8/15・出雲・須我神社~八重垣神社

20160815IzumoS173s.jpg 「神魂神社」に向かう予定で、r53を北上していましたが、「須我神社」の道標に反応し、r24西進~広域農道~r24南下して、6:32「須我神社」
20160815IzumoS176s.jpg 『和歌発祥之遺跡・日本初之宮』
『出雲国神仏霊場』となっており、隣には、真言宗のお寺があった。
神仏習合の名残りです。

20160815IzumoS183s.jpg 『神詠 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』・・・素盞鳴尊が詠んだ日本最初の和歌です。
素盞鳴尊が天下り、泣いている老夫婦に事情を聞く。
ヤマタノオロチに生け贄となる最後の娘・美女・櫛名田姫の不憫を知ると、事成ったあかつきに娘を娶ることを条件に、ヤマタノオロチを退治する。
櫛名田姫を連れて新居を持った地が、ここ須賀だそうです。
20160815IzumoS181s.jpg 20160815IzumoS177s.jpg 小雨が降っていたが、素敵な神話直結の神社でした。

「八重垣神社」に向かって、r24を北上する。
7:08、「ファミリーマート松江乃白店」で、助六寿司420円・たまごサンド198円・小岩井ミルクコーヒー163円・ボスエスプレッソ118円を購入し、車内で朝食にする。


r24~枝道~r249に入り、7:31「八重垣神社」
駐車場から小川を渡ると手水があり、脇に『小泉八雲ゆかりの地・八重垣神社 八岐大蛇退治ゆかりの神社。縁結びで名高いこの神社の「鏡の池」は、稲田姫が飲料水を得、姿を写したと言われている。小泉八雲はこの池に興味を示し、八重垣神社の御札をイギリスオックスフォード大学・ピットリヴァーズ博物館に贈っている』の謂れ板が立っていた。

20160815IzumoS206s.jpg 境内に入ると、『神秘 夫婦椿 乙女椿」があり、幹が二股に別れて、地面に入っていた。
横の山神神社の祠下に大きな木製男根が置かれ、横にも立派なのが立っていた。
素盞鳴尊に見初められた奇稲田姫伝説に肖り、良縁・夫婦円満の象徴となっているのでしょう。

収蔵庫には、日本神社界最古の壁画が収蔵されているようです。
20160815IzumoS214s.jpg 立派な拝殿・本殿です。
20160815IzumoS219s.jpg 『八重垣神社由来記 「早く八雲の八重垣様に縁の結びが願いたい」という歌は、出雲で最も古い民謡です。ご祭神も八岐の大蛇を退治し、高天原第一の英雄・素盞鳴尊と、国の乙女の華と歌われた稲田姫のご夫婦がお祀りしてあります。素盞鳴尊が八岐大蛇を退治になる際、佐久佐女の森(奥の院)が安全な場所であると選び、大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しになった。そして大蛇を退治し、「八雲立つ、八雲八重垣、妻込めに、八重垣造る、その八重垣を」という喜びの歌を歌い、両親の許しを得て、「いざさらば、いざさらば、連れて帰らむ佐草の郷に」という出雲神楽歌にもある通り、この佐草の地に宮造りして、ご夫婦の宮居とされた。縁結びの道を拓き、略奪結婚から正式結婚の範を示し、出雲の縁結びの大神として、また家庭和合、子孫繁栄、安産、難除。和歌の祖神として、古来朝廷・国司・藩主の崇敬が厚く、ご神徳高い神国出雲の古社・名社である』

歯固め用の玉砂利があった。
小さな子にこれを噛ますのは、誤飲事故に繋がりそうで実行する方は少ないでしょう。
「お父さんの10円玉みたいに、飲んじゃうね」と家内から。
僕は、小1の時お年玉の10円玉を飲んじゃった経験があります。

境内をじっくり散策していると、表門から外に出て行った家内が戻ってきて、「いいもの見つけたよ」。
20160815IzumoS229s.jpg 『夫婦椿・連珠玉椿 「八雲八重垣、祈願を込めて、末は連珠の玉椿」。連珠玉椿(夫婦椿)は、稲田姫命が2本の椿の枝をお立てになった。それが芽を吹き一心同体、愛の象徴として神聖視されるようになり、木が枯れても境内には二股の椿が発生すると伝えられ、現在境内に3本の夫婦椿があります。年により二葉の葉も現れることもあります。東京資生堂の花椿会は、この玉椿の銘木を神聖視し、発展されており、ここにも美容調整のご神徳があります』
家内ご愛用の資生堂化粧品謂れの椿を、見つけちゃいました。

ここと、神魂神社を結ぶ道が、「ウォーキングトレイル(古代歴史めぐり)はにわロード」名付けられていました。
お店には、「子宝飴」の幟が上がっている。
『古式結婚式発祥の地』との案内板も出ています。
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8/15・出雲・熊野神宮 & 8/28・映画「青春エール」

8/15、3時過ぎに目が覚めました。
外は真っ暗ですが、寝れそうにないので、ゴソゴソ出発準備をします。
寝る時は駐車場にポツンと僕の車だけだったのに、周りに数台集まっていました。
皆さん車中泊のようです。

本日の予定は、「松江に行き、一畑電鉄・宍道湖沿いをサイクリングして、出雲大社に詣る」でしたが、予報が「昼間で雨」なので、明日の「寺社巡りドライブ」とチェンジします。

4:02、出発します。
米子道はすぐに終点・「米子IC」になり、そのまま高速道路並の道を西に進みます。
「米子西IC」で下車し、R9を西進。
r53にチェンジし、4:55最初の目的地「熊野大社」
当初の目的地は、神魂神社でしたが、出発が早すぎたので、時間つぶしにTMに載ってるこちらに来ました。

20160815IzumoS138s.jpg 予想外に駐車場が大きく、「大社」の名に恥じません。
『出雲国一之宮・熊野大社 神祖熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノオオカミクシミケヌノミコト)を主祭神として、境内中央正面本殿にお祀りしている。この名は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)の御尊称です。右手に御后神・奇稲田姫を祀る稲田神社、左手に御母神の伊弉冊尊(イザナミ)を祀る伊邪那。また荒神社や稲荷神社がある。他に随神門・讃火殿など社殿がある。讃火殿は当社独特で、萱葺屋根・四方の壁は檜皮で覆われ、竹縁がめぐらされ、発火の神器である挽臼・燧杵(ひきりぎね)が奉安されている』

出雲一之宮は、出雲大社と思ってたけど、熊野大社と二社だったなんて知らなかった。「火」の発祥の地だそうです。
横に「八雲郷土文化保存伝習施設」があり、しょっぱなからビックリさせられた。
20160815IzumoS149s.jpg 橋を渡って境内に入る。
手水場・拝殿に明かりが灯り、24Hオープンの神社に好感する。

20160815IzumoS091s.jpg 立派な社門をくぐりると、脇には屋根葺き替え寄付を募る祈念木・300円が置いてある。
名前・氏名を書くと、神様に取り次いでくれるそうです。
出雲式の太いしめ縄がかっこいい。
各摂社にお参りしていると、お若い神職さんが境内のお宅から出てこられ、社務所に入っていかれた。
やがて拝殿の扉が開かれた。
車に戻ろうと川を渡ると、「さざれ石」が、その謂れ板とともに鎮座していた。
日本民族の中心・天皇家を象徴する長い年月積み重ねて出来た岩です。

20160815IzumoS158s.jpg 5:40、家内が起きてきたので、もう一度参拝する。
20160815IzumoS160s.jpg まだ開いていない社務所を覗くと、綺麗な丸櫛のお守りが目に入り、今月末に初めて会う孫娘にプレゼントしたくなる。
絵馬下がりを見ると、猿が3匹の絵柄でした。

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8/28、映画を観に行きました。
「15:35・青空エール」、自販機でチケットを買おうと画面を操作したら、中央より後ろの席は、ほぼ埋まっています。
すごい人気だなあ。
午後の時間帯だからかな?
ロビーも、いつもより人が多いです。

札幌の高校に入学したヒロインは、入学第一日目の自己紹介を済ませる。
トロフィーの飾られた前で佇んでいる。
吹奏楽部の強豪で、中学では帰宅部だったけど、ここで吹奏楽をしようと思って入学した。
横には、同じクラスになった背の高い男の子が立ち、同じくトロフィーを眺めていた。
「凄いよね、吹奏楽部」の声に、男の子からの「野球部」の声が重なった。

「私、甲子園に出場したこの学校の試合を見たんです。応援したくて、吹奏楽部に入ろうと思ってるんです」
「僕もその試合を見たよ。この学校で甲子園に行きたくて入学したんだ」
「俺、絶対甲子園に行くから、その時スタンドで応援してくれる?約束ね」と、爽やかに去っていく。

変にウジウジしてなくて、若者らしくストレートで、助演の生徒たちもストレートで悪役がいない。
素敵な映画でした。
そして、いっぱい涙しちゃった。
1年後ぐらいにDVDが安くなったら、買っちゃいそう。

10代の若者で埋まった劇場は、上映前のお喋りさえ気持ち良くて、最高でした。
「最近の若者は・・・」何て言葉が通り相場だけど、大学ヨット部で接する若者は素晴らしく、破天荒は少ないけど、僕らの世代よりよっぽど礼儀良く、仲間思いです。
上映が始まると、私語はピタリと収まり、本編終了後のエンドロールに入っても立つ者がおらず、気持ちが途切れず観れました。
おっちゃんおばちゃんが多いと、エンドロールで立たれて帰る方がおられ、気持ちが切れちゃう。
若者の方が、よっぽど自己チューじゃない・・・素晴らしいよ、若者。

劇場内が明るくなり席を立とうとすると、家内が、「良かったね」
「うん、いっぱい涙が出ちゃった」
「お父さんもスポーツをやってたから、気持ちが良くわかるでしょうね」と、微笑んでくれました。
ドキリ・・・素晴らしい女性だ。

8/14・お盆法要 & 出雲へ

お盆の法要にお坊さんが来る日です。
いつも8:30だったのに、今年は16時という通知が来て、お盆恒例の弟家族との墓参り&ハイキングを、その前にすることにしました。

父が亡くなって、僕が当主になってから始めたのですが、母も亡くなり、僕ら兄弟・姪甥家族の集まりになりました。
今年は、長男がアメリカ駐在になったので不参加で、次男も奥さんが2週間前に出産したばかりなので不参加です。

法事を終えたらすぐに出雲旅行に出発出来るよう、自転車2台を車に積みます。
家族キャンプのように布団も積みます。
10:18、「セルフ宝塚R176出光」で給油し、長尾山トンネル~r325~r33~r319~r12で11時にお墓到着。
待ち合わせより30分も早いので、草引きに精を出す。
墓石や墓誌もしっかりブラッシングして綺麗にしました。

定刻に弟・奥さん・姪がやって来ました。
先週、長男の2人目の初宮参りで会えなかった甥に会えると思っていたけど、京都の下宿から帰ってこなかったそうで残念です。

墓参りを終え、r12~r319~r33で「西谷釣り大池」併設レストランへ。
姪に「いいもの見せてあげようか」と、車のリアゲートを開けて、自転車2台を見せます。
驚いてくれました。
昼食を食べて、鯉釣りをしますが、2年前に心筋梗塞で倒れた弟は、レストランで留守番だそうです。

2時間1500円で、竿・餌一式を貸してくれます。
強い引きで、姪は喜んでいます。
去年は、勾配のない道のハイキングを計画しましたが、弟は見学でした。
う~ん、体調が悪いのかなあ?

暑いのに「クーラーが気持ち悪い」と、家族が乗っていても窓全開で走る頑なさなのに、「クーラーが気持ち良くて、寝てしもた」と笑ってる。
「だったら、車のクーラーを入れてやれよ」って突っ込みたくなります。
顔色も行動も、以前と変わってないので全快のはずだが、用心深さも頑なのようで、炎天下の鯉釣りさえしなかった。

暑いので、釣りは30分弱で終え、自宅に戻ります。
PCの写真を見ながら、あ~だこ~だ。
16時ピッタリにお寺さんが来られ、お経を法要を上げてもらいました。

これで解散。
弟達は帰って行きました。
17時過ぎに出発し、宝塚ICから中国道に乗ります。

18:00、「加西SA」の移動車屋台で、「世界で3番目に美味しい」と大書された「メロンパンアイス・380円」を買いました。
メロンパンと冷たいアイスの取り合わせが美味しい。

19:10、「中国道勝央SA」で、夕食にします。
家内は「親子丼・910円」、僕は「レディースセットB・1080円」
米子道に入り、ねぐらを探そうと「蒜山SA」

イマイチに思え、21:13「大山PA」着。
20160814IzumoS073s.jpg ここをねぐらにします。
20160814IzumoS074s.jpg 自転車を下ろし、チェーンロックで街灯に括ります。
20160814IzumoS075s.jpg 2・3列目をフルフラットにして、セミダブルの布団を広げ、家内と寝ます。
暑いので窓を開けて寝るので、蚊の来襲が心配でしたが、羽音さえ聞きませんでした。


8/13・ヨット部ファミリーデイ & ヨット部同期会

お盆休みに入りました。
大学ヨット部時代ペアを組んでいた1年先輩Kさんに誘われて、同期会に参加することになりました。
17:30からなので、朝から午後まで船に乗ろうかと準備しお誘いしたが、皆さん都合が悪くキャンセルしました。

コーチしてる大学ヨット部のファミリーデイなので、そちらに参加することにしました。
部員出身地は全国なので、親御さんにヨットという乗り物・スポーツ・練習環境を体験してもらおうと言う催しです。
前日まで、恒例の琵琶湖周航4日間をしていました。

お盆渋滞が懸念され、車もバイクもパスし、折り畳み自転車を持っていくことにしました。
8時に自転車に乗って家を出発し、JR北伊丹駅8:28発の電車に乗り、尼崎駅で快速乗り換え、山科駅で湖西線の電車に乗り換えます。

JR大津京に着き、改札前まで歩いてくると、後ろから「おはようございます」と声を掛けられました。
振り返ると学生達です。
僕はICチャージ2000円をして、10:04セブン-イレブンハートインJR大津京駅前店で、「赤城ガリガリ君・梨・75円」でクールダウンします。

自転車を組み立て、えっちらおっちら合宿所着。
キャプテンが、地下貯水槽に注水しています。
渇水により貯水タンクが空で、トイレが使えないそうです。
11時、親御さんたちが来られましたが、渋滞で遅れている方もいるそうで、10分開会を遅らせる事になりました。

11:10、T君司会で始まります。
挨拶は僕に指名され、ヨット部がボート部から派生し80周年であること、琵琶湖周航の伝統、ライフジャケット必着なので泳げなくても安心なこと、卒業してもヨットは長く楽しめることなど、面白おかしく話したつもりです。

11:30、主将挨拶・乾杯後、部員が作ったカレーやバーベキュー・焼きそばが振る舞われ歓談。
琵琶湖正面でD社大ヨット部が練習しており、いい感じ。

13:30の試乗会開始に合わせ、13時合宿所から艇庫に移動します。
僕はレスキューボートに乗り、ハーバーと沖をピストンします。
20160813FamS028s.jpg 随時部員と家族をワンセットにして、ヨットに乗り換えさせ、カメラマンもします。
2回生マネージャーのドライブするレスキューボートを、親御さんが目を細めてビデオに収めています。
ヨット部出身のお父さんも、娘の姿を嬉しそうに見ています。
一番遠くは、熊本からかなあ。

試乗会終了前ですが、15:30に降りて、自転車で駅に向かいます。
15:54JR大津京発普通に乗り、京都駅で新快速に乗り換え、尼崎駅で宝塚線に乗り換え、17時にJR伊丹駅着。
自転車を組み立て、伊丹シティホテルに向かいます。

ホテル前で自転車にワイヤー鍵をしていると、横をMさん?が通りホテル内へ。
前回会った時から、10年?20年経っているが、間違いないと思う。
ロービーに入ると、Mさんと僕の同期のY君がいた。
あ~だこ~だ、いっぺんに話の輪が広がる。
Kさん、僕と同期のM君、上のYさんが、17:30までにやってくる。
先輩のTさんは、いつもの様に遅れ気味。

「お店知ってるよね、みんなを連れて来てね」と、Kさんが予約したお店に先に行き、Tさんがやって来たので揃ってお店へ。
Hさんは先に来ていた。
自転車をたたんで店内に入れてもらった。

学生時代の思い出話に始まり、あ~だこ~だ。
皆さんは、「とりあえずビール」に始まり、適当に。
僕は烏龍茶。うどんで締めて、20時にお店はお開きにしました。
2次会は、Kさんの自宅ガレージです。
Kさんが自転車で先に帰り、残りは僕の先導で。

門扉から入った所にシャッター付きガレージがあり、車2台を門まで出して、シャッターを閉めて、テーブルや椅子を置いて、ガレージライフスペースで2次会が始まる。
22時にお開きとなり、お店での精算がここであり5500円。

僕は自転車で自宅に向かうが、皆さんはタクシー派とテクシー派に分かれる。
テクシー派の上の代のキャプテンYさんの「歩くぞ」の一言で、全てテクシー派になって「さようなら」
何年経っても変わらないね。

帰宅すると、家内が起きていた。
ご近所からもらった「いちじく」を食べて、風呂に入って寝ました。
寝る時間が遅くならず良かった。

Kさんとは、小学生の時の家庭教師の先生が同じで、同じ私立中学に進学し、サッカー部に入ったらKさんがいました。
僕は虫垂炎から腹膜炎を起こし、1年間スポーツ禁止になりクラブは辞めてしまったけど、高校でヨット部に顔を出したらまたKさんがおり、大学でも同じヨット部でコンビを組みました。
更に、妹さんのお嬢さんとうちの次男が同級生で、同じ保育園・小学校のクラスメイトで、社会人になった今でも、彼女が同窓会の取りまとめらしく、毎年のように会っている。深い縁で繋がっています。

8/10・長谷の棚田・才ノ神峠

4時に目覚め、ちょっとゴソゴソした後、4:30からバイク装束に着替えました。
5時、「里山ひこにゃんVTR250」で出発です。
5時でやっと、東の空に曙です。

長尾山トンネル~r325~r33で、「切畑」からr324。
新名神高速道路側道として、素敵なホタル道が壊され、2車線県道に変身しました。
この道路は完成していましたが、新名神本体はまだ片側しか完成していない所が半分です。
高槻JCT~神戸JCTの全線開通は、今年に入って起こった2つの事故の影響か、1年遅れ、2019年3月になっています。

r12現道を渡り、旧r12に出て北上します。
r68を渡りr603に乗り、田舎道を北上。
上杉の峠を越え、森上の盆地に下り、「長谷の棚田」を登っていきます。
20160810NagaS002s.jpg 5:43、激写タイム。

あと1ヶ月もすれば、収穫の秋です。
20160810NagaS005s.jpg 緑に棚田が広がり、朝の清々しさも相まって、気持ちが良い。
ちょうど、山間の集落に朝日が差し込む時間帯です。
20160810NagaS009s.jpg 灼熱を浴びて、午後になれば積乱雲が浮かぶであろう空は、快晴です。

20160810NagaS017s.jpg 何度もストップし、棚田や三草山を激写しながら、5:55、三草山の尾根・「才ノ神峠」
才の神は、道中の安全・案内を担う猿田彦を祀ったりした道祖神。
峠のお地蔵さんとも言えます。
相変わらず、薄暗く素敵な場所です。
平安時代末期、源平合戦一の谷に向かう搦手軍・源義経が、この峠で友軍を集合させました。

ここまでの棚田上部の道に、今までになく土が浮き、近隣住民の過疎と高齢化を感じました。
交通量のない地元民がたまに通るぐらいの道は、近隣住民の手入れに委ねられるだけです。

20160810NagaS022s.jpg 槻並に下る急坂の道に土が浮いていないか心配ですが、行ってみましょう。
バイクのすれ違いさえ厳しいカーブがあるコンクリート道ですが、リスに会ったことがあるウキウキ道です。
サードギアなら、ブレーキかけっぱなしで、セカンドならカーブ手前でブレーキング、最も厳しいブラインド・細道・急坂・急カーブは、ローギアまで落としてゆっくり下ります。
一度、早朝なのにハイカーに会い、とても驚いたことがあります。

ドキドキしながらなんとか下り、6:11「槻並」集落の「素戔嗚神社」に参ります。
バイクを降りると、地元のお母さんが歩いてこられたので、「おはようございます」
2年ぶりぐらいかな。
ずっと前をスルーしていました。
20160810NagaS037s.jpg 相変わらず素敵な神社で、立派な覆屋が、本殿をお守りしています。

手水舎には、綺麗な手ぬぐいが下がり、地元の方のお世話を感じる。
手水場の横に大岩があり、その前の池も健在です。
かつての水の手や流れは想像するしかありませんが、この水源を神域にして守ろうと、祠が建てられたのでしょう。

大きな倉庫があり、秋祭りになると神輿でも出てきそうです。
『創立年:不詳。文明13年(1481)拝殿上棟式。文禄3年(1594)境内地除(年貢の対象から外れる)となる。明治6年(1873)、村社となる』

r12「屏風岩」に出て、「道の駅いながわ」でトイレ休憩。
20160810NagaS055s.jpg r68~r33で、6:35「西谷農協・大池」で信号待ち。
既に大池では釣り堀のお客さんが入っている。
r33~r325~長尾山トンネルの定番コースで、7時帰着。
いつものようにバイクを乾拭きする。

帰宅すると、家内がお風呂に入っていた。
前日に、長男がアメリカに帰っていったので、隣の実家の掃除をしていました。
僕は、担当の五月人形や鯉のぼりの片付けを、前日の昼休みにやっつけておきました。
お隣の仏壇に手を合わせ、全開になっている窓を戸締まりしていると、家内がやってきて、

「お父さん、昨日布団をたたんでくれたの?」
「いいや」
「そう、一昨日長男が夜出かけている間に見に来た時、布団もそのままで、居間も散らかっていたのに、今朝は綺麗に片付けられいたの。お嫁さんに鍛えられてるわ」って、喜んでいます。
長男は、結婚するまでは散らかしっぱなし人間でした。
朝食に、長男一家が食べなかったゼリーが一品加わりラッキーでした。




8/8・長男一家が帰っていく

お嫁さんと子どもたちが、新潟に帰る日です。
朝6時半から、次男の要望でゴソゴソ動き、帰宅したら僕らの家に遼くんがやって来て、レゴブロックとトランプで遊びました。

「帰るよ」とパパがやって来て、「新潟に帰らない」と駄々をこねています。
「トランプやってるの~」と言いながら、トランプを片付け始めているのが可愛い。
3才なのに、おもちゃを片付ける習慣がついています。

僕らに対して「おはようございます」とか、レゴの人形さんに「お兄さん」と名前をつけ、やたらと丁寧に喋りかけています。
敬語なんて何処で覚えたんだ?
お嫁さんに聞くと、特に教えていないのだけど、こういう言葉遣いが好きなようです。
それと、玄関に上がると靴を揃えます。
同年代の子がいる元同僚に、驚かれるそうです。
これも、親の真似で始め、好きなようです。

長男がみんなを車で空港まで送ります。
僕はバイクで、後ろを少し走りましたが、右のストップランプが切れています。
すぐにトヨタに電話し、在庫があるか確認しました。
この手のものは、常時在庫のようです。

長男は、明日伊丹から成田に飛び、そのままニューヨーク便で帰るそうです。
でも今夜は友達と飲み会だそうな。
長男と子どもたちの洗濯物は、家内が洗っていました。
長男のパンツとシャツは、「TOMMY HILFIGER」というブランドでした。
航くんのヨット柄ロンパースはユニクロでした。
ユニクロってロンパースも作ってるのですね。

初宮参りの時、家内が長男のことを、お嫁さんから聞いたようです。
航くんにおっぱいをあげながら、話したそうです。
男の子は、あまり自分のことをしゃべらないから、女同士の会話は重要な情報源です。

他の会社から、ヘッドハンティングを打診されていたそうです。
長男の働きを見てくれていた他社があったようで嬉しい。
一時、会社辞めちゃうんだな~と思ってたらしいですが、ちょうどそんなタイミングで、会社が長男に新たなチャレンジ「海外勤務」を打診したそうです。
長男はチャレンジャーなので、これに食指が動いて、海外勤務に決めたそうです。

親の知らない間に、大きな動きがあったんだ。
僕らは、チビの頃から、子供の希望に反対したことはないので、みんな自分で決めて事後報告でした。
もし会社を移っていても、事後報告だったのでしょう。
そして、旦那の自由に任せたお嫁さんの度胸に感心しました。
素晴らしくできた女性と縁がったようです。
こういう男の決断を見守れるお嫁さんは、男を大成させます。

与えられたポジションは、アメリカ・ブランチのリーダー。
接客中以外はドアを閉めてはいけないそうだが、個室持ちになりました。
20人ぐらいの事務所と思っていましたが、少数の日本人を含め200人もいるそうです。

長男が紹介されている社内報を、持って帰ってくれました。
会社の社内報だと思ったら、グループ会社統括のホールディング会社社内雑誌でした。
特集された長男の会社の新プロジェクト3つ(日本・アメリカ・スコットランド)のトップに紹介されており、仕事内容が語っています。
アメリカは3年ぐらいだけど、その後スコットランド勤務するかもしれないと言ってたので、スコットランドの方にも親近感を覚えました。

長男の会社の海外で売上を上げていく将来方針が載っていたけど、34才でグローバルに発展していこうとする開拓最前線トップとは凄い。
長男の頑張りが会社の利益に直結しそうで、やり甲斐を感じているでしょう。

コーチとして傍で見ることが出来た次男が、大学ヨット部で、先輩部員に意見し、引っ張っていた光景を思い出します。
親は、我が子をいつまでも頼りない子供だと思っているけど、幼稚園からの同年代社会に揉まれて、ぐんぐん成長しているものです。

そして、会社幹部登用試験を受けてみないかとの打診があり、受けたそうです。
子供の頃から、常にリーダーだった子なので、そういう部門が性格に合っているはずです。
この4月までの東京本社時代は、最若手で、担当部門の他に、経営室に入り仕事をしており、会社の将来方針を考えるメンバーになっていました。
取締役から社長~経団連会長への道を、順調に歩んでいるようです。

学級委員長はもとより、クラブのキャプテンから、修学旅行の実行委員長まで、バンバン立候補して、失敗もあったけどそつなくこなしていました。
我が子を面白く見ながら、楽しく親ができました。
僕の仕事の段取りがつかず残念だったけど、長男の男振りが気に入られ、中高の学校からPTA会長を打診されたこともあります。

アメリカ赴任して、アリゾナを旅したそうです。
次はマチュピチュを旅するそうです。
アメリカ勤務中に、南米・北米のいろんな場所を見ておきたいようです。
人生を謳歌してるね。
子どもたちが、いきいきと前向きに生活している姿を見せてくれることは、親へのご褒美ですね。

8/7・初宮参り~スタジオアリス~パトカー御用

10:02、初宮参り神事が始まりました。
20160807HatsuS044s.jpg 家内が真ん中で、主役・航くんを抱っこして座ります。
それを挟んで長男とお嫁さん。
遼くんはママの横で、その横に僕です。
長男側は、弟夫婦と姪が座ってくれました。
遼くんはTPOをわきまえるので、神妙に頭を下げて、僕の隣の床几に座っています。
つまらなくなるといけないので、時折顔を覗き込んで、ニコニコし合います。

坊さんの法要も厳かでいいですが、宮司さんの神事・祝詞も好きです。
太鼓で始まり、お祓いを受け、10:23無事終了。
宮司さんから、ありがたい言葉を頂戴します。
撤饌などの説明も。

拝殿を出ると、宮司さんがカメラマンに早変わりし、「集合写真を撮りましょうか?」
主役・航くんを抱っこした家内を中心に、7人が横に並び、総勢9名の笑顔です。
「航くん、健やかに育ってね」
その後は、僕が主役を抱っこする家内の横に行きカシャリ。
20160807HatsuS057s.jpg 遼くんが加わり、パシャリ。
弟一家に抱かれてパシャリ、長男一家でパシャリ、姪に抱かれてパシャリ・・・。

一旦自宅に戻り、家内がそうめんと格闘します。
1人2束として、15束茹でます。
僕が用意した鯉のぼりを泳がせます。
遼くんが生まれたのを機に、長男・次男が子供の時使ってた鯉のぼりを処分し、新たに買いました。
今年、同じメーカーの青鯉1.5mを航くん用に追加しました。
長男と遼くんが、協力して上げました。
5月は出産直後だったので帰省しなかったので、季節外れの鯉のぼり初めです。

11:30に実家で食べ始めます。
お嫁さん実家からお中元で頂いた味噌漬けお魚も、焼いてくれました。
遼くんは、お気に入りのレゴブロックで遊びます。
いろんな作品を作り、楽しませてくれます。

13時を過ぎたので、みんなで写真館に向かいます。
13:35「スタジオアリス」
予約していましたが、前回GWの遼くんの「初宮参り」の時のような混雑はなく、予約は要らなかったかも?
20160807HatsuS077s.jpg 全員集合写真、僕らジジババも含めた写真、長男一家写真、主役ソロ写真、主役ヌード写真と次々に撮っていきます。
なんだかんだ、18000円。
でも遼くんの時はもっと払ったような・・・。
前回は家内が払っていましたが、今回はお嫁さんが支払っていました。

ここで、弟一家とは解散です。
ありがとうね。
姪は流石に女の子、赤ちゃんが可愛くて仕方なさそう。
遼くんも航くんも、今後、姪には頭が上がりませんね。

ここでも主役は、鳴きもせずスムーズでした。
あまりの元気さで、上から掛けたブルーの着物を蹴ってしまって、写真館のお姉さんを困らせていました。
でも泣いてるよりずっといいね。

喫茶店に行くことになり、車を走らせましたが、「ガーン」指定方向外進行違反でパトカーにお縄になりました。
入りにくい喫茶店で、駐車場に停めたら横にパトカーがいました。
「ここねえ~」、標識見落としでした。
あ~、これで5年間無違反だったのに、またゴールド免許への夢が絶たれました。
生涯に一度はゴールド免許になってみたいよ~。
遼くんは喫茶店に入り、パトカーに入っていくお爺ちゃんを見て、大騒ぎだったそうです。
お嫁さんは、「道を聞いてるだけだよ」とごまかしたそうですけど、「お爺ちゃん=パトカー」の記憶として刻まれ続けるのだろうか?
あ~、悪い事しちゃった~、なんで今~、がっかり・・・

1週間前、新潟のお爺ちゃんも、高速道路出口で止められ、後部座席に乗り乳児・航くんを抱っこしてたお嫁さんがシートベルトしてなかったのでお縄になったそうです。
8月は、お爺ちゃん災難月のようです。
まあ、息子や娘一家がやってきていい目見たので、バランス取るためにお爺ちゃんが犠牲になりましょう。

一旦帰宅し、レゴブロックやトランプで人遊びして、19時になったので、「びっくりドンキー」に向かいます。
僕は、次男のジュニアヨットクラブ仲間と、1~2度入店したことがありますが、怪しい内装なので家族で入ったことがありません。
家内は初めてでした。
遼くんは、お肉が好物のようで、ご飯ももりもり食べていました。

おいしく頂き、帰宅して解散です。
長男に言われ、僕のPCを持って行き、僕のカメラと長男のカメラデータをPCに入れ、長男一家用にグーグルのクラウドにアップしていました。
お嫁さんと共有しているようで、いつでも見れるそうです。
長男は渡米後、自分のPCにダウンロードするのでしょう。

今回は、2週間の日程で、日本に出張してきました。
帰国日にそのまま新潟の家族に会いに行き、最初の週末に再び新潟に行って過ごし、この週末は我が家にやって来ました。
出張の大荷物なのに、会社用PCしか入れていないようです。

8/6・飛行機ポイント・盆踊り 8/7・初宮参りへ

2016/8/6
一旦伊丹の自宅に帰宅し、少し休憩し、遼くんが前回やって来た時に連れて行ってお気に入りになったポイントに向かいます。
17:06、大阪空港千里川ポイント。
20160807HatsuS019s.jpg 真上を低空でランディングしていく飛行機が、次々とやって来ます。
JAL~ANA~と大喜びです。

ところが、真上をかすめたANAボーイング777の迫力に負けたのか、突然の「うんち~」です。
えらいこっちゃ~。
半年前は、何も言わずおもらしだったので、大成長です。

僕は車まで走ります。
みんなはゆっくり来ればいいのに、遼くんが僕を追いかけたそうで、うんちが出てしまわないかハラハラだったそうです。
車を動かし、みんなを乗せ、近くのコンビニを目指します。
トイレを拝借するだけは申し訳ないので、17:35「サンクス豊中原田店」で、「飲むヨーグルトブルーベリー130円」購入。
家内と2人で飲んでいると、遼くんが戻ってきて「出なかった~」
まあ、こんなもんですよね。

帰宅し、まだ明るいので、自宅前でランニングバイクに乗ります。
お正月前に買ったのですが、少し身長が足りず、うまく乗れませんでした。
今度は乗れるようになり、歩きバイクで楽しみます。
OGKのブルーのヘルメットと膝当てがかっこいい。
僕の4輪草刈り腰掛けマシン「草刈正雄くん」も出してきて、2輪&4輪です。

少し暗くなって来たので、近所の公園に向かいます。
18:36町内会盆踊りです。
20160807HatsuS038s.jpg 家内が長男にパンフレット&タダ券100円×10=1000円分を渡すと、「お母さんいくら寄付したの?トップに名前が載ってるやん」と、驚いています。
我が家は高額なのかな?親父の代から、欠かさず寄付してるからか?そういえば、いつも
トップに名前が載ります。
うちの名の提灯も下がってます。

かき氷100円買って、焼きそば200円食べて、フランクフルト100円食べて、スーパーボール釣りなどして、タダ券を使い果たして帰路に着きました。
いつもタダ券を使わないままなのですが、今年は少し取り戻せて良かった。

長男が肩車して踊り、遼くんに盆踊りを踊らせようとしましが、慎重派の遼くんは踊りませんでした。
遼くんは何事も慎重で、男の子なのに、甥っ子に比べ怪我が少ないそうです。

航くんは、おとなしいです。
むずがることもあまりなく、育てやすいそうです。
僕が抱っこしむずがっても、やって欲しいことがわかります。
寝かせて抱っこしてむずがると、起こして縦抱きしたらニコニコです。
既に夜は6時間寝るそうで、お嫁さんも楽だと言っています。

2016/8/7
早朝自転車に出ました。
41:07・走行距離9.54km・平均速度13.9km/h・最高速度30.7km/h。
空港を見ながら猪名川土手を走る定番コースです。
帰りに、氏神様・「臂岡天満宮」に寄って、宮司さんの長男さんに挨拶しました。

お宮さんの娘と僕は、小学校の同級生です。
2つ上のお姉さんとも、ここの境内でよく遊びました。
長男と次男の名前を考えてくれた宮司さん・お父さんが亡くなり、お姉さんが宮司をやっていました。
初宮参りの予約電話を入れたら、長男さんが出られました。
長男さんに、その辺を伝え、祝詞に気合を入れてもらおうとの算段で、前もっての挨拶です。

お昼はみんなで自宅そうめんと決めたので、家内に言われコンビニに、刻みネギとハムを買いに行きます。
10時に予約していたので、9:30過ぎに自宅を出て、遼くんの歩くペースで9:47境内着。
20160807HatsuS041s.jpg 手水を使いますが、遼くんは慣れており、パパの言葉に従って、身を清めます。
「お金~」というので、お賽銭を渡し、2人で拝殿に向かいます。
抱っこしてお賽銭を入れ、ガラガラを鳴らし、2礼2拍手1礼をします。
遼くんは何度も経験があるので、それなりに様になっています。

長男さんが宮司装束で出てこられ、涼しい社務所に入れてもらいました。
長男が、家内の用意した初穂料10000円をお房から出して、宮司さんに納めます。
初宮参り本人の住所を書く段になり、長男が困っています。

長男は4月からアメリカに単身赴任中で、4月に航くんが生まれたお嫁さんたちは、新潟の実家暮らしです。
9月からは一家でアメリカぐらしなのですが、何処の住所を書くのか・・・我が家の住所を書きました。
宮司さんに渡す時に聞くと、祝詞に住所を入れるそうで、事情を話すと新潟の住所になりました。

8/5・長男一家帰省&お墓参り

2016/8/5
この日、長男一家が4月に生まれた長男の次男・航くんの初宮参りの為に帰省します。
この1週間、家内は、彼らが泊まる実家内部掃除・食材・おむつなどの用意をし、僕は庭を含め外装の掃除をしました。

昼休みに、トヨタに行って洗車してもらい、ホームセンター・コーナンでプラスチックトランプ・508円を買いました。
嫡孫3才が、数字を覚えたので、神経衰弱とかババ抜きとか出来るかもしれません。

仕事を早めに切り上げ、19:30に自宅に戻り、20時過ぎに伊丹空港に、お迎えに行きました。
お嫁さん・嫡孫3才・次男4ヶ月は、新潟空港からのフライトで、20:25着。
長男は羽田から、20:35着です。

自宅を出発する前に、雷鳴と雷雨があり、到着が遅れると予想して到着ロビーに行きました。
予想通り15分遅れ表示です。
20:36、スカイコンビニ北到着店で、アイス140円を買ってクールダウンします。
結局両機とも更に遅れ、21時到着になりました。
お嫁さんの新潟便は、ランディング順番待ち旋回中に、燃料切れの場合は、関空に着陸しますとの案内が流れたそうです。

嫡孫くんは、1週間ぶりのパパなので、大喜びです。
長男の大きなトランクに乗せてもらい、ごきげんです。
でも段差にタイヤが上がれず、前につんのめりそうになりました。
ここで落ちずに、とっさにトランクをつかんで、運動神経の良さを見せてくれました。
「20:24~21:19・大阪国際空港駐車場・210円」

自宅に息子たちを下ろし、翌日の墓供養花を買いに行きました。
21:55、関西スーパー・久代店、ヨーグルト158円×3=474円+墓花563円×2=1126円その他。
帰宅すると、遅いので寝ると思ってた嫡孫・遼くんが、「遊ぼう」と呼んでくれました。
15分ほど遊んで、おやすみしました。

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2016/8/6
我が家と家内の実家のお墓参りをします。
無事に次男が生まれたお礼と、これからの加護を、ご先祖様にお願いします。
8時に自宅を出て、加古川の家内実家お墓に向かいます。

土曜日なので、中国道側道が混んでいます。
宝塚ICから中国道に乗り、宝塚トンネルで渋滞は解消し、中国道~山陽道は快調です。
三木SAでトイレ休憩しますが、朝から灼熱の太陽が照りつけています。
三木・小野ICで下車し、9:53「日光山墓苑」でお墓参りします。
遼くんは、バケツの水をお墓に掛け、線香置きをタワシで洗いながら、水遊びです。

次男・航くんは、まだ100%母乳ですが、後ろの席でお嫁さんから母乳をもらっていました。
運転していても、後ろからグビグビ・ぷはーみたいな音が聞こえ、素晴らしい飲みっぷりです。
生まれた時も、遼くんより1kg近く重い3500gで生まれましたが、4ヶ月で既に8kgになっており、ぐんぐん大きくなっています。
家内がプレゼントしたロンパースが、既にはちきれそうで、嬉しい誤算です。

お墓参りを済ませ、「次、飛行機」と催促する遼くんをなだめながら、次は猪名川町の我が家のお墓です。
山陽道~中国道で神戸三田IC下車。
新三田~r37~r323~r319~r12で、11:34お墓到着。
また遼くんが活躍し、楽しくお参りしました。

r12~r319~r33で戻り、「西谷農協・大池」の釣り堀横レストランで、昼食にします。
鯉釣りも予定していましたが、あまりの暑さに、止めておきました。

次は、新幹線です。
r33~R176~r337で、仁川競馬場横。
長男は、友達の親の影響で競馬場に中学生から、この競馬場に行っていました。
馬券は買いませんが、それ以来競馬好きで、遼くんが2才になってから、家族で競馬場に行くようになりました。
無料遊園地と化しており、家族で楽しめるそうです。

13:47、新幹線・六甲トンネル入口上の公園。
20160807HatsuS012s.jpg 家内と下調べした時は、10分で3本だったのですが、この日は山陽新幹線線以外に、九州新幹線車両も通り、遼くんを大喜びさせる事が出来ました。
そして意外にも、甲東園駅から並走した阪急電車に大喜びでした。
ワインカラーの阪急電車は、落ち着いた色合いで、全国区の鉄道ファンの人気が高いそうです。
東京に住んでいた遼くんには、パパには日常の阪急電車が幻化されており、その実物が見れて良かったです。

7/31・大台ケ原5 帰宅 シートクッション

後続の車の合間を縫って発進したら、次の雨雲の直撃になったようで、ザーザーの大雨になってしまった。
夏なので、濡れても気持ちが良いとカッパを着なかったので、メッシュを通って腕が濡れてきた。
でもフロントスクリーンのおかげで、胸に雨の直撃がないので、身体は濡れてる感じがあまりない。
走行車線の四輪轍が水たまり状態になり、その間の少し高くなってるところを走る。
流れの平均時速が40km/hまで落ちた。
前の方は、もっと凄い雨だったのかも?
雷様が鳴らなかったので助かった。
真上でのゴロゴロ・ピカピカは怖いからね。

雨雲区間はすぐ終わり、また晴れ間が戻ってきた。
摂津から中国道千里までは、降雨の跡すらなかった。
ここからの下りは、西風に乗った雲が豊中・千里丘陵に当たって雨を降らせるので、水たまりが残っていた。

中国道豊中ICで下車し、18時前に帰宅した。
タオルでバイクを拭きご苦労様。
家に入ると、家内が帰っていた。
昼に会合は終わったそうで、隣の実家を掃除してたそうです。
実家のタオル干しの不具合を直すよう言われやった。

この日は、CB400SBのシートが硬いので、お尻に優しくしようと、座布団を導入した。
メッシュシートカバーの下に突っ込んで走った。
「東洋紡ブレスエアー・4cmハード&2cmソフトタイプ2層重ね」です。
仕事の椅子に使ったら、とても気持ち良く、バイクもお尻に優しくなったようだ。
座布団の大きさは要らないので、ハサミで切ったから、残りでロードバイクのシートに乗せてみようと思う。
そのカット作業もした。

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7/29、出産予定日1週間前に生まれた、次男の初めての子・すみれちゃんは、1900gと小さかった。
保育器に入り、1日後、近くの小児科医が常駐している慈恵会医大病院に転院した。
お嫁さんは順調に回復し、3日後に退院し、1日2時間の面会時間に病院に行って世話をしていた。
両親以外、祖父母も面会できなかった。

3日後、一般新生児室に変わり、みんなに抱っこされた。
8/17、2300gを超えたので、退院しました。
そこで、当初の予定通り、明日8/21家内と一緒に会いに行ってきます。
新大阪6時の始発新幹線に乗って、埼玉のお嫁さんの実家最寄り駅に、9時過ぎに到着予定です。

4月に生まれた長男の2人目・航くんは、平均より大きく、お盆1週間前に抱っこしたばかりなので、ギャップが大きそう。
楽しみです。

7/31・大台ケ原5 宮滝遺跡~夕立

野生の勘にピンときていた旧道を思わせる民家が両側になる枝道に入った。
14:54、ビンゴ!
ただの草むらになっているが、遺跡発掘後埋め戻された地のようです。

20160731OdaiS195s.jpg 『宮滝遺跡 宮滝遺跡からは、縄文時代早期から弥生・飛鳥・奈良時代の遺構や遺物が多数出土します。これ等の研究から、縄文時代ここで暮らした人々が、吉野川下流域の人々と盛んに交流していたのがわかります。また他地域と異なり、弥生時代になっても稲作を積極的に取り入れない生活を送っていたこともわかっています。この遺跡を有名にしたのは、古代最大の内乱と言われる壬申の乱で勝利した天武天皇(大海人皇子)の挙兵地、持統天皇の度重なる行幸の地として「日本書紀」などに見える飛鳥時代の吉野宮の遺構や遺物です。吉野宮は、斎最明に造営され、持統朝に拡張が行われた。また集落の西側から、聖武天皇によって奈良時代に造営された吉野離宮の建物・石敷き・石溝の遺構などが出土します』

R169を吉野川沿いに西進し、r28~r37に入り、「新鹿路トンネル」手前の旧道に入ります。
くねくねとトンネルの上の峠を上がると、勾配が急になったサイン・コンクリート舗装になった。
TM表示通り「ホンマに行けるのか?」と不安になったところで、分岐になり迷う。
野生の勘で直進を選ぶと、勾配が急になり、つづら折れを上がったと思われる分岐の一方の道がやって来て合流した。
20160731OdaiS198s.jpg 勾配もマシになり、アスファルト舗装でホッとしたら、15:25、「鹿路トンネル」。
TM地図では、トンネル同士が交差している。

どうせ誰も来ないと真っ暗なトンネルに突っ込むと、向こうから大きな音を立てて四輪がやってくる。
あまりに音が大きく、出口の明かりに見える車の横の水煙にビビって止まる。
散水車?道路掃除車?と思いきや、普通の軽四だった。
トンネル内で音が大きくこだましていただけで、水煙はトンネル内の水を跳ね上げていただけのようだった。
寂しい道に車が来たり、誰かがいると逆に恐ろしい。

15:30、r37に合流。
20160731OdaiS200s.jpg 走ってきた道の上空に電線がまたいでいるが、その下に細いしめ縄が下がっている。
更にその下に、邪教のまじないのような得体のしれない藁の抽象組みが下がっている。
ちょっとおぞましい。
呪われた道だったのか?

r37を北上し、r155へ左折し、談山神社横を走り、峠を越えて明日香へ下る。
15:43、石舞台横の売店に下がっている「氷」を見つけ、駐車場に入れる。
20160731OdaiS203s.jpg 屋台の上に、怪しい人形などが載ってる目立つお店です。
20160731OdaiS201s.jpg 明日香でレンタルできる日産の電気自動車MICHIMO・2人乗りが走っている。
かき氷・ブルーハワイ250円を購入し、テント下でクールダウンする。
「あすか野ログハウス」という店舗らしい。
次に入店した女子2人組に、店主が「そんじょそこらじゃ出会えない果肉ソフトクリーム」を勧めていた。

R169に出て北上し、16:15、橿原から「大和高田バイパス」に乗りました。
道なりに「南阪奈道路」に入り、ブーンと大和盆地にさよならし、大阪側に出て、16:24「太子IC」。
1週間前同様、富田林のPL塔を激写し、自宅まで一気に帰りましょう。

近畿道に合流し、快調に北上していると、摂津方面の上空に2つの雨雲が見えます。
「降ってるな」
夏の定番・夕立雲です。
夕立は気象用語から消えたのか、最近は「ゲリラ豪雨」などと風情のない言葉に置き換えられているが、僕は夕立が好きです。
天気予報士までが、異常気象を連発しているが、熱帯同様、きつい直射日光に当たると地面は熱くなり、上昇気流で水蒸気が上昇し積乱雲が発達し、やがて雨になって元に戻るだけです。
夕立で地面が冷やされ、過ごしやすい夜を迎えていいことじゃないか、悪者扱いは可哀想だよ。

陸地が熱くなると上昇気流が発生し、空気が薄くなったところを埋めるように、太陽に照らされても陸地ほど熱くならない海から空気が風となって吹き込む。
生駒山西側の大阪平野・門真・摂津は、海風が西風となって吹き込み、それに乗った積乱雲が、生駒山系に当たり雨を降らせる。
夏、大阪南部や和歌山からの帰り、ここら辺りでよく夕立に会う。

前方の2つの雨雲の間をちょうど抜けられるかと、良いように予想したけど、ポツポツと降ってきました。
16:54、ちょうどICから高速道路への合流部があったので、その最先端でストップして、慌てて車載カメラとGPSナビをリアボックスに収納した。




7/31・大台ケ原4 不動七重滝~宮滝遺跡

11:58、「前鬼山・不動七重滝」
先客女性2人組に声を掛けたけど、話が弾まなかった。
20160731OdaiP067s.jpg こんなにすごい滝だとは思っていなかった。
紀伊半島では、那智の滝に次ぐ規模ではないのかな?
ストレートな瀑布・那智の滝より、僕には七段に分かれ、滝壺も素晴らしいこちらの方が、僕には好みです。
何気なく訪問したのに、これはラッキーでした。

ムービーを回していると、車が下ってきた。
「滝が見れるのは、ここだけでしょうか?」ご夫婦に声を掛けられた。
少し手前に、車2台が停まっているところがあったけど、不明なので、「そうじゃないですか?」と曖昧に答える。
大台ケ原の夫婦ハイキング下見からの帰りだと告げると、ハイキング夫婦のようで、話が弾んだ。
滝の近くまで行ける道があるようで、それを探しているみたい。

R169に戻り、北上します。
12:36、「道の駅・吉野路上北山」
川水浴のお客さんがいっぱい。
アイス150円を買って、クールダウンします。
ロードバイクを積んだ車が数台あり、それなりの格好の男女がいます。
別グループと談笑しており、別グループは、ロードバイクに乗り出発した。
2Fにはレストランがあるし、橋を渡った対岸には、上北山温泉がある。

13:04、道の駅の北に、GS「吉野郡上北山村河合・大和北山SS」があったので給油。
290km/10.99L=26.4km/L。

R169を北上し、TMでは未舗装表示されている林道に入る。
和佐又トンネル手前を右に入り、この旧道から分岐しています。
新茶屋谷からr40伯母峰峠に通じている。
舗装路であることを確認したので、舗装林道好きとしては突っ込まなきゃ。

13:21、静かだが谷を隔てて迫る山の景色に、水分補給休憩。

20160731OdaiS163s.jpg 13:28、「猪笹王麗神」
『山の主・猪笹王は、江戸時代初期、天ヶ瀬の里人・射場兵庫の鉄砲により、無念の死を遂げた。怨霊が鬼となり、里人や旅人に祟り、災いをもたらし、近年まで続いた。猪笹王を恐れ、悪の権化と決めつけることが一方的であると気づいた里人や有志は、この地に霊魂を祀り、鎮魂とともに家内安全・交通安全・商売繁盛・難病平癒・諸願成就を祈願し、霊験あらたかなり』

20160731OdaiS168s.jpg 13:41、崩れた「伯母峰隧道」入口があった。
r40まで続いていたと想像する。
出口を探してみよう。

13:45、r40出合。
20160731OdaiS173s.jpg ちょうど、伯母峰トンネル大台ケ原側出口です。
トンネルの上に、正式名「大台口隧道」と書かれています。
『この先幅員狭小のため、幅2.5m・長さ103m・ホイールベース4.8mを超える車両は通り抜けできません』との看板が、林道側に設置されていました。
走ってきた林道は、「ならクル」指定されています。
20160731OdaiP073s.jpg r40を伯母峰隧道入口を探しながら下っていると、13:50ループ橋が眼下に見えるところがあり、緊急停止。

14:23、「道の駅・杉の湯川上」
対岸にも道があります。
ああいう道に惹かれます。
TMに載ってないけど・・・。

バイクが10台ぐらいいます。
「山幸彦のおみやげ屋」で、割り箸1242円とアイス140円購入。
またアイスでクールダウンです。

20160731OdaiS182s.jpg 14:48、先週も気になった「十二社神社」
「十二社神社・式内川上鹿塩神社・天皇神社社務所」と書かれていた。
ここの宮司さんが、3社を受け持っているのだろう。
天皇神社というのは何処にあるのだろう。
天皇を祀る神社は多いが、特定の天皇の名を冠さない「天皇神社」という名の神社は、そう多くないはず。

R169を北上し、往路失敗した宮滝遺跡を探すべく、往路と同じ所を曲がった。
そこに謂れ板が立っていた。
『上代人のふるさと吉野宮滝 大和は国のまほろば、日本人の故郷と讃えられているように、上代の人たち、飛鳥・奈良時代の宮廷貴族の憧れの地は、吉野でした。古く応神天皇(219)や雄略天皇(460)が、吉野行幸したと日本書紀に見え、天智天皇の皇位継承を巡って、吉野に兵を挙げた(672年壬申の乱)大海人皇子は、後に天武天皇となってからも、この地に行幸して「よき人の 良しとよく見て 良しといいし 吉野よく見よ よき人よく見つ」と詠まれています。この宮滝は、飛鳥奈良時代の離宮のあったところとされ、地下遺構が発掘されています。
さらにこの辺りから、菜摘の里・喜佐谷にかけて吉野万葉の中心地であり、現代人が大和を心の故郷と思う以上に、上代の人々にとって、神宿る聖地と考えられていたのではないでしょうか。喜佐谷(象の小川)の奥を見上げると、金峯神社の鎮座する吉野山が望まれますが、昔の人たちはそこに神の姿を認めたのかもしれません。だからこの地を卜(ぼく)として宮殿を営み、天地の神に祈った。そんなことを想わせる宮滝の地です』

吉野宮滝郵便局の前に、今風の四角い赤ポストがあり、局入口に木製の旧式丸ポストがありました。




7/31・大台ケ原3 南帝山瀧川寺~下北山スポーツ公園

「不許薫酒入門内」、禅寺のようです。
鐘楼を見に行くと、座敷でお仕事中のご住職がおられたので、挨拶をする。
すると、「ようお参り下さいました。どうぞ上がって下さい」と、「お~い」と誰かに声を掛けています。

20160731OdaiS093s.jpg 小さな境内を見学すると、「北山宮墓 宮内庁」と書かれています。
陵墓の様式で、階段が上に上がっています。
20160731OdaiS106s.jpg 本殿に戻ってくると、奥様が、「どうぞ参って下さい」と。
本殿に上がると、抹茶と羊羹を振る舞われました。
20160731OdaiS113s.jpg ゼリー菓子が皿に盛られ、「一服して行って下さい。階段でお墓に上がってお参り下さい。ご位牌はこちらでお祀りしています」と、縁起が書かれた用紙も下さいました。
「いや~、どうもすみません」

お抹茶などをいただきながら、縁起を読みました。
『奈良時代、役行者の修験道が葛城山系から吉野大峰にかけて盛んになります。吉野龍泉寺が、修験道専門宿坊として開創され、その1ヶ寺が当寺で、「白雲山龍泉寺」となります。平安時代、京都真言醍醐寺の末寺となり聖法理源大師をご開山に迎え、吉野大峰の修験道場となる。鎌倉時代、後嵯峨天皇の退位後、皇位継承を巡って、大覚寺統と持明院統に分裂する。南北朝時代、後醍醐天皇は吉野に籠り南朝を開く。なぜ吉野かというと、大峰修験者を使った全国発信を考えたから。南朝・大覚寺統は南朝に逃れ政治を続けようとした。京都に入った足利尊氏は、北朝・持明院統から新しい天皇を迎える。室町時代、1392年南北朝合一。1428年から対立再燃。1441年嘉吉の乱で、赤松氏没落。1443年北山宮御所となり、神器を奉じ「龍泉寺」と号した。1457年、赤松氏残党に神器が奪われ、南朝終焉』

お賽銭10円では不釣り合いです。
お賽銭箱に500円を追加します。
1000円の方が良かったか・・・。

20160731OdaiS111s.jpg 仏壇には、菊のご紋が入った紫色の布が下がり、太刀がケースに入っています。
手を合わせます。
縁起を知ると、境内から見える小さな集落の家が、一の宮を守護した兵の子孫に見えてくる。
歴史好きの性かも知れません。

1週間前、断念した「三之公」と縁起が繋がりました。
階段を上がり、赤松氏残党に暗殺された自天皇の墓に手を合わせます。
こんなところまで、宮内庁・・・
数年に一度は、宮内庁職員がやってきて、陛下の代理供養が行われるのでしょう。
きっと集落総出で、準備するのだろうな。

20160731OdaiS135s.jpg 10:29、「北山宮」
祭神は、「北山宮」
『北山宮は、後亀山天皇御曽孫・尊秀王の御子。嘉吉3年(1445)9月、父王が比叡山に死し後、神宝を王子に奉り、吉野北山荘に擁護した。赤松氏残党が、主家を再興せんとし、1454年12月2日夜半、大雪に乗じて丹生屋帯刀左衛門・四郎左衛門兄弟は、北山御在所を犯し、王子を殺して、神宝を奪い、お首を奉持して逃げる。お民これを追跡し、伯母谷にて両名を討ち、神宝・お首を取り返した。無門島彦太郎・上月満吉・中村貞友は、北山郷と期を合わせて、河野宮の御在所を襲い、弟宮を殺し、貞友お首を奉持し逃げるも、お民塩谷に要撃し、お首を取り返す。翌年、神宝は、赤松残党・小寺藤兵衛が持ち去り、京へ入る。遺臣・お民悲憤し、宮を追慕し、翌年ここに祠を建てる。明治35年、吉野神宮外摂社に列せられ、明治45年北山宮御墓所決定と共に、御事跡は癒える。大正11年、村社より県社に昇格し、昭和31年「北山宮」に改められる』

20160731OdaiS137s.jpg 神社前にあった紀伊半島山間部によくある鋼製吊橋を渡ってみる。
揺れる~怖いので、半分で引き返す。
この道から「橡谷西ノ谷林道」に入る予定でしたが、怪しい枝道に表示がないのでパスしていたら、どうやら過ぎてしまっているようです。
「水分神社」から入る道が正解だったみたい。

仕方なくR169に出てしまった。
「不動七重滝」がTMで大きく表示されているので、行ってみることに知る。
グーンと南下し、11:18「下北山スポーツ公園」
ここも初めてなので寄り道し、トイレだけ借りる。
夕方には家内が帰るはずなので、ここから帰路とする。

R169を北上し、「大峰奥駈道・前鬼登山口」表示されていた枝道に入り、四輪離合困難な林道を左右に振られながら上がる。
カーブミラーも設置されているのは稀なので、クラクションを多用する。
でも交通量は殆ど無い。

20160731OdaiS147s.jpg 11:48、小さな滝で止まったら、滝が見える横に「前鬼山・不動の湯」の看板が立っている。
『この冷泉施設は、本州造林KKの許可を受けて村が設置したものです』
看板前の地面に、なんとなく湯船だったであろう痕跡が遺っているだけです。
温泉なら、物好きが入りにくるが、冷泉なら人気は出ないだろうな。
駐車スペースもないし。




7/31・大台ケ原2 大台ケ原~辻堂山林道~南帝山瀧川寺

ちょうどロードバイクが上がってきて、大台ケ原の方に曲がっていった。
少し前に追い抜いた2台のスポーツバイクのすぐ後ろに続いた。
2台のスポーツバイクの1台はマウンテンバイクで、前かごにワンちゃんが乗っていた。
標高1600mの大台ケ原駐車場まで上がるのだろうが、人間業とは思えない脚力です。

「9/11大台ケ原ヒルクライム大会により午前中通行止め」の看板が、ここまでいくつも目についた。
この道を上がって行く大会があるのですね。
ダウンヒルならスピードオーバー事故が多発しそうだけど、ヒルクライムならスピードが遅いので安全かもしれない。
「小処温泉・12km」

眺望を楽しみながらゆっくり走り、時には激写タイムしながら、8:29、「大台ケ
原・駐車場」到着。
道中、追い抜いていく車も数台だったので、ガラガラだと思ったら、意外に6割方駐車場が埋まっていた。

鳥居マークの「大台教会」の案内板。
お食事処もある。
家内と大台ケ原を歩きたいと思っているので、その下見をしましょう。
20160731OdaiS039s.jpg  「大台ヶ原ビジターセンター」というのがありました。
大台ケ原の自然を紹介した室内展示を見ます。

去年の月別天気表がありました。
晴れた日は5月は22日・6月7・7月15・8月23・9月18・10月25・11月15です。
5月・8月・10月が多いけど、10月は紅葉で混むので、8月に避暑を兼ねて来るのがベストのような気がする。
5月はまだ寒いんじゃないかな?

20160731OdaiS048s.jpg 登山届ボックスが有りました。
その上に、「行方不明の方」が写真入りで紹介されています。
どうされたのだろう・・・

受付に行くと、2人のお姉さんが、散策地図を見せて丁寧に教えてくれます。
家内に見せたいので、写真にとっていいかと問うと、「写真はダメ、10円で買って」と言われました。
パンフレット置き場に地図がなかったから、配っていないのかと思った。
買えるんなら問題ないので、10円でいただく。

バイクに乗り、下ります。
最初は緩やかな尾根道で、やがて勾配を増し下り始めます。
9:09、往路で止まった分岐。
「ならクル」指定のサイクリング道「林道・辻堂山線」を下ります。

ロードバイクが上がってきます。
女性もいます。
こちらは道が狭いので、車が少なく、自転車が多い。
20160731OdaiS056s.jpg 9:18、植林のためか、森林伐採されているところで休憩。
ローディーに挨拶しながら、激写タイム。

9:37、r226に合流。
20160731OdaiS065s.jpg 左折すると、「小処温泉2km」と「くらがり又谷の滝3km」です。
20160731OdaiS072s.jpg 直進はR169・7km方向に、川沿いを下ります。
20160731OdaiS073s.jpg 水がとても綺麗。

20160731OdaiS076s.jpg 9:56、「後南朝史跡・南帝山瀧川寺」の大きな看板と、謂れ板に惹かれてストップ。
『南天皇様の話 吉野朝から京都北朝へ神器が渡され、南北朝が合一する。
しかし後南朝悲話は、ここから始まる。北朝が、南北朝合一の盟約(10年毎の天皇交位)を守らなかったことに、南朝後亀山天皇は抗議するが、京で亡くなる。
嘉吉3年、吉野朝勢が京都御所に乱入し、神器を強奪する。これを手にした空因(亀山天皇の孫)が、2人の王子を連れて、大台ケ原から北に流れ出る谷「三之公」で楠党などに守られながら宮を営む。空因が亡くなり、神器は一の宮に引き継がれ自天皇と称され、伯母峰を越えて瀧川寺に篭もる。山壁に囲まれ、各所に物見台を設け、この仮御所を守った。ここに、幕府に神器奪回と引き換えに主家再興・土地安堵の約束えを取り付けた赤松家残党が、山伏や僧の姿で潜み、遠巻きに迫ってきた。「京に抵抗するため」と、御所へ奉仕の許しを請います。二の宮の勢力と協力し、吉野山の奪回戦に出て、赤松の浪士はよく働き、御所の気を緩ませ、御所内を知るようになります。粉雪の降る夜、豹変した赤松浪士が乱入し、囲炉裏の間で変が起きた。今も御霊屋で法名・「南帝王一宮自天勝公正聖仏」として祀り続けています』

おお~、嘉吉の変で足利将軍を暗殺し、本拠地播磨を攻められ領国を取り上げられ散逸した赤松家。
南朝から神器を取り戻した功績で、播磨他3国の守護に返り咲きます。
その戦闘の地がここでした。
ラッキー。

20160731OdaiS077s.jpg 早速、川向うの瀧川寺訪問します。
前を流れる川は、「小橡川(ことちがわ)」
読めないね。
スポーツバイク置きが置いてあります。
ロードバイクで訪問する方もいるようです。




7/31・大台ケ原1 3人目の孫を授かる

7/29(金)に、次男に初めての子・女の子が生まれ、土曜日も含め、電話やメールが飛び交いました。
僕ら夫婦にとっては、3人目の孫ですが、生まれた興奮にくわえ、体重1900g・身長44cm(長男2650g・48cm、次男2580g・45cm)の低体重によって、心配しました。
産婦人科医の見立てで、2200gと小さめとはわかっていたのですが、あと1週間でもう少し大きくなり・・・安産になっていいなと思っていました。
あと1週間待てずに出てきちゃったし、見立てより更に小さかったので、お医者さんの判断で、出産翌日に、念のため、産婦人科専門病院から小児科医が常駐する大学付属総合病院に搬送されました。
「いきなり、救急車デビューした」と、次男は言ってました。
そんな心配が加わった、怒涛の2日間でした。

長男・次男の出産同様、出産予定日1週間前の39週までお腹の中だったから、身体に異常なく、2300gになってから退院だそうです。
数年後には、「そんなこともあったね」という思い出になるでしょう。

この日、家内が仕事の会合だったので、1週間前に時間切れで走れなかった「大台ケ原」と「サンギリ峠林道」を、バイクで走りに行きました。
目を覚ますと、窓の外が少々明るいです。
遅れ気味ですが、コミネメッシュプロテクター上下を着て、カメラを2台持ち、前回同様の用意をしました。
バイクは、「招き猫CB400SB」です。

4:49に出発し、中央縦貫道を走り、吹田から近畿道に乗り、南阪奈道路~大和高田バイパスで橿原。
ここからR169で南下し、6:01、高取町のファミリーマートで、チョコバリ129円+手巻き辛子明太子138円を買うところまで一緒です。
1週間前と違うとこは、店内でアイスを食べたこと。

そこから、R169を南下し、r222でショートカットし、吉野川沿いR169に合流。
吉野宮があった「宮滝遺跡」を探索しようと、近くに差し掛かった時にゆっくり走りましたが、国道に特に案内はありませんでした。
適当なとこで枝道に入り、「ここかも?」と思った道があったけど、面倒になってそのまま吉野川を渡りました。
対岸の枝道に乗り、道なりに再びR169に合流しました。

20160731OdaiS002s.jpg 6:47、「大滝ダム」
ダム下流の川は、巨岩が綺麗な水に洗われる景色が素敵です。
写真を撮っていると、ロードバイクが追い抜いていった。
その後また追い抜いたが、寄り道や写真のたびに抜かれるので、これで3度目の追い抜きです。

大迫ダムを過ぎ、ループ橋を含めたトンネルエリアで、旧道に入ります。
1週間前、R169を走りながら、「これは旧道入口?」と思われるトンネル前の分岐を、いくつか確認しました。
入口があれば出口(再び合流する部分)があるはずと、トンネルを出てから目で探しました。
帰宅して、TM(ツーリングマップル)で旧道表示を見つけ、次回走ってみようと思っていました。

落石が増え、穴ぼこもありますが、スピードを出さなければ問題ありません。
ブルドーザーで寄せられた土砂の山があちこちにあるので、不通になった道を応急に通しただけで、そのままになっているのかもしれません。

7:22、小さな滝で休憩。
もちろん誰も走っていない旧道なので、はるか下を流れる伯母谷川(吉野川の支流)へ急流で流れていく滝の水を目で追って楽しむ。
至福の時間です。

20160731OdaiS007s.jpg 7:25、R169ループ橋が、遥か上で弧を描いています。
高低差が相当あるので、合流するまでかなり上がらないとダメそう。
20160731OdaiS009s.jpg 谷を隔てた山が美しく、激写タイムを入れながらのんびりと走る。

やがてR169に合流し、すぐにr40・大台ケ原アプローチ道の分岐がやってきて、躊躇なくそちらへ。
いきなり怪しげな林道になり、ゆっくり登っていく。

7:44道がマシになり、土砂崩れを修復したのか、谷側の木々が払われ、眺望がきくとこで激写タイム。
R169との分岐で、すでに標高750mあるので、眼前の山も高度感が半端ない。

7:53、また眺望の利くとこで激写タイム。
こういうことが出来るのが、バイクの特権です。
20160731OdaiS017s.jpg 1週間前に走った「大峯奥駈道」に連なる山脈が、ドーンとそびえている。
意外に切り立っている。
TMを見ると、大普賢岳かもしれない。

7:56、更に高度を増したが、大峰の山脈からは離れている。
20160731OdaiS021s.jpg 8:21、「小処峡」への分岐。
「日帰り小処温泉・大人700円」の案内板がある。
大台ケ原からの帰り客を誘引しているようです。
20160731OdaiS025s.jpg サイクリングロード「ならクル・上北山ルート・北部一周コース」に設定されているようで、温泉の方から大台ケ原への道が表示されている。




7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング9 帰宅

大和高田バイパス~南阪奈道路で大和を脱出し、15:35「太子IC・料金所」で休憩。
富田林のPL教団の塔が見える。

近畿道に入り、八尾PAで休憩。
東大阪PAのようにコンビニ位あれば、使い勝手がいいのに、トイレと自販機だけです。
数年ぶりにコカ・コーラを自販機で買い、炭酸・糖分補給した。

一気に近畿道を抜け、中国道・吹田ICでまた休憩。
朝が早かったので、眠くなってきた。
一般道は平気なのですが、単調な高速道は眠くなる。
豊中ICで中国道を出て、16:52帰宅。

僕が家に入ると、家内が風呂のスイッチを入れてくれた。
荷物を片付け、風呂に入ってサッパリして出てくると、今度は通勤リード110に乗り換え、タンデムでお買い物です。
仕事でも使える楽なシューズを買うのに付き合いました。

帰宅後、まだ明るいので、今日一日実家内部を掃除してた家内に負けないように、玄関階段など、家の周囲の掃き掃除・拭き掃除をしました。


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天皇陛下のビデオメッセージが流れた。
「天皇位譲位の希望」を暗に感じさせうメッセージかと思い、PM3時という放送時間に合わせて昼休みを取り、TVの前に座った。
終戦当時より、ずっと身近な存在になられた現在の天皇ですが、「玉音放送」だよねと思い、終戦の玉音放送を聴く市民同様、何故か正座して聴いてしまった。

日本の天皇は、国民にとってあまりに大きな存在なので、法律で明確に政治と切り離されている。
自由に譲位が出来たら、為政者によって意図的な譲位や、天皇自らの気持ちを表すための譲位があった過去の歴史に戻るので、僕は明治以来何度も議論され葬られたように、現行憲法同様に「終身天皇」「摂政」制が良いように思うが、メッセージを聴きながら、平成天皇のお気持ちは十分に伝わってきた。

生前譲位するとして、「定年制」にしてしまうと、新天皇に不測の事態があった時、天皇位に戻る重祚が出来なくならないか・・・
「天皇の希望する任意の時」では、アバウト過ぎるし、将来政治利用されかねない。
平成天皇のお気持ちは、皇室典範を改正し、恒久化法として、天皇崩御の自粛による経済活動の低迷や、それに伴う各種行事の多忙が一時にやってくるのを避けたい旨のようですが、特別措置法で「あくまで例外」とすることはできないかなあと思う。
天皇位を巡るゴタゴタで、過去どれだけ戦争が起こったか。
また南北朝期のように、為政者によって2人の天皇が並び立った時代も、戦争が絶えなかった。

日本史への興味は、天皇制抜きに楽しめない。
氏族の歴史を辿ると、多くは天皇に辿り着き、天皇の子・「皇子」の子・「王」が、臣籍降下したことから始まることが多い。
そこから始まる男の子の家系、女の子の嫁ぎ先との縁から始まる家系・・・現日本人の殆どが源平藤橘の氏に辿り着き、天皇家と親戚であるという現実を思うと、我が家の遠い本家の嫡流として、現天皇家に親しみを感じてしまう。
どうなることやら・・・

7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング8 天誅組終焉の地

20160724YoshinoS325s.jpg 13:35、『維新のさきがけ・天誅組 東吉野村天誅組顕彰会』の幟に惹かれ停止。
『天誅義士墓所』の石碑が立っている。
隊長・吉村寅太郎他10名の名が書かれている。
明治谷墓所と言うらしい。

倒幕・尊王の魁となった天誅組は、旧土佐藩士・吉村寅太郎が、公家中山忠光卿を主将に担いで旗揚げし、大坂から大和に侵入し、代官所襲撃には成功したが、呼応するはずだった京都の情勢が急変し、孤軍奮闘となってしまった。
大和高取城址襲撃に失敗し、吉野大塔に後退したが、陣容を増す幕府軍と雌雄を決するため東吉野に侵入してきた。
多勢に無勢で敗退し、散り散りに討ち取られて行った。

勝敗は時の運・神のみぞ知る世界だから、武運尽きただけのこと。
この行動力が素晴らしい。
時代を動かす人も、人生で大成する人も、限られた時間を大切に、急ぎすぎるぐらいの人だ。
維新成って、賊軍と散った志士も蘇り、後世に伝えられている。

階段を上がって行くと、玉垣された敷地内に吉村寅太郎はじめ隊士の墓石が、整然と並んでいた。
吉村寅太郎の上に、「贈従四位」と彫られていたので、明治維新後、官位を贈られたようだ。
県道からの階段も箒の跡が残り、蜘蛛の巣も張っていない。
地元の方の気持ちが伝わってくる。

20160724YoshinoS338s.jpg r16に入り、13:46「ニホンオオカミの像」
天皇陛下行幸所の石碑が立っている。
天誅組の史跡にも寄られたのだろうか?

『ニホンオオカミは、明治の初めまで、本州・四国などにかなりの数生息していた。その後急減し、明治38年(1905年)東吉野村で捕られられた若雄が日本で最後の捕獲の記録となりました。当時、ここ鷲家口の宿屋・芳月楼で、地元の猟師から、英国より派遣された東亜動物学探検隊員・米人マルコム・アンダーソンに、8円50銭で買い取られ、大英博物館の標本と成っています。「採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ」と記録され、動物学
上貴重な資料となっています。かつて山野を咆哮したニホンオオカミの勇姿を、奈良教育大学教授・久保田忠和氏の手により、等身大のブロンズ像として再現しました。緑と水のふるさと・東吉野村の自然愛護を願うシンボルとしていきたいものです』

13:52「天誅組遺跡」
『文久3年9月24日宵、出店坂より敵陣に突入の途中、敵弾を受けた天誅組前勢の鍋島米之助は、之に屈せず次々にある彦根陣所を突破して、ここまで進み、辰巳家の納屋に潜入、休息した。翌朝、発見密告され駆けつけた藤堂勢の銃弾にあえない最期を遂げた』
20160724YoshinoS343s.jpg 『島村省吾捕縛地・徒歩20分』

『文久3年9月26日払暁、吉村寅太郎の命を受け、主将及び本隊の様子を確認するため、木津川より山越えして鷲家口に下ってきた森下儀之助・幾馬、山下佐吉・山崎吉之助4名。森下兄弟はこの市ノ谷を登りましたが、頂上近く紀州街道(赤谷口)に取り付いた時、兄・儀之助は左へ進み小名峠を越え脱出しましたが、弟・幾馬は右に進み、首吊り峠を越して鷲家赤谷を下る途中、山狩り中の藤堂藩・西庄源左衛門の隊に遭遇し、その銃弾で戦死しました』
その谷を見上げ、周囲の地形を見て、想像の翼を広げました。

R166に合流し、13:58「天誅組終焉の地」
天誅組の軌跡が地図で表わされている。
林道も走ってきたので、地図の位置関係がよく分かる。
やはり現地に来なくちゃ。
刑事は足で稼ぐという旧タイプの刑事のセリフが思い浮かぶ。

『天誅組総裁・吉村寅太郎・遺詠 吉野山、風にみだるるもみじ葉は、我が打つ太刀の血煙と見よ』

『東吉野村は、幕末当時、憂国の志士が幕藩体制を廃して国家行政の抜本的改革を目指し、その思想と行動に殉じた地である。文久3年(1863)8月、孝明天皇の神武山陵参詣を機に、統幕の先鋒と称して、中山忠光卿を主将とし、藤本鉄石・松本圭堂・吉村寅太郎の3士を総裁とした「天誅組」が五条に旗揚げしたが、「七卿の都落ち」に象徴される政変により、事、志に違い幕軍の追討を受けて吉野山山間を転戦、9月24~27日にかけて、当村内において、3総裁以下15志士が戦死、「天誅組」は終焉を見る。しかし時を経ずして展開された明治維新大業の魁となり、現代日本繁栄の原動力となった事は、その後の歴史が物語っている』

20160724YoshinoS359s.jpg 橋を渡り、敷地内に入ると、巨岩の前に玉垣が組まれ、顕彰碑が立っている。
R166を「道の駅・宇陀路大宇陀」に向かって走る。
「ひだる地蔵」というのがあった。
「ひだる」は空腹を表す方言のようです。
20160724YoshinoS367s.jpg 「山村留学・東吉野小学校」という看板もあった。

道の駅で、かき氷300円でクールダウンしながら休憩。
道の駅の前のバイカーズカフェがあった。
R166で桜井に出て、R165にチェンジ。

15:07「桜井市大字吉備エクスプレス桜井CS」で給油。
229km/10.16L=22.5km/L。


7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング7 武木小川林道~丹生川上神社

20160724YoshinoS289s.jpg 12:48、祠のある峠に着いた。
20160724YoshinoS290s.jpg 『足ノ郷峠・川上街道 峯越衆(おごししゅう):川上街道(東熊野街道支線)は、かつて東吉野と川上の交流を支えた重要な街道であった。菟田野や大宇陀の米が鷲家口(小川)を経由して川上村に運ばれた。
川上村へは、東川辻越え・白屋辻越え・足ノ郷越えの3つのルートがあって、東川・白屋・武木・井光への生活物資輸送路として利用された。また、正月や盆前には鷲家口に「市」が立って賑わい、普段でも川上からの買い物客がこの街道を往来した。昭和初期まで、鷲家口に「峯越衆」と呼ばれた生活物資運搬を本業にする人たちがいた。服装は、白脚絆・紺パッチ、夏は素足・冷え込む時期は自家製足袋とわらじ履きであった。荷物は、米60kgが通常で、他に酒・醤油・魚介類・陶器・針金・釘などを運んだ。
天誅組行軍の道:1863年9月24日、天誅組は東熊野街道を北上して、武木の庄屋・大西家などで昼食接待を受け、午後3時頃当地を出発した。彼らは戦闘に耐えうる元気な隊士を先陣に、傷病の隊士を後陣にして足ノ郷峠を越えて東吉野に入ってきた。そぼ降る雨の中、「五本桜」(現キリヤクボヘリポート付近)まで来ると、百姓2人が火を炊いて待っていた。鷲家口の情報を聞いたところ、前夜からここに来ていたので、その後の様子は知らないという。一行は2人を木に縛り付けて鷲家口突破の軍議を開いた。「本隊を2隊に分け、一隊は決死隊となって鷲家口に陣取る彦根勢を突破する。もう一隊は戦闘に乗じて守将・中山忠光卿を大坂の長州屋敷まで守護する」という作戦であった。傷病隊士の多くは、丹生川上神社方面に下り、木津川・伊豆尾方面に向かった。隊士の殆どは、勇途虚しく若い命を散らしたが、5年後に明治維新が成し遂げられた』

まさか、こんな山奥に、天誅組の謂われ板が立っているとは思わなかった。
天誅組の軌跡を調べていて知ったこの旧街道を、体験したくてここまで来たが、大河ドラマで取り上げられたわけでもないのに、手入れされていると思われる綺麗な謂れ板を見つけ、地元の当時の賊軍・天誅組への哀愁が偲ばれた。
諸行無常、戦い済めばノーサイドで敗軍将兵の墓を立て看病をする、日本人の心の美しさを感じる事ができた。ここまで登ってきて良かった。

ここから下りに入った。
すぐに、対向して上がってくるロードバイクがあった。
「あと200m」と声を掛けたかったが、疲れているのか顔さえ上げられなかった。
峠で出会っていれば、いっとき話せたろう。

20160724YoshinoS291s.jpg 12:52『天誅組さきがけの道・白屋辻 前方:小川、後方:川上』の看板がいくつも立っていた。
「天誅組さきがけの道」と銘打ち、現在地を教えてくれる。
天誅組への愛とともに、歴史好きしか通らないだろう旧街道通行者への愛を感じる。

13:02、前述の「ヘリポート」着。
『管理運営について このヘリポートの管理運営・使用料徴収について、地元財団法人・三尾自治会に委託しました。小型機:1荷につき300円、大型機:400円、給油基地:1給油5000円』

林業でヘリを使用するのだろう。
ヘリポートとは名ばかりの単に木を伐って拓いた空き地です。

白屋越え・東の川越の林道を通過し、13:16、r220に出た。
「東吉野キャンプ場」があり、「四郷川」河原では、水遊びされている方やテントが張られている。
温泉もあるようで、風呂隣接のキャンプ場はいい。

20160724YoshinoS307s.jpg r220を下り、13:23「丹生川上神社」
バイク置き場がなかったので、路上駐車。
横の川は浅く流れもゆっくりで、多くの方が川水浴を楽しんでいる。

r221で、13:29「魚見石」
『神武天皇東征の時、壬生川上において天神地祇を祀り、大和平定の成否を問われ、岩を川上神社神域の淵に沈められた。やがて吉兆現れ、大小の魚が木の葉のごとく酔い流れ、尊い神助の端祥を得られた。その魚の流れる様を臣の椎根津彦が見届けた場所を、古くから魚見石と言い伝える』


7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング6 行者還トンネル~三之公・断念~武木小川林道

9:32にバイクに戻り、先に進みます。
ここから山岳道で道幅も狭くなるので、交通量は少なくなります。
9:55、がけ崩れによる山側法面対策工事現場で休憩。
9:57、「神童寺谷線」分岐。

10:12、「行者還トンネル」手前駐車場。
乗用車1日1000円。
20160724YoshinoS254s.jpg 「世界遺産・大峯奥駈道・弥山登山口」の看板が上がっていました。
地図を見るとここの標高は1100mで、奥駈道尾根道は1500m(比高400m)・距離1.5kmという感じです。
弥山(標高1900m)へは、一旦尾根道に上がってから、尾根歩きするようです。

沢山車が停まっていました。
20160724YoshinoS255s.jpg 野田市ナンバーのスーパーカブが停まっており、前カゴ・リアホームセンターボックス・後カゴ荷物満載でした。
日本一周でもしてるのかな?
その途中で登山なんて、体力あるわ。

「行者還~弥山登山コース」
20160724YoshinoS257s.jpg 登山届ボックスが設置されており、「クマが目撃されています。十分注意してください」の注意勧告もされています。
「弥山小屋に宿泊される方は、必ず予約を入れてください。予約のない方は、食事の準備ができません」

20160724YoshinoS262s.jpg 行者還トンネルは、ヘッドライトだけが頼りのとても暗く長いトンネルで、路面は濡れており、心細く30km/hほどで通過しました。
トンネル出口に近づくと、向こうの道が濡れているのがわかります。
「え、雨降ってるの?」

ドキドキしながら出ると、雨が止んだ直後のようです。
トンネルの洞川側では晴れて日が差していたのに、山の向こうは大違いでした。
20160724YoshinoS265s.jpg 見える山の頂上は雲の中で、大台ケ原を諦めることにしました。
上がってもガスの中かもしれません。

延々と沢沿い林道ルックな国道を下ります。
つづら折れを繰り返し、山道を堪能しました。
途中休憩し、朝買ったおにぎりで昼食にします。
道路に座り、足はブラブラ。
川のせせらぎを聞き、猛禽類の飛行を見上げ、アゲハチョウが舞うのを目で追いかけました。

R169に合流し、北上開始。
長いトンネルを抜けたとこに、大台ケ原に登るr40の分岐がありました。
11:10・・・しばし休憩。
反対側からやってくるバイクは、r40に吸い込まれていきます。
地図を見ながら思案し、「大台ケ原を止めて、東吉野探索」に切り替えました。

R169を北上し、連続トンネルとループ橋を通過し、11:21「大迫ダム」
ダムの下流側を見て、高さにビビる。
r224に入り、ダム湖側道を登っていく。
「入之波」という所に、釣り堀などの施設があるようで、少し交通量があった。
バイクも停まっている。
温泉でもあるのかな?

更に奥に入って行く。
目的地は最奥部の「三之公」です。
南北朝時代の南朝最後の第4代天皇・後亀山天皇(後醍醐天皇の孫)は、足利義満の和平案を受諾し、北朝・後小松天皇に三種の神器を返し、南北合一を成した。
しかし、合一の条件「南朝・北朝、交代で天皇位に着く」が実現されず、亀山天皇の孫が2人の皇子を連れてここに住み、密かに南朝復活を画策していた。
夢破れた歴史の地です。

r224から、支流に沿う枝道に入り、三之公を目指したが、舗装されているものの砂利が浮き出し、未舗装路とほぼ同じ状態になってきたので、Uターンすることにしました。VTR250だったらもう少し粘れたと思うが、200kgのCBをコカしたら起こすのが難儀なので撤退です。

R169に戻り、武光橋まで北上します。
武光橋で吉野川を渡り、12:19突き当りを左折したところでストップ。
20160724YoshinoS278s.jpg 対岸の現R169の吉野川側低いところに、もう一本高架道路が走っている。
武光橋もその道路の上を渡ってる。
無性にその道を走りたくなったが、行けるのだろうか?
旧R169なのかな?

ここから、「武木小川林道」
沢沿いの道を上がっていく。
交通量皆無の感じがする。
随分前に調べた時は舗装だったから、地図に舗装路の赤丸を付けたのだろうが、未舗装になってもおかしくなく、荒れて穴ぼこだらけになっていてもおかしくない感じの道が登っていく。

12:23滝があった。
12:44もうすぐ峠かな?の手前に『水源地 この河川は武木地区の水源地です。関係者以外の立ち入りはご遠慮ください。/川上村武木区』の看板が立ち、未舗装枝道がチェーンで封鎖されていた。
何もしていなければ、オフバイクが突っ込んでいくのだろう。
悪法・リサイクル法の成立以降増えた不法投棄対策でもあるのだろう。
ここまでにも、同じ看板がいくつも立っており、遠慮しながら上がってきました。

20160724YoshinoS287s.jpg 地図を見ると、標高950m。
吉野川沿いの300mから、650mも登りました。
意外に標高がある森の静かな道です。






7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング5 大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷

20160724YoshinoS150s.jpg 20160724YoshinoS153s.jpg 8:04、滝があった。
8:06、『進行方向:川上村、右:天川村洞川』分岐到着。
20160724YoshinoS155s.jpg 川上村方面が通行止めで、完全バリケード封鎖されていました。

洞川方面に進み、8:12「大天井滝」
バイクを置き、橋を渡って見に行きました。
20160724YoshinoS164s.jpg 標高が高くないので、それほど暑くはないですが、頭から水を被りたい。

8:19、「五番関トンネル」
『平成5年3月 奈良県 延長387m・高さ4.5m・施工:中川堀内共同企業体』
20160724YoshinoS175s.jpg 洞川側に抜けると、旅館のマイクロバスが1台、他に乗用車が数台停まっていました。
1700mオーバーの「大天井ヶ岳」に登るのでしょう。

ここは、前述のバイク(里山VTR250)での初めての遠出で来た所です。
サイドスタンドを出すのが中途半端で、初コケしました。
初めてのバイク起こしで、しかも坂下に向かって倒れたので、起こすのに苦労しました。
チェンジレバーは曲がっちゃうし、泣きそうでした。

翌週に、エンジンガードを着けました。
でもエンジンガード着けても、左に倒したら結局チェンジレバーが曲がるので、「もうちょっと大きなものを作れよ」と思いました。
右にコカしたら、マフラーに傷がつきます。

CB400SBにはリアガードというのがあり、両方着けてるので、立ちごけならハンドルエンドさえ地面に当たらず、ガード以外無傷なので、見習ってほしいものです。

洞川に向かって下ります。
沢沿いの森の道で、ほとんどすれ違う車もないので、快適です。
道なりに、r21。

20160724YoshinoS187s.jpg 8:36「母公堂」
本尊は、「役行者の母公尊」です。
『母公堂は、大峯山の歴史以来の入口でした。修験道の始祖・役小角の母・白専女(しらとうめ)を祀っています。大峯山寺のある山上ヶ岳・1719mまで3~4時間。近畿の屋根と言われる雄大な大峯山系がここから始まるのです』

女人禁制だった高野山同様、役行者が母に住んでもらい自分が時々顔を見せに行ったお堂です。
女人結界もあり、修験道者が「覗き」などで修行する「大峯山」は、現在でも女人禁制ですが、隣の「稲村ヶ岳」は女大峯と呼ばれる女性でも登れます。
男女混合のグループもいたので、その方たちは、稲村ヶ岳に登るのでしょう。

標高900mから1700mまで、比高800mはきついな。
僕ら夫婦の最高は、息子たちと登った「岡山那岐山」で、比高600mです。

8:43「千人の山 修験節律根本道場 総本山・大峰蛇之倉七尾山 陽明門」
何かわからず、立ち寄りました。
独自の霊場を持ち、山岳修行できるのかな?

r21を下り、R309との交差点で、懐かしいあのお店「MORIKURO HULAHULA」が健在でした。
森田商店だったのだけど、コンビニ「LAWSON」に対抗して、青地のそっくり看板で「MAWSON」になり、大きな話題を集めました。
大人気なくローソンが法的措置をちらつかせたのか、現店名に変更されてしまいました。
「ユニクロ」は、大人げない対応はしていないようです。

ここから、R309に入るのですが、ガードマンさんに止められ、通行止めの案内でした。「どちらまで?」「大台ケ原に行こうと思っているのですが・・・」
「迂回路がありますので・・・」と、教えてもらった。

迂回路はR309沿いを流れる弥山川の下流・天の川を対岸に渡ります。
9:09天の川の河原で沢山の人が川水浴されているのを見ました。
川の水は、海と違い冷たいよね。
20160724YoshinoS222s.jpg 橋には、「飛び込み禁止 人身事故多発」と書いてありました。
川までかなり高低差があります。
澄んでるので川底までくっきり見えるけど、この深さなら、川底激突間違いなしです。

すぐにR309に戻り、巨岩ゴロゴロの「弥山川」を見ながら、ゆっくり進みます。
国道だけど、標高1100mの「行者還トンネル」を抜ける山岳路なので、交通量は多くない。
水は、四国の清流とガチンコ勝負できるほど綺麗です。
20160724YoshinoS224s.jpg 何度か激写タイムしながら進む。

9:24「みたらい渓谷」着。
「素晴らしい」と評判の渓谷なので、見に来たかった場所です。
バイク置き場はなく、トイレ前の路上に駐輪。
休憩所&駐車場番人おばちゃんに、「写真撮って5分で帰ってくる」とお願いしたら、無料でした。

20160724YoshinoS236s.jpg 急な階段を上がり、たわんでるし揺れてるコンクリート橋まで、激写しながら歩いたけど、水が恐ろしく綺麗で、小さな滝もあり、見所満載の遊歩道でした。
家内を連れて来たい。
20160724YoshinoS242s.jpg 

7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング4 大峯奥駈道

20160724YoshinoS101s.jpg 拝殿・本殿への階段脇に、石畳の道が奥に向かっています。
『西行庵0.5km・苔清水0.5km・鳳閣寺4.3km・山上ヶ岳』
『大峯山・山上ヶ岳方面へ行かれる方へ 山上ヶ岳への道中、百丁二蔵宿から五番関の間、水場を通過する横駈道(新道)は、大きく崩落し通行できません。百丁二蔵宿より、大天井ヶ岳山頂を越えて、五番関に至る吉野古道を通行することになります。時間と体力に余裕を持ってご通行ください』

まさにここが、「大峯奥駈道」の山岳路入口のようです。
行の安全を祈り、あるいは安全に感謝し、手を合わせずにはおれない金峯神社の立地です。
地図によると、西行庵まで徒歩20分で、帰りは他を巡る周回コース全40分となっています。
山道ハイキングも楽しそう。

20160724YoshinoS108s.jpg 金峯神社にお参りし、ご夫婦で準備中の社務所?商店?横を通り、「義経隠れ塔」に行ってみる。
20160724YoshinoS117s.jpg 階段を下るので距離が不安だったが、すぐにあった。

売店に戻ります。
「各ドリンク150円 スポーツ・水・炭酸水・緑茶・オレンジジュース・ペットコーヒー」
「御朱印受付 御札1000円・お守り大500円・お守り小300円・厄除け300円・おみくじ100円」
義経と行動を共にした静御前を次男のお嫁さんに重ね、安産祈願に「幸福お守り大・朱色」を授かった。
どうか無事出産を、母子を守ってください・・・

洞川への道が通じているのか尋ねたら、「わからんけど、通行止めだったら、途中の分岐から黒滝村に下って、そっちから行ったらいいよ」とアドバイスをもらった。

黒滝村~洞川のr48は、下調べで通行止めでした。
更にR309まで下って迂回しないといけないな。
r48は、バイク初心者の頃、初めてのツーリングで入ってしまった道で、ガードレールのない細道と手掘りのトンネルにガクガクしながら走った思い出の道です。

絵馬殿のような建物があったので入ってみると、「登山届ポスト」があった。
ポストの横には、役行者を模した石像が置かれている。
参詣道を下ると、往路に絶景を見た切り通しの上から、先客3人組(年配の男性と年若夫婦?)さんが降りてきて、僕の後ろになった。
年配の男性と30代と思われる男性の首に、大玉の数珠が下がっている。
年配の方が大声で話すので、耳に入ってくる。
「能勢で3年、・・で5年、俺もよく続いているよな」
修験道修行をされているのかな?

6:56、バイクの用意を始めたら、「神戸から?綺麗に乗ってるね」と年配さんが話しかけて来られた。
「伊丹からです」
年若が「私は箕面です」
年配さんは能勢在住のようで、出勤前に早朝ツーリングで能勢にもよく行くと言うと、鹿の話などで盛り上がった。
犬を10匹も飼ってるのに、吠えないから庭先まで鹿が来るそうです。
猟師の友達が、獲物を時々置いていくそうです。
ワイルドな生活だ。

「それじゃ」「お気をつけて」で別れました。
ここからいよいよ本番の「大峯奥駈道」だと気合を入れた途端に、目に入ってきたのが「通行止め」看板。
でも道を半分塞いでいるだけだから、行けるところまで行きましょう。
それに、笑顔で別れたのに、すぐUターンはカッコ悪いし・・・

絶景で何度かパナソニック望遠激写タイムしながら、7:12「青根ヶ峰」
標高850mの山ですが、比高25mでピークハントできます。
絶景だわ。
紀伊半島の峰が連なり、素晴らしい。

7:21、「黒滝村への分岐」
『右折:黒滝村槇尾5km、前方:川上村道20km・天川村洞川16km』
ここに通行止め看板が出てると思ったけど、ありません。
行けるのかな?

7:30、滝があった。
7:41、雲が消えて行き、青空に雲が浮かんでいる感じになってきた。
きっと、大台ケ原も絶景だろう。

7:51、激写中に抜いていった軽トラ2台が止まっている。
20160724YoshinoS142s.jpg ここが「百丁茶屋」でした。
山に入るとすぐに「百丁茶屋」跡・現在の「百丁二蔵宿」があるようで、金峯神社に書いてあったがけ崩れ場所は、ここから「五番関」までの間のようです。
迂回路は古道の「大天井ヶ岳・1430mピーク経由」とのことですが、地図で調べると、ここは1050mなので、比高400m弱・距離2kmでした。
因みに五番関・1200m・距離4kmでした。

20160724YoshinoS144s.jpg 横に通行止め看板が転がっていました。
『積雪・凍結のため通行止め 林道吉野大峯線 平成27年12月20日~平成28年3月31日』
金峯神社で見た看板も、積雪通行止め看板だったのかもしれません。
ならば、洞川まで走れそう。
走り出そうとすると、大型バイクが対向してきました。
先の状況を聞きたかったのですが、スルーされたので聞けず。


7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング3 吉野・金峯神社

6:36、金峯神社が見えてきて、入口に山中にしては立派なトイレもあった。
桜の季節には、多くの観光客が、ここまで上がってくるのでしょう。

20160724YoshinoS092s.jpg 「大峯奥駈道」の地図と説明板があった。
『日本独自の山岳宗教「修験道」の開祖・役行者が、白鳳時代(7世紀)に開いた。吉野と熊野という修験道の二大霊場を結ぶこの道は、修験者(山伏)にとって、最も厳しい修業道場とされる。平安時代には、随所に霊地や行場あるいは宿が設けられており、120ヶ所の宿があったとされる。その後42宿に整理され、霊地・行場が75ヶ所に整理され、「大峯75靡(なびき)」と呼ばれるようになった。
靡きとは、「役行者の法力に草木もなびく」という意味があり、修験道に関わる神仏の出現地、あるいは居場所とされている。熊野から吉野へと歩く行程を「順峯」、逆を「逆峯」というが、現代ではほとんどの修行者が「逆峯」で修行する。
また近世以降、吉野から山上ヶ岳(大峯山)に参詣する「山上詣り」の風習が、一般庶民にまで広がるようになったことから、更に奥に入って修行する「奥通り」と言うようになった。近年「奥駈」と呼んでいる。行程や順路・呼称が変わっても、大自然の中で心身の鍛錬を行う修験者が修行する祈りの道であることは、今も変わらない』

1500mオーバーの峰々の山頂を次々に巡る尾根歩きは、どんな体験なんだろう。
『地理的概要 紀伊半島の脊梁たる大峰山脈の稜線伝いに、熊野本宮と吉野山を結ぶ全長170kmの道程である。山上ヶ岳・大普賢岳・八経ヶ岳・釈迦ヶ岳など標高2000mに近い山々が連なり、それを避けることなく、厳しい坂道や断崖を上り下りしながら進まなくてはならない険路が続く。参詣道というより、我が国固有の「修験道」修業の道という方が相応しい。吉野あるいは熊野本宮に往くことが目的ではなく、山川草木を神仏と見立て修行する修験者にとって、道場であり霊場なのである。道筋には「大峯七十五靡」と呼ばれる礼拝所や行場が設定されており、祠や諸仏尊像などの遺物や宗教的遺跡が多く存在する。大峯奥駈道やその周辺は、「靡八丁」と称し、道の左右それぞれ400mについては、修験教団や周辺住民によって厳しく管理され、伐採や植林を行わないとの風習が守られてきた。そのため、自然林が豊富に残されているほか、火成岩からなる絶壁も各所に見られ、奇勝奇岩の素晴らしい景観が極めて良好に保存されている。大峯奥駈道は、文化的景観のみならず、自然景観上も次代に残すべき極めて重要な地域と言える』

後藤大峯研修の石碑が立っている。
『後藤勝一が社長在任時代に、将来を見越して人材育成に力を注ぎ、社員教育の一環として「規律ある団体行動と心身の鍛錬を目的として、確立されたものである。昭和35年第1回研修参加者は、社長以下わずか11名でしたが、その後後藤回漕店社員を中心に、関係会社を含め延べ3000名以上が参加され、今日に至っている。54回目を迎えられたのも、後藤勝一の教育の賜物であり、その意志を引き継ぎ会社の繁栄と共に未来永劫に大峯研修が継承されていくことを願い、ここに記念碑を建立いたします』

素晴らしい会社です。
僕は体育会で4年間お世話になったので、同じ釜の飯を食う意義を強く感じている。
利だけで結びつく関係は、利がなくなると瓦解するが、こういう体験で結びついた人間関係は、日ごろ別々に暮らしていても決して心のつながりは消えない。
僕が修験道に惹かれるのも、そんなところなのかもしれない。

20160724YoshinoS099s.jpg ワゴン車で来られたかたか、3人の方が拝殿で手を合わせている。
『金峯神社と隠れ塔 金山彦命を祀る吉野山の総地主神で、一名今精明神ともいい、古くから信仰を受けてきた延喜式内社です。金峯というのは、この辺りから大峯山にかけての総称で、古来地下に黄金の鉱脈があると信じられ、宇治拾物物語その他で、この山に登って黄金を得たという話がある。これは仏教神話で、金峯山は黄金浄土であるという観念から生まれたものである。左の小道を下ったところにある建物は、隠れ堂と言い、大峯修行場の1つで、この塔に入って扉を閉じると中は真っ暗になります。神官の先導に従って、「吉野なる深山の奥の隠れ塔、本堂空のすみかなり」と唱えながら境内を巡ります。1185年11月、源義経がこの塔に隠れ、追っ手から逃れるため、屋根を蹴破って外に出たため、「義経の隠れ塔、蹴抜けの塔」とも云われている』


7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング2 吉野・吉水神社~金峯神社

墓の隣の曲輪は、「蜂の薬師堂跡」
明治の初めまで、大きなお寺があったそうですが、廃仏毀釈の難に遭って壊され、本尊の薬師如来は行方不明になったそうです。
不動明王石像は、如意輪寺境内に移されているそうです。

5:27、無料駐車場。
写真を写していると、犬のお散歩の方2名が通り、挨拶を交わす。
観光客で飯を食っている方だろうから、愛想はとても良い。
「下の千本」中心に展望台があり、曇った空を眺める。
下界の近鉄吉野線の電車が走る音が聞こえる。
始発かな?

何度も通ったことのある小さな橋の横に、謂れ板を見つけ停車。
『大橋と呼ばれる橋は、形こそ普通の橋ですが、橋の下に川が流れていませんし、地形の最も高い所にあり、両側が谷になっています。これは1333年、大塔宮護良親王が北条幕府方に対し、吉野城に籠もった時、空堀に掛けた橋です』
20160724YoshinoS053s.jpg 橋から両側を見て、階段を下に降り、堀切構造を確認した。

5:49、「吉水神社」前。
ここは、源義経が静御前と隠れ、後醍醐天皇の時代は南朝皇居であったりした歴史上重要な場所です。
僕的には金峯山寺以上に、吉野一重要なポイントですが、沿道から少し離れ、駐車場もないので、パスしていました。
朝早すぎて内部は見れないと思うけど、観光客ゼロの早朝なので、バイクを置いて徒歩で行ってみます。
案内板に、「秀吉と家康の花見会場」とも書かれていました。

20160724YoshinoS060s.jpg 一旦20mほど谷を降りて、登り返す地形でした。
自然地形の堀切で半独立しているのが、皇居に選ばれた理由だと思いました。
『世界遺産 南朝本拠 吉水神社 開門9時・閉門5時』
『元は吉水院といい、天武天皇白鳳年間に、役行者が創建した格式の高い修験宗の僧坊でした。明治時代の神仏分離で、後醍醐天皇の南朝皇居であったことから、「吉水神社」に改められました。文治元年、兄頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が弁慶らとともに隠れ住んだ。悲運の英雄と佳人の悲恋物語を後世に伝えてきた数々の遺品が、遺されています。延元元年、後醍醐天皇が京・花山院から行幸され、吉水院宗信法印の援護のもと南朝を開かれ、南朝4代57年の歴史が始まる。現存する南朝唯一の行宮。文禄3年、豊臣秀吉が吉野で盛大な花見の苑をした際、ここを本陣として数日滞在した。歌の会・お茶の会・お能の会などを開いて、権勢を示した。また日本最古の書院として、ユネスコ世界遺産に登録された。義経・後醍醐天皇・秀吉、それぞれの時代の遺品や宝物が、書院内に展示されています。
「十字の詩 天勾践を空しゅうすることなかれ」。元弘の変に敗れ、隠岐に流される途中の後醍醐天皇へ、児島高徳が桜の木に刻んで贈った詩です。この十字の漢詩を後世に大切に残すため、吉野行宮の門前に掲げています』

20160724YoshinoS065s.jpg 護送中の後醍醐天皇を奪い取ろうとつけ狙った備前の児島高徳のこの一件も、太平記のエピソードで有名です。
あ~、書院を見たくなった。

20160724YoshinoS072s.jpg 6:00、「神仏習合修験道場・桜本坊」
役行者から始まった日本古来の自然崇拝・古神道と外来の仏教を結んだ「修験道」は、ほんとかっこいい。
明治の神仏分離令で、どちらにも属さない修験道はメジャーな地位を失ったが、たまに山で会う行者さんこそ、悟りを拓こうと修行しているように思う。

紀伊半島の吉野~大峰~熊野本宮は、その本拠地です。
ここの門を叩けば、その世界が広がりそう。
これから走る「大峯奥駈道」「洞川」は、修験者の修業の場、行者さんに会えるかな?
在野修行者も多く、仏教僧より身近な感じがする。

僧坊や民家が消え、山道に入る。
一度家内とタンデムで走った記憶があるので、適当に野生の勘でやってきたが、6:10、「水分神社」と「金峯神社・西行庵」との分かれ道になった。
記憶では「水分神社」に寄ったけど、「西行庵」が気になる。
水分神社に寄り道した後、金峯神社前を通過した記憶があるので、いずれ合流するのだと思い、「西行庵」を選択する。

6:22、さんざん初めての山道を左右に振られて来て、「左:上千本・水分神社、右:金峯神社・西行庵」交差点に到着。
西行庵はまだなので、単に遠回りしただけだった。
ここはバス停「奥千本口」になっており、回転できるように少し広くなっている。

金峯神社の鳥居が立っており、舗装勾配が上がっている。
残念ながら、一般車走行禁止なので、ここにバイクを置いて徒歩で参拝しよう。
ワゴン車が道脇に止まっているので、その後ろに停める。
ヤレヤレと参拝路を上がっていくと、樹木が伐られた切り通しがある。
20160724YoshinoS087s.jpg 下界の景色が見たくてその上に上がったら、素晴らしい景色が広がっていた。
野鳥のさえずりも多く、ナイスな場所でした。
雑木を伐って、桜を植えるのかな?


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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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