8/13・長谷寺~室生寺

20170813HaseS039s.jpg 国宝「本堂」に入ると、法要が始まりました。
お経が気持ち良い。
本尊の「十一面観世音菩薩立像(重文)は室町時代製で10mの高さがあり、とても立派です。
我が国最大の木造仏像だそうで、圧倒される大きさです。

20170813HaseS048s.jpg 次男たちはろうそくを灯しています。
お嫁さんの実家は、日取りや風習を大切にしており、ろうそくを灯すことを子供の頃からしていたのかもしれません。
信心深いお嫁さんはいいわ。
家内の実家は、お坊さんに月命日参りしてもらう家で、法事など常識というものに詳しく、万事うまくやってくれました。

天井に掛かる絵馬などを見上げ、『賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ) 釈尊の弟子で、十六羅漢の1人。神通力に優れ、説法が獅子の如き激しさであったため「獅子吼第一」と呼ばれた。日本では堂外に安置される事が多く、自分自身の患部を撫でることにより、病気や怪我を完治すると言われる。そのため「なでぼとけ」「びんずるさん」の愛称で親しまれる』
僕は頭を撫でよう。

20170813HaseS057s.jpg 京都清水寺の舞台のように、ここにも舞台がせり出て、景色が良いです。
20170813HaseS061s.jpg 五重塔が木々の間から見え、ナイスです。
創建者の徳道上人のお堂があり、五重塔を経て畳敷きの東屋で休憩します。
すみれちゃんを置くと、早速動き出します。
20170813HaseS070s.jpg 地面に下りて砂利を持って僕にくれます。
可愛いな。

ここに売店があり、二輪御守500円を授かりました。
花の寺らしく、紫陽花が切り揃えられています。
亀の池がある。
蓮の池もあり、綺麗に咲いていました。
20170813HaseS088s.jpg 蓮の花は綺麗だなあ。

R165を西進し、右折してr28。
13:14室生寺前の「おもや駐車場」に車を入れます。
600円。
長谷寺同様、お盆の日曜日なのに空いています。
室生寺前の室生川を渡る橋の袂にある「橋本屋」で昼食にします。

女人高野「室生寺」を拝観します。
500円。
なんだか前来た時と山門までの道が違うなと思ったら、工事で道順が変わっていました。
20170813HaseS096s.jpg 山門前の寺務所で、お嫁さんは御朱印です。
「本堂は工事中で、金堂でも御朱印あるから、アチラでもやってね」と言われています。

立派な仁王像の山門をくぐり、オタマジャクシがいっぱいの池の横を通り、石段を上がります。
重文「弥勒堂」の屋根にブルーシートが被されています。
この勧進を願う立て板が立っています。

国宝「金堂」に入ります。
建立されたのは、平安初期だそうです。
仏像など内部は撮影不可ですが、流石に素晴らしい。
お嫁さんはここでも御朱印をしてもらいました。
3種類から選べるようで珍しい。
3種類とも御朱印してもらう方もいるそうだ。
20170813HaseS109s.jpg 本堂の屋根は、独特の反りをしており、檜皮葺の屋根が美しいフォルムを見せています。

鎮守の森の巨木に包まれ、涼しい境内を石段で更に上がり、国宝「五重塔」です。
20170813HaseS117s.jpg 女人高野らしく小ぶりで、ここの五重塔はかなり美形です。
多くの五重塔を見てきましたが、室生寺のが一番好きかもしれません。

奥の院には上がらず、ここから引き返します。
20170813HaseS123s.jpg すみれちゃんは活発に掴まり立ち歩きしています。
バランス感覚が良いようで、安心して見ていられ、コケても頭をぶつけたりしそうにありません。

13:59、金堂前から車に戻ります。
r28~R165で、次の目的地「談山神社」に向かう予定でしたが、お嫁さんが車に酔ってしまったようで、帰路につくことにしました。
2列目シートを倒し3列目とフラットにして横になります。

桜井市街地に戻り、「ヤマダ電機」に入ります。
すみれちゃんが寝ているので、僕らは車で留守番です。
次男のカメラのレンズカバーが割れてしまったので、売っていればいいが。
しばらくして次男夫婦が出てきて、レンズカバーはあったようです。
お嫁さんは少しトイレで休憩したようです。

大和高田バイパスから「南阪奈道路」に乗り、お盆なのに渋滞無しで快調だなと思っていると、「太子料金所」手前で渋滞しました。
料金所を出ると、なんと軽自動車がひっくり返って、窓ガラスが割れています。
警察車両がいますが、救急車はいません。
怪我されたのかな?

近畿道で吹田まで北上し、中国道豊中ICから渋滞との掲示があったので、吹田で出ます。
中央縦貫道を西進しましたが、豊中IC渋滞は存在しませんでした。
自宅付近まで戻り、17:02うどん屋「のらや」に入ります。
夕食にうどんを食べ、17:57に出て帰宅。
次男一家を降ろし、18:06に自宅を出て買い物です。
関西スーパーで買い物して帰宅し、1日が終わりました。




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8/13・長谷寺

昨夜は20時過ぎに寝たので、1時に目が醒めてしまいました。
電気を点け、行楽予定地の混み具合と渋滞予想を見ます。
高速道路渋滞予想も出ていますが、大したことはなさそう。
天気予報もチェックします。
15・16日はイマイチですが、それまでは天気が良さそうです。

GSに行き、車のガソリンを満タンにして、タイヤの空地圧もチェックしました。
帰宅して、国旗を掲揚します。
お盆期間中は、雨でなければ掲げます。
近所に祝日で国旗を掲げる家は、我が家だけになってしまいました。
近所の自衛隊基地には、毎日掲げられているけどね・・・

孤軍奮闘ですが、第一次安倍政権の時掲げられた『美しい日本を取り戻す』に激しく共鳴しました。
ゆとり教育で低下した学力を上げるためも含め『教育改革』も掲げられ、ゆとり教育に終止符を打たれましたが、ご病気であえなく退陣してしまいました。
残念でしたが、まだ若いので再登板すればいいと思ったら、強くなって蘇りました。
僕に応援できることは、保守党に投票することと国旗掲揚するぐらいです。

ごそごそしてて7時になりました。
隣に食事を持っていこうと階下に降り、家内の「持っていこうか?」と聞くと、「まだ早いよ、7:30でいいよ」とのこと。
TVのスイッチを入れ、ご飯を食べだすとすぐに次男が庭からやってきました。

「ご飯は?」、家内が慌てて「直ぐ用意するね」。
僕は朝食を中断し、お茶碗にご飯をよそい、庭から次男達がいる実家とお盆を持ってピストン輸送します。

出発予定の8時前になったので実家を見に行くと、すみれちゃんにまだご飯を食べさせています。
遊び食べで、おっぱい大好きなので、普通のご飯や離乳食を少ししか食べません。
お嫁さんは、友人のお子さんたちと比べ離乳食が進んでいないのを気にいて、少しでも食べさせようと時間を掛けています。

8:20にみんなを乗せ出発。
奈良の長谷寺~室生寺~談山神社~石舞台コースを観光します。
埼玉県在住のお嫁さんは、奈良の大仏・春日大社は観たことが、こちらはないそうなので。

R171~中央縦貫~豊中ICから中国道~吹田から近畿道で南下します。
西名阪道に行くか迷ったけど、南阪奈道にしました。
渋滞予想通り、太子IC渋滞がありましたが、大したことありませんでした。

高田バイパスを経て、R165で東進します。
大和三山や大神神社など、お嫁さんに歴史的なことを少し話します。
「出雲」の交差点表示を見つけ、我が家の先祖の菅原氏の先祖の土師氏は出雲族です。
11代垂仁天皇に誘われ出雲から、天穂日命の子孫で出雲国造の子である野見宿禰がやってきて、相撲で當麻蹴速に勝ち、大和のここに住みました。
垂仁天皇の妃・日葉酢媛命がお隠れになった時、それまで習慣であった殉死を改め、埴で代用することを提案し採用されます。
これにより、「土師」という氏の名を授かり、古墳や埴輪などの職業集団を形成していっ
たことを話します。
真実はわかりませんが、わが家の祖先と結びつけて話すと、日本の歴史がより身近に感じるでしょう。

羽曳野を通った時、世界遺産登録を目指しているここらの古墳群も、土師氏の仕事なんだ・・・なんてことも話します。
長谷寺への枝道に入り、長谷も初瀬もここに土着した土師氏から派生した地名や寺名だと話しました。
家内・息子・嫁・孫たちに自分の家のルーツを、積極的に話します。

先祖を知れば、自分の人生のこれからの指針になり、自分に流れる血・自分の家・そして日本国が愛おしく思え、好きになります。
今は一銭も産まない僕の話を鬱陶しく思えても、年齢を重ねるといずれ大切なことと思えるようになり、次世代に伝えておくべきことと思えるようになります。
僕も母から耳タコで話を聞きながら、歴史好きになりいろんな知識を得て、最近そう思えるようになりました。
僕の話を、「そう言えば、親父が言ってたな」程度に思い出せば嬉しいよ。

10:13~11:57、長谷寺手前の「いせ辻駐車場」に入れます。
1日最大500円。
20170813HaseS001s.jpg 参道を歩くと、着物を着た上品なカカシさんが店番をしているお店がある。
古民家に煙突屋根が出ている。
土蔵が見える。
20170813HaseS004s.jpg 初瀬新聞舗というお店には、朝日・毎日・産経・読売の全国一般4紙、日本経済新聞、地方紙の奈良・奈良日日・大阪新聞、スポーツニッポン・日刊スポーツ・報知新聞・サンケイスポーツ・デイリースポーツのスポーツ全国紙の看板が掛かっている。

20170813HaseS006s.jpg 参道の正面は、「興喜天満神社」。
天照大神が舞い降りた地で、雷神になった菅原道真を最初に祀った神社です。
でも長い階段を上がるのでパス。
20170813HaseS009s.jpg 草餅のお店が営業を始めていました。

拝観料500円を収め長谷寺に入ります。
『朱鳥元年(686)天武天皇の願いにより道明上人が創建。50年後、徳道上人が聖武天皇の勅願を受け、楠の霊木で十一面観世音菩薩を造立し、大伽藍を建立し祀った。ご本尊は3丈3尺(10m)右手に錫杖を持ち、大盤石の上に立つ姿で霊験あらたか。源氏物語や枕草子などでも「初瀬詣」として語られている。長谷観音信仰は全国に広がり、分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十を数える。「いくたびも、まいる心は初瀬寺、山も誓いも深き谷川」。
春の桜、初夏の牡丹など四季の美しさは天下の景勝地にふさわしく、万葉の昔から「隠国の初瀬」として歌枕の地にもなっている。西国33ヶ所観音霊場8番札所であり、末寺3000、檀信徒200万を有する真言宗豊山派総本山でもある』

山門には麒麟の彫刻。
鳳凰もいる。
20170813HaseS022s.jpg 屋根付きの一直線の長い登り廊下がドーン。

次男もお嫁さんも初めてなので、すみれちゃんを被写体にしながら楽しそうに登っていきます。
20170813HaseS035s.jpg 本堂曲輪まで上がるとそこに寺務所があり、次男たちは前日僕がすみれちゃんにプレゼントした御朱印帳に御朱印を頂きに行きます。
僕は絵馬500円を授かりました。
清水寺のような舞台がある本堂と五重塔に、もみじ・牡丹・桜の花があしらわれ綺麗です。


8/12・お盆次男一家帰省

次男が昨夜帰って来ました。
京都で小学生時代の友人の結婚式があったので、それに出席した後、別の友人の車に乗せてもらい帰ってきました。
2次会?3次会?終了後に電話を掛けてきたのが23:30で、隣の僕の実家の鍵の場所を教えました。
実際に家の前に車が止まったのが1:30でした。
電話の時もそうですが、帰ってきた時も目覚め時間を確認しました。

そして朝4時に目覚め、ゴソゴソした後、6:52給油しました。
車を洗い、チャイルドシートを2列目にセットしました。
お嫁さんとすみれちゃん1才が帰ってきます。
昼頃伊丹空港に着くということだったので、10時には出れるように用意万端整えました。

11時になっても次男から音沙汰が無いので、実家に行き次男に到着時間を確認しました。
すると13:05空港着だって・・・。
家内は今か今かと行く気満々だったのに肩透かしを食いがっかりしていました。

「じゃあ、カーテンを見に行こうか」と提案しました。
実家のリビングとキッチンを間仕切るアコーディオンカーテンを新調したいと言っていました。
ニトリに行き、いいのがあったので購入し、実家で作業をしました。
カーテンレールはそのままで、カーテン本体を交換するだけだから簡単でした。

次男と作業をしていると、家内が次男へ「あれ、背が伸びた?」と。
次男は「伸びてないよ」「じゃあ、お父さんの背が低くなった?」。
そう言われて次男を見ると、かつては僕と同じか僕の方が少し高いと感じていたのに、次男の方が高く感じます。
僕が縮んだのかもしれません。
まあ、仕方ないね。

12:30になり、3人で出発しました。
僕はお嫁さんに父の日プレゼントで貰ったモンベルTシャツと、モンベルバミューダパンツです。
駐車場に停めて、到着ゲートで待とうと思っていましたが、駐車場待ちの車の列が長く続いています。
仕方なく路上駐車して僕は車で待ちます。

まだ20分も時間があるのでエンジンを切り、外をブラブラ。
オンタイムを過ぎたので、到着遅延はどうかなと、ANA到着ロビーを見に行きました。
我が家はJALが多いのですが、今回はANAです。

羽田からの便は「定刻到着済」と表示されていました。
携帯電話を忘れたから、家内から電話を借りようと思ったけど、家内と次男を見つけられませんでした。
車に戻り、13:20になったので、そろそろ出てきそうだと思い、クーラーを入れるためにエンジンを掛け、車内で涼みます。

我が家は空港に近いので、飛行機が到着して電話もらっても、家から出て間に合います。
でもたまに10分ぐらい早く着く時があるから前もって行ってるけど、いつもこの時間が勿体無い。
5分ほどしてみんながやってきました。
美人のお嫁さんの笑顔がいい。
抱かれているすみれちゃんは、じっと僕を凝視し、「こいつ誰や?信用出来る人かな?」と吟味しています。
家内を見る目と僕を見る目ははっきり違います。

男は人類発生以前の太古から刻まれた遺伝子の記憶で、赤ちゃんに警戒されます。
今でもゴリラではやってるハーレムを奪ったオスが、自分の子ではないハーレム内の子を殺します。
授乳中は新たな子を宿さないメスの生理があるので、自分の遺伝子を将来に残すため、オスは子殺しをします。
その記憶がホモ・サピエンスの赤ん坊に遠い記憶として刻まれています。
だから男を警戒するのは本能で正常です。

車が走り出すと、声を出して指差し始めました。
数歩歩けるようになった程度ですが、今にも単語が口から出そうです。

帰宅し、僕は家からすみれちゃんとお嫁さんへのプレゼントを持って、実家に行きます。
お嫁さんには、「こんなに面白い日本の神話: 日本人として知っておきたい国の始まりと神々のドラマ (知的生きかた文庫)/鎌田東二著」の本です。
古事記の物語が簡単に書いてあり、最後に神様の名前とその解説が載っている文庫本で、とてもわかり易いです。
僕も、この本をいつも手元に置いて、神様の名前を索引風に引いて読み直しています。
お嫁さんは、神社の御朱印集めをしており、姉妹で伊勢神宮参りするほど神社好きです。

パワースポット女子は、まず日本の歴史「古事記」を知っておかなきゃ。
古事記はとても面白く、この物語を知ると神社の祭神がわかり、興味がさらに進むと思います。

すみれちゃんには、2日前に近江・多賀大社で授かった御朱印帳と御朱印帳袋をプレゼントしました。
素晴らしい国「日本」を好きになってもらいたいので、日本のベースにある神社を巡る楽しさを知ってもらう一助にと、スタンプラリーグッズをプレゼントしました。
お嫁さんが「御朱印帳を忘れた~」と言ってたのでちょうど良かった。

プール用に買った金魚すくいグッズ(金魚・アヒル・白鳥・・・すくい網)を袋から出し、すみれちゃんに渡そうとします。
警戒して近づいてきませんが、畳に置くと手を伸ばして取ってくれました。
今「どうぞ」ブームだそうで、いろんな物を手に取り、「どうぞ」と手渡しするそうです。
僕からどうぞを何度か繰り返したら、逆に僕に「どうぞ」してくれました。
お喋りもしだし、パチパチ拍手やニッコリ笑いも出ました。

家内に抱っこされても嫌がらず、僕にも慣れリラックスして、ハイハイ~タッチなど移動が始まりました。
しばらく遊び、家内と夕食を買いに出かけることにしました。
僕が先に勝手口から庭側に出ると、ハイハイして追いかけてくれたそうです。
早く慣れてくれて良かった~。

車に乗り、阪急オアシスに行きます。
パーティーセットのようなものがなく、家内にはイマイチだったので、関西スーパーにも行って、更に購入し家内は満足しました。
僕はなんでもいいんじゃないかと思うのですが、お三どん責任者の家内のはいろんなこだわりがあるようです。
家内の中の予定では外食だったのが、すみれちゃんのことを考え畳の部屋で気兼ねなく食べられる自宅飯になったので、より豪華な夕食で次男一家を迎えたいみたい。

帰宅し、みんなでわいわい夕食を食べ、20時前にお開きにしました。
すみれちゃんは、僕が入っていくとハイハイしてやってきてニコリと笑ってくれました。
すぐに金魚を「どうぞ」してくれます。
嬉しいな。
20時台に寝てしまいました。

8/10・長浜~海津大崎キャンプ場

1回生部員に、上半身裸のやつがいる。
「free Hug」と胸にマジックで書かれている。
女子部員なら、いくらでもハグしに行くが男子ではなあ~。
何かの罰ゲームなのかな?と思ったら、1回生部員は周航中4日間の課題を1つ決められるらしい。
この部員は、「4日間上半身裸」という課題に当たったようだ。
本人は、楽しそうに笑っている。

琵琶湖周航行事は、1・2回生の行事で、上回生はホームポートで練習している。
2回生が企画運営し、初参加の1回生は半分お客さんなのだそうだ。

9:56浜に出て、ヨットの準備をする。
全員乗れないので、ヨット組・レスキュー組・陸上観光組の3班に別れる。
10:16、準備ができたヨットから沖に出ていく。
20170810BiwaP185s.jpg 無風なので漕いで沖に出る。
日焼け予防完全武装の女子マネージャーもいる。
楽しんでね。

次にレスキューを係留している小さな港に車で向かう。
20170810BiwaP194s.jpg 10:33レスキュー組が乗り込み、ヨットを出した浜目指して出ていく。
10:50車で浜に戻ると、沖でレスキューがヨットを曳航している。
20170810BiwaP200s.jpg 無風なのでセイルを上げず、しばらく引っ張って行く。
次の目的地「海津大崎キャンプ場」に向けて・・・。

お寺に戻り、ここからが僕の仕事です。
観光組の1回生部員を7人乗せるて長浜に向けて出発。
彼らは前日ヨット組でした。比叡山登山をしたそうですが、途中で道がわからなくなり、登頂できなかったようです。
近江八幡観光もしたと言ってたかな?
周航中に、たくさんゲーム・レースをやり、個人成績とチーム成績で競うそうです。

助手席に乗ってくれた1回生Nくんは、三重県津高校出身だそうです。
実家は伊勢で、学校まで1時間だそうです。
春に伊勢神宮に参ったばかりだったので、あれこれ聞きました。

r2で長浜市内に入り、r331~r251で、11:13「長浜」着。
黒壁スクエアのガラス館などを見学し、2班に分かれお昼ごはんです。
上半身裸の部員もみんなといれば、余り気にならないね。
でも観光客に一瞥されています。

僕は「長浜黒壁AMISU」というカフェで、「かき氷いちごみるく」500円を食べました。うちわと観光地図パンフを頂き、12:45に店を出ました。
20170810BiwaS288s.jpg 海洋堂フィギュアミュージアムがあり、興味深く見学しました。
20170810BiwaS291s.jpg 暑いので、アイスを食べたり、黒壁5号館に入りクーラーで涼んだりしていました。
 20170810BiwaS296s.jpg 素敵なガラス細工のお店が多く、いろんなところに入りました。

20170810BiwaS320s.jpg 『豊国神社 祭神:豊臣秀吉公・加藤虎之助清正公・八重事代主命えびす宮・木村長門守重成公 天正元年(1573)信長の侵攻により小谷城の浅井家が滅亡し、湖北が秀吉公の知行地となりました。長浜城と城下町が造営され、楽市楽座の制度地租税300石免除の恩恵で、江戸時代を通じて栄えました。
慶長3年(1598)秀吉公が逝去すると、町民は太閤さんの恩徳を慕って豊国神社を建立しました。江戸時代になり、太閤さんを神格化することが禁じられ取り壊され、太閤さんの御神像は町役人の家々で守り継がれる時代が続きましたが、寛政5年(1793)「えびす宮」の建築許可を受け、奥に御神像を安置し密かにお祀りしました。明治維新後に、現在の社名に復帰しました』

大坂の陣で大活躍し、夏の陣で討ち死にした木村重成を祀っており意外でした。
瓦葺き・檜皮葺がミックスされた屋根は、金に縁取られ、彫刻もナイスでいい感じのお宮でした。
部員から電話が入り合流し、駐車場に向かいます。
20170810BiwaS302s.jpg 水陸両用バスが止まっていました。
長浜にも、こんなアトラクションがあったのですね。

11:40~13:48「護国神社P」300円。
また1回生部員を7人乗せ、海津大崎に向かいます。
r2~r509~R8で北上し、R303で琵琶湖北を西進します。
「永原」からr557・湖岸道路を西に走り、14:53「海津大崎キャンプ場」。
2回生荷物運び部員が先着しており、テント3張が設営済でした。

もう1つテントを建てるようですが、大きくても6人用なので、どうやって全員寝るのか不思議です。
だって1回生だけで20名、全員で30名の大所帯です。
沖を見ると、ヨット組もやってきています。
途中風があったところでレースなどをしたそうですが、また曳航です。
ロープを放し、1艇ずつ着岸します。
20170810BiwaP208s.jpg 陸上移動部員が海パンになり、ヨットを掴みに行きます。
15:00ヨット着艇。
その後、15:14レスキュー桟橋に着艇。

1回生たちは、泳いでいます。
20170810BiwaP231s.jpg 女子部員は水着の上にTシャツやパンツなどを着て、彼らを見ています。
岩からダイブしている部員もいます。
蛇が湖面上を泳いでいてビックリしました。
2回生は、夜の肝試しの準備のために、お寺の裏山に入っていきました。

僕は暑いので、r557を西進し、R161~r54で、16:52「ファミリーマート高木浜1丁目店」。
ブルガリアヨーグルトブルーベリー137円+果肉ソースいちごかき氷198円=335円を買いました。
r54~R161~r557でキャンプ場に戻り、かき氷を食べていると、雨が降ってきました。
そしたら少し涼しくなったからか、ひぐらしが鳴き始めました。
蚊と一緒で、暑さマックスの日中は昼寝しているのかもしれません。

風呂に行くようです。
20170810BiwaS326s.jpg また1回生を満載し、r557~R161~r287で、17:24「マキノ高原温泉」。
部員たちを降ろし、僕はご飯を食べます。
1回生をキャンプ場に戻す仕事があるので、頂いた琵琶湖・マキノ高原のパンフレットを見ていると、周航を手伝っていた4回生部員2名がやってきました。
合宿所に戻ろうと駅に行ったが、次の電車が1時間半後ということで、戻ってきたそうです。

は~風呂と夕食を済ませた1回生を乗せ、キャンプ場に戻り、帰路に着きます。
r557~R161~湖西道路~名神高速で、21:40「桂川PA」。
「ジャージー牛乳ソフト・183円」を食べ、帰宅しました。




8/10・「龍澤寺」~大学ヨット部

~R8~r518を経て、8:39「龍澤寺」。
20170810BiwaS189s.jpg 石田三成の居城「佐和山城」の麓にあり、登城口もあった。
隣に「井伊神社」があった。

20170810BiwaS198s.jpg 『主祭神:直政彦命・直孝彦命 配祀神:井伊家歴代の神霊 神徳:学業成就・武芸上達・開運 権現造り複合社殿、内部は全て漆塗(本朱塗込黒漆塗上)で、彫刻・組物、蟇股には極彩色が施され、格天井の天井板には様々な草花が華麗に描かれている。
天保13年(1842)井伊直亮(なおあき)が、井伊家の始祖・共保(ともやす)公の750回忌に当たり、遠州井伊谷(いいのや)八幡宮から井伊大明神を分霊し神像を造り、龍潭寺参道脇に奉斎したのを創祀する。弘化2年(1845)社殿を今の地に移し、現社殿を建立した。昭和13年(1938)近隣の佐和山神社(祭神:藩祖井伊直政・直孝両公)並びに祖霊社(祭神:井伊直中・直亮・直弼・その他井伊家歴代藩主)の神霊を合祀した』

修理のため覆われていたが、彩色の落ちた見事な彫刻が施された社殿があった。
中に入れなかったので、謂れ板に書かれていたものは生憎確認できなかったが、写真が貼られていた。
彩色の落ちた社殿外部と違い、内部はそうとう鮮やかなようだ。

20170810BiwaS202s.jpg 鎮守の森には、立派な大木が林立している。
『井伊直憲公顕彰碑 大老直弼の嫡子。万延元年(1860)桜田門外の変で父・直弼が非業の死を遂げた後、13才で彦根藩最後の藩主となった。就任当初は幕府譜代大名筆頭の家格を持って35万石を領し、京都守護の任に当たり、和宮降嫁の際、将軍の名代として京都朝廷への上使を勤めた。幕府の大政奉還により、藩是「勤王の大義」に徹するという直憲の決意により官軍に属することとした。これにより彦根藩の動向を窺っていた各藩も官軍につくことに決し、明治政府成立への大きな原動力となった。その政治力・決断力は、大老直弼の「開国の決断」にも比する。
しかし彦根藩は幕府の厳しい処遇を受け、危機的な状況にあった。その後天誅組鎮圧のため大和へ出兵、禁門の変で長州藩と戦い、第2次長州戦には芸州広島へ、戊辰の役には奥州会津まで出兵し、多大な戦功を挙げた。版籍奉還後は彦根藩知事、彦根県知事として、さらに欧米に留学し、近代国家の文化を学び、彦根の文化・教育・産業振興の基礎を確立した』

20170810BiwaS205s.jpg 「だるま寺・庭の寺 龍潭寺」入口を入っていく。
拝観時間は9~17時。
ここは、佐和山ハイキングコース入口でもあった。
「山頂まで20~30分 拝観時間外は通行不可」
20170810BiwaS210s.jpg 緑に包まれた参道を行くと山門があり、それをくぐり進むと「大洞観音堂」がある。
更に進むと、無縁墓石が集められた場所があり、その奥に墓地が点在していた。

20170810BiwaS216s.jpg 「佐和山城跡に最近、野猿の群れが出没いたします。十分ご注意ください」の立て札が立っていた。
20170810BiwaS227s.jpg 「石田三成群霊供養」石柱が立っている。

駐車場に戻る。
『佐和山城跡 鎌倉時代初期、近江源氏佐々木定綱の6男時綱が、佐和山の麓に館を構えたのが始まり。その後湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。佐和山城は両勢力の境の城として攻防が繰り返され、湖北では京極氏に代わって浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏との間で争奪戦が展開された。
信長・秀吉の時代にも、近江の要衝の城として重視された。信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀を配し、安土城築城まで機能を維持した。秀吉の代も、堀秀政・堀尾吉晴・石田三成を配し、佐和山城に重きを置く姿勢は変わらなかった。この間整備が進み、山上に本丸・二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、山下には東山道に面し大手門が開き、二重に巡らされた堀の内外に侍屋敷・町家・足軽屋敷の城下町が形成された。関が原の戦い後に落城し廃城と化した』

『佐和山城ゆかりの戦国武将 浅井長政(1545~1573) 戦国時代になり、京極氏に代わり近江北部の戦国大名として台頭した浅井氏は、近江南部の六角氏と争った。織田信長からの同盟提案を受け入れ、信長の上洛を援護することで六角氏を退けることに成功した。同盟を機に信長の妹・市を妻として迎え、茶々・初・江三姉妹はじめ子宝に恵まれたが、元亀元年(1570)信長が浅井氏の盟友・朝倉氏を攻めたことをきっかけに、長政は同盟を破棄。朝倉軍とともに姉川の戦いで織田徳川軍と戦いました。佐和山に配された磯野員昌らは善戦しますが破れ、翌年信長に開城しました。天正元年(1573)、本拠地の小谷城を織田軍に囲まれ、長政は自害し29才の生涯を閉じました。残された市と三姉妹は信長の元に置かれ、その後の豊臣・徳川時代まで波乱に満ちた運命を辿っている』

『石田三成 近江国石田村(現在の長浜市)で生まれた三成は、羽柴秀吉が信長に仕えて長浜城主となった頃から、秀吉の側近として仕え、能吏としての手腕を発揮した。秀吉の天下となってからも、検地などで手腕を発揮し、五奉行筆頭になり佐和山城主に任ぜられた。三成の時代に佐和山城は整備され、五層の天守を備え、「三成に過ぎたるもの」とまで言われた。秀吉没後、天下を狙う徳川家康との対立を深め、上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵を計画します。家康が諸大名を従え上杉家征伐についたのを機に、三成は挙兵を決意し、慶長5年(1600)9/15関ヶ原で家康ら東軍との戦いが始まりました。戦いは東軍の勝利に終わり、佐和山城も東軍の攻撃を受けて落城し、三成の父・正継を始め石田一族の多くが討ち死にした。三成は湖北に逃れますが、程なく捕縛され斬首された。三成の死後、佐和山の領民はその遺徳を偲んで地蔵などを築いてその霊を慰めた』

r518~r517~r2を経て枝道に入り、9:15湖畔の小さな砂浜で、コーチしてるヨット部のヨットを発見しました。
部員が泊まっている「上妙寺」を見つけた。
20170810BiwaS246s.jpg 部員に連絡し、境内に入ると本堂前に多くの荷物が出ており、琵琶湖周航中の部員たちがいた。

20170810BiwaS248s.jpg 女子マネージャーから、「朝ごはん食べますか?」と声を掛けられ、本堂横の建物内でご飯を食べた。
電気釜など陸上部隊のバックアップの厚さを感じました。
部員たちは、住職さんを呼びに行き、「ありがとうございました」。
住職さんからも「また来てくれてありがとう」の言葉。
僕からもお礼をいうと、住職さんがいろいろ話してくれました。
先々代の住職(現住職のお爺さん)が、周航中の悪天候でたまたま緊急避難した浜で困っていた部員に声を掛け、一夜の宿に本堂を提供したのが始まりだそうです。
その時小学生だった現住職さんも、そのことを覚えているそうです。

そのお爺さんが亡くなり既に50年。つまり、50年以上前から毎年ヨット部員がお世話になっているそうです。
今では夏にやってこないと寂しく思うぐらい、お寺にとっても年中行事の1つになっているようです。
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