10/4・奈良・夫婦サイクリング その5

天穂日命は、天照大神と弟の素盞鳴尊が、高天原(天の国)で占い対決した時に、素盞鳴尊が天照大神の首飾りの勾玉を噛み砕いた時に生まれた神様です。
後に、葦原中津国(地上)を治める素盞鳴尊の子・大国主命に、地上の支配権を返上し、高天原の神に渡せと交渉しに下ります。
しかし、大国主命に心服してしまい、子孫は出雲国造(現在の県知事)を世襲する。
現在の千家家(出雲大社宮司を世襲)に続き、世界一の天皇家に匹敵する名門家系です。

その子孫・野見宿禰は、出雲の勇士で垂仁天皇(BC~ADのキリストと同世代)の命で當麻蹶速と相撲対決を制し、大和當麻の地を与えられた・・・相撲の祖。
垂仁天皇の后・日葉酢媛の墓所に埋める埴輪製作のために、出雲から職人を呼び、彼らが住んだのが櫻井・初瀬街道の出雲。
出雲のすぐ西に、出雲系の大国主命とともに国作りに励んだ大物主命(大国主命と同一とか、事代主と同一とも言われている)を祀った大神神社がある。

日本各地に、菅原神社・天満宮・天満神社があるが、生誕地のここと、没地の太宰府天満宮(お墓の上に勧請)と京都北野天満宮は、別格です。
3つの最後として、ここを訪問できました。

南に向かい、阪奈道路を渡って、垂仁天皇陵脇を走ります。
菅原町は、天皇陵の北側に隣接するんだ・・・
野見宿禰本人か、あるいは子孫一族が先祖を引き立てた天皇を慕うように、この地に移り住んだと想像するのが自然です。

20151004NaraS236s.jpg
近鉄・尼ケ辻駅を東に渡り、川沿いの自転車道に乗って、南下します。
薬師寺の五重塔が見え、隣に修理中の国宝東塔を覆う白カバーが見えてきました。

「唐招提寺」の案内板に従って、西に曲がります。
15:53、「唐招提寺」。
土産物屋さんに入り、うどんを注文し遅い昼食。
「お腹が減りすぎて、足が動かなくなってきた」と言ってた家内も満足そうです。

「じゃあ行こか」「うん」とお店の外に出ると、家内は自転車の方に歩いて行く・・・あれれ?
自転車の向こうのトイレに入っていったので、唐招提寺の山門が見える駐車場の端で待つ・・・
おトイレから出てきた家内は、自転車のとこで僕を探している。
あれれ・・・まさか・・・家内のとこに行き、「唐招提寺に入らないの?」
「ん?あれ~うどん食べて満足しちゃって、帰るのだとばかり思ってた。入らなかったら、何しにここまで来たかわからないわね」と、自分に呆れています。
僕は、「やっぱり」と思いながら、心の中で大笑いしました。

20151004NaraS242s.jpg
『鑑真和上は、688年中国揚州に生まれ、後に出家され、長安・洛陽一の僧となりました。742年日本からの熱心な招きに応じ、5度の渡海失敗にもめげず、753年6度目の航海で来日しました。翌年、東大寺大仏殿前に戒壇を築き、聖武天皇初め400余名の僧俗に戒を授けました。日本最初の正式授戒です。鑑真和上は東大寺で5年過ごし、758年大和和上の称号を賜われました。759年、戒律の専修道場を創建されました。これが唐招提寺の始まりです』

金堂(国宝)内の薬師如来・盧遮那仏・千手観音の三尊がおられ、千手観音の精巧な作りに目を奪われました。
四天王像など、さすが国宝は雰囲気があります。
四天王像や十二神将像は、多くのお寺に安置されていますが、それぞれ仏師の思い入れにより表情や仕草が違います。
僕が好きなのは毘沙門天(多聞天)なので、特に注目して見ています。

今までで最も気に入ったのが、北条時政の菩提寺・願成就院(伊豆)の国宝で、数万円で求めたそのレプリカを実家に飾っています。
なかなかこれを越えるものに出会えないな・・・

講堂内に、金堂の修復作業などが展示・紹介されていました。
鴟尾レプリカを2対制作したそうで、1対は真正鴟尾に代わって金堂の屋根上に置かれ、残りの1対が展示されていました・・・大きいな。
元禄・明治に続き、3度目の大規模改修のようです。
部材を全部バラして、土台に柱を立てるところから組み上げて行った作業の大きさに驚きです。
奈良時代に元禄まで未改修で立ち続けた当時の職人の技術の高さにびっくり。
クレーンも重機もない時代に、人力オンリーでこのような大きな建物を・・・

開山堂には、写真でお馴染み・鑑真和上坐像のレプリカが安置開帳されていました。
国宝・鑑真和上像は、特別な日にしか開帳されないので、期待していなかったのですが、これはラッキーでした。
本物の像は、目の周りなどに焼けた跡が残っていますが、レプリカは創作時の手法を守って作られ、彩色されたそうで、より当時のものに近いそうです。

20151004NaraS250s.jpg
その後、蓮池の方を巡って駐車場に戻りました。
20151004NaraS251s.jpg
蓮池には、季節外れですが「かきつばた」が1輪だけ咲いていました。
20151004NaraS252s.jpg
萩の小さく可憐な花が咲いており、静かな散歩道でした。
唐招提寺でさえ、京都の小奇麗なお寺と違い、やつれ感があちこちに見られます。
これが南都・奈良のいまいち垢抜けない、でも着飾らない雰囲気を醸しているようです。

16:20になったので、「薬師寺」訪問は諦めました。
川沿いの自転車道を北上し、三条大路・R308を東進し、途中で再び北に向かって、16:55・奈良市役所横の車に到着。
自転車を片付けていると、17時閉鎖の市役所駐車場の入口にチェーンを掛けていました。
走行時間2:52:10・走行距離31.07km・平均速度10.8km/h・最高速度29.2km/h。

第二阪奈道~近畿道~中国道で帰宅し、楽しい1日が終わりました。
奈良の観光案内所でもらった「歴史街道地図」(裏面は奈良公園ウォークマップ)に準じたコースでした。
時間の関係で少々カットしたところがあるので、またの日に・・・
スポンサーサイト

10/4・奈良・夫婦サイクリング その4

更に西進し、13:18・JR奈良線近くの「不退寺」。
カッコ書きで「業平寺」と書かれていたので、見学してみます。

『仁明天皇のご勅願により、在原業平朝臣の建立。当時は、南都15大寺の数えられた古刹。809年平城天皇ご譲位の後、この地に「萱の御所」を造営し、その皇子・阿保親王没後、その皇子で在原の姓を賜り臣籍降下した在原業平が父親の菩提を弔うとともに、本尊聖観像を安置して衆生済度のために建立した』

20151004NaraS181s.jpg
境内に石棺が雨ざらしで置かれていた。
説明板に、『石材は砂岩の一種で、草刈りの人がこれで鎌を研いだ痕が無数に残っている』となっていたので、長く雨ざらしだったんだなとわかりました。

本堂に入ると、ご住職さんがおられ、本尊の前に僕らを導きます。
各仏像の説明を流れるような口調でしてくれます。
「どうぞ、お近くでご覧を」と言われた後、うちわで自らを仰いでおられます。
毎日、同じ説明を繰り返しておられるのでしょう。
僕らが退出し、境内を見ているとご住職さんも本堂から出ていました。
また次の参拝者が入って来ると、再び本堂内に姿を隠されました。
クーラーのない本堂内は、暑い日は大変です。

更に西進し、13:46・「法華寺」。
続いて北隣の「海龍王寺」。
『飛鳥時代に毘沙門天を安置して建立された寺院を、731年遣唐使として中国に渡った初代往持・玄ほうが、一切経5000余巻と新しい仏法を我が国にもたらすことを願ったことと、平城京の北東隅(鬼門)の方角を護るため光明皇后により、「海龍寺」として改めた。玄ほうが帰国途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、一心に海龍王経を唱えたところ、無事に帰国できたことから、遣唐使の渡海安全祈願を営むようになり、現在も旅行や留学に赴かれる方々が参拝します。写経も盛んで、光明皇后や弘法大師の般若心経が伝えられている。創建当時の建物は、奈良時代の五重塔として唯一現存する五重小塔(国宝)と西金堂(重文)が残る』

土塀に瓦が塗りこまれ、適度に経年劣化し良い雰囲気です。
『五重小塔 4.01m・天平時代(7世紀後半~8世紀半ば)前期。創建当時から西金堂内に安置され、細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られている。天平時代の建築技法を現在に伝え、建築様式の発展をたどる上にも重要であることと、建築物として天平時代の五重塔はこれ一基しか現存していないので、価値が高く国宝に指定されている。屋内で安置することを目的としたため、近くから見た時の工芸的な性格を考え、小塔の外部は細部に至るまで忠実に作られている。またこの事は、寸法取りにも現れ、上層部に行くに従い塔身が細くなっていることから、上層部と下層部の均整を重視した寸法取りを行った事が伺える』

20151004NaraS199s.jpg
この小塔は見事でした。
彩色がまだ残り、造形的に寸分の狂いもなく現在に至っているように見える。
外部からその姿を見ることが出来、当時の木工技術の高さに感心した。

海龍王寺を北に上がり、西に折れる。
14:16、「平城京跡」のだだっ広いすすき野に出ました。
南に遠く近鉄が横断しています。
その近鉄より南側に、まだ更地が広がっています。
とてつもなく広いように見えますが、大極殿のみしか再建されていません。
発掘調査などで長い間このままですが、いずれ復元レプリカが建つのでしょう。

この道はr104で、交通量が多く路肩も狭く、自転車で走るには厳しい道です。
大極殿~西大寺繁華街間は、自転車道が整備されていましたが、更に延長していただきたい。
トイレ休憩して、西大寺に向かいます。

14:47、「西大寺」。
昼食時間が過ぎたので、食事を取ろうと走りましたが、適当なお店がありませんでした。
自転車なので、西大寺のビルには入れないし。
家内が「お腹空いたから、補給食する」と言うので、駐車場脇に座り持参したカロリーメイトなどをリュックから出して食べます。
補給食は少しなので、僕は我慢です。
歴史探索してる時は、そちらが楽しくて昼食抜きの時も多いしね。

20151004NaraS215s.jpg
藤棚から、藤の実がぶら下がっていました。
「これ何?」って家内が気持ち悪そうに見るので、教えてあげました。
境内に、現代アートのようなものがあり、本堂では多くの僧侶の法要をしていました。
低い称名が堂内に響き、厳かな気持ちになりました。
多くの方が、神妙に聞き入っていました。

ここから歴史街道を北上し、「秋篠寺」に行く予定でしたが、時間的にカットし、南下します。
20151004NaraS226s.jpg
15:09・僕が一番訪問したかった「菅原天満宮」到着。
ここらは菅原町で、菅原道真が生まれたところです。
僕も菅原道真の末で菅原氏の末席に連なっているので、夫婦で家族の平安と、現在進行形である来年生まれてくる新しい命の無事を祈りました。

20151004NaraS233s.jpg
『祭神は、天穂日命・野見宿禰・菅原道真。天穂日命は、菅原氏の祖。その子孫・野見宿禰はこの豊かな地で土師器の制作と埴輪作りをして勢力を拡大した。垂仁天皇の后が亡くなった時に、悪習だった殉死を止め、代わりに埴輪を埋めるよう進言した功績により、垂仁天皇より「土師臣」の姓を賜った。その後、大喪一般を取り仕切るようになった。その子孫が、「菅原姓」への改姓を許され、道真が生まれた』

10/4・奈良・夫婦サイクリング その3

少し北上すると、11:01・「観光センター」到着。
おトイレを拝借し、観光地図をゲット。

更に北上し、学校チックな建物が見えてきたので、適当に東に曲がり、11:10「奈良女子大」南門。
家内が受験した「お茶の水女子大」と、ここしか国立の女子大はありません。
正門にしてはあまりに貧弱なので、もう少し東に進むと、北矢印で「奈良女子大」観光案内板が立っていました。
20151004NaraS101s.jpg
北にすぐ、11:12正門到着。

正門正面に、旧奈良女子師範学校・旧本館のレトロな建物が見えますが、工事のフェンスが囲っています。
一般公開もされているので、期待してきたのですが空振りでした。
スケッチの方が10名ほど、正門正面や正門内におられました。

若草山を正面に見て東進すると、11:15・「NHK奈良放送局」到着。
シャッターが閉まっていました。
放送局って、日曜でも本放送をしているので、24時間オープンだと思っていました。
奈良などのブランチ局はお休みなのですね。

奈良県庁と東大寺敷地を隔てる南北道・R169を越えて、11:23・「寧楽美術館・依水園」到着。
20151004NaraS121s.jpg
北上し、11:31「東大寺・戒壇堂」到着。
ここに、僧になるための戒を授かる戒壇が、日本で初めて建立された。
四天王像を観たかったが、このペースでは予定の半分も回れそうにないので、カットしました。
1人でじっくり訪問しましょう。

すぐ東に、大勢の観光客がいるだろう東大寺大仏殿が見えますは、こちら側は至って閑散としています。
更に北上し、11:40・「正倉院」到着。
もちろんお宝は拝見できませんが、外観だけ。

20151004NaraS128s.jpg
西に向かい、11:42・「転害門」(奈良時代・国宝)。
『東大寺伽藍内で、唯一天平時代の遺構』と書かれていたが、二月堂横にある三月堂にもそう書かれていたような・・・。
ここにも、たくさんスケッチする方がいました。上天気なので、スケッチ日和ですね。

20151004NaraS133s.jpg
R369を北上し、枝道に入り更に北上すると、11:55・「奈良市水道計量器室」と書かれたレンガ造りのレトロな建物に着きました。
横に、「北山十八間戸」。
『鎌倉時代中期に、僧・忍性が不治患者救済のため建てた』
外観から、小部屋が並んでいる風が想像される。
もう使われていないと思うが、見学はできないようです。

更に北上し、12:02・「般若寺」。
境内はコスモスが咲き乱れ、お花目当ての観光客でいっぱいです。
20151004NaraS140s.jpg
道を隔てて、「植村牧場」がありました。
羊がいる・・・
牛がいる・・・。

ソフトクリーム320円を2つ注文し、家内とベンチに座ってしばし休憩です。
濃厚で、とても美味しい。
ほんとは、牧場内喫茶店で軽く食べたかったけど、満席で店員さんが次のお客様を呼び出しているのでパス。

20151004NaraS146s.jpg
更に北上し、12:26・「奈良豆比古神社」。
『今から1200年前、光仁天皇の父・田原太子が病気療養のため、那羅山にある一社中に隠居せられる・・・とある一社こそ当奈良豆比古神社です。天然記念物・樟の巨樹は、樹齢1000年余り、土際の幹囲12.8m・幹囲7.5m・樹高30m・枝張り20m、樹姿は極めて良く、類例の少ない巨樹』
翁舞が有名だそうだ。並列に3社の瀟洒な本殿が綺麗です。

北上してきた道から、西に時折見えたレンガ造りの建物に行きましょう。
素直にバックすればいいのですが、一筆書きしたくて適当に西に入るが、南へ向かう道がなく、古墳のような森が南に見えたので、農作業中のおばさんに聞いてみました。

20151004NaraS163s.jpg
やはり素直に戻ったほうが良さそうで、12:43・「奈良少年刑務所」到着。
20151004NaraS159s.jpg
素敵なレンガ造りの塀や門で、正門から中を覗くと刑務所本体も正門と統一された素敵な建物でした。
「こんなに素敵なら、ここに入りたい子もいるよね」って、家内から問題発言です。
門に掲げられた注意事項の面会時間を読んで、「日曜・祝日は面会できないのね。お休みの日の方が来やすいのに」と。
この周りにも、10人ほどアマチュア画家さんが熱心に筆を動かしていました。

転害門まで戻り、「多聞城址」の案内板に従って西に進路を取ります。
20151004NaraS169s.jpg
途中で案内板をロストしたのか、12:56「聖武天皇陵」まで来ちゃいました。

この並びに松永久秀が大和支配のために築城した「多聞城」がありました。
現在は中学校になっているようです。
久秀は、奈良盆地と大阪平野を隔てる生駒山系の信貴山に信貴山城を作りましたが、南都僧兵や筒井順慶などの南都大衆を抑えるためには、如何にも東大寺・興福寺・郡山遠い。
そこで、東大寺・興福寺の目と鼻の先に築いたのがこの城です。
具体的な位置関係がわかったので、良しとします。

20151004NaraS177s.jpg
西進し、13:05「興福院」。
ここは入れなさそう。
観光客も皆無です。
山門横に「不可酒肉五辛入寺門」と刻まれた石柱が立っていました。
禅宗のお寺定番の「不許葷酒入山門」と意味が同じなので禅宗のお寺だと思い、帰宅後調べてみたら、浄土宗の尼寺でした。
僕の好きな和気清麻呂が、聖武天皇の学問所を移したのが始まりと書かれており、興味をそそりました。

10/4・奈良・夫婦サイクリング その2

「長めの良い花の寺・白毫寺・石段をお登りください」と書かれています。
家内は、石段で休憩しながら待ってるそうです。
拝観料500円。

南都に多い真言律宗のお寺でした。
折れ曲がった階段を上がって行きます。
経済的に裕福でないようで、山門築地塀が剥がれています。
石段脇から萩が石段に覆っています。
素朴な山門も脇の築地が剥がれ、時代劇のロケにも使えそうで、これはこれで良い雰囲気です。

20151004NaraS047s.jpg
奈良大和盆地が眼下に広がり、西への眺望は最高です。
『若草山・春日山に連なる高円山の西麓にある。この地に天智天皇の第7皇子の離宮があり、その山荘が寺になった説、天智天皇が発願された説などある。鎌倉中期に西大寺で真言律宗をおこし、多くの寺を再興した興正菩薩が再興した』
多くの重文仏像があり、閻魔大王坐像が印象に残りました。

帰路は、志賀直哉旧居に寄り道しようと思っていましたが、ルートをロストしてしまいました。
「山の辺の道」途中にある「宅春日神社」に朝市の幟が上がっていたので寄り道しましたが、もう売り切れ続出状態でした。
プロンプトンの折りたたみ自転車2台が置かれており、前カゴやベビー椅子が着いていました。
おしゃれだな。

20151004NaraS054s.jpg
新薬師寺・西隣りのガラス面が多い近代的な奈良市写真美術館横を走り、国指定史跡・「頭塔」という古墳みたいなとこも通りました。
ここは見学したかったけど、25mバックして保存顕彰会事務所に申し込むようなので、面倒になりパスしました。

「白毫寺」からは、ゆるい下りだったので楽ちんで、10:12・「元興寺」到着。
『真言律宗。日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、718年に官大寺として新築移転されたのが元興寺。現在は「ならまち」の下に埋もれました。1998年ユネスコ世界文化遺産「古都奈良の文化財」に登録されました』

拝観料・500円。
受付の元お姉さんが、見どころ・道順を教えてくれました。
国宝の極楽堂・禅堂は、素朴な佇まいでした。
宝輪館という宝物館には、重文の仏像などがありましたが、現在の航空写真の上に立体的に初期の元興寺の規模を現したジオラマで、その敷地の広さを実感できました。
北縁は「猿沢の池」に面していたので、藤原氏菩提寺「興福寺」に南並びしていたようです。
現興福寺より、圧倒的に大きかったようです。

20151004NaraS063s.jpg
境内裏手には、「浮図田・ふとでん」と呼ばれる石塔・石仏が並んでいました。
元興寺・興福寺関係者や近在の方が、極楽往生を願って造立したものらしい。
国宝の伽藍の屋根瓦は、色が不揃いです。
20151004NaraS073s.jpg
受付の元お姉さんが強調していた「創建当時の瓦を観ていってね」が、それのようです。

奈良女子大に向かって、「やすらぎの道」を北上していると、10:47・「率川神社」到着。
『率川神社 593年、日本最古の神社・大神神社の摂社として創祀。三枝祭りは、大神神社からササユリが運ばれ、それで酒樽を飾って、疫病除けを願う。ご祭神は、玉櫛姫命(母)・媛多多良五十鈴姫命(ヒメタタライイスズヒメ)(娘)・狭井大神(父)』。『率川阿波神社 祭神:事代主神』

拝殿の奥に、3つの本殿(父・娘・母)が並び、娘神を両側から見守るように父母神が鎮座するので、安産・育児の神として信仰を集めているということで、長男のお嫁さんが2人目の子を宿しているので、お賽銭を奮発し手を合わせました。
媛多多良五十鈴姫命は、初代・神武天皇の后になる方で、古事記では大物主と結婚した勢夜陀多良比売の娘と書かれており、日本書紀では事代主命と結婚した玉櫛姫の娘と書かれている。
勢夜陀多良比売は、玉櫛姫の別名とされているので、大物主と事代主も同一とする説もある。
一夫一婦制になったのは、ごく最近なので、夫が複数・妻が複数でも不思議はないのだけれど・・・。

事代主は、大国主の息子で、「天から降る神に葦原中津国(地上)を明け渡せ」と迫られた時、父の大国主にそうしましょうを進言し、天孫降臨を実現しました。
その時、漁をしていたということで、恵比寿様と同一視されている。

大物主は、葦原中津国を支配し開発していた大国主の協力者・少彦名神が天に戻ったので困っている時やってきた新たな協力者です。
大国主の息子という説もあり、この説だと更に事代主=大物主になる。
余談だけど、少彦名は背丈がとても小さかったようで、一寸法師の原型とされている。

大国主に協力する報酬として、大和三輪山に自らを祀ることを願う。
それが、日本最初の神社・三輪大神神社です。
狭井川というのが、大神神社に流れ、そのご神水は万病に効くというので、多くの製薬会社の御神燈が並んでいる。
狭井神社の祭神も、同じ4神です。

僕の持ってる日本神話に登場する神様を解説する本には載っていませんが、狭井大神とは、大物主を指していると解釈しました。
古事記はとても面白い日本神話ですが、その中で最も面白い神話の一つに、大物主が絶世の美女・勢夜陀多良比売に一目惚れして、なんとか物にしたいと頑張る記述があります。
大物主は、自分を赤い矢に姿を変え、彼女が用を足しに来る(沢に板を渡し、その上に乗って用を足した。厠=川屋の語源)川の上流から流れていきます。
そして、彼女の下から「ほと」を突きます。
その矢を自分の部屋に持ち帰ったとこで、大物主は元の姿に戻り、思いを遂げます。

それで生まれたのが、媛多多良五十鈴姫です。
媛多多良五十鈴姫は、三輪山に住んでいたらしいので、大物主が流れていった川は、狭井川という仮説が成り立つ。
だから、狭井大神=大国主かな?と。

家内には2~3度話したことなので、脳内で神話をグルグル回し楽しみました。
20151004NaraS091s.jpg
まだ綺麗な3社は並列に同じ大きさで並んでいましたが、本殿を拝殿の間に雨避けのパーマネント鉄柱テントが設置されていて、綺麗な姿を見れなかったのが残念でした。
男神・女神を見分ける千木の切り方も斜めだし、鰹木もすべて2本で奇数・偶数の違いもありませんでした。

10/4・奈良・夫婦サイクリング その1

3週連続でヨットのコーチングを優先したので、久しぶりのデートです。
僕は家内のストーカー気味人間なので、1日おしゃべりして楽しもう。

仏像好きのMさんという方のなら散策コラムが気に入り、歩かれたルートをトレースしたくなりました。
ただ、僕ら夫婦に長時間歩行はきついので、夫婦サイクリングにアレンジしました。
自転車なので、徒歩の2~3倍のスピードで移動できるから、徒歩奈良探索コラム数回分を、1回にまとめました。

奈良市役所無料駐車場~JR奈良駅・観光案内所~元興寺~志賀直哉旧邸~新薬師寺~奈良女子大~吉城園~戒壇堂~正倉院~知足院~転害門~北山十八間戸~般若寺~奈良豆比古神社~奈良少年院~多聞城址~聖武天皇陵~興福院~不退寺~宇和奈辺・小奈辺古墳~小奈辺陵墓参考地~航空自衛隊・奈良基地~磐之媛命稜~海龍王寺~法華寺~平城宮跡~成務天皇稜~神功皇后陵~秋篠時~西大寺~菅原神社~善光寺~垂仁天皇陵~西方院~唐招提寺~薬師寺~孫太郎稲荷神社~大安寺旧境内~奈良市役所。

いつリタイヤしても迅速に車に戻れるように、奈良市役所を中心に、南東から反時計回りに円周を走るコースです。
いつものように、盛りだくさんすぎて、すべて巡れるとは思えませんが、以外にも主な訪問予定地をざっと直線で結ぶと、20kmほどしか距離がありません。
ミスロードや寄り道を含めて30kmほどのコースになるだからから、貧脚の僕ら夫婦でも達成可能です。

6:30出発予定にしてお休みすると、5時前に目覚めました。
早速着替えて、2台の自転車の前輪を外し、車に積み込みます。
2列目・3列目シートを一番前に移動させると、自転車はまっすぐ載りますう。
斜めにすれば、前輪を外さずに乗りますが、なんだか自転車が傷みそうなのでまっすぐ載せ、シートで倒れないように固定します。
ずっと使っていなかった家内のクロスバイク・ジャイアントエスケープ3が心配でしたが、パンクもなくノープロブレムです。

リュックにカッパなどを入れ、朝食を食べて、6:30に出発しました。
車の中で、Mさんコラムのプリントアウトしたものを家内に見せます。
「わかりやすいね、きっと奈良の観光協会の人だよ」なんて言っています。

豊中IC~中国道~近畿道~第2阪奈道路で奈良市街地に入り、7:40に奈良市役所に着きました。
市役所駐車場は、前日から11月いっぱいまで、秋の奈良観光サポートとして無料開放されます。
市役所なら8時オープンだろうと、チェーンのかかった駐車場入口前で、自転車を組立てます。
8:55になっても駐車場が開く気配がないので、駐車場内に入ってみると守衛さんのような方がいます。
なんと9時オープンでした。

あと1時間も待つのがアホらしくなり、隣のタイムズ(24時間最大600円)に入れました。
京都なら、嵐山は銀閣寺の公営観光駐車場でも8時オープンが当たり前。
奈良はのんびりしてるね・・・京都に負けるわけです。
駐車場のすぐ北側を近鉄が走っており、いろんなカラーの電車が頻繁に走り、なかなか良いです。

まず南東に、JR奈良駅を目指します。
目的はレトロ駅舎を見ることと、観光地図などの情報収集です。
殆どのお寺が9時オープンなので、暇つぶしでもあります。
野生の勘で辿り着いたJR奈良駅は、近代的な建物で観光案内所も見つけられず素通りしました。
駅を東に抜けたとこで、「元興寺」への地図を確認していると、「あっちにレトロな建物があるよ」と家内が旧奈良駅を見つけました。
ちょっと北に戻らないと行けないのでパス。

r754を南下し、「杉ヶ中町通り」を東進し、8:39「元興寺」到着。
オープンは9時からなので、「新薬師寺」に向かいます。
交通量の少ない生活道路を走っていると、「やまと屋」さんという観光人力車の会社がありました。
20151004NaraS003s.jpg
横のシャッター駐車場が開き、颯爽と奈良駅方面に出勤して行かれました。
20151004NaraS004s.jpg
手入れがされていない土塀があったり、古い町並みを見ながら走るのは楽しい。

20151004NaraS007s.jpg
市内の要所に立つ観光地図看板・案内が充実しており、それを確認しながら新薬師寺に向かうと、「山の辺の道」に出ました。
ちょうど1年前、天理・石上神社から三輪・大神神社まで、「夫婦サイクリング」で走りました。
「あれ~山の辺の道だよ、去年走ったとこ?」と、地図音痴の天然が出て喜んでいます。

2時間前、近畿道で摂津を走っていると、長男が中高通った高槻の学校の住所と同じ地名を見つけ、「ここ高槻でしょ」と喜んでいました。
日本地図の県の所在地や県庁所在地など、社会科的なものはバッチリ頭に入っているのに、家内の頭の中はどうなっているのだろう。
奈良県の場所はわかっていても、奈良市・天理市などの位置関係はバラバラのようです。
ニコニコしながら教えてあげると、「ふ~ん、そうなんだ」とわかっていなさそうです。
完璧で隙のない女性は意外にモテませんが、このギャップに男は虜になっちゃいます。

20151004NaraS013s.jpg
9:04・「南都鏡神社」。
春日大社の式年遷宮時に、第3殿を譲渡され移設したそうです。
式年遷宮は、20年に一度の伊勢神宮が有名で、勿体無い気がしますが、旧殿は他の宮に移し再利用されます。
使える部材は順繰りに再利用され、無駄になることはないそうです。
素敵なシステムです。
806年に新薬師寺の鎮守として勧請されたそうです。

石上神社~大神神社間の「山の辺の道」は、自転車に乗れない区間が多かったですが、こちらは全て舗装路で、渋滞街を左右に曲がりながら縫う道をたどり、9:06、「新薬師寺」到着。
20151004NaraS016s.jpg
目の前の田んぼにカカシが立ち、奈良盆地の東山の掛かりにあるのどかな場所です。
20151004NaraS017s.jpg
拝観料500円。

『743年、聖武天皇は動植物すべてが栄えるように、盧遮那大仏造立を発願し、僧行基とともに近江・紫香楽宮で大仏造立に着手しましたが、山火事や地震の頻発により、中断して平城京に戻りました。大仏建立は、平城京の真東山麓(現在の東大寺)で再開しましたが、聖武天皇自身が体調を崩しました。その病平癒を願って光明皇后が建立したのが、「新薬師寺」です』

20151004NaraS020s.jpg
よく写真で紹介される本堂(国宝)は、立派さや他を威圧するような存在感はなく、素朴な奈良時代の旧建築様式です。
中に入ると、本尊の薬師如来坐像(奈良時代・国宝)を中心に、十二神将像(奈良時代・国宝)が周りを取り囲み、実に素晴らしい。
20151004NaraS026s.jpg
足を伸ばした甲斐がありました。

予定外ですが、「山の辺の道」の案内板に載ってた「白毫寺」に向かいます。
9:35・到着。
緩やかな勾配で、東山を登り、1度勾配が急なとこで家内が降りたので一緒に歩きました。
時々坂から、若草山が見えました。
main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR