7/29・次男第一子誕生

朝、次男から、「夜中、軽い陣痛みたいのがあり、病院に行ったら、まだ生まれないと言われて言われ帰宅し、現在自宅待機中」の家族メールが入った。
金曜日なので、仕事を休んだようです。
赤ちゃんが小さい(医者の見立てで2200gほど)とわかっているので、次男はちょっと心配している。

家内から、「小さいから、今から入院して食事面でサポートしてもらうことにした」と次男からの電話内容を聞く。
昼休みに、家内の職場に行き、あ~だこ~だ元妊婦さんの体験からの分析を聞く。
まだ予定日1週間前で、軽い陣痛みたいなのはあるから、出産は2~3日後だろうと予想する。

次男が小さいことを気にしているようなので、「あなた自身2580gで生まれ、3日ほど保育器に入っていたけど、1週間で退院した」
「お嫁さんがモデル体型でスマートなので、母親の負担と、自分が楽に出れるように小さく生まれようとしている赤ちゃんの知恵」
「自分たちの子だから、赤ちゃん本人を信じてゆったりしていればいい」などをメールする。

長男や長男のお嫁さんからも、激励のメールが発信されている。
僕は、親父が亡くなってから家長として実家を守る立場になり、遺産相続の内容・配分に始まり、何でも弟一家・長男次男一家にオープンにしてきた。
甥・姪は小学生だったけど知っておいたほうが良いし、お嫁さんたちにも僕からペーパー文書とデータを明示して説明する方が、お互いの疑心暗鬼が起こらなくていいと思うので、やってきた。
理不尽な社会で生きていくために協力すべきは家族・血縁で、助け合う血縁がいると社会と勝負ができる。
そんな考えで、息子へのメールも、お嫁さんや他の息子夫婦と共有するようにしている。

17時過ぎ、次男から「陣痛が始まった、生まれるかも」との電話を受けたと、家内から電話が入る。
18時過ぎ、次男から家族メールに、「生まれた、元気に泣いてる。ご両親・妹さんも駆けつけてくれた。詳細は後で」の報告が入る。

それから、「おめでとう」メールが家族メール内で飛び交い、ホッとして帰宅する。
家内から、お嫁さんのお母さんから家内に電話が入り、「会いに来て下さい」と言われたそうです。

寝る前の最終メールチェックした22時、出産したばかりの次男お嫁さんから、「とってもとっても可愛い。1900g・44cmの小さな女の子が生まれました。39週お腹にいたので問題なく、元気に泣き、おっぱいをグイグイ飲む。保育器に入っており、小児科医師常駐の病院に、赤ちゃんだけ念のため転院するかもしれない」
と、喜びの写真添付きメールがありました。

朝メールをチェックすると、5時前に新潟にいるであろう長男から、「赤ちゃんなのに、既にお嫁さんに似てる」とのメールが発信されていました。

朝7時に次男の嫁さんから、家族メール。
「前駆陣痛半日、本陣痛3時間後、分娩台に上がったら10分のスピード出産でした。すごく痛かったけど、お父さんに書いていただいたように、自分の体系に合わせてくれたから短時間だったんだと感謝し、素晴らしい体験でした。赤ちゃんは1日1日変化するというので、貴重な時間を楽しみます。今からおっぱいをあげます」などが、書かれていました。
保育器前で立ってるお嫁さんの元気な写真が添付されており、安心しました。
歴史好きなので、出産で多くの女性が命を落としていたから、医学が進歩しても、身体への負担は楽なものではありません。

これで僕ら夫婦も、3人の孫持ちになりました。
次男から電話で、すぐに会いに来てほしそうなことを言ってたそうですが、日曜日しか移動できない僕らは明日しかありません。次の日曜日は長男一家がやってきて、4月に生まれた孫くんの初宮参りに行かなければなりません。

明日は、お嫁さんの体力回復の邪魔になりそうで、退院後の受け入れ体制でバタバタしている向こうのご両親にも迷惑でしょう。
予定通り、お盆翌週にご実家で落ち着いて会うのがいいと思いますが、次男とお嫁さんに決めてもらおうとメールしました。

昼過ぎに、次男からメールが入り、「新生児診断では満点で問題なしなので保育器から出たけど、体重が少ないので、用心のため2kmほど離れた大学総合病院に移った。いきなり救急車デビューしちゃった。僕は母乳の運搬係をします。退院は体重2300gオーバーが目安で、2~3週間の予定」と書かれていた。
すぐにお嫁さんに、「お医者さんを信頼して、ゆっくり休んで、体力回復を優先したらいいよ。ご苦労様」とメールした。

長男夫婦は、新潟でお嫁さんのご両親や妹さん一家を交えて、楽しい家族時間を過ごしているだろう。
そして、時々交わされる弟一家の赤ちゃん誕生の顛末を見て、自分たちの時を振り返っているだろう。

ということで、明日の上京はなくなりました。
先週行けなかった「大台ケ原」「ザンギリ峠林道」「R425」ツーリングに、また朝一から出かけようと思います。
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7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング1 吉野

家内もお休みでしたが、まだ長男一家が帰省するまで2週間あるのに、彼らが泊まる実家の掃除をするそうです。
ツーリングクラブにイベントがないので、船に乗ろうかと思い、ヨット部仲間に一斉メールするが、誰も暇じゃない。

ということで、ソロツーリングすることにしました。
和歌山・三重県境の中世の山城攻略を計画しましたが、総走行距離500km超えしそうで、家内に言われた「お買い物に連れてって」の時間に帰宅できそうにない。

奈良吉野~洞川の「大峯奥駆道」~R309みたらい渓谷~大台ケ原~ザンギリ峠という、高所山岳道4連発に行くことにしました。
総距離は400kmで、距離/速度で単純計算すると12時間。
高速道路区間が140kmほどあるので、それで稼ぐ時間を絶景激写時間に当てれば、早朝4時出発で、帰宅が夕方16時なので、買い物にも行けそうです。

目が覚めたら、2:30でした。
十津川村の天気予報をチェックすると、「午前中曇り、午後から夕方まで晴れ、気温もそれほど暑くない」という願ってもない気象条件でした。
予定より早いけど、二度寝したら予定より遅れてしまうので、出発することにします。

バイク装束に着替え(下着の上に、プロテクターメッシュ上下)、いつものミラーレス一番・ソニーNEX3の他に、パナソニック一眼ルミックスG2も用意する。
カメラの2台体制は、宿泊ツーリング仕様です。
ミラーレスは首にかけ、ヒップバッグに入れ即応体制で、ルミックスには、45~200ミリズーム(35ミリ換算90~400ミリ)レンズをセットしてリアボックス搭載で、あらゆるシーンに即応します。

3:15、「招き猫CB400SB」に荷物を積んで出発。
中国道・豊中IC~近畿道~南阪奈道路~大和高田バイパスで橿原に入ります。
R169を南下し、4:33「ファミリーマート高取清水谷店」で休憩します。
やっと空に朝の気配がするぐらいで、まだ暗い。
最も夜明けが早かった1ヶ月前より、30分は遅く朝が始まるようになりました。
早起きの僕には、まだ夏真っ盛り前なのに、朝の遅い冬の足音が聞こえます。

「チョコバリ・129円」を朝食代わりにします。
「味付海苔エビマヨ・120円」を緊急食として確保。
20160724YoshinoS013s.jpg コンビニに、『高取城跡 高取土佐町並み 観光案内所・夢創館』と書かれた看板が立っています。
家内と城址に登った時、この道を走ったことを思い出します。

「芦原トンネル」吉野川側に出て、r222でショートカットし、吉野川沿いのR169に合流します。
吉野川を南に渡り、r15で吉野山に登って行き、5:05「吉野神宮」裏門。
20160724YoshinoS024s.jpg 表門の方に回り、バイクを停めて参拝しようと思ったら、『日没から夜明けまで参拝停止中 参拝の方は、ここで遥拝してください』との看板が大鳥居の下に置かれています。
仕方なく、手を合わせただけで退散。
建武の中興を成したが、足利尊氏と仲違いし、京を追い出されて、吉野で南朝を開いた後醍醐天皇を祀っています。

吉野は何度も来たことがあるので、サクッと通過し、主目的の山岳路を楽しむ予定だったのに、これで寺社・史跡巡りの血が騒ぎ出しました。

5:18「村上義光公墓」
『村上彦四郎義光は、信州埴科(さらしな)の人で、早くから大塔宮に従い北条幕府と戦いました。1333年吉野城が落ちた時、大塔宮の身代わりとなって、蔵王堂前二大門の高櫓の上で腹を切り果てた。義光を検分した北条方が、大塔宮でないことを知り、ここに捨てたのを里人が弔って墓とした。義光の子・義隆も、父とともに死のうとしたが、大塔宮を守って落ち延びるよう諭され、高野山に向かう途中、追ってきた敵と戦い、ここから2kmほど隔てた山中で討ち死にした。
義隆公の墓は、勝手神社の南西1kmのところにあります。忠魂碑は、1773年大和高取藩士・内藤景文が義光の戦功を讃え建てた』

太平記の名脇役です。
後醍醐天皇が、鎌倉幕府転覆を図って、笠置山に籠もって敗れる。
この時、楠木正成などの地方豪族や悪党が参集する。
笠置山が落ち、後醍醐天皇が最も信頼した皇子・大塔宮をサポートした赤松などと行動をともにする。

太平記では、大塔宮が十津川山中を逃走中、土豪に「幕府への面子を立てるために錦の御旗を寄越せ」と対立した時、赤松の策「兵の消耗を防ぐためにも旗を渡そう」に決し、御旗を渡して難を逃れる。
大塔宮に合流しようと追っていた義光は、豪族が御旗を持っているのに驚き、大立ち回りでそれを取り戻し、大塔宮に追いついた。
豪族は、あまりの怪力に驚いて、御旗を返した。
ということが、太平記に書かれています。

20160724YoshinoS036s.jpg 階段で上がった所に、石囲いされた宝篋印塔が立ち、横に忠魂碑がありました。
五月人形鎧が墓も前に置かれています。
信奉者が、立派に息子が育ったお礼に奉納したのかな?なんて、想像しました。


7/28・プリンストン 家族を愛する旦那さん

日本経済新聞・夕刊「こころの玉手箱」に、作家・日本文学者「リービ英雄」さんの「私の履歴書・夕刊版」?が連載されています。
夕刊は、朝読むのですが、家内が「プリンストンが載ってた」と手渡してくれました。

長男が、プリンストンに転勤になってから、プリンストンが我が家のマイブームになっています。
僕ら夫婦の出身母校KGのアメリカンフットボール部が、アイビーリーグのプリンストン大学を招待して試合をしたり、縁があります。

リービさんは、東欧系ユダヤ人の父とポーランド人の母親を持ち、カリフォルニアで生まれたアメリカ人です。
外交官であった父親の関係で、台湾・香港・日本と移り住み、「ひでお」は父親の友人にちなんで付けられた本名です。
プリンストン大学を卒業し、院に進み柿本人麻呂で文学博士号を取った。
プリンストン大学助教授、スタンフォード大学准教授を経て、「僕は日本に住み、本場で日本文学を研究したい」と、日本にやってきた。

現在は、法政大学教授のようですが、元プリンストン&スタンフォードという世界の知が集まる大学で教鞭をとっていた方が、時々日本に行く生活に飽きたらず、職を捨て、東京の繁華街の狭いアパートに一人暮らしを始めて、どっぷり日本に浸かり始める・・・作家の人生なのに面白い。

長男のお嫁さんから家族一斉メールが来て、長男が7/25に帰国したと教えてくれました。
7/25(月)に、出張で東京本社にやってきたのですが、帰国してそのまま新潟に行き、家族と数時間を過ごし東京に戻ったそうです。
3才遼くんが、予定より1週間早く、3ヶ月ぶりのパパとの対面が出来大喜びで、顔を見た時涙をポロリとしたそうです。
大喜びの数時間を過ごし、パパとバイバイした後、号泣しながら、「さみしくて涙が出ちゃう。パパを追いかけたいよ~」と言ってたそうです。

添付された写真では、生まれた直後数日一緒にいただけで離れ離れにってしまった、生後3ヶ月の航くんを抱っこする長男が幸せそうに笑っていました。
次の週末にも、東京から新潟に行き、家族一緒の時間を過ごし、その次の週は、東京と新潟から別々の飛行機に乗って、こちらで家族が合流します。
素晴らしい家族じゃないか。

7/24(日)、寝静まってから電話が鳴りました。
「次男から、生まれた電話だ」と直感し受話器を取ると、案の定次男からだった。
「お母さんは?」「もう寝てる」「あのさあ、収穫した野菜を、そちらに送ろうと思うんだけど・・・」
起きてきた家内に電話を代わり、あ~だこ~だ。
時計を見ると、22:30だった。

次男のお嫁さんから、次男夫婦が会社の会長さんの農園で作った野菜を送ってきた。
キュウリ・ナス・プチトマト。わざわざ、「ターくんのトマト」とお嫁さんが書いたメッセージがついたプチトマトを、早速食べた。
市販のより甘みがあって美味しい。

息子たち2人共、家族との時間を大切にしているようだ。
お嫁さんが用意してくれる衣食住快適な環境や応援、子どもたちの無邪気な行動や、自分に寄せてくれる100%の信頼感、頼りにしてくれる姿は、新たなやる気を呼び起こし、自分の存在感を確認させてくれる。
そういう経験をした子が、成長し新たな家族を作り、愛する。

お嫁さんたちが知らせてくれる息子たちの行動を見ると、僕ら夫婦の子育てに合格点をもらってるようで、僕のこれまでの半生を笑顔で振り返ることができる。
ありがたいな・・・幸せだな。
この生活を僕にくれた家内を、ますます大切にしなきゃ。

7/17・播磨・首切地蔵尊~バイカーズカフェ 庭にスズメバチ

バイクに戻り、「首切地蔵尊」目指して、更に奥への道を進む。
キャンプ場があった。

7:50、「首切地蔵尊」
『今から800年前平安時代末、平家が最後の砦と頼んだ宇治川合戦にも敗れ、攻め入る源氏の大軍に京都を逃れ、神戸福原に再起を目指すが、一の谷に敗れた。平家一門の公家や姫君は哀れであった。昨日までの栄華の夢破れ、娑婆の無常を感じつつ人目を恐れ、丹波路へと逃れた。その頃、ここ丹波東山に城主・形瀬近江守の築く鍋倉山城があり、近隣に勇名を馳せていた。丹波路に迷い込んだ公家や姫君は、しばしの憩いを求め身を寄せたが、それもつかの間、落人狩に捕らえられ、山田の奥山深く樹木生い茂り昼尚暗い首切り沢で処刑された。伝え聞いた里人達が世の儚さを哀れみ、碑を立て野花を手向け、後生を弔い祀ったのが始まりで、いつからか首切地蔵尊と呼ばれ、今に言い伝えられている』

駐車場から石段が続き、杖も用意されているので、どれだけ歩くのか不安になったが、7:54すぐに本殿に辿り着いた。
20160717KurodaS116s.jpg 本殿にも途中にも、沢山のよだれかけを掛けられた首のない地蔵さんがおり、現在に至る信仰の篤さを感じる。

r77に出て、篠山川を遡る。
電車が横を走り、渓谷を見ながら、篠山市街地に入り、8:28篠山川沿いの桜並木を走る。
20160717KurodaS130s.jpg 既に雨は止み、田んぼの緑を覆う雨後の景色が素敵です。
再びr77に戻り、r49で南下する。

R372を渡り、「木枕」から「美濃坂峠」を経て三田市に入る。
永沢寺前を通過し、9:07「バイカーズカフェ・虎亀」に到着。
早朝バイクでもすれ違わなくなったので、どうしているかなと思って、近況をあ~だこ~だお話。
うちはもう終わったけど、年頃のお子さんがいると、親はヤキモキするものです。

家内に、「雨が降ったので撤退して三田にいる。昼前には帰るよ」と電話する。
「じゃあ待ってる」と家内。
昼から、お買い物デートです。
r49~r37~r323~波豆川、ここから南下し、r68を渡り西谷農協大池、r33~r325~長尾山トンネル~10:59「出光セルフ宝塚」219km/7.25L=30.2km/L。

御用達の植木屋さんに寄り道し、長男の2人目の子と、来月生まれる予定の次男の子の誕生記念を考える。
恵比寿様の石造を嫡孫誕生記念に建立した屋敷祠の横に置いてもいいし、実の成る木としてりんご・ブルーベリー・みかん、観賞用としてアセビもいいな。

昼前に帰宅し、車に乗り家内と新西宮YHに向かう。
ヘリーハンセンの可愛い縞模様(後日、お嫁さんからのありがとうメールで、ボーダーというのだと知った)Tシャツを選んだようだ。
よく伸びる速乾性素材で、可愛い。
HHの派手なロゴは小さく目立たないし、気に入ってくれるだろう。

以前は30分まで無料だったのに、15分に短縮されていた。
100円超過。
R171で帰宅する途中に、新幹線六甲山トンネル大阪側入口上の公園に家内を連れて行った。
新幹線を真下に見るポイントを披露する。

R171を帰っていると、右翼宣伝カーの大行列に追いついてしまった。
軍歌を流しているのや、三島由紀夫の肖像画が大きく描かれた車・・・僕は、アニメ美少女カーの方がいいな。
我が家へ曲がる交差点が近づき、どうしても走行車線に入らなければならず、車列の間に入ってしまった。
小心者なので、ちょっとドキドキした。

自宅に、YH前のスーパーでの買い物を置き、家内と一緒に植木屋さんに行って、あ~だこ~だ。
帰宅してソーメンを食べ、新婚旅行に行った富良野をするというので、TV三昧する。僕は寝てしまった。

起きだして、庭の草刈をしようと、電動草刈機で作業を始めたら、耳の上にチクリ、「ぎょえー」な痛さで手で振り払うと、脇の下にチクリ。
姿を見ていないが、作業前に見かけたアシナガバチに刺された公算大です。
すぐに、薬を塗ってもらう。
ズキズキするし、局所に熱を持ってる。
全身の熱が上がったら病院に行こうと、家内が救急当番病院をチェックしてくれる。

刈った草はそのままにして、草刈機やコードなどを片付ける。
いつもなら、網付き帽子をかぶっているので、耳の上なんか刺されるはずないのですが、横着に天罰が下ってしまった。
どんなに暑くても、靴下・トレパン・長袖・網帽子の完全武装だったのに・・・。

片付け中に、ハチに刺された時、下草を刈っていた椿の木に、ソフトボール大のスズメバチの巣が出来ているのを見つけた。
オオスズメバチやキイロスズメバチより小さい感じがするのが、幸いです。
あ~痛いよ~、治るかなあ~




7/17・播磨・黒田城址~高座神社

参道の階段を上がる。
20160717KurodaS047s.jpg 朱鳥居が連なり、「正一位・清綱稲荷大明神」の札が、鳥居毎に掛かっている。
階段がなくなり、雨に濡れた山道を上がり、6:55稲荷神社が立つ本丸曲輪。
20160717KurodaS053s.jpg 雨は止んでいますが、ガスに霞んだ加古川によって作られた平地が里山の間に縦長に広がっている。

20160717KurodaS055s.jpg 前回来た時はなかったので、大河ドラマ以降新調された「官兵衛板人形」がいるし、ベンチもある。
前回は、こんなに視界が広がっていなかった記憶があるので、雑木を伐採したのかもしれない。

『初めてこの地に武士団がやってきたのは、室町時代・1350年頃です。播磨国西部で大勢力を持つ赤松則村(円心)の弟・円光も武勇に優れ、元弘の乱では大活躍しました。円光は、楠木正成の姉を妻に娶り、東播磨に勢力を伸ばそうと、河西郡河内(加西市河内町)に城を築きます。円光の長男・敦光は、別所五郎と名乗り、別所氏の祖となり、別所長治まで続きます。弟・重光は、丹波との国境を守るべく、この地にやってきて黒田七郎重光と名乗り、黒田城黒田氏初代となる。
初代・重光は、父祖の霊を弔うべく円光寺を建てます。2代・重勝は、明徳の乱に参戦し武功あり。5代・重範は、京都洛北や、1528年には浦上追討に摂津まで130騎を従え馳せ参じた。
時代は、各地に国人領主が勢力を伸ばし、虎視眈々と隣接領地を狙う状況で、丹波・赤井氏、加古川西・石原氏、南の村上氏との緊張が続く。1572年、石原・赤井連合軍に敗れ、9代・治隆以下一族郎党全滅となり、黒田城とその痕跡は消滅しました。
時を経て、1784年。姫路で小寺職隆(官兵衛の義父)の墓地が発見されたことから、霊廟建設のため福岡黒田藩の普請奉行が、姫路に来ました。業務の間に、小寺家菩提寺古文書の中に「黒田官兵衛多可郡黒田村の産なり・・・孝隆は猶子(養子)也」を見つけ、この地に調査に参りました。既に城の痕跡はありませんでしたが、古老より聴きとった情報を絵図に記録したのが、上図です』

下に降り、黒田城址を見上げると、その更に上に山頂扁平地があり、詰め城と思われる。
更に高い山が背後に連なり、間道を伝えば、いくらでも逃げて行けそうです。
典型的な枝尾根山城です。

JR・「本黒田」から、r139として線路沿いを北上します。
「久下村駅」から西に進路を変え、7:31「高座神社・石鳥居跡」

20160717KurodaS069s.jpg 7:33「高座神社」
雨は降ったり止んだりです。
檜皮葺の社門でとても立派です。
式内社で、歴史も古そう。

『祭神 主神:高倉下命 配神:天火明(あめのほあかり)命・経津主(ふつぬし)命・建田背(たけだせ)命・比売神。創立年代不詳・式内社。祭神は、丹波國造家の祖神・守護神として奉斎された。古来、旧久下・上久下両村総氏神として現代に至る。当町・金屋に鎮座していたが、後年この地に遷座された。旧社地より移植した松が、参道の大松で、「お供の松」と言われる。江戸時代、谷川領主・織田家の崇敬厚く社領の寄進を受けている。
本殿:五間社流造、正面双千鳥破風付、向背一間入母屋造正面軒唐風付、檜皮葺、県指定重要文化財。1704年氏子により再建された。棟梁は谷川の清水武右衛門、大工は谷川の清水七郎左衛門』

高倉下命は、神武天皇東征で熊野で危機に陥った時、霊剣布都御魂をもたらす神で、以降勢力を盛り返した。
天火明命は、天孫・ニニギの兄で、物部氏の祖・饒速日命と同一。
建田背命は、武甕槌神を祀る鹿島神宮と利根川を挟んで相対する「香取神社」の祭神で、中臣氏の祖。
春日神社に両神として祀られている。

『高座神社のフジキ』
20160717KurodaS081s.jpg 『石造鳥居 高さ4.57m・柱下部3.8mのスッキリした形の良い明神鳥居であるが、島木の鼻の切り方はほぼ垂直で、笠木の両端の反増は少ない。1693年の造立年と寄進者名が刻まれている』

継ぎ目のない石鳥居は、作業として大変そう。
檜皮葺のとても立派な社殿で、同じく檜皮葺の摂社を数社従えており、ナイスです。
本殿横からは「奥之院」への階段が上がっている。
20160717KurodaS092s.jpg 木鼻などの彫刻に色が入り、豪華な感じがする。
彫刻も凝り、屋根を支える構造も大寺院のように複雑で、経済力を感じさせる。
20160717KurodaS105s.jpg 境内にオニユリが満開で、とても綺麗。
我家の庭にも、同じのが咲いています。


7/17・播磨・野間城址城攻め断念~黒田城址

家内が東京に行く予定日なので、1人遊びを模索します。
ツーリンググループ参加を考えましたが、この日にはツーリングがありません。
コーチしてるヨット部は、マネージャー感謝デイなので、おっちゃんの参加は見合わせた方が良さそう。

大台ケ原周辺の林道、南近江の山城攻めも考えましたが、天気予報がイマイチです。
晴れの国・岡山県の備前・備中の山城攻めは、連休中日なので、帰りの高速道路渋滞が気になる。

播磨の山城・「野間城址」攻めに決定しました。
往復1時間の比高のある山城で、中世の山城には珍しく石垣が遺っているらしい。
播磨の雄・赤松氏流れが籠もったそうなので、財政状態が良かったのでしょう。

ツーリングマップル・TMで、ルートを考え、ルート上の訪問地をピックアップしていたら、家内の東京行きがなくなったので、「次男のお嫁さんの誕生日プレゼント購入のためにヨットハーバーに連れてって」との要望が来た。
あ~だこ~だで、僕の帰宅時間によっては「デパートに買いに行ってもいいし」という結論になり、山城攻め・山岳寺・千ヶ峰周辺の山岳林道探索を決行することにした。

朝、3:30に目覚め、「里山VTR250」に乗り、4時出発。
夏至を過ぎ1ヶ月、夜明けが遅くなり、まだ暗い。
長尾山トンネル~r325~r33~r68で「志手原」。
r49~千丈寺湖周回道路~r309で「JR相野」。

r141~r311に入ったとこで、東条川を渡り、5:13休憩をしました。
20160717KurodaS002s.jpg ホタルが飛びそうないい感じの川です。
満開のネムノキの大木が、川にせり出て、日陰を作っています。
周囲の里山と田園風景が、とても気持ちが良い。
田んぼの周囲に低い電気柵が囲っています。
里山から離れているし、柵が低いので鹿対策ではなさそう。
イノシシが出そうな感じもしないので、たぬきかな?

「清水寺」への分岐を過ぎ、交通量が少なく信号のない気持ちの良い道を進むと、「国指定重要文化財・住吉神社」の看板に惹かれ、5:33ストップ。
『世界に一つ 加東遺産 上鴨川・住吉神社と神事舞』
20160717KurodaS012s.jpg 参道の階段を上がると、茅葺屋根の拝殿他が見えてきます。

『国指定・重要文化財・住吉神社本殿 三間社流造・檜皮葺 棟木墨銘によると、1316年創建・1434年再建・1493(明応2)年再々建したとわかる。内陣小脇板裏面と天井梁下端にも明応2年の墨書がある。外観は、普通の三間社流造りであるが、床下の転用古材などから、創建当時は四間社であったと考えられる。手狭・木鼻などに、時代と地方の特徴を示すものがあり、貴重な遺構である。
国指定・重要無形民族文化財・住吉神社神事舞。県指定文化財・神事能面』

残念ながら、本殿は修理中でブルーシートに覆われていたが、鎮守の森の巨木に昼尚暗く、境内がいい雰囲気です。

R372を渡り、r566も気持ちの良い道です。
5:54、JR加古川線を渡ります。
「比延駅」が見えています。
20160717KurodaS039s.jpg 加古川の橋上で、激写タイム。
R175~R427、ポツポツ、雨が落ちてきましたが、夏のツーリングにはクールダウンに調度良い塩梅で、山城攻めの山道にも問題ない。

ところが、雨脚が強くなってきました。
前方の里山も降ってるみたい。
予報では、1ミリ/h以下の雨量だったのに、2~3ミリの雨量です。
木が覆う広い歩道に乗り上げ、車載カメラを収納し、カッパを着ます。
ヒップバッグもリアボックス内に入れて、山城攻め歩きも舗装林道も危ないので、撤退を決意しました。
まだ6時なので、家内への電話なしに帰路に着きます。

来た道を戻り、西脇市内でr294にチェンジ。
JR加古川線沿いに北上します。
20160717KurodaS040s.jpg 6:40、「黒田城址」に寄り道。
城址入口は、「姥ケ懐」という場所でした。

20160717KurodaS045s.jpg 『秀吉の天下取りを支え、稀代の軍師として知られる黒田官兵衛は、江戸時代に編纂された福岡藩主・黒田家の公式記録「黒田家譜」によると、播磨国姫路城に生まれ、官兵衛を輩出した黒田氏は近江国の出自とされており、通説となっています。一方、江戸時代に編纂された播磨の地誌類や記録類には、「黒田官兵衛やその父は、多可郡黒田村(現在の西脇市黒田庄黒田)生まれ」とするものが多数あり、江戸時代の播磨では、黒田村の出身と広く認識されていたようです。荘厳寺所蔵「荘厳寺黒田家略系図」には、黒田氏は播磨守護・赤松氏の一族で、丹波との国境である黒田城に居城し、黒田氏を名乗ったのが始まりとされ、官兵衛は8代城址・重隆の次男として誕生したと記されている。黒田集落には、黒田氏や官兵衛にまつわる伝承地が多くあります。中世・戦国時代に築かれ、黒田氏9代の居城であった「黒田城址」、山下にあった城主居館・屋敷群「多田城址」、多田城に付随する邸宅跡「姥ケ懐」、落城の際、幼い官兵衛と母・於松の別れの地「松ヶ瀬」など。近くには、別所氏を攻めた三木合戦の際に、秀吉が臣下の官兵衛に戦勝祈願させ、その奉納金により改築させた「兵主神社」や、秀吉が采配を行った際座った「太閤腰掛石」の伝承地もある。通説と大きく異なる説ですが、ここには官兵衛生誕・黒田氏発症の里としての伝承が残る』


7/10・京都流れ橋~嵐山サイクリング4 参議院選挙

20160710AraS146s.jpg 15:36、「カフェ・モーニング・グローリー」の看板が、自転車道に出ている。
トーストサンドセット1000円。
20160710AraS147s.jpg 「ロードバイク用サドルスタンド、自由にご利用ください」

既に50km走ってるし、なんとなく疲れてそうな家内を、ここなら安全に休ませられるので、僕だけ車に戻り、ピックアップしに来ようと、家内に提案すると、「あと、どれくらい?」「10kmぐらいかな?」「じゃあ、頑張る」「おお~」
リタイヤすると思ったのに、初めてのお店で僕がいないから不安なのかな?
2人でお茶してから、「追加のケーキでも食べて待ってて」と提案すればよかったかも。

三川合流地点まで来て、木津川沿いに乗り換えます。
20160710AraS157s.jpg 16:36、流れ橋まで帰ってきました。
往路でバテたら、阪急・嵐山駅から長岡京駅ぐらいまで輪行しようかと輪行袋も用意していましたが、必要なしでした。

トータル走行時間4:35:24・距離61.88km・平均13.4km/h・最高36.2km/h。
伊丹の自宅~嵐山・53kmより長い距離を走りました。
僕ら夫婦のサイクリング史上最長距離に迫りました。
アップダウンが少なかったのも、良かったのでしょう。

往路同様の道で自宅に戻り、帰宅後選挙に行きました。
債務超過に落ちる寸前の大阪を、大胆な行財政改革で蘇らせた「大阪維新」の候補に入れました。
大阪在住の知り合いは、公営事業の変貌ぶりを大いに讃えている。
家内は大阪地下鉄のトイレが綺麗になったことを喜んでいます。

僕は、行財政改革で浮かせた財源で、公立・私立の高校授業料を全て無料化した実績に凄いと思った。
残念ながら、高校無料化する前に卒業して恩恵に預かれなかったけど、長男も次男も大阪の私立中高に通いました。
2人子を育て上げ、最もお金が必要だったのは、高校・大学・大学院でした。
少子化対策として、赤ちゃんや幼児への施策をしているが、義務教育以降の教育費がネックだと思う。

ヨーロッパ諸国のように、大学・大学院も含めた授業料無料化を、日本国全体で実現して欲しい。
これが出来れば、子育てで最もお金がかかる義務教育以降の教育費の積立が不要で、そのお金が消費に回り、世界一の貯蓄があるのに、将来不安のために使わない経済を活性化出来る。

「親の所得が子の教育機会不均衡を起こし、貧困からの脱却が出来ない」などという言い訳は通用しなくなる。奨学金なんて問題も、根本から解決する。
麻生さんのように、失言(本当のことだけど言っちゃあだめ)は多いが、有言実行型の橋下徹が首相になったら、日本は大きく変わると思う。
これができた大阪に近い所に住んでいない方には、実感として伝わらないのが残念です。
家内の姉は播州に住んでるけど、絶大なら維新ファンです。

投票後、「僕は維新に入れた」と家内に話すと、「私も維新にしたよ。比例は自民党にした」とのこと。
「僕は比例区は、青山繁晴」にしたよと言うと、「個人名を書いていいの?」
「そうだよ、投票用紙を渡される時に、職員さんが説明してくれてたじゃない。衆議院選挙みたいに、名簿に順位が付いていないから、個人名と政党名を集計して、その政党の個人名の一番多かった方から当選していくんだよ」
「そうだったんだ~」

まあ、こんなもんでしょう。
楽しい1日でした。

7/10・京都流れ橋~嵐山サイクリング3

14代・仲哀天皇(ヤマトタケルの息子、応神天皇の父)の皇后・神功皇后は、父に続き九州・熊襲成敗に向かった。
戦闘の途中で急死した夫に代わって、熊襲成敗した。
熊襲のバックにいた朝鮮半島にも渡海し、三韓征伐を成し遂げた。

三韓征伐の渡海時に、応神天皇を身ごもっており、今生まれたら困るので、晒をきつく巻き、この月延石でお腹をさすって出産を遅らせた。
三韓征伐を成し遂げた後、九州に戻り出産した。

応神天皇は、2年もお腹の中にいたと、日本書紀には書かれています。
三韓征伐の軍船に旗をたくさん立て、出産した産屋の回りにもたくさん旗を立てたので、「八(たくさんの)旗」と呼ばれ、「八幡」の語源です。
源氏の祖・清和天皇が、九州大分・「宇佐八幡宮」から八幡様を、石清水八幡宮に勧請し、この勝利の逸話にあやかって、「八幡さま」を氏宮に祀りました。

20160710AraS082s.jpg 神功皇后の安産にあやかろうと、社務所から頂いた玉砂利の祈願石・初穂料500円に、次男夫婦の名前・願い事「無事の出産」を書き、月延石に供えました。
月延石をなでるように言われたので、そのようにしました。
20160710AraS086s.jpg これで、この日の安産祈願ミッション完了です。

僕らが参る前、綺麗な女性が月延石の玉垣内に入らず、横から何かを奉納していた。
玉垣内の木に「むすびの木」と書かれていたので、縁結びの御利益を願っておられるのかも?お綺麗な方で、神様に手を合わせる信心があればすぐに叶うでしょう。
「ありがとうございます」「よろしくお願いいたします」は、心を清廉にします。
良縁は、清廉な心が結ぶものです。

鈴虫寺の和尚さんも説法でおっしゃっておられました。
『お地蔵様に手を合わせるだけでは、願いは叶いません。実現しようと行動を起こすことで、叶うのです。
人は生まれ、生き、仏の国に帰る。行動を起こし、後悔なき人生を歩むことが、最も有意義な人生です。願いが叶えば、お礼参りをするというそういう心が、良縁も結び、素晴らしい人生になります』

12:59、「松尾大社」
門前市が開かれています。
手作り市のようなものです。

20160710AraS097s.jpg 本殿の立派な塀の中央に拝殿があり、安産のお願いをします。
『恋愛成就・夫婦和合 相生の松』というのがありました。
全ての幸せは、ここにあると思います。

恋愛が成就し、夫婦和合の結果、子を授かり、先祖から受け継いだ遺伝子を子孫にバトンタッチする。
人の営みは、これに終焉するのではないかな。
木札を授かる。
初穂料2000円。

20160710AraS112s.jpg r29に出て北上し、13:27「嵐山」到着。
片道25kmなので、休憩無しで走れたら、2時間弱。
速い人なら1時間でしょう。
僕らのペースは、休憩含んで10km/hなので、3時間+寄り道1時間として、7時出発、11時嵐山着の予定でしたが、途中で昼食を取ったこともあり、大幅な遅れです。

20160710AraS113s.jpg 法輪寺・星のや京都・千光寺を巡る予定は、全てカット。
20160710AraS114s.jpg 渡月橋、保津川下り終点、国際色豊かな観光客、人力車に乗る浴衣美人・・・、トイレを拝借し、空になったペットボトルに水を満たしました。
20160710AraS116s.jpg そして、家内がトイレに行ってる間に、今年初めてのかき氷を食べることにしました。
自転車を動かし、ブルーハワイを注文し、東屋のテーブルにかき氷を置くと、家内が出てきたので手を振る。
2人で分けて食べました。

13:55、帰路に着きます。
これから25km。
20160710AraS117s.jpg 写真に写る家内は、まだまだ元気です。

淡々と、桂川沿いの自転車道を下る。
アベレージ速度が遅くなってきた。
家内が疲れてきた・・・、伝家の宝刀「私ここで待ってるから、迎えに来て」が出るかと戦々恐々ですが、口数は減ったけど、足はクルクル動いてる。
20160710AraS130s.jpg 何度も休憩し、細かく給水する。

15:26、「魚市場跡」
『草津の港(現在の横大路)には、桃山時代から多くの鮮魚問屋が軒を連ね、江戸時代には幕府公設の魚市場が出来るなど、水上交通の拠点として栄え、現在の京都中央卸売市場のルーツと言われている。当時、淀川の三十石船が200~300隻出入りし、瀬戸内からの引き船が夜を徹して淀川を遡り、卸された鮮魚を、「走り」という問屋仲仕が威勢の良い掛け声をかけながら、各地に運んだ。明治10年、京都~神戸間に鉄道が開通し、集積地は京都駅に移り、現在の農村地区へ姿を変えた』


7/10・京都流れ橋~嵐山サイクリング2

11:07、「鈴虫寺」駐車場。
「和尚さんの講話を聞かないと参拝できないよ。そのため待ち時間がありますよ、いいですか?」
自転車は無料だそうです。

お寺の階段前に、門前店が2軒あり、「氷」ののれんが下がってる、魅力的。
20160710AraS054s.jpg 参道階段には行列ができています。
どれぐらい並ぶのかな?誘惑に勝てず、家内を列に置いて門前店に降りて行き、勧誘の大攻勢を受ける。
「どれ位並ぶのでしょうか?」
「次の開門で全部入れるよ」
「ソフトクリーム食べる時間ある?」
「列の最後に入ればいいよ」
「じゃあ、ソフトクリーム1つ、250円」

家内の横に戻ろうと思ったら、参拝者が降りてくる。
前回入場者が出てきたんだ。
降りてくる方が途切れないので、列に上がれず、列を見上げながらソフトクリームを食べる。
列が途切れたので登って行くと、列が動き出した。
「拝観料500円です。お釣りが出ないよう、できるだけまとめてお願いします」

クーラーの効いた座敷大部屋に通され、長机に座布団席が200ほどあり、お茶とお菓子が各人1組用意されています。
部屋の前には、鈴虫の飼育器があり、盛大に鳴いています。
1年中鈴虫が音色が楽しめる寺です。
良縁・出産など、女性に徳のあるお寺なので、女性客が8割。
カップルか女性のみのグループです。

『大変暑いですね、今日の京都最高気温は35℃だそうです。でもこの部屋が涼しいでしょう、何故かわかりますか?そう部屋の上を見てください。クーラーが効いているからです。これは皆様のためではなく、鈴虫のためです。
何処から来られました?千葉、遠いですね。鈴虫寺に惹かれて来られた方も多いと思いますが、門前のお地蔵様は大変なご利益があります。このお寺が初めての方、手を上げてください。
お礼参りの方、手を上げてください。多いですね、初めての方見ましたか?こんなにお礼参りの方が多いのは、ご利益を成就されたからです。
帰りにお願いして、また成就してお越しくださいね。
このお地蔵様、珍しいお地蔵様です。わらじを履いておられるんです。何故かと言うと、お願いされたら、ご自宅まで出向いて願いを叶えるんです。だから、御札を手に、名前と住所をはっきり心の中で伝えてくださいね。そうでないとご自宅まで辿りつけません。メールアドレスは要らないですよ・・・』

面白おかしく、でも為になる説法が20分ほど。
とても面白く、冷たいお茶とクーラーでクールダウン出来ました。
順路に従って、庭を巡ります。
20160710AraS059s.jpg 12:03、京都の町を見下ろす場所がありました。
中央に京都タワーが見えています。

20160710AraS064s.jpg 幸福地蔵菩薩様に、手を合わせます。
300円で買った黄色い御札を手に持ち、次男の子の安西をお願いします。
参道階段を降り、門前のさっきソフトクリームを買ったお店に入り、ざるそばを食べました。

4000匹も鈴虫を飼っているそうです。
部屋の温度調節をして、年中鈴虫の音色が聞こえるように、次々に羽化させているそうです。
バックヤードは大変な作業をしているのでしょう。
小ぶりのお寺で、創建も300年前と古くはありません。
幸福地蔵尊がイチオシの何処にでもあるお寺なのに、この人気はすごい。

この日鳴いていた鈴虫だけでも、たぶん数百匹でしょう。
説法のBGMとして、とても素敵でした。
女性受けするのもうなずける。
GWなど、最高2時間待ちが出来るそうです。

20160710AraS069s.jpg 家内が子供の頃、お父さんが鈴虫を飼っていたと、初耳のことを教えてくれました。
通常の日曜日なら、行列は一気に解消されるので、最大待ち時間20分が最大でしょう。

「松尾大社」に向け出発。
「徒歩10分」の案内板があります。

20160710AraS072s.jpg 12:40、2つ目の目的地・松尾大社の摂社・「月読神社」発見。
月読命は、天照大神(太陽神)の弟、素盞鳴尊の兄で、「月の神」です。
月の神様なので、安産にご利益がある。

『延喜式名神大社の1つに数えられる神社で、元は壱岐氏に寄って壱岐の島において、海上の神として奉斎された。487年安閉臣事代が朝鮮半島に遣わされる際、壱岐で月読尊が寄り付いて託宣したので、これを天皇に献上し、山城国・葛野郡・荒す田に創建した。856年、松尾山南麓の現在地に移った。江戸時代に建てられた本殿・拝殿を中心に、御船社・聖徳太子社などがある。月読神社が京都にもたらされるに当たって、渡来系氏族、中でも秦氏が関わった可能性が高く、古都京都の信仰や渡来文化を考える上で、重要な意味を持つ神社だ』

7/20・報道ステーション

昨日の朝、隣の実家で来月初めに帰省する長男一家を迎える準備をしました。
僕の担当は外壁・玄関・ドア・窓・雨戸など外側の掃除と、オモチャです。

まず、孫くん用ランニングバイクを点検し、空気を入れました。
飾るかどうかわからないけど、GWに帰省がなかったので五月人形ボックスを居間の飾る場所に出しました。
プレゼントした僕の先祖・菅原道真像は、長男が東京の自宅に持って行っちゃったので、新たに武者人形を買いました。
組み立てた武者が座る椅子がボックスになっており、全てその中に収納できます。
組み立ては親子でした方が楽しいので、ボックスを出しただけです。

続いて、鯉のぼりの準備です。
これも泳がすかどうかわかりませんが、我が家と実家の2Fベランダの間に綱を渡しました。
綱に鯉をセットするだけで、簡単に下げられます。

我が子の時は、2Fベランダからポールを立て、屋根より高い鯉のぼりを泳がせていました。
近隣では、最も高く泳いでいました。
屋根の上のTVアンテナに引っかからないように、ベランダの最も遠い角に設置するのが一作業でした。
庭でアルミポールを3段繋ぎ、2Fベランダに立てかけ、ベランダに上がって掴み上げました。
この作業は、ヨットのマスト立てに似ており、4~5mのポールを倒さないようにまっすぐ立てるのに慣れていました。

鯉を点検していて、「あ~、4月に生まれた航くんの鯉がない」ということに気づきました。
前回注文した岡山県和気のお店のウェブサイトを見ると、子鯉は、青・緑・赤があります。
女の子用鯉のぼりというのも変ですが、お兄ちゃんや弟がいる女の子から、「私のは?」の要望があるのでしょう。

今朝、家内と相談し、緑ではなく、お兄ちゃんと同じ「青」の鯉を注文することにしました。
大きさも同じ1.5mです。
前回は、電話していろいろ聞いて注文したのですが、朝早く開店前なので、問い合わせメールに注文内容を書いて送信しました。

確認メールが届くかな?と思い、メーラーを開くと、ショップからの自動返信メールが届いており一安心です。
一緒に受信したメールの中に、長男から家族全員に宛てたものがありました。
件名は「報道ステーション」

何かな?・・・本文には、「今夜の報道ステーションに一瞬写ったらしい」と、youtubeアドレス。
それをクリックすると、ニュース「報道ステーション」のスポーツコーナーでした。
メジャーリーグのマーリンズvsフィリーズ戦です。
イチローのメジャー通算3000本安打関連で、イチローの打席を流しています。
「フィリーズ戦、敵地での戦いですが、多くのマーリンズファンが遠征に来ています」
との解説のバックで、観客席を映しています。
そこに、カメラを構えた長男が、ドーンと中央にアップで映されていました。

TBSの特派クルー映像のようで、日本人と思われる顔立ちの方を狙っていました。
「おお~」、すぐに家内を呼び、一緒にわいわい言いながら見ました。
「日焼けして、健康そう」「会社の人と行ったのかな?」・・・。

フィリーズはフィラデルフィアが本拠地なので、長男が住むプリンストンから1時間ぐらいの距離と聞いています。
ニューヨークとフィラデルフィアという東部の歴史ある大きな町の中間にあるプリンストン大学のある学生の街です。

アメリカでは、「報道ステーション」は見れないので、日本で見ていた友人や会社の者が気づいて、連絡して来たのでしょう・・・面白いな。
「隣に絶世の美女が映っていなくてよかった~」、「壁に耳あり、障子に目あり」、いつどこでカメラに狙われているかわからない世の中ですから・・・。

次男は、学生時代、7大学戦という体育会全クラブの総合成績を競う伝統ある対抗戦で、所属大学体育会の代表として選手宣誓をしたことがあります。
大学のある地元の京都新聞の地域版に写真入りで紹介されました。
連絡を受け、速攻で京都新聞に電話し、10部送ってもらいました。
うちの息子たちは、「持っています」

僕らは、ほんま親ばかです。
子どもたちのあれやこれやに喜んでばかりです。
送られてきた写真は、家内がプリントアウトし、仏壇の部屋に飾られるでしょう。
あ~子育ては、嬉しいことの連続です。


7/10・京都流れ橋~嵐山サイクリング1

参議院議員選挙日ですが、投票は後回しにして、嵐山まで、「八幡木津自転車道」「木津嵐山自転車道」をサイクリングしてきました。

4:30に目覚め、自転車の空気圧を適正値まで入れ、車に積み込みます。
リュックに、折りたたみ椅子・トレッキング用カッパ2・輪行袋2を入れ、カメラの用意も
します。
朝ごはんを食べ、着替えて出発です。

意外に時間を食ってしまい、7時前の出発になってしまいました。
京都の大人気「鈴虫寺」の拝観開始9時を目標に、7時に流れ橋を出発する予定だったのに、大幅に遅れてしまいました。
流れ橋~嵐山は、片道25kmです。

中国道・豊中IC~名神~京滋バイパス・久我山淀IC下車。
r15~第2京阪道側道で「八幡」に出て、r22で7:19「流れ橋・四季彩館」到着。
先客のワンボックス車がおり、ペコリ。
車内のご夫婦は、お食事中です。
外に出てこられた旦那さんを見て、僕らと同じ空気を感じる。
僕らが自転車を出して組み立て始めると、案の定車を出してこられました。
お揃いの真っ白なロードバイク2台で、お洒落です。
こういう仲良し夫婦を見ると、嬉しくなっちゃう。

20160710AraS005s.jpg 7:38、木津川土手に上がり、去年流れ修復なった「流れ橋」を見る。
流れ橋休憩所には、ロードバイクが数台おり、目の前の自転車道を快走して行くロードバイクを見て、「自転車多いね。皆さん速い」だって。
「当たり前やん、サイクリングロードだもん」「そうなの?」って。
何度もここに来ているけど、家内には自転車道の認識がなかったみたい。

歩行者・自転車専用の木津川土手・「八幡木津自転車道」を、三川合流部まで下ります。
20160710AraS010s.jpg 一応下り基調だけど、勾配が殆ど無いので、位置エネルギーを得て走る楽さは感じない。
女性も多く走っており、マスクでまったく顔が見えない方もいます。
日焼け対策とはいえ、暑くないのかな?

7:46、「上津屋樋門」
やがて「石清水八幡宮」のある「男山」が大きくなり、激写タイムしている間に、家内との差が開き、「きっと、そのまま行っちゃうはず」と慌てて追いかける。
右折し木津川を渡るとこを、家内の背中が直進して行きます。
僕の前には、無情にも赤信号が・・・
そのまま行けば、淀川左岸を大阪に行っちゃう~

僕は信号で止まり、大声で家内を呼ぶ。
なんとか聞こえたみたいで、こちらに戻ってくる。
家内に橋を渡るよう指示し、僕も橋を渡る。
木津川を渡れば、次は宇治川を渡る橋があり、その手前の信号で僕は道を渡り、家内と合流できた。

20160710AraS026s.jpg 8:17、ここに「淀川河川公園」というのがあり、トイレ休憩をする。
サイクリストの憩いな場所になっており、数台のロードバイクが休憩していた。

ここから、「八幡嵐山自転車道」です。
宇治川を渡り、桂川の土手に出て、左岸を遡ります。
ここから嵐山まで上り勾配ですが、こちらも高低差を感じることのない道でした。

8:34、京都市・八幡市境。
20160710AraS030s.jpg 嵐山渡月橋まで18km。
8:43「五番樋門」
5:52「三川合流から4km」

9:04、「鳥羽の大石」
『河原を公園化する「京の川」整備事業の際、龍門下流100m付近の鴨川水中から引き上げられた。1662年5月、京都大地震で二条城も大被害を受け、建物や石垣の修理をした古文書がある。ここ下鳥羽三町付近に「鳥羽の港」があり、京への物資の要だった。この大石も二条城城郭石垣として、瀬戸内海石切場から水運でここに運ばれてきたものではないかと考えられている』

立葵が綺麗に咲いている。
9:12、「京川橋」
アンダーパスを抜け、そのまま鴨川沿いに北上しちゃいました。
20160710AraS042s.jpg 鴨川の河川敷にも自転車道が続いており、間違えて大きくロスしちゃいました。
用意した地図にない橋が現れ、おかしいなと思い、清掃のおばちゃんに「嵐山に行きたいのですが?」と尋ねると、「前方のくいな橋を渡って、西に向かうといい」と教えてくれました。

r201を西進し、途中のコンビニでアイス休憩。
R171に合流し、見知った「久世橋」でした。

20160710AraS047s.jpg 久世橋は渡らず、アンダーパスし、10:13「嵐山渡月橋まで9km」地点到着。
桂川右岸を北上し、R9・山陰道で桂川を渡り、左岸を北上します。

10:53、木陰で椅子を出して休憩。
20160710AraS050s.jpg 嵐山が前方近くに見えています。
桂川対岸の愛宕山も見えています。
ここから少し北上し、自転車道を逸れて、「鈴虫寺」へ。

桂川に流れ込む支流を遡り、阪急嵐山線高架をくぐります。
住宅街に入り込んで道をロストしたので、野菜の朝市を出していた旦那衆に尋ねます。
明確に教えてくれましたが、「野菜買っていかないか?」と言われ難儀しました。
車なら買いますが、自転車なので・・・。


7/7・川下川ダム~武庫川渓谷

3:45に目覚めました。
窓の外は暗いが、空を見上げると星が見える・・・「行くか」
夏用メッシュプロテクター上下を着て、「里山ひこにゃんVTR250」を出します。

阪急山本駅から長尾山トンネル手前の信号へ。
4:26、車載カメラON。
キャノンの単3乾電池式の厚みのあるコンパクトカメラです。
外部給電無しでも、充電したエネループ予備を持っていれば、バッテリー切れの心配無しで使えてお気に入りです。
高いバッテリーより乾電池使用カメラの方が、本体価格が安いし、予備バッテリーは必要なので、更に高くなります。
買い換えたら、揃えたバッテリーが全て無駄になるので、カメラ本体に関係なく使い続けられる乾電池式の方が経済的でもあります。
更に言えば、バッテリーより大きな乾電池を入れるので、カメラ本体が大きめで、厚みに限界があります。
薄く軽いコンパクトカメラは、どうしても手ブレしてしまうので、ある程度の厚さ・大きさがある方が、使い勝手がいいです。
車載カメラにする場合、底部の広さは振動吸収に有利です。

長年使ってきたので、バイクの振動にやられ、電源ONで飛び出すレンズが引っかかるようになり、指で補助してやらなければうまく出ないようになってきました。
寿命なんだろうが、キャノンの乾電池式カメラが生産中止で困っています。
ニコンは、今年も乾電池式新製品を更新してくれたので、次はニコンを買いましょう。

コンパクトデジカメ長時間ムービーは、技術力の差が出る分野で、富士フィルムのカメラは、使い物になりませんでした。
キャノンが消えた今、ニコン一択でしょう。

長尾山トンネルの気温表示は、23℃でした。
r325~r33で、4:43「玉瀬」
20160707KawaS001s.jpg 武庫川渓谷方面に朝霧が出ており、渓谷東の山頂が見えません。
枝道に逸れ、川下川沿いに武庫川渓谷方面に下る。

4:51、「川下川ダム」
20160707KawaS002s.jpg 優勢な朝霧が発生していると思ったら、夏の季節なので大したことありませんでした。
20160707KawaS008s.jpg 高いところを走る新名神高架橋を見上げ、ダム湖のカイツムリを見ていたら、カワセミがやってきました。
いつ見てもブルーが綺麗な小鳥です。
狩猟をしてくれるかな?と見ていたのですが、獲物が見つからないのか、別のとこに飛んでいきました。
コゲラなのか、木を突く音も聞こえ、爽やかな朝です。

20160707KawaS017s.jpg 武庫川渓谷に下り、武庫川沿いの道・r327を走ります。
舗装直線なのですが、道幅が狭く、雑草が横から道にせり出しているので、ゆっくり走らないとダメなエリアです。
たぬき・ウリボウ・キジ・山鳥・鷲と、どこにでもいるカラスの他に楽しい動物が潜むエリアです。
新名神工事が始まり、動物の出現率は減りましたが、いつも通り、30km/hまでのスピードで走ります。
イノシシ親と衝突したら、とても危険です。

バタバタバタバタ・・・、バイクの山側右前から突然ヤマドリのメスが飛び立ちました。
キジに似た鳥でキジ同様、あまり早く飛べません。
バイクの目の前を同じスピードで飛ぶので、ヘルメット頭突きで叩き落とせそうでしたが、危険を察したのか、逸れていきました。
猟師じゃあるまいし、こんなの持って帰ったら、家内にしこたま怒られそうです。

少し進んでは止まって、激写タイムを続けます。
20160707KawaS019s.jpg 渓谷に朝霧が浮いている景色が素敵だし、新名神高架工事進捗状況を見るのも楽しい。
少し前に、三田と川西で、橋脚転落事故を相次いで起こしたので、原因究明で工事は遅れ気味だと思います。
いつもの武庫川渓谷を渡る橋の上でのんびり。

JR福知山線高架下を抜け、5:30JR道場駅。
20160707KawaS036s.jpg 武庫川に沿って北上し、土手道を走っていると、山の向こうからの朝日が三田の水田に注ぎ、とても綺麗。
川を渡り、JRを渡り千刈に抜けます。
千刈ゴルフ場の道は、細道なのに通勤時間は交通量が多いので危惧していましたが、通勤時間帯まで気持ちよく走れました。

r68に乗り、東へ。
千刈ダム湖脇にある「地蔵石龕」に立ち寄る。
20160707KawaS049s.jpg 抜け道に入ると、立葵の花が目に入り休憩します。
20160707KawaS050s.jpg 横を見ると、この日何度も見てきた「ネムノキ」の可愛い花が低い位置にあったので激写。
僕はこの花が好きで、孫に女の子が生まれたら、庭に記念植樹してやろうと考えています。
長男誕生記念で掘った池が健在なら、弁天様建立なんだけどな。

20160707KawaS055s.jpg その下の池を見ると、睡蓮の花が咲いています。
7月初めは、この世で最も美しい花と感じる蓮の花と睡蓮の花の季節です。
この見分け方は、花自体の美しさもあるけど、蓮は水面から茎を伸ばして咲き、睡蓮は水面から直接咲きます。

6:11、久しぶりの「宝山寺」
ここは中世の山城跡です。
土塁が残り、比高はないが急峻な切岸が、上から覗けます。
山城巡り初心者の頃、「これが山城遺構なんだ」と、勉強させてもらいました。
20160707KawaS063s.jpg 茅葺屋根の山門は健在でしたが、門が通れなくなっていました。
山城跡だということを知ってるので、この周辺にはない威風堂々感が漂ってくる。

r33~r325~長尾山トンネル経由で、帰宅しました。
梅雨が開けた(僕の観天望気では)ので、庭の雑草との格闘を開始しました。
1日30分以上は体に悪いので、先は長いです。


7/6・孫くんVISA写真、7/9・長男社内報

長男のお嫁さんから、メールが届きました。
この日で、長男の次男誕生から3ヶ月です。
あっという間です。
添付されている写真を見て、思わず笑顔になっちゃいます。
3歳の孫1号・遼くんは、モデルのような格好良さで、賢そうな顔をしています。
いろんなことをすぐ覚えるので、実際に賢いと思います。
3ヶ月になった孫2号・航くんは、笑顔が爆発しています。
IMG_3455s.jpg
お兄ちゃんの膝の上でも、のけぞって笑ってるし、大者感があります。

添付されている写真の中に、アメリカ渡航のために撮ったVISA写真がありました。
IMG_3451s.jpg
誕生日祝いに家内がプレゼントした、兄弟お揃いのシャツ・ロンパース姿です。
笑ってる写真はNGなのでしょう、2人共真面目な顔をしています。
3ヶ月の赤ちゃんの髪にクシが入った真面目顔って、反対に笑えます。
生意気に3ヶ月のくせに日本国パスポート持ちになりました。
9月には、アメリカ住民になっちゃいます。

毎月のように海外出張して、アメリカ製オモチャを買ってもらってるので、新幹線のオモチャをアメリカで買ってきてると思ってる遼くんは、「パパ、アメリカでトーマス買ってきて」なんて言う。
そのアメリカに行くので、すごく楽しみで、ママから英語の特訓を受けている。
もうすぐ役立ちます。

今月末に、長男は出張で日本に帰ってきます。
東京の家は引き払ったので、2週間ホテル住まいでしょう。
その間、お嫁さんお実家に帰り、家族での渡米の段取りを決めるのでしょう。

そして、今回の帰米前に家族で帰省するそうです。
航くんにとって、初めてのお父さんお実家です。
季節外れだけど、鯉のぼりをあげてやろうかと思っています。
デカイ鯉のぼりを泳がせるので、早朝作業で2日掛かりそう。

次男のお嫁さんからも、写真添付メールが届きました。
会社の畑で野菜栽培をしており、収穫したナスやキュウリの前で笑ってる2人の写真も入っていました。
もうすぐ家族が増えます。
早ければ今月だし、遅くても来月には・・・ああ、楽しみ。

お中元の季節で、長男のお嫁さんの実家、次男のお嫁さんお実家とのメールのやり取りで、同年代の夫婦の近況やり取りが楽しい。
両家とも、素敵なお嬢さんを育てただけあって、落ち着いていて自然に接してくださり有り難い。
両家とも、女の子ばかりの家なので、息子たちが初めての息子だから、大歓迎してくれているのが伝わってくる。
いい家と縁を繋いでくれて、有り難い。

7/9
長男から、「会社の社内報に載った」と、メールに添付されて送られてきました。
「Director, Global Product Lead・・・ Princeton,NJ,USA」・・・肩書が横文字なだけでかっこいい。
来客時以外はドアを閉めてはいけないらしいけど、個室持ちになったそうです。
次の勤務地になりかもしれないヨーロッパオフィスがスコットランドにあり、EU離脱になりどうなることやら・・・
写真入りインタビュー記事で、アメリカでの仕事のことを語っています。
大きなビジネスになるリーダーを任され、やり甲斐満点で働いているのだろう。
子供大好きな家内なので、今夜にはコピーして仏壇に飾られているでしょう。

子どもたちの活躍を見るのは、親として最高の喜びなので、どんどん送って来るように言っています。
次男が設計した建物の写真や、写真付きで載った日経業界雑誌など、ぶら下がってるのを見るたびに嬉しくなっちゃいます。


明日は、天気予報がイマイチです。
晴れの国・岡山がマシですが、連休中なので帰りの高速道路渋滞が気になるので、播磨の多可町・笠形山周辺・千ヶ峰周辺の山城・山岳林道・寺社巡りをする予定です。

7/6・係留艇整備~新幹線スポット

5時に目覚めました。
階下では家内の活動する音が聞こえ、早朝ツーリングは断念です。
早朝サイクリングも止めて、新西宮ヨットハーバー(YH)で船の整備~新幹線コースにしました。

身支度を整え、通勤リード110に乗り、R171を西に走ります。
西宮市に入ってから、いつの間にかスクーターが、僕の後ろをついてきます。
R2を渡る時も、すり抜けで僕の背後に来て信号待ち。
R43までの信号でゴーストップしている間に、僕の前に出ます。

「ジブバッグだ、ヨット乗りかな?」
「ん~」・・・KWANSEI・・・ユニフォームの背中に、僕の出身ヨット部のロゴ発見。

次の信号で止まった時、「KGヨット部?」「はい」
「僕、先輩」「あ、はい、失礼しました」と、慌ててヘルメットのスクリーンを上げ、メガネを外し挨拶を返してきました。
「どちらからですか?」「伊丹から。係留艇を見に行こうと思って」
「先輩、お名前はどちら様でしょうか?」「・・」

「元コーチしてました。最近母校には顔を見せてないから知らないよね。A・・さん知ってるでしょ」「はい、OB会の・・・」
「僕はそのA・・さんのクルーのクルーでした。
Aさんと同期のB・・さんも知ってるでしょ、Bさんと組んでレースに出ています。
Aさんチームはライバルチームです」
「ヨットは、いくつになっても楽しめるからいいよ。出勤前に、船を見に行ってる僕はやり過ぎやけどね。じゃあまた・・・」
と、彼女はディンギーヤード、僕はセンターハウスに別れました。
6時集合で、練習なのかな?

20160706ElesinorS003s.jpg 5:59「新西宮YH」着。
風がほとんどありません。
20160706ElesinorS005s.jpg カードキーで、桟橋ゲートを開け係留艇へ。
船内バウに雨水が進入するようで、その侵入経路を探しています。
カメラを持ってきたので、共同オーナーのAさん・Bさん他の先輩方に現状をお知らせするつもりです。

バウ・アンカーハッチを開け、ボックス内の亀裂部分を探すがない。
水抜き穴から下1cmの深さで水が溜まっています。
日曜日の朝も同じ状態だったので、ここから侵入していないようです。
ボックス内を触って確認するが、亀裂はなさそう。
ドッグハウスドアを開け、船内バウを確認するが、日曜日同様水が流れた跡があるだけで、濡れています。

「お手上げだ~」、プロに見てもらった方が良さそう。
気軽に頼める僕がコーチ時代の選手は、ヨット屋さんから転職したので困ったものだ。
同じ会社にメンテナンスは頼んでいるが、やはり後輩には何でも言えるから便利だった。

6:08、船を離れる。
桟橋から出ると、ハーバーマスターの三輪くんが、ダンボールを整理していた。
「おはようございます、早いですね」「あ~おはよう御座います」
大学時代、僕と同期のKDヨット部員で、何度もレースをした。
大抵僕の勝ちだったけど、OBになればそんなの関係ありません。

ヨットの世界はとても小さい。
お隣の関西最高級YHのハーバーマスターも先輩だし、神戸のハーバーマスターもAさんBさんと同期の方です。

バイクに戻り、R171。
阪急電車・今津線を渡る手前で離脱し、今津線沿いに北上します。
10年通った母校の最寄り駅・甲東園手前で、新幹線の高架下の道へ。
新幹線が六甲山系トンネルに突っ込むとこを見ながら適当に走り、6:29トンネル上の公園の到着。
20160706ElesinorS026s.jpg 全国を走る新幹線の名前を全て覚えてしまった孫くんを、このスポットはどうかな?と思い、下調べです。

下りと上り列車をビデオに収めました。
東海道新幹線と違い、本数が少ないです。
東京・新大阪間なら、5分に1本走っているので、上下線合わせると、2~3分に1本通過します。
帰宅後調べたら、新大阪・新神戸間は、6時台の上り3本・下り5本でした。

「慰霊碑」が立っていました。
『新大阪・岡山間の建設工事は、昭和42年に着工し、5年の歳月を経て、昭和47年に完成しました。建設工事中に従事し、殉職された50有余名の御霊を慰めるため、本工事関係者が相計って設立したものです』

帰路に着きます。
鳥居が目につき、寄り道。
20160706ElesinorS035s.jpg 参道階段を上がると、「神呪厳島神社」がありました。
小さな祠程度の社殿なのに、敷地は広く立派です。
横に墓地があります。
大阪平野を見下ろす段丘上なので、古くからの墓地でしょう。
神式の兵墓が並び、無縁仏になったのであろう墓石が集められた塚もあります。

20160706ElesinorS040s.jpg 6:47、西の甲山の方に黒雲が湧き、山頂が見えません。
雨が降りそうなので、早く帰ろう。
r337に出て、阪神競馬場横を北上し、右折して「武庫川新橋」を渡り伊丹市内へ。
7時過ぎに帰宅すると、次男結婚記念に植樹したヤマボウシに蔓が巻いたとのことで、それを取り除く。
長男結婚記念のハナミズキも上に若枝を伸ばしているので、両方の木を剪定し、あまり大きくならないようにする。

7/3・3人乗りヨットレース3

20160703Dragon9714s.jpg スピンが展開できず戦意喪失ですが、スピンランの始まる1上まで頑張ろうと、R3に入ります。
スピンがないので、第2・4のランニングレグでは、レース観戦しながらのんびり走ります。
ビリながらフィニッシュして、ハーバーバック。

20160703Dragon9634s.jpg 暑い時期のレースは、熱中症対策が最重要です。
先輩にぶっ倒れられたら困るし、申し訳ないので、レース中でも僕のペットボトルを渡して、水分補給してもらいました。
レースとレースの合間には、魔法瓶から冷たい水を出して、2人にも飲んでもらいました。
結局、500ml×2と魔法瓶2Lは、空になりました。
日陰のない炎天下で、海からの照り返しもあり、レースは2回ビリで散々でしたが、サバイバルレースには勝利しました。

いい風の中、日頃の運動不足がたたり、疲れました。
船を洗い、カバーを掛けて終了。
ヨットクラブのウェットバーで、ポカリスウェット飲んで、レーサー仲間とあ~だこ~だ。
操船レベルの高いこのフリートでは、ついぞ見たことがないJPN28のスタート前風位に立って停まってる姿は、皆さんの格好のネタです。
いつもならここにいるはずのJPN28さんは、カッコ悪いと思ったのか顔を見せませんでし
た。

大学の先輩が乗るJPN46さんは、ダントツ・セーフティーリードから、エースとはいえJPN52に抜かれてしまったことを自虐し、スピンなしの僕らも散々に言われてしまいました。
ウェットバーを退散し、17:06「マリンショップ・ノース」で、2ミリのヨット用強化繊維シート・990円を購入しました。

通勤リード110で、R171を一目散に帰宅し、荷物を家の玄関に置いて、「ただいま」といっただけで、再びバイクに乗り、「バイクワールド伊丹店」に向かいました。
通勤ヘルメットが、限界です。
内部が毎日の酷使により黒くなってしまい、崩れ始めているようで、おでこに変なのが着きます。
前回もこの状態になり、買い換えました。
10年ぐらい使ったように思います。

ヘルメットを持って入り、前から気になっていた山積みのシステムヘルメット「リード工業・STRAX・D-SYS6・LL・ホワイト」と、大きさを比べます。
リードは大きなシート下バゲッジ・スペースが魅力のスクーターです。
でも帽体の大きなフルフェイスヘルメットなどは入りません。

このD-SYS6は、簡易フルフェイスヘルメットです。
チンガードがあるのですが、頑丈な幅広ではなく、細いので転倒時にがっちりガードは出来ないと思います。
でのその分視界がほぼジェットヘル同様なので、閉塞感がありません。
僕はあのフルフェイスヘルメットは、圧迫感がすごくて被る気にはなれません。

このヘルメットの特徴は、チンガードが取り外せる、僕の好きなバイザー付きで取り外せることです。
最近、ワンタッチで直射日光を防ぐサングラスが降りてくるヘルメットが流行っていますが、バイザーがあると常に目は日陰なので、サングラスの必要がなく、スクリーンを濃い色にする必要もありません。
バイザーは常備装着で、冬はチンガードを着け、春~秋はチンガードを外して、風を通す使い方ができます。

並べてみると、チンガード装着では高さが上がり、シート下には入りそうにない。
チンガードを外してみると、ほぼ同じ大きさで、バイザー装着でも問題なさそう。
L・LLと被り、LLの方が良さそう。
店員さんを呼んで、LLの白がないか聞いてみる。
山積みLLは、黒ばかりでした。
お値段7980円。

残念ながら白はなく、取り寄せも不可だそうです。
すぐさま店員さんが、帽体の内部をバラし始めます。
「帽体の大きさが一緒で、内部の大きさでサイズ変更しているのもあるから、入れ替えで使えるかもしれません」と教えてくれた。
しかし、これは帽体の大きさが違うようで、入れ替えが利かないようです。
残念ながら、買わずに退散しました。
ヘルメットは他にいろいろありますが、スクリーンが無断階で止まるのは多くありません。

マイナス点は、帽体の材質がハードなFRPではなく、ポリカーボネイトであることです。
高速道路など、危険な高速走行時は、別のヘルメットを使うから、ここは諦めました。
帰宅し玄関を開けると、「お豆腐を買いに行くから連れてって」とのご要望が来ました。
いつものように火元確認をさせられました。
家内はここが安心できないとダメです。
結局、ここが出来ず、この日は「家を出れなかった」らしい。

タンデムで市中心部に出て、初めての食品スーパーでお買い物しました。
ヨーグルトフェチなので、新しいのを見つけて、買ってもらいました。

帰宅し、用意してくれていたお風呂にまず入り、ヨットの用意を片付けていると、冷しおうどんが出てきました。
ヨーグルトを食べながら「ダーウィンが来た」「真田丸」を見ている途中で、寝落ちしてしまいました。
家内に、「自分お部屋で寝ないと」と起こされ、2度目の風呂に入り、ヨーグルトを持って自室に上がり、至福の時間を過ごした後に寝ました。

7/3・3人乗りヨットレース2

レース海面に着き、不安の残るスピンを上げてみると、見事にセッティングミスしていました。
スピンを下ろしてやり直し、レースに臨みます。

R1、SW・6m/s。
上マークの位置は、風軸260度・0.9マイル。
時折ブローが西から下りて来る典型的なSW西宮沖パターンです。
20160703Dragon9651s.jpg バウを揃えたスタートでしたが、少し早かったのでバウダウンをスキッパーに指示すると、バウが必要以上に落ち、1/4艇身第一線に遅れてしまいました。
苦しいながらなんとか粘りましたが、ついに第一線から脱落しました。
でもタックすると、風上艇にぶつかるので、ついていくしかありません。

タックしてフレッシュウインドを受けるようになりました。
しかしバウの動きが不安定で、バウアップとバウダウンの幅が大きい。
「風が詰まってる。ボートが前に行かんぞ」とSスキッパーから。
「バックステイをもう少し入れたらどうですか?」と提案し、ミドルのHさんがチューニングすると、「おお、走りやすくなった」とSさんから。

ここから挽回したのか、全9艇中6位で第1上マーク回航。
第3レグの上りレグで西目のコースを取り、1艇抜いたが1艇に抜かれ、第2上マーク6位。下マークでフィニッシュになる第4レグのスピンランで2艇抜き、1艇抜かれ5位フィニッシュ。

R2は、2回もゼネラルリコール。
9艇しかいないので、リコールは読めるはずなのになあ。
両方共うちのスタートが良かったので残念。
2回目のスタートで、JPN28がスタートラインから放り出され、本部船にぶつかってまっすぐ風位に立って止まりました。
その土手っ腹に向かっていたウチは、あわてて「ベア・ベア」と叫びます。
スキッパーが必死で舵を下に向け、乗り上げを回避しました。

3度目でやっとスタートしました。
JPN28は、本部船に突っ込んだダメージが大きかったのか、リタイヤして帰っていきます。
スタート後、タックして西に出します。
西からのブローが入りだし、いい感じでヒールします。
次の西からのブローを受けて、最終見通しには、少し足らない。

20160703Dragon0081s.jpg スキッパーから、「風が流れて行ってない感じがする」とのことで、メインシートトラベラーを、少し外に出したらどうかと提案する。
そうすると、いい感じだという。
また少し経って、「もう少し安定しない」と言われ、「ではジブトラベラーを出します」と言い、ジブクリューを3センチほど外に出した。
これがいい感じだそうで、「お~これや」とのこと。
「ならば、上り角度を稼ぐためにメイントラベラーを元に戻しましょう」と提案し、再びブームを中央に戻す。
上り角度も良くなり、バウの動きとヒールが安定しました。

結局、西からのブローが続き、JPN28のトラブルに巻き込まれ、ビリスタートだったのに、4位まで回復し上マーク回航。
そのまま、デッドヒートを続け、次のレグで1~2艇食えるかもしれないと意気込んだ大事な下マークアプローチへの最終ジャイブでミスってしまいました。

Hさんがバウに行き、スピンポールを返し、僕がブームを返すのですが、ブローが入り一気にセイルが重くなり返せません。
もう少しメインシートを絞りセイルを中に入れていたら楽に返せたと思うのですが、今更言えません。
「重い、返せない、ベアして」と言いましたが、スピンポールを抜いたスピンがフォアステイに巻いてしまいました。
ベアしてスピンをメインの裏に入れたらはらまないので、僕は「ベアして、風を抜いてください」と言います。
Hさんは、何とか絡みを解こうとバウで悪戦苦闘しています。

「一旦上ってボートを止める」とスキッパーから指示が出て、レースを諦める事にしました。
「ランニングを走って解きましょう」と再び提案するが、スピンが遠く飛んでしまっているので、シートを抜いて回収することになりました。
僕の経験ではランニングを走り、スピンシート引けばなんとかなるはずなんだけど。
スキッパーからは、絡みすぎて無理と見たようです。

飛ばしたスピンをボート横から回収し、レース復帰。
走りながらシートをすべて外します。
大きく遅れたので、ビリ決定ですが、フィニッシュ出来ました。
1年間の年間タイトルシリーズなので、リタイヤの+1点を逃れます。

2度のゼネラルリコール・スタートやり直しで、14時近くなっています。
これで本日のレースは終了だろうと、のんびり他艇のレース観戦しながらフィニッシュしましたが、もう1レースありそうです。
慌てて、サイドスピンセットしますが、スピンダウンロープが艇内の手の届かない位置にあり、諦めました。

7/3・3人乗りヨットレース1

3人乗りヨット・月1ポイントレース日です。
濡れてもすぐ乾くラッシュガードなどヨット装束に着替え、セイリンググローブと、強風で気温が下がった時用に、パドリングジャケット・パンツを防水バッグに入れます。
日焼け対策ハット・サングラス、そして何より大切なドリンクとして、ほうじ茶500ml・麦茶500ml・氷を入れた魔法瓶み水満タンを用意します。

暇なので朝6:30に家を出て、R171を西宮に走り、30分弱でハーバー着。
途中で昼食用に助六寿司を購入。
まず、桟橋係留クルージング艇に行きます。
バウのアンカーボックスが傷んでいるようで、それを確認します。
水抜き穴が、ボックスの最下部に無いので、構造上5ミリほど水が貯まります。
一番簡単なのは、ゲルコートを剥がし、FRPで水抜き穴の高さまで底上げしてしまうのがいいかと。

エンジンを掛けると一発点火、バッテリーに桟橋電源ポストから常時通電しているので、バッテリー上がりしないので安心です。
冷却水の排水もいい感じで、問題なし。
係留艇の点検を終え、陸起きヤードへ。

レース艇のカバーを外していると、「おはようございます」とヨット部後輩がやってきます。
「早いね」と声をかけたら、ボートを取りに行くので、早めに準備をしに来たそうです。
彼の艇のメンバーは全員後輩で、僕がコーチ時代に教えた選手もいます。
世界選手権上位入賞を目指す、このフリートのエース艇です。

他のレース艇オーナーさんの知り合いカメラマンが、このレースを写しに来ます。
カメラマン用に船を準備し、ドライバーはうちのチームから出します。
僕がドライバーになるかもしれなかったが、レース要員になりました。

彼が去っていくのと入れ替えに、甲南大OBチームの女子クルーが来ました。
多分紅一点になるので、写真露出度は高いでしょう。
艇内の準備をし、ジェノアシート・スピンシートの準備を終え、使用セイルをどれにするか聞いていないので、することがなくなりました。

他チームのレースメンバーも集まり、レースメンバーのヨット部後輩たちも、レース準備を終え、あ~だこ~だお喋り。
お嬢さんを1年間留学させている後輩が3人もおり、みんなの教育熱心さにびっくり。
最近の学生は、日本国内だけではなく、視野を世界に広げています。
その希望に応える親、素晴らしいじゃないか。

ウチのチームのオーナーSさんと、クルーHさんがやってきて、セイルセッティング開始。
ハーバー職員が、船を下ろしにやって来たので、スピンセッティング作業中に慌てて収納。
最後の確認ができていないので、めちゃ不安。
S先輩に、沖に出たら一度スピンを上げてくれるよう頼む。

準備中に、他チームオーナーさんがやって来て、「・・さん、後輩が来ていますよ」とのこと。
ヨット部先輩も後輩も多数いるフリートなので、誰のことは不明なので、当り障りのないあやふやな返事をしておく。

陸上であ~だこ~だ他のクルー達と話していると、コーチしてる大学ヨット部の卒業生H君がやって来ました。
後輩とは彼のことだったようです。
厳密には、次男の後輩ですね。
卒業後、琵琶湖のクルーザーチームに所属し、ヨット活動を続けているので、そのチームオーナー繋がりかと思ったら、ピンチヒッターメンバーとして呼ばれたようです。
朝からいい風が入っているので、ドラゴンを楽しめるでしょう。

レース艇が海面に降ろされ、桟橋に係留されます。
横には和船タイプの船が係留されており、うちのメンバー甲南大OBのOさんが、息子さんHくん家族とやってきて、出ていきます。
Hくんは、次男の大学ヨット部の隣の艇庫を利用していた京都工繊大ヨット部出身で、次男が現役の時キャプテン&卒業後監督をしていました。
当時は、琵琶湖であ~だこ~だしていました。

奥さんに挨拶します。
男の子2人で、将来が楽しみです。
うちの家内が言ってた「男の子のほうが、気を使わなくて子育てが楽。衣装だって適当でいいし、日焼けがどうの、怪我がどうのと考える必要がありません。勉強出来る環境さえ与えて入れば、あとは本人の努力次第だから」を話しました。
下の子は3才ぐらいで、船に乗ったら怖いのか泣いています。
上の子は5~6才で、楽しそう。

家族で船に乗り、お爺ちゃんお運転で、桟橋を離れていきます。
カメラマンが2人やって来て、半袖・色白・帽子なしの日焼けの辛さを舐めた格好だったので、日焼け止めを貸して塗りたくってもらいました。
Oさん一家が桟橋に戻ってくると、3才チビさんが、船の上でジャンプして大喜びしています。
不安に慣れ、海の楽しさを感じられたのでしょう。

10:30になり、メインセイルを上げ、桟橋を離れます。
クローズホールドでコンパス角度210度、43度ぐらい風軸に対して上れるので、風向250~260度・SW・5m/sのグッドコンデションです。

6/26・大津歴史探索&インカレ個選 両津神社~合宿所

両津神社・酒井神社を訪問した。
両社はとても良く似ており、檜皮葺の本殿の造りも似て、1620年以来美を保った両社は、境内が大きくはないもののナイスな雰囲気を持っていた。

20160626SuhukuS267s.jpg 『両社神社 一間社流造、檜皮屋根の社殿で、正面は長く伸びて向拝となっている。側面の姿が美しい。隣の酒井神社とは、蟇股の彫刻や紅梁若葉などの細部が異なるだけで、構造は同じ』

『酒井神社 ご祭神:大山咋命(おおやまくひのみこと) 創建は弘仁2年(810)下阪本の梵音堂の岩から酒が湧き出し、その酒の精は、大山咋命であると神告を受け、人々は社を建て、岩をご神体として祀ったと伝承されている。1572年信長の比叡山焼き討ちにより罹災したが、1620年に広島藩主・酒井長晟によって現在の社地に建立された』

境内隅にあった石柱が気になって見に行った。
『明治29年琵琶湖洪水石標 琵琶湖の沿岸は、瀬田川洗堰完成(1905年)まで、毎年洪水や冠水の被害を受けていた。明治に入ってからも18・22・28・29年と4回の洪水は特に甚大だった。29年の洪水は大水害で、9月12日にはこの付近で、水位は13尺近くあり、両社の辻南東隅にあったこの石標には、その最高位線が明示されている。石標の他の側面は、これより以前の主要な洪水水位を表示して、各洪水の規模を一見してわかるように示している。琵琶湖を象徴としている大津市にとっては、科学的な記念碑です。
また、琵琶湖洪水史にとっても貴重な歴史的記念物です』

17:06になったので、合宿所に戻ります。
R161一本道で、17:18着。
閉会式は大幅に遅れているそうで、マネージャーさんたちが台所でロールキャベツを作っているところにおじゃま虫。
50名ほどの部員数なので、鍋4つの量です。
皆が美味しいと平らげてくれるので、作り甲斐があるそうです。

ハーバーから皆が帰ってきて、ミーティングが始まったのが18:30。
風の見方・入り方、スタートラインで留まるために役立つコーチボート離発着動作、そしてコーチボートにPCを持ち込んで、終了レース成績表速報時間が正確で早くなったことを褒めた。
「15年前組んだプログラムを持ってきたけど、かっこ悪くて出せないや」と、皆を笑わせようと思って言った。

先々週、手作業で集計してるのを見て、「僕は15年前、ジュニアレースの事務局長・広報委員長時代に、140艇の全日本選手権を速報してたよ。成績表プログラムは、組めるから挑戦してみたら」と言いました。
フィニッシュボートに乗せた広報部員お母さんから、携帯電話メールで着順を送ってもらい、陸上大会本部にいた僕のPCでそれを受け、即座に総合成績表を作成し、掲示板に貼っていた。
メール登録してもらった方には、速報サービスもしたので、次のレースが始まる前に、海上で待機中の親御さんの携帯電話が一斉に鳴り出し、大評判になった。
その日の最終レースを終えた選手は、船を陸上に上げると、一斉に陸上公式掲示板に駆けて来て、大混雑した。

さすが現代の大学生、2週間で実用化してしまったので大いに褒めた。
OBが3名来ており、このレースのジュリー(審判)2人もいたので、ルールのことで大いに盛り上がり、19:30終了。

皆は、美味しい夕食・ロールキャベツですが、僕は帰ることにする。
1回生が、「食べられますか?」と夕食を持ってきてくれたが、「2人分食べな」と申し訳
なかった。
バイクプロテクター装束を着ていると、マネさんとプログラムを組んだ理学部くんがやってきて、「プログラムをもらえませんか?結構組むのがしんどかったんですよ。カットレースを反映させるのが出来なかったし・・・」

「ええ~」と思いながら、僕のはカットレースも自動反映だし、失格も自動反映するし、現状ではまだ僕のプログラムの方が優秀かもしれないと思い、スティックメモリーからPCにコピーしてもらった。

この日、PCを湖上に持ち込んだマネさんのノートPCは、ASUS製で上面を閉じても、上面にディスプレイが表示されていた。
つまり上蓋両面がディスプレイの優れものだった。
こんなのがあるんだと、びっくりでした。

副キャプテン2人が見送りに来てくれて、合宿所を後にした。
湖西道路~名神~中国道で帰路に着いた。
名神茨木IC付近で、燃料計1から「流れる表示」になった。
残量4Lです。
まだ、24×4L=100km弱走れます。
2週間前、降りる豊中IC100m手前でエンストした悪夢が蘇りますが、余裕です。

21:16、「伊丹産業・ESSO・セルフ北村」で給油。
323km/13.83L=23.4km/L。
帰宅すると、家内は夢の中でした。
食卓には、「食べられなかったら、冷蔵庫に入れておいてね」の書き置き付きで、天ぷらお皿がラップに覆われて置かれています。
ありがたく頂き、風呂に入り、ヨーグルトを持って2Fの自室に行き、おいしくヨーグルトを頂き、22時過ぎに寝ちゃいました。


6/26・大津歴史探索&インカレ個選 坂本城址~両社の辻 参議院選挙

20160626SuhukuS227s.jpg 旧道からここへの道入口に、「坂本城址」の石碑が立っている。
見落としそうな小さな石碑でした。

『坂本城は、1571年9月の山門(延暦寺)焼き討ち後、織田信長に滋賀郡支配を命じられた明智光秀が、比叡山麓の当地に築城した水城。日本最古級の天守がそびえていた坂本城について、ポルトガル人宣教師・ルイス・フロイスは、1576年に築城された信長の安土城に次いで豪壮華麗な城と賞賛しています。築城の目的は、山門の監視ばかりではなく、彦根の佐和山城とともに、信長の領国・美濃と京都都のルート確保、水運の重要拠点などが挙げられる。天正10年6月の山崎合戦の後焼失しますが、丹羽長秀によって再建され、同14年城主・浅野長吉の時に大津城に移るまでこの地にあった』

20160626SuhukuS240s.jpg 「順照寺」「立専寺」「小唐崎神社」を巡り、R161に出て、16:49「明智塚」。
『坂本城落城の際、光秀の脇差・名刀の郷・義弘並宝器物を埋めた跡であり、明智一族の墓所であると伝えられている』
小さな塚ですが、綺麗に手入れされ、現れて綺麗な湯のみ茶碗が置かれていた。
毎日、ご近所の縁者が守っておられるのでしょう。

再び旧道に入り南下し、16:55「厳島神社」
『境内には、最澄作と伝えられる弁財天及び十五童子を祀った小祠もあり、近江三弁天の1つ。樹齢300年と推定される大銀杏は、大津市保護樹木』

20160626SuhukuS248s.jpg 「辛神神社」
『祭神:天照大神 創立は延暦20年に勧請したと伝えられる。往時、社号を奥成社と称し、日吉神社社外百八社の1社である』
神道系のお墓には、仏教の戒名に当たる名が彫られていることが多い。
「奥都城」「奥津城」などはその典型で、「都」は神官や神官の子孫、「津」は一般信徒、「奥」は「置く」にもつながり、奥まった所に置く棺につながる。
社号に「奥」があると、墓地を連想したりする。

「行者堂」
「南無阿弥陀仏」の石柱が立っている。
「下阪本郵便局前」に、観光案内板が立っていた。
2週間前、藤尾散策で立っていたものと同じで、滋賀県仕様と思われるが、色あせて目を凝らさないと文字が読めない。
「北に1.5km・聖衆来迎寺」が案内されている。
浅井朝倉軍をこの地で防戦し、「衆寡敵せず」で長男ともども討ち死にした信長の信頼篤かった武将・森可成のお墓がある場所です。
行きたいなあ・・・

20160626SuhukuS254s.jpg 『両社の辻 旧北国街道(西近江路)と松の馬場の通りの交わる辻は、両社の辻と呼ばれる。両社とは、辻の北側の酒井神社と南側の両社神社のこと。この2社は、かつては1社であり、北神社・南神社、北若宮・南若宮と呼ばれていたこともあった。この2社の本殿は、元和2年(1620)、旧坂本城主であった浅野長吉の孫で、広島藩主・浅野長晟の寄進による』

浅野長吉は、浅野長政として歴史に名を残している。
秀吉時代の五奉行筆頭です。
織田信長に奉公する浅野家の婿養子として家督を継いだが、同じく養子として入った姉・ねねが秀吉の嫁いだために、秀吉友軍となり、数々の軍功により、秀吉の信頼厚い親族として出世した。
秀吉亡き後は、同じ五奉行の石田三成などとは袂を分かち、徳川家康に近づき、関ヶ原合戦でも一族が活躍し、江戸時代も「池田家」同様「浅野家」も、外様大名ながら繁栄した。

赤穂浪士で有名な赤穂浅野家も、この浅野家の出です。
嫡流・広島藩を中心に、次男以下を他藩に出した。
殿中での殺傷沙汰は、理由はともあれ浅野家に非があるのだが、吉良家近隣諸藩でさえ吉良家に味方しなかったのは、浅野家の分厚い連合が暗に効いていたように思われて仕方がない。
対して吉良家は、三河で隣接していた徳川家と、塩の関係などで経済的葛藤にあった間柄で、家柄は吉良家の方が上なので、徳川家の目の上のたんこぶ的存在だった。


参議院選挙が華やかです。
我が兵庫県選挙区は、2人当選から3人当選になりました。
公明党県会議員をやってる小学校同級生がやってきて、あ~だこ~だ。
ずっと自民党1・野党1の無風地帯でしたが、公明党が30年ぶりぐらいに候補者を立てました。
自民・民進・公明・大阪維新・共産・幸福の6名が立っています。

選挙戦終盤になり、自民党現職が抜け出し、民進現職・公明・大阪維新が、残り2議席を争っているそうです。
公明党を支援すべく、自民党菅幹事長が応援に入りました。

偶然、公明候補者乗車選挙カー(大きめワンボックス)の後ろを走る菅幹事長の乗った黒塗り3ボックス乗用車を見ました。
公明候補は窓を開けて手を振っていましたが、菅幹事長も後部座席の窓を開け、手を振っていました。
ここまでは普通なのですが、菅幹事長のSPを載せた黒塗り赤色灯付き3ボックス乗用車の運転が覆面さんも凄かった。
交差点を曲がる時でさえ、ピタリと菅車にくっつき、割り込みが出来ないようにしていました。
車間距離1mぐらいで走る運転技術にびっくりしました。


6/26・大津歴史探索&インカレ個選 唐崎神社~東南寺

雨が止み、閉会式の予定が未定なので、艇庫前に戻り、「夜のミーティング予定が17:30から」と聞き、それまで歴史散策に行くことを告げる。
バイクに乗り、16時出発。

R161を北上。
陸自大津駐屯地横を過ぎ、16:13「唐崎神社」。
久しぶりです。
近くに艇庫があるD社大との学生時代の定期戦で訪問した以来かもしれない。
電信柱のてっぺんでトビが餌の取り合いをしている。

20160626SuhukuS189s.jpg 『唐崎(唐崎神社内) 古くからの景勝地として、数々の古歌などに取り上げられ、日吉大社西本宮に関わる信仰や、祭礼の場としても知られる。加えて「近江八景」の一つ「唐崎の夜雨」の老松との景観は、天下の名勝として安藤広重らの浮世絵などにも取り上げられて来ました。現在の松は、3代目の松で、近くの駒繋ぎ場から移植したもので樹齢150~200年。2代目は、天正9年(1581)大風で倒れた1代目にかわり、新庄駿河守らが良木を求めて植え替えたもので、幹周囲9mに及び、枝を多数の支柱で支えられた天下の名木として知られていました。今も境内に残る枝を支えた石組みや支柱の礎石が、往時の雄大さを忍ばせています。
現在の唐崎は、史上に見える景観ではないものの、湖上に突き出た岬状の地形と老松が織りなす景観は今なお優れており、その歴史的由緒と「近江八景」を具体的に体現できる数少ない場の一つとして貴重です。なお当地は、平安時代からの大祓の場と考えられている』

『唐崎 韓崎・辛崎・可楽崎などの字を当てはめる場合もある。「万葉集」にも現れる大津京時代からの地名。古くは湖上交通の湊と考えられ、平安時代には、天皇の災厄を祓う「七瀬祓所」の1つとして重視された。「枕草子」に湖畔の名勝として紹介され、室町時代の終わりに「近江八景」が選定されると、「唐崎の夜雨」の舞台となった。この地の遺る松は、日吉大社西本宮のご鎮座とも深い関わりがあり、「唐崎の一本松」と呼ばれ、多くの人に親しまれた。現在、唐崎神社境内に大切に保存されている』

「百穴古墳」での学習によって、この地が渡来人が住んだと知ったので、「からさき」の語源は、半島系の「韓」が大いに影響しているのでしょう。
司馬遼太郎「街道をゆく」でも、「唐津」など「から」のつく地名は、半島系外来人が住んだ地と考えられると書かれていた。
このように、実際にその地を訪問すると、史跡や地名からそれを感じる。

3代目老松も、見事な枝ぶりで、盆栽の拡大サイズという感じで異彩を放っていた。
檜皮葺屋根の本殿も適当に苔むし、いい感じです。
20160626SuhukuS196s.jpg 湖面に向かってベンチが多数置かれ、風の弱い日は絶好の居心地でしょう。

北上し、旧道に入ってすぐにあった「大将軍神社」に16:23。
『祭神:大山祇神 下阪本では、大将軍社を大乗護(だいじょうご)と呼んでいる。大乗護は、秀吉の頃、小堀遠州守が検地した時の測量縄を祀ったことからとか、土地の守護として亀を祀ったとかの説がある。大乗護は、伝教大師の産土神であるので、大乗仏教を守る神のことである』

16:26、「志津若宮神社」
『祭神:大山祇神・菊理姫神(くくりひめのかみ) 創立は、816年に陰陽神を勧請したことに始まるとも、また近隣の志津男之池・女之池から出現した二柱の神を祀ったことに始まるともいう。古い農耕の土俗的儀礼に発する水神であろう。堂田(どうた)には、神宮寺が建立されていた。今でも神仏習合の頃の文殊菩薩騎獅像が伝存する』

拝殿を覗くと、奥に2つの本殿が鎮座していた。
菊理媛神がわからなかったので調べると、『妻に会いに黄泉の国に行った伊弉冉尊は、変わり果てた姿の伊弉諾尊を見て逃げた。それを「見たな、許さん」と追いかけた伊弉諾尊との間に入って取り持ったという神で、白山信仰の「白山比め神」と同一神』

16:31、「東南寺」
20160626SuhukuS216s.jpg 『戦後初の阿闍梨となられた葉上照澄大僧正は、伝教大師の精神の不況に多大の功績を残された。中でも天台から世界平和への祈りを発信され、架け橋となるべく東奔西走され、昭和62年比叡山山頂で世界宗教サミットに結実させた。「一隅を照らす」を身をもって示された。その最後の地・東南寺に、生前詠まれた歌が石碑となって建立されている』

20160626SuhukuS219s.jpg 素朴な石仏が多数、無縁墓石のように整然と積まれている。
阿闍梨さんは、修行を積み、千日回峰行を結願された方。
生き仏と言っていい存在ですね。
最期の地だったのか・・・。

葬式仏教に揶揄される現代、本来の山岳修行により悟りを開こうとする千日回峰行・・・TVでそのドキュメンタリーを見たことがあるが、多くの人が手を合わせている気持ちがわかる。

6/26・大津歴史探索&インカレ個選 崇福寺跡~ヨットハーバー

6:50、「金堂跡・講堂跡50m、小金堂跡・塔跡100m」の分岐。
雑木土留め階段を上がり金堂跡へ。
郭周囲から下を見ると、切り岸され、他にも郭が見えます。

20160626SuhukuS109s.jpg 『ここ南の尾根上には、西側に5.5m四方の基壇を設けた金堂跡と考えられている五間四間の南面する建物があり、その東側には、同じく五間四間の南面する建物跡があり、講堂跡と考えられています。更に講堂の北にも三間二間ぐらいの小さな建物跡があります。この南の尾根上の建物と、北・中の尾根上の建物群では、建物の方位や礎石の形状が異なることや、南の尾根上の建物群周辺から白鳳時代の遺物が出土しないことから、南尾根の建物群を桓武天皇によって建立された梵釈(ぼんしゃく)寺に、北・中尾根上の建物群を崇福寺に当てる説が有力視されています。崇福寺は、壬申の乱によって大津京が廃都になった後も繁栄を続け、平安時代には十大寺の一つに数えられるほどになります。しかし平安末期の山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の争いに巻き込まれ、衰退の一途をたどり、鎌倉時代後半頃には、廃絶したようです』

20160626SuhukuS113s.jpg 礎石がしっかりと遺り、往時の姿を想像します。
現代の盛り土新興住宅地と違い、1000年以上経っても、切岸が崩れておらず、しっかりしたものだと関心しました。

小金堂との分岐に戻り、小金堂の尾根を見上げます。
郭が見えています。
際川の沢に一旦下り、川幅1mの浅い沢を渡って登り返して郭に上がるようになっていま
すが、そろそろ7時なのでタイムリミットです。

7:04、大仏まで戻り、バイクに乗ります。
適当に琵琶湖の方に下り、R161「陸上自衛隊・大津駐屯地」に出ました。
ここは、旧海軍大津駐屯地で、戦後米軍に接収され、返還によって陸自施設になりました。
戦前は、静水面が広がる琵琶湖を使った水上戦闘機発着や、一直線生活道路として名残を残す旧滑走路跡などでの離発着訓練で、戦闘機パイロットを養成し続けていたのだろう。

R161で、7:15ハーバー着。
ゴソゴソ用意をしていると、運営手伝いの1回生がやってきて、「おはようございます」。
大会本部に、成績表を見に行く。
他大学選手やコーチなどと「おはようございます」の挨拶が自然に起き、これが体育会の気持ちの良い所です。

僕は自宅前でも、知らない人に挨拶します。
山歩き時のすれ違い挨拶のように、どこでも挨拶する日常が、以前の日本のように戻ったらいいのになと思う。

艇庫前に行き、レース前ブリーフィングで、「フレッシュウインド、レース最終日の気負いから頻発するリーコル(フライングスタート)失格注意」などを話す。
コーチボートに乗り、学連レース前の風景を楽しむ。
各大学下級生からの応援エールが始まり、陸上に残る1回生不足から、僕も応援のエールに加わる。
今年の1回生エール係も、声が通ってナイスガイです。
応援に答えるレースメンバーが、船上で起立して応える姿が、僕らの頃と一緒です。
世の中を、冷めて斜めから見るのがクールだとの風潮があるが、若者は体育会系ホットな時代を大いに楽しんで欲しいと思う。
いいね、体育会。

20160626SuhukuS139s.jpg 次男と同回生だった現監督Iくんも一緒にコーチボートに乗り出艇。
20160626SuhukuS149s.jpg SW・5m/sの良い風で、この日の第1レーススタート。
キャプテンがトップフィニッシュだった。
いつものように、フィニッシュ後次々に戻ってくるレース艇にアドバイスする。
気がついたことを話し、風の傾向を話し合って頭の中を整理する。

20160626SuhukuS155s.jpg 最終レーススタートは14時までで、レース本部船は頑張ってこの日の5レース目を、14時ギリギリにスタートさせる。
が、朝比叡山に掛かっていた雲が消え、太陽が顔を出していた空模様が、比良山方面からの黒雲が琵琶湖に張り出してきて、一気に北風に大きく風向が変化し、ノーレースになってしまった。

海上で、本部船に各大学レース艇が集まり挨拶し、次々にハーバーバックしていく。
もう1時間あれば、良いレースができていたのに残念。
ハーバーに戻り、バイクに行きタンクバッグにレインカバーをして雨対策していると、降ってきました。
湖上で見えていた高島方面の雨がこちらまでやってきたようです。

艇庫に戻ろうとすると、琵琶湖ジュニアのお母様方がいる場所で、僕がジュニアヨット理事時代、ASEAN選手権に引率したナショナルチームのNくんがいた。
お父さんの会社に入り、立派に引き継いでいる。
次男の1つ年下です。

次男がもうすぐお父さんになることを知っていたので驚いた。
恐るべし、ジュニア人脈。
親父さんのことを聞いたら、琵琶湖ジュニアの当時のお父さん達が集まって、登山にハマっているらしい。
2000~3000m級ということだから、本格的で僕がお供出来るレベルではない。
お母様方を交え、あ~だこ~だお喋り。


6/26・大津歴史探索&インカレ個選 百穴古墳群~志賀大仏

20160626SuhukuS041s.jpg 「崇福寺跡0.5km」の他に、「百穴古墳群」の案内板があり、山中を指している。
半竹林の山に入ると、石仏が立ち、古墳の口が見える。

20160626SuhukuS052s.jpg 『注意してください 百穴古墳群内の各古墳は。自然の状態で残っています。石組みを触ったり、上に乗ったりすることは大変危険です。むやみに近づかないようにしてください』

『百穴古墳群は、今から1400年前(古墳時代後期)に造られた墓が多く集まったところです。大きな石を上手に積み上げ造られた横穴式石室を、土で覆ったものです。石室は、玄室(死んだ人を納める場所)と、外を結ぶ通路に分かれています。表から見ると、通路の入口が穴のように見えます。この穴がたくさんあることから、「百穴」という名がつけられました。石室の壁の石は、天井に向かうほど少しづつ迫り出して積まれているため、天井はドーム状になっています。石室内には、2~3の人が葬られており、時には金のイヤリングや銀のブレスレットなどで飾られ、木や石の棺桶に入れられました。石室内には、多くの土器(土師器・須恵器)も一緒に納められました。この中には、お祭り用のミニチュア炊飯具セット(かまど・かま・こしき・なべ)も含まれています。古墳時代後期、古墳群は全国各地でたくさん造られましたが、この百穴古墳群のように、石室の天井がドーム状で、ミニチュア炊飯具セットが納められているという特徴は、大阪・奈良・和歌山の一部にも見られますが、ほとんどが大津市の坂本から錦織にかけての地域だけに見られます。現在までの研究では、これらの特徴は中国や朝鮮半島からやってきた人たちと、深く関係するのではないかと考えられています』

下草が生えておらず、湿度が高い森の中ということもあり、苔に覆われた石が露出する一帯は歩きやすいし、見通しが良い。
20160626SuhukuS057s.jpg あちこちに石室の穴があり、中も覗けます。
緻密な石組みが完全に遺った石室もあり、戦国時代・江戸時代に全国の城の石垣・石積みに特殊技術をもって貢献した穴太衆は、朝鮮大陸式のお墓造りで培った技術集団だったのではないかと、その技術の源泉を見つけた感じがした。

20160626SuhukuS063s.jpg ここから、緩やかな「際川」沿いの道を登っていきます。
20160626SuhukuS066s.jpg 6:33、大きな石仏があった。
『石造阿弥陀如来座像(志賀の大仏) 高さ3.5m・幅2.7mの花崗岩に、厚肉彫に掘り出した高さ3.1mの阿弥陀如来坐像です。13世紀頃に造られたと考えられ、上半身に彫刻の主力をおいた、ゆったりとした雰囲気の漂う石仏です。この石仏の横を通る道は、崇福寺跡から山中町を経て、京都・北白川へ抜ける旧山中越(志賀の山越)で、大津側の入口に位置する。この場所と、山中町の西教寺門脇、京都北白川に石仏があり、いずれも山中越を利用した旅人が道中の安全を祈願したとも云われている。現在、地元で「大仏講」が作られ、大切にお守りされている』

竹箒やちり取りが下げられており、石仏を拝むお堂もよく清掃・手入れされている。
延々、徒歩移動だった時代は、山越えに安全を祈らずにいられなかっただろう。
大仏を謳った御詠歌が掛かっている。

更に先に進み、崇福寺分岐まで登るが、道の舗装部分が狭く、バイク駐輪があれば四輪は離合不能です。
20160626SuhukuS069s.jpg 四輪が上がってくる気配、というか物好きな旧志賀越(旧山中越)ハイカー以外来そうもないが、一旦大仏前まで降り、バイクを置いて徒歩にする。

20160626SuhukuS072s.jpg 石垣が遺り、薪が整然と置かれている。
20160626SuhukuS077s.jpg 6:44、「志賀峠1.5km」と崇福寺との分岐。
琵琶湖から見上げる比叡山山系の峠まで、ここからたった1.5kmなんだとびっくりする。

ここまでは、急坂はない。
崇福寺の全景詳細図があった。
講堂跡・金堂跡、小金堂跡・塔跡、弥勒堂跡が、3つの尾根上に東向き平行に立っていたようです。
塔に登ると、琵琶湖が一望できたんじゃないかな?

『崇福寺は、天智天皇が大津京遷都の翌668年、宮殿の北山中に建立した寺院。幻の宮殿を探る手がかりとして注目され、昭和3年(1928)発掘調査された。滋賀里西方の谷を隔てて南北に並ぶ丘陵上にあり、南丘陵からは講堂・金堂、中央丘陵からは小金堂・塔、北丘陵からは弥勒堂の遺構が見つかっている』

『東海自然歩道 東京の「明治の森高雄国定公園から、大阪の「明治の森箕面国定公園」まで1300kmあり、美しい自然や文化財を結んでいます』
東海自然歩道は、よく目にしますが、東京から大阪まで結ぶ道だったのですね。

20160626SuhukuS087s.jpg 6:46、金堂と小金堂との分岐。
『金堂跡・塔跡200m、弥勒堂跡400m』
『塔跡の心礎から国宝舎利容器が発掘され、近江神宮に保管されています』
20160626SuhukuS091s.jpg 金堂の方を見上げると、中世の山城跡同様の郭がいくつか見えます。
それぞれに小堂が建っていたのか、僧侶の住まいがあったのかでしょう。
よこの「際川」の流れは、とても細くなっています。

6/26・大津歴史探索&インカレ個選 桐畑古墳群

コーチしてる大学ヨット部のインカレ個人戦予選の日です。
8時出艇なので、それまで歴史探索しましょう。

合宿所横を流れる際川の流れを調べていると、近江~京の旧街道「山中越」ルートはここを通っていたことがわかりました。
現「山中越」を走るたびに、京都側の「山中」から山中に分岐して行く道が気になっていました。
旧道だろうと想像がつきましたが、地図では途中でルートが消えています。
山歩きウェブサイトから、廃道化しつつある旧道を歩かれた方の日記を見つけ読んでいると、際川上流・近江側にあった廃寺・「崇福寺」の遺構に興味を惹かれました。

朝ここを探り、レース終了後から夜のミーティングまでの間の時間で、明智光秀の「坂本城址」を中心に、周辺の寺社を探索する予定を立てました。

目を覚ますと3時前、あまりに早いので二度寝したら、4:30に目覚めちゃいました。
予定より30分遅れです。
天気予報をチェックすると、朝曇り・午後晴れでグッド。
ゴソゴソレース観戦グッズを用意し、夏用メッシュ上下を着こみ自宅を出ます。

この日のお供は、「招き猫CB400SB」です。
燃料計を見ると、「残量半分(18L×0.5=9L)・走行距離200km」、あと200kmは走れるので、琵琶湖往復は問題無いでしょう。
GS給油時間がもったいないのでパスしました。

豊中ICから中国道に乗り、名神高速にチェンジし、朝食・昼食用のおにぎりを買おうと「桂PA」に寄りましたが、売店はまだ準備中でした。
仕方なくトイレのみで再び走りだし、「京都東IC」下車。
湖西道路に乗り、「南滋賀ランプ」下車。

ここは、現「山中越」県道直結です。
側道を走り、6:08川沿いにあったお堂に寄り道。
「不許薫酒肉入山」の禅寺特有の石柱が立っています。
20160626SuhukuS002s.jpg 「千躰地蔵尊」というお堂でした。

「東海自然歩道 百穴古墳0.2km・崇福寺跡0.7km、大津京跡0.8km」の道標が立っています。
禅寺らしい建物がないので、地図で枝道の先を見ると現「崇福寺」がありました。

20160626SuhukuS004s.jpg 興味を持って枝道に進入し、6:13「滋賀山寺・岩屋不動尊」
20160626SuhukuS009s.jpg 琵琶湖を望む比叡山系への中腹にあるので、湖面が見渡せる。
20160626SuhukuS012s.jpg 大津市中心部の大津港、瀬田の大津プリンスホテル、対岸の近江富士まで見えます。

寺内に足を踏み入れると、すぐに古墳がありました。
『桐畑古墳群(熊谷古墳群) この古墳群は、百穴古墳群と同じ丘陵に北側尾根東斜面に位置し、6基の円墳から構成されている。いずれも古墳時代後期(今から1400年前)の古墳で、3基から横穴式石室が見つかっている。石室の壁面がドーム状になっていることなどから、渡来人達の墓ではないかと考えられている。中でも東端に位置するこの第1号墳は最大で、丘陵斜面を利用し、直径20mの墳丘が築かれている。石室は東に開口する両袖式の平面を持ち、壁面は持送りに寄ってドーム状になっている。天井石はなくなっていますが、通路から玄室(遺体を納める部屋)に至る横穴式石室の構造がよく分かる古墳です。現在は、玄室に不動尊が奉られており、人々の信仰の対象となっている』

20160626SuhukuS019s.jpg 石室内に入ってみる。
20160626SuhukuS020s.jpg 多数の石仏が壁に立てかけられており、信長の比叡山焼き討ち後に、散乱した石仏を集めたのかもしれない。
20160626SuhukuS022s.jpg 天井がポッカリ開いており、森の木々からの光が届いている。
20160626SuhukuS023s.jpg 滝打たれの行に使うのか、小さな流れが滝に細工されている。
紫陽花が咲き、小さな池があり、獣道程度の山道が続いている。
他の古墳を巡れそうだ。

普通の民家に近い風情のご寺院の方に行くと、普段着姿のご住職が出て来られた。
「えっと、なにか御用で」
「いえ参拝です」
僕の首から下るカメラを見て、「あ~写真ですね、ごゆっくり。どちらからですか?」
「伊丹からです」
「遠くから、ご苦労さまです」

ご住職は獣避け柵をくぐって畑の方へ行かれた。
「鹿が出ますか」
「はい、よくやってきます」

20160626SuhukuS038s.jpg バイクに乗り、交差点まで戻り、ゆっくり上ります。
6:25、墓地と石仏が両側に見えてきて三叉路で停車。
20160626SuhukuS037s.jpg ここにも石仏が集合しています。
以前坂本から比叡山ケーブルで上がった時、「天台宗総本山の他に、浄土宗の法然・浄土真宗の親鸞・曹洞宗の道元など、多くの仏教諸派がこの山から巣立っていった。山中に無数に石仏があったが、信長の比叡山焼き討ちで、多くの石仏さえ谷に落とされるなど被害を受けた。それを今でも集めている人がおり、集合した場所がある」と聞いた。
その一部なのかな?と思う。


6/19・京都三条でお集まり~映画「メッセージ・イン・ア・ボトル」

僕は、Aランチ1250円(ハンバーグ・ハム・サラダ・ライス・スープ・アイスコーヒーのセット)にし、皆さんはリブステーキやサーロインステーキのセットになさる方が多かった。
ステーキが売りのお店のようで、お魚関係はありませんでした。

小笠原のお話、羽曳野のお話、白山スーパー林道・雪の回廊のお話、次の集まりのお話・・・いろんなお話で盛り上がります。
お隣の席は、お若い女性グループでした。
突然、ハッピーバースデーソングが流れ、パチパチ花火が賑やかなフルーツ盛り合わせが運ばれてきました。
バースデーの方がおられたというか、バースデーのお集まりかもしれません。
僕らも拍手で祝福です。
「お幾つになられたのですか?」なんて質問は、しませんでした。

そういえば、大学ヨット部のコーチングに行った時、時々バースデーを皆で祝う場面に遭遇します。
その月に生まれた部員を祝います。
昼食時や夕食時に、キャプテンが「今月は、・・君と・・さんのお誕生日です」って。
バースデーソングの合唱が始まります。

僕がチビの頃は、家族で祝うだけでしたが、息子たちの時代は、友達を自宅に呼んだり、友達も連れてお店でワイワイやったりしていました。
そんな環境で育った子は、大人になっても皆で祝うのが普通なんでしょう。
こういうところから、アメリカのホームパーティー文化などに発展して行くのかな?

13:46、お開きになりました。
この日は7人でしたが、このぐらいの人数が居心地が良い。
最近バイクのグループツーリングへの参加が遠のいた原因は、参加人数の多さです。
10人を超えて集団で走っていると、気にする必要なんてないのだけれど、周りの車や人を圧迫してる感があり、僕の性格ではどうも・・・。

青春ドラマによくあるグループデートなんてしたことがなく、デートは2人です。
マイペースで、ゆっくり彼女と喋れません。
グループでのお喋りに話を合わせ、2人の時間を楽しめない。

ドラマでは、合コンが流行っているようで、その出会いから始まるのも多いですが、僕は「いいな」と思った子に声をかける一本釣りです。

お二人は、宇治の「三室戸寺」に紫陽花を観に行かれました。
小雨が降っており、雨に濡れていい感じかも?
僕は、バイクグループ知り合いのKさんと一緒に、阪急河原町駅に向かいます。
Kさんが、「狭いけど楽しい」と選んだ先斗町筋で南下します。
午前中見た「先斗町歌舞練場」横を通ります。

阪急河原町駅から、特急に乗ります。
特急なのにボックス席車両ではありません。
あれやこれやお話している間に、外は雨が止み、陽が差すようになりました。
三室戸寺の紫陽花は、より映えるでしょう。

十三でKさんとお別れし、15時過ぎに帰宅しました。
PCを立ち上げ、御礼のメッセージを送っていると、家内が帰ってきました。

次男のお嫁さんが贈ってくれた父の日プレゼントの「山形さくらんぼ」を食べながら、映画DVDを2人で観ました。
前回家内が気に入ってくれたニコラス・スパークス原作作品「メッセージ・イン・ア・ボトル」です。
ケビン・コスナーがかっこいい。

ヨットが出てくる映画なので、そちらへの興味で家内を誘い映画館に観に行きましたが、ラブストーリーの内容が良く、そこからニコラス・スパークスにハマりました。
殆どの作品を買って読みました。
映画化された作品5作を、DVDで持っています。
素敵な1日でした。

6/19・京都寺町~高瀬川散策8 がんこ寿司・高瀬川二条庵~三条大橋~SUNNYでお集まり

二条との交差点が目の前です。
鴨川側には、「がんこ寿司・高瀬川二条庵」がありました。

20160619TakaseS271s.jpg 『高瀬川の流れは、豪商・角倉了以の別邸(がんこ高瀬川二条庵)を通り、木屋町通をくぐって、再び姿を現す。約380年前の慶長16年、了以によって作られた当庭苑は、明治の元勲・山県有朋の別荘・第二無鄰菴となり、その後第3代日本銀行総裁・川田小一郎の別邸、安倍一太郎氏の所有を経て、現在は大岩邸』

西を見上げると、「ホテルオークラ」が見える。
見えないけど、レンガ造りの日銀京都支店は、その横です。

二条通で、木屋町通はお終いです。
正面に寺院があったので入ってみます。
「善導寺」という寺院で、「お寺の中のエステティックサロン」との案内板が下がっています。
1558年創建されたお寺だそうです。

墓地が隣接されていたので探索。
江戸・明治時代様式の墓石があちこちにあり、無縁化された江戸時代風墓石が集められたエリアもある。
その数は相当多く、きちんと管理され続けて来た感が漂う。
ここも卒塔婆が林立している。

墓地の鴨川側は、リッツカールトンホテルです。
20160619TakaseS294s.jpg 客室のベランダは、竹囲されており京都らしい風情がナイスです。
この墓地を見下ろす部分だけの造作なので、真下に墓地が見えないようにする工夫なのかもしれない。

11:00になったので、三条に戻りましょう。
木屋町筋を戻ろうとしたら、角のお店が目に入りました。
20160619TakaseS296s.jpg 満開の桜をガラスエッチングしたウインドウが素敵です。

「がんこ二条苑」の店先に入り、メニューと価格をチェック。
他の古民家店と同じで、「すし梅膳・1180円」から懐石までありそう。
家内を歴史散策に連れ出す時、利用しようかな?

木屋町通は、高瀬川に柳が下がり、紫陽花などがあちこちに咲き、紹介した以外に「加賀藩邸跡」などの紹介立て札が立ち、歴史散策に素敵な道です。
家内が横にいてくれたら、もっと楽しかったろう。

11:10、三条に戻りましたが、待ち合わせ11:30にまだ早いので、三条大橋を観に行く。
20160619TakaseS310s.jpg 『京都名物・五色豆・舩はしや』というお店があり、その横にスターバックスがある。
三条大橋から、鴨川を見下ろす。
鴨川の床が、西側のお店から出ている。

20160619TakaseS315s.jpg 「舩はしや」を覗いたら、せんべいや飴がたくさん並んでいた。
20160619TakaseS317s.jpg その隣は、タワシやさんでした。
竹箒や各種刷毛などもあります。
お客さんが、色んな種類のたわしを手に取り、お店の方に用途などを尋ねていた。

三条通を挟んだ対面の「タカセビル」を見ると、グループリーダーJさんがいる。
Jさんとは、バイクグループで知り合い、新たに立ち上げたこのカフェグループに入れてもらいました。

集合時間の11:30が、「SUNNY」の開店時間で、先にお店に行かれた方によると、エレベーターを出たらいきなり店内で、待つ場所がないそうです。
ビル1Fで開店時間を待ちます。
他の参加者も集まってきて、男性3人は既知です。
女性3人のうち2人はお初なので挨拶します。

三条通を見ていると、ローウエストなパンツ&ハイウエストなTシャツという細いウエスト丸出しのお年ごろの女性が、ボーイフレンドとはしゃぎながら早足で歩いていた。
とても楽しそうで、ローマの休日のヘップバーンを彷彿とさせました。
日本女性は、とても美しい。

お肌という素材が抜群にきめ細かい。
女性は華だから、笑顔でいてほしい。
そんなうら若き女性が、綺麗なウエストラインを惜しげも無く見せて、笑って小走りしている。
もちろん視線で追いかけました。

「どう?ウエストラインが自慢なの」とステージに上ってる女性を、男としての視線で追いかけるのがマナーというわけ。
いいものを見せていただきました。
京都はいいぞ!

11:30になったのでお店に上がります。
南東角の窓際席に案内されます。
20160619TakaseS320s.jpg ビル最上階9Fのお店で、景色が良い。
京都は景観保持のため高さ制限があります。
この地区の高さ制限基準は知りませんが、新基準適用で、概ね高さ制限がきつくなる地区がほとんどだと聞くので、既存の高いビルの上階は、既得権益プレミアムが付きそう。

鴨川の東には高い建物が殆ど無く、東山連山まで一望です。
四条の東山山麓に巨大な大屋根が見えます。
「あれは何?」の疑問で、意見百出。
僕は八坂神社・知恩院・真宗などの宗教法人でしか、あんな巨大建物を建築する資金がないと思ったので、真宗施設だと思ったけど、リーダーさんのスマホ検索で知恩院御影堂とわかりました。

大屋根にソーラーパネルが設置されているようです。
このお店のナイトタイムは、夜景を楽しめそうです。

6/19・京都寺町~高瀬川散策7 料亭・幾松~佐久間象山・大村益次郎

20160619TakaseS234s.jpg 20160619TakaseS236s.jpg 「RIVER SUITE 迎賓館」という洒落た外観のお店?ホテル?がありました。
大きなリースが外壁に飾ってあり、「結婚式場!」と見た。
帰宅後調べてみると、ビンゴ!

「御池通」に出ました。
中央分離帯に噴水が上がってる。
西を見れば、和服の市長さんがいる「京都市役所」の建物が、街路樹越しに見える。
東は、東山が霧雨に霞んでる。

交差点角に、「栞屋蕉庵」というお店があった。
外観ではお店の内容はよくわからないが、京料理レストランのような気がする。

20160619TakaseS247s.jpg 10:41「幾松」
『京の夕涼み 鴨川納涼床』と書かれた提灯が下がっている。
鴨川床の料亭を営業されているようだ。
『昼食5658円(弁当)7200円(ミニ会席)10000円(昼懐石)、夕食14400~1000000円(京懐石)要予約』
法事会席ならまだしも、さすが幾松、夕食としては、かなりの高額。

そんなことより、『桂小五郎・幾松・寓居跡』と彫られた石柱が重要でしょう。
幾松は、京都の芸者で、長州藩の重臣で、京の長州藩士を束ねていた桂小五郎(改名して木戸孝允)の危機を幾度も助けた。
桂小五郎は、天皇を味方につけ、一発逆転を狙った長州藩が起こした「蛤御門の変」に失敗し、兵庫県豊岡市出石まで逃げて、武士を捨て町人になった。
免許皆伝の剣の腕前なのに、「逃げの小五郎」と言われるほど逃げ足が早く、とても多数の部下を失った長州に、かっこ悪くて帰ることが出来なかった。

そこを幾松が見つけ出し、「あんた、何やってんねん」と一括し、強引に長州に連れて行った。
蛤御門の変に敗れ、多くのリーダーを失った長州藩は、桂を不問とし、何もなかったかのように重臣に返り咲かせた。
明治維新が成り、木戸孝允の奥さんになった豪快な女傑芸者です。

この料亭内に「幾松の部屋」があり、何度も反長州勢力に踏み込まれたので、抜け穴や除き戸などが遺っているそうです。
桂小五郎が三条橋の下に隠れ、幾松が食べ物を差し入れに行く、ドラマでは定番お場面が蘇る。
ここから三条橋まで、50mぐらいかな?
料亭の裏手・鴨川側からは、直接橋の下が見えるはずです。

隣には「維新庵」という大正近代建築に似せた建物があった。
「IKUMATSU」と書かれていたので、リーズナブル料理を提供する別館でしょう。
『長州御膳2060円~』

20160619TakaseS255s.jpg 「佐久間象山・大村益次郎遭難之碑」
高瀬川の対岸に、立派な碑が立っている。
『元治元年1864/7/11、木屋町通を馬に乗って通りかかった佐久間象山(1811~1864)は、刺客に斬られ絶命した。信濃松代藩士で、洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰ら多くの俊才を教育した。幕府の命で上洛し、海防の相談に当たるとともに、公武合体を進めていた。池田屋事件直後で、いきり立っていた攘夷派は、学者象山の説を受け付けなかった。
それから5年後の明治2年1869/9/4、木屋町通東側にあった宿所で、大村益次郎(1825~1869)が刺客に斬られ、その傷がもとで、11/5大阪の病院で亡くなった。
周防国長州藩士で、家は医者であったが、医学とともに西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって、幕末の長州軍を率い、戊辰戦争の指揮に活躍した。明治政府の兵部大輔となり、近代兵制(国民皆兵など)の創立に努力した。そのため、不平士族に襲われた』

佐久間象山の思想から、ペリー来訪から揺れに揺れた国家存亡の危機を回避できた明治維新に繋がる。
一時、土佐・武市半平太や長州・久坂玄瑞などのハードランディング尊皇攘夷急進派にまで動いたが、結局佐久間象山・勝海舟・坂本龍馬のソフトミディアムランディングの路線で、時代が変わった。

佐久間象山の仕事は、ここで暗殺されても十分成されたとも言えるが、もっと生きていれば、その後の日本を割った流血劇はソフトランディングされていたかもしれない。

1864年は、僕の歴史年号暗記のランドマークです。
東京オリンピック1964年のちょうど100年前で、天皇を長州までさらい、一気に時代を動かそうとした長州藩が、「蛤御門の変」において京都警護の会津藩・薩摩藩に敗退した。
長州は、イギリス・フランス軍艦と砲火を交え、自らの実力を知った西国雄藩の薩摩と長州が土佐の坂本龍馬の介在で手を結び、1868年の明治維新まで、怒涛のごとく内戦の波乱の時代に突入する。

20160619TakaseS258s.jpg 10:45、「高瀬川・一之船入」
高瀬舟が高瀬川の流れの中に、荷を載せて鎮座していた。
『この立て札の後方の入江を、一之船入という。舟入とは、荷物の積み下ろしや船の方向転換を行う場所で、二条から四条の間に9ヶ所作られた。国の史跡のこの場所を除いて、すべて埋め立てられている』
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