待ち合わせ その1

クリスマスが近づくと、毎年頭のなかで鳴り出すのが、「山下達郎・クリスマスイブ」。
僕の学生時代の想い出と重なって・・・



携帯電話を持ち歩くようになった現在では、こういうことはなくなったと思うが、学生の頃は一般向きの携帯電話はなく、「待ち合わせ」にまつわるドラマがあった。
東京では「ハチ公前」などのランドマークが、その場所なんだろうが、僕もいろんなところで、時間を確認し待ち合わせた。

ほとんど先に着いて待っていることが多かったが、今でも鮮明に覚えている学生時代の不覚がある。

僕は、自宅から1時間ほど電車とバスを乗り継いで、4才から1人で幼稚園に通った。
幼稚園の決まりで、初日は園の玄関まで、2日目は階段下まで、3日目はバスのりばまで、4日目は電車乗り場まで、5日目からは自宅から一人で通わなくてはならなかった。

4才での幼稚園登校開始2日目、幼稚園の前の長い階段に、蛇がいた。
それが怖くて、階段の下まで送って来た母にヘルプを送った。
母は「怖くないから、行きなさい」と言うだけで来てくれなかった。
その時、先に蛇をクリアした女の子が、僕のとこまで下りてきて、僕の手を取って蛇をクリアさせてくれた。
単純な僕は、卒業するまで園内の副番長である彼女が、僕のヒーローだった。

阪神間の広域から、園を運営する法人の教育(婦人之友という主婦雑誌を発刊する羽仁もと子主催)に賛同する母親の子ばかり集まる私立の幼稚園だったので、母親同士が仲の良く、毎年同窓会が行われていた。

ずっと顔つながりが続き、どんどん可愛くなっていき、彼女をヒーローと見るより、女の子と見るようになった。
年1回の同窓会が楽しみだった。
中学受験をして電車中学が始まったある日、その子を、通学電車の乗換駅で見かけた・・・ような気がした。
それから毎日注意していると、間違いない。
僕が、すれ違う彼女をじっと見ていると、彼女もそれに気づいて、「そうだよね、・・組んだよね」って、少しはにかんだ微笑みを持って、僕に声を掛けてくれた。

ずっと片思いの子に会える幸運で、学校に行くのが楽しかった。
お互いの中学・高校の文化祭には、チケットを交換し、僕も女子校行ったし、彼女も友だちを誘って、僕の通う男子校に来てくれた。
好きなんだけど、東京だったら必ずモデルにスカウトされるだろう美少女で、綺麗な日本語を喋り、お金持ちのお嬢様なのでいつもお洒落していたから、デートになんて誘えなかった。

そんな僕も大学生になり、それなりに経験を積み、母校グリークラブの神戸講演に誘った。
僕なんて、彼女にとっては結婚相手の箸にも棒にもかからない存在だと思ってたので、一生に一度の長期片思いの集大成デートと思い、勇気を出したが、あっさりOKしてくれ嬉しかった。

その日はヨット部のシーズンオフでしたが、レース艇の整備日で艇庫に行っていた。
昼前に終わるはずだったのに、誰かの船の整備が遅れているので、解散が延び延びになった。
タイムリミットが迫り、ギリギリのタイミングになってしまい、キャプテンに早退を申し出た。

なんとか許してもらい、車に飛び乗りスーツに着替えたが、何とチケットを自宅に忘れたことに気付いた。
慌てて自宅に取りに戻り、神戸の会館に急いだ。
車を駐車場に入れる余裕もなく、待ち合わせ30分遅れで、待ち合わせ場所に着いた。

そしたら彼女がいない。
チケットを渡していないのだから、先にホールに入っているはずもない。
待ち合わせた花屋さんに、彼女のことを聞いたら、このお店で花束を購入し、ずっと待っていたとのこと。
「さっきまでいたよ」、僕と入れ違いになったようです。
電車の駅まで走っていったが、会えなかった。

先にチケットを渡しておくべきだったと反省しながら、車を飛ばして彼女の家に向かった。
ベルを押すと、彼女のお母さんが出てきた。
昼食を母親が当番でやってきて作る幼稚園だったので、僕を4才の時から知っている。
お母さんに遅れてしまったことを謝り、彼女に直接謝りたいと申し出たが、「娘は泣いて帰ってきて、自室に入ってしまった。とても今日は見せられる顔ではないので、お引き取りを・・・。また誘ってあげてね」と言われてしまった。
しばらく自宅前で、彼女が出てくるかもしれないと待っていたが、失意のうちに帰宅した。
今までの人生で最大の「待ち合わせ」失敗です。

後日彼女に会い、しっかり謝ったが、もういつもの彼女に戻っていた。
その後、ヨット部の試乗会に友だちを連れて来てくれたり、スキーツアーにも参加してくれた。
彼女に誘われ、ダンスパーティーに行ったこともある。
友達と喫茶店にいると、彼女がデート中の相手を伴って、「・・君、元気?こないだ車ですれ違ったよ。横に彼女を乗せていたから、追いかけなかったけど・・・」なんて、明るく声を掛けてくれたこともある。

今でも変わらぬ、年賀状やメールをやり取りする大切な友人です。
彼女はその後、大阪で有数のお金持ちの家に嫁ぎ、僕が想像していたような彼女になっている。
社交的で英語も達者で、美人で言葉が美しく、何処に出しても見栄えのする奥様です。
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10/23・ほんたきカフェ

しばらくマッタリしていると、ここを紹介してくれたKさんがバイクでやってきた。
Kさんとは「バイクツーリングの会」で知り合い、そこのメンバーのJさんが作った「カフェの会」でも一緒です。
前回の京都での「カフェの会」の例会の帰りに、電車の中でKさんにここを紹介してもらった。

この日は、ここの近くの能勢で「カフェの会」11:30~13:30がありました。
僕は家内とのデートを選んだけど、Kさんは参加されたはず。
「あれ~、こんにちは。家内です」と紹介しました。
「5人来られますよ」
「まだ13:30になってないのに、終わったの?こんな近場のお店にハシゴするの?」
「近いから、来るんですよ」

カフェの会は、現地集合・現地解散で、はしごしたことがなかったのに、この日は特別のようです。
後続メンバーは車で来られ、「こんにちは」「あれ~ここで会うとは」と、あ~だこ~だ。
過去、家内とドライブしている時、淡路島と中国道SAで、参加してるバイクの会メンバーさんと会ったことがありましたが、これで3回目です。

20161023HonS049s.jpg 会ってすぐに帰るのも失礼なので、マフィンとアイスクリームを追加注文しました。
しばらくして、お先に失礼しました。
カフェメンバーさんの話を聞いていると、これからまた別の店に移動し、夕食を食べて解散するのだとか、凄いや食べ歩き。

お会計を済ますと、シェフさんから名刺を渡されました。
Kさんの名前を覚えておられました。
Kさんは、もう顔なんだ。
お客さんの8割がバイク乗りだそうです。

「ほんたき山のカフェ 妙見宗総本山・本瀧寺内 土日祝のみ営業 9:00~17:00 雨天・悪天閉店あり」
この方はパティシエさんだそうです。
だから、アレンジしたデザートメニューを出してるんだ。
お店のフェイスブックがあるそうで、記念写真をパチリされました。
載るのかな?

車に戻り、r4~r604~R173で、15:09近所の関西スーパーに寄ってお買い物。
15:31に帰宅しました。
映画「君の名は」が16:10からなので誘いましたが、「え~漫画でしょ~」「僕もそう思うんだけど、すごく評判がいいらしいんだ」「私、漫画読まないし」ってダメ出しされました。

「じゃあ、家で映画ビデオ見よう」「うん、いいよ」。
僕の好きな作家・ニコラス・スパークス原作シリーズ第3段「一枚のめぐり逢い」を見ました。
いつもながら素晴らしいラブストーリーで、家内と温かい時間を共有できました。
映画化されたスパークス作品を5本もビデオで持っています。

「モヤモヤさま~ず」「大河ドラマ・真田丸」を見て、1日が終わりました。


10/23・北摂道の駅・くりの郷~野間の大ケヤキ~ほんたきカフェ

先週、炊事の排水が詰まり、家内がケミカルで直そうとしていましたがギブアップ。
更に強力なケミカルを目論見、主成分の水酸化ナトリウム単体を購入し、10%水溶液(市販は2%)を作って試しました。

それでもダメで、ワイヤーを突っ込みましたがダメ。
固着し、全く開けられなくなっていた外のコンクリートマンホールをドリルで破壊(ホームセンター樹脂製マンホール1000円に取り替え)し、反対側からも突っ込んでゴリゴリしました。
ジェット水流でパイプ内を攻撃などして、多少は汚れた物が出たがしぶとい。

最も当てにしていなかったトイレのつまりを解消する「強力シュポシュポ(1000円)」を購入し、これで挑戦してみました。
流しに水を張り、シュッポシュッポ・・・
数度挑戦すると、詰まってた食品包装のビニールの角を切った切れ端などが浮いてきて、ゴボゴボと流れ出しました。
最初にこれをやっていたら、コンクリートマンホールを破壊しなくても良かったのに・・・

僕がチャレンジする前に水道業者さんに頼んでいたのですが、仕事が混んでおり、来てくれるのが1週間後で困っていました。
早く直ったし、費用も安価だったので、家内に褒められました。
二匹目のドジョウを狙おうと、水流が弱くなっているウォシュレットに挑戦しましたが、こちらは難敵です。

家内の朝の用事にバイクで付き合い、「道の駅に葉物野菜を買いに行きたい」との要望に応え、10:38車で出発しました。
親父とお袋は生前、「道の駅いながわ」に開店時間を狙って時々買い物に行っていましたが、「道の駅・能勢栗の里」に向かいました。

池田から、R173を北上し、11:24道の駅に到着。
でも、この時間でも葉物野菜は売り切れでした。
栗は終わっていましたが、柿がたくさん並び、でかいかぼちゃがありました。
能勢町観光地図をゲットし、まだ訪問していない寺社を調べ、「訳あり塩味かき餅・540円」だけ買いました。

お昼でも食べようと、R173を北上し、「栗栖」交差点を右折しr4。
12:01、昆虫卸売販売「フジコン」本社併設のお店に寄り道します。
我が家のお隣さんの僕と同世代の弟さんが、若い頃から北摂の里山で昆虫を採集して販売する仕事を長年やっていました。
彼のお母さんから、「フジコン」という会社のことを聞いていました。
看板やお店が目立つようになり、数年前ここに大きな本社が建ちました。

初めて入る店内は、クワガタムシのゼリーなどが、ダンボール販売されており、如何にも卸売会社という感じです。
クワガタムシの成虫が販売されており、外国産の珍しいクワガタもいました。
見ているだけでワクワクします。
夏休みの時期は、デパートのイベントやスーパーなどからの引き合いが、後をたたないのだろう。

20161023HonS005s.jpg r4~r104~r4で、12:34「野間の大ケヤキ」到着。
早朝に寄る事が多く、久しぶりの昼間訪問です。
ロードバイクが数台駐輪し、それなりの服装の方が、お昼休憩しています。
「ありなし珈琲」という屋台のお店が回転していました。
若いお嬢さん2人で営業されていました。
「蟻無神社」が大ケヤキの裏にあり、かつてはこのお宮の鎮守の森の木だったと思われる。

「けやき資料館」に入ってみる。
西日本一の大ケヤキです。
20161023HonS006s.jpg 毎年営巣するフクロウやアオバズクの写真が飾られています。

r4を更に西進し、野間中で旧R477を渡り、妙見山方面へ。
12:55「本瀧寺」到着。

バイク知り合いKさんに教えてもらったカフェ目当てです。
急坂を登った上に駐車場があると聞いていましたが、下のお寺の駐車場に置きます。
20161023HonS010s.jpg アメリカンバイクが10台ほど停まっており、お店は満員かも?と思いながら歩きだすと、バイク乗りの集団が降りて来ました。
これで満席解消でしょう。
20161023HonS012s.jpg 石垣の上を見上げると、お店の方が、バイクの方々に手を振っています。
お店の位置もわかりました。

 まず、本瀧寺・本堂の方に階段を上がります。
20161023HonS018s.jpg お経を唱える声がずっと聞こえていましたが、50人ほどの男女が、本堂の周りを裸足でお百度参りしている声でした。
20161023HonS022s.jpg 滝行場があります。
妙見山の別の登山道沿いにも行場があり、滝行が盛んな地です。

本瀧寺は、鉄筋コンクリートのお堂がありますが、高石垣や雰囲気の良いお堂や、神仏混淆・修験道的なお宮やお滝もあり、良い雰囲気です。
20161023HonS016s.jpg 案内板に従ってお堂の脇を通り、13:08「ほんたき山のカフェ」到着。

お客さんは、3名グループのみ。
席数は、グループが座っている5席ほどのテーブル席と、石垣の上にある景色の良い外向き席が10ほどです。
カフェは室内席はなく、オール屋外テラス席です。
20161023HonS041s.jpg 景色は素晴らしいが、風が冷たく、お店の方が毛布を貸してくれました。
家内はそれを膝に掛けています。

20161023HonS046s.jpg サンドウィッチを期待していましたが、メニューはスイーツとドリンクのみです。
プリンプリン×2、バラッカティーアイスを注文します。
20161023HonS045s.jpg 双眼鏡が置いてあり、遠くの山の稜線をそれで見ます。
オープンエアなので気持ち良いけど、もう少し暖かいといいね。
真夏はどうするんだろうと思い店主さんに聞くと、パラソルを出すのだそうです。




10/22・皇后陛下のお誕生日メッセージ

美智子皇后陛下の82才の誕生日に当たっての文書でのお言葉が、新聞に載ってい
 した。
「親父の亡くなった82才に、美智子皇后陛下もなったんだ」・・・僕の親父は大正14年生まれなので、1924年。
お袋は、1928年生まれ。
美智子皇后は、2016-82=1934年生まれ。

僕の母方の実家の本家から正田醤油に嫁いだ方がおり、その家系に美智子皇后(ひ孫)が生まれたので、母はとても親しみを持っていました。
本家も明治の世に入り、正田家同様、鉄道会社・肥料会社・銀行など多くの会社を創業し、北関東の発展に寄与した。
そんな関係で、正田醤油やキッコーマン醤油・日清製粉を、小学校の頃メーカー指定で買いに行かされました。

ニュースには、先の天皇陛下の言葉について、「皇太子・秋篠宮とよく相談した」ことと、「生前退位という言葉に衝撃を受けた」と書かれていた。
僕も『生前退位』という言葉に違和感を覚えたので、今でもTVや新聞で使われ続けているのに変だなと思っていました。

そこで、宮内庁のウェブサイトで、全文を読んでみました。
まず熊本地震などの自然災害の被災者に対するお言葉。次にフィリピン訪問で、両国の戦没者の慰霊が出来たこと。
ブラジルオリンピックとパラリンピックについて、障害者スポーツが健常者スポーツ同様見る人の心を引きつけるものに育ってほしいとの願望。
日本人研究者が発見した元素とノーベル賞受賞。
青年海外協力隊やシニア海外ボランティアの勇躍。

個人的には、天皇陛下とともに、長年の希望であった川の源流から河口まで歩くことが出来たこと。
ホームからの視覚障害者の転落事故への対策が進むように希望。
そして、天皇陛下の玉音放送について書かれていました。

『8月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。』

最後に、タイ国王陛下の崩御について書かれていました。

皇后陛下の言葉を読んで、天皇陛下の玉音ビデオ放送では使われなかったが、ご譲位を希望なさっていると僕も感じたことを、『生前退位』という言葉で表現されたことに衝撃を感じたことが伝わってきた。
僕は歴史好きなので、いろんな歴史書を読んできたが、「生前退位」という言葉は見たことがない。
「譲位」が一般的に使われている。
これに「生前」が付くことで、まだ生きていらっしゃる方への言葉なのかと思った。

「生前」という言葉を使うのは、「父が生前お世話になりました」「あなたのお母さんには、生前お世話になった者です」というように、亡くなった後に故人を偲んで使うことが多く、「生前相続」という本人と弁護士や家族が、本人の意思を子孫に残す場合、限られた身内に使うぐらいに思う。

創業オーナー会社の社長さんが、息子さんに社長職をバトンタッチする時でさえ、「生前退位」なんて言葉は使わない。
「お前に譲りたいんだ、社員のために頑張ってくれないか」のように。

天皇陛下の玉音ビデオ後、「生前退位」という言葉への違和感を書いた。
「日本語を使うプロなのに、歴史書を読まないのか?」と憤りさえ感じた。あれから2ヶ月、未だに「生前退位」がマスコミ横並びで使われている。
皇后陛下の言葉は、天皇陛下の心の中を察しての言葉のように思う。
各社、正しい言葉を使う部門のトップが集まって話し合い、そろそろ改めた方が良いように思う。
言葉は日々変化して行くが、NHKを中心とした言葉のプロが、正しい日本語を使うことで、日本人が正しい日本語を日々学び直している。
プロ自ら造語して広めるのは、如何なものかと思う。

それと、天皇陛下の玉音ビデオを聞いて感じたのが、「僕は公務が多くても、この家に生まれ天皇を継いだ者の宿命として体が動く限りこなして行くが、同伴する皇后には楽をさせてあげたい」という労りの気持ちです。
今度は、皇后陛下から、天皇陛下の心の中に起こった「まだ生きているのに「生前退位」と言う言葉を使われた残念さ」を現された。
夫婦の労り合う美しい夫婦の姿を感じた。

『宮内庁関係者は皇后さまの感想について「『生前』という言葉に接して、その裏にある『死』を連想されたのではないか」と話している。』とニュースに載っていた。

皇室の最側近として日々行動を共にし、仕事をしている者として、マスコミ各社の「生前退位」について、当然僕同様の感想を持ったはず。
本来なら、根回しして「譲位」などのもっと最適な言葉に改めるよう行動するのが仕事であるはずなのに、皇后陛下の言葉で気付いたようなコメントに、どうなっているんだと思いました。

こんな気持ちだから、年齢にそぐわない天皇皇后陛下のスケジュールを突っ込んでいくのだろうと思った。
天皇陛下としては、できるだけ国民にプラスになろうと、身を子にして働こうとする。
でも、年齢・体調を考え、皇太子以下皇族に公務を肩代わりさせ、年齢なりの仕事量に調整するのが、宮内庁官僚の仕事だろうに。

人と会う・外国や国内に行く・国会などの公式行事を行うなどの国民の目に見える行事の他に、全国の神主さんが自らが勤める神社で行っているのに倍する祈る行事の方が、代々天皇が続けてきた本来業務です。
人に見える行事が多すぎて、本来業務が疎かになっているのを危惧しての悲鳴かもしれない。
この配慮に欠けたから、天皇陛下から悲鳴の玉音ビデオが出たとも考えられる。

どうやら、皇室典範改正ではなく、特別法で一代限りの法案を作って譲位の道を探るようですが、僕は現状の生涯天皇に賛成です。
玉音では否定的なお考えでしたが、摂政という古来からの制度があります。
皇太子殿下を摂政に指名されれば済むことです。

平安時代に多用され、制限のある天皇から上皇になり、より自由に政治介入する(側近公家を使って匂わせる)手法の二元権威政治から来る国内対立を多数知り、それによって一方に味方する勢力間に多くの戦いが起こりました。

天皇方・上皇方の二元権威の勢力争いから、武力衝突が起こり、そこから勝者として平清盛が頭角を現し、平家政治を倒すために上皇方の画策により、源氏の弔い合戦が起こった。
足利尊氏は、後醍醐天皇と対立し、新たな天皇を立て、南北朝の戦いが長期間続いた。

それらの歴史の反省から、上皇の存在がない生涯天皇制を明治時代に採用した。
すでに今上陛下からビデオメッセージが出た後なので、特別法で対処するのがベストのように思うが、今後このようなことが無いよう、宮内庁職員には配慮願いたい。

天皇陛下が、自分の死の時、昭和天皇崩御の時のように、自粛ムードから経済停滞を起こすのが偲びないと言葉になさいましたが、日本国民は馬鹿じゃないので、自分たちの生活が成り立たないほど自粛はしないから安心して欲しいと思う。

老境を迎えた親が、子達に「私の葬儀は簡単でいいから」と言うのに似ていると思う。
僕もそう聞いていたが、「はいそうですか」では長男としてのメンツが立たない。
我が子や分家の弟一家に範を示すためにも、出来るだけのことをして送り出した。
それで良いのだと思う。

10/20・孫くん・プリスクールに通い出す

長男のお嫁さんから、アメリカ便りが届きました。
嫡孫・遼くん(3才)のプリスクール通いが始まりました。
IMG_0031s.jpg お弁当と水筒を持って、朝パパの車で出かけて行きます。
自宅と会社は車で10分で、プリスクールと会社も5分だそうです。

IMG_0011s.jpg 僕は、息子たちの幼稚園送り迎え当番だったから、入園当時の園での別れ際の一悶着が想像できます。
同じように朝ぐずってるようですが、しばらくすれば慣れてしまうでしょう。

IMG_0032s.jpg 幼稚園からは、毎日写真付きでレポートがメールで送られてきて、「ご飯はどのくらい食べたか」「お昼寝の時間」「遊びやお勉強」など、細かな報告が来るので安心だそうです。
20人クラスで先生が3人だそうで、日本の保育園の3才児クラスと同じぐらいじゃないかな。

今週のテーマは「E」で、皆でEにまつわるものを作ったり学んだりしているようです。
外遊びや、室内ジムでの遊び、塗り絵、絵本の読み聞かせ、アルファベットや単語の勉強、と毎日色々なプログラムを組んでくれているそうです。
たった数日なのに、もうアルファベットと単語をいくつか覚えて帰ってきまようです。
お母さんに、喜々として覚えてきた単語を披露しているのでしょう。

15時過ぎにお迎えに行っているようですが、18時半まで何時お迎えに行ってもいいシステムのようで、日本の保育園と同じようです。
午前中で終わっちゃう日本の幼稚園より、時間が長くてずっと良いように思います。
人は集団の中で学ぶものなので、小さな頃から集団に慣れておく方が良いです。

前回もそうでしたが、お友達との写真がないのが残念だなと思ったら、幼稚園のウェブサイトから、複数名が写る写真はダウンロードできないようになっているからだそうです。
親はウェブサイトで見れるけど、プライバシーの関係で拡散できなようになってるようです。

IMG_0166s.jpg プリンストン大学・アメリカンフットボール部の試合の応援に行ったようです。
プリンストンは、僕の母校アメリカンフットボール部と交流があり、行き来して試合をやっていました。
大学ヨット部では、京都のD社大ヨット部がイギリスのオックスフォード大ヨット部と交流があり、こちらもイギリスに行ったり京都に来たりを交互に行い、試合をしています。
教育機関のクラブなのだから、社会に出た後につながるこういう交流は、素晴らしいと思います。

アメリカンフットボールは、母校の校技で、中学・高校と授業でタッチフットボールをやていました。
体格や身体能力ごとに適したポジションがあり、ワンプレーごとの様々な作戦がオフェンス側・ディフェンス側両方にあり、オフェンスで相手の裏をかき、見事にタッチダウンにつながると、痛快そのものです。
僕は体重はないけど足が速かったので、タイトエンドのポジションを良くしました。

長男の通った中高にもアメリカンフットボール部があり、関西で時々優勝するような実力を持っています。
あの変形ボールの投げ方を伝授したこともある。
お嫁さんにルールを教えながら、楽しい休日を過ごしている様子が伺える。

10/16・神戸異人館街

那須神社にも参り、バイクに戻ります。
今度は海岸線まで下らず、左折してr21を東進します。
山手幹線的な道路で、山の手の新興住宅地を繋いで走っています。

やがて道なりに神戸の山の手「異人館通り」になり、14:10「北野美術館」前。
バイクを置いて、異人館街を巡ります。
「結婚式会場」と札が下がった洋館がある。
ガーデン結婚式に使われているようです。

20161016KobeS314s.jpg 「ラインの館」
20161016KobeS317s.jpg 「ベンの家」では、異人館割引入場券を販売している。
20161016KobeS318s.jpg 魔女が屋根に乗った洋館もある。
「旧アメリカ大使館」は、カフェになっているようだ。
美術館は、「Museum Cafe」

路地の雑貨屋さんを覗いたりぶらぶら。「ハンター迎賓館」の下に「ウェディングスペース」と書かれており、この日も結婚式が催されているようです。
20161016KobeS329s.jpg 「北野天満神社」があったが、階段を上がるようなので、家内がパス宣言したので僕もパス。

20161016KobeS335s.jpg 「旧トーマス住宅」は、「風見鶏の館」としてNHK朝ドラに登場したので、異人館街の代名詞です。
20161016KobeS339s.jpg このドラマで、神戸異人館が全国区になり、観光客が一気に増えた記憶がある。
学生時代は、GFさんを乗せて車で路上駐車して異国情緒を味わったのに・・・。
20161016KobeS336s.jpg 占いをせがまれ、「私達2人の将来」を占ってもらったこともある。
このことは、家内には内緒です。

20161016KobeS338s.jpg 船員さんの木彫人形を家内が見つけ、「あれ?うちにもあるよね」
ヨット部の先輩の結婚式で引き出物として貰った人形です。
店内に入り、「海賊木彫り人形」を2体1000円で購入。

朝ドラロケ地の「萌黄の館」は、外観リニューアル中でカバーに覆われていた。
20161016KobeS344s.jpg 内覧は出来るが、内部は何度も見たことがあるので、入館料を払ってまで・・・外観を楽しみに来たのに残念。
カバーに実物大写真がプリントされているので、それで満足しておきましょう。

バイクの戻ろうと歩いていると、広場の階段の所で絵を書いておられる方がいました。
繊細画で神戸らしく、港・帆船・異人館・・・、1500円で1枚買っちゃった。

異人館通りに戻ると、シティー・ループバスが停留所に停まっている。
お客さんがいっぱいです。
20161016KobeS352s.jpg サイド・ボディーに、「朝ドラ・べっぴんさん」の主人公たちの写真がプリントされている。
これで、僕らみたいな観光客が増えたのでしょう。

14:50、バイクに戻り、帰路につきます。
JR・阪急三宮駅まで下り、家内を下ろします。
僕は、R43を東進し、西宮からR171で阪急伊丹駅。
家内とここで待ち合わせ、帰宅しました。
楽しい1日になりました。

10/16・網敷天満宮・那須与一の墓

花壇に、珍しいものを見つけた。
20161016KobeS272s.jpg 浩宮皇太子殿下のお印・アズサ、雅子皇太子妃殿下のお印・ハマナス、敬宮愛子殿下のお印・ゴヨウツツジと書かれた銘板が刺さり、それぞれが植えられている。
皇族には、お印の植物があるのですね、知らなかった。

R2を東進し、r22に左折し、セブンイレブンで昼食休憩します。
家内はお弁当、僕はバナナを食べました。

13:19、阪神高速の高架下の地区駐車場に入れます。
20161016KobeS275s.jpg 目の前の家の2Fの窓が少し開いており、鳩が出入りしています。
鳩小屋になっているようです。
小学生の時、弟が親父に2Fベランダに作ってもらった鳩小屋で、鳩を飼っていました。
親父と一緒に伝書鳩を車に積んで遠くまで行き、離して戻ってくるのを楽しんでいました。

20161016KobeS277s.jpg 「那須与一の墓」を訪ねます。
20161016KobeS278s.jpg 五輪塔がポツンとあるだけだろうと予想したのですが、差に非ず、「源平ゆかりの地・神戸へようこそ」の目印が下がったところに階段があります。

20161016KobeS280s.jpg 『那須与一は、源平合戦に際し、北向八幡宮を守護神として、源義経に従い、数々の先陣に加わった。屋島の合戦で扇の的を射落とし賞賛を得た若武者。晩年、この地へお礼参りに訪れますが、病の得てここで亡くなった。道路を渡った東側に、与一を祀った那須神社と、与一が信仰した北向八幡宮があります』

階段を上がっていくと、予想外に社殿がある。
中を覗くと畳敷で、那須与一御詠歌が下がっている。
もう一段上がるところにも社殿があり、裏は地区の墓地になっている。
「お知らせ ・月・日、与一墓所にふさわしく、当墓所の草刈清掃を行いますので、墓の所有者は必ずご参加願います」の案内板が立っている。
「那須与一公之墓」の銘板が下がる建物で、墓所集会場ということでしょうか。

壁には多数の絵馬が下がっている。
中に入ると、地区当番の女性2人がお喋りをしている。
「ようお参りくださいました」
中央に与一のお墓があり、雨ざらしではなかった。
まずチャリン、お参りして、展示されている資料を読む。

20161016KobeS285s.jpg 『那須家は、下野国(栃木県)那須を所領し、田畑の開墾馬の生産を主に勢力を伸ばした豪族。那須与一は、那須太郎資隆(すけたか)の11子として生まれた。源平合戦には、兄9人は平家に属し、与一は兄・為隆とともに源氏に属しました。当時は嫡男が世襲するのでは必ずしもなく、最も優秀な者が当主となり、また戦乱に対する武門の心得として両陣営に分かれるのは当然のことでした』

那須与一は、大織冠藤原釜足公の後裔だそうで、僕の母方の本家と同じです。
菅原氏の末裔ですが、美作の城を赤松氏とともに足利尊氏に味方したことで、新田義貞軍に落とされ、北関東・下野国に敗走したことから、その地で大織冠の血筋と縁ができたと、先祖の本に書かれている。

「那須与一絵馬・500円」を授かりました。
また我が家の祠に、願いを書いて下げよう。

20161016KobeS299s.jpg 道路を渡り、階段を上がり、『北向八幡宮 大国主命が祀られており、出雲に対しての敬意から北向きに建立した。一の谷合戦で、源義経は村人から、「御神威が高く飛ぶ鳥でさえ社殿の上空を飛べない社があると聞き、那須与一に武運長久を祈らせた。戦乱の後、与一はお礼参りに当社を訪れますが、中風のため当地で亡くなった。境内に与一を祀った那須神社があり、道路を渡った西側に、与一の墓があります』

10/16・須磨寺・網敷天満宮

三重塔、親子地蔵・シベリア満蒙戦没者慰霊碑を見て、「あつもり首塚」
20161016KobeS245s.jpg 小ぶりの五輪塔が、覆屋に守られています。
『謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土でともに成仏する運命になったことを主軸にして作曲された修羅物である。一ノ谷の戦いで、少年・敦盛を討った熊谷次郎直実は、無常を感じ出家し蓮生と改め、菩提のため古戦場を訪ねると、敦盛の霊が草刈男の姿で現れ迎える。蓮生はひたすら回向を続けまどろむ夢の中に、華やかな姿で現れた敦盛が、一門の没落の運命の中にも忘れかねる快楽の日があった事や、戦いの有様を物語り、敵蓮生の日々の回向に感謝し、ともに極楽往生のできることを喜びつつ消え去る。直実は、義経の首実検の後、許しを得て遺品「馬・甲冑・弓矢・青葉の笛」と共に、戦死の有様を書き添えて父・経盛に送った。懇ろに弔われた「敦盛首塚」は、今も人が絶えない』

20161016KobeS248s.jpg 五猿の像があった。
『ためにならない態度を見ざる。ためにならない事を言わざる。ためにならない話を聞かざる。ままにならない事を怒らざる。まんまんちゃんは、善い行いも、悪い行いも、見て五猿』

境内の一部の石畳タイルを歩くと、ふんわりと感触が良かった。
おかしいな?と思うと、横に「四国八十八ヶ所霊場お砂踏み 石畳の下にお砂が入っています」と書かれていた。

集合墓塔内を覗くと、引き出しが左右奥に並び、それぞれの引き出しに名字が書かれていた。
墓石や墓所を購入せず、このような方法で先祖のお骨を供養されているようです。
これなら子孫が先祖を感じながら参ることが出来ますね。

須磨寺からまっすぐ海に向かって下り、山陽電車を渡って下っていき、2:26「綱敷天満宮」到着。
菅原道真が、藤原氏の陰謀により大宰府に左遷された道中、この浜に上がった。
漁師が網を円座にして道真を接待した故事により、この名がついた。

20161016KobeS256s.jpg 「祖霊舎・奥津城」の案内板が出ていた。
神式のお墓の案内ですね。
神式の墓石は先が尖り、「奥津城」と刻まれていることもある。

我が家は仏式だが、葬儀一式は神式やキリスト教式の方が、圧倒的に安くあがる。
従兄弟にいろいろ調べて、神式に衣替えすると言ってた者がいる。
家内の実家は、女の子2人だったので継ぐ者がいない。
義理兄が、家内の実家の仏式墓の隣に、兄の実家の神式のお墓を移すと言っている。
姉夫婦は、どちらに入るのだろう?

家内と結婚してしばらくした頃、姉夫婦が転勤族だったので、姉夫婦が墓守しないなら、僕ら夫婦で家内実家の墓も墓守しようと考えていた。
幸い、姉夫婦は家内の実家から援助を得て、実家近くで開業したので、その心配はなくなったが、先祖の供養・自分たちの行く末は、その時以前から、考えておかなければならない。

立派な社務所があり、子供向けの童謡が境内に流れている。
本殿に向かうと、初宮参りと思われる一家がおられた。
20161016KobeS259s.jpg ご夫婦と青い着物を羽織った子、両親の親御さん揃い踏みで、僕らと同じような年齢のご夫婦が2組。

1週間前に、次男の初めての子のお宮参りをした後なので、本殿をバックに笑顔で写真を撮っている様子を、微笑ましく見ていた。
すると、「すみません」と声がかかり、僕がご家族全員集合写真を撮ることになった。
「おめでとうございます」

綺麗な三重塔が建ち、気持の良い天満宮です。
無料貸衣装があり、社務所内に写真スタジオまであるようです。
全国1万社の天満宮内の25霊社の1つと由緒も歴史もあるお宮ですが、宮司さんの経営力も素晴らしそうだ。

20161016KobeS262s.jpg 本殿横に、「波乗り祈願」と書かれたサーフボードを持った道真さん像があった。
大きな波は立たないが、須磨もサーフィン野郎淑女が集まる浜なので、それを狙っているのかも。
敷石にもサーフィン型のがあったし、珍しい。

20161016KobeS265s.jpg 家内が熱心に絵馬掛けを見ている。
学問の神様だけあって、「・・合格」の祈願が並んでいる。
僕は美作菅家党の血を引くので、天神社・天満宮と名がつく神社を見かけると、寄り道したくなっちゃう。
先祖を祀るお宮に、手を合わせたくなっちゃう。
僕が今こうして幸せに生きていけるのも、先祖あってこそです。

20161016KobeS269s.jpg 母子像が立っていた。
『「ひさかたの月の桂も折るばかり、家の風をも吹かせてしがな」 菅原道真公が15才の元服の時、母君が贈った歌とされる。あなたも早く試験に合格して立派な官吏になれよと、我が子への励ましの歌です。菅公の母君に関する物的史実はほとんど残っていません。お姿・お名前も不明で、いつ・どこで出生したかも定かではありません。「家風」という言葉を最初に歌った方
で、大伴家持などを輩出した伴家の出身ということだけわかっています。しかし、夫に尽くし、優しく、我が子を可愛がりながらも、単なる教育ママでない厳しさと賢さを兼ね備えた女性だったという言い伝えが残っています』

生活費から割いて僕に普通に学問を付けてくれた親に感謝だし、僕らも息子たちの学費はケチらなかった。
母親の実家はお金持ちだったが、「女の子に学問は必要ない」時代にも関わらず、女学校・大学まで通わせてもらっている。
家内の母親も大卒なので、子供の教育第一の平安時代文章博士などを生業にしていた菅原家の血が、これからも続くことを願いたい。

10/16・須磨寺

一旦R2まで下り、西進して須磨まで来ました。
交差点の「須磨寺」の道標を見つけ、左折して内陸の方に入ります。

11:30「須磨寺」
集合墓塔内で、僧侶がお経を上げています。
遺族だろう喪服の方もいます。
門前に「正覚寺」というお寺があり、愛染明王が本尊です。
真言密教本尊・大日如来を守る明王の1つで、煩悩・愛欲を断つのを助けます。

『須磨寺 真言宗・須磨寺派大本山。奈良時代758年、和田岬で見つかった観音様を会下山に安置し、平安初期886年、聞鏡上人が勅命により堂塔を営み、福祥寺と名付けたのが須磨寺の起源。その後兵火により荒廃したのを、1155年源頼政が再興し、慶長年間の大地震で荒廃した時は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて、1602年修復した。江戸時代朱印16石、明治以降寺有地2万坪を遊園地として開放し、桜の名所として市民に親しまれてきた。源平合戦に因む宝物も多数あります』

山本周五郎の出世作・「須磨寺付近」の碑が立っている。
山本周五郎は、「樅ノ木は残った」などの歴史小説は読んだことがあるが、この書は知らなかった。

20161016KobeS164s.jpg 境内に入ると、覆屋の下に大岩が置かれ、中央に獨鈷が置いてある。
真言宗の開祖・弘法大師空海は、中国留学し密教の7世祖に師事し、密教皆伝を得た。
その時獨鈷を授かり、それを持って日本に帰ろうとしたところ、「獨鈷の門外流出」を避けようと、密教の弟子たちが襲ってきた。
そこで空海は、「有縁の地に届け」と、獨鈷を空高く投げた。
「その獨鈷を空海はここで見つけた」という伝説が、日本各地に残る。
それを表しているのだろう。

20161016KobeS165s.jpg 玉眼の入った龍の素晴らしい彫刻が施された蟇股や木鼻。
20161016KobeS171s.jpg 横には「源平の庭」という屋外作品があり、一の谷敗戦で海に入り落ちていこうとする敦盛に向かって、「逃げるとは卑怯なり、戻せ」と叫ぶ熊谷次郎直実のシーンが像で再現されている。

開放的な宝物館に入ってみる。
20161016KobeS177s.jpg 敦盛と直実の文楽人形が飾ってある。
20161016KobeS179s.jpg 正面中央に、「青葉の笛」があった。
笛の名手・敦盛の愛器です。
「えっ、本物?国宝じゃないの?こんな無防備でいいの?」ってビックリした。

こんなに開放的なところに置いてあるとは・・・僕的には、かなりの値打ち物なんだけど、国宝とも重文とも書かれていないところを見ると、偽物なのかな? 本物の青葉の笛なら平安時代制作なのに、世間的にはこの程度の値打ちなのかな?

「福祥寺」の扁額がある。
これも値打ちがあるように思うが・・・。
20161016KobeS184s.jpg 敦盛釣燈籠。
「赤旗名号」・・・自分の息子とほぼ同じ年齢の敦盛の首を討った心の痛みから出家した熊谷次郎直実が、浄土宗法然に乞うて、平家の菩提を弔うために、平家の赤旗に「南無阿弥陀仏」と書いて頂いたもの・・・これも値打ち物でしょう。

20161016KobeS192s.jpg 弁慶鐘という小ぶりの鐘があった。
三井寺にも大力・弁慶が引きずったという大きな鐘が遺っていたが、この鐘も弁慶が「鵯越の逆落とし」を担いで下り、陣鐘として使用したという。

「須磨寺小石人形舎」に入ってみる。
小石に顔を付けた人形が船に乗ったりしている。
20161016KobeS196s.jpg ボタンを押すと、それらが動き、「鵯越の逆落とし」に始まる合戦の様子を再現している。
20161016KobeS198s.jpg 敦盛が笛を吹いている。

「壇ノ浦哀話」という題名のは、清盛の妻・二位の局と安徳天皇の入水の様子が、小石人形で表現されている。
「福原京の華やぎ」では、好色・平清盛が女官を数名配している。
20161016KobeS204s.jpg 清盛の好色に出家の道を選んだ祇王・祇女・母の老婆の作品もある。
秋色に染まった紅葉の奥の東屋に建礼門院がいる。
安徳天皇の母・清盛の娘・建礼門院徳子が、大原の里で平家の菩提を弔う姿を表している。

「常盤御前雪の別れ」は、御前の前に3人の幼子がいる。
源氏の御曹司・源義朝の側室になり、3人の男子を産む。
義朝が平治の乱で清盛に破れ、京を落ちてゆく時の別れを表現しているのだろう。
「安宅の関」では、中央に関守・富樫十郎左衛門、左右に無細胞弁慶と源義経が配され、歌舞伎の十八番「勧進帳」の場面が再現されている。
歴史好きの僕にはたまらない名場面ばかりで、とても楽しめました。

20161016KobeS214s.jpg 香炉に桜の家紋が描かれていました。
桜の名所だから、桜を家紋にしたのでしょうか?
本堂に上がると、千手観世音菩薩と柱に書かれているので、本尊のようです。
正面の門が閉じられ、お姿を拝むことは出来ませんでした。

20161016KobeS225s.jpg 錦鯉が泳ぐ「敦盛卿首洗池」があり、その向こうに、朽ち果て倒れた「義経卿腰掛松」が覆屋の下に置いてあります。
松に腰掛け、敦盛の首実検をしたそうです。

20161016KobeS230s.jpg 新築の朱色が眩しい三重塔がある。
手前に「出世稲荷」があり、福原遷都時、清盛が都の守護として湊川の辺りに奉安したとのこと。
20161016KobeS232s.jpg 以降、出世稲荷として港都最大の稲荷社として栄えて来たが、明治中期湊川改修に際し、平家に縁のある当山に遷座したとのこと。
息子・孫達の出世を祈願してチャリン。


10/16・神戸須磨浦公園塩屋・潮音寺磨崖仏・一の谷安徳天皇内裏跡

R2に出て、神戸に向かって東進すると、次の駅が「須磨浦公園」です。
その手前に、大きな五輪塔を発見し、緊急停止。

9:38「敦盛塚」
20161016KobeS073s.jpg 源平の戦い・一の谷決戦に敗れた平家の若武者・平敦盛と、その首をあげた功績と、我が子とさほど変わらない幼武者の首を取らないといけない武者の無常を感じ、出家してしまった熊谷次郎直実の苦悩・・・。
そんな物語が脳裏に浮かび、家内に話します。
こんな歴史話を、興味深く聞いてくれるのは家内だけです。

謂れ板によると、中世の五輪塔としては、石清水八幡宮に次ぎ、全国2位の大きさだそうです。
高さ397cm。
『この付近は、源平一の谷合戦場として知られ、1184年2月7日、当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、その供養のために建立した塔という伝説から「敦盛塚」と呼ばれるようになった。鎌倉幕府の執権・北条貞時が一門の冥福を祈って、1278~1288に建立したなどの諸説ある』

横に「敦盛そば」というお店がありましたが、休業中のようです。
謡曲「敦盛」は、織田信長の十八番で、「敦盛」を舞って、桶狭間決戦に出発する場面は有名です。
「人間五十年、化天]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり・・・」は、その中でも特に有です。
小学生時代、身体が弱かっ羅僕は、享年49で明智光秀に破れ散った信長の年齢を超えるとが目標でした。

少し進み、9:47「須磨浦公園駅」
ケーブルカーが10時始発のようなので、乗ってみることにしました。
ロープウェイ片道450円、ロープウェイ・カーレーター・リフト往復1800円。
山陽・須磨浦公園駅舎上階に、ロープウェイ駅があります。
孫と3世代で遊ぶ場所候補下見として、ロープウェイに乗って須磨浦公園山上へ。

20161016KobeS085s.jpg ロープウェイが高度を増すと、海釣り公園が見えてきます。
20161016KobeS086s.jpg 須磨海水浴場・須磨水族館・須磨ヨットハーバーが見えてくる。
須磨から神戸への海岸線が見え、神戸空港も見える。
車内は満員で子供さん連れが多い。

10:04、ロープウェイ山上駅。
たった数分の空中散歩だけど、景色が良くて楽しい。
20161016KobeS092s.jpg 世界でたったひとつしかないというカーレーターで、山頂の展望台にも上がれますが、カーレーター上の展望台で十分満足です。
20161016KobeS094s.jpg 須磨・神戸とは逆の西の明石が見え、明石海峡大橋・淡路島も見える。

10:17、階段遊歩道で下山しましょう。
20161016KobeS099s.jpg 須磨浦公園駅は、六甲全山縦走路の起点で、宝塚までつながっている。
トレッキングスタイルの方が、続々と登ってくる。
すれ違う度に、「こんにちは」。
20161016KobeS103s.jpg 白いきのこがニョキニョキと地表に現れている。

20161016KobeS126s.jpg 10:55、駅まで下りてきました。
20161016KobeS127s.jpg 駅前に、「TOOTH TOOTH Seaside Cafe」があります。
神戸・旧居留地にあるお店と同じ名前だ。
一の谷合戦時の「安徳天皇内裏跡」に向かって、坂道を登りだすと、「一の谷不動尊」がありました。

「磨崖仏」と書いてあるので、見学。
「潮音寺」という海に近いこの場所を表すような寺名です。
源平合戦で有名な「鵯越の逆落とし」の麓にあり、平家ゆかりの須磨寺の末寺とのこと。
磨崖仏の不動明王は、それほど風化が進んでおらず、綺麗なお姿で望めた。
真言宗などの密教や修験道が信仰する大日如来の化身であり、大日如来を守護する明王のトップ・不動明王ゆえ、ずっと信仰を集めていたのだろう。
20161016KobeS132s.jpg 覆屋に守られ、風雨を凌ぐように大切にされていた。

20161016KobeS142s.jpg 四輪でのすれ違いが微妙に困難な急坂を登り、11:16「安徳天皇・内裏跡」
歴史好きだろうお父さんが、熱心に謂れ板を読んでいた。
何故か、「皇女・和宮像」があった。

20161016KobeS141s.jpg 謂れ板を読むと、幕末に公武合体を表すため、皇女和宮は有栖川熾仁(たるひと)親王との婚約を破棄し、14代将軍・徳川家茂に嫁いだ。
その後、有栖川熾仁親王を総司令官に担いだ薩長を中心にした官軍が、江戸に迫り、皇女和宮は、「国と民のためならば、身は武蔵野の露と消ゆとも」と身を挺して和平を嘆願し、江戸の町を戦火から救った。
昭和に入り、小学校に二宮尊徳像を寄付した中村直吉氏は、神戸の3女学校に「皇女和宮像」を贈った。
その一体だそうです。
安徳天皇を祀る祠「安徳宮」があった。

平家にとって、最も大きな後ろ盾は、この幼帝・安徳天皇。
安徳天皇がこちらにある限り、こちらが官軍で、陰に陽に庶民の支援がある。
故に最も安全な、戦闘から遠い場所に匿うはずです。
南の須磨の浜の高台に位置し、浜は狭く向背に山が迫る。
神戸から明石の間にある須磨の海岸線は山が迫り、白河法皇をバックに京から攻め下ってくる源氏軍は、海岸線を西宮から西進してくるラインと、丹波から明石に出て、同じく浜を東進してくるラインの東西が防衛ラインになる。

ここへの道も、前輪が浮いてしまいそうな急坂だったが、その後は山が迫り、天然の要害に見える。
東西の防衛戦の中央部にあるこの内裏に近い鵯越はじめ数ヶ所のノーマークの北から駆け下りてきた義経軍各部隊に、平家軍は防衛戦の後を突かれ、大混乱しただろう。

安徳天皇を源氏に奪われたら、官軍の体を成さなくなる。
左右防衛戦の中央部の部隊は、安徳帝を抱えて、一目散に平家海軍の船に退避しただろう。
東西両部隊は、中央の連絡を分断され、多勢であったのに、海へ敗走せざる負えなかった。
そんな一の谷合戦の流れが、地形を見ながら想像できた。

10/16・NHK朝ドラ「べっぴんさん」ロケ地・異人館 神戸塩屋・ジェームス邸

土曜日は上天気でしたが、日曜日は下り坂。
天気予報では、「夕方から曇り空ながら雨が降るかも?」という予報です。
日曜日は家内も用事がないので、家内のリクエストに答え「朝ドラ・べっぴんさん・ロケ地巡り」デートをしました。

機動力抜群・駐車場問題ナッシングな「通勤リード110」タンデムします。
7時に自宅を出発し、R171を南西に走り、7:30頃JR西宮駅で家内を下ろします。
8:30JR塩屋駅海側出口で待ち合わせを決め、西進します。
R43に出て神戸からR2で西へ西へ。
須磨水族館を過ぎると、左に海が見えだし、気持ちの良い海岸道路になります。

R2にJR塩屋駅が面していました。
予想通り電車のほうが速く、家内が駅周辺案内板を見ながら待っていました。
家内をピックアップし、R2を少し西に走り、べっぴんさんの主人公「すみれちゃん」が戦前に住んだ家のロケ地「ジェームス邸」を目指します。
適当な交差点で右折し、電車の高架トンネルを抜け、山側に入ります。

丘陵地が海岸に迫った地形なので、いきなり坂です。
ナビに目的地をプロットしてるので、それを見ながら適当に曲がっていき、8:43「ジェームス邸」到着。

「JAMES-TEI」の表札が門柱に埋め込まれています。
門扉が開いており、中を覗くとクラシカルな車が停まっている。
従業員さんだろうか、道を隔てた駐車場の方からやってきて、僕らに会釈しながら入っていった。
レストラン・ガーデン結婚式場として営業しているのは下調べ済みなので、入ってみる。

神戸市消防局名で、「喫煙・危険物の持ち込み禁止」立て札が立っている。
落ち着いた洋館の一部が、木々の切れ間から見える。
20161016KobeS010s.jpg 主人公・すみれが出入りするシーンに使われていた玄関が見える。
ウィリアム・ヴォーリス設計建築の僕の母校中学校とにた雰囲気で、共感が持てる。

邸内を覗くと、クロークがあり女性が電話応対中でした。レストランのパンフレットでも頂こうかと思ったのですが、後回しにして玄関脇から海側のお庭を拝見する。

20161016KobeS018s.jpg ドラマでお馴染みの全面芝生の広がりが海に向かっている。
その向こうに海が広がり、素晴らしい。
20161016KobeS015s.jpg お庭の一角に全面ガラス張りの現代風の建物があり、中で女性が作業をしている。
椅子が並んでいるので、ガーデン結婚式で使うチャペルなのかもしれない。

次男も結婚式で東京白金台・八芳園のガーデン披露宴をしたけど、参列者だけのプライベートスペースが庭に広がり、ナイスな体験をしました。
旧薩摩藩邸のお庭を見下ろすロケーションだったけど、こちらは前面に海が広がり、ロケーションは最高です。

次男も長男同様450万ほど結婚式に掛けたけど、東京と神戸の需要を比較すると、こちらの方が安くて済みそう。
親父の葬式もおふくろのも450万かかったので、結婚式と葬式が、人生最大の大名浪費なように思います。
たった1日で、家や車のように物も残らない。
感動・想い出は、プライスレス・・・

まあ、葬式は「香典ご遠慮」なので持ち出しだけど、結婚式はご祝儀でかなり元が取れるんだけどね。
大学卒業後2年で結婚した僕は、お金がなくて100万円の予算で貧乏結婚式をしました。
新婚旅行のお金は、親にカンパしてもらった。
これで貯金スッカラカンからの新婚生活だと思っていたら、ご祝儀というものがあることを知らず、100万以上集まって、決算したら新婚旅行代を含め黒字になってしまった。
「このビジネスは儲かるわ、もう一回やろう」と家内に言ったら怒られた。
息子たちも、100万ぐらいの赤字と言ってた。
100名×3万が最低線で、社長や親戚などは10万とか20万の人もいるから、そういう計算が成り立つ。

「結婚式・レストラン利用者以外の無断立ち入りは、ご遠慮ください」の札が下がり、ドラマの庭から見るジェームス邸は見れなかったけど、木々の合間から見えるお庭と海だけでも、感動しちゃいました。

20161016KobeS020s.jpg 再び邸内に入ると、今度は誰もいません。
仕方なく出ようとするとクロークのお姉さんが出てこられ、「いつもなら見学していただけるのですが、本日は結婚式があり・・・。レストランは予約が必要で、ドラマの影響で人気が上がり、ランチは直近で12月のご案内になります。平日のディナーなら・・・」なんてお話をしてくれました。
20161016KobeS031s.jpg パンフレットを頂きました。

20161016KobeS035s.jpg 周囲をぶらぶら歩き、バイクに乗って坂を降ろうとしたら、ジェームス邸駐車場からの邸の景色を写したくて、サイドスタンドを出して駐輪しました。
20161016KobeS038s.jpg ここで、やっちゃいました・・・
僕が降りると、前下がりが急過ぎたようで、バイクが前に動き倒れてしまいました。
それはまあいいのですが、後ろに乗ってた家内が降りる前に倒れたので、「足が挟まった、早く起こして」との声が・・・
慌てて起こし大惨事は免れましたが、僕の不注意からかわいそうなことをしてしまった。
「ちょっと痛いけど、歩けるし大丈夫」
とのことで、胸を撫で下ろしました。
「ごめんなさい」

20161016KobeS040s.jpg 一旦R2に下り、ここを通る度に気になっていた塩屋駅山側の洋館に寄るために、再び適当に山側に入り、何軒か、素敵な建物を写真に収めます。
20161016KobeS048s.jpg 20161016KobeS051s.jpg 一旦下り、JRに山側に隣接する「山陽電車・塩屋駅」山側の道へ。

20161016KobeS053s.jpg 改札口前を通過し、R2との交差点手前でバイクを停めます。
山陽電車線路山側すぐにある洋館を写真に収めてようと踏切に向かうと、一眼レフを下げた鉄ちゃん中学生がいる。
カンコンカンコン・・・踏切は列車通過のためクローズ。
鉄ちゃん中学生とともに、カメラを通過列車に向けちゃいました。
播州で生まれ育った家内は、大学時代、この線路を使って母校に通いました。

20161016KobeS055s.jpg 歩行者オンリーの小さな踏切を渡り、渡ってすぐの洋館を見に行くと、門脇に刑掲示板があり「旧グッゲンハイム邸」とのことでした。
第3水曜日が邸内見学会だそうです。
催し物会場にレンタルしているようで、「カルメンマキ・コンサート」など書かれていました。
懐かしいな、僕らより年上だったように思うけど、まだ歌ってるんだ・・・。
暗く悲しい歌を歌っていたような・・・。

20161016KobeS060s.jpg 門の前には、「Welcome to our party」のウェルカムボードが置かれています。
レンタルしているようです。
20161016KobeS061s.jpg 駅からの足の便も良く、素敵なレンタルハウスです。


朝ドラの戦争が、サラッと通過

NHK朝ドラを見てから出勤するのが、僕ら夫婦の定番です。
「べっぴんさん」も楽しく見ています。
日曜日には、「べっぴんさんロケ地・神戸異人館巡り」もしました。

太平洋戦争のシーンが先週終わり、今週頭に主人公・スミレちゃんのお姉さんの旦那が復員しました。
スミレちゃんの旦那さんも復員すると、家内に予想を披露しています。
なぜかというと、よく見る俳優さんだから。
すぐ死んじゃうような役柄に、ギャラの高い俳優さんは使わないだろうという下衆の勘繰りです。

今回は、戦争中の展開がサラッと終わり、夫婦で良かったねと話しました。
赤紙がやってきた時の反応の定番は、「嫌だな、もう僕は死ぬ」「息子を戦争に取られて悲惨だ」です。

これに僕は、いつも違和感を感じます。
赤紙・出征・ボルネオ島での戦争・復員を経験した親父の話だと、戦争に征くのは国を守る男の本懐だと思っていたので、赤紙をもらって「よし、やってやるぞ」と燃えたという。
「これで僕の人生は終わりだ」と思っておらず、いずれ戻ってくると思っていた。

ボルネオ島で敗戦した時は、仲間と悔し泣きした。
このまま武装解除され、おめおめと敗残兵として日本に帰っても、親に合わす顔がないと思った。
そこで、仲間と話し合い、大東亜共栄圏実現のため、現地軍に合流し、いずれ戻ってくる白人部隊と戦闘し、独立に協力し、故国に錦を飾ろうと決したこと。
部隊からの離脱直前に、その動きを察知され、上官に説得され、武器を置き復員した。
多くの日本兵が、部隊から離脱し、現地軍に合流した。
敗戦したので、何を言っても「負け犬の遠吠え」だけど、当時の日本人は、肌の色に関係なく、独立して白人に搾取されない世界を目指していた。
第一次世界大戦直後の国際連盟で日本が発表した、「人種的差別撤廃提案」を実現しようとしていたように行動していたように思えてならない。
僕は、自分の親父や当時の先輩たちの考え方を否定できない。

そんな生の声を聞いているので、ドラマでの一様な「戦争=悪」の描かれ方は、アジアの独立国が、タイと日本しか残っていなかった当時の現状から見ても、違う気がしてならない。
虎視眈々と、白人国家が、全ての有色人種の植民地化を狙っていた時代背景が、描かれていないような気がする。
大東亜戦争の結果を知っている現在の私達から見た、結果論的ドラマ構成のような気がする。

戦後70年経って、現在日本の置かれている立場を、僕なりに客観的考察しても、白人国家特に太平洋を挟んで対峙するアメリカが最も恐れているのは、日本であると感じる。
日本を貶める「慰安婦問題」や「南京20万人虐殺」の真実を知っているのは、戦後調査したアメリカ自身です。
その問題の急先鋒は、日本国内の共産主義者系弁護士で、陰に陽に巨大な力を持っているアメリカは、日本と同盟国と言いながら、何も真実を表に出さず、日本が統一しない姿のままにしている。

IAEAという国際原子力機関は、国際的な核の平和利用推進機関だが、軍事的核の規制機関でもある。
その対象は何処かというと、資力や査察の30~40%が日本に向けられているのだから、主対象は日本国です。
つまり、日本の核兵器開発を阻止する機関と言ってもいい。
技術力があり、経済力があるのに加え、唯一の核兵器を落とされた国なので、普通に考えればアメリカに核で報復しても、一応言い分が立つから。

教育勅語を読むと、実に当たり前のことが書かれている。
両親を大切にし、仲間と助け合い、世界の平和と発展に寄与しよう。
そのためには、しっかり勉強しなければならないと。
進んで公のために働き、義と勇気を持って国歌のために働き皇国の運命を切り開こう。

戦前の「修身」の教科書も、1~6年生まで読みましたが、立派に生きた先輩のことが書かれており、外国人も取り上げられている。
国語・理科・算数・社会という基礎知識も必要だが、それをどう使うか、なんのために使うかの道徳教育が、戦前に比べとても見劣りするように思う。

その辺の微妙なアメリカの日本封じ込めの考え方が、日本のドラマにまで影響し、当時の本当の日本人の思考の姿を隠しているように見える。

いずれにしても、その辺をひつこく描かず、サラリと通り過ぎたので良かった。

長男夫婦の結婚式を思い出した

昨日・10/16(日)、朝ドラ「べっぴんさん」ロケ地巡りをしました。
主人公・すみれが育った家のロケ地「塩屋・ジェームス邸」を訪問したら、現在レストラン・ガーデン結婚式場として営業しており、息子たちの結婚式を思い出しました。

以前、TVチャンネルをカチャカチャ変更していたら、映画「レインツリーの国」を観てファンになった西内まりあさんのドラマをやってて、見てしまいました。

新米ホテルコンシェルジュ役で、「綺麗で魅力的な人だなあ」と西内さんを追いかけていたら、なんだか見覚えのある緩やかに螺旋する階段が・・・。
020s.jpg レインボーブリッジが見えるチャペルが登場し、「あ~、ホテル日航東京」だとロケ地がわかりました。

041s.jpg 047s.jpg 055s.jpg 長男夫婦が結婚式を挙げたホテルで、チャペルに入った時、正面にレインボーブリッジが借景されて、素敵な空間でした。
027s.jpg 台風の影響で、雨が降っていたけど、ホテルからチャペルまでの20mほどの屋外を、お嫁さんがすごく大きな白い傘に守られながら入ってきた光景が忘れられません。

晴れていたら、チャペル周囲のプライベート空間で、ライスシャワーなどがあったのかもしれないけど、あの大きな白い傘は雨の日だけだろうから、それが見れてラッキーでした。

20101030YukiWed007s.jpg 緩やかなら旋回階段は、長男夫婦が記念写真を撮った階段だったような・・・記憶が蘇ります。
式の前、弟一家と入ったレストランからもレインボーブリッジが見えており、同じ席がロケに使われているのではないかな?

とても気に入り、この民放ドラマは、毎回見ようと思ってたのに、忘れてしまって数回しか見なかった。
見知った所がロケ地になると、それだけで嬉しいものです。

10/12・嫡孫くん・プリスクール

先月家族で渡米した長男一家の長男・りょうくん・3才が、第一志望のプリスクールにトライアル入園してきたそうです。
最初シクシクしていたけど、慣れて楽しんだようです。

言葉が通じる子が誰もいないのと、クラスの殆どが女の子だったのが引っかかり、同系列の違う幼稚園に通うことに決めたそうです。
どうやら渡米後、いろんな幼稚園に体験入園してたようです。

決めた幼稚園・Preschoolは、男女比が同じぐらいということと、室内ジム完備で遊ぶ環境が良いことが決め手になったようです。
そして同じ年齢かどうか知りませんが、日本人の子が2人いるそうです。
早く慣れてくれたらいいなと、お嫁さんからのメールにありました。

日本人がいるなんてことは、重要な問題ではありません。
僕は小中学生のジュニアヨット選手を連れて国際レースに参戦したことがあり、息子も別の国際大会に出場したことがありますが、子供達を見て感じるのは、「すぐに慣れちゃう」ということ。
大人は、言葉でのコミュニケーションを重視しますが、年齢が下がれば、言葉よりボディーアクションであり、表情です。

息子が南米選手権に遠征した時は、監督さんがあえて日本人選手3人をバラバラにして、別の海外チームの練習に1人ずつ入れて、レース前の数日間過ごさせてくれました。
春休みの遠征だったから、レース前に5日ほど練習する時間があったので、毎日別のチームに入れたそうです。
その結果、帰国後、アルゼンチンとイギリスの女の子との文通が始まりました。
中学生なのに、ダンスタイムでペアになり一緒に踊った子だそうで、我が息子ながらなかなかやるなと思いました。
僕もいいなと思った子には声を掛ける方なので、きっと当たって砕けろ作戦で行動したと思います。

言葉なんて通じなくても、喋れないチビさんが近づいてじゃれ合うように、お互いに感じるものがあい近づきます。
「集団で育つ」という人間の本質がそうさせるのだと思います。
言葉なんて、あまり関係ありません。
叫んで行動すれば、相手に通じるものです。

ただし、男の子と女の子では、興味を示すものの種類が違うので、男の子が少ない環境というのは、男を磨けないと思います。
僕も幼稚園や小学生低学年で、近所の女の子に呼ばれて、おままごとのお父さん役などをしましたが、実につまらなかった。
やがて、男の子と群れ、やんちゃな遊びをするようになりました。

お嫁さんの選択も、言葉より環境だったようで、女の子が多いのがネックだったようです。
IMG_4841s.jpg体験入園で撮ったであろう写真を見ると、かぼちゃを収穫・ペイントし、収穫祭・ハロウィンの準備をしたようです。
IMG_4842s.jpg御飯の時間も笑顔で、心配なさそうです。
お嫁さんからの報告では、体験入園中は、一緒にいなかったようで、りょうくんは親抜きで、先生とみんなの中に入り楽しんだようです。
日本での定番・ピースサインをしていますが、アメリカ人もするのだろうか?しないよね。

体験入学でも親を離し、園での様子を写真に写して親に渡すのは、如何にもアメリカ的だなと思いました。
A4用紙に数枚の写真が印刷されているので、システムとしてやっているようです。
初対面の外国人の中なのに、先生のカメラに向かって、いつもの笑顔を見せられるりょうくんは、なかなか頼もしいです。
僕は、幼稚園入学が4才でしたが、もっと泣いていたように思います。

IMG_4839s.jpg 入園するプリスクールの玄関横に、映画に出てくるような黄色いスクールバスが停まっており、これに乗って通園するのでしょう。
グーグル地図を見ると、自宅から3kmほどの距離で、日本なら自転車通園できる距離です。
ストリートビューを見ると、街路樹の植わる生活道路に面した1階建ての建物でした。
周囲に緑が多く、ここも環境が良さそう。

家族写真も添付されており、長男は、ネル地の柔らかであたたかそうな洋服を着ていました。
子供たちもみな長袖で、大阪より気温は低そうです。
プリンストンの気候を調べると、年間降水量は大阪とほぼ同じなので、新潟や福島県ぐらいの気候でしょう。

長男の洋服の胸には、「A&F NY 1892」とプリントされており、アメリカのカジュアルファッション・「アバクロンビー&フィッチ」ブランドのようです。
夫婦揃ってここのブランドが好きで、結婚する前、お嫁さんからの父の日プレゼントにこの会社のブランドの1つ「ホリスター」の服を貰ったことがあります。
お嫁さんの話では、店員さんがスタイルの良いイケメン・マッチョの若い男性で、話題にもなり、売上も伸ばしているようです。

いずれにしても、新しい長男一家のアメリカ東海岸生活が始まりました。
単身赴任してからの半年、長男はアメリカ国内を巡ったり、南米マチュピチュ旅行したり、気ままに過ごしていましたが、これからは家族と一緒に行動です。
IMG_4827s.jpg 食糧事情からか、夏には少し痩せていた長男ですが、食生活と家庭生活をバランス良く支えてくれるお嫁さんと、仕事への意欲と生活に活力を与えてくれる子供たちを得て、鬼に金棒で頑張るでしょう。
僕も、家内と子供たちから、いっぱい力をもらいました。

10/10・ヨット試乗会

14:00、瑞ヶ池のジュニアヨットクラブに寄ります。
ここは、僕が大学時代の国体出場時の伊丹市激励会に呼ばれた時、市長から伊丹市の溜池を使って子供にヨットを教えれないかと打診され、伊丹市在住の母校大学ヨット部先輩たちと作ったクラブです。
そこに次男が入部し、大学まで競技ヨットを楽しみました。

体育の日のイベントで、クラブが「ヨット試乗会」を開催しています。
お嫁さんに、次男がヨットを始めた場所を見せようとやってきました。

ライフジャケットを着れば桟橋に入れるというので、2人は桟橋に降りていきます。
次男が戻ってきて、「ちょっとOPに乗るわ」
ムービーを撮ろうと、僕もライフジャケットを借りて、桟橋に降ります。

20161010MiyaS092s.jpg 4~5m/sの良い風が吹いており、次男は桟橋から離れて、気持ちよく走っていきます。
既知のNさんが来られ、「この人がこのクラブを作ったんですよ。息子さんはこのクラブのOBで、海外遠征もしています」と紹介され、現役ヨット部員の親御さん達に驚かれます。
「大きいのが戻ってくるので、家族で乗ってくださいよ」と言われたので、その言葉に甘えます。

次男が桟橋に近づいてきたので、大きいのに乗り換えます。
20161010MiyaS097s.jpg 僕ら家族の他に、お客さんの夫婦1組・小学生女の子1人・部員お父さん1人が乗り込み、次男がスキッパーをして桟橋を離れます。
ブローにも腰が強いヨットで、ヒールが敏感ではなく、素人が怖がらず乗れます。
スミレちゃんは、0才にしてヨットデビューを果たしました。
お嫁さんは、ブローが入りグッとスピードが増すと、「うわ~すご~い」と少し怖がっています。

タックやジャイブをして、クラブ員を追いかけてマーク回航などしていると、クラブ員を指導しているゴムボートが寄ってきて、既知のKさんが乗っていました。
「あれ~Kさんじゃないですか、Tです」と次男が声を掛けます。
次男の結婚式にも参列してくれたこのヨットクラブで小3から同期のKくんパパです。
高校ヨット部でも一緒でした。

当時は、全国色んなとこにKさん親子と一緒に遠征しました。先月も、Kくんと東京で会ってたそうです。
もう腐れ縁です
お嫁さんも何度も会ってるKくんのパパなので、こんなところで会えるなんてと驚いて
います。

20161010MiyaS106s.jpg 桟橋に戻ると、Kさんも上がってきて、部員を集合させ、次男に喋らせました。
「大学卒業後もヨットを続けてね」など喋ったようです。
家族でヨットに乗れるラッキー、Nさん・Kさんにも会えてラッキーでした。
ヨット試乗会に寄って良かった。
Nさんは、教育委員会勤務から、息子たちが通った瑞穂小学校勤務になり、この池の最寄りなので、部員数を大きく伸ばしているそうです。

自宅に戻り、帰り支度です。
15:10頃、大きなスーツケースをゴロゴロしながら出てきて、車に積みます。
R171~中央縦貫~千里中央から新御堂筋を南下し、13:45新大阪駅で次男一家を降ろしました。

次男一家と過ごしたこの3日間で、2つ気付いたことがあります。
その1。
お嫁さんのブラウスが、授乳用であるらしいこと。
3年前、長男に最初の子が生まれた時、お嫁さんが授乳する時、僕らの目の届かないところに移動していました。
でも慣れてくると、特に隠れることもなくおっぱいをあげるようになりました。
この方法が、授乳隠し用ケープ(散髪屋さんで使うようなもの)を首からかぶり、おっぱいが見えないようにして、その下でおっぱいを飲ませていた。
僕らが子育てしてた時はこんなのはなかったように思います。
なるほどと、夫婦で感心しました。

2人目の子の時は、三日月型クッションをお腹にセットし、クッションの上に赤ちゃんを乗せ、お母さんが抱えなくても赤ちゃんの口の位置を高くなるので、楽チンで飲ませ
ています。

そして今回、次男のお嫁さんのブラウスは、鎖骨の下から長いフリルが、バストを隠すように下がっています。
その下がどうなっているのか想像するだけですが、ファスナーとかボタンとかで開けられるようになっているんじゃないのかな?と思います。
車の3列目シートに座り、上手におっぱいを飲ませていました。
授乳隠し用ケープを被ってる感じがしません。

家内は、目隠し場所に移動し、衣類を捲し上げて授乳していたように記憶しているので、隔世の感があります。
実に簡単なことですが、アイデアですね。

帰宅して、あれやこれや・・・大河ドラマを見て、寝てしまいました。
楽しい週末になりました。

10/10・墓参り & 六甲山

家を9時に出発します。
メニューは、「我が家のお墓参り」です。
墓参り好き一家なので、次男にはどうしても墓参りは外せないメニューです。

阪急山本駅~長尾山トンネル~r325~r33~r319~r12の定番ルートで、10:11お墓着。
我が家のある区画は、娘と同じ名の「すみれ」なので、お嫁さんが驚いています。
あまりない名前だと思っていたのに、朝ドラ主人公名が「すみれ」で、今年は「スミレちゃん」が増えそうです。
でも次男が考えた漢字の組み合わせはないでしょう。

20161010MiyaS086s.jpg 次男夫婦は、革靴とヒールという初お宮参りターゲットのフォーマルな靴を履いてきたので、貸した靴を履いています。
お嫁さんはソフトジーンズになっています。
ジーンズ姿は初めてかも・・・なかなか似合ってるな。

チャッカマンのガス切れで、お線香は火がつかないままになっちゃいました。
20161010MiyaS087s.jpg 次男は、「スミレちゃんです、お守りください」なんてお願いしています。
お嫁さん実家のお墓にはまだ参っていないようで、「お墓参りしなきゃ」と言っています。
お正月は、家内の実家・加古川のお墓参りに行くと言っています。
ついでに加古川の義理姉夫婦・従兄弟に、スミレちゃんをお披露目したいようです。
今回は新幹線で往復でしたが、正月は飛行機で帰省するそうです。
スミレちゃんは、半年で新幹線と飛行機に乗っちゃいます。
僕の子供の頃とは、隔世の感です。

最初、お宮参りにお嫁さんのご両親も来られる予定でしたが、パスされ旅行に出られたそうです。
我が家とは別棟なので気を使う必要ないのに、宿泊があるので遠慮されたのかもしれません。
ちょっと残念でした。
来年仕事をリタイヤされて、夫婦で旅行三昧されるのだとか。

r12~r319~r33~R176で宝塚に出ました。
宝塚歌劇団大劇場前の「すみれロード」に入ります。
出待ちのヅカファン女子が、歌劇場通用門前にたくさんいます。
正門前を通り、すみれロードを北端まで抜け、Uターンして帰ろうと思ったら、南行は通行止めでした。
仕方なく、西に曲がり武庫川を渡ります。

僕らが結婚式を挙げた時、親戚に泊まってもらった「若水」横を南下し、披露宴を行った宝塚ホテル横を通る。
r16に出て、逆瀬川から六甲山を上がっていきます。

20161010MiyaS088s.jpg 11:44、路肩が広がったところに車を入れ、大阪湾を眼下に見る絶景を堪能します。
お嫁さんは、高所が苦手のようで、ガードレールがあるのに端に来ません。
大阪の大観覧車がとても怖かったようで、僕以上に高所恐怖症のようです。

一軒茶屋には、ハイカーがたくさんいました。
ここからすぐに、六甲最高峰があります。
車道を歩くハイカーがチラホラ現れます。
六甲ケーブルからここまで、ハイキング道が車道と交差しながらパラレルに走っており、平坦な車道を選択するハイカーがいます。
僕ら夫婦も、ケーブル有馬温泉駅に車を置き、ケーブルで上がり、この道~一軒茶屋~有馬温泉ルートで下山したことがあります。

順調に走ってきましたが、突然車の並びに突っ込みました。
上がってくる途中に擁壁工事片側通行があり、しばらく列に並んで止まり待ちましたが、今回は原因不明です。
車を降りて見に行くと、六甲枝垂れ駐車場待ち渋滞のようです。
極楽茶屋跡が見えているので、駐車場750m手前です。

時間がかかりそうでとても待てないので、Uターンして下山することにしました。
「宝塚GC」横のr16沿いコンビニで、麦茶ペットボトルを購入。
r16~武庫川新橋を渡って伊丹市に戻り、「のらや」でうどんを食べました。
座敷席があるお店は、赤ちゃん連れに便利です。

10/9・自衛隊創立記念日 & スタジオアリス

次男にお嫁さんから電話が入り、模擬演習見学を終えたお客さんが大量に模擬店に流れてきたので、うどんの列に並ぶとの報告が入りました。
模擬店のうどんの幟のところに行くと、家内が並んでいました。
お嫁さんとスミレちゃんは、座っているようです。
この列はどんどん進みましたが、3人前で売り切れになっちゃいました。
残念・・・

毎晩、仕事帰りに会う自衛隊小型消防車が展示されています。
ダイハツの軽トラにトーハツの小型エンジンがセットされた消防車です。
ホースも全て揃っているのにミニサイズなので、子供に人気です。
毎晩、帰宅時に総監宅を巡視しているこいつとすれ違うので、僕にはお馴染みです。

20161009MiyaS066s.jpg 自衛官新規採用の迷彩服お兄さんリクルーターに、お嫁さんが呼び止められました。
やたらめったら呼び止めるので、「生まれ変わったら応募するわ」とか「女の子なんですけど・・・」「女の子だって自衛官になれるよ」とかの笑い混じりの会話が聞こえてきます。
ターゲット年齢の若者が数人、自衛官と相対して椅子に座り用紙に名前を書き込んでいます。

「ゆるキャラ」が歩いてきました。
「奈良地本」と書かれていたので、奈良の部隊からの遠征のようです。
20161009MiyaS067s.jpg お嫁さんとスミレちゃんが、ゆるキャラとスリーショットされています。

20161009MiyaS070s.jpg 高機動車・戦車・ミニ戦車体験試乗会がありました。
12:42、61式と74式戦車をバックに記念写真を撮り、1時間で退散します。
20161009MiyaS071s.jpg 今年はミニSLの試乗会はありませんでした。
息子たちがチビの時、これが一番人気でした。
20161009MiyaS073s.jpg 次男に聞くと、戦車に乗ったことを覚えているようです。

自宅に戻り車に乗り、模擬店うどんを逸したので、ファミリーレストランに向かいます。
途中、迷彩服の方や装甲車が走ってるのを見て、お嫁さんが驚いています。
「うちのご近所さんは、ご夫婦で自衛官なので、毎日迷彩服で出勤しているよ」なんて言うと、「え~」と更に驚いています。

僕が小学生の頃は、家の前を戦車が走っていたし、機関銃を肩に担いだ隊員が2列縦隊になって公園で展開訓練するために移動していました。
無線連絡してるのを、興味津々で見ていました。
左翼思想がずっと広がり、隊の外での訓練の様子を見ることはなくなりました。

13:07、レストランに入りました。
食事して、僕がデザートのパフェを食べているときに、家内に電話が入りました。
弟のお嫁さんからです。
14時からスタジオアリスで撮影なのですが、スミレちゃんを見に岸和田から来てくれました。
予約は13:30で、30分も前なのに、もう着いたようです。

次男に半分パフェを食べられて完食し、アリスに向かいます。
14:09スタジオアリスに入ります。
姪は初めて会うスミレちゃんを抱っこしてご満悦です。
ちょうどご機嫌タイムで、弟一家は交互に抱いてニコニコしています。

最初に、集合写真です。
主役を家内が抱っこし、それを中心に。
20161010MiyaT3741s.jpg 次男一家だけの写真、僕ら夫婦を加えての写真、主役だけで数ショット。

20161010MiyaT3749s.jpg スタジオ内は写真禁止なので、ムービーで着付けの様子や、撮影の様子を撮ります。
他のお客さんのも自由に見れるので、とても楽しい。
初宮参りや七五三帰りの子が多く、店内はみんな笑顔です。
泣いてる子、親から離れない子・・・スミレちゃんは泣くこともなく、撮影は順調でした。

全ての撮影が終わり、次に写真の注文です。
家内を含め3人で、あ~だこ~だやっています。
次男メインで決めていますが、結局3万円ほど注文していました。
親ばかですね。
結局2時間ほどスタジオアリスにいました。

自宅に移動し、仏壇の部屋にお茶とお菓子・おかきを持ち込み、ワイワイガヤガヤ。
中3になった姪の学校の話、主役の話・・・、話は尽きません。
弟一家が帰路につき、僕ら夫婦で「ほか弁」を買いに行きました。
18:27、松茸御前740円・松茸弁当600円・幕の内弁当500円・さばの煮付け弁当550円を購入。
コンビニに寄って、買い物し、19時から夕食タイムにしました。

ちょうど、次男たちのお宮参りの日程に、自衛隊祭りがあり、お嫁さんに見せられて良かった。
というのも、妹さんの旦那さんのお父さんは自衛官で、伊丹の駐屯地に勤務されたこともあったようです。
この夏に入籍し一緒に住んでいますが、結婚式は来春です。
その時の良いネタになります。

10/9・初宮参り & 自衛隊創立記念日祭り

前日、次男一家が帰省しました。
今回の目的は、7月末に生まれたスミレちゃんの初宮参りです。
朝、東京から新幹線に乗り、昼頃新大阪に着き、梅田の大観覧車に乗り周辺をうろうろした後、やってきました。

夕食は、お寿司を取ってワイワイ食べました。
スミレちゃんは、2ヶ月半で4kgを超えました。
指が長く、顔立ちが可愛く、生まれながらにして女の子です。

朝、4時前に目覚めました。
朝ごはんを食べた後、家内に頼まれ、スクーターで仏壇お花を買いに行く時、自衛隊の前を通ると、正門も西門も、お客さんが開門待ちをして長蛇の列が出来ています。
創立記念日で、体内が開放され、模擬演習などの催しがあります。

8:30に、朝食をお隣に泊まった次男達に運びます。
車にチャイルドシートをセットし、9:30にみんなを車に乗せ、スタジオアリスに向かいます。

長男の2人の子は両方共男の子だったので、お宮参りの着物は、義理母にプレゼントしてもらい長男・次男が使ったのを流用しました。
初めての女の子なので、2人の女の子を育てた義理姉に借りようとしたら、レンタルしたので持っていないとのことでした。
女の子用の着物を新調しようかと思いましたが、レンタルが便利とのことで、スタジオアリスで借りることにしたそうです。

スミレちゃんが寝てしまったので、僕は車でスミレちゃんの番をすることになり、3人で着物を選びに店内に入っていきました。
ピンク系のを選び、氏宮様に車で向かいました。
自宅から歩いて行っても良かったのですが、朝雨が降っていて曇り空なので、神社の駐車場まで乗っていきました。

10:14着。
11時まで時間があります。
20161009MiyaS008s.jpg お参りをして社務所を見ると、僕らと同じような年配のご夫婦が、中で祈祷申込用紙に名前を書いています。
正装のご夫婦で、何のご祈祷かな?と思っていたら、駐車場の方に行かれました。

若宮司さんに促され社務所に入り、申込用紙に記入し、おっぱいを上げたり、おむつを替えたり、スミレちゃんのご祈祷準備をしていました。
20161009MiyaS009s.jpg 白いベビードレスを着せ、着物を羽織り準備万端整えました。
写真を撮り、スミレちゃんを主役に遊んでいると、主役がぐずり出しました。
暑いのだろうと、ドレスの下を1枚脱ぐと機嫌が直りました。
家でも裸が好きで、お風呂が大好きだそうです。
白い帽子は、暑いので止めました。

10:30になって、先程のご夫婦とともに赤ちゃんを抱き、お姉ちゃんの手を引いたご夫婦がやってきました。
僕ら同様、初宮参りのようです。

10:30の方が終わり、拝殿前で写真を撮るようだったので、「撮りましょうか?」と申し出ましたが、三脚を用意されておりよいそうです。
11:00なので、そのまま拝殿に上がり、祝詞が始まります。
20161009MiyaS023s.jpg スミレちゃんを抱いた家内が中心に座り、左右に次男夫婦、そして僕という具合に座ります。

一連の儀式を終え、撤饌をいただき拝殿を出ます。
撤饌の1つに、8月のこうくんの時同様「ドロシー・ロー・ノルト」の名著「子供が育つ魔法の言葉」が入っていました。
夏にこの本が出てきた時は驚きました。
雅子妃がご病気で苦しまれている時、皇太子さまがいたわりの言葉の中で引用した詩が載っている本ですが、まさか撤饌として子育てを初められる親御さんに配られているとはと。
聞いてみると、宮司さん自身が選ばれたそうで、お若いのに素晴らしいなと思いました。

夏の長男の次男・こうくんの時同様、若宮司さんが集合写真を撮ってくれました。
主役は、ぐずることもなく、ごきげんさんで初宮参りを終えることが出来ました。
もういくら泣いてもOKです。
車で自宅に戻り、そのままの格好で自衛隊に向かいます。

20161009MiyaS026s.jpg 11:55、装甲車が隊に入っていきます。
自衛隊の白いバスや、阪急バスも正門内に入っていきます。
最寄り駅から臨時バスが運行されているのでしょう。

常設展示の戦車や装甲車があります。
自衛隊白バイは、ヤマハXJRでした。
持ち物検査を通過します。
ウエストバッグのチャックを開けると、お姉さん隊員さんが調べます。
救急車があります。

歩兵装備品展示がありました。
20161009MiyaS037s.jpg UAVという小型偵察機(全長0.95m・翼長全幅1.55m・4kg)です。
20161009MiyaS040s.jpg 軽対戦車誘導弾(赤外線誘導)、対人狙撃銃、5.56ミリ機関銃、ミサイル発射車輌、榴弾装甲車・・・などが屋外展示されています。
20161009MiyaS045s.jpg 模擬演習の機関銃連射音や戦車砲発射音が、ひっきりなしに聞こえてきます。

20161009MiyaS046s.jpg 畳が敷かれた「尾張の湯」(足湯)があり、浄水セット(河川・湖沼取水を飲料水に浄化する)がある。
浄水能力は、2.5トン/hという高性能です。
スミレちゃんは大音量にも寝ていますが、お嫁さんと家内は模擬店の方に離脱します。
20161009MiyaS051s.jpg 僕と次男は広場に向かい演習を見ました。

模擬演習が終わったので、救急車輌内を見学しました。
手術台や各種モニターなど、病院の緊急手術室の移動版です。
開腹・開頭手術が、10~15人/日だそうです。
20161009MiyaS062s.jpg 外に出ると、迷彩服の隊員が、模擬演習に使用した機関銃を水で洗っています。

通勤リード・6ヶ月定期点検

ホンダドリームさんで、通勤リード110の定期点検をしてもらいました。
いつもの通り、半年ごとのオイル交換もしてもらいました。

その日から、仕事場の駐輪場でも自宅駐輪場所でも、センタースタンドで停めていたバイクを動かそうと、バイクを前に動かすと、いつもならスタンドが外れリアタイヤが地面に着くのに、スタンド自体がリードとともに動き、解除できなくなりました。
仕方なく、足でスタンドを動かないようにしてスタンドを払うようにしていました。
3日経っても4日経っても同じです。

おかしいなとバイクの下を覗き込んで床を見ると、水のようなもので濡れています。
触ると、水ではありません。
オイルが漏れてるんじゃないかと思い、バイクの下を見たけど、車両下部は濡れていない。
更にバイクを見回すと、マフラーがオイルのようなものでテカっています。
オイル入口のキャップを触ると、ちゃんと締まっていませんでした。

すぐにホンダドリームに電話し、その日の昼休みに持っていきました。
やはり、オイルキャップの締めが緩かったようで、そこからの漏れでした。
「オイル交換後の締め付けが緩かった、申し訳ない」と頭を下げられました。
まあ誰でもミスはあるので、僕は声を荒げもしません。
もう一度オイルを抜き、新しいオイルに入れ替えてくれました。
洗車して、オイルをすべて流し、綺麗な姿に戻りました。

その作業待ちの間、他に2台のバイクが入庫していました。
僕より前から作業待ちのお客さんと、パトバイクの警官がベンチで話しています。
修理?点検?を終えたパトバイクが出てきました。
オイル交換だったのかも?
CB1300SBパトです。

僕の「招き猫CB400SB」同様、リアガードとフロントエンジンガードが着いています。
リアガードはほぼ同じですが、エンジンガードは僕のより大きく、教習車のように上まで伸びています。
現状でも、タチゴケなら車体のどこも地面に当たらず、完全にガードしてくれますが、フロントがパトバイク同様のものなら、そうでないコケ方をしても車体へのダメージが少なそうです。

ドリームの整備の方に聞くと、市販ではあの大きなガードが売っていないそうで、入手は不可能だそうです。
教習車両なら購入できるので、それに乗る以外ないとのこと。
加えて、ステップの位置が前に移動しているようです。
市販車のような前傾姿勢だと、運転中キョロキョロできず、業務に支障をきたし危険なので、全てにもっと立った姿勢に楽なように改良されているようです。

ちょうど、教習所バイクの新品が横にありました。
整備の方に連れられ見に行くと、エンジンマウントのパイプに、ちゃんとネジ螺旋が切ってあり、ガードを組み上げて納品するそうです。

パトバイクで、もう一ついいなと思ったのは、ハンドルが高いところです。
アップしてバックされているようで、ドリームさんから出ていく警官の姿勢が自然で、前傾姿勢がなく楽そうでした。
こんなハンドルに交換できたらいいな。

CB400SBの白バイのことを聞いてみました。
青バイと言うそうで、白バイではなく青いバイクで、大阪府警にはあるとのこと。
白バイの小型ではなく、駐在所のお巡りさんが使ってるカブやスクーターの大きい車両だそうで、地域の警らに使われているのだとか。

このプロ仕様の外装部品が市場に出れば、ハンドルもエンジンガードも使えそうなのにな・・・
オイル交換のミスが有ったからか、いつも以上に丁寧に対応していただきました。

10/3・長男一家渡米・第一報

9/23金曜日に、アメリカ勤務の長男が日本に帰国し、その足でお嫁さんの実家・新潟に行きました。
9/25日曜日に家族4人で東京に出てきて、次男宅に寄りました。

4月初めに長男の2人目の子が生まれ、7月末に次男の最初の子が生まれました。
方や新潟、方や東京・埼玉・千葉で一度も顔を合わせませんでした。
従兄弟の初対面です。
その時の写真が、次男のお嫁さんから送られて来ました。

DSC01227s.jpg 0歳時の4ヶ月の月齢の差は大きく、おまけに方や3500g、方や1900gで生まれたので、2人並んで寝ている姿は大きく違います。
DSC01236s.jpg お寿司を取ったようで、2家族7人の楽しい時間が写っていました。
DSC01241s.jpg 次男のお嫁さん(次男と2人でかも?)がケーキを作ったようで、渡米を祝っていました。
お嫁さん同士仲が良く、僕らがいなくなっても、兄弟家族を含めて楽しく交流してそうでありがたいです。

9/26、成田からニューヨークに、長男一家は飛んでいきました。
これから3年ほど、家族でのアメリカ生活が始まります。
出発の日、長男のお嫁さんからメールがありましたが、無事到着の連絡がありません。
家内はそれを気にしていましたが、連絡がないのが無事な知らせです。

長男の勤務地も家族が住む家も、ニュージャージー州プリンストンです。
アイビーリーグで有名なプリンストン大学の大学町です。
ニューヨークとペンシルバニア州・フィラデルフィアとの中間にあり、両方共1時間の距離だそうです。

ニューヨークのあるマンハッタン島の対岸が、ニュージャージー州最北部で、先週最北部の駅で衝突事故があり、ドキリとしました。
先月は、ニューヨークとフィラデルフィアでテロ爆発が起き、我が家はアメリカ情勢に敏感になっています。

引越荷物の片付けが一段落したのか、お嫁さんからメールが届き、写真が添付されていました。
20161002PriY710s.jpg 2ガレージのアメリカンサイズのでっかい家が芝生に囲まれ、道路やお隣の家との境界に塀がなく、アメリカンなオープンスペースが広がっています。
20161002PriY711s.jpg 街路樹や庭木が多く、とても環境が良さそうです。
長男によると、庭に鹿もリスも来るということなので、絵に描いたような映画の中のアメリカ中流家庭の暮らしです。

この半年間、長男だけ単身赴任でした。
ベッドルームは1つだけしか使っておらず、その他は綺麗なままです。
2人のチビさんを抱えたお嫁さんの奮闘が始まりそうです。

20161002PriY755s.jpg 購入した車の写真もありました。
徒歩圏には何もなく、買い物も車がないと生活できないので、会社から支給された日産サンタナで通勤などこなしていましたが、お嫁さん用にジープ・チェロキー・リミテッドというのを買ったそうです。
チェロキーは日本で最も見かけるアメリカ車なんじゃないかな?
東京で乗っていたマツダCX7に似たSUVです。
CX7が120万で売れたので、それを頭金にしてアメ車を買うんだと言ってたので、実行に移したようです。
新車なのにもう納車されており、納期が早いな。
日頃はお嫁さんが乗るので、2人で見に行って買ったと思うのだけど・・・

お嫁さんは学生時代にアメリカ留学の経験があり、仕事も海外を飛び回る仕事だったので、英語の心配がなく、頼もしいです。
3才の孫くんに、半年間英単語を教えていました。
実務英語経験者なので、孫くんの発音が違っていました。

SUVを買ったのは、家族でスキーに行こうと思ってのことだろう。
次男が生まれてから、毎年家族で数回スキーに行っていました。
変な癖が付く前にと思い、スキー学校に入れていたから、長男は小学校低学年でパラレルで綺麗に滑れるようになり、僕がSIAゴールドメダルを取ったのに刺激され、シルバーメダルを取りました。
小学生のうちに、僕と同じゴールドメダル保持者になりました。
新潟生まれのお嫁さんなので、授業でスキーを習った環境から、スキーの腕前に期待しましたが、レベルが低くちょっとガッカリだったと、結婚前に言っていました。

僕は、車を4WDホーミーに買い変え、スキーだキャンプだと家族との時間を大切にしました。
長男は、そんな子供時代が楽しかったようで、キャンプ用品一式を買い、羽田近くのキャンプ場などでテントを張って泊まり楽しんでいました。
我が家の家族スキーを継承しそうです。

気になる写真もありました。
20161002PriY749s.jpg 外食のクレープがでかい。
お皿にドカンとアメリカンサイズ・クレープが載っており、子供たちがこれに慣れちゃうと巨大化しそうだ。
お嫁さんには、こっちの方も家族のコントロールをお願いしたい。
幸い、料理好きなので、心配はしていないのだけれど・・・
あ~、早く次の写真やビデオが送られて来ないかなあ・・・

10/2・ヨットレース・表彰式 & 神戸メリケン波止場のホテルにお迎え

馬鹿話しながらハーバーバックし、レース艇を洗って片付けます。
オーナーのS先輩がやってきました。
OB戦は終了し解散したそうです。
レース結果は、母校が優勝したそうで、昨年に続き2連勝です。
係留艇の台風対策をS先輩に聞きます。
台風対策は、何となく後輩の僕がするのが暗黙の了解になっています。
「やったよ。慶応さんを多く乗せたから、手伝ってもらったよ」
乗ったレース艇の台風対策もして終了です。

駐車場に移動し、着替えて16時からの閉会式に向かいます。
年間ポイントレースではなく、2日間の独立したレースなので、表彰式があります。

ヨットクラブ3Fで集まり、あ~だこ~だ。
運営で本部船に乗っていた白人のSさんがやってきたので、ドラゴンに乗らないかとOさんが誘います。

快速ツインラダーのミニトランザット級に乗っておられ、関空沖で18ノットを記録したとのこと。
シングルハンドで、フランス~ブラジルの大西洋横断レースで使うレース艇です。
日本人にはない冒険心とスピード狂が、白人には備わっています。
日本人の奥さんもお嬢さんも綺麗で、スマホで見せてくれました。

ざっくばらんの表彰式で、うちはビリの4位。
一昨年は優勝したし、今年も今日のレースをトップフィニッシュしてたら優勝でした。
レベルが拮抗しているので、どの艇が勝ってもおかしくありません。

その後もあ~だこ~だおしゃべりし、4:30頃解散しました。
車に戻ろうと駐車場を歩いていると、日本一のスーパーカー・日産GTRが2台並んで駐車されており、カメラマンが撮影していました。
昼食として、バナナを1本食べ、ハーバーを後にします。
7:48~17:07新西宮ヨットハーバー900円。

R43を神戸に向かいます。
20161002KobeS036s.jpg メリケン波止場に車を入れ、暗くなりいい感じになってきた神戸港を写真に収めます。
20161002KobeS042s.jpg カワサキワールドのバックに、2年前に甥が結婚式を挙げたホテルオオクラの高層ビル。
対岸にモザイクと観覧車。
神戸港クルージングの帆船スタイル観光船にも電飾が入っています。

20161002KobeS037s.jpg 家内のお食事宴会終了予定の20時まで、ホテルでお茶しながら待とうと思い、ホテルの駐車場に車を入れます。
20161002KobeS047s.jpg 大阪湾クルーズ船・ルミナス神戸のターミナルが2Fにあり、チケット売り場を見たり、暮れゆく夜景を見たりして、3Fのホテルロビーに上がる。
20161002KobeS055s.jpg バイキングレストラン(大人4000円)が流行っており、喫茶のお店もありましたが、ロビーに併設したオープン・カフェではなく、お店自体の証明も暗く、入りにくくてやめて、ロビーのソファーで佇んでいました。

19時前になったので、4Fの宴会場フロアに上がり、ロビー階の外に出ようとすると、観光バスが着いて中国人団体さんが大勢降りてきました。
20161002KobeS049s.jpg ホテルの表示に中国語が目立っていたので、中国人団体さん御用達のホテルなのかもしれません。外で夜景を見ていました。

するとポケットの電話が鳴り、家内から「今何処にいるの?」
「ロビーにいる」と答えながらロビーに戻ろうと歩きだすと、「ああ見つけた」と目の前で手を振っていました。
「駐車券に判子押してもらってくるね」
待つ間、売店を物色しましたが、これといったものはありませんでした。

20161002KobeS050s.jpg 2人で夜景を楽しもうと外に出て、「夜景見た?」
「うん、4階から見たよ。1階違うと随分違う」と。

駐車場に戻り、R43を自宅に向かいます。
家内は饒舌になっていました。
普段は大人しいのですが、楽しいと饒舌になります。
楽しかったようです。
お洒落した女性は、見ているだけで幸福な気持ちになります。
僕は、ホテルなどでのフォーマルな席は苦手だけど、おしゃれな家内はこういう席に行くといつも楽しそうです。

21時前に帰宅し、夕食としてバナナを1本食べ、風呂に入って1日が終わりました。

10/2・ヨットレース・オータムレガッタ2

レース予告信号が上がり、スタート前マニューバリングに入ります。
西海面が良いと判断し、「本部船寄りスタート&即タックして西に行く」を決めて、13:30スタート。
少し遅れましたが、思い通り一番本部船寄りからスタート出来ました。
本部船をかわし「タックできます」と進言しましたが、艇長・スキッパーの判断はスタート前から変わり、「そのまま行く」。
「なんで?」と思いながらも従います。

スピード負けしたJPN35が逃げタックし、僕らの後ろを抜けて西に行く。
しばらく3艇でガチンコ・スピード勝負しながら走る。
当初良いと判断していた西に行った35はタックし、いい登り角度のようです。
「西がいいです」とタックを促す報告をしましたが、スキッパーは動かず、JPN33ガタックし、僕らの後ろを抜けていく。

良いように見える西に、相手艇3艇のうち2艇が行ったのだから、それを抑えにタックして同じ風の中を走るのが常套手段ですが、それもなく、「西に行った2艇がいいです」ともう一度進言してもそのまま。
正面に砂利船が見えてきてタック。
最も早く西に行ったJPN35にはセーフティーリードをつけられました。

スターボレグが上ったので、風下マークへはポートロングなので、上マーク回航後即ジャイブが定番ですが、スピンポールが右に出ており、ジャイブが遅れ1艇に抜かれました。
スピンを上げて安定して走り出す所で、スキッパーが他艇との得点計算をし始めました。

「まだレース序盤なのに、僕らがトップ・フィニッシュを目指すだけなのに」とイライラし、その話には加わりません。
レース前の作戦通り西に行っていれば、楽勝でダントツを走っていたはずです。
「黙ってて」と言いたかったけど、チームの雰囲気を崩したらダメだし、他校出身ながら先輩なので黙ってスピン操作をします。

下マークを3番で回航。
南から下マークにアプローチしたJPN28がかなり追いついたので、次の上マークへのコースは西ではなく南がいいように思い、タックして南へ。
このレグで、同じく南を選択した4位の28にスピード負けしました。
でも西に行った2艇に追いつき、上マーク最終アプローチは2艇の前でした。

ここで、潮の流れがあるから、「足らない目で取って」と言われ、常套なら後続艇を邪魔するように、前でタックですが、下タックしました。
短い最終アプローチは、少しオーバーセイルが正解です。
1艇身オーバーでもベアしてスピードが上がるので、それほどマイナスではありません。
結局、無理して上って、2艇に抜かれビリになっちゃった。

スピンポールを入れ替えていたので、即ジャイブでしたが、より早くジャイブした3位JPN35の土手っ腹に突っ込む感じになり、あわてて「上れ」と叫び、スキッパーが即座に反応し、大惨事は免れました。
Oさん、ナイスです。

ジャイブしてスピンランで追いつき、サイド・バイ・サイドになりました。
「うちの方がスピードがあるので、このまま行けば勝てる」と黙々とスピン操作していたら、「上に行くよ」とスキッパーが、なんと相手艇に声を掛けます。
相手艇もうちのスキッパーと同じ甲南大出だけど、レース中にわざわざうちの作戦を伝
える必要は無いでしょう。
呆れてしまいました。

当然うちに風を取られまいと、カバーしてきて、更に2位と離れます。
もう一度同じことをして、もう2位には追いつけそうもなく、僕の心は3位狙いに変わりました。
フィニッシュにはジャイブが1回必要なので、右を守り、できるだけジャイブを遅らせたらうちの勝ちです。

そう進言したのに、またブランケットして左に出てしまいました。
こうなれば、早めにジャイブして、ルールで相手艇を上らせ、マークの内側で先にフィニッシュすればいいです。
リードを保ったままフィニッシングラインが近づいて来たのに、突然わざわざ相手艇の後ろに回ってしまいました。
フィニッシュは目の前なのに、相手艇の風を奪ってもレグがないので勝てません。
4位フィニッシュ。

いつもならこんな焦った操船をしないのに、この日はレースに勝つ常套手段を外し、ストラテジー重視ではなく、タクティクスで目の前に1艇のみにしか目が行っていない感じがしました。
この日の僕とのコンビネーションは最悪でした。
僕が何度も進言したのを無視されイライラしてるのを、ミドルクルーのHさんが感じており、「わかってないわ。人の意見は聞かへん人やから」と笑っています。
僕も、Oスキッパーに意見しようなんて思っていません。
あくまで、遊びですから・・・。

レースが終われば、ライバル艇のクルーとも和気藹々ですが、レース中はトップフィニッシュを目指してやってもしい。
それがないと、ビール飲みながらの単なるファミリーレースと同じじゃないか。
このフリートには、学生時代から真剣にレースに取り組み、卒業後もこんなレーシーな船に乗ってる連中ばかりです。
僕は学生No1と言われました。
Oさんだって、学生時代は何度も全日本で走り、卒業後もいくつかチャンピオンシップタイトルを取った方です。
尊敬出来るから、スキッパーという最重要ポジションをやってもらっている。
真剣じゃないなら、僕がスキッパーをすればよかった。

ハーバー上架桟橋に着くと、Oさんが「トイレ行ってくるわ」と駆け出しました。
レーススタート前に、「お尻がやばい、我慢できなくなったらバケツでするから、スキッパー交代ね」と、Oさんから言われていました。
相当ピンチな状態で、レースを走っていたようです。
そりゃ、クルーの声なんて耳に届かないね。
スタート前に、スキッパーを変わっていた方が良かったな。
Oさんも、気が楽だったろうし・・・

10/2・ヨットレース・オータムレガッタ

先週は、琵琶湖で大学ヨット部のレースコーチをしていましたが、今週は3人乗りヨット・ドラゴン級のオータムレガッタに出場します。
いつも10艇弱集まるのですが、4大学OB戦(慶応・早稲田・同志社・幹事校が母校KG)と日程がバッティングし、ドラゴンフリートの母校OBがレース運営やホストにまわり、2艇が不参加です。
全日本から2週間後なのでクルーの手配がつかず、2艇が不参加で、4艇のレースになりました。

僕は、オーナーのS先輩が4大学戦で抜けるので、レースの方に参加です。
朝風呂から上がり、神戸のホテルでの会合とお食事に行く家内のタイムスケジュールを聞きます。
20時頃終了解散のようなので、迎えに行くことにします。
7時前に、家内を駅まで送り、一旦自宅に戻り、ヨットの用意をして家を出ます。

7:22セブンイレブンで、「プレミアムバナナ3本入り・213円」購入。
R171を西に走り、7:48ハーバー着。
ディンギーヤード・ゲート横の駐車場で用意を下ろしていると、「すいません、どちらから入ればいいのでしょうか?」と聞かれました。
4大学戦のために来られたのでしょう。
「そこにゲートがあります。キーカードを持ってるので開けましょう」と歩いていくと、中から学生が開けてくれました。
後輩が、要所に部員を配置して、ホスピタリティーがグッドです。
彼女は、広島ジュニア上がりだそうです。
息子と同じ、OP乗りでしょう。

20161002KobeS003s.jpg 上架桟橋にレース艇を見に行き、準備万端整っているのを確認します。
2日間レースの2日目なので、何もする必要がありません。
係留桟橋の方に移動し、OB戦の観覧艇に使用するクルージング艇をチェックします。
パルピットもドッグハウスも開いており、誰かが朝一て点検したのかも?
誰か泊まったのかな?と思いドッグハウス内に声を掛けますが、返事がないのでそれはなさそう。

隣の桟橋に移動し、同じくこの日使う先輩達が運用してる船へ。
N先輩が1人おにぎりを頬張っており、あ~だこ~だお喋り。
途中で電話が入り、どうやらS先輩からのようです。
N先輩がちゃんと来ているか確認したのでしょう。
S先輩の代のI先輩がOB会長だから、ホスト役の中心で動いているはずです。

20161002KobeS010s.jpg 上架桟橋に戻ります。
20161002KobeS024s.jpg 桟橋の下には独特の縞模様で一目瞭然の石鯛がたむろしています。
ハーバー内は釣り禁止なので、安心して上に浮き、僕がじっと見つめても悠々と泳いでいます。
朝食として、バナナを1本食べる。

20161002KobeS018s.jpg ここから長い待機が始まりました。
20161002KobeS026s.jpg OB戦のレース艇は、弱い風の中定刻に出ていきましたが、こちらは良い風を待って陸上待機です。

琵琶湖チームに行っておしゃべりします。
D社若手OBが2名乗っているので、1週間前の近畿北陸ブロックダントツ優勝におめでとうを言います。
レース運営ボートに乗っていたそうです。

甲南大チームに行ってお喋り。
オーナーは、以前から年賀状交換しているHさんです。
クルーのSさんは、何と驚きのダカールラリー出場経験者で、トヨタ・ランドクルーザーを駆って優勝したんだとか・・・たまげました。
治安の悪い危険地帯を走るラリー故、ルートを外れ不幸なことになった参加者のことや、プライベーターとファクトリーチームとの差など、知らない世界の話を聞くことが出来
ました。

この話になったのは、「毎年チームで篠山に猪鍋を食いに行く」の話に、「僕も毎年家族で行きますよ」と言ったのがきっかけ。
何処の店に行くの?との質問に、老舗のホテル経営のとこなど答えると、「僕らはいつも籠坊温泉に行く。飲み放題で7000円で安いんだ」と返って来ました。
「篭坊温泉には、毎年6月にホタルを観に行くし、朝バイクで走るとき前をよく通ります」と言うと、「えっ、バイクに乗るの?僕ら近場だけど、ツーリングに行くよ。今度誘うわ。Sさんがリーダーだけど、パリダカ優勝してるんだよ」と、話が発展していきました。

新しく買われた41フィートのベネトウについても聞きました。
今年亡くなったM君の45フィート船を買う算段だったのだけど、社用船で社内にクルージングのクラブを作ったので買えず、新艇を買うことにしたとのこと。

11:30になり、マストトップの風見がSWに変わり、そよそよと風を感じるようになりました。
しかし、まだGOの合図が上がらず、12時を過ぎてセイルを上げ桟橋を離れます。
レース海面は近く、13時スタート予想でレース海面に到着しましたが、安定した風にならず、まだスタート待ちです。

OB戦が終了し、観覧船が近寄ってきました。
「終わったよ~」と船上の先輩から声がかかります。
レース艇が横を通りハーバーバックしていきます。

またぞろ、時短

ニュースを見ていると、「日本人の働きすぎ」に関する話題が増えたように思う。

以前にもあった現象で、それを契機に「土曜日半ドン」から「土日・週休2日制」に移行し、生徒学生の週休2日への第一歩「隔週土曜日小中学校休み」になり、「ゆとり教育」が始まった。

戦後の景気上昇が、何度かの息継ぎ機を経ながら順調に拡大してきた。
「Japanas No1」と言われた時代になり、ニューヨークのエンパイアステートビルを日本資本が買収するなど、まさに破竹の勢いだったバブル経済(1986~1991)を謳歌した。
「日本人の働きすぎ」が海外からバッシングを受け、「時短」に舵が切られ、「週休2日制」の1988年法改正・1997年完全実施が成された。

日本経済の強さの根源は、明治、いや読書家だった徳川家康の推進した江戸の庶民にまで行き渡った教育に端を発する。
明治時代に国民皆教育システムが整えられ、敗戦を経てもそのシステムが受け継がれてきたのが大きい。
世界の義務教育現場でも、日本の小中学生の学力の高さが他を席巻していた。
その強い教育システムにもメスが入り、1992年第2土曜日休日化、1995年第2・4土曜日休日化、2002年土曜日完全休日・週休2日制完全実施で、学校教育時間が減り、加えて「ゆとり教育」として教科書が薄くなり、教育水準の低下が成された。

スキージャンプ競技のルール変更に似ている。
日の丸飛行隊の成績が上がっていき、強国のヨーロッパが、背が低い日本人に不利なルールに変更し、ガクンと日の丸飛行隊の成績が下がった。
日本発祥の柔道も、国際スポーツになり、「一本」重視の日本柔道から、ヨーロッパ理事の意向を汲み、「組手争い」柔道・「有効ポイント」柔道にルール変更された。
白人の優秀で勤勉な「日本人いじめ」に妥協し、「怠け者」に自国民を合わせて、自らNo1になろうとしない日本人の姿が見える。

バブル経済崩壊以降続く停滞経済の一因は、仕事現場と教育現場の「時短」にあると思っている。
西洋諸外国の仕事とバカンスの割合や、それぞれへの生き甲斐と、日本のそれとは、大きく違う国の来し方により違って当たり前です。
「費用対効果」「労働時間対利益」のみで仕事を見るのではなく、ゆったりした労働による余裕ある作業や思考の広がりという側面の切り口があってもいいと思う。

「ゆとり教育」の失敗は、まさにこの典型です。
授業時間が減り、教師の教え方に時間的余裕がなくなり、生徒の理解が進まず、結局落ちこぼれ勉強への意欲を失って行ったのが、その失敗だった。
好成績を上げるフィンランドなどを学び、導入しようとし、文化の違う欧米を模倣するのではなく、日本人が作り上げ、世界一になった教育システムを続けているだけでいいのに・・・
No1になった日本の教育システムを学びに来るのではなく、No1の日本が自ら時短し、かつて下位だった国のシステムを導入しようとするのか・・・
スポーツをやっており、教えている僕から見れば、滑稽でさえある。

仕事現場でも、同様だったように思う。
僕の子供時代は、好景気の時代だった。
親父世代を見ていて、僕には夜中にならないと帰ってこない親父や、休日も働いている猛烈親父は目につかなかった。
平日の夕方には、家の外に縁側が出て、近所の親父たちが話す姿があちこちにあった。

僕は土曜半ドン・日曜休日・厚い教科書の生徒・学生時代を過ごしたが、「もっと休日が欲しい」なんて思ったこともなかった。
あのままで良かったように思う。

平日に子供の起きている顔を見れないお父さんや、落ちこぼれ生徒が問題になってきたのは、むしろ週休2日制実施以降です。
今回再び、薄利多売でしか成長できず利益を出せない「ブラック企業」の過酷な労働環境対策として、「日本人の働きすぎ」が話題になりの「時短」が話題になるようになったように感じる。

いつの時代も、厳しい労働環境を強いる経営者はおり、不当な低賃金で利益を上げる企業はある。
それを一般的だとして、優良な労働環境・最良な利益分配を行っている企業にまで、法律という形で「働くな」を強いるのはいかがなものかと思う。
安易な単純労働者の輸入をせず、適切な経済運営をしていれば、需給環境の変化により、労働賃金は上がり、自然にブラック企業の労働環境は改善され、淘汰されていく。

この4月から、長男がアメリカの子会社のリーダーとして転勤になった。
以前から毎月のように、最先端のアメリカの学会に出席し、アメリカ・ヨーロッパの子会社に出張で飛び回っていたので、生活環境としてはすんなり馴染めたようですが、アメリカ人と日本人の仕事の仕方の違いを、現地にしっかり腰を落ち着けることで、よりリアル
に感じているようだ。

夕方の定時になると、水が引くように帰っていくアメリカ人同僚。
アメリカの法律で、会社との労働契約に違反すると企業が罰せられる。
9時~17時だったら、それ以上働くと法律違反になる。
夕方以降オフィスに残っている社員は、全て日本人だと言っていた。

仕事が残っていても、退社時間になれば翌日回しで仕事を切り上げるアメリカ人気質と、退社時間に関係なく、切りの良いところまで流れで仕事を続け、スッキリ達成感を得て退社する日本人・・・
これは、先祖から受け継いだ気質ではないだろうか?

これを法律として厳しく規制していくのは、日本人気質に合わない気がする。
日本人は、経営者であれど、自らに超高収入にしない。
企業に関わる者をチームとして、その和を大切に、長く企業を存続させ、みんなでともに成長・収入を得ていこうとする。

加えて、またぞろ出だした「移民」による日本経済浮上政策。
「研修・技能実習生」と言う名の「移民・単純労働者受け入れ」政策で、日本人の単純労働者が仕事にあぶれるようになり、最低賃金上昇に歯止めがかかったままです。

民進党は、「法律改正による最低賃金上昇」政策を目指しているが、この技能実習生受け入れ政策がなくなれば、自然に賃金は上がるに決まっている。
人の賃金も、物の値段同様、需給バランスによって決まるのが自然の姿です。
為替の固定相場から変動相場制に移行し、市場の自動調節機能で上下するようになった。それと同じだと思う。

9/25・インカレ予選3・祝勝会

最終レースは、両クラスのリーダー艇がしっかり走り、好成績でフィニッシュしました。
点数計算するまでもなく、両クラス全日本へ駒を進めることが出来ました。

自分の代わりに出た同じ2回生を「頼む、やってくれ」と祈るように見ていたクルー君に、「良かったな、やってくれたな。でもお前が2回生クルーのリーダーとして引っ張ってきたからだぞ、ありがとう。おめでとう」と肩を抱くと、「ありがとうございます」と思いっきり涙が溢れてきました。

フィニッシュ後、両手を突き上げているレースメンバーに向かって、コーチボートから自然に拍手が湧きます。
ハーバーに戻りキャプテンに、「おめでとう」と握手を求めると、「ありがとうございます。最終レースは、どうしても両クラス全員で全日本に行きたくて、470のレース展開ばかり見ていました」なんて言っています。
選手やマネージャー、応援にやってきた多くのOB・OGと握手しながら、「青春してるなあ」と羨ましくなりました。
感動屋の僕なのに、次のことにばかり気が行き、学生たちのように今を感動出来なくなっているのかも・・・。

ハーバーに戻り、ブリーフィングです。
まず「おめでとう」と言い、朝話した「25点以内、失格しない」を毎レース余裕でクリアし、おまけまで積んだS級と、達成できなかった470の苦戦のことを、次の全日本への教訓にしようと話しました。

僕がコーチとして関わるようになった10年前は、夏休みに女子マネージャーは帰省してしまい、選手だけで練習していました。
フィニッシュしても、誰もコーチボートに寄って来ず、アドバイスも次のレースに向けて気持ちを切り替えさせることも出来ず、チームはバラバラでした。

毎レース、フィニッシュ後コーチボートに来るようにさせました。
夏のレースには、自宅からキャンプ用のウォータークーラーに冷たい麦茶を満たし持参し、コーチボートに寄ってきた選手に、女子マネージャー達から冷たい麦茶を渡させました。
男なんて単純だから、女の子から手渡される冷たい麦茶目当てにやってきます。
冗談を交えながらアドバイスし、肩をたたいて次のレースに送り出すだけで、気持ちが変わります。

5年目にして、やっと予選上位3位に入り全日本に復活しました。
以降、片クラスか両クラス、全日本出場が普通になってきました。
地区予選優勝には手が届きませんが、2~4位の常連になりました。
この日の最終レースは、「僕らが予選で敗退するわけない」との自信がみんなにありのを感じました。

船を片付け、着替えて閉会式です。
クラス別は2位と3位で、総合は2位。
20160925KinS049s.jpg 艇庫の階段に上り、高い位置から眺めていました。

合宿所に戻り、OB・OGによる祝勝会の準備が始まりました。
20160925KinS050s.jpg 台所には、OGマネばかりで、現役マネはお客さん状態です。
「N写真館」とあだ名された今春学部を卒業したN君が、僕の撮った写真をせがみます。
祝勝会のバックにスライドショーで、彼の撮った写真に加え流すそうです。

20160925KinS057s.jpg 今春卒業OBの司会で、祝勝会が始まりました。
僕の母校も同じ日程で地区予選が行われており、結果を見るまでもなく圧勝しているでしょう。
D社同様、全国制覇常連強豪校なので、文字通り優勝祝勝会をします。
でも本番は全日本なので、地区予選は勝って当たり前と思っています。

コーチしてる学校は、スポーツセレクションはなく、優秀なリクルーターもシステマチックなコーチ人もおらず、手作り感が素敵です。
僕が大学生の頃は、スポーツセレクションなどなく、初心者で入部してくる学生が、4年間でぐんぐん成長していく姿がありました。
僕はそんなアマチュアな学生スポーツが肌に合うので、このクラブに関わる事ができている今がとても楽しい。

結果オーライで、失格を叩いて落ち込んだ3年生エースも立ち直り笑顔です。
20160925KinS058s.jpg キャプテンの挨拶・乾杯の音頭で、お寿司とビール・ソフトドリンクがどんどん消費されて行きます。
僕が帰ると言ってた1時間ほどして、僕にコメントを求められました。

まず「おめでとう」
今日の劇的な再逆転を演出した裏ヒーローの3回生エースを持ち上げ、スーパーサブの役割を果たした2回生を褒めちぎり、そんな感動を身近で味あわせてくれたみんなに感謝しました。
生涯続く仲間を得た幸せはこのクラブからで、延々80年もバトンタッチしながら続けてくれた先輩に感謝です。
このチームは、あと1ヶ月。
更に努力し、自分たちのつけて来た実力を、全日本で見せようとみんなを鼓舞して挨拶を終えました。

みんなの笑顔が弾け、あまりに楽しく、現キャプテン・次期キャプテン・470リーダーなどの話が続き、1時間で帰るのを止めました。
司会者のもとへ行き、「今日のヒーロー2回生たちに喋らせようよ」と提案しました。
下準備が成ったようで、しばらくして司会者から、「では・・君・・君・・・」と2回生が呼ばれ、大笑いのスピーチ。

参加していただいた82才の大先輩・Mさんのスピーチ。
20160925KinS060s.jpg 最後に4回生全員からスピーチ、締めはキャプテンです。
そしてエール。
応援歌とクラブ歌:琵琶湖周航の歌を、円陣になり肩を組み合唱し祝勝会が終わりました。

アルコールの入った部員は、そのままここに泊まるものもいるだろうし、帰っていく者もいるだろう。
僕は、プロテクターメッシュ上下を着込み、みんなに挨拶し、合宿所を後にしました。

湖西道路~名神で、21:00「桂川PA」
毎度の「びっくりソフトバニラ・140円」で糖分補給し、帰宅しました。
既に家内は夢の中で、片付け風呂に入り、1日を終えました。
楽しい日になりました。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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