10/25・若狭海岸・歴史ツーリング その2

田歌の標高300mから、京都府と福井県の県境・「五波峠」600mを越える峠なのに、て予想に反し勾配が緩やかです。
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7:58、標高が上がると山並みの景色が広がり、紅葉が始まっている。

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連続・つづら折れはいつ来るのかと思っている間に、8:02「五波峠」の到着。
ここまで森の中で風を感じることはありませんでしたが、美山かやぶきの里で見上げた雲の早さを物語るように、周りは森なのに、風がビュービュー吹いています。
先客の車が1台停まっています。
登山の方なのでしょうが、この強風じゃ峰に立っても怖そう。
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標高800mの「八ヶ峰」への登山口でした。

福井県側に下ります。
落ち葉・落ち枝は当たり前で、落石の小石にだけ気をつけて、ゆっくり下ります。
フロントタイヤが小石でスライドしちゃうと転けるものね。
谷側にもできるだけ寄らないようにします。
万が一こけても路上であれば、どうってことないです。

やがてr224になり、8:19「八ヶ峰家族旅行村」がありました。
小休憩。
横に清流が流れ、バンガローなどの施設が充実しています。
「染ヶ谷養魚場」と書かれていたので探しましたが見つけられず。
谷川の水を引いているのか、蛇口から水が出っぱなしで、明らかに水道水ではない冷たさでした。

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気持ちの良いr224を下り、R162に合流します。
通り抜けられないr35も探索したかったけどパスし、R162~r222で1週間前に探索した小浜に近づき、「若狭西街道」で舞鶴若狭道に沿って西に進みます。
この広域農道は交通量も少なく、お気に入りの道です。
海に近づく「勢浜」付近では、木々の切れ間から海が見下ろせます。

加斗にある「飯森寺」に向かいます。
山道を上がり、9:10・簡単に飯森寺に到着。
黒服さんが数人、駐車場整理しています。
葬儀か地元の有力者の法事でもあるのかな?すでに車が50台ほど停まっています。
こんな山のお寺に・・・。
砂利駐車場に誘導されたので、仕方なく出来るだけ足場の良い所に停めました。

謂れ板・『深山飯盛寺縁起 元正天皇の勅願により、720年草創に掛かる古刹』を読んで、山門に向かいます。
山門下の日陰にご婦人方が大勢いたので、「今日は何かあるのですか?観光で来たのですが、拝観できますか?」「いい所に来られました。ご開帳の日です」
「本尊の?」「そう、9:30からご開帳なので、観ていかれたら」

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山門をくぐり、本殿に向かう小道に、机が出されており、儀式に使う鳴り物が置いてありました。
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準備中の方に観光のために石段を上がっていってもいいかと聞くと、「どうぞどうぞ」。

石段を上がると、綺麗な茅葺屋根の本堂が見えてきた。
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茅葺きは厚く、まだ葺き替えが新しいようです。
「弘法大師」と書かれた提灯の下がったお堂は、御影堂でしょう。
真言宗のようです。

本堂内を覗くと、薬師如来さんが中央におられるようです。
椅子が並べられ、その背には個人名が書かれているので、本尊御開帳儀式の準備でしょう。
お嫁さんに宿った新たな生命の無事の誕生を願いました。

『国指定重要文化財 飯盛寺本堂(室町時代) 数度の補修後、平成6年秋より10年春までの年月を掛けて、全解体復元大修理されたが、梁内陣柱床は創建当初材で、屋根は瓦葺きより当初の茅葺きに変更された。 本尊・薬師如来、脇仏・千手観音』

山門の方に下りると、振り袖姿のお若い女性が数人います。
頭に飾りをつけた独特の衣装の6才ぐらいと2才ほどの稚児さんがお母さんと手をつないでいます。
儀式で舞でも見せるのかな?とても綺麗で艶やかです。
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和服姿の女性は素敵です。

バイクで麓に下ると、ミニパトカーが停まっており、正面からお神輿行列がやってきます。
ゆっくり横を通りぬけました。
オカメとひょっとこのお面を被った人が、お神輿の露払いをしていました。
収穫に感謝する秋祭りの季節です。

アメリカ生まれの収穫祭・ハロウィーンが日本でも流行ってきているようで、去年11月に長男のマンションに寄った時は、あちこちの玄関にパンプキンが飾られていましたが、日本は本来これだろう。
子供たちがチビの時は、町内の神社の子供御輿を引かせて練り歩いたものだ。

若狭海岸・歴史ツーリング 2/10
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10/25・若狭海岸・歴史ツーリング その1

日曜日は、先週登れなかった山城・「砕導山城」を目指し、若狭ツーリングをしました。
若狭高浜にあり、若狭守護武田氏与力の国人・逸見氏の本拠地です。
その城攻めをメインディッシュに、京都美山~五波峠ビレッジライン~小浜~広域農道・若狭西街道~高浜~大島半島~大浦半島~舞鶴~R173・旧道のルートを計画しました。

4:30に目が覚めました。
調度良い時間です。
先週同様、春秋スタイルの上下プロテクターメッシュ&DAIWAフィッシングスーツに着替え、「里山VTR250」に荷物を載せます。
2つの初訪問山城、通行止めによくなる峠越えビレッジライン、R173・旧道も怪しい・・・これだけ揃えば、200kgのCB400SBより150kg・VTRの出番です。

5:19出発。
池田からR173、そしてR477に乗り換え北上する。
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5:55、東の山の稜線がくっきりし出した。
R372に出て左折し、また右折して再びR477。
新世紀トンネルを抜けて園部市街地へ。
園部城を左に見て北上し、R9を渡り、6:19・r19との交点・「ファミリーマート・園部町内林町店」で、エビマヨ120円と辛子明太子138円を購入。

r19を美山に向かってひた走る。
この道は何度走っても気持ちがいい。
桂川沿いのJR山陰線の鉄橋をくぐるところで、先日ニュースで見た元国鉄主力特急カラーのJR山陰線・コウノトリが今月末で現役引退することを思い出した。
r50に浮気をして、6:32・JR日吉駅に寄り道しました。

駅手前の踏切が警告音を鳴らしていたので慌ててバイクを置き、線路の見える場所に上がります。
上り線各駅停車でした。駅構内に入ってみました。
ひなびた田舎駅を想像していたのですが、真新しい複線駅でした。
でも改札はなく、プラットホームに出入り自由です。
ホームの写真を撮って駅舎に戻ると、朝の準備中の駅長さんから「特急こうのとりの撮影ですか?今月末で引退だからねえ」と声を掛けられました。

たまにしか列車が走らない山陰線だから、もう電車は来ないだろうと駅を後にしてバイクに向かっていると、駅構内アナウンスが何か喋っています。
「ん、来るかも?」と、朝食としておにぎりを食べながら待つことにしました。
バイクのリアボックスからおにぎりを出そうとしてると電車の音がして、慌てて線路が見える場所に走りました。
上り線特急が駅に停まっていました。
お目当ての381系ではなく、現役特急主流の287系でした。
顔がのっぺらぼうで、白くて洗練された感じでかっこいいのですが、国鉄特急のイメージは子供の頃についた朱めクリーム色車体に赤のストライプです。

r19に戻り、桂川支流とともに北上します。
「神楽坂トンネル」を抜ける時、この上の峠を抜ける道を探索しようかと思ったけど、それらしい枝道はいきなり落ち葉いっぱいだったので自重しました。

由良川沿いに出て、R162に合流しました。
バイクのたまり場・「美山ふれあい広場」はまだ朝早いのでパスし、r38に入ります。
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由良川沿いを気持ちよく流し、7:18・「美山かやぶきの里」到着。
ここで朝ごはんとしておにぎりを食べました。

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朝早いので車が数台いるのみで、観光バスはいません。
先週と大違いで、朝一番に見た道路脇の気温は8℃でした。
ガタガタ震えるほどではありませんが、冬用ジャケットの方が良かったかなと少々・・・。
でもリアボックスには奥の手のカッパも入っています。
風も強く、これから山越えなので、着ることになるかな?

r19を更に奥「芦生」の方に進みます。
7:41・「田歌」のビレッジライン分岐点で、ペットボトルのお茶を飲みます。
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怪しげなカフェレストラン・「Slow food Nature & River base 田歌舎 Cafe & Restaurant」があります。
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やぎもいるし、僕に吠える犬も2匹いるし、いつもここの車がたくさん止まっており、牧場・農場兼業なのかもしれません。
この道は通行止めが多いので、いつでも出せるように、道の横にバリケードが準備されている。
いざ行かん!

若狭海岸・歴史ツーリング 1/10

10/18・琵琶湖北岸~若狭歴史探索ツーリング・その6 & 歴史読本

17:10、バイクに戻りました。
上りは4回休憩しましたが、下りは一気に楽だわ。
上り30分・下り15分。

高浜町にある武田氏被官・逸見氏居城・「砕導山城」も城攻めする予定でしたが、時間切れです。
R162とかr1~R173の下道ルートで帰宅計画でしたが、高速道路利用で一気に帰りましょう。

R27を西に走り、「小浜西IC」から舞鶴道に乗ります。
舞鶴PAで休憩。
もう暗いので、プロテクターメッシュジャケットの上にDAIWAフィッシングスーツを着て、「KOMINEリフレクティブ・ナイト・セーフティ・ベスト」を着ました。
後続車のライトで黄色に光るベストです。

「綾部JCT」から京都縦貫道に乗り替え、R9とR173の交点にある「京丹波みずほIC」で下車。
京都縦貫道も舞鶴道同様、片側1車線区間が続いていましたが、交通量が多めで70km/hほどのちょうど良いスピードにダウンしてたから、後続高速車に気を使わず走れました。

18:37、R9とR173交点にある「ローソン京丹波和田店」で、ドリンクヨーグルト・ストロベリー220g・140円を購入し、店内で飲みながら休憩。
R173を南下します。
街灯がない道路なので、先頭を走ると一灯しか無いのでバイクは前方が見づらい。
四輪に抜いてもらうと、そのライトを頼りについていけます。

体力にまだ余裕があり、いつもならR372との交点・安田交差点にあるローソンでも休憩するのに、一気に池田まで駆け抜けました。
19:58自宅近くの「出光セルフ宝塚176」で給油、343km/12.97L=26.4km/L。
この日の走行距離は、400kmほどのようです。

帰宅すると、家内が帰っていました。
京都のお土産の生菓子などが置かれており、これは明日まで、これは明後日までと賞味期限があるので、間食が忙しくなりそ
うです。

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「歴史読本」という雑誌が、2015年秋号をもって休刊になりました。
以前は月刊雑誌だったのですが、今年から季刊誌になり、そして休刊・・・

歴史の最新研究や、発掘での新発見などが載り、数少ない歴史好きを満足させる雑誌でした。
僕は時々「特集」をチェックし、興味を引いたものだけをピンポイントで購入(年1~2冊)していました。
本棚に入れず手元にあるのは4冊で、2012/11・特集「日本の名族・名将」、2013/2・特集「神社に秘められた古代史」、2013/4・特集「日本書紀と古代天皇」、2014/4・特集「敗者の古代史」。

内容がとても濃いので、月1冊は僕には読めません。
月刊雑誌で定期購入しているのは、「KAZI」というヨット雑誌で、高校生の時から毎号欠かさず御用達本屋さんが持ってきてくれます。
こいつは写真も多いので、グラビア的にも読めて、1~2日の空いた時間で読んじゃいます。

歴史読本は、「次は、特集されたここに行ってみよう」と計画が進み、1冊読了するまで数ヶ月かかります。
記憶が曖昧になった時に、読み返すことも多く、僕の歴史好きのランドマークでした。
毎号買わないくせに、なくなってしまうと困る本なのでさて困ったと思っていたら、2016年から「歴史読本BOOKS」シリーズに生まれ変わるそうです。
特集コーナーが独立して単行本化されるようです。

10/18・琵琶湖北岸~若狭歴史探索ツーリング その5

『史跡・後瀬山城跡 家紋:四ツ目 1522~1600年 古は万葉集にも詠われた。古くから人々に憩いをもたらす山として存在している。この山に戦国の世に叶った山城が築城されたのは、1522年のことです。若狭守護・武田元光は、すでに全国的に飛躍を見せ、海外貿易をも視野に入れ、小浜湊を望み、山麓に貫通する丹後街道を掌握する要衝の地に城の縄張りを行います。
山頂に石垣を配する主郭を置き、ここから山麓の現・空印寺の位置にあった居館に通じる北側稜線と、本登山道に平行する東側稜線に、大小合わせて139ヶ所の曲輪と呼ばれる防御施設を設けている。これら2本の稜線に造られる曲輪をつなぐ道路が、北東谷間に幾本も見られ「谷の横道」と呼ばれています。また北側稜線の先端には、畝状竪堀・竪堀などを設け、防御を固めています。この事は、丹後・一色氏と度々戦火を交えた若狭武田氏が、西の小浜への入口(青井口)の防御を強く意識していることを想定させます。
城主は、若狭武田氏5代から8代へと継承され、若狭武田氏滅亡後は、織豊系武将の丹羽長秀・浅野長政・木下勝俊が相次いで入城し、若狭国統治の拠点として存続します。そして関ヶ原合戦後に入国する京極高次により廃城となり、新しく築城開始される近世・小浜城にその役目が引き継がれることとなります。
発掘調査が実施された主郭北西に位置する曲輪では、礎石建物跡とこれに付属する築山、そして多くの茶器類が検出されています。京都や当地において旺盛な文芸活動をみせた若狭武田氏の一端を示す調査例といえよう。現在地からの登山道は、廃城後に主郭に創建された愛宕神社への参詣道を利用し、歴史と自然を体感できるように遊歩道整備しています』

武田氏は、源氏の名門で、甲斐武田氏同様「四ツ目菱紋」です。
甲斐武田氏が上野国侵入と関係したと思われる父の実家と同じ、我が家の家紋でもあります。
なんかいいぞ・・・。
源氏の名門・武田氏は、清和源氏流れ・河内源氏流れで、平安時代末期に「甲斐守護」を拝命し関東に下ります。
後白河法皇の宣旨を受け、頼朝と同じ時期に「打倒・平家」として旗揚げします。
やがて頼朝配下に帰属し、「甲斐源氏」として土台を築きます。

後鳥羽上皇が「打倒・鎌倉幕府」を旗揚げした「承久の乱」に戦功があり、「安芸守護」を拝命し、「安芸武田氏」を興します。
室町時代に入り、一色氏を誅殺した功により「若狭守護」を得、「若狭武田氏」が興る。
初め大飯郡高浜を本拠にするが、海上貿易による益を得ようと小浜に本拠を移す。

16:28、城攻め開始。
勾配の急なとこはコンクリート階段が設置されており、階段でフーフー&休憩、地道でトボトボを繰り返しながら標高を稼ぎます。
16:41、最初の曲輪。
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木々の切れ間から東側に小浜の町が眼下に一望できます。
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16:51、北側の海岸線&海が眼下に広がる。
小さな石垣も見えます。
やたらと曲輪が多く、段々畑のように折り重なっています。
攻城側は、息をつく暇なく、曲輪を突破しても次々に上の曲輪から、守備側から反撃に晒されます。

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半分土に埋もれた石垣があちこちに見受けられるようになり、16:54・「主郭」到着。
「愛宕神社」と思われる建物が建っていますが、鳥居も祭壇もお宝も何もありません。
盗賊に遭ったのかと思われる姿です。
祭日には、麓から備品を担ぎ上げるのでしょう。

「至・神明神社・10分」と書かれた立て札が立っていましたが、パスします。
まだ陽があり、動物が主役の時間にはまだありますが、油断禁物です。
登城道以外の主郭の切岸を見たくて下を覗きこんだりしました。
石垣が残っている部分もあり、さすが守護の城だと感じましたが、播磨守護・赤松氏や能登守護・畠山氏の居城山城には、遥かに劣っていました。
いくら名門・武田氏といえど、やはり播磨などの裕福な地とは経済力が違うようです。
ここからも海が見下ろせます。
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主郭を巡る土塁が石垣で、これがしっかり残っているのが見事でした。

琵琶湖東海岸~若狭歴史ツーリング 7/7

10/18・琵琶湖北岸~若狭歴史探索ツーリング その4

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r35を戻り、R27~R162で、15:59「小浜城」(小浜神社)到着。
この城は2本の川が海に注ぐ河口にあり、三方の海と川を自然の堀となっていた。
川にはボラがたくさん泳ぎ、他の魚種も見られ、思わず激写してしまった。

『南川・北川とそれを利用した外堀で囲まれ、西は小浜湾に面し、東は湿地により防御するという自然地形を巧みに利用した全国でも珍しい水城。関が原合戦後・1601年、若狭国主となった京極高次(お初の夫)が築城に着手。1634年、2代藩主・京極忠高が松江に転出後、酒井忠勝が城主となり、翌年に三重三階の天守が出来、1641年に城が完成。以降、酒井家14代238年間の居城となり、消失する明治4年(1871年)まで歴史は続いた。現在は城郭の一部の石垣を残すのみ。本丸跡には、酒井忠勝公を祭る小浜神社が建っている』

『人の駅・酒井忠勝 初代・小浜藩主。1587年酒井忠利の長男として三河国西尾に生まれた。1600年関ヶ原の戦いに先立ち、徳川秀忠が信濃の真田昌幸・幸村父子を攻めた戦で初陣を果たした。1620年、2代将軍秀忠は、世継ぎとなる家光に忠勝を近侍させ、2年後に1万石を加増し大名にした。1624年に老中、1627年には武蔵国川越で10万石を得て、1634年11万3000石で小浜藩主として入部した。1637年大老に就任し、4代将軍家綱を補佐する幕府の重鎮として活躍した。1656年隠居し、1660年剃髪して空印と名乗りましたが、幕政にはなお大きな影響力を持ちました。初代酒井小浜藩主として小浜の町づくりの基礎を築くと同時に、この小浜城を完成させました』

掲示されている古地図を見ると、橋3本のみで陸地と繋がる力攻めでは難攻が予想される城構えです。
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石垣の上に上がり周囲を見渡すと、その後の川砂の堆積で沖に河口が広がりましたが、小浜湾を隔てた対岸の山などが綺麗に見え、風光明媚だったのだろう当時を感じることが出来ました。
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現在は石垣脇まで民家が迫り、町中の孤高の存在になっています。

『組屋地蔵尊由来 この地蔵尊は、小浜城築造に際し、その城壁の安全護持のため人柱を立てる評議があり、豪商組屋六郎左衛門が、愛娘を人柱に献じその責に任じた。1634年酒井忠勝公城主時代、城代家老・三浦帯刀が毎夜女の忍び泣く声がすると聞き、娘の哀れ悲しき物語を知って、地蔵尊像を造り供養した。これを「組屋地蔵」と号し、長く本丸守護の守りとした。1662年大地震で石垣が崩れ、修理にあたった心なき役人夫により諸石に混じり行方がわからなくなった。昭和28年(1953年)の大風水害により石垣が崩れた時の修理中、地蔵尊が出現した。組屋の家紋がある所から、組屋地蔵尊と判り、ここに崇敬者相成りて冥福を祈念
し祀る』

平安時代末期に平清盛が、和田の泊(現・神戸港)築港に当たり、当時の習慣であった人身御供を止め、経文石に変えたのに、まだこんなことをやっていたのですね。
京極高次の庶民の悲しみを感じない鈍感さを感じる。

R162~R27で、後瀬山(のちせやま)トンネル手前で枝道に折れます。
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16:26、若狭守護・武田氏の居城・「若狭・後瀬山城」登城口の愛宕神社鳥居に到着。
トンネルが貫く山頂に山城(現・愛宕神社)があります。
山を見上げ、傾いた陽を考え、18時には山を脱出する算段をして、登ることにしました。

陽が落ち真っ暗な森の中を、山下りするのは危険です。
事前調査では標高160m(海岸に近いので比高も150mあるだろう)とわかっています。
山腹の鳥居の立派さを見て、山頂の神社までの道はある程度整備されていると思われる。
タイムリミットだけは守って、行けるところまで上がってみよう。

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『後瀬山・愛宕神社建立とお初さん奉納の仏画の由来 後瀬山の山頂(標高168m)には、かつて若狭国を治めた守護・武田氏の山城があり、関が原合戦後に若狭国を拝領した京極高次公が海岸へ城を移すまで、国政の中心となった。
後瀬山城廃城後、1615年火伏の神として山頂に鎮座された愛宕神社は、当時小浜藩主であった京極忠高公の姫様の支援によって社殿が建てられたと伝えられ、京極家の家紋「四ツ目」を社紋とする。その後、高次公の夫人・お初さん(常光院)は、ある時霊夢を見て感激され、侍女に命じてこの神社へ秘蔵の仏画を奉納しました』

10/18・琵琶湖北岸~若狭歴史探索ツーリング その3

『若狭彦神社は、若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)に分かれています。当社は下社にして、上社より6年後・721年鎮座です。奈良東大寺二月堂のお水取りで名高い遠敷明神は、当社のことです』
遠敷神社の銘板も下がっていました。
境内に入ると、落ち着いた素晴らしい雰囲気です。

『若狭姫神社のご神徳・安産育児 ・・・正常なお産は妊娠してから280日、すなわち9ヶ月10日、また十月十日(10ヶ月目の10日)と言われます。この9月10日・10月10日が、当社の秋の大祭日です。当社境内に、豊玉姫の妹神・玉依媛命が祀られており、豊玉姫の御子が生まれるとすぐに乳母となり、立派に教育しました。この境内社の前に、銀杏の大木があります。枝下に豊満な乳房の如き形の瘤が垂れ下がっていることから、乳の木と称して、母乳少き人々が祈願を込めれば豊かなお乳が授かると伝えられ、信仰を集めています』

拝殿奥の本殿前の大杉も立派な大木で、「千年杉」と書かれていました。
長男のお嫁さんが第二子を身ごもっているので、お賽銭を弾んでお祈りしました。
くたびれているので現役ではなさそうですが、能舞台もありました。
定番の松が奥に描かれ、過日は多くの村人を集めて興行していたのでしょう。

15:09、「若狭彦神社」。
鳥居から神門も拝殿も見えません。
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鳥居をくぐり参道を歩いて行くと、左右に大杉が立っていました。
『若狭彦神社・二の鳥居と考えられ、このように並び立つ杉を、夫婦杉と讃えている神社もある』

立派な山門がありました。
建築様式は、下社同様でした。
山門をくぐると、拝殿&塀に囲まれた大きな本殿がありました。
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檜皮葺の屋根が剥がれており、趣があるというより、早く直さなきゃって感じです。

こちらの祭神は、予想通り山幸彦命でしたが、本殿の鰹木10本・千木水平斬りで女神を祀っているかの如くでした。
若狭は例外が多いのかも?
神門を出ると、入る時は気付かなかった根本地上2mで二股に別れる夫婦杉がありました。

バイクに戻り、更に奥に入ります。
15:25・「神宮寺」。
『天台宗 元明天皇の714年、若狭彦社の祝部和朝臣赤磨(法名・滑元)の開創。神仏両道の寺。鎌倉時代に至り、若狭彦神社の別当寺となり、鎌倉将軍祈祷寺の七大寺に加えられ、7堂25坊に栄えたが、戦国時代末若狭守護職・武田元明をかくまい、秀吉に寺領を奪われ衰微した。重文:本堂・仁王門・男神像・女神像』

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歩いて山門まで行きましたが、拝観料が必要でパスしちゃいました。
ここは、東大寺二月堂の「お水取り」に対して、「お水送り」をするお寺で、閼伽井に相当するお水送りの井戸もあるので、帰路見ておきたかったと悔いました。
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日が傾き始め、守護武田氏居城の山頂までの往復がどれぐらい時間がかかるか不明だったので、山中での日没を危ぶみました。
ここは、若狭武田氏の祈願所で、最後の守護を蟄居した寺でもある。

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更に県道を奥に進み、15:35・「鵜の瀬」到着。
『天平の昔、若狭神願寺(神宮寺)から奈良東大寺にゆかれた印度僧・実忠和尚が大仏開眼供養を指導後、753年「二月堂」を創建し、修二会を始められた。その2月初日、全国の神々を招待され、すべての神々が参列されたのに、若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは見えず、ようやく2月12日夜中1時過ぎに参列された。それは川漁に時を忘れたから。そのお詫びも兼ねて、若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水を送る約束をされた。
その時、二月堂の下の地中から白と黒の鵜が飛び出て、その穴から泉が湧きでた。それを若狭井と名付け、その泉を汲む行事が始まり、それが「お水取り」です。
その若狭井の水源が、この「鵜の瀬」の水中洞穴で、その穴から鵜が奈良まで潜っていったと伝える。この伝説信仰から、地元では毎年3月2日夜、この淵へ根来八幡の神人と神宮寺僧が神仏混交の「お水送り」行事を行う習いがある』

遠敷川の瀬に降りてみると、とても綺麗な水が流れ、瀬というほどの深みも無く、小さな子連れで川水浴するのに調度良い浅瀬だった。
『この付近一帯 水辺にかけては鵜の瀬の中央 若狭一の宮の神域なり 開発・占用・尊厳を損なうことを禁ず 若狭一の宮境外末社・鵜の瀬大神・椿群生林・白石神社 南(上流)へ100m・鵜の瀬橋を渡る』
こうやって日本人は、貴重な水源への人の出入りを制限し、守り子孫に伝えてきた。
日本の神道・神社信仰は、自然崇拝であり、自然を恐れることで自然保護につなげていたのだと思う。

琵琶湖東海岸~若狭歴史ツーリング 6/7

10/18・琵琶湖北岸~若狭歴史探索ツーリング その2

バイクに戻ると、中年ハイキンググループ(30人ほど)が、R303をバイクの横を歩いて、西に向かっていました。
何処まで歩くんだろう・・・。

「岩熊トンネル」は、車道1車線ぐらいの広い歩道が通っていました。
トンネルを抜けると、「海津大崎」方面・r557に入ります。
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やがて湖岸に出て、ナイスな道です。
湖岸に桜が並び、その時期には多くの観光客を集めますが、閑散としたその他の季節の方が僕には魅力的です。
交通量が少なく、時折趣きのあるトンネルがある道は、自転車で走るのが一番楽しそう。
実際、何組もサイクリンググループに対向し、あるいは追い抜きました。

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13:41、「海津大崎」到着。
朝の集合地から暑いなと感じていましたが、ついにギブアップ、フィッシングスーツの上を脱ぎます。
これ以降日没の高速道路まで、全く寒くありませんでした。
桟橋があるので、シーズンには渡船が営業していそう。
小さな売店が営業中で、ロードバイクが数台停まっていました。

そのままr557を走り、マキノを越えて湖岸を南へ。
枝道を内陸部に向かい、r534経由でR303に乗ります。
鯖街道・R367との分岐を過ぎ、14:23・「若狭熊川宿」到着。
「四季彩館」でアイス・140円を購入。
バイクが入れ替わり出入りし、それを見ながら、しばしアイスタイム。
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山を見上げれば、少し紅葉が始まっていました。

R303~R27~r35で、14:50・「若狭姫神社」到着。
『東大寺で春の訪れを告げる二月堂の「お水取り」があります。二月堂の脇にある井戸・「閼伽井」から、香水が取られますが、その井戸は遠く若狭から続いている』の伝説の若狭の地がここです。
それを確かめに来ました。
すぐ南にある「若狭彦神社」とともに、若狭一の宮でした。

『名称:若狭彦神社下社。又は若狭姫神社、遠敷神社とも称し、上社を併せて若狭彦神社とも、上下宮とも称える。祭神:若狭姫大神・竜宮伝説で名高い豊玉姫命』
天孫降臨した天照大神の孫・ニニギノミコトは、美女・コノハナサクヤ姫と結婚し、海幸彦・山幸彦の息子を得ました。
海幸彦は海で魚を獲って暮らし、山幸彦は山の幸で暮らしました。
海幸彦からの提案「お互いの生活環境を交換してみよう」に乗った山幸彦は、海幸彦愛用の釣り針を渡されました。
不慣れな山幸彦は、その大事な釣り針を失くしてしまいました。
それに怒った海幸彦は、いじわるをします。
たくさんの釣り針を作り許しを請う山幸彦を許しません。

困ってしまった山幸彦は、海岸で泣いていると、塩の神がやってきて、ワタツミノ宮に行けばいいと船を作ってくれた。
それに乗りワタツミの宮に行き、豊玉姫に出会いました。
結婚し、そこで数年過ごしました。
タイが飲んでいた釣り針も探し当て、地上に戻りました。
それを返しても海幸彦のいじわるは止まず、ついに攻めかかってきました。
でも山幸彦の方が強く、海幸彦は山幸彦の家来になりました。

そこに豊玉姫が「妊娠してるの」とやってきます。
そこで小屋を建て、そこを産屋にしますが、「決して見てはいけません」と釘を打たれていたのに、山幸彦は見てしまいます。
豊玉姫はワニの姿になって、出産していたのです。
見られた豊玉姫は、ワタツミの国に帰ってしまいます。

困ってしまった山幸彦ですが、豊玉姫の妹の玉依媛がその子の世話をして育ててくれました。
大人になったその子は、育ての母である玉依媛と結婚し、子を授かりました。
その子が、神武天皇です。
記紀に書かれている神話です。

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鳥居の奥に見える檜皮葺の神門が素晴らしい。
「日本全国パワースポット」の立て札が立っていました。
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手水舎が建っていましたが、その横に、幼稚園にあるようなタイル張りの洗面が、幼稚園児が使える高さで作られており、手水用にかわいいキャラクター付きのピンクとブルーのコップが下がっていました。
そして蛇口水道も。
これには頬が緩みました。
宮司さん、ナイス!

江戸時代に奉納された千石船レプリカが飾ってありました。
遥拝所もありました。
南東向きなのかな?
神門内に武者の像。

琵琶湖東海岸~若狭歴史ツーリング 5/7

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明日はまた家内に振られてしまいました。
また若狭の山城攻めをします。
ルートは、美山~ビレッジライン~先が山中に途切れる県道・広域農道~大島半島で、山城・寺社を巡る予定です。
高速道路利用無しで、420km・14時間という距離になってしまったので、また完走は無理そうです。

10/18・琵琶湖北岸~若狭歴史探索ツーリング その1

12:50、ここで僕は離脱です。
皆さんは帰路、近江八幡でお茶休憩して解散です。

予定より1時間早く、ツーリング後半戦が始まりました。
R8を北上し始めると、店のすぐ裏にJR北陸線が走っていました。
ここは、「SL北びわこ号」と並走した場所じゃないか・・・ちょっとした上りでめちゃ遅かったSLが、平地では意外に早く、あっという間に追い抜かされ置いて行かれました。

賤ヶ岳トンネルを抜けると、陽光を浴びてキラキラ光る湖面が見えてきました。
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あまりに綺麗な湖岸道路なので、12:58・r514との交差点で激写タイム。
r514方面に「賤ヶ岳」とあったので、賤ヶ岳ロープウェイはこの道を行けばいいようです。
トンネルに入らず、トンネル手前からr514を走ったら良かったな。

R8はすぐ先で、湖岸道路と分岐しますが、その道路が対岸に見えています。
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ロックシェードがいい感じなので、そちらに入ってみることにします。
こんなことやってると、予定の訪問場所をすべて回れなくなりますが、いつものことです。
次この道を走れる機会があるかどうかわかりません。
気の向くままがいいです。

R8は、「藤ヶ崎トンネル」に入りますが、その手前で、湖岸道路r336にチェンジ。
さっき見たロックシェードを抜け、速度を落としゆっくり景色を楽しみながら走ります。
13:04、良い風を受けウインドサーフィンが10艇ほどかっ飛んでいます。
激写タイム。

大学ヨット部3・4回生の時、オフ日に少しウインドをやったことがあります。
今のようにシャープではありませんでしたが、ヨットとはまた違う魅力がありました。
地形を見ると、北側から東西に琵琶湖の突き出た半島に山が迫り、狭い谷間に北側に「塩津」から流れる塩津川の作った平地が広がっています。
東西の半島の山で狭められた風の通り道になっているようです。
なるほど、この地形なら、風が吹くだろうな。
道路脇の少しの広がりに車が並び、下の狭い浜からテイクオフしていました。

再びR8に合流し、すぐにR303にチェンジ、いい感じの神社が目につきました・・・13:14、「矢合神社」。
矢合という名から、戦との謂れを想像したが、延喜式に収載された平安時代以前からある神社と書かれていましたが、それ以上は書かれていませんでした。
主祭神が、天孫降臨ニニギを導いた猿田彦命と、三韓征伐した神功皇后の息子・応神天皇。

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本殿の屋根を見上げると、鰹木が6本でチギが水平斬りされており、女性祭神を表している。
何故かな?
例外ということかな?
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奉納されている馬の像の腹には、赤松氏と同じ巴紋。
神社の社殿といい馬像といい、歴史の香りがプンプンします。

帰宅して調べてみました。
『昔、浅井姫命と気吹雄命が争った時、気吹雄命が浅井姫命を襲い、浅井姫命は当地まで退き、防矢を射たという』
ビンゴ!戦に関係ありました。
しかも、伊吹山と金糞山が、高さ比べしたあの神話に因む神社でした。

伊吹山と金糞山は、近江と美濃を隔てる伊吹山系のNo1・No2の高峰です。
去年、金糞山登山口がある「鳥越林道」を、バイクで近江から美濃に抜けました。
その時、間近で見た金糞山の泰然として真っ青な空にそびえる姿が思い出されます。

『伊吹山(1377m)と金糞山(1317m)が高さ比べをして、負けた伊吹山の神・気吹雄命(きぶきおのみこと)が怒って、金糞山の神・浅井姫命の首を斬った。その首が琵琶湖に落ちて、竹生島になった』という故事です。
実際には伊吹山の方が高いのに、気性が荒かったのでしょう。
伊吹山の神は、九州の熊襲を平定し、関東の蝦夷をも平らげた勇者・ヤマトタケルと戦い、深手を負わせ退却させている。
その傷が元で、ヤマトタケルは死んでいます。
それほど強い。

僕なりの想像ですが、つまり、伊吹山周辺を根拠にする豪族・イブキが、金糞山をバックに近江北部に君臨する豪族・アサイを攻めて、アサイはここまで防戦したが、ついに討ち取られ、アサイ系の人々は竹生島に逃げた。
やがて竹生島を本拠地に、アサイの勢力は盛り返し北琵琶湖周辺の勢力を回復した。
その根拠は、旧浅井郡は、竹生島を中心に琵琶湖の東にも北にも広がっているから。
「そうか、それでこの神社の千木・鰹木は女神を連想させるのか・・・」と、勝手に解釈。

気吹雄命と浅井姫命、2柱の神様は兄妹です。
2人の間に姉もおり、姉は浅井郡を潤す姉川の神様で、浅井姫命は妹川の神様でもあり姉川の支流です。
これは、姉川を走った時、どこかの神社の謂れ板に書いてありました。

琵琶湖東海岸~若狭歴史ツーリング 4/7

10/18・中型二輪グループツーリング・琵琶湖東海岸 その2

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8:35、メイン集合場所・「ファミリーマート玉野浦店」到着。
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横に、漕艇場があり、各大学選手たちがランニングしたり、出艇してウォーミングアップしたりしていました。
応援団しか着ない目立つ学ラン姿数人がいたので、レースなのかもしれません。
Maaさんが、なんと学ラン青年とツーショット写真を撮っていましたが、僕はチアガールがいないと学ランには興味なしです。
ここから最も近いAraさんが定刻に13人目として集合し、全員集合。

ブリーフィング後、9:10出発。
前半分がMarさん先頭に原付二種7台、後半分がKatさん先頭に中型バイクが6台。
僕は中型の2番目の位置を指示されました。
木之本に向かって、r559・琵琶湖東海岸・湖岸道路をひたすら北上します。
整備された自転車道がずっと湖岸道路沿いに続いています。
ところどころに駐車場があり、キャンプ場や湖岸でバーベキューをしているグループもいます。
大学ヨット部コーチングでお馴染みの対岸の西岸の景色を見ながら、脳内琵琶湖地図に現在地をトレースします。

意外に早く、琵琶湖大橋を越えました。
交通量が少なくはありませんが、信号が少なく快適に走れ、広い景色の広がる道は、とても気持ちが良いです。
上天気の陽気に誘われて、バイクもたくさん走っています。
バイクピースを発信したり、ピースバックしたり、楽しいツーリングでした。

近江八幡で、r26。
長命寺との分岐からr25と名称は変わりますが、湖岸道路が続きます。
10:29、「ファミリーマート・滋賀県立大学前店」でトイレ休憩になり、「手巻き辛子明太子・138円」を購入しました。
皆さんでトイレだけ借りるのは気が引けるし、夕方小腹が空いた時の足しに出来ます。

再び走りだし、彦根城からr2になり、「道の駅・母の郷」横を通過。
長浜城からは、r331。
「道の駅・湖北みずどりステーション」横を通過。
ここまで車で来て、ここから夫婦サイクリングする計画もあります。
「ほほう、大きいな、こんなとこなのか」

前方にそびえる賤ヶ岳から湖岸に沿って南に続く峰を避けるように、県道は内陸部に入ります。
ロープウェイで賤ヶ岳山頂に上がり、峰を南のエンドに下るトレッキングの計画もあります。
古墳や山城など見どころがあります。

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r44になり、r259にチェンジし東に向かい、R8に出て左折するとすぐ、11:32「びわこ食堂」に到着しました。
駐車場に余裕がありますが、バイクがいっぱい停まっています。
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待ち時間がありそう・・・とお店に入る用意をしていると、リーダーMarさんが、「すぐ入れるよ」とお店から顔を出しました。
すぐにお店の様子を聞きに行かれたようです。
リーダーさんの心遣いが憎いな。
1人でも場所取りで入った方がいいと思い、すぐにお店に入りました。
出ているMarさんから「入ってすぐ右の座敷席」と聞き、右端の席につきます。

店内は意外に空いています。
座敷席には余裕がありそう。
4人・4人・5人テーブルです。
Araさん・Takさん・Tamさんと同席し、Araさんからふられた「いつからバイクに乗り始めたか?」の話題、僕のTakさんがやってるスポーツ自転車の話題、そして何より出てきた「とり&かも野菜鍋」のど迫力に、「ほんまに食べれるの?」の話題などでお喋りしました。

Tamさんは、グループの今回のツーリング募集案内に写真入りで載っています。
お店のウェブサイトの載ってた写真を転用したのかと思ったら、前回このお店に来た時の写真だったようです。

オレンジフェリー(大阪南港22:00~6:00愛媛・東予港)が7000円ほどという格安チケットが11月まで出ているそうで、Takさんが自転車旅に使おうかな?と思案しておられました。
この値段で、朝食付きだそうです。
「しまなみ海道」を走って、帰路は電車帰宅ですね。

あれだけ山盛りだったお野菜も火が通るとかさが減り、完食出来ました。
終盤戦で投入されたラーメン2玉(4人で)も綺麗になくなりました。
とり野菜鍋・700円を2人分+僕の要望で入れてもらったカモ鍋・1000円が2人分+ラーメン2玉を美味しく頂きました。

琵琶湖東海岸~若狭歴史ツーリング 2/7

10/18・中型二輪グループツーリング・琵琶湖東海岸 その1

日曜日は、家内が仕事仲間の女性達と、京都嵐山の「小倉山居」でお食事です。
会員でないと利用できなさそうな京都老舗さんの山荘ですが、京都在住の仕事仲間さんの紹介です。
家内も役員さんなので、先月役員さんと連れ立って下見をしており、その本番です。

ということで、僕は一人遊びです。
久しぶりにバイクグループツーリングに申し込みました。
今年2回目です。

夏前に一度以前から参加してたグループのに参加したのですが、僕だけ遅く、すぐに先行バイクが見えなくなり、何度もお持ちい
ただきました。
僕のお守りでリーダーさんが後ろについてくれていたのですが、申し訳なくて・・・皆さんの迷惑にななと、参加を自重していました。
皆さんおやすみの日をバイクで楽しもうと参加されているのだから、遅い僕など放っといていただければ、次の集合場所で追いつくので気軽なのですが、僕にサポートさんを付けてくれる優しさが、どうも負担に感じちゃいます。

そして新たに、以前から別のグループで知り合った方が数人参加しているグループに参加することにしました。
以前から参加している原付二種グループと、合同ツーリングです。
原付二種グループツーリングにも、今年は参加していないので、知らないメンバーの方が多くなっちゃいました。

城陽市で集合し、琵琶湖東海岸を北上し、木之本で「とりやさい鍋」を食べます。
僕はここで離脱し、初めての琵琶湖北部海岸を楽しみ、小浜の若狭守護・武田氏の居城山城に攻め上ろうと計画しました。
時間があれば、高浜町の山城にも攻め上ります。

4時に目が覚めました。
ソロツーリングなら、着替えて出発なのですが、8時集合なので6時に出発すれば間に合うので早すぎます。
二度寝したら寝過ごすかもしれないので、しばらくごそごそし、いつもより早く5時前に家内が起きだしたのを機に、用意しだしました。
プロテクターメッシュ上下+DAIWA釣りスーツの春秋バージョンにしました。
暑ければスーツを脱げるように、メッシュの下に丸首長袖ニットシャツ&ニットベストを着ました。

5時を回って、バイクの準備をします。
予定では帰路は暗くなるので、高速道路利用を考え「招き猫CB400SB」にします。
コミネ・リフレクティブ・ナイト・セーフティ・ベストをリアボックスに入れます。

R171~中央縦貫道を東に向かいます。
地平線がほんのり朱色に染まり、夜明け前の綺麗な縁取りです。
茨木から、r14~r19で淀川を渡り、R1に乗ります。
6:08、「出光セルフ枚方営業所」で給油・・・263km/10.72L=24.5km/L。

枚方でR307に右折し、6:30に集合場所の「セブン-イレブン山城大橋店」に到着。
次の集合場所をナビにセットしたり、車載カメラをハンドルに取り付けたりして、6:45・「味付け海苔エビマヨネーズ・120円」を購入し、朝食にしました。

7時頃でしょうか、そこにTGさんが来られました。
原付二種クラブと中型バイククラブ両方に参加されている知り合いですが、仕事で参加出来なくなったので、朝だけ顔を出しに来たそうです。
僕を見て、「誰も居ないと思ってたのに~」って驚かれていました。
順次、参加者が集まります。
初めての方、久しぶりの方、皆さんに挨拶します。

Hotさんのタイカブは、日本のそれとちょっと違います。
メーター内にギアポジション表示されるようです・・・これは便利だな。
Takさんのフォルツァは大きなスクリーンに変更されており、スクリーンとボディーの間にピッタリの大きさのバッグがセットされており、収納の少ないバイクには重宝しそうです。
MaaさんのNC700は、珍しいグリーンで見たこと無い色でした。
ペットボトル入れが、エンジンガードの手の届くとこにセットされており、信号待ちでグビリと出来便利そう。
やはりスクリーンが大型のに変更されていました。
僕もCB400SBのスクリーンをいきなり変更しましたが、ホンダはもう少し大きめのスクリーンを標準装備した方がいいと思います。
KatさんのMN4は低くて脚付きが良さそうです。
近未来的デザインです。

皆さんの集まりが早かったそうで、Katさんのブリーフィングで並び順が発表され、Tatさん先頭に8:50に出発しました。
僕は、ブービーの位置です。
R307~r783~R422で瀬田川沿いを南郷洗堰まで走り、対岸の左岸に渡り、r29を琵琶湖に向かって北上します。
瀬田は、ボートのメッカです。
各大学のボート部の合宿所が並びます。

琵琶湖東海岸~若狭歴史ツーリング その1

10/11・奈良史跡探索ツーリング その6 &メキシコ・カンクン

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16:42、「大和郡山城」を沿道から激写。
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r7を北上し、第二名阪道・中町ICから高速道路に乗り、近畿道~中国道で伊丹に帰りました。

17:40、僕の御用達伊丹産業の「セルフ緑ヶ丘SS」で給油。
261km/8.29L=31.5km/L。
自宅はまだ暗く、家内はまだのようでした。
片付けをして、家内が用意してくれていたうどんを、夕食として食べ、お風呂に入ろうとしたら、門扉がガチャガチャ。
パンツ一丁で玄関に飛んでいき、ドアを開けると、「なんという格好なの?」と笑われました。
「ダーウィンが来た」「大河ドラマ」を見て、寝ました・・・ああ、楽しかった。

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次男は今年1月に入籍して、お嫁さんと一緒に住んでいます。
結婚式は12月なのですが、1月に新婚旅行に行くというメールが家族全員宛にありました。

「メキシコ・カンクン」というところで、聞いたこともない。
イメージでは、メキシコのアステカ遺跡の近所なのかな? と思って調べてみると、カリブ海に突き出た半島の先端にありました。
めちゃめちゃ綺麗なカンクンの海の写真を見ながら、一度観てみたい「グリーンフラッシュ」が見れる場所なのかも? と思っちゃいました。

グリーンフラッシュは、日の出・日没で太陽が地平線・水平線に沈む瞬間に、緑色に輝く自然現象です。
高校生の頃読んだヘミングウェイ(たぶん)の小説に出て来ました。
ヨット部だったので、いつか世界の海を巡り、常夏の島で船からグリーンフラッシュを観れたら・・・なんて、妄想していました。
次男もヨット部なので、新婚旅行は海と決めていたのかも?

その後、ニューヨークに行くそうです。

それに反応した長男から、返信メールが届きました。
『NYCはこの前しばらく滞在したし、るるぶもかったので正月にあげようか?
(オフ)ブロードウェイはおすすめ。
演題次第やけど、半額以下で買える方法も分かったので、伝えるわー。
現地でBluemanとStomp見たで』

アメリカ出張ついでにブロードウェイのミュージカルを観に行ったのでしょう。
オフ・ブロードウェイでロングラン上演されているものに、「STOMP」や「BlueMan Show(ブルーマン グループ)」があるそうです。
僕の全く知らない世界です。
次男から、お正月に劇団四季のミュージカル「ライオンキング」を誘われましたが、次男夫婦は今年も去年もミュージカルを観に行ってたので、長男から情報を得て本場ニューヨークのミュージカルを観てくるのかもしれない。

10/11・奈良史跡探索ツーリング その5

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『筒井城は、主郭部を取り囲む内堀のほか、広い範囲を取り囲む「惣構え」と呼ばれる構造です。外堀で囲まれた範囲は、東西500m・南北400mに及ぶ広大なもので、奈良県内の中世平地式城館の中では最大級の規模を誇る。また筒井城の場所は、東西に走る奈良街道と南北方向の吉野街道が交わる部分にあり、交通の要衝を抑えている』

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筒井順慶は、大和国の守護・興福寺大衆の土豪で、戦国時代は大和国内で土豪抗争の主役級を張っていた家柄です。
大和国を支配下に置くべく侵入して来た三好長慶の先鋒・松永久秀と、抗争を繰り返した。
畿内に侵入し、一気に三好政権を追い出した織田信長に秋風を送り、その後ろ盾を得た松永久秀に追い出されたが、久秀が信長に反旗を翻すと、順慶の方が信長を後ろ盾にするようになり、ついに信貴山城で久秀を爆死に追いやった。

その後は、秀吉時代も大和の守護として君臨し、大和郡山城に城を移すまでこの筒井城を本拠にした。
高野山の筒井順慶の墓は、織田信長の横にあり、その関係がどういうものであったか、長く疑問に思っている。
かつて比叡山に続き高野山も焼き討ちしようとした信長なので、その死後教養人・筒井順慶の働きかけがあったのかどうか・・・。

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r108を北上し、ナビを「売太神社」にセットし、15:57・「稗田環壕集落」到着。
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『特定保水池整備事業(稗田環壕) 稗田環濠は、環境としての形を完全に残し、全国的に数少ない大規模なもので、鬼門の方角に七曲りと呼ばれる階段上の屈曲を持つ美しい姿は、中国漢の時代の長安故城を真似て作られたとの説もある』

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バイクを置き、横の「売太神社」に入ってみる。
『主斉神:稗田阿礼命、副斉神:猿田彦神・アメノウズメ この稗田の地は、太古より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏族の居住地であり、天武天皇の舎人稗田阿礼はこの一族として出仕していた。
天皇は、阿礼の記憶力・理解力抜群・学芸諸術の秀でたのを見て、天皇自ら精選した歴代天皇の事績と建国以来の歴史・神話・伝説・歌謡を直接授けた。これを三十有余年後、元明天皇の太朝臣安萬呂に記録させたのが、古事記である。我が国最古の文学書で、古代人の生活・習慣・思想などが書かれており、祖先の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。
猿田彦の神 天孫降臨を道案内し、後にアメノウズメの彦神になった神で、土地・方位・新築・移転・旅立ち・結婚などに、災難や悪魔を払い、良い方に導く霊験あらたかな神。
アメノウズメ命 猿女君稗田氏の太祖で、天の岩戸隠れの神事に舞を舞われた女神。おたふく又はおかめの愛称を持つ福の神・芸能の始祖神として親しみを持って信仰されている』

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僕も楽しんで笑いながら読んでいる古事記の記憶者がこんなところにいたとは・・・環濠集落のついでに何気なく寄ったお宮でしたが、大収穫でした。
猿田彦は、いろんなところに登場する番頭的な神様でお気に入りです。
アメノウズメは、天照大神を岩戸から引っ張りだそうと、ストリップをして男神を笑わせた神話中の素敵なヒロインです。
天照大神の孫・ニニギに従って葦原中津国に下り、迎えに出ていた猿田彦と出会う。
後に結婚した。
その子孫がここに暮らしていたのですね。
これも大収穫でした。

境内に神主さんの自宅が建ち、拝殿・本殿ともに小奇麗にされていました。
絵馬もたくさん下がり、地元の方に信心されているお宮なのがよくわかります。
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ぐるりと環濠を巡ってから、地図で気になった「源九郎稲荷神社」に向かいました。

大和郡山市街地にあり、市街地は道が細く、一方通行ばかりで困りました。
羽柴秀長が百万石の城下町として整備したのでしょうが、当時は車などあろうはずがなく、火事で丸焼けにでもならない限り、現状のままの市街地が続くのでしょう。

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16:32・「源九郎稲荷神社」到着。
こじんまりしたお宮で、絵馬は白キツネ。
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狛犬も狛狐。
『歌舞伎・文楽「義経千本桜」でお馴染み「源九郎狐」(白狐)を神の使いとしています。源九郎義経は、兄頼朝に協力し「源氏」に勝利をもたらしました。その後、頼朝の仲違いし、吉野山を経て、平泉に落ちました。この武運強い義経を守ってきた武将佐藤忠信は、実はこの神社の白狐の化身だったのです。
奥羽に下るとき、この狐と別れる際、「源九郎」の名を与え、「源九郎狐」と名乗ることを許しました。その後豊臣の時代には、秀吉の弟・秀長が、大和郡山城の築城にあたって、源九郎稲荷をお城の守護神と定めました。その後も歴代城主・柳沢家や町家にも信仰深く、現在に至る。日本三大稲荷の1つとされている』

奈良史跡探索ツーリング 5/5

10/11・奈良史跡探索ツーリング その4

長い階段を上がり、やっと本殿前境内到着。
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『憤怒の天神 重要文化財・日本最古の天神坐像 鎌倉時代作 奈良国立博物館に寄託されており、菅原道真命日の2/25前後に特別陳列されます』

長男の嫡男・遼くんに五月人形として贈った菅原道真公坐像は、温和なお顔ですが、写真で紹介されているこの像は怒っています。
道真公が藤原氏の横槍で失脚させられ、大宰府の地に散った後、藤原氏周辺に雷で打たれた者2を筆頭に変事が相次ぎ、雷神になった道真の呪いだと恐れられた。
それ故、その魂を鎮めるために藤原氏が積極的に、道真を祀るお宮を建立したのが、今の天満宮隆盛に繋がっています。
怒っているお顔こそが、雷神・菅原道真本来の姿かもしれません。
とても端午の節句に飾れないけど・・・。

「開運・厄除け割符・300円」というものがありました。
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厄」と書かれた木片中央に切れ目が入っており、名前を書いた後に板を割るそうです。
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磐座がありました。
ここで神人が祈ったのでしょう。
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『古代、この地は天照大神が天上から初めてこの世に降臨された聖地と伝えられています。天武天皇は、673年伊勢に出発する斎王・大来皇女の潔斎のため施設を設けました。これが日本書紀に記された「泊瀬斎宮」です。この斎宮も與喜山にあったと考えられています』

天照大神の斎王には、天皇の皇女が就きます。
神は不純を嫌うので、生娘の若いうちに天皇家を離れ、生涯天照大神のお世話のみをする使命があります。
結婚や出産など女性としての幸せを諦め、都を離れます。
斎王を交代後、結婚する方もおられたようですが、ほとんどが生涯独身を通されたようです。
現在の天皇家には、そういうことはありませんが、強大な自然の猛威を恐れた時代が伺えます。

『964年、初瀬の里に住む修行僧が夢の中に翁を見た。2日後の日没前に、夢で見た老人が座っていました。長谷寺を詣でた後、急に黒雲が湧いてきて翁を覆い、見る間に老人は束帯姿となり「私は右大臣正二位菅原道真である」と名乗った。修行僧が「この山は良き山である。その大松に住み給え」と答えた。すると翁はにわかに雷神となり、この山に鎮座された。948年社殿を建立し、良き地をもって「與喜大明神」と名付けた。これが当社の創祀です』

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バイクに戻り、14:43・「十二柱神社」到着。
ここは、野見宿禰が呼んだ出雲族が住み着いた地で、現地名も「出雲」。
『出雲村の村社で、大昔は神殿がなく、「ダンノダイラ(三輪山東方1700mの峰にあった古代の出雲集落地)の磐座を拝んだ。年に一度、そこに登って出雲の先祖を祀り偲んだ。一日中、相撲をしたり遊んだり食べたりした』
相撲が出てくるところが、流石に野見宿禰の末です。
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左右の狛犬像の座を四隅で支えるのが力士像になっており、とても珍しい。

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『この神社にある五輪塔(鎌倉時代初期作)は、元は出雲の太田という場所にあり、江戸時代は巡業で通る力士一行が必ずこの野見宿禰の墓に参拝しました。明治16年に、五輪塔は十二柱神社に移され、その時に五輪塔の建っていた塚(直系20m)を発掘した時、土器・埴輪・直刀・子持ち勾玉などが出土しました。野見宿禰信仰が近郷の人々に根付いていたようです』

『武烈天皇・泊瀬列城宮伝承地 日本書紀による武烈天皇の皇居があったのはこの付近だと言われている。仁徳天皇の皇統が武烈天皇で絶えるため、仁徳を聖帝・武烈を暴君として描かれる。武烈があまりの悪政非道な政治をしたから、仁徳の皇統が絶えたと記紀は強調しているが、実際のところはわからない』
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摂社に、「武烈天皇社」があった。
十二柱神社の拝殿の瓦を見上げると、藤原氏の「下り藤紋」だった。

次は、橿原界隈の「神武天皇陵」「橿原神宮」「久米寺」「益田岩船」でしたが、時間の関係で全てカットし、大和郡山に向かいます。
R165~r105~r14~R24、「西名阪・郡山IC」を抜け、適当に枝道に入り、筒井町に侵入。

民家・耕作地の混合地なので、鎮守の森が怪しいと思い農道のようなとこも走り、野生の勘で走る。
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15:37「あっ、ビンゴ!」、筒井城の水堀跡と思われる地形を見つけました。
隣接する南側が小さな森になっているので、寺社があるのだろうとそちらに回ると、「筒井城址」の案内板発見。
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そちらに向かうと分譲地住宅群に入るのだけれど、横の大きめの蓮池が如何にも水堀跡の再利用池に見える。
バイクを停めてウロウロキョロキョロしてると、駐車車両に隠れた筒井順慶顕彰会・案内板「筒井城と筒井氏」を見つけました。
ここが筒井城の中心地だったそうです。

奈良史跡探索ツーリング 4/5

10/11・奈良史跡探索ツーリング その3

勾配の急な沢道が続いた後、不意に三叉路が現れました。
普通なら直進しそうな交差点でしたが、ナビを「天理ダム」に設定していたので、「右に曲がれ」の指示があり右折しました。
名阪国道の下をくぐり、ぐいと登ったら名阪国道横の側道になりました。
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フェンスを隔てて横は、車がビュンビュン走っていますが、こちらは交通量ゼロの道です。

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13:08・「小さなお地蔵様」到着。
厳しい沢道を突破した直後なので、思わず止まって手を合わせます。

福住ICからR25・旧道に乗ります。
この道はナイスな田舎国道で、40~50km/hで快適に走れました。

13:22・「天理ダム」到着。
ここでストップし、ダム堤上から激写。
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バイクの上を見上げると、マメ科の実が無数に下がっています。
枝に棘がないのでネムノキのようです。
棘があれば、ニセアカシア。

ここから、「藤井・笠」方面・r247に入ります。
この道も1車線ですがナイスで、気持よく流せました。
景色を楽しみながら走っていたので、峠を越えて笠の集落に出てしまいました。

「あれ~、しまった」
龍王山への道を見過ごしてしまった。
落ち着いて地図を見ると、分岐までかなりバックしないとだめです。
あそこだったのか・・・砂の浮いた分岐する道がありました。
「登山者向け駐車場あり」の事前情報を頼りにしていたので、わかりやすいと思ってました。
やむなくパス。

r50~r38で、13:47・「初瀬ダム」。
弘法大師が振り返ったという「見返り不動尊」がありました。
不動尊の上には巨大な岩があり、霊験あらたかな雰囲気があります。

14:00、長谷寺の駐車場が見えてきました。
門前道を下り、「與喜(よき)天満神社」参道前の去年停めた「長谷寺前駐車場」さんに、バイクが停められるか聞きました。
四輪500円で、バイクは300円。
ここも菅原道真縁の神社で、菅原道真が天下ったという「イエスキリストの復活」を思わせるエピソードがあるとのこと。
1週間前に知ったばかりのにわか知識ですが、確かめに来ました。

菅原道真の先祖・土師(はじ)氏がBCからADに代わる時代に住んだ地に近いので、道真信仰も濃いと思われる。
長谷(はせ)寺という寺名も、「はじ」に近いし、ここの地名「初瀬(はつせ)」とも関係ありそう。
「垂仁天皇」に見出された「野見宿禰」が、埴輪製造技術集団として都に連れて来て、土師氏を賜りここに住んだ集団と言われているので、出雲族ということになっているが、出雲族自体大陸系の渡来集団とも言われている。
その末が菅原の姓を賜り、菅原道真の時代に太政大臣まで昇った。

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「與喜天満神社」は、長谷寺に来た時、訪問しようか迷ったお宮でした。
初瀬川を渡ります。
『パワースポット 「與喜山」は千古以来斧を入れていないご神体山で、大和国の黎明期から、最初に太陽が昇る山として崇められていた。與喜天満神社はその中腹にあり、山全体がパワースポットとして有名です』

初瀬川を渡る橋から、長谷寺が見えます。
この地を底に270度放射線上に山が広がり、その半分強に長谷寺伽藍が点在します。
残りが神社なのがわかります。
石段の途中に、社務所・祈祷所があり、覗いてみるとお守りなどが置いてありました。
更に石段を上がると、鳥居。
更に上がると、また石段です。
途中に、「與喜寺跡」がありました。
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振り返ると、初瀬の街・・・

『八王子社と山神遥拝所 川向うの岩盤の上に鎮座する八王子社は、天照大神と素戔鳴尊との誓託により生まれた八社の神を祀る神社です。「與喜天満神社」は、長谷寺の鎮守・地主の神様です』
わがまま放題の素盞鳴尊が神様の国・高天原を追放された時、姉の天照大神に挨拶しようと会いに行くと、天照大神は武装して素盞鳴尊を警戒します。
僕はただお別れの挨拶に来ただけなのに・・・

そこで誓託(占い)をして、どっちが正しいか決めます。
天照大神は、素盞鳴尊が持っていた剣を噛み砕き「宗像三神」を産み、素戔嗚尊は天照大神の首飾り・勾玉を噛み砕き、野見宿禰の先祖である「天穂日命」含む五神を産みます。
その八神が八王子です。

奈良史跡探索ツーリング 3/5

10/11・奈良史跡探索ツーリング その2

ちょっと迷いながら、10:56・「称徳天皇稜」。
この48代天皇は、46代「孝謙天皇」として一度天皇になっており、返り咲きの女性天皇です。
父親が、奈良東大寺・涅槃大仏を建立した聖武天皇で、母親が史上初めて藤原氏から皇后に入った光明皇后です。
光明皇后も、聖武天皇の意思を継ぎ、素晴らしい国の運営をしましたが、この称徳天皇は、僧・弓削道鏡を重用するあまり、ついには天皇と血のつながりのない道鏡に皇位を譲ろうとさえした。
ここで登場するのが、僕の好きな和気清麻呂で、宇佐八幡宮に出張し道鏡の悪巧みを見事を砕きました。

女系天皇を出さないために、女帝は子を宿すことがないよう女性の喜びを制限されるので、その欲求不満に道鏡が付け入ったものと想像します。
女性天皇が子を産むと、我が子を天皇にしたいという願望に結びついて、おかしなことになる。
ここで天武天皇系から皇統が切れ、天智天皇系に戻り今に続いています。

この前例に懲りたのか、江戸時代まで女性が天皇になることはありませんでした。
世界には、ロイヤルの称号で呼ばれる家はいろいろありますが、イギリス王室でも現エリザベス女王の皇位第一継承者が長男のチャールズ皇太子であるように、染色体レベルでY染色体がつながっていない。
女系天皇を許すと、世界に冠たる天皇家の血統が、世界標準レベルになってしまう。

「世界一でないとダメなのですか?」
「はい、それを目指さないと世界2番も怪しくなります」
僕の日本人に生まれた誇りは、素晴らしい天皇家を古来より守り続けてきた民族だということにもあります。

ウロウロしてやっと「歴史の道」に入ることが出来、11:06・お隣の「成務天皇陵」。
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更にお隣の「日葉酢媛命稜」。
3つ並ぶ天皇家の陵墓ですが、日葉酢媛命稜が周囲の水堀も幅広で、最も手入れされているように見えました。
日葉酢媛命は、11代「垂仁天皇」の皇后で、12代景行天皇と倭姫命の母親です。

倭姫命は、天照大神を伊勢に移動させ、生涯そのお世話をし祀り続けた最初の斎宮です。
その後、この重要な役割を皇女がするようになり、穢れを知らぬ生娘の時に、先代斎宮を引き継ぐようになる。
僕のルーツ・美作菅家党に続く「野見宿禰」を見出した垂仁天皇の后でもあり、何となく誇らしく思いました。
皇后でありながらこのような立派な天皇を凌ぐ陵墓を構え、維持されているということは、如何に大和朝廷の土台を整備した功績
がこの時代の天皇家にあったかを物語っているように思います。

南隣の「佐紀神社」も、秋祭りなのか大人たちが集まっていました。
暑くなったので、フィッシングスーツのジャケットを脱ぐ。
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更に「歴史の道」を南下すると、お神輿行列に遭遇し、そして平城宮跡が見えてきました。

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r104に出て東進し、1週間前に案内板を見過ごし訪問できなかった「多聞城址」に、11:46到着。
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「奈良市立・若草中学校」として使われていますが、正門前から勾配を登り、正門を入ればすぐに、長階段で曲輪を上がっています。
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振り返れば、興福寺の五重塔が正面に見え、左手には東大寺大仏殿の大伽藍が、若草山を背景に見通せます。
中学校なので、正門少々しか中に入りませんでしたが、ここでこの景色なら、松永久秀が南都勢力に睨みをきかせるのには十分です。
大和国・守護の興福寺大衆も、蛇に睨まれたネズミのようだったのではないだろうか?
城作りの才もそうですが、戦国の三大梟雄としてヒール役と捉えられている松永久秀ですが、京都の浮浪児上がりという秀吉に似た境遇からの立身出世物語であり、才能は傑出しているように思う。

空腹感を覚えてきたので、適当なお店を探しながら、R169を南下します。
次の目的地は、「龍王山」山頂にある龍王山山城です。
もうすぐ「天理IC」に着いちゃうと更に空腹感を覚えてきた時に、「うどん・そば」の看板を見つけ入店しました。
「天ぷらうどん」を頂きました。
お安めのお値段なので、職人さんが軽トラで3台も入ってきました。
地元の方に愛されているお店のようです。

「西名阪道・天理IC」の交差点を東に入ります。
名阪国道に乗るのではなく、r192を進みます。
名阪国道は、奈良盆地の東の山塊で、大きくコの字に曲がって走ります。
四角の残り一辺を走る方が、圧倒的に近道なのに、不思議です。

その一辺には、r192が走っています。
これを探索します・・・GO!

民家があるとこは適当な広さがありましたが、民家が途切れると山道・沢道になり、四輪離合不能です。
時々クラクションを鳴らしながら、ゆっくり走ります。
「廃道化部分があるかも?」と覚悟していましたが、そこまで酷いところはありませんでした。

奈良史跡探索ツーリング 2/5

10/11・奈良史跡探索ツーリング その1

家内がお出かけなので、一人遊びの日です。
河内の飯盛山城を最初に、奈良の古墳・寺社・中世の山城跡を巡ろうと計画を立てました。

4:10に目が覚めたので、いざ行かんとトイレに下りたら、雨音がします。
天気予報では、朝曇り・午後から晴れだったのに、出鼻をくじかれました。
遠方ツーリングなら、小雨なので構わず出発するのですが、奈良という近場でもあり、雨が止むまで二度寝することにしました。

次に目を覚ましたら7時前、階下に降りて家内の出発時間を聞くと、8時とのこと。
家内を駅まで送り、帰宅してバイク装束に着替えます。
コミネ・メッシュプロテクター上下+DAIWAフィッシングスーツの春秋仕様です。

「里山ひこにゃんVTR250」を出して、8:47・出発しました。
出発が大幅に遅れたし、朝の雨で地道のぬかるみも気になり、「飯盛山城」探索はパスにしました。

R171~中央環状線を走り、門真でR163にチェンジし、奈良を目指します。
清滝トンネルで生駒山系の北端を東に抜けると「北田原」、ここにも山城がありました。
交通の要衝なので、どんな風に街道を見下ろしていたのか興味がそそられます。

r52を南に折れ、奈良盆地に向かいます。
路肩に止め、最初のナビの目的地を「秋篠寺」にセットし、9:59・「秋篠寺」到着。
山門脇に、1週間前に家内と自転車で巡った「歴史の道」の案内板があり、近隣の古墳などを巡る道なので頭に入れる。
このエリアは、時間切れで端折ったエリアです。

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参道は落ち着いた砂利が敷かれ、お庭は緑濃い苔で覆われ、かなり素敵です。
日本国内では他に現存しない「伎芸天」という天女像があり、芸術・歌・演劇の上達を司ります。
それ目当てに女性が多く参拝するお寺です。

正面門は東向きで、そちらから入ったのですが、南門の方に秋祭りの音が聞こえるので、南門を出てみました。
そこに「八所御霊神社」がありました。
境内から道に、お囃子に乗って子供神輿がでてきました。
法被姿の子たちお父さんを、それを見るお母様方が取り巻いています。
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お参りしようと境内に入ると、大人神輿が社屋から引き出されたところでした。
町内会婦人部なのか、机にお菓子などを置き、祭りを盛り上げています。

秋篠寺に戻り、拝観料・500円で中に入る。
「秋篠」と爽やかで清楚なイメージの名を冠すること、皇位継承順位2位の皇子に付けられた秋篠宮のイメージ(紀子さんや佳子さ
んの美しい)で、勝手に尼寺と思っていたのですが、そうではないようです。
ちなみに、現状が続くなら、秋篠宮のお兄さんの皇太子さんが次の天皇になり、その次は秋篠宮さまのご長男さんが天皇です。

「女系天皇を解禁しよう」などの古来から天皇家が守ってきた「男系」を改めようとする意見が出ていますが、生物学的にもやってはいけないように思います。
正常なな雄はXY染色体を持ち、正常な雌はXX染色体。
過去何人かいた女性天皇も全て男系で、女系天皇は存在しない。
天皇の染色体は男系のY染色体で繋がれてきているので、女系天皇を一度でも出してしまったら、そこで天皇Y染色体が途切れます。
日本民族が、太古より心の拠り所・日本民族の象徴として敬っていた天皇家の遺伝子を断つと、日本民族の瓦解に進むような気がしてならない。

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こじんまりした境内に国宝・本堂が建ち、内部に薬師如来を中心に日光・月光の薬師三尊が鎮座していました。
十二神将が、それを守っています。
そして、伎芸天。
胸の膨らみがイマイチで、腰のクビレも今ひとつ。
女性には一見して見えませんが、女性らしいところを見つけようとするからか、指先が細めで長めに見えてきました。
首を少し傾けている姿も、遠目には女性らしさを感じます。
でも僕は、現代日本女性のくびれのはっきりしたプロポーションの方に、よっぽど惹かれます。

「歴史の道」を巡ることにします。
徒歩道なのでトレースできませんが、旧r52を南下&新r52を北上し、10:36・「神功皇后稜」。
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整備された石畳の道を歩くと、定番の天皇陵を守る鳥居がありました。
古代日本史の女傑・神功皇后は、14代仲哀天皇の皇后で、夫の死後朝鮮半島の三韓征伐をやってのけ、日本の権益を守った英雄です。

夫の父・ヤマトタケルは12代天皇・景行天皇の子で、国内平定に東奔西走した大和朝廷の国内統一を成し遂げた英雄。
その妹・倭姫が伊勢神宮で天照大神を祀り、ヤマトタケルの東征の時に、天叢雲剣(草薙の剣)と火打ち石を授け、東征を側面から成功させている。
この時代に、現在まで続く大和朝廷の土台が盤石になった。

奈良史跡探索ツーリング 1/5

ライオンキング

昨夜、夕食を食べお風呂に入っていると、電話が鳴りました。
22時前ですが、我が家はもう就寝時間で、家内もすでに夢の中。
「ぐあ~、参ったな~」と風呂から上がろうとすると、家内が寝室から出てきて受話器を取ってくれました。

「もしもし」「・・・」「うん・・・」、どうやら我が子からのようです。
お正月の僕らの予定を聞いてきてるらしい。
「何も決まってないよ~」なんて、家内が言ってます。
「お正月は、お寺さんは来ないよ」
「お墓参りも決まってないし、親戚と会う日も決まってないよ。お互いの都合が合う時に集まってるだけ」
「・・・」

「うん、ありがとう。いいと思うよ。お父さんに聞いてみるね」
お風呂の前から、「元旦の午後2時から、ライオンキング観に行かないかって、誘われたよ。何か予定ある?」
「劇団四季?大阪なの?東京?」
「大阪みたい」
「いいよ」

ってことで、お正月に劇団四季のミュージカル・ライオンキング大阪公演に招待されちゃいました。
長男は、演劇関係はあまり観に行かないけど、次男はあれやこれや観に行っています。
歌舞伎・文楽・・・、劇団四季は去年も観に行ってた。

僕は母が好きだったので、文楽や狂言など連れて行ってもらったし、宝塚歌劇など何度観に行ったことか。
自分でも中学生でオペレッタを数回観に行きました。
通学電車の下がり広告で見つけたピカソやレンブラントその他の絵画展を、京都の博物館・美術館に観に行ったこともあった。
フェルメールも東山魁夷も、みんな中学生の時本物を見た。

子供が出来てからは、大英博物館展や常設美術館・博物館程度で、子供が喜ぶ動物園・遊園地ばかりになった。
そんな我が家なのに、次男はNHK・ETV「日曜美術館」を毎週おばあちゃんに録画してもらって観ていました。
その流れが、劇団四季に繋がるのだろう。
面白いね。

家内に、子供の頃連れて行ってもらったとこを聞くと、コマ劇場だけだとか、他を聞くと、新婚時代に僕と一緒に行ったとこばかりでした。
いずれにしても、来月はじめに東京の長男宅に招待されてるのに続き、また子供たちに招待されちゃいました。
家内が、子供たちに好かれてるから、僕もついでに幸せプレゼントのおこぼれを頂戴しています。
ありがたいな。

10/7・ビデオレター

10/7・長男から、ビデオレターが届きました。
長男からの指示で、クラウドボックスを共有しており、時々ビデオや写真を投函してくれます。
「新しいビデオを投函したから見てね。遼くんからのお願いもあるよ」と、メールが届きました。

前回の投函ビデオは、羽田空港が見えるオートキャンプ場での様子でしたが、今回は自宅でのビデオ2本+絶叫屋外ビデオ1本でした。
1本目は、自宅で嫡孫くんがお父さん相手に走り回って、笑いまくってるおもしろビデオです。

続いて、「おまけ」と表題が付いたビデオ。
深い渓谷に掛かる橋の中央部が映り、お嫁さんが嫡孫くんに、「行ってらっしゃい、パパ頑張って~って、大きい声で言おうか」なんて音声が入っています。
橋の中央部に出来た出っ張りスペースに、男性数人がおり、長男が立ってる・・・まさか・・・
「5、4、3、2、1、Go!」のカウントダウンとともに、長男が「わ~」なんて声を残して、真っ逆さまに落ちていきました。
そう、バンジージャンプ!

足につながったロープに引っ張られ、「ぎゃ~」っと叫びながら、長男が上がってきます。
そしてまた、川底へ・・・
「見える~、パパぶら下がってるね~」
「パパ、頑張れ~」って、遼くんも叫んでます。

小学生の時は、僕以上に絶叫系に弱かったのに、新婚時代にラスベガスで、タンデムスカイダイビングしたのに続いて、到底僕には出来ない絶叫系を克服しました。
僕がやっと、吊橋を克服したのとレベルが違います・・・あ~負けた~、置いて行かれた~。

3本目のビデオでは、遼くんがプラレールで遊んでいました。
長男「今何してるの?」・・・遼くん「貨車1つ取ってね、並べてるの」(機関車トーマスに登場する「コナ」らしい)
「何が好き?」・・・「コナとスペンサー」
「スペンサーないね」・・・「パパ今度スペンサー買ってきて、アメリカで」(アメリカ出張帰りに、洋服やおもちゃなど買ってくるので。幼児なのにアメリカで買ってきてと言うなんて、僕とは別世界の人だ)

「東京で売ってるよ、会社の近くで売ってる」・・・「会社の近くで買ってきて」
「スペンサー?」・・・「うん」
「どうしようかな。いい子にしてたら、クリスマスプレゼントで買ってあげようか?」(おっと、すでにサンタクロースの存在を否定してるし・・・)・・・「えと、電車乗らないと」
「そうそう」・・・「飛行機も?」(飛行機が、どれだけ日常の乗り物になってるんだ・・・びっくり)
「飛行機乗らなくていいよ」・・・「飛行機乗らなくていいって」(と、洗面所に走って行き、ママに報告している。ドライヤーの音)

「コナ動かして」・・・「いいよ」(プラレールにコナを乗せ、動かしています)
「お爺ちゃんにスペンサー買ってくださいって言えば・・・、ビデオに、はい、・・・買ってくれるかもよ~」・・・「お爺ちゃん、スペンサー買ってきてください」
「はい、じゃあ伝えとくね、お爺ちゃんに」

という内容でした。
来月初めに東京に呼んでくれているので、その時持って行こう。

すぐに、「プラレールのスペンサーでいいの?」と長男にメールしました。
昼休みに返信があり、「プラレールにはスペンサーは1つしかないから間違えようがないよ。TS-10というやつ」
東京へ持っていくお土産は何がいいかな?と、岩波絵本を物色していましたが、これに決まりました。

すでに、「プラレール・スペンサー」と、「岩波絵本・ふしぎなたいこ」を確保しました。
家内にラッピングしてもらって、持って行こう。
家内も毎回、なんか僕に内緒でこそっとプレゼントを買ってるんだよね・・・何かな?

この岩波絵本シリーズは、僕が母親に読み聞かせてもらった本です。
息子たちに本を買おうと書店に寄ったら、まったく同じシリーズが並んでおり、新しく書い読み聞かせしました。
そしてまた、3世代目もシリーズが健在です。
本の大きさ・厚さ・文字・挿絵・色合い・・・すべて全く同じです。
60年以上売れ続けているから、ドル箱商品ですね。
レゴ同様、アメリカのねずみさんに匹敵する長寿商品です。

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明日は、家内が仕事なので、独り遊びします。
グループツーリングは、興味が薄い行列グルメ系&大人数なので、またパスしちゃった。
奈良周辺の歴史遺産探索ツーリングをする予定です。
飯盛山城址・龍王山城址・益田岩船・筒井城址、これに加え寺社や陵墓を巡ります。

10/4・奈良・夫婦サイクリング その5

天穂日命は、天照大神と弟の素盞鳴尊が、高天原(天の国)で占い対決した時に、素盞鳴尊が天照大神の首飾りの勾玉を噛み砕いた時に生まれた神様です。
後に、葦原中津国(地上)を治める素盞鳴尊の子・大国主命に、地上の支配権を返上し、高天原の神に渡せと交渉しに下ります。
しかし、大国主命に心服してしまい、子孫は出雲国造(現在の県知事)を世襲する。
現在の千家家(出雲大社宮司を世襲)に続き、世界一の天皇家に匹敵する名門家系です。

その子孫・野見宿禰は、出雲の勇士で垂仁天皇(BC~ADのキリストと同世代)の命で當麻蹶速と相撲対決を制し、大和當麻の地を与えられた・・・相撲の祖。
垂仁天皇の后・日葉酢媛の墓所に埋める埴輪製作のために、出雲から職人を呼び、彼らが住んだのが櫻井・初瀬街道の出雲。
出雲のすぐ西に、出雲系の大国主命とともに国作りに励んだ大物主命(大国主命と同一とか、事代主と同一とも言われている)を祀った大神神社がある。

日本各地に、菅原神社・天満宮・天満神社があるが、生誕地のここと、没地の太宰府天満宮(お墓の上に勧請)と京都北野天満宮は、別格です。
3つの最後として、ここを訪問できました。

南に向かい、阪奈道路を渡って、垂仁天皇陵脇を走ります。
菅原町は、天皇陵の北側に隣接するんだ・・・
野見宿禰本人か、あるいは子孫一族が先祖を引き立てた天皇を慕うように、この地に移り住んだと想像するのが自然です。

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近鉄・尼ケ辻駅を東に渡り、川沿いの自転車道に乗って、南下します。
薬師寺の五重塔が見え、隣に修理中の国宝東塔を覆う白カバーが見えてきました。

「唐招提寺」の案内板に従って、西に曲がります。
15:53、「唐招提寺」。
土産物屋さんに入り、うどんを注文し遅い昼食。
「お腹が減りすぎて、足が動かなくなってきた」と言ってた家内も満足そうです。

「じゃあ行こか」「うん」とお店の外に出ると、家内は自転車の方に歩いて行く・・・あれれ?
自転車の向こうのトイレに入っていったので、唐招提寺の山門が見える駐車場の端で待つ・・・
おトイレから出てきた家内は、自転車のとこで僕を探している。
あれれ・・・まさか・・・家内のとこに行き、「唐招提寺に入らないの?」
「ん?あれ~うどん食べて満足しちゃって、帰るのだとばかり思ってた。入らなかったら、何しにここまで来たかわからないわね」と、自分に呆れています。
僕は、「やっぱり」と思いながら、心の中で大笑いしました。

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『鑑真和上は、688年中国揚州に生まれ、後に出家され、長安・洛陽一の僧となりました。742年日本からの熱心な招きに応じ、5度の渡海失敗にもめげず、753年6度目の航海で来日しました。翌年、東大寺大仏殿前に戒壇を築き、聖武天皇初め400余名の僧俗に戒を授けました。日本最初の正式授戒です。鑑真和上は東大寺で5年過ごし、758年大和和上の称号を賜われました。759年、戒律の専修道場を創建されました。これが唐招提寺の始まりです』

金堂(国宝)内の薬師如来・盧遮那仏・千手観音の三尊がおられ、千手観音の精巧な作りに目を奪われました。
四天王像など、さすが国宝は雰囲気があります。
四天王像や十二神将像は、多くのお寺に安置されていますが、それぞれ仏師の思い入れにより表情や仕草が違います。
僕が好きなのは毘沙門天(多聞天)なので、特に注目して見ています。

今までで最も気に入ったのが、北条時政の菩提寺・願成就院(伊豆)の国宝で、数万円で求めたそのレプリカを実家に飾っています。
なかなかこれを越えるものに出会えないな・・・

講堂内に、金堂の修復作業などが展示・紹介されていました。
鴟尾レプリカを2対制作したそうで、1対は真正鴟尾に代わって金堂の屋根上に置かれ、残りの1対が展示されていました・・・大きいな。
元禄・明治に続き、3度目の大規模改修のようです。
部材を全部バラして、土台に柱を立てるところから組み上げて行った作業の大きさに驚きです。
奈良時代に元禄まで未改修で立ち続けた当時の職人の技術の高さにびっくり。
クレーンも重機もない時代に、人力オンリーでこのような大きな建物を・・・

開山堂には、写真でお馴染み・鑑真和上坐像のレプリカが安置開帳されていました。
国宝・鑑真和上像は、特別な日にしか開帳されないので、期待していなかったのですが、これはラッキーでした。
本物の像は、目の周りなどに焼けた跡が残っていますが、レプリカは創作時の手法を守って作られ、彩色されたそうで、より当時のものに近いそうです。

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その後、蓮池の方を巡って駐車場に戻りました。
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蓮池には、季節外れですが「かきつばた」が1輪だけ咲いていました。
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萩の小さく可憐な花が咲いており、静かな散歩道でした。
唐招提寺でさえ、京都の小奇麗なお寺と違い、やつれ感があちこちに見られます。
これが南都・奈良のいまいち垢抜けない、でも着飾らない雰囲気を醸しているようです。

16:20になったので、「薬師寺」訪問は諦めました。
川沿いの自転車道を北上し、三条大路・R308を東進し、途中で再び北に向かって、16:55・奈良市役所横の車に到着。
自転車を片付けていると、17時閉鎖の市役所駐車場の入口にチェーンを掛けていました。
走行時間2:52:10・走行距離31.07km・平均速度10.8km/h・最高速度29.2km/h。

第二阪奈道~近畿道~中国道で帰宅し、楽しい1日が終わりました。
奈良の観光案内所でもらった「歴史街道地図」(裏面は奈良公園ウォークマップ)に準じたコースでした。
時間の関係で少々カットしたところがあるので、またの日に・・・

10/4・奈良・夫婦サイクリング その4

更に西進し、13:18・JR奈良線近くの「不退寺」。
カッコ書きで「業平寺」と書かれていたので、見学してみます。

『仁明天皇のご勅願により、在原業平朝臣の建立。当時は、南都15大寺の数えられた古刹。809年平城天皇ご譲位の後、この地に「萱の御所」を造営し、その皇子・阿保親王没後、その皇子で在原の姓を賜り臣籍降下した在原業平が父親の菩提を弔うとともに、本尊聖観像を安置して衆生済度のために建立した』

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境内に石棺が雨ざらしで置かれていた。
説明板に、『石材は砂岩の一種で、草刈りの人がこれで鎌を研いだ痕が無数に残っている』となっていたので、長く雨ざらしだったんだなとわかりました。

本堂に入ると、ご住職さんがおられ、本尊の前に僕らを導きます。
各仏像の説明を流れるような口調でしてくれます。
「どうぞ、お近くでご覧を」と言われた後、うちわで自らを仰いでおられます。
毎日、同じ説明を繰り返しておられるのでしょう。
僕らが退出し、境内を見ているとご住職さんも本堂から出ていました。
また次の参拝者が入って来ると、再び本堂内に姿を隠されました。
クーラーのない本堂内は、暑い日は大変です。

更に西進し、13:46・「法華寺」。
続いて北隣の「海龍王寺」。
『飛鳥時代に毘沙門天を安置して建立された寺院を、731年遣唐使として中国に渡った初代往持・玄ほうが、一切経5000余巻と新しい仏法を我が国にもたらすことを願ったことと、平城京の北東隅(鬼門)の方角を護るため光明皇后により、「海龍寺」として改めた。玄ほうが帰国途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、一心に海龍王経を唱えたところ、無事に帰国できたことから、遣唐使の渡海安全祈願を営むようになり、現在も旅行や留学に赴かれる方々が参拝します。写経も盛んで、光明皇后や弘法大師の般若心経が伝えられている。創建当時の建物は、奈良時代の五重塔として唯一現存する五重小塔(国宝)と西金堂(重文)が残る』

土塀に瓦が塗りこまれ、適度に経年劣化し良い雰囲気です。
『五重小塔 4.01m・天平時代(7世紀後半~8世紀半ば)前期。創建当時から西金堂内に安置され、細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られている。天平時代の建築技法を現在に伝え、建築様式の発展をたどる上にも重要であることと、建築物として天平時代の五重塔はこれ一基しか現存していないので、価値が高く国宝に指定されている。屋内で安置することを目的としたため、近くから見た時の工芸的な性格を考え、小塔の外部は細部に至るまで忠実に作られている。またこの事は、寸法取りにも現れ、上層部に行くに従い塔身が細くなっていることから、上層部と下層部の均整を重視した寸法取りを行った事が伺える』

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この小塔は見事でした。
彩色がまだ残り、造形的に寸分の狂いもなく現在に至っているように見える。
外部からその姿を見ることが出来、当時の木工技術の高さに感心した。

海龍王寺を北に上がり、西に折れる。
14:16、「平城京跡」のだだっ広いすすき野に出ました。
南に遠く近鉄が横断しています。
その近鉄より南側に、まだ更地が広がっています。
とてつもなく広いように見えますが、大極殿のみしか再建されていません。
発掘調査などで長い間このままですが、いずれ復元レプリカが建つのでしょう。

この道はr104で、交通量が多く路肩も狭く、自転車で走るには厳しい道です。
大極殿~西大寺繁華街間は、自転車道が整備されていましたが、更に延長していただきたい。
トイレ休憩して、西大寺に向かいます。

14:47、「西大寺」。
昼食時間が過ぎたので、食事を取ろうと走りましたが、適当なお店がありませんでした。
自転車なので、西大寺のビルには入れないし。
家内が「お腹空いたから、補給食する」と言うので、駐車場脇に座り持参したカロリーメイトなどをリュックから出して食べます。
補給食は少しなので、僕は我慢です。
歴史探索してる時は、そちらが楽しくて昼食抜きの時も多いしね。

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藤棚から、藤の実がぶら下がっていました。
「これ何?」って家内が気持ち悪そうに見るので、教えてあげました。
境内に、現代アートのようなものがあり、本堂では多くの僧侶の法要をしていました。
低い称名が堂内に響き、厳かな気持ちになりました。
多くの方が、神妙に聞き入っていました。

ここから歴史街道を北上し、「秋篠寺」に行く予定でしたが、時間的にカットし、南下します。
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15:09・僕が一番訪問したかった「菅原天満宮」到着。
ここらは菅原町で、菅原道真が生まれたところです。
僕も菅原道真の末で菅原氏の末席に連なっているので、夫婦で家族の平安と、現在進行形である来年生まれてくる新しい命の無事を祈りました。

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『祭神は、天穂日命・野見宿禰・菅原道真。天穂日命は、菅原氏の祖。その子孫・野見宿禰はこの豊かな地で土師器の制作と埴輪作りをして勢力を拡大した。垂仁天皇の后が亡くなった時に、悪習だった殉死を止め、代わりに埴輪を埋めるよう進言した功績により、垂仁天皇より「土師臣」の姓を賜った。その後、大喪一般を取り仕切るようになった。その子孫が、「菅原姓」への改姓を許され、道真が生まれた』

10/4・奈良・夫婦サイクリング その3

少し北上すると、11:01・「観光センター」到着。
おトイレを拝借し、観光地図をゲット。

更に北上し、学校チックな建物が見えてきたので、適当に東に曲がり、11:10「奈良女子大」南門。
家内が受験した「お茶の水女子大」と、ここしか国立の女子大はありません。
正門にしてはあまりに貧弱なので、もう少し東に進むと、北矢印で「奈良女子大」観光案内板が立っていました。
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北にすぐ、11:12正門到着。

正門正面に、旧奈良女子師範学校・旧本館のレトロな建物が見えますが、工事のフェンスが囲っています。
一般公開もされているので、期待してきたのですが空振りでした。
スケッチの方が10名ほど、正門正面や正門内におられました。

若草山を正面に見て東進すると、11:15・「NHK奈良放送局」到着。
シャッターが閉まっていました。
放送局って、日曜でも本放送をしているので、24時間オープンだと思っていました。
奈良などのブランチ局はお休みなのですね。

奈良県庁と東大寺敷地を隔てる南北道・R169を越えて、11:23・「寧楽美術館・依水園」到着。
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北上し、11:31「東大寺・戒壇堂」到着。
ここに、僧になるための戒を授かる戒壇が、日本で初めて建立された。
四天王像を観たかったが、このペースでは予定の半分も回れそうにないので、カットしました。
1人でじっくり訪問しましょう。

すぐ東に、大勢の観光客がいるだろう東大寺大仏殿が見えますは、こちら側は至って閑散としています。
更に北上し、11:40・「正倉院」到着。
もちろんお宝は拝見できませんが、外観だけ。

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西に向かい、11:42・「転害門」(奈良時代・国宝)。
『東大寺伽藍内で、唯一天平時代の遺構』と書かれていたが、二月堂横にある三月堂にもそう書かれていたような・・・。
ここにも、たくさんスケッチする方がいました。上天気なので、スケッチ日和ですね。

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R369を北上し、枝道に入り更に北上すると、11:55・「奈良市水道計量器室」と書かれたレンガ造りのレトロな建物に着きました。
横に、「北山十八間戸」。
『鎌倉時代中期に、僧・忍性が不治患者救済のため建てた』
外観から、小部屋が並んでいる風が想像される。
もう使われていないと思うが、見学はできないようです。

更に北上し、12:02・「般若寺」。
境内はコスモスが咲き乱れ、お花目当ての観光客でいっぱいです。
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道を隔てて、「植村牧場」がありました。
羊がいる・・・
牛がいる・・・。

ソフトクリーム320円を2つ注文し、家内とベンチに座ってしばし休憩です。
濃厚で、とても美味しい。
ほんとは、牧場内喫茶店で軽く食べたかったけど、満席で店員さんが次のお客様を呼び出しているのでパス。

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更に北上し、12:26・「奈良豆比古神社」。
『今から1200年前、光仁天皇の父・田原太子が病気療養のため、那羅山にある一社中に隠居せられる・・・とある一社こそ当奈良豆比古神社です。天然記念物・樟の巨樹は、樹齢1000年余り、土際の幹囲12.8m・幹囲7.5m・樹高30m・枝張り20m、樹姿は極めて良く、類例の少ない巨樹』
翁舞が有名だそうだ。並列に3社の瀟洒な本殿が綺麗です。

北上してきた道から、西に時折見えたレンガ造りの建物に行きましょう。
素直にバックすればいいのですが、一筆書きしたくて適当に西に入るが、南へ向かう道がなく、古墳のような森が南に見えたので、農作業中のおばさんに聞いてみました。

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やはり素直に戻ったほうが良さそうで、12:43・「奈良少年刑務所」到着。
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素敵なレンガ造りの塀や門で、正門から中を覗くと刑務所本体も正門と統一された素敵な建物でした。
「こんなに素敵なら、ここに入りたい子もいるよね」って、家内から問題発言です。
門に掲げられた注意事項の面会時間を読んで、「日曜・祝日は面会できないのね。お休みの日の方が来やすいのに」と。
この周りにも、10人ほどアマチュア画家さんが熱心に筆を動かしていました。

転害門まで戻り、「多聞城址」の案内板に従って西に進路を取ります。
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途中で案内板をロストしたのか、12:56「聖武天皇陵」まで来ちゃいました。

この並びに松永久秀が大和支配のために築城した「多聞城」がありました。
現在は中学校になっているようです。
久秀は、奈良盆地と大阪平野を隔てる生駒山系の信貴山に信貴山城を作りましたが、南都僧兵や筒井順慶などの南都大衆を抑えるためには、如何にも東大寺・興福寺・郡山遠い。
そこで、東大寺・興福寺の目と鼻の先に築いたのがこの城です。
具体的な位置関係がわかったので、良しとします。

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西進し、13:05「興福院」。
ここは入れなさそう。
観光客も皆無です。
山門横に「不可酒肉五辛入寺門」と刻まれた石柱が立っていました。
禅宗のお寺定番の「不許葷酒入山門」と意味が同じなので禅宗のお寺だと思い、帰宅後調べてみたら、浄土宗の尼寺でした。
僕の好きな和気清麻呂が、聖武天皇の学問所を移したのが始まりと書かれており、興味をそそりました。

10/4・奈良・夫婦サイクリング その2

「長めの良い花の寺・白毫寺・石段をお登りください」と書かれています。
家内は、石段で休憩しながら待ってるそうです。
拝観料500円。

南都に多い真言律宗のお寺でした。
折れ曲がった階段を上がって行きます。
経済的に裕福でないようで、山門築地塀が剥がれています。
石段脇から萩が石段に覆っています。
素朴な山門も脇の築地が剥がれ、時代劇のロケにも使えそうで、これはこれで良い雰囲気です。

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奈良大和盆地が眼下に広がり、西への眺望は最高です。
『若草山・春日山に連なる高円山の西麓にある。この地に天智天皇の第7皇子の離宮があり、その山荘が寺になった説、天智天皇が発願された説などある。鎌倉中期に西大寺で真言律宗をおこし、多くの寺を再興した興正菩薩が再興した』
多くの重文仏像があり、閻魔大王坐像が印象に残りました。

帰路は、志賀直哉旧居に寄り道しようと思っていましたが、ルートをロストしてしまいました。
「山の辺の道」途中にある「宅春日神社」に朝市の幟が上がっていたので寄り道しましたが、もう売り切れ続出状態でした。
プロンプトンの折りたたみ自転車2台が置かれており、前カゴやベビー椅子が着いていました。
おしゃれだな。

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新薬師寺・西隣りのガラス面が多い近代的な奈良市写真美術館横を走り、国指定史跡・「頭塔」という古墳みたいなとこも通りました。
ここは見学したかったけど、25mバックして保存顕彰会事務所に申し込むようなので、面倒になりパスしました。

「白毫寺」からは、ゆるい下りだったので楽ちんで、10:12・「元興寺」到着。
『真言律宗。日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、718年に官大寺として新築移転されたのが元興寺。現在は「ならまち」の下に埋もれました。1998年ユネスコ世界文化遺産「古都奈良の文化財」に登録されました』

拝観料・500円。
受付の元お姉さんが、見どころ・道順を教えてくれました。
国宝の極楽堂・禅堂は、素朴な佇まいでした。
宝輪館という宝物館には、重文の仏像などがありましたが、現在の航空写真の上に立体的に初期の元興寺の規模を現したジオラマで、その敷地の広さを実感できました。
北縁は「猿沢の池」に面していたので、藤原氏菩提寺「興福寺」に南並びしていたようです。
現興福寺より、圧倒的に大きかったようです。

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境内裏手には、「浮図田・ふとでん」と呼ばれる石塔・石仏が並んでいました。
元興寺・興福寺関係者や近在の方が、極楽往生を願って造立したものらしい。
国宝の伽藍の屋根瓦は、色が不揃いです。
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受付の元お姉さんが強調していた「創建当時の瓦を観ていってね」が、それのようです。

奈良女子大に向かって、「やすらぎの道」を北上していると、10:47・「率川神社」到着。
『率川神社 593年、日本最古の神社・大神神社の摂社として創祀。三枝祭りは、大神神社からササユリが運ばれ、それで酒樽を飾って、疫病除けを願う。ご祭神は、玉櫛姫命(母)・媛多多良五十鈴姫命(ヒメタタライイスズヒメ)(娘)・狭井大神(父)』。『率川阿波神社 祭神:事代主神』

拝殿の奥に、3つの本殿(父・娘・母)が並び、娘神を両側から見守るように父母神が鎮座するので、安産・育児の神として信仰を集めているということで、長男のお嫁さんが2人目の子を宿しているので、お賽銭を奮発し手を合わせました。
媛多多良五十鈴姫命は、初代・神武天皇の后になる方で、古事記では大物主と結婚した勢夜陀多良比売の娘と書かれており、日本書紀では事代主命と結婚した玉櫛姫の娘と書かれている。
勢夜陀多良比売は、玉櫛姫の別名とされているので、大物主と事代主も同一とする説もある。
一夫一婦制になったのは、ごく最近なので、夫が複数・妻が複数でも不思議はないのだけれど・・・。

事代主は、大国主の息子で、「天から降る神に葦原中津国(地上)を明け渡せ」と迫られた時、父の大国主にそうしましょうを進言し、天孫降臨を実現しました。
その時、漁をしていたということで、恵比寿様と同一視されている。

大物主は、葦原中津国を支配し開発していた大国主の協力者・少彦名神が天に戻ったので困っている時やってきた新たな協力者です。
大国主の息子という説もあり、この説だと更に事代主=大物主になる。
余談だけど、少彦名は背丈がとても小さかったようで、一寸法師の原型とされている。

大国主に協力する報酬として、大和三輪山に自らを祀ることを願う。
それが、日本最初の神社・三輪大神神社です。
狭井川というのが、大神神社に流れ、そのご神水は万病に効くというので、多くの製薬会社の御神燈が並んでいる。
狭井神社の祭神も、同じ4神です。

僕の持ってる日本神話に登場する神様を解説する本には載っていませんが、狭井大神とは、大物主を指していると解釈しました。
古事記はとても面白い日本神話ですが、その中で最も面白い神話の一つに、大物主が絶世の美女・勢夜陀多良比売に一目惚れして、なんとか物にしたいと頑張る記述があります。
大物主は、自分を赤い矢に姿を変え、彼女が用を足しに来る(沢に板を渡し、その上に乗って用を足した。厠=川屋の語源)川の上流から流れていきます。
そして、彼女の下から「ほと」を突きます。
その矢を自分の部屋に持ち帰ったとこで、大物主は元の姿に戻り、思いを遂げます。

それで生まれたのが、媛多多良五十鈴姫です。
媛多多良五十鈴姫は、三輪山に住んでいたらしいので、大物主が流れていった川は、狭井川という仮説が成り立つ。
だから、狭井大神=大国主かな?と。

家内には2~3度話したことなので、脳内で神話をグルグル回し楽しみました。
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まだ綺麗な3社は並列に同じ大きさで並んでいましたが、本殿を拝殿の間に雨避けのパーマネント鉄柱テントが設置されていて、綺麗な姿を見れなかったのが残念でした。
男神・女神を見分ける千木の切り方も斜めだし、鰹木もすべて2本で奇数・偶数の違いもありませんでした。

10/4・奈良・夫婦サイクリング その1

3週連続でヨットのコーチングを優先したので、久しぶりのデートです。
僕は家内のストーカー気味人間なので、1日おしゃべりして楽しもう。

仏像好きのMさんという方のなら散策コラムが気に入り、歩かれたルートをトレースしたくなりました。
ただ、僕ら夫婦に長時間歩行はきついので、夫婦サイクリングにアレンジしました。
自転車なので、徒歩の2~3倍のスピードで移動できるから、徒歩奈良探索コラム数回分を、1回にまとめました。

奈良市役所無料駐車場~JR奈良駅・観光案内所~元興寺~志賀直哉旧邸~新薬師寺~奈良女子大~吉城園~戒壇堂~正倉院~知足院~転害門~北山十八間戸~般若寺~奈良豆比古神社~奈良少年院~多聞城址~聖武天皇陵~興福院~不退寺~宇和奈辺・小奈辺古墳~小奈辺陵墓参考地~航空自衛隊・奈良基地~磐之媛命稜~海龍王寺~法華寺~平城宮跡~成務天皇稜~神功皇后陵~秋篠時~西大寺~菅原神社~善光寺~垂仁天皇陵~西方院~唐招提寺~薬師寺~孫太郎稲荷神社~大安寺旧境内~奈良市役所。

いつリタイヤしても迅速に車に戻れるように、奈良市役所を中心に、南東から反時計回りに円周を走るコースです。
いつものように、盛りだくさんすぎて、すべて巡れるとは思えませんが、以外にも主な訪問予定地をざっと直線で結ぶと、20kmほどしか距離がありません。
ミスロードや寄り道を含めて30kmほどのコースになるだからから、貧脚の僕ら夫婦でも達成可能です。

6:30出発予定にしてお休みすると、5時前に目覚めました。
早速着替えて、2台の自転車の前輪を外し、車に積み込みます。
2列目・3列目シートを一番前に移動させると、自転車はまっすぐ載りますう。
斜めにすれば、前輪を外さずに乗りますが、なんだか自転車が傷みそうなのでまっすぐ載せ、シートで倒れないように固定します。
ずっと使っていなかった家内のクロスバイク・ジャイアントエスケープ3が心配でしたが、パンクもなくノープロブレムです。

リュックにカッパなどを入れ、朝食を食べて、6:30に出発しました。
車の中で、Mさんコラムのプリントアウトしたものを家内に見せます。
「わかりやすいね、きっと奈良の観光協会の人だよ」なんて言っています。

豊中IC~中国道~近畿道~第2阪奈道路で奈良市街地に入り、7:40に奈良市役所に着きました。
市役所駐車場は、前日から11月いっぱいまで、秋の奈良観光サポートとして無料開放されます。
市役所なら8時オープンだろうと、チェーンのかかった駐車場入口前で、自転車を組立てます。
8:55になっても駐車場が開く気配がないので、駐車場内に入ってみると守衛さんのような方がいます。
なんと9時オープンでした。

あと1時間も待つのがアホらしくなり、隣のタイムズ(24時間最大600円)に入れました。
京都なら、嵐山は銀閣寺の公営観光駐車場でも8時オープンが当たり前。
奈良はのんびりしてるね・・・京都に負けるわけです。
駐車場のすぐ北側を近鉄が走っており、いろんなカラーの電車が頻繁に走り、なかなか良いです。

まず南東に、JR奈良駅を目指します。
目的はレトロ駅舎を見ることと、観光地図などの情報収集です。
殆どのお寺が9時オープンなので、暇つぶしでもあります。
野生の勘で辿り着いたJR奈良駅は、近代的な建物で観光案内所も見つけられず素通りしました。
駅を東に抜けたとこで、「元興寺」への地図を確認していると、「あっちにレトロな建物があるよ」と家内が旧奈良駅を見つけました。
ちょっと北に戻らないと行けないのでパス。

r754を南下し、「杉ヶ中町通り」を東進し、8:39「元興寺」到着。
オープンは9時からなので、「新薬師寺」に向かいます。
交通量の少ない生活道路を走っていると、「やまと屋」さんという観光人力車の会社がありました。
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横のシャッター駐車場が開き、颯爽と奈良駅方面に出勤して行かれました。
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手入れがされていない土塀があったり、古い町並みを見ながら走るのは楽しい。

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市内の要所に立つ観光地図看板・案内が充実しており、それを確認しながら新薬師寺に向かうと、「山の辺の道」に出ました。
ちょうど1年前、天理・石上神社から三輪・大神神社まで、「夫婦サイクリング」で走りました。
「あれ~山の辺の道だよ、去年走ったとこ?」と、地図音痴の天然が出て喜んでいます。

2時間前、近畿道で摂津を走っていると、長男が中高通った高槻の学校の住所と同じ地名を見つけ、「ここ高槻でしょ」と喜んでいました。
日本地図の県の所在地や県庁所在地など、社会科的なものはバッチリ頭に入っているのに、家内の頭の中はどうなっているのだろう。
奈良県の場所はわかっていても、奈良市・天理市などの位置関係はバラバラのようです。
ニコニコしながら教えてあげると、「ふ~ん、そうなんだ」とわかっていなさそうです。
完璧で隙のない女性は意外にモテませんが、このギャップに男は虜になっちゃいます。

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9:04・「南都鏡神社」。
春日大社の式年遷宮時に、第3殿を譲渡され移設したそうです。
式年遷宮は、20年に一度の伊勢神宮が有名で、勿体無い気がしますが、旧殿は他の宮に移し再利用されます。
使える部材は順繰りに再利用され、無駄になることはないそうです。
素敵なシステムです。
806年に新薬師寺の鎮守として勧請されたそうです。

石上神社~大神神社間の「山の辺の道」は、自転車に乗れない区間が多かったですが、こちらは全て舗装路で、渋滞街を左右に曲がりながら縫う道をたどり、9:06、「新薬師寺」到着。
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目の前の田んぼにカカシが立ち、奈良盆地の東山の掛かりにあるのどかな場所です。
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拝観料500円。

『743年、聖武天皇は動植物すべてが栄えるように、盧遮那大仏造立を発願し、僧行基とともに近江・紫香楽宮で大仏造立に着手しましたが、山火事や地震の頻発により、中断して平城京に戻りました。大仏建立は、平城京の真東山麓(現在の東大寺)で再開しましたが、聖武天皇自身が体調を崩しました。その病平癒を願って光明皇后が建立したのが、「新薬師寺」です』

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よく写真で紹介される本堂(国宝)は、立派さや他を威圧するような存在感はなく、素朴な奈良時代の旧建築様式です。
中に入ると、本尊の薬師如来坐像(奈良時代・国宝)を中心に、十二神将像(奈良時代・国宝)が周りを取り囲み、実に素晴らしい。
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足を伸ばした甲斐がありました。

予定外ですが、「山の辺の道」の案内板に載ってた「白毫寺」に向かいます。
9:35・到着。
緩やかな勾配で、東山を登り、1度勾配が急なとこで家内が降りたので一緒に歩きました。
時々坂から、若草山が見えました。

ヤマボウシの実・ハナミズキの実

9/26の朝、「なんか変な実が成ってるよ」と、水やり当番の家内から教えてもらいました。
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早速庭に出てみると、次男の結婚記念に今年植えた「ヤマボウシ」に朱色の実が付いていました。
3000円の若い樹を買って来たので、はなみずき同様2年ぐらい花が咲かないかな?と思っていましたが、いきなり夏前に木のてっぺんに一輪だけ花が咲きました。
その一輪が受粉したようです。
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イチゴぐらいの大きさなので、「食べられるのかな?」「美味しいのかな?」なんて思いながら、そのままにしていました。

数日後の10/1の朝、「ハナミズキにも実が成ってるよ」と、また教えてもらいました。
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こちらは緑色のどんぐりのような形の小さな実です。
「ハナミズキ」は、長男の結婚記念に植えたものです。
植えた時はひざ上だったのに、今や僕の背丈をぐんと抜いちゃっています。
一昨年から花が咲くようになり、去年・今年と樹の成長に伴って、花も多くなってきました。
去年は気づかなかっただけかもしれないけど、とうとう実が成りました。

花期は、ハナミズキの方が早いので、花の共演はありませんが、実の共演になったぞ・・・と、ヤマボウシを見ると、なんと野鳥に食べられて跡形もなくなっていました。
共演が見れずに残念でしたが、野鳥が食べる時は最も糖度が増す時なので、来年は食べてみようかな?と思いました。

我が家の柚子も、9月になると緑の果実をたくさんぶら下げますが、春先の糖度が増す頃まで野鳥は食べません。
今は、朝食時のゆずジュースだったり、鍋の香味に使いますが、まだ酸っぱい。
野鳥が食べだす春の兆しの頃は、随分甘くなります。
野鳥が食べるんだから、きっと食べられるはずです。

息子たち夫婦に、実の写真をメールで送りましたが、次男から「ヤマボウシの実は、なんか微妙だね」と返信が来ました。

福山雅治さんご結婚

僕はNHKフリークなので、TVをオンするとNHK総合かNHK・ETVが映る。
朝は、「NHKおはよう日本」「おはよう関西」「朝ドラ」「朝イチ」という流れになるが、朝食・歯磨き・朝の身支度しながら見てるので、平均視聴時間は30分でしょうか。

NHK女子アナの質がとても高く、ルックスも声色もナイスな人が揃っています。
ウィークデイの和久田麻由子さん、土日の上條倫子さん、そして「朝イチ」の有働由美子さん。
ニュースの内容もさることながら、その他の楽しみも頂いています。

数日前、福山雅治さんと吹石さんの結婚報道を、夕食を食べながらの「ニュース9」で知り、大ショックを受けてしまった。
「ああ、かわいそう~」
街角インタビューで、既婚・未婚に関わらず、女性の多くが驚きの声を上げ、残念がったり祝福の言葉を述べたりしていました。
男の僕から見ても、福山雅治さんはビジュアルも良く、発する言葉もカッコイイと思う。
モテるだろうな・・・と思うのですが、40代なかばなのに何故かまだ独身です。
何故結婚しないんだろう・・・と、気になる存在でした。

数年前、「NHKホットスポット最後の楽園」というスペシャル番組がありました。
世界中の生物の宝庫を、キャスター・福山雅治さんが紹介する番組でした。
日本列島も多様な生物が集まるホットスポットの1つだと紹介され、日本好きの僕も興味を持って見ていました。

これの総集編のような番組で、福山雅治さんが司会者として指名したのが、有働由美子アナウンサーでした。
僕は以前から有働さんのファンで、僕が学んだ学校のお隣・神戸女学院出身というのもあり、親近感を覚えています。
アメリカ特派員として日本を離れることになったときは、とても残念に思ったものです。
美人で、笑顔が似合い、トークも巧みで、素晴らしい。

有働さんは、朝イチで福山さんから相手役司会者に指名されたことを自慢していたし、福山さんが「朝イチ」のゲストの時もいい感じでした。
あくまで仕事上ですが、男からアプローチし、女性がそれに応えてる感じがして、相思相愛のベストカップルに見えました。
福山さんと有働さんは、同学年であり、この2人が結婚したらいいな・・・きっと福山さんが気に入ってるよね・・・と、将来の結婚ゴールイン説を家内に披露していました。

家内によると、「有働さんは出来過ぎちゃうから合わないわ」なんて、僕の予想を否定しますが、それは福山さんへの秘めた気持ち(家内は否定するが)の裏返しだと思っていました。
家内を伴い、僕の幼稚園の同窓会に出席した時も、同級生女子達と親しく話していると横でニコニコしているのに、帰宅すると少々機嫌が悪かったりしてわかりやすいです。

今回の福山さん結婚報道で、僕がショックを受けていると、家内は勝ち誇ったような顔をしていました。
「ショックを受けないの?」と聞くと、「別に~、怖そうでタイプじゃないし~」みたいな強がりを言います。

翌朝の「朝イチ」は、「有働さんが可哀想なので見れないな」と思いながらも、見ちゃいました。
有働さんはショックで休むかも・・・なんて思っていましたが、いつもの様に顔を見せ、有働さんの笑顔で番組が始まりました。
「まさか、福山さん結婚の話題がでないのか」と思うと、冒頭にイノッチさんから結婚の話題を振られて、あ~だこ~だしていました。
いつものように5分ほど見て出勤しましたが、僕のショックは今でも続いています。
「なんで、有働さんじゃないんだ~。可哀想じゃないか~」

9/27・インカレ予選・微妙な結果

僕と同期のD社OBの携帯に電話してみました。
奥さんが出て、旦那は風邪を引いて寝ているとのことでした。
名前を告げると、旦那が代わりましたが、ひどい声でした。
レース海面のD社観覧艇に乗っていれば会おうと思いましたが、さに非ず・・・お大事に・・・

ハーバーバックし、バイクに荷物を積み込んでいると、ガラガラ特有の音を立てながら、バイクが入ってきました。
すぐに分かるドカティ・・・なんでこのイタリアンメーカーは、チェーンが外れそうな音が出るのかな?
今にも壊れそう・・・。

家内に電話し、15:30~16:00に帰宅する旨を伝えます。
我が家のお墓には僕だけが参ったので、家内も参りたいと言っていました。ところが、バスで参った帰り道でした。

艇庫前で、応援のOBさん達とみんなの解装を見ます。
470チームは、1ヶ月後の全日本への出場権を得ましたが、S級が届かなかったので、喜びを表に出しません。
S級の選手たちは、手元はいつもの様に動いていますが、冗談が出ることもなく、4回生のある部員は、涙をこらえながら時々レース海面の方に向き、涙を拭っている。
OB諸氏も、皆さん声を掛けられずにいます。
こういう時は、自分一人で結果に向き合い、折り合いを付けなければ・・・ね。

マテリアルが片付いたところで、ミーティングをしました。
まず僕が指名され、体調管理・マテリアルトラブル・失格という3つのレースに勝つための最低限の要素を、今日みんなでもう一度ノートに書き、心に刻もうと話しました。
1つの失格が明暗を分けました。
上位3校は、6艇×9レース=54レース、ノーケース・ノートラブルです。

14:30に帰路に着きました。
湖西道路~名神。
14:54・桂PAで、ビックリソフトバニラ・140円で糖分補給。

15:45に帰宅しました。
窓が開いているので、家内が帰宅しているようですがいません。
片付けをしていると、隣の実家の方にいたようで、「おかえり」と勝手口から入ってきました。
「行けるようになったの?」と第一声・・・「片方全日本に行けて、片方行けなかったんだ」「微妙な結果ね」。

家内のリクエストで、壊れてしまった丸椅子を買いに行くことにしました。
通勤リード110にタンデムし、新しく出来た家具屋さんに向かいます。
お隣の回転寿司さんを覗いてみました。
16:54、更にそのお隣の「大起水産川西店」で、「割れおかき・360円」と「鍋つゆ・200円」購入。

ニトリのような家具屋さん・インテリアハーツさんは、照明が少し暗く、品揃えが少し違いました。
来年から幼稚園の孫くんにはまだ早いのに、ランドセルを見たり、勉強机を見たり・・・
17:34、「角背当てクッション・1598円」と「椅子1598円」を買いました。
このクッションは、感触がとても気持ちよくて衝動買いしちゃいました。

帰宅時に、空に浮かぶ大きな月が目につきました。
家内の解説によると、中秋の名月は9/27だけど、満月は9/28だそうです。

浅田舞さんの旅番組・「福知山・綾部」を見ながら夕食し、NHK大河ドラマを見て寝ました。
天気予報で、次の日曜日も天気が良さそうなので、家内と奈良サイクリングを予定しました。
3週間も家内よりヨットを優先してしまったので、家内成分を補給しなくちゃ。
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