7/20・三重県美杉・WOOD JOBサイクリング 5/6

14:31、「好事魔多し」、家内の足が痙りました。
トレッキングやサイクリングでたまに痙るんだよね。
サドルを上げればもっと楽なのに、足つきが悪くなるのが怖くて上げられません。
道脇に座って、いつものお薬を塗って休憩です。
ここに家内を置いていくわけにはいかないから、もう少し人通りのあるとこまで頑張ってもらわなくちゃ。
バイクで奥津駅から下った時、最初に線路を渡った踏切が見えているので、ここから国道までほぼ平坦で、距離も2kmほどです。

14:48、R368との交差点「奥津」に到着。
あとは国道を道の駅まで戻るだけです。
距離4km。
ただ朝車で走った時に、僕らの脚力自転車では歩きが入るのが必須な勾配があります。
いざ行かん!
20140720WoodS207s.jpg

徐々に勾配が増し、トンネルまで1kmぐらい歩く羽目になりました。
トンネル手前の小さな公園が見えてきて、トンネル入口も見えてきたとこで、好事魔多し第2段・・・また家内の足が痙った・・・。
トンネルに入れば平坦だし、抜ければ下りなんだけど、トンネル内は緊張を強いられるので、途中で足が痙ってふらついたら危険です。
ここは公園があり県道より交通量が多い国道なので、ひと目もあり安全でしょう。

家内の伝家の宝刀を自ら繰り出しました。
4年ぶり2度目。
「ここの公園で待ってて、車取ってくるわ」と家内を残し、僕だけ出発しました。
20140720WoodS216s.jpg
トンネル入口脇に、「伊勢本街道」が分岐しており激写します。
「飼坂トンネル 1989年8月・三重県・700m」、前後ライトを点滅させてトンネル突入です。
自転車でトンネルに突入すると、トンネルに突入した車やバイクの音がゴーって凄いんです。
バックミラー見てもまだまだ遠いのですが、おっかない700mでした。
ちょい昔のトンネルなので車道のみで路肩もなく、全く自転車のことなど考えていない設計です。

トンネルを抜けると、一気のストレートダウンヒルで、道の駅到着。
すぐに自転車前輪を外し、ハンドルを3列目シートに引っ掛けただけで固定せず、車で家内のところまで戻ります。
トンネル終盤から家内が見えました。
自転車を持ちながら、公園の案内看板を見ているようです。

家内の自転車を車に入れ、2台ともちゃんと固定して、帰路とは反対ですが再び道の駅に戻ります。
何故かと言うと、映画記念館が開いていたからです。
お客さんが数人入っておられ、中央に主人公が祭りで乗った巨木が置いてありました。

ブーンと一気に戻ると、16:00「あ~開いてる~」と家内がゴキゲンです。
さっきはいなかった朝パンフレットをくれたご夫婦とバイクがいます。
「帰って来られましたか」
「ありがとうございます、教えてもらったロケ地は見てきました」
「僕らは全部回りましたよ」
「バイクなら簡単でしょ」
「いいえ、今帰ってきたとこです。1日掛かりました」
「ダムまで下りて上がってきたら、全部で40kmありました。最後国道のトンネルのとこで家内がダウンし、僕が車で迎えに行きました」
「あ~やっぱりそうだったのか。似た人だなと思ったのですが、お1人だから違う人かなと」

「良かったらお二人の記念写真取りますよ。まず中を見て・・・」って、完璧にスタッフされています。
倉庫内の展示をひと通り見て回ります。
映画内で、お地蔵さんにおにぎりをお供えするシーンがあるのですが、それがそのままあり、家内が喜んでいます。
20140720WoodS220s.jpg
準主役・伊藤英明さん扮する木こりさんの顔出しパネルがあり、当然家内に顔出ししてもらい激写しました。

映画の盛り上がる祭りシーンで、主人公が巨木にまたがって坂を滑降します。
20140720WoodS222s.jpg
あんなに太い巨木を映画の撮影で使って大丈夫なのかな?と思っていたのですが、ずっと細い木を束ねて、縄で巻いてそれらしく見せていただけでした。
年輪の方も上手に化粧されており、さすがに映画のプロの仕事です。
祭りのふんどし男たちが丸太に登るために縄を巻いてあると思ったけど、細い木がバラけないためでもあったのですね。
スポンサーサイト

7/20・三重県美杉・WOOD JOBサイクリング 4/6

対岸に渡りましたが、レークサイド君ケ野はかなり上で、自転車で上がるには相当な急勾配の道だったので断念しました。
そのまま対岸の道を下り降りました。
森の中の苔道で、「WOOD JOBみたいね」って家内が喜びながら、写真を撮りに止まった僕を追い越して行きました。

道なりに橋を渡り、r29に合流しました。
すぐに単線が見えてきました。
20140720WoodS139s.jpg
台風で運休してるJR名松線です。
映画では、この列車で主人公がやってくるのですが、実際は別の単線で撮影したのでしょう。
錆びた線路がまっすぐに伸び、廃止するなら人力トロッコレースとかを開催し、自転車トロッコを走らせたりしてレジャー
施設化しても面白いと思うのだけど。
中部圏から遠くないし採算に乗りそうな気もするけどなあ・・・。

食べるとこをがあるかな?とJR伊勢竹原駅まで行きましたが、お店自体がありませんでした。
そう言えば自転車で出発してからコンビニを見ていません。
ここで行程の半分、下り区間終了です。
11:52、20kmで行なのに3時間も掛かっちゃいました。
寄り道多しです。

20140720WoodS154s.jpg
ここからr15でJR名松線沿いに、奥津まで登り区間です。
交通量が少し増えましたが、まあ大したことないです。
前回バイクで来た時は、この道を下ってきました。
こちらも川沿いの道で、こちらが「1級河川・雲出川」でしょう。
製茶メーカーさんの看板が目立つようになりました。
ここからの沿線に茶畑が多く、大産地に思えます。

何度もJRが川を渡り、線路を覗いたりトンネルが見えたり、楽しいです。
上り勾配ですが、往路より勾配が低くこちらを帰路になってラッキーでした。

20140720WoodS164s.jpg
r15には、JR代行バスのバス停があります。
名松線運休中の代行運転でしょう。
台風災害は5年ぐらいは前じゃないかな?
「代行」の名が付くということは、廃止じゃなくて直して再運転するつもりなのかな?

12:53、教えてもらった「美杉リゾート・ホテルアネックス」が見えてきました。
家内に教えようとバックミラーを見ると、「あれ、止まってる・・・」
急いで戻ると、汗が目に染みると緊急停止しました。
「アイシャドーして来なければ良かった~」と言ってはります。
やばいかも・・・伝家の宝刀が・・・人はお腹が減ると気持ちが荒れます。
就業後の腹を空かしたミーティングは最悪だそうです。
朝食を食べながらのミーティングが平和だそうな・・・。
ということで昼食にします。

ホテルアネックス前に、映画で鹿にぶち当てて荷台に乗せて食っちゃう軽四トラックが置いてあるそうですが、川から登りますので、川沿いにあったプール施設・火の谷温泉に行くことにしました。
プールに入らないと食べ物にありつけないかと危惧しましたが、プール受付で聞くとあっさりOKでした。
プールが見下ろせるクーラーの効いたとこで、家内はチャーハン700円+僕はカレーチャーハン900円=1600円を食べました。
周りは家族連れや水着カップルで、僕的にはホテルよりナイスな眺めでした。

全工程の3/4まで来ました。
「あとちょっとやね~」とか「意外に勾配が緩く楽やね~」などと、お腹を満たしながら家内のゴキゲンを取りました。
家内も汗以外は、景色もいいしゴキゲンなので問題なしでした。

r15に戻ると、すぐに川魚料理のお店がありました。
「あ~こっちで食べたら良かった~」
鮎釣り人が入ってる川の横を走ってるんだから、本日の昼食はこっちが似合いますよね。
あれだけお店がなかったのに、ここには選り好みできるほどお店が目に入ってきました。

ここから森の中路線になりました。
勾配は少し増しましたがどうってことありません。
川と道路と線路がコンパクトに迫り、いい感じです。
20140720WoodS174s.jpg
JRの工事車両?がレールに乗っていました。
後ろには四輪ダンプだけど、レールにも乗れるように列車の車輪&車軸が1軸のみ付いています。
どういう使い方をするのだろう?いずれにしてもウィークデイは工事復旧作業をしている模様です。

20140720WoodS184s.jpg
対岸の線路に復旧作業用機械が置いてあったり、鉄橋上で作業員が鋭意作業中のとこもありました。
廃止じゃなく復旧作業しています。
台風で寸断されたのは、この山が迫る区間だったようです。

r666との分岐のとこが、「比津駅下」となっていました。
ローカル線の駅は好きなので寄ろうと思っていましたが、ここまで駅が見つかりませんでした。
終点・奥津駅の1つ手前なので、自転車を置いて登ってみました。
14:17、比津駅。
いい感じのローカル感で、「名所案内 北畠氏館跡4km・徒歩50分 霧山城址3.5km・徒歩50分」と案内されていました。
ここが最寄り駅なんだ・・・。
この路線が復旧したら、「下り自転車&登り列車」のナイスなサイクリングルートだな。

7/20・三重県美杉・WOOD JOBサイクリング 3/6

川のせせらぎの音を横に聞きながら、気持よく走ります。
基本下りなので足を止めて惰性で走れる区間も多く、僕は写真を撮りながらだから、家内の前に行ったり抜かされたりランデブーしながら楽しいです。
交通量も少なく、ナイスなルートです。
お茶畑が多く、山を覗くと間伐材がそのまま放置されており山の恵が持て余し気味です。
薪を燃料にしているお宅も多く、薪が積み上げられている家が目につきます。

20140720WoodS083s.jpg
川沿いの道がr43になり、「下之川」地区に入り、教えてもらった目印の「仲山神社」が見えてきたので、橋を見つけに行きます。
10:15、アドバイスがバッチリで、迷わずビンゴでした。
20140720WoodS075s.jpg
子供たちが遊ぶシーンに登場した橋で、上空にアカネトンボがたくさん飛んでいました。
梅雨前に里で羽化し、夏は高所で避暑して、秋になると真っ赤に身体を染めて赤とんぼとして里に戻ってくるのと、夏もずっと里にいる種類がありますが、これはどっちかな?一匹、けっこ赤く染まったのもいました。

「仲山神社」に寄り道しました。
鳥居前に「津市指定有形文化財・本殿彫刻」と鮮やかな写真入りで紹介されていたので、石段を上がってみました。苔の生えた雰囲気のいい阿吽の狛犬がいて、鎮守も森の杉は巨木で歴史を感じます。
20140720WoodS092s.jpg
でも肝心の本殿は、拝殿と板囲いに囲まれて全容を観れません。
ちょいと残念でした。
鳥居前の用水路は、川の水同様とても澄み、満々とたたえた水が勢い良く流れていました。水の恵み120%です。

20140720WoodS096s.jpg
ここらから、長竿を持った鮎釣りさんを見かけるようになりました。
「森を育てる若者大募集」の看板があり、映画の主人公はこれに応募したんだなとリアル世界でもそういう若者が増えるのを期待しました。
日本の保有する森林資源は計り知れないです。

川沿いの道がr29に変わりました。
20140720WoodS106s.jpg
コミュニティーバスは日に4往復だけですが、バス停はどこも立派です。
「おうち?」って間違うようなとこもありました。
置き傘備え付けだったり、立派なカーポートだなと思ったらバス停だったり・・・。

我が家のユリはやっと咲き始めましたが、例年同様花の重みに耐えかねて茎下部からお辞儀して地面スレスレですが、ここらのユリはしっかり茎が太いです。
「私の水やりが足りないのかな?」って家内はしょげています。

20140720WoodS105s.jpg
快調に楽しく下ってきましたが、川からだんだん離れて県道が上がっていくとダム湖を思わせる景色になり、なんと「登り」が待っていました。
まさかの登りです。
勾配がきつくなり、200mほど歩いて上がりました。
対岸低くに道が走っており、あっちの道に行ったら良かったなと後悔しました。

切通し峠を越えると、一気の下りが始まり、11:19ダム湖を見下ろす「君ヶ野ダム公園・駐車場」でトイレ休憩しました。
やってきた車の中から、麦わら帽子を被り釣り竿などを持った親子連れが出てきて、道を降りて行きました。
ダム湖岸につり場があるのでしょう。

「君ヶ野ダム」到着。
真っ赤なGSRも止まり、ダムカードゲットしに行くのかな?
事務所みたいなとこに歩いて行かれました。
案内板に、「雲出川は奈良県境に源を発し伊勢湾に注ぐ1級河川で洪水時に中下流部で氾濫し、多くの被害を与えて
いる。・・・多目的ダムを支流・八手俣川に建設し・・・」とあったので、ここまでお供いただいた川は、「八手俣川」らしい。
伊勢湾台風などで下流域が大氾濫したのを教訓に整備された治水・かんがい目的の利水ダムのようです。

日本は多雨で森林・動植物・魚介類資源が豊富な食料を得やすい環境にありますが、反面災害も多い。
歴代政権や封建領主が治水・利水インフラを面々と整えてきたことが、今の自然豊かな姿として僕の目を保養させている。
植林・植樹・林業でお手入れを続けているお陰でもあります。
お隣の国は、さんざん自然から搾取した後、「砂漠化だ」とかでそこを逃げ出して新天地を探そうとしている。

「雨が降らなくなった」「農業全滅」などで先進国からのお情けで食いつないでいる国もあれば、他国を武威恫喝して食料をせしめようとしている国もある。
インフラは道路やダム・防波堤などから、上下水道・電気・ガスなど全般的に縁の下で市井の人の生活を支え目立たないけど、ものすごく大切なものです。
改めてダムの紹介を読みながら、いろいろ脳裏を巡るものがありました。

対岸に「レークサイド君ケ野」という施設があり、「営業中」となっていました。
昼食を取ろうと堤上を走り出しました。
20140720WoodS126s.jpg
ダム施設から急勾配にダム湖に向かってレールが敷かれ、モーターボートが施設下にぶら下がっています。
海上を走る本船が救命ボートをこんな角度で下ろすようになっていますが、ダムでも同じものがあるのですね・・・ビックリ。
20140720WoodS131s.jpg
ダム中央部で下流側を覗くと、真下でダムから勢い良く水が吐出されています・・・豪快です。

美杉サイクリング 3/5

7/20・三重県美杉・WOOD JOBサイクリング 2/6

トンネルを抜けると、奈良県から離れ三重県入りというのが、峠トンネルの常ですが、ここはそうではなく、伊勢側への下りに入ってもまだ奈良県で、下りの途中で三重県になりました。
ここらは三重県と奈良県県境が複雑なので、三重県・奈良県・三重県という県道を走ったこともあります。

「伊勢本街道」の案内板が時々現れるR369は、ナイスなツーリングロードです。
対向バイクが楽しそうに過ぎ去っていきます。
「伊勢山上福田寺ツーリング」の時、フリー走行&次の集合場所「道の駅美杉」をミスって「道の駅御杖」に行ってしまい迷惑をかけたことがありました。
その因縁の御杖でトイレ休憩しました。
車は楽だね、ここまでノンストップだから。

ここから、R368で東進です。
目的地・「道の駅美杉」まで10kmほどしか離れていません。
県外のよそ者には「紛らわしい名前で間違うのも当然」です。
この間、アップダウンの多い道で、予定サイクリングルート上・「奥津~美杉間」にも勾配のきつい坂がありました。
家内と、「ここが最大の難所かもね」と話しました。

9:02、自宅から3時間で、「道の駅・美杉」到着です。
駐車場はガラガラですが、長時間車を置くので、邪魔にならないよう駅舎奥のスペースに車を入れました。
20140720WoodS009s.jpg
すると目の前に、シャッターが締まってるけど、「映画WOOD JOB記念館」がありました。
作品中の架空自治体・「神去村青年団」の幟も上がっています。

20140720WoodS008s.jpg
自転車を下ろしていると、ハイエースのとこにおられた男性が、パンフレットを見せながら家内に声を掛けてきました。
「自転車ですか?どちらを回られます?」
家内はいつも通り全部僕にお任せなので、リアゲートから降りて僕が応対を交代します。
パンフレットは、映画「WOOD JOB」のロケ地マップで、それに載ってる地図を指さしながら、「県道を川沿いにダムまで下って、JR沿いに奥津まで上り、国道をここまで戻ってくる予定です」と話すと、「じゃあ、小学校と橋とホテルアネックスに寄れますよ」と、簡単な県道からのルートを教えてくれました。

「伊丹からですか、僕らは尼崎からです。今日はバイクでロケ地を巡りして、映像を撮ろうと思っています」と、ハイエース横のオフロードバイクを指さされました。
僕らの会話の輪に加わった奥さんは、リュック・ヘルメット姿になっています。
ここまでバイクをトランスポーターして来られたのですね。

家内は、うちもそうしたら田舎道だけバイクで走れると言いますが、僕のキャラバンはワゴン・3列シートだから、2列目2座席を外して後部座席を思いっきり前に寄せないとバイクは乗りません。
それに、バイクを車に載せることなんて出来ません・・・勘弁して。

ロケ地マップをゲットでき、詳しい方に教えてもらい幸先良いです。
この映画の映像関係の関係者なのかな?
道の駅のあるR358・上多気交差点からr30に入り、川沿いを下り始めます。
すぐに「伊勢本街道」との交差点があり、そこにあった謂れ板で街道の知識を得ます。

「北畠氏館跡庭園450m・霧山城址(国指定史跡)2000m」
代々伊勢守だった元後醍醐天皇第一の側近公家出身の北畠家が、何故こんな伊勢国の奥まったとこを本拠地にしたかは、この伊勢本街道を制するためだったのでしょう。
当時の最重要産業道路だったのを物語っています。

続いて500m走って北畠館跡を探索します。
20140720WoodS028s.jpg
僕は1人で探索したことがあるので、家内にあれやこれや説明し、銅像が建ってる北畠顕家が歴女さんに人気だと話し
ます。
鎌倉~室町の変動期、後醍醐天皇側だった北畠氏の力を削ぐ目的で、嫡男・顕家を遠く陸奥守に飛ばした足利尊氏の企てでしたが、八幡太郎義家が陸奥守時代に力を蓄え関東に地盤を築いたように陸奥で力を蓄え、後醍醐天皇側危機の時、何度も京に攻め上り足利尊氏を敗走させた。
討ち死にした最後の戦い以外ほぼ連戦連勝の若き英雄です。
同じく悲劇のヒーロー・長宗我部元親同様に、女子のハートをキュンとさせるのでしょう。
両方共超美男子だったらしい点もプラスだね。

鎮魂碑が建っています。
遠く南北朝時代の北畠軍の将兵への鎮魂碑だったとこが珍しいです。
楠木正成同様、常に天皇側だった人なので、明治維新~戦前までは超A級ヒーローに政府から祭り上げられていたはず。
北畠氏詰めの山城・霧山城址が国指定史跡なのも、同じ理由からでしょう。
常に官軍・負けても官軍ですね。
家紋が我が家と同じ武田菱なので調べたら、村上源氏出のようで、系列の多くがこの紋を使っているので、その関係が想像されました。

20140720WoodS037s.jpg
そのすぐ横にあると教えてもらったロケ地巡り第1弾・「長澤まさみ扮する直紀が務める神去小学校」です。
門柱に「津市・多気保育園」と書かれていますが、横に「WOOD JOBのここの場面」の案内板が立っています。
「あ~ここだ」とすぐにその場面を思い出しました。

20140720WoodS040s.jpg
庭の草が少々生えてるので、現役の保育園かなあ?」と疑問も声を上げると、「多気の郷・元気づくり協議会」と門柱の上に載ってるので、元保育園じゃないの」と家内から。
「明治31年建立」というコンクリート柱が庭に立っていました。

美杉サイクリング 2/5

7/20・三重県美杉・WOOD JOBサイクリング 1/6

日曜日は、「夫婦でサイクリング」をしました。
当初50%の確率で「曇り時々雨」だった三重県津市の予報が前日には「くもり」まで良くなったので、美杉町のピンポイント天気予報を見に行きました。
日中はお日様マークも出ています。
一度天気予報悪化で延期した「映画WOOD JOBロケ地巡り」サイクリングの決行です。
真夏のサイクリングはきついので、今年前半戦最後の「夫婦でサイクリング」になりそうです。

4時に目覚めごそごそし、5時から用意を始めました。
リュックにカッパ・カメラを突っ込み、自転車2台の空気圧をチェックして前輪を外し、車に乗せて固定します。
道の駅美杉・室生寺・長谷寺をナビ登録して家に入ると、5:50です。
家内はもう準備万端整っており、作業開始が遅かったようです。
朝食食べたら6:10出発になっちゃいました。

中国道~近畿道~南阪奈道で奈良盆地入りしました。
途中の大阪側・羽曳野市で、「白鳥」のマークがあったけど何かな?って家内が聞くので、得たり!!
古事記・日本書紀の世界やねって答え、暴れん坊だったヤマトタケルは景行天皇の皇子で、後に大和の軍勢を率いて西国遠征して平らげ、帰国後羽曳野で姫さんを娶った。
その後東国遠征し、まず今から行く伊勢の国で、須佐之男命が退治したヤマタノオロチの尻尾から出てきた天叢雲の剣を受け取ったんだ。

尾張に入り、その地の豪族の娘と結婚の約束をして、その兄が率いる軍勢を味方に引き入れた。
相模の国で地元豪族の計略にかかり、ヤマトタケルがいる草原の周囲に火が放たれ絶体絶命になった。
その時天叢雲の剣で周囲の草を刈り、火打石でそれに火を点け向い火で難を逃れるとともに、風向きが幸いし敵軍を殲滅することができた。
天叢雲の剣は、ヤマトタケルにより草薙の剣と改名された。
焼かれたところが「焼津」と呼ばれるようになり、それが今の焼津市。

三浦半島で羽曳野の姫と合流し、房総半島に渡る船旅で嵐に襲われた。
海の神様の怒りを鎮めようと、姫は海に身を投げて無事房総半島にたどり着いた。
東国を平定して帰路に着き、尾張の姫の元に戻り娶った。

次に伊吹山の神を平定して出かけたが、侮って草薙の剣を姫の元に置いていった。
息吹の神の返り討ちにあい瀕死の重傷を負ってしまいました。
麓の泉で水を飲みなんとか足腰が立つようになった。
この泉がヤマトタケルを醒ましたので「醒ヶ井」と呼ばれるようになった。

でも、故郷の大和一歩手前の伊勢まで戻ったところで、命を落としてしまう。
そのため草薙の剣は、尾張の熱田神宮に今でも置いたままになっている。
終焉の地に陵墓を造ったら、そこから1羽の白鳥が天高く飛び立った。
その白鳥は故郷の大和に落ちたち、再び飛び立って羽曳野の最初の妻の故郷に降り立った。
そしてまたいずれかに飛び去ってしまった。

という僕にとってのヤマトタケルのラブストーリーを話しました。
記紀の神話に出てくる神社に祀られている神は、ヒーローだけど女性に弱くそして助けられ、勘違いややり過ぎや反省、男として当然のエッチさを繰り返しながら成長していく。
人間臭くて愛嬌があります。

ヤマトタケルのモデルと言われる武内宿禰(AD100年前後)を産んだのが、まさに今走っているここで、この道の古道が日本最初の国道・竹内街道。
宿禰は、紀氏・御所氏・葛城氏・蘇我氏などの祖になった秀才です。
山ひとつ隔てた大阪側の羽曳野の姫とのラブストーリーと、その丘陵を覆うぶどう畑の話など、話が尽きませんでした。
まさにこの道の上空を、白鳥が飛んだんだと・・・。

トンネルを抜け、大和葛城山系の峠を大和側に抜けると、眼下に大和盆地が広がります。
この景色が好きです。
大和高田バイパスで、耳成山・天香久山・畝傍山という低山の大和三山の間を縫い、大和・伊勢の県境を作る山岳地帯の入口・三輪山が見えてきました。
この山の麓に日本最初の神社・大神大社があり、その北の麓を縫う山の辺の道沿いに景行天皇の陵墓があることを話しました。
でもこれは卓上書物から得た知識で、何もわからず小学生時の遠足で訪問して以来歩いたことがありません。
この道のサイクリング計画を実行しなくちゃ。
こういう道こそ、僕ら夫婦のような歴史遺産・絶景目当てのサイクリングにはうってつけのはずです。

櫻井を過ぎ、ナビの示すR165からR166にチェンジします。
続いてr198に進む予定がミスってそのままR166~R370で遠回りになっちゃいました。
でも素敵な田舎道で、家内もごきげんなのでOKです。
宇陀市中心部・近鉄榛原駅前に突っ込み信号銀座で時間を食いました。
グループツーリングでバイパスを通ったのに、ナビの導きに素直過ぎました。
バイパスは僕の車のナビより新しいのかも?

ここからR369で伊勢の国を目指します。
前回グループツーリングでは災害復旧工事中のためトンネルを抜けることが出来ず、山中の旧道(伊勢本街道?)を走りましたが、今回はトンネルを抜けることが出来ました。
でも手前で工事をしており、対面通行箇所がありました。

美杉サイクリング 1/5

7/22・通勤リード・バッテリー交換

7/18朝の出勤時、通勤リード110のキーONしましたが、インジェクションランプが消えませんでした。
ランプが消えてからセルボタンを押すようになっているので、エンジンがかかりません。

この症状は、中古・走行距離3020kmだったこいつを5年半前に中古で買った時からたまにありましたが、一旦キーを戻し再度ONすると問題なくランプが消えていました。
今回は、キー戻しをするも4回連続でアウトでした。
3日前も同じ症状が出て、キーON3回目にランプが消えました。

バッテリー交換記録を調べると、交換の記録がありません。
ほんまかいな?と思いましたが、通勤車両で昼休みも大活躍するので、バッテリー交換することにしました。
現在26000kmの走行距離です。
買う時バッテリーを新しいのに交換してもらったから寿命5年半・・・バイクのバッテリーってこんなに持つものなのかな?

昼休みに、小学生の頃から自転車でお世話になってる近所の自転車・原付きショップに、「オイル交換とバッテリー交換お願いします」と乗り付けました。
小学生時代の近所の遊び友達なので気楽です。

オイル交換は、走行距離3000km毎に出る赤い数字が出たので定期交換です・・・年1回ペースです。
オイル交換は、消費税アップにも関わらず、「相変わらずの1000円でいいよ」でした。

バッテリーが問題でした。
初期充電した方がいいそうで、すぐに交換できないそうです。
昼休みなので待っていられないし、次来れるのは22日・火曜日だからそれまで不安です。

「下のバイクセブンに行ってみるわ。すぐ交換できなかったら頼むわ、ゴメンな~」と、お店を後にしました。
バイクセブンには、9500円の台湾ユアサ・13000円の外国製・17000円のジャパンユアサがありました。
台湾ユアサと外国製は液を入れて充電しないといけないからすぐには無理で、ジャパンユアサは電圧を測って規定値をクリアしてたらすぐに交換できると言われました。
ならばジャパンユアサ一択なのでお願いしようと思ったのですが、ピットが混んでおり1時間半待ちだそうです。
結局仕事に戻り、御用達近所ショップに、「火曜日に行くからバッテリー充電しといて」と注文しました。

7/22、昼休みに御用達ショップで、バッテリー交換(ユアサYTX7L-BS・17000円)してもらいました。

7/17・通勤リード110・リアタイヤ交換

VTR250の自賠責保険更新時に指摘された通勤リード110のリアタイヤを、昼休みに交換に行きました。
1時間弱で交換終了です。
ずっと純正品・ダンロップD306ばかりでしたが、進化してD307になっていました。
そう言えばタイヤの指定などせず、「すいません、リアタイヤの交換をお願いします」とだけしか言ってなかった。
メカ音痴には、安心の純正品です。
価格は、タイヤ4000円+工賃3240円+タイヤ処分費324円=7564円。

帰りに整備の人から、「皮むきが終わるまでは慎重に運転してくださいね」と言われたけど、鈍足な僕には関係ないです。
乗り心地インプレッションは、何も感じないのでありません。
前回見てもらうきっかけになった「空気が抜けているかも?」な感じがないから、違うようです。

7/16・柴田ファーム林道

6:11、いよいよ本日のメインディッシュの「柴田ファーム」分岐到着。
ライディングパーク・エッグランド・焼肉レストラン(460籍)・ふれあい動物園・マウンテンバイクコース・ファミリーオートキャンプ場と盛り沢山なメニュー看板ですが、閉園しています。

左右に母子茶畑がある道を上がって、前回断念した未舗装路が正面に見えてきましたが、まずは柴田ファームの現状確認をしに右折舗装路を更に上る。
「関係者以外立入禁止」で鉄格子ゲートが閉まっていました。

6:16、未舗装路まで戻りGO。
締まった砂利道は100mほどでコンクリート舗装路になりました。
20140716ShibataS082s.jpg
再び未舗装・舗装と繰り返し、1本西の青野川沿いr308より急勾配で下ります。
スクーターなのでエンジンブレーキが利かず、ブレーキを握ったり離したりしながら時速20km/h以下を保つ。
r308でもほとんど対向車と出合わない時間帯なので、こちらは皆無です。
20140716ShibataS092s.jpg
人や車に出会ったらギョッとしそうな寂しい道です。
確実に鹿に会えそうと予想したが、会えませんでした。

20140716ShibataS088s.jpg
時々排水のため側溝が道を渡っていますが、アルミ蓋が外れているところが何箇所もあり、よそ見して自転車下りしていたらリム打ちパンクしそう。
ところどころに、「花とみのりの道、永澤寺4.3km・乙原バス停2.7km」などの距離看板が立っており、自然歩道になっているようです。
道は沢に沿って作られており、止まると水の流れる音が聞こえ気持ちがいい。
20140716ShibataS101s.jpg
年季の入った放置廃車が道脇に1台あった。

6:42、前回下から上がった時断念した交差点まで下ってきました。
未舗装部分は全体の1/10で、未舗装部分も締まってるところが多いので、VTR250でも走れそうです。
でも舗装路も砂が乗っているので、20km/h未満に注意しないとこけます。

更に少し下ると、乗馬クラブ?がありました。
r49沿いに看板が出てる「乙原観光園」前を通り、6:52・r49に出ました。
激写タイムを取らなければ30分弱で走破できます。
全舗装なら、お気に入りの道になる惜しい道でした。

メインディッシュを平らげたので、一目散に帰路に着きます。
r49で「志手原」交差点まで南下し、r68へのショートカット道に入ったら、虎亀さんとすれ違いました。
バイクピースしたら、いつもの様にタンデムシートの奥さんが両手バイクピースで返してくれました。
家内用スクーターだったので、僕とわかってくれたかな?

r68~r33~r325~長尾山トンネルで、7:40帰宅。

7/16・小柿三舟公園

2度寝して4:30に目覚めました。
今度は窓の外が少し明るいです。
バイク装束に着替えながら目を凝らすと、雲が多いものの雨は降らなそうです。
コソッと玄関から滑り出て、倉庫から「家内用アドレスV125」を出します。

1ヶ月半ぶりにエンジンを掛けます。
一発始動しました。
空気圧を視認点検し、ガソリンもOKなので、いざ行かん。
目的地はずっと気になってた母子の柴田ファーム~r49・乙原間の林道です。
乙原から登ったことがありましたが、「里山VTR250」号だったので未舗装路が現れたとこで断念していました。
柴田ファーム側から下りを狙ったこともありましたが、いきなり未舗装路でした。
足着き最高のスクーターで、柴田ファーム側から再挑戦です。

長尾山トンネルを抜け、4:50長尾山大橋上から渓谷を激写しました。
まだ月が見えます。
r325~r33で北上し、5:02・ネムノキの花を激写。
この樹花はお気に入りです。
もう少し早くヤマボウシより早いと思っていましたが、藤~栗・ヤマボウシ~ネムノキの順番でした。
20140716ShibataS060s.jpg
あっちこっちにネムノキの薄ピンクが目立ちました。

西谷・素盞鳴尊神社前で、紫陽花がブルーのきれいな花を咲かせていました。
ブルーはまだ咲き始めだと思います。
我が家の周りではもう終わってるのに、いい感じです。
「剣片喰」紋の家があった。

5:14、波豆川八坂神社前の定点観測ポイント到着。
曇っているのでイマイチな景色です。
「丸に違鷹羽」紋の家がある。
r323に乗り西進し、半鐘の家でまた激写。

「山獲」と「半鐘の家」の立派な案内看板が立っている。
20140716ShibataS019s.jpg
「無人中古車販売」のお店があるが、自由に見て欲しければ電話をするのかな?
まさか無人野菜販売みたいに、代金を入れれば終わりというわけではないだろうが・・・。

20140716ShibataS034s.jpg
r37に乗り北上開始し、「小柿」で気になっていた羽束川沿いに残る小高い丘&小さな森を探索で寄り道しました。
その少し北にある森は、環濠が巡る豪族の屋敷跡でしたが、ここもそうなのではないかな?
20140716ShibataS041s.jpg
羽束川の土手に比高10mほどの丘がある。
大きな岩があり、これで羽束川の流れに抗していたようです。
北脇の田圃は堀跡と見えたが如何か?
20140716ShibataS050s.jpg
周囲をグルリと回って大岩の南側に来たら、大岩を後背にして祠が建っていました。
大岩を祭神にしたようです。

「小柿三舟公園」となっていました。
大岩の緩衝作用により流れが淀んでいたのかもしれない。
船着場に適当な場所ですね。
名前の由来は、そんなところかもしれない。
湿気のある所に黒糸トンボが屯している。

「丸に二つ引両紋」の家がありました。
足利氏縁故の武将の末かもしれない。
小柿渓谷をゆっくり走りながら、山に上る枝道を凝視するが、鹿には会えませんでした。
r37とr49に囲まれた山域は鹿が濃いです。

渓谷を抜け、羽束川を渡って後川奥林道を上がっていきました。
6:05永澤寺手前の石仏が立つ林道交差点。
この林道も動物遭遇率が高く、前回は鹿5~6頭の朝の宴会に突っ込んでしまったが、今朝は空振りです。
6:07、永沢寺前。

柴田ファーム林道へ行こう

7/13・学生レース閉会式&祇園祭

14:30に、OBレース閉会式があり、15:30に現役レース閉会式がありました。
20140713TeidaiS014s.jpg
成績発表・プライズギブンに続き、恒例の全日本での再開と各校の健闘を願ってのエール交換です。

北海道は、前身の札幌農学校応援歌を歌っていました。
20140713TeidaiS024s.jpg
伝統のレース会場現地で見つけた流木を利用した曲がった竿に部旗を括りつけており、北海道の広大な大自然と野生を感じます。

東北は部員が60名もいるそうで、震災で流された艇庫も3F建てで復活してるそうです。
このレースも九州に続いて総合2位だったし、震災後このレース繋がりのすべての大学から艇など寄付されて活動再開しましたが、もう立派なものです。
来年のこの大会は東北主管で仙台開催です。

20140713TeidaiS030s.jpg
うちは主催校であるからか大学応援歌とヨット部伝統曲・琵琶湖周航の歌を披露しました。
エールが一番かっこよかったと思います。
レース前夜祭の芸大会で、九州の後塵を拝したそうなので、一矢報いたのではないでしょうか。

20140713TeidaiS041s.jpg
エールが一巡したタイミングで、2Fの大会本部に、タオルにマジックで「J」と書いたフラッグが、ホーンとともに掲揚されました。
同時に1回生部員数人がジュースを満載した大きいバケツ2個が各校が円陣で囲む中央に持ち込みます。

各校キャプテンがゆっくりバケツの周りに集まり、「ジャンケンポン・アイコでしょ」を始めました。
閉会式後恒例のジュース分捕り合戦です。
「J旗」は「ジュースの頭文字・J」で、250本用意されたジュースの代金は、じゃんけんに負けたクラブが全て負担することになります。

うちがキャプテンへのエールを歌い始めると、全校対抗してとんでもない大騒ぎになりました。
そして、北海道が負けました。
北海道全部員はがっくりですが、勝負が決すると全校から下級生がジュースバケツに殺到します。
獲得したジュース缶が、自校に向けて投げられます。
地面に転がった物を拾い上げ、リップルを開けて美味しそうに飲みます。

中央ではバケツを中心に、各校部員が折り重なってラグビーのモールが崩れた状態になっており、壮絶です。
こんなことを経験し、1回生部員同士の横のつながりが形成されます。
僕は一段高い所からこの光景を眺めていましたが、各校の部員がぐちゃぐちゃになってレースでの健闘を個人的に讃え合っています。

ああ、楽しかった。
大好きな学生スポーツに、身近に接し続けている僕は運の良いやつです。
16:30に帰路に着きました。
家内に連絡してみようと思い、携帯電話を探しますが、家に忘れてきたようです。
あ~またやっちゃった・・・。

湖西線~名神~中国道と帰り、「夕食食べてきてね」と言われているので、近所の天下一品でいつものチャーハンセットを食べました。
帰宅し片付けてから、風呂に入ってゴソゴソしたりTV見たりし、「軍師官兵衛」を見終わった20時過ぎにそろそろお食事会合が終わったかなと、家内に電話してみました。

会合が終わり、祇園山鉾巡りをしているそうです。
「お父さん、凄いよ~」って騒音と興奮が伝わって来ます。
お取り込み中に電話してしまった・・・「ゆっくりしといで、駅に近くなったら電話頂戴ね」と、電話を切りました。

再びゴソゴソして、22時になりそろそろだろうと外着に着替えて電話持って家を出ようとした時に、自宅の電話が鳴りました。
「阪急で帰るわ、今塚口を出発します」・・・家内を駅まで迎えに行き、案内してくれた方から仕入れた祇園祭の裏話を聞かせてもらいました。

以前から女性部会で懇意にしてる案内者は代々祇園山鉾町内の方で、毎年1名選ばれるお稚児さんは、選ばれてから祭り終了まで家族との接触を断つそうです。
以前は自宅の敷地に稚児さん専用の別棟を建てたそうですが、今は別のとこで稚児さんは生活するそうです。
選ばれると3000万円の持ち出しになるそうで、今年は京つけもの・西利さんのお孫さんだそうです。
財力のある京都の名士さんしかなれず、たまに不動産屋さんなどが選ばれると、町内で噂が立つそうです。
祭り前から神事のため超多忙になるというのは知っていましたが、家族との接触も絶つとは知りませんでした。

案内者が用意してくれたチケットで、山鉾に乗せてもらったそうです。
弟の住む岸和田だんじり祭同様、町内の子は小さな頃から町内会の祇園祭部みたいなとこに籍を置き、祭りに参加
して行くようです。
案内者さんも山鉾町にお住まいなので、お子さんももちろん会員になっており、大学生の息子さんは遠方にいるので現在休会員身分だそうです。
面白いな。

23時前就寝と、いつもより遅くなりましたが、楽しい1日でした。

7/13・大学ヨット部定期戦・レース終了

各大学ごとに観覧艇が用意され、うちの観覧艇は監督さん・コーチの僕・次男後輩OB1・OG1・大先輩OB2が乗っています。
琵琶湖の湖面にレースの大敵・藻が点々と見えます。
湖底から藻が伸びているのですが、僕がコーチをしてから2度目の大繁茂で、センターボードやラダーボードに引っかかって難儀しそうです。
今年の夏は、どうなることやら・・・

観覧艇は上でその原因の話になり、「栄養が多い」とか「これが食べられたら」で笑っている時、僕が「琵琶湖南湖は、地図で見ると北湖からの流水路で淀川・大阪湾に続く瀬田川の少し太い所に見えるから、周囲の山から流されてきた砂で
埋まって行きますよね。
500年後は住宅地になってるんじゃないですか?」と言うと、大先輩Kさんが大いに反応しました。

元土木の官僚さんなので、その辺のことが非常に詳しいです。
Kさんがヨット部在籍中は、ひっくり返ってもマストが湖底に刺さることなどなかったのに、今は1mぐらい刺さります。
40年でそれだか浅くなってるのです。
そこから海面が5mほど高かった縄文海進の時は、関東平野の大部分が海面下だったとか、大阪平野も上本町大地が半島として大阪湾に出ていただけで、ほとんど海面下だったとか、僕の大好きな話になりました。

先週大阪空港で衝動買いした「竹村幸太郎著・日本史の謎は地形で解ける」を読んで仕入れたばかりの話題「上本町大地・大和川・地形の変化から見た奈良から京都への遷都」などを出すと、土木専門家からの大和川の流れの変化や生駒山系を削り続けている大和川の制御など、100年・1000年単位で土木関係の国の役人さんは考えているということをいろいろ披露してくれました。
そこから派生して、日本人のルーツ・大和朝廷の京都遷都の時土地を提供した秦氏と4世紀頃の中国秦との関係・・・僕の歴史興味にビンゴの話を面白おかしく披露してくれました。

BC5000年から現在までの三大文明地を中心にした世界史の動きをエクセルに縦に地域・横に年代としてどでかい年表を個人的に作っているそうです。
今までKさんとはいろんな場面で何度の話していますが、勉強好きの血が衰えない別の一面を見てビックリしちゃいました。

災害などの復旧工事をする時、どうしてもその地の過去の災害の歴史を遡らなければならず、歴史に興味を持っていくのかもしれません。
人間関係のことでも、机上の空論より、実際にあった過去の人の伝記ほどしっかり学べるものはありません。
怒りんぼさん・猜疑心の強い人は一時天下に号令しても、末路はあまり良いものとはいえません。
やはり、人に優しい人は多くの人から信頼を得て、自然に身代が太っていくものです。

1時間ほど漂った後、軽風でレースが始まりました。
12時以降のスタートがないので、2レースが限界です。
最初にOBフリートがスタートし、東北と東京がいい走りをしていました。
続いて現役のレースが始まりましたが、470級のスタートがゼネラルリコール(スタートフライング艇多数のため再スタート)になり、時間的に1レースしかできなさそうになりました。

続くスタートはオールクリアでスタートし、うちの2艇は良い走りをして、1上マークをワン・ツーで回航しました。
が、後続の東北・九州が早く、結局3・4位でフィニシュしました。
トップの九州は、Tさんの息子です。
やはりジュニア上がりは格が違います。

スナイプ級は、スタートしてしばらく走るとうちのキャプテン艇が集団から抜け出し、グングン差を広げていきます。
1上で既にダントツになり、後は一人旅でした。
もう1艇も4位で全てのレースを終えました。
470級3位・スナイプ級優勝・総合3位でした。

僕の乗った観覧艇は9.9馬力船外機エンジン艇で、非常に遅いです。
波があまり立たない琵琶湖だから使えますが、海ならこんな非力なエンジンではおっかなくて沖出しする気になりません。
横を次男が乗った運営艇が抜いて行きました。

14時頃ハーバーに戻り、各大学に貸与した艇のチェック・受け取りで走り回っている部員を眺めながら、運営の仕事から戻ってくる僕がコーチしたOB・OGさん達とあ~だこ~だ。
次男も東京に帰って行きました。

7/13・大学ヨット部定期戦

日曜日は、コーチしてる大学ヨット部のレースコーチをしに琵琶湖に行きました。
北海用から九州まで7大学が集まる定期戦です。
今年の主管校がうちでした。
僕はOBではないので運営には関わりませんが、OBである次男は東京から運営をしに金曜日からやってきています。

家内は自宅に帰ってくるかも? と期待していましたが、先週会ったばかりなのでヨット部艇庫か同期の家に泊まったのでしょう。
家内がの暇なら、顔を見に行くと僕について来るはずですが、AM仕事関係の集まりが神戸であり、夕方から京都市内で仕事関係者とお食事&祇園祭山鉾見学なので無理です。

4時前に目覚めました。
流石に早く自室でゴソゴソして4:30になりました。
ふと窓の外を見ると、「4時半って、こんなに暗かったっけ?」と気になりました。
夏至を過ぎましたが、まだ1年中で最も夜明けが早い時期なのに、短くなり始めたのか・・・と少し悲しくなりました。
さらに30分後、5時に琵琶湖行きのために活動開始しようと窓の外を見ると厚い雲でした。
天気が悪かっただけなのね・・・。

朝風呂に入り、NHKの落語を見ながら朝食を食べ、6時過ぎに車で家を出ました。
バイクで行きたかったのですが、午後から結構な雨量予報がでており、また車になっちゃいました。
バイクなら京都祇園祭で家内に合流できるかも?と作戦を練っていましたが、車で祇園祭の京都入りなど渋滞や通行止めで難儀しに行くだけなので作戦中止です。

中国道~名神高速~湖西道路で、7:15にハーバー着。
予報より早く、名神走行中に小雨が落ちてきました。
水滴がフロントガラスを上に上がっていくワイパーなど要らない雨なので、ちょうどいいお湿りです。
R161からハーバーに入るところに女子マネージャーが、レースプラカードを持って立っていました。
この入口はわかりにくいので、観戦に来るOB・OG・選手のご家族は迷います。

大会本部で土曜日の成績を見て、艇庫前で部員とあ~だこ~だしました。
大会本部に詰めているのであろう次男も何かの連絡で、ちょっと顔を見せました。
OBさんも顔を見せられるので、あ~だこ~だ。

僕同様OBでないのに、九州の大学に進学したT君のお父さんがその大学のレース前ミーティングで話しています。
Tさんは僕の出身校のライバル校ヨット部出身で、僕がジュニアヨットに誘いました。
T君は次男のジュニアヨット部後輩になり、中学・高校も次男の後輩になりました。
大学も次男後輩かも?と期待していたのですが、ライバル校に進学しました。

Tさんがやってきて、あ~だこ~だ。
息子さんに頼まれて、個人所有のインフレータブルボートを運んできていました。
ほぼ新品に見えたので、500万ぐらい?と聞いたら、日本で開催された世界選手権に1レガッタ(1週間)使用しただけなのに破格なお値段で売りに出されていた出物を抽選の末獲得したそうです。
スズキの4スト船外機エンジンも含め120万とはビックリ価格です。
メーカーも本国に持ち帰るより、格安で日本で売っちゃったほうが得なのでしょう。

同じくジュニアヨット部後輩のT君の妹は、ナショナルチームコーチと一緒にヨーロッパ遠征中で、来週は世界選手権に参戦するそうです。
高校1年生という2020年東京オリンピック選手世代なので、日本セーリング連盟も力が入っています。
彼女もオリンピック選手になれば、僕がジュニアヨットクラブに誘ったのがきっかけですね。
ジュニアクラブで次男と同級生だった女の子もロンドンオリンピックに出場したから、僕が関わった、いやここは大風呂敷で「育てた」と思っておこう2人目です。
帰国後はインターハイ参戦で、優勝候補の一角です。

8:30出艇予定でしたが、雨が強まって風が落ちたので待機フラッグが上がりました。
このヨット部でコーチした卒業生が大勢レース運営に来ており、僕を見つけると声をかけてくれるので、あ~だこ~だ楽しく待機時間を過ごしました。
まだ風は出てきていませんが、1時間遅れで出艇しました。
各大学の下級生のエールが飛び交い、僕の好きな時間です。
他競技も含め、大学体育会の試合前の緊張から解き放たれて試合会場に向かう選手や応援する部員の姿が美しく感じます。

レース海面に着いても安定した風が吹いて来ず、しばらく漂っていました。
雨が落ちてきたり止んだりで、カッパの脱ぎ着が面倒です。

7/12・武田尾早朝ツーリング

4:40に目覚めました。
篠山に行く時間はありませんが、台風の影響でバイクに乗れなかった日が続いたので、1週間ぶりの早朝バイクです。
速攻で、下着・丸首長袖シャツ・プロテクターメッシュジャケットという出で立ちに着替えましたが、長尾山トンネルで21℃あり、着過ぎました。
朝一番でも下着&プロテクターメッシュでいい季節になってきたようです。

倉庫から、「招き猫CB400SB」を出して、しばらくゴソゴソします。
性懲りもなくまた新しい車載カメラを買ってしまいました。
「オリンパス・リニアPCMレコーダー・LS-20M・6520円」です。
ICレコーダーの発展型で、非常に良い音質録音システムを搭載し、プラスアルファでフルハイビジョン録画にも対応しており、メインターゲットはバンドライブ演奏録音録画です。
競合品には、ZOOM製品・SONY製品もありますが、オリンパスOM1・OM2で一眼レフカメラに目覚め、オリンパス製品の優秀さを知ってるので、これを選びました。

電源はACアダプタから取り、外部マイクはバススポンジに穴を開けて突っ込み、タンクバックに入れました。
カメラの設定やマイク位置など変更しながら、次の1日ツーリング前までシェイクダウンしていきます。

スタートは5:03になっちゃいました。
長尾山トンネル~r325~r33と走るうちに、「そうだ、武田尾に行こう」と目的地が決まりました。
「切畑」を左折し、長い間新名神高速道路工事のため通れなかった沢沿い道を下って行きます。
工事前は寂れた細沢沿い道がナイスな雰囲気でしたが、ダンプが通れるように様変わりの道に変身していました。
が、新宝塚GCへの分岐&新名神工事分岐を過ぎると以前のままでした。
懐かしいなと思いながら、舗装ぐらい付帯工事でやり直してくれてると思ってたのに、それもそのまま更に経年劣化してて期待はずれでした。

武庫川に合流したとこから別れる「JR廃線路ウォーク」への道が、工事でわかりにくくなっていました。
一瞬「廃線ウォーク・進入禁止?」になったのかと思いました。
元々、JRも管理していない自己責任な道なので、ストップされても仕方ないのですが、あまりに有名な人気コースなので、JRも閉鎖はし難いでしょう。
親父が亡くなった最初のお盆に、墓参り後母親を盛り立てながら僕ら一家・弟一家で歩いた道です。
翌年は、保津峡歩きして恒例になると思いきや、その翌年は母も鬼界入りしちゃいました。
その後も2家族ハイキングが続いているので、思い出深い道です。

袋小路の武田尾は、以前と何も変わらずいい感じでした。
ゆっくり走る僕を対岸から橋を渡ってきたロードバイクが追い抜いていき、そのままJR武田尾駅に乗り付けていました。
早朝サイクリングで寄り道したのでしょう。

駅の下を抜け、6:06「武田尾温泉・紅葉館」前まで行って激写休憩しました。
大阪から1時間以内で来れるのに、圧倒的な隠れ家的雰囲気です。
むふふ・・・。

赤橋を渡り、対岸をゆっくり戻ります。
20140712TakedaoS009s.jpg
朝霧が出ており武庫川渓谷を狭める左右の山も霧で半分隠れています。
道はありませんが、反対向きのJR道場側はもっと霧が濃くナイスです。
20140712TakedaoS013s.jpg
この上を新名神が通るのですが、1年の半分以上は朝は濃霧で視界が極端に悪いでしょう。
20140712TakedaoS014s.jpg
それを逆手に取りPAを作れば、朝霧鑑賞のメッカになることは確実です。
20140712TakedaoS015s.jpg
タワーでも作れば、朝霧雲海目当てで高速道路売上が伸びそう。

橋を渡り、r33に戻りました。
帰路は、「切畑」方面ではなく、「満福寺」方面に走りましたが、この道も経年劣化が進んでいました。
そろそろ舗装をやり変えになりそう。

r33~r325~長尾山トンネルを抜けて、7時に帰宅しましたが、土曜日なのでツーリングバイクの数グループとすれ違いました。
バイクピースに100%の返答率で、北海道並でした。
台風一過で天気が期待できます。
いいな。

武田尾早朝ツーリング 2/2

7/11・ホンダドリームで自賠責保険手続き

昼休みに、通勤リード110でホンダドリームに行きました。
「里山VTR250」の自賠責保険切れ通知と、「招き猫CB400SB」の6ヶ月点検整備案内が届いていました。

階下で、整備の方にリードの空気圧チェックをお願いし、2Fに上がり店長さんに、「自賠責保険5年・28060円」をお願いし、新しい保険証とシールを頂きました。
自賠責は、1年・2年・3年と5年まで一括で入れ割り引かれるので、VTRの5年後を尋ねました。
VTRのエンジンは耐久性抜群だから、5年は平気だそうです。
ただ僕のはキャブレター方式だから、適当な時期にキャブレターのオーバーホールをした方がいいそうです。

更にキャブは燃料カスが残りやすいので、5000km毎ぐらいに定期的に清浄剤を投入した方が、エンジンのスムーズさを保てるそうで、紹介してもらった「ゾイル・フーエルチューナー・1944円」を買いました。
燃料満タンに対し1/4投入し、給油ごとに4回繰り返せばいいそうです。

バイク2台の6ヶ月点検予約を入れました。
2月・8月が僕のバイクメンテナンス月間で、2月は3台を、8月はリードを除く2台の点検月です。
8月第2週はドリームさんがお休みなので、第1週に点検してもらいます。

これらの手続きをしてもらってる間に、整備の方が上がって来られました。
ニューイングのエアチェック・バルブを使っているので、空気圧の減りは一目瞭然でわかるのですが、なんとなく変な感じがしていました。
空気圧は問題ないけど、リアタイヤが交換時期だそうです。
スリップサインが出ているとのことです。
鈍足だから滑ることはありませんでしたが、タイヤが減ったので空気を入れても変な感じが直らなかったのですね。
お値段を聞くと8000円ほどだそうです。
もうお金がないので、来週また来るということで帰りました。

ドリームさんを出ようと一旦停止してたら、前をCB1300SBが僕に手を上げながら通過しました。
その後ろに入り見ると、僕のCB400と同じリアガードを付けています。
信号で横に並び、「僕も同じリアガードをCB400に付けています」と声をかけると、「僕もドリーム尼崎店でこれを買ったので、さっき挨拶しました。プロスマンのガードを前後セットで付けました。これぐらい大きいと、コケた時に足が挟まれないから・・・」
エンジンガードを見ると、僕のVTR250に付けてるのと同じプロスマンの大きなエンジンガードで、そのことでもあ~だこ~だ会話しました。
信号が青に変わり、「それじゃあ」とブーンと行っちゃいました。

VTRに付けた大き目のプロスマン・エンジンガードが気に入って、CB400購入時に、プロスマンを前後に付けて納車してもらいました。
VTR用と違いCB400用は少し小さく不満でしたが、大きなジムカーナ用のは僕のCBには取り付けられないということだったので我慢しました。
プロスマンは、ジムカーナ車両がたくさんつけており、安心の品質がお気に入りです。

帰宅してリードのリアタイヤの履歴を見ました。
2010/9/17・走行距離7276kmに、純正のダンロップD306をバイクセブンで工賃・タイヤ処理費込みで6875円で交換
しています。
4年弱・18800kmで限界を迎えたようです。

7/6・東京デートから帰宅

20140706TokyoS058s.jpg
定刻に飛行機に乗り、機内の人になりました。
機内ニュースで、「台風7日に沖縄に接近」というのが流れていました。
7/10から週末まで、新潟のお嫁さん実家ご両親と長男一家は、台湾旅行に行きます。
お中元のお礼メールで、向こうのお父さんから「台風が来なければいいのですが・・・」というのを頂いていたので、10日の東京出発に影響のないことを願いました。

遼成くんは、もう日本国パスポート持ちです。
パスポートって確か10年有効だったはずですが、1才の子のパスポート写真で11才の海外渡航が有効なのか笑っちゃいます。
まあ幼児は有効年限がずっと短いのでしょうが・・・

家内とYさんの好印象のことや、長男たち夫婦が上手に向こうの親も僕らも楽しませてくれるのに感謝したりして、楽しいおしゃべりになりました。
僕らも子育て中は、僕の両親は隣の家だったので当たり前ですが、家内実家にも2ヶ月毎ぐらいに顔を見せ、僕は家内実家隣の散髪屋さんの常連客になっていました。
1世代進んだようですが、ごく普通の日本人の心を持った息子に育ってくれてありがたいです。

機内での機長からの話では、定刻の8:05ランディングでしたが、大阪の空が近づくと「上空雷雲発生のため、着陸渋滞が発生しており15分ほど遅れる」とのアナウンスが有りました。
8:20無事着陸しましたが、雷は鳴っていないもののしっかりした雨が降っています。
僕が一旦バイクで帰宅し、車でピックアップに戻る作戦にして、家内を待たせて、家内が用意してた折りたたみ傘を差してバイクに向かました。
カッパ着て周回道路に出たら、家内もカッパ着れば平気そうに感じ、ターミナル前にいた家内の前に横付けし、カッパを着てもらいました。
孫くんを追いかけるように家内は運動靴も持っており、ヒールからそれに履き替えてもらい、ブーンと帰宅しました。
楽しい楽しい、そして子供たちの新たな展開も想像される東京デートでした。

翌日、メールを開くと、次男から長男に向けてお礼のメールがCCで届いていました。
Yさんの「とても楽しかった」との感想も書かれていました。
交際4ヶ月のホヤホヤカップルですが、次男はYさんの実家にも伺ってるので、結婚しようと思ってるのでしょう。
僕も学生時代に数人とダメになった後家内と出会い、すぐに実家に行き、親戚廻りもして交際1ヶ月後には家内を逃したら一生の不覚になると思い、本人だけにですが結婚を申し込みました。
こういうものは速攻が吉です。

僕もみんなに御礼のメールを打ちました。
次男には、Yさんに伊丹においで、一緒に船に乗ろうと誘ったよとメールしました。
次男が会社の寮の敷地内に置いてる1人乗りのヨットを会長が見つけ、ヨットを買いたいから頼むわと言われたという話の流れからそうなりました。
更に、8月のお盆にこっちに来てもいいし、その次の週の従兄弟の神戸での結婚式に誘ってもOKだよって書いておきました。

お嫁さんからみんなに返信があり、「Yさんはとても感じの良い素敵な子で仲良くなれそう。また2人で遊びにおいで」と書かれていました。
これからの人生では親よりずっと長く付き合う人だから、お互いしっかり吟味してるのでしょう。

長男はこちらにいた頃は、家事を何も手伝いませんでした。
僕も今は洗濯物干しぐらいしかしないから、僕の責任ですね。
でも子供ができてからは、よくやっています。
この日もお嫁さんが孫くんをお昼寝させてる時は、皿洗いとかやっていました。
これもYさんから見たら、高得点でしょう。
育った環境が同じだから、親や兄弟の行動を見て、話をすると本人から見えていない部分がわかります。
しっかり次男の育った家庭を吟味してほしい。
次男は子供好きで、いつも遼成君とよく遊んでいるので、これも将来を考える時高得点でしょう。
いい縁になるといいな。

7/6・Yさんとおしゃべり

みんなでわいわいやってる間にお昼になり、お嫁さんがパエリアを出してくれました。
お野菜の添え物など上手に盛り付けされており、ほんとに料理が上手です。

孫くんは、新潟のお父さんが買ってくれた乗り物の本がお気に入りで、ボタンを押せば音も出ます。
次男カップルに、「パトカーは?」「はい」指差しの芸当を披露し、みんなに褒められてご満悦です。
家内も孫くんの方に行って床で遊んでるので、Yさんと食卓であれやこれや話しました。
次男や長男のクラブのこと、ヨットを始めたきっかけ、今の建築業界に進んだきっかけになったと思われる阪神淡路大震災の時も模様・・・。

話していて、次男が気に入った理由が見えて来ました。
聞き上手で、自然に落ち着いて相手の話をゆっくり聞いています。
話好きの人は、相手が話している間も合いの手を入れ、次自分が話す言葉を頭を高回転させて考えています。
合いの手が多過ぎたり、話の語尾に被せて話を始められると、僕のようにスローに話す人には辛いものがあります。
僕は頑張って話すようにしていますが、普段着の自分でゆったりいられるのは、家内のような聞き上手さんの側です。
Yさんの中に、家内に似ている一面を感じました。

遼成くんがお昼寝してる間、食後のお茶を飲んで、あれこれ話しました。
長男は会社の経営の舵取り委員という仕事の他に、本来の仕事であるアメリカも担当してるので、出張はアメリカが多いそうです。
学会などで最新研究を仕入れたりしなければならず、2週間ぐらい不在になることが多く、その時は新潟の実家に孫くんと帰省して楽しくやってるようです。
お嫁さんによると、アメリカとの時差の関係で、朝一出社や最終帰宅が多くなり、週末にしか孫くんと遊べずかわいそうとのことです。
長男は仕事の話はしないので、日頃が想像出来ました。
その分、週末はみんなであっちこっちに行ってるようです。

長男は、「2~3年後に、アメリカ勤務かもね?」って笑っていました。
お嫁さんも英語に不自由ないので、会社としては最適な人材ですね。
そうなると孫くんも帰国子女ってやつやね。

20140706TokyoS032s.jpg
遼成君が起きてきたので、近所の公園に繰り出しました。
数日前の天気予報では、雨マークも肩に載っていたのですが、今朝の天気予報では晴れマークに変わっており、雨の心配は全くありません。
20140706TokyoS039s.jpg
トコトコ長男カップルの新婚時代のつり場の公園でブランコなどに乗ります。
20140706TokyoS047s.jpg
滑り台スロープを登りだし、適当なとこで身体の向きを変え滑ります。

20140706TokyoS045s.jpg
孫くんは、僕・家内・Yさんの間を適当に歩きまわり、長男や次男には肩車されて楽しそうです。
お散歩中、お嫁さんとYさんがずっとおしゃべりしていました。
同年代の女同士、僕などには出来ない話があるのでしょう。

部屋に戻り、お嫁さんお手沿いのケーキを美味しく頂きました。
Yさん・次男が持ってきた千疋屋セリーもみんなで食べます・・・甘~い。
女子好き孫くんは、Yさんがお気に入りで、何度も繰り返しYさんに甘えに行きます。
Yさんも「気に入ってくれてありがとう」と楽しそうです。
孫くんもナイスなホスピタリティーです。
本日の主役2人が楽しんでくれ、僕も大満足でした。

帰りの飛行機は19時羽田発で、長男が車で送ってくれるというので、早めの17時前に家を出ました。
電車で来た次男カップルとは、ここでお別れです。
Yさんに「伊丹にもおいで。船に乗せてあげるよ」って言ってバイバイです。

長男一家と車に乗り込みました。
長男たちにもYさんは好印象だったようで、「ネックはお父さんやな。次男の足を引っ張らないようにしなくちゃ」と言うと、「お父さんなら満点ですよ」って、お嫁さんがヨイショしてくれました。
17:30に羽田に着き、次は8月だねとバイバイしました。

18:30の伊丹行きの空席を聞きましたが満席で変更ができず、19時まで暇です。
売店を回っていたら、家内が千疋屋総本店を見つけました。
次男・Yさんが持ってきてくれたゼリーも並んでおり、奮発してくれたのがわかりました。
会社の同僚へのお土産に、プリンパンケーキを買いました。

まだたっぷり時間がありますが、少しでも雑踏から離れるために出発ゲートを抜けて中で待つことにしました。
さすがに羽田空港で、こちらにも売店がたくさんあります。
「ISETAN」があったので、入ってみます。
2万円のサングラス、10万円の旅行かばん・・・僕には「お呼びでない」世界です。
店員さんが近づいてきて、「いつもありがとうございます」・・・???・・・家内のサブバッグを指差して・・・。
「ああ、これね」って、家内が笑っています。

お嫁さんの妹さんが伊勢丹にお勤めなので、今年もご実家へのお中元を伊勢丹から送りました。
その時、ISERTANバッグをもらったそうです。
紙バッグではないし、ISETANなんてロゴも入ってないので、貰い物とはわかりませんでした。
これも男にはわからない女子世界です。

7/6・主役にご対面

浜松町で同じ飛行機に乗っていた1才ぐらいの女の子連れの御夫婦とまた一緒になり、東京駅で京葉線に乗り換えると、東京ディズニーランドに向かうのが丸わかりのコスチューム女子が増えました。
ミニーマウス衣装まんまの幼稚園児もいました。
大きな髪リボンが可愛いです。
潮見駅は、東京駅から3つ目で、さらに3駅進むと東京ディズニーランド最寄りの「舞浜駅」です。
2駅向こうの葛西臨海公園には水族館もあり、楽しそうな立地です。

10時前に潮見駅に着きホームに降り立つと、目の前に長男がいました。
嫡男・遼成くんも抱っこされています。
挨拶し握手を求めますが、じっと僕を吟味しています。
前回会ったのは5月連休で、半日警戒されましたからまた最初からです。
我が身を自ら守る人見知り警戒時期で、順調に育っているようです。

4人で歩いて長男のマンションに向かいます。
長男から送られてきたムービーを見て、新幹線や消防車などを聞き分け見分けられるようになっているのは知ってるのですが、遼成くんは高架上を走る電車に反応し、トラックに反応し、パトカーも指差して「たー、たー」と大喜びしています。
男の子は、メカ好き・動くもの好きですね。
僕も母の話によると、お散歩コースの機関車とヨットから動かなかったそうです。

玄関前でお嫁さんが迎えてくれました。
アイスコーヒーを飲みながら、遼成くんと遊んでいると、僕にもバスのおもちゃを持ってきてくれて、「コイツは怪しくない」と受け入れてくれたようです。
アメリカンスクールバスで、アメリカンパトカーとともに、長男がシカゴ出張で買ってきたそうです。
他に、「はとバス」や「はしご車」もあります。
お嫁さんのお父さんに買ってもらった「乗り物絵本」を見ながら、「バスは?」「新幹線は?」「オートバイは?」と聞くとちゃんとみんな指摘し、たった2ヶ月ですごく賢くなっていました。

今年から通い始めた1歳児水泳教室は、最初怖がっていた水の中が平気になったそうです。
でも走ってジャボンと入っちゃう子がいるのに、遼成君は慎重派のようです。

家内は、洋服など遼成くんへのプレゼントを僕に内緒で持参していました。
何故か単なる服なのに興奮気味に喜んでいます。
まあ、僕も家内に内緒で持参した絵本をプレゼントしました。
僕が弟にも、長男にも次男にも読み聞かせた「岩波の子供の本シリーズ」から2冊です。
「きかんしゃやえもん」と「ちいさいおうち」で、今回本屋で物色している時この本を見つけ、僕はびっくりしました。
子供たちにこの本を読んでた25年前と、全く変わっていません。
表紙の絵もそのまま、持った質感も同じです。
家に読み込まれた同じ本がありますが、新調しました。
長男は、まだ絵本の内容を覚えており、「懐かしいな~」と喜んでいました。

11時前になり、「そろそろ着くころね」とお嫁さんが言ったので、次男を待ち構えマンション玄関オートロックを解除してやろうと下まで降りました。
エレベーターを下りると、目の前に次男とスリムな別嬪さん・Yさんが並んでいました。
お嫁さんに部屋からロック解除してもらったのでしょう。

挨拶し、長男の部屋に向かうと、みんなが玄関前で出迎えていました。
「いらっしゃい、入って入って」と大歓迎です。
Yさんは会社の3つ後輩で、人事部で働いています。
会社の年次総会で一緒に司会したこともある仲だそうです。

20140706TokyoS019s.jpg
お土産にゼリー詰め合わせを持ってきてくれていました。
家内が、「いや~千疋屋~、いいものをありがとう」と言っていました。
スイーツの有名ブランドだそうです。
僕など全くわかりませんが、お嫁さんも知っており女子は物知りです。
妹さんとの2人姉妹で、妹さんが銀座三越にお勤めだそうで、そこで買ってきたとのことです。

「三越~、・・さん(お嫁さん)の妹さんも伊勢丹だから同じじゃないの~」
と、また女子組で盛り上がっています。
三越と伊勢丹は、合併して同じ会社になってるそうです。
女子は物知りです。

次男は3/28生まれです。
今年、自分の誕生日を自ら主催したパーティーを開いて祝いました。
僕も招待状を受け取りましたが、息子の誕生日で東京まで行かないわな・・・
会社関係・ヨット部関係・学生関係など大勢呼びました。
企画も自分でやり、ギター演奏を披露したり、ビンゴゲームで景品を多数用意し、大赤字だったそうです。
その時彼女も参加しており、長男一家も参加しました。

20140706TokyoS028s.jpg
このビンゴゲームで1等・空気清浄機を当てたのがなんと長男で、さすがに辞退したそうですが、きっと会場は盛り上がったでしょう。
そして2等を当てたのが彼女でした。
その時の写真を、家内はGWに次男が帰省した時に見ており、「この娘、かわいいね」と言ってた娘がYさんでした。
その会話を僕は運転しながら聞いていました・・・鋭いでね女の勘は・・・。

7/6・東京デート

日曜日は、家内と東京デートしました。
半年前の僕の誕生月同様、長男夫婦の「遼成くんがまた成長したから見においで」のお招きに応じただけですが、とて
も楽しみにしていました。
2週間前に次男が友人の結婚式で帰省したとき、それを話すと、「じゃあ僕も行こうかな?」って便乗してきました。
数日後、「僕も行っていい?紹介したい人もいるし・・・」という内容のメールが長男宛・僕CCで届き、そちらも楽しみで
した。

次男には学生時代からお付き合いしていた同級生GFさんがいたのですが、今年1月にダメになっちゃいました。
僕と家内も学生時代からの同級生カップルですが、卒業後2年で結婚しました。
家内の姉カップルも同じく学生同級生で、兄が卒業後別の大学に進学した時についていくために、学生結婚しました。
本人同士は学生時代に結婚の約束をしたのですが、向こうのお父さんが一番売れてるビジネス雑誌・プレジデントに載るような人で、お父さんは賛成でしたがお母さんが反対されました。
お父さんのお母さんへの説得援護を受け、次男は2年頑張ったのですが、2人で話し合って終止符を打ちました。
ご両親はお見合い結婚で、お母さんは家の繋がりを資産とかのデータ重視する方なのかも・・・
次男は、容姿・努力家・真面目さ・人をまとめる能力・学歴・仕事など非の打ち所がないは二重丸なんだけど、次男は口にしませんが、貧乏暇なしの僕の責任だと思っています。
ご両親にも会えず・・・でした。
次男はよくモテるし草食系でもないので、傷心してる暇もなく4ヶ月前から次のお相手と付き合いだしたようです。

朝4時に目覚めました。
天気予報をチェックすると、大阪は曇で22時以降雨で24時雨量予想1ミリでした。
通勤リードタンデムの予定から、車に切り替えようかとも思いましたが、空港まで10分なのでリアボックスに家内用カッパ追加で凌ぐことにしました。

昨夜装束で悩んでた家内は、いつもより30分早く4:30に起きてきました。
僕も次男新GFさんとの初対面なので、前日に散髪してちょっと気合が入っています。
次男は好青年でモテるので心配はないのですが、一番のネックの親父が足を引っ張るわけにはいきません。
僕は、白スラックス&ヘリハン半袖ポロシャツという出で立ちにしました。
スーツ姿は堅苦し過ぎるし、嫡孫くんと公園に遊びに行くとのメニューも長男からのメールにあったので、ラフな出で立ちの中に、ヘリーハンセンで少々ヨット風味を加えました。
まあ家内のような衣装持ちではないので、ラフな格好しか用意がないのですが・・・。

7:05発東京行き始発便なので余裕がありましたが、NHKの日曜朝の落語を見終え何もすることがなくなったので、5:45に家を出ました。
通勤リード110でブーンと空港まで10分走り、モノレール駅下のバイク無料駐車場に入れて、6時前に空港ターミナルJALカウンターに着きました。
カウンターのお姉さんに、予約メールを見せますが、「予約番号はわかりますか?」と問われました。
予約番号の書かれていない方のメールをプリントアウトしてきたようです。
「では身分証がありますか?奥様のも」・・・これで無事チケットをゲットできました。

前回の11月同様、長男夫婦からのプレゼントチケットです。
長男の貯まったマイルを使ったのか、お嫁さんの一親等無料チケットを利用したのか不明ですが、「切符は僕が取ったるわ」といつも言ってくれます。

20140706TokyoS011s.jpg
空港売店も開店前なので、搭乗口カウンターを通過して搭乗待合スペースで待つことにしました。
家内が化粧室で入念なお化粧最終チェックするというので、僕は本コーナーで物色しました。
20140706TokyoS001s.jpg
6:38、1029円の遠視眼鏡と「日本史の謎は地形で解ける・竹村公太郎著・PHP研究所」シリーズ3部作を大人買い2405円しちゃいました。
ペラペラとめくったページに、標高が色でわかる3次元に見える地図が掲載されており、山城探索やサイクリングルート計画で参考にする好きな地図だったので、これはいいと思いました。
土木技術が未熟で、多雨な日本列島は河川にやられ放題だったから、一部馬のほぼ徒歩移動していた過去の歴史を探る上では、等高線からの地形図が非常に重要です。

無事定刻に空港を飛び立ちました。
左側主翼上の座席だったので、下界の景色は期待できませんでしたが、離陸後の旋回で我が家を視認することができました。
曇り空で高山がほとんど雲の下でしたが、富士山だけは頭を出し、綺麗な円錐形を見せてくれました。
何度見ても日本一姿のいい山で、多分世界一でしょう。

定刻通り8:05に羽田に着陸し、いつものようにモノレール~天王洲アイル~新木場~潮見ルートで向かおうとモノレール駅に着きましたが、浜松町駅工事中のため天王洲アイルまで行けないそうで、駅員さんに京急線~浜松町~JR線を指示されました。
巨大駅・東京で乗り換えがあるので好きじゃないのですが、仕方ないです。
浜松町で歩きながら家内が長男に無事羽田到着の電話をしました。
モノレール工事のため浜松町ルートで向かう事を告げると、「東京駅で長く歩くけど、料金はだいぶ安いよ」とのことでした。

7/8・台風対策

強力な台風8号が接近しているので、雨が降る前にと、船の台風対策をしにヨットハーバーに向かいました。
R171を西宮に向かって通勤リード110を走らせます。
信号の繋がりが良く20分強でハーバー着です。

ハーバーは火曜日でお休みです。
係留桟橋入口のカードロックを解除し、ヨットクラブ桟橋を歩いて船に向かました。
既に台風対策が済んでる船もあり、これからの船もあります。
最終的には、ハーバー職員が常に見回って危なそうな船は増しロープなど最低限の対策はしてくれますが、やはり自分で納得の対策をしたいです。

うちの船に着くと、もう対策済でした。
20140708ElsinoreO006s.jpg
大学ヨット部の先輩と共同所有している船ですが、僕が最年少なので、体育会の常で僕が台風対策するのが暗黙の了解でしていました。
日曜日には、超強力台風が来そうとニュースで流れていたので、遊びに来てた先輩がやってくれたのかも?

続いて、陸置きレース艇の方を見に行きました。
20140708ElsinoreO011s.jpg
こちらも対策済で、風がはらむと船を倒してしまうオーニングは外され、バウ(船首)とスターン(船尾)から各2本のシート(ロープ)がヤードのリングにガッチリ結ばれています。
胴型艇フリートの全艇が規則正しく同じように台風対策されていたので、同じ人が全部の船を固定してくれたようです。

僕も仕事後の夜、雨の降る中カッパを着て、自艇や対策がされていないお隣さんの固定作業したこともありますが、こんなにビューティフルな感じには出来ませんでした。
プロ作業の匂いがします。

2艇の写真を撮って、仕事場に戻りました。
共同オーナーの先輩方に写真を送ろうとメールを開くと、係留艇は先輩が、レース艇はメンテナンス諸々を頼んでる業者さんがやってくれたと書かれたメールが届いていました。
やはりプロの作業でした。
写真添付メールはなかったので、撮った写真を送っておきました。

7/2・丹波篠山・弥十郎ヶ嶽登山口探索 2/2

前回は収納庫で引き返しましたが、その先に進みます。
6:17、「謂れ板」を発見し緊急停止しました。
『郷土記念物・西光寺跡のネズ ムロの木とも呼ばれ、樹高2~3mが一般的ですが、樹高21m・幹周り3.1mとネズの木としては県下有数の巨木で、地域の信仰の木になっている』

20140702SasaS016s.jpg
北のR372方向を見ると、R372の向こうを流れる篠山川を水源にする優勢な朝霧が後方を隠している。
ナイスな景色です。
朝霧の上にアンテナ塔が数基建ってる山頂が見えます。
方角的に衣笠山かな?
「鉄塔があるということは、メンテナンス道があるはず・・・」
「朝霧の上に頭を出しているから、朝霧鑑賞ポイントかも・・・」、また新たな探索ポイントが出来ちゃいました。

くたびれた白土蔵があり、「宝庫」と掲げられています。
20140702SasaS015s.jpg
スズメバチの巣が軒下に2個もくっついています。
20140702SasaS021s.jpg
本来の「西光寺」はここにあったようで、石積みや祠・明治期様式の墓石などが面影を残していました。

「弥十郎ヶ嶽 畑市」の案内板が、道の奥へ矢印していました。
バイクに跨り、1車線道を更に南下・森の奥に向かいます。
当然のように苔道になり、泥が盛ってるところもあり慎重に走ります。
これまた予想通り獣避けゲートが出現し、開閉して更に奥へ。

20140702SasaS032s.jpg
数分で舗装路が切れ、廃キャンプ場がありました。
未舗装の広場があり、登山者の駐車場になりそう。
地図には山頂・715.1mまで60分と書かれており、途中に大岩と洞窟も書かれています。
登山道を少し入ってみましたが、道が広く少しは整備されているのかもしれません。
僕ら夫婦でも2時間あれば登れそう。

もう一本東の沢道からの登山口探索出来るかなと思っていましたが、6:30を回ったので帰路に着きます。
再度獣避けゲートを開閉し、R372~r12に入り南下開始。

6:48、後川手前の南側登山口でストップ。
未舗装路なので、来る時は原付ですね。

6:52、r12を篠山に向かって北上し、後川で羽束川を渡って城東トンネルに上がるカーブで正面に見える朱鳥居を探索します。
こじんまりとした祠があり、森の中にはしいたけ栽培されていました。
奥を見ると、山を囲う獣避けフェンスに開閉扉があり、山道が山を登っていってるようです。
20140702SasaS041s.jpg
バイクに戻るために歩いていると、大野山山頂展望台がクリアに見えます。
やはり展望台から見えていた集落は後川のようです。

r12~r319~r33~r325~長尾山トンネルの定番コースで、7:50帰宅しました。
朝ドラ「花子とアン」ヒロイン・吉高由里子さんの恋のお相手さんの奥さんから旦那さんに、「離婚してください」のお手紙が送られました。
新たな展開・・・。

「朝イチ」の有働アナさんが、「病気の奥さんを離婚して・・・は、NGやわ~」と感想を話していました。
確かお孫さんが書いた祖母の生涯が原作だったはず・・・ドラマの演出的には主役が悪役にならないように展開されていくでしょうが、「小説より奇なり」な真実はどうだったんだろう・・・って想像しちゃいました。

弥十郎ヶ嶽登山口 3/4

7/2・丹波篠山・弥十郎ヶ嶽登山口探索 1/2

4時半に目覚めました。
その前に目覚めた記憶がありますが、窓の外が暗かったのでそのまま再び寝入ったようです。
昨日も同時刻に目覚めましたが、ゴソゴソした後庭仕事をしました。

ツーリングに出ることにし、静かに着替え速攻で玄関を抜け出しました。
倉庫から「招き猫CB400SB」を出して、丹波篠山盆地の南東の雄蜂・弥十郎ヶ岳を目指しました。
登山道は数本あり、南の後川から・南東の篭坊から・西の曽地から・北西の畑市・北の辻からがあります。
登山口の様子の下調べです。
舗装路のエンドまで登ろうと思ってるので、里山VTR250の方がいいのですが、CB400の素敵なエンジン音を聞きたくなったので、あまりに怪しくなさそうな北側からの登山道を目指します。

5:02、コスモ石油・川西中央店で給油、302km/12.53L=24.1km/L。
r13~r12・旧道~r12で北上し、5:53・西峠の定番休憩場所で停めました。
ここから後川までのr12下りは鹿の多いところで、日が暮れてからや夜明け頃通ると時々鹿に出くわします。
今年も2頭の交通事故の残念な姿に出くわしています。

20140702SasaS001s.jpg
西の大野山方面に植林の森に入ってみました。
杉の森なので下草が生えず見通しが良いです。
すぐに「キュン」や「キューン」の鹿の警戒声が聞こえてきました。
明らかに僕に対する警戒声です。
上部を注意して見ていたのですが鹿は見えず、視認してからの警戒声ではなく、僕の足音に対してのものだと思います。
20140702SasaS009s.jpg
針葉樹の落ち葉・落ち枝がフカフカ絨毯になっており、どうしても足音が出てしまいます。

警戒声の数を聞くと、西の三国ヶ岳ほどの鹿の濃さではなさそうです。
あっちの山に足を踏み入れた時は、一斉に警戒声を浴び、あちこちに姿を見、鹿糞だらけの山道でした。

現道r12は、旧街道ではないと思いますが、丹波と摂津を結ぶ街道が雄蜂・大野山を避けて近くを通っていたのは間違いないです。
丹波から摂津への出稼ぎ杜氏街道で賑わった「後川稲荷神社」の位置や山塊地形を見ると、食いつぶした暴れ者が山賊になり住処を作っていそうな場所です。
名のある豪族の下に入って砦程度の山城があったことが想像される地形なので、その痕跡を探しましたが、うろついた範囲には見つけられませんでした。
でも何かありそう。

後川~城東トンネルを抜け篠山に入ります。
ピザ屋「クワモンテ」のところが、弥十郎ヶ嶽へのメイン登山道で、隆盛を誇った多くの僧坊跡・四十九院を巡りなら登るそうです。

R372に突き当たり右折・少し東に走り、「西光寺跡」案内板のある交差点を右折・南下します。
奈良時代、僧・行基が弥十郎ヶ嶽山中に四十九院を建てた時に「西光寺」も建立された。
今はもうお堂はなく、平安時代作の国の重要文化財指定された本尊の薬師如来坐像・脇侍四天王像を収納する収納庫だけになっている。
以前西光寺探索の時、コンクリート製の収納庫のみでがっかりしました。

弥十郎ヶ嶽登山口 2/4

6/29・インカレ個人戦・地区予選 2/2

1上マークを先頭艇から回り始めましたがスピンが上がりません。
サイドマークまでの風向がキツイようです。
金沢のスピンが上がりましたが、また下ろしました。
D社のダークブルースピンが上がりました。
次々にダークブルースピンのみが上がります。
D社が綺麗に張れており、風速も8m/sぐらいなのに、ひっくり返るのが怖くてスピンを上げない選択をしている他艇は気持ちで負けてるね。
自信がないんだろうな。

僕が4回生の時の全日本学生個人選手権・第1レースで、江ノ島で15m/sオーバーが入りました。
1上トップ回航した僕は、迷わずスピンを上げ快走し、3位回航の僚艇を除いて誰もスピンを上げず、ぐんぐん差が開き、フィニッシュ時にワンマーク離れちゃいました。
それを思い出し、D社との気持ちの違いを感じました。

1上はワンツーとうちでした。
サイドマークまではリードを保ちましたが、サイド~下レグで見ていると、追うD社との船の安定感が違い、下マーク手前で抜かれてしまいました。
フィニッシュ後、コーチボートに帰ってきた2艇から少し遅れたけど上位フィニッシュしたT君に、「ワンツーやったぞ」と笑顔で声が掛かっていました。
「ほんまですか?僕もあそこで・・・」と悔しそうでした。
いい感じです。

上位2艇には、この風でのボートスピードを褒め、チューニングデータをノートするようアドバイス、そしてフリーの安定感に欠けるので、練習での課題にしました。
T君には、最も古い船での大健闘に拍手し、練習でボートスピードを磨くことをアドバイスしました。

全艇へのアドバイスで最も大切にしているのが、次のレースに笑顔で臨めるようにすることです。
ミスは当然指摘しますが、必ず良かったとこも話し、最後には握手したり肩をたたいたりして送り出します。
意外にスキンシップがいい効果を生みます。
「はい!」って笑顔でコーチボートから離れていく選手達は、次のレースへのファイトが燃えているでしょう。

R3は、少し風速が落ちましたが安定した北風で、ボートスピード勝負になりました。
ワンツーが金沢でD社が追う展開で、その中に3位でT君が回航しました。
最終マークまで3位キープでしたが、きついアビームでD社3艇に相次いで抜かれてしまいました。
それでも素晴らしいです。

ジュニア上がりの次男が1回生の最初のこの大会で、初日3レース終了時トップという鮮烈学連レースデビューを飾りましたが、奇しくも同じ艇で立派にレースを終えました。
全体的には、下級生の船も含め、レース前半で後位に甘んじても必ずマーク毎に順位を上げてくる艇が殆どで頼もしく見えました。
部員が増え、部内競争が激しくなり、多数艇で練習できるようになり、良い循環になっています。

R3で最終レーススタート時刻リミットの14時を回り、トータル4レースで大会が終わりました。
16時前にハーバーバックしました。
プロテストが多く出ているようで、閉会式を待っていては帰宅が遅くなりそうです。
待っていられないので、ブリーフィングで気づいたことを話し、ハーバーを後にしました。

日のあるうちに帰宅できそうで、一人ぼっちにした家内と何かできそうです。
湖西道路~名神~中国道で17時過ぎに帰宅しましたが、家内はいませんでした。
ヨットの用意を片付け、至福のヨーグルトタイムしてから、風呂に入ってクレンジングでUVクリームを落とします。
その時、家内が帰ってきました。

「どこ行ってたの?」
「近江八幡に行ったよ。帰りにハーバーに寄ったんだけど、入れ違いだったみたい。携帯見てごらん?」
携帯の電源を入れて見ると「あ~メールも入ってる~、ごめん~、悪かったなあ。携帯電話の電源を入れてなかったわ」
「ふふふ、いつものことだからいいよ。近江八幡に行かないと言ってたし・・・」

まあ約束してなかったんだけど、ビックリさせようとしてくれた家内に悪い事してしまいました。
何度も謝りました。
ぐあ~、ガッカリです。
ハーバー出る時、家内に電話しようかな?と一瞬思ったので不覚でした。
ハーバーで家内をピックアップできたら、京都永観堂に寄って家内の両親他ご先祖様に手を合わせることができたのに・・・

日曜定番の「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て、21時に床につきました。
監督から聞いた、「2週間後の琵琶湖開催の7大学戦に、レース運営として次男が参加する」を話すと、家内がまたウキウキし始めました。
自宅に顔を出すかどうかわからないけどね。

明日は、家内と東京デートです。
長男夫婦が、「孫を見に来い」と僕らを誘ってくれました。
飛行機チケットは、また長男のマイルからプレゼントです。
次男カップルも来るとのことで、今朝出勤前に御用達散髪屋さんに行ってきました。

6/29・インカレ個人戦・地区予選 1/2

日曜日は、映画「WOOD JOB」のロケ地・三重県美杉を、夫婦サイクリングする予定でした。
1週間前に、天候不良&次男の帰省により順延していたリベンジです。
ところがこの日も雨予報が曇から雨に悪化したので諦め、インカレ個人戦予選へのコーチング参加をクラブの学生に伝えました。
すると前日の天気予報から晴れマークに変わりました。
なんじゃそりゃ・・・

4時に目が覚め、ちょっとゴソゴソし、続いて庭の雑草取りに精を出し風呂に入っていると、いつもより遅く6時前に家内が起きてきました。
当初、一緒にレース会場のヨットハーバー最寄りのJR大津京駅まで行き、家内は近江八幡を散策して、帰りにまた合流する計画でした。
でもデパートに買い物に行くとのことで、計画は流れたのでゆっくり起床です。

6時に出発しました。
バイクで行こうかとも考えましたが、天気予報は夕立を予想しており、不安定な梅雨の季節なので車を選択しました。
曇空での出発でしたが、天王山を越え京都盆地に入ると陽が差してきました。

7時にハーバーに着き、学生に挨拶し、土曜日の成績表を見に行きます。
風がなかったようで、1レースのみ成立していました。
両クラス、上位6艇まで全日本学生個人戦出場枠があり、2艇が圏内に入っています。

艇庫前に戻り、あれやこれや話をして、レース運営する次期監督の次男同期I君と現監督さんが来られました。
8:15に出艇D旗がレース本部のポールに上がり、監督・マネージャー・1回生数人と一緒にコーチボートに乗り込みました。
大会運営要員の1回生以外の1回生がレース艇に乗り込み出艇していく選手に、大声でエールを送ります。
それに大声で応えるレース要員・・・何度見ても清々しい学生レース風景です。

R1は南西の三井寺からの風で、強弱・風向の変化のあるレースでした。
コーチしてる大学からは各クラス5艇ずつ出場していますが、2回生スキッパーが3艇・1回生スキッパーが1艇出ており、どうしてもそちらに目が行きます。
特に1回生・T君のレースを見るのが初めてなので注目です。
スポーツセレクション入学制度がないので、高校ヨット部経験者は金の卵です。
息子のようにジュニアからバリバリにヨットやってた子は、過去息子一人ですが、経験者が同学年にいると必ずその学年のレベルが上がります。
現在4回生1人・2回生2人・1回生4人という、僕のコーチ10年間で最多になっています。

スタートはアウター有利でしたが、典型的な三井寺の風なら右にシフトしていくはずです。
アウター有利ならスタート号砲直後タックする船が多く、ポートの走り合い勝負になります。
先にタックしバウを出した者勝ちです。
T君はほぼ号砲同時タックで艇団から右に出し、集団がバラけたとこで再びタックをして左に行きました。
スタート後、左からブローが入り、右有利の展開にはなりませんでしたが、素晴らしい先手・先手のコース引きです。
レースの勝ち方をわかっていますね。

第1上マークを回航し、D社ダークブルースピンが先頭集団で次々に上がります。
3艇合計で見ると対抗するのが金沢で、少し離され次がうちで僅差のRitsが追う感じです。
D社は2年連続全国制覇中で、今年の僕の母校との定期戦結果を見ても、今年も全国制覇の本命です。
関東を制した日大と一騎打ちになりそうです。
良いターゲットが同じ水域にいるので、大いに胸を借りて技術を磨いてほしいものです。

フィニッシュ後、次々に戻ってくる艇に、感じたことを話します。
艇の感触を聞きながら、セッティングアドバイスをして、次のレースに気持ちを切り返らせて送り出します。
T君にはスタート時のナイスを褒めます。

風が落ちて風待ち後に、北から6m/sほどのブローが入ってきました。
R2もT君メインに見ます。
中央アウター目から第一線で出たT君は風上艇よりスピードがあり、少しずつバウを出していきます。
よりアウター寄りからからスタートしたけど走り負けして遅れた艇がタックを返してきますが、それらの艇のバウ(前)を切っていい感じです。
しかし、走り勝って返してきた数艇にバウを切られました。
この中に2艇のうちの大学艇がいたので、この2艇に期待です。
T君も悪くないはずです。

6/27・北摂能勢町山辺・月峯寺

6:26、山辺地区寺社の真打ち「月峯寺」到着。
20140627YamaS050s.jpg
新旧の石仏がたくさん並んでいました。

『月峰寺の阿弥陀坐像石仏 文安4年(1447年) 近世の大宝篋印塔の背後に、等身大の阿弥陀坐像が静かに6体並んでいる。花崗岩製で一材から像容と後背を作り出し、背面は不整形な船底型になっている。作仏は京都系の石大工の手になるようで、洗練された作風が随所に見られる。等身大の石仏が6体も完全に揃っていることは、府下でも他に例を見ない。剣尾山上の旧月峰寺跡の天文5年(1536)六地蔵仏とともに弥陀と地蔵信仰が庶民層に定着し、このような作仏となったのであろう。おそらく有徳な資力のある土豪か名主層による造立と思われる。 能勢町教育委員会』

20140627YamaS056s.jpg
山中要所要所に置かれていた地蔵を1ヶ所に集めているのでしょう。
お地蔵様建立の理由は様々で、地域の有力者が道標として設置したり、道中夭折した我が子を弔う気持ちで、後世の旅人の道中安全を祈願してソコに設置されたものもある。
それ故、安易に移動させるのは憚られるが、天災流出や土木工事の折、土中より産出したものなど、行き場を失った地蔵がある。
先人に起こった何かの供養のため、後世の者が地域の寺院に弔いを任せる美しい姿がそのに見えます。
権力者が先祖や自らの死後を弔う為に制作させ、菩提寺に安置する素晴らしい芸術品もいいですが、僕は道端に佇むお地蔵様にその地に生きた一般庶民の想いを感じます。

20140627YamaS062s.jpg
苔むした市井のお地蔵様に覆い屋が施されていたり、真新しい帽子や前掛けが掛けられていると、脈々と続いてきた他人を敬い他人に奉仕する気持ちが伝わってきます。
「日本人に生まれてきて良かったな」と感じる瞬間です。

お賽銭をはずもうと本堂に行くと、賽銭箱横に寺の縁起や資料が入ったプラスチック文箱がありました。
ご縁起を頂戴したかったが、1部しかなかったので後から来られる方の不便を考え、写真にして持ち帰ることにしました。

『劔尾山・月峯寺・縁起 当寺は、推古朝百済の高僧日羅上人が来朝の折、尼崎沖にて東方より紫光が海面を照らすを不思議に思われ、この光を辿られ数十里にして、北摂の高峰・槻ガ峯に紫光を放つ槻の木に至り、この大木を切られたるところ清光輝く観音様が現出、後、聖徳太子は上人と百官を率いて登臨されこの香木で2体の観音像を刻し、1体を尼崎の大覚寺に1体を当寺の本尊として安置し、槻ヶ峯と称す。後山上にて護摩修行中不動の利劒空中より下るをもって劔尾山と号し、後、勅旨をもって月峯寺と改め、比叡山と共に修験の霊地として九百余年に渡り法灯盛んであった。
戦乱期、天文14年(1546)12月2日、丹波八上城主・波多野氏の兵火により一山の堂宇ことごとく燃亡。天文18年、三好長慶が再興を企てるが成らず。文礫年間、大坂城代家老・片桐且元が領地を境内地として寄進し、豊臣秀頼の祈願所として現在地に再興される。慶長20年豊臣家滅亡後荒廃し、天和3年(1683)智光上人により再興され、隆盛を極めた。寛政3年(1792)より80年間無住となる。明治3年、覚誉和尚入山以来累代住職法灯を譲る。第2次世界大戦末期には託児所を開設、昭和19年には学徒疎開を引き受け、終戦後には寺内に文部省体育局能勢農場・西能勢村立図書館・保育所等が開設され、関西沿阪大・京大等多くの学生の勉学や青少年の研修の場として利用された。
本堂の裏の山中に室町期の阿弥陀如来6体仏・西国88ヶ所の石仏が泰安され、地域の人々が参拝に訪れた。北摂の山・劔尾山(標高784)には、礎石や石仏が今も点在している。山麓の道路には6体の地蔵が、人々を迎えている。山上からは、保津川や六甲山系が望める。関西のハイキングコースで多くの登山愛好家が訪れる。麓は大阪府の野外青少年センターになっている。
復員鐘 梵鐘宝暦6年鋳造の梵鐘は、第2次世界大戦末期の昭和19年に金属供出令により供出したが、終戦後、四国直島の三菱精錬所に残っていることが判明し、檀信徒多数の寄付と奉仕により、再び鐘楼堂に戻った。数ヶ所の穴は品質検査で開けられたもの。大晦日に打ち鳴らすのみの歴史の証人である。』
20140627YamaS070s.jpg
20140627YamaS071s.jpg

2日間で、最終目標の山城を囲う3寺・1社に参り、当地の歴史を謂れ板で学習させてもらいました。
展望が良いという「剣尾山」にも興味がわき、家内との山歩き目的地の1つに加えることにしました。
自然歩道指定されており、登山口の道幅も広く、貧脚の僕らでも周遊できそうな気になりました。

さて最終目的の城山山頂攻城ですが、この上の住宅地から登るのが、最も比高がなく楽そうですが、直登らしいです。
これからの季節なら藪こぎも必要かもしれません。
藪こぎは、虫や蛇などのトラップに引っかかりそうで避けてるから、当分先になりそうです。

6:40を回ったので、帰路に着きます。R173~r602~r603~r12・旧道~r12~r13経由で7:40帰宅しました。

北摂能勢山辺・月峯寺 2/2

6/27・北摂能勢町山辺・玉泉寺~日露戦争慰霊碑

4:38に目覚めました。
昨日より8分遅れましたが、速攻で着替えて倉庫から里山VTR250を出し、まずは給油です。
202km/7.02L=28.8km/L。
昨日同様「能勢町山辺」を目指しました。
r13~r12~R173の同じルートです。

5:39、「青龍山・玉泉寺(真言宗)」到着。
『もと玉泉坊といい、剣尾山・月峯寺の一坊であったが、兵火により下山した。慶長4年(1599年)良海阿闍梨が島
田屋敷に移して玉泉寺と号し、宝永5年(1708年)宝雲上人が現在地に再移した。
当寺には平安時代の薬師如来坐像を始め、元禄9年(1696年)宝山湛海刻の不動明王坐像の優作(大阪府有形文化財)を安置している。なお参道入口の大日種子(梵字)板碑の二基は、鎌倉中期以前の遺品として貴重である。 能勢町観光協会』

すぐ横に「能勢クロスガーデン・駐車場入口」という黄色の目立つ看板があり、美味しそうなランチメニュー写真が貼られていました。
「The Nose CaffeL'eson」という店名のようです。
先にそちらの方を覗いてみました。
20140627YamaS005s.jpg
真新しいドッグランの施設で、芝生ドッグラン運動場とそれを見渡せるテラスのある建物がありました。
ワンちゃんを自由に遊ばせながら、ランチも食べられる施設で、ワン友が集まりそうです。
その向こうの山の木に猛禽類が止まっていました。

玉泉寺の前の道は、「おおさか環状自然歩道」になっているようです。
昨日見た剣尾山案内板にもルートが載っていましたが、剣尾山もバイクで登った歌垣山もこの自然歩道が通っていました。

門柱横に、「旅の宿・玉泉寺ユースホステル」の看板も上がっていました。
「玉泉寺」も昨日訪問した「大泉寺」同様、元「槻峯寺」の僧坊だったのを、良海さんが里に下ろし開山したようです。
推古天皇の御代・600年頃に百済の僧が、剣尾山山頂に開山した「槻峯寺」が中央・地方有力者の寄進を集め隆盛し、多くの僧坊を持つ大寺院に発展した。
室町時代終盤の管領細川家の内部対立に端を発し、因縁の当地有力豪族・能勢氏と塩川氏の対立が激化し、丹波の有力豪族・波多野氏が味方した塩川氏が、能勢氏支配地の西端のこの地に侵入し大戦闘が行われました。
能勢氏に味方した槻峯寺は、その時焼失した。
という流れのようです。

『木造不動明王坐像(江戸時代初期) 右手に煩悩を断ち切る剣を、左手に菩提まで衆生を引導する羂索を持ち、目は釣り上がり牙をむく姿には誰もが恐ろしさを感じた幼き頃の思い出がある。一切の悪魔を降伏させる憤怒の姿であるという。
こうした不銅像の制作は、我が国では平安時代以降、渡来の図象や高僧の霊感などに基づいて行われ変化に富んだ作品が多出した。中でも最も異色のあるのは江戸時代の「湛海」(1629~1716)作の不動像であるとされている。玉泉寺の不動像はまさしく湛海作であることが底板の朱漆書で判明した。すなわち本像は元禄9年(1696年)、宝山湛海が彫刻・開眼供養し、多田院中之坊の尊忍に与えられたものであることが知れる。宝山湛海は伊勢国出身で、正保3年(1646)18歳より仏門に入り、東寺や高野山で修行し、延宝6年(1678)生駒山の般若窟を道場と定めた。この頃より仏像・仏画等の制作を始め、その作品は湛海様ともいうべき独得のもので、江戸彫刻では特異な位置をしめている。作家の湛海・多田院中之坊・尊忍・能勢郡山辺の玉泉寺の関係は、月峰寺や多田源氏と縁ある家の多いことによるものであろうか。』

どこにでもあるような、福禄寿観音がありました。
『福禄寿観音 福は幸福、禄は衣食住、寿は永生の功徳を表します。この仏様の胎内には、西国33ヶ所霊場の御札(御影)をお祀りしてある為、各札所のお参り同様のご利益があります。』
灯籠の鹿の彫刻、牡丹の花の彫刻の蟇股などに目が止まりました。
20140627YamaS031s.jpg
石地蔵が多数並んで、赤の前掛けが風情を醸しだしていました。

20140627YamaS032s.jpg
適当に山際に道を走っていると、6:06雰囲気のいい祠がありました。
小さな祠なのに電灯が灯っています。
近づくと「八幡宮殿」の名札と、関西電力の管理番号が記された銘板が祠正面の柱に打たれていました。
昼なお薄暗い細道なので、常備灯として設置されているようです。

城山の西を山際にそって南下し、r54に出ました。
数百メートルそれを東進し、「月峯寺」の案内板を見つけたので、それに従って再び山に上ります。
城山の南からのアプローチです。

6:18、いかにも戦死者慰霊のトンガリ碑が建ってる広場に寄り道。
20140627YamaS043s.jpg
中央に五輪塔・記念碑・忠魂碑が建ち、脇に戦死者供養の供養碑が15ほど立っていました。
「明治37・38年戦没記念碑」となっていたので、日露戦争時の供養碑のようです。
この地区から、これだけの戦死者を出したとは・・・。
野鳥のさえずりが耳に気持ちよく、佇んでいました。

北摂能勢山辺・月峯寺 1/2

6/26・能勢町山辺探索・山辺神社~大泉寺

境内中央に田舎能舞台があるよくある形式のお宮で、端に大きな土蔵があります。
山車でも入っているのかと思いましたが、土蔵入口が3段ながら階段になっているので、神輿が入っているのでしょう。
20140626YamaS031s.jpg
3つの大きさの「力石」が置いてありました。
夏や秋のお祭り時に、力自慢大会があるのでしょう。

20140626YamaS035s.jpg
蟇股が竜の細工でナイスでした。
拝殿前の拝石に宝永(江戸中期1704年~)の年号が刻まれていました。
毎日踏まれ雨に叩かれ続けているのに、今でもはっきり文字が読める。
硬い石なんだろうな。

拝殿裏の本殿は檜皮葺で、覆い屋に覆われていました。
屋根は経年劣化してる感じですが本殿周囲の木鼻などの彫刻は生き生きとしており、見応えがあります。
鹿の彫刻がナイスです。
摂社は左右裏と8社ですが、ボロボロに近い。

20140626YamaS050s.jpg
本殿裏に「角宝塔」(鎌倉時代中期)という石塔のがありました。
謂われ板によると、『神社への資材搬入工事中に掘り出されたもので、五輪塔の円い部分が角柱になっており、四方に梵字が刻まれている。上部石材(屋根)と下部石材の間に、「奉籠孔」(経文などを納め、雨水が入らない工夫)が成され、上部と下部ががっちり噛み合い、雨水や虫も入れないようになっている。』

江戸時代の墓石でも朽ちて角が取れ文字も読めない物も多いのに、この角宝塔は刻まれた梵字も読めます。
我が家の墓地は、僕が高校生の時に親父が巻石だけしましたが、安モンの石材を使ったので25年ほどで変色し、みすぼらしくなってしまいました。
墓石建立時に巻石も良い石材でやり直しました。
石材は100年単位で材料選びをしないとダメですね。
雨ざらし・土中で700年経ても文字が読めるとは、発注者も石工もいい仕事してるな。

更に山際を巡り、6:32・「大泉寺」到着。
20140626YamaS068s.jpg
手前に、養蜂容器が数基ありました。
謂われ板によると、『高野山真言宗・中尾山・大泉寺 当寺は、かつて剣尾山槻峯寺が山上で隆盛であった時の里坊・大泉庵である。室町末期、細川晴元派に従った波多野・塩川氏は、細川氏綱派の能勢氏と敵対し、1545年波多野氏によって剣尾山槻峯寺は焼かれた。玉泉坊の住持・良実、徒弟・良海は本尊・縁起・霊物を携えて下山し、本尊を大泉庵に安置し以来山上の法灯を絶やすこと無く今日に至っている。
舟形薄板名号観音・勢至種子板碑 本寺の旧墓地に南面して下端を地中に埋めた板碑が建っている。町内宿野地蔵堂の永禄元年・1558年の板碑と全く構造形式が同じである。従って同年代のものと思われるが、制作の技法・力作などから数段優れた造りであり、やや年代もさかのぼる造立と思われる。 能勢町教育委員会』

20140626YamaS081s.jpg
ご寺院の境内に入ると、僧坊の壁に「お宝あり」の飾り瓦が飾ってありました。
かつては屋根に上がっていたのでしょう。
屋根を見上げると、上り藤の家紋が載っていました。
20140626YamaS093s.jpg
裏に回ると、石地蔵観音が置かれ、更に山側を見ると、別の石地蔵観音があり、獣道が山の斜面を上がっていました。
観音様巡りの道が続いているのかもしれません。
峠を隔てた西隣りの「杉生」集落のご寺院にも同じような物があったので、ここらでかつては流行っていたのかもしれません。

20140626YamaS095s.jpg
更に足を踏み入れると、「キュン」と鹿の警戒声が一声響きました。
とっさに頭上の尾根を見上げると、2頭の鹿が山上の方に走って行きました。
石塔のシルエットが見えたので、登ってみることにしました。
景色のいい道が付いており、舌尾根に上がってみると、墓地でした。

20140626YamaS106s.jpg
下尾根の上が謂れ板にあった旧墓地のようで、前述の板碑がありました。
宿野地蔵堂の板碑も以前見たことがあり、確かにこちらの方が数段立派です。
前述の良実・良海山の供養塔が、大泉寺開祖と銘打たれ建っていました。
旧墓地の上も勾配のゆるい尾根歩きでまだまだ上まで登れそうです。

20140626YamaS111s.jpg
先ほどの鹿の足跡が残っており、鹿糞もありました。
バイク近くまで下りてきたら、ここにも鹿糞が転がり、フンコロガシが作業を開始するところでした。
小学生の頃、ファーブル昆虫記という分厚い本を買ってもらい、夢中で読んだ記憶が蘇ります。
最も印象に残ったのがフンコロガシで、逆立ちして後ろ足で適当な大きさにした馬糞や牛糞を巣まで転がして行く下りが面白くて、一時フンコロガシ探しに夢中になったことがあります。

あと2寺巡る予定でしたが、時間切れで帰路に着きました。
R173をズドンと池田まで南下するほうが早いけど、最後に通勤快速原付に翻弄されるので、R173~r602~r12~r319~r33~r325~長尾山トンネルという定番コースで、7:50帰宅しました。

北摂能勢町山辺ツーリング 3/3
main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR