5/14・和歌山海南・有田ツーリング4 鈴木姓ルーツ屋敷~中野BC

20170514KainanS156s.jpg 鈴木屋敷に入ると、「義経弓掛松」というのがありました。
20170514KainanS164s.jpg 庭の下草は定期的に手入れされているようですが、母屋はボロボロで今にも倒れそうです。
20170514KainanS165s.jpg 池があり錦鯉が数匹元気に泳いでいました。

『旧鈴木邸庭園は、「曲水泉」と言われるもので、今も残る貴重な庭園の1つです。「曲水泉」というのは、平安時代曲がりくねった水路に沿って並べた庭石に、人々が腰掛け、上流から流された杯が自分の所に着くまでに詩歌を作り、杯を取り上げて酒を飲み、次へ流す遊びに使われた庭です。造園の年代時期ははっきりしませんが、室町時代ではないかと考えられています』

『小栗街道 雄ノ山峠を越えて熊野へ参詣する熊野古道を小栗街道と呼んでいます。不治の病にかかった小栗判官が、照手姫の土車に引かれて熊野権現の霊験を求め、この道を通ったためです。判官は、熊野本宮に参詣し、湯ノ峰の湯を浴びてすっかり元気になり、照手姫と結ばれました。判官は後に、畿内5ヶ国(大和・山城・河内・和泉・摂津)と美濃を賜りました。この話は、説経節や和讃・浄瑠璃に脚色され伝えられています』

小栗判官は、同じ和歌山で言えば「安珍清姫物語」同様の伝説ですね。
でも歌舞伎などの世界では、定番の出し物です。

R42に出て、信号待ちしていた時、「日本庭園のある酒蔵」の看板が目に入りました。
先週「和歌山マリーナシティ」に船で来たとき、同行のHさんが言ってた酒屋かもしれない。
「ひょっとしたら、見学できるかな?」と、寄り道することにしました。

8:49、駐車場着。
制服を着た女性従業員さん達が出社してきています。
僕以外車はゼロだけど、「観光用お客様駐車場 中野BC株式会社」と書かれているので、日曜日だから見学できるのだろう。

門を入り守衛さんに声をかけると、9時から見学可で説明員が付くそうです。
僕1人なのに、笑顔の対応です。
20170514KainanS177s.jpg 待合場所にある看板を見ると、清酒メーカーのようだが和歌山らしく梅酒も作ってるみたい。

『熊野参詣の入口・海南市藤白で、1932年前身となる醤油醸造所を創業。戦後、焼酎製造に転換し、現在は造り酒屋として日本酒をはじめ焼酎・みりん・梅酒などのアルコール製品と和歌山特産品を原料とする健康食品の製造販売をしております。中野BCのBCとは「Biochemical Creation=生化学の創造」を意味します。
創意工夫の伝統を受け継ぎながら、品質第一をモットーに日々、研究開発に力を注いでいます』

「熊野参詣の入口」という言葉が藤白神社にも書かれていましたが、京から船で淀川を下り、渡辺津から大型船に乗り換え、近在地・名勝地「和歌浦」に上陸して熊野参りするコースがあったからです。
因みに、もっと南の田辺白浜に上陸して熊野を目指すコースもあります。

守衛さんがやってきて、いろいろ説明してくれます。
9時になり、説明員のお姉さんが来られました。
まずは日本庭園です。

20170514KainanS181s.jpg 『長久邸・庭園 創業者・中野利生の別邸だった屋敷と蔵を活用した「長久邸」。120畳敷の大広間の窓から望む広さ1万平方メートルの広大な回遊式庭園には、満々と水を湛えた3千平方メートルの泉水池と、悠々と泳ぐ白鳥や錦鯉の姿が見られます。その周りを松や梅、つつじなどの植え込みが取り囲み、春には桜の花や藤棚のカーテン、初夏には紫陽花といった花々の彩りとともに、四季折々の風情あふれる佇まいで訪れる人を迎えます』

20170514KainanS188s.jpg 中央に大きな池があり、白鳥が悠々と泳いでいます。
人工の中之島には枝振りの良い松が生え、江戸時代の大名の庭園を現代に遺している風に見えます。
周囲の森の中に人工の滝があり、その下に錦鯉が群れています。僕らがそこを通ると、餌の時間と勘違いした鯉達が我先にと、大騒ぎです。

東屋があり、対岸の池上建物が見えます。
池に面して数部屋あり、のんびりただ池を眺めているだけでリラックスできそうです。
「仕事場にこういう憩いの場があるのはいいですね」などと、説明員さんに話す。

池周囲の森の小道を周回し、工場建屋に入る。
20170514KainanS193s.jpg まずは梅酒蔵。
『主原料となる梅は、梅どころ和歌山でも最高級品種である南高梅のみ。そのリッチな香りと酸味の邪魔をしないよう砂糖やホワイトリカーも厳選し、漬け込み、撹拌、抽出、分離・熟成の各段階で、専門の梅酒杜氏が状態を見極めながら造ります。6ヶ月の漬け込みと、6ヶ月以上の熟成を経て、風味が高まり、色・味・香り3拍子揃った高品質の梅酒が完成。この原酒を元に、様々なカクテル梅酒が生まれます』

僕が子供の頃、母方のお婆さんから、毎年梅酒とぶどう酒が送られてきていた。
お婆ちゃんが手作りした原酒で、それを薄めて飲んでいた。
お酒というよりジュースとして飲ませてくれていた。
かなり薄めるので、子供でも飲めるアルコール度数になっていたと思うが、ジュースのように更に水分が欲しくなることもなく、カルピスより好きだった。

お婆さんが亡くなり、母と一緒に自宅で手作りするようになった。
ぶどうや梅を水洗いするが、きちんと水分を拭き取らないと腐ってしまって失敗したりしたが、概ね美味しく出来上がった。簡単なものだなと思っていた。

お酒が飲める年齢になり、勇んでワインを買いに行ったが、「赤玉ポートワイン」などの大手メーカーのものでも、味が薄すぎて手作りの味を知っている僕にはガッカリするものだった。
梅酒はまだマシだったが、やはり僕の手作り梅酒にさえ負けていた。

醸造棟には巨大タンクが林立していたが、今は新たな漬け込み前なので中身は空でした。
大画面TVを引っ張り出してくれ、梅酒製造工程を見せてくれた。
自分で作っていた体験を思い出しながら。
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5/14・和歌山海南・有田ツーリング3 藤白神社~有間皇子墓

有間王子神社がありました。
『今から1300年以上前、孝徳天皇の皇子であった有間皇子は、皇位継承の争いの中、19才の若さで散っていった悲運の方です。政敵であった中大兄皇子が蘇我赤兄を誘い、有間皇子に天皇に謀反を起こすことを勧めました。罠にかかった皇子は、その釈明のため牟礼の湯(白浜温泉)にいる斉明天皇のところに参り、その帰路藤白坂で絞殺されました』

20170514KainanS087s.jpg 藤白王子権現というのもあります。
鶴の顔を持つ龍の彫刻が珍しい。
鬼瓦も龍のようです。
『藤白五体王子の神宮寺「中道寺」の熊野三所権現と藤代若一王子の本地仏(熊野路で唯一現存する最古の造像)を祀る。熊野本宮・阿弥陀如来坐像、熊野速玉神社・薬師如来坐像、熊野那智・千手観音坐像、藤代若一王子の十一面観音立像は、和歌山県指定文化財です。いずれも平安朝の造像です。熊野入口を護る毘沙門天と不動三尊も祀る』

20170514KainanS090s.jpg 堂内の仏は、堂内の弱い光を浴びて、平安朝の造像とは思えないほど、金色に輝いていた。

有間王子のお墓に参ります。
途中に『紫川 上流の谷の石が紫色を帯びているからとも、村崎にあるからとも言われている。万葉集に「むらさきの名高の浦・・・」と詠んだ歌があります。
ここから見える現状の紫川は、阪和道の下を流れる側溝状態でした。

藤白坂を登ります。
関電和歌山発電所の煙突が見えます。
20170514KainanS107s.jpg 8:07「有間王子」のお墓到着。
20170514KainanS112s.jpg 四角柱の墓石は当然後世のものですが、お花が手向けられています。
その後ろに、小さな石仏や長い年月を経て角が丸くなった五輪塔・三輪塔が、まとめられており、こちらにもお花が手向けられています。
この地の方々の信心を感じます。

日本人が、捕虜として内地に収容され本国に帰る前に亡くなった外国兵のために供養塔を建て参っている墓を見ます。
フィリピンなどでも、大東亜戦争で現地で散華された日本兵を供養するために供養塔を建てて、清掃などを続けてくれています。
こういう心を持つ国と仲良くしたいものです。

20170514KainanS115s.jpg 藤白神社に戻ると、境内の車がいなくなり、男たちの声がなくなっています。
巫女さんが、ブロアーで境内の落ち葉を吹き飛ばしています。
20170514KainanS120s.jpg 社務所を覗くと、「鈴木屋敷物語500円」「これが鈴木の本家300円」という小冊子が売っていました。

社務所の掲示板に、「第7回全国鈴木サミット&鈴木フォーラム」の写真が飾られています。
和歌山で鈴木と言えば、鈴木孫一が有名で、戦国時代雑賀鉄砲隊を率い、傭兵として全国で活躍しました。
種子島に鉄砲が伝来した翌年に、ここ雑賀(和歌山)で量産を始めました。
種子島を中継地として、琉球やシナと貿易していた海族の本拠地だったからです。
織田信長の友軍として活躍したこともありましたが、石山本願寺に味方し、信長を散々苦しめ、最後は信長亡き後、秀吉の雑賀攻めによって滅びます。
鈴木さんの多い地ですが、ここに鈴木発祥の家があるそうです。

藤白の獅子舞の写真もあります。
そう言えばさっき男たちが用意してたものに、獅子舞の布があったことを思い出しました。
何処かで獅子舞を披露しているのかもしれません。

20170514KainanS123s.jpg 本殿屋根に鶴の彫刻が下がっています。
ここにも神社拝詞が下がっています。
和歌山県では定番なのかな?

「長久」と「紀伊国屋文左衛門」という酒樽が奉納されています。
神社には日本酒の酒樽が奉納されていますが、中身は入っているのかいつも疑問に思います。
空いた酒樽を飾っているのかな?
随時中身入り酒樽として奉納されているのかな?

摂社を巡ります。
秋葉神社『御札を台所に祀り、火災を防ぐ火伏せの神様』
20170514KainanS139s.jpg 木製のロバほどの大きさの神馬がありました。
『神様の乗り物、旅行安全や「ウマく勝つ」「ウマい物を授かる」霊力がある。紀州藩・徳川頼宣公より拝領の社宝「馬角」は大漁を呼び込む霊力があり、冷水の「潮まつり」に渡御する』。祇園神社『七夕まつりと疾病除けの神様』

井戸があった。
『宮水・紫の水 その昔、川の上流にm日に映えて紫色に輝く石があった。土地の人々は、自然の真水の恩恵に浴し「紫の水」と呼ぶようになった。宮水の変遷です。地元では、お酒醸造の貴重な清水として利用されている』

ボロアーしている巫女さんの所に行き、社務所にあった「千年楠御守」500円を授かりたいと申し出て手に入れた。
千年杉が入っているそうで、千年杉の絵柄の落ち着いた緑色の御守です。

「藤白神社」の駐車場前の交差点を挟んで向こうに、鈴木屋敷の駐車場がありました。
20170514KainanS152s.jpg その横が全国鈴木さんの発祥地「鈴木屋敷」です。
『全国200万鈴木姓の元祖とされる藤白の鈴木氏が住んでいた所です。平安末期(1150年頃)、上皇や法皇の熊野参詣が盛んとなり、熊野の鈴木氏がこの地に移り住み、熊野三山への案内役を務めたり、この地を拠点に熊野信仰を全国に普及すべく、3300余の熊野神社の建立に務めた。中でも鈴木三郎重家と亀井六郎重清兄弟が有名で、幼少の頃牛若丸が熊野往還にこの屋敷に滞在した時、山野を遊んだと伝えられている。
後に義経の家臣として衣川の戦いで共にその生涯を終えたと伝えられていますが、三郎重家は秋田の山奥で落ち武者として土着帰農し、鈴木家の分家として現在の秋田羽後町に歴史を継承し、その屋敷は国の重要文化財指定されている。藤白のこの地は、850余年の歴史を刻み歴史史跡として重要な存在で、全国鈴木家の故郷であり、鈴木家の宗家として当時の武家屋敷を復元し、歴史とともに後世に継承していく必要があります』

5/14・和歌山海南・有田ツーリング2 中言神社~藤白神社

兵の強い国というのは、時代が経ても続くものです。
薩摩隼人で有名な薩摩も強兵の生産地ですし、土佐もそう、紀伊半島もそうです。
織田信長・豊臣秀吉を苦しめた鉄砲傭兵・雑賀衆の本拠地です。
織田信長の本拠地・尾張は弱かったけど、徳川家康の三河兵は強かったそうです。
徳川家康と同盟していなければ、信長は浅井朝倉軍に、姉川の戦いの時討ち死にしていました。
陸奥兵も、「進軍した後はペンペン草も生えない」との表現が残るほど強兵だったそうです。

薩摩隼人なんか、傭兵として朝廷に仕え、隼人石として神社境内に残るほど、飾っておくだけで威力があったそうです。
この地を線で結ぶと、太平洋岸で、海族が住み着いた地とも合致します。
司馬遼太郎によれば、大東亜戦争で日本軍にあって勇猛果敢を発揮した台湾の高砂族も、海族で薩摩隼人など日本太平洋岸の海族と元は同族だそうです。

天照大神と素盞嗚命が誓約した時、スサノオが姉の勾玉の輪を飲み吐き出したのが八王子です。
アマテラスがスサノオの剣を飲んで吐き出したのが女神・宗像三神で、八王子の勝ちで、アマテラスがスサノオの「高天原を奪いに来たのではない」の言葉を信じることになる。
その後、うんこを投げたり無茶苦茶するんだけど・・・。

20170514KainanS045s.jpg 天皇家が祀る神道が、かつての敵・名草氏の先祖も我が先祖同様に祀る・・・こういうおおらかな所が好きです。
『紀の国名水・黒牛の水 黒牛潟の岩を通して湧き出る清浄水(境内の井戸水)』があった。
20170514KainanS049s.jpg 黒い牛の像のしたから竹パイプを通して流れ出ていました。
20170514KainanS051s.jpg 
r135~R42で、7:50「藤白神社」
「有間皇子暗殺現場」とともに、この日のメインディッシュです。
父である孝徳天皇が646年「難波宮」に遷都したのに、前年にクーデター「大化の改新」を起こした実力者で皇太子の中大兄皇子(天智天皇)が反対し、明日香に帰ってしまった。
失意のうちに孝徳天皇は、6才の有間皇子を残して崩御された。

有間皇子は、政権移行の政争に巻き込まれるのを避けるため、仮病を使って「牟礼の湯」(白浜温泉)に湯治した。
中大兄皇子は、蘇我入鹿を討ち、蘇我蝦夷を自害させクーデターを成功させた後、兄を謀反を企てた罪で死罪にし、入鹿討ちの時味方した后の父・蘇我倉山田石川麻呂も自害に追い込んでいます。

有間皇子は明日香に戻り、重祚された次の天皇・斉明天皇に完治を報告し、牟礼の湯の素晴らしさを話し斉明天皇に白浜行幸を勧める。
天皇のいないこのタイミングで、政権打倒を企てた容疑で孝徳天皇の皇子・有間皇子が逮捕され、牟礼の湯に護送中、この地で処刑された。
これで、中大兄皇子のライバルは消えました。

20170514KainanS056s.jpg 楠の巨木が出迎えてくれました。
『天然記念物・藤白神社のクスノキ群 境内3ヶ所にクスノキの大木が5本あります。遠くから見ると、クスノキの森のようです。本殿前のクスノキは、幹周り10mを越え、北側は腐朽して空洞となっています。子守楠神社南の幹周り7m、背後の3本は幹周り5~6mですが、元々ここには全部合わせた以上の大きなクスノキがあった。飢饉が続き困った農民が、氏子で相談しこれを伐って救済資金とした。その切り株から4本が発芽し、現在に至る。昭和の初めまで、腐朽した切り株があった。昭和の初め頃まで、この地方には、子供の名前に楠神様にあやかり、「楠」の字を入れる事が多く、博物学者として世界的に有名な南方熊楠もその1人です』

 和歌山といえば、楠木正成が思い出されますが、さすが「木の国(紀の国)」ですね。
ここは、江戸時代の「お伊勢参り」のように、平安時代に大流行した「熊野参り」のメインストリート「熊野古道」の「藤白王子」跡でもあります。

1つ京寄りが「祓戸(はらえど)王子」
日本人の「綺麗好き」は、神道のお祓い・禊の心から生じたものだと思うし、綺麗好き日本人が生み出し育んで来たから、「お祓い」「禊」が重要視されるようになったとも言えます。
また、雨が多く、災害も多いがふんだんに綺麗な水が流れる日本列島が生んだ自然崇拝だから、必然だったのかもしれません。
素敵な名前です。

『熊野古道を歩く方々へ 当社(藤白王子)で道中の安全を祈願し、気を引き締めて藤白の急坂をお登りください』

20170514KainanS062s.jpg しめ縄が張られた巨大楠は、異様を見せています。
『史跡・藤白王子跡 この藤白王子社(現・藤白神社)は、平安時代から盛んに行われた熊野詣の礼拝所で、熊野99王子のうち、五体王子の1つとして特に格式の高かった神社です。中世の熊野行幸の際には、当社にご宿泊され、法楽のため御歌会・相撲会などが催された。藤原定家の「熊野御幸記」に、建仁元年(1201)に後鳥羽上皇が催された藤白王子和歌会が有名で、その時の「熊野懐紙」は国宝となっています』

20170514KainanS069s.jpg 『楠神社 古来「子守の宮」として広く信仰され、この神様から「楠」「熊」「藤」などの名前を授かる人が多い。南方熊楠もその1人です。千年杉は、海南市の文化財に指定されている』

20170514KainanS072s.jpg 藤白神社前境内に車が入り、太鼓など神事用品を出している。
ここで祭りがあるのか、どこかに持っていくのか・・・。

『熊の聖域への入口 平安から鎌倉の時代、「蟻の熊野詣」と言われるぐらい、熊野三山へ参る信仰が盛んであった。ここは柳屋旅館跡(現濱田邸)このあたり小栗街道両側には数軒の宿・茶屋が並び大いに賑わった』


5/14・和歌山海南・有田ツーリング1 伊勢都柿本神社~中言神社

家内がお仕事の会合で、コーチしてる大学ヨット部もルール勉強会で練習がありません。
グループツーリングに参加しようと思ったけど、いずれも盛況で20名ぐらいの参加者がいます。
すでに満員だし・・・。

ということで、ソロツーリングです。
備前備中山城、湖西高島の前回残した史跡、湖南山城・史跡・寺社巡りと、メニューはいろいろありますが、GWに船で和歌山に行ったので、陸側も歴史探索したくなり、海南付近の寺社を巡ることにしました。

目を覚ましたら、3時。
ちょうど明るくなる頃に和歌山に着くから出発しようかと思ったけど、二度寝しちゃった。
次4時に目が覚め、用意を始めます。
夏用プロテクターメッシュ上下に、朝が寒いのでダイワ釣りスーツを着ます。

「招き猫CB400SB」を出してみると、リアシートに載ってる招き猫さんの固定シートが緩んで落ちそうになっています。
マジックテープでもくっついてるから落ちないんでしょが、一応結び直します。

4:39、近所の御用達SSで給油。
229km/10.36L=22.1km/L。
R171~中央縦貫道を東に走り、吹田から近畿道に乗ります。
明るくなってきた空には雲が多めですが、天気予報は晴れるようなことを言ってたように思う。
雨さえ落ちてこなければ、日焼けしないから最近は晴れより曇りの方が好きになりました。
対向車も、いつもよりバイクが多く感じます。
最もツーリングに適した5月だものね。

道なりに阪和道に入り、5:49「阪和道・岸和田SA」で休憩。
干しぶどうがたっぷりはいった「巨峰の郷」540円と、形崩れのバウムクーヘン詰め合わせ「お徳用ふんわりバームクーヘン」400円、「穴子助六寿司」356円を購入。
20170514KainanS003s.jpg ツバメが飛び回り、巣がありました。
20170514KainanS002s.jpg 何故か「伊勢名物・赤福餅」の幟が林立しています。

6:37「紀ノ川SA」
20170514KainanS004s.jpg バイク置き場前の花壇が綺麗です。
目ぼしい場所はないかなと、和歌山市周辺観光案内地図を見ます。
20170514KainanS006s.jpg ベンチに座り、助六寿司で朝食にしました。

「海南東IC」で降り、r18を西進し、7:13「伊勢都柿本神社」。
紀勢本線の高架の真横です。
20170514KainanS009s.jpg 参道石段を上がると、鎮守の森に包まれた落ち着いた本殿がありました。
20170514KainanS024s.jpg 祝詞の神社拝詞が清書されて掲げられています。
当然僕は覚えていませんので、「幸せな人生をありがとうございました」と頭を垂れるのが定番ですが、心の中で神社拝詞を読み、二礼二拍手一礼参拝します。
最後の「・・・世のため人のために尽くさしめたまえ・・・」の部分が好きです。

神社に寄ると、謂れ板を探すのと同様、絵馬棚も探してしまいます。
書かれていることを読むのが好きです。
天神様系なら「学業成就」系が多くなり、八幡様系なら「勝利」系が多い傾向があるように思います。
蹴鞠神事がある京都の白峯神社のように、サッカー系が多くなり、サッカーボールがやたら多く奉納されていて、その神社の信心の特徴が絵馬の文言に出るので好きです。
20170514KainanS026s.jpg なんと「峰不二子」さんからの絵馬がありました。
「金塊泥棒成就」かと期待しましたが、願いは平凡でした。

摂社に、若宮八幡宮があり、戎宮もありました。
20170514KainanS037s.jpg 客船の絵馬が奉納されており、珍しいなと見ると、昭和10年奉納で、船名は熊野丸と書かれていました。
帰宅後調べてみると、戦時中海軍が揚陸艦として建造した船に熊野丸というのがありました。
年代的に違う船のようです。

民間船として建造され、途中で護衛空母に改装されました。
離陸専用だったようで、着陸は陸上基地という中途半端な艤装だったようです。
よって軽空母にもなり得ず、遠征軍には編入し難かったようです。
終戦の年に完工しただけで実戦投入されることなく、戦後は引き上げ船として活躍し、その後解体されたそうです。

この神社は、社名に見えるように「元伊勢」として、初代斎王・豊鍬入姫命が八咫鏡を奉じて4年間滞在したお宮です。
その痕跡を見たくて来たのですが、謂れ板も設置されていませんでした。

R370~r135~r9で、7:33「中言(なかごと)神社」
「ロケフォトポイント」なる怪しげな看板が下がっていました。
細い漁師町の一角にある神社という風情で、たどり着くのに苦労しました。
バイクでも入るのに戸惑う道の先にありました。

20170514KainanS042s.jpg 手水舎に下がる手ぬぐいが紅白で、面白かった。
境内で海抜9mしかありませんが、津波避難場所に指定されていました。
和歌山県は津波対策が進んでおり、海岸各地に「海抜・・m」表示版が設置されています。

『御祭神:名草彦命・名草姫命・八王子命 万葉の太古より、歌所として「万葉集」に詠まれている黒牛潟は、当社境内周辺で、紀伊風土記には、「この地、古は海の入江にて、その干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ干潮に顕れ困りて黒牛潟と呼ぶ」とあり地名として詠まれている。
小高い丘の上に、嵯峨天皇弘仁3年(813)紀伊国司が鎮守の神として八王子命を祀った。後に、神代の海草地方支配者・名草彦命・名草姫命2柱が鎮座していた五個荘吉原村から、南北朝の頃、冬野村に動座し、文和3年(1354)国造左京大夫渡会貞国を奉遷し、中言神社と称す。黒牛大明神との尊称す。
御神徳:夫婦2柱を主祭神とし、子の生育成長を守り、縁結び、家内安全、陰陽和合の神として、中言の名も神と人との「中」を取り持つ「こと・言」より出て、崇敬せられる』

ここで名草氏の名に出会うとは、想定外の嬉しさです。
全国区では神武遠征の敵役として残るだけで無名ですが、太古から脈々と続く地元愛を感じます。
この海草郡の豪族・名草氏は強かったそうで、記紀にも神武東征軍が難波で敗戦し、海草郡に上陸しても名草氏に敗戦し、神武天皇の兄が討ち死にしている。
よって更に紀伊半島を南下し、串本・熊野から紀伊半島中央部を、八咫烏の案内で北上し
たと書かれている。


5/13・こうくん、1才検診

アメリカに住む長男のお嫁さんからメールが届きました。

こうくん1才1ヶ月が、検診に行ってきたそうです。
「身長75cm・体重9.8kg」で、お医者さんから「身長低め」と成長曲線を見せられ、驚いたそうです。
ビッグサイズで生まれ、りょうくん4才と比べ、ずっと大きめだと思っていたので、アメリカンサイズとの差を感じたそうです。

日本人平均でいえば、平均の上限で推移していたのが、平均的なところに落ち着いてきて
います。
長男173cm・お嫁さん163cmなので、平均より少し高めな子になると予想しています。
僕170cm・家内158cmで、同年代の平均より2~3cm高めでした。
お嫁さんのお父さんだけが180cmと高めです。

先生や看護師さんにもとにかくニコニコ、「good smile! good boy!」と言われたそうです。
航くんは、いつもニコニコして、泣くのが遼くんより少ない育てやすい子です。

ところが、診察が始まると大泣きしたそうです。
愛想を振りまくのが得意ですが、お母から離れると泣き虫なんだそうです。

ビデオで、「こうく~ん」とお嫁さんに呼ばれて、手を挙げていました。
人の真似が得意で、「しー、静かに!」とお嫁さんがりょうくんに言うのを見て指を立てて「しー」したり、食べ物をふーふーしていると横でこうくんもふーふーするそうです。
母乳は飲むのですが、みんなと同じものが食べたくて、離乳食というより、家族と同じものも食べているようです。

長男が帰ってくると、「僕を見て見てー」アピールがすごく、何もないところを指差して「あ!あ!」と言ってとにかく気を引こうと必死だそうです。
長男も嬉しいだろうな。

2人共、順調に成長してくれていて感謝感謝と書かれています。
りょうくんも、元気にプリスクールに通っており安心だそうです。
お友達のママにも毎回ちゃんと挨拶するみたいで、「Ryoはいつも私が迎えに行くと挨拶しに来てくれるよー」と、いろいろなママから言われ嬉しい限りだそうです。

りょうくんは、国内にいた3才頃でも、公園に行くと遊んでる小学生のお兄ちゃんの後を追いかけ、遊んでもらう社交性があります。
これは長男に似ており、得な性格だなと思っていました。
長男同様、誰からも好かれると思います。
家内と朝、クラウド経由で送られてきた写真とビデオを見て、幸せを満喫しました。

5/13・アメリカの救急車・医療保険事情

IMG_3515s.jpg 疑問に思ってたアメリカの健康保険事情を、お嫁さんに質問してみました。
日本のように皆保険ではないので、自動車保険のように、補償範囲によって保険料の違う保険があるというとこまでは知っていたのですが、実際長男一家の健康管理はどうなっているのか知りたくて・・・。

お嫁さんが教えてくれました。
会社がグレードの高い高額保険に入ってくれているようで安心しましたが、救急車は有料で、どの保険でもカバーされず高額請求されるそうです。
お嫁さんによると1回・1万ドルということ・・・なんと100万円。
1000ドルの間違いではないかと思いましたが、それでも高額です。

ネット検索すると、『ホノルル5万円・ロサンゼルス4.5万円・ニューヨーク3万円ほど。ニューヨークでは、官営と民営の救急車があり、民営だと、搬入先の病院を指定できる。
民営の救急車以外で、行き先を指定したい場合は、タクシーを利用するか、希望先の医療機関に連絡し、救急車を呼ぶことになる。
この救急車は、基本料金2.5万円+1マイルごと約600円加算』

州によって違い、無料から高額のとこまであります。
無料と言っても、緊急性の高い疾病や緊急を要する事故などが該当する。
日本の無料救急車は、タクシー代わりに利用する馬鹿な利用者が増えている現状を踏まえると、あまりに馬鹿げたシステムだと思います。
AED講習で消防署に行った時、消防隊員が「この講習を受講に来られような自覚のある方はいいのですが、安易な救急要請が多く困っている」と自覚を促されました。
有料にした方が良いと思います。

孫達の検診は、お嫁さんが管理しているようです。
渡米後すぐにかかりつけ医を決めたそうです。
アメリカで生まれた子に関しては、日本同様、州からお知らせが届くのですが、孫達は日本生まれなので、そのようなサービスがありません。

IMG_3549s.jpg日本の母子手帳を持っていってるので、「次は何ヶ月後来てね」とかかりつけ小児科医に言われた通り行き、その頃になると電話予約し、予防注射してもらいます。
何の予防注射をしたかを、母子手帳にお嫁さんが記入して管理しているそうです。
今回、こうくんは予防接種を3本打ったそうです。

日本なら、予防接種は病院で母子手帳にシールを貼って管理してくれているので、そこは少し不便だと感じているそうです。
この費用は、会社が入ってくれている民間の保険でほぼカバーされ助かっているそうです。
アメリカは、恐ろしく医療費が高いので、保険に入っていなかったら病院に行けないそうです。
日本だって皆保険だから安いだけで、国庫補助がなければ、アメリカ同様だけどね。

IMG_3523s.jpg こうくんが、同じような月齢の子と遊んでいる写真は、小児科の待合室かな?と質問したのですが、いつも参加している近所の図書館での絵本の読み聞かせ会に参加した後のお遊びタイムでの写真だそうです。
お嫁さん自身の英語力アップのために、積極的に参加しているそうです。
アメリカのお母様方の立派な体格にびっくりします。

元々、学生時代に英語を磨こうとハワイに留学していた経験があり、それを活かして世界を飛び回る仕事をしていたので、英語に不自由はありません。
でも、長男との海外旅行や、長男が海外出張や自宅に掛かっている国際電話の受け答えで、英語力が追いつかれていると感じていました。
妹のハワイでの結婚式で、家族親戚と数日間ハワイに滞在し、抜かれたと実感したそうです。

長男は毎日の仕事で英語に浸かっているので、ますます差をつけられると思い、子供達を出汁に、ママ友との交流を積極的にして、英語力を磨こうとしているようです。

5/9・ナイアガラの滝

アメリカに住む長男のお嫁さんから、メールが届きました。
0B6814A7-EF99-40E6-949A-7DE4A62FF3CDs.jpg 週末、「ナイアガラの滝」を見に行ったそうです。
自宅から車で7時間掛けて、カナダに行ったそうです。

51C24948-8A88-403E-AB52-5CB1B77F5EE3s.jpg お嫁さんは、学生時代のアメリカ留学でも、仕事をしてからも右車線運転しており、長男とドライバーが2人いるので、長距離も安心です。
我が家は家内が運転できないから、いつも体調管理に気を使い、眠気を感じたら早めに休憩するようにしていました。
10分でも寝ると、回復します。
緊急に車内泊し、夜明けに帰宅したこともありました。

743DC91C-E288-4F17-93ED-20A9E6E185C3s.jpg  金曜の早朝出発し、14時着、その後滝を観光したそうです。
土曜日は船に乗り滝の目の前まで行ったり、滝の裏側まで歩いてトンネルをくぐって行ったり、周辺の街をぶらぶら散策したようです。
日曜の早朝ホテルを出発し、15時ごろ帰宅したようです。
カナダでホテル2泊したのですね。

お嫁さんは、 日本の「日光の華厳の滝」で大感動したけど、破格のスケールの大きさに驚いたそうです。
りょうくんもこうくんも、迫力に圧倒されていたようです。
CE86E0A5-E172-4727-99C1-3E068F773B4Cs.jpg 滝の裏側に続くトンネルから、りょうくんがボー然と水しぶきを眺めていたのが面白かっ
たそうです。

4903A560-0C92-48C6-89E4-798677C09574s.jpg 写真を見ると、観光船のお客さんは全員お揃いのカッパを着ており、小雨の降る状況のようです。
船尾にカナダ国旗が揚がり、新鮮に見えました。
アメリカ駐在中に、カナダのスキー場に行くかもしれません。
アメリカ1年目は、りょうくんが初スキーということもあり、比較的近いアメリカのスキー場でしたが、次のシーズンはきっとカナダのスキー場に泊まりで行くはずです。

長男も、僕に似てスキーフリークで、高校・大学生時代・社会人になっても、よくスキーに行っていました。
お嫁さんが、小学校の授業でスキーがある新潟出身なので、期待していましたが、期待はずれの「まあ滑れます」程度だったので、笑ってがっかりしていました。

カナダも、食事量がアメリカ同様多く、ホットケーキに山盛りクリームでした。
19D21998-051A-4A28-B626-6E680310CDA8s.jpg ナイアガラの滝への道横の公園にリスがおり、人に慣れているようで、観光客が横を歩いているのに平気なようです。
E3F921F4-C4DF-49B6-A2F7-3B1C78B14382s.jpg りょうくんが近づいてももちろん逃げず、たっぷり遊んだようです。

2D300985-A4F9-4559-9ADC-6B1E4D41853Es.jpg カナダのキャラクラー、ヘラジカの「MOOSE」くんオブジェがおり、「Please don't climb or sit on MOOSE」と書かれてる。
横にハーレーダビッドソンショップが有り、「Take your photo on a Canadian Limited Edition Harley」と書かれています。
乗らなかったようで、写真はありませんでした。

BDD74861-FA74-4E37-A420-CB0CE1A6C0E2s.jpg 「Mama Mia’s」というイタリアンレストランのナイアガラ店で食事をしていました。
アメリカ資本のようで、ナイアガラの滝のアメリカ側にお店があるようです。

家内は、長男が楽しそうに写っているので、「いい顔してるわ、幸せそう」と我が子が最大の関心事のようです。
僕は、娘なら別ですが、息子なので自分の裁量で家族を養い、一家を動かせるので、お嫁さんの幸せそうな姿や孫の楽しそうな顔の方に関心が向きます。
男親と女親の違いだね。

返信で、和歌山クルージングの様子を家族メールに書き、写真・ビデオをクラウドにアップし、家族共有しました。

5/7・生駒山・宝山寺~新西宮YH

20170507IkomaS224s.jpg 本堂に向かって上がっていくと、一番上に多宝塔があります。
20170507IkomaS225s.jpg 背後の大岩の窪みに、仏像がいます。
修業の場を感じさせます。
修験道が修行していたここを、江戸時代に再興したようです。
密教や修験道的なものが残っているのでしょう。

20170507IkomaS246s.jpg 僧坊をいろいろ周り、ちょうど公開していた「重要文化財・宝山寺獅子閣」に入ります・・・500円。
『桁行3間・梁間3間・寄棟造の客殿。明治15年(1882)造立され、外部は洋風、内部は洋風の上に和風を取り入れた木造洋風建築で、螺旋階段・柱頭・柱礎に施した菊の彫刻、1階外扉の色ガラスなど細部に渡る装飾は貴重である』

外壁の漆喰の白に、窓や柱は茶色が映えて美しい。
『獅子閣の由来 お釈迦様の説法:獅子吼、お釈迦様の台座:獅子座から付けられた』

写真はOKですが、襖絵だけはフラッシュを焚かないよう注意だそうです。
ソニーのミラーレス一眼レフは明るく写るので、フラッシュはつけていません。
1Fは畳の部屋だった。
説明員さんがついてくれ、待合室だと教えてもらいました。
20170507IkomaS248s.jpg 襖絵が綺麗です。

20170507IkomaS254s.jpg 窓ガラスの一部が赤・青・緑・黄の色ガラスになっており、それを通して外の木々を見ることで、黄色は秋など四季の風景を見せるよう工夫されているという。
庭の向こうに茶室が見える。そちらは非公開だって。

螺旋階段を上がり、2Fへ。
20170507IkomaS257s.jpg こちらの襖絵の方が高級感がある。
同じく畳部屋で障子です。
掛け軸が下がり、違い棚もある。
これに洋風の照明が下がっている。

ガラスは、うねりのある昔のガラスが入っている。
現代の板ガラス生産方式ではなく、フイゴでガラスを伸ばしながら手作業で板状に伸ばしていくそうだ。
20170507IkomaS276s.jpg 釘隠しにいろんな形のものがあり面白い。
ふすまの取手金具の模様もいろいろです。
こんなところにも竜胆紋が入っています。

20170507IkomaS283s.jpg テラスの柱は木製ですが、西洋の大理石柱の彫刻に似せた細工が施されている。
20170507IkomaS288s.jpg 眺望が広がり、大和盆地の東にある若草山が見える。
20170507IkomaS294s.jpg 今は黄砂で見にくいが、東大寺大仏殿も見えるそうです。
20170507IkomaS302s.jpg 
20170507IkomaS305s.jpg 境内に出て、本堂に上がってみる。
多くの方が祈っておられます。
聖天さんは、商売繁盛ですよね。
20170507IkomaS313s.jpg 「御内陣」の矢印に誘われて縁側を通り奥に入ってみる。
不動明王・地蔵菩薩などを見て満足し、10:02バイクに戻ります。

朝一番にカメラのフードがないのにきづきました。
先週の和歌山クルージングで、船に落としたかもしれません。
先輩が整備に行くと言ってたので、ハーバーに寄ってから帰宅することにします。

r237~r142~r104~R168で南下し、「壱分ランプ」から第2阪奈道路に乗ります。
生駒山を長いトンネルでくぐり、石切さんに寄り道したかったけど止めて、道なりに阪神高速へ。
13号~3号神戸線に乗り、西へ。
「武庫川ランプ」でR43へ。
阪神甲子園球場付近は人が多く、デイゲームのようです。
阪神タイガースが、首位広島カープに2連勝し、首位になりました。
この日が3戦目です。
阪神ファンが気合入ってますね。

10:56、新西宮YH。
カードキーで桟橋に入り、係留艇に行くと、S先輩とHさんが整備・整理をしていました。
10時ぐらいに来たそうです。
船内を探したが、カメラフードは見つかりませんでした。
海に落としたのかも・・・まあ安いもんだし、買いましょう。

「じゃあ、さいなら」と帰るわけにもいかず、整理を手伝い、12時になったのでレース艇置き場にみんなで移動し、レース艇を整備していたOさんと合流します。
この4人でチームを組んで、レースに臨んでいます。

20170507IkomaS351s.jpg みんなでセンターハウスに行き、3Fヴォーノで昼定食1000円を食べます。
再び係留艇に行き、整備の続きです。
14:30頃、帰路につきます。

R171を一路東に進み帰宅。
「里山VTR250」を片付け、15時頃「ただいま~」玄関に入ると、「お父さん、私ちょっと出かけてくるわ」
「一緒に行こか、バイクでいいかい?」
「うん、いいよ、お願いします」

「通勤リード110」を出して、タンデムで市街地に行き、家内の用事を済ませます。
食料品の買い物があるようで、その前にr13沿いに新しく出来た喫茶店で一休み。
僕は台湾風ふわふわかき氷マンゴー680円、家内は珈の香ケーキセット・ガトーフロマージュ760円。
17:09に出て、関西スーパー久代店へ。
17:36精算し、帰宅。

「モヤモヤさまーず」見て風呂に入り、「NHK大河ドラマ女城主直虎」見て寝ました。
ああ、面白かった。


5/7・生駒・往馬大社~生駒山・宝山寺

20170507IkomaS182s.jpg 『祓戸(はらえど)社 御祭神:瀬織津比売神』がありました。
おお~、天武天皇が命じた古事記・日本書紀の編纂過程で、天武天皇の后・持統天皇が、意図的に消した神です。

夫の天武天皇が亡くなり、皇太子であった息子・草壁皇子が天武天皇の喪中に亡くし、孫の幼い文武天皇即位まで自らの家系の勢力を保つため即位した持統天皇。
女性から孫に譲位するのを神話になぞらえるため、本当は男神だった天照大神を古事記・日本書紀で女神に書き換えた。

そうなると、歴史から消さなければならない神が、男神天照大神・ニギハヤヒとその后・瀬織津姫。
この2人は歴史から消されたけれど、七夕伝説の織姫と彦星としてしっかり痕跡を残している。

瀬織津姫は、水の神であり浄めの神・お祓いの神、桜の神でもある。
絶世の美女だったらしく、天孫降臨した女神・天照大神の孫・ニニギノミコトの后となり、海幸彦・山幸彦を産む木花咲耶姫と同一視されてもいる。
水の女神として弁天様とも合一している。

20170507IkomaS183s.jpg こんな所で瀬織津姫を祀る宮を見つけ、軽く感動して後ろを振り返ると、そこに上溝桜があった。
『この桜の木は、天皇陛下の大嘗祭に関わる祭田点占の儀に使用された御神木です。平成の大嘗祭にも当社よりこの上溝桜を献上いたしました。4月中旬~下旬に白い房状の小さな花を咲かせます』

なななんと・・・「歴史から消された桜の神・瀬織津姫を祀る神社の前に桜の木が植えられ、この木を天皇に献上し、大嘗祭神事に使っている」・・・
大和朝廷が、各地の部族や文明を徹底破壊し滅ぼして日本統一していくのではなく、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の心で、他部族の神を自らの神とともに祀ることで取り込んでいった。

藤原氏が、台頭してきた菅原道真を左遷してライバルを天皇から遠ざけながら、死後雷神として天満宮を建立し祀ったのと同じ手法ではないか。
きっちり、歴史から葬り去った瀬織津姫も神としてその桜を現代に至ってまでも祀っている。
マスコミ報道なんて全くされませんが、今上天皇でもこれらの先祖の歴史を知り、現在でも宮中奥にあるらしい祈りの場で、葬った方を祀り続けている。
しかも、数十年に一度の最重要なお祭りでも・・・
これにより、現在の日本国への災いを防ごうとしている。
天皇をいただく日本人の、日本国の裏側に触れた感じがしました。

寄り道したお宮なのに、大発見しました。
まあ、歴史好き以外の方には、何の興味もないことだけど・・・。
因みに大嘗祭は、天皇が即位の礼の後最初に行う新嘗祭のことです。
若葉が気持の良い桜の木を見上げました。

先月、伊勢神宮参拝した時、内宮の摂社に「荒祭宮」がありました。
神様には天の恵みを与える優しい面と、荒天や地震・洪水など荒ぶる面があります。
その荒ぶる面を鎮めるお宮で、内宮内摂社No1の地位にあります。
祭神は、天照座皇大御神荒御魂・「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」であり、瀬織津姫と同一視されている。

全国の戎神社総本社の西宮戎神社は、元は西宮の山の手にある「廣田神社」の摂社だった。
廣田神社の主祭神が、「天照大神荒御魂」である。
神功皇后が三韓征伐した時、荒ぶるこの神から神託があり、加護された。
大成功を収めた帰路、この沖で船が動かなくなり、天照大神の神託「荒御魂を皇居の近くに置くな」があり、この地に祀った。
それが廣田神社の起源で、この地が都から見て西にあったので、「西宮」という地名になった。

摂社として、生駒戎神社(祭神:事代主神)があった。
南末社に、伊弉諾社・住吉社・猿田彦社・月読社が祀ってある。
稲荷社(祭神:宇迦之御魂神)、水神社(祭神:水分神)もある。
水神社は、水分神だけあって、祠の横から竹筒が伸び、小さな手水に引かれていた。

20170507IkomaS193s.jpg 境内に上がった時から気になっていた縦に黒く焼けた跡の残る御神木のことを、社務所の巫女さんに聞いてみました。
予想通り、落雷の跡でした。
本殿に落ちずに良かったですね。
社殿を鎮守の森で囲むのは、落雷直撃を避けるためかもしれない。
この御神木は、立派に社殿を守りました。

大満足で、バイクに戻ります。
R168を北上し、r104~r142で近鉄生駒駅前を通過します。
道なりにr237になり、横を見ると「生駒ケーブル」が登っています。

「信貴生駒スカイライン」手前に枝道に逸れ、9:00「宝山寺」下の参道に到着。
最後道を間違えたが、もっと上の駐車場まで行けたようです。
20170507IkomaS196s.jpg 眼下に、第2阪奈道路が見え、景色が良いです。
このまま進めば「暗峠」に行けるようです。

石段の参道を上がっていきます。
20170507IkomaS206s.jpg 両側に石灯籠が並び、なかなか大きな寺院のようです。
名前を知ってるだけで、初めての訪問です。
20170507IkomaS207s.jpg 「歓喜天」と大書された、太いしめ縄が張られた石鳥居をくぐります。
テキ屋が少々出ています。

20170507IkomaS213s.jpg 続いて山門です。
「竜胆紋」が染められた幕が張られています。
神仏習合がいいです。

『生駒山・宝山寺 永宝6年(1678)僧宝山湛海の開山。古くは都史陀山大聖無動寺という。本尊は不動明王。奈良時代、役行者が般若窟を行場とした。秘仏・大聖歓喜自在天は「聖天さん」と呼ばれる。所蔵品:絹本著色弥勒菩薩像(重文・鎌倉時代)など』

聖天さんは人気があり、まだ朝ですが参拝客が多く、皆さん慣れておられるようで、観光というより祈りに来られているようです。
僕も聖天歓喜天さんが好きです。
多くの寺院で秘仏になってるけど、気取らず男女が抱き合ってる仏像が多く、人の生活の根本の行いです。
男女和合がなければ、人類はたった100年で滅びます。

途中の参道で生駒山への登山ルートが別れており、リュックスタイルの方も多い。

5/7・生駒・往生院~往馬大社

20170507IkomaS102s.jpg バイクに戻り、行基が火葬にされた「往生院」を目指す。
GPS地図を見ながら適当に走ります。
近隣は、枝尾根を開いた住宅地が迫り、谷で道路がなくなっていたり、住宅街のドンツキでUターンしたり、グルグルしました。

7:54、墓地で行き止まり、ちょうどそこにやってきた軽四さんに声を掛けました。
「お寺には、誰もいないよ」「お寺を見にいたもので」「墓地内を通ったら、あそこ」と指差ししてくれました。

墓地は、整備された墓地ではなく、成り行きに任せ乱雑に周囲に広がっただけのもので、墓石も適当に立っている。
近年の四角柱の墓石の間に、自然石の一面を平らに削ったもの、江戸時代風の墓石、それらの間に住職の無縫塔が立っていたり、まさに乱雑です。
20170507IkomaS134s.jpg そんな間に、無縁墓石を積み上げられていたり・・・。

20170507IkomaS116s.jpg 小ぶりな本堂前に、『行基菩薩廟 往生院』の石柱が立っている。
20170507IkomaS117s.jpg 『奈良時代の僧・行基を火葬した土地。本堂北の宝篋印塔(重文)は県内最古の正元元年(1259)銘を持ち、鎌倉様式の五輪塔などがある。境内周辺の輿山(こしやま)墓地は、中世以降生駒谷6郷の惣墓となり、多数の石造群が残る』

20170507IkomaS124s.jpg 行基のお墓も、荼毘に付された所も、行基らしく質素で更に好感が増しました。
行基は、奈良時代初期~中期の聖武天皇の時代に活躍した僧ですが、以降中世の寺院中枢僧侶は知識で利益を求め巨大化・権力化していく。
そんな時代の前、学者の一面も持つ僧が、いろんな知識を民衆のために使った。
行基は巨大な奈良大仏を製作し、土木知識をため池など農業生産向上に使った。
そんな、民衆と一体化していた僧の典型です。

3寺院は全て、律宗でした。
バイクに戻り、「生駒宝山寺」に向かうことにする。
GPSを見ると、「往馬大社」というのが見えてきた。
聞いたことあるようなないような、よく知らないお宮ですが、「神社」ではなく「大社」だから、寄り道することにする。

R168に下り、それを北上し、第2阪奈道路をくぐり、すぐに枝道に入る。
8:18到着。
20170507IkomaS145s.jpg 『往馬大社・火祭り保存会・入会のご案内 往馬大社は、古くから火の神として崇敬篤く、毎年秋に行われる火祭りは伝統由緒ある市内最大の民俗行事です。
平成14年に生駒市第1号無形文化財に指定され、平成23年には奈良県指定無形民族文化財となった。火祭り保存会は、これを機に毎年苦慮している行事に関わる必要経費や人員確保を始め、装束・器具の整備、歴史調査・古儀の復興に力を入れたいとと考えている。火祭り保存会に入会ください』

山車が入っていそうな倉庫が2棟あり、弓道の「大的奉納射会」の写真も貼ってあった。
『往馬座伊古麻都比古(いこまにいますいこまつひこ)神社(往馬大社) 祭神は、伊古麻津比古命・伊古麻津比売命など7神。生駒谷17郷の氏神とされ、火の神として信仰を集めてきた。毎年10月体育の日の前日に火祭が行われる。所蔵品:生駒曼荼羅2件(重文・鎌倉、県指定文化財・室町)など』

『本殿御祭神:伊古麻都比古神(産土の大神)・伊古麻津比売神(産土の大神)・神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・葛城高額(たかぬか)姫命(神功皇后の母君)・気長宿祢(おきながすくね)王命(神功皇后の父君)
往馬大社は、生駒山を御神体として祀られた古社で、鎮守の森は奈良県天然記念物指定され、太古から変わらぬ自然の森を今に伝えている。最も古い記述は「総国風土記」の雄略3年(458)で、この年を御鎮座とすると、平成21年で1550年。
正倉院文書にも記載が見られ、奈良時代から朝廷との関わりがあった。平安時代の延喜式(927)では官幣大社に列せられ、一座は雨乞いの弊も賜っていた。当初祭神は2柱でしたが、中世に八幡神5柱を合祀した。宝物「生駒曼荼羅」には、7柱の神々と立派な社殿が描かれており、当時の隆盛を物語っている。「火の神」として崇敬篤く、歴代天皇の大嘗祭に関わる火きり木を当社より納めた歴史があり、昭和や平成天皇の大嘗祭の「斎田点定の儀」にも御神木の上溝桜が使用された。毎年10月体育の日の前日に執り行われる火祭りは、古式豊かな伝統行事として、生駒市第1号無形民族文化財に指定されている』

正面に石段が上がっている。
20170507IkomaS150s.jpg 脇に「禊場」がある。
火祭りなどの時使うのか、現在は枯れている。
20170507IkomaS152s.jpg 石段下で、書物を持ち立っておられる女性がいた。
気楽に後ろ姿に「おはようございます」と声を掛けてしまい、「おはようございます」
と返してくれましたが、祈りの邪魔をしたかもしれない。
横を通り、祈っておられるのに気づきました。

狛犬が守護する神門に、火祭りの絵馬が掛かっている。
更に石段は上がり、本殿の建つ境内になった。
20170507IkomaS159s.jpg 灯籠に「下がり藤紋」が入っていた。
20170507IkomaS164s.jpg 立派な拝殿内にも絵馬が下がり、脇に観音堂があった。
20170507IkomaS166s.jpg 十一面観音が祀られていた。

20170507IkomaS169s.jpg その横に英霊殿。
先の大戦での英霊を祀っているのだろう。
同じ境内に神と仏が隣り合う姿が、日本的で好きです。
違和感がありません。

北末社(摂社殿)に、豊受比売社・仁徳天皇社・神明社(祭神:天照大神)・春日社(祭神:天児屋根命)・大山祇社があった。
本殿は、塀玉垣で全容は望めませんが、檜皮葺の美しい7社が並列に並び、なかなかなものです。

本殿御祭神の並びが、両端が神功皇后の父母、その内側が神功皇后の夫・仲哀天皇と子・応神天皇、中央の3神が産土神2神と神功皇后でした。
神功皇后押しを感じます。
生駒が神功皇后の生家なのかな?なんて想像しました。

20170507IkomaS180s.jpg 社務所に、赤白の巫女装束が鮮やかな女性が出勤されてきたので、覗きに行く。
御守を授かりました。


5/7・生駒・磐船神社~竹林寺

家内が、先月末に姉の家から持ってきた品の整理・整頓するということで、1人遊びの日になりました。
家内の実家は、両親が亡くなったので貸し駐車場になっています。
両親の遺品を姉と分けましたが、近所に住む姉がマンションに引っ越すので、姉が引き取った遺品をこちらに回ってきました。
姉が買ってマンションに持って行けない物も・・・一軒家からマンションなので、1/3しか持っていけないそうです。
仏壇までマンションサイズになり、仏壇屋さんに引き取ってもらいました。
立派な仏壇でしたが、流石に我が家も2つは要らないので、それは断りました。

家内の片付けも半日ぐらいだろうから、午後早く帰宅する予定です。
ツーリングマップルの近場を見ながら、生駒界隈の寺社巡りをすることにしました。
最近知った行基さんのお墓を探しに行きましょう。

4:30に目を覚まし、プロテクターメッシュ上下+ダイワフィッシングスーツの春秋スタイルを着ます。
「里山VTR250」を用意し、5:30出発。
5:34、御用達GSで給油。
249L/7.82L=31.8km/L。

R171を東に走り、中央縦貫道に乗り、中国道に沿って走る。
吹田ICを過ぎ、r2で近畿道の下を南下する。
淀川を渡り、京阪門真駅でr158にチェンジし東進。
第2京阪道をくぐり、R163に合流しました。
東進し、四條畷市役所前通過。

長い清滝トンネルをくぐり、「下田原ランプ」で引き返し、旧道清滝峠を見に行きますが、どうってことない現役の道でした。
再び下田原まで戻り、R168に乗り換え北上し、6:32「磐船神社」。
20170507IkomaS001s.jpg 目的の行基のお墓は寺院にあるので、拝観時間があるかと思い、時間つぶしでやってきましたが、巨岩が目につき、「天孫降臨の地・岩窟めぐり」と書かれています。

20170507IkomaS012s.jpg 『岩窟への無断拝観禁止。受付は社務所まで。拝観料500円』
想定外の手強い神社でした。
社務所はまだ開いておらず、岩窟めぐり入口まで行ってみます。
20170507IkomaS014s.jpg 『掟 岩船の岩窟は、当社の磐座行場。無断入窟禁止。入窟拝観希望者は、社務所で申し込みの上、上白衣着用の上、拝観してください。老齢の人・10才以下の子供は拝観できない。飲酒・足の弱い人は拝観できない』と厳しい制限が書かれています。
手強そう。

20170507IkomaS023s.jpg 何故ここにこんな巨岩が重なり合っているのか不明ですが、巨岩の隙間に階段が下っています。
もちろん扉が閉ざされているので、入れません。

R168を今度は南下し、GPS地図に明示されている「生駒山・竹林寺」目指して、適当に枝道に入り、7:07到着。
20170507IkomaS026s.jpg 枝道にバイクを停め、参道を上がっていきます。
名が示すように、両側とも竹林です。

20170507IkomaS027s.jpg 『竹林寺古墳 前方後円墳。全長45m・高さ8m。公園部分のみ残る。古墳時代前期。板石などで覆っている。鏡・刀剣・埴輪が出土している』
丘状の盛土がすぐわかり、竹が生えています。

20170507IkomaS033s.jpg 『生馬山・竹林寺 奈良時代に行基菩薩が生馬仙房を構えた故地。行基は文殊菩薩の化身と仰がれ、鎌倉時代に舎利瓶が出土し、その後円照(えんしょう)・良遍(りょうべん)・凝念(ぎょうねん)ら高僧が集い堂塔が整った。寺名は、文殊の霊場中国の五台山大聖竹林寺に因む』

現在の生駒は、かつて生馬と書かれていた時代があったようです。
学のある人でないと漢字が自由に扱えないから、漢字の意味ではなく、音優先で、漢字は当て字の場合が多いので納得です。

20170507IkomaS037s.jpg さほど大きくない開放的な山寺です。
『役行者石造、石仏霊場のご案内』と書かれていたので、案内板に従って、本堂裏手に進みます。
『境内清掃ご一緒に 毎月1・10・20日、朝9~11時』の案内板も下がっています。

寺務所と思われる建物(住職の住まい兼用?)に行くと、『法要のご案内 毎月2日・午前10~11時(行基の月命日2日に因む) 律宗総本山・唐招提寺長老 茶話会(庫裏にて11~11:30) 法話・季節の雑談あり和やかです。参加自由』

20170507IkomaS043s.jpg 僕はお寺さんの説法を聞くのが好きです。
興味をそそるなあ。
『幸せ広がる飾り紙故事 この吉祥飾紙は、仏間・床の間・玄関などに1年中飾るもので、古来より家運を隆昌させ、魔を除き福を招くしめ飾りとして喜ばれています。新春を迎えるにあたって、家内安全と無病息災、迎える年が良き年でありますよう祈念しお飾りください』

20170507IkomaS051s.jpg 裏山の石仏霊場を巡ります。
20170507IkomaS056s.jpg 10分ほどでした。
紫色のアヤメ?カキツバタ?花菖蒲が咲いています。
20170507IkomaS067s.jpg シャガが咲いている。
「竹林寺結界」を示す石柱が立っている。
20170507IkomaS073s.jpg いろんな色の綺麗な牡丹が咲いている。
古そうな「行基顕彰碑」石柱が立っている。

20170507IkomaS076s.jpg 境内右手の「史跡・行基墓」へ。
祭壇の向こうに小さな盛土があるのだろうか、熊笹が茂りよくわからないが、そんな感じになっている。
墓石はなさそう。

僕が住んでいる伊丹市にも、行基さんは地名「行基町」としても残っています。
小学生の時、友達と遊んでいた昆陽池他が行基さん監修で掘られたと先生から教えてもらい、以来忘れない名前です。
その後、奈良の大仏を作ったとか、いろいろ行基さんの偉業を知るようになりました。
とても身近に感じる偉人です。

境内左手の高僧・歴代住職の墓へ。
五輪塔や無縫塔がある。
20170507IkomaS084s.jpg ひときわ大きな五輪塔は、『忍性墓(にんしょう) 鎌倉時代の僧・忍性(1217~1303)は、文殊菩薩と行基を信仰し、慈善救済事業に努めた。関東に戒律を広め、鎌倉極楽寺に没した後、遺言により竹林寺・極楽寺・大和郡山市の額安寺に分骨された。墓塔下から銅製骨蔵器など36点(重文)が出土した』

20170507IkomaS090s.jpg 忍性菩薩の崩れた旧墓石もありました。
ここは小高い丘になっており、生駒の盆地を見下ろせます。
バイクに戻り、枝道をさらに奥に入っていきGPS地図に載っていた「圓福寺」に、7:38到着。

『重要文化財・円福寺本堂 龍華山。奈良時代の僧・行基開基。桁行3間・梁間3間・入母屋造、応安4年(1371)の墨書銘を持つ。本堂前に南北に並ぶ宝篋印塔2基(重文)のうち北塔に永仁元年(1293)の銘が見られ、両塔とも鎌倉前期の様式』

宝篋印塔は、鎌倉前期なのに平和な江戸時代のものと思えるほど大きく、当時としてはかなり目立つ存在だったように想像される。
財力のある方が立てたのでしょう。




5/5・洲本から大阪湾を突っ切り西宮へ

10:26、船に戻り、S先輩ドライブで、船を出します。
出艇着岸は、俊敏に岸壁や桟橋に乗り移って船を固定する作業があるので、僕・Hさん・SGさんが、もやいを持って作業する係です。
体育会系なので、年令による上下が暗黙の了解です。

20170504WakaS262s.jpg パラセイルが空を飛んでいます。
相変わらず無風で、午後入ってくるであろう西風に期待です。
20170504WakaS265s.jpg しばらくメインセイル+機走6ノットで走ります。

僕がステアリングを交代します。
ホームポートの西宮は、60度方向なので、コンパスを見ながら60度を走ります。
20170504WakaS274s.jpg ブロー海面が出てきたので、ジェネカーを上げます。
巨大セイルでめんどくさいので、あまり上げないのですが、ヨット乗りが5人いるので、練習のためもあり上げます。
S先輩にステアリングを交代してもらい、僕は作業員となって、3人でセイルアップの準備をし、セイルをあげます。
エンジンを切っても2ノットぐらいで走る快適なセイリングでしたが、風がなくなり、ただ漂っているだけになりました・・・あ~。

海面に目を落とすと、赤潮の名残りで、きれいな海とは言い難い。
20170504WakaS272s.jpg クラゲが大量発生しており、アカクラゲが海面上にもぐらたたきのように頭を出しています。
何してるんだ?

20170504WakaS277s.jpg 淡路の巨大観音像前ぐらいから、ブローが先まで続くようになり、3ノットほどで走ります。
20170504WakaS285s.jpg 13:43、明石海峡大橋からの潮の流れの境か、また赤潮の帯が長く伸びており、突っ切ります。
20170504WakaS288s.jpg 赤潮はプランクトンの集まりで、夜なら、船の刺激で夜光虫プランクトンが輝くはずです。

20170504WakaS292s.jpg Hさんからステアリングを交代し、ここから、優勢なブローが南から下りてきました。
艇速は6ノットに伸び、快調に飛ばします。
本船が僕らの航路とクロスしそうで、僕らに航路優先権はありますが、大型船は小回りがきかないので、暗黙の了解で、それを交わすためにジャイブします。
「ジャイブしますよ」「了解、メインを絞って、準備OK」
「じゃあ行きます、ジャイブ」とステアリングを切ります。
セイルを返し、スターボードタックからポートタックにして本船航路とクロスしないようにします。

大阪ATCタワー目指してスターボードタックで走っていましたが、今度は神戸のビル群を正面にして、また爆走します。
風速は、5~6m/sでしょうか。
更に風が上がり、海面は全面白波になり、8m/sでしょう。
風下舷すぐ下に海面が来るほど、ブローを受けフルスピードで快走です。
僕がステアリングをミスったら、ブローチングして横倒しになります。
「ヨットはこうでなくちゃ」
カメラでビデオを撮りたいが、先輩に「代わってください」なんて言えません。
これ以上になったら、レース艇ではないので、ジェネカーダウンです。

「このまま西宮沖まで突っ走るぞ」と思っていたら、16:15、神戸空港沖まで来て、S先輩から「ジェネカーダウンしよか」の司令。
S先輩にステアリングを交代し、作業員になります。
エンジン始動し、セイルから風を抜いてスピードダウンします。バウ(前)に行って、ソックスを下ろし、ジェネカーから風を抜きます。
下までソックスを下ろし、ジェネカーハリヤードを切って、SGさんと一緒に海に落とさないようにジェネカーをデッキ上に下ろし、ハリヤードシャックルを外します。
Hさんが船内からバウハッチを開け、ジェネカーを船内に入れます。
あとはシートをコイルするだけです。

機帆走(メインセセイルのみ)で西宮を目指します。
神戸からやってきた客船とまた航路がクロスします。
しばらく相手艇のバウを見ていましたが、見え方の角度が変わらないので、このままでは衝突か至近距離でクロスします。

「Sさん、あれヤバイですね」
「お~、しゃあない、かわすぞ」
僕らがバウを客船の後方に向けかわし、客船は僕らの前を通ります。
20170504WakaS299s.jpg メリケン波止場発着の遊覧船「ルミナス2」でした。
僕らの前を横切ったら、すぐに右にUターン気味に舵を切ります。
「だったら、先に切れよ」と、S先輩がブーブー。

20170504WakaS300s.jpg 神戸空港と関西空港に降りる旅客機が、大阪湾のここの上空を飛び交っています。
伊丹空港に降りる機は、生駒の上から侵入するので、関空の南で生駒に向かいます。

16:37、神戸空港東進入路灯に近づきます。
便数の少ない神戸空港ですが、連休の夕方なので、3機連続で降りていきました。
セスナも降りていきました。
Hさんはハワイでセスナの操縦士免許を取ったので、飛行機の動きに詳しいです。
風に流されながらの操縦を教えてくれました。

20170504WakaS307s.jpg 14:47、神戸空港東側滑走路延長線上。
20170504WakaS312s.jpg 17:16、西宮尼崎港の赤白灯台から港内に入ります。
フェンダーを左舷に出し、着艇用意。
17:39新西宮YH防波堤をかわしハーバー内に入ります。
芦屋YHの入口に出来たエクシブが完成間近です。
20170504WakaS313s.jpg 上半分の足場が除かれ、美しい形が半分見えています。

20170504WakaS315s.jpg 18時にバースに戻りました。
陸電をつなぎ、ホースとブラシで、船を洗います。
先輩2人は現場監督的立場で桟橋に下り、下っ端3人でブラッシング・水掛けします。
荷物を外に出し、オーニングを掛け、無事帰着。

16時帰着予定が遅くなり、お疲れ様センターハウスでのコーヒータイムは無しで、「お疲れ様、ではまた」で家路につきます。
電車で来られた先輩2人は、車に乗せてもらいます。
下っ端3人は、船の上ではアルコール無しで来たので、問題なしです。
僕は飲みませんが、HさんとSGさんは、初日も和歌山のハーバーに着いてから飲みました。

これも体育会系の暗黙の了解で、いくらおっさんになっても、下っ端な下働きするためにアルコールなど飲みません。
まあ、海の上なので、ベロンベロンになるまで飲む人は先ずいませんがね。

アドレスV125に乗り、R171を東に走り、19時頃帰宅し、荷物を片付けます。
すぐ風呂に入り、何やかやと船の上でつまんだのでお腹が空いておらず、450gプレーン・ヨーグルトを食べただけで、20時には寝てしまいました。

5/5・和歌山マリーナシティから、友ヶ島水道経由で、洲本へ

目を覚ますと、1:30でした。
あまりに早いのでトイレを済ませ二度寝します。
次に目を覚ましたら4:33でした。
いつもの起床時間で、もう寝れそうにないので、着替えて外に出ます。

東から3m/sほどの風が入っており、風が続くと良いがと願います。
お散歩開始。
20170504WakaS184s.jpg 東の空が明るいです。
水上警察が黒潮温泉の隣にありました。
東急リゾートの道を渡った所に、マリーナシティトイレがありました。

20170504WakaS198s.jpg 船に戻ってくると、2人起きておられました。
コクピットで、朝のコーヒータイムです。
コーヒーを飲み終えると、S先輩とSA先輩は、缶ビールを開けました。
「嫁さんおるとこでこんなことでけへんから、今日ぐらい許してえな」と、プハーって。

一口飲んで、5:57 S先輩から「よっしゃ行こか、俺飲んだからドライブあかんでKちゃん頼むわ」と、僕が指名され、僕がドライブして桟橋を離れます。
他の船でも数人起きており、「おはようございます、お先にです」と挨拶してハーバーを離れます。

昨夜は数艇で船上BBQをしていました。
マリーナシティの船内泊は、黒潮市場で食材を買い、船でゆっくりスタイルが良さそうです。

20170504WakaS208s.jpg 風は東でイマイチの風速ですが、時間はあるので、フルセイルで走ります。
次の目的地は淡路島の洲本です。
友ヶ島の西・由良(友ヶ島)海峡に進路を向けます。

暫く走ると朝食タイムになります。
SA先輩が、レトルトカレーとサトウのごはんを2食分持ってこられていたので、それを5人で食べます。
先に食べたHさんが、「交代しましょか」と僕と交代して、僕もカレーを食べます。
SA先輩は、大手電機メーカーに奉職され、60才で定年リタイヤして、サンデー毎日な生活を送っています。

由良瀬戸は、加太より広い海峡なので、大型船が通っています。
家内のお父さんが釣り好きで、毎週由良の同じ漁師と契約し、船頭1人・客1人という贅沢な釣りをしていました。
それに誘われ、友ヶ島北側の漁場に鯛釣りに行ったことがあります。
素人の僕でも、漁師が用意してくれた仕掛けで、鯛を数枚釣り上げることが出来ました。懐かしい思い出です。

8:05、由良の瀬戸に近づきました。
20170504WakaS212s.jpg 遊漁船や漁師の船がたくさん出ています。
往路の加太沖の瀬戸は、追い潮で楽でしたが、この日の由良瀬戸は逆潮2ノットです。
2ノットの艇速ならいつまでたっても、進みません。
ピークは9時なので、エンジンも加勢させて6ノットで北上します。
止まっているのだろう漁船が、潮に流されるので、時々エンジンを掛けて北に上っています。

8:59、正面に見えていた建物の集団が、はっきり見えてきました。
洲本温泉のようです。
SAさんが、「海から女湯が見えるねんぞ、ちょっと寄っていこか」と提案がありました。
先輩の一言は、体育会系では玉言です。

風がなくなり、潮目に赤潮が発生しています。
文字通り赤く見えますが、富栄養化によるプランクトンの塊の帯で、夜船で突っ切ると夜行虫が反応し、光の帯になります。
海岸線に到達すると、波が光る幻想的な情景になります。
高校生の時、土曜の夜合宿所から海を見て、その綺麗さに驚いたことを思い出します。

20170504WakaS229s.jpg 「ホテルニューアワジ」前から、防波堤を回り、サントピアマリーナ方向に入っていきます。
海に向かって大浴場があり、露天風呂もあります。
何が見えたかは秘密として、ぐふふでした。
20170504WakaS237s.jpg 筏で釣りをしています。

目の保養を終え、「ほな、行こか」
20170504WakaS241s.jpg 9:40、洲本の海水浴場沖。
学生時代、家内との最初のドライブデートの目的地がここでした。
海に来て、水着の可愛い家内がカナヅチなことを知りました。
小学校でクラスメイトは全員泳げたので、同世代でカナヅチがいることに驚きました。
家内の小学校は海に近いのでプールがなく、授業で時々海に行ってたそうです。
海だから水泳指導も出来ず、カナヅチがたくさんいたそうです。

お弁当を作ってきてくれ、ここで初めて家内の手作り料理を食べました。
「美味しい」と褒めると、「お母さんに手伝ってもらった」と恥ずかしそうでした。
お料理学校に通っていました。

20170504WakaS256s.jpg 9:48、洲本城が見えてきます。
洲本南港に入っていきます。
9:57、かつて大阪とフェリーが結んでいました。
明石海峡大橋が出来て、淡路島のフェリーは全滅しました。
20170504WakaS250s.jpg 桟橋はそのまま残り、無料で船を横付けできるナイススポットです。
立派なフェリー乗り場があり、バスで島内各地と結んでいるので、ターミナルだけがドカンと残っています。
今は、単なる巨大バス亭です。

「ほな、買い出しに行こか」と出かける皆さん、なんか変だなと振り返った僕が、「はあ~、メインセイル上げたまんまでっせ」
「あ~、忘れてたなあ」と慌ててセイルを下ろします。
20170504WakaS257s.jpg 無風で機走してきたので、セイルの存在を忘れていました。
風が入ってきたら、えらいことになります。

僕はここにある売店で十分でしたが、昨夜コンビニ欠乏症になったので、街中に歩いていきます。
スーパー「マルナカ」があったので、10:12「瀬戸の汐揚アソート321円+ひねりあられ159円+カップヌードル127円」を購入。

5/4・和歌山マリーナシティ

12:57、加太沖に差し掛かります。
20170504WakaS051s.jpg 淡路島と本州・加太の間に、友ヶ島という大阪湾を塞ぐようにある島があります。
明治時代から海防として、加太・友ヶ島・淡路島側・由良に砲台が設置されていました。
去年家内と加太砲台跡を見に来ました。
レンガ造りの廃墟がいい雰囲気でした。

20170504WakaS057s.jpg 加太ノ瀬戸は、魚が豊富なので、連休ということもあり釣り船がいっぱい出ています。
大型の乗合船もいます。
20170504WakaS047s.jpg 大阪湾から太平洋に出るためには、加太海峡か由良海峡を通らないと行けないので、本船も通ります。
超大型船はより広い由良の方を通りますが、こちらにも通り、その曳き波が僕らの船を襲うので、「揺れますよ」と声をかけ、大きめの波なら揺れを軽減すべく直角に受けるようにステアリングします。
加太沖は風が強いとこですが、無風状態になったので、エンジンを回します。

20170504WakaS054s.jpg 13:22加太の国民宿舎前を通過。淡嶋神社の鳥居が見えます。
13:50、和歌山の工場地帯が見えてきます。
関電の和歌山火力発電所ですね。
20170504WakaS072s.jpg 弱いですが風が入ってきて、アビームの風を受け再びセイリングです。

友ヶ島周辺に遊びに行ったのか、漁船が追い抜いていくので手を振ります。
20170504WakaS079s.jpg バウ(舳先)にライフジャケットを着たお若い女性2人乗せているので、仕事ではなさそう。
こちらは男ばかりなので、なんだか羨ましい。

15:07、目的地の「和歌山マリーナシティ」が見えてきて、住金の煙突が見えます。
新和歌浦の半島先端の灯台が見えます。
高校ヨット部時代、和歌山国体後でレース艇がたくさんあった新和歌浦で、インターハイ予選を戦いました。
春の西宮のレースでは勝ったのに、ここでは地元の星林高校に負けて、インターハイに行けませんでした。

高校3年間、毎回このパターンで、目標にしていたインターハイには出場できず、国体だけしか行けませんでした。
次男が大阪の清風高校ヨット部になり、インターハイ予選で3年間星林高校に勝ち続けてくれました。
小中のときも、僕と同期の星林高校ヨット部員だったTさんの子に勝ち続けてくれました。
勝敗はまあいいのですが、元ライバルと、子供たちのレースでまた相まみえることが出来、親同士という立場で、大いに旧交を深めました。
今でも、年賀状のやり取りをしています。

20170504WakaS087s.jpg ハーバー沖で、ジュニアヨットが練習しています。
15:36入港。
20170504WakaS092s.jpg 黄色いイルカのシンボルが出迎えてくれます。
20170504WakaS109s.jpg 桟橋着艇でのロープワークなどがあり、Sさんにドライブを交代し、雑用係になって給油桟橋に着けます。
ハーバー職員が走ってきて、もやいを取ってくれます。
20170504WakaS099s.jpg SAさんが、ハーバー事務所に向かい、係留料を払いに行きます。
「平日一日1艇1000円、土日祝日2000円」

ビジター桟橋を教えられ、そちらに船を移動します。
アジ釣りをしていたお隣さんが、もやいを取ってくれます。
20170504WakaS121s.jpg 15:57バースにもやいます・・・無事到着、お疲れ様でした。
このマリーナは、次男がジュニアヨットしてた頃やジュニアヨット協会理事時代は、毎年レースや合宿に来ていました。
その後は、たまに行く程度になり、5年ぶりぐらいかな?
20170504WakaS110s.jpg 気持ちの良いハーバーです。

お隣さんは、西宮一文字YHの方で、他に2艇いました。
もう一方のお隣さんは、大阪北港YHの艇でした。

16:32、横の「黒潮温泉」に入ります。
20170504WakaS125s.jpg 5月人形が飾ってあります。
我が家は、GWに長男一家が帰省しないので、鯉のぼりも武者人形も、出さずじまいです。

風呂で汗を流し、風呂上がりにコーヒー牛乳を飲みます。
前回は、3月の次男一家と参拝した伊勢神宮で泊まったホテルでした。
ヨット部時代、合宿で風呂屋に行くと飲んでいたコーヒー牛乳の美味しさが癖になり、風呂に入ったらこればかりです。

一旦船に戻り、17:35その横の黒潮市場に向かいます。
20170504WakaS130s.jpg ポルトヨーロッパは、入場無料になっています。

20170504WakaS131s.jpg マグロを解体していました。
海の幸がいっぱいあるのに、BBQが並んでいたのでパスし、17:40「和歌山ラーメン820円」をテラスで食べました。

20170504WakaS136s.jpg 明日の朝食を調達する予定でしたが、目ぼしいものがなく、コンビニも歩いて20分ほどかかるということで、18:27ヨットハーバー・クラブハウスで自転車でも借りようと思いましたがありませんでした。
20170504WakaS138s.jpg 仕方なく、隣の「和歌山マリーナシティホテル」の売店で、18:38「どん兵衛そば200円+塩ラーメン200円」を買いました。

船で駄弁っていると、19:11黒潮市場から花火が上がりました。
「本日19:30から10分間花火が上がります」の案内板が、市場に立っていました。
20170504WakaS167s.jpg 試し打ちだったようで、19:30から盛大に上がり始めました。

20170504WakaS177s.jpg 21:07ダベリングを終了し、片付け根倉確保です。
SA先輩はスターン(後)ルーム、S先輩はバウ(前)ルーム。
下っ端の僕含め3人は、ミドルルームで僕とHさんはソファで、SGさんが床板に毛布を敷いて寝袋に入ります。
僕はソファーに寝袋というスタイルです。

20170504WakaS179s.jpg 1Fに貸衣装など結婚式関係の会社が入った東急リゾートマンションでおトイレを拝借し、ご就寝。

5/4・和歌山へクルージング出発 西宮~関西空港沖

5/3・4と、コーチしてる大学ヨット部が参加する「メイレガッタ」でした。
それとバッティングする日程で、5/4・5と先輩と運用しているクルージング艇での和歌山クルージングがあります。
迷った末、和歌山クルージングに参加することにしました。

いつものように朝4時に目覚め、用意して身支度して、朝食取って6時に家を出ます。
家内のバイク・アドレスV125にバイクカバーをヘルメットボックスに突っ込んで出発。
近所のコンビニで、昼食用「助六寿司」を6:14に購入。

一路R171を走り、6:40に新西宮YH着。
8時出発ですが、エンジン点検など、1時間余裕を持って来ました。
ところが、S先輩がハーバー前を歩いていました。
いつも車なのにと声を掛けると、酒飲んだら運転できないから電車で来たという。
クルージング後の帰宅を考えているようです。
以前は、奥さんに迎えに来てもらっていたのに・・・
奥さんも、S先輩と同学年のヨット部員だったから、僕の先輩です。
僕はいつも、奥さんを旧姓で呼んでいます。

カードキーで係留艇桟橋ゲートを開け、桟橋を船まで歩いていくと、なんとS先輩含め、3人おられる。
ウキウキしすぎて、早起きしちゃったのでしょう。
レースの時は、僕が一番早いのに。

セイルを上げる用意をしていると、最後のSA先輩が来られた。
まだ出艇予定には30分はあるよ。
SA先輩は、僕が高2の時の大学4回生ヨット部員です。
大学系列高校だったので、日曜日と長期休暇の練習は、高校大学7学年一緒に練習していました。

他のメンバーは、日大時代クルージングヨットをしていたHさん(レースヨットでS先輩・Hさん・僕でチームを組んでいる)と、同じくレーシングヨットのライバル艇のクルーSGさん。
気心の知れたヨット仲間です。
レーシングをやってた・やってるメンバーばかりなので、安心して乗れます。

桟橋にいててもすることないので、すぐに出艇です。
S先輩がドライブして、桟橋を離れます。
桟橋が船に当たらないようにする緩衝材フェンダーを外し、スターンに移動させます。
ハーバーを出ると、7:09芦屋の防波堤で多くの方が釣りをしています。

20170504WakaS002s.jpg クルージングして帰ってくる時の目印「阪神高速湾岸線・白アーチ橋」を後にします。
西宮尼崎港の赤白灯台を抜けても、東の風は弱く、フルセイルでは遅いので、エンジンを掛けて機帆走しながら「関西空港」を目指します。
20170504WakaS003s.jpg Sさんは、ドライブをHさんに交代してのんびり腰掛けて、みんなでおしゃべり。

20170504WakaS020s.jpg コーヒータイムになり、4人でコーヒーを飲みます。
僕は早めに飲み終えて、Hさんと交代します。
少し風が上がり、風だけで5ノットのスピードが出るので、エンジンストップ。
20170504WakaS004s.jpg エンジン音がなくなり、波音だけで進みます。
GPS地図で関空が220度と確認し、オートパイロットにステアリングを任せ自動操縦させて、前方監視だけすることにします。

9:50、関空連絡橋が視認出来るようになってきました。
関空レースに先輩艇が出場しているので、S先輩が電話するも、応答なし。
「ガチャン」・・・オートパイロットから異音がしました。
手動に切り替え、ステアリング付近をメカに強いHさん中心に覗きこみ異常を調べます。
ゴムも切れていないので、外れただけかな?と思い、再セットしようとしますがうまくいかない。
そこで、プロに電話し、あれこれアドバイス受けると、ステアリングにセットし動かす小さなプラスチックのリングが割れているのを発見、修理を諦め、2日間手動で走ることにします。
経年劣化でしょうね・・・初めての故障です。

遠くに明石海峡大橋が見えます。
5月だけど、黄砂も少なく遠くまで見通せます。
漁船が走り、神戸空港と関空を結ぶ高速連絡船が走っています。

10:22、関空人工島沖。
レース艇は見えませんが、「あっ、ピーチだ。あれは台湾のエバーグリーン?・・・」離着陸する旅客機を見あげます。
ピーチは駐機中でもピンクが可愛いね。
20170504WakaS033s.jpg 中国機は、汚れ気味で色がくすんで見えます。
「飛行機、洗い~な」

Hさんにドライブを交代。
SIさんは最長老なので運転せず、SGさんはヨット部じゃなかったのでステアリングを遠慮し、S先輩・僕・Hさんが暗黙の了解で、交代でステアリング担当です。
まあ、僕とHさんがメインだけどね。

空港島を過ぎる頃、レース艇が見えてきました。
我々の航路から随分離れているので、応援はできませんでしたが、レースをやってるのは判りました。

5/2・5/8 次男一家の様子

5/2
次男のお嫁さんからも、家族メーリングリストにメールが入りました。
8月からの職場復帰に向け、保育園見学に行って来たそうです。
保育園が見つからなければあと半年伸ばせるそうなので、すみれちゃんが気持ち良く過ごせそうな所をじっくり探すそうです。

IMG_4682s.jpg すみれちゃんは、数日前からハイハイを始め、カゴの中のオムツや洋服をばら撒いたり、プレイマットをはがしたり、親子の時間を楽しんでいるようです。
運動能力があがったので、オムツ替えや着替えを嫌がり大変になってきたようです。

IMG_4829s.jpg レゴのデュプロブロックを買ったようです。
次男は、レゴが大好きで、私がびっくりするような作品を毎日作り、仕事から帰宅するとそれを見せてくれました。
創造力を養い、今の建築設計の仕事も、レゴの延長線にあるように思います。

IMG_4760s.jpg僕がそのことを話していたので、早速買い与えたようです。
IMG_4773s.jpg まだくっつけられませんが、他のおもちゃより楽しいようで、お嫁さんがくっつけたブロックを外すのが面白いようです。
IMG_5066s.jpg 孫達みんな知恵が増し、読んで写真・ビデオを見ているいるだけで幸せを感じます。

5/8
次男のお嫁さんから、メールが届きました。
GWの話題です。

5/3は、秩父市にある羊山公園の芝桜を見てきたようです。
IMG_5127s.jpg GW大渋滞で時間がかかりましたが、濃いピンクの芝桜が綺麗だったようです。

5/4は、お嫁さんの実家でBBQ。
IMG_5342s.jpg まだまだ元気なお婆さん、ご両親、春に結婚したばかりの妹夫婦も一緒で、すみれちゃん・10ヶ月を囲み楽しんだようです。
4世代でBBQなんて、素晴らしい。
IMG_5302s.jpg ししゃも鯉のぼりを食べたそうです。

5/5は、次男の新しいスーツを買いに行ったそうです。
「マッキントッシュのスーツ」のスーツを買い、コーチをしていたので僕も知ってるヨット部後輩の結婚式に着て行くそうです。
調べたら、ロンドンの老舗メーカーだそうです。
僕も学生の時は、VANやKENTなどブランド物を着ていましたが、社会人になってからは気にしなくなりました。

家内も母親が着道楽なので、ヨーロッパブランドバッグやワンピースをちょこちょこ着ていましたが、社会人になってからはそうでもありません。
でも息子たちは、今でもブランド物を着ています。
パンツでさえ、僕のグンゼとは大違いです。

5/6は、すみれちゃんを次男に預け、美容院に行ってきたそうです。
久しぶりに1人のゆっくり贅沢な時間を過ごすことができたと書かれていました。
お嫁さんが幸せそうに暮らしていることは、次男も当主としてうまくやっているようです。
男は、子を宿せないし、子を育てられません。
次世代とそれを育てる妻を、しっかり養って行くのが第一義的に大事な仕事です。

5/7は、茨城県の大洗海岸に行ってきたようです。
IMG_5422s.jpg 「家族3人でお揃いの服装」と書かれていたので写真を見たら、デニムパンツでした。
赤ちゃんが硬いデニムなんて着て快適なのかとアップにしたら、デニム色の別の生地に見えます・・・伸縮しないとね。

僕は、窮屈嫌いなので、生涯にGパンは中学生の時1本買っただけです。
ゴワゴワしてて、すぐにお払い箱にしました。

IMG_5446s.jpg すみれちゃんは、人生初の海で泣いていたようです。
IMG_5457s.jpg 冷たい海水、波の音、濡れた砂浜の感触がダメだったようです。
IMG_5507s.jpg 「大洗磯前神社」で、家族の健康を願ってきたようです。

GW中、ずっと朝から晩まで次男はすみれちゃんと一緒だったので、2人の距離が縮まったようです。
ハイハイで追いかけていたようです。
これは嬉しかっただろうな。

僕は、子供たちがチビの時、19時には帰宅し毎日お風呂に入れ、本読みして寝かしつけるのが担当だったので、これほど距離は感じませんでした。
でも、長男はウィークデイはいつも子供が寝てから帰宅し、朝だけ顔を合わすだけだとこぼしていました。
お嫁さんが、朝の出勤時、駅までりょうくんを抱っこして長男を送ってくれ、少しでも父子の時間を持たせてくれました。
家内は、次男の笑ってる写真や、笑い声のビデオばかりで、「幸せそうでいいわ」と喜んでいます。

5/2・長男一家、ニューヨークで一泊

長男のお嫁さんから、家族メーリングリストにメールが届きました。
E1177FB9-35BD-4E7F-A190-0D924541823Cs.jpg ニューヨークに一泊旅行してきたそうです。
初日は雨だったので、「アメリカ自然史博物館」へ行き、晴れた翌日は「1日乗り放題の2階建てバス観光」したそうです。
ニューヨークは人が多く、子連れではなかなか大変だったそうです。
でも、クリスマス休暇で一泊した時は体調不良で観光できなかったから、楽しかったそうです。

EC5D502B-3C7D-43C6-9C79-6A157FA13B21s.jpg 会社の日本人スタッフとのバーベキューした写真もありました。
会社が海外シフトしており、新たに今年4月から赴任してきた家族も数組参加し、1年前はアメリカ生活を教えてもらう立場だったのに、今度はアドバイスする方になったようで
す。
IMG_3268s.jpg りょうくん4才と同じくらいの男の子が2人増えて、すぐに仲良くはしゃいでいたそうです。

IMG_3179s.jpg りょうくんは、成長した分、言い訳したり反抗したりと知恵が回ってきたようです。
IMG_3233s.jpg でもこうくん・1才が、言葉を理解出来るようになってきて意思疎通出来るようになって面白く、いつも誰にでもニコニコなので、ホッとするそうです。

1B2B103E-D65E-4C4C-ACE2-7AD5D797C904s.jpg 5D640F4C-D6DD-4B92-927E-505242DD41BEs.jpg 7681D419-8F90-4D7A-A897-8D8097674AC1s.jpg 7C335DEC-618A-4BD6-84B5-1A901AE4197Fs.jpg 自然史博物館では、りょうくんの好きな恐竜の等身大骨格が展示されており、ご機嫌のようです。
585BE3BD-7A34-4218-BDD8-7DD825CDDEF0s.jpg 9.11で崩れたツインタワー跡に建った「ワールドトレードセンター」
8D847FFF-2381-4C24-9977-C6BEE8F67AEFs.jpg 西半球で最も高い住居「スプルース・ストリート」
E68E58A7-6867-48D9-B89A-74DFB38B7B6Fs.jpg ニューヨーク市庁舎「ニューヨークシティホール」
「タイムズスクエア」
64433135-B027-4D98-819C-934643111E0Fs.jpg 「自由の女神」「マンハッタン島から見るハドソン川」などの建物の前で写る息子家族。
9CCBA627-160A-4597-9ED3-4772163C9249s.jpg 屋根のない2階建てバスに乗ってる息子家族が楽しそう。

4/30・福知山サイクリング 福知山城~JR福知山線

ネット地図をプリントして赤ペンで書いてきた道が工事中で走れず、適当に走っていたら、14:23「福知山城」に来てしまった。
予定外だったが、見学してみることにする。
太鼓橋で堀を渡り城内へ。
家内はココで待ってるというので、急いで見学しよう。

途中で転用石と書いてあったが見つけられず。
天守閣の石垣に転用石があった。
20170430FukuS267s.jpg 墓石ですね。

『天守閣の石垣は、「野面積み」「乱石積み」と呼ばれる技法で、未加工の自然石が積み上げられている。五輪塔・宝篋印塔を始め、石仏・石臼・灯籠などの石造物が大量に石材として利用され、転用石と呼ばれている。転用石の大量使用は、福知山城や大和郡山城に見られる。再建時の発掘調査で500個あまりが確認されている。延文4年(1359)銘の五輪塔(転用石年号銘最古)や、天文10年(1541)の五輪塔がある。宝篋印塔の塔身・基礎・基壇と、この地域の石造品を伺い知る事ができる』

20170430FukuS272s.jpg 福知山盆地が一望です。
福知山盆地は標高が低く駅前で15mしかありません。
大河川の由良川がここで土師川と合流し、水害に見舞われやすい地形です。

『豊磐井 本丸に残る井戸で、井戸の深さ50mで、城郭本丸内の井戸としては日本一の深さです。海抜43mなので、近くを流れる由良川の川床より低く、海面下7mです。この井戸が掘られたのは朽木時代で、当時の井戸掘り技術の高さを示します』

入館料・320円で、天守閣内へ。
朽木氏の家紋は、我が家と同じ武田菱でした。
天守閣内は鎧兜を始めお宝の展示替されており、4F最上階からは福知山盆地が一望です。

20170430FukuS291s.jpg 天守閣の外に出ると、朝暉神社があった。
『祭神:藩祖・朽木稙綱公 福知山城主・朽木氏は、近江源氏・守護佐佐木信綱の孫・義綱を始祖とし、代々同国朽木谷に住す。13代・元綱第3子・稙綱は、徳川3代将軍に側近して若年年寄に列し、幕閣・幕藩制度の確立に功績抜群たり累進して常陸土浦3万石城主となる。寛文9年稙綱の子・稙昌が、土浦に換えて丹波福知山3万2千石の地を賜り、連綿13代200年の長きに渡り、当地方を領地し福知山繁栄の基礎を築く』

自転車に戻り、15:09「JR福知山駅」。
20170430FukuS297s.jpg 駅前のSLが健在です。
前輪を外し、輪行袋に入れます。
半年ぶりですが、2人のコンビネーションも手慣れてきました。

15:45発16:05柏原着・特急コウノトリ1150円があり、15:52発16:20柏原着・各駅停車
500円があります。
13時台は1本・14時台2本・15時台2本・16時台1本・17時台3本です。
旅気分になりたいと言うので、特急を選択します。
乗車券500円+特急券650円=1150円×2=2300円。

20170430FukuS300s.jpg 僕は2台の自転車を持って、2Fプラットホームへ。
家内は旅気分を出すため、車内で食べるためにお弁当を買いに行きます。
結局、所要時間30分なので、おにぎりを買ってきました。
20170430FukuS303s.jpg ホームに上ると、京丹後鉄道の1陵列車が、別のホームに停まっています。
可愛いな。

15:43発、山陰本線・京都行「特急はしだて」がお隣の線路に入線してきました。
ここで4両連結して6両になるとアナウンスされています。
20170430FukuS304s.jpg 後部が開き、連結部が現れました。
「おお~」カメラを出して連結部へ移動します。
既に撮り鉄少年が真横に陣取り、大人げないので斜め横から撮ることになりました。
後続がゆっくり入線し、手前で一旦停止して扉が開いて連結部を見せ、またゆっくり前進し、ガシャン。

福知山線経由大阪行き特急「こうのとり」が入線してきました。
自由席は3・4号車です。自転車を入れ、座席に座ります。
空いています。
家内は早速、おにぎりを頬張ります。

朝から延々走ってきた区間を、たった30分で戻ります。
車窓から見える景色の中をサイクリングしてきました。
16:05柏原駅到着。
家内と自転車を駅に残し、車を取りに行きます。
車で駅に戻り、自転車を積み込みます。

16:27、柏原駅出発。
R176を三田に向かって走ります。
連休の日曜日なので、宝塚トンネルは渋滞しているだろうから、下道で帰ります。
新三田駅から、r570~r68~r33~r325~長尾山トンネルの定番コースです。

17:50、阪急オアシスでヨーグルトなどを買い、阪急山本まで南下し大阪平野に出ます。
R176に乗り、r42で南下し、18:27「GIANTショップ・輪心」到着。
サイクルコンピューターの電池切れで、今日もそうでしたが、今時速何キロで走ってるのかわかりません。
平均時速・トータル時間・走行距離、最近走ってもそれがわからず、ちょっとつまらなくなっていました。
この日の走行距離は、ネット地図で最短距離を測ったら33kmだったので、寄り道も含め40kmほど走ったと思いますが、正確にわからない。

数ヶ月前、僕と家内の自転車GIANTの専用ショップが、隣町の宝塚に出来たと知りました。
初訪問なので2人で目を凝らして沿道のお店を見て発見しました。
お店に入ると、なんと僕が購入した伊丹のお店の店長さんがオーナーでした。
前のお店はこのオーナーのお店で、大手ショップのフランチャイズだと思ってたら、違ったようです。
晴れてここで独立を果たされたようです。

大手メーカー製ではないので、長時間寿命じゃないがお安い100円の電池しかないそうで、それに交換してもらいました。
大手のは500円だそうです。
いずれにしても安いものなので、どっちでもいいのだけど。

次に次男の会社の販売店が出来たというので、そこを見学します。
18:44着。
営業時間が過ぎておりクローズでしたが、敷地内をウロウロし、18:55自宅に戻りました。
自転車を下ろし、後片付けして、ヨーグルト食べながら、NHK「ダーウィンが来た」を見て、お風呂に入ります。
家内が「おやすみ」と寝てしまいました。

自室に上がりTVを点けると、「大河ドラマ・女城主直虎」をやっていました。
寝床に入り修了まで見ていたら、次の番組が始まる前に夢の中でした。


4/30・福知山サイクリング 芦田均記念館~一宮神社

20170430FukuS156s.jpg 「芦田均記念館」があったので入ります。
田畑の中のこんな環境で育ったのか・・・。
喫茶室併設です。

夫婦の写真が飾ってあり、奥様も美人です。
年配の説明員さんがおり、丁寧にゆっくり説明してくれます。
お客さんは日曜日でも数名と思われます。
ここの開館テープカット写真に、中曽根さん・海部さん・谷垣さんが写っています。
谷垣さんは京都選挙区ですが、中曽根さん・海部さんには何故と思いました。

首相経験者の記念館が国内に19あり、その1つだそうです。
岡山県で、5.15事件で銃弾に倒れた犬養毅首相の記念館を訪問したことがあったが、たった19館しかないと聞き少ないなと思いました。
地元では誰でも知ってる名士であり、観光的にも人を呼べる素材なのに、アピール力が足らないように思います。

中曽根康弘元首相は、芦田均の子分だったそうです。
谷垣禎一元自民党総裁は、芦田さんと同じ選挙区でした。
中選挙区時代、芦田さんと前尾繁三郎さんが自民党で2人当選を果たしてきた後、芦田さんの地盤を引き継いで谷垣さんのお父さん谷垣専一さんが衆議院議員になり、前尾さん・専一さん時代が続き、その後谷垣禎一・野中広務時代に移行したようです。
小選挙区になってからは、谷垣禎一さんが連続当選しています。
前回が2014年、次回は今年とも噂されています。

去年、僕が乗っているようなロードバイクで転倒事故を起こし、脊髄損傷でずっと入院中です。
谷垣さんも、芦田さん同様東大法学部卒で、まさに芦田さんの直系です。
元気でいれば、次の総理大臣候補No1で、福知山市は2人も総理を出した自慢すべき市に
なります。
ちょっと残念です。

芦田さんは、東大法学部を卒業し、外務省に勤めます。
ロシア勤務時代、ロシア革命を目の当たりにします。
フランスに勤務し、第1次世界大戦後のベルサイユ講和会議に随員として出席します。
トルコ・ベルギー勤務などを歴て、国際的見地からアメリカと戦争しては負けると判断し、外務官での限界を感じ、国政に転じました。

「国際法及び国際政治より見たる黒海・君府海峡の地位」が法学博士論文です。
トルコの地中海と黒海を結ぶ海峡が、君府海峡です。

戦争回避への努力は報われず敗戦した後、日本国憲法制定の時、衆議院憲法改正委員会委員長になりました。
最近もマスコミに出る有名な「芦田修正」が行われ、GHQもOKして、現憲法第9条になった。

芦田修正以前、GHQから示された試案を翻訳したものは、
1:『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。』
だった。
これに『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、』と、『前項の目的を達するため、』を加えたのが芦田均です。

2:『憲法第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。』
になった。

憲法学者・西修先生の解説によると、単純な1なら、「戦争を永久に放棄する」と「陸海空軍その他の戦力を持たない」だったのが、修正が加わった2なら、「国際平和を希求し、その目的のためには戦力を持たない」となり、「自衛のためには戦力を持っても良い」にも解釈されることとなり、自衛隊を整えて行くことになる。
今日の自衛隊の存在は、芦田均元総理の「芦田修正」が起点になっている。
素晴らしいじゃないか。

まあ、芦田均修正されていなければ、自衛隊さえ持てないので、GHQが日本統治から手を引いた直後から、憲法9条改正に動いていたでしょうが・・・
また、米軍から要請されたイラク派兵の時など、「おたくに押し付けられたこんな憲法があるから後方支援しかできませんよ」と全面参戦を回避してきた理由にもなっている。

説明員さんは、このことを強調されていた。
芦田均さんの生涯を綴る6分ビデオを見せてくれました。
20170430FukuS186s.jpg 読書家で書物好きだったようで、書物になった日記や、ラブレターが展示されていた。
20170430FukuS187s.jpg 奥様からのものも展示されていた。

20170430FukuS188s.jpg 「従二位勲一等旭日桐花大綬章」が展示されていた。
僕の爺さんが、金鵄勲章を賜ったことを話したら、勲章一覧表を見せてくれました。
なんと勲章が、金銭売買の対象になっているようで、芦田さんのは680万円の値打ちと書かれていました。
爺ちゃんのは、520万円か1800万円で取引されているそうです。
首相経験者と、日露戦争従軍将校の勲章の価格があまり変わらないのに驚きました。
命を張る軍人がリスペクトされていた時代だったんだな~と思いました。
その表を、コピーしてくれました。

20170430FukuS190s.jpg 僕の明治時代の先祖が衆議院議員で、歴代総理の似顔絵に載ってる大隈重信と行動を共にしてことを話したら、似顔絵一覧表も上げると言われた。
でもちゃんと値段がついているので、400円の歴代総理似顔絵がプリントされたマグカップ・400円を購入した。

お隣に生家がありましたが、8軒あったこの一角が他家の失火により類焼してしまい復元だそうです。
それが市に寄付され、記念館として活用しているそうです。
僕らと話したのが楽しかったのか、館前の芦田さんの胸像前で写真を撮ってくれました。
家内は可愛く写ってるけど、僕は豚でダメダメだね。

13:04「一宮神社」
龍の彫刻が素敵。
このサイクリングの動機になった「土師川」が右から流れてきて橋で渡りました。
すぐ下流で、お世話になった「竹田川」と合流し、竹田川の名はここで消滅です。

20170430FukuS216s.jpg ここから土師川右岸を、福知山市街地に向かって下ります。
が、土手道が消滅していました。
仕方なく迷いながら左岸に渡ったが下流への道が消滅し、また右岸に戻り別の道を選択します。

ある程度下り、また左岸に渡り、13:41「天神宮」
謂れに『和銅年間に鎮座』と書かれているので調べたら、708~715年だそうです。
飛鳥時代から奈良時代(710~)への移行期ですね。

20170430FukuS227s.jpg R175に合流し、福知山線の単線と並走します。
電車が来るのを期待しましたが、残念ながら・・・。
すぐに国道から逸れ、JR沿いを走る。甲子園の新鋭常連校「福知山成美高校」が線路の向こうにあった。

14:10「一宮神社」
もう福知山市街地です。
20170430FukuS233s.jpg 能舞台がある。
社務所に、夜店の光る腕輪のような交通安全御守があった。
20170430FukuS240s.jpg 自転車・バイク・ベビーカーなどの取っ手やハンドルに付けるようになっている。
凄く欲しかったが、すだれが下りて閉まっていました・・・残念。

20170430FukuS244s.jpg 『祭神:大国主神 鎮座:慶雲4年(707)磨子親王の創建 丹波・丹後国境の守護神。天正年間、福知山城なるや城中・城下の守護神として、城主によって社殿修復がなされ、宝物・新撰田などの奉献もあった。現在の本殿は、正徳4年(1714)の炎上後、時の城主・朽木民部少輔植元によって、亨保3年(1718)造営されたもので、その後寛政3年(1791)に修理され、後は屋根の葺き替え程度で現在に至る』


4/30・福知山サイクリング 阿陀岡神社~鴨神社~愛宕神社~出雲二宮神社

20170430FukuS028s.jpg 10:16、第2休憩場所の「阿陀岡神社」
延喜式内社と書かれていたので、平安時代には既にあった古社です。

『主神:木花咲耶姫 欽明天皇即位3年(583)春日部乙身、勅命により幣物を奉ったとあるので、1400年以上昔から鎮座されていた古社です。主祭神は、天孫・ニニギノミコトの后で、海彦・山彦の母で、火中で安産したことから、安産の神として崇敬されている』

彫刻が立派です。
20170430FukuS040s.jpg 金色の神輿が置かれた社殿があります。
遥拝所もある。
本殿裏手に稲荷神社があったが、その参道脇に大岩が数個かたまってあり、岩座信仰ではないかと想像された。

沖縄米軍基地・城巡り・名所巡りツーリングした時、日本本土と同じ磐座信仰を数ヶ所で見ました。
沖縄を作った神が降り立ったという小島を向いて岩座があり、今でもシャーマンがそこに座り祈りをしているのだとか。
周囲は原生林とまでいかなくても自然が意図的に残されており、鳥居さえあれば古代神道と同じだと感じました。
というより、古代神道が沖縄に残っていると感じました。
日本本土の神域同様、神聖な場所として立入禁止の禁足地まであった。

氷河時代が終わり、アフリカから出た人類は、中東~インド亜大陸~東南アジアに移動し、中国大陸は大陸性気候であったため人が暮らせない寒さだったので、フィリピン~台湾~沖縄列島~日本本土と北上したそうだ。
だから、朝鮮半島より日本の遺跡の方が古い。
日本列島から朝鮮半島に渡り、更に温暖化し中東から中国大陸経由で朝鮮半島に入った民族と出会ったという説がある。

以降、中国文明の方が発達し、日中相互に影響し合うようになった。
そう考える気候・気温から見た世界史派の方が説得力があり、神功皇后の三韓征伐、親日本の百済と朝鮮の日本傀儡国家・任那の時代を経て、天智天皇の時代唐・新羅連合軍と対戦した百済・任那連合軍に加担した日本軍が大敗し、朝鮮半島で利権を失った白村江の戦いへの流れが、クリアになる感じがする。

阿陀岡神社と摂社・稲荷神社の間の大岩を見ながら、目は岩座を探していた。
20170430FukuS060s.jpg 竹田川が作ったであろう田園地帯を走ります。
風が強いですが、追い風なので平地なのにこがずに長く進んだり楽でした。

20170430FukuS087s.jpg 10:41、第3休憩ポイント「鴨神社」
渡来系民族・賀茂族を想像させる社名です。
『御祭神:賀茂別雷命 創建は不明。応永28年(1421)「再造鴨大明神社殿」の棟札があり、禰宜賀茂縣主経良の名が記されている。天正7年(1579)明智光秀の丹波攻めの兵火で、社殿一切焼失。現在の本殿は永宝28年(1680)、拝殿は文化8年(1811)に再建された。江戸時代、鴨郷9ヶ村総社として尊崇を集め、4社(鴨神社・貴船神社・八幡神社・春日神社)を合祀したことから鴨四座大明神と称し、氏子640戸を擁した。時の領主・旗本川勝氏も崇敬の念篤く、神社の繁栄維持に勤めた。大正13年郷社に列せられる。境内面積2400坪、本殿両脇に2社と1社を配し、祝詞殿に続く東西10間南北2間の広さの拝殿、それを三方塀で囲んだ社殿は壮観である。戦後、宗教法人・鴨神社となる。一の鳥居(大正3年再建)の脇に御神木の天然記念物大公孫樹(樹齢数百年・高さ20m・幹周6m)がある』

20170430FukuS071s.jpg 拝殿彫刻が立派で、拝殿内に年代物の絵馬がかかりかっこいい。
ここにも遥拝所があった。
20170430FukuS077s.jpg 「伊勢神宮・宮中三殿・橿原神宮・明治神宮、遥拝所」と書かれている。
20170430FukuS090s.jpg 小さな池の中央に厳島神社の摂社があり、厳島神社だから水に囲まれていると喜んでいます。

樹周6mの御神木が見当たらないなと思いながら自転車で走り出すと、境内の外100mぐらい離れた外鳥居の近くにその樹があった。
20170430FukuS099s.jpg 『古く平安の昔から乳の木として崇敬されてきた名木が、樹勢衰弱し見過ごすことができなくなりました。推定1200年生き続けてきた名木を蘇らせたいと有志が集い「大公孫樹を守る会」を結成し、日本樹木保護協会代表樹医・山野忠彦氏に診断を依頼した。早急に根本的手術と治療を施す必要があると診断され、浄財を募り、大規模な蘇生手術治療が施された』

11:06、第4休憩ポイント「愛宕神社」
ここで行程の半分です。
境内に舞殿があった。
お洒落だな。
神輿殿という建物があり、中は見れなかったが、神輿というより山車が収まっていそう。
20170430FukuS110s.jpg ここも、本殿の彫刻が立派です。
20170430FukuS115s.jpg 脇障子の彫刻もいい。

境内の隅に、壊れて引退した狛犬が置かれていた。
「お父さん、狛犬を作ったら」と言われた。
1才になる2人目の孫・こうくん誕生記念がまだなんです。
最初の孫・りょうくんには記念勧請して小さな屋敷祠を建てた。
3人目のすみれちゃんは、僕らの子孫初めての女の子なのでアセビを植樹した。
鳥居を手作りしようと思っているが、何かないかなあと言ってるので、アイデアをくれたようだ。

11:48第5休憩ポイント「出雲二宮神社」
成願寺がポイントだったが、通り過ぎてしまったようです。
三五桐紋でした。
山車が入っていそうな社殿がある。
神社や寺院は、鎮守の森があるので、遠目でも見当をつけやすい。

ここは電波塔が立ってる「高谷山」の北側で、高谷山にはスカイスポーツのテイクオフバーンがある。
早朝バイクで高速道路を使って、そのバーンに上がった事がある。
舗装林道があり簡単に上がれた。
出勤に間に合うよう朝8時帰宅でも来れる。
最遠早朝バイク記録は、和田山の竹田城で、朝霧を撮りに何度か夜中走り、夜明け前に山城に上がってカメラを構えていた。
今はもう早朝でも上がれなくなったので、懐かしい記憶です。

20170430FukuS128s.jpg 11:57、兵庫県が終わり、京都府・福知山市に突入。
20170430FukuS153s.jpg 暫く走ると、小川の上を鯉のぼりが勢い良く泳いでいます。
ここまで幾つもの鯉のぼりを見てきました。
我が家の鯉のぼりは、孫達がアメリカに行っちゃったので、今年は出番なしです。

20170430FukuS154s.jpg 12:08、「元内閣総理大臣・芦田均先生・生誕の地」の看板が目に入りました。
戦後の混乱期、吉田茂らとともに日本の再生への舵取りをした首相です。
憲法9条に修正を加えたことが有名で、この修正が入ったお陰で、自衛のための戦力なら現憲法上でも持てると解釈され、自衛隊が創設され現在に至っている。
この芦田均が福知山出身だったとは、知りませんでした。

4/30・福知山サイクリング JR福知山線・柏原駅~道の駅「おばあちゃんの里」

家内もお休みなのでデートです。
この日はサイクリングすることにしました。
奈良盆地の東山麓、愛知県の樽見鉄道、琵琶湖湖北など、走りたい道はいくらでもありますが、JR福知山線の柏原駅~福知山駅35kmを走ることにしました。

途中から土師川に沿って走るのですが、僕の先祖・美作菅家党の先祖菅原道真は土師氏を祖にしています。
キリストと同時代を生きた垂仁天皇に、力自慢の當麻蹶速との対決のために、出雲から野見宿禰が呼ばれました。
この対決が相撲発祥で、勝った野見宿禰が相撲の神様となっています。

當麻の地をもらい、垂仁天皇に仕え、后・日葉酢媛命の崩御に際し、それまでの殉死に代わって埴輪の埋葬を進言し採用され、出雲から同族を呼びよせ埴輪作成を一族の職とします。
古墳作りなどの専門集団になり、「土師」という姓を賜りました。

大坂夏の陣で後藤又右衛門が討ち死にした「道明寺の戦い」の道明寺は、道明寺天満宮の神護寺で、土師氏の菩提寺・尼寺です。
この周りは河内古墳群で、徒歩圏に仲哀天皇陵やその妻で三韓征伐した神功皇后の子・応神天皇陵など大小様々な古墳があります。
天皇が最も力があった時代です。
この地は野見宿禰が領し、一族はここから古墳作りに励んだ。
菅原道真も大宰府に左遷される時、ここに住む叔母に会いに来ています。

野見宿禰は、古事記に出て来る天穂日命の子孫で、出雲族です。
出雲族は南方系と違い、大陸系と言われ、鉄器を日本に伝え勢力を伸ばしました。
京都北部や兵庫県篠山北部の神社の謂れには、出雲族が京都・大和へ移動していった痕跡が書かれており、古事記の記述を感じます。

京都で大きな勢力を持った秦氏も、土師氏と同族と言われています。
そんなこんなの僕の遠い遠い先祖縁の地を自転車で走ってみたくなりました。

朝4時に目を覚まし、5時から車に自転車を積み込み始めました。
2・3列シートを前方に移動し、自転車の前輪を外してリアゲートから積み入れます。
シートで固定し、リュックに輪行袋・万一の時のカッパを入れ、カメラを用意します。

朝食を食べ、着替え終わった家内を乗せて、6:43出発です。
僕がプレゼントしたピンクのサイクリングジャージとピンクのサイクリング・ミニスカート、これまたプレゼントした黒灰色系のランニングパンツを下に着ています。
赤のOGKサイクルヘルメットと僕とお揃いの赤のヨット用ハット姿です。
「いや~可愛いなあ」を連発し、お出かけ前に抱きつきます。
女性の体は華奢で魅力的過ぎます。

R176沿いのエネオスGSで満タンに給油します。
48.4Lで6388円、バイクに比べ、四輪は大食いです。
宝塚ICから中国道に乗り、舞鶴道にチェンジし、丹南篠山口ICで下車し、R176を北に向かいます。
20170430FukuS001s.jpg 7:55、JR福知山線・柏原駅着。

駅前ロータリーには駐車場はありませんでしたが、北に50mほどにあった「スペース24」という駐車場に入れました。
「1日200円」は素敵なお値段です。
先に料金を支払うのですが、1~3日先払いできます。
「5/1・7:55まで」と印字された駐車券を車のフロントガラスに貼るようです。
フロントボードの上に載せておきました。

駐車場で自転車を組み立て、少し戻って8:10「JR柏原駅」でトイレを済ませます。
喫茶店が開いており、お土産の冷蔵庫に美味しそうなロールケーキやショートケーキが陳列されています。
ケーキセットのメニューもあるので、食べていこうかと提案するも、「まだ全然走ってないのに・・・」と却下されました。
「補給食が必要でしょ」となおも食い下がったが、採用には至りませんでした。

R176歩道を北上開始です。
20170430FukuS005s.jpg 「JR石生」を過ぎると田園が広がり、空が広い。
田には水が引かれ、田植え前の風景です。
20170430FukuS006s.jpg このGWは兼業農家の田植えですね。
子が孫を連れて帰省し、一族総出で野良仕事する姿が見える季節です。

20170430FukuS008s.jpg 国道がR175になりますが、できるだけ国道は走りたくないので、適当に道を逸れ、田んぼの中の農道を適当に進みます。
20170430FukuS010s.jpg やがて、黒井城址が見えてきます。
播磨の雄・赤松氏支族が城を築き、悪右衛門・赤井直正が城主の時最も輝き、丹波の赤鬼と怖れられ、強大な軍事力を誇りました。

織田信長の丹波平定の将・明智光秀が侵攻してきた時、これまた強力な軍事力を持った篠山の八上城主・波多野秀治と連合し、明智光秀を散々に打ち破り、討ち死覚悟の窮地に落としました。

その後、直政の死をついて光秀に攻撃され落城し、光秀一族の斎藤利三が入城します。
ここで生まれた娘の福が後の春日局で、徳川家康に気に入られ、孫の家光の乳母となります。
この一件は、本能寺の変の徳川家康・明智光秀密約説の証拠の1つです。
明智光秀が滅び、江戸時代に堀尾吉晴が入城します。

この城は家内と登ったことがあります。
中世の山城にしては比高があるので、城攻めは大変でしたが、360度下界が一望でき、抜群の眺望がご褒美でした。
誰が見えも、「あそこに山城がある」と平地から見ることが出来ます。

9:06、第一休憩場所「道の駅・丹波おばあちゃんの里」着。
家内は菓子パン140円、僕はどら焼き200円で補給食を取ります。
バイクが5~6台休憩しています。
どこに行くのかな?

奥の観光案内所と書かれた建物があったので、ナイスな地図やパンフレットがあればと入ってみました。
中に、焼き立てパンのお店があり、レストランも併設されている。
20170430FukuS018s.jpg しかもケーキセットだってあるじゃないか・・・

慌てて家内を呼びに行き、「ねえ、食べようよ」
「あ~こっちの方が良かったね、でも食べたばかりだし・・・」
「福知山まで、こんなお店はないよ」
「福知山は何時頃到着予定なの?」
「13時ごろ」
「じゃあ、そこで食べたら」
20170430FukuS019s.jpg 「いやいや・・・」と駄々っ子のごとくごねて、9:31僕「限定シフォンセット650円」+家内「ケーキセット580円」、結果的にはこれは正解でした。

20170430FukuS021s.jpg 道の駅を出てから、竹田川を東に渡ります。
20170430FukuS023s.jpg 気持ち良く田畑の中を走るr138を北上します。
20170430FukuS025s.jpg 田植えをしている田もあります。
20170430FukuS026s.jpg 正面に小富士山の綺麗な三角錐に向かう。


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