり、会えばお話する仲です。
数年前の桜の季節、「是非にと」お誘いを受けお宅にお邪魔し、ワインを飲みながら桜鑑賞しました。
奥様は料理研究家で、交流が幅広く市長さんなども訪問するお宅です。
グランドピアノが床に半分埋め込まれ、ピアノの上面がテーブルになった掘りごたつ式の部屋から鑑賞しました。
その時、京都の桜の穴場として「原谷苑」のことをお聞きしました。

原谷苑は、京都市街地の北部に位置し、金閣寺の裏山にあるそうで、標高がある分市街地より花の時期が後ろにずれます。
それを思い出し、我が家近所の桜の見頃から1週間経った時期でも観れるかなと思いました。

ここは道が細くPもないので、バスかタクシーでしか行けません。
「寒いけど、バイクでもいい?」と家内に聞くとOKとの返事で、バイクで行くことになりました。
通勤リードにタンデムして家を出て、8:16「伊丹産業・セルフ北村SS」で給油。
144km/3.58L=40.2km/L。

家内をJR最寄り駅に下ろしバイバイ。
R171を一路京都に向けて走り、待ち合わせのJR京都駅北側・京都タワー側のバス案内所に入ります。
先に着いているはずの家内がいないので電話してみると、駅の反対側八条口にいるそうです。
「前回待ち合わせたバス停で」を前々回待ち合わせた八条口側と間違えたようです。
八条口側が整備され待ち合わせしにくくなったことと、北口のバス案内所なら夏は冷房・冬は暖房が入り快適なので変更しました。
もう一言確かめておくべきでした。

「あ~反対側だ、ごめんごめんすぐ行くからそこで待ってて」と電話を切り、慌ててそちらに向かいました。
相変わらず京都は大人気で、いろんな国の声が聞こえます。
トラベルバッグをゴロゴロさせた観光客が多いです。

風が強く気温も平年並に下がったので、家内にカッパを着てもらいました。
堀川通に出て、西本願寺・二条城を横目に北上します。
北大路通を西進し、大徳寺前を通り金閣寺を過ぎた交差点で右折し、裏山に上がって行きます。
つづら折れがある急な坂で一気に標高を稼ぎ、眼下に京都の町が見えます。
タクシーが多くなったのは、きっと「原谷苑」目当てでしょう。
予想よりタクシーが多く感じますが、その分先導役に出来ます。
ところが信号で僕を先頭に止まっちゃいました。

仕方なくGPS見ながら道を進むと、後続のタクシーがガードマンの立ってる交差点で曲がっちゃった。
まさか、原谷苑のガードマンなのか・・・もはや穴場ではない・・・。
民家の間から下が見下ろせ、そこから「はい、こっちに来て~」なんて交通整理の声が響いていました。

Uターンしてそこに行くと、ガードマンに「はい、バイクはそこ」と指さされました。
一般乗用車には容赦なく、「Pないよ、先に進んで」。
10:41バイクを指定場所に停めて苑に近づくと、ガードマンではなく「YASAKA」と背中に染められたお揃いのジャンパーを着ているのでヤサカ交通の方のようです。
京都を中心に幅広くタクシー事業をしています。
急坂があり道が狭いので、交通手段が公共交通手段のみで路線バスは2本/hで、シャトルバスとタクシーのみのタクシー会社にとってはドル箱観光地です。
交通のプロで、同業者に対する仲間言葉で的確迅速大声で交通整理の指示を出しています。

20180408HarataniS0006s.jpg 入園料1500円×2を払い入園しました。
『村岩農園内のさくら園 原谷苑は、金閣寺より衣笠山を、御室より八十八ヵ所の山を越えた洛北原谷の、不毛の土地を、戦後の原谷開拓団の方より依頼を受けて、昭和32年から、花好きの「村岩」2代目が、景色の良い丘を選び数百本の桜や紅葉ほか数10種類の樹木を植樹したことに始まります。当初は、親類・友人等の身内だけでお花見をしておりましたが、人伝に評判が広がり、現在は、桜・梅・もみじのシーズン中一般公開しております。例年3月下句から4月下旬にかけて20数種の桜を中心に椿・日向みずき・吉野つつじ・馬酔木・木瓜・雪柳・連翹・石楠花ほか色々な花が楽しめます。京都市内の桜が満開の頃には、早咲きの技垂桜が満開となり、また遅咲きで有名な御室桜が終わったころでもまだ原谷苑では、散り始めの八重紅枝垂桜と共に遅咲きの黄桜・緑桜・牡丹桜・普賢象・菊桜など名残りの花見も楽しんでいただけます。
「村岩」では、北山台杉・桜・もみじその他の植木類と、茶室等の建築にも使用される北山磨き丸太・垂木を販売いたしております。
(植木販売)桜苑開苑前の3月は梅・椿・馬酔木・みずき等、11月下旬~12月上旬にかけては紅葉の鑑賞を兼ねまして植木販売会を行っています。
一般公開:梅・桜・もみじの時期 開苑時期:午前9時~午後5時
入苑料:変動制で、桜の開花時は有料、梅・もみじの時期は無料公開。
料理:牛すき焼・鶏すき焼き・さくら御膳・花見弁当
売店:幕の内弁当・ちらし寿司他、缶ビール・ワンカップ・ドリンク類、おでん・ぜんざい・甘酒・草餅・桜餅など
桜苑の開苑中は、マイカー・貸切タクシーの駐車場がないので、賃走タクシーをご利用下さい。なお観光バス(マイクロ含む)での来園は、お断りしています。
また路上でのタクシー乗降は交通の障害になりますのでお控えください』

20180408HarataniS0019s.jpg 枝垂れ桜が迎えてくれます。
密度濃く植えられているので、桜のトンネルになっています。
その他にアセビ・ユキヤナギなど白い花の他に黄色や赤の花がたくさん咲いています。

「穴場?」なのに外人さんも多く、もう穴場ではなくなっているようです。
地上近くから花が咲く御室桜も植えられていました。
確かにこれは綺麗だわ。
御室桜は開花が遅く、この後仁和寺の御室桜を観に行こうと思ってました。
桜が密度が濃いので、白の後ろに濃いピンクが咲いていたりして素晴らしい眺めです。
桜の景色としては、今までで一番かも?

20180408HarataniS0025s.jpg 激写に夢中になっていると、家内から「お嫁さんがいる」と。
そちらを見ると、この寒空に純白のウェディングドレスとタキシードのカップルがいます。
20180408HarataniS0033s.jpg カメラマンと助手3人おり、結婚記念写真を撮ってるようです。
中国人カップルのようで、言葉が中国語のようです。
20180408HarataniS0040s.jpg 「コングラチュエーション」の言葉をアチコチで浴びていました。
僕もその言葉を込めて後ろ姿だけ激写。

20180408HarataniS0072s.jpg 「ここは素晴らしい」と山を園内をアチコチ歩いていると、お着物カップルがいました。
着物はいいね!
全面ガラス窓の建物があり、中のテーブルにはお弁当が並んでいます。
団体さんの予約でしょう。

20180408HarataniS0088s.jpg 家内に「スマホで写真撮って、家族LINEに上げよう」と提案しました。
撮った写真を上げるのは初めてなので、2人であ~だこ~だ。
なんとかアップできました。

20180408HarataniS0100s.jpg 家内がコメントを打ち出しました。
「なんて書こう?」と聞くので、「いま京都桜の名所「原谷苑」にいます。」でいいんじゃないの?と言うと、一生懸命打ち込んでいました。

紅白の椿が綺麗。
20180408HarataniS0102s.jpg 石楠花が綺麗。
石楠花の群生地はしばしば山の中の名所になりますが、この花が群生していたら見事でしょう。


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4/6・都会ツーリング

毎朝、明るくなってくるとうぐいすの鳴き声が始まります。
近所の公園の梅林が葉っぱの病気で全部伐られ、春を呼ぶうぐいすさんはいなくなるのかと心配でしたが、あれから3年平気なようです。
花札の「梅に鶯」に意識が行き過ぎのようです。
実際には、「梅にメジロ」だし。

5:05になると明るくなるようになってきました。
早朝ツーリングの目的地を、珍しく都会にしました。
「里山VTR250」を倉庫から出し、6時に出発しました。

R171を東に走り、猪名川を渡ったところから南下します。
この道は大阪伊丹空港脇を通る好きな道です。

猪名川沿いを南下し、田能遺跡・千里川のフライトスポットを通り過ぎ、道なりに阪神高速空港線に交差し、右折しその側道r10を南下します。
名神豊中ICを通過し、加島交差点を左折し「十三道」へ。

「阪急十三」駅前まで出て、淀川通で大阪府立トップ校「北野高校」前を通過します。
20180406MoriS0003s.jpg 6:34「塚本幼稚園」に到着。
政争に巻き込まれ至難の時期を迎えている園がどうなっているのか気になっていました。
とても大きな幼稚園で、地域の人に受け入れられて来たのがわかります。
荒れた雰囲気もなく垣根は綺麗に整えられホッとしました。
教師や園児・保護者には関係のないことで、まだ始まったばかりの人生の人格形成を作る環境が維持されているようで、良かったな~と安心しました。

20180406MoriS0005s.jpg 塚本幼稚園を経営する「森友学園」は、有名な教育者であった森友寛さんが開園した私立学校法人初の幼稚園です。
娘さんが結婚し蓮池姓になり、ご夫婦が経営を引き継ぎ昨年の騒動で娘さんが理事長に就任し、経営再建に取り組んでおられます。

前理事長ご夫婦がさらなる発展を夢見て、小学校教育に進出されましたが、資金的余裕がなかったのでしょうギリギリの綱渡りで法に触れてしまったようです。
人格的な不都合をマスコミに責められていますが、多分に過剰報道されているように感じます。
話は極端な方が面白いので、視聴率稼ぎのネタにされている部分もあると思います。
世の中にはいろんな方がいますが、僕の許容範囲から言えばまだまだ普通の方に思えてしまいます。

僕の今までの人生経験では、平気で人を騙したり、大金を脅し取っていく輩を知っています。
すぐに手が出る暴力者もいます。
友人としていたいと思うかは別ですが、同じ社会で暮らしたくないとまでは感じません。
その基準からすれば許容範囲です。
だから、新理事長にやる気があるのなら、強い意思と負けない心を持って、周りの人を1人また1人と味方にしていき再建を果たして欲しいと思っています。

20180406MoriS0013s.jpg 6:42、バイクで5分ほどの所にある「保育園・高等森友学園」到着。
まだ7時前なのに若い男性保育士さんが園の周りの道を掃き掃除されています。
その姿を見て、ここも「大丈夫だな」と思いました。

綺麗に磨かれた保育園バスが2台並べられ、園の建物の周りに植えた木々が綺麗な花を咲かせていました。
屋上の手すり越しに樹が見えます。
植物を植える気持ちは、子供を育てる行為に共通するところがあります。
ぎく普通の保育園です。
ますます応援したくなりました。
それなりの資格を取り、夢膨らませてこの園の職員になられたのでしょう。
これも大きな体験で、ここを乗り切ることで一回りも二回りも大きな自分になるはずです。

淀川道~R176で北上し、7:07名神高速豊中ICのすぐ東、高速道路隣接地に来ました。
「大阪音大」があります。
僕の保育園の同級生の女の子が、ここのピアノ科に通いました。

在学中に世界的オルガニストに見初められ結婚しました。
彼女の家で同窓会があった時、完全防音室があり、いろんな楽器が置いてあるのに驚きました。
横浜に引っ越したので、今はメール・年賀状のやりとりがあるだけです。
さすが音大、「オペラハウス」まであります。

20180406MoriS0023s.jpg 大阪音大と名神高速の間に、「瑞穂の国記念小学院」がありました。
エンジの真新しい建物が完成していますが、校庭はまだ工事中で、工事が止まったままに見えます。
こんな立派な建物・・・今後どうなるのだろう?
空港の進入路真下なので高い建物は建てられないけど、音大の6階建ては隣接地に建っているのでそこまでは大丈夫でしょう。

20180406MoriS0030s.jpg 森友学園が購入する前、大阪音大が購入に動いたそうです。
事故物件なので、音大が安く買えるのではないだろうか?

今回の報道を見ていて、「国(みんな)の財産を安く売るのは悪」とのスジ論を錦の御旗に糾弾しているけど、「僕はそんなことしてもらってないのにうまいことやりよってズルい」という感情の方が強いのではないかと感じる時がある。
国有地の安値民間払い下げなんて、明治以来山のようにあり、それで私腹を肥やした明治維新の立役者もいる。
マスコミ各社も、破格の価格で都心に国有地を払い下げてもらっている。
僕は、公益性のある事業になら、安値払い下げして国が民間を応援するのに違和感を感じない。
これに手を挙げる民間業者は、自身でリスクを取っている。
失敗すれば一文無しになる覚悟で突っ込む人がいなければ、新しいことなんて何も始まらない。
電気自動車を普及させるため、「エコカー割引」などいろんな補助金が突っ込まれている。
これと何ら変わらないように思うのだけど・・・

いずれにしても、園に通う子や家族、園の職員が異様に感じてしまうことがないよう、穏便な報道を願いたい。
維新以外の野党は、単に安倍首相批判に使っているだけで、何も証拠がないのにいつまでやってるんだか・・・
公務以外で国会に出席しないのなら、歳費を減らすように法律を改正して欲しい。

r606経由で、往路同様伊丹空港脇の道を経て帰宅しました。




4/1・アメリカのイースター

長男のお嫁さんから、LINEが入りました。
4/1はイースターで、お友達のお家に日本人約100人(大人50人、子供50人)集り、持ち寄った料理を食べたそうです。
孫のりょうくん4才・こうちゃん1才もエッグハントに加わり、子供たちは大いに楽しんだそうです。

プリンストンは、プリンストン大学を中心として発展した学研都市で、大学のある市中心部の人口は14000、周辺のタウンシップが16000、かつては一緒だった2つの自治体合わせても人口が3万人しかいません。
こんな田舎の町に日本人が100人もいるとは驚きです。

長男は日本勤務中、何度もここを訪問した目的は世界有数のプリンストン大学の研究の高さ故で、ここにアメリカブランチ最大の支店を置いているのも、世界最新研究にいち早く接することが出来る利点からでしょう。
研究開発重視・高付加価値型の日本企業がここに進出しており、その社員が多いのかも知れません。
ここに住む日本人全員が参加したのではないかと思える人数です。

送れらたビデオを見ると、庭に大量に撒かれたカラフル・カラーのエッグを、バケツや手提げ袋を持った子供達が我先にと歓声を上げながら拾っています。
20180401EasterY67941s.jpg まず子供たちがバッグやバケツを持ってスタンバイします。
女の子の多くが頭にウサギの耳飾りを付け頭だけバニーガールになっています。
バニーボーイになってる男の子も複数います。
こうちゃんはやる気満々?で最前列にいます。

20180401EasterY67942s.jpg 芝生の上にたくさんのカラフルエッグが撒かれています。
歓声が上がり、みんな拾いに走ります。
20180401EasterY67944s.jpg 結果はこうちゃん数個、りょうくんはバケツいっぱい拾いました。
りょうくんのバケツにもラビットが描かれており、うさぎと関係があるようです。
親もみな楽しそうです。

エッグハントという行事を知らなかったのですが、日本でも東京ディズニーランドではイースター恒例の行事だそうです。
カラフルに彩られた卵を庭に撒き、あるいは隠し、一斉に子供たちが競って拾います。
中のチョコなどが入っているそうです。

この家に住むお友達は日本人で、ご主人がアメリカ人で永住なので、広い一軒家に住み、家も庭も広く遊びたい放題だったそうです。
森の中に西部劇の牧場のように木製の素人作業のような簡素な囲いがあり、その内側が芝生になっています。

イースターというのは、日本語で「復活祭」と言い、金曜日に十字架に架けられなくなったイエス・キリストが、3日後の日曜日に復活したという伝承からくる、キリスト教徒には誕生祭であるクリスマスと並ぶ年最大の祝日です。

保育園・中学~大学までキリスト教系学校で学んだ僕は、イースターの日に結婚式を挙げました。
「我ながらナイス!」な閃きで、ホテルの披露宴と母校内教会を押さえたのですが、当てにしていた中学の宗教主事先生だった牧師さんが、ご自身の教会での行事が忙しく手配できませんでした。
仕方なく牧師資格を持っている校長先生に、家内と「結婚式挙げて」とお願いに上がりOKをもらいました。

クリスマスのように世界中で祝う日だから、結婚記念日を忘れていても思い出すだろうと目論んだのですが、「春分の後の、最初の満月の後の、最初の日曜日」という毎年変動する祝日だし、予想に反し「今後日本でも報道されるようになる」ことがなく忘れてばかりです。

日本のように4月ではなく、9月から新学年が始まる海外では、日本の春休みに相当する連休として、金曜日からイースターの翌日の月曜日まで4日間お休みがあります。
ジュニアヨットのコーチングをやっていた時は、各国で大きなレースが開催される時期なので意識していました。
次男が遠征した南米選手権(アルゼンチン・ブエノスアイレス)もイースター期間にあり、春休みだったのでレース1週間前から現地入り出来ました。

お金持ちで家が広いお友達なので、毎年旦那さんがいろんなグループを招待して楽しむのでしょう。
食べもの持ち寄りなので費用負担も軽減されパーティーが開きやすいです。
この日は、プリンストン在住の日本人にお声が掛かったようです。

4/1・お買い物

阪急電車・飛行機・新幹線・消防車・お魚・パンダ・・・いろんな柄のTシャツが並んでいた。
電車物は女の子だからな~とイマイチのようです。
消防車もお魚も可愛いけど、僕は「ボーイング737」と思われるTシャツが良いと思った。
家内は「もっと女の子らしいのが良いな~」と探している。
続いて、「きかんしゃトーマス」の白Tシャツを見つけ、可愛いと思ったので推薦。
家内は赤の方が良いとのことでそれに決定しました。

男性若者店員さんに「1才9ヶ月の女の子」のサイズを聞くと、一番小さなサイズが良いと勧めてくれた。
多くのデザインでこのサイズがないそうですが、トーマスにはあった。
それに決定。

僕はその横に並んでいた柄が新幹線のスプーンが気に入りました。
赤・緑・黄色3色のを1つずつ買うことにした。
赤は秋田新幹線、緑は東北新幹線、黄色は新幹線保線担当のドクターイエローです。
先月、東大阪市の司馬遼太郎記念館を訪問した時に買った司馬遼太郎手帳を嫡孫りょうくんに贈ろうと思っています。
ついでに僕のプレゼントの定番の「岩波子ども絵本シリーズ」2冊を2番目の孫こうちゃん用に、そしてお嫁さん用に池川明著「ママを守るために、生まれてきたよ!」を送ります。

この本は産婦人科開業医さんが書かれた本で、日々の臨床から得た不思議は母子の結びつきのことが書かれています。
言葉を話し始める頃の幼児には、胎内記憶を持っている子がいます。
つまりお母さんのお腹の中にいた頃の記憶があるのです。
その子達は、その頃の記憶があるのが当たり前だと思い、ポロリと母親にその頃の記憶を喋ることがあるそうです。

独特な品揃えで気に入って、10年以上前から贔屓にしているJR伊丹近くの「ブックランド・フレンズ」の棚で目についたので買った本です。
この本を読みながら、母から聞いた話を思い出しました。
「あんたがね、狭いトンネルを通って出てきたと言ったことがあったのよ、びっくりしたの」と小学生の頃聞きました。
幼児が出産時ことを覚えているはずないと、記憶の外に置いていました。
「僕が聞いた母の言葉は本当だったのかも?」と今更ながらびっくりしました。

このドクターは、全国の多くのお母さんから届くお子さんから聞いた胎内記憶やそれ以前の「雲の上に浮かんでいて、この人がいいとお母さんを決めて生まれてきた」などの体験談を集め、それを題材に全国で講演されているそうです。
そんな読書感想とお嫁さんたちにプレゼントすると、「LINE家族グループ」に流したら、長男のお嫁さんから「その本、私も気になっていました。日本から送ってくださるなんて楽しみです」と返信がありました。

このスプーンは、その荷物に同送しましょう。
お嫁さんは3人目を妊娠中で、6月出産予定です。
また男の子なので、3人お揃いで新幹線スプーンを使ってもらいましょう。

お会計してプレゼント包装してもらっている間、OJICOサイズ表を見ていて、「来年着れないのではないか?」と不安になり、レジの女性店員さんに尋ねてみました。
月齢を伝えると、3才のお嬢さんをお持ちのお母さんで、もう一つ大きめサイズを着ているそうです。
「来年の夏は3才になるから、今年の夏だけになるから、大きめにした方が良い」とアドバイスを下さいました。
「今年大きければ下に長袖シャツを着て重ね着すると良い」と重ねてアドバイス。
サイズ変更してもらいました。

とても良い買い物を済ませ、「コメダ珈琲」に上がりました。
催物会場を見下ろす席に座りました。
シロノワールの期間限定品?「ニューヨーク・チーズケーキ・シロノワール750円」と、家内は「ブレンドコーヒー420円」、僕は「たっぷりアイスコーヒー520円」を注文しました。
開店~11時までは、モーニングが無料で付けられるようなので、それも注文しました。
マーガリンかジャムのトースト&スクランブルエッグです。
食べられるかしら?

桜撮影の為のカメラをぶら下げたままだったので、それで写真を撮ろうとのリクエストで家内を入れた写真を撮りました。
家内の許可を得れば家族LINEに載せて良いとのことです。
他愛もない夫婦会話が弾みます。
家内は良い買い物が出来たので、いつもより饒舌です。
ニコニコしながら話す家内を見ながら、「綺麗な人だな~僕はラッキー」と思いました。
またイタリアーノな発言をしましたが、家内はいつものことなのでスルー。

テーブルの上にアンケート用紙がありました。
店の清潔感や店員さんの態度などの5段階評価に丸をつけます。
要望のところに、「開店時間がもっと早ければ・・・」と記入しました。
11:13、1690円お支払いして店を出ます。

ビルの外に出て、能勢口駅ビルの更に北にあるセイユーまで歩きます。
3Fで僕のパンツを買い、祝入学カードを買う予定でしたが、店内改装のため、3F以上は閉店中で紳士パンツ売場がなくなっていました。
僕はトランクスではなくブリーフ派で、速乾性素材ブリーフはなかなかありません。

川西阪急百貨店に戻り、3F婦人服売場で家内の春物コートを物色し、4F子供服・玩具フロアでカードを探しましたが、1Fステーショナリー・コーナーにあるとのこと。
そこに降り、あれこれ物色し決定。幼稚園バス・カードにしたようです。

続いて家内の「タートルネックシャツ」を買いに、伊丹荒牧のユニクロを目指します。
その道中で、僕の定期的訪問店「ワークマン川西店」に寄ります。
12:50タートルネックの「アーチパワーアシストシャツ1280円」と「クロスワーク立体靴下・3足セット980円」「撥水サファリハット780円」を買いました。

「アーチパワーアシストシャツ」は家内用で、男性用のようですが弾力のある繊維と引き締めクロス効果編みされており細身です。
家内でも十分使えそうです。
気に入らなければ僕用になりそう。
「クロスワーク立体靴下」は僕用で、いつも使ってるワークマン靴下がいつもカカトに穴が開いてボツになるので、カカト強化のを初めて買います。

「撥水サファリハット」も僕用で、外出時はよく使ってる赤のPUMAハットの代わりです。
ヨットショップで5000円ほどで購入し、外周にピアノ線を縫い込んで、ヨット乗船時でも強風にめくれないようにしています。
家内とペアなのもお気に入りですが、僕のは使いまくっているので赤色があせでみすぼらしくなっていました。

買い物を終え帰宅します。
家内を降ろし、お腹は満腹のままなので、倉庫にバイクを戻しに行ったまましばらくおトイレに籠もって本を読み、PCに写真を取り込んだりあれやこれややりました。

14時過ぎに帰宅し、TV見ながらハット外周にピアノ線を糸で固定しました。
家内が食卓から移動してきて、「これ見てる?変えても良い?」って、なでしこJAPANの国際試合から、路線バス旅番組に変えました。
作業が終わったので、ヨーグルトを食べながら池上彰さんの番組を見て、お風呂から出てきたら、「ダーウィンが来た」になっていました。

夕食を食べ、「NHK大河ドラマ特別番組」の途中で眠くなってきたので、ヨーグルト持って自室に上がり食べながら特別番組を見ておやすみ・・・となりました。

4/1・OJICO

4時前に目覚めました。
あ~だこ~だやってるうちに二度寝してしまい、次に目を覚ましたら7時を回っていました。
階下に降りると家内はお化粧中です。

「あれ、どっか出かけるんだったっけ?」、美人さんが出来上がっている。
「ううん」
「そうか、日曜日だよね。二度寝する前はわかっていたのに、ウィークデイと勘違いしちゃった」

家内とデートです。
嬉しいな。
TV見ながら朝食。
NHKで北海道・利尻島の自然をやっていました。
クマゲラは大きいな。
頭が赤くて、見つけたら興奮しそうだ。
「自然のアルバム」などの、この手の番組が好きです。

家内が、「OJICO」から届いたDMを見せてくれました。
また阪急電車とのタイアップショップが開店するようだ。
「またアステ川西でイベントショップするんだって、ここに行く」
「それと、すみれちゃんの保育園入園祝カードを買って、コメダ珈琲でシロノワール食べたい」と本日の行きたいリストを披露してくれました。

去年、家内が阪急電車の無料小冊子で見つけた「阪急電車の絵柄」の入ったTシャツを孫へのプレゼントに買うというので買いに行ったことがあった。
なぜDMが我が家に届いたのか不思議なので聞いたら、「アンケート好きなお父さんが名前書いたんでしょ」と言われた。
そうだったっけ~。
僕は、アンケートに答えるのが好きです。

電車好きの嫡孫が東京在住なのに「阪急電車が一番好き」と言うので、帰省した時に阪急電車を見に行った。
僕には当たり前に走っている電車だけど、孫にはシックなマローンカラーがかっこいいようです。
「あ、阪急電車~」と興奮していた。
結局、ドクターイエローの新幹線Tシャツを買い、秋に転勤で引っ越した長男一家の住むアメリカプリンストンを訪問した時に持っていった。

「川西阪急の開店は10時からだろうから、まだ早いね」ということで、近所の公園に桜を観に行くことにしました。
8:43公園に続く小川沿いの小径を歩く。
20180401MidoriS0004s.jpg 花吹雪がピンクの絨毯を作っていた。
20180401MidoriS0006s.jpg 数日前はもう一歩だった枝垂れが満開になっており、ソメイヨシノよりピンクが濃いのに、家内は「素敵だね~」と喜んでいた。
ソメイヨシノは花吹雪に入っており、見頃はこの日で終りのようです。

20180401MidoriS0009s.jpg 黄色い水仙がみな一方を向いていた。
これもとても綺麗です。
水仙花壇に、葉っぱは水仙と同じだけど、バラのように花弁が多い花をつけているのがあった。
家内は「葉っぱが同じだから、水仙の一種なんじゃないの?」と言うが確信が持てないので帰宅後調べてみた。
「八重咲き水仙」という名だった。
我家の庭の水仙は全て普通の水仙なので、この水仙も植えてみようかな?

水仙の一角に、すずらんが咲いていた。
可憐な花で好きです。
家内も好きで、結婚した時義理父が植えたすずらんを実家から持ってきて庭に植えました。
毎年花を付けていましたが、いつしか咲かなくなった。
僕が雑草だと思い芽を摘んでしまったのかもしれない。
これも植えたいな。

ついでに春になっても木の勢いが戻らない庭のアセビのことも調べてみました。
去年はたくさん花を付けたのに、だんだん葉っぱが変色し、みすぼらしいので落としました。
いつ咲いたんだっけ?と思ったら、2~4月が花期と書いてありました。
昨日、山寺に向かって歩いていてアセビが咲いているのを見つけ焦りました。

この木は、初めて女の子の孫が生まれたので、その記念に植えたものです。
「枯れてしまったのかな~」、なんとか勢いを取り戻すべくいろいろやってみなければ・・・。
買った植木屋さんに相談し、栄養も撒いたのにな~。
困った、困った。

20180401MidoriS0019s.jpg 残念だったのは、池の周りの遊歩道に規制線が張られて歩けなかったことです。
昨年、近くの渡り鳥の飛来地・昆陽池で鳥インフルエンザにより死んだカラスが発見されたからです。
いつまで規制線は張られるのだろう?

ブラブラ家に戻ります。
家内が「これもあの花?」と言うので見ると、「木蓮」でした。
「木蓮だよ。ハクモクレンと色違い」
「ピンクでこっちの方が綺麗ね」と言う。
「白木蓮の方が目立つけどね」。
これも帰宅後調べたら、ハクモクレンのように高木に成らず、灌木状に低い位置から枝が伸びるらしい。
庭が狭いので、高木になると困るので敬遠していたが、こっちは低いんだと驚いた。
ハクモクレンは既に花を落としているので、木蓮の方が花期が少し遅いのかもしれない。

帰宅し、バイクにタンデムし出発。
r13で「川西能勢口」に到着。
「お腹が減った~」とのか内のリクエストで、まず「コメダ珈琲」を目指します。
r13側の路面店だと思っていたら、「駅の2Fにあると思うの」と言う。
でも能勢口駅とアステは別のビルで、アステビルにコメダの看板が下がっているのでアステにあるは
ずです。
アステビルに入り、案内図を見ると4F飲食店街にありました。

エレベーターで3Fに上がりましたが、多くのお店にシャッターが下り、店員さんがおられるお店も、準備中ばかりです。
9:39、1F中央・催し物広場に面して「コメダ珈琲」を発見しました。
でもまだ開店前で残念。

20180401MidoriS0035s.jpg 催物会場を見下ろすと、家内の目的「OJICO」の臨時ショップが開店していた。
そちらを先に行こうと1Fまで降りましたが、既にスタンバイ済みの催物会場各店舗を規制線が囲っていました。
「あらら、こちらも開店前」のようです。

仕方なく、面している川西阪急百貨店ショーウインドウを覗きに行きました。
「Laura Ashley」の花柄の食器が目についたので、家内にこのブランドのことを聞いてみる。
僕は知らなかったけど、家内は知っていた。
家内はブランドを良く知っている。
学制の頃、女子学生は全員と言っていいほどイブサンローラン・クリスチャンディオール・グッチ・シャネルなどのブランドのバックや衣類を身に着けていた。

こちらも開店前で、お店の前にたくさん並んでいる長椅子に座って待つことにした。
家内が「こういう時、スマホは時間つぶしに便利ね」とピコピコやり始めた。
LINEに届いた息子たちの奥さんたちからの写真を見ながらあ~だこ~だ。
家内の横書を見ながら、「いつまでも美人だな~」といつものイタリアーノな発言。
「こればっかりは、しょうがないわ」と猫も食わない夫婦会話を楽しんだ。

10時になったので「先コメダにする?」と聞いてみたら、「ううん、OJICO」が先で良いとのこと。
4月から保育園に通い出す次男の娘・すみれちゃんへの入園祝いにするそうです。
先日「LINE」の「家族グループ」に長男のお嫁さんが、メキシコ・カンクンへの家族旅行写真を投稿してくれた。
それに、ドクターイエローTシャツをお揃いで着ている孫たちの写真があった。
「次男の娘にも、お揃いのOJICOをプレゼントするの」と楽しそうです。

3/31・衣笠神社~蓮華寺~一之宮神社~掎鹿寺~若宮八幡宮

r20に戻り北上。
道なりに東に方角を変え、枝道に逸れ美嚢川を渡り、14:01「衣笠神社」。

20180331HarimaS0276s.jpg 社名に惹かれて寄り道しました。
社門には左右に武者が座り、いろんな部分がくたびれていますが、格と歴史を持った神社が想像されます。
長屋式拝殿で、左右に拝所があります。
20180331HarimaS0285s.jpg 向かって左側拝殿には、武甕槌命(たけみかづちのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと )・甕速日命(みかはやひのみこと)、右側拝殿には、住吉三神(表筒男命(うわつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・底筒男命(そこつつのおのみこと)が祀られていました。

20180331HarimaS0292s.jpg 本殿横には、屋根瓦が崩れ扉数枚が落ちた三社祠がありました。
手水舎に手ぬぐいもなく、氏子が散逸したのか荒れるままに任せている印象です。
本殿は覆屋で守られ、後ろの斜面に祠がいくつか見え、かつての賑わいを感じます。
信心深い氏子が現れるのを願いたい。



更に奥に進み、山を上っていくと、14:11「蓮華寺」がありました。
多宝塔を目指して走ったら、墓地の上にPがありました。
20180331HarimaS0303s.jpg バイクを置いて立派な多宝塔を観に行くと、満開のソメイヨシノと塔の写真が絵になります。
その下に石段があり境内が見えたので下りました。
20180331HarimaS0321s.jpg 山寺の大寺の風格満点の本堂がありました。

20180331HarimaS0322s.jpg 更に下ると鎮守社があり、東播磨全域が神仏分離令の破壊を免れたように思えます。
20180331HarimaS0325s.jpg 立派な鐘楼があったので、また手を合わせてゴーン。

バイクに戻り、下って庫裏前でP。
『蓮華寺 真言宗大覚寺派 大化元年(645)法道仙人の開基と伝えられ、弘法大師が修行された地とも伝えられています。天暦8年(954)村上天皇の勅命で中興され、蓮花寺と称するようになりました。一時は、18院33坊を容する大寺院として栄えましたが、天正7年(1579)羽柴秀吉の三木城攻めに際し、兵火によって全山灰塵となりました。
その後再興され、今は7堂伽藍が配されています。本堂には十一百観世音菩薩立像が、奥の院には十一面観世音菩薩座像が、本尊として安置されています。鐘楼には、貞和2年(1346)の銘の入った室町時代初期の古鐘があり、装飾的要素を最小限にとどめたすぐれた名鐘で、県の重要文化財に指定されています。
2月の節分には鬼の面をかぶり、タイマツをふりかざして踊る豪壮な追難式の行事が知られ、秋には紅葉の名勝として知られています』

東播磨~摂津北部には、法道仙人開基の寺院が多いです。
バイクに戻り山を下りr20に戻り東進し、左折してr144で北上しました。
右折してr75で東進し、東条川沿いに走ります。
東条公民館・とどろき荘横を走ります。
中国道をくぐり北に出て、枝道に逸れます。

20180331HarimaS0362s.jpg 14:51、鳥居が見えてきました、「一之宮神社」。
伊勢神宮遥拝所がありました。
境内を出て、あぜ道に続く小さなソメイヨシノ並木を写真に収めていると、向かいの「東条会館」から出てきた軽四トラックのおじさんが、「良い写真撮れましたか?満開だよね」と声を掛けてくれました。
「篠山城お堀沿いの桜」「東条川沿いの桜」など、桜の見所を教えてくれました。
「それ、一眼レフ?」と、僕のソニーNEXC3にも興味を示されていました。
カメラ好きの方でしょう。

更に奥に進みます。
15:02「日の神教団・瑞宝苑」案内柱前にP。
「高野山真言宗・南蔵院」を観に行きます。
境内に弘法大師像が立っています。
本殿の唐破風の彫刻は見事でした。
20180331HarimaS0378s.jpg 木鼻の獏・獅子、蟇股の獅子・鷲にも玉眼が入っていました。

掲示板に、『足るを知れば安らぎが、足るを知らねば苦しみが』の標語が墨されていました。
20180331HarimaS0399s.jpg 蟇股に龍の彫刻が入った鐘楼があり、またゴーン。
ここでも桜をたくさん撮りました。

バイクに戻り、更に奥に山道を入り、15:15「掎鹿寺(はしかじ)」&「大乗院」。
周辺図看板を見ると、近畿自然歩道「三草山の源平古戦場を訪ねるみち」コース案内図があり、源平古戦場「三草山」との位置関係が書かれていた。
20180331HarimaS0408s.jpg 「義経道」と彫られた大きな石があり、眼の前の道が三草山で勝利した義経軍が「一の谷」に向かった道だったようです。



「大乗院」に入ってみます。
庫裏は「無量寿殿」となっていました。
本堂や新しく造られたと思われる山門を見学。
20180331HarimaS0432s.jpg 小さいながら仁王さんがおられました。
20180331HarimaS0437s.jpg アセビが白い花を満開に付けていた。
そう言えば我が家のアセビ・・・葉を落としたままです。
枯れちゃったのかな~、山野の木陰でも花をつけている強い木なのに・・・。
復活させなきゃ。

20180331HarimaS0439s.jpg 白い「ユキヤナギ」も満開でとても綺麗。
20180331HarimaS0444s.jpg 「無量寿殿」前に鉢植えされた「すみれ」が咲いている。
綺麗だな。

大乗院の隣にある山門をくぐり「掎鹿寺納経所」を観に行きます。
20180331HarimaS0458s.jpg 茅葺屋根の茶室?があった。
道を渡り、掎鹿寺本堂へ。
20180331HarimaS0465s.jpg 雑草が刈られた境内にポツンと本堂がありました。
20180331HarimaS0469s.jpg 蟇股の龍に玉眼が入っています。
木鼻の獏にも玉眼が入っています。

大乗院は、もとは掎鹿寺の塔頭の1つだったように思います。
山寺であることから歴史は古いですが、交通の便が良くないので、葬式・墓地収入のある仏教需要は麓の寺が受け、学問や修行により、豪族や公家・皇室などの大スポンサーから大きな収入を得るというビジネスモデルが成立しなくなり、兵火で焼かれた後の再建は進まず衰退したままです。
ビジネスに長けた塔頭が本寺を凌ぐ典型を見たような気がしました。

バイクに戻り里に下ります。
r75を更に進み、左折してr313に乗ってすぐ、15:36「若宮八幡宮」がありました。
神門内左右に武者が守っており、歴史がありそう。
境内の中央に舞台殿がある。

『重要文化財 若宮八幡宮本殿 当社の創建は詳らかではない。現本殿は内陣板壁の墨書から、永禄7年(1564)の再建であることが明らかである。祭神は誉田別尊である。
桁行・梁間とも三間、前の一間を向拝、後の二間を身舎(もや)とし、内陣と外陣に仕切られ、三方に回縁がつけられている。柱上の組物は簡素な出三斗(でみつと)組で中備はない。側面の妻組は二重の虹梁(こうりょう)をかけ大瓶束(たいへいづか)を立てた形式になっている。屋根の形は正面に長く流れ、軒先に唐破風をつける流造唐破風付という形式になっている。唐破風の桁は向拝から身舎へ登りに架かつており、このように流造りで登桁(のぼりけた)を用いた唐破風造りの神社建築は、全国でも少ない。屋根は柿葺である。
向拝虹梁や身舎頭貫(かしらぬき)の木鼻の万年青(おもと)、菖蒲等の彫刻、特に柏の葉と毛筆の彫刻は珍しい。向拝手狭の菊・鯉・鶴・亀など多彩な彫刻が美しく、龍鼻・象鼻にも時代の秀でた手法がみられる。この種の彫刻は大阪府・和歌山県北部にかけて見られる系統のもので、輪郭内いっぱいに薄肉彫を充填する特徴がある。
昭和43年(1968)9月末日、解体修理が完了し、一部後補の変更部も旧に復元された。その後、平成20年度事業として屋根の葺替工事を実施し、平成21年(2009)3月に完成した。
なお、境内前の馬場先で毎年8月16日に行われる「柱祭」は、平成24年3月28日に加東市無形民俗文化財に指定された』

20180331HarimaS0484s.jpg 拝殿蟇股の龍の彫刻が細かく立体的で見事です。
重文の本殿は拝殿越しにしか見えず、謂れ板に書かれている詳細が十分見れなかったのが残念でした。
訪問した時、3人の小さなお嬢さんを遊ばせているお母さんがおられた。
神社の境内は子供の遊び場というのが相場で、安全な遊具が少し置いてあった。

ただ回り物やブランコなど動く遊具がなく、最近の児童公園のそれの典型でした。
小さな事故を100%なくそうとするのではなく、多少危険がある方がスリルがあり、子供同士でより小さな子に気を配って遊ぶより大きな子の気遣いなどが学習できる環境がどんどんなくなっているように思う。
人生は冒険で、家族や一族、大きくは国を体を張って守ることを男がやらなくなると、最先端の文明を持っていた南米アステカなどがあっという間に野蛮なヨーロッパ人に滅ぼされたのと同じ運命しか待っていないと思う。

r313~r75~r17で「ひょうご東条IC」から中国道に乗りました。
新名神が先月全線開通したからか、宝塚トンネル渋滞はなかった。
高速道路上にあった電光掲示板には、新名神に新しく出来た「宝塚北SA」が満車となっていた。
大人気のようです。新しいSAだから、設備も充実していそう。
スマートIC付きだから、きっと高速外からでもSAにアクセスできるように思う。
行ってみよう。
16:33に帰宅しました。


3/31・南僧尾観音堂跡~法輪寺~藤原惺窩生誕地

12:36「曹洞宗・高雲寺」。
20180331HarimaS0179s.jpg 見るべきものはなかったが、更に暑くなったので、下のDAIWA釣りパンツも脱いだ。
下にロングタイツ・タートルシャツを着ていますが、真夏バイク装束にあと1枚です。
外観は、真夏です。

12:42「南僧尾観音堂」。
20180331HarimaS0186s.jpg 『県指定文化財 南僧尾観音堂 当観音堂は、承和7年(840)の草創と伝えられる新善寺の本堂であった建物である。正面3間、側面4間で、正面及び両側面に各1間の縁庇(えんぴ)を設けた簡素なつくりとなっている。建築年代は明らかではないが、仏壇内から発見された「堂頭日記」に延徳元年(1489)から天正12年(1584)までの御頭行事の記事があり、それ以前の建築と考えられている。内部の客殿は仏壇上に立つ一間厨子で、仏壇とともに和様と唐様の折衷様であり、建物と同時代のものと思われる』

この南僧尾・北僧尾地区には、寺社がたくさんあり、まだ新しい茅葺き屋根であったり生きている感じがしました。
地域のつながりが強い感じを受けます。
濃い同族意識があるのか、血縁濃い人々が累代をつなげているのか興味深いです。

R428に戻り少し北上したところにあった、12:55「薬師堂」。
更に北上し、r355へ左折し西進。
GPSで「毘沙門堂」が近づいてきたので、毘沙門天好きの僕は期待したが、イマイチの外観でスルーしました。

枝道に折れ、細道を山を登って13:09「法輪寺」。
舗装されているけど四輪離合が厳しい細道をグングン登ってきたので山寺の雰囲気プンプンです。
観光客はまず来ないでしょう。

20180331HarimaS0210s.jpg 掲示板に、映画「空海」のポスターが貼ってありました。
真言宗でしょう。
20180331HarimaS0217s.jpg 庫裏周辺を見学し、本堂へ。
白い椿が綺麗な花を付けていました。
我が家の椿は花を落としているので、平地より気温が低いからでしょう。

20180331HarimaS0226s.jpg 『交通安全の守護佛馬頭観世音菩薩のご利益 当山法輪寺は、37代孝徳天皇の白雉2年法道仙人がお開きになった寺で、ご本尊は馬頭観世音菩薩であり、当時は4ヶ寺16坊と7堂伽藍ことごとく備わり、東播の名刹でした。しかるに天正の兵火に罹り、ことごとく焼失したことはまことに遺憾であります。
その後慶長8年、明石領主・池田輝政公が当山の本尊馬頭観世音菩薩を尊信し、永代灯明料として米5石を代々の領主から寄進され、明治維新に至るまでは明石領主の祈願所として、その武運長久、五穀豊穣を祈りました。今なお小川谷部落の祈祷寺として、初午の縁日には大般若経の転続紫燈護摩の秘法を修行して各家の家運長久、緒願成就を祈願しています。
当寺の本尊馬頭観世音菩薩は、多くの観音さまのうちでは風変わりな仏様で、そのお姿も憤怒の表情を現し、大変力強さを感じます。経典によれば、この観音様は、信者を苦しめるあらゆる障害を食い尽くし、人々のいろいろの恐怖をうちくだき、一切の障害を信者の身辺に近づけないようにすることを誓願としていると説いています。ことに日本では馬頭観世音菩薩は、長い困難な道中を安全に帰着
することを祈る本尊として、長く信仰されてきました。今日でも山岳地帯の方々の道路のかたわらに、石仏馬頭観世音菩薩が安置されているのをよく見かけますが、道中安全すなわち交通安全をお祈りした証拠といえるでしょう。現在の社会において、我々の身辺をとりまく障害が沢山ありますが、その最大なものの一つといえば交通事故ではないでしょうか。
当山では、この障害から守っていただき、日々の生活が全うされるようご本尊馬頭観世音菩薩にお祈りした交通安全ご守護のお守りを信者のみなさんにおさづけすることにいたしました。当寺の本尊馬頭観世音菩薩のお守りを身につけて信仰されるならば、交通安全のご利益を得られるものと信じ、お勧めする次第であります』

20180331HarimaS0236s.jpg 空海像があり、鐘楼があったので、また手を合わせてゴーン。
ありがたい鐘の響き・・・。
20180331HarimaS0239s.jpg 立派な軒の長い大屋根の乗った本堂でした。
20180331HarimaS0244s.jpg 赤い賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)がありました。
境内の隅に鎮守社の祠があった。
20180331HarimaS0254s.jpg 護摩修行場があり、行の跡があった。
真言宗系修験道者の修行場なのかもしれない。
山寺に上がると、修験道の香りがしてくるので好きです。

山を下り、r355を西へ。
突き当りを右折しr20を北上。
「藤原惺窩生誕地」の案内板に惹かれて枝道へ。
20180331HarimaS0262s.jpg 美嚢川を渡ってすぐに大きな一本杉があったので、13:35寄り道。
「大雄寺」の道標に惹かれ、13:39「大雄寺」。
見るべきものはなかった。

20180331HarimaS0269s.jpg 13:42「藤原惺窩生誕地」。
この方の名前は存じなかったが、公家・藤原氏一門の誰かが、難を逃れて自らの荘園に下っていた時に生まれたのだろうと想像していた。
出自は冷泉家で、豊臣秀吉や徳川家康にも講義した儒学者で、江戸時代徳川幕府統治の基本になった儒学・朱子学思想を広げたパイオニア的な方でした。

現代日本人の上下関係を大切にする儒教的思想のベースは、武士の思想・行動からの流れから来るものと言われています。
江戸時代は、主君の先祖も含めこれまでの恩に報いるため、よっぽどのことがない限り仕官先を変えませんが、戦国時代以前は自らの働きに見合った実入りがないと判断すれば、自らを売り込み仕官
先を変えていました。

現代でも儒教原理主義で生きる朝鮮半島ではなく、日本江戸幕府は儒教をモディファイしいいとこ取りした朱子学で統治しました。
その日本的朱子学が確立した戦国末期~江戸時代に登場したのが藤原惺窩でした。

生誕地は広場になっており、藤原惺窩の像が立っていた。
側に台北市からの訪問者が記念に植樹した樹が2本あり、儒学つながりの訪問者と想像しました。

『近世儒学(朱子学)の開祖と仰ブれた藤原惺窩は、永禄4年(1561)冷泉参議藤原為純卿の第3子として此の地に生れた。7、8才の頃より、竜野の景雲寺において禅僧として修業中、父為純は別所長治の急襲を受けて討死した。凶報に接した惺窩は、母や弟妹を伴い京都にのがれ相国寺に入った。彼が18才の時である。
以来、学ぶところ幅広く、深く研錯を積み、ついに儒者となり、書において通ぜざるなしと天下に認められるに至った。その後、朝鮮出兵の捕虜として抑留された儒学者・姜はん(かんはん)との出会いで感化を受け、徳川家康には知遇を得て江戸にも招かれ治国の道を説き、度々儒学を伝授している。家康には、2千石の高禄を以って招かれたが、学問の自由を守って仕官を好まず、自らは清貧に甘んじ、洛北市原に山荘をかまえ悠々自適、学研に励んだ。
元和5年(1619)9月12日、59才の生涯を終った。門弟、林羅山・松永尺五(せきご)・那波活所(なわかっしょ)・堀杏庵(きょうあん)は、その四天王といわれ多士済々である。忠・孝・義を基本として礼節を尊び、大義名分を大切にした惺窩の学説(朱子)は、形式面においては、羅山により徳川幕府の官学として継承された。内容面は京都における尺五らに伝えられ、京学(けいがく)派として豊かな高い人間性を推進する本格的な学問として我が国の道徳、思想形成の上に大きく貢献した。心学五倫書・仮名性理(かなしょうり)・仮名性理竹馬抄・惺窩文集は数多い著書の代表作と言われている。墓は京都相国寺にある』

20180331HarimaS0275s.jpg 『藤原惺窩先生ゆかりの冷泉家 関白・藤原道長の第6子・長家を祖としている。
当初は御子左家(みこひだりけ)と称した歌道の名門である。平安時代末頃、俊成は千載集を著わした。その功により歌所の所領として細川の庄(細川町)を朝廷より賜り子孫に伝えた。その子・定家も新古今集を著わすなど我国随一の歌人と仰がれた高名な人であった。
為家の死後、長男・為氏は二条家を、次男・為教は京極家を、異母弟・為相(ためすけ)は冷泉家を興した。この時為氏と為相とに細川の庄の領有をめぐって相続争いが起こった。為相の母・阿仏尼(あぶつに)は鎌倉幕府に訴えるため、関東に下った。有名な「十六夜日記」(いざよいにっき)は、この時の紀行文である。訴訟の結果、細川の庄は冷泉家の領有となった。
室町時代の中頃、冷泉家は故あって2つに分かれた。此の頃の家系は二条家と絡み合って複雑ではあるが、水上にあった方を上冷泉、水下にあった方を下冷泉と区別して呼ぶようになった。そして細川の庄は、下冷泉家に引き継がれた。
やがて、応仁の乱により、京都が焼け野原となったため、政為の頃から領国である此の地に住まわれ、時折、御所に伺候(しこう)された。惺窩はこの下冷泉家に輩出した。天正6年別所長治の不意打ちを受け為純長子・為勝は討ち死にして、下冷泉家は廃絶したが、惺窩の子・為景は後光明天皇より下冷泉家の再興を許され公卿として代々朝廷に仕えた』

あまり知らなかった日本の朱子学の流れを知れ、有意義な寄り道だった。
やはり藤原氏流れの人でした。


3/31・志染の石室~御坂サイフォン~淡河八幡神社~北僧尾農村歌舞伎舞台

 11:26、「志染の石室」。
Pに入れ、山に入る所に獣避けフェンスがあり、開閉して山に入り遊歩道を歩いて行きます。
山側に桜が咲いている。

『志染の石室は、二皇子が隠れ住んだ所と伝えられています。皇子はやがて23代顕宗天皇(次男:弘計王)・24代仁賢天皇(長男:億計王)として即位されました。二皇子ゆかりの26代継体天皇お手植えの桜が岐阜県本巣市根尾谷に樹齢1500余年の老桜樹「淡墨桜」として今も咲き続けています。
本市に伝わる「二皇子物語」と縁のある「根尾の地」より苗木を譲り受け、市の発展と伝説の桜がこの地に根付き、更に次の世代へと花開き夢拓くことを願い市制50周年を記念しここに植樹する』

小川沿いの遊歩道が二手に分かれている。
20180331HarimaS0105s.jpg 野生の勘で下りの道を選択して進むと、志染の石室があった。
『志染の石室・金水 高さ2.7m・幅14.5m・奥行7.2mの石室で、中は一年中湧き水をたたえています。「日本書紀」によると飛鳥時代、後の顕宗天皇と仁賢天皇が幼少の頃、政変の難を逃れて隠れた石室といわれます。
その中の湧き水は、天然記念物の「ひかり藻」の作用により、12月下句~3月初句には色を変えることがあるため「窟屋の金水」とも呼ばれています』

20180331HarimaS0108s.jpg 『窟屋の金水は、志染の石室の中に湧く水が、ここに生息している「ひかり藻」の作用で春には溜まり水が金色になるなど、四季折々に色を変えることから、こう呼ばれています。ただし、最近では溜まり水が金色に変色することは稀になっている』

志染の石室は、地層の断面に出来た奥行きのない洞窟で、上から湧水が常に落ち、内部に池ができている。
確かに緑の藻が表層の一部を覆っている。
これが光藻なんだろうか?
冬に来ると金色に光っているのが見れる時があるのか・・・。
その前が広場になっており、石仏が並ぶエリアがある。
広場の中央に東屋があり、ここが紹介された新聞記事などのスクラップが壁に貼られていた。

広場を隔てて緩やかな流れの川がある。
遊歩道が続いており、それを山に上ると、更に二手に分かれていた。
小高い丘を周遊しているように見える。
奥の道を選択してもPに戻ると思ったけど、鋭角に曲がる方に進路を取ります。
もと来た道になりP。

r38を見下ろすように並走する枝道を東進します。
20180331HarimaS0118s.jpg 11:51「御坂サイフォン」の上を渡る地。
播磨の大穀倉地を支えているのは水です。
日本有数の溜池の多い地域ですが、明治時代イギリスの技術者を招き、三木市の北の地域から、丘陵地の起伏を上り下りしながら播磨南部に水を運ぶ大運河パイプトンネルを完成させました。
以来何度か更新されながら、現在に至っています。
ここから、パイプと共に淡河川を渡るアーチ式石橋や淡河川に向かって北の丘陵地から下るパイプ、そして反対に南の丘陵地を登っていくパイプが見える。
大土木工事の一端が見える現役でもあるが歴史史跡でもある「御坂サイフォン」の全貌が見渡せます。

20180331HarimaS0119s.jpg 『神戸市北区淡河町木津の川から引かれたこの疎水は、総延長26.3kmの水路です。
明治24年に完成した水路には、28ヶ所の隧道があり難工事であった。中でも芥子山(けしやま)隧道は、土質が崩れやすく湧水が多いため請負人の手に負えず、県の直営工事に改められた。3年4ヶ月を要した隧道が明治25年に完成し、新田を潤した。しかし豪雨によって築堤が崩壊し、明治27年復旧完成した』

20180331HarimaS0127s.jpg ふと見ると、近くの民家の枝垂れ桜が満開になっており、見物の方が数人いた。
そちらに移動して見よう。
見事に満開の姿を見せており、そのおうちの一家がテーブルと椅子を庭に出して自宅花見を楽しんでおられました。

20180331HarimaS0132s.jpg r38に合流し東進して、12:06「淡河八幡神社」。
淡河を領した有馬氏縁の神社で、何度か訪問しているが、満開の桜に惹かれての寄り道です。

『有馬氏 八幡神社本殿造立(増立) ご存知、中央競馬暮れのグランプリ『有馬記念』は農林大臣有馬頼寧(よりやす)氏の数々の功績を称え、記念して出来たレース。この有馬頼寧氏の先祖が有馬則頼(のりより)・豊氏(とようじ)父子で、則頼は三津田(満田)城で生まれ、後に淡河城主・淡河氏を滅ぼして淡河城主となる。ここに誕生したのが豊氏。有馬氏は八幡神社を祈願所として崇敬し、ご本殿をさらに大きく造立した。
後に有馬豊氏は、豊臣秀吉の勢力拡大に多くの功を残し、秀吉の恩恵を受け久留米21万石の大名となり、益々の発展を見たのである。
淡河氏は鎌倉時代に淡河城を築き、淡河の城下を整備。八幡神社は淡河氏の崇敬祈願所でもありました。淡河一族は今なお、全国各地で名士として活躍されています。
ご祭神 本殿 奈良時代末期より:表筒男命(うわつつのおのみこと) 平安時代中期より:安閑天皇(あんかん) 鎌倉時代初期より:応神天皇
末社(裏参道):武内宿祢命 末社(裏参道):大山津見神
遥拝所(裏参道):天満宮 遥拝所(境内上):伊勢神宮
銅像(境内上):神馬一体 句碑(表参道):坂井県知事・杜山悠(3年連続直木賞候補)』

『東播磨国・淡河郷鎮守・八幡神社 奈良時代末期・宝亀10年(779)住吉の神「表筒男命」を、次いで平安時代中期・仁平年間(1151-1154)吉野の神「安閑天皇」を祀る。
鎌倉時代の初め・貞応2年(1223)相州鶴岡八幡宮より「応神天皇」の御霊を迎えて社号を若宮八幡宮と称し、その神域を八幡の社と呼んだ。
創建以来、淡河郡(庄)一円の総鎮守と仰がれ、淡河氏・有馬氏・明石藩歴代の崇敬祈願所ともなった(明石藩・黒印高5石)』

『淡河八幡神社御弓神事(県指定重要無形民俗文化財) 御弓神事とは、一年の除災招福を祈る行事の1つで、毎年2月11日に社前で行われます。鳥居下の大的に宮司が「鬼」と墨書し、すぐ塗りつぶし、災害の根源を封じ込めます。次に氏子から選ばれた正副4人の射手が神前から矢を放ち、この的を射て、根源の悪霊を鎮圧し、的の中心を射た矢は神前に供えられます。古式をとどめた厳格な作法が守られており、その起源は相当古いものと思われます』

20180331HarimaS0150s.jpg 境内の奉納神馬の腹に、「五七桐紋」が描かれていました。
摂津有馬氏は巴紋、肥前有馬氏は木瓜紋、淡河氏でもありませんでした。
江戸時代この地を領した明石藩歴代藩主は、小笠原~松平~大久保~松平~本多~松平と続いていた。
菊紋と並ぶ天皇家の家紋で、武家を懐柔するため有力武家に使用を許した。
有馬氏は豊臣秀吉の登用によって家勢を上げたので、秀吉から有馬氏が賜ったのかもしれないし、秀吉縁として使用されているのかもしれません。
勝手に僕の想像の翼が広がって行きます。

20180331HarimaS0157s.jpg バイクに戻り、r38を東進し、R428との交差点を左折しR428を北上します。
淡河町北僧尾地区に入り枝道に逸れ、12:22「北僧尾農村歌舞伎舞台」。

『北僧尾農村歌舞技舞台 県指定重要有形文化財 江戸時代の末頃から明治にかけて全国各地で建てられた農村歌舞伎舞台の1つです。この建物は、安永6年(1777)の墨書があり、現存する舞台の中で最も古いものとして注目されています。
一般に舞台は神社境内に建てられることが多く、奉納芸能であったことがわかります。
神社には長床と言って神事のために使われる建物がありますが、この舞台はそれと舞台を併用した形に作られています。正面右端の突出部は、「チョボ床」と言われ義太夫・三味線の座で、舞台用に造られたもの。木組みで当初からあった事が解ります。正面下部にある横板は「バッタリ」と言われ、平素は雨戸として使い、上演の時は前方に倒し、舞台を広く使えるように「ちょうつがい」で結合されています。この装置は、この地区にあった15棟の農村舞台の特徴でもあります』

20180331HarimaS0165s.jpg 「ちょぼ床」があまりに小さく、ここに三味線奏者が入るとは辛い仕事だなと想像しました。
20180331HarimaS0166s.jpg 「バッタリ」も確認でき、バッタリの下に前に倒すと出てくる脚が一定間隔でついていました。
舞台を広く使う時、脚がないと安定しないものね。
でもまあ、もっと脚を太くするとか多くしないと、出演者全員が前に来ると脚が折れそうです。
綺麗に葺かれた茅葺屋根が厚く、とてもいい感じです。
今でも秋祭りの時などに、使われていそうです。
「厳島神社」の境内にあるのですが、歌舞伎舞台の方が存在感が強い。

細かな起伏が連なる農村地に点在する鎮守の森を視認してバイクで走ります。
20180331HarimaS0169s.jpg 12:32「厳島神社」。
手水舎の上に謂れ板が下がっていました。
『獅子舞の由緒 永正の頃より南僧尾村に在住していた能の一派・福王氏が天正の頃に創設したもので、松尾神社や厳島神社に奉納したものが伝えられたもので、類例の少ない雄獅子です。9/12に松尾神社・13日当社で奉納されている』

こんなに近くに、2つも厳島神社がある。
「六條八幡神社」の謂れ板に、六條判官為義から平清盛に、そして平家没落後源氏の領地に移ったと書かれていたので、平家領だった時代の名残りと想像しました。


3/31・六條八幡神社~無動寺

20180331HarimaS0048s.jpg 『八幡神社三重塔 重要文化財指定・大正3年4月 檜皮葺・初重内部来迎柱後退 山田の歴史は、神社を中心に発展したところで、多くの文化遺産を残している。
この塔は、500年前の文正元年(1466)神社の世話役であり、地方の有力者であった鷲尾綱定によって建てられた。
20180331HarimaS0051s.jpg 縁の木々を背景に、柔らかな檜皮葺(桧の皮で屋根をふく)と上層を区切る細縁の手すりなど優美な姿を見せている。軒先の強い反りや上層になる程小さくなる形に室町中期の特徴が見られる。
仏教建築である塔が神社にあるのは、神仏は一体であるとの考えの現れでが、明治以降は区別され、神社にあった塔の多くは姿を消しました。いま全国で18、県下で3ヶ所残っているが、その1つです』

拝殿にお参りしたら、「丹生山田の里だより」という「ご自由にお取り下さいパンフレット」が置いてあった。
源義経~鵯越の道、相撲と山田、お不動様、義経と三草山などの項目で解説されており、以前訪問した「朝光寺多宝塔」が写真入りで紹介されていた。
上谷上天満神社の農村歌舞伎舞台の茅葺屋根の葺き替えも紹介されていた。
訪問してみたい場所がまた増えた。

本殿の左エリアを巡っている間、社務所の会話が何となく耳に入っていた。
氏子さんらしい年配の男性とその娘さんらしい女性が社務所を訪問した。
誰もいないので呼び鈴を押して、インターホン越しに会話している。

社務所に出てきた方に、「お願いしていたご祈祷をお願いしに来ました」「え~と」と応えたのは宮司さんの奥様らしい。
しばらくして出てきた宮司さんは困惑気味で、予定になかった風。
「今日の何時でした?」「・・・」「また出直して来ましょうか?」「いえ、15分ほどで準備できますので・・・」。
本殿の方に歩いていかれ、拝殿前で男女が待っている。

20180331HarimaS0055s.jpg そんな光景が僕の後ろで動いていた。
一段落したのを見計らって社務所を覗いた。
数種類の絵馬が下がっていたので、それに興味があった。
また誰もいなくなったと思っていたら奥様がいた。
縁結びの御守りの柄が、男女が向き合う柄で珍しかったので授かった、600円。

20180331HarimaS0060s.jpg バイクに戻り、枝道を山に登って行き、10:13「無動寺」。
『無動寺 真言宗 高野山の高僧、真源和尚が郷里の荒廃した寺院の再興を発願し、半生を捧げて村
人と共に復興(宝暦2年・1752)したのが今の無動寺です。古い確実な記録はありませんが、仏像が平安期のものであり、鎖守社であった若王子神社に永仁5年(1297)の棟札があることなど、古くて大きな寺院であったことを示しています。
仏像五躯:いずれも平安末期の仏像として、国の重要文化財に指定されています。
木造大日如来坐像:巨大な丈六仏(立てば一丈六尺)で、如来でありながら宝冠や装飾品をつけ、独特の手印を結んで広大無辺の慈悲を表しています。顔は面長で奥行があり、腰はしぼられ、下半身は大きく作られています。彩色されない素地像や地方作が多くなるのはこの時代からで、この像もその一つと見られています。
木造釈迦如来坐像:量感があり、意力に満ち、前方を見つめる眼、頭部の盛り上がりと地髪との境がはっきりしないこと、螺髪(らほつ)が大きいことなどは平安初期の仏像に見られる特徴ですが。彫法が浅く鋭い切味を消している点で後期の作と見られる。
木造阿弥陀如来坐像:極楽浄土の主として広く信仰されています。他の4像が檜材であるのに対し、この仏像は杉材で造られていて、時期もやや下がるのではないかと見られています。
木造十一面観音立像:頭上に十一面をいただく観音で、お顔は端正で気品があります。柄紋中央の渦紋(かもん)、裳すそが足首より上にあるなど古い形式が見られます。
木造不動明王坐像:火焔を背に剣を持ち、眼を見開いたお姿は、大日如来の力を現したものです。内部は見事にくりぬかれており、中央仏師によって造られたと見られています。光背の火焔は江戸時代の作です』

20180331HarimaS0076s.jpg 鐘楼があったので、寄付箱にお賽銭して手を合わせゴーン。
良い響き・・・。
定番の弘法大師像が境内にある。
謂れ板に書いてあった仏様を拝みに本堂に入ると、女性の方がおられた。
ご住職の奥様を話されているようです。
拝観料300円をご住職に渡すと、縁起パンフレットがいただけた。

20180331HarimaS0069s.jpg 「グルリと一周できますので・・・」。
本尊正面に座り、手を合わせいつものように、これまでの僕の人生の平穏な来し方に感謝の言葉を述べた。
山寺であるためか兵火に遭っていないようで、仏像は素晴らしかった。
彩色されず木地そのままの本尊は珍しい。
そして意外に大きかった。
説明板で、これら数体の仏像が、大きなお厨子に入っているのがわかった。
土蔵が本堂後ろにピッタリくっつき、大きな土蔵扉が本堂内に向かって開いている感じです。
これまた珍しい。
この構造なら、火災発生時でも、巨大厨子の扉を閉じれば仏像への延焼を食い止められそうです。
民家は土蔵を使った工夫がいろいろされて来たのに、寺院では本堂内お厨子に本尊がおられても、お厨子が木製だったりで、火災に対しては無防備だったように思う。

20180331HarimaS0070s.jpg パンフレットには、『推古天皇の時代、聖徳太子が物部大臣守屋を討たんとして、鞍作為(為仏師)に命じ、本尊大日如来及び諸尊を刻ましめて戦勝をご祈願されたところ、忽ち大軍を征破することができたので、七堂伽藍を建立して普救寺(福寺)と名付けられたのに始まります。
その後幾度か盛衰の変遷があり、記録等は散逸して、多くを知ることができません。縁起(慈雲尊者真筆)によれば、現在の堂宇は中興開山池源阿闇梨か帰省の折、当寺の荒廃を見て、復興の悲願を発願され、二十数年の勧進努力の結果、宝暦2年(1752)3月、再建されたものであります。
明治8年廃仏毀釈により、末寺と統合して現在に至っております。中興開山員源阿闇梨(1689~1758)は北区山田町中の出身で、高野山成蓮院に住し、左学頭にまで昇補された高僧です。
本堂・奥殿:指定文化財が安置されております。いずれも平安時代。国指定重要文化財 大日如来座像:桧材一木造:像高2.7m 釈迦如来座像:桧材一木造1.2m 阿弥陀如来座像:杉材一木造1.2m 不動明王座像:桧材寄木造0.84m 十一面観音立像:桧材一木造1.5m  県指定重要文化財 阿弥陀如来座像:桧材寄木造・1.2m
若王子神社本殿(国重文) 無動寺の鎮守社で、若一王子権現を祭祀し、永仁5年(1297)および応永15年(1408)の棟札があります。三間社流造の社殿で、屋根に竪板葺を残しているのは珍しく貴重です』

境内の片隅に石鳥居があり、そこから石段が上がっている。
上がっていくと覆い屋に守られ本殿があった。
ここらは、明治維新の廃仏毀釈の嵐が穏やかだったようで、それ以前の神仏習合の姿がそのまま遺っているようです。

『若王子神社本殿 重要文化財(国指定大正3年) 神社建築に多い三間社流造の社殿。棟札により、室町初期・応永15年(1408)に建てられたものとわかる。
無動寺(昔は福寺)の鎮守社として建てられた。570年の長い年月を経ていますが、当時の姿をよく残し、この時代の建築様式を知る上で貴重なもの。 屋根を厚板で葺いている。 側面(妻)上にある破風板は、曲線の一枚板。 破風の出会っている所の棟木の飾板(懸魚)もなだらかな曲線で彫られている』

うぐいすが綺麗に鳴いている。
我が家にも例年通りうぐいすが鳴き、夜が明けるとそれが聞こえてきて、春の訪れを告げてくれています。

バイクに戻り、山を下りr85に出て西進。
10:56「ローソン神戸山田町坂本店」で、「ミニクリームパン100円+ボスとろけるカフェオレ162円=262円」を購入。
11:05「呑吐ダムP」に到着。
先客バイクが4台いた。
座ってパンを食べ昼食。
皆さんはそれぞれのバイクの周りを見ながらあ~だこ~だ。
11:16に出発し、r85をさらに西進~北進しr38に突き当り、左折してr38を西進します。


3/31・六條八幡神社

1週間前、コーチしてる大学ヨット部が僕のホームポートをホームとしている大学ヨット部(大阪・神戸)にお世話になり、合同練習をしました。
水曜日にトラックに船を積んで移動し午後から練習開始し、金曜まで朝から夕方まで同じタイムスケジュールで海上練習し、食事も日没後のミーティングもご一緒しました。
最後の土日2日間は、僕の母校KGが主催するレースに参加しました。

僕は土日のみ参加しました。
私自身が他大学にお世話になるのに、その前に時間がなく手ぶらで参加してしまいました。
僕の不義理は、クラブの不義理に繋がるので、数日前に「もち吉」でおかき詰合せを3つ購入しました。
缶入りなので、食べ終わった後何かに使えそうです。

朝の出艇前にヨットハーバーに寄り、お礼を言ってからツーリングに行くことにしました。
7:31、「里山VTR250」に乗り自宅出発。
雨は降らない予報なので、リアのバイク便ボックスからカッパを降ろすと、おかき缶3つしっかり入っちゃいました。
ネットで括ろうと思っていたのにラッキー。

この日から春秋装束に変更しました。
下着の上にタートルネックとタイツを履いて、夏用メッシュプロテクター上下を着ます。
その上にDAIWA釣りスーツです。
防水スーツだし防寒だし、薄いので軽くお気に入りです。
バイク用レインスーツのように細身でないのが嬉しいです。
寒ければ中に色々着れます。

R171を西進し、7:54YH着。
カードキーでディンギーヤードに入り、学生の艇庫に向かいます。
神戸・大阪は開いており、フィッティングした艇が艇庫前スロープに並んでいます。
神戸艇庫前では練習に出艇するようで、部員が集まりだしています。

「すいません、先週お世話になった・・・」と声を掛け、キャプテンにお使い物を渡し、今後の交流をお願いし頭を下げます。
続いて大阪。
部員はスロープにおらず、艇庫内にもいないので、2Fドアをノック。
返事がないので「ごめんください」とゆっくり開ける。
「先週お世話になった・・・」。
出艇前のリラックス時間だったようで、キャプテンにお礼を言いお使い物を渡し失礼します。

階段を降りていると、女子部員が追いかけてきて「N君(当方の男子部員)と電話で話していたら、・・さん(私)からのレースビデオ解説がとっても良くて参考になったと言われたのですが、どんなことをお話になったのですか?」。
「私が撮ったレースビデオに写っている動作やコース取りについて、私なりのコメントをメールに書いて部員みんなに送っただけだよ。一言では話せないから、・・君から私が送ったビデオとメールを送ってもらったらいいよ。ビデオと写真はグーグルドライブにアップしてるから、アドレスを教えてもらえればダウンロードできるよ」と伝えました。
「いいんですか?」
「もちろん、参考になれるといいけど・・・」。

続いてKG艇庫に行くが開いていません。
ドアにキャプテンやマネージャーの電話番号が書いてあったので、キャプテンに電話してみました。
寝ぼけた声で出てきたキャプテンに、本日の練習の有無を聞いたら、予想通り練習休みでした。
4月は新人勧誘習慣に入り、次週から新歓試乗会が始まるそうです。
仕方ないのでお使い物を持ち帰ることにしました。

バイクに戻り、リアボックスに入れ、8:27YH出発。
湾岸線側道を東進します。
橋を上がった所から海側を見ると、変わった線形の船がいたので緊急停止し激写。

20180331HarimaS0001s.jpg こんな斬新でラグジュアリーなヨットがここにいるなんて・・・個人所有・会社所有であっても創業者オーナーの鶴の一声が想像され、日本人オーナーは想像しにくい。
ビル・ゲイツとかアメリカの世界トップの資産家所有を想像した。
日本好きで、お忍びで時々来日しているらしいし・・・
帰宅後調べたが、情報はありませんでした。

R43にチェンジし神戸へ。
新神戸駅から阪神高速32号新神戸トンネルに入り、箕谷に抜けR428。
枝道に逸れ、9:20「天津彦根神社」。
20180331HarimaS0004s.jpg 満開のソメイヨシノが境内を彩っていた。
20180331HarimaS0008s.jpg 境内は、「平野八王子市民公園」として広場になっており、蟇股の彫刻が素敵な本殿が建っていた。
20180331HarimaS0010s.jpg 脇障子にも鳳凰?と鷲の彫刻が彫られている。

正面柱の花箱には新鮮そうな榊が添えられており、周辺住民の信仰の篤さを感じる。
谷が開けたばかりの地形ですが、農村風景が広がり神の自然からの恵みに感謝して命を繋いできたのだろう。
暑くなってきたので、DAIWA釣りスーツのジャケットを脱いでバイクに戻った。

20180331HarimaS0020s.jpg R428に戻って西進し、9:41「六條八幡神社」。
志染川の恵みを受けた丘陵田園地で「山田」と呼ばれる地区です。
この神社の参道が広く、木々の間から多宝塔が見える。
地域の大社に神仏習合時代の痕跡である寺院のシンボル多宝塔・・・「これは凄いかも」、機体に胸が膨らむ。

「山田町遊歩道マップ」が立っており、寺社がたくさん存在する。
古くから拓けた地でしょう。
「八幡神社及びその周辺」と書かれた観光案内板には、本殿の横に三重塔が書かれている。

『御祭神:応神天皇 摂津丹生山田六條八幡宮縁起によれば、古くは若宮八幡宮と称せられ、昔、神功皇后紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門に御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮を営み給う所となりと伝えられている。
後、人皇60代一條院の御代に周防國大嶋郡の基燈法師(きとうほうし)がこの地に来て、長徳元年(995)5月、黒木の賓殿一宇を建立し、八幡三所の神霊を勧請した。更に、人皇74代鳥羽院の御代保安4年4月(1123)、六條判官源為義がこの山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六條左女牛(さめがい)の八幡大神を京より勧請合祀し、いにしえよりの八幡宮を再造した。これよりふたたび神徳あらわれて多くの人が崇敬し、為義の称号をとって六條八幡宮と申し奉るようになった。
なお、室町期における神佛混淆の名残りで、今も境内に三重の塔(文正元年・1466年建立)があり、重要文化財の指定を受けている。
八幡宮の所在する東大寺領山田荘は、平清盛領越前國大蔵荘と、永万頃(1165~1166年)交換、一時、平清盛領となるが、平家没後、源頼朝が接収し、京都六條の左女牛若宮に寄進されるなど、源氏平家ゆかりの地と伝えられている。
境内社 稲荷神社:宇賀魂命(うがみたまもみこと) 住吉神社:住吉三神・神功皇后 山王神社:大山祇命 大歳神社:大歳神・高良大神 猿田彦神社:猿田彦大神
祭日 1月19日:厄除祭:引目神事 9月第3日曜日:神幸祭:神輿渡御 10月第2日曜日:例祭:流鏑馬神事(神戸市登録・無形民族文化財)』

流鏑馬神事があるので、参道が広いのですね。
境内にイチョウの巨木があった。
拝殿前舞台は絵馬殿にもなっており、古そうな絵馬が下がっている。
20180331HarimaS0038s.jpg 木製ですが神馬が奉納されており、その厩もあった。

20180331HarimaS0041s.jpg 絵馬掛けには、「大願成就」「合格祈願」「開運招福」の絵馬が下がっていた。
「世界へ」と書かれたものや、「神戸にシリコンバレーをつくる。イノベーターとして牽引する」と大きな夢が書かれた絵馬が目に付き、この地の大きな目標を持った若者が多いことを感じる。
そして「命名・・」と書かれた絵馬も下がってる。
僕も息子2人に氏宮宮司から名前を授かったが、そんな古風な伝統が続いている地も感じる。
この絵馬を見ていて、この地がちょっと好きになった。

20180331HarimaS0043s.jpg ソメイヨシノがちょうど満開で、我が家近在より内陸に入るだけあって、少し遅いようです。
椿の赤い花がたくさん落ち、地面を彩っていた。
左右のソメイヨシノの向こうに鎮守の大木に守られるように三重塔が佇んでいる。


3/23・ハーシーズ・チョコレートの街

長男のお嫁さんから、家族LINEに写真投稿されていました。
20180325Y6870s.jpg 住んでいるニュージャージー州のお隣・ペンシルベニア州にあるハーシーというチョコレートの街に行ってきたそうです。

写真を見ると、「HERSHEY'S CHOCOLATE WORLD」となっています。
20180325Y6872s.jpg
ご機嫌で子供カートに乗ってる子供たちや、チョコレートの前で笑顔の家族が写っていました。
ハーシーズはお菓子会社なので、チョコレート工場併設の施設なのかもしれません。
20180325Y6871s.jpg この手の施設は、企業PRも兼ねているので、お得感満載でお土産にチョコレートを貰えそう・・・

3/25・ヨットレース2日目

西宮KGレース2日目です。
ヨット部同期のD社Hくんも来るので、ハーバー送り迎えがあるかと思い車で出動します。
行きは大阪大GMのKさんに駅でピックアップされると言ってたけど、帰りはわかりません。

7:26、「セブンイレブン」で「味付け海苔海老マヨネーズ130円手巻き辛子明太子140円=270円」を昼食用に購入しました。
定番の「助六」は売り切れていて残念。

R171を西進し、8時にYH着。
Hくんに電話したけど応答なしでした。
部員に挨拶し、KG監督やジュニアから知ってる子でKGコーチになったM君と話しました。
M君は1週間前のD社主催レース(65艇出場)で優勝しています。
現役レーサーなので、身体の動かし方について質問しいろいろ教えてもらいました。

8:30になり、KG監督がレース前スキッパーズミーティングで挨拶・レース運営の説明をします。
この日は、KGのOBであるジュリー(審判)2名が参加し、オン・ザ・ウォーター・ジャッジしてくれるので、風が弱いこともあり1時間ほど、審判から見た注意点を話してくれました。

風が入ってきたので全艇出艇。
大阪GM・Kさんが、コーチボート上で僕・H君・女子マネさん達の集合写真を撮ってくれました。
D社H君は喋りなので、「KGとの定期戦ではコテンパンに負けたけど、全日本インカレでは2位やったんや」や、「こいつ学生個人No1スキッパーやったんや」と僕の学生時代のことも披露してくれました。
言ってくれ~言ってくれ~、うちのマネージャーさん達が驚いていました。
うち2と大阪2=合計4人も、うら若い女子マネさんと同船なのに、テンションが上っています。
こんな世界に毎月数度通っている僕が羨ましいだろう。
男はいくつになっても女子に弱いです。

20180325NishiP0517s.jpg 一旦風が落ちましたが、10:30を回って沖からブローが下りてきて、11時470第1レース・スタート。
うちは、14時に船の積み込みがあるので、13時以降スタートのレースには参加せずハーバーバックします。
20180325NishiP0530s.jpg その時間まで6m/sほどの良い風の中、3レース出来ました。
S級最終レースでトップフィニッシュしました。
470も第2レースで2・3位でした。

S級のフィニッシュ後、女子マネをS級レース艇が迎えに来る予定でしたが、GM・Kさんが「濡れるから、ハーバーまで帰るよ」とのご厚意に甘えさせていただきました。
20180325NishiP0555s.jpg 疲れたので、Hくんも船を降りて帰るとのこと。

僕は降りても解装を手伝う必要がないので、再びレース海面に戻りました。
15時前にレース終了しハーバーバック。
ハーバーに戻ると部員は1台の大型トラックにレース艇6艇を積み込んでいました。
それを見送った後、この日気づいたことを10分ほどブリーフィングしました。

帰路に着きます。
新西宮ヨットハーバー7:56~16:45・900円。
帰宅後家内とあれやこれやお喋り。
1日中自宅にいたそうで、申し訳なかった。
ついてくれば、一緒に乗せてくれたと思うのに・・・

3/24・ホームポートでヨットレース

コーチしてる大学ヨット部が、水曜日から日曜日まで、僕のホームポート新西宮ヨットハーバーに春休みを利用して遠征しています。
神戸大学と大阪大学の艇庫に分散宿泊させてもらい遠征費を助けてもらいました。
全部員が宿泊するのは無理なので、今週クラブは3つに別れ活動しています。
主力&新2回生選抜チームが西宮、スナイプ新3回生チームが江ノ島遠征、新2回生が主力の残りが地元琵琶湖です。

僕は、西宮合宿土日に参戦する母校KG主催レースのコーチングに行きます。
前日、D社同期H君が大阪大ヨット部を手伝ってるというのを思い出し、「明日行くの?僕は行くよ」とメールしてみました。
「行かない」との返信で、ちょっと残念でした。

朝ゴソゴソし、6時から出発準備を始めます。
朝ごはん食べて、通勤リード110で出発しました。
7:15「セブンイレブン」で、助六寿司とブレンディ挽きたてカフェオレを購入。

R171を西進し、7:45にYH着。
ディンギーヤードに入ると、レース艇がズラリと並んでいます。
近大・関大・社会人2艇も参加するようです。
部員と挨拶しているとキャプテンがやってきて、あ~だこ~だ。
キャプテンが乗っていたニューポートが練習中接触して傷んだそうで、神戸から艇を借りて出場するそうです。

1週間前、琵琶湖でのD社主催レースに遠征して来ていた母校コーチKくんがいました。
レース委員長をするようで、「たくさんレースをする予定なので、宜しくお願いします」とのことで、こちらこそ望むところなので、「バンバンやってよ」と頼みました。
彼のお父さんは、僕が4回生の時、高校3年生だったヨット部後輩です。
KGは当時高校と大学が一緒に練習していたので、良く知っていました。

僕は社会人になりジュニアヨットクラブを立ち上げ、数年後次男がそのクラブ員になりました。
部員を一本釣りすべく、彼のお父さんに「息子、ジュニアヨットやらんか」と声を掛けヨットを始めました。
高校生の時、世界選手権で優勝しました。
チビの時から知ってる子が社会人になり、ヨットの世界を盛り立てているのを見るのは大きな喜びです。

お世話になっている大阪大ヨット部監督さんなどがおられたので挨拶していると、8:15「京阪神ヨット大会」の開会式が始まりました。
3日間一緒に練習して、その成果をKGレースで試します。
その成績から、各校×6艇抽出して競う大会で賞状さえないローカルレースです。
開会式と言ってもブリーフィングのようなもので、大阪大の先輩に続き私も突然指名され、長男が大阪大のライフル射撃部所属だったエピソードを交え、両校への感謝の気持ちを伝えました。

8:30、KGレースの開会式です。
こちらもローカルレースなので、スキッパーズミーティングの拡大のようなブリーフィングで、コースなど簡単な取り決めをレース委員長Kくんが説明し終了。

東からの風が消え、南からの海風に変わりました。
セイルを上げ、各艇出艇して行きます。
僕は大阪大のレスキューボート「摩耶」に乗せてもらいました。
安定した海風が入るSWの風向ではなく、摩耶は上マーク設定担当なので、本部船より南の海面に大きく出して準備しますが、しばらく風待ちです。

20180324NishiP0443s.jpg ご一緒した大阪大ヨット部GM・Kさんは、僕のD社同期H君と知り合いで、時々Kさんのクルーザーに乗っているそうです。
このセーリング・クルーザーは、有名な弁護士・中坊さんがいろんな流れで購入したそうです。
一緒に組んで弁護士事務所を開いていた方が浪費家で、まとまった収入があった時、物に変えておかなければ飲み代に消えてしまうと思った中坊さんが手に入れたそうです。
でも中坊さんはヨットに乗ったことがなく、その管理運用をするようになったそうです。
その他、いろんな話をしました。

20180324NishiP0450s.jpg 同じ学連上がりヨット乗りで、長年同じヨットハーバーで学生時代を送った仲なので、学年は違えど話が弾みました。
僕の同期の大阪ヨット部員をKさんは知っており、その反対もです。
既にリタイヤされており、ヨット部GMとして手伝っているそうです。

神戸大の女子マネージャー・大阪大男子部員・うちの女子マネージャーも乗っており、なんだかんだ暇に任せ話します。
若い子と話していると、昔話ではなく、輝かしい将来への話が主になり楽しいね。
神戸女子マネさんは、文学部スペイン語学科だそうで、新4回生なので就活で語学を生かせる旅行社や航空会社を狙っているそうです。

長男のお嫁さんが航空会社なので、その流れからアメリカに一家で住んでいる話をしたら、Kさんもシカゴ勤務が長かったそうで、-20℃の生活など話がまた盛り上がりました。
「商社も語学が生かせるのに・・・」と勧めると、それはパスだそうです。

11時が近づき、SWの風が入ってきました。
本部船から指示があり、マークを設置しレース開始です。
20180324NishiP0460s.jpg 3m/sほどの風の中、レース艇が続々と風上マークを回航して行きます。
フィニッシュしたら次のレースコールがあり、良い練習になります。

20180324NishiP0463s.jpg 12:30になると、6m/sほどに風が上がり、ピークで8m/sでした。
16時にスナイプ級・第7レースがスタートし、フィニッシュ後レース艇がハーバーバックしたのは16:30を回りました。
11時から良い風が入り、ガンガンレース出来、とても良い練習になりました。

20180324NishiP0469s.jpg 470級で2回・S級で1回トップホーンを鳴らすことが出来ました。
関西水域の雄KGとレースが出来、それとの差を感じることが出来ました。
7レース総合で、470級は1・2・3とKGでしたが、その次のグループに4回生2艇が入れました。
S級は、1・2とうちが続き上出来でした。
自信を持ったでしょう。

20180324NishiP0475s.jpg 470・S級ともに3回生スキッパーは来ておらず、新2回生が各2艇参戦しました。
高校ヨット部出身スキッパーが1名ずつ出場しましたが、ヨットを始めて1年のスキッパー艇もそれに遜色なく走り、僕はとても嬉しかった。
みんな、しっかり練習出来ています。

ハーバーに上がり、大阪大GM・Kさんから「明日もおいでよ、D社H君来るよ」と誘われました。
予定では1日のみでしたが、朝家内から「2日間行ってきたらいいのに」と言われていたこともあり、明日もお世話になることにしました。
日中、H君からKさんに電話が入り、「良い風吹いてるよ」と誘っていました。

「レース艇解装~食事~470とSチームに別れ3大学合同クラス別ミーティング」というタイムスケジュールなので、解装中に時間を取ってもらい、レースで気づいたことをブリーフィングしました。
そして帰路に着きました。
帰宅後仕事をして1日お終い。

3/23・救急講習会

朝から昼過ぎまで、「救急講習会」に市内の消防署に行ってきました。

プロの救急隊員に引き継ぐまで、一般人が行う救命処置を学びに行きました。
AEDが街なかに設置させるようになり、仕事場や学校で救命方法や実際のAEDを使った実技を受ける機会が増え、何度も体験しましたが、消防署での実習が人数も少なく最も身につきます。

今回は、消防署での講習会2回目です。
前回は10年前かな。
それまでも、それ以降も仕事などの講習の一環としてAED講習を受けましたが、みっちり3時間の講習は、消防署でないと受けられません。

毎月行われていますが、今回の受講者は7人で、前回の半分ぐらいです。
AEDを体験された方が増え需要が減っているのかもしれません。
救急救命技術は進歩するので、最新のものを知りたくて再講習を受けてきました。

消防本部に着くと、ちょうど始業点検中でした。
救急車の赤色灯が回転し、消防車のエンジンがかかり隊員がせわしなく動いていました。
講習会場に入ると受付があり、電話申し込みしていたので名簿が出来ており、名前を伝えるとそれに丸をするだけでした。

テキストをいただき、席に着きます。
けたたましい緊急音の後に「只今マイクのテスト中」というアナウンスが流れました。
現場の日々の緊張感を感じました。感謝せねば・・・

20代の女性救急隊員から説明を受けました。
アシスタントは、救急救命指導者資格を持った一般の男性で、主にこのお二人が座学・実技指導してくれました。
はじめに伊丹市の救急の現状が説明されました。
2017年1年間で救急出動した件数は10032件、救急搬送したのが9032人。
その52.4%が軽症故当日帰宅されました。

前回講習では、119番へのいたずら電話・超軽症での依頼が困ることを話されたが今回はありませんでした。
少しマシになったのかな?

伊丹市は5台の救急車で回しているそうで、現場への平均到達時間は5分だそうです。
全国平均は7分ということで、その早さに驚きました。
日本は救急車依頼・搬送が無料だから、どうしても依頼が増えます。
それでも5分とは素晴らしいです。
長男が住むアメリカは、州により変わるし、保険の種類によって変わるが、緊急でない出動1回で100万単位の請求が来ることもあるそうです。
緊急なら無料だけど、そうでないなら費用が発生するという制度もアリだと思いました。

10032件/365日=27.5回/日/5台=5.5回/日/台。
1台の救急車が24時間で5.5回出動しているということです。
この講習中も、2回サイレンを鳴らし出動していました。

座学1時間後、2時間目は実技です。
要救護者の発見~安全確認~意識確認~助けを呼び119番依頼とAED持参依頼~呼吸の確認~胸骨圧迫・人工呼吸~AED到着後の一連作業~胸骨圧迫・人工呼吸のエンドレスな繰り返し。
人形とAEDを使って、指導員さんと消防隊員さんが質問を受け付けながら模範実技です。

女性救急隊員さんは広島出身で、高校生の時は原爆ドームでボランティア説明員をされており、そこでAED実技に触れたそうです。
大学で救急救命ボランティアサークル活動を続け、消防隊員になったそうです。
隊員になった後も講習を受け資格を取ったそんなベテランでも、初めて心肺停止の要救護者に相対した時はドキドキ胸が高鳴ったそうです。
一般の方だからルーティーンを忘れて当たり前、出来なくて当たり前だから、恥ずかしがらず体験していってくださいとのことでした。

2時間目は、ひたすら胸骨圧迫の実技です。
「胸が5cm(単3乾電池の長さ)凹むぐらい押さないとダメ」
「1分間に100回」が目安なので、「もっと強く」「もっと早く」と講師から声がかかります。
要介護者の真横に座り、手首を胸骨下半分に当て、もう一方の手で胸に置かれた手の指を絡め、肘を伸ばし馬乗りになる要領でガシガシ押します。

救急隊員でも要介護者の胸骨を折るのが日常茶飯事で、それぐらい強く押さないと血液を全身に送れないそうです。
骨折はいずれ治るけど、心臓が止まると血液が全身に回らず脳から回復不能になるから怖がらないで!

100回連続で押すと腕が筋肉痛です。
吐血や吐物があると出来ないし、病気感染が気になる方のしなくていいが、胸骨圧迫30回に付き2回人工呼吸します。
胸骨圧迫のみエンドレスでするより、人工呼吸2回を入れる方がリセットでき長続きするそうです。
可能なら2人以上で胸骨圧迫を交代する方が、押す力が低下せず再生効果が高いそうです。
2時間目はハードでした。

3時間目は、講習生が2人一組になり、第一発見者と119・AED役に分かれて実技です。
全員が指導員からのアドバイスを受けながら実技し終えたところで、役者交代で2クール目です。
「次はもっと具体的な実技をします。志願する方は・・・」
とのことで誰も手を挙げないので、何度か質問をしお手数掛けたので、「じゃあ私にやらせてください」と手を挙げました。
私が立つとすぐに別の男の方が「私も」。

「どっちします?」と聞かれたので、「じゃあ第一発見者役を」とよりハードな方を選びました。
こんな機会はあまりないので、少しでも体で覚えて帰らねば・・・。
隊員から出されたシチュエーションは、「ここはスポーツクラブです。あなたはそこの指導員。プールで溺れた方が出ました」。

「あ~えらいこっちゃ」。
肩を叩いて「どういたしました?」さらに肩を強く叩き「大丈夫ですか?」もっと強く声も大きく「大丈夫ですか?」。
「誰か助けてください」と手を挙げ声を張り上げます。
「はい、何でしょうか?」
「119番に電話してください。2FにAEDがあるので持ってきてください。なくても必ず帰ってきて手伝ってください」
「わかりました」。

胸の上下を見て、呼吸の有無を確かめます。
1・2・3・4・5・6「呼吸がありません。胸骨圧迫をします」ドンドンドンドン30回。
続いて額に置いた片手を鼻の穴を抑え、もう一方の手で顎を上げ気道を確保し人工呼吸2回。
胸骨圧迫ドンドンドンドン30回。

「AED持ってきました」
「使えますか」
「はいたぶん」
「ではお願いします」。

AEDの蓋を開ける同時に電源が入り、アナウンスが流れます。
「パットを貼ってください」
「体に触らないでください、心電図を図っています」
「離れてください」。

ここでアクシデント、救急隊員さんが「あなたどうしたの?」と足を揺すりに来ました。
「危ないから離れて!」と咄嗟に声が出て、腕で遮りました。
「充電中です、体から離れてください」
「危険です、離れてください!」
「点滅ボタンを押してください。体から離れてください」
「危険です、離れてください!」。
ボタン・ポン。
胸骨圧迫再開ドンドンドンドン。
「交代しましょうか?」
「はいお願いします。人工呼吸は私がします」・・・

「救急隊員です」、ここでレスキューが到着しました。
AEDのある場所を指示し良かったです。
救急隊員の立場から言うと、救急車の最も便利な着ける場所もあるので、スポーツクラブ指導員への連絡を指示していただけれとありがたいと言われました。
なるほど、確かに・・・

質問の中に、「力の入れ具合など下手だから躊躇しやすいが・・・」の答えに、「上手でなくても、しないよりずっと生存率が高くなります。心臓が止まっているので、何もしなければ血液は全く動かず、酸素が来ない細胞は死にゆくのみです。胸骨圧迫は心臓のポンプです。あなたの抑える力が弱くても、血液は動くので細胞への酸素供給が少しでも復活します。勇気を持って行動してください」。

座学で、居合わせた方が救命処置をしたら救命可能性が倍以上になると教えてもらいました。
心臓が止まって6分後で、何もせず救急隊員が駆けつけた場合で10%・それまで救急処置をしていた場合は30%。
10分後で5%と20%、20分後なら1%と5%。
救急隊員が到着後に電気ショックを行った場合の社会復帰率は19%で、住民が到着前に電気ショックを行った場合は43%です。
この差は大きいです。

「普通救命講習会修了証」を渡されお終い。朝受付で提出したこの証をしっかり見ると、平成19年11月19日伊丹市消防署長交付となっていました。
裏を見ると、再講習の記録H30.3.23伊丹市となっていました。
大学ヨット部~ジュニアヨットクラブ~大学ヨット部とコーチ業を続けているので、文部科学省のヨットコーチ資格も持っており更新しています。

AEDが登場した当初、アチコチの勉強会でこの講習を受け、何数回体験したこともありましたが、最近は減りました。
消防署での救急救命講習を、3年に1度ぐらいは受けておかねば。

3/21・スマホ・LINE・ハワイ

家内のスマホに電話番号・メールアドレスを入れました。
ガラケーでも会話する相手はお姉さん・姪・息子たち・お嫁さんたちだけなので、手作業での入力でしたがコツを掴んだ後は簡単でした。
その他は、僕の立ち回り先ぐらいで、仕事関係も少しです。

家内のスマホ最優先作業が落ち着いたので、僕のタブレットに入れたLINEで、次男お嫁さんから届いた「我が家(息子夫婦4人グループ)」への参加お誘いにOK返事をしました。
続いて、PCでもLINEを見れるように、PC用LINEをダウンロードしました。
設定も済ませ、PCとタブレットのLINEが同期しました。
これで2つの端末から同じ僕のLINEが操作できます。

作業中、僕のタブレットLINEに、お嫁さんから「お父さん、「我が家グループ」に参加できたのですね。写真送ります」とのメッセージと、この日のハワイでの写真が届きました。
20180321Hawai0025s.jpg
孫のスミレちゃん1才半はノースリーブで抜群の笑顔です。
20180321Hawai0030s.jpg  20180321Hawai0051s.jpg 20180321Hawai0055s.jpg 20180321Hawai0060s.jpg 20180321Hawai0062s.jpg 20180321Hawai0101s.jpg 20180321Hawai0106s.jpg すみれチャンは、飛行機でバスケット乗車したようです。20180321Hawai0293s.jpg  
4月からスミレちゃんは保育園デビューです。
産休が終わり職場復帰します。
次男と同じ会社なので、3人で通勤電車に乗り、会社最寄り駅近くの保育園に通園します。
しばらくすると、次男が設計してる駅隣接本社ビル内の保育園に移籍します。
次男は保育園の設計しながら、保育士の資格を取っちゃいました。
資格が取れるほどピアノが上手じゃない(2年ほど習っただけでやめちゃった)のですが、ギターでも資格が取れるようです。

「明日帰る」と書かれていたので、春分の日に帰国するようです。
ハワイは時差-19時間なのでほぼ1日違います。

家内のPCにもLINEを入れる作業に入りました。
僕ので作業した直後なので、簡単に設定できました。
スマホとの同期も簡単に出来、家内もLINEに参加した旨を僕のPC・LINEからお嫁さんに送ったら、家内のLINEに「我が家グループ」への参加招待が届きました。

その作業中に僕のタブレットがピコンと鳴り、長男お嫁さんから「我が家LINE」に「これはお父さんのタブレットLINEですか?」との質問と、「ハワイ暖かそうだね」と次男お嫁さんに対するメッセージが入りました。
「そう父のタブレットだよ」と返事したら、こうちゃん1才の写真と、りょうくん4才のアイアンデビュー動画が入りました。
LINEって動画も送れるのですね。

りょうくんは、玩具じゃなくしっかりした子供用パターを長男に買ってもらい練習していましたが、アイアンも買ってもらったようです。
長男は、近所のパブリックゴルフ場の会員になっており、昨年9月僕ら夫婦も連れて行ってもらいました。
そこの見覚えのある打ちっぱなしアイアン練習場で、りょうくんがアイアンでボールを打っています。
空振りせず、変な方向にも行かず、しっかりスイングできているようで真っ直ぐ飛んでいます。
りょうくんがポンポン打つので、長男は玉置きで忙しそう。
当然飛距離はイマイチですが、デビューにしては上出来ではないでしょうか。

次男お嫁さんから、「りょうくん、ナイスショット」のメッセージが入り、ヤシの木並木の写真と、ハワイ初日の時差ボケすみれちゃん写真が載りました。
長男お嫁さんから、「明日のプリンストンは寒波来襲で、積雪25cm予想で、長男の会社も、りょうくんのプリスクールもお休み。新潟出身の私からしたら、25cmぐらいで・・・」と書かれていました。

一連のやり取りは、日本時間3/21・10~11時でした。
プリンストン3/20・21~22時、ハワイ3/20・5~6時。
ちょうど皆が起きている時間だったようです。

寒暖の差が大きいけど、通勤途中のソメイヨシノ並木で数輪開花してた伊丹と、常夏の半袖ハワイ、そして寒波来襲のプリンストン、瞬時に情報のやり取りが出来る凄い時代になりました。
息子夫婦2組ともアメリカにいるなんてことにも隔世の感があります。

家内のスマホで、家や僕の携帯に電話を掛けたり掛けられたりし、メールも発信着信を確認し、お姉さんや姪達にスマホデビューしたことと、アドレスが変更になったことをメールで伝えました。
家内に「使えるようになったよ。あとは慣れてね」と渡しました。

しばらくしてスマホにメール着信があり、家内が「なんか来た」と僕の所に持ってきました。
姪からの了解メールで、「返信したら」と言ったけど、「いいわ」でした。

3/18・墓参り~バッテリー交換~映画

久しぶりに家内とデートです。
楽しみ~。
いつものように4時頃目を覚まし、デートプランを考えます。

「観てよかった映画ランキング」で気になった映画が2本。
以前のチェックで気になった「祈りの幕が下りる時」。
好きな阿部寛主演です。

もう一本が「坂道のアポロン」。
『病院に勤め、忙しい毎日を送る医師・西見薫(知念侑李)のデスクに飾られている1枚の写真。笑顔で写る3人の高校生。それは、10年前の夏、二度と戻らない“特別なあの頃”の写真だった……。あの夏、転校先の高校で、薫は“札付きの不良”と恐れられるクラスメイト・川渕千太郎(中川大志)と運命的な出会いを果たす。二人は音楽で繋がれ、荒っぽい千太郎に薫は不思議と惹かれていくのだった。ピアノとドラムでセッションし、千太郎の幼なじみで町のレコード屋の娘・迎律子(小松菜奈)と3人で過ごす日々。やがて薫は律子に恋心を抱くが、律子の想い人は千太郎だと知ってしまう。そんな切ない三角関係ながら、千太郎と二人で奏でる音楽はいつも最高だった。だがある日突然、千太郎は二人の前から姿を消してしまう……。』と紹介されており、小学館漫画賞受賞作品が原作だそうです。

映画の良し悪しは原作に大きく左右されるので、良さそう。
ジャズというところにも惹かれましたが、家内の反応はどうだろう?
そう言えば、家内との初デートは、神戸のジャズ喫茶でした。
日が暮れるとジャズバーになるだろう佇まいのお店で、初デートにしては暗かったかな。
一緒に受けていた資格試験講習会の昼ごはんだったから、近いお店という選択肢しかなく、ぶらりと入ったお店でした。

上映2週目なのに、12:20・14:50・17:30・20:10と午後からの上映しかありません。
お客さんの入りが寂しそう。
春のお彼岸期間にはいったので、お墓参りの都合もあり、全ての上映開始時間をメモし財布に入れます。

7:30頃階下におり台所を覗くと、家内の服装が整いお化粧中でした。
「どこ行くの?」
「お墓参りに行かないと・・・仏壇のお花買ってきてくれる?お墓のお花も買ってきていいよ」。
慌てて朝食を取り、身だしなみを整え、9時オープンのホームセンターに、家内のアドレスV125でお花を買いに行きます。

帰宅後、倉庫にスクーターを置き、家内が空気の入れ替えをしていた隣の実家の仏壇にお花を供えてくれます。
僕はそのお尻について行き、チーン。
戸締まりして帰宅し、朝のお勤めを済ませ、家内と車に乗って我が家のお墓に向かいます。

r12を北上しますが、いつもより交通量が多い気がします。
バイクも多く見かけます。
晴れの天気と暖かな気温に誘われ、バイカーが湧いてきたようです。

「道の駅いながわ」でお花を買おうと思ったけど、良さそうな墓花は売り切れのようです。
霊園に着き事務所で買います。
21日春分の日を挟んで今週と来週の週末は、多くのお墓参りの方が来るだろうから、職員を増やして対応しています。

お墓に上がります。
墓石左右の毎年彼岸花が咲くスペースに緑が戻っていました。
細かく薄く敷かれた玉砂利の隙間から雑草の緑が顔を見せていますが、引き抜き過ぎちゃってお墓が寂しくなったことがあったので、そのままにしておきます。

家内が花立てを洗いに行きます。
僕は墓石・墓碑に水を掛けブラシでゴシゴシ。
それを終えお線香に火を付けます。
ジェット式ライターが威力満点で、風が強い日でも簡単に点火できます。
これは優れものです。

続いて家内の実家のお墓参りです。
高速道路が混むので、朝一番にお参りに行くことが多いですが、新名神開通日なので、魔の宝塚トンネル東向き渋滞はないでしょう。
夕方までに帰宅できるだろうから、渋滞発生前でもあるし・・・

新名神開通初日を走ろうと目論みましたが、往路「川西IC」近所を通ったのに、それなりの看板が目に入らなかった。
「宝塚北SA」に出来る「スマートIC」から入ろうと、r319~r33で向かったが、SAが近づくと「3/18・15時開通」の看板が目に入った。
「はあ~、15時なのか~」。

r325~長尾山トンネル~中山経由で、「宝塚IC」から中国道に乗りました。
家内がガラケーから乗り換えたスマホであれこれやっています。
お姉さんに電話しようと思ったが、電話番号を移し替えておらず、ガラケーも持ってきていないのでわからない。
僕のガラケーに登録していあるので、それで調べスマホで電話したらいいと渡すが、面倒だと僕のガラケーから電話しました。
「今からお墓行くよ。まだ行ってないよね」と報告してる。
お花がダブっちゃうといけないから。
お姉さん夫婦は、21日に参るようです。

13:02「山陽道・三木SA」でトイレ休憩。
「切り落とし蜂蜜カステラ・360円」を買い、2人の昼食にしました。
SAでお墓に供えるお花を探しましたがありませんでした。
家内に「あ~ん」してもらい食べながら走ります。

「三木小野IC」で下車し、墓苑到着。
事務所棟に行くが、お花売ってないよ。
墓苑近くの石材店でお花を購入。

お墓の掃除をして、お線香を上げお終い。
中国道に戻り、一気に帰宅しました。

17:30上映に間に合うよう17時前に出発することにして、僕は倉庫に行き通勤リード110もバッテリー交換しました。
2008年に3700km走行中古で購入し、最初のバッテリー交換は2014年。
6年持ちましたが、今回は4年でお終いにします。
何となく弱ってきてるなと感じており、通勤車・ご近所の足として大活躍車両なので、早めの交換です。
GSユアサ党から宗旨変えし、こいつもAZバッテリーにしました。

「ATX7L-BS」3736円です。
前回が17000円だったので、大幅プライスダウンです。
増し充電していたので万全でしょう。
リード110のバッテリーは、ハンドル下・フロントカウルの中にあります。
金曜日に、取扱説明書を見ながらカウルを外すところまでやっていました。
更に取扱説明書の図を見ながら、いくつかネジを外しバッテリーを外します。
バッテリー抑え金具を外すのに難儀しましたがなんとか外せました。

新しいバッテリーを載せます。
最初の難関バッテリー抑えをはめるのに時間がかかると思っていましたが、すんなりセットでき、あとはネジ留めだけです。
ここでミスっちゃいました。
10号の六角ソケットを落としてしまいました。
バイクの下に落ちると思ったら落ちておらず、バイクを揺すってもコロンとも音がしません。
手探りしても見つからず、諦めることにしました。
走行中に勢いよく段差を越える時にでも出てくればいいかと・・・

カウルを付け、前籠を付けます。
ここで、小さなネジ2個余ることに気づきました。
「はあ~、どこのネジ~」、カウルを付けるネジと同じ大きさで、ネジが前2・後2のはずです。
外す時と2日間開いたので忘れちゃった。
前籠をセット終了後、残った2つのネジを見ながらリード110を倉庫から出し乗り出そうとした時、後ろ側の上から2番目のネジ穴が見えました。
膝の位置にあるネジも外していました。
フロントカウルには関係ないネジでしたが、フロント下のネジが見つけられず、ここが利いてると思って外したことを思い出しました。

それをセットし、自宅に戻ります。
16:30過ぎに家内とタンデムして映画館に向かいます。
新しいスマホ「SonyVAIO・PhoneA」に合うカバーを探すことを忘れていました。
映画館はショッピングセンターの最上階にあり、同じフロアにドコモがあるので、家内はケースを見に行きました。
僕はチケットを買いに行きます。

買い終えてドコモに向かおうとすると、家内がやってきました。
「どうしたの?」
「だって、店員さんが話しかけてくるもの」
「見てるだけって言えばいいじゃない」
「ちょっとしかないし、ドコモじゃないし」・・・

まだ時間があるので、下の階の「無印良品」と「100円ショップ」を覗きました。
まさか・・・100円ショップにスマホケースがあり驚きました。
アイフォン用ばかりだったけど・・・。

映画は、素晴らしいものでした。
青春映画であり、ジャズであり、文化祭があり、当然恋の物語でもあり、ビンゴでした。
一昔前は、大ヒットした「私をスキーに連れてって」でも、役者のスキーシーンは酷いもので、素人感が否めませんでしたが、最近の映画は素人目にはプロと変わらなく見せる作り込みが素晴らしいで
す。
ジャズピアノ・ドラムの速弾き・早打ちに唸っちゃいました。
エンディングに小田和正の歌声が流れてきて、ナイス!でした。

バイクを倉庫に片付け、帰宅したら20時でした。
家内が作ってくれた夕食を食べながら、「西郷どん」を見て1日が終わりました。

3/17・ヨットレース

Dフラッグが揚がり出艇。
4レース消化しました。
スナイプ級の第1レースで、3回生I君ペアが2位フィニッシュしました。
470は、母校KGスピンが上位を席巻しています。
意外にレース主催で去年全国制覇したD社が前に来ません。

レースの合間に、KGコーチボートがやってきました。
「トイレ借りていいですか?」とK君奥様、「お~もちろん、1人でいいの?」「こいつらもお願いしますわ」と監督からコーチボートに乗ってた2人の女子プレイヤーも。

20180317DoshiP0413s.jpg 「KGが席巻してるね」「それがね~、このレースの3位と6位はまだ高校生ですわ」
「今年セレで入った子達なの?レギュラー総入れ替えしなきゃ。今年も安泰だね」
「新人にこれだけは知られると、頭が痛いですわ。ピカイチセレは皆早稲田に行きますけどね」・・・
3位の子は、僕が作ったジュニアヨットクラブ出身で、高校は次男の後輩だった子のようです。
ジュニアヨットクラブから、ヨット部のあるこの中高に進学したのは次男が初めてで、その後受験する子が増え、1つの流れになっています。

しばらくして主催D社のコーチボートが寄ってきました。
「・・さん(私)お久しぶりです。今度僕が監督になりました。これからも、よろしくおねがいします」
「そうなの、こちらこそ宜しく」

20180317DoshiP0412s.jpg 彼は伊丹出身の子で、僕が先輩と一緒に市内の池で作ったジュニアヨットクラブに小3で入部し、ヨットを始めました。
そのジュニアクラブから初めてナショナルチーム入りした選手です。
ヨーロッパ選手権だったかな?その後D社に進学しヨットを続けました。
数年前までは、西宮の海で3人乗りヨットのポイントレースや全日本で競い合ったライバルです。
20180317DoshiP0442s.jpg 長くレーシングヨットの世界にいると、自然に知り合いが増えます。

4レース終了後、17:00頃ハーバーバックになりました。
ハーバーに上がった後、先に合宿所に戻りました。
女子マネ2人が夕食を作っていました。
餃子・チャーハン・つみれ汁がメニューです。
台所に入り浸って、お喋りしていました。
明るい子達なので、話していて飽きません。
向こうも僕に慣れてくれているので、気を使わず気楽に話してくれます。

18:30ミーティング。
気づいたことを話します。
軽風ではしっかり上位を走れていることを褒め、「スピンシートを垂らしながら走っている」「船の中をできるだけドライにする」など、更に上を目指すための細かな気付きを話し、更なるボートスピードアップを目指そうと話す。
ビッグフリート・レースで上位を走る鉄則を伝える。

他のOBも話し、夕食もぐもぐタイムです。
選手たちが自分の食事を持ってテーブルに付き、最後に女子マネージャーが空いてる席に付きます。
4人がけこたつテーブルに6人ぐらい座って「もぐもぐタイム」です。

僕の隣に、「トビ、アイスクリーム事件」のあかりんさんがやってきました。
キャプテンから、「全員座った?」「はい」「今日の夕食メニューは?」、夕食当番だったマネージャーさんからメニュー紹介があります。
キャプテンの「いただきます」の号令で一斉に食べ始めますが、男子選手の多くはいきなりだ台所へダッシュし、食べてもいないのにおかわりの列を作り、いきなり大盛にします。

僕は食べながらあかりんさんに、「女優さんか、モデルさんの飯豊まりえさんって知ってる?」「知りません」。
「こないだTVに出てて、顔とか仕草とか何処かで見たなと考えてて、あかりんさんい似てるとわかったんだ、似てるって言われない?」「え~」。

すぐにスマホ出して検索し出し、「え~私こんな綺麗な人じゃないです。
人生で最大に褒められました、ありがとうございます」。
「どれどれ見せて」「うん、そう言われると似てるかな~」「どれどれ・・・」と同じ席の男子選手にスマホを取られ、見比べられています。

みんなに、スマホのカバーや保護フィルムについていろいろ聞きました。
僕は保護フィルムを貼ったが、ガラスフィルムの方が分厚くて保護力があるようです。
割れてもガラス保護フィルムが破れて、本体の液晶画面は無傷になるそうです。
カバーのことも教えてもらいました。
ゴムケースのような専用ケースは、液晶画面より少し高くて、落としても画面に直接地面が当たらないようで、意外に保護力が高いのだそう。
ブック型の保護ケースについても教えてくれましたが、殆どの子はフィルム+保護ケースでブック型の子は少なかった。
どうやらフィルムを買い直した方が良さそうです。

20:10から全員で合宿所の掃除して、その後クラス別ミーティングです。
僕は掃除のタイミングで帰路に着きます。
バイク装束を着て、湖西道路~名神高速~中央縦貫道~R171で21時過ぎに帰宅しました。
家内は既に夢の中で、風呂入ってヨーグルト持って自室に上がり1日が終わりました。

3/17・ヨットレース

「同志社ウィーク」という同志社大学ヨット部主催レースは3/17・18琵琶湖で行われます。
その初日のコーチングをしに行きます。
1週間前の当初の天気予報はイマイチでしたが、前倒しになり前日が雨でこの日は晴れました。
ヨットレースは晴れ以上に風の具合が気になりますが、予報は終日北寄りの風2m/sで微風・軽風レースになりそうです。

朝食食べて、「招き猫アラレちゃんCB400SB」を倉庫から出します。
バッテリーを新品に自分で変えたばかりなので、少々心配。
イグニッションが回りエンジンスタートGood!
しかし、ナビもドライブレコーダーも反応なし。
タンクバッグ内のシガーソケットに電気が来ていません。
シガーソケットの電源はバッテリー直ではなく、リアランプからなので、バッテリー交換とは関係ないはずだけど・・・自分なりにあれこれ探ってみたがわからず諦めました。
ホンダドリームさんに行かなきゃ。

(後日、ドリームさんに行ってきました。シガーソケットのマイナスをバッテリーのマイナスに繋いであったようで、それをバッテリー入れ替えの時僕が外しちゃったのが原因でした)

6:47「伊丹産業セルフ伊丹緑ヶ丘SS」で給油。
156km/7.89L=19.8km/L。
R171~中央環状線~吹田ICから名神高速。
7:45「桂川PA」でトイレ休憩します。
売店が開いていたのでうろうろしてると、「いちごチョコ大福・540円」が目に入り、女子マネージャーさんへのお土産にします。
いつも美味しいご飯を食べさせてもらっているので・・・お昼ご飯ように「午後の紅茶ミルクティー・151円と助六寿司・389円=540円」も購入しました。

8時過ぎに大学ヨット部合宿所に行き、お土産をマネージャーに渡そうとしましたが、全員ハーバーに出た後のようで誰もいませんでした。
8:15ハーバー着。
バイク装束を脱ぎ、海仕様に着替えライフジャケット着て艇庫前へ。

部員に挨拶し、女子マネさんがいたので、「これお土産、マネージャーで食べて」と「いちごチョコ大福」を渡しました。

ハーバーを見渡すと、母校ヨット部も遠征に来ていました。
後輩のK監督、ジュニア時代から知ってるジュニア出身K夫婦コーチ、僕同様他大学出身Mコーチがいます。
彼もジュニア出身で、「お父さんとお母さん元気?」と声を掛けあ~だこ~だお喋り。
彼らの親御さんとは、年賀状やり取りが続いています。
いろんな情報を教えてもらいます。

今年から470級学連仕様ビルダーが国内1社体制から2社体制になり、新たに導入されるピアソン(デンマーク)の出来が気になります。
学生に聞くと、スナイプでもシェアを伸ばしているピアソンは人気らしく、納期半年~9ヶ月先だとか。

それ以上に、ピアソン標準装備のスーパースパー社製マスト・ブームの影響がありそうです。
オクムラ標準装備マストは硬いけど、世界的にトップレーサーの多くが使ってるスーパースパーはそれより柔らかい。
昔のエルブストロームほどグニャグニャじゃないけど、選択するセイルでパフォーマンスに差が出るのは当たり前です。
僕の時代は、学生レースではヤマハ艇・硬いヤマハマストでしたが、一般レースではヴァンガード・パーカー・ヤマハスペシャル艇などに、プロクターやエルブのマスト仕様に乗っていました。

エルブマストは、強風になるとマストトップがサイドベンドし、適当に風を逃してくれるので楽でしたが、もう少しパワーが欲しい強風手前から曲りだすので、乗りなれているヤマハマストに変えたくなったものです。
マストステップ形状が違い、ステップ交換すると強度面が心配でやらなかったけど。

M君はこの大会の招待選手でもあるようで、母校学生クルーを乗せてレースに出場するそうです。
オリンピックキャンペーンをやってた現役のトップセーラーなので、有意義な話をありがとう。
小学生の頃から親子で知ってる仲で、僕がジュニア理事で広報委員長や全日本選手権・ナショナル最終チーム選考会で事務局長をやってた頃、お母さんにはよくお世話になりました。
他クラブだったけど、世話したチビだった子が大きく成長しヨットを楽しんでいる姿を見ると、少しでもこの子の役に立ったかな~と嬉しく思います。

「来週、うちが西宮遠征するようだけど、合同練習したってください」とお願いすると、「土日とKG主催レースをするので、それに入ってください。
日曜はジュリーもお願いしてますから」と監督から。
「全日本でも良く走ってましたよね、こちらこそ練習になります」と褒めてくれた。
「うちのコーチボートにトイレあるから、いつでも来ていいよ」と言うと、「私も行っていいですか?」とK奥様から。
「もちろん、おいで。お父さん元気にしてる?」「相変わらずです」。
と楽しい会話になりました。

隣のバースに「KOR99」がいました。
彼らのお世話してる日本人がいたので4人でお喋り。
韓国の大学個人選手権で優勝すると、日本遠征がプレゼントされるそうです。
韓国セイリング連盟から費用が出るので、モチベーションになってるようです。
韓国人の若者らしく英語が上手です。
お世話している方に「何時になったら出艇していいの?」と聞いていたので、「約10分後にDフラッグが揚がるから、その後出艇OKだよ」って教えてあげました。
僕の下手な英語でも聞き取っていました。
去年この大会に来たチームは、総合2位だったので、今年も注目です。

10時第1レーススタート予定で、9:15にD旗が揚がりました。
両クラスとも同時出艇です。
140艇が一斉にレース海面に向かいます。
僕もコーチボートに乗ってレース海面に向かいます。

2m/sほど吹いていた風がだんだん落ち、レース海面に着く頃にはレースが出来そうにない風速に落ちてしまいました。
しばらく待っていましたが、本部船にAP/H旗が揚がりました。
レース延期・ハーバーバックの指示です。
「あれれ、諦めが早いな」、明日の方が風が期待できないので、できるだけ多く今日レースをやっておきたいだろうに・・・。

レース艇を引っぱってハーバーに戻ります。
KORはコーチボートがないので、引っぱりに行こうと思ったら、運営艇が引っ張りに行きました。
ところが皮肉なことに風が復活し、「これなら出来るよ」って雰囲気になりました。
AP旗だけで海上待機なら、今頃スタートマニューバリングに入れたのに・・・。

ハーバーに戻り、少し早いけど昼食を食べます。
一旦AP/Hを揚げたら、帰着申告の提出があり、全艇の帰着確認しなければなりません。
大会本部にL旗が揚がり、クラブ代表などが本部に急ぎアナウンスを聞きに行きます。
「すぐにDフラッグが揚がる」との案内でした。

昼食を食べる選手が多いようで、ハーバーの上空にトビが2羽回っています。
近くにいたマネージャーさんに「狙ってるね、アイスクリーム取られないようにね」と軽口を叩きました。
昨年の全日本前合宿で、アイスクリームを取られた子がいました。
そのことを知ってる子は、笑ってくれました。
半分はその事件を知ってて、あと半分走りませんでした。

「何ですか?それ」と聞くので、3回生マネージャーFさんが概要を話します。
そこに取られた本人がやってきました。
「あかりん、トビが舞ってるよ」「あ~、アイス取られないようにしなくちゃ」。
そんな会話をニコニコ聞いてたら、僕が知らないと思い本人が説明してくれました。

『ハーバーでみんな出艇した後、合宿所に戻る時、電車に乗り過ごしちゃったので時刻表を見ると、次の電車がなんと2時間後でした。
1駅隣に合宿所があるのですが、歩いて行く方が早いので国道沿いを歩いていました。
ちょうどコンビニが有り、暑いのでアイスを買いました。
ラップを取り、スマホ見ながら食べようと思ったら、手に持ったアイスが姿を消していました。
一瞬前に頭が重くなり、バサバサ音が・・・何が起こったのか理解できず、「あれ?」っと思って空を見上げるとトビが去っていき、アイスをくわえて近くの電柱に止まる。
「あ~、まだ一口の食べていないのに~」。』

あかりんさんは、僕が知らないと思って優しいね。
僕は昨年本人から聞きましたが、ウンウンとうなずきながら聞いていました。
そしたら別の女子マネFさんが、「コーチ、知ってるのに知らないふりして頷いて、やさしい~」と褒めてくれました。
あかりんさんは、説明しながら思い出し笑いして笑顔笑顔です。
可愛いな~

3/16・初めてのAndroidスマホ

家内のスマホがアマゾンさんより届きました。
夫婦でずっとガラケーでしたが、仕事で必要になってきたので、家内がスマホデビューです。
仕事仲間との連絡がLINE主流になってきたので、LINEやLINE@を入れないといけません。

LINEというのを使ったことがないので、長男・次男夫婦にメールで聞いてみました。
次男から返信メールが届き、PCでもLINE出来ることや、長男・次男夫婦4人でLINEグループを作っているので、それに入ったらリアルタイムで写真の共有など出来ると教えてくれました。

僕は試しに、僕のタブレットにLINEを入れてみました。
簡単にソフトを入れることが出来ました。
入れたと思ったら、次男のお嫁さんの名前が上がり、「知り合いですか?」みたいに聞いてきたので驚きました。
息子たち夫婦グループにも誘われましたが、お試しなのでそのまま何もしませんでした。

僕は、タブレットも携帯電話も使うのは休日やお出かけのときだけなので、日頃は電源も入っていません。
家内も着信用に電源は入れているものの、発信は姉か僕に電話する時だけなので、我が家にとってはほぼ無用の長物です。

そんな使い方なので、「格安スマホ」にしました。
選択したプロバイダーは、僕のタブレットと同じ「IIJmio」です。
「コミコミセット1880円・Android」にしました。
スマホ本体+会話通信費+データ通信費がセット割引されたもので、初めの1年間1880円、2年目はスマホ本体支払いが加わり2880円、3年目以降2200円です。
スマホ本体は数種類から選べ、「SonyVAIO・PhoneA」にしました。
「3分以内通話なら、何度掛けても無料」
「データ通信量3G(今なら+3G)」
「スマホ端末は毎月返済」というセットです。

近所の上新電機とヤマダ電機に、スマホケースを見に行きました。
でも届いた「SonyVAIO・PhoneA」という端末用のケースはありませんでした。
よっぽど珍しいようで、店員さんさえ知りませんでした。
汎用ケースを紹介されましたが、デザインなど好みがあるので買わず、液晶を保護するフィルムだけ買いました。

NTTDocomoに電話し、ナンバーポータビリティ申し込みして、予約ナンバーを教えてもらいました。
スマホの電源を入れ、取扱説明書に従って開通させました。
グーグルが開発したアンドロイドを使ったスマホなので、グーグル・アカウントが必要なので、家内のPCで家内のアカウントを作りました。

ところがこのアカウントがメールアドレスになるようで、家内がドコモで使っていたアドレスに@より前を同じにしようと、新たにアドレスを作り、最初のアカウントを削除しました。
これが面倒なことを引き起こし、「アカウントがない」といろんな作業中に聞かれ困っちゃいました。

家内のPCに、「アカウントを削除したけどいいのか?今なら復活できるよ」のメール通知があり、慌てて復活させました。
いろいろ調べたら、メールアドレスはいくつでも持てるようで、使い分けるだけで良かったようです。
無知ゆえ、難儀なことです。
まあ、なんでも最初はこうですね。
トライ・アンド・エラーしていくしかないです。

そんな不手際で、LINEの導入にも手こずりました。
ダウンロードしたはずなのに、僕のタブレットでは最初の画面にLINEマークが出ていたのに、スマホ第一画面にLINEマークがありません。
失敗したのかと再ダウンロードしたら、「既にある」となるし・・・。

何の気なしに指が画面に触れたら、第一画面が横に動きLINEマークが出てきました。
横に出ていたのか・・・。
電話が使えることを確認できました。
電話の記憶も1件だけ入れました。
先は長い・・・どうなることやら・・・

3/11・京都/清凉寺~嵯峨天皇陵~直指庵~後宇多天皇陵

お隣の「清涼寺」へ。
人力車が止まり山門をバックに写真を撮っている。
20180311AtagoS0220s.jpg 立派な山門を入っていく。

『清凉寺(せいりょうじ・嵯峨釈迦堂) 五台山と号する浄土宗の古刹。この地には「源氏物語」の主人公・光源氏のモデル・源融(みなもととおる)の山荘・棲霞観(せいかかん)があり、没後「棲霞寺」としたのが当寺の始まり。天慶8年(945)等身大の釈迦像が安置され、これが通称の由来。
その後インド・中国・日本の三国伝来となる釈迦如来立像を持って宋から帰国した「ちょう然上人」が、その像を安置するため、愛宕山を中国の五台山に見立て「大清凉寺」建立を計画したが、志半ばで没したため、弟子・盛算(じょうさん)が建立し像を安置した。
昭和28年(1953)背中に蓋が発見され、中に内蔵を模した絹製の五臓六腑などが納められていたことから、生身のお釈迦様とも呼ばれている。
本堂は、元禄14年(1701)徳川五代将軍・綱吉、その母桂昌院らの発起により再建されたもので、本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置しており、霊宝館には阿弥陀三尊像(国宝)・文殊菩薩騎獅像(重文)など、多数の文化財が祀られている。
このほか、境内には、ちょう然上人・源融・嵯峨天皇・檀林皇后の墓などがある』

多宝塔があり、その前に綺麗に梅が咲いていた。
経蔵があった。
『お釈迦様がお説きになった一切法(経典)が収められている経蔵です。この経蔵には、唐紙製の明板本5408巻の大部が収められています。この法輪を1回転すれば一切経を読んだありがたい功徳が得られます。明るく正しい人生道を歩んでください。 輪蔵:正面・善彗大士坐像、両脇・普浄・普現像、四隅・四天王像』

拝観料100円収め、経蔵を回しました。
『お経をおがむ心で静かにお廻しください』
20180311AtagoS0247s.jpg 彩色が残り、立派な八角輪蔵でした。テープですが、お経が流れいい感じで経蔵を廻しました。動かし始めは重かったけど、動き出したら楽に廻りました。

20180311AtagoS0253s.jpg 拝観料400円で本堂に入ります。
20180311AtagoS0254s.jpg 撮影禁止でしたが、本堂内はヒンヤリとした厳かな雰囲気で、お宝がズラリでした。
本堂裏扉を開けると庭園につながっていました。
渡り廊下で庫裏につながり、弁天池を中心にお庭がよく整えられていました。
20180311AtagoS0284s.jpg 弁天池を橋で渡る弁天堂は、かなり本格的な建築で、とても立派でした。
小堀遠州作の枯山水庭園もありました。
「・・家・・家控室」と書いた間があった。
法要のようです。

阿弥陀堂。
『源氏物語ゆかりの地 棲霞観(せいかかん)跡(清涼寺) 嵯峨天皇皇子で皇族賜姓の源融(822~895)が、9世紀後半に嵯峨に営んだ山荘。融は晩年に写経や造仏に着手したが業なかばで他界したので、子供たちが完成させて棲(栖)霞寺とした。永延元年(987)、〓然(ちょうねん)は宋より請来した釈迦如来像ほかを棲霞寺境内に安置し、宗の五台山清涼寺に倣った寺院の建立を目ざしたが果たせず、遺志を継いだ弟子によって棲霞寺の一郭に釈迦堂として発足しだのが清涼寺である。かつて棲霞寺にあった阿弥陀三尊像(国宝)は現在、清涼寺の霊宝館に安置されている。
『源氏物語・松風』に、光源氏が造営した「嵯峨の御堂」は大覚寺の南に所在したとあり、棲霞観の場所と一致する。河原院が六条院のモデルということと共に、源融が光源氏のモデルとされるゆえんである』

20180311AtagoS0292s.jpg 阿弥陀堂前の八重の白梅が満開で、綺麗な白い花で彩っていた。
皆さん写真を撮っていました。
『光源氏のモデル・河原の左大臣・源融の別荘「棲霞観」の名残のお堂で、源融のお墓が境内にある。霊宝館には、融公が自分の顔を彫らせた国宝・阿弥陀三尊がいらっしゃる』

秀頼公の首塚があった。
その前には、大阪の陣・諸霊供養碑が立っていた。多宝塔横には、源融の墓、嵯峨天皇・檀林皇后の宝塔がありました。
山門を出る前に、暑くなってきたのでセーターとベストを脱ぎました。

脱ぎ着していると、赤い和傘をかざした和服の男性と、鮮やかな振袖姿の女性が山門を入ってきました。
後ろにカメラマンと助手さんがおり、撮影をしているようです。
ご結婚前のお写真かな?
20180311AtagoS0306s.jpg 多宝塔前の満開の梅のところでカメラに収まっています。
一生の記念ですね。

バイクに戻り、冬用グローブも暑いので、普通のアクリル手袋に変更しました。
r29を東に走り、大覚寺道を北へ。

一度道を間違ったけど、15:02「嵯峨天皇陵」。
バイクを置き、陵墓に参ります。
つづら折れを繰り返し、今まで参った陵墓の中で最もきついお参りになりました。
20180311AtagoS0311s.jpg 息を上げながらしばらく登ると視界がひらけ、嵯峨野が眼下に広がりました。
大覚寺や大沢池が・・・

あまりに暑いので、夏用プロテクタージャケットまで脱ぎ、金属製の手すりに掛けました。
20180311AtagoS0316s.jpg それを置き去りにして陵墓に参りました。

バイクに戻り、15:39「直指(じきし)庵」。
『祥鳳山(しょうほうざん)と号する浄土宗の寺。
元は黄檗宗に属し、正保3年(1646)に日本黄檗宗の開祖・隠元(いんげん)禅師の法灯を継ぐ独照禅師が、この地に没しょう庵という草庵を営んだのが起こり。
以降、諸堂が整えられ大寺となったが、禅の「直指人心」の教えに従って、寺名を定めず「直指庵」と称した。
その後、次第に寿は荒廃したが、幕末の頃、近衛家の老女・村岡局によって再興された。局は、近衛恵煕(ただひろ)に仕え、勤王の志士たちと近衛家及びその他の公卿との連絡に当たっていたが、安政の大獄に連座し、江戸に送られた。後に、許されて帰洛し、嵯峨の地に隠栖し、付近の子女の教育に努めた。本堂北の竹林の中に局の墓がある。諸堂は、明治13年(1880)に焼失したが、有志の人々の手によって再建された。
本堂には、本尊・阿弥陀如来像を安置し、開山堂には、独照禅師の本像を祀る円塔がある』

嵯峨野の最も北にある草庵で、庭園は手入れが行き届き落ち着いている。
20180311AtagoS0336s.jpg 境内に「愛逢い地蔵 縁結び・恋愛成就」と書かれたカップル石像があった。
その前に置かれた小皿に五円玉を中心にコインがたくさん置かれていた。
この日一日のお賽銭だと思うとかなりです。
縁結びでは有名な寺院なのかな?

モリアオガエルの小さな池があった。
もう少し経つと、小池の上に張り出している枝に卵が産み付けられるのかな?
『初夏から夏にかけ、池の周囲の樹木に白い泡状の卵を産み付ける。その中に約400個も詰まっている。別名延命小袋といい、一見すると寿命が延びると言われている』

20180311AtagoS0353s.jpg この草庵を再建した津崎村岡局のお墓があった。
『勤王の女傑・村岡局(津崎矩子1786~1873) 天明6年(1786)大覚寺宮の家来・津崎左京の娘として生まれた。矩子は幼年より事理にさとく利発さゆえに13才(8才の説もある)の時に近衛家に仕え、当主忠煕の信頼を受け「陽明家(近衛家)の清少納言」と言われた。
近衛家では、村岡と呼ばれ、後には老女の地位に昇った。
村岡局は、安政6年尊皇攘夷を主義とする志士の申し出を主人である左大臣近衛忠煕に取次便宜をはかったとの罪で江戸に投獄された。世に言う安政の大獄である。
村岡局は、かつて島津斉彬の養女・篤姫が13代将軍・徳川家定の正室として江戸に向かった時、その養母となって江戸城に行き、将軍や諸大名の面前で七汁二十二菜のご馳走を平らげ、「願いのものを何なりと与えよう」との将軍の言葉に対し「わが主家・近衛家の柱臣を将軍家の側に置かれたい」と述べて一同を驚嘆させた。その時に頂戴した三つ葉葵の紋を散らした打掛を着て評定所の白砂に座ったのであるから、安政の大獄の苛酷になれた奉行も村岡局の扱いに困った。74才の時である。禁錮30日に処されて永謹慎を言い渡され、嵯峨に帰り、直指庵に入って近衛家代々の冥福を祈りながら風月を友とし、里の人々の教養に努めた。
老女・村岡局は、明治天皇から年々20石を下賜され、明治6年8月23日に88才で寂した。村岡局自筆で津崎氏村岡矩子之墓と刻んである。生前無位の女性に対する死後の贈位で最高位の従四位が明治24年明治天皇より贈られた』

20180311AtagoS0363s.jpg 歴代ご住職の無縫塔まで来たら、立派な茅葺屋根の庫裏が見えてきた。
20180311AtagoS0365s.jpg 茅葺屋根の厚さが相当なものだった。
素敵な草庵だった。

20180311AtagoS0376s.jpg バイクに戻り、15:58「後宇多天皇陵」。
お参りし、バイクに戻り、帰路につきます。
大沢池横を走り、r29に出て嵐山~渡月橋を渡り、そのままr29で桂川の右岸~阪急嵐山線沿いを走り、右折しR9に乗り、沓掛ICから京都縦貫道に乗りました。

亀岡ICで下車しR423。
あの直線で、またネズミ捕りをしていました。
真横を通る時レーダーを構える警官を見て、「あっ、やってる」と気づきました。
少し先で、警察官にお縄になってる車がいましたが、「+10の会」で走っているので、いつものように無事パス。



亀岡ICで下車し、R423に乗りました。何気なく走っていたら、左にレーダーと警
官がいました。「あちゃ、ネズミ取り!」と思いスピードメーターみたら50km/h。
いつも通り「+10の会」で走っていたのでセーフ。
17:32「伊丹産業セルフ川西SS」で給油。241km/7.65L=31.5km/L。17:41帰宅。


3/11・京都/鳥居本~愛宕念仏寺~宝筐院

r50は、ここから保津川沿いの平坦路となります。
トンネルを抜け、清滝川合流部を過ぎ、「六丁峠」上りのつづら折れに入り、峠を越え嵐山側に下り、13:02「鳥居本」交差点。

20180311AtagoS0116s.jpg 朱塗りの鳥居横に、茅葺屋根の料理茶屋「鮎茶屋」があります。
「まつばら」で一緒だったローディー4人組さんは、ここでお茶タイムにするようです。
会食などのお食事のみだと思っていたら、コーヒーなどもあるようです。
20180311AtagoS0118s.jpg 鳥居を挟んで下り側にある同じく茅葺屋根の料理旅館「鮎の宿・つたや」も写真に収める。

ここから下は、一方通行のため下って行けない。
20180311AtagoS0125s.jpg バイクに戻り、「清滝トンネル」方面に道を上り、13:05「愛宕念仏寺」。
ここは五百羅漢で有名な寺院です。
拝観料300円。

『愛宕念仏寿(おたぎねんぶつじ) 奈良時代の764年から770年頃、稱徳(しょうとく)天皇により、東山区松原通大和大路東入(旧愛宕郡)の地に建立された愛宕寿に始まる。平安時代の初め、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、比叡山の僧・阿閣梨伝燈大法師千観内供(あじゃりでんとうだいほうしせんかんないぐ)によって中興され、等覚山愛宕院(とうかくざんおたぎいん)と号する天台宗延暦寿の末寺となった。大正11年(1922)、本堂の保存のためにこの地に移築された。
境内には、参拝者によって彫られた1200体に及ぶ羅漢の石像が表情豊かに建ち並び、和やかな雰囲気を漂わせている。
本堂(重要文化財)は、方五間・単層入母屋造で、度々移建され、補修を加えられているが、鎌倉時代中期の和様建築の代表的遺構である。堂内には、本尊の千手観音像が祀られている。
また、地蔵堂には、火之要慎(ひのようじん)のお札で知られる火除地蔵菩薩坐像が安置されている。これは、火伏せの神として信仰されている愛宕山の本地仏が地蔵菩薩であることに由来する』

いきなりユニークな表情の石像に迎えられた。
石段を上がっていくと、あちこちに羅漢石像が置かれている。
20180311AtagoS0143s.jpg ユニークな鐘撞堂があった。
軽めの鐘が三角形に3つ下がり、中央に円盤状の鐘撞棒が下がっている。
1つの鐘撞棒で3つの鐘を鳴らすようになっている。
試しに鳴らしてみると、高めの鐘の音が響いた。

20180311AtagoS0183s.jpg 本堂に入り、今日までの人生の幸福に感謝した。
できれば息子たち一家の今後の幸せな人生もお願いした。
20180311AtagoS0148s.jpg 境内の羅漢さんの表情は千差万別で、泣いているようなお顔があり、天を指差す羅漢、子を抱え2人でバンザイしている羅漢、子を抱え慈愛に満ちたお顔の羅漢、俵を抱える羅漢、大口を開け笑っている羅漢、歯をむき出して笑っている羅漢、シェー!している羅漢、両手でピースサインしている羅漢さんもいる。
20180311AtagoS0156s.jpg 閻魔大王さん顔の羅漢も・・・

20180311AtagoS0157s.jpg 表情を見て回るだけで楽しい。
20180311AtagoS0159s.jpg お若いカップルが、楽しそうに巡っている。
20180311AtagoS0164s.jpg 羅漢さんの楽しそうな表情がカップルさんをより近づけたように、とても楽しそうだ。
20180311AtagoS0170s.jpg 人生の幸せな絶頂期かもしれない。

20180311AtagoS0146s.jpg 「ふれ愛観音堂」があり、観音様の全身に触れ、五体満足で今後も暮らしてゆきたいと願う。
ふと下の羅漢洞の建物を見ると、屋根の上に象の置物が載っていた。

バイクに戻り、JR嵯峨嵐山駅方面に南下します。
20180311AtagoS0187s.jpg 13:40「宝筐院・小楠公菩提寺」。
『善入山(ぜんにゅうざん)と号する臨済宗の寺院。平安時代に白河天皇により創建され、当初善入山と称した。南北朝時代に夢窓疎石の高弟・黙庵(もくあん)が入寺し、室町幕府2代将軍・足利義詮の保護を得て、伽藍が復興された。義詮没後、その院号「宝筐院」に因んで改められた。以降足利氏歴代の崇敬を得て栄えたが、室町幕府の衰亡と共に衰微していった。
現在の堂宇は、明治時代以降に再興されたもので、本堂には十一面千手観世音菩薩を安置している。境内には、貞和4年(正平3年1348)四條畷合戦で戦死した楠木正行(くすのきまさつら・楠木正成の子)の首塚と伝えられる五輪塔、及び義詮の墓と伝えられる三層石塔がある』

大寺「清涼寺」の隣にある質素な山門なので目立たず、観光客はあまり来なさそうな寺院ですが、楠木正行の首塚を目的に来ました。
足利義詮の墓もあるとはビックリです。
父と涙の別れをした正行は、父の遺命のまま南朝方として散々北朝方を苦しめました。
しかし及ばず、足利尊氏の片腕・高師直軍に討ち取られます。

父と別れた「桜井の別れ」、楠木正成が孤軍奮闘し鎌倉幕府軍を消耗させ、幕府瓦解のきっかけになった河内にある3つの城、神戸湊川自刃の地・・・太平記に登場する楠木正成関係の地をいろいろ巡りました。
正行の首塚に参れる幸せを感じます。

首実検後に葬られたのでしょう。
葬られた地が敵対した北朝・足利氏縁の地とは、中世の戦闘の敵対すれど正々堂々戦った武将をリスペクトする風潮そのままが現れているように思う。

20180311AtagoS0217s.jpg 参拝料500円。
境内に入ると、庫裏に「佐賀御流・いけばな教室」の札が下がっていた。
20180311AtagoS0199s.jpg すぐに大きくはないが手入れの行き届いた庭園が広がっていた。
明治以降の再建だけあって僧坊に惹かれるものはなかったが、この庭園はなかなかなものです。
庭園や花木で人を呼んでいるように思える。
白砂を水に例え、庭園中央を渡る石畳み左右に枯山水を形作っている。

庭園奥に、正行の首塚があった。
義詮の墓と並び、石玉垣が囲っている。
20180311AtagoS0203s.jpg 正面扉には、足利氏の「2つ引き紋」と楠木氏の「菊水紋」が仲良く並んでいた。
20180311AtagoS0205s.jpg 首塚と墓も並んでおり、南北朝に分かれるまでは、共に鎌倉幕府軍と戦った足利氏と楠木氏なので、ノーサイドということのようで清々しい。


3/11・越畑~トロッコ保津峡駅

r25に戻り北上を続け、水鳥の池で右折し、西に向かい始めると、紅白の吹き流しが目についた。
20180311AtagoS0054s.jpg 11:03「バーズ・パラグライダー・スクール」。
道端のポストにパンフレットが置いてあります。
『パラグライダー体験 タンデムコース:三郎ヶ岳580mからフライト。熟練パイロットと2人で60分・12000円 プチチャレンジ:2回ほどの練習で1回浮遊に挑戦・30~40分・4500円 チャレンジ:地上練習・斜面練習後、90分いっぱい何度でも浮遊・7000円 入門コース:1人で飛んでみたい。2時間×5回実技講習。緩斜面・高度30mからテイクオフ。コース終了後JPAパラライセンス取得・21600円』

時々、この地で見かけるパラグライダーのフライトスクールでした。
やってみたいけど、高所恐怖症なので僕には無理そう。
R477に突き当たり、右折して北山杉の森地域に沢を沿って入っていきます。
何度も通行止めになる「廻り田池」への最後の上り区間が開通していました。
あえてそこを避け、「そば処・まつばら」の看板に惹かれて右折し、r25に出る。

お店はr25との交差点より右だと記憶していたが間違いで、r25交差点にある「まつばら」の案内板は左折を促している。
20180311AtagoS0058s.jpg 案内板に従って左折し、下っていくといつも気になる茅葺きの立派な民家があり写真タイム。

さらに下って、11:27「越畑フレンドパークまつばら」。
20180311AtagoS0061s.jpg 手打ちそばのお店で、「おろしそば大盛1380円」で昼食にしました。
まだ寒い時期ですが、お客さんは多く、ほぼ満席でした。
ローディー4人グループ、ソロが2人食べておられました。
初めての訪問でしたが、レジでスタンプカードを頂いた。

r50で嵐山に向け南下開始。
20180311AtagoS0062s.jpg 標高500mの最高部を経て、長い下り基調に入る。

20180311AtagoS0063s.jpg 12:12、標高400m付近に「愛宕谷林道」入口があった。
20180311AtagoS0064s.jpg ゲートが開いていたので緊急停止。
亀岡の桂川を渡った所r25に下りますが、下からの林道入口にゲートがあります。
自転車ならすり抜け可能ですが、いつも閉まっている上のゲートが開いているということは下も開いているのかな?
20180311AtagoS0066s.jpg 林業関係者など地権者が開けているだけかな?

思案を巡らしていると、歩きながら上がっていったローディーさんが戻ってきて、「この先はまだまだ上り坂が続きますか?」と聞かれた。
「まだ続きますね」。

「この林道は亀岡まで下れますか?」「下れますよ、舗装されています。下のゲートはいつも閉まっていますが、自転車ならすり抜けできますよ」。
「ここのゲート、いつも閉まっていますよね」「そうです、僕も開いているのが珍しくて止まりました」。
「ありがとうございます、下ってみます」「お気をつけて」と別れた。
上りにお疲れ気味でしたので、ショートカットはナイスな判断だと思います。
僕も一度走ってみたい道です。
ここは「神明峠」。

嵯峨水尾の柚子畑が見えてきて、すぐに清和天皇陵。
斜面をゆるく下った所に天皇陵があります。
清和源氏が子孫に出た有名な天皇ですが、墳丘は質素で武士政権を握った清和源氏の祖とは思えない扱いになっています。

更に下っていくと道が広くなり、12:33「JR山陰線・保津峡駅」。
20180311AtagoS0079s.jpg ここは全国的に珍しい橋の上にある駅です。
保津川を渡る鉄橋の左右はトンネルなので、ここにしか駅が作れなかったからでしょう。

「越畑フレンドパークまつばら」で一緒だったローディー4人組さんと一緒になった。
20180311AtagoS0082s.jpg 無人改札を抜け、駅に上がってみます。
バイクに戻ると電車がやってきた。
汽笛の音が聞こえてきます。
「ん?」トロッコ列車のようです。
慌てて駅に走り、ムービーしました。

r50に戻り、保津川沿いを南下します。
12:44「トロッコ保津峡駅」。
20180311AtagoS0091s.jpg 時刻表を見ると、1時間に1本の運行だから、30分に1本列車が来ます。
橋を渡って対岸にある駅に行きます。
20180311AtagoS0112s.jpg 「保津川下り観光船」は季節的にまだだと思ったら、いつもの場所に三脚に載ったカメラがスタンバイしていました。
橋を渡った駅下にはおじさんが薪で暖を取っていました。
カメラマンのおじさんかな?
20180311AtagoS0101s.jpg ここで撮った写真を、観光船の終着点・嵐山で下船時に記念として売っています。
デジタル回線を駆使していますね。

調べてみると、3/10~12/9までが営業期間で、今シーズン始まったばかりのようです。
土日祝日は、随時運行なので待たずに乗れます。

駅に上がると、線路脇を猟犬を伴った猟師さんが歩いてきました。
20180311AtagoS0111s.jpg 肩には当然ライフルが・・・発砲音も聞こえるので、イノシシを狙って猟師が数人入っているのでしょう。
オレンジ色の猟師らしいジャケットを着ていました。



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2018/4/4
今朝、新聞を読んでいた家内から「お父さん、大変」と、NHKアナウンサーの有働さんが退職なさったことを教えてくれました。
今週から、「NHKあさイチ」の顔だった有働さんから新しい方に代わっていました。
天然キャラで親しめる方ですが、「有働さんロス」は否めません。

有働さんは、朝イチのキャスターになる前ニューヨーク特派員で、大雪などの情報を伝える有働さんの姿が見れたら喜んでいました。
僕はかなりの有働さんファンです。

今後はフリー・ジャーナリストとして仕事を続けるようです。
脳内記憶によると、「NHKエディケーショナル」で教育番組を作りたい・・・という動機でNHKに入局したはずですが、NYでジャーナリストとしての楽しさを見つけたのでしょうか?
櫻井よしこさんのような日本国の良さを伝えるジャーナリストになられると良いな。
参議院議員選挙などに自民党から候補者依頼があるかも・・・

鈴木奈穂子さんが「おはよう日本」「ニュースウォッチ9」キャスターを交代した時も、井田寛子さんが「おはよう関西」キャスターから、「ニュース7」お天気お姉さんに転出した時も「ロス」を起こしていました。
あ~残念!
「おはよう日本」から和久田麻由子さんが交代する時も、「ロス」を起こしそうです。

4月からNHK朝ドラが、「半分青い」に代わりました。
主人公が永野芽郁さんで、以前から好きだった女優さんなのでナイスです。
ずっと好きな原田知世さんが出演し、これまたナイス!バブル景気時代一世を風靡したホイチョイムービー作品映画「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」で大好きになりました。
男なら誰でも好きな「ほわ~ん」としたおっとり感がたまりません。
いくつになっても変わらないな~と、毎日楽しみに見ています。

今朝は早朝サイクリングで、27’33・6.67km・AV14.5km/h・MAX25.5km/h走りました。
3月になり、一気に庭の雑草の勢いが増しました。
毎日グングン伸びています。
そろそろ重い腰を上げ、四輪座椅子「草刈まさおくん」に腰掛けて精を出さねば・・・。
夜明けが早くなり、早朝サイクリングor早朝ツーリング~庭の草抜き~NHK朝ドラのワンパターンの日々になりそう。

3/11・丹波国分寺

家内と映画に行こうと調べていたのですが、神戸にお出かけするらしくアウト。
7:30時に家内を駅まで送りました。
帰宅後、朝食タイム。
久しぶりに食パントーストを3枚食べました。

地図で京都北部を巡ることにして、ルート上のめぼしい寺社をナビで探します。
ナビに表示される寺社をPCで調べ、面白そうなとこをナビに登録して行きます。
用意ができたので、9:10倉庫から「里山VTR250」を出して出発します。
亀岡~保津川沿い~嵐山~R162旧道や沢道探索~亀岡というルートに決定です。

池田からR423を北上します。
豊能町に入り、右折してr109、茨木市に入りr43に突き当たり左折して北上します。
久しぶりに清阪峠を越え、京都府亀岡市に入ります。
r46に突き当たり、左折して北上。
r6に突き当たり、左折して北上。



R9に突き当たり、右折してR9を少し走り、左折してr25。
桂川(保津川)を渡り、「請田神社」経由で嵐山まで保津川沿いの道を行こうと思ったけど、通行止めでした。
バイクだから、通行できる時もあるけど自重しました。

r25に戻り北上。
田園が広がり空の大きな気持ちの良い道を走っていると、前から気になっていた「国分寺」の案内板に惹かれ、寄り道しました。

田んぼの舗装されたあぜ道を進み、10:34「丹波国分寺跡」。
20180311AtagoS0001s.jpg 小さな鎮守の森があり、小さな山門が見えています。
その前の何もない広がりに謂われ板が立っている。

『史跡丹波国分寺・八幡神社跡 丹波国分寺跡は、現在の国分寺境内に塔跡の礎石がすべて残り、またその鎮守社と考えられる八幡神社の跡があることなどから、貴重な遺跡であるとして、昭和3年(1928)2月17日に国の史跡(面積約25,000㎡)に指定されました。その後、発掘調査等の成果を得、平成18年(2008)にはほぼ寺域全域(面積約74,000㎡)が追加指定されました。
これまでの発掘調査等により、伽藍配置や各建物の規模等は概ね解明されていることから、国分寺の往時の姿を多くの人たちに感じていただき、知つていただくため、現在環境整備工事を進めています』

鎮守の森に近づくと、『亀岡の名木 丹波国分寺のイヌマキ 常緑高木。関東以西の太平洋側・四国・九州・琉球の海岸に近い山地に生え、台湾・中国大陸に分布する。庭園樹や生垣に広く利用される。材は腐りにくく白蟻の被害に遭いやすい琉球の島々では貴重な建築材とした。風呂桶・土木・器具材に用いる。亀岡の名木の中に4本のイヌマキが指定されているが、その中で最も樹形が整い、庭木らしい木である。晩秋、熟した実は食べられる。胸高幹周2.2m・樹高8m』

20180311AtagoS0006s.jpg この木だなと境内を覗いたら、巨大な礎石が8つ感覚近く苔むしていた。
相当大きな建物があったようだ。
20180311AtagoS0008s.jpg 風雪に耐えた山門を入ると、左右の塀が壊れている。
これがまた歴史を感じさせる。

20180311AtagoS0014s.jpg 『国分寺(千歳町) 奈良時代に建立された国分寺は中世以降、一時衰退しましたが、元禄年間(1688~1704)に再興され、現在の本堂は、安永3年(1774)に護雄比丘(ごゆうびく)が近在の村はもちろんのこと、全国的に浄財を集めて建立しました。
本堂は、正面向拝を唐破風造とした入母屋造、妻入の建物で、城下紺屋町の木村藤四郎玄信が大工棟梁として、花野九兵衛が瓦工として関わっています。内部の格天井には四季折々の花鳥風月が描かれるなど、彫刻や絵様に見られる匠技は見事です。また、山門や鐘楼も本堂と同時期に建てられたもので、丹波国分寺の歴史を今に伝える重要な建物として、亀岡市指定文化財になっています。
本尊の薬師如来坐像は平安時代後期の作で、国の重要文化財に指定されています。
また、後堀河上皇が北国の天変を心配して、この薬師如来に祈願したところ宮廷に米が降ったということから、「飯薬師(めしやくし)」と呼ばれています。さらにイチョウ、カゴノキ、ムクノキは亀岡市指定文化財となっています。
なお、本堂等を再建した護勇比丘の墓所は、山門南方130mの竹やぶの中にあります』

山門左右に荒い彫刻の仁王像が睨みを効かせています。
20180311AtagoS0019s.jpg 『亀岡の名木 丹波国分寺跡のオハツキイチョウ(雌) 雌雄異株の落葉高木。垂れ下がった気根(俗に乳という)に触れると母乳がよく出るといい、「チチイチョウ」と呼ばれ信仰されてきた。オハツキイチョウは、「お葉つき銀杏」の意で、葉の先にも実(正しくは種子)がつくことから名付けられた。これは稀に現れる奇形である。亀岡市の天然記念物に指定(昭和61年3月31日)され、京都自然200選にも選ばれている』

『天上の木 亀岡市千歳町丹波国分寺跡のイチョウ』

『亀岡の名木 丹波国分寺跡のカゴノキ(雄) 雌雄異株の常緑高木。京都府下に稀に自生する暖帯・亜熱帯性の樹木で、主に渓流脇の岩の多い斜面に生え、神社の境内でしばしば見るが、寺院跡にあるのは珍しい。
府下では3指に入る大きさを誇る。和名は幹に生じる鹿の子まだら模様に由来する。天保時代の書「盥魚庭落葉(たらいのうおにわのおちば)」の国分寺の境内図にオハツキイチョウを並んで描かれている。花期9月、果実は翌年の夏に熟す』

それぞれの樹は、寺院の荒廃にかかわらずひっそりながら立派な樹勢を張っている。
20180311AtagoS0030s.jpg 20180311AtagoS0032s.jpg 本堂は、唐破風屋根を持ち、瓦の上に左右から龍が睨んでいた。
小ぶりな堂宇ですが、再建された江戸時代の雰囲気が伝わってきて飽きない。
今後の国分寺周囲再建のためか周囲に何もない広がりの中に、小ぶりな鎮守の森に包まれて堂宇が
残り、惹かれるものがあった。

西に向かって参道が続いている。
20180311AtagoS0045s.jpg 南遠くに竹やぶがあり、比丘尼の墓を見に行ってみる。
『護勇比丘は65歳の時、現在の国分寺本堂・山門・鐘楼を再建したことから、護国山国分寺の中興開山とされています。護勇比丘は宝永6年(1709)に、八田笹尾村(現京丹波町)の一谷家に生まれ、同村の庄屋も勤めた方でしたが、後に出家し、僧名を護勇と呼ばれました。
その後、荒廃していた丹波国分寺の再興の大願をもって諸国を行脚し、浄財を集め、安永3年(1774)の本堂に始まり、山門・鐘楼を再建し、大願成就を果たしました。
護勇比丘は、厳しい修行を重ね、悟りを開き仏への道を歩むために、即身成仏の行を行いました。すなわち、現在、五輪塔が建っている所に生きながらに入り、「鉦が鳴り止んだら、土をかぶせて欲しい」と頼んで、読経を続け、やがて鉦の音が消えたので、人々が土をかけて葬ったと伝えられています。五輪塔は地輪(基礎)の銘文から、寛政11年(1799)に建てられたものです。
護勇比丘が亡くなった天明7年(1788)の翌年、寛政元年(1789)には、木像が京師幸町松原下ル町・大仏師竹内右門によって制作されており、その像によって、護勇比丘の容姿を知ることができます。
また、五輪塔に向かって左側にある行者尊(山門前から移築)の基礎には、「八田笹尾村・一谷氏・護勇春國」と刻まれています』

20180311AtagoS0049s.jpg 中央に大きめ五輪塔が立ち左に小さめ五輪塔、土とともに手のひら大の石が多数散らばっている。
その前左側に比丘尼石像、右に石仏が立っている。
周囲の竹やぶに囲まれ、自らが人生の後半をかけて再建に取り組んだ国分寺が見えるようになっていた。
地元の方・有縁者の比丘尼に対する気持ちが感じられた。
冬枯れの季節は直接見渡せるが、穀倉の季節は前の田に生命が息吹き、また別の顔を見せてくれるのだろう。


3/15・CB400SBバッテリー

CB400SBのバッテリーが届きました。
先月と今月、連続で出先でバッテリーが上がったので、そろそろ寿命と判断し早めの交換です。
5年前、VTR250の初めてのバッテリー交換でホンダドリームお勧めの「AZバッテリー」を付けてもらいました。
「GSユアサ」より安いのでこれにしたのですが、問題なく健在です。
この実績からAZバッテリーのATZ10S・6793円をアマゾンさんに注文しました。

去年のアドレスV125に続き、人生2度目のバッテリー交換です。
アドレスは、足を置くステップ下にバッテリーハウスがあり、簡単に交換できました。
CB400SBは燃料タンクの後ろ・シートの下です。

CB400の取扱説明書の図を見ながら作業します。
シートを外し、バッテリーカバーを外します。
バッテリー左右はキチキチなので左右には動きませんは前後に移動するので、それを固定するプラスチックカバーです。
上と後ろを覆うようになっています。
バッテリー上方のプラスボルトで止まっているので、これを外すとカバーが簡単に外れました。

バッテリー本体を引っ張り出しますが、シガーソケット・コード、ETC本体・コードでバッテリー後ろのスペースが埋まってるので、それらを外に出します。
ETCはラックでバイク本体にボルト・ナット留めされているので、プラスドライバーで外します。
片方のナットが外れて下に落ちた。
もう一方は落ちずにそこに留まっています。

バッテリー本体を後ろのスペースに出し、マイナスからコードを外します。
続いてプラスコードを外す。
いつでもシートを外さず充電できるようプラスマイナスからケーブルが出ているので、それも外します。
「スーパーナット・バイク用12Vバッテリー充電器」を使っており、VTRとCBには、専用ケーブルを付けたままにしています。
ケーブル先をシートから少し出しており、充電器のケーブルソケットとこれのソケットを結ぶだけで充電できます。

古いGSユアサバッテリーを取り出します。
4年使いました。
ご苦労さまです。
最初の純正バッテリー「GSユアサ」は、「バイクのバッテリーは2~3年が寿命」のホンダドリーム・メンテナンスさんの言葉を信じ、新車購入後2年目に早めの交換をしましたが、まだまだ使えたように思います。
勿体なかった。

新しいバッテリーは1日前に届いていましたが、バッテリー充電器で初期充電しました。
アドレスV125のバッテリー交換時に得た知識です。
最初に初期充電しておくと寿命が長いとか・・・。

スペースのないバッテリーボックスに入れる難仕事です。
取り出す時、「これは大変そう」と予想した通り、指の太さはどう仕様もないし、コードは余分な長さがなくバッテリー本体を交わせずなかなか入りません。
プラスコードを下後ろに、マイナスコードを奥上にして、やっとこさバッテリー本体がバッテリーボックス手前のスペースに入りました。

プラスコードからセットします。
ここで「あ、やっちまった」。
コードを止めるボルト・ナットのナットをプラス端子下に入れられません。
もう一度バッテリーを取り出します。
プラス端子下・マイナス端子下にナットを入れて、再度バッテリー本体をバッテリーボックス入れに挑戦。
2度目の難儀しながらなんとか。
左右にもう5ミリスペースがあれば簡単なのに。
後からスペーサーを入れるというのでは駄目なのかな?

プラス端子にプラスコードと車両ケーブルプラスをボルトナットでセットし、同じようにマイナス側もセット。
バッテリーカバーセットも難儀そうだと思っていましたが、カーバー穴とバイク本体ネジ穴がピッタリで、ポン付け出来ました。

続いてETC本体サポーターケースをバイクにボルト・ナットで留めます。
外す時ナットが1つ外れたので難儀かな?と思っていましたが、左手で手探りしたナットにボルトがピッタリ合い簡単に付きました。
ラッキー。
後はETCコードとシガーソケット・コードをスペースに適当に入れて完了。

固着したボルトなどがなく助かりました。
続いて時計のセットです。
バッテリーが上がったり外すと、時計の記憶が消えます。
時計のセットをします。
取扱説明書通りにします。
キーONし、A・Bボタを同時に押し続けると、時刻が点滅表示になります。
これで時刻変更モードです。
Aボタンを押せば時間が1時間づつ上がり、Bボタンを押せば1分ずつ上がります。
時刻合わせが終わったらキーOFF。
もう一度キーONすると、正しい時間が表示されていました。
完了!

次回バッテリー交換時、またバッテリーの出し入れで難儀するだろうから、ここに書き残しておきます。

倉庫の蛍光灯がお釈迦になりました。
紐を引っ張るタイプの大昔からのもので、その紐がとうとう器具の中で切れてしまいました。
器具も年季ものだし新調することにしました。
器具ごと交換します。
近所の御用達電気屋さんに伺い、若大将に相談しました。

1万円の居間用のお洒落なのもありましたが、毎日使うことはないし、蛍光灯裸直管が電球交換が簡単なので、業務用蛍光灯で倉庫なので安モンでOK・光量も適当で良いと希望を伝えます。
「選挙で使った40ワット蛍光灯器具があるから、1週間使った中古だけどそれにしますか?」と良いお話を頂いたので即決。
新古品在庫をお金に変えれて、若大将もWinだろう。
「いつでもいいから、付けといて」、1万円ぐらいかな?
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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