3/31・志染の石室~御坂サイフォン~淡河八幡神社~北僧尾農村歌舞伎舞台

 11:26、「志染の石室」。
Pに入れ、山に入る所に獣避けフェンスがあり、開閉して山に入り遊歩道を歩いて行きます。
山側に桜が咲いている。

『志染の石室は、二皇子が隠れ住んだ所と伝えられています。皇子はやがて23代顕宗天皇(次男:弘計王)・24代仁賢天皇(長男:億計王)として即位されました。二皇子ゆかりの26代継体天皇お手植えの桜が岐阜県本巣市根尾谷に樹齢1500余年の老桜樹「淡墨桜」として今も咲き続けています。
本市に伝わる「二皇子物語」と縁のある「根尾の地」より苗木を譲り受け、市の発展と伝説の桜がこの地に根付き、更に次の世代へと花開き夢拓くことを願い市制50周年を記念しここに植樹する』

小川沿いの遊歩道が二手に分かれている。
20180331HarimaS0105s.jpg 野生の勘で下りの道を選択して進むと、志染の石室があった。
『志染の石室・金水 高さ2.7m・幅14.5m・奥行7.2mの石室で、中は一年中湧き水をたたえています。「日本書紀」によると飛鳥時代、後の顕宗天皇と仁賢天皇が幼少の頃、政変の難を逃れて隠れた石室といわれます。
その中の湧き水は、天然記念物の「ひかり藻」の作用により、12月下句~3月初句には色を変えることがあるため「窟屋の金水」とも呼ばれています』

20180331HarimaS0108s.jpg 『窟屋の金水は、志染の石室の中に湧く水が、ここに生息している「ひかり藻」の作用で春には溜まり水が金色になるなど、四季折々に色を変えることから、こう呼ばれています。ただし、最近では溜まり水が金色に変色することは稀になっている』

志染の石室は、地層の断面に出来た奥行きのない洞窟で、上から湧水が常に落ち、内部に池ができている。
確かに緑の藻が表層の一部を覆っている。
これが光藻なんだろうか?
冬に来ると金色に光っているのが見れる時があるのか・・・。
その前が広場になっており、石仏が並ぶエリアがある。
広場の中央に東屋があり、ここが紹介された新聞記事などのスクラップが壁に貼られていた。

広場を隔てて緩やかな流れの川がある。
遊歩道が続いており、それを山に上ると、更に二手に分かれていた。
小高い丘を周遊しているように見える。
奥の道を選択してもPに戻ると思ったけど、鋭角に曲がる方に進路を取ります。
もと来た道になりP。

r38を見下ろすように並走する枝道を東進します。
20180331HarimaS0118s.jpg 11:51「御坂サイフォン」の上を渡る地。
播磨の大穀倉地を支えているのは水です。
日本有数の溜池の多い地域ですが、明治時代イギリスの技術者を招き、三木市の北の地域から、丘陵地の起伏を上り下りしながら播磨南部に水を運ぶ大運河パイプトンネルを完成させました。
以来何度か更新されながら、現在に至っています。
ここから、パイプと共に淡河川を渡るアーチ式石橋や淡河川に向かって北の丘陵地から下るパイプ、そして反対に南の丘陵地を登っていくパイプが見える。
大土木工事の一端が見える現役でもあるが歴史史跡でもある「御坂サイフォン」の全貌が見渡せます。

20180331HarimaS0119s.jpg 『神戸市北区淡河町木津の川から引かれたこの疎水は、総延長26.3kmの水路です。
明治24年に完成した水路には、28ヶ所の隧道があり難工事であった。中でも芥子山(けしやま)隧道は、土質が崩れやすく湧水が多いため請負人の手に負えず、県の直営工事に改められた。3年4ヶ月を要した隧道が明治25年に完成し、新田を潤した。しかし豪雨によって築堤が崩壊し、明治27年復旧完成した』

20180331HarimaS0127s.jpg ふと見ると、近くの民家の枝垂れ桜が満開になっており、見物の方が数人いた。
そちらに移動して見よう。
見事に満開の姿を見せており、そのおうちの一家がテーブルと椅子を庭に出して自宅花見を楽しんでおられました。

20180331HarimaS0132s.jpg r38に合流し東進して、12:06「淡河八幡神社」。
淡河を領した有馬氏縁の神社で、何度か訪問しているが、満開の桜に惹かれての寄り道です。

『有馬氏 八幡神社本殿造立(増立) ご存知、中央競馬暮れのグランプリ『有馬記念』は農林大臣有馬頼寧(よりやす)氏の数々の功績を称え、記念して出来たレース。この有馬頼寧氏の先祖が有馬則頼(のりより)・豊氏(とようじ)父子で、則頼は三津田(満田)城で生まれ、後に淡河城主・淡河氏を滅ぼして淡河城主となる。ここに誕生したのが豊氏。有馬氏は八幡神社を祈願所として崇敬し、ご本殿をさらに大きく造立した。
後に有馬豊氏は、豊臣秀吉の勢力拡大に多くの功を残し、秀吉の恩恵を受け久留米21万石の大名となり、益々の発展を見たのである。
淡河氏は鎌倉時代に淡河城を築き、淡河の城下を整備。八幡神社は淡河氏の崇敬祈願所でもありました。淡河一族は今なお、全国各地で名士として活躍されています。
ご祭神 本殿 奈良時代末期より:表筒男命(うわつつのおのみこと) 平安時代中期より:安閑天皇(あんかん) 鎌倉時代初期より:応神天皇
末社(裏参道):武内宿祢命 末社(裏参道):大山津見神
遥拝所(裏参道):天満宮 遥拝所(境内上):伊勢神宮
銅像(境内上):神馬一体 句碑(表参道):坂井県知事・杜山悠(3年連続直木賞候補)』

『東播磨国・淡河郷鎮守・八幡神社 奈良時代末期・宝亀10年(779)住吉の神「表筒男命」を、次いで平安時代中期・仁平年間(1151-1154)吉野の神「安閑天皇」を祀る。
鎌倉時代の初め・貞応2年(1223)相州鶴岡八幡宮より「応神天皇」の御霊を迎えて社号を若宮八幡宮と称し、その神域を八幡の社と呼んだ。
創建以来、淡河郡(庄)一円の総鎮守と仰がれ、淡河氏・有馬氏・明石藩歴代の崇敬祈願所ともなった(明石藩・黒印高5石)』

『淡河八幡神社御弓神事(県指定重要無形民俗文化財) 御弓神事とは、一年の除災招福を祈る行事の1つで、毎年2月11日に社前で行われます。鳥居下の大的に宮司が「鬼」と墨書し、すぐ塗りつぶし、災害の根源を封じ込めます。次に氏子から選ばれた正副4人の射手が神前から矢を放ち、この的を射て、根源の悪霊を鎮圧し、的の中心を射た矢は神前に供えられます。古式をとどめた厳格な作法が守られており、その起源は相当古いものと思われます』

20180331HarimaS0150s.jpg 境内の奉納神馬の腹に、「五七桐紋」が描かれていました。
摂津有馬氏は巴紋、肥前有馬氏は木瓜紋、淡河氏でもありませんでした。
江戸時代この地を領した明石藩歴代藩主は、小笠原~松平~大久保~松平~本多~松平と続いていた。
菊紋と並ぶ天皇家の家紋で、武家を懐柔するため有力武家に使用を許した。
有馬氏は豊臣秀吉の登用によって家勢を上げたので、秀吉から有馬氏が賜ったのかもしれないし、秀吉縁として使用されているのかもしれません。
勝手に僕の想像の翼が広がって行きます。

20180331HarimaS0157s.jpg バイクに戻り、r38を東進し、R428との交差点を左折しR428を北上します。
淡河町北僧尾地区に入り枝道に逸れ、12:22「北僧尾農村歌舞伎舞台」。

『北僧尾農村歌舞技舞台 県指定重要有形文化財 江戸時代の末頃から明治にかけて全国各地で建てられた農村歌舞伎舞台の1つです。この建物は、安永6年(1777)の墨書があり、現存する舞台の中で最も古いものとして注目されています。
一般に舞台は神社境内に建てられることが多く、奉納芸能であったことがわかります。
神社には長床と言って神事のために使われる建物がありますが、この舞台はそれと舞台を併用した形に作られています。正面右端の突出部は、「チョボ床」と言われ義太夫・三味線の座で、舞台用に造られたもの。木組みで当初からあった事が解ります。正面下部にある横板は「バッタリ」と言われ、平素は雨戸として使い、上演の時は前方に倒し、舞台を広く使えるように「ちょうつがい」で結合されています。この装置は、この地区にあった15棟の農村舞台の特徴でもあります』

20180331HarimaS0165s.jpg 「ちょぼ床」があまりに小さく、ここに三味線奏者が入るとは辛い仕事だなと想像しました。
20180331HarimaS0166s.jpg 「バッタリ」も確認でき、バッタリの下に前に倒すと出てくる脚が一定間隔でついていました。
舞台を広く使う時、脚がないと安定しないものね。
でもまあ、もっと脚を太くするとか多くしないと、出演者全員が前に来ると脚が折れそうです。
綺麗に葺かれた茅葺屋根が厚く、とてもいい感じです。
今でも秋祭りの時などに、使われていそうです。
「厳島神社」の境内にあるのですが、歌舞伎舞台の方が存在感が強い。

細かな起伏が連なる農村地に点在する鎮守の森を視認してバイクで走ります。
20180331HarimaS0169s.jpg 12:32「厳島神社」。
手水舎の上に謂れ板が下がっていました。
『獅子舞の由緒 永正の頃より南僧尾村に在住していた能の一派・福王氏が天正の頃に創設したもので、松尾神社や厳島神社に奉納したものが伝えられたもので、類例の少ない雄獅子です。9/12に松尾神社・13日当社で奉納されている』

こんなに近くに、2つも厳島神社がある。
「六條八幡神社」の謂れ板に、六條判官為義から平清盛に、そして平家没落後源氏の領地に移ったと書かれていたので、平家領だった時代の名残りと想像しました。


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3/31・六條八幡神社~無動寺

20180331HarimaS0048s.jpg 『八幡神社三重塔 重要文化財指定・大正3年4月 檜皮葺・初重内部来迎柱後退 山田の歴史は、神社を中心に発展したところで、多くの文化遺産を残している。
この塔は、500年前の文正元年(1466)神社の世話役であり、地方の有力者であった鷲尾綱定によって建てられた。
20180331HarimaS0051s.jpg 縁の木々を背景に、柔らかな檜皮葺(桧の皮で屋根をふく)と上層を区切る細縁の手すりなど優美な姿を見せている。軒先の強い反りや上層になる程小さくなる形に室町中期の特徴が見られる。
仏教建築である塔が神社にあるのは、神仏は一体であるとの考えの現れでが、明治以降は区別され、神社にあった塔の多くは姿を消しました。いま全国で18、県下で3ヶ所残っているが、その1つです』

拝殿にお参りしたら、「丹生山田の里だより」という「ご自由にお取り下さいパンフレット」が置いてあった。
源義経~鵯越の道、相撲と山田、お不動様、義経と三草山などの項目で解説されており、以前訪問した「朝光寺多宝塔」が写真入りで紹介されていた。
上谷上天満神社の農村歌舞伎舞台の茅葺屋根の葺き替えも紹介されていた。
訪問してみたい場所がまた増えた。

本殿の左エリアを巡っている間、社務所の会話が何となく耳に入っていた。
氏子さんらしい年配の男性とその娘さんらしい女性が社務所を訪問した。
誰もいないので呼び鈴を押して、インターホン越しに会話している。

社務所に出てきた方に、「お願いしていたご祈祷をお願いしに来ました」「え~と」と応えたのは宮司さんの奥様らしい。
しばらくして出てきた宮司さんは困惑気味で、予定になかった風。
「今日の何時でした?」「・・・」「また出直して来ましょうか?」「いえ、15分ほどで準備できますので・・・」。
本殿の方に歩いていかれ、拝殿前で男女が待っている。

20180331HarimaS0055s.jpg そんな光景が僕の後ろで動いていた。
一段落したのを見計らって社務所を覗いた。
数種類の絵馬が下がっていたので、それに興味があった。
また誰もいなくなったと思っていたら奥様がいた。
縁結びの御守りの柄が、男女が向き合う柄で珍しかったので授かった、600円。

20180331HarimaS0060s.jpg バイクに戻り、枝道を山に登って行き、10:13「無動寺」。
『無動寺 真言宗 高野山の高僧、真源和尚が郷里の荒廃した寺院の再興を発願し、半生を捧げて村
人と共に復興(宝暦2年・1752)したのが今の無動寺です。古い確実な記録はありませんが、仏像が平安期のものであり、鎖守社であった若王子神社に永仁5年(1297)の棟札があることなど、古くて大きな寺院であったことを示しています。
仏像五躯:いずれも平安末期の仏像として、国の重要文化財に指定されています。
木造大日如来坐像:巨大な丈六仏(立てば一丈六尺)で、如来でありながら宝冠や装飾品をつけ、独特の手印を結んで広大無辺の慈悲を表しています。顔は面長で奥行があり、腰はしぼられ、下半身は大きく作られています。彩色されない素地像や地方作が多くなるのはこの時代からで、この像もその一つと見られています。
木造釈迦如来坐像:量感があり、意力に満ち、前方を見つめる眼、頭部の盛り上がりと地髪との境がはっきりしないこと、螺髪(らほつ)が大きいことなどは平安初期の仏像に見られる特徴ですが。彫法が浅く鋭い切味を消している点で後期の作と見られる。
木造阿弥陀如来坐像:極楽浄土の主として広く信仰されています。他の4像が檜材であるのに対し、この仏像は杉材で造られていて、時期もやや下がるのではないかと見られています。
木造十一面観音立像:頭上に十一面をいただく観音で、お顔は端正で気品があります。柄紋中央の渦紋(かもん)、裳すそが足首より上にあるなど古い形式が見られます。
木造不動明王坐像:火焔を背に剣を持ち、眼を見開いたお姿は、大日如来の力を現したものです。内部は見事にくりぬかれており、中央仏師によって造られたと見られています。光背の火焔は江戸時代の作です』

20180331HarimaS0076s.jpg 鐘楼があったので、寄付箱にお賽銭して手を合わせゴーン。
良い響き・・・。
定番の弘法大師像が境内にある。
謂れ板に書いてあった仏様を拝みに本堂に入ると、女性の方がおられた。
ご住職の奥様を話されているようです。
拝観料300円をご住職に渡すと、縁起パンフレットがいただけた。

20180331HarimaS0069s.jpg 「グルリと一周できますので・・・」。
本尊正面に座り、手を合わせいつものように、これまでの僕の人生の平穏な来し方に感謝の言葉を述べた。
山寺であるためか兵火に遭っていないようで、仏像は素晴らしかった。
彩色されず木地そのままの本尊は珍しい。
そして意外に大きかった。
説明板で、これら数体の仏像が、大きなお厨子に入っているのがわかった。
土蔵が本堂後ろにピッタリくっつき、大きな土蔵扉が本堂内に向かって開いている感じです。
これまた珍しい。
この構造なら、火災発生時でも、巨大厨子の扉を閉じれば仏像への延焼を食い止められそうです。
民家は土蔵を使った工夫がいろいろされて来たのに、寺院では本堂内お厨子に本尊がおられても、お厨子が木製だったりで、火災に対しては無防備だったように思う。

20180331HarimaS0070s.jpg パンフレットには、『推古天皇の時代、聖徳太子が物部大臣守屋を討たんとして、鞍作為(為仏師)に命じ、本尊大日如来及び諸尊を刻ましめて戦勝をご祈願されたところ、忽ち大軍を征破することができたので、七堂伽藍を建立して普救寺(福寺)と名付けられたのに始まります。
その後幾度か盛衰の変遷があり、記録等は散逸して、多くを知ることができません。縁起(慈雲尊者真筆)によれば、現在の堂宇は中興開山池源阿闇梨か帰省の折、当寺の荒廃を見て、復興の悲願を発願され、二十数年の勧進努力の結果、宝暦2年(1752)3月、再建されたものであります。
明治8年廃仏毀釈により、末寺と統合して現在に至っております。中興開山員源阿闇梨(1689~1758)は北区山田町中の出身で、高野山成蓮院に住し、左学頭にまで昇補された高僧です。
本堂・奥殿:指定文化財が安置されております。いずれも平安時代。国指定重要文化財 大日如来座像:桧材一木造:像高2.7m 釈迦如来座像:桧材一木造1.2m 阿弥陀如来座像:杉材一木造1.2m 不動明王座像:桧材寄木造0.84m 十一面観音立像:桧材一木造1.5m  県指定重要文化財 阿弥陀如来座像:桧材寄木造・1.2m
若王子神社本殿(国重文) 無動寺の鎮守社で、若一王子権現を祭祀し、永仁5年(1297)および応永15年(1408)の棟札があります。三間社流造の社殿で、屋根に竪板葺を残しているのは珍しく貴重です』

境内の片隅に石鳥居があり、そこから石段が上がっている。
上がっていくと覆い屋に守られ本殿があった。
ここらは、明治維新の廃仏毀釈の嵐が穏やかだったようで、それ以前の神仏習合の姿がそのまま遺っているようです。

『若王子神社本殿 重要文化財(国指定大正3年) 神社建築に多い三間社流造の社殿。棟札により、室町初期・応永15年(1408)に建てられたものとわかる。
無動寺(昔は福寺)の鎮守社として建てられた。570年の長い年月を経ていますが、当時の姿をよく残し、この時代の建築様式を知る上で貴重なもの。 屋根を厚板で葺いている。 側面(妻)上にある破風板は、曲線の一枚板。 破風の出会っている所の棟木の飾板(懸魚)もなだらかな曲線で彫られている』

うぐいすが綺麗に鳴いている。
我が家にも例年通りうぐいすが鳴き、夜が明けるとそれが聞こえてきて、春の訪れを告げてくれています。

バイクに戻り、山を下りr85に出て西進。
10:56「ローソン神戸山田町坂本店」で、「ミニクリームパン100円+ボスとろけるカフェオレ162円=262円」を購入。
11:05「呑吐ダムP」に到着。
先客バイクが4台いた。
座ってパンを食べ昼食。
皆さんはそれぞれのバイクの周りを見ながらあ~だこ~だ。
11:16に出発し、r85をさらに西進~北進しr38に突き当り、左折してr38を西進します。


3/31・六條八幡神社

1週間前、コーチしてる大学ヨット部が僕のホームポートをホームとしている大学ヨット部(大阪・神戸)にお世話になり、合同練習をしました。
水曜日にトラックに船を積んで移動し午後から練習開始し、金曜まで朝から夕方まで同じタイムスケジュールで海上練習し、食事も日没後のミーティングもご一緒しました。
最後の土日2日間は、僕の母校KGが主催するレースに参加しました。

僕は土日のみ参加しました。
私自身が他大学にお世話になるのに、その前に時間がなく手ぶらで参加してしまいました。
僕の不義理は、クラブの不義理に繋がるので、数日前に「もち吉」でおかき詰合せを3つ購入しました。
缶入りなので、食べ終わった後何かに使えそうです。

朝の出艇前にヨットハーバーに寄り、お礼を言ってからツーリングに行くことにしました。
7:31、「里山VTR250」に乗り自宅出発。
雨は降らない予報なので、リアのバイク便ボックスからカッパを降ろすと、おかき缶3つしっかり入っちゃいました。
ネットで括ろうと思っていたのにラッキー。

この日から春秋装束に変更しました。
下着の上にタートルネックとタイツを履いて、夏用メッシュプロテクター上下を着ます。
その上にDAIWA釣りスーツです。
防水スーツだし防寒だし、薄いので軽くお気に入りです。
バイク用レインスーツのように細身でないのが嬉しいです。
寒ければ中に色々着れます。

R171を西進し、7:54YH着。
カードキーでディンギーヤードに入り、学生の艇庫に向かいます。
神戸・大阪は開いており、フィッティングした艇が艇庫前スロープに並んでいます。
神戸艇庫前では練習に出艇するようで、部員が集まりだしています。

「すいません、先週お世話になった・・・」と声を掛け、キャプテンにお使い物を渡し、今後の交流をお願いし頭を下げます。
続いて大阪。
部員はスロープにおらず、艇庫内にもいないので、2Fドアをノック。
返事がないので「ごめんください」とゆっくり開ける。
「先週お世話になった・・・」。
出艇前のリラックス時間だったようで、キャプテンにお礼を言いお使い物を渡し失礼します。

階段を降りていると、女子部員が追いかけてきて「N君(当方の男子部員)と電話で話していたら、・・さん(私)からのレースビデオ解説がとっても良くて参考になったと言われたのですが、どんなことをお話になったのですか?」。
「私が撮ったレースビデオに写っている動作やコース取りについて、私なりのコメントをメールに書いて部員みんなに送っただけだよ。一言では話せないから、・・君から私が送ったビデオとメールを送ってもらったらいいよ。ビデオと写真はグーグルドライブにアップしてるから、アドレスを教えてもらえればダウンロードできるよ」と伝えました。
「いいんですか?」
「もちろん、参考になれるといいけど・・・」。

続いてKG艇庫に行くが開いていません。
ドアにキャプテンやマネージャーの電話番号が書いてあったので、キャプテンに電話してみました。
寝ぼけた声で出てきたキャプテンに、本日の練習の有無を聞いたら、予想通り練習休みでした。
4月は新人勧誘習慣に入り、次週から新歓試乗会が始まるそうです。
仕方ないのでお使い物を持ち帰ることにしました。

バイクに戻り、リアボックスに入れ、8:27YH出発。
湾岸線側道を東進します。
橋を上がった所から海側を見ると、変わった線形の船がいたので緊急停止し激写。

20180331HarimaS0001s.jpg こんな斬新でラグジュアリーなヨットがここにいるなんて・・・個人所有・会社所有であっても創業者オーナーの鶴の一声が想像され、日本人オーナーは想像しにくい。
ビル・ゲイツとかアメリカの世界トップの資産家所有を想像した。
日本好きで、お忍びで時々来日しているらしいし・・・
帰宅後調べたが、情報はありませんでした。

R43にチェンジし神戸へ。
新神戸駅から阪神高速32号新神戸トンネルに入り、箕谷に抜けR428。
枝道に逸れ、9:20「天津彦根神社」。
20180331HarimaS0004s.jpg 満開のソメイヨシノが境内を彩っていた。
20180331HarimaS0008s.jpg 境内は、「平野八王子市民公園」として広場になっており、蟇股の彫刻が素敵な本殿が建っていた。
20180331HarimaS0010s.jpg 脇障子にも鳳凰?と鷲の彫刻が彫られている。

正面柱の花箱には新鮮そうな榊が添えられており、周辺住民の信仰の篤さを感じる。
谷が開けたばかりの地形ですが、農村風景が広がり神の自然からの恵みに感謝して命を繋いできたのだろう。
暑くなってきたので、DAIWA釣りスーツのジャケットを脱いでバイクに戻った。

20180331HarimaS0020s.jpg R428に戻って西進し、9:41「六條八幡神社」。
志染川の恵みを受けた丘陵田園地で「山田」と呼ばれる地区です。
この神社の参道が広く、木々の間から多宝塔が見える。
地域の大社に神仏習合時代の痕跡である寺院のシンボル多宝塔・・・「これは凄いかも」、機体に胸が膨らむ。

「山田町遊歩道マップ」が立っており、寺社がたくさん存在する。
古くから拓けた地でしょう。
「八幡神社及びその周辺」と書かれた観光案内板には、本殿の横に三重塔が書かれている。

『御祭神:応神天皇 摂津丹生山田六條八幡宮縁起によれば、古くは若宮八幡宮と称せられ、昔、神功皇后紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門に御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮を営み給う所となりと伝えられている。
後、人皇60代一條院の御代に周防國大嶋郡の基燈法師(きとうほうし)がこの地に来て、長徳元年(995)5月、黒木の賓殿一宇を建立し、八幡三所の神霊を勧請した。更に、人皇74代鳥羽院の御代保安4年4月(1123)、六條判官源為義がこの山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六條左女牛(さめがい)の八幡大神を京より勧請合祀し、いにしえよりの八幡宮を再造した。これよりふたたび神徳あらわれて多くの人が崇敬し、為義の称号をとって六條八幡宮と申し奉るようになった。
なお、室町期における神佛混淆の名残りで、今も境内に三重の塔(文正元年・1466年建立)があり、重要文化財の指定を受けている。
八幡宮の所在する東大寺領山田荘は、平清盛領越前國大蔵荘と、永万頃(1165~1166年)交換、一時、平清盛領となるが、平家没後、源頼朝が接収し、京都六條の左女牛若宮に寄進されるなど、源氏平家ゆかりの地と伝えられている。
境内社 稲荷神社:宇賀魂命(うがみたまもみこと) 住吉神社:住吉三神・神功皇后 山王神社:大山祇命 大歳神社:大歳神・高良大神 猿田彦神社:猿田彦大神
祭日 1月19日:厄除祭:引目神事 9月第3日曜日:神幸祭:神輿渡御 10月第2日曜日:例祭:流鏑馬神事(神戸市登録・無形民族文化財)』

流鏑馬神事があるので、参道が広いのですね。
境内にイチョウの巨木があった。
拝殿前舞台は絵馬殿にもなっており、古そうな絵馬が下がっている。
20180331HarimaS0038s.jpg 木製ですが神馬が奉納されており、その厩もあった。

20180331HarimaS0041s.jpg 絵馬掛けには、「大願成就」「合格祈願」「開運招福」の絵馬が下がっていた。
「世界へ」と書かれたものや、「神戸にシリコンバレーをつくる。イノベーターとして牽引する」と大きな夢が書かれた絵馬が目に付き、この地の大きな目標を持った若者が多いことを感じる。
そして「命名・・」と書かれた絵馬も下がってる。
僕も息子2人に氏宮宮司から名前を授かったが、そんな古風な伝統が続いている地も感じる。
この絵馬を見ていて、この地がちょっと好きになった。

20180331HarimaS0043s.jpg ソメイヨシノがちょうど満開で、我が家近在より内陸に入るだけあって、少し遅いようです。
椿の赤い花がたくさん落ち、地面を彩っていた。
左右のソメイヨシノの向こうに鎮守の大木に守られるように三重塔が佇んでいる。


3/23・ハーシーズ・チョコレートの街

長男のお嫁さんから、家族LINEに写真投稿されていました。
20180325Y6870s.jpg 住んでいるニュージャージー州のお隣・ペンシルベニア州にあるハーシーというチョコレートの街に行ってきたそうです。

写真を見ると、「HERSHEY'S CHOCOLATE WORLD」となっています。
20180325Y6872s.jpg
ご機嫌で子供カートに乗ってる子供たちや、チョコレートの前で笑顔の家族が写っていました。
ハーシーズはお菓子会社なので、チョコレート工場併設の施設なのかもしれません。
20180325Y6871s.jpg この手の施設は、企業PRも兼ねているので、お得感満載でお土産にチョコレートを貰えそう・・・

3/25・ヨットレース2日目

西宮KGレース2日目です。
ヨット部同期のD社Hくんも来るので、ハーバー送り迎えがあるかと思い車で出動します。
行きは大阪大GMのKさんに駅でピックアップされると言ってたけど、帰りはわかりません。

7:26、「セブンイレブン」で「味付け海苔海老マヨネーズ130円手巻き辛子明太子140円=270円」を昼食用に購入しました。
定番の「助六」は売り切れていて残念。

R171を西進し、8時にYH着。
Hくんに電話したけど応答なしでした。
部員に挨拶し、KG監督やジュニアから知ってる子でKGコーチになったM君と話しました。
M君は1週間前のD社主催レース(65艇出場)で優勝しています。
現役レーサーなので、身体の動かし方について質問しいろいろ教えてもらいました。

8:30になり、KG監督がレース前スキッパーズミーティングで挨拶・レース運営の説明をします。
この日は、KGのOBであるジュリー(審判)2名が参加し、オン・ザ・ウォーター・ジャッジしてくれるので、風が弱いこともあり1時間ほど、審判から見た注意点を話してくれました。

風が入ってきたので全艇出艇。
大阪GM・Kさんが、コーチボート上で僕・H君・女子マネさん達の集合写真を撮ってくれました。
D社H君は喋りなので、「KGとの定期戦ではコテンパンに負けたけど、全日本インカレでは2位やったんや」や、「こいつ学生個人No1スキッパーやったんや」と僕の学生時代のことも披露してくれました。
言ってくれ~言ってくれ~、うちのマネージャーさん達が驚いていました。
うち2と大阪2=合計4人も、うら若い女子マネさんと同船なのに、テンションが上っています。
こんな世界に毎月数度通っている僕が羨ましいだろう。
男はいくつになっても女子に弱いです。

20180325NishiP0517s.jpg 一旦風が落ちましたが、10:30を回って沖からブローが下りてきて、11時470第1レース・スタート。
うちは、14時に船の積み込みがあるので、13時以降スタートのレースには参加せずハーバーバックします。
20180325NishiP0530s.jpg その時間まで6m/sほどの良い風の中、3レース出来ました。
S級最終レースでトップフィニッシュしました。
470も第2レースで2・3位でした。

S級のフィニッシュ後、女子マネをS級レース艇が迎えに来る予定でしたが、GM・Kさんが「濡れるから、ハーバーまで帰るよ」とのご厚意に甘えさせていただきました。
20180325NishiP0555s.jpg 疲れたので、Hくんも船を降りて帰るとのこと。

僕は降りても解装を手伝う必要がないので、再びレース海面に戻りました。
15時前にレース終了しハーバーバック。
ハーバーに戻ると部員は1台の大型トラックにレース艇6艇を積み込んでいました。
それを見送った後、この日気づいたことを10分ほどブリーフィングしました。

帰路に着きます。
新西宮ヨットハーバー7:56~16:45・900円。
帰宅後家内とあれやこれやお喋り。
1日中自宅にいたそうで、申し訳なかった。
ついてくれば、一緒に乗せてくれたと思うのに・・・
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