5/22・早朝ツーリング 北摂・景福寺

幼稚園の同窓会クルージングを計画しましたが、5日前のお誘いでは予定が立っており流しました。
ならばヨット部同期にと、1学年先輩・後輩にも声を掛けました。
でも皆さん忙しい。
このお誘いメールにより、1回上の先輩が職場にやってきてくれ、あ~だこ~だおしゃべりしました。
お盆に同回生で先輩の家で集まるらしく、僕も誘われました。
リタイヤの年齢が近づき、学生時代クラブで培った仲間が集まるようになってきました。

この先輩とは、小学校から大学まで一緒で、小学校時代の家庭教師先生まで一緒です。
中学サッカー部、高校大学ヨット部と、僕は入部したクラブに先輩がおり、まるで金魚の糞のようです。
大学では2人でペアを組み、大学ナンバーワンとまで言われました。

次に、弟一家や甥っ子夫婦や家内の従兄弟夫婦に声をかけましたが、みんな忙しい。
公認会計士の甥っ子は、相変わらず日曜日でも会社に行っているようです。
次男の結婚式で、甥っ子のお嫁さんと話す機会があり、本来一緒であるはずのお休みの日でも、夫婦すれ違いの生活のようで、気になっています。
後で結婚した次男が先に子供を授かり、変なことにならなければいいがと・・・。

新婚2年の最も楽しい時間に、たくさん思い出を作って欲しい。
結婚で始まる新しい家は、共有する経験の多さこそ大切だと思っています。
人生の終着駅が近づいてきた僕が今大切に思うのは、家内との時間です。
この信頼関係こそが、子を育てる原動力になったように思います。

ということで、何度か甥っ子夫婦を誘っているのですが、仕事優先のようです。
東芝の不祥事から、担当していた大手会計事務所への不信が深まり、他の大手会計事務所の仕事が増えているようです。
最も多い3月決算の会社の株主総会が6月に集中し、今は最も忙しい時期です。
でも、休みなく働くのは、仕事の効率を下げてしまう気がします。
会社だって、そんなことを望んでおらず、甥っ子は自主出勤しています。

6月生まれの家内は、2回目の免許更新の時期です。
9時からなので、それに付き合い、その後夫婦で大阪湾クルージングすることにしました。

4:30に目覚めました。
バイク装束に着替えます。
春秋用のメッシュ上下+DAIWAフィッシングスーツから、メッシュプロテクター上下のみの夏用装束にしてみました。
ロードサイドの気温計は、15℃・14℃で少々寒さも感じますが、問題なしです。

4:50に、「里山VTR250」に乗り出発。
長尾山トンネル~r325~r33~r319~r12で、「杉生」交差点へ。
東にそびえる山頂を見ながら、事前調べで最短距離・直登10分の「景福寺」への枝道に入ります。
5:52、下調べ済みの直登道に入りますが、藪化が進み難儀そう。

ルートロスも予想され、「君子危うきに近寄らず」しました。
ウグイス筆頭に、数々の野鳥のさえずりが聞こえ、慶福寺の新しい墓地の方に行ってみます。
旧墓地は前回探索済みです。

20160522KeihukuS009s.jpg 焼けた木材が集められた場所があり、火事でもあったのかと想像する。
墓地最上部から山林を覗くが、山道は見つからず。
久しぶりに景福寺へ。
20160522KeihukuS014s.jpg カエルのベンチ?祭壇?が可愛い。
20160522KeihukuS022s.jpg 唐破風に素晴らしい彫刻の本堂が健在です。
歴史のあるお寺で、往時は大寺院だった面影が一部に遺っている。
経済力はまだ十分にあるようで、この唐破風もまだ新しい。
有力な檀家でもあるのだろうか?

お墓探索時から鳴り出した鐘の音は、なんと自動鐘撞きでした。
鐘楼に近づき見ていると、「ジー」と機械音が鳴り出し、突然撞き棒を下げていた鎖が動き、「ゴーン」。
鐘撞きを終えたご住職に、山城情報を伺おうと思っていたのに、無人で拍子抜けしました。
20160522KeihukuS029s.jpg ペット供養観世音菩薩像の横に、供養されているワンちゃんの写真が並べられていました。
前回、あったっけ?

6:17、帰路につきます。
r12~r319~r33~r325~長尾山トンネルの定番コースで戻ります。
北に向かうバイクとすれ違い、左手を上げてシェイクのバイクピースを出しました。
反応率3/4。
大げさに出した方が、反応率がいい。

まだ7時前なので、バイクをゴソゴソ。
RAMマウントの位置を微妙に変更し、気温が上がり必要なくなったお手製ナックルガードを外します。
「招き猫CB400SB」のも外す。
半年、お疲れ様でした。



帰宅し朝食を食べ、8:30に家内と通勤リード110にタンデムし、家を出ます。
市街地に出て、家内の用事を済ませ、免許更新センターへ。
受付開始9時の5分前なのに、免許センター外にまで受付の列が伸びています。
受付・更新費用支払い・視力検査・写真撮影、2Fに上がり20分講習です。
部屋の横のベンチに座り、本を読んで待ちました。

家内は99番の受付で、最初の講習の一番最後です。
講習が終わり、名前を呼ばれ、新しい免許をもらった講習者が続々と出てきます。
チラチラとそれをチェックしていたつもりでしたが見落としたようで、教室を覗くと誰もいませんでした。
慌てて更新センターの外に出ると、家内が手を振っています。
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5/15・孫に会いに新潟へ 2/2.1

堀が囲んだ立派な邸宅でした。
大人700円。
土蔵はひんやりとし、代々当主が収集したのか、唐の焼き物や、エジプトの副葬品やガラス細工など5000年前のものだそうです。
もう一つの土蔵には、アッシリアの胸像などが展示されており、イスラムに興味があったようです。
三つ葉葵門が入った硯箱があり、徳川家からいただいたものかな?

藤棚に、終わりかけの藤の花が下がっています。
居宅に入ってみます。
遼くんは囲炉裏に興味津々です。
1946年に、アメリカ駐留軍・ラルフ・ライト中尉と伊藤丈吉当主との絆で「北方文化博物館」が開かれたそうです。
アメリカ人には、この歴史ある威風堂々とした館が、とても素晴らしく見えたのでしょう。

年季の入った神棚、大きなオルゴール、何人用なのかわからない色彩鮮やかな大皿・振り子タイプの置き時計。
埴輪が展示されていたので、我が家の祖先・土師氏の生業を話しました。

居宅を出て、蓮池・農家を回り、板の間で遼くんと遊んだりした。
土間だけの家がありました。
『裏日本は、半年間雪に埋もれ、表日本に比べ生産活動に大きな苦しみがあった。そのため各藩は、「板の間禁令」の制約を作り、物心両面で厳しい節約を命じた。1軒に1間しか作れなかった板の間は、家長の居間とし、土間に藁を敷いて生活した』

居宅に戻り、庭の向こうの野点を見ながら、大広間に座って休憩しました。
遼くんを肩車したり、暴れ馬になってあげたりして遊んだ。
車に戻ろうと歩いていると、「三楽園」という三角形の茶室があった。
引き出しがひし形になっており、不思議な感じ。

15:27、帰路につく。
途中で、動物と触れ合える施設に立ち寄る。
航くんのおっぱい時間が気になるが、お嫁さんも久しぶりの息抜き時間なのでしょう。
Jリーグ「新潟アルビレックス」の本拠地ドーム横の施設で、巨大ウサギ・羊などと楽しみました。
16:16、併設のAコープで、遼くん用「キャロットフルーツジュース・90円」と、僕らのお土産「越後の集い・1000円×2」を購入した。

ご実家に戻り、遼くんの熱唱を聞きました。
西野カナ・オリエンタルラジオ・星野源を、ビデオに合わせて歌ってくれます。
車の中では、オリジナル曲を知らないので、表情や仕草が似ているのか不明でしたが、家では走って登場したり、オリジナルをとても研究していました。

17:49、恒例の集合写真を取って、帰路につきます。
お父さんに送ってもらい、出発1時間前に空港につきます。
ロボットのペッパーくんがいます。
遼くんが動きをものまねています。
搭乗券に交換しにカウンターに行くと、「満席だから、大きな荷物は荷物室に入れて欲しい」と言われ、スーツケースを預けました。

19:15、「JAL2250・新潟~大阪伊丹」に乗ります。
座席は「15K」で翼の後方です。
離陸するとすぐに暗くなり、家内と楽しかった1日を振り返っておしゃべり。
この人と結婚できてほんと良かったな。
子を持てたのも、2人目の孫も、みんな家内が僕のところに来てくれたおかげです。

大阪伊丹空港は着陸ラッシュで、少々旋回させられ、5分遅れで着陸。
ジャバラゲートも間に合わず、タラップから滑走路に降りました。
目の前に待機しているバスに乗り、ターミナルに向かいます。
僕が小学生の頃は、ターミナル直結のジャバラゲートなんてなかったので、飛行機とターミナル間は滑走路を歩いていましたが、家内はこういうのが初めてのようで、とても喜んでいます。

家内に預かり荷物ピックアップを任せ、バイクを取りに行きます。
家内をピックアップし、帰宅です。
楽しい1日になりました。

5/15・孫に会いに新潟へ 2/2

20160515NiigataS049s.jpg 家内と遼くんが砂場で遊んでいる間、お嫁さんとベンチに座り話しました。
出産予定日4/2が、長男のアメリカ赴任4/1の後でした。
正常出産範囲より前は、早産しないように気をつけていたけど、正常出産可能週に入ると、航くんが下りてきたそうで、3月中に生まれると長男も国内にいるのでいいなと、出産を促すために動くようにしたそうです。

お医者さんから、「早く生まれそうだ」と言われていたのに結局生まれず、会社が10日間赴任日を先延ばししてくれました。
4月に入り、長男は有給休暇期間になり、東京の家を引き上げ、新潟のお嫁さんの実家住まいになりました。
パパ大好き遼くんは、大喜びで毎日パパと遊べて、とても良い数日間を過ごしたそうです。

パパを東京に残して、2月に新潟に戻ってから、パパがいないので遼くんにストレスが貯まっていたようです。
やはり、ママとパパでは、遊びの種類が違います。
安定して走れるようになった男の子なので、外で走り回りたかったのでしょう。

期限の4/10が迫り、航くんはどんどん大きくなり、お医者さんもお父さんが出産に立ち会えるように、陣痛促進剤を出すタイミングを探っていたそうです。
そんなギリギリのタイミング4/6に、航くんがお母さんのお腹から出てきました。

家に戻り、お嫁さんに、次の住処・プリンストンの家のことを聞きます。
2階建て一軒家に決めたそうです。
1Fにガレージ・トイレの他に数部屋あり、2Fにもトイレ・3ベッドルーム・ダイニングキッチン・バスルーム・洗濯機部屋などなど、とても広いそうです。
ガレージは1台だけど、敷地内に駐車スペースがあり、通勤用の会社支給の車・カローラ以外に、お嫁さん用車を買ってそこに置くようです。
家賃40万だって・・・会社持ちなのでラッキー。
その分、めちゃ働かな・・・

長男は引っ越し早々、お隣さんにホームパーティーに誘われたそうです。
お嫁さんは料理好きなので、ホームパーティー文化にも馴染めそうです。
2軒隣に、日本人一家(8才女の子と5才男の子)がおり、素敵な環境だそうです。
鹿が庭を歩いているんだって・・・きっとリスもいるよね。
気温は、寒暖差が大きく、日中は東京と変わらないけど、朝晩は冷えるそうです。

なんて話していると、長男からTV電話が入りました。
スマートホンのアプリだそうで、長男のスマホとお嫁さんのスマホでお互いのカメラに映る映像を見ながら会話ができます。
長男は2000円で買ってきたという夕食を食べながら(食費が高いそうです)、家内も会話に入っています。

お嫁さんのリクエストで、自宅内映像案内をしてもらいます。
ダイニングキッチンと、ベッドルーム1つ・バス・トイレしか使っていないようで、各部屋の電気を点けて内部を映像案内してくれますが、船便で送った荷物がまだ到着していないようで、ガランと何もありません。

広大なプリンストン大学近くのオフィスは、環境が良く、個室を与えられているそうです。
来客時以外は、ドアをオープンにしている決まりですが、パーソナルな仕事部屋で落ち着いて仕事が出来るそうです。

長男はプリンストンを含め、2ヶ月に1度は出張で世界を飛び回っているので、体験していたのでしょうが、アメリカとの仕事環境や住環境の大きな差を、話を聞いているだけで感じます。
子供の頃、TVで流れていたアメリカンドラマの世界そのものです。
これが、日本とアメリカの人口密度10倍の差でしょうか。

時差がマイナス13時間なので、会社から帰宅後のこの時間・アメリカ東海岸時間で夜の10時頃、毎日電話してくるそうです。
時には2回電話してくる時もあり、遼くんに忘れられることはなさそう。
便利な時代になりました。

お重2段のお弁当のお昼ごはんになりました。
おかずの種類が多く、お腹が満腹です。
授乳が終わり、お出かけします。

20160515NiigataS054s.jpg 車で30分弱、13:56新潟市内の元大庄屋宅「北方文化博物館」に着きました。
これは僕のリクエストです。
「いちご狩り」も調べたのですが、遼くんはあまり食べないということで、予定通りになりました。
水族館は、長男と2人で行ったとのこと・・・。


5/15・孫に会いに新潟へ 1/2

新潟のお嫁さんお実家に、長男の2人目の子・航くんに会いに行ってきました。
4/6に誕生しました。
4/2が出産予定日でしたが、長男は4月からアメリカ転勤なので、「いつ生まれるか?」でヤキモキしました。
幸い会社から、「4/10渡航」に延期の配慮してもらい、4/1からの休暇で出産に立ち会えました。
そして、4/10に渡航しました。
ありがたい会社です。

新生児を抱えてのアメリカ住まいは、何かと心配なので、夏まではお嫁さんの実家にお世話になります。
朝イチの飛行機で新潟に向かい、最終便で帰阪するパターンです。
荷物は、機内持ち込みOKサイズのスーツケースと、恐竜おもちゃセットです。
長男からの情報で、新潟のお父さんに買ってもらった恐竜の本から、嫡孫・遼くんが恐竜ブームだそうで、トイザらスで買いました。

6時杉に通勤リード110にタンデムし、空港に向かいます。
伊勢サミットが今月末に迫り、空港審査が厳しくなっているのかな?と思ったけど、通常通りでした。
20160515NiigataS002s.jpg JAL最奥の24番搭乗口待合で待ちます。
5月らしく、黄砂で視界は落ちますが、上天気です。

定刻通りに、「7:10発・JAL2241大阪伊丹~新潟行」に、乗り込みます。
数日前に、「JAL・エンブライルE170機に空調不良が見つかり、全機緊急点検」のニュースが新聞に載り、心配していましたが、機材も変わらずE170でした。
座席は3Aという主翼の前の席です。
乗客は僕らを含め9名。
定員70名の小型機ですが、ガラガラです。
三菱リージョナルジェットとバッティングするサイズです。

カメラをスタンバイし、離陸からムービーを回しました。
離陸してすぐ旋回すると、我が家が窓から見えます。
琵琶湖・北湖を眼下にし、反対側の空席に移動します。
20160515NiigataS016s.jpg 黄砂の季節が残念ですが、御嶽山の噴煙が見え、北アルプス・剣岳が特徴ある姿を見せ、遠くに富士山が見えます。

20160515NiigataS024s.jpg 日本の屋根の景色を堪能し、元の席に戻り、日本海。
着陸態勢になり、新潟平野の田んぼが、水が張られキラキラ輝いています。
20160515NiigataS033s.jpg 1時間強のフライトを楽しみ、定刻に新潟空港に着きました。

到着ロビーには、お嫁さんと遼くんがお出迎えしてくれていました。
3才の遼くんは、深々と頭を下げ、おちょけているのか、マイブームなのか、しっかり挨拶出来るようになっていました。

空港前で待っていたお父さんに挨拶し、その車でご自宅にお邪魔します。
3才になった遼くんのチャイルドシートは、簡易版になりました。
ただ座面を上げる座布団部分だけで、窮屈感がありません。

予定日を過ぎて生まれた航くんは、「大きい」と言われていましたが、やはり小さな赤ちゃんでした。
20160515NiigataS043s.jpg ちょうど起きており、ぷくぷくのほっぺを触ったり、抱っこして重さを感じたり、とてもかわいい。

「つむじが2つある」とお嫁さんが戸惑い気味の顔です。
「たーくん(次男)も、2つあったよ」と話すと、安心していました。
蒙古斑が、右手甲にあります。
僕の中学の友人に、こんな子がいました。
お肌がツヤツヤで、とても元気そうです。
家内は、ニコニコです。

遼くんは、簡単な引き算が出来るようになっていました。
ひらがなを半分ぐらい読めるようになっており、恐竜セットに書かれていた「といざらす」が読めました。
「おじいちゃん、ティラノザウルスはトイザらスで買ったの?」と言われ、驚きました。

英単語も、お嫁さんが先生になって、学習しています。
半年後は、英語の世界です。
日本語が通じるのは家庭内だけで、英語のシャワーを浴びながら幼稚園(プリスクール)に通うようです。
来年の今頃は、僕の英語力より上でしょう。

遼くんのリクエストで、お隣の公園で遊びます。
長男がお嫁さんが出産入院中に連れて行った競馬にハマっているそうで、走り方が、パカパカってお馬さん走りです。
長男は、中高同級生のお父さんに連れて行ってもらった競馬場で、美しい馬の姿に魅了されました。
お父さんが都合のつかない時は、未成年とバレないようにその友人とサングラスかけて競馬場に行っていました。

馬券は買わずに、見るだけです。
彼の部屋には、でかい競走馬のポスターが貼ってあります。
滑り台を滑り、砂場でケーキを作り、ローソクを立て、今月誕生日の家内を歌で祝ってくれます。
起きた航くんも、お母さんと一緒に出てきて、また抱っこ。
あ~かわいい、幸せだわ~。


5/8・ヒッチハイク

15時頃ハーバーに戻り、16:30からの閉会式を待っていると、1人乗りヨットから上がってきた知り合い・Yさんがやってきた。
「このレースは何?」から始まり、あれやこれや話した。
Yさんの息子さんもジュニア出身で、ロンドンに続きリオ五輪代表を目指してナショナルチームとして海外レースにも多数出場していたが、あと一歩でまたオリンピックを逃してしまった。
彼の初海外遠征の時の監督は僕でした。

高校の教員をしながらのチャレンジでしたが、休職扱いにしてもらったようで、また職場復帰できたようです。
僕も大学卒業時に、実業団からヨット選手として誘われたが、「午前中だけ仕事で、午後からヨット」という日程に疑問を感じ、誘いに乗らなかった。
どうせ閑職だし、選手を終えた時には同期はしっかり仕事を覚え、大きな差を付けられているはず。
そんなヨットバカ人生は嫌だと思った。

Yくんの選択も地に足がついた良い選択だと思う。
オリンピックチャレンジは終了のような感じがするので、これからはヨット部指導者として、後輩をたくさん育てて欲しい。

閉会式後、合宿所に戻る。
17時からミーティング。
感じたことを話した。
セッティングやチューニングを一から見直し、更なるスピードアップを目指す練習をしよう。
夕食です。
唐揚げがメニューに載っており、とても美味しそう。
「頂きます」の直後から、いきなりお代わりの列が出来ている。
僕は部員の半分の量に減らし、ご飯などを周りの部員のお皿におすそ分けする。

18時になってもまだ明るい。
良い季節になりました。
キャプテン他数名の4回生と、連休中のレースでの課題「強風の走らせ方」として書き、金曜日に送ったレポートについて話し合った。

食事を終え、バイク装束に着替え、家路についた。
湖西道路~名神。19:19、「名神桂川PA」に入り、「ビックリソフト・バニラ・140円」を購入。
ベンチに座り食べていると、「広島に行きたいんですけど、乗せてくれませんか?」って、ヒッチハイカーからお願いされた。
学生が、京都からヒッチハイクで広島に行きたいようです。

「バイクなんだよね。車なら乗せてあげるけど・・・トラックなどはダメだったの?」「事故を起こした時の責任の所在などで、会社から禁止されているようでダメでした」
「ごめんね」って別れたけど、こういう人に甘える行為は、僕は賛成しない。
道に迷って・・・や、予定外の出費でお金がなくなって・・・など緊急時は仕方ないにしろ、TV番組がタレントを使って煽ってる「甘えの構造助長」システムは如何なものかなあ。
この手の無銭飲食・無銭宿泊番組は嫌いです。

あとドッキリ番組も嫌い。
お笑いタレントを不安にさせて、後でドッキリは、人気タレントの仕事内容からいってOKなのでしょうが、あれに助長されて、子供が「いじめ」に走るのは目に見えている。
いじめた子は、「冗談でした」「ネタで笑ってると思った」などのコメントを見る度、TV番組の大罪を感じる。
低俗番組が増え、TV離れ起こしているのは、放送会社の番組構成の問題も影響しているだろう。
現に僕はもう民放をほとんど見なくなった。
そういう番組を流さないNHKには、好感を持っている。

安価な高速バスツアーも沢山あるので、ちゃんと人にしてもらったら対価を払おうよ。
「度胸付け」「野生の力」など、全て自分本位の志向だよね。
僕は高校生の時、北軽井沢のおじさんの牧場でアルバイトをしたことがある。
出発当日、国鉄ストが始まり、新幹線で東京駅に着いたものの、それ以降の路線は軒並み運行予定が立っていなかった。
駅員に聞き、少しでも可能性の高い八王子線に迂回し、窓ガラスが割れた列車や、バスに乗ったりしながら、なんとか吾妻線・長野原駅に予定を大幅に遅れた夜に着いた。

全部運賃を払った。
おじさんからは、「親父が捜索願を出した。なんで連絡をしないんだ」と叱られたが、実に楽しい経験だった。
度胸付けたかったら、安全な日本ではなく、外国に行って貧乏旅行してこいよと思う。
次男は大学時代、オランダを本拠に、イタリアなどの南欧から北欧まで、建築の勉強をした。

お金はないので、台北空港で一晩明かしたり、イタリア鉄道ではスリ被害に遭いそうになったり、北海・バルト海では豪華客船の最下層のお安い運賃の船旅をしたり、EU内2000円という破格運賃で、オランダからイタリアまで航空機を使ったり、いろいろ経験してきた。

こんなのをやってる貧乏学生は、たくさんいるはずです。
「僕、京都から出たんですけど、毎回京都からの脱出に苦労するんですよね」って、「鼻から無銭乗車狙いの優しい日本人に甘えた旅を計画すんなよ」と言いたい。
みんなお金という対価で、経済活動しながら生きてるんだよ。

19:45帰宅。
家内が「夕食あるよ」と天ぷらを食べさせてくれた。
お腹がいっぱいになりすぎたので、翌日は1食抜きになりそう。

5/8・京都音羽山・牛尾観音ツーリング2~定期戦

桜の馬場で、上から降りてきた方と挨拶しました。
上がってくる時、年配3人グループと挨拶しました。
早朝トレッキングの目的地になりやすい距離なのかもしれません。
境内には誰もおらず、気持ちが良い時間が持てました。

20160508UshioS051s.jpg 6:47、竹材で組まれた直登階段を降りはじめる。
九の字カーブを曲がると、階段下に迂回路との分岐が見えている。
こちらのコースの方が、かなり短い。
迂回路も勾配が緩やかとはいえず、すぐに息が上がったので、往復こちらのコースでも
良さそう。
6:49に、桜の馬場に着いちゃった。

バイクに乗り、ハーバーを目指します。
起きるのが遅かったので、あと2つの目的地はパスです。
20160508UshioS061s.jpg ミニ水車のとこでバイクを止め、山から流れてくる細流に手を浸してみる。
コップで飲めるように、パイプが出してあり、下には受けの木桶もあります。

更に下り、「大蛇塚」ってとこでバイクを止める。
バス停のような東屋の長椅子の上に竹箒が置いてありました。
道を掃除してる方がいるようです。
人知れず寺社境内を掃除したり、山間の権現様などの参拝路を掃除する人がいます。
僕も町内会の側溝掃除日や台風一過の後など、自宅周りの道を掃除しますが、毎日長い距離を少しずつやってるこういう人の足元にも及びません。
日本の美しさはこういう人によって保たれているように思います。

20160508UshioS070s.jpg 往路目をつけていた祠に寄り道。
「大師堂」だそうです。
ここで道が沢を渡っています。
気持ちの良い朝を感じる水音。

民家が現れはじめ、7:19「セブン-イレブン京都山科小山店」で、手巻きおにぎり辛子明太子140円+海苔付き海老マヨネーズ130円=270円購入。

見慣れた「三条通」に出て、すぐに藤尾始点から湖西道路に乗る。
この藤尾地区の寺社を巡ろうと思っていましたが、次回まわしです。
「皇子山」で降り、R161を走り、7:34ヨットハーバー着。

9:30、第1レースに変更されたようです。
8:30出艇なので余裕が出来ました。
大会本部前の公式掲示板を見に行く。
すれ違う学生がことごとく、「おはようございます」と挨拶してくれる。
当然僕から先に「おはよう」と声を掛けることもある。

高校生でヨット部に入った時、先輩から「とにかく、知らない人でも挨拶しろ」と言われたことを思い出す。
就職した初日、「君はしっかり挨拶できるね」と言われた。
体育会系では当たり前のことが、出来ない人が多いらしい。

セルフのスーパーやコンビニの会計で、何も言わない人が多い。
僕は、必ず「おおきに」とか「ありがとう」とか何か言う。
「挨拶できるなら、生きていける」と思っている。
子供たちがチビの時、お買い物でも、GSで給油した時も、誰が一番大きな声で「ありがとう」が言えるか競争していた。
あれは良かったと、今でも思ってる。

クラブ前に戻り、参加できなかった連休中のレースのことや前日のレースの様子を、部員に聞く。
バイク装束を脱ぎ身軽になり、おにぎりを1つ食べる。
8:30前に体操が始まり、朝のレース前ブリーフィングを語る。
王者D大との現状差をこの目で確かめに行こう。
D大に勝てれば、全日本制覇が見えてくる。

8:30に出艇し、レース海面に向かうが、朝吹いていた風が落ちてきた。
予報が北風なので、北の琵琶湖大橋方面を見るが、比良山も黄砂かPM2.5かで、晴れているのに視界が悪い。
あれがクリアに見えてこないと、北からのブローは期待できそうにない。

南の風2~3m/sで、R1スタート。
風が落ち、470級でフィニッシュできたのが7艇のみで、20艇ほど時間内にフィニッシュできず(DNF)。
4つの大学の定期戦で、3艇で1つのチームを組む団体戦です。
部員の多い3校は、A・Bチームを組んで出場しているが、団体戦はAチームで競う。
D大・Aチーム3艇フィニッシュ、R大Aチーム1艇、当方Aチーム2艇フィニッシュできた。
他はビリ+1点の得点になります。
スナイプも数艇DNFになった。

風待ちを1時間ほどして、R2スタート。
また風が落ち、スナイプ級はノーレース。
470級はコース短縮し、2つ目のマークでフィニッシュ。
10艇しかフィニッシュできなかった。
Dは3艇・R2艇・うち2艇がフィニッシュできた。

また長い風待ちをした後、予報の北からの風が入ってきた。
4~6m/sのフルトラピーズの良い風です。
スタート前にトラブル艇がやってきた。
トラブル艇を横抱きして応急処理するので、アンカーを打たずに風位に立てたままレスキューボートを保つのは、ドライビングテクニックを必要とする。
2回生女子マネージャーが見事にやってのけた。
スタートラインに向かうレース艇を見送りながら褒めてあげると、とても嬉しそう。

20160508UshioS087s.jpg この風域でのスピードが、現状の実力をもっとも現す。
結果はD大がワンランク速い。
ついでRとうちだけど、R大の方が少し速く、これは言い訳なしに受け入れなければいけない。


5/8・京都音羽山・牛尾観音ツーリング1

コーチしてる大学のレースで琵琶湖に行きます。
9時第1レース・8時出艇なので、その前京都府と滋賀県の県境・音羽山の「牛尾観音」その他を探索しましょう。

目覚めたら5時前、「あれ、窓の外が明るい」、いつもより遅く目覚めちゃいました。
慌てて用意し、「招き猫CB400SB」に荷物を載せる。
リアボックスに入らないので、防水バッグに入れた荷物をリアシートにネットで括る。
ライフジャケットは着て行きましょう。

6:30出発です。
予定では夜明けと共に現地探索開始だったのに、大幅に遅れてしまいました。
中国道・豊中IC~名神・京都東ICまで高速道路利用。
名神の下をくぐり、民家が立ち並ぶ細い道を沢沿いに山に入ります。
すぐに人里離れた素敵な雰囲気になり、朝のお散歩の方が数組歩いています。

予想より勾配がきつい部分が時々現れ、道が細いこともあり、2速まで落とし、カーブでクラクションを鳴らし、ゆっくり登るところもある。
往復、対向車はいませんでしたが、四輪では離合困難な道幅の部分が多い。
沢沿いなので水音のBGM・森の静けさがあり、とても気持ちが良い。
沢に落ちる小さな流れに、誰が設置したのか手のひらサイズのmini水車がくるくる回っている。

6:20、「牛尾観音」登山口着。
エンジンを止めると、獣の声なのか野鳥の鳴き声なのか不明の声が多数する。
猿と思ったけど、声の場所が移動しないし、木々も揺れていないし、草を移動する音もしないので、そうでもなさそうです。
藤の花があちこちにぶら下がっている。
大木に寄生して下がっているのでしょう。

20160508UshioS004s.jpg 登山口には「登牛尾山」の石碑が立ち、「牛尾山法厳寺・十一面千手観世音菩薩」と書かれた赤い幟が立っている。
登山者駐車場になるのだろう未舗装の空き地があり、沢沿いの木陰には車が3台停まって、テントが張られています。
まだお休みのようです。

6:22、コンクリート舗装の道を登ります。
6:23、直登道は勾配を増し、雑木で土留めされた階段道になります。
右手には、勾配のゆるい迂回路があります。
迂回路で登り、直登で下ることにします。
20160508UshioS007s.jpg 迂回路は、コンクリート枕木がびっしりと敷き詰められ、土留めは万全です。

枕木終了後はコンクリート舗装になり、6:28地道になりました。
20160508UshioS011s.jpg 6:29、車止めフェンスの向こうに「牛尾観音」が見えます。
フェンス横に歩行者用道が開いており、フェンス内に入ると左手に雑木土留め階段が下っています。

6:31、「牛尾観音」到着。
右手に更に細い登山道が上に登っており、「音羽山・石山寺」に行けるそうです。
山頂に石山寺というお寺があるんじゃなく、音羽山を東に下って瀬田にある紫式部が源氏物語を書いた「石山寺」に行けるのだと思います。

登ってきた道の方角を指す道標には、「桜の馬場を経て上醍醐」と書かれています。
登ってきた道にそれらしい分岐はなかったので、登山口から奥に伸びていた道が上醍醐に通じているのでしょう。
家内と醍醐寺訪問時に、上醍醐の往復時間を見て断念したけど、健脚さんは、醍醐寺~牛尾観音~音羽山~石山寺~瀬田を歩いたりするのでしょう。
帰宅して調べたら、牛尾観音・標高363m~音羽山・591mでした。
比高230m。

境内を散策します。
寺務所は当然開いておらず、窓の内側にお守りや御札が飾られている。
『お帰りは、3時より桜の馬場までピストンでお送りします。桜の馬場からは、洛東タクシーがありますので、各自でお申し込みください』との看板が出ています。
夕方には車で送ってくれるそうです。
歩いて来た道しかないので、「桜の馬場」は登山口のことのようです。

醍醐~石山寺登山ルートの中間地点から、車で離脱できるのは安全の意味でも大きいですね。
僕らは貧脚夫婦なので、サイクリングやトレッキング計画を練る時、いつも途中離脱駅等もチェックしています。
無理すると、迷惑を掛けちゃうので、こういうのはありがたい。

20160508UshioS029s.jpg 鐘楼・修行道場があります。
20160508UshioS031s.jpg 本堂にお参りします。
『音羽山の中腹に位置し、垂仁天皇(AD0年前後)の時代、大國ノ不遅が山上に音羽山権現社を祀ったのが始まりで、金色に輝く一筋の水の源を訪ねて入山された延鎮上人によって、宝亀9年(778)に創建された。以来各宗派の修行僧の道場として栄え、弘法大師・理源大師・仁海僧正・智証大師などにより、山岳宗教の法統を残され、音羽山清水寺が建立されてから、奥の院として親しまれている』

離れているけど、清水の舞台で有名な清水寺の奥の院だそうです。
知らなかった。

20160508UshioS033s.jpg 屋台に、空き缶風鈴が下がっている。
売り物かな?
20160508UshioS035s.jpg 本堂の蟇股は龍の彫刻で、玉眼されていた。
蟇股の彫刻に玉眼は珍しいな。
20160508UshioS039s.jpg お賽銭箱上の鐘を見たら、その内側天井に、方角干支の方位盤が打ち付けられていた。
これまた珍しい。

木鼻の獅子彫刻にも玉眼が嵌められている。
20160508UshioS045s.jpg 牛尾観音の曲輪は、谷に向かって断崖なのですが、この曲輪を守るように大杉が生えている。
風格のある枝ぶりが立派で、樹齢500年は下らないでしょう。
1000年かもしれない。

下を覗くと細いしめ縄が巻かれているので、ご神木でしょう。
謂れ板を探したがない。
こういう木を見ると、手を合わせたくなる・・・日本人だなあ。


5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策5 南宗寺~船待天満宮~旧堺燈台

家内から、「葉が真っ朱に色づいてるよ」
たまに見かける春に色づく紅葉ですね。
20160501HankaiS248s.jpg 「カラーが綺麗だよ」、小さな湿地堀に真っ白な大ぶりの花が咲いている。
生花などで見かける花です。

横には、黄色が綺麗な菖蒲かカキツバタかあやめかが咲いてる。
乾燥・あやめ>湿地・花菖蒲>湿原・カキツバタと大雑把に覚えているが、僕には見分けがつかない。
5月だから花菖蒲かな?

『南宗寺 臨済宗大徳寺派の禅寺で、戦国時代堺を支配した武将・三好長慶が、父・元長の霊を弔うため1557年に宿院に建立。大坂夏の陣で消失し、現在地に再建された。境内には茶道を完成させた千利休や師・武野紹鴎の供養塔があります。
国の名勝「枯山水の庭」、八方睨みの龍が描かれた仏殿、山門・唐門は国の重要文化財』

『境内奥には、利休好みの茶室「実草庵」、武野紹鴎遺愛の「六地蔵石灯籠」、利休遺愛の「向泉寺伝来袈裟形手水鉢」がある』

20160501HankaiS254s.jpg こんなところに雰囲気の良い小ぶりな唐破風門がある。
利休供養塔を見ようと境内に入っていく。
拝観料400円で、語り部がついて説明してくれる。
でも、お庭も全て撮影禁止が残念。

千家一門の供養塔が一角に並ぶ。千利休を中心に、嫡流・堺千家を継いだ長男(断絶)、表千家・裏千家・武者小路千家を創設した子や連れ子の供養塔が並んでいます。
堺商人・津田宗及家の墓、平安時代から続く医学博士・医者の家系・半井家の墓、武野紹鴎の墓。
竹の棒を差し出され、玉砂利の庭の一角に当てて聞いてくださいとのこと、水琴窟です。
とても綺麗な澄んだ音が聞こえる。

枯山水の庭を見て、メインイベントの「徳川家康の墓」
家康は、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした翌年、1616年に亡くなったことになっているが、夏の陣・茶臼山の激戦で、後藤又兵衛の槍に籠の外から突かれ、堺まで落ち延びが、家康はすでに落命していたと言う伝説がある。

ここにはかつて東照宮があり、2代将軍・秀忠、3代・家光も詣ったという事実がある。
素敵な唐破風門も理解できる。
天海和尚=明智光秀説同様、意外に説得力がある。

仏殿天井の「八方睨み龍」は、確かにどこから見ても睨まれている。
関東で鳴竜などいろいろ龍の天井絵は見てきたが、素晴らしい出来です。
雲水の座禅修行道場を見せてもらった。
予約すれば、毎週日曜日朝から座禅を組めるそうです。

20160501HankaiS259s.jpg 「海会寺」
『大坂夏の陣のもとになった方広寺の鐘銘を書いた人として知られる「文英清韓」は当寺の住職で、墨跡屏風も遺っている』
なんと、鐘銘「国家安康」に、「家康を分断している」と難癖をつけて豊臣家成敗に立ち上がった家康ですが、それを書いた住職の隣に眠っているとは、歴史は素敵なことをする。
「天慶院」

13:27、「船待天満宮」
『痣神社 30代敏達天皇(589年)に出来物が出来た。
それを病む者は、身体を焼かれる思いで死んでいった。村民が、医薬の祖・少彦名命を祀り、神前に祈願すると霊験あらたかにして平癒した。江戸時代には、参拝人多く、門前一を成した』

20160501HankaiS276s.jpg 菅公腰掛石があったので、腰掛けてみる。
『ご祭神:天穂日命・菅原道真公 元塩穴郷にあり、塩穴天神社といわれ、天穂日命を祀る。その後延喜元年、菅原道真公が大宰府へ下る途中、河内道明寺を経てこの地に来たる。船を待つ間、この地に祀られていた道真公の遠い先祖・天穂日命の祠に参拝し、松の樹を植えて出発した。その後、長保3年菅原朝臣為紀という人が来られ、祖先の残した跡を調べ、官にお願いして天穂日命の社に菅原道真公を合祀して、「船待天神社」と改めた。その後、塩穴郷より今の地に移し再建した』

20160501HankaiS286s.jpg 13:47、旧堺灯台。
『明治10年(1877)建築。所在を変えず現存する木造洋式灯台として、日本最古。建築にあたって、土台の石積みは、旧堺港の港湾整備とあわせ、備前国出身の石工・継国真吉が携わり、建築工事は堺在住大工・大眉佐太郎が行う。点灯機械は横浜の灯台寮よりバービエール社(フランス)の機器を購入し、英国人技師ピグルストーンが行った。建築費2125円。点灯機械購入に360円を要した。それらは堺市民(当時は堺県)の寄付と堺県からの補助金により賄われた。以降約100年大阪湾を照らし続けたが、沖に向かって広がる埋め立てのため役目を果たせなくなり、昭和43年(1968)その灯を消すことになった』

まだ予定の2/3ですが、家内が疲れてきた感じがするので、帰路に着きます。
R26に出て少し北上し、r29にチェンジして「北津守」
ここからR43に乗って西進。

おっかない高速区間は、乗る前の信号で最後尾についてGO!しました。
r13で北上し、15:37「伊丹ダイヤモンドシティ・トイザらス伊丹店」で、「恐竜メガバッグセット・4318円」を購入。
半月後、長男の2人目の子・航くんに会いに新潟に飛びます。
お兄ちゃん・遼くんは、恐竜がマイブームのようで、「ティラノザウルス」のリクエストが来ていました。
ティラノザウルス含め、たくさんの恐竜の種類がセットになってるのをプレゼントすることにしました。
お店からお嫁さんに電話し、被らないように確認して購入。

16:36、自宅近所のコンビニで、「クリームチーズケーキ・濃厚スフレ・230円×2」購入。
おやつの時間帯で、ケーキセットを食べる予定でしたが、その前に帰路についたので、これで代用です。
コーヒーを作り、家内の好きな映画「メッセンジャー」を見ながら、喫茶タイムを過ごした。

2011年からずっと使ってきた無線「デイトナ・クールロボ・イージートーク」ですが、ペアリングに失敗することが多くなった。
寿命なのかな?走りながら家内とおしゃべりが困難になった。
困ったぞ。
タンデムの時はいいけど、2台で走るときは必須なのに・・・

5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策4 本願寺堺別院~菅原神社~開口神社~千利休生誕地~南宗寺

20160501HankaiS167s.jpg 10:52「覚応寺」
『浄土真宗・本願寺派。1324年伊予豪族・河野通有の子・通元が覚応と名乗り、創建。住職であった河野鉄南(1874~1940)は、与謝野晶子と和歌を通じて親交があり、与謝野鉄幹とは少年時代からの友人で、晶子を鉄幹に紹介した』

表札を見ると、「河野」さんでした。
伊予河野氏は、天武天皇の時代に伊予大領となって土着した歴史ある豪族です。
戦国時代にも、伊予の雄として、九州北部大友氏・中国西部大内氏・毛利氏・土佐長宗我部氏と抗争していた。
武士は戦死が当たり前なので、兄弟のうちに僧籍に入り、家系の存続を図るのが常套手段だった。

お隣が、「十輪寺」
1391年・板状塔婆、室戸台風で犠牲になった116人の生徒と2人の教員の地蔵が祀られていた。

20160501HankaiS183s.jpg 一帯は寺社町で、最大寺院が「本願寺堺別院」
『1476年、蓮如が、遣明貿易で繁栄し始めた堺に布教するために建立した。鐘楼の梵鐘は、大阪夏の陣後の堺復興を進めた長谷川藤弘が念仏寺に寄進したもので、1617年の銘があり、市内最古の梵鐘です(市指定有形文化財)。1825年に再建された本堂は、現存する堺最大の木造建築物です』

『堺県庁跡 明治4年の廃藩置県後、10年間当寺は堺県庁の庁舎だった。堺県は、
和泉・河内・大和を合わせた大きな県でした』

京都の東西本願寺には敵わないけど、大屋根にビックリする。
浄土真宗は、お金持ちです。
前述の梵鐘もさぞ大きな・・・と思ったが、こちらはごく普通の大きさでした。
戦災で焼けた記述があったが、敷地角に目を引く隅櫓が建ち、戦国時代は他の拠点本願寺寺院同様、要塞寺として機能していたことを想像させる。

11:14、「菅原神社」
20160501HankaiS202s.jpg 石田梅岩坐像が境内にあった。
京都・亀岡生まれで、「石門心学」は、近江の「三方良し」同様、身分制度では下層とされた商人に、商業倫理・道徳を説いた思想で、京商人を中心に信奉者が多くいた。
亀岡山中にある梅岩が思想を練った「石田梅岩・石門心学の道」をバイクで走ったことがある。

「なぜ、堺に?」と疑問に思ったが、商業都市・堺にも多くの信奉者がおり、顕彰像を作ったそうです。
20160501HankaiS208s.jpg 楼門を見ると、嫡孫に贈った五月人形・武者坐像が左右に守っていた。
我が家のは、菅原道真公の武者姿像だけど。
寺院に多い仁王像より、神社に多い武者坐像の方が、僕は好きです。

11:27、「開口(あぐち)神社」
「大阪府立・泉陽高校・発祥の地」の石碑がある。
『祭神:素盞鳴尊・塩土老翁(しおつちおじ)神・生国魂(いくたま)神 創建:神功皇后(1700年前)勅祭による』

神功皇后創建とは古い。
港を守り、最古の国道・竹内街道の西端。
行基建立の「念仏寺」(前述)があったそうで、その通称「お寺さん」とも呼ばれているそうです。
綺麗な和服を着た小学生のお嬢さんが、ご祈祷を受けるのか境内に華を咲かせていた。

家内はお茶・お花を小学生の頃より習い、和服を着慣れていたので、きっとこんなだったろう。
学生時代、初めて家内の実家を訪問した時、見せてもらったアルバムから、小学生時代の和服を着ている家内の写真をもらった。
お茶のお稽古の写真だそうです。
お財布に入れて、今でも毎日持ち歩いています。

おなかが減ったので昼食にします。
「うさぎ宿院店」にてラーメンを食べる。
煮干しダシだそうです。
僕は「梅ラーメン・850円」、家内は「煮干しラーメン・750円」、かなり美味しかった。

20160501HankaiS224s.jpg 12:07、「千利休生誕地」
『室町時代後期・1522年、納屋衆・田中与兵衛の長男として堺今市町のこの地で誕生。幼名・与四郎、後に宗易と号す。8代将軍・足利義政の同朋衆であった祖父・千阿弥は、里見義親の血統を引く。はじめ堺の長老・北向道陳について茶を学び、ついで武野紹鴎につく。織田信長の時は、今井宗久・津田宗及とともに茶堂として仕え、「三宗室」と称される。豊臣秀吉の時代になると、天下一の茶人として賞賛され、草庵茶をわび茶として大成させる。
天正13年(1585年)秀吉の禁中茶会において、正親町天皇より利休居士号を勅賜される。しかし、大徳寺山門に寄進した金毛閣に木像を掲げたことや、朝鮮出兵に際し秀吉の怒りに触れ、天正19年2月28日、自刃にて果てた。享年70才』

語り部さんがおられ、詳しく説明してくれた。
20160501HankaiS227s.jpg 敷地隅に井戸があり、その覆いは、利休が寄進した大徳寺山門を解体修理した時に出た当時の部材を譲り受け、それで組まれていた。
当時の斧型カンナで削られた木材なので、波打つカンナ跡がそのまま遺っていた。
裏千家茶道免許皆伝者の家内は、感慨深く聞き入っていた。

12:28、「南宗寺」
それほど大きな門ではなかったが、境内は広かった。
堺市内随一の広さだそうです。
20160501HankaiS241s.jpg 歴史を刻んでいそうな「甘露門」
20160501HankaiS240s.jpg 信長が畿内に入るまで、畿内・京を勢力下に置き、幕府に大きな影響力を持っていた三好長慶(1522~1564)坐像がある。
「徳泉庵」

5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策3 阿部野神社~帝塚山古墳~妙国寺

2人の生涯が細かく書かれ貼りだされている。
南向き副参道には、板塀にずらりと生涯が書かれている。
流石に大量の文字過ぎて、謂れ板好きの僕としても半日は掛かりそうな文字量です。

『征露戦役記念碑 東郷平八郎著』の石碑があった。
天王寺村出身者の従軍兵士の記念碑として、東郷平八郎が建立したそうです。
お稲荷さんの拝殿に入ると、『ご自由に中に入り、椅子に座り、商売繁盛の稲荷祝詞を奏上され、心ゆくまでご参拝ください』と書かれていた。

20160501HankaiS114s.jpg 椅子の前に祝詞がふりがな付きで置かれていたので、声に出して読んでみました。
子供の頃から聞き慣れた祝詞なので、神官さんのような節回しに自然になった。
面白いな。

『向鶴の由来 勲宮ご祭神・南部師行(もろゆき)公 奥州八戸根城南部10代・南部光経が、戦陣で戦勝祈願した時、夜明けの空に2羽の鶴が舞い、九曜の星が空から降ってくる夢を見て、大勝利を収めた。これに因み「2羽の鶴が向かい合い、胸に九曜の星をつけた「向い鶴紋」を南部家の家紋と定めた。
奥州八戸根城初代・南部師行は、後醍醐天皇に忠誠を誓い、北畠顕家公の忠君として足利方の大群と戦い、1338年大阪市堺市石津付近で、顕家公とともに戦死。
ここ「勲宮」に祀られる』

「帝塚山学院旧校歌」「大阪府阿倍野高等女学校・校歌」「住吉中学校・校歌」「阿倍野学園幼稚園・園歌」の歌詞が書かれた、プレートが立っている。
20160501HankaiS129s.jpg 拝殿両サイドには、『神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う』と書かれている。

20160501HankaiS132s.jpg 10:06「帝塚山古墳」
『4世紀末~5世紀始めの古墳。当初全長120m・後円部直径57m・高さ10m・前方部幅50m・高さ8m、周濠の跡も確認されている。埋葬者不明ですが、住吉に居宅があった大伴金村の墳墓とする説がある。明治31年、明治天皇が陸軍大演習を帝塚山から見たという碑が墳丘上に建っている。住吉村常磐会が、境界柵を設け、清掃を行っている』

10:28「日蓮宗・妙国寺」
幕末の堺事件の被告・土佐藩士が切腹した寺なので、その名残りでも感じたいと思いやってきたが、唖然の近代的寺院に雰囲気を感じることが出来なかった。
境内に立派な玉垣に囲まれた慰霊墓があった。
20160501HankaiS145s.jpg 中央に日蓮宗独特の字体で刻まれた石碑が建ち、左右に『土佐藩11烈士之英霊』『仏国遭
難将兵慰霊碑』が建てられている。

大阪湾測量中のフランス艦が堺港に入港し、兵が婦女子を冗談半分にからかったのを、警護の土佐藩士が無礼討ちした事件で、江戸時代の武士が刀を抜くときは、よっぽどの覚悟を持って抜いたので、それを頭に入れて想像すれば、フランス兵の冗談は、当時の日本では受け入れがたい侮辱だったのだろう。
銃撃戦の末、フランス兵13名が死傷した。

幕府役人も、同じ時代を生きた者なので、被告にするには忍びなかっただろうが、国力の差を感じて、フランスの怒りに従わざる終えなかったのだろう。
当初20名の土佐藩士に切腹の沙汰が下ったが、検分役のフランス兵が12名の切腹までしか見られず、切腹中止になり残りは土佐に流刑処分された。

「妙国寺永代納骨堂」があり、扉に手を触れると開いた。
ロッカーのように扉付きの納骨棚が並んでいた。
「・・家」と名札が下がったロッカーはまだ少なかったが、共同墓としてこういうのもアリだと思う。

道には、「土佐11烈士墓所」と刻まれた石碑が矢印しているので、それを探す。
「本受寺」に、西宗真(キリスト教名ルイス)の大きな五輪塔があった。
『肥前大村の家臣として1596~1615年にかけ、徳川幕府のもとで海外渡航の朱印を受けて度々渡航し、徳川家康に海外の様子を報告していた。1616年より堺に居住し、菩提寺となった』

20160501HankaiS159s.jpg 墓所は、「高野山真言宗・宝珠院」内にあった。
しかし「宝珠学園幼稚園」敷地内なので施錠されており、近くまで行けない。
「御用の方はインターホンで・・・」と書かれていたが、たった数分のためにご足労願うのも気が引けるのでパス。

『明治維新に起きた堺事件で切腹した土佐11烈士の墓がある。堺事件とは、1868年2月15日夜明け、大阪港内を測量中、堺へ上陸したフランス軍艦デュプレー号水兵と、堺を警護していた土佐藩士とが衝突し、フランス兵十数名の死傷者が出た。フランス側は、事件に関わった者の処刑、15万ドルの賠償など5ヶ条の謝罪を要求した。政府は、警備隊長・箕浦猪之吉以下20名の土佐藩士に切腹を命じ、妙国寺境内で、フランス軍士官立ち会いのもとに行われた。しかし、壮絶な切腹光景にフランス軍士官は、11名が切腹し終えた時点で中止を申し入れました。11名の遺骸は、前藩主・山内容堂らにより当寺に葬られ、手厚く葬られました』

5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策2 北畠顕家墓~阿倍王子・安倍晴明神社~天神森天満宮~阿部野神社

『北畠顕家公 後醍醐天皇の王政復古の理想により、鎌倉幕府を支配していた執権北条氏を新田義貞他の諸将の協力により討滅し、建武の中興が成った(1333年)。
当時参議左近衛中将だった北畠顕家は、武芸とは無縁の公卿の身でありながら、後醍醐天皇の命により、16才の若さで陸奥守に任ぜられ、皇子・義良親王を奉じて、父・親房と共に奥州に向かい、その地の鎮護に当たった。
2年後、鎌倉にいた足利尊氏が天皇に反して京へ攻め上ったので、顕家は天皇の命で奥州・関東軍を率いて、長駆攻め上り、足利勢を九州へ敗走させる。
京都を確保した後、奥州へ戻ったが、尊氏は九州で勢力を盛り返し、京都に攻め上がってきた。これを迎撃した楠木正成は湊川で戦死(1336)、尊氏は京都に攻め上がったので、後醍醐天皇は神器を持って吉野に逃れ、南北朝が始まった。
吉野に遷都された天皇は、再度顕家の西上を促され、顕家は奥州の霊山を出発し、鎌倉に入り、伊勢・奈良と進撃し、足利方大将・高師直軍と摂津で対戦、天王寺阿倍野に転戦したが、戦利あらず次第に押され、出発時6万を数えた軍勢が、最後は身辺を護るわずか二十数騎となり、戦場の華と散った。享年21才。花将軍と謳われた悲運の貴公子である。
当墓は、「太平記」などの伝承により、江戸期の学者・並川誠所の提案で、1720年頃建てられた。 北畠顕家公・顕正会 事務所・阿部野神社社務所』

我家の庭よりよっぽど手入れされた立派なお墓が、公園の片隅にひっそり佇んでいた。
僕みたいな歴史好き以外訪問する者はいないだろう。
『別当鎮守府大将軍・従二位行権中納言兼右衛門督・陸奥権守・源朝臣・顕家卿之墓』

8:46、「阿倍王子神社」
『伊弉冉尊・伊弉諾尊・素盞鳴尊・品陀別命(八幡大神)の四柱を祀り、仁徳天皇のご創建と伝えられる。また往古この地を本拠にした阿倍氏の創建ともいわれている。平安朝より熊野詣が盛業するや、99王子の第2王子として阿倍野王子と称せられ、一般参詣者の礼拝・休憩の用に充てられた』

20160501HankaiS053s.jpg 隣に「安倍晴明神社」があった。
ご神木のクスノキの巨木が数本、参道に立っている。
20160501HankaiS065s.jpg 摂社の稲荷社の覆屋に守られた本殿が、素晴らしく歴史を刻んだ風格を漂わせていた。

20160501HankaiS066s.jpg 次の神社を探していると、9:10阪堺電鉄「天神ノ森駅」に出くわした。
ちょうど青/黄色ツートンの1両電車がやってきた。
サイドにデカデカと「岡崎屋質店」の描かれている・・・ド派手。
もう少し南に行くと、路面電車になるので、ここも駅員も改札もない出入り自由オープン駅です。
時刻表を見ると、20分に1本の運行です。

20160501HankaiS070s.jpg 9:14、駅の横が鎮守の森で、「天神森天満宮」
菅原道真の血が流れる母親の家系故、僕は「天満宮」を見ればやたらに寄ります。
『天神森天満宮・天下茶屋天満宮・子安天満宮・紹鴎天満宮 祭神:菅原道真 末社:天照皇大神・猿田彦命・倉稲魂大神(稲荷大明神) 祠:白雪龍神・白髭龍王・白龍大明神 道真公が筑紫に左遷されたおり、住吉明神への参拝の途中、この地で休息された。その後祠が建立され、京都北野天満宮の分霊を奉斎し、現在の本殿は1702年建設された。
「子安石」は古くから安産の神として信仰され、豊臣秀吉も淀君懐妊の時参詣し、安産祈願された。「紹鴎森」、樹齢600年を超えるクスノキの森は、「天神ノ森」と呼ばれ、茶道中興の祖・武野紹鴎(千利休の師)がこの森の一隅に茶室を作り、風月を友として暮らしたので、「紹鴎森」とも呼ばれた。秀吉公が堺政所に往来の途中、天満宮西側の茶店で休息、この付近の風景を褒めたことから、「殿下の茶店」・・・「天下茶屋」と称することになり、「天下茶屋天満宮」と呼ばれることになった』

8月に次男の子が無事生まれますように、手を合わせた。前述の龍関係の名が刻まれた大石が並んでいる。
龍は水と関係があるので、雨乞い神事をした場所だろうか、雰囲気として井戸や湧水の場所だったように想像した。

20160501HankaiS095s.jpg 9:34、「阿部野神社」をやっと見つけた。
小高い丘の西縁で、西向き参道・鳥居があるので、かつては海が迫っていたのだろう。
南北に走る阪堺電鉄のライン沿いに神社が並んでいる。
海の神・住吉大社も少し南に並ぶ。かつては神社から直接海が望めた風光明媚な磯岡だったはずです。

『祭神:北畠親房公・北畠顕家公 北畠親房公は後醍醐天皇の信任厚く、吉野遷幸後は、吉野朝の中心人物として、伊勢・常陸に於いて、京都回復の計画を進めた。後醍醐天皇崩御後は、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸・小田城で「神皇正統記」を著した。後、吉野に帰り、後村上天皇を助け、1354年亡くなられた(62才)。
顕家公は・・・21才で戦没された。現在地は顕家公が足利軍と戦った古戦場で、明治15年「阿部野神社」と号して創立。明治23年別格官幣社に列せられた』

5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策1 今宮戎神社~通天閣~一心寺~北畠顕家墓

家内もお休みなので、タンデムツーリングに出ることにしました。
7時過ぎに家を出ます。
いつもなら家内を駅に送り、都会は電車で抜けてもらいますが、この日の目的地は阪堺電鉄沿線なので、全日タンデムです。

r13を南下し、R2・玉江橋交差点を越え、R43まで南下し、R43で東進開始。
「新伝法大橋」を渡り、弁天町。
制限速度40km/hなのに、高速道路並みにぶっ飛ばす車が多い高架部分が怖いので好きじゃない部分を集団のビリについてクリアする。

20160501HankaiS013s.jpg やっと地上に降り、7:45「今宮戎神社」
1/9・10・11の「えべっさん」では、本宮の西宮戎神社以上にマスコミ露出度が多い神社で、1年の稼ぎをたった3日間で稼ぐという商売の神様です。
こちらには初めて来ました。
意外に社地が小さく、TVの様子を相続すると、この周囲は大変な混雑になっていそう。

玉垣には、「大洋漁業」「朝日麦酒」、手水は「松阪屋」と名だたる企業名が、あちこちに見える。
恵比寿様は、日本列島・葦原中津国を開拓された「大国主命」の長男「事代主」が化身された神様です。
天照大神が差し向けたタケミカヅチの要求(地上の支配権を渡せ)に同意した時、海に出て釣りをしていたので、釣り竿を肩にタイをぶら下げたあのスタイルです。

20160501HankaiS014s.jpg 拝殿を覗くと、正面絵馬が鯛でした。
20160501HankaiS016s.jpg 5/1は神事があるようで、神主装束の方々が数人歩いておられます。
スーツを着たおっちゃん達も集まっている。
労働者の「・・反対」「・・要求」の大会よりよっぽど良い。
赤旗を振ってのシュプレヒコールの時代じゃないと思う。

20160501HankaiS023s.jpg 鰹木7本・千木が縦斬りで、男神を表している。
鳥居はクボタからの奉納で、門柱は「高島屋」でした。
R25を東に走り出すとすぐ、「あれ、何だったっけ?」と家内から無線で。
20160501HankaiS031s.jpg 「通天閣だね」
Uターンして見に行こうと交差点に止まると、天王寺動物園が目の前でした。

8:12、「通天閣」下。
朝早いから閑散としているが、怪しい雰囲気が漂う。
中国人観光客か、通りからやたらと看板などの写真を写している。
ビリケンさんとツーショットの観光客もいる。

20160501HankaiS035s.jpg 台座に「BILLIKEN THINGS AS THEY」と刻まれていた。
意味がわからず調べたら、元は「THE GOD OF THINGS AS THEYOUGHT TO BE」と書かれていたようで、「万事あるがままの神」という意味らしい。 
20160501HankaiS036s.jpg 看板にしてはド派手な「づぼらや」のふぐがぶら下がり、立体えべっさんや、立体鶴&亀の鶴亀屋の看板が並んでいる。
日本の侘び寂び文化・清潔・清楚な常識を遥かに超えています。

8:20、「一心寺」
納骨のお骨で仏像を造るので有名。
墓守がいないなら、これで十分ですね。
誰でもいずれ忘れ去られ無縁仏墓になるのだから、永代供養されるからいいね。
僕もいずれそうなると思うので、京都のお寺に分骨し、永代供養の手続きをする予定です。

「あべの筋」を南下し、8:35「北畠公園」
南北朝時代、後醍醐天皇を補佐した公家・北畠親房の嫡男として、南朝方最強の「みちのく軍」を率いた公家武将のお墓があります。
20160501HankaiS045s.jpg 鎌倉幕府を倒し、「建武の新政」を共に成した足利尊氏と後醍醐天皇。
やがて仲違いし、後醍醐天皇勢力を削ぐため、北畠顕家を遠国・陸奥守に左遷した。

若干二十歳に満たない顕家は、赴任先で人望を集め、大勢力・強軍となって京に攻め上がりました。
源氏本拠地の関東を突破し、各地を「ぺんぺん草さえ生えていない」という徹底的な破壊に、足利尊氏も敗軍し、命からがら九州に落ち延びた。

九州での殲滅寸前の戦いで起死回生の勝利を収め、逆に攻め上り、京都を回復した。
これを見た顕家は、再び兵を起こし、前回同様の快進撃で京に迫った。
尊氏は再び敗軍を覚悟した時、何故か北畠軍は琵琶湖東岸から、一気に京を攻めず、北畠家の本拠地・伊勢で休息を取った。

20160501HankaiS047s.jpg 大和を西神し、阿倍野から京に攻め上がる時、体制を立て直した北朝軍を率いた高師直軍に敗戦し、あっけなく討ち死にしてしまった。
21歳という若さゆえ、退却する冷静さを欠いたためかもしれない。

2年前、戦国末期に信長に乗っ取られるまで、伊勢守であり続けた北畠家の本拠地を訪問した。
経済力の乏しい山中の田舎なのに、北畠家館跡の北畠神社は綺麗に清掃され、社殿も立派だった。
天皇家から維持費が入っているように見えた。


5/2・北摂里山早朝ツーリング

4時に目が覚めました。
春秋バイク装束に着替えて、「招き猫CB400SB」を出します。
燃料計が半分以下を指しているので、満タンにしましょう。
4:35、「セルフ宝塚176」246km/10.94L=22.5km/L。

車載カメラをセットし、GO!定番の「長尾山トンネル」を抜け、「長尾山大橋」に出ると、一気に里山田舎の景色です。
僕はなんて素敵な場所に住んでいるのだろう。
r325~r33。
先週、新名神工事で橋桁を落とす事故があったので、武田尾方面の工事進捗状況を見に行こうかと思ったけど、パスして北上します。

工事用ダンプなどがじゃんじゃん走り、関連工事として予算がついたのだろうお気に入りの田舎道でも改良工事があちこちで始まっている。
新設SA予定地周辺も大規模な工事が進んでいる。
SAにはスマートICが導入されると予想している。
ここを目指して、お気に入り道も交通量が増えるだろうな。

20160502HokuS001s.jpg ノスタルジーに浸っていてもしょうがないので、前向きに前向きに。
宝塚トンネル渋滞が解消されるはずです。

r33終点を左折し、r68をちょこっと走り、お気に入りのr319に乗ります。
交通量はほぼなく快適に走り、「上佐曽利」でr319に乗り換えて西進。
20160502HokuS006s.jpg 峠を越えて「波豆川」、定点観測ポイントをパスし、5:12水が張られ、田植え直前の田んぼ横にバイクを止める。

早朝の人工音の静けさの中で、ウグイス他野鳥のさえずりが賑やかです。
5月は、夜明けが早くなり、野鳥の恋の季節なのでさえずりが華やかで、新緑が美しい。素晴らしい季節です。
フジがもっと目につくかと思っていたが、やはりポイントに行かないと目につかない。
キジのメスを呼ぶ大きな声が、遠くから聞こえる。

20160502HokuS012s.jpg もう一つ峠を越えて、高島地区へ。
「道路横断毛虫」が始まっている。
茶色の毛がいっぱいの毛虫くんが、毎年春になると道路を横断する。
そしていっぱいぺちゃんこになる。
なぜ、横断するのだろう。
アスファルトの上を横断するのは危険ですよ。

20160502HokuS016s.jpg 「半鐘の家」の角を曲がって羽束川の東を北上する。
道なりに羽束川を渡り、r37に合流して北上。
途中で左折し、5:30お気に入りの「高売布神社」前で休憩。

雲一つない空に正面の大船山が堂々としている。
その肩から朝日が昇ってくる。

更に北上し、r309に突き当たり左折。
峠を越え、r49に合流。これまた気持ちの良い黒川沿いを南下する。
中大兄皇子(天智天皇)のお胤悲哀伝説が残る「小野大日堂」を横目に・・・、権力闘争悲哀が残る「花山院」も通り過ぎる。

有馬富士横を通り過ぎ、r309で東進。
高島でr323にチェンジし、再び「半鐘の家」。
20160502HokuS031s.jpg 峠を越えて、6:01「波豆川定点観測ポイント・八坂神社」前で休憩。
野鳥のさえずりを堪能する。
波豆川沿いを南下し、r68を渡り、「西谷農協大池」。
r33のショートカット道を南下し、r33~r325~長尾山トンネルの定番コースで、6:38帰宅。


4/24・京都三条通・歴史探索6 怪しい大学~新人勧誘ヨット試乗会終了

数年前のこの時期、「孔雀飼育研究会」の勧誘をやっていた。
おもろそうなので聞きに行ったら、「友人から孔雀を譲ってもらったので、研究会を立ち上げ、みんなで飼育しようと思って・・・」
僕の母校ではまず考えられない。

前述の寮は、寮費が月300円で、今にも崩れそうな木造寮ですが、愛してやまない学生がおり、学校側からの建て替え要請に断固反対している。
そして教職員会もそれを許し、ズルズルそのままの姿で、怪しい雰囲気のまま建っている。
ヨット部員も暮らしている鉄筋コンクリート寮でも、寮費700円。
「ロバ飼育研究会」のデモンストレーションだったのだろうか?この学校は、学生も教職員も、実に怪しい。

9:30に男子3・女子3人を乗せて、山中越で琵琶湖へ。
10:03、ハーバー着。
ここからレスキューに乗り、試乗会開始です。
先週は午後から風が10m/sオーバーになり、試乗会は半日しか出来なかったけど、時折日が差し込む2~4m/sの試乗会日和になった。
16時前に、今年の新人勧誘試乗会を全て終了。

駐車料金、9:59~16:06・300円。
合宿所に向かう。
鍋夕食が始まり、食べながら僕の話を20分聞いてもらった。
新入生の自己紹介タイムが始まり、大盛り上がり。
最後にキャプテンの挨拶で終了。

19:16、男の子7人乗せ、合宿所を出発し、山中越で京都に戻り、正門前で皆を下ろす。
19:44、正門を出発し、名神高速~中国道で、20:49・自宅着。
家内が起きてきて、夕食を用意してくれた。
新人勧誘試乗会マンス終了。
プレイヤー11名・マネージャー2名獲得出来ました。


4/24・京都三条通・歴史探索5 吉田神社~怪しい大学

20160424KyotoS139s.jpg 拝殿で去年から続く定番のお願いをし、中の本殿を覗く。
本殿は四社横並びのようです。
拝殿前の砂利境内も、竹箒で筋が付けられ、踏むのさえ勿体無い感じがする。

20160424KyotoS145s.jpg 檜皮の奉納料300円、護摩木300円、割絵馬300円。
護摩木に願い事を書き奉納。
割絵馬にも願い事を書いた。
割絵馬は、簡単に半分に割れ、願い事を書いた半分を絵馬飾り所に下げて、社名が書かれた半分を持ち帰ります。

階段を上がり、「神楽岡社」
祭神は、大雷(おおいかづち)神・大山祇(おおやまづみ)神・高おかみの神。
雷の神様と山の神・水の神・・・農業関係の神様で関係づけられる。
雷が鳴ると雨が降るので、怖いけど歓迎される。
そして夏に雷が鳴り出す事によって、稲が妊娠し、稲穂に米の実が入ると信じられていたそうです。
よって雷は、「稲妻」と呼ばれるようになった。

玉垣の向こうの木に、「ご神域につき立入禁止」の札が下がっていた。
古代からのこの神域立入禁止の信仰が、日本の自然を守り、そこに暮らす人々の暮らしのライフラインを守り、ずっとそこに暮らせる土地を守ってきた。
飲める水・稲が育つ水の供給源である山に神が宿るとして神域にし乱開発を防ぎ、いつまでも同じ水が使える環境を守った。

湧水があると、そこに鳥居が立ち神域になる。
京都は、それが実に多い。
だから、回りを住宅地に囲まれ孤立した小山である吉田山に一歩入ればウグイスのさえずりが聞こえる。
哲学の道にホタルが飛ぶ。
嵐山の観光地にある農地に、獣避け電気柵が必要なほど、鹿が身近にいる。
吉田神社が吉田山の自然を今に伝え、学生の街でここで産声を上げた最先端世界企業本社と、古来からの自然を共存させている。
これが京都の魅力のように思う。

吉田神社横の京都大学の校舎を見ながら、「若宮社」
祭神は、天忍雲根(あまのぬしくもね)命。水の神です。横に「さざれ石」と鹿の像があった。

国歌「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」
「君(天皇)の代が、小石砂まじりの石が固まって岩となり、更に苔がつくまで続きますように」という願望の歌。

20160424KyotoS156s.jpg 「天皇崇拝だ」とマイナスイメージで捉える方もいますが、今生きている日本人の大部分は、先祖を遡れば「源平藤橘」4つの姓につながっている。
その他、清原・菅原・・・みんな最初は天皇家に生まれた孫が「臣籍降下」により、姓を頂いて皇族を離れた者です。
つまり殆どの日本人のルーツは、天皇家に繋がるとうこと。

天皇を中心にまとまっている部族・人種が日本人。
君が代は、つまり「日本人がまとまって平和に暮らす世の中が永遠に続きますように」との願い。
僕らが、親世代から受け継いだものを、次の世代にそれをバトンタッチしていかなきゃ。

20160424KyotoS164s.jpg 更に階段を上がり、「菓祖神社」
「吉田神社・斎場所大元宮」
下って行くと、朱鳥居に「京都八ツ橋商工業協同組合」と書かれていた。

『菓祖神社 祭神:田道間守(たじまもり)命・林浄因(はやしじょういん)命 田道間守命は、11代・垂仁天皇の命を受け常世国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を日本にもたらした。林浄因命は、初めて飴入りの饅頭を作り広めた。古来、二神は菓子の祖神として、また文化の神として崇められ、京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成』

『山陰神社 祭神:藤原山蔭卿・恵比寿神 山陰卿は、清和天皇貞観元年(859)奈良春日の大神を勧請し平安京鎮護の神として、吉田神社を創建された。また、我が国においてあらゆる食物を調理調味づけられた始祖であり、古来包丁の粗料理飲食の祖神にして崇敬厚き神である』

玉垣に、「京都川端料理飲食業組合・京都七條料理飲食業組合」と彫られ、個別店名が彫られた玉垣が並んでいた。
吉田神社横に「吉田幼稚園」がある。
こういう歴史ある神社で育った子は、大人になって何を感じるのだろう。

参道の玉垣に、「三高同窓会奉納」と書かれ、個人名玉垣が並んでいる。
三高は京都大学の前身ですね。

9:10に、大学正門時計台前の集合場所に着く。
20160424KyotoS171s.jpg この学校名物の怪しい寮の住人が、寮生募集の勧誘テントを出していた。
テントが張られ、その下に畳&こたつ。

『5日間ぶっ通しコンパ開催中!本日まで。メシあります。いつでも誰でも何度でも。総長どの一緒に食おう!』
怪しい、実に怪しい。

20160424KyotoS174s.jpg 正門の方から、ヒーヒーと聞こえてくる。
そっちを見ると、ロバ・・・腰の左右に編みカゴをぶら下げて・・・アンデスの高地をインカ人と歩いている風です。
綱を引いている学生風男子も服装が決まっている。
なんじゃこりゃ~。


4/24・京都三条通・歴史探索4 車折神社~鹿王院~嵐山~吉田神社

「清めの社」があった。
「清めの盛り塩」のような三角錐のコンクリート製オブジェが、鳥居と本殿の間に置かれている。
「清めの塩」には、悪霊を断つ・遠ざける意味もあるが、家の前に盛り塩することで幸運を呼び込んだ故事もある。
いずれにしても、人が生きていく為に必須の塩は、いろんなものを惹きつけそうだ。

平安時代の貴族は、夫婦別居・多妻で通婚だったので、ご婦人は夫を呼びこむために「盛り塩」したそうだ。
夫人宅に向かう夫が乗る車を引く牛を、塩で止まらせる作戦だったとか・・・
なるほど、「盛り塩」はお金持ちの間でも重要だななんて脳内妄想すると楽しい。

天満神社があり、神明神社も摂社として境内にある。
芸能関係の故事の謂れ板を期待したが、これといってない。
「東映・太秦撮影所」がほど近いところにある。
この一帯はかつて時代劇映画全盛期に映画会社や芸能プロダクションが集積した場所で、芸能人の参拝者が多いということで、いつしか芸能神社の看板が上がったのかもしれない。
あるいは、傀儡や白拍子など庶民を芸能で喜ばせる集団の根城がこの界隈にあったのかもしれない。
それらの集団の願い社だったのかも・・・

20160424KyotoS092s.jpg 北側の搦手口にも鳥居があり、その向こうになんと電車の駅が見えています。
京福電鉄の駅でしょう。
「車折神社駅」でした。
ホームへの改札がなく、田舎の駅のように直接ホームに上がれます。
10分間隔で電車が走っています。
気に入った~。

確か1日乗り放題切符があったはずなので、嵐山の駐車場に車を置き、家族で電車で京都を巡るのも良さそうです。
駅で脳内想像の翼を広げていると、電車がやってきた。
電車自体、1両編成でラッピング車両もあり可愛い。
これはお嫁さんたちに受けそうです。

三条通を西に走り、京福電鉄で言えば「車折神社」の次の駅「鹿王院」に、7:37着。
20160424KyotoS114s.jpg 山門の向こうにまっすぐに石畳が続いています。
石畳横は低木と苔の庭園。
すごくいい感じ。

『鹿王院(ろくおういん) 覚雄山と号する、臨済宗の寺院。1380年足利義満が普明国師を請じて大福田宝幢禅寺を建立し、その境内に開山塔を建て鹿王院と称したのが起こり。宝幢禅寺は、京十刹の第五に位し、近在の天龍寺と並び偉容を誇ったが、応仁の乱で消失し、当院に合併された。1667年酒井忠知の子が当院堂舎を再興し、現在に至る。仏殿(開山堂)には、本尊釈迦如来・十大弟子像・普明国師像・足利義満像を祀る。舎利殿には、源実朝が宋から求めたという仏牙舎利を納めた宝塔を安置している。寺宝としては、夢窓国師画像、明兆筆釈迦三尊及び三十祖画像など、多くの貴重な文化財を蔵する』

『鹿王院庭園 室町時代に任庵主が作庭した名園がありましたが、惜しくも廃絶し、現在客殿の南に広がる庭園は、1763年頃の作庭です。舎利殿を中心に石組がなされており、背後はるかに嵐山が望まれる』

臨済宗なので禅寺です。
禅宗は僧の修行場としての色が濃く、庶民との関わりは薄いが、その分落ち着いた静かな時間が流れているでしょう。
拝観時間前なのが残念です。

更に西に進むと、嵐山に出ました。
20160424KyotoS123s.jpg 桂川越しに渡月橋・嵐山を望む。
地図を見たら、車折神社と桂川の距離は直線距離で200mほどしかなく、上流のダムや堤防で川筋が狭く定められた現代と違うので、車折神社の裏はすぐ桂川の河原だったのでしょう。
角の取れた石が多かった「祈念神石」の起源は、神社の裏の河原のようです。

三条通を引き返します。
千本通を北上し、丸太町通を東進します。
京都御所の南面を通ります。
屈強な警官が交差点に立っていたが、東京の皇居周辺のような物々しさはなく、お堀も土塁も石垣もない。
これが、日本国民に古来より長年愛され続けてきた天皇の住まいのあるべき姿に思えます。

東京一極集中を緩和すべく、文化庁の京都移転がなされるようですが、天皇の住まいを京都に戻せば、一気に情勢が変わるような気がする。
「風林火山」の武田信玄が、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」を、館しか持たなかったことで実践したが、古来より天皇暗殺などなく石垣が無用であった天皇家の姿を、目に見える形で見せれば、日本の天皇が王ではないということがわかるはずだ。
皇居周辺に武装していない公家が住み、皇居の治安・行幸警護のために少数の兵がいたのみの天皇の姿が。

鴨川を渡り、東大路通を北上します。
東一条通に入り、8:17「吉田神社」
20160424KyotoS125s.jpg ちょうど神人さんたちが、掃き掃除中でした。
駐車のことを聞くと、短時間のお参りなら無料ですとのことで、参道脇に駐車しました。

『今宮社四神石 今宮社に四神石あり。本殿東南に青龍石、西南に白虎石、西北に玄武(亀)石、共に三石あり。東北の朱雀石は内陣にありと伝えられる』

石段参道を上がり、吉田神社へ。
ここは商社マン時代の親父が取引をしていたお宮です。
繊維商社だったのでそのような物だろうが、何をどのように取引していたのか知らない。
僕の中では、京都といえば吉田神社なんだよね。
次男が京都の大学に入学し、京都に来ることが増え、僕ら夫婦が百万遍知恩寺に分骨しようと考えたのも、この吉田神社の近くだからです。


4/24・京都三条通・歴史探索3 車折神社

更に西に進み、6:57「車折(くるまざき)神社」
ピンクの八重桜が満開です。

『水神社(龍神様) 昔、大堰川がこの近くまで流れていた頃、氾濫を鎮める為に水神様に祈願していたことに由来する。龍神様のご神力は強大であり、「昇竜」の如く運気・才智が向上するご利益を頂けます』

朱色の板に名前が書かれた板垣が境内のあちこちに整然と並んでいます。
20160424KyotoS056s.jpg コロッケ・川島なお美・さま~ず・高岡早紀・・・芸能の神社なので、芸能関係者の見知った名前があちこちに見える。
「兵庫・赤星憲広」なんてのもあった。
阪神タイガースの切り込み隊長だったのに、引退してからはこちらの世界の人になったようです。
「水戸黄門1200回」として、里見浩太朗・東幹久・的場浩司・雛形あきこ・・・なんて名が並んでいた。

20160424KyotoS060s.jpg 『芸能・芸術・技芸・人気運の神様 芸能神社 「朱塗りの玉垣」のご奉納受付中 ご本人様・正式に許可を得た代理人様のみの受付となります。奉納料10000円(期間は2年)』

20160424KyotoS065s.jpg 『清少納言社 車折神社のご祭神・清原頼業公と同族(清原氏)である「清少納言」を祀る神社。平安時代の中期に一条天皇の中宮に仕えた才女である「清少納言」にあやかり、「才色兼備」のご利益を授かりましょう』

『車折神社 ご祭神・清原頼業は、平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王のご子孫にあたり、一族には清原元輔、その娘・清少納言らの名も見られます。大外記の職を24年間も勤め、和漢の学識と実務の手紙は当代無比と言われ、九条兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた。
1189年に逝去し、清原家の領地であったこの地に葬られ、車折神社の前身となる廟が設けられた。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、神社に隣接して「宝珠院」という寺が営まれた。室町時代に至り、足利尊氏により嵐山に天龍寺が創建されるとその末寺になり、神仏習合で神社と寺が一体になり明治時代に至る。
頼業公は桜を愛でられ、その廟に多くの桜が植えられ、創建当時より「桜の宮」と呼ばれていました。後嵯峨天皇が嵐山・大堰川に御遊幸の節、この車前において牛車の車が折れた。「車折大明神」の神号を賜り、「正一位」を贈られた。
ご神徳(ご利益) 清原頼業公のご学徳により学業成就や試験合格はもとより、「約束を違えないこと」をお守りくださる霊験あらたかな神様として、全国に強い信仰があります。
恋愛や結婚においても、様々な約束事や誓いが守られ、順調に成就・進行するご加護(良縁成就)が頂けます。
祈念神石 古来より当社に伝わる、願い事を叶える神石 願い事のある方は、社務所にて祈念神石を授かり、神前において願い事を心中にて強く念じた後、持ち帰り、願い事が成就した折には、自宅や海・川・山などで石を1個拾って洗い清め、その石に「お礼」の言葉や祈願内容を書き記し、授かった祈念神石と共に神前に返納する慣わしとなっています』

清原氏は、皇族から臣籍降下した豪族で、みちのくに下り、一大勢力を養い、源氏の大躍進の元となった八幡太郎義家との協力や対立で、一時代を築きました。
清少納言は、清原家の少納言職を得た娘ということですね。

「良縁成就」には、ドキンとしました。
僕の結婚式で、取引先メーカーさんから贈られた色紙に書かれていた文字です。
この4文字の中に僕の名前が入っています。
家内の氏名4文字と僕の氏名4文字を散りばめた短歌がしたためられていました。
この色紙が入るデジタル掛け時計がプレゼントされ、今でも玄関正面に飾られています。僕ら夫婦・家族は、この時から始まりました。

『波留は車折神社 あの有名人の開運神社 「実は私、これまでの人生で、ほとんど初詣もしたことがなかったんです。でも2014年12月ドラマの撮影で京都に行った時、1日だけお休みが出来て・・・」と語るのは女優・波留(24)。現在朝ドラ「あさが来た」のヒロインとして人気急上昇中の彼女。実は女優人生を変えたのは、オフの日の京都観光だった。「マネージャーさんと「撮影所に近い車折神社にも行こう」と言う話になりました。神社で「女優の仕事を長くやれますように」と言う願いを言を書いて、お祈りしたんです。その後すぐに「あさが来た」のお話が決まって、本当に凄い神社だと思いました。「びっくりポン」ですよ」』

20160424KyotoS082s.jpg しめ縄で結界された場所に小石がたくさん積まれています。
『祈念神石について これらの石は、「祈念神石により願い事が成就した方がお礼として」奉納された石です。祈念神石は古来より信仰の続く、あらゆる願い事・悩み事に霊験あらたかな神石です。祈念神石は社務所で授与しています。神石料は500円より。祈念神石についての詳しい説明書も社務所にございますので御覧ください。注:神社境内の石を持ち帰るのは間違った行為です』

4/24・京都三条通・歴史探索2 木島座天照魂神社~斉宮神社

ここの鳥居は、素朴な大木を複雑な加工もせず、無造作に鳥居形に組んだものでした。
古代の歴史ある霊泉を守る神域を示す感じで、好感を持ちました。

「椿岡大明神」というお狐さんがあった。
「白清社」「白塚」、日本各地で神の使いとされる白い狐を祀っているようです。
20160424KyotoS020s.jpg 「元糺の池」は、足浴が出来るような構造になっている。
あいにく水が枯れているので浸けられませんでしたが、夏など参拝者が足を浸けているのでしょう。
20160424KyotoS021s.jpg 拝殿は社叢で暗いので、灯籠と提灯に電灯が点いていた。
素敵な神社でした。

『市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果たしてきた秦氏との関連を含め、大変貴重なものとして昭和60年に京都市の史跡に指定された』

20160424KyotoS031s.jpg 三条通を更に西に進み、6:51「斎宮神社」
謂れ板の文字が薄れ読みにくく、残念に思いながら社務所に行くと、『御朱印についてのお願い 御朱印は、ケースの中のゴム印を使って、ご自由に押してください。押し方は、左記の見本を参考にしてください。御朱印料は特に定めていません。お心持ちを拝殿の賽銭箱にお入れください』と書かれていた。

20160424KyotoS037s.jpg セルフサービス御朱印のようです。
『この中に由緒書が入っています。ご自由にお取りください』

『祭神:天照皇大神 垂仁天皇第2皇女で初代の斎宮として、天照皇大神のご神体を奉じて各地を巡歴し、ついに伊勢にこれを鎮祭して神宮を創祀せられた倭姫命の別荘のあった所である。里人が祠を建て、天照皇大神を勧請した。
斎宮は、土御門天皇の御代まで41代続いたが、この地は斎宮が禊を修せられた所である。
「斎宮」は、伊勢神宮に仕える未婚の皇女または女王の称で、斎王とも言う。7世紀後半の天武天皇の頃に制度化され、天皇の即位に際し選ばれるのが例で後醍醐朝以降に廃絶するまで続いた。選ばれた皇女・女王は、宮城内の初斎院で潔斎し、宮城外の浄地に斉宮を設け、潔斎所を移し、川で禊・祓の儀が行われた。この神社は、こうした野宮の1つで、有栖川家禊の旧跡である。斎宮が3年間潔斎した後、伊勢に下向することを群行と呼ぶ。境内にある椋の木は樹齢数百年で板根は2m近い。下嵯峨街道(三条通)にも同じく椋の大木が2本あって、社地の広さを物語っていたが、交通量の激増により昭和35年伐採された。
『生田(おいだ)』地名の由来は、斎宮神社の馬場の松並木の小枝が風に揺れる様から「小枝村」と称したのが転化した』

斎宮って、3年間も禊・祓いを繰り返したのですね。
生涯斉宮というわけではないが、女性として最も華やかな娘時代を神に捧げる過酷な役目です。
神は不浄を嫌うので、当然女としての喜びを覚えることもない。

国連の女性人権委員会が、「日本の天皇継承を、男系男子に限っているのは、女性差別だ」として、日本にその改正を求めたことがあったが、日本国の太古から続けてきた国柄を破壊する行為そのものです。
内情実情を知らない浅はかな指摘に感じた。
日本の内閣にも皇室にも宮内庁にも問い合わせていないのは明白で、国連って必要ないんじゃないかとさえ思った。

古来「男系」のみに天皇を継承してきた。
女系を許せば必然的に女性天皇が頻繁に誕生し、一般男子が皇室に入ることになり、その子が天皇を継承すれば絶大な影響力を持つ。
一般的夫婦間では、男性の方が主導権を握る。
つまり日本の根幹である天皇をコントロールできる。
緊急避難的に男系女性天皇は許されていたが、皇后からスライドした天皇を除けば、政治的にまずいことになったことがあり、「男系男子」と言う制度に明文化された。
男系男子に限ることで、一般男性には天皇家に入る道が閉ざされ、一般女性にのみ開かれている。
僕は皇室に入れないけど、家内は入れる。
むしろ女性優遇とも言える。

不浄を嫌う神を思えば、定期的に不浄期間がある女性は、天皇としての本来の仕事である「神への祈り」の祭祀に影響が大きいし、男性との交わりを断つことになり、そっちの方がよっぽど女性差別だと思う。
斎宮が現存だったら、天皇家に女性として生まれたばっかりに、女性としての最高に輝く時間を神に捧げる人生になる。
皇室典範は、むしろ女性を守っているように思えてならない。

天皇を欧米の皇帝の王と間違えているので、女性がその地位に着けないことを女性差別だと思っていると思う。
天皇は、王ではない。
雨が多く自然に恵まれる日本列島ですが、その分自然災害が多い。
その自然の猛威を神の業と捉え、荒ぶる神を鎮めるのが天皇の仕事です。
皇統が絶えないように、複数の皇后や中宮など複数夫人を持つ時代から、一夫一婦制になり男系男子相続が難しくなっている。
現皇太子夫人の精神的ご病気も、男の子が生まれなかったことからきているのかもしれない。
皇后の第一の仕事は、男の子を生むことだから・・・
複数夫人がいれば、ご病気にならなかったのかも・・・

20160424KyotoS038s.jpg 拝殿もない本殿のみの小社であったが、格調あるシンプルな造作の本殿で、なかなか良い。

4/24・京都三条通・歴史探索1 木島座天照魂神社

今年の大学ヨット部新人勧誘試乗会の最終日です。
4月の土日は、毎週試乗会をしています。
他のクラブも回った新入生が、大学学部4年間の落ち着き先を決める4月の最終週です。
報告では、土曜日までに5名のプレイヤーが入部してくれました。
2桁は獲得したいので、最後の追い込みです。

「9:30に大学生門にお願いします」とのオーダーを頂きました。
前2週と同じ「10時正門」だと予想し、24Hオープンな神社を巡った後、9時オープンの「養源院」で血塗りの天井(関ヶ原の戦いの前哨戦・伏見城を石田三成軍が襲い、留守居の鳥居元忠以下が玉砕した「伏見城の戦い」の床)を見ようと思っていたが、次回の楽しみにすることにしました。

5:31、自宅出発。
名神高速を走り、京都南ICで下車します。
琵琶湖の天気予報では「晴れ・N4m/s」という最高の試乗会日和でしたが、雨が降る感じはないものの曇り空です。
R1を北上し、6:12「ローソン名神高速京都南IC店」で、手巻きエビマヨネーズ125円+朝摘みオレンジ天然水117円=242円を購入。

左折し、「久世橋通」
R171を渡り、JR東海道線の下をくぐります。
まだ交通量が多くない京都市街地を「葛野大路通」で北上し、左折して「三条通」
この道は路面電車の京福電鉄が走り、風情があって好きです。

道標を見逃さないようにゆっくり走り、6:35「木島座天照御魂神社」
『延喜式内社で、祭神は天之御中柱神外四柱(大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命・瓊瓊杵尊)。創建は不明ですが「続日本書紀」(701)に記載されていることから、それ以前に祭祀されていたと思われる。学問の神・祓いの神。
蚕養神社(蚕ノ社)本殿右側社 雄略天皇の御代(1500年前)秦酒公呉国(中国南部)より、漢織・呉織を召し、秦氏の諸族と共に絹・綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜る。この地を「太秦」と称し、推古天皇の御代に至り、その報恩と繁栄を祈るため養蚕・織物・染色の祖神を勧請したのがこの社。養蚕・織物・染色の守護神。
元糺の池 境内に「元糺の池」という神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」という。「糺」は、「正しくなす」「誤をなおす」の意味で、この神池は、身滌(身に罪や穢のあるときに心身を浄める)の行場。「土用の丑」の日に、神池に手足を浸すと諸病にかからぬと言う俗信仰がある。
三柱鳥居 全国唯一の鳥居。鳥居を3つ組み合わせた形体で、中央の組石は本殿ご祭神の上座であり、宇宙の中心を表し、四方より拝することが出来るよう建立されている。一説には、景教(キリスト教の一派・ネストル派・1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと言われている』

雄略天皇の御世、秦氏が、絹を「うず高く積んだ」ことから、「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられたそうです。
三条通に鳥居があり、北に伸びる300mほどの参道の先に、南面して社殿があった。
周囲は住宅地なのだが、京都の街中とは思えないほど社叢が深く、神池は暗く、禊をする「神池」に相応しい雰囲気です。

祭神は、地上の葦原中津国を拓いた大国主命と、天孫降臨してそれを継いだ天照大神の孫・ニニギ、ニニギと木花咲耶姫の子・ホホリ(山幸彦)、ホホリの子で神武天皇の父・ウガヤフキアズエ。

京・太秦の地を本拠にしていた秦氏の氏宮ということは知っていましたが、「元糺」と呼ばれていたことは知りませんでした。
「糺」と言えば、下鴨神社参道の「糺の森」
京を本拠地にした賀茂氏のお祭り「葵祭」は、その氏宮・上賀茂神社と下鴨神社のお祭りです。

賀茂氏と秦氏の関係は諸論百出です。
賀茂氏は、葛城山東の麓・大和平野西に位置する「一言主神社」を氏宮とする氏族と言われ、神武天皇東征で奈良盆地にやってきた大和朝廷と平和裏に連合したとの説がある。
「一言主神社」は出雲にもあり、そちらから大和に移ってきたらしい。

賀茂氏の一部が京に本拠を移し、秦氏との姻戚関係を結び連合したとも言われている。
いずれにしても僕は両方共渡来系と思っている。
「糺」でまた秦氏と賀茂氏の関係を見つけ、ちょっとニッコリでした。

日本古来からの自然信仰・神社を示すものと言えば、鳥居です。
中国を最初に統一したのは「夏」と言う王朝です。
次が「殷(商)」
この王朝のシンボルが鳥だったそうで、中国南部が本拠地だったらしい。
20160424KyotoS003s.jpg ここの「鳥居」は、まさに鳥の留まり棒です。

強者は最も豊かな地を占め、敗者は周辺地に逃げて移動する。
日本列島は、まさに大大陸の辺境の地。
各地の敗者が渡ってきた地。

「日本人のルーツを探る」本では、シベリア大陸バイカル湖周辺・南太平洋・中国南部との関係が強いと書かれています。
流民の中で最も文明が高かった「殷」の文化が半島に点在する氏族をまとめていったように思っている。
平和裏に連合していった秦氏と賀茂氏、日本民族の典型じゃないかな?


4/17・熊本震災復興車列

10:40~16:03柳ヶ崎ヨットハーバー300円。
合宿所に戻り、鍋で夕食です。
先週に続き僕がカメラマンをしたので、部員のPCにデータを移し替え、TVでエンドレスに写真を流す。

新入生の自己紹介がまた盛り上がった。
部員のヤジが面白すぎて、大笑いの連続だ。
最初に部員が見本を見せるのだが、本日指名の部員が背の低い部員だったので、立ってるのに「立って~」。
「所属学部名は」と言いかけた時に、「霊長類!学部」なんて野次が飛びます。
「学名は」なんて野次が飛び、「ホモサピエンスに最も似た・・」なんて自己紹介部員もヤジに乗っています。

2名が入部宣言してくれました。
先週も来てくれた関東のジュニア出身の子も入部してくれました。

次男に続いて、2人目のジュニア出身部員です。
これで3名入部してくれました。
部員が僕のとこに時々やってきて、適当に鍋を味わせてくれます。
「うどん投入しました。食べてください」なんて、嬉しいな。

再び食べだし、司会者が「キャプテン挨拶の後にお話をお願いします」と依頼されたので、18:30キャプテン挨拶、2分の後に僕が指名されました。
ヨット部のその後のこと、「スポーツ指導員」資格で得たスポーツと脳内記憶のこと、「自分のことのために生きる」より、「他人の喜びのために生きる」方が幸せを多く感じ
るように人間は出来ていることなどを話した。
20分話したようで18:50。

再び食べだして、19時になりました。
ここでさっき散々自己紹介の見本でこき下ろされたM君が中心になってエールを切ります。
部歌「琵琶湖周航の歌」を合唱して終了。

僕は第1陣として、新入生を乗せ、19:14に出発。
「山中越」で比叡山を越え、19:41大学正門着。
これでお仕事終了です。

東大路通~九条通~R1~名神に乗ります。
京都南ICから名神本線に合流したら、自衛隊トラック車列の中央に合流しました。
3車線の中央車線に出てゆっくり抜いていきます。
自衛隊の緊急支援舞台です。
「災害派遣・普通科連隊・秋田」と書かれた横断幕がサイドに下がっています。
前も後ろも車列が連なっています。

東日本震災の時も、何度か自衛隊の車列に会いました。
思わず、「行け~、頑張ってくれ~!」と車内から叫んじゃいました。
阪神淡路の時も東日本の時も、我が家の近所の自衛隊基地からも、続々と応援車列が出て行きました。

20:41自宅着。
家内が起きてきて、「食べる?」夕食を作ってくれました。
翌朝ニュースで、米軍オスプレイ4機が沖縄基地から岩国基地に移動し、熊本支援に向かうそうです。
更に4機追加応援されるそうです。
自衛隊や米軍基地に反対する勢力がいますが、同じ日本人部隊を信用せず、最も親しく具体的に現在の国防の一部を担ってくれている米軍を敵視する姿勢に、どうも同意できません。

自衛隊車列を見て、「頼もしい」と思うし、米軍には「感謝」の気持ちしか湧きません。
自衛隊員や米兵にも犯罪を起こす者がいます。
でも、犯罪率から言えば、一般日本国民の犯罪率の方が高い現実をきちんと見て、しっかり考えてもらいたと思います。
基地の近所に住むので、隊員を毎日見るし、近所に住んでる隊員とも交流があります。
二十歳前後の若年兵でも、礼儀正しく話し、やんちゃな服装なんて皆無で、どちらかと言うと素朴な若者です。

---
今朝、家内から、「すずらんが咲いたよ」と報告を受けた。
僕は雑草を刈るだけなのに、家内は、庭の木に水をやったりしてくれます。
毎朝見回っているので、すずらんを見つけたようです。

このすずらんは、家内の実家から持ってきたものです。
僕が雑草を刈る時、抜いてしまったようで、ここ数年姿を見せずとても残念でしたが、どうやら生き残っていたようです。

GWに子供たちが帰ってきていたので、それに合わせ雑草を刈る時、知らずにすずらんも抜いてしまっていたようです。
今年は、長男がアメリカに転勤し、2人目の子が4月に生まれたばかりなので動けず、次男もお嫁さんの出産が8月なので帰省しませんでした。
そんなこんなで、五月人形も飾らず、鯉のぼりも上げず、雑草も刈りませんでした。

ジャングル状態の中に、すずらんが復活しており、来年以降抜いてしまわないように注意しようと、しっかり葉っぱの形を目に焼き付けました。
アセビもそうですが、小さな花が並んで咲く姿は、とてもかわいい。

4/17・新人勧誘ヨット試乗会

ここから、新人勧誘ヨット試乗会です。
2回生女子マネージャードライバー・プレイヤーと3人でレスキューに乗ります。
大津市の天気予報では6m/sほどの風が入るとなっていたのに、1~2m/sしかありません。
部員に聞くと、SW2~18m/sというかならず当たる予報ですと言ってた。
幸いずっと降っていた雨も、大学到着前から上がり、陽も差しています。
でも通り雨が来たり不安定です。

第2グループ目の女の子たちが乗っていた時が、風も4~5m/sに上り最高でしたが、3グループ目の男子になった時に10m/sオーバーの風がSW三井寺方向から吹き降りてきました。
面白いなと見ていたら、4グループ目への交代途中で、更に強い15m/sほどのブローが降りてきて、パタパタと2艇がひっくり返りました。

1艇には新入生も乗っています。
ライフジャケットも着ているので安心で、水に落っこちる洗礼も体験できていい経験だなと見ていました。
沈していない他の艇には、ハーバーバックを指示する。

普通なら船を立てて、再帆走するのですが、風が強すぎてまた倒れたりしています。
僕の母校が練習している海と違って、軽風で波の小さな琵琶湖で練習している子達にはサバイバル経験が浅い。
何度も船を起こしていると体力を消耗し、水の冷たさからも体温を奪われる。

拾い上げた新入生などを乗せたインフレータブルレスキューから、新入生全員をこちらに乗せ、急いでハーバーバックし、ハーバーに下ろす。
ウェットスーツを着ている部員を数人乗せてすぐさま湖面に戻り、スキュードライバーに指示し、沈艇の風上に行く。

「メインセイルを降ろせ。そしたら立てても倒れないから、ジブセイルだけでハーバーバックしろ」と指示。
2艇とも立ったが、1艇のジブセイルが破れているので、曳航ロープを渡し、引っ張って帰る。
再び湖面に戻りもう一艇を探すが、Ritsのレスキューボートに曳航されている。
近寄り手真似でお礼を告げる。

高校生や他大学のヨットが沈しているので、湖面に見える沈艇に近寄る。
様子を聞くと「体力消耗で起こせない」との返事。
「しゃあない、飛び込むか」、ウェットスーツの部員は、そうなるだろうと思って乗っている。

風下に流され波も大きくなっており、沈艇にかなり近づかないと飛び込み要員自身が船に辿りつげず流されるので、高度なテクニックと経験が必要なので、マネージャーから運転を交代する。
風上側からバウを下に向けゆっくり沈艇に接近して行く、「飛び込め」の指示で3回生S部員が飛び込む。
京都薬大のヨットのようです。
近くで沈している艇を見ると、メインセイルを下ろした船が起き、レスキューボートが付いているのでOKのようです。

S君は手際よく船を起こし、こちらから投げたロープをマストに結び、ハーバーまで曳航します。
途中でマネージャーにドライブ交代。
「私なら、あんなに近づけません」と言うので、風上からバウ(舳先)から近づくと、船尾のスクリューに沈艇乗員やヨット部品を巻きつけることがないなど、鉄則のコツを教える。
「落ち着いていらっしゃいますね、私は見ているだけでドキドキしました」
まあ、数経験すると、慣れちゃうしテクニックも体得できるということです。

ハーバーに戻って、再び湖面に戻るが、高校生艇を引っ張って帰ってきたインフレータブルによると、他校の船も全艇救助し終わったとのこと。
ハーバーの桟橋に戻る。

相変わらず風は強いけど、ヨットに乗れなかった新入生を、2艇のレスキューで湖面体験させる。
3クールハーバー~沖を繰り返し終了。
練習ではあまり行かない大津プリンスホテル前の遊覧船桟橋付近や、噴水を上げてる大津港に再接近し、噴水の水がかかりそうなとこまで近づいて楽しんだ。

ドライブしてるマネージャー自身が、「ここがどうなってるのか個人的に見たかったんです」なんてはしゃいでいます。
これで試乗会終了。

---
今朝も、美しい鶯の鳴き声の朝だった。
夜明け前に目覚め、あれこれやっていたら明るくなり始め、鶯のさえずりが始まった。
素晴らしい環境です。

お隣の家の「さくらんぼ」の実が、赤く色づいて美味しそうだ。
GW連休に入る前は、一粒も赤くなっていなかったのに、ここ3日ほど、毎日赤みが増し、今朝は全部の実が赤くなった。

野鳥は甘さのピークをよく知っている。
我が家のゆずも、その時期になると、野鳥が食べに来だして、3日もあれば全部食べられてしまう。
さくらんぼも毎年同じ運命ですが、まだ食べに来ないので、あと少しなのでしょう。

お隣のご主人が、野鳥が来るのと同時にさくらんぼの収穫を仕出します。
一気の収穫なので、我が家のゆず同様、家族では消費できず、ご近所に配られます。
我が家も毎年、ご相伴に預かっている。
楽しみだな・・・

4/17・京都散策3 三十三間堂

左端の「風神像」まで堪能し、仏像の裏を通って戻ります。
ここにも創建からの資料満載で展示・掲示されています。

『正式には「蓮華王院」と言い、1164年鳥辺山麓(現・阿弥陀ヶ峰)の後白河法皇・院政庁「法住寺殿」の一面に平清盛が造営・寄進した。80年後に焼失したが、すぐに復興され1266年に再建された。その後室町・桃山・江戸・昭和と大修理されながら、700年間保存されている。長いお堂は、入母屋・本瓦葺の「総檜造り」で約120m。正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と通称され、堂内に1001体の観音像が祀られる。見落としがちだが、境内南に通称「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門は、豊臣秀吉ゆかりの
桃山期の気風にあふれた重文・建造物である』

堂内天井に飾られら絵馬は、弓道大会の優勝者からのものです。
どういう関係かな?と思っていたのですが、裏の謂れで分かりました。
「通し矢」として、境内西面の縁側の南から北に矢を射通す腕自慢会場になっていたそうです。
今は60m先の的を射る大会になっていますが、かつては何処にも当たらず通し矢出来た本
数を競う「惣一」腕比べだったようです。

御三家の尾張藩と紀州藩の対決が凄まじく、1669年尾張藩の星野勘左衛門が10542本中8000本を射通し、惣一となったそうです。
まだ余裕があったが、後世の達人のためにそこで止めたそうです。
20年後の1686年、紀州藩の少年・和佐大八郎が挑戦し、13053本中8133本通し、惣一のレコード更新したそうです。
ここにはレコードホルダー星野勘左衛門も同席しており、調子が落ち始めた和佐の記録達成のために途中で彼の左手を小刀で突いて出血させたそうです。
たちまち調子が良くなり、記録達成出来たそうです。

いい話じゃないか。
王貞治のシーズンホームラン数日本記録が破られないように、敬遠策を指示した長嶋茂雄監督とは大違いです。
矢から柱を守るために鉄板が張られ、刺さった矢の跡が今も残っているそうです。

高校生の団体さんがやってきたようで、謂れを読んでいる僕の後ろを足早に抜いていく。
中高生の年代には、「うわあ、凄いな」と見えるだけだよね。
私語も小さな声で、僕らが中高生の時よりずっとマナーが良いように思う。

外に出て、伽藍の全体を見ます。
細長いけど幅もそれなりにあり、巨大です。
瓦が綺麗に並び、配色はされていませんがとても綺麗です。

20160417KyotoS082s.jpg 『通し矢射場 江戸期、尾張・紀州両藩による通し矢「天下一」争奪戦は民衆の評判となる。縁側や柱・軒に残る鉄板は、雨あられと飛び来る矢からお堂を守るため、徳川三代将軍・家光が付加したものです。西縁の南端から北端に、一昼夜24時間、矢を射続ける「大矢数」は身命を駆けた壮絶な競技で、江戸時代を通じて約800人がこれに挑み、矢数も百万本に達する。毎年正月(15日に近い日曜日・無料公開)には、この古儀に因む弓道大会が行われ、全国から2000人が参加し、賑わう』

太閤塀も立派に遺っています。
『南大門と太閤塀(重要文化財・桃山時代) 南大門は、豊臣秀吉が1595年に造立した大仏殿方広寺(現国立博物館一帯)の南門として築いたもの。それに続く築地塀は、高さ5.3m・長さ92mの堂々たる建造物で、瓦に太閤桐の文様を用いることから「太閤塀」と通称され、ともに桃山気風にあふれた遺構です』

20160417KyotoS094s.jpg 鐘楼前の八重桜が満開で、中国人と思われる女性グループが写真に収めていました。
「蓮華王院」本堂も国宝指定されています。
20160417KyotoS102s.jpg 蟇股の彫刻は、一角鹿です。

20160417KyotoS104s.jpg 『夜泣泉 お堂創建の翌年1165年、堂僧が夢のお告げで発見した霊泉で、「いつも冷たく、美味しく飲んでもお腹を痛めず、汲んでも尽きず、汲まずとも余ることのない不思議な泉」と記されている。夜、水の湧きだす音が「すすり泣き」に似ていることから「夜泣泉」と言われるようになり、地蔵尊が奉られるようになった。幼児の「夜泣封じ」に功徳があるとされ、地蔵様の前掛けを持ち帰り子供の枕に敷けば夜泣が治るとされ、その御利益を求め参拝が続いている』

小学生団体さんが、ここで各班ごとに本堂をバックに記念撮影している。
制服に身を包んでいるので私立の小学校だろう。
4月という学年初めの時期なので、この旅・遠足で一気に和を深めようと言う作戦なのでしょう。
20160417KyotoS108s.jpg 朱門をバックに白人さんが、記念撮影している。
朱色の鮮やかな門が日本的に見えるのでしょう。
朱の鳥居が延々と並ぶ伏見稲荷の一番人気を合い通じるものがある。

9:21に、三十三間堂を後にしました。
そんなに長くいたつもりはなかったのだけれど、1時間20分も滞在してしまった。
面白かった。

9:36に大学正門着。
女子3人・男子2人を乗せ、10:09出発。
グネグネ山道が心配という女の子がいたので、三条通~山科~湖西道路コースで、10:40ハーバー着。


4/17・京都散策2 豊國神社~三十三間堂

社門・鳥居が神社には珍しく、西の鴨川方向を向いています。
我が家に勧請した三穂神社も、西向きにしました。
理由は、僕の先祖を祀る三穂神社の方角を拝しているからです。
但馬の元伊勢神社にも西向きの遥拝所があり、「まさか夕陽に拝していないよね」って謂れ板を読むと、神域の山を拝していました。

太陽信仰である神道のお宮が、東や南向きなのは当たり前で、西向き・北向きがあると理由に思いを巡らせます。
豊国神社の西向きはすぐにわかりました。
東の東山に秀吉の廟があるからです。
ここらには何度も来ているので、脳内俯瞰地図に、京都女子大の「女坂」を経て秀吉廟に繋がる廟全体を守護しているように浮かぶ。

唐破風の社門(国宝)は素晴らしく豪華で、門前にはひょうたん型の絵馬が千羽鶴のように縦に下がっている。
「豊國神社・神前結婚式」の案内がある。
日頃非開放の唐破風紋内部の式だろう。
ここの本殿での式は、希少価値がありそう。

唐門から見える拝殿・本殿ともに檜皮葺で、統一されて荘厳な感じがします。
20160417KyotoS039s.jpg 唐門は、彫刻が立派で威風堂々感がする。

問題の釣り鐘を見に行く。
20160417KyotoS046s.jpg 家康がいちゃもんをつけた文字の部分は、白線で囲まれ、鐘楼内には入れないが、遠目で文字が確認できます。
もし、家康があのタイミングで豊臣征伐しなければ、その後の日本史は大きく変わっていたでしょう。
大坂夏の陣で大坂城が焼失陥落し、秀頼が切腹した翌年に、家康が亡くなっています。
徳川二代将軍・秀忠より、秀吉の嫡男・秀頼の方が男振りが良く、器量も優っていたと言われる。
家康・秀頼会見が二条城で実現した時、家康はやばいと実感し、秀頼討伐を決心したという。
最後のタイミングだったといえ、家康の運の強さを感じる。

関西人としては豊臣を贔屓にするが、晩年自分を支えてくれた身内とも言える親族・武将や民間人に死を与え、嫡男秀頼に繋ぐことだけになった秀吉より、身内・配下武将・客将をも大事にした家康の方が、政権としては圧倒的に安定し、徳川時代の発展を見たと客観的に思う。

鐘の文字以上に目を引いたのが、鐘楼天井に描かれている絵でした。
羽衣の天女が舞う絵が多数はめ込まれ、ナイスでした。
現・方広寺は、その北にこじんまりと静まっていた。
稲荷社に寄り、満開の桜を激写。
拝観時間前なので入れないけど、宝物館を外から見る。

社務所により、「ひょうたんのお守り・700円」を授かる。
廟墓のことも含め、あれこれご教授願った。
家内と登ろうと思って断念した廟墓の階段は500段あるそうで、バイクで途中まで上がれるなどのショートカットはないとのこと。

方広寺の寺領は広く、南に隣接する現国立博物館、更に南に連接する三十三間堂を含め、三十三間堂の南に太閤塀という寺領の境が現存する。
徳川の世が終わり、当時の日本最強・明治天皇の勅使により再興された流れを聞いて、再び唐門へ。

20160417KyotoS067s.jpg 『豊国神社 豊臣秀吉を祀る神社で、「ホウコクさん」の名で親しまれている。
1598年63才で亡くなった秀吉の遺体は、遺命により東山の阿弥陀ヶ峯の中腹に葬られ、その麓(現在の豊國廟太閤垣)には、広壮豪華な廟社が造営された。後陽成天皇より正一位・豊国大明神の神号を賜り、1604年秀吉の7回忌に盛大な祭礼が行われた。豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により排祀されたが、明治13年1880、旧方広寺大仏殿跡に当たる当地に社殿が再建され、別格官幣社として復興された。明治31年1898には、荒廃していた廟墓も阿弥陀ヶ峯の頂上に再建された。正面の唐門(国宝)は、伏見城の遺構と伝えられ、二条城から南禅寺・金地院を経て、ここに移築されたもので、西本願寺、大徳寺唐門とともに、国宝三唐門の1つとされる。両側の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が寄進したものである』

20160417KyotoS070s.jpg 7:51「三十三間堂」
車が2台だけで、8時開門時点で7人待っているだけでした。
拝観料600円。
下駄箱に靴を入れて、長辺がとても長い長方形の建物に入ります。

いきなり右端の雷神像(国宝)で、中央の本尊の巨像(中尊)の左右に1000体の千手観音像が並びます。
お顔や体躯が微妙に違います。
仏師の名がわかっているものもあるようで、作者札が立っています。
後方の千手観音を守るように二十八武衆像が並んでいます。

堂内が撮影禁止なのが残念ですが、それぞれの武衆などに説明板が設置されており、それらを読みながら堪能できました。
中尊前に近づくと、調度よいタイミングで僧侶のお経が始まり、僕を追い抜いていく拝観者がいるものの静かで雰囲気抜群です。

4/17・京都散策1 豊國神社

4/14(木)、帰宅し、「NHKニュース9」を見ながら夕食を食べていると、「緊急地震速報」の音声と字幕が画面に出ました。
緊張して構えていると、「熊本で地震が発生した」との速報、「震度7であった速報」が流され、キャスターの鈴木さんが、すぐに地震関連の記事を読みだし、地震に対する注意を連続して伝え始めました。

さすが、NHKアナウンサーの即応対応と関心しましたが、それ以上に伝えられる被害の少なさに違和感を覚えました。
「阪神淡路大震災」で震度7を経験し、我が家も震度6だったことを思うと・・・
被害の全容が把握されると、死者数百人、あるいはそれ以上になるのではと。

翌15日(金)朝のニュースでは、被害がかなり把握されていました。
やはり被害は大きなものでしたが、阪神淡路の時ほど大きくありませんでした。
火災も起きなかったのも幸いだったと思います。
震度7は熊本市の隣接・益城町、阿蘇山と熊本市の間の町で、熊本空港があります。
熊本市直撃じゃなかったのが幸いしたのかもしれません。

夜のニュースを見ている間でも、余震速報が字幕に次々に出て、30分間隔で揺れています。
阪神淡路の時も余震が続いたが、これほどの頻度ではなかったので、被災地の方々の不安は、僕らの比ではないなと思う。

翌4/16朝のニュースでは、夜中にマグニチュードの数値で更に大きな地震があったようで驚いた。
夜のニュースで、死亡者数が40人を超えました。
警察機動隊や自衛隊の出動・増員が伝えられ、政府の緊急対応に拍手し、援助・支援部隊にエールを送りたい。
阪神淡路の時、揺れの大きさに我が家の近所の総監部では、事態把握のために少数を即応して出した。
倒壊した最寄り駅の前に早朝の時点で自衛隊車両来ており、頼もしく思いました。

でも首相は震度7という大震災なのに、事態を甘く見積もり、自衛隊に出動命令を出しませんでした。
数年後、尖閣列島で領海侵犯した中国船が、海上保安庁監視船に衝突して来たので逮捕しました。
首相は「超法規」で無罪放免してしまい、こいつは国の舵取りをする首相の器ではないと思いました。

今回即応した安倍総理、こういう行動こそ、国民・国土を守る国のトップとしての行動です。
本当は、尖閣で領海侵犯を繰り返す中国船を、東南アジア諸国のように、拿捕あるいは撃沈して欲しい。
「舐められたらアカンぜよ」

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前週に引き続き、大学ヨット部の新人勧誘の手伝いです。
大学正門くすのき前の10時なので、それまで京都散策しようと、6:10に自宅を出発しました。
名神~京都南IC下車~R1~九条通~東大路通。
前週に訪問した「新熊野神社」手前の交差点を右折します。

20160417KyotoS011s.jpg 6:57「剣神社」着。
『子供の守護神 剣神社 祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・邇邇芸命・白山姫命』
20160417KyotoS015s.jpg 藤棚があり、白と藤色の花が少し下がっていました。藤の季節はもうすぐです。
「撫で石」というのがあり、石を撫で体の不調の部分を触ると治ると書かれています。
謂れはわかりませんが、子供の夜泣きなどを封じるご利益があるそうです。
20160417KyotoS021s.jpg 掛かっている絵馬を見ると、これも謂れ不明の羽の生えた「トビウオ2匹絵馬柄」です。
珍しいな。

7:12「京都国立博物館」
20160417KyotoS029s.jpg 赤いレンガの建物や門が美しい。
7:14「三十三間堂着」、駐車場が無料なので、ここに置いて界隈を散策する予定でしたが、「敷地外に出たらダメよ」と掃除してる方に釘を差され、仕方なく開館時間8:00前に来ることにして駐車場を出る。

20160417KyotoS031s.jpg 7:19「豊国神社」
ここにはかつて「方広寺」がありました。
松永久秀が東大寺大仏を焼いてしまったので、豊臣秀吉がそれ以上の大きさの盧遮那仏を建立し、大仏殿も作った。
でも完成翌年の地震で大仏は倒壊してしまった。
そして翌年秀吉が亡くなった。
嫡男の秀頼が大仏再建を命じたが、鋳造中火が出て大仏殿も燃えてしまった。

秀頼は再建に意欲を示し、開眼供養を待つばかりとなったが、完成した大梵鐘の銘文に、「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれていたのに、「家と康の間に一文字入れているのは、家康を斬るの意」などと家康が難癖をつけ、豊臣家討伐の理由にし、大坂冬の陣・夏の陣に発展していく。

駐車は無料のようですが、「社務所に問うこと」となっています。
「お参りですよね、他所に行くのはご法度ですが、どこでも停めてください」とのこと。
高校生の時時々来ていた「京都国立博物館」の北隣に、立派な石鳥居が立ち、その向こうに立派な社門です。
社門から中は、非開放。


4/10 京都東大路界隈巡り9 琵琶湖

白川通を北上し、今出川通を西進。
大学の外塀に設置されてる各クラブの勧誘看板を写真に映しながら、9:46大学正門から入る。
ヨット部員I君とヨット部の幟が立ってる。
車を置いて、僕の荷物をリアゲートの方に移動し、暑くなってきたので軽装になる。
時計台前・クスノキに行くと、新入生の女の子が4人集まってる。

今年はSNSの影響で、ヨット部試乗会が人気になってるようで、声掛け・勧誘しなくても、メールで連絡がどんどん舞い込み、嬉しい悲鳴だそうです。
本日は38名来る予定で、9:30の第一便が出発した後だそうです。
例年により30分前倒しで試乗会を開始しているようです。

10時直前にもう一人女の子がやってきて、女子5人を車に乗せ、琵琶湖に向けて出発です。
「山中越」で比叡山を上がり、峠の比叡山ドライブウェイ分岐を過ぎたら、眼下に琵琶湖が広がります。
あ~だこ~だお喋りします。
女の子の送迎は楽しいわ。

20160410KyotoS284s.jpg 10:30「柳ヶ崎ヨットハーバー」着。
試乗会はもう始まっています。
2m/sほどの風です。
僕はレスキューに乗り、ハーバーと海面の往復です。

往路、2つの艇種があり、トラピーズに乗る時の手順と注意を伝え、レスキュー上でハーネスを着せ替えます。
怪しいことはしないけど、ティーン女子のハーネスの着替えが出来るのは役得です。
リラックス出来るよう、おもしろおかしく話をして、陸上が遅れて時間のあるときは、ボートの運転体験もさせます。
ヨットに乗る機会なんて殆ど無いので、みんな初めてのヨットです。

先週、逗子開成高校ヨット部出身者が試乗会に来たそうです。
そしてこの日は、江ノ島ジュニア出身者が来てくれていました。
ジュニア出身者は、過去息子だけなので、ジュニア出身者2号になるといいな。
厨子の子はクルーでインターハイ出場したそうで、ジュニアの子はスキッパーしか出来ないだろうから、2人で組ませて来月連休開催のメイレガッタに出せたらいいな。

16時まで、休みなくピストンして、予定全員を乗せることが出来ました。
部員が増えたので、余裕を持って動けています。
準備も万端だったのでしょう。

車に戻り、10:31~16:30「滋賀県立柳ヶ崎ヨットハーバー」300円。
合宿所に戻ります。
この日はカメラマンがいなかったので、僕がカメラマンをしました。
持ってきた望遠レンズが役に立ちました。
アメリカ沿岸警備隊御用達双眼鏡も持ってきてて、それで見せたらあまりに良く見えるので驚いていました。

合宿所で、部員のPCに僕のカメラで撮ったデータをコピーします。
TVでその写真を流しながら、鍋です。
火力がIHに変わっていました。
火力が弱いので、台所ガスで作った鍋をIHに載せて温める感じだそうです。

ワイワイガヤガヤある程度満腹になったとこで、新入生の自己紹介タイム。
学部・出身高校・高校部活・2艇種のうちどっちが面白かったかを発表します。
自分と同じ高校出身者だったら「名門~」の野次が飛び、同じ学部や同じ部活にも部員から野次が飛び、新入生の言葉が聞こえないぐらい盛り上がっています。

18:30になり、キャプテンから挨拶があり、19時までの残りタイムが僕のお話持ち時間です。
ホームルームのない大学では、別の居場所を持っている方が良いことを僕の卒業後からの経験から話す。
卒業後、レースを続けていたり、クルージング艇で遊んでいたり、みんなヨット部先輩後輩の関係でやってることを話す。
19時に、司会にバトンを渡し、今年のヨット部紹介ビデオを流して盛り上がる。

そして解散。
でも全員が乗れるほど車がないので、第1陣20名です。
僕は男の子7人乗せて、19:22出発。
「山中越」コースで19:50大学正門着。
これでお役御免です。

20160410KyotoS325s.jpg 時計台が綺麗だったので写真を写していると、先行車から降りていた女の子が3人走ってきて、「私達が乗った車に連絡が付きませんか?携帯電話を車に忘れちゃったみたいなんです」
運転手のGさんは、第2陣に向け艇庫に戻っているはず。
艇庫にいる部員に電話をして、Gさんに連絡を取るように伝える。

次に車がここに戻ってくるのは1時間後なので、彼女たちに付き合うことにする。
1人は自宅通学で1時間以上掛かるので帰る。
携帯を忘れた子も、天王寺の自宅通学だから1.5時間コース。
もう一人は下宿だから付き合うとのこと。

3人であ~だこ~だ。
下宿の子の父親は僕と同じ年令でした。
「お若く見えます、お酒など飲まれないのですか?」って褒められた。
歴史が好きなようで、最初の女性天皇・推古天皇のことなどの話まで出来た。
天王寺の子は、弟が愛知県の海陽中高生らしく、中学から下宿してるので、お父さんが娘を下宿に出したくないらしい。
トヨタなどが出資して話題の全寮制・海陽中高生の大学進路実績はどんなものなのかな?
まだ海陽生に接したことがない。

1時間後、第2陣が正門前にやってきて、無事携帯電話が戻りました。
21:03、出発。
東大路通~九条通~R1~名神~中国道で、22:06帰宅。
家内はもう寝てたけど、用意してくれてた夕食を食べ、お風呂に入りおやすみなさい。
楽しい1日でした。


4/10 京都東大路界隈巡り8 霊山護国神社3~岡崎神社

これは熱いメッセージだ。
私の母方の祖父は、母が4才の時亡くなっている。
明治天皇近衛騎兵隊長で、日露戦争の武功により金鵄勲章を陛下から賜ったが、戦地の寒さにより腎臓病を患い、昭和7年40代の若さで世を去った。
母に連れられ実家に帰る度に、家宝の「金鵄勲章」を見せてもらった。

『白鴎顕彰の碑 学徒出身戦没海軍飛行科予備士官の霊に捧ぐ 大東亜戦争は航空決戦が祖国の存亡を決する戦況となり、旧制大学、高等・専門学校を卒業または在学中の学徒たちは、緊迫した祖国と同胞を護るために敢然と海軍飛行科予備学生・予備生徒を志願し、学窓から対空の決戦場へ赴きました。短期間の猛訓練に耐え、航空隊指揮官として英知と勇気を持って戦い、2485名が雲ながるる果てに散華されました。その中、神風特別攻撃隊士官搭乗員の85%・658名が学徒出身海軍飛行科予備士官であった。学徒たちは戦争の矛盾を感じつつも、一心に祖国の安泰と平安を信じ「後を頼む」の一言を託し、生死を超越して戦った精神こそ、この国を継ぐ者への指標であります。こうした痛恨の史実を語り継ぐため、戦後日ならずして生存同期生相集い、海軍航空隊を象徴したその名も白鴎遺族会を結成、英霊の永遠なる在世を希い「白鴎顕彰の碑」を建立し、深く哀悼の意を捧げ、世界平和を祈るものであります』

20160410KyotoS239s.jpg 散華された英霊の方々の氏名が書かれた銘板が壁に並んでいた。
僕の大学ヨット部の先輩にも特攻隊に志願された方がおり、出撃前日に終戦し、生き残られた方がいる。
OB会には必ず海軍帽を被って来られ、戦争を知らない僕ら後輩に対しても、背筋を伸ばし海軍式の敬礼をされていた。
温和な話しぶりながら、国の一大事の局面で立ち上がった男気を感じる方だった。
精神力は、到底敵わないと感じる大先輩だった。

20160410KyotoS242s.jpg 「ラダ・ピノール・パール博士」の碑は、氏の大きな写真がはめ込まれた石碑だった。
『当時カルカッタ大学の総長であったラダ・ビノード・パール博士は、1946年東京において開廷された「極東国際軍事裁判」にインド代表判事として着任しました。すでに世界的な国際法学者であったパール博士は、法の真理と研鑽探求した歴史的事実に基づき、この裁判が法に違反するものであり、戦勝国の敗戦国に対する復讐劇にすぎないと主張し、連合国側の判事でありながらただ一人、被告全員の無罪を判決された。今やこの判決は世界の国際法学界の指標となり、独立したインドの対日外交の基本となっている。パール博士は、その後国連の国際法委員長を務めるなど活躍され、日本にも度々来訪され日本国民を激励されました。インド独立50年を慶祝し、日印両国の友好発展を祈念する。日本国民は、パール博士の法の正義を守った勇気と、アジアを愛し、正しい世界世界の平和を希われた遺徳を顕彰し、生前愛された京都の聖地にこの碑を建立し、その芳徳を千古に伝えるものであります』

20160410KyotoS246s.jpg 協賛者として、日本のグローバル企業がズラリと並び、パール博士の敗戦国日本に与えた勇気の大きさを感じる。霊山護国神社は、素晴らしく良かった。
車に戻り、7:36~9:06「下河原モータープール」800円。

「東大路通」に出て北上。
ここで、ヨット部の学生から電話が入りました。
「本日、大丈夫ですか?」
「はい、6時から京都にいるよ」

気まぐれで岡崎の方に曲がってみる。10台弱のオフバイクが、いかにも「山に行くぞ」って感じで走ってる。
2ストのオイル焼け臭が車の中にも入ってくる。
音もうるさいし、白煙も多い。
距離を開けながら走ったが、いくら違反じゃないとはいえ、皆さんと共有する環境のことを考えて欲しいな。

9:18「親鸞上人御草庵・岡崎別院」
20160410KyotoS253s.jpg ピンクと白の満開の桜が美しい。
細道を北に上がると「金戒光明寺」です。
横の「岡崎神社」にも寄り道。

20160410KyotoS255s.jpg 『祭人として、素盞鳴尊・櫛稲田媛命及びその御子三女五男八柱神を祀る。794年、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城守護のため四方に建立された社の1つと言われ、東天王と称した。清和天皇が869年に造営し、播磨国・広峰から祭神を迎え祀った。
1178年、中宮お産の奉幣を賜ったことから安産の神として信仰され、方除厄除神として信仰が絶えない。古くから、うさぎが氏神の使いと伝えられ、祭神が子宝に恵まれ、うさぎが多産であることからも、子授けの神として屋形にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集めている』
ここでもしっかり、元気な男の子をお願いしました。枝垂れ桜が綺麗でした。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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