6/17・父の日プレゼント

家内から、「次男のお嫁さんから、「父の日」プレゼントが届いたよ」の連絡があり、昼休みに見に行きました。
開けると、「モンベル・クールT・プライマリーブルー」という半袖メッシュTシャツでした。
お嫁さんからのメッセージも添えられており、「女の子というものはいいもんだなあ」とまた思いました。

息子からは、「母の日プレゼント」も学校で作ったもの程度でしたが、働きだしてから毎度届くようになりました。
「父の日プレゼント」も送ってくれたりしましたが、「年齢的に盆栽やろう」とか半分ギャグになっていました。
僕からも、「父の日なんてメインディッシュの母の日の付け出し程度のものだから無視していいよ」と言ってるので、気になりませんが・・・。

ところが長男のお嫁さんに始まり、次男のお嫁さんからも、「父の日」や「僕の誕生日」にプレゼントが届いたりするようになり、こちらは素直に喜べるようになりました。
長い家族の歴史のある我が子と違い、成人してから家族になったので、「日本の贈り物習慣」を使って関係を円滑にすればいいと思っています。

文字好きの僕は、息子たちには事務連絡ばかりですが、お嫁さんたちには息子や家内にCCしながらも、直接メールを定期的に送っています。
気になっているだろう私たち夫婦の行動を写真添付で伝え、孫達を出汁にお嫁さんを褒めています。

「お父さん、半袖だからラッシュガードの上に着たら」と家内から提案されました。
いつもはポケット付きの少し厚手の半袖を上に着ていたけど、翌日のヨットレースに、それに代えて着ていこうと思いました。

モンベル商品は、いろいろ使っています。
3月に次男一家と一泊旅行した伊勢参りで、孫のすみれちゃんとベランダお風呂に入った時履いた水着もそうです。
ヨットレースで使ってるスプレージャケットは、以前から使ってるヨットブランドのものと、2年前に買った新しいモンベルカヌー用を持っています。
モンベル短パンも時々履いています。

日本製で品質が良く、お値段も手頃で、気に入っているブランドです。
お嫁さんは、僕の衣類を見て、次男と相談しプレゼントしてくれているのだと思う。
昨年11月の私の誕生日プレゼントもモンベルでした。
これは、「私のお父さんとお揃いです」なんて言ってました。

向こうのお父さんは、今でも草野球を楽しんでおられますが、私のように田舎好き・アウトドア好きではないので、もっときちんとした服装をされています。
私の好きなものを、自分のお父さんにも・・・と思ったのかもしれません。

お嫁さんたちは明るく、言葉遣いが綺麗で、息子や孫に対する接し方も優しく穏やかで、家内に似ています。
息子たちが自分のお母さんを好きだからこういう方を好きになるのだろうが、僕自身お嫁さんと2人で話をするのが楽しく、いくらでも話せます。
素晴らしいお嫁さんで幸せです。
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6/16・お嫁さんたちは、僕のメル友

お嫁さんたちとの週1家族共有メールで、先日NHKで見た「キレる子供・キレる妻」のことと、僕から見た息子たち・家内のことを書きました。
そしたら、次男のお嫁さんからそれに対する返信と近況が届き、次に長男のお嫁さんからも届きました。

NHKスペシャルのことは、全くその通り!と思うことばかりだったそうです。
女性は、話を聞いてくれるだけでいい。
更に一緒に悩んだり考えたりしてくれたらもう完璧なんだそうです。
解決されなくても、それだけで心が満たされるのだそうです。

結婚当初は、仕事の愚痴を言うと、長男からズバッと解決策を提示されては「それは分かってるけどさー」というのの繰り返しだったそうです。
今は、私の反応で学んだようで、話を聞く、一緒に考えるをいつもしてくれていて、長男は心強い存在になっているようです。
結婚して良かったなぁ、心の支えがあるっていいなぁと思ってるんだって。

子供の頃は、いつも親がいて、帰る家があり守られている感じがして安心でした。
でも勉強期間を終え、社会人として巣立つ時、一抹の不安を覚えました。
僕は家族から離れた東京勤務だったので尚更です。
月1の遠距離になった家内との逢瀬は、僕に安心を連れてきてくれました。
関西に転勤になるのを待ってたように母が倒れ、家内と結婚するのを待ってたように父が倒れました。
弟は九州の大学に下宿しており、生活費は?仕送りは?両親の看病は?仕事は?の状態だったけど、家内は「なんとかなるよ」と僕に勇気をくれました。
血は繋がっていないけど、愛情と信頼で繋がってる同世代の配偶者ほど頼りになる存在はありません。

次男のお嫁さんに対してもいろいろ書いています。
次男の娘の立っている写真を見て、3ヶ月早く生まれたこうくんと「同じぐらいだ~」と言い、「こうくんは暴れん坊になりそうだから、歩きだすと大変そうだ」と心配しています。
離乳食を食べだした後ご飯も食べだしたのに、今は好きな麺類やお好み焼きならモリモリ食べるけど、その他はイマイチになっちゃって、おっぱい大好き赤ちゃんに戻ってると伝えています。

アメリカで初めて競馬場に行ったそうです。
それらの写真をクラウドに上げて共有してくれました。
長男は中学生の時、クラスメイトのお父さんに競馬場に連れて行ってもらってから競馬好きです。
高校生の時は、友達をサングラスを掛けて、「未成年は大人同伴」の規制をクリアして行っていました。

東京にいる時も、2~3回家族で競馬場に行き、こうくんの出産で家族が新潟の実家に帰ってた時、週末に行き新潟の競馬場にりょうくん(当時3才)と一緒に行っていました。
りょうくんは、大きな馬が競争するのが面白く、これまた競馬好きです。
大興奮だったそうです。

ご近所さんと地区内の公園でバレーボールをしている写真もありました。
家は大きな公園に包まれたようにある30戸ほどの住宅地で、リスや鹿が庭にやってくるとても環境の良い場所です。
緑濃い広い公園の芝生の一角にバレーボールネットが張られ、ラインなど引いていない簡易コートです。

長男もお嫁さんも社交的なので、週末に誘ってもらったのでしょう。
サーブやレシーブをする姿が写っています。
お腹の出たおじさんやお母さんも混じっており、フランクな感じがします。
さすがに超大型の方はいないけど。
ベンチの上に立ちそれを見ている孫2人の姿がかわいい。

家内は会えば話すけど筆まめではないので、僕が代わりに家内のことも代弁してメールに書いてコミュニケーションを取るようにしています。
基本週1で、週末の様子を書いています。

「家族なんだから話さなくてもわかる」というのも真理なのでしょうが、コンタクトの多さ=家族の絆の強さだと思っています。
お嫁さんたちとは、子供の頃からの暮らしがないので、お互い遠慮というものが働いて当然です。
メールという手段ですが、コンタクトが多いと、そこかしこから相手の考えを感じることが出来ます。
実際に会った時に、より親しみを持てます。
コンタクトが少ないと、相手のことがわからず疑心暗鬼の心が頭をもたげる場面が来るかもしれません。

立場上、嫁から僕らに本心を吐露できないと思うし、失敗は話せても良かったことは表に出しづらいと思うので、積極的に僕の本心や、家内への褒め言葉、お嫁さんや息子・孫に「ありがとう」と吐露しています。
これは、ジュニアヨットのコーチ時代に身に着けた子供の心をつかむコツです。
ヨットに乗ったことない親御さんは、どうしても僕のような経験者に遠慮されます。
積極的に僕から話しに行かないと、積極的に笑顔を見せないと、子供のクラブを楽しめません。

シャイな性格の人が多く、自らを褒めるのはかっこ悪いとする文化の日本人は、自分や家族のハッピーな出来事を、たとえ親子の間でも伝えない美意識があります。
でも僕は反対で、家族にこそハッピーを伝え、それを妬むのではなく、みんなで喜ぶのが大切だと思って行動してきました。
この経験があって初めて、辛い時支え合ったり出来ると思います。
嫁だから親の面倒を見るのが当たり前・・・なんてのは自己中でしょう。

だから、家族への感謝の気持ちを素直に「ありがとう」「ラッキーだった」「凄いね」とプラスの言葉で表すようにしています。

6/14・映画「ジョー・ブラックをよろしく」

映画『ジョー・ブラックをよろしく』を、アマゾンプライムビデオで見ました。
ブラッド・ピット扮する死神が、成功を収めた引退間近の社長さんの前に現れる。
現世に興味を持った死神が、交通事故で亡くなったばかりの青年の身体に乗り移り、社長さんの横でつかの間のバカンスを現世で送る物語です。

いきなり会社買収案件の役員会に同席し、不審に思われる死神・・・
住処とした社長さんの家には、医師をしている嫁入り前の次女がいた。
会社の後継者として優秀な青年(ドリュー)との婚約が整っているが、心ときめいていない。
彼女が見た死神が取り付いた青年は、その日の朝、朝食を食べていたカフェで隣の席になり、心惹かれた青年だった。

「どうして、あなたがここにいるの?」
・・・

死神が社長の前に現れる直前、社長の65才の誕生日パーティーをするため、島の別荘に向かうヘリコプター内で、社長と次女は並んで座っていた。
パーティーの準備を取り仕切っている優秀な長女がいるが、社長はこの次女がお気に入りだった。

社長(父親)が娘に話している。
「それを聞いているんだよ。お前からドリューの話を聞いたことが無い。
まるで心が踊ってない。興奮の欠片もない。
一度くらい恋に溺れてみろ。地に足がつかない想いで、歓喜の歌を歌い、踊り出してみろ。
目もくらむ幸せを知れ。いつも心を開いて。
これも言い古された言葉だが、愛は情熱だ、妄想だ、なしでは生きられない。
それが本当の愛だ。死ぬほど相手を好きになって、相手も同じだけ愛してくれる。
そういう人と会うんだ、考えずに心の声を聞け。お前のは聞こえない。
愛する人がいなければ、人生を生きる意味などない。
冒険を犯し、恋に落ちることもなければ、それは生きてないのと同じだ。
そういう恋を見つける努力を何もしなければ、生きる意味がない。
『心を開いていれば、いつか稲妻に打たれる』」

社長は、今は亡き奥さんとの夢のような愛の経験を、娘にも体験して欲しいと思っている。
この奥さんへの情熱があったから、ここまで頑張れたと自認している。
妻のいなくなった人生に、つまらなさを覚えている。

そんな時に死神が現れたので、自分の生に未練はなく、悔いなく生ききった自分に満足し、死神との生活に動揺することもなく平常心で過ごせた。

映画の冒頭に発せられたこの父親の言葉に感銘した。
人にはいろんな目的があるように思うが、生物としての目的は、自分の子孫を残すことだと思う。
これがなければ、数十億人にまで増え、生物としての人類世界を謳歌しているのに、たった100年後には絶滅する。

子孫を残す相手を見つける時、稲妻に打たれるような愛を経験出来ることは素晴らしいと、僕も思った。

6/15・次男お嫁さんからメール

次男のお嫁さんからメールが届きました。
僕らが映画を観に行ったことを報告した返信です。

映画は、出産後行っていないそうです。
僕らは結婚した時から僕の実家の隣に住んだので楽でしたが、家族のみで暮らしているのでしばらく行けませんね。
将来お嫁さんお実家に新築or増築して住む予定なので、早く移ればいいと思います。
3世代で住むといろいろ楽だし、今なら近所に曾祖母も健在なので更に親孝行できます。
次男もお嫁さんも3世代家族で育ったので、早くそうする方がいいように思います。

すーちゃんは10ヶ月になり、立っちも安定し、そろそろ歩き出しそうな感じだそうです。
身軽なので、ハイハイがとっても速いそうで、お嫁さん自身が小学生時代、埼玉県のテニス代表で全国大会に行ったぐらいだから、運動神経は良いと思います。

最近は指差しブームで、絵本に書いてあるイラスト、家の中の目に止まったもの、買い物中は商品など、気になるものを指差しで教えてくれるそうです。
スマートフォンも人差し指で器用に操作し始め、テレビのリモコンもピコピコしてチャンネルを変えて楽しんでいるようです。
「パパやママのことよく見てるなぁ」と驚き、すーちゃんの前で、悪いことはできないそうです。
子供は記憶力がよく、なんでも親を真似てしまうからなあ。

バイバイも調子がいいとしてくれるようになり成長著しいですが、離乳食だけは進まず困っているようです。
一口しか食べてくれず、うどんやバナナ、ヨーグルトをちょっとだけ食べて、お終いになっちゃうそうです。
いつかお腹が空いたら食べてくれると思うのですが心配で、次の検診で先生に相談しようと思っているようです。

後追いが激しく、毎日ほとんどの時間、お嫁さんにべったりで、保育園いけるのかな?と不安だけど、可愛いので甘やかしてしまっているようです。
親離れできない子はいないので、まだまだ甘やかせていれば良いと思います。
ママは、男の子を彼氏のように見るようになり、女の子を友達のように見ると言いますが、お嫁さんとすーちゃんの関係は、既に親友のようになっているそうです。

7月入園の保育園は、やはりダメだったそうで、今流行りの待機児童になったそうです。
会社が、育児休暇を半年延長してくれたそうです。
社内結婚で、職場復帰して働く女子社員も多い会社なので安心です。
次男が設計している新本社が出来ると、社内保育所併設なので保育所問題は解消するのだけど・・・
そうなると、家族で電車に乗って出社し、親子で会社から帰るようになります。

写真も送られてきました。
IMG_6225s.jpg 洋服から靴一体型靴下までカラーコーディネートされている。
IMG_6263s.jpg 実家の庭の芝生にて・・・
IMG_6323s.jpgもう歩けそう
素敵な表情
IMG_6364s.jpg 会社の会長所有の農園で、社員有志と作物を作っています。休日のレクリエーションで、他の社員さんの子に遊んでもらっています。
IMG_6420s.jpg
かわいい~
IMG_6628s.jpg おっと、風呂上がりのオールヌードなのか?
IMG_6659s.jpg 

6/11・キレる妻2

これらは、劇的に2人の関係を近づけ、キレる奥様の減少に繋がるそうです。
この実験は、「そうだろうな」と直感しました。
僕に当てはめると、僕は家内の手をよく握ります。
朝晩に家内をハグします。

よく話す方ですが、ずっと家内の目を見て話すほどではない。
2人で協力して料理をすることはなく、僕の家庭生活は家内におんぶに抱っこ状態です。
でも協力して家庭・仕事に取り組んでいるように思う。
2人だけで綺麗なレストランで食事することはなくなりましたが、時にはメールで気持ちを伝え文字に残すようにしている。

花束を贈ることはないが、お土産を買って帰ったりするようにしている。
感謝の気持ちは、毎日のように言葉にして伝えている。
家内の容姿も、「美人だなあ」「ああ、かわいい」「いい匂いがする」なんて、毎日褒めている。
自己採点ですが、割合及第点のように思う。

「働く女性がテストステロン分泌が多く男性化する」ということですが、家内もフルタイム労働者で、セクション・リーダーなので、多くの責任と決定権を持っている。
よって男性同様のストレスを受けている。
でも、僕に対し議論を挑むこともないし、なじることもしないから喧嘩をしたことがない。

でも、僕の方が泣き虫で、映画やドラマ・TV番組で感動的な場面に出合うと簡単に涙をこぼす。
対して家内は、僕の半分、いや1/10も涙を流さない鉄の女です。
この点では、僕以上にテストステロンに支配されているのかもしれない。

京大霊長類研究所の先生が、アドバイス役の立場で司会者を学術面でフォローしていた。
現京大学長の山際先生の著書を数冊読んだことがあります。
専門のゴリラの研究のゴリラの家族・ハーレムのあり方を軸に、他の哺乳類・特に猿の研究から進化の過程が描かれている。
人に至る進化の歴史と、同時に脳内に併せ持っている、人に至る前の記憶も含めた過去の記憶の部分が、表面化することを学んだ。
このゲストの先生も、同じ京大なので共通する認識でコメントしていると感じる時があり、とてもわかり易かった。

この番組で学んだことを、翌月曜日の朝、「おはようございます、今日もよろしくお願いします」の挨拶の後、「あのさ~」と家内に話しました。
家内は、僕の座る食卓に腰掛け、じっと聞いてくれました。

僕は、家内に切れられたことがありません。
僕が切れることもないので、夫婦喧嘩も記憶にありません。
よって親子喧嘩もない、わりあい穏やかな家庭でした。

この番組を見て、僕の選んだ奥さんは最高だなと思ったと家内に話しました。
そしたら、「旦那さんにもよるものね」と反対に僕を持ち上げてくれました。
ああ、幸せだな、僕は。

6/11・キレる妻

同じく共稼ぎで、奥様は在宅で海外クライアントのコンサルタントをしている。
旦那さんはサラリーマンですが、定時に帰宅できるようで、食事や子供たちのお弁当も作っている。
奥様にとって理想的な旦那さんなのに、奥様が切れている。

「右脳(感情的思考)と左脳(論理的思考)の連携が弱い男性」と「連携が良い女性」という性差が歴然とあり、「表情から感情を読み取る」実験では、女性の方が男性よりずっと微妙な表情に隠されている感情を読み取っていた。

アメリカの発達心理学の世界的教授が、「女性はネガティブ体験を左脳を使って論理的に海馬に記憶する」と言っていた。
「力が弱く、より弱い子育てもするので、危険を回避したいから、怖かった体験をずっと覚えているように脳の構造がなっている。
方や男性は、外で狩りをする性なので、ネガティブ情報を覚えすぎていると、危険を伴う狩りに臆病になり、家族を食わせていけないから、忘れるようになっている。

これにも思い当たることがある。
両親の夫婦喧嘩で、母の最後の切り札が、長男の僕を産んだ時のエピソードです。
「私がこの子を産んだ時、あなたは呑気に映画を観ていたじゃない。私は陣痛が始まり何処にも行けず、不安の中産婆さんを呼び、自宅で出産したの。立派な病院で妊婦検査をしていたのに、出産の時あんなことになって・・・」、この言葉が出るともう父に返す言葉はなく、母の勝利です。
この最終兵器を何度聞いたことか。
耳タコです。
1週間働いたご褒美の日曜日で、予定日より前だったので、父に何の落ち度もないのに・・・。

そんな根本的な性差があります。
これからも性差をなくすことはできませんが、これを科学データとして知っておくと夫婦生活にプラスになると思いました。

アメリカでの実験ですが、夫婦喧嘩している夫婦に、「脳下垂体ホルモン・オキシトシン(愛情ホルモン)」を吸うと、男女の関係が改善されるビデオも流されました。

女性の社会進出が、キレる女性を増加させているとも紹介されていました。
前出の自宅で奥様が海外企業のコンサルタントをしているご夫婦にテストステロン(男性ホルモン)量検査すると、なんと奥様の方が旦那さんより多くビックリしました。
男性でも女性ホルモンは分泌されており、逆も当然あります。
でも、女性のテストステロン量が、男性より多いとは思っていませんでした。

社会で活躍している女性は、社会からのストレスに対抗するためテストステロン分泌量が多くなるそうです。
これを見ながら、もっと厳しい芸能界で生きる女性だから、芸能人女性は離婚が多いのかと納得しました。

最後に、オキシトシン(愛情ホルモン)を増やす方法が紹介されていました。
「向かい合い手を繋いで話す。見つめ合うこと+スキンシップ」
「2人で料理をする。料理以外でも良く、目標に向かって2人で協力して作業する」
「綺麗なレストランで食事をし、その時サプライズの手紙を書き言葉で伝え、花束を贈る。感謝の気持ちを相手に伝える」

6/11・ばら公園~がま口リュック~キレる妻

諦めて川西を出ます。
西友バイク駐輪場は、2時間無料なので余裕でした。

家内が行ってみたいという「伊丹市ばら公園」に寄り道しました。
僕が「カメラ忘れた」と言うと、家内も「お嫁さんから誕生日プレゼントで貰った帽子を忘れた」と言います。
この帽子を被ってる姿を写真にして送りたいようです。
僕はお嫁さんたちから貰った衣類を、着たい時に着ますが、女性の心理は違うようです。

気遣いが、男と全然違います。
お嫁さんたちが帰省する時、「今日はこれを着た方が喜ぶよ」と用意してくれます。
「はい」と素直に、お嫁さんから貰った衣装に着替えています。
2人のどちらのお嫁さんからもらったのか、僕のものまでよく覚えています。

バラ園横を、早朝自転車で時々走りますが、中に入るといろんなバラが咲いていました。
芝生スペースがあります。
木陰のベンチに座っているお年寄りカップルがいます。
小さな噴水と小さな水路があり、チビさんを連れてきても楽しめそう。

最後に、食材のお買い物です。
西友にバッグがあったので、いつもの食品スーパーではなく、GMS「イズミヤ」に寄りました。
2Fバッグ売り場に行くと、西友と同じものがありました。
お値段も同じ4500円で、色も多種類ありました。
家内は喜んでレジに行きました。
姪に、弟も義理妹も知っていたブランドを聞いて、それを買ったらいいのにと思いましたが、本人が良いというのだからまあ良いです。

クロックスまがいのサンダルは多数出ているけど、長男によると「クロックスは違う」ということだし、僕もトップブランドそっくりさんを買って失敗した経験があるので、できればブランド物を買う方が結局お得だと思っています。
姪が買ったよく売れているがま口リュックブランドは、何なのでしょう?
後日談ですが、姪が持ってたのもanelloで、これがオリジナル品でした。

僕は、お気に入りの「明治ヨーグルト450g」をかごに入れ、他の食材とともに購入しました。
イズミヤも阪急阪神グループH2Oの資本が入ったのか、家内の阪急カードが有効で、10%引きになりました。

帰宅し、風呂に入り、「ダーウィンが来た」「女城址直虎」を見て家内は床につきました。
僕は、2F自室に上がり寝る体制になって、ヨーグルトを食べながらNHKスペシャルを見ました。

前日土曜日「キレる子供」に続き「キレる妻」でした。
冒頭の「離婚の7割は、妻側から」というのに驚きました。
経済力も男性の方が相対的にあるだろうし、異性への移り気も男性の方が多そうだから、不満が多くても半々ぐらいだろうと思ってました。

実際のモデル家庭にビデオを設置し、実際の生活を見ながら番組は進みます。
夫婦共稼ぎで、フルタイムで働きながら、早めの16時で職場を出て、1時間半かけて保育園に迎えに行き、それから夕食を作っておられる奥様。
「早帰りで職場に迷惑を掛け、子供たちには遅いと言われ、中途半端なので退職しようかな」の言葉を夫に発します。
旦那さんから「そうしたら良いよ」との言葉。
ここから奥様が不機嫌になり、「そういうことじゃないのよ」と切れてしまいます。

同じことを何度も夫婦で話し、「もう少しこのまま続けよう」との結論が出ているのにまた蒸し返す奥様に、「またか」と思う旦那さん。
解決策を提案しても耳を貸さない奥様。
という構図が続いていたようです。
奥様の気持ちは、「解決策が欲しいわけじゃない」
「男性の無理解に腹が立つ」とのことだった。

これは僕にも思い当たります。
家内と結婚し、最初の3ヶ月ぐらいまで、何度か2Fのベランダで家内が泣いているのを見ました。
声を掛けると「お家に帰りたい」と。
これは大変と思い、原因を聞きました。
どうやら僕と2人だけなら良いが、隣に僕の実家があり、リタイヤして働いていない母との会話が辛いとのことです。

いじめられたわけでもないのですが、とても気を使うとのこと。
「あまり家内に声を掛けないように言おうか」と解決策を提案したら、「絶対そんなこと言っちゃダメ」と言うので、どうして良いかわからなかった。
「ただ聞いてもらうだけでいいの」と言うが、改善しないと何も変わらないと思った。
でも半年もすると環境に慣れ、泣くこともなくなった。

男は友達にでも愚痴を言うことなんてあまりないし、友人に相談することもない。
女性の「相談があるの」と言葉を発するのに違和感がある。
でも女性は違うようで、喋ることで発散できたり、鬱積を減らすことが出来るんだと、この時女性の生理がわかった。

6/11・買い物 がま口リュックバッグ

食べながら、またお客様観察です。
店内の席で食べていると、中学生風の3人の女の子が山のようにドーナツをトレイに載せています。
きっと他の子も呼んで、誰かの家で過ごすんだろうなと予想していると、外の席に座り、包んでもらった袋から1つ出して食べはじめました。

僕の子孫5人目にして初めて女の子を授かったので、中学生になったらきっとこんな感じになるのかなと、楽しそうな3人を見ていました。
砕けた服装でもなく、ゴージャスでもない清楚な3人で、それぞれがスマホ画面を見てるような今風グループでもなく、おとなしく微笑みながらゆったりとお喋りしており、好印象でした。
「朱に染まれば赤くなる」の名言を何度も経験してきたので、こんな風に育てたら、こんな友人が出来るんだろうなと見ていました。
こんな話をしていると、「ジロジロ見ちゃダメよ」と家内に釘を差されました。

小学生低学年女の子と、幼稚園児男の子を連れた母親は、2人をテーブルに座らせ、ドーナツを食べている間、席から離れ誰かと電話しています。
同じような年齢の子を連れた4人家族は、お父さんがスマホ見てて、お母さんが子供たちとドーナツをながら流れ世話をしています。

おじいさんとお孫さん2人のグループは、はしゃぐ子供たちにおじいさんは押され気味です。
朝、息子か娘夫婦に孫を押し付けられ、お婆さんに「掃除の時間だから孫達を頼むね」の言葉で、「場が持たないから孫達の好きなドーナツで時間稼ぎをしようとやってきたんだきっと」と僕の想像する物語を語りました。
「お父さんはいくらでも小さな子と遊べるから良いけど、苦手な男の人もいるものね」と笑っています。

「バイクで何処かに行ってきていいよ」と言われましたが、家内とこんな他愛のない会話をしている時間が好きなので、買い物に付き合うことにしました。
買い物内容は、僕の下着シャツとパンツ、そして家内の勉強会用背負いバッグです。
姪(弟の娘・中学生)が背負ってた、がま口のように上部が開くバッグを買いたいそうです。
東京などへの会合ではなく、大阪や神戸への近場半日勉強会に使いたいようで、安いので良いそうです。

12:54「ワークマン」に寄り、僕の丸首半袖下着シャツ・780円を買います。
速乾性の素材が好きで、最近はワークマン製がお気に入りです。
冬でも半袖のこれを着ており、3枚ぐらいを毎日ローテーションしてるので、半年に1回ぐらい補充しています。

13:25「西友川西店」で僕のパンツ580円を購入。
最近はトランクスタイプが主流ですが、お尻の下や横がモゾモゾするので、昔ながらの前開きパンツにこだわっています。
ワークマンには1つもありません。
いつもはグンゼブリーフ・セミビキニを買ってきてくれるのですが、綿100%でシャツのように速乾性ではないので、家内に「シャツみたいにすぐ乾くのないかな?」と言われていました。
ポリエステル50%以上のがあったので、これを試してみます。
お泊りお出かけの時は、ミズノのスポーツ用速乾性ドライブリーフパンツを使っていますが、2000円もするので日頃使いには勿体無い。

西友の2Fに、家内ご要望のがま口リュックバッグがありました。
少しくたびれた店舗の少し薄暗い売り場でしたが、お値段も4500円と手頃で家内が気に入りました。
でも一番大きなA4が余裕で入るサイズはダークブルーしかなく、他のサイズにあるブラックが良いそうで踏ん切りがつきません。
最悪ネット検索してみようと「anello・ATB0193A・キャロットカンパニー」をメモします。
中国製というとこが気に入りませんが・・・。

お隣の「モザイクボックス」のバッグ売り場を探し、「アステ川西」、いつもお世話になってる「川西阪急」も探しました。
家内がこの日背負ってる小さな黒いバッグと同じブランドのバッグああり、目ざとく見つけた店員さんがそのブランドを押してきます。
可愛くてお洒落ですが、がま口じゃないのでパス。
今回のバッグは、オシャレ度は少し犠牲にしても、実用性重視です。

6/11・映画「ちょっと今から仕事やめてくる」

大掃除の続きです。
いつものように4時頃起床し、しばらくゴソゴソし、家内の作ってくれた朝食を食べました。
家内は起きてから何か食べないと動けないので、起きてまずすることはパンをトースターに入れ、コーヒーを沸かすことです。

6時頃から大物を移動させました。
2人でウンショうんしょ。
大物の移動が終わったので、家内に続いて朝風呂に入り、隣の実家で小物を棚に片付けていました。

8時、「用意できたよ、どう?行こう~」と家内が着替えてやってきました。
ちょっとよそ行きの可愛らしい洋服に着替え、僕の前でクルリと一周します。
「いや~いいね~、お洒落だね~」と得意のイタリアーノな言葉を掛けます。

「2つ片付けたよ、すぐ着替えるから待ってて」と自宅に戻り、僕も少しまともな服装にします。
映画を観る約束していますが、まだ1時間半も早いので、余裕で片付けていました。
映画の前に駅前に出て用事を済ませたいようです。

通勤リード110にタンデムし、郵便局本局などでゴソゴソし、映画館に向かいます。
チケットを買ってもまだ上映時間に20分もあり、ロビーでお客さんたちを観察します。
大学生風カップルがやってきました。
女の子はミニスカートですが、内股歩きが極端です。
可愛らしくて綺麗な方なのに、走るのが苦手そう。

大学1回生の春、初めて家内を見かけた時、「歩く姿がとてもかっこいい」が第一印象でした。
背筋が真っすぐ伸び、歩く姿が美しい。
お茶・お華を幼稚園の頃から習っているからだと後に知るのですが、これも女性の魅力の1つです。
女性特有の内股歩きも目立たず、真っ直ぐ足を前に出します。
きっと走るのも速いと思っていたが、体育は苦手な方で走るのは大嫌いでした。

「ほら、あの人は内股じゃないから、歩く姿が綺麗でしょ」なんて話をしていると、「何見てるの~」と笑われました。
TV見てても「この女優さんは美人やわ」なって言い、街なかでも「あの店員さんは感じが良いよ」なんて日頃から言ってるから、僕のこんな発言には慣れっこになっています。
その流れで家内を褒めることを忘れないイタリアーノだから、雷が落ちることなどありません。

9:40、映画「ちょっと今から仕事やめてくる」
映画サイトの「見て良かった映画」ランキングで、初登場で上位、2週目で更にランキングを上げていたので、観ることにしました。
僕の好きな「ラブストーリー」にヒットする映画が、ここ2ヶ月ほどありませんので、ピンとくる映画ではありませんでしたが、まあ観てみようと・・・。

ブラック企業に勤める青年の物語で、原作の評判が良く映画化されたそうです。
就職してから実家に1年半も帰っていないほど追い詰められ、フラフラと自殺しようとした駅のホームから線路へ転落・・・

と言う瞬間、「久しぶりやな~、俺や。小学校の時同級生やった」を思いっきりな笑顔の青年に腕をぐいと引っ張られ助けられました。
「懐かしいな~、飲みに行こうや」と強引に誘われ、彼の思いっきりの笑顔とポジティブな言葉・・・
そして強引に買わされた明るい色のネクタイで、仕事に対する気持ちも晴れやかになります。
そんな物語で、お決まりのラブストーリーのサイドストーリーもない映画でした。

星5つの最高得点ではないが、ブラック企業に勤め、気持ちの行き場を失っている方が見れば、きっと気持ちが楽になる内容でした。
監督が脚本も手がけており、かなり監督の思い入れの入った作品だと思いました。

ハッピーエンドに向かっていく後半1/4は、何度か気持ちが高ぶり涙が溢れました。
秀作です。
観終わり、「買い物に行く?何か食べる?」と聞くと、「私お腹減った、朝ごはん5時だったもの」という。

11:57、映画館のあるショッピングセンター内にある「ミスタードーナツ」で、山ぶどうスカッシュ194円・ブレンドコーヒー270円・黒糖エンゼルクリーム129円・エンゼルフレンチ140円・ストロベリーリング129円・オールドファッションシナモン129円・カスタードクリーム129円・ゴールデンチョコレート129円・チョコファッション129円を買いました。
家内が2つ半食べたので、僕は残りの4つ半食べました。
いつもはおやつとして1・2個食べるだけですが、4つも食べたのは初めてかも・・・お腹いっぱいになりました。

6/9・家の大掃除で、思い出したこと 家族を持てた有り難さ

今でも毎朝、朝ごはん作り中に後ろから抱きしめたり、前から歩いてくる家内を羽交い締めしたりしている。
息子たちに呆れられ、お嫁さんたちにも「仲がよく」なんて言われる「ばかップル」。
僕がハグしても、ハグ仕返すことはなく、ただされるままになってるだけだけど、こんな家内が大好きなんだな。
いつも受け身だけど、そんな家内が気に入っている僕がいる。

この年令になり改めて思うことは、「家族がいるって素晴らしいな」ということ。
バリバリ働き稼ぎの良い私の母は、自己中で自分の意見に家族を従わせようとしていた。
コツコツタイプで、休まず仕事に行き、仕事が終わえば直帰して家族を守る父。

母にすれば魅力に欠けていたのかもしれず、よく衝突してヒスを起こした母がお皿を投げたりしたが、文句言いながらまとめてしまう父。
そんな家で僕は育った。
両親の長所も欠点も感じていたが、補い合って晩年は仲が良かった。

僕の作った家族も、家内・長男・次男、そして今はそれに加え、お嫁さんたちに3人の孫。
みんな影響しあいながら、誰かの勇気や力になって生きている。
人は一人で生きていけない。
臨終の時を迎えても、自分の遺伝子を受け継ぐ子孫が僕の先祖からの遺伝子の新たなキャリアーになって、更に次の世代に繋げていく。
そろそろ僕も寿命が尽きるだろうけど、自分の分身がこれだけたくさんいれば、残念とはあまり思わない。
家族っていいな。

良い家族に恵まれると、良い社会を作ろうと努力する。
アドラー的な発想なら、最も小さな社会・家族の幸せのために努力する人が集まれば、必然的に素晴らしい社会が出来上がるのが必然。
すべての原点は、家族への献身にあるのかも・・・。

今、僕らの息子たちが当時の僕と同じように素敵なお嫁さんと縁を持ち、可愛い子供たちを育んでいる。
お嫁さんたちから毎週送られてくる写真やビデオに映る姿は、皆楽しそうで僕ら夫婦同様、素晴らしい人生を歩んでいるのがわかる。
有り難いことです。

新しいジャケットは、今でも着ています。
長男が生まれた頃のものなのに、デザインはまだまだイケてて、値打ちものです。
そして防水加工が取れてしまった卒業後に買ったものもまだ現役です。
ヨット乗りの次男が自宅に居た時は、次男も着ていました。
これだけ着ると、少し値が張るものだったけど、結局安い買い物ですね。
僕が今までで一番驚いたプレゼントでした。

一番喜んだプレゼントは、そりゃダントツで息子たちがお腹に宿ったという報告です。
大掃除をすると、思い出のものがいろいろ出てきて感慨に耽ってしまいます。
今でも時々着ている2つ並んだジャケットを改めて見て、当時の思いが蘇ってきた。
別の部屋ですが、一緒に片付けをしてくれている家内がいるという幸せがあるから、どうしても家内との思い出を思い出してしまう。

6/9・家の大掃除で、思い出したこと

6月に入り、休日と帰宅後1時間ほど、家の大掃除をしています。
読んだ本を積み上げているし、整理しないまま乱雑に置いてある倉庫のようになった部屋もあります。
生活空間は家内が綺麗にしてくれているので、生活に支障はないのですが、あまりに酷いと思うので。

家内に話すと、「じゃあ、一緒にやるよ」と手伝ってくれています。
あ~有り難い。
やる気倍増に成り、中途半端に止められなくなりました。

ついでに僕の衣装クローゼットなどにも手を広げました。
その時目に入ったのが、ヘリーハンセンのヨット用ジャケット。
レース時に着るのではなく、船の整備やハーバーやヨット関係のとこに出かける時に着ている街着にもお洒落な防水ジャケットです。

とても良く似たジャケットが2つ並んで、下がっていました。
1つは学生を卒業し働きだしてから買ったもので、家内とのデートでも着ていったことがあるお気に入りのものです。

家内と結婚した年、それを家内が洗濯機で洗ってしまいました。
完全防水だったのに、洗濯機で洗ったので防水加工が甘くなってしまいました。
ベランダに干されているのを見つけ、愕然としました。
「洗濯機で洗ったの?」
「うん、汚れていたから」
「あ~、防水加工してあるから、その旨伝えてクリーニングに出さないとダメなやつなんだ・・・、これからヨット用のを洗う時は僕に一言掛けて」とゆっくり話しました。

家内は「ごめんなさい」と恐縮していましたが、「知らなかったことだからいいよ」と言い一件落着。
それからも、少しヨレヨレになったこのジャケットを着ていました。
結婚後初めての僕の誕生日に、2つ目をプレゼントされました。
「お誕生日、おめでとう。同じ色がなかったんだけど、ごめんね」と。

すごくビックリしました。
ヨット専門店じゃないと売ってない商品だし、今ならヘリーハンセンを知ってる人もいるけど、当時はヨット関係者しか知りませんでした。
僕のヨレヨレジャケットを持ち、大阪のデパートなどいろいろまわり見つけたそうです。
3万円ぐらいしたと思う。

これを貰った時、「あ~この人と結婚できて本当に良かった」と思った。
何万円もするプレゼントも貰ったからではない。
ヨット乗りじゃないから、防水加工衣類を洗濯機で洗ったらダメだということがわからなかっただけなので、非難したわけじゃないのに、きっと僕の顔に「残念」が強く現れていたのだろう。
それを見抜く眼力と、それだけ僕に関心を持ってくれてくれる人がいるんだと嬉しかった。

僕は学部在学中に家内と知り合い、在学中にプロポーズし、卒業2年後結婚した。
男の友人の中では早い方でした。
「もっと自分に合う人がいるかも?」と先延ばしする人もいるが、僕の知る限り素敵な女性ほど引く手あまたで、早く結婚した。

同じ学部の元カノさんは、僕を振って付き合った1年先輩と、卒業即結婚してしまった。
先手必勝・・・若さの勢いのまま突っ走って良かった。
家内と結婚できて良かった。

ジャケットをプレゼントして貰った時、すでに家内のお腹の中に長男が宿っていたけど、僕のこれからの人生を共に歩いてくれる人が、言葉に現れない心を読み取る事のできる人だと嬉しくなった。
孫のいる現在とは違い、当時の僕は授かった子を、人並みに育てて行けるのかも不安だった。

「この人となら、きっと人並みに生活でき、父のように次世代にバトンタッチできる」と感じた。
そして、「この人を大切にしなきゃ」と思い「この人と、この人が数ヶ月後生んでくれる僕達の子のために頑張らなきゃ」と思った。

僕なりに、この気持ちを持ち続けて家族優先で生きてきたつもりだけど、家内を守るというより、いつも助けてもらってばかりの人生だったように思う。
僕が弱気になった時は、今でも「大丈夫だから、私に任せとき」なんて根拠のない空元気の言葉とともに、僕の不安な気持ちを吹っ切るような笑顔を見せてくれる。
ただそれだけで、明日を迎える勇気が出る。
「この人と出会えて本当に良かった」

20代の後半、新婦側主賓として結婚披露宴の挨拶をした。
職場の後輩である彼女から、「理想の夫婦」なんて持ち上げられて招待されたのだが、横に家内が座っていた。
大学ヨット部で、練習の日は毎日ミーティングで数回みんなをまとめるために話して来たので、緊張していただろう挨拶をそつなくこなし、席に座ろうとしたら横の家内の頬を涙が伝わっているのが見えた。

両親の葬儀の喪主挨拶でも、息子たちの結婚披露宴挨拶でも、いつも横から「お父さんのスピーチ、好きだよ。いつもとっても楽しみ」なんて一番に言ってくれる。
僕は家内の手のひらの上で、気持ちよく転がされているようで、とても幸せな人生を送っている。

6/4・六甲山ガーデンテラス・フードテラス

店内にお若いカップルが入ってこられました。
券売機でチケットを買う2人を見ていました。
まだ慣れていないデートのようで、互いに遠慮があり、互いへの気遣いも感じる。
初々しくてチラチラと見ていました。
チケットを買い、それをどうして良いのかわからず視線を泳がせていたら、目ざとく見つけた店員さんが、「カウンターに置いて」とカウンター内から手招きします。

男の子がチケットを2枚カウンターに置き、彼女をエスコートして「どの席がいい?」って感じで、主導権を持っているようでもあり、そうでなくもあり・・・初々しいな。
4人掛けテーブルに対面に座った2人が、戸惑いながら会話を見つけ一言二言・・・、2人同時に席を立ちます。
「いいよ、私が取ってくるから座ってて」のような事を彼女さんが言ったようで、セルフサービスのお水を取りに行き、彼氏くんは彼女を目で追いながらゆっくり席に座り直し、彼女さんを見ています。
お互い、相手に気を使っている優しさが滲んでいます。
いいな、こういうの。

僕もこんな時期がありました。
高校生の時はこんなだったような・・・。
中高と男子校だったので、女性を美化しすぎていたのか、腫れ物に触るような感じでした。
でも大学生になると、最初のデートでももっと砕けた感じで付き合っていたけど・・・。

何度も振られながら鍛えられました。
深く知り合った後、家内に僕のファーストインプレッションを聞いた所、「馴れ馴れしい人」という答えでした。
「でも知らない世界をいろいろ知っており、すごく興味を惹かれた」とも感じたそうです。
今で言う「チャラい大学生」だったのかも・・・。

彼女さんは、ゆるく微笑みながら、彼氏さんとの短い会話をしています。
人の顔・表情って、生まれつきのものもありますが、後天的なことで半分作られると思います。
親から温和に育てられると、表情が優しくなり、無表情でも人を惹きつけ、声を掛けやすくなります。
叱られてばかりだと、人にもきつく当たり、褒めることより文句を多く言う人になり、口角が下がり「へ」の字口になります。

一時TVによく出てた同志社大学の女性教授さんが、典型的な「への字」さんで、政府の経済方針に文句ばっかりコメントしていました。
きっと「文句言い」人生が表情に染み付いたのでしょう。
こんな人と長く一緒にいたくないなと思います。
あの教授に教えられた学生は損だな。
僕なら、どれだけTVに出て有名だろうと、ああいう先生の授業は選択しないだろう・・・必須なら仕方ないけど・・・。

同じ人生を過ごすなら、できるだけ楽しく過ごしたいので、マイナスの出来事もプラスの言葉で言い換えて話すような人と暮らしたい。
プラス言葉は、明るい表情からしか出ないので、見ていてこちらも明るくなります。
そんな人に好かれるには、自分がそういう人でなければなりません。
鶴瓶さんやさんまさんのように、頭に浮かぶ顔が笑っている人が理想です。

20170604RokkoS018s.jpg 注文品を持ってテラス席に戻り、西宮沖を見ると、白いセールが30隻ほど集まっているのが見えます。
レースをやっているようです。
風が弱いから、スタート待ちかもしれません。
家内は見えないそうで、「よく見えるね、凄いね~」なんて褒めてくれますが、その分遠視で近くが見えにくくなってきましたよ、トホホ。

20170604RokkoS016s.jpg ガーデンテラスを後にして、更に西に走ります。
「高山植物園」に寄り道します。
入園料620円で、入口から中を覗くと綺麗な花が咲いている。
「オルゴールミュージアム」「六甲山ホテル」横を過ぎ、こんなに遠かったっけ?と思う頃、羊が見えてきて「六甲山牧場」に着きました。
途中に「羊に注意」の道標があり、ビックリしました。

大人500円で、ポニー試乗など、いろんな催し物開催時間が表示されています。
子供たちがちびの時、何度も利用させてもらいました。
羊の毛を刈るのを見たことを思い出しましたが、家内は牛乳を飲んだことを思い出すと言っています。
孫たちとまた来るかもしれませんので、下調べしとかなきゃ。

帰路につきます。
往路を逆走し、六甲山を下ります。
芦有入口があり、「この道路で芦屋まで行けるんだよ~、景色がいいんだよ~」と説明しました。
奥池遊園地に行く時など、何度か家族で走った記憶はあります。
デートドライブしたことも何度かありますが、家内としたかどうか定かで無いので、それについてはお喋りしませんでした。
多分、別の女の子とドライブしたような・・・。

「甲寿橋」まで下り、11:44その手前で国民宿舎「六甲保養荘」に上がってみます。
20170604RokkoS020s.jpg 「きっと景色が良い」と思っていましたが、ロビーからの展望はイマイチで、客室からでないと、宝塚・大阪平野北部の夜景や眺望が見えなさそうです。

ふと見ると、燃料計がゼロを指しています。
「西宮ゴルフクラブ」コース内を走る少しの登りをクリアし、気楽に逆瀬川に下ります。
ここからGSまで下りばかりです。
12:04、「エネオス宝塚さかせ店」で給油。
187km/4.69L=39.9km/L。

帰宅前のスーパーに寄り、12:53「明治ブルガリアヨーグルト×7」を購入します。
冷蔵庫の在庫が昨夜ゼロになりました。
スーパーの明治ヨーグルトの棚を空にしました。
掃除をして、夕方疲れて昼寝し、暗くなって来る頃起きて、また買い物に出ます。

19:55、僕はまた「明治ブルガリアヨーグルト450g×6」購入しました。
またスーパーの棚が空になりました。
夕食にお素麺を食べ、NHK大河ドラマを見て、風呂に入り1日が終わりました。

6/4・六甲山

先週に続き、お掃除三昧の1日でした。
先週、丸1日頑張ったので、我が家も随分スッキリしました。
ゴミもいっぱい出ました。
まだ全部捨てきれていませんが、更に頑張ります。
流行りの「断捨離」ほど大胆ではありませんが、「もう使わないだろう」や「本を整理しようよ」「空いたスペースを掃除して綺麗に」程度です。

朝7時、お掃除前にいつものように2人で手を繋いで軽いお散歩していると、空は晴れ、六甲山があまりに綺麗に見えている。
「山頂からはきっと和歌山まで見えるよ」と家内を誘いOKを取り付け、昨年お盆以来の六甲山に登ることにしました。

お掃除は午後からにして、午前中はデートです。
家内はバイクで上がったことがないので、通勤リード110にタンデムします。
普通は車を選択するのでしょうが、バイクの方が狭くてくっつく感じがあり、家内と2人での移動だけなら好きです。

暑くなりそうですが、六甲山は標高1000m近いので、かなり涼しいはず。
家内は白の薄い1枚、僕はチョッキ1枚プラスし、出発します。
逆瀬川からr16を登ります。
アワイチやビワイチ同様、ロードバイクのヒルクライムのメッカ六甲山なので、登っていくロードバイクが目につきます。
次々に抜いて行きますが、快調に下ってくる対向ロードバイクもいます。
早朝から登って行った方ですね。

僕もロードバイクに乗るけど、わざわざ苦しいコースを走ることなどしません。
「ママチャリ乗るより楽に移動できるから」という目的で乗っているだけです。
ダンシングしながら苦しそうな顔で上がっている人もいますが、やはり夏より気温が低いし、まだ朝なので楽しそうに上がっている人の方がずっと多い。
家内と無線で「凄いね~」とか「僕らには無理だね~」とか言いながら上がります。

この110ccスクーターに2人乗りして上がるのは初めてで、勾配がきつい所だと直線フルスロットルでも40km/hが限界です。
原付二種の限界を感じました。
でも40km/hまではスピードアップしていくので、ノープロブレムです。
リードでアクセルスロットル限界まで回したのは、「暗峠」以来かもしれません。

標高が上がり、大阪湾方面の下界の素晴らしい景色が見えてきて、9:37「一軒茶屋」。
ロードバイクが20台ほど休憩しています。
女性も数人、皆さん涼しい顔をしており凄いな。

20170604RokkoS010s.jpg ハイキングコースの「紅葉谷道」の一部が土砂崩れ通行止めとの看板がありました。
「ロープウェイ有馬温泉駅」から上が通行止めになっており、滝を観に行けないのかもしれません。
通行止めではないが、極楽茶屋からの下りも「応急復旧」と書かれているので、全線で崩れたようです。
「一軒茶屋」を経由する芦屋~有馬温泉を結ぶ「魚屋道」の利用を促しています。

20170604RokkoS013s.jpg 「一軒茶屋」はオープンしており、「氷」の暖簾が下がっています。
車なら飛びつきたくなりそうですが、下界より随分気温が下がり、バイクで風に吹かれ、チョッキのない腕は寒く感じるぐらいなのでパスです。
家内は、「寒いからカッパ着せて」と、僕の通勤用カッパの上をここで着込みます。
バイクグローブをしたままなのでファスナーが上げられず、「上げて~」と甘えています。

20170604RokkoS014s.jpg 少し走り、視界が開けた所でバイクを停め、僕のホームポート・西宮から大阪湾の景色を堪能します。

更に走り、10:15「六甲ガーデンテラス」
無料だったバイク駐車場が有料終日300円になっていました。
隣の四輪駐車場が500円なので高いなと思ったら、フィールドアスレチック・カンツリーハウス・スノーパークの駐車場が全て利用可でした。

売店に寄り、温かいうどんで冷えた体を温めます。
テラス席から大阪湾が一望でき、和歌山・加太まで見えています。
小さな子が「おばあちゃん~」と声を掛けています。
近くに両親と思われる方が見守っており、「きっと、おじいちゃんが亡くなってるんだよな~」なんて我が家の将来を見ているようでした。

お隣の席には、僕らより年配のご夫婦がおり、アイスを食べています。
車で来られているのですね。
家内がテラス席で景色を観ながらうどんの出来上がりを待っている間、僕は店内に入りカウンター前で出来上がりを待ちます。

6/3・メモリアルデイ

アメリカにいる長男のお嫁さんから、家族メールリングリストにメールが入りました。

「メモリアルデー」という祝日だったので、珍しく長男が3連休になったようです。
日本は、世界有数の祝日の多い国です。
日本は17日ですが、アメリカは11日。
正月休み・GW・お盆休みが加わるので、多くの国民がみんなで休む日が多い。
欧米は、祝日が少ない分個人的に休暇を取る習慣があり、休日が分散して宿や交通機関予約や料金が安いという良い面があります。

「メモリアルデイ」がどういう記念日かわからなかったので調べたら、「戦没者慰霊日」でした。
11/11「退役軍人の日」というのもあり、軍人がリスペクトされている国家らしいなと思いました。

前回はカナダの「ナイアガラの滝」旅行でしたが、今回は遠出せず、近所の農園に行ったそうです。
りょうくん・4才が好物のアスパラガスといちご狩りして、カヌーに乗ったりしたそうです。

IMG_3741s.jpg この農場で、昨年秋にかぼちゃを購入し、ハロウィンを楽しみました。
12月にはクリスマスツリーの「もみの木」を購入しました。
ノコギリを渡され、長男とりょうくんでもみの木畑で好きな生木を切り倒します。
2mぐらいのを担いで戻ると、農場の方が梱包し車の屋根に載せてくれます。
春の農業フェアに参加し、トラクターなどに乗せてもらったようです。

IMG_3795s.jpg アスパラ畑は、日本のように畝はなく、まっすぐに行儀よく芽を出しておらず、飛行機で種をまくだけなのかと思うぐらい、原野のあちこちにポツポツを芽を出している感じです。
IMG_3796s.jpg 手間を掛けないから、原価が安そう。

好物のアスパラの収穫なので喜び勇んで・・・と予想したのですが、りょうくんは5本収穫で飽きちゃったそうです。
でも帰宅後、「僕が採ったから美味しいね」なんて言いながらモリモリ食べたそうです。

IMG_3886s.jpg カヌーに家族4人で乗りました。
こうくん・1才とお嫁さんが前席に座り、りょうくんを挟んで長男が後席でパドルで漕いでいます。
僕は1人乗りカヌーに乗ったことがありますが、細身で不安定な乗り物でした。
4人乗りのこれは幅広で安定しているようでした。

グーグルドライブにアップしてくれた写真には、プリスクールのもありました。
とにかく毎日楽しく、スクール休みの土日になると残念がっているようです。
同年代の子供が集まっているのだから、日本語を理解しない子であっても、親といるより面白いよね。

僕も、小学校に行くのが好きでした。
休み時間が楽しいし、勉強も知らないことがどんどんわかるようになり、毎日楽しかった。
理科の実験と社会科見学が特に好きでした。
国語や算数も面白く、テストだって点取りゲームのようで面白かった。
「ゆとり教育」とか言って授業時間を減らした政策に、「子供から楽しみを取って、あほちゃうか」と思いました。

IMG_3809s.jpg りょうくんは、家で1人遊びしている時、ずっと英語で独り言を言ってるそうです。
おもちゃを動かしながら、頭に浮かんだ物語を口に出しているのでしょう。
たまに発音が素晴らしく良くて、英語のできるお嫁さんでさえ聞き取れないことがあるそうです。
渡米してまだ9ヶ月なのに、子供の学習能力は凄いです。

IMG_3965s.jpg プリスクールでは、月1回「パジャマデイ」があり、パジャマで登校し、朝ごはんのパンケーキを皆で食べるのだそうです。
そういう説明が書かれていなければわからない服装で、日本人感覚のパジャマではなく、部屋着という感じです。
パジャマなのに靴を履いてるのが不思議な感じでした。

次の週末は、長男がシカゴへ出張だそうで、お嫁さんは子供たちを楽しませるメニューを考えているそうです。
IMG_3803s.jpg アスパラを食べているりょうくんは、補助の付いた練習用プラスチック箸を使っています。
9月にアメリカを訪問する時、まともな子供用箸を買っていこうと思います。
未塗装の天然木箸なら、麺類でも滑らないし、良い箸なら補助無しで上手に食べられると思いますし、ステップアップする時期のように思います。

5/21・アメリカのフォトスタジオ

長男のお嫁さんから、メールが届きました。
次男・こうくんの1才誕生を記念し、フォトスタジオに家族写真を撮りにいったそうです。
長男も次男も「スタジオアリス」好きなので、子どもたちの記念日には毎回撮りに行っています。

アメリカのフォトスタジオ初体験です。
アメリカでは、日本のスタジオアリスとは違って、お店のカメラマンが赤ちゃんをあやして、大泣きしていても一瞬の笑顔を切り取ってくれることはなく、その分親が奮闘するそうです。
こうくんは、いつもと違う雰囲気を警戒し、大泣きだったらしく夫婦で大汗かきながら奮闘したそうです。

いつものように、クラウドに写真をアップしてくれています。
それをダウンロードすると、背景はホワイトバックだったり、シンプルな柄物バックだったりで、その他の小物は椅子だけでした。
きっとアンパンマンの人形を出汁に笑わせたりしないのでしょう。
ただシンプルバックなので、人物が引き立っていました。

Kamiya407510457-005s.jpg こうくん1人だけじゃなく、兄弟写真、りょうくん1人のジャンプ写真、家族4人写真など、いろいろでした。
スタジオアリスのデコレートしたものとは大違いです。
スタジオアリスのように、子供に特化したスタジオではなく、一般の写真館での写真のようです。

Kamiya407510457-006s.jpg こうくんは、上4下4本歯が生えており、顔も体も引き締まり幼児から子供に変わってきています。
そしてお嫁さんの美貌が更に上がっていました。
日本にいた時から綺麗だったのですが、こうくんにおっぱいを吸われて体重が少し減ったと言ってるからか、20代のはちきれんばかりの若さから、落ち着いた大人の女性の雰囲気が出てきているように見えます。

実は、僕の目に家内が最も綺麗に見えたのは、30代でした。
僕が好きなのは、竹久夢二が描くような華奢な体格で着物の似合う女性なので、あのモデルも30代だったのかもしれません。
結婚し子を産み、旦那を含め家族の安定した食生活・住生活を自分がコントロールしている自信からくる落ち着きが滲むのかもしれません。
Kamiya407510457-011s.jpg お嫁さんが中心の4人の写真が、幸せで安定した家庭を想像させます。
この写真が一番好きです。
やはり人は、自分が役立ってることを感じることに幸せに感じるのかもしれません。

Kamiya407510457-014s.jpg 女性も男性も、結婚し家庭を持ち、愛する人との子供が生まれ、手のかかる5才以下の子がいる時期が、最も人生が充実している時かもしれません。
仕事にも慣れ働き盛りで、1人での自由な時間が少なくても、充実した家庭生活が体から落ち着きと美しさを溢れさせているのかもしれません。
長男が、とってもいい男に見えて仕方ありません。

Kamiya407510457-017s.jpg 子や孫、つまり子孫の笑顔は、人生最高の喜びです。

5/21・新羅善神堂~学生ヨットレース

兄・八幡太郎義家とともに、源氏武将のヒーロー新羅三郎義光は、ここで元服したのですね、知りませんでした。
清和源氏の嫡流から分家を起こした河内源氏が、この2人の登場により、奥羽の役に朝廷から派遣され平定したことから、遠征軍兵士を調達した関東に領地を賜り、関東地盤の桓武平氏(平将門の末裔など)に代わって関東に地盤を持つようになった。
これが河内源氏のその後に大きくプラスし、鎌倉幕府も室町幕府もここを地盤にする源氏の戦の強さから成った。

八幡太郎義家流れから、足利氏や新田氏が出ているが、新羅三郎義光は、武田氏・佐竹氏・小笠原氏・南部氏という名だたる戦国武将の祖です。
新羅三郎のお墓が、新羅前神堂の裏にあったらしい。
案内板がなかったので見過ごしたが、いずれ訪問してみたい。

20170521OsakaS246s.jpg 6:43になったので、早朝史跡探索をお終いにし、r47~R161でヨットハーバー着。
4大学の定期戦2日目です。
今回はうちが主催なので、レースに出る12艇・24人+支援艇含め10名ほど以外の部員は、レース運営に出ます。

8:30出艇予定でしたが風が弱くハーバー待機になりました。
先月入部した1回生たちに声を掛け話しました。
女子マネージャーも5人入部してくれ、頼もしい限りです。
男の性で、女子マネージャーとの会話の方が楽しく長居しちゃった。

隣では、京都府の国体予選が開催されており、ジュニア時代に海外レースに引率したY君が、高校ヨット部の教員・引率者として来ていました。
京都海洋高校ヨット部員とも話しました。
新しくヨット部が出来た高校で、場所さえ知りませんでしたが、宮津湾の東の半島の東海岸にあるそうです。
学校の前が海で、すぐに練習に出れるそうです。
水産科の府立高校だそうで、漁師・船員などになるそうです。

少し風が出てきたので、国体予選のレース艇が出艇し、当方も練習のために出ることにしました。
13:30に陸上のAP旗(レース延期信号)が降下され、14:30にレースがスタートしました。
2m/sほどの風で軽風レースを1レース行い、ハーバーバック。

20170521OsakaS262s.jpg 17:00から閉会式が行われ、定期戦独特の各大学のエールを楽しみました。
2位でした。
D社の壁は厚いです。
合宿所に戻り、ミーティングです。
僕が、気象エマージェンシーのことを天気図を描き、雲の写真を見せ話しました。
急激な気温低下・突然の大雨・突然のど強風が襲う寒冷前線通過の状況を体験を交え話しました。
元コーチ・現監督が話しました。

楽しい夕食です。
カレーライスにプラスし、2回生女子マネさんの誕生日だからかデザート付きでした。
年々、食事が良くなっている。

満腹になり、帰路につきます。
湖西道路~名神で、20:01「桂川PA」
「ガリガリ君レモンスカッシュ75円」で恒例の糖分補給し、20:30頃帰宅。
バイクを片付け、ヨットの用意なども片付けて21時を過ぎましたが、家内がまだ起きており、用意してくれていた夕食を少し食べながら話しました。

5/21・三尾神社~新羅善神堂

20170521OsakaS188s.jpg 20170521OsakaS189s.jpg 20170521OsakaS196s.jpg 境内にも、うさぎの像がある。
拝殿の屋根正面垂れにもうさぎの彫刻がある。

『三尾神社とうさぎ 三尾明神が太古、卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・兎の方角より出現されたので「うさぎ」が神様の使いとされている。御神紋は「真向きのうさぎ」とされ、卯年生まれの方の守り神として崇められている』

拝殿の鈴の前に下る暖簾にまで、ウサギの神紋です。
可愛い神社だな。
20170521OsakaS203s.jpg 本殿を覗くと、左右を武者木造が守護しています。

20170521OsakaS208s.jpg 『参拝の唱えことば 運気上昇 「祓へ給ひ、清め給へ、守り給ひ、幸い給へ」』
神様の存在の有無は知りませんが、神を祀る神社に向かって手を合わせる行為は、自らに向き合うことで、これまでの生活を振り返ることで、自らや子孫の繁栄を願う心が湧きます。
それが明日からの努力につながり、神社への祈りで頂いた根拠のない自信が、行動する勇気につながるように思います。
それが運気を上げることになる。

20170521OsakaS216s.jpg 6:34、三井寺の山門を激写。
「新羅善神堂」に向かうと、6:38、「FURIAN 山の上迎賓館」の暖簾が下がる上品な日本式の門の前に出た。
20170521OsakaS217s.jpg 門前は水を掛けて掃除した後で、感じの良いレストランだなと思い帰宅後調べました。
ガーデンレストラン&ウェディングでした。

道標があり、各史跡道程が書かれています。
「新羅善神堂(国宝)0.1km」
『逢のみち湖のみち山歩みち 大津の散策路 大津京の道 長等神社1.85km 崇福寺跡4.55km 弘文天皇長等山前陵 弘文天皇は天智天皇の第一皇子であった大友皇子で、叔父の大海人皇子(天武天皇)との皇位継承争い(壬申の乱672年)に敗れ、この付近で自害された。日本書紀では、即位は認められていないが、明治3年(1870)に第39代天皇として諡号された』

20170521OsakaS221s.jpg 野生の勘で細道を歩いていくと、木戸が半開きになっています。
そこを入ると右側に玉垣が囲んだ檜皮葺きの社殿が見えました。
20170521OsakaS229s.jpg 社殿前の境内は年季が入っており、社叢に巨木が数本見えます。
とても良い感じです。

20170521OsakaS238s.jpg 『堂は3間四方・流れ造り、屋根は檜皮葺の美しい建物で、国宝指定されている。暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。新羅明神は、圓城寺開祖智証大師の守護神で、本尊・新羅明神坐像も国宝。源頼義の子・義光がここで元服し、新羅三郎義光となったのは有名です』

長等神社の謂れ板に書かれていたように、三井寺圓城寺の鎮守社として新羅前神堂が勧請されたようです。
智証大師と新羅の関係に疑問を持った。
智証大師は最澄・空海などと一緒に唐に渡った学僧の1人ですが、新羅経由で帰国したのかな?

湖西に多く住んだ渡来系氏族出身なのかとも思ったが、朝鮮半島は神功皇后の三韓征伐以来、日本に朝貢する国ではあったが、天智天皇の任那・百済への援軍が、新羅・唐連合軍に敗れて以降は、新羅が朝鮮半島の勝者であり、百済系の渡来人が多かったはず。
どうも智証大師と、新羅の関係が腑に落ちない。

帰宅後調べたら、最澄・空海・円珍ら一行は、豊前宇佐神宮に参拝し、航海の無事を願った。
宇佐の八幡大菩薩の勧めで香春神社の賀春宮で航海の安全祈願する。
途中色々あったが、新羅の商人船で無事大陸に渡れた。
香春神社の祭神は、新羅から渡来した新羅の神だそうで、以来守り神になったそうです。

九州北部は、地理的に渡来人が多く住んだ地域なので、新羅からの渡来人が新羅の神を祀ったのでしょう。
あるいは、海上貿易基地として駐在した新羅人が祀ったのでしょう。
ここに参ることは、新羅貿易船とのコンタクトを取るということでもあったと想像します。

因みに円珍は空海と同じ讃岐出身で、空海の甥ということでした。
湖西の地域柄、湖西に棲む渡来人との関係が想像されましたが、違っていたようです。


5/21・長安寺~長等神社~三尾神社

20170521OsakaS108s.jpg 20170521OsakaS112s.jpg 20170521OsakaS120s.jpg 小野小町の供養塔があった。
『謡曲「関寺小町」 老衰した小野小町がなお優秀な歌人として風雅で上品な気質であることを描いた老女物。関寺の住職が、稚児を連れて山かげにむ老女の許へ歌物語を聞きに行った。老女の歌物の言葉から彼女が小野小町であることがわかった。小町は昔の栄華を偲び、今の落魄を嘆いた。寺の七夕祭に案内された小町は稚児の舞に引かれて我を忘れて舞った。牛塔は日本で最古最大の宝塔で、芸術上からも立派な重要文化財です。その他残るものはないが、かえって老女小町の隠棲地にふさわしく思える』

本堂前の賽銭箱の上に牛の置物が載っている。
本堂内は見えなかったが、『牛仏(迎葉仏) 関寺遺跡 時宗・長安寺』となっていた。

「関蝉丸神社下社」は、きっと線路の反対側からアプローチするのだろうと思ったが、今回はパスして北上することにした。
6:05「長等神社」
20170521OsakaS141s.jpg 参加地の大津絵のお店が健在です。

20170521OsakaS146s.jpg 『長等神社 祭神:建速須佐之男大神・大山祇大神・宇佐若宮下照姫大神・八幡大神・市杵島姫大神 天智天皇が大津宮に遷都(667年)の際、鎮護として建速須佐之男命を滋賀の長等山岩座谷の地に祀られた。天智天皇が669年5/5、宇治山科からの帰途当社に弓矢を奉納され、大友興多王(天智天皇の孫)が祭日と定めて以来、今も5/5を例祭としている。貞観2年(860)三井寺を開祖された智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、一山の守護神として祀られ、新日吉社または新宮社と称するようになった。天喜2年1054)、現在地に遷宮され、この地を神出と称することになった。
永保元年(1081)白河天皇が勅使を参向せられ、平安を祈願された。延元元年(1336)南北朝の戦乱によって社殿・楼門その他が焼失した。興国元年(1340)足利尊氏によって再建され社殿壮麗にして12の回廊や楼門その他多くの建築物があり、湖南の大社と言われ、皇室を始め武将や多くの民衆から崇敬され隆盛をきわめた。明治37年(1904)鎌倉時代様式を基本に、平安・室町時代の和様建築の粋を取り入れ、現在の楼門を復興した』

『大津市指定文化財 長等神社楼門 3間1戸・屋根入母屋造・檜皮葺。技師・安藤時蔵、技術員・青地安太郎の設計のもと、明治37年5月起工・38年8月竣工。比較的小型ながら、上下の均衡が美しく、左右の広がりも適度で、各部の曲線も美しく、優れた姿をしています。室町時代の様式に則った秀作で、明治時代の楼門の代表作です。建築に関わる棟札や図面などの史料がよく保存されている』

『さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな 平清盛の弟・平薩摩守忠度の詠んだ歌は有名で、平家物語や千載和歌集にみえる。忠度は訪れたであろう長等の春を清盛を思い起こして、平家都落ちの際に詠んだのではないか。
この歌碑は、長等山の山上に建てられている碑を、より多くの人に見ていただくために、その歌碑を模して当社境内に建てたものである』

20170521OsakaS157s.jpg 本殿・拝殿ともに檜皮葺で美しく、朝早く僕の滞在中にお散歩がてらのお参りの方が2人おられただけで、落ち着いてお参りでした。
いつも通り、「私の人生をありがとうございます」「そして子供たちや孫達の健康を御守ください」です。

摂社の「稲荷神社」と「馬神神社」にも参った。
20170521OsakaS175s.jpg 馬神神社には、馬主さんからなのか「・・号」と競馬の勝利を願うような札が掛かっていた。

6:20「琵琶湖疏水のトンネル」
琵琶湖から流れる人工運河の琵琶湖側トンネル入口の上です。
ここから三井寺の下を通り、蹴上まで疎水を流し、発電したり、哲学の道を潤したりして、京都盆地に豊かな水の流れを作っています。
明治の大工事に頭が下がり、設計監督が大学を出たばかりの若者であり、彼に任せる京都市の度量にも感心します。
若い時代でした。

6:23、「三尾神社」
破風の神門が立派です。
うさぎの口から手水が流れている。

『祭神:伊弉諾神命 太古伊弉諾神命が、この地に降臨され、長等山の地主神として鎮座されたのを創始とする。この神は、常に赤・白・黒3つの帯を着し、その形が三つ尾を引くのに似ているので「三尾明神」と申し上げる。貞観元年(859)圓城寺開祖・智証大師が琴緒谷に社殿を復興され、以来篤い崇敬を受ける。応永年間足利将軍現存の本社を再興し、慶長年間豊臣秀吉も社殿を修理し、社領を寄進するなど、世に崇敬されてきた。明治9年本社を琴緒谷から遷し今に至る』

5/21・蝉丸神社~逢坂山弘法大師堂~関蝉丸神社・上社~長安寺

公衆トイレが、旧跡らしく「厠」となっていました。

『大津市は京都に隣接していることから、歴史の舞台に何度も登場してきました。世界遺産・比叡山延暦寺、三井寺、石山寺などの歴史遺産を有し、全国で10番目に古都指定されました。日本一大きな琵琶湖など、美しい風景と自然を四季を通じて楽しむことが出来ます』

『逢坂の関 初出は平安遷都翌年・延暦14年(495)に逢坂の関の前身が廃止されたという「日本紀略」の記述です。そのご、京都を守る重要な3関(鈴鹿関・不破関・逢坂関)の1つとして重要な役割を果たしましたが、平安後期以降、形骸化していきました。その関の位置は、現在の関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺)だったと言われています』

20170521OsakaS007s.jpg この関は、平家物語なので、公家や皇室の収入源として書かれていたと記憶しています。
20170521OsakaS010s.jpg 関を京都側に歩いていくと、「日本一うなぎ処・かねよ」のお店がありました。
20170521OsakaS011s.jpg 20170521OsakaS015s.jpg お店を過ぎると「蝉丸神社」がありました。

『天慶9年(946)、蝉丸を主神に祀られた。蝉丸は盲目の琵琶法師で音曲芸道の祖神として、平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものです。万治3年(1660)現在の社が建立され、街道の守護神・猿田彦命と豊玉姫命を合祀してお祀りしています』

20170521OsakaS018s.jpg 石段下両側の提灯に明かりが入っている。
早朝ですので、夜中も灯が入っているのかな?
20170521OsakaS020s.jpg 石段を登ると、蔵の扉が開いており、神輿が見えています。
20170521OsakaS021s.jpg これは素晴らしい、菊の御紋と五七桐紋が入った神輿がスタンバイしています。
20170521OsakaS028s.jpg 目を転じれば、境内に焚き火がたかれ、数人の氏子が椅子に座って駄弁っています。
前日から神輿を整えに来ているように見えます。
20170521OsakaS027s.jpg 神輿を載せて引っ張る台車もスタンバイしています。

境内周囲の提灯にも火が入り、境内中央舞台には奉納清酒が並んでいます。
20170521OsakaS035s.jpg 太鼓が柱にくくられ、舞台内にも小ぶりの神輿が鎮座しています。
本殿に幕が張られ、椅子が並べられている。

20170521OsakaS041s.jpg 拝殿にお参りする。
20170521OsakaS048s.jpg 神輿のある舞台を見ると、琵琶が置かれており、「神宝御琵琶」と墨書された立て札が、その横に「神宝御杖」も。
蝉丸が使った琵琶や杖のようです。
ラッキーな日に来ました。
手を伸ばせば触れますが、もちろんそんなことはしません。
帰宅後調べたら、次週5/28に「芸能祭」があるそうです。

バイクに戻り、R1を大津側に下ります。
5:22「逢坂山弘法大師堂」
5:25「関蝉丸神社上社」
20170521OsakaS059s.jpg ここの提灯にも火が入っています。
20170521OsakaS060s.jpg あの神輿がやってきそう。
20170521OsakaS061s.jpg 石段を上がっていくと、夜のお祭りの写真がたくさん貼られています。

20170521OsakaS065s.jpg 『嵯峨天皇弘仁13年(822)近江守小野朝臣、逢坂山山上山下に祀り、坂神とする。上社祭神:猿田彦命・蝉丸霊 下社祭神:豊玉姫命・蝉丸霊。文徳天皇天安元年(857)「逢坂の関」開設し、当社関所の鎮護神となる。円融天皇天禄2年(971)論旨を給い音曲芸道道祖神となり、明治維新まで免許状を下附する』

20170521OsakaS075s.jpg 更に石段を上がると、トタン屋根に「蝉丸本宮」と書かれていた。
20170521OsakaS084s.jpg イマイチだなと覗くと、トタン屋根は覆屋で瓦屋根の本殿があった。
木鼻の象に玉眼が入っているようだ。
境内一面を杉苔が覆い、いい感じです。

更にR1を下り、R161に乗り換え、京阪電車の踏切手前を枝道に入ります。
目指すは「関蝉丸神社下社」ですが、GPSで真横を通ってるのに神社がない。
いい感じの山道ですが、どうやら神社が崖の下のようです。

5:39「弁財天」
20170521OsakaS099s.jpg 近松寺・善光寺があった。
次の目的地「長安寺」も崖の下のようで、適当に枝道を下ると、京阪電車「上栄町駅」横の踏切に出た。

ここにバイクを置き、徒歩探索です。
線路沿いを歩くと、「長安寺踏切」があり適当に登っていくと「長安寺」がありました。
『重要文化財・長安寺宝塔 高さ3.3m、角型の基礎石の巨大なツボ型塔身を置き、笠石を付けたもので、鎌倉時代初期に作られた日本を代表する石造宝塔です。一般に関寺(昔この辺りにあった)牛塔と呼ばれ、霊牛の供養塔です。万寿2年(1025)「関寺縁起」によると、天延4年(976)の大地震で破損した関寺を修復する時、資材を運搬した1頭の牛が仏の化身であるという噂が立ち、多くの人が関寺に参拝した。万寿2年、霊牛は関寺の工事が終わると死にました。その霊牛を供養し祀ったのが、この牛塔』

5/21・逢坂の関

コーチしてる大学ヨット部の定期戦の日です。
家内も休みでしたが、泣く泣くヨット優先です。

目を覚ましたら、まだ2時台でした。
あまりに早いので二度寝して次目を覚ましたら3:30。
もう寝れそうにないので、出発することにしました。
寝る間に準備をしていたので荷物は積むだけで、ラッシュガードなどヨット装束を着た上に、夏用メッシュプロテクター上下を着て出発です。
でもサングラスと紫外線対策つば広ハットを忘れてしまいました。

3:57、「招き猫CB400SB」で出発。
例によって早朝寺社巡りをしますが、それほど厳しい道ではなさそうなので、高速道路に乗ることもあり、VTR250はお留守番です。

R171~中央縦貫道~名神吹田IC~4:35「桂PA」でトイレ休憩。
再び走り出し、京都東ICで下車して、R1に乗り東進し、逢坂峠を登っていきます。
ここを走る京阪電車・京津線(京都~大津)が、日本有数の勾配電車であることを最近知りましたので、横を走る線路の勾配を見ながら走ります。

今まで何度の通っているのに、最近知った日本一急勾配にある駅「大谷駅」40パーミル横を通過し、4:57「蝉丸神社」近所。
「逢坂の関跡」前にバイクを停めます。
20170521OsakaS001s.jpg 京阪電車がすぐ下で、トンネルに入っています。
峠最標高部をトンネルで抜けます。

20170521OsakaS002s.jpg 『峠の付近(逢坂関跡) 大津絵販売之地 浜大津ハン六 2代目六兵衛』の石碑が立っています。

『逢坂の関と文学 小倉百人一首 「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸」「夜をこめて 鳥の空音は はるかとも よに逢坂の せきはゆるさじ 清少納言」
源氏物語 「関屋の巻」常陸介と共に東国に下っていた空蝉と石山詣の途中の光源氏が再会する。「賢木(さかき)の巻」斎宮下向の日、思いを募らせた光源氏が、娘とともに伊勢へ下る六条御息所に歌を贈ります。それに対する御息所の返歌「またの日 関のあなたよりぞ 御返しある」
枕草子にもある』

20170521OsakaS005s.jpg 『逢坂峠と東海道 大津は奈良時代から、物資の集積する京の玄関口として栄え、それを支えたのが東海道でした。特に逢坂峠は、東海道の中でも要衝の地として重視され、逢坂峠から瀬田を含む大津宿周辺は、海道一の繁栄を極めました。また車石と呼ばれる石を敷き詰める街道整備が行われた』

『車石 江戸時代の逢坂峠は、大津港で陸揚げされた京都へ運ぶ米俵などの輸送にも重要な役割を果たした。これらを運ぶ牛車が泥道で立ち往生しないよう車石と呼ばれる石が敷設されました。その工事は文化元年(1804)から行われました。
今も旧東海道沿いに残されており、当時として画期的な街道整備を知る文化財となっています』

『大津算盤 大津は日本での算盤発祥之地。慶長17年(1612)、大津一里塚町(現大谷町西側)の片岡庄兵衛が、長崎で明(中国)から算盤を手に入れ、改良を加えたことに始まる。材質は、珠がツゲ・ヒイラギ・梅、枠がカシ・柿・黒檀・紫檀などで、桁の軸には丈夫な細竹が使用された。枠や底部に作者名が木版印刷された和紙が貼られているのもが多い。算盤製造は明治期に廃れますが、算盤師の看板や製作道具、宝永2年(1705)銘の算盤などが現存しています』

『大津針 江戸時代「東海道名所図会」によると、逢坂山付近名物として「大津絵・算盤・縫針」の人気があります。貝原益軒は「逢坂山この辺の町に針を売る所多し、虎屋は良工とす」と評しています。追分池川針・すみや針も有名で人気を得ていたが、現在は途絶えています』

20170521OsakaS006s.jpg 『大津絵 いつごろから始まったか不明。17世紀前期には、東海道往来の土産物として絵が売られていた。その後、近松門左衛門「傾城反魂香(けいせいはんごうこう)宝永5年(1708)初演」によって全国に名が知られる。庶民向けの絵であることから、生産コストを抑えるため、描写を簡素化し、細かい描写は小型の版木を押して、素早く描けるよう工夫してあります。素朴な画風は様々な画家に愛され、円山応挙・富岡鉄斎・浅井忠なども大津絵をモチーフにした絵画を描いています。愛好家は全国にたくさんおり、その伝統は今でも受け継がれています』

逢坂の関で運搬牛が暴れたり、線路のように車の通るところだけ石畳にしてある描写を、いろんな本で目にしてきた。
大津絵は、1週間前の和歌山・海南ツーリングでも瓦に描かれたものを目にしていました。


5/19・ご婚約

昼ご飯を食べながらニュースを見ていたら、秋篠宮家のご長女・眞子内親王さまのご婚約発表が延期されたと伝えていた。
九州の梅雨前線に伴う大雨の被害に考慮されたようです。

延期されても、お目出度いことにかわりはありません。
ご両親同様、大学時代の同級生カップルということで、とても好感を持ちました。
ご両親のご結婚の時も、お兄さんのように皇太子ではなく、少し気軽だし、なんか気さくな感じのするカップルで、いいなと思っていました。

お子さんも3人育てられ、温かい家庭を感じます。
眞子内親王・佳子内親王は、お二人とも可愛く好かれそうな感じで、佳子内親王殿下がお姉さまの後を追うように、学習院大学からICUに転学なさったのを見て、姉妹仲がいいんだろうなと想像しました。

2人共そろそろ結婚だなあ・・・と思っていたら、ご両親同様大学を出て数年での結婚になりました。
僕も家内と同級生で、学生時代から付き合っていたので、大学卒業する前にプロポーズしており、24才で結婚しました。
長男誕生が25才で、次男が28才の時でした。
僕は結婚後、また学校に入り直し、6年学びました。

結婚には勢いというか「大好き」上昇中の流れが必要なので、学業終了後2~3年が勝負です。
ここで男が決断できなければ、いい女は去っていきます。

眞子内親王殿下の婚約者さんもそうですが、学部卒業後更に勉学に励む方も多いです。
それでも、学部卒業後2~3年が勝負です。
家内の姉は、学部同級生でクラブも一緒だった旦那さんと、学部卒業後1年で結婚しました。
お兄さんは、学部卒業の年に入試を受け、学部卒業後すぐ大学に入り直しました。
お姉さんが長女を抱えながら働き、家内の実家からの仕送り・サポートによりお兄さんの学業を支えました。

結婚できない理由をいろいろ上げて、社会に責任転嫁する風潮がありますが、2人のやる気さえあればどんな状況でもやっていけるものです。
今も若い多くの学生と接していますが、学部中に付き合っていても、3年を過ぎてまだグズグズしているカップルは、たいてい破局しています。

以降は腐れ縁になるだけで、結婚への情熱が冷めてしまい、新たなアプローチがあれば、女性はそちらに惹かれてしまいます。
いい女であればあるほど、男からのアプローチが多いのでそうなっちゃいます。
家内は別の学部で、その学部で一番の美女でしたが、学部1回生の時から2年間付き合った僕と同じ学部の子も学部一番の美人さんでした。
すごく羨ましがられましたが、僕がクラブで週末デートできなかったことと、のんびり付き合っていたので、他学部の1年先輩に取られちゃいました。
そして彼女は、学部卒業した翌月、その先輩と結婚しました。

「いい女ほど、先に売れちゃう」
男は、これを頭に置いておかないと・・・
ドラマでは、「勉強は出来るけどスポーツはダメ」「美女ほど性格はダメ」なんて構図が定番だけど、僕の経験では「勉強できるやつはスポーツも出来る」「美女は日頃の食生活バランスがいい、早寝早起き生活の結果。健康で、性格も良いので自然な笑顔になり美女」です。

時に男は、根拠のない自信が必要で、「えいやっ」が必要です。
おめでとうございます。

5/14・和歌山海南・有田ツーリング14 宇賀部神社~帰宅

『敬神生活の綱領 神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培い、太平を開くの基である。神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。この綱領を掲げて向かうところを明らかにし、実践をつとめて以て大道を宣揚することを期する。
1.神の恵みを祖先の恩と感謝し、明るき清き誠を以て祭祀に勤しむこと
1.世のため人のため奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
1.大御心をいただいてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存・共栄とを祈ること』

20170514KainanS728s.jpg 参った後、社門でパンフレットを頂き、小野田さんや名草戸畔を学ばせてもらったので、絵馬を授かることにしました。
絵馬の初穂料は500円ですが、生憎1000円札しかないので奮発し、2種類の絵馬を授かりました。

20170514KainanS738s.jpg 因みに、名草戸畔は女性です。
卑弥呼・天照大神・・・日本人は、古代から女性をリスペクトしていましたね。
昨年、国連から「天皇が男系のみ」「女性の社会進出が少ない」と女性差別国家と指摘されていますが、男が働いた給料も自分の通帳も両方握って、家庭を差配しているのが日本女性です。
「レディーファーストの国・アメリカ男性だって、妻に必要な生活費を渡すだけで、財布をしっかり握ってる。女性にお金を持たせない他国に言われたくないわ」と憤慨しました。
僕も、各種引き落としがあるので自分の通帳は家内に預けっぱなしです。
こないだも「僕の通帳ナンバー教えて」なんて、家内に聞いていました。

20170514KainanS733s.jpg 自らの思考を相手に押し付け、それに従わせようとするのではなく、お互いの生い立ちを認め、互いの文化を尊重しあうお付き合いが平和の基だと思います。
実質的は、日本の方がよっぽど女性を尊重しています。
そういう文化の国です。

20170514KainanS729s.jpg 手入れされているお宮なので、絵馬掛けにも新し目の絵馬が下がっており、杉尾神社のそれと随分違います。
末社を見に行きます。
20170514KainanS731s.jpg 御神木・栂の木の前に紐が張られ、御神籤結びになっています。

16:21です。ここから一気に帰りましょう。
r160を北上し、阪和道沿いを「和歌山IC」まで走ってもいいのですが、市街地に近づくと面白くないので、r9に乗り換えて更に北上します。

16:36「和歌山電鉄・貴志川線・伊太祈曽駅」横で線路を渡りました。
20170514KainanS743s.jpg ローカル線なのに、ホームに割合人が多いです。
20170514KainanS744s.jpg たま駅長で全国区になり、中国人観光客まで来るから儲かってるのかな?

紀の川手前まで北上し、r143に乗り換え西進して、「和歌山IC」から阪和道に乗ります。
ブイ~ンと北上し、17:01「紀ノ川SA」。
恒例のアイスで糖分補給しようとアイス冷蔵庫を覗いたけど、モナカとかバカ高い高級アイスとかお呼びでないのでパス。
200円超えのアイスって・・・

ブイ~ンと走って、17:36「岸和田SA」。
「味わいソフトバニラチョコ・140円」を堪能し給油。
242km/10.46L=23.1km/L。
20170514KainanS747s.jpg ツバメの巣があった。

ここから休憩なしに帰りました。
高速道路は、ビビリなものでスピードを出すと緊張して疲れるから、75~80km/Lでちんたら走り、同程度の遅い車に追いつくとそのまま金魚のフンをする定番スタイルです。
東大阪あたりに、コンビニぐらいあるPAが欲しいな。
疲れているだろう帰路でしたが、18:54帰宅しました。
まだ明るくて良かった。

海南の寺社の歴史が興味深く、750枚も写真を撮ってしまいました。
いつもの2~3倍です。
家内にお土産の果汁梅酒を渡し、2人で「ゆず梅酒」をおちょこ1杯だけ飲んでみました。

「お父さん、倒れないでね」と言われながら飲みました。
倒れるわけありませんが、30才前2人で息子たちを実家に預け東京に行った時、ホテルで僕の高校ヨット部の同期と飲みました。
ビール1杯・ウイスキー2杯目を飲んで家内相手にダンスしてた時、脳貧血を起こし視界が暗くなり、床にヘタレ込んでしまいました。
すぐに元通りになりましたが、ちび2人置いてあの世に逝くことは出来ないと思い、以来アルコールは飲まないようにしました。

宴会でビールに口をつける程度ですので、家内へのお土産でしたが、夏に帰省する次男夫婦用にあとの2本は放置になると言います。
娘時代は、母親が飲まないので、父の晩酌相手をするためビールを少しだけ飲んでいたのだから飲めばいいのに、1人で飲んでいる姿なんて見たことがりません。

もう息子たちも一家を立てているのだから、僕なんか一巻の終わりになっても困らないのだから、僕の健康を気遣う必要なんてないのに・・・

5/14・和歌山海南・有田ツーリング13 宇賀部神社

『暮らしの中に感謝の祈りの心、そして笑い(笑顔)を! 最大の味方は「笑う」 小野田寛郎 「笑う門には福来る」という。私はこの「笑う」ことで助けられた。励ましも慰めも、弱気になる時なった時支えになる。しかし、それ以上に私の味方になってくれたのは「笑う」ことだった』

『神社には、清らかな生命の息吹が満ち溢れています。自然を楽しみながら、ゆったりとお参りください』

『国旗・国歌はその国のシンボル! それぞれの国の歴史や文化、宗教や民族性を表現しています。それらを互いに尊重し合うことが、国際的にもとても大切なマナーです。祝祭日には、国旗を揚げてお祝いしましょう!』

20170514KainanS704s.jpg 『名草戸畔伝説 当社の祭神は神名帳によれば「迦具土神」(火の神)となっていますが、「名草戸畔」の頭を祀るとも伝えられています。名草戸畔は、名草山の東麓・吉原の地に本陣を構えた豪族の首長でした。大田亮氏の「姓氏家系大辞典」にあるように、「名草戸畔は存在し、何らかの大事件があったことは、この地方の伝承で伺い知れる」。時は日本の黎明期、各地に豪族が割拠して覇を競いあった。日向で頭角を現した伊波礼毘古命(神武天皇)兄弟が、九州を勢力下に収め、各地を平定しつつ大和を目指した。だが紀の国では、思わぬ抵抗勢力の反撃にあった。「毛見ノ浜」に上陸した東征軍は、名草戸畔と死闘を繰り広げた。
東征軍は皇兄・五瀬命を失い、鎮魂の地に竈山(かまやま)神社を創建した。一方、名草戸畔は勇戦奮闘したが、その甲斐なく最期を遂げた。そこで邑人は泣く泣くその頭を携え、小野田の里に身を潜め、高倉山の北麓にあるこの小高い山に葬ったのが、「おこべさん」の由来である。因みに、名草戸畔の腹部は杉尾神社(高倉山の南麓・海南市阪井)に、脚部は千種神社(海南市重根)に祀られている』

やはり、名草戸畔の頭を葬った地でした。
ラッキーにも、腹部を葬った杉尾神社と足を葬った千種神社も、参ったところでした。
以前横を通ったけど参らなかった「竈山神社」にも今度参らなきゃ。

20170514KainanS713s.jpg 石段を上がっていくと、ナイスな鷲?の彫刻が施された社門がありました。
鬼瓦もナイスです。
20170514KainanS717s.jpg 神社拝詞が掛かっています。
これだけ近隣の神社に下がっていると、子供でも覚えてしまいそうです。
漢字にはふりがなが振ってあるので、子供でも読めます。
天井からたくさんの折り鶴が下がっているのは、どういうことだろう?

小野田さん関係の写真などが置いてあります。
20170514KainanS720s.jpg 小野田寛郎さんと、冒険家・鈴木紀夫青年との石膏像がありました。
小野田さんの著書が展示されています。
まさに地元のヒーローですね。
僕も旧日本軍人の精神力の素晴らしさを、生還の時感じました。
50才ぐらいの年齢だったと思うが、背筋を伸ばしピチッと敬礼されていた姿が印象に残っています。

大学ヨット部の先輩に、特攻隊要員として終戦を迎えた学徒動員されたM先輩がいます。
OB会や後輩のレース応援で来られる時、いつも旧軍の軍帽を被って来られ、ピチッと敬礼されます。
明るい方なので、ドン・キホーテのような滑稽さも感じますが、他からどう見られようと一本筋の通った我が人生を貫いている姿に、僕ら後輩は感銘を受け、M先輩が来られると、誰もが敬意を表していました。当然レース観戦の席は、一番良い席を提供していました。
もう亡くなられたのですが、先輩の言葉とともに、僕の人生に大きなインパクト与えてくれました。
思い出します。

『小野田寛郎の人生を180度転換させた男、鈴木紀夫 昭和49年(1974)2月、日本の小野田捜索活動に触発された一青年・鈴木紀夫が、単身フィリピン・ルバング島に渡り接触に成功する。鈴木青年は25才で、日本の敗戦を伝え帰国を促した。
この接触により、小野田救出活動が現実味を帯び、昭和49年3/12帰国する。鈴木はかつて「パンダ・小野田少尉・雪男に会うのが夢だ」と語っており、最後に残った雪男発見に情熱を注ぎ、昭和61年(1986)12月ヒマラヤに出かけ、雪崩に遭って遭難し、翌年10月遺体で発見された。38才だった。小野田は慰霊のため、昭和63年1月にヒマラヤを訪れている。海南市は鈴木姓の発祥の地と言われ、和歌山紀伊国の「紀」を名前に持つ「鈴木紀夫」と接触し帰還できたのは、何か不思議な因縁めいたものを感じる』

5/14・和歌山海南・有田ツーリング12 願成寺~千種神社~杉尾神社~宇賀部神社

コミュニティバス停があり、往復2便/日の運行でした。
20170514KainanS608s.jpg 石段を上がって境内に上がると、落ち着いた本殿が正面にあった。
20170514KainanS620s.jpg 鍵の掛かった鉄筋コンクリート造の観音堂がありました。
この中に重文・千手千眼観世音菩薩像が保管されているのでしょう。
20170514KainanS621s.jpg ここも大木が多く、紀州・紀の国は、まさに「木の国」だと思った。

20170514KainanS623s.jpg 綺麗に彩色された大津絵が描かれた瓦があった。
20170514KainanS633s.jpg 1つ欲しいな。
本堂の隣がご住職のお宅だと思うが、こちらの造作がナイスでした。
20170514KainanS641s.jpg 玄関が破風になっており、その上に載っている鬼瓦が鶴の瓦彫刻です。
20170514KainanS642s.jpg 瓦なのにこんなに繊細に焼き上げている。
素晴らしい出来でした。

20170514KainanS644s.jpg バイクまでの下りを、コンクリート舗装の車道を下ったが、小さめの石を組んだ石積みがなかなかのものでした。
何故垂直に組まれているのに崩れないのか不思議です。
苔がしっかり生えていたので、長年この状態だと思われます。
20170514KainanS645s.jpg 
r18を下り、15:34「千種神社」。
20170514KainanS650s.jpg クスノキの大木が目立ちます。
『海南市指定文化財・天然記念物・千種神社のクスノキ 「行たら見てこら重根(しこね)の宮の楠にまかれた地蔵尊」と語り継がれてきたクスノキです。樹高29m・枝張り東西24m・南北25m・根回り15m。「昔、このクスノキの下に石地蔵さんを安置していたが、いつしか幹の中に巻き込まれてしまった。それで幹の下部が膨らんでいる」の言い伝えがあります。現在、多少の枝枯れはありますが、大きな空洞もなく豊かに枝葉を茂らせ樹勢が良い状態が保たれている。千種神社は百草(ももくさ)神社とも言われていました。百草が生い茂り、鬱蒼とした森林であった面影を残しているのが、このクスノキです。遠くからもクスノキが目立ち、地域のシンボルになっている名木です』

ここにも、清酒「長久」が奉納されていました。
神社拝詞が飾られています。
本殿は小さめですが、彫刻が素晴らしかった。
20170514KainanS661s.jpg 社殿を囲む築地が、地面から瓦を積み上げられた上に雨除け瓦が載っており、泥壁で瓦が崩れないようになっているよく見る瓦築地と少し違っていた。

R370~r160で、15:49「杉尾神社」。
20170514KainanS670s.jpg 長めの石段が上がっています。
それを上がった曲輪には社務所がありましたが、本殿はまた石段を上がります。
石段最上部を覆うような神門です。
そこに本殿がありましたが、脇の石段があり摂社「八坂神社」に行けるようです。
森に囲まれた夜はあまり参りたくない真っ暗になるだろうお宮でした。

r160~r161で、16:06「宇賀部神社」。
20170514KainanS695s.jpg 駐車場にバイクを入れ、本殿にお参りに行こうとすると、謂れ板が目に入りました。
それを読んでびっくり。
『この駐車場は、小野田寛郎元陸軍少尉の両親が晩年を過ごした屋敷跡で、枝垂れ桜と白梅が僅かに往時の面影を止めています。小野田少尉は諜報機関出身で、太平洋戦争中特命を帯び、絶海の孤島フィリピン・ルバング島に派遣される。同島を死守すべく終戦も知らず戦い続けること30年。上官の解除命令に接し下山したのが、昭和49年・51才の時だった。その日の思いを両親は、次の俳句に託した。
この朝(あした)、梅の一輪、咲きゐたり 父・種次郎陰膳も、果てとなりけり、梅の春 母・タマエ』

小野田さんは、和歌山出身だったんだ。
僕も衝撃的にこの奇跡の生還をTVで見ていました。
「頭の宮」と書かれています。
僕の先祖、美作の三穂太郎も祀る「三穂神社」も「頭の宮」と呼ばれ、美作菅家党の祖・三穂太郎が討ち死にした時、その頭をそこに葬り、祀っています。
嫡孫の誕生を祝って、庭に三穂神社を勧請していました。
このお宮も、誰かの頭を葬っているのかな?

「名草戸畔・伝承地」とも書かれています。
なに~朝参った「中言神社」に葬られた神武東征の時勇敢に戦い討ち死にした名草戸畔が住んだ地なのかな?

20170514KainanS699s.jpg 『宇賀部神社 鎮座地:和歌山県海南市小野田 祭神:宇賀部大神・荒八王子命・誉田別命 古記録は戦国時代の兵火で焼失し、確たる根拠はない。神武天皇東征時、皇軍に随順することをしなかった名草戸畔の首級を祀り、往古より頭の守護神として「おこべさん」の愛称で親しまれてきた。荒若王子命は東方100mに、若宮八幡宮は南方400m・高倉山中腹に鎮座していたが、宝暦4年(1754)本殿新築に際し合祀された』


5/14・和歌山海南・有田ツーリング11 田殿丹生神社~願成寺

14:35「田殿丹生神社」。
20170514KainanS572s.jpg クスノキの大木があります。
『田殿丹生神社・夏瀬の森のクスノキ 幹周7.32m・樹高22m・樹冠東西37m南北35mにも及ぶ大樹で、和歌山県内最大級のクスノキです。樹齢4~500年と推定される。田殿丹生神社のご神木で地域のシンボルです』

20170514KainanS591s.jpg 平安の大洪水で流路が変わり、鎮守の森が持って行かれたのでしょう。
神門を入ると祭の写真が貼られている。
『大神はこの神池・夏瀬の森へ御神幸され、ここを中心に水銀の開発に力を尽くされた。また農業を創始された。神功皇后や応神天皇は、大神を御尊崇し、1600年前に当社を建立された。この頃の夏瀬の森は、はるか南の方にも広がった大きな森で、有田川もずっと南を流れ、社殿も森の中にありました。1000年ほど前の平安期、大洪水のため森はその北部の一角のみとなり、社殿も白山の麓に移されました。現在境内に奉安されている御神木は、その大洪水で土中深く埋もれた楠で、河川工事の際現れた由緒深いものです。また
夏瀬神社の裏にそびえる楠は、足利義満公が金閣寺建立の際、天井の一枚板に使うため切り倒した切り株から生えた。
900年前、真言の僧・幻蔵上人が神社の東・神谷に七堂伽藍・21坊を建て、神谷山最勝寺と名付け両部神道によって奉仕された。その後一時衰えたが、明恵上人が再興され、豊臣氏の頃(400年前)最勝寺は破却され、それ以降は神道で奉仕されている。以前、高野大明神が井口にてお祀りされていたので、丹生社を上の宮、高野社を下の宮と申しますが、現在では高野大明神は本殿(丹生社)に祀り上げています。秋の例大祭には、上の宮と下の宮(御旅所)との間の御渡り祭祀が行われます。田殿の里の氏神様は、産業発展(農業・工業・商業)の神、開運の神、縁結びの神として、広く深く信仰されています。昭和3年、夏瀬の森は県史跡名勝保存顕彰規定により史跡に指定されました』

20170514KainanS598s.jpg 全国各地に「丹生」という地名が残っているが、高野山周辺・和歌山県北部に特に多いように思う。
水銀は、金を抽出する時に必要で、水銀は金と簡単に化合物となり、それを熱すれば水銀が蒸発し金だけが残ります。
石段を上り、本殿にお参りし、屋根のある場所に置かれている土中から掘り出された御神木の楠を参った。

R480を東進し、r18に乗って北上します。
峠越えの道で、僕はゆっくりだけどバイクで走るとなかなか楽しい道です。
峠を越え、海南の平野が眼下に見えだし、下りに入ります。

15:12「願成寺」
寺院に直接上がれると後でわかったのですが、急勾配の枝道が上がっていました。
「君子危うきに近寄らず」で県道脇にバイクを停めます。

20170514KainanS605s.jpg 『850年前、湛慶上人が創建。上人は美福門院(藤原得子)の兄弟で、三上院多田卿にあった千光寺の別当をつとめていた。平安末期・久安元年(1145)待賢門院(藤原璋子)が亡くなった時、その冥福を祈るため千光寺別院として当寺を建立した。「別院」という地名はここに由来する。かつて七堂伽藍が整い、堂塔も24舎を数える大寺院でした。本尊・千手千眼観世音菩薩は、鎌倉時代作で古くから注目され国の重要文化財となっています。所蔵する古文書は県指定の文化財で、裏山からは平安末期の経塚も出土しています。 宗旨:天台宗』

「待賢門院」と「美福門院」2人の美女を巡る争いは、平安末期の天皇・上皇を巻き込んだ大スキャンダルです。
白河院の長い院政の間、孫の鳥羽天皇は白河院の専制に苦しんだ。
白河院が少女の頃から育てた美女・藤原璋子(待賢門院)を后に押し付けられたが、その後も白河院との密会が続いたという。
生まれた顕仁(あきひと)親王(崇徳天皇)も、白河院との子であったらしい。
璋子は男を迷わす美貌の持ち主で、鳥羽天皇もその魅力の虜になってしまう。
やがてその親王が5才になると、白河院の命令で鳥羽天皇は譲位させられてしまった。
まだ21才だった鳥羽院は大いに不満を持ったが、実力では祖父に敵わない。

やっと白河院が崩御し、鳥羽上皇は院政を引き始める。
魅力的だが年上でも有り、祖父のお古だった待賢門院を遠ざけ、これまた美女の藤原得子(美福門院)を寵愛するようになった。
やがて2人の間に体仁(なりひと)親王が生まれる。
親王が3才になると、待賢門院との間に親王が4人いるにもかかわらず、崇徳天皇に譲位を迫り、美福門院との間の若い親王を近衛天皇として即位させてしまう。
崇徳天皇は、まだ23才でした。

これら、2人の美女を巡って、公家は待賢門院方・美福門院方に別れ、天皇と上皇の2つの権力も交え、ドロドロの権力闘争が繰り広げられる。
ここに天皇と上皇のボディーガードを職とする各地方の有力豪族武士達が、有力公家の命令で実力行使の戦闘を繰り広げたのが、「保元・平治の乱」でライバル源義朝を追い落
とした平清盛が、実力で最初の武家政権を打ち立てる。

その後の義朝の子・頼朝・義経、義朝の弟の子・木曽義仲の平家打倒を描いたのが平家物語です。
大長編小説ですが、男の子には権力争い有り、戦闘シーン有りの大スペクタクル作品で面白い。


5/14・和歌山海南・有田ツーリング10 紀ノ川フルーツライン~須佐神社~国津神社

途中、「広域農道・紀の川フルーツライン」のエンドがあった。
峠を南に越え大櫃海岸に出たが、旅館が建つ細い道になり、海まで降りる道がわかりませんでした。
下手に突っ込むと、急坂なのでUターン不能になりそうで諦め、道がジエンドしたタイミングでUターンしました。
150kgのVTR250ならもう少し探れるけど、200kgのCB400では無理出来ません。
これ以上大きなバイクだと、そもそもこんな道に突っ込めないので、僕の用途には使い勝手が悪すぎる。
バイクから降りずに、両足付けてヨチヨチバック出来ないとね。

峠まで引き返し、広域農道「紀の川フルーツライン」に乗りました。
気持ちの良い尾根道でナイスです。
景色の良さそうな場所にポツンと喫茶店?があったので、お茶しようかと思ったが営業していないようです。
すぐ近くに、もっと大きな施設が工事中のようで、レストランでも営業するのかな?

r20に乗り南下し、13:28「須佐神社」。
20170514KainanS504s.jpg 道に「飛び出し坊や」の女の子バージョンが置いてあった。
『祭神:素戔嗚尊 鎮座:和銅6年(713)』
駐車場にバイクを置き、石段参道を上がっていきます。
20170514KainanS513s.jpg 突き当りに「須佐駿馬・瑞光」と書かれた白馬の像があった。

20170514KainanS516s.jpg 神門が立派で、写真や催し物案内が貼られている。
20170514KainanS519s.jpg 天井が素敵で、由緒ありそう。
20170514KainanS521s.jpg 境内に厩があり、中に白馬の像が置いてある。
参道正面が神楽殿になっており、そこで職人さんが藁をなっておられる。
しめ縄でも作ってるのかな?

拝殿は参道に対して横を向き、左右に下げられた「御神燈」と書かれた提灯に「桃」が描かれている。
瓦にも桃が入り、この神社のシンボルが桃かもしれない。
20170514KainanS531s.jpg 龍の彫刻が立派です。
20170514KainanS529s.jpg 拝殿左右に設けられた絵馬掛けには、素盞嗚命がヤマタノオロチを天叢雲剣で退治しているかっこいい絵柄の絵馬が下がっている。

拝殿にお賽銭箱はあるが、上に鈴がないのでおかしいなと振り返ったら、参道中央の手水舎と思ってたとこに鈴が下がっていた。
20170514KainanS542s.jpg 鈴を鳴らすお下がりが異常に太く、ヤマタノオロチの尻尾のように、一旦下がったものを再び上に上げたから下がっている。
しかも2本。
これは初めて見ました。
鈴を鳴らそうとしたが、下がりが重すぎて鈴が鳴りません。
よく見たら、鈴の横に別の一般的な下がりが下がっていました。

この鈴舎も素敵で、印鑑のような文様があり、木鼻の龍の彫刻もナイスでした。
社務所を覗くと、「須佐神社(千田宮)絵馬・500円」が目につきましたが、無人なので授かれません。
神楽殿で作業中の方に、「絵馬を授かりたいのですが、初穂料は置いておいていいですか?」と聞くと、ハイハイと作業着のまま社務所に入られ、包んでくれました。
宮司さんだったのかもしれません。
20170514KainanS527s.jpg 赤い布に白地で「大漁・海上安全・有田千田宮」と染め抜かれた大漁旗もありました。

『国指定重要文化財・因州重景長拵糸巻太刀(いんしゅうじゅうかげこしらえいとまきたち) 身長68.2cm・反り1.8cm 須佐神社の祭神は素盞嗚命であり、和銅6年(713)鎮座。この祭神に因む須佐の地名は、万葉集に見える。延喜式神名帳に須佐大社とあり、有田地方唯一の式内社で、木国神名帳には従一位に叙せられている。古来より、朝廷・武家・一般の信仰が篤く、紀州徳川藩祖・徳川頼宣は当社を武神として尊信し、自らも参詣している。須佐神社に伝えられているこの太刀は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が武運長久を祈って当社に寄進したものである。刀身は、室町時代の名工・因幡国景長作、拵えは武田菱紋散らしの華麗な糸巻太刀拵で、江戸時代の作である』

更にr20で海岸線を南下します。
20170514KainanS549s.jpg 半島の上の風力発電が緩やかに動いています。
道が広くなった所には車が停まり、釣りを楽しんでいます。

14:02、鎮守の森まで来て入口がわからずウロウロしたが、「国津神社」。
石段を登ると境内になり、摂社のお稲荷さんがある。
20170514KainanS566s.jpg 祭神は大国主命でした。

更に南下し、次の訪問地は「背無畏寺(せむいじ)」ですが、急勾配の細道を上がっていくようになっており、VTRなら突っ込めるがCBだからギブアップしました。

r20を南下し、湯浅の街に入り、「湯浅」交差点からR42を北上します。
ここから気分は帰路です。
r22~r159~R480で有田川右岸を東進します。


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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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