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6/6・カプセルホテル

次男のお嫁さんからLINEが入りました。
次男とは社内結婚で同じ会社に勤めているので、次男の仕事の写真でした。

次男は長く本社の設計を担当していて、今春やっと竣工しました。
その新本社落成パーティーでの集合写真で、次男が中心になっていました。
左右に社長と会長さんがおり、親として嬉し涙・・・でした。

次男は建築士なので、仕事が形として長く残ります。
ここ1~2年だけでも都内の支社の設計や、田舎の路面店の設計など、家内と訪問した時いろいろ見せてもらいました。
次は何かな~と楽しみにしていたところです。

今度は会社が新規事業として立ち上げた路面「カプセルホテル」の1号店でした。
お嫁さんが「スタッフ募集」担当をしているようで、夫婦で同じ仕事をしばらくしていたようです。「いい人を採用しないと」と意気込んでいます。
お嫁さんはずっと人事畑で、新規写真採用・セカンドキャリア社員採用などしていました。

次男の会社はアットホームで、社長自身が社員との垣根が低く、和気あいあいの雰囲気が伝わってきます。
Jリーグの試合を買って冠大会した時は、社長もチームカラーの同じユニフォームに身を包み、肩を組んで応援しています。
次男夫婦の結婚式にも社長さんや取締役さん数人が出席してくださり、社員が社長の周りに集まり、皆さんの笑顔を見ながら「いい会社だな~」と思いました。
ありがたいことです。
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6/2・草津寺社ツーリング2

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6:47「正光寺」。
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『草津歴史街道 矢橋道 矢橋道は、近江八景矢橋帰帆で著名な矢橋の渡しへの道で、東海道の脇道であった。勢田橋経由の陸路にくらべ、矢橋港から湖上50町ほど(5.5km)の大津への航路は、「勢多へ回れば三里の回りござれ矢橋の舟にのろ」とうたわれたように、先を急ぐ旅人が重用するところとなり、これにつれて矢橋道も大津への短捷路として往来か激しくなった。道は、東海道筋の矢倉蛯ケ餅屋角で東海道と分かれ、大塚・川ノ下を経て矢橋に至った。
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なお、草津名物蛯1ケ餅屋は明治以降移転し、名勝矢橋帰帆の絶景も一変したか、蛯ケ餅屋旧地には寛政10年(1798)建立の道標か現存、一方矢橋港跡にも弘化3年(1846)建立の常夜灯か現存するほか、矢橋には源頼朝の伝説ゆかりの鞭崎八幡宮、僧最澄創建で足利義詮再建の寺伝を有す石津寺、川ノ下には若宮権現(猿田彦)、大塚には正光寺などの古社寺がある』

6:59「若宮八幡宮」。
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『矢倉村と若宮八幡宮 矢倉は、宿場町草津に列なる東海道沿いの街道集落であり、また大津への短捷路である矢橋道が分岐する交通の結節点でもあった。享保6年(1792)の矢倉村明細帳によれば、当時家数144・人数749と数えるまでに発展していたが、もとは街道より西方300m余り離れた当若宮八幡宮周辺に戸数30戸余りからなる小集落であったという。
その小集落が慶長19年(1614)、膳所藩主戸田氏鉄による草津宿の拡張・整備を目的とした、矢倉村の東海道沿いへの移住策が図られ、街道集落としての形態が整ったのである。全国的に著名な草津名物の姥ヶ餅屋も、当時は矢橋道との交点で店先を構え、旅人相手に繁昌を極めたことは多くの浮世絵で周知のとおりである。
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一方、矢倉の故地には現在、応神天皇を祀る若宮八幡宮が残るのみで旧状を窺うべくもないが、矢倉村の村名起源に因む若宮八幡宮は、応神天皇が東国順按の時、この地に兵庫を建て、武器を蔵したことにより、兵庫村(後に、矢倉村と改称)と称したという縁起を伝える武神祭祀の古社である。
加えて、当宮南側の宇古屋敷においては、昭和53・54年に実施された発掘調査の結果、鎌倉時代から安土桃山時代にわたる建物跡・井戸跡等の旧矢倉村の遺構が確認されたほか、若宮八幡宮が鎮座する基壇も一辺25mを測り、横穴石室を有する古墳で、かつて円筒埴輪が出土したと伝えられる。さらに、近年の草津川新川用地内における発掘調査に伴い、古墳時代から奈良・平安・鎌倉時代におよぶ大規模な集落跡の実態も判明、矢倉が古代から開発の進んだ地域であったことが解明されつつある。
なお、旧矢倉村から移住した家人達は、今も「居住組」と唱え、「サンヤレ踊り」と呼ばれる囃子物を継承し、若宮八幡宮の祭事を取りおこない、矢倉の伝統を守りつづけている。』

r42に出て南下します。
道なりにr18になりました。
「近江大橋」を渡り、浜大津から道なりにR161になり、7:26朝のお勤めを済ませハーバー着。

みんなに挨拶し、いつものように体操・ブリーフィングしてAM練習に入りました。
いつも乗ってるハードコーチボートがメンテナンス中なので、4月に進水式をしたばかりのインフレータブルボートに乗ってコーチングしました。
もう1艇のインフレータブルボートは、1回生の1人乗り練習のレスキュー艇なので、2クラスを1つのコーチボートで把握します。
2~4m/sのチューニングチェックするのに最適な風だったので、ロング帆走練習しながら艇速の伸びない艇にアドバイスしながら、セイルセットを変更し艇速を伸ばします。
試行錯誤の繰り返しですが、日々の繰り返しが、レースで艇速にアドバンテージがない時での素早い対応に繋がります。

「ダブチックレガッタ」に部員2人と今年卒業したOB1人が参戦しています。
「京都ヨットクラブ」主催のレースで、参加賞の割に賞品が良く食事も出るので美味しいレースです。
次男もOP時代参加したことがあります。
琵琶湖湖畔にクラブハウスがあり、木々に覆われているのでちょっと隔離されている感があり素敵でした。
かつてドラゴン級ヨットが1艇置かれていたが、いまだ健在なのかな?

12時にハーバーバックし、合宿所に戻り美味しい昼食。
再度艇庫に戻り、体操・ブリーフィング後出艇してPM練習。
コーチボートに乗っていると、AM同様S級リーダーが乗ってこようとします。
「あれ~、PMも上がるの?」
「ええ、クルーが就活でいないので・・・」
「クルーなんて、合宿所に戻ればいくらでもいるじゃん。1回生全員1人乗りに乗れないから、わからないなりにこちらに乗せればいいじゃん」
「ああそうか、じゃあそうします」と、S級・470級ともにクルーを確保してもう1艇ずつ少し遅れて出てくることになりました。

良い風なので、スタート練習とショートレース練習もすることになりました。
470級にスキッパーとして乗った高校ヨット部経験者1回生が2位フィニッシュしたり、楽しい練習になりました。
急遽乗った1回生2人も楽しそうに乗っています。

16:30まで練習予定でしたが、15:30小雨が降った後に風がなくなり、ついに鏡のような湖面になってしまいました。
周囲を見ても風が何処にもなく、少し早いけどハーバーバックすることにしました。

直接合宿所の方に帰る3艇を除き全艇10艇を曳航して帰ります。
新規導入したインフレータブルは40馬力ながら力強く、難なく引っ張ることが出来ました。

17:04「セブン大津鏡が浜店」で、「ブラックサンダーアイス140円」を購入し糖分補給します。
合宿所に戻ると、ダブチックレガッタのレース運営をしていた去年卒業したキャプテンS君がいました。
「ウチの部員はどうだった?」
「Mくんが優勝しましたよ」
「賞品は何だった?」
「セイルバックをゲットしていました」。

キッチンに顔を出すと、爪楊枝に付けた小さな紙にS級マークなどを書いています。
「あ~、お子様ランチだ、美味しそう」。
クラス別ミーティングの前に、コーチの話です。
僕が指名され気づいたことを話しました。
続いてOBのSくんが話しました。
積極的に学連以外のレース・琵琶湖以外のレースに参加することを勧めていました。
「人って知らない世界は想像できないじゃない。かつてのウチはこの状態で、想像力の幅が狭かった。少し前から積極的に地域外・学連外レースに参加しいろんな世界を体験し、そこで知り合った人と話すことで更に世界が広がり、その結果目標とする学連レースの成績も上っている」と、まさに僕が何年も言い続けてきたことを喋ってくれました。

クラス別ミーティングでは、470クルーチームのミーティングに参加しました。
乗った1回生も1人参加しており、熱心に聞いていました。
夕食時間です。お子様ランチは「たこカットされたウインナー」も載っており、素晴らしく美味しかった。
みんなに大好評でした。

全体ミーティングで、言い忘れたことを話し、掃除時間となったので、このタイミングで帰路に着きました。
湖西道路~名神~中央環状線~R171で、21:52「伊丹産業セルフ北村SS」で給油しました。
264km/10.73L=24.6km/L。


6/2・草津寺社ツーリング1

コーチしてる大学ヨット部のコーチング日です。
8時に琵琶湖に行けばいいので、早朝ツーリングしてから行きましょう。
3時台に目覚めたのでゴソゴソし、「招き猫CB400SB」を倉庫から出し、4:29出発。
4:34「ローソン」で「キリン小岩井ミルクとコーヒー500ml150円+手巻エビマヨネーズ150円=300円」を購入。

R171~中央環状線で、吹田ICから名神高速に乗ります。
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20190602KusatsuS0005s.jpg20190602KusatsuS0006s.jpg20190602KusatsuS0007s.jpg20190602KusatsuS0008s.jpg5:10「桂PA」でトイレ休憩すると、「ん?事故車?廃車?」って感じの素敵にデコレートされた車を見つけました。
所有者が見つからなかったけど、思わず激写しちゃった。
きっと喜ぶ人種の方でしょう。
車にいろんなものがくっついています。
タイヤが見えないハウスに覆われ、パンクしたらどうやってタイヤ交換するんだろう?正面に向かってレーザー兵器のようなものが装備されているし・・・素敵すぎます。

5:17出発、「ロータス7」が抜いて行きます。
オープンが気持ち良さそう。
「瀬田西・石山IC」で下車し、左折してr57を北に向かいます。

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R1~r26で、5:40「龍宮神社」
湖東の田園と交通の要衝の地に何故「龍宮」なのか気になるところですが、祝詞を刻んだ石碑はあったが謂れ板がなく謎のままになりました。
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この日の1社目なので、いつものように僕のこれまでの人生を守って下さったことに感謝し、素敵な妻と息子たち、彼らが連れてきたお嫁さんたち、加えて4人の孫たちをお恵み下さったことに感謝し、彼らのこれからの幸せな人生もお願いしました。
そしてそして、次男のお嫁さんのお腹の中ですくすく育っているまだ見ぬ5人目の孫の無事の誕生をお願いしました。

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r26を更に北上し、5:58「石津寺本堂」
『重要文化財・石津寺本堂 最澄の建立した寺で、天台宗であったが真言宗に改宗した。本尊は薬師如来。現在の本堂は、延文4年(1359)足利義詮が再建した。建物様式がその時代の特質を表している。形式は正面の柱間数が五間であることから五間堂と呼び、屋根は県内では類例の少ない寄棟造の本瓦葺。外陣出入口上の虹梁構え、頭貫木鼻の図案など、この時代特有の様式を持った優れた密教仏堂である』
一見して、奈良によく見る屋根だなあと思いました。

6:07「鞭崎神社御旅所」
東海道で琵琶湖を渡る時、「瀬田の唐橋」を渡るより船で楽にショートカット出来る「矢島の渡」は交通の要衝でした。
以前訪問した近くにある「鞭崎神社」の御旅所がここにありました。
「渡し」として栄えていたころは、盛大な渡御の祭りが行われていたのでしょう。

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「矢島公園」がありました。
かつてあった石積桟橋が再現されていましたが、水のない公園にあるので臨場感がありません。
でも周囲を見ると、石積の岸が続きその上に民家が建っているので、かつての面影を偲ぶことは出来ました。

『菜の花や みな出はらひし 矢走舟 蕪村
石場へ渡ろうと矢走街道を港まできた。船の発着時はたいそう騒がしい矢走港も、昼の今は渡し船がみな出はらっていて静かである。港の周辺は一面の菜の花畑で、春風につつまれている。菜の花の黄色と白帆を浮かべた湖の青さが、靄のかかった背後の山々とよく調和して、まことにのとかな港の風景であることよ。 季語=菜の花(春)
作者紹介:与謝蕪村(1716~1783)俳人・画家。姓は谷口、のち与謝と名乗る。
享保元年(1716)摂津国東城郡毛馬村に生まれたが出自は不詳。22才の秋、芭風の伝統を継ぐ夜半亭宗阿(やはんていそうあ・早野巴人はやのはじん)に入門した。明和3年(1766)炭太祗(たんたいぎ)らと共に俳壇に新風を巻き起こし、同7年2世夜半を継いで宗匠となってからは、句作に情熱を燃やし63才で没するまでその俳風を発展させた』

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『矢橋の帰帆(原画 中神良太氏提溥)
矢橋港は伯母川と狼川の三角州間にあって、琵琶湖が最も湾入した地点に所在する。南は近江最大の港津・大津に面し、西は比叡山の門前町坂本およびその外港にあたる坂本三港に面している。また東は矢橋道を経由して、東海道に通じ、宿場町草津に達する。
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本港の古代における様相は、明らかでないが、中世には志那、山田両港とならぶ軍事的要港として重視されたことが「源平盛衰記」他の文献から推測される。そして近世に至って、草津宿の興隆、東海道の交通量の増大に伴って、本港の重要性は一段とたかまった。天正6年(1578)、織田信長は安土水害視察に際し、その往復路を松本津と矢橋港の湖上水路をとり、徳川家康も慶長5年(1600)の関ヶ原戦、慶長19年大阪冬の陣、元和元年(1615)大阪夏の陣にあたって、本港を利用するなど、大津への短捷路として、湖南における主要な渡し場となった。
しかし、本港も近現代の交通体系の変革や琵琶湖の水位低下等が起因となって衰退し、その旧状を失うに至った。ところが昭和57年~昭和58年にかけて、発掘調査をするに及び江戸時代の本港の実態が解明されるに至った。すなわち本港は、奥行約90m・幅約65mの規模で琵琶湖に開口するもので、港内に湖中へ突き出す2基の石積突堤と港湾南端から湖岸に平行して築かれた石積突堤1基を配し、各石積突堤間を船着場、船入、船溜などに当てている、また港湾北側の石積台場上に常夜灯を建て、航行する船の便宜を図っている。
以上の矢橋港の旧状がすべて整えられたのは、「膳所領郡方日記」、常夜灯刻銘より弘化3年(1846)と推測されるが、「近江の海は湊80あり、いづくにか君が船舶て草結びけむ」と万葉歌に詠まれた近江の諸港が今やほほ消滅にある現状を省りみれば、本港の遺構は古代より展開されてきた琵琶湖の水運と近江八景「八橋の帰帆」の歴史を凝集した唯一のものであり、歴史的価値の高い史跡と思われる』

沖に人工島が造られ、水路のようになった水面に面していた。
大津など琵琶湖の対岸が直接見れないので当時の人が見た風景を体験できなかった。
船を預かる施設があり、人工島との水路に面しているので台風被害など受けにくく返って良いのかも?と思いました。

r26に戻り、R42で東進し、道なりにr18に乗りました。
「鞭崎神社分社」の祠が小さな児童公園内にあり、寄り道しました。
南草津の鞭崎神社の崇敬の高さをまた感じました。

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『猿田彦神社 御鎮座:草津市野路町川の下 御祭神:猿田彦命 例祭:5月3日 境内摂社:臼命神社 境内末社:稲荷神社
猿田彦命は、上古天孫瓊瓊杵尊降臨の節、天孫の御先導をつとめたという名高い神で、昔から街道や旅人を護る神とされ、また土木・建築の神としても崇められた神である。
ここ「川の下」は栗太郎の古道の1つで、瀬田南大萱・南笠・矢倉を結ぶ街道と、江戸時代の重要な天下の公道「矢橋街道」の分岐点にあり、交通上の要地であった。このような位置関係から、交通安全の神、村の護り神としてふさわしい猿田彦命を、伊勢国浦田の里の猿田彦神社から勧請し奉って、当地の鎮守の神としてお祀りしたもので、時に寛永2年(1625)である。
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古くは檜皮葺の一間流造の社殿であったが、度重なる修繕に耐えかね、昭和47年7月、銅板葺に改められたものである。境内摂社・臼命神社、同末社・稲荷神社は、当地に近隣から人々が移り住んで村を開いた頃、五穀豊穣・子孫繁栄を願ってお祀りし、以来人々の尊崇を受けてきたのである。
当猿田彦神社は、江戸時代膳所藩主の尊崇を受けたが、今も本殿の玉垣・水屋の軒丸瓦に「立葵」の紋章を残して、その名残りを示している』


6/1・KK戦

前週に続き、母校ヨット部の定期戦の応援船のドライバーを頼まれました。
9時出艇なので8時ブリーフィングでしょうから、7:30にハーバーに行けば良いでしょう。

4時頃目を覚まし、仕事場に行ってあれやこれや。
倉庫から「通勤リード110」を出して浜に向かいます。
6:44「セブンイレブン」で「カフェオレ500ml116円+ひねり揚108円+レーズンロールマーガリン4個116円+イチゴジャムパン100円+たっぷりクリームパン100円=540円」を購入。
R171を西宮に向かいだしたこころで、帽子を忘れたことに気付きます。
「ああ~」、Uターンして戻り、再び出発。

R171に乗り、7:30前にハーバー着。
係留艇に行き、主電源をONしイグニッションON、快調にエンジンが回りこれでOK。
母校マネさんにハーバー着・準備OKを知らせようとLINEを打ち込んでいたら、マネボスさんから電話が入りました。

「ちょうど連絡しようと思ってたんだ、船に着いています」
「あの~・・さん申し訳ないのですが、応援船をお願いしていたのですが、1回生全員レースに出れることになり必要なくなりました。・・さんには是非コーチボートに乗っていただきたいのですが・・・」
「わかりました、じゃあコーチボートに乗せてもらうわ、8時前に艇庫前に行くね」
「お願いします」。

係留艇のメインスイッチを切り、戸締まりしてディンギーヤードの母校艇庫へ。
部員たちが円陣を組んで、部員だけのブリーフィングをしています。
K監督・Mヘッドコーチがやってきました。

「・・さんですか?Hです」と現キャプテンのお父さんから声を掛けられました。
Hくん父もKGヨット部員で僕の後輩です。
3年前、長男がアメリカ勤務になり、3才と0才の孫の日本語力・英語力・学力がどうなるか心配だった頃、母校応援艇で入部したばかりのHくんから、いろんな情報を得ました。
Hくんは中東ドバイ勤務で、Hくんは小学生低学年で帰国しました。
弟は小学校上がる時に帰国しました。
2人のその後の英語力なども教えてもらいました。
そのことをHくん父に話し、お礼を言いました。

お隣の艇庫のO大GMさんがやってきたのであ~だこ~だ話し、同じく外部コーチ さんとも話しました。
母校マネさんが走ってきて、「・・さん、開会式の挨拶をお願いできないでしょうか?OB会長にお願いしようと思っていたのですが来れなくなったそうで・・・」
「ええそうなの?何も考えて来てないけどいいよ」と伝えるとホッとした顔になっていました。
連絡ミスしたのでしょうね。
OB会長は僕の3つ上の先輩で、喜んで穴埋めさせてもらいます。
現役が困っているので一肌脱がないと・・・ね。

開会式が始まり、最初に「KGOB会長代理」と紹介され僕が関関戦の伝統や関西水域を引っ張っていく両校の重要さを話しました。
選手宣誓としてKG主将Hくんが片手を挙げ宣誓、それを正面で僕が受けます。
これで代役としての僕の役目は終了。

レース委員長から両校キャプテン他にレースの説明があり、予定通り9時にD旗が挙がりレース艇が出艇して行きます。
S級は両校3艇ずつ6艇ですが、470級は関大がメンバー不足で、KGがエースクルーを関大艇に出すことで練習レースという形になりました。
よってKGは1回生を含め全員選手・レースう運営要員として参加する形となり、応援船の需要がなくなりました。
KG5vs関大3という変則的なレースです。

僕はHくんと一緒にKG監督KくんのドライブするKGコーチボートに乗ることになりました。
KGはその他に2艇コーチボートを出しており、そちらにコーチが乗り選手への指示・コーチングやメンバー交代の作戦を採ります。
この日の監督艇は観覧船です。

SW3~5m/sの良い風で、1週間前の関関同立戦の結果と同じでKGの圧勝で予定の12レース消化すべく進みます。
K大コーチボートがやって来ました。
T総監督とKコーチが乗っています。
昼でKコーチが仕事に戻るそうで、KG艇に「1人こちらに乗ってくれませんか?」の要望です。
監督が移るわけに行かず、Hくんは海外勤務が長くT総監督とつながりが殆ど無いので、「じゃあ、僕が移りますわ」。

僕が大学卒業後、地元市の市長さんに頼まれジュニアヨットクラブを市内の池に作りました。
次男がそのクラブに入部して、次男のジュニア卒業が近づき新人部員をリクルートしていた時に、T総監督(当時は監督)に声を掛けました。
「お子さん、いくつになったの?」「・・・」
「ジュニアを始めるのに丁度よい年齢だね、やらない?」と誘ったのが縁で、T監督のお子さん2人がヨットを始めました。
その2人が共に日本代表として世界選手権に参加し、長男くんはうちの子の後を追いかけるように同じ中学を受験し、その高校ヨット部を卒業し大学ヨット部でも活躍しました。
妹さんは今大学生で日本最強クラブのエースです。
2人共東京オリンピック選考レースにも参戦しています。
そんなこんなで、T総監督と僕の関係は続いています。
全日本インカレでも、別々のコーチと監督として、Tさんは選手父兄として会います。

T総監督は一時体調を崩したそうで、その関係でコーチボートに1人が不安でサポートを願ったようですが、話していても全く以前と変わらず、「ほんまかいな?」って感じです。
単に話し相手が欲しかっただけでしょう。

レースが進み、フィニッシュする度にK大艇がコーチボートに戻ってきます。
総監督がアドバイスし、僕にも助言を求めるので、気づいたことを話します。
昨年は部員不足で470チームしか編成できず、4回生が卒業し部員6人で春が始まりました。
1回生が入部し、やっと両クラスが揃いました。
そんな若いチームなので、KGに勝利することは出来ませんが、貪欲な吸収力を感じます。

KGからのレンタルクルーがK大のレベルより相当高く、彼が乗る艇だけがKGに対抗できています。
マーク回航ごとに試合巧者KGに抜かれますが、K大総監督が大喜びで彼をレースごとに他の艇に乗り代わる指示をして、部員全員のレベルを高めようとしています。
KGのエースクルーも、KG艇からの厳しい攻撃に「KGは嫌いだ」なんて笑って楽しんでいます。

OPジュニアが練習していたので、それを見に行きます。
僕らKGヨット部OBが作ったジュニアクラブは、兵庫県連と僕を含めた当時のジュニア父兄と協力し、海に姉妹クラブを設立しました。
次男もこのクラブのOBです。
練習艇が6艇で少なく、うちの子達、T総監督の子たちが在籍していた頃の人数から見ると寂しく感じます。

全部で11レースをこなし、16:30に1日目のレースを終了しました。
T総監督から、お嬢さんの通うW大ヨット部の様子を聞きました。
昨年は僕のコーチする大学が2位でしたが、優勝は王者W大。
ジュニア出身の有望選手をリクルートし、凄まじい練習で強く磨いている実態をより知ることが出来ました。

ハーバーへの帰路、レースしていたJ70艇団も戻っていました。
その1艇にT総監督の通った九州の大学のOBたちが乗っており、それに声を掛けました。
僕がジュニア協会の理事時代、お世話になった親御さんの息子さんも乗っていました。
学生のレースでは大活躍していたメンバーですが、クルーザーレースでコテンパンに負かされたようです。
こちらも経験が必要ですね。

W大同様、一旦ハーバーに帰着し、レース委員会に帰着申告をしてから再び出艇します。
T総監督は体調のこともありここで降り、僕があと30分の指導を頼まれました。
レース運営艇に乗っていたK大監督さんが、ハーバーでこちらに乗ってこられ、2人で選手を指導します。
気づいたことをレース艇の真横・真後ろからアドバイスします。

30分練習しハーバーバックし、KGから借りたライフジャケットを返しに行こうとディンギーヤードに行くと、T総監督から声を掛けられ、「一言お願いできませんか?」。
K大ミーティングで紹介され、レースで気づいたことの他に、若いチームの成長を願う言葉を部員みんなに掛けました。

KGにライジャケを返し、帰路に着きました。
ああ、面白かった。
21時に床に入ると、一瞬で夢の中でした。

5/29・花やしき

次男のお嫁さんから、LINEが入りました。
「浅草花やしき」に行ってきたそうです。
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レトロな遊園地で、2才児でも乗れる乗り物ばかりなので、すみれちゃん2才が大喜びだったそうです。

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写真やビデオのすみれちゃんは、笑顔満点でとても可愛い。
モテモテ女子になりそうな予感がします。
お嫁さんはスタイルの良い美人でオシャレさんだから、すみれちゃんもいつもセンスの良い可愛いお洋服を着ており、御嬢様感いっぱいの少女になりそうです。
ジジばかだから、そう見えるのかな~、客観的視線で見てもそう見えるんだけどな~

遊園地のアトラクションの恐怖度が上がり、大人の遊園地・デートコースになったので、幼児向けのレトロ遊園地が消滅しつつあります。
僕の子供の頃は、デパートの屋上といえば幼児も遊べる遊具いっぱいの遊園地だったのに・・・。

阪神間も、息子たちの頃までは、「宝塚ファミリーランド」「阪神パーク」「奈良ドリームランド」などありましたが、みんな閉園になり、「五月山動物園」ぐらいしか思い当たりません。

立つことが出来るようになったルーカスくん0才は、来月1才になり、3ヶ月先の8月になるとよちよち歩き出来るだろうから、すみれちゃんと一緒に歩けるとお嫁さんが期待しています。

同じ年齢の「こうちゃん3才」とはどんな感じになるのだろう。
4月にこうちゃんが生まれ、7月にすみれちゃんが誕生した年の8月、アメリカに居を移す長男一家と会っただけなので、お互い記憶はないはずです。

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ビデオに入るお嫁さんの声は相変わらず元気で楽しそうで、幸せがにじみ出ています。
次男も上手に一家をコントロールしているようです。
みんなに会えるのが楽しみです。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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