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10/8・鞭崎八幡宮

3:30に目が覚めました。
秋になり夜明けが遅いのが苦痛な季節になっています。

「早寝早起き」習慣が大学ヨット部合宿「21時消灯・8時間睡眠・5時起床・」で身に染み付き、以来ずっとこんなものです。
徹夜なんて人生で2度ぐらいしか経験がありません。
夜頑張って何かをした充実感があるものの、翌日日中は最悪で1日棒に振っちゃいます。
仕事に就く時、夜規則正しく休める職業が重要でした。

部員たちはまだ夢の中なので起こしては悪いから、二度寝を試みましたが無理。
近所にコンビニがあるので、そこに移動することにしました。
春夏なら明るくなるのが早いので、バイクで寺社歴史探索に出れるのだけど・・・。

4:01「セブンイレブン」で「ブルガリアヨーグルトりんご&白桃138円+7プレミアムプレーンヨーグルト400g138円=276円」購入。
イートインスペースに移動し、スマホ見ながらお腹を満たします。

5時になり夜明けを感じてきたので出発します。
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R161~r18で近江大橋を渡り、そのままr18を走り、5:25「鞭崎神社」。
余り期待していませんでしたが、宮司さんのお宅と思われる境内直結のお家が大きく雰囲気がありナイスです。
裏石鳥居から入ったようですが、表石鳥居に続く寺門が膳所城からの移築ではないかと思われる雰囲気満点です。
膳所城城門移築崎は、膳所神社・御霊神社・新宮神社と巡りましたが、ここが最も大きいんじゃないかな?
謂れ板が立っているが読めるほどまだ明るくないので後回し。

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しかし、このソニーミラーレス一眼レフC3の暗視撮影感度は抜群です。
望遠専門で使おうとその後購入したパナソニック一眼レフG2は、撮影素子4/3LiveMOSがソニーCMOSに劣っており、ソニーのように肉眼同様の明るさで撮影は出来ません。
ソニーC3は外付けフラッシュなのですが、常備しているけど撮影本番で使うことがありません。
流石に肉眼で見えなければノイズで綺麗に撮影できませんが、肉眼で見えるならシャッタースピードが遅くなるけど、フルオートでほぼ失敗無しで写ります。
購入後最初に体験した時は、その感度の良さに驚きました。
フラッシュを使うと、ライトの当たっているところとそうでない所の差が大きく、自然な感じ写りません。
最初数回使っただけで、あとはただ持っているだけ。

ソニーのカメラ事業はミノルタカメラ事業部を買収して始まったが、ソニーのデジタルCMOS技術をミノルタのレンズなどトータルカメラ技術に導入したことで大成功を収めているように思う。
CMOS技術は日本メーカー筆頭にいろんなメーカーが持っていますが、オリンパス/パナソニック共同開発したLiveMOSとは運での差で良いです。
世界で圧倒的なトップシェアを維持し続けているのは、実製品の限界技術差を見たら納得できます。

社務所には、「鞭崎八幡宮」と書かれています。
応神天皇が主祭神なのかな~。
境内中央に舞台があり、本殿正面玉垣に向かいお賽銭チャリン、2礼2拍手・・・いつものようにこれまで生かせて頂いたことへの感謝、家内・2人の息子に恵まれたことへの感謝、家族全員大きな不幸なく暮らせてこれたことへの感謝、最後に出来れば家内・息子たち一家の益々の反映を願った。

本殿はかなり大きく、檜皮葺でとても立派です。
玉垣を一周し側面・背面からも激写。
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奉納絵馬像が境内にあり、腹の社紋は「三本杉」で珍しい。

僕が来るのを待っていたように境内におられた3人のお方に会釈したら、お参りのご夫婦と話しておられた男性が話しかけて来られました。
「どちらからですか?」「兵庫県の伊丹からです。今日は大学ヨット部の合宿所からです」。
「暗いのに、カメラで写りますか?」「ええ、小さいけど一眼レフで、ソニーミラーレス一眼と言うんです。ソニーのイメージセンサー感度が良いので、肉眼同様に写ります」。

「私はこの神社の管理を任されている者で、毎日来ているんですよ。熱心に写真を撮られていましたね」「ええ、歴史好きで、特に神社が好きなんです」。
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「本殿、立派でしょ。建部神社に行かれました?」「ええ、近江一の宮さんですよね。今年訪問しました」
「ここの本殿、田舎町に似合わない大きさでしょ。建部神社本殿の移築なんですよ」「道理で・・・大きくて立派だと思ってました」。

この辺で僕は悪さする人間ではないと確信されたようで、いろいろ教えてくれました。
というより、先導して説明して下さいました。
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「社門は膳所城からの移築です」「やはりそうですか。膳所神社や御霊神社など、膳所城移築門をいくつか見ましたが、最も立派に見えました」。

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謂れ板、移築社門前まで先導して謂れ板、表石鳥居まで歩き、そこの謂れ板の場所も教えてくれました。
宮司さんは41代目の「大神」という苗字の方で、「大神」なんて苗字驚くでしょうと、話が盛り上がりました。
織田信長家系が越前の神社の神主の出であり、そのお宮を数年前に訪問したことや、うちの父方先祖も神主だった事も話しました。
歴史好きは稀有な存在で、こういう話ができる方はとても少ないので、お互い楽しい時間となりました。

「大神」さんは体調を崩しておられるようで、その代理で見回りをされているのでしょう。
夜明け前からバイクでやってくる男は、不審な匂いプンプンですよね。
僕がバイクを停めた時、境内に入っていかれた方で、ずっと境内におられました。
きっと僕が悪さするかも?と見張っていたのだと思います。
正面石鳥居で別れ、そのまま帰って行かれました。
時には掃除をし、時には説明をし、毎日数度見回っているのでしょう。
こういう熱心な方の努力によって、多くの神社は、24Hオープンでウェルカムを続けて来れるのですね。
ご苦労さまです。

『鞭崎八幡宮 祭神:聖母大神・住吉大神・高良大神・応神天皇
白鳳4年(676)、40代天武天皇の命により大中臣清麿が創建し、4町四方を社地とし八橋八幡宮神主・紀是尚をして宝祚(ほうそ)延長を祈願せしめた。以来歴代天皇の尊崇厚く特に孝明天皇・明治天皇・今上天皇よりは、幣帛供進代参御撫物(おんりゅつもの)下附等度々あった。
東海北陸地方より京洛に至る交通の要衝であるため、鉄道開通までは人馬の往来激しく、古来歴史上の著名人の多くはこの地通過の節参拝した。源頼朝が平氏を滅ぼし天下平定して鎌倉幕府を創立・建久元年(1190)10月、上洛の途当地を通過し馬上よりムチ(鞭)のサキ(崎)を八幡宮に向けて村人に尋ねたので「鞭崎八幡宮」と云う様になった。頼朝はこの翌年、神領を寄進し殿舎を再建した。天保8年神殿改造の節、仙洞御所より御寄付があった。
表門は国宝重要文化財である。旧膳所藩の城門で、明治4年廃藩置県の際に当時の大名であった本多康穣主膳正が寄付した。神職は紀氏で、現在はその41代大神正徳氏が奉仕しておられる』

白鳳4年から宮司を世襲してきたなんて、驚きの神社でした。
仙洞御所は内裏同様、天皇や上皇の住まいだった所で、江戸時代の孝明天皇から今上天皇まで現役天皇からも幣帛を受ける神社とは、更に驚きました。
この地の重要さと社格の高さを感じました。

『矢橋道 近江八景矢橋帰帆で有名な矢橋の渡しへの道で、東海道の脇道であった。瀬田橋経由の陸路に比べ、矢橋港から湖上50町ほど(5.5km)の大津への航路は、「勢多へ回れば三里の回りござれ矢橋の船にのろ」と歌われたように、先を急ぐ旅人が重用するところとなり、これにつれて矢橋道も大津への短縮路として往来が激しくなった。道は、草津名物姥ヶ餅屋角で東海道と分かれ、大塚、川
ノ下を経て矢橋に至った。
なお、草津名物姥ヶ餅屋は明治以降移転し、名勝矢橋帰帆の絶景も一変したが、姥ヶ餅屋旧地には寛政10年(1798)建立の道標が現存、一方矢橋港跡にも弘化3年(1846)建立の常夜灯が現存するほか、矢橋には源頼朝の伝説ゆかりの鞭崎八幡宮、僧最澄創建で足利義詮再建の寺伝を有する石津寺、川ノ下には若宮権現(猿田彦神社)、大塚には正光寺などの古寺社がある』

『鞭崎神社表門 明治4年の廃藩置県に際し、膳所城より移築されたもので、昭和52年の屋根の葺替工事によって、元は膳所城南大手門であったことが明らかとなった。門右手には潜戸を設け、控柱は外八双に開く。まら、屋根は本柱通りに切妻を掛け、控えにはそれより低い切妻屋根をのせる。屋根には膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦や鬼瓦を飾る他、柱・扉などの要所に鉄板を鋲
打するなど重厚堅固な意匠となっている』

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バイクに戻り帰路に着きます。
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6時になり、やっと朝日を浴びたオレンジ色の朝になりました。
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旧庄屋宅を思わせる越し屋根(煙抜き)が屋根に載る豪邸があった。
白壁・黒屋根瓦で、周囲を屋根塀が囲っている。
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表門から覗くと、メルセデスやジャガーの旧外車が屋根下に置かれ、日常の足と思われる三菱の軽自動車がその前にあった。


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10/7・浜大津なぎさ公園

バイクに戻り、6:44「浜大津なぎさ公園」。
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朝一番から釣りしている方が多い。
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朝は釣れるからね。

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「大津港旅客ターミナル」の方に歩いていくと、お祭りのテントが並んでいる。
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線路が広場に敷かれている。
ちびっこが乗れる汽車などが走るのだろう。
大津祭に合わせ、大津中心部はお祭りで盛り上がっているようです。
数時間後昨夜合宿所に泊まっていたヨット部員に聞いたら、前日の夜は花火が上がっていたとのこと。

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銅像が建っている。
『顕彰の碑 山田富三郎氏は昭和55年6月、大津市長に就任して以来、6期24年間、「市民の心を心とした市民本位の市政」を信条とし、「ふるさと都市大津」のまちづくりに尽力した。人工急増の中、都市基盤整備に強い信念と情熱を持って取り組み、中核市「大津」の礎を築いた。
なかでも、22年の歳月を経て、平成10年に完成した「なぎさ公園」は、琵琶湖と触れ合える広大な水辺公園として、市民に潤いと安らぎを与え、湖都大津のシンボルともなっている。
また、庶民的な人柄から「豊さん」の愛称で親しまれ、その笑顔とともに、労を惜しまず汗を流す姿は、私達大津市民の心に強く刻まれている。没後2年、広く市民のご厚志により、ここに銅像を建立し、永くその功績を称える』

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なぎさ公園の道路脇に「ガス灯」が立っている。
『ガスの生い立ち 1640年オランダの化学者ヴァン・ヘルモントが石炭を蒸し焼きにしていた時に燃える気体に気付き、英語で「GAS」ドイツ語で「GEIST」(霊・精気)と名付けました。これが「ガス」の始まりです。
日本で初めてガスを使ったのは、鹿児島の島津斉彬という殿様で、1857年に石炭を乾留しガスを発生させて庭の石灯篭に火をつけました。また、ガス事業は1872年に横浜の高島嘉右衛門という人によって起こされ、彼はガス灯を作り事業を始める計画を立て、いろいろ苦心の末、横浜市内に10数基のガス灯を灯す事に成功しました。それはまさに新しい時代を告げる「文明開化のあかり」でした。
このように「ガス」は照明用として始まり大正末期に電灯が改良されてからは「あかり」としての役目を電気に譲り、もっぱら「燃料」としての新しい分野に進み、現在では「燃料は都市ガス」と決まり言葉になっております。
本市のガス事業は、昭和12年3月に民間会社から譲り受け、以来、市営ガスとして供給区域の拡張と保安の確保に努めてきた結果、今日では行政区域の約7割にガス供給を行うに至っております。
このガス灯は、本市ガス事業50周年を記念すると共に「ふるさと都市大津」を創造する「風格あるまちづくり」の一環として今は懐かしい大正ロマンの灯りで、湖畔を訪れる人々のやすらぎの場として、大津市企業局が設置したものです』

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この掲示板横に、黄色い自転車が2台並んでいた。
『ofo自転車シェアリング・専用ステーション』

バイクに乗り、ヨットハーバーに向かいます。
R161で湖岸を北上します。
7:08「セブンイレブン大津松山町店」で、「7Pレーズンロールマーガリン4個116円+コッペパン苺ジャム&マーガリン118円=234円」を購入。

YHに着きましたが、部員が合宿所から来るまでには少し余裕があります。
ですが、ハーバー内はレーザー級ヨット(1人乗り)がたくさんスタンバイしていました。
レースのようです。

リアボックスから着替えを出し、コーチボートが係留されている桟橋まで行き、そこでコッペパンを朝食として食べました。
朝食を終えた部員たちがパラパラとやってきました。
「おはよう」
レース日なのでハーバー職員も早めに来られたのか、少し早めに艇庫が開いたので、着替えを持って更衣室へ。

レーザーの出場者と思われる方が着替えていました。
「レーザーのレースですか?」「はい、昨日・今日2日間です」。
「どちらから?」「浜名湖からです」
「ビーチスマリーナ?」「はいそうです」
「高橋さんとこね。あそこは良い風が吹くし、アットホームで良いハーバーですね」「はい、高橋さんをご存知ですか?」
「はい、470のレーサーの時、世界選手権やオリンピック目指してよくレースをしました。長女さんと息子が同じ学年で、ジュニアのレースで何度もお邪魔しました」「え~そうですか、うちも娘もOPやってるんですよ」
「OP、面白いですよね、子供を餌に親も遊べるから」「ええ、でも娘のサポートばかりで、自分のレースになかなか出れないからその点は残念です」。
「どちらのジュニアクラブですか?」「兵庫県の・・。あのクラブをAさん他数人で立ち上げたんです」
「Aさん知ってますよ、まだコーチされていますよね」「僕は息子が卒業してから全国理事をして、今は大学ヨット部のコーチをしています」
「私はDと申します」「わたしはKです。お嬢さんの成績をチェックしておきますね。よろしくお願いします。では」。
ヨット乗りは絶滅危惧種で狭い世界だから、声を掛ければ何処かで繋がっています。

出艇時間になっても無風なので、キャプテンはトップチームで全日本会場で遠征中なので、3回生の居残り組仮キャプテンに、「1回生マネ操船練習させてもいい?」とOK取って、1回生マネさん3人+4回ボスマネ1+2回マネ1と一緒に沖に出ました。
4回マネさんが横に付き、新人マネさんの離岸・着岸訓練が始まりました。
3人が交代し、ボスマネさんから教えてもらいながら練習します。

ボスマネさんは、上手くない操船で桟橋に上手に接岸できない状況になってもデッドライン直前まで自由に操船させ、最後指示を出していました。
沖では何度も操船していますが、離岸着岸の方がずっと難しいので練習自体初めてです。
今まで上回生マネさんが操船しているのを見て学んだだけの知識だけです。

ついつい手取り足取り失敗しないように口出ししたくなりますが、自分なりの考えでやってみるのが大事です。
自分で失敗を重ね修正して行くのが、最も早く技術を身につける方法です。
「転ばぬ先の杖」をしてしまうと、自ら学んで身につけないので、薄っぺらな技術になります。

さすがボスマネとして4回生5人の中から選ばれただけあります。
人を育てるコツを知っています。
接岸後、改善点などを身振り手振りで笑顔で教えています。
良いお母さんになりそう。
こういうお母さんに育てられた子は、多くの失敗・成功体験を積み、自分の足で立っていける子になるでしょう。

晴れているので、11時になれば北風が入ると予想した通り、10:30頃北の琵琶湖大橋の方にブローが見えだしました。
晴れて陸地が温度上昇し上昇気流が発生します。
その薄くなった空気を補うため、日中夜間の温度変化の少ない海から陸に向かって風が吹きます。
練習している琵琶湖南湖は、犬の尻尾程度に東西の幅が狭く、圧倒的に巨大な北湖から海風が入ります。

マネさんに陸上に連絡してもらいました。
練習に出てきます。
その前にハーバーバックする予定でしたが、レーザーもレース出来ると判断したようで、レース艇が続々出艇して来るので、沖で待つことにしました。

動作練習とショートラウンディングマーク練習して終了。
ハーバーバック~合宿所で昼食後、午後のトレーニングしてブリーフィング後出艇。
動作練習とスタート練習・ショートレース練習。

16:30にハーバーバックし、僕は先に合宿所に引き上げました。
AM・PMとも1回生マネさんが離岸接岸ドライブデビューしました。
ミーティングが始まりました。

今合宿の仮キャプテンは、1ヶ月後就任するだろう次期キャプテンです。
3回生で決めたのだろう次期の構想を実践しています。
コーチ(この日は僕だけ)の話~クラス別ミーティング~全体ミーティング~夕食~全員掃除~自由時間~消灯の流れでした。
今季までは、全体~夕食~掃除~クラス別~自由時間~消灯でした。

夕食を終え、掃除時間になったのでバイクに戻りました。
部員に聞いた風呂屋に向かいます。
「大津湯」と聞いていたのでスマホ検索したらヒットせず、「近江湯」でした。

スーパー銭湯が大流行ですが、料金が安い従来型風呂屋はいいね。
学生時代は合宿が多かったので、家の風呂より風呂屋により多くお世話になりました。
圧倒的に家風呂より温まるので、家族を持ってからも日曜日は家族全員で風呂屋に行っていました。
息子2人とお風呂でいろいろやりました。
人のいない時は水泳教室やったり・・・。
部員は皆合宿所シャワーです。

20:21「セブンイレブン大津松山町店」で、「ブレンディ挽きたてカフェオレ500ml169円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー138円=307円」を購入し、合宿所に戻りいつものヨーグルトタイム。
1回生マネさんの「ねえ、BFさん紹介してよ~」に応えるべく、スマホで友人写真を出して「こいつはな~」なんてやってます。
若者の恋バナは、聞いているだけで楽しいね。

僕の学生時代は、風呂から帰り自由時間になると、皆バラバラになり勉強していました。
僕は自分の車に入り、トランクから出した教科書など読んだり、レポート書いたりしました。
合宿中の貴重な自由時間なので、勉強しないと単位が取れません。
家に帰れないので時間を惜しんで勉強したけど、意外に効率が良かったのか、卒論がトップ7優秀賞に選ばれ、上出来の成績で学部を卒業しました。
全国制覇した2年上の代のキャプテンは、学部1番の学業成績で卒業し、卒業式で卒業生代表でスピーチしました。

OBルームに入りベッドに横たわり、1人消灯し「おやすみ~」。
2段ベッドで4人寝れます。
部員全員いる時は芋洗い状態なので一緒に夜を過ごす気はないが、半分いないので余裕があり、OBルームは僕1人でした。

10/7・大津祭

コーチしてる大学ヨット部のコーチング日です。
今回は、トップチームが今月末から始まるインカレ団体戦に向けレース開催地入りしているので、下級生だけということもあり1泊2日間コーチです。

3:30に目が覚めたので活動開始。
いつも+お泊りグッズを「里山VTR250」リアボックスに入れ、4:30に家を出ました。
R171~中央環状線~大阪府道r14~R171で大山崎。
京都府道r204で桂川を渡り、r124~r79で観月橋。
六地蔵から北上し、山科でR1に合流します。
いつもなら湖西道路に乗るのですが、分岐を通り過ぎ、「逢坂峠」を越えて大津に下りました。
R161にチェンジし、5:53大津旧市街地ど真ん中にある「天孫神社」。

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この日は「宵山」で、明日は「山建て」という曳山がある「大津祭」当日です。
大津祭って、近江一の宮「建部神社」のお祭りだと思っていたら、大津市京町にある「天孫神社」のお祭りだそうです。
江戸時代に始まった京都祇園祭に似た豪華な山車が町内を曳かれるお祭りだそうです。

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時間調節のため下道で来たのに、まだ薄暗く境内にテキ屋の屋台の灯があるのみです。
屋台へのいたずら防止なのか、石鳥居に掛けられた網で境内に入れずお参りが出来ませんでした。
市街地にあるお宮なので境内は広くなく、屋台に埋め尽くされている感じです。

『祭神:彦火々出見尊・国常立尊・大己貴命・帯中津日子尊 例祭:歳旦祭・1/1 月次祭・毎月10日 例祭・10/10
人皇50代桓武天皇の勅命により其地鎮護の神として四座の神を仰ぎ奉らせたもう今の四宮の社である。歴代国司の崇敬を受け、文禄4年10月近江守源朝臣高次よい当郷の内30石の地を寄付され、元亀中の遷宮につき佐々木家より造営寄進あり。
豊臣秀吉公の大津城築城以来、全城下の鎮護神として当時の摂家たる近衛家の崇敬篤く文政13年庚寅年6月拝殿拝所の造営に預かった。
例祭を10月10日にして、曳山13本祭礼の行粧として綾羅綿繍の惟帳を垂れ笛鐘鼓を以って囃し数々の木偶人を載せて機械の巧を為し、所望と云えて機者に乞うことあれば傀儡をなし、氏子の町々を巡行するその美観壮観は大津祭と称し湖国一の大祭である。
当社は元四宮神社、または天孫第四宮大明神とも奉称され、明治維新の際「天孫神社」と改称した。 昭和47年9月 記:宮司・滋賀行明』

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道路を隔てた斜め向かいが「滋賀県庁」で、戦前の重厚な建物が目を引きました。
『本館は、総工費200万円で昭和12年より改築に着手、同14年5月に竣工しました。
設計は早稲田大学大隈講堂、群馬県庁等を設計したことで知られる佐藤功一氏です。鉄筋コンクリートの4階建で中央には塔屋がそびえ、左右に事務室、そして正面玄関には大きく車寄せを配したその容姿は、ルネサンス様式らしい格調高い存在感を放っており、本県を代表する近代建築の一つとされています』

僕の通った中学は、メンソレータムで有名な近江兄弟社を創業した建築家ヴォーリス設計でした。
大正から昭和30年代まで活躍した建築家で、戦前の重厚な建物と広い廊下、踊り場のある広く緩やかな階段が人の営みに調和し、温かささえ感じる素晴らしい建物、そして今も現役である生命力のある建物でした。
一見斬新で素晴らしく目を引くが「耐震」がどうのこうのとかで取り壊し再建される戦後即席ビルとは思想の違いを感じる。

曳山を探しに、コンチキチンの鐘の音が華やかな裏道にバイクで入ると、すぐに見つかりました。
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男たちが曳山の組立作業中で、前日の雨を避けるためかシートに包まれた曳山をお披露目していました。
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子供さんたちが曳山2Fに載り鐘でリズムを刻んでいます。

東西を走りその路地は通行止になっており、他の曳山も見えました。
曳山のカバーには町名が書かれており、横の町家2Fと曳山2Fが即席通路で繋がっています。
次々に飾り物が運ばれ、曳山がどんどん豪華になっていきます。
前日から道路を封鎖し、曳山を出して組み上げ、今朝から飾り付けを始めるのかな?

この道を西に向かって歩いてみました。
曳山が時々置いてあり、男たちが朝から忙しく飾り付けをしています。
横の町家は昨夜から徹夜でもしていたかのように、灯りがつき、町内の曳山本拠地になっています。
商店には家紋と家名を染め抜いた帳が下り、あるいは下げ始めており、祭スタイルの装飾を窓越しに見せているお店もあります。
朝イチから祭が始まっています。

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中央大通りを渡るところに、「大津祭曳山展示館」の常設道標が設置されていました。
こんなに街に溶け込んだ文化だったのに、毎月大津の琵琶湖に来ているのに知らなかったとは・・・歴史好きとして不覚でした。

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太鼓を叩いて祭気分を盛り上げている曳山がありました。
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大津祭の曳山の動輪仕様が同じで、前輪1つ・後輪2つの3輪車です。
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背丈ほどの大きな車輪で引くのと回転が少しは楽そうです。
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飾りが豪華で天井裏の絵・柱の色・飾り板の彫刻が目を引きます。
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人形が乗っている曳山もあります。
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全曳山に共通しているのは、前方に松の生木が前向きに取り付けられていることと、豪華刺繍の大きな帳が下げられていることです。

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アーケードが覆う「丸屋町商店街」に入ると、ここにも曳山がありました。
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着物を着た人形が載っており、雨対策のためアーケードの下なのかもしれません。
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商店街内にある「永順寺」でUターンします。

『蝉に聞いてみた 土中の7年間、地上の7日間、どちらが良かったかと。 蝉が答えた そんな違いがあったのか!?と 当院住職』

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ここで6:15、カメラを持った観光の方が数人見えだしました。
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曳山は京都の祇園祭ほど大きくはないけど、こちらの方がずっと観光客が少なそうで見学するならこちらかな?

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「コンチキチン」、最初の曳山まで戻ってきました。
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人形が2体載っています。

『湯立山 寛永3丙寅年作製 本年により336年の昔 最初孟宗山と称し、寛文年中湯立山に替る。之はこの山にて天孫神社の祭神に湯を奉ると云う事になっている。即ち、その建物は拝殿を型取り周りの様式は天孫神社の回廊を模したるものなり。昔より、この湯を掛けられたるものは五穀成就・病気平癒・商売繁昌などのの縁起がある。
所望:祢宜が祓いを成し、巫女が笹葉にて湯を奉るところなり
飾り物:胴幕の絵は円山応挙の筆なり。欄間の彫り物四神旗・青龍・朱雀・玄亀・白虎の彫刻は左甚五郎の作なり』

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飾り付けに熱心な男衆の背中には揃いの「湯」がプリントされている。
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次の曳山の覆いが片付けられており、「神宮皇后山」となっていた。

10/5・運動会

長男のお嫁さんが、LINEに近況を投稿してくれました。
嫡孫りょうくん5才は、相変わらず楽しく幼稚園に通っています。
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年少さん(プリスクール)・年中さん(プリK)を経て、この9月から年長さん(キンダーガーデン)に通い出しました。

日本で3年保育幼稚園に通う寸前の4月に長男が海外勤務になり、日本での入園をキャンセルし、4月に生まれた弟が4ヶ月になるまでお嫁さん達3人は実家暮らしし、8月に長男が迎えに来て始まった家族での渡米暮らし。
翌9月からプリスクールに通い出しました。

日本での集団生活経験なしに、初めてのスクールがアメリカでした。
長男同様、物怖じしない性格なので、言葉が通じないなりに楽しく通いだし、1ヶ月もすれば幼稚園のない日がつまらないぐらいになりました。
今や英語生活にも慣れ、クラスで一番のお喋りでむしろクラスの中心です。

日本で生活している時から、お喋りで公園に行くと小学生のお兄ちゃん達の輪に入って一緒に遊ぶ性格から、言葉が通じない環境でも大丈夫すぐ慣れると思ったとおりで良かったのですが、日本から送られる「こどもちゃれんじ」などの日本語教材よりアルファベットの勉強の方が簡単なので、日本語教材を敬遠するのを困っていました。

そこで長男夫婦が困って頼ったのが現地の日本語学校です。
ニューヨークなどの大きな街ではないので終日の日本語学校はないのでしょうが、6月から土曜日だ
け通い始めました。

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その運動会に参加したそうです。
写真を見ると、生徒もみな日本人と思われ、日本でのそれと変わりません。
かけっこ・玉入れ・どら焼き食い競争などで楽しんだそうです。
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親子ダンスのメニューが有り、お嫁さんもりょうくんと頑張ってきたそうです。
こちらの様子は、日本の運動会そのものです。

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こうちゃん2才は、りょうくんに色々な英語を教えてもらい、少しずつ覚えているそうで、ママに単語を言われそれを英語で表現しています。
ビデオでその様子を見ると、長男夫婦がネイティブと同じと言うりょうくん先生からのイントネーションを耳コピしているので、「おっ」と思うイントネーションで答えています。

来年4月で長男の赴任は3年になります。
アメリカでのプロジェクトの進行具合にも由るのでしょうが、その後はわかりません。
日本帰国もあるでしょうが、前任者がスコットランド支店勤務になったので、そうなるかも?と言っています。
次は、そのままアメリカ?スコットランド?日本?
どうなることやら・・・

こうちゃんはタレ眉毛で人懐っこい性格です。
プリスクールに通い始めてもきっと人に好かれると思います。
楽しみです。

また、りょうくんは12月の日本語学校学芸会でおむすびころりんの主役・おじいさん役に選ばれたそうです。
長男の何にでも「僕がやりたい」と立候補してきた性格からすると、りょうくんも「僕、おじいさん役をやりたい」と立候補して選ばれたような気がします。

長男はやりたがり屋さんなので、たくさん失敗しましたが、いつも上手くやろうと頑張るので頼もしく、失敗もみな前向きの失敗だったからそれも頼もしかったし、面白かった。
保育園年長組の運動会で必死に走り、リレーで自分のチームが勝つためお友達を誰よりも大げさに応援し、負けると大きくがっかりし勝つと踊りだしました。
保育園の保母さんたちを「スキーに行こう」と勝手に誘い、「あの~息子さんに誘われたのですが、スキーに連れて行っていただいても良いのですか?」と保母さんに言われた時は驚きました。
独身の可愛い女性たちにスキーを教えた時は、ラッキーだなと思いました。

小1の運動会で選手宣誓をする時は、朝一番に学校に行き、両親含め皆の席をゲットしビデオカメラに収めました。
その冬の親子学年マラソン大会で、先にスタートした親レースで僕が1番でフィニッシュして待っていると、長男がこれまた1番でテープを切りW優勝しました。

修学旅行では高校の時までいつも委員長になり、自分で考えたという「留守番電話サービス」に電話すると、初日は息子の声でこの日の出来事録音が話され、家内と修学旅行期間中何度電話したことか・・・

嫡孫りょうくんもその遺伝子をしっかり受け継いでいるようです。
長男夫婦をこれからも楽しませるでしょう。

10/4・自衛隊創立記念日予行演習

10/7は、近所の自衛隊の創立記念日です。
子供たちがチビの頃は、毎年この日と「春の桜まつり」に自衛隊駐屯地内に入り、戦車に乗ったりしていました。
2年前、ちょうど次男の子すみれちゃんの初宮参りで帰省したのがこの日で、隊内で模擬演習などを見て楽しみました。

今週に入り、連日その予行演習が行われています。
機関銃の音や大砲を撃つ音、ヘリコプターの飛来など賑やかです。
回覧板で近隣住民に大音量での迷惑を掛けることなど広報されました。
基地の街に暮らしているので、大型ヘリに乗って淡路島上空散歩など近隣住民サービスがあり、親父はよく出かけていました。

アパッチ型攻撃ヘリを先頭に、高速小型ヘリ、最後に双発の大型ヘリを連ねる6機編隊が飛んできたので、見に行くことにしました。
通勤リード110に乗りブイーン。
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官舎と格納庫土塁に囲まれた運動場が見えるポイントに行くと、装甲車・ジープ・戦車・自走式榴弾砲などの車両が並んでおり、迷彩服姿の隊員がスタンバイしています。

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お姉さんのアナウンスに従い、整列して出番を持っていた戦車・装甲車が出張って行きました。
戦車は何馬力あるのか知りませんが、ディーゼルの唸り音を上げています。
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戦車の横にレッドライオンマークがあり、中部方面総監部管轄内近江今津の第3戦車大隊から来援したようです、カッコいい。
榴弾砲が、射角を瞬時に変え、大砲を掃除・砲弾詰め・空砲発射を繰り返しています。

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PAC3も来ていました。
数年前、北朝鮮ミサイルが日本列島を飛び越えた時、ここにPAC3が実戦配備されミサイル発射台が空を向いていました。
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あの時担当隊員は、交代で24H配置に着いていたのでしょう。
水陸両用車とすぐ解る「水際地雷敷設車」も来ていました。

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ここは中部方面総監部という陸自で最も守備範囲の広い中部地方から近畿中国四国をも守備する部隊の大将がいる基地です。
防衛大臣や副大臣が来援するのが常です。
運動場西側に設置されている観覧台で見守るはずです。
この日も黒塗りの公用車が2台停まっており、迷彩服の隊員2人に警護されていました。

いつものように、正門・副門を睨む位置にある建物屋上に、大型ビデオカメラが設置され隊員が撮影していました。
反体制派に睨みを利かせています。
数年前の創立記念日当日、我が家から見える路上に乗用車が停まり、私服の公安警察官が正門などを見張っていました。
今年も、公安警察が何処かで見張っているはずです。
以前より沈静化したとはいえ、数年前総監官舎が爆破された事件もありました。
新聞には「ぼや」「不審火」と書かれていましたが、大音響の爆発音があり、総監官舎前道路に多数の警官が出ており、多数の迷彩服自衛官も出張っていました。
一般市民が目に触れない所で、日本の共産化を食い止める暗闘が続いています。
基地のある街に暮らしていると、時々その一部を目にします。

子供の頃からここに住んでいるので、メーデーになると労働組合の赤旗が並び、大量の労働者や学生が反政府・反自衛隊を叫ぶ環境で育ちました。
警備する警官とのいざこざや、反対シュプレヒコール後のゴミの片づけをしてきました。
演習を見ていると実に頼もしいです。
日常に迷彩服の隊員が出勤する姿があるので、つい「ご苦労さま」と声を掛けてしまいます。

よく演習の最後に、またヘリが飛んできました。
重装備アパッチ型攻撃ヘリと少し軽量な攻撃ヘリが基地手前でホバリングし、アナウンスに合わせたのか急速発進し基地上空を全速で飛び去って行きました。
フィナーレのようです。
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