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9/3・アメリカ3連休/フィラデルフィア大リーグ観戦&ニューヨークUSオープンテニス

長男のお嫁さんが、「家族グループLINE」に投稿してくれました。
久しぶりの3連休だったそうです。
アメリカは、日本のようなハッピーマンデー(振替休日)はありません。
かつての日本のように祝日が飛び石になります。

アメリカは、日本より祝日が少ないです。
全部で年間10日。
因みに日本は17日です。
その他にアメリカでは、クリスマス~元日、子供はイースター休暇。
日本は年末年始休暇・GW・お盆・シルバーウィーク。
アメリカは祝日が少ないけど、ヨーロッパ文化の長期休暇を取ります。

9/3は、「Labor Day」(労働祭)という祝日で、日本の勤労感謝の日に当たるのでしょう。
初日はフィラデルフィアで野球観戦し、2日目はフィラデルフィアの科学博物館、3日目はテニスのUS OPENを観戦したそうです。

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錦織圭と大坂なおみの4回戦をスタンドで応援し、両方共勝利しました。
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りょうくんと長男は、 wow wowの中継に映ったようです。
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昨年も、長男とりょうくんはゴルフの全米女子オープンを観戦し、日本の地上波ゴルフ中継番組に映りました。
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引退するので全米オープン最後の出場になる宮里藍選手に、握手してもらいました。

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単身赴任期間だった一昨年夏は、「イチロー日米通算3000本安打」達成を見に行こうとヤンキースタジアムに応援に行き、TV朝日「報道ステーション」のスポーツニュースに映りました。
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やりたがり屋&目立ちがり屋の彼は、狙っています。
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こんな性格なので、親は彼の子供時代、大いに楽しませてもらいました。
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何にでも立候補するので、リーダーばかりやっており、失敗も多かったけど凹凸の激しい対象者は見ていて面白いです。

メジャーリーグ観戦の写真では、長男・お嫁さん・りょうくんが、色違いのフィリーズ応援キャップを被っていました。
去年私達夫婦が連れて行ったもらった時、りょうくん用に2つ目のキャップを買っていました。
今回3つ目を買ったのでしょう。
次の応援の時は、こうちゃんも被っていそう。

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航ちゃんが写っている写真の半分は変顔でした。
マイブームのようです。
この子は、おどけて面白いので、人に好かれそうです。

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テニスのUSオープンは、お嫁さんのお父さんが観に行きたいと言っていたゲームで、その期間に渡米すると言っておられました。
でも、ルーカスくんの出産が6月にあったので、それに合わせ前倒ししてご夫婦で渡米し、1ヶ月もアメリカでサポートして下さいました。
感謝!
お父さんは、写真喜んだだろうな。

写真を見ると、錦織と大坂さんのゲームは、4回戦なのに意外に空いています。
対戦相手を含め、アメリカ人プレイヤーでないからでしょうか。
大坂さんのお父さんはアメリカ人なので、戸籍的には二重国籍のはずですが・・・

りょうくんとこうちゃんの被る「USオープン」キャップ姿がカッコいい。
大成くんのよだれかけのキャッチコピーが、「The Ladies Love Me!」で笑っちゃいました。
将来、女子にモテモテになりますように・・・。
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9/2・瀬田/八坂神社~YH

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バイクに戻り、再びJR東海道線をくぐり、R1に出て少し東進し、6:56「八坂神社」。

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『祭神:素盞嗚尊 境内社:多賀大社・稲荷大社・竜王神社・山之神社・開発祖社(開発六人衆) 神紋:祇園木瓜 例大祭:5月3日
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月輪は延宝年間に京都在住の六人衆(長野宗兵衛、長野治右衛門、清水平兵衛、長野助右衛門、清水興兵衛、辻吉兵衛)が膳所藩より大萱地先の土地の払い下げを受け、延賓4年(1678)田・畑・屋敷合計33町4反8畝9分(約33.1ha)の新田開発を完了させて、戸数51戸で大萱山内新田村として発足しました。その折氏神は開発者が京都出身者であったので、月輪より西の方角の天神ノ森に、京都祇園社より午頭天王を分身として社を建て氏神として祀りました。
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京都の祇園社は古くは神仏習合の思想によって中の座の祭神は午頭天皇またの名は武塔天神とされていましたが、明治元年神仏分離に際して祇園社(または祇園感神院とも称す)は八坂神社と改められ、御祭神も中御座の御祭神は素蓋鴫尊とされました。
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明治9年(1876)、当神社も素盞嗚尊を御祭神に八坂神社として村社に列せられました。又この時に稲荷社に他の神々を合祀して境内社としてお祀りしています。
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昭和27年(1952)2月29日神社本庁より、宗教法人・八坂神社として承認されて以降、宮司や責任役員を備え、月輪・栗林両自治会の全ての会員が氏子として加わり、氏子総代を選出して八坂神社年間行事をもとに盛大にお祀りしています』

8時出艇予定なのでここでタイムアップ、バイクに戻りYHに向かいます。
7:30にYH着しましたが、部員の自転車やバイクが1台もない。
「おかしいな」と思いながら、桟橋に行ってバイク装束を脱ぎます。
助六寿司を出して朝食。
「本日の風の具合はどうかな?」と思いながらのんびりしていると、部員がやってきてレース艇の艤装を始めました。

女子マネージャーがやってきて、レギュラーチームに帯同して福岡や江ノ島・東京若洲に行っていた時の話をしてくれました。
レースには出ないけど、他大学から「マネージャーが3人も来てるの」と部員が羨ましがられたり、少人数での遠征なので仲がより密になり楽しかった事など、嬉しそうに話してくれました。
ひょっとすると、この遠征がきっかけで生涯の伴侶を得たかもね。
僕はラブストーリー好きなので、時々部員にその手の話を振ります。

選手のところに向かい、2回目の公式戦に臨む1回生選手中心に声を掛け、リラックスさせるように心がけます。
先週土曜日に強風に翻弄され涙した女子Tさんが、翌日日曜日に2位フィニッシュしたことを大いに褒めます。
失いかけた自信を10倍にして取り戻せたでしょう。
成績が容赦なく数字で出るレースなので、自分への自信が最重要です。

3回生次期主将がやってきて、「9時第1レースではなく、10時第1レースのままでした。すいません」。
土曜日、数レース出来たから、その日の最初のレーススタート時間を前倒ししなかったのでしょう。
そんなのよくあることで平気です。

全日本に出場して、今週から部に復帰した選手たちとあ~だこ~だ。
8:30になり、時刻合わせ・柔軟体操。
連絡事項・ブリーフィング。
下級生には、「積極的にレースに臨むこと」。
そして「ヨットレースを楽しむこと」を伝えました。

陸で風待ちになりました。
富山大の子達がいたので話しかけました。
部員数を聞くと、1回生が20人も入部してくれたようです。
2週間後のインカレ団体戦予選に向けて、こちらにレース艇を持ってきて合宿しているそうです。
やる気満々です。
富山はレースに来るだけの部でしたが、これから強くなりそう。

1回生女子マネージャーが1人乗るので、彼女のレスキュー運転練習をします。
桟橋から離れる時と、桟橋に着ける時が難しいので、それを繰り返します。

そしてレース艇出艇。
レース海面で帆走練習していると、本部船・レースコミティーボートが出てきました。
S級がそれを見ながらも、遠くに帆走練習しに行くので、コーチボートで追いかけホイッスル吹いて、本部船にバックさせます。
風なんて水物で、何時なくなるかわかりません。
本日の第1レース予定時刻は過ぎているので、何時スタートマニューバリングが始まるかわかりません。
スタートエリアから離れないようにするのがレースの鉄則です。

15時まで、順調にレースが消化されました。
東寄りの風予報でしたが、北寄りの風2~4m/sでした。
Sクラス3回生がトップ引いたり、3人のSクラススキッパー艇が競うように上位フィニッシュします。
S級優勝は、全日本帰りの当方4回生N/Aコンビでした。
若洲でインカレ個人選手権開催中なので、両クラストップ6がいません。
一般全日本地区予選5位で6位以内に入り、一般全日本に行けたのに、学生だけのインカレ個人戦予選では7位で出場権を得られませんでした。
実力派地区トップクラスなので、横綱相撲ですね。
470の方もD社の「何故行けなかったの?」選手が勝ちました。

交代で乗って行く1回生部員に、レース展開を見ながらレースの鉄則・勝ち方をレクチャーします。
レースの勝ち方をわかっている艇は、僕の予想通りのレース展開をするので面白い。
少しでも、参考になったかな?

全レースが終了しそうな頃、東の草津方面に大雨になりました。
海からもそうですが、水の上は障害物がないので空がとても広いです。
琵琶湖周囲の陸地の上空が広くクリアに見えるので、天気の変化がすぐ分かります。
草津市街地のビルが全く見えないぐらいの夕立です。
「あの雨雲が、来なければ良いがな~」。

北風なので東から雲が流れて来ることはありませんが、雷雲から豪雨が落ちてくる時は雨とともに風もダウンバーストして、雨雲を中心に四方に広がるので、いつ風向が変わってもおかしくないです。
フィニッシュする頃は風が落ち、フィニッシュしたS級艇をコーチボートに次々につなぎ曳航を始めます。

西にあるYHに向かって走っていると、草津の雨雲が湖面に出てきました。
注視していると、だんだん近づいてきます。
東風を感じた所で、ドライバーマネージャーに、「風速が急に上がるかもしれないので、曳航を外します。
風上に船首を向けて」と指示すると、元の北風の風向に船首を向けようとするので、「東に向けて」と指示します。
こういうのは慣れが必要なので、わからないのは仕方ないです。

「急激なブローが入るかもしれないので曳航終了。全艇急いでロープを外せ」とレース艇に伝えます。
選手は心得たもので、ササッと外され、全艇がブローに乗ってガンガン走り出しました。

「豪雨になるかもしれないよ」と言うと、コーチボート上の1回生マネさんがカッパ着て完全武装になりました。
何とか雨の前にハーバーバックでき、僕はバイクに乗って合宿所に引き上げます。
雨に降られずセーフ。

合宿所2Fに上がると、女子マネさん達がラダーケースを新調していました。
鮮やかなブルーのキルティング・クロスをカットし縫い合わせています。
今年進水した新艇2艇を加えた6艇のレース艇用のラダーケースです。
それぞれの艇体ナンバーをカットしたクロスをそれに縫い合わせ、とても格好いい。
女子部屋が開いており、ミシンで別のマネージャーが快調に縫っていました。
「コーチボートに乗るマネージャーが少ないな」と思っていたら、こんな作業をしていたんだ・・・

「インカレ壮行会でサプライズ・プレゼントするんです。内緒ですよ」と念を押されました。
女の子にこんな事されたら、僕なんてイチコロです。
僕は口が軽いから、念押しがなければ喋っちゃうね。
窓の外では雨が降っています。
合宿所前に戻ってきた1・2回生の乗るレース艇が3艇。
選手たちが濡れながら改装しているのに、マネさんたちは平気で作業中です。
選手が上がってくる音がしたら、体を張って見られないようにするそうです。

大部屋に広げていた作業を、少しずつ女子部屋に移動させています。
お喋りしながらその作業を見ていると、突然扉が開き、マネさん達が「ワーワー」。
すぐに目を塞がれ、部屋に入るのを阻止されました。
2回生選手F君が上がってきたようです。
大部屋にある自分の荷物から必要な物を取りに来たようです。
Fくんはマネさんに阻止されているから、必要な物を伝え、マネさんが探して渡しました。
やがて全て女子部屋に撤退し、選手たちがバラバラと戻ってきました。

ミーティング開始。
2週間後は、インカレ団体戦予選です。
ここで3位以内に入らなければ、4回生は引退です。
3・4回生の主力メンバーの半分はいないけど、1・2回生の出来ることを精一杯やるよう僕の4回生の時の経験談を交えながら話します。

クラブは楽しくなければ・・・大いに楽しまなければ・・・と思いますが、クラブに入ることで「どんな楽しみが得られるか」や「自分にどんな得があるか」という受け身・自分本位ではなく、「クラブ全体のために自分が何が出来るか・どんな貢献ができるか」もクラブに入る大切な要素です。
自由に入部・退部できる小さな組織であるクラブだからこそ、自分の働きでクラブの居心地が良くなり、体育会のような組織なら成績という数字評価も出る。
家庭であれ、親戚の間であれ、学校・会社・同業組合・町内会・地域、そして国・・・TVには、「国は・・してくれない」などと外部に対して文句をいう方もいるが、多くの日本人はたとえ自分が家を失った被災者と言う立場でも、「・・してくれてありがたい」とインタビューに答え、「・・改善のために、私は・・ができる」と行動している。
教育勅語の文言にあるように、自分が組織を良くしていくんだという自負を持った大人になって欲しい。
そんな意味を含んだ言葉を皆に伝えたつもりです。

楽しい夕食になりました。
僕の4人テーブルには、4・3・2回生+1回生女子マネさんが1人ずつ座りました。
毎回のようにメンバーが変わり、決まった席などないので楽しい話の輪が広がります。
食べ終わった後も話し、全員掃除予定時間少し前に帰路に着きました。

バイク装束を着て、止んだ雨に濡れたシートを拭き、湖西道路~名神で、19:37「桂川PA」で定番の「バニラソフト140円」で糖分補給。
吹田ICで下車し、中央縦貫~R171で8:30帰宅。
家内はまだ起きていました。
「雨に降られた?」「降ったけど、ギリギリ濡れなかった」。
風呂に入り、アロエヨーグルトとプレーン・ヨーグルト400g持って2F自室に上がり就寝。
楽しい1日が終わりました。


9/2・瀬田/近江国庁跡~御霊神社~若松神社~萱野神社

土日は、コーチしてる大学ヨット部のレース日です。
1週間前は「近畿北陸ブロック内新人戦」でしたが、今度はハーバー内ショップ主催レースです。
賞品レースのようです。
1週間前、2人乗りレースに初参加した大学からヨットを始めた部員の1人が、1つのレースで2位を取りました。
コーチングした土曜日、風が強すぎてひっくり返り、レース中に僕の指示で同じ1回生男の子に交代してコーチボートに上がってきた女子部員Tさんが、自分の不甲斐なさに涙していました。
そのTさんが翌日2位を取ったのです。
2回生女子部員Oさんと同じように、軽風ではセンス良くスピード良く走れるようです。
将来有望です。

1・2回生のみしか出場資格がないレースであっても、未経験者がヨット歴4ヶ月で5位以内は奇跡に近いです。
他大学にはスポーツセレクションで、高校時代国体やインターハイで活躍した選手が何人もいます。
「雨のち快晴」で、きっと「私にも出来る」と大きな自信を持ったでしょう。
1回生内で最高成績を叩き出しました。
拍手して、褒めてあげなきゃ。
握手してもらおうかな・・・

10時第1レース・8時出艇ということなので、早朝ツーリングしましょう。
3:30に目覚め、天気予報をチェックしました。
琵琶湖南湖の風は、E~SE・4m/sで新人には丁度良い風です。
風向Eは風が安定しないので、まぐれで5位以内でフィニッシュする1回生が出るかもしれません。
12~15時が小雨かもしれませんが、朝は大丈夫そうで早朝ツーリングには支障ありません。

「里山VTR250」のチェーンにオイル差してメンテしたので、雨でバイクが濡れるだろうからこれで行きます。
ラッシュガード上下+バイク用メッシュプロテクター上下で出発。
4:31近所のローソンで、朝昼食用に「助六寿司399円」購入。
R171~中央環状線で東進。
4:45「中環豊中エッソSS」で給油。
166km/4.18L=39.7km/L。

吹田ICから名神に乗り、大山崎JCTから「京滋バイパス」に乗り換え、「石山IC」下車。
ここまで1週間前と同じです。
R422に出て、瀬田川沿いを北上します。
右折してr16・「瀬田の唐橋」で瀬田川を左岸へ。
枝道に入り、近江一の宮「建部大社」鎮守の森を左に見て、5:34「桧山神社」。
謂れ板がなかったので詳細はわかりませんが、近江一の宮「建部大社」に隣接している小丘にある摂社でしょう。

20180902SetaS0021s.jpg5:47「近江国庁跡」。
『史跡・近江国庁跡・「木製外装基壇」遺構 国庁の東側の区域には、築地塀で囲まれた区画があり、その中の中心的な建物が、この場所に建てられていました。発掘調査で確認された建物基壇の痕跡から推定すると、東西23.9m、南北13.3mの範囲に土を積み上げ、その周りに板を立て並べて建物の基壇を築くという、全国的にも類例の少ない工法が用いられています。この「木製外装基壇」の上に、瓦葺きの大型建物が建でられていたようです』

律令制の上国「近江国」の国庁遺跡だけあって、広く国有地化され歴史を時代に伝えています。
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築地塀跡が復元され、土塀も復元されていました。

『国庁は律令という中国の法律制度にならって、天皇を中心とする統一国家を作ろうとしたところに、全国68ヶ国にそれぞれ設置された役所で、近江国庁は奈良時代前半(1300年前)に置かれ、平安時代後半(800年前)まで存続した。
ここでは都から派遣された国司(現在の知事のような役職)を中心として、徴税・裁判・軍事など今でいう県庁・警察署・裁判所・税務署として近江国の統治と都との連絡にあたっていました。
国庁は、前殿・後殿と東西の脇殿という建物を中心に、門や築地などからなり、東西2町(約216m)・南北3町(約324m)の区画をいいます。また、その外側には9町(約972m)四方の広がりをもつ規格化された街路が広がっています。これを国府と言い、役所の所在する市街地にあたるものです。
近江国庁は日本で初めて、古代の地方政治の中心地である国庁の全容が明らかになった遺跡です』

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6:04「御霊神社」。
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『祭神 本殿:弘文天皇(大友皇子命)・相殿:住野大明神・権殿:白髭大明神 境内社:野上神社(国常立尊)・稲荷神社(天龍大明神)
当神社は近江神宮の御祭神である38代天智天皇の御子・大友皇子を主祭神とする由緒あるお宮です。大友皇子は幼少の頃より文武両道に優れ前途を期待されたが、壬申の乱(672年)のため戦死、戦後貴臣・地元の人々が皇子のご遺徳を敬慕し霊を慰めた。彦坐王命野第4世にあたる治田連の子孫が、大友皇子の神霊を祭祀したのが創祀。
古くは御霊ヶ原小字荘山に鎮座されていたが、元和2年(1682)の秋暴風雨のため倒壊し、その後小字七の社の地に遷されたが明和5年(1768)古来からの御旅所住野神社(現在地)に移遷され以来、当地の氏神として崇められている』

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6:20「若松神社」。
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地域のお社だろうと訪問しましたが、境内は清掃が行き届き、社殿も立派です。
由緒が知りたくて謂れ板を探すが見つからない。
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とぐろを巻いた蛇の石像の下に、この縁起が書いてあった。

『白蛇の縁起 今から約950年前、瀬田に江ノ侍従という貧しいけれど心の優しい信仰心の深い女官が住んでいた。
ある夜、嵐が起こり夜中に目を覚ますと、外に神々しい気高い女性が雨に濡れて立っていた。気の毒に思い招き入れ、一夜の宿を貸すと嵐はたちまち止んだ。
その女性が申すには、「私は貴女の好意に感謝し、必ず貴女などを守り子孫7代の幸運を授けましょう。その証は夜が明ければわかります」と言って、たちまち6寸の白蛇となった。夜が明けると庭に1本の若松が生えており、侍従はその白蛇の霊を崇め社殿を建立、以来若松宇賀大明神として祭祀している』

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『祭神:若松大明神(経津主神) 創立:第30代・欽明天皇の御代に勧請 祭日:5月5日神輿渡御 今から1000年ほど前に瀬田に江侍従という貧しいけれど心だての優しい信仰心の深い女官が住んでいた。ある夜大嵐が起こり、夜中に目を覚ますと、雨戸の外に神々しいまでに気高い女性が、子供らに傘さしかけ雨に濡れて立っていた。気の毒に思い招き入れ、一夜の宿を貸されると嵐はたちまちに止
んだ。
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その女性が申されるには、「私の住居は西北にあるが貴女の行為に感謝し、貴女の父を守り子孫を7代の末まで幸福と富貴を授けましょう。その証は夜が明けたら分かります」と言って6寸の白蛇となった。
夜が明けると庭に緑滴る若松が生えているので、侍従は身を清めて鄭重に拝まれ信仰されると、その父や子孫は次第に栄え、自分も立派な女性歌人として天下に知られるようになりました。
またこれより先、宝亀8年琵琶湖の水が涸れて、国民が喝に苦しんだ時、斎王命が当時の天皇の夢に現れ、満珠を授けて降雨予告し翌年春大雨が降り五穀が穣したので、勅命を降ろして斎王命のために社殿を造営せられた。
若松神社は、かかる尊い由緒により幸福の白蛇の御霊と斎王命をお祀りしてあるので、昔から開運・厄除・商売繁盛・家内安全の守護神としての信仰が厚く、12年に1度の巳年には年間を通じて祈願者が多く、また正月や5月の例祭には遠方より参拝者が絶えない。毎年若松神社で祈祷を受け、また神社から授与している勧請縄・お札・お守りなどを受けると大変ご利益を授かると言われているのも、この尊い神社様の固いお誓いによるものでありましょう』

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R1に出て少し東進し、r26で東海道線をくぐり、6:37「萱野神社」。
『祭神:第9代・開化天皇 創立:第21代・雄略天皇6年 社号:萱野神社・旧社号:九帝王宮 祭礼:5月5日 社歴:当社は彦坐王命の第4世に当る治田連が淡海の国造としてこの地に居住し、専ら粟田一円の墾田拓地の事に当り土地の開発と人民の生息の基を開き、治田一族の遠祖となる開化天皇の神霊をこの里の守護神として仰ぎ奉った。その後祭神・開化天皇・彦坐王命(開化天皇皇子)・観松姫命(開化天皇皇女)・武豊葦判別命(開化天皇皇子)・大筒城真若王子命(彦坐王命皇女)の5柱を祀った。社号も古来「九帝王宮」または「九帝王神社」と称せられたが、明治2年「萱野神社」と改称された。
ご紋所・亀は古来長寿の象徴と称せられる目出度い動物であり万年の齢を経たりという。亀卜といって宮廷で重要な行事であった。和銅8年天下旱魃にて作物成長せず、農民皆雨乞祈願をした。その時、里の山中の洞穴より霊亀這い出して大雨沛然と降り作物は蘇生した。この亀は左目白く首赤く背三に分れ、七星の紋ありという、亀のいでたる処を大亀川、又は老上川、現在は狼川という。
当神社は古来より広域に亘る氏子を始め各時代の武将及び代々の膳所城主の崇敬も篤く、境内地一町四方と高五石五反歩の寄進があった。境内地は壱町四方のうっそうとした森林の神域であったが明治21年国鉄東海道本線の設置により境内地を二分に斜断されて参道も半分となり社殿その他の建物を移築した。さらに昭和44年に国鉄復々線の増設と瀬田駅の新設に伴ない末社及び神輿庫などを移築したので益々狭い境内地となり対面の森林も駅前広場となって全く昔の面影を失ってしまった』

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『祖霊社 祭神:南大萱開拓祖霊神 例祭:5月5日・御輿渡御の斎行 日本民族は生活習慣に於いて祖先を敬い・偲ぶことが最も大切としてまいりました。祖霊祀は、元来神道信仰の根本要素であり、この信仰なくして日本人の精神生活が成り立たないと思われます。神道では、人は現代身を隠した後の御霊は鎮守の杜に帰るとされています。
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南大萱を開村されたご先祖は、琵琶湖の畔を定住の地としてより、代々開拓を成し今の繁栄の基を築かれました。その祖先のご恩に感謝し御霊を鎮め祀る社です』

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境内には、「市杵島姫神社」「西浦神社」「天満神社」などの摂社が祀られ、立派な神馬像が空を飛躍する姿を見せていた。
神馬の腹に彫られた神紋は、なんと亀。実に珍しい。初めて見ました。謂れ板に記されていた旱魃を救った亀の故事に因んだ神紋のようです。9代・開化天皇の第3皇子「彦坐王」が臣籍降下し、淡海連としてこの地に住み着き開拓した。
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「御霊神社」の謂れにも記されていたように、壬申の乱で破れた天智天皇皇子・大友皇子を祀る神社を建てたり、絶大な地力を長くこの地に保っていたことが伺えた。地元開拓者の先祖を祀る神社であるので、生活者としての視線が目立つ神社で好ましい。


8/31・すみれちゃん

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次男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。
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みれちゃんの保育園も、最近手書きの連絡帳からアプリになったようで、毎日保育レポートを写真付きで見られるようになり喜んでいます。
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大きめの乳母車に数人乗り、お散歩する姿は、我が子の時を思い出します。
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最初の集団生活を、楽しんでいるようです。
人は1人では生きていけないので、人付き合いはとても大事です。
変に迎合する必要はないけど、人並みに対応出来るよういろいろ学んで欲しいです。

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少し前の地元盆踊りの写真も送ってくれました。
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かき氷を1人で食べられるようになったようです。

8/30・2年間のプリスクール最終日

長男のお嫁さんからLINEが入りました。
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とうとう、りょうくん5才が2年通ったプリスクールで最後の日でした。
長男も早めに会社を出て、家族総出でお迎えに行ったそうです。
長男も僕同様、自分の仕事スケジュールを調整し、子供の行事にはできるだけ参加します。
ただそこにいるだけで、親の応援を感じ良い子に育ちます。

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りょうくんは先生やお友達とお別れのハグをしました。
りょうくんは、東京に住んでいる時、3年保育の幼稚園に通うべく、親子面談などの試験をパスし、合格通知を得て意気揚々園の正門で記念写真も撮っていました。
ところが通い出す4月、長男がアメリカ転勤になりました。

年明けに海外赴任の打診が会社からあり、「行くかもしれん。せっかくりょうくんの幼稚園が決まったのに・・・」と連絡もらいましたが、「行くに決まっている」と聞きながら確信していました。
子供の頃から「やりたがり屋さん」で何にでも手を挙げて立候補するタイプだったので、アメリカという未知の世界に行けるチャンスを逃すはずがないと思いました。
世間からの打診は、「この人なら出来るだろう」と自分の脳力のちょっと上です。
「Yes」と答え、何とかそれが出来るよう努力することが、次のステージに上るコツです。
自分より世間様の方が、自分の脳力・潜在性を冷静に判断しているものです。

僕は、毎月のように1~2週間単位で主に米欧出張していたので、日本にいる意味があるのか・・・と近々の海外勤務必須と予想していました。
入社して国内を飛び回って実績を上げた後、海外を飛び回るようになりました。
会社を代表し、日本人ゼロの学会などに行きだした最初の頃は、「2週間も英語の世界にいると、日本語が恋しいねん。仕事が終わったら真っ先に現地のJALカウンターに行き、日本語を話すねん」と笑っていました。

2人目の子・こうちゃんが4月に出産したので、長男だけ8月まで単身赴任していました。
広い家を確保したのに1人でした。
でも家族がいない分気楽なので、南米マチュピチュなど家族では行きにくい治安不安定な観光地を巡っていました。

そして8月に日本出張に引っ掛けて新潟のお嫁さん実家まで迎えに行き、家族を連れてアメリカに戻りました。
その9月からりょうくんはこのプリスクールにお世話になりました。
落ち着いた環境で、設備の整ったスクールで、僕らが訪問して感じたのは、先生の学位が写真入りで廊下に張り出されており、皆さん修士持ちでアメリカの幼稚園の先生の社会的地位の高さを感じました。
幼児教育の大切さへの関心が国として高いなと思いました。

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2年間スクールバッグとして使ったのは、次男夫婦が贈ったリュックでした。
ちゃんと最終日でバッグを背負うりょうくんの姿の写真いりで「ありがとうメッセージ」もあり、お嫁さんの気遣いを感じました。
こういうところは男はダメで、長男など思いつくはずがありません。
素晴らしいお嫁さんです。
自分の家族はもちろん、次男一家もうまくまとめてくれそうです。

9月からは、AM私立幼稚園で、そこにスクールバスが迎えにきてPM公立幼稚園、スクールバスで家の前まで帰って来る生活になるそうです。
アメリカの幼稚園は、1年だけ義務教育です。
2年間私立幼稚園に通いましたが、年長さんは公立小学校併設幼稚園に転校して通うことになります。
日本語教育が心配なので、土曜日に日本語学校に通い、サッカースクールにも通っています。
ピアノとかやらないのかな?

僕も家内もピアノを習っていました。
僕は学校の転校で、小2で辞めちゃったけど、家内は中学まで習っていました。
長男・次男も近所の先生に習い、ネクタイ・ジャケット着てピアノ発表会にも出ました。
僕は好きで残念ながら辞めちゃったけど、長男・次男は先生が厳しく怒るので辞めちゃいました。
女の先生に、「上達が遅くても良いですから、ピアノで遊ばせる感覚でお願いします」と何度か言ったのですが、「宿題してこない」と厳しくされたので、子供たちはストライキを起こしました。
僕は、「好きになることが、長い目で見て上達の道」と思っているのだけど・・・
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