4/2・京都西山・「大原野神社」「勝持寺」

もう大満足なので、市街地に向かっても良いですが、まだ時間があるので、大原野神社も参拝して行きましょう。
9:29、鳥居まで戻り、謂れ板を読みます。

『源氏物語ゆかりの地 大原野神社 桓武天皇は長岡京遷都に際し、藤原氏出身の皇后のため、大和の春日社の分霊を、この地(平安京西郊・小塩山東麓)に勧請したことに始まる。平安時代に入り、文徳天皇が外祖父・藤原冬嗣の念願を受けて神殿を建立、地名に因み「大原野神社」とした。当社は藤原氏の氏宮として、斎王にならい藤原氏の子女を斎女として置いた。藤原氏の皇后や中宮の参詣が多く、紫式部も中宮彰子について参詣しており、父・藤原為時の任国・越前で、冬の日野山を見ながら小塩山を思い出し「ここにかく日野の杉むら埋む雪、小塩の松に今日やまがへる」と詠っている。源氏物語「行幸」では、冷泉帝が大原野行幸を行い、京の人々が見物に訪れるなか、玉鬘や六条院の人々も車を寄せて行幸を見物している。物忘で同行しなかった光源氏は、帝からの歌に応え「小塩山みゆきつもれる松原に、今日ばかりなる跡やなからむ」と寿(ことば)いだ』

20170402AkutaS318s.jpg 鳥居をくぐり、長い参道を歩くと茶屋があった。
時間があるのなら一服なのだが・・・。
20170402AkutaS324s.jpg もう1つの謂れ板に書かれていた、奈良春日大社と猿沢の池に因んで掘られたという池もあった。
朱色の太鼓橋がいい雰囲気を醸している。
ここにも藤棚がある。

20170402AkutaS327s.jpg 『瀬和井(せがい) 清和天皇産湯の清水とも伝えられ、古来歌枕にあがり、数々の和歌に詠まれて名高い。「大原やせがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん 大伴家持』

井戸を覗くと、わりあい綺麗な水が満ちていた。
井戸というより、湧水が自然に溜まっているのだろう。
水面は、直接手水出来る深さです。
手水場は、藤原氏の氏神だけあって、鹿が加える巻物から水が流れ出していた。

20170402AkutaS334s.jpg 本殿は、玉垣塀を巡らす立派なもので、朱色が鮮やかです。
20170402AkutaS340s.jpg 参拝して玉垣内の神域を覗くと、三社並立のようです。
檜皮葺に鮮やかな朱の本殿が並び、目に美しい。
謂れ板を読むと、『本殿は、同規模・同形式の4棟の一間社春日造社殿であ
り、各社殿間は板塀で連結されている』となっている。

絵馬掛けを見に行くと、藤原氏の家紋「下り藤」に鹿が描かれていた。
「これは要らんな」と思いながら社務所に足を運ぶと、この絵馬は500円で、1000円のいい感じの絵馬があったので、授かった。

20170402AkutaS344s.jpg 鳥居の方に戻って行くと、土俵があった。
立入禁止になっているので、工事中のようです。
20170402AkutaS321s.jpg 9:44、鳥居を出たところにお店があり、お焼きと草餅を売っていた。
甘酒やコーヒーもあります。
時間があれば・・・

「勝持寺」まで歩きます。
20170402AkutaS348s.jpg 淳和天皇御陵道が左に別れ、石段を上がると仁王門がありました。

『勝持寺(花の寺) 小塩山と号する天台宗の古刹で、西行がこの寺で出家したと伝えられ、西行自ら植えた八重桜「西行桜」があることから、「花の寺」として親しまれるようになった。白凰8年(679)、役小角が天武天皇の勅により創建し、延暦10年(791)伝教大師(最澄)が、桓武天皇の勅により再建した。当初「大原寺」と呼ばれていたが、仁寿年間(851~854)に仏陀上人が文徳天皇の帰依を得て伽藍を建立し、「大原院勝持寺」と改めた。瑠璃光殿には、本尊・薬師如来坐像(重文)の他、弘安8年(1285)慶秀らが造立した銘がある金剛力士立像(重文)など、貴重な文化財を蔵している。境内には多くの桜が植えられ、満開時は寺が桜の中に埋もれているように見える。鐘楼脇の西行桜は、現在3代目である』

平安時代末期の怪僧・西行は、この寺で出家したのですね。
青年時代、佐藤義清という名の上皇を守る北面の武士で、平清盛とも同輩だった。
血統・俵藤太秀郷流れも良く、武勇もある将来有望な若者だったが、美貌の妻女に横恋慕して失恋し、妻子を捨て出家してしまった。

各地で草庵と営み、鎌倉では源頼朝とも交流があった。
平清盛が武士として初めて昇殿を許され、娘・建礼門院徳子を高倉天皇の中宮に入れ、その最盛期である時も、タメ口で清盛に説教したと言われている。
終焉の地である紀州・弘川寺に訪問したことがあり、西行庵も訪問した。
弘川寺にも花を愛した西行を師と仰ぐ歌人僧が入り、西行を偲んで桜を植え続けた。

コンクリート舗装されたゆるい上り坂を歩く。
「勝持寺子院跡の石塁」があったので寄り道。
20170402AkutaS360s.jpg 9:53「勝持寺」到着。
20170402AkutaS375s.jpg 拝観料400円を収め、境内を見て回るが、全く桜は咲いておらず、期待はずれの観光客が「残念ね、来週は最高かもね」と話していた。
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4/2・京都西山・大原野「正法寺」2

20170402AkutaS256s.jpg 20170402AkutaS263s.jpg 室町時代の掛け軸がずらりと下がっています。
「水琴窟」と書かれているので、そちらに廊下を進む。

20170402AkutaS272s.jpg 本堂の廊下に木魚が下がっていた。
禅寺の修行などを知らせる木の板です。
何故か魚の形をしたものが多く、葬儀の時、僧侶がポクポク叩く木魚の原型です。
屋根の上に鯱が載っていたり、神社の屋根に鰹木が載っていたり、何故魚なんだろう?
下がっている木魚には使用後はなく、2匹の鯉が蓮池に遊ぶ姿が彫られています。

20170402AkutaS278s.jpg 本堂内に入ります。
畳に座り、「これが重文のご本尊なのかな?」と覗き込んでいると、ご住職が入ってこられました。
挨拶を交わしましたが、ちょちょいと用事をして出て行かれました。

本堂脇に水琴窟があり、僕が受付した時入ってこられた女性3人組さんが、竹の筒を通して聞いています。
僕が行くと、「どうぞ」と2つある筒の1つを僕に空けてくれました。
お母さんの横で、竹の筒を耳に当てると、水琴窟の清らかな音色が聞こえてきます。

『地中から宇宙へ発するシンフォニー 水琴窟・法寿泉 地下深く奏でられる妙なる音色に耳を傾けてください』

「おはようございます」と声を掛けると、「おはようございます。水を掛けていいですか?」と返ってきました。
横の柄杓で水をすくい、水琴窟の埋まっている上の小石に掛けます。
すぐに水琴窟の音色が弾けます。
何度聞いても、水琴窟の音はいいね。

北海道から、水琴窟を聞きに来られたそうです。
北海道には水琴窟がなく、娘さんが嫁いだ京都にはあるだろうと調べてもらい、娘さんの家に泊まりながら、娘さんの運転で水琴窟メインに京都を巡っているそうです。
父子はスポーツするか飲み歩くぐらいですが、母子は文化的でいいね。

20170402AkutaS306s.jpg 本堂には、ボタン式で録音説明が流れます。
タダ聞きというのもあれなので、お賽銭箱に100円チャリン。
説明を聞きながら、本尊などを覗き込みます。
誰も居ないので、縦横無尽に動いて。

五鈷杵が置いてありました。
真言宗開祖・空海が、中国修行からの帰り、高僧から成績優勝故頂いた五鈷杵を、その高僧の弟子たちに奪われそうになりました。
「日本に飛んでいけ」と空に放り投げた五鈷杵が日本に先に帰り、空海がそれを探し出します。
「五鈷杵が落ちていたのはここだ」と、日本各地に伝説が残っています。

『五鈷杵の謂れ 金剛石(ダイヤモンド)が物体を打ち砕くことを意味し、仏教では釈尊の説法は全ての邪心・煩悩・悪心を打ち砕くと同時に、人身に迫る諸悪魔をも打ち払う意味です。五鈷杵を静かに撫ぜると、身にまつわる諸々の困縁や押し寄せる諸悪運を防ぐと伝えられます。お大師様が持っておられるのもその為です。是非心に念じながら、撫ぜてご利益をお受けください。 南無大師遍照金剛 合掌』

20170402AkutaS309s.jpg 帰ろうと廊下を歩いていると、先程受付していただいた奥様が花瓶を持って来られたので、「いいものを見せて頂きました」とお礼を言い退散しました。

4/2・京都西山・大原野「正法寺」

人には挨拶すべきですね、お得したことが何度もあります。
2つ訪問予定でしたが、4つに増えちゃった。

20170402AkutaS185s.jpg まず「正法寺」へ。
『真言宗・東寺派。奈良・唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟で、754年鑑真和上とともに唐から来朝した血威大徳が、この地で修行したことから始まる。古くは春日禅坊と呼ばれたが、延暦年間(782~806年)、伝教大師・最澄が智威の威光を世に示すため、大原寺という寺を創建した。応仁の乱で焼失したが、江戸時代初期、恵雲・徴円の両律師により再興され、「西山のお大師さま」として親しまれてきた。元禄年間(1688~1703年)、徳川5代将軍・綱吉の母・桂昌院の帰依を受け、代々徳川家の祈願所となった。寺宝として、本尊・聖観世音菩薩、三面千手観音菩薩(重文)はじめ、貞和2年(1346)の銘がある地蔵菩薩、鎌倉初期の両界曼荼羅などの仏画、徳川家関係古文書などを蔵する。境内には、全国各地から集められた名石があり、「石の寺」とも呼ばれている。特に東山連峰を望む借景式山水庭園「宝生園」は、庭石が象・獅子・蛙・うさぎ・鳥・亀など動物の形に似ているため、「鳥獣の石庭」として親しまれている』

『石徳五訓 1奇形怪状、無言にしてよく言うものは石なり。2沈着にして、気精永く土中に埋もれて、大地の骨となるものは石なり。3雨に打たれ、風にさらされ、寒熱に耐えて、悠然動ぜざるは石なり。4堅質にして、大廈高楼の基礎たるの任務を果たすものは石なり。5黙々として、山岳・庭園などに趣を添え、人心を和らぐは石なり』

沢を渡ると、朱塗りの多宝塔が見え、「春日不動尊」の建物がある。
20170402AkutaS191s.jpg 「不許酒肉五辛入界内」の石柱が立っています。
修業の場として重きを成す禅寺の定番ですが、ここは真言宗。
「・・・入門内」の方がポピュラーですが、ここは「・・・入界内」

門を入ります。
20170402AkutaS194s.jpg ピンクの梅が満開です。
藤棚もあります。
20170402AkutaS201s.jpg 大岩を置いた石庭が綺麗です。
この時点で気に入りました。
他の樹花も咲いており、とても手入れの行き届いたお寺です。
僕が去年初めて女の子の孫が生まれ、記念に庭に植えたアセビも咲いています。
我が家はもう終わりかけですが、牡丹も綺麗に咲いています。

20170402AkutaS208s.jpg 「大手水鉢」と名付けられた手水があります。
竹の産地・京都西山らしく竹のこしらえで、センスが良い。
20170402AkutaS211s.jpg 別の門から小ぶりな梅林が見え、その向こうに京都盆地が見下ろせます。

庭の終わりに、僧坊に上がるようになっています。
「入っていいのかな、せっかく来たのだから入ってみたいな?仏像も拝みたい・・・」
庭の手前に参拝受付のような所があったのですが、シャッターが閉まっていました。

沓脱で上がり、靴棚に靴を置きます。
矢印右が書院ですが、こちらもシャッターが閉まっています。
矢印は左にも向き、「どうぞお入りください」と書かれているので、ガラス戸を開けて入ってみる。
20170402AkutaS221s.jpg ガラス戸に囲まれた縁側があり、その前に別の石庭が広がっている。
その向こうの塀は低く、京都盆地を借景しています。
標高は低いのですが、素晴らしい眺めです。
お庭内も巡れるようになっています。

20170402AkutaS229s.jpg 中央に枝垂れ桜が1本あり、満開すると更にお庭は見事になるでしょう。
室内の屏風や仏像を見させてもらい、ショーケース内にあった「えんむすびお守り・500円」を手に取った。
20170402AkutaS231s.jpg 夫婦和合・夫婦円満・縁結びにご利益があるらしい。
青と朱2本の組紐に2つの鈴が下がっている。
家内とお揃いで使おう。

20170402AkutaS240s.jpg お代金を入れる箱がないので、「開いてるかな?」と思い受付に行くとまだ開いていません。
お金を払わないと出ていけない・・・
横に「ご用件のある方は、このベルを押してください」とあったのでベルを押してみると、返事があり「すぐ開けます」とのこと。

ガラガラとシャッターが自動で上がりました。
「すいません、早かったですか?」
「はい、9時からなんです」
時計を見ると、ちょうど9時でした。
「これをお願いします。それと拝観料も」

拝観料は300円でした。
たくさん写真を撮ったのに、拝観料が払えなかったら悪いので、お賽銭を100円奮発していました。
これだったら10円でよかったな。

「書院も開けますので、良かったらもう一度お参りください」と促され、また沓脱から建物に上がり、書院の方を拝観させていただきました。
素敵な襖絵の部屋があり、座って見ていると、説明が目に入りました。

『襖絵「西山讃歌」 創画会で活躍した郷土の日本画家・西井佐代子女史(1947~2000年)が、病の中自らの余命を見つめつつ精魂込めて描き上げた絶筆です。西山の山並みと、そこに棲息する四季の草花が当書院の計41枚の襖に描かれています。・・・』


4/2・京都西山・大原野

バイクの乗り、r67・旧西国街道まで下ります。
しばらくr67を走り、このまま県道を進もうかと思いましたが、R171に降りて、国道速度で一気に京都を目指します。
r67は確か島本町あたりで、一方通行で下りのみになって迂回しないといけないことを思い出しました。

「久世橋」まで出て、r201で西山の丘陵地をゆるく登っていきます。
JR「桂川」高架下をくぐり、阪急「洛西口」をくぐり、r67と交差し、「京都縦貫道・大原野IC」手前を左折し、r140に乗ります。
ナビにセットした「勝持寺」に従ってr141に乗ります。
「勝持寺」「願徳寺」駐車場に着きましたが、門が閉まっています。
事前調べて8:30開門で、まだ20分前です。待ってても仕方ないので、24Hオープンな神社「大原野神社」先に訪問しましょう。

20170402AkutaS158s.jpg 8:14、r141と勝持寺との分岐で停車。
r141は「淳和天皇陵」のある小塩山で山頂まで続いていますが、通行止めです。
ここから300m先で、通行止めのようです。

下から小塩山をジグザグに登る道が見えていました。
絶景は確実で登ってみたいけど、歩きや自転車ではなあ。
下から想像していたのとは違い、舗装されていますが、四輪のすれ違いが厳しい細い道です。
ここでこれだから、夜景などを見に四輪が上がり事故を起こすのを防ぐ目的での通行止めでしょう。

r140まで下り、「大原野神社」は南ですが、反対に曲がり「森神社」に行ってみます。
鎮守の森が見えていますが、目視で選択した道が行き止まりUターン。

8:23「森大明神」と彫られた石柱がお宮の前に立っていました。
藤棚があり、その季節になると喜ばせてくれそう。
こじんまりとしたお宮で、祠程度のものが3基建っています。
でも全てにきれいな柄の縁取りがされた御簾が下がっており、「おお~」と思いました。
20170402AkutaS168s.jpg 御簾が下がった奥を目を凝らして覗き込むと・・・期待したのですが、祠が鎮座しており、小さいのに覆屋を持っているのだとわかりました。
寂れて汚れ、見る影もないですが、見ようによっては高貴なものを感じるので、謂われ板を探しましたが、設置されていませんでした。

バイクに乗り、r140を南下し、8:33「大原野神社」
道案内板が設置されており、迷わず到着出来ました。
トイレ完備の地道の駐車場に入れようとしたら、横の売店のお母さんが出てこられ、「そこはダメ、バイクはこっちへ」と、お店横の椅子の前を指示されました。

売店が2店舗あり、更に奥に向かう道には、先程断念した「勝持寺」と書かれています。
ここからも行けそう。
案内板には、「大原野神社・徒歩2分、正法寺・徒歩4分、勝持寺・徒歩8分・願徳寺・徒歩8分、第53代淳和天皇御陵・徒歩1時間30分」
ジグザグの道を上がっていく電波塔が並ぶ小塩山山頂に、徒歩1時間半で行けるとはびっくりです。
京都盆地を一望できそうです。

淳和天皇は、小塩山御陵でしか知らない天皇ですが、50代が794年平安遷都した桓武天皇だから、平安時代初期の天皇なんだと知りました。
景色の良い所にお休みになられていますね。

20170402AkutaS179s.jpg 「大原野神社」に参拝しようと、鳥居横の謂れ板を読んでいると、ワンちゃんのお散歩お母さんが来られたので、「おはようございます」と挨拶しました。
よそ者は、地元の方に謙虚でなくてはなりません。

「どちらに行かれるの?正法寺さんは花の寺さんに対し石の寺と呼ばれており、あまり参らないお寺だけどいいですよ。願徳寺さんも門は閉まってるけど、呼び鈴を押せば参拝でき、国宝の仏像が見れますよ」と耳寄り情報を教えてくれました。
「ありがとうございました、寄ってみます」


4/2・芥川山城 後編

6:19、まだ下界の展望はありませんが、「史跡・城山城址」と刻まれた石杭が打たれています。
「大手道・下り・一番きつい」と書かれた杭も打たれており、ここで大手道を合流するようです。

きつい坂が下っていますが、「大手門石垣・40m下る」と書かれた杭も打たれているので、下ってみましょう。
20170402AkutaS081s.jpg 6:21、かなり崩れていますが、石垣が遺っています。
一気に450年前にタイムスリップし、守る三好勢に対し、攻め上がってくる織田勢との攻防がここで行われたはずだと、想像の翼を広げます。

最初は、能勢氏が城を築き、細川氏との攻防戦後、三好長慶に攻め落とされその居城になり、没後三好三人衆の支配下になります。
信長軍に攻め落とされ、和田惟政の手に落ち、荒木村重軍に敗れ従兄弟の高山右近が入城し、平城の時代になり歴史の表舞台から姿を消します。

芥川の渓谷が蛇行する場所にあり、東以外は芥川が天然の要害になります。
東側も山岳地として広く、攻め落とされてもいくらでも山中の間道を伝って逃げられます。

分岐に戻り、先を見ると陽が当たっている場所が見え、山頂部が近そう。
分岐手前に、この大手道の谷を上から覗き込むように小山があります。
バイク置き場から登ってきた道と大手道両方に睨みが利くので曲輪がありそうです。
獣避けフェンスで囲まれていますが、帰路攻めてみよう。

20170402AkutaS090s.jpg 6:27、木々が伐採された下界一望の場所に出ます。
大阪市街地のビル群が見えます。
20170402AkutaS092s.jpg 片や淀川を挟んで、河内と大和を隔てる生駒山系が見えます。
素晴らしい眺望です。
山城攻めのご褒美ですね。
20170402AkutaS094s.jpg 風がなく垂れ下がったままですが、鯉のぼりが竹のポールに揚がっています。

「三好山へ6分」と書かれています。
あれだけ寄り道してもバイクからまだ27分、往復の所要時間を書いているようです。
「田の丸」にも分岐しているようですが、これはパスしました。

20170402AkutaS117s.jpg 6:30、山頂本丸攻めに成功しました。
20170402AkutaS120s.jpg 祠があります。
本丸曲輪はかなり広く、相当な勢力が籠もった大きな城と分かります。
20170402AkutaS121s.jpg さすが畿内を収めた三好長慶の居城です。

搦手側にも切岸から降りてみます。
踏み跡がしっかりしているので、摂津峡を山歩きする方の定番ルートかもしれません。
土塁も遺り、以降残存度の高い中世の山城でした。
四方を巡り、帯曲輪などを目視します。

「城山城址」の石柱の裏を見ると、「昭和3年」と刻まれています。
現在のように、山城を観光の呼び水にしようと地元有志がルート開拓する時代ではないのに、ここに石柱を打つとはびっくりしました。
ここに籠もった先祖を誇りに思う子孫の方が自費で打たれたのかもしれません。

久々に中世の巨大山城に巡り会いました。
下山しましょう。
6:46、大手道脇の曲輪を攻めます。
獣避けフェンスを開けると、獣が移動する音が聞こえます。
軽快ではないので鹿でないかもと不安が過り、持っていた蜘蛛の巣よけの細い落枝から、太めのものに持ち替えます。
こんなとこで倒れても、しばらく発見されなさそう。

「キュイーン」、鹿の警戒声が聞こえ、走り去る音が聞こえます。
鹿のようなので安心です。
鹿はよっぽどでないと戦いを挑んできません。
イノシシにはバイクに乗っている時追いかけられた事がありますが、あれはやばいです。
熊はこんな山里近くにいないでしょう。
北摂の山では、ツキノワグマはほぼ絶滅だし。

キチンと締めて、探索開始。
20170402AkutaS137s.jpg 明らかな遺構のようなものは発見できませんでした。
20170402AkutaS140s.jpg 更に下り、「縦土塁」が見事に遺っています。
6:52、井戸まで下ってきました。
ここの石積みは当時のものでしょう。
20170402AkutaS149s.jpg 往路では気づかなかった鹿の毛が落ちています。
そう言えば鹿が濃いようですが、道中鹿糞を見つけられませんでした。

20170402AkutaS153s.jpg 7:03、バイクに戻りました。
大満足です。
20170402AkutaS157s.jpg バイク装束を着ていると、ワンちゃんのお散歩さんが上がってこられ、めちゃくちゃよそ者の僕が吠えられました。
飼い主さんも話をしたそうでしたが、会釈と「おはようございます」だけになりました。


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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
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/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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