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4/2・亀岡・南丹市/寺社・林道ツーリング3



R162を更に北上し、r443に入りました。
峠に差し掛かると、また雨が落ちてきました。
峠を下りr78に突き当たり左折。
道なりにr19。

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12:34「多治神社」。
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『由来:神社誌によれば、奈良時代前期の慶雲年間(702~7)に天智天皇・第3王子・田原左大臣により創祀された。神階:正一位 延喜式内社(国史所載)祭神:大山昨命・天太玉命
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文化財:本殿(京都府登録文化財) 本殿はこれまで4度建て替えられており、現在の本殿は江戸時代の宝暦5年(1775)、播州の宮大工室田仁左衛門の手による建築様式は二間社流造りで、この種のものでは丹波地区で最大級である。
御輿2基(日吉町文化財) 江戸時代後期の弘化2年(1845)、氏子の寄進で京の大工・吉野家甚之丞の手により製作された(費用45両)。
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民俗芸能「田原の御田」(国重要無形民俗文化財) 鎌倉時代後期の徳治2年(1306)、豊作祈願の奉納神事として始まる。毎年5月3日祭典執行後奉納される。
民俗芸能「カッコスリ」(京都府無形民俗文化財) 室町時代初期の応永21年(1414)、豊作感謝の奉納神事として始まる。毎年10月15日までの近い土曜日の宵宮祭直後と翌日の例祭直後、および神輿渡御の間2回奉納される』

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走ることの多いr19沿いの古社なので何度も立ち寄った神社ですが、何度見ても良い感じの凝った彫刻が素晴らしい。
r19を走り出します。
田原川に沿う気持ちよく走れる府道で、ここらは雨が降った形跡がありません。
交通量の少ない川沿いを左右にバイクを振りながら南下し、桂川に突き当たり、桂川沿いを走ります。

左折しr25を走っていると、「京都帝釈天」の案内板があったので、登り口までバイクで探索しました。
r25に戻り、右折してr408に乗り、13:19「舩井神社」。

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「腕森社かいなもりしゃ」という摂社がありました。
『腕森社には、「前九年の役」で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任の腕を祀っている。奥の五輪塔は「腕(かいな)守」と呼ばれ、貞任の腕が埋まっている。
貞任の魂が、自分の体を取り戻そうとすると、青い尾を引いた人魂(ひとだま)が東の方へ飛んでいく。腕の痛みに効くとされ、昔は農作業で腕を痛めた人が、よくお参りに来ていた。源氏の勢力が強かった旧船井郡内には怨霊鎮魂を目的としたいくつかの貞任の身体を祀る場所がある。
丹波の山並みを縫うようにして、ゆったり流れる桂川。その中流辺り、京都市右京区京北から南丹市八木町にかけて、桂川の流れに沿うように、はるか奥州の地の豪族・阿部貞任(あべのさだとう・1019~1062)にまつわる伝説が残っている。
平安時代後期、朝廷は自分たちから独立した勢力を持っていた奥州の豪族・安倍氏の征伐を源頼義らに命じた。11年間に及ぶ戦い「前九年の役」(1051~1062)の末、一族の長だった安倍貞任は「厨川(くりやがわ)の戦い」で戦死し、安倍氏は滅亡した。
貞任の亡骸は朝廷に送られ、都の陰陽師の進言により「東西南北に川のある地」である「有頭(うつ)の地」(現・京都市右京区京北下宇津)に埋められた。しかし翌朝、日の出とともに貞任は生き返り、たたりを成した。そこで体を二分・三分としたが、やはり生き返る。最後は体を7つに分けて埋め、下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやくたたりは静まった。
亡骸を7つに切ったところが「切畑」、首を埋めたのが「貞任峠」。他にも両肩と胴体は「高谷」、腰と両足は「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋めた「両手谷」など、下宇津周辺には貞任伝説にまつわる地名が残っている。中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は、歯痛封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めている。
下宇津から桂川を下ること20km、南丹市八木町にはここ舩井神社のほかにも、頭を埋めた「久留守(くるす)神社」(同市刑部)は頭痛に効く、などの伝承が有る』

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『創立立と沿革
神功皇后の三韓征伐の時、住吉明神に守護を祈られたところ、住吉明神が現れて御船を守護し、海路つつがなく航海出来た上、三韓征伐も成功したので、凱旋後、神功皇后はこの地に住吉明神(舩井神社)に祀った。(『和名抄』)とある。
ここより北西500mの地、二十町堰道近くに「オコノモリ」と称える塚ある。
「滅居の社」「太古の森」とも書く。ここは曾て大樹が繁り、舩井神社前身の住吉神社が鎮座していたと伝えられている。
舩井神社の「船井」の名称は、大堰川を用材を積んで京へと下る船の停泊地であるという「船居」に由来する。(「舩井神社・・・・凡船舶之所謂之船居」『大日本史神祇志』)旧郡名の「船井郡」も、この神社に由来すると言われている。
大堰川の清流近く舟運の守り神として祀られるとともに、船枝村・清谷村・室橋村・美津村・畑中村・諸木村・野条村の産土神でもあった。大堰川の氾濫により、丈武天皇の御宇、慶雲2年(705)に此の地「鹿野森」へ遷宮と伝える。仁和3年(880)大地震のため、社殿崩壊し、安和2年(970)社殿を営殿す。その後、崇徳天皇の御宇、保安元年(1120)丹波国司三条宰相藤原家保卿、南都より春日4座の神を勧請してこの社に合祀される。
この頃、200町歩もの田地や山林を所有し、境内も広大なもので、崇敬者は3000余戸あったという。寛政6年(1794)に拝殿再建される。本殿は天保3年(1832)に焼失、天保6年(1835)に再建されたものである。平成17年(2005)、遷座1300年祭典を斎行する。
境内の大杉や大公孫樹に悠久の時の流れを、総欅造り・一間社流造の千鳥破風付き、向拝に唐破風を設けた、立派な彫刻で飾られている神殿や拝殿に奉納されている左甚五郎作の金網に覆われた絵馬をはじめ多くの絵馬等に、古米新庄の郷の産土神としての敬神崇祖の篤い思いの歴史を感じさせられる。
式内社(延喜式神名帳-927年-に記載されている神社)、旧郷社祭神と御神徳
本殿:住吉神(底筒之男・中筒之男・表筒之男)、春日神(式甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神) 神徳・・・航海安全、陸上交通・航空安全、旅行安全、五穀豊穣、殖産興業、学業成就、試験合格、芸能上達、武道・競技・政治必勝成就、出世開運招福、厄除け、災難除け、縁結び、安産、夫婦和合、延命長寿、諸願成就
摂社:天満宮(菅原道真)・・・雷神、農業の守護神、学問・書道の神。 稲荷社(宇迦之御魂大神)・・・五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達、心願成就。 伊邪那岐神・伊邪那美社・・・人類の起源神、創造神、延命長寿、縁結び、夫婦和合、安産、子育て、産業繁栄、商売繁盛、出世開運、豊作・大漁、無病息災、病気平癒。 若宮社(天押雲根命)・・・水徳の神、万民の安楽。 八幡社(誉田別尊)・・・国家鎮護、殖産興業、家運隆昌、成功勝利、教育、交通安全、悪病災難除け、諸願成就
遥拝所:伊勢神宮(内宮・外宮) 天照大神(太陽神・皇祖神)・・・日本の総氏神、あらゆる神徳を発揮する万能神、何事にも打ち勝つ勇気や生きる力(精神的エネルギー)を授与。 豊受大神(食物神・穀霊神)・・・農業・漁業・衣食住の産業の守護、五穀豊穣、開運招福、災難厄除け。
神域
参道:鳥居前200m余の桜並木道となっている。染井吉野や幾種の八重桜の樹の下にはツツジが植えられていて4月から5月にかけて、参拝者の目を楽しませてくれる。かつてはこの参道で流鏑馬や早駆けが行われたのであろう。「馬場」という地名が残っている。
樹木:境内には、神木の大杉・大公孫樹・大柾・大槙・古梅・榊・棒・楠・木科・百日紅・楓・山茶花・多羅葉・御玉木・椿・皐・ツツジ・南天等多種の木々がある。
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左甚五郎作:「金網に覆われた馬の絵馬」拝殿奥右上の奉納絵馬・・・この馬は夜毎に絵馬から抜け出し、近くの池に水を飲みに行っていたが、首に鈴をつけていたので、この音がやかましくて村の人が困ったそうだ。そこで、みんなで相談して、馬が抜け出さないように彫刻に網をはることにした。それからは、馬が夜中に水を飲みに出ることがなくなったので、鈴の音もやみ、静かになったそうだ。
左甚五郎:江戸初期に活躍したとされる伝説的な彫刻の名人。日光東照宮の「眠り猫」、京都知恩院の「忘れ傘」等の作品や逸話で知られる。落語(「竹の水仙」、「ねずみ」)や講談にもなっている。左甚五郎作と伝えられる作品は各地にある』

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『奉祝 天皇陛下 御即位30年 奉祝記帳』の記帳ノートがあったので、喜んで記帳させて頂いた。
今年で「平成」が終わります。
長い間ご苦労さまです。
日本は天皇陛下が古より中央に芯のように続いているからこそ、国民融和されている良い国です。
有り難いな。

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絵馬殿には、多くの古い絵馬が沢山下がっていました。
拝殿には、謂れ板に書かれていた金網に覆われた左甚五郎作の馬の彫刻が下がっていた。
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蟇股や木鼻・脇障子には細かな彫刻が施されていました。
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4/2・亀岡・南丹市/寺社・林道ツーリング2

r363は、雨に濡れており、道路を覆う木々からも雨粒が落ちてくるコンディションでしたが、崩落箇所などはなく通常通り集落まで降りてこれました。
そのまま走り、R162に出て南下しました。
地図にある沢道を走ってみようと、止まって入口を確認していると、散歩しているおじさんがやってきて、「どこいくの?」「こんにちは、それを決めようと思って」。
「美山が良いよ。周山街道が良いよ」とか「今朝は雪が3cm積もったよ」とか教えて下さいました。


「余野川沿い林道」に入っていきます。
前方にダンプが現れ、やがて現場に入っていきました。
新しい林道を作っているのかな?

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9:49「京都グローリーチャーチ」というのがあり、激写タイム。

峠を越え、良い感じの急勾配で下りました。
全舗装されており、ナイスな林道でした。

R162に突き当たり、南下開始。
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左折してr31に入り、10:34「道風神社」。
「道風神社」の名を地図で見つけ、小野道風に関係あるのかな?と思ってやって来ましたが、なんと「小野道風之廟」と彫られた石柱が立っていて驚きました。
こんな所にお墓が・・・。

以前、琵琶湖の湖西「小野」地区に、「小野妹子」の古墳を見に行ったことがありました。
古墳の側に「小野道風神社」がありました。
小野地区は、平安貴族・小野氏の本拠地です。

僕は「小野氏」が結構好きです。
絶世の美女・小野小町を輩出したこともありますが、権力のメインストリートではありませんが、歴史のバイプレイヤーとして重要な人物を出しています。

小野道風は、小野妹子の子孫で、小野篁の孫です。
小野篁は、数度の失敗後遣唐使派遣を断って左遷されたり、隠岐の島に島流しされたり、晩年は夜間、閻魔大王の手下として働いていると言われた魅力的な人物です。

小野道風は、小野好古の弟でもあります。
好古は、平安時代関八州で独立した平将門の乱とほぼ同時期に、伊予を本拠地に瀬戸内海海賊を率い、あわや平安朝廷が京から逃げ出す寸前まで追い詰めた藤原純友の乱を鎮めた平定軍主将です。
好古の名は、日露戦争で騎馬隊将として勝利に大貢献した秋山好古に継がれました。
秋山好古の名を授けたお父さんに、学問の素養を感じます。

小野道風は、藤原佐理・藤原行成と共に「三蹟」呼ばれた書家として有名です。
また、お菓子の体型を創造したことで「匠守」の称号を賜り、その功績者に「匠」「司」の称号を授与することを勅許されていた人物です。
現在お菓子の認定制度はありませんが、現在でも御菓子処に「・・匠」や「・・司」の屋号が使われているのが名残として残っています。

小野妹子古墳、小野篁隠岐の島流刑地・閻魔大王に会うために通った地獄の入口、小野妹子生誕地・晩年居住地など巡った小野氏好きの僕にとって、小野道風廟の文字に小躍りしながら神社訪問しました。

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『小野道風(894~966)を祭神とする神社で、道風武大明神(どうふうたけのだいみょうじん)ともいい、延喜20年(920)の創建とされる。書道の歴史は古いが、道風公は書道の巨擘(きょはく)、能筆家でことに草書は堪能であった。藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)とともに、平安中期の三蹟(さんせき)の1人として有名である。村上・朱雀両天皇の大嘗会(だいじょうえ)に悠紀主基(ゆきすき)屏風の色紙形を清書したのをはじめ、願文(がんもん)や門額の揮毫(きごう)など、当代随一の能書として目覚ましい活躍を遂げた。
豊麗で柔軟な筆法は、「源氏物語」の「絵合(えあわせ)」に「今めかしう」と評されるように、独自の新様式を加味したものであった。後続の佐理・行成を経て完成された、いわゆる和洋の書の基礎を築いた功績は大きい。道風公が杉坂、産土神和香社(うぶすながみわこうしゃ)から湧き出る霊水で墨を磨って書の修行をし栄達した。その縁により氏神に斎い祀られた。
遺品には唐鏡・硯(すずり)・唐筆・硯屏(けんびょう)・卦算(けさん・文筆)等があり、社宝とされている。また境内には、禁中御修法(みしほ・天皇家の作法や日常生活における習い事)用に献上された和香水と呼ばれる名水がある』

『和香水碑文 杉阪の峰より霊泉が湧き出した。これこそ、神がここに臨まれてその高い徳をほどこされたのである。これによって、ひでりをおさえ、そので泉のうねりをうねうねと、いつまでもうねらせて千年の後にまで及んでも、その恩沢は長々と続いている。
諸侯がこの水を汲んで、うやうやしく、またほしいままにしているが、いくら汲んでも尽きることがなく、万億年さらにその10倍の年までも尽きることがないだろう』

尽きない泉など、いろいろ見ましたが、残念ながら小野道風の御廟は見つけられませんでした。
「ここかな?」と思える場所はありましたが、確信がありませんでした。

バイクに戻ります。
r31を更に南下します。
「京見峠」で左折し、枝道林道に入ります。

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11:06「氷室神社」。

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r31に戻り、11:20「cafe山の実はせがわ」というお店がありました。
開いていれば入店したね。

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11:23「奥長谷林道」入口を見つけ、入って行こうとしましたが、「私有地立入禁止」看板が道脇に立っており断念しました。
R162に戻り、北上を続けます。

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11:39「笠トンネル」手前で、「笠峠」に登っていく旧道に入ろうと思ったけど、「立入禁止」看板が立っていたので断念しました。
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「笠トンネル」を北に抜け、右折して11:42もう一方の「笠峠への林道」入口を見つけましたが、こちらもゲートで塞がれていて断念。

R162に戻り、更に北上。
「京北トンネル」を北に抜け、11:57「道の駅ウッディー京北」で休憩しました。
「よもぎ餅2個300円」購入し、家内へのお土産にしました。

4/2・亀岡・南丹市/寺社・林道ツーリング1

京都亀岡・南丹市の寺社&北山の林道ツーリングに出ました。
5:32「里山VTR250」で出発し、r13に出て、5:39「伊丹産業セルフ川西SS」で給油。185km/4.48L=41.3km/L。

r13を北上し、R176経由で5:48「ローソン池田新町店」。
「ミニクリームパン5個100円+サントリーボスカフェオレ500ml162円=262円」を購入。
R173~R423で北上します。
池田から山区間に入ると、山の上の方が白い・・・4月なのに雪が積もっています。
昨日の雨がここらでは雪だったようです。

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6:25、亀岡盆地に下り朝霧の残りを激写しました。
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あ~気持ち良い。
道なりにR372に乗り、R9を渡りr403。
JR亀岡駅近くを走り、右折してr25で保津川を渡り北上します。
亀岡名物の朝霧が立ち込めて来ました。

6:55「宗神社」。
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R477に乗り、枝道に入り、7:11「松尾神社御旅所」。
更に山に向かって枝道に入ります。

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舗装が切れ地道になり、獣避けゲートを開閉し山側に入ると7:17「松尾神社」。
『京都府登録文化財 松尾神社・本殿(室町時代) 松尾神社文化財環境保全地区・神社の森一体』

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バイクを置いて山に向かう階段を上がっていきます。
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境内に上がると、絵馬殿があり、Z旗を掲げた日露戦争時の戦艦三笠艦橋を思わせる絵柄の絵馬が掛かっていた。

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『松尾神社(旭町) 三郎ヶ岳の山麓に住置する当社は、大山咋今と市杵嶋姫命の2柱を祭神として祭る。社伝等によると、泰川勝が聖徳太子の命を受けて、佳処である当地に祀ったことに始まるといわれ、平安時代の書物である「延喜式」にも記載された古い社である。
古昔は、近村も含めた氏神として境内にも多くの建物があったと伝えるが、天正年間(1573~1592)の明智光秀の丹波進攻による兵火により焼失し、わずかに現本殿だけが難をのがれたという。
本殿は、一間社流造檜皮蒼の建物で、明応7年(1498)頃に建てられたものである。身舎組物は三斗組とし、頭貫瑞を肘本状につくり三斗を受ける。側面は2間で妻飾りを又首組とする。なお向拝の桁より下と縁廻りが江戸時代以降の改変によるが、他は軒まわりも含めて室町時代の姿をよくとどめている。
昭和60年に本殿が府登録文化財に、また境内及びその周辺が府文化財環境保全地区に決定された』

室町時代に作られた本殿は、流石に良い雰囲気です。
山の麓なので、何処までが鎮守の森かわからないですが、高かったろう杉がバッサリ幹が伐られ、古社ゆえ風害でお社に被害が無いよう地域の方に大事にされて来たように感じました。

R477に戻り、それを渡ってr408を少し走って、7:46「真神禅寺」。
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山門の前に、薄ピンクのコブシが満開でした。
臨済宗でした。
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境内に入ると、赤い椿が咲いており、下に赤い絨毯が広がるように花が落ちており、その花を受け止めるためか透明ビニールシートが敷いてあった。

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r408で、8:00「幡日佐神社・氷室神社」。
8:21「瑞雲禅寺」。
山号が「氷室山」となっていました。
この周辺は氷室で有名だったのでしょう。

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『瑞雲寺 山号を「氷室山」と称し、京都花園正法山妙心寺を大本山と仰ぎ、釈尊の正法を相承された。達磨大師を初祖に、宗祖臨済禅師さらに妙心寺開山・無相大師に及ぶ一流の禅、即ち臨済宗を宗旨とする。
開創由緒 寛永年中は嵯峨天龍寺末であったが、年来魚住で捨て置かれていた為、其の訳を本寺へお願い申し上げた処、直に聞き届の上、延宝4年(1676)山城国葛野郡花園村妙心寺末と成り、塔頭龍華院開創竺印祖門和尚の分法を得、同年8月瑞雲寺の再建が成った。竺印和尚を以って開山とするも、実際の入山は竺印和尚の弟子・無相道忠和尚の法を嗣ぐ西河宗和尚である。
本堂 寛政5年(1793)春、第4世祇林全恩和尚の時、印地村氷所村総壇中に再造立された。本尊に釈迦牟尼佛を批、大工は播州三木の香河清兵衛方孝である。
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観音堂 安永年中(1772~1781)造立され、三十三観世音を造り、本尊は白衣観音を頂く、更に地蔵菩薩不動明王が合祀されている。川東三十三ヶ所霊場の第32番札所である』

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8:31「天照皇大神社」。
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バイクを置いて鳥居をくぐり参道を歩いていくと、獣避けファンスがありました。
開閉して境内に入ります。
石段を上がって行くと、良い感じのお宮でした。

r408に戻り、R477で北山の山に入っていきます。
ここから、道の左右に雪が現れました。
昨夜はかなり雪が降ったようです。
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8:52ストップして、山の雪を激写しました。

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8:57「神吉池廻池」。
ここで朝食としてパンを食べました。
温度計は3℃でした。

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R477を進むと、「通行止め」の看板が立っていました。
R162に出れるか不安でしたが、行けるところまで行くことにします。
9:20、r363との交点で、R477前方に車止めが出来ていました。
ではr363に行こうと思ったら、バリケードはありませんが、こちらにも「通行止め」看板が道の端に立っています。
行けるかどうかわかりませんが、行けるところまで行きましょう。
バイクなので、何とか行けるかな?と甘い考えで行きます。








4/8・アメリカからLINE

月曜日の朝(アメリカ東部時間・日曜日の夜)、長男のお嫁さんからLINEが入りました。
往路の電車内から、僕らが長男の次男・こうちゃんの「3才の誕生日おめでとう」LINEした時、ちょうど家族でケーキを食べていた時だったそうです。
「TV電話しようか?」に子どもたちも賛成し掛けてくれたのに、僕らが気づかず失敗しちゃいました。
また掛けてくれるそうです。
4回も電話くれたのにつながらないから、「お出かけしているのかな?」と思ってたそうです。

ケーキを囲んでハッピーバースデーの歌を歌う家族の様子のビデオを見ました。
こうちゃんから「3才になったよ~」のメッセージビデオも届きました。
こうちゃんとは、1才の時に渡米して1週間過ごしただけでしたが、声と喋り方がりょうくん6才と同じで、声だけならどちらが喋っているのかわかりません。
おどける感じも似ており、りょうくん以上にビデオに向かって積極的に喋っているので、この子も安心だなと思いました。
人に好かれるキャラです。

プリスクール(幼稚園年少さん)にも1週間で慣れちゃったのもわかります。
朝ごはんた食べ終わったら自分でリュック背負って車に行くほど大好きになったそうです。
強情で大変な時もあるけど、基本的は優しくて穏やかで、兄弟思いだそうです。
りょうくんのことが大好きで、弟のルーカスたいせいのことは大事に可愛がってくれているようです。

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加えて、りょうくんの日本語学校小学生入学式の写真も送ってくれました。
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家族5人おめかしして入学式に参列していました。
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アメリカに来た時は赤ちゃんだったこうちゃん4ヶ月がもう3才で、3才だったりょうくんが小学生になり、お嫁さんは「あっという間でした」と感慨深げです。

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日本語学校は補習校なので週1回・日曜日だけです。
りょうくんは同時に現地校のキンダーガーデン(日本の幼稚園年長さん、6月卒業)に通っており、Wスクールしています。

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日本語学校は、日本と同じ教科書を使って、国語と算数をお勉強するそうで、プリンストン日本語学校のウェブサイトを見に行くと、学年が上がっても2教科だけでした。
日曜日休校になる大学建物を間借りしている学校でした。
幼稚園から高校まであり、長男のように一時期だけアメリカ滞在の子向け、永住者向け、日本に興味のあるアメリカ人や社会人向けのクラスに別れていました。

総人口30000人に、プリンストン大学の学生8000人がいる小さな田舎町なのに、日本語学校があるのに驚きました。
近隣の町からもこの学校にやってくるそうです。
運営はアメリカンな感じで、入学式後すぐ授業だったそうで、その写真も送ってくれました。
7月から長男はロンドン勤務になるそうで、2人の子どもたちの学校が終わる6月末で一旦日本に帰国し、長男はロンドンで働きながら家族で住む家や車など生活環境を整えるそうです。
8月に迎えに来て、家族でロンドンに行くそうです。

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りょうくんは3年間日本で大きくなったので記憶が残っているでしょうが、こうちゃんは4ヶ月なので記憶はないでしょう。
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3男ルーカスくんにとっては初めての日本です。

4/6・大学ヨット部、用務員活動 草刈り・トイレライト

コーチしている大学ヨット部の新人勧誘日です。
車が足りているようなので僕の出番はありませんが、合宿所前の草刈りとレスキューボートのトイレの灯りを設置するために向かいます。

車に、電動草刈り機・電動刈払機・ゴミ袋・乾電池式センサーライト・長靴等を入れて出発します。
R171~中央環状線を走り、5:04「セブンイレブン豊中緑ヶ丘2丁目店」で、「プレミアムカフェオレ500ml116円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円+レーズンロールマーガリン4個116円=350円」を購入。

吹田ICから名神高速に乗り、京都東IC下車。
湖西道路を北上し6時前に合宿所着。
朝ごはんを食べていると、大学に新入生を迎えに行く部員が車の準備に降りてきました。
彼を見送って、合宿所からコンセントと延長コードを拝借し、作業開始。

草刈機では切れない太さの草もあり、自宅では垣根を整える時に使っている刈払機の方が使えました。
適当に切るとポリボックスに入れて、建物外のゴミ箱横に草を運びます。
この連続です。
起きてきた部員が数人手伝ってくれだし、8時になったのでハーバー艇庫に部員をいるということなので、単3電池を入れてライトが点くことを確認したセンサーライトを持ってハーバーに向かいます。

女子マネを乗せて買い出しに行く3回生部員Nくんの車に便乗し送ってもらいます。
スバルBRZというスポーツカーで、座席がとても低いです。
長男が学生時代乗ってたトヨタセリカと同じようなポジションで、おじさんには辛いかも・・・。
長男のお嫁さんのお父さんは、同型のトヨタ86を買われましたが、座席の低さに閉口し1年で乗り換えました。

このNくんを見ていると、なんだかかつての僕に似ており親近感があります。
ヨットに掛ける熱さをそれほど感じず、ひょうひょうと乗っています。
同じ470に乗っており、風速が上がってくると水を得た魚のようにパンピングを繰り返し、プレーニングしカットぶ470をとても楽しんでいます。

僕も学生時代、ブルーバードSSSというスポーツカーに乗っており、それほどお喋りな方ではありませんでした。
高校生までの友人の僕への感想は「おとなしい」でしたが、ヨット部での生活で否応なく喋る機会が毎日のようにあり、今やいつ指名されても適当にスピーチできるようになりました。

艇庫前で部員たちに挨拶します。
まだ大学から新入生第1弾が着いていないようです。
レスキューボートのトイレルームに入り、あれやこれや設置場所と設置方法を考えます。
4回生Nくんにボンドを頼みました。

それを待っている間に第1弾が到着し、ハーネスやライジャケを着せる手伝いをします。
トイレに籠もり作業開始していると、新入生を乗せて沖に出る時間になり、僕も一緒に出ます。
小一時間奮闘しましたが、接着剤の接着力が弱くダメ。

ドリルで壁に穴を開けて設置しようと新人勧誘の流れで桟橋に戻りましたが、ビスの抜けた穴が別にあり、それを利用することにしました。
ライト付属のビスがいい具合で大丈夫そうです。
外れた時のために、ライトが床に落下しないようにシートで別の部分に結びました。
果たしてモツのかな?
ライトは暗くなるとセンサーが働き、動きを察知すると点灯し15秒で消灯します。
電源が単3乾電池3本で、電気工事なしなので修理しやすいと思います。
お値段も2000円ほどだし。

昼ごろまで、ハーバーで部員や新入生とあ~だこ~だし、合宿所に戻って草刈りの続きをしました。
新入生全員が戻ってくる18時までみっちり作業して、合宿所前はかなり広くなりました。
来月からは、新入生がここを利用し1人乗りヨットを出して、ヨットのいろはを学びます。

片付けて合宿所2Fに上がり、オレンジジュースを頂きます。
いよいよ鍋で1年生を交えて楽しい時間が始まります。
見ていきたいのは山々ですが、翌日家内と神戸をハイキングする約束があるので、早く寝るために帰路に着きました。

19時過ぎに帰宅し、20時台に夢の中になりました。
草刈りを1日したので足に負担が掛かっています。
明日、歩けるのかな?
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