11/2・秋の叙勲

毎朝、起きるとすぐ新聞を読みながら朝食を取る家内から、秋の叙勲に僕の中学の時の社会の先生の名が載っていたと教えてもらった。
日本経済新聞をチェックすると、確かに先生が載っていた。

何故、家内が僕の中学の先生を知っているかというと、長男が中学受験する時、僕の母校もその候補だったので、学校説明会に参加しました。
その時の校長がこの先生で、「すごくかっこいい校長先生でね、とても良いお話をされたの。周りのお母さん方も皆さん素敵だと言ってたわ」と興奮気味に帰宅した。
「あ~八チャンか、3年間社会を教わったよ」と答えると、「え~あの先生に習ったの、羨ましい~」とノリノリだった。
僕が所属したサッカー部の顧問でもあったし、同じ市に住んでいたので、日曜日に教会でも会った。
とてもお世話になった先生です。

この先生は、僕が中学に入学した時、まだ若手の先生だった。
母校を卒業し、教職免許を取って母校に教師として帰ってきた。
中学3年間、同じ先生が持ち上がりだったので、ずっとお世話になった。
公立も同じなのかもしれないけど、息子たち2人は中高6年間持ち上がりだったので、私立はこういう学校が多いのだと思う。

この先生の授業は、小学校しか経験していない僕らには「とても変わっている」びっくりポンだった。
中1の1年間は、「アメリカ大統領・リンカーンの伝記」が教科書だった。
「学問は、学校で教えてもらわなくても、いくらでも独学で学べる。知識もいくらでも詰め込める。でも、その知恵をどう使うかが世の中にとって重大だ。同じ知識から、強力な兵器だってできるし、人類全体を幸福にすることもできる」
との考えのもと、黒人奴隷開放をした偉人の生き様を学んだ。
本来の中学社会過程は、あとの2年間で3年分を学んだ。

テストにもびっくりした。
社会のテストといえば、暗記物の「西暦何年にどんな出来事があったか?」や、「この出来事はどういうことか?」を問われるものですが、全く違って設問が1つ、真っ白な答案用紙に1行書かれているだけだった。
中1の1学期中間テストの「開始」の号令でテスト用紙をめくって、「なんだこれは~」「え~」という声が自然に教室内に起こった。

問題は覚えていないが、「・・年に・・という事件が起きたが、それが起こった社会的背景とその意義を述べよ」みたいな、数年後知ることになる大学のテスト問題そのものだった。
いい加減にも回答できるが、答案返却後の解説で、年号や人物名など基本的なポイントが正しく書かれていないと点数にならず、暗記物の要素も網羅されていた。
教科書的な社会的背景や意義を回答しても点数になるが、もっと高い点数になるのは、自分がその事件をどうとらえたかの独創性が述べられている時だった。
30点の奴もいれば、満点の100点をオーバーする奴もいた。
つまり、世間がどう言おうと、自分はどう考えるかの自分視点を持つ大切さが点数に反映されていた。

最初戸惑った社会科のテストだったが、3年間このテスト様式に親しみ、表現する力(国語力)も大いに鍛えられた。
大学付属校だったので、多くのクラスメイトが高校・大学と同じ進学し、70~80%の生徒が同じ大学に通ったが、高校でも大学でもトップクラスの成績を残したのは、中学からのクラスメイトだった。
これは、正解を探そうとするのではなく、この案件をどう考え、どうしていこうかという独創性を鍛えられたからだと思います。

つまり大学入試までの暗記型・知識詰め込み形・模範解答ありき型ではない、正解がどこにあるのかどうか現在進行形の問題をうまく解決していくにはどうすればいいかあなたの考えはどうですか?
という社会に出てから誰でも直面する問題を考える予行演習が出来た。
ETVで時々やってるMITなどの「考える授業」携帯に似ている。

まだ20代の若手先生が、こんな大胆な授業が出来る母校の自由さに、今でも感心している。
母校校長&市の教育委員会委員長在職中に、学校法人が女子中高の経営権を得た。
その学校の経営立て直しで、新しい系列中高の校長として転出された。
その財政的キーマン・事務局長に、僕のクラスメイトを銀行から引き抜き、教頭に僕の1学年上の秀才と名前が知れ渡っていたYさんをこれまた引き抜いて、一気に経営を立て直した。
転出1年目に、僕らの学年の有志(サッカー部員中心)が集まって、先生の激励会をした。

この先生は、中学入学後、ご実家の商売がうまく行かなくなり、家族離散の現実に直面された。
それで学費の安い公立中学に転校すべく、当時の校長先生に挨拶に伺った。
そこでご家庭の事情を聞いた校長は、なんとご自身の自宅にこの先生を住まわせ、授業料の面倒も見て、大学院まで進学させた。

こういう経験をお持ちの先生なので、とにかく熱い。
一度この学校に縁があった生徒が勉学を諦めることにないよう、辛い生徒には親身で接した。
系列校校長に転出される時の激励会で、「同窓会に顔を見せれる奴は恵まれている。家族の不幸や不可抗力などで経済的に辛い人生の奴もいる。そういう奴とも変わらず接することが出来るのが、クラスメイトだ。本人の資質ではなく、運不運だけの問題だ。身近に顔を見せていない奴がいないか?そういう奴にこそ声を掛けてやれ」と、挨拶された。

声はでかいし、人の道に反することをすると、とうとうと説教される。
でも、校則違反であるバス乗車で先生に車内で会っても、「寝坊したんか」と笑顔であった。
この接し方が素晴らしく、根が真面目な奴が揃っているので、二度とバスに乗らないし、噂が広がり伝説になっていった。
怒られた奴は山ほどいるけど、一番人気の先生だった。
おめでとう御座います。
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クリスマスイブ 7-2/7

結婚する時、「今までの思い出のプレゼントや写真・ラブレターも捨てたらあかんで。箱に入れて、嫁入り道具の1つとして持っておいで。それらで磨かれて、今があるんだから。僕も捨てずにいるから」と言いました。
お互いの「秘密の箱(僕はバッグ)」が我が家にあります。
その場所もお互い知ってるけど、僕は家内のそれを開けたことがありません。
家内も僕のバッグを開けていないような気がします。
どちらかが先に亡くなったら、遺品として見ることになりそう。

「マル優さん」が僕のお嫁さんになってくれたけど、よくモテるので、「電車で声を掛けられちゃった~」とか、職場に家内目当てに来る方もおられて、そんな話を聞く度、ちょっと誇らしい気持ちになります。
仕事関係の会合で、お酒が入った後手を握られて駅まで歩いたとか、なんだかんだありました。
僕は夫婦といえどそれぞれの人生なので、その程度のことにはむしろ笑っているので、家内も安心して何でも話してくれます。

でもストーカーまがいの怪しい人もいて、結婚してると言ってるのに、スーツに花束の格好で職場の外で家内を待ってる方もいました。
サンデー毎日なオヤジが、毎日家内を迎えに行ってた時期もありました。

取引先の若い営業マンにディナーを誘われたから、行ってもいいかと言ってきたこともありました。
家内を気に入っているらしく、時々プライベートのことを話して来る子だったそうです。
「行くな」なんて言わない性格なので、「行っといで、モテるなあ。遅くなるようなら迎えに行くから電話してね」とだけ言ってOKしました。
家内は聞き上手なので、僕同様一緒にいて居心地がいいのだと思う。
営業マン君も、家内を好きになっちゃったんだな。
ぐふふ・・・
それぐらいで取られちゃったら、僕はその程度だったということなので、僕はベソかいて追いかけたりしません。

学生時代の元カレさんが、同じゼミだったのでゼミ名簿から我が家に電話を掛けてきたこともありました。
塾を経営してたけど、大手塾に売却して東京でサラリーマン人生を始めるというので、懐かしくなったそうです。
なんで自分の奥さんじゃなくて、元カノやねんと思ったけど、家内が好きになった人だから変な人であるわけないので、「会ってきたたいいよ」と言いました。
その後、数度電話があり、毎回1時間ほど喋ったそうですが、会いには行きませんでした。
元カレさんも、家内の職場に来たそうです。

そんなこんなが、僕の子供の頃からの異性との関係です。
神様はうまい具合にカップルを作るようです。
毎年12月になると流れてくる「山下達郎・クリスマスイブ」を聞くと、いつも涙が溢れてきて、今の僕を作ってくれた女性達の顔が浮かんできます。
今年は、「クリスマスイブ」が主題歌になった映画を「マル優さん」と観ましたが、劇中で流れてきた「クリスマスイブ」にまた涙しちゃいました。

また彼女たちの顔が浮かび、その後横を向いて熱心に映画を見入ってる家内の顔をしばらく観ていました。
結婚と同時に始まったうちの両親との半同居を上手にこなし、天国に送ることが出来ました。
2人の息子を僕にプレゼントしてくれ、孫まで授かりました。
僕の今の幸せのすべては、家内のお陰です。
ありがとう・・・

大好きな異性がいるということが、僕の人生をとても豊かに実り多いものにしてくれています。
次男も、生涯の伴侶を得て、来月入籍します。
2人で素敵な家庭を育て、素晴らしい人生を送るでしょう。

クリスマス・エキスプレス

クリスマスイブ 7-1/7

「マル優さん」が参加したツアーに、公私混同してはスタッフに示しが付かないので、スタッフから外れ正規料金を払いお客さんとして参加しました。
でも、雪上運動会や夕食後のパーティーの司会などはしなかったけど、「マル優さん」参加の初心者講習の最終日は、僕が引率し志賀高原で一番オシャレな奥志賀高原スキー場に行きました。

「マル優さん」は箱入り娘さんで、お父さんの許可が出ず、修学旅行以外に外泊をしたことがありませんでした。
「外泊なんて、お父さんが許してくれないわ」と言うので、僕がスキーパンフレットを持って、「僕がやってるスキーツアーで、僕も参加するので安心です」と、お父さんを説き伏せ外泊許可を取りました。
2回目のスキーの時は、同じように僕が許可を取りに行きましたが、親から電話が入った時の対応をスタッフに言い含め、別のスキー場に2人だけで行っちゃいました。
「マル優さん」にとっては、大冒険だったと思います。

お父さんは、職業軍人として第二次世界大戦・中国戦線を転戦し、「・・(家内の苗字)部隊」として地元で有名だった隊長さんです。
シベリヤ抑留で帰国が遅れたので戦犯を回避しました。
地元の有名な部隊が帰還するのを新聞で知り、家内の母方おじいちゃんが娘を隊長に嫁がせました。
僕はお父さんの素性は、結婚後知りました。
背筋が伸びた眼光鋭い人だとは思ったけど、まさかこんな人だったとは・・・知っていればおっかなくて、こんな綱渡りはできなかったかもしれません。

大学卒業後、僕は東京に就職することになり、新大阪駅まで送りに来てくれました。
プラットホームで涙をポロポロ落とし始め、「東京には綺麗な人がいっぱいいるから、これで最後になってもいいよ」と言われました。
「そんなこと、する訳ないじゃない」と熱く抱擁し、僕は新幹線内の人になりました。
女性の涙は、最強です。

僕らの姿を撮っていたカメラマンがいました。
新大阪駅からの帰りに、家内は「番組にしていいですか?」と聞かれ、OKしました。
しょんぼりして電車で帰る姿も映され、「マル優」さんはインタビューされ、番組になっちゃいました。
美人はお得です。
新大阪駅での素敵なカップルの別れの姿がショートストーリーになり、シリーズ化されていたそうです。

僕の東京勤務時代、1ヶ月に1度、新幹線で僕が関西に帰るのと、「マル優」さんが東京に来るのを交互にしました。
会うのも別れるのも、東京駅か新大阪駅の新幹線のホームでした。
「帰ってくるあなたが、最高のプレゼント」、とても素敵な思い出です。

僕らが結婚した後、僕らが出演したショートストーリーがもっとおしゃれになり、「シンデレラエキスプレス」という番組になり、その延長線にあるJR東海・新幹線CM「クリスマスエキスプレス」になりました。

クリスマスイブ 6/7

彼女を何度も家まで送り、親御さん・ご兄弟、そして親戚回りドライブデートもして、結婚相手を彼女に決めました。
ヨット部で、ずいぶん上の先輩から、「社会に出たら、会社名や職業に惚れて、結婚するために体を張っていく女子がおるから、できたら学生時代に見つけとけ。ほんで、母親をよう見ろ。女の子は母親に似る。25年後の彼女の姿は母親や。母親を気に入ったらその結婚はうまく行く」と聞いていたので、しっかり見ました。

そして、大学卒業前にプロポーズしました。
美人で賢くて、小学生時代は健康優良児で・・・僕の理想のお嫁さんだったけど、1つだけ気になることがありました。
お婆さんが最後目が見えなかったことです。
彼女はコンタクトレンジ使用者で、少々乱視の入った近視です。
目が見えなくなった彼女を想像し、それでも好きでいられるか真剣に考えました。
結論はすぐに出ました。
「あのさあ、結婚して欲しいんやけど・・・」
「うん、いいよ。嬉しい」と、一発満額回答をもらいました。
サプライズプロポーズ

ここでプロポーズしとかなきゃ、絶対にすぐ他所にお嫁に行っちゃうと思いました。
大学卒業式より前に、僕の生まれたJR甲子園口近くのレストランの一室を借りきって、婚約発表パーティーをしました。
ヨット部の資金稼ぎでスキーツアーをやり、大学3回生の時友人3人でスキーツアー会社を立ち上げていたので、この手の催しを企画進行するのは得意です。

ヨット部オフシーズンの冬はスキーツアーで稼いでおり、雪山でのスキーコーチはかっこ良く見えるようで、バレンタインデーのチョコが会社のデスクに山のように届きました。
呼び出され告白されたことも数度ありましたが、僕はアグレッシブに獲得したい方なので、皆さんに「ごめんなさい」をしました。
「マル優さん」とお付き合いしてたし、二股とか無理な性格なので・・・。

高嶺の花・Bさんの家にも、「マル優さん」が手書きで作ってくれた招待状を持って行きました。
お母さんが出て来られ、なんだか気まずそうです。
僕が婚約したことを話し招待状を渡すと、いっぺんに顔が和らぎ、「実は娘も婚約し、お相手さんが今家に来てるの」と教えてくれました。
すぐにBさんカップルが出てきて、お互いを祝福しました。

お相手さんは、大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王筆頭の渡辺綱の末裔さんで、大阪で大きな病院を経営され、大阪の中心地にビルをいくつも持っておられます。
華やかで明るくさっぱりしたBさんには、こういう家がお似合いです。
「マル優さん」と僕の友人やカップルを呼び、婚約披露しました。

大学の卒業式後、Cさんと数時間一緒にいました。
1・2回生の2年間お付き合いし、3・4回生は同じゼミでしたが、これでお別れです。
2人で作った楽しかった思い出を振り返り、「じゃあ、元気でね」と別れました。

卒業1年後に、僕と「マル優さん」の親同士の婚約の儀式が終わり、Cさんの実家に電話をしました。
「娘は、卒業と同時に結婚をしました」って、お母さんはちょっと僕の電話に戸惑っていましたが、僕の結婚の報告だとわかるととても喜んでくれました。
その場で卒業アルバムを出してきて、「綺麗なお嬢さんじゃないの、幸せにね。娘にも伝えておくね」と祝福の言葉を頂きました。

僕は、卒業の時、Cさんから結婚のことは聞いていませんでした。
そして僕も「マル優さん」のことを話していませんでした。
お互い、気を遣ってたんだな・・・
素敵な子とお付き合いできた喜びが満ちてきました。

Bさんは、僕の婚約パーティーや学校のチャペルで挙げた結婚式に来てくれました。
Cさんは、結婚式場のアルバイトでエレクトーンを弾いていました。
「見に来て」と言われ、一度見に行ったことがあります。
僕の結婚式の時、エレクトーンの女性を見て、思い出しちゃいました。

Bさんから何度も念を押され、僕も彼女の結婚式が行われたチャペルに参列し祝福しました。
祭壇でのセレモニーを終え、バージンロードを旦那さんと戻ってくるBさんに拍手していると、Bさんは僕に手を振ってニコってしてくれました。
彼女はカトリックなので、僕のプロテスタントと違いゴージャスでした。

「マル優」さんを、僕がやってたスキーツアーに誘い、「志賀高原一の瀬&奥志賀高原」で初スキーを体験させました。
ヨット部は資金稼ぎ目的で、クリスマスとお正月にスキーツアーをしていました。
プロの旅行社と組んで、パンフレットを作成し、阪神間の女子大中心に正門でビラを配りました。
観光バス1台を満席にすると、20万儲かりました。

それでノウハウを得て、3回生の冬にヨット部以外の友人2人とともにスキーツアーの会社を立ち上げました。
プロの旅行社内に専用デスクを持ち、旅行社の事務女子社員1名が専用に張り付き、1冬で50台ぐらい出しました。
スキーツアー黎明期で、プロのライバル会社はおらず、僕ら同様学生の立ち上げた会社でした。
僕の中学からの同級生は、就職せずそれを本職にして中堅どころの旅行社になっています。
僕の立ち上げた会社も、僕は卒業と同時に抜けたけど、数年後天気予報をスポンサードしておりビックリしました。

クリスマスイブ 5/7

大学生活も後半戦に入る頃、学外の資格試験の講習である子に目が留まりました。
「あの子だ・・・」
学食で品評会に参加してくれてたあの子です。
髪は肩までに短くなってるけど、腰までストレートの髪を伸ばしていた「マル優さん」です。
顔は忘れません。

以前から知ってることは黙って、声を掛け一緒に昼食を食べました。
上品な食べ方で、肌が人形さんのように薄い肌色で、シミひとつない肌美人です。
僕はどうもお肌の綺麗な人に弱い。
睡眠時間も十分で、食生活もバランスが良いから肌が綺麗なんだきっと・・・。
髪の色も少しブラウンが入り、瞳も真っ黒じゃない。
当時はおしゃれ染めをする若い子は宝塚音楽学校の卒業生ぐらいで、目立ちました。
ハーフかクォーターさんだと思ってたのでそのことを聞くと、純日本人でした。
中高時代、何度か先生に毛染めを注意されたそうです。

雰囲気がホワ~ンとしてて、自分からしゃべる方じゃなく、僕のゆっくり喋りを口を挟まずゆったりと聞いてくれます。
門限が厳しく、夜遅くなるとかはダメだけど、僕の計画にお任せで乗ってくれます。
「何処行くの?」や「何するの?」の質問がなく、「何時にどこに行けばいい?」って待ち合わせ時間を聞くだけで、僕を100%信頼してくれる。
優しい環境で大事に育てられてるなを感じさせました。

彼女は、別の学部の同学年で、彼女の学部も女子比率が低く、彼女の英語クラスは女の子が3人だけです。
もっと髪の長い子が、僕の中高の同級生と付き合っており、最後の一人はヨット部のマネージャーでした。
僕はゆっくり喋る方だけど、途中で口を挟まずゆったり聞いてくれるのが居心地よく、いっぺんに仲が良くなりました。
駅までの帰り道の横断歩道を渡る直前で、信号が点滅になったので、「行ける」って叫んで、「マル優さん」の手を握って走っちゃいました。
渡り終えたら、すごく笑ってくれて、いっぺんに好きになっちゃいました。

外見も仕草も可愛い女性なんだけど、お茶お華の免状持ちだけあって、背筋をピンと伸ばして歩く姿が男らしい。
性格も男らしく、特定の女の子とグループを作っていつも行動するのは苦手で、1人で行動するのを好む。
サッパリしてて、過ぎ去ったことをいつまでも引きずらないかっこいい性格です。

僕はウジウジ系が嫌いで、一旦任せたのに、細かいことでアレはどうする?
こうした方がいいんじゃないの?
なんて言い出す仲良しグループは敵わん一匹屋な僕に合っています。

彼女も中学受験組で、小学校から歩んだ道が僕に似ています。
我が家より立派なお家のお嬢さんですが、親御さんの考え方がうちの親に似て学業優先です。
小学生時代はお婆ちゃんと一緒に住んでおり、いずれ親の面倒を見ないといけない長男の僕の家でもうまくやれそうです。
親に一度も叱られたことがないというとこにも、僕の理想の夫婦喧嘩・親子喧嘩のない家庭が作れそうだと思いました。

1ヶ月後ぐらいに、彼女を家まで送って行きました。
その時、「あのねえ、いいもの見せてあげようか」と誘導されたのが、なんと結婚式場でした。
駐車場に車を停め、「え、え~いきなり結婚式場・・・」っと思いながら、彼女に続いて3階まで吹き抜けのエントランスを入る。
彼女が指差す正面サイドの壁に、角隠しで和装した等身大の数倍に拡大された女性の写真が飾られている。
「ほら~」って言うのでよく見ると、モデルさんが彼女でした。

Ashley Tisdale - Kiss The Girl
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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