2/28・南河内史跡ツーリング7 道明寺天満宮

バイクに乗り、14:17「道明寺天満宮」
道明寺から回ってくる人が多い。
しかも細道なのに交通量が多い。

『菅原道真公ゆかりの神社で、古墳造営など土木技術に長じた土師氏の氏神と成立した。古くは土師神社と称し、菅原道真公・天穂日命・官公の叔母・覚寿尼を祭神としている。官公の遺品として銀層革帯(ベルト)や青白磁円硯など平安時代の美術工芸品が伝えられ、国宝指定されている。
広い境内には80種・800本の梅林があり、梅の名所として知られる。三ツ塚古墳周濠より出土した修羅の復元品がある』

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「わくわく南河内」と染め抜かれた幟が立つテントがある。
黄色のスタッフジャンパー着用のスタッフが、テントで受付をしている。
どうやら、朝からたくさん見かけたスタンプラリーのゴールのようです。
完歩者には記念品があるようだ。

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ベビーカステラなどのテキ屋が並んでいる。
仕切り屋とか暴力団の資金源とかいろいろ言われているが、僕はこの夜店や祭りでテキ屋が並ぶ光景が好きです。
「フウテンの虎さん」の世界。

大河ドラマ「真田丸」の拝み看板が立っている。
年末のクライマックスは、「道明寺決戦」だろう。
ここで後藤又兵衛・薄田隼人が討死した翌日、真田幸村も討死している。

神前結婚式の宣伝看板がある。
昨年末に次男が神前結婚式を挙げたが、素晴らしかった。
お嫁さんの綿帽子をかぶった姿が美しく、披露宴ではウェディングドレス姿でお父さんとバージンロードを歩くシーンも有った。
和洋折衷のメニューを自由に選択でき、神前結婚式も変わりました。

道真さんの代名詞・なで牛の像もあり、さざれ石もあった。
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檜皮葺の立派な拝殿だったが、お参りの方が大勢並んでいたのでパス。
梅が満開の季節だから、参拝者が多いのでしょう。

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宝物殿があったので入ってみる。
入館料・300円を巫女さんに渡す。
前述の国宝などが展示されていた。

「わかりやすい天神信仰・学問の神様・800円」「伊勢の神宮・ヤマトヒメノミコト御巡幸のすべて・1800円」を購入。
見本を立ち読みして、写真も多く読みやすいので、知ってることが多いのだろうが読んでみようと思う。
バラバラの知識に縦糸が通りそうです。

倭姫は、古代史のヒーロー・ヤマトタケルの叔母で、垂仁天皇の娘。天照大神の斉宮となり、三種の神器を持って大神を祀る地を探し歩いた。
各地の元伊勢を経て、伊勢神宮に祀った。
古代史のヒロインの一人。
ヤマトタケルが東征する時、素盞鳴尊がヤマタノオロチ退治した時に得た天叢雲の剣を授けた。
ヤマトタケルは焼津で周囲から火を放たれ危機に陥った時、その剣で身近な草を払い、こちらから迎え火して逆襲した。
以降、草薙の剣と呼ばれるようになる。

キリストと同年代を生きた11代・垂仁天皇は、アマテラスとスサノオ兄弟の誓約の時、スサノオがアマテラスの首飾りから産んだ男神・天穂日命の子孫で出雲族の怪力・野見宿禰を朝廷に呼び、怪力・當麻蹴速と相撲で勝負する。
野見宿禰が勝利し、當麻の領地を貰い受け、相撲の神となる。
垂仁天皇の后・日葉酢媛命の葬儀に際し、殉死の風習を改め埴輪を埋葬することを提案し、以降埴輪作り・古墳・埋葬の任につく。
その時職人として出雲より呼び寄せた同族が土師氏(地名として各地に残る鋳物師同様、職業を氏の名とした)と称し、菅原道真に続く。
古市古墳群の造営にも主体的に関わっていただろうから、ここから日々通っていたのでしょう。
僕のルーツを古代史・古事記日本書紀の世界まで遡る逸話なので、これに関係する謂れを読むとワクワクする。
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天満宮門前に、「土師窯跡」と説明文が彫られた石碑があった。
「お~、ここで古墳に副葬する埴輪を焼いたのかも」なんて、想像の翼を広げた。

ところで10000円札でお釣りをもらったのだが、800円+1800円=2600円は出来たが、10000円-2600円=7400円の計算に時間がかかりあやしかった。
女性は計算に弱いというが、小学生の計算問題ぐらい暗算で即答しようよ。
外国に出れば、マイナス計算に弱い方も多いけど、日本人なら・・・。
僕はどうも、小中学生の基礎学力の低い方が苦手です。
好き嫌いの多い・箸の持ち方が美しくない・鉛筆の持ち方が変・挨拶できない・・・100年の恋も一瞬で冷めてしまう。
美形の女子高校生・大学生のアルバイト巫女さんの感じがしたが、実に勿体無いよ。
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2/28・南河内史跡ツーリング6 道明寺

13:43、「古室山古墳」
円墳で斜面に梅が咲き誇っている・・・綺麗だな。
頂上に人が見えるので登ろうと歩き出すと、降ってきた女性に、「この近くに大きな古墳があるはずなんですけど知りませんか?」応神天皇陵を教えてあげた。
頂上に登ると周囲が見渡せ、円墳ではなく前方後円墳でした。
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10人ほど上がっており、下草が刈られた前方の方にも歩いていけるので、ピクニックのお弁当タイムに良さそう。

『出土した円筒埴輪の特徴から、仲津山古墳(仲姫命陵)や誉田御廟山古墳(応神天皇陵)より先行して築造されたと考えられ、古市古墳群の中では初期に築造された前方後円墳の1つに挙げられる』

13:56、「三ツ塚古墳」
「仲津山陵陪塚/宮内庁」の石柱が立っていたので、おまけ的な古墳のようです。
バイクに戻り前の交差点を見ると、「道明寺」と書かれていた。

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その看板に従って右折し、14:01「道明寺」
お寺というより、大坂夏の陣のハイライト「道明寺合戦」のあった地ということで、僕にとって特別な地です。
紅白の梅が咲いている。

『当寺は菅原道真公が信心込めて刻まれた国宝十一面観世音菩薩像をご本尊とする古義真言宗の尼寺です。聖徳太子がこの地に尼寺を建立されるに当たり、代々仏教文化導入に積極的であった土師という人が邸宅を寄進し、東西320m・南北640mという広大な境内に、五重塔・金堂など7伽藍の完成を見た。当寺の前身は「土師寺」で、菅原道真公が「道明寺」と呼び改めた。数多くの仏像・教典・美術工芸品・薬品などを宝蔵している。土師氏の後裔・菅原道真公が大宰府に下向される時、叔母を訪れて当寺に立ち寄った。戦国時代に入り焼失しましたが、信長・秀吉・徳川代々将軍の庇護によって復興成った。明治5年、神仏分離令によって堂宇一切を天満宮境内より移し、境内の拡張を経て、大正8年に本堂の落成を見た。建立以来1300年、法灯絶えることなく少ない尼寺として今日に至るは、皆様のご信心の賜物と存じます』

古墳群訪問を思い立ったのは、僕の先祖でもある土師氏の職能が、天皇家の陵墓造営や埋葬品である埴輪製作であったからです。
渡来系出雲族出身の土師氏の偉業を訪問することで、僕のルーツを感じたいと思っている。
最寄り駅は近鉄・道明寺だけど、そのお隣の駅が近鉄・土師ノ里。

古墳群の中に土師氏の名が残るこの地を訪問して、同じく先祖の菅原道真公と土師氏がまた結びついた。
道明寺が尼寺であること、土師氏が敷地を提供したこと、元は土師寺であり道真公が道明寺と変名したこと・・・個人的に素晴らしい発見でした。

境内に入ると、石造多宝塔とその前に立つ石碑が目についた。
石碑には横文字で謂れが書かれている。
日本語の謂れ板も立っている。
『昭和4年(1929)に、藤沢製薬初代社長・藤沢友吉が建てたものである。1914年、セルビアの青年が発した一発の銃弾から第1次世界大戦が始まった。5年に渡る長い戦いで多くの犠牲者を出し、ようやく平和が訪れた。この平和が長く続くことを祈願し、大正7年(1918)亡父の17回忌供養にあたって、道明寺本堂落成を記念し建てた。石碑の下には、大戦の激戦地・フランスベルダンの鮮血に染まった土が、同市長から寄贈され納められている。 /藤沢薬品工業』
石碑の刻まれた横文字は、ベルダン市長からの感謝の一文のようです。

本堂にお参りしました。
本堂前に香炉があり、お線香の香りが気持ちいい。
香炉鉢に菅原氏の梅八紋が彫られている。
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香炉を雨露から凌ぐ屋根の下にも、梅の彫刻。
更に屋根を支える四柱に、獅子の彫刻が入っている。

僕同様これに興味を持った男性が、同じように写真を撮っている。
あれやこれや自然にお喋りが始まった。
一期一会が、いいね。

道路を挟んで東側にそれらしい建物が見えるので、こちらが道明寺天満宮のようです。
長い塀が続き、入口がわからないので北から歩いてこられた方に、入口があったか聞いてみたが、北側にはないそうです。
でも地図を持っておられ、入口の場所を教えてもらった。
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この道は、「東高野街道」だった。

2/28・南河内史跡ツーリング5 仲哀陵・野中寺・応仁天皇陵

12:23、「仲哀陵」
フェンスを開け閉めし、濠沿いの道に入る。
広い濠だけど、渇水で底が見えている。
農業用水池のように、冬季は水を抜いて水のくさりやヘドロの除去をしているのかな?
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宮内庁藤井寺部事務所の脇に用船があり、ロープで陵に行けるようになっている。

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「仲哀天皇恵我長野西陵」
ここで、如何にも古墳ハンター・史跡ハンターと思われる年配の女性に会った。
激写している。
1人だけど、とても楽しそう。
僕は古墳ハンターではないけど、歴史遺産好きという点で、笑顔の気持ちがわかる。
お互いがそれを感じたのか、初対面にもかかわらず満面の笑みで会釈。

フェンスの外に出て、バイクの準備をしていると、先ほどの女性がフェンスの向こうを歩いてきて、また満面の笑み。
会話はなくても、何もない古墳を1人で激写している人は、極度の歴史好きに決まってるので、お仲間を感じる。
声を掛けちゃうと、きっと話が止まらなそう。

昼食にしましょう。
さっき見かけたミニストップに停め、店内を覗くとイートインスペースが有る。
12:34、ミニストップ藤井寺4丁目店。
手巻辛子明太子130円を買ってイートインへ。

気温が上がり、汗をかいているので、トイレに行ってタイツも脱ぎます。
セーター・ネルシャツも脱いで、冬用プロテクターバイク装束の下は、パンツ・半袖シャツ・丸首長袖シャツのみです。
おにぎりを食べ終わり、
12:43、スイートバニラワッフルコーン・172円を食べます。
2月なのにアイスで、クールダウンです。

12:57、「野中寺」
駐車場に入れると横に神社があります。
「野々上八幡神社」
隣接しているので、明治維新までは野中寺と神仏習合していたのでしょう。
野中寺の山門は仁王門になっていますが、大雑把な仁王様で、彫刻としてみたらあまりに残念な姿でした。

『当寺の創立は蘇我大臣といい、聖徳太子建立46院の1つ。正倉院文書によれば、当郷は百済系渡来氏族・船央後の船連の本貫であるから、その氏寺であったことが察せられる。創立年代は境内内出土瓦から、飛鳥時代である。旧伽藍跡の礎石配列は、対抗する東の金堂と西の塔婆を中心とするもので、その伽藍配置は野中寺様式と称すべき特徴がある』

『東面する塔婆と金堂が向き合っていた。一般的に塔が西にあり、金堂が東にある配列は法隆寺に類するが、法隆寺の場合、堂塔が向き合わず、塔も金堂も南面している。堂塔が向き合う形は川原寺に見られるが、野中寺の配置とは金堂と塔が逆である。このことから、野中寺は飛鳥期に多い四天王寺の配置方法より新しく、法隆寺より古い形態で、白鳳期の官寺に用いられた川原寺の変形配置が用いられたと考えられる』

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境内に石棺があり、ちょっとびっくり。
『ヒチンジョ池西古墳石棺 二上山で採れる凝灰岩を精巧に加工して、10個の石材を組み合わせて作られている。内法は、長さ2.4m・幅1.1m・高さ1m。中から銅製の釘、漆の膜、木の破片が見つかっているので、漆塗木棺が安置されていたものと考えられる。7世紀終わりか8世紀初め頃のものと思われる』

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地蔵大菩薩堂の中を覗く。
「お染久松の墓」がある。
近松門左衛門の「曽根崎心中」だったけ?曽根崎とはえらく遠いな?と思い帰宅後調べると、別の方の世話物作品でした。

13:13、「法泉禅寺」
「厄除子安観世音」の石柱も立っている。

13:17、「仁賢天皇陵」
13:25、「はざみ山古墳」

13:35、第15代「応神天皇陵」
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日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」に次ぐ第2位の巨大古墳です。
水濠も立派だし、中の古墳は背が高く里山に匹敵する見上げるほどの古墳でした。
さっき訪問したお父さんの仲哀天皇より、圧倒的に大きい。
因みにお母さんの神功皇后の陵墓は、奈良市街地北西にあり、やはり仲哀天皇より大きいと感じた。
年配の女性2人連れが2グループおり、さすが第2位ともなると古墳訪問観光客がいるものだ。
応神天皇が人気なのかな?
因みに、16代・仁徳天皇は応神天皇の息子です。

南河内歴史ツーリング 4/6

1/31・御香宮神社

御香水を飲んでみました。
普通の水です。
井戸水・川水を生活・飲料水に使っていた時代なので、飲んでも病気にならない「伏見の湧水」というだけで、ご神水になっちゃうのでしょうね。
「灘の宮水」同様、「良い湧水のあるところに造り酒屋あり」です。

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社殿の彫刻に色が入り、華やかです。
拝殿参道に屋根が掛かり、参拝のお客さんがたくさんおられます。
応神天皇を身ごもっていながらの三韓征伐の神話が残る主祭神が神功皇后故か、初宮参りと思われる一家が数組います。
本殿では、初宮神事が行われており、祝詞が聞こえます。
参道脇には写真館さんがカメラを設置し、簡易青空スタジオで営業中です。
赤ちゃんを抱いたお母さんが写真に収まっています。

僕ら夫婦も、息子たちが初宮参りした近所のお宮に、嫡孫君も初宮参りした時、満面の笑みで参列したが、皆さん笑みが絶えません。
子供は家族に幸せを運んで来るよね。

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お金回りの良い神社のようで、社殿がカラフルで美しい。
瀬戸内から京への交通の要衝・物流拠点の伏見の経済力を背景にした氏子さんが多そう。
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奉納神馬の木製白馬が馬小屋に入っていた。

本殿裏の摂社を巡っていると、「ほら見て、梅が咲いてる」と家内に言われ見ると、白と紅の梅が咲いていた。
春はすぐそこです。
我が家の朝に、ウグイスが鳴くのももうすぐ。
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絵馬殿を見学し車に戻り、駐車料金はいくらかな?と出口ゲートでチケットを入れると、無料でした。
1時間ぐらいは無料なのかも?

R24~毛利橋通~竹田街道で、黄桜酒造を目指したが、市街地過ぎて観光気分にならず、駐車場探しが面倒で伏見観光はパスすることにしました。
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「大手筋通」を西進し、新高瀬川を渡ったとこにある月桂冠酒造の感じのよい建物のみ激写。

阪神高速8号京都線の下を走る「油小路通」に出て南下し、「巨椋池IC」から京滋バイパスに乗り、名神~中国道を走り、豊中ICで下車し、13:24お早い帰宅になりました。

夕方から、映画DVD「蝉しぐれ」を観ました。
僕が一番好きな作家・藤沢周平の僕が一番好きな長編小説の映画化です。
黒土監督が小説を忠実に再現しており、この映画も気に入っています。
ホント素敵な映画です。
家内が「久しぶりに観た」と言うので、調べてみたら2005年ロードショーでした。
DVDで家内が観たのは初めてのようです。

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昨日の朝、家内が、「腰が痛いので貼ってくださいますか」と、シップを持って来た。
「ここね」と、パジャマのズボンを少し下ろし、上を肩甲骨の上まで上げ、僕に腰を見せます。
シップ貼りしながら、「綺麗な肌だなあ」と言い、腰のクビレのラインがセクシーなので、できるだけゆっくりと作業しました。
女性の曲線美も肌触りも素晴らしい。

確かに僕と大学の同級生だから同じ年令のはずなのに・・・。
しぐさも変わらず可愛く、今更ながら僕の幸運を感じます。
腰にシップを貼るだけなのに、至福の時間・・・
それが2日続いています。
あ~、明日もお呼びがかからないかなあ~

1/31・京都山科・醍醐寺~御香宮神社

「無量寿苑」という日本庭園を巡る。
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池に囲まれた「弁天堂」があった。
その池に面した「寿庵」という茶房で、小腹を満たそうかとメニューを見たら、うどん1500円という思いきりの良い観光地価格でパス。
リュックを背負った大きな一眼レフを下げた女子3人がおり、写真愛好会かな?と思ったら、中国語を喋っておられた。
一山越えた伏見稲荷には、山程中国人観光客が来ているが、こちらにも来られているのですね。
確かに、荘厳・お宝という面では、こちらの方がずっと上です。

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上醍醐に行こうとすると、ゲートが有りました。
外への一方回転式ゲートになっており、「再入場できません」となっています。
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「国宝・五重塔」は伽藍エリア内なので・・・Uターンし、五重塔を見学しに戻ります。
境内に「国際宇宙年記念植樹」と書かれた桜が植えられていました。

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この境内や伽藍エリア内の多くの若い桜の脇には、記念植樹の銘板が打たれています。
「平成24年・・君誕生記念」なんて書かれているものもあります。
今年でまだ3~4歳のお子さんですね。
僕は、我家の庭に、嫡孫誕生記念に三穂神社を勧請したけど、こういうのもいいですね。
植樹寄付金は如何ほどだろう。
大寺の瓦の吹替時に寄付して、自分の名が書かれた瓦が後世に残るものロマンがあるが、植樹のほうがよっぽど目立って、子孫がそれを見に来るのも楽しそう。
桜を境内に植えるときに寄付され、それが育って観光客が増えてまた参拝収入が増える。
ナイスなビジネスモデルです。

再び、上醍醐へのゲートまで来て、外に出ます。
「上醍醐登山には、入山料が必要です・・・大人600円。
入山料は、女人堂納経所にお納め下さい」
とにかく無料の女人堂まで行ってみようと歩み始めたら、目の前に見えていたのが女人堂でした。

道標を見ると、山頂まで2.6km・65分とある。
参拝ではなくて登山なんだ・・・すでに1時間以上ウロウロしているのに、往復で2時間。
点在する伽藍を訪ねたら3時間コースです・・・

山城探索で身を持って感じているが、登り30分が楽しく歩ける限界です。
それ以上は覚悟がいる。
「往復3時間か~」と思案していると、「みんなでハイキングで登ると楽しそうね」と家内が言い出し、パスに決定。
300円で半分までコースがあればいいのに・・・

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登山道を見ると、杖ボックスが置かれ、広めで緩やかな勾配の山道が山に向かっていました。
伽藍エリアには入れないので、その外の道を川沿いに下ります。
バイクや車が道脇に置かれています。
入山者がここまでエンジン付きで上がってきたのでしょう。
次回は我が家もこの作戦で。

伽藍エリア入口・西大門に戻ってくると、各伽藍で真言を唱えていたいた女性2人組さんが、出てきたところでした。
なんと中国語を喋っている・・・家内と顔を合わせ、びっくりポン。
三宝院から、10人ほどの雲水さんが出てきて、伽藍エリアに2列に並んで歩いて行かれます。
毎日のお勤めで、お経を上げに行くんだろうと思いました。

11:51、駐車場に戻り、駐車料金700円。
伏見に向かいましょう。
r36で「六地蔵」。
r7で伏見に向かいながら、観月橋で信号待ち。
ふと、以前気になったR24沿いのお宮に行ってみようと思い立ち、右折。
R24に乗ってすぐ、12:11「御香宮神社」の駐車場に入れます。

『神功皇后を主祭神に、夫の仲哀天皇・子の応神天皇他6神を祀る。万病に効く聖水が出たので、清和天皇より「御香宮」の名を賜った。秀吉は、伏見城の守護宮に指定し、家康も本殿を造営し寄進した。表門は伏見城の大手門を移築したものとされる。小堀遠州が伏見奉行になり、奉行所内に石庭を造り、ここを訪問した徳川家光が感嘆し、一気に5千石加増され大名の仲間入りした。その石庭を社務所裏側に再現されている。1868年の鳥羽伏見の戦いでは、薩摩郡の屯所になった』

醍醐寺ドライブ 2/2
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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