9/25・インカレ予選 2

本日の第1レース(通算第6レース)がスタートし、接戦の470は3位金沢と相変わらず接戦ですが、4位とは少し差が広がったようです。
S級は好調で、トップとの差を縮めました。
第7レースもいい感じで始まりましたが、コミッティーからの無線で当方の1艇がフライングで失格になったようです。
そのままレースは続き、着順は順調でしたが、3回生のエース艇に朝注意した英語(失格)が付き、4位に転落してしまいました。

2回生のスタンバイメンバー2人に、レース前「どっちの海面を選択する?」に始まって、レース展開を見ながら、「ここで何故タックするか?なぜタックしないか」、「上マークまでの有利海面を見て、次の下マークに向かう有利海面を予想する風の見方」など、フリートレースでの勝利のセオリーを伝授していました。
コーチボートをドライブするマネージャーにレース中の位置取りを指示し、来年以降クラブを背負うメンバーと、「自分ならどうする?」を聞き、「僕ならどうする」を話し、次にどうなったかで検証をします。
更に、練習で感じた基本動作で出来ていないところも伝える。
自然にスタンバイメンバーが耳を傾け、一緒にレース展開を考えながらの応援です。

上位フィニッシュで意気揚々とコーチボートに戻ってきた失格艇に現実を伝えます。
合わせて、総合順位と点差も伝えます。
みんなに申し訳ないと、がっくり首をうなだれる3回生エース。
続いて戻ってきたチーフ艇にも、同じことを伝え、こちらも生気を失った顔になりました。
1年間の集大成の1ヶ月後の全日本の前のここで、このチームが終わるのか・・・

13:30を回って新たなスタートは切らないと決められていますが、時間的にはまだ2~3レースできます。
ボートスピードでは負けていないこと、2レースあれば十分逆転可能であること、済んだことを忘れ新たなレースに臨むことを伝え、肩を叩いてレース海面に戻します。

メンタル面が心配ですが、切り替えてやってくれるものと思いながら、監督はスタンバイメンバーに用意しておくように伝えます。
リーダー艇を見ていた監督が決断し、「よし行くぞ」とスタンバイの本来4番艇の2回生ペアに声を掛け、ドライブするマネージャーに、「全速でリーダー艇に向かえ」と指示。
見ていなかったけど、リーダーから監督へのアイコンタクトがあったのかもしれない。

レギュラー2人がレース艇から降り、2回生スタンバイがレース艇に乗り込む。
その直後スタート5分前号砲が鳴りました。
スタート4分前以降は、選手と接触出来ませんし、レース海面から十分離れなければなりません。
全速でスタートラインから遠ざかります。

次のスタートのカウントダウンが始まり、スタートを見つめます。
レースが始まりレース展開を見ながら、リーダーとそのクルーの様子を見ます。
リーダーは船の前でうつ向いたまま、自分の気持ちを整えているようで、誰も声を掛けない。
クルーは、自分のコース引きがうまく行かず、エース艇の成績を残して来なかったのが、現在のピンチを招いたと自分を攻めているようで、ドライブ席の横にうずくまり涙を流している。
これも彼なりの気持ちの切り替えでしょう。
そっとしておきます。
ドライブする女子マネージャーが、ドライブしながら時折彼に目を落とし、優しく見守っている。

急遽レースに抜擢したサブメンバー艇が、第1上マークを上位回航し意気が揚がります。
リーダーの顔が前を向いてきたので、話に行きます。
「たぶん次のレースが最終で、ライバル校からの攻撃に2回生では経験不足なので僕が行きます。ただ2人のコースがチグハグなので、クルーを交代します。すいませんが、観覧船に乗ってるYを呼んでください」との力強い言葉が帰ってきました。

監督が、「観覧船に急げ」と指示。
観覧船から2回生Yをこちらに乗せ、リーダーは彼と話しています。
「今日の風はどう見える」の答えに納得し、「俺は今日コースが見えない。お前にコースを全面的に任せるので俺はボートスピードに集中する」と、即席ペアの役割分担を明確にしていた。
出番はないと思っていた5番艇2回生クルーY君が、レース装束に身を包んでいく。

レース展開は当方に味方し、失格を食らった3回生エースが汚名挽回し、サブもスーパーサブの順位で帰ってきて、このレースで再逆転しました。

時間的にあと2レースは無理そうで、次が最終レースになりそう。
フィニッシュ後戻ってきたレース艇に、得点を伝え、スーパーサブが上がり、リーダーと2回生クルーが乗り込んだ。
泣いても笑っても最後のレースです。
再逆転したとは言え、点差はほとんどなく、このレースに勝った方が、全日本への最後の切符を手に入れます。

S級は、快調に飛ばし、3位のとの差をぐんぐん拡げ、もう安泰です。
こちらも大会直前に抜擢された5番艇の2回生コンビが、レギュラーで乗っていました。
この艇をS級リーダーコンビにチェンジです。
S級は、このリーダーがチームを引っ張ってきましたが、大会前に絶不調におちいり、出番になった4番艇2回生コンビの艇長が、なんと大会前日の練習で肩を脱臼してしまいました。
大抜擢の2回生コンビが、予想以上に走り、大きなアドバンテージを作りました。

上がってきた2回生4人は、良い成績でクラブに貢献し、ハイテンションです。
20160925KinS035s.jpg 満面の笑みで、最終レースに向かう6艇のレース艇にプラスのオーラを送ります。
それに釣られたのか、470リーダー艇クルー君2回生も復活してきて、レース海面を見つめています。
それを見て僕の双眼鏡を彼に預け、「何処に当方がいるか報告してくれ」とあえて仕事を与えます。
自分の中で気持ちの整理ができたような表情です。

20160925KinS036s.jpg 大会直前までレギュラーでなかったが、抜擢に応え大活躍した2回生4人が、彼を大はしゃぎの輪に入れ、ワイワイ応援しています。
こいつら、いい仲間を持ったな・・・
僕も学生時代を思い出します。
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9/25・インカレ予選

1週間前は、3人乗りヨットの全日本に出場しましたが、今週はコーチしてる大学ヨット部の近畿北陸ブロック団体選手権です。
このレースで上位3校に入らなければ、全日本への出場権を得られず、4回生は引退・代交代になります。
僕のコーチ業は、新しいキャプテンに声を掛けられ、毎年更新しながら続いていますが、3位以内に入らなければ、今季のコーチ業はこの日で終了です。
このチームを、1ヶ月後の全日本選手権まで伸ばすため、3位は死守したいレースです。

週末3日間のレースですが、初日は風がなくノーレースになってしまいました。
少ないレースではマグレがあるので、当方としてはできるだけ多くレースをしてもらいたい。
2日目の土曜日は、軽風ながら5レース消化し、両クラスとも2位に着けています。
全日本優勝最多のD社は、圧倒的な強さで離されています。
でも、スポーツセレクションのない当方としては、他のスポーツセレクション有りチームをしのぎ善戦しています。

できるだけ早く起き、近江の史跡を巡ってから、出艇8時の1時間前の7時頃ハーバー着を考えていましたが、目を覚ましたら5時になっていました。
史跡探索は諦め、ゆっくり用意し、6時前に「招き猫CB400SB」を出して琵琶湖に向かいます。

6:04「中環豊中エネオスSS」で給油。
282km/10.47L=26.9km/L。 
すぐ隣のコンビニに移動し、6:10「豊中少路1丁目セブンイレブン」で、プレミアムバナナ213円購入し、朝食・昼食を確保しました。
飲み物は、自宅冷蔵庫にあったペットボトルお茶を持ってきています。
仕事で会合などに出席すると、こういうのが貯まります。
適当に消費しなくちゃね。

史跡探索を諦めたので時間に余裕があり、いつもの中国道豊中ICはパスし、名神吹田ICから高速道路に乗ります。
80~85km/hの定番速度で走り、桂川PAでトイレ休憩です。
バイク置き場に数台停まっていたので、バイクが停まってたゼブラゾーンに停めました。
トイレから戻ると、お隣さんは僕と同じCB400で、女性ライダーでした。
旦那さんと2人で走っておられるようで、旦那さんのも同じ形で少し大きそうだから、CB1300かもしれません。

会釈して僕が先に出ていくと、追いかけるように出てきて、本線に入った僕を、+10km/hほどのスピードで抜いて行かれました。
女性なので凄いなと思いながら後ろ姿を見送りました。
アップダウンを繰り返し京都東ICまで走りましたが、いつの間にか追いついてしまい、3台でのツーリングみたいになりました。

琵琶湖に行くのかな?と京都東IC下車を願いましたが、そこでは降りずに東に向かわれ、お別れしました。
湖西道路に乗り、いつものように7時頃ハーバーに着きました。

ヘルメットをバイクに着け、早速大会本部に公式掲示板を見に行きます。
特にルール変更はなさそう。
当方のクラブの女子マネージャーが、大会本部で頑張っていました。
着順を見ると、D社が席巻しており、このまま2位で全日本に行ければいいなと、艇庫前に行きます。

20160925KinS010s.jpg みんな元気そうです。
キャプテンに、流れを聞き、主だった選手に声を掛け様子を聞きます。
コーチボートに行き、バイク装束を脱ぎ、バナナ1本を朝食にします。
艇庫前に戻ると、次男と同期のI監督と同じくコーチのS君がいます。

レース前ブリーフィングがあり、1レース3艇合計25点以内、失格などの英語を叩かないようスタートでラインを攻めすぎないようにアドバイスする。
レース最終日は、一か八か掛けてくるチームが有り、それに釣られてのフライングが要注意です。

20160925KinS012s.jpg 定刻の8時になり、ホーンとともにフラッグが上がり、470級から一斉に湖面にレース艇が降ろされ出艇して行きます。
コーチボートに乗っていましたが、後ろの桟橋にはマネージャーや後輩部員が並び、レース艇に乗るレギュラーメンバーの名前を叫び、「フレーフレー」と応援します。
各校同じようなもので、応援でも負けじとお祭りのようになっています。

自分の名前にエールが送られ、レース艇の上に立ち上がり、帽子を取って「ありがとうございました」の返礼です。
僕は、体育会的なこの光景がとても好きです。

続いてS級もホーンとともに一斉にレース海面に向かっていきます。
エールを終えた部員が、一部はレース運営に、一部は2艇の観覧船に、交代メンバーはコーチボートに乗り、それぞれの持場に散っていきます。

I監督・Sコーチとともにコーチボートでレース艇を追いかけます。
20160925KinS024s.jpg 各校のレース艇が一斉にレース海面目指して走る姿のバックに比叡山があり、美しい琵琶湖の朝です。
20160925KinS025s.jpg 北からの風が入り、軽風ながらブローが琵琶湖大橋まで続いており、安定したレースになりそう。

「お孫さん、おめでとうございます」とI君・Sくんから。次男に初めての子がこの夏に誕生したことを当然知っています。
Sくんにも3人目の子が宿ったようで、また女の子かも?って言ってました。
次男の結婚式に家族で来てくれ、お子さんたちにも会いました。
落ち着いた女の子で、長男の孫くんの行動力との違いを感じました。

奥さんは元このクラブの同期マネージャーなので、彼らの結婚式でお祝いのスピーチをさせていただきました。
学科が物理で、結婚式の各テーブルには、会社の先輩が設計した名機・ゼロ戦のプラモデルが飾られていました。
全部S君が組み立てたそうです。

防衛予算増の流れなので、「給料増えるな」と言うと、意外に防衛産業受注企業は多いそうです。
世界一の空調企業・ダイキンが弾薬を造ってるなんて、知りませんでした。
元々火薬・弾薬製造会社で、製品や原料の保存のために空調を自社制作し、戦後はダイキンエアコンの方が主力になり世界進出していったようです。
僕の中高の同級生が、勤めています。
あいつからそんなん聞いたことなかった。

それでも、しっかり弾薬は造り続けているのだとか・・・

9/18・3人乗りヨット全日本選手権大会3 パーティー

宴会場に入ると、Iさん・O君・Mさんがいます。
隣の席に座ると、別の席に座っていたS先輩・Oさん・Hさんの通常の僕のチームメンバーも移ってきました。
この3人に加え、Mさん・僕の5人でチームを組んでいます。
このテーブルは、2チーム合同テーブルになりました。

後輩で、現在トップのヨット部後輩が司会でパーティーが始まり、ヨットクラブ副会長さんの音頭で乾杯。
コース料理が進みます。
1週間前、次男が頼んでコーチしてもらったIくん・Hくんの東京オリンピック代表狙いコンビのスポンサーは、Mさんの会社がしているので、そのことを話します。

3人乗りヨットのこのクラス会長は、江ノ島ジュニアジョットクラブの会長さんでもあるAさんです。
息子が大学時代の全日本で、江ノ島に家内と応援に行った時、「・・さん、観覧船出すけど、乗る?」って誘って頂きました。
僕一人なら乗ったけど、防波堤から息子の名を大声で呼んで、手を降って満足してる家内を見ると、もういいかなと辞退しました。
波が荒そうだし、予定通りレース中は鎌倉の大仏観光していました。

年賀状のやり取りをずっとしてるのですが、奥様とお会いするのが初めてなので、声を掛けます。
おそろいの法被を着られています。
こういう夫婦が好きです。
奥さんは有名な同時通訳者で、TVニュース番組にもよく出ておられました。

もともと江ノ島ジュニアの世話をされていましたが、日本最強最大ヨットクラブ内での重大なフェアプレイルール違反トラブルからの再生の切り札として、代表に戻られました。
勝利至上主義からの脱却を掲げ、現在は「勝利」という言葉さえ使わないように子供たちを指導されているそうです。

僕もジュニア理事を辞めたのは、行き過ぎたスポーツ優先に異議があったからです。
全日本4日間を、祝日の絡まない、より選手に学校を休むことを強いる日程にしたりしたからです。
大反対キャンペーンを張ると、学業重視の親の賛同が増え、臨時総会が開かれ、以前の学業重視に戻りました。
僕は、混乱の責任を取り自ら身を引きましたが、実質を取れたので大満足でした。

私は、多くの親からともに戦う申し出を受けましたが、初めから混乱の責任を取る決意を持っていたので、ジュニア年齢のいるお子さんをお持ちの親を巻き込む訳にはいきません。
丁重にお断りし、1人で責任を取りました。
多くの遺留の言葉を得ましたが、自分自身にけじめを付けました。
元ジュニア選手だった当時高校生の次男に、背中で語りたかったからです。
そしたら、数年後大学ヨット部に入部した次男から、「親父、暇やからコーチに来ますよ」と、思いかけないプレゼントをもらいました。
僕の理事退任の一件について、未だに次男と一言も話していませんが、息子から合格点をもらった気持ちになりました。

選手をもっと協会が引っ張り、ジュニア時代の競技力を向上させなければ、オリンピックに勝てないとの壮大な計画にも一理あると思ったが、中央の協会が義務教育を疎かにしてしまう競技日程を提案するのは、一般の日本人には受け入れられないと思った。
個人の親子でやればいいと思った。
息子もそうでしたが、難関中学・高校受験合格を目指し、学業も頑張ってる選手をナショナルチームから排除されてしまうシステムは、義務教育の選手オンリーのジュニアスポーツには馴染まないと思います。
スポーツバカにはなってほしくないのです。

浜名湖ジュニア出身のO君を紹介し、顔つなぎをします。
若いヨット乗りを新しいステージに上げてあげるのは、前世代の努めです。

20160918DraS002s.jpg 2時間、20:30過ぎにお開きになり、記念にホテル内と玄関の写真を撮ります。
21時過ぎに帰宅し、家内の部屋が閉まり寝ているようなので、そっと片付け、ヨーグルトを持って寝室に上がりました。

TVを点けると、孫の遼くんお気に入りのティラノザウルスをやっており、最後まで見てしまいました。
ティラノザウルスを知ったのは、子供の頃の小さな恐竜ブームの時ですが、その他多くの恐竜の1つでした。
最も強く凶暴な肉食恐竜というだけの認識でした。

中学?高校生になり、「T・レックス」というイギリスのロックバンドが好きになり、「ティラノザウルス・レックス」の略だと知った時から、深く認識されるようになりました。
凶暴な悪役だけど、無くてはならない恐竜です。

9/18・3人乗りヨット全日本選手権大会2

レース海面に到着したら、9:55。
すぐにレーススタート予告信号が上がり、この日の第1レース(第3レース)のスタートです。
遅れ上一の位置からのスタートでしたが、滑りが良く、右に少しづつ風が振れたのも幸いし、ビリ11位スタートだったのに、上位に上がっていきます。

僕らのアスターンを、2艇が切って右に出ていきます。
左集団の先行トップ艇がタックし、僕らのバウを切って行きます。
僕はここで下タックして、良い風の右海面に行くことを提案しますが、左のブローを待つことになりそのまま。

緩いブローが入り、リーバウ3艇がタックしてきたので、その前でタックします。
右海面がブローが第1上マークまで続き、僕らの後ろを抜けていった艇に1艇抜かれ、3位回航。

ここまではまあ良かったのですが、この船が初めての僕と、いつもこの船に乗ってるけど、ポジションがいつもヘルムスマンで、ミドルクルーが初めてのIさんとのコンビがうまく行かず、下マークでバタバタしてしまい5位に順位を落とします。

右海面が良かったので、そちら行きたかったが、走りづらいポジションだったので、タックして左に出しました。
先行艇の影響の少ないポジションでタックし、右に向かおうと提案するが、そのまま左に出し、第2上マークでは7位までダウンしてしまいました。
フィニッシュまで2艇抜いて5位フィニッシュ。

初日第1レースは、リコール(フライングスタート)で失格。
第2レースは、下マークで失敗し、リタイヤしたので、不本意ながらも、着順が初めてついてメデタシメデタシ。

昼食中、六甲山から神戸にかけての空に雲が現れ、西(右)から8m/sほどのブローが入ってきます。
これはもろわかりの右海面有利でした。
その雲が上空を流れていき、次に西の神戸方面が厚い雲の下で霞み始めました。
雨が降っていますね。
その雲が上空に来て、雨が加わりました。

本日の第2レース(第4レース)です。
再び西からブローを伴った雲が流れてくると考え、上一即タックの作戦を立てました。
作戦通りのスタートで、西(右)海面に先行して出ます。
しかし西からのブローが入らず、左海面の方が良いです。
最後まで我慢して右で粘りますが、結局ブローは降りてこず、ビリ3(9位)で回航。

下マークで1艇抜いて、次の上りレグで、もう一度西に向かい、滑りのスピードと上り角度で先行艇を数艇抜き、6位フィニッシュ。
4レース総合でも、ビリ(11位)から、3つ4つ上がったかな?

O君のヘルムスを見ていて、「さすがジュニア上がり」と感じる所が多々ありました。
落ち着いており、安心して乗っていられます。
クローズが安定し、上り重視とスピード重視の切り替えが明確です。
「上手いなあ」と思いました。

2レース終了で、まだ13時前です。
1日2レースの帆走指示書なので、これで本日はお終いです。
尼崎西宮港沖一文字防波堤外なので、波が大きく疲れました。
あ~だこ~だ笑いながら、ハーバーバックです。

桟橋に戻り、セイルを巻いて、桟橋で昼食の続きです。
パーティーまで時間があるので、一旦自宅に帰ることにしました。
14時にハーバーから出て、R171で帰宅。

家内がおり、ヨットの道具を片付け、風呂に入り、翌日朝に予定しているお彼岸お墓参り用のお花を2人で買いに行きます。
帰宅後、17時出発と家内に次の予定を告げ、昼寝します。
17時前に家内に起こされ、用意開始です。

ジャケット&ネクタイに着替え、出発。
「神戸ベイシェラトンホテル」が会場です。
ハーバーランドの方だと思っていたら、六甲アイランドにありました。
20160918DraS001s.jpg 18時前に到着し、場所がわからないのでフロントで聞こうと順番を待ってると、ライバルSさんが僕の大学ヨット部後輩のクルーと共に現れ、3Fだと教えてもらいました。

9/18・3人乗りヨット全日本選手権大会1

3人乗りヨットの全日本2日目です。
当初、僕はメンバーから外れ、コーチしてる大学ヨット部のコーチング日でしたが、数日前にうちのレース艇の艇長であるS先輩から、「Iんとこのメンバーが足らんのや、ヘルプできひんかなあ」と連絡がありました。

Iさんも母校ヨット部の先輩で、僕が1回生の時のキャプテン・Sさんと同期で、470チームのエースでした。
Iさんのコンビを組んでいたのがKさんで、Iさん卒業後、Kさんと僕がコンビを組みました。
つまり僕の直系の先輩です。
プレオリンピックに出場したIさんの技術が、Kさん・僕に伝わり、Kさんも僕も学生ナンバーワンと言われるほどに成長しました。
もちろん、学生時代Iさんと一緒に乗り、練習したこともある。

その次の週は、インカレ団体戦予選で、レース前最後のコーチングで重要ですが、S先輩・I先輩からの頼みは断れない。
結局、コーチングの方をキャンセルし、全日本を優先しました。

10時スタートなので、9時出艇だから、8時に着けばいいなと、7:30自宅出発予定でした。
神戸空港沖の天気予報は、雨とSW6m/sです。
18:30からパーティーがあり、ドレスコードがジャケット・ネクタイです。
着替えを置いておく所がないので、いつもの通勤リード110を止め、車で行くことにしました。
風呂に入ったり、あれこれ用意していたら、7時になってしまい、慌てて出発しました。

車は信号待ちで前に出れないので、どうしても遅く時間が掛かります。
R171を南西に向かい、武庫川甲武橋を過ぎた所で、帽子とグローブを忘れたことに気づきました。
多分、波が大きく、8m/sぐらいまで風は上がり、ハードなレースが予想されます。
セイリンググローブがないと辛いし、バウ(舳先)で切った波を被るので、帽子がないのも辛い。

8:30には間に合うので、Uターンして自宅に戻りました。
このロスで、7:40到着予定が、8:30到着になってしましました。
駐車場に車を入れると、チームを組んでるOさんとHさんが車から出てきました。
3日間レースの中日なので、初日のレース後桟橋に係留されているので、準備の必要はなく、セイルを上げて出るだけです。

小雨が降っており、車の中でスプレージャケット・パンツを履きます。
その下は、ラッスガードと短パンです。
カッパは暑いので、夏場の濡れるレースは、このスタイルが快適です。

セキュリティーカードでハーバーに入り、小走りに係留桟橋に向かうと、IさんとO君が来ていました。
「すいません、社長出勤になってしまいました」
「お~、すまんなあ」

O君は、出身大学の後輩で、次男より少し下の20代です。
ジュニアヨット出身で、僕が理事をしていた頃の選手です。
ジュニア繋がりで、親御さんとも面識があり、和気藹々とセイルを上げ、出艇しました。

Iさんのメンバーは、オーナーが体調不良で入院してしまい、もう一人も怪我で入院中でピンチでした。
O君は、葉山で同時開催中の全日本女子インカレのコーチで行く予定だったそうですが、僕同様先輩からのヘルプを断れず、誰かに変わってもらったのでしょう。

このヨットには数回しか乗ったことがないO君がヘルムスマンで、Iさんがミドルで、僕がバウクルーです。
学連ヨット部出身者なら、船は変われど、ヘルムスマンという舵・メインセイル担当は出来ます。
数年前の全日本インカレ個人戦優勝ヘルムスマンなので、安心して舵を任せられます。
コントロールロープが多く、そのリードも様々なので、クルーの方が熟練を要します。
僕も、最初にこの船に乗り出した時は、「おまえは、ヘルムスマンしかできへんから」と、そのポジションでした。

レース海面に向かいながら、あれやこれやお喋りしました。
Iさんは数ヶ月に一度、職人さんを連れての技術指導で、タイの提携会社に行ってるそうで、数年前の日系企業も大被害を受けた洪水の時も、タイにいたそうです。

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今日の昼休み、ホンダドリームからの帰り、通勤リード110で県道r13を走っていると、何と検問に捕まりました。
僕の走ってる追い越し車線まで赤い旗を持ったお巡りさんが出てきて、ピピピー。

8月に、5年ぶりに検挙され、ゴールド免許チャレンジが今回も水疱に消えたばかり。
僕も運転も焼きが回ったかな? と思いながら、「何か違反したかな?スピード違反?」って感じで、赤旗に遮られるまま路肩へ止めます。
50km/h制限の道を、+10の自主規制で55km/hほどで走っていました。
信号で先頭だったので、クリアな道を快調に走ってたけど・・・

「スピード違反です」と大声で、もう一人のお巡りさんが前から走ってきて、僕の横を通り過ぎます。
そのお巡りさんに指示され、後ろのバイクが僕の前へ出て行きます。
「2台違反したのか。10km以内のオーバーでもスピード違反を取るのか?厳しくなったな」と、生涯初のスピード違反謙虚にがっかりしました。

そしたら、目の前の赤旗お巡りさんが、「運転手さん、スピード違反の取締りです。違反者は後ろのバイクで、安全のため運転手さんも止めました。どうぞ行って下さい」
動揺していたので、意味が理解できずキョトンとしていると、「申し訳ありません、安全のため運転手さんも止めました。どうぞ行って下さい」

僕を煽る勢いで、大きな音を立て後ろに急接近していた原付50cc(制限速度30km/h)お兄さんが、多分30km/hオーバーぐらいで捕まったようです。
追い越し車線での捕物だったので、走行車線の車もみんな止まり、再び僕を先頭に走り出しました。

お~スピード違反検挙処女を守り抜きました。
日頃からの+10自主規制が、今回もセーフに導いてくれました。
僕の人生は、ラッキーです。

9/11・学生ヨット部コーチング & お墓参り

R161を南下し、ヨットハーバーを目指します。
途中のコンビニに寄りましたが、やはりバナナはありません。
合宿所前に通りかかったら、臨時コーチをお願いしたI君・H君が道路に出てきました。
車を停め、彼らを乗せます。
7:12YH着。

キャプテンにスケジュールを聞くと、湖上で昼食を取り、14時まで練習するそうです。
ハーバー前のセブンイレブンに昼食を買いに行きます。
すると、やっとバナナがあり購入。

8時に、ブリーフィングです。
臨時コーチから、練習メニューの説明があり、僕のカメラで記念集合写真を撮りました。
写真後出艇し、ブラインドセイリングでクルーとスキッパーの会話の重要さを体験し、ノーラダーセイリングの模範帆走をビデオに収めたり、スタート練習&ショートコースしたりしました。

12:30になり、I君が乗ったインフレータブルボートがコーチボートにやってきて、挨拶します。
「東京オリンピック代表に向けて、頑張ってね」
I君はハーバーに戻っていきます。
I君のコーチングは、ここまで。

北からの風が少し上がり、H君中心に練習が続きます。
14時になりハーバーバックし、Hくんから3日間トレーニング最後のミーティングをしてもらいました。
質問がいろいろ出て、熱心に答えてくれました。
H君のコーチングもここまでで、来週末彼らは北京オリンピックのセイリング競技会場だった青島でレースのようです。
僕の3人乗りヨット全日本と同じ日程で、こちらの船にも興味津々で、こちらの全日本選手権にも出たそうでした。

僕は、Hくんを駅まで送ります。
7:12~14:31柳ヶ崎ヨットハーバー300円。
14:51、YHに戻ってきて、再び練習開始です。スタート練習・レース練習をします。

17時にハーバーバックし、合宿所に移動し、18:30から全体ミーティング。
練習で気付いたことを伝えます。
夕食は「シーフードカレー」でした。
差し入れのブドーのデザート付き。
いつもながら美味しい。
臨時コーチ2人も、学連ヨット部出身ですが、彼らの学生時代を振り返り、「ご飯おいしいですよね」って褒めていました。

19:42に、艇庫を出発し、湖西道路~名神~中国道の定番ルートで、20:38帰宅しました。
家内はまだ起きており、手話で「おかえり」してくれました。
「ご飯は?」
「学生と、カレーを食べてきた」
片付けて、風呂に入って、21:30に床に入りました。

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2016/9/19
6時前に家を出発し、家内の実家の墓参りに行きました。
家内の姉夫婦の墓参り日を確認していないので、前日にお花を用意していました。
中国道・山陽道を利用しお墓に行ってみると、綺麗な花が供えられていました。
前日の日曜日に姉夫婦が参ったようです。
用意したお花は、我が家のお墓参り用に回し、お線香を上げて手を合わせてお終い。

8時前に帰宅すると、昨日は影も形もなかったのに、彼岸花の茎がニョッキリ伸びていました。
いつも咲く場所です。
もうすぐ彼岸なのに、彼岸花が咲かないから、今年は遅れるのかも?なんて家内は言っていましたが、いつものようにきっちりお彼岸に真っ赤な花を咲かせそうです。

彼岸花は、1日で茎が伸び、1日で花を咲かせます。
なにもない所に、2~3日あれば繊細で綺麗な真っ赤な花が咲き、目を楽しませてくれます。
芸術品かと思える複雑な花を咲かせる不思議な花です。

9/11・近江坂本日吉東照宮・坂本城址

r47に戻り、すぐ北に車を停めた駐車場が見える。
20160911ShigaS085s.jpg r47を西に渡って、長い階段を登っていく。
石鳥居が階段をまたいで建っているが、更に階段が登っています。
朝のお散歩のお父さんと挨拶。

やっと上まで上がれました。
r47から3分。
20160911ShigaS092s.jpg 『日吉大社・末社・東照宮3棟 桁行3間・梁間3間・一重・入母屋造・銅瓦葺の本殿と、その前面にある桁行5間・梁間2間・一重・入母屋造・銅瓦葺の拝殿とが、桁行3間・梁間1間・一重・両下造(まやつくり)・銅瓦葺の石の間(相の間)によって繋がれた建物で、権現造という形式の典型です。この社殿は、日光東照宮に先立って、寛永11年(1634)天海僧正によって営まれたもので、前面の向背には、軒唐破風がつき、その後方に千鳥破風がつき、蟇股の彫刻は精巧にできています。また内外とも装飾が華やかで美しい。正面入口の四脚唐門と周囲に巡らされた透塀(すかしべい)も美しく、社殿とよく調和しています。大正6年(1917)4月に、国の重要文化財となりました』

20160911ShigaS095s.jpg 『日吉東照宮 ご祭神:徳川家康公・日吉大神 創建:元和9年(1623)その後再建着工寛永11年(1634)正遷座(現社殿) ご利益:出世開運・武芸上達 天海上人が唱えた山王一実神道により、権現造りの社殿が当面して建てられ、薬師如来(本地仏)を祀る本地堂も、石階段下北東の地に造営されました』

20160911ShigaS096s.jpg まだ彩色が鮮やかに残り、隙間を通して垣間見える社殿も美しい。
20160911ShigaS097s.jpg 拝観料払っても、入って間近で見てみたい社殿でした。

20160911ShigaS109s.jpg 階段を下りだすと、寮から出てきた野球部の部員が、歩いて上がってきます。
「おはようございます」と挨拶して、社殿横から比叡山高校野球部グランドの方に歩いていきます。
グランドからは、元気の良い練習の声が聞こえています。
20160911ShigaS103s.jpg 自宅から離れ、寮生活しながら甲子園目指して野球に打ち込んでいるのでしょう。

車に戻り、r47~r316でJR坂本駅も通りすぎて東に下り、R161に出て南下します。
途中のコンビニによるが、バナナはありません。

6:48「坂本城址」
20160911ShigaS120s.jpg 湖底にまだ石垣の一部が遺っているらしいので、湖岸まで歩いたが、バス釣りグループがいるだけでした。
20160911ShigaS121s.jpg 唐崎にかけての砂浜の湖岸線が美しく、遠くに大津プリンスホテルも見える。

 『天下統一を目指し、戦国時代を疾風のごとく駆け抜けた織田信長は、元亀2年(1571)比叡山延暦寺を焼き討ちすると、最も信頼する家臣の1人である明智光秀を、京都を要する西近江の要衝・坂本に封じた。築城の名手である光秀は、翌元亀3年、本公園の北方300mの湖岸に、安土城に次いで日本第2の名城と謳われた坂本城を築城した。姫路城のように、大天守と小天守があり、城郭の範囲は、日吉山祭の呼び物の1つ、船渡御の神事が行われる七本柳にまで及んでいた。なお今も、城・城畔・御馬ヤシキなどの字名が残っている』

城域地図を見ると、ここ城址公園は、城域から外れた南側です。
湖畔に遺る石垣の位置も書いてあったので、次回です。
ここは、小河川が2本流れているので、その堆積物で出来た当時なかった陸地かもしれません。

20160911ShigaS113s.jpg 明智光秀の銅像が立っています。
『明智光秀は、北国道(西近江路)と湖上交通の要衝にあたるこの地に、元亀3年坂本城を築いた。琵琶湖に臨む典型的な水城で、豪壮華麗で、安土城に次ぐ名城と言われていた。近江滋賀郡を支配し、民政は行き届いていたという。その後光秀は、丹波を平定し、天正5年頃から亀山城を築き、その城下町が現在の亀岡市の基礎となった。更に同7年、横山城を攻めた後、城の大改造を行い、明智に因んで福知山城と名付けた』

『我ならで 誰かわ植えむ一つ松 心して吹け志賀の浦風 /光秀 明智光秀は、美濃国の名族・土岐氏一族の出身。永禄10年(1567)40才の頃、織田信長の家臣となる。元亀2年(1571)山門焼き討ちの後、光秀は、湖畔に豪壮な坂本城を築城し、以降およそ10年、ここを本拠地として活躍する。優れた武将であっただけでなく、当代一流の文化人と親交を持ち、茶の湯・連歌・詩歌などに造詣が深い文化人でもあった』

「光秀の意地」という歌も刻まれていた。
小川を渡った向こうの湖畔藪の中に、石塔が建っている。
藪漕ぎして湖岸に面した東側に回ってみた。

20160911ShigaS126s.jpg 『行願塔 青森県津軽出身の正井覚蔵氏が、お経の有り難さを知り仏門に入られて、比叡山無動寺の北嶺回峰行者になり、名を正井観順師と改められた。大正2年、正井氏は、地元青森で起きた船の事故で亡くなられた人や水難者の霊を慰めるためにこれを建てた。南北の塔に自分の両親を、真ん中に師匠を祀り、その下には写経が納められている。塔背面の文字は、その経典の題目が書かれている。正井氏は、2555日目の回峰行中、裳立山中腹で倒れ、墓は無動寺にある』

半分草に埋もれ、足で覆っていた草をなぎ倒して読んだ謂れ板には、壮絶な千日回峰行者の姿が刻まれていた。
比叡山延暦寺は、比叡山山中を1日30km・1日60km歩き続ける「千日回峰」の荒行で有名ですが、延暦寺の荒行というより、無動寺谷で修行する一派の荒行です。

千日回峰行者は、無動寺で寝泊まりします。
数年前に亡くなられた酒井雄哉さんも達成者ですが、千日回峰を2回・二千日回峰され、3回目の道半ばで山中に倒れられたようです。
世の中には、すごい人がいるものだ。


9/11・近江坂本慈眼堂・滋賀院

2日前の金曜日に続き、琵琶湖での大学ヨット部コーチングです。
金曜日同様バイクで行きたいところですが、車で向かいます。
その大学OBの次男が招聘した日本のトップレーサー2人を迎えた3日間コーチングの最終日なので、駅へ送ることを考えました。

4:30に目覚めたので、8時出艇には早すぎますが、5:00に出発します。
「街道をゆく・叡山の諸道/司馬遼太郎」を読み終えたところなので、坂本の「滋賀院門跡」に歴代延暦寺座主の墓石を訪ねようと考えました。
早朝から、門が開いてるかな?クローズなら、金曜日に訪問した「西教寺」に不断念仏を聞きに行きます。

中国道・池田IC~名神高速・京都東IC、湖西道路・西大津バイパスに乗り、「下阪本ランプ」下車。
R161を走り、「JR坂本駅」を西へr316に入ります。
朝食用にバナナを買おうと、セブン-イレブンに入りましたが、バナナを売っていないようです。
コンビニは、どこでも売ってると思ってた。

「京阪・坂本駅」横を通過し、坂本僧坊群中心地に入り、「観光駐車場」の案内に従ってr47を北に入るが、遠そうなのでパス。
坂本ケーブル近くに観光駐車場があったのを思い出し、r47を逆に南に向かい、6:01坂本ケーブル分岐を過ぎたとこにある無料駐車場に車を置きます。

20160911ShigaS003s.jpg 「滋賀院」の案内板に従って、東に沢沿いを下ります。
西の山側は、比叡山高校です。
甲子園の高校野球にも出場する強豪です。
20160911ShigaS006s.jpg 案内板に従って道なりに歩くと、6:03歴代座主の墓石・無縫塔が並ぶ墓地が見つかりました。

室町幕府成立の戦記「太平記」の準主役「大塔宮」は、比叡山延暦寺の座主でした。
彼は、後醍醐天皇の皇子であったように、歴代座主は天皇の皇子や有力公家の子が就任する門跡寺院です。
要するに、資金付き坊主なので、修行如何にかかわらず、出世して行きます。

20160911ShigaS010s.jpg 「紫式部之塔」「和泉式部之塔」「清少納言之塔」が並んでおり、どういう縁でここに供養塔が立ったのか知りたくなりました。
歴代座主の墓石は、無縫塔の形のものは少なく、五輪塔の形のものが多かった。

20160911ShigaS020s.jpg 1つ1つ見ていくと、「慈願大師」の無縫塔があった。
慈眼大師は、怪僧・南光坊天海のことで、家康側近として仕え、政権アドバイザーとして、徳川政権黎明期に大きな力を振るいました。
「大坂夏の陣」で豊臣家を滅ぼす理由とされた「方広寺の鐘」に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字が、徳川家に災いをもたらすとアドバイスしたと伝えられ、家康を祀る東照宮を造った人物です。

僕の最も好きなエピソードは、「僧天海は、実は明智光秀だった」説で、織田信長によって京で討つ手はずだった明智光秀軍が、本能寺の信長宿舎を急襲し、嫡男信忠ともども葬った。
堺から急遽本拠地・三河に戻った家康は、間に合わなかったが秀吉に対抗しようと兵を挙げました。
嫡孫・家光の乳母・教育係として、光秀の片腕・斎藤利三の娘・春日局お福を抜擢し、日光東照宮には明智家の家紋・桔梗紋があしらわれている。
光秀は、室町時代の名門で、美濃守護の名門・土岐家(明智家の本家)の再興を目指していたとか・・・
明智平の命名も天海だ。
など、それを裏付ける逸話に事欠かない。

20160911ShigaS027s.jpg 『阿弥陀如来石像(室町時代) 近江観音寺城主・六角承禎が母の菩提のために郷里・近江鵜川の地に阿弥陀石仏48体を奉安し、そのうち13体を江戸初期、天海大僧正が当地に移した』

その横の方形の僧坊に回ると、滋賀院案内板は、更に下を示している。
20160911ShigaS034s.jpg ここは滋賀院ではなかったのかと、石灯籠が並ぶ方形僧坊に近づくと、慈眼堂でした。

『慈眼大師・南光坊天海大僧正の廟である。徳川家康・秀忠・家光三代将軍に、幕府顧問として遇され、元亀の兵火で全山焦土と化した比叡山の復興に尽力した。
寛永20年、家光の命により建立された。慶安元年、大師号の宣下を受ける』

滋賀院案内板に従って下ると、「天台宗務庁」があった。
全国の天台宗の総元締めですね。
正面横に小ぶりな宗祖・伝教大師像が立ち、『一隅を照らす、是れ即ち、国の宝なり』の有名な一節が、石碑に刻まれ解説されていた。

その横が、いよいよ滋賀院門跡です。
20160911ShigaS051s.jpg 西・琵琶湖に向かって、檜皮葺の小ぶりだが雰囲気の良い唐破風の門がある。
車止めがされており、日頃は使われていなさそう。
案内はなかったが、勅使門かもしれない。

『滋賀院門跡 元和元年(1615)、慈眼大師天海(1536~1642)が、後陽成上皇より法勝寺(京都北白川にあり、六勝寺の1つで、歴代天皇にご受戒する寺として、四箇戒場の1つ)を下賜され、この地に移築された。明暦元年(1655)後水尾天皇より滋賀院の号と寺領1000石を賜り、江戸時代末まで、天台座主であった法親王が代々住まっておられた。
外観は、堂々たる穴太衆積みの石垣に白壁が続いており、滋賀院御殿と言われた名に恥じない異様を見せている。御殿は、明治11年(1878)11月の火災で灰となったが、現在の建物は山上より3塔それぞれ最高の建築を移築したもの』

庭園・襖絵・仏殿・涅槃図・隠し絵襖・徳川家光拝領鎧などが紹介されているが、拝観時間前なので入れない。
20160911ShigaS067s.jpg 東側に門を出ると、穴太積みと白壁が続く姿があった。
東の琵琶湖に向かって、敷石坂がまっすぐ続いている。

石壁に沿って、南に進み、東西の緩やかな坂戸の交差点を、西に登る。
天台宗務庁裏側、叡山学院寮、叡山高等学校山家寮、琵琶湖病院、叡山幼稚園と続いてい
た。
20160911ShigaS074s.jpg 坂の下・東を振り返ると、琵琶湖が広がっていた。


9/9・臨時コーチ

r47から湖西道路・滋賀里ランプに乗るが、逆の北向きに乗ってしまった。
下阪本ランプで一旦出てUターン、再び乗って近江神宮ランプで下車し、近江神宮横を通り、7:23ヨットハーバー着。

艇庫前では、まだ船の用意がされていない。
「あれっ、まだ合宿所かな?」と思い、再びバイクを走らせたが、部員が歩いてきたので再び艇庫前へ。
8時出艇ではなく、8時集合ということでした。

部員がやってきて、艤装開始。
キャプテンなどに予定を聞き、臨時コーチIくん・Hくんも合宿所からやってきた。
「・・さん、お久しぶりです」と、Iくんがニコニコやってきた。
「はじめまして、・・です」とHくん。
2人共好青年で、ハキハキ話し気持ちが良い。
臨時コーチの指導メインに、スケジュールをざっと決め、9時に出艇しました。

1~3m/sの風速で、ラダー(舵)レス・セイリングで、船の行きたい方向を感じる練習をする。
20160911BiwaS191s.jpg 選手と乗り換え、具体的に動作をアドバイスしてくれる。
真後ろにコーチボートを着けアドバイスしてもらいながらのボートは、確かに他艇より早い。
次男が後輩たちのために作ってくれた縁です。
僕も、しっかりサポートしなきゃ。

ドライブするマネさん達に、ファミリーデイに僕が撮った写真が、ネット上で見れたか聞くと、親御さんたちにもアドレスを紹介し、ダウンロードしてくれたようです。
次週の葉山での女子インカレの遠征陣容を聞くと、選手2人+マネージャー1人だけみたい。

東京在住のOBが観覧船を出してくれるので、親御さんを呼ぶよう選手のSさんに伝えた。
「いいんですか?」
「いいよ、せっかくクラブに入ったんだから、親御さんも含め想い出を作りな」と、先週のインカレ個選で、母校の父兄も観覧船に乗せて一緒に楽しんだことを伝える。

12時にハーバーバックし、僕はバイクで自宅へ。
湖西道路から名神高速に乗り、昼ごはんは抜きになりそうなので、「桂川PA」に寄り、ソフトクリームアイス・140円を食べて昼ごはんの代わりにした。
自宅に戻り、風呂に入り汗を流す。
風呂あがりの癖で、プレーンヨーグルト450gを食べ、着替えて職場に向かい、14時から仕事に復帰しました。

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2016/9/14(水)
21:30、家内のリクエストで、NHK総合からETVにチャンネル・チェンジしました。
「趣味どきっ!歩く旅をしよう」、トレッキングのノウハウ番組です。

「ロングトレイルを歩く・熊野古道・前編」です。
講師は、シェルパ斉藤さんで、生徒は日焼けで黒すぎる俳優の宍戸開さん。
女性生徒さんが、かなり可愛いので、「可愛いなあ」とTV画面にかぶりついて見ました。
家内の目当ては、ファッションチェックでしょう。
何気なく見ているようで、「おお~可愛い」と思える衣装を、時々投入してくる。

何処かで見たことあるような可愛い女生徒さんは、振る舞いが自然で、きっと女優さんだろうなと思い、お名前を知りたくて調べたら、「皆藤愛子」さんというフリーアナウンサーさんでした。
フジTV「めざましTV」のお天気キャスターでブレイクしたそうです。
民放をあまり見ないので知りませんでした。

2013年の同じ時間帯「趣味Do楽」で放送した番組のシリーズ再放送だそうで、2013年の時見たのかもしれない。
来週も、見よっと・・・今夜ですね。

9/9・近江坂本・西教寺2

20160909SaikyoS068s.jpg もう一段上がると、本堂でした。

『萬日法会の歴史 真盛上人が比叡山に登ったのが19才。20余年専心修行され、恵心僧都の往生要集によって、末代の仏教に念仏一途と心に定め、慈覚大師が中国の五台山より伝えた不断念仏を継承され、文明18年44才で西教寺に入り、不断念仏の道場とし、弥勒菩薩が慈尊仏として世にでられる50億年が来るまで、不断に念仏を相続しようとの大請願を立てた』

本堂では、念仏の声が聞こえている。
不断ということは、交代制でお坊さんが昼夜問わず唱え続けているということ・・・びっくりポンです。

更に上にある墓地入口には、『当墓地近隣では、猿が出没し甚大な被害を被っています。屋根瓦破壊・庫裏荒らし・墓地荒らし・墓石倒壊が重なり、維持管理に困っています。猿は、お供物と色花を目的に出没し、食べ物がなくなると建物や墓地を荒らします。お供え物を、持ち帰って下さい』とありました。

戦国武将の墓が並んでいました。
20160909SaikyoS080s.jpg 坂本城主・明智光秀公と一族、光秀公の妻・煕子の墓・・・。
猜疑心・信長を倒した常識人・光秀好きなので、長年ここに手を合わせたいと思っていました。

『濃州妻木(明智)一族と西教寺 本能寺の変・山崎合戦・坂本城攻防戦と続く戦乱の中で、妻木城主・妻木藤右衛門広忠の兄弟3人が討ち死にした。一族郎党も多数討ち死にした。広忠は、天正10年(1582)、坂本城落城後、明智一族に殉死した人々を西教寺に埋葬し供養した後、煕子(広忠の娘)の墓前で自刃した』

美濃の明智光秀生誕地を2ヶ所訪問したことがある。
慰霊碑に、西教寺の名を見て、今まで続く明智ネットワークを確認できた。
明知鉄道沿いを走り、明智を堪能した旅でした。
それを思い出しした。

『月さびよ 明智が妻の 咄(はな)せむ 松尾芭蕉』
妻木煕子と光秀の結婚について、逸話が残っています。婚約成った後、煕子は痘瘡を患い、顔に跡が残ってしまった。婚約を破棄したくなかった妻木は、瓜二つの妹を嫁にやったが、光秀はそれを見破り、改めて煕子を迎えた。光秀は斎藤道三に与し、斎藤義龍に攻められ本拠地を失い、浪人することになる。信長のもとで出世するまで、自分の黒髪を売ってまで、光秀の仲間内での体面を保った。「糟糠の妻」として有名です。光秀より先に死ぬのですが、多忙な光秀自身が看病し、この寺に弔った。光秀は側室も置かなかったと言われ、僕の理想の夫婦です。

『坂本城主・明智光秀とその一族の墓 織田信長が元亀2年(1571)9月、坂本・比叡山を中心に、近江国の寺院をはじめ大半を焼き討ちした。西教寺も全山類焼の厄に遭った。その後再興に尽力したのは、信長の将・明智光秀で、坂本城を築城、坂本一帯の復興に当たり、西教寺の大本坊(庫裏)を築造した。天正2年(1574)仮本堂を完成し、現在の本尊(重文・丈八の阿弥陀如来)を迎えている。
それ以来、光秀との由縁深く、元亀4年(1573)2月、光秀が堅田城に籠もった本願寺光佐を討った時、戦死18名の菩提のため、武者・中間の区別なく、供養塔を寄進した。早逝した内室・煕子の供養もされ、墓が安置されている。天正10年(1582)本能寺の変の後、山崎合戦で敗れ非業の最期を遂げた時、光秀一族とともに当時に葬られたと言われている。後に坂本城の城門の1つも当寺に移された。
以来、光秀の菩提を毎年6月14日に光秀忌を営んでいる』

『明智光秀公辞世句 「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」 
修業の道は順縁と逆縁の2つがある。しかしこれは2つに非ず、実は1つの門である。究極のところ、人間の心の源に達する大道である。わが55年の人生の夢も、醒めてみれば全て一元に帰するものだ』

20160909SaikyoS096s.jpg さらに階段が続き、真盛上人の御廟があった。
本堂横に、雰囲気の良い客殿がある。
20160909SaikyoS104s.jpg 本堂内からは、念仏の声が聞こえ、拝観料500円で内部に入れるようですが、時間がないのが残念です。
不断念仏なので、24Hオープンで念仏の世界に身を置く事ができるのかもしれない。
鐘楼塔がある。
ここで帰路に着く。

20160909SaikyoS118s.jpg 念仏を聞きに、また来そうです。
朝の誰もいない時間帯が良さそう。
すれ違い下って行かれた数人の男性は、これが目的なのかもしれません。
静かに、念仏が流れる本堂に入り、静かに出ていく、ただそれだけでも、心が洗われるのではないだろうか。

バイクに戻り、r47を戻る。
「日吉大社」前を過ぎた所で、何となく坂本ケーブル駅に寄り道したくなった。
20160909SaikyoS129s.jpg 7:01、ケーブルカーがいる。
まだ営業前だと思うが、職員さんが始業点検をしている。
京阪坂本駅との間にバス運行があるが、営業時間帯のみ1時間に2本でした。
家内と以前来た時は、穴太衆の石垣を見ながら歩いた。
20160909SaikyoS130s.jpg レトロな駅舎は健在で、掃除が行き届いているので、重厚感があって気持ちが良い。

20160909SaikyoS136s.jpg 「ケーブル坂本駅・海抜170m、ケーブル延暦寺駅・654m」
「片道860円・往復1620円」

『土佐日記と南国市 坂本ケーブル裳立山停留所より、尾根伝い500mに紀貫之公の墳墓があります。南国市比江は、奈良時代から平安時代まで国司官舎があった場所で、紀貫之は48代国司でした。土佐の地で4年の任期を終えた承平4年(934)帰京の際の船旅で記した見聞紀行日記「土佐日記」を世に発表したことで、土佐との関わりがより深くなった。紀貫之公を敬慕し、比叡山鉄道の尽力に預かりながら毎年団参を重ね大津市・御地史談会・観光協会・京都高知県人会との交流が始まった』


9/9・近江坂本・西教寺1

数日前、次男から電話がありました。
要件は2軒。
大学ヨット部の臨時コーチとして、ジュニア時代からの友人を呼んだので、サポートお願い。
もう1件は、大学の先輩から譲ってもらった1人乗りヨットを、ヨット部に寄付したい。

ヨット部へのヨット寄付は、葉山女子インカレに後輩が出場するので、そこまで次男が運び、そこから琵琶湖までは、レース艇運搬に便乗させてもらったらどうかと決まった。
僕からキャプテンにも連絡を入れた。
息子からは、同期の監督に話が行ってるので、後は部員が何とかするだろう。
タダで練習艇が増える機会を逃すはずがない。

臨時コーチI君は、次男がジュニア時代競い合った少し年下で、親御さんとも親しくさせてもらっていた。
I君は、僕の大学ヨット部の後輩だし。
東京オリンピック出場目指してチームを組んでるHくんは、Iくんと高校ヨット部が一緒です。

コーチング初日・金曜日の午前中、僕が行ってヨット部員と顔つなぎをすることにした。
日曜日も1日、彼らのコーチングを見させてもらい学びましょう。
彼らは紛れなく、日本のトップレーサーで、今年もワールドカップでトップ10入りしたり大活躍している。

4:30頃目覚めた。
バイク装束に着替え、「招き猫CB400SB」にライフジャケットとカメラを乗せ、5:28出発しました。
中国道~名神で京都東IC下車。
湖西道路に乗り、「滋賀里ランプ」下車。
r47に乗り、京阪電車「穴太」駅を過ぎ、「坂本」へ。
「日吉大社」前を通り過ぎ、6:23「西教寺」

ここには、次男がジュニアヨット時代、琵琶湖でのレースで何度か宿泊させてもらった宿坊があります。
古刹なのに、宿泊で利用させてもらっただけで、一度も見学したことがありませんでした。
朝一番なのでクローズかもしれいけど、寄ってみます。

駐車場にバイクを置き、案内板を見ます。
山門脇に、「明智光秀公と一族の菩提寺」の石碑が立っています。
「沢庵禅師の碑」もある。
江戸時代、沢庵禅師(1573~1645)が、1614年42才の時、近江を巡歴し、紀行文「石山行記」の中に書かれている一文で、京都~石山寺~三井寺~坂本・西教寺と巡ったそうです。

『西教寺総門 天正年間に、坂本城主・明智光秀が、坂本城門を移築したもの』

『西教寺と護猿(まもりざる)の由来 西教寺開山・真盛(しんせい)上人が、善男善女とともに日夜6万遍の念仏を唱え「念仏の功徳」によって民衆を救った。
それ以降、西教寺の念仏は栄え、不断念仏の道場として五百有余年絶えることなく今日受け継がれている。明応2年(1493)、西教寺に法難が押し寄せた時、手白の猿が念仏の鉦を打ち、上人の身代わりを勤め西教寺を護った。それ以降、身代わりの猿は、護猿と言ってあらゆる災難から守ってくれます。上人の恩徳により、護猿(ござる)の猿として親しまれ、五猿(客がござる・福がござる)と商売繁盛のお守りとされている。五匹の猿が念仏を唱える姿がお守りとされる』

『文学ゆかりの地 小説「細川ガラシャ夫人」三浦綾子著 昭和48年から執筆した初めての歴史小説。小説の中に、光秀が坂本城主になってから、西教寺の不断念仏の鉦が鳴る本堂へ、妻・煕子(ひろこ)、末娘・玉子(細川ガラシャ)、左馬之助光春、郎党を連れての参詣が描かれている』

20160909SaikyoS009s.jpg 山門をくぐり、本殿に続く緩やかな坂を登っていきます。
お参りの男性と、朝の挨拶を交わします。
道の両側に、僧坊がいくつもあります。
「近江国野洲組・蒲生組」「伊勢国」など、宿坊の脇に国名が書かれています。
お伊勢参りのご贔屓宿と同じ名残でしょう。

「教学総合センター」・・・ここにいつも泊まっていました。
ジュニアスポーツということなのか、とてもお安く宿泊を提供いただきました。
山門からの道の正面は、天皇からの特使のみ通ることが出来る「勅使門」がありました。
寺院の格を感じます。

『西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である僧慧慈・慧聡の為に開創した寺で、推古天皇26年(618)大窪山の山号を賜り、天智天皇8年(669)西教寺の号を下賜された。天台座主・慈恵大師良源大僧正、恵心僧都が念仏道場とした。その後、比叡山で修行した真盛上人が文明18年(1486)入寺し、不断念仏の根本道場として、西教寺を再建した。明治11年(1878)明治政府によって別派独立が公許「天台宗真盛派」の本山となった。昭和16年(1941)に、天台三派合同となったが、終戦とともに、延暦寺(山門)・三井寺(寺門)・西教寺(盛門)が分離独立、今日に至っている』

20160909SaikyoS047s.jpg 『宗祖大師殿 天台真盛宗・宗祖・圓戎国師・慈摂大師・真盛上人の木造を祀るお堂。嘉吉3年(1443)伊勢国一志(いちし)・郡小倭大仰(こおりおやまとおおのき)の里に出生(三重県一志郡一志町大字大仰)、14才で出家、文明18年(1486)西教寺へ入寺され、堂塔と教法を再興、19才から20年間、比叡山中に籠り、日課6万遍の称名念仏を収め、朝廷・公家・武士・庶民へ持戒と念仏の布教を行い、戎称二門不断念仏の根本道場とした。堂内には、昭和天皇より下賜された「慈摂」の勅願が、掲げられている』

20160909SaikyoS044s.jpg 振り返ると、琵琶湖が一望できる高台だった。
唐破風の屋根が綺麗で、琵琶湖に向いている。
築地屋根には猿の瓦が乗り、唐破風屋根の彫刻が見事です。
20160909SaikyoS054s.jpg 獏・麒麟・獅子、蟇股には龍。
20160909SaikyoS055s.jpg 開いている板門扉には、「三羽雀」紋が彫られている。
門を入ると、同じく唐破風屋根の大師殿があった。
重厚感があるが、門の方に惹かれる。

『記念植樹・橘の木 平成6年5月宗祖・真盛上人500回記忌大法会記念 真盛上人の父は、小泉左近尉藤能(ふじよし)と言い、小泉家は紀氏の末裔で、上人は紀貫之から数えて17世あるいは21世と言われている。小泉家は、「丸に橘紋」であることから、橘の木が愛木とされている』

『宝珠丸(真盛上人幼形像) 幼名・宝珠丸で、母が地蔵菩薩から宝珠を授かったと夢見て上人を身ごもったので、名付けられた。7才の時、伊勢川口郷の光明寺の盛源律師の弟子となり寺に移り、14才で剃髪出家し真盛と改めた。この幼少像は、出家時の幼形で、晩年の上人像から骨格を調査し、京都教育大学山崎正義名誉教授が制作した』


9/4・インカレ個人選手権

土曜日に、次男から電話が入りました。
ブラジルオリンピックへの出場は成らなかったけど、東京に向けてオリンピックキャンペーンを続けているI君が、次男母校大学ヨット部がコーチしてくれる件です。

翌週末3日間の臨時コーチで、次男が企画したので顔つなぎでクラブに行ければいいのですが、子供が生まれたばかりで無理なので、僕に行ってくれないかとのことです。
次男が卒業した後も、僕はその大学のコーチを続けています。
I君は、僕の母校ヨット部の後輩でもあります。
日曜日はもともと行く予定だったので、加えて金曜日の午前中も行くことにしました。

この日曜日は、「全日本インカレ個人戦」観戦です。
今年はホームポートでの開催なので、母校出場選手の応援船として、先輩たちと所有しているクルーザーを出しているはずです。

3時半に目を覚まし、二度寝して次に目を覚ましたら、6:30になっていました。
ごそごそしてたら、7:30の出発になってしまいました。
ラッシュガードの上に暑いけどライフジャケットを着こみ、通勤リード110に乗って、R171を西宮に向かいます。

8:00、ハーバーのディンギーヤード駐輪場にバイクを入れます。
北海道から九州まで、各大学のレース艇が並び、選手がフィッティングしています。
ディンギーヤードに入ると、こちらにも出場艇が並び、レース最終日に向けて雰囲気が高まっています。

今日使うのであろう係留艇の点検に行きます。
桟橋を渡り、E号に乗り、エンジンを掛けます。
一発点火で、冷却水の排出も確認。
燃料も満タンなので、問題なしです。

再び、母校艇庫のあるディンギーヤードへ戻る。
僕らの頃と違い、OBの他に選手のご父兄も大勢来られており、いい感じです。
少年スポーツが盛んになり、親子で子供のスポーツを楽しむ良い時代になりました。
母校は出艇前ブリーフィングをしており、それを遠巻きに数人の親御さんが写真に収めています。

ブリーフィングが終わったので、後輩の監督に声を掛け、うちの船の動きを確認します。
「僕、乗れるかなあ~」
「当たり前ですやん、オーナーさんは乗ってもらわにゃ」と、担当女子マネージャーさんを呼び、指示しています。
しばらく待っていると、女子マネさんが駆けて来て、「お待たせしました」と、うちの船の動きを伝えてくれました。

「ドライブ担当は誰?」
「S先輩です」
「じゃあ、先に船に行って待ってるわ」
「レース艇が出艇したら、親御さんを集めて行きます。よろしくお願いします」
体育会の学生は、対応が気持ちが良いね。
大学4年間で、社会人としての基礎が鍛えられます。
就職して初めに褒められたことは、「挨拶が気持ちいいね」でした。
なんと新入社員歓迎パーティーで、新人代表に指名されちゃいました。
僕は体育会が大好きです。

桟橋を歩いていると、レース艇でコンビを組んでるS先輩がやってきました。
「おはようございます」
「おう」
E号に行くと、同じくコンビを組んでる日大OBのHさんがおり、用意をしてくれていました。

すぐに、女子マネさんが親御さんたちを引率してやってきます。
僕が母校コーチの時選手だった後輩のH君もいます。
「・・さん、お久しぶりです。Hです。」
「お~」
東京在住ですが、大阪への出張に引っ掛けて、母校応援にやってきたようです。

「Sさん、ドライブ代わりましょうか?」
「いや、ええよ」
年令を重ねても、上下関係は変わらないので、つい先輩を楽にしようと声を掛けちゃいます。
大学時代は、あれやこれやお世話になったので、先輩はわがままでOKです。
母校高校ヨット部の世話をしている先輩Nさん、親御さん2夫婦、1回生2人も乗り込み、9時頃レース海面に向かい桟橋を離れます。

OBの中では、H君が一番下なので、細々と動きます。
2夫婦は、母校KGHヨット部出身の子と、隣のハーバーで練習してるA高校ヨット部出身の子のコンビの親御さんでした。
5レース終了までトップでしたが、6レースで失格してしまい、7位に後退しました。

1回生の女子は、母校系列高校ヨット部出身の子でした。
僕の中学の時3年間社会を教えてもらった先生が、この高校を吸収合併する時、校長先生として赴任しました。
僕の中学からの同級生が、銀行を辞めて事務局長に就任し、教頭は中学の僕の1学年上の賢さで有名だった先輩です。
今は、その教頭先生が、校長になったそうです。

もう一人の1回生は、ヨット部後輩のHくんのお子さんで、小学生時代はドバイで住んでいたそうです。
帰国後、茗溪学園というラグビーで有名な学校に入学したそうです。
長男が、今年から海外赴任したので、海外での家族の生活や帰国後のことを、いろいろ教えてもらいました。

レースの方は、風が落ちてしまい、AP/H旗が本部船に揚がり、レース延期/ハーバー待機になりました。
帰るのもつまらないので、風は弱いですが、セイリングすることにしました。
H君がマストに行き、僕がメインハリヤードを引いて、セイルを展開します。

しばらく走りながら、ワイワイガヤガヤいろんな話をしていると、元ヨット業者にお勤めで、この船のメンテナンスをお願いしていたK先輩から電話が入りました。
K先輩を拾いに、11:30頃ハーバーに戻りました。
この日のレースは、13:30以降レースはしません。
親御さんたちや現役部員は、艇庫の方に戻りますが、僕らOBはまだ2時間あるので、風が出てくるまで、桟橋で待機します。

H君が、「なんか買ってきますわ」と買い出しに行きます。
買ってきてくれたサンドウィッチや弁当を食べながら、あ~だこ~だ話が尽きません。
12時頃、マネージャーから電話が入り、「本日のレースをしない。レース終了になった」ことを伝えてきました。
まだ1時間半も時間があるのに・・・。
しばらくして、ディンギーヤードの方から、長音3声が聞こえてきました。

風向が、東から南西に変わり、そよそよと風が入ってきたところでした。
出来そうなのに・・・。
僕も4回生のときのこのレースで、全レースの着順はトップでしたが、1レース失格しタイトルを逃しました。
残念だろうけど、結果は神のみぞ知る世界です。
12:30になり、船を片付け、ハーバーセンターハウス内のレストランに移動しました。

H君おすすめの「かき氷・650円」を注文しました。
練乳の氷をフワフワに削り、マンゴーの果肉とシロップをかけたもので、実に美味し
い。

S先輩と共に、3人乗りレース艇の方に移動し、先に整備を始めていたHさんに合流します。
日陰に入り、のんびり整備をやっていると、今年3人乗りレースを引退し、カットビ1人乗りに乗り出したT先輩が、KUOTAのロードバイクでやってきました。

また、うだうだお喋りが始まり、16時の大会閉会式を待たずに帰宅しました。
後輩は、スナイプクラス7位と470クラス3位が、最上位でした。
個人戦3連覇を逃しました。
慶応と、同志社が優勝しました。

台風が鹿児島県西の海上を北上しており、土曜日の天気予報は13時から雨、日曜朝の天気予報でも15時から雨でしたが、結局雨は降りませんでした。
R171を戻って帰宅し、風呂に入って汗を流し、庭に出て植樹をしました。
7/29に生まれた次男の最初の子(女の子)の誕生記念植樹です。
御用達の植木屋さんで、女の子らしい可愛い可憐な花をつけるアセビを、半月ほど前に買っていました。
暑い夏の地植えを避け、9月を待っての地植えです。
次男夫婦の結婚記念植樹した「ヤマボウシ」の脇に植えました。

19時頃帰ってきた家内は、鉢植えから植え替えたことを知りません。
明日の朝、お水をやろうとして、空の鉢植えを見つけて驚くでしょう。

8/28・篠山・北摂里山ツーリング その3 ドカティ&映画「青空エール」

西谷中学の信号で、後ろのバイクが捕まったので離れました。

11:37、次の信号「西谷農協・大池」交差点にある「レストラン大池」の「氷」が目に入
り、緊急停止。
そしたらなんと、あのドカティさんも入ってきました。
僕がもたもたしていたら、会釈しながら、先に入店されました。

僕も入り、「かき氷、まだやってますか?」と確認し、ドカティさんに「お一人ですか?相席いいですか?」「はい、どうぞ」ということで、お喋りが始まりました。
尼崎東園田にお住まいの方で、北摂里山地帯は、よく走っておられるそうです。

早速、ドカティのことを質問します。
1970年代の古いバイクを買い、エンジンはプロにメンテしてもらい、外装は自分でコツコツ直したそうです。
綺麗なブルーのタンク色はプロの塗装屋さんに仕上げてもらい、「DUCATI」ロゴなどは、シールを貼ってクリアを吹いているそうです。
「DUCATI MARK3 250」となっています。
愛車が見える席に席を取るところが、バイク好きさんですね。

バイクを3台お持ちで、僕みたいに使い分けておられます。
中間の大きさがBMWの600ccぐらいで、友達宅に預けてる大きいのがリッターバイクなんでしょう。

12:12、「それでは」とお別れし、先に出た僕は、DUCATIを見ます。
20160828SasaS102s.jpg 「写真撮っていいですか?」に始まり、またお喋りが始まります。
マフラーは「Conti」、エンジンは「DUCATI MECCANICA BOLOGNA」チューン、スピード・タコメーターやホーンスイッチは「CEV」って、僕にはわからないブランドだけど、一流メーカー品を組み立てたDUCATI職人の思いは伝わります。

僕らのレーシングヨットも、こだわりの一流品を自分たちで組み立てているので、壊れても自分たちで修理メンテできます。
ホンダの故障の少ないデジタル高性能なバイクにはない、アナログの良さですね。

12:39に僕が先に出て行きました。
r33~r325~長尾山トンネル経由で、13:06帰宅。
それを待っていたように、霧雨が落ちてきました。

家内に、「用事があるから市内まで乗せて行って」
「いいよ、映画を観に行かない?」
「いいのやってるの?」
「うん青春もの」
「ジャニーズ系が主演なの?」・・・前回観た「レインツリーの木」を想定しているのでしょう。
「う~ん、朝ドラ系が主演」

家内はお土産の「わらび餅」、僕はヨーグルトで小腹を満たし、カッパを着てタンデムで家を出て、まず「スタジオアリス」に寄り道します。
孫・航くんの写真を撮った時、「店頭に飾らせてもらっていいですか?」なんて言われたから、家内が見に行きたいとのこと。
ジジババ馬鹿です。

家内の用事に付き合い、映画館シネコンに向かいます。
大型ショッピングセンター内のスーパーで弁当を買おうと思ったら、レジが長蛇の列で断念。
ミスタードーナツで、カスタードクリーム108円・ダブルチョコレート108円・ゴールデンチョコレート108円=324円買って、最上階の映画館へ。

「15:35・青空エール」、自販機でチケットを買おうと画面を操作したら、中央より後ろの席は、ほぼ埋まっています。
すごい人気だなあ。
午後の時間帯だからかな?
ロビーも、いつもより人が多いです。

札幌の高校に入学したヒロインは、入学第一日目の自己紹介を済ませる。
トロフィーの飾られた前で佇んでいる。
吹奏楽部の強豪で、中学では帰宅部だったけど、ここで吹奏楽をしようと思って入学した。
横には背の高い男の子が立ち、同じくトロフィーを眺めていた。
「凄いよね、吹奏楽部」の声に、男の子からの「野球部」の声が重なった。

「私、甲子園に出場したこの学校の試合を見たんです。応援したくて、吹奏楽部に入ろうと思ってるんです」
「僕もその試合を見たよ。この学校で甲子園に行きたくて入学したんだ」
「俺、絶対甲子園に行くから、その時スタンドで応援してくれる?約束ね」と、爽やかに去っていく。

変にウジウジしてなくて、若者らしくストレートで、助演の生徒たちもストレートで悪役がいない。
素敵な映画でした。
そして、いっぱい涙しちゃった。
1年後ぐらいにDVDが安くなったら、買っちゃいそう。

10代の若者で埋まった劇場は、上映前のお喋りさえ気持ち良くて、最高でした。
「最近の若者は・・・」何て言葉が通り相場だけど、大学ヨット部で接する若者は素晴らしく、破天荒は少ないけど、僕らの世代よりよっぽど礼儀良く、仲間思いです。
上映が始まると、私語はピタリと収まり、本編終了後のエンドロールに入っても立つ者がおらず、気持ちが途切れず観れました。
おっちゃんおばちゃんが多いと、エンドロールで立たれて帰る方がおられ、気持ちが切れちゃう。
素晴らしいよ、若者。

劇場内が明るくなり席を立とうとすると、家内が、「良かったね」
「うん、いっぱい涙が出ちゃった」
「お父さんもスポーツをやってたから、気持ちが良くわかるでしょうね」と、微笑んでくれました。
ドキリ・・・あ~好きだな~僕には勿体無い素晴らしい女性です。

上映中、今回も何度かゆっくり顔を横に向け、気づかれないように家内の横顔を見ました。
どうも今回も涙腺の弱さは僕の圧勝だったようです。
好きな女性の横に座り、映画を観ていると、デートって感じで幸福感が満点になります。
あ~、僕はストーカーだ。


8/28・篠山・北摂里山ツーリング その2

9:18、鎮守の森が見えてきたので停車。
「大歳神社」でした。
すぐ東にJR福知山線が走り、踏切音が鳴ったので、普通列車をムービーする。

『祭神:崇神天皇・猿田彦命 往古・向山浄福寺に鎮座する大歳神社を大宝元年~2年(701~702)に遷座。孝徳天皇の文化年間(646)頃より、氏子の中で年に5~7人死者が多く出たので、神の禍と考え、人身御供を上げてきたが、ある年には10人も不幸が続いた。氏子のくじ引きで人身御供を決めることになった。人身御供を祭りの夜に供えたのを鎮平六という犬によって、その化け物を退治した』

平清盛が、福原の湊を築港するときに、風波の禍で進まない工事の安全て進展の為に人身御供されようとしていた若者を助けた物語が平家物語にある。
7・8世紀なら、まだまだ生け贄の風習が残っていた時代です。

20160828SasaS063s.jpg 神社の隣に、貨車を利用したカフェがありました。
「CAFE我風・ROUTE176・Where the wind blows」
「自分の人生フォローの風は、どこに吹いているのかな?」って、オーナーさん自らの人生を重ねた店名を想像した。
一大決心をして、カフェをオープンしたはずです。
気張って下さい!
応援のためにも入店してみたかったが、オープン前の時間のようでした。

20160828SasaS066s.jpg JR「南矢代」駅に寄り道し、9:32「松尾山・高仙寺」
「伝教大師・霊句 一隅を照らす 此れ即ち国宝なり」の石碑が立っている。
天台宗のお寺のようです。
鐘楼門をくぐり階段を登ると、鐘の下がった鐘楼があった。
門の上には鐘は下がっていないようです。

20160828SasaS071s.jpg 趣きのある鐘で、文字が彫られていますが、小さくて読めません。
こんな時のために単眼鏡を、ヒップバッグに常備していますが、「今日は国宝仏像など見ない」と思い、今朝出してしまっており残念。
20160828SasaS076s.jpg 渡り廊下に屋根が付き、蓮池があるなかなかのお寺でした。
脇を登っていくコンクリート舗装道が気になります。
赤い前掛けの六地蔵が、道を守護しています。

20160828SasaS085s.jpg 9:45「二村神社」
以前、少し北の神社の謂れ板で見た名前です。
モンツキアゲハが、花の蜜を吸っています。
『大昔、伊弉諾尊が天下る時、まず剣を先に落とし、「この剣が倒れていればコケッコと鳴け、しかし剣が刺さって立っておれば鳴くな」と命じて鶏を次に降ろした。鶏は剣が倒れていたので「コケッコー」と大声で鳴いて知らせたので、「この土地は堅く、神が住める土地である」と、伊弉冉尊を伴って降り、「神内村」と名付けた。往古は「神内」、文明14年(1482)以降は「御内」、慶安4年(1651)以降は「見内」と呼ばれた。天平勝宝2年(750)、正一位、鳥居の額は小野道風と伝えられる。文明14年の祭事の時、氏子の中で騒動が起こり、祭具が持ち分かれとなり、他の村に二村神社がわかれた』

室町時代の騒動の謂れは、他社でも読んだ記憶がある。
他の神具を持ち帰った「二村神社」に書かれていたのでしょう。
立派なお社ではありませんが、本殿前に真新しい榊が挿してあり、手入れが行き届いているのがわかる。
20160828SasaS093s.jpg 蟇股や木鼻の彫刻が細かく、目を引いた。「皇紀2600年記念樹」の石柱が立っている。

1940年、当時世界一の戦闘機・ゼロ戦誕生の年です。
今年は、2016+660=皇紀2676年ですね。
皇紀2700年も祝事がある日本であって欲しいな。

R176を南下し、9:57「JR古市駅」
ちょうどやってきた「特急こうのとり」を撮っていると、パラパラと霧雨が落ちてきました。
「早いな」と思いながら、空はだんだん雲が厚くなっていたので、退散します。

R176で、JR相野駅付近を通過し、「波田」からr310で、武庫川沿いを走ります。
「須磨田」からr309。
青野川を渡り、「下青野」
ここは雲が薄れ、晴れ間さえ見えるので、ブランチでも食べようかとr49を目指す。
r308との交差点から、またr309が分岐するのが北だと思い北上するが、間違いに気づきまた南下。

目出度くr309に乗り、10:25「北浦天満宮」
「小野」からr49を北上します。
このr49は、南下するときに使うことが多く、反対向きは久しぶりで新鮮です。

目指すブランチ場所「カフェ虎亀」前に来ましたが、昼から雨予報の割に車が2台ほど、バイクが数台停まっており、今着いたばかりの5台ほどのグループが、バイクを降りている途中でした。
そんなに大きくないお店なので、パスします。

そのまま永澤寺山を登り、峠を越えて永澤寺側に下り、お気に入りの「後川奥林道」を下って、後川奥~後川下からr37。
羽束川沿いを下り、10:57「こにし観光園」
観光バス2台と乗用車がいっぱい停まっています。
20160828SasaS101s.jpg 羽束川での「魚つかみどり」を子供会で楽しんでいるようです。
大盛況だ。

r37を南下し、11:14「道の駅・つくしの里」でアイスでも食べようと寄り道。
アイスがなく、お土産として「わらび餅」を買う。
残念な気持ちで店を出ると、ブルーのドカティが駐車場の端に停まっている。
ビンテージなスタイルなのに、塗装などがとても綺麗で、こだわりの方が大切に乗ってる感じです。
ライダーがいないけど・・・と思ってr37に出ようとしたら、そこで道を見ていました。
ペコリ・・・

r37に出て南下開始しようとしたら、路肩からキジが飛んで道路を横切りました。
緊急停止し、居場所を探したら、すぐに草むらに入っちゃいました。
r37~r323で定点観測ポイント「波豆川・八坂神社前」
そこから波豆川沿いを南下し、r68を渡ります。
一旦停止して出発しようとしたら、バックミラーにバイクが映る。
セパハンの小型バイクだから、さっき「つくしの里」で見たのと同じかもしれない。

「つくしの里」から、僕と同じルートで南下してくるとは、北摂里山地帯の道を知り尽くしている感じがする。




8/28・篠山・北摂里山ツーリング その1

家内もお休みなので、大台ケ原を歩こうか?
京都周遊東山ハイキングの続きをしようか?
京都出町柳の東北部寺社巡りはどうかな?
奈良盆地サイクリングの続きもあるし・・・
いろいろ計画はありましたが、天気予報では13~18時雨で、どうもいけません。

家内に予定を聞くと、午前中に用事があるとのこと。
朝起きて、最終お天気チェックし、グズグズしながらバイク装束に着替え、「篠山に行ってくる。お昼ごろ帰るから」「行ってらっしゃい」と家を出ました。

6:53、「里山ひこにゃんVTR250」に乗り、出発しました。
長尾山トンネル~r325~r33で、西谷農協大池。
まっすぐ北上し、定点観測ポイント・「波豆川・八坂神社」手前で、キジのオスが道路を横断するのを発見。
緊急停止し、探しましたが見つけられませんでした。

r323~r37~r49~千丈寺湖・湖畔道を経て、r308。
青野川沿いを北上します。
空が広く、伸びやかな道で気持ち良い。
朝は昼から天気が崩れるとは思えない青空でしたが、少しそれらしい雲が出てきました。

青野川は細くなり、8:00「尼ン滝」で激写タイム。
『この清流は、市内唯一の茶処・仙境・母子の天王と禅宗のメッカ・永澤寺の辺りに端を発し、樹齢の古い緑と林と奇岩、怪石の渓流美を見ることが出来る。この青野~母子街道は、古来永沢寺への参詣道として拓けたもので、路傍に数体の地蔵尊が奉祀されているのを見ても、善男善女の旅の安全を祈ったものとうなずける。この尼ン滝は、尼僧が滝に打たれ修行したところから、この名がついた』

四国や奈良和歌山山中の清流には届かないが、気持ちの良い音を響かせている。
更に北上し、両側に母子茶畑が広がる間を抜け、r49に合流します。
20160828SasaS006s.jpg 8:08、「産みたて卵直売自販機」前。
気になっていた、「鮮度はどうやって保っているのか」
見に行くと、42ボックス全てが空でした。
立地的にも厳しそうと思っていたが、開店休業が続き、止めてしまったのかな?

「美濃坂峠」手前の東屋休憩所には、ロードバイクが2台、おしゃべりをしていました。
篠山側からの急坂を登ってきたのかな?峠を篠山側に下ると、もう手入れされていない展望台少し上のがけ崩れで半年ほど不通だった区間の法面工事現場から、篠山盆地が見下ろせました。
展望台にバイクを停め、徒歩で道を戻り、景色を楽しみます。

かつて展望台からこの景色が見え、雲海ポイントでした。
景色を遮る木々の手入れを怠っているので、もう展望台の値打ちはありません。
20160828SasaS013s.jpg がけ崩れで、強制的に木々がなくなり、展望ポイントの復活です。

r49を、篠山「木枕」まで下り、R372を西進します。
ここから探索ポイントです。

「龍蔵寺口」手前で、3:32カカシと幟が林立していたので停車。
「案山子の里・スタンプラリー会場」
「赤じゃが/真南条営農組合」
「ひょうご安心ブランド」・・・町おこしイベントのようです。
20160828SasaS018s.jpg 案山子のクオリティが、イマイチだな。

8:37、「龍蔵寺口」の観光案内板を見て、めぼしい探索ポイントを探す。
愛宕山山頂付近にある「稲荷神社」が気になります。
市境の三田市側にあるようです。
篠山盆地の雲海ポイントを探して入った道から、アプローチするようです。
愛宕山の北麓の龍蔵寺から母子へのハイキング道も歩いてみたい道です。
愛宕山に雲海ポイントを整備すれば、人気が出そうです。

「Tマップル」地図に載ってる「慎ヶ峰」南を東西に走り「初田」に抜ける白線林道を走ってみようと思い、枝道に入り、野生の勘で舗装路を山に向かうが、尽く未舗装路になります。
もう道は無いので、未舗装林道がつながっているようです。

8:45「大導山・円心寺」
日蓮宗独特の文字の合掌塔が立っています。
20160828SasaS033s.jpg 墓地入口に、「竹本三六太夫」の碑がお出迎え。
歌舞伎や人形浄瑠璃の大立者だった方でしょうか?
地域的に田舎歌舞伎芝居の役者と想像します。

明治・江戸時代と思われる墓石も拝見できるが、やたらと「小林」姓が多い。
20160828SasaS037s.jpg 小林家の氏寺かと思われるほど。墓地から見下ろす田畑は、収穫間近の金色に輝きだした稲穂が揃う田と、丹波黒豆の緑の畑が並び、とても美しい。

9:03「真丹山・願勝寺」
脇に六地蔵が立っている。
『梵鐘 ご自由にお撞きください。梵鐘の音色は、行事を知らせるだけでなく、仏様の説法のお声でもあります。自分でお撞きになり、梵音を五感と心で観じて下さい。心が洗われます』

20160828SasaS051s.jpg ゴーン、撞いてみました。
お庭の手入れがよくされており、サルスベリが綺麗に咲いています。
20160828SasaS053s.jpg 「丸に違い鷹の羽」紋。
武家を想像させる勇猛な家紋です。
武士は畳の上で天寿を全うする方が稀で、常に一族の男には戦死が隣にあるので、嫡男以外に男子が生まれたら、一族の弔いのために坊主に出家させた事が多い。
武家の末裔でしょう。
「立春大吉」の御札も貼られており、禅宗のお寺のようです。

丹波黒豆の畑が広がる農道を走り、舞鶴若狭道をくぐる。
すぐに高速道路側道が見えたので、そちらに曲がる。
側道は高速と同じ高さに上がり、やがて下る。
適当に曲がり、R176に出て南下する。




8/21・すみれちゃん その3

16:15に一連のお別れが終わり、16:30に帰宅されました。
僕らが一家の主を「おかえり」って出迎えるのは変ね。
お嫁さんの妹さんも一緒に帰ってこられました。
「ご結婚おめでとう」と「お誕生おめでとうございます」の交換です。

千年杉ロールを、アイスコーヒーで食べ、次男が気に入って結婚式にも参列くださった会社の取引先の社長さんから送られてきたという「なし」を食べます。
集合写真を撮ってると、妹さんの電話に着信があり、旦那さんが接待ゴルフから帰ってきたようで、「今から行きます」とのこと。
僕から、できれば妹さんの旦那さんに挨拶したいとリクエストしておいたので、早めに帰ってきてくださったのかもしれません。

妹さんによると、「ビックリしないでくださいね。剣道部なんですけど、体大きいから」
「ラグビー部タイプ?」と聞くと、「良くそう言われます」だって。
やってきた旦那さんは、サッパリさわやかな体育会系の笑顔の良い好青年でした。
体格はラグビー部タイプでガッチリしています。
ゴルフ焼けが赤く、お風呂に入ると痛そう。

清水建設にお勤めということで、次男のジュニア時代、同じクラブで活動してた同学年女の子Tさんのお父さんと同じ会社だって話題になりました。
そしたら、次男から、「Tさんリオデジャネイロ・オリンピックの競技解説してたよ」て教えてもらいました。
彼女は、連続してオリンピックに出てる女子選手と組んで、ロンドンオリンピックに出場していました。

Tさんパパによると、社員は現場監督の仕事だから、地上げ屋や利害関係者・怪しい関係と上手に折衝していかないと大型建築物は建たないので、この体格の見た目は仕事に役立ちそうです。
Tさんパパも卓球の体育会出身だったので、体育会系を多く採用する企業なのかもしれません。

ということで、お開きになりました。
次男夫婦に車に乗せてもらい、最寄り駅まで送ってもらいます。
お母さんがパートとして働いていたコンビニ前を通りました。
「母が辞めてすぐに強盗が入ったんですよ」とお嫁さんが教えてくれました。

京浜東北線で東京まで一本なので、気楽に乗っていたら、上野駅の手前で緊急停止しました。
車掌さんのアナウンスでは、「秋葉原駅で、京浜東北線下りで人身事故があり止まりました。運転再開まで、車内でお待ち下さい」
横の山手線は動いており、プラットホームは見えているので歯がゆいですが、仕方ありません。

車内では、待ち合わせの時間に間に合わない旨を連絡する方がチラホラ。
見えているホテルで泊まらないといけないかも?いざとなったら、頂いたお土産を食べて食いつながなきゃ、なんて話しながら待ちます。
「運転再開は、20時を予定しています」とアナウンスされた時は、まさかの本日中に帰宅できない現実が、マジで頭を過ぎりましたが、そこまで待つことなく動き出しました。

乗っていた電車は上野駅に止まりになったので、山手線に乗り換えました。
秋葉原駅では、京浜東北線下りホームにブルーシートが張られ、生々しかった。
何があったのだろう?スマホを持っておらず、タブレットも置いてきたので、情報はありません。

東京駅に着き、東海道新幹線に乗り換えです。
座れるように次発の「のぞみ」の停車するホームに向かいます。
19:39、「JR東海デリカステーション」で、「柔らかかつサンド640円+アンデス高原豚のロースサンド710円」を夕食用に購入。
おにぎりやお弁当などご飯物は全て売り切れで、サンドウィッチも残り4つでした。

19:43「東海キヨスク」で、「ミネラル麦茶140円」購入し、19:50東京発広島行のぞみ自由席に乗ります。
僕はいつも新幹線は自由席です。
時間に遅れないように早めに行くことになるので、何かと時間が気になり拘束されるのが嫌いだからです。

家内と楽しかった今日を振り返りお喋りしました。
お嫁さんの実家は、妹さんも良い方と縁が出来、ハッピーな今年になり、喜ばしいです。
次男もあんな義理弟だったら、家族同士の楽しい付き合いが出来そうです。

妹さんは、僕らが初めて挨拶に伺った時、デパート勤務の遅番ギリギリまでご自宅におられ、僕らを歓迎してくれました。
たった10分でも、挨拶しようとする姿勢は、相手に伝わります。
僕らがいい娘だなと思ったように、爽やか剣道部もそれを感じたのでしょう。
今回も、僕のリクエストに応えようとし、旦那さんも義理の兄の両親に顔通しや会話をして知ってもらおうとしたのだと思います。
こういうのが、人生を楽しく生きるために、とても大切なように思います。
僕も、誘われればできるだけ断らないようにしています。
あ~、気持ちの良い日でした。

22:23・新大阪着。
22:30・新三田行き普通電車に乗り、22:58・伊丹着。
バイクを預けた駐輪場に行くと、朝同様係の方はいません。
料金が払えないので、翌朝通勤前に寄って200円払いました。
「いつでも良かったのに」と言われたが、こちらが気になります。

帰宅して、荷物を片付け、風呂に入ってTVをつけると、「オリンピック・男子マラソン」が、40km地点を走っていました。
オリンピックも終わりだね。
24時就寝と遅くなったので、翌朝の目覚めは、6時前でした。

8/21・すみれちゃん その2

主役は目が大きく、手足の指が長く、女の子って感じです。
家内と交互に抱っこし、感触を確かめます。
次男はマスオさん状態で、お父さんと一緒に電車数駅出勤しているそうです。
家内が、「お揃いのお弁当持っていくの?」と笑っています。
「いいやあ、僕は社員食堂で食べるし~」なんて次男が言ってます。

20160821KawaS021s.jpg 家内が、お嫁さんの仕事復帰を気にして質問すると、1年間産休が取れ、保育園が見つからなければ、+半年の猶予があることを教えてくれた。
そしたらお父さんから、「ターくんが保育園を設計してるんですよ」と嬉しそうに話してくれました。
会社の新本社設計を次男がやっており、保育所も新設するのだそうです。
「お父さんの設計した保育園に入園するなんていいでしょ」とお父さんが嬉しそう。
実の父である僕以上に娘の婿を自慢するお父さんを見ながら、良い家と縁があったなと思いました。

次男によると、社長から「入園第一号はお前んとこの子や」と言われているそうです。
今回の設計は、発注主が社長やから、「これは出来ないか?」と追加のチャレンジ的な設計が多く・・・なんて言ってます。
建築会社なので、本社とて商品見本であり、新製品発表展示場です。

お嫁さんもスミレちゃんも元気で、ホッとしました。
しっかり泣き、おっぱいもよく飲みます。
初乳をあげたかどうか聞くと、「黄色いおっぱいが出ました。いきなりおっぱいが出たのでびっくりしました」と我ながら、女性の体の不思議を実感したようです。
おっぱいが良く張り、100%母乳で育てられていて嬉しそうです。

出産時は、次男が立ち会い、感動して涙が出たと、長男同様の感想を言っていました。
「うんちが出たかな?」と、喜々としておむつを替えています。
我が子の世話が嬉しくて楽しくて仕方なさそう。

20160821KawaS006s.jpg お昼は、出前で「特上うなぎ」をご馳走になりました。
初宮参りは、伊丹でするそうで、氏宮さんに予約してあります。
でも、宮参り用衣装がありません。
ずっと男の子だったから、次男も使った着物があるのですが、ブルーなので女の子用には流用しかねる。
スタジオアリスで撮影予約したらレンタルさせてくれるそうで、次男はそれを考えているようです。

10時頃開店だろうから、11時からお宮参り祈祷かな?
帰宅後、女の子が2人いて、孫も2人女の子のいる姉に聞いたら、自分たちの使ったものはあげてしまい、娘達の時はレンタルしたそうで、初宮参り着物はありませんでした。
買っても2万円ほどからありますが、どうするのかな?

命名の半紙が出てきて、漢字でスミレちゃんの名前を書きます。
次男が2枚書き、お嫁さんも1枚書きましたが、習字を習っていたお嫁さんが流石にうまく、それを我が家が持って帰ることになりました。
一番気に入らないのを次男が持って帰り、日頃の反省に使うとのことです。

電話が鳴りました。
会社総務からの連絡で、「明日は台風直撃だから、無理して出勤しなくてもいいらしい」
「ターくんはどうする?」と、次男とお喋りしています。
「うちの会社は、そんな気の利いた連絡はないですよ」と笑っています。
義理お父さんに気に入られ、とても有難い。

「太郎くんが外で時々鳴いてるな」と思っていたら、一大事が発生しました。
見に行ったお父さんが、「太郎が死んでる」とお母さんに相談しています。
「こんな時にすいません」と恐縮されるけど、こちらには何の問題もありません。
十分にお別れしていただきたい。

この日を予想し、準備していたようで、手際よく連絡を取っておられます。
玄関内から様子を伺うと、17年間家族同様だったお嫁さんは、玄関脇の日陰に移動された遺骸の側で、泣いてお別れしています。
自宅から15分ぐらいの斎場に、15時に連れて行くそうで、今月入籍し、都内で暮らし始めた妹さんにも連絡を取っています。
僕らのお手伝いの出番はないようで、ご家族がお別れに行かれている間、次男・スミレちゃんと僕ら夫婦で、お留守番することになりました。

出産届けをしに行ったら、「子ども手当」の手続きがあり、15000円入ると思ったら、所得制限があるそうで、5000円に減額されてしまったそうです。
がっかりしていました。
20160821KawaS015s.jpg スミレちゃんが、家内の腕の中で眠ってしまい、僕も次男も昼寝タイムになっちゃいました。

8/21・すみれちゃん その1

次男のお嫁さんお実家・埼玉に、次男の初めての子・僕らの3人目の孫と「はじめまして」しに行きます。

出産予定日1週間前の7/29に、1900gで生まれました。
小さかったので大事を取り、出産した産婦人科単科病院から、近所の小児科医師が常駐する慈恵会医大病院に転院しました。
集中治療室で数日過ごし(面会は日に2時間・両親のみ)、一般新生児室に移動し、2300gを超えたので8/17に退院しました。
当初、「退院は9月かな?」なんて言ってたのに、結局当初の予定通り、お盆の次の週の埼玉行きになりました。
お嫁さんの実家に移動し、次男もマスオさん状態になって、ここから会社に通い始めました。

退院したので、早速会いに行きます。
朝5時出発を目論んで眠ると、4時に目が覚めました。
家内は既に起きて用意を始めています。
僕は服を着て、カメラを持てば終わりです。
ビジネスリュックに、お土産の「書写山円教寺・千年杉ロール」や出雲熊野大社のお守り「円櫛」を入れます。

通勤リード110にタンデムし、JR伊丹駅に向かいます。
5:28の電車に乗る予定でしたが、「みどりの窓口」が開いておらず、新大阪駅で新幹線チケットを買うべく、5:04の電車に乗りました。
尼崎駅で乗り換えですが、早朝なので電車本数が少なく、6:32京都行きに乗り、5:44新大阪駅着。

伊丹新大阪料金の返金があるので「みどりの窓口」でチケットを買いました。
時間ロスで6時始発に乗れずに、6:03新大阪発「のぞみ」に乗りました。
飛行機と違い、新幹線は便利です。
予約など必要なく、コンビニエンスに最速列車に乗れます。

ホームで、お寿司お弁当580円を買い、朝食を取って、家内とあ~だこ~だ、名古屋~新横浜間でウトウトしながら品川駅で下車しました。
東京駅でもいいのですが、京浜東北線で最寄り駅まで一本だから、品川で乗り換えます。
駅が小さいから、田舎もんには迷いにくいです。
出発が遅れたので、到着時間も遅れるだろうと思っていたら、いつの間にか3分ビハインドを取り戻し、予定通りの時間に最寄り駅につきました。

トイレを拝借し、改札を出ようとすると、お嫁さんが待っていてくれました。
ロータリーでは、実家のお母さんの車・日産マーチを次男が運転手で待っており、それに乗り込みました。
マーチは、次男が亡くなった私の父の車を就職祝いにと乗って行ってしまった車(父が次男にやると遺言していました)と同じです。
次男の車(クリーム色)と違うピンクなので、家内が「あれ~、こんな色だった?」なんて驚いていました。

車内で、次男の保育園・小学校の同級生の女の子のお母さんのことを聞きました。
このお母さんは、僕が大学時代ヨット部でコンビを組んだ先輩Kさんの妹さんです。
1週間前にお邪魔したKさん同期会で、亡くなったと聞いたので確かめてみました。
学生時代から、K先輩宅で話していた妹さんで、保育園ペアレンツ仲間だったので、5年ほど前に亡くなったと次男から聞きショックでした。

ご自宅に到着すると、門扉から玄関までの間の日当たりの良い所に、足腰が立たなくなったワンちゃん太郎君が、ダンボールの上で寝ていました。
17才なので、終わりの時が近づいているそうです。
ガレージには、2年前同様、お父さんの趣味車・メルセデス・ツーシーターが入っていました。
お母さんとドライブデートする時に乗るだけで、日頃の足はお母さんのマーチです。

最近は「一家に一台」から「1人1台」ですね。
我が家もかつては、僕・親父・長男・次男と、免許の数=車の数でした。
長男お嫁さん実家も4台で、次男とこも夫婦それぞれ車を持っています。

次男からフィアンセとしてお嫁さんを紹介された時、すぐにお邪魔して以来2回目のご自宅訪問です。
ご両親に挨拶し、リビング横の和室に通されます。
僕らが最初に訪問した時、改装したお部屋です。
この部屋にテーブルが置かれ、冷たい麦茶でワイワイ。
20160821KawaS001s.jpg 現在は、この部屋が次男一家3人の部屋になっており、主役「スミレちゃん」が寝ていました。

お土産の「千年杉ロール」を渡し、お盆に出雲に行ってゲットした「丸櫛」のお守りを、素盞鳴尊と櫛名田姫との謂れとともにプレゼントしました。
家内はいつの間に用意したのか、お洋服をプレゼントしています。

7月のお嫁さんの誕生日プレゼントにしたヘリーハンセンのポロシャツとのお揃いを、大阪梅田の阪急イングスで探したそうですが、店員さんはヘリーハンセン自体知らず(ヨットハーバーじゃないと売ってないみたい)、阪急百貨店で次男が着ていたブランド・SHIPSと同じSHIPS KIDSブランドのベビー服を買ったそうです。

「SHIPSって、子供用もあるんだ~」なんて、家内と次男夫婦3人で盛り上がっています。
家内は何処でそんなブランドを知ったんだ?
目ざとく息子の着てる服のブランドをチェックしてるんだなあ~。
3人はお洒落なので、ブランドに詳しいです。

8/16・一畑電車~出雲大社・祝詞

「川跡駅」で乗り換えます。
20160816IzumoS500s.jpg 『この電車の塗装は、昭和45年(1970)~平成18年(2006)まで36年間、一畑電車の標準色として親しまれてきました。旧型車の引退による京王電鉄・南海電鉄からの車両導入以降は、黄色と白を主体とした新しい塗装になりました。この度、一畑電鉄100周年記念事業の1つとして、クリーム地に青帯の塗装を復刻しました。またこの車両で使用している「つり革」は、デハニ50型などの旧型車両で40年代頃のレトロな雰囲気を再現しました』
20160816IzumoS501s.jpg 
20160816IzumoS502s.jpg 一畑駅で、駅員さんにお礼を言って、メガネを受け取る。

20160816IzumoS504s.jpg 12:29、「松江しんじ湖温泉駅」に戻ってきました。
外は、本格的な雨です。
13日の天気予報では、夕立以外の雨は振らないはずだったのに、台風の影響かな?
輪行袋から自転車を出して、車に積み込みます。
駅ロータリーに停めておいて良かった。
サイクリング総走行時間2:20:33・距離28.93km・平均12.3km/h・最高31.6km/h。

12:39、帰路に着きます。
当初、往路同様、米子道~中国道ルートを予定していたが、山陰高速道路が鳥取まで通じているかも?と思い、偵察も兼ねて鳥取経由にルートチェンジ。
高速道路は、鳥取道手前の「白兎海岸」までで、土砂降りの大雨区間などで、40km/hで走ることもあり、米子道経由でナビが示した16時台帰宅予定が、20時台帰宅予定になりました。

16:04、「宇佐美・9号鳥取店」で給油。
鳥取道の途中、17:13あわくら温泉SA・「あわくらんど」で、アイスクリーム・140円休憩&糖分補給。
中国道に乗り、18:41「加西SA」で、「書写山千年杉(ゆず)ロール」・1296円を購入。
次の日曜日に、初孫娘すみれちゃんに会いに、次男のお嫁さん実家・埼玉に行くお土産にします。

宝塚トンネル渋滞12kmを通過し、20:17帰宅しました。
ああ、楽しかった。

翌朝、毎年いただく出雲大社の板御札を神棚から下ろして見る。
裏に、「幸魂奇魂守給幸給」と書かれている。
祝詞だけど読みがわからず知らべてみた。

『祝詞に当神社の鎮魂詞(いのりのことば)、「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきはえたまえ)」を神職が三度唱えますので一緒に唱えてください。
神語の起源は日本神話にある。大国主大神が困難に直面した時、海のかなたから、光る神が近づいてきた。それが「幸魂奇魂」(さきみたまくしみたま)であった。 
大国主大神は、「幸魂奇魂」の存在を知り、そして自分自身の中に潜む「幸魂奇魂」の霊力により「縁結びの神」になられた。 「幸魂奇魂」の「幸」(さき)は、「咲き」や「裂き」であり、増殖や分裂である。 「幸魂奇魂」の「奇」(くし)は、「串」や「櫛」であり、「整え」や「統一」を意味する。 「幸魂奇魂」は「分化繁殖」したモノを「整え統一」させ、大国主大神の道に神習い、明るく和やかな日々が送れるということを意味する[1]。 「神語」すなわち「幸魂奇魂守給幸給」(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)の神語は通常は三唱するが、非常にゆっくりと、また独特な節回しで唱える。 また神事では神職や参列者も神語を声に出して一緒に唱えることが多い。なお、出雲以外でも大国主大神を奉斎する神社が神語を用いる例もある』

8/16・旧JR大社駅~出雲大社~一畑電車・大社駅

A4ファイルに挟み、ブレーキワイヤーにクリップした地図を見ながら、「旧JR大社駅」を目指します。
途中でバナナを補給しながら、野生の勘で適当に走って、9:11「大社駅」

20160816IzumoS457s.jpg 『重要文化財旧大社駅本屋1棟 国鉄大社線は山陰線の支線として、明治45年(1912)に開通しましたが、そのときの駅舎は今の半分ほどの大きさでした。大正2年(1913)、出雲大社神苑から神門通りが貫通し、出雲大社から駅までを直結するルートができました。一方、国鉄山陰線は大正12年(1923)に京都から益田までが全通し、出雲大社への参拝者も爆発的に増え、駅舎も手狭になりました。そこで出雲大社の表玄関としてふさわしい建物へ改築しようと、同年9月に起工、12月に上棟式を行い、大正13年(1924)2月13日に竣工したのがこの駅舎です。
20160816IzumoS458s.jpg 建物のデザインは、駅舎全体に入母屋の大屋根を架けるなど、調和の取れた和風表現に特徴が見られます。中央待合室は屋根を高くし、高窓を設け、左右対称の美しい建物です。和風の外観に対し、構造は西洋風で、屋根裏の仕組みには、部材をΞ角形に組みきわせたトラス構造を採用しています。
駅舎は木造平屋瓦葺きで、柱などには台湾産などの檜が使われています。壁は漆喰仕上げですが、腰から下は縦板張りです。中央は、高い天井の3等待合室があり、照明器具や料金表、時刻表は趣があります。1・2等待合室の天井に抜けている剖分があるのは、ストーブの煙突の痕跡です。
20160816IzumoS460s.jpg 左手には事務室、その前面には皇族などの貴賓室としても使用された応接室が設けられています。大待合室中央に出札室があって、昔の切符売機、電話機なども置いてあります。その両側に木製の改札□があり、駅舎の南側には後に付設された石製の団体改札口があります。
駅舎には所々に造作の遊び心が見え、屋根には亀の瓦がいくつか載っていますし、線路へ降りる鉄板にはウサギを見ることができます。
この大社駅開業により、出雲大社への参拝客は増え続け、昭和35年(1960)には、1日2000人を超える人が利用していました。しかし、その後は自動車の発達により乗降客が減少し、平成2年(1990)の大社線廃止により、大社駅はその使命を終えることとなりました』

線路には、D51機関車が1両だけ佇んでいます。
20160816IzumoS464s.jpg 駅長室と思われる場所に、レストランがありましたが、まだ開店時間前です。

20160816IzumoS465s.jpg 9:31、出雲大社の白い大鳥居をくぐります。
宮前通商店街を見ながら、ゆっくり走ります。
レトロな建物の「一畑電鉄・大社駅」があったので、駅員さんに「一畑駅でのメガネの落し物の有無」を尋ねました。
駅に問い合わせてくれ、「保管中」とのこと、ラッキー。
12時頃、帰路の電車で受け取りに行くことを伝える。

20160816IzumoS467s.jpg 下り参道前の大鳥居で激写タイム。
駐車場に自転車を置き、8:48「神楽殿」
しめ縄が巨大です。
20160816IzumoS470s.jpg 境内の高い柱のてっぺんに大きな日の丸。
僕の生まれた頃のように、日の丸が家々に掲げられる国になってほしいな。

20160816IzumoS471s.jpg 冷風機があったので一休み。
拝殿に参り、本殿を臨む八足門に詣る。
大勢の人です。
本殿を囲う回廊外側を時計回りに巡り、社務所で「縁結び絵馬」を授かる。

20160816IzumoS479s.jpg 出雲大社は、両親にドライブで数度連れて来てもらった以来です。
もっと高床だった記憶があるのだが、自分が大きくなった分、大社建物が小さく見えるようになったようだ。

20160816IzumoS482s.jpg 20160816IzumoS490s.jpg 大注連縄の下にお賽銭を挟むのをしようと思ったら、細い網が掛かっていて出来ず。
あまりに多かったからでしょう。
20160816IzumoS491s.jpg 「ポケモンGO禁止」案内板もあったし。
駐車場前のベンチで、補給食最後のバナナを食べ、お店に入りかき氷でクールダウ
ンします。

20160816IzumoS495s.jpg 20160816IzumoS496s.jpg 自転車に乗り、「祖霊舎」「出雲国造・千家国造館」を巡り、駅に向かう。
「一畑電鉄・大社駅」に着き、輪行袋に入れていると、雨がポツポツ落ちてきました。
ギリギリセーフ、ラッキー。
念のため、「輪行袋に入れても自転車料金が必要か」聞くと「必要」との返事。
アンラッキー。

切符を買っていると、出発ベルが鳴り、駅員さんが「乗りますか?」と聞きに来てくれた。
「乗りたいけど、まだ自転車切符が・・・」
「乗って下さい。下車駅で料金を払って」と乗車駅証明紙をくれた。
慌てて駆け込みます。
待っていてくれたようで、アテンダントのお姉さんが「自転車はここにくくって下さい。出発します」だって。

8/16・一畑電車サイクリング~粟津稲生神社

1時に目が覚めた。
窓を少し開けて寝たのですが、静かな上に、蚊もいない。
最高の寝場所でした。
山陰は蚊がいないのかな?
あまりに早いので、トイレに行って二度寝。
駐車場にトイレが有り、これも便利です。

3時過ぎに目が覚め、もう寝れないと思い、出発準備をします。
4:09、出発。
r53~R432~R9~r37~R431で、4:46「一畑電鉄・松江しんじ湖温泉駅」着。
駅ロータリーに駐車スペースがあり、ここに車を置く。

『映画RAILWEYSの舞台・一畑電車にようこそ』の垂れ膜が下がっています。
僕らもその映画で、この電車と沿線を走りたくなった口です。
「この電車、観に行こう」と、約束していました。

自転車を出して前輪をセットします。
「宍道湖サイクリングロード」を出雲大社に向けて出発です。
宍道湖湖岸道路と一畑電車沿いを走るので、道は簡単です。

5:27、出発してすぐの宍道湖湖岸に出る。
20160816IzumoS436s.jpg 「電車、来ないかなあ」と思いながら、線路に沿うR432を走る。

5:36、「ローソン松江浜佐田町店」で、バナナパック266円を補給食として購入。
僕はドーナツ「フレンチクルーラーカスタード&ホイップ・130円」、家内は「オールドファッション黒糖・100円」で朝食。

宍道湖の湖面に薄霧がかかり綺麗。
20160816IzumoS437s.jpg 小型漁船がすぐ近くに出て、しじみでも採ってるのかな?

20160816IzumoS438s.jpg 6:06、「PINARELLO」ショップがあった。
20160816IzumoS439s.jpg 最新ロードバイクが展示されている。
そう言えば、「松江しんじ湖温泉駅」横に僕らが乗ってる「GIANT」のプロショップがあった。

6:17「旭ヶ丘駅」
6:21「運転免許センター」
6:30、電車がやってきたのでムービー。

20160816IzumoS445s.jpg 6:41「道の駅・秋鹿なぎさ公園」でトイレ休憩。
ここはキャンプ場併設で、貸カヌー・ヨットがある。
キャンピングカーが停まっていた。
割合静かだから、寝心地が良いかも。

20160816IzumoS446s.jpg 7:44「一畑電鉄・一畑口駅」
ここまで約20km。
ここから電車に乗ります。
駅員さんに、「自転車をたたまずに乗れるか」聞いたらOKでした。
20160816IzumoS448s.jpg でも1台310円。
この駅にはスイッチバックがある。
てっきり勾配があるのだと思ったら、平地のままです。
同じ方向に向かうのに、電車を逆に走らせる必要があるのだろうか?

切符を買いプラットホームに入ったらすぐ電車がやってきて、運転手さんが元の先頭車両の前から降りて、元の後方車両(2両連結)の後ろに移動した。
僕らは慌てて自転車を転がしながら乗り込む。
乗ってしばらくして気づいたのですが、メガネがない。
落としちゃったみたい・・・困ったな。

7:58「雲州平田駅」
殆どの駅は無人駅なのに、ここは車両庫などがあり、大きな駅です。
車両庫を見ると、映画のロケに使われた場所だと想い出す。
家内と、ひとしきり盛り上がった。
そう言えば、朝イチでやって来た電車を見て、「中井貴一さんじゃなかった~」と、家内が残念がっていました。
学生時代から、ずっと変わらず、可愛いな。

20160816IzumoS450s.jpg 8:11「川跡駅」
ここで、大社線に乗り換えです。
一畑電車は、いろんな形の車両が走っています。
色もバラバラです。
大手電鉄会社を引退した車両のセカンドライフ担当のようです。

車内を見ていると、こんな表示板が・・・
『車両のご案内 2100系(元京王電鉄5000系) この車両は、東京の京王電鉄で活躍していました。1963(昭和38)~1969年(昭和44)にかけて製造され、通勤電車としては、日本で初めて冷房を導入した車両です。一畑電車には1995年(平成7)に移籍し、ワンマン化改造して走り始めます。元は3扉でしたが、2扉化し座席が増えています。また京王電鉄と一畑電車では線路の幅が違うため、台車を東京地下鉄から導入しています。同じ型の電車は、富士急行(山梨県)・伊予鉄道(愛媛県)・高松琴平電鉄(香川県)でも活躍しています』

8:18「高浜駅」
ここで下車。
20160816IzumoS452s.jpg 近くの幼稚園園庭に、電車があります。
園児は楽しいだろうな。

8:22「粟津稲生神社」
20160816IzumoS455s.jpg 『・・・最近では、全国にもあまり類例のない参道を横切る電車が話題となり、北山の緑を背景にした赤い鳥居と黄色い電車、これに白い雪景色との対比などとマニアの間に、写真撮影の好スポットとして広く知られるようになった』。僕も、それを見にやって来ました。そして僕らの他に降りた1人の男性客も、撮影しています。好きだね・・・


8/15・出雲・八重垣神社・鏡の池~熊野大社

R431を西進し、松江市街地まで戻ってきました。
r21にチェンジし南下。
市街地を南に抜け、R432。r247~r429で、15:56再び「八重垣神社」
神社界日本最古の壁画をプリントした絵馬を授かりに来ました。

『縁結びの由来と家庭和合 出雲に於ける縁結びの本宮として広く全国に名高いお社が八重垣神社である。我が神代史を彩る縁結びの神話として素蓋嗚尊と稲田姫命が、ハ岐大蛇を御退治になり、八重垣を造って親の承諾を得られた正式結婚の道をおひらきになり御夫婦の宮居とされた。御歌のハ重垣をとりてハ重垣の宮と称されたのが本宮である。尚、二神は家庭円満子孫繁栄し出雲民族の隆盛の基礎を作られた。
○ハ雲立つ出雲ハ重垣妻込みに ハ重垣造るその八重垣を
○早く出雲のハ重垣様に 縁の結びが願いたい
鏡の池運勢吉凶占の池と夫婦杉 此の鏡の池は神秘の森として知られている神社後方奥の院の御避難地にあり、稲田姫が難後生活なされ、日々飲料水として用いられ又御姿を写された姿見の池でもあり、姫の美容調整の源泉ともなった。以来幾多の老若男女がこの池を求めて紙片に硬貨をのせ占の遅速を楽しみ(早く沈めば良縁早く、遅く沈むと縁がおそいとされ、又運勢の吉凶も判断した。)水を我が身にふりかけて美男、美女にあやかろうとした。
尚、同一境内にはハ岐の大蛇をしのばせるような大杉の根が四方に起伏して、あたかも人のまなこに神秘の世界を想起せしめる夫婦杉がある。
○出雲八重垣鏡の池に、写す二人の晴姿
壁画とハ重垣古墳群 寛平五年(平安時代)巨勢金岡の六神像があり、筆力雄渾我が国絵画史上類例のない国家重要文化財があり、専門家拝観者の絶賛の的である。尚、神社前方(五分内)に八重垣古墳群があり世に百穴と称せられ出雲文化をしのばせる神の里があり、民族発祥の中心地でもある。
○木枯や神のみゆきの山の跡
○青垣に参集たる諸人の 出雲文化の神の里』

早朝と違い、参拝客が多く、占い用紙を持ったカップルなどが多い。
カップルの流れに乗り、「鏡の池」に行きます。

次々に用紙を浮かべ、10円玉を乗せて沈むのを、あ~だこ~だ言いながら見ています。占い用紙は、池に浮かべると、文字が浮かび上がります。
おみくじみたいに、運勢の最後に「吉凶」などが浮かびます。
吉が多い。
占い用紙の真ん中に穴が開いて、浮かんだままの用紙もあります。

「早く沈むと良縁に恵まれるのが近い」
「近くで沈むと、良縁の相手は身近にいる」とのこと。
用紙の上に池の水が入ってこないと沈まないみたい。
静かに占い用紙の中央ではなく、少し端に寄せたところに10円を置く方が早く沈みそう。

用紙の端から水が入らず、時間が経って、10円の重みで10円の下が破れて、10円だけ沈んでいくのもある。
10円追加する方もいました。
面白いな。
こんな所に来るカップルなら、占いの吉凶に関係なく、結婚に至りそう。

r249~r247~R432~r53で、16:38「熊野大社」横の「ゆうあい熊野館P」
ここらは八雲町で、神話の故郷に来た感じがします。
再び熊野大社・社務所に行き、目をつけていた御櫛を授かります。
7/29に生まれたばかりの初孫娘への最初のプレゼントにします。
「櫛名田姫のように、素晴らしいご縁に恵まれますように」

『出雲国熊野大社御櫛 熊野大社では、4/13に御櫛祭りが行われます。御祭神素菱嗚尊が大蛇退治なされた時、御両親の許しを得、御櫛を髪にさして稲田姫命と御婚約されたと言う目出度い故事に基いて、摂社稲田神社(稲田姫命を祭る)に御櫛を捧げる伝統ある祭りです。
この御櫛は、それにちなんで、熊野大社で縁結びを祈願したものです。
稲田姫命と和楽の家庭づくりをされた素菱嗚尊の御歌「ハ雲立つ 出雲八重かきつまこみに 八重かきつくる その八重かきを」から、幸せの雲を図案化しています』

17:14「ゆうあい熊野館」で食事(うな重990円・割り子そば660円)して、お風呂に入ります。
僕は簡単だけど、家内は「髪を洗うから、時間がかかるよ」とのこと、女性は大変です。
それが魅力なんだけど・・・

17:59、家内が出てくるのを待つ間、再びレストランに入り「かき氷・200円」でクールダウン。
お風呂の休憩所でウダウダし、暗くなって来たので、19:43車を「熊野大社P」に移動、自転車を下ろしてチェーンキーをして、車内に寝床を作り、寝ちゃいました。


8/15・出雲・ベタ踏み坂~水木しげる妖怪ロード~美保神社~美保関灯台

「ベタ踏み坂」のCMのことを話すと、家内も知っていた。
「江島大橋」手前から、「うわ~すご~い」と大はしゃぎです。
橋の袂で車を止め見に行くと、バイクや四輪から降りた方が数組、カメラを楽しんでいた。
前回来た時、橋の袂にあったファミリーマートが、少し移動し駐車場が数倍に大きくなっていた。
売上を伸ばしているようだ。

「この車で登れるの?」と家内は心配そうだったが、難なく江島大橋をクリアし、r47で、12:45「境港」。
水木しげる妖怪ロードを巡りながら、JR境港駅&境港フェリーターミナル。
20160815IzumoS413s.jpg 正面に妖怪達の壁画があった。
20160815IzumoS414s.jpg 鬼太郎やねずみ男オブジェをカメラに収め、かき氷を食べクールダウンした。
20160815IzumoS415s.jpg 12:42~13:19「境港大正町P・200円」

r47~R431で境港水道大橋を渡り、r2。
13:43「美保神社」
20160815IzumoS418s.jpg 全国の美保神社の総本宮です。
やっと来れました。
祭神は、「三穂津姫命」「事代主命」

三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って天降り、葦原中津国を切り開き良く収めた大国主
命の妻になります。
「五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄」の神様です。
事代主命は、大国主命の長男で、「葦原中国の支配権を天孫に返上せよ」との高天原からの使者に返答に困った大国主命が、「息子たちに聞いてくれ」と責任を丸投げされた神様です。
釣りをしていた事代主命は、「いいよ」と返事し、弟の大力・建御名方(タケミナカタ)神は、それに反対し使者・建御雷(タケミカヅチ)神と勝負した。
結局負けて、諏訪まで逃げてゆき、「ここから決して出ませんから許して」と命乞いし、諏訪大社の主祭神として祀られています。

事代主命は、別名・恵比寿様「えべっさん」として有名で、釣り竿を肩に鯛など豊漁を腰に差しています。
この記紀の故事から来た風体です。
出雲式の大注連縄が立派で、海の神様なので「諸手船神事絵馬」を撤饌していただきました。

r2を更に東に進みます。
14:03「美保関灯台」
20160815IzumoS420s.jpg 半島の先の灯台は、青い空に白く輝き、絵になります。

しかし、駐車場の残念なお知らせを家内が見つけました。
「美保関灯台ビッフェ・臨時休業」、ガーン。
R431に、何度もビッフェの宣伝看板が出ていたので、すっかりここで昼食のお腹になっていました。
20160815IzumoS423s.jpg ビッフェは、元灯台施設棟で、とても素敵な外観です。
景色だって最高なので、実に残念。

『島根半島海岸部の地形 島根県東部・鳥取県西部地域の地形は、南から中国山地、沈降地帯の宍道湖・中海地域、隆起地帯の島根半島と特徴的な分布を有する地形です。中でも島根半島は、半島中央部を断層が横断し、半島東部は沈降海岸、半島西部は隆起海岸と別れています。島根半島の海岸線は、広範囲に岬と湾が交互に鋸歯のように並ぶリアス式海岸で、加賀潜戸(かがのくけど)・多古(たこ)の7つ穴のような断崖・洞門・洞窟等の優れた景観を見ることが出来ます』

『美保之綺の由来。 島根半島の最東端に位置するこの岬は、古くから「美保之碕」と呼ぱれています。
出雪国風土記の国引きの伝説では、この「美保之碕」は、北陸地方から、日御碕は朝鮮半島から引いてきたものと伝えられています。
この鳥居の中央約4km先の海上に浮ぶ島を「沖ノ御前・おきのごぜん」、眼下に横たわる島を「地之御前」といい、共に事代主神(美保神社の御祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられているところから、現在も美保神社の境内となっており、毎年5月5日には美保神社で事代主神とその御后の御神霊をこの島から迎える神迎神事が続けられています。
夏期には、沖之御前の海上に雄大な日の出き拝むことができます。沖之御前は日によってその島影が様々に変化し、漁師はその島影により海上の天候を知って出漁を決したといわれます。又、この島の海底には常に神楽の音の様な響びあリ、神異奇瑞の島として今に伝えられています。
この遥拝所は、美保神社の古文書に記載のあった古事に基づき、昭和48年12月設置したものです』

しめ縄の下がった鳥居から海を見ると、中央に沖ノ御前島が見えています。
船に乗ったえべっさんの定番の絵が頭に浮かびますが、ここだったのですね。

r2を戻ります。
境港の対岸から、R431。14:56「ファミリーマート・道の駅本庄店」内で、「味付け海苔海老マヨ・120円」で遅い昼食。
家内は、「梅おむすび・120円」
僕は、「ガルガリ君フォンダン140円」を食後のデザートに。
家内は、「ヨーグルト・168円」




8/15・出雲・佐太神社~華蔵寺

車に戻り、駐車券を探すが出てきません。
係の方に相談し、「30分ほど駐車しました」と自己申告し、駐車券を再発行してもらいました。
「9:30~9:59、松江城大手前P・300円」
帰宅後、紛失した駐車券が出てきて、時刻を見たら9時でした。
1時間も見学していたんだ・・・。

r37で、10:16「佐太神社」
20160815IzumoS367s.jpg 『佐太神社 御祭神:北殿・天照大神・瓊瓊杵尊正中殿・佐田大神・伊弉冊尊・伊弉冉尊・事解男命・速玉之男命 南殿・素盞鳴尊・秘説4座
御神徳・沿革 当社は出雪国風土記に、佐太大神社域は佐太御子社とあり、三笠山を背に広壮な大社造の本殿が相並んで御鎮座になっているので佐太三社とも称され、延喜式に佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれてきた御社である。
主祭神・佐太大神(猿田毘古大神)は、日本海に面する加賀の潜戸(ぐけど)に誕生され、出雲四大神の1柱として崇められ、古くから導きの神・道開きの神・福の神・長寿の神・陸海交通守護神・鎮守の神として信仰されてきた。
御本殿は三殿並立で、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿、いずれも大社造りで、豪壮な三殿構えは平安時代末期に成立したようであり、他に類例を見ないもので、神社建築史上、特筆すべきものである。現在の御社殿は文化4年の造営であるが、その様式は古く元亀年間の造営踏襲してきたもののようである。
国の重要有形文化財に指定されている』

20160815IzumoS373s.jpg 三社横並びの本殿が素敵です。
狩衣装束の武者が社門を守護し、かっこいい。

r264~宍道湖北部広域農道~R431~10:43「松江市学園2丁目・R431SS・出光」で給油。
R431~r252~11:10「華蔵寺」標高375m。
TMに「中海や隠岐も望める」と書かれていますが、生憎の小雨なので、どこまで見えるのやら。

20160815IzumoS383s.jpg 歩き出したら、前方に長い階段が・・・竹杖も用意されています。
えっちらおっちら登ると、後から車を停めた男性が、1段飛ばしで元気良く上がってきます。
20160815IzumoS384s.jpg 階段を登り終えたら、山門がありました。
20160815IzumoS386s.jpg 『仁王門 松平直政公の建立で、両側の仁王像は高さ2mを雄に越え、運慶作と伝わる』
山門を過ぎると、巨木の原生林の様相です。

不動明王の石像が鎮座していました。
20160815IzumoS391s.jpg 『不動明王 石造りの不動明王は、崖に鎮座し、大きさは日本でも有数のものです。枕木山は、松江の鬼門に当たることから、安泰を祈願し建立された』

『亀山天皇御遺跡 杉井御霊水 開山1100年記念』
岩肌を湧水が流れ、手水柄杓が用意されている。再び階段があり、11:23それを登り切った標高425mに、僧坊がありました。

20160815IzumoS403s.jpg 『華蔵寺由緒 当山は、龍翔寺華蔵寺といい、臨済宗南禅寺派の寺で、通称・枕木山とも言う。海抜456m。全集の古刹。本尊は、南無釈迦如来を安置する。
桓武天皇の御代、延暦2年(808)天台宗智元上人の開基なり。初めは天台宗であったが、500年を経て、亀山法皇御不例の節、勅願によりご祈念。帝深く御帰依し、当寺を禅宗に改めさせ南禅寺の末寺とし、時の山王・済遍禅師を中興の開祖とす。
以来皇室の外護を賜り隆盛を極める。
しかし戦国時代、尼子・毛利の兵火に遭い諸坊伽藍尽く焼失し、寺運も大きく衰退する。その後慶長6年(1601)堀尾吉晴公が、松江に城を築くに当たり、当寺を祈願所とす。以降、藩主の外護を得て堂宇伽藍を造営復興す。松平直政公に至り、再興なった。寺運回復し、歴代藩主の帰依厚く天下の霊山と号されるに至った。現在の諸堂は全て当時のものなり。山頂から湧出する霊水で咽喉を潤すと、心身清浄なり。展望台からの眺望は雄大で、山陰随一の好環境である。
開創以来1100余年の歴史と伝統を持つ霊山であり、禅の修行道場でもある』

彩色は落ちているが、蟇股の彫刻は繊細で、江戸時代の技術者の腕前が垣間見える。
侘び寂びを感じる鐘楼門がすっくと建ち、雨の上がった霧に覆われた周囲とマッチしている。

境内案内図を見ると、駐車場と書かれていた。
ここまで車で上がってこれたんだ~。
まあ、霊水ポイントや仁王門・不動明王石像が見れたからいいか・・・。
霧に包まれているので、展望台に行くのは断念し、駐車場まで降りた。
20160815IzumoS408s.jpg 下りの道から、中海に浮かぶ江島・江島大橋が見えた。

歩き下っている時、カメラのバッテリーが切れた。
予備バッテリーを入れると、なんと充電忘れだった。車に戻り、他の2つの予備バッテリーを調べたら、1つは7%、最後の1つが23%。
以降、バッテリー制限のため、写真枚数が減ってしまった。

r252で中海まで下り、R431で中海沿いを走り、12:07「ファミリーマート・道の駅本庄店」で、氷1.1kg・249円購入。
魔法瓶の氷を補充した。
r338で中海を突っ切り江島上陸。


8/15・出雲・松江城

20160815IzumoS299s.jpg 出迎えは、「堀尾吉晴公」の銅像。
『堀尾古墳公 1543~1611 松江城を築城した堀尾吉晴公は、愛知県丹羽郡の土豪の家に生まれ、岩倉城の戦いに16才で初陣、奮戦しています。岩倉落城によって牢人となったのですが、猟師暮らしをしていて、美濃の山中で水下藤吉郎(羽柴秀吉、豊臣秀吉)と出会って、その家臣となりました。
武将時代の「茂助」、晩年の官名「帯刀先生」の名でも知られています。「仏の茂助」と呼ばれる温厚な人柄でしたが、20才台から50才まで、戦いに明け暮れ、豪勇の士として多くのエピソードを残しています。
馬に乗りただ一人貝殻塚(貝塚市)頂上に立ち、鉄砲の総攻撃を受けながら守り通したことは、後世までの語り草となっています。越前一揆軍との戦いで、殿を務めながら、一揆勢を討ち取り、秀吉から「鬼の茂助」と称賛されたこともあり、その手柄の数々は信長が、「茂助は毎度のこと」と讃えたほどです。
数回に渡る城受取役や敗れた城主の切腹の検視役は、吉晴公の人格と彼に対する秀吉の評価と信頼が高かったことを現しています。
秀吉没後、三中老の1人として、徳川と前田、五奉行と徳川とのいざこざの解決に貢献し、家康から本領遠州浜松12万石とは別に、越前府中5万石を贈られています。関ヶ原合戦後、子・忠氏は出雲・隠岐両国24万石を与えられ、吉晴も共に出雲の国に来ました』

20160815IzumoS315s.jpg 『松江城保存につくした人たち 明治4年(1871)4月、松江城の廃城が決まり、明治8年(1875)に、利用できる釘・カスガイなど金物が目的の入札が始まりました。
木材は燃やし、石材は壊されるしかありませんでした。松江城の姿は、失われる寸前でした。
この危機を救ったのが、元松江藩士・高城権八と出雲郡出東村(現斐川町坂田)の豪農・勝部本右衛門家の人たちでした。高城は銅山方役人、勝部家は当時、銅山経営をおこなっていましたので、本右衛門栄忠と、息子の景浜は、高城と公私にわたる親しい間柄でした。
そのとき、松江城を管理していたのは陸軍広島鎮台でした。入札で松江に来ていた責任者の斉藤大尉と会い、入札額と同金額を納めるから、せめて、天守閣だけでも残してほしいと懇願しました。天守閣の入札額は180円だったと伝えています。こうして、高城権ハと勝部本右衛門の努力で松江城天守閣は残り、全国に現存する十二天守の1つとして、今も、戦国の威風をただよわせて松江の町を守っています』

20160815IzumoS332s.jpg 威風堂々とした黒壁のお城で、熊本城や姫路城に比肩する佇まいです。
石垣には修復した跡が見え、行き届いた手入れを感じます。
石垣には、普請大名の目印も見えます。

20160815IzumoS345s.jpg 大人560円で天守に登ってみました。
『史跡・松江城 堀尾氏は豊臣秀吉、徳川家康に仕え、関ケ原の合戦で武功をたてた堀尾忠氏(堀尾吉晴とする説もある)は、慶長5年(1600)出雲・隠岐両国24万石を与えられ、広瀬の富田城に入城した。
しかし、富田城はその周辺を高い山に取り囲まれ大砲などを使う近代戦に不利であったことと、侍を住まわせるに広大な城下街を形成しなけれぱならなかったことなどの理由からこの極楽寺山(亀田山とも言う)に城地を移した。
築城工事は、慶長12年(1607)から足かけ5年を費やし、慶長16年(1611)に一応の完成をみた。城地の広さは東西360m・南北560mあり、周囲に幅20~30mの内濠をめぐらす。
標高28.1mの頂上部に本丸を置き、荒神権をはじめ6ヶ所の櫓とそれをつなぐ細長い多門がめぐっている。天守は本丸の東北隅に築かれている。二之丸は本丸の南側に一段低く隣接し御書院や御広間などがあった。本丸の東側の平地は二之丸下の段と呼ぱれ藩士の扶持米などの米蔵が立ち並んでいた。
その外、本丸の周辺には腰曲輪、中曲輪、外曲輪、後曲輪があった。城山の南には三之丸(今の県庁附近)があり藩主の御殿があった。
石垣用の石材は、松江市の東部、大海崎、福富地区の山麓から産出する安山岩(いわゆる大海崎石)が大量に使用され、堀尾氏の家紋である分銅型などの刻印が認められる。
城主は堀尾氏、京極氏と続くが、いずれも嗣子なく断絶した後、松平氏が10代続き一度の戦乱にまき込まれることなく明治維新を迎えた。
明治8年(1875)無用の長物と化した櫓や多門など、多くの建物はことごとく壊されたが、天守だけは旧藩士や豪農の懇請により保存されることになり、山陰地方唯一の現存天守として、その威風堂々たる偉容を今も宍道湖畔に映し出している』

20160815IzumoS349s.jpg 去年、重要文化財から国宝指定に格上げされました。
天守閣内には、甲冑初め様々なお宝が展示されており、最上階は風が吹き通り、宍道湖を望む景色を堪能しました。

8/15・出雲・八重垣神社~神魂神社~松江城

「鏡の池」に行ってみましょう。
20160815IzumoS247s.jpg 板玉垣に囲まれたエリアを、神職さんが箒掃除をしている。
それは、素盞鳴尊が奇稲田姫を隠した八重垣の地の横にあり、確かに飲用・鏡に供したのがうなずける。

『鏡の池(縁結び占いの池) 出雲八重垣鏡の池に 写す二人の晴れ姿この池は、稲田姫命が八岐大蛇の難を避けるため、森の大杉を中心に八重垣を造って御避難中、日々の飲料水とし、又御姿を写され美容調整された池で神秘的な池で鏡の池(姿見の池)といいます。
こんこんと湧き出る清水は昔ながらの面影をしのぼせ、稲田姫命の御霊魂が底深く港透しているところから縁結び占いの池として信仰されております。
占い用紙に百円か十円硬貨をのせ浮かべてお祈りします。用紙が早く沈む(十五分以内)と良縁が早く、遅く沈む(三十分以上)と縁が遅いといわれ又近くで沈むと身近な人と、遠くで沈むと遠方の人と結ばれるといわれております。
御神徳の広大な出雲の縁結びの大祖神であります八重垣大神さまの御加護により、良縁を得られ、二人の晴れ姿を、この神秘の森、鏡の池に写され、末永く御繁栄されますよう念願いたします』

『胸ポケット等から落し物が多いです。注意して下さい』
池の底に、沢山占い用紙が沈んでいます。
池面に奇稲田姫のように自分の姿を映そうと前かがみになり、ポケットから落とすのでしょう。

20160815IzumoS255s.jpg r249~r247~R432~r248、8:17「神魂神社」
駐車場に停めると、神社横の道を野球部員が登っていきます。
「おはようございます」と、帽子を取って挨拶してくれます。
もちろんこちらからも返答。
気持ちの良い朝です。
立正大高校の生徒のようです。
自分もそうだったからか、体育会系は好きだな。

20160815IzumoS285s.jpg 石段を上がると拝殿があり、その奥に、国宝の「出雲に多い高床式本殿」です。
『神魂神社案内 御祭神:伊弉冊大神・伊弉諾大神 当社は出雲国造の大祖・天穂日命がこの地に天降られ、出雲の守護神として創建、以来天聴日命の子孫が出雲国造として25代まで奉仕され、大社移住後も「神火相続式」「古伝新嘗祭」奉仕のため参向されている。
本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、その大きさは三間四方高さ四丈あり、出雲大社本殿とは規模を異にするが、床が高く、木太く、とくに宇豆柱が壁から著しく張り出していることは、大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されている。
本殿内は、狩野山楽土佐光起の筆と伝えられる壁面九面にて囲まれ、天井は9つの瑞雲が五色に彩られている』

天照大神の子・天穂日命は、天皇家に次いで世界で2番目に古い家系である出雲国造家・現出雲大社宮司・千家家の祖先です。
キリストと同じ時代を生きた子孫・野見宿禰が、大和朝廷・11代垂仁天皇に見出され大和に移住し、古墳造営・土師氏となり、菅原氏が分家し菅原道真が生まれている。

僕の先祖は、ここに天下ったんだ。
先祖の名が謂れ板に出てくると、それだけでテンションが上がる。

鰹木が3本で男神を表し、千木が水平斬りで女神を表している。
主祭神は、伊弉冊(イザナミ)の方が先に書かれている。
『古代女性は神であった』、日本古来の女性を大事にする思想が現れているように思う。

20160815IzumoS279s.jpg 境内の摂社を巡っていると、洞穴があった。
謂れがありそうだが、説明板はなかったので残念。
早朝から近場の神社を3つ巡りましたが、京都以外の地方では見られないような風格のある神社ばかりで、さすが出雲と感じました。
古事記・日本書紀の素盞鳴尊・大国主命の出雲派の古代を楽しませてもらいました。

r248~R432~R9~r37で、宍道湖の東端を北に渡り、8:52「松江城」
既に大手前駐車場は満車で、3台待ちでしたが、5分ほどで駐車出来ました。
レトロバスが走っています。
外堀が幅広く残り、屋形船が就航しています。
20160815IzumoS294s.jpg 高石垣が防御の堅さを物語っています。


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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
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から引っ越してきました。

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