超親ばか有頂天夫婦

電力会社の株主総会が、ここ数日トップニュースに取り上げられています。
政府の後押しがなければ、東京電力は事故の保障で倒産の憂き目だから、株主の関心も高まります。
原発は、日本有数の安定巨大企業でさえ、一発で倒産してしまうハイリスク事業部門です。
いずれ、電力会社自身が、原発電源から少しずつ脱却していくでしょう。

ここから本題です。

株主総会シーズンと言えば・・・
昨日、次男から、次男の会社の株主総会用事業報告書に、次男の設計した物件が載ったと、嬉しいメールが届きました。
自社物件なので、その用地設定の段階から関わり、役所とも交渉し、そして設計者として現場作業の方と日々連絡を取りながら完成させたものです。
たまたま家内の実家の市内で、家内の姉夫婦も、何が出来るのかな?と気になってたと言ってました。
実家のお墓参りの時、次男に案内してもらい、僕らも見ています。
次男の仕事が、会社を代表する事業としてクローズアップされるなんて、親としてこんなに嬉しいことはありません。


息子と言えば・・・
先週24日の日経夕刊に、ライフルの記事が載りました。
京都ライフル部出身の大阪府の教員さんが、大阪代表で国体3連覇を目指しているという記事でした。
記事中にあった「能勢ライフル施設」が、長男に連れていってもらった施設じゃないかな?って、家内が新聞を持ってきました。

僕と次男がやってるヨット同様、長男がやってたライフルもマイナー競技です。
長男より10才ほど年上の方ですが、同じ大阪の競技者ですし、京都ライフル部と親しく交流してたと言ってたので、きっと知ってるなと、同じマイナー競技者としてピンと来ました。

次男が入学してクラブ回りした時、ライフル部で長男の話を出したら、他大学なのにみんな長男を知ってて、次男を入部させるべく長男に電話が入ったと言ってました。

作家の森見登美彦さんも、このクラブ出身で、森見さんの奥さんもそうで、長男と同学年でよく知ってる間柄だと言ってました。
出世作の「夜は短し、歩めよ乙女」の主人公は貧乏学生は森見さん自身で、主人公が追いかける下級生美少女が、奥さん本人です。
文中のエピソードも、いくつかはノンフィクションでしょう。
この本読んで、とても面白かったので、同じ本好きの長男に聞いたら、「あの本なあ、マジのラブレターなんやで。こんなラブレターで求婚されたら、断れんやろ」と、上記のことを聞き驚きました。

桑田佳祐さんが、「いとしのエリー」でエリさんに求婚したら、100%OKもらえるのと同じことです。

また記事中に、その方の開眼のきっかけを作った日本ナショナルコーチのハンガリー人のことが出ていました。
この方が関西を巡ったとき、大学2回生だった長男が志願して運転手をしました。
自分の車で毎朝ホテルに迎えに行き、当然無報酬で数日間、彼と2人っきりで関西各地のクラブや射撃施設を回りました。

その縁からか、ナショナルチーム合宿に呼ばれ、1ヶ月ぐらい山篭りしていました。
そして、20才以下のジュニアオリンピック日本代表候補選手にも選出されました。
長男は、今でも出身クラブ歴代最高得点保持者です。
この記事の方同様、ハンガリー人コーチから多くのものを得たのでしょう。

翌日、この記事のことを長男にメールしたら、「そやで、ようお世話になった人やで。ハンガリー人コーチも、僕が運転手した人やで」ってメールが届きました。

超親ばかな僕ら夫婦は、息子たちの大活躍で有頂天な今月末でした。
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富良野・美瑛ツーリング4

r253を、「北の国から」ロケ地を目指します。
「五郎の拾って来た家」で「石の家」との入場券を500円で購入。
見学して出る頃、また雨が落ちてきました。
売店に雨宿りして、仕事場にワインと家内にぶどうジュースのお土産を購入しました。
液体物なので重たいから、我が家に郵送手続きしました。1981円・送料1750円。

それを終え外に出ると、雨は止んでいました。
数分走って「五郎の石の家」です。
20110619HokkaidoM158s

ドラマで使った五郎の愛車やトラクターもあります。
初代の木の家も残っています。

駐車場から家までの間に、「北の国からクイズ全6問」がありました。
等間隔で、問題と答えが交互に立っています。
5問正解。
蛍の旦那の名前が不正解でした。

家の裏では、熊除けの鈴の音が流れていました。
横は、「東大演習林」で、動植物の採集禁止の看板が上がっていました。

これで、富良野はお終いです。
r253で南下。R38に合流し、少し富良野側にバック。15:00、R38とR237交差点で、R237で南下。
空知川沿いを走ります。
20110619HokkaidoM175s

「ツーリングマップル」で景色のいい道に指定されてるr465で、「かなやま湖」沿いを走ります。
交通量の少ない道で、キタキツネの子供ペアを2ヶ所で発見しました。
1ヶ所では、止まって見てる僕が餌をくれるんじゃないかと思ったのか、寄ってきたので素早く退散しました。

再度R38に合流。
3:30、「道の駅南ふらの」着。
遅い昼食カレーを食べました。
熊の剥製が置いてあり、狩猟者と狩猟日時も書いてあります。
ここは、ヒグマのリアルな世界です。
正面にスキー場が見えます。
これだけ走ってまだ富良野?と思ったら、宿主の「美瑛町だけで、東京23区と同じぐらいの大きさですよ」の言葉を思い出しました。

4:00、「JR幾寅駅」に寄り道。
20110619HokkaidoM185s

ここは高倉健主演「鉄道員・ポッポや」ロケの駅で、映画の駅名「幌舞駅」の名でロケセットが残っています。
駅前には同じく床屋さんなども保存さています。

ここで、手持ちの方のカメラのバッテリー切れ。
新しいバッテリーに交換するも写せない・・・あれ~、予備バッテリーを充電してくるのを忘れました。
でも慌てません。
実は車載用カメラとして、Nikonに加えCanonも新機種導入していました。
なかなか来れない北海道で車載カメラトラブルで、ムービーを残せないのは残念だからね。
少し大きく、少し重たいけど単3で動くカメラは便利ですね。
エネループ12本持ってきてますよ。
以降の手持ちカメラを、予備カメラのNikonL20君に変更しました。

JR根室本線沿い・R38を東進。
十勝との峠「狩勝峠」、標高は600mあります。
十勝平野が眼下にでっかく広がっています。
20110619HokkaidoL004s

雄大だけど、風が強く、高所恐怖症気味の僕には、展望台に上がるのがちょっと辛いです。

高所の恐怖で血の気が引く足にゾクゾクしながら十勝側に下ります。
「新得町」に入り、r75。
さあ、ここからゴソゴソ宿を見つけなきゃと思っていたら、r75沿いに看板が出ていました。
行きすぎてUターン。
宿への道に入ろうとすると、宿主さんが立っていました。
「バイクの音がしたから・・・」。
5:00「ドラム館」到着。

ここは、大阪出身の兄弟が営業されています。
最初は、今は亡きご両親と越してきたそうです。
お兄さんが僕の1つ上で、弟さんが1つ下。
かつては阪神命だったそうで、ここまで来て弱くてガラガラだった甲子園球場の話題で盛り上がりました。
同宿者は1人。
夜10時過ぎに到着。
名古屋から来られた常連さんで、今朝日本海側の島から本土に戻り、高速バスで札幌に出て、レンタカーを借りてやって来たそうです。
僕とはスケールが違う旅人です。
10時半に床につきました。

丹後半島時計回り2

伊根でカッパを着ます。
舟屋の海岸線を周り、「道の駅・舟屋の里伊根」で休憩しました。

R178で、天橋立方面に南下します。
天橋立は125cc以下のバイクは走れるので、走ってみようと思ってます。
無線の電池がなくなったので、次の休憩の電池交換までOFFにします。

ブレーキを掛けると、コツンとヘルメットが当たります。
「ヘルメット5回ぶつけると、それはアイシテルのサイン」なのですが、我家の場合は、家内が寝そうなサインです。
スピード落として、「どこかで休憩しなくちゃ」と走ってると、とうとうヘルメットが当たりっぱなしになりました。

コンビニ発見。
家内はパンなどを買い、僕はアイス購入。
バイク停めた駐車レーンの縁石に腰掛けて食べます。
まるでクラブ帰りの中高生ですね。

電池交換し、無線復活でおしゃべりしながら天橋立に到着し、念願のバイク通過開始・・・あれ~橋にロープが架ってる・・・橋の中央部が90度回っています。
船が通過するので、渡れません。
家内はこういう橋を初めて見たようで、はしゃいでいます。
ちょうどいい時に来ました。

いよいよバイク通過開始です。
舗装路が走ってると思ったら、砂が締まった道でした。
でも、バイク走行に支障はありません。
ロードバイクも向こうからやって来ます。
ん?景色がおかしいぞ。
どうやら南から北に向かっています。
さっき、天橋立駅があって、おかしいなと思ってたんです。
どうやら橋立の北の入口を見落とし、南口まで来てしまったようです。
少し走り、一応満足し引き返しました。

福知山までは、1時間以上かかるので、ここは無理せず家内を天橋立駅に下ろします。
天橋立は、雨が降った形跡なしなので、カッパを脱いで、しばしお別れです。
家内は、僕と同じコミネプロテクターメッシュ上下を脱いで、街着に着替え電車の人になりました。

海岸線を円山川まで走り、R178の対岸のr55で円山川沿いを南下し、福知山へ。
往路と同じ、R9、R173にチェンジし、「道の駅・瑞穂の里」で休憩しようと思ったら、すでに営業終了だったので、そのまま篠山まで南下。
時々休憩する「福井」の洋品店&コンビニのお店で、コーヒーとアイスで休憩しました。18:15。
外のベンチで、地図見ながら、今通ってきた道から見た枝道は、何処に続いているのかなあ?なんて見てたら、外に電気を点けてくれました。

能勢温泉の所のGSで給油。
202km/4=50.5km/L・19:22。
もう僕の庭みたいな道なのですが、雨雲が流れてきてザッと来ました。
慌ててカッパを着て走りだすと、すぐに雨が上がりました。

川西能勢口まで帰ってきて電話をチェックすると、家内から電話が入ってたみたい。
慌てて折り返し電話し、買い物帰りの家内を駅で乗せて帰りました。
軽い雨に降られましたが、楽しい1日になりました。

丹後半島時計回り1

日曜日は、家内とタンデムで丹後半島一周してきました。
ちょっと前の予報は良くなかったのですが、朝鮮半島に行った台風が撹乱したようで、近畿南部は雨模
様だけど、北部の予報は好転しました。
そこで北を目指すことにしました。

丹後半島往復は400kmもあるので、高速に乗れないリード110のタンデムでは辛そうなので、得意の家内だけ電車利用です。
福知山で待ち合わせします。

福知山まで88kmあるので、休憩時間を入れて3時間だから5時に出発しました。
電車は2時間なので、家内は6時台の電車です。
池田からR173でとにかく北上します。

5:30、川西の山下で給油170km/3.67=46.3km/L。
服装は、コミネの夏用プロテクターメッシュ上下です。既に23度あり、全く寒くありません。

6時に篠山通過、R9にチェンジして、福知山を目指します。
6:30の気温は24度。
もう福知山市のかかりなので早すぎますね。
巨木のあるバス停で休憩します。

7:00に市内に入ってしまいました。
家内がやってくるのは、8:30の電車か8:50のです。
福知山城を見学しに行きました。
レプリカ城だし、早すぎて入れないだろうから外観だけ拝みました。

7:30に駅到着。
蒸気機関車が駅前に展示されています。
家内に電話すると、まだ篠山手前でした。
改札前の待合室で、おにぎり2個とアイス1本食べて、パンフレットを読みながら時間つぶしです。

9時に家内と合流し、R9~R173~R176で北上。
鬼伝説の大江山横を通過し、道の駅かやのSL広場で休憩しました。
大阪ナンバーのアメリカンが2台、ご夫婦で来られてるようです。
高速で来られたようで、大阪福知山が下道で2時間だったと話したら、帰りは下道にしようかな?とか言っておられました。

更に北上、r2~r76でショートカットし、R312に合流。
タンゴ鉄道に沿い、途中でr17にチェンジして「網野」まで来ました。
伊根まで町がないので、ここで給油140km/3.27L=42.8km/L、11:18。

子供たちがチビの時、ここらの海水浴場によく来ました。
懐かしい名前が並んでいます。
「ここ、来たことあるねえ」なんて、家内と無線で話します。
長い間生活を共にしてきたので、共通の話題が豊富なとこが、夫婦のいいところでしょうか。
この会話のおかげで、家内の眠気もマシそうです。
20110626Tango008s

「間人(たいざ)」の集落に寄ってみますが、特に何もありません。
玄武岩の巨石「立岩」が海岸すぐのところにあります。
ここでキャンプしたなあ。

「道の駅・てんきてんき丹後」がありました。
12:46、海鮮定食1200円で昼食にしました。

丹後松島の素晴らしい景観を横目に走ります。
車より、ずっと風景が身近です。
でも足から時折血の気が引く高さなのが・・・。

「経ヶ岬」への分岐に入ると、風が強くなりました。
海からの霧が、半島の切り立った山を越えて流れています。
海霧からの小雨が落ちてきました。
少し手前に海上自衛隊基地があり、山の上には大きなレーダーサイトもあります。
ここは、朝鮮半島への防衛拠点でもあります。

経ヶ岬駐車場に、車が数台停まっていました。
1台の車の助手席にはバズーカカメラが載っています。
隼激写チームですね。
山道を400m、経ヶ岬灯台まで歩いてみます。
20110626Tango010s

再出発。
カッパを着る程でもない霧雨が止んだり降ったりします。
「浦嶋神社」にお参りしましたが、ここから海岸線を行く道はパスしました。
4時福知山で解散の予定を組んでいたのですが、時間が押しています。

富良野・美瑛ツーリング3

ちょっと大きめの普通の民家が宿です。
気さくなご主人にバイク置き場(納屋の中)を指示され、屋内に入ると先客が1人おられます。
部屋に入り、着替えて風呂に入り、家内に到着の電話をして、夕食になりました。

アスパラが美味いです。
カメラの電池を変えているとき、横でアスパラの収穫をしていました。
腰のザルにアスパラを入れていました。

先客さんは、室蘭からバイクで来られた方で、ご主人と先客さんから北海道の道路事情や、美瑛の見所、ご主人秘蔵の道など、教えてもらいました。
北海道のドライバーは、1km1分で目的地までの所要時間を考えるそうです。
広くて真っ直ぐで、交差点が少なく交通量がしれてるので、地道でも80km/hぐらいで飛ばす。
「う~む、今日の経験で確かにと納得」
たまに双方不注意で、360度視界のある真っ直ぐな農道交差点で、猛スピードの大事故が起こるらしい。
バイクのすり抜けをあまりしないので、後ろも見ずに突然左折する車があるからすり抜けに要注意だそうです。

ご主人は、元スバルのメカニックだったそうです。
大阪などのお客さんが、春にバイクでやってきてここに預け、数度やってきては自分のバイクで遊び、秋にバイクで帰っていく常連さんがいるそうです。
メンテしてくれるので、安心ですね。
納屋でカバーが被ってたバイクはお客さんので、その他がレンタルバイクやレンタル自転車らしい。
ご主人案内のツアーなどもやってるそうです。
僕はお先に、10時過ぎに休みました。

ツーリング2日目・6/20(月)
4時半に目が覚めました。
最初の予定では、朝食なしでそのまま出発でしたが、「周りに沢山見るところがあるから、一度帰ってきて朝食食べて行ったら?」の提案を受け、そうすることにしました。
20110619HokkaidoM071s

5時から6時過ぎまで、富良野の丘探索。既に農作業が始まっており、見たことないような大きなトラクターや散水車が、丘を越えて広がる巨大な農地で作業しています。
20110619HokkaidoM079s

7:30朝食。
十勝の新得町までの行程です。
3時間で行ける距離なので、昼過ぎまで美瑛・富良野界隈探索です。
まず、美瑛町のR237の西側の丘探索。
20110619HokkaidoM093s

適当にあっちに走り、こっちに走りしてると、「ケンとメリーの木」や「マイルドセブンの丘」があるので寄ります。
20110619HokkaidoM096s

今度はR237の東側、r966で十勝岳に向かいます。
r966との交差点GSで給油。
5914km-5635km=279km/10.6L=26.3km/L・1548円。

ここで「宿主取っておきの道」に入ります。
詳しい地図を書いてもらったので、難なく起点に到着。
20110619HokkaidoM103s

この道はr966と平行に、丘の稜線を走る道なので、左右両側雄大な景色です。
20110619HokkaidoM105s

今回のツーリングで一番景色の良かった道になりました。
この起点は、地図がないとわからないです。
走って一番「わお~」なのは、ジェットコースターの道です。
これで、このツアーのメインイベント美瑛の丘走行は終了です。

r966に下り、十勝岳に向かいます。
これも、どこまでもまっすぐな道です。

11:00青い池到着。
宿主の話によると、美瑛川の土木工事で堰き止められた水に、白金温泉の温泉水が混じり、水が青くなったそうです。
温泉水の影響で、立ち枯れた木々が池面から立っています。
小さな池ですが、なんとも素敵な景色です。
20110619HokkaidoM114s

そのまま、「望岳台」に向かいます。
十勝岳の登山口で、入山ポストが立っています。
目の前に広がる十勝岳には、残雪が。
頂上付近から小さく噴煙も上がっています。
20110619HokkaidoM120s

「十勝岳スカイライン」を気持ちよく走っていると、雨が降ってきました。
バイクスーツの防水で十分なほどのお湿りですが、車載カメラにビニールを被せます。
フワフワした白い物も舞っています。
雪だったのかな?

いつまでも下るr291で、上富良野の町に下りてきました。
麓に降りると雨の形跡はなし。
R237で一気に富良野まで。
途中でまた暑くなってきたので、「そうだ軍手を買おう」とコンビニストップ12:42。
冬用グローブから軍手にチェンジ。
2足組み208円。

富良野・美瑛ツーリング2

夕張ICが、道東自動車道の終点でした。
今年中に「占冠IC」までつながり、ずっと東まで高速で行けるそうです。
この日は、高速道社会実験の最終日で、この区間は無料実験区間です。
千歳で入れた僕のETCカードでパスしました。

ここから、R452で北上します。
R452に入ると、ボタン山のようなものが・・・夕張炭鉱の遺物でしょう。
ラッセル車がいます。ここで休憩。
20110619HokkaidoM012s

「三菱大夕張鉄道車両保存地」
続いて、「大夕張ダム」
ダム湖を渡る鉄橋があります。
さっきの列車が、走っていた鉄道なのかも?廃線になっているようです。

ここから、富良野まで30km?50km?GSがないと、ツーリングマップルに載っています。
CB400は、300kmは走れるそうなので安心です。
1車線ですが、車線の巾が広く、路肩も段差がなく広いので、ゆったり走りやすいです。

300m程の標高のところを走ってるはずなのですが、冬装束では暑いです。
下着の上の丸首シャツを脱ぎ、胸のファスナーも10cmぐらい開けていますが、まだ暑い。
でもトンネルに入ると、グンと気温が下がります。
奈良のトンネルもヒヤッとしますが、断然北海道の方が気温が低いと感じます。

岩見沢に向かうr116と交差するまで、交通量はほとんどありません。
キタキツネが路肩を歩いていました。
僕に気づいても怖がる感じがありません。
何か長い物くわえています。
バナナかな?なんて最初思いましたが、蛇のようです。
その後何度も蛇の交通事故現場に出くわしました。

r116交差手前の桂沢ダム湖を渡る橋で、ママチャリを置いて写真を撮ってるお若い女性が2人いました。
「こんな人気のないところに・・・」
僕も写真撮ってると、中国語のようです。
華人パワーは凄い。

少し休憩し、さあ行こうと交差点で止まったら、富良野方面から車が途切れなく続いています。
午後1時を回ったので、富良野からの帰りの車でしょうか。
数分待ってやっと流れに乗りましたが、対向の車がとても多いです。
反面、午後に富良野に向かう車は殆ど無いようです。

14:10「三段滝」到着、見物&休憩します。
r135に入り、富良野はもうすぐです。

R38を右折し、富良野市街地に向かい、まずは新婚旅行できた「富良野プリンスホテル」を再訪します。
あの時は3月、旭川に出た1日を除き5日間ぐらいスキーをしていました。
吉永小百合さんも、来てはりました。
廊下ですれ違った時声を掛け、家内との2ショットを撮らせてもらいました。
千歳からバスで札幌に出て、富良野まで国鉄でやってきました。
タクシーに乗ってホテルに向かったのですが、山を登ることなく、平地からいきなりスキー場でびっくりしました。
スキー場というものは、山に登るものとばかり思っていました。

プリンスホテルがありました。
大きな三角屋根です。
ロビーでお茶でも飲もうと思ったのですが、「全館貸切」の案内板が出ています。残念。
ロビーの女性が出てきて、新婚旅行の思い出の地の話をして、山手側に歩いて入りました。
20110619HokkaidoM037s

「ここにリフトが架かっていたよなあ」
「夕食時、ここにキタキツネがやってきて、外に出て見たなあ」、いろんなことを思い出します。
20110619HokkaidoM039s

r253・r298の真っ直ぐな道を走り、交差する良さ気なまっすぐな道に曲がっています。
「パノラマロード江花」という道の終点まで走り、「千望峠」で富良野の丘を眺めます。
「なんと素晴らしい」

道を走りながら、ここもいいなあとご機嫌なバイクです。
「深山峠」「四季彩の丘」「新栄の丘」「三愛の丘」など、適当に走りながら眺めのいい展望所の案内板が出てくると寄り道します。
20110619HokkaidoM043s

素晴らしい景色です。

途中、「上富良野駅」と「美馬牛駅」に寄り、踏切で止まり線路内から単線線路を鉄路を眺めます。
20110619HokkaidoM054s

そろそろいい時間になってきたので、R273に出て南下。
今回一番走りたかった道を探します。
1度通りすぎて、怪しいなと思った枝道に入ると、交差点に小さく目指す「ジェットコースターの道」と書いてありました。
アップ、そしてダウン、まっすぐな道が上下を繰り返し、「わお~」とヘルメット内で叫んだ大きなダウンの先に「止まれ」看板がありました。
「なんで、ここに止まれがあんのよ~」

交差点を過ぎ、またアップになる道に入りながら、怪しいなと左手の建物を見ると、「旅の途中」という今夜の宿の看板を見つけました。
真っ直ぐなジェットコースターの道の最後まで走り、Uターンして宿に着きました。
20110619HokkaidoM061s

18:00。
20110619HokkaidoM058s

富良野・美瑛ツーリング1

初北海道ツーリングから、予定通り火曜日に帰ってきました。
2日も仕事をサボったので、昨日は余裕がありませんでした。今日からレポートを書き始めました。5回ぐらいに分かれそうです。

日曜日は、1人で北海道に行ってきました。日帰りではもったいないので、日~火まで3日間です。新婚旅行で富良野にスキーに行って以来2度目、雪のない北海道は初めてです。
昨秋バイク友達グッチさんに、「気ままに寄り道バイク旅」というNHKの番組を録画したBDをもらったのが、この計画のきっかけです。清水國明さんと国井律子さんが、年に1度バイクで旅をするシリーズ物の第1回が北海道でした。あまりのでかい景色に、走ってみたくなりました。
家内は、「どうせ行くなら1週間ぐらい行かなきゃ」なんて言うのですが、小心者の僕は小さく3日お休みを頂きました。

準備
「ツーリングマップル北海道」「昭文社道路地図北海道」「0円マップ北海道」の3冊の地図を買ってきて、計画を練りました。3日間しかないので、北海道中央部の富良野・美瑛メインにしました。
天候を調べると、6月の晴天率が一番高く、気温も雪が降る程でもなく、ここに決定。7・8月は、ラベンダー始めお花の最盛期で、美瑛の丘も最も美しいということですが、観光客も半端無く多いらしく、何かと料金が安いです。今回泊まった宿のご主人も、6月が一番いいと言ってました。

日本旅行で、2ヶ月ほど前に航空券を手配しました。片道2万円・往復4万円です。もちろんJALは外せません。
バイク旅人御用達のライダーハウス宿泊を考えて、「0円マップ」を買ったのですが、「とほ宿」というもう少しお高い宿にグレードアップしました。
ライダーハウスは、素泊まり無料や1000円と安価なのですが、毛布持参なんてとこもあり、食事は基本付いてないので面倒になったからです。
今回泊まった「とほ宿」は、1泊目は2食付き4900円、2泊目は夕食のみ付けてもらい4400円でした。

出発2週間ほど前から、北海道の天気や気温を天気予報で気にしていました。この3日間の予報では、札幌や旭川は最高気温が25度前後でこちらとあまりかわりません。
でも最低気温は、5度は低い。ルート上の峠は800mや1000mのところもあり、トマムが札幌より5~10度寒い。冬用バイクプロテクター上下装束に決定しました。

旅行初日6/19(日)。
空港までどうやって行くか・・・スクーターを3日間も空港に置いとくのも何だし・・・車は駐車代が掛かり却下・・・自転車は帰りに無くなっているかも?・・・バスは一旦市内中心部に出て乗り換えなのでかったるい・・・何てったって、我が家から空港は、自転車で10分ほどです・・・徒歩でもOKな距離です。
荷物もあるので、タクシーにしました。2000円・・・う~む、ちと高いな。

荷物を機内持ち込みしようとしましたが、バイク用工具のドライバーが機内持ち込みできません。仕方なく預けることにしました。預けると、30分は荷物受け取りに掛かるので面倒なのですが。
続いて、僕自身がX線検査で引っかかりました。「え~?」。バイク用に使ってる安全靴がアウトのようです。先の硬い芯が金属なのかな?

JAL2001伊丹~新千歳8:50~10:30・26C席に乗りました。何度乗っても、飛行機の揺れに慣れません。おっかないフライトも終了し、千歳到着。18度・晴れです。
オリックスレンタカーカウンターに向かい、送迎バスに乗り込みます。空港から10分の所に、レンタカー数社共同で、大きな敷地のレンタカーターミナルがありました。

オリックスレンタカーに間借りしてるレンタルバイク・キズキさんの方が、バス降り場にいました。僕の借りるCB400SBとアメリカンタイプのバイクが、スタンバっていました。

2日間レンタルで、CB400SB本体(各種保険付き)24225円+オプション3400円(リアボックス+ヘルメット+シガーソケット)+車両保険4500円(壊しても少額の免責でOK)=32125円。
ETCはもれなく付いてて、ナビは申し込んでないけど付いてました。家から持ってきたナビは用なしですね。

日頃は、VTR250だから少し大きいです。教習所で載ってたCB400にカウルが付いたモデルがCB400SBなので、大丈夫だろうとこれを申し込んでおきました。
去年、上野でスクーターを借りて、家内とタンデムで都内見物した時の系列レンタル屋さんなので、なんとなく安心です。

車載カメラセットして走り出したら、違和感なし。ギアの入りがとても軽く、シフトが楽です。教習所のより、かなり乗りやすいです。カーブもVTR250よりタイヤが広いせいか安定感があります。さすがベストセラーバイクです。

千歳東から夕張まで、道東高速道に乗ります。VTR250とCB400SBとの高速安定感の違い比較のためです。同じ回転数で10km/hほど速度が違います。VTR250だと6000回転で80km/hですが、CB400だと5000回転で同速度です。
バイク自体の重さが、150kgと200kgで50kgの重量増により、風に対するふらつきも減ります。やっぱり高速だと、400ccの方が楽です。CB400SB・・・いいかも・・・。

20110619HokkaidoM008s

20110619HokkaidoM009s

亀岡千手寺2

バイクまで戻り、階段下の広場の先を見ると、麓からの登山道が通じています。
ハイキングコースのようです。
行者山への登山道かも?

稗田野の集落や、それに続く北摂の山々の素敵な景色が広がっています。
昨夜降った雨が、山の木々から朝日に起こされて、盛んに蒸発しています。
この低い雲がかかる景色がとてもいいので、激写です。

R372~r731~R477で帰路に着きます。
r106に入り、まだ時間があるので、寄り道することにしました。
「清正公前」で右折してr732に入り、長男に教えてもらった「大阪府射撃場」に向かいます。
長男は学生時代ライフル射撃部だったので、毎度ここに通いました。

さらに先に進みます。
射撃場体育館を過ぎると、いきなり未手入れな道になりました。
舗装されてるけど、片側1車線の半分ぐらい枝が張っています。
されに進むと、一気に車離合不可山道になりました。
でもさっきの千手寺より、かなりマシです。

「暮坂峠」
走ってみたかった道です。
この道は、不安になるようなことなく、r54側に出ました。
この峠道、なかなかいいです。

r54・r104で南下、R173に合流し、高速車に左ウインカーでパスしてもらいながら池田まで下りてきました。
もう30分早く目が覚めていれば、高速に乗って丹波の雲海ポイント探索に出たんだけど、本日の亀岡探索もなかなか良かったです。

亀岡千手寺への道探索4

明日から3日間、北海道ツーリングに行ってきます。

亀岡・千手寺1

目覚めは、AM4:15でした。

気になってた亀岡のあの道を探索しに出かけました。
池田から、R173で北上、一庫ダムからr604、道なりにr106、更に道なりにR477に合流して北上します。
r731でショートカットして、R372亀岡向きに合流しました。
何故か広くて白線なのに、制限速度40km/h区間をのんびり流します。
5時過ぎだけど、追いついてくる通勤高速車がいません。
のんびり気持よく走れました。

2日目に、家内と車で走った旧山陰道に入ります。
そしてこれまた2日前に訪問した「稗田野神社」の鳥居を左折してくぐります。
本日の探索路は、この道です。
道は、田んぼを縫って、北の山に向かっています。
地図見たら、「千手寺」というお寺の横を通って、R477ルートで千代川に抜けるr73に合流しています。
r73に抜けて、るり渓寄って帰る予定です。

神社を過ぎると、いい感じの細さになり、農家の軒先をかすめ、「千手寺」の小さな看板が目に入りました。
「いい感じだな」と思っていると、緑中央線の完全山道になりました。
数ヶ所、急勾配の部分があり、運転集中で余裕がなくなりました。
毎度、「やばいかも?」と思いながら突っ込む寄り道好きの僕です。

「千手寺」階段下の舗装のしてない広場?に出ました。
「これより千手寺敷地内だから、参拝の方以外の車の通行はご遠慮下さい」という小さな看板が、僕を止めました。
「えっ?この道自体が敷地内?」
地図では続いてたこの道の先が、獣道化してるかも?と思い、Uターンして勾配の少ないところに慎重に停車しました。
路面以外は、未舗装なので、サイドスタンドは土の上です。
こうしないと、車が通れません・・・まあ、車なんて通りそうもないのだけど。

階段を上がりました。
途中の踊り場の土に2つ、穴が開いていました。
もぐらの穴ですね。
子供の頃の夏休み、父の実家で早朝に従兄弟ともぐら探しに出かけました。
こんな穴を見つけては、棒でほじくり返したり、水攻めしたりして、もぐらを捕まえました。
もぐらは、昼間明るいところに出ると、すぐ死んでしまいます。

「行者山・ハイキングコース」の看板が立っています。
瓦葺の立派な山門です。
仁王さんが、左右に守っています。

「獨鈷杵(どっこしょ)山・千手寺」
謂れが立っていました。
807年、弘法大師さんが開創されたようです。
中国に渡る船で、大嵐に遭い、観音菩薩に立願し、無事唐に着いたら尊像を創すると誓ったそうです。
修行地で、獨鈷杵(金剛杵の元になった、煩悩を退治する法具武器)を投げると、消えてしまった。
帰朝し、奈良春日大社に参拝し、獨鈷杵の行方を尋ねると、ここだということで、ここにこの寺を創建した。

とのことです。この手の謂れ話は、にわかに信じられない奇想天外話が多いですが、僕は「そうなんや~」って、あっさり信じるようにしています。
千里を飛ぶとか、山を八周巻いた大蛇とか・・・、その方が、夢があって楽しいからです。
今なら飛行機で千里なんてポンと飛んじゃうし・・・。

瓦屋根だったり、境内にご住職一家の車が数台停まっていたり、風情という点ではイマイチですが、立派な高石垣で囲まれ、素敵なお寺でした。
車道を山に向かって歩いてみました。
千手寺から先は、幅はありますが未舗装で登山道のようなものです。
これ以上、上がれません。
緑中央線の道は、千手寺専用路のようです。

亀岡千手寺への道探索2

初北海道ツーリング・準備

6/19〈日)~6/21(火)まで、旅に出ます。
初めて、北海道でバイクツーリングします。
千歳空港まで飛行機で飛び、そこでCB400SBを借りて、夕張経由で富良野まで走り、なだらかなどこまでも続いてるような丘の景色を美瑛まで堪能し、宿泊。
2日目は宿を朝早く出て、更に富良野・美瑛見物して、帯広で宿泊。
3日目も早く出て、夕方の飛行機に間に合うようにうろうろしながら千歳に戻ってきます。

グッチさんにもらった「NHK・気ままに寄り道バイク旅・北海道編」に刺激されて計画してから半年、やっと寒さがマシな季節になりました。
8月は、お盆もあり、何かと費用が高そうでパス。
7月はラベンダーのオンシーズンのようで、本州からの観光客が多そうでパス。
6月は、寒さがマシそうだし、意外にも降水量が最も少ない月だそうで、ここにしました。

でもまあ、お天気は気まぐれなもの・・・梅雨がないとはいえ、2週間ほど前から、北海道のお天気が気になっていました。
が、僕の日頃の行いが良いせいか、3日間とも「晴れ時々くもり」予想信頼度はAという最高のお恵みです。
あとは、いつものようにのんびりボチボチ、安全運転で駆け抜けるだけです。

計画を家内に打ち明けると、「そりゃいいわ。楽しんでおいで」と、快くOKしてくれました。
こないだの日曜日には、家内が新しいパンツを買ってきてくれました。
う~む、実にありがたい。

今朝から、準備を始めました。
富良野などは、最高気温が25度前後あるのですが、最低気温が15度前後です。大阪より5度以上寒いです。
途中の峠は、最高気温15度前後というところがあって、朝なら5度とかもあり得そうです。
冬用プロテクタージャケット+冬用プロテクターパンツの装束で行くことにしました。
暑いときは、ひたすら我慢です。
まあ、走ってる時は、それほど暑くないように思うけど・・・

リアボックスを、オプションで借ります。
ヘルメットも借ります。
シガーライターソケットも付いてるようなので、車載カメラの用意もしていきます。
ただ車載方法がイマイチ不安です。
中央に付けると、カウルに被って視野が狭くなりそうだけど、バックミラーがカウルに付いてるので、いつものハンドルのバックミラー取付部に固定することが出来そうもありません。

バイク用の防水ショルダーバックを買いました。
防水ウエストバックも買いました。
どちらもコミネさんです。
冬用・夏用のプロテクター上下もコミネさんのだし、僕のバイク用品のコミネ率は8割ぐらいかもしれません。
割合い安価で、硬いプロテクターが入ってるとか、安全品質に好感が持てるからです。

セントくん

こないだ奈良の吉野山から行者信仰の中心洞川に、「林道吉野大峯線」をスクーターで走りました。
この道は、今も修験道修行者が修行される熊野古道の「吉野~大峰~熊野線」です。
800m~1000mを越える頂を縫う修行道と、何度も交差しながら高所を走ります。

広がる景色は、雄大な紀伊半島の山並みです。
役行者が修験道修行の地として開いた吉野の伽藍を巡り、吉野大峯線に現れる滝やお地蔵様のいる風景を見ていて、スクーターで楽々なのに、少々修行される方の心境に触れた感じがしました。

舗装路だけど、至る所がけ崩れしているぐらいだから、修行道はもっと酷いのだろう。
昔は、この道をパトロールする人もなく、大自然の猛威のなせる技を修理しながらの道行きだったのではないだろうか?
吉野~熊野なんて、数日の山中野宿を伴い、鹿や猪なんてマシな方で、熊の出現や狼の遠吠えに怯えながらの修行だったはずです。

洞川の修行の道に立つたくさんの石柱は、修行を無事に終えた記念碑や途中で命を落とした修行者の供養碑ばかりだったように見えた。

藁をもすがりたい恐怖の中で、仏像が頭に浮かぶのかもしれない。
僕でさえ、様々な顔の仏像が、なんだか今までと違う顔に見えたような気がした。

数日後、平城遷都1300年祭のマスコット・セントくんを見た。
以前にも増して、すごく違和感を感じた。

大仏さんに鹿の角を生やしていいのだろうか?

僕は、特に信心深い人間ではありません。
家の仏壇に手を合わせ、寺社に参ったら手を合わせますが、早朝バイクで1人で参った時は、ヘルメットを脱ぐのが面倒で、お賽銭と手を合わせるぐらいで済ませることも多々あります。

そんな僕でさえ、セントくんの姿に強い違和感を感じた。
大仏さんは、その表情からして悟りを開いて温和な顔になった如来さんの姿だと思う。
つまり、お釈迦さんの姿。

現実世界の矛盾に苦しみ、人には克服できず受け入れるだけの自然災害に悲しみ苦闘するお釈迦さんの姿が、明王さん。
悟りを開くために一心不乱に修行するお釈迦さんの姿が、菩薩さん。
そして悟りを開き、何事も大きな心で受け止め、苦しみから解放され温和なお顔になったお釈迦さんの姿が、如来さん。
だんだんお顔が穏やかになっていきます。

そんな姿に、春日大社の神の使いである鹿の角を、ポンとくっつけていいものだろうか?

日蓮宗の山寺で、小さなお堂を覗いたら、一心にお経を唱えておられる方がおられた。
休日の一時を、祈りに充てるほど信心深い方には、セントくんはどのように映ったのだろう。
それほどの信心な方だから、怒りの声をあげたりせず、柔和なお顔で流されるのだろうが・・・

畿内・近国の戦国合戦

電車旅行以外では持って行きませんが、ほぼ毎日本を読んでいます。
トイレとお風呂と、時々食事中にしか読みませんが、少しの時間も足せば凄いことになるようで、月に2~4冊読んでしまいます。
既読書を処分しないもんだから、僕の部屋は本だらけです。
家内には、「床が抜けるよ」と言われていますが、処分する気はありません。
僕の死後、「どうすんねん、親父」なんて息子に言われようと思ってます。

今月読み終えた本の読書感想文です。
ここ数年・・・10年超えたかな?読後すぐに、感想文を書くことにしいています。

「戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦」福島克彦 吉川弘文館 ★★

「首都・京都・争奪戦! 細川・畠山・三好・松永・・・。信長登場まで、本当に「英雄」不在だったのか?」と帯に。本の裏には、「将軍家の継承問題、畠山・細川氏の内紛、三好長慶や松永久秀らによる騒乱・・・。応仁・文明の乱後も、畿内近国では戦乱が繰り広げられた。「英雄不在」と言われる信長以前の約100年間、「都の戦国時代」を詳細に描く。」と書かれている通りの内容でした。

僕の回れる機内近国の山城の生い立ちや、役割りが詳細に書かれている。
室町幕府三管領の畠山・細川両家の継承問題が、短期間に兵を動員できる畿内豪族の京都防備・京都攻略に絡み、首都を舞台にした応仁の長期大戦争に発展した。
やがて各地方を押さえた大名の国盗り物語が展開され、織田・豊臣を経て、徳川の武家長期政権に続いていく。

首都京都を押さえながら、あるいは政権打倒がすぐにでも可能な地理的位置にいた摂津・丹波・河内・大和の有力豪族は、大名と呼べるまで大きく成長できなかったのか?
なにより、首都のお膝元・山城国の豪族は、有力豪族と呼ばれるまでにも成長できなかったのか?

管領細川の守護国の丹波・摂津、畠山の守護国・河内の豪族は、常に宗主家の政権争いに駆り出され、あるいは足利将軍自身の京都奪還の戦、時には京都防衛の任で力を削がれ、実力を地元で蓄えることが出来なかった姿が、この度重なる戦争の歴史を読んで、明らかになってきた。

地元の市井の歴史研究家の著書だけに、現地に何度も足を運んだからこそわかる地形からの影響がよくわかる。
とても興味深く、これからの僕の畿内探索のベースになる書になった。

亀岡 DREAMTON

日曜日は、午前中仕事の会合で大阪に出ました。
久しぶりの大坂城、そしてホテルニューオオタニは2度目かな?僕には場違いなホテルです。
スクーターで乗り付けるんだから、「バイクの駐車場は何処ですか?」と聞いても、「当ホテルをご利用のお客様ですか?」なんて切り替えされちゃいますね。

昼過ぎに帰宅し、少し後に帰宅した家内と、亀岡にタンデム・ツーリングすることにしました。
天気予報では夕方から雨なので、気になっているお店(レストラン?喫茶店?のよう)に寄って早めに帰宅する算段で家を出ると、すぐにポツポツが始まりました。
1時前だけど、更に雨が降りやすい山沿いに行くので、帰宅して車に乗り換えました。
2人とも、釣具屋レインスーツが定番のバイク装束なので、平気なのですが、時々交代して家内のバイク練習も兼ねたツーリングなので、バイクで行く意味半減と判断しました。

池田からR423で亀岡を目指し、そこに着きました。
「DREAMTON」というお店で、数日前の早朝バイクで探索したところです。
コンセプトはイングランド・カントリーです。
イギリスの田舎にあるような質素な土壁の家が数軒建ち、レストラン&喫茶の看板が上がっています。
早朝にもかかわらず、大きめのしっかりした下着が干してあった前回と同じように、雨にもかかわらず洗濯物が干してあります。
これは、看板でもあるのですね。

予想に反して、10台ほどの車が駐車されています。
こんなド田舎なのに、知ってる人は知ってるようです。
数軒、同じような建物が並ぶ中の一番大きな建物が、やはりレストランでした。
店内も外観そのままの作りで、厚い白っぽい土壁に小さな窓、アンティークな机と椅子にお客さんが満席です。

2Fの部屋に上げてもらい、そこで食事をしました。
僕は、「フィッシュ&チップス」。
外国映画で、ロードサイドレストランで、若者が注文するごくありふれた料理です。
イギリスの料理の不味さを体験しようと思いましたが、やはり日本人の口に合うようになってて、美味いです。
アフタヌーンティーが付いて、1100円。

店内のパンフレットや調度品を、家内が興味深そうに手にとっています。
イギリス風の建物を売る会社の展示場でもあるようです。
帰りに、別棟のインポート雑貨や食材を売るお店で、イギリスのブルーベリージャムを買いました。525円。
こちらで不味いイギリスの味を体験しましょう。
ここの店員さんは、「大草原の小さな家」に出てくるような衣装に前掛けをされていました。
可愛い衣装ですが、高校生女子のバイトさんぐらいの若さの方に似合うんだけど・・・。

R372に出て、亀岡に出ました。
R9を少し北上し、山陰道旧道を篠山に向けて進みました。
旧山陰道は、京都~亀岡~篠山~と走っていました。
趣きのある家が街道筋に並び、家内に見せたかった道です。
「稗田神社」の駐車場に入れ、神社と「大石酒造」を見学しました。
大石酒造は、お客さんでいっぱいです。
R372沿いに大きな駐車場があり、観光バスが3台も停まっています。
酒蔵見学がツアーに組み込まれているようです。

R372に合流し、更に篠山に向かい、R477で帰路に着きました。
セルフじゃないGSがあったので給油。
おっちゃんとおしゃべり。山城情報を仕入れたかったけど、僕が登ったことのあるとこだけで、オフロードバイクの林道情報が仕入れられました。
僕のバイクじゃ、無理だけどね。
GSは、地元の道の事情通でもあるので、セルフのお店で給油だけするなんて、もったいなさ過ぎます。
もっと、そこのいろんなことを知りたい。

r106で「ここ曲がるとお墓の方だよ」と言うと、「お墓に寄りたい」とリクエストが来ました。
春のお彼岸に、家内の実家のお墓にしか行っていなかったから気になっていたようです。
僕だけツーリングついでに寄ってお茶を濁していました。
小雨の降る中、掃除してお花を飾り帰宅しました。

NHKが好き

僕は、NHK好きです。

朝の通勤までの時間は、朝食や身支度しながら、ニュース「おはよう日本」~「おはよう関西」見て、朝の連続ドラマ「おひさま」や「あさイチ」の途中で出勤します。
夜は、夕食摂りながら「ニュース9」見て、お風呂入って自室に上がり、ヨーグルト食べながらNHKやNHK・ETVを見て、ヨーグルトを食べ終わるとTVそのままで横になって、いつしか寝てしまいます。
TVは、タイマーで切れます。
NHKで面白いのがやってなかった時に、民放を見るぐらいです。

NHKは、保守的なようで、かなり斬新な番組を手がけます。
スポンサーがいない分、番組制作の自由度が高いのでしょう。
夜10時からのETV番組は、スポーツ自転車や馬場馬術の30分番組を数回連続で毎週放映してたり、陶芸・園芸・江戸武士の生活・日曜大工・ガラス細工・和菓子の世界・能・歌舞伎・・・知らない世界に触れられ、かなり面白いです。

お堅いイメージのあるNHKですが、語学講座に、美女やキュートな美少女を時々起用し、僕をとりこにさせます。
ドイツ語講座にモデルのLIZAさんが出てきた時は、遅い時間帯まで頑張って起きていました。

今、僕がご執心No1なのは、「ニュース9」のお天気お姉さん井田寛子さんです。
この春まで、「おはよう関西」のニュースキャスターとして、朝の関西の顔でした。
雰囲気が、家内に似ています。口を結んだとこなんてそっくりです。まあ、本人は疑問符なんで、僕の大騒動に微笑んでるだけです。
井田さんは、次はきっとニュース9のキャスターになると思うんだけど・・・

そして、「おはよう日本」のキャスター鈴木奈穂子さんは、凄い美人だなあとこちらも家庭内だけで大騒ぎしています。
長男のお嫁さんに似てるので、本人にも言ったのですが、お嫁さんはどう感じているのでしょうか?大騒ぎしてる旦那のお父さんを、きっと笑っているでしょう。

「おひさま」のヒロイン・井上真央さんは、可愛いです。
僕の朝は、かなり幸せです。

まあ、どうでもいい話ですが・・・

そうそう、気になってることがあります。
「おはよう日本」で毎日やってた「街かど情報室」は、どうなったのかな?
震災後からコーナーがなくなったけど、そろそろ復活してもいいんじゃないのかな?
それとも、僕がバイクや自転車で出かけてるもっと早い時間帯で復活してるのかな?

亀岡r733枝道探索

4時半に目覚めました。
前夜の天気予報では、昼間雨が降るだけで、午前中は大丈夫と言ってたな・・・2日前の日曜日のツーリングの疲れも抜けてるだろう。
早朝バイク出動です。
何処に行こうかな?それは、走りながら考えればいいな。
と、バイク装束に着替えて、家内を起こさないように、盗人忍び足で玄関から滑り出ます。
まあ、バイクエンジン掛けるから、起こすと思うのだけど・・・

r13~R423で、ドカンと北上です。
途中まで、箕面の山に上がってお猿と対面と思っていたのですが、京都府道r733の気になってる枝道を探索することに変更しました。
制限速度40km/hのR423を、いつものように+10km/hまででのんびり北上します。
箕面道路との交差付近の白線で、遅いトラックをパスして1人旅になりました。
追いついてきた2台目の高速車をパスしたら、その車と共にr109との交差点で信号ストップ。
右ウインカーを出してる車を見てて、僕も久しぶりにr109に行ってみることにしました。

r46に出るまでのr43の「清阪峠」が、朝霧の出てる時は、幻想的になります。
初めてr109に入ったとき、その峠が真っ白で視界がなく、泣きそうになりながら超ゆっくり走りました。
それ以来、怪しげな天気の時は、ここに入らないようにしています。
亀岡の朝霧なんて、日常だし。

でも今日は大丈夫です。
道路脇に停めて、車載カメラをセットします。

r733同様素敵な谷間棚田の景色が広がります。
r733より標高が高く谷が深いので、景色がいいです。
素敵な棚田が、目に入ると激写タイムです。
北に並行して走るr733から、このr109に抜ける枝道もあるだろうなと、北に向かう枝道を目で追う。

r43との交差点、亀岡方面に曲がり、北上します。
道が狭くなり、難所の「清阪峠」に突入です。
車の離合は無理な幅なので、車は厳しいです。
初めてここに来たとき、朝霧で視界が殆ど無く、泣きそうになりながら、そして祈りながら、超鈍速で通過しました。
が、今日は視界があり平気です。

r46との交差点を、亀岡側に曲がり更に北上します。
r733との交差点を西に入ります。
本日の探索ポイントは、こことR423の間の枝道です。
南の「倉谷」と言う集落を示す道標があったので、入ってみます。
倉谷も、隠れ里気味で素敵な集落でした。
落葉に埋もれ、尽きてしまいそうな下りの細道をおっかなびっくり進むと、樹木が切れ次の集落に出て、更に進むと、さっき走ったr43に出ました。
やっぱり、こういう道がありました。
でも峠の道の酷さを見ると、両県道を結ぶ往来峠道としては機能していないようです。
あの道は、車ではおっかなすぎます。

r43~r46と、また同じ道をぐるりと回って、さっき興味を惹かれるお寺があったので、寄り道します。
「金輪寺」
謂れを読むと、鎌倉期、この西方1.5kmに「宝山権現」があり、大伽藍を誇り、中国渡来僧が大勢いたそうです。西方の山中ですね。
足利尊氏の兵火で焼かれ、この寺を創建した僧が、仏像を背負って逃げたとか。
尊氏に滅ぼされた楠木正成流れ和田氏の寄進を受け、当山を開山したそうです。

日本の人口は、江戸時代で現在の1/10の1200万人。鎌倉時代は、その半分の600万人ほど。
こんなへんぴな山の中に住まなくても、水に恵まれた未開の平野がいくらでもあった時代です。
古代仏教は、山岳修行での悟りとイコールだから、ここが修行の地に選ばれたのでしょうね。
兵火に焼かれたということは、僧や一般人がここらに相当数住んでいたということ。う~む。

r733に戻り、「倉谷」の少し西にある「湯谷」の道標が立つ枝道に入ってみます。
湯谷も、隠れ里気味の素敵な集落でした。
標高が増し、西の山の峠に向かう細い道がありましたが、「ほんまに行けるか?」な道だったので、パスし地図で確認してから次にトライしましょう。
その道には、「ドリームタウン」という新興住宅地があるような簡易道標がありましたので、少しの時間激写しながら様子を見ていました。
全く車が下りてきません。
バブル期に造成されたけど、今は誰も住まない廃墟住宅地なのかもしれないと思い撤退することにしました。
だって、標高は500mを超えそうです。
きっと雪もいっぱい降るだろうし、冬は急坂が危なすぎます。

r733に戻り、R423で帰路に着きました。
7時過ぎに帰宅し、朝御飯食べて着替えて出勤しました。
素敵な棚田の景色に浸った朝でした。

亀岡r733枝道探索3

林道・吉野大峯線3

「母公堂」の女人結界まで下りてきました。
20110305Dorokawa047s

道端の車から、行者装束の方が山に入ろうとしてるのかな?
僕は2度目だからそうでもないけど、独特の雰囲気を家内は楽しんでいます。
お墓のような石標がたくさん建ってますが、修行記念の石標が多いです。
ここは、修行に励む役行者さんの母親が、ここで住まわった所だそうです。
息子を心配する母心というところでしょうか。

洞川の湧き水・取水所の前に、五代松鍾乳洞がありました。
前回は、もう1つある鍾乳洞に入りました。
今度はこっちを体験するつもりでした。
が・・・、何と昼休み休憩中でした。
12時を数分回ったところです。
次は1時からだって。

昼食を取りに、洞川の街に下りました。
修行者さん向けの宿が並んでいます。
全国区では、吉野ほど有名じゃないけど、こっちの方がよっぽど人が多いです。
現役修行者の中心地の魅力なんでしょうか。
白装束の行者服の方が、たくさんいます。
法螺貝が似合う本格的な方もいます。

洞川温泉の駐車場は、バイク無料です。
天の川に面したお店で、アマゴの塩焼き定食1380円を賞味。
塩焼きも美味かったけど、香の物もうまく、これは大変美味しいお店でした。

修行者の根本寺「龍泉寺」に入ります。
前回はここの池で水に浸かり、お経を唱えながら滝に打たれる修行者がいましたが、今回はいません。
大型バス2台で帰る団体さんがいたので、修行を終えた後かもしれません。
龍泉寺から天の川に向けて、湧き水が大量に流れだしています。
名のとおり、地下水が湧く泉があるのでしょう。
この水量は、相当なものです。

「五代松鍾乳洞」に戻り、ケーブルカーの切符を買いに入ると、2時のになるとか。
あと40分もありますが、待つことにします。
歩いたら15分ですが、ケーブルだと6分です。
というより、ここの見所は、鍾乳洞よりこのケーブルです。
みかん農園など山仕事で高いところに資材や人を運ぶ簡易ケーブルカーです。
こんなのめったに乗れませんよ。

前の水汲み場は、駐車場の順番待ちが列を成す人気です。
少し飲んでみましたが、味覚音痴の僕には、普通の水としか感じません。
小屋に戻り座って待ってると、ケーブルが下りてきました。

1:45の便の出発です。
お客さんの座席は4、だけど定員は6だそうで、一番後ろにお若いカップルが2人で腰掛け出発です。
50cc原付みたいに軽い音を出しながらゆっくり登っていきます。
20110305Dorokawa059s

登り6分・下り6分・残り諸作業で、15分間隔です。
かなりの急勾配を、ゆっくりですが確実に安定して上がっていきます。
家内は、この日一番の体験だったそうです。
下で全員ヘルメットを被ります。
僕はバイクのヘルメットを被ろうと持っていたのですが、「それでもいいけど、狭いところがあるから傷つくよ」とのアドバイス。
備え付けのヘルメットを被り、手荷物になってしまいました。
五代松鍾乳洞モノレール・ムービー
確かに急坂だけど、頭に当たる枝もないから変だなと思っていると、ヘルメットが必要なのは鍾乳洞内でした。
僕も2~3度頭をぶつけるぐらい狭い所を抜けました。
ヘルメット必須です。
鍾乳洞自体は、前回寄ったもう一つの方が広くて良かったかな。
でも広さは、しれています。
家内は、狭いところをくぐるのに閉口していました。
洞内は、係の方の先導・説明付きで15分。
ケーブル駅に降りると、次のケーブルが上がってくるというルーチンになっています。

ここから帰路です。
r21でR309に出ます。
ローソンそっくりの看板で、ローソンをもじって「モーソン」の看板を上げたお店が模様替えしていました。
ローソンからクレームがあったのか、今度はユニクロをモジって、モリクロになっていました。
モリクロではまたクレーム対象になると思ったのか、「モリクロ・フラフラ」となっています。
ただでは起きないご店主の心意気が素晴らしい。

R309をグーンと、「道の駅・吉野路黒滝」に。
修験道修行者装束のおじさんたちが、こんにゃくを食べています。
額に丸い物を当てたかっこいい修行者が、ソフトクリームを食べています。
家内が、「ソフトクリーム食べないで」って、笑っています。
走ってきた山岳路をひたすら歩く修行者の崇高なイメージが、ソフトクリームで崩れていくのでしょう。
僕らは、屋台でこんにゃくの串刺しを食べました。
これがうまいです。
辛の微妙な味付けが素晴らしい。100円。

R309をグーンと、「近鉄・下市口駅」まで。
ここで家内と、しばしお別れです。
往路と同じ電車を反対に戻るのですが、ちゃんと帰って来るでしょうか?
方向音痴なので、一抹の不安が・・・。

僕も、ひたすら往路を同じ道を戻ります。
6時に地元帰着。
家内に電話すると、既に駅から歩き出しているようです。
ブーンと家に向かうと家内発見。
「暑くて~」と釣り用スーツの上を脱ぎ、プロテクターの胸ファスナーを大きく下ろしていま
す。
「電車はクーラーが効いてたから平気だったけど、歩き出したら暑すぎて・・・」。
またまた、楽しい1日になりました。

profile

1955 国鉄(現JR)甲子園駅近くの社宅にて誕生・・・産婦人科医院ではなく、自宅出産という古風な形で生誕。
日曜日なので、父親が映画を観に行っていました。産気づいた母親は、電車で数駅の所にある(こだわりの)キリスト教系かかりつけの産婦人科に行けず、近所の産婆さんに来てもらい、自宅にて取り上げてもらいました(教訓:遠い病院は、イザという時役に立たない)。両親の喧嘩の際、母親がこの事を口にすると、父親の攻勢も一気にしぼみ、母親の逆転勝利に至ります(教訓:出産予定日1ヶ月前からは、1人で遊びに行かない。父の生涯の不覚から学べ)。
生後4ヶ月で、腸重積症(小腸が大腸の中に入り込む)にかかる。手術しないと24時間で死に至る急性小児疾患ですが、医学の知識のある母親が、手術が成功しても体力が持たないと判断し、地元小児科医院から強引に僕を取り返し(人殺しと医者に罵られながら、僕を引っ張り合いっ子したらしい)、関西労災病院に駆け込む。ちょうど帰り支度をしていた小児科部長先生がおられ、僕が間欠的に泣くのをみて、小腸が大腸に出たり入ったりしていると判断し、僕が泣くと高圧浣腸で小腸を大腸からポンと外すことで治療する。数度の高圧浣腸で治癒。めずらしい病気なので、僕は小児科の新米ドクターの触診見本になる(母親は、息子が死にそうな勢いで泣いてるのに、のんびり解説してる部長先生にハラハラどきどきしてたそうです)。今でも、腸にいいものを食べるようにしている。
カトリック教会に、母親と一緒に通っていた。蛍光塗料で夜光るマリア様の像が欲しくて神父にねだり、とうとう貰ってしまった。僕の勉強机から、現在は我が家の仏壇に移動し、毎朝晩僕は手をあわせている。僕の守り神。

3歳 西宮幼児生活団(キリスト教系私立保育園)入学。
保育園の方針により、入学1ヶ月後から3年間、1人で電車・バスを乗り継ぎ保育園に通う。首から定期をぶら下げ、胸の名札には住所が書かれ、駅員さんやバスガイドさんに驚かれながら・・・。幼児誘拐の心配もない平和な保育園時代を送る。夕方までの長い保育時間(でも週3回通園)で、昼食やおやつは、母親が交代で作っていた。この同窓会が、いまだに続いている。母親もやってくる変わった同窓会です。どうやら僕が幹事らしい。

6歳 市立小学校入学
1年生のお正月にもらったお年玉の10円硬貨を、嬉しすぎて飲んでしまった。レントゲンで診ると、10円玉が胃の中にある。繊維で10円を絡めて出そうとする「いも作戦」を医者から伝授され、母親が始める。理系大学出という当時の女性としては珍しい経歴の母親は徹底的で、3食芋料理、おやつまでふかし芋。ウンチを割り箸で探索する生活を経て、無事10円玉は僕のお腹を通って出てきた。僕は今でも、じゃがいもが好きだ。
小学生なのに「慢性腎炎」を患ってしまった。母方爺さん(日露戦争騎馬隊隊長で金鵄勲章をもらった猛者だけど、母親が4才の時腎炎でこの世を去った)の遺伝子かと、またもや母親が奮闘する。塩分控えめが徹底され、超薄味・無塩醤油で家族全員で僕を応援してくれた。血尿でおしっこが茶色いし、蛋白尿でおしっこが泡立つし、子供心に「20才まで生きられるかなあ・・・」「結婚できたらいいな」「僕も親になりたいな~」と、僕も頑張る。腰を冷やさないように腹巻きは小学生終了までだったけど、早寝早起き励行・野菜をたくさん食べる・味が濃いので外食は極力避けるは、今でも続けている。

12歳 プロテスタント系私立中学校入学 中学受験組というやつ
サッカー部入部するも、1年で虫垂炎を悪化させドクターストップにより退部。

15歳 系列高校入学
珍しいクラブに入ろうと目星をつけたのが、ヨット部と馬術部。まずヨット部の部室を覗くと、中学から通っているキリスト教会の先輩がおり、馬術の部室を覗くことすら出来ずに入部。超マイナーなスポーツなので、県内に同部があるのが3校しかない。1校は日本海側で遠いので、国体予選に来ない。もう1校は風の穏やかな相生湾で練習しており、少し風が上がるとお話にならない。当たり前のように、国体選手になる(超マイナー競技バンザイ!)。国体会場は千葉県館山沖で、強風レースになる。第1レース、最初のマークを7位で回航するも、後ろからものすごく大きな波がやってきて、サーフィン状態で前の船をゴボウ抜きするも、それは一瞬の喜びでひっくり返ってリタイヤ。第2レース以降は10番前後でフィニッシュし、総合で少年男子スナイプ級18位だったかな?

18歳 系列大学入学
ヨット部入部。2回生の時、インカレ総合優勝。3回生時の国体は、最終レースまではトップでしたが、最終レースでフライング失格してしまい総合・成年男子470級6位。4回生時の国体は、15位?(これも1レース失格してしまった。優勝候補の一角と言われていたのに、いつもツメが甘い。吉本新喜劇のお笑い見て育ったから、最後にオチを付けないと・・・と思ってしまう悲しい性です)。
3回生の時出場した全日本470級では、2日目終わって何と3位。ど強風で、オリンピック選手をはるか後方に離して第1マークをダントツ回航したレースがあリました。100艇ほどの参加艇でビリから10番ぐらいで最終マークを回航した微風レースでは、やけくそで先行艇が誰もいないコースに行ったら、ほとんどの先行艇が行ってた方の風がなくなり、僕のコースにだけ風が入り、なんと87艇抜きの3位フィニッシュのウハウハレースもありました。結局、8位だったか18位だったかで、学生優勝。モスクワオリンピック強化選手&浜名湖470級世界選手権強化選手(ナショナルチーム)に選出され、4回生の時は、学生のレースと一般レース・強化合宿で東奔西走。

勉強もそれなりに頑張り、夏休みの資格試験講習会で生涯の伴侶と出会う。大学1回生の時から、ヨット部の昼休みたまり場である学食入口で、悪ガキ部員と前を通る女子に点数を付けていたんだけど、その時最高点数を付けていた髪の長い娘でした。大学とは全く関係ないとこで、同じ講習を受けている縁を感じ、当然声を掛けました。「彼女~、お昼ごはんご一緒しない~」みたいな軽いノリではなく、冴羽りょう的にキリッと締まった笑顔でさわやかに誘う。学部は違うけど同級生でした。女子の学部は、女子が非常に少ない。唯一の同じ英語クラスの女子A子さんのボーイフレンドB男が、僕の中学からの同級生だったから、グイグイ僕を売り込みWデートに至った。
Wデートは、彼女が中学時代テニス部だったというのを手がかりに、お洒落なテニスコートで実現。彼女のコスチュームは当然ミニスカートでナイスでしたが、ホンマにテニス部やったんか?と目を疑う羽子板テニスで調子が狂った。B男は中高大とテニス部で、僕など赤子をひねるが如くで、A子さんはテニスウエアでもないしラケットも持ってないし・・・で、ゲムとしてはいっこもおもろなかった。この日のためにラケットもウエアも買った僕の経費は誰が面倒見てくれるんや~!
3回生の時から友人2人と3人で、学生スキーツアー&スポーツクラブを創業していた。スキー好きの友人学生をスタッフにし、イラストのうまい女子学生にパンフレットを作らせ、旅行社内にデスクと専属女子事務員を付けてもらい、4回生の冬はスキーバス50台を信州方面に出した。バス1台満席にすれば20万儲かったスキーバス黎明期なので・・・ぐふふ・・・。この時のバレンタインデーは、人生史上最高数チョコを貰った。文字通り山のように・・・ぐふふ・・・。スキー場でスキーのうまいインストラクターは、数倍かっこ良く見えるものです。
こんな僕ですが意外に貞操観念があり、史上最大のモテ期だったにも関わらず、彼女一筋でした。箱入り娘で、修学旅行以外外泊をしたことないという彼女に、「私をスキーに連れてって」と言われていないのに、「よっしゃ、スキーに連れてってあげるわ」と、超堅物(第二次世界大戦でシベリア抑留された播州のK(苗字)隊の隊長・・・抑留されずに帰国していたら戦犯裁判当事者になっていたかも?・・・播州では有名だったK隊の帰国を新聞で見て、娘と見合いをさせた彼女の母方爺さんもかなりのもの)の父親に僕のやってたスキーパンフレットを見せて頭を下げて、彼女を釣れ出すのに成功。1回目は、スタッフを外れてお客さんとして2人で参加したけど、2回目は超堅物にウソついて、白馬乗鞍ホテルにプライベートスキーに行く。スタッフに、もし電話が掛かった時の対処を徹底させ、万全の体制をとった・・・「お主も悪よのう
」byお代官様。
22歳 実業団からも誘われたが、ヨットなんかで一生食えるわけがなく、一般企業に就職し、東京勤務。

24歳 地元に戻り、家内と結婚。高校時代売りに出た実家の隣家を親が買ってくれていたので、そこに住む(スキーツアーをやってた時は、ここが貸スキー板・靴の倉庫と化していた)。家賃を払わなくてラッキーだったが、ローンはそのまま僕の肩に付け替えられる。3/4は僕が返済したのに名義は母親のままだったから、母親没の時税金を払わされた・・・なんでやねん!

25歳 長男誕生
学生時代はブルーバードクーペSSS・親父からのお下がりスカイラインに乗っていたが、誕生記念にハイハイ出来るスペースのあるブルーバードバンに乗り換える。
母親が慢性腎炎になり、仕事引退。父親が余命6ヶ月のがん宣告。弟はまだ大学生だったので、夫婦で必死に働く。弟の学費・仕送り、両親の面倒、住んでる家の借金返済・・・。家内は仕事しながら、おっぱいをあげる生活になる。よって僕は、今でも家内に頭が上がらない。
長男を1歳から保育園に預けるようになる。1週間持たず、水曜日になると知恵熱が出るので、日曜日と水曜日は保育園を休むようになる。百日咳にもかかり、長男には、かわいそうなことを強いた。

父親は、一命を取り留めたが、仕事をほぼ引退。次男が成人するまで、数度の手術・入院を繰り返しながら生きる。50代からサンデー毎日の生活で、毎月のように、(これで最後かもしれないと)海外旅行に出かける羨ましい生活を送る。ゴビ砂漠まで横断した。82才永眠(普通じゃん)。教訓:「これで最後かもしれない」は、素敵な言葉だ。
地元市長から頼まれ、ヨット部先輩達と一緒にジュニアヨットクラブを立ち上げ、コーチになる。国体選手になると、市長室に呼ばれ激励の一封(現金入り)を渡されます。その場で、「スポーツ振興しようと思ってるんや、手伝ってくれんか?」と言われると、イエスの返事しか出来ないじゃないか。

28歳 次男誕生
誕生記念に、家族4人+両親+弟が乗れるように、8人乗りハイエースワゴンに乗り換える。当事は、ワンボックスワゴン乗用車など売れず、新車でもとても安かった。確か総額180万。

ジュニアコーチを辞め、出身大学ヨット部コーチになる。家内は日曜日休みで僕はウィークデイ休みなので、冬は毎週スキー三昧してた。小学生になった長男は、少年野球入部。1人乗りヨットを買い、長男の片足で立つポーズを見て、「Little Flamingo」と命名したのに、野球部に入りやがっった・・・残念無念・・・片足で立つポーズは王貞治だったんだ・・・。
次男が、僕の作った地元ジュニアヨットクラブに入部。お兄ちゃんと同じ野球部は嫌!そうだ男の子はその心意気や!僕がジュニアヨットクラブ・コーチに復帰。クラブ員家族と、毎月のように全国に遠征した。中学生でナショナルチームに選ばれ、アセアン選手権日本代表(ラニーニャ異常気象で中止になったけど)になる。日の丸の付いたユニフォーム・お揃いの日の丸ナショナルチームバッグの出で立ち(超マイナーヨット協会には金がなく、全部親の自腹。もちろん渡航費もその手配までも・・・)で、アルゼンチンで開催された南米選手権に遠征し、ラプラタ川でレースをする。そのレセプションで、初めてチークダンスを経験したようだ。そこで知り合ったブラジルやアルゼンチン女子(何故が女子ばかりから手紙が届いていた)と、文通してた。日本チームは3人で遠征したので、イギリス人美少女を入れて4人でチームレースにも出場した。日本同様第2外国語であるはずの南米の子達が流暢に英語を喋るのにショックを受け、帰国後から英語の勉強に身が入り、大学受験時は英語がポイントゲッター科目になる。教訓:男は下心があると、勉強に熱が入る。

僕ら夫婦が中学受験組だからか、長男も次男も、小学生時代は中学受験塾に通い、私立中学高校一貫校入学。「受験しなさい」なんて全く言わなかったのに、「賢いなあ」とかおだてていたら、受験すると言い出した。
高校生時長男は、甲子園球場の「ビール、いかがですか~」のバイトで、球場売上No1になる。親方に、時給から能力給にしてもらい裕福な高校生生活をしたようだ。サングラスして競馬場に通う不良高校生なのに、浪人もせずに河合塾に英語だけ半年通っただけで国立大学生になった。「どんなんや?」と驚く。次男は、高3の夏のインターハイに出るなど、目一杯ヨット部やってたのに、塾にも行かず国立大学生になる。もう僕は子供たちに頭が上がらない。これは賢い家内の遺伝子のようだ。

長男は、大学でライフル射撃部に入り、20歳以下日本代表候補に選ばれ、日本代表チーム合宿に1ヶ月ぐらい山に篭ってたこともあった。ライフルのナショナルチームコーチがハンガリー人で、関西に来た時長男がお抱え運転手をしてた。中学受験塾が忙しくなるまで子ども英会話教室に通っていたので、外人がいっこも怖くないようだ。黒船来航の時代に生まれていたら、吉田松陰のように密航を企てただろう。
次男は、大学でもヨット部。僕と同じ470級で、3回生の時、全日本を20位ぐらいで通過(僕と同じ、第1マークトップ回航もした)し、北京オリンピックにつながるナショナルチーム選考レースに出場。最終日朝まで6位のナショナルチーム選出ラインにいたが、結局男子10位。僕より格段にうまい。
次男がジュニアヨットを15歳で卒業した後、僕はジュニアヨットの全国理事になった。アセアン選手権に、日本チームを率いて参加した。監督とは、小中学生選手の荷物持ちと理解した。北京ワールドにも参加した。

長男・次男とも、6年間学生生活を送り、就職。
2008年 もう親父がいなくてもOKと、高校生の時からの夢だったバイク免許を取りに行く。次男が親父の形見のミッション車を、就職と同時に東京に持って行ったので、オートマチック車の運転がつまらないこともある。原付スクーターで2段階右折でお縄になったのもきっかけ。長年、原付50ccスクーター通勤してるので、ストレートで普通二輪免許取得。
VTR250購入。通勤スクーターを、リード110にグレードアップ。これで二段階右折も平気。
2010年 長男結婚。お相手はなんとJAL国際線アテンダントの超べっぴんさん。会社の会見で社長の横で愛想振りまいてる姿が新聞に載った・・・デカした! 入社1年目の会社の出張で先輩とJALに乗った時、当時まだ入社3年以下で国内線に乗ってたお嫁さんを見初め、羽田に着陸した後「先輩、ちょっと待ってて下さい」と、お客さんの前の出口への流れに逆らって後ろに走り、電話番号を書いた名刺を渡したのがきっかけらしい。男はこうでなくちゃね。その後、原辰徳侍ジャパンと共にアメリカワールドベースボールに帯同したりしたので、プロ野球選手に取られていたかもしれないのだ。
2011年 ミッションバイクの運転に慣れたので、教習所でかっこいい音してた教習車・ホンダCB400を買おうと思い立つ。初北海道ツーリングで、CB400SBを3日間レンタルして乗ってみる。
2012年 CB400SBを追加購入。初のバイク新車だ。
2013年 嫡孫が生まれる。とうとう小学生の時20才まで生きられるかな?と思ってた僕が爺さんになった。誕生記念に庭に屋敷祠勧請、主神は先祖の美作菅家党祖・三穂太郎、上杉謙信像が祠門前を守り、狛犬はシーサー、絵馬瓦を奉納した。

現在、大学ヨット部コーチもしている。

好物
右横綱:ポテトサラダ 左横綱:ヨーグルト(毎晩プレーンヨーグルトを500g1カップ食す。幼児の時から、ヨーグルトは食べ続けている) 大関:スープスパゲティ・麺類全般・カレーライス 要するに、お子様料理が好きだ。

学生時代の合宿生活の時間割の身体になったので、夜が弱い(早寝)。そして朝が早い(早起き・目覚ましは必要ない)。夜明けと共に(時には、夜明け前から)、「早朝バイク」や「早朝自転車」に出かける。雨が降ると、朝の時間を持て余す。

好きなこと
ヨット 高校・大学時代体育会ヨット部 ジュニアヨットコーチを10年ほど 大学ヨット部コーチ15年ほど 大学ヨット部先輩と組んで月1レース参戦 ヨット部先輩後輩と組んでセーリングクルーザーを所有しクルージングも楽しんでいる
スキー SIAゴールドメダル所持
バイク 2008年普通自動二輪免許取得 ホンダVTR250でツーリング ホンダリード110で通勤・「夫婦でタンデム」 ホンダCB400SB
自転車 2009年~早朝自転車・「夫婦で自転車」ツーリング
読書 ほぼ毎日、本を読んでいる。 最も好きな作家は、藤沢周平。ラブストーリーの王様・ニコラス・スパークス著書は、ほぼ全部読んでいる。歴史小説。戦記(平安時代~戦国時代)・歴史書好き。
トレッキング 2010年~「夫婦でトレッキング」を始める。山城探索。
謂れ読み バイク・自転車・トレッキングの目的地や寄り道で、寺社の謂れ板を読むのが好き。日本史好きなので、帰宅後それをじっくり調べ、頭の中の日本史年表に書き加え、歴史の流れを結ぶ作業を楽しむ。
田舎道・沢道・山道を探索し、昔から続く人の営みの育んだ風景をシャッターに刻んで楽しんでいる。

好きな人
サンタクロース 昔から、国籍にかかわらず、特にお父さんの心に住んで、次々に人の心に伝播し、生き続けている。サンタさんは、いつも笑顔を、特に小さな子にもたらす。

好きな言葉
「豚のおだてりゃ、空を飛ぶ」by僕。 僕は子供に、こう接しています。褒められると、自分の心に自信が生まれ、褒め言葉を口にした人も笑顔になります。僕は子供たちを怒ったことがない。長男が嫁さんを正式に僕ら夫婦に紹介した時の第一声が、「僕、いっぺんも親に怒られたことないねん」でした。
我が家の家紋は、武田菱です。武田信玄の言葉「人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」も、これに類似する。母方の本家の家紋は、菅原道真の末なので、梅鉢紋。母親から、「あんたの先祖は菅原道真さんやから、賢いんや」と、各地の天満宮を訪問する度に言われる。それが染み付いて、屋敷祠を勧進してしまった。主神は、先祖の美作菅家党の祖・三穂太郎。

好きな戦国武将
横綱:上杉謙信、大関:明智光秀、関脇:荒木村重・竹中半兵衛・真田幸村・浅井長政・武田信玄
戦国期以外の好きな武将 藤原純友・平将門・足利尊氏 

歴史好き
親父の実家は北関東・上州の大きな庄屋で、僕が子供の頃は堀が巡っていた。苗字帯刀も許されていた。我が家の家紋・武田菱が、武田家の北関東調略(真田昌幸メイン?)の跡もあり、そういうつながりがあったら面白いなと思っている。
母親も北関東出身で、僕の爺さんは近衛兵隊長(どれぐらいの隊長かはしらないけど、天皇陛下からもらった金鵄勲章がある)でした。手代さんや職人さんをたくさん抱える履物商でもあったが、先祖は田沼家の家老職だった。母親のおばあさんは、北関東の大勢力・佐野家の家老家出身で、その家で盆正月に催す一族の集まりに、小学生時代は毎年のように母親に連れられて行っていた。屋敷は町を見下ろす小高い山の上にあり、麓の大門から山道を延々上がっていく。途中に小門や書生さんの寮がポツポツ建ち、今思えば紛れも無い山城です。
関八州を平定し京都朝廷から独立しようとした平将門を破った俵藤太秀郷の末裔・佐野家が、江戸の大火を累代の居城・唐沢山城から見つけ、兵火と思い完全武装兵を真っ先に江戸に入れた。その迅速さを恐れた江戸幕府は、佐野家を改易した。その時、徳川の世が崩れた時にいち早く地元で勢力挽回出来るように、改易地に行かず、帰農し地元に残った。佐野家をこの地に戻す含みを、この山城似の家に見る。
大庄屋の篤志家だったこの家は、明治の世に紡績業・鉄道会社・肥料会社・銀行業と商売を広げ、我が国公害第1号と言われる足尾銅山鉱毒に立ち向かった衆議院議員・田中正造のパトロンもしていた。田中正造が明治天皇御幸馬車に直接談判して議員を追われると、次の1期だけ衆議院議員をした。田中正造の一番弟子・黒沢酉蔵(雪印の創業者)の就学資金パトロンでもあった。
墓所の石碑や蔵に残された書物によると、祖は美作菅家党の祖・三穂太郎ということで、美作の山城を1350年に落とされ、血縁筋を頼って北関東の佐野家まで流れてきたそうだ。
こういう家系史が書物として親戚筋に配られており、旧仮名遣いで読みづらい本ではあるが中学の時読んで僕のルーツを知る。母の最も大切な本で、その時「私が死んだら、あなたがこれを持つように」と言われた。今僕のもとにある。僕の日本史好きのルーツです。

所有車
(学生時代)ブルーバードSSSハードトップ→スカイラインセダン→(長男誕生)ブルーバードバン→(次男誕生)ハイエースワゴン8人乗り→ホーミーワゴン4WD・8人乗り→キャラバンワゴンロイヤル8人乗り→
(2010年~)キャラバンシルクロードワゴン8人乗り

所有バイク
ラッタッター→・・・→ヤマハジョグC→
(2008年~)ホンダ里山VTR250(ポリスボックスVTR250・電気の検針おばちゃん自転車ボックスVTR250・ひこにゃんVTR250)
(2009年~)ホンダ通勤リード110
(2012年~)ホンダ橋桁高台CB400SB(招き猫CB・ニコニコCB)

所有自転車
(2009年~)ジャイアントDEFY2
(2009年~)ジャイアントESCAPE3(家内用)

林道吉野大峯線2

ここからタンデムです。
「こんな坂上がれるの?」と家内が聞くぐらいの急坂ですが、110ccなので坂途中からでも加速する力強さです。

すぐに吉野の伽藍の中心・金峯山寺です。
20110305Dorokawa001s
参道に駐車場がありません。
門前の饅頭屋さん横に駐車し・・・ここはそれ、朝食用に饅頭を数個お持ち帰りします。
山門をくぐってすぐのスペースで饅頭を頬張ります。うまい。

修験道開祖の役行者さんが開いた修行の地です。
吉野~大峰山~熊野本宮~那智大社と、修験道の修行の地が紀伊半島に広がっています。
仏教寺院と少し雰囲気が違うんだよね。
天台宗や真言密教などの厳しい修行を伴う古い仏教に近い雰囲気があります。
家内によると、吉野線の途中の駅で、修験道行者スタイルの方が数人降りたそうです。
在野修行者が、濃くやってくる地です。
現在の修験道・修行者の中心地・洞川まで、吉野~熊野本宮間の峰伝い熊野古道(奥駈道)の一部を、これから辿ります。ワクワク。

吉野山を奥に入っていきます。
山道なのでぐにゃぐにゃ曲がり、方向感覚がおかしくなります。
詳しい地図を持ってこなかったので、「水分神社」を目指していたら、いつの間にか急坂の下りになり、眼下に宿などの集落が見えてきました。

これは元の場所に戻ってしまいそうです。
山内地図を見ると、「金峰神社」を目指さなければいけないみたい。
さっき、それとの分岐をこっちに来てしまいました。

Uターンして、「金峰神社」まできました。
道路の中央に停めても、迷惑などかかりそうもない交通量ほぼゼロの道でした。
でも、神社前には、4月1ヶ月間の一方通行のお知らせが立っています。
すごいな吉野山の桜。

横に、「林道・吉野大峯線」の注意事項が書いてあります。
路肩保全・法面落石防止が不十分なので、降雨・降雪時はスリップの危険があります。20km/h以下で走行。
夜間・濃霧時の走行を避ける。
見通しの悪い場所での駐車を避ける。と、書いてありました。

いよいよです。GO!
徒歩で熊野本宮を目指す熊野古道と何度も交差しながら、舗装林道が続きます。
標高は800m・1000mオーバーと、高所の峰を回りながら進むので、ぐっと気温は下がり、右に左に紀伊半島の峰が雄大な景色を提供してくれます。
20110305Dorokawa017s

この熊野古道は、さすが修行の道でもあり、わざわざ山頂に登り返して熊野を目指すようです。

忘れたころに車が駐車されています。
きっと山登りの方の車でしょう。
この道から上がるのであれば、意外に簡単に上がれるかもしれません。

黒滝村と天川村との分岐に着きました。
夜なんか歩くと、熊に食われてしまいそうです。
ここまで、法面の崩れは無数にありました。
道の1/3ぐらいまで土砂が来てるところもありました。
路上に川が流れてるところもありました。
木々の根の仕業か、路面陥没なのか、道がうねってるところもあります。
20km/h以上出せません。
この道は、台風や梅雨の大雨の後は通行止めになってる公算大です。

道の脇に滝が落ちてるところがありました。
記念撮影。ヤマボウシの木が白いシャッポを綺麗に被っています。

川上村と天川村との分岐に来ました。
ここは、僕がバイク免許を取って、最初のロングツーリングで来た場所です。
R309で天川村に入り、r48で戻ろうと思ったら、あまりにハードな道だったのでUターンし、ここからR169に抜けました。

ここからは、既走路です。
「大天井滝」がありました。
これは見事な滝です。寄り道してパチリ。
前回は、滝だとわかったけど、坂に停車できずにスルーしました。
今見ると、全然急坂ではありません。
あの時は、ニュートラルでサイドスタンドでしか駐車出来なかったので、少しの坂でもバイクが動き怖かったです。
今はいつでもギア入れて停めるから、バイクは動きません。平気です。

「五番関トンネル」通過。
登山者の車が数台停まっています。バスも1台。
前回もバスが停まっていました。
きっと修行バスですよね。
ここから上がる五番関に、修業の場があるのかな?
TVで見た岩の上から足を持ってもらって下を覗く行場かも?

思い返せば、前回、ここでバイクの初コケしました。
バイクを停めて、ステップ出したつもりが、出来っておらずバイクを下りたらゴロンとバイクがなりました。
微妙な傾斜でビビっていたのでしょう。
今見れば、なんてことない傾斜です。
3年で成長しました。

案内板とか見てると、家内が「五番関」と書いてある登山道を登っていきます。
「何処行くの?」と聞くと、「え、登らないの?」だって。
ヘルメットに付けた「クールロボ・イージートーク」で無線会話してるから、すぐ後ろに僕が続いていると思ってたみたい。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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