5/10・能登ツーリング1日目 その2

「京都東IC」で下車し、湖西道路を北上します。
湖西道路は、一般道に降りることもありますが、制限速度70km/hの高速道路並みの高規格な元有料道路です。
ネット地図検索した時間より、所要時間を短縮出来ます。
北小松でバイパスから一旦R161に降ります。

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6:26、「白鬚神社」で激写休憩します。
グループツーリングで、何度か前を通過しましたが、寄り道するのは初めてです。
全国に多数ある「白鬚神社」の総本社なので、以前から訪問してみたいと思っていました。

『垂仁天皇25年倭姫命により社殿を創建したと伝え、白鬚神社の総社でもある。その後慶年間に豊臣秀頼により境内の整備が行われ、本殿は1603年片桐且元を奉行として、播州の大工により建立された。建物は、地垂木(じたるき)の長さを節約し、軒先に支柱を入れているため、外見は軽快さに欠ける。屋根は、明治12年に向拝の軒先を切り縮め、現拝殿を付加したため権現造風となり、雨仕舞を考慮して、柿葺を檜皮葺に改めている。本殿は、大型で向拝の手挟み・蟇股などの絵様に、桃山期の特徴をよく表した優れた建物である。また1624年建築の旧拝殿(現絵馬殿)を除く社殿も慶長復興期のもので、近世の社殿配置を残す神社としても貴重である』

主祭神は、猿田彦命です。
猿田彦は、天照大御神の孫ニニギが、葦原中津国(日本列島)に天下った天孫降臨の際、ニニギの道案内をした大国主命同様地上にいた神です。
天照大神が天岩戸に隠れた時、岩戸の前でストリップをして男神達から拍手喝さいを浴びた天細女命の旦那さんです。
在所は伊勢の五十鈴川の辺りで、後に倭姫命が斎王として天照大神を祀る宮候補地を探している時に、自分の在所に案内したといわれている。
道案内の神であるので、後に道中の安全を守る道祖神・才の神に発展する。

鉱山にもよく猿田彦命が祀られています。
きっと「鉱石への道に導き給え」という信仰でしょう。
猿田彦は、天細女同様、映画で言えば主演でも二枚目でもない名脇役で、好みの神様です。

伊勢に導かれた倭姫命が、天照大神を祀る最適地に導いてくれた猿田彦命をここに祀るのも面白いな。
斎王は、天皇の皇女で、穢れを嫌う神様の世話をするために、処女のまま神様のお世話のためだけに生涯を送ります。
アジアでは、君主は男子、あるいは男系が主流です。
天皇家も、男系天皇を貫いてきたので、理論的には神武天皇のY染色体が今の天皇にまで遺伝しています。
女系天皇を許すと、神武天皇から続くY染色体が次世代に遺伝しません。

男系男子皇族が枯渇し、ピンチヒッターで女性天皇が登場することはあっても、処女天皇で完全避妊を貫き、争いの種になる女系子孫を残さないようにしてきました。
皇女は、早い段階で皇室の外に出します。
その出し先に、神の世話に徹する斎王があります。

倭姫命は、甥のヤマトタケルが東国成敗のために伊勢に立ち寄った時、ヤマタノオロチの尾から取り出した天叢雲剣を与えます。
古事記・日本書紀に何度も登場する重要人物です。

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秀吉亡き後も、豊臣家はその膨大な財力故、権力者の徳川家康から睨まれ続けました。
そこで豊臣家は、二心のないことを示すために、全国の寺社の普請に財力を使いました。
しかし、この行動は寺社やそれを支える一般庶民の豊臣人気につながり、却って家康から猜疑心を持たれ、痛し痒しでした。
その普請の1つなのでしょう。
その普請の番頭役が、片桐且元だったはずです。
琵琶湖に浮かぶ鳥居や、本殿裏の摂社なども楽しみました。

高島から、「高島バイパス」に乗ります。
終点のマキノから、またR161に乗り、近江・越前国境の山を越えます。
「敦賀IC」から北陸道に乗ります。
家内と自転車で走った旧北陸本線トンネル群の時見た景色が高速脇に見え隠れします。

7:50、白鬚神社以来の休憩です。
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トイレに入ると、『バイクの死亡事故多発!高速道路での死亡事故が連続して発生 4/1~27日11名死亡(内バイク5名) 
NEXCO中日本管内』という張り紙がありました。
四輪に比べ圧倒的に通行量が少ないバイクが、死亡者の半数を占めるんだ・・・ここまでも120km/hぐらいで、他の四輪を縫うように抜いていくバイクに、たくさん抜かれました。
僕は、バイクなんぞで命を落としたくない。

昔で言うなら、戦場に向かうのではなく、遊びで馬に乗って落馬で死亡したようなもの。
家族を養うために仕事という戦場で闘い、立派に死んでいきたい。

能登ツーリング1日目 1/10
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5/10・能登ツーリング1日目 その1

コーチしている大学ヨット部の新人勧誘の1ヶ月、それに続くGWの長男一家の帰省も終わり、通常の日曜日に戻りました。
家内は用事があるということなので、参加してるツーリングクラブのイベントに行こうかな?
と調べたら、参加人数が10名を超えており、見合わせました。

10台以上のバイクが並んで走ると、存在感がありすぎて、「ど~や」な感じがして恐縮します。
以前、爆音バイクが1台混じったツーリングに参加したことがあり、周りに迷惑をかけている集団にいる自分が嫌になりました。
その方も話せば良い方ばかりなんだけど、僕にはどうも・・・。

そこで、今年初めての宿泊ツーリングに出ることにしました。
目的地は、新幹線開通で話題の北陸です。
グルメ旅や名所旧跡巡りには興味が無いので、絶景・寺社・歴史を巡ります。
メインディッシュは、NHK朝ドラ・「まれ」の舞台・輪島です。
「間垣の家が見たい」!

自宅~敦賀の距離と所要時間を調べます。
名神高速171km・2:18、
舞鶴道203km・2:44、
名神・湖西道路139km・3:41、
R162経由下道161km・4:27(小浜から舞鶴道利用で時間短縮)、
R173経由下道164km・5:29(綾部から舞鶴道利用で時間短縮)を並べて検討しました。

高速道路は事故=死なので、気を使って疲れます。
80km/h巡航・SA毎休憩(60km)が最も疲れないのですが、周りの車が速い高速道路は、あまり走りたくありません。
つまらないし、恐怖だし・・・

1泊なので、距離的に半分になる輪島泊としました。
輪島観光協会ウェブサイトに載ってる民宿に電話しました。
1件目はダメ、稼いだGW直後の日曜日なので、お休みするのでしょう。
2件目の「海岸通り・素泊まり3500円」さんにお願いしました。

荷物を用意します。
お土産などで荷物が増えるので、早朝バイクスタイルからカッパを降ろします。
春秋はコミネ・プロテクターメッシュ上下の上からDAIWA釣りスーツを着るので、カッパ代用です。
追加する物は、コミネ・コンパクトモーターサイクルカバー、コミネ・ディスクロック、ワイヤー+南京錠、夜間走行時に着用するコミネ・セーフティメッシュベスト、着替えの靴下・下着、外出用パンツ・トレーナー、タオル+歯ブラシ、Nexus7以上です。

ツーリングマップルを広げ、コースを設定していきます。
「まれ・ロケ地」検索したポイントを加えます。
いつものように欲張った計画になり、特に2日目の600kmに迫る距離は、実現不可能です。
まあ、いつもの様に適当に端折って行きましょう。

5/10(日)は、4時に目覚めました。
荷物を点検し、春秋バイク装束に着替えて、倉庫から「招き猫CB400SB」を出します。
4:55、近所の御用達ESSO伊丹産業SSで給油。
192km/9.4L=20.4km/L。

R171を東に向いて走りだし、豊中ICから中国道に乗ります。
名神に乗り換え、5:38、「桂PA」で車載カメラをセットしました。
この旅は長丁場で、電源ON・OFFが面倒なので、ドライブレコーダーのドライブマン1080を使いましょう。

気持良く出発し、京都南ICの出口を過ぎたとこで、後ろから追い抜いていく車からクラクションを鳴らされました。
助手席の彼女が窓を開け、僕の後ろを指差します。
「あれ?」、すぐにバイクを路肩のゼブラゾーンに止めて後ろを見ると、リアボックスの蓋が開いたままです。
カメラをセットする時に、座席に座り角度調節した直後に出てしまったようです。

「うわ~、やっちまった~」
落し物はないかと確認しましたが、幸い何も落としませんでした。
衣類や当座使わないものは、ウォータープルーフ釣りバッグに入れて、リアボックス前にネットで固定していますが、鍵がかかるリアボックス内は、貴重品・カメラの望遠レンズ・NEXUSなど高額品も入れています。
ありがとうございました。
実にラッキー、幸先の良い旅立ちです。

5/6・GW終了

飛行機が始発便なので、6:15に長男一家を乗せて自宅を出ました。
今月末のアメリカ出張の場所を聞くと、シカゴとペンシルバニア州のフィラデルフィアだそうです。
シカゴは子会社があり、よく行っています。

「ペンシルバニア州立大学は、アメリカンフットボールの強豪校だよね」と言うと、州立大とアイビーリーグの私立ペンシルバニア大学の両方があり、私立大の方で大きな学会があり、それへの出席をメインに行くそうです。
アイビーリーグの大学なので、ハーバードと並ぶ最難関大だそうです。
ペン・ステイツと混同していました。
この学会には、毎年会社を代表して出席しています。
そのついでに、子会社などを回り仕事をしてくるそうです。

ここ数年、時差の大きなアメリカを担当しているようで、早朝や夜中にTV会議があるとか以前も言っていました。
最若手で、会社の経営会議のメンバーにも抜擢されているので、自分の担当分野と両方で大車輪です。
でも、学生時代と変わらぬ雰囲気で、奥さんのサポートも得ているのだろう、以前同様楽しそうに人生を歩んでいます。
親から見ると、楽しそうにしているのが一番の親孝行です。

次男も長男も、笑顔が絶えない好青年で、素晴らしい子育てをした助手席に座る家内に大感謝です。
いつものように、伊丹空港北ウイング・JALカウンター前で長男たちを下ろし、遼くんとバイバイしてGWが終わりました。
ああ楽しかった。

次男夫婦は、2週間後の5/23に、出身大学ヨット部80周年で帰省するので、GWでの帰省はありませんでした。

5/5・桜谷軽便鉄道ムービー

1時間半を経過すると、お客さんが減り、並ばずとも乗り放題になりました。

子供だけSLに乗車出来ると、案内が流れました。
乗りたいけど、遼くんは立ち上がったりしないかな?
パパが遼くんを抱えて、乗りに行きました。
難なくオープン車両の少し大きな男の子の横に座り、SLが引っ張る客車1両に横2人縦3列・6人の子供が乗り込みます。

ホイッスルが鳴り響き、ポイントも自動で動きます。
大声を出せば聞こえる距離の2つの駅間ですが、無線音声が途切れることなく聞こえます。
ミニな軽便鉄道ですが、鉄ちゃんスタッフ大集合の本格的鉄道です。

「ポー」、期間車の横から蒸気を吐き出し、SLが動き出します。
意外に軽快な動きです。
最後尾の左座席遼くんは、隣の少し大きな男の子に右手を握られ、問題なく座っています。
「ポーポー」、風の谷駅に戻ってきました。

「切符がいる人は、風の谷駅に行ってね~」の案内があり、遼くんももらいに行きました。
SLが2両とも車庫入りし、電車も随時車庫入りします。
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切符をもらって満足したのか、電車にもたくさん乗れて、遼くんも満足気に落ち着いています。

運転会終了の15時になったので、僕の歩いてきた道を帰ります。
風の谷駅裏から敷地外に出て、少し歩いて車に乗ります。
2時間たっぷり、休みなく乗れて、まして2歳の子がお客さんを載せた電車の運転もさせてもらって、無料です。
親子ともども大満足の2時間でした。

バイクタンデムツーリング用の小さな折りたたみ椅子を4脚持って行っていました。
僕は遼くんの追っかけスタッフで席につく暇さえありませんでしたが、家内によると時々座れて楽だったとのこと。
ちょっと点数を稼げました。

R477~R173で池田経由で帰宅しました。
鯉のぼりを片付け、ボールで自宅前の路上で遊びました。
遼くんは、時々上手にキックできて、半分ぐらいママのスローをキャッチ出来ました。
17:30に再び出発し、「スシロー」で夕食をして3日目・最終日がお終いです。

桜谷軽便鉄道
21分頃に運転シーンが・・・

5/5・桜谷軽便鉄道

妙見ケーブルのりばを越え、小さな列車信号に到着しました。
ここでみんなを下ろし、僕だけ裏の住宅地に駐車しに行き、「風の谷駅」と小さなプレートの掛かった扉を開けてフェンス際の細道を下ります。

13:22、長男が遼くんと一緒に順番待ちの列に並んでいます。
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「桜谷軽便鉄道」のプレートの掛かった「風の谷駅」裏扉から、鉄道スタッフの方に「ここから入っていいですか?」声を掛けると、「いいですよ」とのこと。
僕が入ると、「線路を渡る飛石を歩いて行ってね」と笑顔です。
個人が趣味で運行している鉄道なので、スタッフも鉄趣味の方でしょう。
満面の笑みです。

歩いて駅に入ると、ちょうど家内とお嫁さん・遼くんが、電車に乗り込むところでした。
ここから怒涛の連続乗りが始まります。
降りてきたら、「また乗る」と言い、また列に並びます。
新聞で紹介されたということで、人気爆発を恐れていましたが、適当な人数で1回待ちですぐに乗れました。

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電車が3車列に増え、途中からSLも走りだしました。
SLは、ミニながら石炭を入れて蒸気で車輪を回す本格的な作りです。
石炭が少なくなったのか、蒸気パワーが落ち途中でSLがリタイヤして、スタッフが手押しで車庫に戻したり・・・
電車が脱線して、スタッフが枕木と鉄バールで車両を持ち上げて復旧させたり、手作り感満載で、とても楽しい。

脱線箇所では、スタッフが腹ばいになり、電車が通る度に脱線の原因を探っています。
横にはシャベルを持ったスタッフが・・・。
JRの鉄道保守マンみたい。
トラブルが起こると、「待ってました」とばかりに若者スタッフが駆けつけます。
楽しそう・・・

最初に配られた整理券順に、体験運転さえ出来ます。
当然スタッフが付いて、細かく運転を指示してくれます。
番号が呼ばれ、順番に子供たちが体験運転します。
その車両にもお客さんが乗っており、親が笑顔笑顔で、カメラ片手に走り回っています。
小走り程度のスピードなので、真横からずっと撮影し続けることもできます。

遼くんも整理券16番をもらっていました。
長男が、「とても運転なんか出来ないわ」と残念そうな顔をしていましたが、とうとうその順番が巡ってきて、「ママの膝に載せて運転できないか」と、聞きました。
スタッフは慣れているようで、「お母さんは後ろの席に乗っていてください」と、遼くんをスタッフが膝に乗せて、鉄道マンの本格的な帽子を被らせて、運転させてくれました。

ママの方に行こうとするのではないかと危惧したのですが、遼くんはスタッフさんの言葉を理解したのか、真剣に前を向き、ママなど振り返ることもありません。
「ピユーイ」、出発のホイッスルが、スタッフから発せられます。

「プーン」遼くんがホーンを鳴らして出発です。
スムーズに動き出し、嬉々として運転しています。
僕・長男がムービー班で、家内がカメラ班となり、3人で追いかけます。

前の電車が止まったので、転回点の「桜谷駅」で小休止です。
ラッキーにも少し長く運転出来ます。
再び発車し、脱線もせずお客さんを「風の谷駅」に届ける事が出来ました。
ちゃんと停止線の赤旗の手前で停めて、運転体験終了です。
ありがとうございました。
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5/5・五月山動物園

4時前に目覚めたので、明るくなるまでゴソゴソし、早朝自転車でいつもの猪名川土手コースへ。
29:34・7.23km・平均14.7km/h・最高36.5km/h。
遼くんと庭で、僕の草刈りの相棒・四輪椅子車・「草刈まさおくん」で、遊びます。
外に行くというので、表の道路に出て、遼くんを乗せてえっちらおっちら押します。
交差点で「あっち」と指示してきます。
パパが鯉のぼりを上げるのを見上げて、9:30に出発しました。

この日のメインディッシュは、「桜谷軽便鉄道」です。
13~15時が運転時間なので、その前に「箕面の滝」に行こうと長男からリクエストがありました。
R171から箕面入りするのも芸がないので、五月山ドライブウェイから行くことにしました。
廃園になっているかもしれないが、子供たちを連れて行ったことがある「五月山動物園」を探すと、まだ道標があったので、急遽寄り道します。

意外に五月山界隈が混んでおり、最寄り駐車場は満車でした。
「五月山・緑地駐車場」に入れて歩きます。
池田市営のようです。
動物園は健在で、しかも無料でした。

珍しい動物もいないし、小さめですが、小さな子にはアトラクションなど要らないから、丁度良い大きさかもしれません。
幼児連れの親子で適当に賑わっており、とても楽しめました。
子供たちと、最もよく行ったのが「宝塚ファミリーランド」でした。
小規模の動物園+小規模遊園地の組み合わせで、派手なアトラクションなどありませんでしたが、コンパクトで歩き回る必要がなく、幼児の足でも疲れません。
東京ディズニーランドを筆頭に、大型化・派手化で大量のお客さんを集めますが、遊園地・動物園の数が、大きく減ってしまいました。

ラマ・羊・ポニー・ミューがおり、アイスクリームのモナカの外殻に入った「動物のおやつ」を各所に設置された自販機で購入し、動物にあげます。
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遼くんは、ミューが怖かったけど、ラマや羊にはあげられました。
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他に、カンガルーや豚・狸がおり、触れ合うコーナーには、うさぎや陸ガメ・鶏がいました。
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遼くんも楽しめたようで、次に行かないと駄々をこねましたが、9:30に出ました。

僕が車を取りに行きました。
「9:37-10:45・200円」でした。
動物園前でみんなを乗せ、10:55・「五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路)」300円。
ここは元私営だったはずですが、池田市営になっていました。

ドライブウェイを上がり、止々呂美林道との交差点を過ぎ、箕面ダムからr4。
猿の集団には会えませんでした。
r43を南下し、駐車場に入ろうとすると駐車場待ちが発生していました。

遼くんが寝てしまったので、長男夫婦だけ降りて滝に向かいました。
少しずつ進み、「もう帰って来そうだから、列から離脱しようか」と思いましたが、僕の番が来たので「箕面大日駐車場・1000円」に入れました。
僕らは遼くんの寝顔を見ながら、駐車場でおしゃべりしていました。
やがて遼くんが起きたので、お嫁さんに連絡しようと携帯電話を取り出すと、圏外になっていました。

僕だけ、電波の届く場所を探し駐車場内を南に歩いていくと、ちょうどトイレの所が圏内でした。
「電話する前に、おトイレを拝借しよう」と思った時に、「お父さ~ん」という長男の声が聞こえました。
滝まで10~15分歩いたそうです。
車に戻ると、家内が汗をかいていた遼くんから服を1枚脱がせていました。
車内で、長男たちが買ってきてくれた焼きそばを食べ、次に出発です。

5月の陽気に誘われて、毛虫が路上の木々からたくさんぶら下がり、フロントガラスに衝突します。
なんとか死亡を免れた尺取り虫が、フロントガラスを這っていて、気になります。
助手席のサイドドアに、尺取り虫が2匹もくっついて、「気持ち悪~」と家内の不評を買っています。
路上には、この季節特有のずんぐりむっくりの毛虫が横断しています。

r43~r4~R423を北上、妙見口を左折し、r4で野間峠を越え、野間口からR477を南下します。
今でも兵庫県と大阪府の境になっている「大槌峠」を越えます。
かつて戦国時代は、同じ清和源氏・摂津源氏系の能勢氏と、「山下」本拠の塩川氏の勢力が争っていた峠です。

5/4・春日大社・興福寺

遣唐使・阿倍仲麻呂「天の原、ふりさけ見れば、春日成る、御蓋の山に、いでし月かも」
新古今和歌集で有名な和歌の石碑が立っています。

『吉備真備たちと、ここ春日大社で壮行神事を受けて出発しました。家庭履修後は、仲麻呂のみ乞われて唐朝廷に残り、要職を歴任した。53歳の時ようやく一時帰国を認められ、蘇州出港前夜、船の中で詠んだのがこの歌です。ところが乗船は難破しベトナムに漂着、かろうじて首都長安に戻ったものの、ついに帰国の夢虚しく70才で亡くなりました』

春日大社は大変な人出でした。
20年毎の式年遷宮の機会を捉え、本殿特別拝観が行われていました。
今度は遼くんを僕が抱っこして、チャリン・ガラガラ・パチパチ。
11:53、摂社の「夫婦大國社」
夫婦円満は、幸せな人生の必須アイテムです。

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お嫁さんと姪が水占いをします。
社務所で授かった「おみくじペーパー」を、境内の水鉢に浮かべると、文字が浮き出てきます。

ここから興福寺に向かって、西に下ります。
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「菊水楼」前を通りすぎて、12:27到着。
菊水楼の菊水紋を見ると、いつも楠木正成を思い出します。
後醍醐天皇から、建武の中興の義に感謝して、天皇家の菊の紋を賜りました。
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国宝の五重塔が立派です。
「国宝館」に入ります。
奈良時代の国宝の仏像が千手観音像を中心に、ズラリと展示されています。
女性に大人気の「阿修羅像」前はやはり長めに鑑賞される方が多いです。

東大寺に戻ります。
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途中に「せんとくん」の像があり、記念写真をパチリ。
13:22、駐車した「ふれあい回廊」に到着し、家内と奈良散策した時に食べたお店で釜飯セットを食べます。
長男と僕がうどん付きを注文したので、2杯のうどんを遼くんはペロリとしました。

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続いてここにある「大仏プリン」です。
僕は大が欲しかったのですが、「大は食べにくいから」と家内からダメ出しが入り、小を我が家用に4つ、前日におすそ分けを頂いたお隣さん用に3つ、姪の家族用に5つ購入しました。

駐車料金は、9:26~14:17・3500円-2000円=1500円。
県営駐車場より500円プラスでした。
R169を南下し、「天理IC」から西名阪道、松原から阪和道で南下し、岸和田の弟の家に姪を送ります。
妹のお姉さん夫婦がいたので、家内が機転を利かし、急遽我が家の分の大仏プリンもプラスしてお土産にしました。
僕には、この機転がないなあ・・・

阪和道~近畿道~中国道~R171で近所まで戻り、16:58・伊丹空港北端の公園で、飛行機の離発着を見ました。
僕は遼くんと遊具で遊びました。
夕食は、家内が作った細うどんをみんなで食べました。
これで2日目もお終い。
また20時台に寝ました。

5/4・東大寺

今夜、次男夫婦が帰省します。
明日、次男出身大学ヨット部の80周年記念クルージングがあるので、夫婦で参加のためです。
僕も、そのクラブのコーチをしているので、一緒に参加します。
琵琶湖遊覧船・ビアンカを貸し切ります。

次男が70代主将で、今年が80代・・・僕のこの大学ヨット部コーチ歴も13年になりました。
その前に、母校ヨット部コーチ歴が5年ほどあり、設立したジュニアヨットクラブコーチ歴も2期に分けて、13年ほど。
高校大学での現役ヨット部員歴が7年・・・
高校で出会ったヨットの世界を、ここまで楽しんでこれるとは・・・今更ながら、ヨット部試乗会のたった1日の大きさに感慨深い・・・

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GW・長男一家帰省2日目のメニューは、日本最初の官営寺・奈良東大寺~藤原氏氏神・春日大社~藤原氏寺・興福寺です。
前日、長男一家とともに実家に泊まった姪も車に乗せ、8:30自宅を出ます。

中国道~近畿道~第2名阪道で奈良盆地に入りました。
県庁前の公園にいる鹿を横目に東大寺駐車場に入れようとしましたが、既に満車とのこと。
春日大社県営駐車場を紹介されますが、東大寺近くに駐車したかったので、昼食を取る予定の「ふれあい回廊・「夢しるべ風しるべ」」駐車場に入れました。
2000円以上お買い物で2時間無料です。

東大寺参道に行くと、早速鹿がいっぱいいます。
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鹿せんべい屋台も出ており、早速それを買って鹿にあげます。
というより、買う時点で鹿が横に寄ってきて、催促の突っつきが始まります。
長男は、「お腹を噛まれた~」とワイワイ、姪・お嫁さんもワイワイ。
遼くんも挑戦しましたが、鹿さんの顔がグングンくるので、1回しかあげられませんでした。
「怖い」と、お父さんやお母さんがあげているのを、「こいつら危ないかも?」という目で見ていました。

僕は、雄の角を触ってみました。
意外に柔らかでした。

入場料を払って大仏殿に向かいます。
お嫁さんは、初めての奈良県入りだそうで、その巨大さに驚いています。
大仏殿に入り、巨大な盧遮那仏を遼くんは指差して見上げています。
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叩いても良い鐘があり、ポンポンと叩いてごきげんです。

裏にまわり、大仏さんの鼻の穴と同じ大きさだという柱の穴に挑戦するため、家内が先に順番取りのために並びます。
体格的にちょっと厳しそうな男性が、一旦突っ込んだので、必死で抜け出ようと頑張っています。
見るからに「アウトでしょう」な女性が、「行けるかなあ~、いや~絶対あかんわ~」と・・・周りは笑顔と笑い声でいっぱいです。

僕らの順番が来ました。
姪が、「うわぁ~狭い、縦にならないと・・・」と通過。
嫌がるかもと思っていた遼くんは、すんなり穴に入って行きましたが、身体の小ささ故、穴の中で身体を反転し、足から出ようとしています。
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「遼くん、手からおいで」と手を引いて促すと、そのままの状態で出てきます。
スマートなお嫁さんも、難なくクリア。

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大仏殿を出て、それをバックに僕がみんなの集合写真を撮っていると、後ろの年配の白人さんが、遼くんが可愛いと写真を撮ってくれました。
長男がなんかしゃべっています。
小学生の頃通った子ども英会話教室でも、白人の先生がお気に入りでした。
Thank you!

大仏殿を出て、春を呼ぶお水取りで有名な「二月堂」に向かいます。
10:48、到着。
続いて春日大社に向かいます。
若草山の前で、「豆腐ソフト」を姪と長男一家が食べてクールダウン。
曇り空ですが、遼くんは半分ぐらい歩いているので暑そう。

ここも鹿がいっぱいで、注意深く歩いたり、大きいのが行く手にいると、パパ抱っこで危険回避しています。
慎重派のようです。
春日大社の神域に入り、お賽銭チャリンしたい遼くんをママが抱っこして「一言主神社」で手を合わせます。
チャリン・ガラガラ・手を合わせる動作をしっかり覚えています。
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ママと遼くんは、ニューバランスのシューズ仲間です。
チビながら、かっこいい。

5/3・ヨット

東出入口からハーバーの外に出て、メイン・ジェノアともにフルセイルで帆走開始。
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すぐに弟・妹・姪にステアリングを渡し、僕はセイル担当になります。
風向は、E~SE~Sに変化して行きましたが、2m/sほどの風速しかなく、しかも無風エリアも存在する不安定なコンディションです。
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やがて無風になり、機走に切り替え、六甲アイランドのコンテナヤードで、コンテナ船に積み込んでいるコンテナ作業を見学し、フェリー乗り場・海上自衛隊阪神基地を見て、帰路に着きました。

「関西インカレ・春季」のレース日で、母校後輩他学生ヨットが多数出ていましたが、この風ではレースにならず、風待ちで漂っているだけでした。
かわいそうに・・・。

12時にハーバーバックし、13時には自宅でワイワイする予定でした。
芦屋沖で家内に現状報告すると、お嫁さんが新潟に靴下を忘れてきたので、4人で車に乗ってイオンに向かったそうです。
しかし、駐車場渋滞が発生していたので、靴下購入を諦め、ハーバーに向かっているそうです。
ハーバーレストランで、昼食を取ることにしました。

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12時にセンターハウス前に着き、駐車場から歩いてきた長男一家に手を振りました。
孫くんも僕と分かったようで、笑顔をくれました。
バースに係留し、レストランに向かいます。
いつものランチでワイワイやっていると、ふと隣のテーブルで1人で食べてる青年に目が留まりました。

「あれ~近藤くん?やっくんだよね」、次男とジュニア時代に何度もレースで競い合った葉山ブルーアンカージュニアの
やっくんでした。
僕がジュニアヨット協会理事をやっていた時、ヨーロッパ選手権日本代表チーム強化・遠征担当でお世話した選手でもあります。
お姉ちゃん2人もヨットをしており、近藤3兄弟として有名でした。
長女さんは、北京・ロンドンオリンピックの日本代表になり、ロンドンの時は兵庫ジュニアで次男と同級生だった女の子と組んで出場しました。
彼女も小・中学生の時はコーチしたし、彼女の高校ヨット留学の橋渡しもしました。
ということで、「教え子がオリンピック選手になりました」が、僕の小さな自慢です。

ジュニア時代に関わったやっくんとは、親子ぐるみの知り合いです。
ジュニア卒業後も、2年に1度ぐらいは、どこかの大会で会ったりしていたので、「お~久しぶり~、お母さん元気?なんでここにいるの~」と話の花が咲きました。
アイシンから東京のIT会社に転職し、社長がここに置いているグランドバンクスの整備に来ているそうです。
GWは、社長と社員数人で小豆島経由で広島までクルージングするそうです。

みんなで我が家に帰宅し、ワイワイガヤガヤの続きです。
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先日京都で買った「五月武者飾り人形」を長男が組み立てます。
怖がるかな?と思っていた遼くんは、大喜びで兜を被って鏡を見てはしゃいでいます。
衝動買いした甲斐がありました。

夕方になり弟一家が帰り、鯉のぼりを片付けた後、僕らはうどんを食べに「のら家」に行きました。
遼くんは熱も下がり本調子になり、長男とお嫁さんが注文した大盛りを両方からもらい、更に僕のうどんも提供し、モリモリ大人1人分以上食べました。
これで、初日はお終いです。
僕らは、20時台に寝てしまいました。

5/3・長男一家帰省・ヨット

5/2・土曜日夜に、長男一家(長男・お嫁さん・嫡孫くん)が、帰省しました。
お嫁さんと嫡孫くんは、実家の新潟から20:30着の便で・・・長男は、東京から20:15着の便で・・・

長男は、GW前に10日ほどアメリカに出張だったので、お嫁さんと孫君は先に実家に帰省しました。
長男はアメリカから帰国後すぐに新潟に行き、GW前半は新潟で過ごしました。
4/30・5/1は仕事があるので、東京に一旦帰り、GW後半を我が家で過ごすために、伊丹空港で合流しました。

僕ら夫婦は、一家を迎えるために20時に自宅を出て、JAL到着ロビーで待機しました。
新潟便も東京便も、遅延なく定刻到着です。
家内の予想雨通り、先についた長男は、到着デッキで2人を待ち、20:40頃一緒にロビーに出てきました。
我が家は空港ロビーまで車で10分ぐらいなので、「着いたよ」の電話をもらって自宅を出発しても、お迎えに間に合います。
美人のお嫁さんと、いつも垢抜けたかっこいい服を身にまとっている孫くんを見ると、東京のスカウト銀座を歩いたら、親子でモデルにスカウトされそうだなと思います。

自宅に向かう途中、信号に止まると、孫くんが「イオン」と指さしました。
「イオンがあるの?何処かな?」とみんなで探しますがわかりません。
信号が青になり走りだすと、ガソリンスタンドの小さなイオンカードの看板が見えてきました。
アルファベットのロゴマークだったので、「アルファベットが読めるのか、凄い」と思いましたが、紫カラーとロゴマークを丸覚えしているのでしょうね。
「ブーブーご飯」とGSを指さし、ちゃんと会話になっているので、前回会ったお正月から急成長しています。

5/3・日曜日は、弟一家とともにヨットに乗る予定です。
僕はいつもどおり4時に目覚め、天気予報などをチェックしながらゴソゴソします。
バイクでひとっ走りしたいですが、さすがに長男一家が帰省している日に、家内だけ置いて出かけられません。
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陽が昇ってから、自転車で猪名川土手定番コースを走りました。
31:54・8.06km・平均速度15.1km/h・最高速度31.8km/h。

帰宅後、隣の実家で宿泊した孫くんに、「おはよう」を言いに行きました。
JAL飛行機のミニチュアを、もらったそうです。
鯉のぼりを長男が上げるのを、孫くんと一緒に見上げます。
遼くんは2才なので、ちゃんと喋れませんが、「パパ」「青、遼くん」と手を叩いて大喜びです。
去年、息子たちの鯉のぼりを引退させ新調しましたが、去年も大喜びしてくれて、嬉しい限りです。

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なんだかんだ孫くんと遊んでいたら、ヨットハーバーに出かける9時になってしまいました。
長男一家も参加予定でしたが、遼くんが新潟での最終日に熱を出してしまい、前日の昼食・夕食・今朝の朝食と食べなかったので、大事を取ってお留守番です。
僕だけ通勤リード110に乗り、ハーバーに向かいます。

R171を西進し、9:40ハーバー着。
弟一家(弟・義理妹・姪)は、10分前に着いていました。
大学浪人生活を始めた甥は、予備校優先です。
ハーバーインフォメーションに、給油する旨声を掛け、船に乗り込みます。
先輩のクルーザーもクルージングに出るようで、クルーの皆さんと桟橋で会いました。

給油桟橋に船を横付けします。
10:11、軽油単価131円で満タンにします。

5/1・大野山 2/2

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先週、ワークマンで通勤用の靴を買いました。
バイク通勤なので、くるぶしを覆うロングを履いていたのですが、通気性がなく夏は蒸れていました。
ワークマンに靴下を買いに行ったら、「クール」を謳う安全靴を見つけてしまいました。
くるぶし上までのセミロングで、夏期間だけ使おうと早速履いていますが、草むらの朝露が靴を通り抜けて足が濡れてしまいました。
なるほど・・・

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アスファルトの路上を毛虫が這っています。
この季節になると、毎年たくさんの毛虫が路上を這う姿を目にします。
なんで彼らは、危険な道路を横断するのだろう。
鳥から隠れることもできないのに・・・。
草も生えないアスファルト道路が普及して長いので、いい加減遺伝子に刻み込まないと種の存亡にかかわるように思うのだけれど・・・。

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r319~r33~r325~長尾山トンネルで、7時過ぎに帰宅しました。
バイク装束を片付け、ゴミ出しして、朝食食べて、洗濯物干しをして、実家の外壁洗浄作業に入ります。
ケルヒャーの高圧洗浄器を出してきて、トリガーを引いてドア・窓ガラス・雨戸を狙い撃ちです。
この作業は楽しいのですが、もともとバイクと車の洗浄用に買ったので、水圧が低めです。
「イマイチなんだよね~」
車にもイマイチで、作業初日に、「やっぱりもっと高い高性能タイプを買ったら良かった」と後悔しました。
汚れが目立つとこは、ブラシでゴシゴシを併用しながら作業を終えました。

菖蒲の節句・武者飾りを箱に仕舞いました。
長男には新たに購入したことは言ってないので、帰省時のサプライズにします。
黒塗りの立派なケースを見て、これなんだろうとフタを開けると、武者飾り登場。
長男と嫡孫くんで、組み立てたら楽しいんじゃないかと思います。
僕もチビの頃、親父と一緒に飾って大喜びしていました。

2才になったので、室内用クッションボールと屋外用小型ゴムボールを買いました。
両方共500円ほどでお安いです。
今までのはソフトボール大だったので、次の段階です。
息子たちが使っていたサッカーボールなどは、まだ重すぎてお蔵入りのままです。

自転車用チャイルドヘルメットも買っちゃいました。
年齢に合わせると、アンパンマンなどの如何にも幼児のデザインなので、OGKのジュニア用・ブルーを買っちゃいました。
ツール・ド・フランスでも走れそうな、ジュニア用にしては最上級のかっこよさです。
僕と家内のヘルメットもOGKなので、お揃いです。
定価5000円で、僕のとあまり変わりませんでした。
僕が自分のを被ったら、被ってくれるかな?

ボールとヘルメットを、実家の仏壇前に置いて、ご先祖様の守護霊に乗り移ってもらいましょう。
嫡孫くんをお守りあれ!

5/1・大野山 1/2

4時に目覚めました。
着替えて玄関を出ると、星が輝いて見えます。
どうやら晴れているようだ。

倉庫から、「里山VTR250」を出して、GO!
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長尾山トンネル~r325~r33の定番コースで、4:47・西谷農協大池のほとりにバイクを停め激写。
夜明け前の時間帯、朝霧ではありませんが、湿度の高い里の白っぽい空に山の稜線が彩られ、静寂の風景です。
これから朝日が入るまでの時間帯が、1日で最も好きです。

ここで車載ムービーON。
r33~r319~r12に出て北上します。
杉生交差点手前のショートカット道に入り、r507~大野山アルプスランドを目指します。
夜明けの時間帯は、50%以上の確率で野生の鹿に会えます。

一方通行の1車線グニャグニャ道を、トコトコ登っていきます。
「いるかな?」「いるかな?」と期待しながらカーブを曲がりますが、猪名川源流まで登ってしまい、鹿に会えずじまいでした。

源流を曲がるとキャンプ場の利用者の車が数台停まっています。
バイクも2台。
テントも5張以上見えます。
無料で、24H・365日オープンで、斜面ですが適度に平坦地があり広く、手入れされた芝生のサイトなので人気のキャンプ場です。
展望台のある山頂なので、天体観測にはうってつけですね。
春・秋の晴れた気温差の大きな日には雲海が出ます。

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5:22、道の最高所の峠・展望台への分岐にバイクを停め、展望台の立つ山頂に上がって周囲の山並みの絶景を楽しみます。
ホントの山頂は東にあり、バイクからなら歩いてすぐですが、展望台の方が景色が良く好きです。
キャンパーさんが、起床後の朝のお散歩で上がっておられます。
黄砂で霞んでいるかなと思ったのですが、そうでもありません。

「キュイーン」、西のゴルフ場方向から、鹿の警戒声が聞こえました。
カメラをそちらに振ると、数頭の鹿が「岩めぐり」遊歩道に出て来て、下って行きました。
白いハートのお尻が可愛らしい。
朝日が、大野山山頂から顔を出しました。

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キャンプ場に入ってみると、「日光寺跡地」の看板が立っていました。
過日、修行の寺院庵があったのでしょう。
芝生の緑が気持ちいい。

杉尾交差点東西にある「杉生城址群」の若城攻めも予定していたが、4時に起きたのに思いの外時間を潰してしまい、後日に回すことにした。
翌日の晩には長男一家が帰省するので、彼らが泊まる実家の雨戸や玄関ドアなど外装を掃除しなければなりません。

帰路につきます。
鹿の集団が下っていった一方通行の下り道をゆっくり進みます。
道脇にチラリと1頭見えただけで、空振りでした。
r12~r319でr68交差点手前の気になっていた墓地前に、6:15バイクを停めます。

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六地蔵が門番をしており、予想通り集落の一世代前の墓地のようです。
山を適当に削って平坦地を作り、雑然と墓石が並び、無縁墓石を集合させています。
川を隔てたとこに現役の墓地が見えているので、そちらに移動させた残りなのでしょう。

現役墓地の近くに、藤の紫がたくさん見えます。
1本の藤つるが、大木に寄生しているように見えます。
バイクでそちらに行き、耕作放棄地の土手?を慎重に歩きます。
朝露に湿った雑草に覆われ、地面が見えません。
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藤が満開です。
そこからバイクを振り返ると、朝日を浴びて輝いています。

大野山 1/2

4/29・北摂能勢・上杉城址 2/2

5:47、県道まで降りてくると、県道が走る谷を挟んで三草山側の集落高所に、謂れ板を見つけました。
石垣で土台を固められた比較的大きな建物が見えるので、寺院に見えます。
バイクで登って行きます。

5:52、石垣に到着。
階段を上がると墓地がありました。
こちらが、上杉集落の現役の墓地ですね。
ご寺院風の建物ではなく、民家風です。
その上の郭に鳥居が見えるので、集落の氏神様かと思い探索します。
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階段を登った参道に「たけのこ」が数本頭を出しています。
撮影料をチャリンしてパチパチ。

下の寺院に回るが、ご住職の無縫塔が並ぶ墓地はあるものの寺院らしくありません。
この集落は三浦さんが多いようで、墓石に目立ちます。

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上杉城の尾根に目をやると、ここと同じぐらいの高さで、舌尾根は標高があまり下げずに、ダラダラと伸びている。
堅牢な城とはいえないな。
謂れ板を見ます。

『龍泉山・霊雲寺 1632年建立で、臨済宗妙心寺派。境内にあった五輪塔は、銘文「逆修一結衆18人」によると、死後の法事を修するという信仰で結ばれた人たちが、彼岸の中日を選んで供養塔を造立したと思われ、彫成の手法が極めて優秀で、時代を代表する名塔です』

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県道までバイクで下っていると、道端にピザ釜?がありました。
椅子が置いてあり、仕事後仲間と寄り合う場所なのかも?ピンクの満開のハナミズキと、白と紫の藤もお隣で満開です。
横のお宅がピザ窯も樹木も手入れしているのかな?素晴らしい。

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藤の花の蜜を好むクマバチが、たくさんたかっていました。
ずんぐりむっくり黒く大きめの蜂だけど、蜜を好むので、スズメバチみたいに肉食性ではないから、刺される心配は殆どありません。

r603を北上し、今西からr602、杉生からr12で南下。
六瀬からr319、r33~長尾山トンネルを抜けて7時頃帰宅しました。
途中でスーパーカブ2台とすれ違ったのですが、虎亀さんご夫婦の出勤かもしれない。
白スクータータンデム・アメリカン2台・軽四トラックと、いろいろで通勤されていますが、カブ2台は初めてです。
いつの間に増えたんだ・・・。

帰宅したら、家内は隣の実家ではなく自宅にいました。
手伝いを申し出ると、「バルサンだけしてきて。バルサンで燻煙して、明日から掃除するから」だって。
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ちょちょいとやっつけると、庭に新たな花が2種類咲いていました・・・激写。

NHKニュースを見ながら朝食を食べました。
祝日なので、上條倫子さん担当です。
可愛い・・・実に可愛い。
声もいい・・・首を振る度、ポニーテイルが可愛い。
見とれちゃってます。
去年春まで、おはよう日本・前半のキャスターだったのでよく目にしていたけど、夜のニュース7キャスターに移動し残念でした。
今年また朝に戻ってきて、休日の「おはよう日本」でキャスターをしてくれています。

北摂能勢・上杉城址 2/2

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明日は、「津黒温泉~美作北2号林道~人形峠~根和遠藤林道~美作北林道」を走りに行きます。
絶景林道だといいな・・・
通行止めでありませんように・・・

4/29・北摂能勢・上杉城址 1/2

4時に目覚めました。
倉庫から、「里山VTR250」を出して出発します。
メニューは、「上杉城址」「長谷の棚田」です。
昨夜、家内がバルサンとか隣の実家掃除用品を用意してたので、手伝いがあるかもしれないので7時に帰宅しよう。
GW後半に長男一家が帰省するので、家内が楽しそうです。
食材で冷蔵庫がまたいっぱいになりそう。

r13~r12~r12・旧道で、猪名川沿いを北上します。
数日前に通った工事通行止めの看板まで来て、「しまった~、この道ではr12に戻れないかも?」。
ゴルフ橋~R173回りに予定変更して進みます。
ゴルフ橋のr12・旧道通行止め看板のとこにいたガードマンさんに、「r12に出れますか?」と聞くと、「バイクなら行
けるよ」とゲートの一部を開けてくれました。

新名神のIC建設工事だと思っていたら、道路の幅半分が、猪名川に崩落しており、その復旧工事でした。
崩落するほどの大雨が最近降っただろうか?
r12~r12・旧道で、r68との交差点・「紫合」。
とても現代人では「ゆうだ」とは読めない古い地名です。
こういう古の土地の歴史を後世に伝える地名を見ると、先人の知性と価値観を感じます。

r603に入り、阿古谷川沿いを北上します。
「あこや」も難読地名ですね。
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満開の藤の花がぶら下がっていたので、激写休憩。
少し走ると、炭焼き窯?のようなものがあったので激写。
横にバラック小屋が建っており、作業小屋?居住者がいる?

怪しい一角です。
炭焼き窯入口は枝で閉ざされていましたが、石組みされており、上の球状の盛りが、古墳を想像させる。
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北摂にたくさんあるセキュリティーの全くされていない道端古墳にも、このような形状のがあるので、古墳再利用なのか
も?と想像が飛躍する。

三草山の枝尾根の舌先に建つ「上杉稲荷」上方に中世の山城・「上杉城」があるそうなので、尾根の地形を遠望しながら、上杉集落をウロウロしました。
野生の勘で「ここ」を感じた道は、「私有地・立入禁止」でした。
県道に戻り、適当な場所に停めます。

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5:27、ポスト脇に山道があったので、そこから城攻めに取りつきます。
すぐに自然地形ではない造作がありましたが、比高5m程なので、城の造作と確信できない。
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六地蔵があり、ポツンと五輪塔もありました。
一段上の郭に上がると、古い墓石が集められた墓地でした。
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五輪塔がたくさんあり、墓柱も数本立っています。
苔の生えた石で軽く区画されていますが、現役の墓地とは確信できない。
山道は、この墓地に続くもので、先に道はありません。

尾根までの比高は大したことないので、直登で尾根まで上がりました。
三草山に向かう舌尾根の勾配はなだらかなので、時々振り返りながら進みます。
生い茂った木々に遮られ、集落の目印が見通せません。
道無き道を直登したので、迷子になりそう。

5:36、明らかに舌尾根を切った堀切発見。
堀切を下って土橋を渡って城郭内に入る構造のようです。
自然風化で明確にはわかりませんが、虎口造作に見えなくもない窪みを経て、本丸郭です。
比高はほとんどなく、単郭の前線基地程度の造作に見えました。
鹿の足跡があったけど、鹿糞は見つけられず、鹿の生息は薄いようです。

北摂・上杉城址 1/2

4/27・摂津高山・天台山

4時過ぎに目覚めました。
速攻で着替えて、倉庫から「里山VTR250」を出します。
4:40に出発。

r13で川西能勢口、R176で池田、R173で少し北上し、R423で開始です。
今年初の箕面行きです。
止々呂美に近づくと、新名神の工事が更に進んでいました。
箕面グリーンラインとR423との交点を新名神が通るので、ICが出来ると聞いています。
仮設の橋が撤去され、別の仮設橋ルートに変更されています。

グリーンライン側道から箕面の山に入ります。
この止々呂美林道は、不法投棄対策で四輪通行禁止になったので、ほぼ交通量がセロになりました。
でも舗装はそれほど酷くなっておらず、好きな道です。
過去、鹿・猿・テン・リスに会ったルートなので、カーブを曲がるときはよりゆっくり曲がります。

5:10、いつも止まるところで激写。
ICが出来るだけなのに、山を大きく広く削っています。
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五月山ドライブウェイとの交点で、猿の集団に出くわしました。
エンジンを切り、みなさんが移動されるのを待ちます。
箕面の山は猿が多いです。
箕面の滝で餌付けしてたので、駐車場にも猿が常駐してたけど、今は餌付け禁止になったのでそれほど見かけなくなりました。
でも山には沢山いるので、このルートを早朝散歩すると、1/3の確率で猿を見かけます。

ドライブウェイを箕面ダムに向かい、ロックフィルダムを激写。
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新緑の薄緑部分が山に多くなり、山が最も美しい季節です。
僕は秋の彩りある山より、新緑の緑の共演のほうが好きです。
次の季節が夏なのも影響しています。

r4を高山に向かって北上します。
中世の山城・高山城址にも登ってみたいな。
5:43、いつもの棚田でまた激写。
水の入った水田があり、田起こし中の田も有ります。
兼業農家の多い都市近郊農家は、GWが家族総出の田植え期間でもあるので、出勤前のこの時間帯も仕事をしている人がいます。

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R423側に下る道で、鹿ポイントを眺めますが、朝日が上がり過ぎたのか、鹿の姿はありませんでした。
R423を西に越え、天台山側のr4を登ります。
前から気になっていた石碑の謂れ板前で停めます。

『川尻殿方庚申塔婆 平安時代に中国から伝わった庚申信仰によると、庚申の日の夜、眠らずに見を慎めば、災難が除かれるといわれ、人々は酒食をともにし、物語や遊芸を楽しむ行事となった。この行事を庚申待(こうしんまち)と言い、江戸時代には、町では商売繁盛、農村では豊作を願う行事となり、各地で庚申講の組織が進んだ。庚申塔婆の建立もこれに由来する。
この塔婆は、正面に地蔵尊を表す梵字の「イ」、その下に青面金剛(しょうめんこんごう)と刻み、両側に「亨保壬(寅)天十月八日」(1722)「施主六人」と刻まれている。青面金剛は庚申待に祭る本尊名である』

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八重桜が綺麗に咲いています。
天台山・光明山の高所を巡り、妙見山への道に突き当りました。
帰宅後の草刈りがあるので、時間に余裕がないから、そのまま下ります。
野間峠を越えて、R477を越えて、6:18・「野間の大ケヤキ」。
ワンちゃんお散歩のご近所おばさんに挨拶し、写真だけ撮ります。
鯉のぼりが上がっています。

r4~r601、r102で一庫ダム内側の細道をゆっくり流します。
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ダム湖面は緑の水草に覆われています。
バス釣りボート乗り入れ場には数台の車が来ていたが、この湖面に出て行くのですね。
釣り針に引っかからないのかな?
桐が紫の花を付けていました。
橋を渡ってr604に戻り、一庫ダム~R173で7時過ぎに帰宅しました。

30分ほど庭の雑草と格闘し、90Lゴミ袋1袋分の作業が出来ました。
あと1日あれば、庭作業を終えることが出来そうです。
土曜日には、鯉のぼりを上げる準備もやっつけたので、GWの長男一家を迎える僕の仕事もあとちょっとです。

摂津・高山 1/2

4/26・大学ヨット部・新人勧誘試乗会

国立近代美術館から疎水沿いを流し、東大路通を北上し、9:44・正門前到着。
大学内に駐車し、集合場所にいる部員のところに行くと、すぐに新入生がやってきて、5人乗せて10:00出発。
毎度の山中越で比叡山を越え、琵琶湖を眼下に見ます。
やはり黄砂がひどく、晴れてるのに湖面が霞んでいます。
近江神宮前から、10:33・ハーバー着。

またレスキュー要員に早変わりし、京都女子大生含め新入生8人乗せて湖上に出ます。
総勢35名・内女子9名という桃色気分の試乗会になりました。
朝は2m/sほどでしたが、4~6m/sベース・ブロー8m/sオーバーの三井寺のいい風になり、「脱線するかもしれないジェットコースター」と例えられるヨットのスリルを楽しんでもらいました。
女子がいると、黄色い声が上がりテンションアップします。

部員も新入生も大喜びの試乗会を終え、ハーバーバック。
15:56、女子6人乗せてハーバーを出て、合宿所に向かいます。
17:00からバーベキューが始まり、またまた恒例の新入生自己紹介が始まります。
入部宣言してくれる子も出て、恒例の胴上げが盛り上がります。

この日で今年の新人勧誘終了です。
この日で、新入部員が10名を越えました。
貴重な戦力・女子マネージャーも確定2名で+1~2名のようです。
GW後半のレースに向けて、練習再開です。

京都への送り届け第一陣は、僕の車でした。
念願の京都女子大寮方面です。
18:52、女子7名乗せてお色気ムンムンです。
まあ、姦しいですがそんなの小さなことです。

レスキュー上でヨットの事などたくさんおしゃべりしたので、時々いっちょ噛みしてもお話の輪に入れてくれます。
児童心理学を専攻したい子は、僕のジュニアヨットコーチングの方法など聞いて来ます。
湖西道路~R1~東大路通で、あっという間に京女正門前でバイバイです。
僕がUターンするまで道に並び、手を降って感謝してくれます。
いい子たちばかりだね。

東大路通~九条通~R1~名神~中国道で帰ってきました。
20:14、御用達GSで給油。
20:19帰宅。
家内が起きていました。
僕の夕食をササッと温めてくれ、食卓でそれを食べながら、家内のその後の行動などを聞きました。

家内の携帯電話のカメラ機能が壊れたので、先週僕が新しいのと交換してきました。
同じらくらくホンですが、万歩計が付いているようで、なんと1万歩も歩いたそうです。
壊れてしまった普段使いのカンザシを新調したそうです。
前のは百均で買ったというので、「自分に使うものはもっといいものを買った方がいいよ。女性は華なんだから、自分の華が百均になっちゃうよ。もっと値打ちがあるじゃん。京都でいいものを買いなよ」と先週言っておきました。
どうやらその言葉に素直に従ったようです。

4/26・京都瀧尾神社

摂社の三嶋神社がありました。
伊豆の三嶋神社と思ったら、京都の京都女子大近くに本社がある後白河天皇が建立した神社だそうです。

『往古は、摂津国嶋下郡(高槻市)三島江村に鎮座されていた。後白河天皇の中宮・平滋子建春門院様が、常に皇子のないのを嘆かれておりました所、世人から「三嶋大神は子を授け給う神なり」と教えられて以来、深くご崇拝されました。その後まもなく、高倉天皇をご懐妊になりました。父君の後白河天皇は大層喜ばれ、小松内府平重盛公に命ぜられ、山城国・小松谷に社殿を造営され、帝都巽の方角の守護神として創祀されたのが、当社の始まりです』

滋子は、平清盛の正室・二位の尼・時子の姉で、出自は平氏。
清盛をトップに、朝廷を牛耳る藤原氏の鉄壁の体勢に、武士出で初めて殿上人になって行く平氏面々の大きな後ろ盾です。
彼女が高倉天皇を産んだことで、保元の乱・平治の乱を経て、平氏の武力を背景に清盛は深く朝廷に入っていき、公家政治から政治の実権を奪った。
小松内府は、清盛の長男で、小松谷に住んだので小松殿と呼ばれた。
彼が早死したのが、平氏が多頭体制になる。
清盛時代の強固なトップダウンが利かなくなって、源氏に敗れ去っていく遠因になっていると思っている。

「平氏にあらずんば人にあらず」と、我が世の春を謳歌した平家全盛の頃ですね。
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秋篠宮親王が三嶋神社を御親拝した写真が貼られています。
ここで高倉天皇が生まれていなければ、今の天皇家には続かなかったので、先祖の窮を救った神社には参らないとね。
三嶋神社本社に行ってみたくなりました。
安産・子授かりの神社です。

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「お父さん、こっちすごいよ」って家内が呼ぶので、境内中央にある田舎歌舞伎舞台を覗くと、天井の龍の彫刻が飛び込んできました。
「うわ~これはすごいな」と見上げていると、「スリッパ履いて入っていいよ」と、寄っていたご近所さん数人から声が掛かりました。
スリッパも用意されていました。
これは凄い・・・

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こういうものが、24時間オープンで町中にある日本の治安はナイスです。
お寺のようにもったいぶらず、オープンな神社は大好きです。
9:20、これで時間切れになりました。

そのまま北上し、JR東海道線高架下で適当に枝道を走り、京都タワーを目印に鴨川を渡り西進します。
信号で止まったタイミングで、「私、ここで下りるわ。真っすぐ行けばいいんでしょ」
方向音痴の家内なので少し心配ですが、京都タワーが正面にあるので迷わないでしょう。
ここでバイバイし、七条通りで鴨川を東に渡り直します。
川端通を鴨川に沿って北上し、三条交差点を越えて右折しました。
岡崎公園周辺の琵琶湖疏水が見たくなりました。

京都宇治上神社・藤森神社 3/3

4/26・京都藤森神社・瀧尾神社

2008年からバイクに乗り出して、運転に慣れてきたので、2010年末に初グループツーリングに参加しました。
そして、2011年・北海道2泊からお泊りツーリングを始めました。
2012年阿蘇2泊、2013年信州3泊。
2014年は、お泊りツーリング複数回にステップアップし、2月沖縄2泊・7月隠岐の島1泊しました。

そして今年も複数回行くつもりです。
第1弾は、明日から1泊です。
行き先は能登半島・・・朝ドラ「まれ」のロケ地巡りをメインディッシュに、ツーリングマップルでルートを考えていたら、「平家物語」の舞台が見えてきました。
北陸の一大決戦・「倶利伽羅峠」で、木曽義仲が平家を破った後の「篠原古戦場」・・・
平家打倒のヒーロー源義経が、失意のうちに京都からみちのくに下った「安宅の関」・・・歌舞伎の名場面ですね。

海風を受けて砂浜を走れる「なぎさハイウェイ」も外せないなあ・・・
戦国武将で一番好きな上杉謙信が落とした能登の要塞山城・「七尾城」攻めもしなきゃ・・・
なんて希望が膨らみ、例によって食事時間があるのか?な予定になってしまいました。
いつものように、宿題を残して途中離脱になりそうですが、焦らず安全運転で、高速80km/h・SA毎休憩、下道制限速度+10以下で、体力温存しながらゆっくりゆったり巡ろうと思います。

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家内は、藤森七福神の石像が可愛いと喜んでいます。
僕の好きな毘沙門天だけが当然強そうで怖いです。
絵馬殿を観に行きました。
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通常絵馬もありますが、新しい競馬の絵馬が多いこと・・・。
謂れ板を読んでいたので、「なるほど」と思いましたが、馬主さんが奉納したのでしょうね。
「駆馬会」の絵馬も奉納されていました。
馬主会かな?と思いましたが、この神社の神事を司る寄り合いの可能性の方が高そう。

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社務所に寄り、舎人親王のお守りを授かりました。
孫に賢さを授かりたいので、1000円という破格の高額新撰料の御守護だったけど奮発しました。
8:30~8:58藤森神社200円。

伏見街道を真っ直ぐ北上します。
旧道らしく道幅が狭い生活道路なので速くは走れません。
でも見どころ満載の道です。
「伏見稲荷」前を過ぎ、「東福寺」前を過ぎます。
正月なんぞ車でこの道に突っ込んだら渋滞で終わるでしょう。

そして、9:10・「瀧尾神社」到着。
事前調べで、「彫刻が見どころ」と書かれており、期待して来ました。
街道添いの神社前だけ少し広がっていたので、無断駐車しました。
小さなお社ですぐ横だからいいかと・・・。

『瀧尾神社の創建・由緒ははっきりしないが、天正14年(1586)、豊臣秀吉野方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝える。また当社は、泉湧寺の僧の守るところであったともいわれる。京の豪商・下村家(現在の大丸百貨店)は、当社を崇敬すること厚く、1738年以降数度にわたって、社殿の修復を行ってきた。
現在の社殿も下村家の援助により、1839~1840年にかけて造営されたものである。
本殿は、「北山貴船奥院御社」旧殿を移築し、一部改築したもので、その前に幣殿・拝所・東西廊が並び、これらの建物がそれぞれ屋根を錯綜させながら、変化に富んだ空間を構成して独特の社殿景観を形成している。また各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内では珍しい。当社は、本殿・拝殿・絵馬殿・手水舎など一連の社殿が境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知る上で貴重であり、京都市指定有形文化財に指定された』

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拝殿・本殿は、檜皮葺の茶色に要所に金色建具を配した豪華さを感じる江戸時代風の建物でした。
しめ縄の上の蟇股を覗くと、かなり凝った立体的な彫刻が施され、他寺社のそれとは一見で詳細さを感じます。
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1つ目につくと、彫刻部分が次々目に飛び込み、「ここもすごいな」「ここも・・・ここも・・・」って感じで、豪商が財を尽くして一流の彫師に発注したのが見て取れます。
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江戸時代の最後の細工ですが、埃も拭われており、地元の方の手入れの入れ方を感じます。
彫られて5年と言われても納得する保存状態です。

4/26・京都藤森神社

「伏見桃山城」の道標通過。
桓武天皇陵も同じ所にあるので、久しぶりに訪問したくなりました。

「伏見(大和)街道」に入り、道標に従い、「藤森神社」到着。
ここにも摂社として「大将軍社」がありました。
『桓武天皇が平安遷都した時に四方に配した大将軍社の南方の守り。社殿は室町時代1438年、将軍足利義教の造
営で、造りは一間社流造の柿葺建物です。重要文化財』

柿葺(こけらぶき)は、薄い板を使う屋根葺きで、檜皮葺同様、とても綺麗です。
一応檜皮葺は桧の皮を使い、柿葺はヒノキ以外の木材も材料にして板を使います。
本殿は、とても美しい。
塀に囲まれているので近づけませんが、清潔感漂う手入れの行き届いた秀麗を感じます。
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家紋は、上がり藤に「一」の字が入っています。
社務所で聞いたら、「上り藤に一文字」紋が定紋と言うことです。

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『平安遷都以前に建立された古社で、素盞鳴尊・神功皇后・大和武尊など12柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神として崇敬されている。「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、5/5に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬神事」が行われることから、勝運と馬の神社として信仰が厚い。また日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王(とねりしんのう)を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
本殿は、1712年中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物と言われる。また本殿背後の八幡宮は応神天皇を祀り、大将軍社は磐長姫命(イワナガヒメノミコト)を祀る。どちらも重要文化財指定されている。本殿東の神功皇后が新羅侵
攻の際に軍旗を埋納したと言われる旗塚や、2つとない良い水と名付けられた「不二の水」は有名である。6月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている』

ここで舎人親王に出会えるとは思っていませんでした。
僕は武力随一より、ちょっと賢いブレーン・武内宿禰・菅原道真・舎人親王・吉備真備などに惹かれるのですが、舎人親王が最も謂れ板で目にしない人物です。
645年のクーデター・「大化の改新」の後の人で、クーデターの主役・天智天皇の弟・天武天皇の皇子です。
天皇の皇統が、天智天皇系からその後継をめぐる争い「壬申の乱」を経て天武系に動き、また天智天皇系に戻る100年ほどの天武系全盛の頃の人です。
その後今の天皇・今上天皇に至るまでずっと天智天皇系なので、隠れた有名人です。

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神功皇后の三韓征伐の軍旗が埋められた塚・「御旗塚」は、境内の本殿横にポツンとありました。
僕には、ものすごい塚に思えるし、今の御時世東京にあれば、右翼に祭りあげられそう。
こういうものは、過ぎ去った歴史遺産として、ひっそりと佇んでいる方がいいです。

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「不二の水」は、止めどなく流れており、時々水汲みの方が来られていました。
京都は、地下水の宝庫と言われているので、どこかの水脈と繋がっているのでしょう。
この湧水を神水として、平安遷都の時大将軍を祀ったのかもしれないし、神功皇后もこの井を神につなげて軍旗を埋めたのかも?
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いずれにしても、神功皇后の三韓征伐の方が、平安遷都や大将軍社より前なので、「何故ここに?」の疑問が残ります。
その頃は、井戸しかなく、近隣の住民が重宝していたと思います。

京都宇治上神社・藤森神社 2/3

4/26・宇治上神社

『本殿は、正面一間の流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆い屋で覆った特殊な形式となっています。建立年代は、蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては最古の建築です。また拝殿は、鎌倉時代のはじめに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。意匠的には、切妻造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が縋破風(すがるはふう)となっていることなど、住宅風となっている点に特徴があります。神のための本殿に対し、人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く、ここでは拝殿が初めて建てられた頃の住宅建築の様式である神殿造の軽快な手法が、鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。本殿の後方は広大な森林が広がっており、こうした環境は緩衝地帯の一部となっている』

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国宝・「拝殿」の屋根は、檜皮葺の遠慮がちで綺麗な反りをしていますが、上方から見ると変形した八角形です。
典型的な「神社」のそれとは大きく違います。
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拝殿前には「清め砂」左右に円錐形の山を作っています。

「桐原水」という湧水?井戸がありました。
覆い屋に入ると、綺麗な水をたたえており、チョロチョロと音がしていたので、井戸の下から湧いているのではなさそうです。

国宝の本殿には、覆い屋も書かれていたので、覆い屋と内殿3社全て国宝指定されているようです。
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摂社に小ぶりの春日神社がありました。
こちらの方が典型的な神社風の建築様式で、僕にはより良く映りました。
平入りの屋根が長めの流れ屋で、これも鎌倉時代のもので、重要文化財指定されていました。

車に向かってトコトコ歩いていると、住宅の横に小さな祠がありました。
習慣で謂れ板を読むと、『末多武利神社 宇治は無常を意味する「憂し」に通ずるともいわれ、藤原一族の栄華の舞台となる一方、失意に打ちひしがれた人々も受け入れてきました。宇治民部卿と呼ばれた藤原忠文もその1人で、天慶2年(940)に参議となり、翌年征夷大将軍として関東の平将門の乱の平定に向かいましたが、到着以前に将門は討たれ、事件は解決していました。大納言・藤原実頼によって恩賞の対象から外された忠文は実頼を深く恨み、死後のその一族に取り付いて祟ったと言われる。末多武利神社は、この忠文の怨霊を鎮魂する祠と言われています』

好きな平将門が、関八州を平定し、京都朝廷からの国司を追い返し独立した「天慶の乱」ですね。
将門の物語を読むと藤原忠文は必ず出てきます。
将門討ち死後の物語は、負け戦で敗走中に、流れ矢が将門に命中し、ラッキーにも勝利を得た俵藤太秀郷のその後や、将門の弟などの将門親族のその後などが書かれて終わります。
しかし、不運の将というか、ラッキーにも勇将将門に相対せず、討ち死にを免れた忠文のことは書かれていません。
怨霊になって祟ったのですね。
新たな歴史知識を得ました。

7:20~8:09・タイムズ宇治橋東詰・100円。
宇治橋を渡り、r241で宇治川土手を下り、R24を京都に向かって北上。
観月橋で再び宇治川を渡り、「御香宮神社」横を走ります。
事前調べで拝観時間が書かれていたので、時間外は入れないと思い訪問予定から外したけど、駐車場に車が停まっていました。
一部だけ見れないだけで、その他は観れたのかな?

4/26・宇治神社

『紫式部が11世紀に書いたと言われる源氏物語は、全体で54帖からなっていますが、45~54帖までは、宇治を主要な舞台にしていることから、「宇治十帖」と呼ばれています。物語の前半部分は、華やかな宮廷生活を舞台に、光源氏と彼を取り巻く女性たちの織りなす様々な人間関係が華麗に描かれていますが、これに対し「宇治十帖」は、光源氏亡き後、子の薫、孫の匂宮・大君、中君・浮舟の3人の姫君の切なくもはかない悲恋の物語が描かれています。源氏物語はフィクションですが、宇治川周辺には源氏物語を愛する人々によって、いつの頃からか宇治十帖の各帖に因んだ古跡が設定され、当時と変わらぬ宇治川の清流や木々の緑、静かな佇まいを見せる周辺の町並みと相まって、訪れる人々を源氏物語の世界へ誘ってくれます』

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宇治川の対岸に、平等院の屋根だけ見えています。
「宇治神社」の朱鳥居が宇治川に向かって立っており、山に向かってゆるやかに登る参道を入って行きます。

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『宇治神社は、日本書紀に「応神天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」と記されている悲運の皇太子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の等身大の坐像を祀っており、付近は菟道稚郎子が造営した桐原日桁宮跡(きりはらのひげたのみやあと)と伝えられています。また明治維新までは、宇治上神社と二社一体で、それぞれ離宮上社・離宮下社と名付けられていました。現在の本殿及び外陣の狛犬は鎌倉時代に造られたもので、格調高い作品
として極めて貴重です』

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『菟道稚郎子は、応神天皇から天位に任命されるが、儒教思想(長子相続)を学んでいたので兄・仁徳天皇との譲り合いの後、死を持って節を全うした。の地に兄の仁徳天皇は弟の宮居に祠を建て、神霊を祀ったのがこの神社の始まりです』

15代・応神天皇は、亡き夫・仲哀天皇の意思を遂行し朝鮮半島に渡り、三韓征伐を成し遂げた、古代史で卑弥呼と並ぶヒロイン・神功皇后の息子で、ヤマトタケルの孫です。
この時代の古墳の規模が最も大きく、天皇家がヒーローとして政治の表舞台で活躍した最も輝いていた時代と想像しています。
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「宇治」はこの宮の主祭神・うじのわきいらつこの当て字なのでしょう。
本殿は、細かい彫刻美やセンスの良い屋根形状などはありませんが、朴訥とした雰囲気を醸し出す檜皮葺の感じの良い造りでした。

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7:46、「宇治上神社」到着。
ここは世界遺産登録されているようです。
宇治平等院同様、「古都京都の文化財」として金閣寺など他の寺社とともに指定されているようです。
明治維新まで二社一体だったので、祭神などは宇治神社と同様です。
でもさすが世界遺産指定だけあり、こちらの社殿の方が良いです。

4/26・宇治・橋姫神社、平等院参道

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『古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。瀬織津比メを祭神とする橋姫神社は、明治3年に流失するまで宇治橋の西詰にありました。境内には、同じく水の神・住吉神社が祀られています。交通の要所として発展してきた宇治にとって、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。また源氏物語の主要な舞台となっている。源氏物語宇治十帖・第一帖は、「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっている』

宇治は、琵琶湖から流れ出す宇治川が山岳部を抜けて平野に顔を出す位置にあります。
水運の要衝であり、京都と古都奈良を結ぶ奈良街道R24が宇治川を渡るところでもあります。
橋は重要なので、その安全を祈願する古代信仰では、川・水の神を鎮める乙女の生贄があったことが想像される。
その乙女を弔う神社なのかな?と、社名を見て思ったのですが、スバリ書かれていないものの、暗にそれを連想させる謂れ板のように読めました。

『ここ橋姫神社は 高浜原発から75km・大飯原発から74km・美浜原発から91km・敦賀原発から98km・高速増殖炉もんじゅから96km』
ここの宮司さんは、反原発なのか?
神社には似つかわしくない立て札が立っていました。
直線距離ではそうだけど、琵琶湖の水が流れ出る唯一の河川・宇治川が流れる地なので、琵琶湖北湖が原発銀座から20km圏内なので、一緒でしょう。

『源氏物語・宇治十帖・橋姫 「その頃、世に数まへられ給はぬる宮おはしけり」と書き始められる。光源氏の異母弟・八宮は、北方亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、2人の姫君を大切に育てながら、俗聖として過ごしていた。世の無常を感じていた薫君は、宮を慕って仏道修行に通い、3年が過ぎた。晩秋の月の夜。薫君は琵琶と事を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう思い、橋姫のこころをくみて高瀬さす、棹のしづくに袖ぞぬれぬる」と詠んで大君に贈った。出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる』

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平等院参道を歩いてみました。
参道のお店は開店前ですが、家内が「ここに入ってみたい」「ここも」と、スイーツの喫茶を興味深く見ていました。
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宇治茶のお店も多く並び、藤の花があちこちに花を付けていました。
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お店の前に置かれた小さな鉢植えの藤にも紫の花が下がり、藤原氏ゆかりの平等院参道商店街で、藤原氏の紋・藤で町おこししているようです。
意外に小さな鉢の小木なのに、綺麗な花をつけており、庭に植えてみようかな?という気持ちが湧いてきました。

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開門前の平等院では、門前に水を打ち綺麗にしていました。
今年リニューアルしたばかりなので、観光客が多いだろうな・・・。
藤棚があったりして、5月の参拝がもっとも美しいかもしれません。
宇治川の土手に上がると、平等院裏で護岸工事をしていました。
去年宇治は水害に遭ったので、その修復かもしれません。

車に戻り、宇治橋を渡り、平等院の対岸の「宇治神社」に向かいます。
ウロウロするも無料駐車場が見つけられず、「タイムズ宇治詰」に駐車しました。
徒歩で神社に向かいます。
宇治川に沿って歩き、ちょうど平等院の対岸の位置になります。

つつじが咲き、「京都府茶会館」などお茶関係の建物もあり、家内には興味津々な散策になったようです。
椿も多数植えられており、寒い季節も楽しめそうです。

4/26・宇治・県神社

日曜日は、4週連続の大学ヨット部の新人勧誘手伝いです。
10時に大学正門に行けばいいので、また家内と朝の京都を楽しみましょう。
4:30に目覚めたので、天気予報をチェックし、訪問予定神社をパナソニックゴリラナビに登録し、車に荷物を積み込んで準備します。
車の日産純正ナビより、バイクで使ってるモバイルゴリラナビの方が、操作が直感的で使いやすいし、自宅で登録できるので時々車でも時々使っています。

5:40、家内と一緒に車に乗り込み、自宅を出発。
フロントガラスにうっすら砂が乗っています。
朝日が正面から入りますが、朱の夜明けの朝日ではないのに、眩しくない。
GWは黄砂の季節ですね。

豊中ICから中国道に乗り、名神~大山崎JCT~京滋バイパス~6:17・「宇治西IC」下車。
r241で宇治川土手をさかのぼり、宇治橋から県(あがた)神社の鳥居をくぐったらr3。
最初の目的地・県神社に6:26到着。

大鳥居からの参道の長さに比べ、境内はそれほど大きくないお宮でした。
横には世界遺産「宇治平等院・鳳凰堂」があるので、明治以前の神仏習合時代は、その守り神であったのかもしれないと想像して来ました。

『県とは、大和政権が西日本の要地に設けた地域組織で、特に畿内にあった県は、政治と祭祀に重要な位置を占めていたと言われており、当時の宇治が属したと言われる栗隈県に社名の起源を求めることができる。祭神は木之花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と言われ、1052年に藤原頼通が平等院を建立した時、その鎮守をしたとも伝えられている。毎年6/5から6日の未明にかけて行われる県まつりは、暗夜の奇祭といわれ、多くの人出で賑わっています』

『当社は、天孫天津彦彦火ニニギの妃・木之花咲耶姫を奉祀する。「あがた」の名は、上古の「県」の守護出会ったことを示し、神代以来当地の地主神であった。1052年、関白藤原頼通の平等院建立にあたり、当院総鎮守となり、藤原氏の繁栄を祈請したのである。明治維新まで三井寺(大津市)の管理であった。これは平等院が三井門主の開眼に掛かり、天台宗に属していたためである。維新後は、神仏分離令により、その管理を離れた』

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拝殿には、桜紋が入っていた。
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神社といえば天皇家の菊の紋が通り相場だが、藤原氏の藤紋でもなく桜とは珍しい。

無料の県神社の駐車場に車を入れたまま、「橋姫神社」を歩いて探すことにしました。
事前に調べた地図では宇治橋からここまでの間にあったのだが、見つけることが出来ませんでした。
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宇治茶の本場なので、お茶の販売店が多い。
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足元の化粧タイルに埋め込まれた道標に「橋姫神社」を見つけた。
それの示す方向を見ると、民家の駐車場門扉のようなとこの奥に神社がありました。
車やバイクでは早くて通りすぎてしまいます。
門扉が閉じられているので、門扉越しに中を伺うと、家内から「開いてるんじゃないの?」
横にずらせば開きました。

京都・宇治上神社・藤森神社 1/3
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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