5/23・サプライズ帰省

船から降り、新装成った合宿所を見に行くことにしました。
マイクロバスも手配されていますが、希望者が多くてタクシーに乗り合いして行かれるOBさんもいます。
僕らは僕の車で行きます。

大津港駐車場・1000円。
次男夫婦・次男と同期で中学高校も同じクラスだった監督・後輩の部内カップル・エール係Mくんのお母さんが乗りました。
助手席に座った熊本のお母さんは歴史好きらしく、熊本城の話が盛り上がりました。
山小屋風内部・ベッド・大きなシンク・トイレにシャワー・・・お母さんは興味深く、タブレットで写真を撮っておられました。

次男達は、京都で後輩たちと合流に飲みに行くそうで、最寄りの「JR大津京駅」にみんなを下します。
Mくんのお母さんは、琵琶湖ホテルに前泊・後泊して、日曜日に熊本に帰るそうです。

僕は湖西道路~名神で帰宅しました。
家内に仕事に復帰する旨を伝えると、「お父さん、まだ知らないよね」
・・・「なに?」・・・
「遼くんが来てるよ」・・・
一瞬意味が理解できません。
「GWにやってきたばかりの嫡孫くんが来てる?ん?」
・・・「ビックリするでしょ」って、家内が笑っています。

仕事を終え帰宅し、早速お隣の実家に行きます。
お嫁さんの「じーちゃん来たよ」の言葉に、遼くんが「ジージー」と満面の笑顔で走ってきました。
リュックを背負ってきたそうで、小さなリュックから、車のおもちゃを出して見せてくれます。
消防車・バス・・・、我が家の備え付けの大きめレゴブロックを出して来て、また組み立て始めます。

たった2週間しか経っていないのに、またボキャブラリーが増えています。
2週間前より鮮明になった言葉も多く、子供の成長の早さに驚きます。

自宅に戻り夕食を食べ、お風呂に入って10時頃床につきました。
次男夫婦を駅に迎えに行く予定でしたが、いつものようにコテンと寝てしまい、次男からの電話もなく朝を迎えました。

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5/24(日)
日曜日の朝は、3時に目覚めました。
5時間寝ていますが、あまりに早すぎます。
でもお目々パッチリなので、ごそごそを始めました。
4:50に家内が起きてきたので、階下に下り、前日の船上パーティーの写真やビデオを見せました。
10年前、我が子が主将挨拶したとこは見ていないので、今回の主将挨拶で雰囲気を味わってもらいます。

長男一家は何故5月・2回目の帰省をしたのか?
家内も、そのことについて何も聞いていません・・・僕もそう。
家内の目の前に、遼くんだけが「おばあちゃん」と連呼しながら現れ、「え、え~」と驚いていると、後からお嫁さんと長男が現れた・・・そんなサプライズをしてくれたのに、理由を聞くのは野暮です。

キーワードは、次男から言われているこの日の昼食です。
土曜日のヨット部80周年クルージングで帰省する時、「次の日曜日暇?、17:20の飛行機で東京に帰るけど、それまで4人でどこかに行こうか?」と提案されました。
1週間ほど前に、「JR京都駅~自転車レンタル~銀閣寺~南禅寺~永観堂で家内実家分骨お墓参り~哲学の道~法然院~次男出身大学レストランで昼食~下鴨神社~JR京都駅」というサイクリング案はどうかな?と提案しました。

1日経って、「Y(お嫁さん)に、神戸の美味しいフレンチ・ランチを食べさせたいと思ってるんだけど・・・」という逆提案が帰ってきました。
「老いては子に従い」が良いと思うので、即「OK、お任せします」と返事を返しておきました。
日曜日の行動が、次男シークレット・ツアーになっているんですよね。
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5/23・創部80周年・親御さん接待

時間になり、自分の席に着き、親御さん達を迎えます。
僕が自己紹介します。
僕はコーチでもあるけど、以前は選手の父親でもあったので、そのことを披露し、「気楽にお話下さい」と。
続いて1家族毎に、自己紹介していただきます。

4回生主将のご両親は東京から来られました。
4回生T君のご両親は奈良から。
3回生Hくんのお母さんは高知市内在住だそうです。
2回生Tくんのご両親と妹さんは、地元滋賀県からで、「こんなに立派なパーティーだと思わず、気楽に来てしまいました」と。
最後は2回生エール係M君のお母さんで、熊本から来られました。

OB・OGに圧倒されそうな中、できるだけリラックスして楽しんでもらおうと、各家族に、お子さんのヨット部での生活を披露し話を振りながら、楽しんでもらいます。
反対にお子さんの家庭での生活が披露され、「ヨットの服装はどこで買えばいいのかわからなかった」とか、「何も連絡してこないので、クラブのホームページを覗いて、情報収集している」など、皆さん共通の話題で親御さん同士で盛り上がりました。

エール係・M君のお母さんからは、「ヨット部に入ろうと思っていると相談され、最初反対した。でも息子が・・・、で許した」
4回生T君のおばあさんが、ヨットという海洋スポーツの事がわからず、3ヶ月ほど毎週週末になると無事帰ってきたかと聞いてきたなど、それぞれにエピソードがありました。
家族に支えられてやっている選手の姿を、もう一度認識させられました。

ポツポツと挨拶に来る部員達も、親の前で照れくさそうです。
次男の同期でもある監督が挨拶にやってきて、あれやこれや・・・。
全日本など、ヨット部OB会で用意する観覧船への乗船を勧めると、今年の開催地「江ノ島に行きます」と意気投合されておられました。
3Fでやってるハーブのような楽器のアルバ演奏の映像が、2F大型スクリーンに映しだされています。

ビアンカは、琵琶湖大橋をくぐり、北湖を順調に航海し、再び大橋をくぐります。
また4Fデッキに上がります。
応援団総部の応援歌とエールで始まり、日本のヨット発祥地である「琵琶湖ヨットクラブ」会長さんの挨拶がありました。
このビアンカを就航した当時は、この琵琶湖汽船の社長職だったそうで、「毎度ご贔屓願って、ありがとうございます」と商売ネタを入れられて、笑いを誘っておられました。

部員全員が前に並び、エール係・2回生M君が前に出てエールを切ります。
親を説得して入部した主役M君の勇姿を、お母さんは頼もしく見たでしょう。
最後に、80代主将・F君が、挨拶で決意表明しました。
両名とも、食事中に後ろから羽交い締めにして、「緊張してるやろ、親にええとこ見せてやれよ」と、プレッシャーを掛けておきましたが、それにもめげず上出来でした。

着岸・下船まで少し時間があるので、次男の同期S君としゃべりました。
家族同伴ではなく1人での参加でした。
奥さんは、元ヨット部マネージャーで部内結婚です。
2人目の子が10ヶ月になったそうで、またダイワハウチュに復帰したそうです。
彼女は社内年間売上No1にもなった出来る子なので、会社も離さないですね。

S君は、名古屋の元ゼロ戦設計部門か、スペース部門にいると思ったら、ミサイル部門だそうです。
「はやぶさ管制室で映るかも?と思ってニュースを見ていたよ」と言うと、「はやぶさはNECメインで、うちはH2ロケット主管企業です。でも僕は自衛隊に詰めていますよ」と。
工学部物理工学専攻でしたが、我が子の成長を見るようで、卒業生のその後も楽しみです。

僕がヨット部のコーチをしてから卒業した若手OB・OGの数人から、「ご結婚おめでとうございます。綺麗な奥さんですね。先輩のフェイスブックで何度も見ていましたので、初対面とは思えませんでした」と祝福を受けました。
前監督や理事さんにも、次男は2人で挨拶に回ったようで、「きれいな人やね」と祝福を受けました。
ちょっと鼻高々になちゃいました。

5/23・創部80周年記念クルージング

土曜日の朝、夜が明け朝の散歩を終えて帰宅すると、家族4人揃っていた頃の定番の朝食が出来上がっていました。
ご飯・お味噌汁・玉子焼き・ポークビッツ。

美味しくいただき、7:15になったので、お隣に2人分の朝食を運びました。
予定より15分早かったので、お嫁さんはパジャマ姿でした。
お化粧前のすっぴんなので、はにかみながら「おはようございます」と。
長男のお嫁さんは、すっぴんでも堂々としていますが、次男のお嫁さんは家内と同じような仕草をします。
家内は新婚で一緒に住みだした時でさえ、朝のお化粧前は「見たらあかんよ~、来たらダメ」と僕を避けていました。

8時になり、次男夫婦を車に乗せ、琵琶湖に向かいました。
琵琶湖遊覧船・ビアンカを貸し切ってのパーティー・クルージングが、メニューです。
名神・大津ICで下り、JR線を渡る道をちょっと間違えながら、9:32に琵琶湖遊覧船乗り場に到着。

学生たちに朝の挨拶をして、OB会の重鎮さん達に挨拶します。
僕は、このクラブのコーチをするようになったのが、次男が選手だった時です。
次男は第70代主将として、創部70周年記念クルージングで主将挨拶・決意表明をしましたが、今回は80周年。
僕のコーチ歴も長くなりました。

その間に卒業していったOB・OGさん達も、多く参加しています。
ワイワイガヤガヤ・・・。
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10時になったので、次男の機先を制し3人分の参加費28000円を受付担当の学生に払います。
「え~、払うよ」
「いいや、君らは将来が長いから、自分たちのために使いな」

名札を受け取り、首からぶら下げます。
黒単色で目立たないので、昔から使っている黄色のお手製名札もぶら下げました。
僕はコーチなので、前回の75周年同様、選手の親御さんのお守りをしなければなりません。

家族連れのOBさん・OGさん・・・見知った重鎮さん・・・続々と集まります。
来賓も多く、日本セイリング連盟・日本学生ヨット連盟・ライバル各校代表・・・
僕の母校からも先輩が2名来られています。
受付の学生に、選手の親御さんの受付状況を教えてもらいます。

親御さんは、ワイワイ旧交を深めて話が盛り上がっているOB・OGさんと違い、孤立しがちです。
声を掛け、リラックスさせます。
親の理解や協力は、クラブの戦闘力アップに大きな力に成ります。
息子夫婦も参加しているけど、この日はコーチとしてその仕事に専念します。

11時になり乗船開始です。
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桟橋手前に現役学生達が並び、反対側には応援団総部からやってきた小楽団とチアリーダー・学ラン姿の団長です。
華やかなチアリーダーの動きに、目が行ってしまいます。
学ランも、今や絶滅危惧種ですね。

座席を確認しに行きます。
希望通り、2Fの親御さんたちのテーブルに僕の席がありました。
5家族・9名のご家族が参加です。
バイキング形式で、食事やデザートが並ぶようです。

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そこに荷物を置き、4Fデッキに上がります。
ビアンカが桟橋を離れると同時に、記念式典の開会式です。
4回生マネージャーのMさんが司会をします。
始まる前に彼女に声を掛けましたが、「緊張しています」と言いながらも、いつもと同じ笑顔です。
度胸が座っているね。
いい声なので司会に向いています・・・彼女の司会で式典が始まります。
失敗してもどうってことない学生時代にいろいろ経験し、社会人になってから役立ててね。

実行委員長による開会宣言。
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応援団総部による学歌斉唱、チアリーダーのフラッグを使ったパフォーマンスに目が行きます。
このクラブのOBでもあるヨット部長の准教授の式辞。
創部された80年前の1935年は、湯川秀樹先生が日本初のノーベル賞を受賞された年だそうです。
今回は大学学長が用事で出席できないそうで、大学理事の方からの代読。
と続きます。

司会から、
「式典の進行がスムーズすぎて、食事の用意がまだ出来ていません。
しばらく「AP旗掲揚(レーススタート延期信号)」します。
15分ほどお待ちください」
など、ヨット用語を交えた言葉に、その用語の意味を知ってるヨット乗りばかりなので、笑いが出ます。
場が和みました。

5/22・次男夫婦帰省

5/22・金曜日の夜、次男夫婦が帰省しました。
次男が毎年GWに帰って来なかったのは、今週末の用事で帰って来るためでした。
その用事は、彼の出身大学ヨット部の80周年記念クルージングのためです。

この帰省に向けて、僕はこの1週間の早朝時間は掃除に費やしました。
GW前に、今年初めて庭の雑草との戦いをしました。
しかし、皐月のナイスな気候は、人に優しいばかりではなく、草木にも成長の風を送ります。
山は若葉の清々しい緑が萌えて素敵な顔をなりますが、我が家の庭の雑草もスクスクと育ちます。

そして、隣の実家の掃除もしました。
この正月に次男が結婚し、盆正月などに、私達・長男一家・次男夫婦の3家族が一緒に住むことが、現実味を帯びてきました。
我が家で、親である僕らと一緒に住むと、お嫁さんたちが気を使うだろうと、隣の実家がゲストハウスにしました。
3ヶ月後のお盆にも、ゲストハウスにも2家族という状態になりそうです。

1Fの別部屋にそれぞれの家族が寝ることも出来ますが、2Fにも快適に寝れる部屋を復活させることにしました。
物置きと化している部屋のリニューアルです。
2Fの部屋をざっと片付けてみると、網戸と襖が傷んでいます。
このままでもいいといえばいいのですが、襖の張替えと、網戸の修理をすることにしました。

修理業者を探さないと・・・と思ったこのタイミングで、家内が「新聞折込に、襖・網戸・畳の張替えにチラシが入っていたよ」と教えてくれました。
お隣の川西市の業者さんですが、家から5分ぐらいの距離です。
近くていいなと、早速その日に電話してみました。

話した感じも良かったので、その日の昼休みに自宅に来てもらい、現状を見てもらいました。
指摘も信頼に足るので、お願いすることにしました。
壁紙の種類・網戸の種類を決め、すぐに見積もりを書いてもらいました。

仕事が早く、2日後の昼休みにはリニューアル成りました。
近所のホームセンターで、8畳用の畳敷きを買ってきて、また早朝時間を使って敷きました。
ピッタリでした。
本棚の本を全て下し、ホームセンターで買ってきた小奇麗な敷板の上に置き直しました。

飾らず置いたままになっている母の書いた油絵を、整理しなおしました。
柱や窓を雑巾掛けし、掃除機を掛け、なんとか寝れる部屋になりました。
家内も、朝の炊事の合間に手伝ってくれたり、「お父さん、良くなったねえ」と力をくれたりしたので、週末に間に合わせることが出来ました。

金曜日の夜、20:15着ということだったので、家内と20時に家を出ました。
僕の早朝自転車・定番コースである猪名川に掛かる軍行橋を渡る時、着陸態勢に入っている飛行機のライトが、3機並んで見えました。
「あの3機のどれかじゃないかな?」

駐車場に入れ、JAL到着ロビーに行くと20:13。
電光掲示板には、「東京発定刻20:15・・・20:05到着済」の表示が出ています。
20:30頃、スーツケースをガラガラしながら次男夫婦が出てきました。
2泊なのに大きなスーツケースだったので、機内持ち込みは無理なサイズです。
何を持ってきたんだ?
ターンテーブルで、荷物が流れてくるのを待っていたのでしょう。
駐車料金は、30分以内で無料でした。

夕食がまだということなので、帰宅すると家内は即席に夕食を作ります。
僕はリニューアル成った2Fの部屋を2人に見せ、この部屋でも寝ることが出来る旨を伝えます。
本棚で見つけた弟の結婚式アルバムを見ながら盛り上がりました。
小学生低学年の次男が、いつもより目を見開いて写っています。
お嫁さんが、笑っています。
いつもニコニコしている子なので、人に好かれるタイプです。
2人を見ていると、いつも次男が楽しそうで、微笑ましい。
いいお嫁さんは、一生涯のお得です。

5/17・美作北林道2号 4/4

こちらの林道は、意外にも交通量があり、停まっている乗用車を時々目にします。
どうやら山菜採りのようです。
景色の良い所で停まっていた軽四輪が数台は、農作業姿の地元の方風で、お弁当を広げていました。

「大ヶ山スカイ愛ランド」道標に惹かれて、大ヶ山への枝道に入ります。
舗装林道で、12:41、山頂高原に出ました。
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アマチュア無線基地がありました。
スカイスポーツ・テイクオフバーンもあるようです。

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林道はうねうねと下り、12:59、r118に出る手前の大木で停車。
「大ヶ山」を振り返ると、山頂に草原が広がっています。
『尾所(おそ)の桜は、推定樹齢560年の山桜で、樹姿壮大にして優美で高貴な気品があり、広く多くの方々から愛されています』
見事な枝振りでした。

r118に出て南下します。
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13:07、お人形カカシを見つけ、激写。
r6に出て東進し、13:24「物見峠」

r295で峠を下り、JR因美線に出ます。
因美線と平行して走り、R53に乗りました。
これで南下し、那岐山の肩を越えます。
ループを走り、那岐トンネルを抜け、13:53「三穂神社」

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ここは僕の血のルーツ・美作管家党の祖・三穂太郎満佐を祀る神社です。
『小さな村の実在の人物 パワースポット 那岐山に腰を掛け、瀬戸内海・賀露の浜で足を洗った・・・民話・さんぶ太郎「巨人伝説・発祥の地」菅原朝臣三穂太郎満佐公 祭神です 頭の神様・三穂神社(別名・こうべ様)』
の案内板が、R53の向こう側に立っていました。

菅原道真の末が、平安時代に美作守としてこの地に下向し、武威を誇った。
中興の祖・三穂太郎は、播磨・赤松氏との戦闘で討ち死にし、頭・右腕・足・・・とバラバラに、那岐山周囲の神社に祀られた。
その子たちが美作菅家党として団結し、播磨・赤松、但馬・山名、伯耆・尼子などの侵攻から、美作を守った。
僕の先祖は、1350年に赤松に城を落とされた時、血のつながりのある北関東・佐野氏を頼って落ちていった。

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我家の庭に去年、屋敷祠として三穂神社を勧請したので、祠の表札として掲げるものはないかな?とやって来ました。
拝殿に上がり、いつもの無人授かり所で、御札とか御守とかを物色します。
全て500円なので、赤と青の社名が書かれた御守を授かり、新撰料1000円をお賽銭箱に投入しました。
屋敷祠正面左右の柱に、ぶら下げるつもりです。
訪問帳に名前を書き、拝殿内の小さなお神輿(子供みこしかな?)を激写し、帰路に着きました。

朝4時に出発したので、予定では12時に「三穂神社」でしたが、絶景林道などで道草が過ぎ、いつものことながら2時間遅れです。
R53~r356~r7~r51で南下し、14:29・「美作菱油美作インターSS」で給油。
310km/12.58L=24.6km/L。

美作ICから中国道に乗り、「楢原PA」で車載カメラを仕舞いました。
「揖保川PA」で休憩し、15:50・「加西SA」で、加西しょうゆラーメン・680円で、遅い昼食です。
好きな「書写山・千年杉バウムクーヘン・柚子・1296円」を2個、お土産に買いました。

魔の宝塚トンネル渋滞は、中国道に乗った時は「2km表示」でしたが、通過する時は、12kmに伸びていました。
四輪がストップする毎にバイクの特典を生かしましたが、それもゆっくり走行なので、1度追い付いてきた後続バイクにクラクショ
ンを鳴らされてしまいました・・・慌てて退避。

まだ日のあるうちに帰宅出来たので、ニトリに行き、数日前に買ったけど寸法間違いしたブラインドカーテンを交換してもらいました。
19:07、ホームセンター・コーナンで、8畳用い草畳上敷を購入しました。
倉庫と化していた実家の2Fの掃除をやっつけ、22時に東京から帰ってきた家内を駅まで迎えに行き、長いそして有意義な1日が終わりました。

高速道路255km+一般道183km=438km

美作北林道 9/9

5/17・美作北林道2号 3/4

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林道の道標はありませんが、どうやらビンゴだったようです。
9:27、周囲の山々の稜線の高さ・950mまで上がりました。
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稜線には、うねうね走る林道が見えます・・・絶景です。

標高1000m付近の最高所で、分岐がありました。
林道上の「岡山県立森林公園」は北なので、北への道に進んでみますが、ツーリングマップルの林道表示とは違うみたい。
この道を行けば、見えていた稜線を走る林道ですが、どうも方角が違うようです。
Uターンして分岐に戻り、南への道に入り峠を越えます。

ここに「美作北林道」の案内板が立っていました。
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9:41、また分岐があり、南に行く道は、新たに見え出した稜線を走る林道への道のようです。
東への道を取ります。
南への道も北への道も、稜線を縫う絶景林道です。
これらの道を縦横に走って、絶景を楽しむのもいいな。

時々あるガードレールは、お約束のウネウネです。
雪の重みで悲惨に曲がっています。
これがないと、アドベンチャー絶景林道の実感が湧きません。

やがて絶景林道も終わり、下りだします。
10:11、700mほどまで下った谷で、分岐がありました。
ここには「森林公園」道標があったので迷いません。

谷筋の沢の下流から車が上がって来ます。
「森林公園」目当てのトレッキング者でしょう。
ここから交通量が増えました。
きれいな水が流れる沢道を上がり、10:17・「岡山県森林公園」到着。

道沿いに小さな駐車場がいくつもあり、人気のようです。
森林公園案内板を見ると、高原トレッキングが楽しめそう。
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善意の杖がたくさん置いてあり、立派な管理センターもあります。
トイレも問題なさそうだし、トレッキングスタイルの女性客もたくさんいます。
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弁当の幟さえ立っています。

管理センター内に入ると、暖炉の薪がパチパチいい音を立てています。
公園内で観れる植物・動物・鳥・蝶の写真がたくさん貼ってあります。
ここはいいわ・・・家内と歩きに来よう。

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10:37、「人形仙」登山口。
絶景林道最高所に続き、マーキングします。
謂れ板に、悲しい伝説が紹介されていた「母子地蔵」を見るために、少し人形仙への登山道を歩きましたが、見つからず断念。

10:50、「人形峠」到着。
先客のNC700さんがいました。
横のベンチでパンを食べておられました。
「岡山大学人形峠サテライト研究室」がありましたが、閉館したようで、横にある「人形峠科学の森プラザ・人形峠アトムサイエンス館・上斎原スペースガードセンター」に入ります。
無料でした。

「人形峠」の由来がありました。
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『昔、峠に3mもある大きなハチの大王が住んでいました。峠を通る人間を襲い、血を吸います。吸われた人は生きて帰れません。
村人はとても恐れていました。そこに1人の坊さんが通りかかり、「峠に、本物の人間に見える人形を立てればいい」と教えてくれたので、早速実行しました。
その後峠に行ってみると、人形の側に大きなハチが死んでいました。木で作られた人形を本当の人間だと思い、血を吸おうと何度も挑み、ついに力尽きたようです。村人は、その人形を峠に埋めて、守り神にしました。その時から、「人形峠」と呼ばれるようになりました』

「原子とは?」「ウランは?」「原子力発電の仕組み」「放射線の種類や性質」・・・のパネル展示。
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「上齋原スペースガードセンター」は、スペースデブリを観測し、その軌道を特定する事を目的としたレーダー観測施設でした。
スペースデブリとは、役目を終えた人工衛星やその破片・ロケットの部品などが、軌道上を周回している物のことです。
直径10m以上のものだけで、9000個あるそうで、1ミリ以上だとその1000倍以上あるそうです。
日本のロケット技術などの展示もありました。
ここらは、夜は満天の星が輝くのでしょう。

R179に出て東進し、R482を東進して「恩原高原」方面へ。
次の林道は、「根和遠藤林道」ですが、ここも林道道標はなく、「加茂方面」道標に従って枝道に入ります。
たぶん「美作加茂」に行けるのでしょう。

ここもビンゴ!
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11:58、「倉見温泉」到着。
山間の温泉です。

続いて、「美作北林道」に入りますが、ここも道標がなく、美作加茂に向かうr336に乗ってしまった感じがしたので、Uターンして「あやしいぞ」と目をつけていた枝道に入ります。
これまたビンゴ!

美作北林道2号 4/9

5/17・美作北林道2号 2/4

R179を北上し、ダム湖が見えてきました。
7:38「道の駅・水の郷奥津湖」でトイレ休憩。
カヌー体験が出来るようです。
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ダム湖が見下ろせ、雲ひとつない上天気で、周囲の山が山頂までクリアに見えます、国道の向こうに鳥居が見えるので、行ってみます。

「久田神社」。
『明治43年に、政府の1村1社政策により、久田村内の地区ごとに祀られていた多くの産主神社が、久田下原の地に合祀され、「久田神社」としてまとめられた。然るに国の計画した苫田ダム建設にあたり、氏子の大部分が久田から離れ、社殿も水没地にあることから、ここ久田河内に移転遷座することになった。今より後、この久田神社が故郷を離れた氏子崇敬者を含めて、この郷の拠り所となり、併せて吉井川の清流の護り神ともならん事を願うものである。 平成13年10月15日遷座 久田神社再建委員会』

道の駅に、バスが入ってきました。
倉敷のハイキングの会の仕立てたバスでした。
山歩きにも最高の日なので、皆さんワイワイ期待に胸膨らませ楽しそうです。

プロパーコースは、R179を更に北上し左折しr56ですが、地図を見ると、奥津湖周囲を道が巡っているので、そちらを選択します。
奥津湖沿いに南下し、橋を西に渡って、湖沿いに北上します。
特に面白いものはなく、r56に合流しました。

r56を西進し、r65に乗り換えて北上。
峠の部分だけ細道・急勾配・つづら折れでしたが、他は気持ちの良い田舎道・快走路でした。
8:39、R482との交差点手前にある「中和神社」到着。

横には「中和小学校」があり、校庭の続きに神社があるように見えます。
明治新政府は、欧米に追い付くために教育を最重点課題にしました。
それで整備されたのが小学校で、村の神社の境内に多く建てられました。
その名残でしょう。
境内に建てられた小学校が、生徒数増加・教育水準アップとともに大きくなり、はみ出した姿だと思います。

「中和神社」は、一時広大な宇宙空間に行方不明になった後、奇跡的に地球に帰ってきた小惑星探査機「はやぶさ」に関係しています。
イオンエンジン4基のうち3基が故障し、絶体絶命のピンチに陥りました。
この時、はやぶさチームが行ったのが、2基のエンジン部品を使って、1つのエンジンを遠隔操作によって復活させるという離れ業です。
この離れ業の最重要部品が「中和器」でした。
神にも祈る気持ちで、チームトップが、この神社に参り、この神社の御札を「飛行神社」など他の御札とともに比高管制室の神棚に祀りました。

このエピソードを知り、訪問してみたかったところです。
神社にとって、集落にとって、地域が全国区になった有名なエピソードなのに、予想に反して何も書いてありませんでした。
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そこには拍子抜けしたけど、社の後ろの大杉には圧倒されました。
「真庭市指定・天然記念物・中和神社のスギ」となっていました。
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拝殿から本殿に入る廊下の下には、リヤカータイプの手押し消防車が置いてありました。

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「招き猫CB400SB」に戻ると、先祖に乗り移ってもらってる大事な招き猫の安全ベルトが外れていました。
マジックテープのみで落ちなかったようで、慌てて緩んだシートベルトを結び直しました。
リアボックス前の左右に、招き猫ぬいぐるみ2体鎮座してもらっていますが、サイドカウルやハンドル周りにも、可愛い招き猫やフクロウさんのミニ置物に鎮座してもらい、僕をその結界内で守ってくれています。

目的の1つを達成し、R482に出て右折。
「津黒温泉」は小さな集落で、温泉街のようなものはありませんでした。
ここから、「美作北林道2号」が始まりますが、全く表示がありません。
「津黒高原キャンプ場」の小さな看板を見つけ、そちらに曲がってみます。

9:02、「津黒高原スキー場」のようです。
リフトとレストハウスがあります。

舗装されたスキー場内1.5車線道を上ります。
9:09、リフトの上部に来ました。
どうやらリフト1基のみの小さなスキー場のようです。
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標高は600mあり、良い景色が広がっています。
北西の方角に、蒜山が見えます。

美作北林道2号 3/9

5/17・美作北林道2号 1/4

日曜日は、家内が仕事の全国大会で東京に行ってしまうので、1人遊びです。
上天気予想なので、「船に乗ろうかな?」「ツーリングに出ようかな?」と漠然と思いながら日にちだけが過ぎて行きました。

次の週末は、GWに帰省しなかった次男夫婦が帰って来ます。
去年までは息子2人が帰省しても、次男は独身だったので、我が家の部屋を使っていましたが、このお盆から長男一家のスペースの他に、次男達夫婦の居場所も必要になります。

実家1Fの別部屋を使えばいいのですが、1Fと2Fに別れた方がいいのかも?と思うようになり、倉庫化してる2Fを片付け始めています。
また庭の雑草がはびこってきたし、垣根も刈ってやらなければいけません。
カーテン・カーテンレール・畳表・・・窓ふきなど、早朝時間を利用してコツコツやっていますが、はかどりません。
加えて、1週間前の1泊能登ツーリングの記録整理もあり、この日曜日の行動を決めかねていました。

金曜日になり、重い腰を上げました。
2日前なので、船に乗るにしても友人への声掛けには遅い。
グループツーリングを調べても、募集はありません。
ということで、気楽なソロツーリングをすることにしました。

目的地は和歌山か美作の絶景林道です。
今年はまだ美作管家党の祖先を祀った「三穂神社」に参ってないので、美作の絶景林道らしい「美作北林道2号」、人形峠~「根和遠藤林道」~「美作北林道」~三穂神社のコースにしました。

日曜日は、3時過ぎに目が覚めました。
夜明けが早くなったので、4時になれば明るいから問題なしです。
下着・丸首シャツ、コミネプロテクターメッシュ上下・DAIWA釣りスーツという春秋用定番です。
1週間前はパジャマ兼用としてトレーナーを持って行きましたが、結局走っている時は着なかったので、今回は省きました。

でもこれは失敗でした。
夏用プロテクターメッシュジャケットは2着持っているのですが、去年家内とお揃いの白系カラーの高い方は、なんだか暖かいんです。
1週間前はそれを着ていったけど、今回は日帰りなので早朝バイク用のバイクに乗り出した時に買ったのを選択しました。
こっちのほうが風通しが良いです。
走りだしてすぐ「寒いかも」と感じましたが、帰宅するのが面倒だし、昼になれば暑くなるのが見えているので、そのまま行っちゃいました。

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3:43、近所の「出光セルフ宝塚176店」で給油。
194km/7.12L=27.2km/L。
宝塚ICから中国道に乗り、西を目指します。
無風ですが、裏六甲は朝霧が発生しており、バイクスクリーンやヘルメットスクリーンで結露した水滴が滴り落ちます。
凍えることはありませんが、「なんとなく寒い」状態で走ります。

4:40、加西ICで最初の休憩を取り、高速道路利用・ソロツーリングの朝の定番・朝カレーを食べました。
550円。
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加西も優勢な朝霧で、山崎盆地や作用も霧が予想されます。
昨夜の天気予報では、近畿と方は、高気圧に覆われ風が弱くオール晴れマークだったので、朝霧発生要件満点です。
約40km走り、2つ目のPA「揖保川PA」で休憩。
また2つ目の「楢原PA」休憩、6:18。
いつも通り、80km/h巡航です。

予定では、2つ先の「二宮PA」休憩で、車載カメラをセットし、次の「院庄IC」下車~R179で北上でしたが、ツーリングマップルを広げると、広域農道・「作州街道」が、中国道に平行してR179の向こうまで走っています。
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ここで車載カメラをセットし、「美作IC」で下車しました。

r51~r354で北上し、「津山広域農道」に乗りました。
アップダウンの大きな県道より広めでカーブも緩い快走路です。
R429を渡り、R53も渡り、ひたすら西進します。
広域農道は、一般のドライバーには利用してもらいたくないのか、道案内が不親切です。
一般道を管轄する国交省と、広域農道管轄の農水省との縦割り行政の連絡不行き届き故かもしれません。
お得意のUターンを連発しました。

おおまかな予定では、5時出発~9時奥津温泉、~美作北林道2号~10時人形峠、~根和遠藤林道~美作北林道~11時あば温泉、~12時三穂神社なので、1時間の余裕で広域農道を入れてみました。

美作北林道2号 1/9

5/11・能登ツーリング2日目 その10

家内に、現在地と帰宅時間23時台を伝えました。
家内の声に力をもらい出発。

「道の駅名田庄」は閉店していましたが、鎖はなく、数台のトラックが休憩していました。
トイレも自販機の明かりもあるし、やはりこちらで休憩した方が良かった。
ここを過ぎると、京都府・福井県境の山越えです。
昼間なら、「いよいよ山だな」という感じになるのですが、真っ暗なのでその気持ちが起こらず、淡々とカーブを抜けていきます。
大型トラックも走る道なので、きついヘアピンはなく、5速・6速の切り替えでOKです。
CB400はトルクが有り、ギアダウンを頻繁に行わなくてもよく、アクセルワークのみで楽です。
ギアチェンジもノークラッチで簡単にチェンジできて、ナイスなバイクです。

アクセルワークも、スロットルアシストを装着してるので、ハンドルをしっかり握らずとも拇指球で押す動作のみなので、更に楽です。
バイク免許取って、VTR250に乗り出した時は、夕方になると左手の握力がなくなり、クラッチを切る動作が辛くて仕方なかったけど、今は平気です。

県境の「堀越トンネル」を抜けて、京都側に下ります。
VTR250ならギアダウンすれば、適度なエンジンブレーキが利くので、ブレーキが要らないですが、CB400はトルクがあるので、ブレーキを掛けてもギアをダウンさせておかなければ、後ろからグイグイ前に押されます。
更に大きな排気量のバイクの後ろで坂を下ると、必ずカーブ手前でより長くブレーキを掛けています。
更に大きなトルクで押されている感じが想像でき、僕には400cc以上は要らないなと思わせます。

京都側を快適に下り、難所「九鬼ヶ坂」手前でr12~r368ルートに変更し、r19に入ります。
後ろから追い付いてきた大型トラックに道を譲りました。
ここまでも後続車に追いつかれる度に抜いてもらいましたが、このトラックは僕とほぼ同じペースです。
ヘッドライトの光量が小さなバイクは、単独で暗闇を走ると、どうしても安全速度が落ちますが、ドラックの後ろだと前方が明るいので、安全速度が上がります。
日吉ダムを過ぎ、園部市内まで先導してもらいました。

「道の駅・京都新光悦村」を過ぎ、21:31、R9との交差点手前の「ファミリーマート・南丹園部内林町店」で休憩を入れます。
少し前から、細かい雨が落ちて来たので、ここで車載カメラを収納します。
チョコバリ・129円で糖分補給しました。

以前地図を見て見つけたR477・「新世界トンネル」に出る園部からの直進路を探すべく、信号一つ戻って信号を南に曲がります。
結局この道は、R477のトンネル~園部間のややこしいとこは回避でき、よっぽど近道でしたがミスで、信号右折・左折が1回ずつ必要でした。
ファミリーマートの交差点を南下すれば、一直線のようです・・・覚えたぞ。

2つの「新世界トンネル」を抜け、R372を亀岡の方に少し走り、再びR477単独路に曲がります。
ここまで来れば、勝手知ったる早朝バイクフィールドです。
「ひいらぎ峠」で大阪府に入り、r106で一庫ダム経由でR173。
多田でr12・旧道にチェンジし、r13経由で22:30に帰宅しました。

玄関などの電気は点いていますが、家内は寝ている時間です。
荷物を玄関に置き、バイクを倉庫に片付けます。
雨はR372には落ちておらず、すっかり乾きました。

再び自宅に戻り、ちょこちょこ食べでお腹が空いていないので夕食をパスし、風呂に入って、23:30頃寝ました。
さすがに疲れていたようで、翌火曜日の目覚めは7時でした。
遅く寝たのでまだ眠いですが、台所仕事中の家内に向かって、食卓に座って能登の旅のお土産話をします。
塩田の塩をお土産にしようと思ったけど、朝早すぎて買えなかったので、お土産は旅行記のみです。
火曜日はいつも通りの21時台で寝たので疲れが取れ、水曜日の目覚めは4時のいつも通りに戻りました。
ああ楽しかった。

2日目、高速300km+一般道247km=547km

5/11・能登ツーリング2日目 その9

「尼御前SA」で休憩をはさみ、「北鯖江PA」到着。
横風が強く、80km/hも困難で、70~75km/hで走ってきました。
出来れば60km/h以下で走りたい。
PA+SA2つ毎に休憩しています。

風のため約40kmで限界に達します。
バイクが振られることはありませんが、身体が左右に振られます・・・ああ、怖い。
福井平野の吹きっさらしエリアはもうすぐ終わりますが、次はトンネルだらけの海岸道エリアです。
トンネル内は平気だけど、トンネルを出た時の突然の横風が心配です。

GPSによると、高速道路に乗った時の帰宅時間は18:30時でしたが、何度かの休憩を経て19時台になっています。
本日中の帰宅は無理かもしれないけど、横風の恐怖がより少ない下道で帰ることにしました。

GPS設定を「高速道路を通らないルート」に変更すると、「R8~敦賀~R161~湖西道路~R1~R171」を示します・・・都会を走る京都以降が面白くないな。
「敦賀~R27~R162~r19~R477」ルートに決定。
次の「鯖江IC」で高速を降り、R8に乗ります。

17:58、「エネオス・エネクスフリート武生店」にて給油。
GPSに表示されている自宅までの距離から換算すると、最後の給油になり そう。
254km/9.38L=27.1km/L。

都会を走る「武生IC」までは、信号でのゴーストップの繰り返しでしたが、越前海岸への山ルートからは、高速道路並みのバイパス道になりました。
越前海岸に出ても同様で、60km/hで交通量も多くなく気持よく走れました。
連続トンネル・ロックシェイドエリアだけ以前のままで、道は狭く連続カーブでしたが、渋滞もなくスピードダウンして気持ちが良いです。

敦賀で、バイパスを降り、旧R8でR27を目指しましたが、結果的にはバイパスでもR27に乗れたようです。
GPSは「R161~湖西道路」を指示しますが、R27に乗り換え、日本海側を「小浜」に向けて西進します。
この道も山側にバイパス化されており、60km/hで快調に走れます。
眠たくなればもう一泊し、早朝バイクで出勤前に帰宅も考えていましたが、ここまで来れば「午前様帰宅」は避けられそうです。

18:53、「ファミリーマート・美浜佐柿店」にて休憩。
「飲むヨーグルト・フルーツミックス・198円」は、つぶつぶが入ってて、加えてヨーグルトの軽い酸味が美味しい。

「小浜IC」まで来て、R162に乗り換えました。
昼間なら、快適・快調バイクルートですが、日は落ち真っ暗です。
しばらく交通量があり、安心して走れましたが、やがて交通流がまだらになり、ヘッドライトをアッパーに切り替えながらの走りになりました。
川沿いの緩やかカーブエリアで、走りそのものは気持ちがいいです。

横風の強かった高速道路では、PA2つ(40km)しか持たなかったのに、速度の落ちる下道になると、1時間走っても平気です。
それでも一度、バイクと身体に休憩を入れようとポイントを探すが、道路灯も少なく適当な場所がありません。
エンジンを切りヘッドライトを消せば真っ暗になるので、少しでも明るい所で休みたい。

ルート上に既知の「道の駅・名田庄」がありますが、どうせ閉まっているはず・・・その手前の橋の上で停めました。
ここは外灯が多くて、少し明るいです。
段差のある歩道に上がり、川の流れる音をBGMに背伸びなどします。
「かじか」がたくさん鳴いています。
「河鹿」とも呼ばれる清流に住む蛙ですが、鹿の声に似ているとの表現は、「当たらずとも遠からず」です。

20:30を回ったので、家内に現状報告しようと電話の電源を入れると、ミニ懐中電灯と反射たすきをしたウォーキングの方が来られました。
止まっているバイクを見て、「どうかなさいましたか?」
「大丈夫です、休憩です」
「もう少し先に道の駅がありますよ」
「もう閉まっているでしょう?」
「ええ、でもここはトラックも通るので危ないですよ」と声を掛けてくださいました。

能登ツーリング2日目 11/11

5/11・能登ツーリング2日目 その8

戦上手の上杉謙信も正攻法では1年包囲しても落とせず、遊佐氏の内応を誘って内部瓦解させ奪ったという防備の堅い城で、日本五大山城の1つです。
上杉謙信が七尾城を落とし、越中・能登・加賀半国が上杉領になりました。

謙信死後に起こった上杉内乱(御館の乱)に乗じて、織田軍が加賀・能登を攻め取った。
本国越後への織田軍の侵攻を食い止めようと、越中富山城や魚津城で激しい攻防戦が繰り広げられた。
上杉本体が、上野・信濃から越後背後を伺う織田別働隊のために動けず、多勢に無勢、ついに魚津城で上杉守備隊は玉砕・自刃した。
この上杉13将に、僕の先祖の名がある。

玉砕したのが、天正10年(1582年)6月3日。
その前日に本能寺の変があり、信長は既にこの世にいなかった。
越中深く侵攻していた織田軍主将・柴田勝家は、その知らせを聞きすぐに退却していったが、羽柴秀吉の中国大返しの方が早く、織田家の主導権を握られてしまった。

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バイク装束を脱ぎ、山城攻めの身軽な服装になります。
この山城駐車場には1台も車が停まっていませんが、隣の別峰にある展望台から、着替えている間に2台の車が降りてきました。
すぐ近くコゲラがおり、トントントンとリズミカルに木を突く音が聞こえます。

12:35、出発。
12:37、「調度丸」。
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目の前に、見事な石垣積みが見え圧巻です。

数々の中世の山城を訪問したが、播磨の赤松氏・伯耆の尼子氏本城に匹敵する見事さです。
そしてそれらの上を行きます。
さすが畠山氏庶流といえど一国の守護大名です・・・素晴らしい。
旧大手道が、ここから下っており、虎口の造作も遺っています。

本丸の方に登ってみます。
謂れ板の前に杖がたくさん立てかけてあります。
むむ~、先は手強いのかな?
 「桜の馬場跡」、いつも思うのですが、高所にある山城でもかなり高いところに広い馬場があります。
山道ゆえ、馬でも速くは歩けないだろうし、足を踏み外したら武者もろとも崖下に落ちるから、徒歩で馬を引きながら登り下りすることも多かろうと想像する。
山城攻防戦では急峻な本丸近くでは、馬は威力を発揮しないし。
広く勾配のゆるい軍馬路を整備すれば、攻め手に利用されます。
なぜ、馬場をもっと低いところに造らないのだろう?

「遊佐屋敷」がありました。
応仁の乱のきっかけは畿内畠山氏嫡流の内紛ですが、その嫡流でも守護代を何代も続けてきたのが遊佐氏です。
河内など畿内の戦闘にも、よく名前が登場します。
能登庶流畠山氏でも守護代の立場であったようです。
下を見下ろすと、何段かの石垣で固められた切り岸で、急峻な勾配が維持されています。

さらに数段の石垣が施され、そこを上がると、12:47・「本丸跡」到着。
駐車場からはすぐで助かりました。
『七尾城の中心となる曲輪。東西50m・南北40mあり、二の丸までの一連の曲輪とともに主郭を構成する。石垣は戦国期の山城に多い「野面積み」の工法を用い、北側は3段に組まれている。』

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高い切岸が見事に残り、素晴らしい保存状態です。
谷を隔てた斜め上方に、この城を見下ろせるだろう展望台が見えます。
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芦原温泉・七尾湾が眼下に広がり、素晴らしい景色です。
「城址神社」にお参りし、12:58バイクに戻りました。
往復30分で見事な山城を拝見でき、コストパフォーマンスの非常に高い山城攻めでした。

予定では、半島の東海岸線をR160で下り、「阿尾城址」も城攻めし、更に高岡に下り、そこから高速道路の予定でしたが、12:00七尾城の予定を1時間過ぎています。
帰路がかなりあるので、安全第一でここから一路帰路につくことにしました。

R159で半島を斜め金沢方面に走ります。
「のと里山海道」に「今浜IC」から乗ります。
14:29「道の駅・高松SA」でアイス125円補給。
風が前日以上にきついです。
怖いなあ・・・困ったなあ・・・。

「白尾IC」~R8バイパス~「金沢東IC」から北陸道に乗ります。
15:25、「徳光PA・ローソン白山車遊館店」で、グリコジャイアントコーン・140円で再び糖分補給。
小松基地からスクランブルなのか?ジェット戦闘機が2機飛び立ちました。
更に遅れて1機離陸。
かっこいいな。

能登ツーリング2日目 8/11

5/11・能登ツーリング2日目 その7

r35~R249で能登半島東海岸を南下します。
9:44、何気なく海側を見ると、海の上に白いものが・・・「あれ~立山連峰?」
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緊急停止して、激写タイム。
400ミリ望遠レンズに交換して写します。
禄剛崎灯台から見えなかったので、見れたらいいなと思いながら海岸線を走っていました。

r35にチェンジし海岸線を楽しみ、9:56「エネオス石岡石油店・オートオアシス九十九湾SS」で給油。
287km/11.81L=24.3km/L。
再びR249に合流し、10:57「中居湾ふれあいパーク」
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「ボラ待ちやぐら」がありました。

『ボラ待ち網漁は、江戸時代から伝わる原始的な漁法で、7・8mの丸太櫓を組み、その上から海底に張った袋網を見張る。ボラの群れが網に入ると網口の綱を手繰り上げて獲るというのんびりした手法です。ボラは音に敏感で、静かに待たなければならず、光の反射する海面を通して魚影を見つけなければなりません。』

高校ヨット部時代から、ボラが船に飛び入ってきて難儀しました。
見た目があまり美しくないし、臭いがきついです。
慌てて放り出したことは数知れずです。
太刀魚が飛び込んでくると、そのまま持ち帰り、合宿の飯になりました。

11:20、「能登鹿島駅」・・・無人駅です。
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国道に看板が出ていたので、つい寄り道してしまいました。
『能登さくら駅 この桜並木は、旧国鉄七尾線が開通した昭和7年、地元民が開通を祝い植樹したもので、現在ではゆるくカーブしたホームに沿って、さくらの大樹が両側から枝を伸ばし、薄桃色の花が咲くと、列車が桜のトンネルを抜けていくように見えます。のと鉄道のパノラマカーも花見シーズンともなると満員の盛況で、車窓から見る桜並木は、眼下に波静かな穴水湾を望み、白雪をいただく立山連峰の勇姿を背景に、一福の名画の趣です。昭和63年4月、風見鶏が潮風に揺れるこの大正ロマン風のかわいい駅舎が完成したのを機に、「能登さくら駅」との愛称が付けられました』

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駅部分だけ複線化されているので、ここで離合するようです。
ホーム脇には、手入れされた花壇があり、これも地元民のお世話かな?と思い、とても良い気持ちになりました。

R249~r256で橋を渡って能登島入りしr257で島の東海岸を南下、r47で再び半島側に橋を渡ります。
11:55「ローソン・七尾光陽台店」でアップルデニッシュ129円を購入。
七尾城攻め中に昼食として食べようと思います。

R249~R159~r177で、12:29・「七尾城址」まで上がりました。
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駐車場は標高280m・本丸のある山頂は300mですが、七尾湾・和倉温泉の麓が眼下に見える眺望です。
比高はそのまま280mほどでしょうから、山城にしてはかなりの比高です。
室町・戦国時代の難攻不落の山城として有名です。

『戦国の名城・七尾城 室町幕府三管領の1つ、畠山氏から分かれた能登畠山氏の居城である。石堂山山系の北端に位置し、標高300mの尾根に長屋敷(長殿丸)・本丸・西の丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置、この尾根から枝分かれする幾重もの尾根にも大小無数の砦を配置している。それ故に、七尾という地名は、7つの尾根に由来するという。築城年代は明らかではないが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強されたとみられる。1500年代前半は最も政治的に安定し、文化が栄えた。1526年当代一流の歌人冷泉為広・為和父子が七尾城に来訪し、1544年の記録では、城下山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なったと見える。
1577年、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡した。本丸から三の丸にかけての一帯は、石垣・土塁・空堀、それらを備えた曲輪の保存状態が良いというので、昭和9年国の指定史跡となった。』

能登ツーリング2日目 7/11

5/11・能登ツーリング2日目 その6

『弘法大師・空海が、唐の国に渡り、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修行され、三国伝来の伝承者と認められ、金胎両部(こんたいりょうぶ)の灌頂(かんじょう)を受け、密教伝来の三杵(さんしょ)を授けられた。唐の僧たちは、その三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめてきた。
その時空海は、東方を望まれ「密教有縁のところに行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。帰国された空海は、三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時、波の音とともに法華経を唱える声が聞こえてきたので、島を頼りに着岸された。そこで村人の案内により、山の桜の樹に探し求めていた三杵の1つ・五鈷杵が光り輝き、白夜法華経を唱えていた。空海は深くお喜びになり、ここに一宇を創建され、吼木山(ほえぎさん)法住寺と名付けられた。そして三鈷杵は、高野山の松の樹に、独鈷杵(どっこしょ)は佐渡の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。それより島を「見附島」と呼び縁結びの神を祭り、海難の守り神と共に小社を安置し、4/18を祭日とし船を繰り出して島上に登り、祝詞を奉じてきた。
しかし今は、歳月による風化に加え、能登半島沖地震や台風の被害により、島に往時を偲ぶ勇姿はなく、島上の社も崩壊したまま今日に至っています』

弘法大師の有名な三杵の話ですね。
ここには独鈷杵が佐渡で発見されたとありますが、早朝バイクで2度ほど訪問した丹波亀岡の「獨鈷抛山・千手寺」でも、「弘法大師がここで見つけた」との謂れを読みました。
いずれにしても、日本神道と仏教の習合の姿が、ここにもありました。

一方がキリスト教では、こういうことにはならないでしょう。
我が神のみが真実・唯一と頑なな一神教・宗教と、八百万の神道との大きな違いです。
高野山では、仏塔・僧坊を建てながら、高野山を守護する神社も建て、今でもその神社の世話を、真言宗のお坊さんたちがやっている。
対してキリスト教信者が多かった北摂高山では、キリシタン大名・高山右近の手で、多くの寺社が破壊された。
肥前長崎周辺では、ほとんどの寺社が破壊されたという。

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「恋みくじ」「えんむすび絵馬」が、無人販売されていました。
そして周辺の松に絵馬が下がっていました。
こういう「恋人の聖地」にやって来て、絵馬をぶら下げて行くカップルは、幸せな家庭を築いていくでしょう。
僕の学生時代はこういうスポットはなかったけど、すごくいいと思います。
「恋路海岸」の北に位置します。

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9:24、「恋路海岸通」を経て、「恋路駅」到着。
廃線になった「のと鉄道・能登線」の駅です。
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「奥のとトロッコ鉄道・のトロ乗車口」という真新しい看板がかかっていました。
予約申し込み電話番号も書かれていたので、予約が必要のようです。
係の方が常駐していないのですね。
土日・祝日は常駐しているのかな?
残念・・・

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海側は恋路海岸として整備され、お約束のハート・鐘などが設置されています。
『約700年の昔、木郎の里の助三郎と、多田の里の鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていた。暗い夜、鍋乃のともす灯は助三郎の唯一の目標であり、愛する2人を結ぶ希望の灯でもあった。鍋乃に想いを寄せるもう一人の男・源次は、2人の仲を妬み、灯を崖の外れに移してだまし、助三郎は深い海から帰らぬ人となり、鍋乃も銀次の求愛をしりぞけ、海に身を投げ助三郎の後を追った。この悲しい恋の物語を秘めた浜は、いつの頃からか「恋路」と呼ばれるようになったと伝えられる。』

僕は子供の頃、母親にたくさん本を読んでもらいました。
世界の名作や日本の昔話が多く、それ以来昔話好きです。
次男も僕が読んであげた絵本の影響か好きになり、「日本昔ばなし」というTV番組をいつも楽しみにしていました。
隣の僕の実家に住む母がいつも録画し、次男はそればっかり見ていました。
名作や昔話には、物語の中に道徳や幸せな生き方のエッセンスが散りばめられており、こういう話は今でも大好きです。

能登ツーリング2日目 5/11

5/11・能登ツーリング2日目 その5

7:49、「ランプの宿」到着。
「青の洞窟」もあるようです。
「聖域の岬」案内図がありました。

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眼下の岩場の小さな湾側にあるのが「ランプの宿」のようです。
プールも見えます。
部屋に電気がなく、ランプが灯るのかもしれません。
「空中展望台」は営業時間前でした。
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プールの飛び込み板のしっかりした版です。
あの先端まで歩いて行くのは命がけです。

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8:02、「須須神社」着。
『1110年、鳥羽天皇が宋朝へ万金を贈った返しとして、生きた蝉のような節の付いた笛が送られてきた。特別な笛として大切に守られていたが、ある時高松中納言がこの笛を吹き、つい普通の笛のように膝下に置いたところ、それを咎めた笛が、蝉の節のところで折れてしまった。これ以来「蝉折の笛」と名付けられた。この笛はその後、平家から源義経の手に渡った。1187年、兄・頼朝との不仲から追われる身となった義経は、奥州へ落ち延びる際、大野(金沢市)から珠洲岬へと向かう船に乗り込むことが出来た。その日の昼過ぎ、岬の手前で難風に遭い、須須神社に無事を祈願した。まもなく風が静まり、お礼を遂げるために岬に船を寄せた。難を逃れたお礼として「蝉折の笛」を奉納したのである。それ以来、須須神社の宝物として、大切に守られている。』

御祭神は、「高座宮」に天孫降臨したニニギ・美穂須須美命、「金分宮」に木之花咲耶姫。
美穂・・がわからなかったので調べると、諏訪大社主神・建御名方刀美神の別名でした。
この神は、大国主命の息子です。
ああ、あの神様か・・・日本神道の神様は無数におり、それぞれたくさん名前を持っているので、いつもごっちゃになってしまいます。

天孫降臨の前に葦原中津国を治めていた大国主命に打診があった時、他の息子2人は賛成したが1人反対した。
大岩を軽々持ち上げる大力の持ち主で、力勝負しようと言いましたが、あっけなく負けてしまい諏訪まで逃げました。
ここから動かず、葦原中国の守り神になると宣言した武の神様です。
つまりニニギ夫婦とその用心棒という組み合わせでした。

『第10代・崇神天皇の御代(2000年前)、能登半島の最東北端の山伏山(鈴ヶ嶽)頂上に創建され、天平年間に現在の地に遷座した国史現在社・延喜式内社です。古代より縁結びの神として知られ、この「結び」は単に男女の仲を結ぶだけではなく・・・。社叢は、国の特別天然記念物。・・・』

社叢が、国の天然記念物指定されているのですね。
神域は基本「禁足地」だから、貴重な動植物が残る原生林なのかな?
神道は、生活の基板となるきれいな水が流れてくる山・滝、恐れ多い何かを感じる巨石などに神が宿るとして、神域に指定し禁足地としたことで、そこで暮らす人の共同体の生活基板のベースを後世に残した。
この考えが脈々と続くことで、都会にも鎮守の森が残り、緑の多い日本列島を今に残してきた。
素晴らしい思想だと思っています。

須須神社の本殿まで上がってみました。
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菅原道真と同じ梅鉢紋でした。

r12~R249~9:01・「見附島」到着。
別名・軍艦島。
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小さな、だけど背の高い島の横の海に鳥居が立っています。
半島側には鐘が下がり、「NOTOえんむすび~ち」と書かれていました。

能登ツーリング2日目 4/11

5/11・能登ツーリング2日目 その4

トンネルを出ると、「ハートうつし台」という木製の台座が設置されており、ここにカメラを置いて、タイマーでハート電飾をくぐるカップルのせっぷん写真を写せるようになっています。
トンネル横には、「恋人の聖地」「せっぷんトンネル・The Kissing Tunnel」のスポット看板も立っています。
アイデアだなあ・・・ナイス・・・ポイント高いよ。
「A kissing Tunnel」ではなく「The・・・」とは大きく出たななんて感心しながらも、現代の若者には「せっぷん」より「Kiss」の方が受けそうだけど・・・と思っていると、

『映画「忘却の花びら(昭和32年東宝映画)あらまし 終戦直後、一宮葵(草笛光子)は満州で敵兵に汚されたため恋人の藤崎克己(小泉博)から姿を消した。葵の妹・鮎子(司葉子)が能登から姉の日記を鎌倉に住む克己のもとに届けた時、互いに惹かれるものがあった。その後、克己は鮎子への思慕に能登に訪れるが、親に冷たく断られて、能登の名所親不知に出かけたところ、黄昏のトンネルで思いがけず鮎子と出逢い、2人はひしと抱き合った。仲を裂こうとする多くの試練を乗り越え、強く愛し合う2人を見て、葵は自分の恋を忘却の彼方に捨て去るのでした。』
僕の知らない映画のロケ地・トンネルだったのですね。

旧道のトンネルも行けそうだったので突っ込むと、すぐに通行止めでした。
このトンネルは、平成19年の能登半島地震で破壊されたので、新トンネルが造られたそうです。
そう言えば、能登地震の時、TVニュースで流れていたのを思い出しました。

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新新トンネルを抜けて東側に出ると、すぐに「垂水の滝」がありました。
『垂水の滝は、山から流れ落ちた水が直接海に注ぐという、全国でも珍しい滝です。冬場には、この海岸周辺で、荒れた海の波が岩に砕けて水泡となり雪のように舞う「波の花」を見ることが出来ます。また風の強い日には、海からの季節風によって垂水の滝の水が霧状になって吹き上げられ、水が落ちてこないという現象が見られます。このことから「逆さ滝」とも呼ばれています』

ここから東は、能登半島先端の町・珠洲市です。
6:32、まれのロケ地「すず塩田村」到着。
『連続テレビ小説「まれ」揚げ浜塩田ロケ地 揚げ浜式製塩の技を受け継ぐ珠洲』の看板が立っています。
実演も見てみたいけど、早すぎてオープン前です。
この旅のお土産は、「塩田の塩」を考えていたのですが、こりゃ無理だわ。

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海岸道路はr28に変わり、7:14、能登半島の先端「禄剛崎崎」にある「道の駅・狼煙・禄剛崎埼灯台」に着きました。
灯台へ登っていきます。
7:25、到着。

『日本列島ここが中心』だそうです。
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「東京302km」「上海1598km」「釜山783km」「ウラジオストック772km」となっています。
『ここは能登半島の最北端で、ちょうど外浦と内浦都の接点にあたるところです。「海から昇る朝日」と「海に沈む夕日」が同じ所から眺めることで有名です。また、晴れた日には、立山連峰や佐渡ヶ島が見渡せます。この高台に立つ灯台は、明治16年にイギリス人技師が設計したものです。現在も禄剛崎のランドマークとして、この地の壮大なロマンを感じさせてくれます。』

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灯台は、近代産業遺産に指定されていました。
昨日に続き今日も雲ひとつない上天気なので、気持ちが良い。
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禄剛崎への道は、桐の紫とコデマリ(小手毬)の白の共演で、ともに満開でナイスでした。
良い日に来ました。

「聖域の岬・ランプの宿・空中展望台へ1.5km(車で6分)」と書かれた幻想的な夜の写真入りの大きな看板がありました。
行ってみよう。
R249はここから南に向きます。
R249は、南に向きます。
ここが自宅から最遠の地で、ここから帰路になるので、昨日より走行距離が長くなりそうです。

能登ツーリング2日目 3/11

5/11・能登ツーリング2日目 その3

木曽義仲に京を追われた平氏が西国に流浪した後は、平氏とともにありながら、平氏主将の源氏との徹底抗戦とは一線を引き、源氏都の和平を画策した。
よって、一の谷以降の源平合戦では、平氏主将から幽閉されて過ごした。
木曽を討った源義経は、後白河法皇から「三種の神器」を取り戻すことを命ぜられていたから、和平両面で平氏と当たり、その平氏側窓口の立場でもあった。
そんなこんなで、壇ノ浦で平氏が滅んだ時に捕虜になったけど、神鏡を守ったことから死罪一等を減ぜられ、能登に流罪とされた。

その家でした。
公家平氏出身という名門なので、近在の民もいろんなことで時国家を頼り利用しただろう。
時の権力者も、寺社や公家には強く当たれないからなあ・・・。
前田家にも取り入り、地域の庄屋だけではなく、山廻衆は農地状況を見聞して回り作付状況を報告する職だし、生きていく上で必須な塩の役人方トップはおいしい裏収入がたくさんありそうだし、廻船業は1航海で一財産作れます。
時国家の在所になじまない程の立派な屋敷に納得出来ました。

再びR249に出て、6:04、「恋人の聖地・せっぷんトンネル・パワースポット」の道標に惹かれて寄り道。
「何処だ?」と探したけど、よくわからない。
もう一度道標を見ると、「1km先」となっていました。

6:06、「窓岩ポケットパーク」到着。
「曽々木海岸」とも書いてありました。
海岸の岩に、窓のような穴が開き、向こうが見えていました。

6:10、「寄り道パーキング・垂水の滝・0.8km」の道標脇に、数台駐められるパーキングが有ります。
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そこに、前述の「恋人の聖地」と赤く染め抜かれた幟が立っています。
「トンネル・ハート パワースポット」と書かれたドラム・車止めが置かれています。
R249のトンネル脇に、旧道のトンネルがあり、まだ健在のようです。
更にその脇に、小さなトンネルの一部が見えています。

『現在の輪島市曽々木から珠洲市真浦に至る断崖絶壁の地は、昔は道もなく、「能登親知らず」とか「ヒロギの険」と恐れられた難所でした。岩につかまって歩く途中、誤って海に落ち失命する人が毎年あとを絶たなかった。1780年、海蔵寺八世の麒山瑞麟(きざんずいりん)和尚が開道を決意。加越能3国を托鉢して浄財を集め、13年後の1792年に、一筋の道を通しました。以来人々、親しく「八世の和尚さん」と呼び、その徳を語り継いできました。この石仏は開道記念に、往来人の安全を祈念して、麒山和尚が建てたものです。』

『福が穴と岩窟不動 日本海に向かって大きく口を開けた「福が穴」(開口部20m・奥行き70m)は、その昔、修験道の祖・役小角が修行したという伝承が残る。後の世にも、修験者が度々洞窟に籠って護摩を焚き、人々の幸せのために仏像を彫り、修行された所です。』

海岸近くの岩場に通された道に降ります。
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人が横に2人歩けるほどの素掘りのトンネルに入ってみます。
出口近くに電飾がキラキラしています。
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よく見ると、ハートの形のライン電飾で、その中をくぐる感じになっています。
造られた時のご苦労は忍ばれますが、今だと単なる素掘りのトンネルです。
それをこのハート電飾1本で「恋人の聖地・パワースポット」にしちゃうアイデアに脱帽しました。

5/11・能登ツーリング2日目 その2

千枚田からこの塩田までの間に、「名舟町・名舟海岸」がありました。
上杉謙信は、能登に侵入し、要の七尾城を落とし、七尾湾を北に渡って、能登半島先端南部に上陸したようです。
ここ名舟村を次のターゲットにして、その隣が当時ももっと人口の多かったであろう輪島です。

朝イチに訪問した「奥津姫神社・里宮」は、輪島市海士町にあった宮を移動させたと書いてあった。
気になって「海士町」の場所を調べたら、現里宮のすぐ隣で輪島漁港のある場所でした。
そして沖合50kmにある「舳先島」も輪島市海士町でした。
「海士」はその名が示す通り、海で生きる民、漁師を指す言葉です。

脳内想像の翼が広がりました。
九州玄海地方から流れて、輪島の沖50kmにある舳先島に住み着き漁労を糧に暮らしていた民が、先祖の氏神「宗像三神・奥津姫
命」を祀った。
半島の輪島との交流も増え、一部が輪島に住み着き、そこに「奥津姫神社・里宮」を造営して信心していた。

そこに越後の雄・上杉謙信の意を得た武将が大軍で攻めてきた。
近隣集落の長が頭を合わせ、対策を練ったであろう。
その時、この地方の外様である奥津姫神社を氏神に仰ぐ海の民の長老から、前述の仮面&海藻髪での夜陰に乗じたゲリラ戦が提案され実行した。
それが大成功に終わり、以来毎年この装束で奥津姫命に感謝するお祭りが続いているのではないか・・・

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「まれ」のロケ地・大川浜を経て、5:35「南惣美術館」着。
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会館前なので内部見学できませんが、旧家が美術館になっているようで、外観やお庭などを無料見学させていただきました。

町野川を渡り、r6に出て、5:44「本家上時国家」到着。
元庄屋だろうと寄り道しましたが、町野川の恵みが広がる田園を正面に、背後の山に取りつく位置に館が建ち、切岸されて元水堀と直感させる造作になっています。
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石橋が堀を渡って館に入る縄張りです。
父の実家も庄屋で水堀(水路程度)が巡っていましたが、ここの縄張りは、庄屋の域を超えています。

「開館8:30~17:00・料金520円・見学時間20分」、見学したいけど無理です。
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下手な寺社よりよっぽど立派な居宅です。
目の前に広がる田園の広さから想像する経済力を考えると、異様な立派さです。
経済力の根源が気になりました。
近在に鉱山でもあるのか?
松前船の寄港出来るような港はないし・・・、風波を凌ぐ天然の良入江もありません。

r6に出ずに、平行する里道で、もう一つの時国家に向かいました。
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隣に20mほどの幅がある水濠を有した「高田寺」がありました。
『高野山真言宗のこの寺院は、両時国家の中間に位置し、時国家祖先の守り仏を本尊として、時国家とともに今日に及んでいる。』
なんと、時国家は一門でお寺を持っているんだ。
きっと今もこの寺の普請は、時国家が行っているのだろう。
一般の江戸時代の庄屋とは、経済力が段違いな気がします。
そしてそこまでした崇拝する祖先は、どんな家系なのか・・・

5:57、「時国家」着。
『時国家の初代は、1185年能登に配流された平大納言時忠です。2代目から当地で農耕を営み、時國村を成しました。1634年、13代藤左衛門時保は時国家を2家に分立し、当家は加賀藩領の時国家となり、江戸時代を通して、山廻衆・御塩係相見役・御塩方吟味役などの藩の役職を代々引き継ぐとともに、農業・塩業・廻船業を営みました』

なんと、平清盛の義理の弟・時忠が配流先で興した家でした。
清盛の片腕として、奥さんの実家を挙げて尽力し、平家の隆盛に貢献しました。
清盛が引退して神戸福原に移った後は、清盛の嫡男・重盛を補佐し、実務と行動力に長けた実力平家随一の人物です。
「平家にあらずんば人にあらず」の名台詞を残しました。

能登ツーリング2日目 その2

5/11・能登ツーリング2日目 その1

3:44に目覚めてしまいました。
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4時頃起きるだろうなとは思っていましたが、少し早すぎる。
4時を過ぎ、空が少し明るくなったので行動を開始します。
布団をたたみ、荷物を整理し、バイク装束に着替えて、荷物を持って部屋を出ます。
バイクカバーを外すと、夜露で少し濡れています。

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4:32、バイクを道まで動かし、エンジンを掛けてすぐにマリンタウンに移動します。
漁船が港を出ていきます。
輪島入りした時に目に入った「住吉神社」にお参りし、4:45「奥津比め神社」にお参り。

昨夜街歩きした時見つけた謂れ板に、
『1576年、越後の上杉謙信が能登に侵攻し、七尾城を攻略した余勢をかって名舟村(輪島の近く)を攻めようとした。当時の名舟村は魚介の宝庫を有し、豊かな山の幸にも恵まれ平和な村だった。潮のごとく押し寄せる越後勢に対し、狩猟に使う槍以外武器を持っていなかった村人は、知恵者の古老の指示で、樹の皮を剥ぎ仮面を作り、海藻で髪をこしらえます。夜陰に乗じて、仮面を被、海藻の髪を振り乱し、陣太鼓を先頭に、鯨の声をあげ、越後勢に必死の突撃を行った。突然の陣太鼓と怪物の襲来で、越後勢は狼狽し潰走していった。そして平和は保たれた。この勝利は、奥津比め神のご人徳によるものと、毎年大祭には、仮面を被り太鼓を打ち鳴らし神楽渡御をする』
と書かれていたので、訪問したくなりました。

本社は、輪島の沖50kmにあるので訪問できないので、この里宮に来ました。
「奥津比め命」も、宗像三神です。
『・・・中世の末期に、筑前国鐘ケ崎(現福岡県玄海町)より能登国に渡来した海士又兵衛以下十三名が、やがて舳倉島(へくらじま)を根拠として漁業を営むようになって、深く当社を崇敬し、海士の故郷宗像大社の信仰をうけて、産土神と仰ぐようになった。昭和50年漁業の近代化多様化により舳倉の宮に対して、海士町の宮を現在地に建立して里宮とし、舳倉島の本社・末社及び七つ島の神々の御分霊をも奉祀することとした。』
と書かれていたので、玄海の宗像三神を祀ったのが今に至っているのだろうと解釈した。

いやあ、面白い。
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港を見下ろす丘の斜面に鎮座しており、漁師の日頃を守り続けているのでしょう。

能登半島の先端に向けて、R249を走ります。
夜明けのこの時間帯が最も好きです。
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5:08・「千枚田ポケットパーク」到着。

能登半島は、道の駅より小さなポケットパークという駐車スペースが、あちこちの名所脇に作られています。
飲食施設などはほとんどありませんが、トイレだけあるとこが多いです。
さすが観光の地、好感が持てます。
海外も異文化を感じていいですが、小奇麗で清潔で人の手が適度に入って日本の風景を楽しむ人が増えて、高度成長期のように日本人のお金が国内で使われるようになると、日本全体が好景気の好循環になると思うんだけどなあ・・・。

千枚田とはよく言ったもので、小さな田が幾重にも重なり、とても綺麗です。
三脚で一眼レフを構えた男性が先客でおられ、朝日が入っていく光景を狙っているのかもしれません。

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5:22、まれでお馴染みの塩田に到着。
まさにドラマのあの塩田が国道脇にありました。
お土産に塩田の塩を買えればいいなと思っているのですが、あまりに早すぎますね。

能登ツーリング2日目 1/11

5/10・能登ツーリング1日目 その10

面白いなあ・・・謂れ板の前半を読んだら、市姫は市場のお姫様、つまり売り子の女性に尊敬を込めて建てられたと想像したのに、宗像三神と繋がってきました。
伊邪那岐尊は、天照大神に高天原を、月読尊を夜の世界を、素盞鳴尊には海を治めるように指示されますが、素盞鳴尊は「僕はお母さんの伊耶那美命のいる黄泉の国に行きたい」と駄々をこねたので、追放される。
姉の天照大神に挨拶してから黄泉の国に行こうと、高天原に昇ったら、天照大神は弟が乗っ取りに来たと思い完全武装で戦闘態勢に入る。

「僕そんなことせえへん。嘘やと思うんやったら占ってみたらええやんか」と誓約する。
この占いは素盞鳴尊が勝利し、天照大神も弟に心を許す。
しかし、ここで弟が大暴れして、怒った天照大神は、天岩戸に隠れてしまう。
この誓約の時生まれたのが宗像三神です。

市杵島姫命は、天孫降臨の時、ニニギの教育係として葦原中津国に下り、ニニギを立派に育てた。
子育ての神であり、導きの神でもある。
神功皇后が三韓征伐の時に参ったと言われ、大陸貿易で富を築いた平清盛が建立した氏宮・厳島神社もこの女神の名前が転じたとも言われている。

謂れ板を読んで帰る道、「なんだか、輪島の市の力強いお母さん売り子さんのようだな」と思いました。
朝市で夜明けから働き、家に帰れば子供に飯を食わせ、遊びや学校に送り出す、そんなお母さんに市杵島姫命さんが思えてきた。
僕の想像の翼が、脳内を駆け巡っている。

「海岸通り」から見える場所に、「輪島マリンタウン」というのがありました。
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そこに電飾イルミネーションが施されて、24フィートほどのヨットが飾ってありました。
19:30に宿に戻りました。

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「民宿・海岸通り」さんは、新築の建物なのか小綺麗です。
共同トイレは入ると部屋の電気が自動で点きます。
お風呂も全自動で快適です。
コストパフォーマンスは、非常に高いように思います。

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目の前に、ホテル・ルートイン。

1日目、高速270km+一般道180km=450km


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我が家のあじさいが、ブルーの素敵な色になりました。
元々、親父が手入れしてた紫陽花が1株だけありました。
親父が亡くなって、僕が放ったらかしにしていたから巨大化し、通路にはみ出て邪魔になったので、すっぱり根本から切っちゃいました。
花が終わった後の紫陽花はみすぼらしいので、僕はあまり好きじゃなかったので、さっぱりしました。

ところが、5年ほど前の母の日に次男が、あじさいの鉢をプレゼントしてくれました。
僕が巨大紫陽花を切ったのを知ってるので、家内は地植えにせず、紫陽花が大きくならないように剪定しながら、ずっと鉢植えのまま育てています。
強い風が吹くと、いつも鉢ごと転んでいます。
紫陽花は、最初鮮やかなブルーだけど、だんだんピンクに変色します。
僕は、このブルーの時が一番好きです。
これは家内に頼まれて撮った写真で、きっと次男に「今年も綺麗に咲いたよ」と報告するのだと思います。

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日本経済新聞の子供の頃からの愛読コーナーが、「私の履歴書」です。
現在は、元京大総長の「松本紘さん」です。
日本国内最高峰の国立研究機関・「理化学研究所」がSTAP細胞の不祥事を受け、京大総長から理研理事長に転身されました。
僕が大学ヨット部でコーチした女の子が、理研の研究者として頑張ってるので、興味を持って読んでいます。

「坂本健二さん」という人形作家の話が載っていました。
サンダーバードのフィギュア作家で有名だそうです。
そこに、「Thunderbirds are go」と書いてありました。
イギリスの人形劇・サンダーバード「国際救助隊」は、好きでよく見ていました。
僕が好きなアイテムは、次男ジョン・トレーシーが操縦するサンダーバード5号で、宇宙ステーションと往復しています。
弟が好きなのは、いろんな機材を運搬する2号の輸送船でした。
人物として好きだったのは、ペネロープが乗るロールスロイスの運転手&執事パーカーです。
特徴ある顔立ちで、元泥棒なので、意外なことが出来て周りを驚かす。

おっと、本題から逸れました。
「サンダーバード・ア・ゴー」とずっと思ってて、中学で英語を知ってからは、「Thunderbird ago」だと思っていました。
「Thunderbirds are go!」だったのですね。
サンダーバードは、複数形だったんだ・・・
だから、areなんだ・・・
またひとつ、賢くなりました。

5/10・能登ツーリング1日目 その9 

本日のお宿・輪島は、r38のエンドで20km程なので、日が長い5月でもあり余裕が出てきました。
r38を輪島に向けて走っていると、「ゾウゾウ鼻」。

そして17:33、「輪島駅」到着。
JR輪島線が廃線になり、今は「道の駅・輪島・ぷらっと訪夢」という施設になっています。
裏には、輪島駅のプラットホームの一部・線路・車輪が残っています。
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線路の延長線には等身大の線路と列車の写真が立てられ、年配のご夫婦が写真を撮られています。
僕もこういうカップルでいたいな。
定期的に踏切の警報点滅が始まり、なかなか良いです。

18:12、「民宿・海岸通り」到着。
バイク置き場を聞くと、玄関横です。
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目の前の道の名が「海岸通り」でそれを隔てて、7階建ての「ホテルルートイン」が建っています。
海岸通りは、その名の通り目の前が海岸で、ナイスなロケーションです。
ルートインを見ると、玄関横の庇の下に、あのアメリカンさんのバイクが有ります。
さっき到着した時に、ホテルマンさんに指示されてバイクを動かしておられたのが、あの方だったようです。

宿帳を記入し、明日の夜明け頃出発のことを話し、先に精算させてもらいました。
1泊素泊まり・3700円。

夕食を摂ろうと、着替えて輪島の町に出ます。
「海岸通り」さんの下に「能登牛」のお店がありますが、獣肉は苦手なのでパス。
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「輪島工房長屋」・民家の藤棚を見て、さっき前を通り気になった「重蔵神社」に参ります。
駅前メインストリートを輪島駅の方に歩きます。
おしゃれなレストランがありますが、男1人なのでパス。

僕は美味しいものを食べたいという気持ちが薄く、極普通の家庭料理が好きなので、旅の食事はSAや道の駅併設のレストランが
簡単でいいのだけど・・・。
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現役の赤ポストが、あちこちに見かけます。
観光の街・輪島故、あえて新しいポストに替えていないのでしょうね。

輪島塗屋さん・古美術屋さん、興味をそそるお店が目につきますが、みんな閉店しています。
「道の駅・輪島」内にあった「ゴーゴー・カレー」というお店で、エビカレー中・780円を食べました。
今度は裏道を巡って宿に帰ります。
裏道の方に、いろんな食べ物屋さんがありました。

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「朝市通り」を歩きます。
「永井豪記念館」がありました。
輪島出身なのかな?デビルマンですね。

「市姫参道」というのがあり、海に向かって歩いてみました。
小さな「市姫社」がありました。
謂れ板には、『輪島には、朝市・夕市・お斎市の3つがあり、これを総称して輪島の市という。大和時代、越の国に鳳至比古神社があって、この神社の祭日ごとに物々交換の市がたった。これが輪島の市の始まりです。市姫神は、宗像三神の中の「市杵島姫」という説があり、古代から市の発生とともに息災・商人関連の神としてその中心地に祀られ、人々に崇められた。足利時代より白髮素麺の大産地として輪島が発達したのも、市姫信仰ご加護のお陰と、小麦の挽臼を祠代わりにお供えした』

能登ツーリング1日目 10/10

5/10・能登ツーリング1日目 その8

拝観料400円を払って見学します。
まずは鐘楼門?が立派です。
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「経蔵堂」がありました。

『加賀藩前だけを始め、北前船で地元との交流が深かった京阪の豪商や多くの人々の協賛によって、総工費1361両という莫大な工費で建立された華麗な御堂である。八角の輪蔵には、日本を代表する鉄眼版と言われる経典334巻が収められており、この輪蔵を1回転することにより、これら一切の経典を読んだ功徳が得られるとあって、この地方一帯の信仰を集めている。当寺は中世以来浄土真宗の信仰が盛んな土地柄であるが、近隣49ヶ村から3622人もの人が参加して、この狭い面積の地ならしが行われたと言われ、宗派を超えた信仰の厚さは、平成19年3月25日の「能登半島大地震」で、この経蔵がほとんど被害を被らなかった強さに寄っても証明された。経蔵は、大阪で組み立てられたものを一度解体し、北前船で黒島に運び、能登の建具師が組み立て、建物は金沢と能登の大工によって建設され、完成までに延べ3万人を要したという』

これはかなり立派でした。
曹洞宗の元本山で、横浜の「大本山総持寺」に本山が移った後は、「總持寺祖院」と呼ばれるようになった。
夕方なので観光客は少ないですが、大伽藍の迫力は素晴らしく、圧倒されました。
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本堂の彫刻が凄いぞ・・・堂内の多数の彫刻の意味は・・・なんて見上げていると、観光・研究で来られたお坊さんなのか、しきりに写真に収めていました。
さすが元曹洞宗の大本山・・・経済力に圧倒されます。
白いお参りの法被装束の一団が、世話役に連れられて巡っていました。

R249からr38に入り山道です。
ここへの入口で、「通行止め」の看板が設置されておりビックリしました。
「解除中」のシールが貼られていました。
後で知ったのですが、まれ人気で、GW中は一方通行&車乗入れ制限が掛かっていたようです。
時間が15時までと書いてあったので、この日も15時までは一方通行だったのかもしれません。
バスに乗って、「まれ・メインロケ地」に入るようになっていたようです。

r266に入り、ロケ地の畑。
皆月海岸に出て、一子ちゃんのお母さんがやってる美容室・・・僕はまれちゃんより、一子ちゃんの方がいい。
r38に戻り北上し、メインロケ地の「大沢集落」に16:35・到着。
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途中に「男女滝」という2本並んで岩を下る滝がありました。
ナイスでした。

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大沢集落は漁村です。
「間垣の里・田中屋旅館」というのがあり、番組内では別の名前のステッカーが貼ってあります。
海岸側を間垣で守った風景は珍しい。
自販機の大きさに間垣が切られ、そこに埋め込まれているように自販機が設置されています。
面白いな。

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大沢バス停には、「間垣にあつまれ号・乗降専用バス停」という紙が貼ってありました。
まれ人気で、凄いことになったのでしょう。
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そのバス待合は、「臨時まれロケ地案内所」になり、中に入ると、ご自由にお取りくださいとパンフレットが山積みになっていました。

「静浦神社」。
「役場」の建物には、「ようこそ間垣の里 そとら村」と書かれたペンキが剥げた時代物の雰囲気満点のペイントが残っています。
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「外浦村」は劇中架空自治体だから、NHK番組スタッフがペイントしたものでしょうね。
上手に年代物に仕上げるものだ・・・。

まれ一家が住む民宿・「桶作家」も地図に載っています。
現役の民家のようなので、覗いたり激写などは控えました。
僕の他に観光客は車2台です。
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子供を連れた家族が、まれが時々登っていた櫓に登って、お父さんに写真を撮ってもらっています。
僕も子供たちがチビの時、こんなのをしていたな。

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ここは観光マイクロバス停車場で、バスの停車も30分以内と公告されています。
GW後で、日曜日だけど観光客が帰った17時とあって、ピーク時の様子はわかりませんが、なんだか想像出来ます。

能登ツーリング1日目 9/10

5/10・能登ツーリング1日目 その7

『当社は、気多神宮とも称え奉り、能登国一宮として世に知られ、北陸道総鎮護のお社であります。御祭神は、大国主命をまつり、世に大黒様と申し多くの人々に崇められております。若宮神社の御祭神は、事代主命を祀り、えびす様と称し親しまれている神様です。御社殿背後の森は、約3万平方メートルの広さを有し「いらずの森」として、千古の歴史を伝え、北陸地方随一の原生林であります』

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能登一の宮だけあって、門も拝殿もどーんと風格があります。
「安宅住吉神社」同様巫女さんが門で待ち構えています。
また説明してくれるかな?と期待しましたが、パンフレットを配るのみでした。

『気多大社が中央の文献に初めて見えるのは、「万葉集」です。能登半島の要衝に鎮座する気多大社の神威は中央国家まで及んでいたのである。日本海沿岸に広く気多の神が祀られていた、古代における気多大社の神威が偲ばれる。近世には、前田利家をはじめ歴代藩主が崇敬し、祈願・祈祷はもとより、しばしば社殿の造営をした。本殿・拝殿・神門・摂社若宮神社・摂社白山神社・神庫・随身門がそれである。加賀藩の保護した社叢には奥宮が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれて聖域となっている』

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なんかお若い女性が多いなと思ったら、パンフレットに紹介されている御守は、「きれい結び守」「福縁的中守」「気(運気上)守」「心むすび守」「良縁的中守」でした。
女子に好まれるよね。
摂社に僕に縁のある「菅原神社」もありました。

R249で海岸線を北上します。
r36にチェンジし、海岸線を走ります。
日曜日だけど交通量は少なく、のんびり気持ちが良いです。

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14:01・「旧福浦灯台」着。
最後集落内でちょっと迷ったけど、適当なとこにバイクを置き、徒歩で突き止めました。
徒歩のお陰で、良い景色を楽しめました。

14:16、「巌門」着。
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岩場を海岸に下ると、遊覧船が呼び込みをしています。
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洞窟階段を下り洞窟を抜けると、潮が洗う洞窟がありました。
観光船は、ここをくぐるのでしょう。
横には海に流れ落ちる滝があり、なかなかの景色です。

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R249に合流し、14:36・「機具岩」着。
伊勢の二見ヶ浦のように、2つの岩にしめ縄が渡してあります。
激写していると、さっきのアメリカンさんが、通過していきました。

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14:43、「世界一長いベンチ」着。
『木造のこのベンチは、延長460.9m。昭和62年3月29日に完成し、その年にゲネスに申請・登録されました。また、1346人が
一斉に座った記録もあります』

r49で、更に海岸線を走る予定でしたが、メインディッシュの輪島手前の「まれ・ロケ地・間垣の里」への到着が遅くなりそうなので、R249をそのまま走りました。
国道だけど、交通量の少ない田舎道なので、気持ち良く走れます。
「のと里山海道」が伸びたので、通過するだけの車が減っていると思います。

でもスピードの出し過ぎは禁物です。
里山のゆるいカーブで、先行車が止まっています。
前方に救急車の赤色灯が回転しています。
ハーレー軍団が10台ほどが路肩に止まっており、バイクの座席シートや大型の破片などが路肩に置いてあります。
「え~、座席シートが取れたの・・・」
でも、バイク本体は路上にありません。
道路脇から1~2m下の沢や田んぼに落ちたのかも・・・
僕が止まると同時に、救急車がサイレンを鳴らし去って行きました。
警察官が、ライダーに事情聴取しています。

勾配もない、道路も狭くない、どうってことないゆるいカーブです。
スピードオーバーが原因でしょう。
また集団走行での事故だ・・・
先導者は、その道に慣れていたり、技量が高かったりするので、どうってことないスピードなんだろうけど、後続車にはいろんな方がいる。
集団走行すると、つい競争心理が働き、先行車に遅れまいとする。
後続がついてくるので、先導車は更にスピードアップする。
僕が見たバイク事故の大半は、グループツーリング中のものです。
僕みたいに、自分の技量よりオーバースピードだと思ったら、あっさりと遅れたら、先導車もスピードダウンして合わせてくれることも多いし、離れても必ずどこかで待っていてくれるのになあ・・・
僕の心臓のドキドキが止まらない・・・怖いな・・・大事に至らなければいいが・・・

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15:07、「琴ヶ浜」着。
NHK朝ドラロケ地巡りの最初はここです。
オープニングで、まれが踊っている浜です。
見覚えのある岬の先が見えます。
ただそれだけ。

再び、R249が内陸を走るようになったとこに、「總持寺祖院」がありました。
15:25到着。
門前の市役所駐車場に停めました。
イベントが終わったのか、片付け中でした。
『能登はやさしや土までも 「まれ」は輪島が舞台』の垂れ幕が下がっていました。

能登ツーリング1日目 7/10

5/10・能登ツーリング1日目 その6

公園内を散策すると、関守の富樫某と九郎判官義経を祀る祠が並んで立っていました。
富樫某・弁慶・義経の名場面の像もありました。
『・・・物語は、弁慶の智・富樫の仁・義経の仁勇が混然と一体に融合し、美談として歌舞伎「勧進帳」で演じられ、後世の国民の鑑として、広く世に知られていることである。・・・』
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「勧進帳の里・安宅ビューテラス」という海を一望できる休憩所が砂浜にありました。

バイクに戻ると、目の前をハーレー軍団が勇ましく通り過ぎました。
r25で海岸線近くを北上します。
ツーリングマップル(TM)には、「白山美川伏流水群」と載っていましたが、見つけられず通過。
r8~r60で「大浜」から「のと里山海道」に乗るつもりでしたが、大浜入口は閉鎖中でした。
12:00、温泉施設でリコースを考える。
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真っ青な空に大凧が飛んでいます。
この大凧の催しで、すぐ横を通る「里山海道」が閉鎖のようです。
交通整理のガードマンに、どこまで閉鎖なのか聞きましたが、知らないそうです。

r8を「のと里山海道」に平行して走り、「白尾IC」から「のと里山海道」に乗りました。
無料の高速道路並み・高規格道路です。
制限速度は70km/h~80km/hで、高速で流れています。
海岸線を走るので風が強めです。
防風林・防風土手があるところはマシですが、70km/hほどをベースに走ります。

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12:28、「道の駅・高松SA」で休憩。
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案内地図によると、この道路は七尾湾北まで開通しており、輪島まで通す計画のようです。
トイレから戻ると、先客のお隣のアメリカン・バイクさんが出て行くようです。
「千里浜なぎさドライブウェイ」への行き方を聞こうと思っていたのに・・・。
関東ナンバーだったから、僕同様知らなかったかな?

出発すると、すぐに「なぎさドライブウェイへは、今浜IC下車」との看板が立っていたので、問題は解消されました。
今浜ICを下りてからも、看板に沿って走ると浜に出ました。
ずっと僕の後ろを走っていたバイクも、ついてきました。
海岸線の砂浜が延々と続いています。
所々に海の家が建っています。
四輪がポツポツと停まっています。

風があるので、砂浜に打ち付ける波も大きく、素敵な景色です。
反面、砂にタイヤを取られて転ばないか、ビビリの心が20km/h・4速でバイクを走らせます。
両足を出して砂を引きずり、その引き締まり具合を確かめ、30km/hに速度アップします。
後ろのバイクも、僕と余裕の車間距離を保ちながら、同速度でついてきます。

さっきの道の駅でお隣さんだったアメリカンさんが停まっていました。
でもまたがったままです。
僕同様、スタンドの下に敷くものを持っていないのかも知れません。
何か持ってこようと思って忘れました。
この浜に突っ込む前に、現在の荷物で何かないかと思いついたのが、安宅の関で授かった弁慶絵馬です。
さすがにこれをステップの下に敷いたら罰が当たりそうなので、止めました。
慣れてきたので、35km/hほどにスピードアップしましたが、後ろのバイクが更にスピードアップして、抜いていきました。

「千里浜IC」の案内板を見て、浜から離脱しました。
ここらは羽咋市で、北陸の高校ヨット強豪校・羽咋工業があるところです。
風の吹きそうな地形なので、ここで練習していると強くなるのも頷けます。
「柳田IC」で下車し、r2~R249~13:06「気多神社」着。

能登ツーリング1日目 5/10

5/10・能登ツーリング1日目 その5

案内地図に載ってる「安宅住吉神社」に寄ります。
摂社に「金毘羅神社」がありました。
両方共、海の守り神ですね。
海岸の河口近くに位置するので、漁労を生業にしている方が多いのでしょう。
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拝殿内奥に神棚が飾られ、拝殿の内壁には、帆船などの絵馬が掛かっていました。

住吉さんは、「住吉三神」を祀っています。
伊邪那岐尊が、火の神を産んで亡くなった妻の伊耶那美命に会いに黄泉の国に行きます。
そこにいたのは、蛆が湧いた伊耶那美命の姿で、怖くなって逃げ帰ります。
穢れを祓うために禊をした時生まれたのが、住吉三神です。

そして、神功皇后が三韓征伐した時に、助けたのが住吉三神です。
当時、九州で熊襲などの反大和朝廷勢力が盛んになりました。
神功皇后の夢の中で、そのバックには朝鮮半島南部の三韓勢力がいるとお告げがあり、征伐を夫である仲哀天皇に進言するも夫は動かず、亡くなってしまう。
そこで皇后自身が、身重なお腹をさらしできつく巻き、軍を引き連れて朝鮮半島に渡る。
住吉三神は、風を起こし、あっという間に軍を朝鮮に運び、さんざん三韓軍を困らせた。

住吉神社に撮影料をチャリンしてお参りすると、元巫女さん?が擦り寄ってきて、「初めてですか?遠くからお参りですか?」と尋ねられた。
「ええ、兵庫県からです」
「2~3分お時間がございますか?よろしければ、お宮の説明を致します」
との事だったので、お願いしました。

社務所のお守り前についていくと、奥からお若い巫女さんが出てこられ、前に座られました。
お宮の謂れのお話は少しで、後は勧進帳のお話です。

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『兄・頼朝から猜疑を受け、義経は京から脱出し、頼朝旗揚げ前まで暮らした奥州・藤原氏のもとに急いだ。その義経一行が逃避行中に通りかかったのが、ここ「安宅の関」です。この関所は、頼朝の命により義経捕縛のために臨時で作られた全国の関所のうちの1つです。それを知らずに義経一行が通りがかったわけです。関所の存在に驚き、近在の子供たちに他の道を聞くが教えてくれず、仕方なくこの関を通ることにしました。
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関守は、この地の豪族・富樫氏で、山伏姿の義経一行・20名ほどを見て怪しんだ。通行の要件を問われ、弁慶が「焼けた東大寺再建のための勧進で全国行脚中」と答えます。「ならば、勧進帳を読み上げよ」と更に問われ、白紙の巻物を取り出し、そこに書いてあるかのごとく諳んじた。
富樫氏は疑いを持ったままだが感心し、通行を許可する。しかし義経が通ろうとした時、呼び止める。ここで弁慶は、「またお前は義経に似ていると言われた、難儀なやつ」と持っていた金剛棒で、義経を叩く。富樫氏は義経一行と確信したが、義経主従の見事な行動に感心し、武士の情けをかけて通行を許す。』

これに加え、関所を通過後、弁慶が義経に叩いたことをわび、義経がそれを許すシーンに続く。
さらに、義経一行を追いかけてきた富樫氏が、「誠に失礼した」と酒宴を設けるのも、歌舞伎「勧進帳」の見どころの1つです。
富樫氏の部下も、それと察しているがそれを制し、義経と知りながら、一行の行末を案じ、一時の平安を提供する富樫氏は、長く人々の心に感動を残している。

この時の東大寺を焼いたのが、清盛最晩年の平家です。
南都の僧兵を蹴散らしに行ったのに、お互い意図せず、東大寺と興福寺を全焼させてしまった。
次に大仏が焼けた松永久秀と三好三人衆との兵火も、お互い意図せずでした。

このお話で、安宅の関は常設の関所ではなく、臨時の関だった知りました。
そのお礼も兼ね、「難関突破」のご利益があるという「弁慶御守」と、弁慶が金剛棒で義経を打つシーンが描かれた絵馬を、幾ばくかの初穂料のお下がりとして賜りました。

5/10・能登ツーリング1日目 その4

ここでも平家軍は、寡勢の義仲軍に大敗した。
その戦中に実盛は討ち死にした。
老兵・実盛はここを死に場所とし、戦の前に髪を黒く染め、武将が名乗り合って刃を合わせるのが戦陣の習いなのに、名乗らず討たれた。
首実検のために実盛の首を洗うと染めた黒髪は白く戻り、その首を抱えて義仲は涙に濡れたという。
歌舞伎の名場面です。

歌舞伎が隆盛した江戸時代ならともかく、その故事さえ忘れ去られようとしている現代になっても、綺麗に管理清掃されている実盛塚を見て、地元・篠原町の方々の思いを感じました。
上天気の日曜日なのに、僕以外誰もいません。
公園としての遊具もなく、僕のような歴史好きにしか琴線が触れないのに、素晴らしい。
自治体というものは、客観的な利用状況により、予算配分するものなので、近隣の方の清掃活動を感じます。

r20を少し戻り、r39で「片山津温泉」方面に向かいます。
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9:59、「首洗い池」到着。
『1183年、倶利伽羅峠に敗れた平家軍は、篠原で態勢を立て直そうとした。平家の老武者・斎藤実盛は、白髪を黒く染め敵に立ち向かったが討ち取られ、その首はこの池で洗われたと伝えられている』

英語・韓国語・中国語・日本語で書かれた謂れ板が立っていました。
『・・・この時敗走する平家軍で、ただ一騎踏みとどまり戦ったのが斎藤別当実盛でした。実盛は老武者とあなどられる事を恥とし、白髪を黒く染めて参戦しました。手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げました。樋口次郎兼光が討ち取った首をこの池で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変わりました。それは紛いもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛の首でした。・・・実盛着用の甲冑を、木曽義仲が多太神社に奉納したと伝えられており・・・』
戦闘実績を買われ、自分が与力として付けられたのに、そして木曽軍を圧倒する軍勢を擁しながらの度々の敗戦なので、責任を感じたのでしょう。

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名場面の像も立っていました。
兜を中心に、左に首を抱えて天を仰ぐ武者・奥に兜を見つめる武者・右に少しうなだれる武者・・・。
平家物語では、義経はヒーローだけど、倶利伽羅峠で牛の角に松明を灯し、平家軍真っ只中に突っ込ませ、平家に初めての大敗をさせたのは木曽義仲です。
破竹の勢いで平家を京から追い払い、平家政権を直接倒したのは木曽義仲です。

何故か朝廷の実力者・後白河法皇に疎んぜられ、遅れてやってきたヒーロー・義経軍の前に、脆くも義仲軍は将兵の脱走離脱が続き、潰走してしまいます。
そして副将・今井兼平(中原兼遠の長男)・樋口兼光(同次男)とともに討たれます。
典型的日本人の僕は、悲劇のヒーロー義仲に惹かれます。
そして、巴御前筆頭に、女武者軍団もいたほど女性を惹きつける美男子・男っぷりの良さにも惹かれます。

r39~r20で、10:12・出光宇佐美片山津IC店で給油、240km/9.78L=24.5km/L。
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10:23、「安宅の関」到着。
ここも平家物語の舞台の一つです。
武蔵坊弁慶が主役の歌舞伎の18番・「勧進帳」であまりに有名。

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案内図を見ると、歴史公園になっているようです。
すぐそこは日本海で、その砂浜の防風松林内にあります。
平家物語を読みながら地図を見て、「街道筋だったのだろうけど、山が迫っているわけでもない幅広い平地なのに、なぜこの関所を通ったのか?」の疑問をずっと持っていました。
逃避行なら、遠回りしても関所を過わすのが普通です。
現地の地形を見て、更に疑問が深まりました。

能登ツーリング1日目 3/10

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我家の庭の紫陽花が、素敵なブルーが鮮やかです。
終わりかけのくたびれたピンクより、僕は断然ブルーが好きです。
後数日楽しめるかな?・・・と思っていたら、九州が梅雨入りだって・・・
蒸し暑い季節の到来のようです。
5月のかたつむりは好きなんだけど、甲羅のないナメクジがな~

5/10・能登ツーリング1日目 その3

家内と自転車で走った時、「ぷらっとパーク」のゲートから、自転車を持って「杉津PA」に入り昼食を取りました。
その時と同じ「醤油ラーメン・550円」を、朝食にしました。
お天気は晴天で、海が輝いています。
ここ「杉津PA・下り線」は、「夕日のアトリエ」という展望台があります。
海に落ちる夕日が綺麗なスポットで、「恋人の聖地」化が進んでいます。連続するトンネル目当てに、自転車で走った旧北陸本線ですが、トンネルを抜けたところから見える海の景色は素敵でした。
家内も「素敵なところね」と、うっとり見ていました。
夕日で紅く染まった最愛の人の横顔を見ると、男ならダウンだよね。

北陸道は内陸に入り、再び日本海側に出て「尼御前SA」で休憩しました。
ここは、子供たちがチビの時のお正月の定番・北陸「白峰スキー場」に行くときの定宿です。
大晦日の日に、仕事を終えてワゴンに布団を積んで出発し、ここで車中泊します。
夜明け頃目覚め、元旦の朝イチにスキー場入りして滑り始めていました。
楽しかった思い出が蘇ります。

「片山津IC」下車。
ここから下道です。
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r20で北陸道に沿って少し戻り、9:45・「篠原古戦場・実盛塚」到着。
道端にポツンとあるだけだと思っていたら、車道からは見えませんが、民家の間にある専用道を奥に歩くと、小さな公園のようになっていました。
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手入れが着き届いています。
歌舞伎などで有名な「実盛」が討ち死にした所です。

斎藤別当実盛は、武蔵の国の武将で、源頼朝の父・義朝に従っていたが、義朝の異母弟・義賢が北関東・上野に下ってきたので、他の武蔵の豪族とともに義賢方に移った。
これに危機感を感じた義朝の嫡男・悪源太義平が、義賢を攻めて討ち取った。
その時、義賢の嫡男を守り、信義の篤い信濃・木曽の中原兼遠にその子を預けた。
それが後の木曽義仲です。

清和天皇の子が臣籍降下して起こった清和源氏の中で、もっとも実力があったのは河内源氏。
その嫡流が源為義で、その嫡男が義朝。
でも義朝は父と不仲で、嫡男の仕事を放り投げ、無断で関東に下り相模で勢力を伸ばした。

義賢は、兄・義朝に代わり、河内源氏の嫡男優遇で、父とともに京にいて軍事的な仕事で実績を残していった。
この時点で、河内源氏の実質的嫡流は義賢になった。
義朝の勢力増進に危機感を持った為義が、義賢をそれに対抗させるべく上野に派遣した。

そんな複雑な情勢の中、主人を討たれた実盛は、元の鞘・義朝方に戻りました。
保元・平治の乱では、義朝方として戦ったが、平治の乱で義朝が討たれると、地元関東に落ち延びた。
その後、「平家であらずんば人にあらず」の世の中になり、平家方の有力武将として働いた。

主人・義朝の嫡男・頼朝が、平家打倒の旗揚げをしたが、平家に義を立てた。
平清盛の嫡男・小松重盛は、既に世になく、その嫡男・維盛の後見役として、維盛とともに頼朝軍と戦い不戦負けした「富士川の戦い」に従軍した。
頼朝は関東の地固めを優先する間に、木曽義仲が北陸道を京に向かって進撃する。
一連の源平の合戦で、初めて両軍が正面衝突した「倶利伽羅峠の戦い」で、平家が大敗したが、ここ篠原で態勢を立て直し、再び両軍相まみえた。

能登ツーリング・1日目 2/10
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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