11/7・8 お葬式

11/7
全日本大学ヨット選手権(インカレ)の3日目夕方にわかった高校大学時代の同級生Yくんのお通夜・告別式です。

11/5(日)夜にインカレ会場福井県高浜町から帰宅し、月曜日午前中にYくん自宅に電話しました。
奥様にいろんな話を聞きます。
事務的なことは、「供花か供物を出させていただくので、担当の葬儀屋さんを教えてもらうこと」「香典辞退」など。

7月にお腹が痛い・・・腸炎として服薬回復。
8月にまたお腹が痛い・・・同じく回復。
8月下旬また腹痛・・・検査した所、肝臓に影があるので豊中市民病院への紹介状をもらう。
9/5豊中市民病院で精密検査し、肝臓がんと判明。
原病巣は空腸ステージ4と判明。

手術・放射線療法は出来ないので、抗癌剤治療開始。
2週間1クール(2日抗がん剤投与・10日間治療効果を見る)2回目に入る11/4夜に病態急変し、そのまま4時に亡くなったとのこと。

学生時代何度も訪問しお世話になったまだご顕在のお母様(学生時代何度も訪問し、食べさせてもらった)のご様子を聞き、ご兄弟やお子様方のことも聞き、奥様へのサポートもあるので大丈夫そうだと確認しました。

葬儀屋さん(お嬢さんの同級生が経営)に電話し、供花のみで1基1.5万円と2万円があるとのことで、卒業後も年1回集まっていた高校ヨット部同期を中心にした仲間6名連名で、1対4万円のを出さしてもらうことにする。

その旨、5人にメールすると、皆からお任せのメールが届きました。
届かなくても強制参加ですが・・・。
お通夜は、11/7(火)19:00になりました。
前日が友引だったのでこの日です。
葬儀会館は、箕面市立聖苑というところです。

11/7・18:00に着くよう早めに家を出ました。
新しいとても綺麗な会館で、ご葬儀はYくんだけでした。
20171107YamaS002s.jpg サインして、カメラを持って会場に入り、祭壇を写します。
東京在住で来れないやつもいるので、写真だけでも送ってやろう。

親族控室をノックし、奥様・喪主の長男さん・その新婚の奥さん・お嬢さんに、連絡頂いた御礼とお悔やみを伝える。
式場に戻ると、職員さんが「お顔を見られますか?」とのことで拝ませてもらった。
僕の知るYくんより痩せていたが、綺麗な顔をしていた。

弟さんと妹さんが挨拶に来られました。
弟さんはYくんに似ており、歩き方がそっくりです。
Yくん同様気さくな方でしたが、用事で離れられました。
妹さんは、高校ヨット部同期に引き入れられたYくん同様、ウインドサーフィン仲間に引き入れられたようで、僕以外の連中とは大学時代遊んでいたようです。
僕は大学もヨット部に入ったので、Yくんの家で数回会っただけです。
あれやこれや、親族の打ち合わせが始まるまでお話しました。

一般席半ばに座っていると、メンバーのSくんとSA君が目の前の席に座りました。
「やあやあ」と3人で座りました。
通夜式が始まり、お焼香して席に戻る時、別の中学~大学まで一緒だった仲良しKくんの顔がありました。
お互い会釈。

式が終わり、「お顔をご覧になる方は・・・」の案内に促され、3人で拝みに行きます。
R171沿いのロイヤルホストで「お茶でもしよう」との話になっていたので、Kくんを探すがもう帰っちゃったのか見つけられませんでした。
僕を探すものと思っていました。

R171に出て西に走り、ロイヤルホストがありました。
電話を掛けたら「ロイヤルホストにいるよ」とのことで入ってみたらいない・・・再度電話すると、何度か待ち合わせたことがある伊丹のロイヤルホストだとわかりました。
ここは池田です。

伊丹のお店に移動し、3人であ~だこ~だ。
2人は珈琲でしたが、僕はフラッペです。
久しぶりに会ったので、話が弾みました。

11/8
告別式です。
11時からなので9:30に用意をしだし、小雨が降っていたので前日と違い車で出動です。
サインして式場に入ります。
お通夜より席の数が半分ぐらいになっていました。
お通夜の時は、喪主の息子さんが豊中高校の先生なので、生徒さんがわんさか来られていました。

式場内に座っていると、昨日会ったS君がやってきて、「向こうで」ということでロビーの喫茶コーナーでSくん奥様と3人であ~だこ~だ。
東京からYくんがやって来ました。
4人でお喋りしていたら案内があり、式場に入ります。

前日と同じ天台宗の導師さんです。
天台宗のお式は初めてで、宗派によって違いますね。
式が終わり、お花をYくん棺に入れ、最後のお別れをします。
ロビーに出て棺が火葬場の方に移動していくのを見送る。
式場と火葬場が同じ施設なので便利です。

4人で、前日僕が間違えたロイヤルホストに入り、昼食を取る。
またあ~だこ~だ話が弾みました。
2年前、僕より6才も若い弟が心筋梗塞で倒れた時も驚いたが、同級生の死に「いよいよ僕の番も近づいてきたな」と感じます。

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昨日、次男一家が帰省しました。
昨夜は、この同級生たちと恒例の忘年会です。
亡くなったYくん弟・妹にも声を掛け参加しました。
Yくんを偲ぶ会でもあるので、僕が指名され挨拶し献杯させていただきました。
ゲストがいるので、僕が自己紹介とYくんとの思い出を話しました。

その後僕が指名する形で、みんなに話してもらいました。
弟くんも同じKG同窓生だし、妹さんはYくん通じて僕以外の仲間がウインドサーフィンの世界に引きずり込んだ知り合いだったから、最初から話が盛り上がりました。
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11/5・インカレ最終日

レース最終日です。
朝4時に目覚めました。
昨日からの風がまだ残っています。
陸上ですが体感6~8m/sでしょうか。
すぐに車内の寝床を片付け、駅まで朝の散歩&朝のお勤めをします。

5:30に合宿所に戻り、朝食を食べ、車で駅に行き歯磨きをします。
20171103IncS069s.jpg 1回生が次々にやって来て、6:05の電車に乗り込みYHのある次の若狭和田駅に向かいます。
前日朝訪問した「高浜城址」の主だった逸見駿河守昌経が籠もった「砕導山城」が駅の山側に見えます。
昨年登ったが、海が一望でき素晴らしい眺望でした。

20171103IncS077s.jpg 6:37監督・コーチ・部員を乗せ、6:50YH漁港着。
混雑が予想されるので、一般車用Pが漁港に用意されていたのでそちらに入れました。
お隣の車からご夫婦が出てこられたので、「駐車場が狭いですね」と声をかけると、「関東に比べれば広いですよ」とのこと。
慶応の選手のご父兄でした。
聞かなかったけど、ジュニア出身選手の親御さんだったかも?
もっと話せば良かった。

歩いてハーバーに入ると、駐車場はガラガラです。
これなら「入れるかも?」と思い、車を取りに戻ります。
そこでなんと、甲南大学OBで一緒にチームを組んで3人乗りヨット・レースに臨んでいるOさんと会いました。
「あれれ~」、母校の応援に来られたようです。
7:24、車をハーバーPに入れました。

20171103IncS080s.jpg 7:30、クラブに行き、体操~ブリーフィング。
他校も円陣を組んでいます。
20171103IncS085s.jpg 母校KGブリーフィングを見に行くと、各クラスチーフから出場選手名を呼ばれ、「はい」とブルーのビブを受け取っています。
僕が現役だった頃はビブがありませんでしたが、当時と変わらぬ出艇前の光景です。
父兄がその様子を写真に収めています。

7:44、コーチボート・支援艇が出艇して行きます。
20171103IncS090s.jpg 8:25、選手が出艇して行きます。
漁港のコーチボート係留地に向かいます。
前日エンジンがストップしてしまったコーチボートは使えず、インフレータブル1&ハードボート1隻体制になりました。
右エンジンが始動せず、メンテナンスに来てもらうとバッテリー上がりで、交換してもらいます。

その間、母校KGの観覧セーリングクルーザーの出艇を手伝います。
僕とチームを組んで3人乗りヨット・レースに参戦している先輩たちが乗っています。
横には、前日艇体放棄したスナイプ1艇と、ひっくり返ったレスキュー・インフレータブルRIBボートが2艇置かれて、当該部員や担当者が見ています。
水上警察?海上保安庁?の方か、現場検証しています。
メンテナンスも来て、エンジン復活メンテナンスをしています。

ハードボートのバッテリーが届き、左右エンジンが掛かり、桟橋を離れます。
波の残る5~6m/sの風の中、2レース行われました。
スナイプ級の1レース目(第2レース)で、当方スナイプチームリーダー艇がトップフィニッシュしました・・・多分何十年ぶりの快挙です。
コーチボートは大歓声と拍手で選手を迎えます。

総合的には得意な軽風ではなかったので着順が振るわず、470・11位、スナイプ7位、総合9位で全日程を終えました。
漁港に帰ります。
家内に電話すると、駅を降りてハーバーに向かって歩いているとのこと。
最初のハーバーゲートで待つよう伝えたが、2つ目のゲートまで行ってしまい、ハーバー内で探すことになりました。

20171103IncS092s.jpg 12:36家内と合流し、ノースショップで既知とお喋りし、4回生学連部員と一緒にうどんを食べました。
20171103IncS095s.jpg 大会本部建物が次男の会社のものというのを家内が目ざとく見つけ、それを写真に収めました。

20171103IncS098s.jpg 12:41、レース艇やコーチボート運搬のトラックがハーバーに入ってきて、積み込みに選手が忙しい。
20171103IncS101s.jpg 家内とあちこち歩きます。
ジュニアからの既知に会ったので、あ~だこ~だ。

14時になりました。
抗議が数件出ており、閉会式は16時頃になりそうなので、帰路に着くことにしました。
キャプテン・監督・部員に挨拶しバイバイ。

20171103IncS112s.jpg R27で海岸線を東に向かい、14:22「イルマーレ」というイタリアンレストランでケーキセット食べようと入るが、お食事のみでした。
舞鶴東ICから舞鶴道に乗り、綾部JCTから京都縦貫道。

20171103IncS113s.jpg 15:26「京丹波・味夢の里SA」着。
ここでケーキと珈琲をフードコートで食べました。
亀岡ICで下車し、R423で池田まで南下し、17:43自宅着。
楽しいレース三昧の週末でした。

11/4・インカレ3日目・サバイバル

12:44ハーバーに歩いて戻り、大型テントに入って雨宿り。
僕のホームポートの新西宮YHのノースショップが開店していおり覗くと、僕がかつて理事していたジュニアヨットの父兄がいる。
あ~だこ~だ、おしゃべり。
レース艇の艇体放棄が3艇、レスキューボートが2艇ひっくり返り、1名行方不明という最悪の情報が入る。
船は何とでもなるけど、人命は・・・。

20171103IncS050s.jpg 海保のヘリが飛び、YHには消防指揮車がやってきた。
救急車もやってきた。
全員ライフジャケットを着ているので、行方不明者も発見され拾い上げられた。
一時行方不明者は、選手ではなく緊急事態を見てハーバーから救助に出たレース委員会陸上員で、選手のようにウエットスーツを着ていないので低体温になったとか。
レース委員会に2名医者がおり、応急処置後、救急車がサイレンを鳴らし出ていく。

20171103IncS052s.jpg 予報より早く前線通過があったようですが、午後は更に海上は荒れるはずだから、もうレースは出来ないだろう。
母校KGの艇置き場に行くと監督がおり、母校の様子を聞く。
幸い何もなかったようです。
ブラックフラッグにも引っかからず、優勝は慶応・D社・KGに絞られたように思う。

僕の母校・KGHヨット部卒の気象予報士がおり、気象会社に勤めているようです。
全日本期間中は、逐次彼から現地の予報が入る体制になっているようで、この大荒れも1時間前に通報を受けていたようです。
真っ先にメインセイルを降ろしてサバイバル体制を取ったのはKGでした。
我が母校ながら、流石です。

20171103IncS053s.jpg ハーバーの防波堤を越えて、砕けた波しぶきがYH内に降ってくる。
14:43、部員を乗せYHを後にする。
ハーバーを出たところで駅に向かって歩いている3回生女子マネージャーWさんをピックアップする。
彼女はインフレータブル・ボートの運転をしていたこの日のヒーローです。

「怖かった?泣いてるんじゃないかと思ったよ」と声を掛けると、割合平気だったようです。
頼もしくなりました。
観覧船ドライブも、3回生マネSさんが適切に動かしていたし。

14:57、合宿所着。
風呂に行くメンバーを募り、15:20合宿所出発。
海上に出た女子マネを積極的に誘う。
温かい風呂で、ゆっくり疲れを取ってもらいたい。

15:36前日と同じ風呂着。
風呂上がりに、前日は定番のコーヒー牛乳がなかったのでファンタグレープを飲みました。
この日は1F食堂に降り、アイス250円を食べましょう。

3回生女子マネ・Sさんが降りてきたので、アイスを奢る。
彼女とお喋りしていると、3回生Sくん・4回生Tくんがやってきたので、同じく奢る。
16:56風呂発~17:09合宿所着。
17:30からミーティング、そして美味しい夕食。
みんな元気そうで、サバイバルな1日を経験し、一回りたくましくなったでしょう。

合宿所に戻ると、監督Iくんから「息子さんから電話です」とのこと。
Iくんと次男は、同期のヨット部員で、中高6年間もずっと同じクラスでした。
Iくんの電話を取ると、次男から「お母さんから、お父さんと連絡取れない」と電話があったので、すぐ自宅に電話するようにとのことでした。

Iくんに電話を返し、自分の携帯電話に電源を入れ家内に電話すると、高校大学の同級生Y君が亡くなったとのこと・・・ショックでした。
9月から空腸ガンで入院し、9/4夜中に亡くなったそうで、Y君から「僕に何かあった・・くん(僕)に連絡して」と聞いていたそうで、奥さんが我が家に電話をくれたそうです。

Yくんとはスキー友達で、学生時代にスキーツアーの会社を立ち上げ、一緒にスタッフを集め稼いだ仲です。
共に学生終了と共に会社から抜け就職しました。
当時は学生スキーツアー黎明期で、同じ時期に会社を立ち上げた中学からの友達は、大手の旅行会社にまで成長させています。

すぐ高校大学同級生に電話するが、誰も携帯電話を取らない。
Sくんからコールバックがあり、Yくんの訃報を伝え、地元にいない僕の事情を伝え、友人への連絡をお願いする。

D社同期Hくんに電話すると、もう大阪に帰っているとのこと。
サバイバルの時、彼の乗った観覧船40フィートセイリングボートは全速力でハーバーに戻ったが、ハーバー内に入ってエンジンスストールしてしまったようです。
陸上にいた部員たちにサポートされ桟橋に係留後、桟橋で次々に帰ってくるレース艇をサポートしたようです。

「おまえがコーチしてるとこのレース艇も1艇助けたぞ」とのこと。
「カッパ借りてて良かったわ。あれがなければずぶ濡れで風邪引いてたわ」
彼の経営しているお店に、僕がカッパを取りに行くことにしました。
21:09駅に行き、トイレや歯磨きして「おやすみ」

11/4・インカレ3日目

5時に目が覚めました。
小雨が降っています。
布団を片付け、朝の身支度です。

5:24「ファミリーマート高浜国道店」で、アクアフレッシュ歯ブラシ・160円を購入し、駅に行き歯磨き。
コンソールボックスに入れていたひげ剃りが切れず、「ファミリーマート高浜国道店」に再度行き、「貝印ベスティEX首振りひげそり・108円」を購入して顔を整えます。

合宿所に行き学生に混じって女子マネージャーが作ってくれた朝食を食べ、朝の散歩に出ます。
6:49漁港、6:52「高浜城山公園」。
『中世の高浜に生きた戦国武将・逸見昌経は、佐伎治神社の裏山に砕導山城を構えていました。昌経は永禄4年(1561)、若狭国守護・武田氏の内紛に乗じ反乱を起こしましたが、同年6月越前朝倉・武田連合軍との合戦に敗れ砕導山城は落城します。
巻き返しを図る昌経は、永禄8年(1565)高浜湾に突き出た小半島に高浜城を築城します。
高浜城は当時若狭国内の城郭が全て山城であるのに平山城であったことが注目され、また、逸見氏は伝統的に水軍を軍事力の要としており、大飯町域や舞鶴市域に海城が確認されてますが、本高浜城も三方を海に囲まれ海城として機能していたものと思われます。今も天王山では当時の野面積みの石垣や石段・郭などを見ることができます。
高浜城は天正9年(1581)に逸見氏が没落して後も代々城主が代わり、寛永11年(1634)の初代小浜藩主・酒井忠勝の入部まで存続したと伝えられています。
平成12年(2000)10月、城域内での下水道工事中に遺構の一部と思われる石材が出土しました。二の丸と三の丸の境界にあった橋の基礎石である可能性が考えられます。 高浜町教育委員会』

現在は砂州で陸続きになっていますが、4~500年前は陸地と繋がっていない小島だったのが、地形を見て容易に想像できます。
小島が2つ並んでおり、両方共城として使っていたのでしょう。
和田漁港を挟んで対岸に、YHの裏山があり、そちらの頂上には神社があります。
そちらにも砦が築かれていたのだろうと思います。

7:22合宿所に戻り、7:28監督・若手コーチ・部員を乗せて出発し、7:37YH着。
午後から荒れる予報ですが、朝はさほどではありません。
各大学、艤装に余念がありません。

D大同期・Hくんに電話して「やあやあ」。
船に乗るのか聞くと、「カッパを持ってきてないので乗らないとのこと」
「アホかお前、カッパ貸したるから乗れよ」
と、僕のホームセンターカッパを貸す。
僕は、冬用ヨット用カッパを着込む。
20171103IncS026s.jpg ブリーフィングして、陸上に出艇フラッグが揚がり、レース艇もコーチボートも出
艇します。

20171103IncS024s.jpg 漁港のコーチボート係留場に行くと、母校KGの観覧船が停まっています。
覗くとK先輩が出てきました。
「船に泊まっているのですか?」
「いいや、キャンピングカーで」と、目の前の車を指差されました。
Kさんが以前から持っておられた車です。
部員たちを乗せ、先に出て行かれました。

前日、上マーク担当だった観覧船がより大きな船に代わっています。
午後からの荒れる海面を考えると、レスキュー艇になるかもしれないコーチボートの人数が多すぎる感じがして、監督に断って観覧船の方に乗ることにしました。
定員まで乗せてしまうと、かえってレスキュー活動がしにくくなります。

20171103IncS039s.jpg 3回生女子マネージャーSさん・1回生女子マネージャーNさん、部員やOBさんと共に乗ります。
9:36レース海面。
レースシグナルが揚がり、マニューバリングに入ります。
風は5~6m/sで白波は立っていません。
北の海面遠方に明らかな雨雲があり、その下は大雨のようです。
海は空が広いので、天気の変化が見えます。
あれがこちらにやってくると、荒れそう。
天気予報の指す小さな前線はあれのことかな?
風向は西なので、そのまま東に流れてくれるとありがたいけど・・・。
風の上がらないうちにレースをやりましょう。
風の弱い琵琶湖で練習しているので、風が上がっていると不利です。

470級、この日の第1レース(通算第2レース)、ブラックフラッグ下でゼネラルリコール、スタートやり直しです。
26艇が早すぎるスタートをしたので、次のレースに出れません。
優勝候補の早稲田が1艇引っかかり、優勝争いから脱落。
当方も1艇引っかかり残念。

スタートし、第1上マーク。
20171103IncP406s.jpg 当方2位回航。
当方2艇目も上位回航し、良い感じです。
スナイプ級は、ブラックフラッグの中ゼネラルリコールで、引っ掛かり次のレースに出れない艇が14艇出ました。
当方は1艇も引っかからず有利になりました。

2・3マークを回航し、2回目の上マークに来たところで、懸念していた北の雲がやって来て風が上がりました。
全面白波で8m/s・ブロー10m/sの海面に様変わりします。
大波を伴って風速が更に上がり15m/sオーバーになってきて、本部船にAP/Hフラッグ(ノーレース・ハーバーバック)が上がりました。
全コーチボート・観覧船は、レスキューボートに代わります。

即座にメインセイルを降ろして、小さなジブセイルのみでハーバーを目指す学校があります。
僕がミーティングで話していたサバイバル・テクニックです。
数艇ひっくり返っています。
沈艇を探していると、コーチボートから「エンジンが止まった」との連絡が入ります。

曳航ロープを準備し、コーチボートに急行しますが、他大学のインフレータブルボートが曳航して風上に上げてくれています。
その後、より大きなハードボートに曳航が代わり、当方はその近くを走ります。

一番心配になったのが、懸念していた非力な25馬力エンジンを積んだインフレータブルボートです。
3回生女子マネージャーがドライブしているはずです。

曳航されたコーチボートに伴走しながら、漁港に戻ります。
無事着岸。
インフレータブルボートも無事ハーバーバックできたようで、レース艇も6艇とも無傷で帰ったことを確認できホッとしました。

母校KG観覧船が戻ってきたので、もやいを受け取ります。
テトラポットで砕けた波が防波堤を越えてきます。
漁港内でも波立ち、岸壁に擦れたら船が痛みそう。
フェンダーを入れて擦れ防止する。

11/3・インカレ2日目

コーチしている大学ヨット部の全日本インカレ団体戦です。
全国の大学が、このレースを最終目標に練習・レースに励んでいます。
多くの大学が予選で破れており、この大会に出場する事自体光栄なことです。

僕の出身大学は、この大会での優勝を毎年目指しており、僕の現役時代を含め12回総合優勝しています。
クラス別優勝はその他に何度もありますが、総合優勝から遠ざかっているので、今年は・・・と狙っているでしょう。

僕は母校のコーチ、僕が立ち上げたジュニアヨットクラブのコーチを経て、現在息子の卒業した大学のコーチを、息子が現役だった頃から続け、既に15年です。
息子はとっくに卒業しているのに、僕は何が気に入ってもらっているのか、毎年更新され現在に至ります。

かつてはクラス別2度の優勝をあげた強豪校でしたが、予選敗退常連校になっていました。
段々と力がついて生きて、ここ数年連続で全日本に駒を進めています。
慣れ親しんでいるホームの琵琶湖ではありませんが、地元水域主催開催なので、目標の「総合6位以内」を達成するチャンスです。
1ヶ月間、レース艇をレース開催ポートに入れて練習し、部員にチャンスだと話し、部員も自覚し、僕自身気合を入れてきました。

4時前に目を覚まし、天気予報をチェックし、4:29車で自宅を出発しました。
4:42「伊丹産業セルフ川西SS」で給油し、北上を始めたところで「時計を忘れた」のに気づきUターン。
自宅に戻り時計をして出発。
5:29「ローソン川西萩原1丁目店」で、「LSつな揚げ108円・伊藤園健康麦茶151円・田辺農園バナナパック266円」を買いました。

池田からR477~r73で「千代川IC」から京都縦貫道に乗りました。
綾部JCTで舞鶴道に乗り換えるのをミスって、「舞鶴大江IC」で下車。
R175~R27~r28~R27で、合宿所に寄りました。
既に選手はハーバーに向かったようです。
8:31「高浜和田ヨットハーバーYH着」。

学生時代から慣れ親しんだインカレの雰囲気です。
大学の所定バースには、OBのMさんとKさんが来られています。
院生のH君・O君もコーチとして来ています。
11/2がレース初日でしたが、風がなくノーレースだったようです。
軽風は得意な風域なので、途中経過ですがいいところ走っていたようです。

他大学を見回っていると、ジュニア関係の見知った方に会います。
母校のバースでは先輩や後輩にも会いました。
早稲田や九大の見知った選手に声を掛け激励します。

風が弱いので風待ち後フラッグが揚がり、支援艇がハーバーを離れてゆきます。
出場全144艇(24校×3艇×2クラス)にとってスロープが狭いので、予め3つにグループ分けされ、グループごとにアナウンスされスロープに入っていきます。

僕らコーチボート乗艇員は、漁港に歩いて行きます。
OBのNさんが手配してくれたボートに乗り込みます。
支援艇はインフレータブルボート1・ハードモーターボート2という体制です。

20171103IncP335s.jpg 沖に出ると、10:26レース艇が支援艇に引っ張られ、レース海面に急いでいます。
144艇のヨットが一斉にレース海面を目指す姿は壮観です。
僕もかつてこの中の1艇として心高揚させて、学校のフラッグを一番てっぺんに上げるべく戦いました。

今更ながら素晴らしい世界に青春のほとばしりを投じた貴重な時間だったなと、思い出が蘇ります。
20171103IncP343s.jpg 各大学の支援艇・応援艇・部員の父兄を乗せた観覧艇が、レース海面のあちこちに見えます。
多くのOB・OG・親に見つめられて、選手たちは幸せ者です。

当方も、スナイプ級の3艇を見つけ曳航してレース海面を目指します。
優勝候補の一角・慶応のスナイプ3艇を引っ張ったボートを抜いていきます。
正々堂々、ガチンコ勝負しましょう。
大阪大学は、24フィートほどのセーリングクルーザーを観覧船にしているようです。

20171103IncP347s.jpg レース海面に着くと、優勝候補の一角・母校KGの470級3艇が練習を始めています。
学生スポーツは4年間しかないので、僕が先輩から受け継いだ1艇のレース艇を後輩に渡し・・・という感じで、この3艇のうちの1艇は、僕の直系です。
頑張ってほしいな。

風が上がらず、長い海上待機が始まりました。
12:02レース艇が寄ってきて、お食事タイム。
20171103IncP350s.jpg インフレータブル・ボートも寄ってきて、僕のカメラに向かってポーズを取っています・・・パシャリ。
優勝候補・同志社・日大、そして20数年ぶりに両クラス全日本出場してきた東大。
470級の優勝候補・日本経済大学・・・僕がナショナルチームの時、親しくしてもらったMさんがコーチとしてコーチボートに乗っています。

20171103IncP360s.jpg 法政・優勝候補の早稲田、そして母校KGの40フィートほどのセイリングクルーザーが近づいてきたので目を凝らすと、先輩のKさんがドライブしています。
声を掛けると、「あ~・・君か」と世間話をします。
部員と父兄が乗っているようです。

甲南大・愛工大、慶応はイカ釣り漁船をチャーターしています。
集魚ライトがズラリと並んでいます。
同志社もイカ釣り漁船です。
同志社は5~6艇出しているようです。

前日11/2、第1レースがスタートされたが風が落ちて、トップ艇が制限時間内にフィニッシュできずノーレース。
この日も風が弱く、軽風で1レースだけ成立しました。
15:40にAP・Hフラッグが揚がり、2レース目はスタートせずハーバーに帰着しました。
成績は、470級7位・スナイプ級5位・総合5位で順調な滑り出しです。

16:54、部員を乗せYH出発。
17:13合宿所着。
携帯電話のバッテリーが少なくなっているのに、ケーブルを忘れてしまったので買いに出ます。
17:20、「ローソン高浜東三松店」で、「ペガサス・ガラケー・スマホ対応・単3乾電池式充電器・1026円」を買います。
17:57、合宿所近くのスーパー「フクヤ」で、「くらしひねり揚100円・バスコ粒いちごパン93円・薄皮レーズンカスタードパン150円」を、おやつと明日昼食用に買います。

同期のD大・Hくんに電話すると、昼頃ハーバーに着いたようで、OB達と宿で宴会を始める所だそうです。
第1レース終了時点で、D大がトップに立っています。
「明日逆転されるかもしれないので、今日宴会しておかなければ・・・」なんて言ってました。
D大が3連覇した後、早稲田が3連覇中です。
今年は地元近畿北陸ブロックがレース主催なので、地元の雄・D大が王座奪還に気合を入れています。

合宿所でミーティング。
明日は大荒れが予想されるので、サバイバルの事を話します。
マネージャーが作ってくれた美味しい夕食を食べ、部員を乗せて風呂屋に行きます。

20:17宿発~20:28風呂着。
ここは、「いきいき長寿村あみーシャン大飯」という立派な施設で、展望風呂は4Fにあります・・・300円。
原発資金が入っているようで、公共施設が立派です。

21:24風呂発~21:35合宿所着。
クラス別ミーティングや談笑後、車に戻り、最寄りの高浜駅に行き、トイレと歯磨き(歯磨き・歯ブラシ忘れ)を済ませ、車中泊。

10/28・全日本前最後の練習参加

ヨット部員がトラックから船を降ろしています。
バナナを1本食べ、コーチしてるヨット部の艇置き場に行き皆に挨拶します。
他校の部員からも「おはようございます」と声を掛けられます。

キャプテンなどに様子を聞くと、インフレータブルボートのエンジンが前日の練習で10回も自然に突然止まってしまい、ハーバーの監視船(ヤマハSRV)を借りたそうです。

これが使えないとレースに支障を来たします。
マネージャーと共にインフレータブルを見に行きます。
エンジンの練習後のメンテナンスなどを聞きますが、手抜きしておらず問題なし。
遠征に来る前に琵琶湖のヤマハで点検し、一昨日もたまに止まるので点検してもらったが大丈夫だとのこと。
症状を聞くと、どうも燃料系が駄目のように思う。

4回生のエンジンに詳しい部員K君とあ~だこ~だ。
燃料タンク結露の水でも止まりますが、頻繁に止まるほど入るはずがない。
「ホースにひび割れから空気が入っている」とが怪しいとの結論に至り、燃料タンクとホースをセットしてヤマハで見てもらうことにしました。

「もうすぐ出艇なので昼休みに行く」というのですが、むしろこちらの方がレースに向けて重要で、レース本番までの練習日は、この土日と水曜日の開会式前の午前中のみです。
日曜日午後は大雨予報で、風が上がれば試運転も出来ません。
僕が3回生女子マネYさんとAM練習参加を止め、持っていくことにしました。
ミーティングで大勢の部員で賑やかになったハーバーの雰囲気に飲まれないよう合同練習して慣れるよう話します。

出艇を見送り、10:06僕の車に燃料タンク一式を載せ、ヤマハに持ち込みます。
今まで2年ほど、時々エンジンが突然止まる症状がでていたし、ホースのポンプを手動でプシュプシュ動かし続けるとエンジンが動くこともあると言ってたことを思い出し、出艇前に4回生部員に聞くと僕らの記憶に5年はホースを取り替えていないということなので、僕の中の結論は「ホースを新品に交換」でした。

ヤマハのメンテナンスの人に、新品の在庫を聞くと在庫有りで7000円弱です。
良心的な方で、ホースのひび割れのことを言うと、確かに可能性はあるが、この程度ならまだ大丈夫とのことで、気になるならひび割れ部分(タンクとの接合部・エンジンとの接合部・ホース中間についているポンプとの接合部)をカッターでカットしカシメてプライヤーで抜け防止金具を締めたらどうかと提案される。

一旦ハーバーに戻りその作業をしようかと思ったが、この程度で症状が改善するとは思われず、風が上がれば大波が立つ危険な海面でのレースということも考え、やはり新品の方が良いと決め、買って寄付することに決めました。
それを話すと、「費用は大丈夫です」とマネさんが言います。
学生だから甘えていればいいのに・・・。
今年は春にレスキュー用アンカーを寄付したり、毎年あれこれ寄付してきました。

再びヤマハに戻り、新品ホースを購入しました。
10:40YH着。
マネさんが海上に電話したようで、僕を迎えに来るようです。
ライフジャケットを着て桟橋に行くと、すぐにSRVが戻ってきたので2人で乗り込みます。
練習を見ながら、ドライブしてるボスマネKさん(4回生)に顛末を話し、午後から試運転することに決めました。

12時にハーバーバックし、バナナを2本食べます。
朝来ていたトラックの殆どが帰り、東大のトラックだけが残って、部員とともに船を降ろしています。
東大は今朝着いたようです。

インフレータブルに行き、出艇準備を手伝います。
午後の練習を始めます。
SRVの方が快適ですが、インフレータブルのエンジンの調子が心配でこちらに乗りま
した。

風は弱く、2m/sほどです。
練習しながら沖に向かっていると、東北大学が近くに来たので、マネさんに指示し「合同練習しよう」と誘う。
もちろんOKで、マークを打っている間にやってきた九大にも声を掛けました。
龍谷なども入ってきて、微風レースをしました。

コーチしてる大学は、この風域では他校を席巻し、トップ5までの両クラスとも3艇入っています。
夏前の定期戦で負けている九大にも走り勝ったので自信を付けたでしょう。
隣のレース海面では僕の母校を中心にしたレース練習をしています。

更に風が落ちてきたので、続々引き上げていきます。
うちの470も引き上げましたが、S級はレースで走り気持ちが乗っているのか、「もう少し練習したい」とのことでしばらく基本練習を見守り、曳航してハーバーバックしました。

インフレータブルボートの方は快調で、ボスマネさんいよると、「すごく調子良いです」とのこと。
ここ2年の不調は、このホースの経年劣化が問題だったのかも・・・

レース本部のプレハブを覗きました。
1週間前の月曜日、西宮の係留艇の台風被害点検で船を見に行った時、ノース・ショップの全日本への出店予定を聞いていました。
この日からレース最終日までいると言っていました。

店長のK君がおり、商品の陳列を終えていました。
バッグなども並んでいたので、「こんなの大会で売れるの?」と聞くと、最終日になると学生も買いに来るし、OB・OGや父兄がお土産に買っていくそうです。
選手父兄のお土産需要があるのね・・・
強風レースになるとマテリアルが潰れるので大忙しになり、部員にとっては神に見えるショップです。
「その時はよろしく」とお願いしました。

16:56、YHを出発し、R27を1駅西進し、17:07宿着。
ダイニングを覗くと、3回生マネさんWさんがおり、台所で腕をふるっています。
「また1人で料理当番?」と聞くと、「今日は2人です。もう一人は今お風呂に入っています」とドキッとするような台詞を平然と言います。
Wさんの頭も濡れており、可愛いキャップを被っています。
この子はお肌がとても綺麗な子です。

部員がパラパラと戻ってきて、もう1人の3回生女子マネSさんが、色っぽい濡れた洗い髪のままやって来て、「ありがとう、手伝うね」とキッチンであれやこれや。
ミーティングで、気づいたこととインフレータブルの顛末を話し皆と共有します。
お待ちかねの夕食です。
大学生とは思えないナイスな味で量も多いご飯です。
今すぐお嫁に行けるよ。

しばし歓談後、料理当番マネさんに「ごちそうさま、美味しかったわ」とお礼を言い、帰路に着きました。
18:35出発。
R27を西進し、r28から「舞鶴東IC」から舞鶴道に乗りました。
南西に走り、綾部JCTから京都縦貫道に乗ります。

19:56、「京丹波味夢の里SA」で「小田房子・小田さんのバウンドケーキ(フルーツミックス)1500円」と「京珈琲こうみ粉940円」を家内へのお土産に買いました。

「園部IC」で下車し、r19~R477~R173~r12で、21:09自宅着。
家内はまだ起きており「おかえり、ご飯食べてきた」
「うん、美味しいマネさんの夕食よばれてきた」
「良かったね、じゃあおやすみ~。ガスと戸締まりの点検お願いね」

10/28・足利尊氏誕生地「綾部・安国寺」~高浜和田YH

1週間前の日曜日に続き、この日曜日も台風来襲です。
ですが、次の木曜日から全日本インカレ団体戦なので、どうしても練習に参加したい。
そこで雨予報だけどコーチしてる大学ヨット部の練習に参加することにしました。

5時前に四輪で家を出ます。
R173で北上開始。
真っ暗な夜明け前、雨が降っていますが順調に北上を続けていましたが、前方に数人の人がいます。

こんな時間に検問かな?
と思いながら止まると、地図を見せながら「どちらまで行かれますか?この先土砂崩れで通行止めなんですよ。ご迷惑お掛いたします」とのこと。
がけ崩れと聞いて、「天王トンネル」から先だろうと思ったがその通りで、「はらがたわトンネル」までは通行可のようで、r731~るり渓の迂回路を勧めてくれました。

ここ以降ほとんど交通量がなくなり、寂しい道を北上し、「はらがたわトンネル」を抜けて、r731に右折しました。
夜明け前ここはよく鹿がいる道なので慎重にカーブを曲がります。
流石に雨が降っているので、鹿さんも根倉から出ないのか光る目も見つかりませんでした。

r54に乗り、「るり渓温泉」~るり渓を通過し、r453~r54で園部に入り、R9を渡りr19に乗り、「園部IC」から京都縦貫道に乗りました。
「綾部安国寺IC」で下車し、R27~r74で、石段横の坂を上がり、6:47「安国寺」。

寺院なので門が閉まっていれば拝観出来ないかもと思いながら駐車場に車を入れます。
24Hオープンのようでラッキーでした。
20171028WadaS001s.jpg 駐車場横にいきなり『この上の宝篋印塔 赤橋登子(尊氏の妻)・足利尊氏・上杉清子(尊氏生母)』の案内板が立っていました。
探す手間も省けました。

『この宝箇国塔は南北朝時代のもので、墓碑として建てられた供養塔です。向かって左が尊氏の母・清子、中央が足利尊氏、右が尊氏の妻登子の墓と伝えられています。
母・清子は康永元年(1342)12月23日永眠していますが享年は不明です。尊氏は、延文三年(1358)4月30日に54才で、妻・登子は貞治四年(1365)5月4日に60才で没しています。
安国寺文書によると、尊氏と登子の遺骨はそれぞれ没後2ヶ月後に2代将軍・義詮によって安国寺に奉納されたことが記されています。文書には、遺骨の一分を「先年帰依の由緒について当寺に奉納せしむる所也」「往年の由緒につき当寺へ奉納の所也」といずれも光福寺(安国寺)長老に宛てており、足利氏と安国寺のつながりの深さを示しています』

20171028WadaS008s.jpg 寛正6年(1794)再建から3度再建の記録が書いてある小門をくぐり境内に入ります。
池に紅葉が覆っていたり、紅葉の季節が綺麗な彩りを見せそう。

『景徳山安国寺 臨済宗東福寺派 安国寺は、正暦4年(993)ごろ地蔵菩薩を本尊とし了開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。
建長4年(1252)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その後、光福寺は上杉氏の菩提寺となり、釈迦三尊を合わせ祀った。
嘉元3年(1305)足利尊氏の誕生によって、当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。
暦応元年(1338)足利尊氏は、夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。
康永元年(1342)尊氏は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭16、支院28を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領ば押領されて塔頭・支院は減少したが、今なお多くの重要文化財、府・市指定文化財、重宝等を蔵する名刹である。
重要文化財:木造地蔵菩薩半迦像・1躯、木造釈迦三尊座像・3躯、絹本墨書天庵和尚入寺山門流・1一巻、安国寺文書・5巻3幅
府指定文化財:絹本着色天庵妙受像・3幅、仏殿・方丈・庫裏・各1棟
府登録文化財:山門・鐘楼・各1練
市指定文化財:宝篋印塔・3基』

20171028WadaS016s.jpg 鐘楼を見て、山門を観に行くと、足利氏の「二両引き紋」がドンと門に彫られていた。
『山門は、天保9年に住寺の大柱妙甫(だいちゅうみょうほ)が山門再興を志して国中を勧化し、天保14年(1843)に再建されたものです。
桁行3.94m・梁行3.64mの規模で、本柱・控柱ともに丸柱で上は波紋彫刻付の欄間、また控柱を結ぶ長押(ながし)と腰貫間(こしぬきま)は透かし彫物の欄間が見られます。屋根は本瓦葺です。
再建の大工は、棟札によって天田郡観音寺の大槻由平時秀と亀岡の田中仙助忠茂であったことが知られます』

20171028WadaS022s.jpg 境内の中央に茅葺屋根の仏殿がありました。
屋根がくたびれ気味です。
『安国寺の伽藍は、亨保20年(1735)6月の山津波で裏山が崩れ、仏殿のほか諸堂を倒壊し埋没したあと整地したのが現在の寺地です。仏殿は、寛保3年(1743)に再建されたものです。
桁行5間、梁行5間、単層で屋根は入母屋造・茅葺です。内部は、禅宗仏殿の基本的構成要素を巧みに残しながら、全体としては近世風の仏堂に仕立てています。
床は四半敷にし、中央の天井は鏡天井を避けて格天井とし、正面両脇は花頭窓を配しています。
堂内には国指定文化財の木造釈迦如来及び両脇侍坐像を本尊とし、右側には国指定の木造地蔵菩薩半跏像も安置しています』

20171028WadaS027s.jpg 仏殿内も良い感じで雰囲気が良かった。
「看経」(かんぎん)と書かれた板が柱に下がっていた。
この仏教用語は?と調べると、「経典を黙読すること」だそうだ。
僧侶が仏殿で経典を黙読するのでしょう。
仏殿の裏に墓地が広がっていた。

20171028WadaS041s.jpg R27に出て、r74に入り峠を越えようと思いましたが、「大型車は通れない」との看板があったので、四輪なのでUターンしました。
R27に戻り、「舞鶴西IC」から舞鶴道に乗り、「大飯高浜IC」で下車しました。

r16に出ると、2週間前に通ったr1からの道が通行止めになっていました。
先週の台風で土砂崩れしていたのでしょう。
r16を北上しR27に出て、r237経由で和田ヨットハーバーへ。

朝・昼食を買い忘れちゃので再びR27に出て、8:19「ファミリーマート若狭和田店」で、「こだわり栽培バナナ4本セット」228円を買いました。
8:31再びYH。

20171028WadaS042s.jpg 予報では午前中は曇でしたが、小雨が降っています。
レース艇を載せたトラックが数台停まっており、今週末で参加校の殆どがここに揃うでしょう。

10/29・雨の日曜日

家内もお休みの日曜日ですが、朝から雨。
映画館サイトを見ても、ピンとくる映画はない。
先週見たばかりだものね。

6時になり明るくなったので、先週に続き係留艇を見に行くことにしました。
ラッキーにも曇り空になっており、台風は何処に行ったんだ?
カッパを着て長靴履いて、ヨット用の濡れても染みてこないハットを持って、家内のアドレスV125に乗ります。

R171をぐ~んと走り、新西宮YH。
カードキーで桟橋ゲートを開けて桟橋を歩きます。
他艇の台風対策を見ながら船に行きます。
心配していた桟橋側スターンのロープは3本に補強されていました。
1週間前はいつものように1本で、切れていました。
ハーバー職員が台風一過の朝切れているのを見つけ応急処置してくれていましたが、台風対策の増しロープが功を成し船が桟橋とぶつかるなどの被害はありませんでした。

月曜日に外した増しロープをまたして、コイルしたメインセイルとブームをシートで巻いてしっかり対策します。
その他あちこち点検し、ロープを巻き直したりして台風対策終了。

帰宅し、朝食を取り自室でウダウダしていると、階下から「出かけるから~」と声がかかりました。
雨が降ってきており、送っていかねばと「何処行くの?」
「身体検査、市役所の横の保健センター」というので、速攻で着替え、四輪で送りました。
市役所の駐車場に車を入れ、横の「伊丹市立博物館」に入ります。

朝のお勤めを拝借し、「日本の城」という本を読みます。
企画展示「伊丹の鉄道展」に入り、伊丹市の鉄道の歴史を見ます。
江戸時代に日本初の清酒製造をして、大きな利益を上げた伊丹の酒造メーカーの代表「白雪」の小西さんが鉄道会社を設立し、現在の福知山線を開業させたそうです。
懐かしい僕が子供の頃の阪急電車の写真や大好きなSLの写真などたくさん展示され、説明も豊富で時間を忘れ楽しみました。

また「日本の城」を読み出したところに家内が帰ってきました。
雨が強くなり5ミリ/hほど降っています。
外食するのも面倒で帰宅、もうお出かけはないかな?

昼食を食べ、DVD「10年先も君に恋して」を観始めたら、家内も「私も観る」とやってきて仲良く観ました。
僕が今までで見たドラマで、一番気に入っています。
NHK火曜ドラマ?で、DVD(3枚組・6時間)まで買っちゃいました。
1枚目の後半2時間目で寝てしまい、起きたら終わっていました。
また後半から見出したら、家内が覗き「また見てるの?」と笑っています。

2時間目終了し、昨日買ってきたパウンドケーキを1切れずつ食べました。
またDVDに戻り、3時間目に入り楽しく見ていると、「あ~、お外に行きたい~」の声が聞こえてきたので、時計を見ると15時過ぎ。
「今からだと水族館に行けないよ」、家内と「孫が来たら須磨の水族館に連れて行く話」をしていました。
「プラネタリウムにも行けないし」と明石天文台を想定して言うと、「もう遅いの?」「うん、もう遅い」。

ドライブ&買い物に出ることにしました。
r13~r12を走りながら能勢電の「日生中央」に行くことにしました。
駅前にショッピングセンターがあったはず。

「阪急オアシス」の大型店がありました。
珍しい食材をウインドウショッピングしながら、食材を買い物かごに入れます。
美味しそうなケーキがあったのに入れようとしたら、「昨日、ケーキを買ってくれたじゃない」とダメ出しされてしまいました。

僕は明治プレーンヨーグルト450gを3つ買いました。
阪急オアシスを時々利用するのでカードを作るそうで、僕が袋詰している間にカスタマーサービスへ。

グーンと帰宅し、夕食食べて、NHK大河ドラマ「女城主・直虎」を見ました。
井伊直政が家康の小姓になり、これから出世街道です。
大河ドラマは男の子が主役でないと・・・最近良く見るようになりました。

寝る前に、「そう言えば、空港の近くの子供文化科学館にもプラネタリウムがあったね」と言うと、「私はそこに行こうって行ったよ」とのこと。
そこなら近いから15時からでも余裕でした。
僕が勝手に明石と勘違いしただけでした。

僕は次の週末は全日本インカレで福井入りします。
家内が、「次の日曜日、福井に行こうかな?」と言い出しました。
僕は泊まりでレースのコーチングなので、日曜日に来てくれたら大歓迎です。
まだ家内を知らない部員にも自慢できるし・・・帰りは楽しくお喋りしながら帰ってこれます。
これはハッピーな日曜日になりそう・・・行き方を教えてあげなきゃ。

10/22・選挙と、映画「ミックス」

台風です。
この週末も、大学ヨット部のコーチングしに福井県に行く予定でしたが、雨予想なので風邪を引いてしまうと辛いのでキャンセルしました。
日に日に予報が正確になり、キャプテンから「日曜日は練習を中止するかもしれません」との連絡がありました。
土曜午後から雨風が強くなる予報になってきたので、「土曜午後から、台風対策を万全にして、レース艇が飛ばされないように」「備品を出来ればハーバー艇庫に入れさせてもらうように」「他大学と話して、みんなで助け合うように」と伝えました。

家内から、「日曜日の勉強会が中止になっちゃった。せっかく予習していたのに・・・」との話があり、映画でも観に行こうかなとチェックしました。
「これだ!」というピンとくる映画はありませんでしたが、主演女優「新垣結衣」ということで「ミックス」を観に行くことにしました。
助演男優も好きな「瑛太」です。

日曜日はいつものように4時頃目覚め、ゴソゴソ。
7時になり、朝食とか朝のいろいろをして、8時過ぎに投票封筒を持って家内と家を出ます。
今回の衆議院選挙は、北朝鮮からのミサイルの脅しに対抗する力を政府に与える大切な選挙です。

国内問題もいろいろありますが、竹島・拉致事件・北方領土に続き、恒常的に尖閣諸島周辺を支配下に置き始めた中国共産党を排除し、日本の主権を蔑ろにされている現実を変える、大げさに言えば国の存亡を掛けた選挙です。
憲法9条を改正し、国軍を明記し、いつでも戦闘できる力を政府に与えなければ、我が子や我が孫の時代に日本がなくなっているかもしれません。

第2次世界大戦で敗戦して領土が小さくなってしまったが、先人の奮戦により、世界で最も強い国として諸外国に印象付けたことで、理不尽な干渉を未然に防いでこれました。
でもその記憶を持った人がいなくなり、押せば引く今の日本の弱腰外交が白日のもとに晒されつつあります。
先人が命を賭けて僕ら子孫に与えてくれた安心を、僕らが子孫に残さなければなりません。
9条改正勢力は、与党「自民党」と野党「日本維新の会」「日本のこころ」「幸福実現党」、そして新しく出来た「未来の党」です。

年明けから、北朝鮮ミサイルがバンバン日本を脅しているのに、脳天気に「森友学園問題」「加計学園&前川事務次官問題」ばかり言ってる民進党は、昔の社会党の姿にしか見えません。
朝夕など都心の電車のようにガンガン降りてくる伊丹空港着陸空路真下の騒音の激しいずっと売れなかった国有地を値引きしてでも売ろうとするのは、民間では当たり前の考え方。
お隣の土地は数年前に民進党最左翼の辻元さんが口利きして、もっと値引いて売ってるのに、首相の奥さんが絡んでいたことを大問題にした。
いつもなら急進的な言葉で追求するはずの辻元さんは、飛び火を恐れだんまりを決め込んだ。

10年以上前から愛媛県から動き、やっと見つけた獣医学部を開設してくれる加計学園が、首相の友人だと言うだけで問題視された。
文部科学省が、50年以上も獣医学部新設を許可しなかったことの方が異常に思え、そんな岩盤規制に風穴を開ける目的で作られた特区の方を問題にする姿勢は何なんだ。

自由な発想で新天地を開拓していく庶民のエネルギーが国を豊かにしていく。
それで家族を養っている。
そんなの関係なく食える役人の肩を持ってどうするんだ。

そんな役人の頭を押さえるために政治家・立法がある。
役人>庶民>政治家>役人という、じゃんけんのように最強がないトライアングルが民主主義の良い所です。
役人=政治家(党)>庶民という一方通行の政治体制が共産主義で、この政治体制の怖さはみんな知っているのに・・・。

国会審問で、森友問題・加計問題の問題のなさはクリアになったのに、未だにこれを総選挙演説で追求する共産党・社民党は論外。
選挙戦終盤になり、この問題を口にしだした「未来の党」は墓穴を掘り論外。
より共産党寄りな立憲民主党が意外にそれをあまり口にしなかった。

野党の敵失で、与党がどんどん優勢になり、僕は「日本維新の党」に投票しました。
選挙区候補者は、元民主党議員で前回総選挙に落選し浪人していた方でイマイチだけど選択肢がありません。
希望の党は党首の元秘書の女性で、小池さんの最初の選挙区であったここから出馬されました。
立憲民主党は、前回トップ当選した現職市議の若手の方。
保守的な考え方だったのでトップ当選されたはずなのに、自民党候補者がおり、維新の会にも候補者がいるから立憲民主から出馬されたのでしょうが、この方が維新の会候補なら良かったのに。

比例区票も、自民党は僕の1票なしでも楽勝トップ当選だろうから、維新にしました。
投票後家内に聞くと、僕と同じ選択をしたようです。

投票後、雨の中、車で映画館に向かいます。
日曜日は混む駅前のショッピングセンター最上階に映画館があります。
チケットを買って時計を見ると8:40。
9:20上映開始まで40分もあります。

家内とあ~だこ~だ話します。
「半年遅れのバースデー」として、「JAL機内販売カタログ」に載っていたレインコートを数日前にプレゼントしました。
早速の雨で着てくれています。
薄手のデザインの良いブラックで、とても似合っています。

「似合ってるね~」「美人だね~」
いつものイタリアーノな言葉なので、「しょうがないわ、生まれつきだもの」と笑っています。
やってきた中学生女子グループの1人がとてもお洒落で、「女の子はお洒落なのが良いわ」なんて、ここでもいつもの軽い言葉で、家内にたしなめられました。

映画「ミックス」は、卓球の「ミックスダブルス・男女混合ダブルス」競技のお話です。
新垣結衣さん扮する元天才卓球少女が、元選手の母親が亡くなったことで、イヤイヤ続けてきた卓球の呪縛から解かれ、青春を謳歌し普通の就職をして、素敵な卓球選手の彼に見初められ・・・までは良かったけど、突然の浮気から人生の奈落に沈んでいく。

失意のうちに帰郷した家・・・母親の遺した卓球教室は荒れ放題・・・そこに現れた元ランキングボクサーながら、奥さんの相談相手を浮気相手と誤解しぶん殴ったことで、奥さんと子供に愛想を尽かされた冴えない男・・・

よくあるストーリーながら、新垣結衣さんは相変わらず可愛く三枚目の演技もとても上手です。
恋敵の永野芽郁も可愛くてより美人に映ってる。
主役級の蒼井優さんが怪しい中国人役で脇役。
瑛太は安定の自然な演技でナイス。

新垣結衣の子役を演じた子が、めちゃ卓球が上手くてビックリし、出演者が総じてそれなりの卓球の腕前に見えるカメラワークもいい。
警視庁卓球部の婦人警官役・中村アンさんが、誰かわかなないほどの髪型になっており、彼女の超美人さを見せておらず非常に残念だったのを除けば、大満足作品でした。

エンディングで生瀬勝久の名前が流れたけど気づかなかった。
帰宅して調べたら、これを見破るのは無理だろうと思える変装でした。
現役卓球オリンピック選手も出演されていました。

映画の予告編で、「広瀬アリス」さん主演の映画の宣伝があった。
妹の「広瀬すず」さんに似ていますが、少し背が高いように見えます。
朝ドラ「わろてんか」に主人公「てん」の恋敵として出演されており、「この娘、かわいいな」と番組始まりの時の配役で名前を確かめ、広瀬すずさんのお姉さんだと知りました。

広瀬すずさんは、映画「チア・ダン」で強くファンになりました。
可愛い~!
可愛い子・綺麗な娘大好きです。
「スターウォーズ」の予告編も流れました。
12月上映だそうで、観に行かなきゃ。

車に戻り、12:32「餃子の王将」でお昼ごはんを食べました。
家内は天津飯475円で、僕はソーハンセット(ラーメン&チャーハン)880円。
映画で蒼井優さんの中華料理屋が、主人公たちの溜まり場になっていたから、中華料理屋に行きたくなりました。

新しく出来た「阪急オアシス」の複合店舗「オアシスタウン」に初めて行きました。
家内からのリクエストです。
「ユニクロ」で「ヒートテック」を買いたいというので。
「GU」というユニクロ系列の少しお安いお店も併設されており、そちらにも寄りました。
お隣には「ABCマート」があり、ここにも寄り道しました。
安売りのロードサイド店より、少し良いお品を高めのお値段で提供しているようです。

15:08「蔵人珈琲」に寄り、夫婦でケーキセット900円を注文し、家内はチーズケーキで僕はモンブランを注文し、いつものように半分こしました。
「関西スーパー」に寄り買い物して帰宅しました。
風が強くなってきたので、DVD映画「1枚のめぐり逢い」をお茶の間鑑賞しました。
ラブストーリーの王様:ニコラス・スパークス原作作品は最高です。
小説が映画化された作品をDVDで4枚も持っています。

お風呂に入り、7時台から始まった「大河ドラマ」を見て、そのまま始まった選挙速報見ながら家内とあ~だこ~だ話して、9時に寝ました。
ああ楽しかった。

10/14・ヨットハーバー~合宿所

部員の車を待ち、先導されて合宿所に戻ります。
3回生女子マネSさんが1人で食事を作っています。
お肉をこねて手のひらでペタンペタン、これはハンバーグですね。
戻ってきたもう一人の4回生女子マネKさんも手伝います。
スーパーに買物に行っていた選手たちも戻ってきて、「あ~いい匂い」「お腹すいた、今日は何?」とまるでお母さんに対する言葉遣いです。

17:40からミーティング。
今日の練習で気付いたことを話し、全日本インカレまで2週間と数日になったので、逆算したタイムスケジュールから考えたレース本番NEWセールのチューンナップ方法や心構えなどを話しました。
地元開催で、いつもの練習場所・琵琶湖ではないが、他水域に比べ現地での練習時間が長く取れる有利さがあり、近年にない好成績を取るチャンスです。
総合力が増しており、来春のヨット部卒業式(追い出しコンパ)で4回生は胸を張って「どや顔」で卒業できるチャンスです。

今日は女子マネージャー1人で20人分の食事を作ってくれました。
マネージャーは自分でクラブの成績を出せないけど、選手のために縁の下の力持ちをしてくれている。
そんな彼女たちのために、選手が目の玉が出るような成績を上げてやれ!
彼女たちを高みに連れて行ってやれ!
と話してお終い。

心理学では、やる気がアップし積極的に行動するには、「嫌々ながら」や「やらされて」はNGで、「自らの発想」と「楽しい」がキーのようです。
報酬など自分の益に成ることがあれば更にアップします。
それ以上にアップするのが「自分以外の人のために」「人に感謝され喜んでもらう」で、これは人にだけ大きく備わった特性だそうです。
人以外の動物は個食が基本ですが、人は個食より食卓を家族や知り合いと囲む方がより喜びが多いです。

「自分のために」では緊張する人でも、「あの人のために」なら「失敗を恐れる」心理が薄れ、より気持ち良く頑張れるそうです。
自分に当てはめると、震災の時や親が倒れた緊急時など、家族の危機の時ほど冷静に行動でき、頭が次のシチュエーションを予想しながら行動できました。
こういう時なら、お隣の人のための行動だって笑顔で出来ました。
いやむしろ、積極的にお隣に声を掛け、得た有意義な情報を伝えました。

大学を卒業してから、ジュニアや大学生のコーチングを長年続け、スポーツ心理学の本を読み、スクーリングに参加して専門家の話を聞き、我が子の子育てにも自信を持って対応できました。

キャプテンから「食事の用意」。
みんな手分けして盛り付け配膳します。
「今夜の食事メニューは?」、女子マネさんから「ハンバーグハヤシライスとスープです」。
「頂きます」でガッツキました。
美味い!いつお嫁に行っても大丈夫ですね。
いつでもお母さんになれます。

同じテーブルに座って食べていた食事当番女子Sマネさんから、「ねえねえ聞いて」。
ここはハーバーから電車で1駅離れています。
「今日ね、ハーバーを出て駅に向かって歩いていると、電車が出ていくのが見えたの。
あ~1時間ぐらい待たなきゃと駅に行くと、乗り遅れた9:10の次が12:27だったの。
ビックリしちゃって。
駅員さんに聞くと歩いた方が早いと国道を歩きだして、コンビニがあったのでアイスを買ったの。
携帯を見ながらアイスの袋を破り、食べようと思ったらグッと頭が重くなったの。
アレっと思ったら手に持ってたアイスがなくなってびっくり。
鳶に盗られちゃって、近くの電信柱の上に留まって食べてるの。
私の頭に留まって、アイスを取って行ったの。
何が起こったのはしばらく理解不能だったの・・・」
と笑って話してくれました。

悔しかったけど仕方ないので、ツイッターで呟いたら、琵琶湖練習組の1・2回生担当3回生女子マネMちゃんから、「アイス盗られて残念なSさん元気~」と返信があったそうです。
横に座っていた今日レスキュー担当だった女子マネさんから、「私も盗られたよ。ハーバーでアイス食べようとしたら音もなく飛んできて盗られちゃったの。
しかもしっかり持てずに落としていったの。
食べられたのならまだマシだけど、落としてそのままはあまりに残念。
しかもそまま放っておけないから、拾ってゴミ箱にポイしたの。
10分前に買ったばかりなのに~」
と悔しそうに笑いながら話してくれました。

女の子は話しているのを見ているだけで可愛い。
テーブルの男の子たちが、いろいろツッコミ楽しそう。
リラックスした良いクラブだな。

19時からクラス別ミーティングです。
翌日も休みなので「泊まってけ~」と部員達に言われました。
家内にも「泊まってくるの?」と言われていましたが、翌日は雨模様なので帰宅することにしました。

r16~舞鶴道~京都縦貫道・丹波みずほIC~R173で21時に帰宅しました。
家内はまだ起きており、「食事した?」「うん、食べてきた。女子マネさん1人で20人分作ってたんだ。いつでもお嫁に行けるわ」なんて話したら、「じゃあ、おやすみ。戸締まり確認してね」と自室に消えていきました。

風呂に入り、ヨーグルト持って2F自室に上がり、TV見ながら至福のヨーグルトタイムしました。
地上波TVは面白い番組が減りました。
寝床に横になると秒殺で夢の中になりました。

10/14・綾部八幡宮~福井県高浜町和田

20171014TakaS066s.jpg 6:40「八幡宮」。
『主祭神は応神天皇で、建武2年(1335)元八幡の地より遷座・再建、本殿は文化12年(1815)領主・藤懸永恵の命で再建された大杉の一間社流造。全面に唐破風の拝所が付設しているのが特徴。棟札によると大工は播州来住村の兵右衛門で、拝殿や本殿に彫られている象・獅子・雲・鶴などは、丹波・丹後に多くの建築彫刻を残している氷上郡柏原の彫刻師・中井政忠によるものであることが、本殿脇障子の刻銘によって明らか。この本殿は、文化の頃特有のおおらかな装飾感覚を持つ建物本体に、優秀な彫刻群が調和し優れた建物となっている。また八幡宮一の鳥居は、旧若狭街道に面して建てられた大型の木造両部鳥居で、親柱を楚石の上に立て、前後の控柱で支える形式の鳥居で、文久2年(1862)建立である。笠木の勾配の取り方や全体の美しさ重厚さは抜群である。
一方境内地は街道から直線軸に主要社殿を配し、周囲の老杉や植林樹が一体となって「鎮守の森」の形態をとどめており、こうした境内地の景観を保全するため、文化財環境保全地区に決定された』

内鳥居も同じ形式のもので、その内側に舞台としても使えそうな柱を除き境内に面して惣開きになっている建物があります。
大きな拝殿があり、廊下を挟んで奥の本殿に続いています。
20171014TakaS085s.jpg 本殿の装飾彫刻が素晴らしく、江戸時代に手彫していった職人の腕の良さを感じる。
需要があったから技術者が育つのでしょうが、芸術作品とも言える域に達している職人が各地にいたのでしょう。

20171014TakaS096s.jpg 脇障子の彫刻も見事です。
こんな200年も前の作品が、手の届く所に惜しげもなく並んでいる日本は、なんて素晴らしい国なのだろう。
適宜メンテナンスしながら保存する近隣の方の努力も素晴らしいが、悪さをしようとしない日本人の道徳心の高さも賞賛に値するように思う。

本殿脇には、鰹木と千木の造作から男神と女神と推定される社が並んでおり、そう言えばあまり見たことない形式だなと思いました。

r1を走っていると、右手に典型的な城山が見えてきました。
6:53寄り道しました。
20171014TakaS107s.jpg 山頂は手が入り、木々が少し除かれ展望所のようになるのが、麓から伺えます。
比高は2~30mと思われ、簡単に登れそうですがパス。

これ以降は、目につくような寺社はなく、淡々とr1を走ります。
息子たちがチビの時、海水浴に若狭方面に行く時よく走った道ですが、交通量が少なく道路も良く、とても走りやすい道です。
緩やかに高度を稼いできたr1が、若狭側の勾配のきついワインディングで下り、舞鶴道の高架下を抜けます。

夫婦サイクリングで走ってみたい道です。
JR綾部からJR若狭本郷まで50kmのちょうど良い距離です。
綾部側から走り出す方が上り勾配が緩やかで楽そうです。
難点は、交通量が少ないと言えど、主要府道ゆえの交通量があり、路肩が狭い・ないことから来る危険な所、それとアクシデントが起きた時に、離脱して帰るための鉄路が近くにないことです。
走り出せば若狭JR小浜線まで駅がありません。

高架を抜けてすぐに、左折しr16に乗ります。
再び峠に向かって登り、舞鶴道「大飯高浜IC」入口を通過し、それほど高くない峠を越えて、海側に下ります。

やがて海が見えてきて、視界が広がりました。
道はJR小浜線とR27をまたぐように越え、道なりにUターンし、R27との交差点に入ります。
左折しR27に乗って東進します。
「和田」が近づくと、R27と並行して海側を走るr237に乗り換え、和田海水浴場に向かいます。
海水浴場に突き当たり、右折してヨットハーバーに向かいます。

すぐにお揃いの白スカート・法被姿の男どもの集まりが見えてきました。
お祭りだ!
ゆっくり山車の前を通過し、7:34新宮神社横に車を停めます。
お祭りの激写タイム。
海辺の集落らしく、大漁旗や「・・丸」と書かれた漁船旗がロープに下がっています。
20171014TakaS110s.jpg 紅白に飾られ、提灯の下がった舟形の山車の上には、子供たちが乗っています。

20171014TakaS111s.jpg 新調したとこに見える綺麗なお神輿が待機しています。
風はなく、海に入っていくと予想するお祭りは楽そうです。
新宮神社に入ってみると、ワンボックス車が停まっており、祭りの準備をしています。
大きな幟が3本立ち、秋祭りの気分満点です。

ハーバー前に来ましたが、ゲートはまだクローズです。
ならば、もう少しお祭りを見ていようとUターンすると、コーチしてる大学の学生がやってきました。
「今日はハーバーの駐車場はクローズだそうです。海水浴場前の有料駐車場に無料で停められるそうです」「遠いやん」「そうですよね」と言う会話をして、再びお祭り前をゆっくり通過し、海水浴場の500円有料駐車場に入れます。
ゲートがあるわけでもないので、海水浴時期は人が集金するシステムです。

車を置いてハーバーに徒歩で向かいます。
防水バッグにカッパを入れ、ライフジャケットを着て、長靴を履き、カメラをたすき掛けにします。
準備している間に、ヨット部員の車が2台やってきて、「おはようございます。よろしくお願いします」と言葉を交わし、先に歩いていきます。
400mほどあるので、10分近い距離です。

浜を僕と並行するように、別のお神輿が移動しています。
20人ほどで担いでいます。
僕の歩いている道に出てきたので待ちます。
警察官の誘導で僕の歩く道を渡り、住宅街の方に入っていきました。

20171014TakaS120s.jpg 山車の前に太鼓が出ており、子供たちが順番に太鼓を叩いています。
1人終われば拍手。
太鼓に合わせるように鐘の音も鳴っています。
大太鼓の載る山車も準備されています。
皆さん楽しそう。
子供や女の子はズボンにお揃いの法被です。

20171014TakaS121s.jpg 中学生ぐらいの女の子が2人、眩しいほど黄色な着物を着ています。
特別な役割があるのでしょう。
20171014TakaS117s.jpg 突然笛が鳴り、「ピッピ、わっしょい」とお神輿が担がれ動き出しました。

海は波がなく穏やかですが、うねりが残っておりテトラポットに当たり大きな飛沫を上げています。
8:13ハーバー着。
キャプテンとこの日の予定を話し、出艇時間まで各艇を回りあ~だこ~だ。
艤装を終えた部員たちが出艇着に着替えます。

1人の部員が、「あ~ドライスーツを車に忘れた~」と叫び、女子マネージャー1人とともに車の方に戻っていきます。
残った1人のマネージャーに、「何故帰って行くの?」と聞くと、食事を作りに合宿所に戻るのだそうです。
今週末は同行マネージャーが2人で、1人がレスキューで、1人が食事作りだそうです。
「20人ほどの食事を1人で作るのか」と驚きました。
家庭の主婦の域を優に超えてるね。

9時になり、体操、出艇前ブリーフィングで、全日本予選で明らかになった微風でのボートスピードの弱点を克服するために良い練習になると話しました。
9:30出艇。
2m/sほどの南風(陸風)です。
西の和田海水浴場沖は、海岸線は平地ですが、集落の東にあるヨットハーバーから東は山が海岸線で一気に海中に没している地形です。
山のブランケットで風速が落ちます。
セパレートしてランニングレグを走ると、明らかに山側に行った船が遅れました。
地形による影響を学びます。

沖に出るとD社大がマークを打ち、そこに各校が集まりレース練習が始まりました。
470級は風下マーク、S級は上マーク回航時に風が更に落ちノーレースになり、各校バラバラに練習してハーバーバック。
D社はそのまま沖弁(海上で昼食)のようです。

僕らはハーバーで食事して13時出艇予定でしたが風がなく、レース艇の整備などして14時過ぎに風が出てきたので体操・ブリーフィングして出艇。
北風(海風)に変わっていましたが、曇天故太陽に熱せられて陸上温度が上がらず上昇気流が弱いようで、平常のように海から吹き込む風が上がらず、2~3m/sでした。

16時にハーバーバックし練習終了。
みんなより少し早く車に戻ります。
まだお祭りの余韻が残っています。
山車や神輿が倉庫に片付けられており、太鼓などを運んでいるところでした。
漁港では、お神輿が水洗いされています。
やはり担いで海に入ったようだ。




10/14・綾部壱鞍神社~河牟奈備神社

コーチしてる大学ヨット部の練習に参加しました。
場所は福井県高浜市。
3週間後に最終日を迎える全日本インカレ決戦の場です。
今年は地元開催なので、レース海面が近場です。

いつもなら練習している琵琶湖開催なのですが、来年の福井国体のためのアピールや大会運営ノウハウを学ぶ為のアピールに応え、開催ヨットハーバーでの開催になりました。
こういうことはよくあり、現場からの要望の他に政治的側面もあるでしょう。
北京オリンピックの前年に、同じ開催地に誘致されたジュニア世界選手権に参加したことがありますが、同様のことを感じました。
中国の自国えこひいき甚だしい、どこの国のコーチにも不評な大会でしたが、オリンピックは無難に行われました。
まあ、内部ではいろいろあったようですが・・・

前日夜、バイクで行こうと用意万端整えました。
4時前に起床し、天気予報をチェックしました。
気温がグンと下がり、傘マークこそ消えましたが、いつ降ってもおかしくない臭いがする。
篠山から日本海に抜けるので、山中を走ることになり、そこでの降雨も気になる。
別に降ってもカッパさえ着ればいいのですが、四輪で行くことに変更しました。

4:30出発。
積載量無限大になったので、乱雑に荷物を放り込みました。
池田からR173をひたすら北上します。
中国道~舞鶴道コースで2時間、R173~京都縦貫道~舞鶴道コースで2.5時間、綾部からr1を使ったら3時間です。
前々回4輪・前回バイクで2つ目のコースを走りましたが、オール高速と同じ2時間でした。
R173が信号の殆ど無い快走ルートだから、地道平均時速30km/hで計算しているので、倍のスピードで走れるから30分短縮したのでしょう。

今回は3つ目のコースを使います。
R9との交差点までR173で北上し、5:36「ローソン京丹波和田店」で、「助六寿司399円・セレクトミニチュアクリームパン100円・伊藤園ミネラル麦茶129円」を買いました。
ここから、助六寿司を頬張りながらの運転です。

「京丹波みずほIC」から京都縦貫道に乗ります。
1区間「京丹波わちIC」で高速を下り、由良川に沿ってR27を西進し、「山家」からr1です。
ここで、この交差点近くの「照福寺」に寄り道する予定でしたが、どうも場所がわからずスルー。

r1に乗り、高浜町に向かって東北に進みます。
5:57「天然寺」。
寺院か神社がありそうな階段があったので寄り道した浄土宗のお寺です。
お墓も見に行きましたが、特に気になるものはなかった。
20171014TakaS008s.jpg 小高い丘の上で、低い雲に包まれた里山の景色が一望です。

6:04「若宮荒神宮」。
神宮と大層な名前が付けられていますが、小さな祠に参道が付いた程度の神社です。
若宮だから、誰かの若宮を祀っているという意味ですが、多くは宇佐八幡宮が祀る八幡様・応神天皇の若宮「仁徳天皇」を祀っていることが多い。

6:12「壱鞍神社」。
20171014TakaS014s.jpg ここも目についたので寄り道しただけですが、なかなか立派でした。
「一番鞍」を連想し、兵役や合戦に因んだ謂れを期待したのですが、祭神は「木花佐久耶比売命」と意外でした。

『R27、綾部市山家を北上し、上林地区・十倉志茂町の左山麓に鎮座する古社。
背後の山を借景に素晴らしい景観の神域が目に入る。創建は応永元年(1394)。
現社殿は、大政6年(1823)。一間社流造り。
祭神は木花佐久耶姫命(このはなさくやひめ)、向拝に宝珠をしっかり握り、小型龍の彫刻が目に入る。すぐ上に力士が梁を持ち上げている。木鼻は唐獅子と象がおり、本殿の廻りに8頭もの象が元気よく並んでいる。手挟は手の込んだ牡丹の彫り物で、2頭の唐獅子も目に入る。本殿左右の上部には、長寿を祈念する鶴と亀が躍動している。更に上部には牛と馬(麒麟)が彫られている。兎の毛通しの鳳凰も立派だ。左の脇障子は虎の上に乗る仙人、右には昇竜と仙人が見て取れる』

20171014TakaS025s.jpg 覆屋に本殿は守られ、覆屋は絵馬殿を兼ねており、白馬(神馬)・白蛇・虎・羊・法武者などの絵馬が下がっている。
力士の姿は確認できなかったが、彫刻が素晴らしい。

20171014TakaS032s.jpg 神社には龍の彫り物が多いが、これは四書五経の易経が影響しているように思います。
学問と言えば中国の古書で、武士の教養として四書の「論語」が筆頭に学ばれたようですが、僕は「易経」の方に惹かれます。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」の易学はここに始まったようですが、人の生涯を通した成長が書かれている。

20171014TakaS050s.jpg 沼に潜む「潜竜」の状態から学び、やがて「昇竜」となって天に昇り、「飛竜」として成功し続けるか、「亢龍」(降り龍)となってしまうかの心の持ちようが記されている。
飛竜の時「大人を見るに利ろし」と、潜竜段階と同じ言葉が出てくる。
沼に潜む勉強段階の時、大人を見て学ぶように、飛竜として成功しても聞く耳を持ち謙虚
に行動すれば亢龍にならないと読める。
世の中の変化があれど揺るぎない人生の行動原則に思え、とても好きだ。
月イチで勉強する機会があるので、数日前から易経解説書のその回の勉強箇所を読み、自分なりの理解を持って勉強会に臨むようにしている。

解説書を数冊持っていますが、竹村亜希子さんの著書がわかりやすい。
もともと日本で人気の「論語」の小さな勉強会に参加するようになってからの発展ですが、四書五経の日本での人気の根強さを、知れば知るほど感じる。

神社の彫刻に龍の姿を見る度、「沼に浸かってでかい目を上に向けて大人を見て学んでいる潜竜だな」とか「まさに人生の最盛期・飛竜として飛んでいる」と、それを見ている。
でも最も好きなのは「昇龍」の彫刻です。
いつまでも昇竜の気持ちを持ち続けたいと願っています。

境内から参道の端の朱の鳥居を見ると、その向こうの田畑や里山が絵になっている。
快晴もいいが、曇り空も素敵です。

6:27「河牟奈備神社」。
覆屋に守られた本殿は、細かい彫刻が施され素敵です。
覆屋は絵馬殿としての機能もあり、白い神馬の絵馬が下がっています。
蟇股の龍や木鼻(角がないので獅子?)の口内には朱色が所々に残っています。
正面は獅子木鼻で、側面方向の木花は象のようです。

謂われ板がなかったので、帰宅後調べました。
『式内社 祭神:天下春神。和銅年間の創立で、延喜式内社、元井根村を氏子元として八ヶ村の氏神であった。今も大宮というのは、崇敬の厚い近在の大社であったためである。
境内に数基の古墳がある。元亀天正の頃、 兵火にかかり宝物記事等を焼失した。
後朱雀天皇の長元9年(1036)大嘗会。主基方神遊の歌に「丹波国神奈備を 常盤なる神奈備山の榊葉 さしてぞ祈る万代のため(千載集)」と詠まれているが神奈備山はこの大宮の後背の山といわれている。尚境内の阿上社に は永久2年(1114)銘の御神体の石碑が ある。現在、綾部市最古の金石文である』

20171014TakaS059s.jpg 境内の脇に、朽ちそうな土蔵がありました。
両親のそれぞれの実家には土蔵があり、刀剣類や掛け軸・古文書などお宝が所蔵されており、小学生の僕には宝箱だった。
夏休みに帰省した時、1~3週間父の実家にいたので、爺ちゃんに蔵を開けてもらうのが楽しみでした。
この朽ち果てた蔵を見ながら、中を覗いてみたくてたまらなくなりました。


10/8・秋祭り・山車

「三田アスレチック」に停め、「大舟山登山口」を探索します。
ここは標高300mで、大船山山頂は650m。
比高350mなら僕ら夫婦でも登れそうです。

20171008HokuS042s.jpg 「三田アスレチック」は廃業したと思っていましたが、駐車場には車が停まっており、ジャングルジムなどで親子が遊んでいます。
20171008HokuS049s.jpg 登山口を登っていくと、テントが設営されていたり、バンガロー前でバーベキューしているお若いグループがいたりして盛況です。
道は細いですが、オートキャンプ場のようで車も入っています。

バイクに戻ると、お囃子が下の川の方から聞こえてきます。
山車はこの道路を戻るものだと予想していましたが、別の道を帰っているようです。
バイクに乗り下ると、ちょうど山車がこの道に合流しようと坂を登って来るところでした。
待っていると、「先に行け」との合図。
通過する時山車を見たら、子供たちが乗り、大人たちが担ぎ棒を押し引きしています。

r323~r37で、12:26「三田もち処・つくしの里」。
道の駅のようなもので、食堂もあります。
家内と最初の夫婦サイクリングの時、「西谷農協」で車を停めここまで走ってきましたが、ここで家内がギブアップし、僕だけ車を取りに戻った思い出の場所です。

アメリカンバイクが1台停まっており、横の畑では「枝豆」をお客さんが収穫しています。
この日、ここまでも枝豆のロードサイド売店を数軒見ました。
枝豆は丹波篠山の黒豆が有名で、篠山はロードサイド店花盛りでしょうが、北摂里山地帯だって枝豆畑があちこちにあり、味は負けないでしょう。
篠山よりきっと安いよね。

20171008HokuS056s.jpg 駐車場に、先程見た御神輿と同じような神輿が置いてあります。
子供が1人見張り番をしています。
お昼の休憩でしょう。
こちらのタイヤは木製ではなく、空気を入れるタイヤです。
こちらの方が楽に動くでしょう。

r37を北上し、羽束川沿いに「高売布神社」方面に入ります。
「高齢者ふれあいサロン高平の里」前に、桐紋が入った木製大型車輪の山車が置いてありました。
20171008HokuS064s.jpg 彫刻も素敵で、カッコイイな。
目の前は大船山で、枝豆畑では軽四が収穫しています。

20171008HokuS069s.jpg 12:37「高売布神社」。
『古代から祀られた平安時代の延喜式に記載された式内社。中世には多田源氏の高平地区惣社で、近世には摂津麻田藩領になり、藩主青木氏の祈願所となる。
拝殿上の京都宝鏡寺門跡尼より寄進された社号額には「正一位荷月大明神」と書かれており崇敬を集めていたが、江戸時代中頃幕府寺社奉行の命を受け、延喜式内社を調べた儒学者並川誠所により誤りが訂正され、鳥居横に「高売布社」と刻まれた新社号石が建つ。
本殿は檜皮葺1間社流造(国重文)、永正10年(1512)に再興上棟。草花を主題にした優れた彫刻装飾のある貴重な建築物。木像狛犬(国重文)は、かやの一木造で永仁5年(1297)の墨書がある。拝殿に奉納された絵馬は保存状態が良く、36歌仙絵額、神功皇后遠征図、覇宮図など多彩である』

「桔梗桐紋」の横断幕が下がっています。
先程の山車は、ここのお宮のでしょう。
境内に山車が置かれており、ブルーシートを被っています。
これもタイヤ四輪です。
20171008HokuS081s.jpg 中を覗くと、床の中央に大きな太鼓が据えられていました。
20171008HokuS082s.jpg 本殿を覗くと、綺麗な御神輿が置かれていました。
20171008HokuS087s.jpg 絵馬も下がっています。
社殿がリニューアルされる以前は、素晴らしい絵馬が吹きっさらしに下げられていました。
現在はガラス張りになっており、保存が良くなりました。



北上したら、大船山に向かう鳥居のところに、また山車がありました。
20171008HokuS095s.jpg 彫刻が素晴らしい。
木製車輪がいい。

r37に合流し、「小柿渓谷」を抜け、「後川下」から林道に入り、「後川奥」から永沢寺に上がりました。
13:15「永澤寺」。
「花菖蒲園」に入ります。
花の時期は有料です。
花はありませんが、広い庭園で気持ちが良い。
20171008HokuS105s.jpg 道を歩くと、足元からバッタがたくさん飛びます。
自然豊かですね。

「そば道場」でも有名です。
「全麺協素人そば打段位認定会 初段・二段位・三段位会場 主催:永沢寺地域振興協議会・そば実行委員会」と書かれている。

20171008HokuS138s.jpg 『摂丹境・永澤寺 山号:青原山 宗派:曹洞宗(禅宗) 開創:応安年間(1370頃) 開祖:通幻寂霊禅師 当山は、後円融天皇の命によって、五州の守護職細川頼之卿が七堂伽藍を建立し、高徳善知の通幻寂霊禅師を迎えて聞かれた禅寺てある。
本尊は、釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来。秋葉殿に、火防の本尊、秋葉三尺坊大権現。開祖堂前に、総高3.6mの大地蔵菩隆。妙高閣には、総高9.2mの大観世音菩薩。信責山本尊毘沙門天の分身が祀られている。
建物は、安永7年(1778)に再建した本堂、開祖堂、庫裡。昭和40年に再建した勅使門、金鶏門、王兎門、山門(仁王門)があり、山門には、2対4尊の永沢寺様式仁王尊を安置している。
平成6年に建立した妙高閣には座禅堂、観音堂、ガンダーラ彫刻展示室がある。
境内地・1万6千坪、山林・45町歩、基地・6町歩を有している』

20171008HokuS164s.jpg 『33所観音奉祀由緒 開祖通幻寂霊禅師(1322~1391)は、足利幕府管領職細川頼之の要望により、応安3年(1370)に永沢寺を開かれました。
禅師はこの地を修行の根本道場と決め、通幻十哲と尊称される秀でた弟子をはじめ多くの僧を世に送り出した結果、禅師の流れを汲む寺は全国に8900を数え、これらを通幻派と呼称され曹洞宗が全国最大の宗団になる礎となりました。
禅師の生い立ちは恵まれてはおらず、母親の命と引き換えに誕生され、祖母の手によって育てられたが、7才の時に祖母を亡くし天涯孤独となり、11才で出家されました。
平成2年、禅師の600回忌を迎えるに当たり、報恩の誠とし、お母様を観音菩薩、お祖母様を地蔵菩薩の姿に変えて奉安しました。
また安永5年(1776)には、261世住職が境内に33の観音を祀り、焼失した伽藍の復興を祈願し現在の本堂庫裏を再建されました。
後に、これらの観音様を周辺の山に遷し、巡礼道として信仰を深めていましたが、残念なことに永い年月の間に石仏は境内の数尊を残すだけになりました。
慈に、禅師の大遠忌を賭して奉安した大観音菩薩に加え、新たに33所観音を迎え、所縁の西国霊場より拝領した砂を基壇に納めて奉祀致しました。
願わくは、参詣の各位に観音菩薩の功徳を賜らんことを』

20171008HokuS170s.jpg もう何度も見学した境内を巡ります。
バイクに戻り、r49を南下し、「バイカーズカフェ虎亀」まで来ましたが、駐車場がバイクと車で満員です。
連休の中日で混んでいそう。
スルーし、r49を南下し、r37~r323~波豆川口。
そこから波豆川に沿って南下すると、西谷中学横でパトカーに後方を守られた山車を追い抜きました。
14:28「素盞嗚尊命神社」。
先程の山車がここに戻って来るはずです。

20171008HokuS173s.jpg 参道前の道路には、山車が2基戻っており、鳥居横にも小型の山車(子供用)が戻っていました。
境内に入ると、参拝者が多くおり、お参りするために並んでいます。
本殿裏に回ってじっくり拝見します。
覆屋に囲まれているので少ししか見えませんが、細かい彫刻の施された立派な本殿です。

鎮守の森の巨大杉の御神木横を通り拝殿前に戻ると、お参りされた方々が役員さんからお土産を貰っていました。
新米でついたお餅かな?
20171008HokuS193s.jpg 鳥居前に戻ると、山車が戻ってきました。
これから、境内であれやこれやあるのでしょうが、帰路に着きました。
r33~r325~長尾山トンネルを抜け、帰宅しました。


10/8・お墓参り & 秋祭り

お彼岸時期にアメリカの長男一家を訪問していたので、遅ればせながらの秋のお彼岸お墓参りです。
近所の中部方面総監部は創隊記念日で、基地内に一般人も入れます。
模擬店を楽しんだり、武装を見学したりできます。
戦車や装甲車の試乗会があり、演習も見れます。

毎年のことですが、この1週間は演習の練習で、機関銃のダダダダ音やヘリコプターの飛来音でまるで戦場です・・・戦場経験がないけど・・・
武装ヘリ・アパッチも数機飛来し、カッコイイ。
戦車の砲撃音に、家内は「花火?」ってビックリ。
お昼休みに、フェンス越しに演習を10分ほど見に行きました。

阪神大震災での自衛隊員の大活躍から、このお祭りへの見学者が増えているように思います。
来賓に防衛大臣や副大臣が来られ、観閲しスピーチします。
それ目当ての方もいるのではないでしょうか。
前日には、駅にマイクロバスが出て、OB?OGさんなど関係者を乗せて隊との往復をしています。
関係者に事前お披露目しているのかな?

前日にお花を買い、当日朝5:30に家を出ます。
まずは家内の実家・加古川のお墓に向かいます。
この時間帯は、中国道も空いており、宝塚トンネル西行渋滞もありません。
ドアミラーを見ていたら、朝日のオレンジが雲に映り、朝焼けのように綺麗です。

6:30に墓苑に到着し、姉夫婦が残していったお花を入れ替えます。
ホームセンターで見つけた「ターボライター」をお盆のお墓参りから使っていますが、風で炎が消えることなく、すぐにお線香に火が付くのでこれは優れものです。

中国道を戻り、「神戸北IC」から「六甲北有料道路」に乗り、JR新三田駅~志手原~r37~r323で波豆川。
ここで僕の定点観測ポイント「八坂神社」前のコスモス畑が満開になっているのを見つけました。

そのまま走り、r319~r12で霊園へ。
信心深い弟一家が来ていると思ったが、お花の残骸がありません。
家内は「もう片付けてくれたのよ」と言うが、弟はこのお彼岸参りをパスしたように思った。
お盆とお彼岸は1ヶ月しか離れておらず、パスしても雑草で酷いことになる心配はありません。
管理費をしっかり払っているので、お花が見苦しくなると片付けてくれるし、雑草の掃除もしてくれます。

我が家は少し大きな区画を持っているので、放ったらかしにすると雑草で周りの方に迷惑を掛けてしまいます。
我家の庭の彼岸花はお終いになっていますが、終わりかけですがまだ咲いていました。
隣の弟のお墓に彼岸花は多く咲いていましたが、うちの方は例年より少しです。
お盆のお墓参りの時、雑草と思い抜いてしまったのでしょう。
失敗しました。
来年は気をつけなきゃ。

r12~r319~r323で戻り、八坂神社前。
コスモス畑を楽しみ、八坂神社を見ると、秋祭りのようです。
参道に御神燈が出ており、紅白の衣装の子供が親とともに神社の方に歩いて行きます。

見学することにしました。
石段を上がると、境内には御神輿と山車が出ていました。
倉庫の扉が開いており、そこに仕舞われていたのでしょう。
ちょうどブリーフィング中で、責任者がタイムスケジュールを説明していました。

それが終わり、山車が坂を下っていきます。
揃いの衣装の大人たちが長い綱を持って暴走しないようにして、梃子を持った方がカーブで掛け声を合わせ車輪の向きを変えています。
平地に下り、参道を行き、道路に出て「波豆川口バス停」の方に行きます。

その間、ご祝儀袋を御神輿の前後に貼っています。
子供たちは全員こちらに残り、御神輿に乗ったり、太鼓を叩いたりしています。
親が写真を撮っています。
大人たちが山車を引いていき、それを置いて帰ってくるのを待っているのだと、お母さんたちが子供に話していました。
僕らはここで退散しました。

r33~r325で阪急山本に下り、9:25和菓子を買いに「寶菓匠・菅屋・山本店」に入ります。
「いちご大福」をよく買うのですが、パイン大福やマンゴー大福・ぶどう大福・抹茶大福もあります。
色々食指が動きましたが、「今日は洋菓子が良い」との家内のリクエストで、お店の名前を冠した「すがやさん360円」ともう一つ珍しいの380円を買いました。

「総監部自衛隊」には、続々とお客さんが入っていきます。
上天気で温かいので、今年も賑わいそうです。
帰宅し、早速お菓子をいただきました。
いつものように、家内とはんぶんこします。
美味しゅうございました。

自衛隊を観に行こうと誘いますが、「今年はいいわ、大砲の音とか凄すぎて怖いもん」とのこと。
「どこかに行ってきたら」と言われたので、北摂のお祭りを探し見物しながら、バイカーズカフェ虎亀にでも行こうかとバイク装束に着替えました。

「里山VTR250」を出し、10:48出発。
阪急山本駅から山手台住宅地内を駆け上がり、長尾山トンネルを抜けて北摂里山地域にエントリーします。
r325~r33を走り、「西谷農協大池」交差点を過ぎると、「素盞嗚尊命神社」も秋祭りのようです。
20171008HokuS002s.jpg 御神燈が並んでおり、石鳥居の前に新たな木製の鳥居が立てられています。
20171008HokuS004s.jpg 参道から社殿まで入ってみましたが誰もいません。
御神輿などは集落を巡っているのでしょう。

r68を渡って北上し、11:45定点観測ポイントの「八坂神社」前。
コスモス目当ての車が10台ほど停まっています。
立派な望遠レンズをセットした一眼レフおじさんもいます。
20171008HokuS012s.jpg 僕もコスモスを激写。
20171008HokuS017s.jpg 
20171008HokuS015s.jpg 御神輿は「大舟寺」の方に行っているのだろうと予想し、そちらにバイクを走らせます。
20171008HokuS020s.jpg 「波豆川口バス停」に、大人たちが引いていった山車がポツンと置かれています。

大舟寺への道を入っていくと、小さな公民館前に、小さな御神輿が置かれています。
更に道を進み、「三田アスレチック」前を通過し、最深部にあるお宮が見えてきた時、予想通りそこに御神輿がありました。
お昼休憩しているようです。
僕のバイクを見つけた大人が、僕を手招きし、道を開けようとしています。

そこから奥は少ししかないので、僕はUターンし、12:31舗装路から外れ地道にバイクを停めます。
御神輿の横を通り、神社にお参りします。
前回来た時より更に荒れている感じがします。
藤棚があるのですが、手入れされていない感じがします。

20171008HokuS028s.jpg 御神輿は、境内で見た時はなかった台車の上に乗っており、楽に動かせるようになっています。
軽四に載せられたビールサーバーはサッポロビールでした。
大人たちの服装は、白装束に黒のチョッキ、ズボンではなく白スカートに地下足袋です。
子供達は運動靴に女性のような鮮やかな色使いの着物に統一されています。

20171008HokuS033s.jpg お昼休憩が終了したのか、子供たちが山車に乗り、鐘太鼓のお囃子が始まりました。
バイクに戻り、道を戻ります。
里山の素敵な風景を激写しながら下ります。


10/1・熊野古道中辺路~帰路、リアボックス

店頭に、唐辛子が下がり、大きな瓶には、ガマ・ススキ・コスモスが飾られていた。
お茶を頂きながら、一服しました。
王子を見に行きましょう。

『継桜王子 藤原宗忠は、天仁2年(1109)10月に熊野に参詣した際、「道の左辺に続桜の樹があり、木は檜で、誠に稀有なこと」と日記に記しています。檜を台木とした桜が成長していたものと見られる。建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記、あるいは承元4年(1210)4月、修明門院に随行した藤原頼質の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現・野中川)を何度か渡るように記していますので、この王子社はその後現在地に移された事も考えられる。江戸時代には、若一王子権現とも呼ばれ、社前の桜は「接桜」「秀衡桜」と呼ばれ名木になっています。王子社から100m東にある現在の秀衡桜は何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。明治時代には王子神社となり、末期に近隣の金比羅神社(現・近野神社)に合祀されましたが、社殿は残り、後に御神体も戻されました。境内にある9本の杉の大木は、枝が全て南向きに伸びているため、「一方杉」と呼ばれています。神社合祀の際に、南方熊楠らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに、県の文化財に指定されている』

20171001KatsuragiS314s.jpg 巨杉の並ぶところに鳥居があり、巨杉が囲む石段参道を登って行きます。
「皇太子殿下行啓の道 平成4年5月27日」の石柱が立っている。
1本の巨杉の根元に熊が冬眠できそうな穴が空いている。

20171001KatsuragiS320s.jpg 王子社はリニューアルされたばかりのようで、鮮やかに化粧されていた。
茶屋に戻り、階段を下に降りた。
バイクで走った道まで下り、道を少し戻って12:57「名水 野中の清水」。

20171001KatsuragiS335s.jpg 『ここは奥の方から清らかな水がわき出ていて、「野中の清水」として古くから知られた名水である。真上に継桜王子社や一方杉があり、能野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここで喉をうるおした。また、この付近一帯の住民の大事な用水にもなっていた。昭和60年(1985)に環境庁の名水百選に選ばれた。
句碑の「すみかねて道まで出るか山しみづ」は、俳人服部嵐雪が宝永2年(1705)5月仲間7人と共に伊勢と熊野に参り、田辺の方に歩いて行く途中ここで詠んだ句である。
歌碑の「いにしへのすめらみかども中辺路を越えたまひたりのこる真清水」は、歌人斎藤茂吉が昭和9年(1934)7月土屋文明と共に熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中で詠んだ短歌である』

清水は、透き通った水をたたえていた。
池に落ちる水流はなく、清水の底から湧水しているように見えないので、護岸の岩の間から湧水しているのでしょう。
20171001KatsuragiS341s.jpg 国道の走る谷の向こうの山が見え、気持ちの良い場所です。

山がちな場所にある古道は、今の幹線道のように谷を走らない。
谷は常に水害によりなくなる可能性があるので、山の中腹や尾根道だったりする。
地図のない時代、上から見て自分の位置を確認する以上に確かなことはなかったからです。
日本のように雨量が多く水害の多い国で、谷に道を通すのは、現在のような土木機械が発達しないと無理だったのでしょう。
こんなアップダウンの多い道を歩けば、自然に健脚になりそうだ。

バイクに戻り、帰路に着きます。
R311を西に走り、右折してr198。
路面に大きく数字が書いてあります。
災害時などに、ヘリコプターから見えるようにかな?

R425~R424で、13:46「道の駅・水の郷日高川龍遊」。
休憩し、僕がラストで出発し、あっという間に皆さんが見えなくなりました。
信号で追いつき、また離れます。
日高川に沿って走る道は、交通量が少なく、初めて走る道ですが、気持ち良く走れます。



「ヤッホーポイント」で皆さんが待っていたので、そこで追いつきました。
ここも初めてなのでやッホーしたかったが、1人ではイマイチなので一旦スピードダウンしてスルー。
「椿山ダム」がありました。

「道の駅・しらまの里」で休憩し、ここで解散になりました。
給油する方は、阪和道・有田IC手前のGSで給油し、高速道路に乗って流れ解散だそうです。
R424を北上し、r22で「有田IC」に向かいます。
皆さんはGSに寄りますが、僕はそのままスルーします。

「どうせ、いずれ追いつかれ抜かれていくだろう」と思い、「有田IC」にエントリーし、いつもの80km/h程度で北上します。
「紀ノ川SA」をパスし、16:06「岸和田SA」で休憩します。
いつものように「水なす販売」コーナーに寄り、弟のお嫁さんの実家の販売する「水なす」を見ます。
たまにお姉さんが店頭に立っているのですが、この日は別の方で残念でした。
どうやら岸和田の地元組合から当番制で、ここで販売促進しているようです。

16:12、「味わいソフト・バニラチョコ・140円」で糖分補給しました。
皆さんが来るかと思いましたが誰も来ません。
一目散に帰られたか、「紀ノ川SA」で休憩されたのでしょう。

道なりに近畿道に乗り、「吹田IC」で下車し、中央縦貫道を西進しR171。
17:28「伊丹産業・セルフ北村SS」で給油、322km/11.66L=27.6km/L。
信号の少ない田舎道をトップギアで長く走れたので、良い燃費になりました。

帰宅して、いつものようにCBを乾拭きし、「通勤リード110」のリアに、「Y'sギアE37リアボックス(39L)」をくっつけて、近所の「バイクワールド・伊丹店」に急ぎました。
このボックスはここで買いました。
CBとお揃いの白い塗装のお気に入りなので、なんとか直して欲しい。

「蓋が閉まらくなったんです」とカウンターで言うと、カウンターの方があ~だこ~だやっても直らない。
電話で担当者を呼んで、あれこれ・・・
担当者が「あ、500円」と、隙間から500円玉を取り出して・・・「これで大丈夫ですね。単純なシステムなので、壊れることはないんですよね」。

一件落着しました。
いつの間にか500円玉が入りこんだようです。
その500円玉を財布に入れながら、なんだか得した気分になりました。

以前、家内の「アドレス125」と僕の「通勤リード110」2台でツーリングした時、家内のGIVIボックスが開かなくなりました。
鍵を突っ込んでも動かなくなりました。
四苦八苦しても結局開けられず、諦めて僕のリアボックスを開けようとしたらこちらも開かない・・・
「あれ、鍵間違えてるんじゃない?」。

GIVI・Y’sギア・KAPPAは皆同じ赤い鍵なので間違ったようです。
僕が気を利かして家内の鍵も持っちゃったから、おかしなことになりました。


10/1・グループツーリング 熊野古道・中辺路

r261をさらに南下し、五條市に入り、8:26、R310との交差点を右折した所にあった「御霊神社・福田宮」。
20171001KatsuragiS253s.jpg 『御霊神社の御祭神である井上内親王は、聖武天皇の皇女として養老元年(717年)に生誕した。 5歳で斎王として伊勢皇大神宮に出仕し、のちに白壁王の妃となる。宝亀元年(770年)、白壁王は第49代光仁天皇に即位。しかし政権争いに巻き込まれ、無実の罪により皇太子・他戸親王とともに大和国宇智郡没官の宅(現五條市)に流罪となり、宝亀6年(775年)4月25日逝去。
その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、朝廷は内親王母子の怨霊の祟りと恐れ、内親王を皇后に復し、霊安寺を建立し御霊を安め奉る。その頃に御霊神社も創建された。嘉禎4年(1238年)吉原・牧野両豪族の論争に起因し10社に分社したが、その後も宮分けが進み、400年余りの間に20余社の御霊神社が宇智郡(現在の五條市)に分祀された』。

祟りを畏れた世相の魁で、この政争の勝者・桓武天皇が怨霊を恐れ、神社を整備し、長岡京・平安京に遷都しました。
後に菅原道真が雷神として祟り、崇徳上皇も怨霊となった。
勝者である後の為政者がさまよえる魂を鎮めるために祀ったのが御霊神社で、菅原道真は天満宮です。

凝った彫刻が目を引いた。
絵馬に五稜郭を砲撃する政府軍を描いた(たぶん)物がった。

すぐ近くがグループツーリングの集合場所の「ローソン五條インター店」だったのですが、ガソリンが半分になったので、その前を通り過ぎ給油しに行きます。
R310を南下し、R24を西に走り、8:53「シェル西五條SS」で給油。
216km/9.01L=24.0km/L。

集合場所に戻ると、僕を含め7台集合。
僕がラストだったよういで、直ぐに出発になりました。
R310を熊野古道中辺路に向かって南下開始です。
吉野川を渡り、GSに止まって数台給油しました。
なんだ、GSに寄るなら前もって給油する必要はなかった。



R168を南下し、「道の駅・吉野路大塔」で休憩。
再び南下していると、奈良県橿原市大和八木駅と和歌山県新宮市新宮駅を結ぶ日本一長い距離(167km)・時間(6.5時間)・停留所数(167)の路線バス・八木新宮特急バスとすれ違った。

幾つかのトンネルを抜けながら、十津川に沿い、素敵な景色の中を走ります。
僕は遅れ気味ですが、より遅い四輪車をパスするタイミングで追いついたりしながら、10:40「道の駅・十津川」に着きました。



ここには寄ったことなかったので、初めての道の駅です。
20171001KatsuragiS280s.jpg 足湯がありました。
20171001KatsuragiS275s.jpg 靴下を脱ぐのが面倒なので入りませんでしたが、手をつけると気持ち良かった。

「果無集落」への分岐を過ぎ、十二滝の横を走ります。
たくさんのトンネルを抜けながら、皆さんと離れ、一人旅になりました。
次の待ち合わせは、R311の「ちかつゆ」とわかっているので、マイペースを守りながら気楽に走っていると、待っているリーダーが目に入りました。
「ほんまに、ついてきてるかな?」と心配になったのでしょう。

2台で走り出しましたが、徐々に離れてまた一人旅です。
リーダーさんも僕を目視できて安心されたでしょう。
「熊野本宮大社」横を通り、右折してR311に乗りました。
しばらく走っていると、後続の四輪を挟んで、皆さんが後ろから追いついてきました。「あれ、いつの間に抜かしたんだ?熊野本宮の道の駅にでも寄っていたのかな?

リーダーが抜いてきて僕の前に入り、12:21「古道あるきの里・ちかつゆ」に到着。
皆さんとお昼ごはんにします。
「熊野牛の他人丼・780円」を食べました。
ここまで先導してくださった伊賀のNさん、地元田辺在住なのでここで会ったSさんと同席しました。
横のテーブルには、遠く滋賀県から参加のNaさん、西宮裏六甲のNamさん、大阪の女性Cさん、尼崎の女性Aさん、そしてリーダーのJさん。

バイクに乗り、R311に出て少し東に戻ります。
枝道に入り、12:34「継桜王子」下のPへ。
歩いて坂を上がり、「熊野古道・中辺路」。
20171001KatsuragiS287s.jpg 大きなイガグリがたくさん落ちており、クリも落ちてる。

秀衡桜・・・ここで秀衡の名前が出てビックリ。
『奥州の藤原秀衡夫妻が熊野入りした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残してここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事を願ったとされ、その木が成長したのが秀衡桜だといわれている。明治の中ごろまでは継桜王子の社前にあり、古く名木として知られていた。天仁1年(1109)の藤原宗忠の日記(中右記)に、道の左辺にあるツギザクラの樹は、本はヒノキで誠に希なものだと記されていて、その桜が秀衡伝説に結びついたものとみられる』

スタンプボックスがある。
『「秀衡桜」と奥州「平泉」の関係 「秀衡桜」はその名からも、奥州「平泉」(岩手県)に栄えた藤原秀衛公にちなむ桜です。
平泉は12世紀、奥州藤原氏により約100年間に亘り黄金文化が花開いた所で、みちのく(東北)の政治と文化の中心であった地であります。
初代清衡公は国宝指定第1号金色堂を有する「中尊寺」を、2代基衡公は日本有数の浄土庭園である「毛越寺」を、3代秀衡公は宇治の平等院を模した「無量光院」を造営しました。(いずれも特別史跡)特にも秀衡公は、鎮守府将軍と陸奥守に任ぜられた平安末期を代表する為政者でありました。
また平泉は、悲運の武将「源義経」と「武蔵坊弁慶」の終焉の地として、そして時代は下り俳聖「松尾芭蕉」が「奥の細道」紀行で訪れた場所としても知られる地であります。
「秀衡桜」が今後も熊野古道の花篝り(はなかがり)として、多くの方に愛でられ続けることを願ってやみません。 岩手県平泉町観光協会』
平泉町の謂れ板があり、またビックリ。

20171001KatsuragiS302s.jpg 「とがの木茶屋」という藁葺き屋根の小屋がありました。
お店の方はいませんでしたが、お茶が用意されており、「セルフサービスで飲んでね」と書いてありました。
店主が見知らぬお客さんを信頼し、僕らも悲しいことしないという阿吽の呼吸がある日本はいいなと思いました。



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アメリカに住む長男一家が、3人目の子を授かりました。
僕ら夫婦にとって、4人目の孫です。
出産予定日は来年6月なので、今月10日で丸3ヶ月、4ヶ月目に突入です。

アメリカの産婦人科で経過を診てもらうので、次の子はそのままアメリカで出産するそうです。
ということは、20才まで二重国籍で、その後本人が国籍を選ぶことになります。
それ如何によっては、とうとう我が子孫にアメリカ人が・・・

今朝、お嫁さんから遺伝子検査結果報告がありました。
日本では別途費用で、希望者が遺伝子検査して高齢者出産リスクである遺伝子異常を見つけますが、アメリカの産婦人科では標準検査なのか、遺伝子検査を勧められたそうです。

その分、エコー検査は出産まで3回で、最初の検査の日に1回目を受けました。
心臓が動いており、順調とのことでした。

今回の遺伝子検査では、幸い胎児に遺伝子異常はなく、経過も順調だそうです。
加えて性別もわかったそうで、また男の子だったそうです。
僕は何人生まれても男がいいので、「ヤッター!」です。

我が子の時は、「男女産み分け」の本を数冊購入し、「男の子になるY遺伝子は弱く寿命が短いので排卵日でのエッチが男の子が生まれる確率が高い」を信じ、家内に毎日基礎体温を測ってもらい積極的な工作活動をしました。
結果息子2人、長男に息子2人、次男に娘、そして今回の長男宅3人目です。

男女云々より、遺伝子異常がなかったことにホッとしました。
あと半年、元気に生まれて来て欲しいな。
これでまた来年訪米することになりそうです。

10/1・大和 菩提寺~高天彦神社~高鴨神社~御霊神社~岡八幡宮

20171001KatsuragiS114s.jpg 葛城古道を山に上がっていくと、7:00「菩提寺」。
『奈良時代の高僧・大僧正行基菩薩が留まり、仏法を広めた。「菩提院」跡である。光仁天皇は仏教隆盛のため、勅して当群の田3町を施入する。白山の泰澄大法師・高野の弘法大師もこの寺で参籠修行された。往時は、伏見寺千軒と称せられ子院30余坊が並び建っていた。十一面観音菩薩を本尊として祀り、秘仏毘沙門天・仁王さんは、近在の信仰を集め、法起菩薩・神変大菩薩などの仏像を存して、諸願成就・諸人快楽を願う寺である』

仁王門が守護する寺だったが、境内には僧坊らしいものがなかった。
石仏が並び、本尊が納められているのだろうお堂があるのみでした。
「木師堂」と銘打たれた建物があり、木地師兼業住職が住まいしてそうでした。
20171001KatsuragiS123s.jpg かなり標高を稼いでおり、景色は素晴らしかった。

次の目的地「高天彦神社」は、少し北のここより更に標高が高い所にあります。
手に入れたハイキング地図には、直接つながるルートが書いてあるので、それを探します。
でもr30からは、途中に谷があるように見えました。

分岐で迷ったが下に降り、ハイキング道を見つけましたが、獣避け扉を開閉して入る徒歩道でした。
諦めてr30まで降ります。
20171001KatsuragiS125s.jpg 少し北上し、再度葛城古道に折れて高度を増し、7:11「高天彦神社」。
金剛山への登山道があるようで、駐車場から出てくる方がトレッキングスタイルでした。
駐車場に下りてきた方も、良い汗をかいておられた。

古事記に書かれている「高天原」がこの地にあったという。
葛城氏の氏神「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」を祀っている。
でもまあ、同じ伝承を持つ宮崎県の高千穂の方がそれらしかった。
ここから「蜘蛛塚」へは150mだそうです。

「福蛙」という蛙に似た石があった。
手を触れると福がやってくるという。

20171001KatsuragiS136s.jpg 本殿は瓦葺で趣はイマイチですが、鎮守の森の巨大杉に囲まれ、境内全体の雰囲気はナイスです。
休憩所のような一角の上に、素敵な龍の彫刻があります。
20171001KatsuragiS154s.jpg バイクに戻る時、鳥居正面の巨大杉並木の参道を下った。
短い参道でしたが、とても良い感じでした。

梅の木に謂われ板が立っていた。
『鶯宿梅 若死にした小僧の悲運をその師が嘆いていると、梅の木に鶯が来て「初春のあした梅には来れども、慌てぞ帰る元の棲家」と鳴いたことから、この名がついた』

「登山道」と書かれた舗装道が、「菩提寺」の方に向かっていたのでバイクで入ってみた。
谷を下って行く感じになっていたので、バイクから降りて歩いていくと、谷を渡り道は登って行き、民家の屋根が見える。
行けそうな気もするが菩提寺は訪問済みなので、もと来た道を下りr30に出た。

20171001KatsuragiS172s.jpg 「葛城古道」に折れ、7:33「高鴨神社」。
鴨族の氏宮で、全国の賀茂・鴨・加茂神社の総本宮です。高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)の3社が近隣にあり、ここから山城国に移った賀茂氏は京都で「上賀茂神社」「下鴨神社」と同様です。

事代主神は鴨族が信仰していた神であり、葛城族は山代に移らなかった鴨族の一派で、当社が事代主神の信仰の本源である。主祭神は、阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)としているが、事代主・一言主と同神とされている。

『祭神:阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)・事代主命・阿治須岐速雄命・下照姫命・天稚彦命当地は少なくとも縄文晩期より集落が形成され祭祀が行われていた。全国鴨(加茂)系神社の元宮で、日本最古の神社の1つ。主祭神は阿治須岐高日子根命は、名を迦毛之大御神と申され、大御神と名のつく神様は記紀には、天照大御神・伊邪那岐大御神と3神しかおらず、死した神々を蘇らせる御神力強き神様です。
迦毛之大御神は、全国300社で祀られ、妹神の下照姫命は150社でお祀りされている。
福島県一宮の都々古別神社・栃木県日光の二荒山神社・高地県一宮の土佐神社・関東地方の秋葉神社など、鴨と名のつかない神社も多くあり、伊勢の皇大神宮摂社の中にも鴨神社が祀られている。
「カモ」は「カミ」の語源の1つで、「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様を表す。
県内に延喜式内社が216社あり、特に霊威が強く月次・相嘗・新嘗の祭りに官幣に預かる名神大社は12社しかありません。その内の5社(高鴨神社・高天彦神社・一言主神社・鴨都波神社・葛木坐火雷神社)がここ葛城地方にかたまっている。
当時、この地が朝廷を始め国家にとって重要な位置を占めていたことがわかる。
1つの理由に背後の山がある。
金剛山は明治4年まで女人禁制の霊山で、役行者・行基・円光・道鏡などが修行した山です。
葛城の峰(金剛山・葛城山など)に霊力の強い神々が住み、そこで修行すれば神々の霊験力を得られるとされ、それを修めた者が修験者(行者とも)と呼ばれた』

『最初の社殿は5代孝昭天皇の御代に創建され、現在の本殿は1543年(室町時代)に再建されたもので、絢爛たる彫刻・極彩色に彩られた壮麗な社殿であり、貴重な建築物として国の重要文化財(旧国宝)に指定されている』

20171001KatsuragiS176s.jpg 鳥居をくぐると少し下り、参道脇に大きめの池があった。
祭祀を行うのか、池に床が張り出ていた。
20171001KatsuragiS181s.jpg 参道を挟んで池の反対側に社務所があり、もう開いている。
帰りに木御札・八咫烏交通安全御守・絵馬を授かった。
初穂料2000円。
鴨神社なのに熊野大社の八咫烏の御守があり面白いな。

20171001KatsuragiS185s.jpg 参道を行くと、石段の上に社殿が見えるが、建築中で石段は上がれません。
20171001KatsuragiS199s.jpg 石段右に逸れるが、こちらからの石段も修繕中で、左に逸れて石段を上がって本殿に手を合わせた。
極彩色の一部が拝めた。
石段を下り池の畔を奥に歩いて行く。

20171001KatsuragiS209s.jpg 摂社が脇に並んでいる。
「一言主神社・事代主命」「猿田彦神社・猿田彦命」「聖神社・大物主命」「稲荷大明神」「金比羅神社・大己貴命」「牛瀧神社・豊田姫命」、エンドに「西宮 御祭神:多紀理毘売命(たきりひめのみこと)・天御梶日女命(あめのみかじひめのみこと)・瀧津彦命・塩治彦命(やむやひこのみこと)」があった。

20171001KatsuragiS220s.jpg r30に出て、r261で南下します。
8:06「御霊神社」。
20171001KatsuragiS223s.jpg 長屋門の拝殿に絵馬が下がっていた。
20171001KatsuragiS226s.jpg その中にスコップがあり、その横に『戦利兵器奉納ノ記 是、明治37・8年役戦利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ・・・ 明治40年3月 陸軍大臣寺内正毅』の賞状が下がっていた。
日露戦争の戦利品のようだ。
本殿横に絵が描かれているようだ。

r261に戻り南下し、8:16「岡八幡宮」。
20171001KatsuragiS235s.jpg 『文久3年(1863)8/17、主将中山忠光元侍従が率いる藤本鉄石・松本奎堂・吉村寅太郎の3総裁をはじめとする尊王攘夷の若き志士たち6・70人の集団(天誅組)が、幕府を倒して新しい世を作るため、大和五條で最初の武装蜂起をした。同日昼過ぎ、千早峠を越えてきた一団が、五條代官所に向かう途中、ここ岡八幡宮に集結して休息と襲撃直前の準備をした』

代官所を襲う前の天誅組の集合場所でした。
地図を見ると、現在のR310で峠を越えてきたようです。


10/1・大和「一言主神社」~住吉神社~吐田極楽寺~伏見八幡神社

20171001KatsuragiS023s.jpg お社の骨組み様に組まれたものに、御神籤が多数結わえられている。

『謡曲「土蜘蛛」 僧侶の姿に化身し源頼光の病気見舞いを行った害悪の権化土蜘蛛は、見破られると「汝知らずや我むかし葛城山の年を経し土蜘蛛の精魂なり」と大見得を切り、糸を投げかけ頼光を巻き殺そうとした。
頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の棲家を突き止め退治した。そこに「頼光朝臣塚」の碑がある。後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き病人が続出する有様に、蜘蛛の祟りと恐れ、安置して土蜘蛛灯籠として供養し騒ぎは収まった。そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている』

20171001KatsuragiS030s.jpg 『御神木(乳銀杏) 樹齢1200年。幹の途中から乳房のようなものがたくさん出ており、「乳銀杏」「宿り木」とも呼ばれている。この木に祈願すると子供を授かりお乳がよく出ると伝えられている。白い蛇が住み着いていると言われ、人々の信仰を集めている』

『葛木の其津彦真弓(そつひこまゆみ) 荒木にも 憑(たの)めや君がわが名告(の)りけむ  一言主神のいる葛城山の東麓は、葛城氏の本拠地であった。
襲津彦は4世紀末前後に活躍した武将で、葛城氏の祖と仰がれている。襲津彦の強弓の荒木にも頼むではないが、信頼してあなたは私の名を人に明かしたのでしょうか・・・という。
善悪を一言で言い放つという一言主神の信仰と襲津彦の頼もしい伝承とが生きている葛城の地の乙女の歌である』

『猶(なお)見たし 花に明行く 神の顔  芭蕉』

大和盆地の東の山から朝日が眩しく差している。
田や溜池の水面がそれに光り、美しい。
20171001KatsuragiS040s.jpg たくさん絵馬が下がっている。
「願」と「御礼」2種類の絵馬があり、御礼絵馬の裏には、叶った願いへの御礼が書かれている。
読んでいて、なんだかこちらまで嬉しくなった。

僕はかなり多くのお宮に参っていると思うが、手を合わせて願うというより、いつも感謝の言葉を心の中で唱えている。
最近は孫の成長や息子達一家の繁栄を願う気持ちもあるが、やはりそれらを含めて今までの順調な成長への感謝の言葉になってしまう。

神社という所は、神様の前で感謝の言葉を口にすることで、自分の努力に奢るのではなく、自然や他者への感謝を再認識する場なのかもしれない。
願い御礼の言葉を書くこれらの方々は、周囲の方の期待や守護に応えながら、それを周囲の方に与えているに違いありません。

以前、家内の両親の分骨を京都永観堂に納めた時、法主さんから「お墓参りと言い受付で氏名を書いていただければ拝観料は無料になるので、何度でもご先祖様に手を合わせに来てください。
特にお子さんをお連れください。
先祖に手を合わせるお子は立派な大人に育ちますから」と法要で法話を下さった。

神社は神様を祀っているところですが、日本人の殆どは先祖を辿れば源平藤橘にたどり着きます。
源平藤橘は、天皇の子や孫が臣籍降下した者です。
つまり、殆どの日本人の先祖は天皇につながります。

天皇は天照大神の天孫降臨した末裔。
古事記は、「天地の始めの時・・・」で書き出されます。
つまり日本神話の神は、西洋のゼウスという天地創造の神ではなく、『「あめつち」が最初にあってそこから神が生まれた』となり、日本の神様は「あめつち」からの創造物であると規定されている。

神社が祀るのは天皇やその子孫、さらに神木や巨岩・山などの自然物です。
日常足繁く神社に通い手を合わせることは、それだけで先祖や自然への感謝の行為です。
古代の日本人は、死者を葬る時、鳥葬など自然に返すことをしていた。
つまり先祖への感謝が今に続いているに過ぎない。
神道は、聖書も戒律も説教もない。

宗教ではなく、先祖へ感謝する行為そのものに思える。
そんなことを、「願」と「御礼」の絵馬を見ながら思いました。

バイクに戻り、「葛城古道」を東進し、r30の下をくぐり東に出ます。
道なりに南に向くと、山側の景色が広がりました。
真っ青な空に「大和葛城山」の峰が映えます。
20171001KatsuragiS047s.jpg 田んぼの畦に彼岸花の赤が綺麗。
我が家の彼岸花はもう終わりましたが、ここはまだ見頃です。
反対に東側の大和盆地側にも景色が広がり、気持ちの良い朝です。

一旦r30を走り、再び「葛城古道」に戻ると木製の道標が立っていた。
「長柄神社1.8kmバック・極楽寺0.8km」

6:33「住吉神社」
『当神社の御祭神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・上筒男命(うはつつのおのみこと)及び息長帯此売命(おきながたらしひめのみこと)の四柱神で、大阪住吉大社の分霊を勧請して、白鳳年間に斉き奉った由緒ある古社である。
昭和の御大典記念に社格昇進せらる。慈に於て昭和5年5月神苑模様を行い拝殿と社務所を創建す』

伊邪那岐尊が黄泉の国より帰って、穢れを祓う禊をしている時、瀬の底・中間・表で生んだ神が住吉三神で、この神力を得て戦わずして三韓征伐した神功皇后を加え住吉大社が祀っている。

20171001KatsuragiS062s.jpg 一旦r30に合流し、今度は北に「古道」を入り、6:35「吐田極楽寺」。
『天暦5年(951)村上天皇の御代に、南都興福寺の名僧・一和僧都によって開基され、仏頭山法眼院極楽寺という。中世には浄土宗第三祖記主善師の門弟・林阿上人が入り、境内5町8反・七堂伽藍を持つ吐田氏の菩提寺となった。徳治元年(1306)北面の武士十河図所行光が狩猟中、金剛山日の石で霊仏を授かり出家剃髪し、夢のお告げを受けて極楽寺に奉安した。吐田の天得如来として親しまれ、毎年4/15は天得会式が盛大に営まれている。
南北朝時代、楠正成の祈願所と言われ、河内吉野の連絡の要所となる。慶長19年(1614)筒井順慶によって吐田氏が滅ぼされた折、兵火で諸堂悉く灰燼に帰す。
幸い天得如来の絵像と鐘楼門が難を逃れ、後年随時再建され現在に至る』
20171001KatsuragiS081s.jpg 景色の良い寺院でした。

20171001KatsuragiS086s.jpg r30を走り、また葛城古道に入り、6:49「伏見八幡神社」。
『大和盆地を南から見下ろす景勝地にある。三間社流造の本殿と一間社流造の摂社2棟が、本殿を中央にして一段高い基壇上に横一列に並び、群を成す社殿の景観を形成している。いずれにも後補は随所に見られるものの、安土桃山時代の社建築の特徴を残している。奈良県下ではこの時期の遺構は稀で、意匠や細部様式の変遷を知りうる上でも貴重。
本殿の身舎は3間×1間で、木階(きざはし)を正面1間に配置するのみとするのは扉口が1口であった時の名残りとみられ、内陣も1室で古式である。建物全体に極彩色を施しており、彩色・文様もかなり古式である。内陣からは棟札が発見され、現行の正面扉の内側には鷹や花の日本画が描かれており、池田正辰の銘がある。
摂社・天児屋根命(あめのこやねのみこと)本殿(右側・向かって左)の身舎柱は面取角柱で、他の2社が円柱に対して簡素である。向拝の虹彩形頭貫先端の木鼻の繰形(くりかた)、花や葉などの植物をあしらった彫刻木鼻、身舎組物を舟肘木(ふなひじき)とするのはいずれも大和の特徴と言え、古式である。
摂社・天照皇大神社本殿(左殿・向かって右)は、肘木が禅宗様であること、向拝桁に反り増しがあること、木鼻に発達した絵様があることから、建立年代は右殿より少し下がる可能性がある』

20171001KatsuragiS091s.jpg 石段を上がると、長屋門のような入口があり、そこを抜けると境内になっていた。
20171001KatsuragiS102s.jpg 本殿裏山に向かって小径があり、奥宮がある感じだったので探索すると、古墳がありました。
20171001KatsuragiS107s.jpg この古墳の方が先にあり、これを祀る形で社が形成されていったのかも?と想像しました。


10/1・大和「一言主神社」

グループツーリングに参加しました。
目的地は和歌山県の熊野古道中辺路で、集合場所は9時奈良県五條市「ローソン五條IC店」です。
それまでの朝の時間を、「葛城古道」探索に使うことにしました。
以前、夫婦サイクリングで「当麻寺」から「九品寺」までの間の寺社・史跡を巡ったので、それより南を探索することにします。

4時前に目覚めたので、急いで着替えます。
夏用プロテクターメッシュだけでは寒いだろうから、下着の上にラッシュガードとモンベル・スポーツタイツを着ました。
更にその上に、釣り用ダイワフィッシングスーツを着ました。
いつもの春秋用バイクスタイルになりました。

4:59、「招き猫CB400SB」を出しました。
いつものように、Y'sギア・E37リアボックス(39L)をセットし、荷物を入れて出発しようと思ったら、なんと蓋が閉まらない。
何か挟まっているのかな?と思い、手探りするが問題なし。
鍵をガチャガチャしても直らない。

仕方なく、「里山VTR250」を買った時、最初に買った「KAPPA・トップケース・26L」をセットしました。
容量が小さいのでカッパを降ろしました。
Y'sギア・KAPPA・GIVIのリアボックスは、全てGIVIが作っており、ベースが同じです。
他にこの中間の「KAPPAトップケースE35・35L」も持っていますが、バイクの近くにないのでパスしました。

ガソリン残量をチェックすると、メモリ1つ減っただけで、走行距離は100kmちょっとだったので、集合前に五條で給油することにして、R171を東に走り始めました。
ところがアクシデント発生。
なんとリアボックスのセットが甘かったようで、道路に落としてしまいました。
走行中、何か背中に当たったので「やばい」と思いスピードを落としましたが、ガシャーン。
急ブレーキを掛け路肩に寄りました。

後ろに原付きが走っていましたが大事なく良かったです。
慌てて走り拾いに行きました。
早朝で交通量がなくラッキーでした。
蓋を閉めていたのに箱が開いて、中身も道路に散乱しています。
暗くてよく見えませんが、なんとか全て回収しました。
幸い壊れたものはなく、箱も傷はつきましたが機能的には問題なく、もう一度セットして再出発しました。
その後、走りながら何度か左手を伸ばしチェックしましたが、大丈夫そうでした。

中央縦貫道に乗り、吹田から近畿道~南阪奈道路に入り、「葛城IC」下車。
r30で南下し、5:58「セブンイレブン葛城中戸店」で、「味付け海苔海老マヨネーズ130円」を購入し、店内で食べました。

20171001KatsuragiS001s.jpg 6:05、最初の目的地「葛城一言主神社」
駐車場があり、車が出入りしています。
参道の石段を上がっている方も下り、信心篤いお宮だなと感じました。

『延喜式に葛木座一言主(かつらぎにいますひとことぬし)神社として名高い。
祭神は「一言主神」。雄略天皇と葛城の一言主が、葛城の山中で出会い、「吾は悪事も一言、善事も一言、言離つ神、葛城の一言主の大神なり」と名乗って天皇を畏れさせたと「記紀」に見える。
庶民の間で、願い事を一言だけ聞き届けてくださるイチゴンジンサンとして崇敬されている。この地は、神の降臨を示すカミタチという名で呼ばれていた。社殿の右横にある「蜘蛛塚」は、記紀のツチグモにまつわる伝説から生まれた。本殿前にあるイチョウの巨樹は、目通り3m・高さ20m。根元に芭蕉の句碑がある』

「一言主」はイマイチよくわからない神様で、出雲の神様「大国主命」の息子「事代主」と同一視される場合が多い。
大物主が大国主と同一視されたり、大国主の協力者であった少彦名命(一寸法師のモデル)が常世の国(海の彼方にある理想郷)に去った後、少彦名同様海を渡ってやってきた協力者とされたりしているのと同じです。

事代主は、海で釣りをするのが好きで、天孫降臨に先立って大国主命のところにやって来た使者から、「瑞穂の国を天孫に譲ってくれないか」と打診された時、「息子がいいよと言えば」と言われやってきた使者に「いいよ」と答えた。
別名の恵比寿神としての方が有名です。

ということは、一言主は元は出雲系の神様で、その神様を祀る葛城族は出雲系豪族なのか?
諸説あるが僕は、「出雲族の鴨氏が大和に進出し、やがて山城国に移っていった。その一派が葛城氏として、大和朝廷黎明期に協力し、大いに栄えた。雄略天皇に滅ぼされ、土佐に流された」と思っている。

この地で生まれた司馬遼太郎は、「街道をゆく」で、この大和盆地を見下ろす地は縄文人(狩猟採集移動生活者)が住んでおり、大和盆地に進出してきた神武天皇の水耕文化を持つ弥生人と共存していたが、水耕定住生活の方が食料が多く定期的に手に入るので人口が増え、やがて縄文人居住地域に勢力を伸ばし駆逐していったと書かれていたように思う。

鴨族・葛城族を縄文人と仮定すれば、大和から山城に移動していったのも、戦に負け土佐に移らされたのも辻褄が合います。
大和朝廷は、中国大陸やヨーロッパ大陸的な他民族虐殺思想を持っておらず、平和的に共存する思想です。
よって、葛城族が祀る神様「一言主」も八百万の神の1つとして宮中で祀って、大和朝廷の天皇神話の中に取り込んでしまった。
鴨族の祖が、神武天皇を大和盆地に先導したとなっていく。

南下したアーリア人が、先住民を根絶やしにしたとか、中国大陸での戦国時代の根絶やし物語と一線を画す・・・この手の日本神話が好きです。
ヨーロッパ人が南米大陸を発見上陸して、インカ帝国を滅ぼしたとか、国を追われたイギリス清教徒が北アメリカ大陸に上陸し、食糧難で全滅を救ってくれたインディアンを恩を忘れ、結局滅ぼし、西部開拓史として全て取ってしまったというのが好きになれない。

共存しない文化は一神教思想を取り込み、神の意志として自分たちの思想を多民族に押し付け、最後は武力で根絶やしにしていく。

『葛城古道 奈良盆地の南西の隅、葛城川に沿った山裾ののどかな農村風景の中をたどる道。6世紀以前に勢力を誇っていた葛城や鴨族の根拠地で、歴史的に貴重な遺跡や由緒ある神社・仏閣が多い。高天の集落は、天孫降臨神話の舞台とされ、古道で一段高い位置にある。高天彦神社参道両脇には、樹齢数百年の老杉が並ぶ他、重厚な門構えの民家もある。一言主神社の大銀杏も、樹高25m・幹周り3.8mの巨木で、秋の黄葉は見事である』

20171001KatsuragiS009s.jpg 社叢の中を石段で登る。
『延喜式では名神大社に列し、祈年・月次・新嘗・相嘗・祈雨の祭りには、官幣に領り、文徳天皇はじめ歴代天皇、特に御光厳天皇から神格「正一位」を贈られる。官人・歌人各階に渡る崇敬篤く、伝教大師最澄も入唐に際し祈願された(延暦23年)』

境内に入ると、「無患子(むくろじ)」(樹齢650年)の巨木が迎えてくれた。
宮司さんが私服ながら活動開始されており、社務所の戸締まりを開けておられた。
その後、本殿の帳を開いていた。

本殿は瓦葺で落ち着いている。
20171001KatsuragiS016s.jpg 摂社に「一言稲荷神社」がある。
その他、稲荷神社より小さいが末社が並んでいる。

「市杵島神社」や「祓戸神社」という女神も祀ってあった。
市杵島姫命は、天照大神が素盞嗚命の剣から生んだ宗像三女神の一。
黄泉の国から帰った伊邪那岐尊が天照大神などと共に生んだ瀬織津姫など祓戸四神。
天照大神は本当は男神で、その后が瀬織津姫であった。

古事記編纂時の政治事情から、自分の子を天皇位につけるため、ピンチヒッターとして天皇位についた持統天皇(天武天皇皇后)が、女帝である自らを正当化するために、天照大神を女神と変更させた。
そのことで瀬織津姫の存在を消したが、七夕の織姫として伝説として残した。
この故事が好きで、祓戸の神「瀬織津姫」が好きです。


9/23・アメリカ旅行総括

プリンストンを根倉に、北に車で1.5時間のNY、南に1時間のフィラデルフィアを観光したが、視界に山が1つも目に入らなかった。
360度山が見えない関東平野は日本では得意な風景ですが、アメリカ東海岸ではそれが当たり前のようでした。
いつも、何処に行っても山が見える大阪平野北部に住んでいる僕は、違和感を感じました。

長男一家の住む家に数日暮らし、リスや鹿がやってくる環境の良さを実感できました。
住宅地のご近所さんがゆったり暮らしており、子供たちが住宅地内の道路や公園で遊んでおり、治安の良さに安心しました。
長男のオフィスも素敵な環境に立地し、自宅から車で5分ほどの距離で、4才のりょうくんでさえ近所まで来ると「ここお仕事のとこ」と覚えているように、子供がオフィスに顔を出せるフランクな社風・アメリカ社会に安心しました。

医療のことを、お嫁さんに聞きました。
子供の定期検診や予防接種は、日本では指定日に行くのですが、こちらではかかりつけ医を決めて、定期検診の時期になると電話で予約して行くようになっており、個人がより主体的に動くそうです。

一般医療では、まず電話します。
対応は看護師さんで、症状を聞いて病院に行く必要があるかどうか判断します。
多くは、自宅での対応方法(市販薬の購入も含め)をレクチャーされて終わりです。
どうしても医者に掛かりたいならば、大げさに症状を訴えなければならないそうです。

友達が救急車を呼んだことがあり、治療費を含め200万円の請求書が届いたそうです。
保険でカバーされたそうですが、安易に救急車を呼ぶと大変な請求書が届くそうです。
長男とこは、フルスペックの保険に会社が入ってくれているので、費用面の負担は心配ないようですが、日本のように医者に丸投げの健康管理では駄目で、個人の生きる知恵・サバイバル能力が必要だそうです。

お嫁さんは、元々英語が使えると言うこともありますが、東京に住んでいる時同様に落ち着いて楽しそうで、長男も笑顔でした。
嫡孫りょうくんは、アメリカに住んで1年ですが、「lとrの発音」を使い分けており、おもちゃで遊んでいる時の独り言は英語でした。
長男が言っていたように、むしろ日本語の方が心配と思えるほどアメリカ生活を楽しんでいます。
プリスクールが大好きで、スクールの自慢をするほどでした。

りょうくんに聞くと、日本よりアメリカの方が好きとのことです。
東京での住環境がマンションだったのに比べ、こちらは一軒家ですぐ外に出るるし、住宅地内では車も少なくゆっくりで、遊ぶのに環境が良いのが影響しているように思います。
また、日本では保育園に入る前の年齢で、親とスイミングスクール・近所の公園での子供との遊びだったけど、こちらではプリスクールでほぼ同年齢の子達と遊べるので、その楽しさもアメリカ好きに影響しているように思う。

生まれた姿しか見ていなかったこうちゃん1才は、既に言葉を理解し、ちゃんと意思表示します。
まだ「パパ」「ママ」「ババ」「アンパン」「ワンワン」程度しか話せませんが、話し出すのは時間の問題のように思います。
どこにも異常なく順調に育っており、長男が楽しそうに子供たちと遊んでいる姿を見て、良い家族だなあと再確認できました。

来月、長男の日本出張に合わせて、一家で日本に帰ります。
長男は1週間でアメリカに戻りますが、お嫁さんと子供2人は新潟の実家で3週間過ごします。
その後、ご両親と一緒にアメリカに戻り、ご両親は10日間長男宅に居候するそうです。
こんなことが出来るのも、アメリカに慣れた心の余裕故です。

会社の大きなサポートのベースがあるからですが、長男一家の環境順応性の高さを感じます。
いい意味で大雑把な性格だからこそでしょう。
こういう子に育て上げた家内に感謝感謝です。

空港無料Wifi・アメリカの長男宅無線コネクトで、メール送信出来なかった理由を調べました。
僕の使っているBecky!というメーラーでは、サーバーのポート番号SMTPなどを変更しないといけないようです。
ネット検索すればすぐヒットしたので、空港で諦めずに検索すれば良かった。

帰国した翌日、長男のお嫁さんからメールが届きました。
メールにはウェブアドレスが載っており、それをクリックすると地元のマーサー郡の新聞紙面でした。
フェスティバルが写真入りで紹介されており、長男とりょうくんがアトラクションに乗ってはしゃいでいる写真と、僕と長男がポテトチップスを食べている写真が載っていました。
「Ryo,4 and dad Yuki」と名前入りで紹介されていました。

ポテトを食べていいたら、カメラマンが「新聞に写真を載せてもいいか?」と声を掛けてきたが、どうせ没だろうと思っていました。
21枚の写真が掲載された2枚も我が家で、ビックリしました。
とうとう僕も、アメリカの新聞デビューしました。

長男は、イチローの応援でニュースステーションのスポーツコーナーに映り、宮里藍の応援で中継番組にりょうくんと共に映り、今回で3回目です。
モッテルね!

9/23・帰国

3時に目を覚まし、PC日記を書きながら時間つぶし。
トイレが広いので、朝のお勤めのためにノートPCを持ち込んでここでも楽しむ。
日課のプレーンヨーグルトも907gの半分食べて、アメリカ滞在6日間で、907gを3つ平らげました。
至福の時間です。

7時になり、お嫁さんと孫達が1Fに降りてきたので、家内と僕で着替えさせる。
2F自室に上がり、荷物の最終チェック。
前日の夜に荷物を詰めていたので、ほぼ階下に下ろすだけ。

朝食(ベーグル・味噌汁・果物・昨夜の残り)を食べ、8:30日産に乗り込み、お嫁さんとこうちゃんに「さようなら、お世話になりました」。
「良かったら、また来年も来てください」
長男とりょうくんが空港まで付き添ってくれる。

外に出た時、家の前の芝生にシマリスがいました。
長男によると、シマリスは珍しく、殆どが尻尾のふさふさしたシマリスの2~3倍体格の良いリスだそうです。
土曜の朝なので、子供達が遊んでいる。
こちらの方は朝がゆっくりで、午前中は11時ぐらいにならないとスーパーにも人が出てこないそうです。
自宅で家族と過ごす時間を大切にする方が多く、大人はあまり外に出ないそうだ。

お隣のインド人お母さんがいたので、挨拶した。
「Nice to meet you」
高速道路を走り、ハドソン川を渡る時、遠くのマンハッタンの摩天楼がクリアに見えた。
やって来た時より視界が良い。
JFK空港はニューヨーク・マンハッタン島の北東に位置するので、ハドソン川を海に近い所で渡る。

9:52、「JFK空港・ターミナル1」着。
20170923AmeS2439s.jpg 「TO CROSS STREET→ PUSH BUTTON WAITFOR WALK SIGNAL」をりょうくんが押す。
「Departures」標示に従い歩いていくとJALカウンターがあり、そこでパスポートとe-チケットお客様控えを見せて搭乗手続きをする。
トランクを2つ預ける。

同じ階のその裏に出国カウンターがあり、その列に並ぶ。
10:12パパとりょうくんにバイバイし、無事保安検査もパス。
20170923AmeS2472s.jpg お土産物屋さんを覗くと、カッコイイピンクのキャップがあり買おうと値段を見たら20ドルオーバーだった。
1000ドル持ってきて、12ドル使っただけで、みんな長男に奢ってもらいました。
20ドルだけ残し残り全部お嫁さんにあげてきました。
50ドルぐらい残しておいたら良かった~。

JALは、エールフランスと同じターミナルのようで、隣の出発ゲートの外にはフランス機が停まっている。
20170923AmeS2469s.jpg 映画でよく見る電話機があった。
20170923AmeS2474s.jpg 痛み止めのタイレノールや眠気を誘うメラトニンも売っていた。

13:01、JAL005便に乗り座席に座った。
9/24・16:10羽田着。
「機内は退屈だった~」。

日本入国の列は少なく、荷物受け取りコンベアーが動き出す前に出れた。
預けた荷物を持って、空港内連絡バスに乗って、「第1旅客ターミナル」に移動する。
JALカウンターで再び荷物を預け、搭乗手続きをしました。
予約した19:20発より前の飛行機に乗れないか聞いてみたけど、満席で無理でした。
保安検査を通り、お店を覗きながら搭乗待合室で待ちます。
20170923AmeS2488s.jpg 「皇居外苑」という菊のマークを付けたお土産(お菓子)がありました。

家内と話をしながら待ち、定刻に乗り込みます。
機材は、ボーイング777-200・JAL/SKY NEXT、伊丹到着予定20:35です。
太平洋を渡ってきた直後なので、伊丹まではすぐでした。
伊丹に着陸し、家内を手荷物受取ロビーに残し、僕は一足先に出て、バイクに急ぎます。

家内のアドレスV125に行くと、「この駐輪場は9/末で閉鎖、閉鎖後は新駐輪場(有料)へ」と書かれた紙がバックミラーに巻いてありました。
駐輪場の移転は知ってたけど、有料になっちゃうんだ残念。

アドレスに乗り帰宅し、4輪に乗り換えて空港に向かいます。
家内と荷物をピックアップし帰宅。
すぐに荷物を片付け、風呂に入り10:30頃寝ました。
アメリカ旅行最終日終了。


9/22・イタリアン・アメリカン・フェスティバル

家に戻り、再び外出。
20170922AmeS2289s.jpg 17:07「イタリアン・アメリカン・フェスティバル」会場。
家から見ると、ゴルフ場の向こう側に隣接してマーサー郡公園があり、そこが会場です。
ゴルフ場も公園も大きいので、車で走って来ないと無理な距離です。

「Adult:$5.00、Senior Citizens(65 years of age and older):$4.00、
Children(12 years of age and younger):FREE」

アメリカ映画やドラマで見たお祭りの世界です。
20170922AmeS2290s.jpg 広い芝生に、移動式のアトラクション系乗り物(メリーゴーランド・観覧車・・・)が並び、食べ物屋台が並んでいます。

20170922AmeS2304s.jpg 長男がポテトチップスとドリンクを買ってきたので、ベンチに座って食べます。
その場でポテトをスライスし揚げてくれるようです。
ここでカメラマンに声を掛けられました。
「家族の写真を撮っていいか?明日の新聞に載せてもいいか?」とのこと。
減るもんじゃないのでOK。

日本に帰宅した翌日、お嫁さんから僕らの写真が載ったE新聞のアドレスが送られてきました。
長男とりょうくんが笑顔でアトラクションに乗っている姿と、僕と長男が食べている後ろ姿が載っていました。
アメリカの新聞デビューしてしまったよ。

長男が、乗り物チケット25枚綴り24ドルで買ってきたので、まずはモンスタートラックに長男とりょうくんで乗ります。
各アトラクション前に身長棒が立ち、「NO・WITH ADULT・YES」で分けられ、一目瞭然です。

20170922AmeS2311s.jpg 次に飛行機、これは僕とりょうくんで乗ります。
20170922AmeS2325s.jpg レール上の車は誰でも乗れるので、こうちゃん・りょうくん・ママで乗ります。
りょうくんは前の席に座り、ハンドルを握って得意気です。
別のラウンドカーがあったので、りょうくんとパパが乗る。
意外に早く廻り、逆回りもあってスピード満点です。

「ROCKIN' TUG」というスイングボートがあったので、りょうくんとパパが乗ると、スイングに加え自転も加わり、スリル満点で大喜びです。
よほど面白かったようで、ママと2回目です。

20170922AmeS2364s.jpg 「CRAZY BUS」に、家内とりょうくんが乗ります。
ラウンドアップダウンの動きで、これまた楽しそう。

メリーゴーランド式四輪・二輪があり、長男がりょうくんとこうちゃんを前の席に乗せ、自分は後ろの席に乗ろうとしますが、大人はNGということで、心配そうに降りてきました。
20170922AmeS2369s.jpg こうちゃんはしっかりハンドルを握り、しっかりしたものです。

ステージ前の大テント下のベンチを確保し、長男が買ってきたホットドッグやピザなどを食べます。
ステージ上にメインプレイヤーと思われるおじさんバンドが上がった。
イタリアンと銘打っているフェスティバルなので、食材もイタリアンメインだと思っていたが、パスタのお店は1軒のみだったように、バンドも得意はメキシカン音楽のようです。

20170922AmeS2390s.jpg 日が落ちていくと、アメリカンポピュラー音楽を演奏するようになり、ボーカルの方も上手です。
20170922AmeS2394s.jpg ただ服装はバラバラで、田舎の音楽好きの集まりという感じで、あくまでアマチュアのように思う。

少女達が、ステージ前のオープンスペースで適当に踊りだし、りょうくんとパパがそっちに行き、りょうくんの手を取って踊りだす。
やがてりょうくんは走り出し、それにつられて同じような年齢の男の子が走り出して追っかけ合う。
それをパパが見守っている。
もっと暗くなると、スローなダンスナンバーになり、大人のダンスタイムになるそうです。
長男は楽しいことが大好きな性格なので、こういう世界が合っているように思います。

僕らのテーブル席の横の芝生で座っていた黒人一家の小さな女の子の仕草が可愛く、笑顔で見ていると親も気づいてこちらに笑顔を返す。
やがて女の子が寄ってきて僕らのベンチに座る。
席は半分空いているので、お父さんも来ればいいのに・・・。
手の動きや表情で女の子とコンタクトを取っていると、お父さんもニコニコこちらを見る。

僕が子供の頃のアメリカのように、トイレも別、バスの席も別ということはないが、なんとなくエリアが分かれているように思う。
テントの下のベンチを見ると、黒人は1人もいない。
少数の黒人は、みな芝生に座っている。
暗黙の了解がまだ残っていそう・・・

お隣の方に、僕のカメラで家族写真を撮ってもらった。
夕焼けが綺麗に染まっている。
明日は晴れそうだ。

8:51会場を後にして帰路に着く。
暗くなった道の両側の芝生には、鹿がたくさんいた。
「あっ、鹿がいる」・・・目が慣れてくると、あっちにも5頭、こっちにも3頭と、アチラコチラ無数に見えてきた。
公園内に鹿がたくさんいそうだが、獣避けネットやフェンスを見ない。
森の食物が豊富だからかなあ~。
アメリカ旅行6日目終了。

あまりに楽しかったらしく、翌日僕らが帰国した後、りょうくんにせがまれまた行ったそうです。


9/22・朝の散歩で鹿、コストコ

前日の夜23:10、おトイレに起きると階下から明かりが漏れています。
僕が居間を最後に退去したので電気を消し忘れたかと階段を降りていき中間の踊り場で向きが変わると、長男がダイニングテーブルで仕事をしているようです。
家族に内緒で仕事をしているんだなあ~

朝3時に目を覚まし、ダイニングでPC日記を書きます。
20170922AmeS2192s.jpg 6:15家内と散歩に出ます。
ゴルフ場のグリーンには、夕方になると鹿が来るというので、きっと朝の夜明け時にも来るはず。
住宅街のコンクリート舗装歩道の段差で家内がつまずき、膝を打ってしまいました。
「痛い~」、骨などはどうもなさそうで良かった。

各家の前の道路上に、黒と黄色のゴミ箱が置かれている。
お嫁さんに聞くと、収集日が決まっており、家の前の道路に指定の蓋付きゴミ箱(かなり大きめ)で出しておくと、収集して行ってくれるようです。
ゴミ袋を道に出すのではないのでカラスの被害がありません。

分別のことを聞くと、分別して出す必要がありません。
日本のゴミ分別は、リサイクルするために始まったが、リサイクルの手間により経済的に成り立たず、殆どが同じ焼却炉に入れて燃やしています。
なのに一度構築したシステムを変えられず、いつまでも分別収集している。

指定ごみ袋を新たに購入する必要がないので、そのムダもない。
その他、クリスマスシーズン後には室内に飾った樅の木を出す日とか、日本では考えられないごみ収集があります。

19:20、ゴルフ場。
20170922AmeS2201s.jpg 6:24、クラブハウス・駐車場手前のコース内の芝生の丘に登ると、コース内フェアウェイに4頭の雌鹿がいました。
じっと僕らを見ていましたが、僕が少し近づいていくと、白い尻尾の後ろを見せながらコースを横切っていきました。
「わ~可愛い、お尻が白いよ~」と家内が喜んでいます。

20170922AmeS2218s.jpg 住宅地内に戻ると、芝生に散水されています。
20170922AmeS2225s.jpg 気づかなかったけれど、自動散水装置がありました。
20170922AmeS2229s.jpg 黄色いスクールバスが入ってきて、児童生徒を乗せて学校に向かいます。
アメリカの朝、スクールバスがたくさん走っています。
あちこちで黄色いバスが目に入ります。

住宅地内道路の制限速度は「15マイル」=25km/hほど。
アメリカの道路の制限速度は、日本のそれより高めです。
道路が広めで、車線も広め。
加えて歩行者や自転車が殆ど走っていないし、原付きカテゴリーのモーターサイクルは皆無なので、安心してスピードを出せるとのことです。

でも子供がいると、かなりスピードを落とします。
歩行者がいる場合も、すぐ横を追い抜くことはせず、広めに間隔を開け十分スピードを落として抜きます。
日本のドライバーより、安全意識が高いように見えます。

一般道路が45マイル、高速道路は80マイル標示が多い。
助手席からメーターを見ると、長男も高速道路では80マイル=120km/hで走っていますが、日本の高速道路を120km/hで走っている感覚よりずっと遅く、90~100km/hの感覚に見えます。
車線が広く多いからでしょう。
平均的な流れです。
それと、トラッククレーンが分離帯で区切られた別レーンになっていることも、運転を楽にしています。
トラック&自家用車レーン3車線と自家用車専用レーン3車線が、ドーンと走っています。

お嫁さんがキッチンで朝食を作っていたので、キッチンにお邪魔しながら長男の昨夜の仕事のとこを聞くと、「そうなんです、時々夜起きて仕事しているんです。私達のために頑張ってくれているんです」とのこと。
朝食時に起きてきた長男は、ネクタイを締めています。
午前中仕事に行くようです。

10:34、りょうくん・こうちゃんを連れて、住宅地内公園に行きます。
20170922AmeS2233s.jpg 白人のご主人が、お嬢さんと息子さんを連れて遊んでいます。
小学生の年齢のようなので、お休みなのかな?
りょうくんは、日本にいる時でもお兄ちゃんお姉ちゃんと遊びに行く性格なので、彼らの近くでキックスクーターをしています。
彼らを追いかけてジャングルジムに登って行くと、ご主人から「小さな子が行くから気をつけて」とお子さんたちに注意を促しています。
りょうくんが滑り台を滑り降りると、ご主人が声を掛けてくれます。

お嫁さんがやって来ると、時を同じくするように日本人のお母さんとお嬢さんがやってきました。
こうちゃんより1学年上の子だそうで、同じ住宅地に住む日本人として親しくしている方だそうです。

愛媛県出身で、島根県出身の旦那さんと神戸の大学で知り合い、結婚してこちらに赴任されているようです。
夏休みで日本に帰っていて、こちらに戻ってきたところのようです。
お腹が大きいので、どこで出産するのか聞くと、アメリカでの出産を予定しているようです。
お腹の子は、自動的にアメリカ国籍も選択できますね。
りょうくんが、その子にもキックスクーターを貸してあげていました。

20170922AmeS2237s.jpg 11:39「コストコ」。
メンバーオンリーのスーパーで、年会費が必要ですが、特定の食材を買うだけでもペイするとお嫁さんが言っています。
20170922AmeS2239s.jpg サムスンの大型TVが山積みになっています。
20170922AmeS2244s.jpg その横に宝石類、サンタクロース、タイヤ、PC、玩具、そして食料品・・・。
カテゴライズされずに、適当に置かれているみたい。

お嫁さんは、パイナップルを1個買っています。
「どうやって切るの?」と聞くと、「わたしも最初どうするのか疑問でしたが、コツがあって簡単に切れるんです」とのこと。
20170922AmeS2252s.jpg パーティービスケットが、大きな単位で販売されている。
お肉もお惣菜も大きな単位で販売されており、これらを買うだけで、ホームパーティー
が簡単に出来そう。
20170922AmeS2260s.jpg アメリカのドラマや映画で、ホームパーティー・シーンが登場し、主婦は大変だなと思っていましたが、これを買うだけでOKなので、日本より簡単です。
ケーキは四角いけど、日本のそれよりずいぶん安いです。

20170922AmeS2258s.jpg 子供服がワンプライスで山積みされており、書籍も売れ筋のみを並べている感じです。
20170922AmeS2263s.jpg 韓国製どん兵衛もあった。
綿棒が625スティック×3の単位で売ってる。
一生で使い切れるだろうか?
外に出ると車も売っており、コストコGSは安いようで、車が一杯です。


9/21・アーミッシュ系スーパー

12:54、プリンストン大学周辺。
20170921AmeS2091s.jpg プリンストン大学前を通過し、1:06「PA.DUTCH FARMERS MARKET」。
ここはキリスト教の一派でドイツ系アメリカ人が、電気・電話・車という近代文明から隔絶された自給自足の生活をしている「アーミッシュ」が生産している農産品を売るスーパーです。
アーミッシュの村には、車ではなく馬車が走っているとTVで紹介されたのを見たことがあります。

アメリカには、禁酒や厳し目の戒律を守る「モルモン教徒」などの集団がおり、懐の深さを感じます。
モルモン教徒の多いユタ州などは、今でも禁酒法が成立している。
アーミッシュのような近代文明から切り離した生活を集団で送る地域を寛容するアメリカの今を体験できました。
長男の歴史好きの僕へのプレゼントに感じました。

20170921AmeS2105s.jpg ここで、鳥のもも肉やソーセージパンを買い、「PUREORANGE JUICE」を飲んで昼食。
アーミッシュ独特の黒の多い正装、メイドカフェ店員さんのような白い帽子・・・、そんなアーミッシュ生活を送っておられる方が、店員さんとして働いておられましたし、お食事をされていました。
馬車で乗り付けるのを見れたら、もっと良かったんだけど・・・

20170921AmeS2108s.jpg 14:12、プリンストン大学近所に駐車。
20170921AmeS2111s.jpg ここにもニューヨーク市警と同じようなミニカー警察車両がいます。
20170921AmeS2113s.jpg 20170921AmeS2132s.jpg 20170921AmeS2138s.jpg 「PRINCETON PARKING NJ」「PARKING ENFORCEMENT」と書かれています。

20170921AmeS2140s.jpg 「HOUSE OF CUPCAKES」と言うお店があります。
カップケーキは、アメリカを代表するお菓子です。
親がクラス全員分のお菓子を用意すれば、プリスクールで我が子の誕生日をみんなで祝ってくれます。
20170921AmeS2143s.jpg その時人気のお店がここで、お嫁さんもここでカップケーキを買い、1/17りょうくんの誕生日を祝ってもらったそうです。

「small world coffee」と言うお店に入りました。
20170921AmeS2147s.jpg 美味しいコーヒーを飲ませるお店です。
週末の夜にはライブをしているようで、壁にそのスケジュールが書いてありました。
以前家族でこの店でコーヒータイムしていた時、日本人青年に声を掛けられたそうです。
彼はプリンストンの高校に留学しており、この地で住んでいる長男一家を羨ましく思ったそうです。

彼は英語がペラペラで、プリンストン大学に進学したいという希望があり、お金持ちの家の子なんだろうなと思ったそうです。
ノーベル賞やフィールズ賞受賞者を輩出する大学を見ざすなんて、素晴らしい向上心です。
ハーバードやMITの工学分野、エールに入れば将来のアメリカ大統領と一緒にやんちゃするかもしれない・・・いいね。

15:17、長男の会社。
公園内に点在するオフィスビル3階建の2フロアを専有しているそうです。
駐車場と広い芝生に囲まれ、池には噴水が上がり、素敵な環境です。

20170921AmeS2172s.jpg 15:22「TRADER JOE’S」という食品スーパーに寄ります。
20170921AmeS2177s.jpg 「TOHU」を売ってる。
僕用のヨーグルトを買いました。
20170921AmeS2179s.jpg チーズやワインの種類が豊富です。
20170921AmeS2184s.jpg 日本人に人気らしい派手なデザインのエコバッグが売られている。

16:10帰宅し、キックスクーターのりょうくんの案内で、住宅内公園へ。
僕は追いかけて走り、家内はこうちゃんをベビーカーに乗せて。
公園の遊具で遊びます。
20170921AmeS2188s.jpg 住宅地内のインド系のお母さんが、お子さんを連れて遊んでいます。
帰宅し、夕食を食べて、アメリカ旅行5日目終了。


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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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