4/23・播州寺社巡りドライブ 家内実家「義理姉家」

加古川の姉の家に行く予定時間16時にはまだ早く、お寺から見えているカフェ「旬菜きらら」さんで、デザートセット500円×2=1000円で休憩する。
デザート3品・ドリンク付きなので、これはかなりリーズナブルです。

14:23にお店を出ます。
r75~R175~r18で、加古川土手道路を南下します。
R250まで南下し、R250を東に進み、15:43義理姉夫婦の家着。

次の日曜日に引っ越すので、床は未整理の荷物が置かれ、足のふみ場を考えなければなりません。
今度は明石のタワーマンションなので、一軒家に比べ荷物が入るスペースはぐっと小さくなり、1/3にしてくださいと引越し屋さんから言われているそうです。
義理母が亡くなった時、着道楽だったので、着物を大量に持ってきました。
家内も着物好きなのでいいのですが、僕らがこの世から消えた時、長男のお嫁さんはきっと困るでしょう。
「あれもこれも持って帰れ」と姉妹の「あ~だこ~だ」が早速始まりました。

家内の実家は、両親が亡くなり取り壊し、駐車場になっています。
結婚した頃は、僕が我が家と加古川の家両方見ることになるのかなあと思っていたのですが、実家が資金提供し義理兄が近くに開業し、住んでくれたので、家内も親のことを姉
任せにできて助かりました。

姉の長男が、大工場のある加古川の立地故アトピー性皮膚炎を発症したことがあり、もうここに帰ってくることはなく、野村不動産で売りに出しています。
長女が住む明石を終の棲家にするそうです。

子供たちに老後の面倒をかけられないからと、加古川から出る決心をしたのですが、3人の子の家は全て兄が資金を出しており、なんぼ迷惑を掛けても平気だと思うのですが・・・。

車もクラウンと姉の車2台だったのに、プリウスとノートに小型化されており、先を考えた変貌にびっくりしました。
長男にあげちゃったのかな?

我が家に持って帰るものを車に積み、取ってくれたお弁当を美味しくいただきました。
姉から、月命日に毎月やってくるお寺さんの車が凄いとの話を聞きました。
四輪車ですが、免許要らずで乗れ、駐禁にも引っかからない1人乗り自動車とのことです。
そんな車はあるのか?と不思議でした。

19時にお寺さんがやってきて、仏壇のお性根抜きの法事をしていただきました。
マンションなので、フルサイズの仏壇を置く仏間がないので、マンションサイズの厨子になるそうです。
そこで、フルサイズ仏壇を処分します。

法事が終わり、あれこれお寺さんと喋ります。
姉夫婦は同じ大学の同級生ですが、お寺さんはそこの後輩です。
大学で学んだ国家資格を取り、その専門職として役所に勤めしてながら、兼業坊主しています。
我が家の氏宮さんの宮司さんも、市役所職員を本業に、兼業宮司をしていました。

前から気になっていた浄土宗と浄土真宗の仏壇お違いを聞きました。
浄土真宗には位牌がないそうで、過去帳に自分で戒名などを記入し、それを代々伝える方式なので、仏壇内に位牌を置く棚がないそうです。
だからスッキリしているのだとか。

父が亡くなったとき、仏壇を購入したのですが、浄土宗と宗派を伝えると、ではこちらからお選びくださいと連れて行かれました。
浄土真宗さんのエリアは、仏壇内部が金ピカだったので、金ピカが浄土真宗で、落ち着いたのが浄土宗だと思っていました。
ところが、家内の実家は京都永観堂末寺の浄土宗なのに、仏壇内部が金ピカなので、不思議に思っていました。
長年の疑問が消えました。

お寺さんが帰る時、問題の車を見せていただきました。
やはり四輪の自転車ではありませんでした。
「トヨタ・コムス」という電気自動車でした。
コンビニが配達に使っている車です。
ダッシュボード下にコンセントがあり、家庭用コンセントから充電出来るそうです。
職業柄、法事のお宅の横に路上駐車することが多く、車幅が狭いので、駐禁にならない場合が多くなったそうです。

最高速度は60km/hで、1人乗り。
原付免許で運転でき、ヘルメット着用義務はありません。
高速道路は走れません。
左右ドアはなく、ホロを着けておられました。
EVなのでエンジン音はなく、タイヤの音だけでスーッと出ていかれました。

帰宅後、いくらするのか調べたら、新車価格はベーシック70万~80万まで4種ありました。
後部の形状のみが違うだけで、キー付きトランクボックスタイプが82万、キー付きデリバリーボックスタイプが79万、デッキタイプが75万、何もないタイプベーシックが69万です。

20:32に出発し、R250~加古川バイパス~第二神明道路~阪神高速7号北神戸線~中国道で、21:40自宅近所のスーパー着。
僕の命の源なのに在庫がなくなった職場用のプレーンヨーグルトを6個買いました。

21:50にスーパーを出発し、21:53自宅着。
もらってきた荷物を実家に置き、少し遅くなりましたが風呂に入り床につきました。
なんとか22時台に寝ることが出来ました。


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4/23・播州寺社巡りドライブ 「多聞寺」

小さなお寺なのに、駐車場が充実しています。
30台は停められそう。
この日は僕1台です。

20170423HarimaS223s.jpg ここは、この日一番訪問したかったメインディッシュです。
黒田官兵衛配下の「黒田24騎」の1人で、真田幸村と共に大阪の陣を戦った「大坂城五人
衆」でもある後藤又兵衛の菩提寺で位牌を供養しています。

20170423HarimaS224s.jpg 黒田官兵衛と恋仲だった娘が、赤松内部の抗争で死にますが、一説にはその娘と黒田官兵衛の間の子ではないかとさえ言われています。
後に黒田家当主となる息子の黒田長政とともに育て、長政の参謀にしようとしたが、反りが合わず、勘兵衛没後に黒田家を離れます。
長政が他大名に奉公構を出され、浪人の身となる。

20170423HarimaS225s.jpg 起死回生を狙った大坂の陣、冬の陣では徳川軍を撃退したが、堀を埋められた翌年の夏の陣に至り、道明寺の戦いで討ち死にした。
武士らしい生き方をした人で、今でも多くの人に好かれている。
戦国末期、信長・秀吉・家康が活躍した時代のバイプレイヤーです。

山門前に、「禁葷酒」と刻まれた大きな石柱が立っている。
禅宗のお寺だなあと見ると、曹洞宗となっていた。

20170423HarimaS236s.jpg 『大坂夏の陣・河内道明寺の戦いで後藤又兵衛が討ち死にした翌年・元和2年(1616)、又兵衛三男・佐太郎が、父と兄を弔うため、岩本官兵衛から土地の施しを受け、又兵衛の一周忌に合わせて多聞寺を建立した。現在も又兵衛の真牌(位牌)を本堂に奉安している。西隣の大村町には、三男佐太郎の末裔の方が、現在も住んでおられる』

20170423HarimaS239s.jpg 位牌は見られなかったが、写真が載っていた。
『法名 西照院殿夏安道蓮大居士 住職いわく、「院殿」は殿様しか着けられない法名。大坂から見て西方向で活躍「西照」し、大坂「夏」の陣「道」明寺の戦いで、「安」らかに眠られたという思いが込められている』

位牌の裏には、『大織冠鎌足公苗裔鎮守府将軍藤原秀郷23代後裔、播磨国住人後藤又兵衛尉基次、元和元年5月6日於河内国道明寺戦死。行年53。孝子太郎正方識之』と書かれている。

20170423HarimaS240s.jpg 葬式仏教のお寺という構えの何処にでもあるようなお寺ですが、本堂の蟇股の彫刻がなかなかのもので、播磨の寺院は彫刻にお金をかける文化があるのかと思った。
20170423HarimaS242s.jpg 本殿には、NHK大河ドラマ「真田丸」のポスターはじめ後藤又兵衛関連のポスターた案内・パンフレットが貼ってありました。
裏の墓地も巡ってみましたが、江戸時代からの新しいお寺でもあり、めぼしい掘り出し物はありませんでした。

r43に乗り、また南へ北条鉄道を渡ります。
R372に乗り篠山方面へ、今度は北条鉄道を北に渡ります。
r23に乗り、JR加古川線を渡り、加古川を渡ります。
R175を渡ります。
ハナミズキの街路樹に白い花が咲いています。
r75にチェンジし、13:41「浄土寺」。

『奈良東大寺を再建した重源(ちょうげん)上人によって、鎌倉時代・建久年間に建てられた。東の丘陵から伸びる尾根先端を、寺院の場所として選んでいます。
浄土寺から見れば西が開け、大きな空が広がっています。夕方になると美しい夕日が望め、仏の住む国・西方浄土が実感できるように工夫されている。周囲には水田が広がっていますが、かつては浄土寺を本寺として、それを守るように塔中寺院と呼ばれる寺院が多数存在していた。現在は歓喜院(南寺)・宝持院(北寺)の2院となっていますが、14院あった』

平安末期、何かと強訴してくる南都勢力を抑えるため、平清盛の命で南都攻めが行われ、東大寺の多くの伽藍も灰となりました。
それを再建したのが重源上人です。

20170423HarimaS249s.jpg 奈良のお寺のような素朴な屋根様式が見えます。
20170423HarimaS254s.jpg 境内に入ると、藤棚が紫になっており、藤が下がっているほどではありませんが、咲いています。

『国宝・浄土寺浄土堂 重源上人が入宋して学んだ「天竺様」建築技法を用い、建久5年(1194)上棟された。天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴が伺える。東大寺南大門とともに、「天竺様」を伝える貴重な建物で、お堂としては日本唯一のものである』

『国宝・阿弥陀如来・両脇侍立像 三尊とも快慶の作。浄土堂の本尊で、観音・勢至菩薩を両脇侍として立つ丈六の巨大木像である。好天の日には、堂背の蔀戸(しとみど)から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊のお姿を拝することが出来る。「天竺様」-「大仏様」ともいわれる』

拝観料500円払って、早速本堂内へ。
前回、ツーリングマップルに「国宝」とあったので寄った場所ですが、あまりに凄い仏像に度肝を抜かれて、播磨生まれの家内に見せようと思っていました。

この本堂は一度も焼けたことがなく、雨ざらし状態になったことも、何度もリニューアルを受けていますが、鎌倉初期のままの姿を保っています。
三尊はまだまだしっかりと金箔が残り、金色の姿を見せています。

前回、「この金箔はいつリニューアルしたものですか?」とお聞きしたのですが、「当時のままです」との答えにたいそう驚きました。
800年も金箔が落ちすに残っているなんて信じられず更に聞くと、東大寺の大仏などは煤払いと称して払うから、その度に金箔が落ちてしまい金箔の落ちた渋い姿になっておられるが、ここ浄土寺三尊は一度も煤払いをしていないので、金箔が落ちないんだと説明して頂きました。

奈良のキトラ古墳の内壁に彩色が残っているのと同様、昔の技術者の腕は、現代人のそれを凌駕しているように思えてなりません。
この金色の仏像の背から、床に反射した夕日が射すのだから、「これぞ後光」という姿になられるのかもしれません。
一度観たいものです。
床に座り、7分間のテープの説明を2度の聞き、大満足でした。

20170423HarimaS257s.jpg 前回リニューアル中だった境内の八幡社が完成しており、じっくり見させてもらった。
鐘楼を見て、家内は北側に石段を降りていきます。
北の宝持院を見て、家内はそのまま北に歩いていきます。
「ははあ、迷子になってるな」と思い、「車こっちだよ」と明後日の方向を指差すと、「あれ、そうなの?」と笑っています。
家内の方向音痴は、いつも笑わせてくれます。
宝持院は九曜紋でした。


4/23・播州寺社巡りドライブ 「普光寺」「柳田国男生家」「金剛城寺」

r145に戻り西進し、r79~r24で、10:22「普光寺」
『行者道の案内 鎌倉山は高くて美しく大きな石座(いわくら)を持ち、近郷一円の水源でもあるため、古くから神体山として崇敬され、神話や佐保神社の神社記によれば、鎌倉山から降臨された神であると記されています。鎌倉山に連なる峰々は、明治35年(1902)大峰山に模して行者道が開かれ、東南麓の行者道登り口を起点に、宝来山鎌倉寺(蓬来山普光寺奥の院)を終点とします。従って現在地は、途中の登り口です。
行者道に合流して右折すれば起点に戻り、左折すれば終点に達します。まず鉢尾峠(大天井)を経て、「東の覗き」に着けば岩座に役行者像が安置されています。
柳峠を横切り鎌倉山頂に着けば、法起菩薩像が安置され、周辺の広場はその昔護摩を焚いて雨乞いした跡です。天候が良ければ、南に広大な播磨平野が一望でき、遠く明石海峡大橋や瀬戸大橋も望めます。東に下り「西の覗き」抹香岩(まっこういわ)に着けば、岩壁に役行者像が刻まれています。やや引き返して下れば、終点の蓬来山鎌倉寺に着きます。寺伝によれば、神亀6年(729)中衛大将藤原房前公の御願により、徳道上人の開山と伝えられている』

山寺なのに駐車場がしっかりしているなと思ったら、行者道ハイキングコースがあるのですね。
停まっている車はハイカーの方のようです。
寺院の方からリュック背負ってバイクに戻って来られた男性がいたので、「ハイキングの帰りですか?」と聞くと、これからだそうです。
僕らでも歩けそうか情報を得ようと思ったが、残念。
20170423HarimaS147s.jpg A4コース地図があるということで、横のボックスから取ってくれた。
「お気をつけて」と声をかけて別れました。

灯籠が並ぶ参道を歩くと弁天池がありました。
20170423HarimaS151s.jpg 「照一隅小僧」という石像が立っています。
灯籠全てに「照一隅」と書かれているので、天台宗寺院のようです。
比叡山の東側琵琶湖への玄関・坂本の天台宗・宗務会館に行くと、この文字が目立ちます。

『普光寺沿革 当寺は天台宗・蓬来山普光寺と称し、比叡山を本山とする。白雉2年(651)36代孝徳天皇の勅願寺として法道仙人の開基。播磨六山の1つとして栄え、将軍徳川家光公より寺領50石の朱印を賜った。昭和13年本堂・鐘楼堂など焼失した。昭和15年本山よりご本尊千手観世音菩薩をお迎えし、仮堂を信仰の場としたのでるが、昭和44年寺檀一致協力し再建に着手し、翌年落成した。鉄筋コンクリート製、播磨西国17番霊場である』

鉄筋コンクリート製故、建物に見るべきものはなく、鐘楼も鉄筋コンクリート製だった。
『おびんずるさま 賓頭盧尊者という。白髪で長い眉のお顔をした十六羅漢で、長くこの世に住み多くの人々を救った。伽藍の前に安置し、自分の患部と、像のその部分とを交互に撫でると治るという信仰が、民間で行われている』
頭の衰えと足腰の衰えを遅らそうと、撫でました。

r24に出て、r145~r369に乗り継ぎ南下し、中国道をくぐり、側道に乗って西進します。r23に乗り、中国道とパラレルしながら西進し、福崎市内に入って播但道をくぐり、20170423HarimaS161s.jpg 11:21「柳田国男生家」着。
家内と池からカッパが出現するのを眺め、天狗が移動するのも見ました。
これを見せたかったんですよね。
20170423HarimaS180s.jpg 本当はチビちゃんがいる方が面白いんだけどね。

R312に出て市川を渡り、r405~r406に乗り換え、山に向かいます。
11:59「金剛城寺」
推古天皇の時代、高麗の恵灌法師を招いて開山。
本尊・十一面観音は一刀彫。
焼失十数度を経て、1300余年を経た。
嵯峨天皇の御代、弘法大師が留まり、真言宗となった。

推古天皇は、初めての女性天皇で、飛鳥時代の始まりです。
仏教伝来を受け、崇仏派・蘇我氏と廃仏派・物部氏が対立し、聖徳太子も将として参戦した現在の大阪上本町台地(当時は半島)に物部守屋邸を攻め滅ぼした。
蘇我氏は、推古天皇・摂政皇太子聖徳太子を立て、仏教での国作りを進めた。

こちらの裏山は、特に若葉の燃え立つ若い緑が濃かった。
20170423HarimaS190s.jpg 立派な山門で、彫刻も素晴らしい。
ここまで播磨の未訪問寺院を見てきたが、上国の播磨故か、都会から離れているにも関わらず、彫刻など経済力を感じさせる造作ばかりだった。
仁王像が、ドーンと睨んでいた。

また鐘楼があった。
僕ばかり撞いていたので、家内が撞いてみた。いい音です。
20170423HarimaS195s.jpg ここの本堂の蟇股の彫刻は、とびきり立派で素晴らしかった。
何度も火災に遭いながらも1300年の歴史を繋いできた誇りを感じます。
龍に玉眼が入っています。

「丸に二引両紋」でした。播磨の雄・赤松氏の息がかかったからか・・・。
20170423HarimaS202s.jpg いい感じの渡り廊下があり、それをくぐると苔むした石段が登っており、墓地に続いていました。
「四国八十八ヶ所霊場」巡り出来るようになっており、それぞれの霊場に同じ前掛けと同じ花が活けられ、揃って綺麗でした。

その奥に鎮守社がありました。
播磨は、明治維新時の神仏分離令により沸き起こった廃仏毀釈運動が弱かったのか、神仏習合時代のままの寺社配置の寺院が多いな。

弁天池がありました。
20170423HarimaS211s.jpg メガネを掛けた児童石仏が本を読んでいます。
隣には、子を抱える石仏があり、和みます。
20170423HarimaS214s.jpg 「七種山金剛城寺」と書かれた小型手押し消防車が置いてあり、骨董品の風格です。

r406~r405で、R312に出る寸前、「ひの一ストア」でいちごを買いました。
店頭の看板で、美味しそうないちごを宣伝していたからです。
R312~r23で東進し、中国道をくぐり、北条鉄道を渡ります。
20170423HarimaS222s.jpg r43に入り、12:56「多聞寺」。




NHK朝ドラ & 4/23・播州寺社巡りドライブ「奥山寺」 

春から始まったNHK朝ドラ「ひよっこ」。
朝ごはん・身だしなみタイムなので、ずっと見ています。
これを見終えて出勤が、定番です。

今回の朝ドラで気になる女優さんは、主人公の職場の寮長さん役・和久井映見さんと、職場の先輩で寮の相部屋の室長さん役・小島藤子さん。
和久井映見さんは、相変わらず可愛く、お肌も綺麗で、結婚したい女優No1に輝いていた頃と何ら変わっていません。
流石です。

もう一人の小島藤子さんは、アマゾンプライムビデオで観て家内と2人気に入ったドラマ「福家堂本舗」の舞妓・市雀さん役が初見でした。
主人公のお姉さんの恋敵役でしたが、可愛く魅力的な人だなあと気になりました。
名前もいい・・・ルパンの「不二~子こちゃん」と音が同じ・・・

朝ドラに彼女が登場し、「どっかで見たぞ」と記憶を辿っていると、家内が「あれ、この人・・・」と声を出した瞬間、舞妓さんだと思い出しました。
今回の役柄は、主人公にイケズもしないし、仕事を教え一緒に楽しむお姉さん的な役で安心して見ています。

NHK制作スタッフも彼女に魅力を感じているようで、台詞も多く、時々アップで抜きありがたいことです。
ですが、来週の予告編で、主人公が働く向島電気が倒産してしまうようで、舞妓さんがドラマから消えてしまう危機です。
なんとか、主人公との縁をつなげて欲しい。
僕の朝ドラを見るテンションが下がっちゃうじゃないか・・・

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r146~r346で南下し、左折してr34で東進し、JR加古川線を渡ります。
r17で南下します。

「ジャパン滝野店」の店頭に、証明写真ボックスがあったので立ち寄ります。
夫婦で秋に、長男一家に会いにアメリカに行こうと思っているので、僕はパスポートの再申請、家内は取得します。
パスポート用写真を撮ります。

家内がトイレに行っている間に、僕はボックスに入り操作します。
初めてのボックス写真なので、説明を読むのに時間がかかりました。
出来上がった写真を見たら、見事に囚人Aになってました。
800円。

続いて家内が入り、操作を教えてあげようとしたら、経験があるようで必要ありませんでした。
エクセレントな仕上がりの1000円のを選択していました。
お綺麗な女性の証明写真の出来上がりです。

僕が「囚人だ~、歯を見せたらダメと書いてあったから無表情を意識したからかなあ」と嘆いていると、「お父さん、実物の方がずっと良いよ、私は歯を見せずに微笑もうとしたよ。もう1回撮ったら」と、証明写真ボックスアドバイスをくれました。
面倒なので、これでいいです。

店内に入り、9:25「紀文・切れてる厚焼き玉子116円+横綱あられ170円+パウンドケークフルーツ321円+おにぎり3個198円(手巻きおにぎり明太子2+ツナマヨ1)」を購入しました。
まだ昼前というより朝が終わったばかりなのに、この日2食目です。

20170423HarimaS109s.jpg r349で南下し、r145にチェンジします。枝道に入って北上し、9:41「奥山寺」。
20170423HarimaS116s.jpg 『白雉(はくち)元年(650)法道仙人が開山した真言宗寺院で、姿の良い多宝塔を持つ。宝永6年(1709)再建されたもので、木造3間瓦葺き、垂木は平行垂木で上重組手は四手先組になっている。棟梁は宇仁郷大工村(加西市大工町)神田作左衛門実清と伝えられている』

20170423HarimaS126s.jpg 西林寺と同じ大陸からやってきた法道仙人の開山でした。
20170423HarimaS133s.jpg 急な階段だったので、迂回路を選択して本堂曲輪に上がった。
20170423HarimaS134s.jpg 本尊は十一面観音菩薩と書かれており、本堂の破れ襖から覗いたが、扉が閉ざされており拝めなかった。
蟇股の彫刻は立派です。
経済力の証です。

20170423HarimaS136s.jpg 更に石段を上り、朱色が鮮やかな多宝塔を観に行きます。
そこから更に奥に小道が続き、鎮守社がありました。
この寺院にも、石祠がたくさんありました。
西脇地域の流行りのようです。


4/23・播州寺社巡りドライブ 「西林寺」「荒神社」「西仙寺」

コーチしてる大学ヨット部の新人勧誘ヨット試乗会最終日です。
この日は車が足りているようで、「直接琵琶湖のヨットハーバーに来てください」との連絡がありました。
一旦はOKと返事を返したのですが、19時に法事で家内の実家・加古川に行く用事があったので、手伝いをキャンセルさせてもらいました。
17時にハーバーをでなければならないので、夕食時の僕のお話は出来ません。
それならいいかな・・・と。

1人遊びになる家内と、小野市・加西市・福崎町の寺社巡りをして、実家に行くことにしました。
4時前に目を覚まし、ゴソゴソし6:35に車に乗り自宅を出発しました。
宝塚ICから中国道に乗り、西に向かって走っていると、「吉川IC出口渋滞」の電光掲示が目に入りました。

「ゴルフかなあ?なんで渋滞しているんだろう」と言うと、家内が「新しい遊園地が出来たらしいよ、TV宣伝してるもの」とのこと。
キャンプなんだけど、ロッジみたいな建物で、何も持っていかなくてもBBQができたりするところ・・・いろいろ教えてくれました。

この日の帰路、中国道を走っていたらバスに追い越されました。
このバスが、家内が教えてくれた遊園地のバスだそうで、「NESTA RESORT KOBE」書いてありました。
帰宅後調べたら、経営破綻した「グリーンピア三木」が、経営者が変わりリニューアルオープンした施設で、これから数年かけて新しい施設がオープンしていくようです。
でもグリーンピア三木なら、最寄りICは「吉川IC」ではないので、やはりゴルフのお客さんで渋滞しているのかも?

「滝野社IC」で下車し、R175を北上します。
西脇市に入り、枝道に折れて7:23「西林寺」

『唐子ツバキで有名な西林寺は、法道仙人が開いた古刹で、本尊・十一面観音立像は藤原中期の作で、手足が4本ある珍しいものです。境内には、高浜虚子はじめ阿波野青敏などの句碑・歌碑が点在しています。春は桜、初夏はあじさい、秋は紅葉と四季折々の美しさを楽しめます』

20170423HarimaS005s.jpg 満開の赤い椿の横を歩くと山門があります。
20170423HarimaS006s.jpg 左右に阿吽の仁王像と大わらじが出迎えてくれます。

20170423HarimaS010s.jpg 『今から1300年ほど前、幸徳天皇・白雉2年(651)天竺の法道仙人により開創された真言宗の古刹。本尊・十一面観音菩薩、脇侍・不動明王・毘沙門天で、古来東向観音の霊場として知られ、その後寛文5年(1665)姫路・慶雲寺・中興開山南室和尚により選定された「播磨西国第20番霊場」として知られる。江戸時代は1院13坊あり、寺禄210石を領していた』

20170423HarimaS013s.jpg 八重桜が満開です。
無縁墓石が集合された場所があり、その数の多さが歴史を冠させます。
20170423HarimaS021s.jpg 掲示されている地図を見ると、裏山に展望所などがあり、ハイキングコースになっているようです。
20170423HarimaS025s.jpg 聖天堂に入ると、セルフサービス御神籤がある。
20170423HarimaS029s.jpg 鐘楼があったので、一突きしてみる。
鐘の音はいいね。

20170423HarimaS030s.jpg 石祠にお地蔵様と観音様2体が収まっています。
同じものがたくさん立って道が山を上がっています。
これが整備され、ハイキングコースになっているのかもしれません。
20170423HarimaS031s.jpg 石灯籠が並ぶ参道をゆるく上っていくと、本堂があります。
20170423HarimaS032s.jpg 小さな石像が並ぶ脇道もあります。

20170423HarimaS038s.jpg 蟇股や木鼻の彫刻が立体的で手が込んでいます。
20170423HarimaS045s.jpg 靴を脱いで本堂に上がると、天井絵が見えてきました。
横柱にも彫刻が入り、豪華なお寺であることがわかりました。
西脇の財力が見えます。
本尊・脇侍は扉が閉ざされ拝めず残念でした。

20170423HarimaS050s.jpg 庚申堂が見えます。
20170423HarimaS051s.jpg 庚申信仰の名残は、あちこちで見ますが、メンテナンスされたお堂が残っているのはそれほど多くないように思います。
「あじさい羅漢」というのがありました。

『自作の石像羅漢を納めたいと願う人のために作業場を設け、石材・用具などを準備し、初心者には指導し、自由な羅漢像を苑内に奉納して頂いている。羅漢というのは、煩悩を滅するための修行をされている方、お釈迦様の教えを伝える修行者という意味で、その姿は最も人間的であり個性的に表現されている。この寺に納められる羅漢さんを「あじさい羅漢」と称し、老若男女、上手下手にとらわれず、自由奔放に彫刻されることを願い、将来素晴らしい羅漢像群が出現することを願っている。奉納料は1対3万円で、代作する場合は、プラス5000円をお願いしています』

各地にある羅漢像群は、こうして作られていったのでしょうか。
天気が良く、山の若葉の緑が映えている。
冬の枯葉色の山が、生き返った若い山になったようです。
所々に山桜の薄ピンクが見え、アクセントになっています。

R175~r566で加古川を東に渡る。
道なりにr294に入り、家内の友達の実家のお寺の前を通り、8:11「荒神社」
20170423HarimaS066s.jpg 『荒神社のムクノキ 県指定名勝天然記念物 周囲650cm・樹高26m・樹齢650年・枝張り南北16m東西13m 兵庫県下4位の大きさ 全国15位以内』

巨大な幹で目立っていました。
20170423HarimaS072s.jpg 横には、「ふれあい館」という建物がありました。
味わいのある建物で、神社の横にかつては小学校だったのかな?と想像しました。

R175に戻り、R427に入り、杉谷川沿いにある「西仙寺」に8:30到着。
白雉(はくち)2年(651)、法道仙人開基。
孝徳天皇の病気平癒のため建立。
姫路城主・本多忠刻の妻・千姫が田畑を寄進し、我が子の霊を祈るため信仰を寄せた。
ここも八重桜がきれいでした。

サルスベリの木の横を通り山門。
20170423HarimaS083s.jpg ここは仁王像ではなく、阿吽の毘沙門天像が守っていました。
20170423HarimaS084s.jpg 山門をくぐると、ゆるく上る参道が森の中に消えています。
ゆっくり歩いていくと、「四国へんろみち」という枝道があり、沿道に石祠がたくさん立っていました。
八十八ケ寺あるのでしょう。

20170423HarimaS086s.jpg 落ち着いた黄色の装束を羽織った僧侶さんが降りてこられたので、挨拶をする。
本堂が現れ、靴を脱いで上がってみると、こちらも蟇股や木鼻の彫刻が見事で、思わずカメラを構えました。
お大師様の像があったので、真言宗の寺院のようです。

ブーン、先程のお坊さんがバイクで上って来て、再建中で土台だけになった建物の幕の中に入り、お経を上げておられました。
20170423HarimaS104s.jpg 江戸時代と思われる墓石が並んでおり、歴史の古さを感じました。


4/17・お嫁さんたちからメール

次男のお嫁さんから、家族メールが入りました。
南米の「ジカ熱」流行により新婚旅行に行けなかったし、2人目が宿ったらしばらく行けない。
加えて、長男が航空券をマイルでプレゼントするからおいでと誘ってくれているので行ってきたらと勧めました。

次男も、アメリカは、ニューヨークでトランジットしただけなので行きたいなと言っていました。
お嫁さんも、長男一家に会いたいなと言っています。
僕ら同様、去年の夏に会ったのが最後です。
次男のお休みが取れるかどうかがネックでしょうが、行けるといいなと思っています。

7月末で、「産休有給1年」が終わるので、保育園を当たっているようです。
4月時点で空き無しの状態で、「保育園が無ければ、+6ヶ月」の特別措置になってしまうかも・・・だそうです。

次男が設計している新本社が竣工すれば、保育所併設なので保育所問題はクリアするのですが、来年完成なので間に合いません。
社長から、「園児第1号」と言われているらしく、頑張れお父さん!です。
建築会社なので、モデルルーム兼用だから、社長からアイデアが次々持ち込まれているそうです。

IMG_4537s.jpg 絶好のカメラ日和に、オランダのような景色の公園に行ってきたそうで、25℃まで気温が上がったそうです。
すみれちゃんは、下の歯2本がちょっと顔を出し、痒いのか?気になるようで、指を入れてモゾモゾしているようです。
IMG_4632s.jpg 寝返り、寝た状態からお座り、つかまり立ち、後ろ向きハイハイをするようになり、月齢平均の下限ながら、身長も体重も増え、全て順調に成長しているようです。
親は、特にお母さんはこれが一番気になるものね。

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長男のお嫁さんからも、家族メールが入りました。
隣のペンシルバニア州の、ニューホープという街へ出かけたそうです。
鉄道の街と呼ばれており、ディーゼル車やSLが走っているそうです。
DD686FC3-978D-4726-8447-AA9DED705E6Bs.jpg ちょうどSLが整備で機関庫に入ってしまっていたので残念でしたが、ディーゼル車に乗れて「りょうくん4才」は大喜びだったそうです。

BB680BAF-7251-4088-8521-1CE4B4735407s.jpg 日本にいる時は、プラレールを繋げて毎日遊んでいました。
「桜谷軽便鉄道」運転日に連れて行った時は、午前中から最終の夕方まで、何度も何度も繰り返して乗り、運転までさせてもらいハマっていました。

A90A3538-E068-4A11-989F-B13D3AD79521s.jpg ちょうどイースターで電車にウサギの着ぐるみを着た人が乗っており、オモチャをもらったそうです。
こうくん1才は、大きなウサギが怖く、大号泣だったそうです。

街自体もとてもお洒落で雰囲気が良く、観光客が大勢来ていたそうです。
車で40分ほどの距離なので、リピーターになるんだって。
BC98EB12-9BC5-404D-9079-FE58AD73549Ds.jpg 家の前の桜は、日本の桜より花期が短く、1週間で全て散り、既に葉っぱがだいぶでてきたそうです。

4/16・京都~大学ヨット部・ヨット試乗会

東大路通に出て、9:18大学着。
20170416RokuS251s.jpg 集合場所の楠の前を見ると、ヨット部の幟が立ち4回生T君と新入生が1人いるようだ。
校内1時間無料なので、いつものようにいつもの場所に車を停め、時計台でトイレを拝借し、楠に向かう。

20170416RokuS253s.jpg 新入生が3人に増えており、定時になったので新入生男の子3人・女の子2人乗せ、9:33大学出発。
車酔いに弱いという女の子がいたので、比叡山・山中越ルートではなく、三条~京都東IC~西大津バイパスルートで琵琶湖に向かいます。
車内で、ヨットのこと・注意事項・試乗会スケジュールなどを話す。

10:09、ヨットハーバー着。
他大学も試乗会をしており、ハーバーがいつもより華やかです。
艇庫にみんなを案内し、みんなは濡れてもいい服装に着替えに行きます。
僕はレスキューボートに荷物を置き、ライフジャケットを着ていつでも出発できるよう整えます。
20170416RokuS258s.jpg 朝霧が発生しており、大津プリンスホテルのてっぺんしか見えていません。
幻想的・・・

ここからはいつものように、ハーバーと海上を行き来し、ヨットに乗る前後に新入生に部員とともにいろんな話をして和ませます。
風は最初三井寺からの風(SE南西)でしたが、途中からN・北からも風が入ってきて、両方の風がぶつかり合って一時無風の時もありましたが、最終的には北風になり、良い試乗会になりました。

16時にハーバーバックします。
新入生参加者は30名ほどでした。
10年以上試乗会の手伝いをしていますが、最近感じることに、新入生の足がでかいことです。
男子ではこの日も29cmというデカ足の子がいたし、女の子でも24や24.5はザラにいます。

家内は身長158cmで23.5です。
家内より小さく見える子が、意外に足が大きかったりします。
平均身長が更に伸びていきそうです。

10:06~16:21、ヨットハーバー駐車料金300円。
合宿所に戻ります。
17:30から夕食の「キムチ鍋」です。
この日も1週間前同様、司会者2回生G君から最初に指名され、私の挨拶から始まります。
飯を前にして待たせるのは恐縮ですが、「大学では学業がメインストリートだけど、何かクラブに所属しておく事で、大学生活が数倍有意義になり、卒業後も続く仲間が得られる」
「写真を見せながら、現役・卒業後のいろんなイベントの説明」
「他クラブのOBだが、映画封切り中の原作者作家のこと」などを話す。

恒例の大盛り上がり1回生自己紹介があり、最後にキャプテン挨拶で修了。
大学正門に向かう便として、女の子4人・男の子3人を車に乗せ、20:04合宿所を出発する。
車酔いに弱い子がいたので、湖西道路~R1~三条~東大路通コースで、20:28大学到着。
みんなを降ろし、「来月も再来月も来年も艇庫で顔を合わそう」と半強制で約束させ解散。

帰路につきます。
湖西道路~京都東ICから名神高速に乗り、20:55「桂PA」着。
毎度おなじみ、「びっくりバニラソフト140円」を頬張ります。
4月にしては25℃まで気温が上がったので売れ行きが良かったようで、冷蔵庫内最後のバニラソフトでした。

21:11、PAを出発し、中国道・豊中IC下車し、21:47自宅着。
楽しい1日が終わりました。
家内は既に夢の中で、いつもある「おかえり~」の言葉もありませんでした。
後片付けし、風呂に入り、23時ごろ寝ました。


4/16・京都「上賀茂神社」~「平安神宮」

記紀を読んでいると、出雲族の神・オオクニヌシと、葦原中津国を産み天孫降臨した九州族・神武天皇、大和族・大物主、山城族・賀茂族が、別の神を祀る異族を滅ぼすのではなく、互いの神を互いに祀り、互いの神話を共有することで、平和裏に連合していく。
実に日本的な統治に日本民族である自分に誇りさえ感じる。

20170416RokuS196s.jpg 重要文化財「細殿」前の円錐状に盛られた「立砂」が健在でした。
入れないように縄が囲っていますが、これを見る度、全速で立砂に突っ込んで破壊したい衝動に駆られます。
男の子なら、分かると思います、この気持ち。

『盛砂とも云い「たつ」とは神様の出現に由来した言葉であり、神代の昔、御祭神・賀茂別雷神が最初に降臨された本殿の北北西2km奥にある円錐形の美しい神山(こうやま)に因んだもので、一種の「かもろぎ(神様が降りられる憑代)である。鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清める風習は、この立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりである』

20170416RokuS200s.jpg 境内にも、見事な枝垂れ桜が満開で、ピンクが綺麗。
20170416RokuS201s.jpg 巫女さんが箒で掃いておられ、朝はこれで始まるなあと気持ちよく感じます。
20170416RokuS207s.jpg 祝詞の声がする奥の方に歩いていきます。

20170416RokuS211s.jpg  『御籍屋(みふだのや・東局)現今は神前結婚式場等に使用、中門、直会殿(なおらいでん・西局)祭典修了後、神職参拝者が直会(ご神酒)を戴く建物、共に寛永5年(1628)造替』

本殿に参拝し、『賀茂別雷神社・第一摂社・片山御子神社 祭神:玉依比賣命 延喜式内古社。賀茂族の祭祀の権を握っていた最高の女性。常に別雷神のお側に仕えておられた。よって現在でも、本宮恒例の祭祀にはまず当神社に祭りを行う。皇室のご崇敬も厚く、本宮への行幸の場合は、当社へも奉幣あらせられることが多い』にも参拝した。

この謂れ板を読み、先にこちらに参るべきだったと後悔した。
20170416RokuS220s.jpg 横の絵馬掛けには、ハート型の絵馬がたくさん下がっていた。
玉依姫にあやかろうとする女性の願いが下がっているのだろう。
社務所で、僕も買ってしまった。

2人の男の子の孫は、自力で道を拓かないと行けないが、女の子の孫には良い縁をお願いしたい。
20170416RokuS226s.jpg 神域の奥から流れてくる御手洗川は、流量が多い清流で、賀茂氏は水源であるこの地を神域に指定し、長く子孫に生活に必須の清い水を与えようとしたのだろう。

この立地を見ると、原始的な神の存在を信じ拝みお願いするモデルを見るようです。
神職が白装束で、御手洗川に入り、掃除しています。
日々のお掃除が、清潔さを感じる神社、神様の存在を感じさせる神域を保っているのでしょうね。

駐車場に戻ります。
7:57~8:16上賀茂神社P100円。
朝の寺社桜巡りは、ここでタイムリミットになりました。

京阪・出町柳駅目指し、賀茂川側道を下りますが、京阪の最寄り駅から目的地に向かう自信がないという。
地図はあるのですが、極度の方向音痴なので、阪急かJRだったら行ったことがあるので安心だという。

仕方なく、JR京都駅に向かいます。
河原町通を真っ直ぐ南下し、塩小路通で右折してJR京都駅前で家内を下ろしました。
塩小路通~七条~川端通~五条通~東大路通を北上し、八坂神社前を通過。

9:30まで少し時間があるので、八坂神社や円山公園に寄り道しようかと思いましたが、観光客が増えてきたのでパスしました。
20170416RokuS232s.jpg 平安神宮目指し右折し、聖護院前の岡崎疏水の流れを覆うソメイヨシノを激写。
ここは意外にまだ元気です。
もうすぐ船遊びの船が巡る時間です。

 8:59、平安神宮前に路駐し、激写タイムです。
『平安京遷都の延暦13年(794)より千百年にあたる明治28年(1895)、桓武天皇を祭神として創建された。紀元2600にあたる昭和15年(1940)には、平安京有終の天皇である孝明天皇も合祀された。
社殿は、平安宮の中心施設である朝堂院をおよそ5/8に縮小して復元されている。
2層の神門は応天門、中央正面1層入母屋造の拝殿は大極殿、そこから連なる左右の回廊から東に蒼龍楼、西には白虎楼がある。いずれも平安京のものを厳密に考証して復元された国指定重要文化財である。なお、昭和4年に建立された大鳥居及び昭和15年に増築された社殿群は国の登録有形文化財である。
本殿の背後一帯には、約3万平方メートルからなる神苑が広がる。4つの池を中心に、各時代の庭園形式を取り入れた池泉回遊式の近代を代表する広大な日本庭園で、国の名勝に指定されている。
例祭は4/15。平安遷都の日にあたる10/22には、本神宮の祭礼として、京都3大祭の1つである時代祭(京都市無形民俗文化財)が行われ、千年にも及ぶ各時代の歴史風俗絵巻が、錦秋の都大路にくりひろげられる』

『応天門 平安京大内裏の正庁・朝堂院の南面正面で、延暦14年(795)に造営された鴟尾を置く2層碧瓦葺の建物。この門は、平安遷都1100年に当たる明治28年に、往時の様式を復元し、平安神宮の「神門」として建造された』

20170416RokuS242s.jpg 20170416RokuS244s.jpg 他の建物も平安時代の様式を模したので、現代のそれとは少し趣が違うが、碧の屋根に朱色の柱、白壁が落ち着いた印象を与えている。
20170416RokuS246s.jpg 大鳥居までの間にある枝垂れ桜の大木が満開で、走って激写しに行った。


4/16・京都「上品蓮台寺」~「上賀茂神社」

平野神社を東に出て、紙屋川を渡り、北野天満宮の北縁を東に沿い、五辻通~七本松通経由で「千本通」に出て左折し、千本通を北上しました。

すぐに目指す「上品蓮台寺」に到着、7:38。
駐車場がわからず一周して、仕方なく路上駐車して車を離れると、駐車場が目の前にありラッキー。
駐車場が桜舞い散る一面の花びらで素晴らしい。
20170416RokuS147s.jpg 背の低い枝垂れ桜が、鐘楼の前に華を与えています。

ここも満開で、花期の短いソメイヨシノだけが見納めになっているのだなと、改めて思いました。
20170416RokuS154s.jpg よく手入れされた枝ぶりの枝垂れが多く、造形美を感じます。
優秀な庭師を感じます。
井戸の桶が竹で、風情があります。

20170416RokuS156s.jpg 参拝出来ないお寺ですが、中の覗くと渡り廊下がお庭を渡り、いい雰囲気です。
少し歩くと良いアングルが見えてきて、激写激写で、なかなか前に進めません。
20170416RokuS167s.jpg 竹で作られて手水に桜の花びらが重なり、ナイスです。
20170416RokuS170s.jpg 底の浅い側溝が花びらで埋まり、ピンクの道になっています。

20170416RokuS175s.jpg 紅白ツートンのチューリップが綺麗に並んで咲いています。
「別名:桜寺」と呼ばれてもいいほど、桜をフューチャーしたようなお寺でした。

千本通を北上すると、佛教大学がありました。
正門前交差点を斜め右に進むと「北山通り」、次の交差点名が「紫野泉堂町」という名で、これまた風情がある。
道なりに東に進むようになり、堀川通に出て左折し北上。

賀茂川を御薗橋で渡り、7:59「上賀茂神社」
駐車料金は、「30分以内100円」で、30分で戻ってくるぞ。
家内は「寒いから車で待ってる」だって・・・お洒落は我慢なのだそうです。

20170416RokuS185s.jpg 開店前ですが、植木市をやってるようです。
20170416RokuS186s.jpg 神馬舎を覗くと、白馬は出勤前のようです。
20170416RokuS191s.jpg 内鳥居前の枝垂れ桜が綺麗に咲き誇っています。

『上賀茂神社と謡曲「賀茂」 秦氏の妻女・玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿して置いたところ懐妊し男子を産んだ。その子が3才の時、父が雷と知り、天に昇って別雷(わけいかずち)神となる。この神を杞ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社という。神社は京都でも最も古い神社の1つ。雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めた。謡曲「賀茂」は、こうした神社の縁起から創作された曲で、五穀豊穣・国土守護の神徳を讃えた「初能物」である。平安時代初期から400年に渡って、伊勢神宮の斉宮と同様に斎院が置かれ、歴代皇女が奉仕してきたこともある』

玉依姫は、古事記・日本書紀に数人登場します。
『「心霊を寄り付かせる娘」と言う意味で、名前というより普通名詞に使う』と、僕のコンパクト神話辞書に書かれている。

最も有名なのが、綿津見の娘で、豊玉姫の妹・玉依姫です。
葦原中津国(日本列島)に天孫降臨した天照大神の孫ニニギと、絶世の美女木花咲耶姫(このはなさくやひめ)との子・山幸彦物語に登場します。

兄・海幸彦の釣り針を亡くしてしまった山幸彦は、兄に叱られて竜宮城のモデルになる海の底にあるワダツミの御殿にやってきます。
歓待され、魚の助けで釣り針を見つけ、好きになった豊玉姫と結婚し、地上に戻ります。
やがて子を産みますが、「絶対に見てはダメよ」と山幸彦に言ったのに、見てしまいました。
山幸彦は、豊玉姫が本当の姿・サメになって出産しているのを見て驚いてしまいます(鶴の恩返しのモデル)。

怒った豊玉姫は泣きながら海に帰ってしまい、赤子の世話ができない山幸彦は困ってしまいます。
そこに登場するのが、豊玉姫の妹の玉依姫で、赤子を立派に育て上げ、やがてその子の妻になり、神武天皇を産みます。
神武天皇の母としての玉依姫です。

上賀茂神社神話に登場する玉依姫は、「山城風土記」に登場する。
でもこの神話は、記紀の大物主命の神話に似ている。
葦原中津国にニニギより前に下った素盞嗚命の子孫・大国主命は、兄たちの迫害にめげず葦原中国の王になり、スクナビコナ命(一寸法師のモデル)の助けを借り、地上を開拓していった。
スクナビコナが去り困っていた所に登場するのが大物主命。

大和三輪山で、一目惚れした絶世の美女セヤダタラ姫を獲得するために、赤い矢に姿を変え、彼女の家の厠(かわや)の下を流れる清流を流れていきます。
厠に座っている美女の真下まで流れ、一気に彼女のホト(陰所)を突いた。
彼女がその矢を持って自分の部屋に戻ると、大物主命は姿を戻し彼女と結ばれた。
こうして生まれた娘が、成長し神武天皇の后となる。極似ですね。

4/16・京都「平野神社」

枝道を西に走り、千本通を南下して「今出川通」に出て更に西進すると、先月「福家堂本舗ロケ地巡り」した「上七軒交差点」から「北野天満宮」前を通ると、京福電鉄北野線終点の「北野白梅町駅」が正面に見えます。
北野白梅町・・・なんて素敵な地名なんでしょう。

西大路通を北上すると平野神社の裏・西になってしまい、北側を迂回して東側の正面駐車場に来ました。
20170416RokuS096s.jpg 7:14「平野神社」

僕の中では、京都の桜ナンバーワンスポットです。
朱鳥居前ににしだれ桜が下がり、良いじゃないですか。
流石にここはこれまでの寺社と違い、桜目当てのcamera小僧が多くいます。
枝垂れが満開で、今が旬です。

「庭桜」という品種の小ぶりの桜が綺麗に咲いていました。
家内が、これ可愛いから庭に植えたら?と言いますが、桜は毛虫が発生し、長男が刺された時、父が怒って切り倒した因縁があります。
これは大丈夫なんだろうか?要チェックです。

20170416RokuS099s.jpg 『沿革 奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城京の内に祀られていました。ここは桓武天皇の父・光仁天皇の御所でした。この地には延暦13年(794)平安遷都と同時に御遷座されました。当初境内地は方八町余(1.2km四方)で、京都御所とほほ同じでしたが、時の変遷と共に現在の200m弱四方となりました。
御神階 平安時代になると御祭神は急に位が上がり、貞観6年(864)には今木皇大神が正一位の位を授けられました。その前年貞観5年には久度・古開両大神に正三位、比賣大神は従四位上に叙させられています。
社格と称号 『延喜式』(律令の施行細目、平安時代初期の延喜年間に着手され延長五年(927完成)によれば、全国唯一の「皇太子御親祭」が定められた神社です。同式の「神祇官式・祝詞」には「皇大御神・皇大神」と称され、また「東宿坊式」には「神院」と言う宮中神と同様の扱いを受けております。『文徳天皇実録』仁寿元年(851)には勅使を「平野神宮」に遣わすとあります。全国でも数社に限られる「皇天御神・皇大神」「神宮」。宮中神である「神院」これらの尊称から宮中外の宮中神であったことが窺えます。このようなことから当社は皇城鎮護の神を定めた「二十二社」の五位に列せられました。また明治4年には官幣大社に列格しております。
20170416RokuS115s.jpg 宮中・平野御竃 『延喜式』の『内膳司式』によれば、天皇の食を饗する御竃には「平野・庭火・忌火」の3竃があり、庭火御竃は平時の食膳、忌火御竃は祭時の食膳を饗し、平野御竃は健康・吉祥を司る御竃であるとされています。これは平野四神の御神徳が一体となり常に宮中と関わりを持ち、天皇をお守りしていた事にほかなりません。
ハ姓の氏神と伝奏家 奈良時代末期から「臣籍降下(皇族が源氏・平氏などの姓を賜り臣下になること)」の制度が定まり、臣籍降下した源氏・平氏はじめ高階・大江・中原・清原・菅原・秋篠各氏氏他天皇外戚の氏神であるとされ、臣籍降下の流れを汲む公武に尊崇されました。当社が宮中外に祀られたのは、この臣籍降下と深く関わっているようです、『源氏物詣』の光源氏は臣籍降下した一族の繁栄を願った平野大神の顕現であるとの説も一理あるようです。江戸期には平氏嫡流の公卿、西利腕家が当社の伝奏家(天皇に取次言上する役)を勤め、現社殿の復興をいたしました。東大鳥居の「平野皇大神」の御神号額は、当代の西測院文昭氏の揮毫です。
20170416RokuS119s.jpg 異説 中世期、仁徳天皇が平野の神であると言う説が広く信じられていました。
これは仁徳天皇が民家に煙が立たないのを御覧になり、免税したと言う逸話を当社の竈神に付加した説です。江戸時代に国学者の伴信友が著作『蕃神考』で、「今木神は百済王なり」にとの説を、根拠となる史料を改宣(自説に都合よく変える)して唱えました。今でもこの説を敷桁した説が時折出されますが、学問上では否定されています。
名所・桜苑 江戸時代には「平野の夜桜」として桜の名所として全国に知られ、特に珍種が多く現在も約50種約400本の桜が植栽されています』

20170416RokuS129s.jpg 種類が多いので、春は長く桜を楽しめる神社でしょう。
枝垂れ桜が満開ですし、「衣笠」という品種も綺麗に咲いています。
本殿内から塀玉垣を越えて枝を張る「白雲桜」の真っ白な花が満開で、板塀とのコントラストが素敵です。
20170416RokuS134s.jpg 背が低い「一葉桜」が地面近く満開になっており、八重に咲いて綺麗です。
境内の一部は、散った桜の花弁で敷き詰められている感じになっており、地面さえ綺麗です。

4/16・京都「六孫王神社」~「雨宝院・西陣聖天宮」

『王は生まれつき気質温厚で好文博学にして武道にも励み、承平天慶の乱にも鎮守府将軍として任地に赴き乱を平定、その功により天皇より源姓を賜り、源朝臣を名乗ることになり、やがて武門の棟梁として名を天下に知られることとなった。
経基王は64才で薨去され、遺言に「亡き後も霊魂は龍(神)と化し、この西八条亭の池(境内中央の神龍池)に住みて、子孫の繁栄を祈らん」と申された。御子の源満仲公が応和3年(963)に王の邸宅であったこの地に葬り、その前に社殿を建立したのが当社の始まりである。
鎌倉3代将軍・源実朝が、公暁に暗殺された時、実朝夫人が亡夫の菩提を弔うため出家し、この地に庵を結び、萬祥山大通寺と号し、六孫王神社を鎮守社として明治維新政府の神仏分離令により、また東海道線敷設により、九条大宮南へ移築される迄盛衰をともにした。
特に北条政子(頼朝夫人)が、室町時代は代々将軍家が多くの社領を寄進し、源氏の宗社として保護したが、足利義満の時代に社殿仏閣がほとんど炎上し、応仁の乱により社領を奪われてしまった。江戸時代に入って元禄13年より徳川家・清和源氏嫡流諸侯共に再興に取り掛かり、宝永4年(1707)に竣成し、盛大に祭儀が執行された。元禄14年、東山天皇より権現号・正一位の神階を賜り、名実ともに京都洛南の名社として栄えた。
末社の弁財天像は、弘法大師作と言われ、経基王が子・満仲誕生の折、産湯に使われた井戸の上に祀ったところから誕生水弁財天と呼ばれ、幼児の守護神(井戸の水は安産・健育の産湯として都7名水の1つに数えられていた)として、無病息災の守り神として。霊験あらたかな絵ご祭神である』

源氏の巴紋の入った瓦、絵馬掛けには多くの絵馬、おみくじが枝に下がっています。
朝一番ということと観光コースから外れていることで、ゆったりと鑑賞できました。
20170416RokuS054s.jpg 家内はおしゃれのため薄着してきたので寒いと、毛布を羽織っての拝観ですが、写真写りの良い女性がいると華があっていいです。
朝、黒い柄ストッキングを履いているのを見て、「綺麗だよね」と思わずスリスリしちゃいました。
細くてまっすぐな脚が気に入っています。

堀川通に出て北上します。
「西本願寺」横を過ぎ、「二条城」を過ぎ、1ヶ月前家内と「福家堂本舗・京都ロケ地巡り」で来た堀川を過ぎ、左折して今出川通、枝道を入って、6:54「雨宝院・西陣聖天宮」
20170416RokuS062s.jpg 聖天さんは男女のまぐわいの神様、ちょっとエロチックで、でもとても大事で、いつも不思議な秘めた何かを感じる。

『北向山雨宝院と号する古義真言宗の寺で、「西陣の聖天さん」として親しまれている。本堂に安置する本尊「聖天(大聖歓喜天)像」は、821年弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の御悩平癒を祈願して安置したものとされ、それが当寺の始まりと伝えられる。観音堂に安置する千手観音立像は、重要文化財に指定され、大師堂の本尊は汗をかくほど辛いことでも助けてくれる「阿吽汗かき弘法大師像」として知られている。境内南東には、その水を染物に用いるとよく染まるとして有名な「染殿の井」があり、夏の干ばつ時でも涸れることがない。本堂前の「歓喜桜」は、御室の八重桜と同種のもので、根本から八重の花を咲かせる。その隣にある「時雨の松」は、久邇宮(くにのみや)智彦親王が当院参詣の折、その下でにわか雨をしのがれた』

20170416RokuS071s.jpg 八重桜と枝垂れ桜が満開で、コンパクトな境内を華やかにしている。
『日本最古とされる大聖歓喜天が祀られる寺 大聖歓喜天は象頭人身の像で、多くは男女2体が抱き合う姿で表され、財宝・夫婦和合を祈る本尊とされる。この寺の歓喜天は単身の像とされていますが、絶対秘仏のため姿を見ることが出来ません。歓喜天は古代インドでガネーシャと呼ばれる粗暴で邪悪な神でしたが、仏教に帰依し、魔障を取り除く神となった。広大な境内を誇りましたが、応仁の乱で荒廃し、のちにその子院・雨宝院のみ再興されました』

20170416RokuS072s.jpg 本堂は覗き穴で覗けるようになっており、歓喜天の神秘性もあってドキドキしながら覗きます。
本尊を見てみたいが、秘仏故当然見えませんでした。
歓喜天像は、その刺激性故か多く秘仏で、たまに見ることができると、なるほどねと思います。

20170416RokuS080s.jpg 『染殿井 染色に適した軟水で、西陣の染色業者達が「染物がよく染まる」と重宝した。本隆寺の「千代の井」、首渡八幡宮の「桜井」、個人宅にある「安居井」、鹿子井とともに「西陣五水」に数えられる。染色には大量の水が必要ですので、狭い区域にこうした井戸が沢山あることも西陣が染物で栄えた理由の1つだったかもしれません。因みに京都御所内にも清和天皇の母君が住まわれた「染殿」にちなむ「染殿井」という同じ名前の井戸があります。飲料には適しませんので、手水としてご利用ください』
ここの手水は、流水ではなく井戸水を直接汲むようになっています。

20170416RokuS084s.jpg 『千手観音立像 平安時代初期の漆箔観音像 この像は、千手観音にしては腕の数が少なく、実際のところ10本しかありませんが、かつては多くの腕を持っていました。切れ長の目を閉じ、静かに胸の前で合掌して立っています。指先に至るまで、気品あふれる優美な像です』
20170416RokuS094s.jpg このお寺は、桜鑑賞の最適日でした。

4/16・京都「六孫王神社」

コーチしてる大学ヨット部の新人勧誘の手伝いの日です。
大学から琵琶湖の艇庫まで、新入生を運びます。
9:30の便の運転手を頼まれています。

1週間前同様、そろそろ終わる桜を求めて、それまでの時間を京都散策することにしました。
桜で有名な京都のスポットで、朝早い時間帯ということで、24Hオープンな神社を中心に計画を練りました。
円山公園・平安神宮・上賀茂神社・平野神社は、何度も訪問したことのある場所です。
上品蓮台寺・西陣聖天宮・六孫王神社は、訪問したことがありません。

土曜日帰宅すると、家内から「お父さん、明日何時からなの?」
「私も京都に桜観に行きたいなあ、10:30に大阪に行かなきゃならないのだけど、行けるかな?」
お~、朝からデート出来ます、願ったり叶ったり。
「もちろん一緒に行こう、電車ルートなどを考えるから任せといて、ありがとうね」
「何時に出発?」
「起きたら、5時に出発したいけど、無理しないで。用意ができたら行こう」
先週の訪問地と満開の桜のことを話していたので、行きたくなったのでしょう。

京都から家内の大阪の目的地を結ぶ京阪電車の時刻表を調べ、桜探索計画を決定し、ポータブルナビに登録したので、寝るのが少し遅れ11時になっちゃいました。
当然いつもの4時の目覚めが遅れ、5時に目覚めました。
慌てて階下に降りたら、家内はお風呂に入っており、速攻で着替えました。
車に荷物を積み込み、5:33に出発しました。

豊中ICから中国道に乗り、名神高速・京都南IC下車。R1を北上し、東寺交差点を曲がらず直進し、6:20「六孫王神社」
20170416RokuS002s.jpg 六孫王は、清和天皇の第6王子の子で、「源」の姓を賜り、臣籍降下されました貴族武将・源経基で、清和源氏の祖です。

桓武平氏の勢力下だった関東に下り、自らの勢力拡大のため地元豪族と揉め事を起こし、武勇が抜きん出て一大勢力を誇った平将門に包囲された所で、京に逃げ帰り「将門が朝廷に対し謀反を起こした」と吹聴し、「賊軍・将門」の立場を作ります。
将門追討軍の将となり、京を出発し関東に向かうが、到着した時には既に俵藤太秀郷によって将門の首は取らてていた。

20170416RokuS012s.jpg ほぼ同時に瀬戸内海西部を本拠として起こった「藤原純友の乱」にも将として追討軍に参加したが、こちらも小野好古の活躍で勝利して京に凱旋するという強運の持ち主です。
この「好古」という名前ですが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公・秋山真之の兄の名です。
真之は、戦艦三笠に作戦参謀として乗船し、東郷平八郎の下でロシアバルチック艦隊を殲滅しました。
兄・好古は、騎兵隊の父と言われ、対ロシア戦で満州で存分に武勲を立てた。
歴史を紐解き、我が子に英雄の名を付ける父親の姿がかっこいいと思う。
僕も、息子たちには戦国・江戸時代を生きた大名の名を付けたので、親近感を感じます。

ここに六孫王・経基が祀られていると知り、期待を膨らませての訪問です。
20170416RokuS019s.jpg ソメイヨシノは終わりかけでしたが、枝垂れ桜が見頃でした。
20170416RokuS021s.jpg 小さな池に朱色の太鼓橋がかかり、池面をソメイヨシノの花びらが覆いいい感じです。
薄緑の桜が咲いており、造幣局の今年の花「鬱金(うこん)」だと思ったら、「サトザクラ」となっていました。
20170416RokuS025s.jpg 帰宅後調べたら「サトザクラ」は園芸品種の総称ということなので、品種は「鬱金」で間違いないしょう。

20170416RokuS029s.jpg 玉垣・神門は、予想外に立派で、こんな神社を見つけられてラッキーでした。
真横を新幹線の高架が通り、京都駅に入る新幹線がひっきりなしに通るので、神域を感じることはありませんが、桜の穴場であることには間違いありません。

『清和源氏の祖・六孫王経基を祀っている。この地は経基の邸宅のあった場所で、その子・源満仲が応和年間(961~963)に社殿を建立した。元禄13年(1700)当社北隣・遍照心院・南谷上人(能筆・作庭家)が幕府に請うて再建し、鎮守とした。これが現在の社殿である。本殿に経基、相殿に天照大神・八幡大神を合祀している。本殿背後の石の基壇は経基の遺骸を納めた場所で、神廟と言われる。境内北の弁天堂内には満仲誕生水がある。古くから京都名水の1つとされている。江戸時代は源氏縁の神社として、武家の信仰が厚かったことは、境内石灯籠に松平吉保など諸大名の寄進者名が見えることで忍ばれる』

20170416RokuS033s.jpg 木彫りの小型白馬が、神馬舎に収まっていた。

4/13・IVYリーグ・プリンストン大学を観たい

長男からメールが有りました。

長男からの「アメリカのボクんちに遊びにおいでよ、貯まったマイルで飛行機チケット手配するから」のリクエストに応え、「9月の連休に重ねて5日間」と返事したら、「5日間じゃ時差ボケで2日間だけのアメリカになるよ、もっと長く休めないか?」と再検討を促され、「じゃあ、9月上旬に1週間」と答えていました。

今回のメールはそれに対する答えで、「9月上旬は、1週間ぐらいスペインとイギリス出張が入りそうなので、9/17(日)発~9/24(日)着の一週間でどう?」とのことです。
家内に話すと、「それで良いんじゃない、返事しといて」とのことで決定しちゃいました。
日本同様ハリケーンの季節だけど、来たら来たでいいやと決定です。
ニューヨークの車で1時間南なので、日本で言えば秋田県や岩手県の緯度なので、強烈なのが来る確率は少ないかな?と思って。

特に観光する宛もなく、長男一家と遊べればOKです。
近所のIVYリーグ・プリンストン大学を観たいと思っているだけです。
僕は、アメリカントラディショナルのIVYリーグ男性ファッションを日本に広めた「VANジャケット」の洋服を大学時代好んで着ていました。

アメリカの白人入植者が上陸し、インディアンを殲滅しつつ拡大していった東海岸北部に設立された伝統大学の総称が、「アイビーリーグ」です。
ブラウン・コロンビア・コーネル・ダートマス・ハーバード・ペンシルベニア・プリンストン・イェールの8大学です。
東京六大学のように、スポーツリーグが初めだったようですが、六大学がそうなったように、IVYリーグも入学超難関校になり、アメリカのエスタブリッシュメントを輩出している大学です。
蔦が覆うトラディショナルな校舎を、この目で観て回りたいです。

世界大学ランキング2017を見ると、3位ハーバード・11位プリンストン・15位イェール・18位ペンシルベニアでした。
因みに、34位東大・37位京大です。

長男は、大学院時代ネズミの卵由来のES細胞から世界で初めてネズミの心臓に分化させた教授のチームで、インシュリンを生成するランゲルハンス島を作り出す研究をしていましたが、日本では倫理基準が厳しく、人の卵の入手が困難で、幹細胞から一旦卵のような万能細胞に戻して、そこから進化させていました。
韓国では人の卵の入手が容易で、どんどん追い上げられていましたが、韓国第一人者の画期的論文が「全くのウソ」と判明し韓国ES細胞研究界はガタガタになり、長男の隣の研究室の研究員が「ウソ論文」で新聞沙汰になったり、最先端研究の危うさの中にいました。

大学入学時は、家から自転車で通ってたぐらい近いのに、院生になると研究実験があまりにハードで、研究室に寝泊まりし細胞に餌をやったりしていました。
学部生の時、長男を気に入り引っ張ってくれた教授への恩があったのですが、こんな人生を続けて行くのが嫌になり就職しました。

院生のときは、自宅のあちこちに英文のコピーが散乱していました。
ネイチャーやネイチャーメディスンなど、世界的研究雑誌のコピーで、すぐに研究室メンバーで手分けして要約し、研究員で最新情報を共有するそうで、猛烈に勉強していました。

数年後、京大の山中教授が皮膚細胞から万能細胞に戻すiPS細胞で革命を起こし、卵由来のES細胞の研究は一世代前になってしまいました。
小保方さんのSTAP細胞をニュースで見て、iPS細胞より万能細胞化が簡単なので、また日本人研究者だと小躍りしました。
再現性がないということでお払い箱になりましたが、マスコミが煽った小保方さんへのバッシングは酷いものでした。
最先端研究なので、ミスや勇み足は付き物です。
長男によると、ネイチャー論文でも、多くは再現性がなく確立されたものではありません。
たまたまの偶然でウマく行ったことを発表し、それをヒントに他の研究者が研究を上書きし、段々と再現性のある確立したものになっていくのが研究の世界です。

小保方さんはどうしているのだろう。
理化学研究所という、日本一の研究機関という環境でもっと研究できていれば、再現性のあるSTAP細胞を作れるようになっていたかもしれません。
論文執筆のときは、連名で名を載せたのに、マスコミバッシング後の再現実験では女の子1人に任せ、なんちゅう研究所やと憤慨しました。
男として、かっこ悪いです。
いずれ再現性のあるSTAP細胞が脚光を浴びると予想しています。

話が随分逸れてしまったけど、長男は最新研究学会などで何度もプリンストンに出張していました。
それを含め、毎月のようにアメリカ・ヨーロッパに出張していました。
アメリカには世界の知が集まっており、世界的学会も多いので、アメリカ赴任になりました。
長男は、プリンストンを拠点に、相変わらず世界中を飛び回っているようです。
アメリカブランチの責任者なのに、腰を落ち着けず、彼の話好きで明るく前向きな性格からして、楽しんで仕事をしているのが想像できます。

僕らが行く時に、できるだけ休めるよう仕事のスケジュールを組んでくれているのでしょう。
有り難いことです。
長男のお嫁さんが僕らを車に乗せて引き回してくれると思うので、「まな板の鯉」「老いては子に従え」でいようと思います。

夏になれば、僕のパスポートを復活させなければなりません。
家内は人生初めてのパスポート取得です。

4/9・孫のバースデーと、秋に会いに渡米

長男のお嫁さんから、家族メーリングリストにメールが入りました。
4/6が、こうくんの1才の誕生日なので、「おめでとうメール」をしていました。

バースデーパーティーをしたそうです。
IMG_2759s.jpg いつもの手作りケーキは、チョコでトーマスを作ったようで、喜んでいるのは「自己満足です」と言ってるお嫁さんと、いつも「すご~い」と驚嘆の声を上げる長男、それにりょうくん4才でしょう。
本人は、まだわからないね。
85EF9360-2E5E-44B9-BA76-8BAA23E47224s.jpg 初めてのケーキのお味を、どう感じたのでしょう。

お嫁さんは料理が好きで得意です。
結婚前、長男は「冷蔵庫を開けて、ちょちょいと作っちゃうねん。それがすごく美味しいねん」と、絶賛していました。
僕らが訪問した時も、短時間で美味しい料理を作ってくれ、料理センスがいいんだろうなと思いました。
向こうのお母さんも、「小学生の時から料理を手伝ってくれ、私より上手なの」と言っておられました。
僕は家族を謙遜して卑下するより、素直に褒める人の方が好きです。
あれだけおおっぴらに自分のことを親に自慢する長男を見て、お嫁さんは照れながらも嬉しそうな顔をしていました。

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玄関の前に立っていた木が、「さくら」だと知ったそうです。
朝起きたら突然桜が咲いててびっくりしたそうです。
日本の桜のように、徐々に咲くのではなく、一気に満開になってたそうです。
アメリカで桜を見れ、サプライズだったそうです。
世界は広いね。

長男は、ハーフマラソンのレースに出るそうです。
大学ではライフル射撃部だったのですが、中高時代は陸上部でした。
ただ部活動が活発ではなく、少年野球の時のように熱心に練習していませんでした。
社会人になってまた走り出し、いろんなマラソン大会に出場していました。
自宅から大手町の会社まで、4駅走って出勤したりしていました。
アメリカ勤務も1年になり慣れたのか、マラソン活動を再開したようです。

次男も走っており、一昨年はシドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子さんのクリニックに参加しました。
その最終日に、参加者全員に東京マラソン出場権がサプライズプレゼントされ、走りました。
お嫁さんとお母さんが電車で追っかけし、長男一家も沿道で応援しました。

申し込んでもいつも外れだった長男は、羨ましがっていました。
兄弟で同じ大会にエントリーする機会があればいいなと思っています。

3A690DDB-1B93-4C47-9597-D453D8D6F561s.jpg 近くの農場での写真がありました。
動物への餌やりが出来、アスパラ狩りやいちご・ブルーベリー・・・と季節によっていろいろ楽しめるそうです。
入場料の高い絶叫マシン遊園地やエレクトリックパレードなんて要らないね。
こういうとこが、頭を使って遊べます。
ここのアスパラは甘くて絶品らしく、お嫁さんが渡米したのが秋なので、今年はここで楽しむそうです。

30080194-8044-493E-A636-5C80E90B7287s.jpg りょうくん4才はアスパラが好物らしく、むしゃむしゃ食べるそうです。
僕はアスパラガスが出ると食べるけど、苦手なので自分のもの以上食べようとは思いません。
アスパラ好きとは、野菜全般偏食なく食べるようになりそうです。

クラウド経由でダウンロードしたムービーでは、「ドラマ・逃げるは恥だが役に立つ」のエンディングテーマ「恋ダンス」を孫達が踊っていました。
こうくん1才は、笑いながら腰を振っているだけですが、りょうくん4才は、ボディーアクションも入れて楽しそうです。
このドラマは、僕が昨秋「恋ダンスが日本で流行ってる」と教えました。
ビデオは、アメリカの日本人友から借りたそうです。

IMG_2721s.jpg
「9月前半にアメリカに行く」と宣言しちゃいました。
最初5日間と連絡したのですが、長男から「5日では時差ボケの2日間+アルファのアメリカ滞在になるから、もう少し長く休めないか」と連絡が来て、1週間に変更しました。
長男の貯まったマイル利用なので、飛行機の空き状況も見て、適当にチケットを取ってくれるそうです。

次男一家にも「アメリカにおいで」と誘っており、次男のお嫁さんが「すみれの12時間フライトが不安、でもこうくんは生後半年でそれを耐えたし・・・」なんてメールを返していました。

これに対し、
「すーちゃんの12時間のフライトは不安だよね…。
でも1歳以降になると、自我が出て、歩けるのにずっと座っているのが嫌がり、イヤイヤ期も始まるし、もっと大変になる。
今はおっぱいや抱っこで誤魔化すことができるからチャンスだよ。
こうくんがぐずりそうになったら、おっぱいや抱っこひもでユラユラさせ乗り切った。
むしろりょうくんの方が、あと何分で着くのー?を100回ぐらい言い、突然大きい声をわざと出したり大変だった」
と、初長期フライトの体験談を披露して誘っていました。

4/9・琵琶湖大学ヨット部ヨット試乗会

昼食時は京都からの便が途切れるので、またハーバーバックし、マネージャーが握ってくれているおにぎりを放り込む。
10分ほど休憩したら、午後の第1組がやってきて、更衣室で着替えを終えた新入生に、ライフジャケットなどを着せてまた水の上です。

15時に全員を乗せ終え、2回目試乗希望者が合宿所からやってきて、16時頃試乗会を終了する。
4年前から部員が増えたので、今年は余裕がありました。
この時期は就活の時期でもあり、就職希望の4回生が抜けている。

隊長は3回生ですが、スケジュールの叩き上げは2回生が作り、実働部隊も2回生中心です。
車の送迎のこともそうだけど、レスキュー上で僕がガンガン動くこともなくなり楽でした。

ヨットハーバーから合宿所に向かいます。
9:23~16:45・300円。
交通量の多いR161を利用することもあり、車移動より徒歩の方が早いことも多い近くに合宿所があります。

ハーバーを出る時、新人勧誘に顔を見せなかった3回生N君と会いました。
「何処行ってたの?」と聞くと、TOEICのテスト日だったようです。
頑張れ、若者!

17時開始予定の夕食・鍋が遅れ気味で、18時前開始になりました。
食べる前に僕の挨拶を指名され、大学はホームルームがないので根無し草になることがあるから、クラブに入った方が良いと話しました。

1つのテーブルの鍋を6~8人で囲み、互い違いに部員が新人の間に座り、大いに話します。
しばらくすると、恒例の新人自己紹介です。
名前・学部は胸のガムテープに書かれていますが、その他に出身校と所属クラブを発表します。
次に2種類のヨットに乗ってもらったので、どちらの船が気に入ったか発表してもらい、ヨットに初めて乗った感想も。

服装を野次ったり、仕草を野次ったり、キラキラネームで大受けしたり、毎度大笑いの連続です。
いつも一番野次っていたキャプテンが、大人しくしているのが不思議です。
威厳を出そうとしているのか?

しばらく歓談し、TVにPCを繋いで今年のプロモーションビデオを流し、司会の年間行事の紹介に従ってその様子を流す。
この映像をTOEICに行ってたN君が担当したようで、PCを操作していました。
彼はとても明るく、ナイスガイです。

最後のキャプテンの挨拶があり、20時前にお開きです。
一気に全員京都に帰せないので、第1陣として半分車に乗り、残り半分は鍋を食べながら歓談の続きです。

僕も帰路につきます。
湖西道路~名神~中国道で、21:02自宅着。
家内はすでに寝ていました。
風呂に入り、ヨーグルト持って寝室に上がり、22時過ぎに寝てしまいました。

4/9・京都西山「善峰寺」、琵琶湖ヨット試乗会

20170409YoshiS270s.jpg 「善峯白山・桜あじさい苑」が、峰谷を隔てて次の峰に向かっている。
20170409YoshiS278s.jpg ここはパスし、「桂昌院廟」に上がってみる。

20170409YoshiS281s.jpg 『桂昌院殿法雲性恩大夫人廟 桂昌院は本庄家にて寛永4年(1627)京に生まれる。度々当山に寄寓する。正保元年徳川家に仕え、3代将軍家光の寵愛を得て5代将軍・綱吉公を生む。故に立身の冥恩に報いんと諸堂を建立し、寺領什器を寄進する。寛永2年・79才にて死去。遺命にて遺髪を当山に納める』
宝篋印塔が立っていた。

20170409YoshiS276s.jpg 満開の垂れも多くあり、激写ポイントに事欠きませんでした。
20170409YoshiS292s.jpg 多くの親王が入ったお寺なので、「宮内省」と彫られた石柱が立っている。
20170409YoshiS300s.jpg ここは大満足でした。
20170409YoshiS285s.jpg 家内を連れて来なきゃ。

r208を下り、r10を南下します。
光明寺前まで戻り、r209・光明寺道を東進します。
r67を北に向かい、「向日町競輪場」前を右折しr202。
阪急京都線をくぐり、JR東海道線・東海道新幹線をくぐります。

名神高速をくぐり、R1へ左折し、京都南ICから名神高速に乗りました。
次の京都東ICで下車し、R161・湖西道路で北に走り「皇子山バイパス」で下車し、9:23ヨットハーバー着。

なんとか9:30に間に合いました。
部員に挨拶し、先週・前日土曜日の新人勧誘状況をキャプテンから聞く。
予定の9:30に数分遅れ、京都から新入生が部員にエスコートされながらやってきました。

彼らが着替え準備が出来たところで、コーチボート・レスキューに2回生部員G君&2回生マネージャーSさんと乗り込み、新入生を乗せます。
ヨット試乗会前に雨が上がり、ラッキーです。
ハーバーをでた所でドライビングを新入生に体験させ、プレジャーボートを介して、ヨットに乗せます。

新入生が空になったら、ハーバーバックし、次の組を乗せて沖に出ます。
これの繰り返しです。
女子マネSさんはドライビング担当で、G君は夕食時の司会者でもあるので、新入生それぞれの特徴を把握するため、僕と一緒にヨットのあれこれ、琵琶湖のあれこれを話します。

ヨット部のヨット試乗会は好評で、体育会の他の部からも「楽しい体験が出来るよ」と勧めてくれるところも多く、いつも定員いっぱいです。
でも当日になってドタキャンが必ずあります。
タイミングよく、他の体験会が天候不順などでキャンセルされた行き場を失った新入生が、ドタ参で参加してきます。
こういうのも何かの縁、1年後ここで新人勧誘していることもあるね。

新人の運搬が途切れたところで、桟橋に着けて待機します。
レースボートの修理について部員・キャプテンと話します。
女の子には待遇がよく、水に落ちても濡れないドライスーツを着せます。
女子プレイヤーは現在1人で金の卵だし、女子マネージャーは1学年最低2人、出来れば4人欲しい。
4回生1人・2回生2人の現状を支えているのは3回生4人です。
今年しっかり入れておかなければ、4人が抜けた後が苦しくなる。

乗り込む時は、Sさんが運転席、G君がボートの前担当で、僕が後方です。
乗り降りは後方からなので、船に慣れない子ばかりだから、手すりのつもりでいつでも持てるように腕を出すようにしている。
男の子の半分は、僕の腕を持って乗り降りするが、女の子は僕の手を持ってくれる子が多い。
こわごわな女の子の手を取って乗せる。
女の子の手は柔らかく至福の一瞬です。

僕は最近、出勤する時、家内としばらく手を繋いで歩いています。
家内は外観とは違い男っぽい性格なので、僕の腕を組んだりしません。
だから、僕から家内の手を取ります。
家内の手も柔らかく、手を繋いでいるのが気持ちいい。
手をつなぎながら、ヨット試乗会で妙齢の女の子の手を握れる事を家内に話すと、「役得ね」と笑っている。


4/9・京都西山「善峰寺」

7:28、「善峯寺」の開門は8:00で、時間つぶしがてら寄り道しましたが、良い時間になりました。
r10をまた少し北上します。
r208に入り、西山を登ります。

7:38「小塩」バス停のところにいい感じのお寺があり、寄り道します。
20170409YoshiS173s.jpg 「腹帯地蔵尊・草分観世音 十輪寺」
『十輪寺 小塩山と号する天台宗の寺院。平安時代の六歌人の1人「伊勢物語」でも知られる在原業平が晩年陰棲した。嘉笑3年(850)文徳天皇の后・染殿皇后の安産祈願のため、比叡山の恵亮和尚を開山に招じて創建した。以降勅願所として栄えたが、応仁の乱の兵火により堂宇焼亡し、江戸時代・寛文年間(1661~73)に公家・藤原定好により再建された。鳳輦形(ほうれんがた)という珍しい屋根をした本堂に、皇后の安産祈願に霊験があった本尊の地蔵菩薩(腹帯地蔵)や、花山天皇が西国巡礼の際背負った十一面観音(禅衣観音)を安置している。本堂の裏山には、業平の墓と伝わる宝篋印塔や、業平が塩を焼いて、その塩にかつての恋人・二条后(藤原高子)への思いを託したと言われる塩釜跡がある』

20170409YoshiS177s.jpg 『業平卿旧跡墳墓』

『なりひらでら十輪寺 1安産・子授・腹帯授与 1恋愛・結婚成就・秘法 1三弦説法・なりひら御膳 1三方普感庭(藤原常稚公作) 王朝の襖絵を復刻』

魅力的な謂れが書かれています。
20170409YoshiS183s.jpg 石段を見上げると、緩やかな放物線を描いた独特の屋根を持ったお堂が見えます。
境内の枝垂れ桜が満開です。

門に上がると閉ざされており、「拝観の方、御用のある方のみご入山ください。
拝観料400円」と書かれています。
「なりひら桜 樹齢150~200年 3方向から違う桜が見られます」
ますます興味をそそられましたが、「只今の時間は拝観していません」により、仕方なく撤退しました。
帰宅後調べたら、9~17時が拝観時間のようです。

20170409YoshiS193s.jpg 車を置いた隣のお宅が花好きのようで、チューリップ・水仙・ムスカリー(グレープヒヤシンス)・白椿が綺麗に咲いています。
20170409YoshiS194s.jpg ムスカリーは紫色の花で、ラベンダーにしては早いなとその時は思いました。
でも花の形がどうも違いアセビのように筒状なので、帰宅後調べたらムスカリーという花でした。

7:51「善峯寺」、駐車場代500円。
山の中にこんない大きなお寺があったとは・・・駐車場も大きく、そこから見える僧坊も大規模寺院を思わせる。
写真を撮りながら山門に着くが、まだ8時前です。

「日本一の松」と彫られた石柱が立っている。
数分待っていると、作務衣姿の女性がやってきて「おはようございます。よく降りますね」
拝観料は500円でした。

20170409YoshiS216s.jpg 『天台宗に属し、西国33ヶ所22番札所として、本尊・千手観音菩薩をまもる。長元2年(1029)恵心僧都(えしんそうず)の弟子・源算の開基で、白河法皇の時(1073~86年)諸堂が建立された。その後、高僧、青連院の宮が相次いで入室したので、西山宮門跡と呼ばれた。往時は僧坊50余りに及んだが、応仁の乱で大きな被害を受けた。元禄年間(1688~1704)徳川綱吉の母・桂昌院の寄進によって諸堂が復興され現在に至る。広大な境内地は、重要文化財の多宝塔をはじめ、多くの堂宇が立ち並び、池泉や四季の花々で彩られており、眺望が優れている。多宝塔の前の「五葉の松」は天然記念物で波に泳ぐ竜のように見えるので、「遊竜の松」と呼ばれる。神経痛・腰痛の祈願所でもある』

まだ梅が満開で、枝垂れ桜が咲き始めている。
京都西山の寺院に多い竹を使ったパイプの手水です。
20170409YoshiS231s.jpg 「特別寺宝展・無料」の看板に惹かれて行ってみるが、展示館の門が閉まっていた。
少し遅く開館するのだろう。

20170409YoshiS230s.jpg 本堂内に上がり、本尊・千手観音さまを拝む。
本堂内は撮影禁止です。
天台宗のお寺だけど、「南無弘法大師」の像があった。

日本一の松は、どれほど大きいのかと見に行くと、高さはなく、枝ぶりが長く長く伸びていた。
20170409YoshiS256s.jpg 当然自力で支えることは出来ず、藤棚のような造作の上に載り、緑の松葉をつけていた。

周遊コース(30~40分)というのがあり、触りだけと思って突っ込んだらまず鐘楼。
20170409YoshiS252s.jpg 続いて護摩堂、天然記念物の松がまだ伸びている。
20170409YoshiS259s.jpg 他のお堂を見ると、しだれのピンクがアクセントになっていたりして、ナイスな景色です。
20170409YoshiS263s.jpg 開山堂に向かうと、下界の絶景が飛び込んできた。
20170409YoshiS264s.jpg 開山堂は、絶景に向かって正面があり、贅沢なお堂です。

4/9・京都西山「光明寺」

再びr10に出て、7:12「光明寺」
熊谷次郎直実の寺として有名な西山浄土宗の総本山です。

『当寺は西山浄土宗の本山で、建久九年(1198)蓮生奉仕(熊谷次郎直実)により創立され、法然上人を開山第1世としている。境内は広く、洛西一の伽藍を誇り、主要な建物は山内に点在して廊でつながれています。応仁、元亀、天正の兵火にあい、江戸時代には享保十九年(1734)の火災により焼失し、大半の建物はそれ以後の建立です。
総門をくぐり、美しい石畳の参道を登ると、正面に壮大な御影堂が、その右奥には阿弥陀堂があります。御影堂は宝暦3年(1753)の再建で、派手な装飾はないが全体的構成の精見性を意匠の主眼としたものです。阿弥陀堂は寛政十年(1799)の建立で、本堂より少し華やかな造りになっています。御影堂の後方にある御廟は明暦2年(1656)の再建で禅宗様を基調とした華麗な造りです。軒下回りの組物には多くの彫刻が施され、廟内の板壁は飛天や雲、蓮の花などが極彩色で描かれています。その前にある拝殿は山内では最も古い承応2年(1653)の建築です。
御影堂の左下には、元文元年(1736)の釈迦堂、勅使門があり、庫裏、講堂へと続きます。天保4年(1833)に建立された講堂は、食堂とともに浄土宗寺院でも檀林(仏教の学問所)に関する類例の少ない遺構群であります』

『蓮生法師(熊谷次郎直実)と法然上人 寿永3年(1184)、源平一の谷合戦で、関東一の剛の者と呼ばれた熊谷次郎直実は、義経率いる奇襲部隊に所属し戦に臨んだ。良き敵を求めていた直実は、波際を逃げようとしていた平敦盛(平清盛の甥・16才)を呼び止め、その首を取る。しかし自分の息子ほどの年齢の若武者を殺めたことで、悔恨の念と世の無常を感じる。建久4年(1193年)、直実は犯した罪を償うために武士を捨て、東山吉水の法然上人を訪ね仏門に入ります(法名:法力房蓮生)。建久9年(1198)、修行を経た蓮生法師は、喧噪の吉水を離れ、静かに念仏を称えられる地を求めて、ここ粟生の地に寺を建立します。そして、法然上人を招いて落慶法要を行い、上人を開山第1世、自らを第2世とし、上人から「念仏三昧院」の寺号を頂きました。これか光明寺発祥です。法然上人は建歴2年(1212年)に亡くなりました。晩年は、奈良や比叡山の古い教団から迫害を受けていたといいます。死後の嘉禄3年(1227)、比粗山の僧徒が、東山大谷の上人の墓を暴き、遺骸を鴨川に流そうと企てます。この企てを知った弟子達は、秘かに遺骸を太秦の西光寺に移しました。翌安貞2年(1228)、上人の石棺が光明を放ち、栗生の地を照らすという不思議な事が起こったため、遺骸をこの地に移し、火葬にして裏山に御廟を立てました。この時の奇瑞にちなみ、念仏三昧院は四条天皇より「光明寺」の寺額を賜り、以後「光明寺」と呼ばれるようになりました』

20170409YoshiS121s.jpg 「茗荷紋」が下がる山門をくぐると、広い階段が緩やかに登っています。
20170409YoshiS131s.jpg それを覆うように桜が枝を広げ、低い枝は顔に当たります。
相変わらず小雨が落ちてきますが、観光客は数人で素敵な風景を見せてくれます。
緑のもみじの葉との対比も素敵です。

20170409YoshiS140s.jpg 脇に無縫塔が数基、歴代住職のお墓でしょう。
20170409YoshiS149s.jpg 境内のソメイヨシノが満開で、これまた素敵で激写です。
20170409YoshiS142s.jpg 朝は良いね。


4/9・京都長岡天神

コーチしている大学ヨット部の新人勧誘月間に入りました。
入学式が終わり、新入生は履修申込みをし、自分の居場所を確保する時期です。
例年通り、車を出して京都市内の大学から琵琶湖のヨットハーバーまで、送り迎えする算段でいました。

ところが、集合時間と場所の連絡が来ない。
結局、学生の車で足りるようで、9:30直接ヨットハーバーという連絡がありました。

4時に目が覚めましたが、雨音が聞こえます。
車が必要なくなったので、バイクで行く予定でしたので、しばらく様子見です。
午後は晴れ予報なので、必ず止むはずです。

結局1時間経過しても雨音が止まず、カッパ着てバイクで行っても良かったのですが、四輪で行くことにしました。
5:42出発。
中国道・豊中ICで高速に乗り、名神・大山崎IC下車。
R171で京都方面に少し走り、r211に左折し、r204で阪急長岡京駅に向かう。
サントリーの大きな工場がありました。

駅前でr10に乗ろうと思ったら間違えてr67に乗ってしまいましたが、r210で長岡天満宮横へ。
20170409YoshiS067s.jpg 駐車場に入るのに少し迷いましたが、6:30「長岡天神」着。

主目的地は、「善峯寺」ですが、開門8:30なので時間つぶしです。
傘を差しての参拝です。

20170409YoshiS068s.jpg 『長岡天満宮の建築物 地元・開田村の氏神である長岡天満宮は、江戸時代に八条宮(後の桂宮)家の祀る神社として社観の整備が進められてきました。明治35年(1902)菅原道真公千年忌を契機に組織された長岡保勝会によって、活発な社殿建築が進められます。昭和16年(1941)平安神宮から本殿・祝詞舎・透塀が移築されました。江戸時代に形作られた境内に、近代の優れた建造物が立ち並ぶ社観は、歴史的な価値や造形上の質において高く評価されます』

20170409YoshiS071s.jpg 『長岡は、菅原道真公がご生前に在原業平とともに、詩歌管弦を楽しまれたゆかり深い地です。大宰府に左遷された時、この地に立ち寄り「我が魂、長くこの地にとどまるべし」と名残惜しまれた。公自作の木像をお祀りしたのが当社の創立です。爾来皇室の崇敬篤く度々のご寄進ご造営を受け、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条池」が築造された。中堤両側に樹齢百数十年のツツジが多数植えられ、その見事さは我が国随一と言われている』

天神様らしく、筆塚があった。
玉垣塀越しに元平安神宮本殿を見上げ、絵馬棚で書かれた願いを読み、奥の稲荷大明神にも参拝した。
20170409YoshiS086s.jpg 神事に使う木靴や白紙が巻かれた鋤鍬が、縁側に置かれていた。

20170409YoshiS073s.jpg 『菅原道真公と牛 官公は承和12年(845)丑年生まれです。茸狩りの宴の際、子牛が宴席近くに来て、頭を垂れて公を敬うがごときだったのでたいそう喜び、館に連れて帰り可愛がった。太宰府左遷の際、刺客に襲われました。その時荒れ狂った白牛が掛けてきて、公の命を守った。よく見ると、公が都で愛育した牛でした。太宰府で亡くなった時、遺骸を乗せた車を引いていた牛が途中で動かなくなり、そこを墓所とした。現在の太宰府天満宮は、その地に建てられました。牛が官公の御神使となったのは、これらの事績によります』

境内の数種類の桜を写真に収め、ナビを「善峯寺」にセットし出発しました。
40分以内は、駐車料無料でした。

r10に出て北上します。
途中の案内板を見て、7:00「長法寺」。
20170409YoshiS106s.jpg 枝垂れ桜のピンク色が綺麗でした。
20170409YoshiS116s.jpg ここに至る道を覆うようなソメイヨシノも満開でした。


4/4・次男一家もアメリカに行くかな?

次男から、長男のお嫁さんからの「アメリカにおいでお誘いメール」に対して返事が入りました。

「航空券が浮くのはお得やし、アメリカに行ったことないから行きたい。すみれちゃん・8ヶ月が長時間フライトに耐えられるか考えてみる」とのことでした。
長男一家が渡米した時、こうくんは4ヶ月だったから大丈夫でしょう。
秋になると次男のお嫁さんも、産休1年が終わり職場復帰するから、来月か再来月に有給
取って行くんじゃないかな?

次男は、中学生の時アルゼンチン・ラプラタ川河口で開催された「U15ジュニアヨット南米選手権」に出場した時、ニューヨークでトランジットしました。
その時、ブルックリン橋を渡ったように記憶しています。

それに対し長男から、「航空券は手配するからおいでよ、来るなら春から秋だよ、冬は激寒だからお勧めしない」との更なるお誘いメールがありました。

IMG_5623s.jpg 3/25の大安吉日に、次男お嫁さんの妹さんの結婚式があり、すみれちゃんは初ドレスを披露したそうです。
次男はデザイナーなので、2人のウェルカムボードとプロフィールムービーを作ったそうです。

保育園の時からセンスが良く、僕と長男・次男3人のレゴ制作では、いつも次男が一番かっこいいのを作っていました。
字も綺麗ですが絵も上手で、中学生の頃は写真と見間違うほどの精細画を書いていました。

ヨット部の仲間の結婚式から、長男の時も、当然本人のも、ウェルカムボードはいつも次男制作です。
長男の時のは、折りたたみになっており、開くと新郎新婦が立ち上がる仕組みになっており、その出来栄えにビックリしました。

今回の義理妹夫婦のは、浴衣姿の新郎新婦の写真をバックに和風テイストで洒落ていました。
新郎新婦紹介のプロフィールムービーが大好評だったらしく、両家のご両親とお嫁さんのお婆さんから、コピーの注文を受けたそうです。
僕も見てみたいけど、流石にそれは言えないね。

IMG_5601s.jpg お嫁さんのスバル車が車検で、乗り換える「アウディA3・スポーツバック」が納車されたそうです。
TFSIというインタークーラー付きターボチャージャーエンジンで、馬力とトルクを上げているようです。
お嫁さんはAT免許ですが、「Sトロニックトランスミッション」というMT変速機を自動変速するシステムが搭載されており、AT感覚の運転だけど7速変速し、燃費が良いようです。

女の子らしく、赤のボディが綺麗で、5ドアでリアゲートがあるので使い勝手が良さそうです。
家から会社まで車通勤なので、次男は日産のままです。
この車は、私の父が最後に乗っていた日産マーチで、その頃僕がホーミーワゴン・長男がトヨタセリカ・次男はトヨタカローラに乗っていました。

父が亡くなり、たまにバッテリー補充程度に僕が乗っていましたが、次男が就職で東京に出る時、カローラを売って乗っていきました。
父が、「俺が死んだら次男にやる」と言ってたので、その意志を継ぎました。

以来、故障もしないので乗り換えずに乗っていましたが、次の車検のタイミングがお嫁さん実家をリニューアルして3世代同居になるので、売ってしまい1台にするそうです。
IMG_5596s.jpg 実家には車が2台あるので、大人4人で4台は多すぎます。
電車の駅も近いし・・・

4/2・マイルでアメリカ

アメリカに住む長男のお嫁さんからメールが届きました。

長男の次男・こうくんが、4/6で1才です。
IMG_2665s.jpgグーグルドライブで送られてきた写真とビデオを見ると、お兄ちゃん・りょうくん4才にまとわりつき、お兄ちゃんが迷惑そうな顔の時がありました。
下の子は、上の子の後ろを追いかけ回して真似をするのが定番なので、お兄ちゃんは邪魔されるのが常です。
いつもいつもいい顔できないよね。

IMG_2675s.jpg 僕が勧めておいた「新垣結衣・星野源主演の「逃げるは恥だが役に立つ」のビデオを日本人友人から借りて見ているそうです。
「恋ダンス」が始まると、こうくんはテーブルにつかまり立ちして、お尻フリフリしていました。
こんなのが、すぐ見れるなんて、地球は小さくなりました。

IMG_2700s.jpg お寿司食べ放題のお店があるそうで、長男は寿司好きなので、家族でよく行っているそうです。
大人18ドル・りょうくん4才9ドルだそうです。
回転寿司ではなく、注文してから握ってくれ、それをテーブルで食べるようです。
もちろんアメリカ人にも人気で、流行っているそうです。

りょうくんはサーモンが好きで、10貫も食べてしまうそうです。
日本にいる時もご飯好きで、回転寿司に行って、具は親に渡し、ご飯だけ食べたりしていました。
酢飯が好きなのかもしれません。

これから暖かくなるので、アメリカのいい季節に遊びに来ないかと誘われました。
長男のマイルが貯まっているので、僕ら夫婦の飛行機チケットは手配するそうです。
東京にいるときから、入社して2年ほどは国内出張でマイルが貯まるので、結婚前ですがお嫁さんとそれで海外旅行をしていました。

それからは、アメリカやヨーロッパへの出張が多くなり、ますます貯まるようになり、ラスベガスにスカイダイビング体験しに夫婦で行ったりしていました。

アメリカ在住になり、アメリカ国内への出張に加え、アメリカブランチの責任者になったので日本本社への報告出張が増え、更に貯まるようになったようです。

次男夫婦にも、マイルでチケット手配するからおいでと誘っていました。
次男夫婦は、メキシコ・カンクンへの新婚旅行を、ジカ熱騒ぎでキャンセルしちゃったので、良い機会だと思います。

お正月に帰省した時も、伊勢神宮参拝の時も、次男夫婦に「長男の家に泊めてもらったらいいんじゃないの」と、新婚旅行の代わりのアメリカ旅行を勧めていました。

このマイルを利用しての予約は、座席数に制限があるので、夏休み期間中など繁忙期はすぐに埋まっちゃうそうです。
7月中旬・8月はもう埋まってるんだって。

お嫁さんは航空会社にお勤めなので、その辺は詳しいです。
産休が1人につき3年間OKなので、ちょうど3年目に2人目が生まれたから、まだ産休中なのです。

次男の会社も産休1年OKなので、職場結婚のお嫁さんは、今年7月まで産休です。
保育園が見つからなければ更に3ヶ月OKだそうで、10月になると次男が設計している新本社が完成し、社内保育所完備で設計しているようなので、必ず保育園に入れます。
お嫁さんたちは、恵まれた職場で有り難いです。

長男一家の誘いに甘え、家内と一緒に今年の10月までにアメリカに行ってこようかなと、ぼんやり考えています。
家内は初めての海外だし、僕のパスポートの期限切れしてるので、新しく取り直さなきゃ。

4/2・京都亀岡「神蔵寺」

20170402AkutaS456s.jpg 山門をくぐると、正面に石段が上がっており、その石段を覆うように紅葉の大木が枝を伸ばしている。
20170402AkutaS458s.jpg 青葉の季節にまだ早いのか裸でしたが、少し季節が進むと青葉が綺麗そうで、秋の紅葉の時期も良いでしょう。
20170402AkutaS464s.jpg 右手に寺務所がありますが、奥さんが先客のご夫婦と歓談中なので、拝観料は後払いにして石段を上がってみます。

20170402AkutaS468s.jpg 本堂前の賽銭箱は、『明智光秀公 駒返しの大桜 大賽銭箱 天正3年、信長の命で明智日向守光秀は、丹波攻めで当寺を焼いた。天正10年夏、「敵は本能寺にあり」と丹波・摂津国境に近い法貴谷(市内曽我部町)に馬を返す光秀の軍勢を見下ろす山桜の幼木があった。伝教大師が当山を開創以来1200年目・平成2年、大木となったこの桜木が伐採されるという因縁により、有志縁者によって奉納されたのが、この結縁の大賽銭箱である。願わくば、天下和平・万民和楽・諸縁吉禅ならんことを』

20170402AkutaS475s.jpg 本尊を安置する薬師堂は、コンクリート造の耐火構造になっていた。
鉄扉は開いていたが、格子扉が閉まりあまり良く見えなかったのが残念。
梅をはじめ、いろんな樹花が咲き、山里の春を感じました。
20170402AkutaS477s.jpg 1本の木なのに紅の花が咲く枝と、白い花をつけている枝を持つ梅の古木があった。
枝を根本まで観察すると、地面のところでくっついていた。
挿し木でもしたのだろうか?

20170402AkutaS479s.jpg 本堂の縁側に大きな鉢植えが置かれ、綺麗な花をつけた蝋梅が植わっていた。
剪定中のようで、小型ノコギリと植木鋏が置かれていた。
山里での落ち着いたゆったりした僧侶ご夫婦の生活が垣間見えた。
本堂横にも小さな手水があり、ここも竹のパイプだった。
竹パイプ細工師がいるのだろうか?

境内に、『当山鎮守八幡大菩薩』と彫られた石柱が打たれている祠があった。
古墳時代終盤・飛鳥時代直前に伝来した仏教は、日本古来の神道と共存することで日本に根付いた。
やがて神仏習合し、日本独特の集合した無数の神様が現れ、現代に日本人の心を形成している。
明治維新時の神仏分離令・廃仏毀釈運動で、多くの寺院が荒廃し、神と仏が分離され、神仏習合宗教の「修験道」は行き場を失ったが、神仏習合の面影を遺すものを見つけると、なんだか嬉しくなる。

石段を降り、拝観料を払おうと思ったが、先程の先客ご夫婦と山門の外でおしゃべりしておられる。
梅の古木の花などを激写しながら待っていると、「どちらからですか?」と奥様から声を掛けられた。

この梅は樹齢450年ほどで、紅葉は400年だそうです。
明智光秀の兵火を見ていたかも・・・なんて話をなされ、このお寺の歴史を教えてもらった。

「鳥の巣になっていたので、こちらで良いですか?」と拝観料を出すと、「すみませんね」とおおらかなものです。
20170402AkutaS491s.jpg アセビの大きな木があり、ピンクの花を山のように咲かせていた。
ロウバイの黄色も満開、よく手入れされた椿の赤い花もナイスで、落ち着いた気持の良い山寺でした。

15:50、帰路につきます。
枝道を下り、「湯の花温泉」前を通過し、R372~r731でR477に出て、一気に南下し、「一の鳥居」でR173に合流し、池田・川西能勢口からr13で南下し、16:55帰宅。
1日で500枚も写真を写しちゃいました。

帰宅すると、家内の方が先に帰宅しており、お互いの今日をあれやこれや話し、お土産のパンを家内に切ってもらい、「美味しいね」とむしゃむしゃ。
通勤リード110に乗り換え、日曜大工の小物をコームセンター・コーナンに買いに行きま
した。

19時から、家内が「天皇のお勉強番組があるの」と、池上彰さん解説番組を一緒に見ました。
なんと3時間番組でした。
後半1時間は、2人であくびを連発しながら最後まで見ました。


4/2・京都・高瀬川~亀岡「神蔵寺」

20170402AkutaS438s.jpg ぶらぶら歩き、14:10高瀬川沿いの彦根藩邸跡に戻った。
20170402AkutaS439s.jpg 高瀬川を見ると、2羽の鴨が水浴びしている。
繁華街のど真ん中でありながら、清い水が流れ鴨やサギがいつもいるのが、京都の魅力です。

下流に目を転ずると、高瀬舟がお客さんを載せ移動していた。
20170402AkutaS443s.jpg 高瀬舟に椅子を載せ、そこにお客さんが座っている。
船頭が舳先に乗り、竿で川底を探っているが、左右に脇までの長靴を履いたお兄さん人夫が船を持って動かしている。
まあ、これが実態だね。
水面は膝下程度です。

橋まで来て、激写タイムしています。
20170402AkutaS446s.jpg 小さな筏が川底の紐にくくられて、定位置にとどまっている。
その上に花が飾られ、風情を出している。
高瀬舟乗り場には、次のお客さんがパイプ椅子に座って待っている。
無料のようです。

20170402AkutaS449s.jpg ちんどん屋さんがやって来ました。
懐かしいな、僕が子供の頃は、日曜日の商店街ではいつも賑やかにちんちんどんどんやってたな。
20170402AkutaS450s.jpg 旧高倉小学校前に、「鴨川桜まつり」と書かれた提灯が下がっている。
ここがイベント本部のようです。

バイクに戻りました、11:01~14:27「先斗町バイク駐車場」中大型350円。
亀岡周りで帰ることにしました。
木屋町通を南下し、四条を西に走り、河原町通を南下し、五条通に乗ります。

ここからひたすら西へ。
道なりにR9になり、「沓掛」で京都縦貫道に乗ります。
風が強く、ブローで150kgで軽いVTR250が振られるので、75km/hほどで巡航します。

亀岡ICで下車し、R372に乗り西進。
分岐を「湯の花温泉」方面へ左折し、更に案内板に従って枝道に入り、15:22「神蔵寺」
ツーリングマップルに黒字で書いてあったお寺です。
お寺の前で舗装路が切れ、その先に未舗装の広い駐車場がありましたが、舗装路最後の分岐で少し広くなっている所にバイクを停めました。
横には大きめの農業用溜池があります。

20170402AkutaS453s.jpg 山門に続く「朱色の橋」手前に、入山料300円を入れるポストが立っていましたが、「入山料は受付へお願いします 只今、小鳥の巣箱になっています」と書かれた紙が貼られていました。

『亀岡の自然100選・神蔵寺』の杭が打たれています。
『朝日山神蔵寺(亀岡市稗田野町) 延暦元年(782)、伝教大師最澄が比叡山修行の時、ここに開基した天台宗の行場であった。一条天皇の正暦年間(990~994)には、仏道伽藍塔頭を造営し隆盛を極めた。治承4年(1180)5月、源頼政が以仁王を奉じ平家に敵対し兵を挙げた際、当寺僧徒はそれに加勢し、大津三井寺と呼応して宇治川に馳せ参じた。しかし頼政は敗れ、当寺は平家に寺領を没収されて荒廃した。嘉禎元年(1235)、達玄の再興により旧観を復し、僧坊26を数え遠近老若男女の篤い信仰を得て数百年経た。天正3年(1573)、明智光秀の兵火により焼失、薬師本尊と両菩薩は岩山に隠し難を逃れた。その後承応2年(1653),浄土宗・願西法師が鐘楼本堂阿弥陀堂を建立復興、延宝元年(1673)亀山藩主・松平忠昭の帰依により妙心寺派の高陰玄厚を招いて中興し、現在の臨済宗となった。収蔵庫に安置されている木造薬師如来は、開基最澄自ら比叡山根本中堂の薬師秘仏と同木で作られたものと言われ、藤原期の優美な尊容で、国の重要文化財に指定されており、脇侍の日光月光両菩薩も同時代の作と鑑定されている。現在は、口丹波佐伯薬師として、西国薬師霊場第43番札所になっている』

禅寺のようです。
明智光秀が、織田信長の命を受け、近江坂本から丹波に進出し亀岡に丹波平定の拠点を作った時の兵火に遭ったようです。
平家物語の平安時代から清盛の時代を経て、鎌倉幕府成立前夜の時代にも頼政に味方し敗れた歴史を持っていました。

三井寺に呼応したとは、大した勢力だったようです。
都まで1日の距離なので、北西の位置から僧兵を抱え勢力を張っていたのでしょう。


4/2・京都・和風フレンチレストラン・蛸薬師通

20170402AkutaS406s.jpg そこには皆さんがお揃いで・・・のはずが、予想に反しお初の女性が1人だけです。
挨拶し、「あれっ、まだお一人ですか?今までこんなことなかったのに・・・」
掘りごたつのように床が掘られ、長テーブルの部屋です。
畳に座るけど足が楽でいいです。

すぐに皆さん来られ、「あんた、僕らが集合してる横をスタスタ先に入っちゃうんだもの・・・」と。
遅れたと思って、前しか見ていませんでした。
参加者は8名です。

20170402AkutaS409s.jpg ランチプレートを予約しているようで、メニューを見ても考える必要なく楽でした。
自己紹介し、ケーキのような突き出しが運ばれ、あ~だこ~だおしゃべりが始まります。
アメリカに住んでいる長男が、2年後イギリスに移動するかもしれないので、イギリスに住んだことのある方が3人もいて、いろいろ聞けてラッキーでした。

フレンチレストランということだったけど、ご飯と味噌汁があり、メインディッシュのお魚料理とあれやこれや、店員さんが説明してくれたけど、とんと食に興味が無いので、右から左に抜けていきます。

20170402AkutaS410s.jpg 話が盛り上がり、2時間があっという間に過ぎ去りました。
13:30解散です。
この集まりは、現地集合・現地解散のカフェ巡り会です。
まだ聞きたかったので、二次会があるなら参加したいなと思ったけど、「駅まで一緒に帰りましょう」とか話していらっしゃるので、僕はここでサ・ヨ・ウ・ナ・ラしました。

家ごはん好きの僕としては、ご飯があり箸で食べられ楽でした。
ナイフとフォークじゃ、食べた感じがしません。

お店を出ると、パンの美味しい匂いがしており、家内のお土産として買いました。
帰宅後食べましたが、とても美味しかった。
コーヒー風味のパンだったのかな?

「蛸薬師通」を今度は東に進みます。
20170402AkutaS412s.jpg 和服の母娘がいい感じ。
20170402AkutaS413s.jpg サイクルショップが2軒あったので、店内に入ってみました。
20170402AkutaS416s.jpg カバンのお店、お茶のお店・・・京都らしく洗練されています。

20170402AkutaS423s.jpg 「新京極商店街」に突き当たり、そこが「蛸薬師堂」さんでした。
『正しくは浄瑠璃残永福寺といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像が安置している。昔、この寺が二条室町にあった頃、付近に池があったことから、水上薬師または澤薬師と呼ばれ、これが訛ったと言われている。また、この寺にいた善光という親孝行な僧侶が、戒律に背いて病気の母のため、タコを買って帰る所を町の人に見咎められ箱を開けるように言われた。この時薬師如来に祈ると、タコの足が8巻の妙法蓮華経に変わり難を逃れた。その母も全快し、親孝行の僧侶を守った本尊の霊験として、本尊の薬師如来を蛸薬師と言うようになった説もある。病気平癒祈願に参拝する人々で賑わい、参道は蛸薬師通と呼ばれるようになった』

お参りし、新京極を北に歩きます。
20170402AkutaS422s.jpg Tシャツと被り物のお店がありました。

「誠心院」というお寺がありました。
『真言宗泉涌寺派の寺で、才色兼備で知られる平安時代の代表的女流歌人・和泉式部を初代住職とする。関白・藤原道長が、娘の藤原彰子に仕えていた和泉式部のために、一庵を与えたのが起こり。当初、御所東側にあったが、鴨川の氾濫で一条小川に移築し、更に天正年間(1573~1591)豊臣秀吉の命でこの地に移動した。堂内に、本尊阿弥陀如来像、和泉式部・藤原道長像を安置している。境内に、和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔及び歌碑が建てられている。またかたわらの梅の木は、式部が生前愛した「軒端の梅」に因んで、
後に植えられたものである』

本堂には、工事ブルーシートがかかり、中に入れませんでした。
20170402AkutaS433s.jpg 宝篋印塔なども確認しましたが、「なるほどね」程度の感想です。
絶世の美女だったらしい大人気恋多き和泉式部は、全国に墓がありますが、元の雇い主が一庵を与えたということは、第一線を退き、悠々自適生活をここで送っていたことが想像され、ここのお墓が最も信憑性が高いのかもしれません。

『新京極 北は三条通から南は四条通に至る500mの通りを「新京極通」といい、平安京の最も東に位置した東京極大路(現在の寺町通)の東側に新しく造られた通りであることに由来する。天正年間(1573~92)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通に集めたことに伴い、その境目が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物中心に発展するようになった。明治5年(1872)、このことに注目した京都府惨事・槇村正直は、東京遷都で衰えていた市民の士気を盛り上げるべく、寺院の境内を整理して新たな通りを造った。これが新京極通の誕生です。
明治10年(1877)頃、芝居座・浄瑠璃・寄席などの興行や飲食店が並び、明治30年代には、東京浅草・大阪千日前とともに、日本三大盛り場として知られるようになった。上方落語の始祖・安楽庵策伝が住職を務めた誓願寺、和泉式部の寺・誠心院や、西光寺・蛸薬師堂・安養寺・善長寺・錦天満宮・染殿院という由緒ある寺院と1つの神社が通りの歴史を伝えている』

4/2・京都西山・「願徳寺」「先斗町・桜まつり」

時間がヤバくなってきたので、宝物館はパスし、お隣の「願徳寺」に急ぎます。
20170402AkutaS380s.jpg 情報通り門は閉ざされており、「仏様の拝観をご希望の方のみお入りください。仏像拝観400円」と書かれていた。

インターホンを押し「仏像が見たいのですが」と言うと、「どうぞお入りください」とのこと。
木戸のノブを回し中に入ります。
拝観料を払うと、「先の方がお参り中有ですので、少々お待ちください」と、待合場所を指示される。
境内に長椅子があり、そこでダイワフィッシングスーツを脱ぐ。
気温は上がり、夏用メッシュプロテクターでOKです。
夏と違い、下に着てるけどね。

20170402AkutaS382s.jpg 受付の奥様から声が上がり、宝物殿の中からご住職が出てきます。
学生風の若者6~7人グループも出てきて、僕が1人で入ります。
国宝・如意輪観世音菩薩像や、重文・薬師瑠璃光如来像を見ます。
観世音菩薩像は、平安前期・1200年前の作ですが、綺麗なお姿です。
かやの一木から彫られているということで、後の運慶快慶が隆盛した慶派の分業合体方式ではない時間と根気を掛けた仏像のようです。

20170402AkutaS385s.jpg 堪能し外に出ると、雨ざらしの石棺が目につきました。
播磨の凝灰岩を使ったもののようで、播磨の石切り場を思い出しました。
古代にまで遡る石切り場で、石工産業があった証拠です。
播磨の里山は、岩山が多く低山なのに植生の乏しい山が多くあります。

10:20、「大原野神社」のバイク置き場に戻ります。
待ち合わせ時間の11:30まで1時間しかありません。
ナビに先斗町駐輪場をセットしGO。
r141~r140~r10、沓掛からR9・山陰道に乗り、京都市街地突入。
道なりに「五条通」

「河原町通」に乗り換え北上し、ナビが示す目的地を見ながら、適当な右折可の枝道に突っ込みます。
20170402AkutaS393s.jpg ちょうど、坂本龍馬が隠れ住んだ「酢屋」前の道だったので、10:53バイクを停め激写タイム。
バイクに戻ると、前方の高瀬川の橋の上に警官が立っています。
しかも2人も。

「何か事件でも・・・ここが通れないと駐輪場に入れないのですが・・・」、ゆっくり近づくと、警官が僕の方に歩いてきます。
「さっきバイクを停めたことをとがめられるの?」
「すいません、歩行者専用になっています。ここを右折し、突き当りを左折すると木屋町通に入れますから」と言われ、ホッ。

高瀬川を渡る橋が通れず、高瀬川の東に沿う「木屋町通」が歩行者天国になっていました。
 西に沿う道を南に走ると、高瀬川に高瀬舟が浮かべられ、お客さんが乗っています。
日頃見られないのでバイクを止めて激写したいが、警官の目があるのでスルー。
突き当りを左折し橋を渡ると、そこから南は通行可でした。

11:01「先斗町駐輪場」にバイクを入れます。
去年、木屋町通を歩いた時見つけました。
バイク装束を脱ぎ、盗られないようにワイヤーでバイクに結びます。

この作業中、横のトイレから大声が聞こえてきました。
中国人のお父さんが息子を怒っています。
外国まで来て大声出して怒らなくても・・・。

20170402AkutaS399s.jpg 怒鳴り声を聞いた気持ちを落ち着け、11:10高瀬川&高瀬舟を激写。
例年なら桜が満開なので、満開の桜の下で舟遊びを楽しむ風情なのでしょうが・・・。
元は京都の商運を支えた鴨川から水を引く運河なので、土佐藩はじめ各藩の藩邸が軒を連ねていました。
よっていつでも治外法権のと佐藩邸に逃げ込めるから、坂本龍馬はここに潜みました。

でも今は、単なる水の憩いの場で浅いので、平底の高瀬舟と言えど浮かびません。
ただ乗るだけかもしれません。
西に向かいます。
事前に調べたら、待ち合わせのお店まで1kmあるから、所要時間15分です。
20170402AkutaS400s.jpg 河原町通を渡り、「蛸薬師通」をひたすら西へ。

お店は、「烏丸通」の一本東の通りとの角です。
その交差点まで来たけど、アルファベットの名前のお店がありません。
「あれ~おかしいな」と更に進むがわからない。
引き返し、東西の蛸薬師通ではなく、南北の通りに面しているのかと曲がると、11:27「O・MO・YA東洞院」がありました。
20170402AkutaS403s.jpg 「本日満席です」のプレートが下がっています。

いつも15分以上前に着いてるので、慌てて店内に入ります。
予約名を店員さんに言うと、案内してくれました。
フレンチレストランだけど、京都の町家をリニューアルしたお店なので、靴を脱いで下駄箱にしまいます。
通されたのは一番奥の部屋で、なんだか蔵の中のような感じです。


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