10/19・鳥越林道・冠山林道 4/7

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徳山ダム湖沿い・R417を北上します。
長いトンネルの多い道ですが、道は綺麗です。

10:45、R417のエンドに着きました。
福井ナンバーのオフロードバイクが3台、エンジンを掛けっぱなしで、激写タイムをしていました。
どうやら通れそうだと、安心しました。
ここと福井県側R417エンドをつなぐ「冠山峠道路」についての説明板がありました。
鯖江市~大垣市間が、約3時間から2時間に短縮されるそうです。
総延長7.8kmを2つのトンネル部大半でぶち抜くようです。
工事パネルで見えませんが、トンネル掘削中のようです。

これから登る「冠山林道」入口にパネルがありました。
『通行注意 此処から先は徳山ダムの管理用道路です。道路規格構造は、公道と異なり路肩の保全・法面からの落石などの防止が十分ではありません。 独立行政法人水資源機構・徳山ダム管理所』

こちらの峠道は、鳥越林道ほど広くもなく、路面管理もされておらず、穴ぼこトラップがあちこちにあります。
先月の「温見峠」よりも悪いです。
また20km・3速中心にトコトコ走ります。

11:03、「高倉峠」に向かう「林道塚線」への分岐に到着。
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やはりこちらは通行止めでした。
通れるようだったら、帰路塚線利用の予定でしたが、それは無理のようです。
ただ「全面通行止め」バリケードの横にバイクなら簡単に通過できるスペースが開いているので、路面崩落工事現場まで
行く奴はいそうです。
横には、工事資材置場がありました。
工事で出た不要物置き場かもしれません。

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ここから「冠山」を見上げると、命名の由来が伺い知れる山容でした。
山頂付近は岩山で、大きな木が生えていません。
なるほどね・・・

11:13、「冠山峠」と思われる切通しが見える場所まで上がってきました。
冠山は更に近づき、「あそこに登る人もいるんだろうな。怖そう」と思いました。
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稜線近くを走る道路は、なんかかっこいい。

11:28、峠と予想した場所まで来ました。
冠山の稜線が、それほど高くないとこを走っています。
稜線が少し色づいています。
谷を見ると、目が眩む高さです。
岐阜県側の山並みが幾重にも連なり、ここの高さを物語っています。
といっても、「鳥越峠」同様、標高1000mほどです。
六甲山と同じといえば身近に感じますが、ここまでの道程が全く違います。

11:35、「冠山峠」到着。
僕の激写タイム中に抜いていった大型バイク3台が止まっています。
そして多数の車も。
西に行けば「金草岳」、東に行けば「冠山」という峠の登山口です。
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山から下りてきた方が、冠山峠石碑で記念写真を撮っています。

3台の先着大型バイクは、バイクをUターンさせ、岐阜県側に下って行きました。
僕は福井県側に下ります。
11:53、淡々と下り滝が目についたので、休憩しました。
落石・穴ぼこ・雪でグニャグニャのガードレール・コンクリートブロックガードが、冬季閉鎖雪山道路の雰囲気を出しています。

12:23、滝が目についたので休憩。
R417に乗り、中央センターラインのある「足羽川」沿いです。
謂れ板が立っています。
『池田町指定文化財 史跡・上島用水 ここ志津原の鯉谷口で取水し、下流の月ヶ瀬に至る8kmあまりの用水路である。この用水は、畑地や荒れ地の多かった月ヶ瀬に水田を拓こうと決意した上島重平によって開削された。1802年着工、1832年に完成し、30余町歩の開田にに成功した。一部を志津原に分水した用水は、現在でも灌漑用水として地域を潤している。 池田町教育委員会』

12:33、「かずら橋」到着。
吊り橋チャレンジと思って臨みましたが、「大人300円」・・・「ふふ、止めといたろ。こんなん楽勝やし・・・」。
12:50、「日野宮神社」到着。
欽明天皇(509~571年)の第3皇子が創建したお宮だそうです。
大化の改新・645年の100年前の時代、聖徳太子が活躍し、物部氏から蘇我氏に政権の実権が移っていく時代だなあ。
本殿参道前に鎮座する狛犬1対が文化財指定されているそうなので激写しました。
鎌倉時代の狛犬ということですが、綺麗すぎないか?本物は倉庫に仕舞ってあるのかな?

鳥越林道・冠山林道 5/8
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10/19・鳥越林道・冠山林道 3/7

朝食を終えお腹も膨らみ、R303に戻ります。
この道はバイクとよくすれ違いました。
交通量の少ない快走路です。
琵琶湖に行くのでしょう、僕みたいに鳥越峠を越えて行きませんね。

バイクが絡んだ事故がありました。
車2台とオフロードバイク2台が路肩に停まっていました。
1台の車のバンパーに傷がありました。
倒れている人もおらず、車の運転手と1人のライダーがメモの交換をしているようだったので、大した事故ではなさそうですが、横に救急車がいる。
こけて怪我したのかな?

9:36、「横山ダム」到着。
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激写中に、ツーリングバイク集団が、2団体通過していきました。
救急車のサイレンが聞こえて来ました。
やってきた方向は、さっきの事故現場の方からです。
僕も気をつけて走らなきゃ。

ここでR417にチェンジし、日本一の貯水量を誇る「徳山ダム」に向かいます。
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先に大型ダムがあるので決して悪い道ではありませんが、揖斐川を渡る橋を建設中でした。
R417は福井県越前海岸近くまで続く国道なので、「冠山峠」の下に大トンネルをくり抜く工事なのでしょう。
これが開通すると、岐阜市~福井市が直線で結ばれます。

いくつも長いトンネルを抜け、10:08「徳山ダム」到着。
ダムから下流を見ると、足がゾワゾワします。
ロックフィル式の雄大で美しい多目的ダムです。
ダム工事ダンプのタイヤが置いてありました。
でかい!
躯体のサイズ・構造・工事などがパネルになって屋外設置されています。
発電・利水・下流域の洪水損害を最小化するダムですが、多額の税金を投入しているので、こういう説明板はいいね。
子供たちに先人の偉業と、身近な安全への寄与、そして将来の素晴らしい仕事への希望でワクワクさせるでしょう。

僕は小学生の頃、理科の実験も好きでしたが、社会見学はもっと好きでした。
凄いと思えるでっかいものや魔法に見えることを、間近で説明してるそこらにいるおじさんが作ったんだと思うと、大人は凄いなと思えました。
最も頭に入る勉強でした。
今、グルメやスピード・テクニック追求に関心なく、歴史探索がらみの観光バイクしてるのも、小学生時代の社会見学好
きの延長上にあるように思えます。

パネルの1つに、年間降水量図がありました。
木曽三川(木曽川・揖斐川・長良川)流域の中で、揖斐川源流部の冠山周辺が年間降水量3200ミリで最高だそうです。
三川でもっとも勾配がきついので洪水も多い。
故にここに大ダム建設を決めたのでしょう。
建設省土木畑の官僚は、数百年・数千年単位の地質を調べて仕事していますね。

木曽三川が注ぐ尾張は、3つの大河川の年中行事である氾濫で、湿地が多かったそうです。
東海道五十三次でも、唯一海路があるのが尾張です。
草薙の剣(天叢雲剣)があると言われている熱田神宮の宿場から、伊勢国・桑名宿までのプロパーコースは海路です。
堤防やダムが治水し、河川の氾濫が減り、陸路が整備された今は想像しがたいけど、度重なる氾濫で湿地が広がっていた江戸時代までは、水路の方が大きく迂回する陸路よりずっと早く簡単に行けたのでしょう。

ダム内のパネル展示を見に行きました。
見学のお礼を言い出てくると、説明板が付いた岩がありました。
『この石は、リップラップ材です。徳山ダム堤体表面には、約30万個のリップラップ材を貼り付けています。材質は、海底火山の溶岩が固まって出来た輝緑凝灰岩で、硬く・耐久性に優れることが特徴です』
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なるほど、こういうとこにもこだわりがあるんだな。
小学生当時は、「大人は凄い」と思っていましたが、今は「日本人は凄い」に変わってきています。
各方面のこういう小さなこだわりの積み重ねが、少しずつ日本を良くして行っているのだろう。
これも世界でも突出した地震・火山噴火・多雨などの災害国で鍛えられてきた故でしょう。

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駐車場をバイクに戻ろうとしたら、木曽三川流域図がパネルになって敷き詰められた場所で、サンデー毎日風のおっちゃんご夫婦に声を掛けられました。
「この道を行くと福井県に抜けられると聞いているのですが・・・」
奥さんに行けると説明してるとこに僕がやってきたようです。
「行けますよ。よくがけ崩れで通行止めになりますが、今日は通れると思って、今から行きます」
「バイクですか?」
「ええ、道が細くてもバイクだったら楽だろうと思って・・・」

「僕の車はトラックです」と指差す方を見ると、四駆ランドクルーザーのような車でした。
「これなら、邪魔なものはどかして行けますね」と笑ってお別れしました。
1人だと、こういう見知らぬ方との会話が自然発生するから楽しい。

鳥越林道・冠山林道 3/8

10/19・鳥越林道・冠山林道 2/7

左岸を走るr273・r264に並行しながら、右岸を走ります。
「この先行き止まり」看板で橋を渡り左岸のr264に乗ります。
ゆるやかな勾配がダラダラと続き、サイクリングロードです。

7:04、「白龍神社」という小さなお宮があったので休憩。
小さな池を覗くと、湧水が湧いています。「平成の名水・堂来清水の由来」という謂れ板が立っていました。
『・・・2009年、平成の水100選に選ばれました。堂来清水は、遠く三国峠の夜叉ヶ池を姉池とし、榧谷山(かやたにやま)山腹の妹池に発すると伝えられている。往古より湧き出て年間水量に大きな変化はなく、道行く人々の心を癒やし、渇きを満たしている。厚い信仰の対象となっている。時代の変遷を経て地元では、神事の洗米水としても活かされて、遠方からは清澄な水を求めて訪れる人は多い。 長浜市役所・高山町自治会』
三国峠・夜叉ヶ池姉池・妹池・・・むむ~、見てみたい。

出発しようと思ったら、上流から四駆が下りてきて、リアゲートからワンちゃんを出して、散歩し始めました。
上に民家があるのかな?と草野川沿いのなだらかな道を上っていくと、「高山キャンプ場」がありました。
意外にお客さんが多いみたい。
数台の車が停まっていました。
この横に、「鳥越林道」の表示がありました。
見つけた!いざ行かん!

交通量の少ない産業道路から外れた歴史峠道故、落石ゴロゴロ・落ち葉落ち枝いっぱいの森の道を想像していましたが、意外にもマシでした。
横の沢から雨で流れでた砂利が路上河川跡に沿って置き土産になっています。
先月越えた「R157・温見峠」と違い、「洗い越し」の工夫はされていません。

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7:45、琵琶湖が見えました。
ここまで標高が上がると視野が広がり、峠道を囲む山々が近づきます。
その尾根筋は森林限界線でもないのに大木があまりなく、スッキリしています。
風が強くて育たないのかな?うっすらと紅葉してるようです。
1台の車とも出合いません。
慎重に時速20kmほど・3速メインでトロトロ走りますが、急勾配も強烈なヘアピンつづら折れもなく、1.5車線が確保され大型バイクだって平気で上がれます。

7:58、「2・連状口」と書かれた登山口到着。
過ぎてきた「1」から上がってくる登山道が右に、左には登山道が上がっています。
小さな登山客用駐車場があり、ここからの絶景を楽しみます。

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8:12、「鳥越峠」到着。
豪雨~崩壊・通行止めを繰り返しているにもかかわらず、舗装もボロボロではなく、気に入りました。
林道開通記念碑によると、『広域基幹林道鳥越線 総延長22km(滋賀県側10km・岐阜県側12km)』となっています。

ここの少し手前で、滋賀県側から軽四トラックが僕を抜かして行きました。
峠で挨拶すると、絶景を観に来たようでまた滋賀県側に下って行きました。
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岐阜県側を見ると、これから走る林道が山腹を線に模様を描いています。
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のんびり岐阜県側の山並みを見ていると、林道をバイクが上がってきます。
まだ小さな点です。
見通せるとこで止まり、写真を写しているようです。
ご同輩のようです。

空を見上げると、真っ青な空に月が浮いています。
はるか上空を、音もなくひこうき雲が動いています。
もちろんその雲の先端には、小さな小さな飛行機が・・・幸せなき持ちに包まれました。
初夏は野鳥の合唱なのでしょうが、今は小鳥の声も少なく、静寂といっていいほどです。
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全てが、ビューティフルです。
空は快晴で気温も上がり、暑いです。
ジャケットの防風裏地を外そうかと考えましたが、次の峠はもっと過酷だろうと思いとどまりました。

岐阜県側に下ります。
激写中のライダーさんに会釈し、谷側沿いを下ります。
滋賀県・木之本から岐阜市に向かうR303に出て、岐阜市方面に進みます。

9:06、「道の駅・夜叉ヶ池の里さかうち」到着。
カワサキの大型バイクと黒いバイクがおり、おしゃべりしていました。
「モーニングセット・380円」を注文しました。
メニューにダチョウ料理が載っていました。
「あ~ここがダチョウで有名な店なんだ」、道の駅の喫茶店のようなお店とは思いませんでした。
「コーヒー・サラダ・味噌汁・トースト・ゆでたまご」というセットで、朝だけ飲み物を注文すると、セットになるそうです。

鳥越峠は気に入りました。
この峠道なら女性だって平気でしょう。
JR長浜まで電車で来れば、駅で家内をピックアップしてこの峠を越えられます。
長浜まで僕は通勤リードなので、130km・4時間半ですが、JR長浜~鳥越峠~岐阜県側・R303~JR木之本は、60kmほどしかなく、休憩なしに走るだけなら2時間強でしょう。
浅井長政の小谷城址とミックスもいいかな・・・。

鳥越林道・冠山林道 2/8

10/19・鳥越林道・冠山林道 1/7

日曜日、家内は仕事で琵琶湖ホテルに行きます。
デートは無理なので、1人遊びです。
天気予報を見ると、前日の土曜日に続き、近畿地方は晴れマークのみです。
ツーリングに決定。
「四国バイクお遍路」の1回目も有力候補でしたが、来月は凍結の心配がある美濃・越前国境峠の2つ目・「冠山峠」越えをすることにしました。
半年間の冬季閉鎖に加え、土砂崩れ通行止めで数ヶ月閉鎖が日常の峠なので、来月あるいは来年通れる保証がありません。

岐阜県側と福井県側の地元自治体道路情報には通行止めが書かれていないので、どうやら通れるようです。
先月越えた「温見峠」を含めた3つの峠越えのもう一つ「高倉峠」は、まだ閉鎖中と書かれていました。
去年もずっと通れなかったと記憶しているので、来年に期待しましょう。

「冠山峠」に至るルートを考えていると、近江~美濃の峠越え・「鳥越峠」が思い浮かびました。
伊吹山より北の国境を越える魅力的な峠が3つあります。
伊吹山のすぐ北から、「国見峠」「鳥越峠」「八草峠」です。
それぞれ歴史は古く、歴史書を読んでいると出てきます。
国見峠は、ここ数年災害復旧工事中通行止めが続いており、八草峠は、旧R303ですがオンロードバイクでは辛そうな状態になっているそうです。

目を覚ますと、2:30でした。
早過ぎると思いながらも、二度寝したら次の目覚めは4時だろうから出発することにしました。
眠り姫の家内が寝ているので、起こさないように抜き足差し足ながら、ササッと着替えます。
先月の峠越えは暑かったけど、寒いだろうと思い下半身は、下着・キルティングロングパンツ・コミネ夏用プロテクターメッシュパンツ・DAIWA釣りスーツ、上半身は下着・丸首長袖アンダーシャツ・トレーナー・コミネ夏用プロテクターメッシュジャケット・DAIWA釣りスーツという、脱ぎ着で幅広く温度調節できるスタイルです。

倉庫から、「招き猫CB400SB」を出して、リアボックスにカッパ・車載カメラ一式・車載工具一式という定番に加え、最悪の事態の宿泊も考えタブレット端末・NEXUS7を加えました。
携帯ナビ・Panasonicゴリラ7インチをハンドル固定し、3:14に出発しました。

R171~中央環状線に乗り、普段なら豊中ICから中国道に乗るのですが、ガソリンがメモリ1つになってたのでパスして給油します。
3:33・「エネオス・中央環状線豊中SS」、333km/13.25L=25.1km/L。
ここまでですでに暑くて、トレーナーを脱ぎました。
真夏期間は外していたメッシュジャケット付属の風を通さない裏地をセットしてきたのが、オーバークオリティだったようです。

吹田ICから名神に乗り、4:27・「名神大津SA」で休憩。
ツナマヨネーズ・108円を買い、小腹を少し満足させました。
5:14・「黒丸PA」で休憩。
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東の山の稜線がほんのりオレンジで、もうすぐ朝日が昇ってくるとわかります。
三日月がしっかり上空に輝いています。
伊藤園ミネラル麦茶・151円を購入。
これを今日1日ちょこちょこ飲もうと思います。

米原JCTから北陸道に侵入し、6:09・「神田PA」で休憩。
ここに入る手前で田園に朝霧がかかっていて綺麗だったので、すぐに高台を探しました。
「展望台」という案内板が目につき上がってみると、「お見事!」な風景が広がっていました。
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地上2~3mまでの薄霧がナイスです。
「SL北びわこ号」の追っかけでランドマークになった長浜ドームも見えています。
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伊吹山を見上げると、手前の黒い山に対し朝日を浴びてオレンジです。
ここで30分ムービーを回せば、伊吹山がオレンジ色に輝いていく姿が撮影できるでしょう。
東の山の稜線から、今にも朝日が上がってきそうで、ムービー回しながら道草しようかとも考えましたが、まだまだ先が
長いです。

ここで車載ムービーをセットします。
次の「長浜IC」下車。
r37~r243~R365で木之本方面に進路を取ります。
姉川の支流・草野川を越え、「お市の里」の案内板があった「草野川北詰」交差点を右折し、草野川に沿って北上します。

浅井・朝倉連合軍と、織田徳川連合軍が雌雄を決した姉川大会戦の舞台です。
浅井軍の猛攻で数陣敗れた織田軍総崩れ間近の徳川軍迂回軍の起死回生の一策が、浅井朝倉軍を破りました。
結果的には、浅井氏は滅び、大飛躍し全国区になった織田政権中枢大名に列することは出来ませんでした。
浅井氏との同盟条件の朝倉氏不侵攻を破った信長と対立し袂を分かちた浅井氏と、信長からの嫡男切腹の厳命に従い同盟関係を切らなかった家康との違いが、将来の両者の大きな開きとなりました。

鳥越林道・冠山林道 1/8

10/16・ロードバイクのブレーキシュー交換

昼休みに、ロードバイクの前輪ブレーキのブレーキシューを交換に行きました。
後輪よりは減っていますが、まだシューは残っているように見える。
前輪ブレーキが「山の辺の道」走行中ブレーキ使用時に急にスカスカになったので、早めに交換しておきましょう。

r13を、これを購入したスポーツバイクショップに向けて走りながら、何気なくブレーキを見ると、アジャスターが開放になっています。
車輪を着け外しする時楽なように、ブレーキアジャスターを開放にすると、少し左右のブレーキシューの間が広くなります。
僕も家内の自転車も、25Cのタイヤを履いており、開放しなくても着け外しできるので、このレバーを触ることはありません。
でもレバーが開放になってる。
「ありゃ~、これじゃあ、ブレーキはスカスカだわな」

ストップしてレバーを元に戻すと、ブレーキの利きが戻りました。
ブレーキ問題は解決したけど、サイクルショップまでの半分ぐらい来てるので、点検してもらうことにしました。
このお店で買ったので、点検費用は終身無料です。
点検とチェーンオイル差しをお願いし、ブレーキの利きが悪くなったことを伝えると、シューの山はまだ使えるけど、ゴムが硬化してるので交換を勧められました。

オリジナルより性能の良い「シマノ105」に交換を勧められたので、それにしました。
シマノ105・BR6800・R55C4・カートリッジシュー1500円×2(前後輪)+工賃500円。
モーターサイクルに比べるととても安い。

「温見峠」を越えた時、元学連ロードレーサーから「性能の良いブレーキは、モーターサイクル同様にキュッと止まるよ」と聞いたことを話すと、モーターサイクルのディスクブレーキほどは利かないけど、105と僕の自転車のオリジナル・TIAGRAとの差は大きいとのことです。
前後輪一式105に交換+経年劣化してるワイヤー交換含め、2万円だそうです。
学連レーサーじゃないから、そんな高性能のは要らないけど、どんな利き目なんだろう・・・

帰路は、さすがに整備調整直後なので、ディレイラーからの擦れ音もなく無音です。
ブレーキもシューが新しくなったので、新車時の効き目が復活しました。
なによりブレーキレバーを握るとすぐ利くのが気持ちがいい。
往復7.29km・平均速度15.9km/h・最高速度34.7km/h。

10/16・篠山盃ヶ岳・朝霧雲海 2/2

去年は来ませんでしたが、通い慣れた朝霧雲海スポット目指して徒歩開始です。
荒れるままのかつて整備された森林公園を歩き、盃山への分岐から山道に入り、きつくなった勾配をえっちらおっちら、上がった息を整えるため2度休憩し、5:46やっと朝霧の高さまで来ました。
朝霧の上は真っ青な空を予想していましたが、残念ながら雲も浮いています。
南東の山並みの縁に朝日のオレンジが見えているので、「早く登らなきゃ、太陽が顔を出しちゃう」と焦ります。
でも歩みの方は亀さんです。

つづら折れを繰り返し、5:50・1つ目のベンチのところに来ました。
後ちょっとです。
次のつづら折れにもベンチがあり、その次が、朝霧鑑賞スポットの東屋です。

なんとか朝日が顔を見せる前に東屋に到着し、6:01・速攻でG2を三脚に固定してレンズを南東に向けて、ムービー開始。
これを回しっぱなしにしながら、汗をかいたので上半身だけ釣りスーツとメッシュジャケットを脱ぎました。
ソニーNEX-C3を手持ちで激写開始です。
G2は30ミリ換算で400ミリ、C3も300ミリ望遠レンズを装着して来ました。

6:11、南東の山の向こうにある雲の上からご来光です。
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雲がなく、山陰からご来光が上がると、よりオレンジの濃い光が浅い角度で朝霧に入るので、朝霧上面にオレンジが広がるのですが、少し雲があるのでイマイチです。
空の青・朝霧の白・山の黒の世界に艶やかなオレンジが入ってくる様は、筆舌に尽くしがたい美しさなのですが、70点の出来です。

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2台の一眼レフを見比べると、微妙な発色の違いがあります。
僕に見えている肉眼とも違う、どれが本物なんだろう、きっとどれも本物ではなく、相対的なもので色には幅があるのだろう・・・こういうファジーさが世の中には必要です。

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時折、北東の「御嶽」からと、南の篠山盆地を隔てた「愛宕山」方面から銃声が聞こえます。
需要が多い猪の猟期は11月からだと思うので、害獣駆除の鹿狙いでしょう。
早朝バイクで山道に入ってるので、猟師数人&猟犬の集団に時々遭遇します。
皆さんオレンジ色の目立つジャンパーを着て、猟犬で追い込んでいます。
獲物が近いと皆さん真剣なので、エンジン音を響かせてバイクで通過するのも遠慮する雰囲気です。
エンジンを止めて、じっと待ったこともあります。

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朝日が上がったので、朝霧上部からだんだんと霧が消えて上面が低くなります。
朝日による温度変化で風が起き、霧が流れて行くのが魅力的過ぎてウットリします。
東屋にも霧が流れてきて、朝日が霧を通す形になり、オレンジに包まれました。
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霧上面が下がると、見えていなかった尾根や低山が白い海から顔を出し、誰が名づけたのか、まさに雲海に浮かぶ島です。

6:41、名残惜しいですが撤収開始です。
いいものを観せてもらいました。
これだから朝霧雲海狙いが止められません。

満足感で足取り軽く山を下り、朝霧雲海の上面で激写、雲海の中に沈んで激写、最後はたくさん落ちてる栗や鹿の足跡・猪のほじくり跡を激写しながら、7:04・バイクに戻って来ました。
鹿の足跡は非常に鮮やかで、蹄のV字もくっきりしています。
鹿の僕に対する警戒声もそこの近くから聞こえてきたので、僕の撮影中にここを通ったようです。

8時前の帰宅は無理そうです。
「群家」をそのまま南下し、篠山市街地をごちゃごちゃと適当に走り、r77に出たのでr49~R372~r49で「美濃坂峠」を越えて母子地区へ。
r308~千丈寺湖畔~r49~r68を東進。
千刈ダム湖横のショートカット道は、まだ災害復旧工事中でした。
r33~r325~長尾山トンネルで8:30帰宅。

「まっさん」を見逃しちゃった。
「朝イチ」見ながら朝食&身支度して、職場に急ぎました。
ああ楽しかった。
次は、「西谷の森・展望台」からの朝霧雲海探索しよう。

篠山盃ヶ岳・朝霧雲海 2/4

10/16・篠山盃ヶ岳・朝霧雲海 1/2

目が覚めたら、3:30でした。
前日帰宅した時、星が輝いていたので、今朝は晴れているはずなので、朝霧が出ているでしょう。
時間に余裕があるので、篠山盆地の朝霧雲海鑑賞に行きましょう。
今朝のツーリングは、100kmコースです。

先週の早朝ツーリングで、少し寒く感じたので、下着+丸首シャツのところを下着+パジャマ(スウェット)に変更しました。
起きた状態に、プロテクターメッシュ上下+DAIWAフィッシングスーツを着て終わりです。

倉庫から、「里山・ひこにゃんVTR250」を出し、リアボックスにムービー用としてパナソニックDMC-G2&三脚を入れます。
久しぶりのG2なので、バッテリーやメモリーカードのチェックで時間を食いました。
おまけにメッシュから変更したコミネウィンターグローブをカメラチェック中に自室に置き忘れたのをバイクに跨ってから気付き、取りに戻るというドタバタぶりです。

4:16、宝塚176出光で給油。
179km/5.78L=31.0km/L。
前回42km/Lという信じがたい燃費になったので、今回は20km台と思っていたら、30kmを越えました。
前回の燃費は、何だったのだろう?

長尾山トンネル入口の温度計は、11度でした。
秋に入っても14度はあったのに、台風一過の後、寒気を引っ張りこんだようです。
r325~r33~r319でr12に出ました。
西峠に掛かる温度計は、7度です。
参ったなあ、今年の篠山早朝ツーリングの終戦が近づいてきました。

城東トンネルを抜けても、まだ朝霧に突っ込みません。
「あれ~、朝霧が出てない。僕の観天望気に狂いが生じたかな?」と、朝霧が空振りになった時の次案を脳内でグルグル探していたら、日置の交差点に近づくと霧に突っ込みました。
篠山盆地の朝霧水分の最大供給源である篠山川が、すぐそこです。

この交差点で左折し、R372を西進します。
次の信号を右折し、r304に乗りましたが、そのまま北上すればr305に乗れるのに、篠山川を渡ってから左折してしまいr702に乗ってしまいました。
篠山川に沿うR372で一気に朝霧が濃くなり、交差点上部の案内板さえ見えなく、土地勘を失い慌ててしまいました。

ヘルメットシールドを上げて確認した「般若寺交差点」で、ミスに気づきました。
真っ白な世界に包まれ、ライトをアップにしても何も周囲の景色が見えず、篠山城址~上二階町と北上してr305に至るコースにも乗れず、手前で曲がっちゃいました。
交差点毎にシールドを上げて交差点名を確認し、方位だけはロストしなかったので、なんとか「群家交差点」で、r305が道なりに変わるr140に出ました。

盃山に上がる分岐はすぐ分かりましたが、少し西に走り「篠山署」を確認し、盃山へのアプローチ枝道に入ります。
霧の上は夜明け前の明るさの兆しが入っている時間帯ですが、霧のため真夜中と何ら変わらない視界のなさです。
集落があるので、できるだけゆっくり静かに北上します。
犬の散歩で歩いている方がおられ、霧の中から間近になって不意に現れるのでドキリとします。

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農業用溜池に当たり、最後の急勾配をグイと登り、5:28・いつもの獣避けフェンス前でストップです。
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フェンスを開閉し、バイクをいつもの春日神社鳥居前に停めます。
急いで登らなきゃ。

リアボックスから、G2&三脚を出し、ヘルメットを脱いで早朝山城探索用の園芸用ハットに変えます。
このハットは、帽子にシークレットスペースが有り、そこから蚊帳が下ろせます。
庭の雑草と格闘する時にいつも使っているもので、山城探索用にバイクリアボックスにも1つ入れています。
やぶ蚊に顔を刺されないし、蜘蛛の巣トラップに突っ込んでも顔直撃は免れます。

篠山盃ヶ岳雲海 1/4

10/12・奈良・山の辺の道サイクリング 6/6

そちらを目指して走ると、案内板が現れ、14:23・「大和神社」に到着しました。
いきなり、「戦艦大和・ゆかりの神社」と彫られた石碑が目に入り、やはり戦艦大和か・・・とビンゴに小躍りしました。

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『戦艦大和には、大和神社のご分霊が祀られています。奈良時代、遣唐使らは出発に際し、必ず大和神社へ航海安全の
祈願しました。となりの祖霊社には、戦艦大和が撃沈した時の殉死者2735名の御霊が祀られています。戦艦大和の長さは、大和神社の参道とほぼ同じ(270m)で、幅は参道の約5倍(40m)です。』

『日本最古・日本大國魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)・大和神社』と書かれた看板も上がっていました。
謂れ板には、『・・・第10代・崇神天皇6年(2000余年前)まで、皇居内に天照大神と共に奉斎されていた大地主(おおとこぬし)に坐します。皇女・渟名城入媛命(ぬなきいりびめのみこと)により、大和郷(現地)に移されたのが当神社の創建。・・・』と記されていました。
崇神天皇・天照大神・大和大神・2人の皇女の関係が頭に整理されました。

絵馬などの立派で、観光客ゼロなのが腑に落ちない素晴らしい履歴の神社です。
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境内に、「戦艦大和展示室」というプレハブ建物があったので、見学します。
戦艦大和のデータ・絵画・模型が数点展示されていました。
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僕が小学生時代作った1m程の全長の模型もあったので、とても懐かしかった。
米空母・エンタープライズも作りましたが、両方とも「じゃまだ捨てろ」と言われ、捨てたような気がする。
勿体無かったな。

15万馬力・航続距離7200海里(11520km・地球1周40000km)という数字のでかさにビックリしました。
家内と参道を正面に見て、大和の大きさを想像しました。
こんな戦闘艦を3隻も造っちゃう日本という国の国力や技術は、他国の驚異だろうな。

長柄駅から天理駅までは、1駅です。
JRローカル単線の輪行は楽しそうだけど、サイクリングの距離は全く短くならないので、そのまま帰ることにしました。
適当に北上するとR169に乗り、東の山裾に近づこうと東に進路を帰るとr15に乗りました。
途中、石上神社の案内板も出てきたので安心して走っていたら、道なりに進むとr15から逸れて、天理大学横の道になりました。

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大学正門から学生風の女子が自転車に乗って出てきましたが、天理教のハッピを着ていました。
「あれが大学の制服なのか?」、高校野球で有名な「天理高校」を15:05に激写。
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天理教本部につき当たり、東に坂を上ると再びr51があり、それに乗って少し北上すると、石上神社第1駐車場に到着です。

15:12着。帰路は2時間でした。
往路山の辺の道は5時間半だったので、流石に平地自転車走行は早いです。
トータル走行時間2:40:59・走行距離23.67km・平均速度8.8km/h・最高速度34.1km/h。

自転車を積み、ナビに従い、r51~名阪国道~天理IC西名阪~近畿道~中国道豊中ICで伊丹まで戻りました。
まだ時間が早いので、フロントブレーキを復活させようと自転車を買った「伊丹カンザキ」に向かいましたが、流石に連休中であいにくの満員御礼の様子なので、日を改めることにして17:30帰宅しました。

10/12・奈良・山の辺の道サイクリング 5/6

11:52、「檜原神社」到着。
「元伊勢」とも表示されている通り、皇居から移動した天照大神が祀られた場所です。
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横には、豊鍬入姫命を祀った祠が立っていました。
謂れ板には、豊鍬入姫命は崇神天皇の皇女で、天照大神の初代斎王として奉仕したと書かれていました。
神様の世話をする現代の巫女さんの原型なのでしょう。
天皇が、自分の娘を天照大神専従にして、皇居から離れた場所で神様と暮らさせるということは、天皇が何を生業にしていたかが想像できます。
東北震災の時、天皇皇后両陛下が東北の海に向かって深く頭を下げていたのが印象的でした。
毎日の日課で、皇居内で祈りを捧げているのだと思います。

天照大神・倭大國魂神・斎王は、予定になかった学びになりました。
脳内歴史パズルに新しいアイテムが加わり、脳内妄想が広がります。
そしてここまでのサイクリングで、改めて強く思うのは、「地名を変えちゃダメ」ということです。
古代からの文字を伝承してきた日本だからこそ、はるか後の世の僕にも地名から想像できることがある。

鳥居の正面に二上山が見えます。
ここから見える二上山は、ふたこぶラクダのように見え、その名の由来が視認できました。
門前に茶屋があり、ここで昼食にしました。
僕は、勧められた「冷そうめんセット・1000円」、家内は「にゅーめん・800円」を食べました。
せっかくここに来たからは、三輪そうめんですね。

東海自然歩道の道案内が、「大神神社」になりました。
いよいよ「山の辺の道」の南エンドです。
でもここからは、舗装路はなく、石敷きも多く、自転車を押してばかりでした。
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「花もり」という今までに数件あったお休み処がありました。

13:03、大神神社横にある「狭山神社」に到着。
以前ツーリングクラブで連れてきてもらったとこなので、懐かしいです。
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三輪山参拝口まで歩いて行き、おトイレを拝借して、大和国一宮・「大神神社」に参拝します。

ここまで5時間半掛かりました。
舗装路は1/3かな?未舗装路もできるだけ自転車に乗ったけど、1/4~1/3は押し歩きを強いられたように思う。
追い越された自転車はゼロ、すれ違った自転車は貸し自転車の1台のみでした。
歩いても、あまり所要時間は変わらないように思います。
「くすり道」で自転車に戻り、車道の急坂を下って、大神神社鳥居前を家内に見せます。

ここの急坂で、前輪ブレーキがスカスカになりました。
ブレーキパッドはまだ残ってるように見えるのですが、だんだん手前まで引かないとブレーキが効かなくなっていたので、寿命なんでしょう。
いきなりスカスカになったので、ちょっとビックリしました。
でもリアブレーキは健在なので、問題なしです。

帰路に着きます。
帰路は平地を北上します。
大鳥居をくぐり、R169に出ました。
北上するとすぐに旧道?と想像される斜めに分かれていく枝道があったので、交通量が少ないので、そちらにチェンジしました。

13:52、「箸墓古墳」到着。
古代史の謎・女王卑弥呼の墓ではないかという説が出て脚光を浴びているのに、観光客ゼロで、田園の中にポツンと巨大前方後円墳が横たわっていました。
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14:01、女王卑弥呼の住居と言われる纏向遺跡内にある「纏向石塚古墳」到着。
ここらをグルグル回れば面白そうだけど、朝から歩き詰めの家内の事を思うと、車のある北に向きましょう。

道なりに走っていると、並行して走るJR桜井線が近づいてきて、14:16「長柄駅」がありました。
線路を撮ろうと近づくと、「大和神社」の看板が立っていました。
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単線の駅ホームを見ると、近隣観光地として大和神社の名があります。
どこかな?
と見わたすと、さっきから気になっていた鎮守の森がそれのようです。

10/12・奈良・山の辺の道サイクリング 4/6

10:23、「カフェ・メリッサ」到着。
門前に美人姉妹の写真が載っており、フラフラと入店してしまいました。
ケーキセット660円×2で、小休憩です。
納屋を改造したお店で窓の外は、穏やかな田園風景が広がり、遠くに大和盆地というナイスなシチュエーションでした。
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個人の絵画展示即売会が開かれており、周辺の風景や美女の絵画が、3000円~10000円で販売されていました。
買って帰りたかったけど、荷物になるし、母の絵もたくさん残しているので止めておきました。

10:47、エネルギー補給を終え、お店を出発しました。
10:48、「長岳寺」到着。
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花のお寺ということですが、見学はパスしました。
狭い道を押し歩き、10:58「10代崇神天皇陵」の前方後円墳に到着。
ここも濠が囲んでいます。

産直無人店がここまでも多数あり、10時を回ってから多くなってきた道歩きトレッキングの女性の方で、多くの野菜をぶら下げている方がいます。
リュックやシューズ・ウエアは、どう見てもトレッキングなのに、買い物帰りのおばちゃんも入っています。
「買い出しに来たみたいね」と家内と大笑いしました。

続いて「櫛山古墳」、ここでまたガシャン。
激写してる時に、台風の影響か一陣の強風が吹き、また自転車をこかしてしまいました。
また右側に倒れ、バックミラーが割れてしまいました。
まあナポレオンミラーは1000円ほどなので損害額は小さいですが、割れたガラス片を回収して袋に入れる手間が・・・。
ここらは、少し乗ってもすぐ石敷道になったり、根っこ越えだったりで、押してる方が多いです。

「12代景行天皇陵」横に「渋谷向山古墳」という小ぶりの古墳がありました。
謂れ板には、卑弥呼に中国・魏から贈られたという三角縁神獣鏡や多数の埴輪の出土をみたそうです。
12代景行天皇は、僕の歴史記憶のランドマークです。
景行天皇の次男がヤマトタケルで、景行天皇に続き九州の熊襲成敗に成功し、須佐之男命がヤマタノオロチを退治した時にその尾から得た天叢雲剣を持って、東海・蝦夷を平定した大和政権のヒーローです。
ヤマトタケルの息子が14代仲哀天皇で、その皇后が応神天皇を身ごもったまま、急死した夫の仲哀天皇の遺志を継ぎ、三韓征伐(新羅・高句麗・百済)した神功皇后です。
これで、朝鮮半島の大部分を大和朝廷の属国化し、半島に利権を得た。
この片腕として、僕の好きな、そしてヤマトタケルのモデルとも言われる武内宿禰が活躍した。

影行天皇の死がAD130らしいので、2世紀から645年大化の改新で親政成った天智天皇が、白村江の戦いで新羅・中国唐連合軍に、百済軍とともに戦い破れるまで、朝鮮権益が続いた。
真意はともかく、国内外でドラマチックに東アジアの歴史が動いた興味深い時代です。
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11:26、『神話の里・神籬(ひもろぎ)について この一画の小字名である「ヒモロギ」は、神祭りの施設で神霊の降臨する依代であった「神籬」に由来すると考えられている。「日本書紀:の崇神天皇6年条に、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)をして天照大神を「倭の笠縫邑に祭る。よりて磯堅城の神籬を立つ」とあり、神籬が神祭りの古い形式であったのが分かる。この場所に神籬を設け神霊をお迎えして、神祭りが執り行われたのであろう。一帯は邪馬台国の有力候補地である纒向遺跡に含まれ、倭笠縫邑と伝承される檜原神社にも近く、古代祭祀を考える上で注目される。』
と謂れ板が立っていた。

そこは農地に囲まれた一角で、細いあぜ道の横にあった。
古墳だらけのこの地だから、この程度の遺跡は鼻にも掛からないのだろう。
さっきの大和神社の謂れの件にあった天照大神が皇居から最初に移動した地が近いようだ。

ここから登り基調になった。
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古道によくあるとにかくアップダウンの大い道でまいります。
土手もない川が、雨量の多い山に降った水を集め、大雨ごとに水路を変えて流れる平地は、ぬかるんで歩きにくかったのだろう。
そこを道として整備し橋を造っても、すぐに次の大雨で崩れたりしたのだろう。
平地なら川幅も広くなり、渡るのに苦労するだろうし。
とにかく古道というやつは、平地の道が整備された現代から見れば、「なんで?」と思えるようにアップダウンの多い山裾を縫う。

10/12・奈良・山の辺の道サイクリング 3/6

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そのすぐそばにあった「夜都伎神社・やとぎじんじゃ」に8:54到着。
スクーターがたくさん止まっており、境内にはおじさんたちが雑談中でした。
どうやらこれからお祭りがあるようで、準備のために集まったとこのようです。

漢字は違いますが、「都伎・とぎ」は「伽・とぎ」のことでしょう。
「夜の接待の神社」という艶かしい響きの神社名です。
貴人が旅の宿にするのは、その地の大きなお屋敷を持つ家で、食事やアルコールやその後のアレコレの接待(伽)をするのは、そのお屋敷の娘さんや地域で評判の器量良しさんです。
アレコレで目出度くご懐妊などすると、一躍玉の輿の時の人になり、当然その親御さんや一族が出世するのは、江戸時代の大奥を待たずとも世の常です。

うふふ・・・とあれこれ想像しながら、「どんな祭りかな?」なんて・・・。拝殿など、素敵な出来でした。
大きなお社ではありませんが、惹かれるものがあります。
家紋は、下がり藤紋。

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9:10、「竹之内環濠集落」到着。
奈良は、弱肉強食無秩序になった室町時代の影響を強く受け、集落周囲を濠で囲んだ環濠集落が多数あったそうです。
その環濠の一部が残っていました。
ここで数人の観光客がいました。
道ではなく、環濠集落目当てのようで、車で来ておられました。

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土塀に瓦を埋め込んだ素敵なお宅がありました。
鬼瓦も埋め込まれ、定番の龍の他に「お宝有り鬼瓦」もありました。
大和古墳群という地域になり、あっちにもこっちにも古墳があり、柿畑になってる古墳もありました。
「西山塚古墳」は、僕が小1の時遊び場にした伊丹御願塚古墳に似て、環濠していました。
奈良らしく金魚がいっぱい泳いでいます。

「山の辺の道」から外れ、案内板に案内され、9:48「衾田陵・ふすまだりょう」到着。
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宮内庁が管理する巨大な前方後円墳でした。
24代仁賢天皇の娘・手白香皇女のお墓で、弟の25代武烈天皇が子なく若くして崩御したので、皇族男子の血が絶えた。
6世代前に皇統を離れ越前国で暮らしていた血筋男子を入婿にして、26代継体天皇として迎え、薄いながら天皇家の血統を繋いだ。
古事記・日本書紀に載ってる有名なお話です。

その間の子・27代欽明天皇が、現在まで続く天皇家の祖です。
今上天皇の皇太子に男子がいないので、あ~だこ~だやっていますが、過去には女系天皇も入婿天皇も存在しました。
環濠集落で一緒だったおじさんとまた一緒になりました。
道が細く曲がりくねり、未舗装路が多いので自転車のアドバンテージがありません。

墓地のど真ん中を「山の辺の道」が突っ切っています。
地形的にこの墓地自体が古墳の上にあるようです。
1700年の歴史がある墓地って、他にはそうないでしょう。

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10:01、「大和神社御旅所」というとこに到着。
麓の大和神社の春の大祭・橘渡御は、天皇またはその代理を迎え、大和神社からここまで上がってくるそうです。
その歴史は1400年あり、それ以前の橘花まつりは2000年の歴史があるそうです。
2000年って、今西暦2014年ですよ・・・なんと古墳時代以前の弥生時代からのお祭りではないか・・・日本一歴史の長いお祭りかもしれない。
驚愕・・・。

謂れ板にはまた、『天照大神と倭大国魂の2神を皇居内に祀っていたが、天皇がその神威の強さに畏れ、2神を別々の所
に移動させた。今、天照大神は伊勢神宮内宮に、倭大國魂神は大和神社に鎮座される』とも書かれていました。
律令国名である大和国は、まさにこの神社名で、「日本」を「やまと」と読んだり、日本国全体を大和の国と表現したりする。
小学生の時夢中で作った「戦艦大和」の船名もこの神社に因んだのかもしれない。
いずれにしても、天皇またはその代理が毎年出席するお祭りはそうないはずなので、天照大神と双璧の神が祀られている「大和神社」を訪問したくなりました。

ここで残念なことがありました。
ガシャンと僕のDefy2・ロードバイクが倒れてしまいました。
ガタガタの舗装路に真っ直ぐ停められなかったのが原因です。
右に倒れたので、右に着けてるナポレオンミラーが横を向いちゃいました。
ナポレオンミラーは、モーターサイクル用トップメーカーで、自転車用の適当なバックミラーと違い、ミラーの揺れも少なくカッチリ作られており気に入っています。
まあ、ハンドルクランプが回っただけなので、グイと元に戻しましたが、こかしたことなかったのに残念です。

10/12・奈良・山の辺の道サイクリング 2/6

r51沿いにある最も遠い第3駐車場に車を停めました。

石上神宮は奈良盆地の東山の裾野にあり、天理市街地より少し高めです。
西に天理教の特徴的な建物群が広がっています。
圧倒的な迫力で、信者さんやそれ目当ての業者さんから多くの税が集まるのだろうけど、宗教法人・天理教本体は無税なんだよな。
税金を払わないからこれだけ大きくなれるのだけど、天理市のあれやこれやは天理教団の意向が大きく反映されそうです。

自転車を組み立てちょいと走り、7:56・石上神宮鳥居前に自転車を置きます。
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境内に入ると、色鮮やかな尾の長い鶏が我が物顔に闊歩しています。
藤原氏・春日大社の守り神が鹿のように、石上神宮のそれは鶏なのかも?禁足地も含め、広大な神域を有する広大な神宮ですが、観光地としては、山の辺の道の一神社という感じでしょうか、落ち着いた佇まいです。
「天然記念物・石上神宮鏡池のワタカ」という謂れ板が立っていました。
コイ科の魚ですが、胸ビレ・背ビレ・尾ビレが長いそうです。
う~む、確かに。

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すぐに拝殿があり、駐車場代込みでお賽銭をば・・・。
御札・1000円とお箸セット・1000円を購入。
今回の山の辺の道サイクリングの最大の目的は、ここに来ることでした。
この道周辺は、ヤマト朝廷の最も古い時期に本拠地があった所で、沿線に10代崇神天皇・12代景行天皇の墳墓があります。
現在は飛鳥時代から続く「藤原氏」の時代ですが、645年・「大化の改新」で藤原氏の祖・中臣鎌足が葬った「蘇我氏」の時代があり、その蘇我氏も聖徳太子他の軍事戦争で「物部氏」を葬っています。
その物部氏は、ヤマト朝廷の軍事部門担当氏族で、ここがその兵器庫でした。

九州からヤマト朝廷の祖・神武天皇が東征して奈良盆地にやってきた時の剣とか、素盞鳴尊がヤマタノオロチを出雲で倒した時の剣とも言われる「布都御魂剣」が、明治時代の発掘によって発見されている。
長い間禁足地として守られてきた神域ですが、ある意味無秩序の弱肉強食だった戦国時代を経ても盗掘されずに守られ
た日本人の心意気に奇跡を感じる地です。

僕には観光客の人気に関係なく、とても興味深い重要な神社・禁足地です。
ここの御札を、我が家の屋敷祠に収めよう。
禁足地故、当然徘徊探索できないのですが、拝殿裏の地を見、ここに来れたことに感動さえ覚えました。

これでもう帰ってもいいのだけど、欲張りな僕は「山の辺の道」探索に出発します。
自転車に戻り、自転車を押しながら境内に入り、境内から南に入っていく「山の辺の道」に入り、未舗装路だけどサイクリング開始です。
すぐに、8:25・モリアオガエルが産卵するという池に到着。
葉わさびを売ってるんだって。
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近所の農家の無人販売所があります。
マスカット・さんしょ・柿・・・いろいろです。

東海自然歩道に指定されているようで、道標がしっかり整備されており、迷うことはないです。
道標の示す次の目標は、「夜都伎神社・永久寺跡」です。
芭蕉の句碑も立っています。
道は奈良盆地を軽く見下ろす高さにあり、登ったり下ったり、舗装路だったり未舗装だったりで、距離は稼げませんがとても楽しい。

8:29、碁盤の目に糸が張られた池に到着。
池を見下ろす高台休憩所に上がると、謂れ板が立っています。
永久寺跡で、石上神社の神宮寺だったそうです。
明治の廃仏毀釈によって廃寺になったそうです。
ここで初めて、山の辺の道ハイカーに会いました。
ベンチで朝食を摂っておられました。
ここまで観光客に会わなかったので、ネームバリューの割に人気がないんだなと思っていました。

僕が写真を撮っている間に先に行った家内が、地元のおじさんに「坂がきついよ、これで登れるかな?」と声を掛けられています。
「押して登りますから」と笑顔で応えています。
続いて僕が行き挨拶すると、「おはよう」とだけです。
女子はお得です。

柿畑の間の細い地道を自転車降りてエッチラオッチラ登ります。
自然歩道案内板の他に「カッコーツアー」と書かれた目立つ案内板も分岐毎にガムテープで貼られています。
「山の辺の道ツアー」のようで、これがありがたい。
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「綿摘み・種取り・糸紡ぎ体験」の案内板のとこに、実から弾けた綿が付いた枝が差してありました。
「綿って、こうなってるんだ」と、家内とペチャクチャ。

山の辺の道 2/2

10/12・奈良・山の辺の道サイクリング 1/6

先週に続き、今週末も台風襲来です。
でも当初の予想コースから西に迂回するコースに変わり、日曜日の近畿地方は曇空基調になりました。
この変化により、雨の中の映画鑑賞から、アクティブ・サイクリングに変更しました。
スポーツの秋です。
屋外を大いに楽しみましょう。

楽しみすぎて、4時前に目が覚めちゃいました。
自転車の用意はまだですが、あまりに早すぎて外は真っ暗なので、自室でゴソゴソして時間つぶしします。
4時半になり、いつもより早く家内が起きて、階下で家事を始める音が聞こえ始めました。
6時出発予定なので、僕も行動開始です。

車の2・3座席を前に移動して、自転車の積み込みスペースを作ります。
いつもはここで自転車の空気圧を点検・ポンピングするのですが、暗くてメモリが見えないので現地で入れることにします。
2台の自転車の前輪を外し、ササッと積み込み、リュックに2人分のカッパと輪行バッグを入れます。
ウエストバッグにミラーレス一眼や財布など一式を入れ、準備が整いました。

家内が作ってくれた朝ごはんを食べながらTVを点けると、「ETV・こころの時代」で、プチマイブームのお遍路さんの番組をやっています。
「ETV・趣味Do楽」で、タレントさんにお遍路を教えていた「四国お遍路先達」さんへのインタビューをしながら、「歩きお遍路さん」の魅力が紹介されています。
家事を終え、衣装も決まった家内もやってきて、6時の番組終了まで楽しく見ました。
車お遍路さんやバスお遍路さんもいいけど、歩きお遍路さんをやってこそ感じるものを語っておられました。

45才まで都市銀行で出世つばぜり合いをして暮らしてきたが、支店長に上る前に関連子会社への出向を命じられ、出世コースから外れたことで挫折を感じました。
自分の実力を見抜けない上司への恨みばかり思っていました。
その時病を得て1ヶ月入院し、奥さんが持ってきてくれた本を病室のベッドで読みました。
そんな本の中に「歩き遍路さん体験記」があり、自分も行ってみたくなりました。
その後12年、鬱々と暮らし、歩き遍路すべく57才で早期退職しました。
数々のお接待を受け、その他貴重な体験をし1ヶ月余り歩き続け、最後の88番札所にたどり着きました。

そこで般若心経を唱えながら、「明日はもう歩かなくていい」という安堵感に包まれ、涙が出てきました。
しかし翌朝、「もう歩けない」という残念感に包まれており、以来NPOの仕事をしながら、休日ごとに遍路道の再生をし、12年間に11回歩き遍路を続けてきた。
こういう行動を伴った方の語りは、穏やかな表情・語り口でも、真に迫る迫力がある。
僕には歩き遍路なんて無理に決まっているけど、お遍路さんへの傾倒を加速させるものがありました。
とてもいい番組でした。

僕は21:30~22:00・ETV・「趣味Do楽」をチェックしています。
最初に見だしたのは、スポーツ自転車の時で、トレッキング・着物着付け・モーターサイクル・・・一流の講師さんが素人タレントさんに、丁寧に教えてくれます。
その番組が始まる前の「きょうの料理・ビギナーズ」も、楽しみだったりします。
スプーンおばさんのあの語り口で、簡単な家庭料理の作り方を伝授してくれます。

番組を見終え、6時過ぎに出発しました。
中国道・豊中IC~近畿道~第2阪奈道で奈良市内入りしました。
まず鹿を見てから行こうと思っていたのに、1頭もいません。
家内が、「この3連休は、奈良の鹿の角切りがあるみたいよ」と教えてくれました。
お~、そのために一網打尽にされているのかも・・・いつもならあちこちに目につくのに、見事に1頭もいませんでした。

R169を南下し、天理市役所・天理教本部・天理大学前を通り過ぎ、r51に乗って、7:39・「石上神宮」駐車場に到着しました。
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天理市役所を遥かに圧倒する天理教本部他天理教関係施設に、驚くばかりです。
上納金がどれほどあるのだろう・・・PL教団など小さなもので、創価学会といい勝負なんじゃないかな?
ちなみに天理教の家紋は、母方の遠い先祖・菅原道真と同じ・梅鉢紋です。
関係ないけど・・・。

山の辺の道 1/2

10/7・宝塚境野・西谷の森展望台を目指す

4:50に目覚めました。
夜明けが遅くなるのに合わせたように、僕の目覚めも遅くなってきました。
毎年、春・夏は4時が定番の目覚め時間だったのに、秋に入るとこうなります。
冬は更に遅くなり、「春眠暁を覚えず」を経て、ウグイスの鳴き出す2月後半になると、目覚め時間がぐんぐん早くなります。
人間の身体は、つくずく自然のリズムに乗っていると実感します。

トイレのために階下に降りると、家内の部屋から目覚まし時計が鳴る音が聞こえてきました。
やばい・・・速攻で靴下と丸首シャツを着て自室に戻ります。
いつもの秋冬用バイク装束に着替えて、玄関を脱出します。
プロテクターメッシュ上下+DAIWAフィッシングスーツは丁度でしたが、コミネ夏用グローブが涼しく感じました。
グローブは冬用にチェンジの時期のようです。

倉庫から「里山VTR250」を出して、5:23・長尾山トンネルを抜けた長尾山大橋上でバイクを停めます。
東の空が朱に染まってきています。
車載ムービーONして、r325~r33で、「境野」から「宝塚市西谷の森公園」方面に左折します。
公園駐車場まで入ったら、時間外で公園内に入れないので、「東の谷公園事務所」手前の枝道に入ってみます。
公園内の展望台が本日の目的地です。
単に宝塚市が里山の山道を整備し、市民のために公園として開放してるレクリエーション施設なので、展望台へ登る道は四方にあるはずです。

5:46、「大原野方面」と書かれた案内板が立つ山への取り付き道がありました。
ここにバイクを置き、山道に入っていきます。
いい感じで山を登り始めましたが、すぐ勾配がなくなり、「西谷の森・東の谷事務所」の方に、山裾をめ回っていきます。
「大原野」方向への下り道が分岐し、ミスロードかな?と思っていると、5:58・「36地点・左:展望台910m、右:大原野」の木製道標が立っていました。

展望台方向に登ります。
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再び上り勾配になり、6:04・「左:東の谷管理棟480m、右:展望台710m」に着きました。
途中、6時の時報なのか、お寺の鐘が鳴りました。

展望台の方に登ります。
尾根に上がったようで、勾配は緩くなりました。
脇の木々がまばらな所から北の山並みが見通せ、どうやらその上の雲から雨が落ちているようで霞んでいます。
こちらに流れて来そうで退却も考えましたが、雲は小さく通り雨のようなので、やり過ごすことにしました。
目指すピークの展望台が見えますが、まだ遠く谷を隔ててるのが難儀です。
もう一つの展望東屋も見えます。

上空の薄雲に、朝日の朱色が映り、綺麗です。
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南の方角、六甲山が見通せる高さまで上がってきました。
いい感じに近場の山・谷が見えるので、ここより標高の高い展望台は、朝霧雲海鑑賞ポイントかもしれません。
r33が朝霧に沈んでいる時は、雲海越しに朝日が登ってくる絵になるかも・・・。
期待が膨らみます。

雨雲が流れてきて、小雨が落ちてきました。
木陰で雨宿りです。
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小雨もほんの一瞬で、r33を隔てた東の山から、朝日が顔を出しました。
尾根道の朱に染まり、綺麗だな。

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6:18、「展望台410m」地点まで近づきましたが、やはり谷渡りが必要なようで、時間切れ撤退しました。
往路そのままを下りました。
往路では気づかなかった猪の堀跡が2ヶ所ありました。
この辺のr33沿いは、電気柵など設置されていないので、鹿はいないのかもしれません。
猪も里に降りての悪さはしないのかも・・・いずれにしても生息数が少ないのでしょう。

「大原野」の取り付きが気になったので、そっちに下りてみました。
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栗がいっぱい山道に落ちていました。
6:33、「大原野」到着。
こちらからの取り付きが最短距離のようです。
次回の展望台攻めは、こちらからアプローチしましょう。

目の前に見える「川下川」沿いに出て、里道を戻っても良かったのですが、再び山に消え一旦分岐に戻って、往路同様の道を6:47・バイクに戻りました。
シートが小雨に濡れています。
リアボックスからタオルを出し、シートと車載カメラを拭います。
r33~r325~長尾山トンネルという定番コースで、7:30・帰宅しました。

宝塚境野・早朝ツーリング

10/5・母校学食&柘榴坂の仇討ち

「ご飯、食べに行こう」、キャンパスに入ってから上機嫌の家内から声がかかり、学生会館の食堂に食べに行きます。
京都の次男の学校と大違いで、セクト系の看板も冤罪救済の看板もなく、僕らが通った頃とは大違いです。
学生会館の建物は、メンテナンスされているものの当時のままです。

ヨット部のトレーニングやミーティングの集合場所は、いつもこの前でした。
当然出入りする女子学生の優良可・不可吟味になります。
いつもやってくる髪の長い2人連れ女子が目立っており、同じ学部に通う同期から、「学部で一番可愛いかな?」なんて聞いていました。
同期女子マネージャーから、「紹介してあげようか?」なんてのもありました。

その片方の子に、学校とは関係ないとこで一緒になる機会に恵まれ、家内になっちゃいました。
あの子だ!と話し掛けると、偶然にももう片方の子と付き合ってる男子が僕の中高の同級生で、今からその子の家に行くというから、御邪魔虫しました。
横断歩道を渡るときに、点滅しだしたので、チャンス!とばかりに手を握って走りました。
家内は「なんて強引な男なんだろう」と思ったそうです。
男は振られてなんぼです・・・肉食系で行かなきゃ。
思い出すなあ・・・

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11:38、僕は本日のサンキューセット(ハンバーグ・唐揚げ・味噌汁・ご飯)390円・家内は唐揚げ玉子あん丼370円を注文しました。
破格のお安さがナイスです。
いろんな学生時代の思い出話や、アメリカンフットボール部・KGファイターズのでかい身体に圧倒されたり、今日は女子学生が少ないなとか、楽しい昼食になりました。
幼児を連れた若夫婦が食べていたり、サンデー毎日なハイキング帰りのグループが入ってきたり、このオープンな感じがいいです。
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僕らも甲山サイクリングの時、ここで昼食にしました。

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食後キャンパスを散歩し、正門横のチャペルを見に行くと、まさに今日結婚式を挙げようとしているカップルが、記念写真を撮っていました。
30年前の僕らを思い出します。
イースターというキリスト教最大のお祭り日に、牧師だった中学部校長先生に頼み込んで、ここで式を挙げてもらいました。
披露宴は、タクシーで宝塚ホテルに移動しました。
あの日は綺麗に晴れ渡り、たまたま登校してきた多くの学生さんたちにも祝福してもらいました。

車に戻り、西宮ガーデンズに行き、13時にチケットを購入(夫婦で2200円)し、上映を待ちました。
前日に封切られた「蜩ノ記」も気になっていたのですが、同じ時代劇の封切りから3週間目に入り、いつ上映しなくなるかわからない「柘榴坂の仇討ち」を観ました。
安政の大獄などで、後の明治新政府中枢派を大弾圧した井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」に翻弄された2人の剣士を中心にした物語です。

暗殺された側の井伊直弼お側侍の主人公は、明治の世になっても曲げも落とさず腰のものもそのままに、仇討ちに人生を賭けている。
対する暗殺した側の水戸藩脱藩者は、井伊直弼の目指した方向でその後国が動き、自分の行為を悔い名前も変え逼塞生活を送っている。
そんな2人が、皮肉にも「仇討禁止令」が出た日に出会う・・・。

仇討禁止令が出されるきっかけになった事件は、この前年に起こった高野山中での仇討ち事件です。
今年、家内とタンデムで高野山を訪問した時、その現場の謂れ板で読んだところでした。
ふふふ・・・。

言葉は多くなく、派手なアクションもないけど、2人の生き方・行動・言葉、それを支える女性の一途さ、時代の変化にも変われない生き方をする剣士に違和感を感じつつ共感し協力する周囲・・・大感動でいつものように涙で頬を濡らした秀作でした。

映画鑑賞後、長男のお嫁さんの誕生日プレゼント探しで、お隣の阪急百貨店でブランド物のスポーツウエアを物色しましたが、家内のアンテナにピッタリの物がなく次回まわしになりました。
自宅近所まで戻り、スーパーで食材を買いました。

カートを押して入ると、「かねてっちゃんが来店しています。
お写真はいかがですか」の店員さんの声が聞こえて来ました。
村上食品だ・・・ヨット部の先輩の会社です。
学生時代はお世話になりました・・・今は息子さんと年賀状の交換のみだけど・・・

かねてっちゃんの着ぐるみをしげしげと観察し、何処にも穴がなく何処から見ているのかわかりませんでした。
家内によると、「見えてないよ」とのこと・・・ほんまかなあ・・・。
横のワゴンに積んであるカネテツ商品を買わないわけには行かず、明日の朝の献立はおでんに決定です。

帰宅し、夕食を食べ、家内と「モヤモヤさま~ず・ローマ編」で笑い、軍師官兵衛まで目が持たず寝てしまいました。
月曜朝は台風の風と雨で目が覚めました。
雨が止んだので、我が家と隣の実家を点検しました。
庭のザクロが目に止まり、「ああ、日曜日の映画は良かったな」と再度反芻し噛み締めました。

10/5・久しぶりの母校

前日・土曜日、仕事場に共同オーナーの先輩から電話が入り、ロープの場所を聞くと、桟橋のボックスの中にあるかも?とのことです。

日曜日は、レース後家内と待ち合わせ、映画を観に行く予定にしていましたが、予想通り日曜のレースは中止になったとの連絡が、チームを組んでる別の先輩からありました。
これで2週連続で、家内と1日一緒に行動できます。

5時に起き、ゴソゴソして、しばらく雨が降る心配がなさそうな空模様ですが、9時前に家を車で出ました。
市内中心部に出て家内の用事を済ませ、ハーバーに向かいます。
R171利用で約30分で到着。
早速カードゲートを開け桟橋を歩き、もう一度船内でロープ探しです。
やはりなく、桟橋ボックス内に1本見つけました。
以前はもっとあったのになあ・・・。
これで増しロープして、係留艇の台風対策終了。

続いて、陸置きレース艇を見に行きます。
カバーが外され、ちょうどハーバー職員さんが、ロープ固定作業してくれていました。
近くで菓子折りでも買えれば差し入れしたいところでしたが、ここは安上がりの「ありがとう」の言葉だけです。
陸置き艇の作業はなくなりました。

センターハウスに戻り、ノースショップを覗いたら、「スナイプの第1レースのようです」と関西インカレ情報をもらいました。
ショップ店員さんは、ライバル校OBでコーチをしています。
4ミリのショックコードを5m購入・650円し、家内とこれからの行動を相談します。
現在時は10:30、映画上映が西宮ガーデンズ13:20なので、
1・早いけどハーバーで昼食を取る
2・西宮ガーデンズに移動しお店を回りながら適当に昼食を取る
・・・家内から、「後日アナウンサーの講演を聞きに学校に行く予定なので、久しぶりに学校に行きたい」との提案があり、いい感じの時間になりそうなのでそれに乗ることにした。

R171~廣田神社横を通る。
この近くの保育園に、4~6才の3年間通ったので懐かしい。
保育園の方針で1か月後から親の付き添い禁止だったので、電車バスを乗り継いで、伊丹から1時間通園していました。
僕は小学校とKG卒業後通った学校以外、13年間も西宮に通学した。

家内は電車通学だったので、阪急甲東園からバス・徒歩通学しかしたことないので、この道には馴染みがないです。
僕は、ハーバーと学校の最短コースだったので、大学時代はよく利用させてもらった。
懐かしい中学部横を通ると、催し物があるのか親世代の方が正門を出入りしていました。
家内は長男の中学受験の時、学校説明会で1回来ただけです。
僕が社会を教えてもらった先生が中学部長になっており、そのカッコ良さに賛美の声を上げていた。
長男は別の学校を受験したけど、いい思い出です。

KG正門に車を突っ込み、警備員さんに駐車場利用を打診したけど、やはり単なる訪問ではダメでした。
近くの駐車場に車を入れ、正門から入ります。
さっきの警備員さんが、恐縮していたけど、いろんな事情によりそういう規則になってるのだから、仕方ないことです。
紋切り型の警備員さんの対応じゃなく、「相変わらず、いい学校だな」と安堵しました。

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相変わらず、甲山をバックに借景した中央芝生と時計台が美しく、いまだにこれ以上美しい学校を見たことがない。
同窓会報に、家内の通った学部横に、新しく講堂が建ったと案内されていましたが、ヴォーリス建築様式を踏襲し、違和感なくキャンパスに溶け込んでいました。

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家内は学んだ学部玄関扉から中を覗きこんでいます。
時計台図書館は、僕の勉強スペースでした。
ヨット部の合宿が多かったので、授業時間の合間などここに居着いて勉強していました。
僕がまともな成績で卒業できたのは、静かで快適な時計台図書館のお陰です。
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10/4・船の台風対策

目覚めたら5:30・・・前日は天気が怪しそうで早朝活動は家でおとなしくしてたので、早朝ツーリングに行く気満々だったのに・・・目覚めが遅れて、階下では家内がゴソゴソしてる音がする・・・あ~あ・・・

この日から土日2日間のオータムレガッタというヨットレースです。
神戸空港の天気予報をチェックすると、台風の影響がすでに出ており、2日間共10m/sオーバーの風予報が出ている。
僕は土曜日は出ないけど、日曜にはレースに行く。
土曜夜から日曜朝まで雨で、日曜午後から台風本体の雨が降りだすようだ。
現在まで935hPaの勢力を保っている強力な台風なので、桟橋係留艇の方もしっかり台風対策しなければならない。
日曜朝のレース前にそれをしようと思ってたけど、暇になったので行くことにしました。

6時半に、通勤リード110で家を出て、ブイーンと7時前にハーバー着。
桟橋ゲートをカードキーで開けて桟橋を歩き、ゴソゴソやってきました。
8月末に先輩が乗ろうと思ったらバッテリーがご臨終されてて、新品に積み代わったバッテリーをチェックした。
エンジンは一発点火でグッドです。
台風で一度やられた事があるので、ステアリングドライバー上の日避けを片付け、ファーリングジェノアの上から数回スピンハリヤードを巻きつけ、桟橋との係留ロープもやり直しました。

でも、いつも使ってる台風対策用ロープが船内に見当たりません。
前回の台風対策をした時使ったのに、次に乗られた先輩は何処に片付けたんだ?
それともハーバー職員が、外したロープをハーバー倉庫に持っていったのかな?
台風対策していない船があれば、職員がロープを持ってきて応急対策してくれます。
そんな関係で、船内ロープは増えたり減ったりします。

今回は全くロープがないので、時前ロープまでハーバー共有ロープの方に行っちゃったみたい。
そんなこんなを考えながら、ゴソゴソ作業してたら、職員2人が連れ立って、桟橋を歩き、係留艇や桟橋の具合をチェックしていました。
不具合の箇所をメモしています。
「おはようございます」と挨拶しながら、ロープのことは訊けなかった。
訊けば、あれやこれや、あっちこっちに移動し、僕の出勤に間に合わなくなるからだ。

土曜日の天候によっては、レースメンバーがレース艇を陸上バースに上げちゃって、明日のレースはキャンセルになるかもしれない。
その場合、家内との映画デートを繰り上げ実行だな。

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こんなことやってた1週間前なのに、また台風来襲です。
船はそのままなのでいいけど、台風直撃だけはご勘弁願いたい。
我があばら屋崩壊にならなければいいが・・・

明日は雨そうだから、2週連続の映画を考えていましたが、台風がちょっと遠回り進路になったようで、雨は夜からのようです。
ナラば奈良にサイクリングに行こうか・・・なんてスポーツの秋にふさわしくアクティブな方に変更しそうです。

9/30・早朝ツーリング・猪名川不動尊 2/2

『鎌倉のお不動さん 約600年の昔、鎌倉の執権・北条時頼が民情を案じ行脚僧となって、諸国を周遊され、しばらくここに住んでおられたとかで鎌倉という名前がついたと言われています。村外れを1kmほど登ってきたところにお祀りしてあるのがこの猪名川不動です。明治39年の大水害で流されてしまったものを、鎌倉の渡瀬妙照さんその他1000人に及ぶ信者により再建されました。鬱蒼とした森の中に、白い滝のしぶきが美しく、全く仙境に入るの感がいたします。4/28・29の大祭に大護摩がたかれ、多くの参詣人により賑わいます。  /猪名川観光協会』

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滝の横に「不動明王」が鎮座する祠があり、滝の前を横切る橋を向こう側に渡ると「弁財天」が祠に守られています。
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琵琶を弾く弁天様は、穏やかなお顔でした。
美人形・男を惑わす天女形・子を慈しむ母親形・・・いろんな弁天様を目にしますが、いずれも僕は好きです。
人はすべて、弁天様から生まれ育まれて成長していきます。

標高は400m。
ここ1週間ほど雨が降っていないので、水が流れているのか気になっていましたが、しっかり流れていました。
谷筋の付け根の位置にあり、滝を中心に広場を囲むように左右の山肌から急な石ころだらけの沢の跡があり、雨が降れ
ば水がガンガン下って来るのでしょう。

謂れを読んで、鎌倉幕府執権・北条時頼の名に目が止まりました。
三田の百畳岩のとこも北条時頼の謂れが書かれており、あそこも鎌倉峡です。
そして僕が小学生の時、悪ガキ仲間と夏休みの自転車大冒険&カブトムシ・クワガタムシ探索の目的地として何度も訪問した宝塚山本の西明寺滝もそうです。
西明寺自体、北条時頼の法名だからなあ。

時頼さんは鎌倉時代中期の執権で、嫡子が小さな頃に執権を譲り、天皇家の法王のように、得宗として実権を握った方です。
執権引退後も幕府政治の中心におられたように思えるので、鎌倉から遠い摂津のこの地に腰を落ち着ける余裕があったのかな・・・なんて。

大祭の時は、行者修行の方々が大勢集まり護摩焚きされているのでしょう。
迫力があるのだろうな。
早朝なので、当然誰もいませんが、西明寺滝同様、いい雰囲気です。

6:17、バイクに戻り、帰路に着きます。
r602~r12で南下し、6:30・「笹尾」で畑が真っ白です。
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蕎麦の花が満開です。
真っ白な花の下の茎に目をやりました。
「むふふ、茎が赤い」・・・小学生の頃、6才離れた弟に何度も読んであげた絵本・「おそばの茎はなぜ赤い」で学びました。

『大雨で橋が流された川の畔に、おじいさんがやってきました。どうしても向こう岸に渡りたいが、背負って渡してくれる者はおらんか?
あずきは、丸くてチビなので、僕には無理ですと答えました。
麦君は、水が冷たくて凍えるじゃないか、勝手に渡って流されちまえと言う。
最後にそば君が、裾をたくし上げ、おじいさんを背負って向こう岸に渡りました。
ここで後光が差し、おじいさんは穀物の神様に変身しました。
冷たい川を渡り、足(茎)が真っ赤になってしまったそば君には、ご褒美として春秋2度収穫出来るようにしました。
悪態をついた麦君は、冬の寒さに凍えながら春を待ち、春になってこれから伸びようとする時に、人間に踏まれる作物にされてしまいました。』

こんな話の内容だったと思います。
半世紀経ってもまだ覚えている恐るべき童話絵本・・・。
r319~r33~r325~長尾山トンネルという定番コースで、7:15帰宅しました。

9/30・早朝ツーリング・猪名川不動尊 1/2

4:15に、目覚めました。
速攻でバイク装束に着替え、倉庫から家内用「アドレスV125」を出しました。
まずは、4:53・「エネオス宝塚山本野里」で給油。
154km/4.12L=37.4km/L。

長尾山トンネル~r325~r33~r319~r12で北上します。
「杉生」を右折しr602に入ります。
5:38、猪名川変電所手前の岐路に到着。
ここを左折すると、目的地の「猪名川不動尊」です。
1度「里山VTR250」で入った事があるのですが、すぐに未舗装路になり断念していました。
足着き抜群の軽量バイクで再挑戦です。
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「猪名川不動尊口」と彫られた石碑と、「滝の下キャンプ場」と書かれた木柱が立っています。
キャンプ場もあるんだ・・・。

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猪名川変電所横から未舗装路になりましたが、変電所裏側までの200mほどだけで、またコンクリート舗装路になりました。
道は森の中に突っ込んでいきます。
夜明け頃は、r602でも時々鹿を見るので、鹿の巣窟に突っ込んでいく感じです。
山側に分岐する未舗装路があったので、様子を伺っていると、「キュイーン」「キュイーン」と鹿の警戒声が谷に響きました。
警戒すべき僕の存在を仲間に教えているようです。

5:47、バラックな建物が道路脇に建っていました。
使われているのか怪しい洗濯機も置いてあり、生活臭が少々。
舗装路と言えど、ボロボロの道で、穴ぼこは開いてるし、急勾配で登る場所もあるので、VTRでは無理そうな道です。
バラックを過ぎるとすぐ少し道が広がり、先の勾配がきつくなっています。

そろそろ限界かな?と思い、5:49・バイクを置いて、徒歩に切り替えました。
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勾配の増した道を歩きながら振り返ると、道の谷側にあるバラックの他に、山側にももう1棟建っています。
これがキャンプ場なのかな?トタン板のつぎはぎで建てられたバラックは、実に怪しい。
女子なんて、絶対来ないね。
コンクリート舗装の急勾配を上がったとこで舗装が終わり、5:54・不動尊エリアに到着したようです。
バイクを置いた道の広がりは、駐車場だったようです。

「猪名川不動尊」と染め抜かれた幟が林立しています。
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「出迎不動明王」が出迎えてくれます。
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木造モルタルの建物が建っており、怪しいけどトイレも完備されています。
それなりに管理されているようです。
建物脇を抜けると、5:58小さな広場になり、横の沢の流れ~滝まで一望できました。

猪名川不動尊

9/28・サイクリングお遍路・最後は輪行

平坦なr12・歩道を走ります。
歩きお遍路さんの便利を考えてか、歩道がしっかり整備されてるので安心です。
13:57、r12沿い「レスト喫茶・阿波路」で昼食タイムにしました。
僕はドライカレー、家内は親子丼でトータル1400円。

お腹を満足させて、r12を東進すると、14:39「JR板野駅」がありました。
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狭い高架下トンネルを抜け駅前に到着し、すぐに時刻表を見に行きます。
女性駅長さん1人でやりくりする駅で、15:24発という列車があったので乗ることにしました。
これで家内の要望に応えることが出来ました。

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2人でテキパキとスポーツバイクの前輪を外して輪行バッグに収納し、15:08・切符を買って待合室でのんびりします。
僕らとほぼ同時に駅に入ってきたご夫婦は、歩き遍路だそうです。
僕らが5番まで巡り、1番・霊山寺に戻ることを話すと、私達もですとのことでした。
サイクルコンピューターで20kmほどだったから、寄り道しなければ15kmぐらい歩かれたようです。

ここは高徳線(香川県高松~徳島県徳島)の駅で、徳島方面からやってきたディーゼル1両列車に乗り込みます。
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ブーンというディーゼル特有の音を上げながら、田園をのんびり走ります。
とてもいいです。

2つ目の駅・坂東に到着しました。
徳島商業で甲子園優勝投手になり、中日ドラゴンズで活躍した板東英二さんは、この町の出身かもしれません。
先祖は、阿波・三好氏に属した豪族かもしれない。

再び前輪をセットし、霊山寺に戻り、すぐにバイクを車に収納し、帰路に着きました。
ナビに導かれるまま板野ICから高松自動車道に乗り、神戸淡路自動車道で鳴門大橋を渡り、16:27・「淡路南PA」で、展望台に上がりラクトアイス・130円休憩しました。
続いて、17:29・「淡路SA」で休憩し、チョコパフェ530円を1つ注文すると、スプーン・フォークが2セットついてきたので2人で食べました。
ちょっと嬉しかった。

少し睡魔がやってきたので、明石海峡大橋を渡ったとこで阪神高速神戸線経由というわざと渋滞してる道を選択しました。
僕は単調な高速道路が最も眠たくなるので、眠くなってきたらわざと下道に下りたりします。

19時過ぎに帰宅し、ささっと片付け、家内が作ってくれたお蕎麦を食べながら大河ドラマを見て、途中で風呂に入って21時前に寝てしまいました。
熟睡してると、電話が鳴りました。
「誰だ、こんな真夜中に・・・」と起き上がろうとすると、階下で家内が動く音がしたので任せました。
なんだかドタバタな音がした後、「あ~、電話切れちゃった・・・」とつぶやく声が聞こえましたが、数秒後には夢の中に戻ってしまいました。

翌朝電話のことを聞くと、寝ぼけてて、思いっきりおでこを壁にぶつけたそうです。
それで切れちゃったと・・・笑っていました。
家内は天然に面白い。
迷惑電話は次男からのもので、電話したのは22時前だったそうです。
真夜中1~2時頃と思ったのに・・・

9/28・サイクリングお遍路・5番「地蔵寺」

3番までは、約3km。
r12の北側に平行して走る歩き遍路道を走ります。
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単線・1~2両・未電化のJR高徳線も平行して走り、1両ディーゼル列車が走って行くのを見て、「あれに乗りたい」と家内が楽しそうです。
「四国遍路道」として木製の道標が設置されているので、地図なしでも迷いません。
趣味DO楽で講師の人が言ってた江戸時代の坊さんが整備した順路道標石碑もありました。
その坊さんはお遍路ガイドブックも作ったようで、一気に庶民のお遍路熱が上がったそうです。
これにより、四国の真言宗のお寺の収入は一気に安定したでしょうね。
それが近隣住民に仕事として渡り、お接待もしたくなりますね。
WinWinのビジネスモデルの成功例に見えます。
やるなあ、坊主!

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11:56、3番札所・「金泉寺」到着。
ここでもお賽銭箱横で、般若心経を唱えておられる方が数人います。
僕は家内と一緒に「納め札」を「納札入れ」に入れて手を合わすだけの簡易型で、そそくさと御朱印を貰いに行きます。
300円。

山門前に、次の4番札所までの道標が立っていました。
車用と歩き遍路用と方向が違います。
歩き遍路用だと自転車でも走れない道に導かれるかなと思い、車用に進みました。
これが大きなミスで、アップダウンを繰り返す広域農道に導かれてしまい、何度も歩き遍路(歩き押し遍路)をする羽目になりました。

でも12:16、「白鳥神社」という小さな祠の前を通りました。
祭神は「大和武尊」&「弟橘媛」とあり、大和武尊&白鳥とくれば・・・謂れ板を読むと、ヤマトタケルの九州熊襲成敗・蝦夷成敗・天叢雲の剣が草薙の剣になった物語の他に、伊勢で亡くなったヤマトタケルが白鳥に姿を変えたその後が書かれていました。
僕の記憶では、伊勢を飛び立ち河内の地に舞い降り(ヤマトタケルの前方後円墳がある)、更に羽を曳くように何処へか飛び去る(羽曳野市の由来)です。

『・・・その後、大川郡松原に飛来の途中、この地に立ち寄られたという伝説があり、ここに白鳥神社を建立して尊を祀っている』と、書かれていました。
ヤマトタケルの奥さんだった弟橘媛は、戦いに明け暮れる夫に随行し、2人の乗った船が嵐に遭い絶体絶命の時、自ら海に身を投げ海神の怒りを慰め、夫を助けた。
8月お盆に訪問した家内の実家・加古川の日岡神社が、ヤマトタケルの母親の里と知り、僕の中でヤマトタケル熱が上がっているようです。
ここを飛び立った白鳥が最終的に向かった先「大川郡松原」は何処?と調べると、香川県東かがわ市白鳥だそうで、ツーリングマップルを見ると、「白鳥神社」が載っていました。
行きたくなってきたぞ。

広域農道沿いに、「徳島ヴォルティス」の本拠地・徳島スポーツヴィレッジがありました。
大塚製薬サッカー部がプロ化・Jリーグ入りしたチームなので、大塚製薬の工場に隣接してスタジアムがありました。
こんなの現地に来ないとわかりません。

アップダウンを繰り返し、最後は少し登り、13:05・標高70m・4番札所・「大日寺」到着。
「西国33ヶ所巡礼」の木像が並べられ、ここをひと通り見れば、西国巡りと同じ御利益があるというやつのようです。
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納め札を投函し、御朱印してもらい、僕らのお遍路ペースが出来てきました。

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次の5番札所は、下ったとこにあります。
13:39、楽ちんに下って、「地蔵寺」到着。
最高速47km/hを記録しました。
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一連のお遍路活動を終え、これからを相談します。

予定では、余裕で7番まで巡れると思っていたのですが、いつもの様に道草が多く、昼食を食べていないのに14時になっちゃいました。
6番まで5km・更に7番まで1kmですが、無理は禁物・・・それらは次回まわしにして帰路につくことにしました。

四国お遍路 3/3

9/28・サイクリングお遍路・2番「極楽寺」

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ここは、「バルトの楽園」という映画のロケセットを中心に保存している観光施設です。
お客さんはゼロで、僕らに説明のお姉さんが付き、各棟や展示品を説明してくれました。

ここ「坂東俘虜収容所」所長は、会津藩士の息子として生まれた松江という方で、敗戦国兵士の悲哀を知るためか、他の収容所とは大きく違った運営をしました。
捕虜1000名を収容した敷地の周りには鉄条網が張り巡らされていますが、自主運営の養豚場が外部にあったり、夏には近くの川に遊びに出たり、ヨットで遊ぶ写真まで残っていました。
捕虜の奥さん達が周辺に住み、面会もOKだったとか・・・。
収容所敷地内に、自作の別荘まで許可されたようです。

将校は日本政府から現金で給料を得、志願兵達は現物供与で収入を得たそうです。
でもそれでは足らず、自主運営施設の生産物を近隣に販売したり、住民との交流が活発でした。
日本政府は戦後倍賞として、これらの支出を含めドイツに請求したが、ドイツにそれを払う財力は残っていなかった。
その代償に、日本は南太平洋のドイツ植民地を得た。

他に本職を持つ志願兵が大半だったこともあり、様々な先進のドイツ技術が近隣住民に伝わりました。
住民も彼らを捕虜とは見ずに、「ドイツさん」と親しみを込めて呼んだそうです。
文化交流も盛んで、その流れが帰国直前の「第九演奏」に繋がったようです。
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ボーリングレーンも再現されてしました。

将校棟の天井は、100年前・1914年捕虜施設に使われていた本物でした。
さっき寄り道したドイツ兵慰霊塔は、ここで亡くなった数名のドイツ兵を慰霊するもので、ドイツ兵帰国後も近隣住民が世話し続けていました。
第2時世界大戦後、たまたまここを訪問したドイツ人が、それの周りの草刈りをする住民の行動にいたく感動し、他収容所で亡くなったドイツ兵の慰霊碑を新たに横に作ったそうです。

途中で、さっきドイツ兵慰霊碑で一緒になる言葉を交わした女性の方も入ってきたので、一緒に説明を聞きました。
神戸から1人で来られた方で、婦人の文化活動の一環で現地調査のようなことをしに来られたそうです。
最後にお茶をごちそうになり、観光客ゼロ故に、ラッキーな濃い時間を過ごせました。

『会津藩・什の掟
1・年長者の言うことに背いてはなりませぬ
1・年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
1・嘘言を言うことはなりませぬ
1・卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
1・弱いものをいじめてはなりませぬ
1・戸外で物を食べてはなりませぬ
1・戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ
ならぬことはならぬのです』
というのが、壁に貼ってありました。

r12を西に走ります。
交通量の多い県道ですが、路肩は狭いですが歩道がしっかり整備されているので、危険なく11:17、「2番札所・極楽寺」に着きました。

1番から約5kmです。
ここにも樹齢1000年級の「長命杉」がありました。
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御朱印をもらいに行きました。
御朱印料は300円で統一されているようです。
御朱印をポンポンと押し、スラスラとお寺名?を墨書きしてくれます。
かっこいいぞ!

それを見ている間に、家内が納経袋があったよと教えてくれました。
白ではなく、もっとかっこいい偉いお坊さんのお袈裟生地のようなので出来た袋が多数並んでいました。
たすき掛けできる長寿庵袋・3800円と、納め札70円を買い求めました。
袋の中で最も高額だったので、「3800円は高いね。納め札は負けとくね」と70円引きしてくれました。
納め札は、御影堂や本堂に参った記念に、所定の箱に入れる薄い紙札です。
70円で100枚もあるので、お賽銭の前払い的に考えました。
これで各お寺でのお賽銭をカットすることにします。
大幅コストダウンです。
1回目のお遍路さんは白・5回~緑・25回~銀・50回~金・100回~錦札と色が違います。

四国お遍路 2/3

9/28・サイクリングお遍路・1番「霊山寺」~バルトの庭

大型台風が来そうなので、今朝の早朝活動はヨットハーバーに行っての係留艇台風対策でした。
僕は明日だけ出場だけど、今日明日とレース艇の方でオータムレガッタがあります。
明日のレースは、出来るのかな?

-------
家内に「鳴門公園」にナビ誘導を頼んで、淡路島を南下し一気に鳴門大橋も渡り、鳴門北ICで下車しました。
r11で鳴門公園まで来ましたが通過し、目的は、ツーリングマップルおすすめの道・r183を走ることなので、そのままr183へ。
やはりバイクで走る方が気持ちが良さそうなアップダウンワインディングの道でした。
交通量も少なく、バイク割合が高い。

8:02、「四方見展望台」。
バイクのたまり場になってるようで、20代ぐらいのバイクが停まり、駄弁っていました。
小鳴門海峡に続く内海のナイスな景色が広がっています。
三脚バズーカ一眼レフおじさんたちも溜まっており、鷲を狙っているようです。
エナガの群れが、細かく枝を変えながら、移動していました。

R11~r228で峠を越え~r12に出ました。
r12は吉野川北側を平行して走る主要県道です。
これを西進すると1番札所・霊山寺があるはずと思ったら、この県道沿いにありました。
8:46、ナビは掛けていましたが、あまりに簡単に辿りつけたので、拍子抜けです。
ここの駐車場が混んでいそうなら、近くの道の駅に移動して、自転車を下ろす予定にしていましたが、十分な駐車スペースがありガラガラだったので、一番奥の邪魔にならなそうな場所に駐車しました。

まずは、形から入らなければと、お遍路グッズを調達しに、門前の売店に入ります。
菅笠小1500円・輪袈裟(首に下げます。くくった紐を外さないよう教えてもらいました)2200円・納経帳2500円を購入しました。
納経帳にはすでに1番霊山寺の御朱印が書かれていましたので、御朱印料+300円。
金剛杖は、二輪お遍路には邪魔なだけなのでパス。
白装束も、「お遍路中、いつ野たれ死んでも迷惑を掛けないようにという死装束」の白だそうなので、これは願い下げです。
納経袋は白しかなく、ナイスガイ・ナイスウーマンな僕ら夫婦にはもっとお洒落じゃないと・・・と、これも止めます。

お支払いを済ますと、「ここにお作法など書いてあるからね」と、「四国遍路・作法とお経の意味・般若心経」と題名されたお遍路さんガイドブックをもらいました。
末に般若心経がフリガナ付きで載っており、信仰などとても貧弱なのに、即席でお経を唱えられます。

家内も一緒の今日は、家内が輪袈裟を、僕が背中に菅笠を背負って巡ることにします。
山門でピンクな家内を激写。僕らは、煩悩から逃れる修行でもあるお遍路を舐めていますね。
境内に入り、チリンチリンといい音をさせながら歩いている女子に、「あれを買わなきゃ」と思いました。
何事もそれなりのカッコが大事です。
行動心理学では、服装によって行動が左右されると言います。
幸い本堂横の売店で持鈴・1000円を購入出来ました。
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これで、「なんちゃってお遍路さん」が即席に完成です。

車に戻り、バイクを出します。
前輪をセットし、サイクリングお遍路さんに出発です。
いきなり2番に向かわず、ちょいと走ってツーリングマップルに載ってた「大麻比古神社」の大鳥居をくぐり、9:41に阿波国一宮・大麻比古神社に到着。
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樹齢1000年の大楠に迎えられ、参拝します。
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さすがに大社で、千木・鰹木が堂々としています。

家内が「めがね橋」「ドイツ橋」への案内板を見つけ、神社の裏に入っていきます。
ここは、第一次世界大戦の青島戦で捕虜にしたドイツ兵の捕虜収容所があった所です。
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日本兵も近隣住民もとても人道的な対応をしたので、ドイツ兵が地元民のために石橋を造り、戦争が終わり帰国するときには、ベートーベン交響曲第9番の演奏を残して行きました。
これが今クリスマス時期になると日本各地で演奏・合唱される「第九」の原点です。
現在はヨーロッパに逆輸出している文化です。
和歌山串本に難破したトルコ軍艦の乗務員を必死に助けた和歌山のお話同様、とても良いお話なので、その現地を訪問してみたかったのです。

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意外に小さかった2つの橋見学を終え、「道の駅・第九の里」に自転車を停め、立派な「ドイツ館」を訪問し、道の駅の案内板に書いてあった「バルトの庭」に行ってみることにしました。
途中、「ドイツ兵慰霊碑」に寄り道し、10:25・「バルトの庭」到着。入場料400円で、お茶付きです。

四国お遍路 1/3

9/28・サイクリングお遍路・出発編

2週間前までは、日月と一泊で大井川鉄道にSL並走&リアルトーマス激写ツーリングに出る予定の日でしたが、家内もお休みということがわかりました。
土曜晩車中一泊でのリアルトーマスを誘いましたが、強行軍のため却下され、「四国88ヶ所・お遍路旅」第1回目をすることになりました。

NHK・ETV・「趣味DO楽」で、以前から興味があった「四国お遍路旅」が紹介され、番組テキストを買って読んでいると、無性に行きたくなりました。
弘法大師さんが開いた真言密教総本山・高野山で、多くの白装束のお遍路さんのお礼参りに遭遇していたからかもしれません。
バスツアーお遍路さんの最後の回が、高野山参りで、僧侶先導に10人ほどの団体さんが高野山奥の院に詣る姿は、堂々としていました。
去年、久しぶりにした「淡路島七福神めぐり」が楽しかったこともあります。

地図を見ると、1番~9番までは吉野川が作る平野部にあり、標高も高くなく距離もそれほどありません。
ならば自転車で巡る方が面白そうに思え、サイクリングお遍路さんに決定しました。

5時台出発と決め、床につきました。
土曜日に準備したのは持ち物ぐらいで、自転車の準備が出来なかったので、「早く起きなきゃ」と思って寝たため2時半に目覚めてしまいました。
あまりに早いので二度寝したら、5時に目が覚めました。

人は眠りについてから目を覚ますまで、レム睡眠(浅い眠り・脳活動中・身体の疲れを取っている・夢を見る)とノンレム睡眠(深い眠り・脳も休み精神的な疲れを取る)が1.5~2.5時間周期で交互に数回繰り返される。
気持よく自然に起きれるのは、レム睡眠時だそうです。
睡眠時間が長くてもノンレム睡眠時に強制的に起こされると不快な寝起きになるということで、それを知ってから目覚まし時計を止めました。

目覚まし時計強制覚醒を止めてから、自分の自然な眠りのペースがわかるようになりました。
僕の場合、2時間周期でレム睡眠が来るようで、5時起床目標の日に3時に目覚めたら二度寝しても5時に起きれます。
でも4時に目覚め二度寝したら5時には起きられないので、その場合は4時に起きちゃいます。

ということで二度寝したら、5時前に目が覚めました。
階下では家内が家事をやっており、僕も活動開始です。
車からチャイルドシートを外して隣の家に置き、2列目・3列目シートを前に動かし、自転車スペースを作ります。
こうすると前輪を外さなくても2台載せられるのですが、より安定して載せるために前輪を外して搭載します。

自転車タイヤ空気圧を7bar以上に入れます。
スポーツバイクはタイヤが細く、空気圧を高くし接地面積が減らし接地抵抗を減らして楽に走ります。
2台とも高圧に耐えるフランス式バルブですが、欠点は1週間で空気圧が下がることです。
週数回乗ってる僕は、毎週頭に空気圧チェックをしています。

予定通り、6時前に家をでることが出来ました。
5:42、宝塚176・山本野里・出光で給油。
宝塚ICから中国道に乗り、西宮山口JCTから阪神高速北神戸線~神戸淡路鳴門道に乗りました。
明石海峡大橋は風が弱く、上天気で海が朝日で輝いています。
多数の遊漁船が朝マズメを狙って出ています。

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6:59、淡路SAで休憩。
トイレに行った家内が「綺麗やわ」と施設の清潔さなどが気に入ったようです。
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僕はカレーを朝食としていただきながら、日曜朝にやってる皇室TVを見ていたら、皇太子さんの弟一家の長女さんが、なかなか可愛いことを知りました。
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サンドイッチを買って戻って来た家内にそのことを話すと、「お姉さん真子さんは清楚な感じだけど、妹さん・佳子さんはもっと今どきの女子大生で、もっと可愛いよ」と、教えてくれました。
何故に詳しい・・・?

9/27・城東トンネル・旧道探索 2/2

r12に出て、北に向かいます。
「水・土日、9~17時営業・丹波篠山屋」という地元野菜販売所でバイクを停めます。
前から気になっていた六地蔵を観に行きます。

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草で被われているので、これを使う人はいなさそうな城東トンネル方面の向かう山道脇に六地蔵が並んでいます。
主な移動手段が徒歩の時代からのものと思われる。
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その横に、「博多山門人・若勇太助・明和3年」、「藤ノ戸門人・勇川弥右衛門・慶応3年」と刻まれた石碑が建っていました。
能勢や猪名川町で散在している「・・太夫」の石碑なら歌舞伎役者などの芸能関係の名の売れた女性の記念碑ですが、これは男性名なので帰宅後調べてみました。

この地が輩出した力士の記念石碑だそうです。
「貴乃花の弟子・・山」という感じで読めばいいようです。
明和3年(1766年)は江戸時代中期ですが、慶応は江戸時代最後の年号で、明治の前の激動の時代です。
慶応3年(1867年)は、大政奉還の年で、高杉晋作・坂本龍馬・中岡慎太郎などの革命家が相次いで死にました。
翌4年(1868年)=明治元年という僕の脳内歴史年表のランドマークな年です。

石碑には何の関係もありませんが、久しぶりに慶応3年の年号を見つけ、脳内妄想がグルグルしました。
ここから40kmほど、馬なら半日で駆けつけられる京都市中で、会津藩をバックにした京都見廻組や新選組が、長州をバックに地下活動するレジスタンス掃討作戦を展開し、新しい時代を見据えた坂本龍馬が西国の雄・薩摩や最先端技術や最先端兵器を揃えた肥前と長州をくっつけようと奔走していた。

5:59、「城東トンネル」手前の旧道との分岐に到着。
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「これより先、関係者以外立ち入り禁止」を無視しアウトロー開始です。
舗装路でしたがコンクリート舗装なので、廃道になっても丈夫に残っています。
しかし数十メートル歩くと黄色の鉄柱が立っており未舗装になりました。
トンネルが出来る前は、未舗装路で越えていたのですね。

『ふれあいささやま、人・街・心 篠山町商工会青年部・商工会』の看板がありました。
下の現道のドライバーから見えるように設置されています。

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落ち葉・落ち枝だらけのナイスな森の中の道になり、角を曲がる度に「鹿、来い」と念じましたが、曽地~後川を隔てる山で鹿は見たことないので、やはり少ないようです。
道には苔が生え、雑草で全面被われてる場所もあります。
擁壁やカーブミラーがまだ十分使えそう。
ガードレールのあるとこもありますが、ないとこを見るとガードレールの残骸もないので、設置されていない区間の方が多かったようです。
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路上河川の侵食により路肩崩壊し、6:14・倒れた杉が道をとうせんぼしてるとこで引き返しました。

6:27、バイクに戻り、帰路に着きました。
r12~r37~6:49・「下槻瀬」でお花激写。
r323~波豆川~西谷~r33~r325~長尾山トンネル定番コースで、7:30に帰宅しました。

あと30分早く帰宅し、翌日のサイクリングお遍路さん用に、車に自転車を載せようと思ってたのに遅れちゃいました。
NHK朝ドラ・「花子とアン」最終回です。
最終盤に入り、吉高由里子さんが白髪交じりになっちゃったけど、半年間可愛らしく楽しませてくれました。
ありがとう。

城東トンネル・旧道探索 2/3

9/27・城東トンネル・旧道探索 1/2

4時に目覚めました。
バイク装束に着替えて玄関を出ます。
早朝バイクお散歩用「里山VTR250」を出して出発です。
空を見上げても星は見えないので、曇り空のようですが、天気予報が良かったので雨が振りそうな空模様ではないと予想します。

長尾山トンネル~r325~r33~r319~r12と篠山の朝霧目指して走って来ましたが、北上してきても曇り空のようで、篠山でも今朝は朝霧は出てなさそう。
行き先を変更しよう。
「杉生」が近づき、やっと山の輪郭が見え出しました。
「大野山」頂上が見えているので、鹿を見に山頂まで登るコースが浮かびましたが、r12・「城東トンネル」の上を越える旧道探索することにしました。

バイクを置いて徒歩探索ですが、あまりに暗いので時間稼ぎとして、「後川奥~曽地奥林道」で曽地側から城東トンネルにアプローチすることにします。
「後川」からr37に入り、羽束川沿いを西進し、後川奥から永沢寺への林道に入り、更に曽地奥林道に右折しました。
久しぶりの曽地奥林道なので、期待を胸に怪しい舗装林道を上がって行くと、「この先、網が張られているので注意」との
看板が立っていました。
獣避けネットが林道を塞いでいます。
「開閉して入って下さい」と書かれていますが、獣避けフェンスの簡単開閉とはいかず、Uターンすることにしました。

とても残念です。
「深山林道」に続き、お気に入りの林道がまた1つ消えました。
深山の方は不法投棄によってですが、こちらは鹿害が更に増えたからでしょう。
ここの山は、鹿が少なかったのに勢力範囲がこっちにも広がったようです。

r37との合流手前で、後川集落内を通る道に入り東に向かいます。
5:35、「春日神社」前で激写タイム。
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快晴の東の空に、まだ朝日は登ってきません。

『丹波最古の荘園・後川荘は、奈良時代は東大寺が領有し、その後藤原氏領になったので、1233年藤原氏の氏宮・春日神社を分霊しました。現本殿は、嘉永2年(1849年)に改築され、鞘堂は昭和34年に造られました。鳥居付近の礎石は、舞
殿跡と思われる。 /篠山市』

娯楽の少なかった時代は、旅回りの役者などが村に娯楽を提供していたのだろう。
北摂・丹波篠山の神社の境内には、田舎能などの演舞台が多く残っています。
江戸時代などは、お寺が地域の市役場出張所機能を持ち、神社は市民会館だったのかな?と想像しています。

手水井戸がありました。
井戸汲みつるべがなく、柄杓もありません。
機能停止状態かな?

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本殿は150年の年季を感じさせるものでした。
鞘堂と表現された覆い屋でしっかり風雨から守られています。
今こんな総木製の社殿を新築したら、相当な費用が必要でしょう。
覆い屋のため全体像は色んな角度から望めませんが、仕方ないです。
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覆い屋の外壁に、長い柱が数本括りつけられていました。
お祭りの時に、大きな幟を上げる棒に使えそう。
田舎でも、由緒ある神社は遠くからでも視認できる一本物の長い棒を立て幟がはためき、かっこいいです。
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城東トンネル・旧道 1/3
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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