1/10・たま駅長

R42に出て、「堀止」を右折し、r13。
紀州徳川家は、和歌山城の守りをより強靭にし、外堀で町家をすべて囲む惣構にして城下町を拡大しようとした。
地形を見ると、北に紀の川、西に海、東に和歌川がある。
南に外堀つけ和歌川と海をつなげようとした。
ここに幕府からの疑心が入り、計画は頓挫した。
掘り進めていた堀を止めたところが「堀止」の地です。

r13を東進し、15:04「ESSO和歌山岡崎SS・森小手穂北沖田」で給油。
108円/Lで安かった。
正月に帰省した長男が、110円台の我が家周辺のGS価格を見て、東京は100円台だよと言っていた。
給油スタンドにコーヒーのお値段が書いてあり、?と思っていたら、「エクスプレスドトールコーヒー」というお店が併設されてい
た。

r13は、和歌山電鉄・貴志川線に沿うようになり、高架で線路を渡った時に、2両の「たまラッピング電車」がやってきた。
家内が「かわいい」と身を乗り出しています。
あと、「おもちゃ電車」と「いちご電車」が走っていますが、「たま電車」のラッピングが一番かわいいと思う。

r10に乗り換え、15:24「貴志駅」着。
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写真で知ってたけど、かわいい猫の駅舎です。
駅舎の屋根に耳と目があるよ。
誰のデザインだろう。
この駅を設計した方は、ナイスだね。

駅舎入口左右に門松が置いてある。
まずは、たま駅長さん二世を激写。
フラッシュはダメだそうです。
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予想より丸々と太り、布袋さん体型になってるでかい三毛猫でした。

すぐに到着した電車は、ラッピング無しの電車でちょっとがっかり。
降りてきたお客さんの半数以上は、たま駅長さん目当てのようで、中国の言葉も聞こえます。
こんな田舎にまで・・・すごい世界的な人気だな。
たま駅長の勤務体制表があり、毎週水木が連休のようです。
休日の具合で、休日出勤もあるのだろうな。

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いちご電車・おもちゃ電車・たま電車の運行表も掲示されています。
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「TAMA SHOP」に入ると、初代駅長のDVD、スナップ写真・本「日本一のローカル線をつくる たま駅長に学ぶ公共交通再生」・・・たまグッズがいっぱい。
「福宝パイプチバッグ・702円」(梅干し)をおみやげに購入。
たま駅長室丸見えの喫茶店もありました。
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駅舎全体が、「TAMA MUSEUM」だそうです。
あ~楽しかった。

帰路につきます。
r10を北上し、紀ノ川を渡りr63を北上します。
「泉南IC」から阪和道に乗り、「岸和田SA」で休憩します。
メロンパンの移動販売車が商売してるので、明日の昼食用に買うことにする。
でもトイレから出てくると、お客さんが並んでいたのでパスし、16:38一番人気と書かれていた「みかんパン・570円」を購入。

このSAには、弟のお嫁さんの実家が、なすの浅漬で他の業者さんと共同出店しています。
また買おうとお店に行くと、「あら・・さん」と声を掛けられた。
マスクをされていたのでわからなかったけど、お嫁さんのお姉さんでした。
実家は、お姉さん夫婦が切り盛りしています。

「買わずに持って帰って、私のがあるから」と、裏に引っ込まれました。
それは悪いので、このお店のラベルが付いた茄子浅漬470円・胡瓜浅漬350円を購入した。
でもおみやげの方が多かった、ぐふふ。
僕らがやり取りしている時に、賑やかしになったのかお客さんが集まってきて、買って行かれました。
忙しい時に邪魔してごめんなさい、ぐふふ。
「バニラソフト・140円」で、定番の帰路の糖分補給して、阪和道~近畿道~中国道で18:24帰宅。

たま駅長 6/6
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1/10・和歌浦天満宮

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500円で本殿見学できるようなので、左甚五郎の彫刻を観に行く。
落語「ねずみ」で有名な左甚五郎。
日光東照宮のように「眠り猫」が掘られているのかな?
巫女さんに案内されて2組・5人で説明を受けながら一周する。

撮影禁止なのが残念だけど、一刀彫の彫刻が多数使われていた。
15年毎に修復しているそうです。
狩野派の絵は、漆喰に直接描かれているので、ところどころ落ちている。
でも見事な保存具合です。
なお左甚五郎は、300年間に渡る作品が遺っているので、個人名ではなく、左甚五郎を襲名した一門名や工房名ではないかと、言われています。
素晴らしかった。

帰ろうと朱門を出ると、眼下に海に向かう景色が広がっていました。
ゆるい坂を下ります。
弁天宮がありましたが、乾燥した冬だからか堀の水が干上がって、弁天宮の建つ弁天島がイマイチな風景になっていました。
やはり弁天様は、水がなけりゃ。

駐車場に戻り、係の方に「天満宮」の場所と駐車場の有無を聞きます。
すぐ近くのようなので歩くことにする。

14:18、「和歌浦天満宮」。
鳥居の向こうに、石段がドーン。

『醍醐天皇延喜元年・901年、菅原道真公は筑前太宰府に左遷される。赴任の時、海上風波を避けこの和歌浦の地に立ち寄り、地元漁民たちがこれを迎え、体を休めました。
964年に参議・橘直幹が太宰府より帰京の途中、道真公の神霊を勧請した。当社は、古来より太宰府天満宮・北野天満宮とともに、日本三菅廟と言われている。
1619年、浅野家に代わり徳川頼宣公が紀伊に任じ、東照宮の創建地を当社の境内の一部に求めたのも、当社を地主神と定めて篤く崇拝したことによる』

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東照宮より更に急斜面な石段を、手すりを持ちながら登ると、瀟洒な檜皮葺の社殿が目に飛び込みました。
拝殿ではお祓い中で、神主さんの祝詞が聞こえる。
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絵馬・500円が綺麗だったので、また買ってしまった。

長男はおみくじ好きだけど、僕は絵馬好きです。
自宅に願い事を書いていない絵馬が、10ぐらいあると思う。
願い事ができる度、屋敷内祠に下げている。

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『和歌の浦は、聖武天皇・称徳天皇・桓武天皇を始め、藤原頼道・忠実・頼長などの多くの貴族、松尾芭蕉や夏目漱石などの文人に愛された古からの風光明媚な地です。かつては、「天橋立」「松島」と比肩するほど親しまれてきました。聖武天皇が、この地を陽が射した景観の美しさから、「弱浜」(わかのはま)を「明光浦」(あかのうら)と命名されました。景観の美しさに心奪われた賢者が和歌を詠み、和歌の聖地となりました。
1585年、紀州を平定した豊臣秀吉は、岡山の地に城を築くことになり、「岡山」に「和歌浦」を合成して、「和歌山城」とした。和歌山という地名は、この時始まった。関ヶ原合戦後藩主となった浅野幸長は、近代城下町を引き継ぐ一方、和歌浦に壮麗な天満宮を再建し、和歌浦が近世の城下町の鎮守地になっていた』

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ゆるい坂の方を下ると、14:35「祝祭日に国旗を挙げよう」のステッカーをリアボックスに貼ったスーパーカブがあった。
暴力団やそれから派生した右翼団体が、過激な街宣活動をして日本を貶めて、一般の日本人が自宅に国旗を掲げることをためらう風潮が出ている。
暴力団系の過激な右翼構成員は、暴力闘争する過激な左翼同様、在日朝鮮人の割合がとても高い。

国民が国旗に敬意を払うのは、世界中の国で当たり前。
戦後生まれの僕が子供の頃も、当たり前のように隣近所の家の門に日の丸が掲げられた。
我が家の近所でも国旗掲揚が絶滅し、ナショナルチームの子どもたちをヨットの国際レースに引率した経験から、遅ればせながら我が家は復活させたけど、一軒でも多く国旗を掲げる家が増えることを願っている。
連休を作るために、その日に意味がある祝日の日にちをコロコロ変えるのを、元に戻して欲しい。
何故その日が日本で大事にされて祝日に指定されているのか、わからなくなっちゃう。

和歌の浦天満宮 4/6

1/10・紀州東照宮

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天守閣の一番上の階に上がり、外の回廊に出て四方を見渡した。
眺めが良い。
城下を一望出来ます。
日本の主な城の写真がずらりと飾られており、松本城・上田城・丸亀城・・・訪問したことのないお城に行ってみたいな。

『埋門 城の石垣などの下方をあけて門にした形式。和歌山城では、天守閣の裏門が埋門である。御台所と呼ばれるこの場所から、水の手に通じる門として作られた。水の手には、黄金水と呼ばれる井戸がある。攻め立てられて籠城となると、水の確保が生命線となる。国宝に指定されていた天守閣は、和歌山大空襲で全焼し、埋門も外側の扉も焼けてしまったが、周りの石垣が残り、その姿を留める』

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NHK大河ドラマ・「徳川吉宗」で江戸城内セットとして使った襖が飾られていた。
セットとはいえ、竹と虎が見事です。
12:20、天守閣外に出ると、くの一は昼食中かおらず、忍者くんだけになっていた。
歩いて行くと、「写真撮りましょうか?」と・・・「じゃなくて、被写体になって」と家内とのツーショットをお願いする。
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忍者くんに「印」を習い、家内はニコニコとカメラに収まったが、「五郎丸選手の真似させられた」と笑っています。
そうじゃなくて、五郎丸選手が印を組んでるんだよね。
僕も小学生の時、忍者ブームがあり、木製の刀を背中に刺し、印を組んで遊んでいた。
あの頃、いろんな印の組み方を友だちから教えてもらった。
その印の意味も教えてもらったけど、みんな忘れちゃった。

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天守閣を下がり、内堀の内側を歩いていると、天守から見えていた斜めにかかった橋があった。
郭と郭を結ぶ堀を渡る橋ですが、郭の高さが違い斜度がある。
遮蔽物のない堀を渡るので、狙撃されないように屋根と壁で囲まれている。

「紅葉系庭園」を散策し、お茶室を見て内堀外周路に戻ると、成人式の帰りなのか振り袖の女性が2人、お母さんらしき方と歩いていた。
和服はいいね。
追廻門を出た時は、12:44。
2時間半もお城にいました。

昼食を食べる時間がなさそうなので、12:54、「ファミリーマート和歌山県庁正門前店」で、助六寿司420円・直巻焼き鮭120円・梅ゆかり結び110円を購入。
12:57県庁前モータープール・10:13~12:57・600円。

車に乗り、13:05、お城の東側にある「和歌山親愛女子・中高等学校」。
中学生の姪が通う学校です。
r15を南下し、徳川家の日本庭園「水軒公園・養翠園」に行こうと思ったけど、城内の日本庭園で満足だったのでパスし、13:30・「紀州東照宮」。
1時間駐車料金300円。

『東照宮は、紀州初代藩主・徳川頼宣公が1620~21年に景勝の地・和歌の浦を望む山麓を選んで造営させたものです。当初は徳川家康公を祀ったものでしたが、後頼宣公も合わせ祀られた。屋根は檜皮葺で、本殿拝殿の周囲には縁をつけ、高欄を巡らしている。柱や縁は漆喰で、内外部とも極彩色を施している。欄間には獣形や鳥魚類・草花などの彫刻を施し、蟇股や木鼻にも精巧な意匠を尽くしている。天井は全て漆塗の折上小組格天井で。飾金具が施されている。江戸時代初期の権現造り社殿の代表である』

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石畳参道を歩くと、途中に踊り場が2ヶ所ある108段の石段がドーンと。
あわわ・・・。
緩やかの方もあるけど、家内が登っていきます。
仕方なく登り始め、家内のカバンを持って一緒に登ります。
急な階段なので、万一こけたら大惨事なので、手すりも持って。
日光東照宮には遠く及びませんが、綺麗な拝殿が見えてきます。

『南海道総鎮護として、1621年創建。和歌浦一の権現様とうたわれ、当国随一の名勝。関西日光の名に相応しく左甚五郎の彫刻や狩野・土佐両派の絵画などに荘厳された極彩色に輝く社殿は、桃山時代の豪華な風格を示す江戸初期の建築物として国の重要文化財指定されている。
ご鎮座式には、勅使下向、慈眼大師・天海大僧正が初代別当になり、以来400年の歴史と伝統は、「権現様」と親しまれている。東照大権現は、薬師瑠璃光如来の神号で、所願一切成就・治病厄除・開運の信仰深い』
神仏習合した神様はいいね。

紀州東照宮 4/6 

1/10・和歌山城

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『砲台跡 この場所は、かつての由良要塞の1つ・深山第一砲台の跡です。28cm榴弾砲の砲台が6門編成で置かれていました。砲台は2門ごとに仕切られ、トンネル通路でつながっていました。現在砲台はありませんが、トンネル通路や弾薬庫などが残っています。
当時の砲台の写真 28cm榴弾砲。曲射弾道で、艦船の甲板を射撃する大砲。着弾すると榴弾がはじけ飛び、広い範囲にダメージを与える。砲弾の落下速度の増加も考慮し、高い山頂や丘陵に設営される』

車に戻り、和歌山城に向かう。
r65~r7~R26で紀の川を渡り、和歌山城横に来ました。
駐車場が満車で並ぶと、係員さんが「満車です。周辺に民間駐車場があります」と、その地図を配ってくれました。
県庁前の24H・1000円の駐車場に入れます。

トコトコ歩き、10:13・Victory和歌山県庁前店で「ビクトリーボックス・620円」を買います。
サンドイッチのお店で、いちごとクリームを挟んだサンドがあったので、それが入ったミックスサンドで、お腹を満たしましょう。
朝がパンだと、早くお腹が減ってしまいます。

10:22、「追廻門」から城内へ。
入ると賑やかで、消防出初め式イベントをやっているようです。
にわか観客に変身し、消防車両パレードを楽しんでから、城の見学に向かいました。
10:38、刻印のある石垣前庭園のベンチに腰掛けて、サンドイッチを食べます。

40種以上・2110個の刻印石垣が発見されているようで、浅野家が城主だった時代・1600~1619年に浅野家の家臣が主家の城普請に協力した印にしたものだそうです。
石垣が整いすぎず、江戸時代築城の石垣より趣があります。

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動物園がありました。
五月山動物園のように小さなものですが、無料だし、これで十分な気がします。
演出が凝った高額入場料の動物園・水族館・遊園地流行りですが、子供には人が少なくのんびり出来、こっちの方がいいんじゃないかな。
高額巨大施設が出来、各地にあった小型施設が淘汰されちゃいました。
我が子を子育てした時代が、小型施設の最後でした。
入場料は、大人1000円ちょっと・子供半額で、動物園が楽しめ、乗り物は1回100円・200円でした。
昼前から夕方まで、家族で楽しみました。
ミニチュアホースとポニーが可愛く、「これぐらいだったら飼えるね」なんてとんでもないことを家内が言っていた。
確かに可愛いけど・・・。

動物園の外では、水堀を使って、消防放水が披露されていた。
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続いて消防音楽隊の演奏が始まり、それらに浮気しながら、やっと本丸前に着いたのが11:35。
忍者とくノ一装束がおり、帰りに写真を写すことにして、入場料410円を払う。
下を見ると、先ほどの忍者(学生バイト風)が、観光客の写真を撮っている。
「あれっ、あなたはお客さんと来城記念ショットに収まる方じゃないの?」

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『天正13年・1585年、豊臣秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて岡山(虎伏山)の峰に普請したのが和歌山城。縄張り名手・藤堂高虎が最初に手がけた本格的近代城郭です。
1600年・関ヶ原合戦後、浅野幸長が37.6万石で領主になり、1619年徳川家康の十男・頼宣が55.5万石で入国し、御三家紀州藩が成立する。紀州徳川家は、「南海の鎮」として西日本を監視し、8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した』

吉宗と共に、紀州から幕府将軍家側用人に登ったのが、田沼意次。
僕の母の実家は、その本家・田沼藩の家老職の家柄でした。

お城の外観はいい感じにくたびれており、雰囲気がいい。
米軍空襲で消失するまで国宝天守閣を持った日本有数の城であったが、戦後のコンクリート再建された。
にも関わらず、大阪城よりずっと雰囲気が良い。
天守内は展示室になっており、甲冑など多くの目を引く物が展示されていた。
短銃や火縄銃まであった。
和歌山(旧雑賀)は、鉄砲製造・傭兵集団で有名な地なので、火縄銃などはまだ民家に眠っているのかも?

紀州徳川家の家系が書かれていた。
初代は家康の十男ですが、紀州藩5代吉宗が徳川8代将軍に転出し、その後最後の将軍・14代慶喜まで、ずっと将軍家を吉宗
の血が継いでいた。
意識しなかったけど、徳川宗家の屋台骨を支えたのが徳川紀州藩だったようです。

和歌山城 3/6

1/10・加太砲台跡

「えべっさん」の日です。
西宮戎神社の福男レースも気になりますが、家内とデートです。
前日、家内の姉夫婦との山歩きを提案しましたがNo、自転車やバイクは寒い時期なので選択肢から外れ、和歌山にドライブすることになっています。
加太砲台~和歌山城~姪の中学校~徳川さんの庭園~和歌山天満宮~紀伊東照宮~たま駅長というコースを考えました。
6時出発・15時帰宅ぐらいかな?と漠然と思っているのですが、如何なりますことやら。

4時に目が覚め、しばらくゴソゴソ。
5:30になったので、トーストを朝食にして着替えます。
家内も楽しそうに着替えており、「用意出来たら出発」というアバウトな予定ですが、「暗黙の了解・6時出発」できそうだと思っていたら、6:30出発になりました。

R171~中央縦貫道~豊中ICから中国道に乗ります。
千里の新しい水族館が気になります。
大きなクレーンが立ち、巨大観覧車が建造中でした。
近畿道に乗り、阪和道へ。

7:28、「岸和田SA」でトイレ休憩。
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トイレに、「日本のライダー達へ もっとマナーアップ、私達ならできるはず・・・」という啓蒙ポスターが貼ってありました。
ごく一部の爆音バイクをなんとかして欲しいぞ。
真夜中にふと目を覚ますと、遠くの国道を走るバイク音バイクの音が聞こえる時があります。
多くの方の安眠を妨害しているという自覚を持って欲しい。
「周りの車に自分の存在をわかってもらうためにあえて音を大きくしている」という意見を聞くと、「その分、ゆっくり走ればいいだけじゃない」と反論したくなる。
静かなのに越したことはないと思うのだけど・・・

阪南ICで下りて、海岸線を加太に向かおうと思っていたけど、GPS地図に載ってる阪南ICには、下車レーンがありませんでした。
2kmほどしか離れていない泉南ICと共に、ハーフインターチェンジで、南行き・北行きどちらか一方にしか下車レーン・乗車レーンがなく、いつも間違える。

仕方なく和歌山北ICで下車し、r139~r7~r65で、「休暇村・紀州加太」。
ここで枝道に入り、宿泊施設に向かって登ります。
宿泊施設まで上がりましたが、砲台の案内板を見つけられませんでした。
枝道の途中の大きくカーブ・小さな駐車場があったとこが怪しかったので、そこまで下るとビンゴでした。

8:36、ここにあった砲台跡を含む遊歩道地図に従って砲台に向かいます。
太平洋戦争時に整備されたのであろう軍用道路が広めの歩道に衣替えされ、レンガ敷の静かな道になっています。
擁壁の石積みは太平洋戦争当時のものと思われる。

8:44、レンガ積みが見事に残る砲台跡が見えてきました。
ここの分岐を上がり、8:47・見晴台。
海岸に下る急斜面には水仙が咲いています。
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眼下の加太瀬戸を隔て、友ヶ島が見え、淡路島もクリアに見えます。
瀬戸を挟んだ潮目に遊漁船がたくさん出ています。
連休中日なので、釣り人が多いのでしょう。
遠くに淡路島の由良が見え、家内のお父さんと2人で遊漁船を仕立て、友ヶ島周辺で船釣をしたことを思い出します。
初めて鯛を釣りました。

『由良要塞の歴史 由良は、古くから瀬戸内海に入る交通上の要衝で、中世から軍事的な意味で大阪湾の守りでした。要塞は、淡路島の由良・和歌山県友ヶ島・加太の3つに分かれ、大阪湾に入る軍艦を迎え撃つため、合計17箇所の砲台が置かれました。ここ深山第一砲台は、明治25年に着工され、32年に由良要塞に編入されてから、昭和20年の終戦まで使用されました』

地図に、他の砲台も載っており、そちらを先に見学しようと海岸に向けて下りましたが、それらしきものがなく、海岸まで下りてしまいそうなので、また100m登ることを考え、諦めて戻りました。

9:19、深山第一砲台。
海峡が直接見えない少し下がった位置に台座があったであろう円があります。
砲弾が直線的に飛ぶのではなく、放物線を描く榴弾砲が設置されていたようです。
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その横の地下に、当時は砲弾が隠されていたであろう格納庫がありました。
懐中電灯がないと見えませんが、この情報を事前に持っていたので、今朝玄関のLED懐中電灯を持ってきました。
僕らに餌をねだろうとやってきた三毛猫が足元にまとわりつくこともあり、家内は一見したあと、「ちょっと怖い」と階段を上がっちゃいました。

加太砲台 1/6
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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