12/20・次男結婚式5 披露宴会場は離れ

披露宴は本館ではなく、離れの日本家屋風建物です。
全員でそちらに移動し、その建物に付属する中庭で次の写真タイムになりました。
写真スタッフが脚立を用意しており、斜め上からの俯瞰写真です。
はやりの言葉で言えば、ドローン写真。

メインの池のあるお庭と生け垣で遮断されているので、プライベート感があります。
八芳園で最も良い披露宴会場かもしれません。

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次は各グループで、新郎新婦を囲んでプロが写真を撮ってくれます。
僕や長男は、その風景をパチリ・パチリ。
いや~、白無垢の綿帽子の下のヘアスタイルが気になる。

ここで社長さん発見。
会社からの社員家族向けビデオレターやDVDでお馴染みのお顔です。
この会社は、社員をとても大切にしています。
グアムマラソンに毎年社員の何割かで参加し、息子も入社2~3年目に参加して、すでに2回も参加しています。
社長さん自身がランナーで、社員が数チームを作って参戦したり、現地応援に回ったりして、会社ぐるみで楽しんでいます。
次男は2回とも、リレーで走っています。
箱根駅伝の元選手が、次男のチームのエースと言ってました。

芸術系のイベントを地元で開催し、スタッフを社員が務めて、手作りで地域へ貢献しています。
早稲田ラグビー監督さんがいたり、ユニークな会社です。
親からも、この会社の姿が見えており、長男のとこのように一部上場企業ではありませんが、好感が持てる会社です。
次男にとても合っています。

挨拶に伺うと、想像通りとても気さくな方でした。
社員からも人気のようで、若い参列者とワイワイやっていました。

披露宴会場に入ると、この離れは1日1組のみのようです。
前室にフォトギャラリーのように、次男夫婦が選んだ自分たちのお気に入り写真が飾られています。
家内が、「お父さん、見て」と喜んでいます。
ウェルカムボードは、今まで仲間や長男の結婚式で次男が作ったアイデアたっぷりの作品ではなく、落ち着いたものでした。
式場の定番に乗ったのかな?

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2人のお付き合いのきっかけになった年1回の会社のお祭り(東京ディズニーランド)の写真もありました。
運営の中心で、司会も担当した次男と、司会アシスタントの新婦さんを中心に、運営スタッフ全員の集合写真です。
大学ヨット部時代の写真で、次男がタンクトップ・茶髪なので、「え~茶髪~、想像できない~」と、女子社員さんたちが笑っています。
僕が輪に入り、「茶髪を通り越して金髪まで行ってたよ」と暴露したら、男子社員までワーワー。

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1年前に2人でこっちにやってきた時に、僕らの自転車を貸して猪名川土手を走ってる写真もあります。
これは僕が撮った写真です。
新婦さんの大学テニス部での旅行写真は、別嬪さんばかりです。

披露宴会場に入り、やっつけ仕事で作ったお手製の名札を首に下げます。
サイズはA4の1/4。
『新郎の父・名前』が書かれた目立つ蛍光イエローの名札です。
僕が作った「次男のヨット記録写真&ホームページに公開している次男のヨット軌跡ファイル」を持ち、新郎側・新婦側の最前列テーブルに置きに行きます。
予想通り、「お父さん、その名札はなんですか?」っと社長に突っ込まれました。
皆さんに大笑いされます。

「大阪の人間なんで、受けてなんぼですわ」
回覧後、順次後ろのテーブルに回してもらうよう伝えます。
「私は超親ばかなので、アホらしいと思うでしょうが、我慢して見てやってください」
アホな親やと少しでも社内で話題になれば、次男のプラスになるでしょう。

タキシードぐらいじゃ、参列者に埋もれちゃいます。
席に着くと、横の家内から「お父さん、これ見て。参列者全員に、一言メッセージだって。感動するよ」
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すでに涙が頬を伝っています。

『お父さん 今まで育ててくれてありがとう。お父さんが何も反対せず、ただ100%応援する姿勢を貫いて育ててくれたおかげで、本当に自由に伸び伸びと、ここまでやって来ることが出来ました。生まれてくる子供にも、お父さんと同じように接して、ゆかちゃんと幸せな家庭を築いていきたいと思います』

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『お母さん 今まで育ててくれてありがとう。綺麗で優しくて、本当に自慢のお母さんです。相変わらず、あさが弱い僕ですが、今はゆかちゃんに根気よく起こしてもらってます。お母さんが僕にしてくれたように、愛情を持って子供に接し、温かい家庭をゆかちゃんと一緒に作っていきます』
ぐ~、泣けてくる。
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12/20・次男結婚式4 神前結婚式

控室フロアに、新郎新婦控え室もあるようです。
支度が成った2人が写真撮影していました。
弟・長男もそれに気づいて写真を撮りに来ます。
遼くんが、「ゆかちゃん、帽子被ってる」と、いつもと違う姿を見てはしゃいでいます。

親族控室に2人がやってきて、次男が挨拶。
挨拶の第一声を発しようとしたタイミングで、遼くんから「結婚おめでとう」と大声が部屋に。
みんな大笑いで、次男は「ありがとう」と笑い、「皆さん、楽しんでいって下さい」と、挨拶を始めました。
遼くんのこの絶妙のタイミングは、遺伝なのか天性なのか、素晴らしい。
長男夫婦は仲が良く朗らかなので、のびのびと育てています。
こういう家庭で育つと、自分の思うままに行動できて、チャレンジャーになるはずです。

次男の挨拶も、大学ヨット部のキャプテンとして創部70周年記念などで挨拶した時より、落ち着いて堂々としています。
どんどん成長してる。
この部屋でも撮影大会になりました。
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主役のお嫁さんは白無垢&綿帽子を被っています。
遼くんが、「ゆかちゃん、何か帽子被ってる」とみんなを笑わせます。

「こいつ、できるやつや。末恐ろしいぞ」
場を和ませる天性のものを持っています・・・長男に似ています。
花婿花嫁に1日付き合ってくれるベテラン女性スタッフさんや、カメラスタッフさん・ビデオスタッフさんが、僕らに挨拶に来られます。
「こちらこそ、よろしくお願いします」

主役2人は、掛かりの方から、神前式の作法を教授されます。
僕と新婦のお父さんも呼ばれ、榊の受け取り方などを伝授されます。

親族が2列に並んで、式場に向かいます。
少し遅れ、新郎新婦とその両親である僕らも2列渋滞になり、式場に向かいます。
神前式場は、同じフロアでした。

式場の扉が開かれ、新郎新婦先頭に両親が後に続き、両側に座っている大勢の参列者の間を神前に向かいます。
神前式なので、親族のみでの式かな?と思っていたのですが、キリスト教式と同じスタイルです。
キリスト教式では、バージンロードを新郎の待つ祭壇前に向かって、新婦をエスコートした新婦のお父さんが歩きますが、そこを両親も後ろについて歩きます。

神前の一段高い所に、新郎新婦を中心に、両親は左右に別れて座ります。
雅楽の生演奏が、雰囲気を盛り上げます。
テープじゃなく演奏者が3人ほど入っているので、素晴らしい。

神主さんが、「出雲式の結婚の儀を行うと宣言します」
全員が起立し頭を垂れ、神主さんが穢を払います。
続いて祝詞を上げ、三三九度の固めの盃です。
巫女さん2名が新郎新婦交互にお神酒を注ぎ、それに口をつけます。
巫女さんから玉串の榊を受け取った新郎・新婦が、神棚の前に用意された机に作法に則って載せます。

続いて僕の番です。
新郎・新婦の父親が巫女さんから玉串・榊を受け取り、神前に進みます。
時計回しで玉串を回し、根本を神棚に向けて机の上に置きます。
2歩下がって、2礼2拍手1礼の作法です。
その後、お互い内向きにターンし、席に戻ります。
拍手する時、大きく手を動かし、後ろの参列者に見えるように拍手するよう指示されていました。
後ろで僕らの動きに合わせて、拍手を合わせてくれ、大きな拍手が2回。

神主さんが、「結婚の儀を終えたことを宣言します」
この行事中は、写真・ビデオ禁止だそうです。
七五三や厄払いで経験がありますが、結婚の儀は初めてだったので、いい経験をしました。

また新郎新婦の後ろに両親が並んで式場を出ます。
エレベーターでロビーに降り、玄関から外に出ます。
スタッフが拍手をしてくれます。
他の方からもパチパチ。

ゆっくり歩みながら、「上天気ですね」「風も弱くていいわ」など軽いおしゃべり。
日本庭園に入り、ここでプロが写真を撮ります。
ここから、朱の大きな傘を持ったスタッフが、新郎新婦の父親の間に入り、朱の傘が開き花嫁行列が始まります。
池に向かって石段を下り出すと、参列者さん達が本館から直接お庭に出られており、ドリンクサービスを受けているのが見えました。
私達に向かってカメラが向けられます。

池を見下ろす広いところのひな壇に、参列者100人ほどが並び、集合写真撮影タイムです。
新郎新婦を中心に、息子の横に私・家内という風に指示され、カメラ担当の方が笑わせながら写真を撮っていきます。
一番チビさんは、息子と大学ヨット部同期のカップルの子ですが、流石に女の子むずがることもなくいい子です。
問題は・・・思っていたうちの遼くんもVサインして、ごきげんです。
カメラ横に構えた女性スタッフが持つ妖怪ウォッチに向かって、なにか叫んでいます。
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12/20・次男結婚式3 新婦側親戚と挨拶

時間がわかったので、ロビーで待とうかなとテーブルと椅子がゆったり並ぶ方を見ると、新婦のお父さんが座っておられました。
どうやら写真を写しながらウロウロしてる僕を先に見つけておられたようで、僕が近づくとサッと立たれました。

「おはようございます。奥様は着付けですか?」
お庭散策したことを話し、「一緒に観に行きませんか」と誘いお庭に出ます。
12月なので寒いですが、雲一つない快晴で風も弱く、最高の天気に恵まれました。
長男の結婚式が台風の日だったのとは大違いです。

庭を一巡し、ロビーに戻り、僕が作った次男のヨット人生写真集ファイルを披露します。
ヨットというものを知らない方が多く、ヨットというとオールを漕ぐ真似をされることも多いです。
新婦のご家族は当然ヨットをご存知ですが、参列くださるご親戚や、会社の方に紹介したくて作りました。
僕が撮りためた次男の勇姿を厳選し、ジュニアヨットクラブのホームページ担当時代に載せ、加筆していった次男のヨット軌跡(ヨット試乗会~ヨットクラブ入部~初レース~ジュニア卒業、高校ヨット部~大学ヨット部~卒業後)をプリントアウトしてきました。

新婦のお父さんのお兄さんも来られたので、披露します。
2部作ったので、披露宴で主賓席から回覧してもらい、1部は新婦さんご実家、もう1部は次男夫婦にプレゼントしますと伝えました。
できれば、披露宴に来られなかったご親戚に見せていただいたら・・・とお願いしました。
ご親戚皆さんから、かわいがってもらわなくちゃ。

時間になったので、着付けに行きました。
長男のお嫁さんご実家同様、温和な方なので、息子たちも良い方と巡り会いました。
子供の性格も行動も、育った環境に大きく影響されます。

着付けロビーに降りると、長男と遼くんがいました。
用意されたタキシードと、長男の結婚式で購入したタキシード用ワイシャツ小物一式を持ってきたので、スタッフさんに手伝ってもらい「孫にも衣装」の出来上がりです。

遼くんが変身した僕を見て、目を丸くしています。
遼くんも三つ揃えのスーツとお父さんとお揃いの蝶ネクタイがかっこ良く決まっています。
ロビーに上がり、クロークで親族控室の利用開始時間と場所を聞きます。
ロビーで集まっておられた新婦側親族さんに挨拶します。
次男が、「いい人ばかりだよ」と言っていたとおり、笑顔がとても良いです。

お父さんの実家は浅草で、親族の仲が良く、ご実家に毎年正月に全員集合し、ワイワイ騒ぐそうです。
お母さんの実家である川口で、お母さんご実家が持っている土地に自宅を建てて住んでいます。
マスオさん状態かな?
おばあさんも週一ぐらい家にやってくるそうで、両家とも存続し、満足してうまく回っている姿が想像されます。
次男のお嫁さんも姉妹の長女なので、次男が同じ状態になればいいのにな・・・と思っていると思います。

家内の実家も、女の子2人姉妹で、姉が実家近くに次男である旦那さんと住み、実家の金銭的協力で近くで開業しています。
実家は住む人がなく駐車場になっていますが、その管理も義理兄がやってくれています。
日本では、家の存続がお墓のお守りとともにとても重要視されています。
親戚は、とてもとても大事です。

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再び着付けに下りると、家内と長男のお嫁さん、家内の姉とその長男のお嫁さんの着付けが終わっていました。
少し早いけど、我が家は親族控室に上がってみます。
4Fの控室前に行くと、「どうぞ、入れますよ」と、係の方に誘導されお部屋へ。

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新郎側・新婦側控室が一緒です。
一応、左右にそれぞれの控え場所としてソファーが並んでいます。
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新婦側の親戚も来られ、再び挨拶。
弟一家がやってきたので、紹介して新婦側に挨拶。
義理兄と甥がやってきたのでまた挨拶。
新婦側の方たちの雰囲気が柔らかく、唯一のチビさん・遼くんが場を和ませいい感じです。

トイレに行こうと部屋を出ると、披露宴受付をしてくれる会社の人が2名が控えてくれていました。
1人は琵琶湖で次男のライバル校だった大学でヨットをやっていた子です。
数年前、次男と2人で組んで全日本予選に参加し、予選突破しました。
高校ヨット部の先輩後輩の関係で、会社も一緒ということで、良い意味で死ぬまでの腐れ縁になりそうです。
次男の子分ですね。

12/20・次男結婚式2 八芳園へ

相変わらず綺麗なお嫁さんが、玄関で迎えてくれました。
僕もそうだけど、美人の奥さんが待っていてくれるのは、長男も幸せだなあ。

お休みのこの日は、長男が新宿に髪を切りに行くのに、家族3人で出たそうです。
就職で東京に出て来て、最初の勤務地が代々木でした。
以来ずっと同じお店で髪を切ってもらっているそうです。
美容院だって・・・おしゃれだな。
お嫁さんの笑顔が落ち着いていて、生活に満足しているのが伝わってきます。
家族3人、とても幸せそうで嬉しくなっちゃう。
ついでに明日の朝食用にパンを買って帰ってきたのだとか。

品川まで12km・朝なら30分ということで、6:15出発を長男から言われます。
家内は、長男に自分の携帯電話を渡し、5時にアラームが鳴るようにセットしてもらいました。
家内から順番にお風呂に入ります。
9時前に寝ちゃいました。

木造の我が家と違いマンションは断熱効果がよく暖かいです。
快眠し、いつもの様に4時に目覚めます。
リビングの電気を点け、本を読んで時間を潰します。
司馬遼太郎・「街道をゆく・種子島旅」の部分です。
長男が司馬遼太郎が好きで、嫡孫くんの名前に拝借しており、「遼くん」です。

5時前に家内が起きてきて、洗面所に行ってお化粧開始です。
家内のアラームが鳴り出したけど、家内に聞こえそうにないので僕が消しました。
携帯電話のアラームなんて使ったことないのでどうやって消すんだ?とりあえず、「受話器を置く」ボタンを押すと消えました。

5時を過ぎ、お嫁さんと遼くんがリビングにやってきて、僕らを見つけて早速トーマス・プラレール開始です。
お嫁さんの入れてくれた珈琲を飲みながら、パンを食べます。
5:30を過ぎて長男が起きてきて、用意を始めます。

6:15に家を出て、長男の運転で品川に向かいます。
主役の次男夫婦は、お嫁さんの実家・川口に泊まって、妹さん含め5人でやってくると思っていたら、品川プリンスに前泊しているようです。
息子夫婦4人の情報交換が密で、僕らの知らないことをたくさん知っていました。

朝早くなので都内も車が走っていないということですが、その分信号の多さが再認識され、信号で止まってばかりだと、長男が笑っています。
長男はオシャレな蝶ネクタイスタイルで決まっています。

予定通り30分で品川の八芳園に到着しました。
いきなり、立派な武家門です。
門番さんが「おはようございます」とお出迎え、結婚式であると告げると「おめでとうございます」と頭を下げられ、名前お聞かれました。
それを告げると、「ご新郎さんですか?」と聞かれました。
長男は、笑いながら「いいえ新郎の兄です」と答え、玄関に車を横付けし、人と車を降ろして駐車する場所を教えてもらっていました。

玄関に行く途中で日本庭園が見え、僕のテンションが上がります。
玄関が見えてくると、スタッフさんが玄関前で手を上げています。
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途中で庭掃除してる年配のスタッフさんが、「おはようございます」と頭を下げられています。
「おもてなし」が素晴らしい。

荷物を降ろし、お嫁さんと家内はそれを持って、着付けに向かます。
僕の着付けはまだなので、お庭を激写しに行きます。
長男は遼くんと一緒に駐車場へ。

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武家門まで戻り、写真を撮ります。
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チャペルもあったのでパチリ。
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日本庭園に入っていき、あっちこっち激写。
周りにはビルが見えますが、ここは都会の別天地のように広い庭園が残り、東京ドームが少し小さくなった程度の敷地があるようです。
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錦鯉が泳ぐ池に向かってゆるやかに下り、池の畔の東屋もいい感じです。
お庭にも日本家屋が数棟建っています。

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満足して本館に玄関から入ると、レストランスペースやロビーが、ホテルのそれよりゆったりした感じで、とても気持ちが良い。
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ここは結婚式場なので、スタッフさんが「おめでとうございます」と皆さん声を掛けてくれます。
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あちこち激写し、着付けの方に向かいます。
最初は「和装せよ」と次男に言われていましたが、和装の新郎新婦を目立たせるために、「タキシードにせよ」と変更方針になって
楽になりました。

八芳園から来たタイムスケジュールは家内が持って行ったので、僕は何時に着付けに行ったらいいかわからない。
男性タキシードは、8:30からだそうです。

12/19・次男結婚式1 家内と新幹線で東京へ

次男の結婚式が翌日に迫りました。
早朝からゴソゴソし、準備万端整えました。
僕の唯一の仕事である披露宴後の親族挨拶も、話の流れのキーワードを書き出しました。
後は披露宴の雰囲気で適当に。

式・披露宴会場は、東京品川の「八芳園」という旧薩摩藩の江戸下屋敷です。
歴朱趣味の僕は、そのお庭や建物への興味でいっぱいです。
朝7:15に家内の着付けがあるので、日帰りが無理で、東京の長男に家に泊めてもらいます。

仕事を13時で切り上げ、帰宅します。
家内はまだですが、脚立を立て、庭の柚子の収穫です。
結婚式・披露宴に参列いただく方は100人ですが、新郎側・新婦側の主賓席の人数+アルファの18人分36個を目安に収穫します。
大き目のから取りましたが、まだまだ残っています。
1本の木ですが、200個以上実が成っているようです。

20時に長男宅到着予定として15時出発を考えていましたが、家内が帰ってきたのが30分前でした。
「仕事を切り上げようとした時に、仕事が入っちゃった」と大慌てで帰ってきました。
僕は準備を終え、通勤リードにガソリン補給もし、TVを見て待っていました。
「こりゃ30分は遅れるな」と思っていたのですが、あれやこれや身支度に時間が掛かる女子にしては珍しく、15時の予定通り家を出ることができました。

通勤リードに荷物を満載です。
僕のデータバッグ・家内のガラガラバッグを足元に重ね置きしたので、ハンドル左右の角度が制限されます。
柚子の手提げを前かごに入れ、家内の手提げをリアボックスに入れます。
家内とタンデムし、いざ出発。
JR伊丹駅まで走り、バイクを預けます。
2日間・400円。

みどりの窓口で往路切符を買います。
2人分27000円。
JRで新大阪駅まで出て、「駅弁にぎわい」で「バラエティ弁当・880円」と「旅の幕の内弁当・850円」を購入。
遅く着く僕らにお嫁さんの手を煩わせ無いよう、新幹線内で夕食を済ませます。
新幹線ホームで新大阪駅発の列車に乗り込みます。
指定席はガラガラのようですが、自由席は適当にお客さんで埋まります。
外の景色を見ながら、あれやこれや話します。

お腹が空いたようで、家内は早速夕食を食べてしまいます。
湖東を北上している時、琵琶湖越しに薄っすら白いものを被った湖西の比良山系が見えます。
2人がけの席に座り、家内との楽しい旅です。

家内が携帯電話をチェックすると、結婚式に出席してくれるお姉さんからメールが入っていました。
「今仕事を終えました。これから自宅に帰り出発します」と12時頃のメールです。
いつも「なんて返そう」と僕に聞いてくるので、「現在地でも送っておいたら。米原だよ」と答える。
「今新幹線に乗っています。現在米原付近」と返信しました。
すぐに着信があり、「あれ?ひょっとして同じ電車に乗ってる?のぞみ134号?」、いつもながら女子高生のようなメール早打
ちの速攻返信です。

「新大阪発に乗ったから、違う電車だと思うけど」
次の停車駅・名古屋で到着電車案内電光掲示を見ると、僕らの次の電車が「のぞみ134号」だったので、僕らは1つ前の電車に乗っているようです。
その後もメール往来がありました。
東京ブックマークという宿泊予約サイトで、披露宴会場に近いシェラトンホテルに泊まるそうです。
新幹線切符も付きでもかなりお得な料金だそうで、長男のお嫁さんに電話するとお嫁さんもビックリし、4人で予約したそうです。
静岡通過中に、僕も夕食を食べます。

僕らは東京駅で京葉線に乗り換え、3つ目の駅・「潮見」で降ります。
まだ19:30で、嫡孫くんが起きているかもしれません。
「起きている時間に着いたら興奮して寝る時間が遅くなるので、7時に寝かすようにします」と、お嫁さんから連絡を受けています。
家に行っていいか確認の電話をします。
ちょうど寝たところだそうで、OK。

翌朝の朝食を駅前のスーパーで買っていこうかと聞くと、用意しているのでこちらもOK。
トコトコ歩いて長男のマンションに8時前に着きました。
「何号室だったっけ?306?」
「う~ん」

セキュリティのため、玄関で部屋番号を押し、内部から開けてもらわないと入れないシステムになっています。
「玄関に着いたらまた電話しなくちゃ」と話しながら玄関に着いたら、内部に長男が待っていてくれていました。

12/24・クリスマスイブ・素敵なプレゼントが届きました

クリスマスイブに、素敵なプレゼントが届きました。
長男から、「今日、プリンストンに転勤との辞令を受けた」と、家族みんな宛にメールが届きました。
商社のような海外が主戦場の企業ではありませんが、海外企業とのライセンス契約や海外子会社も持ってるグローバルな企業なので、海外勤務を経験しないと社長の目がなくなっちゃうので、いつかいつかと期待していました。

日常で英語を使う仕事をしていた奥さんをもらい、これ以上の人材はいないのにまだかな?と思っていました。
海外出張は毎月のようにあり、海外の取引先や子会社社員から早朝に自宅に電話が入るのに、海外勤務の辞令を受けていませんでした。

日本経済新聞・私の履歴書は、大丸相談役・奥田さんです。
新聞紙上で、30代で店長を経験したオーストラリア大丸での奮闘が始まっています。
我が子もこんな風に海外で奮闘するんだろうなと、想像しながら読んでいました。

プリンストン大学は、アイビーリーグに属し、ハーバードやスタンフォードなどと全米ナンバーワン・世界ナンバーワンを競っています。
その大学の近所に住むそうです。
アメリカ出張は、シカゴなどに行くこともありますが、学会などへの出席が多いと聞いています。
最先端知的技術を聞いて、キーマンの学者とコンタクトを取って自社研究所・工場との橋渡しをして新製品につなげる仕事がメインなので、知的財産の宝庫であり、最先端人材が集まる大学の近くに研究所を持っています。
来年4月から、アメリカの研究所が職場のようです。

4月から通う予定だった嫡孫の幼稚園がパーになっちゃうけど、長男が出張のたびに買ってくるアメリカ土産に、「アメリカ・アメリカ」とまるで隣町のように言ってたから、やわらか頭の孫もすぐに慣れてアメリカ生活を楽しむでしょう。

次のこの出産予定日が4月なので、お嫁さんは実家の新潟に帰省して出産です。
長男は最初単身で行き、2ヶ月ぐらいして家族4人でのアメリカ生活開始かな?
長男は、「宴会隊長」の明るさなので、初海外勤務が楽しみのようです。
今年も出張でプリンストンに行ったので、ある程度研究所の雰囲気も知ってるから、「新天地での挑戦できる」ととても前向きです。
今までのように盆と正月に帰省という風には行かないと思うけど、家族4人がアメリカでどんな風に成長していくのか楽しみです。

家内と長男の海外勤務のことでいろいろ喋れるなと帰宅すると、クリスマスケーキとして、ショートケーキが用意されていました。
夫婦2人になっちゃったので、大きなケーキは食べきれないので、誕生日とか祝い事の時は、いつもショートケーキ2つです。
夕食後、2人でケーキを食べながら(いや、家内は僕が夕食を食べてる間にケーキを食べちゃった)、
「3年ぐらい、プリンストンかなあ?」
「帰ってきたら、帰国子女ね」
「アップルじゃなくて、アポーって言うよね」
「次の子は、まっさらな頭に英語の洪水と日本語の両方を同時に聞きながら言葉を覚えていくんだなあ、どんな風になるのかな?」

長男は、中学受験塾が忙しくなる5年生まで、英会話教室に通っていました。
ネイティブさんが先生だったから、素晴らしい英語の発音をするようになり、アップルと言ったらアポーだと注意されました。
寝言で「オーマイガ」なんて言うようになり、びっくりポンでした。

有効期限が切れた僕のパスポートを復活させなきゃ。
家内もパスポートを作らなきゃ。
「英語の勉強を始めなきゃ」と家内も楽しそうです。
家族4人が落ち着いたら、「プリンストンにおいでよ」って航空券を送って来そうです。
あ~楽しい、素敵なクリスマスイブになりました。

12/13・スポーツ指導者講習終了

この話には、泣けてしまった。
本人の口からこのようなエピソードを聞くことが出来、とてもラッキーだった。
「みなさん、最高のペップトークは、「ありがとう」です」
感動のPEP TALK講演・2時間だった。

多分僕も、理論は知らないなりにペップトークを実践している方だと思う。
コーチングする時は、ミーテングやブリーフィングを数回しているが、選手やマネージャーが目を輝かせ、スイッチが入る瞬間を感じる時がある。
コーチ稼業の快感の瞬間だ。
マイナス言葉を使わないようプラス言葉に置き換えて口にするように心がけている。

僕は大学卒業後、ジュニアのコーチを経験したことが良い勉強になった。
子供は素直なので、表情に心が現れる。
そして行動に出る。
反対にアドバイスのつもりの言葉がモチベーションを下げてしまい、パフォーマンスが極端に落ちることもある。
非常に厳しいコーチ泣かせのお客さんが子供だ。

ここで鍛えられ、我が子が言葉のわかる年齢に成長してきたので、同じ手法で我が子と相対するようにしたら、とても子育てが楽だった。
勝手に頑張るので、何も心配しなかった。
息子2人なので、悪さは山のようにしたが、マイナス言葉である叱ることなく、相手様に私が謝りに行き、そんな時でもプラス言葉で我が子に接した。
叱り、道理を教えなくても、親の謝る姿を見て、「ゴメンな」と言う。
我ながら素晴らしい親子関係で、これまで来たし、これからもそうだと思う。

続く2時間は、「子供・選手の力を伸ばす指導方法」と題して、同志社大学教授の講演。
「運動と集中力」との関係を、実例をあげながら話された。
5時間授業の教室で、集中力を比較計測した。
休み時間も教室にいておとなしくしているグループは、1~3~5時間目と右下がりで集中力が落ちた。
教室から出ないが軽い運動をしたグループは、ゆるやかに集中力が落ちる。
休み時間に運動場に出て運動するグループは集中力が落ちず、むしろ向上していった。

運動には、体温調節能力の向上、学習能力の向上があり、運動しながら学習する方がより学習効果が上がるという結果が出た。
今は学級崩壊というが、将来はみんな教室を歩きながら学習する時代が来るかもしれない。
歌いながら暗記するなど、「ながら学習」の学習効果向上も知られている。
雑誌「プレジデント」でも、「数年後は歩きながら会議をしているだろう」と予想している。

17:20に講習が終わり、バイク装束を着て、R9~亀岡~R372~R423~池田というルートで、19時過ぎに帰宅した。
R423の亀岡盆地からのつづら折れヘアピンカーブが真っ暗で、バイクの単眼ライトでは照射幅が狭く、後続車に迷惑を掛けてし
まった。
やはりr6~r733~R423ルートの方が良かったな。

12/13・ペップトーク

講習会場に上がりましたが、12:00~12:20受付でまだ扉も開いていません。
バイク装束を脱ぎ、ロビーに座り、おにぎりで昼食。
12:00になり会場が開き、受付を済ませる。
京都府体育協会・1000円。

スポンサーの大塚製薬京都支店社員さんから、スポーツと栄養補給・水分補給・熱中症対策のお話が30分。
続いて「心を育てるコミュニケーション術」として、トレーナーズスクエアKK・代表取締役社長・岩崎由純さんの講演。
日体大からアメリカ・シラキューズ大大学院修士を経て、ナイキ・トレーナーとしてロサンゼルスオリンピックに参加。
アメリカンフットボール・フィラデルフィア・イーグルスに所属し、バロセロナオリンピック・バレーボール日本チーム・トレーナー、NECバレーボールチーム・レッドロケッツ所属という経歴をお持ちの方です。

「PEP TALK」という耳慣れないトークの紹介がありました。
PEPは略ではなく「愉快にする。人を前向きにする」という意味を持つ単語で、試合直前のロッカールームなどで選手を鼓舞するコーチのブリーフィングトークのことでした。
「愉」の字は、心+人+前の合わさた文字で、「人の心を前向きにする」という意味。
ジュニアヨットや大学ヨット部のコーチとして、僕も試合前に毎回やっています。
日本の大学アメリカンフットボールチームや、映画にもなったアメリカバスケットボールチームのトークの紹介があり、その真髄と使うべき言葉と使うべきでない言葉が紹介された。

PEPトークは、1分半~2分が理想。
「負ける」がイメージされる「負けるな」も「負けない」も禁止用語で、プラシ思考の言葉に置き換える。
プラス思考の言葉でも、今までできなかったことを使わない。
「してほしいこと」「成功をイメージする言葉」を使う。
選手を信頼し、期待して指導する(ピグマリオン効果)と良い結果を得やすい。

毎日の練習時には、改善点・良くなる点を混じえたモチベーショントークを使い、試合直前に前向きな背中を一押するペップトーク、試合後は良かった点・悪かった点両方話すポストコンペティショントークを使う。

「聞く」より「聴く」ようにしよう。
「聴」は、耳+目+心で、眼と心で聞こう。

一流選手は、セルフペップトークを使っている。羽生結弦さんは、ソチ・オリンピックの滑走前に、「OK、さあ楽しもう」と口に出して滑り始めた。
その映像が流され、確かにそう読唇できた。

『今までの人生は、今まで吐いてきた言葉で出来ている。これからの人生は、今から吐く言葉で出来ていく』
スポーツ医学の先進国・アメリカはじめ日本でも多くのPEPトークに接し、選手とともに涙を流して試合に臨んだ経験のある先生が、とっておきのご自身が体験なさったスポーツでの感動を披露された。

ロサンゼルス・オリンピックの時、ナイキのニューヨークで働いていた縁で、トレーナーとしてオリンピックに派遣された。
マッサージにやってくる常連の陸上選手がいた。
その選手が、レースの2日前に悲しそうな顔でやってきた。

「試合用に新しく下ろした靴が合わず、靴ずれを起こしてしまった」と痛々しい患部を見せられた。
靴の交換をしようとしたら、お気に入りがナイキジャパン製のもので、アメリカ・ナイキ本社には在庫がなかった。

岩崎さんは、ナイキジャパンに至急送ってもらうように電話した。
それを受けたナイキジャパンの副社長は女性秘書に、「この靴を持って今すぐ成田に走れ。誰でもいいからロスアンゼルスに飛ぶお客さんに、靴を託せ」と。
女性秘書はJALキャビンアテンダントに事情を話し託そうとしたが、「空港関係者は、他人の荷物を運ぶことが出来ない」という規定に抵触し断られた。
がっかりしていると、それを陰で聞いていたチーフパーサーが、「匿名を条件に」と受け取った。

翌日、その陸上選手に岩崎さんは靴を届けることが出来た。
しかしその使用にナイキ本社からクレームが付いた。
白い靴でどこのメーカーの靴かわからないから。

紛糾する中、選手本人が立ち、「僕のために、遠い日本から多くの人が骨折ってこの靴を届けてくれた。その方々に感謝の気持ちを持って走りたい」と。
ナイキ本社の役員が立ち上がり、「いいじゃないか」

レース当日、岩崎さんはご苦労様として男子マラソンのメイン会場の座席チケットをプレゼントされた。
この大会の優勝候補は瀬古利彦。
他に宗兄弟が参加しており、日本チームでメダル独占するとの噂さえ立っていた。
岩崎さんが見守るメイン競技場に最初に、最初に姿を見せたのは、その彼だった。
ポルトガル代表・カルロス・ロペス。

2位を離したロペスが走る横ではスタンディングオベーションが起こり、ロペスとともにスタンディングの波が進んでいく。
フィニッシュした瞬間、岩崎さんは涙で前が見えなくなっていた。
横にいた同僚が、「岩崎、ウルトラビジョンを見てみろ」と言う。
フィニッシュ後、トラックの外側の芝生をウイニングランをするロペス選手の姿が、映しだされていた。
でも裸足。
あの靴を両手に持ち、満面の笑みで走っていたのだ。

結果的に、ナイキの大宣伝になった。

12/13・島原

バイクに乗り、R9を越え、そのまま旧山陰道・r142を進みます。
阪急桂駅南を渡り、「桂離宮」の南側へ。
こちらは裏側のようなので北側に回ります。
10:08、駐車場前。

拝観するには事前申し込みが必要です。
表門も拝観者門も閉まっていました。
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お庭外の紅葉しているカエデや、外堀の造作を激写しました。

離宮を一周回ろうとしたら、10:16「御霊神社」
『1117年、下桂御霊神社の祭神として勧請する。祭神:橘逸勢(はやなり)公。平安期の元勲で、優れた能書家で、嵯峨天皇・僧空海とともに三筆と称される。皇室の尊崇篤く、桂宮家より多くのご寄進を賜っている』

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能舞台があった。
現役のようで、いつでも上演できそう。
「WANTED 2005年の例大祭に展示。
行方不明のこの鎧の情報を求む!」と、写真入りで貼りだされていた。
一度盗品にしてしまうと、公の美術品が古物商や一部のマニアを喜ばすだけになってしまう・・・実に残念。
境内の片隅でご祈祷中であった。
横に車があったので、その車の安全祈願かもしれない。

r142はそのまま八条通になり、西大路を北上し、七条通でJE山陰線・嵯峨野線高架下を抜けた。
すぐ北に「JR丹波口」駅があり、ここら一体が花街「島原」です。
何かめぼしい建物など無いかと細道に入るが、結局丹波口駅の北まで来てします。

GPS地図に表示された「壬生寺」を目指していると、10:45、偶然「新選組・壬生屯所跡」に到着。
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新選組の「誠」ギザギザ模様が目を引きます。
シンプルなのに後世に残るデザインは素晴らしい。

新選組屯所は、少し東の西山本願寺の隅でも目にしています。
謂れを読むと、襲撃を恐れ、数ヶ所移ったとかかれていました。
ここは、壬生村郷士・前川荘司旧邸で、一番長く使ったそうです。
旧邸内部は、お住まいされているそうで非公開です。
新選組グッズが販売されていました。
朱印帳入れが欲しいなと思ったけど、我が家と関わりのある武田菱・梅八・五七桐紋のいずれもありませんでした。

町家内の細道を七条の方に南下していると、偶然「島原西門跡」を見つけました。
横には、「島原住吉神社」がありました・・・巴紋。
その細道を南下すると、「東鴻臚館跡」。
横の建物には、「重要文化財・角屋、江戸時代1641年建立」と書かれていました。
バイクを置いて散策開始。
内部は「角屋おもてなしの文化美術館」のようです。

『角屋は、江戸時代に繁栄した旧花街・島原を代表する揚屋(現在の料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入された後も、昭和60年(1985年)まで営業が続けられた。
島原は、わが国初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後六条三筋町に移転し、更に寛永18年(1641年)にこの地に移された。正式な地名は西新屋敷というが、急な移転騒動が、当時九州に起こった島原の乱に似ていたことから、「島原」と呼ばれるようになった。
島原には、揚屋と置屋があり、揚屋は太夫・芸妓など一切抱えず、置屋から呼んで宴会を催す場であった。角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年(1952年)に重要文化財に指定される。
また円山応挙・与謝蕪村など、一流画人の作品を多く蔵している。江戸中期に俳壇が形成されると文化サロンとしての役割を担い、幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、軍用金調達のために豪商を招いて会議を行い、彼らを探し求めた新選組が乱舞した場所でもある』

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「長州藩志士・久坂玄瑞の密議の角屋」の石碑が立っていた。
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「新選組刀傷の角屋」の石碑も立っている。
土方歳三の刀傷が柱に残っているかも・・・

11:01、歴史探索を終了し、講習会場に向かうことにした。堀川通に出て南下、JR東海道線をくぐり、九条通を東進し、11:30に「京都テルサ」着。

首塚大明神・大枝・島原 4/4

12/13・陵墓・児子神社・三ノ宮神社

たわわに成った橘を見ながら、美味しそうだけどなあ~なんて思いました。
大枝神社から続くのであろう竹林に上がってきて、更に石段を上ると天皇家定番の鳥居・玉垣一式の陵墓が見えてきました。
どうやらこの竹林はヒヨドリのねぐらだったようで、ヒヨドリの鳴き声が姦しい。
もう少し登って混生林になると、その他の野鳥も混じり、12月としては異例の野鳥の賑やな歓迎を受けました。

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「光仁天皇・皇后・高野新笠大枝陵」
桓武天皇の父親・光仁天皇の皇后は、高野新笠という方だったのですね。
確かこの方は出自身分が低いので正室ではなかったはずです。
天智天皇(中大兄皇子)と藤原鎌足(中臣鎌足)がクーデターを起こして、豪族に権力が移っていたのを天皇親政の本来の姿に戻しましたが、その子と弟の天武天皇との争い(壬申の乱)に敗れて、天武天皇系がその後の天皇位相続するようになりました。
47孝謙天皇・48称徳天皇として位に付いた女帝が色香に迷い僧・道鏡に天皇位を譲る寸前まで行ってしまい、天智天皇系の49光仁天皇に戻った。

まだまだ混乱があったようで、皇太子された正室の子や母親が暗殺されたりして、50代桓武天皇に位がまわってきた経過があります。
だからこの母親も、后から皇后に位が変わったはず。
奈良・平城宮の仏教勢力の介入を避けるためもあり、母親の故郷である京都に遷都しました。
これまた外来の豪族・秦氏の勢力下にあった京都盆地に移したのは、古来のしがらみを一度断ちたかったのかもしれません。
そんなこんなを考えながら陵墓を見て、帰ろうと思って東を見ると、手前の低山の向こうに、京都市街地が見えていました。

バイクに戻り、またR9まで旧山陰道を西進し、再び沓掛から旧街道に戻り、T字路交差点から東は両方向通行可なの
で、東進します。
9:31、「児子神社」
大枝神社の謂れ板に書かれていたので訪問しました。
『塚原宮田にあり、祭神は児子多国御魂神。聖徳太子の幼児の像が祀られてあるので児子神社と呼ばれている。一節には「茨田(うわた)神社跡」と言われる。大枝の地が宇波多と言われているところから来たと思われる。茨田神社とは河川工事に功績のあった茨田氏を奉祀した神社で、延喜式神名帳にかかげる「乙邦茨田神社」で、その所在地が明らかでないところからのものであろう。明治6年、村社に公定される』

ここもコンクリート覆屋&鉄の扉で風情がない。
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境内の楓が見事に色づいていた。
ここの境内横にも竹林がありますが、いかにも畑という感じで、等間隔に竹が店に向かって伸び、その間の土は綺麗に下草が刈られています。
たけのこ畑でしょう。

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9:40、「三ノ宮神社」
参道を歩いていると、途中に、「宇波田陵道敷地」と書かれた石柱が立っていた。
そこから枝道が伸びていた。
境内中央の境内舞台には藁が積み上げられ水筒が置かれていた。
正月を迎えるために、作業中なのかもしれません。
瓦屋根の覆屋に「三ノ宮大明神」と下がっていた。

いずれかの天皇の三ノ宮を祀る神社と思い、謂れを読みたいと思っていたが、謂れ板がありませんでした。
西を見ると石敷きの階段道が登っています。
苔が覆いいい感じです。

それを登って行くと、西に広がる竹畑を見下ろす感じになります。
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等間隔に並んだ竹の間の地面が藁で覆われています。
さっきの藁は、これに使うようです。
冬の寒さで竹の地下茎が傷まないようにする配慮かもしれません。
地面が均等に藁色に渋い白色で、水はけを良くするためか適当に掘りが切られています。
たけのこ栽培も奥が深そうです。

「淳和天皇・御母・贈皇太后宇波田陵」
53淳和天皇は、桓武天皇の子です。
51平成天皇・52嵯峨天皇に続き、3人の皇子が天皇位についています。
石柱に書かれた贈皇太后というのは誰かな?と思ったら、宮内庁名の謂れ板に「桓武天皇夫人・贈皇太后旅子・宇波田陵と書かれていたので、藤原旅子さんのようです。

後日調べたら、息子の淳和天皇が天皇位につく前に亡くなっており、死後に皇太后の位を贈られたようです。
本来の皇太后位は、皇后を経てなります。
生前は后のままだったようです。
藤原旅子って、僕でも知ってた名前の方だったのに、皇后でなかったんだとビックリ。

首塚大明神・大枝神社・島原 3/4

12/13・大枝神社

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本殿裏の木製の玉垣に囲まれた首塚にも手を合わせた。
「従是東山城国」の石標もパチリ。

バイクに乗り、先ほどの三叉路を「老ノ坂峠・亀岡方面」に下りました。
京都縦貫高速道路とR9に挟まれた道になり、R9に合流しました。
しかしこの合流も右折禁止だったので、一旦亀岡方面に合流し、Uターンしました。

また老ノ坂トンネルを京都市側に抜けて、高速道のICがある「沓掛」交差点を左折します。
T字で旧山陰道に当たるので、左折し8:58、「大枝神社」着。
ここらの地名は「大枝」なので、産主神社でしょう。
その昔、豪族・大枝氏の本拠地でした。
大枝氏は、天穂日命の後裔・野見宿禰を先祖にする渡来系出雲族の氏族で、僕の母方の血筋・菅原氏と同祖である土師氏流れです。

奈良平城京から京都西山・長岡京に遷都し、その後水害により平安京に遷都した桓武天皇の母親がこの大枝氏出身なので、「大枝」という姓を与えました。
母の実家がこの地にあったので、この地で桓武天皇は産まれ、幼少期を過ごしたのでしょう。

大枝氏の後裔の一部に「大江氏」を名乗る豪族が現れ、鎌倉幕府成立の時、源頼朝与力となり大活躍した大江広元は、大枝氏の血を引いています。
日本全国の所領に広元の子孫が守護地頭として任地し、毛利元就に繋がる。
明治維新以降脈々と続く長州閥の本流です。

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『967年施行の「延喜式」には、神社名として「乙訓郡大井神社」と記載されている。現在の氏神は、「高美計神」である。この地の先住民である大枝氏の祭祀神と言われる。初めは聖徳太子の幼児の像が祀られていたことから「千児明神」と称されていた。現在、稚児神社はこれより東方、大枝塚原町にある。境内には亨保8年(1723年)と記された石灯籠があり、江戸時代に栄えた様が伺える。明治6年(1873年)村社に公定され、現在沓掛町の氏神として親しまれている。境内地2433平方メートル』

祖を我が家と一つにしている縁を頼み、「元気な男の子を2人お願い致します。お嫁さんたちの身体をお守りください。息子たち一家がニコニコ暮らせますように」とお願いした。
毎朝晩、自宅の蛍光マリア様にお願いしている台詞です。
10円のお賽銭では欲張りなお願いだろうか。

摂社に、稲荷神社・八幡宮・天満宮が祀ってあった。
本殿・脇本殿をコンクリート製の覆屋が守っているのですが、黒い鉄製の扉が付いており、頑丈そうな錠前がぶら下がってる。
お賽銭の盗難や祠へのいたずら防止なんだろうけど、風情がない。
ちょと残念でした。
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境内には、榊がたくさん植えられていました。
何処にでもあるような特徴の無い常緑の低木ですが、日本的な木でもありますね。
境内の横は、立派な竹林でした。
毎年春になると、乙訓郡のタケノコ掘りのニュースがTVを賑わすが、竹林を見ながらそれを思い出しました。

この神社の西隣りに、桓武天皇の母親のお墓があります。
それを探しながらゆっくり西進しましたが、見つけられずにR9に合流してしまいました。
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西向き一方通行の道なのでUターンできず、またR9~沓掛の同じ道で一周し、「ここらが怪しい、徒歩で探ろう」とバイクを停めたとこに、石碑がありました。

9:13、細い階段道を登ります。
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京都らしく橘がみかん色の実をつけています。
「右近の橘、左近の桜」として日本を代表する木です。
この橘は、桜と違い外来です。

僕の先祖・野見宿禰を都に呼び寄せ、大抜擢して後の大江氏や菅原氏の隆盛の元を作った第11代・垂仁天皇が、田道間守に不老長寿の霊果探しを命じた。
それを探し中国大陸に渡り、この橘を持ち帰ったがすでに垂仁天皇は崩御された後で、それを嘆き悲しみ田道間守は亡くなった。

この橘を日本で初めて植えたのが紀州和歌山県です。
香りはとても良いが苦くて美味しくなかった橘が、長い年月掛けて改良されたのが、今の温州みかんです。
みかん産地として愛媛県・静岡県と常にトップ争いをしている和歌山県のみかんの歴史は、ここに始まりました。

京都:首塚大明神・大枝神社・島原 2/4

12/13・老ノ坂峠・「首塚大明神」

文部科学省のスポーツ指導者講習の日です。
前回同様、京都講習会場で受講します。
JR京都駅南の「京都テルサ」で12:20からなので、午前中に時間があります。
天気もいい感じなので、前回同様バイクで行くことにしました。
もちろん亀岡回りです。寺社や史跡を探索しましょう。

いつものように4時頃目覚めましたが、真っ暗なので時間つぶしします。
夏前の夜明けの早い時期なら、もう夜明けなのにもったいない。
6時頃用意開始。
コミネ冬用プロテクタージャケット・パンツで防寒は完璧です。

「里山VTR250」を出して、6:52コンビニでおにぎり2個買い、7:09R176宝塚山本エネオスで給油、226km/7.8L=29.0km/L。
北に向けて出発です。
池田からR423で北上します。
7時を回ったので、早朝のようにマイペースでは走れず、信号の少ない快適な道を、みなさんと並んで走ります。

豊能町役場を過ぎて、r109にチェンジします。
田舎道をトコトコ走り、r43に乗り久しぶりの「清阪峠」。
朝霧がまだ少し残っており、四輪車離合困難な峠道をゆっくり走ります。
落ち葉が路上にたくさん落ちておりいい感じ。
ブラインドカーブの連続なので、時々クラクションで自車の存在を明らかにしておきます。

快走路のr46に出てのんびり走っていると、後ろに高速車が迫るので、左ウインカーを多用し抜いてもらいます。
r6にチェンジし、亀岡に下ります。
朝霧がまだ薄く残っています。
その影響か夜に雨でも降ったのか、路面に濡れている所が多い。
R9との合流まで北上するのは遠回りなので、途中の適当な道を右折し、丘陵住宅地をR9に並行しながら東進します。

「篠」付近でR9に合流。
ここから東進し、京都市街地に向かいながら、山城国と丹波国の国境・「老ノ坂峠」旧道への分岐に注意を払います。
R9・老ノ坂トンネル手前の大きなカーブを過ぎたところで、「ここかな?」という分岐を見つけましたが、イエローロインに加え、「右折禁止」と大きく書いてありました。

仕方なく通過し、老ノ坂トンネルを抜けて、京都市側でUターンし、老ノ坂トンネル手前の京都側から事前下調べでわかっていた枝道に左折します。
いい感じのくたびれた舗装路を軽く登ると、8:31T字路に突き当たりました。
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右折:老ノ坂峠亀岡方面、左折:首塚大明神・従是東山城国石標経由となっています。

数年前から来たかった「首塚大明神」はもうすぐです。
「老ノ坂峠」は、山陰道が京都に入る口で、明智道秀が「敵は本能寺にあり」と全軍を奮い立たせる名台詞を叫んだところであり、足利尊氏が丹波勢を率いて京に攻め込み鎌倉幕府・六波羅探題を攻め滅ぼした場所です。
また源義経が福原の平家勢と対決すべく、搦手軍を率いて京を進発した場所でもあります。
故事があふれています。

その更に古い平安時代の故事に、源氏武士団の祖・清和源氏の源頼光率いる四天王の大江山の鬼退治伝説があります。
退治した鬼・酒天童子の首塚が、首塚大明神です。
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8:35、「首塚大明神」到着。
霧に覆われ、いい雰囲気です。
車が2台ほど停められるスペースが道脇にありますが、この道はすぐ先でチェーンで行けなくなっているので、路上駐車しても問題なさそうです。

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霧に沈み、怪しさが増した鳥居をくぐります。
石段を上がると、すぐに山道になりますが、すぐ上に鳥居と小さめの本殿が見えています。
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ワクワクしながら上がると、祠程度の本殿を覆屋が守っています。
しっかりとお参りさせていただき、わが町の隣町・川西市・多田に発祥し本拠にした頼光に運があっただけだと慰めます。

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『由緒 平安時代初期・800年頃、丹波国大江山に本拠を構えた「酒呑童子」が、京の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので、人々の心に大きな不安を与えていた。
天子(天皇)が、源頼光など四天王に、酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。
頼光などは大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し、酒呑童子の首級を証拠に京の都に帰る途中、この老ノ坂で休憩したが、道端の「子安の地蔵尊」が「鬼の首ような不浄なものは天子様のおられる都へ持ち行くことはならん」と言われた。
が、相模の国の足柄山で熊と相撲を取ったという力持ちの「坂田公時」が「証拠の品だから都に持っていく」と言って、酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持って帰ってきた首が急に持ち上がらなくなった。
そこで一行は、やむを得ずこの場所に首を埋めて、首塚を作ったと伝えられる。
酒呑童子が源頼光に首を切られる時、「今までの罪を悔い、これからは首から上に病を持つ人々を助けたい」と言い残したと言われ、首塚大明神は首より上の病気に霊験あらたかである。 宗教法人・首塚大明神社務所』

京都:首塚大明神・大枝・島原 1/4

京都:首塚大明神・大枝・島原 2/4

「おふゆ」ちゃん

今朝の朝ドラ「あさが来た」が良かった。
このドラマで初めて知ったお気に入りの「おふゆ」ちゃんが、長く登場したから。
ヒロイン・あささんの実家から、お姉さんと付き人としてその嫁ぎ先に移りました。
その嫁ぎ先が倒産したので、あささんの嫁ぎ先に回ってきた付き人さんです。

初登場の時から、「可愛い子だ」と家内に話していました。
でもいつもちょいと数秒登場するだけで、ちょっと残念でした。
それでも、番組が始まると、その日の登場人物名に「ふゆ」がいないかなと期待していました。

そんな僕の思いが通じたのか、あるいは「あの娘、いいね」の声が大きくなったのか、搭乗時間が増えてきたように思います。
予想するドラマの流れでは、「あさ」の旦那さんのお妾さんになり、男の子を出産して、その子が成長し、実業家の「あさ」をサポートしていくという将来を想像しているのですが、果たしてどういう流れになるのやら。

「清原加耶」さんを検索してみました。
ファッション雑誌モデル出身で女優さんとしての仕事は初めてに近く、数本のCMに出ているそうです。

この日は3分ぐらいドラマに登場しており、「あ~僕は和服の似合う人が好きなんだなあ」と思いました。
家内と知り合い、2週間後ぐらいに実家に車で送って行った時に、アルバムを見せてもらいました。
その中の1枚の写真に目が留まりました。
小学校4年生ぐらいの少女・家内が和服を着て、お茶のお手前をしている横顔の写真です。
細く長い首が和服の襟から伸び、真剣にお点前をしているのだろうが、ゆるやかにほんのり微笑んでおり、少女なのに美しいなと感じました。

この時家内に、「この写真、もらえない?」とダメ元で聞いてみたら、「いいよ」って一発OKでした。
すぐにお財布に入れました。
この時の財布を何度も自分で修理しながら、僕はいまだに使っており、ラップにくるまれた家内のその写真は、ずっと入ったままです。
2つ折りの財布を広げると、真っ先に目に飛び込んできます。
僕の財布を見た人は、「お嬢さんですか?」と聞いてきますが、「そうです」と答えたり、「家内です」と答えたりしています。
ちょっとロリコンかも・・・

実家の僕の部屋は、2Fでした。
階段をあがると小さな踊り場があり、その正面に母が好きだった竹久夢二の掛け軸が掛かっていました。
細身の憂いを帯びた華奢な和服姿のお若い女性の中腰の姿が美しい。
毎日この掛軸を見ながら過ごしたので脳内にインプットされたのかもしれません。

この日も、「ふゆさんがたくさん見れて良かった」と横にいる家内に話すと、「そう?なんかちょっと性格がきつそうに見えるけどね」とニコニコしています。
家内に似て着物が似合うとちゃんとフォローしてるのに、嫉妬してるのかも・・・なんて良いように解釈しました。

清原さんはこのドラマをステップに、これから女優の方のお仕事も増え、注目を集めていくでしょう。
ファッションモデルが本職なので洋服を似合うのでしょうが、和服にもこだわって欲しいなと思います。
襟足から細く白い首がまっすぐに伸びる姿は、日本女性の美の真髄のように思います。
いつまでも和服の似合う女優さんとして、僕の目を楽しませて欲しい。

最近ファッションモデル出身の女優さんが多いように思います。
美しいスタイルの良い別嬪さんは、見ていてハッピーになります。
藤沢周平がヒロインとして登場させる女性も、ニコラス・スパークスのヒロインも総じて美しく描かれます。
映画・ドラマ・小説・絵画・・・その作品のヒットの数十パーセントは、美しい女性のおかげではないかな。

公務員の適性評価

『今度施行される「秘密保護法」の対象者である公務員の適性評価を、25人が拒否した』というニュースを見た。

適性評価とは、朝日新聞に『公務員、警察職員、省庁との契約業者ら特定秘密の取扱者は、資質を見極めるために「適性評価」が義務づけられる。本人が評価を受けることに同意すれば、犯罪歴や飲酒量、借金の有無に加え、家族や同居人の国籍や住居などを大臣らに申告。必要に応じて本人と面談したり、職場の上司や金融機関に問い合わせたりして、申告内容を確認する仕組みだ。』
と書かれていました。

秘密保護法の対象である特定秘密を扱う公務員は、全公務員中でもごくわずかでしょう。
国を揺るがすような重要秘密を扱う人だから、当然その職に就く前に、身辺調査などをしっかりやっているものだと思っていました。

僕も母方の祖父は、近衛兵の部隊長でした。
日露戦争に従軍し、大陸で戦傷し、療養の甲斐なく母が3才の時亡くなりました。
天皇陛下から頂いた金鵄勲章が、母の実家の家宝になっていますが、それ以上に「近衛兵になれた」ということを、祖母は子供の
僕に何度も話してくれました。
家系を遡り、祖母の実家を含めた先祖・親戚調査をして、「こいつは信用できる」と太鼓判を押されないと、国軍の最高司令官で
ある天皇を警護する兵に加わることが出来なかった。

祖父の先祖は、俵藤太秀郷の末裔・佐野氏の血が流れる家老・田沼氏の家老職の血筋ですが、祖母の家系も佐野氏の家老職の血筋という軍人家系です。
明治の人だったので、「貧乏しても、誠実に生きなさい」と諭された。

母の旧姓は、とても珍しい苗字で、親戚以外にこの苗字の人を見たことがない。
祖母の本家の旧姓も珍しく、あまり聞いたことがない。
末広がらなかったとも言えますが、由緒ある苗字のようで、父方の姓になった僕だけど、その苗字に恥じないようにしようと思って生きてきた。

そんな背景の僕から見ると、公務員の中の選ばれし者である日本国の特定秘密を日常的に扱う人でありながら、審査拒否をするとはどういうことなんだとビックリしました。
その人の思考以前に、こういう人を特定秘密を扱う部署に入れる上司の思考に呆れてしまった。

どういう国にしたい・・・こんな国に住みたい・・・こんな国にして子孫にバトンタッチしたい・・・と、僕のような民間人以上の理想を持って奉職しただろうに、自らの出自などを明らかにしたくないとは、どういう方なのか理解に苦しむなあ。

12/11・ともだち

20日の次男の結婚式に向けて、子供の時から通う散髪屋さんに行きました。
現在は僕よりお若い方が店主ですが、先代の甥の方です。
先代は陸上自衛隊員で、この散髪屋さんに出入りし、働いていた先々代の娘さんを見初めて結婚さなってお店に入られました。
僕が子供の頃は先々代も存命で、バリバリ仕事をされていました。

今は先代もその奥さんも引退していますが、陸上自衛隊事情に明るいので、メインポール脇に旗めくアメリカ星条旗のことを聞いてみました。
「日米合同軍事演習です。数年に一度、米兵が来て、シュミレーション演習をしているようですよ」と教えてくれました。
自衛隊内にも散髪屋さんがあり、かなりお安いのですが、並ぶのが嫌で出てくる米兵もおり、特別料金で頭を整えているようです。
「アーミーカットだったら簡単でしょ」と聞くと、「だから安くしているんですよ」って。

家内にそのことを話すと、「最近見るよ。すごく身体が大きいからとても敵わないと思っちゃうわ」って。
戦争の解説で「民族間の・・・」なんてあると、「日本人は単一民族だから」と定番コピーを解説者が話しますが、白人と日本人とはなんか根本的に大きく違うところがあるように思います。

長年趣味でやってるヨットでは、ヨットハーバーを歩いている白人さんは、12月でも短パン半袖という方がいます。
そしてたいてい薄着です。
「あいつらどうなってるんだ?」と目が点になります。

握力とか腕力とかも根本値が違うようで、僕らが毎回使い問題ないマテリアルが、白人さんが乗ると平気で引きちぎったりします。
4カ国4ヨットクラブ対抗レースでも、4年に1回回ってくる日本主催レースでは、愛艇のマテリアルをたくさん潰して帰ります。
パワーが勝るけど、器用さや力加減が劣るのでしょう。

育った風土も違うのだから、民族間紛争も根本的な違いからくる相容れないものが底辺にありそう。
それを統一するルールにしようというより、ルールに幅をもたせ違いを認め合うことで、この日米合同演習のようにまあまあうまくやっていけるように思うのだけど・・・。

東日本大震災の時、「ともだち作戦」としてアメリカは数十億円の予算で、空母を東北東海岸域に展開し、沖縄駐留部隊を東北に展開した。
この時、沖縄の新聞社などは、「駐留米軍の意味を強調しすぎている」と批判したが、素直に喜べないつむじ曲がりさんだなと思った。
マイナス面を強調して批判しても、お互いに良いことなんてありません。
親子でも、子供の小さな失敗を大きく貶めたり罵声を浴びせたりしていたら、親子関係が壊れ、子供は世間に対してもビクビクする人生になってしまいます。
親だって、親を見向きもしなくなった子に見捨てられ、寂しい老後を送ることになります。
マイナス面に目をつぶり、小さなプラス面を大きく褒めていれば、親子関係は良いままで続き、親っていいなと実感した子は素晴らしい子を育てるでしょう。
これを続ける家系からは、時々大立者が出現し、親戚一同を大いに喜ばせます。

東北の地で、軍同士の連絡を密にしていただろうし、こういう共通体験が積み重なって、お互いの違いへの理解が進むと思う。
いつもは、メインポールに日の丸が1本揚がっているだけの陸上自衛隊基地に、メインポールに旗を揚げず、左右のポールに同じ高さに日米の国旗が旗めく姿もいいものです。
そして、メインポールから一歩下がって同じ高さにナショナルフラッグを揚げる日本人的奥ゆかしさに、素敵だなと思いました。

老ノ坂峠

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庭の山茶花が今を盛りに咲いています。
地面には、赤い花弁がパラパラと散っており、なかなか風情があります。

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柚子も未熟な実がなくなり、ほぼ全部の実が黄色く色づいています。
お隣さんを見つけては、「食べて」とおすそ分けしています。
とても2人じゃ利用しきれず、いつも春前の完熟を迎えると野鳥の餌になっちゃいます。
1週間後の次男の結婚式に収穫した柚子を持って行き、適当に配ろうと思っています。

そして水仙がいよいよ咲き出しました。
今は亡き母が好きだった花で、「淡路島の水仙峡に連れてけ」とリクエストされたのに、ちょうど次のお休みに用事があったのでパスしたら、突然亡くなっちゃいました。
水仙が咲くと、今でも悔いているこのことを思い出します。

夏頃から発症した五十肩が、ようやく楽になってきました。
一時上着を脱ぐのも難儀していましたが、苦痛を感じなくなってきました。
ツーリング直後に仕事に行く早朝ツーリングは、何かの拍子で捻ってしまい仕事に差し支えるといけないと思い自重していました。
そろそろ再開しようと思ったら、秋の気持ちの良いシーズンが過ぎ、寒くなっちゃいました。

休日にはツーリングに出ていたので、明日も乗ろうと思います。
昼から京都でスポーツコーチ資格更新講座なので、バイクで行こう。
西国道回りでは交通量が多いので、亀岡から山陰道で京都に入ろうと思います。
老ノ坂・沓掛の大枝・丹波口コースで、京に攻め上がる予定です。
僕のことだから、寺社に寄り道しながらになりそうなので、どうせ時間がなくなるから早朝出発しなくちゃ。

「老ノ坂峠」越え・・・
1582年、明智光秀が本拠丹波亀岡(当時は亀山)から、備中高松城をめぐって秀吉vs毛利の攻防戦に応援に向かうこの坂に着きました。
ここで「敵は本能寺にあり!」を全軍に下し、織田信長を自刃に追い込みました。
信長が囲む敵を光秀と知り、囲みの突破を諦め「是非もない」と覚悟を決めました。
名場面です。
これで、戦国時代を席巻した信長時代が終わり、戦国時代も終わりました。

少し時代を遡ると、足利尊氏が丹波亀山の篠村八幡宮に源氏の旗印・白旗を掲げ、集結した軍勢とともに老ノ坂を越えて京市街地に侵入し、鎌倉幕府・六波羅探題を攻め滅ぼした歴史の地でもあります。
これにより鎌倉時代が終わりました。

更に遡れば、一旦都落ちした平家が、本拠地西国で勢力を盛り返し、神戸福原まで攻め上ってきました。
後白河法皇から宣旨を受けた源氏・源義経が、搦手軍を率い、老ノ坂を越えて丹波路から平家軍の背後を突き大勝しました。
これにより平安時代・平家時代が終わりました。

もう一つ遡れば、平安時代の大江山の鬼退治伝説に辿り着きます。
武士源氏の祖・清和源氏の源頼光が四天王(渡辺綱・坂田金時(金太郎さん)・・)を率いて、時折京を荒らす鬼・酒呑童子征伐に向かいます。
京都府北部・丹後の大江山説や、ここ老ノ坂峠説もある酒呑童子の本拠地で、首尾よく酒呑童子の首を上げました。
その首を葬った塚が、老ノ坂峠にあります。
軍事貴族として天皇や法王にかしずき、実力と経済力をつけていった武士台頭の金字塔です。
以前から訪問したかった「酒呑童子の首塚」を訪問してみましょう。

100分de名著 良寛さん

NHK・ETV・水曜日22:00~22:30に、「100分 de 名著」という番組があります。
ちょうど風呂を上がって、毎晩の楽しみ・ヨーグルト・500gを寝床に持ち込んで食べていたり、食べ終わって布団にくるまりウツラウツラしている時間帯です。
この時間帯の番組はよく見ており、たいてい番組終了までに夢の中に落ちます。

火曜日の「先人たちの底力・知恵泉」は、会社経営者などをゲストに、アナウンサーと歴史研究家が、歴史上の人物の生き方や処世術について解説をする。
金曜日の「にっぽんの芸能」は、歌舞伎や文楽・謡曲・踊りなどの舞台中継を、解説の後に流している。
僕の好きな本であったり歴史がテーマなので、興味深く学びながら、でも睡魔には勝てなくて寝てしまう至福の時間です。

12月の「名著」のテーマは「良寛・詩歌集」です。
良寛さんのイメージは、「清貧なお坊さん」「村のこと遊ぶ子煩悩な好々爺」という感じでしたが、生前に多くの漢詩や和歌を遺したそうです。
越後の名主の嫡男に生まれ、名主見習いとして仕事を始めたが挫折し、自分にこの仕事は向いていないと思い家を出たそうで
す。

仏門に入り備中玉島の寺で修行し僧侶になったが、寺の住職にはならず生涯托鉢行脚僧として過ごしたそうです。
庶民の心をつかみ慕われたそうで、物欲がないので住処にも食べ物にも困らなかったそうです。
世間のしがらみに絡まれず、かと言って孤独な修行の道を歩まず、気の向くまま気ままに生きた方だそうです。

僕の職場にも年末になると定期的にやってくる托鉢僧がいます。
玄関先でお経を上げてくれるので、500円持って出てお礼を言って渡します。
タイやミャンマー・チベットのお坊さんは、庶民の厚い信仰によって托鉢で食べている方も多いと聞く。
歌舞伎の勧進帳などもこの托鉢の大掛かりなものです。

中世の日本では、嫡男が先祖代々の職業を継ぎ、他の子は家を出て行く。
才覚のない者は僧になり勉強をしたり、僧兵になったり。
流し僧となり托鉢で生きる者は多かったと聞く。

『炊くほどは 風がもて来る 落ち葉かな』
・・・山中の草庵に居住していた頃、長岡藩主が良寛を城下に招きたいと庵まで用意したが、この句を示し誘いを断ったそうです。
「生活するには、風が運んでく程度の落ち葉があれば十分」という意味ですが、良寛に親しみを覚える市井の人が多くいたので、言えばもらえるし、言わずとも持ってきてくれる生活だったようで、きままなそちらの生活を選んだということです。

『盗人に 取り残されし 窓の月』
・・・この日の放送で一番唸った(ニコリとした)のが、これです。
良寛が寝ている草庵に泥棒が入った。
泥棒は庵の中を物色したが金目の物は何もない。
その時良寛は起きており、こんな貧乏草案に入らなければ食べていけない泥棒の身の上を案じ、わざと寝返りを打って布団の外に出て泥棒が盗りやすいようにしてやった。
泥棒はせんべい布団を担いで出て行った。

その後縁側から外を見ると、綺麗な満月が何事もなかったように浮かんでいた。
「せんべい布団は盗られても、こんなに美しい月は盗られなかったな」・・・なんて、笑っている良寛さんの姿が浮かんだ。
実に痛快・・・こんな生き方をしてみたいものです。
これは子供の頃、絵本で読んだ記憶があるぞ。

良寛さんはいつも庶民の中におり、そこで見たことで、自分の生き方の戒めにしないといけないと思ったことを短冊に書き、草庵の壁に貼っていたそうです。

『人のもの言いきらぬ中に物言う』
・・・つまり話の腰を折るということ。
こういうことってありますよね。
僕も人の話しは最後まで聞こうと注意しているが、あまりに長かったり繰り返しだったりした時、これをやってしまうことがあります。
反対にこれをされたら、黙ってしまいその人の会話を止めたり、無視して話の区切りまで話し続けたりしてしまいます。
されるととても嫌な行為なので、おしゃべりな女性とは付き合わないようにしました。
母が機関銃しゃべりの人だったので、いつも最後は喧嘩になっていました。
おしゃべりな人はとかくこういう人が多い気がする。

こういう人と結婚したらとても不快な人生になると思ったからです。
結婚前の僕は、同世代の女性と付き合う時、いつも「この人と結婚してもいい」という気持ちで会っていました。
古風かもしれないけど、遊びで女性とは付き合えない性格です。

自分のために草庵に戒め短冊を貼っていたのですが、遊びに来た村人がそれを解説してもらい、自分の行動を戒めたのだとか。
学のあるお坊さんが上から目線で説教するのではなく、こういう形で自然に「品性ある生き方」を庶民に流していったのが、良寛さんの人気の秘密でもあると解説されていた。

サンタさんの季節 2/2

サンタクロースの存在を否定する方もいますが、僕は人には見えない形で生き続けていると思っています。
父から子へ・・・更にその子へ・・・と、誰にも強制されずに自発的に、子供の時に心に灯った「サンタさんが今年も来てくれた」が、
父親になって父から受け継いだサンタさんの意思を我が子へと。

僕は3年間通った幼稚園で、毎年サンタさんからクリスマスプレゼントをもらいました。
教室にいると、いつの間にかサンタさんが現れ、プレゼントをもらって大はしゃぎしている間に、煙のように消えていくのです。
サンタさんが何処に行ったのか、みんなで走り回って探しましたが、一度も見つかりませんでした。
しかもそのプレゼントが、少し前に幼稚園で描いた絵がクッションになっていたもので、とても不思議に思いました。

サンタさんが存在しないことを知るようになった小学校高学年になり、両親にさんざん幼稚園の時のプレゼントのことを聞きましたが、知らないという。
僕の幼稚園は横のつながりが続き、大人になっても同窓会を続けています。
もう僕にも子供が出来た頃の同窓会で誰かが、「あれ、うちの母親が作ったそうや。とうとう白状した」と聞きました。
薄々気づいていましたが、みんなの共通の疑問だったので、大盛り上がりをしました。
それまで、誰の母親もサンタクロースの真実を白状しなかったのです。
それから数年後、還暦過ぎた母がとうとう教えてくれました。
幼稚園に親が呼ばれ、生涯子供に教えないようにとかん口令を敷いたそうです。

僕は大学生の時、その幼稚園の保母さんをしていた同級生に頼まれて、そのサンタ役をやったことがあります。
直接幼稚園に来ないことと言明され、近くに着いたことを電話すると保母さんが来られ、園内部の保母さんと連動し、完璧に園児の目からガードされて園に入りました。
絶対に言葉を口にしてはいけません。
目しか見えないように衣装し、数人の保母さんにガードされながら、本の読み聞かせに集中してる園児のいる部屋に入りました。

いつの間にか部屋にいるサンタさんを見て、狐につままれたような顔をする園児。
そして先生に名前を呼ばれて、こわごわサンタに近づく園児・・・サンタからプレゼントを受け取る時、僕を覗き込みます。
一斉にプレゼントを開く大歓声の間に、再び先生たちにガードされながら部屋の外に出るサンタ。

誰かがサンタのいない事に気づき、大騒ぎになります。
サンタの行方を探す大騒動の間中、押し入れのような場所に身を隠す僕。
やがてお昼寝の時間になり、全員が寝静まってから園を後にしました。

こんな貴重な体験をした大学時代を終え、我が子へのクリスマスプレゼントを考え、クリスマスイブの夜にそっと枕元に置くようになり、『サンタクロースは、ここにいる』と確信しました。
紀元4世紀の東ローマ帝国にいた本物のサンタさんが、たった一人で始めた素敵な物語が、数世紀を経て今は何人に増殖しているでしょう。
綿々と多くのお父さんがサンタを経験し、次世代に伝承しなす。
毎年クリスマスの時期になると、お父さんから無言のうちに伝わったサンタクロースの心が、次のお父さんの心の中でムズムズと活動し始めます。

その心の増殖が、以前よりほんのちょっと素敵な世の中を作ってきました。
そして来年は、またほんのちょっと素敵な世の中にしてくれるでしょう。

34丁目の奇跡

サンタさんの季節 1/2

12月に入り、短いスクーター通勤の間にも、電飾されたクリスマスツリーや、そりに乗ったサンタさんがキラキラ光って壁を登ってる家が楽しませてくれます。
僕も、息子たちが小学生の頃から、2Fベランダをピカピカ輝かせたり、玄関に電飾サンタさんをぶら下げたりしていました。
電飾サンタさんは、今でも現役ですし、ご近所には、話題になるほどデコレートされた家があります。

「日本人は、仏教式葬式をして、クリスマスで大騒ぎしながら、お正月は初詣をする」節操の無さ・・・なんて言われる方がいますが、日本古来の神道が八百万の神を祀る文化だから、新たな神様もどんどん取り入れ日本化しちゃう本来の姿だと思っています。

8才の少女バージニアさんが新聞社「ザ・サン」に出した有名な手紙があります。
『おともだちの中に、サンタ・クロースなんかいないっていう子がいるのです。
パパはこう言いました。『「ザ・サン」にそう書いてあればそうだろう。』
どうか本当のことを教えてください。サンタさんはいるのですか。』

これに対し、1897/9/21「ザ・サン」に載った有名な社説がこれです。
『バージニア、あなたの友達はまちがっています。
その子たちは疑い深い時代の疑いに影響されているのです。その子たちは見えるものしか信じないのです。その小さな心で分からないことは存在しないと思うのです。
バージニア、おとなの心も、子供の心もちっぽけなものです。
この大きな宇宙のなかにあって、人間はほんの虫けらか、アリンコのようなものです。
まわりの果てしない世界にくらべれば、その知恵においても、また真理や知識の全体をつかみとる知性においてもそうなのです。

そうです。バージニア、サンタクロスはいるのです。
人を愛し、許し、つくすことがあるように確かにサンタはいるのです。
このようなものは、生活を美しく、楽しいものにしてくれますね。
ねえ、もし、サンタクロースがいなかったら、世界はつまらないものでしょうね。
バージニアって子がひとりもいないのと同じくらい、つまらないでしょう。
そうなれば、子供らしい信仰も詩も、ロマンスもなくなって、この世はがまんならないものになるでしょう。
目にみえるものや感じられるもの以外の喜びはなくなるでしょう。
子供時代に世界に満ちている光は消えてしまうでしょう。

サンタクロースを信じないって!妖精を信じないようなものですよ。
パパにたのんで、人を雇い、クリスマスイブにサンタクロースをつかまえるために煙突という煙突を見張ってもいいですよ。
でも、サンタが降りてくるのがみえないからといってそれがなんの証拠になるでしょう。
だれもサンタさんをみた人はいませんがだからといって、サンタがいないってことにはならなのです。
この世でもっとも真実なことは、おとなにも子供にもみえないのです。
バージニアちゃんは、妖精が芝生のうえで踊っているのをみたことがありますか?もちろん、ないでしょう。
だからといって、そこにいないという証拠にはならないのです。
この世のなかでみえないもの、みえることができない不思議なことのすべてをだれもが考えついたり想像したりできるわけではないのです。

赤ちゃんのガラガラを破って、なかで音を作っているものをみることはできます。
でもみえない世界をおおっているベールがあって、これはどんなに強い人でもまたそんな人が何人ちからをあわせても引き裂くことができないのです。
信じること、詩、愛、ロマンスだけが、そのカーテンを引いて、そのむこうにある素晴らしく美しいもの、輝きをみることができ、描くことができるのです。これはみんな本当でしょう。
ねえ、バージニア、この世のすべてにおいて、なにもかもが本当でそして永遠なのです。

サンタクロースがいないなんて!なんてことでしょう!サンタはいますし、永遠に生き続けます。
これから千年間も、いや、バージニア、一万年の十倍も子供のこころを喜ばせ続けるでしょうよ』

僕はこのDVDを持っており、毎年12月になると観てしまいます。
34丁目の奇跡

12/6・映画「レインツリーの国」

玄関を開けると、家内から「お帰り、ビッグニュースよ」って明るい声が返ってきました。
「たーくん(次男)から電話があってね、妊娠検査薬に妊娠反応が出たんだって」
これは大変なビッグニュースです。
まだお医者さんに行っていないようなので、妊娠反応が出た喜びを誰かに言いたくて実家に掛けてきたのでしょう。

ヨットの片付けと着替えをしながら、長男のお嫁さんが第2子を妊娠中で出産予定日が4月だから、予定通りなら同じ学年になるな・・・2家族で遊ぶ時、楽しそう。
僕の弟とは年齢が6才離れており、僕が早め・弟が晩婚だったので、従兄弟の年齢が10才以上離れました。
家内の姉の3人の子達とはうちの子達は、年齢が近く6学年で5人だから、2家族でキャンプやスキー・果物狩り・潮干狩りなど、よく遊びました。
中学生になると法事ぐらいしか交流がなくなりましたが、今でもフェイスブック友としてその配偶者も含めてみんなでわいわいやっています。
うちの子達の息子たちも、そんな感じになるといいな。

長男の2人目の無事の誕生を願って蛍光マリア様に毎朝晩お祈りしているのですが、2人分お祈りしなきゃとか、ハッピーワードが飛び交います。

5時過ぎに通勤リード110に乗り、映画館に向かいます。
チケットを買うために家内から映画カード・5000円分をもらいます。
5月にしてもらった還暦の祝いで、息子たち夫婦からプレゼントされました。
残っていた300円を使い切ります。
目的の映画の表示を見ると、「字幕版」と書かれています。
内容を見ずに原作・有川浩だけを見てこの映画にしたのですが、英語版なのかな?違う映画と間違えたかな?なんて不安になりながら2人分購入。

家内の所に戻る間に入館案内放送があり、そのままシアター内に入りました。
この時間帯ならいつもお客さんがまばらなのに、意外に入りが良く1/5ぐらい埋まっています。
僕らが座った劇場中央部の一列では、半分席が埋まっています。
知らない名前の俳優が主人公なのに、びっくり。

日本語の映画でしたが、本編が始まってすぐに、何故日本語字幕スーパーが入っているのかわかりました。
ヒロインが感音難聴の方だったからです。
このヒロイン・「西内まりあ」さんが、とても綺麗な方で「大当たり!」でした。
ヒーローはどうでもいいけど、ヒロインは美人が良いです。
全く知らなかった方だけど、これからグイグイ人気が出そうです。
モデル出身なのかもしれませんが、演技が自然で僕は見ないけど民放トレンディードラマなどを経験された方かもしれません。

西内さんを観るだけに映画を見ても損はないです。
アップにも素肌が堪え、知り合った時の家内のお肌のシミひとつ・ニキビ跡一つ無い人形さんのようなきめ細かい美肌が想像されます。
美声美人やお肌美人に僕は弱いです。
綺麗なお肌の持ち主は、バランスの良い食生活・早寝早起きの励行が想像できます。
大収穫でした。

流石に有川浩さんの原作だけあって、クリスマスに相応しいラブストーリーでした。
本編が終わり、主題歌が流れます。
エンドロールのクレジットタイトルを見ていると、主題歌を歌っているのが、Kis-My-Ft2という知らないグループです。

明るくなり、家内に「ヒロインさんが綺麗だった」の感想を言うと、「ヒーローさんがジャニーズ事務所の方だ」ということを教えてくれました。
「Kis-My-Ft2というグループに所属し、彼の人気目当てでお客さんが多いと思うよ」ということも。
回りを見渡すと、お若い女の子の2人組がとても多い。
お客さんの90%が女性客でした。
改めてジャニーズ系の人気にビックリです。

ラブストーリーを観ると、家内がより好きになっちゃいます。
劇中の手を握るシーンに、僕が初めて家内の手を握った時を思い出したりします。
何度か昼食を食べた後、家内のゼミ友の家に行くのにおじゃま虫しました。
ゼミ友さんのBFくんが僕の中高の同級生だったので、強引についていきました。
並んで歩いていた時に前方の横断歩道の信号が点滅しだし、パッと家内の手を掴んで走りました。
横断歩道を渡った後も離さなかったんだよね。
ラブストーリー好きの僕は、お若い女子同様、女性ホルモンが多めかも・・・

帰りのタンデム中も帰宅してからも、素敵だった映画と、次男からもたらされたビッグニュースの話題で盛り上がり、素晴らしい1日が終わりました。

12/6・大学ヨット部卒業生と神戸港へクルージング

コーチしてる大学ヨット部の卒業生クルージングの日です。
卒業生たちを招待し、卒業後もヨットに親しんで欲しいと思い、毎年恒例行事にしています。
9時に駅でピックアップし、10時出艇予定です。

4時に目が覚めゴソゴソし、クリスマスの季節にお似合いのラブストーリー映画がないかな?と調べました。
「見てよかったランキング1位」の「レインツリーの国」という映画が、ハートウォーミング系で良さそう。
原作を読み映画も観に行った「県庁おもてなし課」「阪急電車」と同じ原作者・有川浩さんの作品です。

5時に家内が台所に入り食事・炊事・洗濯を始めたのでおじゃま虫しに行きます。
家内の予定を聞くと、お歳暮のあれこれのために大阪伊勢丹デパートに行き、昼ごろ帰宅するそうです。
「じゃあ、映画に行かない?」「いいよ、何時?」「17:30、17時に帰ってくるから、一緒にバイクで行こう」で、約束成立。

8時前に、家内を乗せて駅まで送ります。
そのままハーバーに行こうと思ったら、船のメンテ作業工具を忘れたのに気づき、一旦自宅に戻ってから再出発しました。

R171を西進し、8:30にJR西宮駅北口到着。
「司馬遼太郎・街道をゆく・8」を取り出し読み始めます。
ゲストは4人ですが1人がトイレで途中下車したそうで、8:59に「ファミリーマートJR西宮駅北口店」で、「エビマヨ・120円」を昼食用
に購入しました。

全員揃って、車でハーバーに向かいます。
9:16、新西宮ヨットハーバー着。
すぐに船に向かいます。
桟橋でスイングが出艇作業中だったので、レースですか?と聞いたら、ヘリーハンセンカップだそうです。
そういえば、僕が所属しているドラゴン級のフリートにも参戦のお誘いが来ていました。
うちの艇は、レース海面が遠いので参戦見合わせになりました。

船に乗り、エンジン始動。トイレ確認。ロープを外して、9:45桟橋を離れます。
共同オーナーの先輩から仰せつかっていた作業の部品が見つかりません。
クルージング中に作業しようと、ボンドやヤスリ・ノコなど工具を持って来たのに出来そうにありません。
仕方ないので後日の宿題にしました。

東の風2~3m/sほどです。
セイルを揚げますが、ブローが切れるとエンジン始動で機帆走です。
ヘルムスは学生に交代し、僕はおしゃべりするだけです。
大阪湾に出て、神戸空港島と神戸を結ぶ神戸空港大橋の下を、11:17くぐります。
神戸空港~関西空港高速連絡船が走っています。

11:36、神戸港に入ります。
神戸港~明石海峡大橋・帆走型観覧船が走っています。
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11:57、大型クルージング船は横付けされていませんが、特徴的なデザインの神戸オリエンタルホテル横。
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そこでUターンし、モザイク沖~川崎重工業のある西海岸沿いに走ります。
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ドッグでは大型貨物船の建造中で、艦橋を脚組で覆われた潜水艦も入っていました。
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整備中なのかな?

12:44、神戸港を出ると西に明石海峡大橋が綺麗に見えていました。
冬の澄んだ空気に入れ替わっているようです。
また神戸空港大橋をくぐり、ヘリーハンセンカップレースを横目に、西宮尼崎港内に入りました。
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次男の後輩の兵庫ジュニアヨットクラブの子達が、OPで練習をしていました。

レースを終えたレース艇が次々に帰ってきます。
ドラゴンも数艇帰ってきて、先輩の艇とミートとしたので挨拶しました。
15:30桟橋着。
片付け・デッキブラシで掃除をしていると、さっきミートしたこの船の共同オーナーの先輩がやってきました・・・あれやこれや。

いつもならハーバーレストランでお茶して解散なのですが、1時間着艇が遅れたので、映画の時間を考えると余裕がなくなりました。
9:16~16:05、新西宮ヨットハーバー駐車料金・800円。
そのまま車に乗り、JR西宮まで送って行き、17時前に帰宅しました。

12/4・ペダル無し自転車確保&幼児用プロテクター購入

昼休みに、「サイクルベースあさひ」に行きました。
注文していた幼児用ペダル無し自転車・「キッカーアバンストレイニングバイク」を取りに行くためです。
車でないと運べないように思ったのですが、自宅に戻るのが面倒で通勤リード110を乗り付けました。
組み立て前の箱入りです。
厚さがないので横置きにすれば、多少横にはみ出るもののノープロブレムでした。

残金5980円(前金3000円支払い済)を払いました。
OGKのかっこいい僕ら夫婦とお揃いのヘルメットは春に購入済なので、プロテクター(膝・肘)1580円を追加購入し、フルセット揃いました。
去年は僕とわからないようにサンタ衣装に変装し、息子たち家族が泊まってる実家の玄関から入って行ったら、サンタを知らない嫡孫君に泣かれちゃいました。
横にいた次男の足の裏に隠れて身を守っていました。
今年はサンタさんを学習してるかな? またサンタさんからのプレゼントにします。
こういうことするのが大好きです。
プレゼントというものは、もらうよりあげる方がより多く楽しめますよね。
早くお正月休みが来ないかな?

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次男から電話が入ったようで、家内がイソイソと次男の部屋からアルバムを出していました。
今月20日に次男の結婚式が迫りました。
式場との打ち合わせがほぼ終了したそうで、本格的に新郎新婦紹介ビデオの製作に取り掛かるようです。

長男同様イベント好きなので、こういう制作物は全部自分で作ると思います。
デザイナーなので、長男の結婚式のウェルカムボードも洒落たのを作っていました。
母親譲りか、会社のイベントの司会をやり、その時の共同司会者だったのがお嫁さんです。
僕が挨拶した大学ヨット部員同期の結婚式の司会や横断ボード製作・設置もやっていました。
ビデオでは、次男のセンスを見せてもらおう。

僕が写した写真は、夏の帰省の時にたくさん持って帰りましたが、学校行事の写真がないので、それの所望でした。
そういえば、僕も式の最後に挨拶しなければなりません。
お嫁さんのお父さんも喋りたいんじゃないかと思い、先方に問い合わせましたが得意でないらしく、その時間は要らないそうです。
僕は、部下の結婚式の主賓の挨拶とか、ヨット部選手カップルのコーチとしての挨拶など、いろいろ結婚式で挨拶してきました。
我が子の結婚式の挨拶の最後なので、大いに楽しみましょう。
ジュニアヨット・高校大学ヨット部時代の部員の殆どを知ってるので、長男の結婚式以上にホーム感が強そう。

明日は、コーチしてる大学ヨット部卒業生クルージングです。
卒業生をセーリングクルーザーに招待しています。
芦屋沖・神戸空港沖の天気予報は「曇り・NE4m/s・気温12℃」になっています。
神戸港にでも行こうかな?

「あの日に帰りたい」 ニコラス・スパークス ソフトバンク文庫 ★

ニコラス・スパークスです。
年1冊のペースで新著を出していた頃、新刊を待ち構えて読んでいましたが、数年間が空いたので文庫本化された未読のラブストーリーが2冊出ていました。
すぐに2冊とも購入しました。

意味ありげな第三者目線のプロローグから始まり、本文の始まりからグイグイ物語に引きこまれました。
「次はどうなるんだろう?」の興味で、3日で読んじゃいました。

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「それで・・・」ブレンダが期待するように切り出した。
「それで・・・?」サラは彼女が何を聞きたいのか正確にわかっていた。また静かになった。
「それで・・誰かについて何か知りたいことはない?」ブレンダが催促した。
「そうね・・・」サラは考えるような仕草をして、首を振った。「特にないけど」
「そう」ブレンダは落胆を隠さなかった。
サラはその巧妙な誘いかけに微笑んだ。「でも、1人だけ少し聞いてみたい人がいるわ」
ブレンダの顔がぱっと明るくなった。「そうこなくっちゃ」早口で続けた。「何を知りたい?」
「考えていたのよ・・・」サラは口をにごし、ブレンダはクリスマスプレゼントの包み紙を開ける子供のような顔になった。
「あの・・・」サラは周りを見てから答えた。「あの・・・ボブのことを教えてくれない?」
ブレンダは口をポカンとあけた。「ボブって・・・用務員の?」
サラは頷いた。「ちょっとかわいいじゃない」
「74才よ」ブレンダはまだ驚きから覚めなかった。
「結婚してる?」
「もう50年もね。子供が9人いるわ」
「まあ、それは残念だわ」サラが言うと、ブレンダは目を丸くした。
サラは首を振り、少し上目づかいに、イタズラっぽく見を輝かせてブレンダを見た。「となると残っているのはマイル
ズ・ライアンしかいないみたいね。彼のことを教えてくれない?」
その言葉が頭に染みこむと、ブレンダは慎重にサラを眺めた。
「あなたのことをよく知らなければ、からかわれてると思うところよ」サラはウインクした。
「よく知らなくても大丈夫よ。だってそうなんだもの。わたし、人をからかう悪い癖があるの」

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小学校に新しくやってきた教員・サラと、古株のブレンダの会話です。
ブレンダの旦那さんはこのノースカロライナの小さな町の保安官で、マイルズは2年前に事故で奥さんを亡くし子育てに追われる副保安官です。
そしてマイルズの息子は、サラの生徒。
ブレンダ夫婦は、まだ若い2人がお似合いだと思ってる。

洒落た会話です。
いつも日本語訳を手掛ける雨宮泰さんの訳が素敵なのか、心がほんわかしちゃいます。
本文を終え、最後の「感謝の言葉」にこう書かれていた。

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これまでの小説同様、素晴らしい妻・キャシーに感謝しなければ怠惰のそしりを受けるだろう。
12年、そしてまだ元気いっぱいだ。愛しているよ。
5人の子供たちにも感謝したい。
マイルズ、ライアン、ランドン、レクシー、サヴァナ。子供のおかげで家にいられるし、それより何より、面白くて仕方がない。
ラリー・カーシュボームとモーレン・イージェンはずっと素敵に僕の仕事を支えている。
2人に感謝を。(追伸:2人共この本で自分の名前を見つけてほしい!)

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作者は、アメリカ南部の東海岸の州・ノースカロライナの田舎町に住み、そこを舞台にした作品を世に出し続けている。
フロリダの少し北で気候も温暖な住みやすい地で、全米に愛のある穏やかな風を送り続けている。

僕も家族に感謝している、特に家内にはいくら感謝の言葉を並べても足らないくらい感謝している。
僕に素晴らしい子供たちをプレゼントしてくれて、彼らは、生まれてからずっと僕を楽しませてくれている。
とてもよい気持ちにさせる、おすすめの小説です。
絵画が頭に浮かぶシチュエーションで、歯が浮くような言葉が散りばめられ、主人公にもどかしさを感じながらドキドキしながら読み進めるラブストーリーは、最高じゃないか・・・
クリスマスの季節に、ラブストーリーを・・・

「大東亜戦争を知らない日本人へ」 田母神俊雄 ワニブックス ★

航空幕僚長を、不適切論文発表により更迭された田母神さんの本。
学校で教えてもらわなかったこと、現代でも意図的に隠されてマスコミが報道しないことがいろいろ書かれていた。

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私があるTV番組に出た時、「大東亜戦争という言葉を使わないでください」とディレクターから釘を刺された。
大東亜戦争という名称は、かつて日本政府が閣議決定したもので、使ってはいけないとはどういうことだと抗議し使ったら、放送時
に全て削られていた。
いまだに、(GHQの言論統制が利いており)使えないのである。

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2008年、中国の胡錦濤主席が来日した時、「南京事件の真実を検証する会」が公開質問状を中国大使館を通じて送っている。
・毛沢東主席は、生涯たった一度も「南京虐殺」に言及していないのはなぜか?
・中国国民党軍は、南京戦を挟んだ1年間で300回、外国人向け記者会見を行っているが、ただ一度も「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないのはなぜか?
・国民政府国際問題研究所監修の書によると、南京の人口は日本人占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヶ月後25万人と記録されている。この記録から30万人虐殺などありえないのではないか?
・この書に、日本軍の非行と訴えられたものは26件、しかも目撃されたものは1件のみと記録されている。30万人虐殺と両立し得ないのではないか?
・南京虐殺の証拠とされる写真は、その後の科学的研究によって、ただの一点も証明するものが無いと明らかになったことについてはどうか?
胡錦濤は、この質問に一切答えていない。

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侵略どころか、人種平等を広めた日本。
朝鮮人も台湾人も日本人であった。
陸軍士官学校に入れたし、帝国国会議員にもなれた。
大東亜共栄圏構想は、欧米の植民地政策と根本的に違っていた。
朝鮮出身の洪中将は、フィリピン南方軍総司令官であったので、B級戦犯として起訴された。連合軍側から「君は朝鮮人だから助けてやる」と言われたが、「私は帝国陸軍の将軍である。一切の免罪は必要としない」として、死刑が執行された。

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有色人種を動物並みに見ていた白人たち。
ビルマ戦線で捕虜になった京大卒の会田さんは、ある日モップを持って隊舎に入っていって驚いた。
1人の白人女性が全裸で鏡の前に立っていた。ドアの音に後を振り向いたが、何事もなかったようにそのまま髪をといた。部屋には数人の女声がおり、横になってライフを読んでいる。何の変化も起こらず、会田さんはそのまま床を拭いた。

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日本軍は国際法を順守し、丁重に捕虜を扱った。
戦後「日本が悪い国だった」とするために、あらゆる嘘が作られた。
アメリカ軍は、捕虜にする前にほとんど殺してしまうので、捕虜が少なかった。
そもそも人道的であったなら、東京大空襲などするわけがない。

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東京裁判は、戦勝国による復讐劇にすぎない。
これは少し考えればわかることだが、裁判は裁かれる事案が起こった時点で存在した法律によって行われなければならない。
戦後に作られた条例で、戦中の罪を問うのは「法は遡れない」の大原則に明らかに違反した「事後法」である。
また東京裁判の節目となる日付に着目すると、A級戦犯が起訴されたのは、1946/4/29当時の皇太子殿下(現天皇陛下)の誕生日です。
これは偶然ではなく、「天皇陛下をいつでも捉え死刑に出来る」というアメリカからの脅しである。
天皇陛下は、誕生日を迎えるたびにこの裁判のことを思い出す、ひどい仕打ちだ。

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番外編として、「徳川家康 将たるもの、我慢を重ねて勝機をつかむのが肝要」や、「アメリカと秘密交渉すると必ず負ける」の章があった。
「これは大事な話だから、関係者を限定して秘密が漏れないようにしましょう」、戦前この秘密交渉に乗ったばかりに、中国からの撤兵要求を含む「ハル・ノート」が突きつけられ、日本は開戦の道しかなくなってしまった。

アメリカの陸軍長官ヘンリー・スティムソンは、「如何に日本側から最初の攻撃の火蓋を切らせるような立場に彼らを追い込むかが難しい命題だ」と日記に書いている。
日本に最初の一撃を撃たせることで、「戦争に介入しない」と宣言して大統領になったフランクリン・ルーズベルトに口実ができる。

その他、共産主義コミンテルン要員が、中国はもちろんアメリカ中枢にも多数入り込み、ハル・ノートそのものも、彼らの作成物であったということが、現在は白日の元になっていると、具体的事例で示されていた。

僕の知らなかった大東亜戦争の真実を知る良い機会になった。
世界の腹黒さをしっかり理解し、随時対処していないと再び戦禍に巻き込まれかねない。
国際感覚に明るい指導者が望まれる。僕の孫くんに期待したい。

お父さん・お母さんといっしょに読む論語

易経の勉強に月1で出かけているので、易経の本が数冊テーブルに積んでありますが、論語の本も読むようになりました。
最初は、母が読んで本棚にあった「渋沢栄一 論語の読み方」を読みましたが、日本最古級の学校・足利学校から教科書を取り寄せるようになりました。
平安時代に創設された関東最高学府だったそうです。

漢文で原文が読めるはずもなく、「論語抄」や「かなろんご100」などの初級本を読んで、「当たり前のことだけど、いいこと言ってるよなあ」と興味が深まり、小学生向けの「お父さん・お母さんといっしょに読む論語」を足利学校から取り寄せました。
論語から抜粋したたった30篇を小学生でも理解できるように解説した本で、足利学校の教科書です。
全ての漢字にふりがなが振ってあり、小学生なら誰でも読めます。
これを読みだして半年、小学生の道徳の時間に教科書とすればいいなと思うようになりました。

最初に書かれている論語は、『学びて時に之を習う、亦た悦ばしからずや』・・・繰り返し勉強しよう・・・
解説:孔先生の言葉 先生やお父さん・お母さんから教えてもらったことを、そのままほったらかしにしないで、勉強できる機会があれば、その時をのがさずに、何回も何回も同じことをくりかえして勉強しましょう。すると、その教えてもらったことがよくわかるようになり、自分の知識となります。知識がたくさん身につけば、それはうれしいことではないでしょうか。

僕の最も好きなのは、
『故きを温めて、新しきを知れば、以って師たるべし』 ・・・自分の知識を高めてどんどん活用しよう・・・
「解説:孔先生の言葉 古い昔のことをたくさん知って、心の中に大切にしまっておこう。そしてその中から、今使えるものを選び、活用するような生き方をする人は、人の模範となることのできる人です」
です。

1日1篇ずつ音読し、教室で読んで感じたいろんな意見を出せば、1時間授業が成り立つように思います。
寺子屋や藩校で教科書とされた論語・・・明治維新時、世界一の識字率を誇った日本人を育て、凛とした品性を醸成した素晴らしい道徳書・処世の書がここにあります。

マイナンバー

マイナンバー通知封筒が届きました。
家内から「私のは届いていないの。選挙投票通知のように、2人分入ってるのかな?」と言いながら封筒を渡されました。
開封すると、家内のも入っていました。
いつも僕への手紙でも開ければいいと言ってるのですが、僕宛の郵便物は決して開けません。
怪しい僕の秘密を知ってしまい悩むのが嫌なのかもしれません。
僕はモテないし、綺麗なお姉さんがいるお店に行くこともないので、お誘いの手紙が届くこともないのに・・・

まあ、僕も家内の私物には手を掛けません。
相手の携帯電話を覗いたりするドラマがありますが、あんなこと出来ません。
何かが目に入っちゃったら・・・

結婚する時、「BFさんとの想い出のラブレターとか写真を持ってきたらいいよ、僕も捨てないし。いつでも見ていいよ」と言いました。
僕の想い出はトランクに入っており、家内のは箱に入っています。
いつでもお互いにそれが見れるけど、見たことはありません。
「あなたが亡くなったら、トランクを開けて、やきもちを焼いてあげるわ」と言われています。

世の中には知らない方が幸せに暮らせることが多いです。
健康診断して、早期発見なんてされたら、いろいろ悩まなければなりません。
とことんあかんようになって、「もうダメですね」の方が長く幸せな時間がある気がします。
数十年前以前の人は、みんなそうだったんだし・・・。

家内はよくモテるので、「電車で痴漢にあった」「仕事の会合で駅まで手を繋がれた」なんて気にしていたら、あの人の旦那なんてやってられません。
取引先の若手セールスマンにプライベートなお誘いを受けたり、元カレから電話が入ったり家内の仕事場にやってきたり、旦那の僕が感心するほど男性にモテます。
女性は異性に誘われて美しくなり磨かれると思うので、「誘われたの~」なんて言ってきたら、「行っといで、べっぴんさんで行きや」と、ニコニコ送り出します。

僕に言ってくるということは、「安心できる相手で、行きたい」と思ってるからです。
こんな僕だから、家内はなんでも話してくれます。
これは息子たちに対しても同じなので、学生時代に女の子と旅行することも事前に言ってきました。
反対されないのを知ってるから、安心なのでしょう。

過去一度、セールスマンの車に乗る家内を激写され、その写真で家内が脅されたことがあります。
「旦那に見せるぞって脅迫されちゃった、ごめんなさい。見せてもいいよって答えちゃった。写真を見せられるかもしれないよ・・・」と恐縮されて報告されたことがあります。
「ぐは~、芸能人みたいじゃない。よっしゃ、警察に突き出してやるわ」と待ち構えていたのですが、全く同様しない家内の態度に諦めたのか、そのままになりました。
脅迫したのは家内の職場の近くの安アパートに住むおっちゃんで、それ以来僕を避けるようになり、消えて行きました。
小心者です。

旦那がおり、経産婦と知りながら、プロポーズされたこともあります。
職場を出るとそこにスーツを着て花束を持った相手さんがおり、みなさんの前でプロポーズされました。
この時はちょっと怪しい相手に思え、しばらくサンデー毎日な父親が職場まで迎えに行っていました。

ラブストーリー・ドラマでは、交際相手が信用できず詮索したり尾行したり、いちいち心が揺れ動き、くっついたり離れたりのハラハラ・ドキドキが続きますが、小細工したってアカン時はアカンもんです。
学生時代、家内の前に付き合っていた同級生のGFさんに振られた時もそんな感じでした。
僕と同学部・同学年一番の美人さんなので目立ち、友人から「知らん奴と手をつないでいたぞ」なんて報告を受けていましたが、僕はスルーしていました。
クリスマスイブの食事を予約していたのですが、電話で「ごめんなさい」とキャンセルされました。
「あなたがクラブで忙しくて毎日会えないから・・・。好きな人が出来ちゃったの。これからはお友達で・・・」と言われちゃいました。

その後は卒業までお友達が続き、卒業後にその彼氏と結婚しました。
家内と知り合った時も、ちゃんと彼女に話しました。
学部は違うけど同じ大学なので、卒業アルバムで家内を見て、「綺麗な方ね、お幸せに」と、祝福の言葉をもらいました。
もしあの時、友達から聞いた「手をつないでいたこと」を追求していたら、ドラマのように修羅場になっていたかもしれないし、お互い美しい青春の1ページにならなかったかもしれません。

クリスマスの12月になると、毎年思い出しちゃいます。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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