梅干し食べてスッパマンさん

民主党の新代表選挙がありました。
前原さん・野田さん・馬淵さんは、50才前後の若手です。この辺が代表になり首相になれば、アメリカの大統領と対抗できるエネルギーあふれ、スピード感のある国の顔になるなあと見ていました。

その中で、馬淵さんを見ていて、あの髪型から印象されるのか「男前だな」と感じました。
それを家内に言うと、「そお~?私ちょっと笑っちゃうわ。だって、漫才師とかお笑いの人にこんな人いない?」という意外な反応がありました。

「似てる人いたっけ?」と頭を巡らせていると、ある人物の姿が浮かびました。
胸に燦然と輝く「す」の字。スーパーマンに似た出で立ち。そう、僕の大好きな漫画「あられちゃん」に出てくるスーパーヒーロー「梅干し食べてスッパマン」さんです。

いつものように遅い昼休み時間に、お昼ごはん食べながらTVをONすると、ちょうど民主党代表選挙のライブ中継中でした。「おお~、スッパマンに似てる~」。
なんだか歩き方までスッパマン風に見えてきて、おかしくなってしまいました。

今回は残念だったけど、いずれトップになる面構えです。
僕の直感では、地球を救ってくれそうです。
スポンサーサイト

亀岡雲海ポイント探索

目が覚めました。まだ薄暗い・・・何時かな?「え~、もう5時じゃないか」
6月頃は、4時はもう明るかったのに・・・7時でもまだ薄暗いよ~なお正月に向けて、どんどん夜明けが遅くなっています。
僕の「早朝バイク」のオンシーズンが、過ぎ去っていく~。

慌てて着替えます。
そ~っと玄関を出たつもりなのに、家内の部屋の雨戸を開ける音が始まった。
家内のいつもの起床時間という遅い出発になってしまいました。

亀岡雲海探索に出発です。
バイクグローブを部屋に忘れたけど、戻るのが面倒で、通勤リードに入ってる通勤御用達軍手でお茶を濁します。ジャケットとパンツは、プロテクターメッシュだから、グローブは勘弁してもらいましょう。

r13~R176~R173を経由し、池田から本日のメインルートR423に乗りました。
気持ちのいい余野川沿いワインディングを抜け、箕面の裏側に出ます。
季節が進み、更に朝が遅くなると、ここから箕面の山に入り、お猿さんルートが定番になるけど、まだ亀岡や篠山に行ける季節です。
r4との交差点付近。いつも鹿がいるとこを見ると、1頭いました。

乳の泉・R423ピークを過ぎて、r733分岐を越え、亀岡盆地に向かって少し下ります。
ここから、道標に気をつけます。
亀岡盆地に向かって、本格的に下りだす手前のr732分岐に、「れいせんGC」の案内板を見つけました。
秋になれば、連日朝霧に沈む篠山盆地・亀岡盆地周辺の地図見ていたら、このゴルフ場が標高的にも、等高線の詰まり具合もいい感じで、盆地の絶景が望めそうです。
その周辺で、いいポイントがあるかも?と探索ターゲットに定めました。

r732を少し西進すると、またゴルフ場の案内板。
それに従い枝道で標高を稼ぐと、ゴルフ場に着きました。
クラブハウスはまだ上ですが、横のコースの向こうに山が見え、外界に霞が掛かってるみたいです。
コースの向こう側まで行けば、かなりの絶景が望めそうですが、ゴルフコース横断をする勇気がなく、バイクに戻り、この近所を徘徊探索しました。
1ヶ所、東向きに眺望の開けた所がありましたが、「私有地につき・・・」の看板が立っていたので、自重しました。
山を削って砂利採取してるみたいで、仕事前でもあり、誰にも迷惑掛けないと思ったけど・・・

R423に戻り、r733との交差点にある寺社を探索してみました。
前から気になっていたところです。
お寺の隣に神社があり、神仏習合のパターンです。
今は別になってるけど、明治以前は一体化されていたのかも?

お寺の方は、見るべきものがあるようには思われず、神社の方に足を向けます。
寺社共に、謂れ板を読みによく寄りますが、お寺は塀があり、早朝など門を閉ざしている所があるけど、神社はオールタイム・エブリバディ・ウェルカムな感じの開放感があり、神社の方が好きです。

「多吉(たき)神社」
謂れを読むと、『709年、当地柚原の向山瀑布の岩頭に建立された岩滝大明神が、1584年この地に移され、明治6年に滝の字にちなんて多吉神社と改められた。
祭神・高御産霊神(たかみむすびのかみ)は、古事記等に国譲りや天孫降臨を命令された神として登場し、天照大御神が皇室の祖神として崇められる以前にあっては、大王家の祖神であったとされる。
個の神を祭る神社は、全国で五社しかない。』

こういう外見どうってことない、ちょっと古そうだけど何処にでもありそうなお宮が、実は長い長い歴史をその地で刻んでいる。
この地の多くの人々が、力を出し合って営々営んできた神社・・・素晴らしい。
これだから、寺社寄り道はやめられません。

本殿の屋根のカーブのかっこ良さや、薄暗く半分朽ちたお宮周りの石の造作を写真に撮りながら、神社を移している当時の人々に想像が広がり、空想・妄想で頭の中がいっぱいになっていった。
向山瀑布って、何処にあるのだろう?近所なんだろうけど、小滝となっていても健在なのかな?

r732に戻り、「亀岡GC」も探索してみました。ここはダメね。
あっちをうろうろ、こっちをウロウロ、枝道探索して、6:30になったので帰路に着きました。
r732~r106~r604で、7:30帰宅。
朝風呂入って、「ひまわり」見て、出勤しました。
朝食は、大好物の「ポテトサラダ」でした。ありがたい・・・

亀岡雲海ポイント探索れいせんGC2/4

インカレ団体予選

日曜日は、前週に続き琵琶湖に行ってきました。
近畿北陸インカレ予選団体戦です。
1週間前の個人戦で、1人全国への切符を手にしたので、その勢いで団体戦の切符も手に入れたいです。

予選は3日間のレースです。
2日間終え、スナイプ級3位です。
1・2位のD・リッツさんと大きな差ができていますが、4位に20点の差があります。
予選通過は上位3校なので、ここは死守したいところです。
3・4・5位3校の争いが最終日の焦点になりそうです。

5時半に目覚めました。
1週間前は目覚めが遅れ慌てたけど、余裕で用意できました。
朝食・朝風呂入って、家内が差し入れのりんごジュース30本を持たせてくれました。
家内は、次男がお世話になったクラブなので、僕のように直接言葉をかける事はできないけど、気持ちよくヨットに出してくれ、何かと縁の下の力持ちをしてくれます。
女性というのは凄いものだなあと感心してしまいます。

8月最後の日曜日、良い天気で、交通量も心持ち少なめな感じがしました。
夏休み最後なので、宿題の追い込みで家族行楽が減ったのかも?
YHの駐車場に入れ用意してると、レース委員長のTさんの車が入ってきました。
僕の停めた3Fの日陰駐車場をキョロキョロしていましたが、スペースがないので屋上に上がっていかれました。

3m/sほどの軽風が北から入っています。
北風は安定するので、先週のように長い風待ちがないことを祈ります。
2日間で4レースしか消化されておらず、結果はどうあれ、たくさんレースして勝っても負けても、納得できるレースになることを期待します。

ホーンが鳴り、予定通り出艇申告が始まりました。
コーチボートの他に観覧船も1艇用意されており、マネージャーやOBを満載して沖に出ます。

4レース行われ、前2日間の4レースと加え、計8レースでシリーズを終えました。
結局、金沢さんが3位で4位が龍谷さん、5位に落ちてしまいました。
残念ですが、これが実力なので仕方ないです。
閉会式までハーバーにおり、合宿所に帰って代交代式になりました。

OBから始まって、僕も話をさせてもらいました。
僕が関わってから卒業した若手OBの僕の知らなかった本音話は面白かったな。
OBであり、今教授として母校に戻ってきてる部長さんは、研究室で長年いろんな院生を指導してきたけど、2人のヨット部主将経験者がピカイチの研究者だったと言われていました。
ここ一番で更に頑張れる才能が、最も重要な才能だとか。

若手OBの研究者としての出世頭A君は、ヨット部しながら学部を1番で卒業しました。
彼の話も素晴らしいものでした。
体育会クラブをしたら勉強ができないなんて、何の根拠もありません。
一回り大きな器の人間を作るのに体育会はとてもいいです。
「二兎を追うものは一兎をも得ず」や「一途」が金科玉条になってるのに疑問を感じます。
人の才能って、それだけのものか?もっと大きいもんじゃないのかな?
欧米では当たり前のようにいる元一流選手=医師・弁護士・企業家。
戦前の日本にもいたのに、日本人がちっちゃくなってる気がします。

今年の新人に1人、親の反対で参加できていない子がいます。
「勉強するために、もう勉強して入学したのに、スポーツクラブなんて・・・」
表向き勉強してることになってるけど、授業サボって夜型人間になり雀荘に篭ってる大学生はたくさんいる。
企業が求めているのは、もっと上の人材です。

新チームでもまだ現役の部員からの言葉、それに答える新OB・OGの言葉、当然涙をこらえながらしゃべる子もおり、僕の目頭も忙しい。
こういうステップを踏みながら、どんどん成長していく。
一生懸命やった者にしか体験できないいい時間を共有させてもらいました。

この日は、3人乗りヨットのレースとバッティングしたので、先輩に無理言ってそちらのメンバーから外れましたが、軽風の楽しいレースだったことを願いながら、帰路に着きました。

インカレ予選

先週日曜日は、琵琶湖の近畿北陸インカレ個人戦にコーチングに行きました。
ここを突破しないと、全日本インカレ個人戦に出場できない。
そして、昨日から始まった団体戦予選で3位以内に入らないと、インカレ団体戦に出場できません。
4回生は、クラブの引退がかかった大事なレースです。

前回、合宿所前の草刈りが雨で出来なかったので、今回こそと我が家の誇る電動垣根刈りを用意したのですが、朝の天気を見て持っていくのをやめました。
朝の目覚めが6時と遅くなったので、慌てて準備です。
9時半・第1レース・8時出艇なので、6時半に家を出ないと・・・
家内が実家冷蔵庫から、スイカと桃を持ってきてくれました。
僕は麦茶をクーラーに用意し、双眼鏡などコーチンググッズを準備をしました。

車に乗るとガソリンがちょっと寂しいし、昼食のおにぎりをコンビニに買いに行かないとダメやし・・・なんて考えながら積み込みしてたら桃を忘れちゃいました。

僕御用達GSを出て走りだすと、雨がポツポツ落ちてきました。
中国道に乗ると豪雨です。
ワイパーが忙しなく動いています。
雷さんは鳴っていませんが、夕立ちみたいに局地的で、すぐに曇り空に戻り、天王山トンネルのとこで再び豪雨になりました。

小降りの琵琶湖のハーバーに到着すると、前に見慣れたユニフォームの女子が歩いています。女子マネさんです。「あのさあ、スイカと桃持ってきたんだけど、こっちに持ってきていいかな?」
駐車場に停め、着替えて差し入れを出そうとすると・・・桃がありません。
「あれ~忘れちゃった~」。ガッカリです。

艇庫前に、みんなの元気な姿がありました。
すぐ後に監督さんがやってきました。
なんと手にはヘルメット・・・この豪雨の中、バイクで来られたようです。凄い。

8:30、琵琶湖らしく風待ちAP旗が上がり、11時頃のAP降下まで長い出艇待ちになりました。
基本、マネさん達のご近所に居場所を確保し、選手やOB達とおしゃべりして過ごします。
みんなと、いやお若い女子と喋ってると楽しいな。

陸上本部に成績表を見に行きます。D社大OBの僕の1回下Tさんが詰めています。
レース委員長やってるのかも?
僕のコーチしてるK大・O君が6位で、全日本切符のギリギリにいます。
あと1日、頑張って欲しいものです。
まだ2レースしかやってないので、他の選手も今日の成績如何では全日本に行けます。

D社のN君とPぴーちゃん君が、それぞれのクラストップです。
リッツのS君が2番。
相変わらずジュニア上がりの選手は強いね。
リッツのS君がやってきたので、ちょっとおしゃべり。
お父さんに似て、気のいい楽しいやつです。
リッツOGになってしまったRちゃんがいたので、近況をおしゃべり。
僕を覚えててくれてありがたいです。
彼らは、息子がジュニアヨットやってた時代からの知り合いです。
おやじさん達と、レース運営しながら馬鹿話していました。
つまり、息子からのプレゼントです。

風が入ってきて、AP旗(レース延期信号)が下りて全艇出艇。
選手を応援する陸上からの声援があり、雰囲気が盛り上がります。
学生のレースはいいね。僕も大昔、この中にいました。

レスキューに、監督・僕・1回生1人の他は女子マネさんたちが乗り込み、総勢9名で沖に出ます。
雨が降ったり止んだりだったので、カッパを着たり脱いだり忙しい1日になりました。

しばらく風待ちした後、2回のゼネラルリコール(スタートやり直し)後にスタートしました。
三井寺~南の風2~3m/sほど。
470級期待の新人Mさんは、混んでるアウター側を避け、本部船よりから出ます。
セオリー通りタックして右海面に出ていきます。
ナイスなコースですが、ボートスピードにアドバンテージがないようで、上突破されてしまいました。
でもそのまま右に伸ばしたので、逃げて集団に飲み込まれるよりマシだなと目を離しました。

3回生のM君のスタートは確認できませんでしたが、アウター側から出たようです。序盤で中央に寄せてきて、ここでからんだ数艇との関係で3回もタックしていました。
序盤の局地戦でのタックは、長いレースとしては致命的です。
その後、右にコース取りしてるのを双眼鏡で追いかけていると、Mさんとミート負けしています。う~む、やはり。もったいないぞ。
2艇とも、ケツ5~10で1上マーク回航。
ここからM君はかなり挽回してフィニッシュしたので、序盤のタックが悔やまれます。

レースフィニッシュ後、コーチボートにやってきたM君に、気付いた事をアドバイスします。
ちょっとしょげ気味だったので、冷たい麦茶を出し、元気付けの明るい言葉で、次のレースに追い出します。
気持ちの切り替えが大事です。
新人Mさんは、楽しそうにコーチボートにやってきました。

スポーツセレクションのない大学なので、彼女は貴重な高校ヨット部上がりです。
明らかに練習のスピードが出ておらず、大学公式戦スキーパー初レースで緊張してるかなと思ったのですが、笑顔なので安心しました。
成績は上位とは行かなかったけど、図太くいかなきゃね。朝の出艇前は、「大学のレースは罵声もありおっかない」と言ってたけど、図太かったらすぐに慣れます。
スピードが出ない時は、冷静にセイルセッティングをチェックすることと、きついアビームでスピンポールが低かったことをアドバイスしました。
スタート後、しばらく落ち着かず、シートを引けてるのか引けてないのかもわからなかったそうです。
1回生コンビだから、心細いと思うけど、ゲームなんだから楽しんでほしい。
冷たい麦茶振舞って、「ビビってスタートラインから下がらないように」「思いっきり行きなよ」と明るく大きな声を掛けて送り出しました。

次男は、この大学OBで、たぶん初めてで唯一のジュニアヨット出身者でした。
入部した5月の最初のレースで、いきなり部内トップの成績で、1回生のこの個人戦では最終日まで総合トップでした。
高校ヨット部で乗ってた船と違うのに、いきなりトップと言う成績に、親の僕が驚きました。
恐るべしジュニア。
高校ヨット部上がりでも、他大学にいるジュニア上がりスポーツセレクション選手と戦わなければならないから、Mさんもがんばらなきゃ。
明るい子だし、練習見てこれはいけると思って、急遽スキッパー(艇長)出場をキャプテンに推薦した僕の目に狂いはないはずです。
来年は、グンと走るようになってると思います。

スナイプ級は1回ゼネリコした後オールクリアでスタート。
1上回航はM君20位・O君25位・K君その後ろで苦しい展開です。
風が右に振り、上~サイドマークが、ポートレグ20艇身ほど必要なレグになりました。
トップ5はセオリー通りロングレグのスターボでサイドマークに向かいます。
O君はセオリー通りスターボのいい位置でフレッシュウインド受けてるので、10艇ぐらい食えるかなと予想しました。
M君は、前半にジャイブしてショートレグを使います。
後続艇のブランケットを避けてジャイブして内に入る船も多いですが、僕には冒険に見えました。
風が振れ戻せば万事休します。

結局O君はサイドで5艇上がり、M君は10艇食いました。
レース後コーチボートで聞くと、M君はブランケットを避けながら、上り目スピード重視でフレッシュウインドを受け続けたようです。ボートスピードがあったのですね。
フィニッシュでは、O君が9位まで上げ、総合6位はまだなんとか確保したみたいです。

次のレースは、1度スタートしましたが、大きく風が振れノーレースになりました。
ここから長い風待ちになりました。
冨山大さんは、全員お揃いの黒いライジャケでカッコいい。コーチボートもVSRです。近くに来られたので「いい船ですね」と声をかけると、体格のいい監督さん?が、「まあなんとか・・・」と言ってました。
リッツS君が近所に来たので声をかけると、にこにこしています。
ピーちゃん(彼のお兄ちゃんがジュニア時代海外遠征した時、僕が監督しました)が来たので、「優勝やね」と声をかけると、わざわざ船を止めて、「お久しぶりです」だって。
全日本スナイプで兄弟参戦したんやってねと触れると、楽しそうに話してくれました。

風が来ず、これでレース終了です。
O君は、全日本インカレ個人戦に駒を進めました。
解装後ミーティングして帰宅しました。
帰りも豪雨が1度ありました。
桂PAには、さすがにバイクが1台。この日のバイクツーリングは全滅やね。

帰宅後、桃を忘れちゃったことを家内に話すと、「玄関前に出したのに、それを言うのを忘れちゃたの。ごめんね」だって。
「せっかく用意してくれてたのに、ごめんね」
僕の起床が遅く、落ち着いて目を配る余裕がなかったのが、失敗でした。

八木城址2

Uターンした道の一番南側に戻り、山側に目を向けながらゆっくり進みます。
道があります。
道は、ここから縦貫道の下をくぐって東側に出ます。
どん詰まりの一番南に、登山口がありました。

ニンマリしながら、バイクを停めるためにゆっくりバックします。
車なんて来そうもない道ですが、ちゃんと端に停めないとね。
と、その時・・・あれっ・・・あわわ・・・コケました。

南に向かって、少し登り坂になってて、道の下を斜めに通る側溝の土管の小さな段差を乗り越えて、トンネルに向かって急坂が下ります。
急坂の手前で止まり、両足着いて、ゆっくりバックしたつもりでしたが、斜めに道を渡ってる側溝の土管の段差を越えた時に、バランスを崩しました。

母親が亡くなった日、たぶん亡くなった時刻に、篠山の多紀アルプス山中のアイスバーンでコケてから1年半ぶりにコケました。
12月の命日だけど、忙しいので11月に3回忌をしようと、お寺さんと話してたばかりです。

こんなとこ、1時間ぐらいいても誰も通りそうにありません。
力技で起こして点検。
クラッチチェンジレバーが曲がってる・・・工具を出して元に戻そうとしたけど、いっこも動きません。
バイクにまたがると、足を入れる隙間はあるので、帰路はこれでOKとしました。

僕のバイクコケ履歴に新しいページが加わりました。
初回は、奈良初ツーリングで、五番関トンネル前で駐車する時、サイドスタンドの出しが中途半端でコケ。
その後3回、山道Uターンコケ。
そして、前回のアイスバーンコケ。この時は、停車して行けるかどうか検討し、両足着いて進んだら大丈夫だと結論しましたが、氷の上に乗った瞬間にコケました。
今回、坂道バックコケが加わりました。
30年に及ぶ通勤スクーターでも、走っててコケたことはありません。
時速限りなくゼロでのコケばかりだから、大事故や大怪我はなし。まあいいでしょう。
この日の昼休み、購入したバイク屋さんで、グイと力技で直してもらいました。

さて、バイクはまあ大丈夫だろうと高をくくり、登城し始めました。
いきなり、「1合目」の看板が立っています。
20110805Yagi009s

地元小学生が、学校行事で立てたものです。
これを見て安心しました。
小学生が、地元の歴史とかの学習で登ってるのだから、薮漕ぎ状態まで道が荒れていることは考えられません。

2号目・・・8合目まで、小学生看板に導かれて、山道を上がりました。
分岐路もない一本道で、道をロストする心配はありません。
山に入る時は、いつも振り返って写真を取りながら上がるのですが、その必要もありません。
でも登りはきついです。
本丸登城まで30分でしたが、3度も麦茶補給休憩を入れました。

蝉が、わんさか鳴いています。
道脇の木にもたくさん留まっており、僕の横や前を飛んでいきます。

獣の糞に気をつけます。
全く糞がありません。
ということで、あまりに暑いこともあり、バイクヘルメットを抜いて手にぶら下げました。
くるぶしの上まである丈夫な安全靴なので、蛇に噛まれても大丈夫です。
僕は臆病者なので、これに加えグローブも持っています。
バイク用プロテクタージャケット・パンツも、イノシシの突進から、少しは身体を守ってくれるでしょう。

やっとこ、山頂の扁平地に出ました。
東の八木、南の亀岡の眺望が、素晴らしいです。
桂川から名前を変え、次に保津川に名前を変える大堰川の川筋が見えます。

北を見ると、更に上に扁平地があるみたい。
上がってみると、更に上にあります。
南に向かって、三段の段郭の縄張りのようです。
20110805Yagi025s

更にその下に、「対面郭」と説明板が立ってたので、4段ですね。

本丸があったであろうトップには、北側に土塁が残っていました。
20110805Yagi029s

東側は急斜面、東側にも北側にも段郭があります。本丸の搦手口(裏口)のようです。
20110805Yagi032s

本丸郭に設置されてる謂れ板には、北からの道があり、さっきの墓所から上がってこれるようです。
崩れていますが、石垣もあります。
ベンチもありました。

さすが、丹波三大山城です。
丹波の歴史、さらに信長が京都に上る以前の京都攻防にも、度々顔を出す内藤氏の勢力が想像されます。
登り30分だったら、山登り趣味の方にとってはチョロイものでしょう。
15分ぐらい、写真取りながら、麦茶飲みながら本丸郭で休憩し、下山しました。

下りこそ、滑って転んで怪我するところなので、慎重に下りましたが、やはり圧倒的に下りは楽です。
6:30下山。
バイクは、左足が窮屈でしたが、特に問題なく帰宅できました。
ホンダ車は、こういう時、故障が少なく安心です。

出勤まで、まだ時間があるので、ハンドルをちょっと手前にすべく、工具でゴソゴソやりました。
大満足な八木城初登城の早朝バイクでした。

引退

昨日の朝のニュースで、島田紳助さんが芸能界を引退なさるということを知りました。
暴力団さんとの関係が原因のようです。
まだ20代の頃、関西ローカル朝日放送ラジオで、島田紳助と明石家さんまの番組をお昼やってて、最高に面白いコンビだと、それ以降2人を応援していました。

しかし数年前、島田さんが女性マネージャーさんを暴行する事件が起き、それ以来彼の番組を見なくなりました。
僕は、弱い者いじめが大嫌いです。しつけと称する折檻も大嫌い。愛のムチと言う親の子供いじめも大嫌い。目上の者が目下を叱りつけるのも嫌いです。
全て、自分優位の立場で自分を守護しながら、一方的に相手を攻撃する行為です。
こういうことをする人は、目上の人に対しては、同じ疑問を持ってもしません。

おごってるな。新人の頃なら、決してこういうことはしなかったと思う。松本復興大臣が秋田県知事に対して発した言葉と同等です。
僕には、とても卑怯な人間に見えます。
「謝罪したから、いいんじゃないか?」という意見もありますが、大の大人が他所の人を殴ったりするだろうか?10人に1人も、そういうことをする人はいないと思う。
まして相手は女性です。僕は、体質的にこういう人を受け入れられない。

この行為を容認する底辺には、儒教思想のピラミッド型人間関係があります。
室町時代の秩序が崩れ、実力本位の戦国時代を経て成った江戸時代、目下が目上を倒す下克上を予防するために、儒教思想はとても便利でした。
身分制度を確立すれば、目下は目上の指図に従い、目上に反論することは悪とする秩序は、為政者の身を守るのに便利です。
この制度は、社会改革の停滞を起こし、幕末にはヨーロッパ列強との国力差を大きなものにしました。
そして、下克上と言える諸藩の若手の手によって、明治新政府が立ち上げられ、今日本は列強と肩を並べています。

ダイナミズムな改革は、常に若者が起こします。
日本の政治が云々される根本は、政治家の年齢が高い所に大本があると思います。
公明党のように、65才定年を他政党も取り入れれば、もっと若々しい活力ある政策が国会で通過するでしょう。

僕のこの考えの根本は、幼児から小学生低学年の間に聞かされた戦争話にあると思っています。
父は、ボルネオ島で従軍していました。
「戦死者の大半は、餓死者と友軍から撃たれた者だ」と、何度も聞かされました。
父は少し学歴があったので、30名ほどの兵を下に持つ立場でしたが、父の経験した実際の戦闘は、小隊を組んで偵察することでした。
隠密に移動する時は別にして、その他の時は、多少音を出しながら移動するのだそうです。米軍の偵察隊も同じで、お互いの存在を察知すると、お互い迂回し鉢合わせして戦闘にならないようにするそうです。
運悪く戦闘になっても、お互い身を隠し、銃のみを出して、盲滅法適当に撃つ。
お互いに退却する。職業軍人でもないので、死なないようにしてたそうです。戦争映画みたいに勇ましいことなんてない。兵力の均衡が崩れると、優勢な方が押していくだけ。

食糧不足で、行軍での餓死者が多く出て、将校もいる勇ましい戦闘になると、友軍の前方に隠れている将校が、後ろの友軍兵から撃たれる。
間違っての同士撃ちではなく、その上官に恨みを持った者が意図的に撃つのだそうです。
儒教思想で自分の身を安全な場所に置いた上官が、部下を往復ビンタなどして恨みを買い、戦闘の時撃たれるのだそうです。

父は、「なんぼ喧嘩してもいいけど、目下の者と喧嘩するな。それは弱い者いじめだ。どんなに自分に正義があったとしても、勝ち切ってはいけない。言いたいことを存分に言って、最後は退却し罵声を浴びるぐらいでちょうどいい。それで相手も気が済む」と、よく言っていました。

島田紳助さんが女性を殴り罵声を浴びせ、周囲にも自分の正当性を吹聴し、女性の立場を無くした行為は、僕には弱い者いじめにしか見えません。
殴っても、それを有りがたかったと思う人は、ごくごく少数で、ほとんどの人は自分のミスを棚に上げて、恨みを持つのみです。
殴る人のみが、自分の気持ちをその行為で解消させるだけで、相手に反省を求めることにはなりません。

ある環境において自分が優位であっても、別の環境では全く違います。
スポーツでは自分の方がうまくても、数学の勉強ではどうだろう?
スポーツでも、サッカーと野球では違うし、同じ陸上でも短距離と長距離では違います。
目下を殴る人は、殴られた方より優れている所は、ほんの一部です。
反対の立場にいて殴られたら、どんな気持ちになるでしょう。

ニュースで、街頭インタビューを受けた方全員が、島田紳助さんの芸能界引退を残念に受け止めていましたが、僕は別の受け止め方をしました。

八木城址1

朝、3時に目覚めました。外は真っ暗。
「おお~、これは遠くまで行ける~」
静かに、でも慌ててプロテクターメッシュ上下を着て、ヘルメット被って、ウエストバックを巻いて、車載カメラ持って階下に下ります。
忍び足で、コソッと玄関を開け閉めして、表に飛び出ます。

「さあ、行くぞ~」
篠山の向こうの雲海ポイントリベンジも考えましたが、亀岡・八木城址に向かうことにしました。
丹波の三大山城の1つです。

春日の赤井氏・黒井城址には、去年家内と登りました。360度絶景でした。石垣も綺麗に残り、麓からでも石垣が視認できる素晴らしい城址でした。
篠山の波多野氏・高城山・八上城趾には、このお盆に弟家族と登る予定です。
ここで、内藤氏・八木城に登城しておけば、今月中に3つとも制覇できます。

r12・R173・r604・・r106・R477で、北摂を北上します。
せっかく車載カメラしたのに、暗すぎて意味なしです。
6月は、4時に近づくと明るくなっていたのに、8月に入るとグンと夜明けが遅くなりました。
僕の早朝バイクにとっては、ブルーです。
でもその分、秋から始まる朝霧・雲海シーズンが近づくということで、ハッピーです。

R372を篠山に向けて少し走り、r73を北上、r452でJR八木駅を目指します。
自宅から1時間で八木に着きました。
脳内地図を引っ張り出し、JR山陰線を渡る前の道を北に入ってみます。

「小学校発見」
ここは、脳内地図ランドマークです。
続いて、内藤氏の菩提寺・・・「あれ~、行き止まり・・・」
一旦戻って、別の道を入るが、あぜ道になっちゃった。

4時を回っていますが、まだ暗く山城があるだろう山の輪郭がわかるぐらいで、野生の勘が働きません。
「八木駅の北側からも行けるんじゃないかな?」と、一旦踏切を渡り、R9で駅横を北上し、次の踏切で再び山陰線を渡り、線路の西側エリアに入ります。
病院の敷地に突入し、ジ・エンド。

やはり、脳内地図で覚えたところからアプローチすることにして、再度チャレンジ。
道がグニャグニャで難儀しましたが、菩提寺発見。
更に明るくなり、城山の輪郭がはっきりしてきました。
菩提寺から見上げる城山は、山頂部の扁平が何となく分かり、黒井城址まではいかないけど、いかにも山城址がありますよと言う感じです。

京都縦貫道の下を西側にくぐり、山へアプローチです。
脳内地図には、縦貫道沿いの200mほどしかない道の何処かから上がれると書いてあります。
「もう楽勝や」

一旦、一番南まで走って、めぼしいポイントを探します。
エンドまで来て、Uターンして今度は北上。

本命第1ポイント前にバイクを置きます。
数体のお地蔵さんが並ぶ祠があります。
細い石段を登ると、小さな祠。
ビンゴだな・・・と確信したのですが、上へも横へも道がありません。

一旦道に戻り、第2ポイントへ。
石碑が建っています。
地元の教育者を称える石碑で、山への道はありません。

更に北上。
道の一番北に、墓地があります。
野生の勘を働かせ、墓地横を登ります。
この道に、古い石道標が立っており、読むと「篠山」となっています。
八木から篠山への山側の古道なのかも?
篠山に行ってもしょうがないので、墓地に沿って曲がってみると、墓地だけのアプローチ道でした。ガッカリ

墓地を見下ろすと、墓地の反対側にも、山をに上っている道があります。
「あっちかな~」と思いながら、楽勝から困難・再チャレンジの文字に、脳内地図が変わって行きます。
道を下っていると、お墓掃除と思われるおばさんが上がってきました。

「おはようございます」
八木城への登山口を聞くと、「地元じゃけど、登ったことないねえ。でも、南のトンネルの際に登山口があったはずじゃよ」と教えてくれました。
「ありがとうございます」
僕のような如何にも地元じゃない風の装束の者にも、警戒心なしに気軽に話してくれました。
ほんま、田舎の人はいいわ。

八木城址1/3

バイクの日

今朝、仕事の荷物の中に、PRESIDENTという雑誌が入っていました。
貼ってあった家内からのメモによると、次男から送られてきたとのこと。
記事の中に、次男のGFさんのお父さんのことが載っていました。
学生時代からの長い付き合いの綾瀬はるか似の方です。
僕も家内と知り合ったのは学生時代で、グズグズしてたら悔いを残すと思って、卒業後2年で結婚しました。
結婚適齢期が遅くなったとはいえ、次男は余裕あるなと思ってたけど、何か思惑があるのかな?


「8月19日は、バイクの日」
こんな表題の記事の日経新聞が、前日(だったと思う)さりげなく僕の目につくところに置いてありました。
家内が置いてくれたようです。ぐふふ・・・

僕は新聞より小説を読む方だけど、家内は新聞派です。
ほんと、いろんな物を新聞から見つけて、僕に教えてくれます。
僕はこの人と一緒に暮らせて、お得な人生を歩んでいるように思います。僕の一番の宝物です。

それと、折り込みチラシを1枚持ってきて、「ここ、近い?」って聞いてきました。
三田と北神戸山口町のレストランの折り込みでした。
これからまだまだ続く法事イベント、利用したいな?と思ったようです。
方向音痴の家内だから、実際に行けるかどうかの吟味は僕の担当です。
「早朝バイク」で場所や外観を確認しに行きましょう。
目的地のネタ提供、ありがとう。

話は戻って、上記のバイクの日の記事、バイク乗りでもある勝間和代さんと脳科学者さんの座談会を、原稿に起こしたものです。
勝間さんは、都内はスポーツバイク移動で、ちょっと距離があるときはバイク移動されているそうです。

「バイクに乗ると、脳が活性化され、若々しくいられる」という結論です。
マンホールの蓋にさえ神経を使い、全身を使って運転することが良いそうです。
確かにそうですね。マンホールや白線踏む時の滑り具合で、タイヤの空気圧の減りがわかるからびっくりです。
4輪車が、オートマチック主流になり、車の運転への興味がかなり低下しました。
運転してて面白くなく、単なる移動手段です。

スクーター通勤は、毎日していましたが、ギアバイクに乗り出して、こりゃ面白いなと思いました。
トルクがあって、250ccなのに登り坂をグイグイ登ります。車の比ではありません。
車の免許も持っていない家内が、僕の楽しそうな姿を見てか小型AT免許を取りました。
スクーターが1台しかないのでまだタンデムですが、一緒にスクーターで出かけるようになり、僕のバイク環境はプラス方向に向いています。

僕の中では、密かに「初・北海道ツーリング」後の新たなバイク・プロジェクトが始まっています。
いい感じやね。

夫婦で自転車・信楽~加茂

お盆休み3日目の月曜日。
前日、家内の足がつったのでどうしようかなと思ったのですが、家内が行くということなので、予定通り信楽に行きました。

最初は、バイクタンデムで四国上陸予定でした。
神戸からフェリーで高松に上陸し、祖谷のかずら橋と、四国カルストを回ろうと思っていたのですが、フェリーの予約が取れませんでした。カルストの宿も取れなかったし・・・。

次案の「とびしま・しまなみ海道、タンデムバイク&自転車ツアー」は、帰省の高速代渋滞ニュースにビビってしまいました。
車に自転車と布団を載せて夜出発し、初日福山でレンタルバイクして「とびしま街道」~フェリーで大三島~福山。
2日目は、しまなみ海道の大三島の隣の生口島まで車移動し、自転車で島を一周というものでした。


6:30に自宅を出発。
近畿道を南下し、東大阪JCTから阪神高速・第二阪奈道で奈良入りしました。
平城宮跡の横を通り、関西線のJR加茂駅に7:50に到着。
駅前に、1日300円のパーキングがあって助かりました。
奈良の混雑を危惧していたのですが、京都と違い観光客が少ないです。難なく市内をクリアしました。

8:17の列車に乗らないと1時間待ちとなるので慌てて輪行パックします。
まあ、慣れてるので余裕で間に合いました。
亀山行きの始発駅なので、ゆったり座れました。
2両連結のディーゼル車、ここから先は未電化のようです。
出発間際、大阪方面からやってきた電車が着いたのか、立つ人が出る位の混雑になりました。
2駅過ぎるとまたガラガラの車内になりました。

9:11柘植駅下車、9:40JR草津線に乗り換えて出発。こっちは電化されています。
電車は、ディーゼル車に比べてパワーがあります。
車もバッテリー価格が下がり、充電時間・航続距離が改善されれば、一気にエンジン車は姿を消しそうです。
関西線も草津線も単線です。
自転車持ちですが、こういうローカル線の旅も楽しいです。

10:01貴生川駅下車。ここから信楽鉄道に乗り換えです。
20110815Shigaraki097s

10:54、1両編成の信楽鉄道で出発。
お客さん少ないし、雰囲気のいい鉄道旅でした。
家内は、キョロキョロ半分腰が浮いてます。
途中に、紫香楽宮跡駅があり、こんな山奥に、よく都を移そうとしたなとびっくりです。

11:18、終点信楽駅到着。
駅前で自転車を組み立て、駅舎に観光地図がなかったので、まず観光協会に向かいます。
あっちもこっちも、信楽焼名物・狸の置物だらけです。
ドデカイのや、でっかい寝てるのも。
20110815Shigaraki109s

家内は、さすがお茶の免許皆伝者だけあって、その関係の器に興味が行っています。

12:40、「永和寿司」さんで昼食にします。
家内は穴子丼900円、僕は鳥なんば750円。
「そば」の幟に混じって「ちば寿司」の幟がたくさん立っていたので、店名が「ちば寿司」と思っていたのですが・・・割り箸の袋の「永和寿司」の店名見て、不思議だなと思いました。
家内にそのことを話すと、じっと「ちば寿司」の幟を見ながら、「あれは、「さば寿司」の幟じゃない」と鋭い指摘です。
「ああ、そうか」。風が反対になびいて、「さば」の字が裏返しになっていました。
きっと僕の小学生並みの文字力に呆れたでしょう。
そう言えば、能勢町の喫茶店の「山野さん」の看板見て、我が家のお隣の「山野さん」と同じだと叫んだら、家内から、「あれは「山のさと」だよ」って指摘されたこともありました。
崩した字だから間違えるんだよ~。

車を置いたJR加茂駅まで30km走るのですが、標高差240m。
緩やかな下りがずっと続くらくちんコースだと思っていたら、途中に滋賀県と京都府の県境があり、そこまでは緩い登りでした。
交通量多めのR307を4kmほど走ります。
ほぼ平坦なのですが、向かい風であまり進みません。

交通量の殆ど無いr5に入ったら、木々で向かい風はなくなりましたが、軽い登りです。
2km程の距離ですが、最後の県境・峠100mぐらい勾配がきつくなりました。
僕が先にバックミラーに家内を見ながら峠に着きました。
家内の頑張ってる姿をカメラに収めようとスタンバイしました。
ところが、なかなかやってきません。
ありゃおかしいな?峠の手前でカーブしてるので、峠の登り坂が見通せません。

バックしてみると、坂の途中で家内が止まっています。
「また足がつったかな?」と心配になりましたが、自転車が動かなくなったとのこと。
チェーンが前ギアのチェンジ途中で止まっています。
変速前にスピードがなくなり過ぎたようで止まって、漕ぎ出そうとしたらペダルが動かないとのこと。

後ろタイヤを浮かして、ペダルを回すとスムーズに前ギアにチェーンが入りました。
僕が乗ってみると、何も問題ありませんでした。
後ひとこぎできれば、問題なかったのにね。
自分で直そうと、チェーンを直接持って動かしていたみたいで、グローブの指先に油が付いて黒くなっています。
それで触ったピンクのお気に入りウエアも黒くなっています。
ひらがなの読めない僕と、体力とメカがハテナな家内、足らないいいコンビです。

県境を越えてからは、快調な下りでした。
沢沿い・川沿いの下りで気持ちがいいです。
浅い沢にキャンプ場があり、小さい子が親の周りで川遊びしています。

「山の駅」というのがあったので、かき氷狙いで休憩しました。
氷がなかったので、サイダーと抹茶ソフトを食べました。
和束町に入り、お茶畑が目立つようになり、お茶畑ばかりのところもあります。
これは相当な量のお茶です。
20110815Shigaraki116s

宇治茶の看板もあり、和束茶は宇治茶の最高級ブランドだと知りました。

木津川を越え、JR加茂駅到着。
自転車走行時間2時間5分18秒・30.49km=平均速度14.6km/h・最高速度36.8km/hでした。
3時間掛けて電車で信楽まで行き、自転車走行2時間・休憩含めて3時間で戻ってきました。
R307で10人ぐらいの速い集団に抜かされました。僕らの倍のスピードでした。
あの人達だったら、1時間ほどで加茂まで行っちゃいそうです。

八上城址

お盆2日目の日曜日は、8:00にお寺さんがお盆法要にやってきます。
前日、いつもより遅く寝たので、起床が遅くなりました。
でも家内はいつものように、仏壇のお世話やお寺さんへのお礼など、朝一番から働いています。ごめんね。
僕のやったことは、麦茶作ったことぐらいです。あかんね。

弟家族がやってきて、甥君に火を準備してもらい、お寺さんのお盆法要も無事終わりました。
2台でお墓に向かいました。
先月も来たはずなのに、お隣の弟のとこのお墓に草が多く生えています。
お墓の掃除して、線香上げてお終い。

ここから、お盆恒例のハイキングです。
まず、先月の早朝バイクで見つけた篠山の蕎麦屋さんに向かいます。
10:15に「自然薯庵」に着いたのですが、開店は11:00だそうで、一番に名前を書いて周りでうろうろしながら待ちます。
20110814Sasayama035s

ひょうたん棚の下にテーブルと椅子があり、置いてある本を見ながらワイワイやってました。
姪がまだ小学生なので、笑いと和みがあります。女子力は凄いね。

開店時間に近づくと、続々とお客さんが来られます。
開店と同時に、1番の僕らから順番に店内に案内されます。
茅葺きの田舎家で、とてもいい雰囲気です。
開店と同時に、満席になりました。なんだか、すごく流行ってるお店みたい。

家内は特製こだわりざるそば、僕は自然薯とろろそば大。
自然薯の粘り具合がすごく、今までで一番粘ったと思います。
とても美味しく、大当たりのお店でした。
でもここは、待つことを頭に入れて来ないと・・・僕らがお店を出た時には、外でお客さんが数組待っていましたに。
6人で9000円ぐらいだったかな?ここは、いつものように我が家持ちです。
弟が真っ先に「ごちそうさん」って。
弟は、こういう時、長男の僕を立ててくれます。
両親の葬儀や法事の段取りなど、僕が決めることに鼻から賛成してくれます。
ほんまは、イマイチな時もあるだろうに、決して異を唱えません。
そういうのを、弟の子供たちも、うちの子達も見ています。
僕の好きな日本史の英雄を読んでると、こういう血の結束を大事にする者は、生き残っているように思う。
ええ弟持ってます。

お腹も満足したので、本日のメインイベント・高城山・八上城趾登城です。
丹波の戦国3強の1つ、篠山を抑えていた波多野氏の居城です。
篠山盆地の南、旧山陰街道のすぐ南にそびえる三角の秀麗な山が高城山です。
信長の命で丹波平定に入った明智光秀を1度は打ち破りましたが、ついに包囲され、兵糧攻めにあい悲惨な最期を遂げました。

麓の春日神社から登ります。
大手の登城口にあるから、波多野氏の館跡だったのでしょう。
山城は、よくこういう位置に神社があります。

保存会の方が手入れされているようで、道に迷うことなく、本丸まで上がれました。約1時間です。
ストックが役に立ちました。やっぱり楽だわ。
麓からは見上げるような高い山なのに、コツコツ登りだすと山頂まで行けるものです。

ただ家内は、山頂の本丸直前の二の丸で足がつってしまいました。
先に登った本丸にいる弟たちと話しながらワイワイやります。
途中に、西の展望がある曲輪とか、北の展望が広がるところとかがあり、楽しい登城でした。
20110814Sasayama051s


山頂に来ると、三の丸・二の丸・本丸と曲輪が続き、3大勢力の八木城址・黒井城址より規模が大きいのが分かりました。
本丸には石垣も残っています。黒井城の石垣の方が立派に残ってるけど。
20110814Sasayama057s


2度しか休憩せずに登ったのが足に来たのかなと思い、下りは6回ぐらい休憩しながら、僕ら夫婦はゆっくり下りました。
春日神社を過ぎ、旧山陰街道を歩いていると、とっくに下りた弟が車でやってきて、僕らに水とスポーツドリンクの補給をしてくれました。ありがたい。
ほんとは、「姉さん、乗って」と言ってくれてたので、乗ればよかったけど、こういう時家内は、「ありがとう。でも大丈夫よ」なんて頑張っちゃう。
弟は、乗せたかったんだよね。もうしんどくなくても、「ありがとう」って素直に好意に甘える方が、弟も喜ぶのになあ・・・

すぐに車に着き、弟たちの待つコンビニに向かいます。
弟は、暑い駐車場にいましたが、他の3人はコンビニ内で涼んでいます。
義理妹に聞くと、弟は車のエアコンをかけないそうで、窓全開走行だそうです。
文句も言わず、「夏は汗をかく方が健康にいい」という考えの弟を立ててくれて、出来た奥さんだと思う。
僕らの子供時代は、車にクーラーなど付いていなかったので当たり前だったけど、今の世の中、す・す・すごいです。やるなあ、弟。

軟弱な僕は、当然コンビニ内で涼みます。
ガリガリ君を、店内の椅子に腰掛け、天国気分で頂きます。

ここで解散しました。
R372からr49に入り、永澤寺を通り過ぎ、「わらび餅屋」で休憩しました。
家内を連れてきたかったお店です。
このお店は休みが多いので、お盆のこの時期休業確率60%ぐらいと思ってたのですが、「開いてて良かった」です。
家内は茅葺屋根と店内の落ち着いた雰囲気に大喜びでした。
「一緒に来たら良かったね」って。
そうです、あそこで解散せずに弟達と一緒に来たら良かった。
スポーツドリンクのお礼に、また弟達をおごれたのに。

水難事故

また今年も、防ぐことの出来た水の事故が、数件起きた。
昨夜家に帰ると、ニュースは天竜川での川下り船転覆事故を報道していた。
「ああ~、まただ」

僕は、高校生の時ヨット部に入部した。
体験ヨットで、上級生に言われたことが、ライフジャケットをきちんと着ることでした。
「これさえ着てたら、海に落ちても勝手に浮いてるから大丈夫。だけど、ちゃんと紐を結ぶ事。そしてちょうちょ結びではだめで、固結びすること」
ヨットに乗る前に、新入生は全員、上級生から点検され、ちょうちょ結びの奴が、結び直されていた。

その後、数知れず海に落ちたし、乗ってたヨットも何度コカしてしまったことか・・・でも、沈む恐怖を味わったことはない。
30m/sぐらいの突風で、一瞬にしてヨットが倒され、いつもだとできる再び起こして走りだすことを諦める状況もあった。その時は、転覆したヨットと身体をシート(ロープ)で結び、波に洗われるひっくり返ったヨットにクルーと腰掛け、ひたすら耐えた。

みんな岸から離れたはるか沖での出来事でしたが、状況は毎度改善され、自力帆走出来る状態になることが殆どで、一度だけハーバーのレスキューに救助された。
普通の人ならパニックになる状況ですが、必ずライフジャケットを着ていたので、命の危険は感じることなく冷静に対処できた。

以来、僕はヨット以外の時でも、水に入る時はライフジャケットを着用している。
子供が出来た時も、海水浴前に小さなライフジャケットを買い、毎度着せていた。
子供だけ着せてもダメなので、僕も家内も家族全員で常に着ていた。
子供のチビだった20年前は、そんな家族は何処にもいなかったが、僕は全く気にならなかった。
フェリーに乗るときもマイライジャケ着用でした。
マイライジャケは、船に備え付けられてるオレンジ色のカッコ悪いのじゃなく、ヨット用のカラフルでカッコいい物を用意していた。
そうじゃないと、子供が嫌がるから。

ヨット部を長くやってると、どうしても水死者と数人対面する機会ができる。
その原因は、あるいはどうしたら防げたか・・・すべてライフジャケットを着用さえしていたら死なずにすみました。
だから、僕は何が何でも水に入る時はライジャケを着用します。

そう言えば、去年長男夫婦と、嵐山の保津川下りした時も、4人分のライジャケを用意した。
カナヅチな家内は、落ちたら確実に命を落としますので、僕が固結びの点検してから船に乗った。

今回の事故で、川下り業者が用意していたライフジャケットは、座布団型で両手を通るだけのもの。
あれでは、すぐに身体から離れてしまいます。
脳震盪起こして意識がなくても、身体から外れないライフジャケットじゃないと、パニックの時は用を足さないです。

今は、ジェットスキーやその他海上で遊ぶものが増え、ライフジャケットの安全性を知る人が増え、海水浴場でもライジャケ家族を目にする機会が増えました。
悲しい事故ですが、これを機会に、全員ライジャケ着用が当たり前になればいいと思う。
そして、船長自らライジャケを着ないと、お客さんは着ないよ。
ご冥福を祈ります。

新しい船

お盆初日の土曜日は、新クルージング艇E号のお披露目でした。
13時に浜集合でしたが、K先輩さんからの連絡もあり、11時目指して10時半に浜に着きました。
我が家からは、キャンプ用椅子・テーブル・パラソルセットと、麦茶6Lウォータークーラーを出動させました。
キャンプセットは、20年は使っていなかったでしょうが、倉庫を探すと健在でした。
パラソルは、もう朽ち果ててるかと期待しませんでしたが、こちらも立派に現役を維持してくれていました。
麦茶は品切れになったし、キャンプセットのとこがたまり場になり、大活躍でした。

家内と2人、えっちらおっちらそれらを船に運び終えたところに、Kさんから電話が入りました。
食材の購入についての電話でした。
家内と船内・船上をあ~だこ~だ、写真写したりしてたら、Kさん登場。
20110813Ersinore003s


いつものバースでは、桟橋が狭いので、桟橋の一番南に船を移動させます。ここは、ユーティリティスペースなので、ここの広い桟橋にキャンプセットを立てます。
パラソルを立てると、ちょっとした海水浴場の砂浜の気分です。
大きな船が並んでるので、リゾート気分でしょうか。

家内に留守番を頼み、Kさんと2人で生協さんに買い物です。
サンドイッチ・揚げ物・飲み物・氷を購入。
僕の寄付したキャリアが大活躍です。
こんな重いものを手に下げて運べないわ。
20110813Ersinore006s


船に戻ると、皆さんがパラパラと来られます。
さあ、始めようと、S先輩さんが持ってこられたシャンパンの準備をしようと、ラップを剥がし、コルク留めてる針金を緩めると、いきなりポンと蓋が飛んでしまいました。
あちゃ~、アルコール飲まない僕は、こういうものに無知です。

でも、購入したシャンパンがあるので、そっちでポンとやり、船のバウに少々掛けます。
「もったいないから、ちょっとでええから」やって。
中古艇だけど、無事進水式が終わりました。
その後は歓談です。
上品なお話は少なく、家内に聞かせたくないような話も普通に出て、僕の評価は下がったでしょう。
まあ、これがヨット部だから仕方ないね。

僕ら夫婦とSさんが、桟橋に残り、他の方は処女航海です。
15時に神戸の法事を終えてOさんが来られました。
みかん・ぶどう・パイナップルの差し入れで、4人で大いに盛り上がりました。
E号が帰ってきて、もう一度盛り上がり、16:30に解散しました。
E・3は34フィートでしたが、今度のE・4は32.2フィート。
全長が短くなり、横幅も1m狭くなったそうですが、船内に入った感じは、あまり変わりません。
フランスのジャノー社製です。
これからこの船で楽しみましょう。
20110813Ersinore014s



20:30に、高校ヨット部同期の集まりが我が家であるので、生協さんでいろいろ買い込み、家路を急ぎます。
僕はこれといった仕事はありませんが、主婦である家内は忙しいです。
僕のやったことは、この機会にテーブルクロスを新調するために、コーナンに買い物に行ったことぐらいです。

同期2人がタクシーでやってきました。
家内含めて3人でごちゃごちゃやりました。
水割りの冷えた水が2本しかない・・・ロックの氷がない・・・アルコール飲まない我が家だから、気付きませんでした。
氷を入れる容器とか、ロックをかき混ぜる棒とかも必要だったな~。
僕の感覚で買ったソフトドリンクが、たくさん余りました。

同期がもう一人やってきました。
家内が寝たので、4人で23:30まで盛り上がりました。
布団も4人分用意してましたが、僕が駅まで車で送り、みんな電車で帰りました。

お盆休み

明日から4日間、お盆休みです。
次男は、東北で復興の仕事中なので、休みなしかもしれません。
菅さんは、かわいそうなぐらい叩かれていますが、阪神大震災同様、殆どの日本人は、上からの命令云々関係なく、一生懸命頑張っています。

長男は、お嫁さんがお休みほど忙しい職業なので、期間の休みを少なくし、お嫁さんに合わせて休むのかもしれません。
月末の関東での法事のことを相談したら、韓国旅行に行ってるから行けないとの返事でした。

僕ら夫婦は、明日船に乗ります。
先輩たちと昼に集まって、のんやかやするらしい。適当に切り上げて沖に出てセイリングしたいけど、どうなることやら?

その晩、高校ヨット部同期の盆・正月定例の集まりです。
夕方からの2時間飲み会には、船の集まりがあるので予定が立たず参加できません。
でも、その後みんなで我が家にやって来ます。
空き家になってるお隣りの実家が活躍します。
一晩泊まって行く奴がいるかもしれません。
昼休みに自宅に戻ると、トイレのブルーレットとか、なんやかや準備してくれていました。
果物やつまみを含めて、家内におんぶに抱っこです。

日曜日は、朝8時にお寺さんが、お盆の法要に来てくださいます。
弟家族も、それに間に合うように、2時間かけて来てくれます。
その後、みんなでお墓参りし、僕メニューのハイキングです。
父が亡くなってからお盆の定番になりました。
八上城址に登りますよ。案内板が立ってるそうなので、山中で迷わないと思うけど。

残る月火の2日間は、息子たちが帰って来なかったら、最初四国上陸「夫婦でバイク」予定でした。でも、長男からの連絡がなく、催促するのもアレなので、ズルズル後回しになり、フェリーに乗れるか怪しくなったのでやめました。
続いて、車に自転車載せて福山に行くことを考えました。1日目、レンタルバイクして「とびしま街道」~フェリー~大三島~福山。2日目、自転車で生口島一周。でも、今日の宝塚トンネル35km渋滞のニュースを見て、おじけづきました。

そこで混みそうもない近場に変更です。
JR加茂まで車で行き、自転車持ってJRで柘植~貴生川、さらに信楽まで電車です。
ここから、JR加茂まで自転車ダウンヒルです。
車で、混む大阪周辺の電車輪行を回避するので、ナイスなルートと自画自賛です。

2日目は、「夫婦でバイク」です。
亀岡~篠山を交通量の少ない道で巡り、春日黒井城主赤井氏の支城の三尾山に登ってやろうと考えています。
登り1時間のようなので、なんとか登れるでしょう。
道中、湧き水とか、甘いものとか家内の喜びそうなメニューを混ぜながら、当然僕の趣味の謂れ読み寄り道もやります。
面白おかしくお盆の最終日を過ごしたいと思っています。

まあみんな皮算用なので、行き当たりばったりで過ごしましょう。

家内の実家墓参り3

「若杉トンネル」を越えて、市川側に下りだすと、巨大コンクリート遺物が目に入ってきました。
「神子畑選鉱場」跡地。
「ムーセハウス」というのが建っていました。
生野銀山に行った時、フランス人技術者を呼んで指導を願ったとあったあの人の住まいのようです。
ハウス内は、在りし日の選鉱場の様子を写真などで説明していました。
明延鉱山からの産出物をここで選鉱し、生野に運んだのだとか。

菊の紋章が目立つところにあります。
一時、天皇家の所有になったのだとか・・・ココからの上がりを直接天皇家の財産に組み入れたようです。
展示品を見て回り、トイレを借りて退出。

少し走ると、「神子畑鋳鉄橋」がありました。
20110807Ichinomiya048s

遺物というには、今でも実用十分で立派です。
この上を線路が走り、鉱石を運んだのでしょう。

更に下ると、ハングライダーが飛んでいます。
家内とワーワー言いながら走ってると、横に吹流し&男性が2人います。
バイク止めて、ムービー撮りだすと、目の前の広場にランディングしました。
風任せなのに、ピタリとランディングバーンに凄いです。
僕のやってるヨットも風任せそうだけど、こちらは3次元ですよ。
周囲を見上げると、テイクオフバーンと思われる山上の扁平地が確認できます。
20110807Ichinomiya051s


1週間ほど前、新聞記事で見つけたと、家内から「ハングライダーの2人乗りがあるんだって。一緒に乗りに行かない?」って誘われたことを思い出しました。
「それは、指導者と一緒に乗るんやないの?」「一緒に乗れないの?」「僕、乗ったことないもん」「操縦出来ないの?」「・・・」
僕を、スーパーマンと勘違いしてるようです。

R312に出て、生野まで南下しました。
「JR播但線生野駅」は、「夫婦で自転車・市川下り編」の出発地でした。
ここから、再びR429で西進、生野銀山の方に進みます。
でも少し行ったところで、r367にチェンジ。
「白口」の墓場の中を走る県道です。
両側にたくさんの墓石が並び、夜は走ったらあかん道です。

峠を越え、越智川沿いに出ました。
ここから、サイクリングコースを下ります。
本日の出発駅・寺前近くからバスで、越知川上流まで自転車を載せてくれます。
ゆるいダウンヒルオンリーのサイクリングコースです。
貸し自転車もあるので、気楽な1日が楽しめます。
サイクリングコース案内看板に沿って下り、途中の大杉で休憩して、r8分岐まで来ました。

ここから、r8で東進です。
さあ、加古川のお墓に向かいます。
「高原峠」を越え、蛍川で有名な「杉原川」側に出て、r143にチェンジして南下。
r24・r79で南下し、中国道をくぐります。
「夫婦で自転車・北条~三木編」で乗った北条鉄道の線路を渡ります。
さあ、お墓への最後のアプローチというところで、道を間違えました。
山陽道高架直前で左折してr118に乗り小野向きに東進しましたが、1本早く曲がってしまったようです。
すぐお墓があるはずなのに・・・14時を過ぎているので、お昼を食べようと小野駅に向かいました。

14:50、「JR加古川線・小野町駅舎内」の「ぷらっと・きすみの」というお店で、お蕎麦をいただきました。
ここが大当たり。
狭い店ですが、お蕎麦が美味しく、量も多いです。
地元のおっちゃんがお蕎麦打ちを習ってきて、地元のおばちゃんがウエイトレスしてる風で、感じがいいです。

お墓に参ります。
線香だけ持ってお花なしです。
前日に姉夫婦が来たとのことなので、お花の水を替えるのみでした。
暑いので、墓石にたっぷりお水を掛け、線香炊いて手を合わせてお終いです。

有馬温泉の家で、朝から山登りすると言ってた姉夫婦が、夜まで有馬にいるようだったら寄ろうかな・・・。
1週間前に、有馬の家においでと誘われたけど都合がつかなかったから、次はこちらから声を掛けなきゃね。
「JR市場駅」の横を通り、神戸電鉄・三木駅から、r38を東進します。
単調な平地でゆるいワインディングな道なので、後ろが気になります。
無線の声掛けへの反応が鈍くなり、ブレーキをかけるとコツンとヘルメットが当たるようになり、もうすぐ寝るサインです。
休憩を入れます。

「淡河城址」横を過ぎ、有馬温泉への道標に従ってr506にチェンジ。
ここで2度目の給油をしました。
16:00、214km/4.47L=47.9km/L。

「有野台」を上がり、「有馬温泉」到着。
姉夫婦のマンション前で、電話します。
もう加古川に戻ってるみたいです。
しきりに、マンションの温泉に入っていくように勧められるが、帰宅を選択しました。

家内の実家墓参り2

JRを道なりに西に渡り、次の駅「新野」に来ると、駅前の田んぼに水車が回っています。
田より低い農業用水路から、水車によって水が田に引き上げられ灌漑しています。
自転車できた時も見ましたが、素晴らしい。

次の駅が、待ち合わせの「JR寺前駅」でした。
時刻は、8:30。
予定より30分も早く家を出た家内が、もう到着してるかもしれません。駅舎を覗くといません。
電話すると、福崎駅で乗り換え前らしい。

駅前ロータリーにある観光案内所&売店で、ゆず入りケーキ3個入りを購入。
ゆずジュース100円を確認し、駅舎待合室で1個食べてみる。
ここは、以北の未電化路線への乗換駅なので駅員さんがいます。
駅に案内アナウンスが流れ、改札からホームに入り電車をムービーに映します。切符ないけど、お客さんが少ないのでOKのようです。
20110807Ichinomiya023s

扉が開き、家内がやって来ました。
さっきの観光案内所前のベンチで、ゆずケーキとゆずジュースで小腹を整えました。

r404を少し戻り、r8で西進します。
大きな岩がゴロゴロしてる市川の支流を遡ります。
ぐんぐん高度を増し、ホテル・リフレシアへの曲がり角を過ぎてから、未走の道です。
峠を越え、一宮側に下ります。楽しい道でした。

R29に出て、少し山崎側に南下したら、最初の訪問予定地・「播磨一宮神社」に着きました。
一宮は、奈良時代、国が律令制各国に制定したお宮です。
一宮は、その国の行政機関の役目も負っていたと聞いています。
播磨という農業生産量豊富な豊かな上国の一宮としては、かなり辺鄙な所にあります。
「なんで、加古川・市川・揖保川の恵み豊富な広い平野を持つ沿海部にないの?」、以前ここに一宮を見つけた時、素直な疑問がわきました。
普通、人の多く住む、農業の盛んな便利なところに作るでしょう。

R29で前を通る度、立派な森を持つ神社だなと気になっていました。
立派な森は、長い間、木が切られていないということ。
歴史のある寺社ということです。
「一宮伊和神社」前の道の駅にバイクを停めました。
ここは賑わっていますが、R29を渡った伊和神社は、静かに佇んでいます。

大きな石鳥居をくぐると、巨木の森です。
拝殿に向けて歩いていると、「皇族下乗」の石碑。
皇族の訪問があったのかもしれません。
現在でも、宮内庁職員が定期訪問してるところがあるしね。
ここで皇族であっても乗り物から降りたのでしょう。

清潔感と歴史の趣きが佇む素敵な社殿です。
20110807Ichinomiya027s

僕も家内も、この日一番印象に残った場所になりました。
謂れを読むと、「13代成務天皇の144年の創建・・・」。こちらも古いです。
ゼロ1つ増えて、1440年でも室町時代で古いのに、ただの144年です。
国としての日本が認識されるようになった奈良・明日香はおろか、各地豪族が大胆に移動・闘争した古墳時代より前です。
天皇なんて言っても、一豪族の長でしかなかった時代なんじゃないのかな?
ここと天皇家と、どういう関係があったのだろう?
天皇家は、謎がいっぱいです。三種の神器が現存してるのかも不明です。
今でこそ、平和の象徴みたいになってるけど、天皇後継争いで、兄弟や親子・叔父の間で血なまぐさい武力闘争を繰り返してきたし、聖徳太子でさえ、母方の蘇我氏の将校として、物部氏と大戦争して追い落としてるし。

R29を北上します。
「福知渓谷」でまたR312側に戻るべく、r6に入ります。
横の川で、地元の方が川魚を取ってるみたい。
小さく低いコンクリート堰があり、そこに竹と板で仕切りを付け水流を狭めています。
おじさん3人が、そこを覗き込んでゴソゴソしています。面白そうです。
20110807Ichinomiya033s

横では奥さん方?が、川掃除しています。
更に上流に上がると、男2人で網を引いていました。鮎取ってるのかな?

福知渓谷のr39に入ろうとすると、看板が目に入りました。
復旧工事のため、通行止めだって。ガックリ。
福知渓谷が、土砂崩れしたのは去年とか一昨年だったんじゃなかったけ?まだ復旧工事してるの?

地図を取り出し、R429で市川側に戻ることにしました。
r6を更に北上し、R429に入り東進します。
10:55、何と読むのかわからない「百千家満」という所に、「草置城址」の案内板が立っていました。
「雲海の・・・」なんて、魅力的な言葉も目に入りました。
「秋になったら来るといいね」なんて、家内は言いますが、「でも遠いわね」だって。来たいけどそのとおりです。
ちゃんとした車道が登っているので、車で行けるのかもしれません。
雲海の素晴らしい所は、下界の眺めもいいはずです。
今日のメインメニューは、墓参りなので、次回に回します。

家内の実家墓参り1

日曜日は、家内の実家のお墓参りでした。
いつもなら、早朝に車で出かけるのですが、通勤リード・タンデムツーリングで涼しいだろう山走りのメニューもオンしました。
村上春樹原作・ノルウェイの森の映画ロケ地になった峰山高原・砥峰高原の方を目指します。

家内のバイク負担を軽減すべく、お得意の電車ライド併用です。
播但線・寺前駅で家内と待ち合わせにして、AM5:30出発です。
家内の電車は、6:30発・寺前9:00です。
通勤リード110だと、電車とだいたい同じぐらいの所要時間です。

6:30に出ればいいのですが、僕の場合、寄り道の時間も確保しておきたいから、少し早めの出発です。
ところが、前回丹後半島一周の時、待ち合わせの福知山に僕の方が1時間も早く着いたので、家内も同時出発しはりました。
「おぅ、寄り道時間がなくなるかも?」

まずは三田を目指します。
僕の早朝バイクの定番「長尾山トンネル」を抜けて、北摂里山地帯に入ります。
味気なく、無謀な運転する車に追いかけられるR176より、のんびり走れていいです。
r33から、「川下川ダム」横を通り、武庫川に出ます。
新名神高速道の工事が進んでおり、橋脚がさらに高くなっています。
20110807Ichinomiya002s

優雅にワシが飛んでた山が削られ、少々悲しいですが、自然の再生力は偉大なので、しばらくすれば無粋な高速道以外は、緑に帰るでしょう。
それに、これが開通すれば、悪名高き「宝塚トンネル渋滞」が、解消されるはずです。

「JR道場駅」を経てR176に合流し、少し北上し、西進するr17にチェンジします。
義理兄の母校・三田学園横を通ります。
中国道の通る前、親父に乗せられてよく行った東条湖への懐かしい道です。

やがて中国道に沿う様にr17は走り、「滝野社IC」が近づいてきた頃、いい感じの鳥居に惹かれました。
田んぼに囲まれて鳥居が立ち、横を見ると謂れが立っています。
「木梨神社」
20110807Ichinomiya007s

趣味の謂れ読みをすると、10代崇神天皇の世、建立されたとか。
12代天皇でADだから、BC50年頃でしょうか、とても古い歴史のあるお宮です。
平安時代、60代醍醐天皇の世、多田満仲がこの地に大池を作り、この宮を再建したのだとか。
満仲は、藤原摂関家に軍事部門として仕えたので、ここらは藤原氏の荘園だったのかも?
あるいは、満仲の所領だったのかもしれません。
いずれにしても、清和源氏の祖・多田満仲が登場したので、鳥居の主に行ってみたくなりました。

ぐるり見渡すと、中国道をくぐったところに主があります。
中国道を走った時、目に入るお宮でした。
小高い拝殿から振り返り、満仲が神社を再建し、ここに兵を駐屯させ、中国道がなければ見渡せる藤原摂関家か自分の所領であるこの田園地帯からの上がりを管理し、防衛してた時代を想像しました。
お寺だって神社だって、元はもっと血なまぐさいものです。
理屈のわからない天変地異を神の技と怯え、雨や川から供給される水の恵みを上に感謝し、打ち破ったライバルの魂を鎮魂し祟りを恐れて寺を建てたのです。
それが、平和のシンボルに昇華しちゃうとこが、ナイスなところです。
こんな日本が素敵でたまりません。

7:30、滝野社で給油。前回給油から、148km/3L=49.3km/L。
R372・R175を越え、r145にチェンジ。
「釜坂峠」を越え、市川町側に下ります。
r34を下り、福崎でR312。これを北上。
「JR播但線・甘地駅」でr404にチェンジして、JR播但線沿いを北上します。
以前、ここに車を置いて、電車で生野まで北上し、そこから自転車で帰ってきました。

晴天の素晴らしい天気です。
左右の山を見上げながら走ってると、いかにも山城があります。という扁平な頂を持った山が西に見えました。
麓からバッチリ見えるということは、逆もまた真なり。
春日・黒井城址同様、抜群の眺望が期待できます。
20110807Ichinomiya016s


「JR鶴居駅」の道標が目に入り、山城の情報があるかも?と寄り道しました。
駅前広場(と言っても自転車置き場程度ですが)に、「鶴居城址」のことが書いてありました。
同じ観光案内板に、「橋本忍」さんという方のことも書いてありました。
「羅生門」「生きる」「七人の侍」など黒澤明作品を手がけた脚本家で、ここ鶴居出身だそうです。おお~。

「夏草の賦」上・下 司馬遼太郎 文春文庫 ★

7月は、2作品3冊の本を読みました。

「平将門」赤城宗徳 角川選書 ★★
赤城さんは、衆議院議員・農水大臣でありながら、郷里の雄・平将門研究家でもあります。お孫さんは、絆創膏貼って登場した農水大臣として有名になりました。将門好きの僕には、たまらなく丁寧な調べで、将門を生んだ南関東や当時の関八州の様子が、とても興味深かった。

そして、「夏草の賦」。
戦国時代の四国の雄・長宗我部元親の生涯を綴った史伝小説です。
海音寺潮五郎さんの歴史に残る諸説を併記して、「私はこういう理由でこうだったと思う」で小説を進める史伝という書き方の歴史小説の後継者・司馬遼太郎さんのを手に取りました。

最速交通手段が馬というまだ情報発達速度の遅い時代、土佐の一郡を支配する豪族だった元親が、二十数年かけてほぼ四国統一を果たす。
しかし、上方から豊臣秀吉という巨大勢力が侵攻してきて、一撃を加えたが、一族の存亡のために土佐一国を安堵されて撤退していく。

それ以前と、それ以降の元親の行動力の差を大きく違う。
元親同様、中央から遠いところから全国制覇の野望を抱いていた仙台の雄・伊達政宗が、時の権力者・秀吉、さらには徳川家康へ軸足を移して、したたかに一族を存続させる基盤を築いたのに、元親は別の生き方をした。

自分の野望が潰え行動力が鈍っても、自分より優秀な嫡男の信親に家を託し、自分の野望・第二章に希望を抱いている風であったが、九州島津攻めの時、秀吉から派遣された軍師・仙石秀久の無謀な作戦で信親を失い、失意の最後を過ごした。

この時、正妻の奈々(明智光秀の片腕・斎藤利三の娘)に語らせた言葉に、激しく同意した。
『彼に四国制覇と天下への夢があった時は、体の隅々の細胞まで勢いよく活動し、彼の意に逆らうような事態や考え方ややり方をも受け入れることが出来たであろう。しかし、土佐一国に閉じ込められてからは、それは必要でなくなった。(男というものは、そうらしい)と、奈々は元親を眺めながら、このようなことを考えている。夢と志を失った時、年齢とはかかわりなく、別の人間に変わるのではないか。(というより、男を成り立たせているのは、夢と志なのだろう)』

天下人がめまぐるしく代わるこの時期の対応が、大阪夏の陣での長宗我部家の滅亡に繋がっているようだ。
しかしながら、知略を遣い、敵方の攻略と友軍の鼓舞に長けた元親は、戦国屈指の弓取りであり、「一領具足」などの元親が考えだし小国ながら大きな軍事力を引き出す力は、長宗我部家滅亡後も土佐に根付き、幕末の変換期の雄藩に繋がったと思う。
戦国時代、九州を切り取った薩摩、中国地方の毛利、四国の土佐が、逸材を搬出して国を次のステージに導いた。

それと、もう一点、読む前から楽しみにしていたことにも解決が付いた。
次男の小学校時代の友人に香宗我部君という子がいた。
先祖は四国土佐の出ではないかと、すぐにピンときた。
それが、ずっと疑問のままだった。
同じゴミステーション仲間で、毎日通勤で香宗我部家の前を通るので、その度に思い出されていた。

長宗我部家は、平安から鎌倉時代に土佐に下ったようだ。
土佐は流人の地でもあったので、流人であったのかもしれない。
元は宗我部氏を自称していたが、土佐・香美郡にも宗我部氏を名乗る豪族があったので、在所の長岡郡の一字をとって「長宗我部」とし、香美郡のもう一方の宗我部氏は香宗我部を名乗るようになったそうです。
かなり珍しい苗字なので、やはりという感じがした。

通勤電車という読書タイムがない僕でも、トイレと風呂の時間だけで、週1冊ペースで読めるのに、我ながら驚く。

野間の大ケヤキまでフクロウ探索・失敗

AM4:30にゴソゴソし出し、5:00にVTR250で、早朝バイクに出ました。
本日の目的は、「能勢の大ケヤキ」です。
最近は通過地点に過ぎないのですが、じっくり見に行きます。
というのも、渡ってきたフクロウの巣があり、子育てしてるという情報をキャッチしたからです。
以前、お隣さんがでかいフクロウを飼ってて、まんまるの大きな目と、360度?回る首を毎日のように見ていました。
山で捕まえてきたと言ってたのですが、野生のフクロウなんて、遠目で一度目撃しただけです。

r13~R176~R173~一庫ダムからr604。
そして、r605に曲がってから、「あれ~、この道じゃなかった~」と気付きました。
でも黒川の集落風景は好きだからOKです。
R477の「能勢ケーブル」に合流。それを北上します。
去年、半年以上通行止めになってた崩壊現場は、まだなんか工事しています。
旧道に入り、「野間中」からr4に入ります。
R477旧道と新道の間に「大ケヤキ」があると思ってたら、新道の更に西でした。

バイクを停め、トイレを拝借した後、じっくり大ケヤキを見上げますが、鳥の痕跡もありません・・・残念。
誰もいない大ケヤキを後に、r4沿いに看板が出てた「今養寺」を訪問しました。
立派に普請したコンクリートで目地した石垣を持つ古刹でした。
謂れによると、平安時代から続く古刹で、数度の兵火に遭いながら、何度も再建され、江戸時代、能勢氏の教化で真言宗から日蓮宗に宗旨変えし、その保護下になったそうです。
横には、この古刹の守り神だろう小さな神社があり、江戸時代末まで続いた神仏習合の様式です。
明治新政府の廃仏喜捨政策で、お寺と神社が分離されちゃいました。
それを生き残ったのか、再び住民の手で一緒にさせたのかですね。

元は、今ゴルフ場になってる裏山にあったそうで、能勢氏は、有事の軍事拠点との意味合いも含んで保護していたのかな?と想像しました。
20110802Nose010s


R477新道を北上しました。
r106との合流まで北に上がり、r106で南下しました。
「七寶寺」の金色の観音様像が目立ちます。
他にも巨大石像が数体山中中腹に視認でき、この金回りの良さが新興宗教本山と想像されますが、日蓮宗のお寺だそうです。
でも、なんだか怪しい。
同じく日蓮宗の地黄の「真如寺」とは、外観が大きく異なります。

その前に広がる小規模扇状地の奥を探索してみたくなり、枝道に入ってみました。
いつ終わってもおかしくない道が続きますが、きちんと舗装され、荒れてはいないので現役の道です。
ひょっとすると、1本西の県道にでも通じているのかな?と期待が膨らみましたが、枝分かれしたところから勾配を増し、一気に路面が貧弱になったので、ここで退却することにしました。

この枝道沿いに、古墳がありました。
20110802Nose015s

謂れによると、6世紀後半に作られたようで、9基あるとのこと。
横穴式石室を有する円墳で、1つは枝道のすぐ横、藁に覆われたドーム状の盛り上がりの下のようです。
このあたり、同じ時代の古墳が多く、何も保護されないまま、横穴を無造作に枝道に向け、風雨にさらされるままになってるものもあります。

そのまま、r106を下り、一庫ダムから帰宅しました。
綺麗な蓮が、咲いていました。
20110802Nose016s


野間の大ケヤキを見に行こう2/4

お盆、どうしようかな?

次男から、「南三陸町にいるよ」とメールが届きました。
被災地の写真も添付されています。

先月下旬に父が亡くなってから、我が家のお盆恒例の墓参り&ハイキングを続けてきました。
1ヶ月前に、今年のメニューを考え、我が家と弟家族に連絡しました。
その時は、次男も帰って来ると言ってましたが、東北に向かう車から、今宮城県に向かってるから、しばらく帰れない旨の連絡を受けました。
社員が交代で被災地に入っており、最初は5月に被災地入りと言ってました。
次に、復興資材が整わないので、現地入りがなくなり、それ以外の仕事をしていました。
急遽、現地入りになったということは、資材の生産が順調に増えてきたのでしょう。
日本経済が、回復しているということで嬉しいことです。

「被災地でハエが大量発生している」というニュースを仕入れた家内が、次男が宮城県の何処にいるのか心配していました。
「別に何処でもええやん。なんとかしよるやろ」と高をくくってる僕は気になりませんが、しゃあないなあと次男に、「お母さんが、ハエの大量発生で心配しとる」と問い合わせました。
その返事が冒頭のメールですが、「ハエいっぱいおるけど、ヨット部の艇庫と同じぐらいやから平気やわ」とも書いてありました。

まあそれはいいのですが、長男からお盆の予定が入ってきません。
お嫁さんが、休日ほど忙しい職業なので、2人での帰省はないと思ってるのですが、夏帰って来るのかな?
お嫁さんによると、忙しく飛び回ってるようなので、ちゃんと休息を取ってるかが気になります。
小学校から高校卒業まで、ほぼ皆勤賞の丈夫な体を授かった兄弟なので、それだけが頼りです。

ということで、お寺さんのお盆参り&弟家族との墓参りの1日以外の予定が決まりません。
と言って、長男に催促したりしたくないし・・・気になっているが、仕事の都合がつかないのでしょう。日本におらんのかもしれんし。親は、気長に待つだけです。
僕も同じ長男だから、実家が気になってるに決まっています。

長男も帰って来ないのなら、スクータータンデムで四国に渡り、四国カルスト&石鎚山を観光しようと計画したけど、風前の灯です。
昨日フェリー会社に問い合わせたら、予約がもうすぐ満杯だそうです。

直前になって、帰ってこないということになってもOKなメニューを考えました。
目的地は、「しまなみ海道」です。
車に、布団と自転車積んで、借りれたら現地でバイク借りて、1日タンデムで「トビシマ街道」&フェリーで、大三島探索。
翌日は、自転車で「生口島一周」です。
これなら、ヤドカリのように宿付き移動なので、寝るところの予約要りません。
行き当たりばったり、さあてどうなることやら。

琵琶湖でヨットコーチング

日曜日は、琵琶湖に行きました。大学ヨット部の練習に参加です。
4月の新人勧誘、5月連休のレース以来です。

朝6:30に家を出て琵琶湖に向かいました。
バイク行きも考えましたが、電動垣根刈り道具の運搬もあり、車にしました。
YHに着くと、部員H君が「おはようございます」と声を掛けてくれました。いつも気持ちのいい青年です。
艇庫前でフィッティング中の部員と、朝の挨拶を交わします。
パワーあふれる学生たちと触れ合える機会を持てる僕はラッキーな男です。

午前中の練習は、無風に近い中、レスキューで出ました。1回生2人と一緒です。
4月の新人勧誘の時顔を合わせたかもしれないけど、自己紹介すると、既に僕の名前と、OBの親であることを知っていました。
次男は、伝説のプレイヤーになってるそうです。27才にしてレジェンドですか・・・ハハハ。
5月のレースで来た時、名言でも発したのだろうか?

上がっても2m/sの中、基本練習・ショートマークラウンディング・・・、いろいろメニュー変更して飽きないように練習しました。
12時ハーバーバック。車を置いて一旦合宿所に戻って昼食です。
いつもながら、マネさんの食事はうまいです。

僕の分も用意されてて嬉しいです。でも、ご飯が多いなあ。学生みたいに食べられないんだよなあ。
午後は、1時に出艇です。
出艇前、午前中気付いたことを話して沖に出ます。
OB君が来てて、彼がインフレータブルボートで1回生と乗り、僕は女子マネさん2人を左右に、ハーレムレスキュー乗船です。

期待の新人スキッパーMさんは、高校ヨット部出身です。
スポーツセレクション入学がないので、ヨット経験者なんて数年に1人しか入ってこない、貴重な存在です。
楽しく乗ってるかな?と時々注視しましたが、実に楽しそうに生き生き乗ってました。
後半6m/sぐらいまで風が上がりましたが、乗ってる姿勢が綺麗で、きっとうまくなるでしょう。

良い風の中、いい練習が出来ましたが、練習終わりが近づく16:30。琵琶湖の東岸・草津に、上空の灰色の雲が下りてきました。岸が見えなくなりました。豪雨が降ってるはずです。
稲光に気をつけていましたが、それはないようです。風向が北だったので、その雲がこっちに来ることはないでしょう。北の比良山系の山も見えているので、雷雲の発生はなさそうです。
練習を続けましたが、注意していました。
草津の雲が南の瀬田も覆います。瀬田大橋が見えなくなりました。

琵琶湖の上空を見ると、不穏な雲が出てきました。
もっと上の雲は、東から流れているようです。
草津の雲が流れてきそうです。雨はいいのですが、暗い雲なので、雷が発生すると危険だし、雷雲の下は突風が吹くこともあります。
もう練習終わりですが、レスキューを走らせ、急いでハーバーバックするように指示を出しました。

ハーバーに戻り、僕は雨が降る前に僕は合宿所に引き上げました。
帰着後、雨が降り出し、船の片付け終わりに合わせて車でハーバーに向かい、1回生3人乗せて合宿所に戻りました。

ボスマネさんに出された恒例のOB日誌に、今日の練習で気付いたことを書き、ミーティングをしました。
申し合わせ事項と僕のミーティングでしたが、台所では、旨い夕食が出来上がっています。
「腹減った~早よ終わらんかなあ~」と思ってたでしょうが、僕の話がちょいと長くなってしまい申し訳ない。

夕食は、長崎名物「皿うどん」でした。みんなにとても好評でした。
僕も、美味しくいただきました。これからミーティング後半ですが、20時に帰路に着きました。
もう雨は止んでいます。
桂PAでアイスを食し、名神・中国道で豊中IC下車。
西進してると、突然の豪雨です。原付バイクが、陸橋の下で雨宿りしています。上空の細い陸橋なので、雨宿りになるのかな?バイクで行ってたら、ここでずぶ濡れ、慌ててカッパ着用でしたね。

ところが豊中の丘を下ると、雨の痕跡すらありません。
局地的大雨のようで、夏夏の夕立ちですね。
21時に帰宅しました。

ヨットの片付けをしてる間、合宿所前の雑草を刈ろうと、殿堂垣根刈り機を持って来ましたが、雨が降って作業できませんでした。また次回ですね。
main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR