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3/10・京都/ノーザンチャーチ・体育会追いコン

r61に戻り、京都市街地に向かって下ります。
r38に合流し、京産大グランド脇に出て市街地に突入。
賀茂川沿いの道になり、賀茂川を渡って南下し、左折して「北山通」を東進し、再び賀茂川を渡り、地下鉄烏丸線「松ヶ崎駅」近くのコンビニにP。

20180310RakuS0103s.jpg 道を渡り16:21「京都ノーザン・チャーチ北山教会」、道を渡り直し「北山ル・アルジェ教会」。
ともに結婚式披露宴のお客様が出て来ていました。
20180310RakuS0104s.jpg ノーザン・チャーチ前の道にはロールスロイスが停まっていました。
新郎新婦を乗せていくのかな?

20180310RakuS0094s.jpg 結局神戸ホテルニューオータニになったんだけど、ここは甥が結婚式を予定していた教会です。
20180310RakuS0099s.jpg ホテルでの結婚式には何度も行ったので、京都北野の教会に興味がありました。
20180310RakuS0100s.jpg 披露宴もここで出来るようになってるのかな?
20180310RakuS0101s.jpg 僕ら夫婦のように、披露宴のためにホテルに移動するのかな?
いろいろ想像していました。

20180310RakuS0105s.jpg
五山送り火の「妙法」がすぐ近くにあった。

バイクに戻り、「北山通」を西進し、ノートルダム女子大の角を左折し南下。
右折して「今出川通」で西進し、京都御所の北辺を西に通過し、16:46御所に西面した「平安会館
ホテル」に到着。

ここで、コーチしてる大学ヨット部の卒業式があります。
ずっと背負ってきたPCリュックとリアボックスから靴を出して、ホテルに入ります。
現役部員は1時間前集合のようで、ちょうどみんながやってくる時間と重なりました。
宴会場前で受付を用意してる女子マネージャーたちに挨拶し、3回生A君に「荷物置いといてね」と言付け、バイクジャケットを置きます。
荷物持ってトイレに行き、着替えました。

宴会場前に戻り、バイクパンツと靴を置き、受付をします。
参加費1万円と引き換えに、卒業生文集と式次第をいただきます。
家でコピーしてきた卒業生キャプテンが、全日本インカレ後にヨット部ウェブサイトに投稿した文章を、卒業生文集に挟むよう女子マネージャーにお願いします。

現役部員や次々やってくるOB・OGたちとあ~だこ~だお喋り。
会場内に誘導され、ホテルのお姉さんにお水を一杯いただき喉を潤わせます。
18時に卒業式(追いコン)が始まりました。
最初に卒業生入場。
監督がヨット部長からのメッセージを代読します。
OB会長あいさつ・乾杯後、歓談時間となりチャーハン・スパゲティ・・・バイキング形式で食べます。
朝ごはんしか食べてなかったのでお腹が空きました。
OB会長や理事長の席で食べながら、あ~だこ~だお喋り。

祝辞の時間となり、OB会理事長挨拶・大先輩OBさん挨拶、そして僕の挨拶の番です。
最初に、京都交差点内こたつ事件で家内が大騒ぎし、無事始まるのか心配だったことで笑いを取り、文集冊子に挟んでもらった卒業生キャプテンメッセージを読み感動してもらいます。
現役には、その時の思いを思い出してもらいました。
メッセージには書かれていなかったが、サバイバルど強風・大波の中、平然とレスキュー艇をドライブした女子マネージャーの頑張りと、それを統括し磨き上げた卒業生女子マネージャーKさんに賛辞の言葉を送りました。

そしたら、大先輩OB席から「前に出て~」とリクエストが起こり、Kさんが引っ張り出されました。
彼女はこの学年唯一の女子マネージャーで、本当によく頑張ってくれました。
OBさんたちから大声援を送られ感動したのか涙声になりながら、しっかり挨拶をしました。
最後に、僕のカメラで撮った卒業生数名の写真(A4版にアップし、額縁に入れました)をプレゼントしてお終い。

席に戻り、むしゃむしゃ食べていると、「挨拶が上手ですね」とか「やはり現役部員と過ごす時間が長いから、心に響くネタが豊富ですね」とか褒められました。
次男と同期のコーチが挨拶し、今年で院を卒業し就職するので退任する若手コーチの挨拶。
続いて、「贈る言葉」として現キャプテンが卒業していく先輩方にメッセージを。
卒業生一人一人、演台に出て卒業挨拶します。
締めは前キャプテンです。
20180310RakuS0121s.jpg 記念品贈呈があり、最後に監督が閉会の辞を。

ホテルのカメラマンが、集合写真を撮りました。
監督が中心で最前列が卒業生なのですが、横幅が足らないようで、僕が前に座れと指名されました。
まだ席が空いているので、女性に座って貰おうとOGたちを指名しました。
彼女らも僕がコーチした子達なので、僕の指名は断れません。

いつものように「トリ」は、エールです。
円陣になり、エール係と部旗係が中央に出てパフォーマンス。
卒業生一人一人の名前を呼んでエールで送り出します。
応援歌を歌い、最後は全員で肩を組んで「琵琶湖周航の歌」を斉唱します。
これでお開きになりました。
3時間ぐらいだったかな?

OBの方々に挨拶し、宴会場を出て着替えます。
バイク装束に着替え、駐輪場に行きバイクに積み込んでいると、若手OBを引き連れた監督がやってきて、「バイクですか~、僕らは僕らでこれから飲みに行きます」。
「やたらタクシーがホテル前に停まっているな」と思ったら、卒業生と現役はこれで街に繰り出すようです。

卒業生は引退後のバイトで貯めたお金を一晩で散財します。
いくつかのグループに別れ、現役部員を引き連れ、京都の夜の街を堪能し、翌朝5時に全員集合し安
否を確認し合い解散するのが、ヨット部追いコンの恒例です。
去る者がいれば、入ってくる者がいる。
来月には新入生獲得の新人勧誘が始まります。

名神~中央縦貫道で一気に帰宅しました。
もちろん家内が寝ているので、静かに風呂に入り、ヨーグルト持って寝室に上がり、盛り沢山だった1日が終わりました。


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3/10・洛北/志明院・厳島神社・洞谷寺


小さなお地蔵さんを見つけ小休止。
「福蔵院」という寺院でした。

20180310RakuS0032s.jpg 『帰命山無量寿寺福蔵院と号し、浄土宗に属する。延暦11年(792)伝教大師最澄門弟・空忍(くうにん橘軍氏)が、当地で法華三昧修行中、雲ヶ畑の山上に弥陀三尊を感得し、本尊を刻み堂宇を建立安置したのが起こりで、比叡山三千坊の1つと数えられていた。文明5年(1473)将軍足利義尚の命により、浄土宗に改められた。
現在の本堂は、安政元年(1854)再建されたもので、堂内に阿弥陀如来像を祀る。
観音堂には、もと石清水八幡宮の豊蔵坊にあった豊臣秀吉の守護仏・十一面観音像を安置している。
境内に、「南殿の桜」と呼ばれる老桜がある。これは、紫宸殿の南庭にあった桜の実を後桜町天皇から下賜され育てられたものである』

20180310RakuS0039s.jpg バイクに戻り北上するとすぐに「岩屋橋」があり、沢に沿って直進がr61で、左折が目指す「志明院」です。
20180310RakuS0043s.jpg ここでも小休止して、料理旅館「洛雲荘」を写真に収めました。
週末ですがお客様のいる感じはせず、まだ冬の冬眠中のようです。

岩屋橋を渡り、更に細い沢沿いの道を北上する。
20180310RakuS0049s.jpg 14:30「志明院」。
『志明院(しみょういん・金光峯寺きんこうほうじ) 岩屋山と号し、真言宗単立寺院。
一般に岩屋不動と呼ばれている。白雉元年(650)役行者が開山し、天長6年(829)弘法大師が淳和天皇の命により創建した。以来皇室の勅願所として崇敬深く、天下平和の祈願のため諸堂開扉の勅があり、「志明院」の勅願を天皇から賜る。度々兵火や火災に遭い、現在の主要建物は明治以降の再建である。
本堂に空海開眼の不動明王を安置し、奥院・根本中堂には菅原道真の手彫り眼力不動明王を安置する。境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じ込めた護摩洞窟など修験道に因む伝承地が多い。付近一帯は、京都市の天然記念物・石楠花(しゃくなげ)が多く、4月下旬に開花して美しい』

『来山の皆様へ 桟敷ヶ岳は、山城・丹波両国に誇る標高896mの山で、比叡山より48m高い。古来この山は、惟喬(これたか)親王の幾多の伝説があり、山名の桟敷も親王が山上に高楼を構え都を眺めたからと言われ、角力の土俵場の跡と伝えられている。古来からこの辺一帯は都の文化と歴史の顔・鴨川の水源地を祀る山々として自然環境が重要視されてきた。森林の持つ公益的機能は私達の生命を育んでくれている。民有地内の山道であることを理解し、山歩きする人々も自然への敬愛を育み、マナーを守って楽しく歩きましょう』

期待せずに訪問したが、大ヒットの寺院だった。
拝観料300円。
奥様から地図を見せられ、拝観ルートの説明を受ける。
山奥に不釣り合いな立派な山門からは撮影禁止だったのが残念ですが、弘法大師が鴨川の源流を守護するため祈願・修行した洞窟など、修験道修行地を想像させる山紫水明・幽玄の世界が広がっていた。

鴨川は、ここ志明院が源流ということを知った。
横の沢・志明院川~加茂川~高野川と合流して鴨川~桂川に注ぎ~宇治川・木津川と合流し淀川~大阪湾という流れのようです。
20180310RakuS0055s.jpg r61に合流し、r107の合流部を過ぎ、少し下ったところに「ぜーもんカフェ」というお店がありました。
屋根から煙が上がり休憩しようと思ったが、営業時間が10~15時で終わっていました。
残念・・・

下っていくと、鳥居が見えてきたので寄り道。
20180310RakuS0056s.jpg 『厳島神社 平安時代中期に編纂された律令の施行細則「延喜式」に「天津石門別稚姫神社」と記載される神社と考えられている。
この地周辺の雲ヶ畑中畑町・中津川町は、平安時代以前からの集落で、平安京造営の際に用材を伐り出した地域であるとも言われ、当社は産土神として信仰されてきた。
祭神の天津石門別椎姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり、約5mの2つの巨岩が15mほど離れてそびえ立っている。祭神・天津石門別稚姫が女神のため、弁財天(知恵や音楽を司る女神)信仰が生じ、明治以前は石門別弁財天・雲ヶ畑弁財天と称したが、明治の初め廃仏毀釈の際、弁財天のままでは廃止されるため厳島神社と改称した。
境内には、中畑町・中津川町の各所にあった宮が集められ、小宮として祀られている』

お宮の裏に巨岩が2つ並び、確かに周囲の風景と違う雰囲気が伝わってきた。
20180310RakuS0069s.jpg バイクに戻ろうとすると、下の県道をランドナーで登っていく方が過ぎ去っていった。
最新式の軽いロードバイクも良いが、こういう渋い旅バイクにも大人のかっこ良さを感じる。
20180310RakuS0071s.jpg ここに雲ヶ畑自治会館があり、京都市北消防署・雲ヶ畑分団詰所も兼ねていた。

20180310RakuS0072s.jpg 少し下ると、「雲ヶ畑小学校」と「中学校」が並んで建っていた。
運動場が共有で、地域の子供達の仲間意識が自然に醸成されるんだろうなと思った。

20180310RakuS0074s.jpg 少し下り「高雲寺」。
20180310RakuS0077s.jpg 『九龍山と号し、臨済宗永源寺派。文徳天皇の第一王子惟喬親王(これたかしんのう)が閑居された高雲宮跡。貞観11年(869)親王はここで落飾され当寺を創建した。真言宗の祈祷所として栄え、祈祷の際には村役人・里人が集まり、謡曲「田村」を奉納したり、寺に柩を近づけないなどの風習があった。
寺宝には、惟喬親王が書写した大般若経(惟喬般若)600巻のほか、近郷の人々がこれを拝むとすぐ病が治ったと伝える大般若経説相図、貞観時代(859~877)作の薬師如来像・山越如来像などがある。
また当寺のある中畑町及び出谷町では、毎年8/24に愛宕山の献灯行事として「松上げ」が行われる』

20180310RakuS0080s.jpg 枝道に逸れ「洞谷寺(とうこくじ)」。
20180310RakuS0085s.jpg 『龍雲山瑠璃光王院洞谷禅寺。曹洞宗の寺で、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊とする。天正10年(1582)に始まり、もとは現在の墓地となっている境内奥に建立され、そこが谷の東に当たったことから東谷庵と称した。当時は薬師如来(別名:瑠璃光仏)を本尊としたことから瑠璃光王院とも呼ばれた。
20180310RakuS0090s.jpg 墓地の奥に「父母のしきりにこひし雉子の声」と彫られた松尾芭蕉の句碑が建っている。芭蕉が父母の位牌を納めた高野山に詣でた時に詠んだ「キジの声を聞いていると、父母がしきりに恋しいと鳴いているように聞こえる」という意味が込められている』


3/10・洛北/龍澤寺・岩戸落葉神社

コーチしてる大学ヨット部の卒業式に出席します。
京都市内のホテルで18時から始まります。
今年も挨拶を仰せつかったので、ドタキャンや遅れるわけには行きません。

朝食と朝の身だしなみをしていると、新聞読んでた家内から「お父さん、大変。京都の交差点でこたつに入ってた学生が捜査されてるんだって。今日大丈夫なの?」と大騒ぎし始めました。
記事を読むと、『午後5時頃、交差点の真ん中にこたつを置いてまったりしている人がいると110番があり、警官が駆けつけた。交差点中央にこたつを置き、鍋をつついている学生男女4人を発見した。注意したら、こたつをリヤカーに積み込み立ち去った。ヘルメット姿で拡声器を持ち演説する者もいた。翌日午後8時頃にも110番があり、警官が駆けつけたがすでに撤収した後だった。道路交通法違反で操作中』というものだった。

家内が何故、この記事に反応したかと言えば、ヨット部卒業式(俗に言う「追いコン」)後、卒業生が下級生部員を数組に分けて引き連れ、一晩中京都の街を楽しむのが恒例になっています。
数年前の卒業生がリアカーにこたつとみかんを積み、下級生を4人乗せ、夜の京都を徘徊した奴がいました。
真夜中に「リヤカー・こたつ・みかん車」が道路を走っているのは、不審者この上なく、警官に職務質問されたそうです。

このことを僕が面白おかしく話していたからです。
彼は、清水寺界隈で人力車バイトをトレーニングと実利を兼ねてずっとしており、どこからかリヤカーとこたつを調達したようです。
家内には、「こたつ」「リヤカー」「道路」=ヨット部なので、てっきりヨット部卒業生が今日の本番前にリハーサルしたと思ったそうです。

僕に何も連絡がないので、ヨット部員ではないと思ったし、体育会系学生は反体制や社会に迷惑を掛けるこういう行為はしません。
OB・OG・学校から毎年大きな資金援助をもらいながら活動しているので、それへの感謝の気持ちは常に口にしています。

9:30に「招き猫CB400SB」で出発します。
9:39「伊丹産業セルフ川西SS」で給油。
249km/10.58L=23.5km/L。
キーONしたまま、後部座席の招き猫のシートベルトを直していたら、バッテリーを上げちゃいました。
ライトだけじゃなく、ナビ・ドライブレコーダーも通電してるから、安心してたらアカンね。

今まではこれぐらい平気でしたが、バッテリーが弱っているのでしょう。
セルは回れどエンジン始動せずが3回あり、セルも回らなくなりました。
GSマンに「10分待たせて」と断わり、10分後に「そろそろ復活したかな?」と再挑戦したら、気持ちよくセルが回りエンジン始動しました。
そのまま一旦帰宅。

キーON時・セル中・エンジン始動後をシガーソケットに突っ込むだけの簡易温度電圧計で測った計測値に照らすと、まだ限界でもなさそう。
先月12ヶ月点検に出したホンダドリームさんからも、バッテリーのことは何も言われなかったし・・・もう少し使うかな?
ロングツーリングの時は、ジャンプスターターを積んでいけばいいし・・・
春になれば・・・キーオンしたらすぐエンジンを掛けるようにしたら・・・まだ持つと思いますが、交換することにしました。

VTR250で長寿命を体験しているので、AZバッテリーにしましょう。
調べるとホンダ純正GSユアサYTZ10Sの互換「XATZ10S・6793円」を注文しました。
新車購入2年後にホンダドリームで前回交換した時は工賃含め20150円だったので、1/3のお値段になります。

11:30、バイクを代えず「招き猫CB400SB」で出発。
池田からR423で北上開始です。
R477で京都北部に出て、洛北の寺社・史跡を気の向くままに訪問しましょう。
青空が広がり、気持ち良い。

亀岡市街地からr25で桂川(保津川)を渡ります。
「保津川下り」はまだシーズンオフのようで乗り場桟橋には誰もいない。
川下り船も対岸の入江に係留中や陸上に上げられています。

r25で亀岡盆地の東縁を北上します。
寺社が多く、歴史好きにとって魅力的なエリアです。
観光バスが1台停まっていました。
観光バスが巡るエリアでもあります。
水鳥池で右折し、R477にぶつかりそれに乗り東へ。
ここから沢沿い山岳エリアで、北山杉の森が続きます。



長い間通行止めだった「廻り田池」手前の道が開通しており、すんなり池に上がりました。
北山杉の深い森に入ってそのまま周山まで行こうかと思ったが、朝トラブって出発が遅れたので、r363にチェンジしてR162周山街道へショートカットします。

20180310RakuS0001s.jpg 13:08森の中の沢を渡るところで休憩。
交通量はなく、沢を流れる水音だけ、森の中は気持ちが良い。
出発すると、ヘリの音が聞こえてきた。
森林伐採の仕事関係のようで、飛び去るのではなく、近場で飛んでいるようだ。

r362との合流を過ぎ、少し走ったところでバイクに追いつかれる。
道を譲ると、札幌ナンバーだった。
札幌はまだ雪でバイクが走れなさそう。
フェリーで本州に走りに来ているのかな?

「笠トンネル」を通過し、出たところの温度計は5℃でした。
「岩戸秋葉神社」の道に入り、13:32その先にある「龍澤寺」。

20180310RakuS0006s.jpg 『円通山・龍澤寺(りょうたくじ) 臨済宗妙心寺派に属する禅寺。本尊は宝冠観世音菩薩(室町時代後期1500年頃)を祀り、本尊右側には善光寺本尊・阿弥陀如来立像、左側に地蔵菩薩半跏坐像
を祀る。
創立年不詳、寛永元年(1624)鉄叔宗愚禅師(てつしゅくそうぐぜんじ・本山塔頭・長慶院3世)を中興の祖として再建された。江戸時代末期桜本寺を、明治12年5月浄土宗善光寺を吸収合併し、現在に至る。
境内に樹齢250年を超える枝垂れ桜(山桜)樹齢180年を超えるシャクナゲ、5本のイロハモミジがあり、区民誇りの木に指定されている。当寺に合併された桜本寺の本尊・聖観世音菩薩立像(平安時代後期1100年頃)は、京都市有形文化財指定されている』

20180310RakuS0014s.jpg 石段は苔に覆われ、とてもいい感じです。
僧坊は特に目を引くものはなかった。

20180310RakuS0022s.jpg バイクに戻り、久しぶりに「岩戸落葉神社」に寄った。
銀杏の大木があり、秋に来ると素晴らしい自然の光景を見せてくれる。観光客が少なく、景色を独り占め出来、自由にカメラのアングルを変え堪能できます。

『祭神は、天御衣織女稚姫神(あめのみそおりめわかひめのかみ)・弥都波能売神(みづはのめのかみ)・瀬織津比売神(せおりつひめかみ)。落葉姫命を御祭神とする御霊社(本殿右)を摂社とする。
当神社の創建年代は不詳。乍ら平安時代前期には已に祀られており、岩戸社は元の天津石門別稚姫(あまついわとわけわかひめ)神社、落葉社は元の堕川神社で共に延喜式内社であったが、元和年間に岩戸社が火災に遭い、落葉社に合祀され岩戸落葉神社となった。
この地、小野郷は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の1つに選ばれ、寛仁の御世には賀茂別雷神社の神領となり、次いで天領(天皇家の御領)となった。因に、源氏物語のモデルとなった落葉姫の名はこの里を閑居の地とされた事に依る』

瀬織津姫は祓戸四神ですが、他の二神はよくわからない。
文字から「織物の神様」と「水の神様」と想像したがビンゴでした。
水の神様の方は、井戸・雨乞い・洪水止の神様で、これはイザナミの尿から生まれたという所を読んで、ああ知ってたわでした。

R162に戻り南下します。
雲ヶ畑に向かうため、r31に左折し、更にr107へ。
標高400mの持越峠を越え西側に下り、r61に突き当たり、左折して沢道を北上してまた標高を上げていく。


3/7・メキシコ・カンクン

20180301Mex7546s.jpg 長男のお嫁さんからメールが届きました。
6月に3人目出産なので、安定期の今のうちにしばらく行けない旅行に一家で出かけました。

20180301Mex4204s.jpg 3/1からメキシコのリゾート地・カンクンに行っていました。
メキシコのカリブ海側に膨らんだ先端にあります。
その先にキューバ島があり、北のメキシコ湾と南のカリブ海を分けています。

20180301Mex4208s.jpg 次男夫婦の新婚旅行予定地でしたが、結婚式をした2015年12月からアメリカ大陸でジカ熱騒ぎが起こり、妊娠がわかったところだったので、2016年1月の新婚旅行を取りやめました。
長男からすれば、弟夫婦が行けなかったリベンジのつもりかも・・・

20180301Mex4211s.jpg クラウドにアップしてくれた写真を見ると、美しすぎる海・空が広がっていました。
Hyatt Ziva Cancunというホテルに5泊してきたそうです。
20180301Mex4226s.jpg 夏のジャマイカ旅行同様、オールインクルーシブでほとんどホテルとプライベートビーチで過ごしたそうです。
20180301Mex4326s.jpg リゾートホテル周辺は欧米からの観光客が多く、メキシコの他の地域よりずっと治安が良いとのことで、ジャマイカでは一切出なかったけど、今回は近所のスーパーには行ってみたそうです。

20180301Mex4343s.jpg 2人の孫は、毎日父親とずっと遊べ楽しかったようです。
20180301Mex4388s.jpg 連日プールサイドで数時間お昼寝をしてしまうくらい大はしゃぎだったそうな。
20180301Mex4408s.jpg お嫁さんは出産に向けてパワーチャージできたようで、家族のまた行きたい場所になったそうです。

20180301Mex4474s.jpg 赤ちゃんの名前を考え始めたそうです。
今度はアメリカでの出産で、出産届をアメリカに出します。
20180301Mex4476s.jpg 日本にはないミドルネームも付けられるので、頑張って考えるようです。
この子が20才になった時、日本かアメリカかどちらの国籍を選択するのだろう・・・
女子テニスで大活躍している「大坂なおみ」さんも二重国籍状態と思われるが、日本では「日本選手」として大喜びしている。
20180301Mex4498s.jpg 将来、アメリカ国籍を選択したら、フィギュアスケートの日本生まれのアメリカ代表選手のように、取り上げ方がトーンダウンしちゃうのかな?

長男は、嫡孫に好きな作家「司馬遼太郎」から一字拝借したので、近所のプリンストン大学に銅像があるアインシュタインをミドルネームにしたりするかも?
アインシュタインはユダヤ人なので避けるかもしれないな・・・
大作・三国志を数人の作家の作品を買って読んでいたから、三国志の英雄・リョウビやショカツコウメイにするかも?
日本人だから大志を抱き大洋に乗り出そうとしていたリョウマなんてのもいい。

3/4・大学ヨット部コーチング

コーチしてる大学ヨット部の練習が、後期試験の終わった先月末から始まりました。
今年初めての練習参加です。
8時出艇なので、7時到着を目安に琵琶湖に向かいます。
天気予報では、日中終日風速0~1m/sなので陸上風待ち待機の1日になるかもしれません。

4時に目覚めごそごそし、5:30になった階下に降ります。
5時から家内の音が聞こえていましたが、すでにお出かけ服装になっておりびっくりしました。
「どこに行くの?」「「うん、わかんない、ブラブラ。何時に帰ってくるの?遅いでしょ」
「うん、練習後のミーティング後に帰ってくるから21時かなあ~。用事がある?」「ううん、ないよ。早く帰ってくるなら、気になるだけ」

6時に一緒に家を出ました。
家内はそのまま駅まで歩くそうです。
僕は倉庫でバイクを出します。
車ではなくバイク置き場に行くのを見て、「なんだバイクで行くんだ」と・・・僕はバッチリ、コミネ冬用バイク装束上下なのにわからないんだな。

日中気温20℃予想なので、今年初めて春秋装束にしようかと迷いましたが、朝晩を考え冬用にしました。
でも、一番暖かい白ジャケットではなく、標準の黒ジャケットを選択しました。
白はCB400SBホワイト・シルバーツートンに合わせて買ったのですが、カラーコディネート・保温はバッチリですが、重いです。
真冬でも標準冬用黒ジャケットで十分なので、こちらを選択する方が多くなっています。
冬でも日中気温が上がったり、寺社探索で歩く時間を長くなると暑すぎて、途中でインナーを外すことになります。
バイクパンツの下にカーゴパンツ、ジャケットの下にモンベルのフリースです。
風が弱く気温も上がりそうなので、ウインドブレーカーさえ必要ないと考えました。

山探索なしの高速道路往復なので、「招き猫CB400SB」を出します。
勝手知ったる道なので、車載カメラもナビもなし。
R171~中央縦貫~吹田ICから名神高速に乗ります。
東の空低く朝日があり美しい。
天気も上々です。
桂川PAもパスし、一気走りです。

京都東ICで下車し、湖西道路を走り「皇子山ランプ」下車。
「JR大津京駅」下をくぐりR161に出ます。
皇子山陸上競技場スタート・ゴールの「琵琶湖毎日マラソン」当日なので、交通規制が気になります。

7:13「セブンイレブン大津松山町店」で、朝食用に「助六寿司398円」+「ブレンディ挽きたてカフェオレ500ml169円」=567円を購入。
ヨットハーバーに入っていくと、ちょうど学生たちの到着時間と重なりました。
「おはようございます」、いつもながら気持の良い挨拶を交わされる朝です。
キャプテンに首都大学東京ヨット部が来ていることと、朝の出艇待ちがあるかもしれないと知らされる。

この時期、寒くてまだ練習できない東北・北海道の大学ヨット部の遠征はあるが、首都圏からの遠征は初めてです。
金曜日から月曜日まで4日間の合同練習で、昨日土曜日と今日は風が弱い予報で、月曜日が雨で温暖前線通過強風予想で、「申し訳ない」とキャプテンが恐縮していました。
帰宅後天気図を見ると、停滞前線が通過するようです。
寒冷前線のような急激な気温低下や暴風雨を伴うことはないので、安心しました。

首都大学ヨット部キャプテンと話しました。
部員15名で12名が今遠征に参加しているようです。
数年前まで部員が少なくスナイプ級のみでしたが、470級が復活し、昨年は関東地区全日本インカレ予選決勝に残ったそうです。
今年は更なる飛躍を求め、去年の博多遠征に続き、今年は琵琶湖武者修行にやってきたようです。

ホームポートを尋ねると、江ノ島だそうです。
首都大学だから横浜八景島を予想していましたが意外でした。
学校所在地を尋ねると八王子だそうです。
首都大学なのに田舎にあるんだとまたびっくり。
江ノ島まで電車で1.5時間ということで、大学からチャリでここまで来る奴も常にいるうちの環境の良さを感じる。

レスキューボート前の桟橋で、助六寿司を食べてお腹を満たす。
湖面は薄く霞み風が吹く感じがしない。
予想通り8時出艇は延期になり、8:30集合になる。
自艇の整備をする者が多い。
女子マネージャーさん数人がやってきて、インフレータブルボートの整備をしだす。
来月は新人勧誘があるので、剥がれたライフラインを直している。
1年前はお客様状態だった1回生マネージャーが楽しそうにあれやこれややってる。

再度9時出艇に延期され、9時になるとスナイプ級選手たちはトレーニングになる。
470は出艇し、僕はコーチボートへ。
1m/sでミニラウンディングマーク・スタートライン把握練習などをする。
トップバテン・サギング・コントロールロープ・・・いろんな気づいた点を指摘する。

無風になりハーバーバック。
首都大学の470乗りとブライダルのことなど、セールセッティングのことなどを話す。
裏のスナイプ・トレーニングを見に行く。
和気あいあい笑顔ながら、トレーニング係がハードトレーニングを課し、良い汗を流していました。

12時に合宿所に戻る。
バイクで交差点まで出ると、R161にコーンが並べられている。
ちょうど警官がいたので、マラソン規制時間を聞く。
「30分後はどうですか?」
「う~ん、ちょうど規制中だろうね」。

合宿所で昼食を食べながら、キャプテンと話す。
「風がないのでミーティングでもしようかと・・・」
「マラソンで交通規制中時間帯だから、バイク組が歩きでハーバーに戻らないといけないのでちょうどいいよ。ライフジャケットの法規改正のことを話すよ」
「じゃあお願いします」。

2/1から新法規が施行され、プレジャーボート乗員に「桜マーク」ライフジャケット着用が義務付けられました。
ヨット部員はライフジャケット着用必須なので変わらないのですが、桜マークライフジャケットは日本独自の基準で、スポーツとしての機能がイマイチで、ヨット乗りはもっと機能的な世界標準ライジャケを着用しています。
そこでJSAF(日本セイリング連盟)が国交省と交渉し、JSAF加盟団体・加盟クラス・加盟艇での規制除外を得てきました。

2月に交渉した担当者が全国を巡り説明したので、その講習会に参加した僕が伝えます。
幹部部員は人づてに知っており、レスキュー艇用の桜マークライジャケを追加購入していました。
朝から数名の部員に聞いたところ、理解がバラバラだったので情報共有することにしました。

配られた資料をバイクから持ってきて、食事しながら法学部部員を呼び、法律条文を渡し詳しく読み込み六法全書に照らしみんなに解説できるように宿題を出します。
昼食後、僕が20分ほど説明します。
全ての資料を置いて帰ることにしました。

少し風が出てきたので、13:30出艇予定で動きます。
バイクでR161に出るとコーンは全て片付けられ、警官もいません。
帰宅後調べたら、往路12:30~12:40、復路14:20~15:00が規制対象時間帯でした。

1~3m/sの風で練習しました。
スナイプクラス9艇の練習に付き合い、帆走練習・スタート練習で密度濃い練習をし、都度アドバイスしました。

16:30ハーバーバックし、合宿所に戻るとハンバーグを作っていました。
美味しそうな匂いに惹かれてキッチンに入ると、「つまみ食いOKのがありますよ」とつまませてもらいました。
パン生地が少なく柔らかすぎて失敗作ということでしたが、味はとても美味しくラッキーでした。

片付けを終えた部員が戻ってきて、2Fに上がる階段に置いてあった「桜色おにぎり」を頬張りながら上がってきました。
桜色をどのようにして付けるのか聞きましたが、「誰でも知ってるよ」という感じで、前日のひな祭りで余った食材を使ったそうです。
選手にとって「お母さん」のような優しさを感じます。
素晴らしい奥さんになりそうです。

18:30からミーティング。
感じたことをいろいろアドバイスし、19時から夕食。
いつもながらとても美味しい。
19:45から掃除~クラス別ミーティングで、その前に帰路につきました。

くつろいでるみんなの肩を叩きながら、「今日はありがとうね、帰るわ」と階段に向かうと、キャプテン・首都大学キャプテンなどがついてきて、本日のお礼と次の予定。
次週末の「追いコン」司会者が、挨拶を要請されました。
快くOK。
基本、声を掛けられたらOKするようにしています。
声を掛けられるうちが花です。

R161~湖西道路~京都東ICから名神。
桂川PAをパスし、吹田IC下車~中央環状~R171で21時過ぎに帰宅しました。
家内はすでに夢の中で、冷蔵庫には夕食が入っていましたが、お腹いっぱいなのでパスし、風呂に入りヨーグルト持って自室に上がり夢の中に落ちました。
ああ、楽しかった。

3/3・河内/瓢箪山稲荷神社~東大阪市立郷土博物館

R170旧道に戻り北上し、ややこしい住宅地内の道を走り、14:32「瓢箪山稲荷神社」。

20180303ShibaS0225s.jpg 『瓢箪山稲荷神社は、旧四条村字大塚にあり、山麓に群集して築造された山畑古墳群中、最も古い6世紀初め頃に造られた最大の古墳「通称・瓢箪山古墳(双円墳)」の西斜面に、西面する社殿が建てられています。稲荷神すなわち保食神を祭神として祀り、辻占の総本社として知られています。
社伝によると、天正11年(1583)に豊臣秀吉が大坂城築城に当たり、巽(東南)の方向3里の聖地に「ふくべ稲荷」を鎮護神として祀り、金瓢を埋め、尊崇篤かったといわれています。
江戸時代の貞享5年(1688)の村絵図には、「古跡大塚」と記す瓢形の山が描かれ、「いなり」と書かれて江戸時代の早い頃から稲荷社がまつられていたこと、享和元年(1801)刊行の『河内名所図会』には「如卜(じょぼく)」として、すでに東高野街道で辻占が行なわれたことを記しています。
幕末の頃から明治・大正時代にかけて、神社から東高野街道までの参道両側には、たくさんの旅館・茶店がならんで大いに繁盛し、大阪堂島の米相場の上り下りも、この辻占によって占われました。
街道西側の、通称「みこの辻」は神霊の降るところといい、辻占の占場となっていたところで、古くから往来者の言動・持物などで事を占っていました。現在は東参道へ移されています』

『日本三稲荷の1つ。辻占総本社。創建は豊臣秀吉が大阪築城に当たり、巽の方3里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請した。
江戸時代より、門前の東「高野街道」沿いにおいて「辻占い」の風習があり、明治初年、宮司・山畑阿良美が「辻占」を創始するに及び、「淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山」恋の辻占として全国津々浦々に知られている。今の本殿は慶応2年に建てられた。
社をまつる小丘はこの地一帯にある山畑古墳群の中でも最古最大に属する6世紀末古墳時代後期の双円墳であり、瓢箪山と称する由来である』

ここが辻占い発祥の地とは知りませんでした。
本殿を一周すると、数々の摂社と古墳が見えました。

20180303ShibaS0246s.jpg 『瓢箪山古墳(山畑52号墳) 鬼塚と大塚からなる双円墳で瓢箪の形に似ているところから瓢箪山と称する由縁である。これより東、山手側に展開する山畑古墳群(約60余基)の西端に存し、最古最大の古墳である。墳丘の南北の主軸の長さは50m・高さ4mで本殿に向って右側を鬼塚、左側を大塚という。大塚の横穴式石室の玄室は巾2m・長さ約3m、羨道は巾4m・長さ5mで後期古墳時代、前期(6世紀初め)の古墳である。この大塚は狐塚と呼ばれるように似前に神狐が住まわれていた。鬼塚南端には羨道入口の天丼石が露出している』

社務所があったので、「稲荷鳥居型絵馬800円」と「交通安全ステッカー500円」を賜った。
20180303ShibaS0258s.jpg 「瓢千流」の変わった表札の上がった古風な作りの家があった。
茶道の家元なのかな?辻占の家元かな?帰宅後調べたがわからず。

バイクに戻り、生駒山の麓の細道を登る。
勾配は急だが、住宅地が並んでいる。
景色は良いだろうが、急勾配細道だから、何かと怖いね。
途中でPして歩いて、14:53「東大阪市立郷土博物館」。
入館料50円。

僕の生まれた昭和の時代の暮らしの調度品(レトロTV・洗濯機・ちゃぶ台)・ブリキのおもちゃ・・・、東大阪市のある律令制で定められた「河内」の前氷河期からの地歴(大陸から離れた~氷河期は海岸線が前進し瀬戸内海はなく陸だった~大阪湾の奥に河内湾が広がっていた~上本町半島~陸地化)、それに伴う人の暮らしと土器・鏃などの出土した道具などが展示されていました。
50円でかなり学習出来ました。

20180303ShibaS0318s.jpg 一帯は「山畑古墳群」で、徒歩で数基の古墳を見て回りました。
景色が良く、大坂中心市街地のビル群が見える標高100mほどの立地ですが、勾配のある地形にもかかわらず住宅が広がっており、多くの古墳が破壊されたり埋もれたままになっていることでしょう。

『山畑22号墳 円形の墳丘を東西に2つならべた「双円墳」と呼ばれる、6世紀後半につくられた古墳です。
東側の墳丘はすでに壊され、現在では片袖式の横穴式石室をもつ直径約15mを測る西墳丘だけになっています。横穴式石室は、生駒山で採れる石を積み上げて壁をつくり、床面には石を敷き詰めています。床面からは木棺に使用した鉄釘とともに、須恵器の装飾壷・土師器の椀をはじめとする土器類、直刀・耳環・子持ち勾玉などの副葬品が出土しています。これらの副莽品のつくりかたの特徴から山畑22号墳では、6世紀後半頃に埋葬が2回おこなわれたと推定できます』

20180303ShibaS0323s.jpg 『山畑38~41号墳 東大阪市立郷土博物館の敷地内には、市の文化財に指定されている山畑22号墳とともに昭和46年に発見された山畑38~41号墳の5基の古墳が残っています。
このうち38~41号墳の4基は、直径8~11mを測る円墳で山畑古墳群のなかで小規模な古墳です。古墳の内部にある横穴式石室は、馬頭大の自然石を積み上げて構築しており、木棺に納めた被葬者を安置する玄室と石室の出入口をつなぐ羨道部が同じ幅で作られた無袖式の平面形を呈しています。
昭和46年の発掘調査では、39・40合墳から全属製の耳飾りや鉄釘が見つかっています。このような横穴式石室の形や大きさ・出土遺物なとから山畑38~41号墳はいずれも7世紀初め頃に山細古墳群の中で最後につくられた古墳と推定できます』

20180303ShibaS0327s.jpg バイクに戻り、R170まで下り北上します。
r15を西進し、近畿道側道r2を北上し、「東大阪北IC」から近畿道に乗ります。
「吹田IC」で下車し、中央環状~R171を経て、16:16帰宅しました。


3/3・河内/司馬遼太郎記念館~若江鏡神社~東大阪市立埋蔵文化財センター

バイクに戻り、r702で今度は東に向かいます。
r2に戻り南下。
近鉄奈良線「八戸ノ里」をくぐります。

20180303ShibaS0082s.jpg 11:43「司馬遼太郎記念館」。
入館料500円を自販機で購入して入館。
館の外に係の方がおり、丁寧にシステムを教えてくれる。
館内だけ写真禁止だそうです。

室内は入れないが、庭から書斎が覗けた。
20180303ShibaS0090s.jpg 20180303ShibaS0093s.jpg 

20180303ShibaS0096s.jpg 庭をじっくり拝見していると、「ケラ(粗鋼)」が置いてあった。
すぐに著書「街道をゆく・砂鉄のみち」の記念品だとわかりました。
興味津々で読み、和鋼と中国山地の深い森を見に、奥出雲ソロ・ツーリングに出ました。
和鋼記念館・日本一の山林王宅・たたら・鉄分で赤くなった山間地の沢・・・素晴らしいツーリングになりました。

幼児の時、毎日本読みしてあげた息子たちは本好きになり、長男は司馬遼太郎好きになりました。
初めて生まれた孫に、司馬遼太郎が司馬遷からペンネームを拝借したように、司馬遼太郎から名前に一字拝借しました。
その名を長男から聞いた時、「司馬遼太郎」を直感しました。
長男は、「ゴルフの石川遼からじゃないよ」と言われましたが、「わかってるって、親子だもの」。

20180303ShibaS0101s.jpg 館内の蔵書の迫力に圧倒されました。
吹き抜けの壁全面に蔵書が並び、それを取るための階段状の台車が置かれていました。
館内員も適正配置で、入り続ける印税の大きさを感じました。
12:12「司馬遼太郎記念館ポケット手帳・800円」を、その孫へのプレゼントとして購入しました。
まだ4才でアメリカ在住だから、次行くことや荷物を送ることがあれば、その機会に同送しましょう。
本人は、「何これ?」でしょうね。

r2に出て、更に南下しました。
12:27「弥刀神社」。

r2に戻り、今度は北上です。
また近大前を通過し、右折してr24に乗り東進。
12:48「若江鏡神社」。

20180303ShibaS0121s.jpg 『若江鏡神社は、延喜式に載っている古社の1つで大雷大神(おおいかずちおおかみ)・足仲彦命(あしなかひこのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)の3神を祀っています。「文徳実録」の斉衡元年(854)4月条には「授河内国大雷火明命従五位下」と記されています。
本殿は、銅板葺三間社流造りですが、実際は、一間社流造を2棟つないだもので、中の間は板壁で囲まれた相殿となり御神体は祀られていません。本殿は文致11年(1828)に再建されたものと考えられます。なお、当社には、市指定大化財として大般若経600巻もあります』

地域の信仰を集めている立派なお社でした。
バイクに戻り、少し北上したr24との交差点角に、12:59「若江城跡」がありました。

20180303ShibaS0146s.jpg 『600数十年前、畠山一族築城後の三好左京大夫吉継居城のおり、戦乱相次ぎ織田信長の攻撃を受け、壮絶なる戦いに破れ自刃せり。時は天正元年12月16日。その後織田信長の居城・静養所となり、大坂石山本願寺攻略拠点となる。その後、信長本能寺にて亡ぶや、豊臣秀吉大坂築城に際し、当城の重宝石垣などを利用され廃城の運命となる』

歴史好きの僕は、何度も何度もこの城を巡る攻防戦を、様々な本で読んだ。
やっと目にした現地だったが、まさに平城、跡形もなく城の痕跡はなく、石碑のみが往時を偲ばせるのみである。

r24を東進し、r21で北上。
近鉄奈良線・若江岩田駅横を北に走り、右折してr15。
「花園ラグビー場」横を通ったけど、バイクPが見つけられず、外周を巡ったけど工事中で入れそうになくパス。
近鉄奈良線「東花園駅」前を通過し、R170・大阪外環状線に出て南下。
左折してr24を東進。



20180303ShibaS0153s.jpg 13:33「東大阪市立埋蔵文化財センター発掘ふれあい館」
たまたま交差点の正面にあったので寄り道しただけですが、この日最高の訪問場所でした。
20180303ShibaS0157s.jpg 銅鐸の製造方法、鋳型は砂製で再利用不可だったこと、その他埋蔵文化財の宝庫・東大阪市内の実際の遺跡発掘現場の写真をふんだんに使った文化財発掘方法。

20180303ShibaS0164s.jpg 劇的に精度の上がった年代分析「C14分析法」や最新年代分析法「プラントオパール分析法」が紹介されていた。
この解析方法の精度が上がったおかげで、日本の縄文文明が、世界4大文明(メソポタミア・エジプト・インダス・黄河)より古いことがわかり衝撃が走っている。

20180303ShibaS0170s.jpg これにより、大陸から移動してきた弥生人が、安定的に食料を確保できるコメ栽培により人口を増やし、不安定で移動する狩猟の縄文人を駆逐したという日本の生い立ちそのものが間違っているというのが定説になってきた。
縄文人も焼き畑や水稲でコメを栽培しており、ずっと多くの集落・人口を擁しており、弥生人自体が大陸からの渡来者ではなく、縄文人からの発展系であったこと。

氷河期が終わり、アフリカから移動したホモ・サピエンスが、まだまだ寒かったユーラシア大陸中央部からより早く、海の影響でより暖かな大陸沿岸部やインドネシア・フィリピン・台湾・南西諸島ルートで日本列島に、朝鮮半島より早く住み着いたことがわかってきた。
朝鮮半島南部の遺跡が日本のそれと類似するのは、日本列島から渡った縄文人が住み始めたからだとの結論にほぼ至っている。
DNA分析によっても、朝鮮人・中国人と日本人に類似するところが少ないので、大量の大陸人・半島人の移入があったとの従来の考えは間違っているとなってきた。

その後大陸の人口増加・黄河揚子江文明の発達により、相互に影響しながらも、より発達した大陸からの文化・技術移入が多くなり、最新知識を持った渡来人の流入が仏教文化以降の日本を動かしていたようだ。

子どもたちが多く来ており、学芸員の指導により、埋蔵文化財の洗浄を体験していた。
どろんこ遊びしているような光景でしたが、目を輝かせて作業している子達をみていると、埋蔵文化財の宝庫・東大阪市の取り組みの素晴らしさを感じた。
学芸員の指導で、火を起こしている子もいました。
この子達が長じて、更に日本の古代史を明らかにしてくれるのでしょう。

20180303ShibaS0197s.jpg 子どもたちが作業している隣の部屋には、整然と棚が並び、所狭しと埋蔵文化財の壺などが置かれていた。
20180303ShibaS0207s.jpg 年代別に整理され、自由に電気をつけて見学できます。
細かな説明はありませんが、いくらでも触れる状態です。
20180303ShibaS0213s.jpg 流石に手を伸ばすことはしませんでしたが、「これいいの?本物だよね?」と驚きました。
この手の縄文土器や弥生物が、東大阪市ではそれほど特別ではないのかもしれません。
20180303ShibaS0201s.jpg これが無料で・・・恐るべし東大阪市・・・

R170旧道を南下します。
六萬寺への枝道に入り、「二本松古墳」を探すが見つかりませんでした。
宅地化が進み、古墳らしい雰囲気の場所が見えず、バイクを置いて歩き回ったけど不明。

バイクに戻り、14:12「往生院六萬寺」。
境内撮影禁止という閉鎖的な寺院で、山門も拝観時間中なのに閉じられ撤退。
下界の景色は素晴らしかった。


3/3・河内/西堤神社~長栄寺・鴨高田神社

日が短い冬の近場ツーリングとして、河内寺社史跡ツーリングです。
生駒山の麓・石切さん界隈探索3回目です。
3回目なのに、まだ本丸の石切さん訪問出来ていません。
今回は石切さんのお膝元「東大阪市」の寺社を下調べし、ナビに登録して出発です。

9:48自宅出発。
R171~r2・中央環状線を東進し、吹田ICから近畿道に乗ります。
東大阪北ICで下車し、側道のr2をUターンし少しr168に乗り東へ。

20180303ShibaS0002s.jpg 10:24「鴻池新田会所」。
残念ながら3/1~9補修閉館中でした。

r168を戻り、近畿道をくぐります。
r2を南下し、東西に走る「阪神高速・東大阪線」の側道R308に乗って西へ。
西堤東交差点を左折し南下して、10:44「西堤神社」。

20180303ShibaS0006s.jpg 『西堤神社うろこ殿 神社境内の池に祀られている水神社は、鱗殿ともよばれています。河内地方中央部にあたるこの辺りは、土地が低く、排水が悪いため、雨が降ると田畑に水がたまりました。また、日照りが続くと逆に旱害に悩まされました。そのため、付近の農民たちは、よく雨乞いをしました。西堤では、村人が神社に集まり、水神社の扉から水神様を出し、水を一杯にはったタライの中にお祀りします。その後ろに「内介淵蛇退治古図」(大通寺蔵)をかけて、村人は般若心経を唱えました。
20180303ShibaS0013s.jpg 鱗殿について1つの伝説があります。昔、長田から大東市諸福にかけて広がっていた新開池には、大蛇がいると伝えられていました。長田のある家の男衆(主に家の中の作業をするために雇われた人)で内介という人が、ある晩、あまり長く風呂に入って居るので、主人があやしんで見にいくと、大蛇の姿になって火を吹いていました。内介は自分の姿を見られたので逃げて池に入りました。それで、この辺りを内介淵というようになりました。その後、この大蛇が西堤の水神様をのもうとしましたが、のみこめなかったので、鱗を一枚残して去ったと伝えています。また、井原西鶴の『西鶴諸国はなし』(1658年刊)には鯉と内介にまつわる話が載っています』。
20180303ShibaS0026s.jpg 境内に楠の大木があり御神木のようです。

バイクに戻り南下します。
右折しr702。
「東高井田」を左折し南下し、11:04「長栄寺」。
『正法律根本道場・高井田百済山長栄律寺道』。
境内内に小ぶりな仁王門があった。
20180303ShibaS0035s.jpg 『禁入葷酒肉門内』と彫られた石碑が立ち、禅寺を示している。

『史跡・長栄寺境内 当寺は聖徳太子の開創した後荒廃久しかったものを、近世の高徳、梵学の碩学慈雲尊者27才の時・延享元年(1744)止住し、正法律の復興を唱え、その道場とした。
その後、尊者は有馬・長尾の滝・京都河南高貴寺などに転住されたが、大坂における説法は、当寺で行われるのが常であった。
かつて尊者が修禅のため生駒山中長尾の滝に建立された「雙龍庵」遺構の1つ禅那台は、その後当寺境内に移され厳存している』

『長栄寺・木造十一面観音立像 平安時代後期の作と考えられる高さ106.6cmの檜材一木造の直立像で、普段は本堂の厨子内に秘仏としてまつられています。片脚を遊ばせ、腰をひねること通例の像容であり、左手に宝瓶、右手に錫杖を執るいわゆる長谷寺式の十一面観音像です。ところどころに顔料が残ることから、元来は彩色であったと認められますが、ほとんど剥落し、衣紋の隅に僅かな胡粉の色を留めるばかりです。像体は風化し、素地の木目があらわれています。つけ加えられた台座・光背などからみると、江戸時代に修理が行なわれたものと思われます。
その際に、頭部および衣紋以外の身部を整え、これを漆塗りとするとともに、顔面では胡粉で両眼白毫を、丹塗りで口唇を彩っています。化仏の全てと持物の宝瓶や台座、光背などは後に補われたものです。
頭部と衣紋の表現に藤原様式をよく残すことから、昭和45年2月、大阪府の文化財(彫刻)に指定されました』

僧・慈雲は、信濃に遊び、禅も学ぶ。
延享元年(1744)河内国長栄寺に住してはじめて戒律を講じ、鑑真以来一定していなかった授戒の作法に規律を定めて正法律(しようぼうりつ)と称した。
のち摂津国有馬桂林寺に転じたが、この間もさかんに正法律を提唱し、講演著述に専念したそうです。
20180303ShibaS0048s.jpg 本堂脇に籠が下がっていた。
いつまで現役で使われていたのだろう?
20180303ShibaS0058s.jpg 由緒ある寺院なので、裏の墓地に掘り出し物の墓石などがあるかと探索したが、特になかった。

11:20、隣にあった「鴨高田神社」。
こちらの境内にも御神木の巨楠が堂々と天をついていた。
『祭神:速須佐之男命(素戔鳴命)・大鴨積命(大賀茂都美命)・神功九号(息長脚姫尊)・應神天皇(品陀別命)
当社は延喜式内社で、延喜式神名帳によれば、渋川郡六座の筆頭に市する官幣小社であった。
当社の創建は往古鴨氏が居住してその祖神を祀ったに始まり社名はそれに由来すると言われていて、遠く白鳳2年(673)と伝えられる。中世に至り、岩清水文書保元3年(1158)宣旨には岩清水八幡宮領として河内国高井田庄の名が見えており、後『河内誌』には当社について『在高井田村今若江郡也山州八幡神祭料因称八幡宮』と記し、当社が岩清水八幡宮領となり、八幡宮と称される由縁である。
この付近一帯が戦場となった大阪夏の陣・元和元年(1645)兵火に罹り社殿ことごとく烏有に帰し後数年を経て再建されている。
『河内名所図会』に、当社の隣、長栄寺の鎮守となり、今八幡と称するとある。
祭神については『神名帳考証』は、大鴨積命なりと記し、『大阪府全誌』『大阪府史蹟名勝天然記念物』には素戔鳴命であるとしている。
又社記によれば醍醐天皇の延喜十八年当地方大洪水により、五穀実らず諸民当社に気ゴンをこめて霊験あり、百姓大いに喜べりとある。又安永年間、悪疫流行するや、時の神職久佐衛門1月9日より10日間断食して悪疫祓除の祈祷を執行し、然村その役を免れたとある。
なほ、拝殿西側にある樹は、樹齢約1000年といわれるが、今は枯れ死して幹が少し残っている程度である。通称『お駒樟』。昔、お駒狐が棲みたりと、又お駒なる女性が、この木に呪詛の釘を打ち込み、願が叶へられたによりこの名ありと伝へられる』

『平安時代の『延喜式』にのせられた古社で、『大阪府全誌』には速須佐之男命、社の由緒書には大鴨積命・神功皇后・応神天皇を加えた4神を祭神としています。
別名「八幡社」とも呼ばれていましたが、これは保元3年(1158)銘の『石清水八幡宮文書』に、「河内国高井田庄」の名がみえることに由来すると考えられます。
しかし、大坂夏の陣によって社殿がことごとく焼失し、その後数年をかけて再建されたといわれています。当神社には、神事に参加する村人たちによって宮座が構成されており、戦前まで久左衛門講・信座講・灯明講の3つの宮座がありました。
境内には、「八幡宮高井田村」と刻む享保13年(1728)銘の石燈籠一対や「常夜燈八幡宮御宮前」の文字を縁どりで彫る安永3年(1774)銘の石燈龍、「河州新喜多新田」の名を刻む寛保2年(1742)銘の石燈龍、寛政9年(1797)銘の狛犬一対など多数の石造物が残されています』

11:25、更に隣接する「鴨稲荷大明神」。


2/28・お嫁さんから近況報告

次男のお嫁さんからもメールが届きました。
20180228T3227s.jpg 7月に生まれる妹さんの初めての子は男の子のようで、次男の子はまだ「唯一の女の子」状態です。
胎動が凄いようで、自分の時と違うと感じているようです。
長男一家がカンクンに行くのが羨ましいらしく、いつか行こうと思ってるので写真や話を期待していました。

20180228T3235s.jpg 4月から職場復帰するらしく、その前にハワイ旅行に行くそうです。
チビちゃんがいるので、長男一家のカンクン同様、ゆっくりあまり移動しない旅行にするそうです。
すみれちゃんは、4月開園の企業主導型・認可外保育園に入園するそうです。
地域で一番大きな会社なので、この保育園にも主導的に動いたのかもしれません。
英語や楽しいレッスンが充実しているらしい。

20180228T3600s.jpg
お喋りがますます進んだようで、ベネッセのしまじろうサンプルDVDを観て、踊ったり歌ったりして楽しんでいるそうです。
4月から「こどもちゃれんじプチ」を取るそうです。
我が子も中学受験塾に通うまで「こどもちゃれんじ」を取って、「しまじろう」が大好きだったが、現在は「プチ」という更に下の年齢向きの教材をを出しているようです。

買ったブロック・パズル・お人形・ジャングルジム等なんでも大事に、おもいっきり遊ぶので買い甲斐があるそうです。
お人形と一緒に寝たり食べたりしており、すでに女の子だそうです。

お嫁さん実家での3世代同居生活は、少し落ち着いてきたが、カーテンがなかったり、外構工事が進んでいなかったり、まだ未完成だそうです。
「完成したら見に来てください」とのことでした。

20180228T3655s.jpg クラウドにアップしてくれた写真・ビデオのアドレスが載っていました。
大井競馬場に行ったそうです。
馬の写真もありましたが、殆どが遊具で3人で遊ぶ姿で「男のギャンブラーの場」から海外のように「家族のレクリエーションの場」に変わって来ているのがわかります。

20180228T3699s.jpg 長男は、高校生の時から友達のお父さんに連れて行ってもらってから競馬好きですが、最近は広い芝生に家族でピクニックに行く感覚のようです。

2/26・アメリカの長男一家の様子

長男のお嫁さんからメールとクラウド・アドレス(写真・ビデオ)が届きました。
僕がクルージングの写真を送ったからですが、アメリカNJもようやく寒さが緩んできたそうです。
(本日3/21のLINE連絡によると、明日大雪積雪25cm予報で会社もプリスクールも休み)

日本同様、インフルエンザが流行していたアメリカですが、家族は誰も罹患せず助かっているようです。
なんせ、お嫁さんは3人目を妊娠中なので、家族の病気も気をつけねば。
暖かくなり外に出てるようになってきた(真冬は、最低気温-10℃・最高でも氷点下の日が続き、会社も学校も臨時休業になる日がある)ので、ゴルフ練習や公園遊びが復活したそうです。

りょうくん4才はメキメキ英語力を付け、長男同様社交的な性格なので、友達や先生にも弟が生まれると喋っているようで、お迎えに行く度、先生などから「おめでとう」と言われるそうです。

こうちゃん1才10ヶ月も言葉が進み、ボキャブラリーが毎日増え、お喋りしまくり(こちらは日本語)になってきたようです。
日本で生まれましたが4ヶ月でアメリカ生活になり、昨年9月に行った時が初対面みたいなものでしたが、僕らにもすぐ慣れおもちゃ遊びやお喋りをしている社交的な面がお兄ちゃんに似ており、賑やかな家族になりそうです。

お嫁さんは妊娠7ヶ月に入り、経過は順調で、お腹も重くなってきたそうです。
20180225Yuki7299s.jpg
エコー写真をクラウドで見ましたが、横顔がはっきり見えていました。
口や鼻が確認でき女性は凄いなと思いました。

2才になると飛行機代が必要になるので、来月メキシコ・カンクン旅行に行くそうです。
昨年夏のジャマイカ同様、オールインクルーシブのホテル滞在型で美しい海と食事を楽しむそうです。
チビちゃんと妊婦さんがいるので出歩き型は厳しいし、治安面の不安がなくいいです。
長男夫婦は、妊娠後期の安定期に旅行するのを好むようで、毎回何処かに行っています。
赤ちゃんが生まれたら当分は遠くには行けないので、旅行納めなのでしょう。

カンクンは、次男夫婦が新婚旅行を予定していた場所です。
ジカ熱騒ぎでお嫁さんが妊娠中で取りやめちゃったけど、カリブ海がとても美しい観光地だそうです。
写真をたくさん撮って、次男夫婦に見せてあげて欲しいなと思います。

6月に出産予定で、お嫁さんお両親が世話をしに行くと思いますが、僕らにもまた会いに来てくださいと書かれていました。
僕は行っても良いなと思っていますが、家内がどう思っているのか・・・

20180225Yuki7260s.jpg クラウドの写真を見ました。
近くの牧場でやぎに餌をやったりしています。
服装が極寒期のそれと違いりょうくんはスウェットでした。
こうちゃんが長男とかけっこをしています。
歩きの方もしっかりしてきて、顔が更に引き締まりました。
男前になってね。

20180225Yuki7246s.jpg りょうくんのプリスクールで、こうちゃんも混じっておやつを食べています。
こういう日があるのかな?
以前から2人がほっぺにチューしている写真が時々ありますが、挨拶のほっぺチューのアメリカ文化で育っているから自然な行為なのかもしれません。
プリスクールにお迎えに行くと、女の子とハグして別れるそうですから・・・

20180225Yuki7309s.jpg 長男が自宅のベッドで2人に本読みをしている写真がありました。
僕も息子たちに毎日本の読み聞かせをしていました。
「この本読んで」と息子たちが絵本を持ってきて、3人で楽しい時間を過ごしたのを思い出します。

20180225Yuki7311s.jpg プリンストン市街地の氷柱彫刻の写真がありました。
去年も椅子などの氷の彫刻などの写真を送ってくれました。

20180225Yuki7460s.jpg スーパーのコカ・コーラ五輪キャンペーン写真がありました。
コーク・スプライト・ファンタ缶が20本6ドル、パワーエイドという「いろはす」みたいに見える飲料が24本で4ドルです。
超格安です。

20180225Yuki7463s.jpg りょうくんのレゴ作品が、かなりの出来栄えになってきました。
僕の子供たちへのプレゼントの定番は、絵本とレゴでした。
それで孫が今遊んでいるほど、モデルチェンジせず精度が高く壊れない素晴らしい玩具です。
今でもレゴと絵本を孫達にプレゼントしています。
知育玩具として最高峰ではないでしょうか?
素晴らしい作品を作り、その想像力と大作を作り上げる忍耐力に舌を巻いた次男なんて、建築家になってレゴの大きなものを仕事にしています。

20180225Yuki7471s.jpg 自宅前の雪かき後の写真がありました。
朝なのでしょう、気持の良い陽光が差し孫達が楽しそうです。
いよいよ春です。

20180225Yuki7475s.jpg ボーリングをしている写真がありました。
レーン両側にネットが張られ、子供用にガーターがないようになっているレーンでボーリングしています。
ビデオでは、玉が返ってくるのを待ち、それを持ってスペアを取りに行くりょうくんの姿が写っています。

長男が一番楽しそうにはしゃいでいるし、素晴らしい家族だなと嬉しくなりました。

2/25・三田/酒滴神社~篠山市/妙楽寺・大歳神社

13:04、JR藍本手前の「酒滴神社」。
『貞観年間、疫病大流行した時、素盞嗚尊の神意を得、村の老若男女喜んで酒を尋ね登る。岩石峩々として高さ丈余、上には松桧が翆を重ね下には流水藍を染めた神仙の霊窟があり、その岩石下に神酒が流出しているのを見つけこれを飲むと疫気が消えた。そこで「石山大宮」と号して斉しく崇敬した。 
長暦2年(1038)、疫気が人を悩まし、後朱雀天皇は当社の霊夢に感じて勅使を遣された。応永年間(1394~1427)、将軍足利義持が熱病に罹って懊悩すること十余日、当社に祈って滴を嘗めると忽ち平癒。 そこで楽器及び神領を寄進して奉賽。 
後に後小松天皇がその事を聞召して、石の華表を建立。その石の華表は今に残存。
元禄13年(1700)、宗源宣旨を以て正一位酒垂大明神と号し、享保12年(1727)、九鬼隆抵が社殿を再建』

バイクを止めると、神社から降りてきたご婦人に「子犬を見かけませんでしたか?」と声を掛けられました。
「見なかったですね」「逃げちゃったんです」と悲しい顔をしながら、車で去って行かれました。
20180225KGSandaS0057s.jpg 石段を上がっていくと、数人が作業中です。
神門前左右に防火バケツが置かれ、真新しい水が満たされています。
地域の信仰が伺えます。

拝殿に梯子を掛け、修理しています。
拝殿前に行くと「ご苦労様」と声を掛けられました。
「何か?」と聞かれたので、「御参りに」と答えると、「台風で木が倒れ玉垣も壊れましたんや」と説明してくれました。
20180225KGSandaS0061s.jpg 神域の木も10本ほど根本で伐られ、真新しい伐り口を見せています。
これだけ倒れるとは大被害です。
20180225KGSandaS0072s.jpg 神殿には倒れなかったようなのが幸いです。

13:17「藍本駅」。
ローカルな無人駅です。
R176に出て北上し、「天台宗・妙楽寺」の案内板を見つけ枝道に入る。
正面に鳥居が見えたので、13:28そこでバイクを停めます。
「大歳神社」でした。

20180225KGSandaS0093s.jpg 風情のある神社で、摂社が裏山に点在しています。
20180225KGSandaS0107s.jpg それらを見て回っていると、下の道路で落枝・落ち葉をブルーシートで引きずっている方が目に入りました。
軽く会釈。
道のすぐ上に寺院が見えるので、そこのご住職かな?

道に降りて寺院へ。
「極楽山・妙楽寺」。
『大化三年(647)法道仙人の開基で、御本尊は仙人ご自作の阿弥陀如来であると伝えられている。もとは古森山中腹(現在地の東南)にあり、大谿山極楽寺と称し二院三坊が古文書に記録されてい
る。応仁元年(1467)応仁の乱の野火延焼して一山焦土と化す。時の住持福乗坊が御本尊を避難する。翌年、堂ノ尾の峰に草庵を造り、これより寺・山号を極楽山・妙楽寺と改める。明暦元年(1655)油井の堂ノ尾の峰より現在地に移転する。
現在の本堂・庫裡・山門・手水舎は平成2年より新築工事にかかり同4年5月落慶法要厳修。位牌堂は平成6年改築。境内の拡張と石積み、並びに参道の石段は、開宗1200年慶讃事業として平成17年9月より着工』

『苦しいことも続かず、悲しいことも長くは続かない』
『等身大の自分に自信を持つ』と掲示板に書かれていた。
『一隅を照らす、これ国宝なり』天台宗らしい文字が石柱に彫られている。
20180225KGSandaS0132s.jpg 石段を登り境内に上がるが、僧坊が新しい。

R176に戻り少しバックし、武庫川沿いを走る枝道に入ります。
一級河川・武庫川もここまで上流に来ると水量が少ないです。
冬なので川幅の10%も水が流れていません。
雨量が少ないので、水田耕作地のため池が水抜きされ、水底に日光を当て水が腐らないようにしています。
日本人の知恵を感じます。
子供のころ、近くのため池の水が抜かれ、大きな鯉を手づかみで取れて楽しかったことを思い出します。

R372に出て東に走り、r49で南下開始。
美濃坂峠を越えて篠山市から三田市に入り、永沢寺北側の路肩に雪が残っていました。
カフェ・シュガーは冬季休業中で、永沢寺を通過し、永沢寺峠の北側も雪が残っていました。
峠を越え「わらび餅・一軒家」横を通過。
こちらも冬季休業中のようです。



14:17「バイカーズカフェ虎亀」。
奥さんがお店横で物干しを片付けていました。
KTMのバイクがバイク車庫前に停まっています。
「ご飯、なくなっちゃったんですけどいいですか?」「他に食べるものありますか?」「パンとかなら」。

入店するとカウンターに案内されました。
カウンターに2人・テーブル席に1人お客さんがおられました。
いつものようにたわいない話をします。
バイクに乗ってるお嬢さんを見かけたことや、バイク乗りの方がやってるお好み焼き屋さんに初
入店した話。

KTMのことを聞くと、奥さんが乗り換えたそうです。
可愛い奥さんなのに、以前は大きなハーレー?に乗っており凄いなと思ってたら、軽いのが楽だとニンジャ250になり、更に軽いKTM390にしたそうです。
390ccなので僕のCB400SB399ccと9ccしか変わらないのに、車重140kgだそうです。
僕のCBが200kgだから雲泥の差です。
横から見た姿がコンパクトで、全長も短そうだからホイールベースも短いでしょう。
ならばハンドルとの距離も短く、小回りが得意そうです。
奥さんの話もそのままで、クルクル回るから楽で楽で・・・と言っておられました。
でもオーストリアの会社なので座席が高く、ローダウン仕様にしたそうです。

唐揚げドッグ400円コーヒー200円=600円をお支払して、旦那さんにKTMにまたがらせてもらえないかと頼むと、もちろんOK。
奥さんとPに行き、またがる。
「起こしていいか」と聞くともちろんOK。
「よっこいしょ」という感じもなく軽く立ちます。
予想通りハンドルが近く、通勤リード110と同じような感覚です。
これは楽しそう。

15:06出発。
r49~r37~r323、波豆川口を右折し、r68を渡り西谷中学~西谷農協大池交差点からr33。
r325~長尾山トンネルを抜け大阪平野に帰ってきました。

15:58、「セルフ宝塚176」で給油。
249km/8.29L=30km/L。
16:07帰宅しました。
いつものように乾拭きし、倉庫にバイクを片付け玄関に入って「ただいま~」。
家内が戻っていました。
ああ楽しかった~


2/25・KG三田キャンパス~舞鶴道側道

家内もお休みでしたが、毛染めなどでお出かけするそうです。
家内はお姉さんともども、白髪がとても少ないです。
子供の頃から赤毛が一般的な日本人より多く混じっており、全体的に少しブロンズかかって見えます。
僕が大学で始めてみた時も、かなりの色白と相まって、ハーフさんと思いました。
知り合ってすぐに、「ハーフなの?」って聞いた記憶があります。
子供の頃から髪色はよく言われ、友達から何度聞かれたか・・・、そして私立中学の先生に「毛染め」を注意されたことが数度あったそうです。
当時は宝塚歌劇団の子が明るく染めている程度で、毛染めと言えば白髪染めの時代でしたので、とても目立ちました。

映画を観に行こうと思ってたのですが、仕方なく一人遊びです。
曇っているので天気予報をチェックします。
雨は降らなさそうで、寒くもないのでバイクに乗りましょう。
以前より気になっていた舞鶴道(三田~篠山)の側道探索に行きましょう。

10時頃から着替えだし、「里山VTR250」を出して、10:36出発。
阪急山本~長尾山トンネル~r325~r33。
玉瀬から川下川を下り「川下川ダム」。
バイクが2台、ダム案内板を見ながら休憩していました。

新名神の高い高架を見ながら、武庫川へ下ります。
いつ見ても立派なロックフィルダムです。
武庫川沿いのr327に下り、武庫川を見ながら上流へ。
11:15「武庫川を橋で右岸に渡ります。
20180225KGSandaS0001s.jpg 橋のすぐ川下側で護岸工事をしています。
怪しい宗教施設までの間の土地が造成中で、何か建物が建ちそう。
こんな場所に何ができるのだろう。
川下川沿い~この橋までの道は、鷲の住処で、愛好家が一眼レフで構えていたり、うり坊やキジ・山鳥・狸などと会える楽しい道でしたが、新名神工事が始まると見なくなりました。

JR道場駅を通過し、県道から外れかつての国鉄軌道を走り、再び武庫川堤に上がりR176へ。
少し宝塚方面にバックし、r17~r720でフラワータウン~ウッディータウン。
ここから舞鶴道にアプローチします。



11:48「関西学院大学三田キャンパス」横を通る道だったので、寄り道しましょう。
西宮キャンパス同様ヴォーリス建築様式で統一されています。
クリーム色の壁とエンジの屋根で落ち着いています。
僕は、ヴォーリス設計の校舎で中学生活を送りました。
文化財ですね。

20180225KGSandaS0005s.jpg 正門と道を隔てて相対するように、「県立三田祥雲館高校」が建っていました。
こちらもKGと同じ様式の建物で、まるで付属校のようです。
きっと竹中工務店の設計建築なのでしょう。
校舎に大きな垂れ幕が下がっています。
「スーパーサイエンススクール」「最優秀賞2017天文部」「全日本自馬選手権・障害物飛び越え競技優勝・・個人名」。

馬術部があるなんてKG高校と同じです。
僕は中学に入学し、サッカー部に入部しましたが、2年の夏休み前に虫垂炎~慢性腹膜炎併発で、小学生の時慢性腎炎で2年間スポーツをドクターストップされたのに続き、また1年間ドクターストップ
になり退部しました。
高校生になり、サッカー技術で差がついちゃったので、変わったクラブを探しました。

目についたのが馬術部とヨット部。
昼休みのクラブ説明会に部室を覗きました。
最初に選んだのがヨット部で、教会で知っていた伊丹の先輩が3人もおり、馬術の説明会に行けなくなりました。
昼休み時間になると教室の前で先輩が待っており、説明会が終わる日までヨット部に拉致され続けました。
部員は3年4人・2年4人で、レギュラーが8人なのでギリギリでした。
1年も4人獲得しないとクラブの存続に影響します。
サッカー部は人数が多く名前さえなかなか覚えてもらえなかったので、必要とされているクラブの方がやり甲斐があると思い入部しました。

大学でも続け、卒業後も地元でジュニアクラブを作り、ジュニアコーチ・ジュニア協会理事や大学コーチなどで、ずっとヨット競技に関わってきました。
長いおつきあいになりました。
あの時、先に馬術部を見に行っていたらどんな人生になっていたのだろう・・・

20180225KGSandaS0006s.jpg KGに入ってみます。
初めての訪問ですが、校舎設計が同じなので我が家に帰ってきたような気持ちになり落ち着きます。
西宮キャンパスと違い、誰もいません。
休日とは言え、クラブ活動や勉強で学校に来る学生もいるだろうに・・・。
生協食堂でもあれば何か食べようと思っていたのに、この閑散さを見ると望み薄です。

20180225KGSandaS0008s.jpg キャンパス地図があったので、全体の校舎配置を頭に入れます。
総合政策学部と理学部の2学部のようです。
多くの大学が、市街地と郊外にキャンパスを持つようになっていますが、学部と大学院で別れている所もあります。
20180225KGSandaS0011s.jpg KGは学部で別れているようで、西宮と三田は遠く電車も乗り継ぎが必要で、両キャンパス生の交流は少なそうです。
こちらのキャンパスだけで多くのクラブが維持できるのかな?
20180225KGSandaS0014s.jpg 課外活動が低調そうです。

20180225KGSandaS0018s.jpg キャンパス中央を走るメイン道路を歩き、奥に入っていきます。
西宮キャンパス同様、ランバス礼拝堂が正門を入ってすぐの位置にありました。
僕は結婚式を家内と知り合ったキャンパス内のランバス礼拝堂で、中学の校長先生(牧師)に挙げてもらいました。
キャンパス内で記念写真を撮る時、多くの学生に祝福してもらいました。
披露宴は宝塚ホテルだったので、タクシー移動しました。
懐かしいな。

エナガが木の枝の上をせわしなく飛び移っています。
「トントントントン」コゲラが木を叩いて毛虫を誘い出しています。
すぐ近くなのに、逃げる気配なしです。
昨年9月訪問したプリンストン大学のように、リスがいればいいのに・・・。
アメリカの大学キャンパスや公園にリスが多いのは、飼いリスを離したからだと何処かで読みました。
子供たちがちびの時飼ってたシマリスが逃げてしまったことがありました。
その後、近所の公園にシマリスが出現したので、うちのだと思いました。
常緑樹を植え、地道にリスを離せば、リスのいる大学で有名になりそう。

20180225KGSandaS0038s.jpg 向こうから女子学生が3人、クラブ帰りのような服装でやってきました。
奥に歩いていくとグランドがあり、ラクロスかな?多くの女子大生が練習終わりのコート整備をしていました。
見かけた生徒はこれだけで、閑散としている感は否めません。

バイクに戻り、舞鶴道側道を走りに行きましょう。
舞鶴道を西に抜け、r356を北上し、r316で再度高速にアプローチ。
側道がなく下をくぐり東側に抜けます。
いい感じの道があり再度高速へ。
高速の下をあっちに抜けこっちに抜けしながら、側道を探します。

側道を発見し入っていきます。
アップダウンしながら高速道路真横を走ります。
怪しい道になり、The end。
バックし、r141~r75~r141で北上し、高速をくぐったところで側道を発見しました。
20180225KGSandaS0042s.jpg 迷わずGO!12:48舞鶴道の上を橋(藍本跨道橋・1987年)発見。
悪さしないように高いフェンスで囲まれています。
更に進むが行き止まり。バックして、藍本跨道橋を渡り、東側の側道を北上します。
道なりに高速をくぐり西側に出て側道を北上。

20180225KGSandaS0045s.jpg アップダウンし、前方に舞鶴道の「藍本トンネル」が見えてきた。
20180225KGSandaS0047s.jpg 12:57、高速道路トンネル手前にある「虚空蔵山・登山口」。
JR藍本駅から山頂を経て今田立杭の郷へ下る近畿自然歩道の案内板が立っています。
高速の下をくぐり反対側の側道を行くが、北行きは行き止まりで側道を南に走り、道なりにr75に出て北上します。


2/24・グループツーリング・大阪外環状線

グループツーリングの日です。
お題は、「大阪外環状線・R170全線走破」です。
中央環状線は、全線走破ではありませんが、頻繁に走っているので馴染みがありますが、外環状線自体どの道を指すのか把握できていません。
それに興味を持ち参加しました。
参加者はリーダーTGさんと、女性2人(MAMさん・Nさん)に僕の4人です。
人数が少なくありがたい。
Nさんだけお初です。

泉州・泉佐野まで走るので、帰路高速道路に乗りたいから「招き猫CB400SB」で行きたかったのですが、参加申込しようとしたら「原付二種のみ参加OK」となっており、家内のアドレスV125で参加することにしました。

前日に調べた解散後の泉州寺社巡りスポットを登録したナビをつけようとして・・・「あ~電源がないわ」ということに気が付きました。
仕方なく「通勤リード110」に変更です。

9:30に空港北のR171沿いにあるローソン集合なので、9時に家を出ます。
9:14「セルフ北村SS」で給油。
86km/2.17L=39.6km/L。
そこから数分で集合場所到着。

まだ誰もいません。
バイクを停めヘルメットを脱いだ所にリーダーさん到着。
9:21「ローソン下河原2丁目店」で、「キリン小岩井ミルクコーヒー140円」購入。
一口飲んで、前かごに放り込みます。

ここで集合するのは2人だけだそうで、程なく出発。
ここが外環状線起点だそうです。
R171旧道を走り、阪急石橋駅横・坂下を通過し、再びR171に合流。
そこからR171を高槻目指し走ります。
茨木のR171沿いコンビニでMAMさんと合流しますが、用事が入ったのか次の集合場所で合流することになり、また2台で走り出します。

高槻のコンビニでNさんと合流。
すぐにMAMさんがやってきました。
ガソリンを入れていたとのこと。

挨拶して出発。
R171を更に京都に向かって走り、高槻駅近くからR170に入ります。
R170はここが起点だそうです。
懐かしい高槻中高横を通過。
長男がここに通いました。塾で大丈夫だろうと言われていた甲陽受験に失敗し、失意で入学しました。
塾で自分より下位だった子が何人も合格したとのことで、自分に腹を立て荒れ甲陽合格発表の日は、自暴自棄になり取り返しの付かないことをしないか、とても心配しました。

僕も家内も中学受験組ですが、初めての子供の受験で、1校受験だった僕らの頃とは受験環境が様変わりしており、塾がすすめるまま東大寺・奈良学園・履正社・甲陽・高槻と5校も受けました。
東大寺不合格は織り込み済みでしたが、まさかの甲陽不合格で、3勝2敗の成績でした。
長男の落ち込みに懲りて、次男の時は更に合格確実な清風と六甲のみを受験し、両方共合格を頂きました。

心配していた中学生活が始まり、長男は高校での高揚受験リベンジを目論見、更に受験勉強を続けましたが、学校に友だちが増え面白くなってきたのか、半年で再受験を止めました。
学校を楽しみ、中学生の時は友達数人と日本海海水浴場にキャンプしに行ったり、スキーしに行ったりしていました。
世話好きなので、僕が運転手してキャンプ場の行き帰り送迎、日帰りスキー行は僕が運転という形で、僕も楽しませてもらいました。

高校では文化祭で模擬店をやり、僕がそのお店のケーキ製造担当になりました。
その頃日曜日の昼食・おやつは僕担当で、スパゲティやお芋料理などいろいろ作り、おやつにロールケーキやパウンドケーキなど簡単なケーキを作っていました。
「お父さん、ケーキ作ってや」の要望に答え数個作って当日車で納入したのが好評で、模擬店カフェの看板メニューになり、大好評になりました。
男子校なのでケーキを出す店などなく、女子高生が来たら入るでしょう。

模擬店した長男のクラスは当然男の子ばかりなので、女の子が入ると下心もありサービス過剰になるほど盛り上がったそうです。
当然長男はおだてられ、翌日のために僕は徹夜してケーキを作る羽目になりました。
それでも完売してしまいました。
懐かしい思い出です。
もう作らなくなったので、今作れと言われればできるのかどうか怪しいものです。

ひたすらR170を南下し、11:51「セブンイレブン藤井寺古室3丁目店」で休憩しました。
西名阪道をくぐってすぐのお店でした。
出発してすぐ、左右に鎮守の森が見えてきたのでナビで確かめると、「白鳥古墳」でした。
羽曳野市に入ったようで、僕の遠い祖先・土師氏が活躍した古墳群の間を走っていました。

やがてR170は、南から西に進路を変え、サイクルスポーツセンターの看板や国華園がありました。
サイクルスポーツセンターは、息子たちがちびの時数度遊ばせて頂きました。
臨海部から内陸に入った記憶があります。
国華園は、名前はよく知っていますが訪問したことがなく、1人なら寄り道していたでしょう。

20180224SotokanS0004s.jpg 13:01「道の駅・いずみ山愛の里」
ここで昼食休憩です。
JBさんが待っていました。
別のツーリングクラブで一緒の方で、とても感じが良く好きな方です。
泉州岸和田のお土産を全員分用意されており、有難く頂きました。

13:13「さば渋柿の葉寿司324円・さけ324円」を購入し昼食にしました。
皆さんは渋柿の葉寿司+カレーうどんやおうどんの組み合わせが多かった。
寒い季節ですから温まりたいですね。
僕はバイク装束が暖かすぎて、セーターを脱ぎたいくらいでした。

再び走り出すと、すぐに「道の駅・愛彩ランド」がありました。
こちらの方が規模が大きそうで、車もたくさん停まっていました。
リーダーさんは、人が多すぎてむしろ敬遠したのかもしれません。
更に進むと、寄り道場所として登録した「水間観音」の案内板がありました。
何処で解散なのか分からないが、近くならバックしてきましょう。

R26との交差点まで走り、リーダーさんから「ここがR170・外環状線の終点です」と教えてもらいました。
R26に入り北上し、ファミリーマートで解散になりました。
女子2人が「シュークリームで有名なケーキ屋さんがあり・・・」なんて話しているのに反応し、「僕も一緒に行っていいですか?」と聞きます。
地元のJBさんが案内すると言うので、全員そちらに行くことになりました。

15:21、r30沿線沿いにある「リバージュ東岸和田店」
イートインできるケーキ屋さんです。
席を確保し、ケーキセットを注文。
おかわり可のリバージュ・コーヒー500円を注文し、カウンターでケーキを選びます。
20180224SotokanS0005s.jpg ショートケーキの3倍ぐらいボリュームのあるリバージュ・ケーキ1000円を注文します。
JBさんは冗談だろうと思っていたようで怪しい人を見る目で僕を見ています。

入店時シュークリームが品切れ中で、16時またできるということで、女子2人が出来上がりを待つ間、楽しく歓談し、甘党の僕にはナイス過ぎるケーキ時間を持つことができました。
今までの人生で最大のショートケーキでした。
大満足!

ここで解散しました。
高槻吹田方面に帰る皆さんと別れ、家路につきます。
ケーキ時間を持ったので、寺社・史跡巡りはナシになりました。
R26を北上し、阪神高速湾岸線側道のr29を北上します。
渋滞もなく快調に制限速度60km/hで走ります。
この道では遅いようで四輪が抜いていきますが、交通量が多くなく、信号も少なく快適です。

津守が近づくと交通量が増えましたが、R43~r13でストレスなく帰宅。
17:52「セルフ北村SS」で給油。
151km/3.2L=47.2km/L。
ああ楽しかった~。

2/23・オリンピック

今回の冬のオリンピックで僕の最も注目していた「フィギュアスケート・女子個人」が終わりました。
僕の予想通り、ジュニアから上がったばかりのロシアのザギトワさん15才が優勝し、銀メダルもロシアの18才メドベージェワさんでした。
日本代表の2人は4位と6位でした。

19才の宮原知子さんは4位でしたが、SP・FPとも自己ベストだったので、大満足の大会だったのだと思います。
順位が付く競技は相対的なもので、ロシアの2人が強過ぎただけです。
インタビュアーが「結果は残念でしたが・・・」なんて言ったので、それに合わせた答えをしていましたが、僕が競技者だった時代を振り返ると、自分の実力は自分が一番知っており、自己ベストは大満足のはずです。
そんなにいっぺんに上達することはないからです。

僕は実力伯仲のライバルがレースに参加せず勝利しても、喜びはイマイチでした。
次男が中学生の時、勉強でレースに参加しなかった時、ライバル君が「なんで今日来てないの?会いたかったのに~」と言われたことがあります。
小学生の頃からのライバルで、ヨットハーバーでもじゃれ合っているのに、レースでは次男を打ち破りたかったのだと思います。
僕の今を振り返っても、「彼がいたから僕が上達できた」と思えるし、年賀状など近況のやり取りや、電話して会い馬鹿話するのも、結局現役時代つばぜり合いしたライバルです。
お互いをリスペクトし合える体と思います。

17才の神戸出身・坂本さんも堂々とした演技でとても良かったです。
ジャンプミスがあり、大看板コストナーさんに抜かれちゃったのが残念でした。

今回も優勝者はティーンでした。
次回北京のメダル争いを考えると、ザキトワさんのみが残る厳しい世界です。
前回18才でオリンピック優勝者になったソトニコワさんは、既に引退しています。
2大会連続でオリンピックでメダルを獲得した選手は、キムヨナさんぐらいでとても選手寿命の短いスポーツです。
浅田真央さんが15才以上という年齢制限により出れなかったトリノが残念でした。
イナバウアーの荒川静香さんが優勝しましたが、浅田さんが出場していたら金メダルは浅田さんだったでしょう。
そんな一瞬の輝きがオリンピックにあり、冬季オリンピックになると女子フィギュアにわかファンになります。

ロシアの2人は相変わらず美人でスタイルが良く、見ていてうっとりしちゃいました。
ロシアのティーンはとても可愛いです。
年齢を重ねるとぐんぐん太っちゃうのが何故か不思議です。
それに比べると日本人女性の美貌はなかなか衰えません。

羽生結弦さんの2連覇は立派でした。
演技自体は男に興味がないのでどうでもいいですが、フリー後のインタビューを受けるとき、「国旗だけ誰か、下に置くことはできないから」と自然に持ってくれる人を探したのが印象に残りました。
きちんと畳まれており、「ナイス!」と思いました。

僕は祝日に国旗を玄関に揚する人ですが、ポールから外す時、空中で畳み袋に入れ床に置かないようにしています。
先生や親に言われたからではなく、なんとなくそうしちゃいます。
家の畳の間ならいいけど、スリッパで歩く板の間で畳むのにも抵抗があります。
近所の自衛隊基地では毎日国旗掲揚されていますが、隊員2人が手順に沿ってきちんと空中で畳んでいます。

仕事などで演壇に上がるとき、国旗に礼をして上がるのが礼儀だと思っています。
今大会でも多くの優勝選手が、フィニッシュ前後に国旗を渡され、国旗とともに優勝を喜んでいました。
ジュニアヨット協会の理事をしていた時、ナショナルチームで海外遠征するとき、監督は国旗を国歌を持参します。
優勝したら国旗とともに国歌も流すからです。

胸に日の丸をつけると、子供でも日本人の代表としてレースに臨む心構えになり、恥ずかしくない行動をするよう自然になります。
羽生さんはそんな経験が長いから、自然にあの言葉が出たのでしょう。

もう一つ嬉しかったことがありました。
スピードスケート500m決勝で金メダルを取った小平奈緒さんが、銀メダルだった韓国のLeeさんを待ち、肩を抱き健闘を祝福したことです。
Leeさんもそれに答え、これぞスポーツと思える素晴らしいシーンでした。

僕を育ててくれた大学ヨット部艇庫の壁に、部訓が掲げられていました。
オリンピックに出場された先輩が、その遠征時デンマークのヨットクラブに寄った時、掲げられていた言葉です。
それを写して帰り、日本語に翻訳したものです。

『如何なる闘いにもたじろぐなかれ
但し偶然の利益には 如何なるものでも騎士的に潔く棄てよ
最強の相手を求め、彼を汝の友とせよ
威張らず、誇りをもって勝て
言い訳をせず品位をもって負けよ 勝利より大切なのはこの態度なのだ
汝を打ち破った者に最初の幸福を
汝が打ち負かした者には最初の感激を与えよ
汝と汝のチームに対して願うべきはただ一つ 常に最善の者が勝つことを
汝の身体と精神をそして心構えを常に清潔に保て
汝自身の汝のクラブのそして汝の国の名誉をけがすなかれ』

小平さんの行動は、「汝が打ち負かした者に最初の感激を与えよ」です。
Leeさんは世界記録もオリンピック記録も持っておられる第一人者です。
オリンピック記録は小平さんがこのレースで塗り替えたが、彼女に対するリスペクトから自然に起こった行動だったように思えました。

僕自身もそうだったが、ジュニアの子供たちをコーチングしていた時も、負けてふてくされて帰っていく選手や親がいる中、必ず閉会式まで残り、勝者に拍手を送る場を与えました。
「汝を打ち負かした者に最初の幸福を」です。
勝者の態度や言葉を聞くことで、更に闘争心が上がり、勝者になった時の敗者に対する行動が身についてくるように思えたからです。

スポーツで食べて行ける人は、ほんの一握りです。
では何故スポーツをするのか?
体力作りという側面もありますが、「ルールを守る」や「勝者・敗者に対する思いやり」「チームをまとめる」など、もっとその後の人生のプラスになるスキルを得ることが出来ます。
こんな気持ちを持って、現在は大学ヨット部のコーチをしています。
そんなこんなを、今回のオリンピックでも学ばせていただきました。

2/18・新艇進水式

13時まで1時間になろうとするので、バイクに戻ります。
r35を北上し、名神の下を抜け側道に右折。
20180218ShinsuiS0216s.jpg 12:03日本初の高速道路「名神高速」起工の地がありました。

京都外環状線で北上し、R1を西進して湖西道路に乗り、「皇子山ランプ」で下車し、JR湖西線「大津京」駅をくぐりR161。
12:28「セブンイレブン大津松山町店」で、「プレミアムフレッシュバナナ213円」を昼食用に購入し、ヨットハーバー着。
監督と一緒になりました。
バイクを停め、あ~だこ~だお喋りしながら、ヘルメットなどを片付けていると、学生が合宿所からやってきました。

「いきなりですが、挨拶していただけますか?」「いいよ」。
艇庫前に行くと、部員がみんな揃っており、新艇のマストが立ちセイルをセットしています。
艇庫内にはパイプ椅子が並んでいます。
若手OB・OGがどんどんやってきます。
盛大のようです。

キャンプテンに、「久しぶりの進水式で、手順がわからず他校に聞いて準備したんです。どんな進水式をしましたか?」「練習の合間の昼休みに、シャンパン買ってきてシャンパンシャワーしただけだよ。パイプ椅子が並び凄いね。神主さんでも呼んで祝詞あげてもらえば・・・」なんて冗談も入れつつお喋り。

バナナを食べ、女子マネージャーさんたちに、隋心院の小野小町絵馬を見せてあ~だこ~だ。
13時になったので艇庫内に入ります。
琵琶湖に向いた多くのパイプ椅子にOB・OGが座り、僕を含め3人がそれに相対する形で座る。
大先輩OBのMUさんも来られました。

20180218ShinsuiS0218s.jpg 2回生GEN君の司会で進水式が始まりました。
MAS部長の挨拶。
現役時代新艇に乗ったそうで、チューニングが大切なことと、OB・OGから多額の寄付を頂いて買えたことに感謝するように言われた。
続いてI監督の挨拶。

最後に僕の挨拶。
前日、西宮沖で別々の2艇のクルーザーに現役部員が乗って遭遇するなんてことは記憶になく、総合力がアップしている証拠である。
そして近年の成績向上が寄付が集まった原因でもあり、みんなの頑張り故の新艇導入です。
頑張ろうと話した。

20180218ShinsuiS0221s.jpg 全員艇庫から出て、琵琶湖に向かい1回生NAK君が部旗を持ち中央に立ち、IIJ君がエールを切り応援歌を歌います。
みんなで新艇を囲み、キャプテンと女子マネージャーボスがシャンペンシャワーです。
僕が前日に1回生に聞かれ、「進水式と言えば、シャンペンシャワーでしょ」と伝えたからか、急遽買ってきたそうです。

ボスマネさんに「光栄だね」と言うと「はい、良い記念になります」とニコニコでした。
キャプテンがシャンペンの栓を抜き、マネージャーがまずバウにシャンペンをシャワーします。
続いてキャプテンも。
「2人の初めての共同作業~」と声を掛けからかったのに、手も繋いでいないなんて、ちょっと不満です。
なに照れてるの、ノリが悪いぞ~。

続いて初セイリングです。
キャプテンと3回生QP君が乗ります。
注目される中、出艇して行きます。
インフレータブルボートも伴走します。
ブローが入りヒールしたと思ったら、キャプテンがドボン。
陸上では、「お~ナイスな演出だ~」と拍手喝采です。

10分ほどでハーバーバックしてきて、「ナイスな演出、みんな喜んでいたぞ」と声を掛けると、「フットベルトのシート結び目がほどけてしまいました」と頭を掻いていました。
「新艇進水式には落水する」という伝統が始まった瞬間を目撃しました。

これで解散です。
船を片付け、明日からの練習に備えます。
バイクに戻り、出発すると駅に帰るキャプテンや部員たちに、タンデムシートのDrスランプあられちゃんフィギュアを自慢します。
可愛いんだよね、これ。

湖西道路~名神を走り、桂川PAでトイレ休憩し、名神吹田ICで降りて、中央縦貫道を西に走り、道なりにR171。
家内から「帰りは遅くなるから、食べてきてね」と言われていたのを思い出し、お好み焼き屋「呑気屋」さんに初めて入りました。

Pのどこに停めたらいいのか思案していたら、店長さんが出てきて「いらっしゃいます、ここでいいですよ」と指示頂いた。
「えびモダン焼き800円」を頂きました。

店長さんはお喋り好きで、予想通りバイク好きで話が弾みました。
店の横のガレージにバイクが数台置いてあるので気になっていたお店です。
孫娘の良縁のために、京都の小野小町ゆかりの寺院に行ってきたことなどを話すと、アメリカにいる息子一家の話になりました。

お若い頃、ペンシルベニア州に1ヶ月ほど滞在したことがあるそうで、うちが隣のNJ州だから共通点がありました。
フィラデルフィアにも行かれたようで、黒人街の怖さでも盛り上がりました。
コーヒーもサービスしてもらいました。

帰宅してバイク置き場であれこれやって19時過ぎに玄関を入ると、家内がすでに帰っていました。
楽しい1日になりました。

2/18・京都/勧修寺


バイクに戻り、醍醐道を進みr35。11:30「勧修寺」。
「京都市指定・名勝庭園」です。

『勧修寺は真言宗に属する寺院で。昌泰3年(900)に創建されたと伝え、鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が16世として入寺されてからは門跡寺院となった。江戸時代には徳川家綱・綱吉の帰依を受け、伽藍の整備が進められた。
現在、境内南寄りに氷室池が大きく広がり、その北に書院、宸殿、本堂が並んでいる。書院は、延宝元年(1673)より建てられた後西院御所の旧殿を、貞享3年(1686)に下賜されたものである。平面は門跡の御座の間であった御座所、対面所であった広間を中心に小室や鞘の間、広縁が配され、なかでも御座所の西桜棚は有名である。この建物は院御所の建築遺構として貴重であり、重要文化財に指定されている。
宸殿は、延宝4年造営の明正院御所御対面所を、元禄10年(1697)に下賜されたものである。内部は南端に上段の一の間を配してその北に二の間、三の間を続け、一の間には幅2間の床と1間の棚、そして付書院を備えた書院造の構成になっており、院御所当時の姿を良く伝えている。
本堂は、寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて、同12年に潅頂道場として建築されたものである。宸殿は院御所の建築遺構として貴重であり、また本堂は江戸時代中期における伽藍整備の一連のもので、ともに昭和60年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された』

『真言宗山階派大本山で、平安中期900年に醍醐天皇の母・藤原胤子(いんし)を弔うために、胤子の母の実家である宮道(みやじ)家邸宅を寺に改めたのが始まり。天皇の祖父・藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と名付けられ、醍醐天皇の勅願寺となった。
代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えたが、文明2年(1470)兵火で焼失し、江戸時代に徳川家と皇室の援助により再興された。本堂は、霊元天皇より仮内侍所を、書院(重要文化財)と宸殿は、明正天皇より旧殿を賜って造られたといわれ、本堂内部に本尊・千手観音像を祀つている。
書院前の庭にある大きな傘を持つ灯籠は、水戸黄門で知られる水戸光圀の寄進と伝えられ、「勧修寺型燈龍」と呼ばれている。その周りには樹齢約700年と伝えられるハイビャクシンが植えられている。
氷室池を中心とした優美な池泉(ちせん)回遊式の庭園は、平安時代の作庭と伝えられ、夏の睡蓮や蓮で有名である』

20180218ShinsuiS0146s.jpg 拝観料400円。
宸殿「明正殿」は皇室の建物らしく金がポイントに施され優美です。
「軒下の横木(けた)は中央がケヤキで、左右は杉の巨木」
「手すりは木を曲げたのではなく、その形に切り出されています」
お見事な造形でした。

20180218ShinsuiS0163s.jpg 『ハイビャクシン ヒノキ科の植物で、樹齢750年。一面一本の樹で京都市の巨木名木の1つです』
樹齢750年というのでさぞ大きな木かと思ったら、背丈2mほどでした。
しかし、枝が複雑に折れ曲がり、無数といっていいぐらい絡み合っています。
巨木以上に年齢を感じさせる木でした。

20180218ShinsuiS0164s.jpg 『勧修寺型灯籠 水戸黄門様のご寄進で、ユーモラスなスタイルで有名』
確かに見たことない灯籠です。

『千年杉 京都庭園中最高の巨木。水鳥が止まると狩野探幽の絵のようです。勧修寺は、京都一水鳥の多い寺と言われている。前方30mのジャングルの中の島は、夕方になると琵琶湖から帰って来る水鳥のお宿です』

庭園の木々は冬枯れして色がありませんが、桜の木が多く春は新緑の緑と桜色で華やいでいるのが想像されます。
京都隋一の古池「氷室の池」を周回してみました。
20180218ShinsuiS0203s.jpg 「入るのは自由ですがとても危険」と脅す看板がありましたが、どうってことない道でした。
アオサギと鴨がおり、蓮や睡蓮の池だとわかる佇まいです。

「氷室の池」は、毎年この池に張る氷を宮中に献上し、その厚さにより五穀豊凶を占ったことから来るそうです。
現代ではこの地にあるこれほど大きな池が氷ることは考えられず、いつの時代の話かと思いたくなる。

20180218ShinsuiS0210s.jpg 西暦1000年頃の平安時代は、地球がもっとも暑かった時期で、平安時代の絵巻物でも開け放ちた書院で優雅な着物姿でいる貴人が描かれている。
北海の氷が解け、北部ヨーロッパが本拠地のバイキングの活動が活発化して、南部ヨーロッパの沿岸を荒らしまわったという歴史があります。
対して、江戸時代中期に起こった産業革命の頃が低温期だったらしく、イギリス・テムズ川が凍結しスケートしている絵があるらしい。

錦鯉がおり、池の整備に使うのかシーホッパーが停めてあった。
ヨットとしては優秀だが、乗り物としてこんな不安定な船を使うなんて、ヨット乗りでもおられるのだろうか?

2/18・京都/随心院

バイクに戻り、r127~r36に出て北上。
醍醐道に入り、10:30「隋心院」。
20180218ShinsuiS0044s.jpg 『真言宗善通寺派大本山で、弘法大師の8代目の弟子「仁海(にんかい)僧正」が正暦2年(991)に創建した。
もとの名は「牛皮山(ぎゅうひざん)曼荼羅寺」といい、ある夜、亡き母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、その牛を探し求め世話を尽くしたものの間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描いて本尊としたことに由来する。
その後、5世増俊(ぞうしゅん)が曼荼羅寺の塔頭として隋心院を建立し、7世親厳の時、後堀川天皇より門跡の宣旨を受け、門跡寺院となった。
この辺り小野は、小野一族が栄えた場所であることから、絶世の美女「小野小町」ゆかりの寺としても知られ、境内に小町に寄せられた多くの恋文を埋めた文塚や化粧井戸が残されている。
梅の美しい寺としても有名で、3月の最終日曜日は、小野小町に恋した深草少将の百夜通いの悲恋伝説をテーマにした「はねず踊り」(はねずとは梅花の薄紅色のこと)が披露される』

20180218ShinsuiS0051s.jpg 境内に「名勝・小野梅園」があったが、花はまだです。
本堂エリアに入る前に、その塀の外を巡り「文塚・清滝権現」を見に行きます。
まずは清滝権現。
隋心院の鎮守社でしょう。

20180218ShinsuiS0061s.jpg 本堂エリアの塀の外周を歩いていると、竹林の中に小野小町の侍女の塚があった。
周囲に小さな五輪塔がパラパラとあり、ゆかりの人が眠っているようです。
20180218ShinsuiS0064s.jpg 文塚も竹林の中にあった。
ラブレターが山と埋められているのでしょう。
20180218ShinsuiS0068s.jpg 仁海僧正供養塔があった。
その後ろに大きな榧の木があった。

20180218ShinsuiS0070s.jpg 女性だけの納骨堂「小町堂」の案内看板がありました。
未婚などで子孫のない女性が生前に申し込むのでしょう。
「女性だけの・・・」に、「仏になっても男性と縁なく過ごしたい願望があるのかな?」と少し悲しく感じました。
生前男性不審になった出来事が・・・なんてね。
女性は華なので、男性の中にあってこそ更に華やかに輝けるのに・・・勿体ない。

「化粧井戸」を見に行きます。
20180218ShinsuiS0079s.jpg 『この付近は小野小町の屋敷跡で、この井戸は小町が使用したもの』
深井戸ではなく湧水場のようで、周囲を石積みで普請し、石段が数段下り直接桶で汲めるようになっていた。

20180218ShinsuiS0080s.jpg 本堂に戻って東に向かうと、塔頭のバックに醍醐山がそびえ、ナイスな景色でした。
20180218ShinsuiS0083s.jpg 塀の中に入ると、絵馬掛けがあり絵馬が下がっています。
20180218ShinsuiS0085s.jpg 丸い絵馬に桃色で縁取られた梅花の中に小野小町の姿が描かれ、「花の名は、うつりにけりないたづらに、わが身世にふるながめせしまに」という小野小町の有名な和歌が書かれていました。

『謡曲「通小町」と隋心院 謡曲「通小町」の前段、深草少将が小町の許に百夜通った伝説の舞台がここ隋心院です。
このころ小町は、小町化粧の井戸付近に住んでいた。積る思いを胸に秘め訪ねて来た少将であったが、小町は冷たかった。少将は「あなたの心が解けるまで幾夜でも参ります。今日は第一夜です」と、その標に門前の「榧の木」の実を出した。
通い詰めた99夜、その日は雪の夜であった。門前にたどり着いた少将は疲れ切って99個目の「榧の実」を手にしたまま倒れ再起できなかった。
随心院境内には、思い出の「文張地蔵尊」「文塚」があり、道筋に「榧の大木」がある』

拝観料500円を納め、庭園・殿舎エリアへ。
20180218ShinsuiS0087s.jpg すぐに小野小町一色の売店があり、「恋みくじ」や絵葉書、絵馬が並んでいた。
孫娘が美しい女性になりますよう小野小町略縁起絵馬700円を授かりました。
20180218ShinsuiS0088s.jpg 小野小町が描かれた屏風がお出迎え。
20180218ShinsuiS0089s.jpg 桃の節句に因んだ人形が可愛い。

回廊で結ばれた書院を巡ります。
20180218ShinsuiS0090s.jpg 撮影禁止のものもありますが、襖絵などが見事です。
20180218ShinsuiS0097s.jpg 寺院らしく廊下に鐘や木魚が下がっていたり、駕籠も下がってる。
20180218ShinsuiS0101s.jpg 立派な輿や長持も座敷に置かれている。
長持は菊の御紋なので門跡寺院として下られた皇族のお荷物の用に供されたのでしょう。

手入れされたお庭が素敵で、見所いっぱいです。
20180218ShinsuiS0108s.jpg 小野小町の生涯が描かれた桃色基調の目立つ襖絵が可愛い。

20180218ShinsuiS0127s.jpg 本堂にお参りし、庭を見ると「小町堂」があった。
順路に従って歩いていると、最後に資料室のような部屋があった。
京都府下の小町伝説・伝承の残る地地図がある。全国には33都府県260ヶ所もあるそうだ。
榧の実が展示されている。
20180218ShinsuiS0142s.jpg 


2/18・京都/法界寺(日野薬師)

家内はお出かけで、1人遊びの日です。
3週連続のグループツーリングを模索しましたが、10人以上の参加だったので参加を断念。
僕はどうも大勢が苦手です。

コーチしている大学ヨット部の新艇進水式の日です。
13~15時・琵琶湖艇庫なので、それまでの時間を好きな寺社史跡巡りに使いましょう。
宇治から醍醐・山科にかけて探索することにします。

4時ごろ目を覚まし、いつものようにゴソゴソ。
7時を過ぎたので、バイク用冬プロテクター上下に着替えます。
高速道路を使うので、「招き猫CB400SB」を倉庫から出します。
Drスランプ・あられちゃん・フィギュアをリアシートにタンデムさせます。

8:45「セルフ緑ヶ丘SS」で給油。
221km/9.73L=22.7km/L。
冬はアイドリングが上がるから、平均燃費より2km/Lほど悪い。
R171を東に進みます。
猪名川を渡る橋に右翼街宣車が3台連なって出てきました。
猪名川沿いの基地から出てきたのでしょう。
長淵剛の「永遠のゼロ」主題歌を大音量で流しています。
良い曲だな。
思わず映画の場面を思い出し、涙が出そうだ。

チャイナと北朝鮮・韓国に脅されまくり領土を占拠されそうだったり、占拠中であったり、拉致されたままで情けない。
白人の全地球植民地化をたった一国で跳ね返した気概はどこに行ったのか・・・
右翼街宣車に同調する気持ちはないが、美しい日本を取り戻したいと思っている。

吹田ICから名神高速に乗り、大山崎JCTから京滋バイパスにチェンジします。
「宇治西IC」で下り、R24に乗ります。
少し北上し、r245で東進、京阪宇治線を渡り、JR奈良線を渡ってすぐ、r7の乗って北上。
六地蔵からr36に入り、9:41「法界寺(日野薬師)」到着。

20180218ShinsuiS0005s.jpg 『東光山と号する真言宗醍醐派の寺で、日野薬師として親しまれている。
平安期の永承6年(1051)日野資業(ひのすけなり)が、この地にあった日野家の山荘を寺に改めた。日野家は藤原氏の流れをくむ貴族で、浄土真宗開祖・親鸞や室町幕府8代将軍・足利義政に嫁ぎ、政務に手腕を発揮した日野富子らを輩出している。
代々一族が堂塔を整え荘厳美麗を極めたが、兵火で焼失し、現在は本堂(重文)と阿弥陀堂(国宝)が遺るのみである。
本堂の薬師堂には、伝教大師作・薬師如来を体内に納めた本尊・薬師如来像と運慶作・脇士日光月光十二神将(重文)が安置されている。この本尊に祈願すると、授乳のご利益があることから、「乳薬師」と呼ばれている。
阿弥陀堂は、平安後期の阿弥陀信仰の高まりと、末法思想の普及に伴い建てられた。定朝用の阿弥陀如来像とともに国宝に指定されている。
毎年1/14に「裸踊り」が催され、踊りに用いられた下帯は妊婦の腹帯として篤い信仰を集めている』

山門をくぐり境内に入ってみる。
『日野家一族が私財を投じ建物を整え、荘厳美麗なお寺でしたが、応仁の乱で焼失し、本堂「薬師堂」と「阿弥陀堂」が遺っている。本堂は康正2年(1455)の建物。阿弥陀堂は、永承年間(1046~1053)に建てられた。浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、承安3年(1173)日野有範の子としてこの地に誕生し、子供のころ阿弥陀堂で祈られた。これら仏像や建物は、日本美術史上大変有名です』

『近世における法界寺の具体的様相は、「都名所図会」から知ることが出来る。
阿弥陀堂と池が対面し、東方に鐘楼、現在の薬師堂の位置に草庵風の建物があり、鐘楼の脇から坂道が東側の集落に通じていることなど、全体の佇まいは現在と大差ない。
阿弥陀堂(国宝)は、承久3年の火災後の再建で鎌倉初期。薬師堂(重文)は、もとは伝燈寺(奈良県龍田)の本堂でしたが、明治37年(1904)移築された。
鎌倉初期の阿弥陀堂が現存すること、及び絵図からみて、境内中枢部は創建時から大規模な地形改変を受けずに今日に至っている可能性が高く、京都の寺院史を研究する上で貴重な史跡です』

寺務所で拝観料500円を納める。
20180218ShinsuiS0023s.jpg 阿弥陀堂は素敵な落ち着いた屋根を持っており、国宝の佇まいを見せている。
阿弥陀堂に入ると、圧倒的な存在感で阿弥陀様が中央に輝いていた。
いまだにお顔の大半は金色に輝いており、お身体も肩などが煤け色になっているものの金箔が健在です。
天井周囲に天女が舞い、龍と思われる絵画が描かれている。
四方を巡り一通り眺めた後、ご住職と思われる方に、「金箔は創建時のままですか?」と質問してみた。

確定ではないもののそのままのようで、煤けているところも、金箔がはがれたというより、埃が覆って見えなくなっているようだと言われた。
柱の周囲に絵画が遺っていることも質問したら、柱に直接描いたのではなく、麻布を巻いて、その上から塗装しキャンバスにして、さらにその上に描いたものだそうです。
だから絵がはがれたというより、麻布とともに剥がれ落ちていると、三層になったなったところを懐中電灯で照らして見せてくれた。
大変勉強になった。

20180218ShinsuiS0021s.jpg 本堂「薬師堂」を見に行きます。
堂内の本尊は秘仏です。
安産・授乳・子育てにご利益があるということで、寺務所で授かれる小さな涎掛け絵馬がたくさん下がっていました。
これらの望みは家系存続の根本なので、多くの方の願いが溢れています。

寺務所で、安産守護600円を授かりました。
お守り袋型ではなく、お札型でした。実家の仏壇に供えましょう。

親鸞聖人の使った井戸の案内があったので、歩いて向かいます。
20180218ShinsuiS0028s.jpg お寺の裏側が幼稚園になっています。
そこに井戸がありました。
幼稚園駐車場脇にあり、日曜日で幼稚園が閉まっているので外から眺めるだけです。

20180218ShinsuiS0026s.jpg 「誕生院(本願寺)えな塚・産湯の井戸」と書かれていました。
えな塚ということは、親鸞聖人のへその緒が埋められているのでしょう。
そういえば僕のへその緒もいまだ健在です。
息子たちのも桐箱に入れられどこかの引き出しにあるはずです。
母親とは有り難いものです。

この幼稚園の名前は、「誕生院保育園」となっていました。
阿弥陀堂内に「檀家が少ないので寄付をお願いします」と書かれていました。
歴史のある国宝を持つ寺院だけど、ランニング収入を得るために、境内を利用して保育園を経営されておられるのでしょう。
寺院の管理もご住職ご夫婦でやっておられる感じで、小僧さんは見かけませんでした。

その山側に、親鸞聖人誕生地の石碑が立ち、僧坊があった。
20180218ShinsuiS0029s.jpg 『日野誕生院 親鸞聖人は日野氏一族である「日野有範(ありのり)」を父に、母は八幡太郎義家の孫娘「吉光女(きっこうにょ)」のもと、承安3年(1173)ここ日野の里に誕生し、幼名「松若丸」と称された。9才の時粟田口(青蓮院)にて得度され、人間の根源的な苦悩から救われる道を阿弥陀如来の本願に見いだされた。
本願寺19代・本如上人は、文化年間(1804~)日野氏の由緒地を調査し、聖人の父である日野有範公に因み「有範堂」を建立された。21代・明如上人の時代に、飛地境内地として「日野別堂誕生院」と改称された。
境内地西側には、聖人誕生の際使用された「産湯の井戸」と、へその緒を納めた「胞衣塚(えなづか)」がある。
大正12年(1923)、立教開宗700年記念行事として本堂並びに書院の建築が始まり、昭和6年(1931)本堂が完成した。また平成18年(2006)には、親鸞聖人750回大遠忌法要記念事業として、本堂・書院の改修が行われた』
20180218ShinsuiS0036s.jpg 


2/17・1回生クルージング

コーチしてるヨット部の1回生クルージングの日です。
1回生は20人もいるので、12人定員のクルーザーに1回で乗れませんでした。
12月に1回目をし、今回が2回目です。

9時に「JR西宮」なので、ぐずぐずした後7時から用意開始です。
朝食を食べながらTVニュースを見ていると、男子フィギュアスケート・ショートプログラムの結果を伝えていました。
前回オリンピック優勝者の羽生さんがトップで、急成長した宇野さんが3位だそうです。
宇野さんは世界ランキング2位ということで、今日のフリーで逆転し金銀獲得もありそうです。

前回羽生さんは、すい星のごとく力をつけて来て一気に頂点に立ちました。
その後3年間常にトップスケーターだったのですが、11月に怪我をして今回がぶっつけ本番の公式戦です。
この状況を考えると、アメリカのチェンさんが本命で、急成長中の宇野さんがどこまで接近するかが焦点で、羽生さんは3位が僕の予想でした。
チェンさんが、前回オリンピックの浅田真央さん同様、ショートプログラムでまさかの下位に沈んだので、ワンツーフィニッシュが現実になるかもしれません。
さてどうなることやら・・・

8時過ぎに家を出て、R171を西に走ります。
陸上自衛隊基地では、大テント村が出現していました。
極寒期の訓練でしょう。
北朝鮮有事があると、拉致被害者救出のチャンスなので、侵入するかもしれません。
核で威嚇し返すぐらいでないと、話し合いでは埒があきません。
ならず者国家には同様の手段で対抗しないと、なめられてばかりです。

12月・1月初めは頻繁に飛来していたヘリが基地に来なくなりました。
基地に隣接して住んでいると、国の軍事動静が伝わってきます。
テント村を見ながら、不毛な国会議論の裏で「常在戦場」で訓練し、毎日のようにスクランブル発進しならず者国家に対抗してくれている空自あればこその平和維持だなあと感謝の気持ちが沸き起こります。

JR西宮駅前に15分ほど前に着きました。
N君が先に着いていましたので、「車に入ってな」と伝え、ファミリーマートで昼食のお買い物。
8:52アップルデニッシュ115円+ノアール237円+ぼんち揚げ214円=566円。
店を出ると、残りの3人が揃っていました。

「全員揃った?」「あと1人です」。
「全員で5人だよね」「いえ4人です」
「なら揃ってるよ。N君は車の中にいるよ」「え~そうなんですか」

ヨットハーバーに向かいます。
ハーバー前の木々が強風に揺れています。
予報通り吹きそうです。
出艇申告し、トイレを済ませ、桟橋ゲートをカードで開閉し船に乗ります。

10時前に出艇できました。
沖はW・8m/s越えの風が入っています。
セイルを上げようと思ったら、10m/sオーバーのブローが入り、機走で海上自衛隊阪神基地を目指しました。

20180217KyotoS0001s.jpg 10:32掃海艇を見学します。
20180217KyotoS0002s.jpg 機関砲が1門バウに、旭日旗がスターンにはためいています。

8m/sほどに落ちたので、ジェノアセイルのみで帆走しました。
六甲アイランドの東を南に進み、そのまま神戸港の方に行こうと思ったけど、六甲アイランドを過ぎるとまた10m/sオーバーのブローが入ってきて、尼崎西宮港内でクルージングすることにしました。

東に下り、神戸大・甲南大の合同練習を見て、続いてジュニアの練習を見ました。
同じくジェノアだけで上ってきたクルーザーが手を振っています。
手を振り返しましたが、何故かやたらと大げさに手を振って来ます。
「おかしいな、何か伝えた事があるのかな?」と思い、セイルをフリーにして艇速を落とすと、近づいて来たボート上から「誰が乗っているの?」と声が掛かります。
20180217KyotoS0006s.jpg なんと、コーチしてるヨット部の3回生がたくさん乗っていました。

11:36写真を撮り、なんだそりゃ~と思いました。
ここに乗ってる1回生は皆先輩が来ていることを知りませんでした。
3回生女子マネージャーのお父さんが管理してるクルーザーに乗せてもらっているようです。
キャプテンがドライブしていました。
こちらは1回生が交代でドライブし、お互いに楽しそうです。

またブローが入ってきたので、メインセイルを上げていないからアビーム以上上れなくなり、セイルを下ろし機走で上っていきました。
芦屋YHでの水路に入り、僕らは芦屋YHに入っていきました。
もう1艇は新西宮YHへ。

関西一のブルジョアハーバーを見せ、桟橋付き邸宅を見せました。
将来彼らが資産家になり、こんな船を持って僕を乗せてくれるといいな。
乗っているN君のお父さんは大型モーターボートを持っているそうです。
和歌山沖まで走り、カジキフィッシングを楽しんでいるようです。

12:18再び外に出ます。
8~10m/sでセイリングしましたが、15m/sオーバーの風が下りてきて、「こりゃ収まりそうにないわ」と結論を出し、ハーバーバックしました。

ハーバー入口からドライビングを交代し、13:30頃桟橋に。
後片付けしてセンターハウスへ。

中に入り、用意してきた昼食を食べました。
13:59、「一点鐘」で「ブライアン・ウィルスこれさえあれば!ヨットレース1000円」というルールを楽しい絵で文字少なく解説した携帯ノートがあったので買いました。

食後のティータイムとしてカフェに入り、1回生たちとあ~だこ~だ。
4月の新人勧誘のこと、女子のこと、その他いろいろ。
14:47「フリアンディーテ」でケーキセット792円×5=3960。

僕らがハーバーで片付けていると、3回生の乗ったヨットが出ていっていました。
昼食でも取っていたのかな?
いずれ戻ってくると思い待っていましたが来ないので、1回生を通じて連絡すると、ホームポートが新西ではなく甲子園だそうです。
ちょうど解散したところだということで、話が出来ず残念でした。
今津港に係留しているのかも知れません。

フィギュアスケート・フリーの結果が出たようで、羽生・宇野がワンツーだったようです。
日の丸が2枚揚がり良かったですね。

15時を過ぎたので店を出て、学生艇庫が並ぶディンギー・ヤードに行くことにしました。
来月はここで合同練習します。
九州出身者のT君の高校同級生が神戸大にいるそうで「声を掛けてこい」と命令しました。
「なかなか帰ってこないな」と思ってたら、筋トレ中で強制的に加わさられたそうです。

やっと帰ってきたら大阪大から女子部員が下りてきて、H君に声を掛けて来ます。
「あ~来やがった~、こうなるかもと思ってた~」と露骨に嫌がっています。
どういう関係か聞くと、姉弟だそうです。
姉の命令で、自撮り集合写真を全員で撮りました。
きっと実家に写真を送るのでしょう。
お母さんが喜ぶね。

ハーバーのトイレを拝借し、解散することにしました。
P600円。
兄弟でヨット部員とは珍しいねと話すと、「・・先輩は双子の弟が大阪大ヨット部です」と僕の知らなかった情報を教えてくれました。
面白いな。

JR西宮で2人、阪急西宮北口で2人下ろし、R171で帰宅しました。
家内から、「風が強かったでしょう」と言われました。
楽しい1日が終了しました。
明日は、ヨット部が購入した新艇レース艇の進水式をするということなので、京都方面寺社ツーリングを計画し、進水式に参加しようかな?

2/12・新名神グループツーリング

「建国の日」の振り替え休日です。
昨日2/11が建国記念日で、戦前は「紀元節」初代・神武天皇が即位した日です。
近所の自衛隊基地と自衛隊病院の門に大きな日の丸がはためいていました。

今年入ったツーリングクラブ2回目の参加です。
10時に近所のバイクワールド伊丹店に集合なので、45分前まであれやこれややっていました。
速攻でコミネ・バイク用冬装束に着替え、「招き猫CB400SB」を倉庫から出します。

近所の坂を下っていると、後ろからアメリカンに乗る女性ライダーがついてきます。
r13を渡り、JRを渡り、バイクワールドへの最後の交差点も曲がるので、バイクワールドに入るものと思っていました。
何度もお話ししたことのある近所のバイク乗りご夫婦の娘さんだろうと、Pで声を掛けようと思ってたらバイクワールドを通り過ぎちゃったみたいで残念でした。

リーダーTGさんは先に着いていました。
前回リーダーさんはPCXだったので、初めてカワサキ・バルカン650を見ます。
アメリカンですが、ハーレーのような典型的なアメリカンではありません。
大きなGIVIリアボックス・サイドボックスがセットされており、収納力はかなりありそう。

あれやこれや話していると、CBR400RのJBさんもやって来ました。
風邪をひきキャンセルかも?とのことでしたが、気合で治されたようです。
参加予定の3人が集まったので「出発しようか」の話も出ましたが、ドタ参の方がいるかもしれないので10時ジャストまで待ちます。

10時になったのでPから出ると、黒のPCXの女性が手を振っています。
あれれ・・・JR踏切で止まると、先頭のTGさん横まで行かれ何やらお話・・・MAさんでした。
ヘルメット+覆面なので顔がわからないよ。

r13に出て北上開始し、信号で止まったところでTGさんの横に行き、「前に入ってもらったら?」と提案するが、高速道路入口までお見送りだけということで、一番後ろについて来るようです。
高速に乗れるNC750も持っておられるので参加出来たら良かったのに・・・何か用事があるのでしょうね。
20180212ShinS0001s.jpg r12を北上し、「石道」を右折し、10:24川西IC手前で左に停め、MAさんに集合写真を撮ってもらいました。

新名神に乗りました。
上り車線を走るのは初めてです。
交通量が少なく気持ち良く走れます。
高速道路になれば速く行かれてもいいのですが、TGさんもゆっくりの方が好きなようで余裕でついて行けました。

20180212ShinS0002s.jpg 20180212ShinS0003s.jpg 10:43、茨木千提寺PAで休憩。
20180212ShinS0004s.jpg 下り線同様トイレがあるのみです。
20180212ShinS0005s.jpg トイレ内に扉で仕切られた洗髪コーナーが有りびっくり。
20180212ShinS0007s.jpg 全線開通し、交通量が増えればコンビニなどが誘致されるのかな?
20180212ShinS0008s.jpg JBさんが、「宝塚北SAができるから、しばらくこのままじゃないの?」と言われました。
確かにそうかもしれません。
スマートICも出来るので、北摂の発展に貢献しそう。
でも僕の好きな田舎道北摂の交通量が増えそうで複雑な心境です。

高槻JCTから名神高速に入り、下り線を走ります。
中国道との分岐を過ぎ、「吹田SA」で昼食タイムです。
僕はハンバーグ定食1000円にしました。
僕のCBのリアタイヤがスリップサインの出る直前だと、JBさんが指摘してくれました。
僕のバイクのシャカシャカチェーン音がすることも教えていただき、ツーリング後チェーンルブを吹き付けておくと良いとメンテナンス方法も教えてくれました。
バイク屋さんは、チェーンルブが多過ぎてタイヤホイールなどを汚すとお客さんから文句言われるから、少なめにするそうです。
走った後にルブを吹きかけ、十分拭き取ったら、いい感じでチェーンに染みて馴染むそうです。
あ~だこ~だ、1時間ぐらい駄弁っていたように思います。

出発し、尼崎ICで下車しました。
JBさんは西宮ICから帰宅するそうで、ここでお別れです。
r13を北上し、出発地点のバイクワールドに戻ってきました。

MAさんがいました。
JBさんに教えてもらったタイヤの製造年月を見つける数字を探しました。
タイヤの左右どちらかに、カッコで囲まれた数字があります。
「・2417・」なら、2017年24週製造だそうです。

お店に上がり、タイヤコーナーで店員さんにタイヤ交換の相談をしました。
バイクを見に来てくれて、僕のフロント「・0814」を見て、「2014年2月ですね、溝はまだあるけど4年だから劣化が始まっているからリアと同時に交換したら?」と勧めてくれました。
リアタイヤはもうすぐ終了だそうです。

お店に上がり、見積もってもらいました。
今履いてる純正のダンロップGPR300は取り寄せなので高くなり、前後一式(工賃・バルブ交換・廃タイヤ含む)で47000円で、店頭に並んでいるダンロップ・ロードスマート2なら33000だそうです。
12月に車のタイヤをこの下のオートバックスで交換したばかりで、タイヤ交換が重なります。

今週金曜日の12ヶ月点検で、ホンダさんのメンテナンスさんになんて言われるかな?
リアの交換は当然として、フロントの交換が必要なのだろうか?
リアだけならホンダで両方なら特化のバイクワールドかな?
いずれにしても、ホンダドリームのメンテナンスさんの意見を聞いて決めます。

バイクも車もずっと純正部品を交換して来ましたが、VTR250のバッテリー交換でホンダさんに勧められたATZ7Sが5年目の今年、「そろそろ弱って来てるね」と言われたぐらい長持ちでした。
AZは日本のメーカーで評判も良いですが、純正ユアサバッテリーに比べ、価格が半額前後です。

何故かホンダでまたユアサのみ扱いになりましたが、ディーラーが勧めるぐらいだから性能が良いのでしょう。
タイヤも純正以外に初挑戦したくなりました。

2/11・宝塚駅界隈散策&お墓参り

家内もお休みなので、何処に行こうか朝から映画情報見たりしていました。
ラブストーリーではないけど、阿部寛の映画が9:40から始まることを知り、8時にそろそろ朝ごはんをと思い階下に降りました。

そしたら家内は既に着替えを終えてお化粧中でした。
「どこかに行くの?」「うん、お買い物」
「川西阪急百貨店?」「ううん、ふわふわオムライスがあるお店があるかもしれないから、宝塚阪急に行こうかと思って」
「ふ~ん、僕もついていったら駄目?邪魔しないから」「いいよ~」
「駅まで送っていってあげようか?」「ううん、いい。私バスで先に行くから、どこかで待ち合わせしましょ」
「じゃあ、10時阪急宝塚駅の改札口ね」「はい」。

ご飯を食べ終える頃、「行ってきま~す」と出ていきました。
食器を片付け、着替えて玄関で靴を履こうとしたら、「ただいま~」と家内が帰ってきました。
「バス停に・・さん(ご近所さん)がいて、伊丹駅までお喋りするの疲れるから行かない事にした」。
苦手な機関銃喋りの方だそうです。
家内は仕事では明るく饒舌に喋りますが、基本聞き上手さんで自ら話題を振りまくタイプではありません。
女性同士の女子トークが苦手で、どちらかと言うとさっぱりして機関銃喋りの方がほとんどいない男性の間にいて、頷いてるのが楽な人です。

 「宝塚に行くのに、阪急伊丹から行くの?阪急川西能勢口駅から行く方が早いよ」「え、そうなの?」
「だからバス停が反対方向だよ。だから行こうよ」と、一緒に玄関を出ました。
家内はバス停に歩いていき、僕はバイクを倉庫から出します。

家内のアドレスV125で行くことにしました。
エンジンを掛けバス道に出て宝塚を目指します。
信号で停まっていると、前を家内が歩いています。
「あれ?歩いて行ったバス停と違う」
信号が青に変わり、家内がいるバス停で止まって、「向こうのバス停から乗るんじゃないの?」「10分待つ間寒いから、1つ歩いたの」「じゃあ、後でね」。

 「疲れるから歩くの嫌」なんて言ってる癖に、どうも家内の思考が読めません。
超方向音痴の家内は、我が家と宝塚駅・伊丹駅・川西能勢口駅の位置が空間認識出来ていないようで、息子が30才越えるほど同じ家に住んでいるのに、一度も川西経由で宝塚に行ったことがなかったことを知り驚きました。
川西駅横の阪急百貨店にはバスで行ってるのに、その駅から電車に乗ると言う発想がないようです。
方向音痴の方の思考かもしれませんが、Aという道の先にBがある、Cという道の先にDがあることは知ってても、BとDを結ぶのが苦手です。
家内は目的地に行く方法を1つわかれば、迷ったらいけないので毎回同じ道を通ります。
一緒に暮らしていて、おかしくて仕方ありません。
苦手なことを笑ったら悪いので、その都度丁寧に教えますが、また驚かされました。

R176に出て、9:24「宝塚駅」。
「ふわふわオムライス」のお店を探しましょう。
20180211TakaraS0002s.jpg 駅前に「宝塚歌劇」の像が立っています。
2Fの駅改札口を確認し、1Fに降ります。

僕らが結婚式を挙げた時、親戚に泊まってもらった「若水」が見える。
20180211TakaraS0006s.jpg 歌劇場に向かう「花のみち」、武庫川など周囲を散策し、「宝塚ソリオ1」のお食事のお店をチェックしました。

20180211TakaraS0008s.jpg 駅改札に戻る。
若い母親&小学生の子の組み合わせが多い気がします。
何処に行くのかと親子を追うと、宝塚歌劇場の方に向かう流れと、ソリオ2に入る流れがありました。
ソリオ2を見に行くと、暗算と珠算の検定でした。

阪急百貨店前のバレンタインデー・チョコレート特設売場がオープンしたので、そちらを見に行きます。
お店は10時オープンなので、扉は開いていませんが、ここは手に取れます。
でも店員さんからの売り込みがありません。
開店前だからかな~変なの~

改札に戻っていると、家内が改札を出て歩いてきて手を振っています。
手を振り返して、「バレンタインデー売場があるよ」と見に行きます。
10時になりお店が開きました。
その流れで店内に入り、婦人靴や子供用品ファミリアを見ます。
長男とこはアメリカなので送料が高そうで贈りにくいですが、次男とこのすみれちゃんに似合いそうな服を見て、あ~だこ~だ喜びます。

宝塚阪急も川西同様、小型店舗でした。
20180211TakaraS0007s.jpg 下の飲食店街に行きます。
オムライスのお店がありましたが、開店前でした。
仕方なく僕が行きたかったミスタードーナツに入りました。
僕はドーナツが好きです。
意外にお腹が膨れるし、硬くないのもいいです。

僕はドーナツ3つ(ストロベリーリング129円・ココナッツチョコレート129円・エンゼルフレンチ140円)、家内はモーニングCセット(トッピング・ホットトースト卵マヨ+ブレンドコーヒー)360円=758円を注文します。
セルフコーヒー機械がないので、「コーヒーのおかわり出来ますか?」と聞いてみました。
他店舗同様、おかわり無料だそうです。

お隣の席女性4人組は、月組とか雪組の練習とか言ってるので、ヅカファンのようです。
美味しく食べながら、家内の横顔を見て思わず「美人だねえ」といつものように言っちゃいました。
家なら「こればかりは仕方ないのよ」なんて言うのに、流石に無反応でした。

でもお隣のヅカファンさんには聞こえちゃったみたいで、視線を感じました。
自分たちの話に熱中していたはずなのに・・・。
家内も視線を感じたようで、僕に「こらっ」と視線で怒っています。

お墓参りすることになりました。
バレンタインデーは父の命日なので手を合わせて来たいそうです。
家内が2杯目のコーヒーを飲んでいる時、「じゃあ12時に阪急とJR宝塚駅を結ぶ陸橋下阪急側で待ち合わせね」と決めて先にバイクで帰ることにしました。

R176を東に走り帰宅。
バイクを倉庫に片付け、お墓参りセットを持ち、車に乗り換え宝塚に戻ります。
伊丹から宝塚に向かうR176が渋滞していたので裏道を走り、一度もR176を利用せず、武庫川沿い~KG小学校~宝塚歌劇大劇場前を抜け、12:20待ち合わせ場所到着。
20180211TakaraS0010s.jpg 家内には電話で20分遅れると言っていたので、JR宝塚駅を見に行っていたのだとか。
JR宝塚駅が綺麗になっていたと驚いていました。
改築されて10年以上経ってると思うから、一度もJR宝塚駅で下車しなかったようです。

車に乗ると、川西経由宝塚ルートが伊丹駅ルートよりずいぶん早いと驚いていました。
「もっと早く知っていたら良かった~」と笑っていますが、まさかこのルートが有るということを知らなかったとは思ってなかったし~。
電車内で、沿線ルート地図を見ているはずなのに、全く関心がないから頭に入らないのですね。
不思議だ~

R176を北に上り、r33で山を駆け上がります。
宝塚サーキットでは、カートが走っていました。
峠を越え切畑に入ると雪が降ってきました。
宝塚では陽が差していたのに、空は雪雲に覆われています。
横殴りの雪になってきたが積雪はないので、r319経由でR12に出て、13:15霊園。

下の事務所でお花を買いました。
1300円。
事務所が去年建て替えられましたが、コンクリートのこだわり建物になってしまいイマイチです。
綺麗だとは思えないし、扉が重たく、高齢者の割合が多い霊園施設としてはどうなんだろうと思う。
このデザインにGOを出した役員が最低だね。
作品じゃなくて、利用者の使い勝手を考えた建物でないと・・・

お墓を掃除し、お線香を上げ、r12~r13経由で14:30帰宅。
お風呂に入り、ヨーグルト食べながらオリンピック中継見てるうちに昼寝モードになりました。
そう言えば、家内が車に乗ってきた時、ちょっとお洒落な手提げ袋を持っていました。
バレンタインデーチョコだと思います。
仕事関係の方もいるだろうけど、僕にも回って来るかな~。

2/4・狸谷山不動院

r6をさらに北上し、R9に出て一路京都市内へ。
老の坂峠を越え道なりに市街地に入り、道なりに五条通。
加茂川を渡ってすぐ左折し川端筋を北上。
丸太町通を東に走り、白河通を北上し、11:08「狸谷山不動院」へ。

20180204TanukiS0093s.jpg ここのPは斜めってるので、停める場所が限定されますが、ちょうど良い場所が空いていました。
Jiさんはトイレが緊急らしく、走って250段の階段を上がっていきました。
Jeさんは足を骨折中らしく階段はパスで、ここで離脱されました。

20180204TanukiS0095s.jpg TGさんと写真を撮りながら、フーフー階段を登ります。
20180204TanukiS0106s.jpg 20180204TanukiS0113s.jpg 境内まで上がり、前回ブルーシートが掛かり中で修行中の方がいるのかと思ったら、昨年の台風により倒れた杉が滝の拝殿を直撃し被害を受けたようで、それを隠しているだけでした。
その横の階段を上がり振り返って見ると、全損の被害でした。

前回授かろうか迷った「交通安全リング守護・500円」を授かりました。
これでロードバイク・モーターサイクル2台のハンドルに下がります。
雪が積もっておりますが、護摩行跡が残っています。

20180204TanukiS0122s.jpg 本殿にお参りして下ります。
バイクに戻り、白川通を北上し、京都国際会館の北を西に走り、12:16「マックさんの家」。
20180204TanukiS0127s.jpg お二人はマック850円(ハンバーグ・イカ・ホタテ・チキン)+セットドリンク250円、僕はハンバーグ850円+セットドリンク250円=1100円を注文しました。
1月に立ち上がったこのクラブの初ツーリングですが、TGさんもJiさんも別のクラブで一緒なので既知の仲、いろんな話であ~だこ~だ。
皆さん、「人数が多すぎるのは・・・」が共通で、僕と同じくツーリングへの参加率が落ちていたようです。

京都がホームのJiさんによると、このお店はクルマ好きの方が集まる店だったようで昔から来ていたそうです。
20180204TanukiS0128s.jpg 入口店内にはレーシングバイクが2台も展示されており、オーナーさんもバイク好きのようです。

Jiさんに自治会の用事が舞い込み、ここで離脱です。
2台で上賀茂神社に向かいます。
r103を走り、13:56着。
20180204TanukiS0139s.jpg バイク置き場がよくわかりませんでしたが、やっとわかり駐輪。

20180204TanukiS0133s.jpg 神馬舎にいつものように白馬がいました。
朝晩は何処にいるのだろう?
京都市内の大学の馬術部に居候しているのかな?
神馬だから1頭だけかな?

20180204TanukiS0137s.jpg いつもながら見事な盛砂が目に入ります。
20180204TanukiS0141s.jpg 玉依姫命を祀る片山御子神社には、相変わらずハート型の絵馬が沢山。
謂れ板を読んでいる間にも数人の女性が下げて行かれました。

『延喜式内の古社。延喜式には「片山御子神社」と載っている。賀茂主族の祭祀を握っておられた最高女性で、本宮祭神・別雷神を感得せられた神で、常にお側で仕えておられた。よって現在でも祭礼の折には、まず当社に祭りを行う。
古来第一摂社と崇められている。皇室のご崇敬も篤く、本宮への行幸時は、当社へも奉幣あらせられる。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛える瓶が3つあったが、天正年中汚穢の禍を怖れ地下に埋没した』

20180204TanukiS0145s.jpg 本殿に参り、「安産守護」と「交通安全ステッカー」を授かった。
我が家の仏壇に置くのと、リアボックスに貼りましょう。
正面に戻り、カフェに入ります。
TGさんは抹茶セット、僕は「ぜんざい」をいただきました。
ここでもあ~だこ~だ。
人数が少ないから、いろいろ深く話せていいです。
縁結びの「片山社」で絵馬を下げに来られた女性が同年代だったとか、面白かった。

帰路に着きます。
僕はエキスポ・シティーに行くのですが、TGさんは吹田在住で通り道だそうでご一緒しました。
北大路通~西大路通~R171を走り、茨木まで戻り万博外周道路に入り、エキスポシティーPの所で別れました。

1週間前に家内と来たばかりですが、HOLISTERのお店に入ります。
HOLISTERは、世界じゅうを仕事で飛び回っている長男のお嫁さんが、アメリカに行った時気に入って買ってきてくれるアメリカン・カジュアル・ブランドです。
アメリカのHOLISTERのお店は、店員さんがイケメン・美人ぞろいだそうです。

先週来た時、偶然見つけて入りました。
家内が「これどう思う?アメリカに行った時、お嫁さんがこんなの着てたでしょ」とニット・ワンピースを手にとっていました。
「買ったら」と言ったのですが、「でもいい」と買わずに帰りました。

バレンタインデーのプレゼントにしようと買いに来ました。
日本は、女性から意中の男性にチョコレートを贈り気持ちを伝える行事として定着しましたが、本家ヨーロッパでは男性が女性に花を贈ったり愛を伝える行事です。
僕は本家式に、毎年ではありませんが家内にプレゼントします。

日本って、中国から儒教を輸入しても、目上に絶対服従的にそのまま取り入れた朝鮮とは違い、ゆるく取り入れました。
仏教だって、修行して悟りを開く本来の姿から離れ、葬式を一手に引き受け定着しました。
いいとこ取り、それまでの日本式のものと住み分けするように加工して取り入れます。
素晴らしいなと思います。
やはり日本古来の自然崇拝・神道が、八百万の神で共存姿勢なので、一神教的思考「我が唯一、他は邪道」とは大きく違うからでしょう。

店員さんに家内のデータ「身長・体重」を伝え、サイズを選んでもらいます。
日頃のサイズより1つ小さめが良いようで、XSを選んでくれました。
1週間前より2割引きになっておりお得しました。

中央縦貫道~R171で一気に帰宅しました。
バイクを片付け、家内に見つからないように元長男の部屋に隠しました。
家内は一度も外出しなかったようです。
次の月曜日・建国記念日もグループツーリングに出ようと思うので、次の日曜日は家内と一緒にいなきゃ。

2/4・新屋坐天照御魂神社~麒麟山真龍寺

バイクに戻り、r110を北に少し走りと、8:05「新屋神社」の石柱が見えた。
ナビを拡大すると寺社が表示されるので、それを頼りにやってきました。
県道東に石鳥居があり、参道が西に向かっており、県道は参道を分断している形です。

『新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたま) 日降山の中腹にあり、平安時代・延喜5年(905)醍醐天皇の命により編纂された「延喜式」の神名帳に記されている式内社。「名神大」と記載され、名神を祀る社として知られている。
祭神は天照皇大神・天照国照彦火明命・天津彦火邇邇杵尊。
現在の社殿は、天保12年(1841)改築されたもの。戦国時代、茨木城主・中川清秀の信仰厚く、死後に妻が長男のために祈願を込め社殿を造営したことが棟札に記されている。社宝には清秀の寄付と伝わる刀がある。
参道は旧亀岡街道から老松が茂り、見事な並木参道を経て社殿に至る様子は、式内社の風格をそなえている。なお市内には、このほか西河原・宿久庄にも「新屋坐天照御魂神社」がある』

「これは大きそうだぞ」と期待しながら西に入っていきます。
『摂津国屈指の歴史と社格を有する神社で、10代垂仁天皇の御代、天照御魂大神がこの福井の西の丘山(日降ヶ丘)に降臨され、物部氏の祖・伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉賛したのが創祀とされ、2100年の歴史を有する。
14代仲哀天皇の御代、神功皇后が三韓を征するに当たり、新屋の川原にて禊と戦勝祈願され、凱旋後、天照御魂大神の荒魂・幸魂を西の川上と東の川下の辺りに祭祀られた(上河原社・西河原社)貞観元年(859)従四位下、天慶3年(940)正四位上の神位を授かり、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家重要祭事に預かった。
創建時より朝廷との結びつきが強く、26代継体天王の御代、初めて奉幣使が遣わされて以来、90代亀山天皇の御代まで、219回遣わされるなど、神祇官直支配の菅幣大社として永く国家平安・五穀豊熟を祈願してきた。
この間、皇極3年(644)には中富鎌子連(藤原鎌足)が神祇伯に任ぜられ、奉幣使として参詣されるなど、平安時代まで朝野の篤い崇敬が寄せられ社頭大いに隆盛を誇ったが、鎌倉時代に至り、嶋下郡の惣社と定められるも武家による諸規則の制定・強化・社領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永7年2月(1527)細川家の内紛(大永の乱)の兵火に遭い神殿・神宝・神器悉く灰塵
に帰した。
天正12年(1584)中川清秀が社殿を再建し、現在の基礎を構築された。清秀は当社の氏子・中河原の人で、功により茨木城主となった。
明治5年郷社に列す。本殿の外、摂社として出雲社・須賀社2社と6社神社など9社の末社を境内に祀る』

20180204TanukiS0023s.jpg 神明式石鳥居をくぐり石段を登っていくと境内。
中央に拝殿があり、弁天池がある。
池の奥に稲荷神社と道祖大神。
「出雲大社遥拝所」もあった。
20180204TanukiS0043s.jpg 横には「出雲社」。

出雲族の影響を感じる。
出雲は当たり前ですが、京都北部から亀岡にも出雲族の南下の歴史を語る謂れ板や、想像させる神を祀る神社の割合が多い。
大和系・出雲系という大勢力の存在を神話で融合し、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」日本民族の精神を感じる。
吉備族とは「桃太郎」伝説に伝わる大戦争があったことを想像させるものがあるが、出雲とは大国主命の息子が力自慢で負け諏訪大社に逃げていった神話のみで、せいぜい小競り合いだったことを想像させる。

拝殿裏に回ると、本殿前に参るところがあり、ここで今年生まれる予定の4人目の孫の無事の出産を願う。
20180204TanukiS0047s.jpg 賽銭箱後ろに棚があり、上に「延寿豆」が置いてあった。
『延寿豆 必要なだけ袋に入れてお持ち帰り下さい。 社務所』
ありがたくいただく。

本殿の屋根を見上げたら、垂直斬りの千木に、鰹木が5本だった。
主祭神・天照大神なので、水平斬り・偶数本を想像していたが、他の祭神が孫2人の男神なのでそちらが勝ったのか?
摂社に「須賀社」もあった。
須賀社は牛頭天王・素盞嗚命を祀る祇園信仰の宮です。
20180204TanukiS0051s.jpg 本殿内部は見れなかったが、ここも先程の「出雲社」も御簾が下がり格調高く感じる。
双方が出雲系神を祀るからなのか、本殿内部も見てみたかった。

社務所はコンクリート造りの立派な建物で、多くの信仰を集めているのがわかる。
南向きに「住吉神社遥拝所」があった。
こちらは宗像三神を祀っており、海上交通を司る。

20180204TanukiS0056s.jpg 「神武天皇遥拝所」もあった。
東向きには「太神宮遥拝」と彫られた石碑の立つ天照大神を祀る伊勢神宮遥拝所があった。
「歴代皇霊・今上天皇遙拝所」まであった。
子孫繁栄を願って、全てに遥拝した。
予定外の寄り道だったが、なかなか面白かった。

更に少しr110を北上し、8:27「麒麟山真龍寺」。
麒麟の山号は珍しいのはないかな?
20180204TanukiS0065s.jpg 直接境内すぐ下までバイク出来たが、南に参道が長く下がっており、かつては大きな境内地を誇っていたのかもしれない。

上田徳三翁寿像が立っていた。
誰かな?
地元に貢献された方なのだろう。
謂れが書かれていないのでわからない。
境内に上がると鐘楼があり、風格のある寺院でしたが、これと言った目を引くものはありませんでした。

ツーリングの集合場所に向かいます。
8:41「ローソン茨木南安威1丁目店」
20180204TanukiS0091s.jpg リーダーさんのPCXの他に、CBR400Rが停まっている。
リーダーさんと僕だけだったのに、ドタ参の方がいるようです。
ローソンからお二人が出て来られました。
リーダーTGさんとJeさんでした。
JeさんのCBRはおニュータイヤだそうで、途中までご一緒するそうです。

TGさんは、朝r46で亀岡まで走り路面状態を確認したそうで、3台でr46を北上します。
安威川に沿う道で、道に砂が落ちているのか白いなあと思っていたら採石場がいくつも沿線にありました。
r43と合流する地点までは初めての道でした。
r733と合流し、最高地点の標高300mを越え、亀岡側に下ります。

r6に乗り換え、9:28「鍬山神社」との分岐を越えた所にあった「サークルK」に入ります。
ここでJiさんと合流。
20180204TanukiS0092s.jpg Jiさんが買い替えたバイクを初めて見ました。
ヤマハの逆輸入車600cc?で南アフリカ・ヤマハ製だそうです。
ヤマハは逆輸入車が多いですね。
ホイールがブルーで、バーエンドも同色でオシャレです。
エンジン音は、4気筒だけどヤマハらしくR1に似た音でした。
マフラーの影響もあるのでしょうが、メーカーの音ってありますよね。

JeさんのCBRにまたがらせてもらいました。
セパレートハンドルだけどアップにセットされており、ハンドルも近く前傾が僕のCB400SBより少なく楽です。
CBR400Rは2気筒です。
僕のCB400SBは4気筒なので、やはり2気筒のドコドコ音でした。

2/4・大織冠神社

先月新たに加入したツーリングクラブの初めてのツーリング日です。
茨木のコンビニに集合し、2週間前に行ったばかりの京都・狸谷山不動院~カフェで昼食~上賀茂神社で解散と言うコースです。
このクラブを立ち上げた方は、原付二種クラブで一緒になった方で、一時そのクラブのリーダーもされていました。

当初このクラブのツーリングに参加していましたが、参加者が増え大盛況となったのはいいのですが、20~30台というツーリングになり、5台ぐらいが理想の僕としては参加しにくくなりました。
直近の予定が決まる1週間ぐらい前に参加表明したい僕ですが、すぐ定員満員になり残念を繰り返していました。

そのクラブから派生した高速道路が走れる2つのバイクのクラブにも参加しましたが、同じ状態になったのと、僕には休憩が少なく疲れるようになりました。
またクルージング・スピードが速く、怖くて遅れます。
遅れて最後尾を一人旅になっても、ナビで次の集合場所では追いつくから良いのですが、遅い僕に気を使ってくれているのに恐縮し、迷惑になるから参加をためらうようになりました。

「交通法規遵守でゆっくりスピード」「追い越しやすり抜けしない」「派手な装飾や大音響を発するNG」「改造車や自作車・整備不良車NG」というクラブ設立趣旨に賛同できるのと、リーダーさんの雰囲気が良いので参加しました。

4時過ぎに目覚め、ごそごそしながら窓の外が明るくなるのを待ちました。
最も夜明けの遅いお正月頃よりは早くなったけど、まだ6時を過ぎないと明るくなりませんね。
階下に降り、トーストを2枚食べ、バイク装束に着替えました。
いつものコミネ・ウインタージャケット&パンツです。
バイク用は、真冬でも暖かくツーリングに出れるのでありがたい。

当初、「招き猫CB400SB」で行く予定でしたが、北摂の峠を超えて亀岡まで行くということなので、凍結してたら危ないと思い「通勤リード110」でいくことにしました。
用意して、6:15過ぎに家を出ます。
R171を東に進み、茨木市に入りr110を北上します。

枝道に入り迷わず、7:52「大織冠神社(将軍塚古墳)」。
ここにある安威山山頂が、大織冠・中臣鎌足が葬られた場所です。
時代が飛鳥から奈良に変わる頃、定慧上人がここから明日香の西峰・多武峰に改葬しています。
現在の多武峰神社で、中臣鎌足と中大兄皇子が成したクーデター「大化の改新」計画を練った場所としても名高い。

まあ、昭和初期に「阿武山古墳」が発見され、現在は最初の埋葬先はここから少し東の阿武山山頂ということになっている。
僕は加賀百万石を気付いた前田家同様、美作菅家党の末です。
美作菅家党の祖・三穂太郎は、その頭を埋葬した地に建つ「三穂神社」の社伝によると、菅原道真の末で、美作守として京から下り、武装集団を作り長く美作で大きな勢力を誇りました。
その母親は藤原氏から輿入れした女なので、母方の本家から江戸~明治時代に出た当主は、大織冠の末と呼ばれていました。

ここの訪問は、僕のルーツ訪問でもあります。
多武峰神社には参ったので、あと阿武山古墳を訪問すればコンプリートです。

住宅地の道路のどん詰まりに入口がありました。
山に向かう石段にかかる鳥居がありそれと分かりましたが、守護や木札を授かれるのか甚だ疑問です。
20180204TanukiS0001s.jpg 三穂神社のようにセルフで授かればと期待しながら石段を登ります。

20180204TanukiS0002s.jpg 登った先にあったのは、いきなり古墳でした。
ここは山頂で、社殿らしきものはありません。
20180204TanukiS0005s.jpg よって木札は幻になりました。
我家の庭に勧請した三穂神社の祠に入れたかったんだけど・・・

『将軍塚 平安中期頃から藤原鎌足公の墓所は「初め摂津・安威にあったが、後に大和多武峰に改装された」との説があり、江戸時代になりこの塚を当てるようになった。そのため鳥居を建て、石碑を造り、石室内に祠を作って崇拝し、毎年10/16には京都・九条家から使者が来て、反物2千匹を持参しお祭りされていた。
考古学上は、山頂を利用してつくられた円墳で、南向きの横穴式石室を有するものである。石室は、羨道が玄室の片方によった片袖式で、丸みのある花崗岩を積み上げている。玄室の長さ4.5m・幅1.71m・高さ2.4mで、5枚の天井石が載せられている。
造られた時期は、古墳時代後期(6世紀後半)であるが、早くから開口されたので副葬品については何も分かっていない』

横にトタンの休憩所がある。
古墳は木枠扉があり、その前に鉄柵があり入れません。
目を凝らして中を見るが、懐中電灯で照らさないと何も見えません。

20180204TanukiS0012s.jpg この古墳を一周する道があるので入ってみると、山頂古墳の西側にもう一つ古墳がありました。
『将軍山古墳 昭和31年3月に、後円部が発掘調査されたが、その後宅地造成のため破壊され、昭和39年4月に再調査された。
この古墳は、もと山丘の頂上を利用した全長107m・後円部径70m・前方部端の幅44mの古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳であった。三段に築かれた封土の周囲を葺石で覆い、円筒埴輪を並べ、後円部中央にはこの付近に産しない結晶片岩を用いて竪穴石室を造っていた。石室には12枚の天井石が載せられ、U字型の粘土棺床が造られていた。
この石室を移築したのが、現在のこの石室である。実際の石材を用い、元通り竪穴式石室に造ってあるので構造を知る上で参考になる。早く盗掘に遭ったので、副葬品は硬玉製勾玉・ガラス製小玉・銅鏃・鉄鏃・鉄剣のみであった』

20180204TanukiS0017s.jpg 鉄柵で囲まれて内部には入れないが、外観でどのような構造なのか想像できた。
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