4/2・京都西山・大原野

バイクの乗り、r67・旧西国街道まで下ります。
しばらくr67を走り、このまま県道を進もうかと思いましたが、R171に降りて、国道速度で一気に京都を目指します。
r67は確か島本町あたりで、一方通行で下りのみになって迂回しないといけないことを思い出しました。

「久世橋」まで出て、r201で西山の丘陵地をゆるく登っていきます。
JR「桂川」高架下をくぐり、阪急「洛西口」をくぐり、r67と交差し、「京都縦貫道・大原野IC」手前を左折し、r140に乗ります。
ナビにセットした「勝持寺」に従ってr141に乗ります。
「勝持寺」「願徳寺」駐車場に着きましたが、門が閉まっています。
事前調べて8:30開門で、まだ20分前です。待ってても仕方ないので、24Hオープンな神社「大原野神社」先に訪問しましょう。

20170402AkutaS158s.jpg 8:14、r141と勝持寺との分岐で停車。
r141は「淳和天皇陵」のある小塩山で山頂まで続いていますが、通行止めです。
ここから300m先で、通行止めのようです。

下から小塩山をジグザグに登る道が見えていました。
絶景は確実で登ってみたいけど、歩きや自転車ではなあ。
下から想像していたのとは違い、舗装されていますが、四輪のすれ違いが厳しい細い道です。
ここでこれだから、夜景などを見に四輪が上がり事故を起こすのを防ぐ目的での通行止めでしょう。

r140まで下り、「大原野神社」は南ですが、反対に曲がり「森神社」に行ってみます。
鎮守の森が見えていますが、目視で選択した道が行き止まりUターン。

8:23「森大明神」と彫られた石柱がお宮の前に立っていました。
藤棚があり、その季節になると喜ばせてくれそう。
こじんまりとしたお宮で、祠程度のものが3基建っています。
でも全てにきれいな柄の縁取りがされた御簾が下がっており、「おお~」と思いました。
20170402AkutaS168s.jpg 御簾が下がった奥を目を凝らして覗き込むと・・・期待したのですが、祠が鎮座しており、小さいのに覆屋を持っているのだとわかりました。
寂れて汚れ、見る影もないですが、見ようによっては高貴なものを感じるので、謂われ板を探しましたが、設置されていませんでした。

バイクに乗り、r140を南下し、8:33「大原野神社」
道案内板が設置されており、迷わず到着出来ました。
トイレ完備の地道の駐車場に入れようとしたら、横の売店のお母さんが出てこられ、「そこはダメ、バイクはこっちへ」と、お店横の椅子の前を指示されました。

売店が2店舗あり、更に奥に向かう道には、先程断念した「勝持寺」と書かれています。
ここからも行けそう。
案内板には、「大原野神社・徒歩2分、正法寺・徒歩4分、勝持寺・徒歩8分・願徳寺・徒歩8分、第53代淳和天皇御陵・徒歩1時間30分」
ジグザグの道を上がっていく電波塔が並ぶ小塩山山頂に、徒歩1時間半で行けるとはびっくりです。
京都盆地を一望できそうです。

淳和天皇は、小塩山御陵でしか知らない天皇ですが、50代が794年平安遷都した桓武天皇だから、平安時代初期の天皇なんだと知りました。
景色の良い所にお休みになられていますね。

20170402AkutaS179s.jpg 「大原野神社」に参拝しようと、鳥居横の謂れ板を読んでいると、ワンちゃんのお散歩お母さんが来られたので、「おはようございます」と挨拶しました。
よそ者は、地元の方に謙虚でなくてはなりません。

「どちらに行かれるの?正法寺さんは花の寺さんに対し石の寺と呼ばれており、あまり参らないお寺だけどいいですよ。願徳寺さんも門は閉まってるけど、呼び鈴を押せば参拝でき、国宝の仏像が見れますよ」と耳寄り情報を教えてくれました。
「ありがとうございました、寄ってみます」


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4/2・芥川山城 後編

6:19、まだ下界の展望はありませんが、「史跡・城山城址」と刻まれた石杭が打たれています。
「大手道・下り・一番きつい」と書かれた杭も打たれており、ここで大手道を合流するようです。

きつい坂が下っていますが、「大手門石垣・40m下る」と書かれた杭も打たれているので、下ってみましょう。
20170402AkutaS081s.jpg 6:21、かなり崩れていますが、石垣が遺っています。
一気に450年前にタイムスリップし、守る三好勢に対し、攻め上がってくる織田勢との攻防がここで行われたはずだと、想像の翼を広げます。

最初は、能勢氏が城を築き、細川氏との攻防戦後、三好長慶に攻め落とされその居城になり、没後三好三人衆の支配下になります。
信長軍に攻め落とされ、和田惟政の手に落ち、荒木村重軍に敗れ従兄弟の高山右近が入城し、平城の時代になり歴史の表舞台から姿を消します。

芥川の渓谷が蛇行する場所にあり、東以外は芥川が天然の要害になります。
東側も山岳地として広く、攻め落とされてもいくらでも山中の間道を伝って逃げられます。

分岐に戻り、先を見ると陽が当たっている場所が見え、山頂部が近そう。
分岐手前に、この大手道の谷を上から覗き込むように小山があります。
バイク置き場から登ってきた道と大手道両方に睨みが利くので曲輪がありそうです。
獣避けフェンスで囲まれていますが、帰路攻めてみよう。

20170402AkutaS090s.jpg 6:27、木々が伐採された下界一望の場所に出ます。
大阪市街地のビル群が見えます。
20170402AkutaS092s.jpg 片や淀川を挟んで、河内と大和を隔てる生駒山系が見えます。
素晴らしい眺望です。
山城攻めのご褒美ですね。
20170402AkutaS094s.jpg 風がなく垂れ下がったままですが、鯉のぼりが竹のポールに揚がっています。

「三好山へ6分」と書かれています。
あれだけ寄り道してもバイクからまだ27分、往復の所要時間を書いているようです。
「田の丸」にも分岐しているようですが、これはパスしました。

20170402AkutaS117s.jpg 6:30、山頂本丸攻めに成功しました。
20170402AkutaS120s.jpg 祠があります。
本丸曲輪はかなり広く、相当な勢力が籠もった大きな城と分かります。
20170402AkutaS121s.jpg さすが畿内を収めた三好長慶の居城です。

搦手側にも切岸から降りてみます。
踏み跡がしっかりしているので、摂津峡を山歩きする方の定番ルートかもしれません。
土塁も遺り、以降残存度の高い中世の山城でした。
四方を巡り、帯曲輪などを目視します。

「城山城址」の石柱の裏を見ると、「昭和3年」と刻まれています。
現在のように、山城を観光の呼び水にしようと地元有志がルート開拓する時代ではないのに、ここに石柱を打つとはびっくりしました。
ここに籠もった先祖を誇りに思う子孫の方が自費で打たれたのかもしれません。

久々に中世の巨大山城に巡り会いました。
下山しましょう。
6:46、大手道脇の曲輪を攻めます。
獣避けフェンスを開けると、獣が移動する音が聞こえます。
軽快ではないので鹿でないかもと不安が過り、持っていた蜘蛛の巣よけの細い落枝から、太めのものに持ち替えます。
こんなとこで倒れても、しばらく発見されなさそう。

「キュイーン」、鹿の警戒声が聞こえ、走り去る音が聞こえます。
鹿のようなので安心です。
鹿はよっぽどでないと戦いを挑んできません。
イノシシにはバイクに乗っている時追いかけられた事がありますが、あれはやばいです。
熊はこんな山里近くにいないでしょう。
北摂の山では、ツキノワグマはほぼ絶滅だし。

キチンと締めて、探索開始。
20170402AkutaS137s.jpg 明らかな遺構のようなものは発見できませんでした。
20170402AkutaS140s.jpg 更に下り、「縦土塁」が見事に遺っています。
6:52、井戸まで下ってきました。
ここの石積みは当時のものでしょう。
20170402AkutaS149s.jpg 往路では気づかなかった鹿の毛が落ちています。
そう言えば鹿が濃いようですが、道中鹿糞を見つけられませんでした。

20170402AkutaS153s.jpg 7:03、バイクに戻りました。
大満足です。
20170402AkutaS157s.jpg バイク装束を着ていると、ワンちゃんのお散歩さんが上がってこられ、めちゃくちゃよそ者の僕が吠えられました。
飼い主さんも話をしたそうでしたが、会釈と「おはようございます」だけになりました。


4/2・芥川山城

家内が用事なので、1人遊びです。
来週から、3週連続で大学ヨット部の手伝いで、京都・琵琶湖に行くので、家内とのデートはしばらくお預けです。

参加してるカフェグループにイベントがあったので、そちらに参加申し込みをしました。
京都四条烏丸のカフェに11:30集合です。

電車で行くのが便利ですが、天気予報は晴れなので、それまでの時間を有効に使おうとバイクで行くことにしました。
笠取山周辺の中世の山城と目についた寺社巡りが予定倒れになったままです。
収集した山城のデータを調べていると、これまたペンディングしたままの「芥川山城」が目につきました。
こっちにしましょう。

往復1時間なのでまだ時間がありそうで、ツーリングマップルを見ていたら、京都西山の「花の寺」が目につき、近くに書かれている「大原野神社」とセットで訪問することにしました。

4時に目が覚め、すぐにバイク装束に着替えます。
身だしなみを整え、5:00に「里山VTR250」を出します。
R171をひたすら東に向かって走ります。
茨城を過ぎ、高槻手前で左折しr115に乗り北上し、北摂の山を目指します。

芥川沿いに出て、5:37山城跡が見えてきました。
20170402AkutaS025s.jpg 山城らしからぬなだらかな山容の頂に、山城を想像させる物が見えます。
織田信長は上洛するまで、室町幕府の管領・細川家の守護代ながら、畿内を統治していた三好長慶の居城です。

20170402AkutaS026s.jpg 芥川を渡り、目印の「高槻黄金の里老人ホーム」にセットしたナビに導かれ、住宅街に侵入すると、「三好山(芥川城跡)1.5km」の案内板を見つけました。
ゆっくり案内板の見落としをしないよう走りましたが、結局民家行き止まりまで行ってしまい、Uターンして戻る途中5:57、登り口を発見しました。

20170402AkutaS030s.jpg 「芥川城の会」の立てた案内板と見取り図がありました。
電信柱には「三好山」と書かれたテープが貼られています。
20170402AkutaS032s.jpg 「三好山へ40分」と書かれているので、ダイワのフィッシングスーツを脱ぎ、夏用プロテクター上下も脱ぎます。
それらをワイヤーでバイクに結び、6:00いざ行かん。

もちろん未舗装の山道ですが、整備されており歩きやすい。
西の里山に朝日が当たり、オレンジ色になっていて綺麗。
20170402AkutaS037s.jpg 棚田の脇の道を上がっていくと、熊笹の道になり、6:08「帯仕山」への分岐到着。
「三好山へ25分、三好長慶1553年入城」と案内板に書かれています。
案内板によるとここまで15分ですが、実際には8分。
これは意外に早く着くかな?

20170402AkutaS041s.jpg その分岐すぐ前に井戸がありました。
その横には古い石垣があります。
当時のものとは言えませんが、雰囲気が出てきました。

6:09「上ノ口・摂津峡」との分岐。
20170402AkutaS045s.jpg ここにも石垣があり、見ようによっては曲輪に見えなくもない平坦地と切岸地形になっています。
ここらは竹林で見通しが良いです。

6:11「池・曲輪群」
道を逸れ、曲輪郡に入ります。
すぐ、鹿が逃げていく音が聞こえます。
畑にも獣避け柵がされていたのでいるのはわかっていましたが、いきなり遭遇です。
「キューン」の警戒声も発せられ、鹿が濃いようです。
土塁が残り、山城の雰囲気が濃くなってきました。

20170402AkutaS053s.jpg 1つの曲輪は、その後墓地として利用されたようで、自然石を使った墓標が並んでいます。
法名が「釈」さんばかりなので、浄土真宗・一向宗門徒のようです。
元禄・寛永・宝永・亨保と刻まれているので、江戸時代に亡くなった方のようです。
寛永は江戸初期、1700年は元禄を謳歌しており、その後の宝永年間に富士山が大噴火し、飢饉を経て亨保の大改革で、幕府は贅沢の引き締めを行い経済がますます逼迫していった。

全て2名併記なので夫婦墓石のようです。
別の一群は、様式の整った加工石なので、少し時代が下るのだろう。
誰もいない山中の熊笹に埋もれた墓石の前にしゃがみ込む僕は、実に怪しいね。

切岸を次の曲輪に上がります。
20170402AkutaS064s.jpg 道に戻ると、6:15土橋がありました。
「土橋・堀切」と丁寧に説明されていますが、典型的な造作で、堀切もまだ深さがあり、当時は相当深かったのではないかと想像されます。


4/1・ビーコン

NHK朝ドラ「べっぴんさん」の最終回でした。
半年楽しませてもらいました。
ファミリア創業者の物語でした。

息子たちがファミリアにお世話になったので、より楽しめました。
ロケ地探しも楽しめました。
次は東京放送局制作ですが、また楽しいでしょう。

ウィークデイは、「朝ドラ」が終わると「あさイチ」が始まり出勤しますが、土曜日は「ニュース深入り」が始まります。
この日は、栃木県での高校山岳部合同合宿で、先生と生徒8名がお亡くなりになった事故の深入りでした。

10分ほど見て仕事に出たのですが、ビーコン不使用と現地から直接連絡が取れなくて、先生が下山して旅館から警察に捜索願電話をしたと言っていました。
山のことは素人なので常識が何処にあるのかよくわかりませんが、ヨット活動してる僕からすれば、ライフジャケット着用は常識なので、雪崩も皆無とはいえないオフピステの雪山ならが、ビーコン着用すべきなんじゃなかったのかな・・・と思えました。

価格はと調べると、4~5万でした。
安くないから備えていなかったのでしょうが、県内数校集まっての合同訓練イベントだから、誰も持っていないというのは主催者としてどうなんだろうと思いました。
ヨットの外洋レースで個人装備品として、ビーコンは義務付けられます。
アナウンサーの辛抱さんが乗ったヨットが、クジラにぶつかって沈没した時も、ビーコンで助かりました。
常時自分の位置を発信し続けるビーコンがないと、潮流もある太平洋のど真ん中で人なんて発見できるわけありません。

ビーコンは別にしても、連絡手段がなかったというのは不手際として糾弾されても仕方ないように思いました。
僕は15才以下のジュニアのクラブ主催ローカルレースから、全日本選手権・世界選手権最終選考会まで数々のレースを、レース委員長や事務局長として主催してきました。

運営艇には必ず無線機を備品として載せ、海上警察に届け、最寄りの病院の電話番号と緊急連絡網を運営スタッフ全員に書面で持たせました。
これは私だけがやっていたのではなく、レース・イベント運営マニュアルとして、ヨットの世界では常識です。

遠くても陸上から2~3kmなので、携帯電話が使えますが、電話は1対1なので、緊急の時は情報共有できません。
だから、無線機を使います。
毎朝不備がないか点検し、海上に出ている間はずっと電源入れっぱなしです。

どこでどんな事故があっても、各運営艇で情報共有でき、臨機応変に対応できるようにしています。
医者だって大きな大会では陸上本部に待機してもらいます。
まあこれは、ヨット関係者や参加者・その親が医者の場合も多く、集めるのに困ることはありませんが・・・。

無線機のないレースなんて経験したことがなく、自分がレース運営する時、無線機なしなど、責任問題になるのは見えており、こわくてそんなレースはできません。
今回の事故に当てはめると、携帯電話も通じない所に常時無線連絡できないなんて、イベント主催者としては、あまりに安全を軽視しているように思えてなりません。

高校山岳部の合同合宿でもこの程度の安全装備で主催するのかと、ちょっとびっくりしました。

3/26・車修理と稀勢の里

映画館に、4月上映開始予定映画のポスターが張ってありました。
アニメですが森見登美彦原作「夜は短し歩けよ乙女」が映画で登場します。
家内と、「実写版だったらもっといいのに・・・」と話しながらも、僕の小説の概念をゴロンと変えた言葉遣いの素晴らしさで大感動した小説の映画化なので、楽しみです。
主演の京都の腐れ大学生を星野源が声優します。
大学ヨット部新人勧誘時期の4/7上映開始なのが、微妙です。

劇場を出ると、子供が多くなっていました。
「ドラえもん」のようです。
子供映画は、必ず親も来るので収入が良いです。
春休みは、子供映画の多い時期ですね。

11時に帰宅し、僕だけ車に乗り換えて市内の日産に向かいました。
日産車だけど、今はトヨタに整備・点検・車検をお願いしていますが、今回は久しぶりに日産ディーラーです。
親父のスカイラインに始まって、僕のホーミー・キャラバンとずっとこのお店で買っていました。

メンテさんに見てもらうと、簡単に直らないようで、併設工場に車が入って行きました。展示されているティアナ・マーチ・ノート・セレナと次々に乗っていると、直って出てきました。
15分ぐらいで終了で、無料でした。

12時前に自宅に戻り、お昼ごはんを食べ、カメラや隣の家や我が家の掃除などしました。
その後地上波TVも見ましたが、民放は宣伝が多く嫌になり消しちゃいます。
これじゃ、若者がTV離れを起こすのも当たり前です。
家内とアマゾンプライムで「福岡恋愛白書10」を、PCとTVをHDMIで繋いで観ました。

大相撲中継を見ました。
金曜日に日馬富士に負け全勝に土がついた稀勢の里は、その時の怪我で土曜日も負け、2連続優勝が風前の灯になっていました。
肩に痛々しくテーピングされていましたが、9連続勝利中の得意様・照ノ富士に対し、本割で土俵際の逆転勝利し2敗同率になり、優勝決定戦でも再び土俵際での逆転勝利で優勝しました。

解説者によると、土曜日の照ノ富士の勝利があまりいただけない勝ち方で、場内を敵に回してのも、稀勢の里逆転勝利に導いたということです。
どんな取り組みだったのだろう・・・
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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