11/29・7回忌法事

母の7回忌です。
父はその2年前に他界し、僕ら夫婦の両親が亡くなってからこんなに日が過ぎました。
今回は弟夫婦・娘と僕らだけ5人での法要です。
長男は、会社で目を掛けている後輩の結婚式で来れません。
次男夫婦は、3週間後に迫った彼らの結婚式に向けてその準備に余念がありません。
弟の息子は受験生なので、そちらを頑張ってもらいましょう。

いつものように夜明け前に目覚め、あ~だこ~だ時間を潰し、隣の実家から母の遺影と位牌を持ってきます。
8時過ぎにTVを見ながら朝食を食べ、そのままTVを見ていると、9時過ぎに「私は用事があるので、ちょっと早く行くね」と家内が言ってきました。
「じゃあ送っていくよ」ということで特急で着替え、9:30に家を出ます。
駅前で家内を降ろし、すぐ近くのお寺さん前の駐車場に車を入れます。

遺影やお供えなどを車からおろし、本堂前に置きます。
法要の始まる11時までまだ1時間以上あるので、ブラブラしていると副住職さんが普段着で出てこられました。
「本堂に入っていてください」
「はい、住職さんはどうですか?」と声をかけると、その後のご様子を教えてくれました。

母は物覚えが悪くなり、帰る家がわからなくなったりしたらどうしようかと家内と話していた時に亡くなりましたが、共通するところがありました。
奥さんが健常な時と同じように接するので喧嘩になったりするが、娘さんである副住職さんの奥さんが接すると素直だとか。
こういうところは、男の子より女の子だよなあ。

本堂に入り、遺影や位牌などを並べていると、着替てきたた副住職さんが出てこられ、あれやこれやプライベートな話をします。
僕の大学の後輩だと知りびっくり、先週のアメリカンフットボール部の敗戦の話が出ました。
同級生にアメリカンの部員がいたそうで、関心がありました。

僕がヨット部であったことを知ると、親戚の子が伊丹ジュニアヨットクラブでヨットを知り、高槻中高でラグビーをやり、東大でまたヨット部に入ったと話してくれました。
このクラブは僕らが作ったクラブで、その子は僕がヨットを教えた子で、これまたびっくり。
次男はそのクラブの後輩です。
しかも高槻中高は長男の通った学校です。
世間は、実に狭い。

家内がやってきて、弟家族もやってきて法要開始。
11:30に法要が終わり、遺影や位牌・お供えを車に載せ、お墓を目指します。
12:30頃、r13~r12で霊園到着。
冬なので雑草は伸びておらず、墓石を拭って、墓石前の置き石にお供えを並べ、線香をあげて墓参り終了。

r12~r319~r323で、予約していた峠茶屋に入りました。
当初は、木器の「木器亭」を考えていましたが、電話するとこの日は仕出しが多くお店は営業しないということでこちらにしました。
弟は、「山獲・やまどり」を知っていました。
店主がハンターだということを教えてくれました。
ネットで調べたのでしょう。
相変わらずグルメです。

でも、大病をしたので大食いはしなくなり、奥さんの管理のもと見た目で一目瞭然、体重を落としていました。
清涼飲料水などもよく飲んでいたので、一安心です。
高校卒業まで無遅刻無欠席の完全皆勤賞だった弟なのに、僕のように病気ばっかりで1学期皆勤賞が目標だった僕より若い時に心筋梗塞で死にかけちゃいました。
僕の暴飲暴食しない、酒たばこなし、早寝早起きを知っているので、「お兄ちゃんみたいに若い頃に大病した人の方が、結局長生きするんじゃないかな」なんて言っています。

14:30に解散し、弟一家は神戸に向かって行きました。
僕らは「峠のわらび餅屋」か「虎亀」に向かいましたが、「時間があるから、お歳暮を買いに伊勢丹に行こうかな?」という家内の要望で合わせ、r68~r33~r325~長尾山トンネルの定番コースで大阪平野に降り、「阪急山本駅」で家内を降ろし帰宅しました。

風呂に入り、ヨーグルトを食べ、さんまの出演してる番組を見ながら寝てしまいました。
家内が帰宅し、TVの前でまた寝てしまい、起きたら「モヤモヤさま~ず」になっていました。
家内はこの番組が好きです。
前の大江アナウンサーが好きだったのですが。
起きだして夕食を食べ、風呂に入り20時台に寝床に入りました。
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「セイフヘイブン」 ニコラス・スパークス SB文庫 ★

11月は、よく読んでいる。
「大東亜戦争を知らない日本人へ」 田母神俊雄
「武士道」新渡戸稲造
「街道をゆく12・十津川街道」司馬遼太郎
そして、ニコラス・スパークス・・・
今5冊目を読んでいる。

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2013年に映画化された小説の文庫本。
ラブストーリーの大御所・スパークスさんの小説で、プロローグを読んでいると既読感がありました。
舞台がお得意のノースカロライナの海辺の町であるということと、海辺のレストランや裏から海が見えるコテージというシチュエーションがそう感じさせたようです。

そんな片田舎の海辺の町にやってきて、幸運にもレストランのウエイトレスの仕事を得、働き出したケイティ。
彼女はとても美しく、同僚やらお店のお客さんから視線を浴びる。
それを感じて、同僚のウエイトレスが恋をけしかけるのだが、「もう恋はしない」という感じでそれから距離を置こうとしている。

古びた家賃お安い誰も借りようとしない物置小屋を、綺麗にペンキなどを塗るという約束で借りたケイティは、客からもらったチップを秘密の隠し場所に今日も入れた。
いつでもまた逃げられるように、逃避行資金を貯めているのだ。
近所の雑貨屋で、少量ずつ必要な物を購入し、物は極力持たないようにしている。

雑貨屋の主人・アレックスは、珍しく歩いて来店するケイティに興味を持つ。
美人なのに、どこか影があり、無理に目立たないようにしている。
彼女の小包装の要望に答え、新たに仕入れたりして便宜を図っている。

アレックスは、元軍の警察部門に所属し、2年前に妻・カーリーに先立たれ、6才の娘・クリステンと7才の息子・ジョシュを育てている。
2人は父親の仕事中は、いつもその目が届く所にいる。
いつもレジの後ろにいるクリステンは人懐っこく、ケイティに声をかけ友達になっていた。

ある日、レジで清算中に、ケイティはレジ裏から見える恐怖の光景に顔がひきつった。
それを見たアレックスは振り返り、釣りをしていた海に落ちたジョシュを間一髪助けることが出来た。
それに感謝し、ワインをケイティにプレゼントした。
その晩、ケイティの隣に越してきたジョーとワインを頂き、いろんな話をする。
ジョーはこの町出身のカウンセラーで、アレックス一家のカウンセラーでもあったそうで、アレックスの誠実さを褒める。

その後、アレックス親子3人で前かごをセットしたりした店の倉庫で眠っていた自転車をプレゼントされる。
「歩くよりは便利ですよ」のメッセージとともに。
ひっそり目立たず暮らしたいと思っているケイティは、自分に興味や好意を持ってもらいたくなくて、自転車を返しに行った。
でもその自転車の事情を聞いて、乗ることにした。

アレックスの優しさに触れ、懐いてくれる子供たちとの新しい生活はとても楽しいものになっていった。
アレックスは元職の性で、人の心理を読み取る術に長けている。
秘密に怯えるケイティの心を少しずつ和らげ、明るさと笑顔を取り戻させていく。
お隣さんの女友達・ジョーも、アレックスとの関係を応援している。
自分もアレックスに惹かれ、アレックスも結婚を望んでいる感じだが、絶対に結婚はできない。

ケイティは既婚者だった。
北部マサチューセッツ州の都会に住んでいたが、夫である優秀な刑事・ケヴィンは嫉妬心・独占欲が高く、酒を飲んではケイティに暴力を振るう夫だった。
今まで2度家出をしたが、発見されて連れ戻され、とても優しい&ちょっとしたことでの暴力が更にエスカレートしていた。
警察に相談しても夫にもみ消され、今回が3度目の逃避行だった。
今回は他人の身分証明を持ち、別人として生き直す完璧な逃避行のはずだった。
でも優秀な刑事であるケヴィンは、ついにケイティの居場所をつかむ。

町を目指すケヴィン・・・4人で楽しいサーカスの休日を過ごすケイティ・・・。
その夜、アレックスはケイティに子供たちを預け、店を手伝ってくれている老婆の娘さんを空港に迎えに出た。
そのタイミングで、酔っ払ったケヴィンは、アレックスのお店ごとケイティを焼き殺そうとした。

寝ていたケイティは、夢の中のジョーの声に起こされる。
間一髪で子供たちを助けだしたが、外ではケヴィンが待ち構えていた。
そこにアレックスが帰ってくる。
・・・

全てが済み、焼け跡を遠目でアレックスとケイティが見ている。
焼け跡では、消防署員が何かを探している。
やがて、「これですか?」と耐火金庫を取り出した。
アレックスが探索を頼んだものだ。
この中には、死の床にあったカーリーが書いた手紙が入っている。
アレックスへの手紙には、「幸せになってほしい」と書かれ、「もう一枚の宛名のない手紙は、新しいお相手に渡して欲しい」と結ばれていた。

ケイティは、自分の過去のためにアレックスのお店を焼いてしまったので、もうここにいるべきでないと思っていた。
アレックスは「これ(焼け跡)は物だからまた作れる。僕は子供たちも何も失わなかった。そして愛する君と4人で暮らしていきたい。どうするかは、君次第だ」と言ってくれた。
そして耐火金庫を開け、ケイティに「宛名のない手紙」を渡す。

ケイティは、その手紙を持って、隣のジョーの家に向かった。
でもそこは、人の住んだ気配さえ無い。
確かに話をするのは、ケイティの家でばかりだったけど、ジョーがペンキを塗っているのも、ホコリまみれになって片付けていることも見ていたのに・・・。
夢の中にいるような気分で自分のコテージに戻った。
ポーチのロッキングチェアに座って、自分の頭がどうかしたのかと思いながら、「宛名のない手紙」を読みだした。

『夫が愛する人へ こんな手紙を読むのが変だと思うなら、書くのも変な感じがするということもわかってください。
・・・私の名前はもう知ってると思うけどカーリーです。
でも友達からはずっとジョーと呼ばれていました・・・。
どちらの名前で呼んでもらっても構いません。
あなたのことはもう友達と思っています。
この手紙を読み終える頃には、あなたもそう感じてくれると思います。・・・』

11/2・秋の叙勲

毎朝、起きるとすぐ新聞を読みながら朝食を取る家内から、秋の叙勲に僕の中学の時の社会の先生の名が載っていたと教えてもらった。
日本経済新聞をチェックすると、確かに先生が載っていた。

何故、家内が僕の中学の先生を知っているかというと、長男が中学受験する時、僕の母校もその候補だったので、学校説明会に参加しました。
その時の校長がこの先生で、「すごくかっこいい校長先生でね、とても良いお話をされたの。周りのお母さん方も皆さん素敵だと言ってたわ」と興奮気味に帰宅した。
「あ~八チャンか、3年間社会を教わったよ」と答えると、「え~あの先生に習ったの、羨ましい~」とノリノリだった。
僕が所属したサッカー部の顧問でもあったし、同じ市に住んでいたので、日曜日に教会でも会った。
とてもお世話になった先生です。

この先生は、僕が中学に入学した時、まだ若手の先生だった。
母校を卒業し、教職免許を取って母校に教師として帰ってきた。
中学3年間、同じ先生が持ち上がりだったので、ずっとお世話になった。
公立も同じなのかもしれないけど、息子たち2人は中高6年間持ち上がりだったので、私立はこういう学校が多いのだと思う。

この先生の授業は、小学校しか経験していない僕らには「とても変わっている」びっくりポンだった。
中1の1年間は、「アメリカ大統領・リンカーンの伝記」が教科書だった。
「学問は、学校で教えてもらわなくても、いくらでも独学で学べる。知識もいくらでも詰め込める。でも、その知恵をどう使うかが世の中にとって重大だ。同じ知識から、強力な兵器だってできるし、人類全体を幸福にすることもできる」
との考えのもと、黒人奴隷開放をした偉人の生き様を学んだ。
本来の中学社会過程は、あとの2年間で3年分を学んだ。

テストにもびっくりした。
社会のテストといえば、暗記物の「西暦何年にどんな出来事があったか?」や、「この出来事はどういうことか?」を問われるものですが、全く違って設問が1つ、真っ白な答案用紙に1行書かれているだけだった。
中1の1学期中間テストの「開始」の号令でテスト用紙をめくって、「なんだこれは~」「え~」という声が自然に教室内に起こった。

問題は覚えていないが、「・・年に・・という事件が起きたが、それが起こった社会的背景とその意義を述べよ」みたいな、数年後知ることになる大学のテスト問題そのものだった。
いい加減にも回答できるが、答案返却後の解説で、年号や人物名など基本的なポイントが正しく書かれていないと点数にならず、暗記物の要素も網羅されていた。
教科書的な社会的背景や意義を回答しても点数になるが、もっと高い点数になるのは、自分がその事件をどうとらえたかの独創性が述べられている時だった。
30点の奴もいれば、満点の100点をオーバーする奴もいた。
つまり、世間がどう言おうと、自分はどう考えるかの自分視点を持つ大切さが点数に反映されていた。

最初戸惑った社会科のテストだったが、3年間このテスト様式に親しみ、表現する力(国語力)も大いに鍛えられた。
大学付属校だったので、多くのクラスメイトが高校・大学と同じ進学し、70~80%の生徒が同じ大学に通ったが、高校でも大学でもトップクラスの成績を残したのは、中学からのクラスメイトだった。
これは、正解を探そうとするのではなく、この案件をどう考え、どうしていこうかという独創性を鍛えられたからだと思います。

つまり大学入試までの暗記型・知識詰め込み形・模範解答ありき型ではない、正解がどこにあるのかどうか現在進行形の問題をうまく解決していくにはどうすればいいかあなたの考えはどうですか?
という社会に出てから誰でも直面する問題を考える予行演習が出来た。
ETVで時々やってるMITなどの「考える授業」携帯に似ている。

まだ20代の若手先生が、こんな大胆な授業が出来る母校の自由さに、今でも感心している。
母校校長&市の教育委員会委員長在職中に、学校法人が女子中高の経営権を得た。
その学校の経営立て直しで、新しい系列中高の校長として転出された。
その財政的キーマン・事務局長に、僕のクラスメイトを銀行から引き抜き、教頭に僕の1学年上の秀才と名前が知れ渡っていたYさんをこれまた引き抜いて、一気に経営を立て直した。
転出1年目に、僕らの学年の有志(サッカー部員中心)が集まって、先生の激励会をした。

この先生は、中学入学後、ご実家の商売がうまく行かなくなり、家族離散の現実に直面された。
それで学費の安い公立中学に転校すべく、当時の校長先生に挨拶に伺った。
そこでご家庭の事情を聞いた校長は、なんとご自身の自宅にこの先生を住まわせ、授業料の面倒も見て、大学院まで進学させた。

こういう経験をお持ちの先生なので、とにかく熱い。
一度この学校に縁があった生徒が勉学を諦めることにないよう、辛い生徒には親身で接した。
系列校校長に転出される時の激励会で、「同窓会に顔を見せれる奴は恵まれている。家族の不幸や不可抗力などで経済的に辛い人生の奴もいる。そういう奴とも変わらず接することが出来るのが、クラスメイトだ。本人の資質ではなく、運不運だけの問題だ。身近に顔を見せていない奴がいないか?そういう奴にこそ声を掛けてやれ」と、挨拶された。

声はでかいし、人の道に反することをすると、とうとうと説教される。
でも、校則違反であるバス乗車で先生に車内で会っても、「寝坊したんか」と笑顔であった。
この接し方が素晴らしく、根が真面目な奴が揃っているので、二度とバスに乗らないし、噂が広がり伝説になっていった。
怒られた奴は山ほどいるけど、一番人気の先生だった。
おめでとう御座います。

11/26・ペダル無し自転車

昼休みに、車の6ヶ月点検に行ってきました。
トヨタの「プロケア10・5400円」
オイル交換が無料です。
雨が降るかもしれないけど、いつも点検の時やってもらってる「ポリマーウォーター洗車・2160円」(点検時は半額1080円)もやってもらいました。
合計6480円。
どこにも問題はないようなので、また半年安心して乗れます。

トヨタの脚線部が良く声の綺麗なお姉さんが転勤されたのか、お休みだったのか、別の方がおられました。
少々残念。
僕は小心者なので、グラマラスな女性は目のやり場に困るから、おっぱいが小ぶりで細身の竹下夢二さんの美人絵のような方
が好きです。

その後、「サイクルベース・あさひ」さんに寄りました。
幼児用ペダル無し自転車が目的です。
嫡孫君も2ヶ月後の1/17に3才になるので、年末に帰省した時に、クリスマスプレゼントとしてあげようと思います。
長男には、このタイプの自転車をいつかプレゼントすると言ってあるので、了解済みです。

ネットでいろいろ調べると、「幼稚園児なら2時間に乗れるようになる」ムービーが出ていたので、お正月に乗れるようになったらいいな。
まあ、次の帰省期間も入れれば乗れるでしょう。

このタイプの自転車の代名詞は、「ストライダー」なのでそれにしようと思ったのですが、実車を見に行くとブレーキが着いていませんでした。
しかもタイヤが硬質プラスチックみたいな感じだったので、濡れているツルツルの路面などでは滑って転けそうで危ないと思い、却下。

スポーツデポには、「へんしんバイク」というのが置いてあり、あと付けでペダル・チェーンセットが着けられるのがありました。
タイヤもチューブタイヤで高得点です。
でも、子供用自転車なんて乱暴に扱うので、取り外しできるということは故障箇所が多いことでもあるので、候補1に留めました。

トイザらスには、プラスチックタイヤのとゴムタイヤのがありました。
プラスチックタイヤは却下で、ゴムタイヤの方を候補2にしました。
FIXタイプなので、スポーツデポより上位候補です。
でもアメリカ資本企業なので、どうもなあ・・・。
僕は国産信奉者で、海外製でも日本メーカーが噛んでる方が、しょうもない瑕疵がなく、アフターサービスも良さそうなので好きです。
仕事でも、海外メーカーは国内法人でもどこか冷たい紋切り型の対応があり、あまり好きではありません。

「PEDAL」というロードサイド店には、プラスチックタイヤのが置いてありました。
これは却下。
どうやらプラスチックタイヤは、軽いので採用しているようです。

「あさひ」さんの店舗に入り、店員さんにペダル無し自転車を見せて欲しいと言うと、そのコーナーに案内していただきました。
2種類置いてあり、プラスチックタイヤ&ブレーキ無しと、ゴムタイヤ&後輪ブレーキ付きがありました。
ゴムタイヤが今まで見た他の候補より太めで安定感があるように見えました。
渋いレッドメタリックが、色味がとてもかっこいい。
自転車専門店で市内にあるので、パンク修理などで持っていくのが簡単です。
重さは5kg弱で、持った感じも他のゴムタイヤのとほぼ同じです。

こいつに決定です。
嫡孫君はブルーが好きなので、ブルーメタリックがあれば良かったのですが、レッドメタリック・ピンク・ブラックの3色でした。
レッドメタリックがダントツにかっこいいのですが、無難にブラックにしました。

箱入りも組立後のもあるそうです。
箱入りは、サドルとハンドルがバラけており、工具も全て入っているそうです。
素人でも簡単に組み立てられるということだったので、箱入りを買うことにしました。
箱入りをプレゼントし、お父さん(長男)に組み立ててもらう方が嬉しいでしょう。
爺ちゃんなんて、しばらくしたら消えてなくなるからね。
組み立てるとこも、男の子は好きです。

箱入りは在庫がなく注文だそうです。
どうせトヨタでお金を使った後だったのでお財布には3000円しかありません。
それを手付けとして払い、取り寄せてもらうことにしました。
お腹の中の次の子も男の子のようなので、長く使えそうです。
うちで気に入ったら、東京でも買うかもしれませんね。

息子たちの自転車は僕ら夫婦で買いましたが、親父が弟の子達が来た時のために自転車を用意していました。
僕も同じ道だわ。

11/22・ヨット全日本レース 2/2

ここから長い風待ちになりました。
Sさんと僕らKGに取って、この日は甲子園ボウル出場が掛かるRits戦の日です。
5連続学生日本一のKGアメリカンですが、今シーズンはどうもRitsの方が強いという下馬評です。
Hさんは日大出身で、甲子園ボウルがKGvs日大戦になると一緒に観に行くのですが、関東学生リーグで早稲田に負けてしまいました。
いろんな話で盛り上がりますが、海面は無風で鏡のようです。
13時まで風待ちだろうけど、もう出来そうもないなと予想し、バウデッキに寝転がります。

ソヨソヨと南からの風を頬に感じ、顔にかけていた帽子を取って起きました。
13時を回ったので、本部船に近づきます。
ライバル艇から本部船に、「何時まで待つの?」と声が掛かります。
「この風でスタートしたいと思っています」との返事です。
でも南の遠くの海面を見ても、ブローが続いておらず、また無風に戻りそうです。
レースコミティーもわかっているけど、立場上ギリギリまでレースしようとしなきゃね。

スタートマークなどを設置しましたが、予想通り風が落ちN旗でレース中止です。
本部船に引っ張ってもらいハーバーバックになりました。
翌日もレースなので、片付けも要らず桟橋に係留し、メインセイルをブームから外してコクピットに入れます。
まだ16時前で、18:30からのパーティーにはたっぷり時間があります。

一旦自宅に戻ろうかとも思いましたが面倒で、ヨットクラブのトイレでジャケットに着替え、ウェットバーでウダウダします。
KGvsRitsは、30対27でRits勝利のようです。
残念ながら、KG学生日本一6連覇はなりませんでした。
Rits相手に27点取ったオフェンスチームは及第点ですが、30点取られたディフェンスチームは、強力なRitsオフェンスに粉砕されたようです。
KG体育会内では、アメリカンが最も全国制覇回数が多く、続いてヨット部なんです。
ヨット部は今年勝ったけど、アメリカンはダメでした。

17時を回り、今日お休みのうちのチームのメンバーOさんがやって来ました。
Oさんの息子さんも大学ヨット部で、うちの次男のヨット部と琵琶湖で艇庫が隣でした。
そんなこと知らずに、僕がコーチに行った時に監督してた息子さんと話す機会があり、親子で面識があります。
Oさんの息子さんだと後で知り、びっくりしました。

お払い箱になった古いセイルをライバル艇・Suさんの会社に寄付したら、セイルバッグとセイルにプロの画家に描いてもらった絵に変身したと実物を見せてくれました。
セイルに色滲みしないようにベースを塗り、その上に持参した写真・レース中のOさんの勇姿が絵になっています。
70歳の方なので、「俺の葬式に出すんや」と笑っています。
素晴らしい出来で、ライバル艇オーナーさんは、新たな仕事に育てようとしているようです。

18時になり、パーティー会場に移動です。
この日トップを引いた僕の後輩がやってるレストランです。

18:20にパーティー開始。
3人乗りヨットの事務局をしているこのお店のオーナー・後輩が司会進行です。
ヨットクラブ副会長の乾杯の後歓談。
新たにこのフリートに入ってこられた和歌山のチーム・徳島のチームの紹介・挨拶があり、順次各チームの自己紹介です。
Oさんのセイルに書かれた絵の紹介です。
Suさんも出てきて、詳細を披露します。

20:30お開きになり、ジャケットのままR171を一路帰宅しました。
21時なので家内は寝ていると思ったのですが、さんまの番組を見て笑っていました。
風呂に入り、22時前に寝ました。
楽しい1日になりました。
来月のレースには参戦しないので、これで僕の今シーズンのレース活動は終了です。

この2日後、同じ日程でスナイプ全日本に出場していたコーチしてる大学ヨット部の新キャプテンから電話が入り、また1年間コーチをして欲しいとの要請がありました。
こんな僕を必要としてくれる若者がいる。
ありがたいことです。
来年も、自分のレーシングと大学ヨット部のコーチングの2足の草鞋の船遊びが続きそうです。

11/22・ヨット全日本レース 1/2

日曜日は、3人乗りヨットの全日本選手権だった。
3日間レースの中日です。
金曜日の昼休みに、セイルの計測などを終え、レース艇も下架しました。
土曜日のレースはどうだったのかな?
天気予報は、NEの風・3m/s、ちょっと物足りないな。
吹く方に予報が外れるといいな。

朝4時に目覚め、しばらくゴソゴソし、用意をします。
吹くと寒くなるので、最悪の状況を考え、最も暖かいヨット用カッパ上下と、ツバが風でめくれないようにモディファイしたヨット用ハット、サングラスは必須です。
それにプラスし、めんどくさいけどパーティー用衣類。
ドレスコードがジャケット&ネクタイなので、靴も含め防水バッグに入れます。

家内が作ってくれた朝食を食べて、7:15に家を出ました。
車は面倒なので、通勤リード110にバイクカバーを積んで出発です。
R171を快調に走り、8時前にハーバー着。
1日中バイクを置いておくので、カバーを掛けます。

桟橋のレース艇に行き、並んでいる他艇を見ながらうちの艇へ。
ライバル艇のクルーがパラパラ来られます。
9:55スタートですが、防波堤の外がレース海面なので、早めに出なければなりません。

うちの艇のオーナーで、僕が1回生の時のキャプテン・S先輩が来られました。
メインセイルをブームにセットし始めると、クルーのHさんも到着。
ライバル艇に乗る母校ヨット部の先輩方も来られる。
いつものレースの雰囲気になって来ました。

土曜日はNE・5m/sで、8艇中2位・4位だったらしい。
いつもの中位です。
2レース目は第1・2マークをダントツで回ったのに、3レグ目のコースをミスり抜かれちゃったと、ワイワイライバル艇と笑いに花が咲く。
全日本といえど、皆さん余暇としてのヨットレースなので、学生時代のようなピリピリした雰囲気はありません。
部品もクルーも融通し合い、できるだけたくさんの艇でレースを楽しみたい。

ライバル艇が次々に桟橋を離れ、僕らも桟橋を離れました。
風は3m/sほどでレース海面までが遠い。
関西ヨットクラブのレース運営艇が後続の船から次々に曳航してくれ、レース海面まで引っ張られました。

30分ほど風待ちし、綺麗に全挺がスタートラインに並んでスタート。
アウターマーク寄り3艇目から、他艇とバウを並べグッドスタートした自艇ですが、スピードに乗らず、櫛の歯が抜けるように横一線から後退します。
タックして全挺のスターンをなめビリスタートになっちゃいました。

スピードが出ないのでチューニングを変えます。
僕が担当のジブセイルのラフが、スタート前に風が落ちたのに張りすぎているようなのでゆるめ、クリューも外側位置に変更し、軽風に合わせます。
メインは、マストトップがベンドしすぎのようで、コントロールロープを調節して、スピードが出てきました。

うち1艇だけ右界面に出たので、他艇と離れます。
皆さん左海面の方が風が良いと予想しているようです。
右からブローが入ってきたので、チャンスと思いタックして左海面の他艇に寄せましたが、向こうにも左からのブローが入りビリ位置に変更なし。
トップと2位にはかなり離されましたが、それ以外との差はそれほどでもありません。

左海面の方が良さそうなので、全艇のスターンを切って最も左に出し、左からのブローを待ちます。
期待のブローが入って来たので、それを受けてタック。

第1マークが真正面に見えていい感じです。
1~2艇食えそうです。
しかしブローの勢いが消え我慢になりました。
右海面はダメなようで、2位が落ちてきて、他艇の集団の飲み込まれています。

再び左からのブローが入り、ダントツの僕の後輩艇JPN52を除き、テールtoノーズで第1マークを回航します。
自艇は3位まで順位を上げ、第1マーク回航。
ナイスリカバリーです。

風が更に落ち、1~2m/sになってしまいました。
これではダントツ艇も含め、風の吹き出しを最初に捉えた艇が前に出るので、どの艇もチャンスが有ります。
ダンビリだった先輩艇JPN46が集団に追いついてきます。

僕らは後続2艇に抜かれ5位位置に後退。
ここでダントツJPN52にトップホーンが鳴りました。
風が弱く、コース短縮になったようで、次のマークでフィニッシュです。
でも我慢して走り、フィニッシュライン手前では2位まで上がります。
最後の最後でライバル艇に風が入り、1艇身の差なしに2・3・4・5が雪崩れ込み、うちは4位。
我慢を強いられた1時間強のレース終了。
3レース終了時総合では、3位のようです。
毎年の定位置ですね。

11/20・ヨット全日本

昼休み・13:00~15:00に、ハーバーに行ってきました。
11/21~23まで、3人乗りヨットの全日本があります。
Notice or Race(レース実施要項)に書かれているレース用備品チェックとセイルの計測、レース艇の下架をします。

通勤リード110でR171を走り、13:30にハーバー着。
ウィークデイはみんな忙しいので、プロのMさんに助っ人をお願いし、僕も手伝います。

ライバル艇のオーナーさんが、船底を磨いています。
「こんにちは、Mさん見ませんでしたか?」「ああ、さっきいたよ」

ハーバー職員さんが船を引っ張りにきたので、「この船をお願いします」「Mさん、係留桟橋にいるよ」
船が船台ごと引っ張って行かれ、クレーンで吊られ海面に降ろされます。
桟橋に行くと、Mさんがいました。
計測などのことを聞くと、2艇から仕事の依頼を受け朝からやったので、全て終わったとのことです。
セイルの計測も終わっています。

係留桟橋にもやわれたレース艇に入り、一応レース備品をチェックします。
アンカー(錨)・アンカーロープ・バケツ・排水ポンプ・ライフジャケット・パドル(オール)、完璧です。
センターハウス2Fのセイル計測場所に行ってみるが、うちのセイルはもうありません。

1Fでは、ヨットショップがネット販売用に商品撮影をしていました。
通勤リード110に乗り、15:00前に仕事場に戻りました。
今シーズンも、全日本で僕のレース活動が終わります。
大学ヨット部のコーチングも終わったし、また来年です。

11/17・スーパーマリア様

長男のお嫁さんから、嬉しいメールが届きました。
『今日の検診で、男の子と分かりました(^_^)
男の子2人になると賑やかすぎるくらいになりそうですが、私も体力つけて頑張ります^_^;
女の子も欲しいなぁという気持ちもありましたが…
洋服におもちゃに、全て揃っているのでなんとも経済的です!!』

すぐに「おめでとうメール」が、次男夫婦も含め飛び交い、僕がマリア様にお願いし続けると書いた事に対し、次男が「我が家は男の子ばかりだな」と返信していました。
お嫁さんたちには、「男の子願い」で祈ってるとは言っていませんが、息子たちには何十回も「スーパーマリア様のご利益」を話してるのでまるわかりです。
「また、親父は~」と、笑っているでしょう。

ぐはは、また僕のマリア様へのお願いが天に届いて「男の子」のようです。
僕は幼児の時、母に連れられてカソリック教会に通っていました。
チャペルの入口に大きなマリア様像があり、蛍光塗料でほのかに光っていました。
一緒に通ってた親戚のおばさんの庭にも、蛍光マリア様がおり、欲しくて駄々をこねました。
神父さんが根負けし、10cmほどの蛍光マリア様をもらいました。
以来、僕の宝物です。

毎晩、怪しく光るマリア様を見ながら寝ました。
5才の時に母が妊娠し、どうしても弟が欲しかったので、「弟が生まれますように」と毎晩お願いしました。
マリア様は、僕に弟をプレゼントしてくれました。

家内の妊娠がわかると、実家の僕の勉強机に載っていたマリア様を僕らの寝室に持ってきて、朝晩「元気な男の子をお願いします」と手を合わせました。
次の家内の妊娠の時は、長男を巻き込んで2人で「男の子」をお願いしました。
家内は笑っていました。

僕は神頼みだけに頼らず、「男女産み分け」の本を2冊読み、母親の食生活・父親の食生活・男子になる精子の運動能力が女性のそれより勝ること・その代わり男子精子は寿命が短い・排卵日との関係など学習し、家内の基礎体温計測に協力し、「今日や!」って時に作戦を実行しました。

それから再び四半世紀、長男のお嫁さんの妊娠報告から、またマリア様への「元気な男の子&お嫁さんの無事」お祈りが復活しました。
そして今回、来年の無事の出産まで本当のことはわからないけど、またまた男の子のようです。

この蛍光マリア様は、5連勝で僕の願いを聞き届けてくれました。
「元気な」の方も素晴らしく、僕のように病気で親に迷惑を掛ける子はいません。
弟は、小学校から高校卒業まで皆勤賞で、息子2人は12年間で学校を病欠したのは、1日か2日です。
次男なんて、中学入学直後の高野山でのオリエンテーリングで早退したのが唯一の皆勤賞崩れで、高校卒業の時「なんで我慢しなかったんだろう」と悔しがりました。

このマリア様は、家族に続く僕の宝物です。
長男に受け継いでもらおうと思う。
いらなかったら次男に・・・。

僕はほんとについています。
生後4ヶ月の時患った余命1日の緊急大病から、母とお医者さんのお陰で生還しました。
小1で10円玉飲み込んだ時は、次回便に出なければ手術しますという最後の診察日の朝、うんちの中に10円玉発見・・・母親が朝昼晩おやつと繊維の多いお芋料理を工夫して食べさせてくれたお陰です。
小学生で慢性腎炎になり、2年間蛋白尿と血尿が止まらず、体育の授業も見学ばかりだったのに、家族みんなで無塩醤油で協力してくれて快癒。
最後は中学で虫垂炎になった時は、その日から瀬戸内海の無人島1週間キャンプでした。
腹膜炎も併発しており、無人島に行っていれば手遅れだったかもしれません。
手術しても、普通なら1週間で退院なのに、お腹の中が腐ってて2ヶ月も退院できませんでした。
個室に入れてくれて、母が毎晩横の付き添いベッドで寝てくれました。

二十歳まで生きられるのかな?と漠然とした不安があったのに、虫垂炎手術以降は病気しなくなり、高校・大学と体育会でおもいっきりスポーツが出来ました上に、学生ナンバーワンとまで言われた。
大学卒業が迫り、人生初のプロポーズをしたら、「いいよ」ってあっさり満額回答をもらいました。
僕の兄弟みたいに、男の子2人がいいなと思ってたらその通りになり、織田信長の人生50年を越えることも出来ました。
そして今年、還暦のお祝いを息子たち夫婦と孫君からしてもらいました。

「あなたの寿命は、今月でお終いです」と今日言われても、「ハッピーな人生を長生き出来た」と笑っていられます。
スーパーマリア様・・・ありがとう。

11/15・ツーリング雨でUターン&船の整備

家内がお仕事なので、また1人遊びです。
参加してるツーリンググループに予定はなく、湖西の高島の歴史遺産探索をすることにしました。
R423を北上し、亀岡から京都北部の北山杉の森の中をR477で東に走り、r38~r110で、ずっと走りたかっらr781・おにゅう峠・r781で朽木入り、黒谷トンネルを通って高島・・・というルートを考えました。

あいにくの天気予報ですが、天候の回復を願って目を覚ましました。
予報通りの雨です。
でも8時には上がるようなので、遅めの出発に変更します。
高島探索の時間が無いかもしれないが、「おにゅう峠」を目標に、10時に「里山ひこにゃんVTR250」に乗り家を出ます。
京都北部を走るので、コミネ冬用プロテクタージャケット&パンツを着込みましたが、暑すぎました。

池田からR423に乗り、順調に北上しましたが、「乳の泉」を越え、亀岡側に下りだしたとこで雨が落ちてきました。
亀岡の空は雨雲に覆われています。
家を出発するときは、宝塚の山に雲の切れ間から太陽に光が入っていたのに・・・。
天候は回復するはずですが、R367に出るまでは雨覚悟です。
雨脚が強くなり、カッパを着るのが面倒になり、Uターンしちゃいました。
雨天走行は平気なのですが、ただでさえ暑いのにカッパを着ると蒸し風呂状態必至です。
軽い風邪が治ったとこなので、仕事に穴を開けちゃうと行けないから自重します。

R423を戻り、r605の「野間峠」。
r4で「野間の大ケヤキ」に行こうと思いましたが、大ケヤキ手前で「マラソン大会通行止め」でした。
R477を北上し、能勢氏の丸山城址の堀切跡を西に越えr106。
堀切跡の落ち葉落枝の小道は相変わらず素敵でいつものところにお地蔵さんがおられ、古墳の石室も全く変わらず口を開けていました。

r106~r4・名月峠~r104~r4で来栖。
R173を渡り、r602で杉生。
r12~r319~r33~325~長尾山トンネルを抜け大阪平野に戻りました。

11:30でまだ時間はたっぷりあるので、R171で新西宮ヨットハーバーに行きました。
次の週末は3人乗りヨットの全日本選手権なので、誰か整備をしているかもしれません。
係留艇の方の整備もあるので・・・。

陸置きのレース艇置き場に行くと、J70が7艇揃っていました。
バウポール・ジェネカーの最新設計艇です。
僕のチームのHさんがいました。
計測していないセイルを船に入れておられます。
J70は、SLEDチームが5艇・サマーガールチームが1艇・その他1だそうです。
来シーズンは、こいつのレースが盛り上がりそう。

Hさんによると、フリーが圧倒的に速く、前回のレースでレース海面がクロスし、お互いのミート具合がわからず、怖かったそうです。
食事時なので、Hさんと一緒にハーバーセンターハウス3Fで定食を食べました。
Hさんは、鎌倉幕府成立に貢献した平氏系・千葉氏の流れで、竹田城址の山を持っておられます。
播磨・但馬の国境・朝来の田路の出で、お爺さんが赤松氏友軍・田路とかつて敵対していた但馬・山名氏友軍・竹田城主の家老に婿入りした。
そんな関係で、千葉氏・田路氏などに明るく、歴史の話に花が咲きました。

食事を終え、1Fに下りると、ノースショップに大学ヨット部の先輩&次週のライバル艇さんがいました。
ロープを新調するそうです。
僕はその後係留艇でゴソゴソし、15時に帰宅しました。

DVD映画を見て、18時過ぎに家内が帰宅したので、DVD「WOOD JOB」を一緒に見ました。
劇場で見た楽しい映画が安く売ってたので購入したのですが、何度見ても楽しいです。
21時就寝。

11/9・インカレ制覇

電話が鳴った・・・はい、・・です・・・「おめでとう」・・・なんだ?・・・
「おめでとう」・・・??・・・「D社のAです」・・・なんやお前か・・・

大学時代、ライバルだったD社大のA君でした。
10日ほど前、船に乗らないかと誘いました。
電話には奥さんが出てきて、「主人は風邪をいいていまして・・・」ってことで、交代した旦那もひどい声だった。
まだ声が元に戻っていないようで、いつもなら声で誰かわかるのに全然わからなかった。

前日、東京で長男一家に僕の誕生日を祝ってもらったばかりなので、なんで僕の誕生日を知ってるんだ?(LOVEな関係でもないので、奴と僕の誕生日を祝ったことなんて無い)
って疑問が湧いたけど、すぐに前日に終わった全日本インカレで、母校がクラス優勝したことへの「あめでとう」だとわかった。

僕はKGで彼はD社ヨット部、大昔からのライバル校で、今でも毎年定期戦で覇を競っている。
かつては、東京のWとKOを含め、4大学戦という定期戦もかつてはやっていた。
4大学OB戦は今でも続いている。

470クラスは、僕がコーチしてる大学ヨット部は11位だったが、母校が優勝し、2位W・4位D社。
スナイプクラスは、2位W・3位KO・4位D社・5位KG。
総合は、優勝W・2位KG・3位D社・4位KOでした。
相変わらず、競い合っています。

翌日・11/10には、コーチしてる京都の大学ヨット部主将から、全日本での成績報告と1年間のコーチングのお礼の電話が掛かってきた。
これで、僕の大学コーチングは終了です。
去年より成績が上がり、僕がコーチングを始めた頃はかつての栄光から遠ざかり、全日本にさえ駒を進めなかったのだから、良い方向に進んでいるように思います。
スポーツセレクション入学者ゼロの学校なので、良くやっていると思います。
11/14(土)の代交代式に参加できないのは残念だけど、1つの区切りです。

僕は卒業後一時期、母校のヨット部コーチをしていた。
僕が学生だった頃は、スポーツセレクション入学者なんていなかったから、みんな下手糞から少しずつ上達していく過程が楽しかった。
近大は、スポーツセレクション入学選手をズラリと揃えていたけど、うちの方が大抵強くて、そういうとこに勝っていくのが楽しかった。
僕がコーチしてる時に、WやKOヨット部がスポーツセレクション入学を始め、母校もその流れに乗った。
インターハイ優勝選手なんかが入学してくるようになり、何かプロ化してきた感じがして、つまらなくなって母校コーチをやめて、次男が入部したかつて僕が先輩とともに作ったジュニアヨットクラブに入部したので、そちらのコーチをするようになった。
そして今、次男入学で縁を持ったスポーツセレクションのない大学ヨット部で楽しませてもらっている。

大学時代、体育会でスポーツをしたおかげで、A君のように、他大学にも多くの友を得た。
教室で机を並べた友より、同じ釜の飯を食った友の方が何十倍も絆が強く、母校の大先輩や後輩の方が教室だけの同級生より付き合いが長い。
大学で帰宅部だった家内には、こういう友がゼロなのに、同じく体育会で頑張った息子たちにはいっぱいいる。
ありがたいことです。

D君は、風邪を引く前に北アルプスに登ったそうです。
奥さんや家族とも、時々低山歩きをしているらしい。
北アルプスの風邪ウイルスは強力だと言ってました。

僕がバイクで中央アルプスの尾根を走った話をすると、登山しないかと誘ってくる。
同期にも山登りをする奴はいるけど、僕はどうも脚力に自信がない。
まして北アルプスのピークハントなんて・・・。

大学時代は、年間100日は合宿をしていました。
練習が終わると、車に引っ込んで、勉強していました。
学校に行っても、講義のない時間は図書館で勉強しないと単位が取れませんでした。
提出物も早めに出さないとクラブとの両立が難しかった。
1回生の時、授業料値上げ反対ストで後期テストがボイコットされた時は、レポート提出が試験の代わりになり、図書館&当時付き合っていたGFさんの実家で一緒にこたつに入りながらレポート作成という具合に必死にやった。
提出日が早かったからか、1回生の成績はずらりと「優」が並び、その勢いで優秀な成績で無事大学を卒業できた。
結婚式でお決まりの「新郎は優秀な成績で卒業され・・・」ではなく、マジで優秀な成績だった。
卒論だって、学部内トップ7に選ばれ、全員に配られた。

僕が母校コーチを辞めたのは、スポーツセレクションの学業成績基準が下降修正され、一般受験では全く合格出来ない子が入ってくるようになったからです。
Wのように、「スポーツ学部」に入学するならいいけど、理系や経済学部・法学部とヨットの成績なんて全く関係がない。
そんな子が、学業についていけず、居場所を過度にヨット部に求めているように感じ、可哀想に思ったから。

小学生からヨットをやった次男にもスポーツセレクションの話が来てると高校ヨット部の顧問先生から聞かされたけど、「うちは自分の実力に合う一般入試します」とその場で断った。
スポーツなんかで大学入学しちゃうと、そのスポーツ以外のクラブには行けず、成績が上がらないと苦しむと思うから。
自由であり、いつでも自分の自由な選択で人生を選べるのが、一番幸福だと思うから。

そんなこんなで、母校の優勝は嬉しいけど、なんか僕らが青春の火花を散らしたクラブと違う感じがして、なんかなあ・・・
OB会費が毎年口座振替され、金銭的には応援してるのだけど・・・
なんか、複雑な気持ちです。

11/8・TOKYO 2/2

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まだ雨が降っているけど、外に出ることになりました。
東京ガスのPR施設「がすてなーに」に向かうと車4台駐車場待ちをしています。
別の施設に向かいましたが、そちらはもっと並んでいたので、「がすてなーに」に戻って入ってみます。

長男は駐車場待ちで、先に4人で入りましたが、すぐの長男も合流出来ました。
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興味を引く展示も多々ありましたが、幼児にはわけが分からず小学生向け施設でした。
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アンケートを書いたら、孫くんはお土産をもらっちゃいました。

15時過ぎに自宅に戻り、僕の誕生会です。
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お嫁さん手作りデコレーションケーキにろうそくが4本立っています。
ママの「お歌歌ってあげて」の言葉に答え、「ハッピーバースデーお爺ちゃ~ん、ハッピーバースデー・トゥー・ユー」と、孫くんが独唱してくれました。
しっかり覚えられ、とても上手でした。
「はい、ローソク消して」の声に、孫くんは乗り出してフー。
いいね、とても幸せです。

「お爺ちゃん、いくつ?」と聞かれたので、「6つ」と答えておきました。
60才はあまりに大きい数字だものね。
もも入りのケーキがこれまた美味しく、おかわりしちゃいました。

お嫁さんのお腹が、少し大きくなっており、スマートな服だと妊婦さんと分かります。
孫くんはまたプラレールです。
長男がアメリカで買ってきた「アメリカ製プラレール」の車両は、軌道幅は同じだけど、タイヤが違い上り坂が滑って上がれない。
飽きずにずっと遊んでいるようで、マイブームのようです。

先月、グアムに家族旅行したそうです。
嫡孫くん妊娠中も、ラスベガスに夫婦海外旅行していましたが、またしばらく海外にみんなで行けないので行ってきたそうです。
長男は、1~2ヶ月に一度海外出張しているようで、勤務時間も海外子会社や取引先との関係で、朝一番に出勤することも多いようです。
時々自宅にも国際電話が入るそうで、「もう私より英語が上手です」と長男を褒めていました。

孫くんが、グアムで買ったポロシャツを僕にプレゼントしてくれました。
センスの良い柄です。

長男と2人でテーブルのお茶を飲んでる時、「2人目が生まれたら、羽田の方に引っ越すかも?」と言ってました。
今のマンションでも狭くはないですが、「羽田」のキーワードにお嫁さんの職場復帰も考えているのかな?とピンときました。
子供はチビの時は手が掛かるけど、小学生になれば母親業は暇になっちゃう。
必要以上に親が子に関わると、子供のストレスになったり、親の言葉から親の期待を感じ過ぎ、神様が最も輝く場所に導く自分の心に浮かぶ「・・したい」に封印をしちゃうかもしれない。
親の子離れは、子供の成長にとても大切です。

仕事を持ってる方が、「・・さんの奥さん」「・・ちゃんのお母さん」という二次的な呼び名から、「・・さん」とまた個人としての社会的立場に戻れるからね。
家内は我が家の3世代家族という形態を利して、無理なくフルタイムで働き続けてきたから、いつも綺麗で生き生き暮らしてきた。
個人としても経済的に自立しており、毎日鏡に向かってお手入れに余年のない家内が素敵に見えます。
身体にあまり自信がない僕は、僕がいなくなっても子供をちゃんと育ててくれるだろうと、とても頼もしかった。

僕の母親も、50才でリタイヤしたけど、弟が2才の時にフルタイムに復帰しました。
フルタイムだってパートタイムでも、自宅内職だってなんだっていいから家事以外に職を持ってる女性はかっこいいと思います。

元新聞記者の女性が、旦那さんのアメリカ勤務に同行し、お子さんとの経験を執筆された著書『アメリカのベースボール、こんなに日本と違ってた』を、お嫁さんにプレゼントしたことがあった。
優秀なお嫁さんの才能を子育てだけに使ってしまうのがもったいないと思った僕からのメッセージも含んだプレゼントでした。
長男も両親共働きの家庭に育ったので、違和感は感じないだろう。
ただ信頼できる親族が近くにいないので、子供の不測の事態を許容するユーティリティがなあ・・・。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、17:30に車に乗り込み、羽田まで送ってもらいました。
5人でワイワイ楽しい道中でした。
羽田JAL出発フロア前の道路で別れました。
次は来月の次男の結婚式です。

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すぐに出発ゲートを潜り、18:06乗る飛行機が待機している前でくつろぎます。
19:00東京羽田発・20:20大阪伊丹着・JAL137便・ボーイング777-200・400人乗りに乗りました。
帰路は満席で中央通路の席だったので、窓の外は見れません。
真っ暗なのでノープロブレムです。
帰りはアップルジュースを頂きました。
こちらの方が甘いね。

20:16、大阪空港駐車場を脱出、2570円。
めちゃ高い、これだから無料のバイクで行きたくなります。
帰宅後、グアムのお土産としてもらったビスケットを夕食にしました。
ああ、楽しい1日でした。
こういうことが日帰りで出来るんだから凄いね。

11/8・TOKYO 1/2

東京の長男の家でする私の誕生会に招待されました。
昨年に続き、長男が貯めたマイルで大阪東京の往復航空券をプレゼントされました。
1ヶ月ほど前にビデオメッセージで嫡孫君からお願いされた「プラレール・きかんしゃトーマスシリーズ・スペンサー」をプレゼントの袋に入れます。
その他に、「岩波子ども絵本・ふしぎなたいこ」
歌舞伎勧進帳でお馴染みの北陸・安宅の関・安宅住吉神社の絵馬・お守りも。
家内は、新大阪駅で買ってきた「ドクターイエロー靴下」などを、僕のビジネスリュックに入れました。

当日朝が雨予報なので、前日夜に庭の柚子を10個ほどお土産に収穫しておきました。
明日は5時前に起きようと床につきますが、楽しみすぎてなかなか眠れず、寝不足で朝を迎えてしまいました。
4:30に目を覚まし、眠い目をこすりながら準備を始めます。
あいにく小雨模様なので、バイクをあきらめ車で空港に向かいます。

6:02、大阪空港。
すぐに出発ゲートを潜ります。
家内は珍しく一発でセキュリティーゲート突破です。
6:30の開店を待ち、「スカイパティオ」というお店でビーフカレー・650円を朝食として食べます。

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7:10大阪伊丹空港発・8:15東京羽田空港着・JAL102便・ボーイング767-300・座席数250に乗ります。
座席は35Hで翼の上の窓際2座席です。
デジカメの機内使用が可能になったので、離陸をビデオで映しながら空の人になります。
雲が厚く飛行機が揺れる。
やっと雨雲を突っ切り太陽が望める高度・8000メートル?になると水平飛行。
キーウィジュースが運ばれ飲みだすと、すぐに着陸態勢に入りました。
雨雲が高く、水平飛行のすぐ下に雲海が広がります。
8割ほどの座席がお客さんで埋まっています。
楽しみにしていた富士山もアルプスも見えず残念でしたが、ビデオをたくさん映せました。
お上りさんなので、東京湾のアクアラインを見つけて大興奮です。

羽田に着陸し、シートベルトサインが消え一斉に降りる準備を始めた時、家内が携帯電話の電源を入れます。
長男から着信があったようで、折り返し電話すると、到着フロアの1階上の出発フロアの道路で待ってるので、道路まで来たら電話するように指示される。
道路に出ると、長い乗降スペースの中央部・バス・タクシー降車スペースでした。
電話をすると、公共機関降車スペースの後の一般スペースから長男の車がやってきてピックアップしてくれました。

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家族共有クラウドに上げてくれたビデオで見た群馬県のバンジージャンプ場でのことを聞くと、準備が出来たらスタッフのカウントダウンが有無を言わせず始まり、軽く押されて谷底に落とされたと、様子を聞かせてくれました。
強制されないと、自分から飛ぶ勇気はなかなか出ないそうです。

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「東京ビッグサイト」に近づくと、「東京モーターショー」関係のガードマンが車を誘導しています。
まだ朝早いのに、周辺の空き地は満車です。
最寄り駐車場は一般車入場禁止だそうで、こういう所に車で行くと大変だな。
お台場の球が特徴的なフジテレビ社屋、踊る大捜査線の湾岸署のロケビルを写真に収めながら、長男宅に到着。

玄関を開けると、お嫁さんと孫くんが待ってくれていました。
孫くんは「お爺ちゃん、おばあちゃん」とちゃんと記憶してくれており、大歓迎してくれました。
早速プレゼント袋を渡すと、上手にリボンを解き、中から出てきたスペンサーに大興奮です。

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隣の部屋のプラレールに連れて行かれ、出してきたトーマスなどを走らせてくれます。
自分で箱から出したスペンサーに、パパに電池を入れてもらいます。
力強く走りだしたスペンサーにご機嫌です。

お嫁さんが用意してくれたお茶を飲みながらさんざん遊び、パパも少し手伝って作った餃子をメインに、ハムで巻いたかいわれ大根や蜆の味噌汁で昼食を取りました。
お嫁さんはお料理上手なので、とても美味しい。

1週間前の「幼稚園お受験」の様子を聞かせてくれました。
東京にはお受験塾があると聞いていましたが、そこまでは気合が入っておらず、「名前と年齢ぐらい言えたらいいかな?ダメだったら、来年また受けて2年保育でいいや」という姿勢で臨んだそうです。
しっかりと元気よく名前が言え、動物の絵などを見て名前を答えるのもちゃんと出来、一発合格でした。
孫くんは本番に強く、お嫁さんもビックリするぐらい落ち着いて先生の言葉に受け答え、頼もしかったそうです。
両親で付き添ったのに、「面接も付き添いは1人で」ということで長男は、様子が見れず残念だったそうです。

朝一番に受験申し込みに行き、2~3時間待って面接をして、また2~3時間待って合格発表だったそうで、1日仕事になったそうです。
受験合格は良いのですが、第2子の出産予定が4月なので、いきなりお休みになりそうです。

JAL102便

11/7・結婚式の費用

次男から、来月の結婚式の費用の詳細メールが届きました。
参列者100名・総費用が500万円で、収入であるご祝儀が300万円を見込んでいるとのことです。
マイナス200万円は、お嫁さんと半分ずつ負担するそうです。
就職する時、お祖母ちゃんからもらった300万円がそのまま残っているようで、見込み違いがあっても大丈夫とのことでした。

家内のお母さんが、僕らの子の名義で、積立貯金をしていました。
死ぬまで働いていたので、それぞれの大学入学祝いに、その通帳と印鑑を「おめでとう、これからいろいろ必要やからね」と渡されました。
毎月1~2万円を積み立てていった継続力に感服いたしました。

長男もそうでしたが、次男もそのお金をびっくりして受け取っていました。
長男も結婚の時このお金のことを言っていましたが、どうなっているのか知りません。
次男が一銭も手を付けていないのが彼らしいなと思います。

うちの父が、「これが最後の車や、俺が乗れんようになったらやる」と次男に言って、日産マーチを買いました。
父が亡くなり僕の名義にし、その後次男が「駐車場を契約したから乗ってくわ」と東京に乗って行きました。
今でも乗っています。
学生時代は父が生きていたので、大学卒業で京都を離れるヨット部の先輩から譲ってもらったカローラに乗っていました。

父がぶつけたドアの下の傷が今でもそのままです。
長男には、「まだあれに乗ってるの?」と言われながら、「壊れてないもの」と意に介さず乗っています。
爺ちゃんがぶつけた傷も、祖父からもらったプレゼントのように大切にしている感じがします。

僕の結婚式は、母校のチャペルで中学の校長先生(牧師)に挙げてもらいました。
披露宴会場も学校にあるのですが、それは宝塚ホテルに移動して行いました。
結婚1年前から必死で貯金し、実家から通勤していたこともあり、目標の100万円を貯めました。
この金額では多くの方を呼べず、当初30名のこじんまりした宴を計画しましたが、家内のお父さんが県の業界のエライさんで、しかも家内の姉が学生結婚で披露宴を省略したので、30名を却下されました。

でも、人気の宝塚ホテルなので、同じ時間帯にもっと広い披露宴会場が空いておらず、50名に増やすのがやっとでした。
家内のお父さんの関係の初見のおじさん達が増え、僕の友人を削らなければならなくなり、自分の結婚式でありながらイマイチでした。
一番最初の「スキー場で結婚式」も却下され、予想外の展開になっちゃいました。

でも、義理父の業界関係者のご祝儀が仕事含みなので想定外に多く、なんと100万円も儲かっちゃいました。
全ての支払いを済ませ、「これなら、結婚式をやるたびに儲かるな」と家内に言って笑われました。

新婚旅行も、当初は中国を予定したのですが、お父さんの反対で頓挫しました。
お父さんは職業軍人で、中国戦線に部隊長として参戦していました。
家内の旧姓の名前が前につく、地元で有名な陸軍最強部隊でした。
ソ連の参戦でシベリア抑留生活を2年間過ごして、舞鶴に帰還しました。

その時に地元播州の新聞に大きく報道され、それを見た家内の母方お爺さんが、「こいつは骨があるだろう」と自分の長女と見合いを段取りし、結婚に至りました。
うちの子達は、「向こうのお爺ちゃんは、ちょっと怖い」と言うほど、眼光が鋭い人でした。
そんな苦い思い出がある中国に、娘を行かせるわけには行かず反対でした。
僕も事情を知り、学生時代にやってたスキーツアーのツテで、団体旅行の売れ残り航空券を安く流してもらい、北海道富良野ヘスキー新婚旅行に行きました。

そう言えは、僕の両親の葬儀費用も500万でした。
できるだけ多くの方にお別れに来ていただこうと、流行りの「香典辞退」をしたので、全て持ち出しになりました。
生命保険も年金も信用しない両親だったので、こんなに高い買い物をしたのは初めてでした。

長男の時も100名ぐらいだったから、このぐらいだったのでしょう。
長男は、何も言ってきませんでした。
東京の結婚式の相場なんだろうな。
名古屋や北陸は、冠婚葬祭に最も費用をかける土地柄なので、更に豪華なんだろうな。

11/6・U-KANAYA・アルミビレットレバーセット・ツーリングタイプ

VTR250のクラッチが重いです。
2008年夏に買ったのだから、もう7年も乗ってるのにまだ重く感じます。
乗り始めた頃は、夕方帰宅する時は左手の握力がかなり落ちており、やっとの思いで帰宅しました。

左手のバイク筋力が着いたのか、ハンドルアップした時についでにワイヤーが新品になったからか、マシになりました。
パワーレバーというレバーをハンドルグリップの近くにセットできるレバーに交換し、更にマシになりました。
加えて、クラッチレバーを操作せずにギアチェンジするエンジン回転数を合わせてチェンジするノークラッチの技も習得し、もう握力低下からは開放されました。

でもこの夏からまたいけません。
原因は、情けないことに僕の五十肩です。
40歳になっても、50歳を過ぎても平気だったのに・・・

左腕が真上まで上がらなくなり、これに伴って握力が低下しました。
7月の兵庫県北部林道ツーリングの時は平気だったのに、10月末の若狭ツーリングでは、乗り出した時に近い状況に逆戻りしました。
ノークラッチ・シフトチェンジをしているので、クラッチレバーを握るのは、発進時のN~1と、停止時の2~1~N程度です。
これでこの状態なので、かなり辛いです。
元々クラッチの軽いCB400は平気なんだけど・・・。

ということで、またレバーを交換することにしました。
「U-KANAYA・アルミビレットレバーセット・ツーリングタイプ・VTR250 専用・ レバー色:ブラック・アジャスター色:ゴールド・左右1セット・13824円」です。
シフトチェンジを頻繁に素早く行うレーシングの世界で使われている製品だそうです。
見た目は同様の半額以下の製品もありましたが、中国メーカー製ということで却下しました。

メーカーに電話し、「素人でも簡単に交換できるか?」
「レバーが軽くなるか?」
「タチゴケなどで折れる心配があるか?」を直接聞きました。
流石にメーカー、明快な答えが返ってきました。
「交換は簡単」
「レバーは形状での楽さはあるが、劇的な改善はない」
「コケる角度によるが、タチゴケ程度で折れることはまず無い」

見た目がかっこ良くなりそうで、ずっと前からいつか交換しようと狙っていたので、交換に踏み切りました。
ノーマルレバーに比べれば効果があるが、パワーレバーからでは効果が薄いと承知のうえです。

本体はメーカーに注文し、2日前に届きました。
ちょうどこいつの交換ムービーがあったので、そこで使ってた「パーツクリーナー・268円」と「ワコーズ・スプレー・グリース・1512円」を、昼休みにバイクセブンで買ってきました。
バイクセブンの店名が、「バイクワールド」に変わっていてビックリ。

自宅で昼食後、バイク倉庫で交換しました。
ついでにCB400SBの空気圧が減っていたので空気を入れました。
交換時間は、30分ほどです。

クラッチワイヤーはレバーの溝に引っ掛けてあるだけで、とてもシンプルな構造でした。
ボルト・ナット1組で留まってるだけ。
ブレーキレバーはもっとシンプルな構造で、自転車のようにブレーキワイヤーがレバーに来ているわけではなく、レバーの突起がレバー操作によりブレーキワイヤーの先のボタンを押すだけでした。
ボルト・ナット1組を外すとポロリとレバー本体のみが取れて驚きました。

パワーレバーとの形状の違いですが、レバー中央部のグリップからの距離は同じでしたが、レバーエンドがグリップに近く、僕はエンドを持っているので効果が期待できるなと感じました。
はたしてどうなるか・・・

それより、五十肩が良くなってほしいぞ。
11/22はヨットレースで、レースに出ると無理しても動かすからか、かなり改善されます。

11/1・益田岩船

16:00、近鉄「畝傍御陵前」
ここで家内を降ろします。

まだ陽があるので、「益田岩船」を探索することにします。
2駅南にある「近鉄・岡寺駅」の西にある「白檀南小学校」の西の山にあることはわかっているので、GPSに小学校を案内させる。
それにしても「白檀」なんて名前の小学校に通うなんて凄いな。
高貴な香りがする。

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小学校付近でウロウロしたが、16:25「益田岩船」の小さな案内板を見つけた。
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手すり付きの階段が設置された急な山道を上がると、やがて道は平坦になり、ロープが張られた獣道をぐいと上がると、竹林の中にそれが見えてきた。

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石切りをした工具跡が無数に残り、自然石でないことは一目瞭然。
周りに岩が見当たらず、この巨大な岩がポツンとあるのは不自然です。
「上に上がるな」と書いてあるので、標高の更に高い所に回って見下ろすと、上部に方形の穴が2つ開けられている。
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なんだこれは・・・何の目的で・・・どうしてここに運んできたのか・・・全く見当がつきません。

『史跡・岩船 貝吹山の連峰である石船山の頂上近く、標高130mの地点に所在する花崗岩の巨大な石造物で、俗に益田岩船と呼ばれている。東西11m・南北8m・高さ4.7mの台形で、頂上部と東西両側面に幅1.8m・深さ0.4mの浅い溝状の切り込みを設けている。頂上部ではこの溝内にさらに1.4mの間隔をおいて東西に2つの方形の孔が開けられている。孔は、東西1.6m・南北1.6m・深さ1.3mと東西ほぼ等しく、孔の底部のまわりには幅6cmの浅い溝がめぐる。石の加工は上半部が平滑に仕上げられているが、下半部は荒削りのままで格子状の整形痕が見られる。
古くからこの地に築造された益田池の台石とする説もあるが、頂部平坦面を90度回転させm横口式石室だとする説や占星台の基礎とする説、物見台とする説がある。用途は明らかではないが、上部平坦面の溝や孔が高麗尺で計画され、花崗岩の加工技術が終末期の古墳と共通するなど、少なくとも7世紀代の特色を持ち、飛鳥地方に分布する特異な石造物の中でも最大のものである』

最後に古代史の謎の石造物に出会え、いい歴史ツーリングになりました。
ここからほぼ往路同様の道で家路につきます。
16:48、橿原のエッソで給油、164km/4.13L=39.7km/L。
17:23、「柿の葉寿司・田中・葛城店」で夕食用に「柿の葉三種・1060円」購入。

19時過ぎに帰宅しました。
途中歯医者さんに寄る家内はまだ帰宅しておらず、バイクを片付け、風呂に入っていると家内が帰宅した。
風呂上がりに、家内が用意してくれた汁物で柿の葉寿司を2人で食べ、大河ドラマを見て就寝しました。

11/1・飛鳥寺

15:03、「飛鳥寺」
日本で最初に造られたお寺です。
『飛鳥大仏・開眼1400年 推古天皇13年(605)日本最古の金銅丈6釈迦如来像の造立が発願され、609年に開眼供養されてから1400年目にあたります。中世の火災により損傷されているものの、今以って元の位置に端座し給う、日本の歴史的尊像であります』

『遠路ようこそ飛鳥寺へ 現在の本堂は、古の中金堂の位置に相当し、本尊飛鳥大仏は1390有余年間そのまま座したもう奇跡の存在といえよう。平安朝までは膨張し、中世以降天災地変・自然崩壊のため境内は1/20に縮小された。
聖徳太子は、橘の藁小屋で生まれ、大陸の先生に先進国の学問を受け、国民の守るべき17条憲法を示されたのが、この本尊に誓ってのことである。蘇我馬子が決戦の暁、強引に飛鳥寺に着手したことは、必然的に飛鳥文化の扉を開ける約束にもなった。すなわち国家数千年の大系を果たし得た。仏法最初という寺の幾つかある中、シルクロードの終点と言われる寺の幾つかある中で、飛鳥寺こそその終点であり、日本の起点になったことは疑いなき事実である。太子の師恵慈がこの寺に住んだ。大化の改新はもちろん、奈良朝然り、各宗の母胎揺籃の地になったこと。また世界に誇る万葉文学の源の地ともいえよう』

聖徳太子第11番霊場。
ここの鬼瓦も優しいお顔です。
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堂内に入り飛鳥大仏を拝見していると、説明が始まりました。
火災でお堂が焼けた時も黒ずんだが焼け残り、村人が屋根を作って痛まないように守り、今に至るそうです。
大仏さんはお堂の正面を向いておらず、太子が生まれた橘寺の方を向いているそうです。
お顔は左右の目と唇が対称ではなく、左から見れば微笑んでいるように見える。
現在一般的に「飛鳥寺」と呼ばれるが、「法興寺」とも「元興寺」とも「安居院」(あんごいん)とも呼ばれる。
奈良時代になり都が平城宮に移ると、この「元興寺」も興福寺の南に移転した。
でもこの元の元興寺にも飛鳥大仏とともに寺院が残り、今に至っている。

飛鳥大仏は、右に阿弥陀如来、左に聖徳太子の像を配し、この日本最古の仏像は全て撮影可でびっくりした。
他の寺院も「保存を損なうフラッシュ不可」ぐらいで、本尊の撮影を許可して欲しいものです。
日本に写真が入って来た時に日本人が感じた「魂を抜かれる」的な発想を未だに続けているように思う。

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聖徳太子像
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蹴鞠

「蘇我入鹿の首塚 西80m」の案内板に誘われて、首塚を観に行った。
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五輪塔がポツンと立っていた。
日本古来の神道を中心に国を建てようとした物部氏に、大陸から入って来た新宗教・仏教を土台にしようとした蘇我氏が対抗し、聖徳太子(母は蘇我氏)の軍事的活躍もあり、大阪の上本町台地にあったという物部氏の本拠地を攻め滅ぼした。

この勝利で朝廷の実権を握った蘇我氏だったが、中大兄皇子・中臣鎌足のクーデター「大化の改新」により、藤原氏にその実権が移っていった。
この時誅殺されたのが、実力者・蘇我入鹿です。
その首塚が蘇我氏由縁のこの寺の元境内にあるということは、誅殺後蘇我氏に入鹿の首が返されたということのようです。

首塚の南隣の地が発掘調査中でした。
案内板を見ると、「飛鳥寺西方遺跡」と銘打たれ、大化の改新前に中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠を通じて出会った場所と推定されると書かれていた。
元の飛鳥寺境内内だったのかもしれない。

『飛鳥寺縁起 588年蘇我馬子が創立した日本最初の本格的寺院であり、寺名を法興寺・元興寺・飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。本尊飛鳥大仏(釈迦如来)は、605年天皇が勅願して鞍作鳥仏師に造らせた日本最古の仏像である。旧伽藍は887年と1196年に焼失し、室町以降は荒廃したが、1632年と1826年に再建され、今日に至っている。現在は真言宗豊山派に属し、新西国第9番・聖徳太子第11番の霊場でもある』

飛鳥寺の直ぐ西に、「甘樫の丘」があった。
古代史物語で、良く出てくる。
蘇我氏全盛の頃、蘇我蝦夷・入鹿親子がここに邸宅を構え、明日香に睨みを利かせていたのが十分に伺える位置にあった。

11/1・明日香村遺跡

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12:24、「天武・持統天皇陵」
『壬申の乱(672年)に勝利し、律令制の基礎を築いた天武天皇と、その妃で次に即位し、天皇として初めて火葬された持統天皇
が合葬されている』

陵墓まで上がってみると、横からだけど前方後円墳のように見えた。「円墳」の方に、天皇の陵墓特有の鳥居他が向けられており、「前方」の部分には何と民家が建っていた。天皇の陵墓と比定され、宮内庁が厳重に保護監督するのは、大抵明治期に入ってからなので、江戸時代から先祖が居住利用していたのでしょう。奈良の古墳ではよく見る光景ですが、それにしても、とんでもない所に住んでいるな。びっくりポンや。

「酒船石」に向かいながら、お食事処を探す。
途中に「橘寺」があったけど先にご飯です。
適当なお店を見つけ、お腹を満足させる。
5時半過ぎに食パンを2枚食べたきりだから我慢の限界に達していた。

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13:28、「亀形石造物」
『日本書紀に記載がある遺跡で、湧水施設から流れでた水が木樋を伝わって舟形石槽の水槽に溜まり、更に小穴から流れでた少量に水が亀の鼻に入り、背中の水槽に溜まる構造になっている。
これらの遺構は谷底の深いところにあり、周囲を石垣や石敷で閉ざされた空間であることや、水を見て楽しむ構造でないことから、天皇祭祀に係る場所であったと推定される』
全くの野ざらしなので、「これでいいのか?」と思ってしまった。

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『酒船石遺跡 この石垣は平成4年に発見された。調査の結果、この丘は3mほど盛土された人工の丘陵で、石垣は明日香産の花崗岩を並べ基礎とし、その上に天理市から奈良市にかけて分布する凝灰岩の切石を積み上げて築かれていた。現在倒壊していた石垣の一部を復元して公開している。酒船石遺跡は、「日本書紀」書かれた記事に該当する遺跡の可能性が高い』

「酒船石」に深く刻まれた文様のような?水の通り道のようなものが示す意味は何なのだろう?
『長さ5.5m・幅2.3m・厚さ1mの花崗岩でできている。北側・南側の一部は欠損しており、近世にどこかに運びだされたと考えられ、石割りの工具跡が残っている。石の上面に、円や楕円の浅いくぼみを造って、これを細い溝で結んでいる。酒を絞る槽とも、油や薬を作るために道具とも言われている。しかしこの石は東40mのやや高いところで、ここに水を引くための土管や石樋が見つかっていることから、庭園の施設だという説もある』

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13:55、「石舞台古墳」
『早くから盛土が失われ、巨大な天井石が露出していたことから石舞台の名前で親しまれている。1933年から実施された調査で、一辺55mの方墳または上円下方墳で、周囲には周濠と外堤が巡らされており、墳丘と外堤の斜面には貼石が施されている事が明らかになった。埋葬施設については、南に開口する両袖式の横穴式石室で、玄室長は7.8m・幅3.4m、羨道長11.5m・幅2.2mあり、石室から羨道にかけて排水溝が設けられている。石室内は凝灰岩片が出土していることから、家形石棺が安置されていたものと推定される』

何度見ての巨大です。
巨石文化とはいえ、推定される作り方・運び方は書かれているが、現実にこれをやってのける技術・統制力・意思はどこにあったのか不思議でならない。

14:27「橘寺」
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『発掘調査により、伽藍は四天王寺式伽藍配置であるが、当時の寺院は、南向きが多い中、この寺院は東向きで、中門・塔・金堂・講堂が一直線に東から西に並んでいたことが確認された。寺院の創建年代は定かではないが、聖徳太子伝暦によれば、太子がこの寺で勝髪経を講ぜられた時、瑞祥(目出度いことが起こる前兆)があって、仏道を建立したとある。太子7ヶ寺の1つで、発掘
調査で出土した瓦の文様から、7世紀前半には小規模な堂(金堂)が建てられ、7世紀後半に大規模な整備が成されたとわかる』

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スマートで小柄な橘紋の馬の像が奉納されています。
「聖徳太子御誕生所」と書かれた木札が下がった太子殿(本堂)に入ってみる。
本尊が太子像なのですね。

二面石は、左右に怒った顔を笑顔が刻まれています。
鬼瓦が怖くなく優しいお顔です。

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「特別公開中だから、ぜひ観ていって」と受付で言われた「往生院」に入ると、綺麗な天井絵が見事でした。
戦後、明日香村有志が出資し、村のシンボルとして造った聖徳太子の立像もありました。
隣の「聖倉殿」も見学。

11/1・壺阪寺~明日香

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バイクまで下り、10:15・「壺阪寺」。
駐車場は料金が発生するので、バイク乗利点を生かしました。
絶景かな、明日香~奈良盆地南部が一望です。
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山の中のお寺にしては、かなりの規模です。
造りかけの石仏もあり、経済的には潤っているようです。

『壺阪寺は、703年元興寺の僧・弁基によって創建された。この白鳳時代は、藤原京を創建した時でもあった。この霊峰に惹かれて山中に修行中、秘蔵の水晶の壺中に観世音菩薩を感得したので、その壺を坂の上に安置し供養し、壺阪観音を模刻して本尊とした。これが壺阪の由来です。その後元正天皇の時、勅願寺となり「南法華寺」の寺号を頂いている。弁基上人はその後還俗し、春日倉首老と名乗る文化人になり春日倉人の統括者になった。平安時代に全盛を極め、36堂60余坊の大伽藍になった。その後数度の大火で消失し、現在は室町時代に再建された礼堂・三重塔・八角円堂の建造物を残すのみとなり、山腹の静かな佇まいの中美しく調和を保っている。本尊:十一面千手観世音菩薩』

元興寺は、仏教を基礎に国造りをしようとした蘇我氏が明日香に建てた日本最初の寺院で、平城京の完成で現奈良市街に都が移った時にそちらに移って現・元興寺になった。
白鳳時代の元興寺はまだ明日香にあり、現在の「飛鳥寺」ですね。
弁基さんは、お寺を創建するような高僧なのに還俗するとは面白いな。
勢力争いに破れたのかな?
それとも妻帯が許されない坊主の世界に嫌気が差したのか・・・いろいろ想像してしまった。

大講堂に入り、多聞天などを観る。
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仁王門内の仁王さんは、彩色が落ち木目が露出しているが、妙に迫力がある。
仁王さんの高下駄が置いてあったので、家内を載せ写真をパチリ。
名前を書いた木札を収めると、眼病封じのご利益があるらしい。
八角円堂に入り、ご本尊を仰ぐ。
ここの縁側が展望台の役目をしており、ナイスです。

『藤原京の聖なるライン 藤原京は7世紀中頃、朝鮮半島の新羅の都・慶州に習って造られた。慶州は宮殿の真南にある「南山」を聖なる山と定め都を造ったと言われ、宮殿と南山を結ぶライン上に、多くの王墓・遺跡などが現存する。藤原京は真南に位置する壺阪山を聖山と位置づけたと考えられ、藤原京と壺阪山を結ぶライン上に天武持統天皇陵・文武天皇陵・高松塚古墳・キトラ古墳などたくさんの遺跡群が点在する』

バイクに戻り、r269~R169で壺阪山駅まで戻り、案内板に従って「キトラ古墳」に向かうが、案内板を見落としたのかまたR169に戻ってしまった。
明日香村の地図を確保しようと適当に走り、11:38「国営飛鳥歴史公園館」の駐車場にバイクを入れる。
「高松塚古墳」に向かって歩くと、「ここかな?」と思える古墳チックな小山があちこちに目につく。

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11:43、「高松塚壁画館」。
ここで、石舞台古墳・亀形石像物・酒船石共通券600円を購入。
ボランティア学芸員さんが数人おり、壁画の人物が持っている物が何かの説明を筆頭に詳しく教えてくれた。
古墳内の壁画が彩色を施され、現在もまだその色を残している染料の保存力は驚異的と思える。
埋め戻された高松塚古墳本体を観に行く。

『特別史跡・高松塚古墳 7世紀末から8世紀初め(藤原京時代を中心に飛鳥時代末から奈良時代前期までだな)に造られた古墳です。昭和47年の発掘調査で、日本で初めて石室内に描かれた壁画が発見されました。墳丘内部は、16枚の凝灰岩の切石を箱型に組んだ石室(内部奥行き265.5cm・幅103.4cm・高さ113.5cm)があり、その内面に塗られた漆喰を下地として、壁に鮮やかな男女の群像や青龍・白虎・玄武・日・月像・天井に星宿が描かれていました。こうした壁画古墳は、日本ではこことキトラ古墳しか知られていません。石室は中世に盗掘されていましたが、太刀の飾金具や銅鏡・ガラス玉などの副葬品の一部と漆塗りの木棺の破片が出土しています。壁画発見後、保存修理のために施設を建設し保存対策をしましたが、壁画の劣化が止められず、平成17年に、石室ごと取り出して修理することを決定し、500mほど離れた施設で修理作業を進めています』

11/1・高取山城址 その2

「松の門」という高取城内の門を移築した門があった。
『高取町の南東部には、標高583.9mの高取山がそびえ、山頂には高取城址(国指定史跡)があります。南北朝時代の1332年、この地方を治めた豪族・越智氏により築かれた山城で、その後本多氏などを経て、幕末・1868年まで植村氏の居城となりました。城内1万平方メートル・周囲3km。郭内6万平方メートル・周囲30kmという広大なものでした』

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漆喰の白が綺麗な長屋門がありました。
『植村家長屋門 1826年に建てられ、入母屋瓦葺造り、門内の東西に各4室の部屋がある。江戸時代は、高取藩に仕える中間達がそれぞれの部屋に住んでいた。近世武家屋敷表門の遺構を残している貴重な建物である。当時は城代家老の役宅であったが、現在は旧藩主・植村氏の住居となっている』

空撮した城址の石垣にCG再現した天守他の建物を加えた案内板があった(奈良産業大学・高取城CG再現プロジェクト)。
CGのように建物を再現できたら、見事なものだろう。

舗装路を上がっていくと、「壺阪寺」があった。
下界を見下ろす良い景色です。
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ここを過ぎると道が狭くなり、8:45・登山道分岐到着。
ここに数台停められる駐車スペースが有ります。
8:52「八幡神社」&「城址まで550m」登山道分岐。
ここにバイクを置いて登ろうかと提案するが、「もっと上まで行く」とあっさり却下された。

『高取城址は、急峻な山上地形を巧みに利用して築かれている。何段にも重ねた石垣や「食い違い虎口」(出入口)、急斜面により守られ、山麓の城下町との比高差は400m以上ある。
14世紀前半に土豪・越智氏が南朝の呼びかけで築城したのが始まり。織田信長の一国破城により、1580年に一旦廃城となるが、1584年筒井順慶による復興を経て、豊臣秀長の家臣・本多氏により近世城郭として完成した。江戸時代に入り、1640年譜代の植村氏が入部して2万5千石の居城とした。以降明治維新まで、植村氏が14代に渡って城主となった。山上に、本来の城と家臣の屋敷地を取り込んで、城と城下町の2様相を山城としてまとめた特徴ある形である。そのため山城としては広大にならざるを得なかった。しかし平穏な時代には山上の生活が不便なため、藩主はじめ多くの家臣が山を降り、その結果、城郭と城下町が離れた得意な形態となっている』

9:08、登城車道のエンド。
簡易トイレが設置されている。先着車なし。
そこにバイクを置き、ジャケットを脱ぎ帽子を被って、城攻め開始。
ロープを張った杭が打たれている土留め簡易階段道にとり着くとすぐに、井戸と思われる地形があった。

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振り返れば、素晴らしい下界の眺めです。
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9:10・見上げれば石垣。
また井戸。
水の確保は城の守備の生命線だから、いくらあってもいい。さすが江戸時代の城、いくら山城といえど、見事な石垣が積んであります。

9:14、山頂曲輪到着。
平城同様に石垣がお見事。
適当に草が生え、適当に苔むし、大木もしっかり残り、いい感じの遺構です。
沖縄の山城はどこも裸山のように木木が切られ手入れされ、これでは風雨に晒され、遺構の保存は難しいだろうと文化の違いを感じた。
中世の山城は、こうでなくっちゃ。

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日本三大山城の説明板があった。
標高日本一の「美濃岩村城」、天守が現存する城郭における日本一の標高「備中高松城」、そして比高日本一の「大和高取城」。
ここの登城で、僕の3城制覇達成です。
先客の男性が1人いるだけで、ウロウロ歩きまわり天守閣があったであろう最上部曲輪まで登りました。

和田山・竹田城の山上に浮かんだような景色には負けますが、石垣の保存状態や規模の大きさはこちらの勝ちです。
木々に埋もれた感が、忘れられた巨大山城の哀愁を誘います。

『本丸は、大小2棟の天守閣と鉛櫓・硝煙櫓を多門櫓(塁上に設けた細長い単層の櫓)と塀によって接続する。これを連立式形態と呼ぶ。東西40間(73m)南北35間(64m)の凸字型平面を成す。地形の変化に対応し築かれた山城は、自然に不規則な縄張りとなる。しかしこの本丸は、平城のように整然さを有するので、築城技術の完成した頃の構築とみられる。昭和47・48年の県教育委員会の高取城修理に伴い、本丸東北隅の部分を対象に、石垣の実測・根石の状態調査をしたが、石垣の歪は後補のものであり、隅石には転用材を使用している事が明らかになった。転用石の中には、漆喰の付着した石が2個検出され、切石古墳の石を使ったものと想定されている。漆喰は、分析により桜井付近の古墳漆喰と似ていると報告されている。また、本丸鉛櫓下の背面に補助的に設けられた布台石垣の下に配列された胴木の存在は、山城での依存例として唯一の発見例で注目すべきものである』

9:44、「最上部曲輪」到着。
家内が登城達成とばかりに、大きく伸びをしています。
下りだしたとこで、男性1女性2のグループが上がってこられました。
リュックスタイルなので、壺阪寺から上がってきたのかも?

高取城址・益田岩船

11/1・高取山城址 その1

久しぶりのデートです。
数日前の雨予報が後ろにずれ、前日の天気予報では、気温は低いものの雨は夜に入ってからになりました。
1 「琵琶湖北西部・賤ヶ岳から山本山城址に下る山道ハイキング」
2 「余呉湖から琵琶湖北岸を巡ってマキノまで走るサイクリング」
3 「琵琶湖湖西(朽木~高島)謎の多い継体天皇関係地巡りドライブ」
4 「日本三大山城・高取城址~明日香村散策タンデムツーリング」の4案を提示しました。
前回がサイクリングだったので、家内が選んだのは第4案でした。

6時出発を予定し、起きたのが4:30でした。
すでに家内は起きており、家事を前倒しでしていました。
ゴソゴソして5:15から準備開始。
リアボックスを通勤リード110にセットし、家内のプロテクタージャケットを足元に置く袋に入れます。

秋冬スタイル(プロテクタージャケット・パンツ&DAIWAフィッシングスーツ)に着替え、5:55に家を出ました。
家内を最寄りの駅に降ろし、僕だけで「近鉄・壺阪山駅」に向かいます。
r13を南下し、「五合橋」でR43に乗り換えて東進開始。

日曜の朝なので交通量が少なく、JR天王寺・近鉄阿倍野前をあっさり通過。
ここからR25で「柏原」、R165で大和川が奈良から大阪に抜ける生駒山系と葛城山系の間を越えます。

「道の駅・ふたかみパーク當麻」で休憩しようかなと思ったけど、お店が開いてないような気がして通過。
この通過が幸いし、ヤマハMT-07さんの後ろを走ることが出来ました。
信号待ちで「静かですね、2気筒でしょ」と声を掛けました。
250ccからの乗り換えで、車重180kgで250ccと変わらず、むしろ静かで驚いたとの答えが帰ってきました。
僕のVTR250より2気筒独特のドコドコ音が小さく、走り出しの時は、ヒューンという4気筒?を聞かせながら発進します。
180kgという重さも、VTR・150kgでは高速道路で風に振られる感じがし、CB400SB・200kgでは取り回しが少々重いの中間値で、ヤマハはいい所をついています。
ハンドル位置が高く、前傾姿勢もきつくなくロングライドも楽そう。
良いバイクでした。

r30を直進するMT-07さんに別れ、R24・「大和高田バイパス」に乗って橿原まで一気に移動しました。
ここから近鉄線に沿って、R169で南下です。
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橿原駅を過ぎたとこで、駅に寄って観光案内パンフレットを確保しようと思い、7:47・「近鉄・飛鳥駅」に寄り道。

橿原の藤原京に遷都するまでの飛鳥時代の都・古代遺跡の宝庫「明日香村」の最寄り駅だけあって、駅からの階段が広い。
でも、京都や近江のパンフレットはあっても、肝心の明日香のパンフレットも地図もありません。
いつも思うんですよね・・・全国の駅に地元の観光案内パンフレットを置いておくのが、最も便利なのに・・・。

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「レンタサイクル土日祝日1000円」の案内板を、洋服を着たカカシが持っています。
橿原~飛鳥駅間の旧跡を巡る「かめバス」のバス停がありました。

8:00、家内と待ち合わせている「壺阪山駅」到着。
方向音痴の家内が明後日の方角に行かないよう毎回渡しているルート図に書いた家内の予定到着時間は、8:04です。
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町家のカカシ巡り案内板が出ています(10/31までだけど)。
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観光案内図看板の地図を頭に入れると、予定の電車が到着しました。
改札口まで行き待っていたけど、リュックを担いだハイキングの年配さんはたくさん降りてきたけど、家内は出てきません。
いつものようにどこかでミスって、1本遅れのようです。
駅の外に出て、陸橋で線路を渡り壺阪寺・高取城址とは違う方向に行くハイキングさん達を見ていると、「着いたよ、トイレに行ってたの」と笑顔の家内が後ろにいました。

家内に内緒で買ったお揃いの「コミネプロテクションパーカ」を家内に着るように渡すと、「あれ~、前のと違う。お父さんとお揃いだ~、買ってくれたの」とニッコリしてくれました。
「やった~」・・・城址を目指します。

地図で頭に入れた旧道に出ると、「キトラ古墳・0.9km」と書かれています。
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旧道を進むと、カカシ達がいました。
「かかし村」のバス停で農作業風のかかしさん達が屯しています。

『土佐町 6世紀の始め頃、大和朝廷の都づくりの労役で、土佐国を離れこの地に召しだされたものの、任務を終え帰郷するときに朝廷の援助なく帰郷かなわず、やむおえずこの地に住んだことから「土佐」と名付けられたと思われる。
近世に入り、植村氏が高取城に入部するに伴い、土佐はその城下町として政治経済の中心となり、町筋に商家が立ち並ぶ。毎年開催される「お城まつり」には、高取土佐時代行列保存会による奴行列が再現される』

11/2・Big examination

朝メールチェックすると、長男のお嫁さんから嬉しいメールが届いていました。

『今日、無事に幼稚園試験に合格しました。朝早くて若干ご機嫌斜めでしたが、面接が始まると信じられないくらいにしっかりと受け答えをし、ほぼ全て答えることができました!
名前も元気に言えました。
親バカですが、流石です!
倍率は約2倍だったようです。
早生まれなのに頑張りました』

中学受験や大学受験ほどのBig examinationではありませんが、人生初の入試を元気に明るく乗り切ったようです。
1才の時は、人並みに人見知り期間がありましたが、じっとたまに会う僕を凝視し、「こいつは誰だ?こいつは良い奴か?」と吟味し、しばらく親とこいつとの会話や態度を観察し、しばらくして良い奴と判断したら、僕の膝の上にも乗ってきました。
両親(長男夫婦)がお茶しに出かけても、爺ちゃん婆ちゃん(僕ら夫婦)と普通に遊べました。

2才になると以前の記憶が残っているようで、僕らを見ても人見知りせず、空港で顔を見るなり「爺ちゃん・婆ちゃん」と言えるようになっていました。
このお盆に近所の公園に行った時は、初対面の少し年齢が上な子を追いかけて、遊ぼうとしていました。
東京の自宅では、近所の公園で小学生の遊び仲間が出来、子供同士で遊んでいるようです。
「割合、社交的だな」と思っていたので、幼稚園試験も難なくクリアしたようです。

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添付されていた写真を見ると、まるで入学式の写真のように、おめかしした長男夫婦とネクタイ・ブレザー姿の嫡孫君がいます。
かっこいい、そしてかわいい。
都心でモデル会社からスカウトされたのもうなずけます。
お嫁さんの美貌も目を引いいたのでしょうが・・・

東京は幼稚園でさえ競争が激しく、幼稚園入試の塾まであり、いくつか受けるようなことを言っていたので一発合格はラッキーでした。
入園前お試し幼稚園体験で参加してた幼稚園のようで、第一志望だったようです。

メールの発信は、日曜日の夕方だったので、面接後すぐに合否発表があったようです。
合格証の写真も添付されていました。
書かれていた名前が保護者・長男名で、本人の名前はどこにもありません・・・ちょっとびっくり。

次の日曜日・11/8は、去年に続き僕の誕生日祝いを東京の自宅でしてくれるようで招待されているのですが、嫡孫くんの合格祝いの方が優先ですね。
家内が、福岡の太宰府天満宮で授かってきたノートをプレゼントすると張り切っています。
僕は、嫡孫くんからビデオレターで直接頼まれた「プラレール・機関車トーマスシリーズのスペンサー」と、能登半島ツーリングの時、歌舞伎・勧進帳で有名な「安宅の関・安宅住吉神社」で授かった「難関突破お守りと絵馬」です。
そして毎回プレゼントしてる「岩波の絵本シリーズ」は、「ふしぎなたいこ」です。
これは、僕も母親に読んでもらい、弟や息子たちに何十回と読み聞かせた思い出の本です。
レゴ同様、3世代を経てもまったく変わっていない長寿絵本です。

あ~、楽しみ~

10/25・若狭海岸・歴史ツーリング その6

r27を少し走りr51で山越え南下しましょう。
15:38、「出光・セルフマリン東舞鶴」で給油。
253km/9.11L=27.8km/L。
このr51がクセモノでした。
R27からr51へ、一方通行で直接は入れません。
野生の勘で適当に市街地道を走って、やっとr51へ。

舞鶴若狭自動車道をくぐり、r27との分岐を越え、つづら折れが始まるぞと思ったら、以前工事中だったトンネルが開通していました。
あっという間に峠を抜け、快走路でr1へ下ります。

お気に入りのr1を快適に流し、田園風景のいい感じの道端にバイクを停め、コンビニおにぎりを出して遅い昼食です。
R27との交差点を渡り、r450に乗って由良川沿いを東進。
r59でまた峠越えです。
「大原神社」のとこでR173に合流しました。
ここに出るのですね。

R173を我が家の近所・池田まで南下開始ですが、「瑞穂トンネル」手前の「戸津川」という場所で「榎峠」越えのR173・旧道への分岐を見つけました。
真っ暗になる18時まで1時間の余裕があります。
1時間あれば通過できるだろうと、GO!

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半信半疑で突っ込みましたが、17:05・旧道である動かぬ証拠である道標を発見。
元国道だけあって、勾配はきつくないしつづら折れもありませんでしたが、1.5車線の道路幅で、落ち葉落ち枝で舗装されているかもわからないほどになった場所もありました。
山側の溝がどこにあるのかないのかわからないほど、落ち葉に覆われているのがキツかった。
加えて落ち葉に隠れた落石が見えないのも危険でした。
まあ、ゆっくりですし、やばそうなとこは2輪2足走行にして、コケても自力復帰出来るように注意しました。

ちょっと手間取ったら、真っ暗闇になっちゃいます。
イノシシの成獣と路上相対した時はドキリとしましたが、あっさり山に逃げてくれました。
突っ込んで食っちゃっても良かったけど・・・

峠を越えて下りになったので、余計にオーバースピードに神経を使い、R173・現道が眼下に見え出した時はホッとしました。
「ならば突っ込まなければいいのに」とも思うのですが、つい未走路を見つけると、「何処に行くんだろう」「どんな道なんだろう」と興味をそそられちゃいます。

R173に合流した時は、もう暗闇直前で、反射板ベストを着ようかと思ったが、まだ肉眼で四方が見えるので、道の駅まで行くことにしました。
山内一豊のお爺さんが籠もった「三ノ宮城址」横を通過し、R9との交差点を越え、17:37「道の駅・瑞穂の里さらびき」

真っ暗になるのは必至なので、「コミネ・リフレクティブ・ナイト・セーフティー・ベスト」を着ます。
2週連続で、日没前帰宅困難になりお世話になります。
ベストを着ていると、後ろに黄色のバイクが停まりました。
トイレに向かうと、黄色のバイクは僕と同じVTR250でした。
僕が免許を取った2008年は、排ガス規制で新車は売っておらず、2009年にインジェクション化されて新発売された現行車です。
黄色のバイクは、夜でも目立つな。

売店を回ったけどめぼしい物はなく、車載カメラやGPSを外していると、オーナーさんが戻って来られました。
「黄色のVTRは、夜でも目立ちますね」と声を掛けると、お話好きのようで、「黄色は、数年しか売られなかったんですよ」
「僕のは1世代古いVTRです」「キャブですか」「はい」
「VTRって、サイドスタンドが長いでしょ」「はい」「僕はこれで何度もコカしています」
スタンドが長めなので、停車させた時の傾きが少なく、ちょっと押しただけで、反対側に倒れます。
僕は置く場所を変更したりして注意してるけど、痛い目に遭ってるそうです。
納車して数日で洗礼を受け、5~6万の出費になったとか・・・。

「何処に行かれたのですか?」「京都の美山から峠越えで小浜に降りて、海岸線を西進してきました」
「僕もその道はこいつで走ったことがあるかも・・・五波峠でしょ」「え~そうなんですか(同族発見!)」
「おニュー峠も走りましたよ」「え~未舗装路があるから敬遠してるのですが」「KLXという125ccで走りましたが、未舗装部分も長くなく、路面が締まってるので、VTRでも走れそうでしたよ」
「岐阜県と福井県の峠を越えたことがありますか?」「冠山峠でしょ」(うお~、完全に同類です)。

丹後半島に行かれたそうです。
顔があまり見えないくらい駐車場で、楽しい話が出来ました。
僕のナンバープレートを見て、「神戸まで帰るのですか?」「いいえ、伊丹です。R173で池田に出れば終わりです」
「それじゃ」「ではお気をつけて」で、別れました。

R173を走りながら、連絡先を聞いておけばよかったとちょっと悔やみました。
一度、一緒に走ってみたい方でした。
一気に池田まで帰り、バイクを片付け家に入ると、20時でした。
家内が、来月の東京行きで孫くんへのプレゼントを包装する袋を買ってきていました。
僕が夕食を食べている横で、来年京都の蒸気機関車館がリニューアルオープンする新聞記事を読んでくれました。

若狭海岸・歴史ツーリング 9/10

若狭海岸・歴史ツーリング 10/10

10/25・若狭海岸・歴史ツーリング その5

r21に戻り海岸線を北上します。
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12:56、遠浅の海岸にサーファーがたくさん出ており、いい波に乗っています。
今日の強風予報を見て、やってきたのでしょう。
僕がスキーフリークしてる時、休みが近づくと「寒波到来」を待ち望んだのと似ています。

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TMに、「棚田百選・日引の棚田」「素朴な漁村・湾越しの青葉山と棚田が美しい」と書かれていたので来ましたが、小規模でした。
中山寺の山号にもなっていた青葉山は、秀麗な富士山型の三角山で目立ちます。
道は交通量も少なくとても走りやすくGoodです。
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ここに、「日引モニタリングポスト」がありました。
現在の放射線量が表示されています。
初めてみました。

r21を戻りr772、大浦半島の西海岸に出て、r21~r561・「小さな村々をつなぐ田舎道」へ。
お猿の集団が、柿の木に登って柿を食べていました。
「さるかに合戦」みたい。
防獣ネットの中に入って食べてる不届き者もいました。

~野原川沿い~r21で、13:56「野原漁村」
村内の「若宮神社」に寄ります。
特に特筆すべき物はなく、r21「一部狭路あり、海を眺める周遊ロード」を走ります。
素敵な海岸線が眼下に広がります。

14:18、木造校舎「丸山小学校」がありました。
廃校のようです。
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校舎の向こうに海が見え、海を見ながら授業を受けていたのでしょう。
映画のロケに使えそうなロケーションでした。

「三浜瀬崎林道」(この辺りほとんど車は通らない)は、舗装されているのかさえ疑問だった林道ですが、r21絶壁ロードよりしっかりした同じく海への景色の良い道でした。
ほぼ終点の「展望台」まで車とすれ違いませんでした。

14:32「美浜展望公園」。
片足の悪いバイク乗りさんが先客でおられました。
絶景についておしゃべり。
舞鶴の向こうにある丹後半島も見えていました。

林道終点に、14:45・「舞鶴ふるるファーム」がありました。
馬がいたので、昼食でも食べるかな?と思って寄り道。
コテージ・農園・いちごハウス・ふるるマーケット・手作り工房。
「農業レストラン」もあったので入ると、バイキングでした。
15時終了なのでパス。

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羊もいました。
「手作りりんごジャム・フジ」714円をお土産に購入。
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山の向こうに「舞鶴発電所」の巨大煙突が見えます。

15:06、「舞鶴臨海公園」(海上プラネタリウムが人気・絶好の釣りスポット)。
風が強く、横の車から下りてきたカップルのお若い女性が髪の毛のもつれを気にしています。
男性は、彼女が飛ばされないように優しく腰に手をやりサポートしていますが、僕は女性のスカートの後ホックが外れていることが気になって・・・。
男性がいなければ声をかけるのだけど・・・。

「エル・マールまいづる」(豪華客船をイメージした関西電力のPR館)もあります。
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「M's deli」というお洒落なレストランがあったので、ここで遅い昼食にしましょう。
遅い時間帯なのでお客さんは少なく、海に面した席に座りました。
良いロケーションだなとメニューを見ると、セットメニューがほとんどでした。
時間がかかりそう・・・カレーでいいんだけどな。

店内に入った時に、「どうぞお好きな席へ」と声を掛けられ、たった3組しかお客さんがいないのに、お水さえ出てきません。
ウエイトレスさんが1人なのに、注文に細かく対応しすぎて、「ちょっとお待ち下さい」と言いながら厨房に確認しに行ったりしています。
さっき入ったカップルさんからも声が掛かっています。
臨機応変に対応できない生真面目なウエイトレスさんのようで、「こりゃだめだ」と諦めました。
仕事でも何でも、イレギュラーな時の即応力にその人の持ってるタレントの大きさが見えます。
マニュアルを真面目にこなすことが限界だと、指示待ち族にしかなれません。

また昼食に振られ、舞鶴湾に面する海岸道を走り、r21に出て東舞鶴。
海上自衛隊・舞鶴地方隊基地のある町です。
制服を着た若い自衛官が3人歩いていました。

我が家の近所に陸上自衛隊基地があり、自衛官があちこちで歩いている。
若い自衛官は話すと素朴な田舎の兄ちゃんという感じだけど、言葉遣いはしっかりしており男らしい。
隊の桜まつりなどで基地内に入ると、命令口調でのテキパキした隊員同士のやり取りをちょっとおっかなく感じる時があるが、頼もしく思う。
一般兵を短期間にここまで鍛える自衛隊の教育システムは大したものだと思う。

幸い戦争を経験していませんが、災害復旧活動などで基地を出て行く車両に、「頑張ってくれ」とエールを送ってします。
警察官や消防士同様、僕ら日本国民を悪漢の手から体を張って守ってくれる力強い正義の味方です。

若狭海岸・歴史ツーリング 7/10

若狭海岸・歴史ツーリング 8/10

10/25・若狭海岸・歴史ツーリング その4

帰路、木々が切れたとこから眼下を見下ろしました。
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素晴らしい眺めです。

更に下ると、「鯨供養碑」が立っていたので立ち寄りました。
そこから「若狭和田マリーナ」が見下ろせました。
海は強風で荒れており、防波堤を越えて砕けた波がマリーナ内に落ちて来ます。
そのすぐそばで、桟橋から前だけ離したセーリングクルーザーがいます。
数人乗っているので、今から出ようとしているのかと見ていると、風にも動かず固定されているようです。
漁船などの大きなエンジンを持っていないと、この荒波の中へ突っ込んでいくのは危険です。
きっと諦めて宴会でもしているのでしょう。
それにしても、変な固定の仕方だ。

マラソンコースにまた遭遇しますが、「ゆっくり走ってね」と警察官から許可を得、100mほどコース内を走りました。
R27~r16で、11:22「佐伎治神社」到着。
砂利駐車場に大型バイクが1台いました。
砂利を敬遠し、鳥居の下に駐輪。

『ご祭神:大己貴命・素盞鳴尊・稲田姫命 今より1800年以前の創建と推定される』
素盞鳴尊がヤマタノオロチを退治して救い娶った櫛名田姫夫婦と息子の大国主命を祀っているようです。
拝殿内には椅子が並び、お祓いをされていました。
近隣の方が普段着で参列しています。

摂社に「広峯神社」があり、珍しいなと思いました。
広峰神社は、姫路・広峰山にあり、戦国時代は京都祗園・八坂神社と双璧を成した牛頭天王を祀るお宮でした。
黒田官兵衛の祖父が、この神人の全国への御札配り流通に秘伝の目薬を乗せて大きな財力を得て、後の大躍進の礎を築いています。

裏山にある「砕導山城」に登る適当な道が見当たらず、鳥居脇から伸びていた車道をバイクで探索しました。
うまい具合に標高を稼ぎましたが、結局下りになり行き止まりました。
再び鳥居脇にバイクを置き、駐車場横から伸びていた道を探索することにしました。
大型バイクが消えています。

若狭武田氏の有力家臣団・逸見氏の居城で、先週登った武田氏居城より規模が大きかったと言われている。
11:41・「妙見山遊歩道」というのが山に向かって伸びており、野生の勘で「これだな」と思いました。
曲輪らしき階段上になった数段の造作が確認でき、11:52・更にその上に忠魂碑が建つ大きめの曲輪がありました。
戦国時代のものを再利用しているのかもしれません。
遊歩道だけあって、つづら折れを繰り返し、直登の急勾配をゆるい上りに変えています。

11:56「愛宕神社」のある曲輪がありました。
「滝へ6分・山頂へ8分」の立て札があり、山頂への目処がたちました。
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12:04山頂曲輪に「妙見神社」がありました。
脇に僧侶の墓石スタイルである無縫塔が数基立ち神仏混交の時代を思い出させる。

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神社も廃寺状態に荒れていますが、海側の絶景が素晴らしい。
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鹿糞が落ちていました。
典型的な豆大のバラバラ糞の他に、塊もあったので、「これは・・・」と思いましたが、腰を下ろして見ると鹿糞が集まっているだけでした。
鹿なら怖くないな。
イノシシが掘り返した跡もなく、鹿がいるだけのようです。
山頂曲輪周囲を探りましたが、石積みはなく、「若狭守護武田氏本拠・後瀬山城を凌ぐ縄張り」と謳われていましたが、見たところどちらもどっこいの規模に見えました。

12:24、バイクまで下りてきました。
登りで2回休憩を入れて、往復所要時間43分。
山頂の絶景は特筆モノです。
もぐらの穴もあったし・・・

R27~r21で大浦半島に入り、12:39「中山寺」。
阿吽の仁王像が守る仁王門があります。
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『重要文化財:本堂、本尊馬頭観音坐像 鎌倉時代』、本堂の檜皮葺が綺麗です。
これもやり変えてあまり日が立たない感じがします。

『真言宗仁和寺の末寺で、山号を青葉山といい、736年泰澄大師が開創し、釈迦・阿弥陀・観音の三尊を安置した。鎌倉時代に至り覚阿法印が名を一乗寺と改め、馬頭観音坐像を本尊として再興したものである。
本堂は、5間4面の和様建築の美しい建物で、昭和40年に工費4500万円で解体修理し、平姓19年に屋根檜皮が葺き替えられた。本尊馬頭観音坐像は、79.3cmの像で長く秘仏として守り継がれてきた。山門の金剛力士像も、本尊ともに鎌倉時代の有名な仏師湛慶が彫ったものと言われる。また阿弥陀如来座像は、73.7cmの一木割剥ぎ造りで、持仏堂に安置されています』

本堂入口には、「本堂へは拝観料400円を納経所をお納めの上ご入堂ください」
「お茶室のご利用について・・・」、裏千家さんがお薄茶を立てられているそうです。
500円。
家内と同じ裏千家さんなので、家内がいたら入るのだけど・・・。

若狭海岸・歴史ツーリング 6/10

10/25・若狭海岸・歴史ツーリング その3

若狭西街道に戻り、r241・「青戸大橋」を渡って「大島半島」に入りました。
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海釣り筏がたくさん浮いています。
「重要文化財」の道標に惹かれて、9:56・「清雲寺」。
コンクリート造りのお蔵があり、『木造吉祥天立像・木造毘沙門天立像・・・』の立て札が立ててありました。
申し込みしないと見学出来ないようです。

『大島丸山城址(正面の山頂) 135.3mの山頂に築かれ、南北200m・最大幅60m。1504~1521年、山城国久世郡より逸見貞長がこの地に入り、丸山に城郭を築き、その後高浜に移った。1527年、丹後の海賊衆が若狭湾沿岸の集落を襲撃するなど、海に関わる攻防戦がしばしば起こったとみられ、大島半島もその影響を受けている。
西側は若狭湾に面し、和田・高浜を一望し、遠くは丹後半島まで望見でき、対丹後海賊衆の見張り所としては最適で、若狭の西辺を守る逸見氏が円山に城を築き一族を配して、小浜湾のつなぎの城としたものと考えられる』

この日のメインターゲット逸見氏の元の城がここにあったのか・・・。
更に進み、「大飯原発・エルパーク」に入ろうと思ったけど、原発前で厳重なバリケードに塞がれました。
5人ほどのガードマンに「過激派来る」の視線を浴びせられ退散。
原発啓発施設・エルパークは、休業中のようです。

僕は核分裂原発はない方がよく、太陽エネルギーの元である核融合原発への通り道という位置づけだけど、各地の原発啓蒙施設に何度か入ったことがあります。
快適なので嫌いじゃありません。
福井県の原発が全て止まっている現状を、どのように我が家が利用している関西電力が説明しているのか興味を持っていました。
原発反対運動も自由な国・日本なので否定しませんが、手段を選ばない過激な暴力を持っての反対運動には懐疑的です。
ガードマンの視線がそれを物語っていました。

10:08、塩浜漁港でちょっと休憩し、r241を戻ります。
ツーリングマップル(TM)に、「展望台からの絶景は広がる・若狭八景」と紹介されている「安土山公園」に向け、r266に入ったら、すぐにバリケードと警察官に止められました。
マラソン大会で通行止めのようです。

橋を渡り直し、R27で迂回するように言われましたが、若狭西街道にまで南下し、それを西に走り、10:35高野山真言宗「馬居寺」到着。
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和尚手作り?のパネルや土偶が楽しい。
『馬居寺のコマーシャル 美人には、姿美人に声美人、手紙美人は賢くも見え、悪筆ならば馬居寺へ。字が上手それだけあれば美人なり』

この裏山にある「白石山城」探索を主目的に来たのですが、事前下調べで見た林道が見つかりません。
帰路バイクを停め、未舗装の枝道を徒歩探索して戻ると、農作業をしていた地元の方がバイクの横におり、「柿食わねえか」と正岡子規「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」のような台詞で迎えてくれました。
この方にも聞いたのですが、情報を得られませんでした。
未舗装路では上がれないなと諦めました。

若狭武田氏の有力家臣団の1人・高浜城主・逸見氏が武田氏の家督争いの一方に付いた時、同じく有力家臣団だった粟屋氏が、高浜城に対する城をここの築いた。
石垣が遺っているし、林道が城跡手前まで上がっていると来たのですが、未舗装では行けません。
帰宅後調べ直したら、「馬居寺」の奥から舗装林道が続いていたそうです。
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その道には「観音堂」と書かれていたので、寺内にのみ続くと思いました。
先週多くの若狭の山城を調べた時に頭に入れた情報なので、お寺の手前から分岐と勘違いしていました。
埋もれた中世の山城に関心を持つ人なんて、地元でも珍しいからなあ。
案内板が一切なかったのが誤算でした。
事前情報が多すぎると先入観を持って城跡を見てしまうので、さっと見る程度にしているのが仇になりました。
遠方の城跡であるので、逃した魚を大きいぞ。

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広域農道に戻り、10:50・JR「若狭和田駅」。
再び大島半島に渡り、マラソン通行止めでガードマンに聞きながら、10:59「安土山公園」到着。
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展望台に上がるも、伸びた木々に阻まれ、展望がよろしくない。

若狭海岸・歴史ツーリング 4/10

若狭海岸・歴史ツーリング 5/10
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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