2/21・ハーバーでお茶&通勤リード110不具合改善

マネさん2人がトイレを我慢していたようで、センターハウスに向かいます。
その他で船の掃除です。
僕はドッグハウス内カーテンなどをクローズして、あとは桟橋から学生に指示するだけで楽ちん。

皆で桟橋を戻り、センターハウス内でお茶を飲みます。
出張した3人とは連絡が取れません。
海上からも何度か電話しましたが無反応なので、ホワイト・セイルのレースに出ているのかも?
僕がケーキセットにすると言うと、女子が5人もいるのでので、全員ケーキセットに。
あ~だこ~だ話していると、行方不明3名と連絡がつき、やはりレースに出ていて、レースが終了しハーバーバック中とのこと。

横の席に、僕の母校・KG現監督・コーチ人がお茶中で、午後から練習がなくダベっているとのことです。
後輩の監督から、「・・さん、今日は何してますのん。若いのたくさん連れて・・・」「いや~・・・」
ホームポートなので、知り合いに会うね。

行方不明3名が船の掃除を終え、帰ってきました。
「お茶するかい?」「いいえ、いいです」
ここで席を立ちます。
お支払いは・・・なんて学生が言うので、「もう払ったよ」
先に精算を済ませていました。
社会人になりしっかりお金を稼げるようになってから、学生は貧乏と相場が決まっているので、後輩におごってあげてくださいな。
僕も先輩のお世話になりました。

駐車料金・9:26~16:27・800円。
阪神西宮まで3名を送り、R171で帰宅。
海上でホンダドリームから電話が入り、通勤リード110の点検・整備が終わったと連絡をもらっていましたので、その足で代車・新型リードに乗りドリームさんに向かいます。

「イグニッションONしても点検ランプが消えず、スターターボタンが利かない時がある」現象は、バッテリーとの接点不良のようで、「スターターボタン押しても反応なしの時がある」現象も接点不良だったようです。
接点を掃除したら、その現象が出なくなったそうです。
6ヶ月定期終了直後だったので、費用はなし。

新型リードに1週間ほど乗りましたが、太ももに風が当たるのに気づきました。
座席が高くなった分、太ももの位置が高くなり、ハンドルと前方カウルの間から抜けてくる風が当たるようです。
通勤で使ってる足元置きの箱が入らず、大きく股を開いてハンドルと体の間に抱える姿勢を強いられました。
新型リードは、僕の通勤車としてはダメダメです。

帰宅し、いつもの様に家内と今日の出来事を話しました。
結局家内はどこにも行かず、門戸厄神から電車で家に戻ってきただけでした。
方向音痴だから、自分の知らないところには1人でなかなか行けません。
船の定員に空きがあったら一緒に乗ったのにな。
可哀想なことをしてしまった。
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2/21・学生とセイリング

家内もお休みですが、ヨット優先日です。
コーチしてる大学ヨット部の1回生を招待して、恒例のシーズン入り前クルージングです。
今年は参加者が多く、11名です。定員12名の船なので、僕を含めちょうど定員いっぱいです。
前日・土曜日は日本海の低気圧通過に伴う前線が通過し大雨でした。
この時期の前線通過後は、大陸からの吹込みで、冬らしい北西の強風が通り相場なのですが、天気予報では、NW5~6m/sで大したことないです。
昼前から晴れのようで、クルージング日和になりそう。

いつもより早く4時前に目が覚めました。
ゴソゴソ退屈な時間を過ごし、6時半から活動開始です。
朝食を取りながら、NHK総合のいつもの番組を見ます。
女子マネさんが5人来るので、寒い時用にホームセンターカッパを数着用意します。
バイク用・通勤バイク用・ヨット作業用・防水力が弱くなり引退したけど捨ててない奴・・・など、何故か人数分揃ったりします。
その他にトレッキング用などもあり、何かと便利なカッパ好き人間です。

ヨット用の防寒カッパ上下を着込んで、ライフジャケットを着て、日除けにつばの広いヨット用ハットとサングラスで完全武装完了。
「駅まで送って」という家内からのリクエストに応え、一緒に家を出ます。
駅ならどこでもよく、適当にどこかに行って来るとのこと。

コンビニで、昼食用にお寿司セットと麦茶を買います。
R171を西に向かい、阪急・門戸厄神駅に家内を降ろします。

R171に復帰し、新西宮ヨットハーバー着。
ハーバー内駐車場は、30分まで無料ですが、それをオーバーするかもしれないので、日祝日駐車禁止解除の有り難い道路に停めます。

係留艇に向かい、トイレ掃除・エンジン始動・カーテンオープンします。
10m/s近く吹き上がった時用に、リーフラインの点検もします。
全てOKで、9時になったので車に戻ります。
ゲスト7人は、クラブ車・エスティマで京都からやってきます。
残り4人が電車で来るので、9:15阪神西宮駅東バス停で待ち合わせです。

3分前に待ち合わせ場所に着いたら、部員1人が電話を掛けています。
仲間に到着した旨を伝えているのでしょう。
バス停に駐車できないので、電車の高架下に駐車します。

部員が僕の方に手を振っています。
僕に気づいたのかな?・・・と思っていると、車の後ろから歩いてくる部員2名に向かって手を振っていました。
部員が僕の車に気づいて寄ってきます。
4名目はクラブ車に乗っているようで、ハーバーに向かいました。

9:26、いくら駐車禁止じゃないとはいえ、1日路上駐車はあれなので、いつものようにハーバー駐車場に入れます。
センターハウスに入ると、クラブ車組は到着済みでした。
船に向かって歩き出すと、「クルージング?全員乗れるの?クルーが足らないので、乗らないか?」と誘ってくれる方がいます。
部員は、?の顔をしているけど、こういう一期一会はチャンスです。
行ってもいいかな?な顔をしている3名(運転手として参加した2回生1人含む)を送り出しました。

桟橋を歩き船に乗り込みます。
ライジャケを着てもらい、桟橋を離れる。
NW2~3m/sです。

東出入口からハーバーを出て、セイルアップ。
エンジンを止めて、セイリング開始です。
風が弱いのでイマイチですが、時折ブローが降りてきます。
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すぐにステアリングを交代します。
徐々に風が強くなり、ブローは8m/sを超え、ブローが入るとヒール(ヨットの傾き)が増し、グーンとスピードアップします。
レース艇に乗ってる僕には、ブローへの反応がイマイチなクルージング艇が不満なところですが、日頃ディンギーに乗ってる学生たちには異次元のヒール角度のようで、ワーワー楽しそうです。

実家が六甲アイランドで、六甲中高出身の部員がいて、実家のマンションのことなどの話題が出ます。
僕は中学受験の時、六甲かKGか迷い、坊主にしなくて良いKGを受験しました。
長男は、六甲を受けなかったけど、次男は受けました。
大阪の学校も受けて両方合格したけど、偏差値は下だけどヨット部のある大阪の学校に進学しました。

六甲アイランドのコンテナ埠頭まで上り、六甲アイランドのフェリー埠頭~海上自衛隊・阪神基地前に停泊中の機雷掃海艇を見て、ハーバーバックしました。
芦屋マリーナに入り、ゴージャスな船や桟橋付き豪邸を海上から見学し、新西YHに予定通り15時頃帰着。

2/14・大阪中之島散策

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橋下市長が頑張った市庁舎横の大川には、水上バスの乗り場があった。
次男の友人がこの会社のスタッフで、次男は誘われて落語クルーズに参加していたな。

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バイクを置く場所がないので、押しながら市役所脇を大川に沿って歩きます。
隣の中之島図書館は、ブルーシートに覆われ、メンテナンス中のようです。
「大阪通商会社・為替会社跡」の石碑が立っている。

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僕が中之島で一番好きな建物・「大阪中央公会堂」
『大阪中央公会堂は、明治44年(1911)に大阪市民の岩本栄之進氏の寄付された100万円を元に設計された。日本最初の懸賞設計競技で選ばれた岡田信一郎の設計原案を元に、辰野金吾・片岡安という当時を代表する人によって設計された。大正2年(1913)から5年4ヶ月かけた工事では、のべ18万人の人が働き、大正7年(1918)に開館した。西洋建築からよく学び、高い水準で造られており、赤レンガの公会堂として市民に愛されてきた。昭和63年(1988)永久保存が決定され、より良く使えるよう平成11年(1999)から3年半の工事が行われた。平成14年(2002)、国の重要文化財に指定された』

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公会堂下の「AWAKE LUNCH」というお店のメニュー看板が出ていた。
ランチコース1500円、オムライス・カレー1250円。
珈琲・紅茶・ソフトドリンク各種500円前後で、+ケーキセットもある。
朝ドラ「あさが来る」の舞台が大阪商人なので、観光客が増えているのだろう。

中央公会堂前の公園の地下駐輪場があり、そこにバイクを置いた。
1時間無料・2時間150円。
ガラガラだった。

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駐輪場の上にある「GARBweeks中之島店」に入り、間違いないデミグラスソース淡路牛ハンバーグ・ライス・スープ950円×2=1900を食べた。
屋外スペースもあり、屋外温度計が20℃を表示する暖かさなので屋外でも良かったが、風が強いので店内へ。

花岡青州の顕彰碑があった。
『華岡青洲は、全身麻酔「通仙散」を創薬後、1804年世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術に成功しました。和歌山に医学塾兼病院「春林軒」を創設し、1816年大阪中之島に末弟の鹿城が分塾「合水堂」を開設しました。その後南洋が大阪に移り支えた。花岡流外科の門人は、総勢2200人になり、最先端医学知識・医術を求めて、全国各地から集まった医師の半数は、「合水堂」で学んだと推察される。2015年は南洋没後150年、2016年は「合水堂」開設200年に当たります。 華岡青洲弟鹿城末裔・日本医史学会・日本麻酔科学会』

12:18外に出て、御堂筋に戻る。
一方通行なので南下し、適当なとこで右折したら、角が中国商工銀行だった。
「うつぼ公園」に突き当たり、右折して四ツ橋筋。

バイクショップが見えたので寄り道。
「イオンバイク大阪店」で、総合スーパーのイオングループのお店のようです。
ルイガノ製品が多く展示され、お手頃なお値段の品揃えでした。
ルイガノの幼児用キックバイクが展示されており、僕の買った「サイクルベースあさひ」製より、サドル位置が低くみえた。

ゴムタイヤで、サイクルベース製で困った空気入れバルブが屈曲して外を向いており、便利だと思った。
タイヤ口径が12インチしかなく、スポークが張られているので、新しいタイプの空気入れだと使えない。
僕はこのためだけに、旧式の空気入れを買った。
総重量も3.4kgとあさひ製4.6kgより軽いけど、お値段が19000円(あさひ製は10000円)なので、クロモリの薄いけど強度のあるフレームかも知れない。
いずれにせよ、さすがブランド品のルイガノです。
見た目もカッコイイしいっぺんで気に入ったが、2台もいらないしね。

「淡路島サイクリングマップ 兵庫県淡路県民局発行」というのが置いてありました。
地図に数本のコース(50km~150km)が書かれ、標高差45m~259m・3.5~10時間の所要時間など、それぞれのデータが書かれ、手帳サイズに折りたためます。
駐車場やコンビニの場所も地図に書かれ、ナイスです。

「愛媛をサイクリングパラダイスに・疾走マップ」というのが置いてあり、こちらも折りたためる1枚物で使いやすそう。
しまなみ海道を含め、愛媛県もサイクリングが楽しそう。
家に置いておこう。

北上するとJR大阪駅に当たり、阪急大阪駅との間のR176に乗り、往路同様、十三~十三筋~r10で帰宅しました。
暑くて、走りだしてすぐセーターを脱ぐ陽気で気持ち良かった。

2/14・萱野三平の墓、大阪中之島・右翼街宣車

土曜日の午後から雨です。
冬にしてはしっかりした雨で、目が覚めた4時前でも屋根を打つ雨音が聞こえ、「奈良・葛城街道」は諦めました。
もちろん綾部の山城探索も無理なので、大阪中之島界隈に行くことにしました。

7:30に階下に降り、NHK備讃瀬戸自然アルバムを見ながら朝食を食べ、8時過ぎに散髪屋さんに向かいました。
雨は7時頃上がったようで、陽が差しています。
先客さんがおらず、すぐに理髪台に上がり、おしゃべりしていたら頭が整いました・・・3000円。

暖かいので、夏用メッシュプロテクタージャケット+ダイワフィッシングスーツの春夏用バージョンの装いで、10時過ぎに通勤リード110にタンデムして出発。
阪神高速空港線下r10を南下し、10:29ESSO・庄内SSで給油。
163km/4.42L=36.9km/L。
1L=105円・・・安くなったものです。

r10に復帰しようと思ったら、目の前に、「萱野三平墓所」の看板が目に入る・・・あれ?・・・寄り道します。
親の反対で赤穂浪士に加われず、討ち入り前に自宅で自決した萱野三平の実家は、箕面市萱野で、R171に沿う旧西国街道沿いにあり、記念館として保存されています。
その近くの墓地に萱野一族の墓とともに三平の墓もあり、実家の記念館とともに参ったことがあります。

かなり離れているけど、ここにもあるんだと入ろうとしたら、エナガの団体さんが桜の枝に群がっていました。
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ご寺院前に、「日像上人開眼・子安鬼子母尊神安置」と書かれた石碑が立っていました。
日像上人は、3週間前に訪問した京都・宝塔寺にあった「経一」像の大人になった姿です・・・縁があるね。

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日像上人とともに日蓮宗に縁のある鬼子母神も祀っています。
鬼子母神は、毘沙門天の部下の妻で、千人・1万人という子沢山故、子育ての力をつけるために人間の子を食らっていた。
それを見てお釈迦さんが、一番下の子を隠してしまった。
半狂乱になった鬼子母神に、「子沢山にあなたでも、たった1人の子が失っただけでこの有様だ。ただ1人の子を失った親の苦しみは如何ほどか・・・」とたしなめた。
以降、仏教に帰依し、子授け・安産・子育ての守り神になった・・・吉祥天(弁財天)の母。

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「日蓮宗・如説山・新福寺」境内に、三平の墓石は、父・兄の墓石に並んで立っていた。
萱野家の菩提寺のようです。

『僧・行基が開基した伽藍で、保元平治の乱で焼失。当地は徳川旗本・大島18000石の旧領で、大島家の用人・萱野は大島家の推挙により浅野内匠頭に萱野三平が仕えた縁で、萱野一族の墓碑が現存する。
萱野三平月牌料として寄進された田畑は、昭和23年農地改革によって徴収され、更に道路用地として徴収された。よって墓碑移転改葬した』

表の掲示板に、「眉は近けれど見えず」と書かれていた・・・ウンチクがある。
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萱野三平の墓石の脇に紅白の梅が咲いていた。

「加島」交差点で左折し十三筋。
阪急十三駅前でR176に合流し、淀川を渡り、阪急中津駅を通って、大阪梅田。
そのまま御堂筋を南下し、11:01中之島の大阪市役所前到着。

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御堂筋を挟んだ日本銀行大阪支店側に、真っ黒なワンボックス右翼街宣車が2台停まっていた。
日の丸が描かれ、日章旗が旗めき、政治結社・祖国防衛隊とサイドに書かれている。
僕は歴史ある日本祖国・先祖好き・天皇好き(愛国者)だと自認しているが、極端な言動や行動の目立つ左翼とともに、こういう街宣車に乗り戦闘服で繰り出す右翼には、左翼ゲバ棒学生と同様な空気を感じ、眉を潜める。

中高生の時激しかった学生運動で、ゲバ棒覆面で校舎を封鎖する左翼学生に対し、先輩大学ヨット部員が他の体育会部員とともに、封鎖解除の実力行使をしていた。
自分たちの授業を受ける権利を主張していた。
体育会系学生は、左翼にも右翼にも組みしないのが、多い。

大学1年で付き合った同級生の女の子の家に遊びに行った時、阪大卒のお兄さんが「セクトがどうのこうの」という話をしだして、気持ちが覚めてしまった。
僕は、「結婚したい」と思える子としか付き合わない。
「ないな」と思ったら気持ちが冷めてしまう。

僕はタバコを吸わないが、お付き合い半年ほどで慣れたのか、「タバコを吸ってもいい?」と許可を求めた子もいた。
その娘の自由だから喫煙許可したけど、その日でお付き合いを止めたこともある。
親父のタバコの灰皿が中央にある食卓で育ち、その灰が僕の食事にかかるのが我慢ならなかった。
何度止めてよと言っても、「タバコは戦争で覚えた」と戦争の責任にして改善しない親父を見て、中毒だと思った。
自分の家庭にあの光景は要らない。
その子は僕に未練があったようで、友達を通じて復縁を求めたけど、お互い我慢してまで結婚する必要はないと思う。

2/7・東京より帰宅

機内のディスプレイを見ていたら、「北朝鮮がミサイルを発射した。沖縄上空を通過して太平洋に落下した」とニュースが流れていました。
でも撃ち落としたとのニュースはありませんでした。
前回同様、防衛大臣からミサイル撃墜命令が出ており、撃墜を期待していたのですが残念です。
アメリカとの合同演習で、マッハ2のミサイルを10/10の100%の確率で、自衛隊迎撃ミサイル部隊が成果を挙げたとのことだったので、迎撃成功失敗にかかわらずチャレンジして欲しかった。
成功すれば自信になるし、失敗しても失敗の原因を探ることで、次の精度が上がります。

ジュニアヨットを教えていた時も、入部2ヶ月のなんとか真っ直ぐ走らせる事ができるようになった子でも、どんどんレースにチャレンジさせていました。
成績はボロボロに決まっていますが、上手な子と自分との差をしっかり認識できるので、その後の練習姿勢が違ってきます。
草レースでも、「1レースは1日の練習に匹敵する」と感じていたので、積極的にチャレンジしました。
レースを経験すればするほど、ぐんぐん実力を上げて行きました。

模試も受けずに大学受験本番に臨んでも、ダメに決まっています。
何度も模試にチャレンジし、自分の学力の位置を把握し続けていないと、本番で結果は出ません。

そんなこと百も承知の自衛隊が、迎撃ミサイルを発射しなかったということは、「人工衛星を打ち上げます」の北朝鮮の発表があったからでしょう。
「北朝鮮の屁理屈だ」とニュースでは言っていましたが、そうであっても撃ち落とさないという他国に対する節度を保ったようです。

同じ日本人である拉致事件被害者を、有無を言わせず実力で取り戻そうとしない日本政府の姿勢と同じ論理が垣間見えます。
自国民を拉致されたのだから、人工衛星だとしても撃ち落として良かったように思います。
日本の本気度を示すチャンスだったのに残念です。

機材は、ボーイング777で、B747の国内運行がなくなった今は、国内最大級の旅客機です。
往路と違い満席でした。
伊丹空港に着陸し、預けた荷物をピックアップする家内をターンテーブルに残し、僕だけスーツケースを持ってバイクに急ぎます。
スーツケース2つは、バイクに積めません。
一旦帰宅し、車でとんぼ返りします。
往復20分ぐらいなので、夜の到着ラッシュなので、家内が出てくる前に戻れるかもしれません。

帰宅し、スーツケースを自宅に置き、車で空港に向かいます。
JAL前の降車レーンに車を停め、家内に電話します。
すでに家内はこのレーンの前の方におり、こちらに来てもらいます。
スーツケースと家内を乗せ、帰宅しました。
「あ~楽しかった。ありがとうね」と言うと、「こちらこそ」
ささっと夕食を作ってもらい、お風呂に入って楽しい1日が終わりました。

2/7・仲の良い息子たち2家族 羽田空港経由で帰宅

楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰る時間になっちゃいました。
恒例の集合写真を撮ります。
遼くんは僕の膝の上で中心。
最近は、タイマーを待つ間、カメラ目線でジッとしていられるようになり、写真のポーズも決まる。
カメラマンの長男から一発OKが出ました。

僕らを空港まで送るために長男が車・マツダCX7を動かしてきて、次男にチャイルドシートを見せています。
チャイルドシートは、8月に生まれる次男の子供用に、次男がもらいます。
車は何年後に帰国するかわからないので、売ってしまうそうです。
相場は100万円ちょっとだそうですが、就職時に我が家から乗って行った私の父の車・マーチに乗り続けてきた次男が、興味を示しています。
具体的に見積もりを取って、その価格で良ければ次男が買うそうです。
「燃費悪いよ」と、次男に欠点を教えています。

この車を売ったお金を元に、会社が手当してくれる車の他に、もう1台買うそうです。
1人に1台車がないと暮らしていけないのも、アメリカン仕様です。
長男は、せっかくだからアメ車を買うのだとか。

そこで次男夫婦と「さよなら」し、長男一家の車で送ってもらいます。
「たーくん(次男)に売ることになったら、タイヤを替えてあげたいよね。そろそろ交換時なんだ」と言っています。
僕もいつも弟がお得になるようにしており、大学の学費・生活費も、病気でリタイヤした親に代わって僕ら夫婦が出したし、相続も弟の方が多くしました。

その代わり、いつも僕に任せてくれ、提案に賛成し協力してくれます。
さすが長男、法律上は同じになったといえど、まだまだ日本では立場の強い兄はこうでなくちゃ。
兄弟2人の会話に、「せっかく従兄弟が近くに出来て、良かったのになあ」というのがありました。
自分たちの子供同士のことを言っているようです。

自分たちが子供の頃、姉一家と一緒に遊びに行ったりキャンプしたりで楽しかったので、そんな家族ぐるみの交流を考えていたのでしょう。
まあ、日本帰国後でもできるからね。

長男のアメリカ赴任は、3~5年ということです。
でも先輩で、その後そのままイギリス子会社に移った方もいるので、いつ帰国になるのかわからないということです。
イギリスの子会社はスコットランドにあり、晴天の日が少なく、基本曇天なスコットランドは気分が滅入りそうだから嫌だなと言っています。

次男は学生時代、オランダに住まい数ヶ月、建築の勉強でヨーロッパ各地を巡った経験がある。
オランダはいつも曇天で、フェルメールやレンブラントの光の暗いタッチの絵画が生まれたのを実感したと言っていました。
でも長男は、子供の時からとにかく前向きな子なので、どこに行っても楽しむのでしょう。
こういう明るい性格は人を惹きつけるので、会社のトップになる器です。
子供の頃から、小学1年生で運動会選手宣誓をしたのを皮切りに、学級委員長・生徒会長・修学旅行実行委員長・クラブではキャプテンと、いつも中心の役目を引き受けていました。
クラスに1人はいる「何でもやりたがり屋」「何でもイッチョ噛み屋」なので、手を挙げて立候補します。
将来は社長になるに決まってるので、海外勤務はそれへの一過程で必須です。

17時過ぎに羽田空港に着きました。
お嫁さんの「飛行機を観ていきたい」の提案に、長男は駐車場に車を入れ、搭乗カウンターまでみんなで歩きます。
お正月行った、伊丹空港の飛行機を真下から見れるB級スポットを遼くんが気に入り、毎日のようにそれを言うそうです。
お嫁さんの元職場、いつも我が家から帰る便で羽田に降り立つだけなので、久しぶりに羽田空港内を見学したかったのでしょう。

やはり、プリンターを入れてくれた長男のスーツケースは、手荷物持ち込みには少し大きく、預けることになりました。
僕らはセキュリティーチェックに入り、長男たちは展望ブリッジに向かいました。

機材の到着が遅れたそうで、出発予定時間が18:30から、18:35に変更になっていました。
家内は姉へのお土産を買い、僕はTV「世界遺産・スペイン領カナリア諸島の自然」を見ます。
機内の人になり、夜空に離陸します。
家内と会話をしながら、「この人が僕の子を産み育ててくれたから、今日のような幸せな日が持てるんだよな~」と、しみじみ思いました。
自分で子を産めない男は、女性を大事にせねばなりません。

2/7・息子達家族とおしゃべり 競馬・新婚旅行・海外引越し

室内でもやたら競争しようと声をかけて来て、遼くんは13番で僕は11番と指名されます。
「おばあちゃんは、唐揚げ食べて見てて」なんて言うのがおかしくて聞くと、競馬好きの長男が競馬場に連れて行ったそうです。
長男は中学の時、友達のお父さんの影響で競馬が好きになりました。
自宅の彼の部屋の壁には、定番の美女ポスターではなく、競走馬の写真が貼られています。
その友人と、親抜きで中学生とバレないようにサングラスして競馬場に入ったこともあります。
中学生では馬券を買えないので、ただ馬を見て、血統を読んで予想し、レースを見て喜んでいただけです。
競馬場は、入場料がただとか100円とかで、入るだけなら非常に安いそうです。
僕は、今まで競馬場などに行ったことがありません。

去年、社会人になって初めて競馬場に行ったそうです。
競馬場中央の芝生に誰でも入れ、遼くんが走り回れるので、ピクニック気分で家族で競馬場に行き、1枚だけ馬券を買ったそうです。
それが遼くんの希望で13番で、唐揚げを食べて応援したのが面白かったそうです。

それ以来、遼くんのマイナンバーは13番になりました。
ちなみの僕の誕生日は13日です。
遼くんはあまりに楽しかったらしく、1月に長男と2人で競馬場に行ったそうです。
アメリカには、もっと綺麗な競馬場があるだろうから、きっと家族で行くでしょう。

新たに覚えた11から20まで、披露してくれました。
マイブームの数字が、2桁になりました。

次男夫婦の会社の会長さんは、競争馬を買ったそうです。
牝馬未勝利戦に勝利し、次のレースに勝てば、重賞レースに出れるそうです。
すでに投資額を賞金で回収したそうで、長男によると殆どの馬主が赤字なので、非常にまれなことだそうです。

新幹線や電車の絵本を持ってきて、ビシバシ車輌名を当てていきます。
僕が1年前の誕生日にプレゼントした絵本「きかんしゃやえもん」が、絵本で一番好きなようで、お嫁さんから「お父さん、言われていたように覚えちゃいました」と笑っています。
「読んであげて」と言われ、遼くんが恥ずかしそうに、ページをめくりながらそのページに書かれている物語を、読んでくれました。
当然字は読めないので、丸暗記です。

お嫁さんと2人でいる時、突然「きかんしゃやえもん」の物語を語り始め、ものすごく驚いたそうです。
全ページ一字一句違えず空で語ってしまい、「すごい、私には出来ない」と驚愕したそうです。
僕も長男がそれをやった時、「この子は天才だ」と思いました。
ただ毎日寝る時に読み聞かせしていただけなのに、次々に絵本を丸暗記しだし、ビックリしました。
次男もそうなり、幼児の能力の凄さを確信しました。

そうなることを話していたので、「本当にそうなっちゃいました」とお嫁さんが喜んでいます。
次男のお嫁さんは、絵本を見ながら、「うわぁ、凄い」と目を丸くしています。
「あなたもそうだったの?」と次男に聞いていますが、当然本人は覚えていません。
「遼くん、天才や~」と笑っているだけです。

家内に教えられて見た「NHKスペシャル・ママたちが非常事態・最新科学で迫るニッポンの子育て」が面白かったので、その放送の翌日、息子たち夫婦に再放送日を紹介していました。
再放送を録画して長男のお嫁さんは見たそうで、「ちょうどいまイヤイヤ期で・・・」と面白かったそうです。
次男達の家には録画機器がないそうで、お嫁さんの実家で録画してもらっているそうです。
きっと面白いと思う。

お嫁さんお妊娠でキャンセルしちゃったメキシコへの新婚旅行ですが、ニュースでジカ熱をやってるから、行かなくて良かったねと言っときました・・・ツイてるねって。
「子どもたちが大きくなった時に、両親に新婚旅行をプレゼントしてくれるよ」と言うと、そんないい子に育ったらいいけどと笑っていましたが、親がニコニコ楽しく接していたら、いい子に育つに決まっています。

「熱海でもいいんじゃない。半世紀前は、新婚旅行は熱海が定番だったんだよ」と言うと、「え~熱海~」ってこれも大笑い。
現実問題として、安定期に入れば長男のアメリカの家訪問を兼ねて、ニューヨークやワシントンへの新婚旅行もいいかもしれない。
長男夫婦は、遼くんがお腹にいる時にラスベガス旅行に行き、2人目妊娠中の3ヶ月前は遼くんを連れグアム旅行しました。
長男のお嫁さんが、「安定期に入れば、飛行機も平気だよ」と勧めています。

3時のおやつに、コーヒーと次男たちが持ってきたいちご・バレンタインマカロン、僕らが東京駅で買ったお菓子、そしてお嫁さんが手作りしてくれたチョコ味なお菓子を食べました。
長男のお嫁さんは、料理やお菓子作りのセンスが良いです・・・美味しゅうございました。

結局引っ越し仕事はありませんでした。
日本に置いておく荷物は、全て会社が用意した保管ルームで無料で預かってくれ、引っ越し荷物は業者さんが手続きも含めやってくれるそうです。
海外引越しは、特別な手続きが必要なので、下手に赴任家族がすると余計に手間が掛かっちゃうそうです。

電子レンジと冷蔵庫は、お嫁さんの実家や妹さん宅に行き、次男は50型テレビとチャイルドシートをもらうそうです。
我が家は、FAX兼用プリンターをもらうことになっており、もう要らないというスーツケースにそれを詰めてもらい、持って帰ることになりました。

2/7・長男宅に次男夫婦登場

エレベーターで上がり、部屋まで歩きます。
玄関ドアの前にユーティリティ・スペースのあるマンションで、ロードバイクや車のタイヤ、子供用の室内ブランコがあったり・・・そのご家庭の趣味が想像できます。
長男は賃貸で借りてるけど、分譲マンションなので住民の移動が少なく、壁も厚く隣や上下の家の音も殆ど聞こえないマンションです。

長男が出てきて迎えてくれました。
「おはようございます」とお嫁さん、そして遼くんが「おじいちゃん・おばあちゃん、おはよう」と満面の笑みです。
遼くんとプラレールやガチャガチャ列車で遊びながら、いろいろ話をします。

プリンストンで住む家は、現地の業者さんから紹介を受けているようで、3階建長屋(1Fガレージ)を第一候補にしているそうです。
ディベロッパーが開発したブロック住宅地で、入口にゲートが有り、ガードマンが常駐だそうです。
アメリカンサイズなので、居住スペースが200平方メートルです。
家賃が3500ドルということなので、今のマンションの倍・40万円です。
会社持ちだから、有難い。

英語ができるお嫁さんが対象になるのか不明ですが、英会話ができない奥さんのために英会話教室費用。
通勤用の車。
日本への帰省用に、ビジネスクラスの往復正規運賃家族人数・年1回分が現金支給されるそうです。
エコノミーにすれば4回ぐらい往復できるそうです。

仕事でのマイルも貯まるだろうし、帰省費用自己負担はなしになりそうです。
遼くんのプリスクール費用も会社から出て、給料も各種手当が加わり、3割り増しになるそうです。

お嫁さんは4月に2人目を出産するので、8月に3人でアメリカに向かいます。
首がすわる3ヶ月後の7月にアメリカに行けるんじゃないかと言うと、「7月に休みを取ってマチュピチュに行こうと思ってるから。せっかくアメリカ勤務なんだから、北米・南米を制覇しなきゃ。だから8月以降で・・・」と。
長男は、人生を楽しんでいます。

ニューヨークの北にスキー場があるの?と聞くと、無さそうとのこと。
遼くんの初スキーは、カナダになりそうです。
ちなみに長男の初スキーは、車山高原でした。
次男は生まれていなかったから、2才ぐらいかな?足が固定できないブーツだったので楽しめず、僕が抱っこして滑りました。
寒すぎて泣いちゃって、その後数日のお正月休みは、知り合いのペンションの回りで雪遊びになっちゃいました。

2人目の出産予定日が4月で、お嫁さんは1人目同様新潟の実家に帰って、新潟の病院で出産する。
前もっての診察も必要なので、いつ新潟に帰るのか聞いてみた。
先月、長男はアメリカ出張したそうだ。
更に来週14日からの週は、1週間の予定でアメリカ~イギリス出張があり、地球を一周して帰ってくるそうだ。
その留守に合わせて、お嫁さんは遼くんを連れて新潟に帰るのだとか。
こんな生活をしていたら、マイルはいくらでも貯まりそう。

外は風が強く寒いので、妊婦のお嫁さんを残し、4人でボールを持って近所の公園に行きました。
ボールを蹴っていると、公園にいた女の子2人が加わりました。
ブランコ・滑り台で遊び、何度も「おじいちゃん、よ~いドンしよう」と競争しました。

マンションに戻ると、次男から「あと10分で着く」と電話があったそうで、長男はお迎えに出ていきました。
来客用の駐車場を教えるためです。
次男夫婦がやってきました。
お嫁さんのつわりは、軽いけどまだ続いているそうです。
お茶を飲みながらのお嫁さん同士の妊婦・出産会話が面白い。

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ミキハウスのリュックとバレンタイン・マカロンが、次男夫婦から遼くんにプレゼントされました。
遼くんはリュックを背負ってごきげんです。

注文したお寿司の宅配が届き、みんなで昼食です。
次男のお嫁さんは2人姉妹なので、お嫁さんのお父さんは初孫を男の子希望で、野球のユニフォームを着せるのが夢だそうです。
長男のお嫁さんが、お腹の中の次男くんの写真を見せてくれました。
遼くんに似ている。
確かにおちんちんがあります。

長男のお嫁さんは、3人姉妹の長女で、お父さんは遼くんが初めての男の子です。
女の子と勝手が違い、暴れん坊で、外で遊びたがる遼くんと、あまり遊べないそうです。
どうやら僕の方が遼くんの遊びに付き合うので、今日を楽しみにしてくれていたそうです。

2/7・東京

日曜日は、東京に行ってきました。
また長男夫婦に、「来ないか」と誘われました。

4月にアメリカ東海岸・プリンストンに転勤です。
アイビーリーグである「プリンストン大学」のある町としか認識していなかった町です。
長男の会社のアメリカ子会社があり、長男は仕事や学会なのでよく行っていました。
ニューヨークとフィラデルフィアの中間にある町で、フィラデルフィアの南にワシントンがあります。
両都市へ50km・1時間だそうです。

家族で赴任するので、潮江のマンションから引き払います。
このマンションに行くのは最後です。
家を買おうと言ってたタイミングなので、良いタイミングでした。
また、僕ら夫婦の往復航空券を貯まったマイルでプレゼントしてくれました。
どんだけ飛行機に乗ってるんだ。

伊丹空港始発・7:10の飛行機なので、5時に活動開始です。
TV見ながらパンを食べ、空港までのタンデム用に、通勤リードにリアボックスをセットしておこうと外に出ると、何と小雨が降っています。
車にしようかと思ったけど、カッパを着ればどうってこと無い小雨ですので、初心貫徹することにしました。

6時にカッパを着て自宅を出発し、10分ほどで空港着。
モノレール駅下で雨の掛からないバイク置き場に入れ、カッパを脱ぎモノレール空港駅まで上がり、連絡橋で空港の建物に入ります。
JALカウンターでチケットに交換しました。
前回より30分ほど遅いのでカウンターで並びました。
セキュリティーチェックで、機内持ち込み荷物に詰めた麻雀牌が引っかかり、スーツケースを開ける羽目になりました。
プリンストンにいる同僚から頼まれ、持っていくそうです。
お薬の小瓶もチェックされ、搭乗5分前ぐらいに搭乗口待合室に到着することになっちゃいました。

家内がおトイレでお化粧中に、搭乗が開始され、女子トイレに行き「・・ちゃ~ん」と呼ぶ羽目になっちゃいました。
返事がないので搭乗ゲートに戻ると家内がおり、行き違いになったようでした。

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機材はボーイング767です。
翼の上の席で、窓際左右に2列シート・中央に3列シートの中型機です。
フライトが始まり、我が家が見えます。
名古屋平野を過ぎ、富士山が見えてきました。

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冠雪した美しい姿が窓の外に見えます。
ダントツで日本で一番美しい山です。
房総半島の先っぽ・館山に上陸し、進路を北に変え羽田に一直線です。
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こちらからでも北アルプスをバックに、秀麗な富士山が見えます。
羽田に着陸するまで、ずっと窓の外に富士山を見ながらのフライトでした。

今回は長男のお迎えはありません。
引越し準備で忙しいのだろうと、荷物の中に軍手などを忍ばせ、手伝う気満々で降り立ちました。
モノレールで浜松町に向かいます。
巨大空港・羽田が延々と続きます。
朝日新聞やフジテレビの格納庫には、取材ヘリコプターが格納していそう。
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海上保安庁の格納庫内にヘリコプターが見え、映画「海猿」の世界です。

浜松町でJR線に乗り換えです。
僕らはコート・手袋・アクリル毛糸の帽子なのに、5人組の白人男性グループは、長袖Tシャツ姿です。
手袋なんて誰もしていないし、ハゲ頭がダイレクトに寒風に耐えています。
黄色人種とアングロサクソンは、同じ人間とは思えない。
冬になる度、いつも思うことです。

同時に山手線と京浜急行線が来たので、京浜急行線の方に乗ります。
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山手線と追いかけっこしながら並走し、新橋でSLを見つけ、日本初の鉄道開業・新橋横浜間を思い出しました。

東京駅で、京葉線に乗り換えです。
同じ駅構内なのに延々と歩き、やっと京葉線。
快速列車が出ていき、同じホームで各駅停車を待ちます。
快速に乗る方が多いようで、乗車口に並ぶ列が伸び、各駅停車待ちの僕らの方に伸び、飲み込まれちゃいました。

やってきた快速に、乗車待ちの列が進み、スマホを見ながら取り残された外人女性に、「南船橋に行けるか?」と聞かれました。
快速の停車駅を確認し、先発の快速に乗ればいい、Go!と教えると、「Thank you」と笑みがいい。
「You're welcome. Have a good day」

3つ目の駅が、潮見です。
駅で着いた旨と、駅前スーパーで買っていくものがないか電話するが、留守電になってたとのこと。
家内は、長男の携帯電話に掛けたようです。
自宅の固定電話に掛ければいいのに。
マンションまで歩き、玄関ロビーで入口を開けてもらおうと室番号を押すと、「おはようございます」のお嫁さんの声とともにドアが開きました。

1/31・ママたちが非常事態

ここで19時。
いつもの日曜日なら、そろそろ寝ようかな?の時間ですが、家内が「NHKで赤ちゃんのことをするの、見なくちゃ」というので付き合いました。
夕食を食べてから、19時からニュース。
19:30から「ダーウィンが来た」
20:00から大河ドラマ「真田丸」
欠伸しながらも、頑張って目を覚まし続け、21時からNHKスペシャル「ママたちが非常事態 最新科学で迫る ニッポンの子育て」が始まりました。

ママたちは、子育てに孤独感・孤軍奮闘感を感じ、不器用ながら手助けしようとする夫にイライラし、感情的な言葉を投げつける。
ママ友を求め、ただ聞いてくれるだけでホッとする。
子供の方も、生まれてすぐの夜泣きで母親を苦しめ、3歳頃始まるイヤイヤ期で、思うように育てられないと感じるママを苛立たせる。
そしてママは、自分がママ失格だと自分を責め始め、自信を失っていく。

最新科学で、これらは全て脳内ホルモンの成せる技で、人類が二足歩行したために起こった現象であるということを突き止めた。
ちょうど今読んでいる「NHK出版 暴力はどこから来たか 人間性の起源を探る 山極寿一」に書かれていたことのトレースだった。

二足歩行したために骨盤が小さくなり、それ故に脳が未発達のまま生まれ、成人するまで脳は4~5倍にゆっくり成長する。
脳の発達過程に、夜泣きやイヤイヤ期があるだけです。
子宮内にいる時は、自分が起きて活動すると母親の負担を増すので、母親が寝ている夜に起きて活動するようにしていた。
その習慣が、出生後も残り、徐々に昼型に変化している過程なだけで、夜泣きは当たり前のこと。

イヤイヤ期・自己中時期を経てから、相手への思いやりが脳に備わっていく。
だからイヤイヤ期も成長の過程の一現象。

人間に一番近いチンパンジーは、授乳が済む5年ぐらいは、次の妊娠が起こらない。
人間は年子もザラにおり、次々に妊娠することで、爆発的に繁栄していった。
それ故、1回の出産で1頭しか産まないチンパンジーの母親のように、母親のみで子育てするのではやっていけず、サポートが必要になる。
そこで、集団保育するのが類人猿としての人間本来の姿なのだが、核家族化で3世代・4世代で助けあっていた子育て習慣が崩れ、ママの子育て期間の負担が激増した。

でも、出産と同時に切り替わる子供への愛情激増と、子供を守ろうとする排他的な感情が、不手際も多い父親の子育て支援にさえ牙をむく。
離婚率が最も高いのが、子供が3歳までのこの時期で、それを乗り越えれば離婚率は低下していく。

僕は家内から子育て時期で牙をむかれたことがないし、夜泣きする息子たちにイライラする事もなく、仕事を終え帰宅して我が子の世話ができるのが楽しく、我が子と遊んでいる感覚で、むしろ楽しく子育て出来た。
家内のサポートになったかは疑問だけど、上手に僕に子供の世話の仕事を割り振ってくれたと感謝している。
それ故、今息子達と仲がいいのだと思う。

家内と話しながら番組を見た。
とても勉強になりました。
これを見て、赤ちゃんの成長・ママのホルモンのなせる技を、知識として持っているだけで、夫婦や家族の不安は軽減されるだろう。
秀作でした。
翌日、NHKのウェブサイトを見ると、夜中に再放送があるようなので、「録画して見たらいいよ」と息子夫婦にメールした。

1/31・御香宮神社

御香水を飲んでみました。
普通の水です。
井戸水・川水を生活・飲料水に使っていた時代なので、飲んでも病気にならない「伏見の湧水」というだけで、ご神水になっちゃうのでしょうね。
「灘の宮水」同様、「良い湧水のあるところに造り酒屋あり」です。

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社殿の彫刻に色が入り、華やかです。
拝殿参道に屋根が掛かり、参拝のお客さんがたくさんおられます。
応神天皇を身ごもっていながらの三韓征伐の神話が残る主祭神が神功皇后故か、初宮参りと思われる一家が数組います。
本殿では、初宮神事が行われており、祝詞が聞こえます。
参道脇には写真館さんがカメラを設置し、簡易青空スタジオで営業中です。
赤ちゃんを抱いたお母さんが写真に収まっています。

僕ら夫婦も、息子たちが初宮参りした近所のお宮に、嫡孫君も初宮参りした時、満面の笑みで参列したが、皆さん笑みが絶えません。
子供は家族に幸せを運んで来るよね。

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お金回りの良い神社のようで、社殿がカラフルで美しい。
瀬戸内から京への交通の要衝・物流拠点の伏見の経済力を背景にした氏子さんが多そう。
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奉納神馬の木製白馬が馬小屋に入っていた。

本殿裏の摂社を巡っていると、「ほら見て、梅が咲いてる」と家内に言われ見ると、白と紅の梅が咲いていた。
春はすぐそこです。
我が家の朝に、ウグイスが鳴くのももうすぐ。
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絵馬殿を見学し車に戻り、駐車料金はいくらかな?と出口ゲートでチケットを入れると、無料でした。
1時間ぐらいは無料なのかも?

R24~毛利橋通~竹田街道で、黄桜酒造を目指したが、市街地過ぎて観光気分にならず、駐車場探しが面倒で伏見観光はパスすることにしました。
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「大手筋通」を西進し、新高瀬川を渡ったとこにある月桂冠酒造の感じのよい建物のみ激写。

阪神高速8号京都線の下を走る「油小路通」に出て南下し、「巨椋池IC」から京滋バイパスに乗り、名神~中国道を走り、豊中ICで下車し、13:24お早い帰宅になりました。

夕方から、映画DVD「蝉しぐれ」を観ました。
僕が一番好きな作家・藤沢周平の僕が一番好きな長編小説の映画化です。
黒土監督が小説を忠実に再現しており、この映画も気に入っています。
ホント素敵な映画です。
家内が「久しぶりに観た」と言うので、調べてみたら2005年ロードショーでした。
DVDで家内が観たのは初めてのようです。

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昨日の朝、家内が、「腰が痛いので貼ってくださいますか」と、シップを持って来た。
「ここね」と、パジャマのズボンを少し下ろし、上を肩甲骨の上まで上げ、僕に腰を見せます。
シップ貼りしながら、「綺麗な肌だなあ」と言い、腰のクビレのラインがセクシーなので、できるだけゆっくりと作業しました。
女性の曲線美も肌触りも素晴らしい。

確かに僕と大学の同級生だから同じ年令のはずなのに・・・。
しぐさも変わらず可愛く、今更ながら僕の幸運を感じます。
腰にシップを貼るだけなのに、至福の時間・・・
それが2日続いています。
あ~、明日もお呼びがかからないかなあ~

1/31・京都山科・醍醐寺~御香宮神社

「無量寿苑」という日本庭園を巡る。
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池に囲まれた「弁天堂」があった。
その池に面した「寿庵」という茶房で、小腹を満たそうかとメニューを見たら、うどん1500円という思いきりの良い観光地価格でパス。
リュックを背負った大きな一眼レフを下げた女子3人がおり、写真愛好会かな?と思ったら、中国語を喋っておられた。
一山越えた伏見稲荷には、山程中国人観光客が来ているが、こちらにも来られているのですね。
確かに、荘厳・お宝という面では、こちらの方がずっと上です。

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上醍醐に行こうとすると、ゲートが有りました。
外への一方回転式ゲートになっており、「再入場できません」となっています。
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「国宝・五重塔」は伽藍エリア内なので・・・Uターンし、五重塔を見学しに戻ります。
境内に「国際宇宙年記念植樹」と書かれた桜が植えられていました。

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この境内や伽藍エリア内の多くの若い桜の脇には、記念植樹の銘板が打たれています。
「平成24年・・君誕生記念」なんて書かれているものもあります。
今年でまだ3~4歳のお子さんですね。
僕は、我家の庭に、嫡孫誕生記念に三穂神社を勧請したけど、こういうのもいいですね。
植樹寄付金は如何ほどだろう。
大寺の瓦の吹替時に寄付して、自分の名が書かれた瓦が後世に残るものロマンがあるが、植樹のほうがよっぽど目立って、子孫がそれを見に来るのも楽しそう。
桜を境内に植えるときに寄付され、それが育って観光客が増えてまた参拝収入が増える。
ナイスなビジネスモデルです。

再び、上醍醐へのゲートまで来て、外に出ます。
「上醍醐登山には、入山料が必要です・・・大人600円。
入山料は、女人堂納経所にお納め下さい」
とにかく無料の女人堂まで行ってみようと歩み始めたら、目の前に見えていたのが女人堂でした。

道標を見ると、山頂まで2.6km・65分とある。
参拝ではなくて登山なんだ・・・すでに1時間以上ウロウロしているのに、往復で2時間。
点在する伽藍を訪ねたら3時間コースです・・・

山城探索で身を持って感じているが、登り30分が楽しく歩ける限界です。
それ以上は覚悟がいる。
「往復3時間か~」と思案していると、「みんなでハイキングで登ると楽しそうね」と家内が言い出し、パスに決定。
300円で半分までコースがあればいいのに・・・

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登山道を見ると、杖ボックスが置かれ、広めで緩やかな勾配の山道が山に向かっていました。
伽藍エリアには入れないので、その外の道を川沿いに下ります。
バイクや車が道脇に置かれています。
入山者がここまでエンジン付きで上がってきたのでしょう。
次回は我が家もこの作戦で。

伽藍エリア入口・西大門に戻ってくると、各伽藍で真言を唱えていたいた女性2人組さんが、出てきたところでした。
なんと中国語を喋っている・・・家内と顔を合わせ、びっくりポン。
三宝院から、10人ほどの雲水さんが出てきて、伽藍エリアに2列に並んで歩いて行かれます。
毎日のお勤めで、お経を上げに行くんだろうと思いました。

11:51、駐車場に戻り、駐車料金700円。
伏見に向かいましょう。
r36で「六地蔵」。
r7で伏見に向かいながら、観月橋で信号待ち。
ふと、以前気になったR24沿いのお宮に行ってみようと思い立ち、右折。
R24に乗ってすぐ、12:11「御香宮神社」の駐車場に入れます。

『神功皇后を主祭神に、夫の仲哀天皇・子の応神天皇他6神を祀る。万病に効く聖水が出たので、清和天皇より「御香宮」の名を賜った。秀吉は、伏見城の守護宮に指定し、家康も本殿を造営し寄進した。表門は伏見城の大手門を移築したものとされる。小堀遠州が伏見奉行になり、奉行所内に石庭を造り、ここを訪問した徳川家光が感嘆し、一気に5千石加増され大名の仲間入りした。その石庭を社務所裏側に再現されている。1868年の鳥羽伏見の戦いでは、薩摩郡の屯所になった』

醍醐寺ドライブ 2/2

1/31・京都山科・醍醐寺・三宝院・伽藍エリア

霊宝館横の仏像棟が公開されているということで見学。
2週間前に訪問した湯浅の万願寺から秀吉が移したという薬師如来三尊(日光・月光)は、鎌倉時代製作だそうですが、ほぼ完璧なお姿でした。
修復されているのでしょうが、とても綺麗な仏様でした。

興福寺の阿修羅像に似た細身の仏像や、細面の美しい吉祥天が目を引いた。
僕はどうも、仏像も美人差を感じる細身が好きなようです。

続いて三宝院エリア。
まずその売店を覗き、ドイツ語写真集の存在を確認します。
三宝院は平安時代に建立された塔頭で、醍醐寺の中心塔頭として存在していましたが、応仁の乱の兵火で荒廃しました。
秀吉の時代、醍醐の花見と紅葉狩りを契機に復興され、秀頼にも受け継がれ、庭園は秀吉自身の縄張りだそうです。

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立派な枝垂れ桜を横目に、唐破風屋根の玄関を上がると、いきなり素晴らしい生花。
思わず玄関畳に座り、低い視線から眺めちゃいました。
畳の日本間が並び、「勅使の間」もありました。
廊下から開けられた襖を通して、リニューアルされたばかりと思われる素晴らしく綺麗な「勅使門」が見えています。

「表書院」の床の間に目が行きました。
襖絵や違い棚が素晴らしい。
縁側から太閤さんが縄張りしたという庭園を見ます。
枯山水もいいですが、ここは池があり、小さな滝が流れ落ち、縁側の下まで伸びた池には鯉が泳いでいます。
リアル山水の庭の方が、いいな。

10:02、売店で「ドイツ語版・醍醐寺写真集・2500円」を購入。
重いので、僕だけ車に戻って書を置きます。

下醍醐の伽藍エリアに向かいます。
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さっき内側から見た勅使門を、表から見ます。
母の実家と同じ五七桐紋と、天皇家の十六菊紋が金色に装飾され、真っ黒な門に映えます。
西大門を入ったところが受付でした。

これで3エリア目のチケットを切られます。
西大門は、仁王門になっており、左右の阿吽仁王像は鳥よけ網もなく、ダイレクトに見えていい。
僕の子供の頃は、どこでもこうだったのに、最近はいたずら避けもあるのだろうけど、無粋な金網で覆っていたりして、写真に収める気にもならない興ざめ門もある。

重要文化財・「清滝宮」
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醍醐寺の守護宮なのだろうか、くたびれ気味だけど、檜皮葺の屋根を持った趣きのある本殿だ。

「国宝・醍醐寺金堂」
醍醐天皇御願により、926年に創建された釈迦堂が前身で、2度の焼失後、秀吉の命により、紀州・湯浅から移設が計画され、秀頼が1600年に完成させた。
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薬師如来像が、醍醐寺の本尊だそうです。
日光・月光の定番三尊の脇に天部が守っていた。

2人の女性が、熱心に真言を唱えておられた。
真言密教の寺なので、四国八十八ヶ所巡りや高野山奥の院結願を終えた方かもしれない。
そんな唱え鳴れた雰囲気があった。

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上醍醐に向かってゆるく登る中央の道を挟んで、左側の金堂と対称な位置に「国宝・五重塔」があるが、この訪問は上醍醐からの帰りに残しておこう。
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「不動堂」は不動明王を中心に5体の明王像が安置され、お堂前の境内で修験道の護摩行が催されるそうです。

「真如三昧邪堂」
堂内にお釈迦様がお亡くなりになるまで説法を続けた姿と言われる涅槃像が、金色に輝いていた。

「祖師堂(弘法大師・理源大師)」
他の真言宗の多くの寺では、「御影堂」と呼ばれる伽藍です。
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堂内にはもちろん、弘法大師と理源大師像が安置されている。

理源大師は、弘法大師の孫弟子で、平安時代前期の真言宗の僧。
天智天皇の6世に当たるのだとか。
壮年期に醍醐寺を創建し、天皇に保護された京の真言宗の本拠地・東寺の僧正まで上った真言宗屈指の僧。
吉野・金峯山寺を本拠地に修行を積み、役行者から始まった修験道を再興した。
真言宗はもともと密教であり、現在の葬式仏教と違い、中国の山岳修行仏教と共通する厳しい修行を経て悟りを開くことを正とする「修験道」に相通じる。

修験道こそ、中国で隆盛した本来の仏教の姿とも言える。
出家・在家を問わず吉野の山で一心に山を歩き修行する修験者に出会うと、瀟洒な袈裟に包まれた仏僧以上に、尊い姿を見た感じを受ける。

修験道・中興の祖・理源大師建立の醍醐寺が、その根本地としての誇りから、先に書いた他寺が今を食うがために宝物流出させていった流れと一線を画したのが、何となく分かる気がする。

「国際法学院(修行道場)」
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「観音堂」に入ると、「僧侶と一緒にお経を唱えませんか?(約30分)」というお誘いが書かれていた。
10:30・14:00の2回あるそうです。
時刻を見ると、11:07・・・残念。

1/31・京都山科・醍醐寺・霊宝館

家内もお休みなので、先週に続き京都寺社巡りです。
漠然と久しぶりの山科・醍醐寺~伏見名所旧跡巡りを計画しました。
醍醐寺拝観は9時からなので、8時出発予定です。
いつものように4時頃目が覚めゴソゴソし、7時になったので階下に下りTVを見ながら朝食を頂きます。

予定通り8時に出発。
1週間前より暖かだけど、家内もいるので車で出かけます。
車は現地での機動力に欠けるので嫌なのだけど、風邪を引かせちゃうといけないから、3月まで電車&タンデムの定番夫婦バイクツーリングはお預けです。

豊中ICをパスし、中央縦貫を吹田まで走り、吹田ICから名神に乗ります。
京都東ICで降り、r35で南下する方が近道だけど道が狭いので、R1~京都外環状線で南下しました。
地下鉄醍醐駅を過ぎたとこで左折し東進。
r36を渡って、「ここかな?」ってとこを野生の勘で曲がり、9:03難なく駐車場を見つけました。

走っていてわかったのですが、醍醐寺は伏見区でした。
西の伏見と東の山科の間に山があるので、山の東の醍醐は山科区とばかり思っていました。
その山を伏見の南の宇治から回り込む形で、山科から宇治川に注ぐ山科川が作る平野が回り込み山科区に続いています。
醍醐は山科の文化圏ではなく、伏見の影響を受けていた地区のようです。

山科は、琵琶湖に近い京との間にある盆地ですが、瀬戸内・大坂からの水運が京に上がる物流拠点・伏見の影響が醍醐まで北上していたんだと、改めて伏見の経済力を認識出来ました。

世界文化遺産・醍醐寺。
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全景図を見ると、東の山に向かって、駐車場の東に並列し霊宝館エリア・三宝院エリアが並び、その東に伽藍エリア、ここまでを下醍醐エリアと称します。
その東に山頂まで点在する僧坊や滝を巡る上醍醐エリアがあります。
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上醍醐山上に、五大堂や開山堂が表示されており、そこまで行ってみたいぞ。

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宝物殿であろう「霊宝館」に入ってみます。
拝観料600円ですが、下醍醐3エリア(各600円)全部入れる1500円の共通券を買いました。
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火災対策が施された僧坊風だけど、鉄筋コンクリートの博物館建物です。
建物の周りには立派な枝振りの枝垂れ桜がいい感じです。
春になれば華やかでしょう。
そうなると、天邪鬼な僕は、人が多くなり訪問する気がなくなるんだけどね。

当然撮影不可なので残念だけど、国宝や重要文化財の仏像・柱・仏画・書・襖絵がたくさん展示されています。
明治新政府が打ち出した神仏分離令により、困窮した寺院が続出し、多くの国宝・重文級の遺物が寺院の外に流出し、海外に散逸してしまいましたが、醍醐寺は三宝院に伝承される三宝院流と当山修験としての経印法流を伝承する立場に立ち、一切の宝物を流出させないことを旨として、困難な時代を乗り越えた。
それ故、国宝69149点・重文6522点という膨大な宝物が維持管理されている。
この数の驚きました。
国宝ってこんなに多かったっけ?

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霊宝館横に、寺内一と思われる素晴らしい枝ぶりの枝垂れ桜がありました。
醍醐寺は、秀吉の花見で有名です。
地図に、上醍醐の山腹に、秀吉花見の宴跡があるので、桜を見下ろしたのでしょう。
館内員のお姉さんに聞くと、これだけは他の境内の桜より早く3月下旬に満開を迎えるので、4月から一気に増える観光バスシーズン前の拝観ベストウィークだそうです。
僕ら夫婦が、この日の最初のお客さんのようで、館内の3つのエリアに僕らが移動する度、そのエリアに顔を出していました。
手を伸ばせば国宝に触れる展示なので、管理される方も気が抜けませんね。

国宝・五重塔の建造時の四柱の一部が、他に流用されて遺されていたのが、その次の修理の時に発見され、国宝として館内に展示されていました。
柱自体に描かれた仏画が遺り、平安時代に使われた絵具の残存どの高さを感じました。

館を出る頃、3組のお客さんが第一展示スペースに入っていました。
出入口脇に写真集などが見本として置かれており、2500円のドイツ語写真・解説本に目が留まりました。
日本語版の写真集や解説本とは違い、立派な装丁で写真も豊富(350ページ)なのに、値段が変わりません。
欲しくなっちゃいました。
お姉さんに問い合わせると、三宝院エリアの売店で売ってるそうです。

醍醐寺 1/2

2/5・8 バイクメンテナンス月間 2/2

それらを話すと、既知のメンテナンスさんは、「旧リードからの乗り換えのお客様に、足付きが悪くなったとよく指摘されます」と言っていました。
特に相対的に背の低い女性のお客様から言われるそうで、他車への乗り換えになっちゃうそうです。
「110から125ccになったから、馬力アップが良い点です」と言われましたが、僕のような鈍足さんには、馬力アップの利点が感じられません。
もともと、快速車をお求めの方は、リード110など選ばないので、リード110ユーザーは他車への乗り換えになる方が多いのかも。
僕も、新型リード125に乗り換える気持ちが消えました。
リード110を買う時迷ったヤマハ・アクシストリートに軍配が上がります。

足つきの悪化は、女性のお客さんを逃しそう。
家内用にアドレス125を買ったのも、リード110に乗った家内が、教習車のアドレスより重くて足付きが不安ゆえでした。
そんな女性には、動力性能など、何の取り柄にもなりません。
日常遣いの主婦には、50ccスクーターの至れり尽せりの方が魅力で、ツーリングにも使いたいなというニーズで原付二種を見ると、足つきの悪いバイクは選択肢に入らないようです。
我が家のニーズは、少数派のようです。

新型リード125の方が、リード110より座った位置から見える前方が近く、幅も狭い印象を受けたので、データを比較してみた。
予想外に全長は同じで、幅は125の方が20ミリ広い(125-685ミリ、110-665ミリ)。
シート高が125の方が110より高かった(125-760ミリ、110-740ミリ、VTR250-755ミリ、CB400SB-755ミリ)。
VTRやCBよりシートが高く、幅広シートのスクーターなので、足付きが悪くのるのも、サイズデータからも確認出来た。

法定24ヶ月点検(メンテナンスパック)工賃9750円+エンジンオイル交換(ウルトラG1・2.1L2608円+ドレンワッシャ32円+工賃900円+オイルフィルタ1144円+工賃1100円)-値引き6220円+オーナーズカード1年間・3780円=6260円

ホンダドリームオーナーズカードは、CBを新車購入した時に無料で付いていました。
レッカー無償・距離無制限という素晴らしいものです。
フェリー割引・提携宿泊施設割引など、特典はいろいろありますが、期待しているのはレッカーのみです。
更新は有償ですが、年間3780円です。
新車購入から一旦切れると、途中から入れませんので、毎年更新しています。
そしていつの間にか、VTR250も対象車に加わっていました。
年会費のアップ無しで、2台対応・・・ラッキー。
ただしVTRは他店購入なので、レッカー無償は無制限ではなく200kmまでです。


怒涛のバイク定期点検月間、3台目のCB400SBです。
昼休みに、通勤リード110のイグニッションON。
シーン、あれ?、
イグニッションON、シーン、あれ?
焦りましたが、イグニッションボタンをゴニョゴニョしたらエンジンが始動しました。

数日前に点検してもらったばかりなのに、どこかの接触が悪い感じです。
自宅から「招き猫CB400SB」を乗り出し、ホンダドリーム尼崎店に向かいます。
5週間ぶりのイグニッションONですが、一発点火で快調です。

お店に着き、メンテナンスさんに、オイル交換をお願いします。
2Fに上がり待ちます。
店長さんに、通勤リード110の症状を説明すると、イグニッションボタンの接触不良やリアブレーキからのサインの接触不良が疑われるので、点検してくれるそうです。
来週月曜日に、また点検してもらうことになりました。
来週は、代車生活です。

法定12ヶ月点検9720円+オイル交換(ULTRA G1 SL 10W-3×3L=3726円+ワッシャー・ドレンプラグ32円+工賃900円)+プラグ交換(NGK・GR8EH-9×4=3240円)-5679円=5135円。

プラグの1つが火花不良ということで、4本同時交換してもらいました。
1本ダメになると他も寿命なので、次々にダメになってくるそうです。
全部同時交換が、ドリームさんの整備仕様だそうです。
工賃は無料でした。

リアタイヤがあと3000キロぐらいで交換時期を迎えそうなので、夏の定期点検時は交換を考えておく方が良いそうです。
新車から現在19000kmです。
ダンロップの純正リアタイヤの寿命は、22000kmのようです。
フロントタイヤは、14000kmで交換しました。

通勤リードが不安だけど、一応3台とも安心してまた半年乗れます。

2/4・5 バイクメンテナンス月間 1/2

2月のバイクメンテナンス月間に突入。
1月中旬に、ホンダドリームさんから、招き猫CB400SBと通勤リード110の定期メンテナンスのはがきが届きました。
2月に入り、里山VTR250のメンテナンスと、ホンダドリームカード更新案内ハガキが届きました。
毎年、2月末のウグイスの初鳴きから、早朝バイクショートツーリングを開始します。
夜明けにウグイスのさえずりを聞くと、「春が来た」を実感します。

4日昼休みに、はがきを持ってドリームさん行きました。
3台メンテナンスの打ち合わせの予定でしたが、「今出来る」ということで、乗って行った通勤リード110の6ヶ月点検をしてもらいました・・・約2時間。

6ヶ月安心点検+オイル交換(ウルトラE1SL・0.7L869円+ドレンワッシャ32円+工賃600円)-メンテナンスパック1250円=467円
2年分4回の定期点検をパックで先払しているとはいえ、お安くてお得した感じがします。

リードは、イグニッションをONにしたら、セルランプが点灯~消灯し、それからセルスイッチをプッシュしてエンジンを掛ける構造になっていますが、僕のリードは接触が悪いのか、1/2ぐらいの頻度でランプが消灯しません。
再度イグニッションをOFF・ONして点灯~消灯しなければならないことがあります。

3700km走行中古で買った時から、この症状があります。
「気になるところはありませんか?」の質問に、毎回そのことを話しますが、「様子を見て下さい」で終わっちゃいます。
今回も話すと、「リード特有の症状で、他のお客さんからも時々聞きます」とのこと。
他のホンダ車にも皆無な症状だそうです。
「リコールされないかな?」・・・できれば、車両全部総とっかえになればいいのだけれど。

2/5
「里山VTR250」の点検です。
昼休みに自宅に取りの戻り、ホンダドリームに乗っていきます。
今回は2時間もサボれないので、代車を借りました。

新型リード125です。
職場に戻り、16時前に再びドリームさんへ。

僕の乗ってる通勤リード110のフルモデルチェンジ次世代型です。
初めて乗ります。
前かごが着かない構造になりました。
前かごはカッコ悪いと言われますが、実に便利です。
ヘルメットやグローブをちょいと置け、お買い物だってちょいと入れるだけ。
これは大きなマイナスポイントです。

シート前のスペースが狭くなりました。
膝の余裕が少なくなりました。
通勤の時、ここに荷物を載せるので、これもマイナスポイント。

クラクションとウインカーの位置が逆になりました。
ハンドルを握る左手の親指を伸ばすと、ウインカーがあったのですが、そこにクラクションになっています。
ウインカーはクラクションボタンの下に移動し、親指を思いっきり伸ばさないと届きません。
世界的には、ウインカーよりクラクションを多用するのかもしれないけど、これは今までどおり逆のほうがいい。
ホンダの新型スクーターは、みんなこの配列に変わりました。

ウインカーの音がしなくなりました。
チッカチッカ音は、ウインカー消し忘れ防止にいいので、ウインカー音のしないVTR250とCB400SBに、わざわざスーパーカブのウインカー音機器を着けたのに、スクーターの世界にもウインカー消音時代が来たようです・・・残念。

シートが硬くなりました。
足付きが悪くなりました。
身長170cmの僕は、VTR250もCB400SBも両足ベタ着きです。
少し足を開いても、かかとまでしっかり着きます。
これが安心感につながり、つま先しか着かないバイクだと、とても怖く感じます。
余裕がなくなるので、乗る気にはなりません。

この両者より足着きが悪くなり、両足の真ん中までしか地面に着きません。
僕のリード110より悪化しました。
シートの硬さは、CB400SBと同じ感じで、VTRより早くお尻が疲れるCBなので、あれと同じ硬さはいただけません。

1/24・泉涌寺塔頭

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『善能寺・祥空殿 823年弘法大師の開基とされ、境内に日本最初の稲荷大明神が祀られています。本堂・祥空殿は、1971年北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」遺族谷本ご夫妻が、住職との法縁に基づき航空受難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立寄付された。庭園は、昭和の名造園家・重盛三玲氏の作です』

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稲荷神社は小ぶりで、お庭は水が抜かれ、造園業者が造作中でした。
『重要文化財 日本最古三宝さん・ゆな荒神 安産ご祈祷所 岩田帯・安産お守り授与 霊泉・弘法大師独鈷水 大石内蔵助ゆかりの遺跡 含翆茶庭・来迎院』
の売り文句に惹かれ、来迎院へ。

『忠臣蔵で有名な大石内蔵助が山科に浪宅を構えた頃、寺請証文(寺の檀家であることの証明書)を当院から受けた関係から、大石の寄進による茶室・含翠軒や、大石の念持仏・将軍地蔵尊をはじめ、赤穂浪士に関する遺品を多数蔵している』
深さ20cmあろう手水石に貯まった水が底まで完全凍結していた。
石も冷たくなるからなあ。

いつの間にか泉涌寺境内から出て、泉涌寺に向かい車で走った道に出た。
こっちから入れば、拝観料要らなかったね。
ここで家内が、車に戻るという。
僕だけ泉涌寺と反対方向にゆるく下る。
目的は悲田院を訪問したいから。
悲田院は、各地にあった身寄りの無いお年寄り・病気の方など、悲しく底辺を生きる方を収容した施設。現在の老人ホームであり、療養所です。

「戒光寺」を訪問。
『泉涌寺の塔頭の1つで、1228年宋から帰朝した曇照上人により八条大宮の東に創建され、後堀河天皇の勅願所となった。その後応仁の乱により一条戻り橋東に移り、更に三条川東を経て1645年現在地に再興された。本尊釈迦如来(重要文化財)は、運慶・湛慶父子の合作で、寄木造りの極彩色で宋風を帯び、他に例のない木彫大仏であり、鎌倉時代の代表作である。首から上の病や悪いことの身代わりになってくださる身代わり釈迦と呼ばれている。身の丈5.6m(一丈八尺)・光背と台座を含め10mある。昔は大きな大仏さんを「丈六」と呼んだので、「丈六さん」と呼ばれて、皇室の祈願所として栄えた。また泉山七福神巡りの1つである弁財天像は、最澄の作とされ、融通尊でいかなる願いも成就させると言われている』

弁財天さんのお姿は、秘仏のようで、扉が閉まっていたので望めず。
丈六さんは、無料で拝見出来た。
大きくもない本堂におられましたが、説明通りの「おっ」と思う大きさで、床下から天井を突き抜けておられました。

13:01、「悲田院」着。
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駐車場に箱型「日産ブルーバードSSS」(510系)が停まっていました。
僕が学生時代、30万円で買った最初の車が、この箱型の次のブルーバードU・SSS(610系)でした。
帰宅して調べたら、510系は1972年生産中止モデルでした。
ハコスカでレース界を席巻したリアのサーフィンラインが素敵だったスカイラインGTの時代の車です。
懐かしい。

『悲田院 泉涌寺の塔頭。身寄りの無い老人や貧しい人、親のない子を収容する福祉施設である悲田院は、難波京・平城京内に設けられ、平安京でも東西2ヶ所の悲田院が設けられた。本尊の阿弥陀如来立像の他、快慶作の宝冠阿弥陀如来像が祀られ、襖絵は土佐光起・光成親子の力作である。毘沙門堂の毘沙門天は「泉山七福神」の1つとして信仰を集めている』

ここからの京都市街地の景色が素晴らしかった。
京都タワーが正面に見え、市街地越しに西山を一望でき、白いものを頂いた北山の愛宕山?以遠が見える。
将軍塚同様、ナイスな景観です。

車に戻り、家内を乗せて再び悲田院へ。
家内とともに京都の町俯瞰を楽しみました。
「おなか空いたね、どこかで食べよう」と話しながら、九条通を西進し、当時角をR1に左折し名神京都ICに向かう。
適当なお店がないまま、名神入口が見えてきたところ、「餃子の王将」に入店。家内はニラ肉炒め518円+ライス小151円、僕はAセット(チャーハン・ラーメン・餃子)980円でお腹いっぱいになりました。

14:08に精算し、名神~中国道で14:58帰宅。
風呂に入り冷えた体を温めました。
京都市内の温度計も0℃だったし、最後に見たR171の温度計も0℃でした。

まだ時間があるので、この季節らしい映画DVD「私をスキーに連れてって」を観ました。
主役の三上博史は、最近見ないね。
ヒロインの原田知世の真っ白のスキーウエアを見て、家内が着てた真っ白スキーウエアを思い出しました。
可愛かったよね。
お姉さんの原田貴和子さんは、出演者の中で一番きれい。
・・・なんて話しながら、1日を終えました。

1/24・京都泉涌寺

「楊貴妃観音堂」・・・絶世の美女・楊貴妃の名に釣られて。
『唐の玄宗皇帝の后・楊貴妃は、絶世の美女であり、2人の愛情も深かった。しかしその美貌のために玄宗の失脚と安禄山の乱を呼び、756年后はその乱のために命を落とした。
安禄山が討たれた後、玄宗皇帝は后を偲ぶため、香木によってその等身坐像にかたどった聖観音像を造った。1255年中国に渡った湛海は、その像を持ち帰り、泉涌寺に安置した。以降100年毎に開扉されてきた秘仏であったが、1956年から厨子の扉は参拝者のために開かれることとなった。仏体は寄木造りで、手に極楽の花・宝相華を持ち、宝冠は宝相華唐草の透かし彫り、その下に観音の冠を重ねている。観音の慈悲と楊貴妃の美貌が渾然一体となった仏像で、目元や口元の曲線が得も言われぬ尊容を漂わせている』

撮影禁止ゆえ残念ですが、この仏像は、今まで見た仏像の中で最も美人さんでした。
「これぞ日本一」「美貌願望に訪問女性絶えず」などの謳い文句の美女仏像さん・聖天さん・弁財天さん・・・いろいろ見てきたが、僕の目にはほぼ全滅。
でも、この楊貴妃さんは美しく可愛いと思いました。
まあ、これ以上の方は現代に溢れていますけど。

唐の仏師も本人が亡くなっているので、等身大の本人を目の前モデルにしたわけじゃないと思うけど、「理想の美人」を頭に描きながら彫ったはずです。
唐の時代も現在も、男にとっての美人感覚はさほど変わっていないということです。
泉涌寺で一番良かった。
「美人祈願 楊貴妃観音」と書かれたお守り・500円を購入。

横に展示室があり、入ってみました。
屏風絵や源氏物語の絵が素敵でした。
山門から下って本殿があります。
登って本殿は多いのに、下って本殿が珍しく、何か不思議でした。
運慶作の三尊が本尊で、天井には龍が描かれていました。

舎利殿も、内裏の御殿を移築したものと書かれていました。
ここに収められている釈迦の遺骨は、前述の湛海が中国から持ち帰った「釈迦の歯」だそうです。
説法をする口にあるので特に尊いのだとか。
天井には、狩野山雪の勇猛な鳴き龍が描かれ、肢体を大きくくねらせながら飛翔する姿、逆立つウロコには悪魔退散の激しい怒りが表現されている。
日光薬師堂とともに東西の鳴き龍として有名で、堂内に立って手を叩くと、龍が鳴いているように聞こえるそうです。
試してみたかったけど、ご開帳していません。

日光の鳴き龍は聞いたことがあります。
ビーンという感じでした。
子供の頃だったので、天井から龍に睨まれている感じで怖かった想い出が残っています。

本殿(仏殿)・舎利殿と並んだ奥に、素敵な檜皮葺の大屋根が見えています。
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天皇家の紋章・十六門菊が彫られた門のある「霊明殿」。
とても美しい。
その奥に、孝明天皇の御陵があるのですが、見えません。

さすが皇族が泊まるために脈々と受け継がれてきた建物だけはあります。
いつでも使えるように、最優先で維持管理されているのでしょう。
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勅使門もありました。

『勅使門 皇族方や天皇の勅使が寺を訪れた時に開けられる門です。大型の柱の四脚門。軒は全て菊のご紋の瓦で飾られ、蟇股その他には牡丹の彫刻があり、唐戸の上と門の四脚の左右には、軸木の木葉文を付けた細やかな透かし彫りがあり、屋根の破風には雲文の懸魚を付け、皇室の菩提所としての風格のある優美な門である。
修理の際、弘化2年(1845)ご再建という銘文が見つかった。天保12年(1841)の本坊の火災の後、再建された年に当たる。門を入ると白砂を敷いた御所庭の奥に昇降口があり、「御車寄せ」と呼んでいる。「その上の屋根は檜皮葺となっており、屋根の破風には鍍金された菊の御紋の飾り板を付けた華やかな造りになっている』

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勅使門はもちろん開かれていないが、横の門から入り建物を見ると、惚れ惚れするような見事さでした。
このお寺は天皇家とのつながりが深く、天皇の菩提を弔うことが出来る別格寺です。

天智天皇と光仁天皇から昭和天皇までの歴代天皇・皇后の位牌を安置している。
天智天皇の次の天武天皇から天武天皇系の天皇位牌は除いているんだ。

天皇家は、古の昔から民の生活に心を砕き、天変地異の無いよう、あるいは天道の災いの心を鎮めるよう行動してきた存在です。
東日本大震災後、被災地を訪問し、天皇皇后両陛下が海に向かって深く頭を垂れていた姿が脳裏から離れません。
民の経済が低下した時は、自らの母屋の修理を後回しにしてきました。
ここが美しく保たれていることが、今の日本経済の順調さを表しています。
いつまでもこのような文化を保てるよう、日本人みんなで頑張りたいものです。

1/24・京都東福寺~泉涌寺

『恵日山と号し、臨済宗東福寺派の大本山。藤原道長が、1236年東大寺・興福寺と並ぶ大寺の建立を発願して「東福寺」と名付けた。禅僧・円爾弁円を招いて開山し、1256年に完成した。その後火災を受けたが、室町初期に再建され、京都五山の1つとして栄え、多くの伽藍・塔頭が立ち並び、兵火を受けることなく明治に至った。明治14年に仏殿・法堂を中心に焼失したが、今なお堂々たる中世禅寺の寺観を保っている。
三門(国宝)は室町初期の作、禅寺三門として最古の遺構である。禅堂・東司・浴室も室町時代の建物(重要文化財)で、いずれも禅宗建築の重要な遺構である。本堂・方丈は近時の再建で、開山堂に至る渓谷には多くの紅葉があって通天橋がかかり、臥雲橋が架けられ紅葉の名所を成している』

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三門特別拝観(600円)に入ります。
ものすごく急な階段を手すりを持って慎重に上がります。
家内が落ちてきても大丈夫なように後ろに付きます。
上にいるお姉さんから、「急ですから手すりを持って慎重に上がって下さい」の声が掛かります。
禅寺として、日本最大、そして最古。
日本最大の三門は知恩院のそれだそうで、ここは2位。
石川五右衛門が「絶景かな」と叫んだ南禅寺のそれが日本一だと思っていたけど違いました。

山門内には、宝冠釈迦如来像(釈迦が悟りを開いた34才の時の像)を中心に、左右にその時還俗ながら釈迦の片腕だった者の像
が控え、更に左右に多くの物上が色んな表情で並んでいた。
悟りを開いた釈迦の像である如来さんは、蓮の葉の上に載っているのが定番ですが、悟りを開いた直後の像ということで、沙羅双樹の下という設定で、木片の上に載っている感じになっている。
柱や梁の太さは、もう国内では調達不能な大きさで、唸るばかりです。

天井や梁に書かれた絵画は、画僧・明兆さんの作で、その見事さに「何でも褒美を」と言われ、「桜の木があると見物客が増え、修業の場の雰囲気が壊れるので、桜の木を植えないで欲しいと願ったそうです。
それまでの桜の木が伐られ、以降現在も桜の木が一本も植えられていないそうです。
それ故、見事な紅葉の寺になったとも言える。

秀吉の時代、京を襲った震災被害を視察した秀吉が、この山門が次の震災の被害に遭わないよう柱から張り出しの大きな大屋根を支えるために、四方に角柱を補強した。
・・・なんてことを、説明のお姉さんから伺った。
やはり説明があると、深くそこを知ることが出来ます。

また急な階段を下りました。
『禅堂 室町時代 禅宗の叢林で重要な建物。撰仏場とも称し、座禅を通じ自己究明と自己の心の仏を撰ぶ場所である。僧侶になるための修行道場であり、修行僧である雲水は、座禅はもとより寝食を行う場所であった。昔は400名以上の僧が修行を行った』

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十六紋菊紋の入った建物もあり、被写体に困らない。
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「通天橋」を渡ろうと思ったけど、400円必要ということでパス。
家内は1年前に東福寺を訪れています。
再び「臥雲橋」を渡り、駐車場に戻る。

九条通に戻り、少し北上し、泉涌寺通りに入って、11:50「泉涌寺」。
手前の塔頭「即成院」からずっと駐車場を探しましたが、泉涌寺前に無料のがありました。
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山門の「大門」は、『門は高く堂々とした本瓦葺きの四脚門で、もとは京都御所内裏門であった。徳川家康が後水尾天皇即位と共に御所を再建した時、旧門の部材を拝領して移築した、桃山時代建築である』

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蟇股の彫刻がいい。
拝観料500円。
大黒天「雲龍院」に行ってみたが、拝観料400円でパス。
落ち着いた外観でした。

京都東福寺~泉涌寺 3/3

1/24・京都宝塔寺~石峯寺~東福寺

七面大明神の方に階段を上っていく。
9:14着。七曜紋でした。
橘紋の馬像が奉納されており、稲荷宮もあった。
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能勢妙見山同様、切竹矢筈十字紋の「妙見大菩薩」の小堂があった。
修行者がここで経典を唱えるのだろう。

更に上ると最も高い位置に「熊鷹大明神」があった。
神仏習合が混在しており、古来の日本の姿にみえる。
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階段を下り、本堂脇まで七面宮参道を下りてきた。

車に戻り、「石峯寺」に向かう。
駐車場が見つからず、9:43「深草霊園」に車を停める。
横が石峯寺なので、近道を探すが見つからず、結局下に下りて、9:52石峰寺石段下着。

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『百丈山と号し、黄檗宗に属す。1704~11年、万福寺の千呆和尚の創建。度重なる災火により堂宇を消失し、現在の本堂は、昭和60年再建。本堂背後の山には、石造釈迦如来像を中心に、十大弟子や五百羅漢・鳥獣などを配した一大石仏群がある。これは江戸時代の画家・伊藤若冲が当寺に庵を結び、住職・密山とともに制作したもので、生涯を表している。境内には、若冲の墓・筆塚が建てられている。また門前より少し入ったところにある井戸は、古くから名水として知られ、「茶碗子の水」と呼ばれ、茶の湯に愛好されている』

羅漢拝観には拝観料が要り、山中にも関わらず撮影禁止ということでパスした。
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山門下からの京都の街が見下ろせた。

車に戻り、「東福寺」に向かいます。
紅葉の季節は大混雑の東福寺ですが、記録的に寒い冬の日、きっと空いているでしょう。
伏見街道に出て北上します。
JR奈良線を渡ると、すぐに「JR稲荷駅」なので、伏見稲荷に向かう観光客が一気に増えます。
狭い旧街道沿いにはお店が並び、観光客の往来も多いので、ゆっくり進みます。
横が東福寺なのに、駐車場がわからず通り過ぎます。
バイクなら最寄りの場所に停めれるのに。
GPSに表示されている「P」に誘導されるまま、九条通をくぐり、泉涌寺通で九条通に出て、東福寺の北からアプローチし、「P」到着。
大きくはないけどバスも入ってる駐車場で、無料でラッキー。

トイレを済ませ、10:27歩き始めます。
「栗棘庵」「尺八根本道場・明暗寺」「同聚院」「土方不動明王」などの塔頭に寄り道し、素敵な日本庭園の写真を載せた看板が立ってる「霊雲院」を見学することにしました。
10:35、拝観料500円。
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屏風や白磁の大花瓶が座敷に飾られ、静かな空間です。
伊万里かな?中国からの輸入物かな?

幕末は、西郷隆盛が密議を交わし、日露戦争時はロシア人捕虜収容所だった場所です。
ロシア人が作った楽器や当時の写真が飾られています。
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有名な日本庭園作家・重森三玲作の庭園が、建物を囲い、窓越しに見るのも開け放された縁側に座り、ダイレクトで観てもいい。
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観光客は誰もおらず、東福寺一番の場所でした。
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世界遺産・「龍安寺の庭」より良かった。

徳島で見た第一次世界大戦・ドイツ軍人収容所でも、周辺住民との交流も割合自由だったことを知りました。
説明によると、明治27・28年ロシア人捕虜が1500人も東福寺全体に住んだようです。
戦争といえど、鉄条網に囲まれた過酷な収容所生活ではなく、一旦白旗を上げれば丁重に扱われるのんびりした雰囲気を想像で
きます。
「戦争=外交交渉で折り合えなかった実力交渉」つまり、小学生の頃の草野球でアウトセーフで揉めた時、「じゃんけん」で決したのに似ています。
達磨大師の有名な肖像画の掛け軸が下がっていました。
素敵な空間でした。

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「臥雲橋」を渡ります。
紅葉で有名な「通天橋」からの谷を埋める景観内に、同じ谷を渡るこの橋が入ります。
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反対にこの橋から紅葉越しに通天橋に向かって撮る写真の方が有名です。
観光パンフレットも、たいていこちらからのものです。
もちろん紅葉があるはずもありませんが、枯れ枝越しの通天橋もいい感じです。

塔頭「天得院」は、「東福寺保育園」を経営なさっているようです。
「山門・即宗院が冬の特別拝観中」の看板を横目に、東福寺に入ります。
大伽藍が青空に映えます。
ここまで何ヶ所も道路気温表示がありましたが、-1℃・0℃だけでした。
とても寒い日ですが、全国各地の豪雪をよそに、上天気です。

京都石峯寺~東福寺 2/3

1/24・京都瑞光寺・宝塔寺

週の初めから冬らしい気温に下がりました。
週後半、東京で積雪による公共交通機関のダイヤの乱れのニュースが飛び、土曜日には九州・長崎でも記録的な積雪の話題です。
そして日曜日は更に大寒波が日本列島を包みという予報です。
伊丹市の気温は、最高気温2.7℃という数年に一度のレベルです。
でも、日中は雪は降らないようで、21時以降の降雪だそうです。

この日は家内もお休みなので、近場・体が温まる歩きを考え、京都寺社巡りを企画しました。
深草・宝塔寺~東福寺~泉涌寺。
7時出発で、道が凍結していなければ僕は通勤リード110で、家内は電車で「JR稲荷駅」ピックアップといういつものタンデムスタイルです。

朝起てゴソゴソし、6:30に外に出て道路を確認すると凍結なし。
でも風が強い。
吹きっさらしの道だと振られそうで危険と判断し、四輪で出かけることにしました。
7時に西の六甲山を確認すると、夜に雪が降った形跡がありません。

お寺拝観オープンが8:30からだろうから、高速道路が使える四輪が足なので、7:35に出発しました。
豊中ICから中国道~名神で京都に向かいます。
高槻の第二名神への分岐工事がかなり進んでいます。
完成が楽しみです。

京都南第2出口で下車し、高速道路の側道に入り、「近鉄・竹田駅」横をかすめR24に乗り北上、r201で東進し、京阪の線路を渡ります。
GPSに誘導されるまま、枝道を走って、宝塔寺に着きましたが、駐車場がわからず野生の勘を働かせて、すぐ南にある「瑞光寺」駐車場に8:29着。
無料でラッキー。

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手水の水が凍っています。
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茅葺屋根の山門や本堂の珍しい風情です。
綺麗な色の鯉が泳ぎ、こじんまりしたお寺でした。

『深草山と号する日蓮宗の寺です。この地は極楽寺薬師堂の旧跡で、応仁の乱で荒廃していた。1655年、元政上人が日蓮宗の寺「瑞光寺」と名付けた。上人は京都生まれで、石井吉兵衛と称し彦根藩に仕えた武士でした。後に出家して草庵を建て、父母を引き取って孝養に努め、学者・文人・孝子として知られるようになった。本堂・寂音堂は、丸みを帯びた茅葺屋根の建物で、1661年に建立されたものである』

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宝塔寺に向かって歩き出すと、「月とうずらの里」と書かれた看板があり、稲荷山頂上を含めたハイキングコースが描かれていた。
8:43、「宝塔寺」山門。

『深草山と号する日蓮宗の寺院。藤原基経が発願し、899年に藤原時平が大成した「極楽寺」に始まる。当初は真言宗であったが、1307年往持の良桂が日蓮の法孫・日像に帰依して日蓮宗に改めた。
日像が京都に通じる7つの街道の入口に建てた法華題目の石塔婆の1つが、当寺の日像廟所に奉祀されたことにちなみ、「宝塔寺」と改称した。本堂は江戸初期・1608年創建で、本尊・十界曼荼羅、釈迦如来立像、その横に日蓮・日像の像が祀られている。行基葺の多宝塔は、1438年以前に建立されたもので、室町時代中期建立の四脚門(総門)とともに、重要文化財に指定されている。
境内には、肺病治療の名医で、肺病平癒信仰を集める宗有とその妻・妙正の墓があり、夫婦塚と呼ばれている。また本堂背後の七面山には、1666年に勧請された七福吉祥の七面明神を祀る七面宮うがあり、そこからの眺めが素晴らしい』

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塔頭「大雲寺」「圓明院」「霊光寺」「慈雲院」を覗きながら、8:49「宝塔寺仁王門」着。
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橘の紋の入った大きな提灯が下がっていた。
本堂の大屋根が大きくて見事。
七曜紋の入った蔵には、山車が入っていそう。

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墓地に足を向けると、歴代住職の立派な墓石が立つ墓所、小ぶりだがどっしり落ち着きのある室町時代建立の多宝塔、古そうな墓石が並んでいた。
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家内が、「お城が見えるよ」というので、景色がよく開けた南を見ると、伏見桃山城がくっきり見えた。

「日像菩薩御本廟」に上がってみる。
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緩やかな階段を上がっていくと「三十番神」と書かれた珍しいお宮があった。
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「経一丸さま」と書かれた日像の若かりし頃の像がある。

『1282年、日蓮聖人より頭を撫でられ京都開教の遺命を受けた13才の日像・経一丸さま。日像と改名し、14才入洛し以来40年、3度都を追われてもめげず、法華を持って天下泰平を祈る』

宝塔寺 1/3

1/17・鳥屋城址

バイク装束を脱いで、遊歩道の階段を上がります。
15:05、東屋と忠魂碑「元帥伯爵東郷平八郎」が建っている。
鳥屋城址の説明板があったが、重要な遊歩道全図がなかった。
遊歩道が上がる尾根筋に小さな公園があり、お父さんと小学生の娘さん2人が遊んでいた。

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中勾配の階段が入った遊歩道を、ゆっくり登ります。
息が弾んだら階段に腰掛け休憩します。
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少しずつ標高が上がり、時折現れる木々の切れ間から眼下の景色が広がっていきます。

15:13、鉄塔。
海南の発電所からの送電線でしょう。
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小さな峰を回り込み、鳥屋城の峰が正面に現れます。

15:20、「城址まで600m」。まだ600mもあります、きつい。
時折分岐がありますが、道に迷わないように、立て札が立っています。
15:34、「城址まで200m」。
もうすぐだ。

15:40、石積み遺構が見えてきました。
落ち葉に隠れていますが、いい感じに歴史を刻んでいます。
15:42、城址と山頂との分岐点。
城址は山頂には無いようで、尾根筋に築かれているようです。
山頂はまだ300m先なので、有り難い。

15:44、尾根上郭。
祠がひっそりと佇んでいます。
山城はこうでなくちゃ。
「展望台」と表示されているところは、物見台郭跡でしょう。
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真下に鳥家中学のグラウンドが見え、有田河口まで綺麗に鳥瞰できます。

まだ雨が落ちてくる感じではありませんが、雲が覆ってきました。
さあ、急いで下りましょう。
日没すると、獣の世界になります。

16:12、バイクまで降りてきました。
登り40分・下り30分。
自宅までの帰路2時間を考えると、帰宅時間は18時を回ります。
天気予報降雨予定は19時なので、もう余裕がありません。
残りの2つの山城は、次回ですね。
毎回こうなっちゃいます。

バイク装束を着て、R480~r22で「有田IC」から阪和道入り。
風がまだ出ていないので、降雨はもう少し先のようです。
横風がきついと、75km/hでも怖いVTR250ですが、風がないと100km/hでも平気です。
80km/h巡航で走ります。

17:05に、「紀ノ川SA」着。
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お土産に一押しだった「KICHIYAロール・1512円」を買います。
1/17は、阪神淡路大震災の日ですが、嫡孫・遼くんの3才の誕生日でもあります。
家内とお祝いしましょう。

大阪府との県境の峠を越えると、長い下りです。
カーブもしっかりあり、ここがどうも怖くて苦手です。
圧倒的なスピードで追い越し車線を抜いていくSSバイクがあり、少し間を置いて同じようなスピードで抜いていく4ドアセダン。
覆面パトカーと思いましたが、サイレンを鳴らしていません。
「違ったかなあ~」と長い坂を下った路肩の広いところに行くと、SSバイクが赤色灯点滅の覆面さんに捕まっておられました。
確かにあの下りで停止を求めると、二次事故を起こしかねません。
プロは、考えているなあ・・・。

制限速度80km/h掲示されていたので、一発免停じゃないかな?
事故を起こさず、良かった。
次から、もっとゆっくりお願いします。
その他大勢の僕ら鈍足ライダー・ドライバーから見れば、高速車とても怖い存在です。

岸和田SAは近いのでパス。
東大阪PAは、本線を下りてから遠いのでパス。
風が出てきたので、天候が悪化してきました。
中国道に乗り換え、「豊中IC」で下車。

18:24伊丹産業SSで給油。
277km/9.88L=28.0km/L。
予定の19時前・18:30帰宅。

すぐにお風呂に入り温まります。
冬用バイク装束は最強なので寒さを感じることはありませんが、長く風に吹かれて体を動かさないと冷えてきます。
お手製ナックルガードで直接風が手に当たらないので、手の冷たさは感じません。
後付けスクリーンで胸にも直接風が当たらず快適です。

そして、秋に導入した「U-KANAYA アルミビレットレバーセット・ツーリングタイプ・13800円」は、とても良い。
左の五十肩により、長時間運転で左手がしびれ握力低下するようになったのですが、導入以来しびれを感じることがなくなりました。
快適です。
それとVTRのシートは、CB400のシートより快適です。
お尻が不快にならないんだよね。
CBより微妙に柔らかいです。

食卓に、家内からのメモが置いてありました。
「新年会にも出るから、帰宅は21:30~22:00になります」
「モヤモヤさま~ず」を見ながら、用意されていた夕食を食べ、「大河ドラマ・真田幸村」を見て寝る体制に入りました。
電話が入るまで一眠りを目論んだのですが、直ぐに電話が鳴り、家内を駅まで迎えに行きました。

お互いの本日の出来事を話しながら帰宅し、お土産のロールケーキを食べながら、ささやかな「お誕生日、おめでとう」
冷クリームにみかんジャムが入ったロールケーキで、とても美味しい。
楽しい1日でした。

湯浅城址訪問時に、お土産としていただいたCDなどを見て、数日後御礼の手紙を書きました。
現地のノートに訪城感想文を書く時間がなかったので、素直な感想も書いておきました。
整備ご苦労さまです。

鳥屋城址 3/3

1/17・紀州湯浅城址~鳥屋城址

素晴らしい整備状況を話すと、この方が中心になって3年前から整備を始めたそうで、材料費は県持ちだけど、その他はみんな個人持ちボランティアで仲間を募ってやってるそうです。
全国湯浅会というのがあり、発祥の地・湯浅に集まるそうです。
メンバーが一番多いのが千葉県で、江戸に樽廻船で送っていた湯浅醤油を、より大消費地に近い千葉で生産しようと、多くの湯浅さんが移住したそうです。

今でこそ、「東京から日本で一番遠い和歌山県」等と言われていますが、道路や鉄道・飛行機のなかった時代は、海上交通が効率よく重要だったので、中国~琉球~薩摩~紀伊半島の海の道がありました。
種子島に鉄砲が伝わった翌年には、雑賀(現在の和歌山市)で鉄砲製造が始まり、雑賀鉄砲隊として傭兵軍団が誕生した裏に、雑賀の貿易商人が種子島に常駐していた経緯があります。
種子島に最初に伝わった2丁の鉄砲のうちの1丁を雑賀に持ち帰ったのも、雑賀の貿易商人です。

僕の中世の山城好きの話から、「うちの母方の本家が山城持ちで、書生さんの家が山内に点在し、学費を出して留学させ自分の会社に入れて・・・」なんて話すと、「竹中工務店も和歌山で奨学金を・・・」なんて話をされました。
僕が通った関西学院は、中高大・ヨット部艇庫まで竹中工務店ですと話すと、「関学のこと?うちの嫁さんも、神戸海星女子から関学に入り・・・」・・・「僕の嫁さんも関学です」と。

なんてどんどん話が盛り上がり、「うちに来ないか」と誘われました。
ご主人の車に乗せてもらい、突然の訪問になりました。
奥様は、さすがお嬢様学校の神戸海星出身だけあり、かなりお綺麗な方で町内でも目立った女性だったと思われる。

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今でも同窓会で交流のある幼稚園の同級生が2人神戸海星出身で、中高大の同級生も2人神戸海星に奉職しています。
うち1人は大学ヨット部の同期です。
縁を感じます。
僕の電話に応対していただいたのは、この奥様ですね。

僕を信用していただいたのか、所蔵の福沢諭吉や陸奥宗光の自筆の手紙などを見せてくれた。
TVでは、白い手袋をはめて大切に扱う品なのに、手に取らせてもらいました。
こんな有名人の手紙を触ったのは初めてです。

家内と湯浅町市街地を巡った時目にした、軒先展示は旦那さんが作ったそうです。
おもちゃ博物館も、旦那さんが集めたもの。
デザイン展で表彰されたそうです。
城址の案内板は奥さんの手書きで、ガーデニングで賞を取られたこともあるそうなので、樹木名板も奥さんが書かれたのでしょう。

「山城を訪ねてくる方は、週に数人ですか?」と聞くと、「この正月は、1日に3回も電話が入りびっくりした」そうです。
城址研究者に、「前回は藪漕ぎして上がったんだ」と整備を感謝されたこともあるのだとか。
歴女ブームで、問い合わせが増えてきたそうです。
まあ、知れてるだろうけどね。

僕が山城の話をしても、食いついてくる方は皆無です。
脳内知識を披露できるのは家内だけで、迂闊に喋ると「怪しい人」というレッテルを貼られます。

「お昼まだでしょう?」っと奥様に言われ、お昼までごちそうになりました。
湯浅港で買ってきた鯖を使った鯖寿司で、市販のものより保存しなくていいので酢の味が薄めでとても美味しく、ぺろりと10ほど食べちゃいました。
わかめのお吸い物も上品で、突然の来客に、ちょちょいとこのような料理屋さんのメニューとしても十分通用するものを出す、この家の凄さを感じちゃいました。

話が尽きず、14:30禁煙札設置作業のお仲間さんが来られて、御暇することになりました。
垣内貞著「湯浅氏と湯浅町」、CD「湯浅城跡・久遠の森づくり」まで頂いちゃいました。
歴史話が出来、湯浅と湯浅氏・湯浅城の歴史を地元の方から聞くことが出来、貴重な体験でした。
これだから1人旅は良いです。

バイクに戻り、バイク装束を着て出発。
R42~r179~R424で、15:03・「金屋中学」裏の「鳥屋城山遊歩道」入口到着。

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ここに向かいながら、「ああ、あの山だろう」と鳥屋城址のある山がわかりました。
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ここからも手前の中学のグラウンド越しに有田の海が見えます。
標高80mで、山城は300なので、比高200mオーバーです。
湯浅氏の支城ですが、往復1時間コースで足りるのかな?
日没までに降りて来ないと危険なので、タイムリミットは1時間半です。

1/17・紀伊湯浅城址 その2

山はそれほど高くなく、小さめの岩が積まれた石垣はいつの時代のものなのかな?
なんて想像しながら待つこと数分、2台の軽自動車がやってきて、2人の男性が上がってこられます。

「ようこそ、お越し。これパンフレットです。少し上がったとこに机が置いてあるから記帳と感想を書いていってください」と、丁寧にパンフレットの地図を広げて説明してくれます。
まさかカラーのパンフレットを頂けるとは思っていませんでした。
3年掛けて道を整備したそうです。

11:07、南京錠を開けてもらい入山。
「九曜紋の上に十六菊紋の半分」が、湯浅氏の家紋のようです。
あちこちに掲示されています。
「十六菊紋の半紋の下に波」なら楠氏の家紋「菊水紋」です。
十六菊紋は天皇家の紋なので、勲功により賜ったのでしょう。

九曜紋は伊勢の九鬼氏の紋だから、熊野水軍との関係があるのかも?なんて想像します。
あれ?九鬼氏は七曜紋だったっけ?と帰宅後確認すると、七曜紋でした。

『久遠の森を守りましょう』の板札が下がっています。
「湯浅久遠という人物がいたのかな?」なんて、脳内妄想が広がります。
鍵を開けてくれたおじさんが言ってた机がありました。
中を覗くとクリアボックスに入ったノートが2冊。
芳名帳と感想文ノートです。
名前と住所を記入し、感想文は帰ってきた時にね。

整備用の道具が入っているのだろう物置があります。
未整備・藪漕ぎ山城も多いのに、素晴らしい。
湯浅氏の末裔さんが中心になって先祖の遺産を後世に伝える活動をしているのだろう。
こういう家庭で育つと、先祖の名に恥じないように生きようとします。

大人は、子供の失敗に小言を言うより、こういう活動で共に活動し、背中で語ればいいです。
小言を言うと萎縮します。
マイナス言葉を浴びせず、親の前向きな行動を見せていればいいように思います。
我が子を信じていれば、勝手に学んでいくものです。
木々にも樹木名札が下がり、ナイスです。

『紀の国森作り基金活用事業 事業年度:平成24生年度 事業主体:グリーンソサエティー 事業名:紀州最古の山城跡地保全と久遠の森づくり事業』
NPO法人が整備を請け負っているのかも?

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ここで道が別れ、「主郭」の方に進みます。
パンフレットに地図が描かれているので、半時計周りに城址を巡りましょう。
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「狼煙台曲輪」に行くと、湯浅港が見通せます。
なるほど町を抑える位置にある。
熊野古道が海岸部を通るので、それを抑える位置でもあります。

安い木材を使っていますが、トイレも整備されているのに驚きました。
1日何百人も登る繁華な山でも、トイレのない山はザラにあります。
まして、週に数人しか訪問しないであろう中世の山城跡に、こんなトイレがあるなんてびっくりポンです。

散策道には、竹のガードレールが組まれ、「横矢」など案内板も・・・凄いや。
竹林があり、ここから材料を調達しているようです。
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「主郭」に上がると、逆茂木が一部囲っています。
中世の山城の防御が、容易にわかります。
こういうのは、行政任せにしたら、お金を掛けた施設を作って、そのまま放ったらかしが通り相場だけど、安い縄を使って手作り整備する地元有志の姿勢が垣間見えます。
「家内を連れてこなくちゃ」

簡易な板塀の裏を見ると、「平成26年度・耐久高校・卒業生」の板銘板が貼ってありました。
卒業制作したのでしょう。
地元湯浅の高校ですね、ナイス!
ここの整備者は、地元の若者を巻き込んで、町ぐるみで旧跡や先祖を盛り立てようとしているようです。
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弓矢が置いてあります。
地元の子が上がってきて楽しめるようになっています。

僕も地元で市長さんに頼まれてジュニアヨットクラブを立ち上げ運営していく過程で、自治体がからむめんどくささが身にしみ、モーターボート振興会からの援助に切り替え、県連をこちら主体で巻き込んで、クラブ員の子どもたちに還元していきました。
全国区の大会で活躍したら、市長室にコンタクトを取って、クラブ員全員市長室に呼んでもらい、褒めてもらいました。
地元FM局にコンタクトして、番組に出演させてもらいました。
ディスクジョッキーはヨットなんて知らないから、質問までこちらで用意して番組構成しました。
子どもたちがどんどん自信を持っていくのが顔に現れ、素晴らしい10年ほどを経験しました。

「追手虎口」から主郭に上がります。
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湯浅港を更に高い視点から望みます。
『湯浅宗重、康治2年・1143年築く』と書かれた木柱が建っています。
『青木山・標高78.5m』

「搦手虎口」から降ります。
「土橋」や経年してもまだ深さのある「堀切」も、なかなかの見応えです。

11:35、一周して元の机の場所に。
感想文を書こうと思ったら、鍵を開けてくださった方が上がってきました。
「禁煙」の木札を10ほど持っています。
午後から、これを下げる作業をするそうです。

紀伊湯浅城址 2/3

1/17・紀州湯浅城址 その1

家内に用事があるので、1人遊びです。
グループツーリングに参加しようかなと思い調べたら、原付二種で三重県へのツーリングがあった。
「原2では、遠いな。どうしようかな?」と思案していたら、天候不良予想のため中止になった。

確かに天マークはあるけど、19時以降だから、それまでに帰ってくればいいと思い、ソロツーリングに出ることに決定。
行き先は南方面・和歌山県。
1週間前、他のグループで企画された「有田の神社・初詣ツーリング」に参加したいなと地図を見ていて、見つけた「湯浅城址」探索です。
1週間前は、家内もお休みだったので、そちらを優先し、加太砲台・和歌山城などを車で巡った。

湯浅城は、平安末期から湯浅に勃興した豪族で、本姓・藤原氏。
太平記では平清盛が熊野詣でしている間に起こった平治の乱で、都に帰れなくなリ進退窮まったところを助け、清盛とともに都に攻め上がり、逆に源義朝を破って平家天下の世を開いたと書かれている。
次の源氏・鎌倉時代には地頭職で湯浅周辺の領地を安堵された。
建武の新政の時代には、楠木正成と対立したり、室町時代初期の南北朝時代には南朝方として協力したりしながら、領地を守ってきた。
室町中期・戦国前夜まで機能していた、湯浅氏の本拠です。

本城探索後、有田川北・阪和道がトンネルでくぐる岩室山にある「岩室城」、金屋の「鳥屋城」という2つの湯浅氏の山城、更に海南の「大野城」もターゲットに加えた。
往復1時間の山歩き覚悟の山城を、1日に4城なんて無理そうだけど、時間が許す限り巡ってみよう。

6時出発を目論んでいたが、「暗い」「寒い」で軟弱心が勝ち、7時を回って家内が入浴中に朝食を食べながら、「このままでは、駅まで送っていく羽目になり、和歌山に行く気が失せる」と思い、慌てて着替え、入浴中に自宅を脱出した。
「里山VTR250」に荷物を積んで、空気をゴソゴソ、あれをゴソゴソやってたら、出発が8時回っちゃいました。
これでは、湯浅城着が11時になり、とても4城訪問は無理です。

8:32、伊丹産業SSで給油。
267km/7.44L=35.9km/L。
豊中ICから中国道に乗り、近畿道・阪和道を南下、9:32「岸和田SA」で休憩します。

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バイク置き場にはハーレーが2台停まり、他に大きなバイク集団がいました。
朝食が「ニューメン」だったので、夕方まで腹を持たすために定番の「朝カレー」を食べにレストランに入ります。
「コロッケカレー」で満腹にして、駐車場に戻ります。
お隣のハーレーは3台に増え、バイク集団はもっと増えました。
サイドカーのグループが、新たに増えました。
皆さん、まだ駄弁っています。

阪和道を南下し、「有田IC」で下車しました。
R42を南下すると湯浅町に入り、GPS誘導させた「国民宿舎・湯浅城」への枝道に入ると、城山が見えてきました。
最近「この山は怪しいぞ」と、中世山城の山が見えるようになってきました。
野生の勘で「こっちかな?」と目星をつけた川沿い枝道への分岐に、10:04ビンゴ!

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案内板を見つけました。
すぐに登城口も見つけましたが、枝道が狭かったので、少し先に進み小さな住宅地内にバイクを停めました。
重いコミネ冬用ジャケット&パンツを脱いで、チェーンでバイクにくくります。
リアボックスからウインドブレーカーと帽子を取り出し、軽装山歩きスタイルに変身し、登城口に向かいます。

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山城全体の鳥瞰図・測量図が掲示されています。
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藪漕ぎは無さそうです。
『湯浅宗重の孫・明恵上人、京都高山寺境内に日本最古の茶畑を造園する』と書かれています。

仏門の世界も、俗世間同様血統がモノを言う。
一族の後押しで出世していくことが多く、高僧もそれなりの血筋であることが多い。
京都から小浜に北上するR162沿いにある「高山寺」を開いた明恵上人は、湯浅氏流れだったのですね。
明恵上人は、元同僚であった関係で平清盛にもタメ口で説教する「文覚上人」の弟子です。
あそこで日本茶が起こったとは知りませんでした。
勉強になります。

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山に入って行くと、お約束の獣避けフェンスがあるので開閉しようと思ったら、施錠されていました。
横には「入山ご希望の方は連絡ください」と2つ電話番号が書かれています。
電話すると女性が出て、「お城を見たいのですが」「すぐ開けに行きます。何名様ですか?」とのこと。
下調べでこの流れは知っており、「留守だったらどうするんだ」なんて考えていたが、杞憂に終わりました。

紀伊湯浅城址 1/3
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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