6/19・京都寺町~高瀬川散策6 瑞泉寺~三条~武市半平太~吉村寅太郎

『寺伝によれば、秀次の男児4名・女児1名、正室・側室・侍女など女性34名が処刑されました。一同の遺体は、縁者に下げ渡すことは許さず、刑場の脇に掘った大穴に全て投げ入れ、その上には塚を築き、頂上に秀次公の首を納めた「石ひつ」を据えた。「関白塚・摂政塚・殺生塚」などの名称で呼ばれる塚は、江戸時代初期に描かれた京洛の名所洛外図では、まれに三条大橋西詰めの位置に認めることが出来る。「秀次事件」は、朝鮮への侵略戦争「文禄・慶長の役」とともに、「太閤秀吉」の晩年の失政の1つといわれる。淀君に生まれた「秀頼」を秀吉の実子として、豊臣政権の後継者にするため、一度は関白位を譲った秀次とその一族を「謀反者」の罪名の下に抹殺しようとしたものです。16年後の1611年、角倉了以は塚の側に「秀次一族の墓石」を建立(現在の墓所)し、塚の跡は寺領として長く保存することにしました。因みに、了以の実弟は、医師として秀次に長く仕えた家臣であり、瑞泉寺創建は、その弟の一周忌の年に当たります。この4年後に、「秀頼と母・淀君」は、大坂城の落城とともに亡くなる』

秀吉と違い、秀次には4人も男子がいたのですね。
秀次と秀頼には大きな歳の差があるのだから、甥・秀次に一旦政権移譲する懐の深さがあれば、歴史は違っていたでしょう。
秀次の息子たちの度量はどんなものだったのだろう?

20160619TakaseS185s.jpg 『この堂に安置されている「引導地蔵尊」は、一族処刑の際、四条・大雲院の僧・貞安上人が木像を運び込み、次々に討たれる子女達に引導を授け続けたと伝わる像です。極楽浄土へ死者を導く「引導地蔵尊」として、京洛の人々に今日尚崇敬されています』

堂内は、引導地蔵尊を中心に、ひな飾り段のように、小雛小像が並んでいます。
一族郎党を粛清していった秀吉晩年の狂気を感じます。
この中には、秀吉が藤吉郎と呼ばれていた時、木曽川・川並衆であった前野将右衛門もいる。
同じ川並衆の蜂須賀小六とともに、秀吉に夢を感じ、最初の家来・与力になった人物です。

夢成ったが、秀吉政権の重臣として、秀次の教育係・陪臣となった老将を、なぜ秀吉は秀次に殉じさせねばならなかったのか?
郎党中の郎党に、死を賜る秀吉は、既に常軌を逸していたのでしょう。
徳川に政権が移るのは、天の差配と言う他ない。

20160619TakaseS195s.jpg 横には、一族の墓所がある。
墓石が並び、中央に秀次の首を入れたという「石ひつ」が置かれている。
ロウソクが灯されており、「ご自由にお使いください」と線香とロウソクが置かれていた。
20160619TakaseS200s.jpg ロウソクに火を灯し、無念に献灯した。
浄財入れもあったので、ロウソク代を入れる。

境内に東屋休憩所があり、壁に秀次関係の新聞の切り抜きや、写真などが貼ってあります。
また雨が落ちてきたので、腰掛けながらくまなく読みます。
至福の時間です。
江戸時代に描かれた絵の中に、三条大橋の橋の下の墳墓が載っています。
「橋の下とは、あまりに失礼な・・・」

朝から降ったり止んだりで、降っても傘が必要か微妙なほどの小雨です。
20160619TakaseS206s.jpg 東屋の隅の傘立てに、「貸し傘 京都観光の方は返却不要」と書いてあります。
数本のお安い傘が入っており、引き取り手のなかった忘れ物傘でしょう。
ご住職が、雨模様の日に出されておられるのだろう。
気遣いが優しいな。

三条通に出て、ミーティングのあるレストランの場所をチェックする。
すぐにわかった。
三条通を挟んで「がんこ寿司」があった。
元庄屋さんなどを借りて、和風の古民家風店を出店しており、好感が持てる会社です。
三田店を、法事で利用したこともあります。

更に木屋町通を北に歩く。
20160619TakaseS227s.jpg 高瀬川沿いにテラス席のあるお店がお洒落。
PIZZAと書いてあるので、イタリアンのお店でしょう。

20160619TakaseS229s.jpg 「ちりめん洋服発祥の地」&「武市瑞山先生寓居之跡」
土佐藩の尊皇攘夷論の急先鋒で中心人物、「土佐勤王党」武市半平太の京都での住まいがここか。
攘夷では坂本龍馬と意見が違ったが、盟友とも言える仲。
京都での住まいは、三条通を挟んで、直線距離100mといったところでしょうか。
一時は藩を動かす力を持ったが、藩論の変更により最後は獄中死した。
人を惹きつけ、リードできる怪物でした。

20160619TakaseS232s.jpg その横に、「吉村寅太郎寓居之跡」の石碑も立っていた。
武市半平太「土佐勤王党」の隊員で、尊王公家・中山忠光を担ぎだして「天誅組」を組織し、孝明天皇の大和行幸に先駆け、大和代官所を襲い旗揚げした。
軌を一にして長州が京で旗揚げするはずだったが、政局が急変し孤立無援になってしまった。

日本三大山城・高取城を本拠地にすべく攻撃をしたが、あえなく敗退。
吉野・大塔などで奮戦したが、十津川郷士の離反などで、幕府軍に鎮圧された。
明治維新に繋がる先駆けの勇士です。
「利自らにあらず」でしたが、結果は「神のみぞ知る」神の配剤ですから、現世を生きる人にはどうすることも出来ないこと。
僕は、この行動力に拍手を贈りたい。
こちらも魅力を感じる怪人物です。
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6/19・京都寺町~高瀬川散策5 先斗町歌舞練場~坂本龍馬寓居・酢屋~瑞泉寺

東に向かう路地の向こうに「先斗町歌舞練場」が見えた。

20160619TakaseS149s.jpg 『京都5花街の1つ、花街先斗町の中心的施設として、現在も春秋を彩る「鴨川おどり」「水明会」が催される先斗町歌舞練場は、昭和2年1927に、武田五一を設計顧問として「劇場の名手」木村得三郎設計によって、鉄筋コンクリート造で建築された。大正14年11月に着工し、昭和2年3月に竣工した。昭和28年に観覧席を桟敷から椅子式に変更し、鴨川側に増築した。先斗町通と鴨川の敷地に建ち、平面輪郭は南北に細長い長方形をなす。間口120尺・南側側面91尺。地上4階(一部3階)・地下1階。当初の規模は、建坪296坪・延坪1201坪。建築費は百万円。和と洋、歴史性の新奇性とを巧みに混在させ、屋根は4音階部分は寄棟、北側3階部分は切妻。瓦は緑色を施した陶瓦で、本瓦葺を直線化した独特の形状である。西を正面とし、1階北半分を観客席が占め、南端に主出入り口を開いて、奥のホワイエを経て観客席に至る。外装は、スクラッチタイルのほか、黄龍石・陶板などが用いられている。内部にもタイルやプラスターによって細密に装飾され、舞台の天井格間、重壁は宝相華文などで彩色された。しかし、戦時中に汚損したこともあって、これらの殆どが戦後の改造で失われた』

20160619TakaseS151s.jpg 先斗町筋は細い南北の道ですが、両側に飲食店が並び、東側の店は鴨川床を持つお店なので、羽振りがよいだろう。親と来たこともあるし、子供たちを連れて床で飲食したこともある。

9:45、木屋町筋「大黒橋」に戻る。
「竜馬道」と書かれていた。
ここらは、頻繁に龍馬も歩いていたのでしょう。
すぐ北に東西に走る三条通が見えている。

20160619TakaseS158s.jpg その一本手前の枝道に「酢屋」があった。
『坂本龍馬寓居之跡』の石碑が立っている。
ここも土佐藩邸から200mほどしか離れていないが、より近い近江屋の方が安全と思ったのだろうが、もし酢屋にそのままいたら、竜馬の命はどうであっただろう。
酢屋の看板がかかり、開館前だけど内部を覗くと、龍馬の文字が書かれた置き看板が見える。

2階屋のお隣さんの1階屋根瓦の上に、人形瓦が載っている。
媼翁かと思ったが、中国の式の剣を持った中国風の武将が一体だけのようです。
日本式だと、2体が対になっていることが多いけど。

20160619TakaseS163s.jpg 20160619TakaseS164s.jpg 9:55、「瑞泉寺」
三条通から2軒目です。
『前関白・従一位・豊臣秀次公之墓』の石柱が立つ。
『太閤記の寺 豊臣秀次公ご一族墓所 境内拝観随意』
山門には、豊臣家の定紋「五七桐紋」の提灯が下がっている。

『慈舟山・瑞泉寺と号し、浄土宗・西山禅林寺派に属する。豊臣秀吉の甥・秀次一族の菩提を弔うために建立された。秀次は、秀吉の養子となり、関白の位を継いでいたが、秀吉に嫡男・秀頼が生まれてからは、次第に疎んじられ、文禄4年1595/7月、高野山において自害させられた。ついで8月、秀次の幼児や妻妾たち39人が、三条大橋西畔の河原で処された。遺骸は、その場に埋葬され、塚が築かれ石塔が建てられていたが、その後の鴨川の氾濫などにより次第に荒廃した。慶長16年1611、角倉了以が高瀬川を開削中、この墓石を発掘して、墓域を再建するとともに、その地に堂宇を建立した。これが当寺の起こりで、僧・桂寂を開基とし、寺号は秀次の法号・瑞泉寺殿を取って瑞泉寺と名づけられた。本堂には、本尊・阿弥陀如来像が安置され、寺宝として秀次及び妻妾らの辞世の和歌を蔵している。また境内には、秀次の墓及び幼児・妻妾や殉死した家臣らを弔う49柱の五輪塔がある』

大河ドラマなどの秀次役の写真が、山門横に貼られている。
大きくない境内ですが、植木などの手入れは素晴らしく、紫陽花が綺麗に咲いている。

『1595年、この地で公開処刑された当時は、鴨川の河原は、現在の「河原町通」まで広がっており、川の流れも幾筋かあり、この辺りは大きな中州(中之島)の流れ川原でした。それから16年、西側の流れが角倉了以により高瀬舟の運河「高瀬川」として開削護岸され、悲願のこの地に「瑞泉寺」が建てられました』


6/19・京都寺町~高瀬川散策4 映画発祥の地・土佐藩邸跡~先斗町交番・バイク駐車場

『本間精一郎・遭難地 文久2年1862/8/20、勤皇の志士・本間精一郎はここで襲われた。越後に生まれ、文武両道に秀で弁舌も巧みで、友人も多かった。江戸に出て遊学し、安政の大獄後、京に上って勤王活動に身を投じた。特定の藩に属さなかったため、自由に行動する事ができ、公家にも接触し、長州・薩摩・土佐の藩士に遊説し、尊王攘夷思想の急進派とされていた。しかしその活動は、「伏見・寺田屋事件」で封じられ、精一郎はその頃から酒色に溺れ、同士からも嫌われるようになった。この夜、先斗町三条の料亭で遊び、四条の料理屋を出た帰り道を襲われた。南側の路地を木屋町へ逃げようとしたが、前から2人・後ろから6人に挟み撃ちにされ惨殺された。8人の中には、薩摩藩・田中新兵衛や土佐藩・岡田以蔵もいた。享年29才』

20160619TakaseS111s.jpg 『日本映画発祥の地 明治30年1897,実業家であり、後の大阪商工会議所会頭も務めた稲畑勝太郎(1862~1949)が、日本で初めて映画(シネマトグラフ)の試写実験に成功した場所である。明治29年1896、万国博覧会の視察と商用でパリを訪れた稲畑は、フランス留学中の級友・リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフ(映写機兼カメラ)と、その興行権、フイルムを購入し、リュミエール社の映写技師兼カメラマンのコンスタン・ジレルを伴って帰国した。翌明治30年1月下旬~2月上旬にかけて、京都電灯株式会社の中庭(立誠小学校跡地)で、国内初の映画の試写実験に成功した。映画の上陸は、単にヨーロッパの文化や最新技術を日本に伝えただけではなく、人・もの・事物を記録し伝える映像メディアの始まりであり、新しい娯楽・芸術産業の始まりでもあった。この地を起点のした日本映画は、20世紀を代表する国民娯楽に成長していった』

小学校跡の建物はとても立派で、重厚感がある。
20160619TakaseS119s.jpg 『高瀬川の沿革 約400年前、角倉了以(1554~1614)とその子・素庵(1571~1632)によって、慶長19年1614に完成された京都と伏見を結ぶ運河です。鴨川の水を導いて二条に始まり、伏見三栖浜に至り、淀川の三十石船に連絡し、大阪と京都を結ぶ大動脈だった。長さおよそ10km。五条から南は、農耕用水路を拡張利用した関係で曲がりくねった流路となり、中間地点で鴨川を横断する(水平交差)。今は川幅も狭まり水深も浅いが、昔は川幅8m・水深30cm以上あった。川岸は、炭屋・材木商とその倉庫が多く、後は大名所藩邸だった。高瀬川には幾つもの橋が設けられ、舟運の盛んな頃は、階段や坂を上がって高いところを渡るようになっていた。幕末の動乱期には、尊王攘夷を称える多くの志士がこの辺りに住み、これを取り締まる幕府側の人たちと数々の事件を起こした。周辺に多くの史跡が残るのは、そのためです。明治28年、沿岸二条~五条間にチンチン電車が通るようになり、川岸も整備された。今は三条・四条・五条の他は、皆低い橋になっています』

『高瀬川で用いられる高瀬船は、平底の小型船で、舳先に乗りやすく、船首に向かって船底が反り上がっていました。長さ13m・幅2m。京都に向かう上り船は、満載15石・2.25トン積、下りはその半分でした。宝永7年1710、伏見~二条間に就航した船は188隻ありました。京都に運搬された物資は、たきぎ・材木・炭・米酒・醤油・嗜好品・海産物などで、伏見へは、たんす・長持・鉄工業製品などでした。高瀬川の開削によって、大坂・伏見方面の物資が、伏見経由で京都に送られるようになったので、伏見・鳥羽の陸運業者は、仕事が激減する痛手を受けた。高瀬川の舟運により、川添の舟入には、問屋が多数置かれ、商品を扱う商人や職人の同業者町を形成し、材木町・木挽町・石屋町・塩屋町など職種や商品を反映した町名がつきました。現在の七条通北・河原町通西に作られた内浜という舟入は、高瀬舟発着の基地となりました』

「土佐藩邸跡」・・・この小学校あたりに、土佐藩邸があったそうです。
坂本龍馬・中岡慎太郎が襲われた「近江屋」は、藩邸のすぐ裏という立地で、直線距離
50mというところです。
水深15cmほどの高瀬川の穏やかな流れを見ていると、町内道路清掃中のおじさんがゴミ袋を持って川に入ってきた。
慣れた手つきで川底のゴミをつまんでいます。
朝の時間帯にこのような方の尽力があって、世界一の観光都市が成り立っているのですね。

「岬神社」
一時期、土佐藩邸内に飲み込まれたそうだが、その時期も治外法権である藩邸内でも一般のお参りの方は自由に出入りできたそうです。

20160619TakaseS135s.jpg 9:34「先斗町交番」が、町の風情に沿った落ち着いた外観で建っている。
警察の紋章と、横に停まっているパトカーがなければ、交番とはわからないな。

20160619TakaseS137s.jpg その横に、前日に電話問い合わせした「先斗町バイク駐車場」があった。
場所を覚えておきましょう。
『一時使用、1回24時間125cc以下250円、125cc超350円。月極125cc以下4500円、超6000円』

6/19・京都寺町~高瀬川散策3 近江屋~高瀬川

秀吉の側室として、淀君とガチで争ったが、秀頼出産で一気に差をつけられた「松の丸殿」。
『名は京極竜子で、父は近江守護代・京極高吉。母は、小谷城主・浅井久政の娘(京極マリア)。最初、若狭守護・武田元明に嫁いだが、明智光秀に与した夫が、秀吉に殺されると、出自と美貌により秀吉に召しだされ、「京極さま」と呼ばれた。大阪城西の丸住まいになり「西の丸さま」と呼ばれ、伏見城が出来るとその松の間に移り、「松の丸さま」と呼ばれた。醍醐の花見の「神輿の次第」では、「政所」(正室おね)・「西の丸(淀)殿」・「松の丸さま」と記され、側室No2であった。醍醐の花見で、秀吉からの盃の順番をめぐって、淀君と争い、北政所が仲裁したのが有名。淀君とは、側室になった時期がほぼ同じで、淀君の父・浅井長政と松の丸殿の母は、姉弟であったから、従兄弟同士であった。秀吉没後は、兄・高次の近江大津城に移り、後誓願寺に閑居した。1615年、豊臣家の滅亡とともに、秀頼の子・国松(秀吉の孫)が、わずか8才で処刑されると、その亡骸を引き取り、誓願寺で埋葬した。1634年、70才を越す長寿を保った後病死。松の丸殿と国松の墓は、元誓願寺の山内寺院・竹林院にあったが、明治37年1904、豊国廟の境内に移された』

20160619TakaseS079s.jpg 読んでいる間に、集まった5~6人の一般女性だけの読経が始まりました。
男性の読経はよく聞くが、女性だけの読経は珍しい。
謂われ通り、現在でも極楽往生を願う女性からの信仰が篤いようです。
御詠歌を聞いてるみたいで、これもいいな。

商店街に、開店前からお若い男女が並んでいるお店がありました。
20160619TakaseS084s.jpg 「コスプリ衣装・無料貸出中」
コスプレのお店のようです。
朝ここでレンタルし、界隈を観光客のシャッターの的になりながら歩くのかな?

河原町通に出て、南下します。
着物レンタルのお店があった。
振り袖も浴衣もある。

20160619TakaseS089s.jpg 「近江屋跡」があった。
『坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地 慶應3年1867/11/15、維新の功労者である土佐藩海援隊長・坂本龍馬(1835~1867)が、盟友である陸援隊長・中岡慎太郎(1835~1867)とともに、刺客に暗殺された近江屋があったところ。竜馬は、海援隊本部があった酢屋(材木商)に下宿していたが、前年の寺田屋事件により、幕府から狙われていたため、土佐藩の出入り商人・近江屋に移っていた。夕刻、中岡が近江屋を訪ね、大政奉還後の政局について論じていたが、夜になり十津川郷士と称する男たちによる襲撃を受けた。竜馬はその場で絶命し、中岡も2日後この世を去った。龍馬33才・中岡30才、大政奉還(10/14)が行われた1ヶ月後、王政復古の大号令(12/9)が出る1ヶ月前の出来事だった。竜馬と中岡は、ともに遭難した山田藤吉と現在の京都霊山護国神社に埋葬されている』

四条河原町という京都一の繁華街の中心部から、100mも離れていない。
枝道の路地を覗くと、飲み屋さんの看板がずらりと並んでいる。
これだけのお店がひしめき合い、営業を続けている京都経済の懐の深さを感じる。

20160619TakaseS098s.jpg 9:11、そんな路地に「吉高俊太郎邸跡」があった。
『文政12年1829、近江国大津に生まれる。父・周蔵は大津代官に仕え、のち山城国・山科毘沙門堂門跡の家臣。俊太郎も門跡の近衆になり、和歌を烏丸光徳に学び、公家との交流を深めた。梅田雲浜の門で勤王思想を学び、勤王志士とも交わった。同士の一人・湯浅五郎兵衛の依頼で、湯浅喜右衛門の養子となり、升屋湯浅喜右衛門と変名し、この地に「升屋」を構えた。密かに武器を集め、同士と連絡を取って援助するなど、多くの志士が集う倒幕活動の拠点となった。しかし元治元年1864年6/5早朝、新選組に捕縛され、壬生の屯所で過酷な拷問を受けた。これが三条小橋の旅館・池田屋における「池田屋事件」の端緒となる。「禁門の変」に際し、洛中は大火となり、7/20六角獄中で処刑された。享年36才。明治24年1891、特旨を以って、正五位を贈送られる』
一連の幕末京都動乱の名脇役です。

20160619TakaseS103s.jpg 南北に流れる運河・「高瀬川・真橋」に出る。
今度は木屋町筋を北上します。
水深が15cmほどと浅く、流れも適当なので、夏は川に入ってる子供が多数見かける川です。
20mほど南には、四条が横切り、大都会のど真ん中で川に入って安全に水浴びできる水辺。
水だって綺麗・・・こんな大都会は、そうないだろう。
市街地にホタルが飛ぶ京都・・・ほんと、僕は京都という町が好きだ。
川辺のお店は、川を見ながら楽しめる。

6/19・京都寺町~高瀬川散策2 宝蔵寺~誓願寺

子供がちびの時、犬を飼いたいと言い出しましたが、夫婦フルタイム労働者なので、リスなど小動物でお茶を濁しました。
リスは時々室内脱走し、網を持って捕物が面白かった。

夏の暑い日、暑くて可哀想だと勝手口の外の屋根の下にゲージをぶら下げておきました。
昼休みに帰宅すると、なんと下にネコがいました。
ゲージの底は、ネコジャンプにより外れて落ちており、リスは恐怖でゲージの上面にへばりついています。
危機一髪で救い出しましたが、いつの間にか脱走して行方不明になりました。
しばらくして近所の公園に行くと、シマリスが枝に載っています。
「うちの・・・」と思いましたが、人間に捕まえられるわけはなく、野生化して自力で生きている姿に安堵するだけでした。

長男が生まれた記念に掘った庭の池に、金魚や近所の池で釣ったフナを入れていました。
猫がそれを狙いに来て、いつの間にか食われていなくなるので、常に補充していました。
金魚の餌を持って近づくと、こちらの寄ってくるので、これも面白かった。
このお店には、「ブリーダー直売」なんてポスターも貼ってあるので、販売店でもあるようです。

8:20「妙心寺・醒ヶ井地蔵尊」
醒ヶ井は、東近江・醒井養鱒場で有名です。
この名の由来は古く、ヤマトタケルが伊吹山で大蛇の毒にやられてしまった時、持っていた矢で地面を突くと泉が湧き、その泉で覚醒したという伝説から来ます。

醒ヶ井の清水は、美濃・養老ノ滝から源で、醒ヶ井を通り、京に湧くという伝説がある。
因みに「養老ノ滝」の命名由来も古いです。
年老いた親を養い、生活がギリギリだった木こりが、この滝を見つけ、「これが酒だったらなあ」と夢見たら、正夢になり、持って帰って父親に飲ませたら、白髪がたちまち黒髪になり若返った。
これを聞きつけた天正天皇(天智天皇と天武天皇の孫娘)が御幸し、「養老ノ滝」と名付けたそうです。

遥々、美濃に発し、琵琶湖をくぐって京に湧き出る清水井戸を見たかったけど、ウェルカムな感じではなかったので断念しました。
小門を開けて入っても良かったのかな?

「極楽寺」「法界寺」
20160619TakaseS028s.jpg 「Silk Road Trading Co.」という英国デザインの革バッグ専門店のようですが、1万円台とリーズナブルなお値段で、頑丈で飽きの来なさそうなそうバッグが飾られていました。
「光明寺」

8:23「宝蔵寺」
『浄土宗西山深草派本山誓願寺に属する。本尊・阿弥陀如来立像は、1700年作。弘法大師空海の建立と伝えられ、1269年如輪上人により開基された。1591年豊臣秀吉の寺町整備により、現在地に移転。「天明の大火」と「禁門の変」で全焼。現在の本堂は、1932年建立。江戸時代中期の画家・伊藤若冲(1716~1800)の菩提寺で、若冲が建立した父母の墓石・末弟・次弟の墓碑も建てられている。若冲は、当時の京都画壇を代表する画家で、生家のあった錦市場が営業停止になった時、弟・白歳とともに再開に尽力した人物。代表作に「動植綵絵三十幅」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)がある』

こんなとこに、若冲の菩提寺があった。
超精細画として、近年展覧会はどこも大盛況の売れっ子画家の若冲の菩提寺と聞けば、墓石を拝んでみたいけど、拝観時間は8:30~になっています。
「小門を開けて自由に入って良い」と書かれているので、数分フライングだけど入ってみる。
まずは、拝見料として本堂にお賽銭チャリん。
20160619TakaseS036s.jpg 墓石・墓標は、新調された覆い屋根に守られていた。

「頂源院」「誓願寺」裏。
20160619TakaseS056s.jpg 表に回りたくて、次の東西路「六角通」を西に入り、南北アーケード市場「新京極」に入り南下して、8:36「誓願寺」。

20160619TakaseS059s.jpg 『667年、天智天皇の勅願により創建。本尊・阿弥陀如来座像は、賢問子・芥子国の作。元は奈良にあったが、鎌倉初期に京都一条小川に移転し、1591年の寺町整備に際し、現在地に移転。当時が京都有数の規模で、表門は寺町六角に面し、裏門は三条通に北面し、境内6500坪には多数の伽藍を有し、18ヶ寺の山内寺院を擁していた。
清少納言・和泉式部・秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺としても名高い。源信僧都は、当寺にて善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った。浄土宗元祖・法然上人が、興福寺・蔵俊僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になった。現在は、法然上人の高弟・西山上人・善恵坊・証空の流れを汲む浄土宗西山深草派の総本山である』

20160619TakaseS069s.jpg 女性の方が数人、本殿に上がっていかれます。
さほど大きくはありません(場所柄仕方ない)が、どっしりしっかりした趣きがあります。
謂れ板に書かれていた女性の生涯や、この寺との関係が細かく書かれています。
読み物が好きなので、じっくりあぐらをかいて読みます。
和泉式部の文才と美貌、そして数々の公家男子が寄ってきたモテモテぶり。
人も羨む人生を歩んだ女性ですが、晩年は如何に極楽往生するか悩み、この寺に帰依し仏にすがったとか。

6/19・京都寺町~高瀬川散策1

バイクツーリンググループで知り合った方が立ち上げた「カフェ巡りグループ」のミーティング日です。
京都三条大橋近くで、昼食をご一緒します。
昼間で暇なので、バイクで木津の山城を3つほど攻め上る予定でした。
グループ解散後、桂界隈を歴史散歩して帰路に着こう。
三条大橋近郊のバイク駐輪場を調べ、「先斗町バイク駐輪場」に電話すると、「午前中なら空きがある。午後は満車になる可能性が高い。雨なら終日大丈夫」との答えでした。
前日の予報では午後から夕方まで小雨なので、グループ解散後三条大橋界隈を歴史探索し、雨が止んだら帰路に着く作戦に変更しました。

4時前に目覚め、勇んで準備していると、自室のひさしに当たる雨音・・・ひどい降りではありませんが、「降雨が早過ぎるぞ」。
PCを立ち上げ、天気予報チェックすると、夕方まで雨模様です。
山城攻めは、未舗装山道・獣道を登るので、雨は危険なので、断念しました。

バイクで行く必要がなくなり、阪急電車で行くことに変更。
8時になれば、寺院は開門されるだろうから、8時京都着の予定を組みます。
6時半、通勤リード110で駅まで走り、7:17阪急十三から京都線・準急に乗ります。
20160619TakaseS001s.jpg 準急なのに、ボックスシートの車両が入ってきます。

8時に、阪急四条河原町駅到着。
駅で、「阪急沿線悠遊1日紀行」シリーズパンフレットを大量ゲットします。
河原町・烏丸・大宮・西院・嵐山・松尾大社~上桂・洛西~東西向日町・長岡天神・西山天王山・大山崎・水無瀬~上牧。

京都市街図を広げ、「裏寺町通」を三条まで北上し、「河原町通」を四条まで南下、そして「木屋町通」を北上して二条通。
最後は三条まで南下して、三条大橋というルートを考えました。

8:12「浄心寺」「西導寺」「光徳寺」「常楽寺」
豊臣秀吉が、この通り沿いに寺を集めたので、右の左も寺が軒を並べています。

20160619TakaseS012s.jpg 8:14「白蛇弁財天」
弁天様は赤ん坊の時は、皆さんお世話になる女神仏なので、つい寄ってしまいます。
妖艶なお姿を拝見できればいいなと思っていましたが、弁財天自身が小さく奥におられるのでよく見えません。
20160619TakaseS016s.jpg 裏の墓地を覗いたら、石塔の後ろに卒塔婆がたくさん立っています。
年忌の時にいただく卒塔婆は、数ヶ月立てておくと汚くなるので、僕はすぐにお寺さんに処分してもらっています。
父が亡くなった時に、卒塔婆立てを新調したのに、あまり利用していません。
母の七回忌も終わったから、もう僕自身の卒塔婆まで出番なしです。
京都のここらは、卒塔婆を立てておく文化のようです。

20160619TakaseS018s.jpg ファンシーグッズのお店があり、「路上喫煙禁止区域」の案内板が設置されていたりします。
歩きながら喫煙は、小さな子にとても危険です。
観光地は、この方が良いね。

「ABCマート」のある東西の道に出ました。
西を見ると、南北に走るアーケード商店街が見え、「新京極」と書かれています。
角に、地区案内板があり、「蛸薬師通」だとわかりました。

20160619TakaseS022s.jpg 「猫カフェ」がありました。
ちびの時、庭で犬・「シロ」を飼っていました。
幼稚園の時、散歩に連れて行ったら、スピードについていけず、よく引きずられて擦り傷を作っていました。
シロは、ついに僕を引きずり切り、逃げて行っちゃいました。
悲しい記憶です。

次に飼った犬の名も「シロ」にしました。
もちろん色は白です。
2代目シロには、小1の時お尻を噛まれました。
1~2年後に、外の犬小屋の中で死んでしまい、庭に埋めて石を載せ、お墓にしました。
あまりに悲しく、それ以来、動物は死んじゃうので飼わないことにしました。

弟は、小・中学生時代、伝書鳩を飼い出しました。
親父に、使わなくなった2Fのベランダに、でかい鳩小屋を作ってもらい、足に伝言を結び遠くで放し、帰ってくるのを楽しんでいました。
いつしか、近所の公園の鳩まで寄り付くようになり、あまりの掃除の大変さにギブアップしました。

その時、お隣さんは「フクロウ」を飼っていました。
能勢の山に行って捕まえてきたそうで、倉庫がフクロウ小屋になっていました。
いつでも見ていいと言われており、昼間フクロウは動かず、時々鋭い目をこちらに向けるのが楽しかった。


6/12・ガス欠

それを終え、帰路に着きます。
合宿所に戻ってから雨脚が強くなり、カッパが必要な1ミリ/hになっちゃったけど、また小雨になってきた。
念のためカッパを着てバイクにまたがる。

湖西道路~京都東ICから名神。
この合流から渋滞していました。
「京滋バイパス」完成後は、渋滞知らずだったので、事故なのかな?
「前方故障車あり」の掲示があったので、故障車渋滞だったようです。
「京都南IC」前に渋滞は解消され、故障車も見なかったので、撤去されたようです。
京都盆地に入ると、雨脚が強くなり、1ミリ/hほど。

吹田から中国道に乗り換え、千里西の勾配を登っている途中で、何だかエンジンが息をする。
「アレ故障?」と一瞬思ったが、「あ~ガス欠だ~」と思い当たった。
何とかこの登りを超えると、出口の豊中ICまで下りだと思い、「行け~」と祈る。

何とか峠を越え、ぐんぐん下る。
「豊中IC」1km表示を越え、もう少しというとこで、前方になんと軽く上り勾配です。
「こりゃアカンな」と思ったとこに、うまい具合に上空を道路が渡っており、その高架下で停車します。
雨も直接当たらないので、ゆっくりと、「え~と、リザーブスイッチは何処だったっけ?」と手探りで探すが見つからない。
車の切れたタイミングで、バイクの右側に出て探るが、こちらにもなさそう。

「やっぱり左側にあるよな」と、再び左側に戻り探っていると、前にパトロールの黄色ベースの車が停まりました。
車から降りた職員さんが走ってきて、「NEXCOの者ですけど、どうされましたか?」
「多分ガス欠です。リザーブスイッチを探しています。すいません」

僕の後ろに注意喚起板を立てに行かれます。
戻ってきて、懐中電灯で照らしてくれます。
動くスイッチを見つけ、それを動かします。
NEXCOの方が、「あ~これですね、リザーブと書かれています。エンジンを掛けてみてください」

キュルキュル・・・、キュルキュル、ブイーン。
「ありがとうございました」
「大丈夫そうですね、注意して出てくださいね」と、後ろに走って行き、旗を振って、走行車線を空けようとしてくれます。
ただ、ちょうど僕のバックミラーにその方が入り、路肩の白線まで出ないと後方確認出来なくなっちゃった。

ガス欠なんて、最低~。
すぐに「豊中IC」から出ました。
3Lがリザーブタンクだから、13L-3L=10L×燃費32=320km限界(余裕持って300km)を厳守しなきゃ。
いつも200kmを超えるとGSを探していたので、初めてのリザーブでした。

21:57、「伊丹産業セルフ北村SS」で給油。
325km/10.32L=31.5km/L。
帰宅したら、もう家内は夢の中で、起きてきませんでした。
起こさないように静かにお風呂に入り、ヨーグルト持って自室へ・・・そしてご就寝。

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6/19・日曜日も雨で、身体を冷やしたのか、家内が膀胱炎になっちゃいました。
熱が出て体が熱い。
僕は、子供の頃、毎月のように熱を出していたので、40℃オーバーにも慣れていますが、病気知らずの家内はとても辛そうです。

今朝は37℃台に下がりましたが、可哀想に・・・「温めてあげよう」と、いつも以上に密着しました。
モソモソと背中に手を回し、お肌をお触り・・・あ~女性の身体は、なんて触り心地が良いのだろう・・・たまらんなあ~、これは神や~

6/12・大学ヨットレース

20160612FuzioS140s.jpg N・3~5m/sの良いコンディションの中、順調に2レースを行い、レース終了。
先月のレースで指を骨折し、レースに出れない4回生A君がコーチボートに乗っており、「・・さんならどうプランしますか?」と聞いてくる。
僕はいつも1回生やマネージャー相手でも、風の強そうな場所やレースプランを喋るようにしている。

それを話している時、Aくんから聞かれた。
「右海面にはあまりブローがなく、左奥にもない。このレース海面位置なら、左から第1上マークにアプローチした方がいい場合が多いので、スタートラインの左側から出て、中間より奥まで行かずに、早めに中央に折り返し、ある程度の順位を確保しておく。その後は、次の風に合わせる」
とプランを話すと、「僕も同じです。最初は左ですよね。でも奥まで行っちゃうと風が無くなりそう。右はダメな感じに見えます」

言葉に出すことが重要で、そのプランが良かったか悪かったかは、レース結果で出るので、失敗しながらその精度を上げていけばいいだけです。
言葉にしなければ、トライ・アンド・エラーが、ぼんやりしてしまう。

いつもどおり、レース終了後戻ってくるレース艇に、コーチボートから見たことをアドバイスし、実際の風の具合を聞き、選手の頭の中を整理させます。
第三者を話すことで、いろんな気付きがある。
リラックスさせて次のレースに送り出します。

2レースを終え、ハーバーバック。
レース後ブリーフィング。
20160612FuzioS148s.jpg 13:39、閉会式。
470級は2位、総合3位で、2枚の賞状を受け取る。
両クラス・総合とも、D社のほぼWスコアの圧勝でした。

どんよりな空模様が続いていましたが、ポツリポツリと来ちゃいました。
閉会式後、出艇します。
入部以来、ずっとシングルハンド・1人乗りで練習してきた1回生を、初めてWハンドのレース艇に乗せるというので、スナイプ級はボロのセイルに変更します。
470級は、チーフがマストセッティングを変更したということで、2ボートチューニングするので、レース用セイルのままです。

最初、ツーボートチューニングに付き合い、コーチボートの位置を指示し、2つのセイルのリーチ形状を選手に伝える。
選手の好き嫌い・癖があるので、すべての選手に共通したセッティングなどなく、それぞれの個性を引き出すためのセッティングは選手自身が試行錯誤する他無い。
「スピード=正解」、これを追求して欲しい。

カッパを着るまでに行かないが、小雨が続いている。
16:30にハーバーバックし、プロテクターもカッパも着ずに、ライジャケを着たままバイクに乗って合宿所に移動する。
カレーの美味しい匂いが食欲を誘う。
食事当番の女子マネさんと、あ~だこ~だお喋り。
モテ期かも・・・
船を片付けた部員が次々に戻ってきて、シャワーを浴びたりしている。

18:30からミーティング。
「1回生向きに、スターボードサイド・ポートサイド命名の由来」を話した。
美味しいカレーの時間です。
マネージャーから、「チーズ入りカレーです」に「おお~」。

お腹を満たした後に、クラス別ミーティング。
昼はスナイプに混じったので、今回は470に混じる。

6/12・大津市藤尾4 洞窟~池ノ谷地蔵尊~ヨットハーバー

20160612FuzioS082s.jpg この道は、「皇子山CC」を経て、比叡山系尾根部に造成された高所住宅地「比叡平」に繋がっています。
舗装路だろうと突っ込みます。
6:32、地蔵堂がありました。
ここも延命地蔵菩薩です。
道を隔てて、さっきクラブハウスへの分岐をパスしたゴルフ場のコースが見えます。

少し走ると、ゴルフコース越しにゴルフ場のクラブハウスが見え、その向こうに琵琶湖湖面が見える場所がありました。
道は、四輪の離合はゆっくりとしなければならない舗装林道の雰囲気です。
住宅地から下ってくる車が、ときおりやってきます。

6:39、突然山側に大きな洞窟が見えました。
緊急停止し、探索です。
自然岩盤で、奥行きはなく、自然岩で穴に蓋をされているように見える。
20160612FuzioS086s.jpg 人間技とは思えませんが、あの蓋岩を外すと・・・なんて脳内妄想が膨らみました。
伝説がありそうに思えるけど・・・、過去伝説を創造した人がいないのかな?
「天岩戸はココ」で観光客が呼べそう。
鞍馬まで飛んだ天狗が住んだという伝説が残る「如意ヶ嶽」山頂に近い洞窟なので、脳内妄想が膨らむ。

「池ノ谷地蔵尊」に惹かれ、枝道に入ります。
6:44、獣避けネットで塞がれた。
20160612FuzioS088s.jpg バイクを降り、ネットをくぐって入ってみます。
小さな祠と、10台位停められる駐車場があり、パラソル付きテーブルと椅子数脚・背もたれ付き長ベンチ。
横の民家には、吉野・洞川でよく見る「陀羅尼助丸」の木札が下がっている。
谷に降りる階段道は、薬草園への入口のようです。
「京・大原寂光院・民宿大原辻」の看板。

何やようわからんとこに、「池ノ谷地蔵尊」がありました。
20160612FuzioS103s.jpg 参道に花が咲き、意外と立派なコンクリート造お堂。
中に小ぶりの地蔵様がいます。
それに対面した立派な座布団前の座机には、多数の護摩が置かれ、太鼓など小道具完備です。
行者僧さんが祈ると絵になります。
天台比叡山の千日回峰僧が毎日立ち寄り、祈りを捧げる絵が、脳内妄想に浮かびました。

お堂の周りを巡ります。
祠に仏像が安置されていたり、山中で見つけた石仏を並べている風の場所がある。
織田信長に焼き討ちされた比叡山延暦寺では、多数の殺戮があり、仏像を背負って逃げた僧も多数斬り殺されたそうです。
ロープウェイに乗った時、山中には散逸した石仏が、まだまだ眠っているとの説明を聞いた。

枝道を戻り、山道をゆっくり進むと、比叡平住宅地に出ました。
山中越から見ていた住宅地です。
意外に大きくてビックリしました。
標高は400mほどあるでしょう。
琵琶湖や京都盆地からの比高は300m。
雪が降ったら、朝晩の自家用車での出勤は危険いっぱいです。

山中越に出て琵琶湖側に右折するとすぐ、6:56世界遺産・比叡山延暦寺への有料道路「比叡山ドライブウェイ」入口。
20160612FuzioS112s.jpg ここ結構高額なんです。

山中越を近江神宮に下り、神宮道~R161で、ヨットハーバー着。
近畿北陸ブロックインカレの前哨戦です。
皆に挨拶し、部員に前日土曜日の様子を聞きます。
6レース消化できたようで、レスキュー・コーチボートに荷物を置き、大会本部へ。

監督がやってきて、運営の手伝いに出るそうです。
7:28大会本部外の公式掲示板で、重要事項をチェックする。
学生たちは「おはようございます」と、気持ちが良い。
各クラス3艇のレギュラー落ち3回生が艇長の船が、4回生チーフお休み(就職活動かな?試験かな?TOEICなどの試験日と重なることも多い)の代役で、Aチームに入って出ており、第2レースでトップフィニッシュしている。

レース前、ブリーフィング。
「スタート前に、2人でレースプランを話し合っておく。相手があるので、プラン通り行かない場合もあるので、臨機応変の変更していいが、ノープランでスタートマニューバリングに入らないように」

7:58、レース艇が次々に出艇して行く。
学連公式戦なので、陸上からの応援も華やかで、校歌を歌っている学校もある。
1回生の大半は、レース運営に駆り出される。
「・・先輩の健闘を期して、フレーフレー・・」
「ありがとうございました」の返答も、大きな声で響き、学生スポーツというものはいいものだと、つくづく思う。


6/12・大津市藤尾3 普門寺~源照寺~藤尾神社

お賽銭を机の上に置き、「ありがとうございました」とお爺さんに声を掛け、広い道を西に下りました。
20160612FuzioS042s.jpg 当初北上していた道に出て、5:53「普門寺」。
ここから先ほど、小関峠古道を登りました。

『如意山普門寺の由緒 当山の起源は、近江朝廷(天智天皇)の時代、大陸からの帰化人・大友氏(大友村主の一族)の信仰する仏教寺院であった園城寺の支坊に、その起源を発する。貞観4年(862年)大友氏が、三井寺園城寺修復に当たり、比叡山の智証大師円珍上人を園成寺の別当に任じ、同寺の寺領全てを円珍に寄進する。貞観15年(873)天台宗園城寺の支院として円珍により、藤尾寺が開基される。文明3年(1471)蓮如上人の影響を受けた天台宗の僧・了然によって普門寺として再興される。以降浄土真宗との交流が深まる。延享4年(1747)浄土真宗の僧・恵教が入寺し藤光寺となり、浄土真宗に帰入する(藤尾村惣道場藤光寺)(藤尾村念仏惣道場藤光寺)。享和元年(1801)江州野洲郡中村の宗慶寺より僧・玄寿(津田小平衛の子)が入寺する。天保年間(1830~1837)仏光寺派に変わる。天保8年(1837)玄珍が、本願寺派に帰山し、寺号を普門寺に戻す。明治20年(1888)了念により現在の普門寺本堂落慶法要勤まる』

例によって、じっくり謂れ板を読んでいると、お散歩のご婦人から声を掛けられた。
お友達が大津の古刹の娘さんで、彼女から聞いていた家系の謂れ話とほぼ同じことが、ここに書いてあり、きっとその古刹と縁があるはずだとお友達をここに誘っておられるとのことです。
話は天智天皇の時代に遡り、この地を巡る楽しい歴史話に発展しました。

お礼を言い、僕は山門が柵で閉まってる本堂方面に、お散歩さんは道を北に、別れました。
参道に紫陽花が咲く、普通のお寺です。
謂れ板を読んだ後なので、この寺の長い長い歴史を反芻しながら、山門から奥を覗きました。
「如意山」という山号は、もちろん大文字山の東にそびえる「如意ヶ嶽」から来るものでしょう。
まさにこの寺院の背後の近在では有名なお山で、この山号を得るということは、それだけ長い歴史があるということ。

バイクに戻り、道を北に向かいます。
6:07「心光山・源照寺」
こちらは、浄土宗のお寺でした。
本堂に上がる短い階段脇に草花が咲き、日頃のお手入れを感じます。20160612FuzioS056s.jpg 先ほどのお散歩さんを追い抜き、6:11「藤尾神社」
他にも朝のお散歩の方がいました。
住宅地から、軽いお散歩コースなのでしょう。
20160612FuzioS064s.jpg 本殿は板塀に囲まれ、規模は普通のお宮ですが、ちょっと格式が高そう。
絵馬殿に下がる絵馬は、古いものはなく、ウサギや牛・馬の絵が描かれた庶民的なものが多数でした。

塀の中の本殿は、すっきりしたものでした。
古くから使われていそうな地元の名がある神社なのに、謂れ板がないのは残念だなと振り返ると、絵馬殿外壁の本殿側の上の方に謂れ板を発見。

『54代仁明天皇在位833~850、承和年中、園城寺西南(裏鬼門)の守護神として、江州滋賀郡如意ヶ嶽南麓藤尾谷に鎮座する。主祭神:國常立尊(日本書紀)・國の常立神(古事記)。鬼門の神・山の神・土地の神とも云われ、方除の神として、また厄除けの神として崇敬され藤尾の氏神として奉られています。人には萬の悩み事があり、家居を造り、移り住むなど、旅立ち・事始めなど為日を忌み嫌い、方角を忌み避けるなど、守護される霊験あらたかな神様です。相殿:応神天皇・玉依姫命・神功皇后。境内社:諏訪神社(神名・建御名方命)・稲荷神社(倉稲魂命)・石清水神社(応神天皇)』

20160612FuzioS071s.jpg 地図では、ここから奥・如意ヶ嶽に向かって道が伸びていますが、未舗装路なので諦めました。
舗装路が、湖西道路をくぐって伸びており、どこに繋がるのか興味がありますが、琵琶湖に来る度気になっていたもう一本の道を探索することにしました。

道を戻ると、お散歩さんが藤尾神社に向かって歩いて来られます。
お辞儀すると、「神戸からですか?」と声を掛けられたので、停車してあ~だこ~だ。「伊丹からです」「遠くから、こんなに早い時間に」
「大学ヨット部のコーチをしており、8時からレースなので、その前に探索です」「あ~ら、偉い方に出会えて・・・」
なんて、偉くもなんとも無いのに・・・「さようなら」と笑顔で別れました。
見知らぬ方の一期一会が楽しい。
1人だからこその出会いです。

道を戻り、「藤尾北ランプ」から湖西道路に乗ります。
次の「皇子山ランプ」で下車し、いつも左・琵琶湖側に曲がるT字路を、右・如意ヶ嶽側に曲がります。

すぐに、6:23「慶公山・大専寺」
20160612FuzioS075s.jpg 門は閉ざされていましたが、山門屋根瓦に三ツ葉葵紋。
鬼瓦に茗荷紋。
三つ葉葵紋を見ると、江戸の世に徳川さんから功績により頂いたのかな?なんて、脳内妄想が膨らみます。

6/12・大津市藤尾2 小関越

20160612FuzioS020s.jpg 5:26、「藤尾奥町・普門寺前」という立派な歴史街道案内板がありました。
右の峠に向かう細道方向に、「大津市歴史博物館」「三井寺園城寺」「小関越(峠まで)」と書かれています。
大津まで抜ける古道のようです。
地図には、大津・小関町まで赤線で引かれています。

『小関越えは、北国町通りから小関峠を越え、横木1丁目の東海道まで4kmの道のりです。古くから、京都と北国を結ぶ間道として利用されてきた。名称は、東海道の「逢坂越え」を大関と呼ぶのに対して、小関と呼ばれていた』
GO!

ゆるく山を登りだし、勾配が増し、四輪車では横幅が無理な道になり、いつ未舗装になってもおかしくない道。
急勾配をぐんと登り、「次の急勾配まで行こう」という感じで、Uターンさえ厳しい撤退覚悟で突っ込みます。

ラッキーにも舗装路が最後まで続き、対向バイク自転車もなく、5:30広い道に出ました。
20160612FuzioS024s.jpg 「藤尾関町」として、下同様の「小関越」案内板が設置されていました。
歴史歩道的な取り扱いのようで、バイク走行は想定されていませんね。

ここが「小関越」の峠のようです。
東向き・大津側に下ります。
峠には、地蔵堂と思われる祠がありました。
自転車に箒をくくった男性が、祠前のベンチで座っています。
20160612FuzioS027s.jpg 三井寺に抜ける「小関越・旧道」分岐もあった。
山道で「三井寺1.2km」、西向き「西大津バイパス藤尾IC1.05km」、東向き「大津市歴史博物館2.05km・琵琶湖疎水1.35km」と書かれています。

5:38「天台真盛宗・雲霊山真光寺」と、「真宗大谷派・別所山等正寺」が道の両側に対面していました。
20160612FuzioS032s.jpg 浄土真宗のお寺内に、「佐知’s Pocket」という小さなカフェがありました。
食べログのステッカーが貼ってある。

Uターンして、「小関峠」に戻ります。
20160612FuzioS041s.jpg 5:46、「峠の祠」
先ほどのお爺さんは、ベンチに座りラジオを聞いています。
「お掃除ですか、ご苦労さまです」と声を掛けましたが、無口な方のようで、「はい」と言うのみ。
会話が弾まず、祠の生情報など得られませんでした。

早朝活動していると、人里離れた寂れたお宮やお堂などでも、竹箒で掃除されている方がいます。
手水の手ぬぐいを取り替えているご近所だろご婦人に挨拶することもあります。
市井のこういう方のお陰で、日本の美しさが保たれていると思うと、頭を垂れずにはおれません。
どういうきっかけでそういう無償のお布施をされているのか知るよしもありませんが、そういう方の心を捉える神道や仏教の信仰の偉大さを感じます。

祠内に、お顔も彫られているのか定かでない石地蔵様がおられ、「延命地蔵菩薩坐像」と書かれていました。
左右には紫陽花が生けられています。
このお爺さんが、毎朝手入れされているのかもしれません。
お地蔵様の前の机には、ろうそくに火が灯されています。
「峠の出世地蔵尊」とも書かれています。
天井板には、「お釈迦さん」「仁王さん」と書かれた墨絵が貼られています。

『延命地蔵菩薩像 谷内地蔵堂 帰命頂礼(きみょうちょうらい)地蔵尊 釈迦の付属を億年とし、大慈大悲の深きこと地蔵菩薩にしくなし。無垢より我らが流転して、いつかは生死を離るべし。六趣(ろくしゅ)輪廻の有様は、車の回る如くなり。地蔵和讃は、哀調の中で六道輪廻の業を説く。生ある万物は、いつかは死ぬ。いかなる富貴に恵まれようとも、不老不死の霊薬は手にすることは出来ない。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という。その六道を、車の回るように永遠に歩む。暗黒無明の六道の辻に立って、罪障の消滅を祈ってくだされるのが地蔵菩薩様。ふっくらと丸いお顔、切れ長い眉と、細く見開いた目朱を含むお地蔵様。左手に宝の珠を、右手に錫杖を持ち、ゆったりと膝を広げてお座りになる。病気になって幼児を死なせる。子を失うことの悲しみ、生かしてやりたいと祈る親の願望は、地蔵菩薩にすがった延命地蔵の信仰は、親が子を立派に育てたいという悲願の証なのに、子は親の愛を知らない現世地獄さながらの非行を救わせ給え』

『峠の地蔵さん ここは北国街道。京都から近江路を湖北に通ずる小関峠の頂きに安置されているお地蔵さんの御堂・喜堂です。なんと素晴らしいお堂の名称でしょう。そのルーツの詳細は、知る由もありませんが、十数年前、大津を通る道路の拡張工事が行われた際、藪に放り出されているお地蔵さんを見つけ、今の地に安置されました。それより、人里離れた峠へ毎日供華を欠かすことなく、近郷近在からお参りの絶えず、数千人の方々の一円のご報謝により、ここに立派なお堂が建立されることになりました。皆様の心が1つになって建立されたことを忘れず、お堂の名称といたします。末永く、庶民の暮らしと交通の安全をお祈りいたします。 峠の地蔵保存会一同』

6/12・大津市藤尾1 徳丸稲荷大明神~寂光寺

コーチしてる大学ヨット部のレース日で、琵琶湖に行きます。
8時出艇なので、7:30まで暇です。
ヨットハーバーまでの道中の途中、湖西道路の南端・藤尾周辺がずっと気になっていたので、ここを探索することにしました。

京の都と、東国・北陸からの陸路・水運として大変重要な琵琶湖を結ぶ道は、大きく3つあります。
北湖と南湖との境、琵琶湖の東西の距離が狭まる堅田~途中~大原~京都という「途中越」コース。
比叡山中央部越えする「山中越」を代表とするコース。
そして大津~京都コースです。

琵琶湖・大津~山科盆地の逢坂峠と、山科盆地~京都盆地の追分峠・蹴上~粟田口です。
比叡山系と南の音羽山山系との間の標高の低い峠です。
中世の歴史の最重要峠で、数々の歴史を遺してきました。

その京都側取り付き口が、「藤尾」です。
現在は、「名神高速・京都東IC」があり、湖西道路の南端「藤尾ランプ」がある。
湖西道路に乗ると、すぐに比叡山系の山が迫ってきて、数個のトンネルに出入りし、トンネルの切れ間から眼下に琵琶湖が望めます。
練習やレースの時は、ここから湖面を見渡し、風の感じを掴みます。

4時前に目が覚めたので、着替えて出発です。
山中をうろうろすることになりそうなので、より軽く機動力の有る「里山VTR250」を準備します。
プロテクターメッシュ上下の上にライフジャケットを着ます。
曇り空で涼しく、全く風を通さないライジャケでも、蒸れが楽で助かりました。

前回給油からの走行距離が250kmを越えていたので、給油します。
中央縦貫道・豊中のESSOで給油しようとしたら、ESSOの割引スティックを忘れていました。
通勤リード110のキーと一緒になっており、忘れた。

割引カードの有る「出光GS」で給油すべく、仕方なく隣接のコンビニに入りました。
ここでの給油を諦め、併設の「セブン-イレブン豊中緑丘2丁目店」で、4:23「味付海苔海老マヨネーズ130円+手巻きおにぎり辛子明太子140円」を購入。
レシートの他に、「ガソリン軽油2円割引券」というのがもらえました。

ラッキー、再び給油ポストにバイクを動かし、レシートバーコードをスキャンさせる。
価格表示が、公道に面して大きく表示されている価格と同じです。
「あれ?おかしいな」と、再びスキャンしても同じ・・・パスしました。
看板に値引きされる金額が、表示されていたのでしょう。
これが、後であんなことになるとは・・・。

出光GSは、中央縦貫道沿いになく、吹田ICから名神高速に乗ります。
VTR250は、給油タンク13L×燃費32km=416km。
350kmは走れるから、最低往復しても大丈夫だと高をくくっていました。

京都東ICで下車し、藤尾の住宅地に入り、湖西道路沿いを北に向かいます。
20160612FuzioS001s.jpg 5:07、「徳丸稲荷大明神」というお宮がありました。
赤い玉板垣の並ぶ階段を上がっていくと、こじんまりしたお稲荷さんがありました。
20160612FuzioS008s.jpg 高台住宅地の西の端で、下を見るとJR東海道線・湖西線が、大津に向かって入る長いトンネルの入口が見えています。
「撮り鉄」さんには好スポットです。

バイクに戻り、道路から鉄道メンテナンスに降りるゲートから、電車を撮ろうと構えます。
道路に腰を下ろし、側溝に足を下ろしながら電車を待ってると、お散歩の方から「おはようございます」
大の大人がちょっとカッコ悪いなと思いながら、トンネルから出てきた貨物列車の走行を撮りました。

最近JR貨物列車をよく見るようになりました。
トラック貨物量が増えているのに、ドライバーが人手不足だとニュースで聞いているので、その関係でJR貨物にシフトが起きているのだろうか?

20160612FuzioS010s.jpg 5:17、「寂光寺」
下調べでは、横に磨崖仏があるとのこと。
早朝のこんな時間帯に見れるかどうかわからないけど。
階段をあがると、近代的なお寺でした。
外観は小さな体育館で、お寺とは思えません。
20160612FuzioS014s.jpg 「南妙法蓮華経」の文字が、如何にも「日蓮さん」の跳ね文字なので、日蓮宗のようです。

横を見ると朱鳥居が登っているので、こちらかな?と思い登って行くと、祠があるだけ。
そこからは獣道で、湖西道路真横に出るようです。

20160612FuzioS017s.jpg お寺まで降り、周囲を探ろうと北に歩くと、民家?とも見える建物があり、『磨崖仏拝観 人員不足のため予約拝観です 寂光寺住職』と、貼ってありました。
前日に申し込むようです。

『藤尾磨崖仏 小関越の途中にあり、古くは「山田堂」「藤尾観音堂」と呼ばれる寺にありました。高さ278cm・幅566cmの横長の花崗岩に、大小15体の像と梵字が彫られてています。
中尊は、像高148cmの阿弥陀如来坐像で、向かって右側に観音・勢至の両菩薩像、左側に地蔵菩薩像が彫られています。阿弥陀如来像の光背外側に「延応2年」(1240)と読めそうな刻銘があり、像の様式から見ても鎌倉時代の作と考えられます。これに対し、他の諸尊は形の小さく、刻法も粗荒なものがあることから、後に追刻したと考えられる。大津市指定文化財』
残念ながら、磨崖仏を拝むことは出来ませんでした。


6/5・京都寺社巡り5 嵐山~広隆寺~新幹線

北に抜け、「京福電鉄・車折神社」駅のベンチで休憩する。
「足が攣ったわ、バッグ取ってきて」と言うので、バイクまで塗り薬を取りに行来ました。
また歩いてくるのが面倒なので、バイクを駅前に回した。
薬を塗ってる間、次々にやってくる電車を映しながら、息子たちが帰省した時の京福電鉄巡りアイデアを披露する。

更に西進し、嵐山手前で、「長慶天皇陵」を見つけた。
天龍寺に出てきたが、ここから嵐山方面は一方通行で行けない。
仕方なく、エンジンを切り徒歩で歩道を行く。
人力車が走り、観光客が多い。

京福電鉄・嵐山駅前にバイクを置き、散策。
観光パンフレットを適当に集めた。
車折神社駅にやってきた教習車が、ホームに入っていた。
以前新婚の長男夫婦と来た時より、更にオシャレになっていた。

嵐山から三条通を東進し、16:18・「広隆寺」。
太秦の地に勢力を張った秦氏の菩提寺です。
太秦は、秦氏が伝えた機織り物(はたおりもの)を「うず高く盛った様」を見て、天皇から「うずまさ」の姓を授かったと言われている。
秦氏の先祖は、秦の始皇帝に繋がるといい、せっかく授かった本姓なのに、地名にとどめ、始祖そのままの姓を通したようにも思う。

京都三大祭の1つ・葵祭は、賀茂氏の氏祭りでした。
京都盆地の北・賀茂氏の氏宮・上賀茂神社北の神山に、祭神が降臨されたのをお祭りしたのを起源とする。

京都盆地は、ゆるく北から南に向かって標高が低くなり、北の峰の湧水が盆地内に泉を成し、どこを掘っても水源に当たると言われるほど、水に恵まれた地です。
賀茂氏は秦氏の支族で、渡来系秦氏は、大陸から先進技術をもたらした。
土木技術もその一つで、京都盆地の西に流れ出て来た桂川は、嵐山で保津川渓谷から開放され、時々大水で暴れまわる。
それを土木水利技術で被害を小さくしてきたのが秦氏で、暴れ川の荒れ地だった太秦他の桂川流域を、本拠地にした。
当然、盆地で井戸を掘ったり、湧水を探したりする技術にも長けていたと考えるのが普通で、それ故、水利への感謝から葵祭は、京都三大祭へと大きくなっていったように思う。

駐車場に入ると、「17時までなのですが良いですか?」と駐車場番人から告げられ、駐車場整理券を渡される。
拝観すれ時、整理券にハンコを押してもらうことで、駐車料が無料になるそうだ。
本殿は、「上宮王院太子殿」が正式名称のようです。

20160605KyotoS133s.jpg 殿上に上がると、立とうと足を伸ばして頑張ってるお孫さんとお爺さんがいた。
可愛い・・・家内が「何ヶ月ですか?」「5ヶ月です」・・・バイバイと別れてから、航くん(長男の2人目)は2ヶ月だから、あと3ヶ月したら・・・なんて話しました。

20160605KyotoS139s.jpg 拝観料700円×2で、宝物殿を見学。
ここの「弥勒菩薩」が、国宝第1号だそうだ。
聖徳太子16才の像・巨大な千手観音像など、平安時代の仏像がずらりと展示されていた。
光量がかなり落としてあり、見づらくもあり、落ち着く感じもあり、ナイスでした。

20160605KyotoS144s.jpg 小さな蓮池から、蓮の葉が勢い良く上に伸びていた。
「蓮の花は散ったのかな?」と言うので、「蓮は7月初旬に咲くよ」と教えてあげる。
蓮の花は、この世で最も美しい花だと思う。
着飾った美しさではなく、素材の美しさ。シミひとつ無いきめ細かな素肌を持つ素肌美人のような美しさ。

20160605KyotoS145s.jpg 僕はどうも、素肌美人に弱い。
食生活や十分な睡眠時間の生活を連想させる。
素肌美人はバランスの良い生活をしてきたので、美しい子を、産み育てるように思う。
「この子は綺麗だな」と思った女性の一人が、家内です。
白人は遠目の美しさはあるが、アップするとそばかすが目立ったりして、日本人女性の美しさには到底敵わない。
蓮の花は、そんな日本女性的な美しさがあり、どんなにアップしても美しい。

20160605KyotoS152s.jpg 閉門17時の5分前に駐車場に戻り、帰路に着きます。
JR京都駅に向け、三条通を東に走り、西大路通を南下しながら、無線会話で「新幹線を見に行こうか」ということになり、往路見つけたスポットに行くことにした。

R171に出て、一路自宅に向け走ります。
17:34、大山崎の名神高速大山崎JCT付近にある陸橋。
横のコンビニにバイクを置き、陸橋を上がってみる。
大山崎IC道路を渡る陸橋ですが、ちょうど新幹線の高さに上がるので、間近で高速新幹線走行を見れる。

15分間隔で「のぞみ」が走っているので、上下線合わせて2~5分間隔で新幹線がやってくる。
チビさんが喜ぶはずです。
僕だって、大喜び。
難点は、新幹線が速すぎて、発見してからカメラのスイッチをオンしてたら、先頭車両がこの場所を通過してること。
スイッチオンのまま待ち、オートシャットオフ状態で切れても、新幹線を発見したらすぐさまムービースイッチを入れることで、先頭車両がこっちに向かってくる場面から撮れる事がわかった。

このまま自宅までタンデムしようと走行したけど、「阪急京都線・水無瀬駅」を見つけ、そこに家内を降ろした。
電車の方が、安全だものね。

ソロになり、R171を帰る。
待ち合わせの伊丹駅に着いて電話したら、「いなかったから、買い物中です」とのこと。
無事家内をピックアップして、19時頃帰宅しました。

6/14・ホタル観賞

梅雨に入り、どんよりした曇り空の日が続きます。
月曜の天気予報をチェックし、火曜日の今朝も・・・。
ホタルは、お化けが出そうなムシムシした、そして風がなく、月が雲に隠れた日に、最も多く飛びます。
「18時以降曇り、風は1m/s」が火曜日夜の予報です。
決定!

職場から家内に連絡し、「ホタルを観に行きませんか?20時出発」を伝えました。
「OK」の返事。
一目散に帰宅し、家内を乗せて北に向かいます。
僕らの毎年の定番のホタル観賞場所は、羽束川です。

r12を北上し、「後川」交差点を、r309「籠坊温泉」の方に右折します。
21時に、ゆっくりといつもの場所に車を停めます。
四輪は、離合に気を使う細い県道ですが、数年前に整備され、路肩を広くした所が数ヶ所あります。

日曜日の20時頃は、それなりに車が駐車していますが、停められない時はない、いい感じのホタル観賞ポイントです。
ここから上流下流数キロに渡って、何処にでもホタルが飛ぶので、「混雑」とは無縁です。

この日はウィークデイなので、車は僕らだけ。
r12「西峠」に上がるとこでもホタルが飛んでたので、期待大です。
車のライトを消すと、走行中チラチラ見えていたホタルが、群と数を増しました。
羽束川の草むらにも、周りの山林にも優しい点滅がゆっくり飛んでいます。

「あそこにいっぱいいるよ」と家内。
小さくお喋りしながら、毎年恒例のホタル鑑賞会が始まります。
上流に歩いて行くと、次の駐車スペースに車が1台停まっており、30mほど離れたとこに黒い人影が2つ、川面を見つめています。
「ここも多いね」「うん」

上流・「篭坊温泉」の方に行くこともあるけど、今回は「小柿渓谷」の方に下ることにしました。
r12を渡り、r37羽束川沿いをゆっくり下ります。
もう一つの好スポットに車を停め、ライトを消すと川面の上の木々に、点滅が浮かび上がります。
ここも僕らだけしかいません。

「後川奥」の永澤寺への分岐を過ぎ、「小柿渓谷」に入ると、道が細くなることもあり、更にゆっくり走りながら、車の前を飛ぶホタルを見つけると、ヘッドライトを消してみる。
すぐに右に並走する羽束川にホタルの点滅が浮かび、窓を開けているので吹きこむ涼風とともに、素敵な時間に早変わり。

対向車数台と、ホタル観賞中の車2台を見ただけの、素敵な2人だけの時間を持てました。
「小柿」の「三田市青少年野外センター」からは、r37で一気に南下しました。
羽束川沿いの道を選択すれば、まだまだ好スポットがあるのですが、夜に弱い夫婦ですし、家内の欠伸も出てきたので、家路を急ぎます。

r323にチェンジし、僕の早朝定点観測スポット「八坂神社」から「波豆川」沿いを南下します。
この日は波豆川にもたくさん飛んでおり、良い日に当たったようです。
r68を渡り、「西谷農協・大池」~r33~r325~長尾山トンネルの早朝バイク定番コースで、10:45帰宅しました。

6/5・京都寺社巡り4 京都大学カフェ~木島神社~斎宮神社~車折神社

多くの人が住んだ京都には、当然葬送地がある。
西に化野に対し、東の鳥辺野。

熊野信仰の三山巡りの道に、「小辺路」「中辺路」という道がある。
「野辺送り」という葬送の言葉がある。
この「辺」という字に、僕は「お墓」の匂いがしてならない。
熊野信仰も、最初は「伊弉諾尊が熊野有馬に葬られた」という故事に始まる。
「お墓への道=辺路」の感じがしてならない。

鳥辺野は、秀吉のお墓がある鳥辺山などの東山の西山麓一帯を指す。
「鳥辺山=鳥葬」を連想してしまう。
チベット仏教では、今でも鳥葬をしているらしい。
死者を高所に運び、鳥に食べられるままにする。
鳥葬で葬る岩が頂きのてっぺんにあり、死者をそこに横たえ、コンドルなど肉食の鳥に食べさせる南米の葬送の跡を、TVで紹介されていた記憶がある。

日本では鳥葬の歴史を、謂れ板などで目にしたことはないが、鳥辺野の地名がチベット仏教から伝わったのかもしれない。
脳内妄想の域を脱しないが、小野篁が通った地獄への入口の井戸が何だか怖くて、行かなかった。
小野篁作の閻魔大王像などは、覗き窓から観るようになっており、「迎え鐘」も撞いてみた。

20160605KyotoS093s.jpg お腹が減ったので、東大路通を北上し、13:30「京都大学カフェ・カンフォーラ」に入った。
今週のランチ594円(ハンバーグ・スープ・サラダ・ライス)×2+限定パフェ500円=1688円。
このお値段なので、ニチレイの冷凍ハンバークをチンしただけなのでしょうが、十分美味しく、待たずに食べれるのが気に入っている。

僕ら夫婦の母校学食は、家内を見初めた思い出のレストランで、卒業後も時々お世話になっている。
大学の学食は破格のお値段で一般の人でも食べられるので、つい学食を探してしまう。

家内は姉と、京大学食で食べたことがあるという。
地下だったと言うが、方向音痴なので、場所を聞いてもチンプンカンプンで要領を得ない。
お隣の席では、教授と院生と思われる学生風の方が、自分の研究のことを相談していた。
あまりにアカデミックな理化学系の単語満載のお話なので、理解不能。
そのお隣の広い席では、修学旅行の班を引率する教師というグループで、パスタとジュースを飲んでいた。
志望校下見も兼ねているのだろうか?

20160605KyotoS092s.jpg 僕らは時計台が見えるガラス窓際の席だったが、目の前の外のテラス席では、小さな女の子を連れたご夫婦がパスタランチを食べていた。
まだ幼児なので、オシャレ感覚なんて本人には皆無なのだろうが、オシャレなお洋服が可愛い。
孫くんは、男の子なのに素敵な洋服をいつも着ている。
お嫁さんのセンスがそうさせるのだろうが、男の子なのだから「ごんたくれ服」で十分だと思っている。

でも女の子なら、やっぱりおしゃれなハイセンスなのがいいな。
素敵なドレスに身を包んでいると、清楚でお上品なレディーになりそうだ。

地図を見て、芸能神社のことを聞いたら、行ったことがないという。
てっきり連れて行ったことがあると思っていた。
適当に西進し、夷川通(家具家筋)を走り「二条城」。
南に迂回し、「三条通」に出た。
ちょうど京福電鉄の路面電車との合流地点でした。

14:22、「蚕の杜・木島神社」
参道前に駐輪したら、参拝を終えて出てきたおじさんに、「たまに駐禁が来るから、参道に入れておいた方がいいよ」と言われ、従った。
20160605KyotoS095s.jpg 渡来氏族・秦氏と、蚕の関係を話しお参りしたら、信心深い女性がお参りに来られ、糺の森の前の禊場で、お賽銭を入れ一心に祈り、禊をするしぐさをしていた。

15:14、「斎宮神社」
斎宮はここで2年間も禊をしてから、天照大神のお世話役んなるそうだけど、湧水でも湧いていたのかな?
ここで生活しながら、インドのガンジス川のように、桂川に通って川浴禊をしていたのかも?なんて話す。

15:24、「車折神社」
玉板垣に書かれた芸能人の名前を見つけながら歩く。
「死んじゃったけど、川島なお美・・・」なんて言ってる。
好きな女優さんだったのかな?
とても綺麗な女性でしたが、亡くなる前の激やせした姿を見せた時、僕はとても残念に思った。
綺麗なままのイメージを残したまま、逝って欲しかった。

20160605KyotoS108s.jpg 藤原紀香の名前を見つけたので、「後輩やん」と言うと、気にもしていない風でした。
家内と付き合い始め、2週間後ぐらいに家内の実家に車で送っていった。
その時、「面白いものを見せてあげる」と連れて行かれたのが、地元の「大和殿」という結婚式場でした。

エントランスを入って左側の吹き抜けのロビーの壁一面に和装の花嫁衣装のモデルさんの写真・・・「わかる?」・・・「私だよ」と家内・・・「ええ~」と度肝を抜かれた。
バブルの頃だったか、大和殿がTV宣伝をしだし、そのモデルが藤原紀香だった。
水着を着て海岸線を走ってる。

その後、あれよあれという間に、関西ローカルモデルだった彼女は、全国区になり、女優になった。
それ以来、「僕のお嫁さんは・・・」と、息子たちにも「お母さんはな・・・」って吹聴している。
またそれを言ったら、「そんなこともあったね」と、至ってクールだ。
僕の自慢なのに・・・

車検と、6/5・京都寺社巡り3 六波羅蜜寺・宝物館~六道珍皇寺

6/10
キャラバンワゴンの車検でした。
総額122000円(法定費用・重量税32800円+自賠責保険27840円+印紙1100円、整備代金51080円+検査手続き代行料9180円)。
整備代は、消耗品交換などグッドコンディションで乗るために必要な経費だけど、重量税をこれだけ払ってるし、加えてガソリン税もあるのだから、高速道路は無料でいいんじゃないかと思うんだけどなあ。
人や物が動くので経済が上向き、国の所得税が増えるだろうに・・・

バッテリーが、そろそろ限界と言われました。
寿命の2~3年を遥かに超えて使っているので、なかなか壊れないなと思っていました。
今まで同様、GSユアサだと思ってたら、パナソニックと言われたので、ディーラー交換しませんでした。

そこで、近所のオートバックスに行ってきました。
店頭に、ボッシュとオートバックスオリジナルと日立が並んでいました。
GSユアサはないのか聞いたら、取り寄せだとのこと。

仕方なく、日本製がいいかと思い日立にしました。
11800円+工賃540円。
ボッシュとオリジナル品は、25000円~30000円と高く聞いたら、長寿命だとのことでした。
「日本製の普通」が好きなので日立にしたけど、最も安かった。
寿命はどれくらいなのかな?

バッテリー交換中に、2Fのバイクワールドに上がり、通勤リード110のボディカバー・3980円を買いました。
このバイクは野天置きなので、ボディカバーが必要です。
前カゴとGIVIリアボックスベースを付けた上から使うので、リード110用Mサイズの一回り大きなLサイズにしました。
PCX用サイズです。

-----6/5 続き
12:42、「六波羅蜜寺」
20160605KyotoS065s.jpg 『951年、疫病平癒のため空也上人が開創された真言宗智山派寺院。空也上人自刻の十一面観音立像(国宝)を本尊とする。空也上人は醍醐天皇・第2皇子で、若くして出家し、歓喜踊躍しつつ念仏を唱える六斎念仏の始祖である。
往時は寺域も広く、平家の館や鎌倉幕府の探題が置かれるなど、源平盛衰の史跡の中心でもある。空也上人立像・平清盛坐像・弘法大師像など、数多く重要文化財を安置する。境内の十輪院が、仏師運慶一族の菩提寺であったことから、本尊脇に祀られていたという運慶・湛慶坐像も所蔵している』

20160605KyotoS071s.jpg 拝観料600円×2で宝物館に入り、上記の仏像を拝ませてもらった。
部分修理を続けてきたのであろうが、ずらりと平安時代製作の仏像が、大きな痛みなく見事な姿を見せていた。
清盛は読書する姿の像で、珍しいなと思った。
運慶像は、頭頂部がとんがっており、このような頭の赤ちゃんを見たら、「運慶みたいだね」と言ってあげよう。
ひょっとしたら、それに悩んでるかもしれないから・・・

家内実家の法要で、お寺さんから「六波羅蜜」の話を聞かせてもらった事があり、ずっと訪問してみたいと思っていたお寺です。
曹洞宗開祖・永平寺開山の道元禅師(1200~1253)が、1243年ここで説法されたそうです。

20160605KyotoS077s.jpg 13:08、「六道珍皇寺」
『建仁寺塔頭で、六道さんとして親しまれている。この地は、かつて死者を鳥辺野へ送葬する野辺送りの場所で、「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世との境と言われていた。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つの冥界のことで、本堂裏の井戸は、昼は嵯峨天皇・夜は閻魔大王に仕えた小野篁(たかむら)が、冥土に通った入口だった。
創建は定かでないが、平安・鎌倉時代は東寺に属して隆盛し、そのご衰退した。室町年間に、建仁寺の僧・良聡によって再興され、臨済宗に改められた。薬師堂に、本尊薬師如来像(重文)、閻魔堂に小野篁作・閻魔大王像と等身大・小野篁像が祀られている。
8/6~10まで、「六道まいり」が行われ、先祖の精霊をこの世へ呼び戻す「迎え鐘」を衝く参拝者で賑わう』

20160605KyotoS078s.jpg まだまだ、祟り・呪詛などが信じられ、それを生業にした密教僧や修験道山伏などがたくさんいた時代に、死者を葬る地に近接して住んだ小野篁という人物は、それなりの雰囲気を漂わせていたのだと思う。
数年前、隠岐の島ツーリングに行った時、偶然「小野篁流刑地」と書かれた道標が現れ、緊急停止して探索したのを思い出します。
流刑されたことを、知りませんでした。

6/11・「とと姉ちゃん」・星野くん

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」で、ヒロイン・常子と相思相愛だった帝大生・星野くんが、大阪の大学に職を得て旅立っていった。
その前に、星野くんは常子に「一緒に大阪に行かないか」とプロポーズしたが、常子は妹達の学費を稼ぐ道を選び断ってしまった。

汽車に乗って東京を離れていく星野くんの目に、河川敷から汽車を見上げる常子の姿が飛び込み、窓を開けて大声を上げ、大きく手を振って別れを悲しんだ。
映画やドラマによくあるベタなシチュエーションですが、また涙が溢れてきちゃった。

家内が朝洗った髪を乾かし部屋に入ってきて、「また泣いてる~」って。
僕は感動屋で涙もろい。
役どころが気に入っていた星野くんが消えてしまった・・・また登場するシーンがあるのかな?
回想場面にしか登場しなくなるのかな?

星野くんは、誠実な青年だけど、押しが弱い。
パワフルな所もなく、前面に立って皆を鼓舞したりするリーダータイプでもない。
どちらかと言うと、少し引いているタイプ。
でもなんか信念みたいなものを持ってる感じがして、何につけやってはいけない、あるいは自分で決めて最後の一線は、絶対に越えずに思いとどまる強さがある・・・ように思う。

僕は、「可愛いな」と思っても、「好きです」なんて言えないタイプで、脳内妄想では積極的なのに「どうしようかな~」と優柔不断なとこがあり、何度も後悔しました。
大学1回生の時、学館食堂で家内を見初め、家内と同じ学部の友人から家内のことを聞いていたけどウジウジ見惚れていたで、学年が上がって見かけなくなり後悔しました。

それが神のお導きで、4回生になり大学外での資格試験講習会場で偶然見つけ、そこからは積極的に動けました。
その日のうちに昼食を誘い、1週間で手をつなぎ、講習会が終わる2週間後には家に伺いました。
結婚を決めプロポーズするまで、2ヶ月でした。
星野くんも、東京を離れるときにプロポーズでき、ナイスです。

家内が、「星野くん、あなたに似てるね。そしてたーくん(次男)にも似てる」と以前言っていた。
典型的なリーダータイプの長男の性格に憧れるけど、僕にはそれがない。
僕も、次男は僕に似てると思る。
僕も、いつの間にかリーダーになってるけど、次男もいつの間にかリーダーになってる。
彼は、「ついてこい型」ではなく、長男のように「みんなが周りに集まってくる型」でもなく、「調整型」リーダーです。

家内によると、声の大きな男性や体格の良い男性は、ちょっと怖い感じがして苦手だそうです。
僕みたいに、威圧感のないゆっくりおしゃべりの人の側が、気楽で居心地が良いそうです。

星野くんをやってる俳優・坂口健太郎さんは、知らなかった人だけど、昨日のNHK朝イチのゲストで来られていた。
朝イチは朝ドラ直後の番組だから、すぐわかったけど、家内は「この人だれ?」ってわからなかった。
ナマの坂口さんも、星野くんの役柄に似た雰囲気があり、人気が出そうです。
モデル出身だと紹介されていました。
女優さんも男優さんも、最近はモデル出身の方が増えたように思う。

今回の朝ドラにも、モデルがいます。
雑誌「暮しの手帖」創刊者で、「暮しの手帖社」の社長さんがモデルだそうです。
このドラマが始まる前の宣伝で、「雑誌編集者がモデル」と聞き、間違ってたけど羽仁もと子さんがモデルだと直感しました。

羽仁もと子さんは、「婦人之友」を創刊し、「自由学園」という全寮制の大学を創立した教育者です。
インテリの母が「婦人之友」愛読者で、羽仁もと子さんが創立し、全国展開している幼稚園「幼児生活団」に僕を入園させた。

自由学園同様、他と一線を画する教育方針で、僕が幼児時代という大昔に、4・5・6才の3年間保育で、自宅から1人で通うことが義務付けられていました。
入園初日は園まで母親に付き添われますが、1週間後には最終バス停までになり、1ヶ月後には自宅から1人で通います。
4歳児が首から複数の定期券をぶら下げ、胸に住所を書いた名札をつけ、電車とバスを乗り継ぎ、1時間弱の通園時間を通います。
今じゃ考えられない教育方針ですが、おかげで僕は危機になるほど冷静に対処できるようになりました。

小学校低学年で、夏休みになると幼稚園児の弟を連れて、兵庫県から北関東の父の実家まで帰りました。
道順は書いてもらいますが、分からなくなったら駅員さんに聞き、一度も迷子になったことはありません。
そんなこんなで、今回も「朝ドラ」を楽しんでいます。

6/5・京都寺社巡り2 豊國神社~方広寺~安井金比羅神社

「麒麟」は、空想上の霊獣ですが、元は「麒」と「麟」の2頭でワンセットだったそうです・・・知らなかった。
人に伝わって行くうちに1頭になってしまったのだとか。
長男は麒麟系企業に勤めていますが、知っているのかな?
もう一つの霊獣「鳳凰」も、最初は「鳳」と凰の2羽だったそうです・・・勉強になります。

俵屋宗達の名が出たので、「建仁寺の風神雷神図だよね」と小声で家内に確かめると、「狩野派じゃないの?」との答えが帰ってきました。
狩野派ではなかったはずと、記憶を確認するために、拝観を終えてから、京都観光案内本で建仁寺を探し確かめてみました。
やはり俵屋宗達で、僕の記憶の方が正しかった。

こういう話が出来、「後白河法皇が院政したのがここにあった法住寺で、平家物語の・・・」なんて話も、興味を持って聞いてくれ、僕の思い違いを指摘してくれる家内は、最高の旅の友です。

「養源院」からも、次に訪問した「法住寺」からも、隣接する後白河法皇御陵は、全く見えませんでした・・・残念。
バイクに乗り、七条通の信号を待っていると、京都女子大へ学生を運ぶ「プリンセスライン」のバスが横切りました。
さらに天井の開いた二階建てバスも。
家内が後ろで、「可愛い」「乗りたい」と喜んでいます。
20160605KyotoS029s.jpg 「京都国立博物館」の重厚な建物が素晴らしい。

国立博物館角を北に折れ、「方広寺」に向かいます。
11:57、「豊國神社」
白無垢のお嫁さんが、タクシーに乗り込もうとしています。
後部座席の天井が半分折り上がり、角隠し・綿帽子に気を使わずに乗り込めます。

20160605KyotoS033s.jpg 
20160605KyotoS038s.jpg 伏見城から移築した素晴らしい神門から中を見ると、椅子を片付けています。
先ほどの白無垢お嫁さんは、午前中にこの神社で式を挙げ、披露宴会場に向かうためにタクシーに乗ったのでしょう。

徳川家が、豊臣家を滅ぼす大戦争に発展した「方広寺の鐘」を見に行きます。
家内は実物を見るのが初めてです。
僕だって、4月に見たのが初めて。
歴史的にとても重要な鐘なのに、徳川260年の間に豊臣家関連に、陽が当たらなかったからか、訪問客などいません。
秀吉・秀頼2代に渡って心血を注いだ「方広寺」自身、ひっそりとしています。
20160605KyotoS044s.jpg 白く囲まれた「国家安康」「君臣豊楽」が、歴史を伝えています。

12:17、「安井金比羅宮」
4月に訪問し、「縁切り」という珍しいコンセプトの神社の日中の人出を見に来ました。
境内は賑わっていました。
20160605KyotoS051s.jpg 着物をお召しのカップルもいます。
御札に願いを書く場所には、人が数人座り、胎内くぐりし札を貼る像には、列ができています。

『縁切り縁結び碑について 中央の亀裂を伝って神様のお力が、下の穴に注がれています。穴をくぐり抜け、そのお力を受けていただくことによって、悪縁が切れ良縁が結ばれます。まず、お願いごとを「身代わり御札」に書き、願い事をしながら碑の中央の穴を表からくぐり悪縁を絶ち、続いて裏からくぐって良縁を結び、最後に御札を碑にお貼りください。御札1枚につき、100円程度のお志をお賽銭箱にお納めください』

碑に貼られた御札にも、絵馬掛けに下げられた絵馬にも、リアルな現実が書かれています。
「・・が孫の養育費を払い、・・家との縁が切れますように」
「・・との離婚が成立し、当方の希望通りの新しい人生が始まりますように」と・・・

「病気との縁が切れ、・・が望む人生が送れますように」などの病気との戦いを連想させるものもある。
良縁にご利益がある神社は多いものの「縁切り」を謳う神社は少なく、人気があるのでしょう。
「私は縁切りしたくないよ。今とても幸せだもの」と家内が微笑んでくれ、僕はホッとしました。

バイクに乗り、「六波羅蜜寺」に向かいます。
京都の街中あちこちにある「着物レンタル屋」さんを激写。
『着物レンタル3000円より。 ご予約なしでも、お気軽にどうぞ』
家内によると、1枚ものだから浴衣生地のようです。
今の季節は、このぐらいが涼しくて良さそう。
裏地のあるしっかりした着物をお召しの女性もいました。
5000円コースかな?
京都は、市街地あげて、「着物割引」(寺社拝観料100円引き、お食事5%引など)があるので、1000円ぐらいは取り戻せそう。

12:42、「六波羅蜜寺」

6/5・京都寺社巡り1 養源院

先週に続き、「京都一周トレイル」の2回目、東山コースの「銀閣寺~比叡ケーブカー駅間」トレッキングを、計画しました。
週間天気予報では「くもり」だったのに、前日・土曜日の夜から雨になり、安全のために中止しました。
京都寺社巡りに変更です。

夜明け頃、目を覚ましましたが、屋根を打つ雨音が聞こえます。
予報では10時には雨が上がり、午後は晴れてくるそうです。
当初の出発予定6時、そして7時と外に出て観天望気しましたが、まだまだです。
8時になり、雨の勢いが落ちてきたので、出発することにしました。

まだ小雨が降っているので、カッパを着て、通勤リード110にタンデムし家を出ます。
8:56、御用達の伊丹産業エッソで給油、158km/3.94L=40.1km/L。
家内をJR北伊丹駅に下ろし、僕はR171で一路、京都を目指します。

小雨は高槻に入る頃には止みましたが、少々肌寒いのでそのまま着ているのが快適です。
天王山を越え、京都に入ると、再び小雨が落ちてきました。
小雨といってもカッパを着る程でもない。

待ち合わせのJR京都駅・八条側に到着し、電話を掛けると、家内は既に着いており、頼んでおいた京都の地図をコンビニで買っている最中でした。
母親が買った京都観光ガイドブックのページに書かれている地図を、ずっと利用しており、この日も持ってきましたが、昔ながらの1枚ものの蛇腹地図を購入することにしました。
一見して、目的地の位置関係がわかって便利です。

タクシー乗り場が拡張され、一般車両の待機場所がありません。
困ったなとタクシー乗り場を隔てた道路脇に停めていると、家内の紅いカッパが目立ち、家内も僕を見つけたようで手を振っています。

難なく家内をピックアップし、八条通を東進し、竹田街道でJR線をまたぎ、七条通で鴨川を渡り、三十三間堂の角を南に入り、「養源院」前にバイクを停めました。
10:51、平家物語の準主役「後白河法皇」の御陵に参ろうと思ったら、土日祝日は、参道のゲートが閉門だそうです。
ガッカリです。
自らが作った三十三間堂の隣に、天皇時代に住んでいた御所・内裏を出て、ここに建立した「法住寺」に住み、院政を敷きました。
平家物語では、幾度も登場する重要な地です。

20160605KyotoS002s.jpg お隣の「養源院」に入ります。
20160605KyotoS003s.jpg 既に観光バスが6台も入っていた「三十三間堂」横なのに、こちらは団体さんが来られないから、静かです。
20160605KyotoS006s.jpg 石畳の参道に若葉紅葉が覆いかぶさり、秋が綺麗に紅葉しているでしょう。
でも若葉の季節の紅葉も好きだよ。

20160605KyotoS007s.jpg 本堂入口に、徳川家の菩提寺らしく「三つ葉葵紋」の「のれん」が下がっています。
20160605KyotoS008s.jpg 拝観料500円×2を払って中に入り、ちょうど始まった説明案内グループに入りました。
ここは、「関ヶ原合戦」の前哨戦があった伏見城の戦いで、石田三成軍に包囲され、全滅した徳川家康と一緒に育った側近中の側近・鳥居元忠の血塗りの床天井で有名です。

説明があると、とても良くわかります。
養源院は、秀吉の側室・淀君が、父・浅井長政と祖父・浅井久政の供養のために、秀吉にねだって建ててもらったお寺だそうです。
大坂夏の陣で、豊臣氏が滅んだ4年後、火災で焼失した。
それを、徳川2代将軍・徳川秀忠の正室になっていた淀君の妹・江が再建し、大坂夏の陣で自刃した姉とその息子・豊臣秀頼の菩提を弔った。

豊臣氏を弔うのに寺院再建という大きな出費が伴うので、鳥居元忠以下、伏見城で徹底抗戦し武運なく討ち死・自刃した将兵を弔う徳川家菩提寺という形で再建した。
説明によると、鳥居元忠自身の血で魚拓のように残された伏見城に床は、リアルな染みになっていた。
床天井には、明らかに指の形に見えるものなど、多くの染みが残っている。

2000名の将兵で守っていた伏見城に、石田軍4万が囲み、多勢に無勢。
ですが、10日間以上持ちこたえ善戦します。
最後に残った300名を集め、「これまで」と将兵の自刃を見届けた後、鳥居元忠自身も自刃したとのこと。
その200名ほどの床板がここの天井として、葬られているそうです。

その他の床板は、京都を囲むように幾つかのお寺に、床天井として葬られており、「徳川氏に奉公したら、末代まで大切に祀るよ」と、天下にしたそうです。
紹介された幾つかのお寺の中には、既に訪問したお寺がありましたが、血天井はスルーしていたようです。
血天井をしっかり紹介しているのは、「養源寺」のみだそうです。

俵屋宗達筆の「像の襖絵」「麒麟の襖絵」なども、丁寧に紹介されました。
僕の好きな聖天歓喜天を祀る部屋があり、その前の提灯には、代名詞の「大根」が染め抜かれていました。
聖天歓喜天は、男女和合の仏で、インドから伝わった像の顔を持ったガネーシャが変化したものです。
それで、それを祀る部屋の襖絵が像なんだと合点しました。


5/29・家内のスマホと、お嫁さん出産態勢へ

空が曇って来ましたが、雨になる17時までには余裕なので、座れないかもしれない新快速をパスし、各駅停車・快速でJR尼崎へ。
ここで宝塚線に乗り換えて伊丹下車。
代替輸送表示で、特別快速・塚口行なる臨時列車が出ていました。
どこかの他線が、止まっているのかな?

駅で通勤リード110に乗り換え、ドコモショップへ。
家内が、「スマホに変えようかな?」と相談です。
かけ放題・メール・ネットし放題で基本料金が6000円を超えるので、「そんなに使わないわ」とガラケー継続利用を続けることにしました。

PC・電話が常に横にある事務仕事の僕も、携帯電話自体休日にしか電源を入れないので、スマホなんて必要なしです。
現代の学生は必需品になってるので、息子たちも持っていましたが、僕の学生時代はありませんでした。
月6000円×12ヶ月=72000円×10年=72万円。
車が買えちゃうよね。
新車販売広告に、「月々6000円」なんて文言が踊っています。
携帯電話は、車が買えるほどの高額品です。

帰宅したところで、雨が降ってきました。
映画DVD「notebook・きみに読む物語」を観ました。
大好きなラブストーリー作家・ニコラス・スパークスの出世作の映画化作品で、家内は初めてでした。

ヨットの映画として、映画「メッセージ・イン・ア・ボトル」を家内と観に行って、原作を読み、この作家にハマりました。
映画化された作品をDVDで6本も持っています。
小説は、10冊以上読んでると思う。
家内はすごく感動し、全部観るねとリクエストしてくれました。
またまた、楽しい1日でした。

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次男が、数年前の「母の日プレゼント」として送ってきた「あじさい」が咲きました。
「写真を撮って送っておいて」という家内からのリクエストに応え、山歩き写真とともにメール添付しました。
息子たちが離れて住んでいるので、親の様子を知りたいだろうと、月に2回ぐらい、僕ら夫婦・息子たち夫婦のメーリングリストに投稿しています。

次男のお嫁さんから、「今週末で産休に入ります。・・さん(次男)が、レストランでご苦労さん会をしてくれるそうです」と、返信がありました。
出産予定日の2ヶ月前です。
出産後3ヶ月ぐらいで、職場復帰するんじゃないかと予想しています。

次男も粋なことをするな・・・僕なんて何にもしなかったし、家内は出産前日まで仕事に出ていた・・・

5/29・京都一周トレイル 蹴上~大文字山~銀閣寺 その2

分岐を左に、「大文字山」を目指します。
道は平坦だったので、急坂登りは終わりかなと思ったけど、雨の後は登りづらいだろうと思える山道上りが続いていました。

8:55、東山・35。
ここから、斜度がマシになりました。
20160529DaiS082s.jpg 枝尾根歩きという感じです。

9:00、東山・36。
伊勢神宮遥拝所への階段から、後続の方に抜かれるようになりましたが、この辺からそれが増えました。
当初、六甲山登山道のように、多くのハイカーが歩いていると思ってたのに、あまりに少なく安全面での不安がありましたが、多くなってくると安心です。

20160529DaiS084s.jpg 9:01、「東山第19峰・神明山・218m」
ピークハントしました。
でも大文字山は465mなので、まだまだ登りが残っています。

9:05、東山37。
20160529DaiS087s.jpg 9:09、神明山からの下り基調の底が、「七福思案処・東山38」でした。
20160529DaiS089s.jpg 5差路になっており、メインルートの「日向大神宮」・「大文字山」の他に、「御陵・みささぎ」に下る道、「南禅寺」に下る道、そして、日向大神宮から天岩戸経由でここに至る道が集まっています。
天岩戸ルートでは、神明山ピークをパスするので、きっと楽ですね。

また登り基調になります。
でも息が弾む程の勾配はなく、淡々と尾根道を歩く感じです。
9:11、東山39。
ここからも南禅寺と御陵に下る道があります。
『カシノナガキクイムシにより枯死した樹木を伐採処理した跡地です。このまま放置すると鹿などの食害により植生が回復しないので、防鹿柵を設置し、自然な植生回復を図っています』との説明板が立っていました。

9:16、山科盆地が木々の切れ間から望めるようになってきました。
「クロバイ」「コナラ」「ナギ」、簡単な説明が入った樹木名板が設置されている。
「なぎ」は、熊野権現のご神木で、その葉を懐中にし熊野詣すると、旅の安全を守ってくれるそうです。
ナギは凪につながり、海路熊野詣の安全にも繋がるのだそうです。
神社でお馴染みの榊同様、日本の典型的な葉っぱの形をしています。

平坦な道や岩の多い坂道を歩き、少しづつ標高を上げます。
山科盆地が見下ろせる場所で休憩していると、男性若者3人組が追い抜いていった。
「こんにちは」、山道で人に会うと、安心する。

9:40、東山40。
9:47、東山41。
9:51、京都盆地が眼下に見えた。
20160529DaiS123s.jpg ここで休憩しようと、家内を待ってると、見向きもせず先に行っちゃった。
慌てて追いかけて、10:05、東山42。
10:13、東山43.1。
10:24、東山43.2。
10:37、東山44.1。
10:39、東山44.2。

10:42、視界が開け、未舗装林道と交差しました。
ナラ枯れ再生のため通された林道だそうです。
荷と人員をここに上げ、大規模に伐採・植林をしたのでしょう。
まだ作業中なのかもしれません。

10:49、東山45。
ここで、メインルートは、「鹿ヶ谷」に下ります。
直進は、大文字山山頂。

鹿ヶ谷は、公家の別荘があり、太平記で後醍醐天皇の意を受けた公家が、鎌倉幕府倒幕の陰謀を巡らせた場所です。
興味津々だけど、家内の「せっかくだから、大文字山に登らなきゃ」の従い、直進。

20160529DaiS153s.jpg 10:55、「大文字山」ピーク・465m。
大勢の人です。
京都側の木々が払われ、ベンチが数組設置されています。
森の中にもベンチがあり、日差しを避けて休憩する方もいます。
お弁当を食べている方もいます。
眼下に広がる京都盆地をバックに、記念写真を撮りました。
20160529DaiS159s.jpg 花ハチが飛んでると思ったら、アセビのような樹花が咲いていた。

20160529DaiS161s.jpg ここから、銀閣寺まで下りです。
11:32、大文字・火床。
20160529DaiS164s.jpg 頂上より低くなったので、京都の町が迫力を持って迫ります。

20160529DaiS173s.jpg 「大」文字の交点に下ると、5歳ぐらいの幼児と、赤ちゃんを抱っこした綺麗なお母さんが、友達お母さんとしゃべっています。
笑顔満点で、とても元気。
家内が、自分にはとても出来ない芸当だと、驚いています。

20160529DaiS178s.jpg 11:42、長い階段を下ります。
銀閣寺側から登ると、勾配の急な道を上り、勾配が楽になった最後に、ドーンと一直線の長い階段が現れ、ゲッソリするポイントです。
3時間半も歩いて、足が疲れているので、気をつけて下らなければいけません。

11:59、森の中の一休みポイント。
お地蔵様がいます。
12:18、銀閣寺川上流の沢を渡り、コンクリート舗装路に出ました。
12:28、湧水ポイント。
20160529DaiS195s.jpg 冷たい~。
12:38、分岐を朝鮮学校の方に行くと、「中尾城址」らしい。

20160529DaiS205s.jpg 12:41、「銀閣寺」
地図では、3時間半の行程でしたが、4時間40分で走破です。
僕らはとにかく休憩が多いので、+1時間と予想していました。
予定通りです。
20160529DaiS206s.jpg 門前街は、大勢の人。
20160529DaiS207s.jpg 振り返ると、下りてきた「大文字」

「銀閣寺」門前ストリートにある「松葉亭」というところで、昼食にしました。
浴衣地着物姿の女の子3人組がお食事中で、着物を着ると佇まいが日本的女性美になってる。
清楚でおしとやかな日本女性は、着物が作ったようです。
家内は丼、僕は丼とそばのセット定食です。
「銀閣寺」停留所から、京都市バスに乗ってJR京都駅へ。

5/29・京都一周トレイル 蹴上~大文字山~銀閣寺 その1

家内も休日なので、2人で京都東山トレッキングをすることにしました。
いつものように、用意ができ次第出発。
6:15、通勤リード110にタンデムし出発。
JR伊丹駅駐輪場に、200円で預けます。

ICOCAに3000円チャージして電車に乗ります。
JR宝塚線~JR尼崎で、新快速に乗り換え、大阪~新大阪~高槻~京都~山科で下車。
甥っ子が今年入学した大学が見えます。
家内の姉もこの大学出身で、そこのサークルで知り合った旦那さんと結婚しました。

義理兄は卒業後、別の大学に進学し、赤ちゃんを抱えた姉が働き、家内実家が支援しながら卒業しました。
結婚前の僕と家内は、家内実家からの支援物資を車に積んで、何度か姉夫婦の家を訪問しました。
気さくなご夫婦で、こんな方と兄弟なら100点満点だと思いました。
今でも素敵な夫婦です。

先週もこのトレッキングを計画し、義理姉夫婦と姉夫婦の長男夫婦を誘いましたが、仕事でご一緒できませんでした。
ここで地下鉄東西線に乗り換えます。
蹴上で下車。
山中、トイレがないようなので、ここで済ませます。

8:01、外に出るとツツジの花が目に飛び込んできます。
我が家の垣根のツツジも紅い花を楽しませてくれています。
5月は、藤とツツジですね。
電柱に、「蹴上(日向大明神経由)~大文字山頂」の案内板がありました。

8:02、「蹴上捻じりマンポ」
20160529DaiS003s.jpg 隧道内のレンガのねじれが美しく、毎回写真を撮っています。
隧道を抜け、真っすぐ行けば南禅寺ですが、抜けたとこをすぐ右です。

「京都一周トレイル」の案内板があります。
左手に、明治時代に琵琶湖疏水という大工事を成し遂げた田辺朔郎の銅像が立っています。
右手はインクラインです。

インクラインを歩いて上がると、突き当りのようになりますが、ここはT字路で、右に行けば、蹴上駅前を通る三条通。
インクラインをパスするなら、こちらの道の方が近道です。

8:08、「京都一周トレイル・東山32」と書かれた統一案内板が立っています。
この案内板が、要所要所に立っており、迷うことなく山中を歩けました。
左に進み、琵琶湖疏水を渡ります。
20160529DaiS020s.jpg この橋の上から、疎水を使った水力発電所が見えます。
田辺はここで電気を作り、日本初の電車を京都に走らせました。

8:13、「大日山墓地」との分岐。
ここにも案内板があるので迷いません。
ここを過ぎると、もう周辺は森です。
コンクリート舗装の道を、ブラブラ登ります。

8:19、「日向大神宮」
『清和天皇の勅願によって、天照大神を粟田山に勧請したことに始まる。応仁の乱で焼失したが、寛永年間1624~44に再興された。境内の最奥に建つ内宮本殿は、桁行1間・背面2間・梁行2間の神明造り。両脇に棟持柱を建て、屋根の棟に内削ぎ千木と堅魚木8本をのせている。本殿前方の四脚門の屋根にも内削ぎ千木と堅魚木6本がのり、両脇に板垣が取り付き、内宮の敷地を区切っている。内宮前方一段下がったところに建つ外宮・四脚門は、内宮とほぼおなじ規模・形式ですが、千木外削ぎで、堅魚木はそれぞれ1本少ない。造営は不明ですが、18世紀にはすでに建っていたことがわかり、部材が一部取り替えられているものの、市内では例の少ない神明造り本殿として貴重。御門と板垣で敷地を区画する社殿構成は、古代を伝えている』

『23代顕宗天皇の御代に、筑紫日向の高千穂の峰の神蹟を移して創建した。天智天皇は鎮座の山を「日御山・ひのみやま」と名付け、清和天皇が勅願し、醍醐天皇は延喜式で官幣社に列し給いました。建武の戦乱中、新田義貞が戦勝祈願し、良馬と太刀一振りを奉納した。応仁の乱で、社殿・古記録は焼失したが、禁中より修理代を賜り、社殿が再興された。後陽成天皇から、内宮・外宮の額を賜う。
慶長年間、徳川家康公から神領を加増され、社殿の改造が行われた。後水尾・中宮東福門院が修理料・ご神宝を賜う。中御門天皇は、亨保14年本宮修理に際し、神祇官を遣わした。後桃園天皇は、度々御代拝を遣わした』

20160529DaiS037s.jpg 階段を上がると、素敵な境内が目に入ってきました。
20160529DaiS063s.jpg 厚手の茅葺き神殿作りが、重厚感と洗練されたカッコ良さを伝えてきます。
周囲を森に囲まれ、とても清々しい空間です。
「天岩戸」への案内板と33-2案内板があります。
天岩戸へはすぐで、2ルートの分かれています。

8:29、「天岩戸」
20160529DaiS057s.jpg 岩がL字にくり抜かれており、中央に簡易拝殿がありました。
ここから南禅寺まで40分だそうです。
日向大神宮に戻り、「伊勢神宮遥拝所」の道標に惹かれ見学しようと思ったら、道が下り、その先に長い石段が見えています。

20160529DaiS071s.jpg 諦めて、8:40元の道に下り、「京都一周トレイル」メインルートに従うと、さっき見えていた階段に至りました。
20160529DaiS073s.jpg ストックを準備し、長くつづら折れの階段を上がっていくと、8:50遥拝所との分岐に出ました。
20160529DaiS075s.jpg 階段下の表示では、遥拝所まで10分となっていたので、分岐を右に行けば数分でしょう。


5/28・サミット・オバマさん広島訪問

昨日の昼休み、いつものように自宅に戻りTVを点け昼食を食べました。
ちょうど、TVでは、伊勢志摩サミットの映像をライブ中継していました。
安倍首相が内宮の大きな橋の袂に、各国要人を迎える態勢をとっています。

そこにフランス国旗を付けた黒塗りの車列がやってきて、SPに守られたオランド大統領が下りてきます。
安倍さんが笑顔で出迎え、オランドさんだけが歓迎の幼稚園児の中に入っていき、記念写真に収まっています。
そして、橋を渡っていく。

カナダのトルドー首相は、スマートで背が高くイケメンです。
「トルドーさ~ん」と呼ぶ女性の声がたくさん。
羨ましいな。

セキュリティーの関係か、時間を置き、1人ずつやってきて、橋を渡っていく。
最後に更に間合いを空け、オバマ大統領がやってきました。
安倍さんと2人並んで、話をしながら橋を渡って行きました。
こんな午後の時間帯に伊勢にいて、夕方に広島に行けるのだろうかと思いながら、TVを見ていました。

安倍さんは、他国首脳と並んでも絵になります。
落ち着いて対応されており、素晴らしい首相だなと思いました。

夜のニュースでも翌朝のニュースでも、見たかったオバマさんの広島演説はショートカット版でした。
残念だなと思っていたら、NHK「週刊ニュース・深読み」で、献花する場面、挨拶ノーカット、被爆者との握手ハグ会話場面がノーカットで流れました。

それらの映像を家内と一緒に見ながら、涙が溢れてきました。
僕は広島で生まれたわけでも、広島に親戚がいるわけでもありませんが、ここを訪問し献花し、スピーチと被爆者をハグしたオバマさんの大英断に、感謝感激しました。
原爆投下の是非は、アメリカ国内で戦後はずっと「原爆投下が、戦争終結を早め、その後のさらに大きな犠牲者を出さなかった」という有意義説が圧倒的でした。

71年経ち、当時の極秘資料が次々に公開され、戦争終結は「無条件降伏にこだわらなければ、4月に終わっていた」という事実が明らかになっています。
太平洋戦争の開戦自体、政府部内に入ったソ連コミンテルンの影響が大きかったことがことがわかっています。
戦争中・戦時中の日本政府内のそれを知ったアメリカは、戦後すぐにアメリカ国内の「赤狩り」により、アメリカ政府内から自由主義陣営同士の戦いで共産主義を台頭させようとしたソ連の代弁者勢力を逮捕したり国外退去させています。

オバマ大統領の広島入りに際し、原爆ドーム前で、「韓国人被爆者の会」が主催するデモ隊が、「オバマ大統領は、謝罪なしに広島入りするな」と主張した。
それに対し「在日特権を許さない市民の会」が、小競り合いを起こし、警察が分けたニュースがあった。
被爆者を含め、多くの現広島市民が、オバマさんの広島訪問を歓迎しているのに・・・韓国朝鮮人と日本人の大きな思想の違いを感じた。

去年、鳩山元首相が韓国に行き、独立運動家追悼モニュメント前で、白手袋をした姿で土下座した姿に衝撃を受けた。
今回のオバマ大統領が、もしそういうことをしたら、僕はとても悲しい。
オバマさんは、大戦当時生まれてもいない。
それ以上に、考え方の違いがあるにせよ、一国の代表者に土下座させる屈辱を与える国民性に憤慨する。

「深入り」で流されたオバマさんとハグした被爆者代表の方のハグ後のインタビューで、オバマさんの広島入りに感謝する言葉と、未来志向の言葉が並んでいた。
これを聞きながら、ごく普通の日本人としての言葉だなと思いました。

広島・長崎の一般市民の上に落とした原爆は、明確な国際法違反だと思っていますが、当時生まれてもいなかったオバマさんに謝罪を求めようとは思いません。
戦争という異常時での出来事で、もう71年も前のことです。

韓国から、「天皇が訪韓し、土下座したら許す」なんてニュースも目にしたことがあります。
他国の国家元首に土下座させて、本当に嬉しいのだろうか?
僕も最も嫌いな「弱い者いじめ」そのものに見える。
朝鮮・韓国人のいつまでも忘れない「恨み思想」ではなく、人のいい所を見つけようとする日本人的な感謝の思想で、これからも生きていきたい。

2つの原爆投下は、多くの犠牲者を出した。
原爆を使わなくても・・・
終戦を模索した4月の時点の日本政府案の唯一の条件「国体維持の保証」を、連合国側が飲んでいれば・・・
結局、戦後欧米は多くの植民地を失ったのに、共産ソ連のみが、東欧に共産主義を拡大し、日本領土も終戦直前の半月で占領し得をした。
そんな戦争だったように思う。

もし原爆が使われなければ、昭和天皇の綱渡りの玉音放送が数日・半月遅れていたかもしれない。
そうすれば、無条件降伏した8/15を過ぎても、戦闘を止めず日本進行を進めたソ連に、北海道侵攻を許していたかもしれない。
原爆開発に先んじたアメリカが、広島に使用したのは、戦後明らかに敵対するであろうソ連の日本侵略を食い止めるためだったように思う。
理不尽に北方領土を失ったが、ドイツ・朝鮮半島のように、日本本土が分断されずに済んでよかった。
歴史に学ばねば・・・と思う。

5/27・ハッピーバースデー

家内の誕生日です。
気の利いたプレゼントはありませんが、朝忘れずに「お誕生日おめでとう」が言えました。
そして、「次の日曜日、京都東山をトレッキングしよう」と伝えました。

同級生夫婦ですが、僕は11月生まれなので、ここから半年間年上女房になります。
この微妙な関係で、あまりニコニコしちゃうと逆効果なんです。

帰宅すると、家内が「おいで、おいで」します。
ついていくと、素敵な紙袋からメッセージカードと細長いボックスを出してくれました。
長男のお嫁さんから、プレゼントが届きました。

メッセージカードには、お嫁さんからのメッセージと、初孫・遼くんからのメッセージが書かれていました。
遼くんからのメッセージは、文字というより絵なので、お嫁さんの「ふりがな」付きです。
「8」だけ、ちゃんと解読できました。

ボックスから出てきたのは、ボールペンでした。
説明書には、「替芯はパイロットの・・」と書いてあったので、メーカーはパイロットだと思ったら、家内から「違うよ「スワロフスキー社・SWAROVSKI」だよ」と。
薄いピンク色でクリスタルに輝く、かなりオシャレなボールペンです。

名前から、ロシアか北欧の会社を想像しました。
スウェーデンかフィンランドだと予想し調べたら、オーストリアの会社でした。
中世ヨーロッパ王家でもトップクラスの血筋・ハプスブルグ家の国です。
音楽の都・ウィーンを抱え、勝手にロイヤルの香りを感じています。

『スワロフスキー社は、1895年にオーストリアのチロル州に誕生。創業者はダニエル・スワロフスキー。独自のクリスタル・ガラスの製造技術を生かし、ラインストーンをはじめ、ビーズ・ペンダントトップ・ボタンといったアクセサリー製品を製造。ヴェルサイユ宮殿やオペラ劇場のシャンデリアパーツなども手がけ、オーストリアを代表するクリスタル・ガラスモチーフで国際的に有名である。ファッションやインテリア界では、有名デザイナーとのコラボレーションを展開。日本でもハローキティや、女優・ミュージシャン・モデルとの企画による製品開発が話題を呼んでいる』

家内は、ニッコニコです。
お嫁さんはセンスが良いので、プレゼントはいつも素敵です。

家内が、「スマホに変えようかな?」なんて言っています。
夫婦揃って、ドコモの「らくらくホン」なのですが、仕事での連絡が、スマホのLINE?が主流になり、PC・ガラケーメール派が少数派になってきたそうです。

僕は、ガラケーでさえ休日しか電源を入れないので、スマホなんてオーバースペックです。
家内のらくらくホンも僕の名義なので、僕に届いたドコモからの「らくらくスマートホン」の案内を、家内に渡していました。
変えちゃうのかな?
1回限りの本体料金は別にいいけど、毎月の使用基本料金がめちゃ高いのに・・・

5/22・クルージング後のカフェと、映画「海よりもまだ深く」

西出入口からハーバー内に入るのも芸がないので、遠い東入口を目指します。
20160522KeihukuS054s.jpg 大阪大学が練習していたので、家内に次男の乗っていた艇種を教えます。
「綺麗に並んでる」と楽しそうに見ています。

20160522KeihukuS058s.jpg ウインドサーフィンも練習していたので、そちらも見に行き、14:09東出入口に船首を向けます。
西からブローが下りてきました。
風速が4m/sほどに上がり、「初めて水しぶきが来た」と喜んでいます。

前方で、甲南大学のヨットがこけました。
「なかなか立たないね」と見ていた家内。
シングルハンドもこけました。
1人乗りなのに2人で乗っていたから、新入生が乗っていたのかもしれません。
普通はこんな風でこけません。

エンジンを掛けて船を風位に立て、セイルダウンです。
「私と2人だけだから、お父さん忙しいね」と、ニコニコしています。
ハーバー内に入り、桟橋に着け、あれやこれや動きまわり、船を固定して終了。

センターハウスに戻り、帰着申告を出して、「レストラン・カフェ・フリアンディーズ」でケーキにします。
家内は「ケーキセット792円」、僕は「フラペリッチ699円」。
15:28に精算し、またお揃いのプロテクターメッシュパーカを着て、通勤リード110にタンデムします。

R171で16:00過ぎに帰宅し、プレーンヨーグルトを食べて昼寝します。
17:30になったので、再びタンデムで出発です。
市内の映画館に入り、18:10「海よりもまだ深く」を観ました。

前日の土曜日、帰宅すると珍しく家内がTVを見ていました。
「海街Diary」。
一緒に暮らす4姉妹の物語です。
ロードショーを見たかったけど、チャンスを逸した映画です。
そのTVCMでこの映画の宣伝が流れていたので、観に行くことにしました。

探偵をしながら暮らしている処女作以外売れない作家が主人公で、離婚した奥さんに月1回養育費5万円払うことで、息子と1日過ごしている。
これが何よりの楽しみですが、お金にはルーズで臨時収入を競輪などに掛けてすってしまい、いつもお金がない。
主人公は家族が大好きで未練たっぷり、奥さんも旦那さんが嫌いなわけじゃない。
でも結婚に向かない夫に見切りをつけ、新しい家庭を持とうとしている。
息子くんは、父親のおばあちゃんが大好きで、両親離婚後も時々おじゃましている。

おばあちゃん・樹木希林は、息子に似た旦那と添い遂げ、今は未亡人。
あっけらかんとした性格ですが、あかんたれな息子なのに世話を焼き、復縁するといいのにと、孫に美味しい料理を食べさせ、お嫁さんにも優しい。

そんなある日、月1回のお父さんと息子の1日に台風が来て、お婆ちゃん家で、お母さんも含め、4人で一夜を過ごす。
映画評としては、5点満点で3点という採点ですが、樹木希林のおばあちゃん役が素晴らしく、親父のことを思い出した。

性格は優しいのに、僕に厳しい母親に引っ張られ、母親に同調して時に僕の敵になってた親父でした。
学生時代、停まってる僕の車の前輪に真横から、猛スピードで小学低学年の子が乗る自転車が突っ込んできた。
自転車の前輪が後ろに曲がり、タイヤが動かなくなったので、僕が親切心で自転車をトランクに乗せて家まで送って行った。
ご両親が留守だったので、僕の名前を書いて帰ったが、その晩お父さんから電話が入った。
僕が交通事故を起こしたのに、当て逃げしたと大剣幕だった。

親父は、「息子はまだ若いので、示談にしてくれ」と平謝りだった。
翌日警察に行き、その子とグループで走っていた高学年の子供たちに事情聴取してもらった。
もちろん、こちらが当てられた被害者なので、示談なんて話にならなかった。
警察からは、止まっていても、乗っていたんなら、事故届けを出した方が良かったと言われた。
かんしゃく玉のお父さんに、まだ小さい子だったから、ちゃんと説明できなかったのだろう。

こんなこともあった。
僕がある日帰宅すると、庭の桜の木が切り倒されていた。
唖然としていると、親父が「ゆきくん(僕の長男)が、桜に木についた毛虫に刺されたので、切ってやった」と得意気に事情を話してくれた。
孫が毛虫に刺されたぐらいで、木を切らなくても・・・

僕にしてみれば、両方余計なお世話なことでしたが、親ばか・孫ばかな部分は嬉しかった。
そんな親父の姿と樹木希林のおばあちゃんがダブって見えた。
「海よりもまだ深い」は、底なしの親の愛を暗示しているように思った。
僕が孫の可愛らしさを話しても、「可愛いけど、息子たちの方がもっとかわいい」という家内。
母親とは、いくつになっても息子が可愛いものらしい。

帰路、20:40ローソンに寄り、お買い物をして帰宅した。
1日中家内と一緒の楽しい1日でした。

5/22・家内とセイルクルージング

またタンデムし、R171を西宮へ。
10:47、コープ・マリナパーク店で、「おむすび・100円+寿司詰め合わせ・398円」購入。
ハーバーにバイクを置き、センターハウスに入ります。
ノースショップに、ヘリーハンセンのかわいい子供向けラッシュガードが並んでいます。
かっこいいな。

ハーバークローク横の機械で出艇申告をして、セキュリティーカードでゲートを開け、桟橋へ。
船に乗り込み、お揃いのコミネ・プロテクション・メッシュパーカ・ブラウンを脱ぎます。
家内が、船内から持ってきたライフジャケットを着ます。

ゴソゴソ出艇準備します。
家内と2人なので、全部僕がせねば。
エンジンは一発始動しました。
電源ケーブルを外し、風向を見て必要ないロープから外していきます。

すでに陸風が終わり南からの海風が入っており、船は風で桟橋に押し付けられるので、ロープを外しても桟橋から離れず慌てる必要がありません。
11:20リバースで桟橋を離れます。

20160522KeihukuS033s.jpg ハーバーを出て水路に出ると、11:31午前中の練習を終えたオプティミストディンギー(15才以下レーシングヨット)が、県営芦屋ヨットハーバー方面に帰って来ました。
僕が作ったジュニア・クラブで、次男の後輩達です。
小学生のチビちゃんたちが、大人顔負けの一人前の装束に身を包み、一端のレーサーです。
エンジンを微速にして、家内と眺めていると、レスキュー・インフレータブルボートが近づいてきます。

「あっ、・・さん」「誰?」「・・だよ」「あ~・・さん、また乗せてよ」「奥さん?」「うん、今日は2人で出てくるよ」。

去年末の次男の結婚式に出席してくれた、次男とこのクラブで同期だった子のお父さんが乗っていました。
僕は次男がジュニアを卒業した後、ジュニアの全国理事になり、大学ヨット部のコーチになったけど、このお父さんはずっとジュニアの指導を続けている。

風は、SW・2m/sほどです。
風位に立て、オートパイロットにセットし、ステアリングを離れ、セイルカバーを外し、マスト横に行きハリヤードを点検し、コクピットに戻ってメインセイルを上げます。
最後は僕がマスト横でハリヤードロープをしゃくり、家内がロープを引いてロックします。
僕が指示しなくても、家内はロックしました。
覚えたね。

エンジンを切り、ジェノアセイルをフルセイルに展開し、オートパイロットを切ってマニュアルに戻し、家内にジェノア・テルテイルを見ながらのセイリングテクニックを伝授します。
20160522KeihukuS034s.jpg 「難しいね」「見上げたままだから、首が疲れるわ」なんて言いながら、無難にこなします。
時々ステアリングを逆に動かしているけど、ご愛嬌です。

尼崎・西宮港一文字堤防先端の赤灯台を抜ける時、堤防上の釣り人の竿にヒットしました。
男性が女性に竿を持たせ、タモを構えています。
「大物ですか?」と声をかけると、女性が「わかりませ~ん」と楽しそうです。
通過後、結構な大物を釣り上げていました。

先週は、僕が所属するDクラスのレースでしたが、新潟に先月生まれた孫に会いに行っていたのでパスしました。
この日は、IRCクラスのポイントレースです。
レース艇を北の尼崎沖に見ながら、風上マークを探しますがありません。
関西空港に向けて、オートパイロット任せにして、家内とあ~だこ~だ。
僕はこの人と夫婦になれて、幸せ者だ。
気を使わず、ゆったりした会話をしながら、人生航路を渡ってきました。

20160522KeihukuS039s.jpg 12:42、オートパイロットに操舵を任せ、お昼ごはんにします。
僕は水なしで平気なのですが、家内はダメです。
また喉に詰まらせ、ペットボトルの水を飲んで胸を叩いています。
咳をすると、必ず最後にくしゃみをしないと終わらないし、寝相は子供並みに暴れ回り、一緒に寝ると一晩に何度蹴られるか・・・実に面白い。

レース艇は、なかなか風上に上がって来ず、どうやら昼食中だったようです。
遠目にスタートしたように見え、改めて風上マークを探すと、通りすぎたところに運営艇が走ってきました。
グルリと180度方向転換し、風上マークに、レース観戦に行きます。

20160522KeihukuS049s.jpg レース艇に風の影響を及ぼさない程度に風上マークに近づき、家内にマーク回航を見せます。
レース艇であるIRCクラス艇は、全艇スピネーカー仕様ではなく、ジェノア仕様でした。速いな。

13:23、最終艇が風上マークを回航し、ハーバーに戻ることにしました。
赤灯台横から防波堤内に入ります。
20160522KeihukuS053s.jpg 加山雄三の光進丸のような大型の船が追い越して行きました。
往路もそうでしたが、すれ違う船には手を振ります。
ほぼ100%返してくれます。
ゲストが乗っているのか、小さな子と女性が大きく手を振り、とても喜んでいます。
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