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12/17・神戸港クリスマスツリー&ルミナリエ

16:30に会場の下のマクドナルドで待ち合わせなので、行きましょう。
16時解散で、役員さんは後片付けがあると言ってたから30分余裕を持ちました。
どちらが早くてもマックで待つ。

お店の前に着くと、家内が道路で待っていました。
「もう終わったの?待った?」「うん30分ほど」
「後片付けは?」「なかった、私以外の役員さんはみんな京都に行っちゃったの」。
「いや~御免、遅れちゃったな。これを着て」とリアボックスからオーバーパンツを出すと、「これ嫌~かっこ悪いもん。これだけでいい」。
「着いたら脱げばいいじゃん。寒いよ」・・・
「嫌~」、家内は朝自分で入れていた黒の厚手のスラックスを持ってビルのトイレに入って行きました。
僕は華奢な女の子が、大きめサイズの服にくるまってる姿が可愛いと思うんだけど・・・。

フラワーロードを海に向かって南下します。
ルミナリエ会場の東遊園地公園前は一部の車線が安全マージンで封鎖され歩道を広げているようです。
テキ屋が沢山お店を出している模様ですが、ルミナリエの電飾は見えません。

16:51メリケン波止場「ホテルオークラ」前の駐車場にバイクを入れます。
世界一のクリスマスツリーを観に行くことにしますが、「ホテルのトイレに行きたい」と言うので、ホテルに入りました。
ホテルでなくても多くの人が集まるメリケン波止場なのだからトイレはあるはずだけど・・・

ロビー前のトイレを拝借し、家内を待つ間ロビーの海側窓から外を見るとツリーが見えました。
まだ日は暮れていないけど、電飾してないぞ・・・。
ロビー内のツリーの方が綺麗です。
カワサキワールドの特徴ある格子三角屋根が白く光り綺麗です。

家内をエスコートし、甥の結婚式の時知った波止場に出る裏口を目指します。
階段で2ロビー下に下り、ヘルスクラブ横のドアから波止場に出ます。
受付の方から「行ってらっしゃいませ」と声がかかりました。

外のホテルのフリースペースもクリスマス電飾されており、これまた綺麗です。
「Terrace Garden」と命名されていました。
西の空がまだほんのり明るいが、カワサキワールド・ポートタワー・モザイクの観覧車の光が綺麗です。
「JAPAN COAST GUARD」の船が数隻基地に停泊しています。

軽四屋台が並んで出店しています。
17:12「金久右衛門」というラーメン屋台で「しじみゴールド800円」を注文しました。
お隣のフランクフルトの屋台は行列なのにここはゼロです。
「美味しくないのかも?」と家内は言うが、「食べログ3年連続大阪1位、東京ラーメンショー第2幕1位、大阪ラーメン覇王決定戦2位、魔法のレストラン出演、メディア露出多数」の垂れ幕が下がっていたし、ラーメンなのに破格の800円だから美味しいのでしょう。

横のベンチに座って食べました。
僕らが待っているのが呼び水になったのか、お客さんが並びだしました。
相席になった4人家族さんに声を掛けました。
「可愛いね、僕は3才で下の子は0才かな?」「惜しい、4才と1才です」
「じゃあうちの孫と同じだ。ちょっと小さいから1才下だと思った」「2人共4才と1才になったばかりですので」。

お父さんがフーフーしながら「熱いよ、ゆっくり食べて」と息子くんに食べさせています。
奥さんも優しそうで社交的で感じの良い家族です。
こういう両親の元に生まれたら幸せな人生になるね。

17:30から、ツリーがライトアップされました。
対岸の天然温泉と結婚式場の光も綺麗です。
ポテト・カレーライス・喫茶・・・いろんな軽四屋台が出ています。

ツリーに近づくと、多くのお客さんがカメラを向けています。
電飾が枝に掛けられるのではなく、地上からLEDライトが当てられ、浮き上がります。
LEDの光量が変わり、色が変わるので、ツリーもいろんな姿を見せます。

バイクに戻ろうと山の方に歩き出すと、神戸市と碇のマークが山に電飾されているのが見えました。
バイクに戻り精算「神戸中突堤駐車施設」100円。
おじさんに渡すと、「ほんまは入る時に払ってもらうんだけどね」だって。
嫌味を言われたから、「入る時止まったのに、窓を開けてくれなかったよ」と言い返しました。

17:55南京町界隈に停めました。
ルミナリエが元町大丸から東行一方通行だと調べていたので北に上がっていくとセンター街に出たので西に歩いて、全品3900円のバッグ屋さんがあり、「買っていったら」と家内に勧め、店内を物色するが「あるから良い」とのことでした。

更にウインドーショッピングしながら歩いて行くと、「なんだか変だな~」という気持ちになりました。
逆に歩いたと思い、南下してバイクを停めた道に出て、その道を東に歩いていく。
バイクの前を通り更に歩いていくと、群衆の波が見えてきた。
ルミナリエ入口の鮮やかな電飾が見えた。

テディーベアのお店があったのに入ってみる。
年末にやってくる孫のすみれちゃんへのプレゼントにいいかも・・・
イマイチ気にいるのがなかったようで、夜見たら怖そうな洋風美少女人形の目を見たら怖くなって退出。

交通整理のガードマンさんや警官が、ルミナリエへの道を案内している。
その流れに乗ると大群衆の中に入ってしまった。
流れに乗っていれば行けると安心していると、流れが止まった。
先は大渋滞中のようです。
ルミナリエは一方通行なので、入ってしまったらもう引き返せない。
あまりの人の多さに恐れをなして退却することにしました。

中華街の大混雑内を歩き、18:40頃バイクに戻りました。
家内を乗せ、JR元町駅で降ろし、帰路に着きます。
R43~R171でJR伊丹駅へ。

そこで家内に電話すると「バスに乗ってる。もうすぐ家」とのこと。
「あ~負けた」
帰宅し、バイク置き場にバイクを戻そうとしていると、家内から「おかえり~」。

帰宅し荷物を片付けたら20:00でした。
「楽しみな番組が始まるよ、今日が最終回だよ」とTVを点けてくれました。
「大河ドラマ女城主直虎」です。
やっと井伊直政が活躍し始めたところなのに直虎が亡くなり終わってしまいました。
武田から引き継いた赤備えの直政軍の活躍を見たかったな。
風呂に入りおやすみ~。
楽しい1日でした。
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1/28・大失敗の言葉「あ~めんどくさい」

初めてエキスポシティーに家内と行き、帰宅後しばらくして家内がコンビニに行くという。
スーパーの方が安いし、いろんな買い物ができていいと思い、車で送っていくことにした。
僕としては親切にしたつもりだったし、休日の午後、家にいるときのパターンでもあったし・・・。

でも、ここでアクシデントがありました。
家内の心を傷つけちゃったようで、なんだかいつもの家内と少し違います。
あ~どうすればいいの・・・時が解決してくれるのを待つしかないようです。

スーパーに入り、いつものように僕がカートを動かし、家内の金魚のフンのようについていく。
買い物かごが1/2埋まった頃、家内がコートの深いポケットから1万円札とメモを出しました。
「買い物忘れないかな~」。

「おかき買ったら~」と言われ、ぼんち揚・横綱など2人で物色して、横綱を買い物かごに入れ、お豆腐コーナーに行き、最後のヨーグルトコーナーに向かう時・・・
「あれ?ない、1万円がない」とポケットの中を探し始めました。
「かごに入ってない?」と聞くので、2人で探しましたが「ない」。

「落としちゃったみたい」と来た通路を戻り、おかきコーナーの商品棚を探しますがありません。
「私は、何やってるんだろう~」としょげています。
「そういうこともあるよ。お金はあるから買い物を続けよう。誰かが拾って届けてくれているかもしれないし」。
「お財布ならそうだけど、むき出しの現金だもの・・・あ~」。

落胆してる家内から主導権を取り、ヨーグルトコーナーでいつものプレーン450g×5を買い物かごに入れ、「これで終わりでいい?」とレジに向かいました。
インフォメーションコーナーで家内が立ち止まり、「ここで言うわ」。
でも担当の店員さんがいません。

近くのレジのお姉さんが、お客様が切れ暇そうなので、「あの人に言えば」・・・
近くで男性店員さんが、商品出ししてたので「あの方に伝えればいいよ」とアドバイスしましたが、小さな声で「でもここで言わなくちゃ」と言い待っています。

「このコーナー専業に人なんていないよ。店員さんなら誰だって出来るんだから・・・」
「でも・・・」
担当者が戻って来ましたが、お客様と一緒に戻ってきて、その方と何やらやってる。
それが長く僕はイライラしてきました。
「普通なら拾って届けるでしょう・・・」と小さな声ながらなんか言ってる。
「でも、大声で「1万円落とした人いませんか~」なんて言わないよ。お店に届けるから、落とした人は「落としました」と届け出なきゃ」と諭すと、「もう諦める」とまた小声で・・・

「あ~、めんどくさい」と僕は言い、「もう僕がやるから」と家内から主導権を取り、男性店員さんの方に行きました。
ところが、店員さんは棚出しを終え、バックヤードに消えていきました。

レジのお姉さんに伝えに行こうと振り返ると、家内が涙を流しながら泣いています。
「えっ」と思ったけど、これはストライキのサインなので、無視してレジに向かいます。
ちょうどインフォメーションの店員さんの仕事が終わったようで、お姉さんに「すいません、1万円落としちゃったみたいなんです。もし出てきたら連絡ください」と言うと、「先程お客様から落とし物の1万円を預かりました。どんな1万円でしたか?」と聞かれたので、「ポストイットがくっついて
いるかもしれません。家内が買い物の品をメモしていました」
「豆腐と何を書いた?」と家内を振り返ると、涙を流しながら小さな声で「・・・」。

「では、これに間違いないようです」と棚の下からビニールに入った1万円札を出されました。
ポストイットメモがくっついています。
「こちらにサインを・・・」ということで、住所・名前・電話番号を書きました。
戻ってきた1万円札とメモを家内に渡し、「あの~御礼を言うことは出来ますか?」と言うと「はい、お伝えします」とのこと。

レジで会計を済ませていると、「お客様」と店頭の方が来られ、拾っていただいた方の名前と電話番号が書かれたメモを渡してくれました。
それを家内に渡します。

家内は学生の頃から両親の経営する会社の仕事を手伝っており、その仕事ぶりは大したものでした。
娘2人で、姉は既に嫁いでいたから将来の経営者として従業員さん達ともコミュニケーションを密にして、素晴らしい働きぶりでした。
僕は従業員さんから「嫁いじゃうのが残念です。でもここのお嬢さんは素晴らしいですよ。大切にしてくださいね」と言われました。

我が家に嫁いできて転職しましたが、仕事ぶりは素晴らしく、いまやトップです。
取引先と良い関係を作り、取引先の若手社員から相談されたり、部下のミスがあっても綺麗に解決する有能な人材です。
でも、休日のオフの時は僕がいるからか、すごく甘えちゃう時やストライキを起こす事があります。
子供たちがいればそんな面は見せませんが、僕と2人の時はこうなります。

「良かったじゃん、日本人は凄いね。僕らもそうするけど、拾って届けてくれるのが日本人だよ」と、機嫌を直してもらおうと笑顔で家内を覗きこんでも、「うん」と小さく言うだけです。

車に乗り、「僕が「あ~めんどうくさい」と言ったのは、・・ちゃん(家内)に対して言ったんじゃないよ。・・ちゃんの行動を待ってる僕に対して言った言葉だよ」と優しく言っても、うつむいて「うん」と言うだけ。
僕がいなければ、もっと積極的に行動していたはずです。
僕がいたから甘えるのと、かっこ悪い自分を僕に見せてしまった後悔もあるのでしょう。

「ミスなんて誰でもあるじゃん。僕の方がいっぱいミスしてるし、・・ちゃんに助けてもらったことの方がずっと多いよ」と慰めてもご機嫌斜めのままです。
帰宅して、「電話できる?僕からしようか?」「うん」と僕にメモを渡します。
電話してしっかり御礼を伝えました。
「良かったですね。私も落とし物するからお互い様です。私も気をつけようと思います。わざわざ連絡いただきありがとうございました」と素晴らしい応対の方でした。

TVを見ていると、「バンキシャ」というニュース番組が始まり、成人式を大混乱させた「はれのひ」の社長会見や、緊急事態に被害者の成人にナイスな手助けした庶民の良い話を流していました。
2回成人式を行った自治会・緊急着付けした美容師さん・ボランティアからの着物を無料着付けした方々・・・いろんな事をニュースから知りました。
素晴らしいよね、日本人。

家内はダイニングでしょげたままなので、「面白いよ」とお笑い番組に誘ったりしましたが、顔色はイマイチ改善しません。
寝るときには、「もう私スーパーには行かない」とまで言い出し、「そんな極端なのはダメだよ~」となだめてお休みしました。

大好きな仕事でいろんな方と相対し、自然に癒やされるのを待つ他ないです。
今日で2日、少しマシになったけどまだリハビリ半ばです。

「あ~、めんどくさい」・・・たぶん僕のこの言葉を聞いてから泣き出したんだと思う。
僕が切り捨てたと感じたんじゃないかな~。

9月にアメリカに行った時、家内が自分のメガネを踏んじゃった時、長男が「スーパーのメガネ屋に行って直してもらおう」って、すぐ長男主導で行動しました。
お嫁さんが1週間ほど前に、車でオカマ掘っちゃった時、長男は海外出張中でしたが、「僕が処理するから大丈夫だから任せて」と言ったそうで、滞在中何度か保険屋さんと電話で処理していました。
お嫁さんが、そんな長男を「頼もしいな」って目で見ていました。

僕も仕事では責任者してるので、全てのことは僕が引き受けて処理しますが、なまじっか出来る家内なのでプライドを気にして、事後処理をすぐに引き取りませんでした。
「あ~めんどくさい」なんて言わず、長男のように最初から事後を引き取ればよかった。

家内にはかわいそうなことをしました。
女性なんだから、男が辛いことは引き受けなきゃ、男の値打ちがありません。
大反省です。
それにしても日本人は素晴らしい。
この国に生まれて、僕はとてもラッキーです。

12/17・神戸山の手・寺社巡り

会場は、阪急神戸三宮駅北東の交差点角にあります。
12:00車を停め、家内がヘルプ1人の電話を掛けます。
車からケーキなどを降ろしていると社員さんが降りてきて、家内と一緒に上がっていきました。

お役目終了で、R43~R171で13時過ぎ帰宅。
すぐに乗り換えて出る予定でしたが、お昼ごはんを食べ、オーバーパンツなどに着替え、寒くないよう家内の装束を用意していたら、YTV「そこまで言って委員会」が始まり見入ってしまいました。

観に行きたかった「甲子園ボウル」の中継をやってないかチャンネルを変えてみましたがやってないので諦め、通勤リード110に乗り出発しました。
R171~山手幹線で神戸へ。
20171217KobeS017ss.jpg 15:26「神戸栄光教会」「兵庫県公館」。
20171217KobeS009s.jpg 公館は県の迎賓館です。
庭には入れましたが、資料館などは日曜お休みで拝観できませんでした。

『フランス・ルネサンス様式の建物 明治期の文化遺産である兵庫県南庁舎(明治35年兵庫県本庁舎として完成)を改築保存したもので、迎賓館部門と県政資料館部門の機能を備えている』

15:42「祥福寺」。
麓の東福寺目当てに来ましたが、立派な多宝塔が見えたので寄り道。
臨済宗の寺院で、「只今坐禅中につき、境内の散策を固くお断りいたします」となっていた。
山門から階段を上がり、本堂境内に入らず中門前から写真を少々・・・。
江戸時代創建の比較的新しい寺院で、幕府の人身把握の最前線機関でもあった時代なので羽振りが良かったのか、建物が立派で江戸の雰囲気が残っています。
高台にあるので、海が見えます。

帰路、東福寺(当時:上迦寺)へ。
小学生の男の子2人がキックボードとスケートボードで遊んでいます。
平清盛が隠居後近くに住み寄進したので、当時は立派な伽藍が並んでいたのでしょうが、今は祥福寺に見下され、洒落た一般住宅という感じに見える。

境内に「人生終焉安住の地」と刻まれた石碑が立ち、共同墓を連想させるものが建っていた。
シンパク(槇柏)の大木だけが当時の隆盛を知っているのかも・・・。

20171217KobeS038s.jpg 15:54「祇園神社」。
『毎年7/13~20の8日間、多くの市民に親しまれる「祇園まつり(夏祭)」がある。「牛頭天王由来記」によれば、貞観77年(869年)播州広峰神社から京都八坂神社へ「牛頭天王」(スサノオノミコト)の分霊をうつす途中、その神興がここに1泊したといわれている。以来、当村にもまつり、今日に至る。
当神社のそばを流れる「天王川」「天王谷」という名称は牛頭天王の名に由来するものである。なお、本殿横の石灯篭は寛文13年(1673)の希少なものである』

『生島四郎 奉献の石灯籠 生島四郎は、奥平野村の乾八左ヱ門の次男として文化2年(1805)に生まれ、24才で松屋(生島家)の養子となり、明治19年81才で没した。神戸村の大庄屋を勤め、地主と酒造業・廻船業などで家業の繁栄を築き豪商として知られていた。幕末、勝海舟と共に神戸港開港、外国人居留地の開拓に尽力し、神戸の歴史に名を馳せた』

帰宅後調べてみると、生島四郎はこの神社の近くに住み、勝海舟は生島邸に寓居しながら神戸海軍操練所に通っていたそうです。
坂本龍馬も操練所時代ここに通っていたのでしょう。
急な階段を上がって境内へ。

『1167年(仁安2年)、平清盛が太政大臣を辞し、病のため出家して、10年以上に亘り居住された地が祇園神社周辺の「平野」です。
その間、大輪田泊の修築、経ヶ島の築造、対宋貿易等の大事業を行いました。
1180年(治承4年)には、わずか6ヶ月の短期間でしたが、都を京都から福原へ遷しました。都が置かれたこの広大壮麗な地は、栄華を誇った平家一門の別邸が点在し、情緒に富んだ街並みだったことが推察されます。
清盛公は、豊かな国造りを目指し、日宋貿易の拠点であった大輪回泊に、波浪を避ける目的の人工島「経ヶ島」を築造する際、祇園神社の裏山にあったとされる潮音山上迦寺(現在は廃寺)で、海潮の響きを聞きながら、その計画を練ったと言い伝えられています。
市街地から港まで一望できる当社の境内から、当時の清盛公と同じ想いに馳せてみては如何でしょう』

先程訪問した東福寺は、この社の裏山にあったのですね。
平家の凋落と運命をともにし、現在はその後起こった祥福寺の後塵を拝しているようです。
東福寺と祥福寺、音が似ているのに当時のこの地の人々の思いを感じます。

20171217KobeS048s.jpg 『祇園神社 御祭神:素養鳴尊(すさのおのみこと)・櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと) 例祭日:6/7 夏祭(祇園まつり):7/13~20
第56代清和天皇の御代・貞観11年(平安時代前期。西暦869)、京の都では、大雨が降り続いて川が氾濫したため疫病がはやり、多くの犠牲者が出ました。この疫病をおさめるため京都の北白川に祇園さんを建てる事になり、姫路市の城北にある広峯神社より素盞嗚尊のご分霊を頂き、京都にお遷ししました。
その時みこしが、この平野の地に一泊され、霊験あらたかなのを仰き、お社を建ててお祀りしたのが始まりと伝えられています。
厄除け・水難除け・疫病除け・商売繁盛・大願成就の神様として信仰されています。
蘇民将来のお守り:邪気退散・疫病除けのこよりのおまもりで、家族数を受けて門戸につるし、1年間の邪気をはらい、家内安全・無病息災を析ります。
ちまきのお守り:ちまきは、古来五巻ずつにまとめて神前に供えられましたが、これを門戸につるして悪病災難除けを祈ります』

広峯神社の牛頭天皇の厄除け御札と同じですね。
この御札が全国に広がり、広峯神社の神職たちが全国に配布していた。
神職であった黒田家秘伝の目薬をその配布網に乗せたので巨額の富と情報が黒田家に集まったと言われている。
その当主・姫路城主・黒田官兵衛は、播磨守護・赤松氏一族・小寺家の家老の地位でありながら、別意見の小寺家に判断を仰がず一存で姫路城を織田信長の山陽方面攻略トップ・羽柴秀吉に献上した。
これが出来たのは、圧倒的な財政力から来る小寺家内トップの軍事力と情報力を黒田が握っていたからです。

20171217KobeS052s.jpg 大関・沢の鶴・月桂冠・福徳長・瀧鯉・菊正宗・マルテン醤油・ヒガシマル醤油・・・いろんな酒樽が奉納されている。
生島四郎が創業した会社もあるのだろうか?

社紋は織田信長と同じ胡瓜紋でした。
本殿(素盞嗚尊・櫛名田姫命夫婦)脇には、皇大社(天照大神)と春日社(天兒屋根命)が祀られていた。
本殿は大きくはないが、蟇股や脇障子の彫刻が見事でした。

『烏原(からすわら)神社 御祭神:第15代応神天皇(別名誉田別尊(ほんだわけのみこと)各地の八幡神社のご祭神で、厄除けの神様として信仰されています。
 市杵織姫命(いちきしまひめのみこと)海上交通守護の神様でしたが、中世以降仏教と習合し、弁財天ともいわれて芸能上達の神様として信仰されています。
 天児屋根命(あめのこやねのみこと)中臣・藤原氏の祖神とされ、春日大社などにまつられています。 稲荷大神(いなりのおおかみ)衣服・食物を司り、商売繁盛の神様としても信仰されています。 例祭日:11/15
古く、石井川の上流の山田村(現在の北区)に通じる道沿いにあった烏原村に創建されましたが、この村は、明治38年5月、神戸市民の上水道建設のために新しく完成した貯水ダム(烏原水源池)の底に沈みました。この工事に伴い、明治31年末までに立ち退きを迫られた98戸・414人の住民たちは、主にその山麓の東・平野から西・水室町にかけて移転し、烏原神社も水室町に移りました。
その後、昭和20年3月の神戸大空襲で本殿・社務所等建物はすべて焼失し、さらに平成7年1月の阪神淡路大震災で、鳥居・燈寵など石造物もすべて倒壊しました。
震災後10年を機に関係者相談を重ね、平成18年6月7日、ご縁あるこの祇園神社の境内にお遷しし、以後この神社でお祀りして行く事になりました』

20171217KobeS064s.jpg ここも神戸の街を見下ろす位置にあり、ビル群越しに海が見えます。
西に目を移せば、鵯越方面の緑の低山が見えます。

12/17・西宮山の手・甲陽園「ツマガリ」

家内が、神戸にアンサンブルを楽しみに行く日です。
東京芸大でのピアノと声楽のアンサンブルだそうです。
同業者の関西女性部会リーダーさんが以前知り合ったコンビを神戸に招待して、みんなでクリスマス&忘年会企画として演奏してもらうそうです。
神戸駅前のお店を借り切ったそうです。

家内は県の部会長なので、事前連絡や会場設営などの仕事があります。
数日前、役員の当日の仕事内容の連絡がありました。
色んな仕事がありますが、その中の1つに「コンサート後皆さんで食べるケーキを用意する」というものがありました。
ケーキ屋さんは、講師として話を聞いたことがある社長&パティシエさんが経営している「ツマガリ」です。

これを見て、家内が「香櫨園だから、私に回ってくるよね。どうして行くんだったっけ?」と僕に聞いてきました。
津曲さんの話は僕も家内も仕事関係で別々に聞いたことがあります。
話がソフトで楽しく、休憩時間にツマガリのケーキが出るし、お土産にツマガリのビスケットももらえるので、いろんな業界に講師として引っ張りだこのようです。

そんな関係で、香櫨園界隈をハイキング散策した時お店に寄ったことがあります。
それを思い出そうとしたようですが、極度の方向音痴の上に僕にくっついて行っただけだから行けるはずがありません。

「神戸に集合する前に、車で僕らが受け取りに行けばいいじゃん。車で神戸まで運ぶよ」。
いっぺんに家内の顔が明るくなり、「そう、ありがとう」「だって、数人で神戸から香櫨園に出て、40個のケーキを電車で運ぶなんて大変じゃない」。
「神戸に集合せず、私が主人と車で取りに行く」とリーダーに伝えといたらいいよと家内に伝え、僕の母校アメリカンフットボール部の甲子園ボウル観戦はキャンセルとなりました。

「せっかくの休みだから、どこかに行こうと思ってたんじゃないの?行き方さえ教えてくれたら私はいいよ」と家内は言っていましたが、こんな点数稼ぎのチャンスを逃すとダメでしょう。
それに「今困っているかも?」と家内の顔を想像したら、楽しめません。
日頃食事や掃除・洗濯など僕の快適な生活全般の全てを提供してくれているので、少しでも返しておかなくちゃ。

タイムスケジュールは、11時にケーキ出来上がり~13:00会場集合~13:30コンサート開始~15:00終了茶話会~16:00お開き~役員は演奏者2人と京都のホテルへ~夕食~21:00京都解散です。
リーダーは京都の方なので、2人に京都のホテルを取ったようで、月曜日は京都観光案内でもするのでしょう。
人付き合いのとても好きな方だそうです。

家内は、21時に京都で解散なんて遅いし~なんて言っています。
「じゃあ、サボればいいじゃん。神戸港の世界一のクリスマスツリーやルミナリエを観に行く?と誘うと、「行く~」と即答しニッコニコです。
こんな少女みたいなところが好きです。
この子良いわ~。

ケーキを車で運んだ後、帰宅して通勤リード110に乗り換え、平清盛所以の神戸史跡を巡り、16:30に家内をピックアップすることに決めました。
当日朝が開けると、寒いけど上天気でした。
朝ごはんを食べ着替え、8時から活動開始です。

町内会の年末大掃除の日です。
各家庭は家の周りの溝などを掃除します。
園芸部は町内会花壇周辺、廃寺周辺掃除も定期的に回ってきますが、我が家は今年どちらにも入っていません。

家内は別の場所の草刈りに行きます。
そっちの仕事はちょっとなので、僕は自宅周りです。
リョービ電動刈払機で垣根を刈ります。
延長コードを2連結し、サツキを整えます。
道路に落ちた枝葉を竹箒で履いて全て側溝に落とします。
小ぶり熊手箒で側溝内の枝葉を数ヶ所に集め、手作業でゴミ袋へ。
掃除をするご近所さんと適当に話します。
今年も柚子が豊作で、ご近所さんに配っています。
1本の木なのに100個ほど実り、既に数個自然落下しました。

この作業で9:30になり、車の外見をマシにすべく、庭の蛇口からホースを伸ばし水洗いします。
ホースが経年劣化でネジレが元に戻らず、蛇口いっぱいひねってもドバっと出てきません。
巻取りプラスチック部分もボロボロ欠けるし、そろそろ買い替え時のようです。
家内の仕事関係の方と会うので、車が汚れていたら家内の肩身が狭くなります。
25日の定期点検で洗車をお願いしているので、ワックスや撥水などはナシの単なる水洗いです。

アンサンブルを聞きに行くお出かけ洋服に着替え、用意万端整った家内が、「もうすぐ10時よ」と家から出てきました。
10時数分前に洗車を終え、慌てて着替えます。
そこにあるものを着る僕も、家内の値打ちが下がらないようにマシな格好をします。

10:10頃家を出て、R171を西宮に向かい、大昔僕が通った幼稚園前を通ります。
「西宮」の地名の由来になった「廣田神社」前というバス停でいつも降りていました。
3年保育の1年目4才から、幼稚園の教育方針で1人で通いました。
親は決められた場所より先に子供を送っていってはいけません。
1週間目から園の前の長い階段下まで、2週間目からこのバス停まで、3週間目は電車の駅まで・・・という感じで、入園1ヶ月後には家から定期券を2つ首からブラ下げて、歩いて駅まで行き、最寄り駅で下車し、バスに乗り通園します。

今なら考えられないことですが、これが出来ない子はおらず、定期券を持っていることをいいことに、友達と逆方向バスに乗ってどこに行くのか冒険したり、途中下車したり、4才児の能力は無限大です。

10:40「ツマガリ」到着。
20171217KobeS001s.jpg 大繁盛店なので、店舗前にガードマンが4人おり、駐車場整理をしています。
本店は小さなお店ですが、クリスマス・デコレーションされています。
店員さんとお客さんがいっぱいです。
僕は予約したケーキが出来るまで店の外で待ちます。
おじさん店員さんが、温かいお茶を振る舞っています。
僕も温まります。

20171217KobeS002s.jpg 多分少々お高いのでしょうが、客層が良く奥様やお嬢さんのファッションを見ているだけで目の保養になり飽きません。
西宮山の手・芦屋の邸宅の御用達なのでしょう。
小学生やそれより小さなお嬢さんを連れたお若いお母さんはお洒落です。
次男のお嫁さんとすみれちゃんも、将来こんな風になるのだろうな~なんて・・・

ケーキの用意が出来たようです。
荷物持ちとして家内の横に行きます。
1個500円弱のケーキを40数個、紙皿と使い捨てスプーン、アンサンブルメンバーさんへのお土産のお菓子、会員さんの今月誕生日の方がおられるようで、お誕生ケーキとローソク。
1才であるはずないのに、ローソクが1本なのは何故?

それらを車に積み込み、山手幹線~R43を経て神戸へ。
山手幹線は僕の好きな割合新しく整備された道です。
西宮・芦屋・神戸東灘山の手を東西に結ぶ道路ですが、高級住宅地の裾野を縫うのでそれなりの規格です。

片側2車線取れる道幅ですが、あえて1車線にして路肩が広いのです。
このため荷物降ろしなどで路上駐車していても路肩に停まってるので本線の流れを乱しません。
交差点があると路肩部分が狭くなり右折レーンが出現するので、右折車がいても本線の流れに響きません。
自転車は広い路肩で安心で、モーターサイクルは四輪が増えて信号待ちが長くなっても路肩利用で前に出られストレスを感じません。
「自転車専用道」とか試行錯誤していますが、特に利用指定されていない広い路肩ほど、臨機応変にいろいろ使え使い勝手が良いように思います。

12/10・1回生クルージング

昨日に続きヨット活動です。
この日は母校ヨット部を引退したばかりの4回生に参加を呼びかけましたが参加者がおらず、コーチしてるヨット部1回生に声を掛け直しました。
直前の金曜日に声を掛けたのに、希望者が11名(女子選手1名を含め選手10名と女子マネージャー1名)。
僕を含め船の定員リミットです。

4時前に目を覚まし、天気予報チェックすると神戸空港は、2~4m/sの予報。
6:30から朝食・服装など身繕いします。
家内もお化粧しており、「何時に出るの?」と聞いてみると「お父さんと一緒に出る」との定番の答え。
家内は、電気・ガス・戸締まりの点検に30分ぐらい掛かる人なので、最後に家を出たくない人です。
僕に最終点検してもらうと安心して出かけられるので、早いけど一緒に出ます。

駅まで送っていこうかと聞くと、駅なら何処にでもいいと言うので、「じゃあ待ち合わせ場所の一緒にJR西宮に行こう。みんなに紹介したいから」。
「え~、それなら服装を変えようかな」と言うので、「十分べっぴんさんだからそのままでいい」といつものイタリアーノなことを言う。
「お父さんの言葉はいつもこうだから」と不満顔です。
僕には美魔女に見えるんだけど・・・。

7:30過ぎに車で家を出ます。
R171を走り、8:10JR西宮北口ファミリーマート前。
家内と車内で喋っていると、連絡係のOくんが来ました。
ファミリーマートでお昼ごはんを買ってたみたいで、殆どのメンバーが既に着いているようです。

家内を皆に紹介し、7名車に乗せます。
残り4名はタクシーです。
タクシーの方が先に出たと思っていたら、タクシー乗り場にまだいました。

8:39ハーバーに着きましたが、タクシー組に1人駅に着いていない者がいるようで、「連絡つかない1人を置いたまま出て良いでしょうか」と聞いてきました。
「出艇時間を遅らせるから、1人の状況を把握してから来るように」と伝えました。

少し時間が出来たので、ハーバー内散策します。
ディンギーヤードからセキュリテー・カードで入り、母校他大学ヨット部艇庫が並び、広い艇置き場やスロープを見せました。
1回生全員、このYHは初めてですが、来春またここに来て合同練習します。

センターハウスに戻ろうと陸置きヤードに来ると、ドラゴン級メンバーに会いました。
今日の年内最終戦に出場するようです。
センターハウスに入ると、今年学部を卒業したヨット部員が3名(元キャプテンO君・A君・K君)がいました。
「レースに出るの?」「はい」「誰の船に乗るの?」。
3回生女子マネージャーFさんのお父さんと乗るそうです。
話していると、Fさんとお父さんも来ました。
お父さんも元大学ヨット部員で、数回会ったことがあるので、あ~だこ~だお喋りします。

お父さんがレース前艇長会議に行かれたので部員の所に戻ると、すぐにタクシー組がやってきました。
全員揃ったので、出艇申告して船に向かいます。
桟橋ゲートをカードで開け、船へ。
ライフジャケットを着て、桟橋を離れます。
風がなく、本日もしばらく機走になりそう。

皆は活動してる琵琶湖のYHとは大きく違う規模のYHに驚いています。
風がないのでオートパイロットに切り替えます。
学生はステアリングが勝手に細かく動き進路を保つのに驚いています。
船は自動車よりずっと早く自動運転化されています。
まあ、細い道路から少しでも逸れると溝に落っこってしまう車より、テクノロジーとしてはずっと単純です。

ステアリングを学生に交代します。
阪神基地の方を見ると大型艦船が止まっているようです。
目的地を変更し、そちらに向かいます。
掃海艇・駆逐艦・潜水艦が係留されていました。
20171210KyotoS015ss.jpg お客さんが大勢艦船に乗られており、制服自衛官が説明している様子が見えます。
手を振ると、制服自衛官まで手を振ってくれました。
20171210KyotoS017s.jpg 基地のフェスティバルのようです。

20171210KyotoS026ss.jpg 六甲アイランド東海岸沖を南に走り、コンテナ埠頭を西に走り、コンテナ積み下ろし作業を見ます。
沖の防波堤が切れたところで南に進路変更し、神戸空港方面へ。
神戸空港大橋の下をくぐり、神戸港に入っていきます。
ダミーマスト・ダミーセイルを付けた観覧船「オーシャン・プリンセス」が入港してきて、ジャンボフェリーが四国高松に向かって出ていきます。

女子大前を通過し、結婚式場前を通っている時、黒服のスタッフが出てきて僕らに手を振ってくれました。
もちろん振り返します。
20171210KyotoS030ss.jpg 「世界一大きなクリスマスツリー」を見学し、モザイク前に移動し、あれこれ海から神戸港を見学し、帰路に着きます。

ブローに入ると短いセイリングを繰り返しながら、風がないので基本機走で戻ります。
神戸空港大橋をくぐり、大阪湾のレース海面が見えてきました。
数艇が帆走していますが、レース中の感じがしない。

最後に女子マネTさんドライブで、全員ステアリングを経験しました。
ハーバー前まで戻り、メインセイルをダウンし、ジェノアをファーリングして、僕にステ
アリングを代わります。
芦屋YHに入っていきます。
関西一のブルジョア・ハーバーを見せ、桟橋付き邸宅を見せます。

新西宮YHに戻り、後片付けします。
センターハウスに戻ると、レースに出ていたOB3名がいました。
風がなかったのでレースは成立しなかったようです。
1Fカフェ「フリアンディーズ」でお茶します。
僕は前日に続きケーキセット(コーヒー)。
このお店はコーヒーおかわりOKです。

あれやこれや話し、隣接のショップを各自見学し、お開きにしました。
ケーキセット792+珈琲463×5+キャラメル珈琲669×2+カフェオレ566×2+アールグレイ597+フラペリッチ699=6873円。
タクシー組は無料電話でタクシーを呼び、再び7名を車に乗せ(駐車時間8:39~16:26)JR西宮駅に送ります。
ここで「さよなら」し、R171で帰宅しました。

家内は既に帰っており、この日の行動を聞きます。
中山寺にお参りしてきたようです。
長男のお嫁さんに3人目が宿ったので、安産祈願です。
息子2人とも中山さんで安産祈願し腹帯を授かり、無事の出産につながりました。

「モヤモヤさまーず」「大河ドラマ女城主直虎」を見て「おやすみ」。
楽しい1日が終わりました。

12/9・ヨット部卒業生クルージング 神戸港~帰路

時々利用させてもらう四国高松・小豆島に行くジャンボフェリーが出ていきます。
20171209KyotoS048ss.jpg 1週間前見たかった「世界一大きなクリスマスツリー」が見えてきました。
海上保安庁のPL巡視船がその前で停船しているし、観光船もいるので、セイルを下ろし機走で港内観光します。

20171209KyotoS050ss.jpg 女子大前を通り過ぎ、陸にいる親子連れに手を振ると、親子4人が振り返してくれました。
20171209KyotoS053s.jpg 20171209KyotoS054ss.jpg PLが動き出し、奥の基地に入っていきました。
20171209KyotoS057ss.jpg オリエンタルホテル東岸壁に止まっていたレストラン観光船「ルミナス神戸」がバックで離岸しました。

20171209KyotoS062s.jpg クリスマスツリーは、巨大な鉢植えのようになっており、てっぺんからデコレーションラインが下がっています。
夜になるとライトアップされるのでしょう。
20171209KyotoS060ss.jpg 結婚式場があり、写真を撮っている。

20171209KyotoS062s.jpg カワサキワールド南側の岸壁角に設置されており、海から見やすいです。
お客さんが囲んでおり、手を振ると振り返してくれます。
ルミナス神戸岸壁横を通り、オリエンタルホテル西側に移動します。

20171209KyotoS076ss.jpg 正面はポートタワーで、メリケン波止場には観光船「オーシャン・プリンセス」と「ロイヤル・プリンセス」号が止まっています。
20171209KyotoS085ss.jpg 西側にモザイク・観覧車・アンパンマンミュージアムがあり、ここでも4人家族連れに手を振り挨拶しました。
小さな子が喜んで思いっきり振ってくれます。

20171209KyotoS087ss.jpg 三菱重工・川崎造船ドッグに接近します。
潜水艦がドッグ入りしていました。
ここはメンテナンス場所なので、神戸港に出入港する潜水艦に遭遇することもあるし、たいてい潜水艦に会えます。
本日は4隻いました。
3隻はドッグ入りしており、見えないようにカーテンされていました。
しっかり近づくとカーテンを通して見えます。

1隻は岸壁に係留中で、海軍旗である日章旗が立っていました。
動力が原子力ではないので長期潜行できませんが、スクリュー音が世界一の静寂性を持っており、補足されづらいから戦闘力は世界一です。
米軍との模擬艦隊決戦でも自衛隊潜水艦部隊は勝利するので、太平洋戦争当時同様、米軍が最も敵に回したくいない海軍の主力です。

神戸港が初めての子もおり、全員海にいる潜水艦を見るのが初めてなので興奮しています。
アビームの風を受け、ジェノアを展開し、帰路につきます。
みんなお弁当タイムです。
風は5m/sほどに落ちており、K女子マネさんにドライブが代わり、神戸港を出てランニングの風を受け神戸空港大橋を目指します。
橋中央部をくぐり抜け、ドライブをTくんに代わりメインセイルアップします。
しばらくすると、突然船が回頭しだし、アレレ?と見ると、オートパイロットにしようとしたのですがミスったようです。

Tくんの最初のドライブは風がなかったので、今度は楽しそう。
真っ黒セイルのレース艇が練習しています。
ハーバーで会った僕の後輩達がドライブしているのでしょう。

埋立地角岸壁を交わし、Mくんにドライブ交代。
ハーバー前まで来て海上自衛隊・阪神基地を見ると、自衛艦が接岸していました。

15時過ぎにハーバーの桟橋に戻り、デッキブラシでデッキを綺麗にします。
センターハウスに戻ると、ノースショップに店長Kさんがいました。
顔があったのでKさんが出てこられました。
卒業生クルージングであることを話すと、あれやこれや。
福井全日本インカレでお世話になったので、学生たちともあれやこれや。
特に学連役員として大会運営に当たっていたM君とは「やあやあ」と親しそうに話していました。

1Fカフェ「フリアンディーズ」でお茶にしました。
全員「ケーキセット」を注文しました。
いろんな話をあれやこれや、16:06トイレに立ったついでに精算(792×7=5544円)し、トータル1時間ほどゆっくりした後解散しました。

僕は「通勤リード110」でR171で帰宅しました。
ああ楽しかった。

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2018/1/24
アメリカに住む長男のお嫁さんから、メール・写真・ビデオが届きました。
1/17阪神淡路大震災の日が、嫡孫君りょうくんの誕生日で5才になりました。
それに対し、「おめでとう」メールが家内・僕・次男のお嫁さんから飛び、それに対する返礼です。

次男のお嫁さんからのメールには、僕らが東京の長男の家を訪問するタイミングで初めて会った時の写真が添付されており、その時りょうくん・1才が人見知りせず大歓迎してくれたので、我が家にすんなり溶け込めたと、大恩人りょうくんを抱っこする写真が添付されていました。
僕に対しては30分ほど人見知り警戒したのに、初対面の次男のお嫁さんに対しては無警戒で、おもちゃを渡したり、突進したり、「この女たらし」と思ったものです。
帰りの飛行機で家内に、「僕に似て、女好きだ。ナイスガイ!」って褒めた。

長男のお嫁さんのメールには、「懐かしい写真をありがとう、早いね」と書いてありました。
かつて住んでいた東京・関東の大雪をネットで見たようでけど、ビックリしていました。
1/25に、次男一家は次男が設計した二世帯住宅に改造したお嫁さん実家に引っ越しますので、「日本に帰ったら遊びに行くね」とのコメントがありました。

遼くんのスクールと家での誕生日の写真と動画がクラウドにアップされました。
同じプリスクールで唯一の日本人の子が別のスクールに移りましたが、相変わらず楽しく通っているようです。
先生から、「9月からの新しいクラスでも、全く問題なくコミュニケーション出来ています」と言われ、安心しているそうです。

アメリカのプリスクールは、個人の能力や親の希望により、自分でクラスを選択するので、1年目のクラスで仲良しになった子の半分はいなくなり、唯一日本語が通じる日本人が先月いなくなりました。
9月にプリKクラスに上がったけど、僕らが1週間滞在したのでお休みし、その後1ヶ月日本に帰国し実家で暮らし、加えてお嫁さんのご両親がアメリカに帰ってくるのに付き添った流れで2週間滞在し、さらに休みました。
新しいクラスになったばかりなのに2ヶ月近く通わなかったので、お友だちとの間に溝が出来たらどうしようと心配していたようです。
社交的な子だし、日本人とメンタル面が違うアメリカの子達なので、すぐに溶け込んで行ったようです。
頼もしいです。

次男のこうちゃん1才9ヶ月は、モリモリ食べており、体重11キロ強になったようです。
平均はどれくらいか調べたら、ちょうど平均体重でした。
アメリカ人の子に比べるとチビのようなので、前回の検診では「食べさせているか」と注意されたそうですが、今回は担当医が日本人の平均を学んだのか、Goodと言われたそうです。

妊娠6ヶ月になり、食欲が増し体重増加しすぎに注意していたら、検診で体重増えてパーフェクトね!とお医者さんから褒められたそうです。
妊婦と分かるお腹になってきて、りょうくんが撫ぜながら「生まれてきてね~」と声をかけ、楽しみにしているようです。

我が家・次男・従兄弟からの年賀状が無事届いたそうです。

20180117RyoY7143s.jpg プリスクールで誕生会を開いてもらうために購入したカップケーキ。
20180117RyoY4087s.jpg 教室で20人弱のクラス全員でハッピーバースデーの歌を歌う姿。
みんなと遊んでいるビデオを、家内と楽しみました。

リングを指にはめているようで、男の子の友達のリングにスタンプして追いかけあっていました。
教室の席も、今までは女の子の横が多かったのに、男の子グループにいました。
男の子との遊びの方が面白くなってきたのかな?

日本ではカップケーキはそれほどでもありませんが、アメリカでは人気のようで、9月に訪問した時入ったカフェでも、ケーキの様にカップケーキが数種類選べるようになっていました。
20180117RyoY7141s.jpg プリスクールで我が子の誕生日を祝ってもらうためには、親がクラスの人数分のデザートを持っていきます。
すると、みんなで祝ってくれます。
カップケーキを買っていく親が多いようで、今回のデコレーションはカラフルで楽しいです。

20180117RyoY4091s.jpg バースデーソングは「Happy Birthday to you・・・」の日本と同じ歌で、その後に先生が「Are you 1?」「Are you 2?」・・・と声を掛け、「Are you 5?」の後にりょうくんが「Five」と答え、みんなが拍手して食べ始めました。

20180117RyoY4097s.jpg 自宅では、壁に「HAPPY BIRTHDAY」が飾られ、「5」と書かれたチョコプレートが載ったいちごデコレーションケーキでお祝いしていました。
リビングで長男とこうちゃんがボール取りをしており、9月の時は最高11歩しか歩けなかったこうちゃんが、小走り出来るようになっていました。
りょうくんは、TVでトーマスを流しながら、パパとサッカーをしていました。

2人の息子とボール遊びする長男が楽しそうで、こちらが嬉しくなりました。
僕も、チビな息子たちと遊ぶのが楽しみでした。
3人でヨーグルトを順番に食べたり、絵本を読んだり、飽きることがありませんでした。
仕事から戻り、家のチャイムを押すと、バタバタと廊下を競争して掛けてくる音がして、「おかえり~」と大声で玄関を開けてくれました。
あ~思い出すな~

12/9・ヨット部卒業生クルージング

コーチしてる大学ヨット部の卒業生クルージングです。
コーチしだして10数年、息子が卒業した時に始めてから、毎年欠かさずやってきました。
大学ヨット部は体育会なので、レーシングに特化したヨット部です。
同好会やレジャーヨットのように「楽しむ」ではなく、勝負の世界・実力の世界に身を置いて、組織をコントロールし最終目標に向かってストイックに行動することで、将来生きていく上での学びを得ようとしています。

大学学部4年間で完結します。
落第して5年・6年学部に在籍しても、4年間しか公式レースへの出場権利はありません。
期間が区切られた世界です。

卒業後、大学ヨット部で切磋琢磨したディンギー・レースの世界を続ける者もいるが、多くは卒業して行きます。
立派な人生を送るベースは、学業でありビジネスです。
大半の卒業生は、どちらかを選択し、ヨットは楽しみの世界・趣味の世界になっていきます。

体育会大学ヨット部では、2人乗りレーシングヨットしか経験できないので、「楽しみ」としてのヨットの世界を広げてもらおうと、もっと大きなヨットを経験してもらおうと始めました。
これが好評で、現在は1回生クルージングもやるようになりました。

11月第1週の全日本インカレ団体戦で卒業した卒業生に声を掛け、最も多くの卒業生と私の日程があったのがこの日でした。
9名の卒業生のうち6名が参加します。
5名の男子選手と1名の女子マネージャーです。

9時ヨットハーバー(YH)集合です。
京都から車で来るようなので、僕の駅でのピックアップの必要がなくなり、朝食を食べ7時半に「通勤リード110」でYHに向かいました。
R171で西宮へ。

8時に到着し、セキュリティーカードで桟橋ゲートを開け、係留艇に向かいます。
20171209KyotoS002ss.jpg 20171209KyotoS003ss.jpg 歩いて行く途中に最近係留されたデイセイラーが美しい姿を見せていた。
まず係留艇に乗り、ドッグハウスを開けハッチを開けて空気の入れ替えです。
トイレのポンプも点検します。

バッテリーのメインスイッチをONにして、キーを差してスターターボタンを押します。
イグニッションは快調ですが、エンジン点火しない。
いつもは一発点火なのに、寒いからストライキを起こしているのでしょう。
20171209KyotoS027ss.jpg 六甲山が今シーズン初冠雪・・・いよいよ冬本番・・・そんな日でした。

再びスターターを押すとエンジンが掛かりました。
係留中は陸電ケーブルを繋いでいるのでバッテリー上がりはありませんので安心です。
この陸電はいくら使っても無料なので、ヨットで暮らしている人もいます。
僕の先輩にも、奥さんと喧嘩して数日ヨットで生活するのを常としていた方がいました。
男の隠れ家的に使っていたようです。
奥さんも、いる場所が分かっているので安心だったかもしれません。

8:30になり、卒業生との待ち合わせ場所であるセンターハウスに行きます。
途中前述のデイセイラーの写真を撮りました。
先週先輩と船に乗った時、この船を初めて見ました。
オーナーさんがロープを結んでおり、少し話しました。
波のある海面では濡れるでしょうが、ドラゴンクラスより一回り大きなサイズで、僕らのようなもっと小さなディンギー上がりのセイラーが好む感じです。

ドッグハウスが小さいので、宿泊クルージングには向きませんが、デイ(日帰り)セイリングをスポーツとして楽しむには最適でしょう。
ランニングで言えばジョギングやトレイルランのようなものです。

写真を映していると、お隣さんが隣の船から顔を出されました。
「おはようございます。いいですよねこれ」・・・いろんな話をして「今日出られるのですか?」
「いいえメンテだけです」「寒いですものね」。
漁師のようなプロじゃあるまいし、山に雪がある日に船に来る人はおかしな人だし、まして海に出て行こうなんて人は物好きとしか言えません。

センターハウスで待っていると学生がやってきて、トイレを促します。
僕はハーバー・フロントの受付嬢と挨拶を交わし、機械で出艇申告をしました。
美人さんが揃っており、話をするだけで楽しい・・・悲しい男の性です。

振り返ると、僕が母校でコーチをしていた頃、選手であった後輩が入口から入ってきました。
「お~」「おはようございます」
「会社変わったよね、今何処にいるの?」「今神戸にいます」
「今日はクルージング?」「ええ」・・・。
彼は先輩のやってるヨット販売・メンテナンス会社の社員で、うちの船のメンテ全般をお願いしていましたが、辞めて転職しました。

今の仕事は海関係ではないようですが、あいかわらずクルーザーでのレーシング・ヨットを続けています。
きっとヨットオーナーさんがやってる会社でしょう。
母校ヨット部今年の卒業生がやってきました。
メンバーに学生を加え、練習に出るようです。

彼と別れ、卒業生が揃ったようなので船に向かいます。
残念ながら風はありませんが、神戸空港の天気予報では4~5m/s・S~SWの風が入るようです。
期待しながら桟橋から離れます。
フェンダーをスターンに付け替えを指示します。

ハーバーから出たところで、ドライブを交代します。
風はないので機走のままです。
オートパイロットを披露します。

一文字灯台を出て西宮尼崎港にサヨナラして大阪湾に出ると、弱いブローを感じるようになってきました。
メインセイルをアップします。
でも風が弱いので機帆走です。
六甲アイランド沖の埋め立て地区を過ぎ、神戸空港島がダイレクトに見えてくると、その沖にブローが見えます。
S(南)から風が降りてきたようです。

TANくんにドライブを交代してから3~4m/sの風を感じるようになり、エンジンストップ。
20171209KyotoS033ss.jpg ジェノアのファーリングを解いてフルセイルにしてエンジンを止めセイリング開始です。
今までテイラーで舵を動かしていたので、舵輪であるステアリングになったから最初戸惑います。
これはみんなそうです。
時々逆に動かして、「あ~またやっちゃった」と笑っています。

20171209KyotoS036ss.jpg K女子マネージャーさんに交代し、TANくんがサポートします。
彼女はレスキューボートの運転担当なので操船に離れていますが、風だけのセイリングは素人なので最初サポートを受けますが、勘がいいのですぐ慣れました。
6m/sほどのブローが時々Wから入るようになり、グーンとヒールするのでビックリしています。
でも落ち着いているので、安心して見ていられます。

Sくんにドライブが変わるとさらに風が上がり、白波が全面に立つようになりました。
ベースが8m/s・ブロー10m/sになり、風向がWになり神戸港までクローズのタッキングになります。
予定していた神戸空港島を回ってから神戸港に入るのでは時間がかかりそうなので、神戸空港大橋の下を抜けてショートカットすることにしました。

コンスタントに10m/sブローが入りだし、たまにステアリングを逆に動かすからヒールがグンと入ることがあり、みんなにダメ出しをされています。
大橋をくぐってKくんにドライブ交代。
彼はセンスが良いので、ずっとスキッパーに転向すればいいと思っていました470級リーダーです。

ワンポイントリーフ(セイルを縮小)したこともあり、船の動きが安定し神戸港に入ります。
海賊船型神戸港観覧船も入港して来て、釣り船もおり、狭い入口を注意しながら入りました。
20171209KyotoS046ss.jpg 観光船に手を振ると、振り返してくれました。
こういうのは観光船に乗っている方は喜びます。
海で他の船とすれ違うと挨拶として手を振ります。
トレッキングで挨拶するのと同じです。

12/3・須磨クルージング 復路

ハーバーオフィスに行くと、ちょうど1時間でした。
桟橋に戻ると、S先輩・K先輩と高校同期の方がおられました。
20171203SumaS178ss.jpg 奥さん・ワンちゃんとグランド・バンクス(高級モータークルーザー)で遊んでいるようです。
船内を見せてもらいました。
同じくグランドバンクスに乗り換えた中古を買ったそうですが、まだまだ綺麗でした。

20171203SumaS183ss.jpg 西風が6m/sほど入っており、一気に西宮に帰れそうです。
12:53、SA先輩ドライブで桟橋から離れ、沖に出てからセイル・アップします。
メイン・ハリヤードが途中で引っかかり上がりません。
一旦下げて再度トライすると上がりました。
マストの中で他のロープと干渉しているのかも?
ハリヤードをワイヤーからロープに変更したからかもしれません。

20171203SumaS185ss.jpg ジェノアも展開し、今度は神戸空港島と神戸港の間を通って帰ります。
神戸港のカワサキワールド前の広場に、世界一大きなクリスマスツリーがお目見えしたとニュースでやってたので、寄り道しよう。
沖を神戸港からの遊覧船2隻が走っています。
明石海峡大橋からの帰りでしょうか?
大人1500円ほどの料金で1~2時間クルージングしてくれます。
コストパフォーマンスの良いデートプランだと思います。

そう言えば、GW和歌山から淡路島経由で帰ってきた時ミートし、進路がわからず困りました。
こちらは10m/sほどのジェネカー・セイリングで爆走しており、進路をどうしたものか迷いました。
淡路島洲本沖でドライブを交代してから良い風が入りだし、めちゃ楽しかった。
ステアリングをミスると横倒しになりますが、スピードがガンガン上がり、波にも乗ってエキサイティング・セイリングを楽しみました。

後半戦を楽しもうとS先輩に代わってしばらくしてから、ルミナス神戸が急速に近づいてきて、S先輩の気持ちを折ってしまいました。
ルミナスが僕らの前を横切り、すぐにUターンして僕らの後ろを切って行きました。
それなら、僕らとミートする前にUターンしてくれたらいいのに・・・

20171203SumaS193ss.jpg 2隻のルミナスが僕らの前を横切って神戸港に入っていきました。
SAさんの気分が変わり、「このまま寄らずに西宮に帰るぞ」「はい」。
神戸港入口を過ぎ、目を凝らすとメリケンパークのオリエンタル・ホテルの東側に木のような円錐形の緑の物体が見えました。
「あれがツリーかな~」と見ていると、太陽光を反射してキラキラ光っています。
ツリー飾りが煌めいているのでしょう。
ビンゴ!

20171203SumaS202ss.jpg 神戸空港大橋をくぐり、神戸空港から関西空港に向かう高速船に抜かれ、神戸空港島に東へ。
旅客機とともに、ヘリコプターも飛んでいます。
14:50、六甲アイランド沖一文字防波堤の白灯台をクリア。
15:18桟橋着。
帰路はずっとSAさんがステアリング持ちでした。

20171203SumaS188ss.jpg 帰路、14時から始まった「母校KGvsRits」のアメリカンフットボール・西日本代表決定戦の経過をSAさんが、定期的にステアリングをオートドライブにして、スマホ・ツイッターからの情報として教えてくれました。
2週間前、関西学生1部リーグ・優勝決定戦で7-21で完敗しました。
ネット録画で見ると、オープニングのキッキングで、キックオフリターンタッチダウンを恐れ、いきなりオンサイドキックしたり、解説者はスペシャル・プレーとか言ってたけど、僕には「何、ビビってんねん」と感じました。
そのまま押し切られ完敗。

あと数フィートでタッチダウンを2度出来ず、後半に入っても、タッチダウンを1つ決めましたが、ファーストダウンを取るのがやっとという感じが続いたので、もう一度やっても勝てる感じがしませんでした。
インチーズのタッチダウンを決めていればワン・タッチダウン差で、実力は点差ほどない感じですが、勝てそうにないというのが正直な感想でした。

20171203SumaS215ss.jpg でも、この試合を観に行ってたSAさんは、「今日は勝てる」と確信していました。
結果はRitsをほぼパーフェクトに抑え、34-3で完勝です。
これで2週間後の甲子園ボウル(東西大学日本一決定戦)に出場することが決まりました。
昨年に続き大学日本一の連覇を願いましょう。

アメリカンフットボールは、KGのお家芸で、中学部から体育の授業としてタッチフットボールをします。
ゲームが騙し合いの頭のスポーツでもあるので面白く、僕もタイトエンドとして体育の時間で楽しみました。

船を片付け、Hさんはドラゴン・バースへ。
S先輩とSA先輩はアルコールを飲むのでバス電車で帰るようで、僕が駅まで乗せることにしました。
「8:26~16:16、新西宮YH・P料金800円」
家内を送るために車で来たので、先輩方を送ることが出来ました。
阪神西宮駅下で先輩方を降ろし、R171で帰路に着きます。

17時、帰宅しても家内はまだでした。
夕食を食べ、風呂に入り、いつでも起き出せるようセーターをまた着て、18時台に寝てしまいました。
目覚めたら22:30になっていました。
「やばい!家内は帰って来たのだろうか?」、階下に下り家内の部屋を覗くと、スヤスヤと寝ていました。

一安心すると共に、「家内からのお迎え依頼電話に目が覚めなかった自分の不覚にがっくり」。
もう一度風呂に入り、ヨーグルト持って寝室に上がり、それを食べながらTV見て、寝ました。

翌朝、「電話に気づかず御免」と謝ると、「19時過ぎだから、電話せずにバスで帰ってきたの」とのことでした。
「会合の忘年会でカステラが当たったの、一緒に食べようね」と戦利品を見せてくれました。

12/3・須磨クルージング 往路

先輩に声を掛け、久しぶりのクルージングです。
2週間前、コーチしてる大学ヨット部の卒業生クルージングを企画しましたが、メンバーが集まらず次の週に変更しました。
ならばと、母校ヨット部の卒業生クルージングしようとしましたが、関西地区の公式戦とバッティングし、4回生は皆レース運営に回ったのでダメ。
ヨット部同期に声を掛けるもダメ。
クルージング熱を冷ますために先輩に声を掛けました。

9時出艇なので、7時半にバイクで家を出るつもりでしたが、家内が神戸に行くので送って行けとのお達しが発せられました。
仕方なくバイクを諦め、車で阪神西宮まで送ります。
家から近い駅でも良かったのですが、お化粧の時間がないということなので、車中でお化粧するので駅まで30分の阪神西宮を選択しました。

R171を走り、8:22「ブンイレブン西宮マリナパーク店」で、プレミアムバウム321円・プレミアムひねり揚108円・プレミアム洋菓子ミックス345円=774円を購入。
昼食用に、昨日残ったバナナを1本家から持って来ました。

8:26ヨットハーバーP。
桟橋ゲートをカードで解除し、30分前に係留艇に行きます。
ドッグハウスを開け、バッテリーONしエンジンスタート。
一発点火です。
冷却水もしっかり出ており問題なさそう。
ドッグハウス内のカーテンを外し、バウのハッチを開け、船内の空気を入れ変えます。
船が桟橋から離れているので、ロープを引っ張り桟橋に近づけます。
先輩たちが海に落ちたら大変です。

あれやこれや準備しているうちに、SA先輩がやって来ました。
あれこれ話していると、S先輩がやって来ました。
メンバーはもう一人Hさんが来るそうです。
9時になっても来ないので、S先輩が電話すると3人乗りドラゴン級レース艇バースにいるという。
10分ほど遅れてHさんがやって来て、ドッグハウス内の臭いの原因を調べる。
これが原因で、先輩たちは前回のロング・クルージングを断念しました。

Hさんメインに僕もエンジンルームを覗き込み、燃料フィルターからの燃料漏れがあるように結論づけ、ちょうどバースにいたプロメンテナンスの方に電話し、見てもらいます。
間違いなく、そこが原因のようです。
ネジ蓋を止めるワッシャとパッキンの経年劣化のようです。
メンバーのM先輩に電話してヤンマーメンテナンスに直してもらいましょう。
Mさんはヤンマーの偉いさんなので、メーカーメンテナンスがやって来てくれます。

遅まきながら10時に出艇。
S先輩から「須磨に行こう、Kに電話するわ」と。
須磨YHのハーバーマスターは、S先輩と同期のK先輩でこの船の共同オーナーメンバーです。
母校ヨット部の先輩と組んで持ってるので、学生時代同じ釜の飯を食った間柄だから、信頼感が強いです。
誰かがミスをしても、攻める人は誰もおらず、もう何年この関係で遊んできたか・・・。
僕はいつまで経っても下っ端ですが、信頼できる先輩を持ちありがたいです。

風が弱く2m/s程なので、機走で走ります。
S先輩が出艇時はドライブしましたが、「・・(僕)交代」の声がかかり、僕にチェンジ。
先輩方はビールに手を伸ばします。
僕が飲めないこともありますが、イザってときのために後輩はシラフでいなきゃなりません。
暗黙の了解、最近流行りの言葉では忖度ということです。

セイルを上げていないので、オートドライブにして時々コンパス角度を「ピッ」と1度動かすだけです。
あとはオートでステアリングが動き楽ちんです。
神戸空港の沖(南)を西に向けて走ります。
冬の空気になっており、明石海峡大橋がクリアに見えます。
神戸空港からエアドゥーやスカイマークの旅客機が飛び立って行きます。

神戸空港島をクリアし、明石海峡大橋の本州側付け根を正面にセット変更します。
液晶が漏れたようで、デジタルコンパスが見にくい。
SA先輩から「須磨は高いビルの付け根やで」と教えてもらい、更にコース変更。
そう言えばこの4人のメンバーは、今年のGW和歌山マリーナシティーに1泊クルージングしたメンバーです。

11:33「須磨YH」。
桟橋にK先輩が立っており、「こっち」と手招きしてくれています。
入港前にS先輩が「あと5分で着くよ」と電話していました。
先輩方がもやいロープとフェンダーを用意してくれたので、僕はドライブするだけで楽でした。
20171203SumaS152ss.jpg 減速して桟橋に接岸。
1時間半・・・予想より早く着きました。

神戸空港島沖を走り須磨にディレクションを変更してから、時々後ろを振り返りましたが、なんとなく明石海峡大橋の方(西)に流されている感じがしました。
連れ潮で、艇速以上に対地速度が出ていたのかもしれません。
潮流表をチェックして来ませんでしたが、帰路は潮流が反転し、帰りも連れ潮で速いかもしれません。

20171203SumaS156ss.jpg K先輩から「・・(僕)、オフィスでサインしてな」「はい」。
トイレに行ってからハーバー・オフィスに行くと、SA先輩が係留受付サインしてくれていました。
K先輩から「後からGZが来るよ」との情報を得て、そのメンバーに見つからないお店に昼食を食べに行くことにしました。
GZは10才ぐらい上の母校先輩方が組んでるクルーザーです。
S先輩やSA先輩の更に上なので、見つかったらこき使われます。

オフィスにあった近隣飲食店パンフレットをもらい、うどんを食べに行きます。
ハーバーを出ると、横は須磨水族館です。
次の正月、帰省する次男一家と共に来ようかな?と思ってる候補地です。

20171203SumaS170ss.jpg R2を陸橋で渡っていると、Hさんから「メグロのW1がいる」との声がかかりました。
僕と同じくHさんもバイク乗りです。
ビンテージ物のW650W1だそうです。
排気量の割に図体がでかく見えます。
R2に面して、「BIKE SHOP 兵庫メグロ神戸」というお店があり、その前にバイクが停まっています。
塗装も綺麗で、Hさんによるとなかなかの代物のようです。

20171203SumaS174ss.jpg R2から1本枝道を入ったところにあるお店でうどんを食べ、ハーバーに戻ります。
20171203SumaS175ss.jpg 「TREK BICYCLE STORE」もありました。
SAさんも僕同様ロードバイクに乗るので、ウィンドウ内の展示車を覗き込みます。
僕がロードバイクなのに、サドルをお尻に優しいママチャリ用のベネ付きに変えたなんて話をすると、「オール自分で組み立てたノーブランド・バイクを譲って貰ったけど、最近乗ってないんだ」とSAさん。

20171203SumaS176ss.jpg 正月の息子一家の帰省の時、須磨水族館も遊びに来る候補に入れていると話すと、「その前の須磨海岸はいいぞ。ピチピチ・ビキニ・ギャルがわんさかいるぞ。持って帰りたいぐらいや」と。
学生時代に一度だけ来たことがあります。
僕は小心者なので、大学キャンパスでは声を掛けられるけど、ほぼ裸の女性には無理そう。
遠目ならいくらでも見れるけど、相対したら目のやり場に困ります。

12/2・乃木神社~ヨットレース

20171202MeiS092ss.jpg 20171202MeiS106ss.jpg 『山城えびす神社 村野山人翁は、創建にあたり乃木夫妻、勝典・保典両ご子息4柱を本殿に祀ることを内務省に願い出ましたが、乃木大将1柱の奉祀しか許可されませんでした。そこで大正7年、本殿西隣に静子夫人の霊をお祀りする社殿を建てることを願い出、「静魂神社」が大正8年に建てられた。
その後「恵比寿神」(蛭子皇子)を首座とする「七福神」が合祀され「静魂七福社」と称されるようになった。依頼地元伏見を中心に、南山城地域唯一の「えべっさん」として、商売繁盛の信仰を集めてきた。
平成18年、乃木神社創建90年を機に、静子夫人の御霊を本殿に遷し、仲睦まじく並んで祀ることになり、「静魂七福社」は「山城えびす神社」に改称した。平成27年、山城えびす神社本殿改修工事のため遷座祭を行った際、「七福神」の奉祀を改め、「恵比寿神」(蛭子皇子)のみ奉祀することとなった』

時間切れにより、朝の歴史めぐり終了。
バイクに戻り、r7~醍醐道~r117~R1~湖西道路。
「皇子山ランプ」で降り、JR湖西線「大津京」駅をくぐりR161。

8:17「セブンイレブン大津松山町店」で、「プレミアム麦茶100円・プレミアムフレッシュバナナ213円=313円」を購入して、8:20ヨットハーバー着。
学生に挨拶し、体操・連絡事項の後レース前ブリーフィング。
4回生は抜けたけど、新チームの学生は相変わらず明るく、体育会の若者は気持ちが良い。

20171202MeiS132ss.jpg 9:07に出艇し、今日の最終レース時刻の15:30まで4レースこなしました。
メンバーチェンジする1回生とコーチボート上で話します。
2クラス17艇出場し、参加大学中最大のフリートでした。
全員レースに出て、レースを楽しもう。
20171202MeiS149ss.jpg トップフィニッシュ・ホーンを3回鳴らし、個人成績2位・3位、両クラス総合成績で2位、初戦としてはナイスな成績でした。

ハーバーバック後、先に合宿所に戻ります。
キッチンに入り、夕食作りに勤しむ女子マネさんと軽口を交わし、暖を取ります。
片付けを終えた選手たちが次々に帰ってきて、シャンプーやボディーシャンプーを持ってシャワー室に入っていきます。

17:30ミーティングで、フリーレグでのレーン選びや、レースの組み立て方で気づいたことを話しました。
ミーティング後、美味しい夕食時間を楽しみます。
部員の親からのマスカットの差し入れがあり、まさかのデザートでした。

18:30掃除時間になり、帰路に着きます。
部員全員が10ほどの班に分かれ、ルーレットで掃除場所が決まります。
全員で掃除してフリータイム・就寝という流れで1日が終わります。
僕は再びバイク装束を身に着け、湖西道路~名神高速。
吹田ICで下車し、中央縦貫道~R171で、19:30帰宅。

後片付けして風呂に入り、ヨーグルト持って自室に上がり、ヨーグルトを食べながらTV見る至福の15分で1日が終わりました。



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1/19昼休みにご飯を食べながらニュースを見ていたら、皇宮警察の年頭視閲式の話題が流れた。
母方の祖父が近衛兵だったので、関心を向けた。
皇宮警察本部長が、『皇宮警察創設以来、初めて対峙するご譲位に向け、全職員が知恵と力を出し合いながら、完璧な準備を進め、国民の期待に応えなければなりません。・・・』と挨拶していた。
それを聞きながら、「ああやっぱり退位でなく譲位をいう言葉を使っている」。

調べてみると、時事通信配信ニュース原稿でも、『東京都千代田区の皇居東御苑で、平成30年皇宮警察年頭視閲式が行われた。牛嶋正人皇宮警察本部長は天皇陛下の退位に向け「全職員が知恵と力を出し合いながら完璧な準備を進め、国民の期待に応えなければならない」と述べた。視閲式では、11隊、21車両、護衛馬、警察犬が整列し行進した。 時事通信映像センター』と、皇宮警察トップの言葉「譲位」を使わず「退位」を使っている。

僕のお粗末な歴史知識でも、「天皇退位」なんて本で読んだ記憶がなく、「譲位」です。
マスコミが「天皇退位」という言葉を使うのに、とても違和感を感じていました。

それ以来、「譲位」と「退位」の言葉を気をつけて聞いています。
歴史知識のない記者が原稿を書いているのだから、いずれ修正されると思っていましたが、未だに各局「天皇退位」で通しています。
コメンテイターでも、「譲位」を使う方はほとんどいません。
皇后陛下のお言葉でも「譲位」を使っているのに、頑なに全マスコミが「退位」を使うのは、何か裏があるように思えてなりません。

来年の天皇陛下の譲位の手順でも、4/30「今生天皇退位」・5/1「新天皇即位」と日にちがずれるのにも違和感を感じる。
天皇位は2000年間、三種の神器の移動とともに譲位されてきた。
「退位」「即位」と2回やるのではなく、「譲位」1回にすればスッキリ今まで通りなのに。

皇室の伝統を崩そうとする日本弱体化を画策する勢力が、政府・国家官僚・与党自民党はじめ深く入り込み、伝統を守ろうとする保守に横やりを入れているように見えてならない。

12/2・京都桓武天皇陵~明治天皇陵

コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
小学生2年から僕がヨット部の先輩と作ったジュニアヨットクラブに入部し、ヨットレースを楽しんできた次男は、中学受験でヨット部のある学校に入り、高校ヨット部から大学ヨット部と、ずっとヨット競技を続けました。

4月にヨット部はじめいろんなクラブの説明会や体験会に参加した次男に、「5月連休のレースに出ないか」とヨット部から誘いがあり、ぶっつけ本番で参加したレースでいきなりクラブ内最上位になりました。
それで大学でもヨットを続けることにしましたが、競技力が4回生より圧倒的に上なので、次男にキャプテンがアドバイスを受けるようになりました。

これは敵わんと思った次男は、「親父ならコーチに来ますよ」と言ったようで、「コーチしに来ない?」と連絡があり、「他大学出身の私がコーチしていいものか?」と次男の大学ヨット部OBさん数人と連絡を取り、話を伺いました。
是非にと言われ、引き受けることにしました。

それから10年以上、次男はとっくに卒業しているのに、「今年もコーチお願いします」と毎年新キャプテンに声を掛けられ続けてきました。
11月の全日本インカレ団体戦で、前チーム4回生とともに僕のコーチ業も終わりましたが、また新キャプテンから連絡をもらい、また1年引き受けることにしました。
僕もハタチ前後の若者たちとともに、また1年楽しもうと思います。

この新チームの初公式戦です。
8:50出艇予定なので、その前の時間をどう使おうかな?と地図を見て、久しぶりに明治天皇(122代)陵を訪問することにしました。
隣接する桓武天皇(50代)陵と、明治天皇崩御に殉職した乃木大将を祀る「乃木神社」にも。

今上天皇(現在の天皇)は、125代です。
僕の天皇のランドマークは、初代神武天皇、イエス・キリストと同じ時代を生きた11代垂仁天皇、三韓征伐した神功皇后のお腹にいたのが15代応神天皇、初女帝33代推古天皇、兄38代天智天皇系との争いを制し記紀編さんを始めた40代天武天皇、京都に遷都した50代桓武天皇、平安時代末期の武士政権に移るきっかけになった保元の乱で讃岐に流され怨霊になった75代崇徳天皇、鎌倉幕府を倒した96代後醍醐天皇と南北朝時代を経て再び天皇の系統が統一された100代後小松天皇、そして125代今上天皇です。

これらをランドマークとして、第何代と聞くと「あの天皇とあの天皇の間だから、・・時代・・年頃かな?」と大まかにつかむようにしています。
今年、将棋の連勝記録で名を挙げた藤井君と共に、負けて今年引退した「ひふみん」こと「一二三」さんに引っ掛けて大正14年生まれの私の父を思い出すので、123代大正天皇
もランドマークとなりました。

5時に出発する予定でしたが、4:30に目が覚め、5:26「招き猫CB400SB」で出発。
R171~中央縦貫道~中国道豊中IC~名神高速。
京都南第2出口で高速を降ります。

r68に乗り東進、阪神高速8号京都線側道を南下、r202で東進し近鉄京都線高架下を抜けます。
r35・旧竹田街道を南下し、京阪丹波駅前のコンビニを左折し東進。
京阪本線・丹波橋駅横の踏切を渡ります。
桓武天皇陵はまっすぐですが、入口参道がどこかわからず北側に回りましょう。
R42を北上し、枝道に折れて北側へ。
北側に入口はありませんでした。

陵があるだろう森は見えているので、西側に回ります。
20171202MeiS002ss.jpg ビンゴ!6:17「桓武天皇・柏原陵」。
20171202MeiS009ss.jpg 参道を歩いて陵まで。
20171202MeiS016ss.jpg 手を合わせてバイクに戻り、次です。

20171202MeiS018ss.jpg 6:36「明治天皇陵・昭憲皇太后陵」。
ちょうど宮内庁職員さんが車で来られ、郵便物を収集し、車止め柵を歩行者が入りやすいようにずらしておられる。
バイクを置いて陵へ。
「拝観時間8:30~17:00」。

20171202MeiS021ss.jpg 広く長い一直線参道を歩いていると、桓武天皇陵からの道と合流した。
20171202MeiS024ss.jpg 豊臣秀吉が築いた「伏見城」の残石が、参道脇にありました。
天皇陵は、伏見城跡地にあります。

6:51「明治天皇陵」。
20人ほどのお年寄りが寄っていました。
挨拶の声を聞くと、知り合いのようです。
朝の参拝仲間なのかも。
「昭憲皇太后陵」にも参拝しようと思ったが、道は急角度で下ります。
登ってくるのが面倒でUターン。

20171202MeiS042ss.jpg 天皇陵の正面は南側で、長い石段が下っています。
それをパスするために西からの平坦路を選択しました。
20171202MeiS043ss.jpg 天皇陵は、聖徳太子陵と同じ円墳で、コンクリートで固めてあるようです。
墳を直接拝める天皇陵は珍しい。
明治天皇陵に戻ると、お年寄り集団が音楽に合わせ体操をしていました。

20171202MeiS052ss.jpg バイクに戻り、7:12「乃木神社」。
日露戦争勝利の立役者・乃木希典大将は、明治天皇崩御の時、妻とともに殉死されました。
『明治天皇に殉死した陸軍大将・乃木希典(1849~1912)を祀り、伏見桃山御陵そばの地に大正5年(1916)有志により創建された。「うつし世は 神去りましし大君の みあとしたひて我はゆくなり」。表門は四脚入母屋造、門扉は樹齢3000年の紅檜一幹で、巾6尺3寸余(1.9m)の一枚板である。
境内には日露戦争の時、第3軍司令部に用いた中国風の民家、乃木将軍の遺墨・遺品・ゆかりの人々の品などを陳列した宝物館。そして、長府(山口県)にある将軍の生家を模した建物がある』

20171202MeiS062ss.jpg 『日露戦争(明治38年・1905)日本海海戦で活躍した軍艦・吾妻の主錨 「散る桜 残る桜も 散る桜」 海に眠る若人の碑顕彰会』があった。
伏見区の戦没者を顕彰する碑もあった。
国旗掲揚ポールがある。

20171202MeiS077ss.jpg 本殿に向かうと、国歌に出てくる「さざれ石」が置かれていた。
小さな小石が圧力により岩となってひとかたまりになるほど悠久の歴史を繋いでいる日本人の本家「天皇家」。
日本人の歴史も同じだけ長い。
誇りに思うところです。

『さざれ石は、学名を石灰質礫岩といい、地中の石灰質が長い年月雨水で溶解され、その時生じた粘着性の強い乳状液(鍾乳石)が地中の砂礫を凝結して形成されたもの』

『君が代は 千代に八千代に さざれ石の 岩をとなりて 苔のむすまで』

20171202MeiS086ss.jpg 絵馬掛けを見ると、可愛い栗の絵馬が下がっている。
「・・・に勝つ」の・・・のところに願い事を記入するようになっている。
「勝ち栗」絵馬とても言うのかな?

20171202MeiS087ss.jpg 『乃木神社創建者・村野山人翁之像』があった。
此の方が中心になってご努力されたようです。

『長府乃木邸 乃木希典大将の先祖は、宇多天皇第8皇子敦実親王の後裔・佐々木四郎高綱公です。寿永3年(1184)宇治川の合戦で義経軍を勝利に導き功名手柄を立てる。乃木大将の父・十郎希次は、江戸麻布毛利邸で槍術及び礼法小笠原流の指南番をする150石武士でした。幕末の藩政改革時改革案を上申し、これが上級藩士の機嫌を損ねる結果となり、減録1/2となった。長府に帰り閉門蟄居の身となり、足軽の家を借りて住んだ。これがその旧邸です。ここに家族7人が住み、右側の米搗場で乃木少年が仕事をしながら本を読んだ。等身大の像は、父希次・母寿子・希典少年の姿です。製作は、大将の甥・長谷川栄作。
大将は幼名を無人といい、幼時は3才下の妹にさえ泣かされたという気弱温順な性格で、妹たちの髪を結ってやるなど兄弟思いで面倒見が良く、器用に針を使って縫い物をするなど優しさを多分に備えた少年でした。両親は不甲斐なく思い、毎朝出仕前に必ず一条の教訓を与えていた。その場面が現されている。
成人され、萩の乱・西南の役で活躍し、日清戦争では旅団長となり戦後台湾総監を経て、日露戦争が始まると第3軍司令官として旅順攻略を成し後、軍事参議官宮内省御用掛、学習院院長などを歴任した』


11/25・大学ヨット部同期忘年会 & フロリダ・オーランド

大学ヨット部時代のライバル校D社(現在の現役も相変わらずライバル)同期H君と話して、両校同期の会をやろうということになり、集まることになった日です。
彼が大阪北区堂島でレストランをやっている(オフィス街の昼食・アフター5需要に合わせた)ので、休日の土曜日に集まることにしました。

母校同期(7人)に声を掛け僕含め3人集まります。
D社同期は2人しかおらず彼だけ、含め4人の会になりました。
今後毎年やっていこうと思います。

17時集合なので、16時に帰宅し、着替えて15:15通勤リード110で家を出ます。
R171~阪神高速空港池田線側道のr10で「加島交差点」~r41・十三筋~十三~R176~中津~梅田。
阪急梅田駅とJR大阪駅の間を抜け「四ツ橋筋」に出て、16:50着。

同期のI君が先に来ていました。
H君が用意してくれていた料理を食べながら、僕はノンアルコールでしたが、2人はビール。
お店に飾ってある僕らが4回生の時の2校の定期戦スタート写真を見ながら盛り上がります。
やがて同期のY君がやって来て、更に盛り上がる。

学生時代の悪さや、当時の全日本などでも思い出の他に、異性の話。
あ~だこ~だ大笑い、暴露話、冗談での中傷合戦・・・あっという間に21時でした。
来月末には、高校ヨット部同期を中心にした年末恒例の集まりがあります。

I君・Y君は家内と同じ学部です。
僕らヨット部員1回生は、昼休みトレーニングの集合場所だった学生会館前で、男子学生の常である「可愛い子吟味」をしていました。
「あの子は優、いや良の上だな」なんて、失礼にも成績表よろしく「優・良・可」判定をしていました。
僕が「マル優」判定した家内の「同じ学部の1回生であること」など重要情報を教えてくれました。

その時は僕に勇気がなく、僕と同じ学部の子と付き合って・・・
家内と同じ英語クラスだったヨット部女子マネージャーから、「クラスに学部一の可愛い子がいるよ、紹介してあげよう~か」なんて言葉に乗らずスルーし・・・
そんなこんなあっても運命の赤い糸は切れず、家内と偶然同じ資格試験講習会で出会い話し掛けなました。
外観は僕好みの竹下夢二の描く日本的華奢美人のうえ、出しゃばらずゆっくり喋るまさに大和撫子・・・声を掛けてから2ヶ月でプロポーズしてしまいました。

クラス30人に女子3人という学部なので、I君もY君も当然家内のことを知ってて、「こいつの嫁さん、美人やで~」とH君に話したので、僕のテンションが上がり切ってしまいました。
僕は嫁さんが褒められることが、一番嬉しい。
「同級生カップルなんや」とH君は驚いていました。

22時前に帰宅したら、既に家内は寝ており、風呂に入ってヨーグルト持って自室で美味しく食べて寝ちゃいました。

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アメリカ・NJ州プリンストン(NYから南に車で1.5時間)に住む長男のお嫁さんから、年末年始の様子をメールで伝えてくれました。

今シーズンのプリンストンの寒さは去年以上で、毎日最高気温がマイナスで、(最高-10℃・最低-21℃)というアラスカ並みの日もあったそうです。
その日は吹雪で、会社もプリスクールも午前中で終わりになり、こうちゃん1才はパパとりょうくん4才が早く帰ってきたので大喜びだったそうです。

9月にアメリカに行った時は、最高11歩歩きだったのに歩きが安定し、「聞けるけど喋れない」から「2語お喋り」出来るようになり、「ニャンニャン、ねんね」「パパ、だっと(抱っこ)」「チキン、おいちい」など、会話が成立してきたそうです。

りょうくんに赤ちゃんが生まれることを伝えたところ、「次は女の子の赤ちゃんがいいねー!だって男の子ばっかりだもん!!」と女の子推しだったそうです。
でも、「一緒にカーズで遊べるのは男の子か」と次も男の子と伝えられ喜んでいたそうです。
こうちゃんは何のことやら全く分かっておらず、「ママのお腹に赤ちゃんいるんだよ」と聞いて、服をめくって「ベイビー、ない!」と不思議がっているそうです。
日本生まれながら、既にアメリカ生活の方が長くなり、「ベイビー」と言う所が驚きです。

長男一家は、クリスマス~ニューイヤーホリデー期間、クリスマスの喧騒が終わった12/29~1/2まで、フロリダ州オーランドに旅行へ行ったそうです。
もっと暖かいと予想していたのですが、最高気温18~21℃で常夏感は感じられなかったそうです。
タクシーの運転手さんも、「こんなに寒いのは珍しい」と言ってたそうです。
でも、子供たちは元気いっぱいだったそうな。

20171229Y3644s.jpg オーランドは、ディズニー遊園地の本拠地です。
20171229Y3830s.jpg 2日間は会社の先輩家族と合流して、「ディズニーアニマルキングダム」「シーワールド」を楽しんだそうです。
20171229Y3742s.jpg アニマルキングダムは、放し飼いの動物がいるサファリパーク・エリアをバスで巡り、アトラクションやエンターテインメントがある施設だそうです。
20171229Y3749s.jpg ジュラシック・パーク的な恐竜のいるエリアもあるそうです。
20171229Y3811s.jpg シーワールドは、ディズニーシーの巨大版のようです。

20171229Y3869s.jpg その後、「ディズニー・ハリウッドスタジオ」へ家族で行ってたようです。
20171229Y3885s.jpg 寒かったからか混んでおらず、子連れにはありがたかったそうです。

20171229Y3902s.jpg 20171229Y6769s.jpg  
20171229Y3901s.jpg USJが日本の映画アトラクション遊園地として進出していますが、この「ディズニー・スタジオ」も進出してくるかな?
20171229Y3855s.jpg スターウォーズの版権がディズニーに移り、大人向けコンテンツも充実したと思います。

11/26・ダラダラ日曜日 & 長男一家クリスマス

コーチしてるヨット部卒業生とのクルージング日でしたが、学生の都合がつかなくなりフリーになってしまいました。
先輩から、船のシート(ロープ)を片付けるように言われているのでヨットハーバー(YH)に行かねばなりません。

家内は用事で大阪に出る予定でしたが、「あ~めんどくさいな」とぐずつき気味です。
駅まで送って行ってからハーバーに行こうと、用意できるのを待っていましたが、このパターンはキャンセル・パターンです。

「船に行ってくるね」と家を出ました。
お隣さんのご主人が、息子さんと釣り竿を洗っています。
「釣れましたか?」「いいえ」
「川ですか?」「いいえ、一文字という渡船で渡る防波堤です」
「ああ、西宮沖の。尼崎から渡船が出ているのですか?」「そうです、釣果は坊主だし、息子が寒いというので帰ってきちゃいました」

この方はご夫婦で自衛官で、迷彩服を着て通勤しています。
「ヨットに乗りませんか?僕一人で乗るのですが・・・」。
お父さんは乗りたそうでしたが、息子さんが「寒いからノー」ということで駄目でした・・・残念。

通勤リード110で、R171でYHへ。
係留艇のエンジンを掛け、ロープを片付けます。
風はNE・2m/sで、空気は冷たく少し寒い。
クルーザーレース日で、母校は学生関西新人戦のレース日。
1人で船を出してレース観戦も良いのですが、どうも出す気にならない。
センターハウスに戻り、誰か知り合いでも来たら捕まえようと思いましたが、シーズンオフで閑散としている。

「どうせ家内はグズグズしているだろう」と帰宅することにしました。
出かけていればバイクに乗ろうと。
帰宅したら案の定家内はまだ家にいて、TV「60才の同窓会」という映画を見ていました。
一緒に映画を見て、昼食を食べ、僕はアマゾンプライム映画のラブストーリー字幕版を、PCとTVをコネクトして見ました。
TVの方が画面が大きいし、音量も大きくなるので良いです。

その後、家内と通勤リード110にタンデムし、川西阪急百貨店に向かいました。
お歳暮です。
お遣い物コーナーで順番を待ち、手続きしました。
お肉&ハム詰め合わせです。

隣の常設仏壇コーナーで、茶湯台を見ました。
3500円・・・高いので買うのを止めました。
地下に降り、アンリ・シャルパンティエでおやつ用にロールケーキを買いました。

バイクで、父が亡くなったとき仏壇一式を買った「仏壇の浜屋」さん川西店に行くと、2400円ちょっとでした。
大きさが2種類あり、家内が持ってきた茶湯台を合わせてみると小さい方でした。
浜屋さんで、セット買いしたものです。
会員なので割引され、2000円以下になりました。

仏壇は、なんとなく買った10年ほど前より値上げになっている感じがする。
木魚や鐘など見たが、こういうものは消耗品ではないので買い替え需要は起きないね。
茶湯台は、家内が週2回水を入れ替えてくれるので、こぼれた水で傷んだのでしょう。

帰宅し、ロールケーキとコーヒーを楽しみ、家内が見たいというTV旅番組・紅葉番組を見て、NHK「ダーウィンが来た」「大河ドラマ」を見て、風呂に入って1日が終わりました。
大河ドラマは、井伊直政が成長し、徳川家康の家臣に取り立てられてから面白くなってきました。
大河ドラマは、男の子が主人公でないと・・・

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アメリカに住む長男のお嫁さんから、年末クリスマス後にメールが届きました。
いつものように、写真・ビデオのクラウド・アドレス付きです。

20171204Y6568s.jpg 今回も、もみの木農場に生木を買いに行き、リビングに飾ったようです。

お嫁さんは料理好きで、「冷蔵庫を開け、ちょちょいと美味しいものを作ってくれるねん」と、付き合い初めてすぐに胃袋を掴まれていました。
20171229Y3601s.jpg 今回のクリスマスは、初めてローストビーフに挑戦したそうです。
我が家でローストビーフなんて出たことないです。
というより、僕はローストビーフなるものを食べた事があるのだろうか?

20171226Y6746s.jpg いつものようにケーキも焼いて、子供たちも満足だったようです。
お嫁さんのお誕生日ケーキは、いつもオリジナル・デコレーションが楽しく、アンパンマンや妖怪ウォッチなど、「おお~」と唸るほど驚かされます。
長男も楽しみのようで、「お~これは凄い」と笑いながら食べている姿をビデオに撮られています。
子供や旦那が無邪気に喜んでくれると、作り甲斐があるでしょうね。

20171226Y6602s.jpg (サンタさんはアメリカ人のご主人)
20171226Y6652s.jpg
(バットマン・メイク中)
 いつも行く図書館でのクリスマスイベントに参加し、アメリカ人のお友達宅でのクリスマスパーティーにお呼ばれしたそうです。

アメリカは、クリスマスが終わると年明けまで静かになるそうです。
「映画・ホームアローン」のように旅行に出る家族も多く、長男一家は「12/28~1/1までフロリダ・オーランドへ旅行に行きました。

20171226Y6688s.jpg
(プリスクールでケーキにデコレーション中)
20171226Y6701s.jpg 20171226Y6722s.jpg りょうくん4才をプリスクールにお迎えに行くと、こうちゃん1才がお友達に大人気で、いつも誰かしらに遊んでもらうそうです。
楽しそうな息子一家の写真・ビデオを見ながら、僕ら夫婦は幸せを噛み締めています。

11/19・ラコリーナ近江八幡

r229に下り、名神高速の下をくぐります。
r327で愛知川を渡りR421、13:37「丸亀製麺・八日市店」で昼食「鶏親子丼中盛490円×2=980円」にします。

R421を走り、近江鉄道を渡り、R8を渡ったところで道なりにr26になり、東海道新幹線をくぐります。
JR東海道線を渡ります。

14:39「ラコリーナ近江八幡」。
家内のリクエストで寄った「お菓子屋さん」です。
お菓子屋さんとは思えない大駐車場があり、続々と車が吸い込まれて行きます。
20171119KeisokuS448ss.jpg 一度見たら覚えちゃう他にない独創的な、でも温かさを感じるデザインです。

続々とお客さんが入っていくので、家内は「これは無理ね」と腰が引けています。
せっかく来たんだから見ていこうと店内に入ると、人人人・・・です。
至る所に列が出来ており、商品ケースを見ることさえ難しい。
2Fへの階段にも列が出来ており、購買システムがわからない。

目が慣れてくると、システムが見えてきました。
バウムクーヘン・三笠など商品ごとにショーケースの島があり、それぞれにお客さんが並んでおり、それを整理し列を明確にするために銀行ATMコーナーのように、ロープが張られています。

20171119KeisokuS456ss.jpg 店舗の裏に抜けると、人工池があり、この店舗をはじめ周囲に、フードコート棟・ギフト棟・カステラ・カフェ棟などが建っている。
フードコートから巡ります。
20171119KeisokuS466ss.jpg 20171119KeisokuS472ss.jpg 20171119KeisokuS473ss.jpg ギフト棟は、ルパンのフィアット・シトロエンバス・ベスパスクーター・トライアンフバイクなどレトロ車が置いてあり、見ているだけで楽しい。

20171119KeisokuS475ss.jpg 池の周りでは、写真を撮ってる人が多い。
20171119KeisokuS479ss.jpg 家内はどんなトイレなのか興味があるようで、「トイレに行ってくるね」。
お洒落だけど、建物の外観ほどではありませんでした。
何も買いません(買えません)でしたが、帰ろうと思いメイン棟に入ると、列に並んでいる方に商品メニューが書かれたシートを店員さんが渡していました。
20171119KeisokuS489ss.jpg 「1時間ほどお待ちください」とのこと・・・お菓子を買うだけなのに凄いなあ。ここで50人分のお菓子を買って、コーチしている大学ヨット部に寄ろうと思っていたのに・・・

帰路に着きます。
名神高速は混みそうなので、琵琶湖大橋~湖西道路で帰ることにします。
20171119KeisokuS495ss.jpg r26を走り、15:15「学校法人ヴォーリス学園」がありました。
高校野球で甲子園に出てくる近江兄弟社高校のようです。
近代建築ですが、ヴォーリス設計を何となく感じる。

r2~r48~r32~15:40「兵主神社」。
家内に裕福な律令制上国「近江」の神社を見せようと思い寄り道しました。
大化の改新後の口分田・条里制の跡がある歴史ある地です。
20171119KeisokuS501ss.jpg 目を引く神門に家内が驚いています。
20171119KeisokuS524ss.jpg 池のある庭園は、平安時代後期以前まで歴史が遡ります。

R477に乗り、野洲川を渡り、r323~R477で琵琶湖大橋有料道路・150円で琵琶湖を渡り、R161~湖西道路~名神~中国道で自宅近所のスーパーでヨーグルトなど食材を購入し、19:04帰宅しました。
ああ、楽しかった。
美人さんとのデートは、至福の時間です。





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今でも忘れません、あの想像を絶する揺れに、布団を被って耐えた後の一声。
長男の「みんな生きてる~」

大きな損害を出しましたが、中1・小5の息子たちが自主的に動く姿、ご近所さんとの自然な情報共有・・・
2日間、自宅内を靴で歩きました。

電気・水道・ガスが止まる真っ暗な中、仕事場などをバイクで巡り、駅が倒壊している姿を見た時の驚きは目が飛び出るほどでした。
近所の自衛隊車両が、自主的に駅他各地に出ており、この組織の強さと頼りがいを目にしました。

今や当たり前ですが、国や県トップからの出動要請が当初なかったので、あの日の朝の制服ヘルメット姿の隊員はただ見ているだけでした。
同じ日本人を救えないのが無念だったと思います。

翌日、神戸の親戚の安否を確かめるためにバイクで向かいました。
酷い惨状で、主要幹線はバイクで走れるものの一歩枝道に入ると、電信柱や塀・家屋の倒壊で歩きです。
そんな中、辿り着いた親戚の家は地面の上にいきなり屋根の状態で、血相を変え近所の学校を訪ねた所、体育館入口で大学生が机を出し即席受付を設置していました。

「誰をお探しですか?」「・・・」
「その方はここにはおられません。この地区の方なら・・小学校だと思います。行き方わかりますか?」
2軒目で見つけた親戚は無事で、近所の方に助け出され良くしてもらっていました。
それから毎週カイロを1ケースバイクに積み、体育館に避難されている方に配りました。

震災2日目にも関わらず、被災されただろう学生が収容者名簿を整備し、運動場では子供たちとサッカーして笑い合い、白線を引き車が整然と並んで停まっていました。
「最近の若者は凄い」と思いました。
ボランティア初年になりました。

今朝、雨が降っていたので近所の公園のローソク慰霊に行きませんでしたが、この地震は日本を大きく変えたように思います。
東日本大震災でも、日本人の素晴らしさを世界の人々に見せ、災難さえ前向きに捉える日本人の地力に感心するとともに、この国に生まれて良かったと思いました。

11/19・紅葉狩り 東近江「西明寺」「百済寺」

20171119KeisokuS319ss.jpg まずは途中にある「本坊」。
『蓬莱庭(国指定文化財) 江戸時代延宝元年(1673)望月越中守(有閑)が、当山復興の記念として造った庭園。池の中央は折り鶴を形どった鶴島で左が亀島です。池の水の部分は心字池となって池泉回遊式である。
築山の立石群は本堂に安置している本尊・薬師如来と日光・月光の菩薩及び十二神将などの眷属(けんぞく)を表し、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化したものである。本庭園は、小堀遠州の作庭を参考にした造園になっており、鎌倉時代の八角石燈籠(石屋弥陀六作)や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある』

20171119KeisokuS335ss.jpg 苔生した岩と池の地上を、鮮やかに色づいた葉が上空を包み、とても良い感じです。
回遊式のお庭を上がっていくと、地面と木々の根っこを杉苔が覆い、柔らかな地面が美しい。
20171119KeisokuS336ss.jpg 石庭も苔むし、緑の凹凸のある絨毯が敷かれているようだ。
苔に包まれ消えていきそうな五輪塔に風情を感じる。

20171119KeisokuS354ss.jpg 庭からなだらかな迂回路を歩いて石段に合流し、本堂曲輪に上がると、本堂と三重塔が潜んでいた。
金剛輪寺の本堂・三重塔に似た感じです。
鮮やかな朱や黄に色づいた紅葉が曲輪に配され、とてもバランス良く美しい。

本堂に入って見ます。重文の仏像が見事で、ボランティアの青年が仏像などを解説してくれています。
『国宝 西明寺・三重塔 建立鎌倉時代(1249~88)』は庇が大きめでバランスが良い。金剛輪寺に似ています。

なだらかな迂回路を下り、石段に合流し駐車場へ。
ここで小雨が落ちてきました。

車に入ると、すぐに止みました。
R307に出て南下し、r28~r229で、12:15「湖東三山」の3つ目「百済寺」。

20171119KeisokuS386ss.jpg 『百済寺(ひゃくさいじ)・三百坊 近江最古の寺院の1つ。聖徳太子の勅願により、高麗の僧・恵慈が百済の僧・道欣によって供養され、建築は百済の龍雲寺にならった。創建は推古天皇法興元年(590)。
天養元年(平安時代1144)天台宗に改宗し、天台別院となった。その後、この地方に多い天台領の後ろ盾により鎌倉時代から室町時代にかけて最盛期を迎え、堂や僧坊の建立が相次ぎ、一山の僧侶1200人がこの寺域に住み、麓には百済寺の村が栄えた。その間、火災や兵火のための再建を繰り返したが、織田信長の「百済寺焼き討ち」後の再建は困難となった。明応7年(1498)の大火により本堂などの中心部を焼失した。再建のための勧進帳に、七間本堂・五重塔婆・常行堂・太子堂・大聖殿・五大力堂・愛染堂・長徳院・三所神殿・鐘楼・経蔵・桜門・回廊と記されています。東西南北4つの谷には、東谷に薬師堂、南谷に阿弥陀堂・閻魔堂、西谷に曼荼羅堂、北谷に地蔵堂・西大門に日吉十禅社、東大門に八幡白髭社・不動堂、北坂の大行事社、北小谷に岩上社、その他にも多くの坊舎があった。
三百坊舎図は、昭和59年度の遺跡部分調査によって、275ヶ所の坊舎堂・墓地跡などを確認した時の分布図である』

拝観料600円×2。
20171119KeisokuS387ss.jpg ここも映画「関ヶ原」のロケ地だったようです。
20171119KeisokuS392ss.jpg 「ムラサキシキブ」と言う名の草花が咲いていた。
「紫の綺麗な実だな」と観ていたら、「ムラサキシキブが綺麗ね」とお客さんが通り過ぎて行ったので名前がわかった。

20171119KeisokuS399ss.jpg 庭園の池を巡り本堂の方に上がっていく。
湖東三山は、奈良時代創建でお堂の配置や庭園が似ており、連続で巡るとデジャブ感があります。
観光バスには「湖東三山巡り」などと書かれているのが多い。
加えて「永源寺」を巡る観光バスもあった。

『戦国歴史ロマンの大舞台 聖徳太子が見抜いた「近江の地理的重要性」が、戦国時代に百済寺が3度の戦乱に巻き込まれるという悲しい運命を辿った。湖北から湖東に南下してきた近江源氏・佐々木・六角氏は、防衛のため観音正寺と百済寺を石垣で城塞化し、鯰江城などの出城を築いていく。
信長の百済寺焼き討ちは悲惨を極め、武田信玄の死を知った信長は、六角征伐のため軍を進め、天正元年に百済寺城に入城し、鯰江城の総攻撃を開始する。寺側は織田か六角か苦渋の選択の末、長年の恩義から鯰江城に食料米を送るとともに、婦女子を境内に預かり保護しました。信長は一揆・謀反であると称し、百済寺焼き討ちが断行され半月ほど燃え続けた。
宣教師ルイス・フロイスの書簡に「百済寺と称する大学には、多数の独立した僧院や座敷・庭園・築山を備えた僧坊が立ち並び、まさに地上の楽園が・・・」と惜しまれる様子が記されていた。
信長にとって、百済寺焼き討ちの3つの利点があった。1.六角を近江から追い出せる。2.田畑の没収で米即ち兵力を増強出来る。3.300坊の石垣を抜くことで六角の再起を防げる。
このような状況下で、安土城構想が着想され、300坊の石垣や石仏を安土まで運び出した。湖東文化の一大中心地が壊滅したが、往時の姿は参道の左右に千枚田のように広がる「平らな坊跡地」や、引き抜かれた「石垣の段差跡」、広大な「旧本堂跡地」と「五重塔礎石」、蘇った「千年菩提樹」などから偲ぶ事が出来る。菩提寺城は「山城」最後の形、安土城は「平城」最初の形と言われている』

20171119KeisokuS415ss.jpg 『喜見望郷庭』と言う場所があり、湖東三山の中で最も標高が高いのか、琵琶湖に向かって眺望が開けていた。

『信長公記 天正元年4/7の章 百済寺伽藍御放火の事 信長公・帰陣。守山に陣取り、百済寺へ出、2~3日逗留し、鯰江城に佐々木義治が籠るを、攻め衆佐久間右衛門尉・蒲生右衛門大輔・丹羽五郎左衛門尉・柴田修理亮に命じ、四方より取り詰め付城させた。近年、鯰江城、百済寺より持ち続け、一揆と同意たる由聞こえし。4/11百済寺堂塔・伽藍・坊舎・仏閣ことごとく灰燼となる。哀れなる様、目も当てられず。この日は岐阜に至り馬を納める』

『ルイス・フロイス日本史2 信長は播磨国と津國の境にある兵庫の市を焼かせて灰燼にする。同市は寺社から成り立っており、豪壮華麗な諸建築であり、日本で大いに見るべき価値あるものの1つであった。
彼は播磨国・書写山という日本で名高く参詣の多い150位上の堂宇を焼却するよう命じた。
信長は、近江国で書写山以上の寺院を絶滅するよう命じた。それらは篤く敬われており、900年以上あらゆる戦乱を免れ今に至ったものであったから、相当な富が蔵されていた。百済寺と呼ばれていた』

20171119KeisokuS425ss.jpg 和紙の材料・ミツマタがたくさん植えてあった。
「日本の高額紙幣の原料」と紹介されていた。
『千年菩提樹 釈迦山百済寺は、聖徳太子の篤き思いにより、山号にお釈迦様の名を頂いた唯一のお寺です。この菩提樹は、「仏陀の聖樹」として崇められ、旧本堂の前庭であるこの地に植えられていたが、天正元年4月7日に、惜しくも信長の焼討ちに会い、幹まで焼損致しました。幸いにも、熱が根にまで及ばなかったために、幹の周囲から再び蘇って今日に至っております。中央の空洞部(直径約80cm)は、焼討ち当時の幹の直径に相当しております。 釈迦山・百済寺住職』


11/19・紅葉狩り 東近江「金剛輪寺」「西明寺」

r281~R8で「木之本IC」から北陸道に乗ります。
南下していると、湖西の空に雲の切れ間が見え晴れているようです。
米原JCTに近づくと、湖東の道の先にも晴れ間が見えだしました。
滋賀県南部は雨が降っていないようです。

名神高速に入り、彦根IC・多賀SAを過ぎ、「湖東三山PA・スマートIC」から外に出てR307、そして9:39「湖東三山」の1つ「金剛輪寺」。
20171119KeisokuS312ss.jpg 駐車場に素敵なキャンピングカーが停まっていました。

20171119KeisokuS111ss.jpg 『天台宗・金剛輪寺 松峯山金剛輪寺は、聖武天皇の勅願により天平13年(741)行基が開山した。秘仏の本尊聖観音菩薩は、行基が一刀三礼で彫り進めたところ、木肌から一筋の生血が流れ落ちたという伝説から、「生身の観音様」と呼ばれる。
嘉祥年間(848~851)には、最長の弟子である自覚大師円仁(794~864)が比叡山延暦寺よりこの地に道場を開き、天台密教の浄刹となった。
国宝の本堂(室町前期)は「大悲閣」と呼ばれ、重要文化財の仏像が多数安置されている。また、三重塔(室町前期)や二天門(室町中期)も重要文化財に指定されている。なかでも近江路随一といわれる明寿院庭園(桃山時代~江戸末期)は、名勝に指定されており、春の石楠花(しゃくなげ)・夏の紫陽花(あじさい)・秋の紅葉・冬の山茶花(さざんか)など四季折々の華が咲き、詣でる人々の心を和ませる』

拝観料600円×2を払います。
20171119KeisokuS118ss.jpg こちらも紅葉が見事です。
20171119KeisokuS133ss.jpg 雨が止みました。
石段を登っていくと「国宝・本堂・三重塔」で、左に曲がると「名勝庭園」です。
山門をくぐり庭園の方へ。

20171119KeisokuS142ss.jpg 『池泉回遊式庭園 桃山・江戸初期・江戸中期の3つの庭からなり、老松蒼杉の自然を背景として、本尊観音様の御心が優しく一木一草に現れています。春の新緑・石楠花・さつき、夏の水蓮、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の自然の変化に燈籠泉石の配置の妙が映える名園の名を頂いている』

20171119KeisokuS152ss.jpg 今夏公開された映画「関ヶ原」のロケ地だったようです。
20171119KeisokuS155ss.jpg 『明寿院書院 室町様式』は、昭和の建築物ですが、庭の雰囲気にマッチしており、縁側の緋毛氈にお客さんが座って、名園を観ています。
20171119KeisokuS161ss.jpg 素敵なお庭は、秋色に染まった木々できっと更に素敵になっていたはずです。
20171119KeisokuS173ss.jpg 20171119KeisokuS180ss.jpg 庭の裏からも本殿の方に上がれるようで、小径を上がっていくと、石段の道に合流しました。
20171119KeisokuS202ss.jpg 昔は塔頭があったであろう曲輪には、多くの石仏が並び、風車などが彩りを添えています。

「地蔵堂 物故者の追善回向を勤めるお堂」があったので入ってみる。
お堂内は戒名位が整然と並び、紅葉の葉がまぶされた境内は静かです。
家内の先祖を分骨している永観堂も、こんなだったらいいのにな。

20171119KeisokuS234ss.jpg 長い階段を登り、大きな草鞋が左右に下がる山門
20171119KeisokuS238ss.jpg 『重要文化財 金剛輪寺二天門 当初楼門であったが後世に上層を失い、腰組ときょう(組物)の残存肘木先に桁を廻し て仮屋根を作ったものである。礎石はすべて自然石を用い、軸部、ときょうとも和様で、それらの形式から見て室町時代の建築と考えられる。柱間は中央間と脇間が2対1の割合で、両脇間に金剛柵を設け、向かって右に増長天、左
に持国天を祀る。ときょう間には間斗束を配し、繋紅梁上には板蟇股をのせている。上層を失っているので建立時の様式は不明であるが、下層の状況から見て当時の普遍的な様式をもった楼門であったと思われる。中世の寺観を保存する意味でも重要な遺構である』があった。

20171119KeisokuS240ss.jpg それをくぐると、『国宝 金剛輪寺本堂 内陣須弥壇金具に弘安11年(1288)の銘があり、鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂である。
桁行7間・梁間7間、入母屋造で、妻飾りは豕扠首(いのこさす)を組み、内外に長押(なげし)を廻し、正面には蔀戸(しとみど)を入れるなど、全体は伝統的な和様建築であるが、内部の組物の一部に、13世紀に伝来した禅宗様式の拳鼻がついている。
密教本堂の通例によリ内部は外陣と内陣に区画するが、外陣大虹梁を受ける太い列柱と、格子戸・菱欄間の内外陣境結界とで構成される広い礼拝空間、天井を化粧屋眼裏とし荘重な須弥壇を構える。内陣は、ともに流麗な曲線の槍皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができる。 愛荘町教育委員会』

絵馬500円を授かった。
同じ曲輪に『重要文化財 金剛輪寺三重塔 建立記録はなく、南北朝時代の建築と考えられるが、寺に保管の永正17年(1520)在銘の相輪部材は重要な考証資料である。
寺記によれば、天保4年(1833)頃破損が進んだが根本修理は実現せず、最上層を失って昭和年代に至った。昭和20年重要美術品認定され、昭和47年重要文化財に指定。その後解体修理で、建立時には計画され未完成だった初重の縁、二三重の柱間装置なども整備され、昭和53年完全な三重塔が竣工した。二重以上に内法長押(うちのりなげし)を用いず、上方への逓減の手法など西明寺の塔に相似する点も多く、中世塔婆建築の遺構として貴重』

20171119KeisokuS268ss.jpg 綺麗な姿をした塔でした。
20171119KeisokuS288ss.jpg 周囲を鮮やかに彩る紅葉と相まって、多くの観光客が「美しい」との賛美の声を上げていました。
あちこちでカメラが構えられ、邪魔にならないように歩き回り楽しみました。

R307を北上し、11:22「湖東三山」の2つ目「西明寺」。
国道の西にバス駐車場があり、乗用車は東に山を上っていく感じですが、ガードマンが静止するようにしているので、上の駐車場が満車だと思い、横の駐車場に入れる。
すると、後続車が道を上がり、上から降りてきた車が通過すると、ガードマンが下からの車を上げています。
離合の指示だけのようなので、山に上がっていく道に復帰します。

上の駐車場への道が細く離合不能なので、交互通行させているだけでした。
駐車場に入れると家内は車の中で待っているとのことで、僕だけ拝観しました。
20171119KeisokuS314ss.jpg 外からでも見事に紅葉した境内の木々が観えます。
拝観料600円。

『国宝・本堂(鎌倉時代初期、国宝第1号)、国宝・三重塔(鎌倉時代後期)、重要文化財・二天門(室町時代)、重要文化財・本堂内仏像7体、重要文化財・十二天画像他6、
国指定名勝庭園(江戸時代初期)』

『当寺は平安時代の承和元年(834)に三修上人が、仁明天皇の勅願により開創された寺院である。
本堂裏の闘伽池(あかいけ)で三修上人が礼拝されると、池中より霊霞(れいか)が立ち昇り、薬師如来が日光・月光両菩薩、十二神将を随えて現れたといわれている。上人はたいへん感激され、その薬師如来の尊像を立木に彫刻されて西明寺の本尊とされた。
平安・鎌倉・室町の各時代を通じて祈願道場・修行道場として栄え、山内には諸堂17、僧坊300を有する大寺院となり、源頼朝が来寺して戦勝祈願をされたと伝えられている。
戦国時代には織田信長により焼き打ちされたが、幸に国宝第1号指定の本堂、三重塔(国宝)、二天門(重文)が火難を免れ現存している。その焼き打ち後、荒廃した寺を江戸時代延宝年間に天海大僧正・公海大僧正の尽力により、望月越中守友閑が、祈願・修行道場として復興され、その後代々の住職が寺観の保持に尽力されて現在に至っている。 湖東三山 龍應山西明寺』

地図を見ると、バス駐車場があった所にも一般車Pがあり、そこに山門があるとのこと。
そこからこの受付まで300m登り、ここから本堂まで80mあります。
石段をパスするなだらかな道もあります。




11/19・紅葉狩り 北近江「石道寺」「鶏足寺」

家内もお休みなので、紅葉狩りに出かけます。
朝のNHKニュースで紅葉ポイントを毎日紹介していて、そのトリだった滋賀県湖東木之本の「鶏足寺」を目指します。
1つだけではアレなので、これまた紅葉で有名な湖東三山巡りもします。

5:32「伊丹産業セルフ緑ヶ丘SS」で給油。
中央縦貫道を東に走り、吹田ICから名神高速に乗ります。
地元が晴れの天気予報だったので天気の心配はしませんでしたが、「関ヶ原付近、チェーン必要」なんて電光掲示を見つけ慌てます。

家内が先月手に入れたタブレットを持ってきたというので、天気予報をチェックしてもらうことにしました。
助手席で、「あれ~」とかやってます。
僕が調べてる日本気象協会のウェブサイトを見ているようですが、「PCみたいに行かないよ」だって。

桂川PAで休憩を入れ、家内がトイレに行ってる間にチェックすると、近畿地方地図の滋賀県に代表年しか表示されていないから「高島市の天気は調べられないよ」なんて言ってたようです。
高島傘マーク・・・長浜傘マーク・・・雨なら走れるので良いですが、傘持ってきてないよ~。

京都東ICで下車し、湖西道路で北上します。
比良山系の山の上部が白くなっています。
琵琶湖を隔てて見える湖北や湖東北部は雲に隠れ、雨が降っているようです。
高島を過ぎると、きれいな二重虹がかかっています。
綺麗だな。
家内がタブレットの電源を入れている間に、虹が見える区間を過ぎちゃいました。
前を走る車は、スポーツバイクを乗せています。
マキノかな?
海津大崎かな?
いずれも雨そう・・・

R161の海津大崎への分岐にあるコンビニに入りました。
朝ごはんを買います。
家内はサンドウィッチで、僕は得意の「助六」。
ビニール傘も1つ買いました。
車に常備している京都で買ったお洒落な傘があります。

食べながら走ります。
R161をさらに北上し、R303で東進し、R8で賤ヶ岳と山本山の境の下を抜け、木之本です。
木之本IC横を走り、直角に南下し、「石作神社」を左折し、r281で8:05「石道寺」。

駐車場にプレハブがあり、200円と書いてあります。
家内がお金を用意しますが、「誰も居ないよ」。
「紅葉散策協力金200円」と書いてあるので、「駐車場代ではなく、無住の鶏足寺を整備する費用にするのでしょう。帰って来た時でいいよ」。

20171119KeisokuS002ss.jpg すぐに「石道寺」があり、見事に色づいています。
残念ながら小雨が降っています。
20171119KeisokuS015ss.jpg 『国指定重文 木造十一面観音立像・像高173cm、木造持国天立像・像高184cm、木造多聞天立像・像高184cm
県指定文化財 木造十一面観音立像・像高102cm神亀3年(726)延法上人が草創され、その後、延暦23年(804)に伝教大師が十一面観音をまつり再興されたと伝えられています。(後世、天台宗を廃して現在のように真言宗に移行されました)
また、大和興福寺文書によると本寺は己高山五箇寺の一寺で、僧房38宇、衆徒20口、本尊観世音、延法上人開基と記されており、往時は壮大な寺院であったと考えられます。(現在の観音堂は、明治年間に現地点から約1km離れた山間から移築されました)
十一面観音立像は一木造りで、彩色や面相並びに衣文から平安時代中期の作とみられます。持国天立像・多聞天立像は檜材の寄木造りで、面相や衣文から鎌倉時代の作とみられます。 木之本町教育委員会』

20171119KeisokuS019ss.jpg 重文があるだろう堂内に入りたかったが、事務所はまだ開いておらず帰ってきた時に参ろう。
『井上靖著「星と祭」より、本尊十一面観音菩薩を表現した一説「きれいな観音さまですね」架山は言った。思わず口から出た言葉だった。美人だと思った。観音さまと言うより、美人が1人立っている。
・・・この観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになってここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。
笑いを含んでいるようにも見える口もとから、しもぶくれの頬のあたりへかけては、殊に美しい。ここでは頭に戴いている十一の仏面も王冠といったいかめしいものではなく、まるで大きな花輪でも戴いているように見える。腕輪も、胸飾りも、ふんわりとまとっている天衣も、なんとよく映っていることか。それでいて観音さまとしての尊厳さはいささかも失っていない。しかし近寄り難い尊厳さではない何でも相談にのって下さる大きくて優しい気持ちを持っていらっしゃる。
・・・その顔にも、姿態にも示していらっしゃる。
石道寺の主な仏像 本尊十一面観音菩薩立像・国指定重要文化財・平安中期・ケヤキー木造り・極彩色・高さ173cm 多聞天立像・国指定重要文化財・平安後期・ケヤキー木造り・極彩色・高さ182cm 持国天立像・国指定重要文化財・平安後期・ケヤキー木造り・極彩色・高さ182cm 十一面観音菩薩立像・滋賀県指定文化財・平安後期・ケヤキ一本造り・金箔・高さ101cm』

鶏足寺への案内板が出ています。
雨で足元が悪いのと石段なので、泥ハネや滑るので家内はゆっくりです。
朱・黄色・緑・・・鮮やかだねえ。
写真魔になっちゃいます。
両寺院の境界線のような小さな峠(比高10m)にプレハブが立ち、『紅葉散策協力金のお願い ここでチケットをご提示下さい。発見所はこちら。大人(高校生以上)200円。期間:11/15~11/30』と書かれた看板が立っていた。
ここで払おうと思ったけど、誰もいません。

鶏足寺側に下ります。
石畳の道があり、両側に小さな茶畑。
こちらも鮮やかな秋色です。
20171119KeisokuS032ss.jpg 白い傘を差したジーンズの女性が、紅葉に接近しカメラに夢中です。
「なんかいいな」と彼女を写す。

『鶏足寺(旧飯福寺)』。
人だかりがしてる場所に行くと、竹囲いされており『落ち葉保存区域』の札が下がっている。
20171119KeisokuS037ss.jpg 緩やかな石段が登っている一部を通せんぼして、紅葉の絨毯にしている。
激写スポットで、カメラマンが順番待ちしている。

20171119KeisokuS040ss.jpg 『飯福寺 奈良時代に行基上人が草創され、一時南部興福寺末寺となった。興福寺官務牒疏には、己高山観音寺の別院としてその名が記されている。
中世の延徳年間(15世紀)には、法印実盛上人により隆盛を誇った。戦国時代には、浅井氏・京極氏から庇護され、浅井三代の祈願所として隆盛を極めた。
江戸時代においても幕府から寺領を与えられ大寺として格式を誇ったが、明治の廃仏毀釈などで寺院の規模が縮小された。その後は村人の努力により現在のように整備され、大切に守られている』

20171119KeisokuS042ss.jpg 石段を上がっていきます。
両側に塔頭跡が点在します。
20171119KeisokuS050ss.jpg 噂に違わず、素晴らしい紅葉を見せてくれました。
20171119KeisokuS058ss.jpg 石道寺に戻る道で、お揃いのジャンパーを着た係員の方とすれ違いました。
20171119KeisokuS063ss.jpg 駐車場に戻るとプレハブが開いており、「先に観に行って来ました」と、200円×2払う事が出来ました。
20171119KeisokuS070ss.jpg 8:30までだったら無料で楽しめそうです。
20171119KeisokuS078ss.jpg 




11/11・浄瑠璃寺~岩船寺~琵琶湖

観光バスも1台停まっていたが、どちらかと言うとお寺好きの方の参拝が多いような印象を受ける。
20171111JyoS140s.jpg 浄瑠璃寺側から、宝池を隔てて三重塔を見ると、先程よりは遮る木々は減るものの、やはり木々の間から塔が突き出ている感じがして、自然と一体化してナイス。

国宝「三重塔」に行ってみよう。
20171111JyoS152s.jpg 心柱を中心に、同じ大きさ様式の大屋根を3つ重ねた構造に見える。
オーソドックスな塔です。
20171111JyoS154s.jpg 塔内は見れなかった。

バイクに戻り、r752を進みr47に乗り換え、15:26「岩船寺」。
20171111JyoS158s.jpg 参道脇に『石風呂 寺塔39坊の僧が身を清められた 鎌倉時代』が置かれていた。
『当尾京都府歴史的自然環境保全地域(岩船寺地域) 指定地域は、平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけて、浄土信仰の霊地として栄えた当尾地区の東西両端に位置し、歴史的遺産と周囲の優れた天然林とが一体となって、歴史的風土が形成されている。
「石仏の里」の中心地として親しまれている。
指定地域のうち岩船寺地域は、信仰と地域住民の生活に深く係わる中で、白山神社境内の自然性の高いシイ林と岩船寺境内の荘厳な雰囲気を持つヒノキ林を中心として、豊かな自然が育まれてきた』

入山料400円を払い、小さな山門をくぐる。
20171111JyoS166s.jpg 正面に国宝「三重塔」が見える。
山門脇に『本日特別公開・三重塔初層開扉 秘宝特別公開』と書かれた看板が掛けられている。

まずは三重塔。
浄瑠璃寺のそれと比べ、大きさはさほど変わらない感じがするが、重厚感を感じる。
何故かな?と写真を見ると、向こうは檜皮葺で、こちらは瓦屋根でした。
檜皮葺の方が好きかな?

塔の扉が開いていました。
20171111JyoS179s.jpg 扉の裏、心柱周囲に鮮やかな仏画が描かれている。
あまりに鮮やかなので不思議に思い、頂いたパンフレットを見たら、平成になって修復されたそうです。
西側と東側の扉が開かれていたので、両方から拝見します。
心柱を囲む柱にも彫刻されているようで、中に入れれば・・・と願望が増しました。

20171111JyoS191s.jpg 横の小径を更に上がると鐘楼があり、一撞きさせて頂きました。
20171111JyoS194s.jpg 20171111JyoS202s.jpg 20171111JyoS208s.jpg 『重要文化財 眼病平癒 石室不動明王 鎌倉時代・応長2年(1312)』がありました。石仏が浮彫りされています。横のお堂内には、『厄除 石造 地蔵菩薩 鎌倉時代』の浮彫りされた大きな姿がありました。その横に形の整った大きな五輪塔があり、『重要文化財 五輪塔・石室不動明王・十三重石塔 鎌倉時代』となっていました。

15:48になったので時間切れです。
コーチしてる大学ヨット部4回生の引退・代交代式に出席するために、琵琶湖に向かうことにします。
ナビをセットすると、到着予定時間17:15。
17時に間に合いません。

「そんなに時間が掛かるの?」と思いながら、夕方の「R24~京都市内~大津」のコースは面白くないなので、余計時間を食うかもしれないが面白い山道を行くことにしました。
r47を北上し、JR加茂駅前を通過。
r44で木津川を渡り、R163を少し東進し、すぐにr5で山越えです。

和束町からr62。
この道は県道なのに思いの外細い山道でした。
R307を渡り、r783に乗り、バイパスを利用し瀬田川を渡り、南郷ICから1区間だけ京滋バイパスに乗り、石山IC下車。

R422~石山~r18湖岸道路で大津。
ここでポツポツ小雨が落ちてきました。
天気予報の嘘つき!

R161で17:30ヨット部合宿所。
1週間前の全日本インカレ団体戦を最後に引退する4回生から次への代交代式です。
合宿所に入り、バイク装束から持ってきたスラックス・セーター・ユニフォームに着替えます。
「すまん、遅れた~」と宴会している部屋に入ると、「こんにちは~」「ありがとうございます~」。

まだ歓談中だったようで、18時になり、僕が指名され「ご苦労様」の挨拶をした。
続いて1回生選手代表・女子マネージャー代表から贈る言葉。
2回生470屋代表・スナイプ屋代表・女子マネージャー代表から贈る言葉。
続いて3回生。
そして4回生全員からの言葉。

3回生広報・映像担当が作った4回生に贈るビデオで大笑いし、最後に監督から言葉がありました。
2回生エール係がエールを切ってクラブ応援歌・部歌をみんなで肩を組み合唱し、集合写真を撮ってお開きとなりました。

監督や4回生は飲み明かすそうです。
時計を見ると、22時。
延々5時間もあ~だこ~だやっていました。
バイク装束に着替え、小雨の止まぬ中バイクに跨り、湖西道路~名神高速で23時帰宅。
楽しい1日になりました。



-------- ソニー・ミラーレス一眼レフカメラがピンチ
1/7神戸北区の石峰寺で、八十八ヶ所巡りしながら全ての祠をカメラに収めたのですが、残り1/3ぐらいからカメラの調子が悪くなりました。
シャッターを半押しするとオートフォーカスでピントが合う設定にしているのですが、「半押ししてもピントが合わない」。
一旦電源をオフにすると元に戻るが、シャッターボタンに触っていないのに、電源を入れた時点の構図でピントが合ってしまいそれ以上動きません。

数ヶ月前からたまにおかしな動作があったのですが気になる頻度ではありませんでした。メニューボタンも反応しなくなったし、これはやばいです、早急に「カメラのキタムラ」に持っていかなきゃ。

1/9、僕の御用達「カメラのキタムラ」にソニーミラーレス一眼NEXC3を持っていきました。
「初期設定に戻すと直ることがあります」と作業するが、メニューボタンが利かないのでダメ・・・
更に店員さんが、あれこれやってたらメニューボタンが復活するタイミングがあり、直るか・・・
結局、「リセット出来たけど直りませんね」とのことでガッカリ。

「ソニーに修理に出すと、一律25000円必要です。送って見積もりしてもらいますか?」
「直すにしても、最低25000円必要なんですよね、なら新しいのを買います」
「そうですね、レンズを使えるから、ソニーの本体のみ購入されれば」とのアドバイスを受け帰宅しました。

2012年購入で、カメラ小僧の僕は写真を多く撮るので200枚/日×月4回×12ヶ月×6年=57600枚+ムービーと大活躍してくれたので、ご苦労様ということにしました。

カメラやレンズは、ご贔屓のカメラ屋さんが閉店しちゃったので、キタムラさんを利用させてもらっています。
前回、旅行時に普段使いのソニーの他に持って行ってる望遠レンズセットしたままのパナソニック・ルミックス一眼レフを、キタムラ・ネットショップで新古品を買いました。

キタムラネットショップは、価格のことはイマイチわかりませんが、種類が豊富でセット品から単体まで、新古品から部品取り中古まで選べて好きです。
中古品もプロから見たその商品のランキング表示(AA:新品同様未使用、A:美品外観使用形跡少ない・正常作動、AB:良品外観多少キズあり・正常作動、B:並品外観目立つキズあり・正常作動、C:やや難外観目立つ傷多い・作動、D:故障作動に問題あり)と、詳しい説明がされており安心です。
カメラ専業のお店で、実店舗が近くにあるので、店舗で受け取れるのも安心。

望遠レンズも持ってるので「ソニーミラーレス一眼レフ」&「現在生産発売中商品」&「AAorA」で調べると、「ミラーレスα5100白・ランキングA・税込み37980円」が目に止まり予約注文しました。

メールで「出荷まで4~8日」とあり楽しみです。
一段落したので、壊れたミラーレスで「初期設定に戻す」を何度かやってみようとガチャガチャやりました。
電源ON/OFFを切り替えしていると、10回の1回ぐらいメニューボタンが利くようになります。

その機会を捉え、あれやこれや動作不良でフリーズを繰り返しながらやってると、とうとう「初期設定に戻す」ことが出来ました。
「やった~」と思い電源OFF/ONしたらまた同じです。

またON/OFFを繰り返し、メニューボタンが利くタイミングで、フルオートを解除しました。
そしたら、OFF/ONしてもメニューボタンが毎回利くようになりました。
恐る恐るフルオートにしても、正常動作します。

愛着も有るのでこれを続けて使うことにして、キタムラさんにメールと電話で注文のキャンセルを伝えました。
「また壊れるかも?」ですが・・・

11/11・大仏鉄道史跡~浄瑠璃寺

20171111JyoS081s.jpg この「松谷川隧道」前の謂れ板に、大仏鉄道ハイキングコースの地図があり、JR加茂駅の間にある鉄道史跡を観に行くことにしました。

『迫石は花崗岩で造られ、石の長辺と短辺を交互に組み合わせた積木積み、レンガの積み方はイギリス積みです。黒っぽく見えるレンガは、赤レンガよりも高温で焼き上げる「焼き過ぎレンガ」で、赤レンガと「焼き過ぎレンガ」とが交互に配置されているのが、この隧道の特徴です。隧道の下部には突起があり、その突起に橋を架けて、上は農道、下は農業用水路として使用されていたようです』

どちらに行けば良いのかわかりませでしたが、Kさんに着いていくと、ビンゴ!
20171111JyoS084s.jpg 14:00「赤橋」橋梁。
上を走る道路を大仏鉄道の軌道が走っていたようです。

『赤レンガ遺構が多い中、ここだけ「赤橋」と呼ばれているのは、プロポーションの美しさ故でしょう。イギリス積みのレンガ造りの橋台で、最上部に笠石、上部に帯石を花崗岩の切り石で装飾しています。隅石も花崗岩で作られ、積み木積みにより橋の強度を堅固にしています。現在橋台は生活道路を支えており、今の現役です』

20171111JyoS089s.jpg 次の「梶ヶ谷隧道」は、すぐ横と言っていい位置にありました。
ここで地図を持った男性が歩いて来られました。
廃線史跡狙いの人と見て声を掛けました。
JR加茂駅からJR奈良駅まで、大仏鉄道全線走破しようとしておられる方で、未舗装路も
あることを聞きました。

20171111JyoS093s.jpg 更にKさんについていくと、14:13「鹿背山橋台」。
『花崗岩の石積み橋台最上部に枕石を2つ備えています。その堅固な構えや、水路の湿気を受けて艶やかに光る橋台の姿に魅了される人も多く、大仏鉄道遺構の中でも、とりわけ人気の高いスポットです』

20171111JyoS099s.jpg ここは「鹿背山橋台」から70m、観音寺小橋台まで650m、JR加茂駅まで3.1kmです。
Kさんはここで帰られるということで、僕だけ先に進みます。
r324に出て少し走ると、未舗装路になり、「退却だなあ」と見ているとKさんがやって来ました。
「アドレスなら行けるけど、僕は退却します」と告げると、「行ってきます」とKさんは突っ込んで行きました。

Kさんと別れ、r324でJR加茂駅に向かっていると、14:23現役の関西線の上を越えました。
未舗装の道があったので、野生の勘で徒歩で入っていきました。
が、ハズレでした。

r324を走り、14:33案内板発見。
20171111JyoS106s.jpg 川沿いの舗装路を入っていくと、14:38「観音寺橋台」。
『現在も利用されている関西本線橋台と並び位置しています。どちらも同時期に造られたもので、100年以上経過した今も現役の関西本線と、わずか9年という短い期間で廃止した大仏鉄道とのコントラストが、大仏鉄道の郷愁を誘うスポットです。
この橋台は、花崗岩の切石積みによる橋台で、最上部に枕石を2つ構えています。大仏鉄道には、土盛りによる築堤が設けられ、鉄路の高低差を和らげています。この橋台は、築堤により分断された田畑を繋ぐ役割を果たしていました』

20171111JyoS112s.jpg r44に合流し南下し、そのままr752になり、14:48「長尾阿弥陀如来」が道路脇にありました。
『阿弥陀如来坐像 徳治2年(1307)造立 願主:僧行乗 立派な屋根石を持ち、美しい蓮台を持った定印の阿弥陀如来坐像。 加茂町観光協会』

『浄瑠璃寺奥之院不動明王 ここから10分ほどで滝の飛沫を浴びる霊場・奥之院に着く。岩肌に鎌倉時代永仁4年に彫られた磨崖仏があるが、その岩が割れているため、後に山本勝真僧が石像不動明王及び童子をお祀りする。現在も神聖な行場として信仰が絶えない』

浄瑠璃寺から奥之院・不動明王像への散策路の途中にあり、奥之院に行きたかったけど、豪雨で危険な道になっているという注意書きがあり断念しました。

14:53「浄瑠璃寺」。
『京都府歴史的自然環境保全地域(浄瑠璃寺地域) 指定地域は、平安時代後期から鎌倉室町時代にかけて、浄土信仰の霊地として栄えた当尾地区の東部及び南部に位置し、歴史的遺産と周囲のすぐれた天然林等とが一体となって、歴史的風土が形成されています。今日「石仏の里」の中心地として多くの人々に親しまれています。
指定地域のうち浄瑠璃寺地域は、本堂や浄土式庭園を取り囲む常緑広葉樹の二次林として、その外側が落葉広葉樹の二次林、植栽林などで覆われています。そのなかで、この常緑広葉樹林は、ツブラジイ(コジイ)やアラカシの巨木がうっそうと茂り、自然の状態がよく保持されており、地域を代表する自然植生としても貴重なものです』

20171111JyoS122s.jpg 焼き物がたくさん並んだ土産物屋さんがあり、「あまざけ」「ひやしあめ」のお品書きが下がる茶屋さんがありました。
御食事&カフェのお店もあり、意外に観光客の方がいました。

『当尾地域は、奈良・興福寺の別所として、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、多数の石仏や寺院が造立されるなど、仏教文化の花開いた地域です。浄瑠璃寺も別所の1つとして平安時代後期に創建され、池を挟んで東西に国宝の三重塔と九体阿弥陀堂が建ち、此岸と彼岸、浄土の世界を現しています。中央の苑池には州浜式が復元された中島などがあり、平安時代後期に建立された本堂は、九体阿弥陀堂建築の現存する唯一の遺例です。庭園は特別名勝及び史跡に指定され、周囲の山々には、優れた植生の自然環境が良く保存されています』

『真言律宗・小田原山・浄瑠璃寺』、小さな山門をくぐる。
境内は国宝が2棟ある寺院の割に大きくなく、無駄に広くせず周囲の自然植生に守られるように溶け込んでいる。
20171111JyoS132s.jpg 向かって左側に国宝「三重塔」が建っているが、下部は池の周りの軽く紅葉した木々に遮られ、森の中から突き出ている感じさえする。

20171111JyoS134s.jpg 右手の国宝「本堂」は、奈良の寺院らしく甘美さから遠く、屋根も高くなく、どっしりと建っている印象を受ける。
『浄瑠璃寺(九体寺) 平安時代後期(藤原期)の日本が生み出した浄土式伽藍がただ1つ完全に残されてきた寺。即ち、西方極楽浄土の阿弥陀如来を西に、東方浄瑠璃浄土の薬師如来を東に、中央には宝池を置いて美しい浄土を現出している。
しかも西の阿弥陀如来は、これも現在ただ1つになった九体仏である。特別名勝及び史跡指定の境内には、4件の国宝、8件の重要文化財、25の宝物が昔のまま守り通されている。藤原時代の堂塔・仏像・庭園がまとまって存在するこの浄土式伽藍。
浄瑠璃浄土とは、澄みきった清浄と静寂の世界を言う』

拝観料400円を払って、本堂内に入ってみる。
京都三十三間堂のように仏像が並んでいる。
堂内は暗く、阿弥陀如来坐像が厳かに鎮座しておられる。
金箔の落屑少なくまだ十分残っており、もう少し光が入れば輝く極楽浄土を現すように黄金に光るだろう。
堂内観光客は10人ほどいるが、静かに座って手を合わせておられる方、ひそひそ話で感想を口にしているカップル、僕のように目を凝らして食い入るように見ている御仁、静かな時間を思い思いに過ごされており、日本の寺院の典型的風景があった。

ラッキーなことに、秘仏・吉祥天女像が特別公開中でした。
吉祥天像の写真でよく使われる日本一有名で美人な吉祥天様です。
逗子の扉が開かれ、ふくよかで白いお顔の吉祥天が、秘仏ゆえ色褪せず残っている朱や白の装い鮮やかにお姿を見せておられた。
当時の美人の典型なんでしょうが、僕の好みはもう少し細身・・・
京都の何処かのお寺におられた弁財天様が、神仏界の2大美女・吉祥天と弁財天の中で、僕の中でまだトップです。
泉涌寺界隈だったと思う。


11/11・生駒長弓寺~カフェの会

「カフェの会」に参加します。
11:30木津川市のお店なので、朝からバイクで探索しようと計画しましたが、生憎の雨です。
7時に雨が止んだので、朝ごはんを食べバイク装束に着替えます。

「里山VTR250」で出発。
8:51「セルフ緑ヶ丘SS」で給油。
247km/8.53L=29.0km/L。

R171~中央縦貫道を東に走り、近畿道側道のr2を南下します。
r143~r14~r19で淀川を渡ります。
道なりにR170に乗り、R163にチェンジし東進して、生駒山系の北側を東に抜けます。

r7を南下し、10:09生駒市「真弓山・長弓寺」。
国宝の本堂があるのを目当てにやってきました。
地名も「真弓」で山というより丘という感じですが、古い地名のようです。
塔頭が4寺存在し、なかなかの規模だった寺院のようです。

噴水のある池があり、「真言宗・長弓寺・法華院」をまず観に行こう。
20171111JyoS014s.jpg 山門の飾り瓦(菊と葉)に目が行きました。
「笹竜胆紋」のようです。
ご本尊が「愛染明王」のようで、観に行きましょう。
こじんまりしたお庭に「水掛不動」と小さな不動明王がいました。
ご本尊も拝めました。

20171111JyoS026s.jpg 噴水池に戻り、「長弓寺・円生院」へ。
こちらも山門に飾り瓦「菊の花と葉」が載っていました。
鬼瓦も載っていますが、他の瓦より新しいので、新たに載せたようです。
山門を入ってまず目についたのが、「Templish」と筆で書かれた横断幕。

20171111JyoS033s.jpg お寺の英語「Temple」と「English」の造語かな?
ご住職さんが開いている英語教室だと直感しましたが、帰宅後調べてみると、「ジャガイモ栽培」「凧作り」「鯉のぼり作り」「書道」「茶道」などの自然・学習物から、「餅つき」「流しそうめん」などのレクリエーション物まで、多彩なメニューを学ぶ子供教室のようです。

庭園の杉苔が綺麗で、水やりを欠かさず手入れされているのがわかります。
20171111JyoS039s.jpg 手水場の龍の口からチョロチョロと水が出ていました。
『金剛水 水には清浄の徳があり、香には遍照法界の徳があります。心身に本性清浄な香と大悲の金剛水を注げば、垢や穢れを除き浄めます。
ここの流れる水は、長弓寺本堂・十一面観音様の足元に湧く自然水で、お不動様御宝前にて香を加えてお加持した金剛水です。どうぞ金剛水で心と身を清め、お不動様にご参拝下さい』

20171111JyoS041s.jpg なで五鈷杵がありました。
『お大師様が胸に当てて持っておられる五鈷杵を大きくしたものです。お大師様の身体を見て、手で五鈷杵をなでて、その手をご自身の身体の祈願のところに当てて下さい』

弘法大師・空海が唐に渡り修行し、優秀な成績を収め帰る時、氏から授けられた宝具で、それを取り戻そうと追いかけてきた修行僧達に奪われまいと、「日本の地に帰れ」と天空に向かって投げた。
さきっぽの形状により、独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵などがあるが、いずれも「鈷」ですが、「月編」で書かれていました。
何が違うのか帰宅後調べたが、よくわかりませんでした。
円生院さんには、代々こう伝わっているのでしょう。

護摩に炊かれたのだろう煤けて真っ黒なお不動さんは、怖い顔をして睨んでいました。
『護摩とは 仏様の大慈悲からなる智慧の火をもって、衆生(私達)の煩悩や執着などの心身内外の垢を焼き清める真言密教の秘法です。智火の中へ護摩木と共に米・五穀など様々な供物を投入し、不動明王をはじめ諸尊に対し供養し、皆様の祈願成就を祈念いたします。願い事のある方は、お名前・年齢・ご祈願をお書きの上、ロウソク立ての上の箱にお入れ下さい。一定期間、所願祈願を行う特別祈祷もございます』

国宝の「長弓寺・本殿」に上がっていきます。
垣根に白い椿の花が咲いています。
20171111JyoS051s.jpg 国宝の本殿は、鎌倉時代1297年建立だそうです。
鐘が下がっていたので、志納金を納めてボ~ン、鐘の音は良い響きです。
寺院に合います。

『奈良時代、僧行基の開基。現在は薬師院・宝光院・円生院・法華院の塔頭から成る。本堂は桁行5間・梁間6間・入母屋造檜皮葺。弘安2年(1279)。所蔵品:本尊木造十一面観音立像(重文・平安時代?)・黒漆逗子(重文・鎌倉)など』

20171111JyoS075s.jpg 屋根の角の反りが良い感じです。境内に守護宮として伊弉諾神社があった。
『祭神:素盞嗚命・伊弉諾命・大己貴命(おおなむち) 聖武天皇勅願により長弓寺の守護神として建立され、牛頭天王の宮と称せられたが、神仏分離の明治新政により現社名に変更された』

日本で一番多かった牛頭天王社は、伊邪那岐・須佐之男・大国主の親子3代を主祭神にする事が多く、その殆どが「須佐之男神社」と名を変えたが、ここは伊邪那岐になったのですね。

バイクに戻り、真弓の丘を東に越え、「ならまち大通」に出て、R24を走り、11:17レストラン「Lier・幡」到着。
Pに入ると、既知のKさんが1人待っていました。
8人集まる日でしたが「あれ、まだ2人?」・・・いえいえ僕が最後でした。
20171111JyoS078s.jpg 11:30開店のお店なので、入口が開いたところで皆さん今入られたようです。

全員、ランチセットを注文しましたが、僕だけメインを「ブリの照り焼き」を選択し、他の方は皆豚を選択なさいました。
セットメニュー「ドリンク(珈琲or紅茶)+200円」と「ケーキ&ドリンク(珈琲or紅茶)+500円」があり、僕が「セットメニューのケーキ・ドリンクを」と追加注文したら、皆さんセットを注文されました。
古代米とふとわかめの味噌汁が付いていました。

この「カフェの会」は3周年です。
第1回目がこのお店で、僕も参加しましたので、2度目のお店です。
美味しく食べながら、皆さんと歓談。
女性3人と男性5名で、5名ともバイク・ツーリングクラブのメンバーです。
僕はソロメインなのでそれほど多く参加していませんが、他の方は毎月顔を合わせています。

2時間で終了。
「現地集合・現地解散」の会なので、ここで解散。
20171111JyoS079s.jpg 13:35、歓談の中で出た「大仏鉄道のトンネル」が、Pから見えます。
アドレスV135で来られているKさんと観に行くことにしました。


11/12・伽耶院~御酒神社~川下川ダム

20171112RokkoS199s.jpg 『三坂社(重要文化財) 伝慶長15年(1610) 三間社流(ながれ)造 こけら葺の建築で、当山の鎮守三坂大明神を祀る。正面の虹梁(こうりょう)墓股(かえるまた)組物彫刻及び側面の懸魚(げぎょ)等は江戸初期の様式を示しており、建立は本堂とほぼ同時期と考えられる』

蟇股の彫刻だけ彩色されていた。
多宝塔も蟇股だけ彩色されている。
『多宝塔(重要文化財) 正保4年(1647) 小倉城主源忠真の寄進によって建立され、弥勒菩薩を安置している。初層は方型・平行垂木。二層は円型・扇垂木、その間に白塗りの亀腹を持ち、蟇股と連子窓はされている。相輪を失っていたが昭和60年復元した』

20171112RokkoS220s.jpg 裏に、丸い石臼が積み重ねられた上に祠が置かれている。
『臼稲荷 田に水を溜めるため水の出□に古い石臼を使っていた当地方で、ある干害の年、白衣の老人となった狐が村中の田の石臼を全てとり除き水を均等に配分した。これを恥じた村人が石臼をここに奉納したと伝えられている。社前の紅葉はどうしてか、石臼を抱えている』

よく見ると、小さな祠が2~3の石臼の上に置かれていたりした。
20171112RokkoS223s.jpg 謂れ板に書かれている紅葉は、たしかに石臼を飲み込むように樹勢を伸ばしている。
珍しいな。

20171112RokkoS230s.jpg 本堂と多宝塔の間にイチョウの木が立っていた。
途中で折れちゃったみたいで、幹の太さの割に高さがない。
見たところイチョウはこの木だけですが、ここからあれだけ多くの銀杏が取れたとは想像し難い。

20171112RokkoS224s.jpg 本堂の裏に石祠が沢山置かれている。
『開山堂(県指定文化財) 明暦2年(1656) 但馬城主京極右近高供の寄進により建立され、開山の法道仙人を祀る。
堂内部の壁面には極彩色の飛天を画き、長押天井回り及び須弥壇上の宮殿には何れも入念な彩色文様をほどこし、山内では最も華麗な堂である。明暦2年の墨書を持つ』

謂れ板を読んで中を観たかったが、扉が閉じられていた。
残念。
20171112RokkoS238s.jpg その横の境内に護摩炊き場があった。
『護摩道場 不動明王の智火で煩悩を焼きつくそうとする儀式が採燈大護摩である。生桧葉を方形に積み上げ読経と共に点火する。毎年体育の日にとり行われ、近畿各地の天台系山伏200余名が参集する。前作法として山伏問答や法弓・剣の作法などが行われる』

その正面石段を上がった所に「行者堂」があった。
『行者堂(市指定文化財) 寛永7年(1631) 土佐城主源忠義の寄進により建立され、屋根・軒まわり・縁まわりは後世の修理により改変されているが内部の厨子・脇仏壇等は寛永期のものである。役行者の尊像を安置し、何のかざりもないこもり堂としての性格を保っている』

20171112RokkoS246s.jpg 葬式仏教が多い中、修行仏教者の姿を一般市民が垣間見るのは、修験道の山伏だけのように思う。
数度偶然その日に護摩炊きする場を訪問したことがあるが、迫力がありました。
天台宗系と真言密教系は、どう違うのか見聞が少なすぎて皆目わからない。

20171112RokkoS250s.jpg その横の境内最奥部に、子供が好きそうな人形や風車・石仏が木々の周りを囲むように点在している。
「水子供養」の場だと直感したが、奥に入って行くと、小さな石仏が小さな卒塔婆を背負っていたりしているので間違い無さそうです。

20171112RokkoS253s.jpg 最も奥に、沢山の風車に囲まれた小さな石仏があり、スヌーピーのぬいぐるみを前に祭壇のようになっていた。
小さな卒塔婆が3つ並べられており、ひょっとしたら家事で幼い子を一度に皆亡くしたのかもしれないと、深い悲しみを想像した。

そんな最奥の空間から境内に戻ると、色づいた紅葉がより鮮やかに見えてきて、こんなに色づいていたのかと、往路の気付きのなさにびっくりした。
人は精神的なもので、見えるものが違って来るようです。

バイクに戻り、r85を北へ。
20171112RokkoS261s.jpg 15:08「ネスタリゾート神戸」。
子供たちがまだチビだった頃、何度も来たことがある「グリーンピア三木」が経営破綻し、経営者が代わり新たに出来た施設。
何があるのかよくわからないが、送迎バスなどを見かけたし、県道分岐に職員が立っており、経営的にはそれなりに順調そうに見える。

r85がr355に突き当たり右折。
r355を東進していると小さな鎮守の森が見えて来たので寄り道。

15:18「御酒神社」。
20171112RokkoS268s.jpg 蟇股にまだ新しそうな見事な龍の彫刻が見えました。
新しい精細な彫刻は、彫師ではなくCADソフト製作なのかもしれない。
20171112RokkoS279s.jpg こんな立体的な精細彫刻が、PCで出来るようになったのだろうか?
大きな蔵があり、神輿や山車が入っていそう。
20171112RokkoS271s.jpg 境内角に巨石があり、垣根の一部を成している。
かつてはこの巨石を祀っていたのかもしれないな?と勝手に想像した。
県道は川に沿って走っているのですが、この川が上流から運んできたとはとても思えない大きさでしたが、角が削れ河川で削られた巨岩にも見える。

r355~r506~r17で「六甲北有料道路」と「中国道」をくぐり、r357でR176。
それを少し南下し、r327でJR道場へ。
武庫川沿いに走り、1年半後に開通予定の新名神高速道路のこの区間の工事進捗状況を見る。

16:02、武庫川沿いから離れ「川下川ダム」に登っていく所にバイクを停める。
車両通行禁止杭で行けない舗装路の探索をしてみよう。
落ち葉いっぱいの道を歩いていくと、やがてJR福知山線の線路をくぐり、ダムの方に道が曲がります。
20171112RokkoS289s.jpg 新名神の橋脚の真下から見上げると、とても高い所を道路が走っている。
倒れずこんな道を造る日本の技術は素晴らしい。
強度計算されているので、無駄に太くなくスマートでカッコイイ。

ロックフィルダム真下まで行けると思っていたのですが、送水路とダム施設までしか行けませんでした。
大雨の後などで貯水量を吐き出している時は、送水路も大変な勢いなんだろう。
神戸市水道局の門扉から見える所に鉄蓋で閉じられた横穴トンネルがある。
20171112RokkoS303s.jpg あそこに入っていけば、ロックフィルダム直下まで行けそう。

これ以上無理なのでUターン。
20171112RokkoS309s.jpg 何気なく見ていると、すっぽんの死骸が転がっていた。
武庫川渓谷を歩きバイクへ。
ここは武庫川とダムを水源とする朝霧のメッカなので、高速道路開通後は、濃霧で速度制限が頻発される区間になりそう。
上手く行けば雲海の上を走り、朝霧雲海の絶景ポイントになるかもしれない。

「川下川ダム」経由でr33に出て、r325~長尾山トンネルを抜け、17:07帰宅。
ああ、楽しかった。


11/12・六甲山~つくはら湖呑吐ダム~千体地蔵~伽耶院

r82に戻り、兵庫県No2の進学校・甲陽学院高校横を走り、北山植物園横を通ります。
長男は中学受験で甲陽を第一志望にしましたが、不合格でとても心配しました。

合格発表の帰り、勝手にお店に入り、勝手に食べ、勝手に買っていくので、付き添った家内は尻拭いでお金を払うだけで、「もう私にはダメ、自分の部屋に籠もったまま、飛び降りたらどうしよう」とヘルプ電話が僕に入りました。
僕はすぐ帰宅し、2Fの長男の部屋の前で見張りました。
僕の天体望遠鏡は無残に放り投げられ壊れています。
飛び降りるんじゃないかと、一睡もできない夜を過ごしました。

奈良2校・兵庫1校・大阪2校受け、東大寺学園と甲陽学院が不合格で他は受かりました。
大阪の学校に進学し、今がありますが、大人になってからその時のことを聞きました。
「塾で僕より下だった友達が受かり、大丈夫と言われていた僕が落ちた。自分が情けなくなったんだ。気持ちを切り替え、次の受験に向けて勉強してたよ。お父さんが部屋の前にずっといたのは知ってたよ」とのことでした。

逆瀬川から登ってくるr16に甲寿橋で合流。
盤滝トンネル入口からくねくね道を登ります。
宝殿で芦有道路が合流し、越木岩神社の境外末社の「石宝殿」横を通過します。

ここまで登ればもう勾配は緩く、11:54六甲山最高峰直下の一軒茶屋。
「六甲全山縦走ハイキング大会・チェックポイント」がありました。
大学ヨット部同期が、今年も神戸大ヨット部同期とチャレンジすると言ってた大会の開催日のようです。

20171112RokkoS099s.jpg ここまでも多数のロードバイクを抜きすれ違ったが、ロードバイクが何台も横になり、バイカーが達成感に浸っています。
有馬側からと芦屋側から登ってくる魚屋道の休憩ポイントなので、大勢のハイカーでごった返しています。
20171112RokkoS108s.jpg 紅葉谷道の一部通行止め案内板が設置されていました。
台風で崩れ通行止めになったけど、一部復旧していますが、ロープウェイ有馬温泉駅から、炭屋道合流部まではまだ通行できないようです。

ウロウロしながら休憩し、六甲ガーデンテラスに向かって進みます。
ガーデンテラスPが混んでいるようで、四輪がその入口から渋滞しています。
バイクは平気なので突っ込みますが、出る車も繋がっており、隙間を縫うことも出来ず断念。

20171112RokkoS112s.jpg 仕方なくUターンしてr16に戻り、高山植物園から枝道に入り、12:16「六甲ケーブル山上駅」。
駅上の展覧台に上がってみます。
大阪湾の絶景が目の下にあります。
20171112RokkoS123s.jpg 冬の空気に入れ替わっているので、淡路島・由良~友ヶ島~和歌山県・加太までくっきりと見えます。

20171112RokkoS121s.jpg 西宮YH沖を見ると、白いセイルの一群がいます。
レースをしているようです。
一文字防波堤沖を見ると、朝出ていったクルーザーレースの一群がいます。
一列になっているので、弱いなりに風が入りレース中のようです。
こうして俯瞰すると、神戸空港から加太って近いように見える。

20171112RokkoS126s.jpg 「TENRAN CAFE」を見に行く。
営業時間は11:00~20:30。
1000~1500円のメニューが、拝み黒板に書かれている。
「スペースホワイトカフェ」というのがありました。
ROKKO MEETS ARTの作品となっているのですが、メニューもカレー・デザート・ソフトドリンク・アルコールとなっており、ちゃんとしたカフェのようです。

駅に降りてきました。
六甲山上バスのバス停があり、ケーブルカーで上がってきたお客さんが、次々に乗り込んでいきます。
20171112RokkoS136s.jpg 駅の中に入る。
昭和7年建築だそうで、重厚感のある建物です。
建築強度などの規定が緩かった時代ですが、分からない分柱は太く、オーバースペック感が安心感を呼びます。
20171112RokkoS137s.jpg ケーブルカーを見ると旅気分になります。

r16に出て鈴蘭台側に下ります。
R428で北上し、r83を西に走り、13:27「デイリーヤマザキ神戸山田中店」で、ずっしり小倉デニッシュ119円と横綱揚げ108円を購入。
20171112RokkoS139s.jpg 13:32「呑吐ダム・つくはら湖」。
昼食です。
パンを食べ、横綱を1/3ほど食べます。

ここは、バイクの溜まり場です。
スポーツカーの溜まり場でもあります。
GTR・コペン・外車ツーシーターオープンなどがいました。
ヤマハXJR1300が2台、カフェレーサー的なクラシックカウルBMW、シートのないトライアルバイクがやってきました。
常連さんなのでしょう、おじさん達があちこちで雑談しています。

20171112RokkoS145s.jpg r83を走り、r38を渡り、r85になり山陽道の手前、14:13「千体地蔵」。
『本尊は天平3年12月行基菩薩の作。菩薩は新羅の慧基法師に学びて名声の誉高く、後聖
武帝に重要せられ帝のために菩薩戒を授け、行基大菩薩の号を給わりし人。堂前面に佐々木源龍の筆なる扁額かかれり、土俗小さき石地蔵を奉るもの多く、その数1200、もってこの名あり。
昔この地に悪病が流行して多くの人命が失われたので奉祀安全を祈願せしが始まりと伝えられる。其後子安地蔵として遠近より参詣者多く、毎年8月24日の地蔵盆には特に参詣者が多い。註、ここは三木市志染町井上です』

石の上に置かれたり、削られた石に埋め込まれたりした石仏がたくさん置かれている。
小さなコンクリートブロックが重ねられて作られた祠があるぐらいで、無造作に小さな石仏が集まっているだけに見えるが、謂われように歴史古いとそれなりのものを感じる。
祠で囲われた磨崖仏もある。

20171112RokkoS149s.jpg 山陽道下を抜けると、「伽耶院」の案内板を見つけ寄り道します。
枝道に入り、14:21「仁王門」。
『内部に安置されている尊像は、行基菩薩作と伝えられる金剛力士像であるが天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したと伝えられている。建物は大正時代の再建であり、花頭窓のみが前建造物の遺物である』

20171112RokkoS153s.jpg 仁王像の首から上・両手・両足は見事に焼けてなくなっていた。
脚部の付け根が何となく黒いように見えるのは光の加減だろうか?
胸の立派な膨らみは残り、如何にも強そうです。

少し進むと駐車場があり、横に流れる沢に掛かる木々に紅葉が始まり綺麗です。
『断層 柱状節理と呼ばれる神戸層群の特異な露岩であるが、露岩やや右寄りにタテに直線の断層が走り、その左右では岩層が約1m食い違い、更に右側部分は大きく波打っている。かつてこの付近を襲った大地震のあとである。断層がこのようにはっきりと見えるのは珍しい』

20171112RokkoS164s.jpg 確かに断層が見え、何処にでも大きな地震が来るんだなと、改めて日本列島の自然災害の多さを感じた。
当たった例がない地震予知などにお金を掛けず、地震からの復興にその資金を回す方が良いように思う。

『伽耶院 飛鳥時代(645年)法道仙人が開基した古寺で、花山法王が大東経を五部奉納されたという由緒もあり、後西上皇から伽耶院の勅号を賜っています。かっては数十の堂宇と130あまりの坊舎をもって栄えていたが、江戸時代以前に2回の火災により焼失し現在の建物はその後再建されたもので、現在でも修験道場としで年1回大護摩があります』

綺麗に石垣が積まれている。
石垣の一部が突き出ており何かな?と思ったが、樋でした。
雨水が石垣に沿って流れないように、直接下に落ちるようになっていた。

新西国26番霊場・勅願寺大谷山伽耶院大谷寺。
20171112RokkoS174s.jpg 山門を入ると、ナンテンの赤い実が鮮やかに迎えてくれた。
20171112RokkoS176s.jpg 地面に置かれたトタンに沢山の銀杏が干されていた。
イチョウの木がありそう。

20171112RokkoS185s.jpg 境内に並べられたお地蔵様は皆、赤い毛糸の帽子を被っていた。
お地蔵様には赤が似合います。
梵字を刻んだ石像もある。
本堂と多宝塔が見える。

池があった。
『黄金水 12月中旬から2月中旬ごろ、この池の水面が或は虹色に或は金色に輝く。当山の本尊福徳毘沙門天は法道仙人が金色に輝く滝壷から感得されたという言い伝えを持っており、寺ではこれを毘沙門さんの黄金水と呼んでいる。この期間以外はただの濁った水である』
今はただの濁った水です。

20171112RokkoS189s.jpg 本堂に入ってみる。
毘沙門天が本尊の寺院は、そう多くないと思うが、僕は如来さんよりこちらの方が好きなので、目を凝らして本尊を見るがよく見えないよ。
本堂と多宝塔の間に祠があった。


11/12・甑岩

『照る日かな 蒸すほと暑き 甑岩」
俳諧の祖・常鑑(1464~1553)が当社のご神体の磐座を詠んだ句です。
山城国の山崎に往んでいたので山崎宗鑑と名乗り本名を志那範重、室町幕府将軍足利義尚
に仕えていました。義尚没後は出家をし尼崎の大物や能勢など諸国を巡り「手をついてもの申し上げるかえるかな」など多くの即興の句を詠んでいます。崇鑑の俳句は一茶や芭蕉など以降の俳人に多大な影響を与えました。晩年は讃岐国の興昌寺に庵を構えて没しました。辞世の句を「宗鑑はいずくへと人問うならばちとようありてあの世へといへ」と詠んでいます』

20171112RokkoS036s.jpg この謂れ板の横に、マークの付いた大岩が置かれていました。
『大坂城築城の残石 右の御影石の前面に刻印があります。東側は池田備中守長幸(岡山県松山城主65000石)が使用した刻印で、大坂城修築工役(元和6年1620~寛永5年1628)に天守台を始め、本丸や二の丸などの石垣を築いた大名です。
西側は鍋島信濃守勝茂(肥前佐賀城主357000石の大名)の刻印石です。採石地不明と言われていたが、当境内から発見された数個の刻印石により、当地境内・付近一帯が採石地であったことが判明した。
因みに霊石甑岩を大阪築城(1583年)のために切り出そうと豊臣秀吉が石工達に命じて割らせていたところ、岩の間より鶏鳴し真っ白な煙が立ちのぼり、その霊気に石工たちは転げ落ち、甑岩は運び出せなかったと言います』

湧水が小さな流れとなり、小さな池を作っています。
しばし絵馬掛けに下がった絵馬に書かれた願い事を見ます。
願い事を読みながら、その方のことを想像するのが楽しい。
「・・大学合格」「・・資格試験合格」などを見ると、真剣な眼差しで書いている姿が見え、「元気な赤ちゃんが生まれますように」からは、夫婦でお腹を擦りながら幸せの笑顔で書いている夫婦の姿が見えます。
中には、美少女アニメのような素敵な絵馬を見ることがあり、読んでいるこちらまで、幸せな気持ちになります。

石鳥居をくぐり、勾配のゆるい石段を上がって行くと、左手に『土社 祭神:大地主大神 我等が立っている大地を祭る。土や地や住居や生成を守護す。地鎮祭の神でもある』があった。

突き当りに『甑岩大神』と扁額が下がった石鳥居があり、祠の後ろに大岩。
脇に『六甲山社 祭神:菊理姫大神 武庫山(六甲山)を拝み、東麓第一の社で山の
神を鎮め祭る。 良縁成就・夫婦円満・農業守護』

菊理姫大神は、白山に祀られる白山比売神と同一視される神で、先だったイザナミ会いたさに黄泉の国を訪問したイザナギが、変わり果てた姿に驚き、一目散に逃げ帰る時、「見たな~許さん」と追いかけてきたイザナミに追いつかれる。
そこで口論になった時、仲立ちした神です。
縁結びの神。

「良縁成就」には思い出があり、家内との結婚式披露宴で、取引先の偉いさんから、祝辞とともに色紙入り時計を頂いた。
達筆な文字で、私と家内の名前を散りばめた祝いの言葉が色紙に書かれていました。
私の名前2文字を入れて「良縁成就」になっていました。
これが気に入り、いつまでも家内との良縁成就の気持ちを忘れないよう、今でも玄関の時計として壁に下がっています。

20171112RokkoS052s.jpg 横に越木岩神社のプラスチック絵馬掛けがあります。
「良縁成就・結婚・子孫繁栄」「心広き良き方との縁が成就しますように」「やせて若くて可愛いお母さんになれますように」「たくさんのお客様とのご縁をいただけますように」「2人目が授かりますように」・・・そう言えば、長男夫婦と有馬温泉の子授けの神徳がある神社を訪問した時、2人で長く手を合わえていました。
2010年に結婚し、東京在住ゆえ2011年は福島原発の影響を気にして延期していた子作り・・・2012年にここ以外にもあちこちで参っていたのでしょう。
2013年に長子を授かり、今や2人の親となっています。

「甑水神神社」がありました。
湧水が湧いている所のようです。
20171112RokkoS054s.jpg 甑不動明王が睨みを利かせています。
水源や滝などに多く立つ不動明王を見ると、清らから水の守り神という感じがします。

『御神水六訓 1水は尊し 水なくば成らず育たず、心ある者その加減を知り、水を大切にせよ。 2水は美し 冷熱に応じて虹と化して、水と変わり水晶となる。 3水は清し 常に味わいて飽きず、汚穢を洗い清める。 4水は強し いかなる障害に屈せず、自ら進みて矢を成し、地を動かす 5水は恐し 人を呑み船を覆し、山野を没して、地表をも変貌す 6水は深し その源、神に発し、大自然の道を示し、波乱曲折の人生を思わしむ』

甑岩を一周しようと東側に進むと、『遥拝所 伊勢神宮・宮中三殿・神宮神社を遥かに礼拝するところ 脇社:天照皇大神宮』があった。

20171112RokkoS057s.jpg 『甑岩 祭神:甑岩大神 岩社祭神:市杵島姫大神 左前方にある高さ10m、周囲40mの花崗岩の岩は、その形状が酒を造るときの甑に似ているので甑岩と名付けられています。古代信仰の磐境・磐座をなし霊岩とされ神が鎖まっていると、古来より言われています。
今を去る約1100年前(延喜年間)には、この岩より煙がたちのぼり、茅沼浦(ちぬのうら・大阪湾)や戸田庄(西宮市戸田町・西宮神社が海岸であった頃)入江のあたりの舟からも見えたと伝承されています。
室町時代の俳諧の祖・山崎宗鑑(1464~1553年)が句を残しております。照る日かな蒸ほど暑き甑岩
この神の鎮まる霊岩を大坂城築城のために切り出そうと、村人達の制止の懇願にかかわらず、豊臣秀吉が石工達に命じて割らせていたところ、今にも割れんとする岩の間より、鶏鳴し、真白な煙が立ち昇り、その霊気に石工達は、岩諸共転げ落ち倒れ臥し、如何にしても運び出せなかったと伝えられています。境内にある残石は申すまでもありませんが、この甑岩にも池田備中守長幸(松山城主8万5千石)の刻印があり、一部は搬出されたようです。
「安産の神」「殖産興業の神」「諸願成就の神」として崇拝され、修験者が修行した霊験あらたかな岩です。是非一周され御神徳をお受け下さい』

20171112RokkoS062s.jpg 甑岩を一周します。
しめ縄が周囲を巡っています。
驚いたことに甑岩の一部に、刻印が刻まれています。
本当に切り出そうとしたんだ。
秀吉の伝説は事実で、事故が起こって祟りを気にしてそれ以上の切り出しを中止したのでしょう。

甑岩の裏に行くと、更に上っていく小径があったので、そちらに進んでみる。
『貴船社 祭神:貴船大神・龍神 水に縁ある諸業守護し給う。炎旱霖雨、豊作、海上安全、当社の奥宮は六甲山石宝殿であり、雨乞の霊験は特にあらたかである』

六甲山石宝殿は、逆瀬川から登る六甲山縦走路、六甲山頂近くにあります。
石で造られた祠だったと記憶しています。
雨乞い神事の時、ここから山頂まで延々登ったのでしょう。

東に開けた場所がありそうで行くと、イノシシが掘り返した跡がありました。
そして、ドドーン。
20171112RokkoS074s.jpg 大阪ビル群が見渡せました。
振り返ると山葡萄かな?が黒い実を付けています。

更に上に上がるとてっぺんは大岩がゴロゴロしています。
20171112RokkoS071s.jpg 磐座って感じです。
如何にも神が降臨し、天の神への祈りの場となりそうな場所です。

甑岩の裏側に降りてきました。
甑岩は1枚の巨岩ではなく、巨岩がいくつも集まり、穴太衆が組んだように切れ目がピッタリ合い、遠目では1枚の巨岩に見える岩でした。
切り出そうとした名残のノミの跡が残った岩もあります。
秀吉が生きていた時代の痕跡だと思うと、岩の永遠の生命と、人の人生の一瞬を感じます。 
周囲には、岩を抱いて生えているような樹もあります。

越木岩神社に戻ると、七五三の参拝者が更に増えており華やかです。
バイクに戻り出発。見どころ満載のナイスな神社でした。

11/12・越木岩神社

家内が神戸と大阪にお出かけです。
僕は、台風対策したまま見に行っていない係留艇の様子を見に行くことにしました。
8時に家内を駅まで送り、バイク装束に着替え、「招き猫CB400SB」でお出かけです。
定番の招き猫に加え、「Dr.スランプあられちゃん」フィギュアをリアシートにタンデムさせ、8:58出発。

R171を走り西宮へ。
ホームポートにバイクを置き、桟橋を渡って係留艇へ。
船は僕が2つ目の台風のために対策したままです。
増しロープを外しても良かったのですが、そのままでも問題はないのでそのままにします。
ドッグハウスに入り、バッテリーONにして、イグニッション・ボタンを押すと一発始動です。
20171112RokkoS003s.jpg そのまま5分ほど回します。
冷却水も通常通り出ており異音もせず、エンジンは快調そう。

クルーザーのレース日で、昨夜代交代式で会ったヨット部OBたちを乗せたレース艇が出ていきました。
僕もそうでしたが、学生時代に乗った小型レース艇の世界だけでなく、いろんなヨットに乗って今後の生活の楽しみにして欲しい。

コクピットに座り見上げていた六甲山に登りたくなりました。
時刻は10:30。
「行ってみよう」。
バイクに戻り、R43に出てr82で北上し六甲山を登ります。
R2を渡り、阪急甲陽園線の苦楽園口付近の踏切を渡り登っていると、「越木岩神社」の案内板が見えてきたので寄り道。
枝道に入り下っていくと10:51神社がありました。

『兵庫県指定天然記念物 越木岩神社社叢 この社叢はヒメユズリハが群生する県下でも数少ない暖帯林で、洪積台地上に立地してぃます。ヒメユズリハ・モッコク・クロバイ・ヤマモモなどが林全体を覆い、低木層にはアラカシ・サカキ・ヤブツバキ・カナメモチ、林床にはマンリョウ・ベニシダ・クチナシ・テイカカズラなどが生育しています。一部の樹種に二次林的な様相が見られることから、若干、人の手が加わった部分があるようです』

参道脇に、土俵があった。
古い神社なので、神事に使われて来たのかな?
七五三参りの季節のようで、お出かけの洋服を着た女の子が、両親に加え祖父母さんも笑顔です。

『摂津国の一大霊場で、天然記念物の森に覆われた霊験あらたかな神社です。創立不詳と言われるほど由緒深く、甑岩を霊岩とし今なお全国的に信仰を集めています。
古代信仰の磐境(いわさか)・磐座祭祀と呼ばれ学術上貴重とされている。千年前の延喜式神名帳に大国主西神社として記録されている。
正保年間(1656年)社殿が再建され、明暦2年(1656)円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧進し、蛭子太神宮と称しました。以降数回社殿は修復されましたが、現在見事な片削破風流造の本殿は昭和11年に、拝殿は昭和58年に造営となった』

『霊岩瓶岩(こしきいわ) 本殿背後の甑岩は、周囲50m・高さ10mの大怪岩(花崗岩)です。室町時代の俳諧の祖・山崎宗鑑(1464~1553年)は即興の句を吟じ、「照日かな蒸すほど暑き甑岩」と詠った(甑の意味は、方形・円形の米などを蒸し炊く器でセイロとも言い、夏の暑さの酷しい事とも言います)霊験あらたかな霊岩であり「安産の神・子授けの神」として太古の昔から崇拝され、甑岩に触れていただくと、「御神徳」や「パワー」を戴けます』

『年末年始の臨時巫女・奉仕者募集 資格:高校3年生以上の男女 平成29年12月中旬~平成29年1月末頃まで 内容:12/31~1/3社頭にて御守・御神札などの授与、祈祷受付補助など 1/9~11十日えびすにて吉兆などの授与、祈祷受付補助など 手当:面接時にご説明させて頂きます』
女の子なら、巫女さんのバイトはやってみたいでしょうね。

『越木岩神社の神々 本殿:蛭子大神(えびす大神) 俗称:北の戎 福の神・えべっさんとして有名な蛭子大神がお祀りされています。もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神の象徴でしたが、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになった。
岩社:甑岩神詞・厳島神社の御分霊 祭神は市寸島比売命で、女性守護・安産・子授けの神様として祀られています。俗に弁財天と称せられ、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」、御神徳の高い神様であることから、子供の成長や芸能の上達を祈る神様としても信仰を集めています。
六甲山社:菊理姫大神 神名の「ククリ」は「括り」の意で、イザナギとイザナミの仲を取り持ったことからの神名と考えられて、「縁結び」の神様として信仰されています。また白山比比め神と同一視されることもあり、六甲山を神体としてみなした原始的な山岳信仰があり、水神や農業守護・延命息災の神様として崇められたとも考えられています。甑岩が古代信仰の磐境・磐座祭祀という最も古い信仰形態とされる自然崇拝の対象とされ、修験者の山岳修行が行われていたことからも、重要な神様として古くからお祭りされています。
境外末社:苦楽園神社・石宝殿 境外に、苦楽園地域の守り神を祀る苦楽園神社。
六甲山麓に当社氏子が作った雨乞社の奥宮「石宝殿」がある。
人生のまつり:私たちの暮らしは、いつも神様に見守られています。人生の大事な節目に神社に参拝し、子供の成長や家族が健康であること、家の安全などを祈願し、神様に感謝し家族みんなでお祝いしてきました。越木岩の神様とともに歩む人生のまつりを紹介しましょう。
子授け祈願:昔から子供は神様から「授かる」といい、神様からの恵みと考えられて来ました。子供が授かるように神社に詣で、御神前で祈願します。
腹帯に込める安産の願い・安産祈願:妊娠5ヶ月目の戌(いぬ)の日に神社にお参りし、子宝に恵まれたことを神様に感謝すると共に、安産を祈願し、帯祝いを行います。「帯祝い(着帯の祝い)」とは、胎児の健全な発育を願い、妊婦が白布の腹帯(岩田帯)を締めるお祝いです。戌の日を選ぶのは、犬が多産であることから、これにあやかりたいという願いからです。
神様に初めてのご挨拶・初宮:神様のご加護によって無事出産を終えたことの奉告と、子供の健康と成長そして今後のご加護を願い、初めて赤ちゃんとともに神社に参拝することを「初宮詣(初宮参り)」と言います。地方により多少違いますが、男児が31日目・女児は33日目に行います。初宮詣の時は、赤ちゃんに祝い着(男児は黒紋付、女児は友禅の晴れ着)を着せ、父方のおばあちゃんが抱くのが伝統的です。何日目というのは1つの基準で、この日でなければならないというものではありませんから、まず赤ちゃんの健康を第一に考え、日取りを決めましょう』

社務所には、七五三参りの方数組がいます。
男の子も女の子も綺麗な着物を着ています。
20171112RokkoS024s.jpg 中学生ぐらいの振り袖姿が美しい女の子に、どうしても目が行きます。
妹の付き添いのようですが、せっかく神様の前に出るのだからと縁結びのおすそ分けしてもらうのかな?

20171112RokkoS028s.jpg 僕も、「腹帯」「初宮参り」「七五三」とみなお祝いしてもらって育ちましたが、こういう吉事を家族でお祝いする家の子は落ち着いた大人になります。
自分の努力であっても、神様に頭を垂れることで、家族・世間への感謝の気持ちを忘れないように思います。
家内・義理妹・長男の嫁・次男の嫁、みなそういう家の子で、息子たち一家もそう育てており、孫達も素晴らしい人生を歩むこと間違い無しです。
20171112RokkoS031s.jpg ガランガラン・ぱちぱち・・・拝殿には、新旧様々な絵馬が下がっていました。
20171112RokkoS032s.jpg 本殿裏の甑岩を観に行きましょう。


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