8/6・小野・小野神社・上品寺

20170806OnoS218s.jpg 少し北に走り、7:53「小野神社」。
『篁卿の歌 百人一首11番 承和6年正月「京なる人につかはしける」小野篁38才 『わたの原、八十島かけて漕ぎ出でぬと、人には告げよ、海人の釣船』 大海原に隠岐の島に配流されるが、私は青天白日であるから漁師の釣り船の如く悠然として、身も心も達者であることを都の人々に伝えよ。
小町は、父である篁に答歌している。承和6年正月「おきのみやこでしま」小野小町15才 『おきをいて みをやくよりも わびしさは みやこでしまの わかれなりけり』 身を焼くように悲しく、侘びしく心細く、不安であるのは都と島の別れです。 文学的手法を超えた切実さがあり、和歌史上の傑作で、小町においては歌壇デビュー作であろうか』

20170806OnoS227s.jpg 『小野神社は、延長5年(927)完成の延喜式神明帳に「小野神社二座名神大」とあり、日吉神社と並ぶ官幣大社であった。現在の社殿は江戸時代に再建された。
祭神は5代天皇孝昭天皇の第1皇子・天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)とその7世孫・米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)。
米餅搗大使主命は、応神天皇の頃、日本で最初に餅をついた餅作りの始祖で、現在はお菓子の神様として信仰を集めている。
この神社は、小野妹子・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族・小野氏の氏宮である。推古天皇の代に小野妹子が先祖を祀って創建した。平安時代、小野篁(802~852)の時、同族が小野神社に集まって氏神を祀ったことは「続日本後紀」に詳しく載っている』

20170806OnoS228s.jpg 『小野小町 平安前期の女流歌人で、本名小野吉子。系図によれば小野篁の孫とされるが、年齢的に娘とする学者もいる。天長3年(826)~昌泰3年(900)。篁が隠岐の島配流から召還され本位に復した承和9年(842)17才で宮中に入り、文徳天皇の更衣であった。当時の有名歌人と親交があり、上級女官として長年宮中に仕えた。
寛平8年(896)71才で正四位上に叙任し、昌泰元年(898)73才の時、醍醐天皇の宣旨により雨乞い歌を献歌し、2年後に没した。彼女の歌は、後輩の紫式部ら王朝女流文学の草分けとなった。
小町はこの歌からも美女であった事がうかがえる。『花の色は、移りにけりないたずらに、わが身世にふるながめせしまに』』

『小野神社 祭神:天足彦国押人命・米餅搗大使主命 古事記によれば、天足彦国押人命は、5代天皇・孝昭天皇と尾張国連(むらじ)の娘・余曽多木比売との間に生まれた第1皇子で、春日・大宅・栗田・小野・栃木・大坂・安濃・多岐・羽栗・都怒山・伊勢・飯南・一志・近江の国造の祖である。
日本書紀によると、大和和邇の祖であると記されている。
大和朝廷成立以前この地において、大阪府・京都府・奈良県・三重県・愛知県・滋賀県の広い範囲を統治していた王族であり、諸国に多い小野の地名・氏族の発生地・祖神でもある』

『学問・使節の神 小野篁神社(祭神:参議小野篁命) 平安前期(802~852)、834年遣唐副使を命ぜられ、836年に出発。しかし暴風雨にあって、断念する。
838年再度副使を命じられたが大使藤原常嗣との折り合いが悪くなり渡唐を取りやめる。この時、「西道謡」を作って遣唐役を風刺したため、嵯峨上皇によって隠岐の島に蟄居される。3年後許され帰京、昇進を重ね参議・従三位となる。
「参議」は太政官の官名、政務審議の構成員で大・中納言に次ぐ要職。
漢詩文に優れ勅を奉じ「令議解」の撰進に参加している。篁の詩は「経国集」「和漢朗詠集」「扶養集」「本朝文粋」に収められ、和歌は「古今集」に6首、「篁日記」は後人の作で、篁の歌を中心とした歌物語である。野相公・野宰相と呼ばれている。
社殿は祭神の古墳上にある。建物は旧国宝、現在重要文化財である』

20170806OnoS239s.jpg 小野神社の境内に、小野篁神社も同居しており、それぞれの本殿が並んで建っていた。
『重文・小野神社境内社篁神社本殿 小野神社は、小野妹子の出生地で、篁神社は小野篁を祀る。本殿は室町前期に建てられ、三間社切妻造に1間の向拝が付く。切妻造平入本殿は遺構が少なく貴重です』

社務所は無人でしたが、御札やお守りなどが書類棚引き出しに入れられています。
無料の近隣マップ+小野神社謂れパンフ50円+セーフティードライブステッカー300円を授かり、横のスリットに初穂料をチャリン。
バイクに戻り、早速リアボックスにステッカーを貼ります。

境内前に「ムクロジ」の巨樹があった。
『茨城県・新潟県から四国・九州地方・沖縄県にわたり自生する落葉高木。庭園木として植栽され、特に寺社に植えられる。種子は数珠や羽に使われる。このムクロジは、胸高周囲4.19mで県下最大である』

20170806OnoS243s.jpg 道路に、特徴のある種子が多数落ちていた。
20170806OnoS248s.jpg 小野神社参道入口横にある「上品寺」へ。
周辺の観光案内板が立っており、歴史ある小野地区の寺社・古墳・遺跡が多数載っていた。
傍らの石柱道標には、「餅祖神・小野神社」と刻まれていた。

20170806OnoS267s.jpg 上品寺は、承和14年(849)小野篁が開基した天台宗のお寺です。
20170806OnoS262s.jpg 境内には無邪気な表情・姿の稚児地蔵が数体置かれ、見ているだけで心が和む。
20170806OnoS270s.jpg 新しい観音像が門前にあったが、表情が可愛らしくウエストのくびれがナイスで、良い感じでした。
観音様や弁天様は、もっともっと魅力的な方がいいよ。
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8/6・小野・小野道風神社

住宅地内を適当に走り、GPSに見えてきた「小野道風神社」に7:41着。

20170806OnoS199s.jpg 『神社本殿は流造形式が多い中、小野神社飛地境内社「道風神社本殿」は全国的にも稀な切妻造・平入本殿で、県内重文としては、小野神社境内社「篁神社本殿」と近隣の「天皇神社本殿」を合わせ3棟のみです。正面桁行3間・側面梁間2間・前面に1間の向拝。小野神社は延喜式に名神大社として記載され、道風神社は小野神社の南500mに鎮座します。南北朝時代・暦応4年(1341)の建築。平面は、前方1間を外陣、後方1間を内陣とし3室に区切っている。切妻破風や桁隠の懸魚(げぎょ)、軒の茅負(かやおい)、向拝廻りの部材・縁、脇障子廻、外陣正面側の建具は後世の改造を受けていますが、内部は建立当初の姿をとどめ、唐草彫刻を持つ向拝柱上の手挟も当初の材となります。
祭神:小野道風(894~966)は、平安中期の書家で、小野篁(たかむら)の孫に当たります。藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)とともに「三蹟(さんせき)」と呼ばれ、和様の書の基礎を築いた人物』

20170806OnoS206s.jpg 『書道・学問の神 祭神:小野匠守道風命 父は大宰大弐を勤めた葛紘(くずお)。
醍醐・朱雀・村上3朝に歴任。柳に飛びつく蛙を見て努力し、文筆の極致に達し、日本三大文筆、三蹟の1人として文筆の神と崇められている。書風は、これまでの中国書風を放れ、穏やかな整った和様、日本的な書の典型として長く後世まで尊ばれている。また、菓子の体型を創造されたことにより、匠守の称号を賜られ、菓子業の功績者に匠・司の称号を授与する事を勅許されていた。菓子の匠・司の免許は現在絶えているが、老舗の屋号に匠・司が使用される事は現在もその名残である。匠。司称号が祭神から出ていることを見ても、遠く祖神が饗を作られた小野一族からの継承が窺える。小野神社の祭神が、我が国の文化・特に華道・菓道の創生発展に努力してきたか知ることが出来る。建物は旧国宝・現在重文』

20170806OnoS212s.jpg 旧国宝の本殿は、柱に虫食いの跡が無数にあるものの、蟇股に獅子の彫刻が入っていたり、ユニークな感じを受けた。
国宝指定が切れ保存資金が少なくなったのか、保存状態が良くなくなったから重文に降格したのか、ちょっと残念な感じがする。

小野道風の兄に、小野好古がいる。
クーデター「天慶の乱」を起こした藤原純友を鎮圧する追捕将軍として西海に打ち破った。

僕は、平清盛より前に武家政権ができたかもしれない東の平将門と、西の藤原純友が好きだ。
双方、あと一歩の所で鎮圧されてしまったが、源平が覇を争う直前の平安時代の朝廷・貴族政治の矛盾を変えようとした雄です。

小野好古は藤原純友の乱を鎮圧した将軍ですが、きっと彼の名前にあやかり父が贈ったのだろう秋山好古が、日露戦争の騎兵隊長として大活躍した。
日本海海戦を大勝利に導いた作戦参謀・秋山真之は弟で、司馬遼太郎「坂の上の雲」で有名になった。
僕の母方の爺ちゃんは、近衛騎兵隊長として日露戦争に参戦し金鵄勲章を得たので、親しく感じている。
僕も息子たちに名前を授ける時、祖先や戦国の武将の名を頂いたので、この兄弟の父と同じ思考のようで、ここにも親しみを感じる。


8/6・堅田・那波加神社~浮御堂~堅田源兵衛の首~伊豆神社、小野・小野妹子神社

バイクに戻り、R161を北上。
20170806OnoS072s.jpg 「苗鹿3丁目」交差点で枝道に入り、5:57「那波加神社(なはか)」。

20170806OnoS077s.jpg 『祭神は天太玉命(あめのふとだま)。太古この地に降臨し、天智天皇7年(668)英社。垂仁天皇の皇子「小槻氏」の始祖「於知別命(おちわけのみこと)を祀る。老翁となった天太玉命の農事を助けるため、鹿が現れ稲の苗を背負ったので、「苗鹿(なはか・のうか)」の社名・地名となる。延喜式に名を連ね、天台宗の根本法華経を護る守護神として信仰されている』

20170806OnoS087s.jpg 再びR161に出て北上。
堅田「仰木口」交差点を右折し、湖岸方面へ。
6:15「天台宗・妙盛寺」。
その隣に「神田神社」。
『湖族祭で堅田っ子金管バンドクラブが演奏します』と掲示されている。
『祭神:鴨玉依姫命(賀茂御祖神社御分霊) 往古、この地は京糺の森・賀茂御祖神社(下鴨神社)の御厨として栄え、諸祭礼に漁産物の新撰の供御を行ってきた。天暦3年(949)堅田西の切の氏宮として、分霊を勧請奉祀された。神紋は下鴨社同様「双葉葵」である。新撰供御人行列という堅田の行事として、葵祭に鯉・鮒寿司等の献饌を行っている』

この地で造船業を営み、琵琶湖観光船の建造をした知り合いがいますが、代々ここの住民で湖族の末裔の方です。
先祖は、琵琶湖南湖と北湖を区切るように西と東の岸が狭くなったこの地は、交通の要衝で、琵琶湖の水運を握り、日頃は漁業に従事しながら、時には海賊まがいのことをしたり、戦乱時は与力したりした。

少し「浮御堂」に近づくと、『本願寺奮址・本福寺』があった。
20170806OnoS115s.jpg 蓮如・実如という浄土真宗中興の祖が、比叡山を追われ一時ここで布教したことから、「奮址=旧址」と彫られているようです。

20170806OnoS124s.jpg 6:31「浮御堂」。
観覧時間前だったので入れなかったから、横の道を湖岸まで出てみた。
沖にはバスボートが数隻出ていて、釣りをしていた。
20170806OnoS131s.jpg 「伊豆神社」に向かう途中、堅田の風情に溶け込んだ「岡本医院」という医院を見つけ緊急停止。
とても感じが良い。

その横に「都久生須麻神社」があった。
どう読むのか閃いたのが「いつくしまじんじゃ」の当て字。
現代人より学力が低かった昔は、漢字の意味より音が優先され、故意に非故意に当て字され現代に続いている地名などが多い。
これは、「つくぶすまじんじゃ」と読み、琵琶湖北湖に浮かぶ竹生島で浅井比売命を祀る「都久夫須麻神社」と対になっているらしい。
湖賊として琵琶湖の制海権を握った堅田衆が、竹生島の祭神を勧請したものと想像した。
制海権を形にしたものでしょう。

竹生島同様「弁財天」が祀られていた。
湖岸まで行け、岡本医院の敷地も湖岸まで伸びていた。
20170806OnoS141s.jpg 湖岸は小さな公園になっており、手入れされた芝生が広がっている。
私設のような桟橋があり、船も繋がれている。
岡本医院さんは、生活する家として最高のシチュエーションです。

20170806OnoS147s.jpg 芝生まで降りると、別の桟橋が見え、『湖族船競争会場』と垂れ幕が下がっている。
地元の子族末裔達の覇を競う大会日のようで、準備されているようだ。

6:43、一休和尚修養地「祥瑞寺」。
ここもサルスベリが満開。
路地を走ると「堅田源兵衛之首」と書かれた「浄土真宗大谷派・光徳寺」があり寄り道。
『蓮如上人の御世、堅田に源右衛門という漁師がいた。上人に帰依し無二の信者だった。
文明3年(史実では寛正6年1466)上人は祖師の御影を三井寺に預けて廻国する。
同12年に山科本願寺を建立の際、この御影の返却を求める。しかし三井寺は生首2つ持って来ねば返さぬと難題を突きつける。源右衛門は、倅の源兵衛の首を打ち落とし三井寺に持っていった。自分の首と合わせ受け取ってくれと言った。三井寺は感心して御影を返した。上人は歌に曰く「あひがたき教へを受けて渇仰のかうべはここに残りこそすれ」』

20170806OnoS157s.jpg 源兵衛の墓石があり、『御首級は本堂に安置 拝観ご希望の方は、庫裡までお申し出ください』と書かれていた。

20170806OnoS165s.jpg 6:50「伊豆神社」。
『祭神:大山祇命・賀茂玉依姫命 寛平4年(892)草創。宇多天皇寛平年間諸国行脚の法性坊尊意僧正により、三島明神分霊を勧請した。村上天皇天暦3年(947)山城加茂大神を勧請し、神田大明神伊豆大権現の2神を祀り、堅田大宮と奉称され、堅田全域の総鎮守として崇敬されてきた。当社を中心に、宮座(自治組織)があり、殿原衆と全人衆の会議制で運営された。主祭神は大山祇命で、御神徳は農林・鉱業・海運・漁業・酒造等海運の神。
当社奥に、伊豆の霊石、幸運を呼ぶ石がある』

湖族衆本拠地の総鎮守だけあって、周囲に堀が切られている。
当時は浮島として軍事拠点にもなっていたのでしょう。
20170806OnoS180s.jpg 「幸運を呼ぶ石」は、ハート型をしていました。
『霊石を擦ると幸せになる。また恋しい人・逢いたい人にその想いが叶う』
ということなので、家内・息子達家族の幸せを願いながら擦りました。
20170806OnoS183s.jpg 
堅田の枝道をキョロキョロしながらゆっくり走り、R161に合流。
7:15、「セブンイレブン琵琶湖大橋西口店」で、ブルガリアヨーグルトブルーベリー3種138円+フルーツ10種類ヨーグルトフルーツミックス162円=300円で朝食にする。
毎晩プレーンヨーグルト450gを食べて寝るので、僕の体はヨーグルトで出来ている。

R161を北上し、「小野」に入り枝道に逸れ新興住宅地を登って、7:23「唐臼山古墳」。
『石棺が露出し、県内に3例しかない規模なので、大和朝廷の官人のものと想像され、被葬者は小野妹子と伝承されている』。

大きな古墳で、琵琶湖が一望できる。
20170806OnoS189s.jpg 古墳上には「小野妹子神社」があった。
『外交・華道の祖神 祭神:大徳冠位小野妹子命 推古朝の廷臣。607年、聖徳太子が随と外交を開くに当たり、遣隋使となり国書を持って渡海する。それには「日出ずる国の天子、日没する国の天子に書をいたす」と記され、大国隋と対等の外交交渉を開き、日本の力を海外に示した。今も外交官・駐在員の参拝が多い。
また妹子は華道の創始者として、今も「池の坊」によって免許の授与が受け継がれている。社殿は古墳上にあり、裏の石垣の跡は、妹子の墓・唐臼山古墳である』

20170806OnoS196s.jpg 南側に展望台があり、琵琶湖大橋から遠く大津・瀬田まで見える。
古墳の周囲は新興住宅地になっている。


8/6・湖西・来迎寺

コーチしている大学ヨット部のファミリーデイです。
琵琶湖の合宿所に11時集合なので、朝の時間に余裕があります。

3時に目が覚め、親御さん達に渡す資料をコピーします。
60人来られると聞いているので、時間がかかりました。
昨年10月の全日本団体戦予選最終日のコーチボートから見たドラマチックな様子を書きました。
今年のヨット部卒業式(追い出しコンパ)でも、OB/OGさん達に好評だったので、2匹目のドジョウを狙います。

スポーツタイツ・ラッシュガードを下に着て、コミネ夏用メッシュプロテクター上下を着ます。
バイクを降りた時用に、モンベルバミューダパンツとTシャツを持ちます。
ミラーレス一眼ソニーNEXC3と、望遠用にパナソニック・LumixG2の2台持っていきます。

「招き猫CB400SB」に、親御さん達に渡す資料を入れたバッグ・ライフジャケットも積み、4:33出発。
中央縦貫道~吹田ICから名神高速に乗り、京都東ICで下車し、湖西道路に乗って琵琶湖を北に向かいます。

滋賀里ランプで下車し、側道を北に向かいます。
坂本で右折し、琵琶湖岸R161に出ようと琵琶湖に向かうと、GPSに「来迎寺」が見えてきました。
ここに寄りましょう。

20170806OnoS001s.jpg 5:29「来迎寺」。
天台宗の寺院ですが、織田信長の比叡山焼き討ちの時、森可成の墓があることで難を逃れました。
森可成は、信長の有力武将で、信長とともに本能寺で討ち死にした森蘭丸3兄弟の父親です。
信長が石山本願寺を攻めている時、浅井朝倉軍が湖西を南下し挟み撃ちにしようとした時、湖西の宇佐山城を本拠に、寡兵ながら奮闘し、信長が京都に退却する時間を稼ぎました。
しかしながら嫡男共々この地で討ち死にしました。

『最澄(さいちょう)(768-822)の創建で、平安時代初期に源信(げんしん)(942-1017)が念仏道場として聖衆来迎寺と改称した。中世を通して延暦寺の念仏道場として栄え、戦国時代、織田信長による焼打ちのときも森蘭丸(らんまる)の父である森可成(よしなり)の墓があったために難を逃れ、優れた寺宝を数多く所蔵している』

20170806OnoS003s.jpg 山門は、明智光秀の城門を流用しており、重要文化財指定されていた。
20170806OnoS027s.jpg 境内は鐘楼・本堂などが静かに佇み、良い感じです。
20170806OnoS015s.jpg 鐘には天女が滑空する姿が浮彫りされ、漢文が刻まれていた。

石仏などが境内脇に並べられており、近隣に点在していた石仏が、道路工事などにより移されてきたのでは?と想像した。
雰囲気の良い屋根がついた祠があり、中を覗くと、石仏が押し込まれていた。
比叡山中には、石仏・刻み仏が無数にあり、それらを祀っているのかもしれない。

奈良風屋根を持った本堂と客殿があった。
『重要文化財・聖衆来迎寺客殿 桁行10間、梁間6間、南面入母屋造・北面切妻造、柿葺きの建物。内部は2列3室つまり6室からなり、旧書院や茶室が付いています。西南の上座の間は床・棚(井楼棚)・天袋・書院を備えた最高の室で、欄間彫刻も華麗です。他に竜虎の間、仏間などがあり、狩野探幽などの筆による障壁画によって飾られている。江戸時代初期の代表的な客殿で、寛永16年(1639)頃の建築』

「音声で紹介する戦国の大津歴史舞台」というQRコードが設置されていた。
20170806OnoS032s.jpg 『聖衆来迎寺開山堂 桁行3間・梁間3間・一重入母屋造・桟瓦葺・向拝1間の建物。延暦9年(790)伝教大師最澄が開いた。当初、地蔵教院と称したが、長保3年(1001)恵心僧都源信が、この地で紫雲の中に来迎を感得したことから阿弥陀如来を祀り、寺号を紫雲山来迎寺と改めた。開山堂には、この源信が祀られています。寛永15・16年(1638~39)に建てられ、近世初期の代表的小堂建築の1つ』

源信は、天台宗の中興の祖・良源の弟子で、浄土宗の祖とされている。
浄土宗開祖・法然や浄土真宗開祖・親鸞に影響を与えた高僧です。

20170806OnoS048s.jpg さて本命の「森可成の墓」。
五輪塔が立っています。
戦国時代の墓なのでこじんまりしているものと思っていましたが、意外に立派でした。
この墓のお陰で信長の焼き討ちを逃れることが出来、天台宗の正倉院という別名があるほど寺宝が遺っています。
森可成様々なので、江戸時代に入り作り変えたのかもしれません。

僕の名前は漢字は違いますが、同じ読みです。
父の字を一字貰った通名で、武将みたいで強そうだなと気に入っていました。
織田信長物語を読んだ時、一武将として登場する森可成でしたが、「やっぱり」と嬉しくなりました。

息子2人にも通名し、次男の名は、森可成の5人の息子たちが討ち死にした後最後に残り森家の家督を継いだ武将と同じです。
長男は息子2人にも通名しています。
次男に最初の子の娘が生まれたばかりですが、男の子を授かったら通名するかもしれませ
ん。
父親は、子を産み育てることは出来ませんが、名前を授ける事はできます。
墓石にお賽銭を置き、手を合わせました。

20170806OnoS052s.jpg その傍に、『寿々(鈴姫)之墓 岐阜城主・織田秀信公のご母堂』と謂れ書された墓石があった。
秀信は、織田信長の嫡男・信忠の嫡男の幼名・三法師です。
信長と信忠が本能寺で討ち死にし、織田政権の今後を話し合う清州会議で、柴田勝
家は信長の三男・信孝を推し、羽柴秀吉は三法師2才を推した。

岐阜城主で関ヶ原合戦で西軍に与した秀信は、敗戦で高野山に追放され、さらにそこの追放された。
密かにここに埋葬されたと来迎寺の過去帳に載っており、信忠の側室ながら嫡男・三法師を産んだ母は、ここで父と子の菩提を弔ったとされている。

母・寿々は、摂津源氏流れの塩川氏の娘という説が有力ですが、息子の亡骸を父・森可成の墓の隣に作るなどこの事実を見ると、森可成の娘説の方が有力な気がする。
信長が最も信頼した森可成であれば、嫡男の室に入れても不思議はない。
秀信の墓石は特定されていないが、寿々姫の隣にある五輪塔であるという説もある。
僕の歴史好きに新たな1ページが刻まれた。

そのお墓の後ろに歴代住職の墓と思われる無縫塔が並んでいました。
20170806OnoS055s.jpg 境内に池があり金魚が泳いでいた。
バシャと大きな音が出たので、鯉もいそうです。
20170806OnoS059s.jpg 縁側に素敵な生花鉢が置かれ、寺宝を見たくなりました。
ここは観光寺ではなく、寺宝を見るためには予約が必要です。

20170806OnoS065s.jpg サルスベリが白い花を咲かせており、形の良い松など、お金を掛けて手入れされている。
寺への参道脇の石垣は、近江の穴太衆本拠地近隣地なので、素晴らしい穴太積みになっていた。


8/5・お墓参りと遠い親戚からのメール

家内の実家のお墓参りに行きました。

お盆に次男一家が帰省します。
お盆に、家内の姉夫婦とその子達一家が3組揃うので、そこにみんなで参加しようと思っています。
その時みんなでお墓参りはしないようなので、先に参ります。

次男の第一子・すみれちゃん去年7月生まれと、姉の長男の第一子・けんとくん今年3月生まれが同じ学年なので、その初顔合わせです。
けんとくんは、姉夫婦以外に会ったことがないので、どんなリアクションをするか楽しみです。
まだ5ヶ月なので人見知りもしないだろうから、大丈夫だと予想しています。
むしろすみれちゃんが人見知り期真っ最中なのが心配です。

朝4:30に出発し、7時に帰宅しました。
この時間帯なら、高速道路も混みません。
帰宅する時、ネックの宝塚トンネル西行きを見たら、渋滞が長く続いていました。

この日一番嬉しかったのは、家内から手を繋いで来たことでした。
いつも僕から家内の手を取ります。
「柔らかいなあ~」なんて触りながら歩きます。
家内は外見は女子ですが、心は男っぽくさっぱりした性格なので、自分から甘えてきたり
あまりしません。

甘え上手な女の子は、男を手玉に取るなんてことは朝飯前のような気がします。
学生時代、手を握られただけで、もう頭はあさっての方に飛んでしまうし、腕なんて組まれたら、あの膨らみが腕にダイレクトに伝わり、身体が即応してしまいます。


突然、知らない方からメールが届いた。
差出人の苗字を見て、ちょっと驚いた。
母の実家の本家と同じ苗字・・・母の旧姓も珍しいが、この本家の苗字は更に珍しい。
今まで女性シンガーソングライターに1人だけいた苗字です。
その方を知り、ひょっとして親戚ではないかと思った。

まさか、本家の関係者では・・・と思いながらメールを読む。
「田中正造と育英事業」という題で、地元大学で講演することになり、資料集めしていた時、僕のウェブ・サイトがヒットしたとのこと・・・

明治時代に、本家当主が多くの事業を立ち上げ、衆議院議員・田中正造さんのパトロンをしていた。
明治天皇に足尾鉱山公害を直訴し、その責任を取り衆議院議員をお辞めになった時、次の選挙に立候補する者がおらず1期だけ衆議院議員になった。

今と違い、議員なんて歳費が少ないので、生活に余裕のある者かパトロンを確保出来る者しか立候補出来なかった。
それなりの人物でないと務まらないので、適当な人材が見つからず、仕方なく議員になった。

元は佐野家の家老で、佐野家改易時に帰農して地元に残り、庄屋をして地元への影響力を保ち続けた。
明治維新を経て銀行・化学会社・鉄道・・・多くの企業を起こし、育英事業を設立し資金提供し、地元の多くの優秀な若者に奨学資金を提供し、留学資金も提供した。
篤志家として地元に貢献した。

そんな関係で、地元での本家の研究が盛んになり、室町時代にまで遡る家の歴史が書籍化された。
政界では、大隈重信と行動を共にしたので、前書きは大隈公の手による。
この書は非売品で、一族郎党にだけ本家から無料で配られた。
一族郎党の結束を深めるための共有する書として位置づけられた。

雪印・キッコーマン・日清製粉、正田家との縁で天皇家との繋がりができ、本家一族郎党に連なる者は皆喜んだし、誇りにもなっている。

この明治時代に発行された本と、時代の変遷で新仮名遣いに書き換えられた時、大幅に加筆された本の2冊を、遠く関西に住む僕が持っていることを知り、驚かれたそうです。
しかも、差出人ご自身も知らないことを僕が母から聞いているのを知り、お会いしたいとのことだった。

こちらも大変驚き、早速返事をした。
この本がうちに来た経緯や、本家との血縁関係を書いて送った。
するとまた返信があり、僕が名前や住所などを返信したので、ご自身の身分を書いて来られた。
予想通り、本家の現当主で、中核企業のトップの方でした。

成田空港開港工事の頃は、北関東で一番利益を上げていた会社です。
合わせて、明治時代に設立した奨学金育英事業の理事長もされている。
今後の展開が楽しみです。

8/4・武田尾・新名神工事

久しぶりに、早朝バイクツーリングでムービーを回しました。
僕の早朝ツーリングエリアは北摂ばかりなので、いつもお馴染みの道ばかり走っています。
今回は、新名神高速道路の工事進捗状況を見に行くことにしました。

4:55、「里山VTR250」に乗って出発。
長尾山トンネル~r325~r33で武田尾に向かいます。
4:30に目を覚ましました。
1ヶ月前の1年で最も夜明けの早い時期なら明るくなる時間帯なのに、30分ほど夜明けが遅くなりました。

交通量はほとんどなく、快適に走り、5:15「武田尾駅」手前の「廃線ウォーク」。
ヘルメットを脱ぐと、蚊がまとわり付いてきます。
20170804TakedaoS006s.jpg 以前は、「ここはハイキングコースではありません」とJRが及び腰でしたが、「ハイキングコース」の矢印看板が出ています。
「住宅市街地基盤整備事業」の看板が上がり、武庫川河畔が整備されています。
以前からあった古い職住混在した一角は影も形もありません。

橋を渡り、枕木の埋まった廃線路を少し歩きましたが、まとわりつく蚊が僕の周りから離れず鬱陶しい。
リアボックスに入ってる山城探索用のネット付き帽子を被れば良いのですが面倒です。

20170804TakedaoS014s.jpg バイクでJR武田尾駅高架下をくぐり、赤橋。
廃線路トンネルを抜け、紅葉館横を走り、廃線路トンネル出口。
この先で廃線路は武庫川を渡り右岸を走って道場・三田方面に向かっていました。
このトンネルは、現在「紅葉館別庭あざれ観光バス専用路」になっており、バイクで走れませんが、歩いてでもいいから走破してみたい。
真っ暗なので懐中電灯は必須だけど・・・

帰路、赤橋で武田尾温泉元湯のある右岸に渡り、右岸道路でJR福知山線高架下をくぐります。
20170804TakedaoS023s.jpg 武田尾温泉元湯は、土日祝日は日帰り温泉が1000円で楽しめるようです。
20170804TakedaoS024s.jpg 紅葉館は、高いからなあ・・・

武田尾からr33で切畑に出て、r324で新名神に沿って走ります。
ホタルが飛んだ小川沿いの道は寸断され、広くなっています。
r12を渡り、r12旧道に出て走り、一瞬r12現道を走って、再び猪名川沿いの旧r12。

新名神の工事は大方終わっているようです。
名神高槻JCT~中国道神戸JCTの全線開通まで、あと1年半です。

r325に乗ります。
この道は以前と変わりなく、今でもホタルが飛ぶのかもしれません。
長尾山大橋~長尾山トンネルを抜け、6:33帰宅。




7/31・ヤマカガシ

ネットニュース「産経新聞WEST」 『男児の毒ヘビ被害場所、伊丹の公園ではな
く宝塚の山道…友人宅でもかまれる 兵庫県警、友人の話もとに訂正』

兵庫県伊丹市に住む小学5年の男児(10)が29日、「ヤマカガシ」とみられる毒ヘビにかまれて一時意識不明となった事故について、兵庫県警伊丹署は31日、男児がヘビにかまれた場所を、伊丹市荻野の若松公園ではなく、伊丹市に隣接し、北へ約2・5キロ離れた山中にある同県宝塚市切畑長尾山の宝教寺の参道だったと訂正した。

29日に男児と一緒にいた友人に31日、事情を聴いた結果、誤りが分かったという。男児がかまれたのは30日に母親が伊丹署に連絡して判明。当初は母親の話をもとに調べを進めていた。
伊丹署によると、男児は29日、川沿いにある山道に友人とヘビを捕まえに行き、午前10時半ごろに左手の人さし指をかまれた。若松公園にはその後、血が止まらないため手を洗おうと立ち寄った。
また、男児は同日午後1時ごろにも、友人宅で、捕まえたヘビをリュックサックから取り出そうとした際に右手首をかまれたという。

当初の発表では、男児は29日夕、若松公園で友人と遊んでいたところ、ヘビに右手首をかまれたとされた。帰宅後に血が止まらなくなり、頭痛を訴えて病院に搬送。一時意識不明の重体となったが、その後意識は回復した。
ヘビは男児の友人が捕まえ、リュックサックに入れて男児の母親に渡しており、伊丹署が引き取った。
同署によると、捕獲されたヘビは体長約60センチでヤマカガシとみられる。ヤマカガシは、本州から九州にかけての水田や河川近くに生息。上あごの奥に毒牙があり、かまれると死に至ることもある。

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当初の「伊丹市の公園でヤマカガシに噛まれた」というニュースで、現場が僕の早朝サイクリングコース沿いの公園だったので驚きました。
ヤマカガシがいても不思議ではないが、小学生が噛まれたというところにビックリした。

僕が小学生の頃は蛇も多く、毎週のようにアチコチで見つけた。
「蛇は敵」が代名詞だったので、1人の時はただ見ているだけでしたが、友達といる時はいつも退治していた。
川向うなら石を投げ、近くなら接近戦を挑む。

蛇は危険が迫るととぐろを巻きにらみ合いになる。
目を離さず、首を伸ばしても届かない距離を保つのが重要です。
でも必ず逃げ出すので、その時素早く尻尾を掴むのがコツです。
掴んだ瞬間に思いっきり振り回す。こうなると遠心力で噛めなくなり、そのまま石垣などに向かって手を離す。
石垣に当たってお陀仏という寸法です。

噛まれるリスクを負っているし、女子は絶対にしないし、男の子でも出来る勇気のあるやつは少ない。
これが面白く、友達とよくやった。
でも今は蛇も殆ど見なくなった。

側溝でアメリカザリガニを捕まえて尻尾をちぎって餌にして、近くの池でナマズを釣ったり、カエルを餌にして雷魚を釣ることもした。
カエルの口に爆竹を突っ込んで爆破させたり・・・、毛虫を捕まえ、教室の机の上に置いたり・・・今思えばとても出来ないような遊びをした。

小学校高学年になれば、興味が薄れみんなそんな遊びから卒業した。
25年前小学生だった息子たちが、そんな遊びをしているのを見たことがなく、とても上品になった。
去年、「我が家の石垣に蛇がいた、危ないから気をつけたほうが良い」と、お隣のご主人にご注進されたが、僕は危ないななんて全く思わなかった。
久しぶりに尻尾を掴んでやろうと、石垣探索したが見つけられず残念に思ったぐらいだ。

僕らみたいな小学生は絶滅したと思っていたので、このニュースを見て少し嬉しかった。血清を打って大事に至らず回復しているし・・・。

でもヤマカガシを見分けられなかったのが残念でした。
蛇に遭遇する機会が減ったからだろう。
「短い蛇には毒があり危険」
「模様が鮮やかな蛇は危険」
「長い蛇は毒がなく安全」

「蛇に噛まれたらすぐ病院に走り血清を打つ」、応急処置として「毒蛇に噛まれたら、その場所より上を紐できつく縛る」という知識をみんな持っていた。
友達にも大人にもマムシやヤマカガシの毒蛇に噛まれた人がおり、噛まれた箇所をナイフでえぐった跡を見せてくれたり、噛み跡の周りをナイフで何箇所も切り血を抜いた友達もいたからです。

それにしても、蛇を生け捕りにしてリュックに入れて家に持って帰るなんて骨のある小学生が現代におり、頼もしく思った。
でもまあ、親から叱られただろうな。
僕も何度も母親から叱られたが、翌日には忘れていた。
だって噛まれない自信があったもの。

家内にその話をすると、蛇に触ったことがないらしい。
宇宙人を見るような目で僕を見ていた。
性差ですね。

ヤマカガシを小学生が見つけ、1回目に噛まれたのが、宝塚市・切畑長尾山の宝教寺とのことで、きっとあそこだろうと地図を見ると、小学生の夏休みに友達を自転車でよく行った最明寺滝への道沿いにあるお寺でした。

最明寺滝には、不動明王がおり、昼なお暗い道と相まってちょっとした冒険道でした。
早朝に行くとカブトムシが取れるので、男の子には人気の夏休みスポットでした。
僕は午前中が勉強時間だったので参加できず、いつも午後からだけでした。
午後にはもう蜜にたかってるカブトムシは殆どおらず、朝行ける友達が羨ましかった。
でも勉強仲間もおり、そっちの点取りゲームもまた楽しかった。

名前の由来は、鎌倉幕府執権・北条時政が出家して「最明寺」を名乗り、この滝で修業したことから来ます。
10kmほどの距離に百畳岩というロッククライミングの名所があり、そこへの登山道に鎌倉峡と名づけられた場所があります。
この鎌倉の由来も、北条時政からです。

さらに山を登れば万願寺まで歩いて行けます。
途中に三洋電機社長の井植さんの別荘があります。
10年ほど前、お盆の家族ハイキングで、母親を伴って10人ほどで万願寺~三洋電機山荘~最明寺滝~阪急山本駅コースを歩いたこともあります。

宝教寺は、沢道・ハイキング道をまたぐようにアーチ門があり、場所も建物も一風変わったお寺で不思議だなと思っていました。
今回調べたら、朝鮮寺ということでした。
子供の頃からの謎が解明されました。

7/31・全米女子オープン

長男のお嫁さんからも返信がありました。
長男のとこは男の子2人なので、すみれちゃんが可愛いようです。
すみれちゃん用にアメリカの子供服を買うそうで、アメリカで人気のブランドCarters、
Gymboree、Tommy Hilfiger、Osh Kosh、Oldnavy)が書かれており、リクエストを受け付けています。

僕用に何度かHollisterなどの衣類を、仕事でアメリカに行った時お土産に買ってきてくれましたが、お嫁さんのセンスはナイスです。
豪華ではなくさり気なく、高級ブランドでもないけどセンスが良いブランドです。
堅実な生活がにじみ出て好きです。
すみれちゃんへの洋服のプレゼントを僕らは持って帰るようになりそう。

久々にりょうくんが風邪を引き、こうくん・お嫁さんにも移って寝込んだそうです。
こうくん1才3ヶ月は、10回以上発熱しており、すみれちゃんの強さを羨ましがっていました。
やはり女の子の方が強いね。

その間、長男が大車輪で頑張ったそうで、家では何もしなかった長男も、家族を持ったら自覚が違うんだなと思いました。
「食事も作った」というとこに「ほんまかいな?」と思いました。

写真とビデオをクラウドに上げてくれていました。
IMG_4772s.jpg また家族で、前回とは別の競馬場に行ったそうで、子供向けイベントが多く大変楽しめたようです。
日本の競馬場は、中央競馬でもまだ「ギャンブル」度が高いですが、アメリカのは家族でのレジャー・テーマパーク要素が高く、家族で楽しめるようです。

長男とりょうくんは、全米女子オープンを観に行ったそうです。
会場が、「トランプナショナルGCベドミンスター」というところで、同じニュージャージー州にあり、プリンストンから30分ぐらいらしい。
トランプ大統領が大統領になるまで持っていた会社のゴルフ場だそうです。

ミーハー少々で積極的な性格の長男は、去年イチローのメジャー通算3000本安打達成を見るため球場に行き、TVに映っていました。
IMG_4753s.jpg 今回も抜かりなく、宮里藍選手とりょうくんを含め3ショットに収まっていました。
帽子には、何人もの選手のサインをゲットしているし、3人の後ろには日本人クルーのような方が、TVカメラの三脚を担いで見ています。

スポーツニュースに映らなかったのかな?と思ってユーチューブを検索したら、戸張捷キャスターの声が入った中継映像に映っていました。
TV朝日ですね。
イチローの時も「報道ステーション」だったからTV朝日でした。
就職の時、ここを受けようかな?なんて言ってたので縁があります。

すみれちゃんより3ヶ月お兄ちゃんのこうくんは、まだ歩かないようです。
ただお兄ちゃんのりょうくんよりやんちゃで、歩かないのに振り回されているそうです。
この状態で歩いたらどうなることかと、戦々恐々としています。
面白いね。

僕らはこうくんが誕生した時に新潟の実家で会っただけなので、9月に会えるのが楽しみです。

7/31・すみれちゃん・1才誕生日

7/23は次男のお嫁さん、7/29はその子・すみれちゃんの初めての誕生日でした。

僕が誕生日おめでとうメールを送ったら、お嫁さんから返信が届きました。
小さく生まれた(1900g)けど、一度も体調を崩すことなく体重は4倍になり、1才の誕生日を迎えられ、家内同様健康優良児になりそうと喜んでいます。

「バイバイ」「いい子いい子と自分の頭をなでる」「パチパチ拍手」「いない、いない、、、、、ば~」もできるようになったそうです。
いない、いない、、、でしっかり間を持たせ、ばー!で、ちょっと変顔をするお調子者で、家族を笑わせてくれるそうです。
順調にできることが増え、赤ちゃんから子供に成長している感じがして、お母さんとしては嬉し寂しい気持ちだそうです。

IMG_6728s.jpg 誕生日は、ご両親と妹さんがやってきてお祝いしたそうです。
みんなからたくさん褒められ、今日は自分が主役のお祝いだということに気づいているようだったそうな。

IMG_6723s.jpg 2人は、室内ジャングルジムをプレゼントしたそうです。
目を離したすきに自分で滑り台の一番上に登っており、手を貸さずに見守っていると、ちゃんと足からゆっくり降りたようです。
高いところが危ないとわかってきているようで安心したようです。

そう言えば、長男がチビの時、知らない間に階段を登って2Fに上がり、怖くて下りれなくてワーワー言い出した事がありました。
「何処にいるんだ?」と思ったら、階段の踊り場から下に向かって叫んでおり、ビックリしました。
抱っこして降ろしてやると、またえっちらおっちら登りだし、また降ろせと叫びます。
それを何度か繰り返した後、クルリと後向きになり、ゆっくり下りてきました。
それを見て、子供は賢いなと思いました。

まだ歩けないので、来月の帰省期間に歩き出してくれないかな?と期待が膨らみます。
翌日は、お嫁さんのお父さんの実家がある浅草に出て、写真館で記念写真を撮ったそうです。
次男がクラウドに写真とビデオをアップしてくれ、家内と笑いながら見ました。

TEN_0987s.jpg
写真館で真っ白な肩紐ドレスを着て、とても可愛く写っています。
TEN_1035s.jpg 1才なのに肩を出し、レディーの悩殺パワーが凄いです。
TEN_1289s.jpg
女の子は違うなあ。

プレゼントの滑り台を滑っているビデオもありました。
とかくバランスを崩し頭が後ろに行ってしまいがちですが、初めてなのにバランスよく滑っており、バランス感覚が良いようです。

ハイハイしながら、時々片足を高く上げワンちゃんのおしっこポーズをしています。
みんなが喜ぶので、何度もしています。
我が子でもこんなポーズをハイハイ時期に見たことないので、「何なんだ?」と思いましたが、バランス感覚が良く、運動神経が良いと確信しました。
満面の笑みでパチパチするし、お父さんお母さんも大笑いして喜んでいました。

大きく「すみれ」と名前が書かれた丸いお餅を白い布リュックに入れて背負わされ、「立っち~」と声援を送られています。
IMG_6726s.jpg 「何なんだ、これは?幼児虐待?」と不思議に思ってビデオを見ていると、お餅は2kgもあるそうです。
当然、すみれちゃんは嫌がり半泣きです。

IMG_6729s.jpg
上手に肩からリュックを取っても、またお嫁さんに背負わされ、仕方なく立つと拍手喝采されています。
でも重いからひっくり返り、更に裏返っています。

これは、和歌山の1才のお祝いのちびっこ相撲神事のようなものかな?と調べてみたら、「一升餅(1生餅)」というものらしい。
一生食べ物に困らないように・・・健やかに暮らせますように・・・と願い1才の誕生日に背負ったり踏んだりする縁起物らしい。

1才はちょうど立ち上がり、歩きだす練習をする時期です。
「早く歩き出すと家を出て行く」に繋がるそうで、まだ早いともっとハイハイさせるために餅を背負わせるらしい。
歩こうとすると餅を投げつけて転ばせる風習がある地域もあるらしい。
九州では踏むのが多く、東日本では背負うのが多いらしい。
いずれにしても、これはTVでも見たことがなく、初めてでした。

お嫁さんの実家は、大安など吉日を大切にする家なので、こういうのはきちんと継承する家です。
お食い初めも鯛のお頭付きだったし、初めてのお正月も風習に則っていました。
こういう家の娘だと、言葉遣いもお箸の持ち方もきちんとしており、次男は初対面から好感を持ったでしょう。
僕も家内が上手な箸さばきで魚を綺麗に食べるのを見て、この子はいいなと好感を持ちました。

それまでは、靴下一体型の靴を履いていましたが、この時は白い靴を履いており、きっとお父さんに買ってもらったのでしょう。
僕も長男の第一子りょうくんの初めての靴を買う栄誉を頂きました。
孫のこういうものを買うのは、大きな喜びです。
浅草で、長男とこの男の子2人に甚平さんを買ったようです。
お盆の帰省で僕らに渡し、9月の渡米時に持っていきます。

7/30・TV「日本のびっくり」「列島誕生」

TVで外国人から見た日本のビックリをやっていました。
「券売機の妖精」は、駅の券売機横の呼び出しボタンを押すと、券売機の横のカバーが開いて駅員が出てきて説明してくれる。
自販機のカバーが開いて人が出てくるのにビックリするそうです。

「点字ブロック」は日本発だそうで、そもそもない国も多く、あっても剥がれていたり、穴が空いていたり、直線になっていない、点字ブロックの上に植木が置いてあるなんて国も多いそうです。
日本は綺麗に一直線に設置され、よくメンテナンスされているのに驚くのだそうです。

「新幹線7分間の掃除」は、東京駅など終点駅で繰り返される車内清掃の早さ・手際の良さに驚くそうです。
これは、清掃員だけではなく、乗客の汚さない・ゴミを床などに捨てない姿勢にもよると。
床に足の踏み場もないほどゴミが散らかったチャイナの列車の写真が、対比として映されていた。

日本女性・日本男性の魅力を紹介していました。
日本女性は、専業主婦率が高く、家事が丁寧で料理が上手いということでした。
東京の街頭で、外国人女性を呼び止め、包丁でりんごの皮むきしてもらうと、誰一人、りんごの皮を包丁でくるくる向ける人はいませんでした。
りんごの皮むきなんて必須で、僕だって皮をつなげたまま剥けます。

アメリカ映画などで、料理が雑だなあと思っていましたが、これほど差があるとは知りませんでした。
長男のお嫁さんは料理が得意なので、向こうで脅威の目で見られているかもしれません。

夕方になったので、通勤リード110にタンデムし家内と買い物に出ました。
ヨーグルト他食材を購入しました。
ビールが並んでいる棚の前に、キリンビールノンアルコールビール「零ICHI」が6本パックで盛られていました。
「これ新しいのかな?飲んでみようか」というので、バラ売りを1本買いました。

ノンアルコールビールは、アサヒ・キリン・サントリーを飲んだことがあります。
宴会の席では、アルコールが飲めないのでフルーツジュースがいいのですが、ビールしかない席があります。
こんな時はノンアルコールしか選択肢がありません。
数種類置いてあることはまずないので、注がれたビールで乾杯だけして、あの苦味が好きではないので、後は置いておきます。
3社の中では、サントリーが僕の口にマシに感じます。
他の方の声を聞いても、サントリーが美味いという方が多い。

長男は、キリンビールではありませんが、キリングループ会社に勤めているので、家内はキリンを応援しています。
果たして美味いのか?帰宅後早速飲んでみました。
以前のよりは美味しいと思うが、フルーツジュースには程遠く、一口でもう要らなかったが家内も要らないので、ノルマの缶ビール半分をなんとか飲み干しました。

味はビールより少し薄いもののほぼ同じで、お腹が膨れ、ゲップも出ました。
家内は、「顔が赤くなるかなあ」なんて心配していますが、アルコールなしなので、それはないでしょう。

NHK大河ドラマ中、風呂上がりに食卓で家内とおしゃべりしていました。
21時からNHKスペシャル「列島誕生」を2人で見ました。
大陸から分離した日本列島は、最初平地ばかりの島でした。
ユーラシアプレートに太平洋プレートが沈み込み、南からやってくるフィリピン海プレートとの3つのプレートがぶつかる位置にあるので、その圧力を受け、幾つものカルデラ噴火があり、紀伊半島などの山岳地帯が出来ました。

圧力により熱せられた巨大マグマが、圧倒的な広さの規模で噴出したのです。
古座川の一枚岩・那智の滝を含め紀伊半島の数ヶ所に点在する巨大岩を線で結ぶと、C字になり、これが太古のカルデラ跡だそうです。

北への流れだったフィリピン海プレートが、西への流れである太平洋プレートの影響を受け、少し西向きに流れを変えたことで、ユーラシアプレートの端である北日本は西に30km引っ張られ、東日本は海の底から陸地になり更に2000m級の山に隆起した。
北アルプスは、隆起が現在も進行中だそうです。

これにより、国土の70%が山岳地帯という日本列島が出来、以前のほとんど平野だった頃は乾燥していたのに、季節風が山岳に当たることで多雨になり、国土の67%が森林という自然豊かな日本列島に変貌しました。

3つの大プレートの圧力が掛かり続ける上にあるのは変わらず、地震・津波・火山噴火・多雨による洪水、でも多雨により洗い流され、すぐ森林が再生されるという自然環境。
その国土に住むことで、自然崇拝する神道、助け合い・水に流すさっぱりした性格の日本人が形成していったのだろう。

とても興味をそそる番組でなんとか最後まで見ましたが、もう目はショボショボで、すぐにバタンキューで1日を終えました。

7/30・デパートと辛坊さん番組

次に川西能勢口に向かいました。
目的地は阪急百貨店。
お盆に義理兄夫婦の家で会う孫くんへのプレゼントの購入です。

今年の3月生まれで、うちの2人の孫(昨年4月生まれ・昨年7月生まれ)と同級生になる子です。
初めて会うので楽しみです。

ベビーへのプレゼントといえば、昨年NHK朝ドラで有名になったファミリアが定番です。
Tシャツを予定していましたが、お盆にプレゼントなのですぐ秋になり、本格的に着てくれるのが来年になりそうだから思案時。
可愛く、少しかっこいい長袖の春秋用にしました。

別のお店で、家内が少し前に新聞で見つけていた「阪急電車Tシャツ」を見つけました。
孫4才は電車好きで、東京に住んでいたので、こちらに帰省した時阪急電車に興奮していました。
落ち着いたマルーンカラーの渋さを見極める感性を持っており、全国の電車の中で一番好きな電車だったからです。

このTシャツは、前に先頭車両が描かれ、後ろまでつながって客車が描かれています。
前向きと後ろ向きを並べると、繋がったように見えます。
でも、同じコンセプトの黒字に鮮やかに描かれた新幹線の方を買いました。
9月にアメリカの行く時のプレゼントなので、アメリカ人でもわかる新幹線の方が良いかと思いました。
2人の孫と長男用にも3枚買いました。
お嫁さん用も考えましたが、お洒落なお嫁さんなので着ないかもとパス。
少し大きいけど、長男用を着てもいいし。
どうせ家内がいろいろお嫁さん用の化粧品などのプレゼントを持っていくだろうし・・・。
12:36バイクに戻る時、180円のかき氷を食べました。

ブイーンと帰宅し、遅い昼食を食べながら、読売TV「そこまで言って委員会」を見ました。
辛坊さん司会の番組で、多様な意見を持つ方が出演し議論になり、健全な番組です。
偏った意見のみのタレントが司会をするお昼のワイドショーニュースとは大違いです。

庭の草刈りに勤しみました。
家内は実家の掃除です。
8耐が気になりながら、TVを見ました。
ネットで見た途中経過は、ヤマハがトップで、3連勝する勢いです。

別の番組で、また辛坊さんが登場し、韓国ソウルを歩きます。
日本大使館は建替え中で、道路を隔てて目の前に従軍慰安婦だという少女像が立っています。
その横で20人ほどの若者グループがプラカードを持って日本大使館に向かって抗議しています。

歩道上にテントが張られ、少女像を撤去されないように守る組織が中で見張っています。
これは、沖縄米軍基地の実態を見に行ったツーリングで見た辺野古での光景と同じだった。
辺野古にはテントの中にパンフレットや写真が貼ってあるだけで、人はいなかった。
横の漁協にも漁船にも「反基地」の幟がなく、地元は反対していないということがわかりました。

この少女像は、在韓米軍兵士の交通事故で亡くなった少女を悼む像で、親北朝鮮派の挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)関係者が作った。
北朝鮮有利・共産党一党独裁で朝鮮半島を統合しようとする組織で、米軍基地前に置き、邪魔な米軍を追い出そうとシンボルにしようとしたが、アメリカからの圧力で設置できなかった。

お蔵入りしていた像を、親北組織からの資金により架空物語を作文した吉田清治の従軍慰安婦強制連行と、それを全世界にまで拡散させた朝日新聞のでっち上げを利用し、韓国内の反日機運を盛り上げるために出してきただけの像です。

韓国を共産化するための邪魔は、米軍と日本です。
日本人は冷静なので、感情的で一方的な意見を真実かどうか自分で調べる方が多く、大規模反日にまで発展しないが、朝鮮人は情熱的なので素直に信じてしまう。
保守大統領の朴槿恵を変節させ引きずり下ろし、逮捕し死刑求刑まで出ている。
日本とアメリカが手を引けば、すぐに共産主義国家として韓国は北朝鮮に合併され、消滅してしまうだろう。

青瓦台を見学し、その前の抗議運動している団体にインタビューしていた。
この団体は朴槿恵さんの釈放と、高高度防衛ミサイルTHAADの早期配備と増強を訴えていた。
声の大きな身振り手振りが派手なおじさんが、日本人だと知り握手を求めてきた。
少女像の日本大使館前設置は、大変失礼な行為で恥だと言い、韓国は日本とアメリカが友人なんだと熱く語っていた。

韓国では「少女像」と呼んでおり、「従軍慰安婦像」と表現する日本のマスコミに、日本を貶める思想があるのを感じた。
韓国の方も早く挺対協など親北組織のプロバガンダの本質に気づいて欲しい。
沖縄の反米軍運動と韓国の反日に共通点が多いのに気づいた。

現沖縄県知事が、県内尖閣諸島の国境を平気で犯すチャイナに講義すらせず、それに対抗する存在である自衛隊の増強や米軍基地に反対している。
チャイナに何度も友好訪問しているのに、アメリカには抗議のために乗り込んでいる。
その手先になって動いている反米軍基地派は、学生運動家崩れが多く、暴力的で胡散臭い。
僕も北部訓練場を見張る反基地派櫓横にバイクを乗り付けたが、一斉に睨まれ走ってこっちに来る人達に身の危険を感じ退散した。
服装は薄汚れ、まともな日本人には見えなかった。
半朴槿恵活動が活発だった時は、沖縄の活動家が渡韓していたので減ったらしいし、沖縄の反基地運動にハングルプラカードが踊っているのを見てもお里が知れる。

いずれにしても、韓国にも日本にも、戦前のソ連のコミンテルンスパイから続く共産化勢力が生き残っている。
アメリカは、ホワイトハウス高官にも入り込んでいたが、戦後レッドバージで一掃された。
そのメンバーを見れば、日本に最後通牒を突きつけたハル・ノート(石油禁輸)作成者がコミンテルンスパイだった。

つまり、日米双方政府内にいた高官や影響者が、日米の矛先がソ連に向かわないように画策した。
100点満点の結果を出したのが、資本主義・自由主義陣営の日の出の勢いの日米を戦わせ、消耗戦に陥れた。
その後疲弊した双方を共産化する作戦だったが、アメリカから一掃され、日本は殊の外手ごわかったということ。

日本は、共産党よろしく赤旗を振った国鉄労働団体はじめ各有力労組に入り込んだ共産主義者を少しずつ駆逐し、今や沖縄で最後のあがきをやっている。
大手マスコミの幹部になり動かしている学生運動をしていた団塊の世代が退いたら、も
う終わりでしょう。

でも韓国は、挺対協が巧みに入り込み、民族統一の悲願をうまく使いながら、影響力を更に強くしている。
韓国の資本主義・自由主義・民主主義者が、跳ね返して欲しい。

7/30・映画「君の膵臓を食べたい」

お盆が2週間後に迫り、家内は隣の実家の掃除をする日だという。
法事でお寺さんややってくるので、弟一家がやってくるのが恒例です。
長男一家はアメリカ在住なので帰省しませんが、その分次男一家が長い帰省期間を取ってくれています。
僕は、恒例の法事後みんなで行く場所の選定など遊び担当ですが、主婦はお三どんや家のクリーニングで大変です。

でもまあ、次の日曜日もあるので、午前中は映画に行く予定にしました。
土曜の朝、家内が新聞を見ながら「君の膵臓を食べたい」と言う映画が面白いんだって・・・と映画紹介記事を伝えてくれた。
「じゃあ、明日行く?」「うん」。

この映画は、本屋大賞上位だった小説の映画化です。
本屋大賞をチェックしてて、変な名前の小説だなあと頭に残っていました。
インターネットの上映映画紹介は常にチェックしているので、予告編を見て気になっていました。
でも題名があれなので、家内に引かれるかなあと思い誘っていませんでした。
渡りに船です。

4時に目覚め、ゴソゴソ。
7時過ぎに帰宅し、風呂に入り朝食を食べながらTVを見ていると、「用意できた!」と家内がやってきました。
「え、もう行くの?」
映画上映開始は8:40なのに、まだ7:30です。
8:15出発で良いと思っていました。
駅前に出て用事をしたいということなので、8時出発に変更。
慌てて着替えました。

朝は雨が降っていましたが、うまい具合に上がりました。
通勤リード110にタンデムし、駅前に走り、そしてショッピングモール内の映画館へ。
8時開店のスーパーを覗いていたから、8:35になっていました。

この映画、母校の高校に教師として勤務する主人公・小栗旬が、図書館の建て替えのための図書移動担当に指名されます。
元図書係だったからです。
久しぶりの図書館は、懐かしい姿のままで、同じ図書係だった同級生少女Aがいるように感じます。

自分が十数年前に整理した蔵書ノートがそのまま使われています。
図書係達が蔵書の場所を探しているのに、的確に場所を伝える主人公。
それに驚き、この蔵書ノートの作成者だと見破るBくん。

そのBくんとの会話から、高校生時代のAさんとのことを思い出し、場面は高校生時代にタイムスリップする。
病院の待合室で待っていた時、廊下に1冊の本が落ちているのを見つけた。
拾って開くと「共病文庫」と言う題名。
ブックカバーでわからなかったが、日記だった。
1ページ目には、「私は腎臓の病気でもうすぐ死ぬ」と書かれていた。

そこに「見たでしょ」と持ち主の少女Aが明るい声でやってきた。
彼女は同じクラスの人気者で気になっている存在。
対して主人公は、できるだけ他人との接触を持ちたくない根暗な存在。
ここからAさんからのアプローチが始まる。
日記を見た罰として、あちこち引き回される。
図書係に立候補してやってくるし・・・。
ミステリーツアーで、新幹線で福岡への一泊旅行にも同行させられた。
Aさんといつも一緒の美少女Cさんから、ライバルとして敵視されるし・・・。

体調悪化で入院したAさんから退院の連絡が入り、Aさんが見たがっていた桜を、主人公は北海道に観に行こうと誘う。
思い出のカフェで待つが、ついに彼女は現れなかった。
彼女とはそれきりになった。
そんな思い出が展開される。

図書館の図書移動がそろそろ終わる頃、Bくんから「落書きされている」と見せられた図書カードには、懐かしいAさんの書いた絵が遺されていた。
そのカードの図書を探す主人公。
そこで見つけた彼女からのメッセージ。

1通は自分に、そしてもう1通はライバル視していたCさんへのもの。
その日は、Cさん(北川景子)の結婚式の日で、彼女から招待状が届いていた。
行くつもりなく無視していたけど、一目散に結婚式会場へ。

Aさんは、みんなの中で生きていきたいと言っていた。
そして、Cさんと仲良くして欲しいと言っていた。
Cさんの結婚する相手は、同じ同級生で根暗な自分に唯一声を掛けてくれていたDくん。

新婦の控室で、Aさんへのメッセージを読んだAさんは泣き崩れる・・・。
Dくんは相変わらずいつもの表現方法で主人公と接する・・・「ガム、いる?」。

自分への最後のメッセージに、いろんな疑問に答える彼女の主人公に対する心境が綴られていた。
それから根暗な自分が少し変わった。
若い図書係のBくんは自分に似て根暗。
でも彼に時々ちょっかいを出してくる少女がいる。

またちょっかいを出してきた。
「彼女は君に気があるんじゃないのかな?」
それを聞き振り返り「また明日」と彼女に言う彼。

素晴らしい映画で、またいっぱい泣いちゃった。
いつものように、ゆっくり気づかれないように隣の席の家内を時々盗み見ると、いつものようにスクリーンを一心に見つめていました。

僕も中学時代、ドクターストップでサッカー部を辞めてから図書係だったので、そんなことからもこの映画に共感しました。
僕は好きな人と夫婦になり、一緒に暮らすことが出来てなんて幸せ者なのだろう。

7/27・障害者

朝ごはんを食べながら、NHK「おはよう日本」を見ていた。
相模原の障害者施設の入居者を元職員が襲い、多くの死傷者を出した事件1周年で、特集を組んでいた。
犯人は、「障がい者は不幸しか作らない」と自分の大量殺人行為を正当化しているらしい。

それに対し、障害者支援を続けている方が、「障害者のことを知らないとわからない」と言っていた。
この方は、養護学校教諭を定年退職されてから、自立支援組織を立ち上げ、パン工房をされている。
そこで働く障害者1人1人の特徴が紹介されていた。

暗算がとても早く、駅前での特設販売所で、即座に合計額を口に出していた方。
その横のベンチでこの時間中眠っているのに、売上を郵便局に入金しに行く時は喜々と行動される方。
工房前の花壇を、誰に言われることなくいつも熱心に手入れしている方。
それぞれの得意で魅力的に映っていた。

『知らないとわからない』の言葉に、「そうだよな」と思った。
今、障害者学校はどちらかと言うと目立たない場所にひっそりと建っている。
我が伊丹市にも、立派な大きな学校が建っているが、目立たない場所にある。
通学時間には、送迎大型バスがひっきりなしに正門を往来している。

その施設から割合近い息子たちの小学校の運動会には、毎年障害者児童がやってきて一緒に運動会を楽しんでいた。
きっと学芸会などいろんな行事での交流があるのだろう。
でも、息子たちから彼らの話を聞いたことが無い。

僕が小学生の頃は、校舎内に障害者学級があった。
僕にとってはそれが当たり前の小学校風景で、休み時間になると、障害児と一緒に遊んでいた。
「蟻地獄」の存在を教えてもらったのは、その障害児からだ。

学校で自然に交流があるから、放課後でも交流が有る。
公園で一緒に走り回ったし、ある障害児さん・林くんの家が電気屋さんだったので、その家に行きおっちゃんに要らなくなったラジオを貰ったり、ハンダゴテの使い方を教えてもらったこともある。
おばちゃんにジュースを貰ったりした。
僕らを「学校の友達」として、ご自身のお子さんと一緒に扱ってくれた。

小学校を卒業しても交流が続き、大人になっても障害児のその子とおばちゃんが歩いているのを見つけると、いつも挨拶していた。

給食は小学校校庭内の建物で作っており、昼前になると窓から覗き込んで、「今日は何?」なんて声を掛けていた。
用務員夫婦が校庭内の一軒家に暮らしており、校庭内の花壇の世話、壊れた机の修理、掃除など「何でも屋さん」をやっていた。
学校の主なので、放課後遊んでいると、サッカーに加わったりしてもう一人のお父さんという感じだった。

用務員さんがガードマンも兼ねており、門扉は夜以外ずっと開いたままでした。
だから遅刻しても、今のように門扉が閉ざされていることないから、堂々と入っていけた。
通勤で通る最寄り中学は、始業時間が迫ると先生が数人立ち、時計を見ながら「早くしろ」と生徒に駆け足を促している。
そして定刻になると、門扉をガラガラと閉ざしてしまう。

放課後の運動場は、一旦家にカバンを置いた子供の遊び場で、近所に住む方の憩いの場でもあった。
今の学校は、それら雑多なものが削られ、純粋培養のようになっている。
長い時間過ごす学校で、自分と違う者との交流がなくなり、違う人の様子を肌で感じる時間がなくなっている。

僕は今でも昼前になると駅前に出張してくる障害者施設パン屋でパンを買うし、もう閉店したけど障害者施設が運営する小型スーパーで、大学時代はよく買い物をしていた。
車が停めやすかったし、空いてたから。
障害者の店員さんがまとわりついてきたり奇声を発しても、別になんとも思わない。
そういうもんだと体験で知っているし、僕の知らないことをたくさん知っていたり、出来ることもしっているから、馬鹿にする気持ちなど起こらない。

このスーパーで感じていたのは、お客さんの年齢層の高いことだった。
僕が40代ぐらいまでスーパーは存在したが、僕より若いお客さんはほとんどいなかった。
この時思ったのが、小学校で交流がないからここに入るのが怖いんじゃないかな?ってこと。

『知らないとわからない』の言葉が強く印象に残った。
この犯人も年齢から推察すると、子供の頃からの障害者との交流がなかったのではないのかな?
何度言っても理解しない人・何度わからせようとしても勝手にお店に入り物を持ってくる障害者・・・
彼には、単に社会のお荷物としか見えなかったのだと思う。

彼の言う『障害者は不幸しか作らない』の言葉は、彼の感じた真実の言葉だろう。
地域に住む障害者が、クラスは違えど共に学ぶ小学校が復活すれば、違うように思う・・・

7/23・徒歩で「奥宮神社」

20170723OtsuS224s.jpg 小さな池があった。
これが捕らえられた雷が約束した湧水が絶えない水源かと思い、謂れが書かれて石碑を読むと、『芭蕉の池(発祥地) 古池や蛙飛び込む水の音。観音霊験記によると、俳聖松尾芭蕉が山の観音を信仰して参籠し、供養塔を立てた。たちまち霊験を得、この名句が出た』

20170723OtsuS231s.jpg 本堂があったので、拝観料500円を払いに行く。
商売っ気がなく、「ああ、拝観料ですね」とお坊さんがチケットをくれた。
払いに行かなければ催促されることもなさそうです。
天井にいろいろ下がっていた。
泰澄大師が、自ら桂の木から彫ったとされる本尊。

20170723OtsuS233s.jpg それ故桂の大木が霊木とされていた。
「これより90m桂谷大樹:現在も山内には多くの桂の大樹が存在しますが、最も樹勢が旺盛で、千年有余の歴史を現代に伝える大樹。桂の大樹群としては日本随一」
「奥宮神社ここより10分」の案内板があった。

20170723OtsuS245s.jpg 13:56、そちらに歩き出すと、「上醍醐寺」の案内板もあった。
そうか上醍醐寺の東に位置しています。
尾根道で行けるのかも?
「護法善神遥拝殿」があったが、20mほど下るのでパス。

20170723OtsuS243s.jpg 遥拝が望む所に桂の大樹があった。
『東海自然歩道 左:東笠取を経て喜撰山・天ヶ瀬ダム 右:石山寺5.5km・岩間寺0.1km』

上醍醐寺への分岐があった。
『奥宮神社・琵琶湖展望台』の案内板が立っている。
少し先を歩いていったカップルが戻ってきた。
あれれ・・・とその先を見ると、完全な山道になっており、ハイヒールには厳しそう。

僕はそのまま進み山道を抜け、人工物が見えてきたが、別荘地でも分譲したのだろうか、朽ちた擁壁が悲しい。
20170723OtsuS251s.jpg 14:13「奥宮神社」。
案内板の10分では無理で20分と書いておくべきだろう。

20170723OtsuS256s.jpg 日曜の午後なのに社務所は開いていない。
こんな山頂に有る細道急坂経由の神社は、訪問する人は僕のような物好きだけだろう。
20170723OtsuS267s.jpg 岩間山山頂の電波塔とさほど高度が変わらない。
琵琶湖一望展望台からは、瀬田川とその流域の狭い耕作地が見下ろせる。
20170723OtsuS271s.jpg 思いっきり北に目を向けると、琵琶湖瀬田と近江大橋が見えた。

ベンチに座って、水筒から水を呑む。
500ml入りの小さな水筒ですが、ヒップバッグに入れていても邪魔にならないし、氷満タン+水道水で家を出れば、1日冷たいお水に有りつけるので重宝している。
これは姪っ子に教えてもらい、ホームセンターに買いに行ったものです。
まだ紫陽花が咲いていた。

境内に戻ると、『右:立木観音道50丁 左:石山観音道38丁』の石柱が立っていた。
1丁は109mなので、立木観音まで5kmですね。
バイクで立木観音に行ってみよう。

バイクに戻り、脱いでいたプロテクターメッシュを着る。
R422に下り、瀬田川沿いを南下し、15:01「立木観音P」。
20170723OtsuS278s.jpg さあ登ろうかと石段に取り付くと、「石段800余段」の案内板を見てしまいUターン。

バイクに戻り、道なりに瀬田川右岸がr3になり、京滋バイパス「南郷IC」から高速に乗ろうとしたら、「大阪方面には行けません。笠取ICへお回りください」と書かれており、Uターン。

更にr3を走り、笠取ICから高速に乗りました。
京滋バイパス~大山崎JCTから名神高速~吹田から中国道に乗ります。
天気予報の14~15時雨1ミリは外れて良かったなと思いながら走っていると、豊中丘陵を西に下るところで小雨が落ちてきました。

1ミリには程遠いですが、西風・南西風の時は、よく雨の降る場所です。
六甲山から大阪平野北部に下った風がこの丘陵に当たり吹き上がります。
南西の場合は、大阪湾からの風が吹き上がる時に、湿度の多い時は飽和水蒸気量を越えて絶えきれず雨になってしまいます。
同じく生駒山で吹き上げられた風が東大阪に雨を落とすのと同じ原理です。

16:17帰宅。
家内はまだなので、洗濯物を取り込み、最後のバナナを食べる。
そして風呂。
これでスッキリしました。
おやつとしてプレーン・ヨーグルトを450g食べ、冷凍庫で冷やしていたポンジュース氷をクラッシャーに入れて自宅かき氷でクールダウンします。

TV点けてそのまま昼寝になってしまい、門扉が開く音で飛び起き、家内より前に玄関に取り付き「おかえり~」と開けました。
お蕎麦を作ってもらい食べながら、本日のお互いの出来事を報告し合います。
弟と義理妹に会ったんだって。

「モヤモヤさまーず」を見て、家内が寝てしまったので、僕もお休みの時間になります。
プレーンヨーグルト450g持って寝室に上がり、「NHK大河ドラマ女城主直虎」見て寝ちゃいました。


7/23・岩間寺

次何処に行こうか地図を見ていて、「岩間寺」が目についた。
R1~R422~r106を経て、山道に入っていきます。

枝道に「奥宮神社」と書かれていたので、そちらに入ってみた。
舗装が荒れだし、コンクリート舗装になり勾配が急になった。
途中から更に勾配が増したので、危険が危ないと思いUターン。

もとに道に戻り、13:42「岩間山正法寺」。
昼食としてバナナを1本食べる。
「入山拝観料500円」と書かれていたが、本堂で払うようになっている。
20170723OtsuS199s.jpg 『白姫竜神 開山泰澄大師が、加賀の白山で修行中、白馬に乗った妻女に会った。「白山妙理大権現である」と言われ有難く感じた。大師は当岩間山に白姫龍を勧請された。
女人がこの神を崇めると美女に成ると伝承されている』

白山を開山したのも・・・と帰宅後調べるとビンゴ!修験道の僧でした。
20170723OtsuS202s.jpg そこから眼下に展望が広がっていた。
20170723OtsuS204s.jpg 『岩間山正法寺(通称岩間寺) 真言宗 本尊:秘仏千手観世音菩薩立像 創建は養老6年(722)越前生まれの泰澄大師が、時の女帝・44代元正天皇33才の厄年の病気を法力により治された褒美に勅命により建立。本尊は、当地の桂の木より刻んだ千手観音像で、胎内仏として元正天皇より賜った千手観音をこめた。現在の本尊は、その元正天皇の御念持仏・千手観音立像で、丈4寸8分(15cm)、三国伝来ノエンブダゴン(インド・エンブ川より取れる砂金)の金銅仏で通称「汗かき観音」「雷除観音」「厄除け観音」と呼ばれる。汗かき観音とは、日没とともに厨子を抜け出し、毎夜135地獄を駆け巡り、苦しむ衆生を済度し、明け方お帰りになる。時には汗びっしょりになられることに由来する。
また大師が七堂伽藍建立の際、度々雷が落ち堂宇をことごとく焼失した。困り果てた大師は、自らの法力で雷を捕らえ、仏弟子にしたところ、雷は2つの約束をした。「当山に参る善男善女には雷の難を及ぼさないこと」「岩間山に千年万古つきることのない水を湧かせること」。これが雷除け観音の由来。境内には、雷自ら爪で掘ったという「雷神爪堀の霊泉」があり、現在も絶えることがない。元正天皇の「湧き出ずる 岩間の水は いつまでも つきせぬ法の み仏のかげ」が伝えられる。後白河帝・後宇多帝・正親町帝など歴代の天皇の尊崇篤く、日本三大霊場の1つとして隆盛していた』

大師堂があった。
『泰澄大師 白鳳11年(682)越前生まれ。俗姓は三神氏、父は安角、母は伊野氏。幼少の頃より神童で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからは荒修行をし、その名声は早くから中央に知られていた。大宝2年(702)鎮護国家法師になり、養老6年(722)元正天皇病気平癒のため、奈良の都に来た。
同年、加賀白山を開く途上、元正天皇の勅命で、当山を開く。神護景雲元年(767)86才でこの世を去る。弘法大師 真言宗の開祖。宝亀5年(774)~承和2年(835)』

久しぶりに4文字元号を見た。
4文字元号は奈良時代の聖武・孝謙・淳仁・称徳天皇(重祚)の期間、俗に言う天平時代にのみ使われた年号で、天平が付かない唯一の4文字元号です。
2文字以外は天平時代の4文字5つのみです。

20170723OtsuS213s.jpg 『稲妻龍王社 当山護法善神で、この銀杏の大樹に住む。水を司り、雷難・水難を除き大魔から護り給う』

20170723OtsuS216s.jpg ガマの草がバケツにたくさん採集されていた。
法事に使うのかな?
『不動堂 寛政・文化・昭和年間に再建を繰り返しているが、虫害ひどく現不動堂は平成5年に再建。不動明王・二童子像(平安中期・重文)。不動明王は、大日如来の使者、または大日如来が教化し難い衆生を救うために、恐ろしい姿をとる。二大童子は、不動明王の使者八大童子の1つ。薬師如来坐像(藤原期)阿弥陀如来坐像(藤原期)』


7/23・義仲寺、開いてて良かった

20170723OtsuS133s.jpg 11:30、練習を終え、クルーとスキッパーを交代してハーバーバックするよう指示。
20170723OtsuS134s.jpg 8m/sほどの良いブローが時折入ってきて、楽しそうだ。
コーチボート上では、女子マネージャーが良いアングルにドライブし、もうひとりの女子マネージャーがビデオを回していた。

12時に着艇し、解装中切りの良いところでブリーフィング集合してもらった。
監督は合宿所に戻りミーティングに参加するそうだが、僕は午後また大津を巡ろうと離脱することにした。
スタートが上達したことを話し、安易なリコール(フライング)がまだあることと、マーク回航の基本アプローチを話す。

コーチング中着ていた釣りメッシュチョッキを脱ぐ。
釣り用はポケットがたくさんあり、三種の神器を入れている。
ホイッスルがないと、練習を指揮できないからね。
プロテクター上下を着て、艇庫を後にして、R161を南下する。

20170723OtsuS146s.jpg 道なりにr18に乗り、12:52「義仲寺」。
開いてて良かった。
拝観料300円。

境内の説明をいただいた。
20170723OtsuS149s.jpg 『山吹供養塚 義仲の正室。病身のため京にあったが、義仲に会おうと大津まで来たが、義仲敗死の報を受け、自害したとも捕らわれたとも言われる。元大津駅前に塚があり、改築のためこの地に移された』

木曽義仲と言えば、「巴御前」が超有名ですが、それは武者として義仲と戦でも行動を共にしていたから。
正室は、木曽の里に預けられた家の娘でこの人。
巴御前に対抗し、自分も婦人部隊を指揮し、義仲軍に随行したと平家物語には書かれている。

この2人の女性をこれほど惹きつけた魅力的な義仲に、僕は男として惹かれる。
今、TVアイドルとして人気のある男の子でも、単に見栄えが良いだけで女の子を引きつける事はできないから。
僕は、女性に嫉妬してもらえるほどの魅力はなさそう・・・

『義仲寺 昔この地は粟津原と言われ、寿永3年(1184)征夷大将軍・木曽義仲公はここで敗死した。その後、年を経て1人の尼が来て、公の塚に侍してねんごろに供養した。里人は訝しみ、その有縁を尋ねるが、「名もなき者」と答えるのみだった。この尼こそ巴御前の後身で、そこから無名庵とも巴寺とも呼ばれるようになった。佐々木候が木曽公を護持するため当寺を修復した。
元禄の俳聖・松尾芭蕉は、木曽公の心情に同情し、無名庵に滞在した。大坂で死去された時、近江義仲寺の義仲公の墓の傍に埋めよと遺言された。無名庵は、芭蕉翁の死後、高弟により代々我が国俳諧第一の聖地とされてきた』

20170723OtsuS163s.jpg 芭蕉の杖が展示されていた。
20170723OtsuS166s.jpg 伊藤若冲の天井絵もあった。
こんなところで若冲に会えるとは・・・

20170723OtsuS174s.jpg 『巴塚(供養塚) 木曽義仲の愛妻・巴は義仲とともに討死に覚悟で粟津野に来たが、義仲が強いての言葉に、最後の戦を行い敵将・恩田八郎を討ち取り、涙ながらに落ち延びた後、鎌倉幕府に捕らえられた。和田義盛の妻となり、義盛戦死後尼僧となり、各地を巡り当地にしばらく留まり、亡き義仲の菩提を弔った。その後いずれかに立ち去り、信州木曽で90才の生涯を閉じた』

20170723OtsuS176s.jpg 木曽義仲の小さな塚の上に宝篋印塔が立っており、小奇麗に整えられていた。
20170723OtsuS191s.jpg 翁堂という佇まいの良いお堂があります。
この天井絵が伊藤若冲作だそうです。
代名詞である精細画とは違う天井絵ですが、こんな所に足跡を遺しているとは思いませんでした。

その裏に「保田興重郎墓」がありました。
存じない方だったので帰宅後調べました。
『明治時代の文芸評論家。マルクス主義からドイツロマン派に傾倒し、大東亜戦争を正当化し、戦前は戦線拡大を扇動する論陣を張った。戦後公職追放に遭いましたが1960年代後半から復権した。思想は戦前同様一貫していた。明治以降の神道の国教化(国家神道)には疑問を呈し、上古の神道と異なると評した。キリスト教のように布教する宗教ではなく、自然に根ざしたもので、信仰の強制=皇民化には反対した。大東亜共栄圏の侵略の方便に神道が使われるのに、祭政一致の観点から嫌悪感を示した』

僕も、神道は強制されず、経典も教えもないただ自然崇拝を形にしたものとして気に入っている。

7/23・義仲寺

境内から北に、滋賀県トップ校「膳所高校」の校舎が見えているので、ついでに膳所高を見に行く。
20170723OtsuS088s.jpg コーチしてるヨット部員にも、この学校出身者が複数名いる。

西に「清徳院」が隣接し、ここの屋根瓦にも立葵紋が入っている。
20170723OtsuS096s.jpg 膳所藩・本多家初代藩主側室・清徳院殿の菩提所。

大津高校の横を通り「福正寺」。
20170723OtsuS099s.jpg 6:56、ずっと訪問したかった「義仲寺」。
平安時代末期、後白河法皇からの命を受けて、信州で挙兵し北陸から京都に攻め入り平氏を追いやった木曽義仲でしたが、後白河法皇と不仲になってしまった。
法皇からの宣旨を受け続いて京都に上ってきた源義経軍と戦い、ここに敗れた。
その墓があるのが義仲寺です。

『史跡義仲公・芭蕉翁墓所 義仲寺』。松尾芭蕉のお墓もあるのですね、知りませんでした。『義仲寺境内 源義仲を葬った塚があり、室町時代末期、佐々木六角氏が建立したと伝わる。門を入ると左奥に、俳聖松尾芭蕉の墓と並んで、木曽義仲の供養塔が立っています。「木曾殿と背中合わせの寒さかな」という著名な句は、芭蕉門人・又玄(ゆうげん)の作です。境内には芭蕉辞世の句「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」などの句碑があります。また巴御前を弔う巴地蔵堂もあります。昭和42年(1967)国指定の史跡』

入ってみたかったが、朝早いので門は閉まっていました。
ここで時間切れ、ヨットハーバーに向かいます。
20170723OtsuS105s.jpg r18~R161で、7:04「琵琶湖疏水・取水口」。
湖側に目を転ずると、右岸は貸しヨット・ボートの松原ヨットクラブ、左岸に木造艇庫
が健在だった。

20170723OtsuS108s.jpg 桜マーク内に「三」の文字が書かれており、「旧制第三高等学校ボート部の艇庫」だったことを今に伝えている。
ナンバースクールと呼ばれた戦前の高校、現在の大学です。
「一高」は現東大、二高は東北大、三高が京大で、四高が金沢大学です。

現京大ボート部の艇庫は、先程の瀬田川に移ったが、その昔「琵琶湖周航の歌」が作詞作曲された当時はここで活動していた。
作詞作曲者は、現役の三高ボート部員でした。
扉は廃屋同様になっていますが、朽ち果てることなくしっかり建っており、三高マークのペンキは数年前に塗り直した感じがします。

京大同好会神陵ヨット部の艇庫で、以前は活動していたのですが、現在は部員がいないのかな?
今年、「琵琶湖周航の歌100周年」記念行事が、滋賀県で盛り上がりそうなので、発祥の地でもイベントがあるのかな?
前滋賀県知事・嘉田さんや、現大津市長・越さん2人の女性政治家が盛り上げているような事を聞く。

R161を北上し、7:17「セブンイレブン大津松山町店」で、「プレミアムフレッシュバナナ3本入り213円」を購入。
ヨットハーバーにバイクを入れ、みんなに挨拶して桟橋のコーチボートへ。
メッシュプロテクター上下を脱ぎ、ラッシュガードの上に次男のお嫁さんから父の日プレゼントで貰ったモンベルTシャツを着る。
スポーツタイツの上からモンベル短パンを履いて、少し涼しくなる。
朝食のバナナを1本いただく。

艤装を終え、8時集合。
ストレッチ・深いストレッチ・腕立て伏せ・腹筋・腕力アップ・サーキットトレーニングと、いつものトレーニングを済ませ、ブリーフィング。
全日本インカレ予選まであと2ヶ月なので、これからの練習の仕方などを話す。

円陣を組み、いつものように「行くぞ~」「お~」。
今回は、左右に女子マネさんのいる場所だった。
これはラッキー、両方の肩に腕を回しての円陣は最高です。
実はこれ、次男がキャプテンだった時に始めた。
出艇前に気合を掛け、練習終了後に琵琶湖に向かって一列に整列し、「ありがとうございました」と頭を下げて終了。
体育会的で好き。
もう次男はクラブを卒業したけど、置き土産が続いている。
お陰で親父は役得に有りつけている、ありがとう息子くん。

出艇し、ロング帆走練習。
続いてスタート・レース練習。
3・4回生艇はもちろん、2回生艇の一部も、かなりスタートが上手くなっている。


三井寺からの風(SW)3~4m/sがコンスタントに入り、良い練習になった。
両クラス、3分間隔でスタート練習を繰り返したが、コーチボートに乗ってる女子マネージャーと1回生部員が、すぐにルーチンを理解し、僕の指示通りマイクでアナウンスし、テキパキと練習できた。

7/23・膳所城址・本多神社・篠津神社・膳所神社

コーチしてる大学ヨット部の練習に参加します。
翌日から前期テストなので、半日練習です。
前日の天気予報を見ると、14~15時に1ミリの雨マークです。
難儀やなと思いましたが、夏なので降られても平気なので、バイクで行くことにしま
した。

4時前に目が覚めましたが、あ~だこ~だ少々し、ラッシュガード・スポーツタイツの上にメッシュプロテクター上下を着ます。
マイ・ライフジャケットは着たら暑いので、ヨット部で借りることにします。

4:48、「里山VTR250」で出発。
R171~中央縦貫道を走り、4:54「エネオス・中環豊中SS」で給油。
174km/3.54L=49.2km/L。
吹田から名神高速に乗り、大津IC下車。

20170723OtsuS002s.jpg r18~r102で、5:47「膳所城跡」。
琵琶湖・瀬田川に面した江戸時代に作られた平城です。
徳川家康が天下を取り、東海道の要衝・大津を抑えるため大津城を廃して新たに天下普請で作った。
縄張りは、藤堂高虎です。
対豊臣・大坂城としての性格も持ち、山陽道を抑える姫路、山陰道を抑える丹波篠山、伊勢街道を抑える伊賀上野とともに、包囲網の一翼を担った。

20170723OtsuS014s.jpg 「大坂の陣」に敗戦した場合、一旦退却して陣容を整えるため、伊賀上野城と彦根城を予定していたらしい。
両城をつなぐライン上にこの城が位置し、地形学上でも最重要の城といえる。
現状は城址公園になっているが、遺構らしいものは見当たらなかった。

『四高桜』の説明板がありました。
正和16年4月に、第4高等学校(現金沢大学)ボート部が琵琶湖で春合宿中、高島沖で比良颪に遭い11名の部員を失った。
その遭難地に「四高桜」1000本を植え、その後にこちらにも植え、碑を立てたそうです。

20170723OtsuS012s.jpg 近江大橋が目の前を通り、琵琶湖最南端の瀬田川が始ま地にあります。
瀬田の唐橋の北側です。
この付近の瀬田川はボートのメッカで、各大学ボート部の艇庫が並んでいます。
築城された当時は、堆積物もずっと少なかっただろうから、四面を琵琶湖に囲まれた城だったのだろうと想像しました。

r102・瀬田川沿いを下り、6:07「本多神社」。
膳所城主だった本多氏の4柱を祀る神社です。
徳川四天王・本多氏に繋がり家系かと思ったが、親戚筋では有るだろうが、徳川家康時代以降に別れた家ではなさそうでした。

曲がりくなって旧道を大津に戻ります。
6:20「膳所山三味院光源寺」。
6:24「県社篠津神社」。
20170723OtsuS044s.jpg 『祭神:素盞嗚命 古くは牛頭天王と称し、膳所の産土神。室町時代にはここに鎮座していた。大津円満院門跡・常尊法親王や、覚淳親王有栖川家の尊崇篤く、鳥居や額など寄進されている。膳所城主・戸田・菅沼・石川・本多家からの崇敬も長く続き、社領22石の他、社殿の修復も本多家で時々行われた。
重文指定の表門は、膳所城北大手門で、旧藩主の信仰を偲ぶ縁となっている』

 『篠津神社表門 明治3年(1870)膳所城取り壊しの際に移された。高麗門形式で屋根は本瓦葺きで、本多氏の立葵紋が見られる。扉は内開きで、縦格子・腰部横板張り、脇門を付けている。高麗門形式は、背面に特色が有る。正面の主体部から両方に袖のように直角に屋根が出ている形式で、城門に多く用いられている。
桃山時代の城門の1つ』

6:35「県社膳所神社」。
20170723OtsuS050s.jpg 『祭神:豊受比売命 天智天皇が大津京に遷都の際、この地を御厨所と定められた。天武天皇6年、大和国から御食津神を奉還し、大膳職の御厨神とされた。慶長年間、大政所・豊臣秀頼・徳川家康などが尊信され、数々の神器の寄進があり、東山天皇は膳所大明神の宣下をされた。膳所城主・本多氏の崇敬篤く、社領の寄進や社殿の造営が度々行われた。表門は、旧膳所城・城門で、重文指定されている』

20170723OtsuS060s.jpg 20170723OtsuS063s.jpg 20170723OtsuS080s.jpg 『膳所神社表門 旧膳所城二の丸より本丸への入口にあった城門で、明治3年(1870)膳所城取り壊しの際に移築された。棟筋と扉筋が同一垂直面にない薬医門で、城門として多く用いられる。屋根瓦に本多氏の立葵紋が見られ、桃山時代の建築物として貴重。脇に潜戸を付け、頑丈な造りで城門の貫禄を持っている。
対象13年(1924)重文指定』


7/21・モテ女子の秘訣

モテ女子になるための秘訣をやっていました。

「色気をアップさせる」
1.「服はチラ見せ&シルエット」。
肩を出すなど、さりげない露出に男の目が行く。
ビンゴ!夏の肩の出た女性にはドキリとする。
出来れば振り向いて追いかけていきたい気分だ。

2.「いい香りで色気を出す」。
男性はすれ違った時ドキッとして色気を感じる。
これもビンゴ!僕はお化粧の香りが好きだ。
綺麗な女性とすれ違う時、フッと香る素敵な香りに魅了されてしまう。
最近は感じないが、家内はいつも良い香りがしていた。
お化粧の香りだと思ってたけど、結婚してから家内のお化粧を見ていて、香水なのだと分かった。
女性は何もしなくてもいい香りがするのに、更に香水がプラスされると男はメロメロです。

3.「ゆっくりと話し、会話に間を作る」。
これも家内が持って生まれたものです。
母が機関銃喋りでキーキーうるさかったからか、僕の付き合った女性はゆっくり話す人ばかりです。
一緒にいて落ち着き、自分の話を頭の中で組み立てて話せるから好き。
おしゃべりさん相手だと、僕が思ったことを口に出すのを躊躇している間に、次の話題に移っちゃってストレスが溜まる。
だからグループ交際なんてのは不得意で、2人で落ち着いて話せるシチュエーションを作ろうとします。

4.「揺れるアイテムを身につける」。
男性は揺れるものに弱いそうです。
僕は弱いとは思わないが、イアリングなどが揺れていると、目がそちらに行くのは男の性です。

5.「姿勢が正しくて美しい」。
これは、僕が家内を大学1回生の時見かけた時、一番印象に残ったことです。
背筋が伸びまっすぐ歩く姿に、凛とした女性の気高さを感じた。
家内と話すようになり、「綺麗な歩き方をするね」と言ったことがある。
「小さな頃からずっとお茶とお華を習っているから」との答えだったが、和装の方が歩幅狭く歩くのとは少し違う感じで、むしろ颯爽と歩いているように見えた。

6.「プライベートを全てさらけ出さない」。
謎の部分・秘密を持っていた方が、男は食いつくそうだ。


「男性に好かれる3つのこと」も載っていた。

1.「聞き上手」。
自分の理解できない話でも、耳を傾けてあげるのが良いそうだ。
家内はまさにこれです。
僕が興味のある歴史のことなんてきっとあまり関心はないのだろうが、僕の話を必ず僕の方に身体を向け、目を見て聞いてくれる。
言葉を挟まないが、上手に相槌を入れてくれ、記憶間違いに気づき頭を整理している時も、ゆったりと待っていてくれる。
時には助け舟を出してくれる。

最近は、「パワースポット・ブーム」や「歴女」で、歴史に興味の方が増えたが、それでも希少価値と言えるほど少数派です。
友達と話しても、殆どの友は「それで何?」という顔になるから、歴史の話題に振らないようにしている。
「鬱陶しいやつ」と敬遠されかねない。

2.「謙虚」。
人より優れている面があっても、それを自慢げにしないのが良いそうだ。
これも家内です。
僕との間だからもっと自慢してもいいのに、いつも控えめです。

3.「賢い」。
生きていく上で必要な賢さを身につけると良いそうだ。
これも家内に当てはまる。
学業成績は僕より上です。
英単語のスペルや歴史の年号、諸外国の首都名や海峡名など、TVなど見ていて気がついたことを聞くと、高いレベルで答えが帰ってくる。

賢い人と話していると、ストレスなく話せるし、勉強になることも多く、とても会話を楽しめる。
TVで美人タレントさんが鳥取県の位置がわからなかったり、江戸時代のおおよその年代が答えられなかったりすると、「はあ~、小中学生レベルじゃないか」と呆れてしまう。
別の才能を持ったタレントさんなのだからそれで良いのですが、恋愛相手となると100年の恋も冷めるというものです。

育った環境や学歴も似ている方が、カップルは長続きするように思う。
長年夫婦をやってきた僕らの年代になると、いつも仲の良い友人カップルは、育った環境
が似ています。
ディズニー映画の「シンデレラ」は、お互いの友人達が違い、うまくいかない典型的パターンのように思う。
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のりまきターボ

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