12/28・城東トンネル上の山城探索 2/2

山の入口にある祠には、小さな正月飾りが飾られています。
安全をお願いし、斜面を登ります。
すぐにある獣避けフェンスの扉を開閉し、山域に侵入します。

すぐに水が抜かれた小さな溜池があります。
が、ここで困りました。
人の歩いた形跡が見当たりません。
中世の山城は、そこに籠もった子孫が周辺に帰農して生活している事が多く、年数回でも先祖の供養のために人が歩いている獣道があるものです。
その形跡が全く見当たりません。
完全に見捨てられた山城なのかもしれません。
丹波から摂津に通じる旧街道を見下ろす位置にあり、絶対に山城があったはずだと思い、やっと探し当てた先人の登城記ですが、藪こぎ直登山城攻めだったのかな・・・。

僕はいつも単独で城攻めするので、足元に何が潜んでいるかわからない藪こぎや、滑って怪我をする危険がある道無き道を登る直登もやらないようにしています。
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冬枯れで藪はなく見通しがよく、目的地の山頂も視認できます。
単純な地形だし、獣避けフェンスが周囲を巡っているので、入山場所に戻ってくるのは簡単そうだけど・・・。

踏跡道を見つけるために、まずフェンス沿いに右に歩きます。
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鹿糞を見つけたり、落ち葉に滑ったりしながら、フェンスを片手に歩きます。
r12が眼下に見えて来て、城東トンネル手前のつづら折れの上のようです。
ここで雨が降った時に川になる自然の沢に行き当たりました。
ここまで山に上る獣道はありませんでした。

一旦引き返し、元の溜池に戻り、今度は左側にフェンス沿いに歩きます。
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獣道と見えなくもない山に登る尾根上の儚い道を登ります。
左は微かに水が流れる沢があります。
先祖を供養する祠や地蔵があることを期待していましたが、勾配が急に成ったところで道は消えました。

全く手がかりがなく、撤退することにしました。
午後からの入山で、16時になると暗くなり、しかも雨が降ります。
君子危うきに近寄らずです。
フェンスを開閉し、祠にお礼の手を合わせ、バイクに戻りました。

13:50、r12に戻らず、r37に合流すべく、西に向かいます。
r37に合流し、「後川下」から後川奥林道に入ります。
予想通り霧雨が落ちてきましたが、まだ雲が薄く、薄雲を通して弱く陽が差したので、r37から一気に帰るのが勿体なくなって、母子に上がることにしました。

永沢寺でr49に合流し、永澤寺山を登り南下します。
また霧雨が落ちてきましたが、まだ本降りには時間がありそうだったので、14:02・「バイカーズカフェ虎亀」に寄ることにしました。
車が2台だけで、バイクはゼロです。
1台の車は、バーハンドルのトゥクトゥクでした。
タイから直輸入したのだろうか?
日本で車検が取れるのだとちょっと驚き。

珈琲を飲んで、30分ほど休憩し、r49~r68~r33~r325~長尾山トンネルという定番コースで15時頃帰宅しました。
虎亀を出た時は、霧雨から小雨になっていましたが、合羽を着るほどではありません。
都会に近づくと霧雨に戻りましたが、倉庫に入れて汚れを拭いてやり、久しぶりのバイク散歩終了です。

15時を回っているのに、家内はまだのようです。
玄関に家内の靴がありません。
TV見ながら用意してある昼食を食べていると、勝手口が開き、家内がゴソゴソしている風です。
脅かしてやろうと声を掛けずにいたら、僕に気づかず、すぐに出て行きました。
隣の実家のお正月用意をしていたようです。

遅ればせながら隣に行き、手伝うと言うと、今回はお嫁さんとフィアンセさんの2人の女性が泊まるので、毛布を増量するということで、自宅から毛布を持って来るように仰せつかりました。
電気カーペットを追加するので、僕が以前使っていたのを運びました。
更に次男が前回使ったお客様用マットレス・寝具一式も運び入れました。

これで寝具関係はOKですが、お客様用は4セットしか用意していないので、孫くんが大きくなり、また孫が増えたら、両親が用意してた古いお客様用布団セットを捨て、新しい布団セットを購入しなければならないな。
2Fの元弟の部屋も掃除しなければ・・・。
あれやこれや、家内の手下として働き、夕食を食べ風呂に入り、19時頃寝てしまいました。

城東トンネル上の山城探索 2/2
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12/28・城東トンネル上の山城探索 1/2

今年最後の日曜日です。
元旦には長男一家・次男カップルが帰省するので、掃除とかそれらの用意があるから、家内も休みだったけど、予定はありません。

7時前に階下に降り、僕の仕事を聞くと、隣の実家の風呂掃除をしてもらいたいけど、雨戸・玄関・庭の手入れ・垣根の手入れなどをすればOKとのことです。
ならば年末2日間の早朝仕事に回し、夜明けが遅くなり乗らなくなったバイクに乗ることにしました。
冬場の早朝バイクは、凍結が心配で、暗い早朝は怖くて乗れていませんでした。

9時頃車に乗り、家内とモーニングコーヒーを飲みに行きます。
「蔵人珈琲」で、家内はケーキセットを、僕は朝食を食べたのにホットサンドモーニングを賞味しました。
その足で家内と阪急オアシスに買い出しです。
お米やお餅、その他諸々購入し、家内を駅前まで送って帰宅しました。
買い物を片付け、バイク装束に着替えます。

今シーズン最初の冬装束です。
コミネプロテクタージャケットに裏地をファスナーでセットし、パンツもコミネプロテクター冬用です。
お嫁さんからプレゼントされた愛用のネックウォーマーも今シーズン初使用です。

いつもなら「里山VTR250」の登場ですが、5週間乗っていない「招き猫CB400SB」を倉庫から出します。
2週間ほど前に、お手製テーブルクロス・ナックルガードを装着していたので、車載カメラをセットしただけで、12:18・出発しました。
室内保管なので寒風に当たらないから、2ヶ月放っておいても大丈夫なので、バッテリー上がりはないでしょう。
でも・・・一抹の不安を胸にセルを・・・一発始動でした。
ホンダは優秀です。

目的地はr12・後川北の城東トンネル上にある山城です。
定番の阪急山本駅から長尾山トンネルに上がります。
トンネル入口の温度計は、8℃でした。
コミネ冬装束は、さすがにバイク用で全く寒くありません。
さすがバイク用は暖かく、これを買ってからは、以前の重ね着を工夫した日々は何だったのかと思いました。
やはり、餅は餅屋です。

長尾山トンネル~r325~r33で、久しぶりの北摂里山地帯です。
前回の全山紅葉も薄れ、色のない冬景色になっていますが、気持ちが良いです。
r319で更に北上し、いつもならr12に合流なのですが、あえて遠回りします。
r323で西進します。
ロードバイクがバラバラと5台もすれ違いました。
年末年始休みに入り、仲間と走りに来たのでしょう。

r37に乗り、羽束川沿いを北上します。
高島~十倉の田園の広がりが好きです。
小柿渓谷でも数台のロードバイクとすれ違いました。
2日前の雨の影響か、川の水はまだ濁っています。
山がドロドロだったらいやだな・・・。

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r12・「後川」に合流し、少しr12を城東トンネルの方に北上し、赤い鳥居を視認して枝道に入り、13:10・バイクを停めます。
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天気予報は、猪名川町も篠山も18時から1ミリ/h・19時2ミリ/hの雨です。
1ミリ降水量はしっかりとした雨なので、16時帰宅を予定しています。
ここは山なので、さらに早く雨になるだろうと、万一を考えヘルメットを車載カメラに被せ、リアボックスから山歩き用帽子を出して被り、手袋をはめて歩き出します。

城東トンネル上の山城探索 1/2

サプライズ・プロポーズ

サプライズ・プロポーズ

数年前から、サプライズプロポーズが増えてきているように思います。
僕には、こういうアイデアはありませんでしたが、最近は専門の会社もあるようで、お手軽に自分のアイデアを実現できるな。
数年前、家内の誕生日に映画館でサプライズ・プレゼントしました。
次男が我が家から巣立ち働き出した6年前の4月に、家内の子育て卒業式のプレゼントを、京都南禅寺琵琶湖疏水をバックに、メッセージを刻んだ「幸せのクリスタルりんご」渡したこともありました。
結婚30周年の時は、聖書の一節を刻んだ「クリスタルシンデレラの靴」を、サプライズプレゼントしました。

サプライズプロポーズの映像を見て、僕もやってみたいなと思うのですが、もう機会がなく残念だなと思っていたら・・・
次男のフィアンセさんから、次男のプロポーズの事を聞いちゃいました。
12/23に、家内と知り合った母校でのクリスマスライトアップに行き、結婚式を挙げた思い出の教会を家内と見たと息子たちに写真とともにメール報告したら、フィアンセさんから、「実は私も・・さん(次男)から、サプライズプロポーズされました」とメールが届きました。

僕らがライトアップを観に行ったその日、次男に東京湾Xmasディナークルーズに連れていってもらったそうです。
2人で美味しい食事を食べた後、「トイレに行ってくる」と次男が席を立ったそうです。
10分ぐらいしても戻らなかったので心配していると、、、

突然、フロアー全体に結婚行進曲のピアノ伴奏が流れ、白いタキシードを着た次男が、可愛らしい花束と指輪を持って登場してきました!

そして、私の前に来て、『ちゃんと伝えられてなかったから、・・・結婚して下さい!』と言って、多くの人の前で堂々とプロポーズしてくれました!
お客さんとお店の人からは盛大な祝福の拍手を頂きました。
まさかこんなサプライズをしていただけると思っていなかったので、驚きと嬉しさで夢のような幸せな1日でした。

とのことです。
先月我が家にやってきた時、まだ正式にプロポーズしてないけど、結婚しようと思うのでよろしくと報告して行きました。
次男は計画的なヤツなので、クリスマスにプロポーズをすることに決めていたように想像します。
新婚新居に住みだし、親に承諾を得て、結婚式場や日取りまで決め・・・と既成事実を積み上げ、最後の仕上げでプロポーズをしたんじゃないかな?

添付写真には、結婚式できる真っ白なタキシード姿で、フィアンセさんの前に跪き花束を渡している姿や、外人さんバンドに囲まれた2人が写っていました。
カメラマンも用意したようです。

う~む、僕のイタリアーノも完敗です。
まだ長男も知らないだろうから、写真をプリントし、正月2日の従兄弟たちの集まりで暴露してやろうと用意しました。
やるな~と思うとともに、血は争えんとも思いました。

僕の小さなサプライズでも、家内は感動して泣いちゃうから、この手の作戦は効果満点です。
そして計画し準備している方が、もっと長期に楽しめます。

家内は、フィアンセさんの手が細く長くとても綺麗だと前から言っていましたが、改めてじっくり見るとホント綺麗です。
「パーツモデルが出来るね」と僕が言うと、「そんなこと言ったら、パーツだけ?って叱られるよ」と釘を差されました。
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12/21・丹波篠山散策・お買い物・DVD映画鑑賞

更に西に歩き、猪肉の「おおみや」さん本店前を通りました。
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店頭の剥製イノシシ君が鉢巻を巻いていました。

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ブリキ玩具屋さんを探してうろうろし、ようやく見つけました。
ここは何度来ても楽しい。
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鉄腕アトムがブラウン管TVで流され、懐かしいブリキのおもちゃがいっぱいです。
製造機械も置いてあります。
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現在もここで作っているのかは不明ですが、元工場です。
ゼンマイ仕掛けのブリキの救急車とパトカーを買いました。
お正月にやってくる嫡孫くんと、これで遊ぶんだ~

東に戻り、「大正ロマン館」で、12:17・竹箸・500円を購入しました。
その夜使いましたが、ナイスな使い心地でした。
家内は姪へのプレゼントに、オルゴールを買っていました。
何かと我が家を立ててくれる弟のお嫁さんへの感謝の印です。
妹の娘さんにプレゼントする配慮が、女性の神経の細やかのところでしょうか。
ちなみに息子くんもいるのですが、男には要らんでしょう、絵にならないし・・・年が明ければ大学受験本番なので、鉢巻巻いてお勉強をしているはずです。
彼は次男の通った中高に通学中ですが、ちょっと前は、大学は長男の通ったとこと言っていました。
両方の後背になっちゃったら、一生息子たちに頭が上がらないのに・・・ぐふふ・・・まあ頑張ってくれたまえ。

「JA篠山特産館」に戻り、出発する時試食したお饅頭を買い、「みたけ」さんで、猪肉とろろ蕎麦995円、家内は猪肉そば890円を食べました。
ぼたん鍋用に猪肉の余りが入っているのだろうと思っていたら、ミンチな猪肉でした。
他の獣肉との食感を比べることも出来ませんでした。

車に乗り、帰路に着きます。
猪名川町に入り、14:17・r12旧道にある「静思館」に到着。
ずっと入ってみたかった国の登録有形文化財の旧家です。
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猪名川町の酒造家の生まれで、京都で美術商として財を蓄えた冨田熊作氏の家で、猪名川町が管理しています。
茅葺き・総檜造りの母屋、寺の山門を連想させる門、敷地内の里山に横穴で掘られた氷室、水洗トイレ、オンドル式床暖房、素敵な日本庭園、数棟の土蔵・・・と見どころいっぱいでした。

帰宅後、通勤リード110に乗り換えて、タンデムで大型ショッピングセンターに行きました。
さすがに年末前、車は大混雑で駐車場にたどり着くので精一杯の様相です。
お正月に、長男一家と次男カップルがやってくるので、女性用パジャマを1組買い増します。
ユニクロに行く予定でしたが、先に目についた無印良品さんで合格品が見つかったようで、そこで購入しました。
その後、本屋さんで絵本を物色し、帰宅しました。

そして、自宅映画鑑賞です。
藤沢周平原作の「花のあと」(北川景子主演)DVDです。
お気に入りの佐藤めぐみさんも出演しており、ナイスな作品です。
北川景子さんの横顔アップ場面で、「・・ちゃん(家内)の横顔もいいよね」と褒めたつもりだったけど、「おまけみたいに言って~」って僕の心を見透かされました。
楽しい1日でした。

12/21・丹波篠山散策

「春日神社」に入ってみます。
謂れ板には、平安時代に奈良春日大社から勧請したと書かれていました。
藤原氏全盛時代に、丹波篠山も藤原氏の荘園が多かったのでしょう。
楽屋・袖のある立派な能舞台がありました。
TVが普及する以前の娯楽の少なかった時代は、始終活躍していたのでしょう。

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「青山忠良公顕彰碑」がありました。
長く山陰から京・大坂への要衝・篠山を治めた譜代大名・青山家当主で、初代の名前を次男に拝借させてもらいました。
青山家の祈願社だったのでしょう。
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拝殿には、お正月用に新調された真新しいしめ縄が張られていました。
「昇り藤紋」でした。

「市立篠山中学開学の地」の謂れ板も立っていました。
藩主・青山忠誠公が設立したようで、武家の師弟を教育する藩校ではないようです。
門戸を広く広げたのでしょう。
学問のある僧が教育者となり開いた寺子屋とともに、こういう支配者が一般市民をも教育するシステムが近世から土台にあった日本だからこそ、明治維新以降の急速な近代化時代に、有能な人材を供給できたのでしょう。

本殿を激写しようと裏に回ると、溶け切れていない雪が残っていました。
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絵馬殿があり、江戸時代の絵馬が、四方に掛かっていました。
こういう貴重な文化財が、夜中でも誰でも入れる場所に無造作に置かれているのを見ると、日本の治安の良さを実感します。
いつまでもこれが続いて欲しいし、こういう文化こそ世界に広まっていって欲しい。

二階町に戻り、道沿いのお店を冷やかしながら歩きます。
鯖寿司がやたら目に留まります。
以前はこんなに沢山お店がなかったのに・・・ここ数年取扱店が広がった気がします。

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11:21、二階町交差点で猪がビルに被さってる「ぼたん亭」到着。
ここもお正月の候補です。
1年前は、ぼたん鍋を食べたことがないお嫁さんのために、自宅でぼたん鍋をしましたが、次の正月は篠山の本格的なぼたん鍋を食べてもらいましょう。
我が家はなんだかんだ、毎年冬になるとぼたん鍋を食べに篠山に来ているように思います。

11:23、商工会議所下の「ささやま屋」で、割れ塩おかき・540円×2=1080円を購入。
この手のおかきが好きです。
お店から出ると、「潯陽楼があったよ」と家内から。
まだ次男が生まれる前、長男と3人でお正月に泊まった料理旅館です。
ぼたん鍋の夕食を食べ、朝起きたら目の前にある獅子肉屋さんの店頭に、その日撃たれたばかりの猪が2頭転がっており、ビックリしました。
お店の方に断って触らせてもらいました。
銃槍から血が流れており、随時裏で解体し、店頭に並べられると教えてもらいました。
あれ以来、店頭で猪を見るのとぼたん鍋が冬の恒例になりました。
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潯陽楼も猪肉屋・鳥幸も健在です。

「ひのき屋」さんの店頭で、猪肉まんじゅうを買いました。
肉まんの猪肉版です。
お隣に「大手新丁」というレストランが有り、ここもぼたん鍋をやっているようです。
お座敷ありということなので、チビさんがいるから、こちらも良さそう。

「誓願寺」に入ってみました。
ここは室町幕府13代将軍・足利義輝の嫡男が、父が陪臣・松永久秀に討たれた時、篠山の波多野氏を頼って逃れ、僧になり開山した波多野氏縁のお寺です。
細川幽斎の手助けで、僧籍になって南都にいた義輝の弟が還俗し義昭となりました。
織田信長をバックに、14代将軍になりましたが、波多野氏にもっと力と野望があれば、誓願寺の和尚が波多野氏をバックに京に上っていたかもしれません。

誓願寺は、波多野氏の居城・高城山の麓にありましたが、江戸時代になり篠山城近くのここに引っ越してきました。
早朝ツーリングではいつも閉まってるので訪問したかったお寺です。
でも家内がいて寒空ですので、墓地の方まで周りませんでした。
また訪問しなければ・・・波多野氏の菩提寺なので、墓地にお宝が眠っているかも?

12/21・タリーズ&丹波篠山

3週連続で日曜日にヨットに乗りましたが、今週は予定なしです。
家内もお休みなので、息子たちが帰省するお正月のために、篠山のぼたん鍋屋を見に行くことにしていました。

ウダウダやっていたら、7時過ぎに階下から、「タリーズにモーニング食べに行かない?」と声が掛かりました。
市内中心地の白雪本社が工場に移転し、白雪がタリーズのフランチャイズに入って営業するようです。
新聞折込で家内が見つけ、「オープンしたら、行ってみない?」って誘われていました。
一目散に階下に下り、特急で準備して、車を出しました。

本社跡に出来た駐車場に車を入れ、タリーズに入りました。
この手の外資系カフェの経験は1度しかないのですが、ここもセルフ方式のようです。
オープン2日目なので、僕らのようなお客さんが多い。
店内に入るとすぐに、「予約席」と書かれたカードを渡され、先にテーブルを確保して注文の列に並ぶようです。
8:19、マクドナルドみたいに注文・精算し、席に着きます。
モーニングセット2人で1190円でした。
僕はサンドイッチとヨーグルトアサイー、家内はサンドイッチとコーヒーを飲みました。
座席の配置がゆったりしておりくつろぎやすいですが、この日はお客さんが多いので、早めに席を立ちます。

そのまま篠山に向かいます。
r13~r12で北上すると、寒波の切れ間で上天気なので、バイクが沢山走っていました。
北田原の「猪名川マス釣り場」もお客さんが入っています。
摂津と丹波の境の西峠・城東トンネルが冬場の難関ですが、雪もも見当たらず難なくクリアしました。
R372に突き当たり左折、すぐに右折しr304で篠山川を渡ります。

更に左折してr702に乗り、篠山市街地を目指しますが、県道を行くのも芸がないので、適当に枝道に入ると、山城跡を思わせる地形が目についたので、10:04、篠山中学の駐車場に入れて、探索開始です。
野生の勘で民家裏の道に入って行くと、丘に上る階段を発見しました。
それを上がると、六地蔵が並んでいました。
どれが天道で、どれが餓鬼道か、お地蔵さんの表情を拝もうと思いましたが、風化でよくわかりませんでした。
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地形的には後背の小高い里山の枝尾根の先端に上がると、古墳に見えるこんもりした塚がありました。
枝尾根を奥に進むと、堀切に見える浅い溝があり、少し低い郭があり、また堀切を経て一段高い郭、その奥にも堀切があり、山林になっていました。

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畑にも利用されず、お墓があるわけでもないのに、大きな木が切り払われて、草刈りもされています。
民家の裏山ではありますが、手入れ管理されています。
防御も軽い山城とは言えない砦程度のものが、中世には建っていたように想像されますが、子孫の方が先祖に敬意を表しておられるのかな?
と、得意の妄想をしながら歩きました。

市街地方面に少し走ると、「王地山公園ささやま荘」の案内板が目に入り、行ってみることにしました。
篠山盆地内の里山に登って行きます。
ささやま荘は、宿泊施設のようで、日帰りぼたん鍋もやっていました。
これぞ中世の山城があったであろう地形です。
駐車場が下の方だったので、再び上がってくるのが面倒で探索しませんでしたが、お宮が見晴らしの良さそうな場所にあり、山城遺構がありそうでした。

元の道に戻り東に進むと、「JA丹波篠山特産館」横に出ました。
駐車場に車を入れ、徒歩で市街地を探索します。
特産館内レストランにも、ぼたん鍋メニューが有り、ここも「ささやま荘」同様5000円ほどです。
相場は去年同様で、ここらが標準のようです。
7000円ランクで2回ほど食べたことがありますが、量的なものは同じようなものです。
調度品が良かったり、由緒あったりだけです。

道を隔てたお店に、「猪肉うどん」があり、本日の昼食はこれがいいかな?と。
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横のお店ではホカホカお饅頭の試食があり、つい食べてしまいました。
「帰りに買うね」と退散し、「上二階町」交差点の7000円クラスのお店を見てから、二階町を東に歩きます。
紙風船や竹トンボなど懐かしいおもちゃを売ってる駄菓子屋さん・「なつかし屋」があり、単品で100~200円ほどだったので、5~6点買っちゃいました。
孫くんとの遊び道具です。

12/23・クリスマスライトアップ

「今晩、KGライトアップを観に行きませんか?」
「うん、いいよ」
日中、家内にFAXを流し、OKをもらいました。

僕らが出会った大学から届くOB会報からの情報なのか、「学校のライトアップを観に行かない?」と誘われていました。
21日(日)がチャンスだったのですが、自宅で映画DVD見てて、機会を逸していました。
大学のウェブサイトでチェックすると、ライトアップは25日までで、毎日22:30まで点灯中とのことでした。

いつもより30分ぐらい早く仕事を切り上げて帰宅しました。
車だと駐車場が面倒なので、通勤リード110にタンデムして学校に向かいました。
家内には僕のオーバーパンツやジャンパーを着せたので、片道30分ぐらいだから我慢出来るでしょう。

西に走り武庫川新橋を渡って、仁川競馬場前を南下し、仁川沿いを上がりました。
「横は仁川競馬場やで」
「もうそんなに来たの、早いね」
阪急今津線・仁川駅横の踏切を渡る時、「私、ここ知ってる」と喜んでいます。
方向音痴なので、知った道しか行かない人だから、最寄りの甲東園駅以外から通学したことがあるとは上出来です。

学校の正門前信号で止まると、「あれ、学校だ。もう着いた」とはしゃいでいます。
「あんた、小学生か!」と突っ込みたくなるけど、「あかん、可愛い」とまた悩殺されてしまいました。

近くの歩道にリードを停め、21:02・正門を入ります。
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正面の中央芝生越しに時計台が見え、脇の大木がキラキラ輝いています。
僕らが結婚式を挙げたチャペルの前に学生が数人屯しています。
チラチラと学生が歩いていますが、ライトアップ目当てのお客さんはいません。

中央芝生正面に、アメリカンとラグビーの関西制覇の看板が立っています。
芝生外周道路をゆっくり歩きながら、時計台を眺めます。
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外周の大木にもライトアップされていると予想しましたが、ライトアップは時計台脇のみでした。
でも十分素敵です。
空を見上げれば、快晴のようで星が輝き、素敵な雰囲気です。

時計台まで歩き、中央芝生に降ります。
「私、芝生の中を歩くのは初めてかも?」
「え~、芝生横の学部に通っていたのに?」
「だって、いつも周りの道を歩いていたから」
知らない道を行かないにも程があるな。
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4年間横の校舎に通いながら、大勢の学生がのんびりひなたぼっこする芝生に入ったことがないなんて・・・

「文化祭では、時計台前にステージが設営され、バンドが来てたでしょ。観客席は芝生内だよ」
「文化祭に来たことないもの」
「家が遠いものなあ・・・僕は中学の時から来てるよ」

矢沢永吉のキャロルが来た時の光景が蘇ってきました。
夕方になり芝生内で待ってると、バイクの爆音が近づいてきて、芝生周囲道路をゆっくり走って来ました。
バイクを降りたメンバーがステージに上り、大盛り上がりのコンサートでした。
日本は今より豊かじゃなかったし、おしゃれでもなかったけど、活力があった時代でした。

家内から、次男カップルと家内とで学校を散策した時のことを教えてもらいました。
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フィアンセさんは、チャペルを見て、案内板に掲示されているウェディングドレスの花嫁の姿を見て、「こんなだったのですね」と目を輝かせていたそうです。
滞在時間30分ほどで、帰路に着きました。

ラブストーリーが大好きな僕なので、とっても素敵な時間になりました。
SonyNEXの一眼レフ威力で、フラッシュ無しでもナイスな写真を撮れましたが、残念だったのはヘルメットを被ったままだったので、被写体に女性がいないことでした。
僕のオーバーパンツ・もこもこジャケットが暖かく脱げないのでカッコ悪いと、顔を見せない為だそうです。
女性の被写体がいないと、撮影意欲が半減です。

今朝、階下に降り「おはよう」と言ったら、「おはよう。お父さん、昨日はありがとう。イブだねえ、ケーキ買ってこようかな?」と言ってもらえました。
嬉しいけど、僕はあなたのお父さんじゃないのですが・・・

12/14・ヨット部忘年会

僕の1学年下2名が最下級で、久しぶりでしたが、僕の同期と4人で一番下座になったので、学生時代の話で盛り上がりました。
「僕は今でも夢に見ます」と、下級生Y君がマジな目を僕に向け喋り出しました。
僕が4回生の時のインカレ個人戦で、圧倒的に速かった僕がブラックバンド失格した事件のことです。
その審判があまりに関東優遇の西日本つぶしの裁定だったので、日本ヨット協会まで上がった当時有名だった事件です。
あれがなければ、僕のペア(僕・3回生M君)が優勝で、同期と組んで出場していたY君ペア(4回生YO君・3回生Y君)が3位でした。
僕が失格して16位に後退したので、Y君ペアは2位になりましたが、1位3位の方が良かったと、とても悔しかったそうです。
2位の喜びはなかったそうです。

あの時の第1レースのことが蘇り、僕が喋りました。
18~20m/sの風でスタートし、強風では圧倒的なアドバンテージがある僕らペアが、第1マークをトップ回航しました。
スピンという3枚目のセイルを上げて、更に爆走する僕の艇は第2マークに向かいます。
僕の後方に2位でY君艇が回航し、同じくスピンを上げました。

Y君によると、爆走するけどひっくり返る危険性が高いスピンを上げるのが怖かったそうです。
でもスキッパーの僕の同期が、「よしスピンを上げるぞ」と声が掛かり、一瞬で恐怖が吹っ切れ「よっしゃ~やったるぞ」と闘志が湧いたそうです。

前年度の一般全日本に、僕は同期のY君のスキッパーと組んで出場しました。
僕らはよく走り、学生ながら8位に入り、モスクワオリンピック強化選手に選ばれました。
強化合宿でイギリス人コーチから強風セイリングを鍛えられ、ひっくり返らない技術を得ました。
それをクラブに持って帰り、強風のKGと言われるまでになっていました。

トップで回航し、スキッパーの僕は、バランスを取るのに必死で後方を見る余裕がありませんでしたが、クルーのM君が時々後方を見て、報告してくれていました。
僕らがトップ回航しスピンで安定爆走に入ってから、「2位が回航しました」「よっしゃ」、「スピンが上がりました。YOさんです。
ワンツーです」「よっしゃ~、行くぞ~」とテンションアップ。
「3位4位はスピンを上げません」「よし」。
5位はスピンを上げましたが、沈しました」「よし」。

スピンを上げた船はことごとくひっくり返り、ダントツの僕、それに続くYO君の2艇が、3位以下をグングン離します。
乗りに乗って、絶対こけないという自信もありウキウキです。
「YOさん、沈しました」と沈んだM君の報告に、僕は「くそ~。声を出せ、負けるな行くぞ!」とひときわ大きな声で、M君を励まします。
「はい!」。

そのレースは、2位に1マーク開けるという前代未聞の大差をつけフィニッシュしました。
そして、沈を起こし再びスピンを上げて走りだしたYO・Yペア艇が9位まで順位を上げてフィニッシュしました。
僕らは、自分のトップフィニッシュよりYO君がゴボウ抜きして順位を上げたことに大喜びでした。

学生のレースは、個人戦と団体戦がありますが、僕らの目標はクラブ全体が勝者になる団体戦優勝でした。
個人戦は、他校の戦力分析する機会と捉えていました。
団体戦も吹けば優勝できる・・・と確信しました。
燃えに燃えたかけがえのない青春の時でした。
失格した本人の僕が忘れていることなのに、後輩が夢に見てくれていたとは・・・
470 World

Y君が、携帯をごちゃごちゃし、道上洋三と女性のツーショットの写真を見せてきました。
「娘が、道上洋三の朝のラジオ番組のアシスタントしてますねん」
「ええ~、そんなこと、なんで早よ言わんねん」と、僕の同期が言います。
2つ上のキャプテンが、「俺、毎朝の車通勤で聞いてるで」と。
「道上洋三が、うちの娘をアシスタントにすると、許可を得に我が家に来ましてん。真面目な顔だったので、怖かったですわ」と、大笑いしています。

彼は大手広告代理店子会社の社長さんしてるので、その関係で番組制作会社で働き出した娘が、道上さんと気が合ったそうです。
でも番組のスタート時間が早いので、Y君の近所に引っ越してきて、1才の孫をY君の奥さんに預けて出勤するそうです。
「かなわんのですわ~」と言いながら、喜んでいる風でした。
数年ぶりに会っても、同じ釜の飯を食った間柄なので、なんでも言い合える体育会のクラブは最高です。

21時にお開きとなりました。
「今日はおもろかったぞ。今年は来れなかったから、これやるわ、捨てといてな」と、甲子園ボウルの応援に使ったKGブルーのハリセンをもらいました。
裏に、何百回歌ったか知れない校歌と応援歌が載っていました。
スタンドのKG応援団席で合唱したのでしょう。
チアリーダーのハーフタイムショーが観れなかったのが残念です。

今年から始まった東西リーグ戦2位の対決・「東京ボウル」も、関西2位の立命館が関東2位の法政を圧倒し、今シーズンの学生アメリカンフットボウル界は、西高東低だったようです。
電車とバイクで帰宅し、速攻で風呂に入り22時半頃床につきました。

12/14・クルージング&ヨット部忘年会


ハーバーに着くと、柳ヶ崎とは大きく違うヨットハーバーの規模や雰囲気に驚いています。
センターハウス内のヨットショップに目がキラキラしてるので、「帰ってきたらゆっくり見たらいいよ」とキラキラ心を満足させます。
レース艇に行きライジャケを2つ下ろし、センターハウスでトイレを済ませ、船に向かいます。
Jさんは休暇に家族とカリブ海に行き、船に乗ったこともあるのでもっと大きくて華やかなハーバーを知っていますが、Iさんは「いいな~いいな~」の連続です。

船に着き、小僧として使える男子部員がいないので、細々と僕が出艇準備をします。
W・8m/sほど吹いているので、慎重に桟橋を離れます。
天気予報で吹くのは予想されていたので、メインをワンポイントかツーポイントリーフして走ろうと思っていましたが、女子のみ2人になったので、ジブのみ帆走することにしました。

西出入口からハーバーを出ると、白波がバンバン立っており、Jさんにステアリングを交代したら、機走だけでも楽しんでいるので、ジブを上げるのも止めにしました。
交代でドライブしてもらいながら、六甲アイランドの九州行きフェリーやアメリカ船籍の自動車運搬船、コンテナクレーンを見て回り、海上自衛隊阪神基地に向かいました。

自衛艦が1隻停泊しており、一般の方が艦船や建物に入っています。
見学会をしているようです。
僕らは海上から写真を撮りますが、艦船から僕らを写す人もいます。
西出入口まで戻り、「この辺に桟橋付きの家があるのですか?」とリクエストしてもらっていたので、芦屋マリーナに入ります。
大きな船がマイ桟橋に着けられた大きな家に目を輝かせています。

マリーナハウス正面桟橋に近づけると、ハーバー職員がやってきて、「着けられますか?」と聞いてきます。
ホームポートで食事の予定だったのでノーサンキューしましたが、喫茶など出来るならこっちでも良かったんだけど・・・。
予約が必要なほど大人気なので、ブラリと寄るには使いにくい。

ホームポートに入り、風向を確かめさせて、着艇の手順を伝えます。
難なく桟橋に着け、汚れた所をデッキブラシで掃除して舟遊びは終了です。
14時過ぎにバック出来たので、遅めのランチです。
1F・フリアンディーズでまたDランチにしました。
11月から3回連続カキフライランチを注文しています。
帰国子女Jさんはお肉系ランチでした。

船の上で、僕の学生時代のヨット部生活などを話していたのですが、ヨット部男子部員たちは、女子免疫がないらしく、少々不満らしい。
僕の嫁さんとの馴れ初めや学生時代の失恋話なども披露しちゃいました。
子育ての面白さや、家族での生活の楽しさも話しました。
「運命の人って、現れると思いますか?」・・・なんて女子会話にも乗り、楽しい時間を過ごしました。

ハーバー内ショップで、ヘリーハンセンのバッグや先月次男カップルがペアで買ったセーターなどを試着したり、30分ぐらいやってました。
僕に女の子がいたらこんななんだろうなと、微笑ましく彼女らの姿を見ていました。

レース艇にライジャケを戻し、彼女たちをJR西宮駅まで送りました。
そのまま帰宅すると、17時でした。
17時半までウダウダし、通勤リード110に乗り阪急電車の駅に向かいます。
この日は、母校アメリカンフットボール部が出場する甲子園ボウルです。
今年も関西1部リーグを制し西日本代表になり、関東&東日本代表の日大と学生日本一を掛けた決戦です。
現役時代から、アメリカンフットボール部の試合を応援していたヨット部なので、先輩達数人が甲子園球場に行っていました。
その後に忘年会が恒例なのですが、それを少々拡大し、近隣7学年の忘年会に衣替えしました。

忘年会開始の18:30の5分前に、大阪梅田の「KICHIRI茶屋町店」に着きました。
「お~よう来た、久しぶり」と、長くお会いしていなかった先輩達から声が掛かりました。
総勢15名でビリから3番目の到着でした。
大半の方とは、レースでチームを組んだりライバルだったりして、毎月顔を合わせているので毎度おなじみです。
僕はクルージングがあったので、甲子園ボウルには行けませんでしたが、母校が55点取り一方的な試合で大勝したそうで、応援に行かれた先輩はそのままのテンションです。

甲子園ボウル2014

12/14・選挙&クルージング1

コーチをしている大学ヨット部員との卒業生クルージングの日です。
1週間前の日曜日は、レースが成立しないほど風がなく、2週間前の日曜日はうららかなクルージング日和でしたが、ウィークデイは例年以上の寒波が入っていました。
今度も寒波の合間でありますようにと願っていましたが、虚しく今シーズンの最低気温を更新する寒い日曜日になりました。

集合時間や場所などはメールしていますが、卒業生3人はいずれも都合がつかず、1回生3人が参加すると聞いています。
衆議院選挙投票日なので、7時の投票開始直後に家内と投票してきました。
民主党政権の不甲斐なさに幻滅した国民が、自民党帰りをしており、前回同様大勝しそうな勢いです。

尖閣諸島警備の巡視船が、体当りしてきた中国漁船を拿捕した事件で、首相が超法規的処置で無罪放免したのには呆れました。
首相がその映像を隠し、ユーチューブに流した海上保安庁職員が逮捕されるよいうおかしなことがあり、僕も民主党には幻滅しました。
自己抑制して、隣国では当たり前の領海侵犯=拿捕をせず、言葉がけのみで対処してきた巡視船でも、命が危ぶまれる体当たりをされたら怒るのは当たり前です。
どんなに大きな船だって、海に比べれば頼りないし、隠れるところはどこにもありません。
捨て身で突っ込んでくる船は、どれほど恐ろしいか・・・

それを、体当りした方を無罪放免するなんて、もう法治国家とは言えません。
超法規的措置とは呆れる・・・腰抜けです。
自国民の財産や人命を守れない首相や政権なんて、そっぽを向かれて当たり前です。

僕は弱い者いじめが大嫌いなので、小学生時代よくいじめっ子と喧嘩をしました。
喧嘩は弱いので、いつも泣かされていましたが、女の子やいじめられている子には大人気でした。
そして、いじめっ子は弱くても必ず突っかかってくる僕には手出ししませんでした。
いじめっ子というものは、女の腐ったような奴だと知りました。
反撃してこない奴に強く出て、反撃してくる奴や、自分より強い奴には手出しをしない男とはいえない輩です。

毅然とした国際法に則った行動をすればいいだけです。
首相自らがそういう行動を取ることで、それが国民の規範になりより良い国になります。

帰宅し、携帯電話の電源を入れると、部員のK君からメールが届いていました。
K君は体調不良で不参加で、女子部員2名が来るそうです。
ドタキャンで女の子だけにしちゃうなんて男としては情けないので、よっぽど体調が悪いのでしょう。
ここは体調不良でも参加し、「素敵~」って恋の花咲くこともある・・・のに。
チャンスだったのに、ああ勿体無い。

ヨット冬用カッパを着込み、ライジャケを持って8時半に家を出ました。
R171を西に走り、JR西宮駅北口が直接見える場所に駐車します。
待ち合わせの9:30の5分前に、駅に到着したとの電話が入りました。
車の場所を伝えると、頭を下げながらやってきました。

2人の乗せ、ハーバーに向かいます。
Iさんは1回生女子マネージャーで、4月の新人勧誘で僕の車の助手席に乗ってくれた子です。
ヨット部に興味を持っており、部員に聞けなかった不安面をストレートに聞いてきました。
明るい積極的な子なので、入部してくれたらいいなと思っていました。

Jさんはアメリカからの帰国子女です。
お父さんの仕事の関係で高校3年間をワシントンで過ごし、6月に卒業して予備校に入り、帰国子女枠で大学に入学しまし
た。
レース練習の時、彼女にカウントダウンを英語でさせ、クラブにインターナショナルな風を入れました。
積極的な性格で、4回生女子部員と組んで、全日本女子インカレに出場しました。
クラブで新たな体験を積んで、素敵な女性になって欲しい。

クリスマスイブ 7-2/7

結婚する時、「今までの思い出のプレゼントや写真・ラブレターも捨てたらあかんで。箱に入れて、嫁入り道具の1つとして持っておいで。それらで磨かれて、今があるんだから。僕も捨てずにいるから」と言いました。
お互いの「秘密の箱(僕はバッグ)」が我が家にあります。
その場所もお互い知ってるけど、僕は家内のそれを開けたことがありません。
家内も僕のバッグを開けていないような気がします。
どちらかが先に亡くなったら、遺品として見ることになりそう。

「マル優さん」が僕のお嫁さんになってくれたけど、よくモテるので、「電車で声を掛けられちゃった~」とか、職場に家内目当てに来る方もおられて、そんな話を聞く度、ちょっと誇らしい気持ちになります。
仕事関係の会合で、お酒が入った後手を握られて駅まで歩いたとか、なんだかんだありました。
僕は夫婦といえどそれぞれの人生なので、その程度のことにはむしろ笑っているので、家内も安心して何でも話してくれます。

でもストーカーまがいの怪しい人もいて、結婚してると言ってるのに、スーツに花束の格好で職場の外で家内を待ってる方もいました。
サンデー毎日なオヤジが、毎日家内を迎えに行ってた時期もありました。

取引先の若い営業マンにディナーを誘われたから、行ってもいいかと言ってきたこともありました。
家内を気に入っているらしく、時々プライベートのことを話して来る子だったそうです。
「行くな」なんて言わない性格なので、「行っといで、モテるなあ。遅くなるようなら迎えに行くから電話してね」とだけ言ってOKしました。
家内は聞き上手なので、僕同様一緒にいて居心地がいいのだと思う。
営業マン君も、家内を好きになっちゃったんだな。
ぐふふ・・・
それぐらいで取られちゃったら、僕はその程度だったということなので、僕はベソかいて追いかけたりしません。

学生時代の元カレさんが、同じゼミだったのでゼミ名簿から我が家に電話を掛けてきたこともありました。
塾を経営してたけど、大手塾に売却して東京でサラリーマン人生を始めるというので、懐かしくなったそうです。
なんで自分の奥さんじゃなくて、元カノやねんと思ったけど、家内が好きになった人だから変な人であるわけないので、「会ってきたたいいよ」と言いました。
その後、数度電話があり、毎回1時間ほど喋ったそうですが、会いには行きませんでした。
元カレさんも、家内の職場に来たそうです。

そんなこんなが、僕の子供の頃からの異性との関係です。
神様はうまい具合にカップルを作るようです。
毎年12月になると流れてくる「山下達郎・クリスマスイブ」を聞くと、いつも涙が溢れてきて、今の僕を作ってくれた女性達の顔が浮かんできます。
今年は、「クリスマスイブ」が主題歌になった映画を「マル優さん」と観ましたが、劇中で流れてきた「クリスマスイブ」にまた涙しちゃいました。

また彼女たちの顔が浮かび、その後横を向いて熱心に映画を見入ってる家内の顔をしばらく観ていました。
結婚と同時に始まったうちの両親との半同居を上手にこなし、天国に送ることが出来ました。
2人の息子を僕にプレゼントしてくれ、孫まで授かりました。
僕の今の幸せのすべては、家内のお陰です。
ありがとう・・・

大好きな異性がいるということが、僕の人生をとても豊かに実り多いものにしてくれています。
次男も、生涯の伴侶を得て、来月入籍します。
2人で素敵な家庭を育て、素晴らしい人生を送るでしょう。

クリスマス・エキスプレス

クリスマスイブ 7-1/7

「マル優さん」が参加したツアーに、公私混同してはスタッフに示しが付かないので、スタッフから外れ正規料金を払いお客さんとして参加しました。
でも、雪上運動会や夕食後のパーティーの司会などはしなかったけど、「マル優さん」参加の初心者講習の最終日は、僕が引率し志賀高原で一番オシャレな奥志賀高原スキー場に行きました。

「マル優さん」は箱入り娘さんで、お父さんの許可が出ず、修学旅行以外に外泊をしたことがありませんでした。
「外泊なんて、お父さんが許してくれないわ」と言うので、僕がスキーパンフレットを持って、「僕がやってるスキーツアーで、僕も参加するので安心です」と、お父さんを説き伏せ外泊許可を取りました。
2回目のスキーの時は、同じように僕が許可を取りに行きましたが、親から電話が入った時の対応をスタッフに言い含め、別のスキー場に2人だけで行っちゃいました。
「マル優さん」にとっては、大冒険だったと思います。

お父さんは、職業軍人として第二次世界大戦・中国戦線を転戦し、「・・(家内の苗字)部隊」として地元で有名だった隊長さんです。
シベリヤ抑留で帰国が遅れたので戦犯を回避しました。
地元の有名な部隊が帰還するのを新聞で知り、家内の母方おじいちゃんが娘を隊長に嫁がせました。
僕はお父さんの素性は、結婚後知りました。
背筋が伸びた眼光鋭い人だとは思ったけど、まさかこんな人だったとは・・・知っていればおっかなくて、こんな綱渡りはできなかったかもしれません。

大学卒業後、僕は東京に就職することになり、新大阪駅まで送りに来てくれました。
プラットホームで涙をポロポロ落とし始め、「東京には綺麗な人がいっぱいいるから、これで最後になってもいいよ」と言われました。
「そんなこと、する訳ないじゃない」と熱く抱擁し、僕は新幹線内の人になりました。
女性の涙は、最強です。

僕らの姿を撮っていたカメラマンがいました。
新大阪駅からの帰りに、家内は「番組にしていいですか?」と聞かれ、OKしました。
しょんぼりして電車で帰る姿も映され、「マル優」さんはインタビューされ、番組になっちゃいました。
美人はお得です。
新大阪駅での素敵なカップルの別れの姿がショートストーリーになり、シリーズ化されていたそうです。

僕の東京勤務時代、1ヶ月に1度、新幹線で僕が関西に帰るのと、「マル優」さんが東京に来るのを交互にしました。
会うのも別れるのも、東京駅か新大阪駅の新幹線のホームでした。
「帰ってくるあなたが、最高のプレゼント」、とても素敵な思い出です。

僕らが結婚した後、僕らが出演したショートストーリーがもっとおしゃれになり、「シンデレラエキスプレス」という番組になり、その延長線にあるJR東海・新幹線CM「クリスマスエキスプレス」になりました。

クリスマスイブ 6/7

彼女を何度も家まで送り、親御さん・ご兄弟、そして親戚回りドライブデートもして、結婚相手を彼女に決めました。
ヨット部で、ずいぶん上の先輩から、「社会に出たら、会社名や職業に惚れて、結婚するために体を張っていく女子がおるから、できたら学生時代に見つけとけ。ほんで、母親をよう見ろ。女の子は母親に似る。25年後の彼女の姿は母親や。母親を気に入ったらその結婚はうまく行く」と聞いていたので、しっかり見ました。

そして、大学卒業前にプロポーズしました。
美人で賢くて、小学生時代は健康優良児で・・・僕の理想のお嫁さんだったけど、1つだけ気になることがありました。
お婆さんが最後目が見えなかったことです。
彼女はコンタクトレンジ使用者で、少々乱視の入った近視です。
目が見えなくなった彼女を想像し、それでも好きでいられるか真剣に考えました。
結論はすぐに出ました。
「あのさあ、結婚して欲しいんやけど・・・」
「うん、いいよ。嬉しい」と、一発満額回答をもらいました。
サプライズプロポーズ

ここでプロポーズしとかなきゃ、絶対にすぐ他所にお嫁に行っちゃうと思いました。
大学卒業式より前に、僕の生まれたJR甲子園口近くのレストランの一室を借りきって、婚約発表パーティーをしました。
ヨット部の資金稼ぎでスキーツアーをやり、大学3回生の時友人3人でスキーツアー会社を立ち上げていたので、この手の催しを企画進行するのは得意です。

ヨット部オフシーズンの冬はスキーツアーで稼いでおり、雪山でのスキーコーチはかっこ良く見えるようで、バレンタインデーのチョコが会社のデスクに山のように届きました。
呼び出され告白されたことも数度ありましたが、僕はアグレッシブに獲得したい方なので、皆さんに「ごめんなさい」をしました。
「マル優さん」とお付き合いしてたし、二股とか無理な性格なので・・・。

高嶺の花・Bさんの家にも、「マル優さん」が手書きで作ってくれた招待状を持って行きました。
お母さんが出て来られ、なんだか気まずそうです。
僕が婚約したことを話し招待状を渡すと、いっぺんに顔が和らぎ、「実は娘も婚約し、お相手さんが今家に来てるの」と教えてくれました。
すぐにBさんカップルが出てきて、お互いを祝福しました。

お相手さんは、大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王筆頭の渡辺綱の末裔さんで、大阪で大きな病院を経営され、大阪の中心地にビルをいくつも持っておられます。
華やかで明るくさっぱりしたBさんには、こういう家がお似合いです。
「マル優さん」と僕の友人やカップルを呼び、婚約披露しました。

大学の卒業式後、Cさんと数時間一緒にいました。
1・2回生の2年間お付き合いし、3・4回生は同じゼミでしたが、これでお別れです。
2人で作った楽しかった思い出を振り返り、「じゃあ、元気でね」と別れました。

卒業1年後に、僕と「マル優さん」の親同士の婚約の儀式が終わり、Cさんの実家に電話をしました。
「娘は、卒業と同時に結婚をしました」って、お母さんはちょっと僕の電話に戸惑っていましたが、僕の結婚の報告だとわかるととても喜んでくれました。
その場で卒業アルバムを出してきて、「綺麗なお嬢さんじゃないの、幸せにね。娘にも伝えておくね」と祝福の言葉を頂きました。

僕は、卒業の時、Cさんから結婚のことは聞いていませんでした。
そして僕も「マル優さん」のことを話していませんでした。
お互い、気を遣ってたんだな・・・
素敵な子とお付き合いできた喜びが満ちてきました。

Bさんは、僕の婚約パーティーや学校のチャペルで挙げた結婚式に来てくれました。
Cさんは、結婚式場のアルバイトでエレクトーンを弾いていました。
「見に来て」と言われ、一度見に行ったことがあります。
僕の結婚式の時、エレクトーンの女性を見て、思い出しちゃいました。

Bさんから何度も念を押され、僕も彼女の結婚式が行われたチャペルに参列し祝福しました。
祭壇でのセレモニーを終え、バージンロードを旦那さんと戻ってくるBさんに拍手していると、Bさんは僕に手を振ってニコってしてくれました。
彼女はカトリックなので、僕のプロテスタントと違いゴージャスでした。

「マル優」さんを、僕がやってたスキーツアーに誘い、「志賀高原一の瀬&奥志賀高原」で初スキーを体験させました。
ヨット部は資金稼ぎ目的で、クリスマスとお正月にスキーツアーをしていました。
プロの旅行社と組んで、パンフレットを作成し、阪神間の女子大中心に正門でビラを配りました。
観光バス1台を満席にすると、20万儲かりました。

それでノウハウを得て、3回生の冬にヨット部以外の友人2人とともにスキーツアーの会社を立ち上げました。
プロの旅行社内に専用デスクを持ち、旅行社の事務女子社員1名が専用に張り付き、1冬で50台ぐらい出しました。
スキーツアー黎明期で、プロのライバル会社はおらず、僕ら同様学生の立ち上げた会社でした。
僕の中学からの同級生は、就職せずそれを本職にして中堅どころの旅行社になっています。
僕の立ち上げた会社も、僕は卒業と同時に抜けたけど、数年後天気予報をスポンサードしておりビックリしました。

クリスマスイブ 5/7

大学生活も後半戦に入る頃、学外の資格試験の講習である子に目が留まりました。
「あの子だ・・・」
学食で品評会に参加してくれてたあの子です。
髪は肩までに短くなってるけど、腰までストレートの髪を伸ばしていた「マル優さん」です。
顔は忘れません。

以前から知ってることは黙って、声を掛け一緒に昼食を食べました。
上品な食べ方で、肌が人形さんのように薄い肌色で、シミひとつない肌美人です。
僕はどうもお肌の綺麗な人に弱い。
睡眠時間も十分で、食生活もバランスが良いから肌が綺麗なんだきっと・・・。
髪の色も少しブラウンが入り、瞳も真っ黒じゃない。
当時はおしゃれ染めをする若い子は宝塚音楽学校の卒業生ぐらいで、目立ちました。
ハーフかクォーターさんだと思ってたのでそのことを聞くと、純日本人でした。
中高時代、何度か先生に毛染めを注意されたそうです。

雰囲気がホワ~ンとしてて、自分からしゃべる方じゃなく、僕のゆっくり喋りを口を挟まずゆったりと聞いてくれます。
門限が厳しく、夜遅くなるとかはダメだけど、僕の計画にお任せで乗ってくれます。
「何処行くの?」や「何するの?」の質問がなく、「何時にどこに行けばいい?」って待ち合わせ時間を聞くだけで、僕を100%信頼してくれる。
優しい環境で大事に育てられてるなを感じさせました。

彼女は、別の学部の同学年で、彼女の学部も女子比率が低く、彼女の英語クラスは女の子が3人だけです。
もっと髪の長い子が、僕の中高の同級生と付き合っており、最後の一人はヨット部のマネージャーでした。
僕はゆっくり喋る方だけど、途中で口を挟まずゆったり聞いてくれるのが居心地よく、いっぺんに仲が良くなりました。
駅までの帰り道の横断歩道を渡る直前で、信号が点滅になったので、「行ける」って叫んで、「マル優さん」の手を握って走っちゃいました。
渡り終えたら、すごく笑ってくれて、いっぺんに好きになっちゃいました。

外見も仕草も可愛い女性なんだけど、お茶お華の免状持ちだけあって、背筋をピンと伸ばして歩く姿が男らしい。
性格も男らしく、特定の女の子とグループを作っていつも行動するのは苦手で、1人で行動するのを好む。
サッパリしてて、過ぎ去ったことをいつまでも引きずらないかっこいい性格です。

僕はウジウジ系が嫌いで、一旦任せたのに、細かいことでアレはどうする?
こうした方がいいんじゃないの?
なんて言い出す仲良しグループは敵わん一匹屋な僕に合っています。

彼女も中学受験組で、小学校から歩んだ道が僕に似ています。
我が家より立派なお家のお嬢さんですが、親御さんの考え方がうちの親に似て学業優先です。
小学生時代はお婆ちゃんと一緒に住んでおり、いずれ親の面倒を見ないといけない長男の僕の家でもうまくやれそうです。
親に一度も叱られたことがないというとこにも、僕の理想の夫婦喧嘩・親子喧嘩のない家庭が作れそうだと思いました。

1ヶ月後ぐらいに、彼女を家まで送って行きました。
その時、「あのねえ、いいもの見せてあげようか」と誘導されたのが、なんと結婚式場でした。
駐車場に車を停め、「え、え~いきなり結婚式場・・・」っと思いながら、彼女に続いて3階まで吹き抜けのエントランスを入る。
彼女が指差す正面サイドの壁に、角隠しで和装した等身大の数倍に拡大された女性の写真が飾られている。
「ほら~」って言うのでよく見ると、モデルさんが彼女でした。

Ashley Tisdale - Kiss The Girl

クリスマスイブ 4/7

が、クリスマスイブの前日の晩Cさんから電話がありました。
「イブに行けなくなりました・・・好きな人が出来たの。ごめんなさい。これからはお友達としてお願いします」。
返す言葉もなく、「今までありがとう、楽しかった。幸せになってね」と言うのが精一杯でした。
冬休み前最後の授業日でも、いつもの様におしゃべりしてたのに・・・僕に言い出せず辛かったのでしょう。
冬休み明けまで学校に行かないこのタイミングで、勇気をふるい立てて電話してきたんだと思う。
家にも連れて来てたし、僕の母親も車に乗せて3人で母親の趣味の絵画鑑賞に美術館に行ったこともあったのに・・・。

でも未練たらしい僕は、クリスマスイブの約束の時間に、クリスマスイブの待ち合わせにしてた場所に行ってしまいました。
Cさんが来るはずないのに、待ち合わせてカップルになってどこかに行く人たちを、ぼんやり見ていました。
「もう帰ろうかな」と思い始めた頃、少し暗くなった空から雪が落ちてきました。
涙もろい僕は、その雪に感動して涙が溢れてきました。
その後リリースされた山下達郎の「クリスマスイブ」そのもののシチュエーションです。
だから、この歌が今でも大好きです。

その後、ちょこっと付き合った別の学部の子もいました。
でも、一生懸命チケットをゲットし一緒に行ったコンサートで寝られてしまってがっかり。
側溝の穴に赤いハイヒールの足が挟まった時、「買ったばかりなのに・・・」とか「高かったのに・・・」とかウジウジな言葉が続き、「金のことをゴチャゴチャ言うな」とも言えず、嫌になっちゃって。
終わったことが仕方ないので、次しないように注意するだけでいいのに・・・
決定的だったのは、喫茶店でしゃべっていた時「たばこを吸ってもいい?」と聞かれた時です。
「うん、いいよ」と答えたけど、母体からの喫煙の影響を考え、この子の将来はないなと思いました。
それ以来、誘うのを止めました。

彼女は僕に未練があったようで、友人を通じて何度か復縁をアプローチされましたが、僕は「この人と結婚してもいい」と思う人でないとお付き合い出来ないので、マイナス言葉が多い人とは無理でした。

その頃、車通学してましたが、Bさんもそうでたまにすれ違ったりしました。
パッシングで合図され、お茶しながら近況報告なんてしていました。
僕のドライブデートとすれ違い、スルーしたよとか、結構目撃されてました。
男友達と喫茶店に入ったら、Bさんがデート中で、「・・くん、今デート中なの」って平気で声を掛けてくれたこともありました。

超美人なのに、さっぱりした気性で素晴らしい子です。
でも、僕の家と違いお金持ちさんなので、ヘアースタイルも持ってるものも着ている服も、セレブ雑誌から飛び出たままです。
Bさんは高嶺の花で、幼馴染の男女の仲を超越する関係です。

でも1度だけデートに誘ったことがあります。
神戸であったコンサートに誘ったのですが、僕はヨット部の整備が長引き、30分遅刻しちゃいました。
整備中に間に合わないと思い、キャプテンに早めに抜けさせてくれと頼んだけど、許可は出ませんでした。

駐禁覚悟でコンサート会場正面に車を乗り付け、待ち合わせ場所の花屋さんの前に走って行きましたが、Bさんはいませんでした。
花屋さんに聞くと、ここで花束を買い、店先で待っていたという。
「さっきまでおられましたが・・・」
Bさんにチケットを渡していなかったのでいるわけないんだけど、コンサート会場に入り探しましたが、当然いません。

車に飛び乗り、Bさんの家に走りました。
僕の保育園時代も知ってるお母さんが出てきて、「ああ、・・ちゃん」。
「ごめんなさい、僕が遅刻しちゃいました。Bさんは・・・」
「娘は部屋で泣いてるの。ごめんね、今日はそっとしてあげて・・・」

お金持ちのお嬢さんであの美貌だから、こんな失礼なことをされたことがなかっただろう。
生涯で一番かわいそうな目に合わせたかもしれません。
後日、Bさんに謝りました。
「ごめんね、もう少し待ってたら良かったね。少し体調が悪くて、待てなかったの」と、僕を気遣う言葉でむしろ自分の非を詫び、ケロッといつもの笑顔で接してくれました。
所詮、僕には高嶺の花で縁がないと、神様が諦めさせてくれたのでしょう。

クリスマスイブ 3/7

高校に続き、大学でもヨット部に入りました。
でもアルコールを強制されるのが嫌で、すぐに高校ヨット部同期数人と一緒に辞めてしまいました。

そんなある日、電車でBさんに会いました。
クラブの話になり、ヨット部をすぐに辞めてしまったことを話すと、「なんで。せっかくやってたのに勿体ない」って、とても残念がってくれました。
「ヨット、面白くないの?」「いや、面白いけど・・・」「じゃあ、続ければいいじゃない」って単純明快に言われました。
僕とBさんの関係は、保育園時代の副番長とその他子分の関係から変わっていません。
翌週に、僕は先輩に連絡し、1人でヨット部に復帰しました。

大学には、学生会館にある学生食堂と、木造バラック建ての業者会館にある業者食堂があります。
体育会の部室は、業者会館の2Fだったし量も多いので、業食で食べることが多かったけど、ヨット部の昼のミーティングやトレーニングの集合場所が、学食の前でした。
全員が集合するまで、ヨット部同期とやってくる女子の品評会をよくやりました。
「今のは優」「いや良+や」「不可やなあ」と、男仲間の他愛のない楽しみです。

そんな品評会に毎回参加してくれる髪の長い女子2人組がいました。
2人とも髪が長く、1人はお尻まで、もう1人は腰に届く髪で、目立っていました。
ストレートに髪を長く伸ばし、意志の強そうな感じを受けました。
腰髪の方の僕の評価は「マル優」です。
彼女達と同じ学部の同期が、「あれは、・・学部の僕らと同じ1回生やで」と教えてくれました。

シャイな僕も女性と話せるようになっており、僕と同じ学部の別の英語クラスのCさんと付き合うようになりました。
初めての女性とのお付き合いです。
ウィークデイはCさんの家にもよく送って行ってたし、いい感じのお付き合いが続いていました。
1回生の学年末テストが、大学学費値上げ反対紛争によりボイコットされ、レポート提出に切り替わりました。
ヨット部の練習が前倒しで始まることになり、図書館やCさんの家でレポートを書き上げ早く提出しました。
それが良かったのか、1回生の成績は抜群でした。
3年後の卒論も優秀賞をいただき、冊子になり学生に配られました。
文字好き故、書き物は得意です。

2回生のクリスマスまで続きましたが、ヨット部で日曜日や祝日が練習やレースの僕は振られてしまいました。
「寂しいのでボーリング同好会に入ろうと思うの」という彼女の希望に、当然賛成したのですが、その同好会の先輩に取られちゃいました。
Cさんは、僕の学部で一番の別嬪さんで、僕らカップルもジロジロ見られていました。
モデルさんのようなスタイルだったので、放って置かないわなあ・・・

神戸の素敵なイタリアンのお店で、「クリスマスイブ、またこのお店に来よう」と約束し、前売りクリスマスディナーチケットを購入し、その日が来るのを楽しみにしていました。
僕はヨット部なので、冬以外の日曜祝日は全て練習やレースです。
授業のあるウィークデイは、授業終了後などよくドライブしてたけど、遠くまで行くことなどなく、素敵な思い出をあまり残せませんでした。
秋のある日、友人から、「お前の彼女、知らん奴と手をつないでいたよ。もう別れたの?」なんて電話をもらいました。
僕は、美人故、手をつなぎに来る奴もいるだろうし、断りきれないこともあるよと、余裕かまして気にも掛けませんでした。

ラストクリスマス

クリスマスイブ 2/7

そんな僕の喧嘩も、中学受験の勉強が忙しくなってくる高学年で止みました。

中学から、電車通学になりました。
阪急電車の西宮北口駅で乗り換えるのですが、僕が乗る電車から降りてくる女の子にビックリしました。
保育園の時のクラスメイトです。
クラスの副番長(番長も女子)です。

僕が通ったのは西宮市の3年保育の私立保育園で、ほとんどの子が電車バス通園でした。
特殊な教育をする羽仁もと子さんの保育園で、入園1ヶ月後から、家から1人で登園しなければなりません。
最初の1~2回は親が園の玄関まで一緒ですが、1週間後は園から100mほど手前の長い階段の下までしか親はついて行けません。

その日母親と階段下で別れて階段を上がると、階段中段で青大将が寝そべっていました。
4歳の僕はそれが怖くて、母親に「来て」を呼ぶけど「大丈夫だから行け」というばかりです。
泣いてしまった僕を見ていた、先に上がっていたBさんが降りてきて、僕の手を握って上がってくれました。
助けてもらったその記憶がずっと残り、活発でよく喋るBさんが僕の保育園時代のヒーローでした。

その後、親たちの仲が良かったので、保育園の同窓会が家庭持ち回りで小学生時代も毎年ありました。
そんな関係で、電車から降りてくるその子を見た時、Bさんだとすぐわかりました。
中1になった僕は、異性を意識するようになっており、Bさんの制服を見て「ああ、あそこの学校に入ったんだ~」とか「可愛いいな」なんて、毎日の通学が楽しくなりました。
数回を経て、Bさんも僕に気づいたようです。
勇気がなくて言葉を掛けられない僕なので、Bさんは「似てるけど違うかな~」なんて目で、僕をチラ見してすれ違うようになりました。
僕は、いつもの電車からBさんが降りて来なかったら、次の電車まで1本待つこともしました。

「あの~」って声を掛けたのは、1年ぐらいしてからでした。
無口でシャイな僕とは違って、さすが元副番長、「やっぱり~」って満面の笑みで応えてくれした。
それから、「おはよう」の挨拶を交わす楽しい通学が始まりました。

高校生になった秋のある日、Bさんから彼女の学校の文化祭のチケットを貰いました。
1人で行ったので、女子ばかりの学校に1人でいても時間が持たず、すぐに出てきちゃいました。
ほとんど女子だし・・・何かジロジロ見られてる感じがするし・・・
そのことを次の日の朝話すと、「呼んでくれたら良かったのに・・・」なんて言われちゃいました。

僕の学校の文化祭チケットを渡したこともあります。
Bさんは友達を誘って来てくれて、5~6人で回っていました。
シャイな僕は、挨拶して少し一緒に回って、「用事があるから・・・」なんて何もないのに言い訳して彼女たちと離れました。
女子数人の会話に、仲間入り出来るほど肝が座っていません。

その頃のBさんは、可愛さに加え美人度も急上昇しており、彼女と喋ってるだけで友達からかなり羨ましがられました。
通学で僕が出会う同年代の全ての女の子の中で、美人度No1でした。
こんな人が、「僕の彼女だったらいいな」と思ってましたが、高嶺の花でした。

僕の通った保育園は、幼稚園に通う子も全員ではない時代に、3年保育でした。
教育評論家の羽仁さんの学校なので、教育熱心なご家庭のお子さんしかいません。
僕はごく普通の家庭ですが、みんなイイトコの坊ちゃん嬢ちゃんです。
Bさんも同族会社を経営してるお金持ちのお嬢さんで、綺麗な日本語をしゃべり清楚で、僕とは大違いです。
高校生が終わる時に、朝の定時のお楽しみは自然消滅しました。

ラストクリスマス

クリスマスイブ 1/7

「山下達郎・クリスマスイブ」という、僕には思い出深い歌があります。

その歌がフューチャーされた映画を観に行き、主題歌が流れて来た時、思い出が蘇り涙が頬を濡らしました。
横に座る家内の横顔を見ると、真剣な眼差しではあるが、僕のように感情に大きく揺さぶられていない冷静な表情でした。
僕の方がずっと感動屋なので、こういうシチュエーションは多いのですが、「女性には敵わないな」という思いとともに、「女性に育てられているな」とも思いました。
その映画の帰り道、走馬灯のように浮かんだ僕に影響を与えた女性の事を遺しておきます。

僕に最も影響を与えたのは、当然母親です。
僕を産んでくれ、生後4ヶ月で致死率50%の大病から僕を、小児科のお医者さんと戦い救ってくれたのも母親です。
カトリック教会に幼児の僕を連れて礼拝に行き、小学校の6年間以外の学校生活にずっとキリスト教があるという環境の芽を作った。
子供に対して厳しすぎるので、喧嘩ばかりしていましたので、一女性と見たら決して心が動かない嫌いなタイプですが、それでも感謝の気持ちの方が圧倒的に多いので、細かいことは割愛しよう。

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僕は、小学生の時は、結構モテてたのかもしれません。
小1では、クラスのある女の子Aさんから「一緒に帰ろう」なんて言われて、毎日のように一緒に帰ってました。
手をつないで来るので、されるがままで帰ってました。
女子はどうかわかりませんが、僕はドキドキすることはありませんでした。
家に呼ばれて、おままごとの相手をさせられたり、おやつもらったりしてました。
ピアノが僕より上手で、教えてもらうような感じの時もありました。

そんな僕をからかうクラスメイトもいましたが、別にそれがどうしたって感じでした。
きっと同学年の男の子より精神的成長が幼く、同級生の女の子に異性を感じていなかったのでしょう。
小2で引越ししたので小学校が変わり、Aさんとの関係は途切れました。

新しく移った学校でラッキーだったのは、僕の元の学校の方が勉強の進み具合が早かったことです。
前の学校ではみんな普通に暗記してた九九が、新しい学校ではまだで、「賢い子」という目で見られました。
転校生である僕を早くクラスに馴染ませようとした先生の配慮か、よく授業で褒められました。

今でも勉強好きが続いているし、TVもお笑い番組よりはNHKやETVなどの歴史番組・語学番組・高校講座などにチャンネルを合わせてしまうのは、小学校で先生に褒められ、勉強に対する自信を持ったからだと思います。

一方でからかわれることもありました。
両親が北関東出身なので、普通にしゃべっている言葉遣いがきつく感じるらしく、「何怒ってんねん」とよく言われました。
冬になると厚着させられるので、それでもからかわれました。
冬に半ズボン登校なんてもっての外で、長ズボンの下に股引まで履かされていました。
それをからかわれ、喧嘩になることもありました。

僕はからかわれると反発して、からかう奴に突っ込んでいく危険分子だったので、僕に手出ししてくる奴はいませんでしたが、学校に慣れてくると「弱い者いじめ嫌い」の血が表に現れ出しました。
いじめられてる子を見ると、「なんでそんなことすんねん」といじめっ子に口を挟むようになり、週1回は喧嘩をしていました。
突っ込んでいく割に、叩くことが出来ないので、押すとか引っ張るとかだけだから、大抵叩かれて泣かされていました。

でも、女子からは正義の味方に見えたのか人気は抜群でした。
級長の投票とかでは、ダントツで女子票を集めていました。
ワイルドさが受けたのかもしれません。
クラスの席替えで、いじめられっ子さんが僕の横の席になりました。
先生が僕に守護を期待したのでしょう。

内定ゲッター

出展はどこか忘れましたが、たぶん新聞のコラムだと思う。
以下の文章が、僕の気になった言葉スクラップに残っていました。

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『就職活動で複数の会社から内定を手にする学生を「内定ゲッター」と呼ぶそうだ。その一方で、卒業間際まで就職先探しに奔走する学生がいる。自己PRの書き方に面接の想定問答。そうした型にはまった技術とは別の鍵が道を分ける。
近著「世代諭のワナ」でそう説くのは人材育成コンサルタントの山本直人氏だ。
鍵の一つか親。内定ゲッターや優秀な若手社員は皆、伸びやか。その人柄は親が子に過度なダメ出し、つまり欠点の指摘をせず信頼して育てた結果だとみる。子を信じるには親に自信が要る。自信ある親から自信に満ちた子が巣立つ。
こうして目に見えない「自信の相続」が進行中だと山本氏。窮屈な環境で育った子には本来、大学3年生の1年間が逆転の好機だった。所究、サークル運営、留学などにより自力で自信を身につけるのだ。貴重な1年が近年は就括でつぶれ、入学時の自信の多寡が就職の明暗まで左右するようになったと分析する。
人材の流動化や多国籍化でコミュニケーション能力の高い社員を企業が求め始めた。伸びやかな人が引く手あまたなのもそのためらしい。そもそも若者が生き生きしていない社会の未来は暗い。彼らが自分に自信を持てるよう、学校や職場は不要なダメ出しをやめて、「勝つ」体験を積ませてはどうだろう。』
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今年の就職戦線は少し楽になったようですが、まだまだ厳しい。
でも、母校ヨット部後輩部員で就職が決まらず困っている子の話は、聞いたことがない。
コーチしてる大学ヨット部員も、みんな内定をもらったいくつかから選んでいる。
僕が就職した時も、体育会のクラブをやってた者は、すぐに就職先が決まっていた。
僕も志望した1社にすんなり入社した。

体育会だった息子たちの時も、ただ事後報告で就職先を聞いただけです。
食卓に置いてあった長男の就職履歴書の特技欄に、「宴会隊長・どんな場所どんなメンバーでも場を盛り上げます」と書いてありました。
次男は、社長との1対1の面談を申し込み、社長を気に入ってそこに入社しました。
2人共大した自信です。

面談方法を教える学校や教室の風景がニュースで流れますが、こんなテクニックなんかで企業は社員を取らないだろうと思う。
話していれば内側から漂ってくる本人の魅力を感じ取り、採用するのだと思う。

松下幸之助の「人を率いる3つの条件」というのがある。
「愛嬌があること」
「運が良さそうに見えること」
「後ろ姿」

その心は、
愛嬌のある人には、自然な笑顔が染み付いている。
顔を上げて、プラス言葉を話す人に、運は寄ってくる。
そして自分に自信のある人は、堂々と歩くので後ろ姿がいい。
と僕は読んだ。

自分の子を信じている人は、子供の悪さに成長過程を感じ、自信をなくさせる罵声など浴びせない。
自分に自信のある親は余裕があるから、子供の悪さなんて余裕で見逃せる。
自分の行動にプラス言葉で褒めてくれる親を持つと、自分への自信が膨らみ、少々ミスって世間に怒られても、自信が揺るがず、またチャレンジ出来る。
そういう人が、内定ゲッターになるのだろうと思う。

12/7・デビクロくんの愛と魔法

ノーレースコールが12時だったので、おにぎりで昼食にします。
いつものようにあ~だこ~だおしゃべりしながら船の動きを見ていると、SEの潮の流れが強いです。
風が弱いので、スタートラインから離れないのが鉄則なので、3人でそれを確認します。
W・2~3m/sが入ってスタートシークエンスに入ると、僕らのいるエリアだけ風がなくなり、スタートラインに戻るのが逆潮になり出遅れてしまいました。
波が残っているので艇速も出ず・・・また全体的に風がなくなりノーレース。

16時閉会式なので、最終スタートリミットは13時と思っていましたが、1レースもできていなので、13:30まで待って弱い風の中で強引にスタートしました。
が、また風がなくなり、NH旗が上がり、ノーレース&ハーバーバックになりました。
ヘリーハンセンカップは成立しませんでしたが、年間シリーズトータルでは3位を死守しました。

J24に引っ張ってもらいハーバーに戻りました。
IRC艇とJ24・ドラゴンクラスが上架クレーンを使うので、なかなか船が上がってきません。
バイク乗りの後輩とあ~だこ~だ。
ヤマハR1とホンダCB750に乗っていたのですが、両方売ってBMW・K1300Rに乗り換えたそうです。
免許取ってR1を買ったけど、前傾ポジションがしんどくCB750を追加したのですが、今BMWでごきげんに走っているそうです。
僕もそうですが、学生時代ヤマハの船に乗っていたので、ヤマハに愛着があります。

上架に時間を食い、片付けを終えたのが16:40でした。
家内と18時上映開始の映画を観に行く予定で、予定の15時に自宅に帰れそうになく、家内に電話し、映画館前で待ち合わせすることにしました。
閉会式は、じゃんけん大会での賞品分捕り合戦になるのだろうけど、僕は家内との約束を優先し、閉会式には出ずに映画館に急ぎます。

通勤リード110に乗り、R171を帰り、17:30に映画館に着きました。
自宅から30分あれば来れるのに家内の姿はなく、携帯に電話しますが誰も出ません。
10分後再び電話しますが誰も出ない。
さっき電話した時、家内の声にいつものハリがなかったのが気になり出しました。
寝起きだと勝手に判断しましたが、体調が悪いのかも?
ちょっと心配になり、自宅に電話しましたが誰も出ません。

17:50になり、携帯電話に電話すると、なんと「電源が入っていないか・・・」というお決まりのメッセージ。
自宅に電話しても誰も出ない。
映画館に行くように電話してから1時間20分・・・約束の時間には早めに来る人なので、メチャ心配になりました。

自宅で倒れているのか・・・犯人に拉致され携帯電話を取り上げられて電源を切られたのか・・・映画上映5分前になり、いてもたってもいられず、もう待っていられません。
最悪のシナリオ・「自宅で倒れている」を解消すべく、帰宅することにして、急いでバイクに戻ろうとしたら・・・家内が歩いてきました。
「うわ~ホッとした~。体調が悪い?」
「ううん、なんで」
「だって何度電話しても・・・」
かばんから電話を出し・・・「あっ、ほんとだ」
僕が勝手に空回りしちゃった・・・

かばんに入れてる電話の音に気付かなかっただけのようです。
電源が切れたのは、もう電池がなくなったからでした。
終わり良ければ全て良しです・・・大笑い。

チケットを買い、18:00・「MIRACLE・デビクロ君の恋と魔法」を観ました。
紅白歌合戦司会の嵐のメンバー・相葉雅紀と榮倉奈々主演のラブストーリーです。
人気グループのメンバー主演なので、お若いカップルが多いかと思いきや、観客が少なめでした。
でもお若い女性1人で観に来ておられる方が数人いました。
相葉ファンかな?

クリスマスソングで一番好きな「山下達郎・クリスマスイブ」が主題歌になっており、奥さんの竹内まりあさんの曲も流れていました。
主題歌に似合うストーリーを、中村航が書き下ろしたそうです。
素敵なラブストーリーで、クリスマスイブが流れると、また涙が流れて来ちゃいました。
涙もろい僕は、家内にどんな風に映っているのだろう。

ハートウォーミングになって映画館を出て、映画鑑賞後よく入るオムライス専門店で夕食をしました。
ハーバーではこの時期当たり前の服装ですが、雨も降ってないのにヨット用のごつい防寒防水カッパを着て、日焼け防止の真っ赤なハットを被ってる僕は、街中では浮いてるね。
映画の半券があるとサービスが有るお店で、家内はジュースを、僕はWアイスをオマケしてもらいました。

20:57、精算し、家内がヘルメットをぶら下げてきていたので、タンデムで帰宅しました。
転落防止のリアボックスがないので、いつもよりさらにゆっくり走りました。
眠り姫なので、「絶対寝たらあかんで」と念を押しました。
楽しい休日でした。

12/7・ポイントレース最終戦

日曜日はレースでした。
今年最後のレースで楽しみでしたが、1週間前のうららから日曜日後、数日でまた冬型気圧配置に変わり、金曜・土曜と西からの強風の日が続きました。
この日のレースは、IRCカテゴリーの最新鋭大型レース艇から最小のJ24や僕らの3人乗りまでの一斉スタートがあるヘリーハンセンカップです。

賞品レースではありますが、防波堤の外でやるので、吹けば大波が立ちます。
土曜の晩、お風呂に入っていると外が騒がしくなり、雨かなと窓を開けて外を見ると雨はないけど、一層の強風が吹き荒れていました。
3月に始まったドラゴンクラス年間ポイントレースの最終戦でもあるので、頑張らねば。
現在自艇は3位で、4位と2点差です。

「参ったなあ~」と床につきましたが、日曜日の朝は至って平和なうららかな空模様でした。
前日昼にチェックした1時間毎神戸空港天気予報では、W~WSW・6m/sだったのが、朝は風向は変わらないものの2m/sになっていました。
これなら吹いても6m/sまでだろうと、ウキウキと用意をしました。
夏なら平気ですが、12月の寒風の強風で濡れるのは遠慮したい。

寒いのは確実なので、イムホフのもっとも温かいカッパ上下を着ました。
9:30スキッパーズミーティング・11時第1レーススタートなので、8時ハーバー着目指して、7時過ぎに家を出ました。
ただ寝てる間に捻ったのか、左腰に違和感があり、朝ストレッチをしましたが、左膝を水平以上に上げるのが苦しい。
コクピットからデッキに上がるパフォーマンスに響きそうです。

R171を西に走り、8時前にはバーに着きました。
陸置きヤードに行くと、ライバル艇のクルーさんが1人先着していました。
初めてさんだったので、挨拶を交わしました。
年賀状を10年ほど交換してる母校と艇庫を並べるK大OBさんがオーナースキッパーのチームなので、大学の後輩かなを聞いたらビンゴでした。
このフリートの大半が学連ヨット部出身なので、出身校は違えど体育会の雰囲気が残り居心地のいい。

レース艇のオーニングを外し、スピンシート・ジブシートをブロックに通して、あれやこれやをセットして、セイルをセットするのみまで準備完了。
その間にライバル艇のクルーがやってきて、あ~だこ~だおしゃべり。
僕らは出場しなかった江ノ島での全日本のことや、また今年も西日本王者になった母校アメリカンフットボールの話題を母校後輩達とあ~だこ~だ。

大学系列中高では、授業でアメリカンフットボールをやってるので、あのゲームの面白さをみんな体験しており、みんなアメリカンが好きです。
うちの艇も、来週の甲子園ボウル(東西アメリカンフットボール学生王者決定戦)の応援に行きます。
関東を制したのは日大のようで、この日一緒に乗る日大出身のクルーさんも含めてワイワイ応援します。
KG応援団に日大OBさんも入れて楽しむのが、我がチームの恒例です。

メンバー3人が揃い、K大出身の本日のスキッパーさんが艇長会議に向かいます。
その間に、クレーンで海面に下ろされた船の最終チェックをして、タテイのクルーとあ~だこ~だ。
セイルを上げ、10時前に桟橋を離れます。
天気予報と違いEast1~2m/sの微風なので、エンジンの付いている大型艇に引っ張ってもらい赤白灯台の間を抜けて、防波堤外のレース海面に出ます。

ここも風が弱く、風向も安定していません。
加えて、前日の強風で作られた波が残っおり走りにくい。
11時になっても風が安定せず、AP旗が上げられスタート延期です。

11:30頃、E・2m/sでRace1スタート。
アウター目から出ましたが、大型艇のスピードには勝てず、上突破されてブランケットゾーンに入ってしまいます。
ここでタックしても集団に突っ込むだけなので、そのまま左海面に伸ばします。
30艇のレースなので、難儀なことです。
風は更に落ち、パフがレース海面の一部にアトランダムに入るのみになりました。
ノーレース臭いなと思いながら、小さなパフを見つけて上マークまでの中間ぐらいまで進みましたが、ノーレースがコールされスタートラインに戻ります。

「沖縄を豊かにしたのはアメリカという真実」 惠隆之介

数年前からTVニュースで紹介されだした沖縄普天間米軍基地の辺野古沖移転反対運動・・・我が在所にも陸上自衛隊基地があり、子供時代から非武装を唱える基地反対運動を何度も間近に見てきましたが、地元民は誰も反対していません。何処からやってくるのか大勢のデモ隊がやってきて、正門前でシュプレヒコールを繰り返す。
そんな僕には、どうも異常に見える沖縄米軍反対運動の実際をこの目で見ようと、2月に沖縄ツーリングをしました。
20年ぶりの沖縄でしたが、反対運動も目立たず、共存しているように感じました。

お城も5~6ヶ所見ましたが、九州のお城とは大きく違い、大陸文化を感じました。
経済力をつけた中国共産党の過激な領土膨張政策を見ると、尖閣列島~沖縄本島も取り込まれて、続いて奄美諸島・・・と、素晴らしい日本という国の危機を感じます。

その後、隠岐の島ツーリングした時、「密航・密猟」「竹島」なども看板が目につき、国境の島を意識しました。
そんなこんな流れで、この本を手にしました。
本の前半半分は、沖縄の医療について書いてありました。
戦前県民寿命が47才だったのを、アメリカ統治27年間を経て日本復帰した時は、87才になりいきなり日本一の長寿県になっていた。
マラリアはじめ伝染病のデパートだった沖縄から、いかにマラリアを駆逐したか、医療行為よりお祓い重視だった県民を教育していったかが、書かれている。
持続的なものでないと意味が無いので、日本人医療従事者をアメリカ国費を投入し、教育し作り上げていき、アメリカ本土同様のレベルまで上げていったかの歴史が、データや回想録を引用して説明されている。
そして日本復帰後、日本政府からの沖縄支援費投入により、昼間から酒を飲んで働かない男が増え、平均寿命は長野
県に抜かれ・・・の現在に至る流れも書かれている。

続いて、沖縄の教育・産業・金融改革が書かれている。
それらの章でも触れられていましたが、最終章の著者とケビン・メア氏の対談に、僕の感じた沖縄への回答がありました。ケビンさんは、在日期間19年、沖縄総領事や国務省日本部長も歴任した知日派です。

『全国の米軍基地の78%が沖縄にあるといいますが、実際には22.5%しかないんです。米軍専用基地というと78%だけど、在日米軍基地では22.5%。78%の分母には、横須賀・三沢・佐世保・岩国などの巨大基地は入っていない』

『中国の脅威は現実にあります。中国政府は共産主義より独裁政治です。中国は何を狙っているかというと、尖閣だけではなく東シナ海。今まで南シナ海で、中国は挑発や軍事行動を繰り返し、南シナ海が中国に中国のものになるようにして
きた。その行動がいま東シナ海に向いている。今中国は日本とアメリカを試している。どれ位対処する覚悟があるかどうかを。なぜ尖閣諸島を選んでいるかというと、エネルギー問題だと言われますが、それだけじゃない』

『沖縄で私のスタッフが調べたのですが、沖縄にあるほとんどの基地は、民間が所有している。日本政府が借地契約している。契約が更新する時期になると、基地反対の運動が起きるようになる。何故か。土地の所有権を持っている組織が、
基地反対派に金を渡している。値上げのためです。政府と交渉する時に、こんなに反対されているから、私の土地を政府が利用できるようにしたら、危ないからといって。だから反対させる。そうして交渉しないとお金がもらえない。そういう光景はよくありますよ。日本政府にも責任がありますよ。お金出しているから』

『そもそも普天間は、日本海軍が昭和17年に買い上げて、基地を作ろうとしている時にアメリカに占領されたんです。だから本当は国有地が90%あるはずなのに、逆転しているんですよ。私有地が91%になっている。地主全員の主張分を入れると、普天間飛行場はあと3つ出来るんですよ』

『中国には、日本が中国に攻撃されても、アメリカは動かないという誤解があるかもしれない。実際、アメリカはどのように対処するか? アメリカは日本を守りますよ。安全保障条約があるからだけじゃないんです。アメリカは日本と緊密な同盟関係があるし、共通の価値観もたくさんある。民主主義国家であるし、広い経済の関係もあるし、もちろん安全保障条約の責任もある。でも、あくまで、なんでアメリカは日本を応援するかっていうと、それ自体がアメリカの国益だからです。だから別に優しい国ということではなくて、国益だけを冷静に考えると日本を守ることになるんです。20世紀の戦争の教訓をみて、アメリカは前方展開戦略になった。それは、引き揚げると余計戦争が起こる可能性が高くなるという教訓でした。第1次大戦・第2次大戦。だから日米関係を別にしても、前方展開戦略は、基本の基本ですから。それを維持するために、アジアでは日本の基地が必要なんです』

あとがきに、著者のこの書を書くに至る経歴などが書かれていた。
『私は昭和36(1961年、沖縄本島中部の小学校に入学した。入学直後から、授業の度に、「(沖縄県の前身たる)琉球王国の栄華」を強調され、私は過剰なほどに郷土に誇りを持っていた。またこれと同時に廃藩置県を断行した明治政府を恨んでいたのである。
 中学よりは九州の進学校に遊学したが、余りにも誇大な沖縄ナショナリズムをアピールしたため、担任から度々注意を受けていた。
 昭和52年(1977)年四月、防衛大学校4学年に進んだとき、卒業研究に、「医療行政」を選択し、地域研究として沖縄の保健医療を研究した。そこで琉球王国の実態を発見し、救い難いほどの衝撃を受けたのだ。
 戦前の内務省資料に、沖縄における遺伝子異常多発による精神障害や新生児の奇形障害の発生が指摘されており、さらに性病、ハンセン病、結核の多発が指摘されていた。感染症の発症率が全国でも群を抜いていることに茫然としたのである。これは琉球王国の支配体制を如実に物語っていたのだ。
 農民達は原始共産主義体制下、集落単位で耕作地を定期的に交代させられたばかりか、隣集落との交際は一切禁止されていたのだ。当然、近親婚が慣習化し、また男尊女卑思想による性モラルの低下が性病の多発を生じせしめた。
 ところが、廃藩置県以降も集落の掟が一般法より優先され琉球王国の残滓は至るところに残されていたのである。結果、我が国政府による沖縄の近代化策は遅遅として進まなかった。
 これを根本から革新したのが沖縄戦と戦後の米国による統治であったのだ。
 私はそこで、県民大衆にこの史実を知らしめるとともに、なんとしても米国の功績と、その期待に応えた沖縄の女性達がいたことを国民に知らせたかった。また沖縄近代化のためにワニタ・ワーターワース女史をはじめ、多くの米国人が半
生を捧げたことも歴史に残そうと思ったのである』

沖縄で少年期を送った著者だから感じる教育の歴史歪曲を読んで、朝鮮半島の民族との共通点を見たような気がした。日本人の僕でさえ、やはりゴネ得で得た防音工事にラッキーを感じるが、反対運動の程度が日本人より半島の方の方に近いように感じる。また、ゴネ得を何度も成功体験していくと、さらにエスカレートしていくのは人の常でしょう。
この本を読んで、さらに「やはり違うなあ」を感じた。

本日はお日柄も良く

数年前に生で楽しませてもらったフライトアテンダントさんの結婚式で、綺麗どころの同僚さんがズラリと並んで披露してくれた機内放送をば・・・

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皆様、本日も日本航空をご利用下さいまして、誠にありがとうございます。
この飛行機は、ホテル日航東京発、幸せアイラブユー行きでございます。
離陸後の飛行予定時間は、永遠でございます。

機長からの連絡によりますと、本日の愛情飛行高度は、大気圏を越えるとのことでございます。
飛行ルートは、アツアツの新婚時代島、喧嘩変更線、仲直り半島、出産大陸を横切りまして、限りなく幸せアイランドへと向かってまいります。
到着地の天候は、雲一つない快晴、地上気温はアツアツでございます。
なお、お二人のアツアツぶりに耐えられなくなりましたお客様は、直ちにベルトを外し、非常口より脱出してください。
非常口は、あちらにございます。

搭乗後、早速ではございますが、奥様は旦那様の手綱と財布の紐をしっかりとお締めください。
また、旦那様はお酒の飲み過ぎには十分ご注意下さい。
時折、巨大台風エリー号が上陸し、お茶碗・ビール瓶・フライパン・鍋などが乱れ飛ぶこともございますが、旦那様は予めご了承下さいますようお願いいたします。
何分にも長い飛行でございます。時には大きく揺れることもございますが、揺れましてもお二人の前途には何ら支障はございませんので、どうぞご安心下さい。
この便の機長は、亀山政春。客室を担当致しますのは、鴨居改め亀山エリーでございます。

二人にご用の際には、必ず気の利いた手土産、ニッカウイスキー(新郎の会社)やおつまみなどお持ちになり、新居のチャイムを押してお知らせ下さい。
何分、新婚でございますので、向こう3ヶ月間の夜8時以降のご訪問は、お控え下さいますようお願いいたします。

それでは引き続きまして、亀山家における非常用設備・機内設備についてご案内申し上げます。
この飛行機には、非常口が4ヶ所あります。
お二人の愛の炎により、当会場前方より発火するおそれもございます。
どうぞ、お近くの非常口をお確かめください。

続いて酸素マスクのご使用方法を説明いたします。
酸素マスクは、必要なときに自動的に出てきます。
奥様エリーさんが、ヨーロッパのフライトでご不在の時には、寂しさのあまり息苦しくなることもございます。
その時はご主人様、どうぞ酸素マスクを強く引き、鼻と口に当ててご使用下さい。

さて、エリーさんはお料理が大変お上手ですが、まだ新妻ということもあり、時には失敗してしまうことも予想されます。
ご主人様、そのような時には、決して怯まずこのJAL特製「うどんde SKY」をお食べください。
熱湯を注いで3分少々お待ちいただくだけで、ゴージャスなディナーの出来上がりです。
またこの「de SKY」シリーズには、この他にも「そばde SKY」「ラーメンde SKY」「カレーde SKY」も仲間入りいたしました。
どうぞ機内でも評判の「de SKY」シリーズを心ゆくまでお楽しみください。

皆様には、引き続きお食事をお楽しみいただきますが、本日に限りましては、お手元の乗務員呼び出しボタンを押されましても、私どもはお席には伺いいたしかねますので、どうぞご了承下さい。
当便、何分にもお二人の初フライトであり、これから先、大変長い飛行時間でございます。
どうぞ皆様、末永く見守って下さいますよう、心よりお願い申し上げます。

それでは皆様、大変長らくお待たせいたしました。
日本航空777便、幸せアイランド行は、まもなく離陸致します。
シートベルトを、しっかりとお締めください。

日本野鳥の会

2年ほど前に、家内が新聞に載ってた「日本野鳥の会」の無料の小冊子を申し込んでくれました。
夫婦トレッキングで、僕が「あれはなんていう鳥なのかなあ?」と小鳥を激写したり鳴き声を録画し始めるので、僕にプレゼントしてくれました。

これがとても薄い小冊子なのに、よく見る野鳥を特徴を捉えて簡単に紹介されており、去年日本野鳥の会から送られてきたDMで紹介されてたハンディー「山野の鳥」「水辺の鳥」(日本野鳥の会監修・各150種・各64ページ・各600円)というもう少し詳しい冊子を買ってしまいました。
そして今年の春、またまた送られてきたDMに誘発され、「声の聞こえるハンディー図鑑・山野の鳥&水辺の鳥」(日本野鳥
の会監修・130種・33ページ・1000円)と、「サウンドリーダー(単4仕様)」を買ってしまいました。
サウンドリーダーで紹介されてる鳥をなぞると、鳴き声が聞こえます。

まんまと「日本野鳥の会」商法に乗せられていますが、早朝バイクで山城攻めなどの時、ヒップバックにこいつを入れて随時小鳥のさえずりや、発見した鳥の特徴でその場で名前を確認しました。
同じ鳥でもさえずりなんていろいろだし、動く「日本野鳥の会」が横にいてくれたら、どんどん覚えていけるのにと歯痒い思いをしました。

山に入るともちろんですが、春から夏まで夜明けとともにウグイスが鳴く我が家の周りなもので、重宝しました。
そんな野鳥の季節も、そろそろ終わりです。
春先には負けますが、まだ毎日野鳥の声は聞こえますが、夏に向かう明るさがないです。
冬はもう見ることはなさそうなので、ヒップバックから、野鳥の会の小冊子を取り出しました。

その科学があなたを変える

現在読んでいる本は、「新・平家物語・18巻」吉川英治ですが、8巻終了時で一旦置いて、「下天を謀る・上下巻」安部龍太郎に浮気中です。
戦国時代の近江武士・藤堂高虎の歴史小説です。

10月は、「沖縄を豊かにしたのはアメリカという真実」惠隆之介 宝島社新書 ★に浮気していました。
11月は、「その科学があなたを変える」リチャード・ワイズマン博士 文藝春秋 ★★に浮気しました。
僕の読書は乱読&浮気症です。

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「その科学があなたを変える」は、今まで常識とされていた「幸せを感じるから、笑う。怖いと感じるから、逃げる」ではなく、アズイフの法則に従えば、「笑うから、幸せを感じる。逃げるから、怖いと感じる」という逆も成り立つ。
という心理学の新しい流れに沿った書です。
最初バカにされ相手にもされなかったこの学説が、数々の実験での実証を経て、むしろ常識になりつつある経過を、それらの実験・結果を紹介しながら説明されていく。

僕は気になった箇所や覚えておきたい文章やデータがあるとページを折る癖があるのですが、この書は無数に折ったので、紹介を省きます。
「明石家さんま」というタレントがいます。
彼のおしゃべりは面白いけど、それを更に盛り上げるパフォーマンスが上手い。
お客さんが笑うより先に、自ら大げさに笑って手に持ってる物で床を叩いたりする。
あれを見ると、たとえ面白くなくても、釣られて笑ってしまいます。
まさにアズイフの法則・・・さんまさんが笑っているのを見て、こちらの楽しくなっちゃう。
さんまさんの顔は、笑福亭鶴瓶さんのように最初から笑い顔ではなく、どちらかと言うと二枚目顔です。
無表情で面白いことを言っても、鶴瓶さんに勝てるとは思わないけど、三枚目顔に崩すから大きな笑いを誘うのだと思う。

さんまさんは凄いなと思います。
僕も見習って、暗い言葉・表情を使わないようにして、マイナスな話題でも明るい表現を使い、極力笑顔でいようと心がけている。
家族に接する時には特に注意している。
嫌な学校の先生がいても、担任が変われば付き合わなくて済むし、友達でも避けていれば縁が切れる。
でも家族はいずれかが死ぬまで縁が切れないので、殺人事件が最も多い関係が家族間になる。
だから、家族はニコニコ笑っているのが一番だと思う。

僕の両親は北関東出身で、関西人に比べお笑い面が弱い。
東京で働いていた時、関西では必ず笑ってもらえる冗談を言っても、「何ふざけれるの?」と怪訝な表情をされたことが何度もあり、大きな差を感じました。
そんな両親に育てられた僕は、小学生の時、普通に喋ってるのに「何、怒ってるの?」と時々言われた。
これを直そうと、いつも気にかけていた。

所帯を持ち家長になってからは、僕のパフォーマンスがそのまま家族の空気になり、息子たちのしゃべり方に影響するので、特に気をつけた。
普通に明るい前向きな大人に育ったので成功だったが、「辛い出来事でも笑顔で喋れば、辛辣な言葉ではなく優しいいたわりのある言葉に置き換わって口から出る」と書かれていて、なるほどそうだよなと納得した。

僕は元々このように心がけて生きてきたので、「そうだよな」と思うところが多かったですが、人間関係で思い悩んでおられる方が読めば、人生が大きく転換するきっかけになるかもしれない。
日中、厳しい競争社会で疲弊されても、自宅に帰りニコニコ家族に囲まれると、リセット出来る。
「僕はツイてない」と、暗い顔をしていれば周りもそうなり、「まだマシ」と開き直って笑顔でいると周りにも笑顔が増え、明るい雰囲気が前向きな行動を起こす。
・・・なんかそう思うんだよね。

11/30・トワイライト・ささらさや

交通量の多くなったR171を、信号待ち毎にバイクの特権を活かしながら前進し、16時前に帰宅しました。
映画にはまだ時間があるので、ヨーグルトを食べながらTVをON。
ETV「私の部下は50才」という5分番組が連続放送されていました。
僕の好きな木南晴夏さん主演で、50歳の部下さんもナイスなボケで、笑ってばかりの番組でした。

16:30になったので、映画館に向かうために笑いながら玄関を出たとこに、「どうしたの?」って家内が帰ってきました。
17:30に映画館前待ち合わせだったので、驚きました。
家内も笑いながら家から出てくる僕に驚いたでしょう。
「荷物が重かったから、一旦帰ってきたの。着替えるから待ってて」

上天気は、ハーバーを出る頃にくもり空に変わっており、K君の話では夕方から雨が降るということだったので、家内が同
行なら車にしようかと思いましたが、「カッパがあれば平気よ」との事だったので、リアボックスをセットし家内用カッパを入れました。
r13を南下し、JR尼崎駅前「ココエ尼崎」着。
4Fに上がり、17:40「トワイライトささらさや」夫婦割引2200円を買いました。
17時なのでまだ時間があります。

予告編を見ながら、家内とあ~だこ~だ。
17:30になり劇場内に入り、新垣結衣さん主演の映画を観ました。
彼女は演技が自然で、好きな女優さんです。
ドンパチ物や判事物は好まなくなり、ハートフル物ばかり観るようになりました。

助演・大泉洋さん演じる売れない落語家が、唯一笑ってくれた新垣結衣さんにアタックし、結婚し赤ちゃんが生まれます。
が・・・死んじゃいました。
新垣さんと我が子が心配で成仏できず、いろんな人に乗り移って2人を助け見守っていく作品です。

新垣さんが何故笑っていたかというと、「一生懸命だったから」という答えます。
このセリフが気に入りました。
人の成功・失敗人生の多くは運に左右されます。
猜疑心の強い織田信長が、農民に生まれていたら周りに総スカンされて、一家は傾くでしょう。
今の世に生まれていてもダメだろう。

日本一のお金持ちと言われている方の講演を聞いた時も、同じようなことを言われていました。
人生の95%は運ですと・・・。
僕はあなたの10倍・100倍稼いでいるかもしれませんが、あなたの10倍・100倍働いているわけではありません。
同じ能力の2人が、どの業界に就職したかで、稼ぎは大きく異なり、同じ業界の同じような規模の会社でも、一方は世界
一になり、一方は倒産してしまう。
人生はたまたまなんです。

いろんな人がいて健全な世の中になります。
僕は現世ではお金持ちの役回りを演じていますが、前世は・・・来世は・・・別の役回りです。
人生で学ぶべきは、稼ぎ方ではなく、穏やかな心を保ち人に優しくコツコツ努力することです。
怒りではなく、いつも笑顔を保てるように・・・
武器を持った明王の顔ではなく、お釈迦様が悟りを開いた如来様の顔のように穏やかに・・・
つま霊を成長させることです。
霊結果ではなく、経過に拍手を送れる人になればあなたの霊は成長し、来世は成長したその霊を持って人生を始めることが出来ます。
そうやって、何百年・何千年、代を重ねて人類は少しずつ成長して来ました。
少しずつ暮らしやすい、良い世界になってきています。
こんな話を聞き、ストンと心にその言葉が入りました。

新垣さんが、周りの方と違う落語の聞き方をされ、その一生懸命さに笑ったように、僕も生きていけたらいいなと思いました。
頬に何度も涙を流した素敵な映画でした。
Kくんも言ってたけど、「最後はやっぱり同世代の配偶者だよね」。
親は子はいずれ離れて行きます。
「家内を大切にしなきゃ」

木南さんや大泉さんのような三枚目の役を自然にこなす役者さんはいい。
二枚目の言葉より、こういう方の言葉の方が、スコンと胸に染みます。

映画館を出ると雨が降っていました。
強いてカッパが必要な雨ではないけど、家内に風邪を引かせちゃダメです。
防寒の意味も兼ねかっぱを着て帰りました。
楽しい1日でした。

11/30・同級生とセイリング

次男・フィアンセさんと一緒にヨット、フィアンセさんのご実家・埼玉県に挨拶、と2週連続で家内と一緒でしたが、この日曜日は家内は用事です。
お歳暮などいろいろあるようで、振られてしまいました。
バイクで林道を走りに行くことも考えましたが、夕方から映画デートのOKを取り付けたので、近場で遊ぶことにしました。
セイリングしようとヨット部同期に声を掛けましたが、皆さん忙しい。
中高同級生に声を掛けたら、暇なやつを見つけました。

日曜の朝、2度寝したら、「お父さん、もう8時だけど大丈夫?」と家内に起こされてしまいました。
待ち合わせはヨットハーバー9時なので、えらいことです。
特急で身支度し、念のためカッパを2セットリュックに入れ、8:20に家を出ます。

通勤リード110でR171を西宮に向けて走り、8:50ハーバー着。
待ち合わせのセンターハウスに入ると、既にKくんがいました。
朝一で船に行き、始動点検後本でも読んでいようかと思ってたのに・・・ぶっつけ本番になってしまいました。

出艇申告をして、船に向かいます。
雲ひとつない上天気で、雨の心配ゼロです。
12月にしてはポカポカ陽気で気持ちが良いですが、セイリングには風がなさすぎる。
エンジンは一発始動で、電源ラインやもやいロープを外し、桟橋を離れます。
西出入口を出て、Kくんにステアリングを持ってもらいセイルアップし、エンジンを切ります。

芦屋沖では関西学連のレースをしているようです。
近畿北陸水域の学連レースも琵琶湖でやってるので、新チームになって最初の公式戦&シーズンオフに向けて今シーズン最後のレースですね。
風速はNE・2m/sほどなので、初心者でも不安なく操舵できるので、Kくんに正面の目標を言いステアリングを任せます。

レース海面に向けて走り、レース観戦しながら赤灯台へ。
母校の後輩たちもレースに出ていました。
20141130ElsinorS006s.jpg
続いて六甲アイランドに接岸してるコンテナ船の積み下ろしを見に、コンテナヤードに進路を指示します。

Kくんとは長い付き合いなので、あれやこれやおしゃべりが弾みます。
K君の長男くんは、次男と同じ大学に入学し、僕がコーチをしてるヨット部の試乗会にも来てくれました。
「・・さんですか?私の父は・・です。いつもお世話になっています」としっかりした受け答えの好青年に成長しており、とても嬉しかった。
法学部だったのに、学部時代に法律に合わないと感じ、趣旨替えして公認会計士になりました。

20141130ElsinorS012s.jpg
今年結婚した甥も同業なので、どこの監査法人か聞きましたが、残念ながら別の会社でした。
お嬢さんは京都女子大4回生だそうで、栄養士になり、来春から幼稚園に就職するそうです。
僕より結婚が遅かったので2人共まだ自宅通勤・通学だそうですが、あと5年もすれば僕同様夫婦だけになるでしょう。
お母様が健在なので、毎週顔を見に行ってるそうです。

芦屋沖に戻りセイルダウンし、関西圏最高級芦屋YHに入って行きました。
20141130ElsinorS017s.jpg
大型フィッシングボートやセイリングボートが並び、羨ましい限りです。
ホームポートに戻り、桟橋に近づくと、近隣艇の方が桟橋に出て来られ、もやいロープを取ってくれました。
ありがたや。
ほとんどKくんにステアリングしてもらい、タック時のセイルの入れ替えも体験してもらいました。
微風なのにウインチを利用しないと巻けない風のパワーに驚いていました。

1Fカフェ・レストランで食事しようと思い入ろうとすると、I先輩が食事をしていました。
3人乗りレーシングヨットのライバル艇スキッパーで、クルーのSさんも同席していました。
江ノ島全日本から帰ってきたので、マストを立てに来たそうです。
来週はレースなので、抜きつ抜かれつ楽しみましょう。

2週間前と同様・ランチD(カキフライ)を注文し、1時間半ほどあ~だこ~だおしゃべりしました。
生徒・学生時代の同級生は、楽でいいね。
本日のヨットコーチ代として、ランチ代1500円を奢ってもらいました。
一点鐘で、ヘンリーロイドグローブ・4860円を購入しました。
僕のギル・セイリンググローブもそろそろ限界です。

これで解散し、「じゃあ~」ってバイクに行き走りだすと・・・なんとバス停でKくんがバスを待ってる・・・え~、電車とバスで来たんだ。
知っていれば車で来たのに・・・送っていけず残念でした。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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