7/26・播磨一の宮・伊和神社

家内が用事なので、また一人遊びです。
大学ヨット部コーチングの方は、学生が前期テスト中につき、練習していないのでなし。
船に乗ろうかと思ったけど、お仲間が忙しそうなのでなし。
思い立ったが吉日とばかりに、前日に誘うのが常だから、皆さん予定決めちゃってますよね。

グループツーリングもないので、前回雲が多くキャンセルした絶景舗装林道に再チャレンジすることにしました。
誰かを誘おうかな?と思ったけど、僕のツーリングは予定変更当たり前・突然の寄り道当たり前なので、今回も気楽なソロツーリングにしました。

目覚めたのは4時。
1ヶ月前なら朝の明るさがあった時間なのに、まだ夜です。
あ~あ、今年も早朝ツーリングのピークの時が過ぎちゃいました。
速攻で着替え、「招き猫CB400SB」を出します。
4:34、「R176宝塚山本SS」で給油。
207km/9.1L=22.7km/L。

「宝塚IC」から中国道に乗り、一路西へ。
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「加西SA」でいつもの「朝カレー」で腹ごしらえします。
お腹持ちを良くするのは、お米が一番です。
パンは早く腹が減るのでまた食べたくなる。
欧米の肥満の原因は、パン食なんじゃないかと思っています。
米を多食する国は、肥満者が少ないような・・・。

6時に、ドライブレコーダーをセットして出発。
山崎盆地に入ると、朝霧で真っ白です。
中国道で山崎盆地を走ると、北側に「黒田官兵衛」と染め抜いた山城遺構が見える。
「聖山城址」と思われる。

山崎の中世の山城といえば宇野氏本城「長水城」ですが、難攻不落の高所故二の足を踏み続けている。
それに対し、同じ宇野氏の城ながら、比高も往復30分程度に見え、今回行き掛けの駄賃で城攻めしようと思っていました。
でも朝霧にくじかれ、パスすることにしました。
「長水城」なら朝霧の上から素晴らしい朝霧雲海が楽しめそうだが、「聖山城」は比高がないので、下界の景色さえ楽しめません。
残念だけど、朝霧が出るということは、「晴れ」が予想され気持ちがウキウキしてきます。
おそらく、絶景林道はお約束の絶景を楽しませてくれるでしょう。

6:20に、「山崎IC」下車。
R29を北上します。
揖保川に沿う道は、気持ちが良いです。

6:32、「播磨一の宮・伊和神社」到着。
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3度目の訪問なので、裏道から境内に入ります。
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薄暗い鎮守の森の中の苔むした道を歩き陽光降り注ぐ境内に出ると、拝殿・本殿の大きさを更に強く感じます。
宮司さんが朝のお勤め中で、太鼓の音と祝詞が聞こえます。
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拝殿に掛かる武者絵馬を見上げ、祝詞の雰囲気に浸っていると、日本という長い長い歴史のある国に生まれたことに感謝する気持ちが湧いてきました。

謂れ板を読んでいると、最後に書かれた『・・・創祀伝説を今に伝える鶴石は、本殿のうしろにあります』が目に留まり、見に行きました。
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本殿裏の細い隙間に入ってみると、しめ縄の向こうに玉垣で囲まれたなめらかな岩がありました。
この神社は、この地の豪族・伊和氏が大国主命を祀ったことに始まります。
『岩の上に北向きに2羽の鶴が北向きに眠っていたのを見て、そこに社殿を建てた』が、創祀伝説です。

地図で地形を見ると、西側約400mを揖保川が流れています。
その西側は山が南北に連なりますが、東側は神社・現国道を含め、川からの比高10mほどの幅6~700mの細長い平野が南北に広がり、東の南北山岳になります。
ここは、治水技術が未発達だったころは、洪水の度に流れる場所を変える揖保川の河川敷だったのでしょう。
だから鶴石は丸くなり、鶴の絶好の休憩場所だったのだろう。

暴れ川だけど、東からの小河川の流水・堆積土砂が優勢で、肥沃な土地が東側に出現し、揖保川を次第に西側に追いやったという経過が想像されました。
その地を領し裕福だった伊和氏が氏宮をこの地に建てたのは物の道理です。

一般には、日の出を望む東向きに本殿・拝殿・鳥居を配置する。
次いで南向きが多く、北や西向き配置は、何らかの意図がなければ創られない。
僕が庭に西向きに「三穂神社」を創ったのは、遠い先祖の地「美作・三穂神社」を向いているからです。

「伊和神社」の配置が北向きなのに、ずっと違和感を感じていました。
その答えが見つかりました。
創祀者は、自然の恵みをこの地に与え続けてくれる揖保川の源流に拝していたのではないか?

千町段ヶ峰・河合谷・海上林道 1/9
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ぶらり日本全国 「語源遺産の旅」

去年から、「吉川英治・新・平家物語・全16巻」を読んでいます。
月1~2巻ペースで読んでいましたが、元来飽き性なので、途中に他の本を混ぜています。
現在15巻の後半で、平家を壇ノ浦で打ち破った源平合戦のヒーロー義経が、頼朝の猜疑心により疎まれ、京都を終われた逃避行中です。
残りあと1巻だけで読了なので、もったいなくて、今月に入り読むペースが更に落ちました。

平家物語に挟んで最近読んだ本は、
5月 「運のいい人の法則」リチャード・ワイズマン博士 角川文庫 ★★★
6月「マスカレード・ホテル」東野圭吾 集英社文庫 ★
6月「愛を積むひと」豊田美加 小学館文庫 ★
7月「はじめての古事記」竹中淑子・根岸貴子 徳間書店 ★★
7月「ぷらり日本全国「語源遺産」の旅」わぐりたかし 中公新書ラクレ ★★
です。

読了後、読書感想文を書くようにしていますので、「ぶらり・・・」の読書感想文を・・・

放送作家である著者が、「べっぴん」とはどこから来た言葉だ?のように、疑問に思った日本語の語源を探す旅日記です。
「タニマチ」「十八番」「トロ」・・・、純粋に語源の起源や発祥を探す学術的な面で読んでも面白いし、言葉の語源を探す目的なんだけど、その周囲の素晴らしい自然や人々の営みに接する旅として読んでも楽しめます。

歴史好きなので、地名に興味を持って「なぜそこがその地名に?」と思って歩き、現地の寺社の謂れ板にそれを見つけると小躍りしたりする僕にピッタリの本でした。

「ヤブ医者」の語源を探しに、兵庫県養父市にやってきた筆者は、「養父市場」という駅名に興味を覚え、但馬牛の集積地であったことを知る。
神戸牛や伊勢牛も、元は但馬牛が種牛であったりするのも語っている。
こういう本題と離れた雑学的な部分が面白かったりする。

『養父に非常に優秀な医者がおり、それ目当てに京からも患者さんが殺到した。大志を抱いた若者がこの先生に弟子入りし、開業して大成功していく。この養父の医者人気に便乗し、弟子でもなんでもないのに各地に「ヤブ医者」が増殖し、語源とは真逆の「とんでもなく下手な医者」の代名詞に「ヤブ医者」がなってしまった』

なんていうオチまでつく素敵な短編エッセイが、17篇も載っている。
あまりに面白かったので、前作の「地団駄は島根で踏め」を買ってしまいました。

7/12・SLを楽しんで帰宅

別の引き込み線にSLが移動し、その線路のエンドまで下がります。
そしてSL専用プラットホームまでまた戻ってきました。

転車台を少し動かし、倉庫の引き込み線に直結します。
次に倉庫内のトロッコ車両が係員2人で押し出してきます。
人力なのがナイスです。
転車台中央まで移動させ、掛かりの大人2人で転車台を動かし、SLの乗った引き込み線と直結させます。

またトロッコを人力で動かし、SL先端部の連結器とトロッコのそれとがガチャンと連結しました。
トロッコに乗る方は、乗車券200円が必要です。
お姉さんが厚手の乗車券を販売しています。
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小さいお子さんは当然全員乗ります。
僕は自分が乗ってしまえばSLを写せないので乗りません。

SLが少し下がり、トロッコをぷらっとホームに移動させます。
皆さんぞろぞろとトロッコに乗ります。
その間に営業運転気動車WT3300型3301宝くじ号・定員94名が引き込み線に入ってきて、乗ってた乗車員が下りてポイントを切り替え、指差し確認後運転手に合図して、待機線に入って行きました。
すぐに別の待機線で止まっていた気動車WT3300型3303さくら3号が動いて引き込み線を利用して、営業運転のためプラットホームに向まいました・・・楽しいな。

引き込み線を気動車が出て行くと、SLの汽笛が鳴り、SLが引き込み線を奥まで走って行きます。
トロッコ車両角の出入口に係員が立ち、緑旗を掲げています。
またゆっくりホームに帰ってきて終了。
親子連れが楽しそうです。
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C12・167号ありがとう。

13:50、駅から出て、駅前のスーパー「TOSC若桜店」に入り、「赤城時雨いちご・100円」を買いました。
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駐車場からSLを見ながら、食べました。
ちびっこ達が、引込線に戻ったSLに乗り、汽笛を鳴らしています。
14:01、再びスーパーに行き、「朝食ヨーグルトいちご・189円」を購入し、昼食の代わりにします。
先にアイスを買ったのは、ヨーグルトを食べるためのスプーン確保のためです。
「スプーンなんて売ってませんよね?」と聞くと、アイススプーンより大きめのプラスチックスプーンをくれました。

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スパー横のベンチでヨーグルトを食べていると、道行く人が「こんにちは」
褐色のお肌をした女性3人組が歩いてきて、おしゃべりしてるのがきれいな日本語で驚きました。
どう見ても日本人ではありませんが、お嫁さんに来たのかな?

もう林道に行く時間も気持ちもなくなり、帰路につきます。
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R29を走り、平家の落人が住んだ洞穴というのが地図に載ってたので探したが、道標が見つかりませんでした。
新戸倉トンネルを抜け、r48~r6と東進し、「北近畿道」の案内板が出る頃だなと思ったら、この道から直接「養父IC」に入れました。

風が強く80km/hが辛い。
トンネルを抜けて和田山市街地に下るとこが一番強かったので70km/hまで落としました。
片側1車線で制限速度は70km/hなのですが、大方の車は80km/h以上で飛ばしています。

16:18、「道の駅・但馬のまほろば」で休憩し、「ジャージー牛乳ソフト・175円」を購入。
ベンチに座っていると、横の男性から「おたくもバイクですか?」と声を掛けられました。
「服装バッチリですね。僕はバイクに乗る格好じゃないけど、あのバイクです」と、指差されます。
「BMWですか?」と言うと、「いいえ、スズキのバンディッド1250です。とても乗りやすいです」

林道を目指して断念した事を話すと、大規模林道は大好きで、大型バイクでも突っ込むそうです。
なんだかんだ楽しいお話ができ、福知山に帰って行かれました。

僕もアイスを食べ終わったので、出発します。
舞鶴道に乗り換え、17:16・「西紀SA」エネオスで給油。
294km/9.81L=30.0km/L。

17:25、「ドデカいちごチョコバー・135円」で休憩していると、周りの芝生に少年サッカーのちびさん達がやって来ました。
コーチと思われる大学生風のお兄ちゃんに声を掛けます。
お揃いのユニフォームに身を包んだ少女2人を見ながら、「姪も少年サッカーしているのですが、女の子も多いですね」
「ええ、増えました」
「女の子だけでチームを組むのですか?」
「低学年までは男女混合で、高学年になると女子だけのチームになります」

僕もヨットを子どもたちに教えていたことを話すと、会話が弾みました。
お母さん方もやってきて、僕が先に失礼すると、バスの出発時間が来たようで、バスに乗り込んでいきました。
試合だったのでしょう。
楽しい親子時間ですね。

「宝塚トンネル渋滞・14km」と表示されていたので、「篠山口IC」で下車しました。
R176~お気に入りのr310~r308~青野ダム堤上~千丈寺湖南岸~r49~r68~r33~r325~長尾山トンネルで、17:10帰宅しました。

若桜城址・SL 6/8

7/12・若桜駅SL

拝殿正面の「若櫻神社」の社名には、「陸軍大将・林銑十郎謹書」と書かれていました。
これもそういうご時世のもののようです。
帰宅後調べると、陸軍大将・内閣総理大臣を歴任した政治家でもあり、日露戦争に従軍した年齢を換算すると、僕の母方の祖父と同年代の方です。
祖父も日露戦争に近衛騎兵小隊長として従軍し、金鵄勲章を得ている。
40代の若さで亡くなったが、生きていれば第2次世界大戦前夜のきな臭い時代に陸軍を動かす参謀になっていたでしょう。
そうであれば、母の実家もどうなっていたか知れず、人生プラスマイナス・イコールゼロに出来ているんだなと思いました。

都会にあれば、いつも人がいる神社なんだろうが、当然のように僕一人。
こういう田舎の神社が、草ぼうぼうにもならず手入れされている名も無き一般庶民の心が、日本の底力のように思います。

少し下って、これも往路気になった「龍徳寺」に寄り道します。
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「不許葷酒入山門」の定番の石碑が立っており、禅寺であることがわかった。
ニラなど臭いのきついものは精がつくので、修行中の僧には不向きで、心を乱すお酒も持ち込み禁止ということです。

『・・・1600年、関ヶ原の役後、山崎家盛は鬼ヶ城主に任ぜられ、亡き父の法名「「龍徳院法性覚玄大居士」に因んで、菩提寺として現在地に移し、萬祥山龍徳寺と改称した。境内の大五輪は家盛の遺髪を祀ったと言われ、現在の大銀杏は家盛の子・家治が、その目印のために植えたものだと伝えられる』

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瓦屋根の鐘楼門をくぐり境内に入ります。
屋根から降ろされた大瓦の紋が、我が家と同じ武田菱でした。
鐘楼門の左右の木鼻が、阿吽の獅子でかっこいい。
門をくぐりながら上を見上げると、鐘がぶら下がっていました。
横には副業の幼稚園が併設されています。
本殿などは蟇股の彫刻以外は、時に目につくものが有りません。
横からメインイベントの墓地の方に回ります。

大名の菩提寺故、大名家の墓石が・・・と期待したのですが、治世少なく、伯耆・因幡両国の国守になった池田家が鳥取城を本拠地としたので、目立った墓石は見つかりませんでした。
茗荷家や播州に多い岸本家があり、山中家もあります。
鹿之助がこの城で尼子氏再興の戦をしたという故事を読んだとこなので気になります。
一番期待してた平家の残影・「平」や「平家」の墓石が発見できませんでした。

退散し、13:13・「若桜鉄道・若桜駅」到着。
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SLを見ると、白い煙を吐きながら引込線で待機しています。
ディーゼル機関車・DD16・7号車が待機中。
これも動態保存しています。

気動車が2両います。
やがてプラットホームに止まってた気動車が、お客さんを乗せて出ていきます。
1両の列車は可愛いね。
この街は、あちこちの玄関に、等身大のお人形がいます。
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プラットホームのベンチにもいます。

駅に入ると、「SLトロッコ乗車できます 本日走行日 走行時間11:00・13:30・15:15」と書かれています。
時間を確認すると13:20・・・ラッキー。
SLそばまで行ける入構券300円購入・・・売店グッズ50円引き券付き。

首からプレートをぶら下げSLまで行きます。
案内のお姉さんが、SLが転車台に乗るので、転車台を動かしてみませんか?と誘っています。
ちびっ子は、お母さんに説明されてニコニコです。
我が家周辺では絶滅してしまったニイニイゼミが健在でした。
その声に混じって、SLのシューという音が頬を崩させます。

SLが引っ張るトロッコは、倉庫の中です。
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本当に乗れるのかな?なんて思ってると、掛かりの男性社員が出てきて転車台の左右を固めます。
ポーと汽笛を鳴らしSLが動き出し、中央に停まったとこでSLを固定します。
転車台左右に出てる手押し鉄棒に希望者がたかります。

「反時計回しです」と言われ、「じゃあ押してください」の合図で転車台ごとSLの向きが180度方向転換します。
大人2人で重いSLを載せて動くんだから、転車台のバランスと構造の素晴らしさが伺えます。
運転手も、回転途中でポーと汽笛を鳴らします。

若桜城址・SL 5/8

7/12・若桜弁財天

・・・「あっ、人がいる」、さっきの軽四トラックの方でしょう。
脚立に上って参道に続く電線の手入れをしています。
その横には小学校高学年と思われる男の子が手伝っています。
腰に道具袋を下げ、一人前の職人です・・・かっこいい。

「ご苦労さまです」「ようお参り」。
男の子も素晴らしい挨拶です。
挨拶のできる子は、いい子に育ちます。
そして田舎の素朴な人の素晴らしさを感じます。
山城への道でバイクですれ違った徒歩の人・畑仕事中の人など3人に会釈しましたが、当然親しみの表情やお声で返してくれます。

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素晴らしい沢道(400mほど)を黙々と歩くと、12:00・「弁財天」到着。
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阿吽の駒犬・石灯籠・・・いいねえ。

『江島神社由緒 江ノ島神社(通称若桜弁財天)は、市杵島姫命を祀る。境内は幽邃閑雅にして山は秀で水清く、参拝者がこの地を踏めば霊気に触れ、心身自ら澄み霊妙なる神徳に帰一する想をなす。その祭日たる毎巳の日に際しては、老若男女の参拝者多く、特に9月の初巳の日の縁日は、日本海から漁村の人たちが信仰を寄せ、県内外から参拝者が未明より間断なく続き市をなす状況である。
その起源は、諸人弁財天と称して崇敬する事甚だしく、毎年初巳の日祭りで参拝し、あるいは雨を祈りし年には雨乞い踊りとして郷中の男女来たりて謡踊をなすと崇敬の状況を伝えている。
また1185年小松備中平師盛卿がこの地に来て、平氏の信仰が深い弁財天を巨岩を神祠として奉祀せる。また神岩付近に白蛇・金色蛇・あるいは金色カエル、他に見ざる色彩・面影のカエルなどが時により現れ、尊ばれた。ちなみに、大正5年三倉池ノ谷鎮座池谷神社(若一王子と称す)、足谷鎮座虎石神社(祭神手力雄命)、弁天神社の三者を合祀し江島神社と改称される』

市杵島姫命は、宗像三女神ですね。
男はみんな弁天さん好きです。
「雨乞い踊りとして郷中の男女来たりて謡踊をなすと崇敬」というところに、歌垣山的なフリー恋愛の場を感じました。
詩を謡い合い、意気投合すればあっちの物陰でカップルになり・・・。
明治開国でやってきた外国人が、日本一般庶民の性の解放度に驚いたそうです。
一夫一婦制でもなかったので、厳格なキリスト教信者には、先進的に見えたのでしょう。

先ほど寄った「岩谷堂」の脇に、平経盛のお墓があります。
経盛は清盛の弟で、一ノ谷合戦で敦盛他息子を3人も失った一の谷緒戦以降すっと失意だった人です。
壇ノ浦で滅びた平家落ち武者の隠匿地でもあります。
鎌倉源氏3代が早々に滅んで以降は、落ち武者狩りも終わり平家も表に出てきたのかな?

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拝殿の裏に覆い屋に守られた小ぶりだけど素晴らしい彫刻の祠があり、その後ろには謂れ板に書かれた通りの大岩がありました。
平家が祠を建てたのが1200年代だから800年も大岩はこのままなのだろうか?
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大岩の移動により、祠も再建したのだろうか?
いずれにしても、悠久の歴史絵巻です。
落ち武者平家の末裔がこのお宮の維持保存に力を出し合ってる姿が想像されました。

再び仕事中の親子に挨拶しました。
「お盆に向けて修理中ですか?」と聞くと、まさにそうです。
あと1ヶ月だからね。

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「いいものを観た」とこれまた大満足でバイクに跨り、緑の苔道を転けないように慎重に下りました。
鬼ヶ城との分岐を過ぎ、12:29・往路気になった神社に寄ります。
「若桜神社」。

謂れ板に、『1333年後醍醐天皇が京都へ還幸の際、名和長年が参拝し、鉾を奉納した』と書かれていました。
こちらはとても立派で、阿吽の武者像が左右を守る立派な山門をくぐり、250段の石段を登り、本殿到着。
ここでも拝観料・激写料をお賽銭箱にチャリんします。
本殿・脇宮前の石囲い(玉垣)に「皇紀2600年」と刻まれていたので、昭和15年・1940年に巻かれたと思われる。

三菱の堀越二郎が設計した海軍主力戦闘機は、この年に採用されたので「ゼロ戦」。
皇紀2601年に陸軍に採用されたのが、「一式戦闘機・隼」。
これは、堀越同様東大の航空学科を卒業したライバル・糸川英夫が、中島飛行機で設計した。

糸川は、その後日本初のペンシルロケットを開発し、日本ロケットエンジンの父と呼ばれるなっった。
2010年、糸川の弟子・孫弟子達が、恩師の名を冠した小惑星イトカワを、小惑星探査機・ハヤブサで探索成功させた。
ロマンです。

若桜城址・SL 4/8

7/12・若桜城址(鬼ヶ城)

「鬼ヶ城」に登ります。
ありがたいことに、舗装路が続いています。
10:57、車5台ほどの駐車場にバイクを置きます。
道はまだ続いていますが、未舗装路です。
歩くと暑くなるので、メッシュジャケットを脱いで徒歩開始。

11:00、「馬場跡」到着。
若桜の町・標高220mからここ440mまで比高200mオーバーで、馬場からでも下界が見えます。
馬場の本丸寄りエンドに、「鬼ヶ城跡・150m」とあり、山頂を平坦化したような縄張りのようだと、長く平坦な馬場を歩いてきたけど、ここから様子が変わりました。

『若桜鬼ヶ城跡は、播磨・但馬につながる交通の要衝にある。戦国時代において毛利対尼子、毛利対織田等による争奪戦が繰り広げられた。築城時期は不明だが、1489年に「矢部館若狭」の記述がある。山中鹿之介による尼子氏再興戦の舞台にもなった。その後、羽柴秀吉による鳥取城攻めの織田方拠点として機能し、1581年鳥取城陥落後は武将・木下重堅、関ヶ原戦後は山崎家盛が入城している。1617年、池田光政が因・伯2国を領す鳥取城主になると、一国一城令により廃城となった。
城郭は大きく2群に分かれる。山頂部から南北に伸びる尾根の中腹から先端部にかけて堀切・竪堀が見られ、小規模な曲輪群が構築されている。また山頂付近には、この付近で取れる石材を用いた石垣によって、虎口や曲輪群が構築されている。その構造から、前者は戦国時代の山城の遺構で、後者は近世初頭になって新たな築城技術で構築されたと考えられる。
本丸の西側などかなり石垣が崩れているが、これは廃城の際に意図的に壊されたものである。中世から近世にかけて城郭構造の変遷を窺うことの出来る城として学術的な価値が高いだけでなく、そうした破城の状況を今に留めているものとしても重要である』

いきなり深い堀切があり、明らかに人の手で掘り切られています。
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かなりの高さで残っており、「凄いじゃないか」と振り返りながら本丸の方に歩いていると、石垣が見えてきました。
近世の石垣構築技術といえばそれまでだが、山上にこの大きな石を用いた石垣は、守護級の本拠の城に匹敵する。
素晴らしい山城で、大興奮しました。

三の丸・二の丸・本丸と登って行きましたが、石垣の見事さに加え、下界の景色が最高でした。
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ここはお勧めです。
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R29から分岐したR482が北に向かい、その先に林道が山肌を斜めに切っています。
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R482かもしれませんが、その背後の山並みに向かう姿がかっこいい。
ニューおじろスキー場に続く道だから遠い昔に走ったかもしれないが、無性に走りたくなりました。
今はバイクだから、狭路最強です。
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地上では感じなかった風が、10m/sほどの強風で山頂を渡っています。
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帽子が飛ばされそうです。

そしてもう一つ気になるのが、SLの汽笛です。
若桜鉄道・若桜駅に動態保存されているSLの音でしょう。

大満足な城攻めが終わり、バイクで下ります。
途中の分岐から、気になっった「若桜弁財天」に向かいます。
沢を登る道は、中央コケ線がやがて前面コケ道になりました。
横は沢で森の中なので、コケも繁殖のし放題です。
スリップしないか慎重に進みます。
急勾配つづら折れがなく、11:48鳥居前到着。

軽四4WDが1台停まっています。
下りの苔道が心配で、コケを踏んでみますが、大丈夫そうです。
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横の杉に、「日本海テレビ・ふるさと百景・放映記念と書かれています。
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「枝打ち間伐16年・実験林」と書かれた木もあり、見上げると見事に揃った枝打ちが成されていました。

『市杵島姫命を祀る。古くから神徳高く、夫婦円満・諸願成就の神として崇敬される。伝説によると、平家没落の昔、小松備中守師盛がこの地に隠れ、かねて平民の信仰が厚い弁財天を祀ったものと言われている。その後、鬼ヶ城主矢部・木下・山崎の時代に祈願所となった。因幡伯耆2国の国守・池田光仲は尊崇特に厚く毎年撰銀を奉納した。・・・』

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鳥居をくぐると、沢の横に前面苔の緑の道が伸びています。
とても気持ちのよい森の道です。
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小さな滝の横に小さな祠が鎮座し、こういうのが大好きなのでウキウキします。
先ほどの鬼ヶ城もそうですが、当然僕以外誰もいません。
聞こえるのはせせらぎの水音と野鳥のさえずりだけです。

若桜城址・SL 3/8

7/12・原不動滝

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7:55、「林道起点」到着。
道路工事中の看板が立っています。
林道なんて大雨毎に何処かが崩れるので、工事なんて通年行事です。
ルート決定をここまで先延ばししましたが、山を見上げると雲に隠れています。
この林道は、残念ながらパスすることにしました。
次の「河合谷林道~海上林道」に向かいます。

福知渓谷を下り、r6に出て北上、R429を西進します。
途中の標高の高いとこで休憩し、山並みを眺めると、山頂が見える山が増えてきました。
次の林道は楽しめそう。

R29に出て、それを北上し、9:04・「道の駅はが」到着。
売店に入ると、プルバック式オープンカー・721円が目につきました。
トヨタディーラーでもらった「86カラー見本プルバックカー」は、嫡孫くんに好評で持って帰りました。
この手のおもちゃが我が家にないと楽しくないので、購入。
観光案内板を見ていると、原不動滝(日本の滝百選)が目につきました。

R29を北上し、「原不動滝」の案内板に従って、左折。
9:23、到着。
大人200円。
「別名:夫婦円満・幸福の滝・恋愛成就の滝」で、りんごソフトクリーム20%OFF券をもらいました。
原不動尊の山門をくぐり、沢の上流に向かって歩きます・・・400mらしい。
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横にはオートキャンプ場があり、浅い川で小さな子が水着になって遊んでいます。
ここ良さそう・・・

『この滝は、男滝と女滝からなり、日本の滝百選の1つに選定されています。男滝は88mと県下最大の名瀑である。女滝は源流を異にして男滝に寄り添うように同じ滝壺に落ちている。周辺はブナやもみじの原生林に覆われ、全長88m3段になった岩肌を滑り落ちる飛沫は、過去から現在そして未来へと永久に絶えることなく、私達の心を幽玄の世界へと導いてくれる』

『往時、この地に道範・道禎という2人の名僧がいた。道範は験門の将といわれ、道禎は怪力で知られていた。道範は常に摩尼嶽の行者窟で荒行を重ね数々の霊験を得た。ある時金色の龍、南西に飛ぶを見てこれを追い、棲龍峡に至り、水門に姿を失った。以来、道範はこの金龍を本尊・倶利伽羅不動明王と拝し、この不動滝で荒行を続けた。
天保年間に、長源寺13世が行者窟に護摩堂を再建し、不動滝の岩上に不動堂を建立し、不動明王を勧請した。これより、不動滝と称せられている。昭和の初め頃から、この滝を中心に四国88ヶ所の祠により霊地の順拝を続けている』

沢横に参拝道があるが、通行止めとなっており、上空の吊り橋により空中散歩しながら参れるようになっている。
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吊り橋を渡り、階段を上がり、9:41・不動滝到着。
ナイスな滝でした。
3段に分かれているので、落差88mの豪快さはありませんが、梅雨の水量の多さゆえ、いい感じです。

R29に戻り更に北上し、10:04「引原ダム」に掛かる橋上で激写。
ボートレース日のようです。
戸倉峠を上がります。
素麺屋さんは並んでいませんが、駐車場には車やバイクが停まっています。
新戸倉トンネルの涼しさが気持ちが良い季節になりました。
トンネルに入ってすぐに涼しくなるので、こういうところに道の駅があれば大繁盛な感じがするけど・・・。
しかも地下は夏涼しく・冬暖かいので、省エネ営業で利益も増えそう。

鳥取県側に下り、r72にちょこっと入り、10:30「岩谷堂」到着。
20150712WakasaS075s.jpg
地元の方が、雑草取りなど清掃をしておられました・・・ありがとうございます。
R29を西進し、若桜の街に入ります。

「若桜城址」は、駅の南だとは知っているのですが、見上げてもそれらしい山城地形が見えない。
ゆっくり走っていると、「鬼ヶ城」の案内板発見。
山に向かう道をゆっくり走っていると分岐がありました。
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「国史跡・若桜鬼ヶ城・2.8km、若桜弁財天・1.8km」に分岐しています。

弁財天の方を見ると、沢沿いの道です。
弁財天=弁天様=水という構図なので、きっと沢の源流に神社が祀ってあるのでしょう。
沢の源流は、農業が国の基盤だった最近まで、水の取り合いがあったりする最重要地点です。
ここに神様を祀り、神域を持って禁足地にする・・・古来から続いた「きれいな水を絶やさないため」の日本人の知恵です。

若桜城址・SL 2/8

7/12・砥峰高原

家内は仕事だったのですが、ヨットレースの予定が立たず、フリーと分かったのが前日の土曜日でした。
学生時代のヨット仲間に連絡して大阪湾クルージングも考えたのですが、前日の連絡では集まらないかなと思い、ソロツーリングに出ることにしました。
グループツーリングもありましたが、申し込み終了してるし・・・

どうやら雨は降らなさそうなので、新たな絶景林道探索を計画しました。
「千町段ヶ峰林道」が完全舗装されたようです。
これは、中国道からR429まで続く大規模林道の北1/3です。
南2/3は既に走っているので、これで全線走破完成です。

R29の北に以前から気になっていた「河合谷林道」&「海上林道」があり、ペアで走りましょう。
海上林道を北に下ったR9から、「林道池ノ尾線」という新しく開通した林道があります。
これも走って日本海に出ましょう。
ざっと計算して、高速道路200km+下道300kmで、14時間の旅です。

4時に目を覚ましました。
下着+プロテクターメッシュ上下の完全夏仕様に着替えます。
未走林道4本で風も弱そうなので、より軽い「里山VTR250」を出します。
タンクバッグ・GPS・車載カメラなどゴソゴソし、5:14出発。

宝塚ICから中国道に乗り、一路西へ。
4時出発を予定していたのに、1時間も遅れちゃったので、舞鶴道~北近畿道・青垣IC~R427~R429というルートを早々にカットし、オール高速にしました。
中国道・加西SAでソロツーリングの定番・朝カレーを食べて、6:23出発。
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予想より天気が悪く、雲が低い。
標高800mほどの林道で、下界の景色が望めるのだろうか?

6:32、「福崎JCT」で、播但道に乗り換える。
播但道のICは主なとこにしかETCがありません。
福崎ICでETCレーンではなくチケットレーンを通ろうと思ったけど、一般レーンが閉鎖されて共用レーンしかありません。
仕方なくETCで通過。

6:55、ETCレーンのない問題の「神崎南IC」料金所です。
当然、「ETCカードをお願いします」と言われました。
ETCはシート下ボックスにあり、タンデムシート上にバイク便キャリア&ボックスを載せているので、ボルト着脱作業で30分掛かります。
事情を話すと、電話でなんだかんだ専門用語で話しておられ、現金210円支払いました。

車やCB400なら簡単に取り出せるのですが、VTRは難儀です。
次回のためにどうしたら良いか聞いても、明確な返事が有りません。
IC下の事務所に詳しい人がいるということなので、聞きに行きます。
「入場する福崎IC・チケット機械に付いてる白いボタンを押すと、係の方と話ができます。すぐにチケットを持ってきてくれるので、それで入ると、ETCを通っても認識されない」そうです。
面倒だけど、覚えておこう。

来年には、播但線にもETCが各料金所に導入されるそうです。
僕が料金所で話していた間に通ったお客さんから、「ほんまに割引されているのか?」とか、「なんで入る時だけETCで出る時ETCがないねん」と、文句を言われていました。
ETC導入されていない有料道路も多々ありますが、全ゲートでETC対応されていないのでわかりやすいです。
一部のみETC導入というわかりにくさが、戸惑いと不信のもとです。
「湖西道路」は、道路改修費は別にして、料金システムの維持管理や、徴収職員の人件費などを、通行料収入で補えなかった故無料化されました。
長年ETCが導入できない播但道も、無料化しちゃったらいいんじゃないかな。

r8を西進し、JR播但線を渡り、r404で播但線に沿って北上します。
この道はお猿の集団に会ったこともある気持ちのよい田舎道です。
「JR長谷」からr39に乗り、西進します。

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砥峰高原に上る道で、7:42・「砥峰高原」に到着しトイレ休憩します。
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ここは、標高800mの「ノルウェイの森」「大河ドラマ平清盛・軍師官兵衛」などのロケ地です。
雲の中で真っ白です。
視界30mほどで草原が全く見えません。
ベンチに座り、「千町段ヶ峰林道」はここよりさらに高所・1000mを走るので、下界の絶景は望めないな。その分、鹿を筆頭に野生動物に会える機会が増えるかもしれないが、どうしよう・・・」と考えます。

福知渓谷に下って行きます。
車では走りたくない1車線の道ですが、横に沢が流れ好きな道です。
梅雨の多雨のため、そこらじゅうで路上河川になっています。
泥を踏むとこけるので、慎重にでもワクワクしながら楽しみます。

若桜城址・SL 1/8

7/19・HERO

家内もお休みだったので、奈良明日香サイクリングを計画しましたが、昼から1ミリの雨予報が出ており断念しました。
家内を用事のある市街地に車で送り、その後僕は通勤リード110に乗ってハーバーに向かいました。

ハーバー内に流木が浮き、台風一過のいつもの光景でしたが、係留艇は桟橋への接触もなく無事でした。
ただドッグハウス入口スライドドアから雨が滴り落ちたのか、階段下の足ふきマットが濡れていました。
念のため床板を外すと、少量ですがビルジが溜まっています。
舐めたらしょっぱくなかったので、船底からの浸水ではなく、雨水のようで一安心。

バッテリーをONにし、電動ポンプで汲み出しました。
でもウエスがなかったので、ドライにまでは出来ませんでした。
エンジンは一発始動で、冷却水もしっかり出ており問題なしです。

帰宅し、ホームセンター・電気屋さん・スポーツ用品店を巡り、12時過ぎに帰宅しました。
家内も帰宅しており、今度はタンデムでお出かけです。
前日からロードショー開始された「HERO」を観に行きます。

13:50上映開始といういつもより早い時間だったので、お客さんが多かった。
いつも17時・18時台なので空いていたけど、劇場の後ろ半分の席は埋まっており、前から4列目で観ました。
還暦祝いで子供たちからもらった「映画ギフトカード」を使いました。

去年フジTVお台場大陸で、次男がHEROセットを設計したので、この映画は観に行かなければなりません。
映画1作目も観ているので、楽しめました。
キムタクさんの映画やドラマはいいね・・・かっこいいと思います。
美人の北川景子さんは、観ているだけでいい。
HERO前作までのキムタクさんの相方・松たか子さんが、検察官として大阪からやってきました。
最初のHEROのTVシリーズの時は、お互い独身だったので、キムタクさんと松さんがプライベートでも結婚するんじゃないかと思っていました。
とてもお似合いだったのに・・・

映画の後にいつも行くオムライス屋さんに行くと、コメダコーヒーに変わっており、シロノワールを食べようと入店しました。
10組ぐらいの待ちがあり、諦めて帰宅しました。
映画は、日曜日の夕方からの方がいいね。

7/5・播磨浄土寺・朝光寺 その5

美濃坂峠を越え、母子に下り、永澤寺を過ぎ永澤寺峠を越え、「バイカーズカフェ・虎亀」さんで休憩しました。
期待してたCBさんはやって来ず、残念でした。

ピラフセット注文。
こちらも今日は全く雨が降っていないようです。
奥さんがバイクを、ニンジャ250に乗り換えたそうです。
アメリカンしか乗ったことがなく、カーブするとガリガリ言うのでハンドルで曲がってたそうです。
旦那さんによると、高速道路でアメリカンは風圧が強く、遠くまで行けないとか。

ニンジャは軽いし、山道カーブでもヒラヒラ倒して曲がれるので、「初めてバイクの楽しさを知りました」と、奥さんはご機嫌でした。
旦那さんは、これからは遠出が出来ますと言ってました。
旦那さんのバイクはハーレーの大型アメリカンなので、奥さんを気遣って近場ツーリングをされていたのですね。
いい旦那さんだなと思ったのと、アメリカンと普通のバイクとそれほど違うんだと再認識しました。
僕はアメリカンに乗ったことないので、足つきがいいから背の低い女性向きだとばかり思っていました。

r49~r37~r323、波豆川を南下し、r68を越え、西谷農協大池交差点でr33も渡り、r33~r325~長尾山トンネルを抜けて帰宅しました。
陽がまだあるので、垣根にバリカンを当てるつもりでしたが、ヨーグルト食べたらくつろいじゃって、「少し暗くなった」を理由に垣根を断念したら、家内が帰宅しました。

時間は17:30なので、お嫁さんへの誕生日プレゼントを買いに、甲子園のJIBに車で急ぎました。
18時にお店に着き、姪に買ったバッグSの落ち着いた配色のにしました・・・12000円。
学生時代は、レースで使ってた神奈川県のセイルメーカーに行った時、作り方を教えてもらって工業用ミシン使って自分で作りました。
セイルを作った端切れで作れるので、無料でした。

まあ白一色で、JIBバッグみたいにカラフルで作りも簡単なのでお洒落ではなかったけど、それが12000円とは裏事情を知ってる僕には驚きのプライスです。
素人作りの僕のバッグもまだ現役なので、コストパフォーマンスは最高ですが・・・。
社長さんはいなかったけど、社長と組んで乗ってる僕のヨットライバル君が仕事をしていました。

播磨浄土寺・朝光寺 5/5

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次男のお嫁さんに、家内が誕生日プレゼントのバッグを送りました。
お嫁さんからお礼のメールが届き、この日曜日に誕生日プレゼントに、箱根に一泊した事が書いてありました。
噴火騒ぎでお客さんが減ってる箱根は、穴場ですね。
立派な掛け軸の前で、2人して浴衣来て収まってる写真も添付されています。

お嫁さんの名前が書かれたバースデーケーキにろうそくが灯っています。
こんなものが旅館で注文できるんだとビックリ・・・

「森戸神社」前のツーショットも添付されていました。
葉山の森戸神社だとピンときたので、「さすがヨット部だね。森戸海岸は関東学連のヨットレース会場で、私も全日本でここから出艇したよ。波の高い時は、砂浜出艇に慣れておらず苦労しました」と、返信しました。

更にお嫁さんからその返信が届きました。
箱根の岡本美術館で絵画など鑑賞後足湯して、森戸海岸から葉山ヨットハーバーに回り、次男がヘリーハンセンのセイルバッグを買ったそうです。
「かっこいいな、私も欲しいな」と思って帰宅したら、僕らが買ったJIBバッグが届いたそうで、とても驚いたそうです。

なんか、ナイスなタイミングだったみたい。
江ノ島・・・
森戸海岸・・・
次男が小6の時の全日本は、三浦半島のもっと先端寄りの漁港・三崎に近いシーボニア・ヨットハーバーが大会会場でした。
僕が全日本ランキング8位という最高位で望んだモスクワオリンピック強化選手の合宿も江ノ島でした。
そして、2020年の東京オリンピックのセイリング競技会場も江ノ島に決定。
懐かしいな・・・相模湾・・・

7/5・播磨浄土寺・朝光寺 その4

兵庫教育大横を通り、r144~r17・朝光寺口から北上し、13:28「朝光寺」着。
「世界に1つ!加東遺産 朝光寺と鬼追踊」と書かれていました。
境内に入ると、「鐘楼」「多宝塔」「国宝・本堂」が見え、コンパクトな寺院です。

『重文・鐘楼 本堂同様平安末期に現在地に移されたと伝えられる。桁行3間・梁間2間・銅板葺き袴腰付きの建築で、全国的にも類例の少ない貴重な遺構です。
和様を基調とする様式手法で、屋根の優美な曲線などに鎌倉後期の建築の特徴が現れている。室町後期、赤松義村ら多くの播磨国主の崇敬を受けて、幾度か修理を重ねたという。多宝塔にも、姫路城主・池田輝政の再建寄進銘があるなど、国主豪族の庇護のもとに隆盛を誇った往時が偲ばれる』

鐘楼の四方屋根が非常に大きい感じがする。
鐘楼の横に祠があり、神仏習合のいい関係が忍ばれる。
真言宗の寺院によくある多宝塔もいい。

「つくばねの滝」の案内板があり、滝音も聞こえるので本堂正面の小道を下ります。
どうやら僕は裏口からやってきたようで、滝のある川に面して仁王門がありました。
水量が多く、なかなかの滝でした。

お楽しみの「国宝・本堂」に入ります。
拝観料は無料のようです。
本堂内は暗く、本尊が見えません。
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撮影OKのようなので激写しましたが、浄土寺のようなお宝は眠っていませんでした。
案内板には、重要有形文化財の「木像千手観音立像・2体」が書かれていますが、拝めないようで残念。

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『国宝・朝光寺本堂 法道仙人の創立と伝え、もとは裏の権現山にあったが、平安末期・1189年に現在地に移したという。桁行7間・梁間7間・単層寄棟造本瓦葺の堂々たる本堂である。和様を基調として、扉の桟唐戸など唐様を取り入れた密教寺院の折衷様式の典型と言うべき貴重な遺構である。昭和10年に3ヵ年に渡り解体修理が行われた。所蔵品には、鎌倉・室町期の銘を有するものが多く、文化財の宝庫である』

ここにもボランティア解説員さんがおられたが、生憎団体さんのお相手中でした。
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仁王門をくぐり、本来の表門から川に下る。
『つくばねの滝は、鹿野川にかかる滝で、朝光寺の周辺にツクバネが多く自生していることからこの名で呼ばれ、親しまれています。ツクバネは、ビャクダン科の植物で、果実の形が羽子板の羽根に似ているので、衝羽根と名付けられました』

沿いの道を歩きバイクを停めた駐車場前の道に出た。
r313に出ると、そこは東条湖ランドでした。
子供たちがチビの頃、何度もこの遊園地に来ました。
ヘリコプターに初めて乗ったのもここでした。
駐車場がいっぱいで、交通整理員も多数出ており、一時期衰退したのに盛り返しているようです。

懐かしい道を走り、r311へ。
これまた懐かしい清水寺があったので、そちらに向かいましたが、ゲートで車が並んでいます。
昔は無料でお寺まで上がれたのにな・・・。
有料になってから行かなくなりました。
今回もパスします。

r141に出て北上し、R372に乗り東進開始です。
ここまでの道は、里山のワインディングで、気持よく走れました。
古市でR176に合流し、再びR372に分かれ、「木枕」からr49で南下開始です。

朝光寺は、源平一の谷合戦の前哨戦・「三草山合戦」の地で、古戦場とか陣跡とか旧跡の案内は見つかりませんでした。
そこからここまでの道も、義経軍が進軍した道なので、謂れ板でも見つかればと、密かに期待していたのですが・・・。

ここの「木枕」という地名は、元は「駒鞍」で、一の谷に向かう義経が、ここにある神社に自らの駒の鞍を奉納して戦勝祈願したのが謂れです。
春日神社前のr49には、謂れ板が立ててあるので、歴史興味がぐんと湧きます。

R372を走りだしてすぐ、カワサキに大きなバイクが近づいてきたので、道を譲りました。
サンキューサインをしながら抜いていき、どんどん離されましたが、信号とか先行車の具合で、R176との合流まで離されたは追い付きを繰り返し、信号で並びました。
僕の後ろには、これまた追いついてきたまま、僕の後ろを追走してきた僕と同じCB400SB。
バイクが3台並んじゃいました。

R176との共用区間を過ぎて、R372単独になったら、カワサキさんは離れていきますが、後ろのCBさんは僕の鈍速にお付き合いしてくれます。
そしてr49に曲がると後続CBも曲がったので、「目的地はバイカーズカフェかな?」と思ったのですが、春日神社の謂れ板で止まっちゃいました。
僕と同じ歴史好きかもしれないと思い、バイカーズカフェで休憩することにしました。
お話できるといいな・・・

播磨浄土寺・朝光寺 4/5

7/5・播磨浄土寺・朝光寺 その3

満を持して、最後に残しておいたメインイベント・国宝仏像に会いに行きましょう。
拝観料500円を払って内部に入ると、太い柱のみで支えられた空間が広がり、中央に巨大仏像が3体並んでいます。
丈六ということは、90cm×6=5m40cm。
当時大活躍しスピード制作で定評のあった仏師集団・快慶作の仏像でも、これほど大きなものはそうはないはずです。
「でかい」「金色」が第一印象でした。

ボランティア説明員?なのか、先客さんが帰られ僕だけになったので、話しかけてこられました。
「快慶作でもこれほど大きなものは他にあまりないでしょうね」と質問すると、平安の平家政権末期、政権に敵対する南都僧兵を懲らしめるために兵を送った平家との戦いで、東大寺・大仏が焼けてしまいました。
弁慶の勧進帳でお馴染みの東大寺勧進が進められ、その総元締め・重源さんが、その一環として東大寺に代わる7ヶ寺を全国に建てたそうです。
その1つなので、当時は7体あったそうですが、兵火や失火で多くは戦国時代に入る前の室町時代までに焼けてしまい、唯一ここだけ残ったそうです。

「金箔がかなり残っていますが、いつの時代に張り替えられたものですか?」と質問すると、Good Questionn!と言わんばかりに、「最初のままです。張り替えてはいません」とのビックリ回答が戻ってきました。
「東大寺の大仏も、最初は金ぴかだったのです。でも金箔が落ちていきます。もっとの金箔を落とす行為は触ることです。毎年のお身拭いで金箔が殆ど落ちてしまい今は真っ黒です。でもここは一切触りません。だからこれだけ残っているのです」
衝撃の事実を知りました。「そうなんだ~」

「この仏像の心棒が地面まで達しています。その心棒を建物に固定しているので、仏様が倒れることはありません。建物と一体化しているのです。創建依頼そのままのお姿でここにおられます。阪神大震災でもびくともしませんでした。よく、これだけ大きな仏様をどうやってお堂内に入れたのですか?と質問を受けますが、お堂が建てられるのと同時進行で造られたので、出入りは一度もされていません」
ここで時間切れ・・・僕が堂内に入ったのが11:45で、受付の元お姉さんに、「12時になったら一旦閉めますけどいいですか?」と聞いていました。
「すいません、一旦閉めます。パンフレットをお持ちいただきましたら、午後からも無料で入れますので・・・」
15分でしたが、素晴らしい15分でした。
家内を連れてきたい。

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国宝の浄土堂の階段に腰掛けて、興奮したまま頂いたパンフレットを読みました。
ひと通り読んで靴を履き、北に下り「宝持院」を見学。
「九曜紋」でした。
12:28、「きよたにいっぷく堂」で「うなぎ御膳・1200円」を頂きました。

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r75を北東に走り、12:55・「山王神社」。
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r564にチェンジし、13:06・「依藤太郎左衛門・冷泉為勝の墓」で緊急停止。
依藤氏は、鎌倉幕府御家人で、東条川流域に勢力を張った土豪です。
中学の友達に、依藤くんがいて、播磨の豪族の末裔だと言ってたのが頭に残っています。

公家である冷泉為勝さんと並んで墓が立っているのが不思議に思い、帰宅後調べてみました。
室町幕府成立の大立者・赤松円心のお膝元・播磨は安定していましたが、足利将軍を暗殺した「嘉吉の乱」以降、但馬の山名氏に攻められたり、それを取り戻したり不安定になり、主家・赤松氏衰退後、別所氏とともに東播磨で依藤氏が台頭してきたそうです。
下克上が当たり前になり、旧勢力の公家の年貢が代官に横取りされ困窮を極めた。

そこで冷泉為勝が自らの荘園に下って直接支配していたが、別所市に攻められた。
領地を接し何かと反目していた依藤太郎左衛門は冷泉家に加勢したが、ともに敗れてここに自刃したそうです。
僕の友人の先祖も、こういう時代をくぐって今に至っているのだろう。
僕の先祖も美作で持ち城を落とされ、北関東に落ち武者しています。
僕の幼稚園の友達に、渡辺家に嫁いだ人がいます。
「大江山の鬼退治」で有名な源頼光の四天王の筆頭・渡辺綱の末裔です。
摂津渡辺党も、繁栄の時代や不遇の時代をくぐって、今に至ります。
その人一代の栄枯盛衰なんて、家系から言えば小さなことです。
子孫を残すことができれば、万々歳です。

県道を隔てて反対側にも墓地が広がり、たくさんの墓石が立っていました。
全体像を見ると、寺院が建っていたように見える。
寺院が荒廃し、ど真ん中に県道を通した感じです。
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キリスト教の墓石も雑然と立っており、田舎の集合墓地のようになっています。
お宝墓石はないかと歩きまわりましたが、目に留まる墓石はありませんでした。

播磨浄土寺・朝光寺 3/5

7/5・播磨浄土寺・朝光寺 その2

r38を西進し、「緑が丘駅」の道標に反応し、そっちに曲がっちゃいました。
僕がスキーフリークだった頃のスキー学校仲間が、コープ内でお花屋さんをしています。
5年ほど前に、近所に用事があったので初めてお邪魔したら、ちょうど接客中で懐かしい顔だけ見て、声もかけませんでした。

適当に走ってたらビンゴになって、コープに入ってみましたがお店が有りませんでした。
別の場所に引っ越したのかな?
お互いアマチュア無線のアンテナが車に立っており、スキー学校からの帰りも交信しながら走っていました。
彼女は当時からバイクに乗っており、面白いよと聞いていたのが、僕が免許取りの背中を押しました。
年数回のスキー学校のみの付き合いだったけど、元気にやってるのかな?
「バイクの免許を取ったんだ」と驚かせてやろうと思ったけど、残念でした。
まあ僕の顔を覚えていないかもしれないけど・・・ね。

神戸電鉄・緑が丘駅横でr22に乗り北上。
神戸電鉄沿いを走り、r513~R175に出て北上。
GPS案内に従ってr75に乗り換え、11:21・「浄土寺」着。

『浄土寺は、奈良東大寺を再建した重源上人の手によって、鎌倉時代に建てられた寺院です。
東の丘陵から伸びた尾根先端地が選ばれています。西方が開け、大きな空が広がっています。夕方になると美しい夕日が望め、西方浄土が実感できる工夫がされています。浄土寺境内の周囲には、現在水田が広がっていますが、かつては絵図面のように多数の寺院が存在していました』

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西方を見ると、三木を走る山陽道のように、西方に丘の連なりが見えいい感じです。
駐車場横に、公共トイレ併設の「きよたにいっぷく」というレストランがあります。

まず、「歓喜院」を訪問します。
「聖天歓喜天」というインド天竺由来の象の頭を持った仏様で、かつては男女の和合行もあったという怪しい密教的信仰も相まって、とても気になります。
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蟇股の彫刻を激写しようと本殿に近づいたらピンポーンと感知されました。

タチアオイが綺麗に咲いている横を通り、「浄土寺」に参ります。
南から30段ほどの階段を上がると境内でした。
境内を通り過ぎると北にまた30段ほどの階段で下ります。
まさに尾根先です。

「加東準四国61番霊場」となっていました。
境内に神仏習合時代の名残りなのだろう「楡社八幡神社」が共存していました。
八幡神社の石柱横には「陸軍大将男爵本庄繁謹書」と書かれていたので帰宅後調べると、篠山鳳鳴義塾中学から陸軍士官学校に上がった職業軍人で、関東軍司令官・侍従武官長を歴任した方でした。

『八幡神社は浄土寺伽藍の中央正面に位置している。これは重源が八幡信仰を重視したためと考えられる。本殿は室町時代中期の代表的な檜皮葺・三間社流造である。手狭の絵様彫刻や蟇股内の花鳥や透かし彫りなどにその時代の特徴をよく表している』

残念ながらリニューアル中で、少し透けた布で覆われてよく見えない。
四方から目を凝らしたが、見えるようで見えない女性のシースルーファッションのようで残念でした。
浄土寺裏山というか尾根上部に、「裏山四国88ヶ所と紫陽花巡り」というのがありました。
自宅の紫陽花は、もう枯れて汚くなっていましたが、ここのはまだ健在のもあったので、尾根を上がってみました。

1周1500m・30分コースと書かれています。
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石祠が道脇に点在し、勾配も緩いので軽いハイキングに良さそうです。
僕はショートカットして出口に回り、境内に戻りました。
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開山堂・薬師堂・経蔵・鐘楼堂の外観を堪能し、建築様式が変わってる本命の国宝・浄土堂の外観へ。

『国宝・浄土堂 浄土寺は、重源上人が東大寺領大部之荘(小野市中心加古川東岸一帯)内に建てられた。重源上人が入宋して学んだ「天竺様」という建築技法を用い、1194年の上棟された。天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴が伺える。東大寺南大門とともに「天竺風」を伝える貴重な建物で、お堂としては我が国唯一のものです。
国宝・阿弥陀如来及び両脇侍立像 三尊とも名仏師・快慶の作である。浄土堂の本尊で、観音・勢至菩薩を両脇侍として立つ丈六の巨大木像である。好天の日には、堂背の蔀戸(しとみど)から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊のお姿を拝することが出来る』

播磨浄土寺・朝光寺 2/5

7/5・播磨浄土寺・朝光寺 その1

家内がお出かけなので、バイクで走ろうと、天気予報と睨めっこしていました。
参加しているツーリンググループのイベントがありますが、降水確率が40%以下にならないだろうから中止でしょう。
船遊びする僕は、晴天でもずぶ濡れの世界で過ごしてきたので、雨が降ってきたらカッパ着たらいいじゃないか・・・雨だからコケるんじゃなくて、よりゆっくり走れないからコケるだけ・・・雨はあまり気になりません。

朝5時頃、雨音で目覚めました。
天気予報では朝9時には上がり、19時からまた雨という予報なので、ツーリングに問題なしです。
家内が中山寺に行くというので、7時半に家を出て、8時に中山さんまで家内を送りました。
自宅に戻り、着替えて「招き猫CB400SB」を出します。

「ローソンセレクト麦茶・100円」を購入し、9時に出発します。
お題は、ツーリングマップルに載ってる小野市と加東市の国宝の古刹見学です。

R176でJR・阪急宝塚駅を通り過ぎました。
宝塚ガーデンズが取り壊され、工事中でした。
ここは元宝塚ファミリーランドで、子供たちがチビの時、何度もお世話になりました。
幼児には最高の遊園地で、象・キリン・ライオンなど中規模の動物園があり、絶叫とは行かないマシンのある遊具が揃っており、ナイスな規模でした。
所有者の阪急グループが、お花の園でお茶を濁していましたが、デフレからの転換期になってきたので、積極攻勢に出るのだと思います。
何が出来るのかな?

武庫川沿いからr51・有馬街道に入り、蓬莱峡を登ります。
つづら折れの所で、工事対面通行になっていました。
「座頭岩バス停」で多くのハイカーがバスから降り、車道を歩いていました。
天気は曇天ですが、山道はぬかるみも残っているでしょう。

船坂の「西宮北有料道路」との分岐を越え、9:40・JIBショップのドアが開いていたので駐車場に入れました。
レーシングヨットのライバル艇さんのお店です。
今月の海の日の次の日が、次男のお嫁さんの誕生日です。
「プレゼント何がいいかな?」と家内に相談されたので、「JIBバッグはどう?」と適当に提案すると、家内が乗ってきました。
姪の中学受験合格祝いでプレゼントしたのですが、気に入って使ってくれているので、可愛いと思ったのかもしれません。
次男もヨット乗りだから、よりいい感じがしたのかもしれません。

在庫は甲子園の本社・本店が多そうなのでそちらで買う予定ですが、こっちにお店を出し、こちらも工場にしてると言ってた
ので、甲子園のお店をまだやってるのか聞きましょう。
JIBショップの方はカーテンが閉まっていますが、開いてる工場の方のドアから、声を掛けます。
「こんんちは・・・」「はいはい」
「Sさんいますか?」「ちょうど今出て行きました」

ここに入る直前にすれ違った2台の4WDだったのかも?
去年、家内とここでお茶をご馳走してもらった時に、悪路遊びしてると話していたし・・・。
甲子園店の健在・11~19時の営業時間を確認でき、目的終了。

r51を一旦離れ、有馬温泉の山の手道から温泉街に下り、太閤橋から有馬口に抜けようと思いましたが、「有馬グランドホテル」の先で通行止めでした。
がけ崩れでもあったのかな?
仕方なく、r98~r506で西進し、r38に出ました。

この道で三木まで、西進します。
だんだん交通量が減り、信号が少ないので気持ちよく走れます。
景色も気持ちよくお気に入りの道です。
僕の一番好きな50km/hほどで流すことが出来ます。

10:20、「道の駅・淡河」着。
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バイクは先着に1台、僕の後から1台と、天気予報故バイクが少ない。
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観光案内板には、興味をそそる寺社が載っています。
トイレ休憩して出発。

播磨浄土寺・朝光寺 1/5

6/28・映画「愛を積むひと」

帰宅し、小腹が空いたので、450gヨーグルトを食べました。
僕のお食事後のお楽しみがヨーグルトなので、我が家の冷蔵庫には最低5個は入っています。
下手なお店より大量陳列されています。

17時を回ったので、通勤リード110に乗り換えて映画館に向かいます。
15分ほどで駅前のイオン最上階のTOHO映画館前で家内を待ちます。
17:30に家内がやってきました。
先週一緒に買いに行ったお仕事スカートでも履ける可愛くてヒールの低い靴を履いています。
「これ、どう?」って御御足を見せてくれます。
「いいねえ、可愛いよ」
家内もそうですが、映画館にBFさんと来てるお洒落女子さんを見ているだけで、気持ちがウキウキします。

家内に映画ギフトカードをもらって、18:00上映開始・「愛を積む人」のチケットを買います。
還暦の祝いで、息子たちから個別プレゼントの他にこのカードを頂きました。
「2回ぐらい観れるよ」と聞いていたけど、額面に金額が入っていないのでいくらなのか不明のカードです。
機械で使えるのか不明でしたが、問題なく使えました。
チケット2枚の他に、「本日利用額2200円・残り2800円」と表示された用紙が出てきました。

上映予告ポスターを見ながら、「次は「HERO」を観に行こう」と家内が言っています。
去年の夏、フジテレビ祭りでHEROのセットや建物を次男が設計したので、家内がHEROにご執心です。
建物前でキムタクポスターと写った次男の写真が、引き伸ばされて仏壇の部屋に下がっています。

「愛を積む人」は、アメリカ作家原作の映画です。
シチュエーションを北海道美瑛に変更し、佐藤浩市と樋口可南子・北川景子出演です。
僕がこれを観に行こうと誘った時、「北川景子さんが出るからだね」と即効で見破られましたが、家内も樋口可南子さんが好きなので即合意に至りました。
まあ・断られたことなどないけど。

数年前の6月にバイクで巡った美瑛の美しい景色がスクリーンに広がり、森林限界線を超える十勝岳の不毛の山肌もロケ地になっています。
この映画で、また観光客が増えるのかな?
僕らの新婚旅行は、美瑛の隣町・富良野スキー場でのスキー三昧5日間でした。
その時泊まった「富良野プリンスホテル」に、もう一度行こうと約束しています。
4年前に北海道ソロツーリングした時も寄ったのだけれど、生憎貸し切りでロビーでお茶もできませんでした。

あの時ホテルで、夕食後佇んでいると、ホテルのライトに照らされ真っ白に浮かび上がる雪のステージに、1匹のキタキツネが現れました。
僕らへのプレゼントに見えた。
お忍びでご主人様とスキーに来られていた吉永小百合さんと廊下ですれ違い、家内とのツーショットに収まってもらいました。
「お幸せにね」と微笑んでくださった笑顔が今でも頭に残っています。

旦那・佐藤浩市さんに自分の重病を伝えず、突然逝ってしまった奥さん・樋口可南子さんとの温和な夫婦関係が描かれています。
自分の死後の旦那の生活を気遣ってやり始めてもらった石塀作りをベースに、それを手伝ってくれる青年や地元の方達、不仲になってしまった一人娘との関係が修復していくストーリーが、ゆっくりしたペースで進みます。

僕ら夫婦にも残された時間はそれほど多くありません。
ありがたいことに息子たちを授かり、お嫁さんたちにも恵まれ、素晴らしい人生を過ごしてきました。
でもその全ては、家内が僕のところにやって来てくれたことから始まりました。
「大切にしなきゃ」と改めて心に刻みました。
涙腺の弱い僕は、何度も涙が頬を伝わってきました。
ハートウォーミングな素敵な映画でした。

映画終了後、家内がスカートなので、家内の荷物だけバイクに積んで帰ろうと思っていましたが、「カッパある?それを履いて帰る」と言うので、スカートの上からカッパを着てタンデムで帰りました。
人生の最期までタンデムで歩みたいものです。
そしてできれば僕の方を先に天国に送ってください。
息子たちに心配されながら、1人になるのはちょっと・・・

6/28・インカレ個人戦予選

日曜日は、大学ヨット部のコーチングでした。
全日本大学ヨット個人選手権予選2日間の最終日です。
天気予報は曇なので、バイクで行くことにしました。

朝5時前に目覚め、ゴソゴソ用意し、「里山VTR250」を出しました。
今年の梅雨は雨が多めで、早朝ツーリングへの出撃回数が減っています。
高速道路利用だけど、こちらに乗ります。

5:45、コンビニに寄り、手巻きサーモンマヨ・125円・手巻き紀州南高梅・110円を購入。
R171~中国道~名神で桂川PAで休憩。
湖西道路経由で琵琶湖のハーバーに7時頃着。

ノーティスボードを見に行き、前日の成績・プロテスト関係・本日の指示などをチェックします。
全日本への出場権は、470・スナイプ各クラス毎に上位6艇です。
圏内に各クラス2艇入っています。
470級に比べ成績が見劣っていたスナイプ級も2艇圏内におり、ナイスです。
470では、トップフィニッシュも1回あります。

艇庫前に行きみんなに挨拶してから、コーチボートで朝買ってきたおにぎり1つを頬張ります。
艇庫前に戻り、選手たちと前日のレースの風向・風速・自艇のボートスピードの感触など様子を聞きます。
470級7艇・スナイプ級6艇エントリーしており、D社・金沢同様最大勢力になりました。
ここ数年の部員獲得の成功が、成績にもつながっています。

8時に出艇します。
コーチボート同乗や陸上要員の1回生が、「フレーフレー・・」と出場選手の名前を呼び送り出します。
応援してもらった方は、手を振る奴もいるし、艇を止めて「ありがとうございます」と大声で叫び頭を垂れるものもいます。
こういうとこが、学生スポーツに惹かれるところです。
僕も学生時代、公式戦に出場した時、自分の名前を応援してもらった時、涙が溢れてきました。
「よ~し、彼らのためにも頑張らなば」とハイな気持ちでレース海面に向かったのを覚えています。
こういう世界が好きで、ずっと学生スポーツに携わっているとも言えます。

次男と同期で大学に勤める監督と、4回生女子マネさん、3回生女子マネ、1回生女子マネ・1回生選手、そして僕という乗り合わせでレース艇とともにレース海面に向かいます。
フィンランド人の留学生Tくんも乗っているので、積極的に声を掛け、ご実家の事やお国の話題を入れながらコミュニケーションを図ります。

去年甥がフィンランドにオーロラを観に行ったこと、「ムーミンの国だね」とか・・・。
「私はまだ日本語が上手ではありません」と言いながら、大体わかってくれます。
スタート前のカウントダウンで、ワンミニッツ・トゥ・ゴーなど英語も交えて、レースへの理解を深めさせようとしましたが、オール日本語でも大丈夫そうです。
スクールイングリッシュな僕にはありがたい。

三井寺からの風向で、本日の第1レーススタート。
470第1マークトップで、当方カラーのスピンが上がります。
2~3~4~5マークと徐々に後続艇との差を広げ、危なげなくフィニッシュ。
コーチボートに戻ってきたら、みんなから祝福の拍手が湧きます。
彼は前日早すぎるスタートのため1レース失格しているので、上位6艇に入るべく猛追しています。
あと一歩、頑張れ。

横付けさせて、コーチボート上から全体を俯瞰した風の入り方を選手と確認します。
続々と、フィニッシュした艇がコーチボートに横付けされ、気がついた点などをアドバイスします。
成績が良くてもそうでなくても、コーチボートで監督・コーチやマネさんたちと会話することでリセットし、次のレースに気持ちを切り替えることが、トータル成績を上げるコツです。
社会人セーラーと違い、学生は1つのレースで一喜一憂してしまい、喜びで舞い上がって次のレースへの準備が疎かになったり、落胆した気持ちのまま次のレースに入ってしまいます。

西の比叡山山頂に雨雲が掛かり、それが流れてくると霧雨を伴いブローが入るレース海面は不安定です。
1回生女子マネさんが合羽を持っていなかったので、僕のカッパを貸しました。
「子供を生む女性は冷やしたらあかんよ」と冗談半分で渡すと、「暖かい、ありがとうございます」ってニコニコしています。

数度の風向の変化に合わせてのマーク打ち替え後、本日の第2レーススタート。
西風なので、右からのブローを拾いにが最初右に出すのが鉄則です。
470第1マークはトップ10に2艇という寂しい展開です。
王者D社はさすがです。
レギュラー以外の4番艇・5番艇までトップ10に来ています。

スナイプも2艇です。
13時過ぎのスタートなので、大会規定の終了時間14時までにフィニッシュしそうにありません。
大会最終レースなので、ここで爆発して、ボーダーラインにいる3艇目・4艇目も総合トップ6に入ってきてほしいけど・・・。

スナイプの当方クラブ内トップが、第1マーク4位からマーク毎に順位を上げ、最終マークで逆転し、トップフィニッシュしました。
フィニッシングライン通過の時、トップホーンが鳴りコーチボート内で拍手が湧きました。
トップ艇に乗る選手が、4回生女子マネさんのBFくんです。
「うわ~、おめでとう」と遠いBFくんに拍手していました。
総合でも3位だったので、悠々全日本切符獲得です。

結局、合計3艇が全日本個人選手権への切符を得て、レースが終了しました。
全日本での優勝候補・D社が7艇権利を得ました。
さすがです。
ハーバーバックし、気づいたことを選手個人個人に話し、15時にハーバーを後にしました。
いつもなら閉会式・ミーティングに出るのですが、18時から映画デートの予定があります。

帰路の高速道路は風が強く、75~80km/hで帰ります。
VTR250は軽いので、風が強いと振られるので慎重に走ります。
16:19、自宅近所の「出光セルフ宝塚176」で給油。
244km/7.64L=31.9km/L。

6/21・能登ドライブ その3

11:56、「南惣美術館」
バスが1台停まっており、蔵美術館に入ろうとしたら、昔のお姉さんたちがわいわいがやがや出てきました。
入館料400円なんだけど、受付のお姉さんがいないので、後で払おうと1000円札を持って入りました。

撮影禁止なので写真はありませんが、鎧兜・屏風・着物・漆器など代々伝わるお宝、当主が買い集めたと思われる織部などの茶器他、お宝満載でした。
お茶の免許持ちの家内が、茶器関係に歓声をあげていました。
いろいろ語ってくれたけど、ほとんど右耳から左耳に抜けて行きました。

『南惣は、かつての奥能登大野村の天領庄屋・南家の屋号である。代々当主が惣右衛門を名乗り、南惣と呼ばれていた。左大臣・平時忠が流されて来る以前から繁栄していた豪族で、鎌倉期以前より25代今日まで続く家柄である。
南惣は、付近一帯の大地主で、能登ヒバを産する広大な山林も所有する。徳川の天領として栄えたこの土地は、地の利を得て南惣に大きな富をもたらした。米・木材・木炭・製塩・製茶・養蚕が盛んで、曽々木・名舟・輪島の港から北前船に積んで手広く商い、事業は発展した。現在の総合商社的な経営をしてきた南惣は、家札(通貨)を発行していた。使用人に賃金として支払い、随時換金にも応じたので、社会的信用が大きかったことが伺える。
当主は美術・茶道を愛好したことから、日本・中国・朝鮮の絵画・書・漆芸・金工など多数の美術工芸品を、長年にわたって収集してきた。その中には、宮中に新穀を献上し拝領したものや、東本願寺に大量のヒバを献納したことで受領したものも含まれる。美術品は散逸することなく、今日まで大切に保管され、昭和46年に米蔵を改装して「能登集古館・南惣」を開館し、平成12年に「南惣美術館」と改名し現在に至る』

1・2Fの展示を見て回り、入口に降りてくると「不在で失礼いたしました」と受付に女性が座っておられました。
拝観料を払い、「どうぞお茶でも」と促されたので、隣の母屋の土間に腰掛け、お茶と茶菓子を頂きました。
団体さんにお茶出ししていたので、受付がお留守になっていたのですね。
お話していて、この方はご当主の奥さんのように思いました。

「どちらから?」
「兵庫県からです。先月バイクでお邪魔しましたが、開館時間前だったので再訪問しました」
「それは失礼しました。呼び出してくれたら、開けましたのに」
「でも朝6時ですよ」
「ええ、大丈夫ですよ」

囲炉裏に火が入っており、そちらは写真OKなので激写し、お庭も案内していただき、気持ちの良い訪問になりました。
家紋は、「丸に蔦紋」でした。

12:27、「本家・上時国家」
「平家にあらずんば人にあらず」と豪語し、平家全盛の平安時代末期に平清盛を補佐したNo2・平時忠の配流先です。
その外観は、配流先・帰納した庄屋屋敷いとどまらず、まさに豪族の館です。
背後に詰めの山城がありそうな逃げ場を持ち、館前は切岸され立派な水濠も配されている縄張りは、魅力的です。
前回は開館時間前だったので内部を伺えませんでしたので、勇んで拝観料1人500円を支払います。

『上時国家の由緒 今から800年の昔、平清盛の義弟・平大納言時忠は、平関白とも言われ、平家一族の実質上の頭領であった。源平合戦で平家が滅亡した際、神器の帰座の功により特別な計らいで能登に配流になり、配所で没した。
その子・時国は、近隣の村々300石を統治し、江戸時代には天領の大庄屋を務め、苗字帯刀が許された。この頃の21代当主が現代に残るこの豪壮巨大な屋敷を築き、25代当主が現在もこの屋敷と伝統を守っている』

玄関正面に屏風が置かれ、その脇で拝観料を払い、南惣家同様奥様が時々声を掛け説明してくれます。
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各部屋にはいると案内放送が流れ、襖の「丸に揚羽蝶紋」・欄間の彫刻・お庭の池の形状・・・、興味深く拝見させていただきました。

『始祖・平時忠卿が能登に配流されたが、鎌倉幕府の詮議は厳しく、その子・時国は牛尾の山中に隠れ、源次滅亡の後町野川のほとりに住居を移し、土地を買い受け晴れて農耕に従事した。初代時国・2代時晴の時代に時国村と改め、21代時国左門は山麓を拓き、天保2年4月ここに家宅を移したと記録されている』

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鎧兜・調度品・刀箪笥・あぶみ・見事なお着物を拝見し、囲炉裏のある部屋には見事な神棚が壁に下がっています。
家内は座敷に座り、雰囲気を楽しんでいます。
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土間には籠が4つも下がり、槍などが欄間に置かれています。陣羽織に陣太鼓も飾られています。

『平大納言時忠は、従一位左大臣の長男として生まれ、彼の姉が平清盛の妻となっていたことにより実力を得、その全盛期には「平氏に非ずんば人に非ず」とまで言った。しかし平氏の滅亡により流罪の身となり、能登珠洲の浦に上陸し、25丁離れた南の山に殿を建て居を構えた。
時忠には6人の男子があり、年上の4人(京で生まれた)は流刑になったが、能登に来てから時国と時康が生まれ、時国亡きあとは時国が世を継いだ。その頃には刺客が鎌倉より入り込み、身が危険にさらされるようになったため、平の姓を時国と改め、牛尾という山中に逃避した。しかし源氏も滅びると、年々土地を増やし2つの村の支配者になり、時国の子・時晴の時には合計300石となり、時国村と改めた。12代・藤左衛門時保の時に、次男・千松に所領の1/3を与え隠居所を作り、下時国の起こりとした。
古老の話では、土地の山も田もほとんど時国家のものであり、先々代まで外出には駕籠を用い、めったに当主の顔を見ることが出来なかったと言われている』

時忠の姉の清盛の妻・時子(二位の局)は、壇ノ浦で幼い孫の安徳天皇を抱えて入水した人です。
妹の建春門院平滋子は、後白河法皇の妃で高倉天皇の生母です。
この高倉天皇が平清盛の娘・建礼門院徳子を娶り、その子・安徳天皇が即位したので、時忠の権勢は素晴らしいものだったでしょう。
おまけに源平合戦終盤は、源氏に政権を譲って平家を滅亡から救おうと、源氏軍の大将軍・源義経と連絡を取り合っていたので政治家としての辣腕も光る。娘を義経の室に入れており、義経が京を追われて北陸路を逃亡中も、能登で一時の平安を夫婦で楽しんだものと想像される。

現在の当主までの家系図が掲示されており、大満足の訪問になりました。
同時に拝観していたご夫婦は、下時国家拝観後来られたようなので、ちょっとお話しました。
向こうは大農家という感じで、こちらは武家の趣を感じると言っておられました。
車で下時国家に移動しましたが、家内に外観を見せただけで次に向かいました。
大農家・庄屋だったら、祖父の家と同じだから目新しいものはないかな?と思って。

今回のメインディッシュは3つです。
1つは家内にまれのロケ地・大沢漁港を見せること。
2つ目は僕の歴史興味・時国家を見ること。
そして最後の地に向かいます。

13:03、「曽々木」
「海鮮丼」の幟がはためく「今新」というお店があったので、海鮮丼定食・1620円を食しました。
海から吹き込む風が涼しく、沖にはウミネコが多数集まり、海面めがけて急降下飛び込みをしています。
アジの群れでもいるのでしょう。
興奮気味です。

車をそのままお店の駐車場に置き、歩いて「八世乃洞門トンネル」に向かいます。
「トンネルハート パワースポット」の手掘り「せっぷんトンネル」をくぐります。
家内がこのトンネルの由来を読むのを待ち、昭和32年の映画ロケポイントと教えます。
「恋人の聖地 桂由美」の掲示板に、「ここも桂由美ね」とのこと。
本日3つ目の桂由美ラブスポットです。
石川県は桂由美とタイアップして、ラブスポット指定しているのかな?

ハート電飾トンネルを2人で渡りました。
ハートの真ん中に家内を立たせ激写。
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「ハートうつし台」にカメラを置き、タイマーでハート内の僕らを写します。
これで3つ目の目的も達成しました。

12時にここに来れれば七尾城に回ろうと思ったけど、2時間遅れの14時なので帰路に着きます。
R249を戻り、南惣美術館横を走り、r278~r277~r26で、14:44・「能登空港」。
ANAが羽田との間に1日2往復だけの空港でした。
「まれ」一色の空港展示でした。
これで観光客が東京から来るのでしょうね。
展望デッキに上がると、広い滑走路が見え、小型プロペラ旅客機が2機佇んでいました。
横に「日本航空学園」があったので、パイロット・航空整備士・フライトアテンダントの養成のための機体でしょう。
お嫁さんも、大学生時代に専門学校にも通ってたと言ってたような・・・

珠洲道路~のと里山海道で、15:36「西山PA」でアイス補給休憩。
「白尾JCT」からR159・R8で「金沢東IC」より北陸道に乗り、17:05「安宅PA」。
18:44、「南条SA」で給油&休憩。敦賀から舞鶴道に乗り換え、19:48「三方五湖PA」内ファミリーマートで、「飲むヨーグルトブルーベリー・118円」を補給。
日が落ちており、三方五湖を眼下に眺めることは出来ませんでした。

20:48、「舞鶴PA」で休憩し、家内はいつもの寝る時間21時になったので、後ろに行って布団の中へ。
21:28「六人部PA」で、長椅子に横たわりしばらく目をつぶる。
22:01、「西紀SA」着。

ここまで来ると、我が庭に帰ってきた感があります。
「チョコマーブルコーン・135円」で糖分補給。
もう宝塚トンネル渋滞は解消されているので、中国道に入り、宝塚IC下車し、23:03に帰宅しました。
スピードが落ちたので起きたのか、自宅前の道に入った時に起きてきました。

土曜日の睡眠時間3.5時間の強行軍、約1000kmの旅でした。

能登ドライブ 6/8

6/21・能登ドライブ その2

R249に復帰し、7:41「機具岩」。
お伊勢さんの夫婦岩を模して、2つの奇岩にしめ縄が渡されています。
『能登郡に鎮座する「能登ひめの神社」の祭神が賊徒に襲われた時、取って機具を投げられた。それが飛んでこの地に至り、化して機具岩となった。夕日が沈む能登二見で陰陽石が相対する真の夫婦岩である』

7:49、道の駅「とぎ海街道」。
世界一長いベンチ・460.9mを見て、何故舞鶴由来の岸壁の母の碑が立っているのか不思議だったが、岸壁の母のモデル・端野いせさんは、ここが出身地だそうです。
『八朔祭り キリコとは、お神輿のお供をする灯明・切子燈籠のことで、能登一円の夏祭りの華として担ぎ出されます。八朔祭りは、富来で最も大きな祭りです。
その昔、八幡神社のご神体が増穂浦に漂着し、浜辺に近い住吉神社の女神に助けられたのが縁で夫婦になりました。しかし、八幡の神は海鳴りが気になり夜も眠れず、山手の八幡の里に宮居を移してしまった。それ以来、夏の一夜の逢瀬を楽しむため、八幡の神を神輿に乗せ女神の元に賑々しく運んだことが祭りの起こりだと伝えられています。キリコは、海の彼方から幸いをもたらした先祖神や客人への歓迎の目印と言われ、現在では能登を訪れる観光客を温かく歓迎する明かりでもあります』

横には、「縁結びの岩」があり、キリコも僕の好きなラブスポットに謂れがあり、今も昔も変わらないね。
好いた男女の仲が、次の世代を生み出し、人の営みの根本です。

R249を北上し、r49の交点からr49を海岸線に沿って南下します。
8:21「関野鼻」到着。
怪しい青空駐車場だけど、とりあえず入庫し、歩いていきます。
観光施設の建物は一部壊れています。
実に怪しい。

関野鼻と岬の高台まで歩いて行くと、奇岩の海岸が目に入ってきました。
ヤセの断崖はわかったのですが、義経の舟隠しは見えない。
切り込んだ細い入江なんでしょうね。

『関野鼻は日本海岸最大のカルスト地形であり、ドリーネと呼ばれる無数の漏斗状の穴は、日本海側でしか見られない資料として重要です。この石灰質砂岩層は、貝類や鮫の歯などが多く包含されている化石層となっています』
川床の甌穴のような穴がポコポコ開いた岩も目にでき、満足して車に戻ります。

松本清張「ゼロの焦点」や、家内が次男に似ているとご贔屓な滝沢秀明主演の「NHK大河ドラマ・義経」のロケ地でもあるそうです。
有料駐車場というのが不満だけど、家内が満足そうなのでOKでした。

R249は海岸線の道になり北上します。
内陸へ進路を変えたところで、8:55「総持寺祖院」到着。
拝観料1人400円。
まだ早いので、売店が店出しをしています。

僕同様、家内も経蔵に驚いていました。
「回せたらいいのにね」と残念そうです。
1回回せば、この経蔵に収められた経典全部を読んだことになるので、一気に仏教博士です。
素晴らしい彫刻の本殿「法堂」の扉が閉ざされています。

「入れないのか?」と一瞬がっかりましたが、横に回ると入れました。
「うわぁ、ここ凄いね」とご機嫌で、木槌で魚板を叩いています。

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永平寺から別れた曹洞宗の元総本山で、家事をきっかけに総本山を横浜に移したそうです。
曹洞宗は座禅のお寺で、魚板を叩いて集合や座禅開始の合図にしているのでしょう。
たまに、お寺のうち門などに魚型の木板が下がっています。

「なんで魚なんだ?」と思っていたのですが、どこかの謂れ板に、「魚は常に目を開けているから」と書かれてなるほどと納得しました。
お坊さんのお経は、良い子守唄です。
修行中の若いお坊さんも、寝てしまうのでしょうね。
これが変化して「木魚」になったそうです。
魚板より耳に優しいので、もっと寝ると思うんだけど。

若いお坊さんが、本尊脇のスペースに椅子を並べたりしていました。
法事があるのでしょう。
家内の母親のお骨を永観堂に分骨する時、大きなお寺の法要を初めて体験しましたが、十数人の男声合唱団の低いお経は素晴らしいものでした。
法要を終え、振り向いた法主さんのお話は、とても面白く素晴らしい体験でした。

R249からr38に乗り換え、再び海岸線に向かいます。
9:42、「男女滝」到着。
家内もやはり、気に入りました。
二本並んで流れる優しい滝は、男性的な大瀑布とは大違いですが、とてもいいです。

海岸線に出てしばらく走り、9:59、家内に一番見せたかった「NHK朝ドラまれ」のロケ地・大沢漁港に着きました。
櫓の横に駐車し、バス停内のまれロケ地案内を頂き、神社・役場を覗きます。
役場内に入れるようになっており、「自然薯アイス・醤油味・400円」を買いました。
「お姉さん、バニラと醤油のどっちが好きですか?」
「私は醤油だけど・・・」
「じゃあ醤油をください」

バス停前に並んだ待合椅子に、今回も地元のおばあさんが座っており、「ここに座ってもいいですか?」と声をかけると、快くOK。
おばあさんたちは、お迎えの車を待っているようですが、よく聞き取れない特有の方言を聞きながら、美味しくいただきました。

前回は、一般の民家なのでパスしたドラマのロケ地・「桶作家」に行ってみました。
『おけさく』の表札が間垣に下がり、『前庭まで入って、どうぞご覧ください。桶作』の看板に誘われ、前庭に入ってみました。
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正面のガラス引き戸には『民宿 桶作』と書かれており、家内が「民宿なんだ」と僕に教えてくれます。
「ロケのまま、消さずに残してくれているんだよ」
「なんだ、そうなんだ」と天然です。
可愛いな・・・

漁港を離れ、北上を開始してすぐに「桶滝」の案内板を見つけました。
枝道に入り山に登って行くと、10:30「桶滝」に着きました。
遊歩道が沢沿いに下っています。
でも木々が覆っており、「探検やね」というと、「じゃあ、私はここで待ってる」とのお達しです。
捻挫の足を庇っているようです。

1人で下って行くと、桶滝がありました。
岩の中央に穴が開いており、そこから滝が落ちている非常に珍しい滝でした。
でも水量がイマイチで、迫力は全くありません。
想像するしかなく不完全燃焼で帰ってきました。
横に山の水を引っ張っているのか、塩ビのパイプから水が流れ出ており、柄杓が2つ置いてある。
「飲んでね、美味しいよ」
と語っているようだったので、飲んでみました。
お腹に当たるも八卦当たらぬも八卦の運試しです。

車の方からバタンバタンと音がするので、怪しい奴らの襲撃かと思いながら、家内の「あれ~」の悲鳴がないので観光客だろうと思うと、道路の看板のとこで中年女性3人組がいました。
「こんにちは」と声を掛けると、「遠いですか?」と聞いてきます。
水量がイマイチなことは言わずに、「すぐですよ」とだけお伝えしました。
女性ばかりなので、躊躇していたのでしょう。
道の入口が木々に覆われ、怖い感じもするものね。
ドラマ「まれ」の育った桶作家の命名は、この桶滝から来ているように思うけど、真相は如何に・・・。

10:49、「ゾウゾウ鼻」
沖に霞んで島が見え、能登半島の美しい海岸線が眼下に。
輪島市街地を通過し、11:18、「千枚田」。
ここまでの景勝地はすべて貸し切り状態だったけど、ここは観光地であることを思い出させる人の数です。
時間もそうだし、輪島の朝市見物の後に寄るにはちょうどよい距離です。
観光バスも4台停まっています。
1ヶ月前は、水を張った朝日を照り返す棚田だったけど、苗が成長し、緑の棚田に変わっていました。

11:35、「輪島製塩」
観光塩田の「すず塩田村」はもっと先ですが、こちらは塩田業者さんのお店です。
横には塩田があり、大たらいや鋤、ドラマでまれのお父さんが四苦八苦していた天秤棒もあります。
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家内が「うわ~重い~、全然動かないわ」と、桶のぶら下がった天秤棒を担ぎ、鋤で塩田を耕しています。

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「釜屋」という建物があり、中を覗くと塩作りの現役釜があり、塩が生産中でした。
横の売店で念願の輪島塩を購入します。
「町野町大川・輪島製塩」150g・730円×2袋。微妙に塩の色が違うので、種類があるのかとお姉さんに聞いたら、日によって釜によって違うそうです。
ゆず塩ドリンク・250円。
輪島塗箸・500円。
まれお菓子・650円を購入。

能登ドライブ 2/8

6/21・能登ドライブ その1

大変重要な母の日と大違いの父の日です。
母の日があるからついでに作られた父の日なんて、ほんまに必要なのか?その業界のためにあるような気がしてなりま
せん。
と言いながら、20(土)仕事中に家内から「父の日プレゼントが届いたよ」の連絡を受け、妙に帰宅するのが楽しみになる自分がいます。
帰宅すると次男夫婦から届いたプレゼントが待っていました。
2人で世界遺産になった「富岡製糸場」に行ったそうで、そのポストカードにメッセージが書かれていました。
次男の名もありますが、お嫁さんが書いたのでしょう。
女の子はいいな。

まゆで作った羊のかわいい置物が入っていました。
よく僕の干支がわかったな・・・と思ったら、今年は未年なのでむしろこの干支だらけなおでしょう。
僕ら夫婦の還暦の祝いをしてくれたばかりだから、わかってるよね。
もう一つ、読書好きの僕なので、「和田英著・富岡日記」も入っていました。

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日曜日は、能登半島をドライブしました。
1ヶ月前に、一泊ソロツーリングで回ったのに、またです。
NHK朝ドラ「まれ」ロケ地&歴史遺産巡りをしたのですが、海岸線は美しく、朝ドラ仲間でもある家内にも「そこ」を見せたくなりました。
そして、「あの場所」に2人で行きたいと思いました。

2週間前に予定していたのですが、その1週間前に家内が捻挫してしまい延期していました。
普通に歩けるようになったので、天気予報はイマイチですが決行です。
車なので雨降ってっても平気ですし・・・。

土曜日、仕事から帰宅後すぐに荷物を積みました。
一番の大物は布団です。
次男が生まれた記念に、ハイエースワンボックスワゴン車に買い替えました。
子供たちがちびの時は、キャンプでもスキーでも、前日の晩に布団を積んで出発していました。
眠くなるまで距離を稼ぎ、車中泊して翌朝再び出発して、現地で朝から楽しむというのが、我が家のスタイルです。

子供は成人し世帯を持ち、夫婦ドライブで久しぶりにこのスタイルをしました。
往復1000kmのドライブなので、少しでも前夜に走っておきたいです。
20:46に自宅を出発し、近所の御用達GSで給油しました。
豊中ICから中国道に乗り、名神に乗り換え、21:37「大津SA」着。
ここで夕食にしました。

僕は、「近江牛コロッケバスカレー・880円」を食べました。
白身のフライが載っており、やはりブラックバスでした。
臭みがあるのかな?独特な食感かな?と恐る恐る、でも興味津々で口に運んだら、言われなければわからない美味しい白身のお魚でした。
味の強いカレーでごまかしているのかな?との予想は覆され、これならタルタルソースでもOKです。

レストランで僕の歯ブラシに練り歯磨を付けてもらい、それを持って夫婦でトイレに行き歯磨きをしてから車に乗り込みました。
小雨が落ちてきたのでトイレ前に車を移動し、家内を待って22:01に出発しました。
家内によると、自分同様お化粧落としのご婦人が数名おられたそうです。

走りだすと、一気に雨脚が強くなり土砂降りの数分がありました。
大津SAにバイクが2台いたけど、ずぶ濡れだなあ。
カッパを着て出発してたらいいけど。
この雨は梅雨前線による雨ではなく、南下した梅雨前線に向かって吹き込む寒気による不安定な気圧配置によるものと天気予報で解説していたので、局地的で強弱が激しいです。

名神から北陸道に乗り換え、23:44、北陸道・「杉津PA」に着くまで、降ったり止んだり強弱もありました。
路肩に水たまりのあるところや、乾いて全く雨が降っていないとこなど、天気予報通りでした。
「杉津PA」で限界に達し、すやすや寝ている家内の横に潜り込みました。
本線に近くうるさいなと感じ、コンソールボックスに常備している耳栓のお世話になりました。

3:10に目を覚ますと、雨は上がっていますが、もやっています。
カメラをぶら下げてトイレに行き、恋人の聖地・「夕日のアトリエ」を見に行きます。
晴れた日の夕方ならカップルが並び、海に落ちる夕日を手をつないで眺めているのでしょうが、当然真っ暗で何も見えません。
カメラのバッテリーが切れたので、車に戻りバッテリー交換してると家内が起きだし、「朝になったの?今何時?」
家内と一緒に再び「夕日のアトリエ」に行き、南京錠のぶら下がったハートロック、「愛のハートロック・鍵入れ箱」などを見ました。

「恋人の聖地・杉津 恋の夕日ソフトクリーム 甘酸っぱい夏みかん味」の看板が掛かったソフトクリーム売店がありました。
甘酸っぱい夏みかん味を食べてみたくなりましたが、当然開店前です。

3:25、出発。3時なのに、家内が助手席に乗ってきます。
「まだ早いよ、寝てたら」と言っても、頑張って起きているそうです。
しばらくお喋りしていましたが、こっくりし始めたので、「後ろで横になったら」と言うと、「そうさせてもらうわ」と、熟睡モードに入りました。

4:26、「尼御前SA」着。
尼御前とは、義経の陸奥への逃避行の時、目の前の安宅の関での難儀を予想し、岬から身を投げた義経一行と同行していた女性の伝説が残る場所です。
尼御前と義経との関係がよくわからないので、今までスルーしていたのですが、このSAから歩いて尼御前岬まで行けると知ったので、探索します。
家内も誘いたかったのですが、あどけない寝顔を見せているので、声を掛けませんでした。

歩いて数分で岬の公園に着きました。
SAのすぐ裏です。
『むざんなや 兜の下の きりぎりす 芭蕉』
源平合戦・倶利伽羅峠後にあった篠原の戦いで討ち死にした斉藤実盛の首を洗った首洗池のほとりに立っている句がここにも立っていました。
倶利伽羅峠・篠原の戦いに勝利し、破竹の勢いで京都まで上った木曽義仲。
それを破った源義経の失意の逃避行劇。
シチュエーションは違いますが、どちらも判官びいきの日本人の感性に響きます。

旅装姿の尼御前の石像が立つ前を抜けると、海が見えてきます。
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その先端まで遊歩道が整備され、岬が見えます。
ここから身を投げたんだな・・・薄暗い曇り空の下に見える岬は、物悲しさが漂っていました。

SA内のエネオスで給油し、本線に復帰しました。
安宅の関があった「安宅PA」を過ぎ、家内が見たいと言ってた金沢の街を通過。
「金沢東IC」で下車し、R8~R159経由で「白尾IC」から「のと里山海道」に乗ります。

5:43、「高松SA」着。
いつも5時起きの家内が目を覚まさないなと思っていたら、車を停めたら、「ここ何処?」って起き上がりました。
起きたらすぐにトーストを焼く家内なので、調度朝食に良いタイミングです。
しかし、SAなのにどこも開いていませんでした。
トイレを拝借し、海側のベンチに腰掛け、家内はコーヒーを飲みます。
遠浅の海が目の前に広がり、海水浴だった出来ます。
足湯があり、海から上がった体を流すホースやシャワーまで完備です。
この元高速道路は通行料無料なので、夏のここの光景が目に見えるようです。

5:58、出発。
「今浜IC」を下車し、「なぎさハイウェイ」に入ります。
「わ~すご~い」と家内は窓を開け、間近な海を見て喜んでいます。
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先月はバイクで来たので停められなかったけど、今度は四輪なので適当なところで停め、波打ち際まで歩いていきます。
細かい雨が降っており、僕は傘なしだけど、家内は傘を差しています。
車から滴り落ちた雫が、砂浜に穴を開けて行きます。

なぎさハイウェイをゆっくり楽しみ、「千里浜IC」から「のと里山海道」に乗ります。
「西山IC」で下車し、r116で西進します。
R249との交差点に、ファミリーマートがあり、僕はおにぎりとオールドファッションドーナツ、家内はサンドイッチを買って、駐車場の車内で朝食にします。

R249に乗り北上し、西海岸に出たとこで、r36を少し南下します。
7:17、「巌門」
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駐車場にロープが張られているので、路上駐車し下に降りていきます。
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奇岩や船が通り抜けられそうな穴が開いた大岩に喜んでいます。
遊歩道で洞窟を抜けて、遊覧船のりば。
そして階段を上がって車に戻ります。
家内の足取りは、もう大丈夫そうです。
捻挫からほぼ復帰しました。足元の悪いところもあるから、また足を捻らないようにしないと。

能登ドライブ 1/8

6/14・ポイントレース

日曜日は3人乗りヨットの月1レースでした。
4月はコーチしてる大学ヨット部の新人勧誘の手伝い、5月は次男夫婦の帰省でレースメンバーから外してもらったので、久しぶりです。
1週間前は雨予報・降水確率60%だったのが、前日には曇り予報・40%に改善されいい感じです。
でも風予想が、E~SE~SWで2m/sほどしかありません。
長い風待ちを強いられるかも?なんて思いながら床につきました。

日曜の朝は遅く、6時台の目覚めでした。
11時第1レースなので10時出艇・9時艤装開始すればOKですが、早めにハーバーに行き、クルージング艇の方をメンテナンスしようと思ってたので、「うわ~遅れちゃった」とがっかり。
ゴソゴソ用意して階下に下り、家内に「おはよう」してからTVをONにすると、NHK「うまいッ」をやっていました。
北海道のやぎチーズをやっていました。
日曜の朝はこの番組をよく見ます。
TV見ながら着替えなどしていると、家内が朝ごはんを持ってきてくれました・・・ありがたいな。

家内は9時に出発ということだったので、僕の方が先に家を出ます。
倉庫に行き、家内用アドレスV125を出します。
セルスイッチを押してもキュルキュルが弱くエンジン始動に至りません。
アドレスはキックスタートできるので安心です。
キック一発でエンジンが始動し、R171を一気に走ります。
途中のコンビニでおにぎりを1個購入し、ハーバーの陸置きヤードに到着。

他艇メンバーも含めまだ誰も来ていません。
レース艇のオーニングを外し、ボトムの水抜き穴にキングストンをねじ込みます。
これを忘れ水に浮かべると、浸水してきて慌てます。
再度クレーンで引き上げないといけないので難儀です。

シート類をセットしているところで、他艇に乗るヨット部の後輩がやってきました。
彼が現在一番速いです。
ディンギーヤードに多くの学生のレース艇が並んでいたので、そのことやあれやこれや話しします。

シート準備を終え、この日の使用セイルがわからないから、一旦陸置きヤードを離れます。
係留桟橋の方に出て、クルージング艇を見に行きます。
昨冬に僕が片付けたサンブレラ(日除け)をセットするロープが行方不明との連絡を先輩から受けていたからです。
船内を探しましたが、当然あるはずがなく不思議です。
外したサンブレラと一緒に置いたはずなのに・・・。

陸置きヤードに戻り、先輩艇の偽装を手伝うことにしました。
このハーバーで開催された1週間前のA級全日本の話を聞かせてもらいました。
母校チームから、84才・81才という兄弟の先輩がレースに出たようです。
風が6m/sほど吹いており、ひっくり返ってしまい、レスキュー要員の学生が3人飛び込みレスキューしたそうです。

数年前の前回の西宮開催では、僕もレスキュー要員でスタンバイしました。
A級は僕が高校生の時に、大学ヨット部の正式種目から姿を消した古い船です。
当然現役時代に乗ってた方は、ご高齢です。
でもこのA級全日本は、その年代の大学ヨット部員たちの同窓会的な位置づけになっており、毎年参加者も多く盛り上がります。
今年の参加者は、ご家族も含め400名だったそうです。

レース参加者の平均年齢が高いので、主催ハーバーで活動するヨット部の後輩部員がサポーターに回ります。
今回はKG・甲南・神戸ヨット部員がメインでサポートしたそうです。
風がわりあいあったので、沈艇が続出し、現役学生は飛び込み・泳ぎ・走り回ったそうです。

うちの艇のメンバーもやってきて、セイルをセットしてクレーンで桟橋に下ろしました。
それでも9時に30分以上あるので、他艇メンバーも加わっておしゃべりします。
うちのチームの甲南OB・Oさんは、A級全日本で活躍してくれた母校学生を労って、8月にバーベキューするそうです。
7月にレーザー級世界選手権グランド・マスター部門に出場するGさんに声を掛け、スポンサーを取り付けたそうです。
80才近いのに世界選手権に出場するパワーに脱帽です。
毎年参加してるので、もう顔になっているのでしょう。

「先輩、僕も参加していいですか?」と僕より年齢が下の甲南OB・元監督F君が言います。
「ええよ~、おまえんとこのクルーも連れてきたらええやん」
F君チームは、甲南OBで組んでいます。
うちのチームは、KG・甲南・日大の混成チームです。
僕が母校コーチ時代に教えた子も数名他艇に乗っており、このレースも学連ヨット部OBの巣窟です。

9時になり、風速2m/sで出艇します。
空はどんより曇り空ですが。
天気予報のE(東)風ではなく、既にSWの風になっています。
この風向なら徐々に風速が上がってきそうです。
通常3人乗りのところ、4人乗って出ました。
うちのチームは、僕の3年上のキャプテンがオーナーですが、その学年でもう1艇チームを組んでいます。
そのチームは1人しか参加できないので、2名うちのチームからレンタルすることになっていました。
ところがもう1名参加できるようになったので、メンバーが余っちゃいました。

7艇参加で、3レース行い、船が走らず6位・3位からコースミスで6位・3位でした。
気心の知れたメンバー4人揃うと話の輪が広がり、楽しいレースになりました。
3レース目は6m/sほどに風が上がり、お荷物4人乗りから、4人乗りの威力を発揮するシチュエーションになりました。
スタートミスでリラウンドしてビリスタートになりましたが、4人の体重で吹き倒される船を立てるので、1艇1艇抜いていきました。
シースプレーも被りますが、もう水は冷たくなく、気持ちが良いです。

曇り空で日差しがなく、最高のレース日和でした。
15時にレースを終了しハーバーバック。
船を片付け、ヨットクラブハウスのウェットバーで集まり、あ~だこ~だ。
ヨットレースの最高峰・アメリカスカップに久しぶりに日本艇がチャレンジします。
そのチャレンジヨットクラブが、僕の所属している関西ヨットクラブです。

去年の前回チャレンジ決勝で、大接戦の末アメリカ艇に敗れたニュージーランド艇スキッパー・ディーンバーカーが日本チャレンジのスキッパーに内定しました。
その記者会見が今月あるそうで、Oさんが見に行くと言っています。
前回日本チャレンジのスキッパー・ピーターギルモアのサインが、うちの艇に書かれています。
うちのメンバーの会社が、ギルモアとスポンサー契約してサオートしていた関係で、レースで乗ってくれました。
2人目の世界的セーラーのサインゲットを目論んでいるようです。

今年のパンパシフィック・4ヨットクラブ対抗レースにも、ディーンバーカーを日本チームとして連れて行こうとか無茶な案をだしています。
「雇うのに、なんぼかかると思ってますのん」と現実的な後輩が笑っています。
「そんなもん、日本チャレンジのスポンサー・ソフトバンクの孫さんに声を掛けてもらったら一発でOKや」・・・等と話が盛り上がります。
いずれにしても、日本チャレンジ中断中も、何度かチャレンジャーに手を挙げようと資金集めに翻弄した関西ヨットクラブからのチャレンジが実現しました・・・朗報です。

夕方のR171を自宅に向けて走り、18時前に帰宅しました。
家内が既に帰宅しており、僕が片付けている間にお蕎麦を作ってくれました。
日曜の定番「モヤモヤさま~ず」を見ながら夕食を食べ、モヤモヤ終了前に寝てしまいました。
「お風呂、どうする?」と起こされ、風呂に入って自室に上がり、21時前に寝てしまいました。

新渡戸稲造75話

新渡戸稲造基金から書籍が届きました。
「新渡戸稲造75話」+「続・新渡戸稲造75話」

郵便振込み用紙が同封されており、送料含めて2244円でした。
同封されていた「新渡戸稲造基金のご案内とご支援のお願い」には、
『2000年(平成12年)は、名著「武士道」が発刊されて1世紀という歴史的節目で、7月に生誕地・盛岡を会場とした「武士道発刊100周年記念“日米友好の集い”を開催しました。当時のクリントン大統領が特別メッセージを寄せ、セオドア・ルーズベルト大統領の曾孫ツゥイード氏が特別講話をされました。2012年(平成24年)は、生誕150年に当たることから、高円宮妃殿下をお招きして記念式典、講演会、祝賀会を開催、また盛岡駅前・滝の広場に胸像を設置しました』と書かれていました。
基金に入会すると、機関紙「太平洋の橋」送付他の特典があるそうです。

東京英語学校(後の東京大学)~札幌農学校・キリスト教入信~北海道庁奉職~東京大学~アメリカ留学・アメリカ人女性と結婚~英文「武士道」発刊・ドイツ語版・フランス語版・セオドア・ルーズベルトに影響を与える~台湾総督府・後藤新平に招聘され、台湾の製糖業増産近代化に力を奮う~京都大学教授~東京大学教授・・・という略歴です。
「武士道」はイギリスの「騎士道」に通じる誇り高き文化であると僕は読み、素晴らしいと思ったのですが、後藤新平と組んで台湾経済を発展させた台湾総督府時代の業績が印象に残っている人です。

最初に新渡戸稲造の名を知ったのは学校の教科書で、ついで5000円札の肖像画です。
「この人、誰だっけ?」と図書館で調べた思い出があります。
その時、後藤新平の業績も知りました。

後藤新平は医師・細菌学者で、ドイツ留学中にコッホ研究所に学んだ。
東京市長時代にその知識を駆使し、日本で初めて水道を塩素殺菌消毒するして、乳児の死亡率を劇的に改善させた。
当時、井戸水から上水道に切り替わり、乳児の死亡率が却って上がり日本人の平均寿命も低下していた。
塩素殺菌は軍事技術の転用です。
日露戦争時に開発された毒ガス・液体塩素がお蔵入りしていたのを、民間転用したのが後藤新平です。
今でも、お風呂場で市販お風呂場洗いなど塩素系の殺菌洗浄剤を混ぜて、自殺目的で塩素ガスを発生させる事案があります。

その後、台湾総督府で新渡戸稲造と組んで、経済発展に貢献し、満鉄総裁など歴任した。
関東大震災から復興させた業績もあります。
帝都復興院総裁に就任し、大胆・強力な手法で、大規模区画整理・大規模道路建設など、現在の東京の基板を作った。

聖徳太子ほど有名な方ではないが、後藤新平ほど業績を上げた方が、紙幣の顔になっていないのが不思議です。
僕の経験から言えば、紙幣の顔は子供に影響を与える。
「この人、誰?」から始まる興味は、国が仕掛ける次世代日本人を育てるように思う。

新渡戸稲造から後藤新平に飛んじゃいましたが、「新渡戸稲造75話」を読むことにしよう。

6/7・和田山~西紀SA

売店を覗いて、招き猫やカエルなどのクリスタルなCBに載せたら可愛い置物を見ていると、家内が「いいのを見つけたよ」と。
カエルのぬいぐるみが、赤い座布団に座っています。
赤い帽子を被っています・・・「還暦カエル」。
今の僕ら夫婦にぴったんこ・・・
14:53、「出石ゆめごこち」さんで、「還暦カエル」購入、1700円。

15時に出石を後にしました。
r10で山越えし、r104~R312で15:51「海鮮せんべい但馬」で、海鮮せんべい・520円+シューラスク520円=1040円購入。
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前回、グループツーリングで来た時は、もっともち米を使ったおかきがあったのに、お店が変わったのかな?
無料のコーヒー飲んで、16:06・お店を出ました。

竹田城址の山が、見えています。
「北近畿自動車道」に乗ると、但馬国と丹波国を隔てる山壁に、林道がスパッと走り、アンテナ塔の立つ山頂に向かっています。
バイクで走れるんじゃないかな?帰宅後調べたら、「栗鹿山・962m」です。

春日ICから舞鶴道に入ります。
宝塚トンネル渋滞・12kmです。
家内がケーキを食べたいというので、篠山で下りて喫茶店に入ろうかとも思いましたが、西紀SAのレストランを覗くことにしました。

メニュー棚に飾ってなかったけど、店内に入り「ケーキセット、ありますか?」と聞くとあるとのことで、チーズケーキセット520円+季節のケーキセット650円を注文しました。
いつものように、お互いのも分けあって食べましたが、これは当たりで美味しい。
リピーターになりそうです。

16:53、SAを出ました。
「篠山口IC」で下車し、r306~r49。
そのまま「美濃坂峠」を越えようと思ったけど、車なのでr12に変更しました。
R372~r12で自宅近くまで戻り、18:53・靴屋さん着。
家内がスカートでも履ける仕事靴を物色し、買いはりました。
19:29・靴屋さんを出発し、19:37・自宅着。

ああ、面白かった。
栗の花が咲いているのをたくさん見かけました。
あとアセビがすずらんみたいな小さな花を数珠つなぎに咲かせていました。
魅力的な樹花です。
次の植樹候補です。

妙見蘇武林道 8/10

6/7・余部鉄橋~JR鎧駅~出石

通勤リード110で、片道10分の通勤をしています。
今年還暦なので、動体視力などもこれから落ちるから、通勤用にプロテクターを使用することにしました。
選択したのはコミネマンなので、 「コミネ・プロテクトライディングメッシュパーカ・L・BRONZE・11600円」です。

メッシュジャケットより緩い作りのパーカーです。
肩・肘・胸にハードタイプのプロテクターが標準装備で、背中にはソフトタイププロテクターです。
背中プロテクターは、他のコミネ製品と共通なので、ハードが必要だと思ったら、入れ替える予定です。

この製品は、女性用サイズもあったので、家内に内緒で「WMサイズ・BRONZE」も買いました。
パーカーなので、下にも上にも重ね着出来ます。
家内は真冬は乗らないので、年間通じてこれ一着でOKでしょう。
お揃いのカラーなので、ペアルックが楽しみです。

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6/7
山田川を下ります。
GPSにはr258と表示されており、もう安心です。
2車線の気持ちの良い道になり、r4に出ました。
林道で対向車が来なかったのは、三川林道が通行止めだったからですね。
帰宅後調べたら、和佐父・川会への道の方が、更に狭かったそうです。
ラッキーでした。

r4を北上すると、「余部」の道標が現れました。
「余部鉄橋のあるところでしょ?遠くまで来ちゃった~」と言うので、「じゃあ行ってみようか」ということで、R178に出て左折しました。
「香住余部道路」という無料の自動車専用道が走っており、あっという間に余部終点です。
下りたらすぐに、「あっちにも高速道路が走ってるね」
「あれが余部鉄橋で、JR山陰線が走ってるよ」という至近距離で、11:48「道の駅・あまるべ」到着。

バイクが沢山止まっていました。
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駅まで上がってみたかったけど、エレベーターがないので断念しました。
お客さんも徒歩でしか上がれないのだろうか?
お年寄りは乗れない駅だなあ・・・。
鉄橋グッズのお店を覗き、売店を覗き、線路文鎮が気になりました。

高速道路風ではないR178で戻ります。
12:13、JR鎧駅。
JRのポスターになった駅です。
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駅から鎧漁港?を見下ろしてパチリ。
海底の砂地や岩礁が透けて見える透明度が素晴らしい。

香住で海鮮を食べれるお店があると良かったのですが、見つかりません。
r11の海岸線道路を走り、小さな展望台で停まります。
「山番」という地引網の見張りをする櫓がありました。
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入ったら暖も取れるようになっており、眼下の砂浜での網を見張るそうです。
魚が跳ねていれば村人に連絡し、村人総出で船などを出し、湾に入るのを待って網をうち、地引網で獲るそうです。

数ヶ所の展望台で景色を眺めたあと、「竹野」で海岸線を離れます。
「ひたすら山と田が続く田舎道」と紹介されているr1は、その通りの気持ちの良い道でした。

ここらで、「出石で皿そば食べよう」ということになり、R178~R426を使って、14:06「出石」到着。
20150607MyokenS174s.jpg
「手打皿そば・五萬石本店」に車を入れ、久しぶりの皿そばを賞味します。
セット5皿900円です。
2人で15皿食べました。
僕が9皿で、家内は6皿でしたが、満腹になりました。
入口には「皿そば大食い大会」の上位陣の結果が貼られており、1位は女性で153皿・・・唖然・・・です。

家内の足も調子が良いようで、出石城前まで少し歩いてみます。
150mぐらいかな?
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城の裏山に、山名氏が築いた山城・有子山城跡の郭が見えています。
木々を伐採し整備されたようです。
典型的な中世の詰の城&日頃政務の館の関係の立地です。
いつか登ってみたい城ですが、比高は100mでは到底ききません。
斜度もありそうで、手強そうです。
2時間コースな気がします。

帰宅後調べたら、標高320m(比高310m)・・・手強い。
というより、出石って海からかなり離れているのに標高10mしかないの?って驚きました。
でも地図では裏側に道があります。
これを使ってお気軽に登れるかも?

妙見蘇武林道 5/10

6/7・妙見蘇武林道 その4

7/6・月曜の朝、家内から「お父さん、トム・・さんって知ってる?」と聞かれました。
「ん?誰かな?どっかで聞いた名前だけど・・・ん~まさかヨット部の・・・」
「ピンポーン」

日経・月曜日・朝刊の教育のページで、「日本で輝け」って表題を付けられて、僕がコーチしてる大学ヨット部に入部した留学生・フィンランド人のトムくんが紹介されていました。
ビックリです、聞いてなかったし。
本人も何も言ってなかった。
でも、先輩ヨット部員とヨットに乗ってる写真が使われてるし、本人のコメントも載ってる。

日経の経済以外の記者なんて少なそうだから、別の新聞社のネタをバーターされたのかもしれないけど、誰も部員は新聞社の取材を受けたなんて言ってなかったぞ。

速攻でキャプテンに、「OBや部員家族に一斉メールして部を盛り上げたらいいぞ」とメールしました。
キャプテンも記事が載ったのは知らなかったようで、数時間後一斉メールが流されました。

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6/7・つづき・・・
20150607MyokenS127s.jpg
初めての対向車、オフロードバイク3台とすれ違い、10:03、奥神鍋スキー場・最上部に出ました。
半年前に来ているので、次に何が現れるか記憶にあり、前回よりスピードが早く感じます。
外界を遥か下に、リフトを真横に、そして北の遠くにこれから進む「三川山」山頂のアンテナ群が見えます。

20150607MyokenS132s.jpg
10:14、「妙見蘇武林道」終点&「三川林道」起点。
視界が良く、日本海が見えていましたが、ここからぐんぐん日本海に近づき、三川山の稜線を一筋に切って進む林道が見える豪快ルートです。
更に、ツキノワグマ生息地でもあり、半年前はそのうんち?登り跡?を見つけた林道です。
いざ行かん!

ようやく林道を楽しむ方が上がってくる時間帯になったようです。
10:32、「秘境・小城集落眺望駅」。
眼下に1世帯?数軒の家が見えます。
集落の大半は朽ちたのかな?凄いところに住んでいるものだ。

20150607MyokenS138s.jpg
10:38、「小城分岐駅」。
20150607MyokenS139s.jpg
ここで大問題発生・・・林道が通行止めになっています。
残念ながら離脱するしかありません。
先ほどの秘境・小城集落に下る道があるのみです。
あるいは、延々戻るか・・・

1車線のコンクリート舗装・つづら折れをゆっくり下ります。
20150607MyokenS143s.jpg
10:50、分岐に出ました。
ストップして、地図とにらめっこ・・・
GPSの自車位置は山の中、ツーリングマップルにも怪しい破線しかないし・・・。
一方は「川会・7.4km」「和佐父・6.1km」、もう一方は「山田口5.8km」。
大体の自車位置はわかってるので、地図を見て、川会・和佐父・山田を探します。
道が少し広い和佐父方面は白線の道、山田方面はいきなり急勾配で下るけど、「山田渓谷」を経てr258につながっているようです。

「え~こっちに行くの~」と家内が不安そうですが、山田方面に入ります。
キャラバンの車幅ギリギリの道が下り、つづら折れは数度切り返さないと曲がれません。
バイクとだってすれ違えません。

つづら折れ手前で一度エンジンを切り、ギアを入れたまま車を出て、徒歩で先を探索します。
Uターンなど出来そうにない道なので行くしかないのですが、心の準備というものが必要です。
家内を不安にさせないように、落ち着いて「行けるみたい」と。
それを数度繰り返し、11:14、まともな道に出ました。
ホッとしました・・・左の谷側の道幅ギリギリに車を寄せても、運転席側バックミラーが山側崖に当たりそうなとこも通過しました。

20150607MyokenS147s.jpg
車から出て下ってきた分岐道を振り返ると、「行き止まり この先から、車両の通行ができません」と赤字で書いてある。
「射添渓谷」というところを通ってきたみたい。
滝はあったけど、それどころじゃありませんでした。
一方の道は「宮神」へ行くようです。
「矢田川漁業共同組合」「冬期間、この先通行止め」ともなっていました。
この道は、オフバイクならまだしも、夏でも通行止めだわ。
家内は足を踏ん張って、緊張してたそうです。

妙見蘇武林道 4/10

6/7・妙見蘇武林道 その3

8:28、「名草神社」到着。
車を停めて外に出たら、いきなり近くでアカショウビンの鳴き声。
こんなに近くで聞いたことがないので、慌ててカメラを用意したら、アカショウビンの声が遠ざかっていきます。
アカショウビンって、鳴きながら飛ぶんだ・・・知らなかった。

名草神社は、ここから700mなだらかな坂道を上がっていくようです。
家内はお留守番で、僕だけピストンすることにしました。
杉の巨木が林立する中を歩き始めると、150mほどで三重塔がありました。
その横には杉の巨木の一部が横倒しになり、巨大な切り株には覆い屋・・・

『妙見の大杉 樹齢1500年と言われた妙見の大杉の根株を保存しています。平成3年の台風19号の40m以上の風で倒壊しました。大杉は、地上7.2mのところから幹が2本に分かれ、並立していたことから夫婦杉と呼ばれ、三重塔とともに八鹿町のシンボルとして親しまれてきた。昔から妙見には、樹齢400年前後の杉の古木が自生しており、江戸時代には出雲大社本殿の心柱に提供された由緒もあります。妙見杉は山岳地帯に育成する杉で、寒冷地に強い兵庫県を代表する品種です』

20150607MyokenS076s.jpg
誰もいない森の中の小さな空間に、ドドーンと三重塔。
『この三重塔は、出雲大社に国守・尼子経久が願主になって1527年に建立したものです。出雲大社本殿心柱を提供した縁で、1655年標高800mのこの地に移築されました。高さ24.1m・一重の一辺の柱間は4.7mあります。屋根は柿葺で、心柱は二重から塔の先端まで伸びています。彫刻では、一重の軒隅で力士が屋根を支えています。蟇股には梵字の他に、蓮・牡丹・琵琶・雲の透かし彫りがあります。また三重の軒隅には「見ざる・言わざる・聞かざる・思わざる」を表した四猿の彫刻があります。昭和62年に解体修理が完成し、丹塗りも鮮やかな三重塔が460年ぶりに蘇りました』
20150607MyokenS080s.jpg

階段を上がった上の郭に本殿があるようですが、家内が心配なので帰ります。
山陰の雄・尼子氏がここに絡んでいるなんて・・・そして江戸時代に出雲からここまでこんな巨大建築物を運搬し、組み立てる技術力と行動力に驚きました。
現代でも心柱1本をここから移動させる大仕事は、日本中を釘付けにするでしょう。
凄いな・・・国の重文指定です。

8:49、更に標高を上げ、木々の切れ間から覗く東には1000m級の山がないようで、遠くまで山並みが見通せます。
素晴らしい景色です。
妙見山の肩の峠を越えたようで、道が下りだしました。
すると、未舗装路になりました。
オンロードバイクでも難儀しない程度の道ですが、2~300mかな?
北の高峰・蘇武さんが見えているのに、ぐんぐん下ります。
自転車なら「勘弁してくれ~」ですが、車なので平気です。

「金山峠」で未舗装の枝道が分岐していました。
林道は、尾根の西側になり、半年前に西から上がってきた道と合流しました。
9:10、前回休憩したベンチのある展望所でストップ。
ここまで走行中にすれ違った車やバイクはゼロだったので、いい加減に停めましたが、やはり誰も来ませんでした。

ハチ北・ハチ高原スキー場が、谷を隔て西に見下ろせます。
家内は走行中も窓を開けて、ずっと絶景を観ています。

20150607MyokenS097s.jpg
9:27、スカイスポーツのテイクオフバーン到着。
木製の柵に規制線が張られています。
さては転落事故でも起こったのか?
とよく見ると、柵が壊れています、この冬の雪で寿命が来たのかな?
ここは外界との距離が遠いので、パラグライダーがテイクオフするのは午後のみのようです。
午前中1本・午後1本というピストンは出来ないのかも。
その気配が全くありません。

林道竣工記念碑には、全長24.8km・着工昭和63年~完成平成5年と書かれています。
30年仕事ですね。

9:49、「銚子ヶ谷カキツバタ群落」。
また僕だけ探索に入ります。
半年前の「マムシに注意」の立て札は、もうボロボロになっていました。
雪の下で厳しかったようです。
山に足を踏み入れる土がフカフカで気持ちがいい。
沢の横の踏跡を辿って登るとピークを越え、カキツバタが生える湿原になりそうな場所がありました。

20150607MyokenS117s.jpg
沢に板橋が渡っており、踏み板が所々にあります。
アヤメ・菖蒲・カキツバタの区別は僕には出来ませんが、紫陽同様雨の似合う花です。
梅雨に入った今が咲き時だと思うけど・・・そんな雰囲気の草が雨が降れば池になりそうな小さな湿原に生えているけど、ここなのかなあ?
まだ奥に広がりがありますが、家内が心配になり撤退しました。
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帰路で森を見上げると、ブナの森でした。

妙見蘇武林道 3/10

6/7・妙見蘇武林道 その2

弘法大師さんの像があったので、真言宗のお寺のようです。
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『飛鳥時代・572年建立。但馬国石原妙見は、肥後国・八代妙見、下野国・相馬妙見とともに、日本三妙見とされます。ご本尊は妙見大菩薩で、北斗七星と同体とされるが故に、寺紋は「七曜紋」です。北の空で、1年を通じて見ることが出来る北斗七星は、万物の運勢を司る仏様で、五穀豊穣・商売繁盛など、あらゆることに対し「開運厄除」のご利益があります。戦国時代は、特に武門の信仰を集め、山名宗全も戦勝祈願しました。天正年間、羽柴秀長の山陰攻めの兵火にあい、寺門一時衰微しましたが、寛永9年に妙見山中腹に移転復興し、三代将軍・徳川家光公より御朱印地を賜りました。寛文5年の出雲大社の造営に際し、本殿御用材に日光院の妙見杉をお譲りしたお礼に、出雲大社より三重塔を譲り受けました。妙見全山を伽藍とする壮大な妙見信仰の一大霊場として繁栄を極めました。明治になり、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、妙見信仰の弾圧が始まりました。明治9年に「寺号を廃して、不動産のみ名草神社とせよ」という布達にて、再びこの地の末寺・成就院と合流して、今日に至っています。つまり、日光院の建物に新たに名草神社が入り、お寺の建物がそのまま神社とされたのです。故に、仏教の象徴である三重塔が名草神社の境内に存在しているのです。』
・・・名草神社の三重塔を観に行かなくちゃ。

拝殿裏にまわり、本殿を観に行きました。
20150607MyokenS033s.jpg
彫刻が素晴らしく、龍の立体像など見事でした。
そこかしこに「七曜紋」が配され、苔の覆った境内の落ち着いた雰囲気も一級品で、素敵な寺院でした。

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「お助け地蔵」という錫杖ではなくスコップを担ぎ、飯盒を手に持ったユニークな石像がありました。
『当山53世・光裕上人は、人を愛し人のために尽くすことが何より生きがいでした。平成8年30才で遷化しました。高野山真言宗教学部奉職中に起きた阪神大震災の折も、必死に人々を助けました。その働きぶりと優しい笑顔が忘れられないと、当時ボランティアを共にされた彫刻家・岡倉石朋先生が、在りし日の上人を偲び、名づけてくださいました』
当時の住職だったであろう上人のお父様が、息子の生きた証をこの像で遺したかったのかもしれません。

ぐにゃぐにゃ林道を上がっていきます。
半年前は、バイクで西側から妙見蘇武林道の途中に上がったので、こちらの起点からの道は初めてです。
対向車が来ると離合に注意しなければなりませんが、窓を開けて走ると、野鳥の鳴き声が聞こえ、気持ちの良い森の道です。

落ち葉・落枝・落石に気をつけながら上がっていくと、「ん、あれは?」とニッコリしてストップ。
エンジンを切って、「ちょっと待っててね」と車外に出ます。
前方路肩近くから拾い上げたのは、牡鹿の角です。
林道を走っていると、時々ハイカーさんが立派な角を持って歩いていますが、僕も欲しいなとずっと思っていました。

鹿の角は毎年生え変わります。
春に角を落とし、草をモリモリ食べ、餌が少なかった冬に落とした体力回復に努めます。
これは骨じゃなく、皮膚の変形だそうです。
ぐんぐん角は伸び、繁殖期である秋にメス獲得のためにこれを使って他のオスと格闘したり、メスを立派な角で魅了し、子孫を残すために使います。
冬は餌が少ないので、角に行く栄養が勿体ないから、角が硬化して春先に抜け落ちます。

拾った角を見ると、根本が綺麗に丸みを帯びており、自然落下のようです。
先端の一部にカケがあり、木でも突いたのかな?なんて想像しちゃいました。
これだけで林道に来た甲斐がありました。

20150607MyokenS048s.jpg
8:10、「妙見山登山口駅」・・・登山口への分岐。
野鳥や樹木の案内板が立っています。
遠くで、特徴的な鳴き声のアカショウビンがさえずっています。
あまり聞けない鳥なので、ラッキー。
オレンジ入りのきれいな鳥だよと、家内に説明します。
これも特徴的なカッコーの鳴き声も聞こえます。

8:23、高度が上がり、窓から山並みが見え始めました。
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木々の切れたとこで車を停め激写。
アカショウビンの声が大きくなった・・・近づいたみたい。
フクロウも鳴いています・・・でも朝方にフクロウって鳴くのかな?

妙見蘇武林道 2/10

6/7・妙見蘇武林道

昨日・7/5は、「招き猫CB400SB」で、小野市・浄土寺、加東市・朝光寺というツーリングマップルで「国宝」と表記されている寺院に行きました。
曇天でしたが、雨にふられずラッキーでした。

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6/7・日曜日は、家内もお休みでした。
1ヶ月前に一泊で巡った能登半島がとても良かったので、家内とドライブする予定でした。
でも、1週間前に家内が捻挫してしまい、長く歩くのは無理そうなので、キャンセルしました。
あまり歩かなくてよい絶景林道ドライブに変更しました。

ターゲットの絶景林道は、兵庫県北部・八鹿から始まる「妙見蘇武林道」と、それに続く「三川林道」です。
妙見山・蘇武山・三川山の尾根を巡る標高800~1000m・距離50kmオーバーの兵庫県No1舗装林道です。
去年の秋に初めてバイクで巡り、その絶景に惚れ惚れしました。

土曜の夜、「起きたら出発」といういつもの予定にして22時台に床につきました。
日曜日は、4時に目覚めました。
GPS・パナソニックゴリラに、数ヶ所のデータを入れ、カメラ・お茶・地図・携帯チェアなどを車に乗せます。
家内も僕のおトイレやゴソゴソで目を覚ましたらしく、トースターにパンを突っ込んでいました。
洗濯や着替えを済まし、5時に出発しました。

「出光セルフ宝塚176」で給油し、5:14宝塚ICから中国道に乗り、裏六甲を走っていると、北方に朝霧が見えます。
「篠山盆地の朝霧に間に合うかも?」と話しながら、舞鶴道に乗り換えます。
篠山盆地の朝霧は、オンシーズンの秋や春はもちろん、四季を問わず簡単に出会えますが、朝日が昇ると急速に消えていくので、夜明けの早い夏期間は時間との勝負です。

やがて霧のかかった山が見え出し、濃霧とまではいきませんでしたが、「西紀SA」は霧に包まれていました。
20150607MyokenS007s.jpg
ここで定番の朝カレーです。
自宅でトーストを1枚食べて来ましたが、朝食にご飯を入れておくと、お腹のもちがいいです。
家内もラーメンを食べていました。

6:14、西紀SAを出発し、「春日IC」で下車して、「北近畿自動車道」に乗ります。
次は、「遠坂峠」の朝霧に間に合うかどうかです。
「遠坂トンネル」までは陽光を受け気持ち良い朝の風景でしたが、予想通りトンネルを抜けた丹後側は霧に包まれていました。
立雲峡に上がれば「雲海に浮かぶ竹田城址」が観れそうですが、パス。

6:55、「道の駅・丹波まほろば」の朝の営業を見に寄り道しましたが、予想通り飲食店は営業前でした。
20150607MyokenS008s.jpg
コウノトリのオブジェがありました。
くちばしが黒だったっけ?
赤いイメージがありましたが、目の周りと足が赤いからそう記憶したのかも?

北近畿道を「八鹿」終点まで乗り、R9~r6~r267に入ります。
危惧していた「妙見蘇武林道」分岐はノープロブレムでした。
GPSで登録していた「日光院」に誘導させたのがグッドでした。

すぐに1.5車線の林道らしい道になり、7:25朝霧のお出迎えです。
20150607MyokenS015s.jpg
尾根道からは雲海が広がる景色が見れるでしょうが、僕らが上がるまでに消えていそう。

7:31、「日光院」到着。
『山名宗全祈願所、近畿楽寿観音霊場第5番札所、日本三妙見・但馬妙見・日光院、但馬七福弁天霊場・笑福弁財天』となっていました。
播磨守護・赤松氏と抗争を繰り広げながら、応仁の乱の頃は「六分の一殿」と呼ばれ、全国の1/6の守護をしていた大大名・山名氏。田舎の但馬を本拠地にしながら、大したものです。
帰りは、山名氏の本拠地・出石に寄ってみようかな?

20150607MyokenS016s.jpg
山門に獣避け扉が設置されており、それを開閉して境内に入りました。
ゆっくりながら、捻挫治療中の家内も石段を上がってきます。
仕事中の靴より、ずっと調子がいいようです。
自転車・スポーツカジュアル用に、僕が強くアシックスを薦めました。
高校生の時、コンバースなど外国かぶれだった僕は、友達からの勧めで「オニツカタイガー」を初めて履きました。
この時の履き心地は衝撃的で、以来ずっとお気に入りです。

1日中履いてる靴の履き心地が良いと、気持ちも良くなるので重要アイテムです。
捻挫が癒えるまで、TPOがNGでない時は、仕事でもしばらくこれを履くそうです。

妙見蘇武林道ドライブ 1/10

6/1・12ヶ月点検

車の「12ヶ月点検」で、昼休みにトヨタさんに行ってきました。
文庫本を持っていったのですが、カタログ棚を見ると「レクサスシリーズ・全車種」のカタログも並んでいました。
トヨペット店なので、同じトヨタ車でも販売網が違うはずですが、販売チャンネルが広がったのかもしれません。
それとも、単なる取次ぎだけで、従来通りレクサス店舗に行かなければ買えないのかな?

お隣の席のお客さんと、「ダイハツの軽自動車も売ってますよ」とセールスマンさんが話していました。
ダイハツも売るようになったのか・・・
じゃあ、スバル車はどうなのかな?
このお店は、86を売ってるお店なので、横でBRZの商談をしてたら面白いな。
まあ、僕の日産車の車検・点検もしてくれるので、なんでもありなのかも・・・

サービスのアイスコーヒーを飲みながら、オープンカー目的でレクサスのカタログをめくっていたのですが、レクサスってオープンカー出てなかったっけ?
オープンカーもいいな・・・一番乗りたいのはマツダ・ロードスターだけど、2シーターは何かと不便かもなあ~と、最近妄想しています。
レクサスのオープンなら、4人ぐらい乗れそう・・・

ロードスター・2シーター1台だと不便なので、キャラバンにプラスなのですが、中途半端な気がします。
僕のキャラバン・ワゴンは8人乗りですが、息子たち家族が帰省すると満席です。
僕ら夫婦・長男夫婦・次男夫婦で6人、嫡孫くん足して7人ですが、チャイルドシートが大人1人以上の場所を取ります。
2人目の孫が生まれたら、1人車外に放り出されます。
どう考えても、僕です。
3人目が生まれたら、家内が放り出され、我が家同様2人の子持ちに息子たちがなったら、更に1人放り出されそうです。

息子たちが小さく、両親が生きていた頃は、親父の車があったので平気でしたが、息子たちは東京在住なので、車で帰省は危ない気がします。
夫婦2人世帯で、車の免許持ちが僕一人なのに、車2台は必要ありません。
1人で遊びに行くときも、バイクの方がずっと面白いので、増車しても半年に1度の出番になりそう。

長男のお嫁さんの実家は、両親+娘3人で車4台でした。
新潟では、普通のような気がします。
次男のお嫁さんの実家は、両親+娘2人で車4台。
都会だけど娘さん2人共、軽で通勤なのでこちらも普通。
ただ、どちらもお父さんがドライブが趣味なので、ファミリーカー1台とスポーツカーという組み合わせです。
長男の方は、86で休日は夫婦ドライブで、次男の方はメルセデスの2シーター・オープンカーで必ず週末は夫婦ドライブだそうです。

メルセデスを見てオープンカーもいいなと思いましたが、外車は僕には似合わないだろう。
国産の方が故障が少ないだろうし、ディーラーが国内に多いのは何かと安心です。
フェアレディーZも、オープンカーがあったように思うけど、スポーツカーのオープンなんて、絶対僕には似合わない。

「レクサスって、オープンカーはありませんでしたか?」って聞いてみようかと思いましたが、バイクを知ってしまったので、1人でオープンカーに乗ることがなさそうですし、売り込み攻勢かけられたら困るから、妄想だけを頭に巡らせていました。

そしたら、以心伝心?
以前ハイエースを買った笑顔がナイスなセールスさんが、紙を持ち、手もみしながら満面の笑みを僕に向けてやってくる・・・
なに・・・なに・・・

「12ヶ月点検、終わりました~」
12ヶ月点検15120円+(エンジンオイル2376円+オイルフィルタ1296円+オイルパンガスケット81円+工賃1296円)+ポリマー洗車1080円-値引き3249円-来店値引き3240円+ワイヤレスドアロック電池交換500円=18500円也。
さっさと帰りましょう・・・

5/31・ポイントレースコーチ

4時に目覚めました。
昨晩はホタル観賞したので遅く11時台に寝たのに、身体はあまり疲れていないようです。
5時を回るまでゴソゴソし、準備開始です。
大学ヨット部のコーチング日です。
琵琶湖のポイントレース参戦なので、レースコーチングがメインになりそうです。

雨予報が変わり、昨夜ホタル観賞後の帰り道で少しお湿りがあった程度で、日中は晴れとのことです。
車は快適だけど楽しくないので、倉庫から「招き猫CB400SB」を出します。
5:59、ローソンで「おにぎり紅鮭・135円%紀州南高梅・110円」を購入。
飲み物は自宅から持参の麦茶です。
仕事の会合なので出されるペットボトルが自宅冷蔵庫に貯まりだしたので、消費します。

「SONY・リニアPCM対応ICレコーダー・ICD-UX533F-L」に、マイク感度の低い「iBUFFALO マイクロフォン・BSHSM03BK・417円」をつないで、「MP3・128kbps」で録音してみます。
「audio-tachnica・ステレオマイクロホンAT9901・3254円」を使っていたのですが、マイク感度が良すぎて、撮りたいエンジン音以外のチェーン音なども拾ってしまうので、web会話用のお安いのを試します。
結果はgoodでした。

「オリンパス・リニアPCMレコーダー・LS-20M」は、音楽レコーディング&録画用ICレコーダーで、製品品質自体はナイスでしたが、微細・精細な音をクリアに録画するリニアPCM録音のみしか出来ず、録音の質を一番下に下げても、微細なスレ音も録音して、バイク車載ムービーには不向きでした。
録画操作も煩雑だったので、お蔵入りしています。

マイクを「クイックルハンディ・替えモップ」に突っ込み、ハンドルブレースにタイラップで固定して出発しました。
続いて、中国道豊中IC手前で、暑すぎるのでライフジャケットを脱いでリアボックス前に固定するタイミングで、マイク位置をフロントカウルサイドのユーティリティーボックス内に移動しました。
帰宅後検証すると、ハンドルブレース固定は、ハンドルブレースの遊びによるハンドルとのスレ音でNGでした。
カウルボックス内はOKでした。

中国道~名神を走り、「桂川PA」で休憩。
休憩の必要はなかったのですが、時間の余裕があるので、朝食用におにぎりを1つ食べます。
「京都東IC」で下車し、湖西道路を皇子山まで走り、7:15、ヨットハーバー着。

8時に出艇し、帆走練習の各艇背後に着いたり、真横から見たりして、気づいたことをアドバイスしました。
琵琶湖にしては珍しく、朝からいい風が入っており、フルトラピーズです。
セイルのリーチの開き加減など、選手からは確認しづらいとこをチェックし、登り角度の悪い艇のチューニングをアドバイスします。

10時に、レース運営艇が出てきて、スタートマニューバリング開始。
1回生の新人女子マネージャーが3人乗っていたので、彼女たちに時計係をお願いし、レース運営の第一歩に関わってもらいます。
レースフラッグが揚がりますが、マネさんたちは既に記憶しています。
1度ミーティングで教えてもらったそうですが、そのやる気にちょっとビックリしました。
自宅や寮に戻り、勉強していますね。

琵琶湖の雄・D社が参加していなかったのが残念でしたが、470チームはファーストマークで、出場した6艇が、1~6位で回航するという素敵な景色も見せてくれました。
14時にレースは終了し、その後16時着艇まで練習しました。
ロング帆走練習・ラウンディングマーク・基本練習。
スナイプチームを中心に練習を見ました。
マークラウンディング中に、マークタッチを想定した360度ターンを入れましたが、ターン中新たなケースを起こす艇があり、ターンする場所も考えないと。
それと360度ターンが遅い艇もあります。

16時にハーバーバック後、合宿所にバイクで戻りました。
1人乗りで練習していた1回生達が楽しそうに片付け後のシャワーなどをしています。
いい風だったので、何度もひっくり返ったようですが、楽しかったでしょう。

18:30から、全体ミーティングです。
1回生への歓迎、ヨットの素晴らしい世界のことを、1週間前の80周年記念クルージングに80歳代のOBまで参加したクラブ全体のことに引っ掛けて話しました。
その後、練習やレースで感じたことを話しました。

19時前に全体ミーテングが終わり、その後夕食・各クラスミーティングと続きますが、僕は離脱です。
まだ空は明るく助かります。
湖西道路~名神に乗り、19:21、名神「桂川PA」でビックリソフトバニラ140円を購入し、糖分補給です。
バイク置き場にBMWが1台だけで、当初天気予報が悪かったので、ツーリングバイクは少なかったようです。
このPAで日が暮れました。

中国道・豊中ICで下車し、20:07・「セルフ宝塚176」で給油。
246km/8.58L=28.7km/L。
帰宅すると、家内が足を投げ出して畳に座っています。
「捻挫しちゃった~」

初めて、神戸地下鉄湾岸線に乗ったそうで、目的地を探すために駅の階段から道路に出たところで、段差に気づかず足首を捻ってしまったそうです。
なんとか仕事の会合を済ませ、やっと帰ってきたそうです。
そんな体なのに、「ラーメンでごめんね」と僕の夕食を作ってくれました。
ありがたい・・・

5/30・ホタル観賞

土曜の朝、TVニュースで「今年のホタルは早い」と聞きました。
家内と今夜見に行くことにして、いつもホタル乱舞の目安にしている西脇市畑谷川情報をチェックしました。
今までたくさんホタルを観に行っていますが、ここで「乱舞」というものを体験しました。
午後6時頃現地入りし、だんだん暗くなっていく中、河草からホタルが飛び始めるところから見ました。
ポツポツと蛍の光が見えるようになり、あっという間に乱舞状態になりました。
ただ唖然としながら川を見つめ、歩いているだけなので、服に止まったホタルが輝き、家内と素晴らしい時間を共有出来ました。
以来、ここの情報をホタン鑑賞の指標にしています。

「例年は6月2週目が乱舞のピークですが、今年は1週間ほど早まりそうです。只今の状況は3割程度」となっていました。
北摂でも、ピークは6月1週目と予想し、少ないだろうが今日も飛んでいるだろうと予想し、20:30に自宅を出発しました。

r12を北上し、夜は鹿が出没する西峠を慎重に越え、「後川」を右折しr309・羽束川沿いをゆっくり走り、いつもの場所でホタル観賞しました。
ヘッドライトを消すと真っ暗闇で、家内持参の懐中電灯で足元を照らしながら川を見ると、ホタルが出ていました。
最盛期の半分以下ですが、川音のみの幻想的な蛍の夕べに浸りました。
毎年ホタルを観ていますが、何度見てもいいね。

目が慣れてくると、あちこちの蛍の光が目に入ってきます。
最盛期は森の方もホタルが飛んでいますが、そちらにもチラチラと視認出来ました。

r12との交差点を渡り、そのまま羽束川沿いのr37を走ります。
後川下のポイントにも飛んでいました。
小柿渓谷内の橋に車が1台止まり、ご家族で橋の下を見ていました。
ここは通過しましたが、飛んでいたのでしょう。
ここは渓谷の雰囲気がありナイスな場所です。
でもホタルは少なめのはず。

小柿の三田市野外活動センターを通過し、「下槻瀬」の羽束川を渡る橋に行ってみました。
橋上に車を停め眺めると、ここにも飛んでいました。
r323~r33~r325~長尾山トンネルという定番コースで10:30に帰宅しました。

僕らの就寝時間から言えば、遅すぎる帰宅で、家内は助手席で眠っていました。
この寝顔が可愛い・・・
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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